学力の国際比較に異議あり - 柴田勝征研究室

学力の国際比較に異議あり
(第5巻)
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PISA「リテラシー」概念の思想的源流
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-- version 1.0 --
福岡大学理学部
応用数学科
柴田勝征
(埼玉大学名誉教授)
1
第5巻
目次
6-1.PISA「落書き」問題が日本の教育界に与えた衝撃
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6-2.イソクラテス修辞学とプラトン・イデア論/ 2400年に渡る対立..
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... 13
●西洋教育思想の日本による受容の特異性
●PISA のソフィスト流「相対主義」「善悪不可知論」と日本の PISA 支持派
教師・教育学者たちの倫理感覚麻痺
●PISA 化する日本のヤンママたち
--岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い
徹底調査!
破滅する日本の食卓」
●ソーカル事件
人文・社会系の著名言論人は難解な自然科学用語がお好き
[補足]
「浅田彰のメービウスの壺」事件
6-3.1980 年代に一瞬の光芒を放って衰退した知能工学.
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...61
(人間の「思考」はどこまでパターン化できるか)
●PISA 調査が企画された 1980 年代とは、どういう時代であったか。
●哲学者ドレフュスによる根底的な「人工知能批判」の4つの観点
●「言う者は知らず、知る者は言わず」(老子).
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6-4.Rostow の「近代化論」
6-5.世界銀行の政策と「人的資本論」
6-6.「従属理論」と「解放の神学」
6-7.「世界標準」の導入で分散化する国民の心をナショナリズムで統合する。
(「愛国心」「日の丸・君が代」.
.そして「声に出して読む日本語」?「教育勅語」?
「御真影」?)
西洋文明の奔流に対して、幕末期の日本は「後期水戸学」の「国体論」によって
精神的自己確立を計った。
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第6章
PISA「リテラシー」概念の思想的源流
第1巻から第4巻までは、PISA の「数学リテラシー」と「科学リテラシー」を中心に検
討・批判を加えてきました。その結果、ヨーロッパでは「批判拒否体質」と批判されてい
た PISA に、批判を認めて「街灯問題」を「PISA2003 評価の枠組み」という解説基本文献
から削除させる、というところまでこぎ着けました。
この2年近い PISA についての調査の中で、PISA 問題には2つの思想的源流があること
が次第に分かってきました。その2つとは、
(1)古代ギリシャのソフィストの雄弁術・修辞法
( 連 載 第 1 8 回 「 補 足 : PISA の 基 本 方 針 を 検 討 し て み る 。( そ の 3 )」
http://www1.rsp.fukuoka-u.ac.jp/kototoi/2008_8.html#384go
参照)
(2)1980 年代に一瞬の光芒を放って衰退した知識工学
(連載第19回「酸性雨の問題、グランドキャニオンの問題」
http://www1.rsp.fukuoka-u.ac.jp/kototoi/2008_9.html#387go
参照)
です。また、PISA は歴史観としては、
(3)個人の独創的な役割を否定し、すべての社会が単線的に同じ方向に開発されていく
とする「近代化論」(W.W. Rostow ら)
を取っており、それに基づく教育観は
(4)最大の社会的収益率・最大の開発効率・投資効果が期待できるサブセクターとして
の基礎教育という「人的資本論」(世銀の Psacharopoulo ら)
(連載第18回「補足:PISA の基本方針を検討してみる。(その2)」
http://www1.rsp.fukuoka-u.ac.jp/kototoi/2008_8.html#383go
参照)
です。
第5巻では、主としてこれらの思想的源流と歴史観、教育観について、哲学的・社会科
学的な検討を加えてゆきたいと思っています。人文科学系、社会科学系の研究者の皆様か
らのコメント、ご批判、ご助言を、ぜひ、よろしくお願いいたします。
3
6-1.PISA「落書き」問題が日本の教育界に与えた衝撃
今回は、その手始めに、と言うか、イントロダクションとして、PISA「読解力」
(「国語」)
分野の問題で日本の教育学者、教育現場の教師たちに最も強いインパクトを与えたと言わ
れている「落書き」問題を考察してみることにします。
まず始めに、日本大学で教員養成の科目を教えている小笠原喜康さんの「PISA の提起す
る基礎基本とその課題
-
そのあいまいさの先への解釈-」と題する論文のほぼ全文を
抜き出してご紹介します。小笠原さんは、PISA を礼賛している多くの教育学者とは一線を
画して、できる限り冷静に、かつ具体的に PISA の「読解力」分野の問題が日本の教育に提
起している意味を見つけようと考察しています。
<小笠原論文の引用>
PISA の提起する基礎基本とその課題
-
そのあいまいさの先への解釈
-
日本教材学会・第 20 回研究発表大会,
課題研究①「グローバル社会の求める学力向上の課題と方法および検証」
成蹊大学,2008.11.09
本稿では、PISA が提起した問題についての議論の後追いすることなく、その具体的な問
題の分析から、それが提起するところの解釈を提案することを目的とする。それは、
「PISA
の提起している学力とは、いわゆる日常生活において知識を活用する力ではないのではな
いか。それは、正解主義ではなく、自分なりに考え続ける力ではないのか」という解釈で
ある。
PISA のテストについては、すでに多くのところで論じられている。だがその解釈は、ま
だ十分なものとはいえないのではないだろうか。なぜならその解釈は、まだ表面的な二つ
の部分にとどまっているように思われるからである。その一つは、その結果に焦点をあて
て、三つのリテラシーの点数と順位の下落を問題視するものである。そしてもう一つは、
そのテスト問題が、これまでの日本の問題と違っていることをとりあげるというもので
ある。これらは、どちらも必ずしも PISA に特有なものでも本質的なものでもない。
(中略)
PISA が計ろうとしたのは何なのだろうか。その目的とそのリテラシー概念は、決して十
分に説明されているとはいえない。
これについて、
『PISA 2006 年
PISA 評価の枠組』(2007)
4
では、このテストが計ろうとしている力を以下のようにのべている。
PISA 調査は、カリキュラムにおける現在の変化を反映した知識・技能を評価するため、学
校を基本とするアプローチを超え、日常生活で直面する課題に対する知識の活用の仕方ま
でを対象とする、幅広いアプローチを採用している。これらの技能は、生徒が学校で学ん
だことを学校外の環境において適用し、また、彼らの選択や意志決定を評価することによ
って、生涯を通じて学習を継続することのできる能力を反映したものである。
〔中略〕PISA
調査は、変化している世界にうまく適応するために必要な新しい知識と技能が、生涯を通
じて継続的に取得されるという生涯学習のダイナミックなモデルに基づいている。
(p.003)
この文言では、「学校を基本とするアプローチを超え、日常生活で直面する課題に対する
知識の活用の仕方までを対象とする」という。そしてそれは、「変化している世界にうまく
適応するために必要な新しい知識と技能が、生涯を通じて継続的に取得されるという生涯
学習のダイナミックなモデルに基づいている」という。
しかしこの説明は、スローガンにすぎないようにみえる。なぜなら、「日常生活で直面す
る課題」に対して「知識」を活用すると、なぜそれが「生涯を通じて学習を継続すること」
につながるのかの説明がないからである。ここでいう「知識」とはなんだろうか。ここで
いう「活用」とはどういうことだろうか。そもそもここでいう「日常生活」とはなんなの
だろうか。
「知識」が学問的な「知識」であるとすれば、それを日常生活に活用することができる
と、生涯にわたって学問をつづけるようになるのだろうか。学問は、一般に非日常である
とすれば、PISA では学問をしない人間を育てるのか。第一、その「日常生活」とはどうい
うことをいうのか。誰にも共通した「日常生活」などというものがありうるのだろうか。
学者もいれば、政治家もいれば、自動車修理工もいれば、家庭の主婦もいる。それを一色
単にした「日常生活」というものが考えられるのだろうか。
家庭生活で科学的知識を活用することは、確かに重要かも知れない。しかしそれが、将
来学び続けることにどのようにつながるのだろうか。経済走行をすれば、車の燃費が向上
してガソリン代が安くすむというのは、今の日本において重要である。それは確かに、家
計と環境に優しいだろう。しかし、だからといって、それが生涯学び続けることにどのよ
うにつながるのか。科学的な知見を日常生活に活用するようになれば、自ら科学者になろ
うとするのだろうか。そもそも「学び続ける」とは、何をどのように学ぶことなのか。
さらに別の報告書、2006 年の『生きるための知識と技能 3』の国立教育政策研究所の「は
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しがき」では、次のようにのべる。
今日、新しい時代に必要とされる知識を生涯にわたり獲得し、それを仕事や地域社会、個
人の生活等で活用していく能力・技能を身に付けることは、知識基盤社会に対応する上で
鍵となるという考え方が国際的な共通認識になっています。(p. i)
今日の先進諸国では、知識基盤社会にすでになっていることは、確かに共通認識であろ
う。しかしその知識基盤社会をどのようにとらえるのか。それが、どのような能力を求め
ているのか。この報告書のどこにも、若干の説明すらない。ここからは、ただ単に、その
ように望んでいるという考え方の他に読み取ることができない。また、同じ報告書の別の
ところでは、調査の特徴の一つとして次のようなことがのべられている。
今日、国や文化を超えて生徒が身に付けるべき、広範で総合的な技能というものが存在す
ると考えられる。これには、コミュニケーション能力、対人関係能力、順応性、柔軟性、
問題解決能力、情報通信技術の活用能力などが含まれる。
(p. 010)
この文言にしたところで、これらの能力がなぜ今日なのかは何の説明もない。これらの
能力が、必要のない時代はあったのだろうか。おそらくギリシャの昔でも同じ事ではなか
ったのか。エーゲ海の海上交易をするにあたっては、これらのどれもが切実に必要であっ
たろう。しかし彼らが求めたのは、
「日常生活において知識を活用する力」ではなく、むし
ろ七自由学芸に代表されるような教養ではなかったか。
ではこうしたねらいは、実際のリテラシー概念にどのように反映されているのだろうか。
リテラシーの一つ、「読解力」をみてみよう。それは次のように、簡単なものである。
自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、
書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力
そしてこの下に、「情報の取り出し」「テキストの解釈」「熟考と評価」の三つの下位項目
を設定している。
しかしこれをみてすぐにわかるのは、これらが特別なものではないということである。
「書かれたテキスト」は、当然どの分野にもあり、特にこの分野に限ったことではない。
こうしたことは、他のリテラシーでもいえることである。数学と科学では、それを次のよ
うにのべる。
6
数学が世界で果たす役割を見つけ、理解し、現在および将来の個人の生活、職業生活、友
人や家族や親族との社会生活、建設的で関心を持った思慮深い市民としての生活において
確実な数学的根拠にもとづき判断を行い、数学に携わる能力
疑問を認識し、新しい知識を獲得し、科学的な事象を説明し、科学が関連する諸問題につ
いて証拠に基づいた結論を導き出すための科学的知識とその活用、及び科学の特徴的な諸
側面を人間の知識と探究の一形態として理解すること、及び科学とテクノロジーが我々の
物質的、知的、文化的環境をいかに形作っているかを認識すること、並びに思慮深い一市
民として、科学的な考えを持ち、科学が関連する諸問題に、自ら進んで関わること。
もちろんこれらもあいまいである。これらの中の「数学」や「科学」を抜いてしまうと、
他のどれにも通用するものである。これらは、定義であるから、あいまいさがでてくるの
は避けられないだろうことは理解できる。しかしこうした PISA のリテラシーが、これまで
の国語や数学や科学の教育の目標と大きく異なるとするのには、この文言からだけでは無
理がある。
現行の日本の高校の学習指導要領でも、国語・数学・理科での目標が、それぞれ下記の
ようになっている。
国語で適切に表現する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力を伸ばし言
語感覚を磨き,進んで表現することによって社会生活を充実させる態度を育てる。
数学と人間とのかかわりや,社会生活において数学が果たしている役割について理解さ
せ,数学に対する興味・関心を高めるとともに,数学的な見方や考え方のよさを認識し数
学を活用する態度を育てる。
科学と人間生活とのかかわり,自然の探究・解明や科学の発展の過程について,観察,実
験などを通して理解させ,科学に対する興味・関心を高めるとともに,科学的な見方や考
え方を養う。
これらの目標と PISA のめざすものとの明らかな違いを見いだすのは困難だろう。こうし
てみると、PISA が特段に新しい「学力」の姿を標榜しているわけではないことは明らかで
ある。PISA の提起している問題は、「知識」ではなく「活用」であると、しばしば言われ
るが、それも特段に新しいものではない。
ではいったい何が、私たちを驚かせ、これまでの教育のあり方の見直しをせまっている
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のか。というより何に私たちは、いわばショックを受けたのか。それはやはり、その実際
の問題が、これまでの日本の教育では見られないものであったことである。そこで次にそ
の問題とは、どのようなものであったのかを見てみよう。
3. PISA 型問題の特徴とその意味
PISA の結果が発表されたとき、人々はその結果の下落ばかりではなく、その問題の具体
例に驚いた。とりわけ「読解力」問題は、それまでの日本の学校でのテストとは全く違う
イメージの問題が出された。例えば「チャド湖」の問題には、下記のような図やグラフが
使われ、一見してその違いがわかるものであった。(柴田:図とグラフは引用省略)この問
題では、このグラフからチャド湖の水位の変化を読み取るとともに、この湖の近くの洞窟
に描かれた動物のグラフとともに、水位変化と動物の生息状況を解釈するというものであ
った。こうした問題は、日本の国語の問題に慣れた私たちには、地理か地学かなになにか
の問題のようにみえた。
PISA 型問題の特異性は、もう一つある。それは、扱われているテーマが、私たちが目に
する現代国語のような評論や文学作品ではなかったことである。そのテーマも、公開され
ているものだけでも、下記のように確かに日常生活一般といえるかも知れないものである。
〔読解力問題のテーマ〕
チャド湖、ヘルガの手紙、インフルエンザ、落書き、プラン・インターナショナル、警察、
ランニングシューズ、贈り物、アマンダと公爵夫人、人事部、新しいルール、労働力
こうした問題の中、注目されるのが、解答の方式である。解答の方式は、4種類ある。
読解力の問題の場合、141 題の内、①選択肢形式 71 題(50%)、②複合的選択肢形式 7 題(5%)、
③究答形式 20 題(14%)、④論述形式 43 題(31%)である。私たちがとまどったのは、この中
の④論述式であった。
このように PISA 型問題の特徴は、問題の形式、テーマ、そして回答方式の三つにおいて、
いままでの日本の国語問題とは大きくかけ離れていた。私たちは、このことをどのように
評価すべきなのだろうか。次節では、この問題を考えたい。
3. 2. 問題例にみるその意味
ここでは、読解力の問題をとりあげる。公開されている例に、「落書き」の問題がある。
これは、落書きについて二人の生徒がメールで意見を交わしている文を読ませて、その意
見への解釈や評価を尋ねるという問題である。少し長いが、以下に引用してみよう。
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***
ヘルガの手紙
***
学校の壁の落書きに頭に来ています。壁から落書きを消して塗り直すのは今度が 4 度目
だからです。創造力という点では見上げたものだけれど、社会に余分な損失を負担させな
いで、自分で表現する方法を探すべきです 。
禁じられている場所に落書きするという、若い人たちの評価を落とすようなことを、な
ぜするのでしょう。プロの芸術家は、通りに絵をつるしたりなんかしないで、正式な場所
に展示して、金銭的援助を求め、名声を獲得するのではないでしょうか。
わたしの考えでは、建物やフェンス、公周のペンチは、それ自体がすでに芸術作品です。
落書きでそうした建築物を台なしにするというのは、ほんとに悲しいことです。それだけ
ではなくて、落書きという手段は、オゾン層を破壊します。そうした「芸術作品」は、そ
のたびに消されてしまうのに、この犯罪的な芸術家たちはなぜ落書きをして困らせるのか、
本当に私は理解できません。
ヘルガ
***
ソフィアの手紙
***
十人十色。人の好みなんてさまざまです。世の中はコミュニケーションと広告であふれ
ています。企業のロゴ、お店の看板、通りに面して大きくて目ざわりなポスター。こうい
うのは許されるでしょうか。そう、大抵は許されます。では、落書きは許されますか。許
せるという人もいれば、許せないという人もいます。
落書きのための代金はだれが払うのでしょう。だれが最後に広告の代金を払うのでしょ
う。その通り、消費者です。
看板を立てた人は、あなたに許可を求めましたか。求めていません。それでは、落書き
をする人は許可を求めなければいけませんか。これは単に、コミュニケーションの問題で
はないでしょうか。あなた自身の名前も、非行少年グループの名前も、通りで見かける大
きな製作物も、一種のコミュ ニケーションではないかしら。
数年前に店で見かけた、しま模様やチェックの柄の洋服はどうでしょう。それにスキー
ウェアも。そうした洋服の模様や色は、花模様が措かれたコンクリートの壁をそっくりそ
のまま真似たものです。そうした模様や色は受け入れられ、高く評価されているのに、そ
れと同じスタイルの落書きが不愉快とみなされているなんて、笑ってしまいます。
芸術多難の時代です。
ソフィア
問 1:この二つの手紙のそれぞれに共通する目的は、次のうちどれですか。
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A 落書きとは何かを説明する。
B 落書きについて意見を述べる。
C 落書きの人気を説明する。
D 落書きを取り除くにはどれくらいお金がかかるかを人々に語る。
問 2:ソフィアが広告を引き合いに出している理由は何ですか。
問 3:あなたは、この2通の手紙のどちらに賛成しますか。片方あるいは両方の手紙の内容
にふれながら、自分なりの言葉を使ってあなたの答えを説明してください。
問 4:手紙になにが書かれているか、内容について考えてみましょう。手紙がどのような書
き方で書かれているか、スタイルについて考えてみましょう。どちらの手紙に賛成するか
は別として、あなたの意見では、どちらの手紙がよい手紙だと思いますか。片方あるいは
両方の手紙の書き方にふれながら、あなたの答えを説明してください。
この問題の問 1 と問 2 は、問題文を解釈することで解答できる。その意味で、これまで
の私たちのなじみの問題といえる。しかし、問 3 と問 4 となると、様相が一変する。この
問では、なにかの正解を求めてはいない。この問 3 と問 4 の解答として、2000 年調査の報
告書では次のように例示する。
落書きに関する問 3 の採点基準
片方または両方の手紙の内容にふれながら意見を述べている。手紙の筆者の主張全般(落
書きに賛成か反対か)や意見の詳細を説明していてもよい。手紙の筆者の意見に対して、
説得力のある解釈をしていること。課題文の内容を言い換えて説明しているのはよいが、
何も変更や追加をせずに課題文全部または大部分を引用するのは不可。(下線部原著, p. 071)
落書きに関する問 4 の採点基準
片方または両方の手紙のスタイルについて意見を述べている。文体、議論の組立て、議
論の説得力、論調、用語、読み手に訴える手法などの特徴を説明している。「よい議論」と
述べている場合、それについての立証が必要である。(下線部原著, p. 072)
問 3 の解答例では、最後に「課題文の内容を言い換えて説明しているのはよいが、何も
変更や追加をせずに課題文全部または大部分を引用するのは不可」となっている。これま
での日本のテストであれば、むしろこのように「引用する」ことの方が求められてきた。
まして、「説得力のある解釈」などということが求められることはない。
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問 4 においては、論理の組立を評価するように求められる。各々の論理がどのような根
拠で自分の論を正当化しようとしているのか、その正しさということではなく、その論理
のつながりを読み取り自分なりに評価することが求められている。
こうした自分の意見を求められることは、日本の国語問題ではまったくといっていいほ
どなかった。このような問題をだせば、たちまち非難の矢面に立たされる。実際、この PISA
型問題をまねて作られた、2007 年 4 月の「全国学力・学習状況調査」の「活用」の採点に
おいては、すぐに採点基準のあいまいさが新聞紙上などで批判された。
そのためこうしたことを避けるために、我が国のテスト問題は、○×解答問題、選択解
答問題をつくってきた。たとえ文章記述解答問題であっても、問題文の単純な抜き書きが
求められてきた。それは確かに、一見客観的にみえるかもしれない。しかし現代文の解答
が、いわゆる受験テクニックで答えなくてはできないものであることは周知の通りである。
問題文に引用された原著者自身が解くことができないということが珍しくないことは、よ
く知られたことである。○×問題にしたからといって、特段によりよいテストということ
にはならない。せいぜい、よりクレームが付きにくく、テストをする側の安全が得られや
すいというにすぎない。
このようにみてみると、PISA 型問題の特徴は、その外形的な違いもさることながら、む
しろこのところにあるのではないだろうか。すなわち PISA 型問題では、単なる正解をもと
めるのではなく、問題の題材に対する解答者の評価、それも自分の考え方を論理的に説明
することによる評価を評価するという、これまでにない評価観点に特徴をもっているので
はないだろうか。
こうしてみると、ようやく最初に引用した PISA の計ろうとしている力の説明の意味が理
解できる。
これらの技能は、生徒が学校で学んだことを学校外の環境において適用し、また、”彼らの
選択や意志決定を評価することによって、”生涯を通じて学習を継続することのできる能力
を反映したものである。
(2重引用符は小笠原氏の強調)
この日本文は、文章としてよく意味が通じないところがある。それは、2重引用符部の”
彼らの選択や意志決定を評価することによって”の「評価」は、だれが評価することなの
かという問題である。しかしそれはおそらく、生徒が自分自身の考え方を「評価」するの
だろう。だからこそ、「生涯を通じて学習を継続することのできる能力」になりうるのでは
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ないだろうか。
4. PISA における基礎基本はなにか
以上のように考察してくると、PISA が求めている基礎基本は、本邦の考えるものとは大
きく異なるように思われる。本邦での基礎基本は、正答としての知識である。漢字を正し
く書けるか。計算が正しくできるか。都道府県の名称を正しく答えられるか。月のみちか
けの理由を正しく説明できるか。こうしたことを本邦では基礎基本と考えてきた。それは、
いわゆる誰がつけてもブレのない採点ができるという意味での客観式テスト、それが可能
なものでなくてはならなかった。
しかしこの PISA が求めているのは、むしろ正答のない答えを出す力、自ら考え続ける力
ではないか。これが筆者が本稿の冒頭で提起した「PISA の提起している学力とは、いわゆ
る日常生活において知識を活用する力ではなく、正解主義ではなく、自分なりに考え続け
る力ではないのか」の意味である。
もしここでの筆者の論述が、妥当性をもったものとして受け取られることができるとす
れば、私たちの課題は大きい。それは少なくても、PISA 型問題を訓練して、次回の PISA
調査において好成績を達成することではないだろう。そうではなく、私たちの教育のあり
かたを根本から問い直すことでなくてはならないのではないだろうか。
(参考文献リストの引用、省略)
<小笠原論文の引用、終わり>
以上の小笠原論文によって、PISA の「落書き」問題を初めとする「読解力」分野の問題
が、「国語」「社会科」などの「文系の」分野の教師や教育学者たちに与えた衝撃がかなり
よく理解していただけたと思いますが、いかがでしょうか?
