【基調講演】 8時間労働制の歴史的意義を考える

2006.11.28
働き方ネット大阪
【基調講演】
第 2 回集い
「1日8時間の労働が当たり前の社会に」
8時間労働制の歴史的意義を考える
講師:森岡孝二
関西大学教授
1.1日の労働時間規制の重要性
わたしたちの生活時間の単位は、基本的には1日 24 時間というのは自然の時間が基にな
っています。自然日の1日は地球が自転をするということによってつくられる時間です。
の時間は人間がこの宇宙の水惑星の地球に誕生したときから、いやその前から刻まれてき
た時間です。
人間の生物時計・身体時計にすりこまれている時間、これをサーカディアン・リズム(概
日リズム、日周性)といいます。もし、われわれ人間がこの自然のリズムに反して睡眠時
間を十分にとらないとか、無理に働きすぎるということになると、身体はたちまち失調を
きたします。たとえばわたしは、講義をしているときには眠りませんが、学生がゼミで発
表にしているときにはよく眠っています。それは身体が睡眠不足を補っているのです。
スタンレー・コレンの『睡眠不足は危険がいっぱい』
(原題は“Sleep Thieves”
「睡眠泥
棒」)という本に、人間の身体が自然に要求する睡眠時間についての心理学の観察報告が出
ています。人々をある空間にお誘いして、睡眠を好きなようにとってもらう。最初の間は
各自がまちまちの時間で過ごす。しかし、だんだん9時間半~10 時間ぐらいの睡眠時間に
落ち着く。こういうのがおそらく原始の時間として人類が自分の身体に刻んできた時間だ
と思います。
近年の日本社会というのはかつてなく睡眠不足の社会になっています。NHKの「国民
生活時間調査」で、過去 30 年あまりさかのぼってみると、年齢によって違いますが、30
分から1時間からぐらい縮まっている。30 代男性労働者(同調査では「勤め人」
)の平日
に限れば、1970 年の 7 時間 51 分から 2000 年の 6 時間 56 分に減っている。人類の長い歴
史のなかのわずか数十年で1時間近く減るというのはたいへんな変化です。これは 30 代男
性の猛烈な働きすぎと密接な関係があります。
江戸時代の時間――昔は時間がもっとゆったりと流れていました。江戸時代にはすでに
時間に刻まれた暮らしがありましたが、時間の単位はいまと大きく違います。当時は、日
の出から日没までの昼の時間と、日没から日の出までの夜の時間をそれぞれ6等分し、そ
の単位を一刻(いっとき)と呼んでいました。一刻は平均すれば2時間ですが、昼の一刻
は、今の時間で言えば、夏至(2 時間 38 分)と冬至(1 時間 50 分)とでは数十分以上違
います。時間の最小単位は四半刻(平均 30 分)で、分や秒の単位はありませんでした。
資本主義の時間──今のような時間が普及したのは資本主義になってからです。日本の
場合でいえば明治以降、工場制度が導入されて、企業が社会経済の中心になって以降です。
したがって、いまの時間は自然の時間ではなくて、工場の時間、企業の時間になっていま
す。それに追いまくられているのがわたしたちの日常です。
イギリスでは労働時間は 18 世後半からの産業革命の時代に突発的に長くなり、19 世紀
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前半には平均で1日 12 時間、週 70 時間にもなりました。日本でも明治維新以降に資本主
義が導入され確立する過程で1日 12~13 時間、ひどい場合は 17~18 時間にも達するほど
になったという記録が残っています(農商務省『職工事情』1903 年)。
イギリスでいえば、産業革命を通して機械経営の工場制度が確立する 1830 年代頃から、
労働時間の延長に対する反作用として労働時間短縮運動がおきてきます。産業革命の産物
の一つは人々が全国的に交流する可能性を生み出す鉄道や郵便です。あるいは工業都市が
形成され、都市に人口が集中し、それまでとは違って多数の労働者が団結するという条件
ができる。労働組合が結成されて労働運動が起こってくるなかで、経営者も一定の配慮を
せざるをえなくなる。そういうさまざまな条件が組み合わさって、労働時間を規制する法
律が制定されるようになってきました。
2.8時間労働制の歴史(労働時間略年表参照)
イギリスでいうと、1833 年に工場法ができ、繊維工場の児童・年少者の労働時間を制限
しました。その法律によって工場監督官制度が導入されます。医者が工場の労働実態を立
ち入って調査し、議会に報告をするようになる。
