人工膵臓

●人工臓器 —最近の進歩
人工膵臓
,* 2 同 医療機器カンパニー
* 1 日機装株式会社流体技術カンパニー
小西 義昭* 1,山崎 博実* 2
Yoshiaki KONISHI, Hiromi YAMAZAKI
1. 人工膵臓について
2. ベッドサイド型人工膵臓と検査機能
人工膵臓は,膵臓に与えられた機能のなかでも血糖値を
1)ベッドサイド型人工膵臓とその用途
コントロールする部分を代用するものである。膵臓の機能
ベッドサイド型人工膵臓は 1970 年代に開発された。使
として大きな部分を占める内分泌については代用するわけ
用報告は Albisser 1)によるものが最初である。その後,米
ではないので,人工膵臓の呼び方は適切ではないとの声も
国においては,マイルス社が Biostator を商品化している。
あるが,ここでは一般的に用いられる人工膵臓の名称を使
日本においては 1983 年に日機装株式会社が STG-11A を初
用する。
めて商品化し,その後改良された STG-22 が発売されてい
人工膵臓を分類すると,携帯型人工膵臓,ベッドサイド
る。それ以降の商品化としては,2000 年代に入りドイツの
型人工膵臓が存在する。近年携帯型については,多くの報
mtb 社から Glucostator が発売されているが,使用例はまだ
告がなされている。糖尿病患者の増加に伴い,血糖値管理
少ない。
の必要性も増しており,小型で,患者に装着して常時使用
なお日本においては,日機装人工膵臓 STG-22 が唯一で
する形式の装置研究も進行しつつある。この種類の人工膵
あるので,以下 STG-22 について話を進める。
臓は,皮下の間質液中のグルコースを測定し,この値から
2)ベッドサイド型人工膵臓の検査機器用途
血糖値を得るものである。一般的には,測定精度と応答時
ベッドサイド型人工膵臓は,一般に病院内で使用される
間にまだ開発の余地があるので,現在のところ研究中であ
(図1)。主な用途は,糖尿病領域の検査用途,急性期の血糖
り,まだ市販されていない。しかし間質液を対象とした,
携帯型血糖値モニターは複数がすでに市販されており,米
国においては FDA の認可も取得している。
値管理である。
検査用途においては,グルコースクランプと呼ばれる手
法を用い,糖尿病患者のインスリン抵抗性と呼ばれる指標
これに対し,病院において血糖値管理を行う目的に使用
される装置としてベッドサイド型人工膵臓がある。これは
医療従事者が操作し,病院での,血糖値測定,血糖値管理,
を測定する。この指標はインスリンの糖代謝を示しており,
患者毎のインスリンの効きやすさを表している。
血糖値管理においては,糖尿病性高血糖はもちろん対象
検査用途に使用する。用途については後に詳述する。ベッ
ではあるが,他に手術中,手術後の血糖値管理も人工膵臓
ドサイド型人工膵臓は,一般に末梢静脈より採血を行い,
により行われている 2) 。
静脈血の血糖値を測定する。
近年,外科手術時の血糖値管理の患者予後に対する有効
性を示す結果が発表され,術中,術後の血糖管理が注目さ
れている 3) 。
■著者連絡先
日機装株式会社流体技術カンパニー
(〒 150-8677 東京都渋谷区恵比寿 2-27-10)
E-mail. [email protected]
3. 救急治療機器としての人工膵臓
1)厳密な血糖値管理
外科・救急領域で発生する血糖値異常としては,次のも
人工臓器 37 巻 3 号 2008 年
153
図2 ベッドサイド人工膵臓での血糖値管理
80 ∼ 110 mg/dl に管理する強化インスリン療法も行われて
いるが,血糖値 40 mg/dl 以下の低血糖の発症が 5%以上
あったという報告もある。
この点を改善する目的で,ベッドサイド型人工膵臓を用いた
血糖値管理が行われ始めており,今後が期待されている。
2)ベッドサイド型人工膵臓の機能
図1 ベッドサイド型人工膵臓
ベッドサイド型人工膵臓は,血糖測定部と薬液注入部,
血糖値管理アルゴリズムからなっている。血糖測定は,1
のが挙げられる。
時間毎に 2 ml の持続採血を行い,GOD(グルコースオキシ
①糖尿病患者の手術,救急管理
ダーゼ)を用いたバイオセンサで行う。アルゴリズムでは,
②膵切除手術後血糖値管理
測定した血糖値と時間変化から,インスリン注入量を計算
③術後高血糖
する。そして薬液注入部はアルゴリズムの結果に従いイン
④感染症
スリンの注入を行う。
従来,これらの症例における血糖値管理は,スライディ
アルゴリズムは七里ら 4) により,膵臓の機能を模擬する
