こちら

『困難は友達』
らい
けいう
雷
馨羽(中国)
皆さん、こんにちは。私は奥戸中学三年生雷馨羽です。今日のスピーチのテーマは「困
難は友達」です。
私達の生活には、いろいろな困難があります。私たちが困難に遭った時、ほとんどの人
は困難が好きではありません。でも、私は困難は甘んじて受けます。私は困難は友達だと
思います。
去年の八月、私は中国から来日しました。そして、新しい生活を始めました。そのあと、
九月に新しい学校に行きました。日本の学校は中国の学校とは全然違いました。例えば、
制服のようすや体育の授業の内容が全然違いました。あまりにも違うし、言葉もあまりわ
からないので、学校の生活は大変でした。転校生として寂しかったです。友達がいなかっ
たので、毎日私はひとりで座席に座っていました。その時は悲しかったです。私はクラス
メートと友達になるのは難しいなと思いました。そして、日本語がすこし分かるようにな
るまで、私が話せるクラスメートはすこしでした。私と友達は中国と日本の文化の違いを
いろいろ話し合いました。そのあと、私はみんなと友達になったと思いました。クラスの
人たちはみんな親切でした。困難があっても、自分が優しい気持ちでクラスメートの中に
入って、話をしたり、一緒にあそんだりしました。私はこのように、毎日笑顔で学校に行
って、友達ができました。毎日努力して、今では友達もふえました。困難が友達になり、
幸せになりました。
こんな言葉があります。「苦あれば楽あり」。今、私は毎日楽しく学校に行っています。
私は困難を克服しました。もちろん、それは私があきらめなかったからです。私は笑顔で
困難をのり越えました。この2点は重要なことです。困難に遭う時は、いつも思い出した
いです。笑顔で克服しましょう。困難を友達にすれば、私たちの生活も楽しくなると思い
ます。
ちょう
張
しんせい
鑫生(中国)
みなさん、こんにちは。私は中国北京の張鑫生ともうします。私は日本の童謡が好きで
す。その中で特に:
1. 春がきた
5 34| 56|5 34 |5i|
はるが きた
はるが
きた
2. 冬から春へ、新しい季節の到来を歌った歌
里の秋
5・3|65 32|161|5-|
し ず
か な
しずか
な
南方の戦線から復員してくる父を待ちわびる歌です。
3. あかとんぼ 511・2|35 i6 5|611 2|3-0|
ゆうやけ こやけの あかとんぼ
山田耕作による哀愁ただよう旋律に乗って歌われます。
ほかの歌:
1. さくらさくら
667-|667-|
さくら
さくら
箏曲の基調である陰施法が多用されたメロディーは、日本を代表するものとして海外
でも桜花そのものと同様に有名になっています。
2. 早春賊
5|135 i |i・6 6| 53425 |3・3 5|
は るはなの みのか ぜのさむさ や
この曲は多くの人に愛され、安曇野の高町には「早春賊の碑」が建立されました。
3. 荒城の月
3367 | i 76-|4432|3― ― 0|
はるこう ろうの
はなのえ ん
栄枯盛衰の悲哀が詞と曲の両方がしみじみと伝わってくる名曲で、大人にも愛されて
います。
4. 故郷
111 |2・32|334|5― ―|
うさぎ おいし
かのや ま
日本人のだれもが心の中に持っている故郷の風景と言えるのではないでしょうか。
千昌夫の歌、星空のワルツも大好きです。勉強しています。
511・1|232 12 3|53 32 12 3― ―|
わかれる
こ と は
つら い け ど
私は童謡の作曲が好きです。 1981 年中国文化部主催の中国童謡作曲大会にて、我作曲
の歌曲≪小青蛙你唱吧≫優勝しました。
私は中国北京音楽協会会員です。
いま、私は日本の早口ことばを作曲しました。おもしろいですね。
55 33
|55 33
|42 21
なまむぎ なまごめ なまたま
|20|
ご
日本の童謡が学習なので、日本語の理解が必要です。それで葛飾区の日本語教室で学習
