出光山行クラブ会報 第15号平成12年(2000年)1月1日発行 内容 「安全

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出光山行クラブ会報
第15号
平成12年(2000年)1月1日発行
内容
☆「安全登山を願う」(山戸)
☆近況報告(本郷)
☆随想「百名山を登り終えて」(舩木)
☆祝辞「百名山登頂を祝う」(成住)(木佐貫)
☆随想「帳尻岳山行記』(松本)
☆随想「海外の山紀行1中国の山」(瀬尾)
☆随想「ヒマラヤ・トレッキング体験記」(豊田)
☆新聞に載った会員の配事
☆随想「富士山頂」(成住)
☆随想「富士登山籠」(窪田)
☆随想「立山登山記」(窪田)
☆随想「常念岳・蝶ケ岳登山記」(窪田)
☆随想「仙丈ケ岳登頂記」(舩木)
☆随想r北八ケ岳峰巡り・池巡り」(舩木)
☆随想r蛾(ひる)ガ岳ハイキングの記」(舩木)
☆2000年1月∼3月の計画
☆幹事会・例会・総会・会最異動・お鄭らせ
☆赤十字救急法講習会(山戸)
☆r関東ふれあい道〔神奈川)歩行記録」(成住)
☆実施報告書(6月∼12月前半)
☆クラブ・自主山行・ウォーキング等実施一覧
☆写真
☆会員名簿編集後記
串田孫一
「孤独な洗礼」より
とするのだろう。
この自ら悦んで求める忍苦の行為
を人が棄てないうちは、私は人間
の尊いねがいを疑わないだろう。
何故人は山へのぼるのだろう。何故
好んで氷の岩尾根を登って行こう
ヲ
戸山会長の平成11年度総会挨拶(平成11年11月6日於箱根寮)
本日は松尾幹事のご尽力で最近に無い楽しい山行ができ、お礼申し上げます。
①本年度は両副会長はじめ幹事の皆さんの絶大なるご支援の下に、無事故登山と円滑なク
ラブ運営をはかることができて、心から感謝しております。他方、異常気象や参加者ゼ
ロによるクラブ山行の中止、集中山行での不手際、等の反省点もみられましたので、今
後これらの改善に努めてまいりたいと存じます。
②来年度(平成12年度)は
(1)平成11年に実施した救急法講習に引続き、r安全登山」のためのきそぎ術の習
得・向上を目指して、「山の地図」の講習会を開催し、読図力を身に付けたい。東
京山岳連盟の方を講師に3月はじめを予定している。
(2)自然環境保護に協力するため、集中山行等の時に登山道のクリーン・アッピール
を実施したい。
等を考えております。
③役員改選
本郷副会長の転勤、大山幹事と上田会計監事の体調不良に伴い、後任役員の人選を幹事
会で行いましたので、総会の承認をお願い致します。
④最近、高齢化が進み、体調を崩す会員も見受けられます。お互いに健康管理には十分留
意し、無理せず、安全登山、楽しい山登りを続けて行きましょう。
平成12年も皆様方のご支援とご協力を心からお願い申し上げます。以上
送贋者:本郷緬吾〈6900025(}@nis,idem詫su,coJP〉
宛先:〈hkonuma⑨c4.so-net、nejp〉
送儒日時:て999年“月25日16:42
件名:近況報告〔本郷)
近況報告
1999.11.25本郷精吾
仙台へ赴任してはや2ケ月経過しました。東北地区の保険販売と事故処理フ
ォローに充実した毎日を過ごしております。ところで、山登りの方は、現在単
身赴任の為、弁当の作り手かおらずご無沙汰しております。待望の自宅の完成
目前となり今後地元の山を手当たり次第に挑戦したく楽しみです。
12月4日に下記の住所へ引越しします。
989-2451宮城県岩沼市土ケ崎2-11-3
電話0223-23-8208(FAX無し)
.久しぶりに家内と二人住まいの新婚家庭に戻ります。会員の皆様へ、当地方へ
お出かけの節は、我が家を基地としてご利用願います。
(職場[日章興産・仙台]の電話;022-267-3117。
FAX・022-212-1481)
百名山を登り終えて
平成ユ1年8月末日舩木記
百名山登山を達成した7月14日から数週問が経過しましたが、現在の心境もやはりあの時と同じ「遙けくも
来つるものかな」という思いで一杯です。この登山計画の実施を思い立ったのは昭和53(1978)年ごろでしたか
ら、この度の踏破までにおよそ21年もかかったわけです。本当に長い道のりでした。幌尻岳の頂.一ヒで、漸く百
山目に登頂できたのだ、と思うと実に感無量でした。
百名山を終えての感想ですが、4点あります。
一つは、百名山には'歯応えのある山が多いので、実に大変だった、というのが偽らざる心境です。実際、富士
山をはじめとする3,000m級の山が13座、それに準ずる2,900m級、2,800m級の山が15座ある他、浅間山や
焼岳のような活火山も含まれています。
最近登った山では昨年夏に出掛けたトムラウシ山がとても挑戦し甲斐のある山でした。実はこれが二度目の挑
戦だったのです。一度目はヒサゴ沼避難小屋が見つからず無念の涙を呑みました。そして昨年8月は頂上にたど
り着くところまではよかったのですが、トムラウシ温泉への途中にあるカムイ天上までの悪路の登りでスヅカリ
参ってしまい、温泉ホテルに着いた時は身重)心もクタクタでした。
昨年秋に登るつもりであった屋久島の宮之浦岳の時は、麓の安房で原因不明の高熱を発して止むなく急遽空路
で帰浜せざるを得なくなり、全くの不運に泣かされました.そこで今年の4月に再挑戦したわけです。当日は強
い風雨に遇い頂上では10分と立っていられないほど寒さを感じました。もっともこの悪天候下で遭難しそうだ
った一老年登山者をわれわれ5人パーティーが救助するというオマケがつきましたが・・
.最後の帳尻岳がまた大変でした。幌尻山荘を出て頂上を目指す日は、屋久島のときと同じように強い雨風とい
う悪条件下でどこまでも続く足場の悪いハイマツ帯などの登りを敢行、4時間強かかって漸く山頂に達したので
した。
結局、天は最後の最後まで試練を与え続けることになりました。
二番目は、百名山の中身の問題です。
確かに「深田百名山」にはわが国の名峰のほぼ90%は含まれており、それらの山々は名山の名に恥じない素
晴しい山々である、と言えます。が、時は移り世が変るにつれてその中身も変って来なければならないように思
います。昔の冬山は必ずしも現代の名山ではない、ということです。その意味では私は深田百名山の全面的な信
奉者だとは言えません。
深田久弥さんの日本百名山を読むと、アプローチに2日も3目もかかった、という文章が出てきますが、今は
自動車と道路の発達でアプローチが相当短縮されています。それだけ人が山へ入り易くなっています。山の景観
も変ってきています。
例を挙げます。筑波山には神社の前から頂上近くまでケーブルカーがあり、その東側にはロープウエイもあっ
て簡単に山頂まで登れます。伊吹山では登山用自動車道が頂上直下まで延びていて・後はサンダル履きでも登れ
ます。岩木山も自動車道が8合目まで付けられており、更にリフトもあります。乗鞍岳や八幡平もバス道路がす
ぐ下まで通じています。このように楽に登ることのできる設備のある百名山は他にも多く見られます。やはり名
山というからには原始的な行動であるr登山」の純粋な対象でなければいけない・と思います。美ケ原のように
頂上付近にテレビ用の鉄塔が林立しているのも名山という範躊から外れているのではないでしょうか。
もしこれらの山の代りに他の山を持ってくるとしたらそれはいくつでもあります。北アルプスの・花崗岩の岩
塔が乱立する燕岳・特異な岩峰を持つ烏帽子岳、南アルプスにあって秀麗な姿を誇る上河内岳、ピラミダルな姿
で私を魅了した中央アルプスの三の沢岳など、姿形のよい山(その山の歴史は別にして)は他にもたくさんあり
ます。
従って、百名山はあくまでも深園久弥さんの一私案であることを充分銘記しておくべきで、私もそれを金科玉
条と考えないようにしてきました。
三番目は、今や百名山登山は大変なブームになっている、ということです。少なくとも数千、いや万を超える
人がこれに挑戦しているのではないでしょうか。それだけ深田さんのエ冊の本の影響力はすごい、と言えます。
関連出版物も相当な数にのぼります。そして甲武信岳のような百名山の山小屋は土曜の夜ともなると超満員にな
る、とも闘いています。これだけ大勢の人が押し寄せると自然破壊や環境汚染が心配になります。これは何も、
登山者が禾を伐り倒して燃料にするということではなく、例えば登山者がストックを登山道以外の所に突くだけ
でも高山植物の根や茎を傷める恐れがある、ということなのです。従って、できるだけ自然を傷つけないように
タ
心掛けることが必要ですし、1年間に百名山を10座も20座も登らないことが自然破壊等の防止につながって
いくのです(自分が20余年もかかったからそう言うわけではありませんが・・)。
この7月に幌尻岳で会った若い登山者は「下山したらフェリーで青森へ行き、明目は岩木山に登る予定だ」と
言っていました。何故これほど急ぐのでしょう。昨今の百名山早周り競争のような風潮は異常だと言わざるを得
ません。もう少し山をユックリ歩きジックリ味わうことはできないものでしょうか。
四番目は、非常に多くの方たちに支えられて踏破ができたのだ、ということです。昭和31(1956)年の第一座
目の雲取山から数えていきますと、延べで約250人の方々と一緒に登ったことになります。そして全山踏破を
終りましたこの夏、「おめでとう」というお手紙やお祝いの言葉をたくさん戴きました。これらの方々は私の心の
支えであり、謂わば貴重な財産とも言うべき方達であります。
次に、「どの山が一番よかったですか」とお開きになりたいと思いますので、最高とそれに次ぐ2つの山行を
挙げることにします。一つは鳳凰三山縦走、もうひとつは薬師岳・鷲羽岳縦走です。どのように良かったか、に
ついては別の機会に回顧録のような形で述べることにします。反対に苦:しかった山も書きますと、荒川三山縦走
がそれです。
最後に、今後の目標について触れておきます.この度の百名山の終了で「能事終れり」ということでは決して
ありません。今後ともさらに高みを目指していきたいので、「日本の高山50傑」に挑戦したい、と考えます。や
はり高い山に登ったときの満足感は違います。それと縦走したときの喜びはまた格別です。50傑のうち上位3
5座にはほぼ登り終りました。あと残る約15座に、いつまでと決めることなく一山づつユックリと楽しみなが
ら登ろう、と決めています。海外へも出掛けて富士山より高い山にも登りたいけれども、そちらは行けたら行く、
という程度にしておこう、と思います。
登山は本当にすばらしい。山は私にいつも元気を与えてくれます。貝原益軒は「山中の人は多くは命長し」と
言っています。これからも体力の続く限り登山を生き甲斐として取り組んでいきます。楽しく安全に登り続けま
す。
皆様の諸々のご支援本当にありがとうございました。以上
舩木君日本百名山登頂記念祝賀会
祝辞
舩木君日本百名山完登おめでとうございます。43年にわたる長い間、北は北海道、利尻岳から、南
は九州、屋久島の宮ノ浦岳まで、時には雨風の強い日もあったでありましょうが・着実に一山一山登っ
て二られました。今までの忍耐と勇気に対し、心から敬意を表し、その達成にご祝辞申し上げます・
私も山行にはしばしば同行させて頂きました。山に登る彼の姿は、日本百名山に限らず、好きな山に、
未知と憧れの山に、コツコツ計画を立てコツコツ登ると言う事でした。
恰も美しい少女に恋する青年の様でした。木暮理太郎先生の「私達が山に登るのはつまり山が好きだから
登るのである。登らないでいられないから登る」というお言葉通りでした。
さて私達にとって仙」とは一体何でありましょうか。山は時に私達の心身を厳しく鍛え・時にやさし
く包容し育ててくれた母校であるように思います。山に挑戦し征服すると言うのは、何か思いあがりが
あるのではないでしょうか。私達は山に抱擁され、心癒される、そして山頂に立てたときの喜びは、
何ものにも変えがたい、そのような事から、私は山は吾が心の故郷の気がするのです。
日本百名山を達成されたとはいへ、これからも山登りを続けられると思う。お互いにそう若くありま
せん、どうか無理をなさらないようお願いします。今日まで登山を続けられたのもご家族の支えがあっ
たればこそです。これからは、年老いたお母様や奥様と温泉に行かれ、楽しい山登りを続けられるよう
切にお祈り申し上げます。
平成11年9月15日於銀座ライオン成住俊二
日本百名山登頂日一覧表
舩木健
No、
山岳名
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登頂年月日
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同行者(敬称略)
戸来、市畑
輪島、渡辺、緒方春他3名
久本、山岸、河野(英)
加藤、井上他2名
国昼、山田、鷹野
三'浦、山岸、木佐貫
石川、奥田、佐藤、鈴木他
鈴木、高野他to数名
鈴木
村山、佐藤、野崎、中村
佐藤、鈴木、野崎、佐々木他
世取山、小森他
河野(英)高木
石川、奥田
鈴木夫妻、船田夫妻、山路
村山
石川、鈴木
コロドコココロ ド ロド ド
石川、鈴木
窪田、牧原、芳賀
稲田、三浦、成住他10数名
久本夫妻、牛木夫妻他数名
石川、鈴木
小森、荒、
鈴木(邦)木佐貫、大友他
上坂、大友、中田、飯島
三木、大友、三浦、本間他
家内
家内
金子、越智、,県居他
秀隆
家内
芳村
大友、藤田、山田
大友
大友
石川、奥田、鈴木、船田他
新田
新田
今井
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ス概略
鴨沢一雲取山一将監峠一一之瀬一落合
鵯沢一三条湯一雲取山一鴨沢
鴨沢一三条湯一雲取山一鴨沢
増富一金峰山一黒森一信濃河上
金山一金峰山一国師岳一大弛峠一窪平
美濃戸ロー赤岳鉱泉一赤岳一情塁
美濃戸ロー行者小屋一阿弥陀岳一赤岳一赤岳鉱泉一美濃戸口
強稽水一車山一白樺湖
川上温泉一磐梯山一猪笛代湖
沼尻温泉一鉄山一安逮太良山一岳温泉
増富一金山一瑞鵬山ご増富
裂石一上日川峠一大菩薩嶺一同峠一丹波
裂石一上日川峠一大菩薩悼一大菩薩嶺一裂石
裂石一上日川峠一大菩薩嶺一丸川峠一鶏冠山一青梅街道
菩提一三ノ塔一塔ノ岳一丹沢山一蛭ケ岳一焼山一橋本
大倉一鍋割山一塔ノ岳一丹沢山一蛭ケ岳一姫次一東野
上高地一槍沢小屋一槍ヶ岳一上高地
上高地一槍沢小屋一槍ヶ岳一北穂一奥穂一前穂一上高地
穴山一御座石鉱泉一地蔵小屋一観音岳一夜叉神峠一芦安
土合一ラクダの背一トマノ耳一谷川温泉
マチガ沢出合一ガレ沢のコルートマノ耳一天神平山頂駅
富士五合目一富士山一御殿場,馬返
践間神社一馬返し一八合目一富士山一御殿場,馬返
上記10一に同じ
蓉科牧場一馨科山一大河原峠
戸舗沢怪仙丈離七合目握一白須
大清水一長蔵小屋一姐ぐら一十字路一温泉小屋一鳩待峠
芦安一桃の木温泉一広河原一北岳
間ノ岳一酉農.鼠岳一大門沢一奈良田
梓山一西ノ沢一甲武信岳一雁坂峠一広瀬
湯元一前白根山一白根山一金精山一湯元
室堂一雄山一大汝山一富士ノ折立一雄山一室堂
新倉一二軒小屋一悪沢岳一荒川中岳・前岳一広河原一小渋湯
畳平一乗鞍岳一畳平
同上
同上
田ノ原一剣ケ峰一二ニノ池一田ノ原
塩川一三伏峠一塩見岳一三伏峠一塩川
本谷ロー北又渡一西沢渡一前聖岳一本谷口
畑薙第一ダムー搭島一赤石岳一広河原一小渋ノ湯
扇沢一冷観一鹿騰ユ五脅亘岳.唐松岳一兎平
ゴルフ場一万二郎岳一万三郎岳一万二郎岳一ゴルフ場
ゴルフ場一万二郎岳一万三郎岳一天城峠
折立一太郎平小屋一藥師岳一太郎平小屋
祖父岳一鷲羽岳一三俣山荘一湯俣一葛温泉
別当出合一室堂センター一剣が峰一別当出合
栂池山荘一大池山荘一白馬岳一白馬鎚温泉一猿倉
鳩待峠一至仏山一山ノ鼻一見晴一三平帥一大清水
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No,山岳名標高登頂年月日
笹
同行者(敬称略)
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岳山山一山
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輪島、渡辺、黒田、橋本他
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納見、川崎、長谷川
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45大山1了2980s558尋一
46阿蘇山159280s55824秀隆
47石槌山19B28is56了26秀隆
48剣山195581∼5689一
49剣岳299882s5了B7『
50大峰山191583ls5886一
51.蔦海山223784s5984輪島
52月山198084s5986一
53火打山246285s60了.27高木
54妙高山244685360lT28同
55赤城山ユ828日5s60818一
56両神山172486s6161潤
5了木曽駒ケ岳295686s61Bユ一
58空木岳286亘8656182一
59那須岳19i了86s61823一
60武尊山215886s61105永野
61巻機山1962B6s6i1011高木
62会津駒ケ岳213287s62726一
63筑波山8T688s6335久本
一一一⊥_一_』甲]■},r,一一一一一闇一響,一
64大雪山229088s6381河野
64〃"98h108昌宮本
一一閣-一■rrr一一一-』一』甲一一一一』
65四阿山23338Bs6310lG久本
66黒部五郎岳2日弓O89h1723川畑
6了笠ケ岳289889h1了25同
68苗場山2145B9h192河野
69草津白根山215089hl924一
了o美ケ原203489hl1112一
了1恵那山21go90h2429成住
T2黒岳29了8goh2T30川炬
T3高妻山2353goh29i一
了4吾妻山202490h2924成但
75雨飾山196390h21014成仁
了6族問山254291h36モ16成仁
7T蔵王山184191h31726成在
T8光岳2591191h383成仁
79早池峰19149上h3818一
80焼岳245591h3831成亡
81岩手山2041モ92ih481園
82八幡平16L492!h48iF
83八甲田山158592ih483
』
高木(春)赤坂、高沢他数名
上
永野、山岸
高木(春)園田、赤坂他数名
久本夫妻、山岸、河野(英)
河野(英)
宮本、船田
久本夫妻
川畑、河野(勝)
上
河野.(英)高木(昌).大槻
成住、石川夫妻
川畑、河野(勝)
成住、本郷、河野(勝)
成住、三浦
成住、瀬尾、河野(勝)
成住、三浦
園田、宮木、三浦
同上
同上
コ
ス概略
一の沢一常念岳一大天井岳一中房温泉
長岡登山ロー伊吹山一同登山ロ
ニ荒山神社バス停一男体山一同バス停
長者原一久住山一法華院温泉一大船山一坊ガツルー長者原
長者原一坊ガツルー上記温泉一中岳一稲星岳一三俣岳一長者原
鐘塁遡クニ肋r堵轟匙虫母盗年山二曼鐸壁渥甥.
