通巻109号 - 少年俳句会

五
月
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通
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一
〇
九
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︶
十
九
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・
隔
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発
行 平
成
二
十
七
年
五
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二
日
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少
年 平
成
二
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七
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巻
一
〇
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号
︶
パ
ー
ト
Ⅳ
・
十
九
号
少年
平成二十七年五月二日発行
五月号
一〇〇〇円
俳 少
句 年 雑 パ
誌 ー
ト
Ⅳ
・
有季定型のときめき
自然随順のやすらぎ
切磋琢磨のよろこび
俳 話 断 章 ・ 純 客 観写 生
稲田眸子
「写 生俳 句はど う進 歩 して ゆ くので しょ うか」
「分かりません。でも、これまでの足跡は 分か
ります」
「と言いますと?」
「子規は『写実』『写 生』という言葉を多用し
ま した。それを受 けた虚 子は『客観写 生 』と
して 、 それ を 指導 上 の 理 念 と し、 標語 に し ま
した」
「なるほど。 『客観 』の二 字を 付け加えたわ け
ですね」
「 そ うで す 」
「 それ から ど う なり ま したか 」
「素十は虚子の語にさらに『純客観写生』と
『 純』の 一字を 加えま した」
「 『 純 客観写 生 』で す ね。写 生に 徹 す る と い う
こ とで すね。で はこ れ から はどうなる ので し
ょ うか」
「 そ うで す ね。 それ を こ れ か ら 実 践 を 通 して 探
して ゆこ うで は あ り ま せ ん か 。 『 純 』 の 一 字
を 大切にしながら…」
これ は、著書 「至福の俳句」で 、師・倉田 紘
文が 語った 一節。 『客観写 生』 に『純』を 加え
た素十。 それ に頷いた 紘文。二人 が目指そう と
した方向 、その先には何が見 えたのであろうか。
号
9
0
1
巻
通
俳話断章
稲田眸子
裏表紙
首藤加代
水野幸子
小野京
稲田眸子
i n 大分
眸子の俳句紀行
巻頭作家招待席
秀句ギャラリー鑑賞
少年の俳人達
ー
(
後藤 章
稲田眸子選
虚子嫌いが読む虚子の歳時記
溝口
特選五十五句 和多哲子・川さち子・住田至茶)
少年の抄
銀幕の季語たち
穴井梨影女
稲田眸子選
号
9
1
・
Ⅳ
絆の抄
梨影女の俳句夜話
篠﨑代士子
彩時記燦々
ト
代士子の万華鏡
山岡英明
直
次
英明さんのフォトアルバム
小野京子
パ
目
続・京子の愛唱一○○句[癒し]
子
184
176
169
52
20
9
2
1
8
18
25
168
174
179
188
)
)
自叙伝「私は軍国少女」
中嶋美知子
梅島くにを
れい子の宝箱
くにをの絵手紙紀行
荒木輝二
稲田眸子
松村れい稲
子田眸子
輝二さんのつれづれ紀行
この本、この一句
四季の句暦
便りの小箱
編集ノート
澂
絵/福井美香
表紙題字/泉
挿
191
199
203
205
196
201
204
稲田眸子の俳句紀行
兄貴風
遺言となりたるメモや春愁ふ
矢車やみんな都会に出てゆきし
サイダーを飲むにも吹かす兄貴風
深 海 の闇はこの色水 羊羹
山 讃 へ 神 々 讃 へ 山 開 き
今もなほ賢治の嘆きやませ来る
傷舐めてちちんぷいぷい夏蓬
志の継ぎ方
恩師・倉田紘文先生が、天国に旅立ったのは、去
年の六月十一日午後三時十三分であった。
「眸子君、そろそろ独立してみてはどうか。勿論、
全て独力だがね…」とのお勧めを受けたのは、平成
八年の夏。仲間と相談し、新しいスタイルの俳誌を
模索。その結果、平成九年五月、『少年』を創刊主
宰。その後、『蕗』の夏行などでお目にかかる度に、
二人で語り合った。記録帳には「『蕗』は一代限り
で廃刊する。『蕗』の中にも色々な人がいる。会場
でおおっぴらに『少年』のことを紹介できないのは、
それを快く思わない人がいるからだ。そのようなこ
ともあり、『少年』を表立って応援できないが、眸
子君は眸子君のやり方で頑張ってくれ。九州の多く
の会員は、眸子君が継承するだろうと思っている。
このことは承知している」とのお言葉を記している。
『蕗』が廃刊となった後、大分では新たな俳誌や
勉強会が生まれ、活動しているようだ。素十先生が
ご逝去になった後、その後継と自認する俳誌が誕生
し、その指導者間でトラブルがあったと漏れ聞き、
悲しくなったことを思い出す。師の志の継ぎ方は色
々あるであろう。倉田門下の俳誌が啀み合うことな
く、切磋琢磨し合うことができればと願っている。
―1―
小野京 子
少年俳句会 in 大分
少年俳句会 in 大分
一 はじめに
大分の『少年』の句友が集まり、会を持つ
機会はほとんどない。そこで、主宰が近県へ
おいでになる時があれば、立ち寄っていただ
きたいとお願いをしている。
今回は、お仕事で博多においでになるとお
聞きし、是非、大分へ足を運んで下さるよう
にとお願いをし、実現した会。
実に多忙な主宰ではあるが、「眸子主宰に
お会いしたい。ご指導を頂きだきたい」とい
う熱意に快く応じて下さったことに感謝する。
「鍛錬会」以来の再会である。
二
日時 平成二十七年三月七日
九時~十二時
場所 大分市コンパルホール 三一二号
[参加者]
稲田眸子主宰・市川和子 ・小野京子・
河野キヨ・
佐志原たま・佐藤辰夫・
髙司良惠・
中嶋美知子・錦織正子・
平田節子・
藤井隼子 ・本田 蟻・
牧 一男・
松村勝美 ・溝口 直・
溝部美和子
たま
直
和子
三 句会
主宰より事前に兼題「箱」をいただいてい
る。投句は四句、そのうち一句は兼題。
互選方式。それぞれが四句、うち一句を特
選とする。進行は、眸子主宰にお願いする。
主宰の選ぶ特選・入選句
特選四句
虫干しや文箱の底の古写真
箱 庭 を 作 り 壊 し て 又 造 る
夫の忌や子も孫もゐて風光る
―2―
スイートピー花束にして会ひにゆく
京子
入選句
せせらぎのふくらみ春の音を生む
正子
重 さ う に 空 箱 持 つ や 四 月 馬 鹿 一男
箱 庭 の や う な 裏 庭 名 草 の 芽 節子
高 層 は 人 の 住 む 箱 鳥 帰 る 蟻
山 菜 も く く り て 売 り し 種 物 屋 正子
雛の間につづく一間に虚子の軸 一男
大阿蘇の目覚めんとして春の雪 美知子
啓蟄やびつくり箱から蛇の出て 蟻
弥 生 尽 校 舎 め ぐ り て 退 職 す 隼子
縁 側 で 文 箱 開 く 春 の 午 後 美和子
雪・地震・パンドラの箱開いたのか
美和子
隼子
節子
京子
美知子
蟻
隼子
誰やらむ箱いつぱいの春菜置く
不 動 な る 仏 の 心 梅 真 白
春月や文箱の母のおぼえがき
村挙げて一揆めくよな野焼かな
春宵やどこかに種のある手品
普通とは人それぞれや春がゆく
声高く証書授与式子らの春
辰夫
一男
節子
高得点句
一位 村挙げて一揆めくよな野焼かな
美知子
二位 普通とは人それぞれや春がゆく
隼子
三位 筆 箱 の 音 も 新 た な 新 学 期 辰夫
宅 配 の 箱 に 故 郷 詰 め 送 る 勝美
高層は人の住む箱鳥帰る 蟻
四位 せせらぎのふくらみ春の音を生む
正子
囀 り を 閉 ぢ こ め て ゐ る 宝 箱 眸子
雛の間につづく一間に虚子の軸
不動なる仏のこころ梅真白
[合評]
せせらぎのふくらみ春の音を生む
正子
俳句の中に季語を入れることは約束事とな
っているがその際、とってつけたような季語
―3―
一男
を斡旋しないことが大切。季感を詠み込むこ
とがポイントである。この句の音律に注目。
弾むようなリズムから、春を喜ぶ作者の心が
滲み出てくる。時候である「春」は、「春の
人」「春の音」とか、名詞にくっけて使う場
合があり、要注意の季語。この句の場合は、
「せせらぎ」「ふくらみ」等の具象的な言葉
があり、しかも、リズムも心地よい。それが、
春の季感であろう。
重さうに空箱持つや四月馬鹿
眸子
この句、季語の斡旋がポイントになりそう。
やや付き過ぎの気配があるので、注意が必要。
今回は、作者名を伏せた合評であるが、こ
の作者が狂言を嗜む人であれば、句意の解釈
が面白くなる。狂言の一幕としてその動作が
想像でき、「四月馬鹿」の季語も頷ける。
囀りを閉ぢこめてゐる宝箱
発想がすばらしい。春の呼吸が聞こえてき
たま
そうな句である。子供俳句教室で「宝箱思い
出を入れ卒業す」という句が生まれた。物を
見る時、子供らしい目線、着想も大切なこと。
着想を育む一つの方法は、兼題にチャレンジ
してみることも大切であろう。
虫干しや文箱の底の古写真
直
「文箱の中」ではなく「文箱の底」と表現
した作者。この工夫がこの句のお手柄。「文
箱の中の古写真」と比べてみると、その差は
歴然であろう。
箱 庭 を 作 り 壊 し て 又 造 る
蟻
「壊して又造る」とは面白い発想である。
斬新な発想である。「箱庭」という季語の本
意に迫る句ではないか、そう思う。
高 層 は 人 の 住 む 箱 鳥 帰 る
高層マンションを箱に見立て授かった句。
―4―
和子
「箱」という兼題が作者の想像力を高めるの
を助けた。都会的なイメージの句。
夫の忌や子も孫もゐて風光る
一男
「風光る」の季語が絶妙。作者の人生は幸
せだったのではあるまいか。そのようなこと
を伺わせる力が「風光る」にはある。
雛の間につづく一間に虚子の軸
雛の間の隣の部屋に掛けられた虚子の軸。
その軸には、どのような句が染筆されていた
のであろうか。博識な人の綻びの無い句。吟
行で授かった一期一会の句に違いない。
虚子の愛娘の立子に次の句がある。
雛 飾 り つ ゝ ふ と 命 惜 し き か な 立子
スイートピー花束にして会ひにゆく
京子
「逢ひにゆく」ではなく「会ひにゆく」と
表記した作者。「逢ひ」ではなく、「会ひ」
美知子
であることより、会いにゆくのは恋人ではな
いのかも…。
作者はきっと心優しい人に違いない。スイ
トーピーは、清純な花、野に咲くスイートピ
ーを摘んで会いに行ってほしいものだ。
俳人協会の機関誌「俳句文学館」編集長の
上谷昌憲さんの「道を問ふために花買ふ巴里
祭」の句を思い出した。
大阿蘇の目覚めんとして春の雪
美和子
下五の「春の雪」が生きている。例えば、
「春うらら」でも句らしくなるが、それでは
台無しである。季語が動かないかどうか、入
念に確かめてみることが大切である。
縁 側 で 文 箱 開 く 春 の 午 後
春ののどけさは出ているが、「春の午後」
でよいであろうか。「春の昼」としてみたら
どうであろうか。作者の心の襞が垣間見える
ような句となるのでなかろうか。
―5―
筆 箱 の 音 も 新 た な 新 学 期
辰夫
節子
ランドセルの中で鳴る筆箱の音が聞こえて
くるような句。春の弾んだ音である。この句
の「も」は、直接的な筆箱の音と春の足音の
二つを感じてもらうための仕掛けが施されて
いるようだ。兼題の「箱」が生み出した句か
も知れない。
不 動 な る 仏 の 心 梅 真 白
美知子
「梅の花」ではなく「梅真白」と表現した
ことによって、作者の心の襞を垣間見ること
ができる。中七の間合いも絶妙である。
村挙げて一揆めくよな野焼かな
「一揆めく」に力強さ、パワーを感じる。
目を瞑ると、野焼きの情景が再現されてくる。
「かな」の使い方はなかなか難しい。この句
の場合、「野焼かな」は付け足しの「かな」
のような気もする。「大野焼」としてみたら
どうであろうか。
普通とは人それぞれや春がゆく
隼子
蟻
哲学的な句であり、惜春の情が滲む句でも
ある。下五は「春のゆく」でもよいような気
がするが、どうであろうか。作者の呟きを句
に託すため「春がゆく」としたのであろうか。
春宵やどこかに種のある手品
良惠
この句、上五の「春宵」が動くかどうかが
ポイント。春の宵の舞台の手品師の仕草を切
り取ってきたのであろうが、再度の吟味が必
要な気もする。言葉、特に季語の斡旋につい
ては執着をもつことが大切。
銀 色 の 帽 子 脱 ぎ す て 猫 柳
童心になって詠むことは大切。子どもらし
い目線は何時までも失うことなく、持ち続け
てほしいもの。表現の工夫はその次の課題。
―6―
一男
この句、「脱ぎすてし銀色帽子猫柳」と表
現すると、春の訪れをよろこぶリズムとなる
ように思うがいかがであろうか。
蕗の薹ここに命をもらひけり
美知子
「ここに命をもらひけり」のフレーズには
共感する。「蕗の薹」の季語が効いているか、
吟味が必要ではなかろうか。
頷いてひとり問答亀の鳴く
季語の「亀の鳴く」が生きている句。先人
達は、不思議な季語を作ったものである。
今回は、いくつかの句を取り上げながら、
季語の置き方、使い方を中心にご指導を頂い
た。季語に迫る、季語の本意を探ることの大
切さを学ばせて頂いた。
兼題で作る、吟行などを通して観察しなが
ら作句する、二通りの方法で自分の句を研く
ことの大切さを改めて感じた。
四 おわりに
合評では、沢山の句を取り上げながらの進
行。その都度、細やかなご指導を頂けた時間
であった。
お茶の時間もあり、良惠さんが手作りして
下さったさくら餅、たまさんよりのお菓子の
差し入れで、出席者の心が和んだ。
「ずっと気になっていた季語の置き方、使
い方が少し見えてきた気がする」「もっと気
を入れて作らねば…」「兼題にもっと向き合
うことが大切」等々、一人ひとりに問いが生
まれた時間でもあった。
かけがえのない貴重な時間を下さった眸子
主宰に心より感謝申し上げる。又、近県にお
いでの節にはお会いしたい、ご指導をいただ
きたい、それが全員の願いでもある。
―7―
巻頭作家招待席
水野幸子
水野幸子
九十の母すこやかに花菜漬
母は、病むこともなく、九十三歳で天寿を
全うしました。七人兄姉の七番目の私は、何
度も病気をし、心配ばかりかけてしまいまし
た。明治生まれの温和しい人でしたが、友人
が多く、冬になると皆で炬燵を囲み、まるで
女学生のようにおしゃべりを楽しんでいまし
た。会話が弾み、楽しそうに笑っていたのが
思い出されます。
半農半漁の暮らしでしたので、海の幸、山
の幸には恵まれていました。特に、 花菜漬」
は、待ちに待った春の到来を告げる食材であ
り、母の味でもありました。
春が訪れるたびに、古里を思い、甲斐甲斐
しく働いていた母を懐かしく思い出します。
[誌友へのメッセージ]
俳句をしていて良かったと
思う事は、素敵な人に恵ま
れたことだと思っています。
紘文先生、眸子先生、そし
て多くの友人、一人ひとり
に支えられての句作の日々、
私の生きる力になっています。
[自選の三句]
山 彦 に 応 ふ 山 彦 五 月 来 る
母の日や和服の母の泣き黒子
合掌のままに昏れゆく白牡丹
[趣味等]
俳句、ウクレレ、ウォーキング
[現住所]
〒四四四 二一四九
岡崎市細川町字窪地七七
-
5
6
6
3
5
4
4
6
5
0
:
L
E
T
-
一七
―8―
「
秀句ギャラリー鑑賞
〈 パ ー ト Ⅳ ・ 十 八 号 分〉
水野幸子
首藤加代
九十の母すこやかに花菜漬
中 川 英堂
花 菜 漬 は 、 菜 種 油 を 採 る 菜 種の 蕾 を 漬 けた も の 。
春 の 到 来を 感 じ さ せ る 一 番 の も の で し ょ う か 。 冬
を 越 して よ う や く 春 に な り ま し た 。 お 母 さ ん 、 た
い して 風 邪 も 引 か ず 冬 を 越 し ま した 。 喜 び も 一 入
です。
作者 は 、 九十 歳の お母 さん と花 菜 漬 を 食べて い
ます。何気 な い日常で す が 、 お母さ んを思う気 持
ち にこ の 句 が 生まれ ま し た 。 手 に 柔ら か い 物 を 包
み 込 む よう な 素 直 な 、思 い溢 れ る 句と なり ま し た 。
定番の母ご自慢の花菜漬
大 塚 そ うび
山 本枡 一
笠村昌代
春 に な る と 、花 菜 漬 を き っ と 作 るの で し ょ う 。
それ も と び っ き り 美 味 し い の で しょ う 。 長 年の 経
験と 勘も ある ので しょ うが、 何 より歳を とると 手
か ら 特 別 な 何 か が 出 る の だ と 、 本で 読 ん だ こ と が
あり ま す。 それで 美味 しい ので しょ う。
作者の お母さんは 、食べた 人達にね だられて 、
お 裾 分 け も す る ので し ょ う 。 メ イ ン に な ら な い け
れ ど 、 無 くて は な ら な い 花 菜 漬 な ので す 。
父がゐて母がゐた日の花菜漬
