第8回目講義

有機反応の基礎(第8回)
薬化学教室
伊藤 喬
ハロゲン化アルキルalkyl halide
到達目標
 有機ハロゲン化合物の代表的な性質と反応を列
挙し、説明できる。

SN1およびSN2反応の機構について、立体化学
を含めて説明できる。

ハロゲン化アルキルの脱ハロゲン化水素の機
構を図示し、反応の位置選択性を説明できる。
炭素-ハロゲン結合(C-X)の特徴
C-X結合は周期表で下のハロゲンほど長くなる。
C-X結合は周期表で下のハロゲンほど弱くなる。
C-X結合は炭素がδ+、ハロゲンがδ-に分極している。
求電子的な炭素
求核試薬(マイナスの試薬)と反応
11 ハロゲン化アルキルの反応:
求核置換反応と脱離反応
ハロゲン化アルキルは炭素-ハロゲン結合が分極しており、
炭素は電子不足になっている。
求核試薬がC-X結合のハロゲンと置き換わる。
求核試薬で塩基性が強いものでは脱離反応も進行する。
置換反応
脱離反応
置換反応(substitution reaction)とは
ある原子または原子団が他のものと置き換わる
Y +
R
X
R
Y +
X
Y が X と置き換わっている ( Substitution )
Y が X と置換した
Y:試薬 X:脱離基
求核置換反応(nucleophilic substitution)
基質
脱離基
Nu:
-
+
求核試薬
R
X
R Nu +
:X
-
生成物
求核試薬が脱離基と置き換わる
求核試薬(教科書P181)とは
・負に分極した電子豊富な原子を持つ
・正に分極した電子不足の原子に電子対を与えて
結合を作る。
求核試薬を変えると多くの生成物が得られる
R-Y + Nu
求核試薬
Cl-,Br-,I-
OH
‘
RO
-
C N -
O
R' C
O-
R' C C:-
SH
R-Nu + Y
生成物
R
X
分類
ハロゲン化アルキル
R OH
アルコール
R O R‘
エーテル
R C N
O
ニトリル
R' C
エステル
O R
R' C C R
R SH
アルキン
チオール
11.1 求核置換反応の発見

In 1896, ドイツの化学者Waldenは、 (-)-リンゴ酸が簡単な化学
変換によって(+)-リンゴ酸に変換できることを見いだした。
(-)-リンゴ酸
立体反転
(+)-クロロコハク酸
立体反転
一連の反応によってキラ
ル中心の位置での置換反
応が起こっている。
キラル中心の立体配置が
反転している。
(-)-クロロコハク酸
(+)-リンゴ酸
Walden反転の例2
化学反応によって鏡像異性体同士を相互変換させることができる。
=キラル中心で置換基が置き換わっている。
形式は同じだが二つの異なる反応がある
a) CH3CH2Br
+ NaOH
k
EtOH/H2O
CH3CH2OH
+ NaBr
-
反応速度 = k[ CH3CH2Br ][ OH ]
速度はハロゲン化アルキルとヒドロキシドイオン両方の濃度に比例する。
H3C
b)
+ NaOH
H3C C Br
H3C
k
H3C
+ NaBr
H3C C OH
H3C
reaction
rate = k[Me3CBr ]
反応速度
EtOH/H2O
速度はハロゲン化アルキルの濃度に比例するが、ヒドロキシドイオン
濃度には関係しない。
11.2 SN2反応
(substitution, nucleophilic, bimolecular)
bimolecular = 二分子の
1 立体化学
C6H13
H3C
C6H13
Br
H
(R)-2-bromooctane
[]D= -39.6°
H3C
OH
H
(R)-2-bromooctaneの求核置換
反応によって(R)-2-octanolを合
成することができるか?
(R)-2-octanol
[]D= -10.3°
C6H13
C6H13
H3C
Br + NaOH
H
HO
H
CH3
(S)-2-octanol
[]D= +10.3°
100%(S)-2-octanolが生成する → 立体反転が起こっている
SN2 反応の反応機構
..
:
H O
..
R
(R)-配置
C
..
: Br :
..
CH3
Brの反対側
から攻撃
立体反転
H
脱離
R
..
:
H O
..
(S)-配置
C
CH3
H
立体反転
の過程
sp2
HO
R
C
CH3 H
..
H O
..:
: Br
Ea
CH3
H
(R)-配置
Br
遷移状態は
三方両錐(sp2 )
立体配置
の反転
R sp3
C
2p
HO :
R
sp3
C
H
(S)-配置
CH3
SN2反応の遷移状態
三方両錘 trigonal planar (sp2)
できつつある
結合
R
HO
C
切れかけている
結合
Br
CH3 H
全体でマイナス一価に荷電
炭素は5配位
OHとC, BrとCの間
は0.5重結合
問題1
(R)-1-ブロモ-1-フェニルエタンのシアン化物イオンによ
る求核置換反応で、どんな生成物が得られるか。立体
配置の反転が起こるものとして出発物質と生成物の立
体化学を示しなさい。
解答
(R)-1-ブロモ-1-フェニルエタン
(S)-2-フェニルプロパンニトリル
脱離基Brがとれ、シアン化物イオンーCNが置換したとき立
体反転が起こる。
SN2反応に対するアルキル基の影響

