Page 1 - - - -- - 第58 ਸਰ 公益社团法人 日本山岳会 2012年7月25 日癸

東九 州支 部報
58号
第
公益 社 団法 人
日本 山岳 会
東九 州支部
2012年 7月 25日 発行
目
次
1会 務報 告
(1)私 の 無 名 山ガイドブック n。 49
飯田 勝之
中野 稔
(1)第 一 回 支部 長会 議
加藤 英彦
(2)根 子岳縦 走
(2)平 成 24年 度 通常総会
加藤 英彦
3
2
支部 活動 報告
トビック
(1)三 角点と城 山探検
第 3回
(1)4月 月例 山行
宮本 員理子
(2)蔚 山支部との交 流(由 布岳)
飯田 勝之
5
4イ ンフォメー ション
(3)蔚 山支 部 との交 流(鶴 見岳
牧野 信 江
6
・トレッキング入門講座
(1)山 登り
(4)6月 月例 山行
下川 幸―
6
(2)山 の安全を祈る集い
(5)7月 月例 山行
藤澤 容子
(3)合 宿交歓会 と清掃登 山
(6)青 少年体験登 山
佐藤 秀 二
(4)9月 ,10月 ,11月 月例 山行予定
3イ 国人活動報告
)
(2)よ
り安全な登 山のために n。 5
・ピー ク登頂 トレッキング
(5)ゴ ーキョ
安部 可人
安東 桂 三
14
2012年 7月 25日
第 58号
す る。
1.会 務報告
③ 各支部 の事業報告 は配布 され た レジュメ
平成 24年 度 第一 回支部長会議報告
日時 :平 成 24年 6月 16日 (土 )10時 30分
を各 自目を通す ことで報告 にかえる。
より
小林財務担 当常務
◎会務 の報告
・本年度 の支部 へ の運営交付金
場所 :日 本 山岳会集会室
議題
5月 末 の会員数 に乗 じた金額 を 6月 末 に
1.平 成 24年 度総会議案 について
2.各 プロジェク トチー ムの報告
3.Youth Cbb報 告
4.そ の他
出席者 全国 31支 部支部長 (代 理 人 3人
送金す る。
・ 寄付金 についての説明
詳細 は 7月 27日 事務局会議 にて説明す
)
・ 「山の 日」制定 プロジェク ト 萩原理事
。 「支部活性化」 プロジェク ト・ 宮崎理事
。 「Y outh Cbb」 プロジェク ト 森理事
本部役員会長以下 13名
定刻 10時 30分
司会進行
開始
高原常務理事
① 会長挨拶
る。
V
。 その他 ,秩 父宮賞 については推薦 して く
尾 上会 長 あ い さつ
本 日は支部長会 議 ,そ して総会 と会 と しては
一番忙 しい二 日である。 この総会 は 4月 1
日誕 生 した公益 社団法 人 と して第 一 回 目の
だ さい。
・ 会旗 についての説明あ り。
関西支部長
重廣氏 よ り各支部 に一枚ず つ無料 で配布
総会である。この機会 に会 の現状報告 を した
するよ う緊急提案 あ り,検 討事項 となる。
い。課題 と してまず会 員減 である。若 い会員
京都支部 が京都滋賀支部 と名称変更 した
が少な い。これはひいては会の財政圧迫 を招
報告 あ り。
いている。改革 が急務 である。強調すれ ば会
の存続 の危機である。どう対応するか知恵 を
(終 了 12時 10分
)
絞 りた い。ここで各 プロジェク トチー ムの活
動紹介 を しておきた い。
。 ルーム検討チーム
平成 24年 度
日時 :平 成 24年
・ 災害支援 プロジェク トチー ム
会場 :東 京都千代 田区六番町 15番 地
・ 組織運営改革委員会
会館 プラザ ェフ
常務理事 が 中心 と
議事 1号 議案
なって
6月
16日
(土 )午 後
2時
主婦
平成 23年 度事業報告 (案 )
の承認 の件
。 会員受益検討チー ム
・ Y outh cbbの 発足
通常総会
2号 議案 平成 23年 度収支決算報
これは第 2」 ACだ 。
なんにもま して会 員増強 に力を下 さい。
告 (案 )財 産 目録 (案 )承 認 の
名誉会員推薦規定 の方向性 がある。
件
☆ 新 支部 長紹介
初 の女性支部長
② 本 日の総会出席者
の件
埼玉 (大 久保 さん)
九州では福岡支部長の新任(中 馬氏 )
計
3号 議案 平成 23年 度除籍予定者
5支 部 の新 支部 長 紹介
155
委任状
3839(74.6%)定 足数
.
3684
総会は成立
-2-
報告事項
「基金及び積立金等規定」 の制定 について
v
2012年 7月 25日
5142
本 国出席 110
委任状 出席 3907
定足数の報告
斉藤惇生元会長 由布登山 に案内 した ことを
在籍会員
言
+
第 58号
話 した らよ く覚 えて い ら
っ しゃられ た。
3986
古市
進 さん
1/3以 上で総会は成立す る。
九重 へ の案内 で知 りあった。
独特 の雰囲気 をもつ人 だ。
神崎
忠男 さん
支部 50周 年記念行事 の こ
とを覚 えてお り,先 方 よ り
まだ 歌 つて ます か とい う
話 があつた。
宮崎
紘 一 さん 大平会員の農大の先輩。大
平 さん 「お元 気 ですか ?」
との話 があつた。
尾野
益 大 さん 四国 支部 の設 立 記念集会 に
総会 レジュメに基 づ いて議案 の説 明が あ
出席 した お礼 の 挨拶 が あ
つた。執行部 の提案 どお り承認 され た。
「3号 議案」会費滞納 に伴 う除籍対象者 85
残念 なが ら,重 廣 さんは,所 要 で懇親会 には欠
名 の 中 に東九 州支部 の役 員 に任 命 して い る
席 され た よ うで ,ゆ っ くり
者 が いた,後 の懇親会 の席 で もある人か ら指
と話 が出来なかった。
った。
摘 され た。本人 は悪気 もな く納めるの を忘れ
て い たのか も しれ な いが こんな風 に全 員 に
記録 と して披露 され る とは恥ず か しい気 が
する。以後気 をつ けて もらいたい。
総会 も何事 もな く承認 され無事終 了。時間 も
余 った。引き続 き会場 を移 して恒例 の懇親会
(会 費
3,000円 )が あつた。
― 懇親会 の様子―
九州
5支 部 の支部長 はまとまってひ とつの
6時 30分 頃 お開 き
テー ブルで懇親 を深 めた。今年 の九州 5支 部
集会 は担 当が福 岡 で あつたが支 部長交代 で
来年 に延長 したい旨,提 案 があった。2年 後 は
宮崎支部 が支部創立 30周 年 を兼ね て行 な い
たいとの話 があつた。
2.支 部活動報告
4月 月例山行 平戸島山行
宮本員理子
私 は下記 の方 々 と懇親 を深 めた。
松 田雄 一 さん :益 々 お元気 そ うで,ま さに会
2011年
度 「県内 と九 州 の 島 の 山 に登
の 重 鎮 とい う風格 が あ り
る」のテー マに よる最後 の 4月 山行 は平戸 島
それ にら、さわ しい姿 で あ
の志 々伎山、屏風岳 ,安 満岳 の三座登 山 とな
つた。東九州支部 に在籍 し
った。 4月
ていた当時 の音話 を した。
前 を中野車 で出発。程な く久保車 と合流 し、
-3-
29日 、早朝 4100「
サ ニー」
2012年 7月 25日
第 58号
別府 にて飯 田氏 ・遠江 さんが乗 り込み、メン
石 の鳥居 に西 さんの生年月 日 (昭 和七年 二 月
バー 9名 でいざ出発 となる。
吉 日)が 刻まれ てお り「これ は何 が何 でも登
―路、高速道経 由 して R204号 に入 り、
平戸大橋 を渡 り、い よ いよ平戸島 に上 陸す る。
道な りに咲 き始めた「平戸 つつ じ」が皆 を歓
迎 して くれ る中、 R383号
,県 道 12号 と
ひたす ら南下す る。
らね ば
!」
と思われ たそ うだ。さつそ く、西
さんを囲んで の記念写真 となる。 13:15
下 山。
(514m一
等 三 角点 )で ある。南登 山 口よ り 14:00
最後 は平戸島 の最高峰安満岳
畑 のあち こちには平戸 の名産 じゃがいも
過 ぎ登 山開始。椎 ・アカガシの照葉樹林の中
の花 も咲 き誇 り、うちの宿 六の じやがいも畑
の整備 された遊歩道 を緩やかな下 りを経 て
の比 にあ らず、見事 な生育な り。小 1時 間程
登 りにかかる。石 の鳥居 を くぐり、中央部 が
にて平戸島最南端 に位置す る九州百名山の
高 くな った珍 しい石組みの参道 を踏み外 さ
ひ とつ志 々伎 山登 山 口に到着す る。装備 を整
な いよ う進む と 10分 程 で神社 に到着。西 に
え、 9:00前 登山開始。照葉樹 の原生林 の
回 り込み、 14:35見 晴 ら しの よ い展望岩
中 を進み途 中、志 々伎神社 の 中宮 に皆 で詣 で
場 に着 く。北 に生月島その先 に壱岐 の 島、西
る。八合 目あた りであ つたろうか、そそ り立
か ら南方向 に五 島列島 も浮かんでみえる。
