処女膜の方向性の違いにより 解散しました。

処女膜の方向性の違いにより
解散しました。
Web サンプル
蛮天屋
解散の理由
そのいち
:喪失と忘却の話
3
そのに :ブルー⇔ムーン
8
そのさん
:びいどろ玉のおはなし
15
喪失と忘却の話
アン・シャーリー
(一)
「メリー! 男をつくろう!」
「オッケー蓮子!」
と元気よく返事をしたものの、メリーの表情は晴れない。
季節は秋で、暑さが涼しさに変わり、半袖が長袖に変わるころだった。喫茶
店のテーブルの上にはメリーが注文した甘いチャイと、蓮子が注文したメロン
ソーダが置かれている。
蓮 子 と メ リ ー の 秘 封 倶 楽 部 は、 三 日 に 一 度 は 学 校 の す ぐ 近 く に あ る こ の カ
フ ェ ー に や っ て き て、 ミ ー テ ィ ン グ と 称 し た だ ら だ ら と し た お し ゃ べ り を す
る。話題は学校のことであったり、オカルトのことであったり、食べもののこ
とだったり。いつもは女の子らしい、とりとめのないえんえんとつづくおしゃ
べりで、メリーはそれを楽しみにしているのだが、最近では蓮子がこのことば
かりを口にする。
つまり、恋人をつくろう、ということである。そういう話題になると、メリー
は困ってしまう。
「ウッ
困っているメリーとは対照的に、蓮子はふんすふんすと鼻息を荒くし、
ホウッホ。ウッホウッホ」と威嚇の声をあげながらドラミングをして女子力を
高め、熱意をこめて話をつづける。しかししばらくすると、
勢いがなくなって、
しょぼくれた様子になってしまう。
男がほしい、と切ない調子で言う。メリーは眉をひそめる。
どうしてそんなに恋人がほしいの。
「だって、身内で男がいないの、私とメリーだけじゃない。いつもふたりで行
動しているから、レズだという疑いをかけられているのよ」
「レズは嫌?」
「メリー……その……」
「嘘、嘘。私はノンケです。でも、だからって焦って男をつくらなくても」
「バカ、バカ。メリーのバカ」
「何よう」
「知ってるくせに」
下唇を噛んで、蓮子は拗ねる。それで、思い当たる。
別に、意地悪をしてわからないふりをしていたわけではなかった。蓮子が気
にしているそのことと、恋人をつくる努力をするという今の話題が、頭のなか
ですんなりと結びついていなかった。つまり、メリーはそれを、たいした重要
蓮子の誕生日まであとひと月ほどである。
ごととは思っていなかった。
3
喪失と忘却の話
アン・シャーリー
「蓮子。あのう……そのう……」
「何よ。はっきり言ってよ。がたがたがたがた。ごくごくごくごく(震える手
でストローをつかみ、メロンソーダを飲む)
」
「『やらはた』って、そんなに気にすること?」
「はっきり言いぶべらぁ! ぶぇぇへべぼぉ!!!」
蓮子の口から緑色のメロンソーダが勢いよく噴出し、テーブルと、向かいの
席のメリーを盛大に濡らした。メリーは冷静に紙ナプキンを手に取り、自分の
顔と服とテーブルを拭いた。それから手を伸ばして、うなだれている蓮子の頭
をはたいた。俯いている顔を上げると、蓮子は泣いていた。
モ テ て え よ う …… モ テ て え よ う …… と 動 物 の 夜 鳴 き の よ う に 声 を も ら し て
しゃくりあげる。メリーはよしよし、と頭をなでてやりながら、別に蓮子はモ
テないわけじゃないんだけどな、と考えていた。
スーパー処女の蓮子とちがい、メリー自身は、中三のときに初体験をすませ
ている。だから「やらはた」になるおそれはなかったが、長い間恋人がいない
◆
ことについては、蓮子と同じだった。
蓮子の家は大学の近くの学生街にあるので、カフェーから歩いて帰れるが、
メリーの家はそこから電車で少し離れた住宅街にある。その日、蓮子と別れた
メリーは日課のパチスロをすることもなくごはんを食べて部屋に帰った。ドア
を開けるとすぐにキッチンで、左手に流し台とコンロ、右手にトイレとお風呂
がある。キッチンを抜けて次の部屋がメリーのいつもの居住空間で、ひとり暮
らしの女子学生には贅沢なことに九畳の広さがある。
部屋の端までまっすぐ進むとちょっとした出窓があり、メリーはそこにいく
つかの鉢植えの花を置いている。霧吹きでしゅっしゅっと花に水をかけ、それ
から床にぺたんと座り込み、出窓の端にあごを乗せて花を透かして窓の外を見
た。
夜になってすぐの時間だった。電車に乗っている間に夕陽が沈み、空の低い
位置に金星が輝いているのが見えていた。駅を出て歩いている間に金星が沈ん
で消え、月が輝く時間になった。チーズケーキの丸いホールを半分に切ったよ
うな月が、住宅街の屋根の少し上あたりにぽっかり浮かんでいる。星はよく見
えない。
蓮子はちゃんと家に帰っただろうか。別れ際に、
「繁華街に行ってナンパさ
れてビッチになる!」と息巻いていたけれど、口ばっかりでほんとうにはそう
いうことはしないだろう。
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喪失と忘却の話
アン・シャーリー
