はしがき

はしがき
本書の目的は、アセット・ファイナンス(asset finance)の意義を経営管理
の視点から明らかにすることにある。したがって本書の主題は、アセット・フ
ァイナンスの方法や技術ではなく、アセット・ファイナンスの目的と効果を考
えることである。
アセット・ファイナンスとは
アセット・ファイナンスはコーポレート・ファイナンス(corporate finance)
の対義語だ。それぞれ、資産金融、企業金融と訳される。コーポレート・ファ
イナンスは従来型の企業貸し付けであり、企業の全保有資産を引き当てにする
融資である。経営者による保証が入っていれば、個人財産も対象となる。コー
ポレート・ファイナンスは返済原資を広く確保するためには都合のよい方法だ
が、関連資産の全てを引き当てにするがゆえの窮屈さがある。貸し手は借り手
の全資産の動向に目を配り、適時に適切な措置をとらなければならない。した
がって、借り手もその影響を受ける。
....................
アセット・ファイナンスとは、特定の資産のみに依拠して資金の融通を行な
.
うことであり、コーポレート・ファイナンスの「全」の呪縛を解こうとするも
のだ。
アセット・ファイナンスの主な対象は、金融機関であればローン債権やリー
ス債権、事業法人であれば不動産や売掛債権などである。もちろんそれ以外の
資産でも、それ自体として独立の価値を持つものであればアセット・ファイナ
ンスの対象となる。
アセット・ファイナンスの代表的形態が、資産の証券化やノンリコース・フ
ァイナンス(責任財産限定特約付融資)である。しかし本書ではそれに限らず、
資産の単純売却やセール・アンド・リースバック(賃貸借条件付売買)もアセ
ット・ファイナンスの一形態と定義する。なぜなら、特定の資産のみに依拠し
て資金を獲得している点で、それらの間に差違はないからだ。
近年、さまざまな証券化手法やノンリコース・ローンが開発されて注目を集
めている。直接金融や市場型間接金融を促進するものとして、また企業の資金
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調達を多様化する手段として、さらなる発展が期待されている。しかし単純売
却やセール・アンド・リースバックも、本来、それらと同列の選択肢として検
討されなければならないものである。
本書のねらいと背景
市場経済が地球規模に拡大し、それととも金融資本市場の自由化・グローバ
ル化が進んでいくなかで、資産効率の向上と信用リスクの管理が、企業経営に
おける最重要課題となっている。多くの日本企業が過剰な債務を抱え、多くの
土地が日本企業によって保有されている。減損会計の導入や経営効率化の流れ
のなかで、土地の戦略的活用や処分は、日本企業にとって重要な課題であると
ともに有効な手段でもある。財務管理は、必要資金を低コストで調達するとい
う次元を超えて、資産と負債の総合的管理の視点から、今や経営戦略の一環と
して取り組まなければならない課題となっている。
他方で、これまで産業資金の中心的供給者であった銀行は、護送船団方式の
廃止、不良債権の最終処理、自己資本規制、ペイオフ解禁など未曾有の荒波に
さらされている。銀行はこれらを乗り切るために、融資条件の決定において企
業信用リスクに対する感応度を高めるとともに、貸し出し資産の圧縮も視野に
入れながら収益性と効率性とを厳しく追求しようとしている。
このような企業と銀行に関する2つの流れの交点に登場したのが、アセッ
ト・ファイナンスである。本書は、アセット・ファイナンスの意義と留意すべ
きポイントを、企業財務の基礎理論を踏まえながらわかりやすく解説する。ス
トラクチャード・ファイナンス(仕組み金融)や不動産証券化の切り口からア
セット・ファイナンスに触れた書物はあるが、その大半が国内外の制度解説や
商品の仕組みの紹介を中心とするもので、資金調達者としての事業法人の立場
からアセット・ファイナンスの目的や機能を詳しく検討するものは、ほとんど
見当たらない。本書は、土地と企業信用リスクをいかにマネジメントしていく
かという視点からアセット・ファイナンスを検討するものである。
アセット・ファイナンスの対象資産は、ローン債権や売掛債権など多岐にわ
たる。しかし本書では、対象資産を土地・不動産に絞って議論を進めていく。
なぜなら事業法人の立場からアセット・ファイナンスを考えることが本書の目
的であり、事業法人の保有資産のなかで大きなウェートを占め、かつその処分
