『明日の高齢者ケア No

『明日の高齢者ケア
No.9
高齢者ケアのニューウェーブ』1993 年 12 月,中央法規出版
所収
フランスにおける高齢者福祉政策の新たな展開
−フランスにおけるケア付き住宅と農業協同組合の役割−
安
立
清
史
1.地方分権化政策のもとでの高齢者福祉の動向
フランスは伝統的に中央集権性の強い政治システムの国であった。しかし1981年に政権の座につ
いたミッテラン社会党政権のもとで、積極的な地方分権政策が進められ、従来の国と地方との行政の枠
組みが大きく変化しつつある。1982年3月2日法により、従来の国が指名する県知事に代わって、
県の執行機関が県会議長へと移管された。地方自治体が、中央政府から独立した法人格と公選議員によ
る運営権を手に入れたのである。
さらに1983年1月7日法および7月22日法は、権限移管の原則を立ててさらに地方分権化をす
すめた。とりわけ7月22日法は、社会福祉部門に関する権限を県へ移管した。このようにして、社会
福祉全体が、いくつかの例外を除いて、全面的に県へと委譲されたのである。この分権化は、社会福祉
の現場により近い地方自治体が、福祉の責任主体として位置づけられ、主体性を与えられたことを意味
し、同じく福祉改革を進めるわが国にとってもたいへん示唆的な実験を数多く含んでいる。しかしなが
ら、同時にさまざまな問題点をもはらんでいる。以下、本稿では、分権化以降のフランスの社会福祉制
度について、フランスにおいて高齢者福祉の第一線で活躍している学者や実務家へのインタビューにも
とづき、フランス高齢者福祉の実際とその問題点を紹介する。 (注1)
2.フランスにおける高齢者福祉改革の動向
(1) 分権化政策以降の高齢者福祉政策の諸問題
1983年の分権化政策が、フランスの高齢者福祉に与えたネガティヴな影響としては、地域的な不
均衡が拡大した、という点をまずあげなければならない。医療はいまだに国家が担っているが、住宅や
福祉施策は地方に権限が委譲されて分権化し、その結果として高齢者問題にかんして、国と地方との分
裂や亀裂が生じ、さまざまな問題も生まれている。
たとえば、高齢化の進んだ地方では予算が足りず十分な高齢者福祉が行えなくなるケースも出現して
いる。また老人ホームで、医療部分を拡大したいときに、老人ホームの住宅部分は地方に権限があるが、
医療は国の管轄なので許認可は国が行うことになっており、国の予算に左右されるので、適切かつ迅速
な運営ができず、老人ホームの中に医療部門を拡充していくことが困難である。在宅福祉や在宅医療に
関しては、分権化法は必ずしも役立っていない。在宅医療に関しては、退職者金庫から支出されている
が、法制化されておらず、行き詰まっている。要介護老人の増大に直面し、改革案は出されているが、
要介護老人に関しては各自治体の予算での措置のことであり、自治体の選挙結果により、不透明な部分
が多い。
分権化法を改訂しようとする動きや計画がいろいろと出されてはいる。それはもっと地方へ権限を委
譲するように改正する方向である。また政府もその方向で改正したいと考えている。しかし、それは主
1
として財政負担の問題を中心とするものであり、必ずしも高齢者にとって何が良いことなのか、という
視点に立った改訂案づくりではない。現在のところ、分権化法の改訂案づくりに関しては、さまざまな
法案が提案されているが、権利をめぐる争いの様相も呈している部分がある。企業も退職者も自分のた
めの基金の拠出を出し渋っている。給与所得者も労働組合も改革に反対している。結局、高齢者福祉の
改革を提案しようとする動きにならないのである。
(2) 高齢者福祉・高齢者医療改革
30年前には、高齢者住宅(ロジュマン・フォワイエ)が意味ある制度であった。かつては健康な高齢者が入る
ための住居や施設が不足していたからである。しかし今ではそうではない。80歳を越えて虚弱になっ
た高齢者が入居してくる住宅施設として、高齢者住宅は適切でなく、時代に合わなくなっている。