ど ち ら か と い う と お と な し い た ち の メ リ ー と は ち が い、 蓮 子 は い つ も 活 発
で、勇気がある。けれど恋愛においてはそれがからっきしで、たとえばふたり
で合コン(合同コンパの略)に行った時でも、そもそも男の隣になかなか座ろ
うとしないし、座ったところで、ああ、とか、ええ、とか、生返事をしては相
手をしらけさせてしまう。
男が苦手なの、と尋ねると、もにょもにょと口の中でよくわからないことを
つぶやき、俯いてそっぽを向いてしまう。いつもそんなふうなので、蓮子は合
コンに呼ばれることが少なくなってしまった(だからよけいに男と知り合う機
会 が な く な っ て、 万 年 処 女 ま っ し ぐ ら で あ る )
。くらべると、メリーのほうは
そもそもが外人さんで、はっきりと目立つ美貌の持ち主ということもあって、
学内の有名人で、男からの人気はすこぶる高い。学内を歩いていると、知らな
い男から「あ、心理学部のメリーさんでしょ?」とちょくちょく声をかけられ
るほどである。蓮子や他の女友達からすると、うらやましいというより、憎た
らしいくらいのモテっぷりだった。
しかしそれだけモテているのに、メリーはちっとも男をつくらない。あまり
にメリーにやる気がないため、蓮子のほうでは「こいつほんとにレズなんじゃ
ないか」と疑っていた。でも、それはそれでメリーの勝手だし、
ということで、
深く聞くこともない。
そういうふうに、理由はちがえど、お互いに恋人をつくらないのが今のとこ
ろの秘封倶楽部で、メリーはそれに満足している。
家に帰ってから十分ほど、メリーは出窓から星を見てぼーっとしていたが、
やがて服を脱ぎ、部屋着に着替えた。
脱ぐときに、大きな姿見で自分の体を点検する。自分では大きすぎるんじゃ
ないか、と思っているほどおっぱいが大きく、腰周りだって、細身とは言えな
いものの、それなりにしなやかに引き締まっていてたるんでいない。体を横に
して鏡に映してみる。帰りにラーメン二郎で野菜マシニンチョモカラメを食べ
てきたから、ちょっぴりおなかがぽっこりしているけど、それを含めても女性
らしくてそそる体型だった。
三回だけ、この体に男が触れたことがある。その相手のことを思い出すと、
メリーは落ち込んでしまう。 落ち込んでいると、電話が鳴った。ディスプレ
イの表示を見ると、蓮子からだった。
「もし
ユニクロのステテコとTシャツ姿で、メリーは電話をとりあげると、
もし?」の代わりに、
と言った(メリー渾身のジョークだった)
。
「オスメス?」
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喪失と忘却の話
アン・シャーリー
蓮子のほうは、ジョークに付き合ってる余裕がないようで、
「めりぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ助けてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」
「どうしたの」
「犯されるぅぅぅぅぅぅぅぅレイプされるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」
「酔ってるの?」
「私の穢れを知らない膣穴にぃぃぃぃぃぃ男どもの欲望に煮えたぎった肉棒
がぁぁぁぁずぶずぶとぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
「蓮子?」
「大きく股を開かされた私の陰裂が自然に左右に引っ張られ、意に反して流れ
落 ち た 白 蜜 が 会 陰 を 越 え て 肛 門 を く す ぐ る。 準 備 万 端 の 秘 裂 へ と 浅 黒 く 反 り
返った剛直が近づき、潤いの源泉が灼熱感で押しやられると、焦らされた秘唇
が雄肉に吸着し、ただ肉溝の入り口を少し割られただけなのに粘膜同士の触れ
合いは男の腰が痙攣するほどの甘みをもたらした。奥からにじみだす肉汁がニ
カワのように粘つき、両者をぴったりとくっつけて離すまいとする。いくらオ
ナニーで局部をほぐしてきた私とはいえ、土台が小柄な私にとって男の巨根で
貫かれることは焼きごてでえぐり返されるような苦しみであった。ミチミチと
脳 に 響 く よ う な 音 が 股 に 染 み わ た る 間 も、 男 の 肉 欲 が 粘 膜 越 し に 伝 わ っ て く
る。少女の中に肉欲を叩き込みたいという雄特有の獰猛な本能だった。逃げよ
うとする私の腰に対して男が快楽を欲して腰を押し出して来たとき、純潔が雄
を拒む最後の抵抗が、ぶちりとゴムの千切れるような音が聞こえ」
「蓮子?」
電話の向こうで、がちゃちゃ、と暴れるような音がして、蓮子に代わって男
が話しはじめた。メリーの知らない声だった。
「君、この子の連れ? 悪いけど、引取りに来てくれへんかな。ほんまかなわ
んねんけどこれ」
「あ、あの」
「横っ面張り飛ばされたのがひとり、金玉蹴り上げられたのがふたりや。ほん
まかわいそうに、まだ立ち上がってこれはらへんわ」
「あの、誰ですか」