高千穂河原一高千穂峰一同河原
開聞一枚聞神社一開蘭岳一開聞
神原一国見峠一祖母山一同陣一神原
大山寺一ユースホステルー大山弥山一大山寺
阿鷺青年の家一高岳一中岳一仙酔峡
面河一面河'渓一石槌山一土小屋
川上一一ノ森一剣山一見ノ越
室堂一房治'温泉一剣岳一剣御前小屋一仙人湯一阿曽原一檸平
洞川一山上ケ岳一大普賢岳一行者遺岳一八経ケ岳一川合
鉾立一七五三掛一七高山一新山一頂上小屋一伏拝岳一鳥海山荘
八合目一仏生'池一月山一湯殿山バス停
笹ケ峰一高谷池ヒュッテー火打山一黒沢ヒュッテ
妙高山一称明滝一燕温泉
大洞バス停一黒檜山一大洞
出原上一清滝小屋一両神山一西岳一八丁峠一坂本
内萱一西駒山荘一木曽駒ケ岳一宝剣岳一檜尾小屋
空太岳一大地獄一駒ヶ根ユースホステル
大丸温泉一峰ノ茶屋一茶臼岳一朝日岳一三本櫨岳一旭北入口
久保一手小屋沢避難小屋一武尊山一前武尊一駐車場
清水一桜坂駐車場一ヌクビ沢出合一割引岳一巻機山一沢口
檜枝岐一登山道入ロー中門岳一会津駒一大津岐諌一キリンテ
筑波神社前一男体山一女体山一同神社前
愛山渓温泉一北鎮岳一黒岳石室一間宮岳一旭岳一北海岳一黒岳
姿見一旭岳一間宮岳一白雲石室一忠別岳一トムラウシ温泉
菅平牧場一根子岳一四阿山一,鷹居陣
折立一太郎平小屋一北ノ倶岳一黒部五郎岳
三俣蓮華岳一双六小屋一抜戸岳一笠ケ岳一槍見温泉
祓川一神楽ケ峰一苗場山一赤湯一苗場スキー場
草津ユースホステルー芳ケ平一弓池一鏡池一白根火山バス停
三城牧場一王ケ頭一王ケ鼻一山本小屋一大和合
黒井沢キャンプ場一野熊ノ池一恵那山一黒井沢
葛温泉一烏帽子岳一水晶岳一赤牛岳一平ノ渡場一黒部ダム
戸隠キャンプ場一五地蔵岳一高妻山一同キャンプ場
吾妻小富士一東吾妻山一西吾妻山一天元台
梶山新湯一雨飾山一小谷温泉
峰ノ茶屋一浅間山一峰ノ茶屋
大黒天一苅田岳一熊野岳一坊平国民宿舎
畑薙第一ダムーウソッコ沢小屋一光岳一上河内岳一畑薙ダム
うすゆき山荘一河原坊一早池峰山一中岳一早池峰神社
上高地一焼岳小屋一焼岳一上高地
馬返し一八合目避難小屋一岩手山一姥倉山一松川温泉
茶臼ロー黒谷地一八幡平頂上一藤七温泉
酸力湯温泉一仙人岱一八甲田大岳一同温泉
ぜ
No,山岳名標高帆登頂年月日同行者(敬称略)コース概略
84一一■飯豊山一凶2io592h48上5成住、山戸飯豊山荘一門内岳一梅花皮小屋一人目岳一飯豊山一川入
85魚沼駒ケ岳200392h4829成住、木佐貫枝折峠一駒ノ小屋一騎ケ岳一小倉山一駒ノ湯
86岩木山162593h5B上6健友岩木山神社一姥石一岩木山一岳温泉
8了皇海山214494.h6619船田銀山平一庚申山荘一六林班峠一皇海山一同峠一同山荘一原向
88大台ケ原山1595!94h6[了16大台ケ原駐車場一正木嶺一日出ケ岳一桃の木小屋一宮川ダム
89go平ケ岳朝日岳214018マO941h694ih617830了}山戸鷹ノ巣一台倉出一平ケ岳一鷹ノ巣一赤岩平古寺鉱泉一小朝日岳一大朝日岳一竜門山一日暮沢小屋
9192荒島岳阿寒岳15241503941h695-h781291了12ヰ瀬尾、吉永勝原一シャクナゲ平一荒島岳一勝原雌阿寒温泉一雌阿寒岳一オンネトー・・滝口登山ロー雄阿寒岳
93斜里岳し5451951h了了26同上清岳荘一斜里岳一熊見瞭一清岳荘
94羅臼岳160上95fh.7了2了同上岩尾別温泉一極楽平一羅臼岳一同温泉
95後方羊蹄山189395h了「29羊蹄山自然公園入ロー羊蹄山一キャンプ場
96利尻岳17上996h8了123宮本鴛泊港一利尻岳一同山小屋一鴛泊港
9了十勝岳20丁了96h8了25宮本白金温泉一望岳台一十勝岳∼望岳台
98トムラウシ2t4i98hlO86宮本、船田姿見一旭岳一白雲石室一ヒサゴ沼一トムラウシ山一同温泉
99宮ノ浦岳193599hll49豊田夫妻、小沼、西川淀川登山ロー花之江河一宮ノ浦岳一同登山口
loo帳尻岳205299h11714宮本、井上、吉永、船田林道ゲートー帳尻山荘一睨尻岳一同山荘一同ゲート
舩木健さんのr日本百名山踏破達成」に寄せて
大兄の40年に及ぶ壮大な計画、念願・待望の偉業達成、同慶に思います。特に・達成
目前にして大病、それを克服しての悲願達成に感激を覚えるとともに・大兄の精神力・体
力回復力に感服しております。誠におめでとうございます。
大兄とは同期の中でも30年以上、山とクラシック音楽でのお付き合いをさせていただ
き、加えて出光山行クラブの発起人の一人として発足と同時に一緒に入会できたことを改
めて喜びとし、光栄に思っております。
百名山へ一緒したのは、該同行記録によると三座に過ぎませんが、お誘いをいただいて
一緒した山行は20を越えていると思います。中でも、百名山山行同行の最・初は・私が・
興産・大阪支店から石化・本社に異動して、お互いに千歳寮で独身生活を謁歌しているさ
なか、6月20日の創立記念日と日曜とで連休となった休日を利用して・尾瀬・燧が岳
(登頂Nα18、S41.6.19∼21)に社員男女14名の大パーティで行ったのが最初だと思いま
す。曇天ながら商い雲間からの眺望・残雪の下り斜面と風雨の中の尾瀬が原を行軍したの
がつい数年前のように,思われます。
一方、大兄に“南アルプス・鳳凰三山に連れて行'って欲しい"と案内を申し入れたとき、
大兄から多くは闘いていませんが“青春の思い出の聖地"とやらで同行して頂けなかった
のが、唯一の不満なところでありますが(当方は、後年、和田さん、吉永さんと実行)、
これからは、山間の鄙びた出湯に通ずるゆっくりとした山行を奥様と一緒に楽しまれるこ
とを第一義として、二番目に我々に声を掛けていただくことを希望する次第です・
H11、12.20木佐貫秀彌記
`
記
健
木
舩
月
年
1
劇
記平
行
山
岳
尻
幌
アイヌ語でr大きい山」を意味する幌尻岳(=ポロ・シリ)。これが今回の目的の山だ。標高2,052皿、日
高山脈の盟主で、アプローチにはほぼ20回の徒渉を必要とする。北海道にある日本百名山の中でも最も交
通不便な所に位置していて、それ程気軽にその頂きを踏むことはできない。
7月13日(火)朝6時50分に羽田を発つため、4時15分家を出発。6時前、待ち合せ場・所で最初に同
窓の友人船田君と会い、あと宮本さん(港区ハイキングクラブ)、井上さん(成住さんの家の隣人)の到着を
待つ。他に、千歳で落合う予定のわがクラブの吉永さん、とパーティーは計5名の混成部隊だ。
15分遅れの7時05分、ANA53便は離陸、ジャンボ機は厚い雲の中のフライトを続け8時20分千
歳に到着した。機を降りてすぐ井上さんに、そして外に出た所で吉永さんに会うことができ、全員がここで
揃った。取るものもとりあえずレンタカーを借りるためトヨタレンタリース札幌へ。千歳空港営業所へ行き
トヨタガイア4WDを借り船田君の運転で出発。最初に炊事用のガスボンベを購入するため、スポーツ用品
店アルペンへ向う。が、10時の開店時刻までまだ20分ほど待たねばならない。貴重な時間が惜しい(ボ
ンベは航空機内持ち込み禁止のため千歳に着いてから買う以外に方法がなかった)。
購入を済ませ反対方向の登山口に向けていよいよ行動開始。はじめは曇っていたが次第にポツポツと降り
始めた。途中、苫小牧市内で道を間違え約20分のロス。これは助手席でガイド役を務めるぼくの責任なの
で皆さんにお詫びする。車は苫小牧東部開発株の切り拓いた苫小牧東部石油備蓄・北海道石油共同備蓄のオ
イルタンク群を右に見ながらひた走る(15年ほど前にここへはよく出張で来たことがあるのでとても懐し
い)。富川で左折、ここまで来た国道235号線(及びそれと並行する日高本線)から分れる。60Km来たが
登山口はまだ遠い。平取・振内を過ぎて道は沙流川の支流額平川に沿って行く。かなり山の奥深く入ったと
思われるころ、舗装も切れ凹凸の激しい林道になる。あと23Kmの表示板をチラッと見て2・3Kmの間違い
だろう、と皆で言い合う。が、実際に走ってみてそれが間違いではないことが証明された。
結局、登山口である車止めに着いたのは2時少し前であった。ここでまず昼食・終ってすぐ登山準備にか
かる。ここから取水ダムまではずっと林道歩きだ。2時40分出発。途中でまた雨が降ってきたので早足に
なり約6Kmを1時間半で行った。
取水ダムを右に見て河原に下るといよいよ額平川沿いの登山道だ。そのまま右岸を行き川のほとりに出る。
ここで生まれて始めて地下足袋を履く。その下にワラジを付ける。船田君はザイルを取り出す・岩をへっっ
て少し行った所に高捲き道がありトップの吉永さんはこれに取りつく。他の人達も続いたがばくだけ川岸へ
下り岩のへっりでここを通過。これを船田君はマズイと言う。リーダーの辿ったコースに従わないというの
は自分のクラブでは考えられないことだ、と強く意見された。
四の沢出合いの辺り、大石に赤い◎が付いている。ここから徒渉開始。川幅は概ね5mほどだ。かなり深
い。膝上まで簡単に水に濡れてしまう。これは大変だ、転んだら飛んでもないことになる、と思わず気が引
き締まる。左岸へ、右岸へとズブズブ徒渉を繰り返す。両岸が迫っている箇所ではルート・ファインディン
グも容易でない。時間も刻刻と過ぎていく。5時を廻ったが、水量が多いため歩みは遅々として進まない。
左岸の林の中で鹿がヒュウーッと一声二声鳴いた。徒渉回数も7回、8回と数えていたがだんだんわからな
くなってきた。最初は右岸を歩き始めたが徒渉を重ねた後左岸に渡った。左岸で1ヵ所高捲く所があったが
それも難なく越えた。再び徒渉を繰返し右岸の道をとる。一度だけザックの重みでバランスを崩しヒヤッと
する場面もあった。もう6時半を過ぎてあたりは薄暗くなってきた。まだこの先はかなり長いのだろうか、
と不安になってくる。そうこうするうちに、登山道は川筋から離れ台地状の地形をいくようになった。と、
その先に黒塗りの今宵の宿幌尻山荘(2階建て、65人収容)が見えてきた。ヤレ嬉しや!やっと辿り着い
たか、と安堵の胸をなで下ろす。時に6時55分。滑り込みセーフ。徒渉した回数は結局18回?であった。
小屋の先客は10人弱。早速夕食の準備をし、激しいアルバイトでペコペコになった胃袋を充たした後・
明日の本番に備えて早めに寝袋にもぐり込んだ。
7月14日(水)3時半起床。手早く朝食を終え身支度を整えて山荘の前に出る。天候は小雨模様で念願
のピークを目指す目としてはクアイットバッドだ。ぼくの服装だが、上はゴアテックスの雨具を・足にはロ
ングスパヅツを着け、傘をさす。他の人達は上下とも雨具を着け足にはロングスパッツの完全装備だ。ザッ
クカノく一は真紅の人もいて5人揃うと非常にカラフルだ。そこにいたもう一組・昨晩二階に泊っていた・新
潟から来たと言う夫婦は今日はもう川を下るだけだ、と言っていた。
5時15分、山荘前を出発。先頭は船田君、二番手は吉永さん。以下、宮本さん、井上さん、ぼくの順で
行く。山荘の裏手から急な登りにかかる。熊除けの鈴を鳴らしながら行く。山荘の標高が約1,000mであるか
ら今目は一気にt,000mを登らなければならない。
針葉樹の森を登ること1時間50分、r命の水」の立札のある所に着いた。水揚は左側を少し下った岩陰に
ある。うまい水をゴクゴク飲み水筒にもタップリ補給する。15分休憩後、再び登行開始。ダケカンバをは
じめとする樹林帯を行くとやがて森林限界になる。右手方向へ大きく回り込むと大規模な雪渓に出会う。か
なり急なので取っ付きには神経を使う。軽アイゼンもないので慎重に進む。登り切った辺りは一面お花畑だ。
エゾノハクサンイチゲ、エゾキンバイソウ、トカチフウロなど白や黄色の花が多い。残念ながら雨に濡れそ
ぼって心なしかふるえているように見える.まだところどころに雪が残っている。左手にガスに霞んだ北カ
ールが見え隠れする。氷河期の名残りをとどめると言われる通り大きく深く挟られている。ハイマツ帯の登
行はなかなか骨が折れる。根が曲りくねっていて非常に歩きづらい。トップの船田君、二番手の吉永さんの
登りは速い。三番手の井上さんも同じ速さだ。ぼくはついて行くのにフウフウ言う。が、少しづつ遅れ始め
る。肩で息をするほど苦しい。ザックの中身は大して重くないのに…。傾斜もきつい。10分くらい行
っては一,密、入れる。やがてハイマツは途切れ道は左に大きく回り込むようになった。先頭の3人の声がすぐ
上の方から聞こえてくる。が、ガスッているので姿は見えない。
着いた!頂上だ!海抜2,052m!つ・い・に・やった!夢にまで見た?百山目だ!宿願成就のこの瞬間をど
う表現したらいいのだろう。先に着いた3人と感激の握手を交す。記念'撮影ではふだんやったことがないV
サインもした。だが、風雨は強い。顔もこわばる。けれども、心の中は晴天のようにスカッとしていた。長
い道のりであった。百名山を意識して登り始めてから21年、今漸く大きなライフワークに終止符が打たれ
たのだ。実にうれしい。
結局、登りの標準コースタイム4時間とほぼ同じくらいの時間で来られた。晴れていれば大展望が得られ
たであろうのに、と思うととても残念だ。当初の計画では戸蔦別岳へ縦走するつもりであったが、下山道に
ある徒渉箇所が低気圧通過の豪雨による増水で通れそうもないので元来た道を引き返すことにする。
頂上はかなり寒いので吉永さんのツエルトに皆で潜って一人遅れた宮本さんを待つ。が・なかなか見えな
い。ガスの中から人影が現れたが若い人だった。結局、ギブアップされたようだ、ということで下山の途に
つく。
下りは速かった。足取りも軽く、こちらも標準コースタイム通り3時間で来てしまった。山荘には1時半
に帰着。この日同宿する3人組の1人に山荘の前でシャッターを押して貰った。山荘に入り3人組の人達が
薪ストーブに火をつける。その後全員が濡れたものすべてをぶら下げて乾かす。今晩はこの小屋に2パーテ
ィー=8人しか泊らないので非常にユッタリだ。5時ごろまで横になって疲れた身体を休める・夕食時に同
行の皆さんから祝福をして戴き嬉しかった。
7月15日(木)今日は再び額平川を行く。暗いうちに目が覚めて4時には起き出した・山荘の周辺では
コマドリがしきりに美しい声を振わせる。川の下りは昨晩同宿の3人が同行して斐)いいと言う・彼らは昨日
北カールから同じ時間帯に下ってきたのだが、今日は里へ下り、できれば明目アポイ岳に登りたい、とのこ
と。61歳のり一ダー格の男性は渓流釣りによく行くそうだ。
そそくさと朝食を済ませ6時過ぎ8人で出発。沢歩きにも強い3人が加わり心強い。川を下りながら一番
若い人からつぎの2点を指摘された。一つは徒渉中に川の流れに正対してはいけない、もう一つは片足を確
実に川底に落ち着けてからもう一方の足を動かすようにする、という2点である・第一点については・どう
したことかたまたま川の流れにまともに向き合ってしまい強い水圧にタジタジとなったことがあった。二点
目については、ちょっと気がせいていて片足を踏みしめる前に体重を移動させたのを目ざとく見つけられた
ものである。それにしても何十年も山歩きをしているぽくが一挙手一投足についてアドバイスを受けるとは
思わなかった。しかしこれも少しでも安全にとの親切心から言われていることなのだから、と素直に受け入
れた。
水かさは一昨日よりも明らかに増していた。場所によると太股の付け根くらいまで来るときがあって少し
く怖さを感じることもあった。が、そんな時3人組はストックに捕まれ・と助け船を出してくれた。これは
大いにありがたかったが、その後でリーダー格の男性はわれわれのパーティーについて批判的なことをチラ
ッと言うことがあった。
前々目と違ってこの日は徒渉も割合順調にいき取水ダムには2時間半で着くことができた。林道を歩くこ
ろには皮肉にも薄日が射してきた。
車止めから再び車上の人となり途中十勝岳に登られる井上さんを振内で見送った。あと千歳へ車を返しに
行かれる吉永さんとは富川駅前でお別れし、宮本さん・船田君・ぼくの3人はアポイ岳(途中で取り止め)
襟裳岬と回って札幌から小樽に出、さらに海路を新潟へ向い19日に横浜へ戻ったのであった。
以上
四女古女良山を歩く
繭
㈱
かも知れないが、歩けるうちに海外の
である。今回は、高山植物の宝庫とい
は15名、全国から集まった43歳か
がすごい。大半の人力文キリマンジャ
歴を有している。中には年に数回出掛
山脈の主峰で、6250米の高さを誇
山、そして大姑娘山の四つの峰から構
高山植物のウオッチングと、大姑娘山
四川省の省都、成i細こ飛び引泊。成都
」日隆(リールン)(3150米)に
の巴朗山峠を越えるため・早くも高山
冠雨による崩壊箇所多く、予定時間を
待所と称する宿に泊まる。シャワーは
存知中国式のオープンシステム。水洗
飼われており、鶏がトイレの中に出入
った。
等の荷物を馬に預け、草尾根上を小さ
行く。36GO米ほどの老牛園子と呼
一ト場となっている。一つのテントに二
め下が湿っており、エアーマットカ泌
一夕ッフが用意してくれる。ここでも、
1でき、車窓を楽しませてくれる力良日
それは壮観である。その種類は200
ラソウ、キンポウゲ、ウメバチソウ、
こともない球状の彩り豊かな珍しい花
:あることを知った。4000米を越す
た花の万博で、大変、珍しい花として
のような木道歩きでなく、自由自在に
0米地点に前進キャンプを設ける。こ
、等の高山植物を見ることができる。登
1く歩くこと3時間、4025米の大姑
め二姑娘力・ら四姑螂DLL[並みも、遠く
i念であった。
」であれば、全く問題ない。大姑娘山
チングに専念すればよい。万が}、疲
・日隆まで、僅か60元(1200円)
1ある。今回もそうであった力文雨の多
剴大蜻蝦山山旧
て5025〕
・塾き
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佃㎞ノ
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滋藤掴』・,1一,,
■
∞∞∞∞∞∞ 欄撚 ∞∞“ ∞∞∞∞∞∞
ずに園(C1へのルート画1
/=・1
ヒマラヤトレッキング体験記
豊国冶記
登山に興味を持つ人ならば、世界一高いエベレストに登るのは無理として晃)一度は見たい
と思うのではないだろうか。私たち夫婦は昨年(1988)末からヒマラヤトレッキングの計画を
検討し、根気強く温めてきた。そして好天が約束される最適時期(ω肚旬∼12月上旬)にA社が企
画するトレッキングが最適と判断し、参加を申し込んだ。
U月14日(目)成田発バンコック泊まり。lI月15日(月)午前バンコックを発ち機中右手
にヒマラヤの白い峰峰を見て、季節は秋のネパールの首都カトマンズ〔標高1,400m)、カトマン
ズの空港からホテルへ向かう道路の統制のない混雑に一同びっくり。信号一っ見あたらない
道路を人・自転車・輪タク・三輪タクシー・耕耘機・ハ執・トラックなど暗黙のルールがある
んだろうか、我々には各人が思い思いに勝手気ままに警笛を鳴らしながら走るように見えた
が、排気ガスで気持ちが悪くなるし道路横断も慣れない我々には命がけと見えた。都市基盤
が整わないままに急速な人口増加と近代化が進むカトマンズを象徴する光景だ。
カトマンズに一泊して翌H月16目(火)2D人乗りくらいの双発機に乗り約40分のフライト、
山の斜面に作られた砂利の滑走路に砂塵を巻き上げてルクラ空港(髄2,800mlに着陸する。こ
の地は仏教信仰に篤いシェルパ族σ)土地でトレッキングの出発点でもある。ここからエベレ
ストのベースキャンプに至る道はrエベレスト街道」と呼ばれ、私たちのグループ(男5人、
女5人、50∼60才台)もこの道をたどり目的地のパンポチェに向かうのである。
トレッキング1日目(U月i6目午後)快晴
今日は足馴らし程度、次の宿泊地パクゲイン儲2、6G岡までヒマラヤ山脈の氷河から流れ出
る幾筋もの川が合流した川ドラードラーコラ(フll)に沿う平坦な道を約3時間かけて歩く。
右方向には白く輝くクスムカンガル(6,370m)が美しい。日本人も含めてトレッキングの外国
人が多いのに驚く。トレッキングを支えるシェルパポーター、更に荷物を運搬するヤクヤゾ
ッキョ(ヤクと牛の交配種)、はたまた生活道路として利用する人たちが行き交い渋滞さえ
生じる場所もある。乾期で道路は乾燥し埃が舞い上がる。ヤクヤゾッキョは歩きながら何処
でも大小便をする。それら幸)乾燥して舞い上がる、極めて不衛生である。マスクやバンダナ
で口や鼻を覆う。
2日目(H月百日)快晴行程約7時間
ドラードラーコシの右岸を行くと右前方に山容の美しいサムセルク(6,618m)が白く輝く。
大小合わせて5っの吊り橋を渡りジョサレ〔標高21800mlの守衛兵が守るサガルヌ一夕国立公園
入り口に着き、ここで入園手続きを済ませドラードラーコシ左岸をしばらく行き、目も眩む
高さの吊り橋を渡ると、ナムチェ(標高3、44圃への標高差600mの急登だ。私たちはここまで5
時間近い歩きで相当疲労し足が重くなっている。急登の途中樹間より待望σ)エベレストを眺
めることができ一時疲労感を忘れはしたが、ここまでの2時間余りの急登は高山病が出始め
る高度でもあり苦しい軽いはずのザックも重い,
女性たちは同行のシェルパにザックを持たせ、空身で重い足を引きずりあえぎながらナム
チェを目指す。やがて視界が開け三方に囲まれたすりばち状の地形をしたシェルパの里ナム
チェバザールに着く。r着いたぞ!」誰ともなく安堵の声が挙がる。ナムチェバザールはこ
の地方の交易の中心地であり、トレッキングの拠点として賑わっている。土産物店・登山用
具店などが両側に並び町の様相を呈している。広場ではチベットから商売に来た人たちによ
るバザールが開かれていた。
私たちはロッジに入ってぐったり、全員何らかの形で高山病の初期症状で出始めている。
症状のはっきりしている人は予防薬(利尿剤)を飲む。夕食後は寝るだけ、夜間は氷点下ま
で気温が低下するので着膨れて寝袋に入る。
3日目(11月18日)快晴行程6時間半
今日も高山病の徴候と闘いながらのトレッキングとなる。右側眼下にドラードラーコンの
谷を見下ろす低灌木しかない見通しの良い山腹のトラバース道をたどり、次の宿泊地タンポ
チェ(標高3、860m〕の大パノラマが開けこσ)コースの中でも優れた眺望が得られる場所である。
一旦谷底のプキンテンガ1隔3、250m)まで下がる。対岸の山の斜面には一面シャクナゲが繁り
対照的である。再び標高差600mの急登を経て初めて体験する高度となる。好展望地のタンポ
チェに着く。ここにはチベット仏教の大きな僧院がある。また登山家加藤保男と小林利明両
氏の慰霊碑があるという。全員高山病の症状が進行し、程度の差はあるものの食欲不振・頭
痛・腹痛などで沈黙がちだ。日が落ちると急に気温が低下し明け方には一5。C以下まで下
がる。ロッジと言っても名ばかりで室内は暗く寒い、湯たんぽ・ホッカカイロで温めても寒
さで熟睡できない。しかし夜空には雲一つなく星空がすごく美しい。月下で白く浮かぶ絵う
エヴェレスト、ローツェの眺望もすばらしい。
4日目(n月19目)快晴行程6時間
いよいよエヴェレスト、ローツェの好展望地で最終目的地でもあるバンホチェ〔擁部、!脚111)
丘までの往復だ。短い距離だがチョルチン(仏塔)のあるデボチェヘの標高美川)m近くの下
りと再び丘まで登る標高差3㈹m足らずは女性たちにとっては実に苦しくし/)どい歩きとなっ
た。しかしバンポチェの丘に着き前方のヌブツエσ、87珊の肩越しに聳え白く輝くエヴェレ
ストと、その右のローツエ(8,5Umlを目にしたときこれまでの苦しさや疲れはどこかへ吹き
飛んでしまった、rワアーツ匂、r凄いな!」、「綺麗だi」、r来て良かった!」、rす
ばらしい眺めだ!」、rバンザイ均各人の口から喜びとも驚きと吏)つかぬ感嘆0)声が挙が
る,,
お互いに写真を取り合ったり展望をカメラにおさめたりしている間に時間が過ぎてしまった、
名残を惜しみつつパンポチェの丘を後にしタンポチェに戻り、僧院で読経中の僧侶達を見物
する,,昨夜と同じロッジに泊まる。
5目目(ll月20目)快晴行程8時間
明け方隣室が騒がしいので何事が起こったか?聞いてビヅクリ、百名山も完登し一番若く
て元気そうだったツアーメンバーの一人が重症の高山病(肺水腫)となり、急遽ヘリでカト
マンズの病院へ搬送されると言うではないか,、高山病は恐ろしい。
復路はナムチェバザールをバスしてタンボチェから8時間歩いてモンジョ泊まり、エヴェレ
ストビューには時間が無くて立ち寄れず。翌日ルクラまで6時間余り歩く,,
トレッキング最終日(11月2旧)
ルクラに着き、疲れかっ苦しかったが満足感で胸一杯になる、一皆笑顔、笑顔でバンザイを
する人もいる。胸にジーンとくるものがあった・当夜は夕食後地酒(日本σ)ドブロクに似た
にごり酒)で大宴会.同行のシェルパ、コック達も集まる,、ネパール製民族楽器の打楽器を
巧みに打ち鳴らし彼らの歌を唄う、若者(17∼四才)手・足・腰をリズミカルに上げ下ろし振り、
踊りも始まる。ツアー参加者も若者に引っぱり出され見よう見まねで踊り、手拍子も入り、
盛り上がる.私達夫婦も仲間に入れてもらう、トレッキングの最後を祝うに相応しい凄く楽
しい2時間余りであった、
翌11月2順雫)快晴、ルクラからカトマンズヘ。ホテルでトレッキングσ)垢と汗を洗い流し
休養。
次の日月21旧快晴の下で、エヴェレスト、ローツエなどヒマラヤ山脈間近に迫る大迫力の
マウンテンフライト、そして午後はガイド付き0)市内観光。
lI月24日はカトマンズからバンコクヘ、そして翌朝成田空港へ.そして12日間σ)エヴェレ
ストパノラマトレッキングは私たちに素晴らしい感動と貴重な体験を十二分に与えてくれて
終了した・(平成11年11月記)
酬■章懸場夷が..・
嬰.、が臥・乱・∴・-.癬購縷讐.離
1“}燕鳩,..,一。嵜.一,・一帰一強で沢渡の四差路に出沈。左
囎麟一捷い堀沸森「唱燭轟㌶鰭駝瑠蕪菜
朝國纂簿間一、{壁一面讐ンクのシ番ケソ串,
呉婆支い巽線議嶺』ワラナ一吾薯替藤
激欝難験そ霧亦一躍.乱の馨ある.、』沖
