Japanese

概要集
基調講演
「市民社会と政治の 15 か国比較からみた日本」
辻中豊(筑波大学)
これまでに、日本と世界の市民社会の構造認識を念頭に、日本を含め 15 カ国に
ついて、市民社会と政治に関する調査を行ってきた。具体的には多様な市民社会
組織をそれぞれの国において、できるだけ包括的に首都地域とその他の地域を調
査し、その 属性と行動特性、とり わけ政治アクターとの 関係を明らかにして き
た。
特に日本においては、実態調査を、日本の主要な約 250 の全国団体を対象とし
た 4 次に亘る圧力団体調査(1980 年、1993 年、2003-4 年、2012-13 年)、2 次
の地球環境政策ネットワーク(GEPON)調査さらに 2006-8 年には、日本全国の
3 レベルの市民社会組織(社会団体、NPO 法人、自治会等)調査と市区町村調査
(全体を JIGS2 と呼称、総計 5 万件のデータ)を実施した。政治過程の頂上付近
の圧力団体から、政策過程の様々なアクター関係を示す政策ネットワーク、さら
に地方の様々な社会団体から草の根の NPO や自治会まで、日本の市民社会・政治
過程のアクターを総合的網羅的にかつ時系列的に調査した。
世界各地でも、韓国、中国などの東アジア、フィリピン、バングラデシュ、イ
ンドなどの 南・東南アジア、ウズ ベキスタン、トルコな どのイスラム圏、ロ シ
ア、ポーランド、エストニアといった旧社会主義圏、アメリカ、ブラジルという
南北アメリカ、そしてドイツを調査した。
こうした市民社会組織調査対象の 15 カ国で調査、4 か国でなされた地球環境調
査、政治過程と構造に関する一党優位政党制の諸国などとの比較研究を通じて、
日本の社会の特性を明らかにしてみたい。
1
パネル概要
セッション 1.言語学・言語教育研究分野/
前近代文化研究分野
パネル「コーパスを活用した日本語教育研究」
オーガナイザー:砂川有里子(筑波大学)
2011 年に国立国語研究所から 1 億語の「現代日本語書き言葉均衡コーパス」が公開さ
れ,コーパスを活用した日本語の研究が大きく進展している。日本語教育の分野でも,
コーパスを活用した語彙研究,文法研究といった従来型の日本語学の研究が盛んに行わ
れているが,それに加えて,学習者のレベル判定や文章の読みやすさの研究,誤用の自
動判定や自動修正の研究など,日本語教育に直接役立つ応用的な研究が盛んになってき
ている。これらの研究動向を紹介し,それぞれ領域を異にする 4 名の研究発表を行う。
パネリスト:
1.メタ言語的ラベルの再考
―日本語表現辞典のための空間・時間関係のメタ言語的用語について―
アンドレイ・ベケシュ(リュブリャーナ大学)
辞書の目的が理解だけではなく、表現でもあるならば、効率のいい意味ラベルが不
可欠である。学習者向けの辞書の場合、従来編者が頼りにしていたのは経験と伝統だ
けだといえる。辞書作りという課題の性格からみて、体系的な理論的裏付けを伴わな
い,アドホックな解決策がしばしばせまられる(例えばジャマシイ 1998 もそうであ
る)
。
意味ラベルとどう取り組むべきかにおいて、一つの可能性は NSM(自然意味メタ言
語、Goddard and Wierzbicka 2007 を参照、評価は Trobevšek Drobnak 2009 を参照)。別の
可能性は、Labrador De La Cruz (2004)が提唱しているように、コーパスに基づいた意
味ラベルのボトムアップの構築である。一方、結果としてそろった意味ラベルはでき
るだけ理論的に裏付けられた根拠に基づかなければならない。これは即ち、適切なラ
ベルを作るためには、語彙項目(見出し語)のコロケーションだけを頼りにするので
はなく、より広い文脈との関わりも考慮に入れなければならないということである。
L.A. Becker は languaging (Becker 1988)、即ち、社会的文脈における言語によるコミ
ュニケーションという用語を用いているが、これは、コミュニケーションの、動的、
流動的側面を目立たせるために用いる用語である。事実、談話助詞などの機能語だけ
でなく、語彙の中核とされている名詞や動詞も、文脈との相互作用で、その場で生起
する意味解釈がしばしばある。ここで辞書の編者が直面しているのは、このような流
動性を辞書でどう表すかという大きな問題である。
なお、NSM の一つの欠点は、語彙項目の意味の静的な捉え方である。語彙記述の目
的からみて避けられない事かもしれないが、結果として、言語によるコミュニケーシ
ョンの根本的な特徴の一つである意味形成の動的な側面が視野から消えてしまうので
ある。
そこでジャマシイ(1998) の日本語文型辞典での意味記述において直感的に選んだアプ
ローチ、即ち、細かい意味解説よりも、使用例をたくさん提供するという選択が妥当
であったと思われる。目的が似ている Makino and Tsutsui 2008 の日本語文法辞典に比べ
て、解説が遙かに少ない一方、利用者が、たくさんの使用例から直感的に用法原理を
くみ取るほうが、妥当な理解へ繋がると考える。このような、解説の代わりに利用者
にたくさんの使用例を提供するアプローチは、コーパスの発展で、Labrador De La Cruz
(2004)の基本的スタンスと一致しながら、さらに一歩進んだ。BCCWJ および一部非公開
2
コーパスに基づいた、東工大の仁科喜久子他が開発したナツメという日本語学習支援
