株式会社黒壁のTMO 的な機能

株式会社黒壁のTMO的な機能
角 谷 嘉 則
Ⅰ.はじめに
Ⅲ.長浜市の商業政策─1970年以降─
Ⅱ.商業政策におけるTMO
1.長浜市の小売業の動向
1.商業政策の経過─小売業を中心として─
2.中心市街地における黒壁の展開
2.中心市街地活性化法の経緯
3.TMOの目的と黒壁の機能
3.TMOの目的と組織形成
Ⅳ.おわりに
Ⅰ.はじめに
外の小売業の活性化モデルとして、長浜市の事例は多く
の研究者も着目している。その理由としては、長浜の中
現在、「中心市街地における市街地の整備改善及び商
心市街地活性化と株式会社黒壁(以下:黒壁)がモデル
業等の活性化の一体的推進に関する法律」(以下:中心
の一つとなっていること。黒壁はまちづくり会社3)とし
市街地活性化法)にもとづく基本計画が各市町村から提
て中心市街地のマネジメントをおこなってきたこと。中
出されている。基本計画では、中心市街地が指定され、
心市街地において新たな小売業が創造されていること。
小売業に対する施策も重要な課題になっている。その理
長浜市では、結果として中心市街地と郊外の小売店がと
由として、小売業の店舗数が減少していること、郊外に
もに活性化していること、などがあげられる。これらに
は大規模小売店舗の出店があることなどがあげられる。
関連して、長浜および黒壁研究はこれまで商業学、社会
ただし、中心市街地活性化法ではこれまでの通商産業省、
学、経営学、都市計画論など広い分野でおこなわれてい
商工会議所がおこなってきた商店街の空き店舗対策など
る4)。
とは異なる。中心市街地活性化法では、まちの景観、警
黒壁をまちづくり会社の成功例として分析した研究で
備、交通など、まちのマネジメントに関する調整のあり
は、西郷真理子(1991、1996)、矢作弘(1997)などが
かたも模索しており、中心市街地の小売業を創造してい
ある。西郷(1991、1996)は、第三セクター会社として
くことが望まれている。
の黒壁がディベロッパーとして先行投資し、利益を社会
しかし、多くの小売商は、小売業の中心市街地からの
還元することで中心市街地が再生されつつあるのではな
撤退は郊外の大規模小売店舗の影響であると考えてい
いか、としている。矢作(1997)は、黒壁をテーマパー
る。つまり、大規模小売業との競争の結果であると考え
クビジネスとし、コミュニティ開発法人(CDC=
られているのである。例えば、日本産業消費研究所の調
5)
との類似性によ
Community Development Corporation)
査では、商店街の店舗数の減少する理由も、個々の商店
って黒壁の成功を説明している。いずれの研究も、まち
の魅力低下、郊外の商業施設への流出が原因と考えられ
づくり会社としての黒壁の機能について論じたものであ
1)
ている 。中心市街地活性化推進室のアンケートでは、
る。
郊外の宅地や商業施設の開発によって、商店街の空き店
本稿ではまちづくり会社としての黒壁と、中心市街地
舗が増え、歩行者数も減少しているなど、中心市街地は
活性化法におけるタウン・マネジメント・オーガニゼー
衰退している、となっている。中心市街地と郊外の小売
ション(以下:TMO)の目的と組織形成の類似性を明
業の振興にトレードオフの関係性にあるのではないか、
らかにする。つまり、長浜の商業政策と黒壁の中心市街
2)
という疑問がもたれている 。
地における役割および機能を説明し、黒壁のTMO的な
では、中心市街地と郊外の小売店がともに活性化する
機能を明らかにすることが目的である。まず、小売業に
にはどのような方法が考えられるのか。中心市街地と郊
関わる商業政策の経過、中心市街地活性化法の成立から、
−87−
政策科学 11−1,Sep. 2003
た7)。1998年には大規模小売店舗立地法(以下:大店立
TMOの目的と組織形成を説明していこう。
地法)が成立する。
Ⅱ.商業政策におけるTMO
大店立地法と同時に、中心市街地活性化法、都市計画
法の改正も成立し「まちづくり三法」と呼ばれる。これ
1.商業政策の経過─小売業を中心として─
らの法律には、商業政策の転換が顕著にあらわれている。
戦後の商業政策は、中小小売商保護政策がとられた。
まちづくり三法の設立の経緯からも、複合的な調整、振
これには第三次産業に労働需要を確保する目的がある。
興を目的としているためである。石原武正(2000b)に
1956年の百貨店法、1959年の小売商業調整特別措置法
よると、調整政策に変化がみられる8)。
さまざまな大型店やコンビニエンス・ストアが出現
(以下:商調法)などは、保護政策から調整政策に移行
する時期に施行されている。石原武政(1994)によると、
し、業態も多様化している。2002年度の商業統計調査で
商調法による強制力が低かったため、小売市場の設立な
は、専門スーパーやコンビニエンス・ストア、ドラッ
どでは濫設傾向にあった。私設小売市場などの設立でも、
グ・ストア、ホームセンターは事業所数が増加している。
規制の影響はあまりみられない。高度成長をむかえて中
小売業全体の事業所数は減少傾向にあり、売場面積は増
小小売商保護政策から小売業における調整政策に切り替
加の傾向にある。小売業事業所数の推移は表Ⅱ−1のと
6)
わっていくのである 。
おりである。
1961年に誕生したスーパーが、1960年代中頃から成長
2.中心市街地活性化法の経緯
する。振興政策として、1970年から商業近代化計画が策