ングスケール法と呼ばれる,血糖値から投与インスリン量
ことにより開発された。アルゴリズムによるインスリン注
を求める簡単な便法により行われてきた。
入は,血糖値に比例した部分と,血糖値変化に応じた急峻
この手法では,数時間間隔(3 ∼ 6 回 / 日)で採血を行い,
血糖値を分析する。ここで得られた血糖値に対して,目標
血糖値にコントロールするため予め決められた量のインス
リンを間歇的に皮下注入する。
な分泌に分けて行われる。この動作は,実際の生理的なイ
ンスリン注入パターンとよく一致している 4) 。
人体の膵臓機能は,血糖値を一定に保つことであり,糖
分が血液に取り込まれ血糖値が上昇した際に,インスリン
しかし,血糖値は大幅に変化するのみならずその統制は
を放出して血糖値を下げ,逆に血糖値が下がり過ぎるのを
個人差が大きい。このために数時間間隔の測定(3 ∼ 6 回 /
防ぐときにはグルカゴンを放出する。本装置では,グルカ
日)でも不十分な場合があり,この方法では,通常正確な
ゴン放出の機能をグルコース注入で行う。図2に 1 日の血
血糖値管理は困難である。そこで,低血糖に陥るリスクを
糖値の変化と人工膵臓によるインスリン注入の例を示す。
回避するため,150 ∼ 200 mg/dl 程度の血糖値を目標とし
3)人工膵臓を用いた血糖値管理
た管理を行っている。これは健常人の血糖値の上限である
急性期の高血糖が持続すると,好中球の機能低下が誘発さ
100 mg/dl に対して高い値となるが,高血糖による障害は
れることが知られている。そこで,Ⅰ型,Ⅱ型糖尿病患者の
徐々に進むのに対して,低血糖による意識障害は突然発症
消化器外科手術などにおいて術後感染症を制御するために,
するというリスクを考えれば仕方がない。
花崎ら 6) はベッドサイド型人工膵臓を用いて周術期血糖値を
実際に,持続性のインスリンで常に微量のインスリンを
80 ∼110 mg/dl に管理した。その結果,約 200 例に対して
存在させ,超即効性インスリンを注射することで血糖値を
低血糖発症は皆無であった。このことからベッドサイド型
154
人工臓器 37 巻 3 号 2008 年
人工膵臓の救急集中治療での適用の可能性が示された。
4. 慢性糖尿病患者への対応
1)慢性糖尿病患者へのインスリン投与
急性糖尿病では,ベッドサイド型人工膵臓により,人体
に必要な働きがなされるために基本的な問題の解決は図ら
れるが,慢性糖尿病患者に対しては,健常人と同様に日常
生活を送ることができるのが前提であり,ベッドサイドで
人工膵臓と過ごす訳にはいかない。
現状ではインスリン投与に対する患者個人の特性を確認
して治療方法を決めるために,慢性糖尿病患者に対しても,
図3 血糖値コントロールの比較
ベッドサイド型人工膵臓による検査が行われている。その
上で患者は医師の指示に従い,患者自らによる定期的な採
血により血糖値の測定を行い,食前 30 分に自らインスリン
の注射をすることで血糖値管理を行っている(現在,超即
が混じっているというよりも,固体分の隙間に液体がある
効型インスリンができて食前 30 分の制約は解消された)。
ような状態である。したがって,理想的な血糖値の測定方
したがってベッドサイド型人工膵臓が継続的に血糖値を
法は,血液に血糖値センサが直接接触してグルコースの測
計っているのに対して,断続的というよりも定点での血糖
定を行うことであるが,この血液の状態ではセンサ表面に
値測定に頼らざるを得ない。
蛋白質の付着が起きやすく,汚れとなってセンサの感度の
つまり,ほとんどの時刻においての血糖値は予測でしか
なく,しかも図2の例でも血糖値は食事により 100 ∼ 200
mg/dl と大幅に変動する。このように血糖値の測定と測定
低下をもたらし,長時間使用が難しい。このためにセンサ
の体内埋込みによる長期使用は実現していない。
また,皮膚を通過して異物が入りそのまま長期に維持さ
の間に何らかの理由で急激な血糖値変化が起こるために,
れると,細菌感染,化膿を引き起こすために,保護の方法
その間の血糖値の値を予測することは危険がともなう。
が難しいという問題もある。
急性糖尿病患者に対しては,連続測定による血糖値の厳
なお,ベッドサイド型では微量の血液をサンプリング後
密な管理が可能であるが,慢性糖尿病患者に対しては,携
に希釈して直接血糖値を測定しているためにこの問題は起
帯または埋込み可能でしかも連続測定可能な血糖値センサ
こらないが,希釈された血液は血管内に戻せないので体外