高齢者用の住宅としては、高齢者住宅、退職者住宅、介護対応型高齢者住宅(メゾン・ダクイユ)があり、介
護対応高齢者住宅への需要が増えている。退職者住宅は旧制度にもとづくものである。
また高齢者向けの医療機関としては、長期滞在型の医療施設として長期老人病院(ロング・セジュール)がある。
改革の必要なのは、まず予算の仕組みである。高齢者用施設に関しても、上記の3つのカテゴリーご
とに予算が決まっている。高齢者住宅を、介護対応高齢者住宅に転換しようとしても、カテゴリーごと
の予算制度があるので、うまくいかないのである。カテゴリーごとの予算配分や処遇をやめて、総合的
な処遇にしていくことが望まれている。
現行制度のもとでは、高齢者住宅に入居している高齢者が、病気ほかの理由で病院へ中期入院し、退
院しても、もう高齢者住宅では受入れられないことが多い。医療制度における老人病院へ行くか、私立
の施設のほうへ送られ、もとの高齢者住宅へは戻れないことが多いのである。高齢者住宅は、都市部で
は健常者しか入居できないことになっているためである。
(地方では、高齢者住宅に空きがあるために、
基準を変えて運営しているので、入れる場合もある。)
(3) 重介護部門の拡充
近年は、高齢者住宅のなかに重介護部門を増設する例が増えている。それがメゾン・ダクイユと呼ば
れるシステムである。これは、住宅部分は本人負担となるが、介護に関しては疾病保険から給付金が出
るシステムである。
またメゾン・ダクイユとロング・セジュールとは、提供されるケアは類似しているが、法制上は異な
るシステムである。予算支出の出所が違うためである。メゾン・ダクイユには私立経営もある。ロング・
セジュールのセクション・ド・キュル・メディカル(長期入院の老人医療施設における医療部門)は、
社会保険(セキュリテ・ソシアル)により費用負担される。
3.分権化法以後の地方の動き−ソーヌ・エ・ルワール県のマルパの事例−
分権化法以後の地方の動きの具体例として、筆者が実際に現地に行って調査したフランス中部ソー
ヌ・エ・ルワール県マコン郊外のマルパの事例を紹介しよう。マルパ(MARPA:Maison d'acceuil
rural pour les personnes agees)とは、直訳すれば「農村部の介護対応型高齢者住宅」である。つまり
高齢者住宅とは言っても、伝統的な、健常者用の高齢者用住居ではなく、介護対応型の高齢者住宅(メゾ
ン・ダクイユ)である。
2
マルパは、1988年から開始されたシステムで、国(調査したソーヌ・エ・ロワール県の場合には
建設省)からの補助金と、県・コミューン・農業共済金庫との共同作業で出来上がった。コミューン(村
長)からの要求を受けて、国や県との調整を図ったのがソーヌ・エ・ロワール県農業共済金庫であり、
建設省の担当者と共同で仕事にあたった。全費用の十分の六を国の補助金で賄っている。分権化法以前
は、国の制度に従って事業を行うだけであったが、分権化法以後は、コミューンが、どの補助金を使っ
て、どのような事業を行うのか、主体的に選択することが出来るようになった。マルパの場合には、建
設省の補助金を使ったが、厚生省の補助金を使うことも出来る。そのような多様な可能性が出てきたの
である。
建設省の補助金を使う場合には「高齢者のためだけの施設」であってはならず、障害者(聴覚障害・
視覚障害などのハンディキャップ、痴呆性老人)や全世代に対応した(転用可能な)施設を作らなけれ
ばならない。マルパもそのように作られている。
これまでフランスの高齢者福祉では、県やコミューンは、国の制度に従って事業を行うだけであった。
しかし分権化法以後は、地方が高齢者福祉に責任を持つことになり、より地域の実態に則した運営が必
要になったし、調査や要求に対する分析が、より重視されるようになった。マルパの発足にあたっても、
地方の福祉を管轄する行政委員会に諮るための根拠として農村に調査をおこなったり、高齢者の潜在能
力を測ったりしている。このような展開も分権化以降のことである。