定され始める。駅前整備、商店街のファサード、アーケ
小売業の店舗数は減少傾向にあり、大規模小売店舗の
ードの整備がすすめられる。1973年に中小小売商業振興
売場面積の割合が拡大していることは明らかである。地
法が制定された。商店街整備計画、店舗集団化計画、共
方都市における大規模小売店舗の立地は郊外が中心であ
同店舗等整備計画、電子計算機利用経営管理計画、連鎖
ることからも、郊外の小売業の売場面積は増加傾向にあ
化事業計画、商店街整備等支援計画など「高度化事業計
る。一方で、中心市街地の小売業は減少傾向にある。中
画」をおこなっている。
心市街地活性化法は1998年に施行され、中心市街地の商
調整政策としては、1974年に「大規模小売店舗法にお
業機能の再生を目的の中心としている。中心市街地活性
ける小売業の事業活動の調整に関する法律」いわゆる大
化法は旧通産省(現経済産業省)を中心として制定され
規模小売店舗法(以下:大店法)が施行される。大規模
ていること、中小小売商業高度化事業は中小小売商業振
小売店舗法の目的は、中小小売業の事業活動の機会を確
興法から引き継がれていることなど、小売業振興にかか
保し、小売業の正常な発達を図ることである。1992年に
わる法律とも考えられる。
廃止される「商業調整協議会」などによっても商店街、
中心市街地活性化室の発表によると、全国 565市町村
商工会を中心に結束して大型店に対抗してきた。大店法
(582地区)の中心市街地活性化に関する基本計画が提出
はプラザ合意を受けて、1986年前川レポートや世界貿易
されている。(2003年5月まで)各市町村は、中心市街
機構(WTO)の提訴、日米構造協議そして1990年の適
地の設定をおこない、特定中心市街地としている。特定
正化、翌年の再改正、1993年の平岩レポートによって経
中心市街地では、土地区画整理事業の換地計画、地域振
済規制の緩和・廃止に移行してきた。大店法は中心市街
興整備公団の業務の拡大などによって、商業活性化及び
地に存在する商店街にとっても非常にかかわりが深かっ
市街地の整備改善を推進する。関係省庁から総額1兆円
表Ⅱ−1 小売業事業所数の動向
1982年
1985年
1988年
1991年
1994年
1997年
1999年
2002年
事業所数(万件)
172.1
162.8
161.9
159.1
149.9
141.9
140.6
130.0
売場面積(万㎡)
9,543
9,450
10,205
10,990
12,162
12,808
13,386
14,064
(※1982年度調査が事業所数のピークである)
出所:商業統計表および速報(1982−2002)
−88−
株式会社黒壁のTMO的な機能(角谷)
3.TMOの目的と組織形成
程度の支援措置(2003年度予算)がおこなわれている。
特徴としては、中小小売商業振興法や特定商業集積整備
中心市街地活性化法のTMO構想による事業を対象と
法など、これまで中小小売業者の商業振興策の内容が組
して、事業主体となっているのがTMOである。中心市
み込まれていることである。当初は特に通産省の管轄で
街地活性化法の中小小売商業高度化事業における事業主
進められている。また、大店立地法や都市計画法などの
体であるが、実際にはそれ以外の事業活動の方が多い。
調整政策との関わりも重要である。
そこで、TMOの目的と組織形成に注目してTMOの特
大店立地法は大店法の廃止に伴って2000年6月1日よ
徴を明らかにしたい。TMOはどのような目的で設立さ
り施行された。環境規制としては、騒音、駐車場整備、
れ、組織形成にどのような特徴があるのだろうか。
廃棄物などである。中心市街地の小売業の活動を促進す
まず、TMOの目的について考えてみる。通商産業省
る目的のため、2002年には構造改革特別区域法によって
産業政策局中心市街地活性化室(1998)によると、TM
大店立地法の特例が定められた。これまで10ヶ月を必要
Oとは中心市街地における商業集積を一体として捉え、
とする手続きは、特区認定後2ヶ月に短縮される。市町
業種構成、店舗配置等のテナント配置、基盤整備及びソ
村の指定する特定中心市街地に構造改革特別区域を設定
フト事業を総合的に推進し、中心市街地における商業集
し、手続きの簡素化をはかっている。
積の一体化かつ計画的な整備をマネージ(運営・管理)
1998年、特別用途地区に関して都市計画法は一部改正
する機関、とされている。つまり、これまでの商店街の
され、市町村の判断で特別用途地区の種類や目的を柔軟
空き店舗対策という調整政策より、新しい小売業の創造
に定められるようになった。特別用途地区の指定におい
という振興政策に力点が置かれている9)。
て都道府県の承認を必要としない特例市の基準も広がっ
TMOにおける組織形成は、第三セクターなどの特例
ている。2001年5月に改正都市計画法が施行され都市計
会社、商工会議所が中心となっている。中小企業庁の発
画区域外における開発、都市計画区域内の白地区域の開
表によると、TMOの認定状況は279(2003年5月まで
発に許可制度・規制を設けた。中心市街地のハード面で
の確定)である。82社が第三セクターでTMOを設立し
の開発において事業を進めやすくなった。飛び地などの
ている。商工会議所・商工会が単独で設立したTMOは
容積率の移転など調整もできるようになりつつあり、実
195である。財団法人の設立が2である。商工会議所・
質的に土地の利用規制を緩和している。
商工会の担当職員が高度化事業の計画申請などを担って