1847 年に 10 時間法ができました。これはかなり本格的な労働時間規制です。しかし、
その後も一進一退があって、子どもと女性の労働時間が規制された段階から男性の成人と
全産業一般に時間規制が広がるには、それからほぼ 20 年かかりました。
世界で8時間労働制が最初に謳われたのはイギリスの植民地であったオーストラリアで
す。メルボルンで建築職人が8時間協約を結んだことが知られています。
アメリカでは、南北戦争のあと、ちょうど明治維新の頃ですが、一時期、8時間労働運
動が燎原の火のように広がったことがありました。その結果、拘束力のない宣言的なもの
にすぎませんでしたが、イリノイ州ほかいくつかの州で8時間労働法ができた。68 年には
連邦公務員8時間法ができる。ただしこれは裁判で無効にされました。そうした流れをい
ち早く捉えて、マルクスが起草した第1インターナショナル(国際労働者協会)の創立宣
言の文章は次のように述べています。
「われわれは、労働日(1日の労働時間)の制限が、それなしにはすべての改善と解放
の試みが失敗に終わらざるをえない先決条件であると宣言する。……われわれは、労働日
の法定の限度として8時間労働を提起する」。
労働時間の限度が決まるということは、工場の時間・会社の時間と労働者自身の時間・
家族の時間とが区別されるということです。労働時間が規制されず無制限に働かされてい
るもとでは、労働者階級のおかれた非人間的状態をなくすためのいかなる運動もうまくい
かない。その意味で、先の文章は、労働者が人間的な発達を遂げるためにも、労働者が社
会参加をして、政治活動、組合活動等をするためにも、労働時間の短縮と制限が大事だと
いうことを言っています。
1880 年代になりますと、アメリカでは一端つぶされた8時間運動がよみがえり、大きな
盛り上がりを示します。その1つの頂点が 1886 年です。その年の 5 月 1 日、全国的な労
働組合団体の呼びかけで、全米で 30 万人,シカゴで 8 万人の労働者がデモ行進に参加しま
した。シカゴでは5月 2 日に 3 万 5 千人のデモがありました。ところが 5 月 3 日には、あ
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労働時間略年表
年
国
事
項
1833
英
工場法(繊維工場の児童・少年に適用、工場監督官制度の導入)
1847
英
10 時間法(50 年 10.5 時間・週 60 時間に延長)
1856
豪
建築職人、8時間協約(メルボルン)
1864
英
工場法拡張法(67 年、仕事場法、全産業に 10 時間制)
1866
-
国際労働者協会(インターナショナル)、8時間制決議
1867
米
8時間労働法(イリノイ州ほか、実効性を欠いた宣言)
1868
米
連邦公務員8時間法(裁判で死文化)
1873
NZ
女性、8時間法(91 年、全労働者)
1874
豪
女性、8時間法(ビクトリア州)
1974
仏
工場法(児童6時間・少年 12 時間、監督官制度確立)、
1886
米
8時間運動(シカゴ・デモ、ヘイマーケット事件)、
1989
-
第二インターナシオナル、メーデー決議(90 年第1回メーデー)
1891
独
帝国営業法(少年 7 時間、女性9時間)
1892
米
連邦公務員、8時間法(1903 年合憲判決)
1897
露
労働時間法(全労働者平日 11.5 時間)
1898
日
工場法制定運動
1905
仏
炭坑8時間法(10 年全面施行)
1908
英
炭坑8時間法(坑内)
1911
日
工場法(少年・女性 11~13 時間、16 年施行)
1914
米
フォード工場8時間制
1915
米
鉄道、8時間連邦法
1917
露
8時間制布告(18 年労働法典)
1918
独
8時間法(全労働者、23 年改正)
1919
仏
8時間法(全労働者・週 48 時間)
1919
-
ILO 創立、第1号(8 時間労働)条約
1923
日
工場法改正(少年・女性 10 時間、26 年施行)
1928
ソ
7時間制への移行(40 年戦時措置で8時間に)
1934
伊
40 時間全国協約(37 年法制化)
1935
-
ILO 40 時間条約(原則的宣言)
1936
-
ILO 有給休暇条約(年6日)
1937
仏
40 時間法・有給休暇法(2週間)
1947
日
労働基準法
1970
-
ILO 有給休暇条約(3労働週)
1995
独
週 35 時間制(金属産業労組・IG メタルの闘い)
2000
仏
週 35 時間制(年換算 1600 時間)