マルパは、もともとは国の発想によるものだが、地方の実情にうまく適応されている。同じ県内のマ
ルパの場合でも、まったく同じものができることはありえない。つまり、マルパの建設・運営は、地域
の住民に働きかけて、地域の住民を活動に向かわせる側面がある。その際に、社会調査は、外部に向け
た資料作りのために行うのではなくて、地域の住民に向けて、地域の住民の意識に訴え、地域の住民を
動かすために活用されている。したがってマルパの建設・運営は、いずれは、村の特色を積極的に形成
してゆく可能性を秘めている。マルパは、いずれは村の共有財産にすらなりうると言われている。
4.フランス農村部における高齢者福祉施設の新たな展開
−農業共済組織による老人ホーム運営/MARPAの事例−
(1) ソーヌ・エ・ロワール県−フランス中部の農村部−
ソーヌ・エ・ロワール県は、ワインで有名なブルゴーニュ地方にあり、人口は 571,852 人(1982 年の
国勢調査時)、人口密度は 66,7 人である。県庁所在地はマコン、鶏肉で有名なブール・アン・ブレス他
農業が盛んであり、著名なワイン産地も多く、有名なボージョレ地方に近接している。フランス・プロ
フォンド(フランスの深奥)と呼ばれることもある典型的な農村地帯である。マコンは県庁所在地とは
いえ人口38,719人(ミシュラン1991による)、パリからTGV(フランス国鉄の誇る新幹線)
で約2時間の距離にある。TGVの駅のすぐ裏が著名な白ワイン、プイイ=フュイッセの畑だとは後か
ら教えられた。以下、ソーヌ・エ・ロワール県農業共済金庫(事務局長)ジェラール・グノー氏、同(福
祉担当)クロード・コキーユ氏、ソーヌ・エ・ロワール県農村老人クラブ連合(会長)アンドレ・ゴノ
ー氏らへのインタビューをまとめたのが、以下の報告である。
(2) ソーヌ・エ・ロワール県農業共済金庫
LOIRE
Caisse de Mutualite Sociale Agricole de
SAONE-ET-
フランスの農業共済組織は、ほとんど社会保障と同じ機能をもっている。フランスでは、農業関係者
は、社会保障の一般制度ではカバーされない仕組みになっているからである。したがって、農業関係者
独自の共済組織は、疾病や高齢者への社会保障の機能を果しており、たいへん大きな役割を果している
ことになる。これは複雑ではあるが、フランスの社会福祉制度を理解するうえで欠かせない側面である。
農業が主たる産業のソーヌ・エ・ロワール県でも、農業共済金庫は、農業関係者にたいする社会保障
3
の役割をも果している。農業共済金庫は「農業を行っている人びとの保障」を行う機関であるが、この
場合の「農業」は広義であり、農業者から自営業、職人、石工までをも含む。この地域の社会保障に関
するすべての分野に関与しており、地方の社会保障すべてをまとめる機関である。
(3) マルパ
MARPA
Maison d'acceuil rural pour les personnes agees
マルパとは、かんたんに直訳すれば「農村部の老人ホーム」である。ただし老人ホームとは言っても、
伝統的な、健常者用の老人用住居( ロジュマン・フォワイエ ) ではなく、介護対応型の高齢者住宅( メゾン・ダクイユ)
である。
マルパは、1988年から開始されたシステムで、高齢者の人間らしい生き方のために新しい積極的
なものを作りだしたいという理念から生まれた。それは、より多くの人びとを活動に巻き込みながら、
出費を抑え質を上げることを目指す、という二重の目的をもっている。高齢者の入院費用は高くつくと
されているが、質が良くて、しかももっと安くすることも可能であり、もっと安くて質のよい高齢者施
設が必要である。最近では、医者からもマルパの評判は良い。
マルパは国(建設省)からの補助金と、県・コミューンとの共同作業で出来上がった。コミューン(市
長)からの要求を受けて、国や県との調整を図ったのがソーヌ・エ・ロワール県農業共済金庫である。
全費用の十分の六を国の補助金で賄っている。分権化法以前は、国の制度に従って事業を行うだけであ