をしています。日本の文化をだんだん理解して、日本の童謡の生い立ちを理解します。私
の日本語の先生は、中村先生にはほんとうにありがとうございます。
今後日本の作詞家と一緒に童謡を創作したいです。御清聴を感謝します。
『日本の生活について』
グェン
ホン
フーン(ベトナム)
皆さん、始めまして、私はベトナムからまいりましたグェン ホン フーンと申します。
日本に来てから約1年4カ月が経ちました。私が今日話すことは、日本の生活についてで
す。
私はベトナムで一緒に日本語を勉強した友達に比べて運がいいと思います。私が住んで
いる所は、東京の中心地では無いですが、交通の便も良く、学校や公園や日本語教室が近
くにあります。私は自分の健康のために、毎朝青戸公園で走っています。最初の頃は、誰
も知りませんでしたが初めて公園に行った時に、おじさん達が掃除しているのを見て、私
は手伝ってあげました。掃除が終わった後に、おじさん達が私を、ラジオ体操に誘ってく
れました。それ以来、私は毎日ラジオ体操に参加しています。毎日、おじさん達と日本語
で話しているおかげで、日本語を話す事に慣れてきました。ラジオ体操は、体力向上と健
康保持を目的とした運動ですので、皆さんも是非一緒にやりましょう。
会社では、会社の人や上司が熱心に仕事を教えてくれています。社長や会社の人は、と
てもいい人で、富士山に連れて行ってくれたり、ツーリングをしたりして本当に楽しい時
間を過ごせました。日本の文化のお神輿を担いだり浴衣を着て盆踊りを踊ったり、花火を
見たりしました。皆さんには、いろいろお世話になっているので、心から感謝しています。
あと、一年半日本にいますので、最後まで仕事や日本語や青戸公園でラジオ体操や掃除
などを頑張って、いきたいと思います。私のスピーチは、以上です。ご静聴いただき、あ
りがとうござました。
『面白い日本語』
グェン
チュン
ソン(ベトナム)
こんにちは!私はグェン チュン ソンと申します。ベトナムの留学生です。スピーチの
テーマは面白い日本語です。はじめさせていただきます。
子供のころ、私は日本について 色々いいことをきいて ずっと日本へ行きたいとおもっ
ていましたけど、機会がありませんでした。大学を卒業した後で、日本に留学することを
決めました。ベトナムで日本語を勉強していましたのに、日本に来たら日本語があまり通
じませんでした。話すことも聞くこともできなくて、とてもがっかりしました。でも日本
語学校で勉強して、日本語が話せるようになって、ますます日本語が好きになりました。
日本語を勉強すればするほど難しいが、面白くて楽しいです。日本語とベトナム語は同じ
ところがあります。たとえば、ぎおん語、ぎたい語、そんけい語などですが、生活の中で
の使い方が違うと思いました。たとえば、日本で出かけるときは『行って来ます』、帰った
ときは『ただいま』
『お帰りなさい』と言います。一方、ベトナムでそういう場面は色々言
い方があります、いつも同じなわけではありません。日本語の勉強の中で漢字の授業が好
きです。漢字のひとつを勉強したら、いくつかの言葉が読めて、意味もわかります。勉強
した後で日本語を使うことが簡単になるからです。日本とベトナムは漢字の意味がほとん
ど同じです。発音がちょっと似ている言葉がたくさんあります。たとえば、『態度』がいい
とか悪いとかの「態度」はベトナムで『thai do』といいます。国の歌を「国歌」とベトナ
ムで「quoc ca」といいます。似ているでしょう。面白くて楽しくて覚えやすいです。日
本語の言葉遊びがあります。それは、ダジャレです。木が気になる、ラクダに乗ったらら
くだ、など面白いですね。日本語はいくら難しくても、勉強すればできるようになります
がら、みんながんばりましょう!
きんべんは成功の母、以上です。
チャン
クォック
トゥアン(ベトナム)
みなさん、こんにちは!!