ツール(http://hinoki.ryu.titech.ac.jp/natsume/)、そして、焦点がいくらか異なっている国
研のプラシャント・パルデシ他が開発した、BCCWJ 及び TWC に基づいた NINJAL LWP
(Lago Word Profiler) というツール (http://corpus.tsukuba.ac.jp/search/) の類がこれから注
目されるであろう。これらのツールが持っている可能性は、中・上級の学習者だけで
なく、プロフェッショナルの辞書作りにも使用されているということからも明らかで
ある。
このような強力なツールの存在にもかかわらず、それをまだ使えない初級・初中級
の学習者の学習をさらに効率よく支援するためには、よく計画された学習辞典が必要
である。このような辞典には、使いやすい、学習者を学習目的に的確に誘導できる、
厳選された意味ラベルの集合が必要である。これらの意味ラベルは即ち、学習者が辞
書を表現の支援に用いる際、意味ラベルを頼りに、学習者の置かれた状況での表現意
図が的確に表される語彙項目をたどれるように、設計されなければならない。学習者
は翻訳者ではないので、その学習目標は、主として、学習者自身の、使用例に基づい
て直感的に出来た理解を基に、つまり、対象言語の「内側」から、達成されなければ
ならない。
本研究では、空間・時間関係のメタ言語的用語を取り上げながら、主として、現代
の学習者向けの日本語文法辞典・表現時点でのメタ言語表現の使い方に着目する。考察
の対象を、広く用いられている二つのいわゆる、文法項目を解く辞典、即ちジャマシイ
(1998)及び、Makino and Tsutsui (2008)に絞りながら、辞書での意味解説をコンパクト
に押さえるかわり、体系的で、理論に根付いた意味レベル作りの導入の必要性を論じ
る。
参考文献
Becker, A.L. (1988). Language in particular: A lecture. In D. Tannen (Ed.), Linguistics in context:
connecting observation and understanding, pp. 17-35. Norwood, NJ: Ablex Publishing
Corporation.
Goddard, Cliff and Wierzbicka, Anna (2007). Semantic primes and cultural scripts in language learning
and intercultural communication. In Gary Palmer and Farzad Sharifian (eds.), Applied Cultural
Linguistics: Implications from second language learning and intercultural communication, pp.105124. Amsterdam: John Benjamins.
Group JAMASSY (1998) Nihongo hyogen bunkei jiten. Tokyo: Kurosio.
Makino, Seiichi and Michio Tsutsui (2008). A Dictionary of Advanced Japanese Grammar. Tokyo: The
Japan Times.
Labrador De La Cruz, Belén (2004). A Methodological Proposal for the Study of Semantic Functions
across Languages. Meta: journal des traducteurs / Meta: Translators' Journal, Vol. 49/ 2, pp. 360380.
Trobevšek Drobnak, Frančiška (2009). On the Merits and Shortcomings of Semantic Primes and
Natural Semantic Metalanguage in Cross-Cultural Translation. English Language Overseas Perspectives
and Enquiries, Vol. VI/1-2, pp. 29-41.
2.コーパスを活用した日本語学習者のためのコロケーション研究
スルダノヴィッチ・イレーナ(リュブリャーナ大学)
単語と単語および単語と他の言語要素の組み合わせ、いわゆるコロケーションの研究
の重要性は、特にコーパス言語学の経験的な研究と共に認識されてきた。第二言語の学
習負担になり易いコロケーションとなり難いコロケーションがあること、およびコロケ
ーションを学習者に体系的に教える必要があることについての研究が日本語のためにも
増えて来た。本発表では、まず、日本語のコロケーションが検索・抽出できる様々なコ
ーパス検索ツール(中納言、Sketch Engine、NINJAL-NLP、なつめ)を簡単に紹介する。次
に、形容詞と名詞のコロケーションに焦点を当て、2 種の大規模コーパスから取り出し
た 500 語の形容詞とその名詞とのコロケーション(9301 語および 23247 語)のリソース
