事象関連電位とミスマッチ陰性電位 - 九州大学 医学部・大学院医学系

事象関連電位とミスマッチ陰性電位
九州大学大学院医学研究院脳研臨床神経生理
前川敏彦
飛松省三
2006 年 6 月 1 日
1
Version 1.0
I-1 はじめに
事象関連電位(event-related potentials, ERPs)は、誘発電位(evoked potentials,
EPs ) と 同 様 に 加 算 平 均 法 ( signal averaging) を 利 用 し ま す が 、 さ ら に 反 応 波 形 同
士 を 引 算 す る 引 算 法 ( subtraction) と い う 手 法 に よ り 認 知 や 判 断 と い っ た よ り 高 次
の 脳 機能 を 対 象と し ま す 。脳 波 と 高 次脳 機 能 を結 び つ け て解 釈 す る ため に 複 雑な 論 理
....
が 展 開さ れ ま す が、 早 わ か り に 重 点 を おい て 解 説 しま す 。 本 稿で ERPs の ア ウト ラ イ
ン を つか ん で い ただ い て 、 その 後 に ERPs の入 門 書 や 専門 書 を 読 まれ る と さ らに 正 確
な理解ができると思います
1, 2, 3)
。
I-2 事象関連電位とは
ヒ ト は外 界 か ら の大 量 な 情 報を 取 捨 選 択 して 、 必 要 な情 報 か ら 適切 な 行 動 を起 こ し
ています(図 1)。外界から入力された知 覚情報の脳内処理過程は現在 でもまだよくわ
か っ てい ま せ んが 、 大 脳 の神 経 細 胞 はあ る 塊 ごと に 時 間 的・ 空 間 的 に異 な っ て電 気 的
に 活性 化し 、知 覚情 報 処理 のネ ット ワー ク を形 成し てい ると 考え ら れま す
1)
。 これ を
頭 皮 上脳 波 で 記録 し た 場 合、 そ の 電 位は 背 景 活動 よ り も 小さ い た め 埋も れ て しま い 生
波形では視察が困難です。EPs の場合は、外因性(exogenous)の感覚情報に対して特
異 的 感 覚 皮 質 の 神 経 細 胞 群 が 時 間 的 に 同 期 し て ( time-locked ) 活 性 化 す る た め 、 加
算 平均 法 に より 信 号 /雑 音 比 (signal/noise ratio)を 上 げ て反 応 を 視覚 化 す るこ と
ができます。一方、ERPs では 2 つ以上の刺激を呈示して刺激ごとに別々に加算平均法
を 行 い、 刺 激 の 物理 的 な 性状 に よ る 外因 反 応 で はな く 、 内因 的 な ( endogenous) 感 覚
情 報 の認 知 ・ 判断 処 理 過 程を 電 気 現 象と し て 捉え よ う と する も の で す。 波 形 を引 算 す
る こ とで 外 因 成分 は 相 殺さ れ 、 より 純 粋 な内 因 成 分( endogenous component)が 記 録
されます(図 2)。
図 1 カクテルパーティー効果 多様な音が混じり合って聴こえてくる騒々しいパーティ
ー会場の中で自分の名前を呼ぶ者がいると、その声は他の音よりも明瞭に聴こえてきま
す。聴こえてくる情報が周囲の声や雑音よりやや小さくても、記憶や受動的注意
(involuntary attention)の働きによって自分に重要な情報に対して能動的注意
(voluntary attention)を向けることが可能になります。これは心理学ではカクテルパ
ーティー効果と呼ばれ 24) 、記憶や価値観といった上位機構が聴覚情報処理を調整してい
る事実(top down modulation)の 1 例と考えられています。仲間の群れの雑音の中で
親の鳴き声や羽音に反応することから、皇帝ペンギンにもカクテルパーティー効果があ
25)
ると言われています
元 来 、脳 波 は 基 準電。
極 か ら の相 対 電 位 で あっ て 、 刺 激前 の ベ ー スラ イ ン が 絶対 ゼ ロ
2