次に、教育現場で子どもたちのために日夜真剣に授業に取り組んでいる非常にまじめな
教員の方々の代表的な受け止め方を、
「教育の広場・ある退職校長の想い」サイト主催者の、
ハンドル・ネーム toshi 先生に語っていただきましょう。このサイトでは、ブログ投稿欄
に、現職教員や教育書を執筆している方々、塾講師の方々、教育熱心な父母の方などがい
ろいろ熱心に教育を論じており、子どもたちに対する熱い思いに溢れた語り合いのフォー
ラムとなっています。神原敬夫さんと私(柴田)の PISA 批判論文を日本で最初に取り上げ
てくださって、日本中が絶賛している PISA を公然と批判する勇気ある二人として紹介して
頂きました。非常に感謝しております。
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<「教育の広場・ある退職校長の想い」からの引用開始>
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/cat_32070.html
(前略)
神原氏、柴田氏の考察は、わたしと一線を画するが、共感できる部分もかなりある。
問題が十分練れていないということに関しては、わたしも認めざるをえない。
ただ、大部分は良問と思うので、その点は、わずかしかとり上げることができないもの
の、とり上げた問題については、しっかりと考察していきたいと思う。
(中略)
それでは、以上をご承知いただいた上で、いよいよ、PISA型読解力の問題の考察に入
るのであるが、
初めにとり上げるのは、日本人の感覚からすると、どうにも、しっくりこないというか、
隔靴掻痒の感を免れないような問題である。
それは、『PISA調査(読解力)の公開問題例』の32ページ『プラン・インターナシ
ョナルに関する問題』である。
資料は、たった一つ。しかし、それが、まことに細かい表である。
そして、わたしがみる限り、設問に対し、的確にこれと答えられるものがない。とらえ
どころのない感じもする。
(中略)
逆にすばらしいと考える問題を一つ。ただし、日本人的感覚からすれば、驚きの問題で
ある。
それは、『落書きに関する問題』。19ページからである。
これがほんとうに『読解』であろうか。わたしにしても驚かざるをえない。
1番は、まあ、広義の読解とみていいであろう。手紙の目的をとらえるのだから、要約
とか主題とかとは違うだろうが。
13
2番は、自由記述である上に、読解した上での解釈を求めている。日本はえらく正答率
が落ちるが、神原氏によれば、『引き合いに出す。』の意味が理解できなかったのではない
かとのこと。それなら、低正答率は、訳文の問題だな。
3番は、まったく読解ではない。自分の意見とその理由を求められている。これも自由
記述であり、従来の伝統的な考えからすれば、日本人は苦手としていい問題のように見え
るが、正答率は高い。これは意外だ。
4番は、相反する二つの意見について、手紙としてのよしあしを問うている。主張を明
確に述べているか、読み手に伝わりやすいかとか、そうした観点での、判断を求められる。
3番とともに、従来の日本の伝統的な問題にはなかったものと言えよう。
ただし、何度も言うようで恐縮してしまうが、社会での実生活における判断という意味
では、非常に有効性をもつものである。
これを解く子どもたちは、ちょっとした論文の試験官になった気分になるのではないか。
また、『インフルエンザに関する問題』などは、実生活において、生きる上で必要な情報
を、いかに正しく、客観的に把握することができるかを問うなど、まさにたんなる『読解』
をはるかに超えていると言えよう。
前述の、『日本の伝統的な問題にはなかった』ということについてだが、
日本は、これまで、知識・技能を問うのみで、こうした学力を大変おろそかにしてきた。
だからこそ、よく言われることだが、日本人は、自分の意見、主張を持ち合わせず、借
り物の意見、主張になってしまうことが多い。教条主義的とも思う。
また、エセ科学にも、エセ科学とすら言えないような神がかり的論理に対しても、簡単
にひっかかってしまう。
柴田氏は、わたしの本シリーズ(2)へのコメント、20、21番で、『物差しが違う。』
とおっしゃった。
しかし、わたしに言わせれば、教育観が違うのだ。
『toshi さんはPISAの問題を、ご自分の「問題発見学習の授業の流れに沿って」、教
師の立場から評価しておられる。私は、PISAのテストを受けさせられている生徒の立
14
場から評価(判定)しています。』ともおっしゃる。
これは、わたしにしてみれば、驚きのコメントで、問題解決学習というのは、子どもが
抱く疑問、矛盾を問題とし、資料収集も子どもがやることを目指しているもので、子ども
の主体的な学びを保障しようとするものである。
PISA問題を解くということは、
そうした学びと同一の解決過程をたどるだろうし、
思考をはたらかせる過程で、切実感を抱くに違いなく、
子どもが意欲的、主体的な思いをもって解くであろう。
それは、ただ単に、『自分の授業に活用したくなるような面白い発想の問題』というレベ
ルで語るようなものではないのである。
それに対し、柴田氏は、『生徒の立場から』とおっしゃっているが、生徒の抱くであろう
問題意識とか、意欲とか、思考の流れとか、その辺りはほとんど問題とされていないと思
われる。
さあ。どちらが、子どもの立場で思考しているのかな。
そういう目で、こうした問題を見ると、確かに知識・技能的な面では、たいした内容を
問うていないので、愚問に見えるのであろう。
たとえば、上記、『落書きに関する問題』が、人生になくてはならない『知識』を問うて
いるかと聞かれれば、それは、わたしだって、そのようなことはないと言うしかないもの
ね。
ただし、これは、『読解力』と呼んでいることに起因するのかもしれない。
これを、資料活用力とか、判断力、意見表明力などと言えば、『それは確かに、人生に必
要な能力だね。』となるのかもしれない。
そもそも、PISAは、初めっから、知識・技能を問うものではないと、自分で言って
いる。
15
これも、何度も引用するようで恐縮してしまうが、シュライシャー氏は、講演でこう言
う。
4ページ右側である。
『一般的に、リテラシー・スキルは、学校におけるあらゆる事柄の基礎となっていると
理解されています。しかし、PISAでは、リテラシーは、読み書き能力と定義されては
いません。
なぜなら、それは、技術的なリテラシーにすぎないからです。
私たちが実際に用いたのは、その背後にある概念で、“世界への扉”という意味で用いて
います。すなわち、情報にアクセスし、情報を処理すること、情報を結びつけたり、情報
を評価したり、そして情報にもとづいて熟考するといった能力です。これが、私たちのリ
テラシーの定義なのです。』
つまり、柴田氏がおっしゃる『科学的・数学的センス』
。
これはおそらく、
純粋に科学、
純粋に数学、
その専門性。
そうしたものを指すのであろうが、それに対し、PISAは、初めっからそのようなも
のではないと宣言してしまっているのだ。
だから、ここでまた、再登板していただくが、
亀@渋研さんが、ご自分のブログ『PSJ渋谷研究所X』でおっしゃる、
『このようなもの(PISA)は、学力でないから、気にしなくていいという声が、どこ
からも起きないのは不思議です。』
ということになる。
そして、神原、柴田両氏は、まさに、その声を勇気をもってあげてくださったとも言え
るのではないか。声を上げてくださったことによって、不思議ではなくなった。
16
わたしが、声を上げてくださったことに感謝するのも、まさにその点にある。
異なる見解を示してくださることは、それを読んだり聞いたりすることによって、お互
いに思考、判断が深まるという、まさに、これも問題解決学習そのものなのだが、そうし
た意味での『生きる力』を高めてくださるので、感謝したのである。
もう一つ、言えること。
それは、KGさんがおっしゃるように、
『批判内容(神原、柴田両氏の主張)の通りに理数教育の成果を測るのであれば、結局
TIMSSに落ち着くのではないでしょうか?
元々PISAはTIMSSで測定できないものを測定する為に生まれました。
当然、TIMSSでは測定できてPISAでは測定できないものもあります。批判内容
の多くはPISAでは測定できないものを指摘しているのではないかと思われます。』
わたしも同感だ。
TIMSSの算数、数学、及び、理科の問題は、確かに純粋に知識・技能(精度が高い
かどうかはわたしには不明だが、)を問うている。
わたしの最終結論。と言っても、現段階で断言するものではないが、
PISAには、PISAの、TIMSSとは異なる理念がある。文科省の言う『生きる
力』ともかかわって、学び方、生き方を問う問題を作成している。
そして、世界中が、今、PISAを求めている。PISAへの関心が高い。
PISAの理念に共感しているのだと思う。
それは、世界中の国々が、
『そうだ。これからの教育は、単なる読み書き能力の育成ではない。純粋に、科学・数学
の能力を高めることでもない。まさに、生きる力。それらをどう高めていくか。つまりそ
れは、思考力、判断力を高めることでもあるのだが、それこそが、これから求められる学
17
力である。』
そう考えるようになったということではないか。
それは、日本のように、暗記・知識つめこみ大国(断じて、神原・柴田両氏のことを言
っているのではありません。両氏は、純粋に科学、数学等の能力を高めることを考えてい
らっしゃいます。)でも、冒頭の文科省の方針のように、PISA型読解力を高めようと考
えるようになったことにも現れている。
これは、実にすばらしいことである。
なぜなら、
以前、思考力、判断力を高めることは、道徳的実践力を高めることにつながるという記
事を書いたことがある。
『知徳不可分』がそれだ。
つまり、真に、『生きる力』を身につけた子どもは、徳の部分でも、すばらしい力を発揮
するということだ。
ということは、世界中がPISAの理念を大事にして、教育力、実践力を高めたら、そ
れは、『世界平和』に直結するということである。
現段階で、PISAは、そこまでは言っていないが、わたしは、そう思う。
ただし、現段階では、中国、中近東の国々は参加していない。
これは、残念だ。
でも、セルビアが参加しているのは大きい。紛争地域だものね。
今後、PISA調査によって、『真に子どもが生きる』、亀@渋研Xさんの言葉を借りれ
ば、
『「市民に求められる健全さ」の一部としての「知的態度」や「社会性」「合理的判断力」
など』
そうした学力の形成が、世界中に満ち溢れれば、中国や中近東をも巻き込むかたちで実施
されるようになり、大きな成果を上げると期待される。
18
もとより、これまで考察してきたように、また、神原氏もおっしゃるように、PISA
には、より問題の質を高める努力をしてもらわなければなりません。真に“世界への扉”
を開くにふさわしい問題作りをお願いしたいと思います。
世界の期待は大きいのではないでしょうか。
(後略)
<「教育の広場・ある退職校長の想い」からの引用、終わり>
「子供主体の教育作り」に長年、熱心に、まじめに取り組んでこられた先生方は、この
ように PISA に期待しておられます。このように誠実でまじめな先生方に、私の PISA 批判
がどの様に受け取られるか、を理解する上でも、貴重なコメントを頂きました。
日本人は一般に「超マジメ」な人が多く、しかも教員の中では特にそういう「超・誠実
な」方々が多いので、PISA の「国防予算」の問題のように、あちらでは「国防予算が減額
された」と言い、こちらでは「国防予算が増額された」と主張するためには、どのような
数字のからくりを用いればよいか、というような「二枚舌の能力」が PISA の言う「リテラ
シー」だということが想像もつかない人が多いのですね。だから、いくら言っても「オレ
オレ詐欺」にコロリと騙される老人が後を絶たないわけです。これは、世界にも例を見な
い日本人だけの美徳ですから、私は人間のあり方として非常に高く評価しています。
しかし、今日のように情報化・国際化が急速に進んで、日本人だけに当てはまる倫理観
が外国人には(特に西洋人には)まったく通用しないご時世に、シュライヒャーのような
海千山千の国際的詐欺師(かもしれないし、そうでないかもしれない、という時には、西
洋人の発想なら、まず、シュライヒャーは詐欺師である、という前提で彼の発言には眉に
唾をつけて聴くのが常識です。それは「失礼」でも何でもなくて、「生き馬の目を抜く」国
際社会では「お互い様の常識」です、私自身は好かないけれど...)の1語1語を金科玉条の
ようにして美しく夢を膨らませる先生たちは、「実社会で役に立つ思考力」「現代の国際化
された弱肉強食の世界で生き抜く力」が非常に弱いんですね。理想化された空想の世界で
夢を見続けているわけです。そういう人たちの方が、私は人間的には好きなのですが...。
そして日本が世界一の教育的レベルを常に維持してきたのは、このような真面目で誠実な
多くの教師たちが、真剣に授業研究を集団で実行し続けて、素晴らしい授業を練り上げて
きたからです。連載第36回「日本の教師こそ世界一・アメリカを驚愕させた授業研究
(Lesson Study)」の中で引用した千々布敏弥さんのレポートに書いてあったように、
なぜ研修するのか。良い授業をしたいから、子どもの笑顔を見たいから、という理由を挙
19
げる日本の教師は多い。そして、研修に伴う費用負担に頓着する教師も少ない。自費で高
額の民間研修を受講する教師は数多い。米国では、そのような価値観を持つ教師がいない
わけではないが、日本に比べると圧倒的に少ない。
ということなんですね。日本の未来を託せるのは、まさにこのような教育現場の先生たち
だと、私は確信しています。
さて、お次は、この連載の中で、既に何度か登場して頂いている「PISA 型国語教育」の
旗振り役をやっている有元秀文さん。有元さんは、「PISA 日本総代理店」のような役割を
演じている国立教育政策研究所の総括研究官でしたね。以下に、有元氏の「国際的な(PISA
型)読解力を育てるための課題・目標・戦略」を全文ご紹介します。この論文を「教典」
にして、全国の学校の国語の先生たちが「PISA 型国語の授業」を展開した結果、子供たち
の読解力がさんざんなことになって、あわてた有元さんがこの論文をサイトから消去して
しまいました。連載第31回「PISA 型国語授業の失敗実践例 (PISA が栄えて国語力が滅
ぶ)」
http://www1.rsp.fukuoka-u.ac.jp/kototoi/2009_08.html#409go
従って、現在はインターネット検索をしても、この論文は出てきません。しかし、幸いな
ことに私のハードディスクにファイルが残っていたので、歴史的な資料として、以下に復
元しておきます。
<有元論文の引用開始>
国際的な(PISA 型)読解力を育てるための課題・目標・戦略
課題
課題1:全文を理解して、読解に必要な情報を取り出すこと【情報の取り出し】
根拠
ランニングシューズ
問三(PISA2〇〇〇年報告書 p.220)
課題文の一部に「良いスポーツシューズとは、次の四つの基準を満たしていなければ
なりません」と書いてあります。これらの基準を記してください。
●この正答率は OECD 平均より低く無回答率は OECD 平均より高い。
●その理由は全文の論理的な構造を理解していないと答えられない問に多くの日本の
子供たちが慣れていないからである。
課題2:全文を理解して、筆者の意図や登場人物の思考や行動について推論し、
20
自由記述問題で、本文に書いてあることを根拠にして、自分の意見として表現
すること【解釈】
根拠
落書き問二(p.69)
ソフィアが広告を引き合いに出している理由は何ですか。
贈り物問三(p.229)
なぜこういう書き方をしたのでしょうか。あなたの考えを述べてください。
●どちらも日本の無回答は約三割である。
●その理由は、全文の論理構造を理解した上で推論させる問に、多くの日本の子供たち
が慣れていないからである。
●解釈の自由記述問題の無答率は、OECD 平均より6ポイント高い。
課題3:全文を理解して、自分の考えや体験と結びつけ、文章や登場人物を評価・批判し、
自由記述問題で、本文に書いてあることを根拠にして、自分の意見として表現
すること【熟考・評価】
根拠
落書き問四(p.71)
どちらの手紙に賛成するかは別として、あなたの意見では、どちらの手紙がよい手紙
だと思いますか。片方あるいは両方の手紙の書き方にふれながら、あなたの答を説明
して下さい。
●この無答率も約三割と非常に高い。
●その理由は、全文の論理構造を理解した上で自分の意見を答えさせる問に、多くの
日本の子供たちが慣れていないからである。
●熟考・評価の自由記述問題の無答率は、OECD 平均より9ポイント高い。
目標
目標1【情報の取り出し】
全文を理解して、読解に必要な情報を取り出し、自分の言葉で説明できる。
目標2【解釈】
全文を理解して、筆者の意図や登場人物の思考や行動について推論し、自由記述問題で
本文に書いてあることを根拠にして、自分の意見として表現することができる。
目標3【熟考・評価】
全文を理解して、自分の考えや体験と結びつけ、文章や登場人物を評価・批判し、自由
