「トロント・ダラー」に見る地域通貨の現実と課題

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ぶぎん地域経済研究所
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「 トロ ント・ ダ ラー 」 に 見 る 地 域 通 貨 の 現 実 と 課 題
はじめに
現在、特定の地域社会の中で通用する地域通貨が、地域経済の活性化や地域社会の再生のための
有力なツールとして、活用されている。既に国内各地で取り組みが進み、中には商店街やNPOな
どの活動主体に加えて自治体などがサポートを行っているものもある。これら地域通貨の導入の動
きは、今後も広がりを見せるものと推察できる。
先般、カナダ・トロント市を訪れ(平成 16 年 9 月 29 日〜10 月2日)、地域通貨の先駆事例とし
て日本国内でも広く紹介されている「トロント・ダラー」を取材する機会を得た。
本稿は現地取材と取材にご協力いただいた事務局のジョイ・コガワ、また設立に係わられたトモ
コ・マカベ(前トロント大学教授 Ph.D 社会学)両氏へのインタビューをもとに地域通貨「トロン
ト・ダラー」を事例として地域通貨への取り組みの現実と課題をまとめたものである。
■一口メモ
「トロント市」
アメリカ五大湖オンタリオ湖畔にある人口 250 万人、都市圏人口は 475 万人のカナ
ダ最大の都市、オンタリオ州の州都でもある。世界で最も高い 553 メートルのCNタ
ワーとナイアガラ瀑布観光のカナダ側の入り口として有名。北米ではニューヨークに
次ぐ演劇、ミュージカルなどのメッカとなっている。ダウンタウンの中心はカナダ、
アメリカの主要金融機関が集積し、カナダの金融センターともなっている。市内ダウ
ンタウン北部に学生数7万人を擁するカナダの名門大学のひとつ、トロント大学もあ
る。トロントはカナダの経済、文化、観光の中心都市なっている。また移民も多く、
80 以上のエスニックタウンがあるとされており、街なかでアジア系住民が多く見られ
る。トロントとは先住民の言葉で「人が集まるところ」という意味。
1.「トロント・ダラー」の歴史と仕組み
「トロント・ダラー」(以下、TD)は、10 年ほど前にサービス登録制の小切手方式での地域通
貨として始まった。しかしながら登録制の事務手続きの煩雑さなどから2年ほどで行き詰まり、現
在の紙幣方式に衣替えをして 1999 年 12 月に再スタートを切った。
TDは紙幣印刷や運営に関する財政援助などをトロント市などから受け活動している。紙幣印刷
は偽造防止のため、カナダ・ドル紙幣を印刷している「カナダ銀行券印刷社」が同じく請け負って
いる。またTDが主に使える場所としてトロント市営のセント・ローレンス・マーケット(以下、
「マーケット」)内の店と周辺の店舗となっている関係もあり、同市の「マーケット」の関連予算か
ら財政的な援助を受けている。パンフレットから見ると、レストランが 27 軒、衣料品店、食料品店、
書店など一般小売店が 30 店、映画館1館、クリーニング店、歯科医、出版社や弁護士事務所、広告
代理店など 33 社など合計 91 店(社)が取り扱い可能となっている。
TDの活動は、人と人とのつながり、ネイバーフッド(隣人関係)の意義を見つめ直し、地域経
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済活性化よりも地域社会の再生に力点を置いており、活動のテーマとして以下のことが挙げられて
いる。
地域経済を活性化させましょう
あなたのお金を継続的に地域内で使い、還流させましょう
意思決定を地域社会に戻しましょう
新しい雇用機会を作りましょう
新しいビジネスや地域プロジェクトの立ち上げを助けましょう
では実際にどうのようにして使えるのかをご紹介しよう。TDは1カナダ・ドルに対して1TD
で両替できる。この時、交換額の 10%は地元NPOへの寄付となる。さらにその内 10%は地域プロ
ジェクトの費用として充当される。買い物がすべてTDでできるのも特徴で、顧客はTDを利用し
て「マーケット」などで買い物をする。お釣りが出る場合はカナダ・ドルで戻ってくる。
TDを受け取った店舗(企業)は、TDを使って仕入れや従業員への給与も支払うこともできる。
もし店舗(企業)が希望すればTDをカナダ・ドルとも逆両替ができる。100 ドルのTDで,交換
額の 10%が地元NPOへの寄付、いわば店舗(企業)側の地域貢献分となるため店舗(企業)が実
際に手にするのは 90 ドルのカナダ・ドルとなる。