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「鞭餌一階…審議②墾難蘂
檸艶.罐擦傷ス謙あ.、美ケ露嚢に藩μ
二、.口津諒君で湿諏訪に髄・…も」■撃峰富農冨ツユ立斎
の牛霧絵.聾.妻憲、、議董灘讐隅
員葱鰻季峰蚕警鯵、落慶襲潟雛菰
ム五㌦バスにコ強精氷畑布畢じハさ「'帰りはも亡来た透磁駐灘海一
た誇が藁寡毯た・まの薙一膳原の還一
脳臨罐鱗騒鵬聯…擁縫轟夢・
新
富ニヒ・山頂
山に志す人なら、誰でも一生に一度は、日本一の富士山に登ってみたいと思う。万葉の昔から語り継がれ、小学
校の唱歌に歌われた山、慕われ親しみ深いこと、一夏に30萬人が登り人気が高いこと、円錐形の独立峰で、姿の美
しいこと、気高いこと、背の高いこと、裾野が長く広いこと、外国でも「富士山」と言えば日本を代表する山で知
名度が高いこと、どれをとっても富士山は「日本一の山」で、私達を魅了する。富士山のある}ラシアプレ斗は隆起す
る太平洋プレートに押し込められ沈下した為、割れ目(地溝、フ†ヲ糎グナ)が出来、ここからマグマが上昇噴出して造山。
現在の富士山は約5000年前に噴火爆発を繰り返し小翻岳(柳0欄、訪'{房イン胎目・230舳)古富士(鯛蹴、撒269
3m)の2火山を埋めつくして生成した。五代将軍網吉の時、宝永の大爆発(録蝋1707年)があり、今は静かになった
が火の山として人々に恐れられ、敬慕されてきた。富士山に最初に登ったのは聖徳太子で甲斐の黒駒に乗って天駆
け、役小角禰お勃は伊豆大島に滅罪になったが、夜になると、孔雀の呪法で富士山に飛び修業し、明け方に島に帰っ
たと言い伝えられている(富士開山の祖)。平安末期、富士上人と呼ばれた未代上人は数百回登り、信仰登山の風
習を広めた。室町末期、御臨おし長谷川角行(1541∼1646)は信仰登山者の世話や指導をした(富士講の始祖)。
明治になって廃仏棄釈や女人禁割が解かれる等の変遷を経て、今日では一夏に34萬人が登る。今までにどれくらい
の人が登ったであろうか。
私はこれまで富士山に2度登っている。最初は昭和31年7月で、この時は、装備もそこそこに、ズ7ク靴で出かけ
た。バスで吉田口5合目まで行き日暮れから登りはじめ、9合目でご来光を拝んだ。頂上は寒くひどい頭痛で須走口
を転がるように下山した。細かい砂礫がズ7ク靴に入り歩きずらく幾度も靴を脱いで取り出した。当時は地下足袋に
ゲートルが最高の出で立ちであった。次は平成4年4月、佐藤小屋で泊まり、雪山教室に参加している。モンブラン登頂の
為の事前トトニングであったが、強風の為8合目あたりで登頂中止、ピッケルによる滑落停止訓練をしている。登らぬ馬鹿、
2度登る馬鹿と言われるのに、私はまた何としても富士山に登りたくなっていた。古希を迎えるので何か記念にな
るようなことをやりたかったが、それよりも美しい不二の「姿」に魅せられたからだ。京都を目指して東海道五十
三を歩いているが間の宿(由比∼興津)に望嶽亭があり、この先に薩唾瞭があるがこの辺りから振り返り見る富士
山は駿河湾に浮かび、息を呑むほど美しい。北斎も広重も、胸をはずませたに違いない。河口湖もみじマーチでは
.冠雪した富士山が湖を一周する私達を終日静かに見守ってくれた。まるで慈母のようであった。そのような訳で、
登頂の念抑えがたく三度富士山を訪れた。
主な登山口は吉田口・須走口・御殿場口・富士宮口があるが、歴史上最も古い表登山道である富士宮口を選んだ。
平成11年7月24日・梅雨明けの気象を見定めて出発、同行の小沼さんは6度登山3度壷頂、窪田さんは昭和30年・巽と'
空腹で敗退しているので何としても成功させたかった。私はエベレスト・トレッキングや玉山の経験から高山病にならぬよう心
掛けた。下界より気圧は%、酸素は70%、気温は20℃低い(譲100陳つき礁殿1諫っ識鐡1耳蝉)ことから、①一週間
前に大汗をかいて体調を整えて置く。②痩れないようにゆっくり登る。③山小屋で充分休養をとる。(9合粥340馳で
劇鰍り・8欄323醐る)④レイヤザに留意し体を冷やさない、枷ン持参⑤極力水分を取り代謝をよくする⑥
頭痛薬、携帯用酸素者ンベを持参する等。私達は昼食後、編合目238舳からとりついた。もう森林限界なのか、わ
タデがところどころに生えている。見上げる富士山は黒々としてさすがに大きい。快晴に恵まれ陽射しはつよいが、
登るにつれて吹く風はひんやりとして心地よい。見下ろすと、左に三島、右に富士宮市街が見える。内外の天下の
情勢を・あれこれお喋りをしていたら・16時過ぎ山小屋に着いた。翌朝2蒔へ7ドランプをつけ出発したが、山頂を目指
す人多く数珠つなぎ、胸突き八丁あたりで風が砂塵をまきあげ霧雨となる。流れ行く雲間から下界の夜景が時々見
えるだけで・弦月も星空も何処かに行ってしまった。「醤悔、憾悔、御山は晴天・六根清浄」を胸の中で唱えなが
らひたすら登った。5時、富士山本宮浅聞大社頂上奥宮に参拝、高齢者記嬢し記陰品を頂いた。末廣には「国鎭無
上嶽」とあった。記念写真をとる人・お守りやお土産を買う人、郵便局で葉書を出す人で、ごつたがえっていた。
幸い皆体調もよく、雨の中時計廻りに、お鉢巡り。三島岳から一旦下り馬の背を登ると石垣の上に新しい木柱があ
り「日本最高峰富士山剣ケ峰3胃6米」とあった。顧番待ちをして写真をとる。向かい倒にある白いドーム型の建物は
測揆所で、ここは野中至千代子夫妻が明治28年私費で小屋を立て、厳冬期に観泌をした地点、終戦時ア刈力の艦載機
に銃撃を受けたり・昭和39年・馬方・強力・ブルドーザ・ヘリガターが資材を運び上げ世界一の気象レーダーが設置されたが、今
は気象衛星がこれにとって代わり閉鎖されていた。万年雪の噴火口も雨で見えない。手袋も濡れ冷たくなった指で、
曇る眼鏡をぬぐいぬぐい久須恵神社に着く。弁当を食べる。塩昆布と蜆の佃煮、ご飯は冷たい。吹き上げてくる風
で砂が舞い込んでくる。山中湖がガスで見えかくれ・一寸思わせぶりだ。土産物屋や食宝は吉田口から来た人で脹
わっていた。賓の河原辺りは吹きさらしで風も強く雨具のフードを手で押さえ吹き飛ばされないよう歩く。了時30分
いよいよ下山開始、9合目からはウソのように快晴、国際交流セン外のゼ7ケンをつけた各国の少年少女が登ってくるの
を励ましながら、ガレ場を軽快に降りた。霧雨でご来光は拝めなかったが、体調を整え装爾に万全を期し、年齢の
割にはよく頑張り通した今回の富士登山は先ずは上出来と言えよう。JR三島駅前で、うな重で乾杯、永遠に美しく
気高い富士山であれと祈り、あわせてお互いの健闘を祝した。
古希を迎えたからと言って、古来稀なりとは言えぬ時勢になったが、それでもこの齢まで健康に生きて来れたこ
とは誠に有難いし・富士山頂に立てたことで・何か又新しいスタート台にいる自分の姿を発見したように思う。
訓麟脚㈱協、糊しよう。験しい縢燃駒蠍擬育もう,細腕難購弘人と賜う.舳畷鹸購訊ひと
り難しよう。齢駄蹴巌・麟く縁しよう.罐暴・畷
趾8峰孫(鮒岳)376馳,鱗3胃臨騰(贈岳)37臨囎轍)374晦大日岳(騙)375臨齢岳(騰)375幅戴ケ岳(簸ケ岳)
(梱り)3760皿,財岳(欝岳)376伽
成住俊二
以
憲で:土:一発【.“言置
平成11年7月24a(1土)∼25日(日)
窪田雄・・郎
〔、はじめに
①山名の由来
定説がない。アイヌ語の火の袖いう意味の1'フチ1に由来する説4朝鮮語のPu]、火
の意味の説。藤の花炉垂れ下がるような空に架かった長い裾野との説。虹のことをrフシ
.1と呼ぶ方書がある事から、天空に架かる美しい山裾を虹にだぷらせた説等様々に考えら
れる、〕
②1富士の花
フジハタザオ・メイゲツソウ・ミヤマオトコヨモギ・オンタデ・ムラサキモメンズル・
フジアザミ・ヤナギラン・アキノキリンノウ・ホタルブクロ等が見れるとガイドブックに
あったが、富ゴf宮fユ登山道にはお花畑は見当たらなかった。
③登山道には全面的にローープが張られ、支柱もシッカリしており..これに掴まりながら登
り下りが出来るので非常に助かった。
2、交通
L〕)7ナi24日(上)
こだま40了号8二則東京発。8=2了新横浜発。東京は自由席で座れるか、新横浜は
指定席を買っておいた方が良い。熱海で3分の1はおりるので以後は空席が目立つ。
9二節三島着、,東.駅から¥姐00
バスは在来線の南口で、新・幹線口(北日)と間違'わないように(但し帰りのバスは何故
か北口に着いた)
改札を出て右側「富士箱根伊豆案内所1でバスの切符を買う¥2390
定刻9:30が5分遅れで発車。満席で2友ほど乗れなかった。10分前には並んで席を確
保しブ=い。
途中日本ランドでトイレ休憩15分。霧雨で肌寒い。翌日も立ち寄一)たがここだけやはり
霧雨だった。ここは天気がいつも悪いのかしら。稼ぎ時の日曜なのに客の入りもイマイチ
の.kうノごっブニ。
所が標高200伽叢登ってくると雲海の上に出て誠に好天気となり、先程まで寒く長袖に
着替'え.たばかりた・〕たのに今度は暑くなる。
11120駐車場が満杯で、下り側に路上駐車するので道路幅が狭まり渋滞する(8!ノ7日
力、ら8/16日迄はマ・イカー乗ン).入れ尋嚢f.ヒとなる)
U:狙終点新5合目着。3Kl∬走るのに20分かかった。三、島からの所要2時間5分、,
②了月25日(ロ)
U:20新5合目まで一ト'山.バスは12130発で時間がありすぎるが、ここの昼飯は不味そ
うなので三島まで我慢する。取り敬えずは毎ビ・一一し¥400で無事下山を祝い乾杯。
8合目を早立ちすれは(我々は2=06)12=30のバ.スにゆrくり間に合う。
12二30バスは定刻発車。,定員45名に22名の乗車.,今度は早くから並ぶ必要はなさそう。
2=15三島着。所要1時間45分。三島で蕎麦屋に入り何故か鰻の昼飯。¥1200
i
'一
=τ=11弔'三后毒1
o已壬。凪τ西..牢`閥〔1固」
9
3:mこだま乗車。3名とも自由席でゆ・一)くり座れた。
3、登1-h
①7月24日(土)
12:20新5合目出発。
i2=38新6合目着(2490m)12=46出発。
13二12避難小屋着(2600m)この辺りは未だ余裕綽々、,良く暗れて山頂まで見通せる。そ
して雲海の眺めが素晴らしい。日射しが強く暑いが風が涼しく心地良い。ウッスラと汗ば
む程度で快適である。13115出発。
13:47新7合目(2780m)着。新5合目が森林限界で、後は草むらのような灌木のような
緑である。が登山道は砂混じりのガレキで、滑りやすく勾配もあるので結構キツイ。1年
で・・一番混む日なので人のラッシュで渋滞する。渋滞で休み休みの登山なのに酸素も薄くな
って、息は上がり足もヨロヨロと漬けない限りである。14=09出発。
i4:31息が苦しく小休止。15:00発。30分・は休みすぎカ・な。
15:23新了合目(3010m)着。15=3]呂発。
15:52又もや小休止。疲れて足が雪田ケル。哀れなものだ。15:58出発。
16:i6本日の宿8合目(323伽)着。アア有難や。風が涼しいので汗は余りかいていな
い。緑青)この辺で殆どなくなる。
②了月25日(日)
1:30起床
2=06出発。サブザックに必要品だけを入れ.、後の荷物は小屋が預からないので仕方なく
小屋の陰に隠す?実際は丸見えだが誰も持っていく人はまずいまい。
2:12早くも渋滞で前に進まない。日の出が4時30分だから皆が2時に出発(頂上迄
の所要時間2時間プラス余裕30分。所が渋滞で実は3時間かかった)するのでラッシュ
は当然である。シーズンは1時出発が望ましい。只早く着きすぎると山頂は寒いですよ。
2:459合目着(3400m)風が冷たく、頭も少し痛いので用意の酸素ボンベを使う。効果
あり。3二〇〔1[聴発、、
3:459合5勺(胸突八丁)渋滞でゆっくり登のに、息は上がり足はヨロヨロ。疲れた
本当に疲れた。
4:30ご来光の暗闇だが渋滞でまだ頂上は遠い。それより昨日はクッキリ見えたそうな
のに、今日は霧雨で視界ゼロ、寒いだけである。ホントニ誰の行いが良すぎたのだろう・
地図ではここから頂上まで30分とあるが、1時間io分を要した、こんなにゆっくり
登りなカくら茜:し,いこと。苦しいこと。
5:00富士館
5:32剣ケ峰と間違い三島岳へ登ってしまう。
5:50日本最高峰の剣ケ峰(3776㎡)に漸く、漸く到着。8合目から3時間と44分を要
した訳である。富士山は・トツイ、エライの一一語に尽きる。こんなに苦労したのに霧雨で視
界ゼロの故か何か余り感激がない。寒いし風も強い(風速20∼3t伽)誰か気温はマイナス2
度と言っていたが、下山して新5合目の表示ではプラス4度であ・諾二。冨士山測候所のレ
ーダードームがあるが、今は無人で使われていない。新田次郎の世界は過去の事である。
2
'自
弁τ:u`、i■■らる`τ
ゆ日≠±oτ爵“ψ轟u〔llゴ」
1〔っ
最後の元気を出してお鉢巡りにとりかかる。成住さんも小沼さんも至って達者で立派で
ある。古稀からは高齢者登山という事で、奥宮に記帳すると記念品が頂けるそうな。成住
さんは今年古稀だとかで寵、鰻され劇.'た。
お鉢巡りはお天気なら、富士出の火口や万年雪も望めて良い景色だそうだが、何せ今日
は視界ゼロで且つ強風である。雨具のフードが風にあおられるのを押さえながら黙々と歩
ぐ
し0
6136吉田口頂上着8合小屋で貰った朝飯(ご飯にコンブとシジミのツクダニ少々)
ツメタークなっていたが、これまた冷たい水で流し込む(小屋でお湯を貰おうとしたらア
ッサリ断られた)時々霧が晴れて山中湖が見えると又スグ見えなくなる。、思わせ振りだ。
頂上なのに土産物屋が軒を連ね繁盛している、、私も富士山の絵葉書を買った¥50e
7:10出発。
了125密士館着。
8:009・合5・勺着n
8:289合目着。8∫40丘}発。
9二〇〇8合目着。置いていた荷物を取って9:15出発・
9142元祖7合目着。io:on出発。
10=16新7合目着。io=26出発。
10二40避難小屋着。10:48出発。
U二〇〇6・合目碧。1LO6出発。
j.1:20終点・新5合目到着。
登りと違って下りは.早い。若い者を追い越すように、ガレ道を滑るように(転ぶ
ようにかも)走り下りた。お陰で翌日から3日間は太股が痛くチンバとなる。
4、8合餌山荘
①食'事
17つe夕食プラスッチック容器にカレーライスと福神漬少々。それとお茶…杯。粗.末
だが味は良かった。朝食は12時から弁当が貰える(前述)
②酒宴
17=20∼45外で小沼さんのウイスキーハーフボトル、成住さんのジャコ、私のポテ
トチップ(気圧が下がったのでパンパンに袋が膨れたのには驚く)前に立った女子短大生
(何か中学生に貝.えた)をも肴にしてアットいうまにウイスキーはなくなる・寒くなって
来たので部屋に戻る。
③部屋
部屋といっても押入れの大きいようなもので、2段に仕切ってある。2間幅に9名が寝
るので、1人当たりの占有幅はタッタ40センチである。カワイコチ・ヤンなら嬉しいが現
実は両側ともオヤジというのは難儀な事である。寝返りはおろかrキオツケ」でも腕が触
れる。加えて両側ともいびきをかく。耳元でいびきの挟み打ちと'いう悲惨な初体験をした
更に加えて蚤かダニがいるらしく'首のまわりが痒い。痒みは背中まで拡がり朝まで(起床
L30だから深夜か)マンジリトモ出来なかった。
薗トイレ
黛
一rl
泡でフラッシュする方式で異臭がする。結局便秘にかった。が家に帰')たらス・グに直っ
た。
⑤夜景
だが悪い事ばかりでは'・。隣の客が外の夜景が素晴らしいというので、19二50に外へ
出る。昼は全面雲海で何も見えなかったが、正面はまだ厚い雲に覆才)れているものの西側
の富士宮、東側の御殿場の空はクッキリと晴れて、夜景が素晴らしい。丁度土曜日のせい
か御殿場では花火が上がっていた.花火は下から仰ぎ見るものたが、何と遙か上から見下
すという不,慰'議な初体験が出来た:。
⑥.野宿の人達
山小屋は満杯でアブレタ人達が大勢暗闇で野宿をして、時間待ちをしても"二.まだお天
気が,良いので助かるが、雨でも降ったら体力を消耗して登るのを諦めなければならないだ
ろう。
※1泊2食¥8000は.いか、適正か、安いか,コでも8合目に泊まれブニので頂上を目指
せたのも事実である。
5、装備
..しから厚めの帽子、ゴアテックス雨具、長袖シャツ、マフラー代りのタオル、毛のセー一
夕ー・、ダクロン股引き、ゴ了テ・'ス登山靴、単手の靴'ド2足重ね履き。そわ,にホカロン
ストック、酸素ボンベ等で装備は準1流、技術・体力は3流である・ホカロン、酸素ボン
ベは大いに役立・・'.た。
6、おわりに
①冨士山はj度登らぬ馬鹿2度1登る馬鹿というが、私の場合44年・前に悪天候で8合目で
断念した儘富士登出のチャンスが無かった。今回漸く登頂当来、何やら借りを返した,,.う
でホットしている。誘・〕て頂いた成住さん、小沼さんは良きパートナーであり感謝致しま
す=1
②患は.}二がり、足はヨロヨロと情け無いかぎりで、2度ど、.ろか何回も登る人が多い中、
駄も古稀で再携戦出来るかどうか自信はないか山を楽しんで行きたいと思います。
私には欝ゴコー1∬ま見る1-Llであ・rて登る山ではないのかしらp
以卜.
4
曙.ヨ
ε雪=.工{二'z『出る∈T
阜口壬,レ阜τ`“比`一1・足囲ヨ
墨
立{i-」発li∫言己
1999年8月7日(土)∼5日(月)窪田雄一郎
1、はじ冴)に
①山名の融来
立山や楯山などの名前は屏風を立てたような出、立ちはだかる山などにつけられる。立
1.1∫という峰はなく、雄山・大汝山・富士の折立の総称。又別山・浄土山と合わせて立山三
山と呼ばれ,.る事もある,,
②花の見所
塞堂がお花畑になる、、アオノツガザクラ・ミヤマキンバイ・イワイチョウ・チングルマ
・台モマスミレ・タテヤマアザミ・タカネツメクサ・ウサギギク・ヨツバシオガマ・トウ
ヤクリンドウ等。山頂付近ではイワギキョウ・コケモモ・コイワカガミが咲く。
③8月7目(土)から8月9Ei(月)迄の3日間だが、3E!とも誠に好天に恵まれ眺望が
素晴らしかった。
④山行きを楽しんだ¢)は山歩クラブの方々で、大変良きパートナ…ですっかりお世話にな
りました自谷島画伯は素人離れの軽妙な絵筆遣いで次々に傑作をものにされ感心致しまし
た。尾山Bさんが転倒され,右足にヒビがはいったというアクシデントがあり、我々中高年
の登〔.ljは怪我をし.・ないのが第一であると考え.させられました。
参加者は尾山夫妻・成往夫妻・谷島夫妻・栗田夫妻・藤原・富山・久保田・桑原・窪田
男7、女5計13名(敬称略)
2、8月7日`士.)室堂迄
①スーーパーあずさ3号新宿8二〇a八王子8:33、八王子はお天気雨、勝沼は雨となり成住さん
とご…締すると雨の確率が高いのかしらと失礼な考えが一瞬よぎる。しか1、'甲府では雨も
上がり天気は尻、ヒがり。牽内は満席で早めの指定席確保が必要。
信濃大町11115着。扇沢行きバス11=30¥1330、シーズンは騎腐になるので並ぶ必要が
ある。扇沢11158。ここで地鉄富山迄の通し券を買う¥8990。
扇沢から黒部へ向かうトロリーは乗車予約も出来たが、実際は先着順で並んでの乗車で
あ{、た。i2二30発立錐の余地無し。12=42黒部着。流石にヒンヤリ'する標高1455m。しカ・
し外に出れば結構暑い。
②200段程の階段を息せき切って.ヒがると展望台へ出る。展望台の食堂は無料休憩所の趣
で、ここで持参の弁当を・つかう。食堂の食事はカレー¥5印のみ・13二29発。
スグ傍にはレストハウスがあり、こちらは普通の食堂がある、,岩魚定食¥1釦0ラーメン
¥650等。
③黒部から黒部湖へはダムの堰堤を歩く。放水口の真上から覗いたら、放水中で虹がかか
・)ていた。富山さんが寄一1てきてr1:45なのに2100(虹)とはこれいかに」と言う。オモ
シロイデスネ"サー笑いましょう。放水臼の、ヒは風,が爽やかで気持ちが良い。放水・期間は
6/25∼1〔}〆i5て;'づ一。
④黒部湖
黒部湖は立山連峰と鎌立山連峰の狭間を堰き止めた黒部川第4発電所によって出来た湖
で、総貯水量2億㎡で湖面には遊覧船rくろべ丸」が了月∼呂月にかけ重層40分で運航
}
oロモ,㌧て虐♪
する。.黒部ダムは513億の巨費とLDoo万人の人力を投じ昭和38年に完成した日本一
のドーム型ア・一一チ式1ダムn高さ186m堤長492m発電量は33,5万キロワット。
(5)大観蜂(だいかんぼう)へ向かう
黒部湖駅へは13二52に着きケー・プルは16分の待ち合わせで14=e8発。携帯の荷物が10㎏
を超えると1個¥400σ)超過料金を取られ,る。富山さん尾山さんが共にio、1.kgで徴収され
外の人荷物を分散するのだったと悔やんだが後のマr一ソリ、私は9,5㎏であった
14二!3・黒部平・着1828m。ここから大観峰へはロープウ.エーとなるが、ケーブルより余程
輸送能力が低いとみえ大渋滞・30∼冊分の待ち合わせということで整理券を黒部湖で貰っ
た。黒部平からの景観もなかなかのもので待つ間は景・色の鑑賞。砥46発(33分の待ち)
漸く。一一プウェー・一に乗り大観峰2316mへはi4:5i着。その間僅か5分。
下界の¥100アイスが¥250。15115トロイ.1一バスへ乗りいよいよ室堂へ向かう。
(ヒ』堂堂
鋭24珈へは15=23着。ト・1フーバス輝線で、真・し中辺り(立1麗山3003mの真下)
で擦れ違いの為1分停車.ひ
室堂は流石に涼しい.ヒンヤりする,,しかし人、人、人で溢れかえ・っている。
3、一の越1.i-1荘
①一の越山荘へ向かろ
15:35室堂発。途中高1.ll植粉が精一杯可憐な花をつけているのを賞でながらゆっくり進
む・。
霊堂は誠に景観が良く、やまなみが絵葉書のパノラマを見るように広がる。右から順を
追って浄土山283加雄巨.13003m大汝山30t5m富士の折立2999m真砂岳2861m別山2880m
姫御前小屋へと続く。更に左方には奥大日岳2606m大F1岳2498mも見える。
自叛機ビール¥400ソフフトドリンク¥200
②一の越山荘への道は・天気良く登山道も幅広の石畳で歩きやすい。標準1時間の所を我
々は1時間11分と誤差範囲内で到着。途中高山植物や雪渓(近くで見ると汚いセメントの
女目し)仁1気を取られ.五二のて`しょう,、
③到着がやや遅かったので飛び込みが入ったと聞き、さては我々の部屋はあるかなと一瞬
緊張するが尾山幹事のアレンジ良くよい部屋でした。男部屋は7名に対し6畳と2段の押
入れ(押入れに2名寝たので5名が6畳に寝た訳で山小屡としては最上級です)
④私は押入れの上段へ寝たが、1メートル以上あるのでヨジノボル時に息切れがした。も
うトシかな・いやビールの酔いのせいでしょう。落ちないように気をつけなさいと声をか
けられる。落ちたら下に寝ている人は悲惨です。で、壁に密着し手足を延ばすと頭も足も
当たる。私より背の高い人は(大多数が該当)海老になって寝る受腰がある。
20=0蹴寝そして熟臨2310nに目覚め網人の高輪あ'潮とい..ても3蹄起床だがマ
ンジ丁.1トモセズ。
⑤食事
17:00から18⑳ま'で縄で酒宴・私梶山さんがウイスキ・憾出す.私は大鵬で買っ
好ヨイカラ茄礼電出航のツマミの豊富さに感心(イカクン・ゼi.』ス.モ_クチ、、
ズ・ジヤコ等々)
T'.」
τ1=臼;er■∈一思后1
o□壬声心[,・掌Ol“1〕』ヨ
t8130夕食
夕食一ハンバーグ、冷澱エビフライ、ハム2枚、ポテトサ'ラダ、枝豆少々、卵焼き、ご
飯と味噌汁で質量とも普通。ユックリビール(自販機ビール50伽i¥55①を飲んでいたら
30分.入れ替え制らしく誰もいなくなり慌てて食事を終わる。朝食一生卵、コブツクダニ
海苔、カマボコ2切れ、ご飯と味噌汁。1泊2食¥8400は富士山8合目山荘よりは良い。
只昼の弁当(ご飯とツクダニ)¥700は高い。
4、立山登山
①1999年8月8田(日)3:00起.床
山荘前でアンチャンがストレッチをするのに便乗し行う。あた')は当然ながら真っ暗。
でも意外に暖かい。そして満天の,星。今日は天気がよいぞ。いよいよ3:35出発。ヘッドラ
ンプをつけて進むが銀座なみのうッシコ.、行列。これではこ来光に闘に合わないがそれ
はそれで仕方がない。マー焦っても無理は禁物と言い聞かす。
②ガレ場で且つ急坂。登f)にくいが時間が短い(標準i時間)ので、富士山に較べて余程
楽である。赤い目印を探しながらアエギアエギ登る。途中栗田ご夫妻がダウンしており、
登れないかも知れないのでお先にドウゾという。でも後でチャント登って来られた。
半ば位から渋滞も解けて来た。ご来光に間に合わんとピッチを上げる。途端に息は上が
る、足はモツレル。情け無・いものだ。でもヤケクソで頑張る。最初の渋滞を取り返し標'準
時間通り所要1時間で4τ35雄山頂上社務所前(三角点2991,6柵)に到達。
登頂者桑原・富山・谷島夫妻・成住・尾山・栗田夫妻・藤原・窪田以上工0名
③ご来.1旨
4145雄山最頂、ヒ3003mの社に上がる。拝観料¥500。4150感激のご来光は好天で雲一
つ無い中を鹿島鎗の方角より静かに上がる。徐々に太陽が輝きを増す瞬間である、,300伽
から見る初めてのご来光である。余り一生懸命に見ていたら目が痛くなった,、
4=58神事が始まり御絨を受1ける。終わってお神酒を頂く。そして写真を取りまくる。
焦って暗いうちに写真を撮ったが案の定写りは悪し、もっと明るくなってゆ・つくり撮れ
ば良いものをやはり育ちは争われないのかしら。
6二〇5感激の立山を下山。i時間20分も山頂にいた事になる。寒くなって社務所でコー
フィー¥300安い、暖まる。6二45一の越山荘着(帰路は所要40分)
5、立山の歴史と山岳信仰
古来神の住む山として信仰された。奈良時代大伴家持が神の座す由としてr立山に降り
おける雪を常夏に見れどもあかず神からならし」と詠んでいる。江戸時代「立山曼陀羅」
を手に芦弁寺の衆徒達が全国を回って以来多くの信者が登拝するようにな.,た。
神社前立社壇のある岩弁寺を起点として雄山山頂の立山権現(クジカラオ・ノミコト・イ
ザ輝ノミコト)に瓢登山道に1ま酒国33翻所鞘鶴の儒働哺られている.