記述問題で、本文に書いてあることを根拠にして、自分の意見として表現することが
できる。
21
目標4【学習課題の発見】
全文をよく理解した上で、テキストを理解するために必要な学習課題を自分で考え出す
ことができ、グループの中で話し合って最も適切な学習課題を決定することができる。
目標5【討論による課題解決】
与えられた学習課題や自分たちで考え出した学習課題について、グループで話し合って、
本文に書いてあることを根拠にして、お互いに建設的に話し合い、課題を解決することが
できる。
国際的なコミュニケーション・スキルとは何か
1.教材や文章に書いてある、具体的で明確な根拠を挙げて、はっきりした自分の意見が
言えること
2.人の話を正しく理解した上で、相手の考えを引き出すような的確な質問ができること
3.質問されたことを正しく理解して的確に答えられること
4.自分の意見を冷静に主張し、人の話を正しく理解しながらおだやかに話し合って、
お互いに歩み寄り、問題を解決すること
三つの指導戦略
1.はっきりとした、文章全体を読まないと答えられない、子供にとって興味深い発問を
工夫する。
●教師は、曖昧でなく焦点を絞った、しかも教材を理解するためにどうしても必要な、
核心に迫る発問をする。従って発問は大きく板書などをして徹底する。
●教師は、教材の一部だけ見れば答えられる細かい発問でなく、文章全体、または少な
くとも一場面や一段落全体を読まなければ答えられない大づかみな発問をする。
●教師は、できる限り子供が興味を持つような教材と発問を工夫する。
そのために子供たち自身が自分で課題や発問を考え出せるように育てる。
●教材を率直に子供に受け容れさせるのではなく、本当に正しいのか価値があるのかを
批判的に評価できるクリティカル・リーディングの発問を取り入れる。そのために
は、教材や文章を読んで「変だなおかしいな」
「本当かな」
「不思議だな」
「どうして
かな」と思ったことを一人一人考えさせ、多くの子供たちが興味を持つ課題につい
てグループで話し合わせる。
2.一問一答の一斉学習でなく、発問について、できるだけグループ学習でじっくり時間
22
をとって話し合わせる。
●一斉学習形式の教師と生徒の一問一答ではなく、出来る限り、グループ学習形式に
机を配置し、発問を教師が与えたら子ども同士でグループで話し合わせ、一人一人の
個性的な自分の答えを出させる。一つの発問についてグループ討論をする時間は少な
くとも10分以上とる。
●グループ学習の場合、教師の発問に対して、話し合いに入る前に、10分以上の時間
をとって、一人一人の答をワークシートに書かせてから話し合いに入らせる。ワーク
シートを二つの部分に分けて、先ず意見を書かせ、次に教材や文章に書かれてあるこ
との中から具体的な根拠を書かせる。
●グループ討論をするときは、意見の根拠として、必ず教材文に書かれている文章を挙
げるようにさせる。意見の根拠が教材文に基づかないで自分の主観や体験だけの場合
には注意を促す。
●教師が用意した答だけを正答にせず、子どもの自由な意見を教師が否定したり批判し
たりしないで、出来る限り子ども同士で解決させるようにする。
3.出来る限り多く、本、ウェブサイトなどの文章、図表、グラフなどの画像情報など、
4.あらゆる読解資料を読んで、読んだことについて話し合わせる。
●読書指導を計画的に取り入れ、授業中に同じ本を読んで、読んだことについて自分の
意見を言ったり人の意見を聞いて話し合えるようにする。
そのために、教科書教材の学習が詳細すぎる読解にならないようにし、一単元につ
いて1~2時間は関連する読書教材を読む時間をつくる。本だけでなく新聞・雑誌・
ウェブサイトなどの情報も意図的に教材にする。
●文章教材だけでなく、図表・グラフ・写真・絵・ポスターなどの非連続型テキストも
意図的に教材にして話し合わせる。
PISA型の発問の作り方
アニマシオン・フィンランド型の初発の感想
教材を音読した後で、次のようなアニマシオン型の発問をする。
アニマシオンは遊びを取り入れた欧米型の読書指導であるから、
「必ず本文を論拠にして発
言させる」ということでは PISA 型読解力の育成に役立つ。
フィンランドの教科書にも類似の発問がある。
☆アニマシオン型の初発の感想では必ず理由を尋ねる。
★どこが面白かった?
★どこが印象に残った?
どこがつまらなかった?
どうして?
どうして?
(小学校
低・中学年)
(小学校高学年以上)
23
★どの登場人物が好き?
どうして?
★どの登場人物が印象に残ってる?
(小学校低・中学年)
どうして?
(小学校高学年以上)
★作者に質問したいことはないかな?(フィンランド)
★物語を読んでいて、登場人物や場面やできごとについて疑問に思ったことはあります
か?
どうして?
(フィンランド)
★この物語のどこが好きですか?
どこが嫌いですか?
どうして?
(フィンランド)
情報の取り出し
「情報の取り出し」の発問は次のことを守る必要がある。
☆必ず、「本文中に書いてあること」を質問する。憶測や感情で答えさせない。
☆その発問に答えることで、作品や文章のよさがわかるような大づかみで核心を衝いた問
をつくる。
☆文章中の表面に表れた情報を抜き出させる。ただし、文章中の一部分だけを読めば答え
られる問でなく、全文や一つの場面などの「なるべく長い文章」を読まないと答えられ
ない問をつくる。
【ごんぎつね】ごんはうなぎを取ったつぐないにどんなことをしましたか。
またそれを兵十はどう思ってましたか。
<答の例>ごんはいわし、くり、まつたけを兵十にあげた。兵十はいわし
ついて怒ってい
る。くりや松たけは神様のお恵みだと思っている。
【走れメロス】メロスが王と約束した時刻に遅れた理由を三つ答えなさい。
<答の例>寝過ごした、橋が壊れた、山賊の襲撃
【羅生門】この物語には下人の二種類の「勇気」が描かれています。どのような勇気と
どのような勇気ですか。
<答の例>老婆の悪を憎む勇気と盗人になる勇気
解釈
「解釈」の発問をつくるには次のことを守る必要がある。
☆必ず、「本文中に書いてあること」を推論の根拠にさせる。
☆全文をよく読んで、全体構造を把握した上で推論させる。
★なぜ登場人物は
~
★なぜ作者は
のような表現をしたのか?
~
のような行動(発言)をしたのか?
★この文章は、なんのため(だれのため)に書いたのか?
★登場人物は、どのように問題を解決したのか?
その方法についてどう思いますか?
24
(フィンランド)
★この物語の終わりで主人公の気持ちはどう変わったか?
なぜ変わったか?
【ごんぎつね】兵十はなぜ「火なわじゅうをばたりと取り落とした」のですか。
<答の例>ごんの善意に気づかないで殺したことを後悔したから。
【走れメロス】なぜ王は最後にメロスを許し「仲間に入れてほしい」と頼んだのですか。
<答の例>メロスが友だちの信頼に応えるために命がけで約束を守ったことに感動して王が
反省したから
【羅生門】老婆の悪事を憎悪した下人は、なぜ心変わりをして悪事を働いたのですか。
<答の例>「飢え死にするから仕方なく悪事を働いた」という老婆の答が説得力があり、
自分も同じだと思ったから
熟考評価
「熟考。評価」の発問には次のことを守る必要がある。
☆必ず、「本文中に書いてあること」を意見の根拠にさせる。
☆全文をよく読んで理解した上で意見を書かせる。
【内容についての熟考評価の例】
★作者が書いたことをあなたはどう評価するか?
★作者の考え方にあなたは賛成か反対か?
★ほかにもっとよい題名はないか?(NAEP)
(柴田の推測:NAEP = National Agency for Educational Policy)
国立教育政策研究所
と思ったのですが、複数の読者の方から、そうではなくて、正しくは
the National Assessment of Educational Progress, 全米学力調査
の省略である、とご指摘を頂きました。細かいところまで読んでくださっている方が
何人もいらっしゃることを知って、たいへんありがたいことだと感激しました。
)
★この話は楽しかったですか?
なぜそう思ったのかお話の中から例をあげなさい。
(NAEP)
★登場人物の行動や発言はこれでよいと思うか?
★あなたが登場人物だったらこの問題をどう解決するか?
★ほかにもっとよい解決方法はないか?(フィンランド)
★主人公や登場人物に言いたいことはないか?(フィンランド)
★登場人物とあなたの同じ所、違うところは?(フィンランド)
★それぞれの段落の一番言いたいことは何ですか?(フィンランド)
★この話は私たちにどのようなことを教えていると思いますか?
(フィンランド)
25
★これからどうなると思いますか?(フィンランド)
★この物語の楽しい終わり方と悲しい終わり方を考えて書いて見よう。
(フィンランド)
★物語のなかで実際にはあり得ないと思ったことはありますか?(フィンランド)
★物語のなかで実際にも起こりそうだと思ったことはありますか?(フィンランド)
★主人公(登場人物)はいくつぐらいだと思いますか?(フィンランド)
★主人公(登場人物)とよく似た人を探しましょう。なぜですか?(フィンランド)
★この話が信じられますか。それとも信じられませんか。この話の中から詳しい理由を
あげて、あなたの答を説明しなさい。(NAEP)
【形式についての熟考評価の例】
★作品の書き方はこれでよいと思いますか?
★作品の結末はこれでよいと思いますか?賛成か反対か?
【ごんぎつね】ごんが死んでしまう終わり方に賛成ですか反対ですか?
なぜですか。
<答の例>賛成です。死んだ方がごんの気持ちがわかるからです。
反対です。ごんは自分のしたことを反省したからです。
【走れメロス】あなたがメロスだったら妹の結婚式のために友だちを人質にしますか。
あなただったらどうしますか。
<答の例>人質にします。メロスは必ず友情を守る人だからです。
人質にしません。婚礼より友だちの命が大事だからです。
【羅生門】この物語の終わり方はこれでよいと思いますか。
<答の例>よいです。仕方がないから悪事を働いてよいかどうかはだれにも分からないから
です。
よくないです。悪事を働いた人間を許すような結末はおかしいです。
< 参考資料 >
フィンランド・メソッド
5つの基本が学べるフィンランド国語教科書、
小学3年生、4年生、5年生
北川達夫訳・編
子どもが必ず本好きになる16の方法
経済界
実践アニマシオン
有元秀文
合同出版
生きるための知識と技能
国立教育政策研究所編
PISA2000年調査国際結果報告書
ぎょうせい
NAEP Questions. National Center for Educational Statistic
http://nces.ed.gov/nationsreportcard/itmrls/
26
<以上で、有元論文の全文引用は終わりです>
上記有元論文の中には「本文中に書いてあることを意見の根拠に」という文章が異様に
頻繁に出てきます。エディターで文字列検索をかけてみると9回でてきます。同じような
表現で、「教材や文章に書いてある、具体的で明確な根拠を」という文字列が1回、「教材
や文章に書かれてあることの中から具体的な根拠を」という文字列が2回出てきます。こ
のことは以前に、神原敬夫さんの論文の中で指摘されていることを再引用して注意しまし
た。
http://www1.rsp.fukuoka-u.ac.jp/kototoi/2008_8.html#384go
< 再録引用開始 >
(前略)
■読んだことについて、
「自分の意見」を表現することが求められる。意見を書くときには、
「課題文に書かれたこと」を根拠にすることが厳しく求められる。つまり、課題文に書か
れていない根拠を挙げると正答にならない。
(後略)
最後に指摘されている点については、非常に重要なポイントなので、後で再度とりあげ
て解説しますが、問題文に与えられている状況設定に疑問や異論を表明することは許され
ず、しかも自分の意見を表明しない自由も許されず、かならず、問題文に与えられている
条件を絶対的に正しいものと信じ込んで設問者の意向に添うような「自分の意見」を表明
することが強要されるわけです。こういうのを「洗脳」というのです。あるいは「政治的
査問」とか「自己批判書」も同じたぐいです。いずれ、この連載の「2-2.学生のレポ
ートから見えてきたフィンランドの義務教育に蔓延する落ちこぼれ・落第・学級崩壊・い
じめ
●フィンランドの小学4年生の国語の問題「鯨の特徴」の正答を見て驚く」で具体
的に説明したいと思っていますが、フィンランドの小学校教育が、こういう感じの教育に
なっています。
< 再録引用、終わり >
連載33回「万能の統計学を社会現象に適用する危うさ-2(弁解と補足)」
http://www1.rsp.fukuoka-u.ac.jp/kototoi/2008_09.html#411go
の中で紹介した、松原望さんが例に挙げた「水俣病」など実社会での例で説明すると、自
分が将来、農薬会社の研究所に就職したとして、工場長からデータを与えられ、それをも
とにして「わが社の農薬は科学的に安全性が証明された」という論文を書くように指示さ
れたとします。PISA が身につけさせようとしている「リテラシー」とは、そういう場合に
は必ず、与えられたデータをもとにして、与えられた結論をもっともらしく説明する文章
を作る能力を言います。与えられたデータ以外のデータを用いることは許されません。「リ
テラシー」とは真実を突き止めることではなくて、与えられたデータを用いて与えられた
27
結論を「真実らしく説明する」能力なのです。これが PISA の言う「21世紀高度知識社会
で実際の役に立つ能力」であり、文部科学省がスローガンにかかげる「言語コミュニケー
ション能力」であり、「社会の中での生きる力」というわけです。
中華人民共和国では、
「文化大革命」が大混乱の内に破綻するまでは、学校教育が生徒た
ちに「毛沢東思想」を植え付けていました。ちょうど、わが「大日本帝国」でも、昭和4
5年の第二次世界大戦終結まで、初等・中等教育において「天皇陛下は神である」という
思想教育が行われていたのと同じです。中国においては、至る所に毛沢東の肖像が掲げら
れ(日本の場合には「ご真影」と言いました)
、まことしやかな革命伝説があらゆる機会に
書物や「お話」で読み聞かされ、知らず知らずの内に子供たちは毛沢東主席に限りない敬
愛を抱くように、自然に誘導されたのです。「毛沢東主席が病気で療養しているらしい」と
いうニュースを聞けば、自然に悲しみの涙が頬をつたわって流れ落ち、「毛沢東主席が元気
に揚子江を泳ぎ渡った」というニュースを聞けば、嬉しくて思わず身体が踊り出す、とい
うようになって行くのです。みんながそのように教育されて行くのに、中には例外的に、
いくら教育されても、あまり毛主席が好きになれない、という生徒もいることはいます。
そういう、「精神的に異常のある生徒」は他の生徒から隔離されて、精神科医の治療を受け
るのだ、と当時の中国人たちは私の質問に答えました。
フィンランドでも、4年制の大学教職課程の後に更に5年間の大学院での教職コースで
徹底的にたたき込まれた教師たちが、
「与えられたデータを用いて説得力ある自分の意見を
組み立てる」ように、生徒たちを徹底的に鍛えます。生徒たちは必ず教師が提供した、あ
るいは教科書に書いてあるデータを根拠にした「自分の意見」を作らなければなりません。
それがうまくできない「発達が遅れた生徒」は、他の生徒たちから隔離されて別の教室で、
与えられたデータを根拠にしてしっかり「自分の意見」を言えるようになるまで少人数教
育あるいは個別教育を受けます。それでも「自分の意見」を正しく作る思考操作に問題の
残る生徒は、クラスメートが卒業しても、自分は卒業できずに、小学校7年目の留年生活
を送る羽目になります。私がそのような国に生まれて小学校に通っていたら発狂していた
のではないかと思います。実際、連載第9回「PISAの 2003 年度テストの設問と<正答> 」
http://www1.rsp.fukuoka-u.ac.jp/kototoi/2008_4.html#371go
で引用・紹介したように、
<再度引用・紹介>
さらに、フィンランドに既に十数年暮らして、息子さんをフィンランドの学校へ通わせ
ている方のブログサイト「スオミの森の陰から」の中に、
「(2007 年12月)14日付の Aamulehtia 紙によれば、現在約 30 万人のフィンランド人
28
が抗うつ薬を使用している。これは全人口の6%近くにあたるが、ここ3年で5万人も増
えているのだそうだ。記事にあるグラフを見ると、抗うつ薬の投与数は 90 年初頭から一直
線に増加し、現在はそのころの10倍になっている。特に、そのうち19歳以下は 2004 年
の7千人から 2006 年には8千人を超えている。
以前から若年患者への抗うつ薬の投与は疑問視されていたが、現実には投与が増えてい
る。抗うつ薬といってもいろいろあるが、薬によっては服用初期に自殺願望が強まり実際
に自殺してしまう患者もいるらしい。特に、先日の高校内銃乱射事件の犯人の高校生も抗
うつ薬を使用していたことで、薬の影響が取りざたされている。記事では専門家が関連を
否定しているが..