「おまわりさんやで。ほな、○×交番で待っとるさかいに。なんや、見たとこ
未 成 年 か? あ ん ま り う る さ い こ と 言 い た な い け ど、 や ん ち ゃ も た い が い に
な。ほなはよ来たってな」
ため息をつきながら、メリーは電話を切った。それから部屋着を脱ぎ、さっ
きまで来ていた服を着て、出かけた。すっかり夜になっていた。○×交番は、
メリーたちの学校から電車で四〇分、メリーの家からは二〇分ほどの距離の繁
華街にあり、いつでも酔っ払いと、活力をもてあました若者たちの喧騒でごっ
6
喪失と忘却の話
アン・シャーリー
たがえしている。あまり得意な場所ではなかった。メリーは蓮子を恨んだ。
家から駅まで歩いて行く途中、境界を見つけた。自動販売機の横に、影に隠
れるようにしてそれは蹲っていて、見つけられたのが不思議なくらいだった。
どんな境界なんだろう。興味は湧いたが、場合が場合でもあるし、ひとりで近
づく気にはなれなかった。蓮子を保護したら、今日は私の家に泊めることにし
て、帰りにここを確認しよう。もし、消えてしまわずに境界がまたここにあっ
たら、蓮子と一緒に調べてみよう。蓮子は酔っ払っちゃって、役に立たないか
もしれないけど。
電車に乗って、降り、猥雑な街を足早に歩いて、交番に辿り着いた。警官と
話すと、そんな女の子は知らない、と言われた。
こういう電話があったんですけど、と説明したが、警官は首を振る。今日は
そういう事件はなかった、間違い電話か、もしくは。
メリーは慌てた。すぐに蓮子に電話をかけたが、誰も出なかった。何度も何
度もかけ続けると、そのうち、ぴ、と音がして、つながった。
男の声がして、
「ごちそうさま」
電話の電源を切られていた。
と言ったあとすぐ切れた。次にかけたときには、
メリーは発狂したようになり、警官に事情をまくしたて、一緒に蓮子を探して
くれるように頼んだが、警官はやる気なく、死ぬことはないやろ、と言ってメ
リーを追い払った。同じようなことはいつも起きている。探したところで見つ
かるわけはない。このへんで泥酔した女の子がひとりで歩いとったら、どうな
るかわかるやろ。あんたの連れがアホなんや。
全員が、
何かの冗談であることを祈って、メリーは友達全員に電話をかけた。
知らない、と答えた。メリーは真っ青になって、自分ひとりででも蓮子を探し
に行こうと交番を飛び出したが、すぐに追いかけてきた警官に捕まって、説教
された。二の舞いになるだけや。おとなしく家に帰り、
連れからの連絡を待て。
なんとか電車に乗って家に帰った。
気が遠くなり、倒れそうになりながらも、
その晩は一睡もせず、朝六時くらいになったところで、また蓮子に電話をかけ
た。まだ、電源は切られていた。いてもたってもいられず、
蓮子の家に行った。
鍵が閉まっていた。蓮子はまだ帰っていない。
その日、結局メリーは蓮子に会えなかった。何度も電話をかけたが、一度も
つながらなかった。次の日、また朝に蓮子の家に行き、ドアをノックすると、
しばらくして、メリーの電話が鳴った。
電話をとると、無言の時間がつづいて、やがてもにょもにょと蓮子の声が聞
こえた。ドア一枚を隔てた向こうにいるはずなのに、なんだかとても遠くから
聞こえてくるように思えた。
7
ブルー⇔ムーン
蛮天丸
1
浅く広い窪みの底で蠢いている。彼らの頭上の墨に白い砂金が散りばめられ
ている。その光景を目の前にして、マエリベリー・ハーンは身体の感覚がどこ
か遠くに離れていることを自覚する。神経が見えないところを浮遊している。
大地であり、
空だっ
悶えているのは人間だった。三人いた。彼らは海であり、
た。喉をおさえて何かを口にしている。しかし、言葉はマエリベリー・ハーン
に届かない。彼女は穴の縁から、ただ黙って彼らを見下ろしていた。やがて、
穴の中の人間は何も伝えられず、動きを忘れ、静止した。眠りとは異なる、沈
黙。すべてが無音の中で終わった。
表情一つ変えず、マエリベリー・ハーンは一部始終を眺め終える。それから
も、しばらく穴の中の人間を見つめていた。何度か視線が小さく揺れる。今ま
での事象に何かの意味を見出そうとするように。けれど、何も見い出せなかっ
た の か、 彼 女 は 小 さ く 息 を つ い た( 傍 点 )
。彼女にとって、それは遠くの国で
大きく地面が揺れて、高い波が起き上がったことと同じ。そこに内包される感
触まで手を伸ばすことができない。
けれど、彼女は気づくことはなかったが、何かが確かに損なわれていた。そ
れは彼女の輪郭を歪め、心臓の血から鮮やかな赤だけを吸い上げるほどに。
マエリベリー・ハーンは、穴の底から視線を上げた。真っ白で無骨な地面が
遠く続き、墨と共に円弧の境界を描いていた。墨に浮かぶのは砂金だけではな
かった。それよりもずっと何億倍も大きい、青いビイ玉がその顔を半分見せて
いた。落としたら必ず壊れてしまう、複雑な白い文様が刻まれていた。
ふと彼女は視線を右に向けた。瞬間、白い衝撃が彼女を襲った。彼女の神経
が焼かれていく。次に目が、そして髪が、最後に肌が焼かれていく。熱い、熱
2
い――!
