岸本晃の住民ディレクターNEWSブログにみる 官兵衛で國創り 誰もが知らなかった その時代・その地域に生きた人物(人々)の姿を描く 岸本晃の住民ディレクターNEWS http://blog.goo.ne.jp/0811prism 八百万人が起こす大事件「ミラアタ」について。 ~ 2014/10/8 岸本氏から八百万人の仲間(住民ディレクター)にむけてのメッセージより ~ 今年は怒濤の毎日ですが、いよいよその山場に来ております。決して「官兵衛で國創り」だけ をやっているのではないのですが、今年は1月5日から官兵衛と共に生きて来たと言っても過言 ではない9ヶ月を過ごしてきました。結論から言いますと12月14日の「軍師官兵衛」最終回 に1日前から全国中継をはじめ、26時間追走番組を行います。 ここ1ヶ月ぐらいで色々な形で書いたりしゃべったりしてますが、一言で言えば「前代未聞の全 国住民ネットワークによる大事件」が起こります。皆様にとっては、それぞれに感ずるところは あるでしょうが、わたしにとっては約33年前に誤ってテレビ局に入ってしまい、19年前のあ る夜にポンとそこを出て、18年前からはじめたのが住民ディレクターという生き方で、それが 大事件を起こすキーワードです。 普通の人々、平凡な日常、ささやかな幸せといわれるごくふつうのわたしたちの生活をもっと普 通に伝え合い、共有し合い、助け合うコミュニティが必要なんだということに気づいたのは誤っ て入ってしまったテレビ局のお陰でした。 ネット時代に入り、テレビは終ったと言われて久 しいですが、それは大きな勘違いで「テレビという 生活道具」が生きるのはやっとこれからなんです。 人々の人生と大きく深く関わって来たテレビという 怪物、また、「テレビは見るもんじゃなかばい、出 るもんばい、使うもんばい」と言って住民ディレク ター史の一時代を画して来た熊本県山江村は今も変 わらず「住民ディレクター」の原点です。 (写真)渋谷(NHK放送センター)前にて。 10/16(木)に東峰村「渋谷」村長を団長に福岡県内、全国 各地から集まり「渋谷」を攻略「住民ディレクターは地域 づくりの軍師」をコンセプトにお伝えします。 テレビを生活道具として使うことをはじめたのが住民ディレクターであり、その軌跡の中で皆 様と出会い、チャレンジし、形になってきました。しかし、昨年まではそれがまだバラバラで動 いていました。いつかひとつに成るチャンスをうかがっていました。そこに「軍師官兵衛」があ りました。少なくともNHKで放送されるので全国どこでも見られます。共有できることが大事で す。しかも一見西日本が中心のドラマですが庶民としてはこの同じ時代に東日本ではどういうこ とがあったのか?北陸では?四国は?・・・これをやれるのは我が八百万人しか世界にありませ ん。わずか40名でいいのです。「一人では何もできない。しかし、一人がはじめなければ何も はじまらない」わたしの行動原理です。40名もいればとんでもないことになるし、今年はすで にとんでもない人々に幅広く伝播しています。 「イノベーション」という言葉を小泉進次郎さんが注目しました。そして小泉さんと仲良しの東 京の女子中学生が「イノベーション」をわかりやすく表現した「キラキラライフ」。八百万人は 普通の人々がつながって「キラキラライフ」を創造し、また「ミラアタ(未来の当たり前)」を さりげなくやってしまうという大事件を起こします。 「ミラアタ」に世界に先駆けてチャレンジするのが12月13日から14日にかけて行う「軍師 官兵衛」最終話・追走26時間テレビです。 2 誰もが当事者になれるNHK大河追走番組だから生まれた交流 いま改めて「岸本晃の住民ディレクターNews」を振り返る NHK大河ドラマ追走番組「官兵衛で國創り」も前回放送で40回を迎え、残すところあと10回 となりました。今年の始め「とても50回なんて」と話していたのがうそのようです。NHK大河と いう全国誰もが見れるドラマがベースにあることで、「やりたい」と思う気持ちがあれば誰でも 何の枠もなく「当事者」になって動ける企画なのだということに9カ月走りながら気がつきまし た。「追走番組の魅力をどうしたら伝えられるのか」を、昼夜問わずみんなで夢中で話した結果、 広報チームのfacebookメッセージは4,500を超える投稿数となりました。 軍師官兵衛は、荒木村重、宇都宮重 房、そして主役の黒田官兵衛自身も実 は歴史上のイメージが良いとは言えな かった人物の名誉回復的な側面も持っ たドラマでもありました。我々は大河 終了後、東峰村からそして全国ゆかり の地の方々のお話しを直接伺う事で、 彼らが地元の人々にいかに愛されてい たかを知ることができました。 「史実」と違いすぎるのでは? 官兵衛が毛利に単独で「信長の死」を 伝えたときに、スタッフの中でさすが に疑問が湧きあがった際には、ドラマ とは、フィクションとは何か、という 本質を相手に伝える根本的な考え方に ついて話せるきっかけともなりました。 昨年末、八百万人深夜会議で追走番組の企画発表が行われた際の様 子(全国各地の住民ディレクターがハングアウト上に集結) そして、年末・軍師官兵衛最終話に26時間テレビを行うにあたり「住民ディレクターとは何 か」「何故大河追走が住民ディレクターにつながるのか」を伝えたいと考えたとき、我々は岸本 さんが8年前から書き続けられている「岸本晃の住民ディレクターNEWS」を自然に読み返すこ とになりました。そこには、彼がこれまで出会ってきた全国各地域の「人」の暮らしがあります。 地域の人々の本質を発信するための住民ディレクターの考え方が脈々とつづられています。 地域活性化を実践するAction Media 「岸本晃の住民ディレクターNEWS」 2007年7月より8年間、住民ディレク ターを提案、そのリアルタイムの実践 (実戦)の様子を紹介。2014年10月現 在1500投稿以上 3 2014 07/06 ドラマはフィクション、NHK「軍師官兵衛」も。 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/b5bb1d7039e0a8e6ba7f845b2409f324 「軍師官兵衛」の追走番組「官兵衛で國創り」も次週で29回になります。本編の「軍師官兵衛」は 時代考証が甘いとか、3英傑の役者の年齢が違いすぎるとか色々と言われてますが、ドラマは本来 フィクションなのでわたしは全然気にしていません。天下のNHKの大河ドラマなら史実に基づいて、 と一般的に言われるのはしょうがないとしても、元々ドラマは小説と一緒で現実の出来事に意匠をか ぶせてフィクションにし、最も伝えたいことを表現する手法とわたしは認識してます。 かつて住民制作ドラマを5本作りましたが、わたしの場合は「事実を積み重ねて真実を語ってい る」とおもわれているドキュメンタリーでは真実は到底描ききれないとあきらめた後に向かったのが ドラマでした。そしてむしろ虚構で成立するドラマこそ真実を語るに相応しいと制作をはじめました。 「軍師官兵衛」はそういう意味で調略とか策略が軍師とおもわれていたかつてのイメージを払拭し、 官兵衛の人間性復権ドラマになってると感じます。戦国時代の毎日「死」を意識する時代の人生に 「我人に媚びず、富貴を望まず」を言い切った官兵衛の宇宙的スケールをこれまでの読み物や歴史は 矮小化してきたと感じます。信長しかり、です。 地球儀を見ながら「わしの真意をわかるのは秀吉と官兵衛二人」とセリフでは信長に言わせました が、あれはわたしには「わかるのは官兵衛だけじゃのう」に聞こえました。秀吉は信長の最大の理解 者ではありましたが、「信長の存在」がビジョンそのものだったので秀吉自身にはビジョンはなかっ たと推察しています。中国大返しの秀吉、官兵衛の思慮と行動が自然と語っています。それもその時 の事実はわかりませんが後々の秀吉の狂いが生じることは歴史の事実としてあります。一方で官兵衛 の辞世の句です。 「おもひおく 言の葉なくて つひにゆく みちはまよわじ なるにまかせて」 そしていつしか官兵衛が悪者になっていくのです。調略、策略の負のイメージが誇張されます。こ ういうことも多くの歴史が繰り返しています。栗山大膳の「黒田騒動」しかりです。その父で官兵衛 の筆頭家老 栗山善助は濱田岳さんが好演しています。先日福岡市内で善助のご子孫にお会いして善 助のDNAを感じました。おおらかで他者を大事にするやさしい方です。 平成5年にクマソ復権ドラマを創りました。野蛮でまつろわぬ者として大和朝廷に征伐されたと書 かれた歴史書を疑った地元住民自身の行動からドラマがはじまりました。今回は追走番組ですが、結 果的には官兵衛復権、栗山善助、大膳復権になってる感じです。そういう意味では歴史上の多くの人 達の本当の姿を学ぶにはやはり大河ドラマは素晴らしい機会です。自分たちで調べる、描く、放送す る、反応を聞く、・・・、これらのプロセスが地域のアイデンティティを再構築する企画力に確実に つながっていきます。来年の大河ドラマ「花燃ゆ」は「松蔭の妹」を通して幕末、明治維新の庶民の 見直しにつながると期待しています。 4 2014 04/05 大義は何か?「軍師官兵衛」に学ぶ今。 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/e398dec3b38d04b04effc1fd6afcbfb7 日本列島を18年かけて様々な地域を歩くだ けでなく住みながら一緒に地域づくりをして きた実践人生で常にど真ん中にある課題はい つも「誰がやる?」です。丁寧に言えば「誰 が最後まで責任をもってやり切るか?」です。 ただし目的が明確でないとやるだけでは意味 がありません。 そこから派生するもうひとつの課題は「わたしがやる」と手を挙げた人が疎外されていくこと でしょう。