ったが、分権化法以後は、コミューンが主体的に、どの補助金を使って、どのような事業を行うのか、
主体的に考えることが出来るようになった。マルパの場合には、建設省の補助金を使ったが、厚生省の
補助金を使うことも出来るし、そういう多様な可能性が出てきたのである。
建設省の補助金を使う場合には「老人のためだけの施設」ではいけない。障害者(聴覚障害・視覚障
害などのハンディキャップ、痴呆性老人)や全世代に対応した(転用可能な)施設を作らなければなら
ない。マルパもそのように作られている。
(4) マルパの目指すもの
マルパは、もともとは国の発想によるものだが、地方にうまく適応されている。マコンのマルパの場
合にも、国(建設省)からの補助金と、県・コミューンとの共同作業で出来上がった。したがって、同
じ県内の施設の場合でも、まったく同じものができることはありえない。つまり、従来の行政的な論理
における均質性とは異なったものを見つける必要があろう。それが見つかれば、地域の住民との共同作
業になってくる。そして地域の諸資源、ボランティア、政治家、地元の諸組織、などを有機的に利用し
ながらの共同作業になってくる。
つまり、マルパの建設・運営は、地域の住民に働きかけて、地域の住民を活動に向かわせる側面があ
る。その際に、社会調査は、外部に向けた資料作りのために行うのではなくて、地域の住民に向けて、
地域の住民の意識に訴え、地域の住民を動かすために活用するのである。
したがってマルパの建設・運営は、いずれは、村の特色を積極的に形成してゆく可能性を秘めている。
マルパは、いずれは村の共有財産にすらなりうるのである。
(5) マルパの運営
マルパの基本的な考え方は、次のようなものである。高齢者は、本来自宅で暮らしたい、しかしそれ
4
は出来なくなので、せめて自宅から近い地域のなかの施設で、しかも出来るだけ費用のかからない仕方
で、しかも必要に十分に応えるやり方で処遇すべきだ、というものである。運営の原則としては、伝統
的な生活からの断絶は行わない(建物も、暮らし方も、職員の接し方や配置も、フランス中部の農村部
の伝統に根づいている。建物などは、新しいにも関わらず、周囲の農村の建物の中に溶け込んでいて異
和感がない。後に、設計・施工に携わった建築家にも会ったが、周囲の環境や雰囲気に馴染むものを心
掛けたと述べていた。しかも内部は安全で便利に出来ている。内部も、後述するようにフランベ〔焚き
火〕を中心とした大広間があり、伝統的な造りである。そこに多くの人びとが集まって、昔ながらのお
しゃべりを楽しむ、などなど)。伝統からの断絶を極力避け、施設に入っても、村の生活の連続線上に
あるように配慮し、昔からの社会関係を失わないように配慮する。老人は、多少の違いはあれ、共同体
から切り離されていない。
経済的にも、老人の独立を保ち、自尊心を保つようにしている。経済的なことで行政に頭を下げて依
存するのでなく、家族にたいしても依存するのでないようにする。
そのようにして、高齢者の潜在能力を引き出すことにより、寝たきりしないですむようになるし、そ
のことが結果的に運営費を安くすることにもつながる。
通常は、入所して3か月ほどたつと、依存的になり、要介護になってしまうのが普通だが、マルパで
は潜在能力を引き出すことによって、それをもっと引き延ばすことに成功している。
マルパは医療的な治療や介護も施せる設備はそなえているので、終末まで過ごすことのできる施設で
ある。しかし、医療を施すことは、高齢者の心にショックを与える恐れがあるので、出来るだけ終末期
にのみ施すことにしている。
マルパでは、入居者は、20人に限定している。20人を越えると、施設としてバランスが崩れる。
行政的には40人以上入居していないとさまざまな不都合が生じるのだが、マコンのマルパでは20人
で運営している。
(6) マルパが生み出すもの
マルパは一種の「誘導灯」でもある。人びとを招き寄せる力をもっている。そのことがまたマルパの
