第 4 章 AIDS(HIV 感染)予防策

第 4 章 AIDS(HIV 感染)予防策
Ⅰ. AIDS(HIV 感染)
1. 感染経路
2. 予防の原則
3. 検査の実際
4. 患者の診療および告知
5. 報告
6. 秘密保持
7. HIV 感染対策の基本
8. 隔離予防策を検討すべき臨床症状
1) ニューモシスチス肺炎(PCP)
2) 肺結核
3) 麻疹
4)下痢症状がある場合
9. 病院各部署での対策
1) 手術室の管理上の対策
2) 歯科系
3) 妊婦・新生児・小児の HIV
香川大学医学部附属病院感染制御部
平成 25 年 12 月 1 日
Ⅰ. AIDS(HIV 感染)
HIV(human immunodeficiency virus、ヒト免疫不全ウイルス)を病原体とする感染
の全経過を HIV 感染症と呼ぶ。この感染症は HIV 感染後まもなく一部の患者に急性期
症状を認めることもあるが、急性期症状の有無にかかわらず、これに続く無症状感染
から、さらに病期が進行して細胞性免疫能の低下を来たし、特異な日和見感染症を発
症したり、二次性悪性腫瘍の発生、あるいは神経障害を発現したりするなど、多彩な
様相を呈するものである。この感染症の本質は、HIV が CD4 陽性細胞(主としてリン
パ球)に感染し、免疫担当細胞の機能障害や破壊を来す結果、免疫不全に陥ることにあ
る。
AIDS(acquired immunodeficiency syndrome)は、HIV 感染症の経過の終末像で、日
和見感染症(ニューモシスチス肺炎、カンジダ症、サイトメガロウイルス感染症、トキ
ソプラズマ感染症など)や二次性日和見悪性腫瘍(カポジ肉腫、非ホジキンリンパ腫な
ど)あるいは神経障害(脊髄症や痴呆など)を伴う病態に相当する。
HIV 感染症の治療は、抗 HIV 薬の開発、そしてそれらの薬剤を用いた抗 HIV 療法
(ART:antiretroviral therapy)によって、大きな進歩を遂げた。また、ウイルスの増
殖と免疫細胞(CD4 陽性リンパ球)の破壊を抑制することにより、AIDS による死亡数と
AIDS 関連疾患の発現頻度は著しく減少した。現在使用可能な抗 HIV 薬は 20 種類を越
え、服薬が簡便な薬剤(1 日 1 回服用、少ない剤数、配合剤、食事の影響なし等)や耐性
ウイルスにも有効な新薬など、さまざまな改善が行われているが、いずれも HIV 複製
を抑制するものの HIV の排除は出来ない。他方で、早期(CD4>350/mm3)の治療開始
が予後の改善につながることから、近年になって治療は早期化・長期化している。ま
た新しいクラスの治療薬が ART に加わるなどして、最適と考えられる HIV 感染症の
治療の方針はいまだに年々変化しており、かつ流動的である。
1. 感染経路
HIV は HIV 感染者の血液、精液、膣分泌液、母乳、脳脊髄液などの体液の他、組
織や臓器に存在する。これらが健常者の粘膜や外傷のある皮膚等に直接接触する場合、
たとえば HIV 感染者との性的接触、特に男性同性愛行為の肛門性交、HIV 感染者の
母親と胎児の胎盤、産道接触、授乳あるいは輸血、血液製剤等の治療的使用により感
染する。血液や精液が粘膜ないし外傷のある皮膚等から直接進入しない限り HIV はほ
とんど伝播しない。
2. 予防の原則
1) 感染源を正しく取り扱う。
2) 抗 HIV 抗体陽性者とそれに接触する人および家族などに、感染経路などについ
て正しい指導をし、感染経路を遮断する。
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3. 検査の実施
医師が問診の結果等から HIV 検査の必要があると判断したときは、事前にその趣旨
を説明し、本人の同意を得た上で検査を行う。なお、意識を喪失した救急患者等のよ
うに同意が得られない場合には、医師の判断に置いて行うことも認められる。患者が
HIV 検査の実施について了解しない場合は、感染している可能性があることを前提と
して対応する。
4. 患者の診療および告知
1) 診療に関する相談は、HIV・AIDS 対策室で受け付けている。