それには手を挙げた人の問題もあります(目的が違う場合など)。が、逆もあります。 こういう時に今「軍師官兵衛」は本当に勉強になります。前回でしたか?秀吉に惚れ込んだ官兵 衛が秀吉に気に入られようとするばかりに本来の目的、戦国の世で言うと「大義」を見失いかけ ます。播磨をひとつにするために自分の殿、小寺政職が秀吉に会うことが求められますが、殿は 言うことを聞きません。 殿に翻弄され、お家の一大事、と考えあぐねているところに、秀吉から義兄弟の証しとしても らった大切な誓紙(秀吉が官兵衛に渡した義兄弟宣言書類)を火にくべながら「大義は何か?」 と厳しく詰め寄る竹中半兵衛。慌てて誓紙を奪い返す官兵衛。この瞬間の態度に官兵衛が大義を 忘れ、秀吉の気に入ろうとすることばかりに心を奪われていることが露(あらわ)になります。 大義は「戦国の世を終わらせること」、半兵衛は淡々と語ります。秀吉の家来になったのもそ の実現の道が最も近いからと言います。そして、半兵衛の叱咤激励に目が覚め、殿が度肝を抜く 様な解決策を考え出し、官兵衛は秀吉と殿の出会いを演出します。これには秀吉という「稀代の 役者」と官兵衛という「稀代の軍師」がタッグマッチを組むという稀代のコンビの信頼に基づい た関係があります。実質的な義兄弟です。いや、誓紙も不要な兄弟です。秀吉もまた「大義は戦 国の世を終わらせること」と百姓からのしあがって来て考えはじめた人間です。信長の背中を見 続けたのです。そして、「軍師官兵衛」黒田官兵衛がドラマの中でやっと誕生します。 企業、役所、NPO、任意団体、・・・どの組織でも同じです。「大義は何か?」自己の都合や 利益、名声、世間体などに目を奪われていれば大義はなし得ません。 「我、人に媚びず 富貴を望まず」 官兵衛の人生を見事に表現する名言です。わたしが「軍師官兵衛」を追走する「官兵衛で國創 り」を企画し、実践しているのはこの名言の実践であり実戦を目指すからです。 全国の大義を成そうとする皆さんと共に。 5 2014 10/05 26時間テレビの理由(わけ) http://blog.goo.ne.jp/0811prism/c/1dc46955679932997729fbce62e92865 熊本の民放時代はディレクター&プロデューサーとして、また同時にカメラマン、編集マンと して様々な番組を創ってきましたが長く継続してやってきたのが「ズームイン!!朝!」と「愛は地 球を救う!」24時間テレビです。現在の住民ディレクターは「ズームイン!!朝!」が原型です。 「朝で生でジャーナルで」というのがギニョさんと愛称で呼ばれていた斎藤総監督の徹底して 曲げないコンセプトでした。住民ディレクターは朝は忙しくてテレビマンのように「朝で生で」 は難しいのですが現在、毎週日曜日の夜にやっている「軍師官兵衛」追走番組は「夜で生で ジャーナルで」と夜の「ズームイン!!朝!」です。。全国から顔を出してもらう時間がなかなかと れないのが課題ですがこれは最終回の26時間テレビで思う存分出ていただくための実戦での鍛錬 です。 「ズームイン!!朝!」と並んで日テレ系で長寿番組の一つ24時間テレビもプロデューサー、ディレ クター、カメラマン、ADを一人で兼ねてよくやっていました。毎回熊本だけのオリジナルでかな り過激なチャレンジを繰り返していました。24時間を共にやり遂げるのはいろんな意味で関わる 大変多くの方々との交流が一気に深まり、気持ちひとつになっていく貴重な場が育っていきます。 わたしは今回「官兵衛で國創り」で「何故26時間テレビですか?」と問われれば「これまで1年 間関わっていただいた全国の皆さんの気持ちが一つになるから」と答えます。 信長、秀吉、家康の元で官兵衛が走り回り、村重、半兵衛、宇都宮鎮房、そして殿について活 躍してきた栗山善助、母里太兵衛などなどこれまで歴史の表舞台とは無縁だった家臣団や家族の 暮らしがあったことがどんどん見えてきました。一人一人自らを投影する役者も異なるでしょう し、追走する中で自分自身を発見された方も多いと感じます。 その発見、気づき、つながり、広がり、想像の翼の世界、表現、創造・・・などの今年の成果 を発表し合う26時間です。「ズームイン!!朝!」は「じゅうみん!!朝・昼・夜!」になり「24時間 テレビ」は「26時間テレビ」になります。さらにその理由を詳しく今夜語ります。なにしろやっ と今夜の準備が始まったばかりなんです。急がないと!? 6 2007 11/13 改めて「記者」ではないよ、住民ディレクターは。 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/bb80f656e6f6b82c4aae71ed76b09b20 住民ディレクターは当事者が伝えるんだ と、11年前から言い続けてきた。客観で はなく主観だとも言ってきた。しかも農 家の松本佳久さんのお米をいかに売るか を考えている活動だ。明らかに記者活動 ではない。だからいつも話題を探す必要 はない、自分のことを語ればいいからと も話している。自己表現だから記者では ないし、自分で自分の米を映像で売り込 むんだからこれはもうCMだ。だから記者 ではなくてディレクターだ。 ところが自分の米を売るために自ら企画し、取材し、編集し、発信することは独りよがりでは駄 目だ。なぜなら売れないからだ。農家が自分の立場で米作りの苦労ばかりを伝えても買ってくれ る人の共感を得ない。 その農業の背景に「高く売らんかな」だけの金儲け精神が見えれば、街の人はひくだろう。松 本さんのように山江村を愛し、山を愛し川を愛し、安全で安心な米や野菜を作ってくれている人 だからこそ伝わる。どこで取れたかわけのわからない米や野菜よりは松本さんの米を買うほうが 自分たちのためにもなるということが伝わっていくから買ってもらえる。そのことは米の生育だ け伝えているのでは駄目で、松本さんが日々暮らしている山江村とのかかわりや高齢者の現状や 子どもたちのことを伝えていくことだ。 最近、地域振興の手がなくなってしまって、いよいよ藁をもつかむような感じで住民ディレク ターを取り入れようとするケースが増えてきた。人材養成をしつつ、結果的に作ったオマケの番 組が役立つので同じ予算を使うならお得だということは11年前からまた話していることだ。しか し、即効薬や対症療法ばかり追い求めてきた人たちはせっかくの有効な手立てさえも結果ばかり に目が行ってプロセスを無視するので生かせない。で、「やっぱり駄目だ」と勝手なことを言っ ている。 ところが全然駄目ではなく、その人たちの周辺には新 たな動きが出来ている。しっかりとこの手法の主旨を 汲んで動いている人が必ずいるからだ。主催者には見 えぬから大きな意味で地域では継続できないのが残念 だが、その一人から始まるのもまた事実で私はこの 「一人」を探して全国を歩いてきた。 (写真:夜明け前1杯のみそ汁を飲みながら番組編集) 7 2007 08/25 オマケの番組から、本音の作品へ http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/4889048c5d8e6bf5a6cc19262f418c3a リーダーの木村尚子さんはしばらく番組 作りと地域づくりのつながりを見失ってい た(もしくは、模索していた)が今回の講 座でしっかりとつかんでもらえたようだ。 但馬のもともとのスタートは3人だった。 写真の中で身振り手振りで話しているのは そのうちの一人、文(フミ)さんだ。御年 70数才?!のパワフルじいちゃんで非常 にユニークなHPをのぞいてもらえばわか る。 http://www5.nkansai.ne.jp/users/kusatani/ newpage1.htm 隣でカメラの三脚を触っているのが村上さん、2年ほど前まで、この二人と木村さんの3人で 同じこの会場で打ち合わせ会議をするのが当たり前のような時期が続いたらしい。最近では毎回 10数人が集まり、受講経験者も恐らく約30人ほどになっていろんな可能性がみえてはいたも のの、具体的に地域づくりとのつながりをどうすればいいのか代表の木村さんは悩んでいたよう だ。 但馬は山江村に似て皆さんがとても暖かく、仲がいいのでついつい楽しい番組作りが主になる のだが、木村さんには本当にこの活動でやっていきたいことがあった。だが、この雰囲気の中で なかなか本当のことは出せなかった。その伝えたいこと、やっていきたいことは結構真面目な話 で、真剣な内容だ。だからこそ、皆さんのお世話をすることも役割の木村さんは遠慮してそのシ リアスな番組を出せなかった。 私は、但馬の第2幕はそこから始まると前から指摘していた。 代表が自ら本当にやりたいことを出せないと仲間に伝わっていかない。楽しいのはいいけれど、 それだけでは代表自身が本当に意義ある活動にしていけない。課題はここだった。そして木村さ んは今回自ら衛星放送実戦講座に入り、本音の番組第1号を制作した。今日の午前中は会員の企 画会議兼「第2幕入り講座」だった。その場で会員の皆さんに木村さんの本音作品の試写会をし た。 約3分の番組試写が終わると、何人かの会員から、「よく伝わった」「よくわかった」「やっ とされましたねえ」などの声が出た。皆さんがとてもすっきりした表情をしていた。不思議なも ので人はきちっと内面が表現されると、他者(ひと)にも伝播するものだ。 恐らく、木村さんのこの時を知らず知らずに待っていた のではないかと思う。気遣いもまた、伝わるものでリー ダーが気遣いばかりしていると皆も気遣いをする関係に なっていく。一見楽しそうでも、本当のコミュニケー ションは成らない。 