がないために,健常人と同じレベルの血糖値を維持できず,
に廃棄せざるを得ないという別の問題がある。
高血糖値を維持しなければならないという問題点がある。
しかし,血糖値が充分管理でき,インスリンの制御ができ
れば図3のように HbA 1C の値を低く保つことができる。
(HbA1C: 赤血球の蛋白であるヘモグロビンとブドウ糖が
結合したグリコヘモグロビンのうち糖尿病と密接な関係を
有するもので,血糖値に代わる糖尿病の指標となる)。
(2)体液の測定
汗,皮膚間質液,唾液,涙,尿などの体外に分泌する体液
中の血糖値は,血液中のグルコースの値と正の相関を持つ。
非侵襲で測定できる点は利点であるが,測定の精度に問題
が残る。
唾液や尿による血糖値の推定については特許等に可能性
2)携帯型における血糖値の測定方法 が見られるものの,実際に製品化されたものは手首に皮膚
ベッドサイド型での血液採取では血糖値は正確に測れる
間質液の測定を行うセンサを取り付けたグルコウォッチの
が,携帯型では運動時にも継続的に測定できることや,連
みである。皮膚に接する部分に使い捨てのセンサ(12 時間
続的に長期間計るには非侵襲であることなどの条件も重要
使用可能の電極パッド)があり,20 分ごとに測定を行うこ
になるために,測定自体が難しい。
とができるので血糖値の変化の推定ができ,低血糖中の監
現在は,指先に穿刺して血液をサンプリングし,血糖値
視ができる長所を持つが,センサとしての信頼性は充分と
はいえず,インスリン注射の判断には従来型の採血をする
を測定しているが,測定回数に限りがある。
血糖測定器との比較が必要である。
(1)血液採取による血糖値の直接測定
成人男性では,血液中に占める血球の容積であるヘマト
クリット値が 40 ∼ 50%と多いことから,液体中に固体分
(3)光学的測定
光学的な測定は,連続かつ非侵襲で測定できるので最も
人工臓器 37 巻 3 号 2008 年
155
図5 実測結果
図4 吸収スペクトルの比較
望ましい方法 7) である。しかしグルコース以外の血液成分
および皮膚や皮下の状態により多くの外乱が含まれること
から,近赤外線の透過または散乱量を正確に測ることはで
きなかった。図4 は水とグルコース,尿素,クレアチニンの
連続波長における吸光度の比較である。
しかし,この外乱を除去するために複数の特定の波長の
吸光量を正確に測り多変量解析することで,グルコースの
測定が田村ら 8) により可能になった。また皮膚の一方向か
ら入光し,皮下で散乱して再び皮膚の外に戻ってくる光の
図6 モンテカルロ法によるシミュレーション結果
経路をモンテカルロ法によるシミュレーション計算を行う
ことで,生体実験では限りのある高血糖,低血糖について
も推定することが山田ら 9) によって可能になった。
図5はグルコース水溶液の濃度を変えたときの水を基準
とした吸光度の測定値で,
図6はモンテカルロ法シミュレー
ション計算の結果である。両者はよく一致している 10),11)
。
5. 今後の方向
人工臓器と両輪をなす再生治療では,膵臓については体
内に移したβ細胞がインスリンを出し続けられるのは,ま
また,松下電工による人体上腕での近赤外線による実際の
だ 2ヶ月程度までである。しかし,片桐ら 14) はインスリン
測定 12),13) では血糖値の変化を測定することができたが,
欠乏モデルマウスに対し,骨髄移植の手法を用いて,膵ラ
レーザ光の測定の安定のために厳密な温度管理が必要であ
ンゲルハンス島の再生を誘導し,血糖値を正常化すること
り,まだ装置が大型のために携帯することはできない。
に成功している。また,肝臓への遺伝子導入により,肝細
3)体内埋込み型人工膵臓
胞をインスリン分泌細胞へと転換することにも成功してい
連続的に厳密な血糖値が測定できれば,低血糖の問題は
る。
ほぼ解決するが,人体では食後の急激な血糖値の変化に合
わせてインスリンが分泌するだけではなく,常に微量のイ
これらに対して,人工膵臓も次の課題を解決することで
大きな進歩が期待される。
ンスリンが出ている。この微量注入のために,マイクロポ
(1)ベッドサイド型人工膵臓は病院で使用する関係上比
ンプを使い,門脈にインスリンを注入する体内埋込み型の
較的大型であるが,手術室内には近年多くの機材が備えら
人工膵臓が検討された。
図7はマイクロポンプとチタンケー
れて手狭になっているために,今後は小型化が求められる。
(2)ベッドサイド型人工膵臓は採血量の微量化を求めら
スに組み込んだ全体の写真である。
ここで,体内埋込み型を実現するには常温でも保管可能