「メリー?」
誰かに呼ばれてメリーが目を覚ますと、焼かれるような感覚は一気に引いて
いった。視界は朧で、白い背景の中央に黒い何かがぼんやりと映っている。不
意に彼女の額にひんやりとした感触が訪れる。
8
ブルー⇔ムーン
蛮天丸
「熱、あるみたい」
やがて、世界に輪郭が取り戻される。メリーは自分の部屋のベッドに寝てい
た。蓮子が彼女を見下ろしていて、メリーの額に手をあてていた。
「今日はいいよ、無理して学校に来なくても、ね?」
蓮子の手が額から頬へと滑り下りる。触るか触らないかの絶妙なタッチで、
首もとの汗を拾い上げる。
「大丈夫よ」
メリーはゆっくりと体を起こした。東向きの大きな窓から、強く白い光が差
し込んでいる。カーテンは閉められていない。枕元のナイトテーブルには汗か
きのコップが置かれていた。彼女はそれを飲み干して、蓮子の唇に自分の唇を
軽く落とした。蓮子が少し驚いたような顔を見せるが、すぐに口元を緩めた。
「よかった」
彼女の頬に光が差し込んでいる。黒い髪が滑らかに揺れる。メリーは彼女の
右手に自分の左手を重ねる。
「もういっかい」
蓮子は頷いてメリーに口づけた。それから二人で小さく笑った。メリーの体
を溶かすような熱はいつの間にか引いていた。
「そうしたら、今日は二限まで授業だから、終わったら一緒にごはんを食べま
しょう」
メリーが頷くと、蓮子は手を振りながら部屋から出て行った。
メリーは蓮子の匂いが微かに残る部屋を見回した。ベッド下に並ぶぬいぐる
み、ヴィンテージものの箪笥、ピンク色のカーテン。普段と何も変わらないの
に、どこか普通とは離れている光景。窓から射し込む光は、ちょうどメリーが
寝ていた場所を容赦なく焼いている。夏の残り香と蓮子の残り香が混じり合っ
て、メリーの胸の中に溶けていった。
窓から外を覗いた。緑豊かな京都の背後の縁に太陽がかかっている。彼女は
しばらく太陽を眺めていた。ぼんやりと重い感情を乗せて、昇っていくその様
を。夢で見たことをすっかり忘れてしまったように。
太陽は天頂へじりじりと這い上がった。だが、途中で力尽きたのか、重力に
引きずられて青い空へ消えていこうとしていた。
その移り変わりを眺めながら、メリーは蓮子を待っていた。長い長い、大学
生の夏休みも終わりにさしかかっている。午後一時過ぎの大学の食堂には学生
が二、三人しかいない。喉が溶けるほど甘いと蓮子が評するココアを飲みなが
ら、メリーは頬杖をついている。ぽつねんとした絵画のような風景の中、不意
9
ブルー⇔ムーン
蛮天丸
に明るい声が飛び込む。
「やあ、やあ、お待たせ」
蓮子だった。手にはメロンソーダが入った安っぽいプラスチックグラス。彼
女は長いスカートをひらめかせ、メリーの向かいの席に座った。同時にメリー
の口から儀礼的な言葉が流れ出す。
「十三時十二分。相変わらずの遅刻ね」
「ごめんごめん、ちょっとレポートで捕まっちゃって」
「失ったものを数えるにはちょうどいい長さで、怒り悲しむにはちょっと短い
時間ね」
蓮子はメロンソーダを啜りながら苦笑した。
「メリーも相変わらず、絶妙な言葉で私を責めるのね」
「違うわ、その逆。褒めてるのよ」
「ほんと、メリーって詩人だよね」
円くて小さいテーブルの下で脚を組み、蓮子はメリーを見つめて笑った。彼
女が手を伸ばせば、テーブルに置かれたメリーの手にすぐ触れることのできる
距離。温かなココアと冷たいソーダの匂い。メリーの瞳がわずかに収縮する。
その空気を肌で感じ取ったのか、蓮子はメリーから視線をそらし、肩にかけた
鞄を開いた。
「さて、本題に入ろうか」
彼女は何かを丸いテーブルの上に差し出した。それは一冊の雑誌だった。中
央にはメリーでも知っているほど有名な写真が精一杯胸を張っている。
「アポロ」
「……の次の計画、『ネオアポロ計画』だって。まんますぎるネーミングに笑っ
ちゃうけど、記事の中身はなかなかショッキングだよ」
蓮子が雑誌を手に取り、最初の数ページの広告を飛ばし、中身を要約する。
最近、火星への移住が安定期に入り、火星側から月を観測するプロジェクト
が始まった。すると、地球側からの観測や人工衛星では発見できなかったもの
が見つかり、天文学者たちが大騒ぎしているという。
「それがね、人骨だって。月で人骨が見つかったのよ?」
「月で?」
「ええ。今まで生命の痕跡が一切見つかっていなかった月で、まさか人骨が見
つかるなんて。月に降りた人物って、旧アポロ計画の三人しかいなかったじゃ
ない。もしかしたら、だけど、本当に遠い昔、何かの生命がいたのかもしれな
いわ!」
興奮気味に話す蓮子に対して、メリーの視線はどこか遠くへ向いていた。そ
の様子に蓮子は気づく。
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ブルー⇔ムーン
蛮天丸
「月に何か、思うところがあるの?」
「いいえ、なんでもないけれど」
メリーは蓮子から少し離れた場所を見つめたまま、ココアを口にした。いつ
もなら甘さに悶えるのに、その日はココアに味などなかったかのようにメリー
は 無 反 応 だ っ た。 蓮 子 は し ば ら く 訝 し む よ う に メ リ ー の 表 情 を 観 察 し て い た
が、やがてひとつ思い当たったかのように口を開いた。
「トリフネ」