ささやかな夕餉楽しむ花菜漬
主 語 の なき 二 人 の く ら し 花 菜 漬
光 山治 代
御 沓加 壽
花 菜 漬 、 メ イ ンで は な い の に 存 在 感 が あ り ま す 。
父 母を 想 う と き 、花 菜 漬 も 一緒 に思 い 出 しま す。
目 を 引 く 主 菜 が 無 い 時 で さ え 、 花 菜 漬で 楽 し い 夕
餉 と な り ま す 。 阿 吽 の 呼 吸で 慣 れ 親 し ん だ 二 人 を 、
花 菜 漬 が繋 ぎま す。
割 烹 着 姿 の 母 の 花 菜 漬
身を粉にし働く妻の花菜漬
―9―
山田洋子
花 菜 漬 に 働 き 者 の 母 や 妻 が 容 易 に 想 像で き ま す 。
母で あ れ 、 妻 で あ れ 、 そ の 働 き 振 り を 見 て いて く
れ る 誰か が い る だ け で 、 ま た 一 層 の 喜 び が あ り ま
す 。 身 の 回 り に 一 人 で も 、 こ う して お 手 本 に な る
人 が いて 、 そ の 姿 、 姿 勢 に ど ん な に か 励 ま さ れ 、
慰 め ら れ て い る 作 者 。 幸 せで す 。
的 裏 に 鬼 の 墨 痕 弓 始
松村れ い子
弓 は弓 始 、 お茶 は 初 釜 、 お 参 り は 初 詣 。 何 事 も
初と 名 の つく も のは、 身が 引き 締ま りま す。
作 者 の 弓 始 は 、 き り り と 引 き 絞 った 矢 の 向こ う
に 鬼 の 墨 痕 が あ る 的で す 。 鬼 の 気 魄 に 負 け な い よ
う に 心 を 無 に し て 立ち 向 か う 様 子 が 伝 わ り ま し た 。
田楽や兄も老いたり一合酒
還 暦 の 一区 切 りを 迎 え る と 、 よ う や く 身 辺 に 目
を 向 け る 余 裕 が 出 来た よ う に 思 い ま す。 同 胞 や 歳
の 近い 友 人 知 人で 鬼 籍 に 入 った 人が いま す。
一合 酒 に 酔 う お兄 さ ん 。 作者 の 同 胞 に 向 け る眼
差 し が 、 「 老 い た り 」 に 労 わ り を 込 めて 現 さ れ て
南 桂介
宮 崎敬 介
い る よ う に 思 え ま し た 。 ま た 田 楽 の 季 語 が ぴた り
とは まったよ うに感 じ られ ま した。
田楽を食うて別るる町はずれ
田楽の匂ひ人世の去りがたし
佐 藤年緒
吉 田 み ゆき
落合 青 花
溝部美 和子
田 楽を 食 べ な が ら 杯 を 傾 け 、 す っか り 打 ち 解 け 、
他 愛 な い 話 に も 話 が 弾 み ま した 。 田 楽 の 焼 け る 匂
い、日頃の憂さもすっかり忘れ 楽しい 一時、い つ
まで も 続 いて 欲 し いも ので す。
楽 し い とき は 過 ぎ 、 再会 を 期 し町 は ず れ で 別 れ
ま し た 。 人 そ れ ぞれ に 場 所 は 、 町 は ず れ で あ っ た
り 黄 泉 比 良 坂 で あ った り し ま す 。
田楽と酒あり論談風発す
田楽の串を並べて聴き上手
男 衆 寄 れ ば 田 楽 肴 と す
頬張りし味噌田楽や囲炉裏端
わ い わ い が や がや と 、 口 角 泡 を 飛 ば す 人 も いれ
ば 相 槌 を 打 つ 人 も 居 て 、 賑 や か な 囲 炉 裏 端で す 。
味 噌 の 香ば し い 匂 い が 、 一層 賑 や か さを 盛り 上 げ
― 10 ―
貞 永あ けみ
ます。
先 日 、 一 緒 に地 区 で の 俳 句 の 会 を 立ち 上 げた 人
が 、 し み じ み と 言 っ た 言 葉を 思 い 出 し ま した 。
「 自 分 の 老 後 にこ ん な に 楽 し い 人 生 が 、 あ ろ う と
は 思 わ な か っ た 。 俳 句 を して い て 良 か っ た 」
大干潟足暖かく沈みをり
牧 一男
錦織正子
佐々木 素風
山 本枡 一
宮 本陸 奥 海
潮 干 狩 り に 行 って 、 干潟 に い る よ う な 感 覚 に な
り ま し た 。 暖 め ら れ た 土 を 含む 砂 に 素 足 が 、 柔 ら
か く 沈 む 込む 時 の 感 覚 で す 。 干 潟 が どこ まで も 広
が っ て い る 様 子 が 目 の 前 に 広 が り ま した 。
遠近に千鳥あそべる汐干潟
晴 るる 日の 浅利 潮 吹 く 干 潟か な
潮 干 潟 巣 穴 あち こ ち あち こ ち に
海苔ヒビは林のごとし大干潟
ハゼ蟹の求愛ダンスの汐干潟
も う 三 十 年 程 前 、 森 が 海を 育 て る と 聞 いた とき
は 驚 き ま し た 。 今で は 、 通説 と な っ て い ま す が 、
その 仕 組みを 聞 くまで は 信じら れ ま せんで した。
小 野京 子
雨 雫 の 一 滴 が 、 森 の 落 葉 の 中 に 落ち て 虫 や 微 生 物
の 働 き を 得て 、 生 ま れ る 川 の 滋 養 と な る と い う の
で す 。 森 に 木 が な い と 雨 雫 は そ の ま ま 河 口 まで 流
れ る だ け で す 。 河 口 の 干潟 を 豊 饒 に 出 来 るの は 、
森の 木々で した。
千 鳥 が 来て 、 浅 利 が 潮 を 吹 き 、 あ ち こ ち の 巣 穴
で は 何 か 生き 物 が 、 ハ ゼ や 蟹 は ダ ン ス を し 、 海 苔
ヒビ が 林の よ う。 それ ら は 何よ り豊饒 の 証。 夫 々
の 作 者 の 俳 句 は 、 干潟 の 生 き 物 の よ うで す。
幾 百 の 命 育 む 大 干 潟
髙司良惠
矢下丁 夫
杉野正依
豊 饒 な 干潟 、多 く の 命を 育 み ま す。 大 干潟 の 隅
々 に ま で 目 の 届 く 作者 な らで は の 句 と な り ま した 。
一浦は家族総出の白子干
百枚の簀を打ち広げ白子干す
大釜の湯気濛々と白子干
一 浦 の 豊 漁 の 賑 わ い が 、 聞こ え て き そ う な 句で
す。 幼 い 子 ど も たち にも 、 何ら か の 役 割 が あ るの
で しょ う。 簀を 運 ん だ り す る の で し ょ う か 。 白 子
― 11 ―
を 茹 で る 大釜 が 濛々 と 湯 気 を 立て 活 気 に 満 ち 溢 れ
た 句 と な り ま し た 。 活 気 あ ふ れ る 浦 の 白 子 干で す 。
金子 みす ずの 詩も浮 か んで き ま した。
朝 焼小 焼 だ
大 漁だ
大 羽鰮 の
大漁だ。
浜 は祭 り の
よ う だけど
海 の なかで は
何萬の
鰮 の とむ ら い
す る だろ う 。
白 子 干 数 へ 切 れ な き 無 念 か な 住田 至 茶
白 子 干ち さ き も の に もふ た つの 眼 佐 藤 白 塵
針 の 穴 ほ ど の 目 玉 や 白 子 干 利光幸 子
無 数 の 目 ま だ み て い る や 白 子 干 倉田 洋 子
白 子 干 い た だ く 命 に 海 想 ふ 佐藤年緒
み すず は 、 また 詠 い ま す。
海 の 魚 はか わ い そ う 。
お 米 は 人に つ く られ る、
牛 は 牧 場で 飼わ れ て る 、
鯉 も お 池で 麩 を 貰 う 。
けれども海のお魚は
な ん にも 世 話 に なら な い し
い た ず ら 一 つ し ない の に
こ う して 私 に 食 べ ら れ る 。
ほ ん と に魚 は かわ い そ う 。
い た だく命 、 針の 穴 ほ ど の 目 にも 思 い を 馳せ 、
「 い た だき ま す 」 「 ご ち そ う さ ま 」 、 感 謝 の 毎 日
で す。
願ひ は そ つ と た ん ぽ ぽ の あ る よ う に
大平 青 葉
― 12 ―
た ん ぽ ぽ は 、 踏 ま れ て も 踏 まれ て も ロゼ ッ ト を
広 げ 花 を つ け ま す 。 我 家で も 通 路 に た ん ぽ ぽ の 花
が 咲 き 、 そ の 存 在を 知 り ま し た 。 その た ん ぽ ぽ が
あ る よ う に 、 温 め て い 小 さ な 願 い 事 が あ る ので し
ょう。
大 仰 な 願 いで な く と も 、 誰 し も 何か しら 願 い は
も っ て い る も の で す 。 叶 う と い いで す ね 。
た ん ぽ ぽ に は 、 思 い 出 すこ と も あ り ま す 。
ワ シン ト ン に妹 を 訪 ねた 時 、 芝 生 に 生 え るた ん
ぽ ぽ を 根 か ら 取 って い た こ と で す 。 広 い エ リ ア を
塀で 囲 み 、 そ の 中 に 二 、 三 十 軒 の 家 を 建 て 、 夫 々
の 家 の 垣 根 は 無 く 、 何 と な く 境 界 線 は 確 認で き る
と い う 感 じで し た 。 ど こ の 家 の 芝 生 も 手 入れ さ れ
て おり 、 雑 草 は 見 当た り ま せ ん で し た 。
私 た ち の 訪 問 で 忙 し か っ た 妹 は 、 芝 の 手 入れ を
怠 り 、 た ん ぽ ぽ の 花 が 咲 いて し ま っ た の で し た 。
た ん ぽ ぽ は 種 が 飛 び 散 る ので 、 生や す と 近 隣 か ら
嫌 わ れ る と 言 っ て 慌て て 引 き 抜 い た の で し た 。
最 初 は 懐 か し く 大 事 に して い た が 、 注 意 を さ れ 、
以 後 は 気 を つ け て い る と 話 して い た こ と が あ り ま
した 。
裏表いづれも寝釈迦雪の阿蘇
平 田節子
石渡
清
阿 蘇 五岳 を 望む と 、 お釈 迦 さ ま が 寝 た よ う に 見
え る こ と か ら 、こ の 阿 蘇 五 岳 を 寝 釈 迦 と 呼 ん で い
ま す 。 作 者 に は 、 こ の 寝 姿 が 近 し い 誰 か に見 え る
ので し ょ か 。
雄 大な 景 色 に、願 い は そつ と 、明日 への 希 望 を
託 し ま す。 雪 の お 布団 をき た 阿 蘇 寝釈 迦 で す。
津軽野に声響き合ふ雪間かな
中村沙 佳
人 っ 子 一 人 い な い 野 に 、 何 か 動くも の あり ま す 。
声 を 掛 け て み ま し た 。 返 事 が 返 って き ま し た 。 誰
か い た ので し ょ う か 。 呼 び か け に 応 えて 声 が 、 返
っ て き ま した 。 雪 間 の ち ら ほ ら 見 え る 野 で す 。 春
は 直 ぐ そ こ ま で 来て い る の で し ょ う 。
春 を 喜 ぶ 声 が 響き 合 う 津 軽 野 で す 。 響 き 合 う 声
に 春の 気配 を 感 じま し た 。
今 朝も 鳥 雪 間の 庭に に ぎ に ぎ し
― 13 ―
柴田芙美子
雪 間 の 庭 に 何 か 啄 ば む 物 が あ る ので し ょ う 。 朝
か ら 鳥 た ち が 代わ る 代 わ る や っ て き ま す 。 ミ カ ン
を 枝 に 挿 して や る の で し ょ う か 。
我 家 の 庭 に も 鳥 が 来 る ので す 。 ご 飯 粒 の 残 り 、
米の 研ぎ 汁の 中の 幾粒 かを 庭 に 撒くか ら で す。 冬
の 食 べ 物 の 少 な い 時 期 に は い つ もこ う し て い る の
です。
土を掻く雀来てゐる雪間かな
後藤
章
土 地 が 肥え て い るの で しょ う 。 蚯 蚓 や 虫 の 幼 虫
を 漁 って い る の で しょ うか 。 作 者 は 雀 の 仕 草を つ
ぶ さ に 観 察 し て い ま す 。 観 察 眼 が 効 いて い ま す 。
馬房より蹄の音や雪間草
中嶋美 知 子
雪 間 草 が 花 を つ け ま した 。 馬 は 春 の 気 配 を 感 じ
て しき り に 蹄 を 鳴 ら し ま す 。 雪 国 の 春 、 馬 に も 心
躍 る季 節 と な り ま した 。
日の射して瑠璃色覗く雪間草
宮 川洋 子
明 る い 日 差 し に 、 瑠 璃 色 も 更 に 色 を 増 して 見 え
るこ と で し ょ う 。 普 段 か ら 野 歩 き を し て い な い と 、
中々 小さ な花 は見 つ け られ ま せ ん。 野を 自 分の 庭
の よ う に 熟 知 した 作者 ならで は の 句 に な り ま し た 。
日記果つ裏表紙には賢治の詩
佐志 原 た ま
「 雨 ニ モ マ ケ ズ 風 ニ モ マ ケ ズ」 の 賢 治 の 詩 を
思 い 出 しま し た 。 毎 日 日 記 を つ け るの も 、 大変 な
仕 事 で す 。 作 者 は 上 五 に 日 記 の 完 了 を 告 げ 、や り
遂 げ た 充 足 感 の あ ふれ る 句 と な り ま した 。
日 記 を 閉 じ 、 そこ に は 賢治 の 詩 が あ り ま した 。
始 め て 気 づ い た ので し ょ う か 。 新 鮮 な 驚 き も 感 じ
ら れ ま す。
哀しみは忘れたふりの春百寿
百 寿 ま で の 喜 び も 哀 し み も 、 分 か って い て く れ
る と 思 う か らこ そ 、 忘 れ た ふ り が 出 来 る ので は と
作者 は 思 い ま し た 。 作 者 の 百 寿 の 方 に寄 り 添 う 姿
が 偲ば れ ま す 。
長 生 き を す る 多 く の 人 は 、 多 幸 感 を 感 じて い る
― 14 ―
溝口
直
と い わ れ ま す 。 それ は 、 老 年 的 超 越 と い う の だ そ
うで す 。 七 十 歳 代で は 、 自 分 の 出 来 な い こ と に 不
満を 持 つ けれ ども 、 八 十 歳 代で は 、 何 か 一つで も
出 来 るこ と が 有 る と ま だこ れ が 出 来 る と 喜 べ る 状
況 に あり 、多 幸感 を 持 つの だ と い いま す 。
住 んで い る 場 所 や 家 族 構 成 に も 拘 わ ら ず 、 高 齢
者 の 多 く が 同 じ 感 情 を 抱 く 傾 向 が あ る と い うこ と
です。
春 ショ ール 針 金 ハ ン ガ ー 彩 りぬ
佐藤一 歩
春 シ ョール の 柔 らか さと針 金 の硬 さ が 「 彩り
ぬ 」 で 融合 し た よ う な 感 覚 に な り ま した 。 春 シ ョ
ー ル に シ フ ォ ン の よ う な 柔 ら か さ が 出て 、 ス キ ッ
プ を し た く な る よ う な 句 と なり ま し た 。
こんな所に針金があり震災忌
作 者 は 、 意 外 な 所で 針 金を 目 に し た の で し ょ う 。
四 年も 経 つ の に ま だ 復 興 ま ま な ら な い 被 災者 に 心
を 寄 せ る 作 者で す。
自 然 界 に 君 臨 して い る よ う な 人 間 に も 、 自 然 の
山 岡英 明
猛威 には 為す 術も あ り ません 。 いつも 想 定 外 と し
て 、 片 付 けら れて し ま いま す 。
い ま だに 仮 設 住宅 に お住ま いの 、被 災者 の方 々
の 憤 懣 は 、 ど こ に 向 け れ ば い い ので し ょ う か 。 作
者 の 目 に した 針 金 に 、 震 災を 悼 む 気 持 ち が 現れ て
いま す。
牡蠣豊漁針金一連づつ切らる
松村勝 美
三 陸 の 牡 蠣 を つ い 連 想 して し ま い ま す 。 大 震 災
で 壊 滅 した 牡 蠣 イ カダ した が 、 全 国 に カ ン パ を 呼
び か け 、軌 道 に 乗 った と 聞 き ま した 。
針 金 の 一 連 ず つ に 力 が 籠 って い ま す 。 汐 の 匂 い
の 香り 来る句 と なりま した。
針金の罠に囚はれ嫁が君
作 者 に は 、 囚 わ れ た 嫁 が 君 に あわ れ の 情 の 出 た
句 と な り ま した 。
嫁 が 君 、 正 月 三 が 日 だ け 使わ れ る 「 正 月こ と
ば 」 と のこ とで 、 間 違 え て ね ず み と 言 っ て し ま っ
た ら 、 「 水 、 水 、 水 」 と 唱 え れ ば 取 り 消 すこ と が
― 15 ―
佐 藤辰 夫
出 来 る 、 と あ っ た 。 こ の 由 来 は 何で し ょ う か 。
子 どもの 頃 、納屋 に いつも 針 金 の 罠 が 仕 掛け ら
れ て あ り ま し た 。 罠 の 中 に 餌 と して 、 お 餅 を 掛 け
る の で し た 。 捕 ま え て 見 た い け れ ど 、 そ の 後も 困
る な と 、 思 う 子 ど も 心 で した 。
作 者 は 沢 山 の 猫 を 飼 って い る と お 聞 き し ま し た 。
猫の 目 を 盗 ん で 嫁 が 君 現れ る の で す ね 。
飾焚き針金白く燃え残る
城戸杉 生
飾 焚 き で 正 月 気 分 は 一 新で す が 、 白 く 燃 え 残 っ
た 針 金 に ま だ ま だ 正 月 の 名 残 が つき ま せ ん 。 年 末