.。」
また、同じブログの 2008 年1月の欄には「社会・保健調査開発センター(STAKES)が
昨年、いくつかの自治体で中学校8~9学年および普通高校1~2年の生徒を対象に行っ
た、生活状況アンケート調査の結果が発表された。
詳しい調査方法と結果は
http://info.stakes.fi/kouluterveyskysely/FI/tulokset/taululkot2007/index.htm
にあるが、内容が細かすぎるので12日付の Aamulhti 紙に出ていた、タンペレ市とその周
辺での統計結果の分析記事をざっと見てみる。
(中略)「(子どもが)週末を過ごす場所を両親が知らないことがある」については中学生
38%、高校生 34%がそうだと答えているそうで、これはかなり心配の種であるようだが、
フィンランド人家庭の親の目ってそんなに弱いものだったのだろうか。
他にも、「月に一度以上泥酔することがある」のは中学生 18%、高校生 24%、「毎日喫煙
する」のは中学生 14%、高校生 24%となっていて、親のコントロールが効いていない様子
がうかがえるのだ。(以下、省略)」
<再引用、終わり>
いつも、いつも、大人が期待するような「自分の意見」を必ず言わされる環境に入れら
れていれば、必ずこのような事態が起きますよ。その点、
「おれ、自分の意見なんか無いよ。」
と平気で開き直れる日本の子どもたちは幸せだなあ。
さて、長くなりましたが、本日の真打ちは、そのフィンランドに外務省職員として勤務
していたという変わった経歴を持つ北川達夫さん。8年間の在フィンランド日本大使館勤
務の後、帰朝して退官、現在は国際的な教材作家としてフィンランドの教科書などを日本
語に訳して紹介したりして、日本ではたいへんな売れっ子になっている方ですが、その主
張はなかなかユニークな所があり、私は注目しています。
29
実は、私が北川さんの連載ブログが載っているサイトを知ったのは、今夏に集中講義に
行った広島大学の学生のレポートに引用してあった記事を読んだためです。それは北川さ
んの連載記事の第10回目だったんですが、1回~9回までの記事を読んでいない私にと
っては、初めての北川さんの文章で、いきなり、「PISA は嫌われている。けっこう嫌われ
ている。」と始まるのでビックリしたわけです。その回の記事を全文引用してみます。
<北川達夫氏の「PISA の悲劇」、引用開始>
明解 PISA 大事典:PISA の発問と指導評価
2009 年 7 月 10 日
金曜日
筆者:北川達夫
第10回 PISA の悲劇
PISA は嫌われている。けっこう嫌われている。
理由はさまざま。だが、PISA というと「世界はこうなっている。だから日本もこうすべ
きだ」という論法が見え隠れするあたりが大きいように思う。
この論法は日本政府の常套手段だった。正確には外務省の常套手段だった。長くて重た
い伝統をもった日本はそうそう簡単には変わらない。だから外圧を使って変えようという
のである。これは日本人の同調性を利用した部分もある。日本人の習性からして、「みんな
がそうしていますよ。そうしていないのは日本人だけですよ」と言われると不安でたまら
なくなるからだ。
だが、最近は外圧も通用しなくなりつつある。それどころか「ここは日本だ」という感
情的な反発を招きやすい。PISA に対しても同様の反発がいまだに消えない。
PISA というと「国際的に通用する能力」というような文脈で語られることが多いが、こ
れは得策ではないと思う。どこの国の人にしても基本的には国内的に生きているのであっ
て、国際的に生きているのではない。国際的に通用する能力など必要ないのである。だか
ら、PISA で求められている能力についても、その能力が今後は国内的に必要になることを
力説すべきなのだ(*)。
PISA がいきなり測定から始まったことも不幸であった。本来ならば、まず指導があって、
それから測定というのがスジだろう。誰だって習っていないことについて、いきなりテス
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トをやられたら文句のひとつも言いたくなる。子どもならば確実に「まだ習ってませ~ん」
と文句を言う。
PISA がいきなり測定から始まったにもかかわらず、いわゆる「PISA 型読解力」なるも
のの指導が奨励されたことも不幸であった。熱心な先生たちは、公開された PISA のサンプ
ル問題から、その背景にある指導法を推理しなければならなくなったのである。
(さらにい
えば、公開されたサンプル問題が欧米型の読解問題としては出来の悪いものばかりだった
ことも不幸であった。もしかすると出来が悪かったからこそ、サンプルとして外部に放出
されてしまったのかもしれない⇒第 14 回「PISA サンプル問題を評価する」へ)
当然のことながら、指導のための発問と測定のための発問は違う。また、指導は発問だ
けで成り立っているわけでもない。PISA のサンプル問題から指導法を推理するのは至難の
わざであったに違いない。ほとんど不可能であったに違いない。
この連載でも繰り返し述べてきたように、PISA の読解力は欧米型の読解教育を基盤にし
ている。だから、その指導法を知りたければ、サンプル問題を参考にするよりも、むしろ
欧米型の指導法を参考にしたほうが早道だろう。もちろん日本と欧米とは違うのだから、
欧米の指導法をそのまま取り入れても仕方がない。あくまでも参考にするのである。
前回まで 3 回にわたって PISA の発問について説明してきたが(情報の取り出し・解釈・
熟考と評価)
、あれも基本的には測定のための発問についての説明であった。今後は具体的
な指導法について、欧米での指導事例などを紹介しつつ説明していくことにしようと思う。
(*)このあたりについて詳しくは拙著『ニッポンには対話がない』
(平田オリザ氏との共著/
三省堂 2008 年)を参照されたい。
<北川氏の第10回の引用、終わり>
ということで、日本の中だけからフィンランドを空想的に夢見ている人たちとはかなり異
なって、現地で暮らしてきた人はさすがにかなりクールな感じがします。
インターネット検索で教育関係のブログをいろいろ眺めていたら、ある中学校の国語の
先生らしい人が、北川さんの翻訳したフィンランドの国語の教科書を見て、「なーんだ、フ
ィンランドの教科書って、まるで PISA 読解力問題の受験参考書みたいな感じだなあ。これ
を毎日学校の授業で習っているんだから、PISA の得点が世界一になるのもあたりまえだな
あ、と思いました。」というような感想を書いていました。
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実は、これは歴史的な順序が反対なんですね。フィンランドが PISA の受験参考書みたい
な教科書を作ったのではなく、PISA がフィンランドの教師に読解力分野の問題を作っても
らったんです。その辺りの「秘密情報」
(?)が以下の北川さんの連載第14回目に「暴露」
されています。
<北川氏の連載第14回の引用開始>
2009 年 8 月 7 日 金曜日 筆者: 北川 達夫
第 14 回
PISA サンプル問題を評価する
この連載の第 10 回で「公開された(PISA の)サンプル問題が欧米型の読解問題として
は出来の悪いものばかりだった」と書いたところ、ある中学校の国語の先生から「どこが
どのように出来が悪いのか教えてほしい」との要望があった。
そこで今回は、PISA のサンプル問題から有名な「落書き問題」をとりあげ、検証してみ
ることにしたい。
「落書き問題」とは、落書きに関する二つの意見を素材文にしたもの。二つの意見はイ
ンターネットに投稿された「手紙」という形式をとっている。一方は「落書きは芸術だか
らしてもかまわない」という意見、もう一方は「落書きは人の迷惑だからしてはいけない」
という意見。そして「この二つの文章のうち、どちらに賛成しますか?」「どちらに賛成す
るかは別として、どちらの方が良い手紙だと思いますか?」などと問うのである。どちら
の問いに答える場合も「文章の内容にふれながら」答えなければならない(1)。
一般に読解問題を評価する場合、素材文の検証に最大の重きが置かれ、それから問題全
体の意図を検証し、最後に小問のそれぞれを検証することになる。PISA のサンプル問題に
関しては小問のすべてが公開されているわけではないので、ここでは素材文と問題全体の
意図を中心に検証することにしたい。
素材文を評価する場合は、この連載の第 4 回にも書いたように「子どもの興味や関心」
を第一に考える必要がある。PISA を受検するのは 15~16 歳の子どもだ。その興味や関心
を引くものであるかどうか。“興味や関心”という点に関するかぎり、「落書き問題」は十
分に及第点であると思う。国際的な読解問題評価では、
「(子どもに)こう感じさせたい」
「こ
う考えさせたい」という名目で、大人の文学趣味や哲学趣味を押し付けるような素材文が、
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真っ先に「子どもの興味や関心を無視している」として排除されるのである。
問題全体の意図も悪くないと思う。一般に「落書きはしてもいいか、それともいけない
か」と問われれば、理屈も何もなく「絶対にいけない」と考えがちである。このように、
なにげなく「当然だ」と思っていることについて「当然ではない」とする見解も示し、比
較しながら考えさせている。まさにクリティカル・リーディングの常道である(これを『内
容の熟考と評価』という)。多様化した社会においては、さまざまな見解の存在を認識し、
それらを比較しながら評価する技能が重要なのだ。
「どちらに賛成するかどうかは別として、どちらの方が良い手紙だと思いますか?」と
いう問いも良い。自分の価値観(あるいは好き嫌い)とは切り離したところで、純粋に文
章の形式面を評価させているからだ。これもまたクリティカル・リーディングの常道なの
である(これを『形式の熟考と評価』という)
。多様化した社会においては、多様な価値を
客観的に評価する技能が重要なのだ。
だが、多様化した社会における技能という点から考えると、「落書き問題」には致命的な
欠陥がある。それは多くの国において「落書きは犯罪」とされているという事実に関係し
ている。日本であれば“落書き”は器物損壊罪(刑法 261 条)に該当し、それが芸術であ
ろうがなかろうが罰せられる。多くの落書きアーティストを生んだニューヨークでさえ、
落書きは犯罪とされている。実際、今年 2 月に日本の有名アーティストがニューヨークの
地下鉄駅で“落書き”をして、警察に身柄を拘束されるという事件が起こった。
なぜ落書きが犯罪であることが“致命的な欠陥”なのか?
ここで誤解しないでいただきたいのは、“落書きは犯罪だから「いけない」を正答とすべ
きだ”と言っているのではない。また、“読解問題で犯罪行為を扱っているからいけない”
と言っているのでもない。多様化する社会における「明文化」の意味を棚上げしていると
ころが欠陥なのである。
これは前回も述べたことであるが、価値観の多様化する社会において特定の価値観に権
威を与えようとするならば「明文化」しなければならない。逆にいえば、「明文化」するこ
とによって、さまざまな価値観を持つ人々に対して、特定の価値観を強制的に認めさせる
のである。“落書き”についても「明文化」された法律や条令などが、「いけない」と強制
しているのである。いわば「社会が正当性を強要する価値観」ということだ。
多様化する社会において「社会が正当性を強要する価値観」が存在する場合、それを無
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視して議論を進めることは適切とはいえない。PISA は「(社会で)生きるための知識と技
能」を標榜しているのだから、なおさらのことである。「朝ごはんはパンがいいか、ご飯が
いいか」というような議論とは根本的に異なるのだ。
だから、
“落書き”のようなテーマを扱う場合、
「A という価値観」
「B という価値観」
「社
会が正当性を強要する価値観」の 3 者を並べてクリティカルに評価するようにしなければ
ならない。これもまたクリティカル・リーディングの常道である。繰り返すが、この場合
も“「社会が正当性を強要する価値観」を無批判に受け入れなければならない”と言ってい
るのではない。それが自分の価値観と異なるのであれば「なぜ異なるのか」、さらには「な
ぜ世間はそれを是とするのか」を考えるのである。
このような理由から、
「落書き問題」は欧米型のクリティカル・リーディングの問題とし
ては大きな欠陥がある。このような問題が、各国の作問評価委員の目をすりぬけてしまっ
たことは驚きとしか言いようがない。
PISA の読解力の統括責任者であるジュリエット・メンデロビッツさんによれば、「落書
き問題」はフィンランドの作問グループが提案したものだという(2)。もちろんフィンラン
ドにおいても落書きは犯罪である。
*
* *
(1)『生きるための知識と技能 3』OECD 生徒の学習到達度調査(PISA)・
2006 年調査国際結果報告書 pp198-201/国立教育政策研究所編/ぎょうせい
2007 年
(2) Sokutei Report Vol.4「2006 年度・8 月国際研究会報告書」p27/東京大学大学院教育学
研究科 教育研究創発機構 教育測定・カリキュラム開発講座編
*作問者を明かさないことは「明文化」されてはいないかもしれないが「教育界が正当性
を強要する価値観」であると思う。ジュリエットさんは口がすべったようだ。大丈夫か?
<北川達夫氏ブログ第14回の引用、終わり>
うーん、北川さんの説明は非常にうまいなあ。根本的な文明観では私は北川さんの推奨
する PISA 思考には真っ向から違和感を感じるのだけれど、個々の具体的な問題になると、
彼の説明には共感が持てる部分もかなりあります。彼の論議の運び方が、「譲れるところは
譲る」という姿勢がハッキリしていて、PISA に関することでも批判を浴びそうなところは
先回りして、自分から弱点や誤りを認めてしまうので、批判・攻撃する立場の人間からす
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ると、こういう人は非常に攻めにくい、という感じがします。
例えば、北川さんは「PISA で求められている学力」について、次のように解説していま
す。
<北川達夫氏ブログ第13回の引用開始>
2009 年 7 月 31 日 金曜日 筆者: 北川 達夫
第 13 回
PISA 学コトハジメ 其ノ弐
PISA で求められている学力のことをコンピテンシーという。コンピテンシーとは「個人
の人生にわたる根源的な学習の力」とされている(1)。
急激で予測不能な変化をする社会においては、過去に積み上げた知識や経験だけでは必
ずしもやっていけない。必要に応じて新たな知識を取得し、それを“過去に積み上げた知
識や経験と関連付けながら活用する能力”が重要だというのである
この学力観の転換を、一般に「知識からコンピテンシーへ」の転換という。
ここでひとつ注意が必要なのは、この新たな学力観においても決して知識や経験の集積
が軽視されているわけではないということ。“過去の知識の集積や経験だけ”では変化に対
応できないといっているのである。知識や経験はあるにこしたことはない。ただ、それだ
けに頼っているようでは変化に対応できないというのだ。
<引用、いったん中断>
これは、「PISA2003 評価の枠組み / 科学的過程」に書かれている PISA の基本的な考
え方とは明らかに異なっています。
http://www1.rsp.fukuoka-u.ac.jp/kototoi/2008_8.html#3xx
フランス語版からの翻訳を再度引用しておくと、
<「PISA2003 評価の枠組み / 科学的過程」からの引用>
証拠やデータを主張や結論に結び付けるための才能は、すべての市民が彼等の生活のう
ちで科学によって影響を及ぼされる側面について判断を下すべき事柄にとって中心的であ
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ると見なされている。
(中略)
すべての内で最も重要なことは、すべての市民は集められた証拠とそこから導かれる結
論との間に関係を成り立たせる事が出来る必要があり、そして個人的、社会的あるいは世
界的なレベルで彼の生活に影響を与えるあれこれの行動計画を支持あるいは否定する証拠
のそれぞれの重みを計る事が出来る必要があるということである。
<「PISA2003 評価の枠組み / 科学的過程」からの引用、終了>
こういう考え方に基づいて、PISA「数学リテラシー」や「科学リテラシー」の設問では、
各問題の解答を作成するときに使用するべき「知識」があらかじめ問題文の前半に提示さ
れており、(それは、問題文が提示している「社会的環境」から考えると不適切・不自然な
場合が多い)それを「主張や結論に結び付ける」能力が査定されるわけですが、その際に
用いることが期待されている「社会に出てから実際に役に立つ学力」とは、「三段論法」と
か「個別の数値ではなく全体の数量との比を考える」とか、せいぜい3つか4つの決まり
切った思考パターンの中から、その問題に一番あてはまるものを選べるかどうかという能
力なのです。こんなものは「知識からコンピテンシーへの学力観の転換」でも何でもあり
ません。生徒たちに、私が上で説明したような PISA 問題の特徴を分かりやすく予備校の先
生あたりが1週間ぐらい特訓で解説したら、恐らく全員が PISA テストで苦もなく満点か
それに近い点数を取って、世界を驚愕させるでしょう。韓国やフィンランドの点数など、
目じゃないですよ。でも、そんなことをしても、「個人の人生にわたる根源的な学習の力」
なんかまったく付かないわけです。
フィンランドの事情に精通する北川さんは、フィンランドの教育が一部では危機に陥っ
ており、変革に迫られていることさえ、率直に認めています。
<北川達夫氏ブログ第13回の引用、再開>
いつでもどこでも「学び続ける人」になるためには、“主体的で自立的に学ぶ姿勢”が肝
要である。だれかに命令されたから学ぶというようではダメなのだ。このあたりから「教
師中心主義から学習者中心主義へ」というような発想が出てくる。教師が上から教えこみ、
上から考えさせるのではなく、子どもが自ら進んで学び、自ら進んで考えるようにしなけ
ればならないというのである。
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これがフィンランド教育においては実現しているのだといわれる。だからフィンランド
は PISA で一等賞なのだという。だからフィンランドは教育の理想郷なのだという。
だが「理想郷」の現実は決して甘くない。
多くの先進国が直面している問題であるが、民主主義の進展は「統治能力の危機」(2)を
もたらす。民主社会においては、だれにおもねることなくモノを言うことが重要である。
だから民主主義が進展すれば、だれもが権威におもねることなくモノを言うようになるの
で、伝統的な権威はどんどん統治能力を失ってしまう。また、そういう社会においては、
モノを言えば言うほど得になる傾向があるので、伝統的な道徳心をかなぐり捨ててモノを
言う人々が出現する。特に伝統的権威に対して好き勝手に要求するようになる。
これは政治学の考えかたであるが、教育にもみごとにあてはまる。民主主義の進展にと
もない、学校や先生という伝統的権威が徐々に力を失っていく。それと同時に“モンスタ
ーペアレンツ”が出現して、学校や先生に好き勝手な要求を突きつける――これは決して
日本だけの現象ではない。程度の差はあれ、多くの先進国に見られる現象なのである。
統治能力を失った伝統的権威が力を取り戻すためには、自らの権威の根拠を“言説化”
しなければならない(3)。たとえば、国家であれば法律にしなければならないし、個人の関
係においては契約を結んで“明文化”しなければならないのである。
学校においても同じこと。学校や先生が完全に権威性を失ったら、その“統治能力”を
明文化された契約によって保障しなければならなくなるのである。これをラーニング・コ
ントラクトといって、欧米の地域や学校によっては徐々に取り入れられ始めている(4)。教
育の「理想郷」のはずのフィンランドにおいてさえ、さまざまな困難を抱えた地域や学校
においてはラーニング・コントラクトを取り入れざるをえなくなっているのである。
ラーニング・コントラクトには先生や保護者や子どもの権利と義務が明文化されている
ので、考えようによっては便利な制度である。だが、悲しい制度でもある。先生が「みん
な宿題をちゃんとやってこ~い」と言えば、子どもが「は~い」と答える風景が失われて
しまうからだ。みんな“契約で義務付けられているから宿題をやってくる”ようになって
しまうからだ。これもまた「社会の変化」として受け入れざるをえないということか。
また、PISA で求められている学力を支える「主体的で自立的な学び」と、「契約で義務
付けられた学び」の間に論理的な整合性を見出すことも難しい。「契約で義務付けられた学
び」とは、命令を発するのが「先生」から「契約書」にすりかわっただけのこと。それは
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決して「主体的で自立的な学び」とはいえないからだ。あるいは「主体的で自立的に“学
びの契約”を結んだ」と解釈すべきなのか。
PISA の学力観は、困難に直面する各国の実情を踏まえて生み出されたものである。先進
国の共通の悩みに対処するために考えだされたものである。フィンランドであろうが、ど
こであろうが、決して「理想郷」は存在しない。
*
* *
(1)「コンピテンシー」について詳しくは『キー・コンピテンシー―国際標準の学力をめざ
して』ドミニク・S・ライチェン、ローラ・H・サルガニク編著/立田慶裕監訳/明石書店 2006
年
(2)「統治能力の危機」について詳しくは『民主主義の統治能力―その危機の検討』サミュ
エル・P・ハンチントン、ミシェル・クロジェ、綿貫譲治著/日米欧委員会編/綿貫譲治監
訳/サイマル出版会 1976 年
(3)“言説化されない伝統”に権威性を認めない社会のことを「ポスト伝統社会」という。
「ポ
スト伝統社会」について詳しくは『再帰的近代化―近代化における政治、伝統、美的原理』
ウルリッヒ・ベック、アンソニー・ギデンズ、スコット・ラッシュ著/松尾清文、小幡正
敏、叶堂隆三訳/而立書房 1997 年
(4)拙著『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』pp28-31/清宮普美代氏との共著/
三省堂 2009 年
<北川達夫氏ブログ第13回の引用、終わり>
PISA 基本文献の解説を愚直なまでに守り通して国語「読解力」の指導・解説をする有元
秀文さん、
PISA 基本文献の誤りをスマートに(こっそり)修正して解説・宣伝する北川達夫さん、
さて、どちらが「PISA 型リテラシー」の能力が高いのかな?