メリーの透き通る青の瞳が波打ち、蓮子に向けられた。同時に、食堂の自動
ドアが開き、学生の集団が入り込んだ。何かを大きな声でしゃべっている。そ
れは蓮子とメリーにとって、まったく無関係な喧騒だった。
蓮子は小さく息をついて、メロンソーダの氷をかじった。
「そう、まだ引きずっていたのね」
けれど、
それは言葉という形をとらずに、
メリーは何かを口にしようとした。
口の中で消えてしまった。蓮子が続ける。
「 確 か に あ の と き は ひ ど い 目 に あ っ た わ。 そ れ は 今 で も 忘 れ て は い な い け れ
ど、でも結結局はこうして今を無事に過ごしてる」
「蓮子、それは――」
「なにより」
蓮子はメリーの言葉を遮った。最近の二人の記憶の中では、蓮子がこんなふ
うに一方的に話を進めることはなかった。
「私たちは秘封倶楽部。不思議と夢を探すサークル、でしょ?」
そう言って、蓮子はにんまりと唇の端をあげた。メリーはそれまでの表情か
ら少し目を見開いて、やがてやれやれといったふうに首を横に振った。
「私、あなたのそういう顔を見るの、十数年ぶりよ」
「あれ、そうだったかな?」
「繰り返される日常は、非日常の一日にも満たない速度で過ぎていくから」
「それって、早いのか遅いのかわかりづらいね」
入ってきた学生はやがて自分たちの席を決め、カウンターに自分たちの食事
を取りに行ったらしい。喧騒は落ち着き、また九月の食堂が息を吹き返した。
「わかったわ、蓮子。あなたが言うなら」
「やった! そうしたら今週の日曜日に行きましょう」
「だめよ、編集との打ち合わせがその日の夜に入っているんですもの」
「打ち合わせって、そんなのサボればいいじゃない」
「あのねえ」
メリーが首を横に振っていると、彼女たちのそばをさっき入ってきた学生の
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ブルー⇔ムーン
蛮天丸
グループが通り過ぎていった。「こんにちは、宇佐見先生」と彼らが蓮子に挨
拶をすると、蓮子も手を振り答えた――「採点遅れるけど、ごめんね。でも、
いいよね、どきどきする時間が増えるでしょ?」
。メリーはじっと蓮子の表情
を、手を振る指のしなやかさを見ている。窓の外で揺れる木々は常に人の知ら
ない形をとっていた。やがて、蓮子はメリーの鋭い視線に気づき、申し訳なさ
そうに手を縦に振った。
「ごめんごめん、私の研究室たちの子」
「そんなの、見ればわかるわよ」
「うん、妬いてるわけね?」
「妬くわけない、あんな子どもたちに」
「体は私たちと同じ、立派な大人だわ。頭脳が子どもなだけで」
学生たちは自分たちの席に戻り、黙々と食事を始めた。蓮子もそれに合わせ
るように、さっき取り出した雑誌を見つめ直した。
「じゃあ、その前の土曜日。ちょっと私がキツいけど、あなたの打ち合わせが
次の日の夜ならそれでも問題ないでしょう?」
「それなら大丈夫だけど、遅らせてもいいんじゃない?」
「土曜日。もう待ちきれないわ」
雑誌を眺めたままだったが、蓮子の声ははっきりしていた。日常の中にあり
ながら、その声の響きは明確な区切りをつけていた。それを小さく踏み越え、
二人は匂いの違う世界を知る。そうやって、二人は今まで生きてきた。その匂
いの変化がメリーの鼻先をかすかにつついた。メリーは再び呆れたように肩を
すくめながら、けれど笑った目で答えた。
「しかたないわね、あなたがそう言うのなら」
蓮子はその答えを聞いて、雑誌を閉じた。顔にはさっきよりももっと明らか
な笑みが浮かんでいた。
「決まりね」
そうして、カップに残っていたメロンソーダを一気に飲み干した。
「月の人骨の謎を探る。やりましょうよ、メリー」
メリーはもう抗うこともなく、首を縦に振った。
「きっと、大事な活動になるから」
人類が月に行く方法は既に失われた技術となっていた。その必要がないから
だ。人類が火星へ飛行することが可能になり、安定した居住性を確保できるよ
うになってから、過酷な環境の月には誰も興味を示さなくなった。なにより、
人類の数が減りつつある。以前ほど積極的に移住計画を推し進める必要がなく
12
ブルー⇔ムーン
蛮天丸
なってしまった。そうして、月は誰もが目にしながらも、忘れられた小衛星と
なる。そんなときの、月面の人骨発見だった。
伝承すれば技術は廃れる。しかし、その技術の上に立って、新たな技術が生
み出されることを、人々は時折忘れて去ってしまう。火星への移住技術がその
ひとつだった。元々、月への移住計画の技術を応用して、急遽火星への移住計
画に変えたのだ。そして、移住のために尽力した技術者たちは今はどこかに身
を隠してしまった。
火星に住んでいながら、人類は月へ行く手段を失っている。
「どうやって行くつもりなの?」
約束の日の夜、メリーは自分の部屋に訪れた蓮子に尋ねた。蓮子は電気のス
イッチを切りながら、飄々として答える。
「もちろん、飛んでいくのよ」
「ロケットもないのに?」
「メリー、それ、本気で言ってる?」
電気のない部屋は物憂げだった。陽があるときは光と色と匂いに包まれるメ
リーの部屋がいっぺんに変わっていく。ベッドに腰掛けたメリーの瞳が蓮子を
探して迷い歩く。しかし、その視線は蓮子をとらえられない。気づけば、蓮子