つ岩峰 を頭上 に眺 めなが ら急な岩尾根 を一
歩 一 歩慎重 に登 つてい く。 9:40上 宮 の祀
られ た志々伎 山頂
(347m二
等 三 角点 )に
到着。大海原 の 中 に九 十九 島 か ら五島の島 々
まで望む 360度 の大 パ ノラマで ある。駐車
場 で待 つ西 さんが眼下 に小 さ く見える。皆 で
「ヤ ッホー」と声 を掛 ける。登 りには気付 か
なかったが頂上直下 にはいか り草 ・春蘭 ・ま
いずる草等 がそ こか しこに咲 き乱れ 、こころ
和 ま され る。西 さんの待 つ駐車場 に 10:3
0下 山。
次 の屏風岳
(394m一 等 三 角点)に 登 る
下 山時遊歩道 を左 に逸れ、テー プのある 山頂
へ の分岐点 よ り5分 程登 りつ めると平戸島
の最高点一等 三 角点 の天狗岩 に辿 り着 いた。
ため車 で移動。往路 を津吉橋 まで戻 り、迷 い
14:55下
なが らも右側の新 しい道路 に入 る。早福 トン
繰 り出 し、めいめ いに平戸 のみや げを手 に し、
ネルの 100m手 前 で旧道 に入 る。屏風岳林
道 よ り、登 山 ロヘ と進む。
20:00過
11:15車
を下 り、急斜面 の桧 の植林帯
山、その後 は一気に平戸 の街 に
ぎ、帰途 に着 いた。
長 い道 中、お一人で安全運転 して頂 いた久保
氏 ・中野氏 に一 同深 く感謝で した。
を進 む と程な く尾根 に到達。石 の鳥居 を くぐ
り、ニ レ等 の照葉樹林 の 中 を進み、石段 を登
ると 12:00丁 度 に山頂 に着 く。戦時 中の
防空監視哨 の遺構 の上でめいめ いにお弁当
を食 べ ていた ら西 さんが「ヤ ッホー 」と後 か
ら登 つて こ られた。何 でも先に くぐってきた
-4-
参加者 ∼西・飯 田・牧野 ・藤沢 ・岐部 ・遠江 ・
久保 ・中野 ・宮本
2012年 7月 25日
第 58号
踏破 した経歴 の持 ち主 だ。「東九州 のみな さ
第 8回
韓国山岳会蔚 山支部 との交流
由布岳
飯 田 勝之
鶴見岳
牧野
ん とは とて も仲の良 い友達以上 の、兄弟のよ
うな気持 ちを感 じています。これか らも長 く
お つ きあ い して い きた い です 」 と挨拶 を し
信江
た。
乾杯 には、東九州支部参加者の最長老で、
8年 目 を迎 え る韓 国 山岳 会蔚 山支部 との
初 回 の韓 国訪 問団 の 団長 をつ とめ た 甲斐 一
交流。毎年相互交代訪 問 して行 う交流登 山 も
郎会員 が音頭 をとって、な ごやかな宴会の始
今年 で 7回 目を迎 えた。昨年 は我 々が韓国 を
ま り。宴 もたけなわ になって くる と、まず は
訪問 し、韓国本土最高峰の智異 山 に登 つた。
東九州支部 の参加者 か`ら 自己紹介。続 いて蔚
今年 は我 々が蔚山支部 を迎 える番 だ。事前 に
山支部 の 自己紹介 と続 いて、そのあ とはア リ
相談 して 中で決まったのは、登 る山は大 分 の
ラ ンや坊が つ る讃歌がハ ングル語、日本語混
名峰 由布岳 と泉都別府 のシンボルの鶴見岳、
成で飛 び出すな どな ごやかに、賑やか に宴 は
期 日は 5月 の下旬 の週末 を挟 む 日程。
進み、 あっとい う間の 3時 間 であつた:
25日
(金 )の 昼 に船 で福 岡
翌 26日 (土 )は 由布岳 へ。過 去 三 回由布
港 に着 いた蔚 山支部 ―行 の 16名 (通 訳兼 ガ
院 を通 つてい る韓国のメンバ ーは、盆地か ら
イ ドを入れて)は 、宇佐八 幡宮 と安心院 の東
見 上 げる 由布岳 を見 て一 度登 りた い と言 つ
椎屋 の 滝 を観 光 して夕方別府 のホテル に着
ていた 山である。南登 山 口か ら登 り、西峰か
いた。早 速 ―行 を迎 えての懇親会 で、別府市
らお鉢廻 りを して東峰 に登 り、日向越 へ下 つ
北浜の 中華料理店「新龍門」に集 まった東九
て南登 山 口までの コース。そ して 27日 (日 )
は鶴見岳 か ら伽藍岳 へ の北尾根縦走 だ。この
そ して、 5月
州支部会員は 23名 。
加藤支部長が歓迎 の挨拶 で「由布岳 は有名
日は朝 か ら雲一 つ な い快晴。鳥居登 山 口か ら
な由布 院温泉地 の背後 に響 え立つ 山で、別名
鶴 見岳 山頂 へ。さらに鞍 ヶ戸 のア ッ プダウン
「豊後富 士 」ともよばれてお り古 くか ら愛 さ
か ら、船底 、内山、伽藍岳 へ と足 を伸 ば して
れ てきた 山です。鶴見岳 は全 国 一番 の別府温
塚原 温泉 へ下 山 の コースで二 日間 の 山行 を
泉 の背後 の 山で登 山者 も多 く、また山頂 まで
楽 しんだ。一行 は翌 日、翌 日杵築 と由布院 を
ロー プウェ ィが通 じて観 光客 で 賑わ つてお
観光 して午後福岡港 か ら帰国 の途 につ いた。
ります。ともに大分県 を代表 とする 山で、 2
日間 2つ の 山を十分 に楽 しんでいただき、下
山後 には温泉 にて十分癒 され て くだ さい」と
挨拶。
続 いて、蔚 山支部の李相鏑
(リ
ー・ソンホ)
支部長が挨拶 に立 った。李氏 は毎回訪 日 し、
今回 も来 ている具永詰
(ク
・ヨンチ ュル )前
支部長 の後 を受けて、昨年我 々が智異 山を訪
問 した後 に支部長 に就任 した人である。彼 は
エ ベ レス トをは じめ 、 マ ナスルや ダ ウダギ
リ、マ カルーな ど名 だたる ヒマ ラヤの名峰 を
-5-
2012年 7月 25日
第 58号
ここか らは牧野信江 さんの報告です。
のはハ ングル語 で した。それか ら夫婦別姓 だ
27日 (日 )鶴
見岳登 山です。午前 8時 30分 鳥居登 山 口∼
そ うです。バスで帰 られるの を見送 りま した。
ア リラ ンを歌 えるよ うにな りた い と思 い ま
鶴 見岳 ∼鞍 が戸 ∼ 内 山∼ 塚原越 ∼ 伽藍岳 ∼
した。蔚 山支部 の人たちは大分の山登 りを楽
塚原越 ∼塚原温泉 の コースです。交流登 山 は
しまれ たと思 います。
1回 目は話 し合 いのみで、今 回 はそれ も含 め
参加者
加藤英彦
西孝子
飯 田勝之
て 8回 目だそ うです。加藤支部長、 西 さん、
興 田勝幸
大林 正 彦
木本義雄
渡部 昭 三
飯 田 さんそ の他 の会 員、会友 の皆様 の働 きで
この交流登 山が続 いているの を感 じます。こ
木 山広喜
下 川幸 ―
中島洋祐
園 田暉明
の 日は好天 に恵まれ ま した。火男火売神 社 の
甲斐 一郎
前 日の由布岳 に続 き、5月
手前 の水場 で水 を飲 んで登 りにかか ります。
先頭 は久保 さん。最後 は中野 さんです。 2時
間 で鶴 見岳 山頂 です。観光客 も多か つた。集
合写真 を撮 りま した。鞍 が戸までの 山道 に ピ
久保 洋 一
中野 稔
宮本 真 理 子
石神美智子
中根 亮
牧野信 江
6月 月例 山行
剣 山∼三嶺縦走
リーダー
2012年
‖幸 一
6月 月例 山行 の剣 山 ∼ 三 嶺縦
国山岳会 の人達は皆、健脚です。女性 3人 を
走 の リーダー報告 を します。
梅雨期 の縦走登 山 とい う ことで 申 し込 みが
含 む 11人 で、他 に通訳 の 男性 1人 が参加 し
ています。お菓子や韓国海苔 をもらいま した。
少な くメンバー集 めには苦労 したが、最終的
に男性 4名 女性 3名 合計 7名 の参 加者 が決
言葉 が通 じな いのが もどか しい け どな にか
定す る。
ンク色の ミヤマキ リシマが咲 いています。韓
気持 ちは通 じるでは と思 います。李建旭 さん
下川幸 一、加藤英彦、 久保洋 一、 中野稔、
は日本語 を話 して いま した。急な下 り坂 をす
宮本真理 子、阿部幸子、佐藤 まゆみ
べ らな いよ うに注意 して船底 につ きま した。
01月
そ こで 韓国 山岳会 の人 達 がア リラ ンとも う
(金 )澤 4'
4号
に
続 き 5号 も九州 に接近 し、梅雨
台風
121つ
1日
一つの歌 を歌 つて くれ ま した。上手 で した。
前線 と重 なって各地 で大雨洪水警報 が出 さ
寒 田の木 山 さんがす ぐハ ー モ ニ カを取 り出
れ、3日 間 の 山行 が気 にな りな が らの初 日と
してア リラ ンの伴奏。す ば ら しいひ とときで
した。 こんどは内山へ の急 な登 りです。1時
なった。
10分 内山到着。 そ こで韓国 の男性 の一人は
大分駅 上野の森 口に 5:30に 集合 し久保
車、 中野車 に分乗 し佐賀関港 へ 向か う。
腕 立伏せ を し、他 の男性 2人 は傘 をさ してい
40分 で佐 賀関 フェ リー乗 り場 に到着 し、乗
ま した。 3時
20分 塚原温泉 に下 山。西 さん
船手続 きを済 ませ る。
