梅原猛のいう人類哲学

人類哲学
梅原猛の「人類哲学序説」(岩波新書)、この本は、哲学、とりわけ人類哲学としては、
見かけ倒れの内容の乏しい本だが、草木国土悉皆成仏という天台本覚思想に着眼した洞察
力はさすが梅原猛である。
梅原猛が指摘するように、21世紀のこれから向かうべき世界文明は、生きとし生けるも
のすべての命を大事にする文明でなければならない。そのためには、思想的に成熟した天
台本覚思想とその根拠である法華経に基づく人類哲学が必要である。法華経は、生きとし
生けるものすべてが成仏できるという。天台本覚思想は、法華経のそういう教えを引き継
いだものである。そういう教えを説いた法華経については、私の書いた詳しい解説書があ
るので是非それを読んていただきたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hokerei.pdf
草木国土も成仏できるとはどういうことか? 私たち人間はもちろんのこと、草木国土も
すべてが宇宙の真理というか宇宙の原理に基づいて存在している。私たち人間は、これか
ら宇宙の原理というものを明らかにして、その原理から外れない生き方をしなければなら
ない。
人間以外の生きとし生けるものは、無心にただひたすら命を大事にして生きている。ま
た、国土という命を持たないものも、宇宙の原理に基づいて存在しているのであるから、
もし人間も宇宙の原理にしたがって生きていくのであれば、草木国土といえど、大事にし
なければならないのは当然のことであろう。問題は、宇宙の原理を人類哲学として明らか
にしなければならないということであって、今後どのように人類哲学を作り上げていくか
ということである。では、その人類哲学とはどのようなものか? 梅原猛は、法華経の哲
学こそ人類哲学だと言っているのだ。
私は、今まで、ヘーゲル哲学に倣って法華経哲学を模索してきているが、「自然呪力」の
科学的説明が不十分で、ちょっとお手上げ状態であることを告白しておこう。これから
は、法華経哲学の模索を当分諦めて、これからは特定の宗教とは無関係に、日本の宗教観
のバックボーンになるような哲学に向けて、模索を始めたいと思う。それが老子哲学であ
る。
日本版「淮南子」に向けての模索ということだ。プラトンの「コーラ」や円仁の「摩多羅
神」と中村雄二郎のリズム論との関係が今私の念頭にある。その橋渡しをする基本的な哲
学として、西田幾多郎の「無の哲学」を思い浮かべている。ひょっとしたら、 西田幾多
郎の「無の哲学」は老荘思想と繋がるかもしれないと感じつつ・・・。