分岐鎖アミノ酸の生理機能の解明

 上原記念生命科学財団研究報告集, 27 (2013)
32. 分岐鎖アミノ酸の生理機能の解明
北浦 靖之
Key words:分岐鎖アミノ酸,筋肉,インスリン抵抗性,
ノックアウトマウス,メタボリックシンドローム
名古屋大学 大学院生命農学研究科
応用生命化学講座
栄養生化学研究分野
緒 言
必須アミノ酸であるロイシン,イソロイシン,バリンは,その側鎖の構造中に分岐構造を持つため総称して分岐鎖ア
ミノ酸(branched-chain amino acids: BCAA)と呼ばれる.BCAA は体を構成するタンパク質の一部として機能する
だけでなく,生理作用が強い遊離アミノ酸として,タンパク質合成の促進 1),グルコース取り込み促進 2),運動による
遅発性筋肉痛の抑制 3),ミトコンドリアのエネルギー合成活性の上昇 4)などが明らかにされてきた.近年,2型糖尿病
モデル動物への BCAA 投与により耐糖能が改善されるなど,BCAA が肥満や2型糖尿病などのメタボリック症候群に
共通する症状であるインスリン抵抗性(耐糖能の低下)を抑制する効果が示されているが,これらの詳細なメカニズム
については依然として不明な点が多い.BCAA のこれらの生理機能を明確にするためには,遊離 BCAA を欠乏させた
動物を作製して解析に用いることが最も有効な手段と考えられる.
BCAA は必須アミノ酸であり,動物体内では合成できず,その代謝系のみが存在する.BCAA 代謝系は,ほぼ全て
ミトコンドリアに存在し,第1ステップと第2ステップは3つの BCAA に共通である(図1).第1ステップは,BCAA
アミノ基転移酵素(BCAT)による BCAA の可逆的なアミノ基転移反応である.第2ステップは,分岐鎖 α-ケト酸脱
水素酵素複合体(BCKDH complex)による分岐鎖 α-ケト酸の不可逆的な酸化的脱炭酸反応であり,この酵素活性調
節が BCAA 代謝を調節(律速)するとされている.律速酵素である BCKDH complex は特異的キナーゼ(BDK)に
よるリン酸化により活性調節(不活性化)されることから,この BDK による第2ステップの酵素活性調節が重要であ
ることが明らかにされている.
最近,当研究室において,BDK を阻害することにより BCAA 代謝を促進させ,血中 BCAA 濃度を低下させるとイ
ンスリン抵抗性を誘導する現象を見いだし,この動物に BCAA を与えるとインスリン抵抗性は消失することを明らか
にした 2).また,Bckdk を全身で欠損させたマウスでは BCAA 代謝が亢進し,全身で BCAA 濃度が低下するが,この
マウスは成長の遅延,癲癇(てんかん)を発症し,短命であることが報告されている 5).そのため,このマウスを用い
てインスリン抵抗性の誘導に対する BCAA の影響を詳細に解析することは困難である.本研究では組織特異的に発現
する Cre トランスジェニックマウスを用いた Cre-loxP システムによるコンディショナルノックアウト技術により,骨
格筋,脂肪組織,または肝臓で Bckdk を欠損させ,各組織で遊離 BCAA が不足したマウスを作製し,その特徴を解析
することで BCAA のメタボリック症候群,特にインスリン抵抗性発症における生理機能を解明することを目的とした.
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図 1. BCAA 代謝系の略図.
方法、結果および考察
1.筋肉特異的 Bckdk 欠損マウスの作製
まず,筋肉(骨格筋,心筋)特異的に標的タンパク質を欠損させるため,クレアチニンキナーゼ(CK)プロモータ
ーと Cre-loxP システムによるコンディショナル KO マウス 6)を用いた.目的遺伝子のエクソンの一部を loxP ではさ
んだゲノム DNA を含むターゲティングベクターを用いて,目的の遺伝子領域を loxP で挟み込んだものと入れ換わっ
た ES 細胞クローンを選別し,マウス初期胚に注入することにより組換え ES 細胞由来の細胞が全身でランダムに存在
するマウス(キメラマウス)を作製し,同時に,筋肉特異的に発現する CK のプロモーターの下流に Cre リコンビナ
ーゼ遺伝子を導入したトランスジェニックマウス(CK-Cre マウス)を作製する.両種のマウスを交配することによ
り,筋肉で発現した Cre リコンビナーゼにより loxP で挟み込まれたエクソン部分を欠失させ,筋肉においてのみ標的
タンパク質が欠損するマウスを誕生させることができる.