30
25
20
15
10
5
0
1
9
9
2
年
以
前
1
9
9
3
年
1
9
9
8
年
2
0
0
2
年
2
0
0
3
年
5
月
図Ⅱ−1 第三セクターによるTMOの新規設立状況
(※平成8年以前の設立は既存の第三セクターをTMOの主体に置いている。)
出所:中小企業庁発表および各TMOの発表資料、聞き取り調査により作成
表Ⅱ−2 第三セクターによるTMOの出資者数
参加者数
10未満
20未満
30未満
50未満
100未満
100以上
TMO数
3
10
8
15
24
22
(※82社の内訳。参加者は自治体、商工会議所、商工会、企業、個人を含む)
出所:中小企業庁発表および各TMOの発表資料、聞き取り調査により作成
−89−
政策科学 11−1,Sep. 2003
Ⅲ.長浜市の商業政策─1970年以降─
おり、第三セクターで設立したTMOでも商工会議所職
員と市役所職員が中心になっていることが多い。基本計
1.長浜市の小売業の動向
画を提出した90%近い自治体がTMOの設立を予定して
いる。現在もTMO構想の認定が進んでおり、今後もT
西郷(1991、1996)、矢作(1997)の指摘のように、
MOは増加することが予想される。
黒壁はまちづくり会社としての役割を果たしている。黒
第三セクターで設立されたTMOの特徴としては、個
壁が第三セクターとして設立されて以来、中心市街地に
人の出資も含まれること。多数の出資者で構成されてい
新規出店が増えたのである。では、なぜ黒壁は中心市街
ること。これらは、図Ⅱ−1、表Ⅱ−2からも同様の傾
地の新規出店の呼び水になりえたのであろうか。長浜市
向を見てとれる。また、非商業者の出資者するTMOが
においても全国と同様に、駅前、郊外に大規模小売店舗
あることも特徴の一つであろう。第三セクターは国家主
が出店する。長浜市、長浜商工会議所の目的は郊外と中
導から都道府県主導に移り、市町村主導から企業のみ、
心市街地の両立した発展である。長浜商工会議所は1998
個人、住民の参加に移行してきた結果といえる10)。出資
年にTMOを設立し、商店街を中心に整備事業をおこな
者数も多く、住民参加の範囲が広くなったことが伺える。
っている11)。長浜市の商業政策のなかでも、黒壁は中心
住民の内発的動機づけにより、資本参加という手段によ
市街地の振興政策の要となっている。結果として観光客
って中心市街地の活性化にコミットする制度はこれまで
の増加12)によって新規出店が増加する。中心市街地と黒
なかった。ただし、第三セクターで設立したTMOの解
壁の動向については、第2項で扱うこととする。
散が出始めている。極めて非営利的な事業にもかかわら
まず、大規模小売店の出店状況から長浜の小売業の動
ず、収益源が確保されていないことは事業の前提を失う
向を考えてみる。1969年に駅前にスーパー平和堂が出店
ことになりかねない。
する。1970年に商店街に共同店舗パウワースを開業する。
以上から、TMOの目的は、新しい小売業の創造であ
1970年の国道八号線バイパスの工事着工後、1977年に西
る。組織形成の特徴としては、第三セクターでの設立の
友、平和堂がバイパス沿いに出店を要請する。調整政策
場合、個人の出資が多いこと、出資者が多数であること、
である大店法商調協の結果、西友が出店することが決ま
非商業者が含まれることである。TMOの目的および組
る。1987年に郊外型の複合施設、キャンスが出店する。
織形成の特徴と黒壁の目的および組織形成について第Ⅲ
1988年に長浜楽市(店舗面積9,837㎡その後16,901㎡に
章で比較していく。
変更)が郊外の国道八号線バイパス沿いに出店する。西
表Ⅲ−1 滋賀県における諸都市と長浜市の小売業の動向
滋賀県
大津
彦根
長浜
近江八幡
草津
1982年
1985年
1988年
1991年
1994年
1997年
1999年
2002年
16,257
15,438
15,506
15,455
14,818
14,016
14,331
13,294
83.1万
86.5万
98.4万
106.5万
117.6万
134.4万
147.9万
154.2万
3,050
2,884
2,918
2,866
2,773
2,651
2,697
−
164,672
174,930
192,781
215,514
235,237
275,496
290,732
286,680
1,500
1,418
1,461
1,428
1,404
1,343
1,304
−
94,573
95,824
115,747
114,788
128,714
167,558
159,170
146,608
1,094
1,045
1,054
1,043
1,004
933
953
−
63,657
63,148
79,986
84,173
97,967
94,227
98,916
124,167
900
843
899
936
878
760
807
−
39,466
46,912
59,484
80,253
88,786
90,136
98,193
112,313
863
833
870
932
896
928
981
−
53,499
58,380
68,652
76,055
78,173
124,624
159,590
160,474
上段:事業所数、下段:売場面積(㎡)
出所:滋賀県商業統計調査結果報告書および速報(1982−2002年度)
−90−
株式会社黒壁のTMO的な機能(角谷)