が待 つていて くれ ま した。加藤支部長 の挨拶
予定通 り7時 にフェ リーが出港す る。海 上
の後、皆 で万歳 を しま した。李相鏑 さんの挨
は波 も穏 やかで時 々朝 日が差 し込 むほ どの
拶 で来年
10月 雪岳 山 ソラクサ ンに来 な い
と悔 む ことにな ります よとの ことで した。こ
信 じられな い天候回復 にホ ッと一安心す る。
8時 10分 に三 崎港 に到着。8時 20分 に三
の人 は ヒマ ラヤな どに も行 つて お られ る と
崎港 を出発 し、大洲イ ンター 目指 して 197
下川 さんか ら聞 きま した。参加者全員、会 の
号線 を飛ば して行 く。
旗 に名前 を書 きま した。韓国 山岳会 の人は漢
字 の名札 を付 けているのですが、旗 に書 いた
-6-
大洲 イ ン タTよ り高速 の松 山 自動車 道 に
入 り、 一路徳 島 の美馬 目指 して進 む。
2012年 7月 25日
第 58号
途 中何度 か トイ レ休憩 し、川之江 」C丁 で徳
島 自動車道 へ 右折す る。トンネル を過 ぎると
され た木 道 を歩 きなが ら一等 三 角点 の ある
徳島県池 田市 だ。
餌 山山頂 にた どり着 く。標高
早朝 ス ター トのため、11時
10分 に吉野
川 SAに てやや早 い昼食 とす る。 11時 50
頂 上 ヒュ ッテ横 の石段 を上が り、よ く整備
1995Mで
西
日本第 二 の高 さを誇 る修験道 の霊場 だが、三
角点 の周 りには 回― プが 張 つて入れ な い よ
分 に美馬 にて高速 を出て、438号 線 の剣 山
ドライ ブウエーで見 ノ越 へ 向か う。13時 に
うになっていた。
見 ノ越 に到着 し、久保車、中野車 は縦走登 山
のため、下 山予定 の「名頃」へ車 をまわすた
ものぞきは じめ、雄大 な次 郎笈 が目の前 に飛
め早 々にス ター トする。そ の間、残 る 5名 は
本 日の宿 舎 の剣 山頂 上 ヒュ ッテ ヘ 向 け歩 き
山頂か らの眺望 は素晴 ら しく、運良 く青空
び込み、思わず感嘆 の声 をあげた。
遠 くには 明 日目指 す 三 嶺 の美 ししヽ姿 も望 ま
れ大満足 だつた。
16時 に頂上 ヒュ ッテ に戻 ると久保、中野
始める。
明 日の無人の三嶺 小屋用 の食 料 を詰 め た
組 も無事到着 していた。
15キ 回のザ ックはかな り重 い。見 ノ越登 山
本 日の宿泊は悪天候予報 のため、150名
口よ り神社の石段 を登 りつ めて、神社 で安全
収容 の頂 上 ヒュ ッテ が我 々 7名 のみの 独 占
祈願 の参拝 を し右 の登 山道 へ入 る。
となる。早速、四国で一番高 いところにある
鬱蒼 と茂 るブナの 巨木林 の 中を進 む。しば
お風 呂で汗 を流 し、17時
30分 よ り頂上 ヒ
らくして、リフ トの下 を通 り抜 け、ブナの原
ュ ッテ 自慢 の 豪華 な夕食 が ビール で乾 杯 し
生林 の 中の ジグザ グ道 をゆっ くり登 つて 行
盛大 に始 まった。
く。
ヒュ ッテ のお母 さんの手作 り料理、名物 の
ま もな く分岐 を左 に取 り、約 45分 で西島
神社 に到着。左 に曲 がって登 りつめる と、リ
おでんな ど山小屋 で こんな に美味 しい料理
を食 べ る こ とは全 く予想 してお らず、感謝 の
フ トの終点 の西島駅 に着 く。ここでザ ックを
気持 ちで一杯 になった。
お ろ して小休 止。明 日の縦走最終地点 の三嶺
がはるか彼方 に くっき りと見える。
部屋 に戻 る と加藤 さんが ハ ーモ ニ カ を取
り出 し、哀愁 の こ もったメ ロデ ィが流れてき
しば し景色 を楽 しんだ後、本 国の宿泊す る
頂上 ヒュ ッテ ロ指 してスター トする。
た。山小屋 の雰囲気 に ピ,タ リ合 つた素晴 ら
しいプ レゼ ン トに大満足 し眠 りにつ いた。
分岐 を左 に曲 が り、きつ い尾根道 コース を
進む。立派な道が山頂 へ と伸 びて いる。
簿簿輪舞構気1城■
り巌 雨
=1曇
4時 に起 床 し、5時
前 の 日の出を剣 山の頂
途 中で安徳天皇 が 山頂 に登 る途 中、松 の木
上で迎 える予定であったが、窓 の外 はガスで
に刀 を掛 けて休んだ と伝 え られ る「刀掛 けの
全 く見 えない。5時 す ぎまで 山頂で待 つ も厚
松」 で一体 み し、記念撮影 をす る。
い雲 がかか り、日の出は勿論、遠 くの山並み
しば らく石 ころだ らけの登 りを進 む と、山
頂 に建 つ 山小屋が見 えてきた。
返す。
一 気 に ビッチ を上 げて急 な石 段 を登 って
行 く。 15時
も見 えない。ガ ッカ リしなが ら山小屋 へ 引 き
10分 に到着。早速、宿泊手続
きを済 ませ 、ザ ックを置 いて剣 山山頂 目指 し
登 って行 く。
-7-
2012年 7月 25日
第 58号
はスー パー林道 へ の分岐 がある。別行動 の加
藤 さん とは間 もな く合流する。
鞍部 か ら丸石 山へ の登 りがゆ るやか に続
く。約 20分 で山頂 に到着。振 り返 つて見る
と、次郎笈 の姿 が剣 山か らとは全 く違 い、緑
の稜線 が光 り輝 いて実 に美 しい。感動 の一瞬
である。
丸石 山で眺望 を楽 しんだ後、丸石避難小屋
<剣 山山頂 にて >
目指 して出発。始 めは灌木林 の 中を下 り、続
5時 15分 に温 か い朝食 を用意 して いた
だき、大本命 の本 日の三嶺 までの縦走 に備 え
る。予定通 り5時
30分 に頂 上 ヒュ ッテ を出
いて ブナの 自然林 をゆるやか に下 つて い く。
時 々 ウグイスや カ ッ コー の鳴 き声 が聞 こえ
て我 々 を楽 しませて くれた。
発。周囲 には白 いガスがかかっているが、幸
8時 丁度 に丸石避難 小屋 に到着。到着 とほ
いに も雨は降 つていない。本 国の行程 は 19
ぼ同時 に雨 が降 り始め、山小屋 の 中で予定通
kmで 昼食、間食休憩含 めて 9時 間
りの昼食 をとる。
(正 味 8
時間 )の 予定 である。見晴 ら しの いい尾根伝
この 小屋 か ら高 ノ瀬 までは コー スが よ く
いの縦走 コー スをゆ っ くり進み、高 山植物、
整備 されてお り、ゆ つ くリペースで登 り、最
眺望 を楽 しみた いと考 えている。
後 の岩屋 を乗 り越 えて 50分 で頂 上 に到着。
よ く整備 された木道 をゆっ くり登 り、5分
後 に剣 山頂 上 に到着。全員 で記念撮影 をする
が、女性陣 が重 いザ ック
(1 lkg前 後 )を
ここが本 日の縦走 コースの半分 の距離 で、予
定通 りのペースで進んで いる。皆、元気 で安
心す る。
小休上 の後、2時 間 の予定 で 自髭避難 小屋
背負 つて緊張 して いるのがわかる。
いよいよ長丁場 の縦走 のスター トだ。前方
を目指 して出発。笹深 いブッシユの 中 を下 つ
に見 える次郎笈 目指 して、加藤 さんを先頭 に
てま もな く、加藤 さんが突然大 きな声でオオ
笹原 の急坂 を下 ると鞍部 に到着す る。左右 の
ヤ マ レンゲ の群落 の発見 を皆 に知 らせ る。
谷 を見 る と青 々 と した ブナの 自然林 で実 に
ほ とん どが雷状態 で 1週 間後 が 見頃 と思
われ るが 自 い花 が 2つ 咲 いてお り我 々 を楽
み ごとで ある。
6時 に標識 のある次郎笈峠 に到着。加藤 さ
んは右の水場 ルー トに トラバース し、我 々 6
しませて くれ た。
白髭小屋 へ 向か う途 中、熊 よけの鈴 を鳴 ら
名 は直登 で次郎笈 山頂 を目指す。あえぎなが
す 一人の登 山者 に出会 う。徳 島県 の営林署 の
ら登 つていき、 6時
35分 に頂 上に着 く。
職 員 でオオヤ マ レンゲ の 保護 と観 察 との事
振 り返 る と次郎 笈 山頂 か らの眺 めは素晴 ら
であ り、我 々の発見 した場所 が唯 一の群落 と
しく、餌 山が我 々 を見送 つている。だ いぶ近
教 えて くれ た。又、この創 ∼ 三嶺 の縦走 コー
づ いた三嶺 の 山 々が 自 いガスの 間 か ら くつ
スが「四国山地の ゴールデ ンルー トだ」と誇
き り見える。
ら しげに教 えて くれ たのが印象的であつた。
次郎笈 山頂 か ら三嶺 方面 に向 か つて 少 し下
今度機会 があれ ば、紅葉 の時期 に是非縦走 し
り、更 に前方 に見 える鞍部 に向 かつて笹原 の
てみた いと思 つた。
高原状 の尾根 を一 気 に下 る。この広 い鞍部 に
稜線 のやや南斜面 を行 くと、やがて平坦 な 1
-8-
2012年 7月 25日
732mの
第 58号
高台 に到着する。まわ りでは初夏
を思わせ るセ ミの なき声が聞 こえて くる。こ