と な るよ う な 理想 的 な 基 準部 位 は 生 体に は 存 在し な い の に脳 波 を 引 算す る こ とは い さ
さ か 乱暴 に 思 えま す し 、 また 内 因 反 応の 様 式 は個 人 間 あ るい は 個 人 内で も ば らつ き が
大 き いと も 考 えら れ ま す から 、 脳 波 を引 算 し て得 ら れ た もの を 一 意 的に 単 純 解釈 す る
のは困難です。このような論理的に脆弱な部分を持ちながらも ERPs 研究は約 40 年間
に 膨 大 な 知 見 を 生 み 出 し て い ま す 。 そ の 成 果 の 中 に は P300 や ミ ス マ ッ チ 陰 性 電 位
( mismatch negativity, MMN ) に代 表 され る よ うな 生 理学 的 意 義が 比 較的 単 純 に解 釈
でき、臨床応用が盛んな成分もあります。
図 2 事象関連電位の仮説模式図 羽根の枚数の異なる 2 種類の風車模様(A, B)をモニ
ター画面にランダム呈示して B の時に反応ボタンを押して A では押さないように指示し
ますと(標的選択課題)、被検者は刺激を 探知 した後、A と B を 弁別 し A ではボタンを押
さないという 判断 をして 行動 します。一方、A だけを呈示して、刺激が出たら反応ボタ
ンを押すように指示すると(単純反応課題)、被検者は刺激を 探知 した後、ボタンを押す
という 判断 をして 行動 します。すなわち、単純反応課題では A と B を弁別する過程がな
いため、それぞれの課題での A に対する ERPs を引算すると刺激情報処理過程のその他の
電位は相殺されて、刺激弁別関連電位(後述の NA)だけが残ります。
I-3 事象関連電位の用語に慣れましょう!
ERPs 研究では普 段使い慣れない用語が多く 登場しますので、本稿で用 いるものをあ
ら か じめ 列 記 して お き ま す。 後 の 項 目で 用 語 の意 味 が わ かり に く く なっ た 時 に読 み 返
してみてください。
a. 実験条件(experimental condition)
実 験 室環 境 、 刺 激の 性 状 や 呈示 方 法 、 被 検者 へ の 指 示な ど 実 験 全体 の 条 件 を指 し ま
す。
b. 刺激条件(stimulus condition)
刺激の性状や呈示方法など刺激に関連した条件を指します。
3
c. 課題(task,paradigm)
ボ タ ンを 押 し た り、 数 を 数 えた り す る よう な 被 検 者に 課 す 作 業を 課 題 ( task) と い
い ま す。 刺 激 の呈 示 方 式も 課 題 (paradigm) と い いま す の で混 乱 し ない よ う に気 を つ
けてください。
d. 標準刺激(standard stimulus)
2 種 類以 上 の 刺激 を 呈 示頻 度 を 変え て 呈 示す る 課 題( paradigm) で最 も 多 く呈 示 さ
れ る ( 標 準 と な る ) 刺 激 で す 。 頻 回 刺 激 ( frequent stimulus ) も 同 じ よ う な 意 味 で
用います。
e. 標的刺激(target stimulus)
2 種 類以 上 の 刺激 を 呈 示す る 課 題( paradigm) で標 的 と して 被 検 者が 反 応 ボタ ン を
押したり、弁別したりする刺激です。
f. 偏奇刺激(rare stimulus)
頻回刺激と比較して呈示頻度が少ない刺激のことです。
g. 逸脱刺激(deviant stimulus)
偏奇刺激のなかでも刺激の性状の一部が標準刺激から逸脱した刺激のことです。
h. 新奇刺激(novelty stimulus)
偏 奇 刺 激の な か で も 標準 刺 激 と は 性状 が 大 き く 異な っ て い て 、被 検 者 が 標 準刺 激 と
は関連していないまったく新しいと感じる刺激のことです。
i. 単純反応課題(simple response task)
単一の刺激を繰り返し呈示して被検者に刺激を同定させる課題です。