6、雷鳥荘
①8:55一の働荘発・9・2朧堂1聴巡で類が揃うの鹸瑞風が爽やカ・で気持ちが良
い・加えて艶が良い・あたかもヨー一・ッパの趣がある.横には蜘1、全面は緑の漏_
3
タン、左方には雷鳥沢、そして雪渓が点在する。
101G5聖堂山荘着。ここのトイレは何と水洗だ,、ここはもう山ではなく町なのかしら。
但し横には日本最古の山小屋が記念館¥300になって保存されているから、近年までは勿
論奥深い」一1でありましたのでしょう。
(2)10=2]みどりカく池243駒n周囲342m最大深度1,65m
鰍42みくりが池周囲63抽最大深度1舳魚の住めない貧栄養湖との表示。
10156アクシデント発生尾山夫人が転び足を傷める。折り良くパトロールが通りがか
り、スグ電話で連絡,・ご主人共々診療所へ向かう事になる。我々は一応今夜の宿の雷鳥荘
へ行く。夫人のザックは私が、こ'主人のそれは桑原・栗田・成住さんが手分けして持つ。
R∫i7雷鳥荘到着。
③部屋は8畳に6名で一応グッド(女性は布団部屋で.ノーグッドとの事)
温泉は24時間OKとは有りがたい。早速入浴。湯船はマアマアだがお湯が少なく一目』つ
ぬるい。おまけに温泉特有口)臭いもしない。が満足して先'ずは湯.ヒがりのビール¥500。
12:45尾山さんが来られる。4時のバスで奥さんの実家の富山へ帰られる由。成住さん
桑原さんが送って行く.我々(粟田・藤原・谷島・窪田)はする事がなG3=30∼15=30
迄午睡・熟睡。
④成住さん桑原さんは女性ともども雷鳥沢や地獄谷をi時間半程散歩。女性軍は高山植物
の本等を買い込み、実地に検証?とても良かったとのたまう。
我々も谷島さんは絵のスケッチという高尚な趣味があるが、私は何もする事なく仕方な
しに又ビール。
⑤{7=30夕食トンカツ・皮の固い蒲焼・蕨とト口口・ご飯と聡澄し質量とも普通。
18=20∼19:50男女全.員が・部屋で桑原さん(ビ'一ル)富山さん(ツマミ)提供でミーテ
ィング。成住さんの山のお話し。桑原さんの再就職についてなどで話がハズム。
⑥20:30就寝昼寝と夜寝は別物らしく朝よOO迄グッスリ寝れた。
8.月9臼(月)
5130起床5143朝の散歩へ出る。昨日散歩をし損なった、栗田・藤原・窪田の三名。
61]0雷鳥沢キャンプ場着。色とりどりのテントが美しい、急坂を20㎏以上はあると思
われる荷物を背負い、ゆ'・くり登る人が多い,、
6140雷鳥荘へ帰る。急坂を一一・気に上がると流石に,慰も絶え絶えで苦しい事。大汗をか
いて風呂へ直行。
⑦7:00朝食卵焼き、海苔、ハム、シャケ、沢廃、ご飯と味噌・汁。
重油2食で¥7肥0
7、室堂ターーミナル
〔D8τ00雷鳥荘発。地震}谷をバY'クに記念写真。
先ずは出発前のストレッチを窪田の掛け声で行う。
ストレッチは・慮を止めないで・普通に呼吸しながら行う箏。
・反動をつけたりせず、静かに気持ちの良い所までストレッチする。
一一一っ.二つと数えながら同じ動作を10から15位.行う・
先ず背伸びから'始め次いで首・肩・腕のストレッチ、肩の回転、体側部のストレッチ、
4
T'.」
臼サ:旧こピ1■■る`51
西口壬,㌧τ恥瓢1イ。圏ゴ
腰のストレッチ、大耳窒のストレッザ・、アキし・ス腱のストレッチ..手首・匙'首の回転、最後
に深呼吸で終わる。
8115血の池前で小休止。1丘1の池は火口跡が池になった屯、o)で、酸化鉄を多く・爵む。
9:00空室ターミナル着、,
②H二20出発のバ.スに乗るので1Leoの集合まで自由時間。バスは40分間隔でシーズン中
は混むので早めに行って並.`く必要がある。
霊堂ターミナルのロッカ…へ荷物を預ける大¥鱒0中¥調04、¥20G
立山玉殿の湧水(水温2∼5度'1をペットボトルへ汲み味わう。霊峰.江山の直下から湧
き出る神の水は流石に美味い。
本日は稀にみる晴天で雲一つナ、∫く空は澄み渡っている面立山を・バックに写真を何故も'撮
る,)
③9二52立1.Ll自然保護センター見学
入館時間8:30∼〕7:00入館無料
10二〇〇∼10122ビデオ1立山の自然1鑑一宵
8.、立山の誕生
①立山火山の誕生('第1期)
13万年前に立」一!火山誕生、当時の標高2711肋
②激しい噴火(第2期)
9万年前の噴火で火山灰と軽石が山腹を流れ、弥陀が原などか出来る。
③立山カルデラ
噴火が一段落し火口の下に空洞が串来、周辺が落ちてカルデラになる“
④溶岩噴出(第3期)
5万年前溶岩が噴出し室堂平などが出来る。
⑤ガス大爆発(第4期〉
溶岩噴出彼、ガス・水蒸気方墳蘇現在も繍'ている・
9、・一一路帰途
①H=20高原バス、室堂245em出発。
U二25弥陀が原⑱3舳あれほど天気が良かったのにガスがかかって来た。
H二30七曲がり168加
11、43称名滝展望台128伽此処からは遠望たが立山駅から滝壷90舳迄のバス便あり。
滝は4段からなり(了〔血58m,96m,126m剴'3ξ1伽1は落差日本一一)
iL4了立山杉樹齢1900年
lL49ブナ自然林森林浴100選
iL53美女平9了孤着
12二〇〇ケーブル発。昨日は1時間以一.ヒの待ちがあったそうだが、時間が早いこと、平日
である事で待ち無・t.ノ。
i2=0了立山駅着475m50t血高さを子分で下りた事になる。
富山行き列車は13143なのでそれまで圭時間半以上も自由時間。
5
「},
、・一一ノ
②立山駅
構内蕎麦を食へたか天麩羅が半切れで¥600、缶ビ…ル¥2冊マズイ、慌て'る乞食は
貰いが少ない。食後外に出たらずっと良さそうな食堂が色々ありま1.'た.
③富山駅
14:45着,,はくたか13号に乗るのだが16:00の発だから、これまた待ちは1時間以一ヒ。
駅ビルデパートで蒲鉾等買い物で時間潰し。冷房が利かず暑い事。待合室に行ったら尾
山夫妻と出会う。膏にヒビが入り自然治癒との事。元気そうでした。
指定席を買いに行ったらグリーンしかない。差額¥3610
④はくたかのグリーンは3列座席で誠にゆったりしている。差額を払った甲斐があっ六。
座席の隣は大男である。ビビリながら見れば輪島である。しばらく1,、て車内販売のネー
チャンが来た。ネーチャン「いつもお涯話になっています'。お弁当は如何ですか}輪島「
いくらシャケと魚焼きを一つずつ』ネ…チャン「カニちらしもありますよ」輪島r要らな
い幾ら1ネーチャンr¥1980」ベカなお話し以上。
⑤越後湯沢駅は新幹線乗換の客でゴ・ソタガエシている。今度の席は普通であるが、隣の客
はデブハゲである。これがこちらに寄って来るが反対隣はへ一・一ビ…スモーカーである。あ
ちらこちらで紫煙が立ち、日本人とはこんなにタバコ好きだったのかしら。
大宮で3分の1程下車し、漸くホットす'る。
⑥19:M一ヒ野着・。山歩クラブの皆様にご挨拶をして別れる。
20=30あざみ野駅着。徒歩i5分程だがおりよくバスが来たので飛び乗る,,とカワイコ
チャンが席を譲るではないか。ウレシイような年寄りに見られてカナンイような、、勿論座
ります、,
本当にお世話になりど'うも有り離うございます,〕
明日は炎暑のゴルフです。早くオヤスミナザイ。
冗文敬白
6
刎
常念・岳・蝶ケ梅壷1一∫。信己
平成.11・年8月2台目{』木)∼28目(十,)
、,擁、讐講集う劾翩翻
常念岳は着i一常念坊1と呼はれた。坂.レ.田村麻呂が八面大.}Eを征服1.一・た時、電磁の常念
坊がこの山に逃げ込ん1'一ゴのでそ・・),ξわれるとの説。山からお経と鐘の音が一一一晩中間こえて
来た'事から常念坊と呼ばれ.た.との轟もある,
②お'花畑
常念・岳から蝶ケ岳・一・一帯にはニッコウキスゲ・タカネコウリンカ・ゴゼンタチバナ・ワサ
ギギク・ハクサ'ンフウロ・コ・ベイケイ臨ノウ・シラネ』ニンジン等が見るれるご
④ピラミダ.ルな山容の常念・岳は表銀座縦走コースの中でも最大のポイントと言われ、頂一1∴
からは槍穂高連峰は勿論・遠く'松本市内から八ケ岳をを望.めるとあるが、2丁目(金)は生
憎の悪天候(雨・風・霧の三拍子が揃う)で眺望はゼロであ・)た。加えて悪天候にスタミ
ナを消耗し当日徳沢迄下りるのを断念し、途中の蝶ケ岳ヒコ.ッテに泊まる事にな・って仕舞
一、た。常念小屋から蝶ケ岳ヒュッテ迄は所要5時間40分で計画されていたが・実際には
6時間30分を要した.悪天候もあ・つたが・、中高年者の登山は穰準博聞より相当の余裕を
もつず必要かある。(標準時間は4時間50分)
⑤参加者
高田順甫(リーダー)和田義信・白漢健・緒方淳夫・西川幸男・松尾窓之助・窪田雄
…一郎、以一L了名。
2、8月26日(木)
①八王子からrスーパーあずさ1号17:30発。和田さんとはホーム上二で、千葉の皆さ
んとは12号車内で無事ドッキング。車内は満席で早めの摺定席確撮が必要である。
9=38松本着.太糸線は6番ホーーム。松本9二4醗・豊科10=06着・
②豊科にはジャンボ妙シー(鴇名迄乗制)が予約済で・コンビニ等`う買い物を麗
せ1(⊃:22串発。10=55補導所着。ここで水等を補給しいよいよ登山開始。
尚妙シーは、松本補噺斤稿,鵬、塙塩松本¥2LOOOで一…人当たり机OOOと
安かった。特に帰路のと高地は大変混雑するので、人数が纏まるならタクシーを予約して
おくと暗闘のロスが大幅に軽減出来る。
③1i:15出発。白濱さんのベース配分宣しきをえた俺頭で順調に歩くひ
ii:30橡の木山・神っ
12=00視界が開けた沢に出る。ここで顔と手を洗い中食。12125出発。
12二45沢が開けた所に再び出る・ここも昼食のポイントである。
13=10小休止。一の沢林道は広く浮石も少なく歩き易い。林の中な0)でさほど暑く
もない。
1.3=20出発。このあたりから山道らしくなる。白濱さんがユリクリ歩いてくれろが
それでも息があがる。急な1箸段ロでヌいノカリ草臥れる。
14=05小休止。14:15出発。14=45小休止G14=50出発。
沢はかなり急峻でガスッテ視界も悪くなろ∩
i
9∫
15:16最後の水場の表示があり水をくむ。小屋まであと蜘“。常念岳の頂上が見え
あとひと頑張りだ。このあたりから和田さんが先頭に立つ。
16:ig第3ベンチ、、高田さんがややバテ.、荷物を少し持て)、、小躍迄あと300m
和田さんは大変健脚で2番手の私をみるみる引き離す。待って下さって今日漸く山登りを
した気分だと涼しげにいう。■・一方私は気息奄々で再び大きく離される。7名の列が長くな
る。
16120第4ベンチ。小屋ま'5100m。
i6=25常念乗越2456田。右に横通岳2了67m、左に常念岳2857mが見える、、明日は雨
かもと,思い、記念写真。少1、.寒い。
④常念小屋
i泊3食¥10,900食事はBの一一ヒ。部屋は3Fで天井が低く、頭をプツケル人が多かった
夜半から大雨で、トタン屋根を叩く雨音に起こされマンジリともしなかて,た。
松本開成中学160名が泊まり・・一般90名と合わせ250名と山小屋は溝貝であった。
3、8.月2丁目(金)
①風雨が激しいが予定どおり縦走する、徳沢まで無理なようなら蝶ケ岳ヒュッテ泊まりも
あるという事で決定。悪天候で縦走を断念した人が多かったとみえ、常念一一蝶の長いコー
スで会ったパー・デイはたった2組にしかすぎなか'〕た。
②7時の予定を繰り上げG140出発。風雨強く急坂かつかレ場で、息はあがり足はヨロ
ケル。
7=10野生の雷鳥一番を初めてみた。5mの至近距離である。
7:50小休止。
8:15常念岳頂上。標準1時間のところ1時間35分かかる、,視界が悪く眺望はゼ1コ
である。仕方なく常倉岳と書いた小さな木板を和田さんが持ち記念写真。我々の外は4人
家族だけ。悪天候で縦走をやめ空荷で常念岳だけ登るそうな。
8:25出発。下りを行く。
8=55小休止。
9二50〃
io:00雨が顔にあたり痛い。風に煽られ田口ケながら進む、、
10二15方向がやや疑問で辺りを歩き回り、道を何回も確認ロ結局赤印通りで良かった
がもう少し的確な表示が欲しい。15分位のロスか。
10:25森林帯に入り風があたらなくなる。先頭と距離があきもう少し早く歩けないの
かと言われる。先頭に離されまいと必死で、周りのお花畑も目に入らない。
ll二35再び上りになり息があがる。足もヨロヨロで胆汁もあがってきて、気分が悪い
が先頭に離されまいと・・一生懸命に歩く。
12:05小休止
12=40.蝶ケ岳・山頂2664m
13:10蝶ケ岳ヒュッテ2660Mボロボロになって漸く到蒋。計画はさらに徳沢ロッジ迄
3時間30分で下りるのだが、足がバテバテでどうしょうと思っていたら、皆さんもお疲
れらしく、今日はここで泊まるという事でホットする。
2
O
つノ
③蝶ケ岳ヒュ・ンテ
食事Bの下。1泊2食¥9000。部屋は2段に仕切った下側。天井が低いのでやはり頭を
ぶっける人が多い。ビール¥500
雨で全身ズブ濡れで着替えるが、ザックカバーもものかわ中が濡れている。靴も中迄濡
れた。和田・西川さんはザックの中味をごみ袋で囲っていたがグッドアイデアである。
4、8月28LI(寸二)
①5二〇〇起床
5二30朝食
6二10出発標準時間は2時間40分とあるが、我々はその5割増しくらいかかるので
7時出発を繰り一しげて早めに出る。外は雨こそ止んだが強風で帽子が飛ばされそうである
相変わらず・霧で眺望ゼロのガ1.'場を行く、,
6=20はや森林帯に入り、風があたらなくなった。
6=35.止二り坂に入ったのでシャツi枚に着替える.
6二43長塀山(ながかべやま)2565m
γ:35小休止森林の爽やかな道を行く。今日は雨が降らないので快適にドりて行く
カく、昨日α)∫悪天候'℃は条≒構大変一≠ごつたプごろうu
8=25広場。此処から急坂とあるが、擦れ違ったオバチャン2入はそれ程0)坂はあり
ませんと元気なものだ、〕しかし結構な急坂です'。下から登るオバチャン達はベチャクチャ
お喋りをしながら元気に登る。汝の名強きは女です'。途中3(1入の大パーティに出会う。
明日は蝶ケ岳から常念岳経由大実在まで行くそうで、今0)中高年の元気さは凄いです。
9130徳沢着標準2時間40分の所を3時間20分でした。ビール¥400で無恥
の'ド山に乾杯。顔や靴・スト1ソクを洗い。io二〇〇出発。
前夜泊まれなかった村営徳沢ロッジは¥3000の予約金を全額返してくれました。
io二30小休止平地は足取りも軽い。後ろから歩きが早すぎるとの声あり。雨は時
占時雨れるが山のま■にはガスがかかり.見晴らし悪し。今回は山の天気には恵まれず、、
li=20シ'ナノキ
U35海童橋バスターミナル2F村営食堂で、生中¥650不味いラーーメン¥750
12:30予約済のジャンボタクシ…で松本へ向かう,,但しこの時期は観光バスが大正
池まで路上駐車し、片'側通行となるσ)で全然動かない。
!2:50漸く動き出す。これからはマ・・一順調で、松本駅1荏120着。
和田・緒方・高田・松尾さんの4名は松本温泉と信州蕎麦で一一杯と後の汽車。白綾・西
川さんと私はi4=42のあずさ64号で帰ります。但し車中では地酒r大雪渓」を3人
で}升1合程飲み結'構酩酊。
5、お才)りに1
①皆さん健脚で敬服しました。私が一番足弱でご迷惑をかけました。次回はもっと足を鍛
えておきますので、宜しくお願いします、,
ドウモオツカレサマデシク。特にリーダーの高田さんお世話になり有り難うございまし
た藍,以上
3
7
仙丈ケ岳登頂記
久し振りに仙丈ケ岳に登った。前回登ったのは昭和40(1965)年8月だったから、もう34年前のこと
になる。登山ルートも一変した。あの時は飯田線伊那北駅からバスで美和湖まで行き、その先は軽ト
ラックに戸台まで便乗させて貰い、丹渓新道を辿って藪沢小屋で一泊、翌朝馬の背尾根に出て仙丈ケ岳
(以下、仙丈岳という)に登頂した。帰路は小仙丈岳から真っすぐ北沢小屋(現在の北沢長衛小屋)に
下り甲斐駒に登って七丈小屋で二泊目、次の日に黒戸尾根の険路を下って帰京したのだった。
だが今回は、登りはその当時まだ十分に整備されていなかった藪沢新道を辿って馬の背尾根に出、頂
上を踏んだので、登り所要時間は半分の4時間で済んだ。南アルプス・スーパー林道が開かれてから
丹渓新道を利用する人はほとんどいなくなった。戸台から頂上まで8時間近くかかったのだから無理も
ない。現在、丹渓新道は倒木が多いので利用しないように、との立札があった。このように山中に林道
が敷かれると登山者には便利になるが自然破壊や環境汚染につながる場合も少なくないので痛し痒しだ。
実際、当時の自分は林道建設に反対であったが、今はその利便性を享受する側の身になってしまった。
今回の同行者は馬力のある小沼君。もう一人西川君も行く予定だったが、風邪で急遽ギヴアップして
しまった。実はこの山行は彼が自炊をする小屋泊りの山歩きがしたい、と言ったところがらスタートし
た。それだけに発案者の彼が来られなくなったのはとても残念だ。(小屋を早暁に出るので自炊は取り止
めにしたが)9月30日(木)朝7時に家を出発。11時甲府着。バス停で小沼君を待つ。間もなく
彼は一本後の電車で埋爽とやって来た。正午ジャストに広河原行のバスは出発。ウィークデイにもかか
わらずバスは人とザックで一杯だ。座席の定員が25名で乗客もキッカリ25人、外国人2名を含む全
員が登山者だ。夜叉神峠登山口を過ぎると車窓右手に農鳥岳がクッキリと聳えているのが見えた。ちょ
うど2時間で広河原着。時をおかず北沢峠行の村営バスに乗り換える。ここでも22人用の座席がキ
ッチリ埋った。国立公園内に特別に敷設された林道をバスは上って行く。標高2,032mの峠着は14時
35分。(平成7年10月のアサヨ峰山行の時もそうだったが、心底反対だったスーパー林道を通って北
沢峠まで来てしまうのは自分が魂を売り渡したようで何となく後めたいものがあった。)10分歩いて北
沢長衛小屋着。この小屋は先代竹沢長衛さんが創建、つい先頃まで2代目長衛さんが引続き運営してい
たが、それを最近若い人に譲った、という情報をテレビで聞き知った。
まだ陽は高いので仙水峠を往復することにする。小屋の主人は、片道70分はかかる、と言う。往復
するとちょうど5時からの夕食に間に合う計算だ。15時空身で出発。20分ほど登った所にある仙水
小屋では料理人が40cmほどのカツオを捌いていた。今晩の献立はカツオのタタキか。(4年前に成住
さんとこの小屋に泊った時もマグロの刺身が出てビックリしたものだ)小屋から上はゴロゴロと大きな
石が積み重なっていて饗の河原といった感じだ。15時45分峠着。小屋の人の見込みよりもずいぶん
早く着いた。ここからの甲斐駒摩利支天の雄姿は全く見ることができなかった。折角来たのに残念だ。
小屋に戻ってビールで喉を潤しているとr食事ができました」と声がかかった。鶏の腿肉が出たが結構
うまかった。定員150名のこの小屋で、今宵の宿泊客はわづか5人だ。1組は札幌から来たと言う6
5歳の夫婦で2人とも元は教師をしていた由。もう1人は昨年北岳でアルバイトをしたと言う20歳過
ぎの川崎から来た女性だ。3人とも南アルプスのファンだそうだ。明日は全員仙丈岳に登る予定、との
ことで楽しみだ。夕食後のひととき、山の話に花を咲かせた。床に就く前に外に出て空を見上げると星
がきらめいていた。明日も晴れそうだ。19時消灯。
10月1日(金)5時起床。顔を洗って手早くパッキングを終え30分後に出発。天気はマズマズと
いったところ。北沢峠を越えて行くとr左、大平山荘」の道標があり、車道から下って暫くの所に大平
山荘が見えた。今日は稲刈りのために臨時休業、とのこと。樹林帯のジグザグ道を登る。1時間ほど行
って大滝の見える滝見場の先で朝食にする。更に歩を進めると藪沢沿いの道になる。橋を渡って左岸に
移る時、振り返ると鋸岳の鋸歯状の尾根が望まれた・沢を左に見ながら高度を上げて行く。再度顧みる
と今度は摩利支天を右脇に従えた甲斐駒が雄々しく聳えていた。
5合目の大滝頭を過ぎると馬の背ヒュッテが見えて来た。戸口には、10月10目までの休日は営業、
と書かれていた。やがて尾根筋に出る。この辺りハイマツが緑濃くダケカンバも多くなり標高は2,700m、
既に森林限界を過ぎたことが判る。再び沢音を聴く。こんな高い所にも沢が、と前回同様感激する。石
のゴロゴロした道を行くと水場があった。口に含むと冷たくて美味い。r慰入れて最後の登りにかかる。
現在新築中の二階建て仙丈小屋(従来のトンガリ帽子型の小屋は取り壊される)の脇を通って急登を続
けること30分、漸く頂一ヒに着いた。時に10時ちょうど。休憩を除いてほぼ4時間の登りであった。
山頂は風が強くジッとしていると寒い。そこで弁当を開いていた昨晩の若い女性に一緒に加わってもら
い記念撮影をする。他にも4-5人が頂上でのひとときを楽しんでいた。あいにくガスのため大パノラ
マは得られなかった。晴れていれば東南方向に北岳をはじめとする南アルプスの峰々、西方には中央ア
■`.