年 始 が 続 いて い る よ う に 、 断 ち 切 れ な い の で す 。
去 年 や り 残 した こ と 、今 年始 め る 事 、 白 く 焼 け
残 った 針 金 が 来 し 方 の 年 輪を 物 語 って い ま す 。
十 二 支 に な れ ず に 猫 の 日 向 ぼこ
猫 の 悠 長 さ は 、 干 支 が 無 い か ら な ので す ね 。
おか し みの あ る 猫ら し い 句 に な り ま した 。 作 者 の
日 頃 の 鍛 錬 の 成 果 な ので す ね 。 見 習 わ な くて は な
りませ ん。
佐 竹白 吟
猫について は、色々 思い出がありま すが、 近所
の 鮨 屋 さ ん に 行 った と き 、 猫 も 衣 食 足 り て 礼 節 を
知 る と 言 わ れ たこ と が あ り ま し た 。
鮨 屋 の 御 勝 手 口 に 隙 間 が あ る と 、 飛 び 込 んで く
るよ うな 野良 猫が 、うちで 餌を や るよ う になった
の で 、 入 れ る く ら い に 開 いて い て も 素 通 り す る よ
う に な った と 、 聞 か さ れ ま した 。
裏 路地 は 猫 の 恋 路 と なり に け り
作 者 も 季 節 が 来 る と 、 毎晩 、 猫の 鳴 き 声 に悩 ま
さ れ て おら れ る ので し ょ う か 。 恋 焦 が れ て 鳴 く 猫
の 次 か ら 次に 切 れ 間 な く 、 本 当 に迷 惑 し ま す。 猫
を 飼 う 身 に は 辛 いも の が あり ま す。
以 前 飼 って い た 雄 猫 は 、 恋 の 季 節 に な る と 、 家
を 空 け るこ と が 多 く 、 い つ も も う 死 ん だ の で は と 、
思 って い る と 痩 せ て し ま って 戻 って き ま し た 。 何
度 も 確 か め る ほ ど 、 痩 せ て し ま って い る の で す 。
外 で は 強 気 な 猫で す が 、 私 た ち に は 甘 え ま す 。
甘 え て 足 に ぴ た り と く っ つ いて 、 離 れ な い 所 を 見
る と う ち の 猫 か な と 思 う ほ ど な ので す 。
そ の 雄 猫 は シ ャ ム の 喧 嘩 猫で 、 近 所 で も 評 判 の
― 16 ―
猫で し た 。 前 足 を 噛 み 千 切 ら れ 、 皮 一 枚 で ぶ ら ぶ
ら さ せて 帰 っ て き た と き は 驚 き ま し た 。 そ ん な 喧
嘩 猫で も 、 病 院 通 い の とき は 、 病 院 が 近 づ く と 車
の 中 で オ シ ッ コ を 漏 ら し た り も して い ま し た 。
春 うら ら ば あば に おて が み あ い う え お
奥 土居 淑 子
お ん ぶ タ ク シ ー で ど こ まで も 行き ま す 。 お 孫 さ
ん を 、 甘 や か し な が ら 躾 を し 、 慈 しむ 様 子 が 感 じ
られ ま す。
今 は 、幼 い 頃 よ り 字 の 練 習 を しま す 。 お孫 さ ん
か ら 「 あ い う え お」 を 練 習を し た よ 、 と 素 敵 な 手
紙 を も ら った の で しょ う 。 おん ぶ タ ク シ ー も 頑 張
れ ます。
ひ ら が な 表 記 に よ って 眼 にも や さ し い 句と な り
ま した 。
最 近 、私 も 手 紙を も ら いま し た 。
大 人 だ け の 集 ま り の 所 に 、 お 母 さ ん に 連れ ら れ
て 三 歳 の そ う 君 が 来 ま す 。 お誕 生 日 が も う 直 ぐ と
い うの で 、 ケ ー キ を 作 って 差 し 上 げ ま し た 。 渡 し
て も ら う 人 に 、 匿 名 で と お 願 い し 、 添え た 手 紙 に
「ねこ ま んま より」 と しました。
後 日 、 お 母 さ ん に お 礼を 言 いた い と 言わ れ 、 私
の こ と を 教 え た そ う で す 。 そ の 折 、 手 紙 を 頂き ま
した 。 そ う 君 の写 真 入で 、 名 前 を 書 い た 横 に 何 か
絵 が あ り ま し た 。 ネ ズ ミ の よ う で した 。 二 、三 日
見て い た ら ド ラ エ モ ン だ と 分 か り ま し た 。
冷 蔵庫 の 扉 に 張 って 毎 日 、こ の 手 紙 を 見 て 楽 し
んで い ま す。
今 回 、 秀 句 ギ ャ ラ リ ー 鑑 賞 の 欄を 担 当 さ せて 頂
き 、 勉 強 に な り ま した 。 先 ず 、 良 く 読 み 込ん だこ
と 、 辞 書 を 引 い たこ と 、ネ ッ ト で 調 べ た こ と 等 が 、
少 し は 身 に つ き ま した 。
ど の 句も 良 い な と 思 い な がら も 、限 ら れ た 誌 面 、
選 出で き る の は 僅 か と な り ま し た 。 選 ん だ 句 に 対
して も 、思 い の 丈を 綴 る の は失 礼に 当た るので は
と 心配 も しま し た 。 心 外 な 方も 居ら れ る 事 と 思 い
ま す が 、 初 学 の 者 の た め と 思 っ て お 許 し い た だき
た いと 思 い ま す 。 有難 う ご ざ い ま し た。
― 17 ―
~少年の抄~
石塚未知
上田雅子
榎並万里
大平青葉
小野京子
勝浦敏幸
神永洋子
河津悦子
河野キヨ
北里信子
後藤 章
笹原景林
貞永あけみ
佐藤辰夫
佐藤裕能
柴田芙美子
城戸杉生
杉野正依
市川和子
永福倫子
大塚そうび
落合青花
小野柳絮
加藤和子
河津昭子
川名はる絵
北里千寿恵
倉田洋子
佐々木紀昭
佐竹白吟
佐藤テル子
佐藤白塵
敷波澄衣
首藤加代
杉野豊子
住田至茶
少年の俳人達
石渡 清
梅島くにを
江西淑江
奥土居淑子
小野啓々
笠村昌代
川西ふさえ
河津せい子
河野智子
北里典子
佐々木素風
佐志原たま
佐藤年緒
佐藤美代子
佐渡節子
篠﨑代士子
下城たず
杉本美寿津
髙司良惠
髙松くみ
武末和子
富岡いつ子
中川英堂
西川青女
橋本やち
平田節子
堀内夢子
牧 一男
松村れい子
水野すみこ
宮川洋子
溝部美和子
村田文雄
山岡英明
山田洋子
川さち子
高橋敏惠
武田東洋子
津田緋紗子
冨 岡賢 一
中嶋美知子
錦織正子
濱 佳苑
福田久子
本田 蟻
松嶋民子
御沓加壽
溝口 直
宮崎敬介
光山治代
矢下丁夫
山口 修
山本枡一
田みゆき
高橋紘子
田﨑茂子
利光幸子
長田民子
中田麻沙子
橋本喜代志
浜田正弘
藤井隼子
布田尚子
松村勝美
水野幸子
南 桂介
宮崎チク
宮本陸奥海
安武くに子
山口慶子
鎗水稔子
吉村喜子
― 18 ―
荒木輝二
飯野亜矢子
少年の俳人達
中村沙佳
~少年の抄~
和多哲子
阿部王一
阿部鴫尾
穴井梨影女
五十嵐千恵子
~絆の抄~
佐藤一歩
― 19 ―
稲田眸子選
和 多 哲 子
特選五十五句
野遊びのメモ帳いつもポケットに
住 田 至
川さち子
イダーを飲む子片手は腰に当て
留 守 宅 へ メ モ の 押 さ へ に 蝸 牛
茶
― 20 ―
サ イダ ーの 泡 見 つめ つつ愚 痴を 聞 く
サ イ ダ ー の 泡 や 思 春 期 始 ま り ぬ
長 田 民 子
貞永あけみ
清
石 渡
捉
サ イ ダ ー や 我 ら 少 年 探 偵 団
風
佐 藤 一 歩
の
禁 煙 の 指 寂 し か り サ イ ダ ー の む
番
大塚そうび
一
矢 車 の か ら か ら 笑 ふ 児 も 笑 ふ
日
城 戸 杉 生
今
へ
や
矢
北 里 信 子
車
喰 ふ な か れ 法 事 土 産 の 水 羊 羹
羊
勝 浦 敏 幸
水
あ く ま で も 御 茶 は 温 め を 水 羊 羹
り
倉 田 洋 子
切
ほ ど の よ き 夫 と の あ は ひ 水 羊 羹
厚
佐々木素風
に
羹
父
甘
山 口
の
煮 え 切 ら ぬ 男 が 好 む 水 羊 羹
上 田 雅 子
党
ス プ ー ン も 添 え て 供 へ ん 水 羊 羹
津田緋紗子
修
縫 ひ 子 か ら 世 に 出 た 話 水 羊 羹
― 21 ―
人
水 羊 羹 舌 で ほ ど け て 祖 母 の 味
寝 た き り の 母 に 一 匙 水 羊 羹
落 合 青 花
榎 並 万 里
佐 藤 裕 能
河 野 智 子
藤 井 隼 子
登
山
靴
な
り
山
開
二
小 さ め の お に ぎ り 背 負 ひ 山 開 き
河津せい子
も
婆
山 小 屋 の て る て る 坊 主 山 開 き
水
き
主
ぬ
神
西 川 青 女
き
駆 け め ぐ る 錫 杖 の 音 山 開 き
福 田 久 子
つ
嘉 門 次 の 小 屋 の 賑 は ひ 山 開 き
牧
の
山 開 き 控 へ し 星 を 見 て 眠 る
佐々木紀昭
話
被 災 地 の カ ラ オ ケ 酒 場 や ま せ 吹 く
佐 竹 白 吟
羹
や ま せ 来 る 座 敷 童 の 泣 く 夜 に
穴井梨影女
羊
や ま せ か ぜ 牛 飼 減 り し 里 に 吹 く
橋本喜代志
一 男
確 か め て な ぞ る 傷 跡 春 愁 ふ
― 22 ―
春 う ら ら 心 の 隅 に メ モ ふ や し
春 愁 や 心 の 傷 は 秘 め し ま ま
首 藤 加 代
笠 村 昌 代
北 里 典 子
章
猫
勲
の
は
恋
傷
笹 原 景 林
の
に
面
帳
鼻
モ
と
高 橋 紘 子
メ
々
風 の 野 火 静 ま り 猛 り 尾 根 を 這 ふ
武 末 和 子
報
次
敷 波 澄 衣
片 膝 に す り 傷 ち ら と 一 年 生
山 岡 英 明
情
献 立 の メ モ の 手 ず れ や 雛 料 理
江 西 淑 江
新 社 員 一 所 懸 命 メ モ を 取 る
鎗 水 稔 子
焼
あ た た か や デ ィ サ ー ビ ス に 寸 劇 す
中田麻沙子
花 の 宿 チ ャ ボ 優 先 の 散 歩 道
松 く
野
半 島 の 先 ま で 列 車 春 の せ て
蘖 や 日 に 日 に 癒 へ る 顔 の 傷
富岡いつ子
み
花 の 名 を メ モ す る 媼 利 久 の 忌
髙
― 23 ―
花
誘 は れ て 花 見 に 行 く と メ モ を 置 く
植 木 市 と て ポ ケ ッ ト に メ モ 帳 を
十 九 時 に ラ メ ー ル の 前 春 シ ョ ー ル
七 色 の メ モ 用 紙 貼 る 新 学 期
お 帰 り と メ モ を 残 し て 春 の 昼
永 福 倫 子
橋 本 や ち
杉 野 正 依
溝部美和子
篠﨑代士子
御 沓 加 壽
仙
潮
市 川 和 子
水
短 夜 や 傷 の B 面 コ ン ツ ェ ル ト
冨 岡 賢 一
采
深 刻 な 話 は 無 し と ソ ー ダ 水
田みゆき
喝
お 転 婆 の 頃 の 古 傷 ア ッ パ ッ パ
松 村 勝 美
の
母 の メ モ や た ら に ふ へ し 五 月 闇
小 野 京 子
海
ス イート ピー 花束 に して 会ひ にゆ く
柴田芙美子
は
卓 上 の メ モ を 押 さ え る 青 り ん ご
錦 織 正 子
騒
初 恋 の 傷 ほ ろ に が し 木 の 葉 髪
― 24 ―
彩時記燦々
稲田眸子選
◇サイダー(さいだー)【 夏・人事 】
サイダーの泡や思春期始まりぬ 貞永あけみ
サイダーの泡立つ絵とてむづかしき
梅島くにを
後藤
章
サ イ ダ ー の 泡 や 浅 瀬 の 水 の 音 川西ふさえ
サイダーの泡のぼる話途絶えても
サイダーの泡のごと夢うつつかな
杉野豊子
佐藤裕能
佐々木紀昭
サイダーの泡が奏でるメロディーフェア
サイダーの泡の如くに時も過ぎ
サイダーの泡ぶちまける餓鬼大将
中川英堂
サイダーの泡見つめつつ愚痴を聞く
長田民子
鎗水稔子
橋本喜代志
サイダーの泡の向かふに弾む子等
サイダーの泡に昭和の自分見る
佐藤白塵
サイダーの気泡のゆくへ長電話 中田麻沙子
サイダーの気泡と音に息のむ子 佐藤年緒
サイダーの缶に描かれし泡の粒
サイダーのシュワーチウルトラマンの声
落合青花
溝部美和子
御沓加壽
サイダーのシュワーは鎮守の夜店前
サイダーのグラスに光る青い海
― 25 ―
住田至茶
河野キヨ
北里千寿恵
サイダーを抱へて村の映画館
笠村昌代
サイダーの弾けてあふれ乾杯す
サイダーをラッパ飲みする裸足の子
サイダーが駆け下りてゆく光る喉
サ イ ダ ー に 青 空 の 色 海 の 色 水野幸子
サイダーがシュワシュワと喉通る
河野智子
サ イ ダ ー を 飲 む 友 若 し 我 若 し 浜田正弘
利光幸子
サイダーをくれと臥す父か細き声
サイダーを飲む子片手は腰に当て
サイダーの浮く泡みつめ予感かな
松村勝美
サイダーや昔むかしの空晴れて 川さち子
サ イ ダ ー や 喉 で 弾 く る 泡 辛 し 山口 修
石渡 清
長田民子
サイダーや付きては離れ消ゆる泡
サイダーや我ら少年探偵団
サ イ ダ ー や 今 が 青 春 真 つ 盛 り 川奈はる絵
サイダーや子らくくくくと笑ひ合ふ
小野柳絮
倉田洋子
サイダー缶回し飲みして部活の子
田﨑茂子
荒木輝二
サイダーや勝気の背のしやくり泣き
サイダーや少し自慢げ飲みし頃
大塚そうび
河津せい子
サイダーを飲み干す力喉仏
― 26 ―
山本枡一
氷 浮 き サ イ ダ ー の 浮 く 金 盥 後藤 章
腕 白 の 子 ら サ イ ダ ー を 一 息 に 河津昭子
蜜 豆 と サ イ ダ ー 孫 の 誕 生 日 河津悦子
後藤 章
サイダー瓶小遣ひ稼ぎの遠き日々
テーブルの上にサイダー下に猫
分け合うて飲みしサイダー幼き日
佐藤辰夫
敷波澄衣
長田民子
喉を突くサイダー一気にラッパ飲み
ひと口の後の溜息サイダー飲む
湧水の桶にサイダーキャンプ村 錦織正子
富岡いつ子
冷やしサイダー湧水の町の昼下がり
回顧録サイダーの泡噴きこぼれ
腰に手をあてサイダーを飲み干す児
佐藤美代子
後藤 章
恐山に来てサイダーを飲みにけり
永福倫子
居酒屋にサイダー有りとお品書 阿部鴫尾
お遣ひの三ツ矢サイダー昭和かな
おちょぼ口してサイダーを飲む翁
奥土居淑子
小銭持ち歩きサイダー買ふ町湯
五十嵐千恵子
ときめきの日やサイダーの泡白し
小野京子
遠来の客へひとまずサイダーを 小野啓々
ひと試合終へてサイダー一気飲み
飯野亜矢子
― 27 ―
矢 車 の 廻 り 初 む 風 伊 吹 よ り 住田至茶
佐竹白吟
佐々木素風
矢車の音に尾 鰭の舞ひ 上がる
牧
矢車の刻む拍子や吾子眠る
村田文雄
大工飲む盆のサイダー一息に
宮川洋子
一男
幼子の小さき冒険サイダー飲む
杉本美寿津
矢車の家紋の墓碑に父母眠る
高橋敏惠
矢 車 の 六 本 廻 り 篤 農 家 笹原景林
矢 車 の 廻 る 廻 ら ぬ 風 ま か せ 下城たず
矢車の時に勢ひつけ廻る
蟻
佐藤一歩
本田
禁煙の指寂しかりサイダーのむ
見送りの駅頭に飲むサイダーかな
◇矢車(やぐるま)【 夏・人事 】
矢 車 の 高 回 転 に 孫 は し や ぐ 田﨑茂子
阿部鴫尾
矢車の廻る音聴くや保育園
矢車のことりともせず雨の午后 中嶋美知子
矢 車 の 風 切 音 の 心 地 良 く 中川英堂
矢 車 の 放 つ 陽 四 方 八 方 に 小野啓々
大塚そうび
矢下丁夫
矢車のからから笑ふ児も笑ふ
矢車の機嫌直してからからと
川西ふさえ
矢車の矢の射す彼方陽は沈む
矢 車 や 峡 の 光 を 一 点 に 小野柳絮
奥土居淑子
上田雅子
矢車やきかん気強き次男坊
矢車や心やさしき男の子たれ
石渡 清
矢 車 の 軋 む 音 す る 丘 の 家 河津悦子
矢車や命の限り嬰は泣け
河野智子
矢 車 の よ く 回 る 日 は 洗 濯 日 神永洋子
矢車の音に重なる子等の声
勝浦敏幸
矢車の光と風を混ずる音
― 28 ―
矢車が真つ青な空呼び戻す
矢 車 や 島 に 小 さ き 遊 園 地 水野幸子
矢車や洗濯物のよく乾き
小野京子
西川青女
矢 車 や 今 日 一 番 の 風 捉 へ 城戸杉生
矢 車 や 旧 道 に 沿 ふ 城 下 町 大平青葉
尋ぬれば矢車回る家を指しぬ 南
残されし矢車廻る夜更かな 濱
朝の風捉へ矢車廻り初む
暮れなずむ谷間矢車響き合ふ
南
桂介
桂介
佳苑
武田東洋子
福田久子
熊 野 み ち 遠 矢 車 を 望 み け り 敷波澄衣
矢車の飛ばんばかりに鳴ることも
矢車を高く回して供養かな
佐藤一歩
矢 車 を 見 入 る 赤 子 の 瞳 よ し 佐藤辰夫
矢車にひたすら乾く昼の月
高橋紘子
雨雲や矢車だけの回る音
一男
山風に矢車の音乾きをり
吉村喜子
牧
矢車に神舞下りて空青く
日 本 晴 れ 矢 車 風 と 遊 び を り 御沓加壽
古 里 の 矢 車 光 立 て 回 る
山口 修
山岡英明
宮本陸奥海
髪 刈 る や 矢 車 の 音 狭 庭 よ り 梅島くにを
腕白に育ち矢車よく回る
海からの風に矢車勇み立つ
山田洋子
加藤和子
雨 の 日 は 淋 し 矢 車 な ほ 淋 し 城戸杉生
お早ようと矢車まはる保育園
◇水羊羹(みずようかん)【 夏・人事 】
星 空 に 矢 車 羽 根 を 休 め を り 城戸杉生
風吹いて 子も矢車も盛んなり
菓 子 屋 多 き 天 領 の 街 水 羊 羹 河津せい子
佐志原たま
音 立 て て 矢 車 畦 に よ く 廻 る 杉野正依