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る工場でピケ中の労働者に対するシカゴ警察の襲撃事件があり、それに抗議するシカゴの
ヘイマーケットの集会に、ライフルで武装した警官隊が襲いかかり、多数の死傷者、逮捕
者が出るという弾圧事件がありました。これは大きくもりあがった運動が官憲の弾圧によ
ってつぶされた不幸な出来事です。しかし、これが1つの大きな節目になって世界に8時
間運動が広がっていきます。
1989 年に第二インターナショナル(国際労働者組織)が 1890 年 5 月 1 日を 8 時間制実
現のためのデモの日と決めました。これは 86 年の 5 月1日のシカゴの大規模なデモが起源
となっており、メーデーの始まりとなりました。以降、いくつかのところで8時間労働制
が部分的に試みられていきます。
1917 年、ロシア革命で誕生した新政府が8時間労働制の布告を出しました。それは8時
間労働を産業や男女の別なく一般法として世界においてはじめて宣言したものでした。そ
の影響で遅れていたドイツでも8時間法ができました。
1919 年、そういう気運の下で、ILO(国際労働機構)が発足しました。そして最初に
採択した条約が、有名な8時間労働条約です。反対する日本を説き伏せるための特別な配
慮もされた案文でしたが、結局、日本は、4人の代表のうち、労働者代表は原則的に8時
間労働制を導入することを強く主張したものの、政府代表2人と使用者代表が反対し、批
准もしませんでした。当時、日本は8つの中心国の1つであり、しかもすでにかなり工業
発展をとげていました。ドイツ、イギリス、フランス等のヨーロッパは、第一次大戦で戦
場になりましたが、戦場でなかった日本は、経済状態からいえば、むしろ他の国よりも有
利な立場にあったにもかかわらず、10 時間、12 時間のわれわれの国の慣行は後進国として
認めてほしいということを主張して結局、反対を押し通しました。
1号条約については、採択から 90 年近く経った 2006 年現在も批准をしていない。現在、
187 本あるILO条約の中で、日本が批准しているのは 47 本です。しかも、労働時間関連
の条約は一本も批准していません。当然、年次有給休暇条約も批准していません。批准を
するためには国内法を整備しなければなりませんが、それができていないからです。
1947 年に日本に労基法ができます。これによって1日8時間、1週 48 時間の8時間労
働制が謳われました。ではILOの1号条約を批准できるようになったかというと、そう
ではない。使用者は同法の 36 条に基づいて労働者の過半数を代表する労働組合などと時間
外労働協定(36 協定)を結んで労基署に届け出れば、時間外および休日にどれだけ労働さ
せても罰せられない。つまりそこに完全な抜け道があるという法律です。ILO第1号条
約は批准できません。ILO の有給休暇条約(第 132 号)は、3週間の有給休暇のうち、2
週間は連続して休むことを定めています。それを日本で制度化しなければこの条約も批准
できない。よく和製英語でグローバルスタンダードなんていいますか、労働時間でいえば、
日本はまったく国際基準を満たしていない後進国です。
3.労働時間規制の知られざる緩和
1)1987 年労基法改定
これによってそれまでの週 48 時間制に代わって週 40 時間制が導入されました。現実は
今も 40 時間とはほど遠い感がありますが、法律の適用のうえでも、いろいろ経過措置や猶
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予措置があって、1997 年に全面移行しました。週休 2 日制を前提した週 40 時間制自体は
時短の前進ですが、1 日の労働時間規制に関しては、これは問題のある規制緩和でした。
戦後 1947 年に発足した労基法には、1日8時間・1週 48 時間となっていました。それ
を 1 週 40 時間・1 日 8 時間に変えたのです。これによって 1 日は週 40 時間の割り振りの
基準に落とされました。これは変形労働時間制を拡大するための規制緩和措置でした。
最初に言いましたように、人間の生活は 1 日が単位になっています。1日 24 時間の生活
時間のなかに労働時間、家事時間、睡眠時間、食事時間、自由時間などがあります。週を
基準に考えると、たとえば1日 20 時間を2日働いて、週休5日でも週 40 時間です。これ
がいいのかというと、これでは睡眠も食事もまともにできない。では 1 日 10 時間で週4日