潜在能力を昂める。たとえば、現在、マルパの周囲には、補助的な活動が派生してきている。ひとつは、
施設長 (女性) が組織化して、高齢者の面倒をみる会(ボランティアによるアソシアシオン)ができた。
これは、周囲に住んでいる人びとによって運営されている会である。これはアソシアシオン・マンダテ
ールと呼ばれている。退職者やその家族が入ることが多い。アソシアシオンに地域の住民が入っている、
ということが重要である。また、援助センターをつくる動きがある。これは、とりわけ地域の障害者の
ためのものである。家庭における食事の手助け、洗濯まで援助が拡大しつつある。
また夜のガード、というものも考えられている。これは在宅福祉で夜の緊急事態に対応するためのも
のである。日本のショート・ステイにあたるサービスにも乗り出そうとしている。これはバカンスなど
で家族がいなくなる場合に一時的に受け入れるものである。
このようにして、施設が地域のみんなのもの、という意識になってきている。実際、建築・施工にあ
たったのも、地元の小企業であるし、農業は、もともと経済的な差がそれほどないので団結がある。ま
た、マルパのある場所も、村の中心からそれほど離れていないので、買い物などにも便利である。設備
的にも自炊でも食堂での会食でも対応できる。
マルパ型の施設は、たんに農村型というだけでなく、都市型の施設にも影響を与えていくことを望ん
でいる。実際、リヨン市 (フランス第二の大都会である) などでも、マルパと同じような施設を作りは
じめているときく。
5
(7) マルパの実際
-Le Gallet d'argent
ソーヌ・エ・ルワール県のマルパの所在地は、シマール村(Simard)という現在人口380人くら
いの小村である。周辺まで含めると1000人くらいいる地域であるらしいが、村の住民は380人く
らいだということであった。フランスの典型的な農村の風景(とても美しいが、人影は極めてまばらで
ある)のなかにめざすマルパはあった。
このマルパは、固有名を「Le Gallet d'argent」(「ル・ギャレ〔地名〕の銀の家」
)と言う。
この施設は、収容人員20名、職員は常駐1名、ほかにパートが3名(料理人、家事・清掃担当、そ
の他)で対応している。部屋には2タイプあり、大は50 、2部屋あるタイプと、33 のタイプと
である。
入居者の平均年齢は85歳くらい。69歳から94歳までの人が入居している。
建物のイメージは、周囲の農村の環境とマッチさせて設計、農村部なので土地はたっぷりあり、平屋
で、周囲には広い庭や菜園をもつ。建物の中心には、農家の大きな広間というイメージで大きな暖炉が
切ってあり、その火の周辺にみなが集まるようになっており、会食やパーティ、社交の場となっている。
こういう形態での共同生活は、フランスでは稀であるという。フランスでは個人主義の伝統でそれぞれ
に個室に閉じこもるというのが通常だからだ。
実際に二つの部屋を見せてもらった印象は、とてもゆったりとして便利に出来上がっている。以前に
視察したさまざまな施設と、基本的な部分はそう異なってはいないが、農村部の施設という特徴を活か
して、周囲にはゆったりとした敷地があり、どの部屋からも庭に出ることができる。聞くと、ここに移
ってくる人は、農家の人で、家が大きすぎてひとりでは管理しきれなくなって移ってくるのだという。
フランスの農村部でも、直系家族の伝統はあらかた消失しており、子どもが老親の面倒をみる、という
ことは少なくなっている。むしろこうした施設に入るほうが、一人だけの子どもに会うのでなく、全員
の子どもがボンジュールを言いに来る、という意味で、全員の子どもとの繋がりが途切れずに良いのだ、
という。視察している折に、丁度、親をマルパに入れているという家族がやってきていたが、ここに入
っていたほうが安心だし、しょっちゅう会いに来れて、より良い関係が持てる、と満足そうであった。
入居者に聞いても、グループで共同で生活できて楽しい、温かい雰囲気が大変良い、という声で、一