私はチャン クォック トゥアンです。ベトナムの南から来ました。3月に日本へ来まし
た。日本へ来て最初に会社の人がゴミの分別を教えてくれました。ベトナムではゴミの分
別がないから、初めて自分でゴミを捨てるとき、ゴミの分別は正しいのかどうか心配して
いました。でも、今、大丈夫です。
近所の日本人のおばさんから、親切に色んなことを教えていただきました。おばさんと
一緒に葛飾区のゴミ工場見学しました。大きくてきれいな所でした。2時間の見学でゴミ
の分別は大切なことが分かりました。日本人はルールを守りますから、日本の道にはゴミ
がありません。空気もきれいになります。
私は自分のしょうらいと家族のために日本へ来ました。3年後は国に帰って日本の会社
で働きたいと思っています。そのためには、日本語の勉強が必要ですから、木曜日と土曜
日に教室に行って勉強しています。
私の仕事は建築大工です。家を建てる仕事です。ベトナムにはない、ぎじゅつを使うの
で本当に難しいです。親方さんは日本人ですから、最初は大変でした。日本人は仕事の時
とてもきびしくなって細かいです。だけど、いつも丁寧に教えてくれました。だから、仕
事はだんだん好きになります。
この半年はあっという間でした。日本で生活するのは、あと2年半です。もっともっと
たくさんの友達を作って日本のことをしりたいです。
ありがとうございます。
『国際的な葛飾区と国際的になった私』
そう
らい
宋 磊(中国)
皆様、こんにちは。宋磊と申します。中国の河南省から来ました。
今回は葛飾区の国際交流の話をしたいと思います。テーマはかっこよくつけましたが、
実際はそんな大きい話じゃないから、心配しないでください。
現在は日本と海外の友達が出来てほんとうにうれしいです。
中国の河南省の田舎から来た私は、外国の世界は知らなかったです。いつか自分は外国
の景色を見に行くと心に夢を作りました。じゃ、どこに行けばいいんでしょうかって悩ん
でる時、日本の流行文化の音楽文化とアイドル文化と出会いました。前は AKB48 が好き
でした。カラオケも好きです。それから、頑張って日本語を勉強し、試験も受けました。
勉強して、ようやく日本に来ました。はじめの頃はすごく辛い時期がありました。話した
いことをちゃんと表現できないし、友達もいなかった。自分が何か変化をしないといけな
いと思って、このシンフォニーヒルズの木曜日の日本語教室に参加しました。木曜の会の
お陰様で、日本語を楽しく勉強しています。そして、飲み会に行ったり、楽しいイベント
に参加したり、色んな国の友達もできました。
前全く知らなかったバングラデシュはバングラデシュ人の友達のおかげで、少し知りま
した。フランス人はやはり皆ロマンチック。ある男の子はいつも違う彼女連れてますよ。
羨ましい!インドは穏やかな象さんのイメージをしていますが、結構面白い人もいます。
ベトナム人は皆優しい、中国といっぱい共通点があるから、友達になりやすい。
今はまだ日本に来て一年くらいですが、一年という時間は言葉にすると長いようですけ
れど、体感的にはあっという間の時間でした。もし今、この 1 年間で何が一番思い出深い
ですかと聞かれましたら、私はきっとこの国際交流ですって答えます。
これからは、また色んな素晴らしい経験をすると思いますが、ここで経験したことはこ
れから私の仕事と人生においてかげがえのないものだと思います。
皆様も是非今回の国際交流祭りで、色んな国の面白い話を聞いて、自分の新しい趣味を
発見してください。ちなみに、私はあそこで自分のふるさとを紹介しています、皆さんぜ
ひ来てください!
最後に、これを作ってくださって、支えてくださった皆さん、本当にありがとうござい
ます。ご静聴ありがとうございます。
グェン
ティ
ハイ(ベトナム)
みなさんこんにちは。
私はグェン ティ ハイと申します。ベトナムから来ました。木曜日の日本語教室と土曜
日のアジアの会のおかげで、今回の国際交流祭りに参加できて、とてもうれしいです。
私は日本に来て、あと5日でちょうど2年になります。2年と言ったら長くないけど、
短いことではないですね。これから私は自分の生活のまわりで驚いたことがたくさんある
ので、話したいと思います。
ひとつめは、電車やバスでの日本人のマナーです。私は電車にはじめて乗った時、アナ
ウンスの声だけがきこえました。みんなは大きな声でおしゃべりせずに、ぐっすり寝たり、
本を読んだり、ケイタイ電話を使ったりしています。ベトナムではちがいます。電車はな
いけど、バスの中はうるさい市場のように大きな声でしゃべります。学生は学生の話、年
寄りの人は自分の話など、グル―プをわけて、もっとうるさくなります。
ふたつめはペットを飼うことです。日本では犬や猫などは家族のように心遣いされます