反応中心の炭素に置換基が結合すればするほど反応は遅く
なる。
第三級
ネオペンチル
第二級
相対反応性
SN2反応の反応性
第一級
メチル
SN2反応の立体効果
(a) ブロモメタンの炭素は非常に近づきやすくSN2 反応は速い。
(b) ブロモエタン (第一級), (c) 2-ブロモプロパン(第二級), (d) 2-ブロモ2-メチルプロパン (第三級) の炭素原子はこの順に立体障害が大き
くなりSN2 反応も遅い。
求核試薬の反応性
同じ原子であれば塩基性の強いものほど求核性が高い
CH3O- > HO- > CH3CO2- > H2O
(参考 塩基性の強さ CH3ONa>NaOH>CH3CO2Na>H2O)
同じ族の原子であれば周期表の下のものほど求核性が
高い
I- > Br- > Cl-
HS- > HO-
負に荷電したものの方が中性の試薬より反応性が高い
→ 塩基性条件下で反応させることが多い。
求核試薬の反応性比較表
ブロモメタンとのSN2反応における求核試薬の反応性
反応の
相対速度
脱離基(Leaving group)

脱離基は負電荷を持って離れていくため、負電荷を安定化でき
るものが脱離基として優れている。

塩基性の弱いアニオンほど安定である。
脱離基の相対的反応性
TosO- or TsO- =
3
トシラートイオン
生じた負電荷が3つの酸素原子に分散して共鳴安定化
脱離基(2)
通常 NH2-、CH3O-、HO-、F-は脱離基にならない。
HO-はトシラートに変換すれば良い脱離基になる。
塩化p-トルエン
スルホニル
トシラート
置換反応が
進行する
問題2
a) 次の化合物をSN2反応に対する反応性が高い順に並べなさい。
またその理由を書きなさい。
CH3Br,
CH3Cl,
CH3OTs,
(CH3)3CCl,
(CH3)2CHCl
b) つぎの変化は、1-ヨード-2-メチルブタンとシアン化物イオンとの
SN2反応の速度にどのような効果を及ぼすか。
1)CN-の濃度を半分にし、1-ヨード-2-メチルブタンの濃度を2倍
にする。
2)CN-と1-ヨード-2-メチルブタンの濃度をともに3倍にする。
解答a)
CH3OTs > CH3Br > CH3Cl > (CH3)2CHCl > (CH3)3CCl
SN2反応性の高いのは、メチル>一級アルキル>二級ア
ルキル>三級アルキル の順。
従って,
CH3Cl > (CH3)2CHCl > (CH3)3CCl
同じ炭素の場合には、脱離基としての能力の高いものが
速く反応する。
すなわち、 CH3OTs > CH3Br > CH3Cl
解答 b)
CH3
CH3CH2CHCH2I
+
CN
CH3
CH3CH2CHCH2CN
SN2反応では、反応速度は出発物質であるハロゲン化アルキルと
求核剤シアン化物イオンの両方のモル濃度に比例する。
反応速度=k×[ハロゲン化アルキル]×[CN-]
1)反応速度は変化しない。
反応速度=k× 2 [ハロゲン化アルキル]× 1/2 [CN-]
=k×[ハロゲン化アルキル]×[CN-]
2)反応速度は9倍速くなる。
反応速度=k×3[ハロゲン化アルキル]×3[CN-]
=9×k {[ハロゲン化アルキル]×[CN-]}
溶媒(Solvent)の効果