友をキーテナントとしている。協同組合長浜商業開発が
黒壁スクエアとしてスタートした。黒壁ガラス館、工房、
設立され、商店街の43店舗を中心に長浜楽市に出店する。
レストラン、まちかど広場である。黒壁も補助事業をう
商工会議所も商店街の小売店の出店など後方支援をおこ
まく活用している。1986年からまちかど整備事業、1987
ない誘致に力をいれている。1996年アルプラザ(売り場
年から商業観光(パイロット)推進事業がスタートする。
面積13,462㎡その後14,870㎡に変更)が、2000年にジャ
それ以外にもさまざまな補助との連動もある13)。当時は
スコ(売り場面積18,977㎡)が郊外の国道八号線バイパ
ガラスを無理にでも利用したテナントを展開している。
ス沿いに出店する。郊外の大型店の増加により、郊外で
3年後に黒壁はガラス事業が黒字転換する。1991年に米
の競争は激化している。アルプラザ、ジャスコの出店に
原−長浜間のJR直流化が完成する。図Ⅲ−1を見てみ
ついて、商工会議所は積極的な誘致をおこなってはいな
ると、黒壁の入場者数はもっとも増加した時期である。
い。
JR直流化運動をもっとも盛んにおこなっていた「なが
はま21市民会議」14)の会員数もピークであった。
滋賀県の小売業の事業者数減少傾向は、表Ⅲ−1にも
見てとることができる。表Ⅱ−1と比べても、全国的な
1992年に美術館の建設を目的として3億円の増資がお
傾向と同様であることがわかる。長浜市の小売業の事業
こなわれる15)。黒壁の10号館でありガラス鑑賞館として
所数も横ばい、もしくは減少傾向にある。郊外の国道八
直営店である。事業の拡大のために銀行から1.5億円の
号線バイパス沿いに大規模小売店舗が出店している影響
借り入れもおこなう。黒壁はその後も加盟店を増やし計
から、売場面積は増加傾向にあると考えられる。
30店舗を展開している。内訳としては直営店10店舗、テ
ナント2店舗、共同2店舗、その他16店舗。加盟店は黒
2.中心市街地における黒壁の展開
壁グループ協議会に参加する義務を負う。黒壁グループ
黒壁は駅前通りから北へ、北国街道沿いにモール化し
の入会金50万円、年会費2万円であり、黒壁の収益源は
て展開している。これまで商店街のない通り沿いである。
直営店のガラスとオルゴールの販売である。黒壁は、こ
れ以上の加盟店を増やさない方針を打ち出している。
「黒壁」という社名は百三十銀行長浜支店の建物を「黒
壁銀行」と呼ばれたことに由来している。1898年に建設
1996年に黒壁は地元企業との合同出資で新長浜計画株
された黒壁銀行はその後に教会として利用されていた。
式会社16)を設立した。競売にかかっていたオルゴール堂、
その建物が競売にかかるところを長浜市教育委員会の強
パウワース17)の買い取りのためである。空き店舗の斡旋
い希望で保存の可能性を模索した。結果として、株式会
についても2000年から計5店おこなっている。新長浜計
社黒壁は1988年4に文化財保存を目的とする第三セクタ
画株式会社は事実上のTMO的な事業をおこなってい
ーとして設立され、1989年7月に北国街道沿いの一角に
る。
200
150
販売額(年度)
来店者数
100
50
0
1
9
8
9
年
1
9
9
0
年
1
9
9
5
年
2
0
0
0
年
2
0
0
1
年
図Ⅲ−1 黒壁の販売額と来店者数の推移
(※1989年度は9ヶ月の営業であるため12ヶ月に換算した。販売額は百万円未満切り捨て、
来店客数は一万人未満を切り捨てて計算した。)
出所:株式会社黒壁会社案内を参考に作成
−91−
政策科学 11−1,Sep. 2003
中心市街地には黒壁が中心となったイベントから多く
る。金銭の管理はまちづくり役場が代行している。
の組織が生まれている。1996年北近江秀吉博覧会の開催
② 経済的な効果…1987年の商業観光推進事業がはじま
18)
がきっかけとなり、1997年にプラチナプラザ が設立さ
って以降、補助事業を活用した新規出店は49店舗(黒壁
れる。黒壁はまちづくり役場をとおして金銭管理などの
グループの8店舗を含む)ある21)。観光客も増加してい
事業支援をしている。まちづくり役場19)は民間の任意団
る。
体として設立された。中心市街地のマップづくり、視察
③ その他の効果…黒壁への出資は現在38法人、4個人、
の請負、長浜の資料配布、ラジオ放送などをおこなって
持ち株会、長浜市である22)。法人も個人商店などが多く
いる。まちづくり役場は全国からの視察、観光客へのフ
個人も出資していること、出資者数が多いことはTMO
ォローもおこなう。フリーマーケットの場所の管理もお
の特徴と類似する。また、第三セクターを活用すること
こなっている。黒壁との連携によってお互いが成り立っ
で、行政の支援が受けやすくなった。例えば、北国街道
ている組織である。
整備事業によって、黒壁スクエアまちかど広場の整備を
おこなった。1992年の増資では、長浜市からも1億円の
3.TMOの目的と黒壁の機能
追加出資をおこなった。美術館の建設を目的として総合
黒壁は北国街道沿いに出店を進めた。黒壁のグループ
保養地整備基本法(リゾート法)による起債を活用して
店舗は、外装をファサード整備によって一定の統一がさ
いる。
れている。長浜市の商業観光推進事業、まちかど整備事
その他にも、長浜市役所職員がさまざまな勉強会に
業、北国街道整備事業などの事業によって進められてい
参加 23)していること。特に商工観光課や商工会議所と
