土壌汚染問題のリスクマネジメント - 東京海上日動リスクコンサルティング

土壌汚染問題のリ スクマネジメ ント
東京海上リスクコンサルティング(株)
取締役主幹 志田 慎太郎
E-mail: [email protected]
工場跡地などから有害物質に汚染された土壌が見つかる例が増えている。特に、バブル崩壊や生産拠
点の海外移転で街中の工場が次々に姿を消し、跡地が再開発されるのに伴い、ここ数年の増加が著しい。
土壌が有害物質により汚染されると、その土壌を直接摂取したり、土壌から有害物質が溶け出した地下
水を飲んだりすることにより、影響が人の健康に及ぶおそれがあり、問題の解決を図るため、周知の通
り2002年5月に新たな環境規制法である土壌汚染対策法が成立、公布され、いよいよ2003年2
月から施行されることになった。この法律は、主に全国で約2万あるといわれる水質汚濁防止法上の有
害物質使用特定施設が使用廃止となった場合を対象としたものであるが、一般の工場等にも間接的影響
(対策の圧力)が及ぶ可能性がある。この点で、工場等の土地を所有する企業は、自社への影響を早急
に検討する必要がある。
1.土壌汚染がもたらす企業リスク
リスクとは、損害発生の可能性であるから、まず土壌汚染によって企業にどのような損害が発生す
るかが問題になる。土地を保有する企業にとって、土壌汚染によって発生する可能性のある損害は
以下のようなものである。
①不動産価格の下落、売却の困難
土壌汚染が判明した場合、まず影響として現れるのは、土地価格の下落である。汚染があれば、
その土地は敬遠され流通に支障が出てくるから、当然価格は下がる。理論的には、対策を取って
汚染がない状態にすれば、価格は元に戻るはずであるから、対策費用分だけ下落すると考えられ
るが、現実にはそれだけでは済まない。たとえ完全に浄化しても、その土地に対する信頼は完全
には回復せず、スティグマと呼ばれる一種の風評損害(汚染に起因する心理的嫌悪感による減価)
が生じるからである。この結果、浄化費用あるいはスティグマの大きさ次第では、計算上土地の
価格が著しく下がり、そのままでは売却が困難になることもあり得る。
汚染された土地が売却できずにいわば塩漬けになってしまう問題は、土壌汚染対策の先進国で
ある米国が苦労しているものである。米国ではスーパーファンド法によって、土地の所有者や汚
染原因者に厳しい責任が課されたため、汚染地の購入を躊躇させ、いわゆる「ブラウンフィール
ド問題」を生み出してしまった。汚染が懸念される土地(ブラウンフィールド)が再開発の対象
から外され、極端なケースではそのまま放棄されてしまった結果、周辺地域全体が荒廃するとい
う現象である。我が国でも、有害物質により汚染された土地の売却に困難が出てくる可能性は否
定できない。
②対策費用の負担
現在でも、土壌汚染が判明したときは、企業は自主的に対策を取ることが多く、その費用負担
が生じる。特に、その土地を売却しようとする際は、買主側から浄化を要求される例が一般的で
あり、事実上その費用は売主負担となる。また、土地をそのまま所有する場合でも、対策の必要
性は着実に高まっている。例えば、ISO14001 の環境マネジメントシステムの一環として、また地
方自治体の指導の下に、汚染対策が実施されるなどの例が増加している。中には、その対応を環
境報告書やインターネットを通じて公開し、対策をアピールするなど、積極的に対策費用をかけ
る企業もある。
なお、場合により、土壌汚染がひどいため自社所有地を越えて他人の土地や地下水に及ぶこと
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があり、その浄化費用や賠償責任を負担する可能性がある点にも注意しなければならない。
③企業イメージの悪化
土壌汚染は蓄積性の公害で、汚染が判明しても必ずしも現在の所有者にその原因があるわけで
はない。しかも、従来規制法が存在していなかったわけであるから、仮に原因が現在の所有者に