木村さんといえばいつも「だ・は・は・は・は・・・」、と 豪快な笑い声がビデオテープの隅々まで記録されている 8 2007 08/15 「視聴率」と「視聴質」の2刀流 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/c7aa86ea8ee9c7652ec42427a4d33e71 住民ディレクター活動を薦めるとき、いつ も映像を作るときに誰に発信するかをイメー ジしてやりましょう、と話している。私が1 4年間いたテレビ局時代はいつも不特定多数 の見えない顔、人の形をした人形のような影 (視聴者)を相手にしていた。だから、いつ も反応が見えないし、投げた石がどこに当 たっているかがわからない状況で番組を制作 していた。しかし、ある時からそれはやめた。 たまたま自分が作った番組を自宅で見ている 時、横に義母がいた。私が作ったということ は黙って見ていたら、横で義母が「あれはど ういうこつね?(どういうことね)」「あ ぎゃんこつはなか(ああいうことは熊本では ない)」「これはおかしか(これは言ってる (写真はテレビ朝日系の熊本民放のゴールデンタイム {PM7:00~8:00}で放送された山江村の村民 手作りドラマ:企画から撮影、編集、出演のほとんどを 村民で実施したドラマ、プリズム企画、プロデュース) 事がおかしい)」などと、独り言を言い始めた。いつものことだが、いちいちグサッときた。い つものことというのは、水戸黄門を見ている時にいつも「そろそろ黄門様が出てくる」とか「こ ん人は悪かもんばい(悪い人だよ)」と、解説があるのだ。 義母の素朴?な疑問や批評が自分が作った番組に発せられた時に、「そうか、これからは義母 のことをイメージして番組を作ればいいんだな」とわかった。いつも不特定多数を相手に作って いた番組が実は自分の義母にこんなに理解してもらえない番組だとわかって、すっきりした。そ のうちにいろんな人の顔が見えてきて、不特定多数から特定少数になってきた。マスコミにいな がら、特定少数に特化して番組を作り始めたら、非常に全体の反応がよくなってきた、という皮 肉な結果が次々と出てきた。 かなり勘違いしているんだな、ということがわかってきた。我々はいつも何百万人、何十万人 を相手にしてきたが、その人たちの顔を見てなかった。しかし、そのうちの一人である義母が 「ただの一人」ではなく、何十万人の最大公約数のある何かを感じとってくれている「一人」 だった。「一人」のことが実は「何十万人」のことに通じる。不特定多数のマジックに惑わされ てきたことに気付いてから、視聴率のマジックがわかった。 視聴率ではなく視聴質だという議論が随分前からあるが、私は今でも両方必要だと考えている。 住民ディレクターはまずは「質」から入る、しかし、その「質」は必ず大きな量になっていくこ とがこの活動の目指すべき方向だと考えている。そのためには、しっかりと一緒にやっていける 人がある一定の数になっていかないと行かないということもよくわかるので、この11年間はそ こに徹底的にこだわってきた。時間はかかるが住民ディレクターは2刀流の宮本武蔵を目指す。9 2007 08/18 社会派ママの地域活動と研究、衛星番組化へ。 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/873a0a23c2df3aff2fe8459b561cee0a 村おこしを提唱して動いているうちに、杉 並区の村おこしが先に始まった。その原動力 は(写真の)高橋明子さんだ。高橋さんは著 名銀行系のコンサルタント部門の業務をして いたが、育児のためにしばらく休業していた。 その間、大学院の学生でもあったが、私とは 内からの地域情報化をすすめる団体CAN フォーラムでご一緒する機会が多かった。日 経新聞の地域情報化大賞でも住民ディレク ターを押してくれたひとりで、山江村、人吉 球磨地域には勿論、山口、兵庫、京都、高知・・・と、私の全国行脚に一番付き合ってくださっ た人だろうと思う。私は高橋さんを「社会派ママ」と呼んでいる。 もともと地域情報化という切り口で、住民ディレクターに注目、他の地域づくりの手法との比較 検討や分析を書いてくれていたが、昨年からとうとう自ら住民ディレクターになりきって、地元 杉並区で実践を始めた。住民ディレクター講座を実現するために保育園のお仲間を集めたり、社 会教育の事業を活用したり、区の職員を口説いたり、まさに山江村などいろんな地域の住民が やってきたプロセスをひとつひとつ丁寧にやってきた。勿論、本業の著名企業のコンサルのよう に事はすんなりとはすすまない。一人の主婦である区民としての提案は、すぐにはOKがでないし、 具体化するために費やす時間は並大抵のものではない。 しかし、持ち前のエネルギッシュな行動力でまずは保育園の父母を対象にした講座を具体化し、 要領をつかんだ後は区の事業を次々と形にしていった。やっていくうちに見る見るお仲間が増え、 同時期に大学院の修士論文があり、とうとう「住民ディレクター」を「実践しつつ、研究する」 という2刀流を続けていた。この論文は実に広く深く住民ディレクターの本質に迫ってきた。 プリズムTVが開局する時には愛娘を抱いて、熊本のプリズム事務所まで訪れ、開局の瞬間を住 民ディレクターとして取材していた。その間も彼女のテーマはずっと「育児と仕事」だった。住 民ディレクターの番組でもこのテーマを追求し、同じ境遇にあった友人の取材を通して、自らの 育児と仕事について考え続けた。そして彼女が出した結論が、休業していた会社の退職、新しい 仕事の起業であった。コミュニティビジネスとはちょっと違うかもしれないが、住民ディレク ター的発想が生かされる新しい仕事に違いないと思う。 10 2007 09/24 一匹狼にあこがれ、職人の世界へ http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/85e31e81ad47ef5ba79c3a59d86d6ab6 職人さんというのは昔から徒弟制度 で仕事を覚えたので、やさしく後輩に ノウハウを教えてあげるというのは苦 手な人種だ。畢竟、無愛想、荒っぽい、 しかし、人情味があり、一度気に入っ たらとことん可愛がる。などの特徴が ある。なぜわかるかというと、実は私 のスタートは職人だったからだ。 安さんは仕事に入る前はニコニコし ている。ところがいったん撮影に入る と、・・・「あれ持って来い!」 「それつないで」「そいつを笑って(どけてという意味の業界語)」などと外国語のような短い 言葉を発しては怒鳴っている。言っている意味がわからないでモタモタしてると「あほかっ!」 「早うせんかい」と次々と罵声を浴びる。こちらもムカッとくるが、そんなふりを一瞬でも見せ ると物凄い形相で睨み返されるのでおっかなくて、逃げ出したくなる。挙句の果てはそこまで言 われるか・・・、というぐらいにボロクソにいわれ、「ああ、やっぱり来るところを間違えたな あ」と後悔するのだった。現場はこちらかすると暴風雨のようなもので過ぎ去るのをひたすら祈 るような気持ちだった。 ところが、撮影が終わり、機材や車を片付け一段落して宿に入ると、さっきまでの鬼のような 形相がすっかり仏さんのような顔に変わっている。飲み屋に着くと目尻がぐにゅーっと下がり、 「悪かったなあー、お前は写真も撮ったことがなかったんよなあー、気にせずにまあぐいっと一 杯やらんね」などと猫なで声でお酌をしてくれる。よっぽどこちらの顔がこわばっているのだろ う、妙にやさしい。そしてその夜はだんだん平和ムードで世が更ける。というか、夜が明ける、 というところだ。そして次の日、・・・もう今日は大丈夫と思い、こちらもニコニコして安心し きって現場に行くと「あほーっ!」「こらあ、いつまで待たせるんや!!」「死んでまえ」と昨 日と全く変わらない。・・・どころか、もっとひどくなっている。泣きたくなる気持ちで、また 走り回って、・・・。夜は一杯、翌朝・・・。この循環の日々が延々と続くのである。 @写真は福岡県の小石原焼き職人 11 2007 08/16 「地域のこと」はそこに住んでる人が中心で! http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/3722860bdc2c54f14e9ff9da27e58fdc 今から20数年前、村おこしの第1次ブーム があった。ちょうどその頃、私は誰も行きた がらない田舎回りをする番組のディレクター として熊本県内98市町村を5年かけて2周 半していた。その頃に気付いたのが村おこし を先導しているのは村の人ではなく東京から 来たコンサルの人たちだということだった。 村の人たちは、コンサルの指導を受け、「お たくの村はこうするといい。」「こんなこと ができるはずだ。」「小さな村だからこんな ことをすればすぐに日本一になれる」などと 教えられ、せっせと補助金で始まった事業を こなしていた。 東京から来たコンサルの方々は悪気はなく、本当に村のために「そうすること」が発展につなが ると考えていたと思う。 しかし、私が2周半していく中で気が付いたのは、コンサルが帰った後、ではこの企画を「誰 がするか?」「誰ができるのか?」ということだった。 (中略) 地域回りをしてもっとも気になったのは、地域のことを地域に住む人々が自分たちで判断、決 断し、はじめたことを自分たちで責任を取るという姿勢が希薄なことだった。いつもコンサルや 県の人がやってきては「ああしろ、こうしろ」といわれ、いわれるままにやることで責任を逃 れ・・・、という田舎独特の生き方があった。私は、たかがテレビ局がといわれたが、この頃に 共に責任を持って村がつぶれるまでやっていこうと考えていた。地域のことを知らぬ人や、そう いう心がまえで地域に入ったことがない人は、よく結局岸本さんも「どこかへ行ってしまう存在 でしかない」と批判されるが、少なくとも小国町をはじめ、今まで関わった地域はどこのひとつ もいまだに気になっているし、いつか恩返し、お礼をしたいと考えている。