る。これらは長浜市が1984年に策定した博物館都市構想
の連携によって集中的に補助事業をおこなうことができ
は伝統・文化の継承に基づいている。基本理念は「美し
たこと。アートイン長浜、北近江秀吉博覧会24)などさま
く住む」と「歴史に学び進取の気性を継承する」の二つ
ざまなイベントで職員出向や補助金などで支援を受けて
である。1983年に長浜城が博物館として再建されたこと
いること。これらもTMO的な役割であったといえるだ
から市民総学芸員化や、曳山博物館の設置などを目的と
ろう。
20)
していることが特徴としてあげられる 。
1996年のオルゴール堂、パウワースの買い取り以後、
Ⅳ.おわりに
北国街道以外への出店が始まった。新長浜計画株式会社
の空き店舗の斡旋競売も、中央通り商店街への出店であ
いぜんとして、中心市街地と郊外の活性化に対してト
る。また、黒壁の直営店は収益が減少し、ガラス事業に
レードオフの関係にあると考えられている傾向が強い。
経営資源を集中する必要が生まれていた。黒壁が新長浜
確かに長浜においても事業所数が減少し、郊外の大規模
計画、まちづくり役場を設立して、空き店舗の活用に関
小売店舗の出店が増えている。大規模小売店舗の増加は
する不動産事業やマップづくり、観光案内などの事業を
店舗面積の増加でも明らかである。そのため長浜でも郊
おこなっている。
外での競争が激しくなっている。しかし、出店規制など
では、黒壁とTMOの比較をしてみよう。チャレンジ
の商業調整をおこなうことは難しい。つまり、長浜では
ショップ、テナントミックスなどのTMOのおこなう事
商業調整に成功したというより、新しい小売業の創造に
業。観光客の増加、新規小売業の増加などの経済的な効
よって中心市街地に新規出店が続いてきたのである。そ
果。組織の資本構成や公共部門と民間部門のパートナー
れは黒壁がTMO的な機能を果たしてきたからにほかな
シップなどのその他の効果について分類して考える。
らない。中心市街地における黒壁のTMO的な事業活動
および組織形成は次のようにまとめることができるだろ
① TMOのおこなう事業との比較…テナントミックス
う。黒壁の出資は個人、個人事業主が多く、非商業者も
的な事業としては、黒壁グループは直営店以外に18店舗
含まれることから、第三セクターで設立されるTMOと
のテナントおよび加盟店を抱えている。チャレンジショ
類似していること。また、第三セクターであることを利
ップ的な事業として、プラチナプラザは55歳以上の高年
用して、補助事業を受けやすくできた。TMOの目的で
齢者が中心となってお店を運営していることに特徴があ
あるテナントミックス、モール化、チャレンジショップ、
−92−
株式会社黒壁のTMO的な機能(角谷)
イベント、新しい小売業の創造と同様の効果がもたらさ
商店街活動の担い手がいない(122)、商圏の縮小(84)、現
れたこと。TMOと同様に国・県・市の補助事業を活用
在の商圏内の人口減(72)であった。
して店舗のファサード整備、内装の整備をおこなった。
2)中心市街地活性化推進室の調査によると、中心市街地疲弊
の原因として以下のとおりであった。商業・サービスの郊外
黒壁スクエア設立以降の新規出店は補助対象だけでも49
移転(210)、中心市街地の店舗構成の魅力低下(207)、モー
店舗に及んでいることなどである。
タリゼーションへの対応の遅れ(189)、住宅の郊外化(59)、
しかし、中心市街地の活性化はTMOの設立によって
公共施設の郊外移転(22)以上。2002年11月20日までに基本
保障されるわけではない。事業内容、地域、時代によっ
計画を提出した513市町村(548地区)に対してのアンケート
結果である。
ても結果は異なると考えられる。また、株式会社まちづ
3)『90年代の流通ビジョン』では、商店街の活性化のための
くり佐賀の例のように収益源が確立していないTMOの
「街づくり会社構想」の推進がはかられている。商店街振興
解散は避けられそうにない25)。つまり、黒壁のTMO的
組合の高度化事業の助成制度などを活用するものである。
な組織である特徴は中心市街地活性化の十分条件とは言
pp.151-153,『21世紀に向けた流通ビジョン』では、それま
えないのである。では、なぜ黒壁が中心市街地における
でハード中心の公共施設と商業施設の一体整備を目的とした
小売業の創造の役割を果たしたのか。たとえば、本稿で
「街づくり」であったが、ソフト機能を重視した「まちづく
はあまりふれなかったがイベントや祭、その他の組織に
り」が重要である。ソフト事業とは、地域CIの確立、地域
ついての分析が必要である。長浜市役所、長浜商工会議
文化・特性のプロモーション、景観形成・重視、環境問題へ
の積極的な対応などである。「まちづくり会社」制度につい
所の商業政策と住民によるさまざまなイベントとの連
ても、ソフト機能を付与するなどの支援策の充実を検討が必
携、イベントと黒壁をはじめとした中心市街地との連携
要であるとしている。p.157
などである。長浜市、長浜商工会議所、黒壁と曳山祭り
4)石原武政(2000a)は、イベントであるアートイン長浜に
やさまざまなイベントとの相互作用の効果について分析
至る職種を越えた勉強会の、エネルギーの蓄積に注目してい
26)
る。共通の価値観、目標を持たせたのは、西田天香という資
する必要がある 。これらのイベントには、ながはま21
産であったとしている。矢部拓也(2000)は、地方都市の再
27)