こでは眺望 が開けて、目指す 三嶺 が ぐつと近
くなってきた。
下 を見下 ろす と明 日下 山予定 の 名頃 の 町 も
かすかに見 える。
笹原 か ら樹林帯 に入 る縦走路 では、祖母、
傾 山で見 られ る枯れ木が多 く見 られ た。
<三 嶺 山頂 にて >
高 ノ瀬 か ら 2時 間 で自髭避難 小屋 に到着。
立派な無人の山小屋で、ここで昼食 の弁 当を
全員達成感 で一杯 の いい顔 を して い る。周
広 げる。温か いお茶 、コー ヒー 、菓子な ど皆
囲 はあつ とい う間 に 白 いガスで数 メー トル
の持 ち寄 りですつか り元気 になった。
先 が見 えな い程天候 が急変 してきた。一 気 に
一人 の登 山者 が山小屋 に飛 び込 んで きた
コメツツジの中 を下 山する と、目の前 に小 池
が、本 日 2人 目の 出会 いで あ り、縦走す る人
が現れその横 に立 派な三嶺小屋 が見 える。1
はほとん どいないよ うだ。
4時 40分 到着。本 日の縦走総時間は 9時 間
表 にある標識 では、本 国の 目的地 「三嶺」
まで 5kmと あ り、 いよいよ残 り2時 間 の行
す る ことができ本 当によかった。
悪天候 のおか げ
程 となってきた。
12時 5分 、ホ トドギスの鳴 く中、自髭小
屋 を出発。途中で美 しいアザ ミが皆 を楽 しま
せ て くれ る。自髭山分岐 を右 にとり、 10分
の 下 りと 30分 の登 りで
10分 。ほぼ予定通 りの時間で全員無事踏破
13時 5分 にカヤ
ハ ゲ (東 熊 山)に 到着する。
の三嶺小屋
(?)で 昨 日に続 いて本 日
(40人 収容 )も 我 々が独 占 とい
うおまけつ きであった。
早速、中野、阿部、下 川 の 3名 が水汲み に
行 き、 16時
30分 に早 い夕食 が始 まった。
高級 フォ ン ドボーカ レーやキ ュ ウ リ、ソーセ
次第 にガスが濃 くな り、周 りがほ とん どみ
ー ジの野菜 サラダ、焼酎、ウイスキーで大宴
えな くなってきた。 しか し、ここか ら三嶺 ま
会 となる。天気予報 どお り、本格的な雨 とな
ではあ とわず か とい うことで、皆 自信 に満 ち
り、明 日は天狗塚 を中止 し、名頃下 山 に変更
た顔 になって きた。
す る。
で一体 み し険 しい最後 の アタック に備 える。
6H2‐ 4■ │く 日〉
1摯ヽ
夜 中 の 1時 30分 に屋根 をたた く大雨 の
岩峰 の右 を迂回 して鎖場 を登 り、最後 の急登
音 で 目が覚 める。
40分 程 の ゆるや かな登 りの後、三嶺直下
を一気 に進み、ついに 14時
20分 三嶺 山頂
窓 は二重サ ッシのため蒸 し暑 く、おまけに
ダニ攻撃 にあい寝苦 しい一夜 となった。4時
に起 床 し、パ ン、サラダ、缶詰 のボ リュニ ム
に到着す る。
たっぷ りの朝食 をすませ ると、ザ ックは随分
軽 くな った。
小雨の中 5時
35分 に三嶺小屋 を出発。小
池 の横 か ら丸太の階段 をゆっ くり下 り、丈 の
低 い笹 の急斜面 を慎重 に下 つて行 く。ガ レ場
-9-
2012年 7月 25日
第 58号
は 自分 の ここ ろの有 り様 が ちっぱ けな もの
を過 ぎてまもな く水場の標識が現れ る。
樹林帯 の尾根 コー スの 急 さか を下 りて い
のよ うに思われ た。 3日 間、「こころの リセ
る と独特 の 叫 び声 が聞 こえてきた。右前方 に
ッ トタイムlを 得 たよ うで下 山時 には爽や か
5∼ 6頭 の鹿発見。や がて視界 が広が り、平
こころ持 ちに変わ つていた。
坦 になった ダケモ ミの丘 にで る。
宮本
員理子
ここで従 来 の 平尾 台 コース とは別 の新 し
い尾根 コースの道 を選んで進む。急傾斜 の連
初 めての縦走 コースで、 1 0kgの 荷物 が肩 に
続 で尾根 の雑木林 の 中を一 気 に下 つてい く。
かか りこれか ら先の事 が思 いや られた。一 日
雨が降 つて も雑木林の中のため、少 しも気に
目の剣 山 ヒュ ッテ では手作 りの 夕食 と、手持
な らな い。
ちのつまみで カ ンパ イ
7時 10分 に林道 に飛び出す が、再 び林の
中を下 り続 け、7時 40分 に名頃登 山 口に到
着 した。三嶺 小屋 か ら約 2時 間 で下 山 してお
と こ ろで爽や かな草 原 コー ス を歩 くこ と 8
り、予定 よ り早 く到着する ことがで きた。
!!少
し軽 くな った
時間、御仲間 の皆様 と思 い出 に残 る二 日間 で
した。
阿部
幸子
雨 は本格的 に降 ってお り、見 ノ越 まで車 を
回収 し名頃登 山 口を 9時
15分 に出発する。
日本 山岳 会東 九州支部 の 会友 にな って初 め
早 く下 山 したため、祖谷 のかず ら橋、大歩
ての 山行参加 で した。台風や梅雨前線 と、天
危 の観光 を楽 しみ、温泉「秘境 の湯」で 3日
間 の疲 れ を癒 し、二路 三崎港 フェ リー ヘ の帰
候 が不安の 中、出発 しま したが、ラッキーな
路 につ く。
ためにかえって暑 くもな く、心地 いい風 も吹
ことに、縦走 日の一 日は天気が持 ち、曇 りの
今 回 の縦 走登 山は梅雨前線 の 中台風 4号
き山歩 きには快適で した。剣 山か ら三嶺 まで
5号 が 重 なる最 悪 の 天候 の 中 での実施 であ
の縦 走路 は地 元 の 方 が ゴール デ ンコー ス と
ったが、奇跡的 に天候 が回復 し、山小屋 も 2
言わ れ るだ けあつて、歩 きやす く、 四方の
日間独 占 とい うおま けが つ いたのは ラ ッキ
山 々 を眺めなが ら、山 にいだかれ ている こと
ーであった。
重 いザ ックを背負 つた女 性陣 もよ く頑張 り
のひと時 が、とて も幸せ に感 じる ことの 出来
る コニ スで した。山小屋 も悪天候続 きのため
ま した。
か、貸 し切 り状態 で、無人小屋 もきれ いで快
久保 さん、中野 さん、長距離 の運転 おつ か
適 で した。2日 目の夜間 か ら雨 とな り、翌 日
は下 山 し、かず ら橋や大歩危 を観光す るおま
れ さまで した。
けもついて とて もいい山行で した。
《参加者 の コメン ト》
佐藤
今 回 の縦走登 山 は今 の私 の体 力 か らす る と
到底無理 な ことと思 い、事前 ミーテ ィ ングに
参加す るも、天候不良 もあ り不安であった。
が、皆 さんの熱 い思 いに押 され て「よ し、行
くぞ」と決心す る。最初 こそ リュ ックの重 み
で ここ ろが萎 えそ うにな る も雄 大 な山の稜
線 を右 に左 に眺 め歩 を進 める うちに下界 で
-10-
まゆみ
2012年 7月 25日
10時 35分 紅葉茶屋
第 58号
(茶 屋 はない)を 過 ぎる
7月 例 山行報告雲仙普賢岳 と周辺 の山
と鬼 人谷 回⇒ 西 の風 穴 ⇒ 北 の風 穴 ⇒ 鳩 穴分
普賢岳 (1359。 3M)国 見岳 (1347M)
妙見岳 (1333M)
れ と国際 級 ?の 地 質 と有 明海 の展 望 を堪能
藤澤
し、急坂 に息 を切 ら しなが ら 11時
旧山の谷 間 立岩 の峰 に。巨大な岩や麓 に噴 き
容子
だす水 蒸 気 の 平成新 山
実施 日 平成 24年 7月 8日
参加者
30分 新
追 り圧巻
(日 )
14名
(1483m)が 間近 に
!!岩 肌 の新 山 と背後、緑 の普賢岳、
対照的な異空間 に侍む。新 山を後 に 日前の山
CL― 中野稔 SL― 久保洋 一
容普賢岳 を目指す。普賢神社祠 があ り、参拝。
星子貞夫/飯 田勝 之 /中 島洋佑/岐 部威吉/西
丁度 12時 普賢岳 山頂着。視界良好 360度
孝 子/池 上 那子/池 辺明美 /宮 本真理子 /遠 江
山 々や海の パ ノラマ展望、結構広 い切 り立 っ
洋子 /牧 野信江/阿 部幸子/藤 澤容子
た岩 の 山頂で昼食。次 は国見岳 へ。
行程
集合 :午 前 5時
」 R大 分駅
急坂 を下 り紅葉茶屋 ⇒ 木 漏 れ 日の 中 のな
大分 lC⇒ 金 立 SA⇒ 諫早 lC⇒ 国道 34/57号
だ らかなア ッ プダウ ンで国見岳分岐 に。山頂
仁 田峠循環 自動車道 ⇒雲仙仁 田峠 (登 山 ス
直下、急坂 の岩段差 を 回― プを頼 りに登 りつ
ター ト/ゴ ール)
くと国見岳 13時 30分 。
妙見岳 へ と下 る。神社 の横手 か ら登 山道崩
踏破
普賢岳 ⇒国見岳 ⇒妙見岳
連 日の九 州 を襲 った集 中豪 雨 で心 配 され
壊箇所 を慎重 に妙見岳 に。先程 の新 山 ドーム
た空模様。曇空 の大分 を出発、道 中除 々に天
と普 賢岳 の コン トラス トの 山容 に感激 !!