ルプスの連嶺、そして遠く北方には北アルプスの岩峰群が望めるはずだったのに…
腹も減ったので頂上の少し先の岩蔭で食事にする。小屋でつくってもらった弁当を頬張っていると1
3人の大パーティーが頂上目指してやって来た。後で聞いたところでは韓国人10人を含む20人パー
ティーの先頭部隊だとのことであった。皆元気溌刺としている。それを見ながら食事をするのも楽しい
ものであった。
10時半、下山の途につく。稜線上の登り下りを繰返し小仙丈岳へ。馬の背ヒュッテを眼下に望む所
に三脚を立てていたカメラマンは「今年の紅葉は良くない」と言う。例年ならばハイマツの緑、ダケカ、
ンバの葉の黄、ナナカマドの赤が三色模様を描くのだがナナカマドの紅色が全くダメ、とのことであっ
た。これはきっと地球温暖化のせいに違いない、と心の中で自分は叫んだ。小仙丈岳で再び証拠写真。
シャッターを押してくれたのは福岡から首都圏に来ている男子学生で「南アルプスは始めて。明日は甲
斐駒に登る」と言う.ここより難しい所もありそうなのでちょっと心配です、とのことなのでrできる
だけ途中で相棒を見つけて一緒に登る方がいい」とアドヴァイスをしておいた。ここで小沼君からもら
った羊羹がとてもうまかった。そこからの下りはかなり急だ。岩や木の根の急斜面がどこまでも続く。
が休みなくドンドン下る。森林帯に入ると四合目、三合目の表示板があり、二合目で直進コースと右の
迂回コースに分れる。右方の道を行くことにする。道は徐々に下りながら東方向へ大きく迂回し再び西
方へ下って行くと北沢峠に出た。
13時15分発のバスに間に合ったので、広河原へと向う。車窓からは大きなアザミが咲いているのが
見えた。今回の山行では花はトリカブト以外ほとんど見られなかったのが少し寂しい。だが、深田久弥
さんが日本百名1-Uの中でも一、二番目に好きな1-1」だと言う仙丈岳(確かに最高の山σ)一つだと自分も思
う)に再び登れて満足感で一杯の山旅であった。平成11年10月4日舩木記す
FAXを上手に使いましょう
FAXを設置されている人が多くなり情報交換が迅速・正確に行われようになりました。
機能を良く理解して、更に上手に使いましょう。
一般的な使用法(下に例を示します)をもう一度確認しておきましょう。
送信の時ベルが一回なたら、「スタート」ボタンを押すと送信できます。
原稿をそのまま印刷にしたい時は、1'精細」またはr小さい字」を押して送信しましょう・
ファクスを遷る
咽原稿をセットする
原稿は表向きに1
」
送信する面を上にしてセットする(一度
に5枚まで)
2轡解し緬跳齢
電
3受書朧を取る
4ダイヤルする
翻相手が電話に出たときは、スタートボタンを
押してもらいます。
⑱「ピー」音が聞こえたときは手順5の操作を
します。
5受話器からrファクスを送信します.難器
を戻してください。」と聞こえたら
受講器を戻す
㊨スタートボタンを押さなくても送信できま
す。
ファークズを聲げる
原稿をセットしたままでは受信できません。原稿
を取り除いてください。
璽呼臆膿ったら
受器器を取る
」
2ファクスに切り替えることを相手にイ云えて
㊥
3受話器を戻す
4ファク雇受けると鳥の声旛こえ
自動的εこ置己盆景紙力{カットされます
㊨通信や受信のあと、およその通信時間がディ
スプレイに表示されます。
北八ケ岳峰巡り・池巡り
平成11年11月舩木健記
関東甲信越地方でも紅葉の便りがチラホラと聞かれ始め、何となくソワソワした気持になってきて北
八ヶ岳山行を計画した。10月25日ごろだったと思うが、小沼君に電話してみたところ、行こう、と
言ってくれた。そこで今回はまだ行ったことのない北八ッの北部を歩いてみる二とにした。
10月31日(日)先に来ていた小沼君と共に、俗に「中高年の遠'足列車」と言われる、八王子6時3
4分発の電車に乗る。案の定、車内は中高年ハイカーで一杯であった。天気予報では日中は晴れる、と
なっていたが、相模湖駅を過ぎるころ、霧がかかり雲行きが怪しくなってきた。車窓からの山々の眺め
も全く得られない。途中、ハイカーは一組降り二組降りして車内も大分空いてきた。9時30分過ぎ茅
野着。
ピラタスロープウェイ行きのバスは7分後に発車。30分ほど行くと蓼科温泉境にさしかかった。こ
の辺りの紅葉は実に見事であった。聖光寺のドウダンツツジの深紅色がひときわ鮮やかだ。おちこちの
楓の赤は萌え出るようだ。朱色や黄色に変化した木々の葉を見る度に車内で感嘆の声があがる。
10時30分笹丸平で下車。登山道の入口がわからず角のレストランで道を訊く。結局、少し来過ぎ
たと判ったので今来た道を15分引き返す。ガイドブックでもっとしっかりと調べておくべきであった。
親湯入口バス停を右折、車道を行くとホテル親湯が見えてきた。武田信玄も入浴したという露天風呂も
入口の脇にある由緒深いホテルで、構内右手の野外温泉プールには豊富な湯が三条四条滔々と音を立て
て流れ落ちている。フロントで道を尋ね、赤い屋根の旧館の裏手の橋を渡って行く、と聞きようやく安
堵する。滝ノ湯川の右岸に渡り登りにかかる。暫く行くと、幅3mくらいの広い道に出た。落葉松林の
中にあり標高はほぼ1,500mだ。道は高低差がほとんどなく歩き易い。右方下手から川音が聞こえてく
る。
ホテルから30分で自動車道に出た。茅野と霧ケ峰や大河原峠を結ぶビーナスラインだ。少し先に新
旧2本の橋が架かっていてバス停もあり、その手前左方に登り口がある。ジグザグの登りの後、恰好の
場所があったので昼食にする。食事を始めてすぐ、1人のハイカーが下りてきた。たった今蓼科山を登
ってきて、これから車を置いてある登山口に戻るのだと言う・最近非常に多く見られるドライブ・アン
ド・ハイク愛好のタイプで、この登り方であれば東京方面からの日帰りも可能だ。とまれ空腹柔)満たさ
れたので出発。暫しの登りの後、道は高原状の平坦地を行く。蓼科山の東南の麓、くま笹の原に白樺が
点在し、とても気持のいいところだ。まれに湿地帯はあるものの道ははっきりしていて歩き易い。
やがて蓼科山荘の下の将軍平から下りて来る道と出会った。この辺り富士山のように均整のとれた蓼
科ロー1が美しく眺められる。行き合う人も結構多い。12-3人はいただろうか。諏訪富士と呼ばれ深田
百名山にも入っているだけに人気も高い。10分ほど行くと亀甲池から来る道が右手から合わさった。
視線の先に明日登る予定の横岳が鎮座していた。標識に天祥寺原とあった。草原の道は緩い登りになり
左へ回って行くと三角屋根の小屋が見えてきた。大河原峠に立つ大河原ヒュッテだ。
14時40分、ほぼ予定通り峠に着くことができた。が、ここまで車道が上ってきてい・ガックリと
カが抜ける感じだ。それはともかく、眼前には浅間山から菅平四阿1-irに続く峰々が大きく波打っている。
手前は佐久平、その向うに黒く聳えるのが浅間だ。しかし噴煙は見えない.峠右側に2軒ある売店のう
ち奥の店に入り、喉の渇きを潤すことにする。缶ビールが実にうまかった。だが店の雰囲気が何となく
落ち着かない。聞けば今日限りで店を閉める(経営者交代する)と言う。
休憩後、最後の登りにかかる。15時を過ぎると気温も急激に下ってくる。風も出てきた。ここ双子
山のなだらかな斜面にはほとんど木はない。20分で頂上着。標高2,224m。辺りはゴツゴツした岩
だらけだ。展望はさらに広がり遠く北アルプスまで望むことができた。目をこらすと後立山連峰で、ウ
ッスラと新雪を纏っていた。冷たい夕風の申で記念撮影を終え枯れた草原の尾根道を下りにかかる。樹
林帯を暫く行くと木の間越しに蒼い池と小屋が見えてきた。双子池とその池畔に立つ双子池ヒュッテで
ある.
15時50分着。200名を収容できる2階建ての立派なヒュッテだ。標高2,000nユ。ザックをおろ
し宿帳に記入して、南側にある奥行き260mの雄池の周りを一周してみることにする。辺りはヒッソ
ノ
リと静まり返っている。ヒュッテの人が池にサンショウウオがいると教えてくれた、澄んだ水中をよく
見ると確かに4本足の黒い両棲類が岩にへばりついている。池の周回には苦労した。手つかずの自然が
残されており当然散策路などはない。さまざまな形の大小の岩を渡り歩くのだが水際に岩のない所など
木の枝に掴まって急な斜面を横切らなければならない。倒木を跨ぎ、あるいは潜るなどして漸く難行苦
行を終えた。この池の水を飲み水に使っているので池畔での飲食は一一切禁止、持参していいのはカメラ
だけ、とのことであった。北側の雌池はキャンプ指定地となっていてテントが2-3張り張られていた。
ともかくここは予想していた以上にすばらしいたたずまいだ。ザックを持って大部屋へ入ると若い女
性が2人風呂からあがってきた。入浴には別途300円を支払わなければならない。入れ代わりに男性
2人が風呂へ。とるものもとりあえずわれわれは明るくてきれいな食堂へ行って一杯呑むことにする.
2人の女性と60歳代後半の2人の男性が後から加わり山の話に花が咲いた。今宵はこの大きなヒュッ
テにわずか6人の泊り客しかいない。2人の女性はそれぞれが単独行、来年古希を迎えるという元教頭
(日本山岳会会員)もその1っ年下の、写真が趣味の男性も単独行だ。われわれ2人以外は皆下戸だと
言う。が、酒は呑めなくても話は結構盛り上った。
夕食が出来た。揚げたての天ぷらに熱いみそ汁、ご飯もホッカホカで実にうまかった。床に就く前に
外に出てみると見覚えのある星座が頭上にあった。ガランとした大部屋に布団を敷き、明朝の早い出発
に備え19時前消灯となった。
11月1日(月)明くれば快晴、と言いたいところだが、朝から屋根を叩く無情の雨だ・5時半に朝食・
小屋の人がラジオのスウィッチを入れるとちょうど天気予報をやっていた。発達中σ)低気圧が日本列島
を西から通過するので今日はほぼ全国的に雨、とのこと。これからが北八ッの核心部だというのに全く
ツイテいない。だが、前進あるのみだ。
6時15分、雨天用装備を整えヒュッテを出発。双子池の間の登山道を行くといきなり急坂になる。
樹林帯の中の岩のゴツゴツした道を両手も動員して登る、雨は間断なく降りしきる・余りの急登で息が
きれる。15分登ったころ樹林帯が途切れ視界が展げた。とその時・小屋の方からヤッホーの声がした。
小屋のオジサンが、気をつけて行け、というように盛んに手を振っている・こちらも負けじと大きく振
り返した。大分元気づけられてさらに登りを続ける.大岩小岩の登山道以外の所は緑のビロードを敷き
つめたように一面苔むしている。苔が滝のように覆…)ている所童)ある。いかに走)北八ッらしい。相当長
い年月が経たないとこれだけビッシリとは生えないであろう。
40分ほどで森林限界を抜け天狗の露地と呼ばれる、大小の岩が多数混在する地帯へ出た。周囲の景
色はほとんど見えずわずかに昨日登った双子1-IIのなだらかな頂きが望めるだけだ。雨なので休まずに行
く。50分で大岳方面への分岐点に来た.ここからは10分弱で大岳だ。
7時55分着。標高2,382m。三角点なし。岩だらけで山名表示の木が一本立っているだけだ。眺望
も全く利かず。分岐まで戻りメインルートヘ。その先は大したアップダウンのない岩稜帯を行く。辺り
は煙雨に霞んでいる。横岳への最後の登りは急だ。登り詰めた所が北峰で横岳の標識が立っている・風
は強く写真撮影にもよろめくほどだ。続いて南峰。ツルリとした頂上で三等三角点の標柱だけがポツン
とあった。標高2,475m。今回の山行の最高地点だ、.晴れていればさぞ見晴しがいいだろうに残念だ。
下りも急下降の道である。冷い雨に打たれて巨卜i具の下も大分濡れたので、北横岳ヒュッテで・一・・休みし
て熱いコーヒーでも飲んで行こうか、と思ったが、今口はあいにく休みであった。さらに下ると三密分
岐であった。左手の道は岩場で危険と書いてある。当然右へ行く。そこからわづかで坪庭入口だ。二の
風雨の中を若い男性が1人横面に向って登って行った。坪庭はロープウエイで来る観光客用に整備され
た遊歩道で、シッカリと柵もしてあって道には石が敷きつめてある。
10時少し前、ピラタス・ロープウエイ山頂駅に到着。ピラタスはスイスの山名を転用した童)のだ。
ロープウエイの係員が愛想よく迎えてくれた。10時発がもうすぐ出る、と言う。だがここの売店は営
業しているので何はさておき乾いた喉を潤すことにする。缶ビールを飲んでいると風が20m/秒と強
いので20分発を最後にロープウエイを運休、売店も閉めてオバサンも下る、と言う。仕方なくそこか
ら2階の休憩所へ」■ってビールの続きをやる。いくらか腹ごしらえもできたので歩いてロープウエイ山
麓駅へ向う。ちょうど上時間歩いたところ、13時前の茅野行バスが出る寸前であった。
茅野駅前で2人で反省会を開き15時21分発の電車で帰途についた。雨にはたたられたがバラエテ
ィに富んだいい山行であった.以1二
蛾が岳ハイキングの記
12月6日(月)例によって、中央線や身延線沿線の山へ行く時に利用する6時30分八王子発松本行
電車に乗るため、港南台駅を一番電車で出発。今日の同行者はタフガイ小沼君だ。待合せは八王子駅プ
ラットフォーム。西国分寺駅近くに住む彼は既に来ていた。1時間も遅く出られる彼が羨しい。
今回の12月初頭の山行を先月末に計画したときは福島・栃木県境にある荒海山(1,580皿)を考えてい
た。が、12月にこの山城へはまだ入ったことがなかったので、急遽降雪の心配のない山梨県のこの山
に変更したのであった。
電車は定刻に発車。今日の天気予報は曇り後晴れとなっていたが、西に向うにつれて晴れてきた。8
時10分甲府着。25分待って身延線富士行き電車に乗る。9時10分市川本町で下車。先般予約し
ておいたタクシーに乗込みすぐ出発。東に向けてドンドン坂を上って行くとドライバーが行く手を指し
て、あれが蛾が岳ですよ、と言う。3っの峰の中央が一番高く、頂上付近の樹々は既に葉をすべて落と
してしまっている。やがて四尾連湖駐車場に到着。自動車道路はここで行き止まりだ。狭いスペースの
三箇所に湖・宿・登山口の案内板が立っている。標高約800m。早速登りにかかる。はじめのうち
はジグザグ道だがすぐ緩い登りとなった。大畠山分岐を右に折れるとすぐ尾根道に。両側が谷へ落ちて
いる所もあるが道幅は1mほどあり危い箇所は全くない.初冬のうらうらとした陽を浴びて落葉をカサ
コソと音立てながら踏んで行くのは寂しさもあるがそこはかとない風情もあ.る。歩き始めてちょうど1
時間で西肩峠に着いた。一息入れ、最後の急登に。距離にして300mほど登ると蛾が岳頂上(1,279m)
であった。ワッと歓声をあげたくなるほど素晴しい富士の姿が目前に広がっていた。その手前には三方
分山や毛無山など過去に登った山々が前衛を務めている。
翻って、西側の眺めがまた圧巻であった。鳳凰三山、白根三山、塩見岳、策ケ岳がえんえんと起伏する
南アルプス。その中の3,000m峰はすべて頭頂部に雪を載せている。特に荒川岳の雄姿が印象に残った。
眼下には卵型をした紺碧の四尾連湖が木の問越しに見える。大展望に充分満足して下山の途につく。
往路を大畠山分岐まで引き返す。途中、犬を連れた3人パーティーに会った。そのゴールデンレトリバ
ーが小沼君にじゃれつこうとした。やはり大好きの入は直感的に判るのだ、と感心させられた。周囲の
山々は紅葉の時季も過ぎ全体的に橙色や茶褐色に変っていた。
先ほど通った大畠山の標識のある所(実際は分岐点)まで来た。ちょうど正午なのでランチタイムに
する。30分休みを終え出発。大畠山はすぐ近くにあった。眺望は全くなく直ちに引き返す。さらに緩
い坂を下って行くと、陥没してできた天然湖でかっては富士人湖の一つと言われた周囲LIKmの四尾
連湖が左手下方に見え、ほどなく四尾連峠に出た。湖畔までは大分下らなければならないので割愛とす
る。峠の小高い所に、この湖をこよなく愛した歌人野沢一の歌碑が立っている。
そこから1時間で城山烽火台だ。武田信玄は戦国時代の通信手段として狼煙をよく用いた。その名残が
ここにあった、と言っても木製の展望台は相当腐っていて最早その役目を果していない。恐るおそる上
に上り蛾が岳を振返り眼下の町や笛吹川を俯瞰する。さすがに眺めは抜群だ。
この先の下りも実に緩やかだった。鼻唄の一つも歌いたくなるほど気分がいい。天気晴朗なのにユキ
ムシが漫画のように飛んでいる。のろし台から1時間で中国風の新しい建物が建つ大門碑林公園に出た。
市川本町の駅まではそこから10分とかからなかった。今日は好天に恵まれ、他の人にも3人組にし
か会わず、コースも急な登りや下りがほとんどなく道もよく整備されていて快適なハイキングを楽しむ
ことができた。平成11年12月某日舩木健
N
山行計画(平成12年1期分)
平成11年12月1目
平成12年1月至3月一出光山行クフブ企画・上ノぐ
歩行時間コースの概要=交通機関、一徒歩、()は所要時間特記事項リーダー
行き先月日程度コースの特徴宿泊等費用集合場・時定員締切り
石老山1月22日(土)5時間25分一般向東京=相模湖=石老山人ロー登山ロー顕鏡寺一見晴台7.389.Olハ“ス9.159.4010.1010.50石老山一展望台一箕石橋一嵐山一相模湖駅=JR15,24U、2512,IO昼食13、1514,3015,2015.59日帰り交通費¥2300+反省会22日9時相模湖駅改札口なし1月14日り一夕」まで現地降水確率30%以上中止軽アイゼン持参がいい高田Tel/faxO436-62-859了
相模湖の南に聳える山、山麓に古刹、山頂の展望を楽む
クラブ山行九鬼山2月26日(土)3時間40分一般向き新宿=高尾=大月=田野倉一札金鉱泉一小沢渡る一札金峠分岐8.389.2710.15工O、2110.4011・0011.30九鬼山一禾生側の踏跡一井倉一禾生駅軍大月=高尾。新宿12.40昼食13.3014.3015.1515.4616.33i7,25日帰り交通費¥306026日io時m分中央線大月駅なし2月25日り一グーまで現地降水確率30%以上中止。防寒対策■塚原胞/FaxO44-877-5548
道志山塊西北部に位置する大菩薩の展望台
正丸峠3月18目(土)4時間0・5分一般向き西武池袋=飯能=正丸駅一正丸峠一旧正丸峠一虚空蔵峠一8,009.30!O.4511.3012,45昼食13.15一正丸トンネル入りロー大蔵平橋一正丸駅=西武池袋14.3015.0515.⊥5急行1目帰り交通費㌧¥150018日8時OO分西武池袋'秩父行き車内なし3月14日一1一ダーまで現地降水確率40%以上一中止中止は参加者に通知小沼脱/FaxO42-573一一5028
早春の静かな奥武蔵の山を、峠を歩く
篠井山1月健脚東海自然歩道を身延線井出駅より歩く。富士山の展望台日帰り井出駅なし月火木曜一希望・吉永048282-5816
自主山行天城山5月「健脚1泊2日