ならどうか。これでも通勤時間や睡眠や食事の時間を考慮すると、家事への参加や家庭生
活の充実はきわめて困難である。日本の男性たちが毎日 10 時間も働くことができるのは、
ほとんど家事をせず家庭を顧みないからです。そう考えると労働時間の制限と短縮は 1 日
を単位に考えることの重要性をあらためて理解していただけると思います。
2)1997 年男女雇用機会均等法
これは女性の長年にわたる雇用と賃金における差別を是正していくうえで1つのスター
トになりました。しかし、労働時間については、大きな後退でありました。均等法以前の
労基法は、18 歳以上の女性の残業時間を 1 日 2 時間、1 週 6 時間、1 年 150 時間に規制し
ていました。この規制は均等法で、もともと男にはないのだから女にもなくて当然という
ことでなくなりました。しかし、当時でも言われたことですが、女性の残業時間規制を男
性にも適用して、男女平等にすればよかったわけです。たいていのことは人間同じですか
ら、女性にとって有害なことは、男性にとっても有害です。その意味で 1 日 2 時間、1 週 6
時間、1 年 150 時間という規制を残すべきだったのです。実は今でもその正当性を裏付け
る別の制度があります。それは育児・介護休業法です。その第 17 条、18 条に「時間外労
働の制限」という制度があり、そのなかで「事業所は育児や家族の介護を労働者が請求し
た場合には1か月 24 時間、1年 150 時間を超える時間外労働をさせてならない」としてい
ます。これを一般化すればいいのです。
厚生労働省の「所定外労働削減要綱」は、残業を削減すべき理由として、①創造的自由
時間の確保、②家庭生活の充実、③社会参加の促進、④健康と創造性の確保、⑤勤労者の
働きやすい職場環境づくりなどを挙げています。これらのことを可能にするためには、残
業はあくまで一時的・臨時的な必要のある場合に限り、恒常的残業はなくすということを
前提に、すべての人が原則として1日2時間以上の残業はしない、年間では 150 時間以上
の残業はしないように規制するべきです。残業は 1 日 2 時間、年間 150 時間までというの
はヨーロッパの多くの国でとっくに現実化している基準です。
おわりに
1 日8時間で、週休 2 日、祝日 15 日、年休 20 日を取得すれば、年間労働時間は約 1800
時間になります。しかし、総務省統計局の「労働力調査」によると、正規雇用(非農林業
常雇)に限れば、男女計では1人平均年間約 2300 時間働いており、男性だけの平均では、
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約 2500 時間働いています。世界的には 1 日 7 時間、1 週 35 時間が今日の基準になってい
ますが、日本は8時間労働が実現した場合の年間 1800 時間からまだほど遠いのが現実です。
それだけに 8 時間労働制の実現は日本においてはまだまだ大きな意味をもっています。
最後に一言。メーデーは 1886 年 5 月 1 日、アメリカの労働者が 8 時間労働制を求めて
大規模なデモを行ったことが起源になっていると言いました。この時短運動のとき、
「第1
の8時間は仕事のために、第2の8時間は休息のために、第3の8時間は好きなことのた
めに」と歌われたことは有名です。ただ今日ではこれはあまり積極的に評価できない。こ
のときの運動としては大きな力を発揮したでしょうが、今日では時代遅れのスローガンで
す。この要求には仕事と休息と余暇の時間はあっても、家事の時間は入っていない。家事
活動――狭義の家事に加えて、育児、介護、買い物、近所付き合い、地域の世話などを含
む――は家族が共同生活を営むうえでなくてはならないものですが、日本ではこれをほと
んど女性に押しつけて、男性は能動的な生活時間(起きて活動している時間)のほとんど
すべてを会社に捧げるような働き方をしています。こうした男中心の働き方を、男も女も
社会参加と家庭参加の両方が可能になるような働き方に変えていく必要があります。した
がって、男女の別なく、みんなが 8 時間以上働かされない権利を享受し、やむをえず残業
をする場合も 1 日 2 時間、年間通して 150 時間を超える残業はしない、させないことをめ
ざして今後の時短運動、あるいはストップ・ザ・エグゼンプションの運動を広げていって
ほしいと思います。
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