あるとしても、違法性はない。しかし、汚染土壌、有害化学物質、どれをとっても与える印象が
悪く、現に汚染の事実があることで、その企業にとってはマイナスのイメージが付いてしまう。
特に周辺の住民に与える影響は大きい。住民は、汚染の影響に神経を尖らし、その処理に関心を
持つことは間違いなく、積極的に対策を求めてくることもある。こうしたケースでは、市民が期
待している環境対策の水準を考慮する必要があり、もし対応を誤るとその企業に対するイメージ
はさらに悪化する可能性がある。
なお、以上のリスクは、土地を所有する企業自身だけでなく、金融機関にも重大な影響を及ぼす。
特に、融資の担保である土地の価値が汚染によって下落すれば、担保価値が減少し深刻な問題をも
たらす。この点で、金融機関も今後の動向を注視していかなければならない。
2.土壌汚染対策法により、新たに負荷されるリスク
以上が、一般的な土壌汚染のリスクであるが、土壌汚染対策法が施行されることにより新たに次の
ような点を考慮する必要がある。
①調査義務と費用の負担
汚染の可能性のある土地について、次の一定の契機をとらえて土壌汚染の状況を調査させ、そ
の結果を都道府県知事に報告しなければならない。
・ 有害物質使用特定施設が廃止される場合
・ 土壌汚染による健康被害が生ずるおそれがある場合
この結果、対象となる工場の廃止や宅地転用時には、企業は土壌汚染状況の調査を義務付けら
れ、法律によって定められた方式により実施しなければならない。政省令で決定される土壌汚染状
況調査の内容次第では、企業にとって大きな負担となる可能性がある。
②台帳への登録
土壌汚染対策法で新たに創設されたのが、指定区域台帳の仕組みである。汚染が一定の基準を超
えた場合、その土地は汚染地として指定される。そして、都道府県の台帳に登録・公開され、一旦
登録されると浄化を実施し基準を下回る水準に戻さない限り、抹消されない。台帳がどのように利
用されるかについては確定的なことはいえないが、土地取引に伴い購入者が土地の状態を確認した
り、金融機関が融資に当たり担保価値を確認する等に利用されることが想定される。いずれも土地
所有企業にとっては良い材料とはならず、早めの抹消対策を要求されるであろう。
③措置費用の負担
土壌汚染が判明した場合、土地の所有者等は健康被害を防止するため汚染の除去等の措置命令
を受ける。措置の内容として考えられているのは、立入制限・覆土・舗装、汚染土壌の封じ込め、
浄化等であり、幅広い。このうち、原則的には覆土、封じ込めが命ぜられる見込みで、必ずしもす
べての場合浄化を要求されるわけではない。その意味では、自主的な対応に比べコストが大幅に上
昇するわけではないが、台帳抹消との関連もあり、浄化が必要とされる局面は多くなるであろう。
なお、土地の所有者等が汚染の除去等の措置を講じたときは、汚染原因者に対しこれに要した費用
を請求することができることになっているが、求償に伴って法的紛争が生じる可能性も考慮しなけ
ればならない。
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3.保険による土壌汚染のリスク移転
汚染対策を強化すればリスクは減少するが、ゼロにすることはできない。土壌汚染対策法による規
制が始まり予期しない汚染が発見されたり、社会の要請が強まることにより対策の強化が求められ
る可能性がある。そこで、リスクマネジメントの一環として、保険の採用を検討する必要がある。
土壌汚染に関する保険は、世界的にみても比較的新しい。まず、米国でスーパーファンド法による
厳しい責任が課され社会的にその浄化が課題とされた1980年代後半に保険が開発され、これが
ヨーロッパに拡がった。我が国でも、1990年代になって関連の保険が販売されたものの、かな
り特殊な分野であり、またこれまで規制法がなかったこともあり、実績は少なかった。
現在、引き受けられている土壌汚染関連の保険は、大きく分けて以下の3種類がある(保険の内容