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や活用が喫緊の課題となっているのが土地・不動産であるからだ。
筆者はアセット・ファイナンスの現場にいて、アセット・ファイナンスを等
身大で理解してもらうことがいかに大切かを痛感してきた。証券化を錬金術や
魔法の杖のように考える過大な期待がある一方で、左前になった企業がやむを
えず使う窮余の一策といった過小な評価もある。
特に特別目的会社とノンリコース・ファイナンスを組み合わせた手法は、い
ろいろと応用が効く便利なものだが、薬に副作用があるように、その効能・作
用は、全てが企業にとって望ましいものばかりではない。症状、体力、体質な
どを総合的に診断したうえで、明確な(治療)目的を持ち、単純売却やセー
ル・アンド・リースバックも含めて最適な方法を選択することがアセット・フ
ァイナンスの活用を成功に導く鍵である。
大切なのは、アセット・ファイナンスを何のために行ない、アセット・ファ
イナンスによって何ができて何ができないかを知ることである。それさえはっ
きりすれば、いかに行なうべきかは自ずと明らかになる。
本書の分析と検討を通じて得られた結論を、誤解を恐れずあえて要約すると、
以下のとおりである。
¡金利は企業信用リスクに比例して上昇する。
¡デフォルト・リスクと回収リスクの双方に目を向けよう。
¡事業会社は投資ポートフォリオを組んではならない。
¡得よりも損を取り戻そうとするときの方が危険を冒しやすい【reflection
effect】。
¡自分のものを手放すのは取得するときよりも難しい【endowment effect】。
¡中途半端な資産の流動化はかえって財務体質を悪化させることがある。
¡財務諸表のうわべではなく、資産効率と信用リスクの実質に着目しよう。
もちろん、以上の主張の背景にはいくつかの前提や理論があり、その真意を
知るにはこの拙文を読んでいただくしかない。
本書は、事業法人の経営者や経営企画部のビジネスマンなど、企業の信用リ
スク・マネジメントや資産管理に取り組む人の立場から記述している。金融・
不動産関係者にとっても、取引先事業法人のニーズを深く理解したうえでアセ
ット・ファイナンスに取り組むことが重要であり、本書がその一助となれば幸
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いである。
またアセット・ファイナンスへの興味をきっかけに初めてファイナンスを学
ぶ方のために、財務理論の基礎をやさしく解説し、その本質的な理解のもとで
アセット・ファイナンスを位置づけられるようにすることも、本書のねらいの
1つである。
財務理論とアセット・ファイナンスの関係は、住宅(設計)とリフォームの
関係に似ている。もし住宅のリフォームを行なう者が住宅の構造設計に関する
基本的理解を欠いていたら、どうなるだろうか。外観上は美しい住宅に仕上が
ったとしても、もしそのために構造的に重要な柱や壁を抜いてしまったら、そ
の住宅は耐震性の低い危険なものになってしまう。アセット・ファイナンスも
同じである。企業(信用リスク)の構造設計ともいうべき財務理論の基本を理
解しないままアセット・ファイナンスを実施したことにより、うわべでは改善
されたかに見えた財務体質が、実はそれ以前よりも危険なものに変わってしま
うということが起こりかねない。アセット・ファイナンスの実践には財務理論
による裏づけが必要だ。
本書の特徴と構成
以上のような背景から、本書は財務理論に関する「入門の入門」という要素
を持つこととなった。アセット・ファイナンスの本質を理解するためには、コ
ーポレート・ファイナンスのメカニズムである財務理論の基礎的理解が不可欠
と考えられるからだ。
財務理論(リスク概念、ポートフォリオ理論、MM理論など)は、経済学や
統計学で確立された方法論を基礎に発展したものであるために、直感的に理解
することが難しい議論も多い。そこでその紹介にあたっては、できるだけわか
りやすくなるように工夫したつもりである。本文中の数式は四則演算の範囲に
限定し、その代わり基本的な概念に関しては、図表を多用することで直感的な
理解や例示による確認ができるようにした。そして筆者自身の素朴な疑問を含
めて、できるだけ原点にまでさかのぼって考えることにより、予備知識のない
方にも容易に理解できるように努めた。
また、いま注目を集めている「行動ファイナンス」の成果から、アセット・
ファイナンスの実践と関係が深い部分を整理して紹介した。行動ファイナンス