― 29 ―
喰 ふ な か れ 法 事 土 産 の 水 羊 羹 北里信子
裏 山 の 水 は さ ら さ ら 水 羊 羹 北里千寿恵
爪楊枝刺せば崩るる水羊羹
煮 え 切 ら ぬ 男 が 好 む 水 羊 羹 山口 修
入 院 の 母 へ お 見 舞 水 羊 羹 山岡英明
五十嵐千恵子
遠 来 の 客 に と ら や の 水 羊 羹 河野キヨ
勝浦敏幸
風 通 る 座 敷 に 集 ひ 水 羊 羹 小野啓々
あくまでも御茶は温めを水羊羹
ほどのよき夫とのあはひ水羊羹 倉田洋子
客 人 へ 出 を 待 つ て ゐ る 水 羊 羹 小野柳絮
スプーンも添えて供へん水羊羹 上田雅子
風 通 ふ 広 き 座 敷 や 水 羊 羹 佐竹白吟
青竹の匂ふ切り口水羊羹
よく冷えて角もキリリと水羊羹 上田雅子
柴田芙美子
甘 党 の 父 に 厚 切 り 水 羊 羹 佐々木素風
里 帰 り 律 儀 に 切 れ し 水 羊 羹 冨岡賢一
邯 鄲 の 枕 辺 に 置 く 水 羊 羹 石渡 清
切 り 口 の 小 豆 色 よ き 水 羊 羹 本田
姉 妹 揃 ふ 忌 日 の 水 羊 羹 錦織正子
お 座 敷 で 畏 ま り つ つ 水 羊 羹 首藤加代
遠 い 日 の 甘 き シ ベ リ ア 水 羊 羹 村田文雄
ひ と り 聴 く 米 朝 落 語 水 羊 羹 中田麻沙子
縫 ひ 子 か ら 世 に 出 た 話 水 羊 羹 津田緋紗子
笹 の 葉 の 緑 し た た る 水 羊 羹 松村れい子
沙弥僧が先づ手を伸ばす水羊羹 布田尚子
水 色 の ガ ラ ス の 器 水 羊 羹 阿部王一
手 作 り の 淡 き 味 は ひ 水 羊 羹 吉村喜子
ひんやりと銀のスプーン水羊羹 福田久子
蟻
広 縁 に 運 ば れ て く る 水 羊 羹 田みゆき
― 30 ―
寝 た き り の 母 に 一 匙 水 羊 羹 藤井隼子
在 り し 日 の 水 羊 羹 は 母 の 味 水野すみこ
匙入れて水羊羹を揺らめかす
一男
水 羊 羹 淡 し 我 が 恋 ま た 淡 し 浜田正弘
ぷ る る ん と 水 羊 羹 を 笹 に 盛 る 榎並万里
稿 継 ぐ や 水 羊 羹 の 二 つ 目 も 梅島くにを
牧
水羊羹ふかぶかと夜を切りとりぬ
宮崎敬介
労 ひ の 水 羊 羹 に 長 電 話 中村沙佳
小さめのおにぎり背負ひ山開き 榎並万里
溝口 直
江西淑江
水羊羹恋しくなりぬおやつ時
大平青葉
帰りこぬ愛馬の碑あり山開き
今日も無事水羊羹をいただきぬ 江西淑江
水羊羹座布団予備を重ねてる
飯野亜矢子
落合青花
水 羊 羹 夫 と の 会 話 は づ み を り 光山治代
水羊羹仲見世路地のふたつ先
山小屋のてるてる坊主山開き
笠村昌代
◇山開き(やまびらき)【 夏・人事 】
水 羊 羹 再 会 叶 ふ 奥 座 敷 川奈はる絵
些事大事神に祈りて山開き
水羊羹母にかなはぬことばかり 奥土居淑子
水 羊 羹 舌 で ほ ど け て 祖 母 の 味 河野智子
ほろ苦き思ひ出一つ山開き
北里信子
河津悦子
赤に黄に派手なジャンパー山開き
河津せい子
長田民子
神主も登山靴なり山開き
水羊羹腕白盛りも正座して
髙松くみ
水 羊 羹 話 の つ き ぬ 婆 二 人 佐藤裕能
手土産は水羊羹と決めてゐる
袂 よ り 水 羊 羹 を 取 り 出 し ぬ 南 桂介
― 31 ―
稜 線 に 友 の 面 影 山 開 き
佐藤美代子
勝浦敏幸
木 曾 馬 の 親 子 と 遊 ぶ 山 開 き 水野幸子
一歩づつ六根清浄山開き
柏手の木魂幾重に山開き
武田東洋子
橋本喜代志
山 開 き 標 高 千 に 満 た ぬ 山 川奈はる絵
山 開 き 待 つ 体 調 を 整 へ て 神永洋子
石塚未知
加藤和子
山開き女ばかりの声響く
山 開 き 大 渋 滞 と な り に け り 小野啓々
高 清 弓 風 神 堂 の 山 開 き
和多哲子
法螺の音のむせぶやうなり山開き
噴 火 せ し 嶺 も 祓 ひ て 山 開 き 田みゆき
松村れい子
宮本陸奥海
神酒まき安全祈願山開き
佐藤裕能
天 地 に し み ゐ る 祓 ひ 山 開 き 松村れい子
景が呼ぶ岩肌が呼ぶ山開き
首藤加代
佐志原たま
村 長 の 挨 拶 長 し 山 開 き
杉野正依
まん丸のおにぎり三つ山開き
登山道祢宜あえぎ行く山開き
髙松くみ
ホスピスの小窓開くや山開き
薄れゆく石碑の文字や山開き
津田緋紗子
霊 峰 は 雲 に 閉 ざ さ れ 山 開 き 柴田芙美子
神 職 の 声 の 谺 す 山 開 き 篠﨑代士子
神 官 は 山 男 な り 山 開 き
額 よ せ 広 げ し マ ッ プ 山 開 き 冨岡賢一
雷 鳥 も 猿 も 見 守 る 山 開 き 中川英堂
山開き待つ温泉を楽しみに
佐藤辰夫
西川青女
朝夕に手合はす八ケ岳の山開き 中村沙佳
山 開 き 柏 手 響 く 峰 の 空
駆けめぐる錫杖の音山開き
福田久子
嘉門次の小屋の賑はひ山開き
― 32 ―
山開き前も後ろも息荒し
山開き皆美しきお重かな
高橋紘子
佐藤テル子
やませ吹くみちのくに古る仏たち
小野柳絮
や ま せ 吹 く 海 を 見 守 る 父 の 墓 貞永あけみ
佐志原たま
山 開 き さ つ ぱ り 無 沙 汰 登 山 靴 髙司良惠
やませ吹く被災地にある絆かな
濱
利光幸子
山 開 き 雪 山 賛 歌 合 唱 す
やませ吹く砂よりのぞく魚の骨
佐々木素風
笹原景林
佐々木紀昭
佳苑
山 開 き け ふ は 私 も 山 ガ ー ル 利光幸子
余震なほ続くみちのくやませ吹く
鎗水稔子
野を畑を鈍色にしてやませ吹く 矢下丁夫
北の旅智恵子の空にやませ吹く
加藤和子
風 垣 の 高 き 家 々 や ま せ 吹 く 富岡いつ子
プレハブの仮設住宅やませ吹く
草小積一つもなくてやませ吹く
被災地のカラオケ酒場やませ吹く
山本枡一
宮崎敬介
やませ吹く天気図睨む深き皺
山開き灯に満天の星応ふ
溝口 直
山 開 き 見 知 ら ぬ 人 と 昼 餉 の 輪 中嶋美知子
山 開 き 控 へ し 星 を 見 て 眠 る 牧 一男
山開きいつもしんがり歩きけり
安武くに子
山 開 き 立 山 開 祖 の 地 獄 絵 図 水野すみこ
山開き待たずに逝きし山男
修
杉野豊子
山 開 き 先 頭 切 る は 爺 と 婆 山口
山ガール開かれて山カラフルに
石塚未知
◇山背風・山瀬風(やませ)【 夏・天文 】
やませ吹く能登の段々畑青む
― 33 ―
やませ来る座敷童の泣く夜に
倉田洋子
佐竹白吟
春うらら一言のメモ置かれをり 中村沙佳
春うららちらしの裏はメモ紙に
◇麗ら(うらら)・春麗ら(はるうらら)【 春・時候 】
藤井隼子
地平まで更地一枚山背来る
宮本陸奥海
春 う ら ら 心 の 隅 に メ モ ふ や し 笠村昌代
普通とは人それぞれや春愁ひ
山背にも負けぬ種籾播く人等
松嶋民子
農 継 ぐ 子 山 背 吹 く な と 空 仰 ぐ 大塚そうび
復興の田をよけて吹け山背風
孫迎ふ支度のメモや春うらら
穴井梨影女
山岡英明
傷口を舐めて勝利の恋の猫
◇恋猫(こいねこ)【 春・動物 】
友人にメモ魔電話魔うららけし 平田節子
佐渡節子
永福倫子
復興へ山背を知らぬボランティア
やませかぜ牛飼減りし里に吹く
落合青花
杉野豊子
恋猫やひねもす舐める傷の痕
恋猫のやつれて傷をなめてをり
大塚そうび
山本枡一
篠﨑代士子
笠村昌代
山背風覚悟の農を生業と
今もつて癒えぬ傷あと春愁ふ
北里信子
傷負ひし恋猫われを疎み去る
首藤加代
数多ある心の傷や春愁ふ
橋本喜代志
鼻 面 の 傷 は 勲 章 恋 の 猫
確かめてなぞる傷跡春愁ふ
◇野焼(のやき)【 春・人事 】
◇春愁(しゅんしゅう)【 春・人事 】
春 愁 や 心 の 傷 は 秘 め し ま ま 北里典子
次々と野焼情報メモ帳に
笹原景林
春 愁 や 心 の 傷 は 消 し が た く 水野すみこ
― 34 ―
中 空 を 畦 焼 く 煙 延 々 と
大野焼炎猛りて野に沈む
安武くに子
北里典子
折り紙の折り目正しき子供の日 川奈はる絵
指 の 傷 見 せ て 甘 へ る 子 供 の 日 水野幸子
◇子供の日(こどものひ)【 夏・人事 】
佐藤年緒
穴井梨影女
孫と見る柱の傷や子供の日
焼け残る萱筋吹かれ唯無聊
◇夏(なつ)【 夏 ・ 時 候 】
◇矢車草(やぐるまそう)【 夏・植物 】
野つ原のこんなところに矢車草 河野キヨ
カラフルな擦り傷テープ夏めける
北里千寿恵
矢 車 草 墓 前 に 供 へ 偲 び け り 橋本やち
髙司良惠
布田尚子
◇暖か(あたたか)【 春・時候 】
矢車草風のリズムにゆれてゐる
荒木輝二
メモを取るカリスマシェフの夏レシピ
今もなほ癒へざる夏の恋の傷
あたたかやディサービスに寸劇す
平田節子
河津昭子
江西淑江
あちこちにメモのありしも夏夕べ
荒木輝二
暖かやメモ帳を手に畦に座す
癒えぬ傷持ちたるままや春遅々と
◇雛(ひ な)【 春 ・ 人 事 】
敷波澄衣
◇春(はる )【 春・時候 】
献立のメモの手ずれや雛料理
宮川洋子
雛おさめ母の墨字のメモ古りぬ 穴井梨影女
どの家も気ままに出入り雛祭
― 35 ―
半島の先まで列車春のせて
中田麻沙子
【 春・人事 】
薫風や親の認むる向かふ傷
新社員一所懸命メモを取る
◇新社員(しんしゃいん)・【 春・人事 】
片膝にすり傷ちらと一年生
新 入 生 待 つ 校 内 の メ モ 掲 示 佐藤一歩
薫 風 や メ モ 書 ほ ど の 子 の 便 り 水野幸子
傷つくも踏んばつてみよ新社員 松嶋民子
◇薫風(くんぷう)【 夏・天文 】
◇四月馬鹿(しがつばか)【 春・人事 】
花の宿チャボ優先の散歩道
佐志原たま
鎗水稔子
山岡英明
武末和子
傷 口 を 広 げ て し ま ふ 四 月 馬 鹿 阿部王一
◇花(はな )・桜(さくら)【 春・植物 】
勝浦敏幸
メモするもそのメモ無くす四月馬鹿
再 び の 桜 日 和 や 一 周 忌
加藤和子
◇山焼(やまやき)【 春・人事 】
◇余花(よか)【 春・植物 】
余花の風映して留守のガラス窓 川さち子
亡き母のひらかなのメモ余花の雨
藤井隼子
◇蘖(ひこばえ)【 春・植物 】
高橋紘子
美 し き 焼 山 火 の 宮 雨 の 宮 穴井梨影女
風の野火静まり猛り尾根を這ふ
持ち 寄りし野の花貰ひ卒業す
山口慶子
倉田洋子
机の傷卒業の子の撫でてゆく
蘖 や 日 に 日 に 癒 へ る 顔 の 傷 髙松くみ
◇卒業(そつぎょう)【 春・人事 】
◇新入生(しんにゅうせい)・一年生(いちねんせい)
― 36 ―
◇虫干し(むしぼし)・風入れ(かぜいれ)
花 の 名 を メ モ す る 媼 利 久 の 忌 富岡いつ子
長閑なりしと一日のメモ読み返す
◇長閑(のどか)【 春・時候 】
武田東洋子
◇花冷え(はなびえ)【 春・時候 】
【 夏・人事 】
父も吾もメモ魔手帳を虫干しす
花 冷 え や 術 後 の 傷 を 語 る 夜 阿部鴫尾
佐藤年緒
風入れの幽霊にメモ見られけり 田みゆき
◇余寒 (よかん ) 【 春 ・ 時 候 】
敷波澄衣
茅葺きの十村屋敷や余寒なほ
御沓加壽
笑 み な が ら 生 死 を 語 る 彼 岸 寺 長田民子
◇彼岸(ひがん)【 春・時候 】
◇草を取る(くさをとる)【 夏・人事 】
佐渡節子
草抜くや傷心と向き合うてをり 小野啓々
滑り来て腕に切り傷草取り女
◇二月(にがつ)【 春・時候 】
◇春の 昼(はるのひ る )【 春 ・ 時 候 】
お帰りとメモを残して春の昼
新谷慶洲先生追悼
天 国 に 響 く 歌 声 二 月 尽 溝口 直
◇ 春 の 雨( は る の あ め ) 【 春 ・ 天 文 】
休日の魚市が聴く春の雨
佐藤白塵
メモとるも五限の日ざし目借時 山田洋子
◇目借 時 (めかり どき)【 春 ・ 時 候 】
上田雅子
杉本美寿津
◇春(はる)【 春 ・ 時 候 】
妹の小さき願ひは春の旅
◇日永(ひなが)【 春・時候 】
永き日やひとりの昼餉調へて
― 37 ―
春風に誘われました とメモ残し
◇春風(しゅんぷう)【 春・天文 】
薄氷の消ゆるがごとしメモ失せて
◇薄氷(うすらい)【 春・地理 】
「
」
◇山笑ふ(やまわらう )【 春・地理 】
小野柳絮
◇木の芽風(このめかぜ)【 春・天文 】
足 の 傷 自 慢 す る 奴 山 笑 ふ 冨岡賢一
山本枡一
海 峡 に 迫 る 街 並 木 の 芽 風 浜田正弘
光山治代
◇入学(にゅうがく)【 春・人事 】
入学や柱の傷もなつかしき
◇新学期(しんがっき)【 春・人事 】
佐々木紀昭
◇春一番(はるいちばん)【 春・天文 】
◇春疾風(はるはやて)【 春・天文 】
七 色 の メ モ 用 紙 貼 る 新 学 期 篠﨑代士子
春一番宅配便はメモ残し
メ モ 用 紙 奪 つ て ゆ き し 春 疾 風 杉本美寿津
津田緋紗子
首藤加代
た め ら ひ つ 文 認 め り 春 の 塵 奥土居淑子
◇春の塵(はるのちり)【 春・人事 】
傷抱へ生き抜く覚悟青き踏む
◇青き踏む(あおきふむ)【 春・人事 】
点ほどの傷に包帯一年生
◇一年生(いちねんせい)【 春・人事 】
江西淑江
山口慶子
佐渡節子
◇春の 月(はるの つき)【 春・天文 】
鉾杉の上にぽつかり春の月
◇花曇り(はなぐもり)【 春・天文 】
花曇り点滴液を見続ける
◇春泥(しゅんでい)【 春・地理 】
春泥をつけて優勝カップ受く
― 38 ―
春障子開け放すことためらひて
◇春障子(はるしょうじ)【 春・人事 】
一行のメモに癒され春灯
◇木の芽和(このめあえ)【 春・人事 】
◇春灯(はるともし)【 春・人事 】
◇ 春 シ ョ ー ル( は る し ょ ー る ) 【 春 ・ 人 事 】
名店を懐紙にメモし木の芽和
落合青花
十九時にラメールの前春ショール
茶葉を炒る祖母の指先傷のあと
溝部美和子
◇野遊び(のあそび )【 春・人事 】
◇涅槃寺(ねはんでら )【 春・人事 】
◇茶葉炒る(ちゃばいる)【 春・人事 】
野遊びのメモ帳いつもポケットに
石塚未知
市川和子
河野智子
竹 矢 来 低 く 結 び し 涅 槃 寺 和多哲子
◇植木 市 (うえ きいち)【 春 ・ 人 事 】
和多哲子
◇ブランコ(ぶらんこ)【 春・人事 】
植木市とてポケットにメモ帳を 杉野正依
◇春耕 (しゅんこ う )【 春 ・ 人 事 】
佐渡節子
飯野亜矢子
泣き虫のぶらんこ傷よ飛んでいけ
大平青葉
◇節分会(せつぶんえ)【 春・人事 】
春耕の朝読み返す父のメモ
干しひろぐ良き塩梅の霰餅
榾の火に手焙る人ら節分会
◇霰餅(あられもち)【 春・人事 】
◇炬燵塞ぐ(こたつふさぐ)【 春・人事 】
◇花見(はなみ)【 春・人事 】
笹原景林
消しゴムで消せぬ傷心炬燵塞ぐ 佐藤一歩
― 39 ―
誘はれて花見に行くとメモを置く
青春の苦き思ひ出サイダー割り 武末和子
◇利久忌(りきゅうき)【 春・人事 】
蒲公英に約束の人現るる
◇蒲公英(たんぽぽ)【 春・植物 】
潮 騒 は 海 の 喝 采 水 仙 花 永福倫子
◇水仙の花(すいせんのはな)【 春・植物 】
傷ついてなんかないわと土筆摘む
◇蝌蚪(かと)【 春・動物 】
溝部美和子
千 枚 の 田 に 幾 万 の 蝌 蚪 睡 る 中田麻沙子
◇ぺんぺん草(ぺんぺんくさ)【 春・植物 】
橋本やち
◇啓蟄(けいちつ)【 春・動物 】
ペンペ草鳴らして帰るランドセル
山口慶子
佐藤白塵
髙司良惠
山口慶子
城戸杉生
啓 蟄 や 球 根 の 芽 も 一 斉 に 阿部鴫尾
◇頬刺(ほほさし)【 春・動物 】
菜の花やローカル線のひとり旅
◇菜の花(なのはな)【 春・植物 】
◇残り鴨(のこりかも )【 春・動物 】
◇山茱萸(さんしゅゆ)【 春・植物 】
頬 刺 や 海 辺 に あ り し 母 の 里 上田雅子
湖 中 句 碑 遠 巻 き に し て 残 り 鴨 和多哲子
かすみ草メモ魔を名のる米寿翁
◇霞草(かすみそう)【 春・植物 】
今年また山茱萸咲きて人送る
平田節子
◇梅(うめ)【 春・植物 】
不動なる仏のこころ梅真白
◇土筆(つくし)【 春・植物 】
― 40 ―
メモ書いてそのメモ探す木瓜の花
◇木瓜の花(ぼけのはな)【 春・植物 】
古 傷 や 皺 と 紛 れ て 花 薊 藤井隼子
◇薊(あざみ)【 春・植物 】
抱へ拭く柱の傷や若葉冷
◇若葉冷(わかばびえ)【 夏・時候 】
無意識に傷を擦りし薄暑かな
◇薄暑(はくしょ)【 夏・時候 】
宮川洋子
短夜や傷のB面コンツェルト
◇短夜(みじかよ)【 夏・時候 】
◇海棠の花(かいどうのはな)【 春・植物 】
◇夏の果(なつのはて)【 夏・時候 】
メモを読む少年夏に終り告げ
掠 り 傷 一 つ 負 は ず や 花 海 棠 堀内夢子
◇リラの花(りらのはな)【 春・植物 】
貞永あけみ
柴田芙美子
市川和子
薫風に心の傷をみすかされ
貞永あけみ
◇水草生ふ(みくさおう)【 春・植物 】
◇簗瀬風(やなせかぜ)【 夏・天文 】
◇薫風(くんぷう )【 夏・天文 】
水草生ひ初むる水面に風やさし 福田久子
湯上りのほてり鎮めん簗瀬風
宮崎敬介
◇麦秋(ばくしゅう)【 春・植物 】
◇五月晴れ(さつきばれ)【 夏・天文 】
青春の遙かなれどもリラの街
麦秋の傷心ジェットコースター 川さち子
古傷を受け入れてこそ五月晴れ 御沓加壽
布田尚子
◇夏来る(なつきたる)【 夏・時候 】
◇夏日(なつび)【 夏・天文 】
武末和子
つぶやきも書き込むメモや夏来る
小野京子
― 41 ―
佳苑
心 太 遺 句 メ モ 父 の 字 は ま ろ し 佐藤白塵