市民会議、光友クラブ などの組織が重要な役割を果た
生の条件として、曳山祭りの山組と非商業者の黒壁衆という
した。黒壁の出資者のうち笹原氏、伊藤氏、高橋氏はな
異なる社会層のネットワークの分析をしている。片岡裕典・
がはま21市民会議の中心メンバーであったことも見逃せ
野嶋慎二(2000)は街路に注目し、店舗の出店動機と数の変
ない。長浜青年会議所時代の運動を、ながはま21市民会
化について分析している。
議が引き継いだとも言える。
5)矢作(1997)では、西郷(1996)によるとCDCは稼いだ
それ以外にも、さまざまな要因が考えられる。特に長
利益をあくまでも地域社会に再投資してきた。黒壁は「ジャ
パニーズCDC」と呼んでもおかしくないとしている。
浜の地域性、歴史、思想、人間関係について詳細に分析
pp.216-218,西郷(1999)によると、非営利会社法などの法
していく必要がある。在郷町になってからも朱印地に指
律で、会社の活動目的や権限、機構を規定している。機構に、
定されたエリアでは免税を受け、いわゆる楽市楽座があ
理事会を設け、その意志が的確に活動に反映することが求め
ったこと。黒壁の設立に大きな役割を果たしたと考えら
られる。このような法的位置付けの中で、信用性を高め、政
れる光友クラブと西田天香の思想、浄土真宗の信仰につ
府の補助金をうけることができるようになる。p.25, ハウジ
いても明らかにする必要がある。これらを今後の研究課
ングアンドコミュニティ財団(1997)によると、CDCは近
題とし、黒壁がTMO機能を担った前提を明らかにして
隣地区問題の解決を優先し、社会サービスの提供、近隣住宅
いきたい。
の建設・改良、地域商業機能の再生などに取り組んでいる。
連邦政府や州政府による保証制度を活用して事業をすすめ
る。pp.36-50
6)石原(1994)によると、戦後から小売業は潜在的失業者の
脚注
吸収装置であることが期待された。小売商業調整特別措置法
1)日経産業消費研究所が2001年に全国の人口5万人以上の都
は、中小小売業に対する振興政策を積極的に具体化すること
市にある960の主要商店街を対象に調査。有効回収数502。商
で、保護政策から調整政策に取って代わる。調整政策の根拠
店街の店舗数の5年後との比較で、増加する(72)、減少する
としては、競争が万能ではないこと、調整政策を競争政策の
(233)、変わらない(176)、無回答(21)。減少するとの回答
補完とすることなど。機能の効率化のための経営資源の特化
の内、店舗数が減少する理由としては(複数回答)、個々の
と将来の環境適応力の確保とは、しばしばトレードオフの関
商店の魅力低下(170)、郊外の商業施設への客の流出(158)、
−93−
政策科学 11−1,Sep. 2003
係にあるため。pp.1-10
黒壁スクエア設立前の1988年度の総計は163.9万人であった。
7)大店法の主な改正点について次のとおりである。1990年、
2001年度では480.5万人になっており、増加傾向にある。秀
出店調整期限の明確化。1992年、商業調整協議会廃止。1994
吉博のあった1996年度が572万人で最高。観光客入り込み数
年、1000㎡未満の原則自由化、閉店時間の緩和、休業日数の
は、宿泊場所、黒壁、長浜城など各施設の入場者数の総計で
緩和。
ある。
8)石原(2000b)は、商業政策の方法として次の整理をおこ
13)例えば、商業観光パイロット推進事業補助金は上限が200
なっている。統制(全面統制、部分統制)、禁止(包括禁止、
万円で事業費の1/2が補助される。北国街道整備事業によっ
特定禁止)、振興(個店振興、集団振興)、調整(経済調整、
て、路面の石畳舗装、年に一箇所のポケットパークづくりも
社会調整)。規制緩和の影響によって、経済調整は全廃し、
おこなわれる。ポケットパークは住民によって維持・管理さ
社会調整をおこなうべきという考えが定着してきている。
れる。商店街環境整備で街路灯のつけ替え。民間交流使節団
など。COM計画研究所編(1995)参照。
pp.252-254,大店立地法は環境規制であり、都市計画法は土
地利用の規制であり、中小小売商業振興法は振興政策である。
14)青年会議所では1974年の商店街との懇談会を踏まえ、1975
年から朝の市民広場をおこなった。商店街の活性化を狙いと
pp.280-293
9)石原(2000a)によると、小売商業政策の最重点課題が空
して、出勤前のサラリーマンを捕まえて全国の駅弁販売、マ
き店舗対策になっている。しかし、もっとも重要なことは小
グロの解体などさまざまなイベントを1985年まで計14回おこ
売業をそれぞれの地域の重要な問題と捉えることである。商
なった。1983年に青年会議所理事長が中心となってながはま
業者、住民、企業、その地域に関わる人々とともに、十分な
21市民会議が設立される。株式会社黒壁の前社長の笹原氏、
時間をかけて計画をつくっていくべきである、としている。
現常務の伊藤氏らである。長浜ドーム、大学誘致などの運動
pp.199-208
をおこなう。現在は名称を未来ながはま市民会議に改称して
10)第三セクターの定義は様々である。地方自治体が単独で
いる。
25%以上出資している株式会社。遠山嘉博(1989)は、民法
15)内訳としては民間企業と個人から2億円と長浜市から1億
法人となる財団法人、社団法人、公社は所有と経営について
円である。長浜市からの1億円は美術館の建設を目的として