2) 二次感染予防の観点から、本人に告知することを原則とする。ただし、告知は医
師が陽性者の心理状態等を充分配慮して慎重を期し、必要に応じて HIV・AIDS
対策室に相談する。また、抗 HIV 抗体陽性者の家族に対する告知は、陽性者本
人の承諾を得て行う。
3) 担当医は二次感染予防の観点から、日常生活での注意事項の徹底を図るとともに、
陽性者本人を通じて、性的接触者等が速やかに医療機関を受診し、相談、検査を
受けるように指導する。
5. 報告
診断の結果、「後天性免疫不全症候群」と診断した場合には、感染症法に基づく届
け出が必要となる。(診断後 1 週間以内に全例報告)
主治医は、「後天性免疫不全症候群発生届」に必要事項を記載する。届出は、感染
制御部感染対策室より所轄の保健所に送付する。
6. 秘密保持
患者およびその家族のプライバシーと人権を保護するとともに、他の入院および外
来患者への影響を考慮して、秘密保持には格別の配慮を払い、以下の点に留意する。
1) 抗体陽性者に対する指示、指導、連絡等は、医師が直接本人に伝える。抗体陽性
者本人以外からの電話等による、抗体陽性者に関する問い合わせには一切応じな
い。
2) 抗体陽性者の病状等に関わる証明書等の交付は、原則として抗体陽性者本人以外
の者に対しては行わない。
7. HIV 感染対策の基本
1) 一般的事項
HIV が通常の接触で感染伝播することはない。
よって HIV 自体の感染対策としては、標準予防策で十分である。
血液や髄液およびこれらを含んだ体液を介した感染が起こりえるが、その他
の患者由来検体(唾液、汗、非血性便など)での感染のリスクは極めて小さく、
入院患者間での通常の接触における HIV 感染リスクはないと考えてよい。
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„ 採血における感染対策
— 採血は、HIV への曝露事故が生じる可能性が最も高い医療行為である。採
血時の標準予防策の遵守は、HIV 感染対策において最も重要である。
„ 陽性患者の移動
— 検査、手術等の観血的処置を行う際には、必ず関係部局へ連絡する。
„ 療養環境
— 日常使用するもの(体温計・聴診器など)は、原則的に専用は不要
— 室内の清掃は、通常通りでよい。血液汚染がある場合は、0.5%次亜塩素酸
ナトリウム液で拭き取る。
— 通常の接触では感染しないため、隔離する必要はないが、患者のプライバ
シーや人権保護のために、個室が望ましい。
— 個室収容の適応
y 血液を介する感染のおそれがあるとき
y 消化器症状の悪化があるとき
y 意識障害、精神・神経系の症状出現時
y 白血球減少、免疫機能低下など易感染状態の進行
y 分娩患者の場合
„ リネン類
— 血液、分泌物、体液などの汚染がない場合は通常のリネンとして扱う。
— 血液などで汚染された場合は、感染性リネンとして扱う。
— 手術、検査で大量の血液・体液で汚染された場合はそのまま廃棄する。廃
棄の場合はビニール袋に入れ、感染性廃棄容器に廃棄処理する。
„ 食器類
— 原則的に区別する必要はない。
„ 器具・器材類
— HIV は消毒薬や熱に対する抵抗性が弱いため、B 型肝炎ウイルスに準じた
処理法がなされていれば問題ない。HIV 患者の血液が付着した器具などを
洗浄した廃液は、浄化槽へ廃棄して差し支えない。
„ 患者に対する指導
— 患者には、日常生活で、血液や体液が他の人に直接触れないような対応を
患者自身が実施できるよう指導する。
y 鼻出血やちょっとした外傷などは、できるだけ自分で止血し、止血確認後
傷口が露出しないようにガーゼや絆創膏で覆う。血液の付いたガーゼは自
分で処理しビニール袋に入れて処分する。
y 水洗トイレに流せる液体の汚物は、血液が混じっていてもトイレに流して
よい。血液で汚染された生理用品は、ビニール袋に入れ指定の場所に廃棄
する。周りを汚したときはできるだけ自分で掃除を行い、他のヒトが汚染
しないように注意する。
y インシュリンや製剤注射で使用した注射器や針は専用の容器に入れ病院
に持参する。
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y 血液等の体液により周囲を汚染したときは消毒用エタノールあるいは次