(「形容詞と名詞のコロケーションデータ」)について述べる。このリソースからの実
3
例をあげながら、ツールおよびコーパスを活用したコロケーション分析の結果を紹介す
る。
BCCWJ および JpTenTen という二つの現代日本語大規模コーパスから抽出し、比較した
コロケーションは、コーパスの共通点と相違点を示す。両方の大規模コーパスから同じ
結果が導き出されるということは,データの有意義さおよびコーパスの信頼性を示して
いる。一方で、差異が確認できる項目には,それぞれのコーパスが持つ特殊性を確認す
ることができる。さらに、日本語教育コロケーション辞書を目指し、学習者に提供でき
る様々な情報について議論する。例えば、学習困難コロケーション(予想しにくいコロケ
ーション)、意味マップの表示、ジャンルごとの情報、特殊な用法などである。最後に、
研究結果を教科書におけるコロケーションと比較しつつ、コロケーションの実習的な研
究および体系的な扱いの重要性を述べる。紹介したコーパスとツール、コロケーション
リソース、分析方法と結果がコーパスに基づいた日本語教育用教材・シラバス作成のた
めに資することが期待できる。
3.日本語学習支援のための学習者コーパス構築:「なたね」と「ナツメグ」
仁科喜久子(東京工業大学)
ホドシチェク・ボル(国立国語研究所)
ひのきプロジェクト (http://hinoki-project.org) は日本語学習者向けのコンピュータ支援
言語学習システムの研究と開発を目指したもので、2007 年に日本語共起語検索システム
「なつめ」を、2012 年からは日本語学習者作文コーパス「なたね」と日本語作文推敲支
援システム「ナツメグ」を、開発してきた。
「なつめ」は「現代日本語書き言葉均衡コーパス」をはじめとする日本語コーパスを
利用して、学習者が求めている語の表現の使い分けなどの情報を提示することで、学習
者が自ら考えていた表現の誤りを訂正し、さらに適切な表現を見出せるようになった。
しかし、「なつめ」が提供する機能だけでは、学習者が自覚しない誤りの修正はできな
い。そこで、「ナツメグ」では、誤用を自動的に検出し、修正を促すことで学習者の不
適切な表現を改善するための仕組みを取り入れている。現時点では、学習者の作文の目
的として論文やレポートを書くことを想定しており、科学技術論文、白書など比較的硬
い文章のレジスターを準正用データ、話しことば的な表現を含む比較的くだけた文章の
レジスターを準誤用データとして、両者の間で統計的処理を行うことによって誤りの可
能性を指摘するものである。
この「ナツメグ」の学習効果を検証するために、2014 年 1 月に学習者実験を行った。
実験協力者は中国語、韓国語、スロベニア語を母語とする大学生及び大学院生 38 名で
ある。実験は Web 上で与えられた 4 課題について 400 字以上の文章を記述した後、「ナ
ツメグ」が示す誤りの指摘を参考にして、修正した結果を再投稿するという内容であ
る。この実験で得た修正前後の文章を比較・分析した結果を報告するとともに、「なた
ね」に付与した誤用タグ(「誤用の対象」「誤用内容」「誤用の要因・背景」という 3
つの視点からなる誤用の種目を階層化したもの)の今後の活用について検討する。
4.学習者が辞書編集者になる─語彙学習のためのコーパス分析
クリスティーナ・フメリャク寒川(リュブリャーナ大学)
非漢字圏の日本語学習者にとって、語彙の習得は非常に困難な課題である。多くの学
習者は日本語の語彙数の膨大さを意識し、数多くの単語を早く記憶できるよう、学習ス
トラテジーを獲得し語彙学習に励む。しかし、言葉で伝えたい内容を表すために必要
な、それぞれの単語の用法も理解し記憶しなければならないということに気づいておら
ず、体系的な語彙知識を欠いている学習者もいる。これは、日本語学習の初級段階では
単純な日本語と母語の対応語彙リストを使用し、そこで習った日本語の単語が母語のそ
れぞれの用法と完全に一致しているという誤解から生まれることもある。
そこで、日本語の語彙の意味、構文的特徴、位相の知識を深め、その用法の幅を認
識、理解し、翻訳の際に対応語の選択にかかわる複数の要因も認識できるよう、語彙学
4
習用のタスクを開発した。このタスクでは、日本語の単語の辞書記述をもとに、学習者
自身が日本語のモノリンガルコーパスと日本語・スロベニア語のパラレルコーパスを活
用し、それぞれの用法を観察、分析し記述することによって語彙の理解を深めることが
できる。本発表ではこのタスクを紹介する。
パネル「書物とことばの仏教文化史―唱導・説教の地平から―」
オーガナイザー: 近本謙介(筑波大学)
前近代の日本における仏教文化史を文献学的に把握する際の基盤となる寺院聖教調査
は、近年飛躍的な進展を見せており、コーディネーターが共同研究で取り組んできたい
くつかの寺院調査においても多くの発見があった。
これまでに、それらの共同研究の成果報告の場のひとつとして、研究集会「前近代の日
本におけるあらたな法会・儀礼学の構築をめざして―ことば・ほとけ・図像の交響―」
〔Words, Deities, Icons: Exploring Ritual Performance in Pre-modern Japan〕(CSJR Summer
International Workshop 2011 2011.5.12~13 於ロンドン大学 SOAS)を開催した。この
ワークショップでは、唱導といったことばの領域、仏像彫刻や寺院空間の領域、図像や