はメリーの横に座っていた。黒猫のような静かさで。
「私たちがトリフネにどうやって行ったか、覚えてるでしょ」
「でも、あれは夢だってお医者様が……腕の傷も、私が寝ぼけて寝返りを打っ
たときに作ったものだろうって」
音もないのに、隣の蓮子から不機嫌な音色がした。
「まだそんなことを信じてる?」
暗闇の中で蓮子はメリーの手を強く握った。空気が小刻みに揺れる。その小
さな波がメリーの肌に伝わってくる。メリーの目が徐々に暗闇に慣れてくる。
ようやく、暗闇と蓮子の輪郭を見分けることができるようになった。
「あなたが見てきた夢は、本物よ……いいえ、もっと正確に言うなら、あなた
がそれを夢だと思い込んでいただけ。すべて、現実なの。だから、幻想郷と呼
ばれる場所でもらったお菓子をこちらの世界に持ってこれた。だから、トリフ
ネで負った怪我とこちらで負った怪我が同じものだった」
蓮子はそこで言葉を閉じた。部屋に満ちていた波も、徐々にその力の源を失
い、ゆったりと収まっていった。カーテンにぼんやりと満月の明かりが当たる。
ピンク色のカーテンは、その色を奪われ、白色に染まっていった。
「蓮子」
しばらく時間が経ってから、メリーが口を開いた。
13
ブルー⇔ムーン
蛮天丸
「それが本当なら、どんなに素敵なことだろうと、私は何度も思ってきたわ。
そして、あなたがそれを証明してくれた」
メリーはそこで一度言葉を句切り、蓮子の手を握り返した。そして、朧な蓮
子の唇に、キスを落とした。
「行きましょう、また一緒に。もう、どれだけおおあずけされてきたか、忘れ
そうなくらいなんですもの」
その言葉に蓮子は首を縦に振った。そして、背後にあるカーテンを開けた。
途端、満月の光が降り注ぐ。二人の視界が影と月光と淡い桃色から構成される。
満月は二人が驚くほど白かった。そこにはどんな模様も描かれていないかの
ように。牛乳と透明なガラスを混ぜ合わせているようにも見えた。
「不思議ね」
メリーの手を握りながら、蓮子は笑った。
「月がこんなふうに見えたことって、今までになかったかもしれないわ」
「それは、あなたがそうに思い込んでいたからよ」
メリーは左手をそっと蓮子の額にあてて言った。
「唐突に月が語りかける言葉に惑わされていたからよ」
「あなたは、いついつ、どこどこにいる、ってね」
目をつむる前に、蓮子は横目でメリーを眺めた。彼女の髪は朝と違い、艶め
いて妖しく光を編んでいた。栗色の瞳が月光を呑み込むように大きく膨らんで
いる。
すぐに蓮子は目を閉じた。彼女の頭の中には、きっと煌びやかな月面が描か
れているのだろう。メリーはそれをすぐに理解した。そして、
天頂近くに留まっ
ている月を凝視した。
そこに煌びやかな世界が見える。境界を見通す目を持つメリーにしか見えな
い風景。月は決して白く無機質な色をしているわけではなかった。
メリーは蓮子に声をかけなかった。蓮子の引き締まった唇がその必要がない
ことを物語っていた。けれど、メリーはしばらく何もできずにいた。月を見た
り、蓮子の顔を見たり、星に視線を泳がせる。それを準備と呼ぶには少し長い
時間だったかもしれない。けれど、蓮子は何も言わず、黙っていた。やがて、
メリーは小さく息をついて、己の瞼を下ろした。空に浮かぶ月の都を強く念じ
ながら。
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びいどろ玉のおはなし
生パン
(一)びいどろ玉のおはなし
「わかんないかなあ」
既に蓮子の頬は赤みを帯びて、視線もゆらついていた。ただ、その視線の中
にある苛立ちは、メリーをその場に強く縫い留めていた。
メリーは、弱々しく声を絞り出した。
「ごめんなさい、わからない」
メリーの言葉、そして一挙手一投足が、いちいち蓮子を失望させる。
「……教えて?」
目を合わせられない。メリーの顔は軽く伏せられて、視線が蓮子の鎖骨のあ
たりをさまよっていた。
正直なところメリーは、正解を知りたいなんて、
これっぽちも思っていなかっ
た。ただ、自分でそれを言い当てることができない恥ずかしさと焦り、そして
蓮子の視線から、はやく開放されたかったのだ。
「ああ、そう。わからないんだ」
蓮子の吐く息からは、アルコールの匂いが強く感じられる。メリーも素面で
はなかったが、軽い酔いなんてものは、とっくに散ってしまっていた。
空になったワインボトルが、カーペットの上に転がっている。折りたたみ式
の携帯電話が投げ出されている。喉元を、冷や汗が伝う。
六畳のワンルームは、静まり返っていた。
蓮子がニヤニヤと笑う。
「私がメリーに対して、一番受け入れられないと思っているのは」
逃げ場はなかった。
「メリーにとって私が初めての相手じゃなかったことだよ」
「正直、この先もずっと一緒にいようとは思わないな」
とりあえず次の相手もいないし、今すぐに別れようとは思わないけど。これ
からもずっと一緒にいたい、とは思えない。
蓮子の言葉に対して、メリーは何の反応も示すことができなかった。
「結局メリーは、私に今こう言われるまで、
何が悪いのかわからなかったよね。
それってつまり、私に処女をあげられなかったことを、悪いともなんとも思っ
ていなかった、っていうことでしょう」
声も出ない。
「そう、前にあなたに、既に経験済みであることを、後悔しているかどうか、