j. 標的選択課題(target selection task)
2 種類以上の刺激を呈示して被検者に標的刺激を同定させる課題です。
k. 選択的注意課題(selective attention task)
例 え ば 、被 検 者 に は 右耳 側 に 注 意 する よ う に 指 示し て お い て 両耳 に 別 々 に 刺激 を 呈
示 し ます 。 す ると 被 検 者 の注 意 は 選 択的 に 右 耳側 に 向 き 左耳 側 は 無 視さ れ ま す。 こ の
よ う な注 意 側 と非 注 意 側 を形 成 す る よう な 課 題の こ と を いい ま す 。 そし て 注 意側 の 刺
激 は 課 題 (task) に 関 連 し て い る の で 、 関 連 刺 激 ( relevant stimulus) と 呼 び 、 非 注
意側の刺激を非関連刺激(irrelevant stimulus)と呼びます。
l. オッドボール課題(oddball paradigm)
2 種 類の 刺 激 を頻 度 を 変え て ラ ンダ ム に 呈示 す る 課題 ( paradigm)で す 。 多く の 場
合 は 4: 1 以 上 の 呈示 頻 度差 を つけ ま す 。被 検 者に 課 す課 題 (task) に よっ て 誘発 さ
れ た ERPs( 特 に P300) の 解 釈は さ ま ざま で す 。 例え ば 、 被検 者 が 常に 「 次 は低 頻 度
刺 激 がで る だ ろう 」 と 思 って い た 場 合、 実 際 に偏 奇 刺 激 が呈 示 さ れ た時 に は 「や っ ぱ
り で た」 と 考 える こ と に なり 、 目 的 の刺 激 が でる か で な いか と い う 不確 実 性 の解 決 を
反 映 しま す 。 また 、 偏 奇 刺激 が 呈 示 され た 時 に反 応 ボ タ ンを 押 す よ うに あ ら かじ め 指
示 さ れて い た 場合 は 、 「 偏奇 刺 激 が でた ら ボ タン を 押 す ぞ」 と 常 に 考え て い るの で 誘
発 さ れた ERPs に は 刺激 評 価 と 意思 決 定 を 反映 す る 電 位が 含 ま れ てい る と 解 釈で き ま
す。
4
I-4 事象関連電位の命名法
EPs で N20、P100 のように極性、潜時の組み合わせで呼ばれるように ERPs でも P300
や N400 のように呼ばれる特徴的な成分がありますが、一般的には N1 や P2 のように
極 性 、ピ ー ク の順 番 の 組 み合 わ せ で 命名 さ れ ます 。 し か し、 実 際 に は上 記 の 命名 法 が
混 同 して 使 用 され て い る よう で す 。 ちな み に 、極 性 の 表 示は 上 向 き を陽 性 に 表示 す る
よ うに 推奨 され てい ま すが
4)
、脳 波の 表 記の 慣例 から 上向 きを 陰 性に 表記 する こと も
多く見られます。本稿での図はすべて上向きを陰性に表記しています。
I-5 事象関連電位の種類
詳 しく は入 門 書あ るい は解 説 書を お読 み くだ さい
1,2,3)
。こ こで は代 表 的な 成分 を
発 見 され た 順 に概 念 的 に 紹介 し ま す が、 同 じ よう な 頭 皮 上分 布 や 潜 時、 電 位 、極 性 を
示 し ても 誘 発 し た実 験 条 件 によ っ て ERPs の心 理 ・ 生 理学 的 解 釈 は異 な り ま すの で 、
実験条件ごとに分類してみました。
a. 随伴陰性変動(Contingent Negative Variation: CNV)(図 3)
警 告 刺激 − 命 令 刺激 課 題 で 警告 刺 激 後 に 基線 が 陰 性 にシ フ ト す るこ と で 、 命令 刺 激
に対する予期に関連 した電位と考えられています。随伴 陰性変動は 1964 年に Walter
ら
5)
によって発見された最初の ERPs です。