絵画の領域などから多面的に分析を加えることにより、あらたな法会・儀礼学の構築を
めざした。続いて、研究集会「日本仏教研究の領域複合的解明の試み―宗派性の超克
―」〔Beyond Sectarianism – New Horizons for Interdisciplinary Studies in Japanese
Buddhism〕(Harvard University International Symposium 2012.5.17~18 於ハーバード大
学)では、日本仏教を宗派性によって捉えることの問題点や限界を問題意識として共有
した上で、それらを超えたところにいかなるあらたな仏教研究が立ち現れるのかについ
て、それぞれの研究者が報告を行った。これらは、法会・儀礼という枠組みと、宗派・
信仰という宗教的内面の双方からあらたな仏教研究の方向性を模索する試みであった。
さらに、中世の寺院文庫の姿をとどめる大須観音真福寺宝生院文庫については、パネリ
スト阿部泰郎が中心となり、共同研究の成果を『大須観音展』(2012.12.1~2113.1.14
於名古屋市博物館)によって発表した。
本パネルは、上記のようなこれまでの共同研究の経緯の延長線上に企画するものであ
り、前近代の仏教について考えるさまざまな視点のうち、唱導・説教の領域に焦点を定
める。唱導・説教は、法会・儀礼の場をことばによってかたちづくる重要な役割を担っ
ている。また、唱導師・説教師によって語られることばの領域は、話芸としての宗教芸
能の側面を顕在化させるものでもある。唱導・説教やそれを担う唱導師・説教師につい
て考えることは、法会・儀礼をことばの文化史の領域から把握する上で必須の作業であ
ると言える。さらに、唱導・説教の内容が記しとどめられた書物の文化史に関する研究
は、その書写や伝播の動態を探ることで、法会・儀礼の綜合的把握に資するものであ
る。
今回のパネルにおいては、唱導の流派の特色や交流の問題について着目し、東アジア
における敦煌の唱導文献、スロヴェニアその他の欧州の説教のあり方をも併せ考えるこ
とで、唱導・説教の世界に深く分け入ってみたい。
パネリスト:
1.中世日本の唱導における書物とことば-説経師の宗教テクスト生成
阿部 泰郎(名古屋大学)
伝統的に、仏教における「唱導」とは「説経」のことであった。つまり聖典としての
スートラ;経の音声化である。それは「仏説」としてブツダ;仏陀の金口から発する獅子
吼を仏滅後の世間に響かせる務めを負う。そのために声によって弁舌を駆使し、衆生に
ダルマ;法を説く「説法」として示されることが求められた。中国と朝鮮から古代日本に
伝来した仏教の教理を、天皇から民衆に至るまで宣説布教する役割を担ったのが説経師
である。その活動の黄金時代は平安時代末期(12 世紀)であった。説経師の一人により
5
書き遺された『転法輪秘伝』からは、彼らの経験から導き出された説経の方法論と、声
による芸能としての自覚が見てとれる。中世社会で、口頭詞章による声技(ワザ)にもっ
ぱら依存した説経師は、同時にこの時代に、説法を書記化しテクストとして遺す、とい
う課題(要請)にも直面していたのである。その画期を成したのが、12 世紀から 13 世
紀にかけて活躍した偉大な説経師、安居院澄憲(1126-1203)であった。彼は自ら「説
法詞」を記録することにより唱導を「道」として立ち上げた。それを継承した実子聖覚
(1167-1235)による類聚・編纂物としての『転法輪鈔』や『言泉集』により、唱導が
象った中世日本の世界体系を知ることができる。
一方、金沢文庫本『言泉集』には、澄憲の一世代前に活動した伝説的な説経師忠胤の
説法詞が含まれており、安居院によるテクスト化以前の希有な説経師の語りの面影を窺
うことができる。彼の説法は、同時代の歌人西行の『聞書集』「地獄絵を見て」の中で
も活写されており、和歌と共に堕地獄の絵解きの説法を表情豊かに演じた姿があざやか
にうかびあがる。
そうした日本中世の説経師による生きた唱導のことばと、敦煌文献から復原される中
国の唱導および西欧キリスト教の説教を記録したテクストが示すであろう普遍性に、今
回はあらためて注目したい。
2.敦煌本『茶酒論』と法会における滑稽戯
荒見泰史(広島大学)
『茶酒論』は、敦煌文献中に発見された対話体の諧謔小説の一種である。その内容
は、茶と酒とがどちらが優れているかを言い争い最後に水が登場して仲裁するという擬
人法を用いたストーリーで、茶と酒がどれだけ優れていようが水がなければ始まらない
という下げのある滑稽戯的な展開となっている。この『茶酒論』は、敦煌文献後の早い
時期にすでに注目を集め、『敦煌変文集』にも収録されて講唱文学の一種として扱われ
てきた。しかし、そのテキストが寺院文書の中に見つかったものの、『茶酒論』の講唱
文芸における用途、特に仏教儀礼との関係などは明らかにされたわけではない。
この『茶酒論』に対するこれまでの研究で、日本に現存する『酒茶論』、『酒飯
論』、『酒餅論』などとの類似性が指摘されてきたが、中でも『酒飯論絵巻』に見られ
る念仏宗を酒好きの造酒正糟朝臣長持に比し、法華宗を飯好きの飯室律師好飯に比し、
天台宗を仲裁する中左衛門大夫中原仲成に比する点はたいへん示唆に富むものである。
これらの日本現存文献と敦煌発見の『茶酒論』との継承関係などが明らかにされている
訳ではなく類似性による推測にすぎないが、このような観点から見ると敦煌本『茶酒