気 は回復基調。雲仙仁 田峠循環 自動車道 (無
ロー プウエ イの展 望台 を横 目に好 天候 で太
料 )は 環境費用 100円 程度 の負担 お願 いが
あ り、ヘ ヤー ピンカー ブの合間見え隠れす る
陽 が容赦 な く照 りつ ける灌木林 の 丸木段 を
下 ると眼下 にゴールの仁田峠 15時 下 山。20
有明海 の視界 を楽 しみなが ら 9時 30分 仁 田
年前 の噴火で犠牲 になった町 々、人々に想 い
峠駐車場 に到着。雲仙岳 は普 賢岳/国 見岳/
を馳せ感慨深 い山行 で した。参加者 の 日頃、
妙見岳 の三 峰、野岳/九 千部岳/矢 岳/高 岩 山
精進 のお 陰 で天 気 に恵 まれ、往路 /登 山/復
/絹 笠 山の五岳 を総称 して 「三 峰五岳 の雲仙
路 それぞれ 5時 間 の行程で無事 20時 頃大分
へ 帰着。お疲れ様 で した。特 に運転員 さんお
岳」 と呼 ばれ 、今回 はその三 峰踏破 です。
総勢 14名 、西 さん と池上 さんは山麓散策
組、 12名 は登 山組。 10時 、仁 田峠 三 角点
1078.9Mを 確認 し、普賢神社 に安全祈願参拝
後登 山開始。今年 5月 ジオ パー ク国際会議 が
世話 にな りま した。 (帰 路車 中耐 えきれず爆
睡。御勘弁下 さい)
青少年体験登山
佐藤秀二
島原 で開催 され 、それ に合わ せて危険区域 だ
が、整備 された普賢岳 と平成新 山の間 を登 る
今年 も、 青少年体験登 山の季節 がや って き
新 ルー トに変更。鳥居 を くぐリモ ミ林 に覆わ
ま した。まだ、梅雨 は明 けてお らず雲 一時雨
れ た トンネル を緩やかに登 って行 く。山アジ
の予報。天気 を心配 しなが ら大分駅 に向か う。
サイ、下野草 と大 き く膨 らんだ曹 の シシウ ド
今年 は、新駅 の上 野 の森 口での待 ち合わせ。
等 が 出迎 えて くれ た。随所 にルー トや地質等
バ ス は無 事 に来 るか ?参 加者 は間違 えず に
の説 明案 内板や休憩所 があ り分 か り易 い。
来 るか ?と 心配 しなが ら待 つている と、まず
-11-
2012年 7月 25日
第 58号
バ スが無事到着 してひと安心。続 いて参加者
の直登 コースが本道 となっている。小山の急
も続 々 と集 まって くる。出発十分前 には参加
者 がほぼ揃 つたがあと二家族来 ていない。ひ
登 を過 ぎるといつたん平坦な道 とな り、その
後頂 上 への最後 の坂 を登る。この とき、雨 が
ょつ と して 去年 の場所 に と飯 田 さん が探 し
ポツ リポツ リと降 りだ した。雨具 を着 るか確
に行 くと、案 の定一家族 が去年 の場所 で待 つ
認 した ところ、登 りだか らと様子 を見なが ら
ていた。もう一家族 は連絡 が取 れず、結局十
登 る ことと した。最後 の坂 を約 15分 で頂上
分遅れで 7時 10分 に大 分駅 を出発 した。途
に到着。 (11時 10分 )山 頂で記念撮影 しや
中道 の駅湯布 院 に立 ち寄 り、牧 ノ戸峠 には、
や長 い休憩。 山頂 は雲 がかかつて視界不良。
9時 に到着。 ここで健脚組、元気組、のんび
「あま り休む と遅れ る」 と 11時
り組 に分 かれ て体操 を済ませて順次 出発。私
発。ちょつと した岩場 があるが、ついつい難
は、元気組の担 当で星生山経 由で久住 山 に向
しい道 を選 んで しまい高 校生 が転 落寸前 に
か う。 (9時 20分 )元 気組 は丁度 10人 で適
なる トラブルが発生。こちらの対応 もまず い
当な人数 だ。小学生、高校生、成人 と上 手 く
混 ざつて いる。高校生 に聞 くと登 山は小学生
面 があつた と反省。その後順調 に九 重分 かれ
の小屋 へ下 る。小屋 まであと 100m足 らずの
以来 との こ とで、未経験 に等 しい。沓掛 山ま
と ころで、ザザー とい う音 と共 に夕立 のよ う
での登 りは、結構 きつ く初心者 は ここで エネ
な雨 が 降 り出 した。 これ は本 降 りだ と思 い
ル ギー を使 いすぎる。思 い切 りゆつ くりと歩
「退避」と叫 んで急 いで小屋 へ避難。みんな
き小学生 には「ゆ っ くりすぎて調子 が狂 う」
が小屋 に着 いた ときには土砂降 り状態。これ
とばや かれ なが ら コンク リー ト道 を抜 けた
は運が よかった。その後 雷 も鳴 り出 し、これ
ところの広場 で小休 止。みんなまだ元気な様
で は とて も久 住 山頂 へ 行 けな い と検討 した
子で 10分 足 らずの休憩 した後 に出発。 ここ
結果、久住 山頂 に向かつた組 に 「行 かない」
か らは、だ らだ ら坂。傾斜 は緩 いがボ デ ィブ
と連絡 して昼食 を取 る ことと した。小屋 か ら
ローの よ うに効 いて くる。沓掛 山山頂付近か
山頂付近 を望 む と山頂付近 にな にや ら人の
らは久住 山山頂 が見えるが既 に雲 の 中。雨 が
集 団 が 山頂直下 を下 つて い るシル エ ッ トが
降 らな いことを願 いなが ら進 む。雨 の後 はい
見 えて、うちの連 中が下 つているのだろうと
つ も道 が どろどろにな って い るが意 外 に も
見 て取 れた。 バ タバ タと昼食 を済 ませ ると、
そんな ところは少な く歩 き易 かつた。元気組
その頃 には雨 は小 降 りにな り参加者 の 大分
は順 調な ペースで進みt扇 が鼻分岐手前で 2
工 業 の生徒が久住分かれ に下 りてきた。その
度 目の小休 止。渡辺 さんが登 りは苦手 とやや
後 はぞ ろぞろと健脚組、のんび り組 が下 りて
遅れ気味 に。休憩 もそ こそ こに「迷惑 をかけ
きて、昼食 を取 る。元気組 は早 め に下 ろうと
た らい けな いか ら」と一人先 に進む。他 のメ
した ら、「記念撮影す る」 と呼 び止め られて
ンバ ーは 10分 ほ ど休憩 して出発。扇 が鼻分
下 山を延期。みんなが落ち着 いた段階 で記念
岐 を過 ぎ、星生山分岐で渡辺 さんに追 いつ き
い ざ星生 山へ。西千里か ら道 を離れ小 さな谷
撮影。この頃 には雨 もほぼ止 み、視界 も広が
を越 えて最初 の小 山の急坂 を登 る。昔 この坂
みんなで下 山 となったが、途 中か ら再 び雨に
を 20k g以 上の荷物 を担 いで登 るのが大変
降 られ るも、下 りのため特 に苦労す る ことも
だつた。後 で聞 いたが この 旧登 山道 は今 は登
な く、いい雨 の体験登 山が出来たのではない
山禁 止 となっているよ うで、今 は西 千里か ら
か と、思 いなが らの楽 しい一 日で した。昨 年
-12-
30分 に出
って久住山 をバ ックに撮影 となった。この後、
2012年 7月 25日
第 58号
に続 いて、雷 が鳴る中の雨降 り登山とな り青
る。東側 (蒲 江町側 )が 明る く伐開 かれ て海
少年体験登 山の時 は雨の 日が多 いので、支部
岸線 が見渡 せ る。そ こは小 さな広場 となって
長 も言 つて いたが開催時期 な ど検討 の必要
いて、中央 に三 角点 の標石 がある。点名大谷
がある と思われる。
(3874m)の 4等 である。
稜線 はその先 がまだ少 し上 ってお り、5分
足 らずで小 さな ピー クに達す る。そ して稜線
3.個 人活動報告
道 はその ままやや右手 に平 らに続 くがそれ
私 の無名山ガイ ドブック No.49
蒲江県境 の稜線歩き
飯田勝之
わな い よ うに。登 りついた地 点 か らす ぐに左
に直角 に、ややヤ ブを分 けるよ うに して急斜
面 を下 るの が主稜線 へ の道だ。露岩 の 多 い急
今回 も蒲 江の稜 線道 を歩 いてみよ う。今回
斜面 を下 つてい くと、下 りついた ところに古
のルー トは 県最南端 に近 い宮崎 県 との 県境
い掘 り割 りの峠道 が稜線 を横切 って いる。丸
の稜線 だ。中の嶺 (5485m)か ら東に続 く県境
市尾 と市尾内 をつな ぐ昔 の道 の跡 だ。
は宮崎県 の市尾 内 に下 る支稜 線 の 道 で 間違
稜線 は、場照山(6607m)の 南東 350mの 所
峠 か ら急斜面の稜 線 を登 つて も良 いが、右
か ら主稜線 を二つ に分 けて、一つは東 に続 き
手 の稜線 直下 を稜線添 いに上 る作 業道 があ
佐伯の元越 山(5815m)へ と至 つてお り、もう
り、これ を歩 いた方 がたや す い。この作業道
一 つ は南 に津 島畑 山(5063m)を 経 て 陣 ヶ峰
はす ぐ先で稜線 に上が り、その先の スギ林 で
(4310m)へ と続 く県境稜線 をな している。
終わ るが、そのまま稜 線 上 を再 び緩 いア ッ プ
この県境稜線 は伐採 と植林 が進み、至 ると
ダウンの道が続 く。時 お り樹間か ら左手に豊
ころが相 当な ブッシ ュで被わ れていて、稜線
後水道、右手 に県境 一帯 の 山稜 の波 を見なが
歩 きが思 うにまかせな いところが多 い。そん
らの稜線漫歩 で、堀切 の峠 か ら約 30分 、最
な 中、比 較的快適な稜線漫歩 を楽 しめる コー
後 はちょつと急な登 りとな り、やがて小 さな
ス と して紹介 した い。登 り回はこの稜線 上の
ピー クに達す る。ここが点名市尾内(383.7m)
最低鞍部 となる峠 で、蒲江町丸市尾 か ら宮崎
の 4等 三 角点 である。稜線道 はその先 はやや
県 三 川 内 に通 じる国道 388号 が こ こ を越
深 いヤ ブに被わ れていて、緩 く下 つて、長 い
えている。
丸市尾か ら狭 い国道 を上ってい くと約 5.