図 3 随伴陰性変動(CNV) 基本周波数 1000 Hz の 100 ms トーンバースト音を警告刺激
(S1)として、1 秒後に 2000 Hz の 100 ms トーンバースト音(命令刺激, S2)が呈示
されたらボタンを押すように被検者に指示しました。刺激前の基線が陰性にシフトし
ており(ドット部)、命令刺激の予期に関連した電位と考えられています。
b. P1-N1-P2(図 4)
単 純反 応 課 題で 刺 激呈 示 後 200 ms 以 内に 陽 性( P1) −陰 性 (N1) −陽 性 ( P2) の
三 相 性波 形 が 出現 し ま す が、 外 因 成 分と 内 因 成分 が 混 合 して い る と 考え ら れ ます 。 こ
の中から内因 成分を抽出するために、多 くの ERPs 研究では 2 種類以上 の刺激を呈示
して誘発された刺激ごとの ERPs を引算します。
5
図 4 聴覚、視覚刺激による P1-N1-P2 聴覚刺激は 75 dB SPL、基本周波数 1000 Hz の 100
ms トーンバースト音を 1.25 Hz で 200 回両耳呈示しました。視覚刺激はコントラスト
90%、平均輝度 55 cd/㎡、視角 10 度の黒-白風車パターンを 1 Hz で 200 回両眼呈示し
ました。外因成分と内因成分が重畳しており、このままでは内因成分を抽出できません。
c. NA(図 5)
標的選択課題の際の非標的刺激に対する ERPs から単純反応課題での ERPs を引算す
ることで得られる電位で、刺激弁別に関連しています。視覚性 NA は刺激呈示後 120〜
150 ms から始まり、頂点潜時約 200〜320 ms に出現します。(図 2 参照)
図 5 視覚刺激による注意処理関連電位の NA 標的選択課題では、12 枚羽 (standard, S)
と 24 枚羽 (target, T) の黒−白風車パターンを 4:1 の割合でランダムに 1 Hz の頻
度で両眼呈示して T でボタンを押すように指示しました。単純反応課題では、S だけを 1 Hz
の頻度で両眼呈示して S に対してボタンを押すように指示しました。標的選択課題の S
に対する ERPs から単純反応課題の S に対する ERPs を引算すると刺激弁別関連電位が残
ります(矢印)。
6
d. Nd(図 6)
片 耳 に注 意 を 向 けた 状 態 で 同一 の 聴 覚 刺 激を 両 耳 に 別々 に 呈 示 して ( 選 択 的注 意 課
題)注意側 ERPs から非注意側 ERPs を引算すると刺激呈示後約 50〜200 ms の間に出
現する陰性電位のことで、注意関連電位です。
図 6 聴覚刺激による刺激弁別電位の Nd 左耳には基本周波数 1000 Hz (standard, S)
と 2000 Hz (target, T)の 100 ms トーンバースト音を 4:1 の割合でランダム呈示しま
した。右耳には基本周波数 1000 Hz (S)と 500 Hz (deviant, D)の 100 ms トーンバ
ースト音を 4:1 の割合でランダム呈示しました。この際、被検者には常に左耳に注意し
て T に対して反応ボタンを押すように指示しています。注意側の S に対する ERP から非
注意側の S に対する ERP を引算すると、刺激の物理的な性状は同一ですので、外因成分
が相殺され注意に関連した電位が残ります(ドット部)。
e. N2b(図 7)
注意条件下(attend condition)のオッドボール課題で低頻度偏奇刺激に対する ERPs
から標準刺激に対する ERPs を引算した際に、潜時 200〜300 ms に出現する陰性電位
で通常 P300 が続きます。感覚情報注意処理関連電位とされています。
f. P300(図 7)
標的選択課題の際、標的刺激に対する ERPs から非標的刺激に対する ERPs を引算す
ることで潜時 300〜400 ms に出現する Pz 最大の陽性電位です。P3b とも呼ばれます。
1965 年に Sutton ら 6 ) によって発見されました。課題に関連しない新奇な刺激に対し