6-2.イソクラテス修辞学とプラトン・イデア論/ 2400年に渡る対立
さて、いよいよ、このシリーズも PISA の思想的源流をたずねて、考察を古代ギリシャま
で遡らせる事になりました。これを理解しておく事は、PISA の教育思想の核心を理解する
上で絶対に不可欠なのです。
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まずは、古代ギリシャについての基礎知識を復習しておきましょう。
酒井泰治「増補改訂・西洋科学・技術史序説 - 古代から近世前後の展開を中心に -」
(学書
房,平成元年)から引用します。
まず、古代ギリシャの歴史の概略を、①発展途上期、②盛期、③衰亡期にわけて見てみ
ます。
<「西洋科学・技術史序説」からの引用開始>
① 成立、発展途上期(前 20 世紀~前6世紀頃)
この前半の前 20 世紀と前 12 世紀頃に、北方よりバルカン半島へ進出した主なギリシャ
種族は、イオニア人とドリア人であった。前者は東部のテッサリアからアッチカ地域に住
みつき、後者は半島先端の、ペロポネソス半島を中心に移住した。のちにこの両地域の指
導権を握ったのは、アテナイとスパルタの各ポリスであった。初期の前 10 世紀より前6世
紀頃が、古代ギリシャにとって重要な意味を持ったが、これは彼らの精神・国民性形成期
であったためといえる。
政治制の推移は、当初の王政から初期共産制、その後貴族政へと変化を遂げていったが、
中間における商人階級の登場を機として、一部庶民の政治面への介入が始まり、金権政の
形をとりながら、民主化への道が歩まれていった。前7世紀から前6世紀にかけて、法律
の制定、改正などが行われたが、それは貧民や一般庶民の権利の向上が目的であった。こ
の時代に重要性を持つものは、軍事面の背景であって、重装歩兵戦術が採用されたことは、
貴族層と庶民間の障壁を破るのに、極めて多大の効果をあげることになる。多数の庶民階
級は、一部の潜主にそのパワーとして利用されながらも、戦争時の要員としての意味が加
味され、その地位は漸時向上していった。そしてこの後期には、早くもイオニア植民地な
どから、ギリシャ文化の創造の息吹が感じられていた。
② 盛期(前5世紀~4世紀前半)
前5世紀は、ギリシャの苦難と栄光の時期といえる。世紀初めに、東方より侵攻してき
たペルシャ帝国との戦争が開始され、苦しい 40 年間にわたる戦争期を送ることとなる。こ
の戦争は、ペルシャ帝国と、ポリスの連合したギリシャ民族がその独立を賭けたもので、
東方専制国家と西方民主制国家の衝突という意味も込められていた。このペルシャ戦争は、
その後のポエニ戦争と並んで、古代史上有名な2大戦争であったが、東方と西方の両勢力
の争いという点では、前者の方により大きな意義があった。この戦争に際し、それまで反
目し合っていたほとんどのポリスが協力して、その共通の抵抗精神を発揮した。そこには、
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ギリシャ人の心中に潜む同胞意識と、民族独立への強い悲願を読みとることが出来る。
この戦争では、前 490 年と 480 年に2回の危機があったが、共にギリシャ側は敵に大損
害を与えて撃退した。その後ペルシャの脅威に対抗するため、多くのポリスを統合してデ
ロス同盟を結成したが、アテネがその指導者となったことが、その地位の確立化につなが
った。アテネは、のちのペリクレスという優れた政治家の登場により、その絶頂期を迎え、
古代ギリシャの黄金時代を現出させた。しかし、かれの在任中、スパルタの反感が反目と
化し、ついに開戦するに至った。そして、これがアテネ衰退へのきっかけとなったのであ
る。しかもこの2年後にペリクレスは病没し、その内部的統一も一挙に崩壊のきざしが見
えてきた。
③衰亡期(前4世紀中期~同後期)
(引用、省略)
<「西洋科学・技術史序説」からの引用、終わり>
このように、前5世紀~4世紀前半にはギリシャはアテネを中心とする都市国家(ポリ
ス)の連合体であり、そこに「民会」という直接民主制に立脚する共和政治がおこなわれ
ており、驚くべき高度な文化が花開きました。西洋哲学の祖ターレス、「万物は流転する」
のことばで知られる自然哲学者ヘラクレイトス、物質の成り立ちを「4元素」から説明し
たエンペドクレス、有名な数学者ピタゴラス、物理学上「原子論」の創始者として知られ
ているデモクリトス、など賢人、哲人が輩出しました。彼らは、太陽による影の長さを測
定して地球から太陽までの距離を計算したり、日食の期日を暦の計算によって予言した、
とも言われています。
さて、それでは、私たちは PISA の問題を考える上で、なぜ、このような古代史の勉強か
ら始めなければならなかったのでしょう。その事情を「教育思想史」
(今井康雄編、有斐閣、
2009 年)から引用してみます。
<「教育思想史」からの引用、開始>
第1部
西洋教育思想の源流
第1講
レトリックと教育
古代・中世
レトリックは、古代ギリシャにおいて考案された「語りの術」である。「語りの術」ない
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し「話芸」は、もちろん世界の多くの文化の中に見出される。わが国においても落語、講
談、義太夫、浪曲などが存在する。これらの話芸には、話すことに関する多くの実践的な
ヒントが含まれている。レトリックをこれらの話芸から分かつ特徴は、レトリックを考案
し理論化した古代ギリシャ人たちが史上類を見ない理屈好きな民族だったことに由来する。
彼らはレトリックを単なる実践的な技術として扱うだけに満足せず、言葉の本質について
深く考えた。そして、その思考をもとに、独自の教養論を展開することになった。
(中略)
1.レトリックの歴史
[ホメロス:
/
レトリック的教養論の誕生
武器としての言葉]
古代ギリシャ最古の文学作品『イーリアス』と『オ
デュッセイア』は、西洋の思想と芸術の豊かなルーツである。
(中略)
ホメロスの作品においては、ギリシャ文明の揺籃期の人々の世界観や人生観が、神話や
物語を通じていきいきと描かれている。古代ギリシャ人は、ヘレニズム時代に至るまで、
ホメロスの暗唱を子どもの教育の中核に据えた。人々は、ホメロスを暗唱することを通じ
て、理想とする人間像や人生の教訓、さらには世界のあり方さえも学んだ。プラトンがい
みじくも言ったように、ホメロスは「ギリシャ人の教師」だったのである。
ホメロスの登場人物の大半は貴族であり、そこに見出される人間観と教育観は貴族に固
有のものであった。貴族の世界は、厳しい競争(アゴン)の世界であった。貴族は世襲で
あり、生まれの善さは貴族にとって必要不可欠のものであった。とはいえ、それだけでは
十分ではなかった。貴族は、自らの卓越性ないし徳(アレテー)を行為において示すこと
によって、はじめて名声を獲得し、自らの存在の意義を確認することができた。そして、
このことはライバルたちに競争で打ち勝つことによって成し遂げられたのである。戦争は、
このような競争にとってかっこうの機会を提供した。貴族はたんに敵に打ち勝つだけでな
く、味方のライバルに対しても手柄を競い合った。
貴族にとってもう1つの競争の場は、人々が集う集会であった。人々の中で雄弁を駆使
して、他の弁者に優ることは、貴族に大きな栄誉と賞賛を与えた。戦時における武勲と平
時における雄弁、これらが貴族の教育目的の両輪を形成していた。話すことは、一種の闘
争と見なされていた。言葉を武器としてとことん議論し合うという西洋の伝統は、すでに
ホメロスの時代に準備されていたのである。
[ポリスの成立: スパルタとアテナイ] ホメロスの作品に描かれている貴族の社会は、
その後、ポリス(都市国家)が成立することによって大きく変容した。ポリスは、人口が
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数百から数千人に及ぶ小規模の国家であり、当時のギリシャ文化圏に乱立し、互いに覇を
競い合った。その中で群を抜いていたのがスパルタである。スパルタにおいては国家への
忠誠心と自己犠牲が最優先され、手柄をめぐる味方同士の争いは当然の事ながら忌避され
るようになった。戦場における貴族たちの華々しい活躍は影を潜め、黙々と指揮官に従う
不屈の無名兵士たちが戦を遂行することになった。このような社会において、雄弁もまた
活躍の場を失い、寡黙が美徳とされるようになった。
雄弁が復活したのは、アテナイにおいてである。もともとはアッティカ地方の小ポリス
であったアテナイは、紀元前6世紀にソロンの改革などを通じて力を蓄え、ついにはペル
シャ戦争における活躍を通じてスパルタに並ぶギリシャの盟主となった。紀元前5世紀中
葉には、アテナイは、ペリクレスの改革を通じて民主制を徹底した。その結果、アテナイ
市民は立法・行政・司法に直接関与する事ができるようになり、彼らの投票が政治や裁判
の命運を決することになった。民主制はすべての市民に政治活動への道を開いたが、その
際に重要になったのが集会において人々を説得する弁論の能力であった。
[ソフィスト:
レトリッックの教師]
このような需要に応えたのがソフィストたちで
あった。彼らの大半は、辺境の小ポリスの出身で、自らの才能を発揮するために、ギリシ
ャ文化の中心地であるアテナイへと集まり、教師として身を立てた。彼らの代表格である
プロタゴラスは、小アジアのアブデラ出身で、自らをはじめて「ソフィスト」(知者)と名
乗り、金銭契約に基づいて教育を行った。彼は西洋における最初の職業教師であった。ま
た、ゴルギアス(前 490 頃~385 頃)は、シチリアのレオンティヌム出身で、外交使節と
してアテナイに来た際に自らのきらびやかな演説で人々を魅了し、その後レトリックの教
師として当地に留まった。
ソフィストの教育は文献学から数学に至るまで多岐にわたったが、その中核を占めてい
たのはレトリックであった。レトリックは、対立する意見が競い合う公共空間の中で、い
かにして聴衆の心を動かし、賛同を得るかという、説得の術であった。その際、ソフィス
トたちがとりわけ重視したのは、1つのテーマを複数の異なった視点から見る修練であっ
た。このような修練を通じて、ソフィストたちは、つねに変動する社会の中でそのつど適
切な判断を下すことができる柔軟な知を育成しようと努めたのである。
ソフィストたちの登場は、アテナイの伝統的な宗教と思想を大きく揺さぶった。「宗教や
道徳は、民族ごとに異なる相対的なものである」という彼らの主張は、オリンポスの神々
への素朴な信仰の上に成立していたアテナイの伝統的な世界観と道徳観に真っ向から衝突
した。同時に、金銭を受け取って徳を教育するという彼らの実践も、伝統的な共同体の中
で無償の人間形成を重視する人々の不信を買うことになった。結果として、5世紀半ば以
42
降のアテナイにおいては、新旧の教育をめぐる激しい論争が勃発した。喜劇作家アリスト
パネスの代表作『雲』(前 423,第2稿)は、この論争を誇張した形でおもしろおかしく描
いている。その際に、ソフィストたちの教えるレトリックは白を黒にする詭弁として激し
く弾劾されている。
[哲学との離別:
西洋思想の2つの潮流]
おもしろいことに、『雲』の主人公はソクラ
テスであった。ソクラテスの死後にプラトンが書いた対話篇の主人公ソクラテスは、ソフ
ィストたちを批判する哲学者として描かれている。しかし、ソクラテスの哲学は、ソフィ
ストたちがアテナイにもたらした知的な刺激と混乱抜きには存在しなかった。アテナイの
市民から見れば、ソクラテスもまた1人の風変わりなソフィストだったのである。とはい
え、次講で述べるように、ソクラテスによって始められ、彼の弟子プラトンによって確立
された哲学的伝統は、ソフィストの思想と実践を激しく弾劾し、レトリック的伝統に並ぶ、
西洋思想のもう1つの潮流を確立していくことになった。
[イソクラテスの学校]
レトリックを中心とするソフィストの教育は、紀元前4世紀に
はイソクラテスによって継承されていった。ゴルギアスの弟子であるイソクラテスは、紀
元前 390 年頃にアテナイに学校を開設した。学校の目的はポリスの有能な指導者を育成す
ることで、年に2名の正規の学生を受け入れるというエリート教育が実施された。授業料
は、アテナイ市民に対しては無償であったが、外国人に対しては当時のアテナイの中流階
級の年収の2倍に相当するほどの高額なものであった。それにもかかわらず、学校は大き
な名声を得て、ギリシャ全土の富裕な家の子弟がそこで学んだ。イソクラテスは、教育が
成功するために必要な要素を(1)素質、(2)技術(理論)、(3)練習、の3つとし、才能豊かな
人間にレトリックの理論を教示し、それを繰り返し練習させるという方法を取った。とり
わけ彼が重視したのは弁論の基本的な型の修得と討論を用いた練習であった。彼はまた歴
史の研究も推奨したが、その理由は、歴史が弁論に必要な過去のさまざまな事例や教訓を
提示するからであった。このように、歴史教育のルーツはレトリックにあったが、その際
歴史は偉人伝のような過去の範例の宝庫として理解されていた。
イソクラテスの学校は、プラトンによって同時期にアテナイに設立されたアカデメイア
とライバル関係にあり、教育をめぐって両者の間に激しい論争が展開された。
[アリストテレスの『弁論術』] レトリックに関して私たちが持つ最初の包括的な理論は、
プラトンの弟子アリストテレスによって書かれた『弁論術』
(前 340 頃)である。アリスト
テレスは、ソフィストたちの理論をおそらくは参考にしつつも、それを哲学的に体系化す
ることによって、たんなる手引き書ではない、包括的なレトリックの理論を確立した。ア
リストテレスの『弁論術』は、レトリックの理論を知るために貴重な資料である。
43
[キケロ:
教養人としての弁論家]
レトリックの理論はヘレニズム時代になるとさら
に整備され、レトリックを中核とする教育は広く普及した。
紀元前1世紀には地中海世界の覇権はローマへと移ったが、ローマ人たちは、彼らが征
服したギリシャの学問を積極的に受け入れ、アテナイのような文化都市へと自らの子弟を
留学させた。キケロもまた、このような留学組の1人だった。
キケロは名門の出ではなかったが、たぐいまれなる弁論を通じて、元老院の中心人物に
までなった。彼は、ギリシャ文化を積極的に受容し、レトリックと哲学の2大伝統をロー
マに定着させる重要な役割を演じた。
キケロは『弁論家について』
(前 55 頃)において、自らの理想の弁論家像を示している。
理想の弁論家は、当然のことながらレトリックに熟達していなければならないが、だから
といってたんなるレトリックのスペシャリストに甘んじていてはならない。彼は、自らの
技術を悪用しないためにも、道徳的な品性をもたなければならない。また、弁論が十分な
輝きをもつためには、弁論家はレトリックのほかにも、人間や社会に関するさまざまな知
識をもたなければならない。これらの知識の中枢は、倫理学を筆頭とする哲学が占めてい
る。キケロは、プラトンとイソクラテスの時代以来分断されていた哲学とレトリックを理
想の弁論家像のもとで融和しようとしたのである。同時にキケロは、弁論家がその他の「自
由人にふさわしい諸学芸」(artes liberales)を学ぶことも求めた。
「自由人にふさわしい諸学
芸」は中世においては、文法・修辞学・弁証法の三学と算術・幾何学・音楽・天文学の4
科からなる「自由学芸」として確立され、それが現代の「一般教養」(liberal arts)へと展開
することになった。
幅広い知識を背景にした言葉の達人としてのキケロの理想の弁論家は、ルネサンス・ヒ
ューマニズムによる需要を通じて、西洋の教養人の典型となった。それは、間接的には、
現代の教養論にもいまだに影響を与え続けている。
<「教育思想史」からの引用、いったん中断>
多くの日本人は、、一部の専門家を除いて、西洋の教育思想、教養思想の根幹が古代ギリ
シャのソフィストたちによるレトリック(修辞学、雄弁術)であることを知ると驚くと思
います。「ことば」こそが人間を他の動物たちから抜きんでた「知」の存在とするものであ
り、人間は、説得力ある論理を展開するための「ことば」の修練によって「知」や「徳」
を身につけてゆく、とする人間観です。そしてとりわけ、1つのテーマを複数の異なった
視点から見る修練を通じて、つねに変動する社会の中でそのつど適切な判断を下すことが
44
できる柔軟な知を育成することができる、という点が重要視されています。
ここで、前回の「PISA『落書き』問題が日本の教育界に与えた衝撃」で引用した、
「PISA
の提起する基礎基本とその課題
-
そのあいまいさの先への解釈-」と題する小笠原喜
康さんの論文の内容を思い出してみましょう。小笠原論文では、まず、PISA の基本文献で
ある『PISA 2006 年
PISA 評価の枠組』(2007)、および PISA を日本で実施している国立
教育政策研究所の「はしがき」を引用して、PISA 調査の(主催者側が主張している)目的
を明らかにしています。
<再引用、開始>
『PISA 2006 年
PISA 評価の枠組』(2007)では、
PISA 調査は、変化している世界にうまく適応するために必要な新しい知識と技能が、生涯
を通じて継続的に取得されるという生涯学習のダイナミックなモデルに基づいている。
(p.003)
としている。
(中略)
さらに別の報告書、2006 年の『生きるための知識と技能 3』の国立教育政策研究所の「は
しがき」では、次のようにのべる。
今日、新しい時代に必要とされる知識を生涯にわたり獲得し、それを仕事や地域社会、個
人の生活等で活用していく能力・技能を身に付けることは、知識基盤社会に対応する上で
鍵となるという考え方が国際的な共通認識になっています。(p. i)
(中略)
今日、国や文化を超えて生徒が身に付けるべき、広範で総合的な技能というものが存在す
ると考えられる。これには、コミュニケーション能力、対人関係能力、順応性、柔軟性、
問題解決能力、情報通信技術の活用能力などが含まれる。
(p. 010)
<再引用、いったん中断>
ここで述べられていることはまさに、古代ギリシャにおいて、多くの小さな都市国家に
分散していたギリシャ社会が、東方からのペルシャ帝国の侵略という未曾有の脅威に直面
して、「デロス同盟」を結んで、統一した社会へと変化してゆく時代に、これに対応する新