が、ベトナムでは他の動物と同じように考えます。日本のアルバイト先で私と一緒に働い
ていたおばあさんから聞いたんですけど、1 ヶ月で 5 万円ぐらい犬の世話にかかってしま
うそうです。
(美容院、食物、服、アクセサリーなど…)それには本当にびっくりしました。
なぜなら、ベトナムでは5万円はかなり高い1ヶ月の収入です。
みっつめは日本の女性が寒さを我慢できることです。ベトナムは熱帯気候の国ですので、
日本の冬はとても寒いです。日本のはじめての冬を過ごした時、雪がたくさん降っていた
のに女子高生がみじかいスカートをはいて、生足で雪の中を歩いているのを見ました。す
ごく寒いのに大丈夫かなと思いました。その冬を過ごして、私も少し寒さに強くなったよ
うな気がします。でも生足では歩けないと思います。日本で驚いたことはまだまだたくさ
んあります。全部話すと時間がなくなってしまいますので、今日はこのへんで終わりたい
と思います。
皆さん、私の話を聞いていただき、ありがとうございました。
『アニメの世界を冒険しよう』
ひょう
馮
かいせい
開晟(中国)
私は小さい頃から日本のアニメが大好きでよく見てます。日本のアニメ業界には世界に
誇れるソフトパワーが多くあります。世界中で日本のアニメに対する評価が高まっていま
す。特に、日本のアニメを見ているとキャラクターに命を吹き込まれてまるで本当に存在
しているかのように感じます。日本のアニメの名作といえば、やはり 2007 年新海誠監督
の作品「秒速 5 センチメートル」です。主人公「貴樹」と「明里」は彼らが大人になった
彼らの魂の彷徨いを描いた話題作です。私は中学生のときにこの作品を見たのがきっかけ
で日本のアニメ映画というものに興味を持ちました。日本語はよくわからなかったんです
が映画の中の台詞や日本語のアクセントの美しさにひかれて、日本語を勉強したいと思い
ました。それで、広州の専門学校で日本語を学んで今は新小岩の日本語学校で勉強をして
います。日本語を勉強したおかげでたくさんの日本の友だちと知り合うことができました。
その人たちはアニメ共通の話題で盛り上がることができて、今は本当いい仲間です。
あまりアニメを見たことはない人の中にはアニメに対する否定的な人もいます。でも、一
度このアニメの世界を覗いてみたら、この世界が大きく広がっていることがわかるでしょ
う?
日本のアニメ世界では、子供だけ向けじゃなくて、子供から大人まで、視聴者の年齢層
が広いですし、アニメの内容も多様ですし。日本では、通常、視聴者のアニメの中に、「少
女アニメ」や「ボーイスラブ」など種類があるのです。ただ映像の美しさだけじゃなく、
アニメの世界に友情と愛情などの人間の感情表現が全て表現されています。興味がない人
や時間が忙しい人も、もし機会があれば、アニメの世界の広がり、アニメの魅力などのア
ニメの世界を冒険してみてください!
『日本の生活で感じたことについて』
グェン
ホン
クァン(ベトナム)
日本に来て、もう一年半ぐらいになりました。振り返ってみると、その時々の自分の姿
が浮かんできます。苦しんでいた私、どこへ行けばいいのかわからずさまよっていた私、
喜んでいた私…その中から成長していく自分が見えてきてうれしいです。
その成長には自分自身の努力はかかせませんが、それだけではありませんでした。日本
に来た時から、勉強はもちろん、一つずつ物事まで心をかけてくださっている先生たちの
おかげで、安心して勉強することができます。また、いつも深い愛情で見守ってくれる両
親と友だちにも感謝の気持ちです。
日本に来て、まず感じたことは様々なところで受けるサービスがとてもていねいで親切
だということでした。たとえば、入学式の日にわたしは自転車に乗って Smartphone の道
案内をたよりに学校へ行こうとしました。あいにくなことに、途中で電話のじゅうでんが
切れたり迷子になったりしたので、朝9時に学校へ来られなかった私は道を探していまし
た。入学式が終わっても、私はまだ来ません。ですから、学校の先生は私の兄に連絡を取
りました。兄は「私の弟は8時に学校へ行きましたよ。今まだ、来ないですか」と聞き返
しました。私はもちろん、兄と先生たちもとても心配したそうです。その時私は親切お巡
りさんにつれて行ってもらいました。学校で先生たちは私を待っていましたが、ようやく
午後3時ごろ私は学校につきました。お巡りさんのおかげで学校へ行けて、心から本当に
感動でした。
また、区役所で手続きをする時、とても複雑で言葉も分からないのに困りましたが、役
所の人や親切なサービスでうまく手続きをすることができました。そういった日本のサー
ビス制度が一番印象的でした。