て出現する前頭部優位の P300 は P3a(novelty P300)とよばれ、P3b とは区別されて
います。
7
g. MMN(図 8)
無 視 条件 下 ( inattend condition) の オッ ド ボ ール 課 題 で低 頻 度 偏奇 刺 激 に対 す る
ERPs から標準刺激(standard stimulus)に対する ERPs を引算した際に、潜時 100〜
200 ms に出現する陰性電位です。1978 年に Näätänen ら
7)
によって発見されました。
注意に関連しない感覚情報自動処理関連電位と考えられています。
図 7 視覚刺激による N2b 図 5 の標的選択課題で、T に対する ERPs から S に
対する ERPs を引算しました。潜時 200〜300 ms に N2b が出現し、その後に P300
が続いています。通常、N2b は Cz で最大ですが P300 は Pz で最大となります。
8
図 8 聴覚刺激による MMN 基本周波数 1000 Hz(standard, S)と 2000 Hz(deviant, D)
の 100 ms トーンバースト音を 4:1 の割合でランダムに刺激頻度 1.25 Hz で両耳呈示し、
被検者には黙読して聴覚刺激は無視するように指示しました。D に対する ERPs から S に対
する ERPs を引算すると Fz、Cz を最大として潜時 100〜200 ms に陰性シフトを認めます(ド
ット部)。聴覚情報自動処理関連電位です。
V-EOG:vertical electrooculogram.
h. N400(図 9)
例えば、”He spread the warm bread with
socks.” と い う 文 を 呈 示 す る と 、 文 末
の意味的に逸脱した語(socks)に対して潜時 400 ms 前後の陰性電位が出現します。
被 検 者 は 文 末 で ”bread” に 関 連 し た ”butter” の よ う な 語 を 予 想 し て い た の に 逸 脱
語のために出 現したと解釈され、単語認 知関連電位とされています 。N400 は文ばかり
で は なく 単 語 リス ト を 刺 激と し て 用 いて も 出 現し ま す が 、そ の 場 合 潜時 は 文 を用 い た
場合よりも短くなります
8)
。
9
図 9 先行文脈から逸脱した文末の語に対して出現した N400(破線) 言葉の意味理解には
先行した言語的情報(文脈)が重要であることが知られています。例えば「百獣の王は」
という文節に続いて「ライオン」のようなその文脈に適合した単語が呈示されると「作業」
のような意味的に逸脱した語よりもはやく認知されます 2 6)。このような先行刺激の処理が
後続刺激の認知処理の早さや正確さに与える効果は文脈効果(contextual effect)と呼ば
れています。Kutas と Hillyard(1980)は 7 語からなる文を 1 語ずつ呈示して被験者に黙
読させ、その時の ERPs を測定しました 2 7)。その結果、文脈から逸脱した語(この実験の場
合は文末にそれを設定しています)に対して、潜時 400 ms に頂点をもつ陰性電位を発見し
N400 と命名しました。なお、物理的な逸脱(大きな文字)に対しては N400 は出現してい
ません(点線)。(文献 8 より引用)
I-6 事象関連電位の記録の実際
ERPs の定義上、EPs は ERPs の外因成分関連電位とも考えられますので
9)
、ERPs の
記録の仕方は EPs と同様です。日本臨床神経生理学会の誘発電位測定指針案
4)
も参考
に し てく だ さ い 。こ こ で は 、さ ら に 安 定し た ERPs 波 形を 記 録 す るた め に 要 点を 絞 っ
て解説します。
a. 被検者
多くの場合、 ERPs 研究では内因成分を解析 対象としますので、被検者 の身体的・精
神的状態の把握は重要です。同じ刺激を用いても被検者の感じ方で波形が変化します。
ま た 、体 調 が よく 協 力 的 な被 検 者 で あれ ば 加 算回 数 が 少 なく て も 安 定し た 記 録が 得 ら
