[苦難の意味するもの] …… 『三浦綾子』

[苦難の意味するもの] ……
『三浦綾子』
イエスが道を通っておられるとき、生まれつきの盲人を見られた。
弟子たちはイエスに尋ねて言った、
「先生、この人が生まれつき盲人なのは、
誰が罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」
。
イエスは答えられた、
「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が
犯したのでもない。ただ神のみ業が、彼の上に現れるためである」
――― ヨハネによる福音書九章一~三節 ―――
私は今年の五月、直腸癌で手術を受けた。私は誕生の時、首にへその緒を巻いて、
仮死状態で生まれた。その時に酸欠を起こしたのか、私は生来腺病質な弱い子供
として育った。二十歳を過ぎて肺結核にかかり、途中カリエスを併発して、
十三年間病床に臥した。その後結婚はしたが、心臓が弱く血小板減少症という
病気もした。一昨年、で重症の帯状疱疹にかかり、失明を危ぶまれたが、
その時、体のどこかに癌が潜んでいるかもしれぬと医師に言われた。
そしてその予言は当たり、今年の直腸手術となったわけである。
考えてみると、私の半数は病多い半生といえる。こうした私の周りで、
この弟子たちのイエスへの質問に似た、心ない言葉を発する人に幾度か会った。
「何かに崇られているのではないか」
「信仰があるのに、なぜ病気をするのか」
「何も悪いことをしないのに、病気になるのであろうか」
等など。また、善意の人も、
「あなたは篤い信仰を持っているのに、神様はなぜ、あなたを病気にするのでしょう。
私は神が信じられません、
」
といった。ともに因果応報の思想に根差しているのであろう。つまり、苦難がその
人々にとっては罰なのである。罰だと思うからこそ、苦しみは二重の苦しみとなる。
こう思っている人々の中で、誰がイエス・キリストのような言葉をいえるであろうか。
イエスは罰ではないと明確に答えられたのである。本人の罪の故でもなく、
両親の罪の故でもない。だから、罰ではない。ただ神のみ業がそのうえに現れた
苦しみなのだと、言われたのである。
私は最初この聖句を、十三年の療養の中で読んだ。そして、どれほど大きな慰めを得、
力を与えられたか計り知れない。私と同様に慰められ、力づけが出た人が、
千何百年の間に、世界中にどれほど起きることか。生まれつき目や耳や口や、
手や足の不自由な人はむろんのこと、病気の人、人間関係に悩む人、経済問題で
苦しむ人等々、様々な苦難に会っている人々にとって、このイエスの言葉は、
どれほど多くの人々を立ち上がらせたことであろう。なぜならここには、苦難の意味を
『神のみ業が、彼の上に現れるため』
と説かれているからである。これは単に、ここに登場している一人の盲人にのみ
言われた言葉ではないと、私は思う。
この言葉の後に、イエスはこの盲人の目をなおしていられる。なおしたことは、
むろん神の栄光を表したことになるではあろうが、では、癒されなかった苦難はどうか、
という疑問を持つ人がいるかもしれない。私は、癒されようと癒されまいと、
解決ができようとできまいと、苦難にあえぐ者の傍らには、神がまさしくそこに立って
おられると思う。人間は今までに何千億生まれたかわからないが、どれほど信仰の
篤い人でも、聖人と呼ばれる人でも、大科学者でも、偉大な医学者でも、みんな
死んで行った。人間はみんな死んでいく。もし、病気が治らなければ神の栄光を
現し得ているものはいないということになる。
私は癌になったときにティーリヒの、
「神は癌をもつくられた」という言葉を読んだ。
その時、私は文字通り天から一閃の光芒が放たれたのを感じた。
神を信ずるものにとっては、
「神は愛」なのである。その愛なる神か癌をつくられた
としたら、その癌は人間にとって、必ずしも悪いものとは言えないのではないか。
私達は「苦難」を取り違えて受け取っているのではないか、私はティーリヒの
言葉にふと思った。
(神のくださるものに、悪いものはない)
をわたしはベッドの上で、幾度もそうつぶやいた。すると、この癌という神からの
素晴らしい贈り物に変わっていたのである。いつしか私は、妙な言い方だが、
(私が度々病気をするのは、もしかしたら、神にえこ贔屓をされているのではないか)