そのためにもその地 域だけでやることではなく、もっと大きな視点でお役に立てることを確実にやっていこうと思う。 私の基本は多くを求めなくとも「いつも必ず一人はいる。」という事実だ。その地域のことが 気になり、離れていてもいつか必ず一緒にやろうよね、という仲間が確実に一人づつはいること だ。結局は人と人の個人的な付き合いがあるかどうかしかない。そろそろそのような全国のお仲 間と「花を咲かせる」状況が来ていると感じる。今日のIT業界の話し合いでも発見が多かった。 住民ディレクター活動は地域の主体性を確保していくための人材養成の場、松下村塾のようなも のをイメージしている。少々大げさな話になってしまったが地域の主体性を保ち、住民自治を実 現するためには相当なエネルギーと現代だからこそ可能なその人たちのネットワーク化が必要だ と考える。 (写真は熊本県山江村) 12 2007 08/12 住民マスコミのかたち(1) http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/26d5c410e41c5ac698b62853edcb15f7 <岸本氏当時を振り返ってのコメント> この写真!? 全国を駆け回っていたテレビ局プロ デューサーが突然退職し、しばらく見なかった ところに、出て来たらこれ??! テレビ局では考 えられないほどのお手軽道具で淡々と話してい る姿が結構衝撃的だったようです。というか、 大方のところには馬鹿にされてましたね。 パウ ンドケーキを自転車で売り走っている店主の協 力でまずはこの店からはじめた「使えるテレ ビ」です。まだ澤さんや吉村さんもこれには参 加してませんし、本当の最初は「力道山」とわ たしが得意のニックネームをつけたサンビデオ プロの社長や社員が協力してくれていました。 そして山江村松本さん、内山さんへと。 「住民 の住民による住民のためのテレビ」初心はずっ と今もありますね。 54歳のスタートにあたって、いろいろと考えているとやはり原点が思い出される。 写真は平成8年の7月の私だ。平成7年秋にテレビ局を退職し、準備を整え翌8年の春から立 ち上げた住民制作番組の第1号「使えるTV」だ。熊本市内の熊本ケーブルネットワーク(当時 の社名)と合意してできた番組で、制作・著作はプリズムだ(当時は任意団体、まち創り応援団 プリズム)。予算ゼロのスタートなので最初は一人で始めたが、仲のいい制作会社の協力でそれ なりのカタチを作れた。いまだにご迷惑ばかりおかけしているのでそろそろ恩返しをしなければ いけないと思いつつ、11年がたつ。コンセプトははっきりしている「住民の住民による住民の ための番組」「地域づくりを応援する番組」だ。だからこそ住民誰でもが「使えるテレビ」とい う意味で番組タイトルがある。 「使う」「使える」ということも幅広く捉えているが、人によっては、「普通の住民ではない のでは?」「意識が高い人だから使える」などという声もあるが、それでいいと思っている。 「使う」というのはやはり「使う主体性」がいる。使う必要性のない人に使ってといってもだめ なので、「使いたい」と本当は考えていても「使えないはず」と思い込んでいる人を開拓するこ とに専念してきた。だから熊本市内のCATVなのに、最初から全国、世界の人々に使ってもら う気で動いた。まずは自分が各地、海外へ出かけると使った。 ひたすら「使いたい人が、使いたいように、使いたい時だけ、使う」に徹してきた。誰もいな いときはどうする?・・・、答えは簡単、「私が全部使う」だ。山江村の松本さんに学んだこと だが、まずは他者(ひと)のたんぼをする。ずーっと回って、終わったら初めて自分の田んぼに 植えて、刈り取って、もみすりをするということをやってきた人だ。落ちこぼれではあったが2 年間、米作りの弟子入りをして体験的に学んだことだ。 13 2010 07/25 クマソ復権ドラマ、アイデンティティがテーマ。 (熊本県免田町) http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/e362e0ac732d9a463bb51321e88db535 ひょんなことから17年前に制作したドラマ を見直すことになりました。福岡県のある学者 さんからの問い合わせがきっかけでした。平成 5年に熊本県球磨郡免田町(現在のあさぎり 町)で住民と行政、テレビ局が一体となって地 域のアイデンティティを見直すことが主旨のド ラマ制作でした。 この地域は古代クマソのボスが住んでいたと されるところで考古学的な成果もありました。 しかし地域づくりを目指す町の住民には自信が 無かったのです。 戦後すぐから関東関西に出稼ぎに出て行った人は多いですがクマソという先祖のことが古事記や 日本書紀には蛮族と書かれヤマトタケルによって征伐されたとあるのです。町民の自信を失った 町は地域活性化の事業を色々とやってみますがうまくいきません。そこで町と県から相談があっ たのが地域興し番組を数々手がけていたわたしでした。 当時はまだテレビ局のプロデューサーです。既に住民制作ドラマも3本作っていましたがこの 免田町のドラマはアイデンティティを見直すという本格的なテーマでクマソの精神を蘇らせると いうものだったのです。そこで全国の脚本家を探しまわった結果、故岩間芳樹さんに出会いまし た。植村直己物語、鉄道員(ぽっぽや)などで知られる岩間さんは大作家にも関わらず物静かで 丁寧な応対でした、そして何よりもわたしのこの企画にぞっこん惚れですぐにクマソの地に飛ん できてくれました。 町長から「クマソなんて知らん」という女子高生まで町中を二日間一緒に歩き、その町民一人 一人のつぶやき?!をそのままセリフに起こして素晴らしい原作・脚本を書いてくださいました。 これまでにも何回も書いていますがこの岩間さんの仕事ぶりは超一流でした。ドラマにすべて出 ているのですが、何とかみなさんに見てもらえるようにしたいと今回見直して強く感じました。 わたしはラジオからはじめて全国の様々なディレクターとテレビや本もいっぱい書いたが「あな たの言うようなドラマが本当に実現できるのですか?」としつこく聞かれました。「はい」と自 信たっぷりに答えたわたしの返事に大作家が素直に応えてくれたのでした。 住民ディレクターを発想するようになる貴重なプロセスをこのドラマづくりの1年で経験しま した。ドラマは現代に失われた神輿だったのです。町民、行政、テレビ局が一体となって担いだ 町民ドラマという神輿が、失われて久しい祭りを蘇らせたのです。その中心はクマソの精神でし た。 @写真はクマソ復権ドラマ「テレビドラマを作ろう!」(KKT)から 主役の女子高生ゆかり 14 2007 09/05 住民の「視点」、地域の「支点」の定め方 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/30c14014e1bd685ca3ea24b87e754308 仕方がないかもしれないが人は作り方をおぼえる となかなか型を壊せない。本来14年間もテレビ 局にいてそれから脱却しようと退職して始めた事 業だ。結局住民も慣れればテレビ局員と同じよう にパターン化されるなら、本質は伝承できない。 いつもその時々に起こる驚きや発見は生き方自体 が日々新鮮でないと無理だ。私が宮本武蔵を愛す るのはそこだ。「我、事において後悔なし。」 瞬間瞬間の初めての体験を子どものように楽し み、剣士のように緊張感を持って処する。即興の 醍醐味が番組作りを通して結果的に地域づくりに つながって企画力になっていく。この循環が失な われたら、いくら視聴率があろうが人気がでよう が、「仏つくって魂入れず」だ。魅力はゼロだ。 ヨルダンで迎えた54歳 では、いつまでも素人っぽい番組を作ることか?そうではない。素人でも玄人でもいつも新鮮 な即興性が息づく状態が大事だということを伝えたい。生きていることは当然即興だ。いつも同 じ日常があるように見えて、実は一人一人の内面は変化し続けている。そこが自然に出せること が大事だ。そのために我々は人吉という自然体の人間が多い地域をホームグランドにした。山や 川、時には田畑の中に座り込んでスタジオにする。 87歳のばあちゃんがリポー ターの時はばあちゃんの近所で収 録する。カメラマンは役場の青年 たちで、ばあちゃんも「なんね、 あんたね!」と安心して普段の地 元弁で話し出す。この環境作りが 結果的に番組だけでなく終了後の 語らい、コミュニケーションにつ ながっていく。 15 2007 10/13 「エリート」の皆さんへ、心をこめて辛口メッセージ http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/15fa066cf35182b841d771b7a0a3cb18 私の小中学校時代は下町っぽい地域だったので、クラス には本当にいろんな人がいた。東大や京大に行くいわゆる 秀才タイプから実業肌で高校を卒業すると即、父上の中小 企業を継ぐ人、同じく高校を出て市役所に入る人、土方仕 事をはじめ、たまに町で会うと大人びた素振りがとてもま ぶしく見えたりした人もいた。当時は銭湯に通っていたの で毎日背中には色とりどりの彫り物を目の当たりにした。 銭湯では普通の光景だった。つい最近、故郷の「スーパー 銭湯」といわれる大きな公衆浴場で久しぶりにそのような 光景を目にして懐かしがって見入っていたら、学生バイト のような男から「彫り物お断り」なので浴場を出るように 注意されていた。これはやばいと思っていたら意外や意 外!?彫り物の男性はぶつぶつ言いながらも出て行った。 時代は変わったものだ・・・。昔なら考えられない光景 だった。そういう人たちも毎日一緒に湯船につかり、時に は背中を洗わされたものだ。