れます。被検者がリラックスできるように実験室環境を工夫することも大切です。
b. 課題遂行のための指示
被 検 者に 課 題 内 容を 上 手 に 指示 す る こ と で内 的 反 応 をよ り 純 粋 に誘 発 す る こと が 可
能 と なり ま す 。課 題 遂 行 の精 度 は 行 動面 の 指 標を 用 い て 計測 す る こ とで 客 観 的に 評 価
で き ま す 。 例 え ば 標 的 刺 激 を 作 成 し て ボ タ ン 押 し を し た り 、 強 制 2 者 択 一 ( forced
choice)をして正答率や反応時間を計測します。
c. 刺激呈示方法
オッドボール課題(oddball paradigm)がよく用いられます。この方法の利点は P300
を 指 標と し て 注意 の 方 向 をコ ン ト ロ ール し や すく 、 被 検 者の 覚 醒 度 を一 定 に 保ち や す
10
い 点 です 。 他 にも 選 択 的注 意 課 題、 3 種 類以 上 の 刺激 を ラ ンダ ム に 呈示 す る 課題 、 警
告刺激−命令刺激(S1-S2)課題、マスキング課題などがあります。
d.記録条件
EPs に準じます。特徴的なことは、サンプリングの周波数帯域と電極の配置です。ERPs
は 比較 的 ゆ っく り し た成 分 な ので 、 サ ンプ リ ン グの 周 波 数帯 域 は 0.5〜 40 Hz 程度 で
も 十 分で す し 、幅 広 く サ ンプ リ ン グ して あ と で周 波 数 フ ィル タ ー を かけ る こ とも あ り
ます。もう 1 点は、内因反応なので、最低でも国際 10−20 法の正中線上の 3 部位(Fz,
Cz, Pz)と眼球運動などのアーチファクト監視のための electorooculogram(EOG)の
4 チャンネルの同時記録は必ず行うように推奨されています
4)
(図 8 参照)。
e. 加算回数
加算回数に 決まりはありません が、理論的には回 数が多いほど S/N 比が 上昇し安定
した波形に なります。しかし、 実際は実験時間が大体 2 時間を越えると協 力的な被検
者 で も疲 労 や 集中 力 の 低 下か ら 、 雑 音の 混 入 が増 え て か えっ て 波 形 は悪 く な りま す 。
もう1つ重要な点は対象とする反応の大きさです。N1 や P300 等のような振幅が 10μ
V 以上 の 反 応な ら ば 比較 的 少な い 回 数で も そ れな り の 波形 が 得ら れ ま すが 、 数 μV 程
度 の 反応 の 場 合は よ り 多 くの 加 算 が 必要 で す 。刺 激 前 ベ ース ラ イ ン が平 坦 に なる 程 度
まで加算すると安定した波形が得られます。
f. 除外条件
協 力 的な 被 検 者 であ っ て も 、記 録 中 に 体 が動 い た り 、瞬 き し た りす る こ と で雑 音 が
脳 波 に混 入 す る こと が あ り ます 。 こ れ らの 電 位 は ERPs と 比 較 す ると 非 常 に 大き い た
め( 100μ V 以 上! )、 少な い混入 であ って も波 形を 歪めま す。 それ らの 雑音 は除 外し
て 加 算平 均 を 行い ま す が 、除 外 条 件 が厳 し す ぎる と 加 算 回数 が 少 な くな り ま すの で 実
験条件に合わせて除外条件を決定します。 通常は、50〜100μV 以上の電位は除外して
加 算 平均 を 行 いま す 。 ま た、 後 頭 部 周囲 で は α波 が 混 入 しま す の で 刺激 前 の ベー ス ラ
インは最低でもα波の 1 周期分位つまり 100 ms 前後はとることが推奨されています
4)
。
g. 加算方法
刺激呈示に トリガー信号を同期 させて、加算平均 法を行う点は EPs の場 合と同じで
す。ERPs に特徴 的なことは、刺激ごとに別 々に加算平均法を行い、さ らに引算法を行
うことです。ERPs は EPs と比較すると時間的な同期性が乏しくだらだらと続くことが