しい普遍的な思想として、『ことば』こそが人間を他の動物たちから抜きんでた『知』の
存在とするものであり、人間は、説得力ある論理を展開するための『ことば』の修練によ
45
って『知』や『徳』を身につけてゆく、とするソフィストたちが勃興して、レトリック教
育が大流行するとともに、そのことが旧来の伝統的な道徳観、価値観と衝突して、激しい
教育論争が引き起こされて行く状況と、あまりにも酷似しています。
そして、小笠原さんの結論である
しかしこの PISA が求めているのは、むしろ正答のない答えを出す力、自ら考え続ける力
ではないか。これが筆者が本稿の冒頭で提起した「PISA の提起している学力とは、いわゆ
る日常生活において知識を活用する力ではなく、正解主義ではなく、自分なりに考え続け
る力ではないのか」の意味である。
という見解は、まさに、上で引用した「教育思想史」に解説されている
そしてとりわけ、1つのテーマを複数の異なった視点から見る修練を通じて、つねに変動
する社会の中でそのつど適切な判断を下すことができる柔軟な知を育成することができる、
という、ソフィストの思想そのものを表現しているように、私には思われます。
「教育思想史」の1,2講の執筆者(加藤守通氏
東北大学)は「レトリック的教養は、
哲学的教養と並んで、西洋教育思想史の潮流を形成した。」として、「第1講
と教育」「第2講
レトリック
哲学と教育」のように講立てをしていますが、その際に「哲学」として
語られているのは、以下の引用を見れば分かるように、レトリックと同時期にレトリック
から出発して、それを批判、発展させて形成されたソクラテス・プラトン・アリストテレ
スの思想を指しています。その意味では、この「哲学」というのも、雄弁術を発展・進化
させた特殊な哲学であり、「レトリック」と言い、「哲学」と言っても、西洋教育思想の根
本は、あくまでも、「説得力ある論理を展開する」ための「ことば」の修練によって「知」
や「徳」を身につけてゆく、という点にあることが分かります。
日本人の伝統的な考え方の中にも「言霊(ことだま)」とか「文は人なり」というような
ものもありますが、これは西洋の「説得力ある論理を展開する」という考え方とは全く違
います。日本人が考える「言葉の修練」と言えば、和歌や俳諧のような、「情緒」を中心と
するものです。直江兼嗣が徳川家康を糾弾した「直江状」なども、「説得的に相手を論破す
る」様なものではなく、
「激情を込めて相手を激しく糾弾する」ものであり、日本人の「こ
とば」や「文章」に関する感覚が「論理」よりも「情緒」に傾いている好例であると思
います。
46
私が PISA の設問やその基本思想の解説である「評価の枠組み」を読んで、大きな違和感
を感じるのは、そこにソフィストの「雄弁術」の思想を強く感じるからであり、そのソフ
ィストの思想とは、相対立するイソクラテスとプラトンという2大巨頭のどちらからも、
「弁論技術の偏重」として批判された、「巷(ちまた)のソフィストたち」の思想です。
<「教育思想史」からの引用、再開>
第2講
哲学と教育
レトリック的伝統と並んで西洋の教育思想にはかりしれない影響を与えたのが、哲学的
伝統である。紀元前5,4世紀にアテナイで生まれたこの伝統は、古代のみならず、中世、
そして近現代に至るまで強い影響力を持ち続けている。しかも、その影響は、西洋を超え
て世界的なものになりつつある。「個人の尊厳」や「真理と正義を愛する」ことといったわ
が国の教育の世界で使われる概念も、その起源をたどれば、この伝統に帰着する。本稿で
は、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの3人に焦点を当てて、古代ギリシャにおけ
る哲学的伝統の誕生と確立を教育思想史の立場から概観する。
1.ソクラテス
[哲学とは何か] 「哲学」という用語は、西周(にしあまね)がギリシャ語の philosohia
を「希哲学」と翻訳し、その後「希」が省かれることによって成立した。philosophia とい
う用語の使用は、ピュタゴラス学派にまでさかのぼるが、それを自らの活動のキーワード
とし、はかりしれない影響を後世に与えたのは、ソクラテスである。
ソクラテスが philosophia あるいはその動詞 philosophein を用いるとき、そこにはア
イロニカルな論争的な意味が込められていた。彼は、自分が知者(sophos)ではないこと、
自分は知恵(sophia)を所有せず、むしろそれを愛し求めている(philein)ということを
主張した。哲学は、無知の自覚と結びついていた。ソクラテスにとって、無知の自覚は、
知的な探求の出発点であり、原動力であった。
[ソフィストによる知の民主化と相対主義]
ソクラテスの立場は、今も昔もきわめて異
例なものであり、このことがソクラテスを思想史における唯一無二の存在にしている。
ギリシャ思想史の草創期は、ターレス、アナクシマンドロス、ピュタゴラス、パルメニ
デス、ヘラクレイトスといった知者たち(sophoi)の時代であった。彼らは、大衆から距離
を保ち、世界の起源や構造に関する特権的な知の所有者として振る舞った。知者たちは、
47
精神世界の貴族だったのである。
しかし、アテナイのような民主国家が出現すると、大衆の思想により適応した、民主的
な思想が要請された。それに応えたのがソフィストである。「万物の尺度は人間である」と
いうプロタゴラスの言葉が示しているように、知はもはや一握りの知者たちの専有物では
なくなり、「私」や「あなた」といった意味でのそれぞれの「人間」の見解が尊重されるよ
うになる。その結果、多種多様な見解が生じるが、それらを調整するために、討論や弁論
が重視されるようになった。ソフィストのレトリック教育はこのような背景をもっていた。
ソフィストによる知の民主化は、当時の道徳や教育に大きな混乱をもたらした。道徳の
領域では、善悪や美醜といった価値は、それぞれの民族に応じて(それどころか、極端な
場合には、それぞれの個人に応じて)異なると主張する相対主義が勃発し、伝統的な道徳
の地盤を揺り動かした。このことによって、伝統的な社会が行っていた教育も自明性を失
い、新旧の教育の是非を巡る教育論争が勃発した。第1講で示したように、この教育論争
の貴重な資料がアリストパネスの『雲』である。奇妙なことに、『雲』ではソクラテスが新
しい教育を提唱する破廉恥なソフィストとして描かれている。このことは、ソフィストの
思想とソクラテスの哲学が、当時のアテナイの人の目からは区別されなかったことを示し
ている。それは、なぜだろうか。ここで哲学とソフィスト思想の関係に再度目を向けてみ
よう。
[哲学とソフィスト思想]
哲学とソフィスト思想は、しばしば互いに相容れないもので
あると見なされている。この見解の生みの親はプラトンである。プラトンは、彼の著作の
主人公ソクラテスを、ソフィストたちを論駁するヒーローとして提示し、プラトン哲学が
知的世界で支配を確立すると、ソフィストたちはたんなる「詭弁家」と見なされるように
なった。
とはいえ、ソクラテスが登場するためには、伝統的な道徳観がソフィストの相対主義に
よって十分に流動化されている必要があった。特定の道徳観によって強く縛られているス
パルタのような社会では、哲学は芽生えない。善悪や道徳に関する既存の考えが揺り動か
され、これらのテーマに関して議論することが意味をもったとき、はじめて哲学が生まれ
た。そういった意味で、哲学とは、紀元前5世紀後半にアテナイで起きた教育論争の副産
物であるともいえる。
この論争において、ソフィストたちは、相対主義の視点から、特定の社会の伝統に束縛
される既存の道徳観の狭さを指摘した。しかし、「ソフィストの相対主義は、既存の道徳観
を批判した結果、いかなる道徳にも縛られない無責任で放縦な人間を育成する」という根
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強い批判も存在した。『雲』の作者アリストパネスはその代表である。このような非難は必
ずしも的を射たものではない。というのも、ソフィストたちは(少なくとも、プロタゴラ
スやゴルギアスのような第1世代のソフィストたちは)、既存の道徳観に縛られない多面的
な視点をもつことを強調するだけでなく、刻一刻と変化してゆく政治の世界の中でそのつ
どの状況に応じて適切な判断を下す判断力の育成にも配慮していたからである。とはいえ、
当時進行していたペロポネソス戦争が長期化し、デマゴーグたちがアテナイを崩壊へと導
いていったとき、その責任の一端はソフィストたちに帰せられることになった。
ソクラテスもまた、この教育論争に関与したが、彼がとった道は、伝統的な道徳観でも
ソフィストの相対主義でもない、第3の道であった。彼は、伝統的な道徳がもはや効力を
失ったことを認める。伝統的な道徳観にとって、勇気や節制や正義が何であるかは自明の
事柄であって、理論的な正当化を必要としないものであった。それどころか、理論的な正
当化を問うこと自体が、ある種の冒涜と思われた。それに対して、ソクラテスの哲学は、
勇気や節制や正義といった徳が何かを知らないという自覚に基づいていた。もっとも、だ
からといって、ソクラテスはソフィストの相対主義に与して、徳が文化に応じて相対的で
あると主張したわけではない。ソクラテスにとって、勇気や節制や正義はあくまでも1つ
の普遍的なものであり、人生を賭して真摯に追求されるべきものであった。ソクラテスが
重視した「魂の配慮」は、この追求と不可分のものであった。
このように、ソクラテスは独自のしかたで教育論争に参加したが、伝統的な道徳の崩壊
を憂うる保守主義者たちの目から見れば、徳をめぐるソクラテスの問いは、伝統を破壊す
る危険な思想と映った。結果として、ソクラテスは、紀元前 399 年に、新規な神々を導入
し、青少年を堕落させたという罪状のもとに訴えられ、死刑に処せられることになった。
[ソクラテスの問いの射程]
ソクラテスは、アテナイ市民にとってソフィスト以上に苛
立ちのもとであり、その結末がソクラテスの不当な処刑であった。アテナイ市民を苛立た
せたのは、ソクラテスの奇怪な容貌でもなければ、主義主張でもなかった。人々を苛立た
せたもの、それは彼の問いとそこから生じた行き詰まりの状況(アポリア)であった。
プラトンの初期の対話篇におけるソクラテスは、歴史上のソクラテスをかなり忠実に映
し出しているとみなされている。そこでソクラテスは、美や勇気や節制や正義などの重要
な事柄に関して、それらに関した知識を有すると自ら標榜する人物に向けて主に問いを発
し、問いの意味を相手に忍耐強く説明し、問いに対する相手の答えを入念に吟味し、最終
的にそれを反駁する。結果として、誰ひとりとして彼の問いに答えることができず、多く
の人々がソクラテスに自分の見解を反駁されて憤りを感じることになった。
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ソクラテスの問いはアポリアに終わるので、一見すると不毛な、それどころか破壊的な
ものに見える。しかし、われわれはこの問い自体がもつ革新性を見逃してはならない。ソ
クラテスの問いは、「勇気とは何か」
「正義とは何か」「美とは何か」といった形式をとって
いるが、驚くべきことにソクラテスの対話の相手は、ほとんどが相当の知識人であるにも
かかわらず、この問いの意味を理解しない。彼らの最初の答えは、「勇気とは、敵に背を向
けないことである」「正義とは、借りたものを返すことである」「美とは、乙女である」と
いったものであった。これらの答えは、勇気や正義や美の範例(example)を挙げて満足し
ている。つまり、対話の相手にとって「勇気とは、正義とは、美とは、何か」という問い
は、「何が勇気、正義、美なのか」という問いと同じものであった。実際、ホメロス以来、
ギリシャ人は、神話や物語によって伝承されてきた具体的な範例のもとに勇気や正義や美
を理解していた。ギリシャ人は、勇気と聞いて、『イーリアス』の主人公アキレウスを、美
と聞いて、美女ヘレネを思い浮かべた。それはちょうど、民話やおとぎ話、さらには現代
においてはアニメや映画が道徳の範例を提供しているようなものである。ソクラテスの問
いは、このような範例の提示に満足しない。彼は範例の狭さや一面性を指摘し、あらゆる
状況に該当するような普遍的な答えを要求した。この要求がいかに未曾有なものであった
かは、当時の人々の無理解が証明している。とはいえ、道徳教育論は、ソクラテスによっ
て新たな次元へと突入した。特定の社会の範例や規則に縛られない、普遍的な価値の追求
が始まったのである。
2.プラトン
「イデア論] ソクラテスの弟子プラトンの思想の根幹は、イデア論と霊魂不滅論である。
ソクラテスは、「Xとは何か」という問いによって、あらゆる状況に当てはまるXの普遍的
な存在を想定した。たとえば「美とは何か」という問いで問われている美は、美しい乙女
にも、美しい壺にも、美しい行為にも妥当するものでなければならない。また、時ととも
に消滅したり、他と比較して醜く見えたりするものは真の美とは見なされない。プラトン
は、ソクラテスのこの考えを継承すると同時に、さらに大きな一歩を踏み出して、勇気や
正義や美といったものが、時間や空間に束縛されたこの世界のかなたに現実に存在してい
ると主張した。このような時間や空間の束縛を越えて存在する真の存在を、プラトンはイ
デアと呼んだ。イデア論を提唱することによって、プラトンは師ソクラテスとは違う独自
の思想を展開することになった。
[霊魂不滅論]
イデア論と表裏一体をなすのが霊魂不滅論である。私たちを取り巻く世
界は、生成と消滅がくり返される世界である。それに対して、イデアは、このような世界
を超越した永遠性の中に存在する。それでは、どのようにして人間はイデアを認識するこ
とができるだろうか。ギリシャ語において「人間」は「死すべき者」とも呼ばれていたよ
50
うに、古代ギリシャ人は(ピュタゴラス学派のような例外を除いて)死すべき人間を不死
なる神と対比してとらえていた。しかし、もそも死が支配する領域の中に人間が閉じ込め
られているならば、人間は、死を超越した永遠性の領域を知ることはけっしてないであろ
う。プラトンは、ピュタゴラス学派から魂の永遠性を取り入れることによって、この問題
を解消した。魂がイデアを認識できるのは、魂自体が不滅であり、永遠性と深い関わりを
もっているからである。プラトンはこの思想を、「人間の魂は地上の肉体のもとに生まれる
以前にイデア世界に留まっていた」という神話によって表現した。魂の本来の故郷はイデ
アの世界である。地上での生はあくまでも仮の宿であり、肉体は「魂の牢獄」なのである。
霊魂不滅説は、プラトンの『パイドン』
(前 385 頃)において最初に説かれ、
『饗宴』
(前 385
頃)や『パイドロス』(前 370 頃)などの著作において繰り返し論じられている。
[永遠性への帰還としての教育]
イデア論と霊魂不滅論を通じて、プラトンは教育に新
たなる領域と課題を提示した。ホメロスの詩においては、人間の魂は死後にも冥界に存在
するが、それは肉体という活力の源を失った影のようなものであった。したがって、ホメ
ロスの英雄たちが期待できた唯一の不死性は、地上の世界における名声のみであった。ソ
フィストの相対主義も、有為転変する地上の生の相対性を指摘したが、それを越えた永遠
の領域の存在を認めることはなかった。ホメロスにおいても、現世における成功が教育の
目的だった。
それに対して、プラトンは、永遠性の領域を人間の魂本来の故郷と見なし、魂はこの故
郷への帰還をめざすべきであると主張した。教育もまた、この文脈の中でとらえられるこ
とになる。もはや現世における成功が教育の目的ではなく、来世においてイデアの世界に
帰還するための準備としての魂の浄化と自己変容が教育の目的となった。このことは、プ
ラトンの教育思想に従来にないダイナミズムを与えたが、同時に現世と来世、肉体と魂と
いった二元論を生み出すことにもなった。
[想起と学習]
学習に関するプラトンの見解も、イデア論と霊魂不滅論を背景にしてい
る。『メノン』(前 402 頃)においてプラトンは、主人公ソクラテスと奴隷の少年との対話
を通じて、まったく数学の教育を受けていない少年が、ソクラテスからの問いに1つひと
つ答えていくことを通じて、数学の公理を発見する過程を描いている。ここで少年は、ソ
クラテスの援助を受けつつも、自らの力で無知の状態から知の状態へ移行している。なぜ
このようなことが可能なのだろうか。少年は、潜在的に数学の公理を知っており、ソクラ
テスの問いによって、その記憶を呼び起こされたのである。
この潜在的な知の意味は、イデア論と霊魂不滅論を通じてはじめて明らかになる。両者
は『メノン』においてはいまだ主張されておらず、その後に書かれた『パイドン』におい
51
て現れている。とはいえ、『メノン』の学習論と『パイドン』のイデア論+霊魂不滅論は以
下のしかたで一緒に考えるべきである。すなわち、人間の魂は不滅であって、この世界で
肉体に宿る前に、イデアの世界をかいまみていた。その時の記憶は、この世界へと魂が下
降する際にほとんど失われたが、それでもわずかに残っており、適切な補助が提供されれ
ば、徐々に記憶を取り戻すことができる。学習とは、イデアの世界に関する失われた記憶
の想起なのである。
[エロス論]
エロス(恋)に関するプラトンの思想も、イデア論と霊魂不滅論を背景に
している。ギリシャ悲劇のエロスが人間を襲う不条理な欲望であったのに対して、プラト
ンのエロスは、かってかいまみた美のイデアに関する憧憬であり、そこへと帰還しようと
する欲動である。しかし、当時のギリシャにおいてエロスはあくまでも肉体的な次元に留
まっていたのに対して、プラトン的なエロスは、肉体を越えて、美しい魂への愛、美しい
学問や制度への愛、そして最終的には美のイデアへの愛へと変容していく。エロスの対象
が美のイデアであるのは、美が他のイデアと比べてもっとも光り輝くものだからである。
それは、美しい肉体として、万人の眼前に現れている。しかし、美を追求すればするほど、
私たちは死すべき肉体を越えた永遠性の領域へと導かれていく。
プラトンのエロス論は、『饗宴』と『パイドロス』にて論じられているが、『饗宴』にお
いてはエロスとソクラテスの類似性が強調されている。ソクラテスはエロスにもっとも長
じた人間として描かれているが、それは哲学がもっともエロス的な営みであり、エロスの
