LM-26 わたしたちがカミングアウトを受け入れるために

LM-26
わたしたちがカミングアウトを受け入れるために
0711131 長谷川円 1
指導教員 藤掛洋子
【目的と背景】男性芸能人の中におすぎやピーコ、
KABA ちゃんなど、同性愛者であるとカミングアウトし
た人は増え、社会的認知が広がっているのは確かである。
しかし、同性愛者が社会的少数者であるということから
未だに偏見や差別があり、同性愛者であるとカミングア
ウトすることが容易にできないという現状が続いてい
る。同性愛者に対する偏見や差別は、学校現場の日常に
も存在している。
本研究では、同性愛者が他者にカミングアウトするこ
との意味を明らかする。また、学校教育の現場において、
同性愛者を受け入れるために必要なことは何かを検討
する。
【方法】同性愛者に関する文献・資料の分析。知人の男
性同性愛者へのアンケートの調査(2010/10/20 実施)
。
【結果及び考察】カミングアウト(coming out)とは、
同性愛者としての自分を肯定し、受け入れたうえで、自
分が同性愛者であることを、自分以外(主に異性愛者)
の人に言うことである。カミングアウトは同性愛者の置
かれている状況を伝え、相手にも、自分が異性愛者であ
ることを気づかせ、同性愛者を受け入れる方向へ変えて
いくことまでを含む、長く時間のかかる根気のいる「過
程 」 で あ る 。( す こ た ん ソ ー シ ャ ル サ ー ビ
ス www.sukotan.com /2010/10/05 アクセス)。
同性に魅かれる人を「同性指向」または「ホモセクシ
ャル」といい、異性に魅かれる人を「異性指向」または
「ヘテロセクシャル」という。また、異性と同性の両方
に魅かれる人を「両性指向」または「バイセクシャル」
という。自分の性別に対する認識を「性自認」といい、
性的指向は、性自認を持てる人についてのみ有効である。
性的指向とは、ホモセクシャルやヘテロセクシャルなど
の性愛の方向性のこという。性転換手術などをして男か
ら女に代わった人が男性に魅かれることも異性指向に
入る。同性愛者について女性であれば「レズビアン」
、
男性であれば「ゲイ」と呼ばれるが、一般に「レズ」や
「ホモ」という言葉は差別的な響きを伴うため、好まし
くないと考えられている。どんな人でも「同性指向」と
「異性指向」は、ある一定の割合で存在し、その役割を
自分の意思で変更したり選択したりすることは極めて
困難であることがわかっている(ibid.)
。
それでは、学校教育の中では同性愛はどのように扱わ
れているのであろう。家庭科の教科書の中に家族につい
ての分野があるが、そこでは父と母が、描かれている。
このような記述では、異性愛者が当たり前で自然である
と子どもたちは認識するだろう。性的マイノリティの存
在が無視され、隠されることで、学習者である子どもた
ちは、異性愛こそが「自然」で「普通」なんだとい
うことを、気づかないうちに学びとってしまう現状
にある(渡辺大輔(2002)
『同性愛 多様なセクシ
ャリティ』
、子どもの未来社:39)
。
このような現状を取り払うために教師のサポー
ト、学校教育の見直しが重要であると考える。
「男
らしさ」
「女らしさ」などの社会的に考える性役割
や、多様な性についての授業を行うなど、多様な性
の在り方について理解させることが必要であろう。
自分らしく生きようとする学習や自分と違った他
者と向き合える力を身につけることが重要である。
同性愛者の友人Aにインタビューを行った。Aが
カミングアウトをしたのは高校を卒業してからで
ある。学校でカミングアウトをすれば偏見や差別が
起こると考え、異性愛者であることを貫いてきたと
言う。しかし、カミングアウト後は、異性愛者の友
人との信頼関係が深まり、心から信頼できる友人が
できたと話してくれた。友人にカミングアウトをし
たことで同性愛者の友人も増えて、自分の居場所が
やっと見つかったと話してくれた。
社会における同性愛者に対する偏見や差別は現
在も存在しており、彼のようにカミングアウトが容
易にできない状況は続いている。理由としては、1)
異性愛者に自分を受け入れられなったときのリス
ク、2)理解してもらうために自分が費やす時間の
長さ、3)相手を悲しませたくないといった配慮、
4)学校や職場といった生活をしていくうえで重要
な場所で、同性愛者に対する否定的なイメージ、な
どがある。
【結論】同性愛は病気ではない。同性愛者が少数者
であるため、社会的弱者としてみなされているのが
現状である。カミングアウトをすることは相手との
信頼関係を築くために重要なことである。カミング
アウトができる状況に変えていくためには、異性愛
者が同性愛者を受け入れることが必要である。多様
な性を持つ人への偏見や差別は、学校のカリキュラ
ムにも含まれている。教育を見直し、多様な性につ
いての授業を取り入れ、同性愛者もまた普通である
という考えを私たちの日常の中に取り入れていく
べきであり、そのような教育がさらに必要であると
考える。家庭科教育の担う役割は大きいと考える。
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Hasegawa Madoka