亜塩素酸ナトリウム(ハイター等)で消毒後、布等で拭き取る。
y 排便、排尿後は石けんを用いて流水で十分手洗いをした後、速乾性手指消
毒剤で消毒する。
y カミソリ、歯ブラシ、タオル等日常生活用品は患者専用とする。ひげ剃り
は電動の物をすすめ、本人専用とする。
y 血液や浸出液のついた衣類や寝具は次亜塩素酸ナトリウム(ハイター等キ
ャップ 1 杯を 3 リットルの水に入れ 30 分程度浸す)で消毒後洗濯をする。
血液や浸出液のついていない洗濯物は通常の洗濯でよい。
y 分泌物はティッシュペーパーにとり、小ビニール袋に入れ、封を行い、感
染性廃棄物として処理する。
y 救急車を呼んだときや他病院では、HIV 感染していることと通院中の医療
機関を知らせる。
y 性生活では相手の感染防止のため、体液が直接触れないように注意する。
(コンドームは指示された使用方法が厳重に守られれば感染の予防に有効
である。)
y 歯科・他科・他施設受診時は、担当医の紹介を受け必要な診療が受けられ
るようにする。また、治療により使用禁忌薬剤や感染防止の視点から HIV
感染を告げて受診するよう説明しておく。
y 予防接種について、免疫力が低下している場合、ウイルスや細菌に感染し
やすい状態であり、予防接種を受けることで感染予防や症状軽減につなが
るメリットがある。しかし、免疫力が低下している場合、ワクチンそのも
のが病気を起こす原因になることがあるため、予防接種を希望する場合は
主治医に相談する。
8. 隔離予防策を検討すべき臨床症状
HIV 感染者は細胞性免疫不全宿主であり、入院時および入院管理中は合併し得る各
種感染症への注意と適切な隔離予防策(接触感染予防策、飛沫感染予防策、空気感染予
防策)の追加が必要となる場合がある。
1) ニューモシスチス肺炎(PCP)
未治療の HIV 感染者が罹患する肺炎として最も頻度が高いものである。原因病
原体である Pneumocystis jirovecii が患者周辺の環境に拡散し空気感染しうるこ
とが判明している。よって、HIV 感染者はもちろん、他の細胞性免疫不全患者(免
疫抑制剤やステロイドを内服している症例)への病院感染が起こりうる。PCP 発症
者を入院させる場合には重度免疫不全者とは病棟を別にするか、あるいは PCP 治
療開始 1∼2 週間程度は個室で管理することが望ましい。
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2) 肺結核
肺病変を有する呼吸器症状を伴う HIV 感染者では常に考慮すべき疾患である。
細胞性免疫能の低下に伴い臨床症状や画像所見はしばしば非典型的となるため、
診断自体が必ずしも容易ではない場合がある。CT 画像における縦隔リンパ節腫大
と造影剤によるリング状増強所見は結核を疑う重要な所見であり、このような所
見を見た場合には肺野に陰影を認めない場合でも、喀痰の塗抹検査を実施すべき
である。
3) 麻疹
麻疹に対する感染防御の主体は細胞性免疫であるため、HIV 感染者では発疹が
出ないなど非典型的な症状を呈することがあり、診断は必ずしも容易ではない。
麻疹の流行状況を考慮し、疑い例あるいは麻疹発症者との接触歴が明らかな例で
は、発熱時に常に麻疹を念頭に置いた対応(空気感染対策)を行う必要がある。なお
進行した HIV 感染者の場合には、たとえ麻疹罹患歴があっても再感染が起こりう
る。CD4 数 200/μL 未満の場合には既往歴に関わらず感受性者であると考えるべ
きである。重度免疫不全例が麻疹に罹患した場合には、亜急性脳炎など致死的な
合併症を来たしうる。
4) 下痢症状がある場合
HIV 感染者は、性感染症としてアメーバ性腸炎、クリプトスポリジウム、ジア
ルジア症を発症しうる。HIV 感染者の下痢、血便を見た際には、常にこれらの疾
患を念頭に置いて診療を行うことが重要である。これらの病原体を含む便検体が
不適切に取り扱われた場合には経口感染する可能性があるため、検体の取り扱い
には十分に留意する必要がある。
(参考文献:国立国際医療センターホームページ)
9. 病院各部署での対策