怖いという感じよりは、子ど もながらに粋を感じていた。みんな意外とやさしいおっ ちゃんだったのだ。 話を戻そう。地域にはいろんな人が混在している。同級生がそうだったようにみんなが大学を 出たわけでもなし、大学を出ても就職戦線から全く外れて身体ひとつで勝負する人もいる。中学 を出て立派に起業した同級生もいて私には彼は子どもの頃から羨望の的だった。世間をよく知っ ていた。 改めてエリートが問題だと思う。幼稚園、小学校の頃からすでに自分と同じような進学する子 どもしかいなかった人たち。周囲にはずっと同じような人間ばかりがいたので世間からするとご く一部なのに、誰をも自分らと同じような人間としてしか発想できない人たち。背中の彫り物は きっと映画でしか見たことがないのではないかと思う。機械の油が手に染みいったゴツゴツした 手で入れてくれるインスタントコーヒーの味を知らない人たち。どうもこの人たちが、地域を マーケットにして自分たちの幸福を追求しているのではないか?? 勿論全部が全部ではないのは当然だが、そういう人たちにぜひ一度「押せば映る」といってい るビデオカメラを手にして、自分のことを見つめてもらいたい。地域の人と一度とことん付き 合ってもらいたい。今日取材してくれた研究所の女性は、興味深々で帰り間際、とうとうカメラ を触り始めた。こういう人は信頼できるので好きだ。 16 2007 10/24 自分自身を映像で「彫刻」する番組 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/c880e5d0209beae82589b3340aad01d2 そんなことはなんとなくわかっちゃいる気でいるけれど、映像で編集してみるといかに他者 (ひと)が自分と違うかが本当によくわかる。映像を撮った人はすでにその現場を知っているか らわずか1分の映像を見るだけで取材に行った1日のことがすべて蘇ってくる。しかし、初めて その映像に触れる人はその1分だけの情報しかない。さらに長方形に切られた画面に見える情報 だけだ。撮ってきたほうは画面の外側も実際は見えている状態で見ている。こういう話は経験者 ではないとわかリにくい話だ。だから住民ディレクターはこういう理屈を言う前に、「押せば映 る」まずは撮ってみよう、となる。またそれなりに長い時間をかけて編集したものを皆に見ても らったときの孤独感は一回は経験してみるといい。最初はいいが、だんだんとみんなの反応が鈍 くなり、そのうちにあくびが出てくる。これは自分がわかっていることをきちんと伝えていけて ないからだ。 杉並の皆さんからいただいたメールをみると作品になった喜びに加え、この辺の映像感覚が少 しわかってきたのだろうと思う。しかも自分が結局言いたいことはなんだったかが、作品ができ てやっとわかったという逆説的なわかり方を体験されたと思う。彫刻を作ったようなものだ。彫 り始めるとどうなるのかわからないが、だんだんカタチが見えてきて、出来上がったら「そうか、 こうだったのか!」という感じ。最初から決まっているものを彫るほど面白くないものは無い。 わからないからこそ彫っていってカタチになって新たな発見をする。しかもその発見は自分の身 体の奥深くに隠れていた自分自身のある何かだ。 素人がビデオや映像を撮ったり編集するというと、ついつい観光紹介や神社仏閣、イベント情 報というような感じをもたれるがその情報のなかに「自分がいる」ことが大事だ。そういう意味 ではすべて自己表現だ。しかし自分が出るというのは関西漫才のようにがんがん喋りまくるとい うのではない。確かにその人の体温を感じる、人肌感覚が伝わる感覚だ。今回の杉並区の番組は 皆さんの体温が心地よく伝わってくるとても安らぐ番組ばかりだった。 (写真は杉並のみなさん) 17 2007 11/01 大地から響く「地域の声」 応援団の心得2 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/4e6d66c972dc9a61a96870ec0c2b1b6a 滝中さんには前回来た時に住民ディレクター講座を受けてもらったのだ が今回は滝中さんが住む「崎地区」に乗り込んだ。凄いじいちゃんだ。土 地の歴史を延々と語ってくれるが、そのどれもがまさに自分がその場にい たように語られる。しかしそれはそれで納得がいく。ご本人の想像力が非 常に豊かなのだ。それは自分がまさに後鳥羽上皇だったら・・・、都から 追われ、二度と帰ることがないあきらめの心境、土地の人たちのとまどい、 当時の天気図まで想像できるほど海士のことを知りつくしておられる。海 士を愛する根っからの海士人だからだ。海士の人間として少し時空を越え て自分がその時代にいたならきっとこうする、ああなるということが見事 に読める人だ。まして天皇の血筋の方がどのような心境か、詠まれた歌を 通して後鳥羽上皇の内面に限りなく迫っていく。 この人の話を聞いた人はみんな完全に滝中ワールドに連れて行かれるら しい。さもありなん、と思う。海士町には多くの著名人が関係している。 その中で滝中さんは後鳥羽上皇と後醍醐天皇に纏わる歴史と乃木稀典がロ シアからもらった名馬「寿号」の話にもっとも力が入る。その理由は「多 くの著名な人が来たといってもあの人たちは海士を通っただけの人、後鳥 羽上皇や後醍醐天皇、名馬寿号はこの土地に住んでいた。そして今も我々 を見守ってくれているんだ」と話す。昨日の「応援団の心得」に続く話で 応援団は襟を正していかないと地元の人たちにあっという間に見放される。 と、まずもう一度自らが襟を正そうと思った。 18 2007 11/4 現場で感じたものをベースにきちんと伝える。 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/4e6d66c972dc9a61a96870ec0c2b1b6a 限界集落といううれしくもない呼称を命名をされた地区のお年寄りたちは意外とどこも元気だ。 先日関西で昔よく行っていた某テレビ局が我が隠岐の島、海士町を取材して過疎町村の問題を伝 えていたが、悪い話ばかりだ。このブログでもお伝えした滝中さんのような元気な高齢者がいっ ぱいいるのに、画面に映っているのは足元の覚束ない高齢者の後姿ばかりだ。なるほどそういう 映像が欲しかったんだな、と思う。実はちょうど私が海士町に入っていたときにそのテレビ局ク ルーが取材に来ていた。 随分昔からそうだが、局の取材陣はそもそも「行ってから」ではなくて「行く前から」決めて いることが多いので、実際は海の民ということもあって結構明るい人たちなのにテーマに沿っ て?!暗く撮ることが多い。私は記者やディレクターをしている頃、「行ってみたら」予想と全 然違うことばかりで困ったことがしばしばだった。しかし、いつも局内にいるニュースデスクは 勝手に自分のイメージを作っている。だいたいその期待に応える記者が多いのだが、私はぎりぎ りまで本当の姿を追い、デスクに伝えた。デスクがなかなか納得しない場合も多く、時には取材 テープを持ち帰らずに(実際はあったが出すと勝手に作られてしまう恐れがあるときは隠した) とことん議論したこともあった。逆に私がデスクに座った時は、「本当かあ?」と思うことも多 く、突っ込んだら、頭をかいて書き直す記者もまた多かった。 記者、デスクどちらにしても伝えることに自分のところで責任を持たないと結局誰も責任を持 たないまま情報が出て行くことになる。住民ディレクターが当事者精神を大事にするのは、私の 記者経験からだ。 時間が来てしまった。今から一度出なくてはいけないので、続きはまた落ち着いてから に・・・。(写真は海士の方々との企画会議の記録) 19 2007 08/01 町を元気にする!ビデオを持てない住民ディレクター http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/35bd36b15163b8c62c4aa0484a7e3ea4 すみっこの台所は吉村さんが1年前に経営に 乗り出した合志市の文化施設ヴィーブルにある 食堂。コミュニティビジネスと言っていいと思 うが、地域のお仲間の田畑でとれる米や野菜を 使い、また店もお仲間が交代で手伝ってくれて いる。文化施設なのでNPOやサークルが食事、 コーヒーにと集まってくれるので何とか経営が 成り立っているらしいが、意外なことがわかっ てきた。 当初は、吉村さんも厨房仕事の合間にカメラとマイクを取り出し、昼食を終わった仲間や、3 時のコーヒーを終えた住民の人に「そのまま」インタビューして取材してしまうなど非常にユ ニークで効率よく、これぞ住民ディレクターの放送局というものを始めていた。(プリズムTV 参照)しかし、最近は経営に専念せざるを得ない状況が続き、カメラを取り出しているゆとりが ないそうだ。 私は、ファミレスで宇治金時を食べながら、淡々と語る吉村さんの話を聞いていて、この10 年の吉村さんの人生のプロセスをぜひ全国の皆さんに伝えたいという衝動が抑えきれなかった。 熊本は山江村に始まり、この国体の皆さんが住民ディレクターの大きな推進力になってくれてい た。全国に広がるにつれ、今こそ生きることに迷い、悩む多くの方々に「熊本ツアー」に来てい ただき、まさに地域の中で自分の力を発揮している人々の逞しい生き方に直に触れていただきた いと思う。ビデオカメラをもたない住民ディレクター、いや、「もてない住民ディレクター」が 急激に増えている!地域が元気になる兆しを感じる。 スタートの時から言ってきた「ビデオをもたない住民ディレクターもあり」という最先端モデ ルが吉村さんかもしれない。最初からビデオをあまり持たない!?山江村の農家松本さんとは違 い、ばりばりビデオを撮っていた吉村さんが持てなくなった意味は大きい。 