本研究では,マウス BDK 遺伝子(Bckdk)のコンディショナル KO マウスを作製するため,Bckdk のエクソン 9〜
12(BDK の活性部位をコードするエクソン)の両端にファージの組換え酵素(Cre)の認識配列である loxP を配置
し,エクソン 8 と 9 の間に β-ガラクトシダーゼ遺伝子(βGal),ネオマイシン耐性遺伝子(Neo)を FRT(酵母の組
換え酵素(Flp)の認識配列)で挟み込んだ遺伝子配列を組込んだ Bckdk ターゲティングベクター(Bckdk targeting
vector)を用いた(図2).このベクターを用いて組換え ES 細胞,キメラマウスを作製し,C57BL/6 と交配させ,そ
の産仔の Bckdk ゲノムで相同組換えが確認され,Bckdk
2
flox(+Neo)
ヘテロマウスを得ることができた.
図 2. BDK コンディショナルノックアウトマウスの作製のためのターゲティングベクターとその組換えの略図.
・FRT : 酵母 DNA 組換え酵素 FRT 認識配列
・loxP : バクテリオファージ DNA 組換え酵素 Cre 認識配列
・En2SA : マウス En2 (homeobox transcription factor, ENGRAILED 2) 遺伝子のイントロンと exon 2 スプラ
イシング受容部位 (Splicing Acceptor site)
・IRES : リボソーム内部進入部位 (Internal Ribosomal Entry Site)
・βgal : β-ガラクトシダーゼ (β-galactsidase) 遺伝子
・hΒact:neo : human β-アクチンプロモーターとネオマイシン (Neomycin) 耐性遺伝子
・pA : poly A 配列
矢印は PCR に用いたプライマーとそれらの番号を示す.
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しかし,この段階では,Bckdk ゲノム配列中に βGal と Neo が残っており,コンディショナル KO マウスを作製す
るためには,FRT で挟まれたこれら両遺伝子を Flp を作用させることにより取り除く必要がある.そこで,CAG-Flp
マウス(CAG プロモーターによって全身で Flp を発現するマウス)を理研 BRC から分与を受け,Bckdk flox(+Neo) ヘテ
ロマウスと交配を行った.その結果,CAG-Flp と Bckdk flox(+Neo) を同時に持つマウスでは, Bckdk 組換え領域から
βGal と Neo が除かれたことが確認され,Bckdk flox ヘテロマウスを得ることができた(図3).
図 3. Bckdk flox マウスの作製.
Bckdk flox(Neo+) ヘテロマウスと CAG-Flp マウスを交配し,得られた産仔の Genotype.
次に,筋肉特異的に BDK を欠損させるため,CK-Cre マウスをジャクソン研究所から分与を受け,Bckdk flox のヘテ
ロマウスと交配を行い,CK-Cre をもつ Bckdk flox のヘテロマウスを作製し,このマウスと Bckdk flox のヘテロマウスを
交配させることにより,CK-Cre をもつ Bckdk flox のホモマウス,すなわち筋肉においてのみ Bckdk が欠損するマウス
を作製した.
現在(2013 年 4 月)までに,本研究計画の基盤となる筋特異的コンディショナル BDK-KO マウス(CK-Cre をもつ
Bckdk flox のホモマウス)の作製が完了し,現在そのコロニーの繁殖を行っている.今後はまず,このコンディショナ
ル KO マウスを用いた解析を行い,筋肉における BCAA の機能に迫りたいと考えており,順次,脂肪組織,肝臓特異
的コンディショナル BDK-KO マウスを作製していく予定である.