は保険会社によって違いがあるので、詳しくはそれぞれ確認する必要がある)。
①土壌浄化費用保険
この保険は、自社の所有地内で土壌汚染が確認された場合に、その浄化費用を支払う保険であ
る。保険引き受けの前提として、その時点で汚染が確認されていないことが必要である。既に汚
染が判明していれば、最初から保険金支払いの対象になることが明らかであり、保険の前提であ
る「偶然性」に欠けるからである。このため、申し込みに当たって、環境調査申告書の提出が必
要となる。ここでは、サイトの客観データとともに、特定有害物質の取り扱い状況、タンク・配
管の設置状況、過去の事故等について申告する。加えて、保険会社が指定する外部の調査会社が、
対象となる土地を実地調査するのが一般的である。その結果、既に汚染が発生していることが判
明すれば、保険の引き受けは行われない。また、産業廃棄物処理の履歴のある土地や引き続き特
定有害物質の使用を継続する土地はリスクが大きく、保険は引き受けられない。
従って、この保険の対象になるのは、
「過去の地歴からみて汚染の可能性がない土地ではあるが、
土地購入者が万一の汚染に備えたい」とか、「事業所敷地の汚染を浄化したのでまず問題はないが、
将来再度汚染が発見されたときに備える」というような場合である。こうして、引き受けられた
土地について、保険期間中に土壌汚染が判明することが保険金支払いの要件である。ここで、保
険事故となる「土壌汚染」は、客観的に判定できることが必要であり、我が国の場合、土壌環境
基準または土壌含有基準を超えた状態とするのが一般的である。すなわち、対象物質はカドミウ
ム、鉛、トリクロロエチレン、テトラクロロエチレン等の 26 物質とし、それぞれ法令に定められ
た数値を超えた場合を保険の対象とする。この場合の保険金支払額は次の通りである。
保険金支払額=(対象土地の土壌浄化費用+詳細調査費用−免責金額)
×損害てん補割合(図1参照)
図1
土壌浄化費用保険の仕組み
なお、故意または故意による法令
違反によって発生した土壌汚染、事
前調査や提出した資料に明らかな欠
陥があったことにより見落とされた
土壌汚染などについては保険金支払
いの対象にならない(免責)。
損害てん補割合
浄化費用
+詳細調査費用
免責金額
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②土壌修復費用ストップロス(損害限定)保険
この保険は、土壌汚染が既に判明し、浄化を進める場合に付保する特殊な保険である。土壌汚
染が判明している土地の所有者にとって、その対策費用を負担しなければならないことは確定し
ている。従って、前述のように、この場合一般的には保険の介在する余地はない。ただ、汚染浄
化の過程で、予想外の汚染の広がりなどにより当初見積もられた金額を超過し、予定外の損失を
被ることがある。このような見積もり違いは、浄化を決定した段階では明らかではないため、そ
の点では偶然性がある。そこで、このような場合の当初予算との差額を対象にした保険、いわば
見積もり違いのリスクをてん補する土壌修復費用ストップロス保険が開発されたものである。す
なわち、この保険は浄化費用の
図2 土壌修復費用ストップロス保険の仕組み
不確実性を回避する手段とし
て利用される。
損害てん補割合
保険金の支払いがなされる
のは、対象となる浄化作業の完
成に必要な費用が、保険期間内
に発見された次の原因により
増加し、被保険者の自己負担額
追加費用
を超えた場合である。
・当初予定された作業範囲に
入らない汚染状態が発見さ
れたこと
・当初予定され作業範囲内の
汚染状態に質的・量的増加
が生じたこと
免責金額
総浄化費用
修復予定額
ただし、既に費用が生じることが分かっているだけに、保険としては特殊なもので、相応の特別
な取り扱いがなされる。例えば、初期の見積もり費用を含む自己負担額が設けられ、さらに一定
割合の自己負担が要求される等である。こうした結果、保険の構造は図2の通りとなる。