【Youtube】八百万ひとch(vol.18)「すみっこの台所」 http://youtu.be/DtiSM3q_I2o 20 2011 2/24 村人(1)92歳、野菜づくりの達人 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/d5c514b787a2b01ee8cd69175955d8b8 水が美しくとてもやわらかくて美味しい宝珠山に住む田中ハルコさん(92)は未だ現役の農家で す。野菜づくりの達人といわれていて柚子胡椒(ゆずこしょう)は宝珠山では一番最初に作った 方だそうです。 昔は60キロの荷物を抱えて毎日国鉄(JR)に乗り、小倉や直方へ行商に通っていたそうです。 今もばりばりの現役ですから足腰もしっかりされていてことばもはっきりしています。暖かく なってきましたのでそろそろ畑作業もはじまるのかも・・、お元気にあやかってハルコさんの農 業を取材させてもらおうと考えています。 2011 4/18 神々と暮らす子どもたち(2) http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/ca965c1701cad12be310aa2ba1e1aaf6 米作り名人の野寄宗春さんの取材をはじめて1ヶ月。 元々は半年前から知り合ってはいましたがこの春の田作り から宗春さんをターゲットにとにかく1年間追うことにし ました。 宗春さんは村民が認める東峰村の米作り名人です。村 内では話せないそうですが実はミネアサヒを作っています。 村内で話せない理由は大方のお米がユメツクシだからです。 ユメツクシはいわゆる推奨米です。しかし長年の経験から 宗春さんはミネアサヒのほうが美味しいから独自路線を 行っています。取材をしていて米作りがここまで細やかであるなら専業でないとできないとつく づく感じます。本当にひとつひとつの作業が細やかで日々の気温や天候に微妙に関係します。勿 論ご本人の体調や日程もありますのでその中で最適化する米作り日程が組まれていきます。 そこへわたしたちの取材が加わりました。村民であるわたしたちの主旨は宗春さんの米作りを 記録することが村の財産であると同時に伝承しうる方法であること以外にはありません。 21 2011 4/18 神々と暮らす子どもたち(5) http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/2c70800f8b5a6a707454bb4b2741e8d6 集落というと恐らくこのブログを読んでいただいている多 くの方にはあまりピンとこないでしょう。都市でいうと町内 会や自治会のようなものですがこれだって今はほとんど機能 してないわけですからいまいちわからないというのが本当の ところでしょう。 東峰村でお大師さん祭りがあったこの日曜日は朝から奥さ ん方が煮しめや赤飯をつくるために集まっていました。お大 師さんを集会場にお連れするのも女性たちのお役目でした。 この日の料理も美味しくいただき皆さんの話もとりとめない 日常の近辺雑事が中心でしたがこうして日頃からお大師さん や水神さん、山の神などのお祭りの際にみんなで顔を合わせる日々の積み重ねがいざという時に すぐに助け合える仕組みになっているのです。 テレビがあっても東峰村ではこういう集まりを八百万の神々のおかげで欠かさずにやってきたの です。東日本の各地もきっとそうだったでしょう。しかし、あまりにも想像を超えた災害でした。 東日本を教訓に今すぐ出来ることは神々と暮らす子どもたちのIT能力の錬磨です。高齢者には もうITを使うのは無理です。ならばゲームもネットもテレビ以上に使える子どもたちがじいさん ばあさんを助ける強力な人材になるはずです。とうほうTVの住民ディレクターとして活躍しても らうことが村の発信を助け、いざという時に大事な祖父母や父母、幼児を助けることになってい きます、こういう村を全国に増やすことが平時にも非常時にも役立つ住民自治になると考えてい ます。とうほうTVはそんな役割をも担う全国的な活動をはじめています。住民ディレクターもま さにふつうの人々のネットワークを15年かけて紡いできました。 2012 02/05 仮想の全体を映すテレビ テレビ60年、NHKと東峰村民。 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/3f615b9f48529aa3b5758b83e78a251e 東峰村の動きがとても大事なところに来ていると感じて います。テレビの最大の強みは映像によって全体を眺望さ せてくれるところです。仮想の全体ではありますが関わっ ている人々の動きを映像で集めると少なくとも関わってい る人々がどのように関係しているかがみえます。ただしさ らに深く見えるかどうかは付き合いの深さに比例します。 マスコミが取材するというのはあくまで取材ですから付 き合っているわけではありません。住民ディレクターは付 き合いが基本でそこから暮らしに役立つであろう情報を 引き出していきます。その人が考えていることや本音の気持ちが伝わってないと動きは読めませ ん。決して「読む」ためにやるのではありませんが村を活性化するためには皆さんが何をしたい のか、をしっかりと掴んでないと先を創っていけません。 一部の人が動いていた時代から多くの人が同時に動く時代を迎えると全体を見てない人には 少々混乱が起きます。見えないことが不安になるからです。テレビで情報を共有しながら地域づ くりをすすめる東峰村のこのモデルは実はとても優れたものです。だからこそ粛々と淡々とすす めること大切です。 @写真は一昨日の東峰村 22 2011 09/27 守るもの テレビ60年、NHKと東峰村民。 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/a6bff2a7c57ebed6eb65dd733e66b3b8 先週お邪魔した合楽地区(3世帯3人しかいない)の住民 の一人伊藤マキ子さん、行けば必ず畑を歩き回って次々 と野菜をちぎっては「持って帰りなさい」とくれる。8月 の住民ディレクター合宿で東京の高橋さんや星さん、CM 業界の大先輩原さんをお連れしたときにも野菜や梅干し をいっぱいもらった。もう一人の伊藤チエ子さんからも 東京組が野菜をもらっていたのでお二人に熊本土産を もってお邪魔した。するとマキ子さんはまたまた歩き回 り、「あれとれ(採れ)これとれ、あれいるか、これい るか」、と忙しい。大人のチエ子さんはこっそりとお米 や小粒で引き締まったトマトをくださった。 その日からお二人にいただいた野菜が毎回食卓にあがっている。マキ子さんはまもなく稲刈り だが近くの町に出ている息子さんが帰ってくれないととても一人では刈り取れない。それでも毎 年何とか稲刈りを終え春には田植えをし守ってきてくれた田んぼがある。ここも棚田だ。 多くの村の農家の高齢者の皆さんが10年後の田んぼのことを心配されている。農業の解決策を 何とかこの土地から産み出していこうとこの秋はつくづく考える。 2012 10/20 豊かな男と女の関係を発信するICT。 テレビ60年、NHKと東峰村民。 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/f2a304ab125026a6639483682e3ecb1a 小石原焼の窯元はこうやって縄をなえる人も多いとお もいます。元々半農半陶で生まれ育った産業ですから自 ら米を作り野菜を作り、農家の水瓶や大皿を作っては売 歩かれていたんですね。農業から生まれる副産物である 藁や野菜、花なども多様な使い方を産み出していったこ とが生活雑器という「用の美」を形づくっていったんで は?と私論で考えます。 住民ディレクターという発想は熊本県内98市町村を5 年半かけて地域の一次産業に関わる方々と親しくなって いく中で自然と生まれた発想でした。地域に根ざしたこ れらの暮らしを発信するには映像という道具が便利で生 の声、現場の音を丸ごとお伝えできるわけです。民陶む ら祭の5時間中継で小石原焼の現場を歩きその一つの完 成型のような気がしました。 縄を綯っているのは高取焼きの八仙窯の八仙さんですが優雅な茶器の並ぶ茅葺きの建物の裏庭 でこういう暮らしぶりが毎日あるのです。住民ディレクターは民俗学的な表現が根底にあるのは こういう暮らしぶりがあり特に古代から豊かな男女関係があり、それはジェンダーという外来語 では見えない豊かな豊かな男と女の世界の表現に繋がっていると感じます。昨日あった岩屋神社 のこも替えはまさにそういう暮らしの集約のような祭でした。 23 2012 05/05 後期高齢者「住民ディレクター」が大活躍! テレビ60年、NHKと東峰村民。 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/361e82171225f174d1ca6d14548dba17 東峰村から放送した30元5時間中継のメインスタジオは宝珠 山地区にあるメディアカフェスタジオでした。これだけのス タッフとこれぐらいの機材であの放送の中枢を全部やったの ですが注目していただきたいのは前列のお二人。 大工の辻さんは自称「後期高齢者」!と、今はご隠居の利 光さん。二人合わせると160歳まではいきませんが・・・、 という大先輩。メインカメラとサブカメラを5時間ぶっ続け で担当していただきました。利光さんは障害者手帳をお持ち で腕が思うように動きませんが9つの小石原焼の重い器の ディスプレイもしてくださいました。 大工の辻さんは「ときんちゃん」との愛称で呼ばれています。理由は長くなるので割愛させていた だいて、この方は「ipad専用三脚止め」というものを発明してくれました。これはいつか紹介します が便利です。