聞いたこと、あったよね」
蓮子は止まらない。自分の言葉のひとつひとつが、メリーの中へと重く深く
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びいどろ玉のおはなし
生パン
沈んでいく手ごたえを、確かに感じていた。
「そのとき、メリーが何て答えたか、覚えてる? ……後悔してない、って簡
単に言ったんだよ」
メリーはもう身動きがとれない。
驚きとやり切れなさ、そして羞恥心の間で、
「なんていうか、感覚が違いすぎて、引くよね」
全身が冷え切っているのに、顔に血が昇っている感触がする。
今までの自分の人生は、自分自身で選択してきたものの積み重ねだ。それは
否定せずに受け止めなければならないと、メリーは思っていた。
だから、今までの人間関係を「後悔している」とは答えられなかった。
その結果が、これだ。
「…………」
「そんなメリーを相手に、私の初めてを失ってしまったなんて」
蓮子は笑っていた。
身構えることも、耳をふさぐこともしなかった。ナイフのような蓮子の悪意
が次々と、メリーの一番深いところに沈んでいった。
帰路についたメリー
どうやって部屋から出てきたのかも、よく覚えていない。
は、誰もいない夜道を、機械的なリズムで歩く。うつむいて、無表情のまま。
蓮子に、あんなに明確な悪意をぶつけられてしまった。そして、その原因が
自分にあるということに、メリーは打ちのめされていた。
のうのうと生きてきたこと。そして、
恥も知らず、不純な性交渉を経験して、
蓮子と関わってしまったこと。それが、これから先もずっと、彼女を傷つけて
いくのだろう。
蓮子の歪んだ表情が脳裏に浮かぶ。
今までもずっと、私のことを、汚いと、そんな風に思いながら、それを我慢
して接していたのか。
どうすれば、いいのだろう。時間を巻き戻す方法を、メリーは知らない。
つまり、もう、どうにもならない。
メリーがメリーである限り。これから何をどうしたって、蓮子は傷ついた顔
をするのだろう。「過去に他の男と寝たくせに」という意識は、こびりついて
消えない。蓮子がそう思っているということが、
メリーの心から消えることも、
決してないだろう。
確かに、蓮子にとってみれば、メリーと関わったこと自体が、間違いだった
のだ。
メリーの歩みが止まる。
どうにもならない、ということは、もうだめだ、ということだ。
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びいどろ玉のおはなし
生パン
メリーは、考えるのをやめた。
帰らないと、と思った。
でもなんだか、身体を動かすための、糸が、切れてしまったようだ。
ああ、私にとっても、蓮子と関わったことは、間違いになってしまうのだろ
うか。
***
それは、一面に広がる彼岸花だった。
どこか遠くで、びいどろ玉が、転がり落ちていく音がした。
先が見えないほど遠くまで、ずっと同じ光景が続いている。空は薄暗く、紫
に近い色をしている。雲はない。うっすらと、星が見えていた。
ときおり、弱い風が通り抜けると、赤い花たちは互いに肩をぶつけて、くす
くすと笑った。
ある日の秘封倶楽部の活動の結果、蓮子は空を見上げて、考え込んでいる。
「ここは一体、なんなの?」
いつもだったら、星を見れば蓮子の目には時間の情報が映る。しかしこのと
きは、それらしい情報の断片が意味を失い、細切れにふわふわと漂っているよ
うに見えた。
この薄暗さでは、はっきりと星が見えないためだろうか。
「いや、流れる時間という概念がないのかも。せめて月が見えれば場所が……
いや、見えたところで変わらないか」
辺りを見回して、つぶやいた。
「この彼岸花からすると……三途の川に近いのかな?」
一方のメリーは、かがみこんで、何かを注視していた。蓮子も、そちらへ注
意を向ける。
「どうしたの、メリー」
「これ、」
隣にしゃがんだ蓮子に、メリーは掌のそれを見せた。
ガラス玉だった。
内部には、鮮やかな色のひだ細工が施されている。
「あら、これ、ビー玉ね」
ガラス玉は各々色も大きさもばらばらである。よく見てみると、玉の内部に
閉じ込められているのは、ひだというよりも、もやもやの集まりらしい。じっ
と見つめていると、じわじわと漂って、形を変えていくのがわかった。こんな
場所に落ちているだけあって、ただのガラス玉ではなさそうだ。
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びいどろ玉のおはなし
生パン
「ねえメリー、知ってる? ビー玉っていう名前は、一説には『びいどろ玉』
の略らしいよ。びいどろ、っていうのは、ポルトガル語でガラスを意味してい
て、こういうガラス細工を始めたのが、長崎に移住してきたポルトガル人だっ
びいどろ玉、とメリーがひとりごちる。響きが気に入ったらしい。
たから」
改めて周囲を眺めてみれば、一斉に赤く笑っている彼岸花の足元に、大量の
びいどろ玉が散らばっていた。ちらちらとした光が視界に入ってきたのは、こ
れだったのか。
「メリー、結界は見える?」
「ええ」
メリーは、正面の空間を見据えた。
「ぐるりと一周するように、直径 20
……いいえ、 30
mぐらいかしら。結界に