◇柏餅(かしわもち)【 夏・人事 】
山田洋子
◇梅雨(つゆ)【 夏・天文 】
伝言のメモの重しに柏餅 濱
傷も尊し龍門石窟夏日影
古 傷 の 囁 き 聞 こ ゆ 梅 雨 近 し 住田至茶
更衣隠せし傷を見られたる
◇更衣(ころもがえ)【 夏・人事 】
佐々木素風
高橋敏惠
津田緋紗子
穴井梨影女
五十嵐千恵子
◇喜雨(きう)【 夏・天文 】
メモ好きの父の日誌や喜雨休み
◇帷子(かたびら)【 夏・人事 】
◇夏の山(なつのやま)【 夏・地理 】
青 天 に 近 づ く 一 歩 夏 の 山 下城たず
◇浴衣(ゆかた)【 夏・人事 】
洗ひ張り母の帷子かく傷み
光山治代
◇夏休み(なつやすみ)【 夏・人事 】
ことづけをメモに託して夏休み
◇冷蔵庫(れいぞうこ)【 夏・人事 】
掌にメモして去れりゆかたの子
深 刻 な 話 は 無 し と ソ ー ダ 水 冨岡賢一
扉にはレシピのメモの冷蔵庫
◇ソーダ水(そーだすい)【 夏・人事 】
◇ラムネ(らむね)【 夏・人事 】
◇泳ぐ(およぐ)【 夏・人事 】
擦り傷は勲章なりし日焼けの子 阿部王一
◇日焼け(ひやけ)【 夏・人事 】
高橋敏惠
コロコロとビー玉遊ばせ飲むラムネ
◇心太(ところてん)【 夏・人事 】
― 42 ―
蟻
杜 若 咲 き を は り た る 業 平 忌 西川青女
◇蝸牛(かたつむり)【 夏・動物 】
本田
◇アッパッパ(あっぱっぱ)【 夏・人事 】
留 守 宅 へ メ モ の 押 さ へ に 蝸 牛 川さち子
擦り傷に赤チンをぬりひと泳ぎ
お 転 婆 の 頃 の 古 傷 ア ッ パ ッ パ 田みゆき
メモにある時間確かむみどりの夜
◇緑(みどり)【 夏・植物 】
宮本陸奥海
◇新緑(しんりょく)【 夏・植物 】
榎並万里
堀内夢子
◇祭(まつり )【 夏・人事 】
このメモで祭の手筈目処立ちし
◇端居(はしい)【 夏・人事 】
佐竹白吟
新緑の湖岸遙かにオール漕ぐ
傷心の膝を抱へて端居かな
◇ピッケル(ぴっける)【 夏・人事 】
小野京子
スイートピー花束にして会ひにゆく
◇スイートピー ( すいーと ぴー )【 夏 ・ 植 物 】
メモ帳の買物リストさくらんぼ 阿部王一
◇サクランボ(さくらんぼ)【 夏・植物 】
母のメモやたらにふへし五月闇 松村勝美
◇五月闇(さつきやみ)【 夏・植物 】
佐藤テル子
住田至茶
松嶋民子
ピッケルにお神酒垂らして祝ひけり
◇麦酒(びーる)【 夏・人事 】
頼まれしメモに書き足す麦酒哉
◇祭(まつり)【 夏・人事 】
メモ帳に祭の用意こまごまと
◇業平忌(なりひらき)【 夏・人事 】
― 43 ―
◇カーネーション(かーねーしよん)【 夏・植物 】
卓上のメモを押さえる青りんご
◇竹の子(たけのこ)【 夏・植物 】
柴田芙美子
川奈はる絵
菜 園 の 傷 あ り ト マ ト 愛 ほ し く 矢下丁夫
◇トマト(とまと )【 夏・植物 】
手書きメモ添へて母より枇杷届く
◇枇杷(びわ)【 夏・植物 】
市川和子
五十嵐千恵子
メモ添へてカーネーションの束届く
◇薔薇(ばら・そうび)【 夏・植物 】
傷の指かばひて剪りし白薔薇
◇額の花(がくのはな)【 夏・植物 】
蟻
竹の子の一つに鍬の傷のあり 濱
メ モ 帳 の 母 の 忌 日 や 額 の 花 本田
◇鉄線花(てっせんか)【 夏・植物 】
◇黒菜(くろな)【 夏・植物 】
佳苑
鉄 線 や 時 に 傷 つ く 言 の 葉 も 西川青女
地 獄 噴 く 黒 菜 畠 の 今 蕾 杉野正依
◇宵闇(よいやみ)【 秋・天文 】
◇著莪の花(しゃがのはな )【 夏・植物 】
民族を分ける国境著莪の花
宵 闇 の 腸 壁 灯 す 内 視 鏡 村田文雄
鎗水稔子
◇牡丹(ぼたん・ぼうたん)【 夏・植物 】
松嶋民子
しゅわしゅわとサイダーの泡体内に
石渡 清
◇秋水(しゅうすい)【 秋・地理 】
ぼうたんの傷みを知らで散り尽くす
◇青林檎(あおりんご)【 夏・植物 】
― 44 ―
秋 水 や 一 子 相 伝 窯 の 里
◇運動会(うんどうかい)【 秋・人事 】
中嶋美知子
佐藤裕能
膝 の 傷 堪 へ て ゴ ー ル 運 動 会 御沓加壽
◇草の花(くさのはな)【 秋・植物 】
教へ子に草花のメモ遺し逝く
◇春を待つ(はるをまつ)【 冬・時候 】
佐藤テル子
宮川洋子
指 先 の 小 さ き 傷 も 春 を 待 つ 中村沙佳
◇春遠し(はるとおし)【 冬・時候 】
福 島 の 深 き 傷 跡 春 遠 し
◇冬の雨(ふゆのあめ)【 冬・天文 】
遠き日の傷跡痛む冬の雨
◇寒晴れ(かんばれ)【 冬・天文 】
◇おでん鍋(おでんなべ)【 冬・人事 】
テーブルに夫へメモ書きおでん鍋
水野すみこ
◇ちやんちやんこ(ちゃんちゃんこ)【 冬・人事 】
宮崎チク
手放せぬ亡姉の形見のちゃんちゃんこ
◇木の葉髪(このはがみ)【 冬・人事 】
初 恋 の 傷 ほ ろ に が し 木 の 葉 髪 錦織正子
◇避寒宿(ひかんやど)【 冬・人事 】
女 同 志 傷 見 せ 合 う て 避 寒 宿 川西ふさえ
◇探梅(たんばい)【 冬・人事 】
探梅や愚痴をこぼさず逝きし夫 利光幸子
◇寒参り(かんまいり)【 冬・人事 】
鐘 一 打 祈 願 二 打 な る 寒 参 り 河津昭子
永福倫子
◇風邪(かぜ)【 冬・人事 】
◇久女忌(ひさじょき)【 冬・人事 】
寒 晴 や 灘 一 望 の 番 所 跡
風邪に臥せ人の恋しくなりにけり
安武くに子
― 45 ―
平田節子
◇傷
杉野豊子
断たれたる思ひ一途や久女の忌
今もつて癒えぬ傷あと春愁ふ
北里信子
◇寒椿(かんつばき)【 冬・植物 】
数多ある心の傷や春愁ふ
橋本喜代志
高橋紘子
確かめてなぞる傷跡春愁ふ
蓐傷の癒へぬまま逝く寒椿
◇返り花(かえりばな)【 冬・植物 】
首藤加代
恋猫やひねもす舐める傷の痕
大塚そうび
山本枡一
今もなほ癒へざる夏の恋の傷
荒木輝二
北里千寿恵
カラフルな擦り傷テープ夏めける
傷負ひし恋猫われを疎み去る
恋猫のやつれて傷をなめてをり 篠﨑代士子
鼻 面 の 傷 は 勲 章 恋 の 猫
春 愁 や 心 の 傷 は 消 し が た く 水野すみこ
傷 口 を 舐 め て 勝 利 の 恋 の 猫 笠村昌代
春 愁 や 心 の 傷 は 秘 め し ま ま 北里典子
宮崎チク
古 傷 も 今 は 懐 か し 返 り 花 中嶋美知子
◇大根(だいこん)【 冬・植物 】
大根の傷を切り捨て一夜漬
◇正月(しょうがつ)【 新年・人事 】
正 月 は 母 手 作 り の 水 羊 羹 橋本やち
◇歌留多(かるた)【 新年・人事 】
おもむろに猫が横切る歌留多会 神永洋子
◇初観音(はつかんのん)【 新年・人事 】
一 坂 に 息 を 切 ら し て 初 観 音 下城たず
指 の 傷 見 せ て 甘 へ る 子 供 の 日 水野幸子
― 46 ―
大平青葉
泣き虫のぶらんこ傷よ飛んでいけ
平田節子
消しゴムで消せぬ傷心炬燵塞ぐ 佐藤一歩
癒えぬ傷持ちたるままや春遅々と
勝浦敏幸
河野智子
溝部美和子
古 傷 や 皺 と 紛 れ て 花 薊 藤井隼子
傷ついてなんかないわと土筆摘む
薫風や親の認むる向かふ傷
山口慶子
茶葉を炒る祖母の指先傷のあと
机の傷卒業の子の撫でてゆく
武末和子
傷 口 を 広 げ て し ま ふ 四 月 馬 鹿 阿部王一
片膝にすり傷ちらと一年生
傷つくも踏んばつてみよ新社員 松嶋民子
貞永あけみ
掠 り 傷 一 つ 負 は ず や 花 海 棠 堀内夢子
無意識に傷を擦りし薄暑かな
柴田芙美子
蘖 や 日 に 日 に 癒 へ る 顔 の 傷 髙松くみ
佐渡節子
抱へ拭く柱の傷や若葉冷
麦秋の傷心ジェットコースター 川さち子
滑り来て腕に切り傷草取り女
阿部鴫尾
草抜くや傷心と向き合うてをり 小野啓々
花冷えや術後の傷を語る夜
薫 風 に 心 の 傷 を み す か さ れ 布田尚子
市川和子
光山治代
古傷を受け入れてこそ五月晴れ 御沓加壽
短夜や傷のB面コンツェルト
入学や柱の傷もなつかしき
津田緋紗子
傷も尊し龍門石窟夏日影
足 の 傷 自 慢 す る 奴 山 笑 ふ 冨岡賢一
点ほどの傷に包帯一年生
首藤加代
山田洋子
傷抱へ生き抜く覚悟青き踏む
― 47 ―
更衣隠せし傷を見られたる
古 傷 の 囁 き 聞 こ ゆ 梅 雨 近 し 住田至茶
遠き日の傷跡痛む冬の雨
福 島 の 深 き 傷 跡 春 遠 し
佐藤テル子
宮川洋子
指 先 の 小 さ き 傷 も 春 を 待 つ 中村沙佳
初 恋 の 傷 ほ ろ に が し 木 の 葉 髪 錦織正子
五十嵐千恵子
洗ひ張り母の帷子かく傷み
女 同 志 傷 見 せ 合 う て 避 寒 宿 川西ふさえ
穴井梨影女
擦り傷は勲章なりし日焼けの子 阿部王一
宮崎チク
高橋紘子
蓐傷の癒へぬまま逝く寒椿
蟻
大根の傷を切り捨て一夜漬
本田
佐竹白吟
◇メモ
擦り傷に赤チンをぬりひと泳ぎ
傷心の膝を抱へて端居かな
市川和子
古 傷 も 今 は 懐 か し 返 り 花 中嶋美知子
傷の指かばひて剪りし白薔薇
長閑なりしと一日のメモ読み返す
お 転 婆 の 頃 の 古 傷 ア ッ パ ッ パ 田みゆき
鉄 線 や 時 に 傷 つ く 言 の 葉 も 西川青女
石渡 清
春うらら一言のメモ置かれをり 中村沙佳
春うららちらしの裏はメモ紙に
武田東洋子
矢下丁夫
ぼうたんの傷みを知らで散り尽くす
菜園の傷ありトマト愛ほしく
春 う ら ら 心 の 隅 に メ モ ふ や し 笠村昌代
永福倫子
竹 の 子 の 一 つ に 鍬 の 傷 の あ り 濱 佳苑
孫迎ふ支度のメモや春うらら
佐渡節子
膝 の 傷 堪 へ て ゴ ー ル 運 動 会 御沓加壽
― 48 ―
友人にメモ魔電話魔うららけし 平田節子
新社員一所懸命メモを取る
山岡英明
花 の 名 を メ モ す る 媼 利 久 の 忌 富岡いつ子
笹原景林
次々と野焼情報メモ帳に
佐藤年緒
父も吾もメモ魔手帳を虫干しす
風入れの幽霊にメモ見られけり 田みゆき
御沓加壽
メモとるも五限の日ざし目借時 山田洋子
お帰りとメモを残して春の昼
荒木輝二
春風に誘われました とメモ残し
山本枡一
穴井梨影女
布田尚子
メモを取るカリスマシェフの夏レシピ
あちこちにメモのありしも夏夕べ
雛おさめ母の墨字のメモ古りぬ
献 立 の メ モ の 手 ず れ や 雛 料 理 敷波澄衣
「
」
春一番宅配便はメモ残し
佐々木紀昭
暖かやメモ帳を手に畦に座す
メ モ 用 紙 奪 つ て ゆ き し 春 疾 風 杉本美寿津
河津昭子
薫 風 や メ モ 書 ほ ど の 子 の 便 り 水野幸子
小野柳絮
薄氷の消ゆるがごとしメモ失せて
加藤和子
篠﨑代士子
和多哲子
野遊びのメモ帳いつもポケットに
七色のメモ用紙貼る新学期
メモするもそのメモ無くす四月馬鹿
亡き母のひらかなのメモ余花の雨
倉田洋子
新 入 生 待 つ 校 内 の メ モ 掲 示 佐藤一歩
― 49 ―
市川和子
落合青花
留 守 宅 へ メ モ の 押 さ へ に 蝸 牛 川さち子
メモ帳に祭の用意こまごまと
頼まれしメモに書き足す麦酒哉
このメモで祭の手筈目処立ちし
扉にはレシピのメモの冷蔵庫
掌にメモして去れりゆかたの子
佐藤テル子
住田至茶
宮本陸奥海
高橋敏惠
津田緋紗子
伝言のメモの重しに柏餅 濱
誘はれて花見に行くとメモを置く
卓上のメモを押さえる青りんご
蟻
柴田芙美子
メ モ 帳 の 母 の 忌 日 や 額 の 花 本田
五十嵐千恵子
メモ添へてカーネーションの束届く
メモ帳の買物リストさくらんぼ 阿部王一
母のメモやたらにふへし五月闇 松村勝美
堀内夢子
佳苑
一行のメモに癒され春灯
橋本やち
植木市とてポケットにメモ帳を 杉野正依
名店を懐紙にメモし木の芽和
山口慶子
宮川洋子
飯野亜矢子
かすみ草メモ魔を名のる米寿翁
メモにある時間確かむみどりの夜
春耕の朝読み返す父のメモ
メモ書いてそのメモ探す木瓜の花
つぶやきも書き込むメモや夏来る
小野京子
メ モ を 読 む 少 年 夏 に 終 り 告 げ 貞永あけみ
メモ好きの父の日誌や喜雨休み 佐々木素風
佐藤白塵
ことづけをメモに託して夏休み 光山治代
心太遺句メモ父の字はまろし
― 50 ―
佐藤裕能
川奈はる絵
手書きメモ添へて母より枇杷届く
教へ子に草花のメモ遺し逝く
テーブルに夫へメモ書きおでん鍋
水野すみこ
― 51 ―
石塚未知の俳句紀行
山開き
春昼の抱けば赤子の毬のごと
春障子開け放すことためらひて
穏やかな日々水羊羹心地良し
サイダーの泡立つことに子の燥ぐ
山開き 女 ばかりの声響く
山 開 き 稜 線 長 き 浅 間 山
やませ吹く能登の段々畑青む
俳句との係わり方
俳句に出合って三十年経った。俳句を通じて本当
に多くの人との出会いがあった。就学前の末娘を連
れての吟行会、寺院の本堂を借りての句会や、夏の
夜、宿の庭先での月明かりを頼りの句会…数え切れ
ない程の楽しい思い出を得た。
ところが、いつまでも続くと思われた会が怪しい
雲行き、五年前のことである。途方にくれていた時、
我が市に、俳句連盟が立ち上がることを知る。
今では、連盟を核に、いくつもの俳句勉強会が立
ち上がり、市の後援により、俳句大会を開催すると
ほど、俳句の盛んな市になりつつある。
そして、解散になってしまった結社の有志が集ま
り、新たな会の出発となった。嬉しい限りである。
今では、少人数ながらも定例句会も復活して、以
前にも増す交流となっている。来月は、その会の年
一階の吟行旅行である。主宰も置かずに、皆平等の
勉強会は、それはそれで違った刺激と楽しさもあり、
思わぬ句を授かるものと思える。少し気楽になって
いると思いつつも、そのような俳句の楽しみ方も良
しと思う昨今である。
― 52 ―
石渡 清の俳句紀行
矢車
矢 車 や 命 の 限 り 嬰 は 泣 け
サイダーや我ら少年探偵団
邯 鄲 の 枕 辺 に 置 く 水 羊 羹
ぼうたんの傷みを知らで散り尽くす
てのひ らや武器を捨て よと閑古鳥
雲を抱き雲に抱かれ山開き
かわほりの子は愛らしとメモをとる
相聞・花
蕪村
花は普通名詞であり抽象名詞である。花言葉はい
ざ知らず、実体と想念と言い換えることもできよう
か。
牡丹散て打ち重なりぬ二三片
この句に出会ったのは中学或いは高校の国語の教
科書ではなかったかと思う。打ち重なり「ぬ」の現
在完了形が句の生命で、古文を碌に解さない青二才
にも「ぬ」の魔は衝撃であった。「し」であれば凡
百の一つに数えられるのだろう。
庭前のものか床の間に活けられているのか、夜か
昼か、緋か白か、組み合わせは自在で想像は膨らむ。
好みの情景は活けられた緋牡丹で夜である。散り始
めた二三片の量感、そして視線を徐々に一尺程上げ
てみれば、そこには今しも崩れ落ちなんとして、辛
うじて像を留める牡丹の繚乱。頽廃の寸前にある豪
奢を見事に隠しおおせて、現前させた。
― 53 ―
市川和子の俳句紀行
傷のB面
かぎろへる言葉のやうな貝拾ふ
名店を懐紙にメモし木の芽和
サイダーの喉かけ抜けてゆく厨
青嵐ひとりの部屋や指の傷
傷の指かばひて剪りし白薔薇
山若葉も一つ越えて棚田へと
短夜や傷のB面コンツェルト
傷のB面
六十年以上も前の事である。夫と二人で初めて求
めたLPレコード。給料が二万五千円位の頃、なん
と一枚五千円のレコードを買ってしまった。メンデ
ルスゾーン、チャイコフスキーのバイオリンコンツ
ェルト。後悔と不安に苛まれながら、二人で夜道を
帰ってことが懐かしい。
それからは、毎日毎日、家事をしながら、一枚限
りのLPを聴き続けた。或る日、レコード針を下ろ
そうとした時、玄関にお客がきたのに気づいた。
「あっと」、針を下ろし損ね、レコード盤に傷をつ
けてしまった。その後、傷のところに来ると、ぴっ
と音が飛ぶのである。音楽会で何度もこの曲を聴く
のであるが、始まって二、三分の傷の箇所が過ぎな
いと、落ち着いて楽しめない。メンデルスゾーンの
この曲の何人もの演奏者のレコードを求めたが、や
はり一枚目のフランチェスカッテイの傷ついたもの
になってしまう。
私のために初めて買い物を譲ってくれた夫が、実
はバッハのブランデルブルグ協奏曲がほしかったの
だと、後に話していた。その夫の十三回忌も今年済
ませた。傷のついたレコードを久しぶりに聴いてみ
ることにしよう。
― 54 ―
上田雅子の俳句紀行
風の音
永き日やひとりの昼餉調へて
頬刺や海辺にありし母の里
からからと矢車の音風の音
矢車や心やさしき男の子たれ
サイダーの泡の弾けて夜店かな
スプーンも添えて供へん水羊羹
よく冷えて 角もキリリと水羊羹
山開き 祈り の 先に神 在す
寝室
我が家の寝室は北側にある。南側にリビングルー
ムと和室という間取りだ。これが冬は困る、とにか
く寝室が寒い。
そこで冬の間は南の和室に布団をひいて寝ている。
畳に布団というのも落ち着くし、障子ごしに朝の光
を感じるのも気に入っている。
だが困ったことに、南側に物がだんだん増えてく
るのである。着替えやら、化粧道具、本、CD…、
すなわち、生活が南側に移動しているということら
しい。
そして今日この頃、お彼岸も過ぎ桜も開花したこ
とだしと、寝室北側移動作戦を実行する。まず北側
のベッドの上に重なっている物をタンスやらクロー
ゼットに片づけ、和室に進出していた本やCDなど
もそれぞれの場所に収める。掃除機をかけ、ふかふ
かに干した掛け布団をベッドにセットする。
春の一日よく働いて、すっきりとしたリビングル
ームで『少年』の原稿も仕上がり、今夜は枕を高く
して眠るぞ~。(北側で!)