欲動は哲学において完成するからである。
[『国家』の教育論:
音楽と体育]
永遠性への帰還へのエロス的欲動としての哲学。こ
の思想は、『国家』(前 375 頃)の教育論にも反映している。
この著作において、プラトンは、理想の国家における教育について語っている。教育の
最初の段階において重視されるのが、音楽と体育である。当時の音楽はつねに言葉を伴っ
ており、音楽と詩とはほとんど同義語であった。したがって、音楽教育においては詩人の
作品が用いられることになるが、プラトンはホメロスやギリシャ悲劇の作品を教育的な観
点から厳しく弾劾している。体育も音楽と並んで重視されたが、それはたんに体育が肉体
を強化するためではなく、魂の気概的部分を育成するからであった。プラトンは人間の魂
を、理知的部分、気概的部分、欲望的部分の三者からなると考え、音楽による理知的部分
の育成と体育による気概的部分の育成がバランスのとれた人間を形成すると考えた。音楽
教育だけでは、人間は軟弱になり、体育教育だけでは、無骨になるのである、プラトンの
初期教育論の背景には調和の哲学がある。
52
[『国家』の教育論:パイディア]
『国家』における教育論は、国家の指導者たちの教育
において完成する。そこに描かれているのは、プラトンの高等教育論ともいうべきもので
あり、プラトンはそれをパイディアと呼んでいる。パイディアというギリシャ語は、もと
もとは「子育て」という程度の日常的な意味しかもっていなかった。それに対して、プラ
トンは超越的な世界へと魂を振り向かせ導くこととしてこの言葉を理解した。
パイディアに関するプラトンの思想は、『国家』第7巻の「洞窟の比喩」に凝縮されてい
る。そこで人間は、洞窟の奥に拘束されている囚人と比較される。この囚人は、薄暗い壁
に顔を向けて縛られており、後ろで燃えている火がこの壁に投影するさまざまな幻影しか
見ることが出来ない。かりに誰かが囚人の縄を解いたとしても、囚人は、振り向きざまに
火を見るやいなや、目に痛みを覚えて、もとの境遇に戻ってしまう。したがって、囚人が
解放されるためには、少しずつ目を光に慣らして行くことが必要である。そうすることに
よってようやく、囚人は火を見、さらに洞窟の外へ出て事物を見、そして最後にはすべて
の光の源である太陽を見ることができる。
この比喩において、教育(パイディア)は、人間を越えた超越的な存在(太陽は、プラ
トンによれば、すべてのものの存在と認識の源である「善のイデア」の象徴である)に向
かう自己変容のプロセスとして描かれている。このような自己変容が可能であるのは、人
間の目の中にすでに太陽の光が宿っている(すなわち人間の魂はイデアの世界の記憶をも
っている)からである。
「洞窟の比喩」の教育論は、アカデメイアのカリキュラムを反映している。プラトンは、
この比喩の解説の中で、目が徐々に光になじんでいく(つまり魂が徐々にイデアの世界へ
と順応していく)ための補助として、数論・幾何学・立体幾何学・音楽・天文学そして最
後に弁証法という順でのカリキュラムを提供している。これらの学問は、人間の魂を具体
的で経験的な世界から出発して徐々にイデアの領域へと高めていく、エロス的な機能を有
しているのである。
<「教育思想史」からの再引用、終わり>
教育の目的は、現実の社会生活の中で立派に生きていくための良識ある教養人を育てる
ことなのか、それとも、実生活の束縛から一歩一歩解放されて、究極の真理・善・美の世
界に魂を導いていくことなのか、この思想的対立は、これ以降、2400年後の今日に至
るまで、歴史の中でくり返し、現れてくることになります。
以上、「西洋科学・技術史序説」および「教育思想史」からの引用によって、本項の主題
53
である「イソクラテス修辞学とプラトン・イデア論
/ 2400年に渡る対立」を理解す
るための予備知識が準備できました。以下に、古代ギリシャ哲学の専門家である廣川洋一
氏による「イソクラテスの修辞学校 / 西欧的教養の源泉」(講談社学術文庫)を勉強して
行きます。
まずは、「イソクラテスの修辞学校 」の冒頭からの引用で、この書物を
著した廣川氏の問題提起を見てみましょう。
<「イソクラテスの修辞学校 」からの引用開始>
I 序の章
ヨーロッパ文化はたんなる多様ではない。それは歴史的に共通なものをもつ、つまりギ
リシャ・ローマ文化とキリスト教とをその共通の祖先としてもっている、といわれる。あ
るいは、ヨーロッパとは古典古代(ギリシャ・ローマ)の伝統とキリスト教、それにゲル
マン民族の精神、この三つが文化の要素としてあらゆる時代、あらゆる事象に組み合わさ
れたものだというふうにもいわれている(増田四郎『ヨーロッパとは何か』岩波新書)。こ
のことはすでに私たちの常識となっているといってよいだろう。けれども、ヨーロッパが
受け継いだギリシャ・ローマ文化、古典古代の伝統とはいかなるものであったか、この点
を的確にしかも簡潔に説明することは容易なことではないだろう。前八世紀あるいは前九
世紀に開花し、アテナイのプラトン学園の閉鎖(529 年)などによって古代世界が終焉する
まで 1300 年余の間古代世界を支配してきた文化の総体はそれ自体多様で巨大だからである。
しかし、この問題についても手がかりがないわけではない。それは、古典文化の伝統を
<パイディアー>--”教養”と同時に”教育”を意味する--として把握しようとする方途で
ある。ギリシャ人が人間の教育ということについて、おそらく最もよく省察し、意欲し、
実践した民族に属したであろうことに、そして人間たることの自負をなによりも”教育・
教養”にたいする自負に結びつけた人びとの代表的存在であったことに、あまり異論はな
いだろう。特別の職業人や専門家になるための職業教育ではなく、人間が真に人間となる
ための、たんに”人間としての完成”を目的とする教育は、ギリシャにおいて真に自覚的
にそして組織的に実践された。
無教育な人間(アパイデウトス)であるよりは、むしろ乞食(エパイテース)であるほ
うがましだ。乞食に欠けているのは金だが、無教育な者には”人間性”(ανθρωπιο
μοσ)が欠けているから
(DIOGENES LAERTIUS 2.70)。
(柴田の注:廣川氏が、無教育な人間(アパイデウトス)と乞食(エパイテース)のギリ
54
シャ語を付けたのは、意味的な対比だけでなく音韻的な対比のレトリックを読者に示すた
めと思われます。)
という、ソクラテスの弟子アリスティッポスの言葉はギリシャ人たちの、端的に人間性の
完成によせる熱情を私たちにも感知させないではおかない。専門特殊的な--ギリシャ風にい
えば”奴隷的”な--職業教育では”ない”、人間が人間となるための教育はしかし、どのよ
うな内容をもつものだろうか。真に教育された教養ある人、人間性の完成が実現されるた
めには、いかなる教育が与えられねばならないか。この理想的な人間形成のために、与え
られるべき教養の内容もかならずしも一様であったわけではない。アウグストゥス時代、
一世紀頃の大技術家ウィトルウィウスは、私たちがさきにみたアリスティッポスにふれて
つぎのように述べている。
ソクラテス派の哲学者アリスティッポスは難船してロドスの海岸に打ち上げられ、そこ
に”幾何学的図形” geometrica schemata が描かれてあるのに気づいたとき、仲間の者た
ちに向かって「きっといいことがあるぞ。”人間の痕跡”hominum vestigia がここに認め
られるから」と叫んだといわれている(VITRUVIUS; De Architectura 建築術について
6.1)。
(中略)
難船した人物が、のちにキュレネ学派の祖となるアリスティッポスであったか、あるいは
プラトンであったかは不明だが、いずれにせよ、この人物がソクラテスの弟子であり、”哲
学者”であったことに注目すべきだろう。「無教育な人間であるよりは、むしろ乞食である
ほうがまし」と述べたのはアリスティッポスであったが、この人物の”教養”観をその端
的なかたちにおいてここに読むことができる。彼がロドスの浜辺で認めたのは、たんなる
人間の”足跡”vestigia では”ない”。それは、人間が真に人間であることの、教養ある人
間の”しるし”vestigia なのである。キケロの報告はさらにくわしいが、この難船者が真
に人間の跡として認めたものは「耕作された畑地 agri consitura」ではなく、教育ある人間
の痕跡としての「学問のしるし doctrinae indices」であった。
(柴田の注:ここでは、食料
を生産する肉体労働の場である畑地と学問の象徴である幾何学とが対比されていますが、
さらに、西洋言語で「文化・教養」を意味する culture (Kultur) の語源が「耕す」(cultivate)
から来ていることを陰に示唆しているのかも知れません)
。専門的職業人ではない、ただ人
間としての完成を目的とする教育・教養の内容は、この人物--プラトンあるいはアリスティ
ッポス--においては、このエピソードに象徴されるように、幾何学・数学など厳密な学問を
修めることによって、あるいは今日ふうにいえば、数学的精神のもとになされる数学的
教育課程を修めることによって到達されうるもの、とひとまず私たちは考えることができ
55
るだろう。
アリスティッポスのことはしばらく措くとしても、プラトンが描く理想的人間像として
の、いわゆる哲人統治者の教育計画案は、大きく見れば「幾何学図形」を真に人間らしい
人間の”痕跡”とする教育観あるいは教育理念にそうものである。(廣川洋一「プラトンの
学園
アカデメイア」岩波書店)。プラトンが「国家」(Respublica 7.502C-541B)で哲人統
治者はいかなる教育をうけるべきかという論議とそのための詳細なプログラムを提示した
ことは広く知られているが、この教育案の内容はほぼつぎのようなものであった。まず準
備科目、いわば”前奏曲”としての算数、平面幾何学、立体幾何学、天文学そして音楽理
論からなる数学的諸科学の学習が必須とされている。これらの前奏曲を十分演奏しうるに
いたった者だけが、はじめて”本曲”としての哲学的問答術 η διαλεκτικη τ
εχνηの学習と研究をなしうるのである (532 A)。これらの学科をいつ、どのように課す
べきか、その具体的なプログラムを省みておこう。まず17~18歳までの少年期に、右
の数学適所学科を、強制的にではなく自由に学習する (536 DE)。また、20歳まで2,3
年の強制的体育訓練が課される。つぎに20歳から30歳の期間に、それまでばらばらに
雑然と学習した数学的諸科学を総合的にみうる視点と視力を、つまりそれら数学的諸科学
相互の内的結びつきを全体的立場から綜観する力を獲得するようつとめなければならない
(537 C)。ついで30歳から35歳の期間に、選ばれた者たちのみが、哲学的問答術の学習
と研究を許される(537 D; 539 DE)。そして50歳にいたるまでの15年間は公務について
経験をつむ(539 E)。最後に50歳以後は、小数の最優秀者たちが全存在の究極原理である
「善のイデア」の認識に到達し、このあと交替に哲学研究と国政の任にあたる(540 AB)。
あらためていうまでもなく、この教育案で私たちの目に際立つのは、数理的学問の集中
的学習であろう。理想的人間像としての哲人統治者、プラトンにとっての真の”教養人”
は、数理的学問によるきわめて長い陶冶の道--30歳にいたるまで!--を歩まなければなら
ないのである。”数学”を人間の教養の内容とするような教育観・教養理念--数学は今日人
間教育としての普通教育の必須科目とされている--は、ギリシャにおいて初めて成立したも
のであり、それ自身ひとつの歴史的所産なのである(下村寅太郎「科学史の哲学」評論社、
第2章「精神史における数学の位置」参照)。古代東方において測地の法にすぎなかったも
のを、”学”としての幾何学 γεωμετρια としたのは、タレスを始めとするイオニ
アのギリシャ人であったが、さらにこの学知を自由人が”教養”のために学びうるものに
したのはピュタゴラスであったといわれている(廣川洋一「ピロソピアーとしての学の生
成--測定術から新しい測定の学へ--」斉藤他編「ヨーロッパにおける学の生成」東海大学出
版会)。
プロクレスはその「エウクレイデス幾何学原論
第1巻注釈書」においてつぎのように
述べている。
56
彼ら(タレス、マメルコス、ヒッピアス)のほかに、ピュタゴラスは”かの学”
(幾何学)
を自由教養の一科目 οχημα παιδειαζ ελενθερον へと転化せしめ
たのである。この学の原理をより高い次元から追求することによって、また非物質的・精
神 的 な 仕 方 で 諸 原 理 を 探 求 す る こ と に よ っ て (PROCLUS; In primum Euclidis
Elementorum librum commentarii)
”教養”としての数学観を、私たちはプラトンにおいていっそう明確に、より組織的な
かたちで認めることができるだろう。幾何学図形を真に「人間的な痕跡」とみる教養の伝
統は、プロクロスを信頼するなら、ピュタゴラスに始まり、プラトンへといたる、ひとつ
の巨大な流れを形成しているのである。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「無教養であるよりは、むしろ乞食であるほうがまし」という願いは、多くのギリシャ
人に共通した願望というべきだが、その教養の内実は、私たちが今省みたアリスティッポ
ス、プラトンの幾何学的図形を”教養のしるし" doctrinae indices とみる流儀のものがた
だひとつあったのでは”ない”。プラトンと同時代の、弁論・修辞家イソクラテスの立場は、
これとは異なっている。彼は、われわれ人間は動物とくらべて、脚の早さや体力など多く
の点でいっそう劣っているが、ただひとつわれわれには「相互に説得しあい、われわれの
求めるものを明らかにする能力」が生来備わっていることから、野獣の状態を脱しえたの
みならず、都市を建て、法を創り、もろもろの技芸を起した(ISOCRATES; Antidosis [De
Permutatione] = 「アンティドシス」
(「財産の交換について」
)253-254)と述べ、人間の全
文化が”弁舌”と”説得の力”から生じたことを熱をこめて語っている。人間が他の動物
と異なるのは、”言葉”λογοζ の点においてである。したがって、この言葉を錬磨し
育成することこそ人間が最も人間らしくなる方途である、イソクラテスがアテナイ人に勧
めるのは、このような、言論を人間形成の中核とする教養理念である。人間が言葉をもつ
ことにおいて他の動物と隔絶していると述べるだけでなく、彼はさらに、ギリシャ民族が
異民族(バルバロイ)よりも秀れているのは、
「言論と思慮において」一段とすぐれて”教
育されている”πεπαιδενοθαι ことによる(Antidosis 294)とし、「ギリシャ
人」なる呼称は、自然的な血のつながりを示す言葉ではなく、むしろこのような”われら
が教養”に与(あずか)る者τονζ τι παιδενοεωζ τιζ ημετερ
αζ の謂だ(Panegyricus = 「民族的祭典演説」55)と語っている。こう述べるイソクラ
テスは、話す能力、文章を作り出す力を”人間に固有なもの”humanus とみ、この力をい
っそう磨き育てることを、人間がよりいっそう真正の人間となる humananior より多くの
人間性をもつ者となるための教育の内実と考えていたといえるだろう。
57
二世紀の文人ゲリウスは、ローマ人のいうフーマーニタス humanitas がギリシャ語の
パイディア -- παιδεια -- 教育・教養 -- に相当し、秀れた学芸によって強化され
洗練されること eruditio institutioque in nonas artis を意味すると解説し、この学芸を意
欲し熱望する者こそ、真の意味において”最も人間的”humanissimi なのであり、しかも
この種の学芸はすべての動物のうちでも、ただ人間にのみ許されたものだと述べている
(AULUS GELLIYUS; Noctes Articae = 「アッティカの夜々」13.17)。彼のいう”最も人
間的”な人物の教養の内実を私たちはどのようなものと解したらよいであろうか。この書
物のなかで彼が引用する、キケロと同時代の学者文人ウァロの証言がこの教養の内容をは
っきりと示してくれるように思われる。ウァロは、プラクシテレスはその秀れた芸術作品
のゆえに、いやしくもフーマニオール humanior である者 -- 並みの人間以上に人間的で
ある者 -- には、その名を知られぬということはない(VARRO; Antiquitatus rerum
humanarum = 「人界故事大全」)と述べていた。このことは、ゲリウスの解説をまたなく
とも、フーマニオールが、たんに人づきのよい、親切な人についていわれたものではなく、
一段と教養があり学識に富む人物 eruditiori doctiorique を意味していて、さらにその教養
は、たとえばギリシャの秀れた彫刻家プラクシテレスの芸術を理解しうることを、その内
容とするものであったということができるだろう。それは本質的に美的・芸術的・文学的
であって、数学的ではなかったのである。
われわれは人間と呼ばれている。だが、われわれのうち、人間性にふさわしい学問によ
って”教養を身につけた人々だけが人間”homines esse solos eos qui essent politi なので
ある(CICERO; De Republica = 「国家について」)
と述べたキケロの言葉は、ギリシャ人の教養・教育への意欲がローマ人のうちにもはっき
りと受け継がれていたことをなによりも雄弁に語っている。そしてここにいわれる「人間
性(フーマニタース)にふさわしい学問 propriis humanitatis artibus」は、文学・修辞学・
歴史・哲学をその内容とするものであった。ここでの”哲学”は、プラトン・アカデメイ
アが実践していた精緻な数学的・論理的形而上学ではなく、全ての面で最も人間的な人間
であること、そして自分以外のすべての人びととの関係において人間的であることを意欲
するキケロにとって、それは、むしろ広く人間の行為あるいは人間社会にかかわる道徳(哲)
学であり政治(哲)学を意味した。