囲まれてる。多分、ループ構造というか、どこまで進んでも同じ空間が繰り返
されるようになっているみたい」
ちらり、と視線を動かす。
「この空間自体は閉じている。でも、時々、別の結界が現れて、落としていく
のよ、ほら」
メリーの指した方向から、ざらら、と流れ込む音がした。そのびいどろ玉の
流れる尾っぽを、かろうじて蓮子は視認できた。
「なんなのかしらね、ここ」
「さあ」
その後しばらくうろうろしてみたが、特に何も発見できなかった。時々、び
いどろ玉がざらざらと流れ込むか、風が吹いて、真っ赤な花たちがさらさらと
笑うだけだった。
「帰ろうか」
二人はそのまま、元の世界へ戻ってきた。
蓮子が拾ってきた、いくつかのびいどろ玉は、メリーの部屋の、小さな宝箱
の中で眠ることになった。
それは今、メリーの手のひらにある。
ゆるく握りしめたまま、メリーは何も見ていなかった。
ふらふらと帰宅したメリーは、びいどろ玉たちが、蓮子と過ごした記憶が、
メ リ ー を 呼 ん で い る よ う な 気 が し て、 吸 い 寄 せ ら れ る よ う に そ れ を 取 り 出 し
そのままずっと、眠り続けた。
それを抱き込んだまま、メリーは布団に潜り込んだ。
た。玉の中にただよう、もやのようなものは、ゆらゆらと光を発していた。
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びいどろ玉のおはなし
生パン
***
歳のときだった。
初体験は、 14
「こんなものか、って思った?」
男は笑いながら、そう尋ねた。
実際、そのとおりだったので、メリーはどう反応すればいいのかわからなかっ
た。
ここは友人の家だ。敷きっぱなしの布団の上で、今はその友人の恋人である
はずの男が、裸体に服を身につけ始めている。
「大人しくしておいたほうがいいと思うよ。行くところ、ないんでしょ」始ま
る前に、男が彼女にのしかかった状態で放った一言は、
それだけでメリーをあっ
さりと諦めさせた。
たしかに、ここを追い出されてしまうと、行くところがなかった。
男の茶色い髪の先を見ながら、こんなもんかな、と思った。
ここで逆らって、どうなるというのだろう。
男の手が、身体を這い回る。やがて舌がぬるぬると、へその周りや胸のあた
りをなぞり、乳首を撫でていった。気持ち悪さは増していったが、それでも、
身体をよじって耐えた。
両脚をぐいと開かれたときにも、
やがて男の頭が、下半身へと降りていった。
強引に押さえつけられて、諦めた。
局部を唾液でしっかりと濡らしてから、男はメリーの中に入ってきた。押し
広げられる圧迫感と、明確な異物感があった。ただ、男の腰の動きにあわせて
呼吸をした。
男はしばらくヘコヘコと腰を動かしていたが、やがてメリーの腹の上に精液
を吐き出した。
「初めてだったんでしょ」
終わった後で、男は言った。こんなものか、って思った?
「まあ、セックスなんて、こんなもんだよ」
男はさっさと部屋を出て行った。メリーはシャワーを浴びてから、荷物をま
とめて、数日のあいだお世話になった友人の部屋を出た。
空はどこまでも青く、陽射しが強い。幼い頃に飲んだラムネの瓶の、きらき
らと輝くびいどろ玉を思い返した。
鈍く重たい感触が、下半身にまとわりついている。
貞操を失ったというのに、メリーは何も感じていなかった。もっと何か、
あっ
てもいいのに。きっと私自身が、その程度のものなのだろう。
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びいどろ玉のおはなし
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これからどこへ行こうかな、と思った。
***
なにか、楽しいことはないかな。
枕の上から、二人の神様が語りかけてくる。
「過去も全て受け入れることができないなら、それは本当の愛じゃないよね」
「どんな過去でも気にしないよ全然気にしないよ、っていうなら、それは本当
の愛じゃないよね」
メリーは眠り続けている。寝ている首筋に、鱗をまとった胴体が絡みついて
くる。真っ暗闇の中で、ひんやりとした弾力があった。手の甲に、小さな蛙が
乗っている。その眼が黄金色に輝いている。
「大切だと思っていたなら、失ったときに後悔すればいい。大切だと思ってい
なかったのなら、後悔しなくたっていいじゃないか」
「お前は、一体全体、何を嘆いているんだ?」
そうなのだ。後悔している訳ではない。ただ、現在の状況を生み出した原因
が過去だというのなら、遡及的に過去を嘆くだけだ。
「本当の愛なんてものはどこにも無いよ。共通認識という意味ではね」
「お前は、どうしたいんだ?」
蛇腹に締められて、気道が塞がろうとしている。赤い眼と、縦に伸びた虹彩
が、こちらを見ている。
***
二対の眼が、答えを待っている。
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処女膜の方向性の違いにより
解散しました。
2013 年 12 月 30 日
コミックマーケット 85 にて頒布
B5 サイズ 100 ページ
頒布価格 ¥700
パ 07b Youjo 定食にて委託頒布
※成人向け作品になります。
未成年の方は購入できません。
ご注意ください!