このお二人はこの日は朝8時過ぎ集合!15時に中継が終わり、深夜まで打ち上げに付き 合ってくれました。元気です。高齢者住民ディレクターのお二人の元気の秘密はぼちぼちとご紹介し ます。 @最後列は取材に来られた雑誌社と熊本の住民ディレクター(といってもインドやラトビアに実家が あります) 2013 04/28 ひろつぐ君に学ぶ、純な心。 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/c4d411358e2a90d18cf398837b85eeba 村民スタッフにひろつぐ君がいます。まだ25歳ぐらいで週に1 回はとうほうTVの企画会議に参加します。幼少の頃、大病に罹 り、少し障害をもってますが普通に暮らせる程度です。しかし 一般的な人の集まりで長時間いることや通常の仕事をするのは 難しい状態です。 2年前、棚田百選の棚田で有名な竹地区の獅子入れという祭り で出会って以来仲良くしています。ご両親やじいちゃんばあ ちゃんは外に出すことは心配だったようですがわたしが村民ス タッフなら皆気さくで温かい雰囲気なので、と、ご家族を口説 き連れて来てやがて1年になるでしょうか。最近、企画会議の 後、二人で過ごすことが増えたので彼のブログ作成を一緒にし ています。 知らない人達の集まりではすぐに疲れるようですがわたしと二人のときは恐るべき能力を発揮する ことを発見しました。以前から少しブログを書く練習をしていたのですがそのブログの整理の仕方、 タイトルのつけ方、構成の仕方を住民ディレクター講座でやるままを伝えたら、あっとニいう間に見 事なブログになっていきます。文章力はかなりあります。文章のおかしい所は少しはあっても彼の表 現として残すべきものは残さないと一般的な文章になってしまうのでわたしはあまり触りませんがひ ろつぐ味があります。映像の撮影、編集と同じでその人らしさをそのまま残して読めるように整理す る。時間はとてもかかりますがこの作業をひろつぐ君とやってると素直な心がそのまま直球で表現さ れるので何とも気持ちがいいのです。余計な意識であれこれ考えないので純粋です。ひろつぐ君の最 近の口癖は「岸本さん、大変な時は電話ください。手伝いますから」なんです。この気持ちの純なと ころがわたしにはとても響きます。 24 2013 05/05 小石原民陶むら祭の歩き方。 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/badfa4a756c5d025b5eee488b63a8f18 大変な賑わいだった民陶むら祭、今年は色々な方から 「30元中継はしないのですか?」と聞かれました。 今年はじっくりと撮影して民陶むら祭の魅力を整理し て秋の賑わい演出に活用したいと考えていました。 そこに東京から元テレビ朝日のディレクターで明治 学院大学教員の古川さんが来られたので京子さんとコ ンビを組んでもらって民陶むら祭を体験してもらいま した。京子さんは地元ながらあまり歩いたことがあり ませんし、古川さんも昨年のとうほうTV合宿で少し は歩いたもののまだほとんどの窯元を知りません。わ たしが撮影、メイキングは伯夫さんにお願いしました。 昨日はほぼ一日かけて国道筋を歩きました。こういう歩 き方をするとまたまた新発見、再発見が次ぎ次ぎとあり 秋に向けて情報発信構想が大きく広がりました。 また今日は一日皿山地区を村民スタッフ米美さんと歩きました。大工のときんちゃんには地元 鼓地区を昨日回ってもらいました。今回は窯元や奥さん、手伝っている方々の話しをじっくりと 聞けたので収穫は大きいです。民陶の里のドキュメンタリー化に向けて「小石原」がよく見えま した。今回残念ながら足をのばせなかった地区もありましたが何とか民陶むら祭の全体像を映像 化していきたいとおもってます。 2013 07/01 猿喰の新スタッフ愛理ちゃんと獅子入れ。 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/3336d1a2fe393f4392c67bcd3a5132cb 昨日は東峰村宝珠山地区の古城原(こじょうばる)で獅子入れ がありました。獅子入れ(宝珠山地区)、獅子回し(鼓地区) は既に何度も紹介してますが祭のあとの呑み会を古城原では 「夏ごもり」と言ってました。こういうちょっとした表現も同 じ東峰村でも色々とあって豊かです。 昨日は新スタッフの梶原愛理(えり)ちゃんと取材したので すが彼女は地元猿喰(さるばみ)なので古城原の獅子入れは初 めてでしたが皆さんが子どもの頃から知ってるので最初からリ ラックスしていました。 今の子どもたちとも仲良しで住民ディレクターとして鍛えて?!いました。夏ごもりは正午にスター トして夕方に終りましたが元気のいい方々はさらに中心街?!へと呑みに出かけていました。と、いっ てもわたしも愛理ちゃんと一緒に付き合って来たのですが楽しいお酒でした。 昼は子どもたちとよく遊び、お年寄りとも昔話を聞きながら色々と語りあえてフルで楽しんだ一日で した。特に獅子入れの終わりに英彦山(ひこさん)系の豊前坊という珍しい場所にも行けてまた新た な発見をしました。これはまた別の項で書きましょう。 25 2012 4/22 地道な人、華やかに発信、新テレビ手法。 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/c1d898a8d148b3ba5d7183e1a4047b9e 【Youtube】岸本塾入門(12)プロ野球の父と忘れられた日本人 http://youtu.be/zFEkPUKyQjM 八百万人の3分勝負!岸本塾入門は日本テレビを作りプロ野球の父と言われる「正力松太郎氏」 と全国の過疎地域をくまなく歩き回りごく普通の人達、「忘れられた日本人」を描いた民俗学者 「宮本常一」さんの融合を目指す住民ディレクターの手法の話しです。 忘れられた日本人は今も田舎だけでなく都市部にもたくさんいらっしゃるとおもいます、そして 忘れさせたのはテレビだったのではないかというのがテレビ局のど真中に入って日々暮らしてい た頃のテーマでもありました。目立つ人を取材して放送する。さらに目立つように演出や構成台 本がある。八百万人の岸本塾で話したことから脱線してますが・・・、そいう台本、演出の世界 をやめて自然体でそのままを発信する可能性を模索していたのです。 演出がないので面白くない?そうだからこそテレビで見たのと違って実際に会ってみたり現地 に行ったら「あれえっ?全然違うなあ」となるのです。そのままで魅力が出れば会えばさらに魅 力が深まります。そういう人やそういう事業をやっている人はたくさんいらっしゃるのです。 地道な人はテレビ的でないと言われますがテレビ的にやっていく新しい表現方法をテレビだけ でなくトータルなメディアとして開発していくことが人間的な事業として起こっていく時代に なっていると感じます。 26 2010 3/15 撮影の掟破り連続!元祖熊本住民ディレクター http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/9f88d5e9927b4ccf7e66c2053116eb22 わたしが一応理事長を務めるNPOくまもと未来の副 【Youtube】http://youtu.be/dh6vJLgCls0 理事長澤啓子さんは10年以上前から「澤啓子の食 べ歩き」として県内の郷土調理を作る人の取材を続 けています。今日はわたしも久しぶりの熊本で合志 町の池田さんの料理に同行、メイキングを撮ってき ました。「早撮り、早編集、早配信」です。まだ一 部ですが住民ディレクターの撮影がいかに掟破り か!がとてもよくわかるシーンの連続です。池田さ んの料理だけではなく習ったお母さんの思い出話か ら梅干と地球温暖化の関係まで会話、対話、笑いの 連続。その間の澤さんのビデオカメラの動きは?見 事です。住民ディレクターの原型がここにあります。 インタビューや取材ではなく、これが会話、対話 がそのまま映る撮り方です。住民ディレクターは 番組作りをメインにしているのではなく、会話、対話の中から普段のその人をそのまま撮るので 「撮る側との関係性が映像に」なります。料理というとてもわかりやすい素材で澤さんが池田さ んとどのように過ごしているか、そしてビデオカメラはどう撮っているか?ぜひ味わってくださ い。 岸本氏から熊本の澤さんへの誕生日メッセージ http://sns.yaoyorozu-hito.jp/blog/blog.php?key=2571 もう何歳になられたかは?知りませんがわたしよりはるか?先輩ということは確かです。くまもと未来 ができるきっかけになった1999年の「くまもと未来国体」にて住民ディレクターとして参加してくだ さったのが本格的なきっかけです。しかしご縁はさらに古くこれに関してはいつかまたゆっくりと書き ましょう。 性格でしょう、いつもおおらかでどっしりとされてます。熊本の住民ディレクター環境を時間をかけな がらじっくりと培養してきたのは澤さんです。最近、本当に最近、澤さんの水やりが実を結んで来てい ます。わたしは種を蒔き散らして勝手に全国へと旅立っていきました。その種にじっくりとゆっくりと 水やりを続けてくれた澤さんは多くの人に安心感を抱かせてくれていると感じます。 時にはのんびりすぎていらいらすることもあります。が。そのペースがまさに暮らしに根ざした住民 ディレクターの歩調なんです。澤さんモデルは中高年の住民ディレクター活動の中興の祖といえるで しょう。 そんな澤さんでも泣かせてしまったことがあります。国体の時ですがこの件はご本人はもしかしたら未 だに納得していないかもしれません。わたしもその時には少々誤解していたかもしれません。今なら NPOの副理事長ですからきっとわかるとおもいます。何故なら副理事長だから。