プロトン性溶媒(-OH基、-NH2基を持つ溶媒)は求核試薬を
溶媒和して安定化するのでSN2反応は遅くなる。
非プロトン性極性溶媒は、求核試薬の側でなく、金属カチオ
ンを安定化 → 求核試薬の反応性が上がる。
プロトン性溶媒による溶媒和
X-(求核試薬)はプロトン性溶媒
の水素と「水素結合」して安定化
され、反応性は低下する。
非プロトン性極性溶媒
アセトニトリル
CH3CN
ジメチルホルムアミド
DMF
ジメチルスルホキシド
DMSO
ヘキサメチルホスホルアミド HMPA
溶媒が塩基性の非共有電子対を有しているため、求核試薬のペア
であるカチオンだけを安定化し、求核試薬の反応性を上昇させる。
SN1反応
(substitution, nucleophilic, unimolecular)
SN2反応 → 立体障害の大きい基質、中性の求
核試薬、プロトン性溶媒中では遅い
Me3CBrと水からMe3COHが得られる反応は
MeBrと水の反応より100万倍速い
SN2とは異なる機構で進行する反応がある
11.3 SN1 反応
水中でのハロゲン化アルキルの加水分解(置換)反応
メチル
第一級
第二級
相対的反応性
第三級
1 律速段階
CH3
CH3
H3C C Br +
OH
H3C C OH +
v = k[ Me3CBr ]
CH3
Br
CH3
[OH- ]は速度を決定する段階(律速段階)に関与していない。
CH3
H3C C Br
CH3
slow
CH3
H3C C
CH3
carbocation
+ OH
+ Br
fast
CH3
H3C C OH
CH3
律速段階とは