■一口メモ
「 St. Lawrence Market(セ ン ト ・ ロ ー レ ン ス ・ マ ー ケ ッ ト )」
トロント市ダウンタウ
ン 南 部 に 位 置 す る 1803
年から続くトロント最古
の生鮮食料品のマーケッ
ト。通りを挟んで向かい
合うふたつのレンガ造り
の建物にある。トロント
市の初代市庁舎であった
「サウス・マーケット」
はパン屋、肉屋、魚屋、
香辛料など小さな店がぎ
っしり約 50 店舗集まっ
ている。好きな食材を購
入し、マーケット内で食
事も楽しめる。通りをは
さんだ「ノース・マーケ
ット」では毎週土曜日、近隣の農家がとれたての果物、野菜、花などを午前5時より販売するファ
ーマーズ・マーケットが開かれるので観光客も多くたいへん賑やかになる。
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2.普及活動の現実
(1)TD流通の現実
TDの活動の中心となっている「マーケット」での普及活動については、
「マーケット」内の店舗
に温度差があり、すべての店舗が協力的であるというわけではない。ある店舗では店主が頑固で非
協力的なので、店主が不在の時にTDを使うというような逸話もある。「マーケット」だけでなく、
周辺の店舗にもTDへ加盟してもらうように勧誘しているが、難しい現実がある。
「ネイバーフッド
と呼びかけてもなかなか賛同してもらえない。この辺りの店がすべて入ってくれると、うれしいで
すね」(マカベ氏)
またチェーン店の参加がネックとなっている。結論は個店では出せず本部の意向を聞かなければ
ならないし、店長が参加しようと思っても本部が「NO」と言えば参加できないのが現実だ。
取材の日は、土曜日であったためファーマーズ・マーケットの開催日ということもあり「マーケ
ット」内はかなりの混雑であった。
「こちらに来ている人の5%でもTDを使ってくれるとありがた
いですね」
(マカベ氏)さすがにここの5%の客がTDを使えば相当の効果となるだろうと感想を持
った。しかしながら「マーケット」自体厳しい現実にさらされている。平日の来店客は少なく、郊
外のショッピングセンターに顧客を奪われつつあるという状況にある。また「マーケット」の価格
競争力が必ずしも他業態と比べ優位にあるとは言えないこともあり、現在の「マーケット」の顧客
は中産階級以上の市民と観光客に限られた傾向にあり、必ずしも前途が明るいとは言えない。
(2)TDの理想と現実
「マーケット」の入り口にはTDが扱えることを知らせる大きな看板があり、「マーケット」内中央
にカナダ・ドルに両替できるブースを設けて、ボランティアメンバーが両替、広報活動を行っている。
しかし現在、活動のための専用事務所はない。理事会等も市場近くの無料で借りられる市営のホ
ール等を借りて行っている。現在のTDの流通量では事務所も持てないのが現実となっている。
現在の流通量は「年間2〜3万ドル程度であろう」
(マカベ氏)ということは実際に地域プロジェ
クトへ配分出来る割合も大きなものとは言えず、厳しい状況にある。
また以前にはこのブースの脇にTD専用のATMが置かれていたが、現在はない。利用頻度の少
なさとカナダ・ドルのATMだと間違えて使った「マーケット」の顧客とのトラブルから撤去され
たとのことだ。近々、別の銀行が「マーケット」近くに支店を新設する予定なので、今から新たな
ATM設置に期待が寄せられる。また市場近くの大手銀行の支店では窓口でカナダ・ドルとTDを
両替できる。地域通貨の取り扱いのために地域金融機関がATMを提供したり、支店窓口にて両替
ができるというところまで協力しているという事例は少ないのではないかと思われる。この辺りは
恵まれている環境であると言えよう。
さて両氏は、TDが思いどおりに広がらない理由として、
「市民の地域通貨への抵抗感」を挙げて
いた。
「カナダ・ドルがあるのになぜTDを使うのか?」や「このお金(TD)は本当に使えるのか?」
というような心理がTD、地域通貨が多くの人々への広がるのを妨げているのではないかという話
であった。
「人と人とのつながり、ネイバーフッドの意義を見直す」ということで活動をしていても
なかなか広がりを見せられない壁が立ちはだかっているように思えた。TDを現在は「マーケット」
を中心とする地域に限られたものから、「ゆくゆくはトロント全体に広げていきたい」(コガワ氏)
という二人の夢への挑戦の道のりは遠い。
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3.地域通貨の課題
(1)地域通貨の寿命は?