様に、この施設が気に入っているようであった。しかし、こういう共同生活方式は、フランス人一般に
も当てはまるものなのかどうかは分からない。しかし、農村部の人たちのメンタリティやライフスタイ
ルには合っているのは確かだろう。これもまた地域特性にマッチした施設である点だと言えよう。
施設長(常勤。施設における家族的な共同性・一体感を演出するために「家の女主人」と呼ばれる)
は、若い看護婦である。玄関横の施設長室には、集中制御の緊急通報装置等が装備されている。
(8) フランス農村部の家族
社会学的な知識によれば、マックス・ウェーバーの古典的な規定にもあるとおり、封建制度という社
会システムが成立した社会、すなわち日本とヨーロッパで、直系家族制度が成立した、ということにな
っている。とりわけフランスはいまだに農業国としての側面が強いので、パリのような大都会は別とし
てフランスの農村部にはいまだに大家族、直系家族制が残存しているのではないか、と想定していたが、
フランスでは、農村部でも、20年位前に、完全に同居の慣習は終焉した。親の世代が、祖父母との同
居で苦労している姿を見ているので、それ以降の世代は、親との同居を考えないし、また親の世代も同
居で苦労して経験を持つので、子どもとの同居を望まない。女性の就労に関しては、フランスでも確か
に同居の伝統の切断に貢献した。それ以前は、農作業は、代々、家族でやってきた。例えば父親は死ぬ
まで家長であったが、そうでなくなり、農業共同体で行われるようになった。実際、家族だけでの農業
の営みは発展の足かせでもあったのだ。20年位前から、親がいつも子どもの上に覆いかぶさっている
ようなことをやめようという機運が高まり、それとともに同居の習慣も崩れた。しかし農村部では、離
れて暮らしているといっても、せいぜい1〜2 なので、親と頻繁に会ったりするのになんの障害もな
6
い。
フランスでは、都市部でも農村部でも、今後も同居の風習が復活する見込みはまずない。というのも、
親の世代も子どもの世代も、だれもが同居を望んでいないからである。
5.フランスの農業共済組織と高齢者福祉
フランスにおける社会保障・社会福祉と、農業共済組織との関係を理解するうえで欠かせないのが、
フランスにおける「共済組織」や「共済法」の役割と意味である。共済組織とは、フランスの社会保障
制度の歴史的発展過程に起因するもので、共済法にもとづく組織であるが、社会保障の一般制度にたい
する代替策や補完策の機能を果している。
フランスには約7000(1983年)もの共済法にもとづく共済組織があるとされているが、とり
わけフランスの社会保障の一般制度でカバーされない農業関係者は、独自の「共済組織」をもち、それ
は疾病や老齢への対策として社会保障とほとんど同じ機能を果している。松村によれば、共済組織は、
「歴史的には、フランス革命前の職人組合等で行われていた生活相互扶助の機能が、19世紀の生活相
互組合の活動の底流をなし、いまなお、共済という組織が社会保障制度と並行して存在する」ものであ
る(松村[1988])。したがって、フランス農村部の高齢者福祉を考えるうえでは、農業共済組織の果たす
役割はたいへん大きいのである。
今回の調査で明らかになったことは、地方分権化政策のもとで、国や県と、コミューン(日本での市
町村にあたる)との媒介役を果しているのが、ソーヌ・エ・ロワール県などの農村部では農業共済組織
である、ということであった。1983年1月7日法および7月22日法によって社会福祉部門に関す
る権限が県へ移管され、社会福祉の現場により近い地方自治体が、福祉の責任主体として位置づけられ
ることになった。それにともない、地方が高齢者福祉に責任を持つことになり、より地域の実態に則し
た運営が必要になったが、これまで国の制度に従って事業を行うだけであった県やコミューンは、専門
家からも様々な問題点が指摘されているように、社会福祉を新しく大きく進展させるほどの主体的力量
はまだ持ってはいないと言われている。この原因のひとつは、県やコミューンと住民とを、有機的に結