1) 手術室の管理上の対策
y 手術の順番は、その日の最後に行う。
y 手術室の機器は必要最低限とし、可能な限りディスポーザブル製品を使用する。
y 血液、体液の高度の飛散が予測される手術では、手術台、その他の備品は必要
に応じて防水性のシートで覆う。
y 血液、組織片等で汚染した床、壁などの表面は、0.5%次亜塩素酸ナトリウム
で清拭消毒する。
2) 歯科系
歯科・口腔外科診療においては、抜歯、切開等の外科的処置および歯周療法等
の観血的な処置を行う頻度が高い。
HIV 感染予防策としては、基本的には標準予防策の遵守である。
しかし、歯科・口腔外科診療では歯牙の切削、印象採得(歯あるいは歯槽堤の型
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を取ること)等の他領域にはない治療法がある。
以下、これらの治療法および治療機器に関する感染予防策を概説する。
(1) 歯牙の切削
歯科治療ではエアータービン、エンジン(歯牙および骨の切削機器)、スプレ
ー等を多用し、これらの機器使用時には術者の顔に血液、唾液の混在した飛沫
粒子を浴びることが多い。したがって、これらの機器を使用する場合は、手袋、
ガウン、ゴーグル、マスクあるいはフェイスシールドを着用する。
(2) デンタルチェアーおよびユニット(歯科用診療椅子)
HIV に限らず感染症患者専用のユニットが確保されることが望ましい。テー
ブルにはディスポーザブルのシートを使用し、診療後は破棄する。また、デン
タルチェアーは、診療後消毒用エタノールまたは 0.1%次亜塩素酸ナトリウム
で清拭する。
(3) 印象採得
印象物(歯および歯槽堤の型を取ったもの)には血液や唾液が付着しているの
で、印象採得後直ちに水洗し、0.5%次亜塩素酸ナトリウムに 30 分浸す。また、
印象材は印象表面の荒れ、寸法変化が考えられるので、アルギン酸系印象材よ
りラバー系印象材を用いる方がよい。
3) 妊婦・新生児・小児の HIV
(1) HIV 感染妊婦の管理
妊娠継続例においては、通常妊娠管理に加え、母体の疾患管理、母子感染予
防、他者への感染防止が問題になる。
母体の HIV 感染の状態を、CD4 陽性細胞数、血漿中 HIV・RNA レベル、
抗レトロウイルス療法の既往、在胎週数などから、評価する。また、4 週ごと
に血中ウイルス量、CD4 陽性リンパ球数、薬剤耐性検査を行うことが望ましい。
また、担当産科医は HIV 担当医師や担当看護師と連携して、母体へのケアを行
う必要がある。母子感染予防のために、分娩時には、母体に AZT(レトロビル)
投与が行われる。また、新生児にも分娩後に速やかに AZT 投与を行う必要が
ある。
(2) HIV 感染妊婦の分娩時の対応
y 入院時に HIV 抗体検査を行う。
y 原則として個室を使用する。
y 診察時に破水の可能性があれば防水ガウン、キャップ、フェイスシールドを
着用する。
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(3) HIV 感染妊婦より出生した新生児の管理
〈分娩時における児のケア〉
y 血液や羊水との接触には十分注意を払う。
y 出生児、新生児に付着した血液を直ちに拭き取る。新生児の気道、胃内吸引
は血液を除去する程度で可とし、吸引による粘膜損傷は避ける。胃内吸引が
血性の時は、温生食による胃洗浄を行う。
y 臍帯はクリップで結紮し、断端はポビドンヨードで消毒する。
y 出生時点眼には生理食塩水で洗眼後に通常のエコリシン点眼を行う。
y 通常は 36 週頃の早産となるため、保育器収容の上でバイタルサインの監視
を行う。その後、異常がなければ母子同室とする。
y 母乳保育は行わない。
(4) 日常の児のケア・検査
y 沐浴は一般児と同様に行うが、他の児の後とする。
y レントゲン検査についても一般児と同様に行うが、原則としてポータブル撮
影とする。
y 未熟児など眼底検査を要する場合は、開瞼器の消毒に注意する。
y 交換輸血については、NICU 内で手術に準じて取り扱う。
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