白馬岳7月24日健脚日本三大雪渓を登り、お花畑を楽しむ。猿倉より白馬、小蓮華山、白馬大池を経て栂池自然園に下る2泊3日7月24日新宿8時成住043-272-916}
入笠山、船形山(瀬尾)、丹沢裏尾根縦走、小楢山、毛無山、箱根越え(高田)、飯豊山、大峰山縦走、白馬鑓ケ岳(吉永)など候補にあがっています。具体化したら企画幹事吉永まで連絡ください。
ナ」、
一
幹事会・例会・総会・会員異動・お知らせ
①幹事会7月1目於光友会事務局
9名;高田、瀬尾、吉永、大山、津出、村重、井上、松尾、小沼
主議題;平成12年の山行計画について、高田副会長からの「初心者向けのも
のも増やす」ことについて議論した。
9月2日於光友会館千葉会
6名;山戸、高田、瀬尾、津出、吉永、村重
主議題;本郷副会長の転勤により幹事の異動
案として津出幹事ほ副会長に、総務幹事に西川会員を。決定は総会で。
10月27日於光友会事務局
9名;山戸、高田、津出、瀬尾、吉永、村重、西川、塚原、小沼
主議題;第7期決算報告及び役員改選について。
②例会
7月1目於
18名
9月2日於
/8名・
木挽寮
;和田、成住、三浦、高田、緒方、瀬尾、吉永、舩木、本郷、大山、村重、西川、
井上、仲埜、松尾、窪田、津出、小沼
光友会館千葉会
和田、三浦、成住、山戸、高田、瀬尾、津出、吉永、村重、緒方、白浜、舩木、
本郷、豊田、池田、春田、兼重、福井
③総会
11月6日於箱根寮
16名;山戸、高田、長嶋、津出、白浜、村重、池田、舩木、仲埜、松尾、谷田部、
窪田、豊田、西川、小沼、兼重、
主議題;(1)第7期(平成10年10月1目から11年9月30日まで)の決算承認。
(2)第8期予算承認。
(3)役員改選承認
会長;山戸。副会長;高田、津出。企画;吉永、瀬尾、山戸、高田。
総務;津出、井上、村重、西川。広報1松尾、塚原、小沼。
事務局;津出。会計監事;三浦。(下線付きの人は新任)。
(4)平成12年の計画など。
④会員異動
新規会員
退会会員
4名;一瀬敏治、福田稔、福井幸雄、兼重功。
5名;後藤修、古沢邦子、柏木幹男、小川啓夫、泉昭郎。
⑤平成12年予定
(1)山行計画3ケ月毎に発表する。
(2)安全講習会を3月に開催する。
(3)幹事会・例会・総会日程
1月14日(金)、3月2日(木)、
9月7日(木)
総会前幹事会は10月19目(木)。
1∼3月は別紙の通り。
5月11日(木)、7月6目(木)、
総会は10月28日。
以上
赤十字救急法講習会に参加して
山戸昌(平成11年11月記)
3月4日に開催した救急法講習会で始めて応急処置の勉強をしましたが、更に高度な技能を身に付けたい
と思い、6月13日(土)、19日(土)、20日(日)の3日間、日本赤十字社東京都支部で救急法講習
を受講しました。
この講習会には、満15歳以上の健康な人なら参加自由(年齢の上限は無い)で、受講料は無料。但し、
教材費として2、800円(教本、三角巾2枚、ガーゼ2枚、蘇生法練習用ダミーの消耗品、巻軸帯、止血
棒、保険代)が必要。月に2∼4回開催されています。ボランティアー全盛時代を反映してか、毎回満員
の盛況で・私が受講した回も定員40名のところ49名もの参加があり、その内、6割が女性、学生を含め
若い人が圧倒的に多い(最高年は私)のにびっくりしました(早目に申込みのこと)。救急ボランティアー『
のほか・救急法指導員やスキーパトロール隊員など色々な資格の取得にも役立っようです。
講習はr病気やけがや災害から自分自身を守り、けが人や急病人を正しく救助して医師または他の救助者
(救急隊員)などにわたすまでの応急手当の知識と技術を学ぶ」ため、
11}救急法について12}心肺蘇生法(3)傷と出血(4)包帯
(5)骨折・脱臼・捻挫(6)急病{7)運搬(8)救助
などの各項目について、毎日09.30∼17.30のNet7時間(合計21時間)、午前は講議、
一午後は実技指導があり、最終日には検定テスト(実技および筆記)が行われました。
実技は二人づっの組になって行い、lO人に一人の割合で指導員がついて懇切丁寧に指導してくれます。
一人でも多くの救急員を養成しようという姿勢で、その熱心さには頭が下がる思いでした。
実技指導の中心となるのは心肺蘇生法(人工呼吸法と心(臓)マッサージ)と包帯(三角巾と巻軸帯の使
用法)ですが、今まで人工呼吸や心マッサージを一度も行ったことがない私にとっては、等身大のダミー
(dummyマネキン人形)を使用して行うこれらの訓練は、貴重な経験であり、自信がついたと思って
います。
休日ばかりの3日間の受講は、体力的にもハードでしたが何とか検定テストもパスし、r日赤救急法救急
員」の認定証を取得できました。(但し、有効期限は3年間)
講習会受講後、私のザックの中には救急用医薬品(消毒薬、三角巾、包帯、ガーゼ、テープ、消炎鎮痛剤
など)が入るようになりましたが、11月の総会山行(明神ケ岳)と塔の岳山行の際、持参の消炎鎮痛剤が
役に立つケースが起こり、講習会の成果(?)がでました。
救急法は、山行時のみならず日常生活においても役に立つと思われますので、会員諸兄の受講をお薦めし
ます。なお、前掲の教材費2,800円は、受講奨励の見地からクラブ会費から負担して頂きました。
教本の講読希望者がおられましたら、貸出ししますのでご連絡下さい・
以上
】3-1008・0525
認定証
山戸昌
II召手07イ拝7月23日`L
上記の音を日春・占丁卜宇社肢,急.法鼓.客員
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30
10621
101010
11
11
512
13
612
関東ふれあいの道神奈川県コース
コース名距離k皿
NO.5穏村が鱒醒づたい了.5k国
のみち
NO.6翻南海岸砂養のみち13.2k面
NO.8
NO.9
競0.7
NO.1
HO.2
NO.3
HO.4
NO.10
NO.11
NO.13
餌0.14
NO.15
胴0.12
NO.17
NO.16
置嵐山・里のみち10.9k薗
219彊
弘法大慶と桜のみち7.8k留
叢裂山244皿彊怯山23下露
鳩躍山の筋12、5k皿
高豊山168m践園山18i磁
三濾岩感のみち17.Ok理
論壷・入江のみち
蓋時・醜騒のみち
9、4k皿
7.了k皿
鵬汰齢助ち14.6k厨
242皿
太田灘
日離勧みち
醜勧みち
白山283m
山里から津久井薦
へのみち
再乞山429m
城山3了5円
助覇へ嚇ち
難嫡と丹釈へ
のみち
8.5km
8.8k皿
10.3k皿
9.Ok廻
10.Ok皿
丹混血麹藁辺のみち11.3k皿
鯉山74伽
樋山
鹸蔵船輔助ち16、2k通
経が岳633皿
大山参り蓑毛のみち
8.了k皿
歩行記録183.4k盟成住俊二
一ロメモ平城11年6月21日踵螢護HO.62号(神奈川桑観致羅)
9=30JR雛、若宮大難醐、蝋瀕、翻欄、糎腰、羅(醸細
起諺文)鹿威中学生ポート趨難碑、真白き富士の嶺、鯉の江ノ島一
翻南海岸公園歩く、碑白く毒青く海縄墨に春植よし、砂漠に一歩一歩足儲を残す
ニェアール記含碑(中国の作薗家)茅ヶ菊凝進もどる、築題、鞭田、吉本、三遠見らと
えぼし本店でうちあげ、負うまし、地元で有名店らしい
JR二宮慶、月京から歩く鋲興住宅靖、嶺躍山219皿タプの大鰐、レイクウフド醤のベ
ンチで富士蜆ぴら験、土屋磯鴫、大羅、鰯難、解巌樋さ躍る
生きること蓋しと選う山簾ははだら雪降り月睡りにけり苗田夕暮敷碑.弘法山高綾生マラ
ソンの榛習、小田急鶴巻塁泉え、掲鑓車中で新ハイクの蜀人、日本官名山塞登珍しくない
JR大盛駅より歩く高来赫社、高里山168皿一等三角点謡南平展望城山公園、三井A馬
樋門鵬、魎寺鴫騒村煙の墓劫そ循葉枕盛蹴う既
桧韓バス停で下車蟻の土黒々一面大型とキャベツ、翻萌灯台に量る、ヒジキ藍して干す
励瞳繊長恥財鳳雛、石畳で昼簸瞬の激り、鎚の燭前納人あ
ヴ、(鱒ご、齢鋤)漸桶赫、甦蝋麗垣、臥獅シッ効と肪り
逸り矢を目指す、この辺註しぶき高い爵あり、要注意
三騎蔭で袷苺まぐろ蔚菌買う、第5麺麺兆、藪舞舞、嬬見寺大豆2年鑑榎白散妻とわび住
まい、健褻、塵哀大学豊海実験駈、琢弁鰻重(三諦五条の古義碧)解毒は薫れいて月の曲
壷、献酬筋副ン'{一搾凱、騰鰍で加加石tたく、紅鱒、霰署
蔚舞タ妙一鉄作に帥う
円徳寺、和田長承毒岸、蓋埼弁天島の表示なし、毒鳶をくぐりて塩高い公園に上がる
白い頁岩と畏い葭灰岩の屑で現食されている、遠く右手に丹潔瀞かすむ、籍製、富士山
伊豆半島、大島見えず、小面ぱらつき、井上戚美大書邸に行けず、文京区穫齎から
督庁薄しに富士山をとるという講述のカメラマンと同行す
怪騎、14名山と毒を多く、芦名目より11:00山蔑展望台、葉山ゴルフ瑠、梱模湾
筋質勘る、レストラン砥馳勤協らう、蟹勧一ダー醜麗醸の醐'
正膿で遺、立石蠣、長者備、鋤鋪吼おさ噌雛鮮、秘嫡で鍛
土壁拝壮さん少し遅れる、盈3等蟄蟄、鶴巻温泉耳ノ内10=00、三之宮比々多軸社
七人舞、雲もな巨さだめある琶のしぐれ葦、上鞘屋祷社母、産鮨大字NECテクニカルセ
ンター、87才の老人表参道の急踏段登る、12:30参拝昼食宝塩鮪の杉樹匿800年
桜垂木を技サ七親リハビリセンター、道棲ものかげでわ浄らず豊泉一周、潅東33ケ斎の
運礼峠、老人と襲瀞駐に愛され供養に均蔵さんがお景りしてある、鞠見障、むじな壇(6
ッの地名)白山283皿ピストン(佐倉、富井さん)飼門番バス諄から小隅急本厚木慶へ
平日と休日の時舅麦調べず描肇(6/19甦鱈)幸いnoprobre囲京王鐘驫木竃
からパスで垂尾毅へ東京農工大から10:00雨乞山、舅日原、鍾科庵裂塩屋諏詰替社杉
12=20、桑の購柑い13:00漱総(蝕)韻調碑、蜂始鰍り
津久井禰ダム渡る、今韓パスで来た這を2山越え戻った事になる
14=00麟スタート酊上職髄り14:45駒麹醐4媛駒1っ、姿三
囲臨法国の禦、参拝後津久井調や登ってきた城山の鼠壁素麺らしい雨乞山はその疑渉、奥
の龍あたりから雨、三翼峠(高尾山桑)鶴寿團、うかい竹亭、趣ノ木孚16:10パスは
願あわ鵜尾加髄1.9k酵く、躯醇騙館、16=48鶏行に郵
養毛より歩く宝藝寺(茶湯寺)山岳馨駐信儲O霊坦、山円(仁王円)と3円(肇嚢の段爵
)白鬚観察の妻戸廻家後元、蕎麦茎歩く粍白し交差点に同美和神社石の鳥居、韓日替社
毒実軒鞠首塚さがみ野や性だのの里にみたまやどりこの塁の幸守りいまさむ、該多野竣置
這に違う、莞開基、寺山愚書小字校内甕量、秋空憤窮一人秦野盆地を歩く
本厚木から半原行きバスに乗る、一つ手蕾の宇枝下で降り逢う、ホタルの塁、県立愛川ぶ
れあいの村10=40仏果山登山口、ヤマツツジも贅わりに近く一雨経起り、山頭直下黛
鞭12:20着、仏果簿薗聾嚢の壇、蝶ケ谷の人々修願者を接待、塵い事が嘩えられると
草鞋を所望した、半原超え(薗を塩尻参ら半原え遵ぷ)撲詣赫道、棒先館爵掛替渉かる
了:50半頚這え登山口、階段皇登、展望台あり大山、大山三韓、塔の{乱丹訳山連なる
経石、山頂8:25着、2等3角点、10:15唇棄寺、墓古心おかげさま、田代半醤勢
花嫁祭り、角田大疑で遵露塵え置目、やぶきた茶螢み、養鶏場、三増合輯堪碑着、信玄隻
立て樫、東名厚木ゴルフ現、去田山ホームケアセンター、12:50峠ゴミの山、薗歪光
朝日寺よリスビードアップ、茎尾婁バス樟13:ig発に爵に合う、醤本襲で重鉢
蓑毛から同夫科馨社裏参道登る快時、杉爵さん尉ルート無事下社先着不里謡浄る、二重の
竜若者釈登り、上段のハケ(蔚崖)より誘珪ヤツポを形成、見璃台メンバー弁当持参せず
石雲寺今日一善を行い開日一善を行えば大善となる、淳美顧寺、男の駆蹟込み寺、木食行
日自渓谷キ†ンブ場マス釣り培、伊勢原駿薗そビ屋で完歩裡賀打ち上げ、皆喜ぶ
)台
.輿宣実施報告書
平成て1年6月6日
リーダー:
サブチダー
作成者池田鎮雄
イ
矢平山(860m),高柄山(了33m)中央線沿線
6月5日(土曜日)日帰り
鎮雄(単独山行)
JR新松戸一一一西国分寺
06:00(武蔵野線)06:55
(了63m)
丸ツツク山
10=55
栃穴分岐
14:40
(860m)
・・矢平山"
11:30/12:00
一御前山分岐
15:00
高尾
08:00
梁川
08:40
(甚之函山分岐)(高柄山分岐)
旧大地峠…・・大丸山・…
12=1012:30
鶴鉱泉
15:35
桂川橋・
15:55
(吊り橋)
塩瀬橋一寺下峠
09:0010:40
(733m)
高柄山一新矢ノ根峠
13:3014:05
上野原駅
16:05
高尾駅一
16=35
ム
一一西国分寺一一
1了=00
歩程
差
問離高
時矩標
)
数む
歩含
5…を
駅口…(り
柏18…下
ゆ
…分km
8
一50
一23.5
14
戸55…時
松靴…約約
新1一了
約2了,200歩)
費用
交通費ホリデーパス(2,040円)を使用した
所
感
尋他
①新緑の季節はすばらしいが、この時季では遅くに逸した感で、特に寺下峠/丸ッ
ツク山は藪が繁っており、足元が見にくかった。
②山苺の時季で、実がたわわに熟しており、23個摘んではみたが、美味とはいえず
、口当たりが悪かった。
③当初は5月の山行計画のコースを計画したが、途中変更し、高柄山へと足を延ばした
④登山途中は杉林の中を歩くが、山頂付近では直射日光を浴びるので、真夏の登山コー
スとしては推奨し難い。やはり春先が一番である。
⑤御前山を迂回中、ゴルフ場からのボールを打つ音、マイクでの呼び出し等の雑音が入
って来る。
ロアドバイス
①塩瀬橋/寺下峠は梁川の水道源である水道施設があり、水道管に沿って・沢渡り
を行うが、足場はしっかりしている。
②高柄山通過後、上野原への行程では、ゴルフ場のために従来の尾根道は通行止めにな
り(標識はある)、御前山直下まで登るのでかなりハードなコースであるから・体力
、水分の温存を図ること。
③下山後、鶴鉱泉(つるや旅館:TELO554-63-1446)での入浴を計画したが、浴槽が
1つで先客がいる場合は待ち時間が必要だったので、断念し、駅へ直行した。
山 テ実施幸侵
出
口
書(自主山行)
平成11年12月3日
リーダー:(奥野
作成者緒方
行き先針ノ木岳(2820m)蓮華岳(2798m)
コース針ノ木岳は戦国時代の佐々成政による積雪期のアルプス越フ
の特徴針ノ木雪渓は白馬雪渓、剣沢雪渓とともに日本三大雪渓の一
期目平成11年7月5日(月)∼7日(水)
天候7/5曇りのち雨、7/6曇りのち晴れ、7/7晴れ
参加者緒方ほか会員外3名(スキークラブの仲間)
7月5日(月)
コ新宿駅信濃大町駅扇沢一一一一大沢小屋(泊)
18二〇〇11:15タクシー12:0013:30
ス7月6日(火)
タ大沢小屋一一一一雪渓入ロー一一針ノ木峠(針林小屋)一一一蓮華岳一一
イ6:006:407:009:4012:0013二30
ム7月7日(水)
針ノ木小屋一一一針ノ木岳一一一針ノ木小屋一一一雪渓入ロー一づ
6:458:009:0010:0011=0012:40
扇沢一一大町温泉一信濃大町駅一新宿駅
14:40タクシー16:0020=06
費用交通費(新宿一信濃大町往復)14800円宿泊費15
1.梅雨の最中だったが2日目、3日目と天気に恵まれた。
所2.1日目針ノ木小屋まで登るつもりだったが大沢小屋に莞
が悪くなり小屋の主人の忠告もありここで泊まった.
感3.雪は多く残っており、雪渓は一番下から峠まで雪に被オ
4.針ノ木小屋について蓮華岳に登ったがコマクサが群生し
ほかった。
5.3日目天気に恵まれ針ノ木岳に登る.途中雪の急斜面イ
かところがあったが昨日小屋の若い人がステップを切っコ
危険を感じず登れた。頂上からは素晴らしい眺めが見β
6.雪渓を歩くのは初めてでアイゼンも初めてつけたがなズ
しかし上のほうの急な斜面では滑りやすく慎重に降りネ
7.下山して大町温泉によったが町営の立派な施設があり打
一口1.アイゼンは軽アイゼン(4本歯)だとかなり滑りやす
アドバだ。できれば6本歯を用意したほうがよい。
イス
15二〇〇
13:10
賢造)
淳夫
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工■d
吐.1才一丁実施報告一・書リーダ…離俊』』=
一平・1成11一年了月2ざ百一一一'作成者窪田雄一郎
「"一"一'"一'一…一'一丁一'"r一'"一…一一…一'一下『'''''''"一『一『一'一一一…一"“…'一1
[行き先1富士1.[13丁蒲田(日本最'高峰〉
矯丁一一!、報!r一年和4}1一一(土)守廃弼言y'磁百"}}一1
1一一一・一・一一・一一一一・・ピー・一・…■田一・・…・一・一一一'…一…㎜一一'∼一一『』'一一ヨー『一一一…l
Il了,/'24晴、日中雲海が厚く下界は昼、貢.ず。但し夜景は見えた。
…天候17/2鵬但し頂上は舗襯界ゼ・。ご来光も拝蹴l
l一一一一・…・・一十『一・田・一一一…一・一一…一"一一』一一……'一一『}一一旧『}一一'r
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一一._一.一_.■一..一一i._.『.__一_…一一、一…一…■・・一…一・一一・・一一・一一…一一一一・一一一一一・一・一一一一一一『!
間分問闘間分口
日時0日時分時時2宮合
24242534123上組
月り月り坦り富山
7登7登平下表登
・駿叢羅漢嘉''"
0544-27一・31!11
8合目ノ1'、屋.
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0544-26-05121翫卜.僧、バス㊧2390こだま414号
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山[コさん
.鰻4一・23・一3938!費用概算
夏泊2食魯8000
1'1斤感
および
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i日本最高峰37倫朝食をとるI
l三島岳・……剣ケ峰・…・頂上お鉢巡り内院コ・一・ス・・一…吉i丑日頂上一l
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I交通費14,000宿泊費8、009合計22、000
i①2日とも晴天であったが、生憎夜明けの時間は(4:3①露塵が降簗
i視界ゼロ。ご来光も拝めずまた駿河湾を望む雄大な景色にも墨まれマ
1
頂上(剣ケ峰3π6耳1)に.立っても何も一見えないので・日本最高峰であ
るとの感激も余りなかウた一。'
i②8合目から頂上は可なり寒く、風も強かった。雨具二防寒具の準備
1蟹翫繕群議藏贈爵麓勧詔ぞ書跡謡錫嚢線
1るのが良い。l
l②古稀以上の方は、奥宮で高齢者登山の記帳をし]夏記念品が頂ける。l
l山小屋に泊まれない人が大勢野宿していたが、体力を可なり消耗ずるl
i
と思われるり!