共同、混合していれば第三セクターである。佐々木弘(2001)
総合保養地整備基本法(リゾート法)による起債をおこなっ
は、公が100%出資の企業については第三セクターではない。
た。
また所有面のみの共同、混合では第三セクターにあたらない。
16)新長浜計画は黒壁を含めて16社の出資により設立された。
経営面についても同様である。このように第三セクターの定
資本金8000万円。代表は笹原氏と伊藤氏である。主な収入源
義は一定ではない。TMOにおいては3%以上の市町村の出
は駐車場、レストラン、不動産賃貸である。プラチナプラザ、
資があれば第三セクターとする。
まちづくり役場の設立にともない管理・運営をおこなってい
11)長浜市の中心市街地活性化基本計画は平成10年1月に提出
る。また中心市街地の商店街の遊休地に出店をする際にコン
されている。中心市街地125haを対象に、商業・居住の活性
サルティングをおこなう。
化をはかる目的である。長浜商工会議所によるTMO構想は
17)パウワースは地元の小売業者が設立し、のちに西友をキー
1999年1月に認定されている。特徴としては郊外の大型店と
テナントとするが、西友も撤退する。オルゴール堂はテナン
中心市街地商店街と双方の発展を目的としている。長浜でも
ト出店していた店舗のオーナーが倒産したため、新長浜計画
他の市町村と同様に大型店占有率が70%近くに達し大型店が
が買い取って営業を続けている。買い取り後、拡張工事をお
郊外に集中的に出店している。商工会議所は少子高齢化のな
こない1、2階で営業している。
かで中心市街地の必要性が高まることを予想している。そこ
18)プラチナプラザは、北近江秀吉博覧会のボランティアをし
で中心市街地の利便性を維持・拡大することが目標となっ
ていた高齢者が集まってつくられた。ボランティアは55歳以
た。今後は住民の資本参加による第三セクターTMOへの移
上の高齢者に限定した。北近江秀吉博覧会のコンパニオンと
行を視野に入れている。1998年に長浜商工会議所主導で中心
して110名のボランティアが集まった。秀吉博終了後50名の
市街地商店街改造事業、中心市街地共同施設事業を活用して
有志と応援者、企業、長浜市の補助を得てプラチナプラザが
ゆう壱番商店街のファサード整備と石畳化をおこなった。長
開設された。当事者が5万円、応援者1万円、協賛企業が10
浜の中心市街地の面的な整備を目的とした事業である。これ
万円、県と市が各450万円で2000万円を捻出して立ち上げら
まで黒壁が建ち並ぶ北国街道、商店街のメインストリートで
れた。プラチナプラザは4店舗の展開している。おかず工房、
ある大手門通り、大通寺の表参道を中心に整備が進んできた。
野菜工房、井戸端道場、リサイクル工房である。おかず工房
そこで整備範囲を広げる必要性からプラチナプラザ、感響フ
はお惣菜、おかずを中心として揃えており店内での飲食、持
リーマーケットやその他の小売商店が建ち並ぶ、ゆう壱番商
ち帰りもできる。野菜工房は商品のほとんどが契約した農家
店街の整備をおこなった。
から仕入れる有機野菜である。井戸端道場は喫茶と簡単な食
12)長浜市役所の発表では、観光客入り込み数は増加している。
−94−
事のできるスペースである。リサイクル工房は家具を中心と
株式会社黒壁のTMO的な機能(角谷)
したリサイクル品を取り扱う。時給は出来高払いで上限は
を講師として月に一度のペースでおこなわれている勉強会で
650円である。残ったお金はプールされる。ただし利益が出
ある。出島氏は金沢市のイベント「フードピア金沢」開催委
なければ時給が0円もありえる。実績的には時給300円から
員会企画室長として事業を成功に導いた実績がある。淡海に
650円が多い。4つの工房で計30名がパートとして労働に従
ついての講義、マーケティング等が中心である。参加者は会
事している。
社経営者、自営業者、市役所職員が中心である。現在では、
19)まちづくり役場は、北近江秀吉博覧会の事務局を利用して
淡海万葉学会がその中心になっている。市役所職員を中心と
1998年に設立された。地域に開かれたオープンスペースとい
した郷土文化の勉強会である。
うよりはTMOの事務局的な役割が強い。観光客にとっては
24)北近江秀吉博覧会は1996年の4月から11月までおこなわれ
観光案内所としての機能も果たしている。これまで独立採算
た。中心市街地と長浜城歴史博物館をメイン会場にしている。
を維持していることは奇跡的であるといえる。黒壁の企業メ
来場者は82万3千人。
セナ的な役割から収益源を確保できたことが最大の要因であ
25)長浜曳山祭は毎年春に開催される。曳山は全部で13基。そ
る。事業内容としては視察の受付、出島塾の事務局、ラジオ
れぞれの曳山を管理し、祭を運営するのが「山組」という組
放送、感響フリーマーケット運営事務局、文庫の委託販売、
織である。各山組は1∼数か町で構成される。子供歌舞伎が
黒壁パスポートの委託販売、まち歩き散策マップなどである。
メインとなっている。
なかでも視察事業は開始後2年間で1000件を超えており大き
アートイン長浜は1987年から始まった伝統工芸のイベント
な収益源となっている。スタッフは専属が2名でその他に全
である。毎年10月に全国の芸術家が長浜に集まり作品の展示
国の地方自治体から派遣を受け入れている。これまでの主な
や即売会をおこなう。当初は長浜城の広場である豊公園自由
派遣受入先としては愛知県瀬戸市、大分県臼杵市、大分県八
広場で開催されていた。その後に運営管理の資金面や地元商