「地域通貨の寿命は 10 年」(マカベ氏)ということから、5年目を迎えたTDもいろいろと考え
直すターニング・ポイントにあるのではないかと、マカベ氏は分析している。TDの理事会におい
ても「TDの普及推進を優先すべき」という意見と「現状のTDの管理・運営体制の充実が焦眉の
課題」という意見とが議論になるというお話であった。実際のところ事務局の運営はその中心とな
っているコガワ氏に負うところが大きく、人材、お金といったものが日本での地域通貨活動の大き
な課題となっているのと同様にこの先駆事例であるTDにも横たわっている。
(2)地域通貨に都市の適性規模はあるのか?
「地域通貨を実践するにはトロントのような人口 475 万人はやはり多すぎるでしょうね。」(マカ
ベ氏)と、前述の5つのテーマをより効果的に実践するには、やはりもっと小さい都市が適性との
意見であった。
「 地域通貨実践の適性人口は3万人ぐらいの都市がいちばんやりやすいのではないか。
人口3万人でもそのうち 10%の住民が参加してくれれば3千人となる。地域通貨としては非常に大
きな力になり得る。」(マカベ氏)ということであった。
(3)地域通貨は欧米よりも日本向きなのか?
今回、取材に協力していただいたマカベ氏は東京都出身で在トロント 30 数年、コガワ氏は日系2
世ということでカナダと日本の社会の違いについてよくご存じの方々である。両氏の経験を踏まえ
て地域通貨と社会構造を考えると、
「欧米よりも人間関係がウエットな(近所づきあいや義理人情を
重視する)社会である日本のほうが地域通貨は流通しやすいのではないか」
(両氏)という意見であ
った。
おわりに
本レポートは、TDの事例を紹介することにより地域通貨への取り組みを否定的に考察したもの
ではない。現地取材に加えてマカベ、コガワ両氏へのインタビューをもとに冷静かつ公平にその現
実と課題についてまとめたつもりである。両氏をはじめ、話を聞いたボランティアスタッフの方々
の真摯な姿勢には、実際のところ頭が下がる思いであった。しかし先駆事例として日本国内で伝え
られているTDでさえこの状況であることから、地域通貨の取り組みが継続的に実績を上げつつ地
域社会に浸透させていくことがいかに難しいのかを感じた。
国内に目を向けると地域通貨を地域活性化などのツールとして、今後とも各種メディアを通じて
の啓蒙が必要であろうし、行政が各地域での取り組みを援助していくことが求められる。
しかしながら地域通貨がもたらす地域活性化の効果を安易に考えるとせっかくの活動も頓挫して
しまうのではなかろうか。地域社会のコンセンサス、柔軟な活動体制の構築、官・民のサポートな
ど事前の準備を十分にし、粘り強く活動していくことが不可欠であろう。
(2004 年 11 月 11 日
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現地取材と文:松本博之)
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図
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