緩 い登 り返 しで、418mの 独標 を過 ぎ、再
び長 い登 りで津島畑山へ と至 つているが、こ
5kmで 県境 の峠 に着 く。 やや広 い峠 の道路
こか ら先 はかな り濃 いヤブもあ り、快適 な稜
南端 には地蔵尊がある。その横 か ら南 に向か
線歩 きとは いえない。
つて稜線 に踏 み込む と良 い。スギ林 の 中の稜
線 は歩 き安 くて、 5分 ほどで左手 (海 岸側 )
の展望 が開 けて、そ こに蒲江町の地籍図根 三
角点 がある。そ こか らは右 (宮 崎県側 )は ス
ギ林、左 (大 分県側 )は 照葉樹 の 自然林 で、
そ の 間 を心地 よい稜線道 が緩や かに上 って
いつている。やや登 りが急 になって峠 か ら 1
5分 ほ どで一旦 狭 いやや 平 らな地点 に達 す
-13-
2012年 7月 25日
第 58号
えて くれ るが、安全 に登れ るとい うなんの保
証 にもな らな い。問われるのは、今 どれ だけ
体 力や精神 力が有 るかだ。」今 を生 きる と言
う感覚 に近 いと感 じる。何千 もの人 々の登 山
ガイ ドを務 め て きて い る人な らでの深 い言
葉 である。いこいのむ ら駅 に近 いスーパーで
お酒、馬刺 しな どを調達 して、ヤカタガウ ド
登 山 口にてテ ン トを張 る。夕食 は久保 さんの
手作 りのカ レー だ。明 日の晩 は秀 二君 の腕 で
キ ム チ鍋 の予定。
朝は
4時 に起 きて昼食 の準備 と朝食 を済
ませ 6時 には 日 ノ尾峠 か ら西峰 を目指す。先
週下見登 山で、 20年 以上前来 た事 を想 い出
す。 30年 来 の夢 が実 現する と思 うと、感慨
参考 コースタイム
国道 338県 境峠 ∼
15分 ∼ 大谷 三 角点 ∼
40分 ∼市尾内三 角点
地図 25, 000分 の 1
深 い ものがある。昔 の 自分 には戻れな いよ う
に、明 日の 自分 に成 るのだ。この世 に出来な
い事 はないと言 い聞 かせなが ら、生 きる事 は
三 川内
人間 の 無限 の 能 力 を試す為 に在 る と言 う事
根子岳縦 走
中野
を知 る再確認作業 だ。
稔
2012年 5月 18日 午前 5時 に大分の久保
邸 を出発、 7時 30分 には熊本空港 に着 いて
しまった。予定通 り重廣 さんを乗せ た飛行機
は到着 し、ミル ク ロー ドに乗 つて阿蘇牧場 の
中 を西 に行 き、鞍岳 の駐車場 に着 く。南 の尾
根 か ら子岳 を目指 し女岳、鞍岳 にて麓 に住 む
人たちと歓談する。
ツーム シ山、マゴ岳 にて昼食。帰 りは、ツ
ーム シ山に登 り返 し林道 に 出て駐車場 まで
歩 く。菊池阿蘇 スカイ ライ ンにて尾 ノ岳 に向
か う。オー トポ リスが 山頂か ら見て西北の方
向 に在 り、エ ンジン音 に誘われて下 つてみた
が、サーキ ッ ト場 は何事 も無かったかのよ う
去年、安藤桂 三 さんか ら、岩登 りの基本 を
に静 かに什 んでいた。
根子岳 の登 山 口に向 か う途 中、大観峰 にて
登 る前 の根子岳 を観察す る。重廣 さんの言葉
が今 も聞 こえて くる。「安全登 山 にベ テラ ン
は関係 な い、過去 の知識や経験 は安心感 を与
-14-
教 え られ る こ と 3回 余 り、久保 さんは、更に
2回 ほ ど。秀 二 君 は、一度だけ。 二応、天狗
の西の コル に当たる
25mの 岩壁迄辿 りつ け
た。重廣 さん と久保君 は登 れたが、秀 二君 と
2012年 7月 25日
第 58号
こ とになった。其 々の情報収集 力の差 が運 命
るよ りも早 く自宅 に着 いている筈 だ。いつの
日か、一人で行 きた いと思 うよ うになって い
を分 けた。ただ、東 か ら西 に縦走すれ ば全 員
る。根子岳縦走 を。
無事 に完走 できたと思 うが、夢 の話。星 子 さ
んや興 田 さん達は、マ ッキ ン レーや エベ レス
参加者
私 は断念 した。「帰 る」鶴 の一 声 で引き返す
トの登 山道 を歩 いて い るよ うに 日々の 生活
を送 って いる。成功者 は、成功 して も当た り
重廣恒夫ヽ久保洋 一、佐藤秀 二、
中野稔
3.ト ビック
前 の様 な生活 を して い るとい う事だ。
重廣 さんの気苦労 は計 り知れ な い ものが
ある。紙面 を借 りて感謝 の意 を伝 えた い。頂
いた沢 山 の 言葉 を胸 に秘 めなが ら、 二人 の
二等三角点 城山 710.1
岐部城跡 、 日出生城
三角点 と山城探検 シリー ズ第 3回
安部 可人
其 々の人生 に於 いて、勇気 と自制す る事 の大
切 さを考 えなが ら物事 に取組 んで行 く事 に
成 りますね。日曜 日の朝、予定 を変更 して根
子岳 の 天狗峰 に登 り東峰 を ピス トンす る事
に成 り、キム チ鍋 を処分 してヤカタウ ドの登
山 口までサー フで ゆ く。秀 二君 は、私用 の為
キャン プ場 で見送 る。秀二君 は天狗峰 に学生
時代登 つて いるが(3人 は生まれて初 めての
岩峰 だ。恐怖 はあつたが、足は震 える こ とな
内匠城
く無事 に山頂 に着 いた。
今 回 の主役 は帆足 の虎御前 に しよ う。日出生
城城主帆足鑑直 の妻、美 人武勇の烈女、その
末裔 が帆足万里や帆足杏雨 である。 *「 決 し
て 自害 せず、城 を枕 に討 ち死 にせ よ…。未練
を残せ ば、 七世勘 当す るぞ。」角牟礼 城 に嫁
いだ娘 へ の有名 な書状が証拠。城 山または野
上城 とも言 う。
イ ン ター ネ ッ トで は沢 山 の根 子岳縦 走記
猪伏 13499″ ,14'08.2″ 北 へ、地図 の作業
道 は峠駐車。 左 へ 660(三 郡小城、 対島津 急
で来 るすば ら しい所 だ。冗談 は通用 しな い。
造)の 北側 を巻 いて地図 にない軽 トラ道が鞍
部 まで。北西 べ、取付 きのヤ ブ我慢、暗 い植
日頃 の生活 が生死 を分 ける事 を試せ る所 で
林 の 台地 に城 山(三 群 山)、
が載 つている。命 がけで歩 くと言 う事 を実感
もある。例 えれば ビルの屋 上の淵 を歩 く様 な
ものだ。
20分 。 1586
年冬新納 忠元 6000騎 は来 た。城主野 上兵
庫助 (鬼 千代内応 )戦 えず開城、 この城 がそ
の拠点 とな り、角牟礼城 ,日 出生城 除 き岐部
東峰から見る根子岳は、凛々しく懐かしく
見えた。3時 半には四季の森温泉で汗を流 し、 城、伐株 山城、恵良城 は落城 (注 1)。
岐部城 に行 こ う。宝泉寺 へ、郵便局左折 、
機上の人に成った重廣さんは、私達が帰宅す
-15-
2012年 7月 25日
町 田川武 内橋、岐部宅前 に駐車。小倉 山西下
に見事 に人の足型 を した 500等 高線、左の
竹林 の取付点 494"と 29.2″ を南 の膝 へ、薬
第 58号
はきつい、 三連堀切 が見 られな い)。
つ ぎは、切株 山城。大分百山の切株 山二等
三 角点
6855(P横 の土塁 )で 梅木 さんは中
研堀 な どを見 て数分、西 へ変化す ぐの倒木 は
右 へ まき山道 にもどる、 200mで 足首着。
世 の 山城,高 勝寺城 とよぶ 、と書 いて あるが、
細尾根切断 して 4m高 の堀切 (左 右 の竪堀見
地 と して有 名。
島津戦 では善戦、内応 で開城。南北朝 の激戦
事)を 3回 上下 して踵 の虎 口か ら周囲 土塁 の
つ ぎは、角牟礼城展望 の三の丸駐車。野面
平 坦な主郭着、25分 。柿色 の岐部城 (詰 城 )
積 みの石垣、不落の水、二 の丸 の大手門,本
丸 へ、森藩 の立 ち入 り禁止 令、町有地化 のお
跡 の 山名板 を頂上 と しよ う。
508m、 12' 428"、 10' 25.7"。 ヤ ブのお
か げ、美 しい森 の心地 よい散歩道 だ (公 園 か
か げ保存良好、水源 は中腹 の墓 の谷 だろう。
ら苦労 して探 検登 山 しな いと全容分か らず )。
帰 りは冒険、見張台 のオヤユ ビか ら北 へ曲輪
さて特異な存在 の 山城 2つ を紹介 しよ う。
内匠城。二等 6036の 西 ・ 533。 土 民が
3段 差、竹林急降下 15分 。
たて こ もった。 馬勢越 丁字路 か ら内匠 ウ ド、
その裏 山が城 山、 19'510″ と 08'577"、
2mの シシ鉄柵行 けず。石畳 の 自然歩道 30
0 mJヒ ヘ、20' 064″ と 09' 00.3″ 左入 り、
83歳 の衛藤 さんか ら 20分 しごかれ た。沢
を南西 へ、尾根 か ら楽 に西 へ,火 焚台 530
581"と 422"終 点。
この城跡が一番興味あ る。次 回 は高圧線 白
教養 ある新納忠元
柱
20'018"と 08'519″ の尾根分岐 を南、
まず城 山、真北 へ 中世 の古道、茶屋場跡 まで
合計約 24km歩 く計画。
次 は奇襲作戦 で敵撃退 の 日出生城 (詰 城、
平時 は玖珠 ICの 中の帆足城 )。 西椎屋 の滝南、
本村 バス停 P,北 へ黄色 の ハ ウス入 り、右 ヘ
数分 で二等 三 角点本村
5687(不 明 左のや
)、
ぶす ぐ堀切、右 に巻 いて しのぶ竹密生の主郭
へ
10分 。食用 に竹 の子採 りに来 て
、茶碗
のかけ ら見た、昭和始め、崩れ た畑 に首や刀
が出た、明行寺 に殿様 の鞍 あ り、と江藤 さん
の話。 あとひ とつの松木城 は省略。
(注
火焚台 へ の軌跡
館跡 の田んぼ東
1)侵
攻 ルー トは朽網・山野城 ∼上峠
∼ 白水鉱泉 ∼ 千丁無 田∼朝 日台 ∼鹿伏 (城 )
100m、 給水 タ ンク横 に
元国東水軍 の岐部 一族 の墓地 (こ こか ら直登
-16-
∼城 山 (本 陣 )。 玖珠戦 で、まず最初 にや ら
れ たのが田野 ・乾城 (吊 橋 の下 下畑 )。 双
F
︲︲
︱
2012年 7月 25日
石越前守留守、小屋 がけの 中の妻子 一族 を島
津方 の小 国 の北里大蔵大夫夜討 ち、300人 の
第 58号
たか も しれ ません。
少 し前 の話 です が、同 じよ うに、自馬岳 で、
女性売 らずに北里家 の侍 に与 えた。かの有名
遭難 が起 こ りま した。 2006年 10月 6日 の
な細菌学者 を生 んだのはその女 か も しれ な
事 です。福岡熊本 の 7人 パーテ ィ、その うち、
い。
4人 が亡 くな りま した。季節 は、秋 で したが、
)210号 線沿 いの玖珠 の現在 の地 名
低気圧 の通過 によ り、積雪があ り、ツエル ト