蟻蕪㌶紙幣繍駐獣ぶ長春ll蝉錨騨鷺亀
iのは高山病防止{こは却って良いかも知れない。
1纒欝灘灘蒲鱗琴箋難禦
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オ二丁ττ1二曙ム甲旺.(.呂1
・∴口上二し一「ン.一;」ほ一二llヨ」
9'
自主山行実施報告書
(平成11年8月8目)
行き先三峯山から雲取山(2017m)
コースの特徴東京都の最高峰で、大輪山麓駅から徒歩で標高1000mの三筆神社に上り、白岩小屋に一泊してお祭に下り、鴨沢からバスに乗り、奥多摩駅のもえぎの湯に遊ぶ。
日時平成11年8月6日(金)∼7日(土)
歩行一目目;4時間00分。二日目;8時間
程度やや健脚向き
参加者小沼(IMC)、他3名(国分寺市民)
コースタイム(5)(20)(5)西武池袋(特急秩父行き)御花畑乗り換え二三墨口/バスニ=二大輪下車/徒歩一一一7:308:50着商店街を徒歩5分9:05発9二36/9:41(120)(5)(30)(60)大輪駅/徒歩一一山頂一一一三峯神社一一妙法岳分岐一一霧薄ケ峰10:1012:1012:25/13=0013:3014:30(80)(40)[水あり](20)(60)(25)(地蔵峠)一一一前白岩山一一白岩小屋一一白岩山一一大ダワ一一雲取山荘(一階完成)16:1517:00ノ宿泊ノ6:006:207:308=0018:10(40)(165)(150)(30)(50)(10)
一一雲取山一一三条の湯一一10kmお祭一一鴨沢バス停一一奥多摩駅一一=9:00/9:1512:00/12:3015:0015:30/15:4216:50(10)(70)(60)もえぎの湯一一奥多摩駅一一→立川一17:00/18=1018:40発
宿泊場所白岩小屋(雲取山山荘は修理中。8月31日まで)
費用概算池袋∼三峯口:1330+60、→大輪(パス):600、[→頂上駅(ロープウェー):820]鴨沢∼奥多摩駅:1000、宿泊:3000、もえぎの湯入浴:800、奥多摩∼東京:1280合計:約8000
集合西武池袋7:30発西武秩父行きに乗車(小沼は所沢で乗車7:54)
り一ダー・
報告作成小沼英夫
小沼英夫
三筆神社出発の時間より白岩小屋に泊まる。
これの計画は平成6年10月の吉本・三浦さんら8名のの実施報告を参考にさせてもらいました・
西武線は特急でなく、急行でもよし。飯能から三峰口行きもある。
その時は三峯口駅からタクシーで三筆神社まで行っていました。
白岩小屋は食事無し。徒歩5分で豊富な水あり。沐浴可能。
もえぎの湯でビール、そば等で反省会(一人約2000円)
雲取山山荘、奥多摩小屋は奥多摩役場0428・83・2111
雲取山ヒュッテ、白岩小屋は新井信吉氏0494・23-3338
三峯ロープウェーは0494・54-0027【9二50,10:00,10:15,1LOO-1
三峰側は大滝村役場0494-55-0101もえぎの湯は0428-837770以上
9り
山行
施
止・
書
平成1-1年8月26日
リーダー高田順甫
作成者松尾憲之助
行先常念岳・蝶ケ岳
期日8月26日∼28日
天候26日曇り27日雨・屈田虫し
28日曇り
参加者高田順甫、和田義信、白浜健、緒方淳夫、西川幸男
窪田雄一一一・郎、松尾憲之助計7名
コースタイム
26目新宿松本豊科
7:{){)一ス一舟あ枢1号一9::侶着
9:45発一1(〕:06着!0:22発一ジャンボ〃シ一一
一の沢常念小屋(泊)
10:55着
ll=i5発……一一(内昼餉25分)・一…一].6:30着
27目常念小屋常念岳山頂
6:40発一一一一…………r一………8:ユ5着
8:25発一一一一一一一一一・一・
蝶力岳山頂蝶力岳ヒュッテ(泊)
一一12:∠10…一一一・………・…一…一13:1〔1着(昼食)
28閏蝶力岳ヒニLッテ徳沢
6:lo発一一一一一…一・一・一一…一一…9:3〔)着
10:00発一一一一一
上高地(昼食)松本駅
…1-1:35着
12:30発ジヤンポククシー14二20着
費用ジャンボタクシー(豊科∼一σ)沢)6,900円
(上高地∼松木)21,000円
山小屋常念小屋(一泊三食)ユ0,900円
蝶力岳ヒニLッテ(一泊2食)9,000円
所感ビラミダルな山容の常念岳は表銀座縦走コースの中でも最
大のポイントといわれ、頂上からは槍穂高連峰が間近に望め
るが、27日は生憎の悪天候(雨・風・霧の三拍子揃う)で
眺望はゼロであった一、
また、翌28日の蝶力岳ヒュガからの眺望も霧が深く結局残
念な結果に終わった.しかし、徳沢に降り立ったときは、全
員常念岳の山頂を極めた満足感に浸ることが出来き、ビール
σ)味が喉にしみ疲れも吹き飛んだ。
一.ロアドバイス1.悪天候重)あったが、中高年1一[一1行ではコースタイムより相
当の余裕が必要で沌)る,、2日目は徳沢まで下山するのを
断念し、蝶力岳ヒュッテで泊まることになる。
2.一一一の沢か,らの"胸突八丁"は悪天候時の下りは要注意。
3.人数によっては、ジャンボ妙シーは割安である。
¢/
山行実施報告書
平成11年9月1日
リーダー吉永次広
行き先志賀高原一一岩菅山一烏帽子岳一轍山郷切明温泉(岩菅山200名山)
期日8月30日月8月31目火参加者
天候晴れ近傍の山晴れ苗場、白成住俊二、瀬尾一太郎、吉永次広
頂は雲が着く根、見える
歩時間3時間30分8時間20分
行標高差↑450↓150↑300↓1600
実時間2時間45分6時間40分
東京=大宮=長野=湯田中=発哺温泉=東館山=・寺子屋膨ノッキリ肌岩菅山
第7,237,258.579.5911.00li.2012.3014.1514.50
コース1ア弛19.2010.10ゴンドラ高山植物園一之瀬分岐避難小屋
日通過停まり
記録2125.Om2295.0
古屋雪裏岩菅山一中岳r烏帽子岳一テント場一・笠法師山一水場一下り一東電送水管
第5,206.107,258.059,05・3010.0011.0012.0013.20
2昼食
日朝露最高峰岩峰眺望よし笹薮漕ぎ長い下り笹刈完温泉が見える
2341m21792230.4m1918.5m
一切明温泉吊橋一温泉一切明温泉=津南=越後湯沢=大宮=上野=東京
13.4014.30ハ“ス15.3617.231826タ二方+ワ45219.56
川原の砂を掘って
温泉に入る
交JR東京一長野7970長野一陽田中1230湯田中一発哺920ゴンドラ670
経費通切明一津南730津南湯沢750湯沢r東京6490
費計18,760(全員ジパング)避難小屋泊まり無料
→ロメモ水3リットル担ぎ上げるのは・予想外に体力を消耗する。真夏の山行には留意する。
この計画は昨年雨で流れたものであるが、今回はベテランのお二人に同行してい
ただき楽しい山行が出来たことを感謝いたします。
予定通り東館山の山頂駅に着き、早速一人3リットルの水を担ぐとずしりと肩に
所感等食い込む。冬ならスキーで賑わう寺子屋も静かな初秋を漂わせている。前方にこれから目指す、岩菅山は雲にかくれているが、我我の頭上には太陽が容赦なく照りつ
けている。山頂は、広く石碑や祠が立ち並んでいる。晴れてきたが、さむくなった。
直ぐ下の貸し切りの小屋でスピリットを入れて山談義に花を咲かせる。
最高峰の裏岩菅から烏帽子は尾根伝いで最高の眺望と秋の花を楽しむ。烏帽子か
ら笠までは急降下の坂と藪漕ぎで悪路蔦笠に登り返して、長い長いトラバースを笹襖
の中を通る。1888mまで下りると、刈って間のない道になる。
魚野川の吊橋手前から川原に下りると、そこは正真正銘の露天風呂鳶足を入れ
て熱さに驚いて川に走りこんだり芯瀬音を聞きながら二日間の疲れを流す。
いい山行だった。ビールで乾杯したのは言うまでもない。
女2
自主山行実施報告書
(平成11年9月10日)
行き先丸山(960m)から金昌寺〔秩父〕
コースの特徴西武線芦が久保駅から丸山・森林学習展示館、大棚山を経て、子育て観音と石仏群で知られる秩父四番札所・金昌寺を詣で、高篠温泉郷で一風呂浴びて西武秩父駅へ出る。
日時平成11年9月13日(月)
歩行4時間35分。
程度・天候日帰り一般向き。曇り(東京は32度であった)。途中でパラパラと僅かの雨あり。森林学習展示館では屋根付き休憩所で寒い位。14時頃より汗だく。
参加者三浦修、木佐貫秀彌、小沼英夫(3名)
コースタイム(52)(44)(80)西武池袋飯能/二西武秩父線・芦が久保駅/徒歩一一防火帯の尾根7:459:32【水補給】9・:50発11:10〔30)(15)(3)12:3012:35(昼食)12:55発(15)
8:28飯能行き8:45(15)一一金昌寺分岐一一丸山一一金昌寺分岐一一森林学習展示館(10分位で林道を横切る11二4012:00/12:15(100)(20))一一真福寺分岐一一金昌寺一一新木温泉一一14:3514:5515二10(110分休憩。反省会と次回の計画)(10)(30)(145)金昌寺出て県道右ヘスーパー前バス停/バス⊇西武秩父《急行》=西武池袋17:2117:55着18:0119:49
入浴場所高篠温泉郷・新木(あらき)温泉電話0494-23-2641
費用概算池袋∼芦が久保:720。金昌寺前∼秩父駅(バス);290。入浴料:800(日祭は900)。西武秩父∼池袋;750(特急は+620)。合計:約2600
集合西武・池袋8:00発秩父行きに乗車。芦が久保:9:50集合。
リーダー;
報告作成・
小沼英夫
小沼英夫
新木の湯は桧の湯船に桶の露天風呂もよし。
問い合わせ先;埼玉県東京商工観光事務所X。西武バス0494-22・1635。西武鉄道0429-26-2221。
四番札所・金昌寺0494-23-0976(子育て観音、古い石仏約500体、荒舩清十郎の墓など見学)。
秩父市役所0494・22-2211(観光課)
参考図書;東京から魅力別中高年ハイキング(昭文社)【この本の電話番号と料金は変わっている】。
以上
り
山行実施報告書
平成11年9月27日
り一ダー松尾憲之助
作成者松尾憲之助
行先矢倉岳,(870m)
期〔平成'11年9月25口(土)
天候晴れ
台風を心配したが、当日は台風■一過の天気であった
参加者長嶋宏・高田順甫・池田鎮雄・塚原恒夫・佐藤忠男
松尾憲之助・外1名計7名
コースタイム
東京小田原大雄山
フ:50発9:18着
9:24発一f摂Z箱根鉄一9:45着
大雄山(関本)矢倉沢
10:08発一バス⊥O:23着
10:30発層r曙■rr岬属目・一・辱rr-昌・
矢倉岳(昼食)足柄万葉公園
12:45着
13:20発・噸一一辱一…-一■剛P一一14:25一一■■r・■■・■
(途中,にりバス利用)
地蔵堂大雄山(関木)
⊥4:45着
ユ4:53発一バ人一一一一一15:2〔)着
伊豆箱根鉄瞳270円×2r5・10円
費用バス:考0(1円(関木∼矢倉沢)
・140円(地蔵堂∼関本)
1、矢倉岳への往路で時間を喰ったσ)で、足柄峠はバイパス
し万葉公園から地蔵堂への道は途中よりバスを利用した
(万葉公園から地蔵堂までバースあり),,
2,矢倉岳のIl-1頂からは天気が良け淑,ば、目の前に箱根の
所感111々、西にけ富士111を望めるが、このルートは山頂
右1'三星卑怯タド差土ホヨ1木(ノ)吋」をU・ブ〔二]=レら吾ヌくノレートーC痘)り展望
1.よあまり期待できない,.従って展望σ一)利く季節を選ん
だほ1)が良い,,当国は台風一過で比較的展望が利き
箱根の1」一ll,工見渡せた,,
3.地蔵堂から開木(大雄II-1)までのバスの便は、日祭日は
結構あり矢倉沢からの跳一1-rもバスの便は心配はい参)ない。
]..箱根付近の山は矢倉岳に限らず、日祭日でも行き帰り
一口とも電車ω.込んでいないのでゆっくり乗ることが出来る.
アドバイス
里噛
山行実施報告書
平成11年9月30日
リーダー吉永次広
行き先荒沢岳(200名山)
期日9月27日月9月28目火参加者
天候駄晴れ駒ケ岳瀬尾一太郎、吉永次広
中岳、見える
歩時間0時間00分9時間00分
行標高差↑1200↓1200
実時間奥只見湖見る7時間30分
東京=浦佐=銀山平=奥只見湖=伝之助小屋
第11.3213.4014.3016.30
コース1自家用車糠泊まり¥7500予約必要
日新築、料理よい
記録5km先露天風呂
小屋一一前山一鎖場下一前器一尾根r荒沢岳r尾踊嵐一鎖揚下一前山一小屋一
第5,005,406.407,459.059.25甲10、0511.2012,2513.3014.00
2暗い急登前嵩が梯子、長い鎖駒ケ岳、中岳慎重に下る北の道を下る
日正面に標高差300奥只見湖眺望よい休憩を取りながら
1090.61536立派な標識1968.7皿
=露天風呂=1出発=湯沢=東京
14.30
車で湯沢まで出る
JR東京一浦佐7970湯沢一東京
経費伝之助小屋7500+α
計2600G
一口メモ1.標高差は約1400mだが、途中に300mほどの鎖場や梯子があり通過コ時間を
取られ疲労も予想以上だった。
2.鎖場は下りに時間と慎重さを必要とする。
3.1パーティ,5人が限度。
4.小屋は予約が必要。5,バスは本数が少ないので留意のこと
奥只見湖の南に鋭鋒天を突く感じの山はいっか登って見たいと思っていた。
深田クラブ200名山には入っているが、日本山岳会300名山に入っていない山
であるが、300名山には選ばれてなんら遜色のない名峰だと思う。
伝の助小屋から直ぐの所に登山口があり,直ぐに急登になる。前山からなだらか
所感等な尾根をしばらく行くと、rこれより岩場」の標識から梯子,鎖の連続で気をゆる
せない。あまり多くの登山者はないようで,踏み跡が細い部分もある。前嵐からは
荒沢岳の山頂が望める。山頂には、山岳連盟の銘がある真新しい石碑がある。眺望
はもんくない。越後駒,兎、丹後、八海山、燧、平、会津駒、未丈などいつまで見て
いても飽きることがない.山頂付近はもう紅葉の盛りだ。
下りの鎖場は慎重に、。下山し露天風呂に汗を流凱帰りは柴折峠を越して帰る。
(」
山行実施報告書
平成11一年10月10日
リーダー高田順甫
サブリーダー:
報告者高田順甫
行き先石槌山と冊面前神寺∼5G横降寺「おへんろ路」巡礼口,982m】
期日平成11年9月27日(月)∼9月29日(水)[2泊3日ユ
天候9/27晴れ9/28晴れ9/29晴れ
参加者
高田願甫、道開貞夫.(吉水博則は27日のみ参加)2名
コ9/27
松山駅一一石槌山駅二=HO64∼63∼62∼HO61香園寺宿泊香園寺宿坊
111:3913:5314:1516:45
9/28
ス宿坊∫こ岡060横峰寺==横峰寺登山ロー一一発電所前一一ローアウェ一下∼ローアウェー上こ白石旅館
06:0011:20/11:5013:50/1410214:15/1ヰ:2514:40ノ↑6:0016:08可6:25
タ9/29
旅館二=八丁坂=ロ弥山=こ石槌神社。二八丁堀二凱旅館;認二距フ駈一上一一距豹エー下
イ06=3001:0010=3011:3013:0014:00/14:4514155/15:0015:08/15:1
発電所前一一伊予西条駅一一松山駅
ム15125/15二3016:1V17:0918:08
費用交通費:6,800円(松山駅起点}宿泊費:15,500円合計22,300円
所1,9月上旬からの大雨により槙峰寺から虎杖橋二河口=成就社のルートは断念し、横降
登山口に戻りバスでロープウェー下のルートを辿る.但しパスルートも途中道路崩壊の
感ため発電所前にて15分歩く。ロープウェーは当日停電のため作業員輸送の1便を利用.
2,肥61∼60のrおへんろ路」も長く険しく出だしに道が判らず遠回りした.
ほ3,冊60槙峰寺から登山口へのルートは林道ながら長く、バス停が判明せず苦労した。
4,たどり着いたロープウェーは停電日のため動かず参った.事前の調査を十分したので
かなんとかなったが、宿泊した白石族館には大変世話になった.
1,台風の被害が甚大であり.随所に道路切断あり。禦前翻査が必情報入手電話番号
一要.例・石槌土ノj・屋ルート駄目.弥山から石槌神社ルート駄目白石旅館
口2,石槌成就社から登山のルートが一番安全である。旅館から出発交通機関
アし旅館に戻るので荷物を預けられる。昼食の準備不要.JR,バス、日一アウエー
ド3,松山へ0)ルートは航空便を利用したが、神戸力、らのフェリーの宿泊場所白石旅館
バ利用が宿泊(夜行便)節約できて安くて便利.と香園寺宿坊、
イス4,宿泊した白石腺餌ほ山小屋も経営しており、情報入手に便利。観光案内所
㌔
.,
ψ6
自主山行実施報告書
(平成11年10月3日)
リーダー;舩木健
報告;小沼英夫
行き先仙丈ケ岳(3033m)
コースの概要南アルプスの名峰。甲府よりバスで2時間半の野呂川渓谷の上流・北沢峠の長衛小屋に一泊。藪沢を仙丈ケ岳(3033m)に登り、小仙丈ケ岳(2855m)経由で下山。
日時平成11年9月30日(木)晴れ∼10月1目(金)晴れ。山頂はガスと風強し。
歩行一一日目;足慣らしに1時間30分。二日目;歩行6時間30分+休憩1時間
程度やや健脚向き
参加者舩木健、小沼英夫、計2名
コースタイム東京8二36発大月行き(2:00)(25)(10)(20)立川一大月一甲府/バス二二遡/バス二二蜷/徒歩一長衛小屋一一9:22乗換え11=35着12:00発13:55!14=1014=3614二46'15:00(23)(10)(25)(10)(13)仙水小屋一仙水畔一一一仙水小屋一一長衛小屋(泊)/徒歩一北沢峠一(車道)15:2015:43/16:0016:1016:35/5:10起床5:35出5:45(五合目まで約2=25)大平山荘一藪沢新道に入る(沢伝いに登る)(朝食)一右岸→左岸へ(鋸岳展望良5:586:3516:477:20(13)(10)(頂上まで1:10)し)一(小休)一一五合目(大滝頭)一馬の背ヒュッテー馬の背(2700m)7:50/8:058=228:3518:408:50(下山はバス停まで約3時間)(尾根に出る)一(小休)一一イ山丈小屋一一仙丈ケ岳頂上(3033m)一9:009:23!9=309:3510:00'10:05(岩陰で弁当)一小仙丈ケ岳(2855m)一大滝頭一四合目一三合目一10:20110:3011:20111:3012:0012=1512:24二合目で右へ(左は小ピーク越え)一テント場/北沢峠分れを左へ一北沢峠(2010m)12二4012:5713:02バス停一一広河原/自白用車一甲府/(中央線)一高尾(人身事故で京王線へ)13:15発13:40114:1016=0016=5118:44
宿泊場所長衛小屋(TELO90-2227-0360)
費用概算立川∼甲府:1980x2、甲府∼広河原(バス)=1910x2、広河原∼北沢峠二750×2、宿泊(一泊二食)=7000、合計:16,280(+反省会1,500)
集合甲府駅前バス停11時45分
留意事項雨具、水、地図、磁石、電灯、着替え、菓子、非常用品(食料、救急薬品等)持参す
甲府∼広河原間は山梨交通;0552-23-0821。長衛小屋→仙水峠2.5km
広河原から北沢峠間は芦安村営バス。北沢峠手前でカモシカを発見、2分位停車して眺めた。
長衛小屋[1980m](090-2227-0360)は約150名収容可能。一人約一畳。夕食美味い。
小屋の前が河原のキャンプ場(一人400円)。素泊り可(4000)。住所は山梨県芦安村北沢。
馬あ背ヒュッテは7月から10月10目までの週末のみ営業。
仙丈避難小屋は10月末に完成の予定。従前のものより4∼5倍大きく・2階建て。
藪沢は麓から仙丈小屋まで水が豊富。☆ただし、上流に小屋の見える近くでは水は飲まない事。
帰りの広河原∼甲府は徳島の人の乗用車に乗せてもらったため約し5時間の待ち時間を節約できた。
々'!
山行実施報告書
平成11年10月ユO日
リーダー:高田
サブリーダー
報告者高田
甫甫
順順
行き先御岳山から日の出山【929,0m,1,147,0m】
期日平成11年10月9日(土}∼月日()[泊1日]
天鰻曇り時々晴れ
長嶋宏、瀬尾一太郎、小沼英夫、兼重功、塚原恒夫、「床野泰運」
参加者
高田順甫合計7/6名(1名は会員外}
コバス
御岳駅一一ケーブル下===御岳山==御岳神社;=日の出山==昼食二=三室山属
『09=3009:40/09:4510:5511:3012:1512:4513150?
ス年金保養施設「おくたま路」
タイ15:00/16:てO
ム
費用交通費:2,040円(ホ1」デー'〔ス起点)宿泊費:円合訓'2,040円
所1,当初計画の1'本仁田山」登山は希望者2名のため急遽行き先を変更しr御岳山かち日
の出山」とした.
戚』一2,人気とポピュラーな山であり、比較的楽なコー.スでも十分汗をかいた.
3,国民年金保養蜷設「おくたま路.1の風呂に入り休息が出来た.ただ15:00までに入ら
ほかないと入浴できない不便さがある.
1,国民年金保養施設「おくたま路」は宿泊8,800円でできるので情報入手電話番号
一ポピラーなコースと併せ総会山行の].つとして計画しては。
口2,ホリデーパス以外に「奥多摩・秋川自由乗車券」での有利な利交通機関
ア用キッアもある。
ド3,御岳山登山を目的として、色々な組み合わせ登山が可能・宿泊場所
ノ、4,三室山はまきみちを通るので確認が難しい。
イス観光案内所
豚
自主山行実施報告書
平成11年10月15日
リーダー
作成者
西川幸男
松尾憲之助
行
先
期
天
旦候
参加者
コースタイム
10月15日
上0月i6日
m月17日
所
感
一口
アドバイス
国師ケ岳・北奥千丈岳・朝日岳・金峰岳
10月15日∼17日
10月15日雨
10月17日晴れ
10月16日雨のち曇り
白濱健
西川幸男
松尾憲之助
塩山………・…大弛小屋(泊)宿泊料7,000円
タクシー12,000円
荷物を大弛小屋に置き、国師ケ岳・北奥千丈岳に登る
(所要時間約2時間)
大弛小屋
6:40
朝日峠
7:20
朝日岳
8:10
大日小屋
13:15
金峰山大日岩
9:30
10:1012:30
(途中で昼食)
瑞摘山荘増富温泉(泊)
15:10一・■■■■--」=■一ー
バス800円(所要時間20分)
増富温泉一一…・韮崎
ハ“ス1,200円(所要時間1時間5分)
1.16日は雨の中を出発し昨日同様山頂の展望は断念してい
たが、金峰山の森林限界を抜け出た瞬間雲が切れ360度
展望が開ける。感動ひとしおであった。金峰山頂からの
眺めはすばらしい。五丈石も良い。
2.瑞矯山荘近くに駐車スペースがあるが、シーズンは
瑞摘山荘∼増富温泉に三共タクシー運行σ)マイクロバス
があり、韮崎行きのバスと連絡している.事前に確認要。
思ったよりパスの連絡はよい。
(タクシーは約5,600円かかる)
3.増宮漏.泉には公営の"増富の湯"があるので、下山後
時間があれば利用すると良い、,
!.大目小屋から直接金峰山へσ)逆のコースは中高年にはか
なりタフなコースである.この場合は金峰山小屋を経由
して登った方が無難と、思われる.大弛小屋からのコース
は比較的楽である。
山行実施報告書
平成11年10月28日
リーダー:瀬尾一太郎
サブリーダー:
作成者:瀬尾一太郎
行き先八海山(大日岳工,710襯)
期日平成11年10月26日(火)
天候快晴
参加者瀬尾吉永2名
コースタイム新幹線JRバス東京一一越後湯沢六日町一6:10フ:277:517=348:20一ゴンドラ山頂駅・■・"女人堂・一・・千本槍小屋9:2510:2011:159:3010:30・・入道岳・・…五竜岳・・…阿寺山“…蛇食清水・…・広堀登山口13:1013:4014:55車JR一一山ロー一六日町越後湯沢1フ:2518:4119:4918:1519:27山口ゴンドラ山麓駅8:409:109:15・・…大日岳12:2012:4516:0516:4516:10歩行時間(NET)7時間50分
費用交通費=14,220円(JRi2。480瓶740ゴンドラ1,000)
所感ほか1.lO月16,17日と1泊2日の予定だったが、参加者0のため、日程を変更して実施。2名とも健脚?のため、アプローチを一部変えたのみで、後は計画どおり。中腹は紅葉が見事だった。2.千本檜小屋以降、大日岳までの八ッ蜂は、聞きしに勝る鎖場で、鎖を使っての登下降の連続。ただし、一つ一つの鎖場は短い。怖い場所は3,4箇所程度。自信のない人のための迂回路あり。3.入道岳以降ば誰にも会わず、静かな山旅を楽しめた。
情報入手先電話番号
一口アドバイス1.土、日は八海山スキー場(ゴンドラ山麓駅)まで入るバスあり。2.八海山はまさに名酒r八海山』の本場だが地元の六日町でも入手困難。他の銘柄の酒2本との抱き合わせ販売である。ところが、山口バス停前の山口唯一一の酒屋では、制限なく買える。(2000円)南越後観光バス0257-73-2573六日町役場商工観光課0257-73-6672
』)ワ
山行実施報告書
平成11年10月25日
リーダー高田順甫
サブリーダー:
撮害者高田順甫
行き先輿平谷キャンア場から経ケ岳(1,076幻・金泉寺を経て多良岳・中山キャンア場【1,076m】
期日平成11年lO月21日(木)∼10月22日〔金)[1泊2日]
天候晴れ
前波隆之、田中章子、綱脇俊夫、高田順甫
参加者/4名
(前波・田中氏は友人、綱脇氏は出光OB)
鰹館そよ嵐荘一一一平谷キ樟鵡登山ロー一朝食一一馬ノ背一一一平谷越一一一一経ケ岳一一
コ0610006:20O了:1007:3508:3008155/09:10
ス平谷越一一中山越一一一一昼食一一一金泉寺一一一多良岳一一一金泉寺一一中山キャ万場
タ09:251011511:2b/11:AO11:5512:20/12:3512:5514:00/14:20
イJR長崎本線恥原鉄道バス
ム多良駅二二諫早駅==雲仙西入ロー一国民瀟青雲荘
14二40/15:2916:14/16:4517:0d17:25
交通費宿泊費2,000
費用タクシー2,470(1台)バス1,300食事代2,300
小計:円(起点)ノ1、言i・:4,3001可合計円
所1,平谷登山口から金泉寺まで1人にも出合わない静かな山行きであった。
2,経ケ岳は展望はあるもののそれ程でもなかった。
成一帥3,ほぼ予定時圏で行動できたが、台風の影響からか登山道は大きな石がゴロゴロしてい
て大変歩きつらかった.