論』の中において茶が仏家に重んじられることを述べ、酒が仙人に重んじられることを
述べ、作品の著者が儒者であることを述べている点からこの作品が儒仏道三教の論争を
滑稽に表現したものと推測することができそうである。
そのような見方により、唐代の三教論義を改めて調査すると、確かに三教論義の後に
行われていた俳優による参軍戯(散楽、滑稽戯の一種)が存在していたことが分かる。
とくに『唐闕史』「李可及戲三教」等にはその参軍戯で語られた内容の一部が記録され
ており、そこに『茶酒論』との間に接点を見出すことができる。これを総じて考える
に、『茶酒論』は、変文資料などとともに 10 世紀敦煌において法会において演じられ
ていた散学の台本の一種であった可能性を指摘できるのである。
従来、敦煌文献によって 9、10 世紀の仏教儀礼と文学の関係が論じられる時、日本の
後代の延年に見られるような法会に付随する散学などの芸能について論じられることは
なかったが、このような視点により改めて敦煌資料を検討すると、唱経題目や対話体小
説とされてきた資料には日本の開口、連事、風流といった延年資料と似た文献も見ら
れ、確かに類似する資料が多く見られており、この『茶酒論』はそうした資料の代表的
なものであると位置づけることができる。今後、こうした敦煌資料と日本の資料との比
較と補完により、当時の法会と文学、芸能の関係をより詳細に説明することができるよ
うになるのではないかと期待するところである。
6
3.バロック時代におけるスロベニア語の説教―宗教的演説と文学的特徴の統合
Matija OGRIN(スロベニア芸術科学アカデミー研究所)
バロック時代(17-18 世紀)におけるスロベニア語の説教は、ヨーロッパにおける同
時代のカトリック説教の基本的な特徴・種類・形式をよく示している。説教とは、一方
では訓戒(つまり、宗教上の演説)であり、他方では修辞的・文学的作品(つまり、修
辞的散文)である。本発表では、バロック時代におけるスロベニア語の説教をいくつか
取り上げ、宗教的・修辞的(文学的)両側面からその基本的な特徴の概略を述べること
を試みる。
宗教的な観点から考えると、説教とは、神のことばの解釈(特に、福音書におけるイ
エス・キリストの教えの解釈)である。キリスト教における初期の数世紀から、宗教上
の解釈としての説教は複数の側面を持っている。これらの側面はギリシャ語では、ケリ
ュグマ(キリストの教えを宣布すること)、パラクリシス(説諭・慰め)、アナムネシ
ス(キリストの言動や殉教者・聖人のことを想起すること)、ソフィア(知恵・瞑想)
などという表現で表されている。
文学的な観点から考えると、説教は、構想・構成(ラテン語ではディスポスィティ
オ)と、文学的な文彩・形式(ラテン語ではオルナトゥス)、例えば、反復・直喩・隠
喩・寓話・道徳的逸話などで分類できる。
バロック時代に活躍した複数のスロベニアの伝道者による説教には、このような美学
的な特徴が見出せる。その中でも、教団(特に、カプチン会、フランシスコ会、イエズ
ス会)の修道士が、重要な役割を果たしていた。これらの修道士は、それぞれの教団の
独特な信仰によって、多様な説教の種類や形式を実現していた。本発表では、簡略かつ
暫定的にはなるが、それらのうちの顕著な用例に限定して発表する。バロック時代以後
のスロベニア語の説教(ヨーロッパ各国語の場合も同様)は、これらバロック時代の修
辞的散文作品ほどの、高度に文学的・美学的な域に再び到達することはできなかった。
ディスカッサント:
Michael JAMENTZ(京都大学)
Aleksander BJELČEVIČ(リュブリャーナ大学)
セッション 2.言語・文化教育研究分野/近現代文化研究分野
パネル「21 世紀型国際協働教育プログラム
-文化多様性を支える異文化間対話-」
オーガナイザー:沼田善子(筑波大学)
地球温暖化、生物多様性喪失、国際紛争、テロリズム、貧困と飢餓等々、今日の世界
的課題に対して、私たちは国、地域、民族を超えた「地球市民」として問題解決に取り
組む必要がある。さまざまな文化背景を持つ者たちが、互いの歴史、文化、価値観を認
識・尊重し、互いの違いを踏まえた上で「共生」を実現するために、とりわけ、若い世
代の教育が重要となる。一方、欧州に続き成熟社会を迎えた日本は、欧州と共通する多
くの課題に直面している。
こうした状況の中、互いに共通する課題解決に向けた欧州と日本の大学間の研究、教
育の連携は、近年、益々その必要性、有効性が認識され、大学間の様々な連携プログラ
ムが試みられている。
本セッションでは、リュブリャーナ大学が日本の大学と連携して実施する(1)「異文化
体験実習」(東北福祉大学・筑波大学・群馬大学・西九州大学)(2)「日本語教育実習」
(日本女子大学・東京外国語大学・筑波大学)(3)「協働教育履修証明プログラム」(筑
波大学)を中心に、学部および大学院レベルの種々のプログラムの現状と課題につい
て、リュブリャーナ大学と日本の大学の双方の視点から紹介する。具体的な実践例を通
7
して、異文化間の相互理解を元に「共生」の道を探る 21 世紀型の国際協働教育プログ
ラムが持つ可能性と克服すべき課題について、深く掘り下げた討議を行いたい。
パネリスト:
1. リュブリャーナ大学・日本研究における取り組み
重盛千香子(リュブリャーナ大学)
リュブリャーナ大学文学部の日本研究は、学科設立の 1995 年から 20 年目を迎える。日本