多 い ので 刺 激 ごと に 波 形 を並 べ て み ただ け で は気 づ き に くい こ と が あり ま す 。引 算 す
ることでその存在がはっきりします。
h. 外因成分の除去
ERPs の解釈でも っとも注意することは刺激 の物理的な性状、呈示時間 、呈示頻度な
ど に 由来 す る 外因 成 分 と の区 別 で す 。そ の た めに 個 人 間 や個 人 内 で 実験 条 件 (刺 激 頻
度 、 実 験 順 序 な ど ) を 釣 り 合 わ せ て カ ウ ン タ ー バ ラ ン ス ( counter-balance ) 実 験 を
行うことが一般的です。
i. 解析方法
EPs と同様に頂点潜時 や電位振幅を解析しますが、ERPs は個人 間はもちろん個人内
でさえ同期 性も大きさもばらつ いているので、潜時 や電位が EPs ほどは再 現性が高く
な い こ と が 通 常 で す 。 そ の た め 面 積 や あ る 時 間 幅 ( time window) を 区 切 っ て 平 均 電
11
位 を 求 め て 解 析 す る こ と も あ り ま す 。 あ る い は 、 主 成 分 分 析 ( Principal component
analysis) 10)、LORETA(Low resolution brain electromagnetic tomography) 11 ) などに代
表 さ れる 数 学 的解 析 ツ ー ルを 用 い た 研究 も み られ ま す 。 なお 、 被 検 者数 は 多 いほ ど よ
いのですが、10〜30 人程度で統計学的有意差が現れることが多いようです。
I-7 P300 の臨床応用
P300 は ERPs の中でも歴史的に最もよく検討 された成分のひとつです。上述のとお
り 被 検者 の 注 意 をコ ン ト ロ ール し や す いオ ッ ド ボ ール 課 題 を 用い た P300 は 再現 性 が
高 く 、し か も 振幅 が 大 き いの で 比 較 的少 な い 加算 回 数 で も安 定 し た 波形 が 得 られ る た
め臨床応用に向いています。自閉症
12)
、統合失調症
13)
、認知症
14)
など精神疾患の認
知 機 能 の 指 標 と し て 臨 床 応 用 が 期 待 さ れ ま す 。 問 題 点 は 、 1) 用 い ら れ た 課 題 に よ っ
て P300 の心 理 ・ 生 理学 的 解 釈 が不 確 実 性 の解 決 、 意 思決 定 、 刺 激評 価 、 判 断後 処 理
過程 、文脈 の更 新など 多様で あるこ と
15 )
2) 健常群 と疾患 群の群 間比 較では P300 の
潜 時 や振 幅 の 異常 が 報 告 され て い ま すが 、 個 体差 が 大 き く正 常 値 が 決定 さ れ てい な い
こと 3)課題遂行のために患者の協力が必要であることなどです。
図 10 感覚情報処理過程の模式図 最近は自動処理過程と注意処理過程が平行して行われ
ているという仮説が優勢ですが、その中でも自動処理過程が先行するという仮説を今まで
の MMN 研究は支持します。自動処理過程では、繰返し呈示された先行刺激(standard
stimulus)の記憶表象と現在の刺激との比較・照合が行われ、偏奇刺激(deviant stimulus)
の場合はミスマッチとして MMN に反映されます。
Ⅱ-1 ミスマッチ陰性電位
ERPs 研究の1例として MMN を紹介します。脳内感覚情報処理の仮説として、入力
さ れ た感 覚 情 報処 理 は 注 意を 必 要 と しな い 自 動処 理 過 程 と注 意 処 理 過程 が 時 間的 に 並
行 し て行 わ れ てい る と 考 えら れ て い ます が 、 その 中 で も 自動 的 処 理 過程 が 先 行し て そ
の 後必 要 な場 合 は注 意 的 な処 理 過程 に 進む と いう 二 段階 仮 説 (two stage theory) が
あ りま す
16, 17 )