に城 か砦 をつ ける とよい、いかに交通 の要衝
に避難 しよ うと したがツエ ル トは飛 ば され 、
だったか を証明 して いる。
避難す る場所 もな く、残念 な結 果 となって し
古後、帆足、平 田、長野、恵良、田尻、釘野、
まったのです。 このパ ーテ ィには、48歳 の
野 田、岩室、陣 の 内、城 ケ尾、な ど多 い。土
プロガイ ドと、ガイ ドを目指す見習 いガイ ド
民 の避難所 で もあった。
もいま した。
(附 記
(参 考 :史 談会 の名著談会 の 名著玖珠川歴史
また、今年の白馬岳 と同 じ時期 に、涸沢岳
散 歩」、県教委 「大分の城館」、「 日本の城郭
で も、大変な ことが、起 こっていま した。福
大系 16」
岡県勤労者 山岳連盟 に加盟す る福 岡 の A山
地形図 )
の会の合宿 中の 6名 パーテ ィ。北穂高岳 か ら
よ り安全な登山のために m5
『ベテラン ? ベテランでも ?』
涸沢岳 を経 由 して奥 穂高 で縦 走 中 にメ ンバ
安東桂三 (9193)
くな りま した。携帯電話 も通 じず、そのパ ー
ーの一人、女性 が、低体温症 にな り、動 けな
本年 5月 、ゴールデ ンウ ィー クの北 アル プ
テ ィは、リー ダー とその女 性 ともう一人の計
ス。白馬岳 で、北九州の男性 6人 パーテ ィが、
3名 は、その場所 にて、ツエル ト設営、避難
遭難、全員死 亡。新聞な どのメデ ィアでは、
ベ テラ ンの登 山者 とか、キ リマ ンジ ャ 回の登
しま した。
頂経験 があるとか、ネパールに何度 か行 つて
そ して、Yさ ん と他 の 2名 の計 3名 で、救
助要請 に山小屋 へ 向かいま した。が、この 3
い るとか、その ような記事 が掲載 されて いま
名 は、悪天候 の 中で、小屋 にたど り着 けませ
した。で も、私 は、 この『 ベ テラン』 と言 う
んで した。ツエル トに避難 の 3名 は、なかな
表現 は、少 し違 うぞ と思 いま した。も し、キ
か救助隊 が こな いの を不思議 に思 い、やつと
リマ ンジャ ロに単独 で登 つた とか、自分 で計
通 じた携帯 電話 で救助要請。そ こで、山小屋
画 して登 つた とか、 ある いは、 ネパール に、
自分 で計 画 し、出かけたな ら、その『 ベ テラ
では、 6人 パーテ ィが大 変 な状態 だ と判 り、
救助 となったのです。ツエル ト避難 の リー ダ
ン』の表現 は、妥当 だ と思 うが、そ うでな く、
ーは、自分 の衣服 を、低体温症 の女性 に着 せ 、
ツアー に申 しこんで登 つたな ら、ただ、連れ
自分 は、や つと 1枚 の乾 いた衣服 を着 ただけ
られ登 山 でキ リマ ンジ ャ ロに登 つた こ とに
で合羽 をまといま した。その リー ダーは、そ
な ります。 これは、取材 してないので、真実
こまで の記憶 しかな いと言 いま した。 結局、
は判 りませんが。たぶん、連れ られ登 山 と推
救助要請 に走 つた Yさ んが、低体温症で亡 く
察 します。新聞な どを読 んだ一般読者 には、
そ この と ころが、理解 できていません。ベ テ
な りま した。Yさ んは、かって福岡労 山の会
長 を した こ ともあ り、 また、 8000m峰 の経
ラ ンな ら、彼 らのザ ックの 中 にあるツエル ト
験者 で もあ りま した。残念 な ことですが、こ
を有効 に利用 し、全 員死亡 には、な らなかっ
の 自馬岳、涸沢岳 を襲 った悪天候 は、予測出
-17-
2012年 7月 25日
第 58号
来 た ことで、この 日の午後 か らは、荒 れ る こ
の 4名 パーテ ィによる 国ックハ イキ ング。
とが半1つ ていま した。
涸沢岳 の リー ダー は、私 と懇意 に して いる
Kと Nは 、私 と少 し岩 を登 つた ことが あ り
ます。その ときは、 Kと Nに 依頼 され 、 1日
方 で したので、先 日、福岡で話 を聞 くこ とが
日、高崎 山の岩場 (登 山道脇 )に て基礎練習
できま した。
を して、翌 2日 目は、日出町の石鎚神社の岩
『 頭 で判 つていて も、体が動かず、手 が動
かず、や っと乾 いた服 が着 れ ただけ……』と
場 で、 ルー トクライ ミング。 そ して、今回、
言 い、体重 がいまだに 10キ ロ減 ったまま と
院 )に て、再度 クライ ミング講習。この時 は、
の こと。また、救助隊 か らは『 6人 全員が亡
Sも 加わ りま した。―夜漬 けになるか も しれ
くなって いて も、おか しくな い位、大変な状
な いが、少 しで も、安全 に、確実 に と岩 を登
況だつた。紙 一重 だつた』 と言われ ま した。
りま した。
根子岳 に行 くと言 うので、高崎 山の岩場 (別
私 と登 るメンバー には、いつ も言 つている
クライ ミング (自 然 の岩 を登 るクライ ミン
ことが あ ります。『 ツエル トは使 ってみな い
グ)は 、何 か と言 うと、危険 を排除 し、安全
と使 えないよ。天気 が良 い時 は、張 つて 中 に
度 を高 めた岩登 りの事 を言 います。 これは、
入 る事 が出来 るが、本 当に使 う状況では、雪
私 の個 人的な考 えです。私 は、現在、 50歳
が降 り、雨が降 り、強風が舞 い、広 げたツエ
半 ば、若 い時 のよ うに、バ ランス も良 くな い、
ル トは、 どこかに飛 んで行 つて しま う。』 そ
して、自分 のツエル トを見せ ます。そのツエ
敏捷性 も劣つた、運動神経 も若 い時 の半分、
体重 も増 えた。で も岩 をさわ り、体 を高みヘ
ル トにはス リングを くくり付 け、そのス リン
持 ち上 げる ことは、私 の好 きな ことです。
グの端 をツエル ト袋か ら 20セ ンチ程、出 し
岩場 とは、危険 なエ リアと言 う事 を、最初
ています。それ を張 るときには、飛 ば されな
に認識する こ とが、まず一番。ハ イキング し
いよ うに、 その ス リング にカナ ビラをかけ、
か しなければ、本 当の意味 で、危険 と安全の
誰 かのザ ックや、立木 に固定 して広 げ、入 り
込みます。支点 が何 もなければ、誰 かの足 を、
区別 が つ きません。 例 えば、岩 の ピー クで、
眺望 を楽 しみなが ら、昼食 を食 べ る こ とは、
その ス リングの輪 の 中 に、突 っ込 むよ うに言
本 当は危険な事 です。
います。そ うしな いと、生 きて帰れ るツエル
クライ ミング中であれば、セル フ ビレイを
トは、 どこかへ飛 んで行 つて しま うのです。
取 つての食事。 (セ ル フビレイ とは 自己確保
今回 は『 よ り安全 な登 山のために』は、ツ
の こ と)で も、ハ イキ ングでは、そ のよ うな
エル トを持参 せ よ言 つている訳 では、あ りま
ことはな く、も し、昼食 の一 品 が、落 ちた ら、
せ ん。安全 に生 きて帰 るため に、 しなければ
それ を取 ろ うと して、間違 って、人 が落 ちて
な らな いことは、多 くあ ります。それ に気 が
しま います。それ を、危険 と安全 の境 と言 い
つ くか、気が つ かないかが問題 と思 います。
ます。
死ぬか も しれな いことは、一 万回 に 1回 やつ
クライ ミングが上手 ければ、上 手 い方 が良
てきます。今 日の山行 は、 9999回 目か も し
いにこ した こ とはないが、本 当は、自分 の命
を守 るすべ を学習す る ことが、二番 と思 いま
れ ませ ん。
次 に、」AC東 九州支部会員 による特別 山
す。自分 の命 が守れ て こそ、パー トナー (ザ
」AC関
イル につながっているパー トナー)の 命 を守
行、根子岳縦走 (西 峰 ∼ 天狗峰 )。
西支部 の重廣支部長 と当支部 の、 K、
N、
S
-18-
れ ます。最低限 の基礎 を K、
N、
Sの 3人 に
2012年 7月 25日
第 58号
学 んでほ しいと練習 しま した。
そ して、3人 にとっての本番。根子岳縦走。
結果 は、途 中 にて、退却 とな りま した。
重廣 さんの大声 による注意 (指 摘 ?)。 その
大声 の意味 が判 らず、いろい ろな行動 をと り
ま した。自分の身 を守 り、パー トナーの身 を
守 る と言 う大切 な こ とが 出来 な か ったので
す。
私 は、 3人 の方、全 員 か らは意見 を聞 いて
い ませんが、 一人の方 は、 こ う言 いま した。
『重廣 さんが、あれ ほ どまでに言 つた ことを
ただ、携帯 で ヘ リコプター を呼ぶ だけ。ま
た、も し天候 が悪 けれ ば、ヘ リコプター も飛
考 えるに、安全確保等 の ロッククライ ミング
の技術・知識 は岩登 りをす る特殊 な人たちだ
ばず、最悪な事態 になるか も しれません。
『よ
けに必要 なのではな く、およそ山に入 るす べ
ての人 に必要な前提 の技術・知識 だ とい うこ
帰 るため に、しなけれ ばな らな いことは、多
り安全 な登 山のために』とは、安全 に生 きて
くあ り、それ に気 づ くことが一番です。
とだつた と思 います。もっと、 トレー ニ ング
と勉強 を しなければ。』 と言わ れ ま した。
私 は、これで、危険 と安全 の区別 が判 つた
な と思 いま した。 この後、彼 らは、大洲の体
育館 や、他 の岩場 で トレー ニ ングを開始 した
と聞 きま した。
そ して、 6月 の 」AC東 九州支部山行 は、四
国 の貪1山 か ら三嶺 の縦走 で したが、彼 らは、
ロー プと若干 の登攀具 を持 つて行 きま した。
例 えば、も し、三嶺 の鎖場 の登 りで、誰 かに
アクシデ ン トがあ り、転落で も した ら、 ロー
プが無 けれ ば救助 は出来ません。
4
イ ン フ ォ メー シ ∃ ン
お知 らせ事 項
山登 り・ トレッキング入門講座
初心者 のための
東九 州支部主催 の初 心者 のための 山登 り講
座 を実施す る ことにな りま した。
対象 は一般 の初心者 (こ れか ら山登 りを始 め
-19-
2012年 7月 25日
第 58号
よ うと言 う人や山登 りを始めたばか りの人
難者 の慰霊 を行 うとともに、これか
な ど)で す。知 り合 いな どに受講紹介 して下
らの 山 の 安 全 を祈 る行 事 を行 う。
さい。 また会友で も受講 で きます。 (座 学受