なお、この保険にも、保険契約者、被保険者等の故意による損害、浄化作業上の過失、不作為、
不当な遅延等により生じた浄化費用、誤った作業の修復に要する浄化費用などの免責がある。ま
た、保険会社には、浄化対象サイト、被保険者・浄化作業者の作業、その他関係書類をモニター
することが認められる。
③土壌汚染賠償責任保険
この保険は、土地や施設の所有者・管理者(被保険者)が自社所有・管理地から発生した土壌汚
染に起因して、自社所有地外の土壌汚染の浄化費用等について負担する法律上の責任を対象とす
るものである。すなわち、土壌汚染による被害が自分の土地だけでなく、第三者の所有地まで拡
大した場合の浄化費用を対象にした保険である。例えば、「工場の排水装置の一部が機能していな
かったため、継続的に有害物質を排出して土壌汚染を発生させてしまった結果、隣地の汚染浄化
費用を賠償しなければならなくなった」「自社の土壌汚染の原因となった有害物質が拡散して周
辺の土壌・地下水に及んだ結果、法令によりその浄化費用を負担した」などの例で、被保険者が
法律上汚染浄化費用を負担することによる損害を支払うものである。
支払う保険金は、損害賠償金の他、法令の規定により支出を命じられた汚染浄化費用、訴訟・調
停等の場合の争訟費用などである。
また、土壌浄化費用保険と同様の免責条項がある。
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4.保険以外のリスク移転手段
我が国では、損害保険以外のリスク移転手段はほとんどないが、海外では特殊な方法が開発されて
いる。一般的には、保険代替リスク移転(Alternative Risk Transfer)と呼ばれるもので、土壌汚染
の分野では、ファイナイトと呼ばれる手法が導入されている。
ファイナイトは、既に土壌汚染が判明しその浄化を決定している場合など、通常の損害保険では担
保できない場合でも、すべての損害を対象に支払いをするところに特徴がある。すなわち、長期に
わたる契約関係を持ちつつ、費用が生じた際必要な資金は提供するが、その間の保険料と保険金の
バランスは保つ仕組みである。
1つの単純化された例を挙げよう(実際のファイナイトはより複雑な仕組みになっていることが多
い)。ある企業の土地が汚染されていることが判明、その浄化をすることと決定したが、期間は約5
年、費用がおよそ6億円であることが推定されている。この費用がいつ発生するか分からないので、
資金繰りのための手だてをしたいと考えている。これに対応するためファイナイトを構成すると、
図3のようになる。ファイナイトの対象とするのは、既に判明している浄化費用6億円から自己負
担1億円を控除した5億円部分である。
一方、保険料は年間1億円、5年間の通算で5億円とし、表面上ファイナイトで支払うべき金額と
同額となってバランスする仕組みである。なお、この間に、仮に浄化費用が発生しなかったときは、
累積の保険料の大部分(例えば95%)が返還されるといった約定になる。つまり、ファイナイト
はある事態が生じたときのキャッシュフローを確保するところに価値があり、財務諸表上の健全な
数値の確保に主眼を置いたものであるといえよう。
なお、ファイナイトは、リスク部分を含んだ形で引き受けられることが一般的で、例えば修復費用
ストップロス保険を上乗せするなどの工夫がなされる。
図3
浄化費用
ファイナイトの仕組み
保険金限度額(5億円)
保険料
1億円/年
自己負担部分(1億円)
年
1
2
3
4
5
以上、土壌汚染分野のリスク及びファイナンスについて述べてきたが、ファイナイトが我が国に導
入されるためには、税制などの制度上のメリットが認められる必要があり、当面は保険及び他のリ
スクマネジメント手法によることになろう。
(「リスクマネジメント Business」10月号より転載)
第 25 号(2003 年 1 月発行)
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