― 55 ―
梅島くにをの俳句紀行
俳誌の名の山
髪刈るや話題うららとメモに取り
髪刈るや矢車の音狭庭より
サイダーの泡立つ絵とてむづかしき
稿継ぐや水羊羹の二つ目も
山開き曽てこの名の俳誌あり
世話続けたる若き日の山車のこと
子 供 の 日 孫 の 背 丈 の 柱 傷
医王山の山開き体験
父に付いてよく探石行に出かけた。
旧隣町と石川県との境に「医王山」がある。標高
は、その町の郵便番号と全く同じで、九三九・一六
メートルなのだ。昔、佐々成政が金の延べ棒を埋め
た伝説に、父の食指が動き、友人三人と探検に行っ
た。方位磁石が四人共バラバラだった。遺されたア
ルバムには、町から救援隊が出、助かったと、その
時の写真と記事が貼られている。
昭和三十年頃、その町に、俳誌「医王」が創刊さ
れた。選者は、皆吉爽雨先生であった。
その頃に、山開きに同行した。梯子坂、三蛇ケ滝、
鳶岩、大沼をまわった。
岩がゴロゴロとしていた梯子坂を横這いしていた
時、柱状節理の一本の岩を拾った。
前腕部ほどの石をナップサックに入れて下山した。
梯子坂では足が笑った。痩せた背中が痛かった。
そんな一本の岩石は、拡大鏡で見ると、多様な色
がこまかく混ざっている。大岩は火山だったそうで、
赤、青、黄などの石も山中で掘ったと聞いた。
今は、玄関脇で、他の小石と寝そべっている。
― 56 ―
永福倫子の俳句紀行
傷
寒 晴 や 灘 一 望 の 番 所 跡
潮 騒 は 海 の 喝 采 水 仙 花
春うららちらしの裏はメモ紙に
春惜しむ子らの机の疵撫でて
目 の上 の 傷は 勲章恋の猫
お遣ひの三ツ矢サイダー昭和かな
殉 教 の 島 の 教 会 矢 車 草
野母崎
一月下旬、冬晴れの野母崎へ、水仙を見に行った。
九州本土最西南端の長崎半島(野母半島)の先端
部に位置する野母崎は、気候が温暖で、景観、海、
自然、古刹等に恵まれた観光スポットでもある。
市内よりバスで五十分。その間、右の車窓からは
長崎港、造船所、伊王島、高島、端島(軍艦島)…
が見えてくる。青い海が広がり、少しも退屈しない。
バスを降りると、公園周辺の丘には、千万本の水
仙が咲き乱れ、芳香を放っていた。軍艦島が間近に
くっきりと見え、鳶や鴎が飛び交い、樹叢では、目
白の大群にも出会った。
一時間程散策後、五キロ離れた半島最先端の権現
山展望公園へ足をのばした。ここは標高一九八メー
トル、鎖国体制の江戸時代には遠見番所があったと
ころ。当時、異国船を発見すると烽火をあげて、次
々に番所に知らせ、長崎奉行所へ報告していたとい
う。それ故、山頂からは五島灘、東シナ海、天草灘
…と、雄大な眺望を楽しむ事ができた。
一万本の藪椿が自生する椿の名所でもあり、チラ
ホラ咲き始めていた。岬巡りに絶好の日和であった。
― 57 ―
榎並万里の俳句紀行
小さめのおにぎり
手を休め廻る矢車仰ぎ見る
鼻先に薫風受けて傷癒やす
小さめのおにぎり背負ひ 山開き
懐かしき友と登りし山開き
新緑の湖岸遙かにオール漕ぐ
透きとほるサイダーの泡砂に消ゆ
ぷるるんと水羊羹を笹に盛る
うみ
湖 開き
うみ
毎年、四月下旬になると故郷の諏訪湖では観光シ
ーズンの募開けとなる諏訪湖開きが開催される。
ボート部に入っていた高校生の私は、諏訪湖周遊
のレースに参加していた。およそ七キロの距離を休
みなく、漕ぎ続けるには、体力もさることながら、
根気がないとできないレースである。
普段の練習でも一人漕ぎのシングルスカルに乗っ
ていた私は、飽きてきてしまった時、観光船である
白鳥丸や親子ガメの竜宮丸と追いかけごっこをした
り、母校の先輩がつくった琵琶湖周航の歌を口ずさ
んでいた。
♪我は 湖 の子さすらいの~
旅にしあればしみじみと~♪
三十年たって、今は出張の多い仕事に就き、港に
関係する各地を旅していると、一人で諏訪の湖をさ
すらっていたことを思い出す。オールを漕ぐ手をと
めて、ぼんやりと風に流されるまま、水上から遠く
の山々を眺めていたものだった。
ボート競技は楽しい一方で水難事故の危険も大き
い。母は諏訪湖に流れ込む川の岸に鎮座するお水神
様に、のん気でぼんやりしている娘の無事を祈って
手をあわせていた。
― 58 ―
江西淑江の俳句紀行
春泥
あたたかやディサービスに寸劇す
春泥をつけて優勝カップ受く
帰りこぬ愛馬の碑あり山開き
サイダーや丘のホテルの白き椅子
空 真 青 矢 車 の 鳴 る 港 町
今日も無事水羊羹をいただきぬ
やませ吹く山懐のアイヌ村
ミニディサービス
平成十一年四月、ヘルパー二級の資格を取得した。
JAの福祉課がヘルパーの養成をするため講習会を
始めたので、私も受講し二級の資格を得た。それか
らは週に何回か利用者の家を訪問し、家事援助や身
体介護などの仕事をしていた。
その後、JAの音頭取りもあり、平成十六年四月
から岡崎に六ヶ所のミニディサービスを始める事と
なった。はじめははどれだけの利用者の方々が来て
下さるか心配だったが、だんだん口こみで人が集ま
るようになってきた。今では各地で行う月一回のミ
ニディサービスを楽しみにして下さるようになった。
ミニディサービスを始めて十年が過ぎ、始めた頃
に来て下さっていた方々の大半は病気になったり、
介護施設へ入所したり、亡くなったりして来て下さ
らなくなった。
しかし又別の人達が来て下さり今も賑やかに続い
ている。ミニディサービスの一日は午前十時に始ま
り、午後一時に終わる短いものである。おやつと昼
食を出して五百円いただいている。春は芸能祭、秋
は運動会をして二百名近い利用者が一堂に集まりと
ても楽しく賑やかな一日を過ごしている。
― 59 ―
大塚そうびの俳句紀行
サイダー
傷負ひし恋猫われを疎み去る
矢車のからから笑ふ児も笑ふ
御裾分けしたくなるよな水羊羹
サイダーを飲み干す力喉仏
山開き鎮まりし山仰ぎみる
農継ぐ子山背吹くなと空仰ぐ
メモ帖に推敲重ね梅雨湿り
古いコート
まだまだ寒い日が続く。クローゼットの中を探り
ながら、ひと冬全く出番無く終るコートもある中、
このコートにはつい手が伸びるのだ。その日のTP
Oまた気分にもよるのだが!
四十年も前、今は『少年』の誌友ともなられた福
岡の川西ふさえさんと、初めてのヨーロッパ旅行を
楽しむために誂えたコート。当時二人で通っていた
洋装店の先生が二人の個性の違いを良くご存知で、
それぞれに似合いのコートを仕立てて下さったのだ。
布地も良く、仕立ても良い、そのコートは未だに色
褪せる事なく当時のまま、私のワードロープの一着
となっている。
思えば初めて上京したのも、川西さんと一緒であ
った。銀座を闊歩しながら、私達「東京の人ごとあ
るネ」と博多弁で言った川西さんの弾んだ声を今も
鮮明に覚えている。
今では、博多と東京と離れて暮す二人だが、時折、
電話でおしゃべりを楽しむ。話題は、ほとんど俳句
の話になるのだが、「互いにいままでも元気にいま
しょうネ」で締め括るのである。
― 60 ―
大平青葉の俳句紀行
サイダー
サイダー押す推して知りたき恋心
やませとは三陸造り活かすもの
水羊羹座布団予備を重ねてる
矢車や 旧道に沿ふ城下 町
ドソミソとアネモネが咲くドソミソと
泣き虫のぶらんこ傷よ飛んでいけ
吹き流し縒れてじきわが色となる
やませ
北国気性や南国気性があれば、風に影響される気
性というものもありそうである。ならば、「やま
せ」に影響される気性とは何だろうか。
「しゃあねえ」とは、「仕方がない」ということ
であり、諦めることを意味しているようだが、こう
いう口癖が気候の影響を受けたものだと仮定すれば、
必ずしも諦めの意味だけではないと思うのである。
「やませ」は容赦なく冷たく厳しいものだから、諦
めるという言葉だけでは立ち向かえない。避けられ
ないものであって、そこで生活をする人は受け止め
るしかない。その結果が「しゃあねえ」であるなら、
それを言ってからの方が、そこに住む人は強くいら
れるのではないだろうか。ある意味自分を奮い立た
せる魔法のような前向きなものさえ感じるのである。
「やませ」の影響を受けた三陸の特産物を買い求
めてくれる人がいる。また、その影響を受けた方達
の心に育まれている特別なもの。それを信じて待っ
ている人が世界中にいる。まだまだ厳しい三陸の復
興を願っている。
風はどこから吹いて、どこまで吹き渡っていくの
だろうか。見えないそれはどう人に影響を与えてい
るのだろうか。
― 61 ―
奥土居淑子の俳句紀行
とんび
ふるさとや岬の果ての水仙花
春うららメモ読むことを忘れたる
春の庭いつもの鳶の上空に
ためらひつ文認めり春の塵
おちょぼ口してサイダーを飲む翁
水羊羹母にかなはぬことばかり
矢車やきかん気強き次男坊
雨あがり
昨日、たっぷりと大地を潤して降った。
庭隅の柚の根元に、貝母がひと群れ、か細い茎に
薄緑の花をつけ、風に揺れている。風か鳥が運んで
きてくれた花だ。数年前から作陽になった。
庭いじりが得手でない主をいいことに、こっそり
根づき、花壇の端で不釣り合いに大きな顔をしてい
るのは棕櫚だ。西窓の下の金糸梅も、いつの間にか、
わが庭の住人となり、株を殖やしている。
近所の方から分けていただいた夕菅が、三箇所で
小さな群れを作り、芽を出した。やがて初夏には、
細いが丈高く強靱な茎に、レモン色の花をつけるだ
ろう。そして、わずかな風にも揺れるその風情は、
庭の夕景を、一挙に、ノスタルジックにするだろう。
株も増えず、あわや絶滅かと気を揉ませた白雪芥
子は、黄楊の傍らで生きていた。黄色の蕊の真っ白
な四弁の花。小さくひっそりとしている。出会うた
びに、はっと胸を突かれる。凛とした美しさだ。
牡丹も確かな赤い芽をつけた。芍薬もチューリッ
プもムスリカも健在。世話を怠る主を尻目に、草木
は健気に四季を刻み、春を迎えている。
― 62 ―
落合青花の俳句紀行
てるてる坊主
言葉にて傷つくことも春愁ひ
一 行 の メ モ に 癒 さ れ 春 灯
サイダーのシュワーチウルトラマンの声
水羊羹銀のスプーン銀の皿
軽やかに矢車風を受けて立つ
山小屋のてるてる坊主山開き
山 背 風 覚 悟 の 農 を 生 業 と
お土産の土筆
実家へ里帰りをしていた嫁の美和さん、お土産だ
と言って、レジ袋一杯の土筆をもって来てくれた。
息子達が結婚する時の約束として、月一度の里帰り
を許してくれる事、その時、息子は息子の実家であ
る我が家で食事をさせてもらえる事等の決め事を作
っていたようである。
六年が過ぎた今も、その約束は守られているよう
で、毎月二泊三日の里帰りは続けている。その都度、
息子は我が家で夕食をとり、一人アパートへ帰って
行く。すっかり定まった行事となっている。
そのお陰と言うか、彼女の里帰りの度に、色々な
物がお土産として、我が家に届けられるのだが、今
回はこの土筆がメイン。近頃この辺ででは見られな
くなった物。春になると、土筆が恋しくなると話を
していた事を彼女が覚えていてくれたようである。
彼女の実家は伊万里の山里にある。
「この土筆、どこまで採りに行ったの?」「実家
の周りに沢山あるのですよ。誰も採る人がいないん
で、こんなに伸びたのが、うじゃうじゃ」、「わ
ぁ! 見てみたい。私も摘んでみたいわ!」と。土
筆を囲んで、私と嫁の話は続く。
― 63 ―
小野京子の俳句紀行
ときめき
春月や文箱の母のおぼえがき
また風の歌聞いてゐる犬ふぐり
つぶやきも書き込むメモや夏来る
靴の紐 結び 直して 山開き
スイートピー花束にして会ひにゆく
ときめきの日やサイダーの泡白し
矢車が真つ青な空呼び戻す
長浜小 五年生の作品
まどの外春のお花がせいぞろい
坂なのにまっすぐピンと立つつくし
さくらの木何を見ながら花さかす
なの花のにおいがさそう川の土手
グランドで桜の花がおどってる
基矢
葵
歩
健太
凛果
裕子
一史
悠平
こころ
幹太
きらめき
明野東小五年生の作品
青い空まどから見ている春の雲
帰り道さくらの上を歩いてる
モクレンは白い花びらちらす花
わらびとり一本二本三本目
たんぽぽが一人ぼっちでゆれている
十分間の戸外観察、その後の十分間という限られ
た時間の中で、子ども達は語りたいことをまとめる
ことばにしていく。迷いながら読み返し、作り直し
ていくその過程を共有できる幸せをかみしめている。
「なの花が風と一緒にゆれている」→「なの花が
ゆらりゆらりとゆれている」→「なの花が風のこと
ばを伝えてる」。心愛さんの作品の完成だ。
― 64 ―
小野啓々の俳句紀行
遠来の客
山開き大渋滞となりにけり
朱の鳥居塗り直したる山開き
遠来の客へひとまずサイダーを
風通る 座敷に 集ひ 水 羊 羹
矢 車の放 つ陽 四方 八方に
切り傷のすぐに乾きし聖五月
草抜くや傷心と向き合うてをり
片付け
古家の片づけを始めた。懐かしいものが出て来る。
土建屋時代の会社の角印、製麺業時代の釣銭箱。土
建屋は保証人になったせいで倒産したと聞いている。
妹に電話し、見に来るように言う。二人して懐か
しんだ後捨てるのである。なくなったと思っていた
母のアルバム、これは捨て難くまだ手元にある。母
が晩年励んでいた手編み。毛糸が沢山出てきた。毛
糸の中には私が編みかけてそのままになってしまっ
たもの、出産祝いに頂いたもの。これは近所のデイ
ケアの通所者の編み物に使ってもらうことになった。
あれ見ろ、これ見ろと連絡を受ける妹からは「着
々と片付いてるようですね。そんなに早く片付けな
くても」とメールが入る。「大丈夫、私自身の片づ
けは随分先の予定です」と返事しておいた。
母のメモも出てきた。入院中の祖父を見舞ったと
きのもので祖父の歌が書かれていた。昭和四十五年
○月○日と書かれており、入院中の祖父の心境の分
かる歌で、これを残しておいた母の気持ちを思うと
涙がこぼれそうであった。
このメモをそっくり写しパソコンに保存したのに
行方不明になった。検索しても出てこない。妙なタ
イトルでもつけたのであろう。
― 65 ―
小野柳絮の俳句紀行
やませ吹く
薄氷の消ゆるがごとしメモ失せて
己 が 傷 懸 命 に 舐 め 恋 の 猫
天 空 へ 幣 を 払 ひ て 山 開 き
サイダーや子らくくくくと笑ひ合ふ
矢 車 や 峡 の 光 を 一 点 に
客人へ出を待つてゐる水羊羹
やませ吹くみちのくに古る仏たち
四十雀
去年の三月末、四十雀が二羽庭の木の間をあちこ
ち飛ぶのに気づいたが、巣作りの様子は見られなか
った。
四月中旬、庭先をすっと横切る影をよく目にする
ようになり、不思議に思っていた。狭い庭にはせせ
こましく色々な木を植えている。椿の木の下には、
空の蘭鉢が伏せておかれていた。底穴は三糎弱。こ
の穴からの出入りは無理だろうと思ったが、鉢を持
ち上げてみて驚いた。薄緑色のふわふわした苔で出
来た巣があり、卵が三つ乗っている。秘密を覗いて
しまったようで慌てて鉢を元にもどした。
五月になり四、五日留守にしたので気にしながら
家に帰ると、四十雀がしきりに餌運びをしている。
生まれたのだ。いよいよ巣立ちの日が待たれる。
それははじめて見る情景だった。まず、椋鳥が芝
生に、雀が六羽、仲間の四十雀、最近見掛けなかっ
た山雀,山鳩も番いでやってきて、小枝やフェンス
の上から皆一斉に鳴くのだ。
一瞬にして小鳥の大合唱、巣立ちを促している。
雛はあの小さな穴を一気に抜けて飛び立てるのか。
鳥の世界に紛れ込んでわたしも一緒に応援していた。
― 66 ―
勝浦敏幸の俳句紀行
向かふ傷
サイダーの弾くる音や星の声
あくまでも御茶は温めを水羊羹
稜 線 に 友 の 面 影 山 開 き
矢車 の光と 風 を 混ずる 音
薫風や親の認むる向かふ傷
河越城の出来た頃
(
)
(
)
さてメモは何処にあるやら五月闇
農夫とて防ぐ策なしやませ来る
埼玉大学名誉教授山野清次郎氏の話を伺う機会が
あり、川越のかつての姿に想いを馳せた。
太田道真・道灌父子が築いた河越城は、武蔵野台
地東北端の平山城とされる。しかし、教授は、その
完成当時 一四五七年 の地形からして、いわば水に
浮く山城として築城されたのではないかと示唆する。
現在の川越の町の中に川があった。それが大地の
先端を分断し、島のような処に城を築いたのだと。
その川は松江町のうなぎ屋小川藤脇の大正ロマン通
りにつながる路地に沿ってあったのではないかと、
教授は推察する。久保町の地形も南北に高い坂があ
り、川のようである。久保町の浮嶋神社もその名の
とおりだったのだろう。
城の南は遊女川 よながわ の湿地帯であったとの
記述や上松江町の説明で昔、仙波下へかけて大沼が
あり、漁人が多く住んでいたとある。また「志義
町」は、シギが棲んでいたことを窺わせる。
まして河越城の築かれた当時は水位は相当高かっ
たはず、ちょっとした段差地には今は無き川の源泉
として清水が滾々と湧いていたのだろう。
― 67 ―
笠村昌代の俳句紀行
乾杯
春うらら心の隅にメモふやし
傷口を舐めて勝利の恋の猫
遠矢車日は燦々と惜しみなく
水羊羹茶席の味をひきたてる
サイダーの弾けてあふれ乾杯す
些事大事神に祈りて山開き
日の匂ひ土の匂ひや山瀬風
春うらら
春の陽気に誘われて、春物のショッピングに出か
ける。冴えかえり冴えかえりつつ、やってきた春。
「春霞」と思っていたあの朧な情景も、ゴビ砂漠