女市、大分県湯布院観光協会、沖縄県である。事業内容の視
店街の回遊性を考えてまちなかに移動した。イベント費用の
察の受付は講師として黒壁常務の伊藤氏や商工会議所の吉井
一部を長浜市から補助を受けている。アートイン長浜と平行
氏、長浜市役所の北川氏らと連絡を取り調整をはかる。必要
して楽市楽座の看板を出している商店街の店で展示・販売で
な書類、パンフレットの準備もおこなう。感響フリーマーケ
きるシステムもつくられた。契約は各作家が個人と長浜市内
ットは簡単にいうと青空市場のことである。毎週の土日祝日
の店舗と交渉して作品を展示販売する年間委託契約をする。
に開催される。商店街の一角に庭が整備されており各ブース
その管理をおこなうのが有限会社ギャラリー楽座(現:特定
1日1000円で貸し出している。文庫の委託販売は近江に関す
非営利法人ギャラリーシティ楽座)である。有限会社ギャラ
る図書や長浜、黒壁に関わる自費出版などの希少な本を含め
リー楽座は1989年にアートイン長浜の事務局として設立され
て取り扱っている。まち歩き散策マップは半期ごとに黒壁以
た。初代社長は石井英夫氏である。ギャラリー楽座には事務
外も含む200店舗から1店舗あたり5万円を出して50万部作
局以外に展示場としての機能もある。年間を通して様々な芸
成される。2003年度にNPO法人格の取得が予定されてい
術家の作品展なども開催している。展示料はギャラリー楽座
る。
の運営費となる。また金銭管理、交通規制許可申請等の一部
20)博物館都市構想の事業概要は以下のとおりである。「独自
の事務機能は長浜市役所商工観光課に委託している。
のミュージアムづくり」、「オールドタウンの再生」、「都市景
26)光友クラブは「天香さん」の教えを中心とする勉強会であ
観」。1993年には新博物館都市構想が策定された。
る。福田長夫氏を講師として、石井氏の呼びかけで始まった。
21)片岡・野島(2000)では、北国街道、ゆう壱番商店街、表
笹原氏は当初から座長を務めている。光友クラブの勉強会は
参道、駅前通りに囲まれるエリア(駅前通り沿いは含まない)
毎月11日におこなわれている。講師は毎回変わる。例えば一
において、店舗数179のうち143店舗のヒアリングによる調査
燈園の石川洋氏は年に2、3回講師を努めている。勉強内容
の結果、1988年と1999年を比較して60店舗の新規出店があっ
は世の中の時事問題、会社経営、子供の躾、仏教の解釈など
た。店舗数では、1988年204店舗から1999年179店舗に減少し
様々に及んでいる。勉強会には常に10∼20名ほどが参加して
ている。p.1111
いる。参加者は幅広く地元自営業者、市役所職員、教育者な
22)黒壁の設立当初の出資は、琵琶倉庫(笹原司郎氏、前黒壁
ど様々である。
社長)、材光工務店(伊藤光男氏、黒壁常務)、長谷ビル(長
27)株式会社まちづくり佐賀は1996年に設立された。佐賀市の
谷定雄氏、初代黒壁社長)、北びわこホテルグラツィエ(上
TMO構想の認定は5番目。佐賀市中心市街地再生の一環と
羽文雄氏、観光協会会長)、高橋金属(高橋政之氏、黒壁社
してテナントビル事業の管理会社としてTMOの受け皿の役
長、商工会議所副会頭、ながはま21市民会議初代代表)、さ
割を担うこととなった。テナントビルであるエスプラッツの
ざなみ酒店(漣泰寿氏、財団法人長浜曳山文化協会伝承委員
約40%の管理。空き店舗が埋まらないことで採算性が悪化し
会委員長)、原田良策氏、長浜信用金庫で9000万円、長浜市
2001年7月に破産した。
が4000万円で1億3000万である。
23)出島塾は北近江秀吉博覧会をプロデュースした出島次郎氏
−95−
政策科学 11−1,Sep. 2003
参考文献
市計画学会学術論文集
石原武政(1994)『小売業における調整政策』千倉書房
西郷真理子(1991)
「まちづくりと「街づくり会社」」
『地域開発』
石原武政(2000a)『まちづくりの中の小売業』有斐閣
7月号
石原武正(2000b)「商業政策の構造」『商業学【新版】』有斐閣
西郷真理子(1996)「黒壁−まちづくり会社としての成功と課
COM計画研究所編(1995)『長浜市伝統的建造物群保存対策
題」『地域開発』7月号
調査報告書』長浜市
西郷真理子(1999)「町づくり会社とは何か」『地域開発』
佐々木弘編著(2001)『最新・現代企業論』八千代出版
9月号
通商産業省編(1989)『90年代の流通ビジョン』ぎょうせい
遠山嘉博(1994)「第三セクターの概念・変容・課題」『公益事
通商産業省編(1995)『21世紀に向けた流通ビジョン』
業研究』11月号
ぎょうせい
矢部拓也(2000)「地方小都市再生の前提条件」『日本都市社会
通商産業省編(1998)『中心市街地活性化の実務』ぎょうせい
学会年報』第18号
長浜市(1998)『長浜市中心市街地活性化基本計画』
統計資料
ハウジングアンドコミュニティ財団(1997)『NPO教書』
風土社
日経産業消費研究所(2001)『商店街の新たな挑戦』
矢作弘(1997)『都市はよみがえるか』岩波書店
滋賀県(1982−1999年度)『商業統計調査結果報告書』
片岡裕典・野嶋慎二(2000)「長浜中心市街地における店舗経
通商産業大臣官房調査統計部(1982−1999年度)『商業統計表』
営者の多様性とその連鎖的展開に関する研究」第35回日本都
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