ほ4,2泊3日の行程としては多少距離が長く、翌日に体力の保持に気を使った。
5.中山越から中山キャンプ場へのルート分岐点が判明しなかった.
か6,雲仙西入口から宿泊所までは真っ暗で道案内不如意のため多少時間を要した・
1,宿泊所の県営「鹸翫よ鼠1(1[LO9546-4-2519)は青少年向きの施設情報入手電話番号
一らしく、食事はいまいちである。但しここ以外にない。
口2,ルートの案内はほぼきっちりしており道に迷うことはない。交通機関
ア3,携帯電話が通じるので、タクシー手配等に大変便利。
ド4,多良駅付近にコンビニはあるが、ミカンの産地なのに売店がな宿泊場所
パい.幸い農協倉庫から無料で頂いたが果物補給に不便。
イ5,隣のJR肥前大浦駅は12月∼2月にかけて急行臨時停車とな観光案内所
スるほど美味しいカニが食べられる由、今後計画に取り入れては.
6,諌早から雲仙行きのバスは到着がいつも15分位遅れる由。
〉'
山行実施報告書
平成11年1〔〕月25日
行き先雲仙普賢岳(可,359の国.見岳(1、3
期日平成11年10月23日(土)∼
天候快晴
参加者前波隆之、田中章子、綱脇俊夫、
コ自家用車県営バス
1青雲荘二罪雲仙似先ミナル=註仁田
ス08:5009二20/09:4810:13/
タ県営
イ普賢岳一一分岐点一一一仁田蝶=
ム12:45/131251314514:30/15:00
交通費
バス往復1,480距ア虹一6101片道
費用小計:2,090円(雲仙パス起
所1,前日の疲れを心配したが、全員
道のみ利用した。結果として最
感2,国見岳の登り・下り共に傾斜厳
3,普賢岳の頂上からの眺めは噴火
ほ4,平成新山の聞きしに勝る雄大さ
か火の恐ろしさを改めて実感させ
5,橘湾はスモッグで全然見通しが
1,一度は登山して雲仙・普賢岳の
一2、醸齢青雲荘は今年6月に改装し
口3,囮購酬小浜町諏訪の池は環境庁
アな敷地と池に驚かされた.ただ
ドする.また温泉でないのにも驚
ノ、4,両方の宿舎とも食事代は2,000
イ5,雲仙ゴノレフ場1泊1ゴノレフパッ
ス6,料理の魚の新鮮さから小浜温泉
摘「九州各県の最高峰と温泉巡り6泊
釈迦岳、経ケ岳、鐸仙普賢岳等のき
要つたのは誠に残念であった.
月
リーダー・高田願甫
サブリーダー=
報告者・高田順甫
日()[泊
〔1,359m1
1日1
田中氏は友.人、綱脇氏は出光OB)
ローアウエー昼食
青雲荘二罪雲仙似先ミナル=註仁田離下==仁田畦上一一一妙見岳一一一国見岳一一分破点
10二2510:3011:10/11:5012=15
マイクロバス
15:25115:30
15:41
宿泊賀
田艮宿舎青雲荘7,400・TELO957-73-3273
体酬諏訪の池8,500TELO957-74-9131
小計:15,900円合計17,990円
前日の疲れを心配したが、全員元気で登った。ただ仁田峠のロープウエーは登りの片
下り共に傾斜厳しく短時間ながら緊張の連続だった。
普賢岳の頂上からの眺めは噴火による平成新山を含め素晴らしいの一語に尽きる。
4・平成新山の聞きしに勝る雄大さと壮大さ、そして厳しい傾斜は多くの人命を奪った噴
橘湾はスモッグで全然見通しが悪く対岸が見えず景観はサッパリであった.
普賢岳の雄大さを実感して見ること.
、広大
や
情報入手電話番号
交通機関
宿泊場所
観光案内所
」'
∼
自主山行実施報告書
(平成11年11月5日)
リーダー・舩木健
報告作成;小沼英夫
行き先双子山〔2223m)大岳(2381m)から北横岳(2472.5m)〔北八が岳〕
コースの特徴晴天の下、蓼科温泉・親湯から竜源橋∼天祥寺原を経て大河原峠に登り双子岳を巡り、双子池に至る。翌日、雨風の中、大岳∼北横岳∼ピラタスロープウエイ山麓駅まで歩く。
日時平成11年10月31日(日)、11月1日〔月)
歩行1日目4時間50分。2日目60寺問
程度健脚向き(特に双子池から大岳分岐までの1時間半)
参加者舩木健、小沼英夫(計2名)
コースタイム(183)(40)八王子駅一一一茅野駅/(バス)一一親湯入口/徒歩一一竜源橋一一天神寺原一6:349:38/9:4510=5412:2014二〇〇一一一大河原峠一一双子山一一双子池・双子池ヒュッテー一一起床/出発一一一14:35/14二5515:2015:505:05'6:15発天狗の露地一一大岳分岐一一一大岳一一大岳分岐一一北横岳一一北横ヒュッテー一6:557:407二508:008:559:12坪庭一一ピラタスロープウエイ山頂駅一一山麓駅/バスー一茅野一一八王子駅9:459:55(120分{木憩)11:5512:50112:5713=45'15:21『一18:15
反省会茅野駅ビル内の養老の滝
費用概算八王子駅一一茅野駅:5800。茅野∼親湯〔バス);2200。宿泊料:6500(大部屋二食)。一反省会二3000。合計:約17500
一日目は快晴。温泉街の紅葉が真っ盛り。二日目は低気圧にぶつかり・昼過ぎまで風強し。一時
みぞれ。暴風でロープウエイは運転中止。駅舎二階が無料休憩所。茅野では雨止む。
茅野駅前のバス券発売所で回数券を2000円分購入すると2200円分あり、ベリグ。
問合せ先;双子池ヒュッテ0267-88-3603。食事・寝具良好。茅野からは諏訪バス。
親湯入口バス停から親湯ホテルまでは車道。信玄の隠れ湯を覗いて、山添いの道を進んで
1日ホテルの前を通り細い橋を渡る。直ぐ急坂になる。大河原峠までは別ルートで車道もある。
双子池ヒュッテ前の雌池の一・周40分。山櫨魚(約5cm)を多く見た。
山頂駅から山麓駅までは80分と見るのが良い。
以上
》一
山行実施報告書
平成11年11月6日
リーダー松尾憲之助
サブリーダー小沼英夫
作成者松尾憲之助
行き先明神ケ岳(平成ll年総会1」」行)
期日11年11月6日(土曜)
天候晴れ
参加者1-U戸、津出、白濱、村重、仲埜、谷田部、窪田、豊田小沼、西川、兼重、船木、松尾計!3名長嶋さん、高田さん、池田さんは寮で合流(総会16名)
コースタ.イム東京小田原大雄山7:208:308:368:56(大雄1⊥1線〉大雄山(関本)道下尊9:15■-[-・・■-・一=-一9:25ハ執道下尊明神力岳(昼食)宮城野橋g:弓612:3013:0014:50宮城野橋かO)はタクシーが全員拾えず、強羅まで歩く人も出た、一(観光地なので簡単にタクシーが拾えると思()ていた)長嶋さん、高田さん、池田さんは寮で合流する,,
費用大雄山線(小田原∼大雄山)270円関本∼道了尊26〔)円
所感1.紅葉を期待していたが、今年は季節の移ろいが遅く紅葉には早かった,、しかし、天気は秋晴れ、で空気が澄んでいて山頂からの展望は360度さいた,,今年数回登ったが、富士山が一見えたのは今回が初めてで幸運であった。2.予定時間に下1.Uできそうでなかったので、帰路は明星ケ岳をバイパスして下1.1.1する.時間の設定は、特に多人数(々場合は人数などをもっと配慮して設定すべきで沌)つた。,3.下山時トラブルが発生したが、会長持参の常備救急品で応急処置が出来、助かった,,ペースの取り方、休憩の取り方など勉強しなくてほならない,,平成9年のトラブルを生かし切れなかった,,4、会食後は、1年間の山行の思い出を夜の更けるのも忘れ語り合う,一,5、翌日はあいにく天気が悪く金時山は断念する,,
一一ロアドバイス1.簡単な山でも事故は起こるということを頭においって訓'画・ 了動をすべきである、,
∬/
山行実施報告書
(平成11年11月15日)
リーダー:吉永次広
報告作成;吉永次広
行き先塔ノ岳(表丹沢縦走)
コースの丹沢山塊の登山コースの中でも最もポピュラーだが、全コース素晴らしい眺望が得られ、登山
特徴者を楽しませてくれる。途中岩場もありなかなかタフなコースだ。
期日、天候平成11年H月15日晴れのち曇り
参加者山戸、緒方、塚原、吉永以上4名
小田急秦野=やびつ峠一登山道一二ノ塔一一三ノ塔一烏尾山一行者岳一一警策小屋一
8、55バス9.・!510.2511.3011.55-12,1512.40工3.1513、50
臨時バスあり休憩昼食休憩
岩場の下り
コース
タイム新大日一塔ノ岳一花立一分岐一堀山小屋一駒止小屋一分岐一大倉=渋沢
14.1014.55-15.上015,3016、20!6.3517.OO18.0018.30
休憩暗くなる
M91mランフ」必要(反省会〉
交通費小田急新宿一秦野650バス秦野一やびつ峠460大倉一渋沢200
費用渋沢一新宿650(反省会2100)
朝は朝星、夜は夜星というが、この時期の日帰り山行はまさにその通りだ。時間を稼ぐために新幹
所感線を利用された方もあった。予定通り秦野に早めに到着、もうバス待ちの列が長い。臨時バスガ
早く出発、これに乗ればよかったかと後で後悔する二ととなる。
ヤビツから最高の秋空の下を歩く。紅葉も盛りだが色は悪い。あせらずゆっくり歩く。時間は
遅れ気味だ。適宜休憩を取りながら三ノ塔で雲間に當士山をみながら昼食。30分遅れになる・
岩場で通過に時間を取られ、時計が気になりはじめた。鳥尾山、新大日と急登が続き好き、疲れ
がたまってくる。塔ノ岳には今晩とまりの客でにぎやかだ。1時間遅れになり・下りを急がねば途
中で日没となる恐れがある。それでもわれわれより遅いパーティもある。ピッチを上げほぼコー
スタイムで下った。r後30分」の標識があり、三叉路に出る。尾根を再進する。5時を過ぎると林
のIr]は暗くて歩き難し㌔大倉高原山の家でランプを取り出す。5時半を過ぎるとランプなしには
歩けなく・なった。いつの間にかひとつのうンフ'に8人が頼ることなり、速度は極端に落ちてきた。
30分のところを1時間かかってバス停に到着。
1.この時期、丹沢の山は紅葉がいい。登山客も多い。
2.ヤビツから塔ノ岳のメインルートはポピュラーなコースだが、なかなかハードだ。
一口メモ3、秋の山行はちょっとのアクシデントで日暮れになる。懐中電灯は必需品。
4,日が暮れると、山道はランプなしでは絶対にあるけない。
5.足の疲れでなどで筋肉がつることがある。テープ、張り薬など携行を心がける。
6.丹沢登山は、新幹線の利用も時間節約には一考するとよい。ことに遠方で片道100km
を越す場合、ジパングが使用できる。
め
自主山行実施報告書
行き先鷹巣山(834m)から浅間山・箱根畳
期日11月7日(日曜日)日帰り(総{
天繰曇り時々霧雨
参加者山戸昌、津出忠宏、仲埜拓究
コ出光箱根寮湯坂路入ロ
109:00(タクシー)09:10
ス大平台分岐(城山)・・揚板山・一
10:1010:45
タ湯本温泉・かっぱ天国入浴・湯本周
イ12=15∼13:10
ム一一一一■一■一一■一一■■一一■一■■一一一■■一一一■■■
歩程時間2時間50分
距離約7.1K闘
歩程標高差約400闇
費用交通費(往路)=JR1,8go円(柏/JR小庭
1,060Fq(ケーブ捗カー1…
(復路):JR1,890円(柏/JR小旺
2,120円タクシー
①箱根古道の紅葉を鞘待したが時期が耳
所晩秋の面影は見当たらなかった。
②当場坂路はススキや草花が多く繁っ表
プでのハイキングコースに適している。
③鷹巣山からは直ぐに丸太の段々、そし
感なアッベンダウンがあるが、路は整備さ
④浅間山からは殆ど下り坂で、右に箱祁
であったが、生憎の天気で視界は悪く、
『⑤この道路は非常に整備され、道の両開
他各時期にはコースに色を添えてくれ、膣
一①鷹巣山より下りの石畳は前夜の雨によ
口肝要であった。
ア②下山後、箱根湯本駅の山の手(徒歩
ド風呂:入浴料金700円)があり、汗養
バイ鹸等はないので準備(購入できるが)す
ス
平成11年"月10日
リーダー:山戸昌
サブ1∫一ダー
作成者:池田鎮雄
湯坂路〔鎌禽古道)を下る'、イキン伽一ス
(総会山行の帰路を利用して箱根街道の歴史を探訪)
池田鎮雄
鷹巣山
09:25
湯坂城趾…
11:30/11:45
湯本駅(箱根登山鉄道)
13二22一
センゲン瞥
浅間山
09150
以上4名
箱根灘元駅
12:00
小田原(解散)
14:10
1,8go円(柏/JR小田原)、箱根登山鉄道小田原/強羅/早里山
)、合計2,950円/人
箱根湯本駅/小田原
(箱根寮/潟坂路入ロ)
箱根古道の紅葉を鞘待したが時期が早く、山路の両脇の楓の木々は未だ青葉であり、
当場坂路はススキや草花が多く繁った明るくて、さわやかであり、家族連れ、グルー
鷹巣山からは直ぐに丸太の段々、そして石畳の急な下り坂となる。全般的になだらか
なアッベンダウンがあるが、路は整備され輻広い防火帯で、草原の広い楽しい道となる
浅間山からは殆ど下り坂で、右に箱根の山々、左に小田原の市街が一望出来るはず
この道路は非常に整備され、道の両脇には棍、あじさい等が植林、手入れされており
鷹巣山より下りの石畳は前夜の雨によって、非常に滑り易くなっていたので、注意が
かっぱ天国(天然温泉、野天
入浴料金700円)があり、汗を流すには絶好のチャンスであるが、タオル、石
'つ
自主山行実施報告書
(平成11年12月6日)
り一ダー;
報告作成1
舩木健
小沼英夫
行き先蛾ケ岳(ひるがだけ1279m)大畠山〔1117、6m)
コースの特徴身延線・市川本町から四尾連湖駐車場を経て蛾ケ岳に登り、北にいざるケ岳∼北岳・南に富士山、王岳を眺め、文学碑公園∼城山烽火台∼大門碑林公園を経て市川本町駅へ帰る。
日時平成11年12月6日(月)
歩行5時間10分。晴天
程度一般向き
参加者舩木健、小沼英夫(計2名)
コースタイム(100)(30)八王子駅一一甲府駅一一市川本町/(タクシー)=四尾連湖駐車場/徒歩一一一一一一一一6:348:10/8:379:10191129:35'9:38大畠山岐路一一蛾ケ岳(休憩〉一一大畠山岐路(昼食)一一大畠山一一文学碑公園10:0011:00/11:30発12:00/12二30発12:4012:58(四尾連峠)一城山烽火台一大門碑林公園一一市川本町駅一一甲府駅一一八王子駅13:0013:3514:3014:48114:5015:20115:2817:07
反省会列車内
費用概算八王子駅一一一市川本町駅=4400。市川本町駅∼四尾連湖駐車場(タクシー)=3210・反省会:500。合計:約6500(タクシーは二人のため半額)。
僅かにもやがあったが晴天に恵まれ、蛾ケ岳山頂からの眺めは最高。富士山、王岳、北岳、
間ノ岳、農.篇岳、塩見岳、いざるケ岳、荒川岳などを望めた。
大畠山岐路の所にr大畠山」の表示あり。正式にはそれより約7分西方の鉄塔のある所。
紅葉と落ち葉を踏んで整備された道を進む。アップダウンはほとんど無し。石かん(墓地)
遺跡数箇所あり。下山道の市川大門町の入口にr大門碑林公園」という中国風の城郭を思わ
せる新しい公園が出来ていた。甲斐源氏の里として整備していた。
四尾連湖を眼下に望む文学碑公園には野沢一(はじめ)のrああされど湖のみはいつもな
がらの風光にかけうららかに・・」の詩碑あり。
問合せ先;タクシー055・2724155。
以上
山マ'ア・窺施報告・轡
平成11年上2月12日
り一ダー=筒田頗甫
サプリー・ダー=
報告者=高田頗甫
一
行き
期.
一口H
大
棟
ラ
寮加輩
コ
]
ス
タ
イ
ム
筑波山
【男体山870匿,女体山田舳
平成11年12月11日`土)∼月
日()[油
日
快晴
}
塚原恒夫、高田順甫、(天ケ瀬昇、庄野索道}
2名./合
高達バスバス
東京駅一一一筑濃山一一筑波神社-嵩みやわき駅盟二中の茶屋=目山頂駅売唐
0712009:05,'09:0了U911509=181011510二45
副
1
男体山==昼食F詣女徳山望=分触点冨躍〔白蛇弁天)=識翁渡神社=二筑波一山
ド
11=201210D土Z:1512:5913=30/13:31篇:52ハ4:05
東京駅
16:40
㌦構1,撫羅薯箋霧義
円
合計3,900円
'
感
ほ
か
3,身近な一・『般クラスの登山で、やや遠距器にありながら高達バスを荊用することで、解曙
1蛛た・
一
口アドハそス
豹1時間短纈でき、高運バス患発時間を15150発から14:05と
交遡機関
変更しだので早く帰!害出来た,
2,筑波神益周辺の売店での缶ビールは350円と高く、一方筑波山
バス接観嚇にほ酒店も自動販売もない.
病泊場所
3,帰りの高邁バスは上野駅に停車するので、そこで下車する方が
観光案内所
10∼托分程鹿早く東京駅に到着する、
憶,_,、蕪蘇、,爾蕪一
一
!一■睡r
鐸
クラブ山行、自主山行、ウォーキング等輿施一覧
(平成11年6月∼12月)
月クラブ山行自主1[一1行ウォーキング等
6月◎6月5日矢平山・高柄山(山
梨県)(池田)
☆6月5日苗場山(新潟県)(豊
田)
☆6月6日越後駒ケ岳(新潟県)
(豊田)
☆6月12日∼15日火打山、妙
高山、高妻山、雨飾山(新潟・
長野県)〔豊田)
7月◎7月7日針ノ木岳(長野・富
山県)(緒方)
☆7月7日白馬岳(長野・富山☆7月7日千葉県・多胡町散歩とア
県)〔豊田)ジサイ遊歩道11km(成住)
☆7月14日幌尻岳(北海道)☆7月10日関東ふれあいの道東京
(吉永、船木)No4歴史のみち8km(成住)
☆7月16日甲斐駒ヶ岳(山梨
県)(緒方)
☆7月16日北岳(山梨県)、問
ノ岳(山梨・静岡県)(豊田)
☆7月24日木曾駒ケ岳、空木
岳(長野県)(豊田)☆7月20日伊能ウォーク多摩湖∼
◎7月25日富士山(静岡・山立川10km(成住)
梨県)(成住、窪田、小沼)
☆7月26日鷲ケ岳(長野県)
(舩木)
8月☆8月5日富良野岳(北海道)
(豊田)
◎8月7日雲取山(奥多躊慧)(ノ」、
沼)
☆8月8日トムラウシ(北海道)
(豊田)
☆8月8日雄山・立山(富山県)
(成住、窪田)
☆8月9日霞沢岳(長野県)(舩
木)
◎8月26日から28日常念☆8月10日幌尻岳(北海道)
岳・蝶ケ岳(長野県)(L高〔豊田)
田)。☆8月24∼27日千枚岳、悪沢
◎8月29日掛菅(いわすげ)岳、赤石岳(静岡・長野県)(豊
山(長野県)(L吉永)田)
よゲ
9月☆9月5∼7日爺ケ岳、鹿島槍☆9月11目関東ふれあし、σ)道茨城
ケ岳(富山・長野県)、五竜岳(富No12果樹園のみち9.7km
山県)(豊田)(成住)
◎9月13日丸山(奥武蔵)(三☆9月11日関東ふれあいの道茨城
浦、木佐貫、小沼)No13果樹の里みち5.6㎞1(成住)
☆9月19日焼岳(長野・岐阜☆9月24日関東ふれあいの道群馬
県)(豊田)No13山菜のみち7.4km(成住)
☆9月20日御嶽山〔長野県)☆9月24日関東ふれあいの道群馬
(豊田)No14道祖神のみち8.7km(成住)
☆9月25日関東ふれあいの道群馬
◎9月25日矢倉岳(神奈川No15榛名山へのみち5.5km(成
県)〔L松尾)☆9月26∼29日立山、剣岳(富住)
◎9月28日荒沢岳〔新潟県)山県)(豊田)☆9月25日関東ふれあいの道群馬
(L吉永)◎9月27∼29日石槌山から横No16榛名から水沢へのみち4.7㎞
峰寺(愛媛県)(高田)(成住)
10月◎10月1日仙丈ケ岳(長野・☆10月8日ハイキング横浜港北二
◎10月9日目の出山〔奥多山梨県)〔舩木、小沼)ユ一夕ウンを歩く10km(窪田、三
摩)〔L高田)☆10月3日大菩薩嶺(山梨県)⑱浦、萩原、谷田部、小沼)
☆10月9日瑞矯(みずがき)☆10月13日奥日光:竜頭の滝一お
山(山梨県尺纏》◎10月15∼17日国師ケ岳∼田代が原一湯の湖一湯本12km(木佐貫)
金峰山(山梨・長野県)(白浜、
⑱西川)
☆10月19日平が岳(群馬・新
潟県)〔豊田)
◎10月21日経ケ岳(長崎・佐
◎10月26日八海山大日岳賀県)(高田)
(新潟県)(L瀬尾)◎10月23日雲イ山普賢岳〔長雌f☆10月31日関東ふれあいの道群
県)(高田)馬No32紅葉映える峡谷のみち
◎10月31日双子山(長野県)14.5km(成住、福井)
〔舩木、小沼)
11月◎11月6日明神が岳(箱根)◎11月1日大岳、北横岳(長☆11月9日関東ふれあいの道茨城
[総会山行](L松尾)野県)(絵本、小沼)No4焼き物とお稲荷さんへのみち
☆11月6日箱根湯本・湯坂道・12、6km(成住)
浅間山・千条(ちすじ)の滝(神☆11月12日ハイキング下見箱根
奈川県)(長嶋、高田)関所から甘酒茶屋の1日東海道
◎11月7日鷹ノ巣山∼箱根湯10k皿(窪田、萩原、小沼)
本(神奈川県)〔山戸、津田、仲
埜、池田)
◎11月15日塔の岳(丹沢)(L吉永)☆11月7日箱検寮・千条の滝・浅問山・箱根湯本(白浜、村重、兼重、豊田、西川、小沼)
☆11月14目∼25目ヒマラヤ
トレッキング(豊田)
☆11月22日川苔〔乗)山(奥
多摩)(瀬尾)
☆11月22日浅問山、鷹ノ巣山☆11月27目∼28目東海道五十三次
(神奈川県)(舩木)安城∼弥富44km(成住)
☆11月29日高尾山・景信rLI
(東京)(瀬尾)
12月◎12月6日蛾(ひる)ガ岳(山☆12月19目鎌倉歴史探訪名越切
梨県)(舩木、小沼)り通し14km(成住)
◎12月11日筑波山〔茨城県)
(高田、塚原)
☆12月23日六ツ石1⊥1(奥多
摩)(舩木、西川、木佐貫、'螺
〔Lはクラブ山行のリーダーを示す)◎は山行実施報告書を今号に記載、[報告のあったもののみリストアップ]
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幌尻岳平成11年7月14日
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舩木会員百名山踏破記念パーティー(平成11年9月15日)
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矢倉岳報・1年9月25日一榊寺平成11年9月2拍一29日
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浅融{繰あ醐轍11年11月7日