2.Bckdk flox(+Neo) マウスと BDK ノックアウトマウスとの比較
今回作製した Bckdk flox(+Neo) マウスのゲノム領域にはスプライシングアクセプターサイト(En2 SA)が存在し,Bckdk
遺伝子の Exon 8 から En2 SA へとスプライシングされる.そのため,IRES-βGal-pA で転写が終結し,Exon9 以降の
エクソンが欠損した不完全な mRNA となるため,Bckdk の遺伝子発現が機能しないと考えられる.そこで,Bckdk
flox(+Neo)
のホモマウスが,既存の BDK ノックアウト(KO)マウス(Exon 1から完全に欠損)と同様の表現型(成長遅
延など)を示すか検討した.Bckdk flox(+Neo) のヘテロマウス同士を交配し,Bckdk flox(+Neo) のホモマウスを作製した.こ
のマウスから各組織(骨格筋,肝臓,心臓,腎臓,脾臓,膵臓,脳)を採取し,BDK の発現を Western blotting 法で
確認したところ,すべての組織で BDK の発現がみられないことが確認された(図4).また,このマウスには成長の
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遅延がみられたことから(図5),Bckdk flox(+Neo) ホモマウスの表現型は BDK KO マウスと同じであった.このことは
Exon 9 以降を欠損することで,Exon 1 から完全に欠損した状態と同等であることが示された.
図 4. Bckdk flox(Neo+) マウスの各組織における BDK の発現.
Bckdk flox(Neo+) ホモ(Homo)またはヘテロ(Het)マウスの各組織における BDK の発現.
図 5. Bckdk flox(+Neo) マウス各遺伝子型の体重変化.
Bckdk flox(+Neo) マウス各遺伝子型(WT, Het, Homo)の3〜7週齢の体重変化.
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共同研究者
本研究の共同研究者である名古屋大学大学院生命農学研究科の下村吉治教授,また,本研究をご支援頂きました上原記
念生命科学財団に深く感謝致します.
文 献
1) Proud, C. G. : Signalling to translation: how signal transduction pathways control the protein synthetic
machinery. Biochem. J., 403 : 217-234, 2007.
2) Kadota, Y., Kazama, S., Bajotto, G., Kitaura, Y. & Shimomura, Y. : Clofibrate-induced reduction of plasma
branched-chain amino acid concentrations impairs glucose tolerance in rats. J. Parenter. Enter. Nutr., 36 :
337-343, 2012.
3) Shimomura, Y., Inaguma, A., Watanabe, S., Yamamoto, Y., Muramatsu, Y., Bajotto, G., Sato, J., Shimomura,
N., Kobayashi, H. & Mawatari, K. : Branched-chain amino acid supplementation before squat exercise and
delayed-onset muscle soreness. Int. J. Sport Nutr. Exerc. Metab., 20 : 236-244, 2010.
4) D'Antona, G., Ragni, M., Cardile, A., Tedesco, L., Dossena, M., Bruttini, F., Caliaro, F., Corsetti, G., Bottinelli,
R., Carruba, M. O., Valerio, A. & Nisoli, E. : Branched-chain amino acid supplementation promotes survival
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362-372, 2010.
5) Joshi, M. A., Jeoung, N. H., Obayashi, M., Hattab, E. M., Brocken, E. G., Liechty, E. A., Kubek, M. J., Vattem,
K. M., Wek, R. C. & Harris, R. A. : Impaired growth and neurological abnormalities in branched-chain αketo acid dehydrogenase kinase-deficient mice. Biochem. J., 400 : 153-162, 2006.
6) Brüning, J. C., Michael, M. D., Winnay, J. N., Hayashi, T., Hörsch, D., Accili, D., Goodyear, L. J. & Kahn, C.
R. : A muscle-specific insulin receptor knockout exhibits features of the metabolic syndrome of NIDDM
without altering glucose tolerance. Mol. Cell, 2 : 559-569, 1998.
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