二番目に感じたことは生活の便利さでした。たとえば、どこへ行くときも電車の本数が
多くて、いつでもスケジュールを合わせることができます。東京の至る所でコンビニ、レ
ストラン、Fast Food 店などがあるのを目にします。それが経済発展した国のすぐれた点
だと思います。
三番目に感じたことは、日本人はストレス社会で自殺をする人がとても多い国でもある
ことです。それに現在、減少傾向にありますが喫煙者の割合も多いようです。おどろいた
ことに、女性もタバコを吸っています。私の国ではタバコを吸う女性がいないことはない
ですが、日本では若い女性はもちろんお年寄りの女性も多いということです。それなのに、
世界一長寿ということは医療技術や住環境などが相当いいのだと思います。本当に日本は
高い技術の国です。
時間が経つにつれて日本という異国への新鮮なおどろきもなくなり、だんだんいろいろ
なことに慣れてきました。いいか悪いかを簡単には言い表しにくいですが、ここは日本、
これは日本の文化、これは日本人の考え方だと思いながら受け入れるようになりました。
国際交流まつりを通して、人々の交流に自分自身から心をもっと開いて、心の触れ合い
を求めて行くことが必要だと思います。ホームビジットに参加したおかげで、日本人のお
宅に訪問して、日本人の文化、食生活などを知りました。これは私の国とは異なることが
多いです。今まで経験していなかったことがいっぱいありますが、日本留学生として来て
とても良かったと思います。これからももっともっと日本語を勉強し、日本のことを知り
たいし、異国で新鮮な生活を感じ続けたいと思います。
『日本の飲食文化』
り
りん
李 琳(中国)
私は去年の4月に日本にきて、一年半になります。その間で、いろいろな日本の文化に
おどろきました。あいさつ文化、まつり文化、漫画文化など、特に日本の飲食文化にはお
どろきました。
今日はそのことについて話したいです。日本料理は、すし、天ぷらが一番有名な料理だ
と思います。料理の作り方や味が時々料理人の気持ちを現していると思います。日本にき
て初めて食べた日本料理はすしです。小さくて、やさしくて、やわらかくて、うつくしい
と思いました。とても感動しました。おいしかったです。天ぷらは温泉にいったときに食
べました。中国には、あぶらで揚げるものは、たとえば、にく・さかな・えびはあります
が、野菜を揚げたものはありません。
日本人には季節によって食べものが違います。春は山菜、夏はうなぎ・冷麺、秋はくだ
もの・さんま、冬はなべものを食べます。
私は夜、居酒屋で働いています。そこでおどろいたというか不思議なことがありました。
ひとつ目は、日本のお酒の飲み方です。まず、氷はグラスに入れて、いろいろな割りもの
を氷と一緒に混ぜます。水割り、炭酸割り、お湯割り、緑茶割りなどたくさん割りものが
あります。初めてその作り方を知ったとき、とてもびっくりしました。中国ではこれは絶
対ありえません。味がうすくなる、元々の味が全然変わる。いっぱい飲んでも酔っ払わな
い、これは中国の飲み方と違うところです。中国ではそのままストレートで飲みます。
ふたつ目は、中国では居酒屋はあまりありません。飲む時は休みの前の日、カラオケに
行って、お酒をストレートで飲みます。おつまみや料理はないです。中国の女性はあまり
お酒を飲みません。アルコール度のひくいお酒やソフトドリンクを飲みます。
日本の飲食文化はさまざまです。ほかにも和菓子やお茶など知りたいことがいっぱいあ
ります。もっと勉強したいです。
みっつ目は、会計の時のお金のはらいかたにも中国人と違うところがあります。上司が
いるときは上司が払うのは中国もおなじです。中国人は見栄っ張りです。ともだちの時は
ひとりの人が払います。日本人は割り勘がおおいです。
『ミニブログと私』
と
杜
はんはん
凡凡(中国)
皆さん、こんにちは。私はト・ハンハンと申します。去年の四月に中国の河南省から参
りました。私のスピーチテーマは「ミニブログと私」です。どうぞよろしくお願いします。
日本に来る前に私はあまりミニブログを使いませんでしたが、今はもう私の生活から離
れられません。ミニブログというのは、日記のようにインターネットで自分の気持ちを書
くものです。
初めて日本に来た頃、生活のスピードが急に速くなり、毎日時間に追われる生活を送る
ようになりました。その慣れない生活によって私は一杯ストレスが溜まりました。
私はいろいろなストレスを解消する方法を探し、中国サイトのミニブログに自分の気持
ちを書くことにしました。どんなことを書いても大丈夫だと聞いてとりあえずやってみよ
うと思いました。
最初に書いた言葉は「私は必ず頑張って生活する」
(我一定会加油!)でした。皆さんが