(読 経祈願、弘蔵岳久法華院 白水寺
講料
:1回 1000円
第 26代 院主 )
)
主な内容 と期 日等
主
日本 山岳会東九 州支部 と法華院温
催
主なカ リキ ュ ラム
泉 の共催
摩■警恣蒻濱蝙鯰鑽綽亨凛織│
①山の道具の選び方、山の登り方、歩き方
参加対象
一般参加者募集
参加方法
基本的 に現地集合 とす るが、希望
トレー ニ ングの仕方
者 につ いて は牧 ノ戸峠登 山 口か ら
② い ろい ろな山の紹介
一緒 に案内 します。
③ 山で遭難 しな いため
※支部 員 (会 員及び会友 )で 参加できる人
は支部長 (加 藤 )ま たは事務局長 (飯
山でのけがや病気 に備 えて
④ 山の 気象 と天気
田)ま で ご連絡下 さい。 また、知人友
山で迷わないため (地 図 ・磁石 ・GPS)
な ど座学 で 4回 (9月 12日 ・ 26日 、 10
人 等 へ の参加呼びか けもよろ しくお願
月 10日 ・ 24日
法等 (現 地参加か牧 ノ戸 か ら一緒 に参
い します。 その場合、参加者 ・参加方
)P M19:00∼ 21:00
実践講座 C鄭 難羅暴■め│
加 か)を お知 らせ下 さい。
│‐
⑤ テ ン ト泊ま りや小屋泊ま り
⑥ 山の計画 の建て方、冬山の体験な ど
受講料
座学 4回 分 4,
000円
別 に実践講座 (山 行 )は 実費頂 きます。
(2回 、 11月 、12月 )
定
員
20名
(先 着順 で 名 にな り次第 じめ切 り)
参加 申 し込み
事務局
合宿交歓会 と清掃登 山
山の安全を祈 る集 い
曜 )午 前
合宿交歓会
11時
日 時
8月 5日
場
久住御 池避難小屋上 の 遭難慰霊碑
所
(日
前
期
日
10月 20日
場
所
坊 が つ る 「あせび小屋」
会
費
5000円
(土 )∼
21日
(日
)
清掃登 山
10月 21日
行
事
遭難者 の慰霊 と登 山の安全祈願
期
日
趣
旨
今か ら82年 前 (昭 和 5年 8月 )の
場
所
九重山で始めての遭難 (若 者 2名 死
の清掃「あせび小屋」での合宿交歓会 の翌 日
亡 )者 の慰霊碑 の前で、これ まで の
実施 します。合宿交歓会 には参加できな い け
九 重 山 を始 め と した 多 くの 山 の遭
ど、清掃登 山 には参加できる人は当 日午前 9
-20-
(日 )
坊 が つ るか ら平治岳 に至 る登 山道
2012年 7月 25日
第 58号
時 まで に坊 が つ る避難小屋前 にお集 ま り下
さい。
合宿 交歓会、清掃登 山の参加
参加 申 し込み
30日
希望者 は 9月
藤
:寒
(日
10月 例 山行予定
紅葉 の石鎚 山
)ま でに、支部長 (加
参 丁EL : 097-543-0333、
泥
FAX :
月 日 :10月 13日 ∼ 14日 の 1泊 2日 で宿泊
097-543-0344、 email:kato@e4510 oom)
はテ ン ト泊 (雨 の場合 は変更あ り)
まで
集合場所 :別 府港
出発 :午 前 5時 35分 発 フェ リー
9月 月例山行予定
釈迦岳
コース及び 日程概要 :八 幡浜港 8時 25分 着
御前岳
で出来 れ ばその 日の うち に石鎚 山登 頂 を…
月 日 :9月
22日
(一 寸厳 しいか も)。
(土 曜 日)
コースは土小屋 ∼石鎚
出発 :午 前 6時
山の往復。 キャ ンプ場 は面河 渓。 翌 日は フ
集合場所 :大 分駅 上 野 の森 口広場
リー。詳細 な中身 については役 員会等 で検討
約 2000円
します。 ただ し、実施 日時、 10月 13日 ∼
大分駅 6:00∼ 大分 I C6:10∼
日田 I G7:10∼ 椿 ヶ鼻 ハ イ ラ ン ドパ ー ク
14日 については、変更 は有 りませ ん。
リー ダー :興 田 勝幸
740釈 迦岳登 山 口 8Ю O∼ 釈迦岳 9:15
連絡先 :090-9070-9407
∼御前岳 1040∼ 柚木登 山 口
email:okita 18 2 [email protected]
12130∼ 椿 ヶ鼻 ハ イラ ン ドパー ク 12:50椿 ヶ
申 し込み〆切 :9月 25日
:1人
9月 22日
金額
鼻 ハ イラ ン ドパー ク 13Ю O∼ 1480渡 神岳
14:50∼ 16Ю O椿 ヶ鼻 ハ イラ ン ドパー ク
リー ダー :佐 藤
秀二
連絡先 :090-9607-6789
email:syuli― satoh@ezweb ne ip
申 し込み〆切
: 9月 16日
V
-21-
2012年 7月 25日
11月 日
月例 山行計画
11/2
朝
動
2345
小倉発
伯吉大 山
高速 バ ス
昼一
行
日
第 58号
夜
高速 バス
往復
(金 )
各自
¥14,400
米子着
06:20
米子駅発一大 山寺下
各自
各自
共同
山キャ ンブ場
テ ン ト設営
3(上 )
往 :夏 道
大 山登 山
山頂往復
復 :行 者、元谷経 由
V
大神 山神社 ―下宝珠越 し―上宝珠 ニ ユ
共同
各自
ー トピア小屋 一象ケ鼻 一三鈷峰 ―上宝
珠 ―砂 スベ リー元谷―キャ ンプ場
テ
ン ト撤収
定期 バス発 18:10-米 子着 19Ю 4 高
4(日
)
速 バス
米子発 22β 0
5(月
小倉着 05:55
解散
)
自家用車利用者 は大 山寺集合解散 とする。共同装備運搬
装備
個人 (必 携品)
シ三ラ フ、 マ ッ ト、 ライ ト食 器
共同
分担
テン ト
シー ト
コンロセ ッ ト.ガ ス
鍋 、 お玉、
その他
-22-
米子 にて
自由
2012年 7月 25日
第 58号
大 山壱岐国 立公園 の主 要部 をなす大 山 は
8000m峰 四座 を眺 め る大展望台 に登頂
自山火山帯 に属 し、旧期 の成層火山 に出来 た
カルデラに、新規 の鐘状 卜ロイデ火山が噴 出
ゴーキ ョ・ ピー ク (5360m)登 頂 トレッキ
ングの誘 い
して 出 来 た 腹 式 火 山 群 で あ る 。 主 峰 は
1709mの 大山である。
期日
その山容 は東方 に延 びて剣 ケ峰、天狗 ケ峰
,
申込
2012/9/29∼ 10/17
東九州支部会員
星子貞夫
槍 ケ峰、三 鈷峰 と屹 立 して美 しい稜線 を描 い
携帯 080-2724-2438
ている。頂 上台地 には特別天然記念物 のダイ
メール Sada― hoshi-1931@sage ocn neip
セ ンキ ヤラボ ク群や 中腹 は ブナ の原 生林 が
自然美 を作 つて いる。 (昭 文社大 山 ・蒜 山高
原 よ り)
秋 の大 山は紅葉 が美 しく、全 山が赤 に染ま
り、冬の大 山は 自一色 の雪 の世界 とな り岳人
のメ ッカである。
登 山 口に下 山(シ モヤ マ)キ ヤ ンプ場 が あ
り、夏冬 を通 して利用 され る。
今 回 は此処 を基地 と して山頂往復 と三 鈷
峰往復登 山をす る。
交通 は福 岡発 米子行 きの夜行 高速 バス を
利用す るが 自家用車希望 者 は大 山寺 バ ス停
の集合解散 とする。
25日 。
10月 26日 (金 )ミ
ゴー キ ョ・ ピー ク(5360m)登 頂 トレッキ ン
グの コー スは 平 ベ レス ト街道 と尾根 一 つ手
前 の谷 の ドー ド・コシを遡行 します。
ドー ド・ コシの源流 は ンゴズ ンバ氷河 で、
チ ョー ・オユ、 ンゴズ ンバ ・カン、ギャチ ュ
ン ・カ ンがその源 であ ります。
華や かな エベ レス ト街道 と異 な りt静 かな
神秘 に満 ちた谷間 です。湖 が点在 し
チ ョー ・オユ 、 エ ベ レス ト、 ロー ツェ、 マ
カルーの
8000m級 の 山をは じめ無 数 の ピー
クが 360° で展開 します。
宿 泊 はす べ て ロッジを利用 します。
申込期限 :9月
ー テ ィ ング 予
予定費用
:
登山料
航空費用
定。
その他
申込者 は氏名、緊急連絡先 を連絡 の事。
し
30万 円
15万 円
チ ップ
申込期限 :7月 31日
申込先 :支 部事務局 又 は催行責任者
連絡先 :星 子貞夫 080-2727-2438
email:sada― [email protected]
予約金
: 5万 円
振込先
:
みずほ銀行
普
-23-
大分支店
1832376 星子貞夫
2012年 7月 25日
第 58号
ゴTキ ョ・ ピー ク登頂 トレッキ ングの 日程
29
1
福岡空港∼ カ トマ ンズ
30
2
カ トマンズ ∼ ルクラ(2840M)∼ ファクディン(2610M)
1
3
ファクディン∼ナムチ ェ(3440M)
2
4
ナム チ ェ
3
5
ナム チ ェ∼サナサ(3780M)
4
6
サナサ∼ フォルチ ェタンガ(3680M)
5
7
フォル チ ェ タ ンガ∼ ドレ (4200M)
6
8
ドレ∼ マ チ 土ル モ (4410M)
7
9
マ チ ェルモ∼ ゴー キ ョ
8
10
ゴー キ ョ(4790M)∼ ゴー キ ョ ・ ピー ク(5360M)「 ゴー キ ョ泊 ま り」
泊 (3440M)
ゴー キ ョ泊 ま り 予備 日
9
10
12
ゴー キ ョ∼ マチ ェルモ
11
13
マ チ ェル モ ∼ モ ン ラ
12
14
13
15
モ ンラ∼ナ ム チ ェ (シ ャ ンポチ ェ・バ ノラマ)
ナムチ ェ∼ カ トマ ンズ 「ヘ リで移動」
14
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カ トマ ンズ泊ま り 世界遺産見学
15
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カ トマ ンズ泊 ま り 世界遺産見学
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18
空港 ドロッ プと共 にツアー トレッキ ング解散。帰国 です。
17
19
福岡空港着
感
想
編 集 後記
2011年 10月 25日
パ ソコ ン操作 に手 間取 つて会報
東九州支部
が遅 くな り申 し訳 あ りませ ん。
読 者の声
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支部 報 55号
加藤
英彦
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〒874-0820
別府市原 町 5-14飯 田勝 之方
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