複数の段階を含む化学反応では、全体の反応速
度は最も遅い段階で決定される。この部分を「律
速段階」と呼ぶ。

反応速度は律速段階に関与する化学物質の濃
度に比例する。

エネルギー図で最も高いエネルギーを持つ遷移
状態が「律速段階」である。
SN1は2段階反応である
E
N
E
R
G
Y
カルボカチオン
中間体
TS1
SN1
TS2
Ea2
Ea1
出発物質
step 1
step 2
カルボカチオンの生成
が律速段階
H
生成物
SN1 反応の立体化学
R
CH3
H
sp2
Br
(R)
CH3
50%
+
C
(S)
+
H
R
面の上下
50% から50%
ずつ反応
OH
OH
ラセミ体生成物
-O H
H
平面性
カルボカチオン
CH3
R
R
H
鏡像異性体の
1:1混合物
CH3
(R)
SN1反応の実際の結果
実際には完全にはラセミ化せず、わずかに立体反転
(R)-6-クロロ-2-6ジメチルオクタン
40%(R)
立体保持
60%(S)
立体反転
脱離基は直ぐには離れていかない:イオン対の形成
こちらから
攻撃できる
脱離基により
遮へいされる
脱離基が遠ざかると
両面から攻撃できる
問題3
[]D= -30.3
観測された[]D= +5.3
純粋であれば[]D= +53.6 になる
不完全なラセミ化を伴って起こるSN1反応の例を上に示した。
完全に反転した場合、生成物の[]D= +53.6である。
この反応では何%のラセミ化が起こり、何%の反転が起こったか。
解答
出発物質は(R)体、生成物は立体反転で進行すれば(S)体ができるはず。
(S)体が100%生成すれば]D= +53.6のはずだが、実際の値は]D= +5.3
よって、トシラートのうち 9.9%が立体反転している。
残りの90.1%はラセミ化した。
安定なカルボカチオンを経由する出発物質
が反応性が高い
slow
R-X
R+
+
Nu-
R+
fast
+
X-
R-Nu
カルボカチオンの生成の
しやすさが反応性を決定
三級>二級>一級
安定な中間体を経
由する反応が、全
体のエネルギーも
低くなる
SN1反応におけるアルキル置換基の影響
RBr + H2O
メチル
H
H C Br
相対速度
HCOOH
ROH + HBr
一級
二級
H
H
CH3 C Br
三級
CH3
CH3 C Br
CH3 C Br
H
H
CH3
CH3
1.0
1.7
45
Guess
106 ?
速度上昇
相対速度 =
rate
rate CH3Br
アリルカチオンとベンジルカチオン
特殊な構造により安定化したカルボカチオン
通常の第二級カルボカチオンと同程度の安定性を示す。
→ SN1、SN2いずれに対しても反応性が高い
H2C CH
CH2
H2C CH
allyl carbocation
CH2
(A)
benzyl carbocation
2つの等価な
共鳴構造
CH2
CH2
(B)
CH2
(C)
(A)が最も寄与の大きい共鳴構造
CH2
(D)
加溶媒分解(SN1反応)
RCl + H2O
ROH +
HCl
( RCl + EtOH
ROEt +
HCl )
エタノール:水(1:1)溶媒中では上記2つの反応が進行する
相対速度
塩化エチル
塩化イソプロピル
塩化アリル
塩化ベンジル
塩化tert-ブチル
very small
1
74
140
12,000
アリル、ベン
ジルは三級
程ではないが
反応性は高い
SN1 反応における求核試薬の影響
SN1 反応は求核試薬の性質に影響されない。
CH3
H3C C CH3
OH
HOH,
H+
solvolysis
slow
CH3
-
H3C C CH3
+
..
:Br:
..
..
:Cl:
..
-
-
..
: ..I :
反応液中に存在する求核剤が、求核
剤の種類に関わりなく、その存在比に
応じて反応する。
SN1反応の溶媒効果
カルボカチオンが安定化されると遷移状態も安定化さ
れて反応速度が上がる。
水によるカルボカチオンの溶媒
和
水分子の電子豊富な酸素原子
が正に荷電したカルボカチオン
を取り囲んで安定化する
H2O量を変化させたときの反応速度
中間体のカルボカチオンを安定化する溶媒が適している。
SN2反応の場合には効果のないプロトン性の溶媒、特に水が反
応を促進する。
問題4
次の置換反応はSN1,SN2のどちらで起こりそうか予測
しなさい。
1)
Cl
+ CH3CO2 Na
2)
CH2Br
+ CH3CO2 Na
CH3CO2H
OCOCH3
H2O
OCOCH3
CH3CN
解答
1) SN1反応
第二級のベンジル基であることからカルボカチオンは安定であ
り、一方、求核試薬が弱い塩基、溶媒が酸性(プロトン性)溶媒
であることから求核試薬の反応性が低下している。従ってSN1
反応が進行する。
2) SN2反応
基質が第一級であり、安定なカルボカチオンは生成しない。溶
媒が非プロトン性であることから求核試薬は反応性が高い。
よってSN2反応が進行する。