の交流校との協力で、次の 3 つの形の実習や協働教育が、はじめの二つは設立当初から、三
つ目は 2011/12 年度から、学部生や、一部は院生も交えて行われている。これら教育プログ
ラムの成果、時代を追った変遷、今までの反省・問題点を紹介し、言語・文化教育における
異文化間の相互理解の今後を展望する。
(1)「異文化体験実習」
(期間は約 1 か月)
学科設立当時は、東北福祉大学との交流の一環として、毎年 11 月に 3〜5 人の短期留学生
を受け入れていた。このような「異文化体験」は日本の大学生にとって大変有意義であると
いう意見が複数の交流校から聞かれるようになり、2011 年からは毎年 3 月に時期を決め、参
加校の数を増やして次第にプログラムを確立している。各交流校から学部生が参加、異文
化・異言語を知り、授業、施設見学、旅行、自由時間を通してスロヴェニアの学生と交流す
る。
(2)「日本語教育実習」
(2〜3 週間)
日本語教育実習も、学科設立当時から次第に参加校が多くなり、現在は年に 2〜3 回行って
いる。日本語教育は、アジアの国々では大変盛んだが、いわゆる非漢字圏の小国における日
本語教育では、学習希望者の背景や知識も違う。おもに直接法で日本語を教え、学習者の反
応を通して中欧の文化を知ることは貴重な経験になる。
(3)「協働教育履修証明プログラム」
当学からは、筑波大学 TRANS プログラム(平成 23〜27 年)の学士課程 JLCC プログラムと
博士課程 COMPAS プログラムに参加している。学士課程では、すでに 4 代目の共同研究が進
行中で、両国学生ペアの一年間にわたる研究や、学外インターンシップ、他国の学生ととも
に参加する講義や実習は、学生にとって貴重な体験である。また、博士課程では 3 か月の集
中講義と各国から集まる学生との交流が学生間のネットワーク構築にも役に立っているよう
だ。
2.立教大学異文化コミュニケーション学部の挑戦
池田伸子(立教大学)
世界のボーダレス化、グローバル化が進んだことで、人や文化の移動、交流、混淆は
日常的かつ地球規模のものとなり、それに伴って人と人、組織と組織、地域と地域、さ
らには人と自然環境との関係の在り方にも大きな変化が起こりつつある。この激しく変
化を続ける世界で、多様で「異なる」他者の考えや立場を理解し、彼らとの相互作用に
よって豊かな社会を築いていくために必要とされるのは、言語と文化と自然をつなぐ、
新たな異文化コミュニケーション学の構築である。
立教大学異文化コミュニケーション学部では、そのような現代的ニーズにコミュニケ
ーションの視点から取り組み、多民族、多文化、多言語共生の実現、さらにはその持続
可能性に関する考察の枠組みを提供するために、伝統的な学問体系を「コミュニケーシ
ョン」を軸に再構築し、人文学的手法と社会科学的手法を融合させた新たな異文化コミ
ュニケーション学の構築を目指している。「言語学」、「コミュニケーション学」を理
論的基礎とし、その2つを異文化コミュニケーション学という枠組みで繋ぐ支柱として
「グローバル・スタディーズ」(現在社会が直面する地球規模の諸問題に対して文化人
類学の視点や切り口を用いてアプローチしていく学問領域である)を置き、「コミュニ
ケーション・言語・異文化」への取り組みを進めている。
そして、「英語+1。共生、多文化理解のための複数言語の外国語能力の養成」、「自
己表現、論理的思考力の基礎、継承語、生活言語としての日本語」、「複言語・複文化
能力の養成」、「自然をも含む多様な他者との共生を軸とした国際協力」という4つの
柱で構成される学部における研究・教育を通して、複数の視点からものごとを考え、柔
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軟な思考力をもって実践的に問題に向かい合うことによって、多様で「異なる」他者と
共生し、持続可能な未来を創ることのできる人材の育成を目指している。
今回は、これまで異文化コミュニケーション学部が取り組んできたいくつかの活動を
紹介するとともに、その成果と今後の課題について述べたい。
ディスカッサント:
アルド・トッリーニ(ヴェネツィア・カ・フォスカリ大学)
マーク・ハドソン(西九州大学)
パネル「近・現代文学の生成と翻訳・翻案」
オーガナイザー: 平石典子(筑波大学)
文学作品が時間や空間を超えて読み継がれる際、さまざまなレベルでテクストの移動/
異同が起こること、そしてその流通の鍵となるのが「翻訳」― translation の語源は trans
=横切る +lātus=もたらされる、でまさに「移動」を意味するものだが―であること
は、言を俟たないだろう。現在、文学研究の場で問題にされることの多い「世界文学」
を考える上でも、翻訳は重要なファクターだといえる。
近代以降の日本文化の問題を考察する本パネルでは、日本の文学をめぐる状況と翻訳
との関係を、ヨーロッパと日本の視点、近代と現代の視点を結ぶことによって明らかに
したい。
内容の面でも、形式の面でも、日本近代文学の生成に翻訳が深く関わっていること
は、これまでの研究が明らかにしてきたところである。パネルの前半では、その成果を
ふまえながら、当時のヨーロッパ文学の読者(そして翻訳者、紹介者)であった近代日
本の知識人たちが、「翻訳」や「翻案」という作業を通して何を日本文学にもたらした
のか、ということを、具体的なテクスト分析によって再検証する。また、ホルヘ・ルイ