見てくれた後、沢山の応援の言葉をもらいました。それから、私はだんだんミニブログに
興味を持つようになり、自分の気持ちや考えや、生活のことなど書くようになりました。
たとえば、
「今日、日本人の友達ができました」「家族はそばにいませんが一人でなんと
かやっています」
「私は家族に支えられています」などです。
母と時々、電話で話します。母は、私が「日本の生活に慣れた」と言うと、「じゃぁ、も
う中国に帰って来なくていいですよ」とか「日本人と結婚してもいいですよ」とか言いま
す。もちろん冗談です。母はさびしがっていると思います。私も母に会いたいです。
日本に来て、家族が大切だとよくわかりました。日本に来てから初めてわかったことも
たくさんあります。楽しいこともつらいこともたくさんありました。
「初めてアルバイトをした時」「給料をもらった時」「誤解されてしまった時」などの私
の本当の気持ちをミニブログを通して、皆に伝えようと思っています。
今は中国語で書いていますが、これからは日本語でも書いてみるつもりです。
一日を終えて、会得したこと、思ったこと、全てミニブログに記録し、いつか自分の歩
んできた道を振り返って、どんな気持ちになるでしょう。
どうもありがとうございました。
『ベトナムのおまつりについて』
グェン
チュン
キエン(ベトナム)
みなさん、はじめまして。わたしは グェン チュン キエンです。きょねんの 4 がつにに
ほんへきました。わたしはおまつりがだいすきなので、きょうはベトナムのおまつりにつ
いて、はなしたいとおもいます。
ベトナムにはいろいろなおまつりがあります。いちばんゆうめいなおまつりは、フンじ
んじゃのおまつりです。このおまつりは、ベトナムのふるいカレンダーの 3 月 10 日にお
こなわれています。ばしょはフートーけんというところのフンじんじゃで、あめのきせつ
にお金もちになれるように、そして、いちねんかんけんこうですごせるようにおいのりま
す。このおまつりは 1000 年ずっとつづいています。
このおまつりのとき、人々は長いれつをつくって、500 メートルあるいて、山の上のか
みさまにおいのりします。また、ちまきやおもちをたべます。しょうがくせいからおとな
までとくべつなダンスをします。
このおまつりは、いちばんおもしろいと思いますので、ぜひベトナムにきたら、フート
ーけんにきて、かんこうしてください。そして、このおまつりをみてください。きょうは
きいてくださって、ありがとうございました。
デュラル
スサン(ネパール)
こんにちは、わたしはデュラル・スサンです。ネパール人です。ネパールのカトマンズ
から来ました。ネパールはインドとちゅうごくのあいだにある小さいくにで、うみがあり
ません。
はじめにエベレストについてはなしたいです。ネパールでエベレストは“sagarmatha”
といいます。せかいでいちばんたかいやまで、ネパールの Solukhumbu にあります。1953
年 5 月 29 日、Tenzing Norgay Sherpa と Edmund Hillary がはじめてエベレストにの
ぼりました。Tenzing Norgay はネパールじんで、Edmund Hillary はニュージーランド
じんです。ネパールでいっぱいがいこくじんがエベレストをりょこうします。わたしもエ
ベレストへいったことがありません。でもあさとにちぼつのときのエベレストはきれいで
す。みなさんもぜひ見に来てください。
つぎにブッダについてはなします。ブッダはインドにうまれたといいます。それはうそ
です。ネパールの Lumbini, Kapilbastu にうまれました。ブッダのほんとうのなまえは
Shidharth Gautam です。ブッダはネパールにうまれてからインドの Bodhgaya へいっ
てぶっきょうをおしえました。ブッダはいろいろなところへいって、どうやっていいひと
になることができるかについておしえました。ブッダがうまれたところルンビニはゆうめ
いです。
そしてさいごにネパールのぶんかについてもはなします。よのなかにはいろいろなひと、
いろいろなぶんかがあります。ネパールはちいさいです。でもいろいろなひとがいます。
いろいろなひと、いろいろなたべもの、いろいろなふく、いろいろなおまつり、いろいろ
なげんごがあります。123 くらいげんごがあります。わたしはネパールごだけわかります。
ネパールではふつうのことでおもしろいです。がいこくじんがきたら、ネパールじんはう
れしいです。でも日本人はあまり見られません。だからネパールへりょこうにいってくだ
さい。
これではなしをおわりたいです。わたしはネパールについてはなしをするきかいをえま
した。みなさん、きょうはありがとうございます。