その当時はそういう肩 書きはなかったので澤さんも一人の住民ディレクターに過ぎなかったのです。言いたいことは、ある人 は自然とリーダー的立場に周囲から認められてしまいう人がいるってことです。ご本人は気づかないこ とが多いですが。 さて、答えは二人で話し合うことにして澤さんの特徴は「澤啓子の食べ歩記(あるき)」です。県内の 郷土料理、地元料理、手づくり料理を次々と手伝いながら一緒に楽しみながら勉強しながら取材する番 組です。もう何回分あるでしょう?これこそ「澤啓子」を表現する番組でしょう。今年はそろそろ大記 念DVD?を作成する時期かもですね。 朝の時間がなくなってきました。 また続きは別のカタチで。 あらためて澤さんおめでとうございます。 27 2013 02/04 さとう正さん。 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/c13b135ecf283fc8ddcada9b4c1f2adb 1999年にくまもと未来国体がありました。わたしは県の方と県庁内にイベントFMをつくり、 当時の夏から秋の国体の期間の約3ヶ月間毎日13時間生放送を続けました。すべて県内98市町 村の住民ディレクターが交替で支えました。 同時に民放では春から毎週金曜日の夕方ニュースで25分間国体情報を住民ディレクターが伝え る番組をプロデュースしました。他には熊本市内のケーブルテレビ、FMなども同時にやってまし たので総合力としては相当なパワーでした。その国体のときからずっと住民ディレクターであり、 今は「住民ディレクター会社役員」のさとう正さんが今日誕生日を迎えました。何歳かは知りま せん。 さとうさんは航空機の整備士でしたが車の事故を起こして以来、足に障害をもつ状態ですが九 州内を走り回っています。色々な仕事経験がありますがとうとう会社役員として経営の中枢にい ます。ボランティアとしてわが東峰テレビ局のお手伝いは勿論、くまもと未来国体の後にわたし が提案、設立した特定非営利活動法人NPOくまもと未来の中心メンバーとして支えてくれていま す。 謙虚です。いつも初心を忘れず、明るく、未来を創っています。こういう人は会ってるだけで わたしの身体性からすると全身創造的になります。人は創造性を無くすのは簡単です。ある状況 に慣れてしまえばあっという間です。毎日が同じになると創造性のかけらも無くなります。そう いう意味でさとうさんは、特に最近はいつ会ってもわたしの創造性を引っ張り出してくれます。 人は双方向なのできっとさとうさんにもそれは伝わっているはずです。さとうさんが毎日発信 し続けている八百万人にも書きました。さとうさんの居場所として多くの可能性を秘めた八百万 人はなかなか面白い場を創りはじめています。 @八百万人さとうさんの紹介 28 2014 09/04 今だから、住民ディレクター講座・(1)番組づくりの役割 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/06f3751d70f122da144148f9a56ab3c4 「番組づくり」が「地域づくり」ということはわからない人にとっては何万遍話してもわからな いかもしれません。「番組をつくったことがない」というのが理由の一つです。経験がないとイ メージが湧きませんから。 もう一方で毎日のように番組を作っているテレビマンたちが全然わからないのです。「地域づ くりの経験」がないからです。「地域生活の経験」と言ってもいいかもしれません。 「番組づくり」と「地域づくり」が一つになるには「番組づくり」も「地域づくり」も経験し た人でないと本当には理解できないことです。番組づくりのプロセスは企画して撮影、取材して 編集して、放送する。一人でつくれるVTR番組は技術が好きな人向きです。そういう人は撮影も 編集も自分でします。撮影も編集も苦手でとてもできない人にはスタジオ番組が適しています。 通常で言うと、プロデューサー、ディレクター、カメラマン、音声、スィッチャー、ミキサー、 フロアーディレクター(FD)、アシスタントディレクター(AD)、タイムキーパー(TK)、 VTR係(スタジオの話に応じてビデオを出す人)、そして話し手(司会者、キャスター、アナウ ンサー、リポーター、コメンテーター)という具合に役割は山ほどあります。 このうちのどれかをやれば番組づくりに参加しています。いやいやもっと言えば弁当を買いに 行ったり、集まった人達にお茶を出す仕事もあります(これはテレビ局では本来ADの仕事ですが 住民ディレクターではこれはこれで賄係としてあります)。さてここまでで少しは番組づくりと いうのがかなり広範囲な役割があり多様な仕事があることがわかってもらえたでしょうか? 弁当を買いに行くのも「番組づくり」ということを理解してください。企画したりディレク ターをやったりカメラで撮影するのだけが番組づくりではないのです。 29 2007 12/18 ぶれないことの大切さ。 http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/b5af81c697468b4740b962c68a746ae8 ぶれない、ということがいかに難しいか最近つく づく考える。地域を回っていていろんな形で地域 振興策が模索されているが、担当者がぶれるかぶ れないかで先があるかどうか、ほとんど決まる。 私自身、かなりおおざっぱなやり方で対応するよ うにしているが、最近は逆にそれが足を引っ張っ ているかもしれないと感じる場面もある。 住民ディレクターの発想は日常の中で忙しい皆さ んがやれる範囲でやっていこうという大雑把なや り方でプロデュースできる方法を考え出した。し かし、逆にどうにでもなるという安心感が生まれ、 ぶれようがぶれまいが何とかなっていくという習 慣がついてしまっている場合もあるようだ。ぶれ ないのは頑固とは違うので「柔軟にしてぶれな い」方向に行くことが大切だ。 30 おわりに:生活者がありのままを伝える 一般社団法人八百万人 事務局 高橋明子 岸本さんに出会ったのは、今から約10年前の2003年、長女 を出産した直後のこと。当時はシンクタンクの地域振興セク ションに所属していた私は、「東京から来たコンサルの人」 (P12)そのもの。懸命に、全力で仕事をしていたけれど、心の どこかにシンクタンク稼業に疑問を感じていたのも事実で、 「生活者がありのままを伝える」という岸本さんの言葉に突き 動かされた。以後、岸本さんと住民ディレクターを知るために、 会社も休職して大学院へ進み、子連れで追っかけ研究を展開。 と同時に「他の地域に(偉そうに)地域づくりのコンサルしなが ら、自分の子どもの育つ地域には寝に帰るだけという生活はお かしい」と、2005年のある日、突然(としか自分でも言いよ うがないのだが)、地元杉並で住民ディレクターの実践をはじめた。 「住民ディレクターNEWS」が始 まった2007年には退社し、起業までしてしまった。「社会派ママ」(P10)という名誉な称号を頂戴したの はこのころだ。 しかし言うまでもなく、本番はここから、である。岸本さんは、職人として厳しい徒弟制度のなか、映 像制作の道に入った方(P11)。徒弟制度というわけではないのだが、この時から「住民ディレクターとい う生き方」(P2)を探す、私の修行の道が始まった。農家の松本佳久さん(P7)には、もちろん修行は不要な のだが、頭でっかちに生きてきた私には必要だった。修行の過程で、大のプロレスファンである岸本師匠 から「吉村道明」という栄誉ある第二の称号も頂戴した。打たれても打たれても立ち上がるのが私だとい うこと。どれだけ岸本さんに打たれたか、想像いただけるだろうか…。 実際、何度やめようと考えたかわ からないし、「義母のことをイメージして」(P9)つくる番組と同じく、常に”顔の見えるあなた”に向けて 書かれているブログを読んでも、これは私のことかとグサグサ突き刺さりながら読んでいたことも多い。 しかし、今回、改めて厳選された「住民ディレクターNEWS」を読んで、書いてあることが実感として いわば身体で感じられるようになっている自分に、驚いてしまった。大変おこがましい感想かもしれず、 後書きを担当するように言われてからも正直にこのことを書くのをためらっていたのだが、自分の変化を 書かずしてはどうやら終われそうにないので、記させていただく。 もちろんまだまだ修行は続くが、つい最近、住民ディレク ター活動をご一緒させていただいている群馬県上野村で、86歳 の田村サクさんが、番組の最後に「笑顔と言葉があればいい」 と楽しそうにおっしゃった。サクさんからそんな言葉がポンと 出る、そんな番組を皆さんとつくれるようになってよかった。 さらに今回、この冊子をつくるにあたり1500を超えるブログ 記事を八百万人の仲間が夢中で読み、「住民ディレクターとは 何か」をそれぞれに感じておられるのが、私には非常に新鮮 だった。「住民ディレクターという生き方」に共感する仲間が、 「官兵衛で國創り」を通じ、どんどん広がっている。 「住民ディレクターという生き方」に、ますますの魅力と可能性を感じる今日この頃。私をここまで 導いて下さった岸本師匠と、その道しるべともなった「岸本晃の住民ディレクターNEWS」に、今日は心 から感謝して、後書きとさせていただきたい。 多くの方に「住民ディレクターという生き方」を知っていただき、「官兵衛で國創り」、そして八百万 人のお仲間に加わっていただく最初の一歩に、この冊子がお役に立つことを願っています。 31 製作・編集 住民ディレクターの全国ネットワーク 一般社団法人八百万人 http://www.yaoyorozu-hito.jp/
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