「われわれが野獣どもにたいしてはるかに優位に立つの
は、まさしくこの一点、すなわちわれわれがたがいに”話を交わし”あい、われわれの”
思念を言葉によって表現しうること exprimere dicendo sensa possumus においてなの
だ」
(CICERO; De Oratore = 「弁論家について」1.32)と述べ、弁論・修辞術が人間と野
獣を区別する言語能力を最高度に発達させ、人間を未開から文明の状態へと高める原動力
となった(De Oratore 1.33)と語るキケロは、すでにみたイソクラテス的な修辞学的教養
58
伝統の正しい継承者なのである。キケロの「人間性にふさわしい学芸」の内実は、したが
ってこれを総じていえば、文学的・修辞学的教養とみることができるだろう。
ギリシャ・ローマ文化の伝統を全体として理解するのに、<パイディアー>の視点から
それを試みることが、少なくともひとつの正しい道だと考え、これについて省みてきたが、”
教養”の内実には二つの型があることを私たちは認めなければならなかった。プラトン・
アカデメイアにおいて組織的に行われた、いわば”数学的哲学的教養”と、イソクラテス
において確立された”文学的修辞的教養”である (MARROU, H.-I.; Histoire de l'Education
dans l'Antitiquite, Paris, 1948)。幸・不幸は定めがたいが、イソクラテス的”教養”がロ
ーマ世界に及ぼした影響は、プラトンのそれにくらべてはるかに広汎で深刻であった。ギ
リシャの純理論的諸学が継承されず、ギリシャから学んだ唯一の学術は弁論術だけであっ
たとさえいわれるローマ世界を思うなら、この間の事情を私たちも容易に理解することが
できるだろう。プラトン的・数学的教養理念も、たとえ形の上だけであったとはいえ、い
わゆる自由七学科における「四学科 quadrivium」として、あるいは姿を変えてスコラ哲学
のうちに、存続したといえるだろう。しかし、中世初期の数世紀において文化的・歴史的
ヨーロッパの基礎が形成されたとき、ヨーロッパが受け継いだ古典文化あるいは端的に”
教養”理念は、基本的に、イソクラテス的・修辞学的なそれであった。
プラトンが「国家」において原理的に描き、あるいはアカデメイアにおいて実践しよう
と試みたものは、人間の形成(パイディアー)、教養ある人間の形成であった。けれども、
プラトン・アカデメイア的”教養”の理念は、すでに述べたように、ヨーロッパにおいて
一般に受容されることはなかったのである。このことはしかし、ヨーロッパ文化の全歴史
を通して肯定されるわけではない。イソクラテス的・修辞学的教養は、ヨーロッパの形成
期にローマから受け継がれ、ルネサンスにおいてとりわけ大きな力をもち、近代にも少な
からぬ影響を与えたとはいえ、近代以降唯一絶対の理念でありつづけたわけではなかった。
プラトン的・数学的教養の理念は、十六世紀後半から十七世紀のヨーロッパにおいて、ケ
プラー、ガリレイ、コペルニクス、あるいはベーコンやデカルトらによってふたたび強力
に押し進められたといえるであろう。彼らにおいて修辞学的精神がいかに厳しく拒否され
たかは、たとえばベーコンのイドラ、とりわけ「市場のイドラ idola foli」、「劇場のイドラ
idola theatri」などの説によっても、あるいはデカルトがその書簡において「[弁論・修辞
学の行う]<説得 persuasio>というものはわれわれを疑問へと押しやることのできる、な
にかちょっとした理由がありさえすれば生じるが、これにたいして、<学知 scientia>は、
これ以上のどんな強力な理由によっても絶対に動揺させられることのない強固な理由から
のみ、人を説くものです」(DESCARTES RENE; Ep. CXC ad Regium = 「レギウス宛
書簡」1)と述べていたことからも明らかである(IJSSELING, S.; Rhetoric and Philosophy
in Conflict: A Historical Survey, The Hague, 1976)。そしてその後の動向は、数理諸学を
59
人間形成の少なくとも”ひとつの”必須科目とする、今日広く行われているヨーロッパ的
教育理念 -- そしてそれは明治最初期にヨーロッパに範をとった学校制度が布かれたわが
国においてその教育理念ともなった -- が今なお確実に存続しつづけていることを思うな
ら、理解は容易である。
ギリシャ的教養における二つの理念は、哲学思想の領域では、道徳的・実践的な価値が
学問・知識の対象とならないことを主張し、人間の行為や生きかたにかかわる問題を厳密
な学知 -- 数学・幾何学などに代表される -- と同列に考えることを否定する立場(イソク
ラテス)と、実際生活における言論と行為の指針となるべき価値の規範もまた、あるいは
むしろこれこそ最もよく厳密な学知として把握さるべきものとする立場(プラトン)とし
て理解することができるだろう。この二つの立場は「精粗さまざまなかたちで今日までの
哲学の歴史に登場してきた」(藤沢令夫「イデアと世界 -- 哲学の基本問題 --」岩波書店,
1980 第六章「観ること(テオーリア)と為すこと(プラークシス)」
)ものにほかならない
のである。わが国においては、二つの教養理念のうちプラトン的なそれがすでによく知ら
れてきたのにたいして、イソクラテス的なそれは、わが国におけるヨーロッパの弁論・修
辞学すなわちレトリックの伝統についての蓄積と理解が浅かったためもあって、ほとんど
知られることがなかったといわなければならない。私たちがここでささやかながらイソク
ラテスを取り上げたのも、このような”教養”理念の源泉をそのものとして直接私たちの
目で確かめたいと願ったからである。
<「イソクラテスの修辞学校」からの引用、いったん終了>
同じ時期にソフィスト雄弁術を批判・発展させて形成されたイソクラテス修辞学とプラ
トン哲学ですが、この2大思想潮流は誕生の当初から、激しいバトルを展開したのでした。
そのあたりの事情については、以下で引き続き、廣川洋一「イソクラテスの修辞学校」か
ら見ていくことにします。
<以下、つづく>
イソクラテス修辞学とプラトン・イデア論/ 2400年に渡る対立
(その3)
●西洋教育思想の日本による受容の特異性
●PISA のソフィスト流「相対主義」「善悪不可知論」と日本の PISA 支持派
教師・教育学者たちの倫理感覚麻痺
●PISA 化する日本のヤンママたち
--岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い
徹底調査!
破滅する日本の食卓」
●ソーカル事件
人文・社会系の著名言論人は難解な自然科学用語がお好き
60
[補足]「浅田彰のメービウスの壺」事件
6-3.1980 年代に一瞬の光芒を放って衰退した知能工学
(人間の「思考」はどこまでパターン化できるか)
●PISA 調査が企画された 1980 年代とは、どういう時代であったか。
●哲学者ドレフュスによる根底的な「人工知能批判」の4つの観点
(老子)
●「言う者は知らず、知る者は言わず」
2009 年12月12日に東京の明治学院大学で開かれた「言語・認識・表現」第4回年次
研究会に参加しました。
岩垣守彦さんが「『は』と『が』と俳句と英訳について」というタイトルで、日本の俳句
の英訳と English haiku に見られる日・英構文の違いについて、いくつかの句例をあげて
説明されされた話をとても興味深く拝聴しました。
葉の裏に青き夢見るかたつむり
A snail
Dreams a blue dream
On the back of a leaf
(R. H. Blyth)
日本語では、「葉の裏に青き夢見る」が「かたつむり」を連体修飾していて、そのかたむ
りが居る風景が句の主題となっています。英語の方は、動作の主語である snail が「the
back of a leaf」という場所で「dreams a blue dream」という行為を行う、という表現にな
っています。同じように、例えば、
秋の夜や旅の男の針仕事
Late at night in autumn
A traveling man is busy
Patching
のように、日本の俳句の多くは、先ず主題を提示し、それに続けて、それの具体的事例が
附加される、という構造か、あるいは、前部に具体的な事例やイベントの提示があり、末
尾にそれを締めくくる主題が提示される、という構造をしています。日本語のこの構文は、
日本的発想の流れを反映しており、この流れを忠実に英訳することは難しいそうです。主
題はしばしば行為者の行為に掛かる連用修飾語(行為がなされる場所や時間)に訳し変え
61
られています。私の感覚では、日本語の俳句は、それだけで完成した一幅の風景画である
のに対して、その英語訳や English haiku は、まだまだこれから先が発展しそうな物語の
冒頭部分のような印象を受けます。
「文部省唱歌」の
海は広いな大きいな
月は昇るし日は沈む
を英訳して英米人に見せたところ、
「えっ、だから何なの?」という反応しか返って来なか
ったそうです。中国語訳にたいする中国人の反応も同様だったそうです。日本語では、俳
句とまったく同じの典型的な構造で、先ず主題(広くて大きい海)が提示され、それの具
体的な説明(あるいはイベント)として「月は昇るし日は沈む」が続き、1つの感動が一
幅の絵になっています。しかし、これを外国語に翻訳すると、何か、ここから物語が始ま
る出だしのシーンみたいな感じになって、「完了」しないのではないでしょうか。
結論として岩垣さんは、どの訳し方をもってしても、今のところ「英訳された俳句」も
「英語ハイク」も、日本語のリズムの美しさは消え、英語の論理的論述の快さも失われて
いる、と手厳しい。異文化間の「翻訳」がきわめて難しい作業であることを改めて教えら
れました。
青山文啓さんの「形容詞:結合価と活用」のお話は、日本語形容詞の語幹と語尾(接尾
辞)が文中で、他の単語とどのように結びつく(あるいは結びつかない)かを詳細に、具
体的に検討した報告でした。私がいちばん驚いた具体例は、「元寇」に関する解説書の1ペ
ージを抜き出して、それの5つのパラグラフについて、文の数、動詞の数、形容詞の数を
カウントした表で、形容詞の出現頻度がきわめて低いことでした。私はそれを眺めていて、
日本語やハングルでは擬声語や擬態語が非常に豊富である(例えば「痛み」なら、「ズキズ
キ」「ズキンズキン」「キリキリ」「ギリギリ」「シクシク」「ジクジク」など)と言われてい
るのを思い出しました。形容詞語彙の乏しさと擬声語・擬態語の豊富さが相俟ってバラン
スを取っているのかも知れないな、と思いました。そうであれば、翻訳の際には、しばし
ば原語と目的言語で品詞転換をしなければならないはずなので、これもまた翻訳の難しさ
の原因のひとつになっているのではないかと思いました。
私自身は、
「ヨーロッパ的教養の思想的源流・修辞学について」と題して、1980 年代から
世界の産業と社会が急速にIT化して来たことに対処するための人材育成策として、OE
CD(経済開発協力機構)ではPISA(国際学力調査)が企画され、日本では高等学校
62
に必須科目として「情報」が設置されたことをお話ししました。PISAの調査では、「数
学」や「科学」そのものではなく、
「数学リテラシー」や「科学リテラシー」、すなわち「数
学っぽい」あるいは「科学っぽい言語表現をあやつる能力」が重視されていることを具体
例で説明し、そのような考え方の源流が古代ギリシャの雄弁術(ソフィストの術)や、そ
れを痛烈に批判しつつ改良・発展させたイソクラテスの修辞学(レトリック)にある、と
主張しました。修辞学については、古代ギリシャ、古代ローマ、ルネッサンス期を経て、
現代に到るまで、ヨーロッパ的教養思想の根底をなしていることを、最近読んだ今井康雄
[編]「教育思想史」(有斐閣)、廣川洋一「イソクラテスの修辞学校」(講談社)、クインテ
ィリアヌス「弁論家の教育」(京都大学学術出版会)などの受け売りであることを明示しな
がら解説しました。それに対して日本では、薩摩藩の「議を言うな」の教えのように、理
屈を言う、すなわち論理的な主張をすることは武士の態度としてふさわしくないと考えら
れており、コミュニケーション能力が高い人間は藩の外交担当者として重宝されることは
あっても、決して衆人からは尊敬されず、人の上に立つリーダーは寡黙たるべし、という
のが伝統的な考えである、と述べました。
私の講演に対するコメントとして、山田学さんから、「老荘思想にも似たような考えとし
て、『言う者は知らず、知るものは言わず』というのがありますね。孔子はすこし違います
けれど。」と教えて頂きました。これは知りませんでした。私流に解釈すれば、「いろいろ
なことを知っているいう自信があってよく発言する人は、実は本当の深い真理を知らず、
本当に深く真理を知った人は軽々しく発言せずにじっと黙っているものだ」というような
ことでしょうか。
これに対して S さんから、「しかし、それでは欧米人に太刀打ち出来ませんね。
」という
コメントがあり、Iさんから、「そう。アメリカ人なんか、こちらが遠慮して発言を控えて
いると、『あいつはバカか』とか思ったりするからね」と、アメリカの大学の授業でのディ
スカッションの話がありました。
確かに、「あいつはバカか」と思われるのは、あまり気持ちがよくないなあ。「バカか、
と思うようなお前の方こそ本当のバカなんだよ」と心の内で思いつつ、表面上は
mysterious Japanese smile をたたえて悠然としている方が日本人の変わらぬ個性として
正しい生き方なのか、老荘思想の域に達し切れぬ俗物の私としてはおおいに悩むところで
す。
「山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は
住みにくい。
住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこに越しても住みにくいと
悟ったとき、詩が生まれて、画が出来る。人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもな
63
い。やはり、向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が
住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国に行くばかりだ。人でなし
の国は人の世よりなお住みにくかろう。越す事ならぬ世が住みにくければ、住みにくい所
をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の
世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするがゆえに尊い。」
(漱石「草枕」冒頭)
「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。」
(「平家物語」冒頭)
・・・思えばこの世は常の住みかにあらず
草葉に置く白露
水に宿る月よりなほはやし
金谷に花を詠じ
栄花先(さきだ)って無常の風に誘わるる
南楼の月をもてあそぶ輩も
人間五十年
月に先って有為の雲に隠れり
化天の内をくらぶれば
夢幻のごとくなり
一度生を受け滅せぬ者の有るべきか
是を菩提の種と思い定めざらんは
口惜しかりし次第ぞと思い定め・・・
(注:「下天の内」となっているものもある。)
(幸若舞「敦盛」)
「露と落ち、露と消えにし我が身かな、浪速のことは夢のまた夢」
(注:「浪速のことも」となっているものもある。)
(秀吉辞世の句)
「夏草や、兵(つわもの)どもが夢の跡」(芭蕉)
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春望
(杜甫)
五言律詩。長安の賊中にあって、春の眺めを述べる。
国破山河在
国破れて山河在り
城春草木深
城春にして草木深し
感時花濺涙
時に感じては花にも涙を濺ぎ
恨別鳥驚心
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
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烽火連三月
烽火
三月に連なり
家書抵万金
家書
万金に抵る
白頭掻更短
白頭
掻けば更に短く
渾欲不勝簪
渾て簪に勝えざらんと欲す
「敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花」
(宣長)
「願わくば、花の下にて春死なむ
その如月(きさらき)の望月(もちつき)のころ」
(西行法師)
6-4.Rostow の「近代化論」
6-5.世界銀行の政策と「人的資本論」
6-6.「従属理論」と「解放の神学」
6-7.「世界標準」の導入で分散化する国民の心をナショナリズムで統合する。
(「愛国心」「日の丸・君が代」.
.そして「声に出して読みたい日本語」?
「教育勅語」?「御真影」?)
西洋文明の奔流に対して、幕末期の日本は「後期水戸学」の「国体論」
によって精神的自己確立を計った。
[補足]
2-3.
●世界に羽ばたく日本のこの若者たちを見よ!
体操世界選手権1位(内山航平”世界のガキ大将”)
フィギャースケート・カンヌ国際2位、3位(浅田真央、中野友加里)
ハノーバー国際バイオリンコンテスト1位(三浦文彰
囲碁名人位最年少獲得記録(井山裕太
16 歳)
20歳)
プロ・ゴルフで急成長(石川遼)(諸見里、横峰さくら)
平泳ぎ、背泳ぎ世界一(北島康介26歳、入江稜介19歳,古賀淳也22歳)
高校生では世界初の二足歩行ロボット制作(福岡県
立嘉穂高校)
化学、生物、地学オリンピック
●スタハノフ運動とアンジェイ・ワイダ「鉄の男」
4-7-2.今西錦司の「棲み分け進化論」
ダーウィンの進化論は個体間の弱肉強食の原理
今西の進化論は集団(種)の共生の原理
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●「種は、変わるべき時には、一斉に変わる」
西洋の科学思想 vs 東洋の科学思想
● 木村資生の中立進化説、中原・佐川のウィールス進化説
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