イラン風物詩 - 環日本海経済交流センター

「海外ビジネスコラム(第 31 回)」
(財)富山県新世紀産業機構 環日本海経済交流センター
鹿野健・海外販路開拓支援マネージャー
鹿野マネージャーの海外ビジネスコラム
「第 31 回
イラン風物詩」
今回は中東の産油国であるイランでの経験を述べてみたい。
1979年にホメイニ師がパリからイランに帰国し、それまでのパーレビ国王の政権
が覆され、「宗教革命」とも呼ばれるイスラム教国家への変身が為された。従来の米
国寄りの資本主義経済を基本とする体制から宗教主導の国家への変身であり、回教の
教義に基づいて女性の外出時のチャドル(マント)及び髪の毛を隠すヘジャブ(スカ
ーフ)着用、飲酒の禁止などが義務化され、現在に至っている。
筆者は1991年から家族帯同でシンガポールに駐在していたが、93年に急遽イラ
ンの首都テヘランへの移駐を命ぜられ、家族をシンガポールに残してテヘランへの単
身赴任となった。テヘランでの思い出を以下綴ってみたい。
1)外貨の払底。
詳細は省くが、93年ごろ予想もしなかったイラン中央銀行での外貨不足が表面化し、
イランの国営銀行が開設した L/C(信用状)の外貨裏付けがなくなり、商社が日本で
一旦決済した外貨を日本の銀行に返済せねばならない事態に陥った。つまり、製品を
イランに輸出はしたものの不払いという状況になっていた。この問題の処理が筆者の
テヘラン移駐の大きな役割であり、種々苦労を重ねてなんとか全額返済された。
2)ドバイ
テヘランで不足する物資の買い出しのため、或いはシンガポールに残した家族に会う
ための経由地としてドバイにはよく出かけた。アラブ首長国連邦(UAE)のドバイは
今や中東の金融センター、或いは観光地として有名になっており、また世界一背の高
い全高828Mの超高層ビル「ブルジュ・ハリファ」もよく知られている。ただ、筆
者がテヘランに駐在した約20年前には既に中東の近代的なオアシスとして、中東諸
国に住む人々の別天地となっており、買い出しやシンガポールへの里帰りの際のドバ
イへの立寄りは心のなごむ思い出である。
因みにテヘラン・ドバイ間はサービスの良さで評判のエミレーツ航空(ドバイ
ベース)で約一時間で結ばれている。
3)雪のダマバンド
イランは中東にあるため意外に思う方もいるかもしれないが、冬のテヘランは北陸の
富山並みの寒さであり、テヘラン郊外にあるダマバンド山(標高 5,670M)には相当
な量の雪が降る。冬場の金曜日(回教の休日)には早朝にダマバンドの麓に出かけて
スキーをして、午後にはテヘランに戻りエンゲラブ(ペルシャ語で「革命」の意)ゴ
「海外ビジネスコラム(第 31 回)」
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鹿野健・海外販路開拓支援マネージャー
ルフクラブでゴルフをするのが通例であった。筆者を含めて子供が学齢期にかかった
単身赴任者が多く、合宿生活を送りながらこのような楽しみを見つけ出していた。
4)チェロキャバーブ
(略称
チェロキャバ)
イラン名物の食べ物であり、羊のステーキをバターを混ぜたサフランライスの上に乗
せて、玉ねぎのスライスをにおい消しのためにまぶして食べる。筆者の会社では、専
門の日本人のコックさんに現地に駐在してもらい、彼の作ったおいしい日本食を昼、
夜食べていたが、休日などには彼も一緒に地元のレストランに出かけてこのチェロキ
ャバを食べたものである。羊の臭みが見事に消えた大変おいしい食べ物であった。
イランについてはとても文章に書き切れない程の種々の経験をした。筆者の駐在した
他の中東の国々(エジプト、サウジアラビア)については既にこのコラムで書いたが、
イランという国に多少でも触れて頂くために今回のコラムを書いたものである。
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