び付ける媒介機能を有効に果たしうる中間組織が弱体である、という点に求めらよう。制度として地方
分権となり、社会福祉部門に関する権限が国から県へ移管されると、今度は、その分権化の成否を決定
するのは県やコミューンの自主性や主体的な熱意であり、能力であるということになる。しかし国立老
年学財団などで専門家の意見を聞くと、大多数の地方自治体は、社会福祉に関して、まだ十分にその能
力を持つにいたっておらず、すくなからず混乱や地域差も生じているのである。しかし、ソーヌ・エ・
ロワール県農業共済金庫の場合には、従来から、農業共済金庫が社会保障の一般制度の役割を代替して
いたこともあり、地域の実情に詳しく、また県やコミューンとの連絡調整役としても適任であった。そ
こで地域特性にあった高齢者福祉施設を構想・立案し、それを国や県、コミューンとの共同作業のなか
で実現していくことに成功したのである。この成功の理由のひとつは、農業共済金庫が、農業関係者に
たいし社会保障の一般制度の役割を代替しており、社会保障・社会福祉業務についての技術的な蓄積と
能力および権限があった、ということであろう。したがってこの方式が、フランスのその他の地域でも
単純に応用できるものとは言えない。しかしながら、福祉に関する地方分権化政策のもとで、地域の実
情にあった施設や施策を、地域住民に密着した組織が、媒介的な役割を機動的に果たしつつ、様々に複
雑な制度や交付金の有効活用をしながら実現したという点はたいへん重要である。フランスでは、福祉
の地方分権化のもとで、ますますこうした地域特性に応じた福祉施設や福祉施策の実行が求められてい
くわけだが、ソーヌ・エ・ロワール県農業共済金庫の場合のように、こうした地域の中間集団の活躍な
しには地方分権化政策は有効に機能できないことを示しているのである。
6.
分権化政策の問題点と今後のゆくえ
7
フランスは伝統的に中央集権が強く、社会福祉に関しても、これまではパリの行政官僚組織が決定し
た政策が地方に押しつけられ実施させられてきたと言われているが、そのため地方の実情にあわない不
都合なことも多かったということが指摘されている。しかし、分権化法以後、社会福祉分野に関しては、
さまざまな新しい試みや展開が可能になってきた。例えばここで紹介したマルパなどはその一例である。
今後、このような地方の実情に合致した施設や施策がますます必要となるに違いない。それは老人保健
福祉計画を、自治体ごとに立案して、地域特性に応じた高齢者保健福祉施策を実施してゆかねばならな
い日本にとってもたいへん示唆的な事例である。
しかしながら、フランスの場合にもつとに指摘されているとおり、制度的に地方分権化し、福祉の実
施主体が地方に移管されるということと、地域特性に応じた豊かで充実した高齢者福祉が行われるよう
になる、ということとは必ずしも一致しない場合がある。場合によっては福祉に関する極端な地域格差
やアンバランスが生じうることも、フランスの実例が示しているのである。
したがって、今後の地域福祉に関する示唆を、フランスの事例から学ぶ場合には、制度的な地方分権
を、有機的かつ機動的に受けとめ、有効に実施できうる中間的な組織が必要だということがもっとも考
慮すべきポイントとなろう。マルパの場合には、ソーヌ・エ・ロワール県農業共済金庫が、制度と地域
の実情との媒介役を有効に果していたのである。こうした中間組織が機能しない場合には、地方分権に
よって、社会福祉にさまざまな地域格差やアンバランスが生じ、結果として社会的弱者に負のしわよせ
が来る場合も想定しなければならない。フランスの実験は、さまざまな示唆に富んでいるのである。
さらに言えば、フランスでは分権化により、自治体ごとに横並びでなく、町や村によってさまざまな
特色や違いが出始めてきており、町や村ごとの特色が、高齢者福祉施策に関連して次第に形成されつつ
ある、とも言われている。マルパなども、村の共有財産にして、村の特色を作りだす原動力になりうる
ものなのである。分権化によって、まずは社会福祉に関する分野で、地域ごとの独自性やオリジナリテ