と思うようになった。私は肺結核、脊椎カリエス、帯状疱疹、癌と、次々にたくさんの
プレゼントを神からいただいてきた。そしてその度に私は平安を与えられてきた。
この平安を思うと、私は全く、神のみ業としか言い様のない気がする。
肺結核もカリエスも、長い忍耐と根気のいる病気であり、死んでゆく者の多い病気
であった。経済的にも危機にさらされる病気であった。だがその中で得た
やすらぎは、説明のしようのないやすらぎであった。一昨年の激しい帯状疱疹の
痛みでは顔面が火ぶくれになり、間断ない激痛が襲った。そして、左の鼻孔が押し
潰された形で癒されたわけだが、この激痛の中で得た安らぎは、台風の目にも似た
静けさであった。人間は、あれほどまでに痛んでも、あれほど淵のような静かな
平安の中に生き得るとは、私はあの時まで思ったこともなかった。この度の癌でも、
(私は神にえこ贔屓されている)
という、喜びに似た平安を体験することができた。この平安を人は信じないかも
しれない。が、私は多くの例を知っている。次の<病まなければ>という詩もその一つ
である。誰の作か不明だが、大島の相沢牧師の「黒潮」誌に、<祈りの塔>より
として転載されていたものである。
病まなければ
ささげ得ない祈がある
病まなければ
信じ得ない奇蹟がある
病まなければ
聞き得ない御言葉がある
病まなければ
近付き得ない聖所がある
病まなければ
仰ぎ得ない聖顔がある
おお
病まなければ
私は人間でさえもあり得ない
何と言う素晴らしい信仰詩であろう。ここでは苦難が見事に恵みの花束に
変じている。詩篇(119・71)「苦しみに会ったことは、わたしに良いことです。」
という聖句を思い出させる詩である。よほど大きな苦難を与えられた人でなければ、
作り得ない詩であろう。
この聖句で思い出したが、いつか星野富弘という人の絵をある人からいただいた。
星野さんは中学校の体育の、若き教師であった。クラブ活動の指導中に、誤って
頚椎を折り、全身機能麻痺といってよいほどの、重度身体障害者になってしまった。
その中で、彼はキリスト教の信仰を得、筆を口にくわえて、絵を描き、詩を書くよう
になった。その星野さんの描いた絵であった。木瓜の花を描いたその絵には
わたしはあなたのみおしえをよろこんでいます。苦しみに会ったことは
わたしにとってしあわせでした。 詩篇119
と書かれてあった。生涯決してなおることのないかも知れぬ重度身体障害者の、
星野富弘さんのこれが信仰の境地なのである。ここにもまた苦難を恵みと
受け取った人を私は見る。
野村伊都子さんもまたその一人である。伊都子さんは若い日に、重症の腎臓結核に
かかり、膀胱結核を併発、その激痛が夜も日も彼女を休ませなかった。そんな苦しみ
の中で、伊都子さんがしたことは、目の不自由な人の為の点訳であった。その姿は
どれほど多くの人を力付けた事か。やがて人工膀胱をつけ、健康人の生活に戻る事
が出来た。が、やがて肝硬変を病み、苦しみの中に神に召された。水一滴のどを
通しても、ころげまわるような苦しみの中で、
主よ今日の重荷は何ですか
と、詩の一部にうたっている。どんな重荷でも、神よお受けいたしますとの、これこそ
苦難に打ち勝った謙虚な姿である。積極的に、キリストの十字架の苦難にあずかろう
という姿である。この伊都子さんの毎日々々、
「主よ、今日の重荷は何ですか」
と問う姿に、人々は神の栄光を見ないであろうか。癒された事以上に、そこには私たち
への大きな慰めと励ましがある。これこそが神の栄光といわずして何であろう。
正にピリピ人の手紙1章29節の、
あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけでなく、
彼のために苦しむことをも賜っている。
姿と言えないだろうか。私はこの外、脳性麻痺の水野源三さんや、苦難の中に見事に
生きるキリスト者を知っている。その人たちは皆、苦難を神からのプレゼントとして、
受け取りなおすことの出来た人々である。
最後に私は、ハンセン氏病の人々の友として十四年間、長島愛生園精神科に勤めた
神谷美恵子氏の一節を伝えずにはいられない。
病の人に
どうしてこのわたしではなくて、あなたが ?
あなたは代わってくださったのです。
これこそはキリストの心を知った人の、苦難の説きあかしとも言えるのではないか。
苦難の意味するもの <随筆> 「婦人之友」12 月号(婦人之友社)1982 年