から吹いてくる風だとか。いやそうではない、PM
2・5が中国から偏西風にのって大気汚染を運んで
くるのだ、そう聞かされて以来、家に龍もる日々が
続き、悩ましい気持ちでいた。
今日は、思いがけぬ桜の匂う青空に、桜を見上げ
ながら、博多の街へ歩をのばす。暫くぶりの春のそ
ぞろ歩きに、刻の過ぎることも忘れてしまっている。
最近、持てなかった自分の時間が、一気に解消す
る思いだ。楽しみにしていた丸善書店を散策しなが
ら、「おやっ」と足を止めた。「瀬戸内寂聴」の著
書がずらりと並んでいる中から、一冊を抜き取る。
「死に支度」人ごとではないと、この本に魅かされ
て、買うことにした。
私より十歳年上の寂聴さんが、どのようなことを
考えて死に支度をしているのだろう。
― 68 ―
加藤和子の俳句紀行
四月馬鹿
腕 白 に 育 ち 矢 車 よ く 回 る
夕風の吹き矢車の回り出し
山開き待つ温泉を楽しみに
サイダーや父母のこと想ひ出す
メモするもそのメモ無くす四月馬鹿
寺 町 の 水 羊 羹 に 憩 ふ な り
余震なほ続くみちのくやませ吹く
余震
東日本大震災は四年目を迎えた。
テレビで見る限りではあるが、原発事故はなかな
か出口が見えないようだし、復興もその被災地被災
地で進み具合がさまざまである。故郷に帰りたくと
も帰れないという事情もあり、計り知れない苦しみ
を抱えている。
自分に置き換えてみると、耐えられない日常である。
又一方で、再建に向かって努力している方々もい
て、人間の底力に胸を打たれる。これから何年かか
るのか予想だにつかないが、我々は風化させないよ
う、願うのみである。
私は、昭和三十九年に、新潟大地震に遭遇してい
る。六月自由六日午後一時二分であった。立ってお
れないような強震で、マグニチュード七・七であっ
た。石油のタンクに火が燃え移り、真っ黒な煙と炎
が空に膨れ上がり、不気味であった。道路は水が噴
き出で川のようになり、家の畳の上まで浸水した。
水道、電気、ガスも止まり、七輪で煮炊きしたこと
や、井戸のあるお宅に水をもらいに行列したこと等
々、思い出される。
やがて自衛隊が来てくれ、家々の前に積まれたゴ
ミの山を運び出してくれた。感謝、感謝である。
― 69 ―
神永洋子の俳句紀行
洗濯日
春の旅豚の顔売るお店など
山 開 き 待 つ 体 調 を 整 へ て
矢車のよく回る日は洗濯日
水羊羹つるりと舌を滑らせて
山背吹き今年の稲は如何なる
秋の風知らぬふりする腕の傷
おもむろに猫が横切る歌留多会
傷だらけの女
私はおっちょこちょいなのだろうか、よく怪我を
する。新しい包丁や研ぎたての包丁を使うと決まっ
て二回位切り傷を作る。
何年前だったろうか。仙台市郊外の秋保温泉で右
踝を骨折し、白神山地のトレッキングでは豪雨の後
の石だらけの下り坂で何度も転んで、膝の靭帯を断
裂したことがある。
又或る時は、駅の階段で転んで怪我をし、救急車
で病院に運ばれた事もあった。この時は、左足を十
針縫った。右足は傷口は小さいが、傷が深くて内出
血が酷くて足が丸太ん棒のようになり、傷口に詰め
たガーゼが動くので酷く痛んで歩けず、徒歩十分ほ
どの病院にタクシーで通った。毎日ガーゼを抜いた
足をしごいて血を抜き、ガーゼを詰める日が続いた。
さらに或る時は、腕に大きな痣があるのに気づい
たがそれが何時の日の事か原因も分からずにいたが、
完治する頃になって、ああ、あの時に木製の重いハ
ンガーが落ちて腕に当たったなあ~と思い出した。
他にもお腹にメスが三回も入っているし、満身創
痍の身である。
― 70 ―
川西ふさえの俳句紀行
矢車
サイダーの泡や浅瀬の水の音
水羊羹きりりと冷えしガラス皿
水 羊 羹抹 茶は 青き 色 の泡
矢車の矢の射す彼方陽は沈む
矢車やからりと鳴りて止りたり
袖にたく名残りの香や芹の水
女同志傷見せ合うて避寒宿
もんこうえん
聞香筵
香道の世界では、「組香」という競技形式の席が
ある。香元は、連衆と呼ばれる参加者に、幾種類か
の香を組み合わせて出題する。
筒型の小振りの聞香炉には灰の山が美しく整えら
れ、内部には小さな炭団が埋め込まれている。炭火
の直接の熱からの隔てとして、銀葉という薄い雲母
の板を置き、その上に香木が載せられる。やわらか
な熱で温められた香木からは芳香が立ち昇り、その
微妙で繊細な香りを逃がさぬ様に、手のひらで香炉
を覆いながら聞く。
香りと共に季節、文学、故事等を鑑賞しながら、
香木の種類を聞き分け、答をしたためるのであるが、
その時の様式によって、和歌や俳句を作ったりする
こともある。
執筆者が記した記録紙は、その日の最高得点者に
贈られる。
香満ちて、一同いとまを告げると、香元は「今日
の名残りに」と一包みの香を差し出し、正客はその
中の一片を香炉に入れて、袖の中でたき、次客にと
廻す。香りは袖にたき込められ、香筵の感動と余韻
を残して漂うのである。
― 71 ―
河津昭子の俳句紀行
寒参り
植木市始まり春の動き出す
暖かやメモ帳を手に畦に座す
矢 車 を 見 上 げ 輝 く 児 の 瞳
お祓ひや阿蘇も九重も山開き
腕白の子らサイダーを一息に
透 明 の 器 に 自 慢 の 水 羊 羹
鐘一打祈願二打なる寒参り
ジャガイモ植え
家のすぐ脇に二畝ばかりの菜園をつくり、自分な
りに作物の場所を移動させながら畑仕事を楽しんで
いる。
先ず、ジャガイモ植えから始める春畑。今年は
「北あかり」という品種に決めた。芽が赤味を帯び
ていて、ほくほくして味も良い。
春に三日の日和無しの諺通り、三月に入り、雨ば
かり、ジャガイモの植え付けもできない
朝から一日中快晴。気温も一気に上昇し、小国も
二十度を越す陽気となった。風もなく、マルチ張り
もスムーズに進んだ。畝と畝の間には雑草対策とし
て、木の葉や藁等も入れた。
年と共に無理がきかず、畑仕事も半日位と決めて
いる。好天に恵まれ、時折、鍬の柄を腰に当てて、
青空を仰ぐ。囀りを耳にしながら、ジャガイモ植え
を楽しめた。天の恵みに感謝、感謝の一日であった。
― 72 ―
河津悦子の俳句紀行
赤に黄に
外輪山のやませの里に雪風巻
矢 車 の軋む 音す る丘 の家
赤に黄に派手なジャンパー山開き
すり 傷に蓬の 血止と 山 男
お 抹茶と 水羊 羹のお接待
蜜豆とサイダー孫の誕生日
砂 山 の 如 焼 山 の 急 斜 面
小国のお宝
十年程お世話になった整形外科の院長が老齢のた
め、病院を閉鎖された。名残惜しい思いではあるが、
近くの整形外科で診断してもらうことにした。
病院が変われば、その病院内の雰囲気も変わる。
院長も気軽に話しやすい先生であり、八頭身美人の
奥様もたまにお会いすれば、笑顔で迎えて下さる。
足のリハビリ電気治療をしていると、暖房が効い
た部屋に春が来たような、鳥の声がテープを通じ流
れてくる。心地よい気分で眠りを誘う。心易い先生
と数回お会いしている打ちに、雑談も多くなる。今
度は隣町で「何でも鑑定団」の収録がかるそうだが、
お宝はないかとの由、代々骨董の趣味はない、ガラ
クタは有ってもお宝はないと笑い話になる。
娘にそんな話をしたら、「骨董は私と言えば良か
ったのに」と大笑い。まさしく人間の骨董である九
十歳を忘れていた。リハビリのベットを見廻せば、
皆老人ばかりだ。ふと外に目をやると、夕方に増し
て、牡丹雪がどんどん降り積もっている。皆早めに
帰るよう、奥様からの指示。その指示に、看護士さ
ん達のざわめきが聞こえてくる。
小国にどんなお宝が眠っているのだろうかと、テ
レビ放映を心待ちにしている今日この頃である。
― 73 ―
河津せい子の俳句紀行
天領の街
護摩焚きのくぐもる経や節分会
神 主 も 登 山 靴 な り 山 開 き
天領の山に射す日や山開き
矢 車 の 音 高 ら か に 古 集 落
菓子屋多き天領の街水羊羹
ソーダ水見ればあの日の亡父のこと
サイダー缶回し飲みして部活の子
ソーダ水
兼題の事を考えながら歳時記をペラペラと捲って
みた。「サイダー」という季語の隣に、「ソーダ
水」というのがあった。「ソーダ水」には思い出が
ある。まだ幼い頃のこと、多分七十年も前のことに
なるであろうか。
近所に駄菓子屋さんがあり、その店先の桶の水に、
ソーダ水の壜が漬け、冷やされていた。赤、青、黄
の、今ならとても飲ませたくない類のものであった。
多分それがほしかったのだろう! 小さな魚屋も
やっていた我が家の小銭入れの箱の蓋に手を伸ばし
た。その瞬間を、父に見られてしった。「ゴメン」
といった私に、「何がほしい!」と父。「ソーダ
水」と呟くと、「父ちゃんの分も買って来て!」と
小銭を持たせてくれた。私は、うれしくなり、父の
手を握り返したというところまで、覚えている。し
かし、その後、父と一緒にソーダ水を飲んだという
記憶はない。どうして忘れてしまったんだろう。
ソーダ水を見る度に、「父ちゃんの分も…」とい
う父の声が聞こえててくるような気がするのである。
本当に遠い遠い昔のことなのに…。
― 74 ―
川奈はる絵の俳句紀行
青春
麦秋や百姓の性われにあり
サイダーや今が青春真つ盛り
木の橋は人を待ちをり山開き
山開き 標高千に 満たぬ山
水 羊 羹 再 会 叶 ふ 奥 座 敷
折り紙の折り目正しき子供の日
手書きメモ添へて母より枇杷届く
炭で豊かに
炭に魅せられ、炭の浄化作用を利用して、おいし
いミネラル水を付くっている。水道水もまろやかに
なる浄化力が健康を守ると信じて久しい。
部屋にも炭を飾り、楽しんでいる。健康や環境へ
の関心の高まりから、炭が衣食住で脚光を浴びてい
る。
湿気を調節する調湿作用、消臭、防腐、浄水、健
康、美容など、用途はさまざまに広がっている。
また、炭を作る行程で出来る木酢液、竹炭液の効
用も注目されている。例えば、草花や野菜、果実の
消毒用にも愛用している。毎日の歯磨きも炭を使っ
た製品で、歯石予防になっている。「継続は力な
り」を実感している。
― 75 ―
河野キヨの俳句紀行
サイダー
負け戦傷舐めまはす恋の猫
野つ原のこんなところに矢車草
サイダーをラッパ飲みする裸足の子
サイダーの泡を飲み込む喉仏
サイダーのレトロな泡の迸る
遠来の客にとらやの水羊羹
賑 は ひ の 九 重 連 峰 山 開 き
ああ、恐怖の午前九時
三月七日
昨夜、歯がぽろりと抜ける。いやな予感。案の定、
午前九時より始まる少年俳句会に遅刻。灰色の脳細
胞は思考力ゼロ。互選後合評となり、眸子先生より、
選句の理由を…。頭の中は真っ白、意味不明の言葉
が次々と。後戻り出来ず、それなりの辻褄を合わせ
る。あとで謝り、大爆笑。予期せぬ時の潜在意識の
怖さを思い知る。
三月八日
亡夫の月命日。午前九時、坊様来訪。村上春樹の
大ファン。お経そっちのけで、色々な話題にふける。
次男が寺を継ぎ、長男はパリ在住。日本犬に「相
撲」と名付け、大学の講師をしているそうだ。
三月九日
午前九時に予約したクリニックへ。心臓エコー、
心電図、血液検査、食事抜きなので少々こたえる。
五本の血液採取に、手が真っ白になり、痺れる。ど
うにか終了。
年が明けての三が月は寒さもあり、毎年の事なが
ら私にとっては鬼門であるる
桜の咲く頃には、灰色の脳細胞も少しは正常にな
るかどうかは、神のみぞ知る世界である。
― 76 ―
河野智子の俳句紀行
光る喉
忘れ物メモして忘る春うらら
山開きミヤマキリシマ燃える中
矢車の音に重なる子等の声
サイダーが駆け下りてゆく光る喉
サイダーの泡の向かふに彼の声
水羊羹舌でほどけて祖母の味
茶葉を炒る祖母の指先傷のあと
水羊羹
私の祖母は、明治の生まれで何でも自分でする人
でした。その時代の人は皆そうでしょうか。茶葉を
摘んでお茶を炒り、味噌を仕込み、丹前を縫う。早
くに母を亡くした私たち兄弟の母親代わりも努め、
どんなにか忙しかったでしょう。
幼い私達を思ってか、手作りのおやつを作って待
っていてくれました。「じりやき」「プリン」「水
羊羹」。今のように、簡単にレシピが手に入るわけ
でもありません。ハイカラな物はありませんでした
が、見よう見まねで作ってくれたと思います。甘い
もの好きの私は、学校から帰って食べるおやつが楽
しみでした。なんとなく分離した水羊羹も今となっ
ては祖母の味です。
大学、結婚と実家に戻ることなく祖母との別れを
迎えてしまいました。もっと寄り添う時間を持って
あげていればと今になって思います。
俳句を考えていると、そんな祖母の姿を思い出し
ます。俳句は自分の中にあるものを掘り出していく
作業でもあるようで、嬉しくもあり悲しくもあると、
そんな思いが交錯しています。
― 77 ―
北里千寿恵の俳句紀行
サイダー
カラフルな擦り傷テープ夏めける
サイダーを抱へて村の映画館
矢車はペットボトルや風に咲く
復興の兆し見ゆるやラムネ瓶
裏山の水はさらさら水羊羹
白菜の甘味どころに穴のあり
一つ 玉分けて 食べ し 寒卵
春昼
近頃、徒然に父母の事が思い出される。
父と母が出会ったのは東京である。父は十五、六
才の頃、熊本県南小国村より、北里柴三郎博士宅へ
書生になるべく上京。夜学に通い、やがて職を得、
母と見合いをしたのが戦争中の事であった。
結婚後、すぐに招聘され戦地へと赴く事となった。
博士宅にお世話になった経緯は、私の祖父が北里村
出身で祖母の養子になった縁からだと推察される。
無口な母が、時折、東京での話を幾つかしてくれた。
博士のお宅へ結婚の御挨拶に伺った事、仲人が北
里出身の北里某氏あった事、戦争下、一才位の兄を
連れ、父の姉の居る阿蘇宮地へ疎開した事等である。
特に娘である私が北里姓を名乗るようになった事に
「不思議な縁だね」と静かに語った。
戦争を体験した父は、東京の叔父叔母達の呼びか
けにも応じず、とうとう上京する事はなかった。
昭和二十三年頃、兄と一才の私を祖父に見せ為に、
母は上京した。それが母と祖父との最後だった。
私は四人の祖父母の記憶がない。すごく黄ばんだ
モノクロ写真でしかない。
― 78 ―
北里信子の俳句紀行
心の傷
メモをしてメモ紙忘れ春うらら
数多ある 心 の傷や春愁ふ
サイダーは飲めど羊羹手をつけず
懐かしや姑の自慢の水羊羹
喰ふなかれ法事土産の水羊羹
ほろ苦き思ひ出一つ山開き
矢車のクルクル廻る田んぼかな
水羊羹と姑
高校を卒業した私は、肥後銀行の水道町支店に勤
めた。二年目に田代支店長が赴任。小国に住む支店
長には友人がおり、ちょくちょく銀行を訪ねてくる
ようになった。私はその友人に見そめられ、結婚を
申し入れられた。 私には、密かに憧れていた人も
いたが、これもご縁と思い、結婚した。
夫の父親は、肥後銀行の監査役をしていた。短い
期間であったが、義父は私をいろいろと労ってくれ
た。悲しいことに、義父は水害で亡くなくなってし
まった。
姑は、気性の激しい、しっかり者であった。お裁
縫も料理もとても上手で、その上、甲斐甲斐しかっ
た。中でも、法事や祝い事で作る水羊羹は逸品であ
った。祝儀、不祝儀があると、流し箱で固めた水羊
羹を大きく切り分け、緑の笹の葉等で彩りを添えて
いた。思わずつまみ食いをしたくなるが、それをし
ようものなら、お客の前だろうが、所かまわず叱責
された。
嫁いびりもあり、辛い思いもしたが、今では、私
のいたらなさが分かり、懐かしさでいっぱいである。
あの世であったら、笑顔で手を取り合いたいと思う。
― 79 ―
北里典子の俳句紀行
矢車
犬つれてメモ帳一冊春の山
春愁や心の傷は秘めしまま
矢車に月の光の飛び散りぬ
水羊羹五感広がるお茶席に
大 野焼 炎猛りて 野に沈む
唸りくるやませに深々頬被り
冬空に 哀願す る目鹿倒る
鶏
もの心ついた頃より、私の側にはいつも鶏がいた。
床下小屋の鶏、ゲージの中の鶏、本格的な鶏小屋、
時代とともに移り変わっていった。
子供の頃の餌やりは手伝い程度、責任をもたされ
た頃は野菜を切り込み、米糠、トウモロコシなどを
混ぜてやる。水やりは欠かせない。時には小屋の掃
除、嫌だとは言えなかった。卵は美味しい料理の一
つとして食卓にのぼった。
結婚してからも飼育は続いた。草取りをしている
時、人なつっこい鶏は側に来てついて廻り、土をつ
つく。本当に可愛いものである。
主人が定年を迎えてからは、役割が主人に変わっ
た。十年程たった頃、この辺で鶏飼いは止めようと
言い出した。生き物がいると泊まりがけの外出はで
きないし、気が抜けないからである。残された時間
を自由に気兼ねなく過ごしたいと言う。
私は少し戸惑ったが承諾した。新鮮な卵を食べら
れなくなるのは寂しく、心残りはするけれど、私も
残された時間を少しでも楽しみたいと思うようにな
った。
ありがとう鶏さん、さようなら鶏さん。
― 80 ―
倉田洋子の俳句紀行
余花の雨
「
」
春立つも凝視する牛 フ・ク・シ・マ に
椿咲き母なつかしみ椿落つ
亡き母のひらかなのメモ余花の雨
少年は背のびやかや山開き
サイダーや勝気の背のしやくり泣き
ほどのよき夫とのあはひ水羊羹
地平まで更地一枚山背来る
「サクラサク」
「千葉大の研究グループが、全国のソメイヨシノ
の親木を特定か?上野恩寵公園の七本の桜のうちの
一本がその可能性」の記事がA新聞にあった。私は
大変な桜好きだが、何故そんなに好きになったかな
んて、今まで考えてみたことがなかった。そこであ
らためて、何故、桜?