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は、2002年のノーベル経済学賞の受賞者の1人であるダニエル・カーネマン教
授らによって導入されたファイナンス理論の新しい分野であり、従来の枠組み
に心理学のアプローチを加えることで投資家と市場の現実に迫ろうとするもの
である。行動ファイナンスの対象は幅広く、それだけにその全体像をつかむの
は容易ではない。だが本書では、議論の対象をアセット・ファイナンスに関係
するものに限定し、かつ重要概念の相互関係を示すことで、だいぶわかりやす
いものになったと思う。伝統的な財務管理の「論理」に「心理」の要素を付け
加えることによって、アセット・ファイナンスに関する課題を多少なりとも立
体的に浮かび上がらせることができたのではないかと考えている。
本書の構成は次のとおりである。
まず序章で、内外の経済・金融情勢の変化を概観し、日本企業が直面する課
題と本書で議論すべき対象とを確認する。そしてそれに続く3つの章で、アセ
ット・ファイナンスの検討において鍵となる企業財務の基礎理論を解説し、そ
の基本となる考え方を整理する。
第1章では、企業の融資債権者の立場から、企業信用リスクの意味を明らか
にする。第2章では、標準偏差リスクを中心とする伝統的な投資リスクに関す
る理論を解説するとともに行動ファイナンスの成果を紹介し、リスク概念の原
点に立ち返りながら、その再検討を行なう。第3章では、企業の融資債権者と
株主の立場とを総合的に考えるMM理論の考え方を概観した後で、事業法人に
おけるポートフォリオの意義を再考する。
後半の4つの章では、前半の3章による財務理論の基本的考え方を踏まえな
がらアセット・ファイナンスを多角的に分析し、土地と信用リスクをマネジメ
ントする際のアセット・ファイナンスの意義と作用を分析する。
第4章では、資産の保有と処分に関する心理的問題を行動ファイナンスの視
点から検討する。第5章では、最近の不動産証券化の動向を紹介しつつ、その
意義を考える。第6章では、セール・アンド・リースバックやSPCへの資産譲
渡などアセット・ファイナンスにかかる会計上の諸問題を検討する。最後の第
7章では、ノンリコース・ファイナンスの基本的効用を解説するとともに、ノ
ンリコース・ファイナンスを利用した際の企業信用リスクの変化をモデル分析
し、財務管理における意義と限界とを明らかにする。ノンリコース・ファイナ
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ンスを資金調達手段として活用する企業にとって、第7章は特に重要である。
第1章から第3章までは、第7章の理解のために用意したといっても過言では
ない。
なお専門的内容や細部にわたった議論を展開したパラグラフには、見出しの
前にN印をつけておいた。また複雑な数式表現や数学的証明は、章末の補説に
まとめた。これらを省略して読み進めても、本書で伝えたい内容は十分理解で
きるものと思う。ただし、第7章の補説4∼6は、ノンリコース・ファイナン
スの副作用というべき特質を証明する重要な部分なので、数式に明るい読者は
ぜひ参照されたい。
* * *
浅学非才の身を省みずこのような書物を著したのは、アセット・ファイナン
スの金融技術的側面や財務諸表を整える効果ばかりに目を向けるのではなく、
企業の経営管理や財務管理において、アセット・ファイナンスが本質的に果た
す役割やその利点、欠点を考えるきっかけになればと願ったからである。した
がって諸兄のご意見ご批判を賜ることができれば、筆者としてこれに勝る喜び
はない。
なお、本書の執筆にあたって参照した資料やデータは、全て一般に公開され
ているものである。また本書の分析や考察は全て筆者の個人的見解であり、所
属する企業とは無関係であることをあらかじめお断りしておきたい。
草稿を書き始めてから本書の出版まで、かれこれ2年以上の月日が流れた。
特に脱稿するまでの約1年間は、週末のほとんどを本書のために費やすことに
なった。家庭の諸事全般を妻に頼むことになり、ずいぶんと迷惑をかけた。こ
こに深く感謝するとともに、本書を妻と故郷の両親にささげることとしたい。
最後に私の原稿に興味を示し、今回出版の機会を与えていただいたダイヤモ
ンド社出版事業局第一編集部の今泉憲志氏、同じく黒木栄一氏に心から御礼申
し上げたい。
2003年5月
内藤 伸浩
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