ィが形成される条件が揃いつつある、とも言えるのである。分権化による混乱もあるが、地方の潜在的
な力をくみ上げるという意味では、地方分権化はメリットが多いように思われる。
注
(注1)
本稿は、1991 年 12 月に、筆者がフランスで高齢者福祉施策を調査した結果をもとにして書かれてい
る。前半部は主として、パリの国立老年学財団(FONDATION NATIONAL DE GERONTOLOGIE)
における、ジェヌヴィエーヴ・アフルー・ヴォーシェ氏 Genevieve ARFEUX-VAUCHER および、
ポール・パイヤ氏 Paul PAILLAT とのインタビューをもとに、筆者がまとめたものである。マルパ
の事例に関しては、ソーヌ・エ・ロワール県農業共済金庫およびル・ギャレ・ダルジャン(マコンのマ
ルパの施設名)への調査にもとづいている。なお筆者によるフランス調査の詳細に関しては、安立[199
2]を参照されたい。
(注2)
ソーヌ・エ・ロワール県のマルパの事例は、地方のイニシアチブで、地域社会の特性にあった高齢者
福祉施設を設立・運営し、またその高齢者住宅を、地域おこしや地域社会の連帯(ソリダリテ)の中心
にしようとする意欲あふれるもので、これもまさしく分権化以降の各地、地方の動きとして注目に値す
るものだろう。関心のある方は安立[1992]を参照されたい。また、マルパを紹介したビデオ映像も筆者
のてもとにある。関心のある方にはご紹介したい。
その>、都市部の在宅福祉の具体的事例としては、パリのカルチェラタンで24時間体制の在宅福祉
サービスを展開している先進的なアソシアシオン F.O.S.A.D.を訪問したが、ここではテレ
アシスタンスというアラームシステムの他に、X24という24時間の緊急援助体制の新しいシステム
を開発・展開していた。これに関しても関心のある方は、安立[1992]を参照されたい。
8
文
安立清史
献
1991a「フランスの老人福祉制度」,日本社会事業大学社会事業研究所編,
『老人保健福祉の国際比較』,日本社会事業大学
安立清史
1991b「パリの老人福祉施設」,『NORMA』11 月号,全国社会福祉協議会
研究情報センター
安立清史
1992「老人保健福祉の国際比較−フランス」,日本社会事業大学社会事業研究
所編『老人保健医療福祉の国際比較』,日本社会事業大学
安立清史
1993「フランスの高齢者福祉施策」,
『GERONTOLOGY 』, Vol.5, No.2,
pp.
63-68,メディカル・レビュー社。
藤井良治
1989「フランスの経済と福祉」, 社会保障研究所編[1989]
伊奈川秀和 1989 「フランスの医療制度」, 社会保障研究所編[1989]
伊藤るり
1980「フランス−老年の再評価とその現実」,湯沢擁彦編『世界の老人の生き
方』,有斐閣。
松村祥子
1988『フランスの高齢者福祉制度』,東京都福祉局
松村祥子
1989「高齢者福祉サービス」, 社会保障研究所編[1989]
新倉俊一他編
1985『事典
社会保障研究所編
田坂治
1989
現代のフランス (新版) 』, 大修館書店。
1989『フランスの社会保障』, 東京大学出版会。
「フランスの地方行政制度」, 社会保障研究所編[1989]
THEVENET,Amedee 1984
L'aide sociale aujourd'hui
,Edition ESF.
=林信明訳 1987 『現代フランス社会福祉』, 相川書房。
THEVENET,Amedee 1992
Les institutions sanitaires et sociales de la France
=林信明訳 1992 『保健医療と福祉の制度』, 京都・法政出版社。
都村敦子 1989 「フランスの家族給付」, 社会保障研究所編[1989]
上村政彦 1987 「フランス社会保障半世紀の歩み」, 伊部他[1987]
太田晋
1989 「フランスの医療保健」, 社会保障研究所編[1989]
9