れている。微量とはいえ長時間の血糖値管理における現状
なインスリンが必要である。図8 はマイクロポンプの運転
の採血量 2 ml/hour の血液を廃棄することは無視できな
中に逆止弁で凝集したインスリンである。この問題がある
い。
とポンプの信頼性が確保できない。
(3)携帯型では長期間正確に使用できる血糖値センサの
開発が必要である。
156
人工臓器 37 巻 3 号 2008 年
図7a マイクロポンプ
図7b マイクロポンプと人工膵臓試作機
図8 逆止弁付近のインスリン
(左:運転前,右:運転後)
(4)高濃度のインスリンを微量注入可能なポンプも求め
られている。
8)
文 献
9)
1) Albisser AM, Leibel BS, Ewar t TG, et al: An ar tifical
endocrine pancreas. Diabetes 23: 389-96, 1974
2) Hoshino M, Haraguchi Y, Hirasawa H, et al: Close relationship of tissue plasminogen activator-plasminogen activator
inhibitor-1 complex with multiple organ dysfunction
syndrome investigated by means of the artificial pancreas.
Crit Care 5: 88-99, 2001
3) van den Berghe G,Wouters P,Weekers F,et al: Intensive
insuline therapy in critically ill patients.N Engl J Med
345:1359-67, 2001
4) 七里元亮 他:人工膵β細胞による糖尿病患者の血糖値
制御.糖尿病 22: 551-58, 1979
5) Yamashita K, Okabayashi T, Yokoyama T, et al: The
accuracy of a continuous blood glucose monitor during
surgery. Anesth Analg 106: 160-3, 2008
6) 花崎和弘,岡林雄大,前田広道,他:人工膵臓を用いた
外科手術周術期血糖値管理法.胆と膵 29: 861-6, 2008
7) 特開 2001-201437 グルコース濃度測定用のキャピラリー
装置,グルコース濃度の非侵襲的モニター方法及び血糖
10)
11)
12)
13)
14)
値の非侵襲的モニター方法(ブラザー工業株式会社,国立
大学法人東京農工大学)
田村 守,丸尾勝彦,山田幸生:非観血的血糖計測装置.
糖尿病学の進歩 41: 101-6, 2007
山田幸生,垂水正敏:光学的血糖値測定の数値シミュレー
ションと誤差低減法.医科器械学 73: 415-21, 2003
Maruo K, Oota T, Tsurugi M, et al: New Methodology to
Obtain a Calibration Model for Noninvasive Near-Infrared
Blood Glucose Monitoring. Applied Spectroscopy 60: 441-9,
2006
Mar uo K, Oota T, Tsur ugi M, et al: Noninvasive Nearinfrared Blood Glucose Monitoring using a calibration model
built by a Numerical Simulation method-Trial Application
to patients in an Intensive Care Unit(ICU)-. Applied
Spectroscopy 60: 1423-31, 2006
丸尾勝彦,山田幸生,田村 守,他:光学的血糖値測定シ
ステムの開発状況.医科器械学 73: 406-14, 2003
特開 2005 − 80710 光学的血糖値測定用ピックアップ及び
これを用いた血糖値測定方法(松下電工(株))
http://www.ctaar.med.tohoku.ac.jp/atmd/sub4.html 研究室
紹介:東北大学大学院医学系研究科・医学部附属創生応用
医学研究センター/ 先進医療開発部門 再生治療開発分野
人工臓器 37 巻 3 号 2008 年
157