ス・ボルヘスが「『千夜一夜』の翻訳者たち」(『永遠の歴史』1936 年)で明らかにし
たように、翻訳者はテクストに必ず自分と、翻訳が読まれる世界での価値観や効果を反
映させてきた。とすれば、差異や異同への着目や、翻訳を通した、文化の伝播の様相か
らも、当時の日本の知識人たちが「見ようとした」ヨーロッパの姿と、それが日本に根
付いた時の変容が明らかになるだろう。
一方、現代においては、翻訳をめぐる状況はより複雑である。グローバリゼーション
が叫ばれ、世界の情報が瞬時にインターネットを駆け巡る中、欧米だけではない「世
界」の文学が日本語に翻訳される一方、日本の文学作品が外国語に翻訳される機会も増
えてきた。こうした状況の中で、「世界文学」への関心も高まってきたといえる。そし
て、Franco Moretti が Distant Reading を唱えたように、ひとりの人間が「世界」の文学を
読もうとする場合、必ずといってよいほど介在するようになったのが「翻訳」であるこ
とも重要だろう。本パネルでは、ヨーロッパ各地で実際に文学作品の翻訳に携わる立場
から見える、作品の選定から用語の選択などに関わる問題点の指摘なども含め、現代の
翻訳が文学や文化をどのような方向に動かしているのか、という問題に幅広い視点から
切り込みたい。
パネリスト:
1.明治期翻訳にみられた特色を再考する
加藤百合(筑波大学)
1885 年坪内逍遙が『小説神髄』という近代文学のマニフェストを書き、西洋に範をと
り、写実による小説(ノヴェル)が書かれるべきであると述べた。それ以後、日本の文
学者たちは新しい文学の形式と内容を西洋文学から学ぼうとし、文学的トレーニングと
して翻訳を積極的に行った。明治時代(19 世紀末まで)の文藝翻訳は、翻訳を専門とす
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る職業的翻訳家ではなく、日本語による近代小説を書くことをめざした青年文学者たち
によって成されたところに特色がある。
そのひとりであった内田魯庵(1868-1929)がみずからの文藝翻訳の目的を「原作の
もつイムプレッションを翻訳を読む読者に伝えること」と表現したことからも理解でき
るように、その場合翻訳者は次のようなふたつの役割をになっていた。
1)広く世界の文学を渉猟し、その中から、翻訳することが日本の文学に益すると思わ
れる文学作品を発見する。
2)日本の読者層が、彼らの見出した「感動(イムプレッション)」を翻訳作品を読ん
でうけとれるように日本文学として再創造する。
すなわち、感動できる作品を外国文学から発見するよき読者としての資質と、日本読
者が感動できる形で発信するよき作家としての資質と、翻訳者にそのどちらもが備わっ
ていなくては、原作の感動を伝えることはできないということである。
シェイクスピア作品の翻訳を例として考えてみよう。シェイクスピア作品の中では早
い時期に『ロミオとジュリエット』が翻訳されたが、これは、情話(恋愛物語)という
日本の読者が読み慣れたジャンルの文学として作品を再創造することが比較的容易だっ
たからだと考えられる。しかし、その翻訳は、現代の考え方で言えば、翻訳というより
翻案に近い。二種類の翻訳があるが、いずれの場合も春、情、など、伝統的に恋愛物語
の題名に用いられたことばによる題名が新たに作り出された(『花月情話』(1884)
『春情浮世之夢』(1885))。また、どちらの翻訳者も、情景描写を冒頭に加え、主人
公の科白から成る戯曲に、地の文を加えている。ジュリエットの容姿も伝統的な美女に
与えられる形容で書き込まれた。すなわち、文学として日本の読者に読まれ感動を与え
るためには、必然的に多くのアダプテーション(翻案作業)が加えられたのである。
2.翻訳の力――日本近代文学における「キス」表象
平石典子(筑波大学)
翻訳や翻案が文学や文化を変貌させた例として、本発表では、明治時代の文学におけ
る「キス」の表象を取り上げてみたい。
愛情表現としてのキスは存在したものの、それを意味していた「口吸い」「口寄せ」
といった言葉が、前近代文学の中に殆ど登場しないのは、それが性行為の一種と位置づ
けられていたからだろう。江戸文芸においても、「口吸い」は山東京伝の『小紋雅話』
(1790 年)のような滑稽図案集や、春画が取り上げる題材でしかなかったのである。
明治において、文学を通して西洋の「恋愛」理念が広まる中で、「キス」も問題とな
った。日本の文学者は、西洋風の「恋愛」を日本に紹介するにあたって、精神的な側面
を強調し、肉体的な側面を排除しようとしたが、西洋文学の中には、キスの描写が氾濫
していたのである。時代は明治になったとはいえ、習俗はそう簡単に変わらない。1871
年に洋行した西園寺公望が、船上でのキスの光景を「日本人より見レバ堪へざる事」と
断罪したのも無理はない。
ここに切り込み、事態を劇的に変えたのは、西洋文学の翻訳だった。聖書の訳語とし
て幕末から見られるようになった「接吻」という言葉は、翻訳という作業を通して、
1890 年前後から盛んに使われるようになる。尾崎紅葉が『風流京人形』(1889 年)の
中で訳出したバイロンの詩のキスシーンは、「野卑猥雑」とされたが、翻訳者たちは、
「接吻」「キツス」「くちづけ」といった言葉とともに、その行為が必ずしも性的な意
味を持たないことを強調したのである。西園寺が断罪した「口吸い」は、異なる言葉を