( 図 10)。 自動 的 な処 理 過程 では 入 力情 報 は以 前 の記 憶 と比 較 照合 さ
れ 、 変 化 が あ れ ば ミ ス マ ッ チ と さ れ ま す 。 そ の 反 応 が 注 意 シ フ ト の き っ か け ( cue )
と な れば 情 報 は注 意 処 理 過程 へ と 進 みま す 。 この 仮 説 は 膨大 な 情 報 が外 界 か ら入 力 さ
12
れ て くる な か で、 大 脳 に 必要 以 上 に 負荷 を か ける こ と な く情 報 を 迅 速か つ 効 率よ く 処
理し、行動決定するシステムをうまく説明しています。
MMN 研究は この仮説を支持 しています
1 , 18)
。MMN の誘発の 方法は連続して 同じ音刺
激 ( 標準 刺 激 )を 呈 示 し てま れ に 別 の音 刺 激 (偏 奇 刺 激 )を 呈 示 し ます と 、 偏奇 刺 激
に対する ERPs が標準刺激に対する ERPs よりも Fz-Cz を最大として潜時 100〜200 ms
で陰性にシフトします(図 8)。この陰性シフトが MMN と呼ばれていますが、注意の方
向 を コン ト ロ ール し て 非 注意 条 件 で も注 意 条 件で も 同 じ よう に 誘 発 され る こ とか ら 注
意 に 依 存 し な い 前 注 意 ( pre-attentive ) 成 分 と さ れ て い ま す 。 刺 激 変 化 は ど の よ う
な 種 類で も よ く、 純 音 の 周波 数 、 強 度、 方 向 など の 物 理 的性 状 の 変 化は も ち ろん 言 語
音 を 用い て も 構い ま せ ん 。た だ し 、MMN の 閾 値 は感 覚 閾 値と ほ と ん ど同 じ か 少し 低 い
と い われ て い ます の で 被 検者 が 変 化 に気 づ か ない と 出 現 しな い こ と が多 い よ うで す 。
小児の言語発達
19)
、外国語の認知研究
20)
、統合失調症の認知障害
21)
などさまざまな
指標に MMN が用いられています。現在のところ MMN 研究は聴覚を主体に行われ他の感
覚 に関 し ては 殆 ど検 討 され て いま せ んが
22,
23)
、 直 観的 に はあ ら ゆる 感 覚で 自 動処 理
過程は存在すると考えられます。
Ⅱ-1 トラブルチェックリスト
ERPs の実験環境 では刺激を呈示するための 機器、脳波計、脳波を加算 平均処理する
パーソナルコ ンピュータがそれぞれケー ブルでつながっていますの で、ERPs 記録がう
ま く でき な い 場合 そ れ ぞ れの ス テ ッ プご と に いく つ か の ケー ス が 考 えら れ ま す。 ト ラ
ブ ル の原 因 を 突き 止 め る には 、 正 常 なス テ ッ プま で 立 ち 戻っ て 一 つ 一つ 確 認 して い く
ことが最も早く確実です。
ケース 1.脳波自体が記録されないあるいは脳波は記録されるがノイズが多い。
†
全ての電気機器はアースされていますか。
†
電極抵抗は5KΩ以下ですか。
†
アンプの校正は正しいですか。
†
ボディーアースは付いていますか(デジタル脳波計は不要)。
†
被検者は安静状態ですか。
ケース 2.脳波自体は記録されているが加算を行わない。
†
刺激トリガーは出力されていますか。
†
記録側の正しい端子に刺激トリガーが入力されていますか。
†
刺激トリガー時間幅は記録側のサンプリング時間より長く設定されていますか。
†
記録側の除外条件は正しく設定されていますか。
ケース 3.加算はするが正しい ERPs 波形が得られない(特に P1-N1-P2 がない)。
†
刺激呈示開始とトリガー出力は正しく同期していますか。
†
導出モンタージュは正しいですか。
†
基準電極は正しい位置についていますか。
†
被検者の状態はいいですか。
†
大きな雑音が混入したエポックはありませんか。
†
加算回数は適当ですか。
13
参考文献
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