与えられることによって、異なる文脈で読み解かれるようになるのだ。本発表では、翻
訳者の手によって、時には原作よりも清純な形で紹介された「キス」の事例を分析しな
がら、「キス」が明治の文学と文化の中で、精神性を重んじた「純潔高尚な恋愛」の象
徴として、読み替えられていくさまを追い、文学や文化の形成における、翻訳や翻案の
力を考えたい。
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3.作品選定基準の必然性
イストック・イルツ(翻訳家)
文学作品は、直接翻訳することは不可能である。従って、既に翻訳されたものを媒介
として、原文テクストを翻訳しなければならない。これは許容もでき、かつ妥当でもあ
るが、起点文化に関する表現にいくつかの結果をもたらす。
従来スロベニアでは、英語が最も一般的な媒介言語だったため、必然的に英語に訳さ
れた作品から作品が選ばれて翻訳された。さらにこれは、主にアメリカの出版社による
判断や文化的表現における策略とも関連している。アメリカの出版社は英語における日
本小説の選定基準を定めているが、この基準は代表的ではないだけでなく、第二次世界
大戦以降 40 年にわたる読者の要求を方向付けることになった明確なステレオタイプに
基づいている。更に、この文化的ステレオタイプは、同時期、日本の小説が英語を介し
てヨーロッパ諸言語に翻訳されたことから、アメリカからヨーロッパの国々にも拡張し
た。この現象はスロベニアにおいても顕著である。スロベニアでは、1960〜80 年代にか
けて最も多く媒介言語を通して翻訳されたのは三島由紀夫および川端康成であり、演劇
作品に限定すれば、 翻訳されたのは、三島による『サド侯爵夫人』と『近代能楽集』の
みである 。
本発表では、著者に関してできあがったこのような鋳型を崩すには非常に時間を要す
ることを論じる。また、出来上がった権威依存的な作品群は、単に翻訳者不足に起因す
るだけではなく、出版社の策略や翻訳助成金制度にも影響を受けている ことを論ずる。
4.日本文学翻訳における文化特殊用語とオノマトペについて
アンカ・フォクシェネアヌ(ブカレスト大学)
本発表では翻訳時に生じる日本文化特殊用語とオノマトペについての一考察を述べた
い。
日本文学作品には文化的な特殊用語、例えば「芸者」、「侍」、「畳」、「サクラ」、
「豆腐」、近年では「オタク」、「アニメ」などが数多く現れる。日本文学を翻訳する
際、このような言葉はどのように翻訳されるのだろうか。
場合によっては全く翻訳されず、無視される。またターゲット言語の文法・表記に従
い、外来語として翻訳文に挿入されることも散見される。が、最も多くのケースでは、
このような言葉の属性は非常にあいまいである ―― イタリック体のローマ字表記がその
まま挿入され(例 “tatami”) 、ターゲット言語の文法マークがある種の強引さをもって
加えられる(例えば定冠詞など)。意味は大抵注釈などで説明される。ターゲット言語
におけるこのような言葉の形式と意味を詳しく分析する。
同様に翻訳の際に問題となりえるもう一つのカテゴリーはオノマトペである。日本文
学で豊かに使用されるが、欧州言語には数少ない。殆どの場合、欧州言語には置き換え
る言葉がない状態である。
分析のデータとして日本文学の英語・フランス語・ルーマニア語訳を用いる。
ディスカッサント:
アンドレイ・ブラトニク(リュブリャーナ大学)
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セッション 3.言語研究分野
パネル「日本語における「とりたて詞」の成立と本質
-「まで」「も」「さえ」「すら」「だって」をめぐって-」
オーガナイザー:沼田善子(筑波大学)
本セッションでは、日本語の「とりたて詞」について、現代共通語研究、歴史的研
究、方言研究、他言語との対照および理論的研究の立場から総合的に議論し、日本語の
「とりたて詞」の本質とその特徴について議論する。
現代日本語は、英語等に比べ、とりたてを明示的に示す形式が豊富であり、これら諸
形式は、話し手の主観的な状況把握、事態認識の様々な有り様を分担して表し、互いに
一つの体系を成している。具体的には、話者が当該事象に対し、これと範列的に対立す
る他事象を否定する他者否定系と他事象を肯定する他者肯定系に二大分され、これらは
さらに、当該事象、他事象の肯定・否定に話者の想定や評価が加わらないもの「断定
類」と加わるもの「単純想定類」「評価想定類」に分けられる。
このうち、本セッションでは特に他者肯定系想定類の「まで」「も」「さえ」「す
ら」「だって」および古語の「だに」「さへ」等を取り上げる。これらの語について、
現代共通語での諸特徴を確認した後、とりたて機能を有するに至る変遷過程を通時的資
料および方言から考え、同時に、方言における種々の変異形の存在や用法の制限につい
ても押さえる。加えて、これらの語に対応するドイツ語等、他言語との対照を行い、さ
らに、これらの語の統語論的、意味論的諸特徴を形式意味論の観点から分析する。
以上の議論を通し、日本語のとりたての成立過程と本質、その特徴の一端を明らかに
したい。
パネリスト:
1.友定賢治(県立広島大学)
2.森 芳樹(東京大学)
3.橋本修(筑波大学)
ディスカッサント:
矢澤真人(筑波大学)
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