実家の裏山に大きな山桜の木があった。小学校の
校庭は、ぐるりとソメイヨシノで、一年生に入学し
た日は満開だった。大学のキャンパスの南側は京都
御苑で、京都はいたるところ桜の名所だ。結婚して
住んだところが桜上水で、三十年間暮らした団地の
真ん中に桜の並木があった。
思い起こせば、六十数年間、いつも桜が身近にあ
った訳だ。所謂「刷り込み」のようなものが働いて、
桜好きになったのかもしれない。
通勤路のあちこちにあるソメイヨシノは、いつの
間にか蕾が膨らみかけている。あれもこれも上野公
園の「ただ一本の親木からうまれたクローン」かと
思うと、何か不思議な気がする。
あっ、そうそう、桜絡みでもう一つ。大学の合格
を知らせる電報は「サクラサク」だった。
― 81 ―
後藤
章の俳句紀行
サイダー
氷浮きサイダーの浮く金盥
サイダーの泡のぼる話途絶えても
ラムネよりサイダーサイダーよりコーラ
サイダーを冷し中華の出来るまで
テーブルの上にサイダー下に猫
周波数FENに合はせて飲むサイダー
恐山に来てサイダーを飲みにけり
細胞数
最近人体の細胞数は従来の定説六十兆ではなく、
約三十七兆ぐらいだとの計算結果が出て、多くの科
学者が認め始めたようである。
驚くべきは、このような基本的数字が不確定のま
まで医学や薬学が進んでも不便がなかったというこ
とだ。
私の唯一の句集は二十年ほど前に出したが、その
あとがきに「人体の細胞は二十年で入れ替わるとい
う説がある」と書いた。実はこれは新聞で読んだ記
事を記憶のあやふやなままで書いたものであった。
細胞ごとの寿命はそれぞれあって脳細胞は十歳ごろ
まで増えてあとはそのままらしい。人体の細胞の約
2/3は赤血球だということにも驚くがその寿命は
一二○日だという。
まあ詳しい計算は頭が痛くなるからしないが(い
やできないが)、頭以外は日々入れ替っていると思
えば昨日の私は既に無いのである。想像を逞しくす
れば脳みそ以下の細胞が毎日置き換わっているが、
体のフォルムは保たれている状態である。これって
結構むなしくなる。
― 82 ―
佐々木素風の俳句紀行
甘党の父
頂 に 響 く 祝 詞 や 山 開 き
矢車の刻む拍子や吾子眠る
甘 党の父 に厚切り水 羊 羹
聞こえ来る川のせせらぎ水羊羹
プレハブの仮設住宅やませ吹く
部活終へ呷るサイダー喉鳴らし
メモ好きの父の日誌や喜雨休み
いつもの春が
「小高い丘の上から見下ろすと、藁葺き屋根の古
民家が二軒見える。
今は、夕時。一家の主は、一日の野良仕事を終え、
夕餉時のひと時をのんびりと寛いでいるようだ。厨
からは夕餉の支度の小気味良い包丁の音が漏れてく
る。
昨日と同じ、日々変わることのない平凡な日常。
平凡ながら今年も春が確実に巡ってきた。丘には春
の草花が咲き競い、芳香が辺りに漂っている」
これは、今年二月に行われた所属絵画部の作品展
に出品した俳画の短冊作品「春」の作品イメージで
ある。皆が待ち望んでいる春を先取りして、ほのぼ
のとした春の季節感を感じてもらえたらと描き上げ
たものだ。
これに小林一茶の〈ゆさゆさと春が行くぞよ野べ
の草〉の一句を添えている。
多くの作品の中の小作品であることから、わざわ
ざ立ち止まり鑑賞する人は少なかったようだが、た
とえ一人でもこれを見てほのぼのとした安らぎを感
じてもらえたとしたら、作者として幸いである。
― 83 ―
佐々木紀昭の俳句紀行
やませ吹く
白梅や傷を癒して香り立つ
春 一番宅 配 便はメ モ残し
どつちする水羊羹とシュー甘太
サイダーにさしだす指の白さかな
サイダーの泡が奏でるメロディーフェア
矢車や調律終へしピアノ弾く
被災地のカラオケ酒場やませ吹く
白梅
我家の庭の白梅。娘が就職祝いに頂いたものだ。
前の家で育てていた時は瀕死の状態であったが、転
居二年目の今年、鮮やかに甦った。
孫のために新たに植えた李は、芽が少し出たとこ
ろ。その孫の疑問。「人間はどこから生まれてきた
の」「地球は一つなのに、なぜ国に分かれている
の」「英語とか日本語とかの言葉があるの」。娘が
幼稚園の頃には、こんなことは聞かれなかった。疑
問の質の向上は頭脳がスピード化しているというこ
とか。地球は人類誕生時も今も一つなのだと改めて
思う。ただ、人類は戦いによって進歩してきた。強
者と賢者が知恵と勇気で欲望を満たそうとしてきた
歴史といえる。
最近、「日本はなぜ、『基地』と『原発』を止め
られないのか」を読んだ。その原因は第二次世界大
戦の終結時にあるという。憲法制定過程、安保と憲
法の関係、国連憲章の敵国条項の存在等が複雑に絡
み合っている。そして、このままでは日本が瀕死の
状態に陥るという。その前に新しい日本の形を探ろ
うと提案している。今まで疑問に思っても思い至ら
なかったことが胸に落ちていく感じであった。
ところで、孫への回答はうまくできるだろうか。
― 84 ―
笹原景林の俳句紀行
風
向 こ う 傷 子 供 の 誉 春 隣
静寂より静寂の城址笹子鳴く
次 々と野焼 情報メ モ帳に
矢 車 の 六 本 廻 り 篤 農 家
止まる間もなき矢車の交差点
干しひろぐ良き塩梅の霰餅
草小積一つもなくてやませ吹く
歌会始
平成十七年一月十四日、皇居宮殿で「歌会始の
儀」が行われた。熊本県からは、小国町の穴井京司
叔父さん(八十四歳)が、全国二万七五○○首の中
の十首に選ばれ、その作品が詠みあげられた。
お題は「歩み」。
病室を歩む足音ひそやかに
歪む毛布を叩きて去れり
入院中に暖かい激励の言葉をいただき、人情の有
難さをしみじみ感じ、その事を歌に詠んだもので、
叔母が歌会始に応募を続けるよう、励ましもあって
入選できたと喜んでいた。
天皇皇后両陛下より「『歪む毛布を叩いて去れ
り』といふ処が大変いゝですね。お身体を大事にし
て下さい」とお言葉をいただいたと感激していた。
ちなみに、小国から歌会始の詠進歌に入選する事
は、七十五年ぶりの慶事で、入選のニュースは、小
国中に広まった。うったまがる思いは叔父さんだけ
ではなかった。その後、知人、友人、町の御厚意に
より入院していた小国公立病院の玄関脇に記念の歌
碑が建てられている。この小国という小さな村より、
叔父を含め五人六首が入選を果たしている。
初 春 の 六 首 一 首 は し か と 胸 に 景林
― 85 ―
佐志原たまの俳句紀行
桜日和
いづくより飛び来しメモや春の風
再 び の 桜 見 送 り 納 骨 す
再 び の 桜 日 和 や 一 周 忌
まん丸のおにぎり三つ山開き
風吹いて子も矢車も盛んなり
傷癒えぬリアスの海に昆布刈る
やませ吹く被災地にある絆かな
春
春は嫌いだ。嫌な事ばかりだ。
そう思いながら、大人になった。
春には必ず「岐路」があった。どちらに進んでも、
一方を捨てなければならない。また、右を望んでも、
左に行かなければならない時もある。何と言っても、
別れの季節である。春、桜を見ると物悲しくなって
いた。職に就いても、母親になっても、ばあさんに
なっても、小さな「春のトラウマ」は治らなかった。
しかし、ごく最近「春のトラウマ」から解き放た
れていることに気が付いた。いつからだろうか。仕
事を辞めてからだろうか。いや、もっと前から桜を
見ても、哀しいと思わなくなっていた。虫が湧くの
が嫌で、「切ろうよ、切ろうよ」と言っていた庭の
桜も、毎年咲くのが楽しみになっている。
それでも、やはり春は別れの季節である。昨年満
開の桜の下、旅立った義妹の一周忌、そして牡丹の
花が咲くのを待たず、旅立った義父の三十三回忌で
ある。
― 86 ―
佐竹白吟の俳句紀行
サイダー
遠峰に馳する思ひや山開き
矢車の音に尾鰭の舞ひ上がる
サイダーをさあお上がりと友の母
風通ふ 広き 座敷や水 羊 羹
母の日の母に小さきメモ添へて
傷心の膝を抱へて端居かな
やませ来る座敷童の泣く夜に
我が郷里「折尾」Ⅱ
我が郷里の折尾には鹿児島本線と筑豊線という二
本の鉄道線路が立体交差して走っており、折尾駅は
日本で初めて作られた全国でも珍しい二階建ての駅
舎であった。
江戸時代までは筑豊炭田で掘り出された石炭は折
尾の堀川を通って運ばれていたが、明治となり産業
革命時代に入ると、蒸気機関車による大量で効率の
良い輸送として鉄道が利用されるようになった。明
治二十四年(一八九一年)にまず筑豊炭田から折尾
を通って北九州北端の若松港まで筑豊鉄道が敷設さ
れた。
一方、博多~久留米間に敷設されていた九州鉄道
は同じ年に門司まで延びて行き、折尾で立体交差す
る状態となった。開業四年後に二階建ての折尾駅の
駅舎が完成したのであった。
大正五年に改装された際には北欧に見られるハー
フティンバー様式という木造の建築様式が採用され、
駅舎はモダンな姿を見せていたのである。
残念なことに、この駅舎は鉄道の高架化事業と駅
周辺再開発のため平成二十三年(二○一一年)に取
り壊された。
― 87 ―
貞永あけみの俳句紀行
少年
無意識に傷を擦りし薄暑かな
サイダーの泡や思春期始まりぬ
水羊羹祖母真つ先に手を伸ばし
大空へ一歩踏み出し山開き
カラカラと矢車廻る過疎の村
やませ吹く海を見守る父の墓
メモを読む少年夏に終り告げ
桜
桜の季節になると、どことなく落ち着かない気持
ちになるのは何故だろうか。お花見とまではいかな
くても、満開の桜の下で季節を感じるのが、日本人
の強い思い入れの一つではないだろうか。
二年前の春、長女夫婦と母の四人で、たくさんの
人が花見の宴をしている城趾公園を散歩し、側のレ
ストランで食事をしてから、花の満開とお天気、気
候、皆のスケジュールが合わず、花見にでかけてい
ない。今年の桜は特に、満開になるのが遅く、たっ
た二日の雨で散ってしまった。
車の運転をしながら、満開の桜を横目で眺めるば
かりであり、車を止め、桜の下に佇むこともなかっ
た。気ぜわしい毎日の中、桜もあっという間に散っ
ていった。
一日のうちでも、明け方、真昼、夕暮れと色々な
季節の顔がある。溢れんばかりの陽光に、爛漫の春
である。風の匂いも違う。立ち止まってゆっくりと
呼吸し、一日の春を楽しまなければ! そう思う。
― 88 ―
佐藤年緒の俳句紀行
メモ魔
風来たれ五月人形の矢車に
サイダーの気泡と音に息のむ子
アルプスにホルン響きて山開き
孫と見る柱の傷や子供の日
父も吾もメモ魔手帳を虫干しす
やませ吹く賢治が苦悩し寒き夏
熱帯に誘なふ空に棕梠の花
棕梠の花
長崎市坂本町にある長崎大学医学部の構内に昨年
にオープンした「熱帯医学ミュージアム」を見学し
た。一般の人にも公開している小さな展示場で、最
近騒がれたエボラ出血熱、デング熱など、世界の感
染症を学ぶことができる。途上国では、日本では見
られなくなった下痢症や、新たに大流行する感染症
に悩んでおり、同大はアフリカや東南アジアに研究
拠点を設け、研究者らが赴き、現地の人達とともに
予防や診断、治療に当たっていることも伝えている。
構内の熱帯医学研究所の前庭には、棕梠の木が植
わっているほか、原爆犠牲者の慰霊モニュメントの
建つ向いには、こんな句碑もあった。
医 学 こ こ に 興 り て 高 く 棕 梠 の 花 秋桜子
医師でもあり、長崎を何度も訪れた水原秋桜子。
句碑建立の経緯を長崎県医師会報(平成二十四年八
月号)で紹介している三原茂氏は、医学生がこの一
句を目にとめ、西洋医学教育発祥の地・長崎に医学
を学ぶことを誇りにしてほしいと記している。長崎
大からケニア研究拠点に派遣され、現地で治療に当
たる若き医師をモデルにした映画「風に立つライオ
ン」(原作・さだまさし)が封切されたのを観て、
志高く途上国で活躍する医師らの姿が重なった。
― 89 ―
佐藤テル子の俳句紀行
祭の用意
矢 車 の 音 も 高 ら か 幟 旗
山開き皆 美しき お重 かな
手作りの水羊羹持て友見舞ふ
メモ帳に祭の用意こまごまと
サイダーを一気飲みする祭の座
一陣のやませに稲の出来不出来
遠き 日 の傷跡 痛む 冬の雨
祭の座
九住山の麓の小さな山間の村が私の住む扇村であ
と二十戸余りの家が集まり、又散らばって農耕を主
とした生活を営んできた。
この小さな村で、数百年も前から受け継がれてき
た大神宮。扇森稲荷神社、佐藤様(佐藤家の先祖)
のお祭が今もなお村の大切な行事として執り行われ
ている。村民の大部分が佐藤の姓であり、昔は皆佐
藤家の一族であったらしい。なかでも扇森稲荷神社
と先祖を祭る佐藤様は、春秋二回の祭が行われ、そ
れぞれに座元が責任を持ってお鏡等供える。
多数の氏子をもつ扇森稲荷神社のお祭には各自の
畑でとれた野菜を供え、それを座元が大鍋で煮てお
参りの人達に御神酒と共に
食べていただく習わしがある。扇村以外の人達も多
くのお参りがあり、大賑わい。
夏のお盆にはこの地に残る一種変わった盆踊りが
披露される。踊りは百五十センチと四十センチの竹
棒を使って踊る勇壮なものや、手踊り、手拭い踊り
等、七種類位の踊りがあり、小さい子供から年寄り
まで皆で楽しく踊り、盆の供養をしている。
― 90 ―
佐藤辰夫の俳句紀行
サイダー
花の下独り遊びのしゃぼん玉
矢車を見入る赤子の瞳よし
腰に手をあてサイダーを飲み干す児
山 開 き 柏 手 響 く 峰 の 空
寝入る児や水ようかんを口の端に
水ようかん切つたと子呼ぶ裏の家
傷 口 に 蓬 を く れ し 無 骨 指
「花」
今年も、休耕田に六株のチューリップの花が咲き
誇っている。この欄でご紹介したかと思うが、地域
の多くの住民がボランティアとして参画するNPO
事業の一環であり、市内外からの多くの見物客でに
ぎわっている。
かつては、何もない殺風景な休耕田の一帯が、見
事に、多くの人々に憩と安らぎを与える癒しの場所
になった。無から有を創り出すことは決してたやす
いことではないが、多くの人の情熱と、力が結集す
ればこんなにも素晴らしい事ができると、あらため
て人間の素晴らしさを感じている。
またこのNPOはチューリップの花畑を観光地と
しただけでなく、花苗を育成して、地域の公共施設
の配布や、周辺地域の子ども達を対象にイモ畑の運
営管理や、収穫を支援する等、多くの事業を手がけ
ている。私もこのNPOの役員のひとりとして若干
の応援をしているが、やはりこの時期の花畑は格別
だ。
花畑周辺のテントでは地域の、高齢者の皆さんが
自分の作った野菜の販売をしており、これを手伝い
ながら、心は癒されている。
― 91 ―
佐藤美代子の俳句紀行
サイダー
乾杯はコップのサイダー下戸仲間
分け合うて飲みしサイダー幼き日
水羊羹喉元ごくりすべり落つ
ガラ ス器に一切れづつの水羊羹
神 酒ま き 安全 祈願山開き
置き忘れ捜すメモどこ汗拭ふ
中一の切られし傷や夏川原
健康補助食品
八十路を迎えた私は、老後を健康に過ごしたい、
遠く離れて住んでいる子供達には負担をかけたくな
いとの思いが、特に強くなってきた。
新聞広告やTVコマーシャルで紹介されている、
栄養補助食品、健康補助食品の広告宣伝に目がいく
ようになった。
実は、高血圧、膝関節等の治療で通院を続けてい
る。そのようなこともあり、仲間達との週二回のG
ゴルフはできる限り自転車を利用するよう心掛けて
いる。往復四十分の自転車はいい運動となっている。
朝夕の花鉢への水やりと手入れ、食事作り等適度
に身体を動かしているが、日毎に動きが鈍くなって
いる。失敗し、却って仕事を増やす事も偶にある。
ボケ防止をはじめ、健康食品に関心を持ち始めた
私は、紹介されると講演を聞きに行き、サンプルを
頂き、高価な補助食品を愛飲するようになった。少
しでも健康で、自分の事は自分で出来、長生きした
いとの思いからである。高価な補助食品であるから、
「必ず効く」との願いを持ち続けたいと思っている
が、子供達に話せば、「お母さん、騙されないよう
に気をつけてね」と言われるかも知れない。
― 92 ―
佐藤白塵の俳句紀行
サイダーの缶
白木蓮仰ぎて咲くにゆゑあるや
入る客も出て行くもある春障子
休 日 の魚 市が 聴く 春 の雨
今年また山茱萸咲きて人送る
矢車のひとりで回りをる虚空
心太遺句メモ父の字はまろし
サイダーの缶に描かれし泡の粒
故郷の吟行句会
「緋寒桜の郷祭」が故郷で催された。このまちは
歴史を刻んだ古い武家屋敷の町並が、昔のままの区
割りで今に残されている。文化庁は「重要伝統的建
造物群保存地区」に指定した。
地元で「御屋敷」と呼ばれる殿様の居所たる陣屋
を中心に、古くは三百年を超す歴史を誇る家屋から、
明治の近代和風建築まで木造の建築物二十棟ほどが
現存し、保存建物に指定されている。
そんなまちで、その御屋敷の庭に昔から咲く見事
な緋寒桜を元に苗木を増やし、まちじゅうに植えた。
毎年二月から三月にかけての十日間ほどの開花時期
に合わせてお祭りが催され、吟行句会も開かれる。
各地からの吟行参加者は、まず旧家を復元改修し
た集会所を訪れ、障子を立てた座敷で、町並や歴史
について思い思いに情報を得て、投句用短冊を手に
三々五々散策に出かける。
紅 白 の 梅 が 甍 を 染 め む と す 白塵
町並は、鮮やかな緋寒桜と、折からこれも満開の
梅の香りで三十名ほどの俳客を歓迎していた。
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佐藤裕能の俳句紀行
草花のメモ
景が呼ぶ岩肌が呼ぶ山開き
矢車の音にすやすや爺の家
水 羊 羹話のつきぬ 婆二 人
サイダーの泡の如くに時も過ぎ
やませ風除けよと祈る山の神
御来 迎心 の傷を癒 しけり
教へ子に草花のメモ遺し逝く
枝垂れ梅
今年も庭には、白梅や枝垂れ梅が枝いっぱいに花
を咲かせ、枝垂れ桃の枝にも蕾が沢山膨らんで開花
を待っている。
家が南斜面にあるため、庭は道路から八尺(約二
・五メートル)程の石垣の上で、枝垂れ梅はその庭
の西に側にある。桃色の美しい花をつけ枝垂れた花
が道路に張り出しており、遠く坂の下からも花が浮
き出たように見え、目立つ。道行く人は、近くまで
やってきて見上げながら「綺麗ね」と褒めてくれる。
この枝垂れ梅の下で、孫たちはみんな、幼稚園、
小学校、中学校、高校、大学と入学の喜びの晴れ姿
や成人式の晴れ姿を家族と共に写真に撮り、入学式
や成人式に臨んだ、とても想出の多い白梅であり、
枝垂れ梅である。
これらの梅の木は実をつけ、多い時は二十キロ余
採れるので毎年梅干を漬けている。この梅や桃の他
に、柿、蜜柑、枇杷、無花果など実のなる木があり、
秋の収穫を楽しみにしている。
春から初夏、庭には山椒、蕗の薹、たらの芽、芹
…色々な野草や木の芽が芽吹き、味噌和えや天ぷら
が食卓を飾るのも楽しみの一つである。自然の恵み
を感謝する日々である。
― 94 ―
佐渡節子の俳句紀行
春の野山
榾の火に手焙る人ら節分会
孫迎ふ支度のメモや春うらら
鉾杉の上にぽつかり春の月
矢車 の少し壊 れて 幟り旗
山開き町人たちも杉植ゑる
サイダーを二人で分けて畦を行く
滑り来て腕に切り傷草取り女
卒業
蕗の薹もちらほら見かけられる今日この頃、孫五
人が卒業を迎える三月。
長女の娘が高校を、次女の長男が中学校を、そし
て同居している長男の子供は中学校に卒業、次が小
学校卒業、下の子が保育園卒園と、八人の孫の内五
人がそれぞれ卒業。
昨日、保育園の祖父母お茶会に招待され、先輩の
杉野正依先生の長年の御指導のお陰で、卒園児が上
手にお手前をみせてくれた。孫の茶筅を持つ可愛い
手、「お茶いっぷく差し上げます」の声! そのお
茶のおいしかった事、これこそ本当の幸せだと思っ
た。杉野先生の御指導で礼儀や物を大切に心、優し
さを身につけ、大人になってもきっとこの心を想い
出してくれることであろう。
最後に卒園式で歌う歌も聞かせて頂き、大きな声
での歌を聞き、涙、涙のひとときであった。
十一年間送迎を主人とし、お世話になった保育園
とも「さよなら」の三月。高校、中学校、小学校、
そして保育園、各学校、園の先生方をはじめ色々な
人達に感謝の気持ちで一杯である。本当にありがと
うございました。
― 95 ―
敷波澄衣の俳句紀行
サイダー
能登瓦焼く村すぎて梅二月
能登早春
妙成寺
立春を過ぎた小半日、口能登あたりまでのドライ
ブに誘われる。防風林のアカシアの芽吹きも砂地の
草萌えも春未だしの感じではあるが、素朴でおだや
かな風景は、昔とさほど変っていない。
桜貝は遠浅の海の底で、爪の赤い蟹たちは砂浜の
下で眠り続けている。淡い海光につつまれて、私は
渚に立ち、春のかすかな足音を無言歌のごとく耳に
していた。
能 登 早 春 塔 あ る 空 を 探 り け り
茅葺きの十村屋敷や余寒なほ
献立のメモの手ずれや雛料理
とむら
陸唯一の五重塔がある。眉 丈 山。眉影山、美女山
とも呼ばれ、能登鹿島から羽咋にかけて屏風のよう
びじょうざん
妙 成 寺。羽咋市滝谷にある日蓮宗の古刹で、北
みょうじょうじ
眉丈山
山恋ひの一歩春山開きかな
朱 鷺 翔 つ と 伝 へ て 久 し 雪 解 山
浅春の海一条の碧走る
き さ ら ぎ の 波 の 波 追 ふ 堅 汀
萎へしもの伏したるものも二月畑
回顧録サイダーの泡噴きこぼれ
水羊羹生計いまもてあはあはと
熊野みち遠矢車を望みけり
町の雄谷家である。能登瓦。黒い釉薬が美しい。
の と がわ ら
に横たわり、朱鷺がいたといわれている。十村。加
賀藩では大庄屋を十村役と称し、たずねたのは志賀
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柴田芙美子の俳句紀行
ソーダー水
サイダーのシュワッといふ泡のど通る
青 竹の匂ふ 切り 口水 羊羹
霊峰は雲に閉ざされ山開き
夕暮 の矢車の音ふと 寂 し
抱 へ拭く 柱の傷や 若葉 冷
卓上のメモを押さえる青りんご
みちのくに蛇行の長堤やませ吹く
京都伏見界隈
京都伏見と言えば伏見稲荷が有名だが大阪へ向か
う京阪電車の中書島辺りのそこここに名水が迸るよ
うに湧き出ている。
そのご名水による酒造りがその昔から盛んである
が、今では名水めぐり酒蔵めぐりと新しい観光が目
を引く。観光バスで見学に訪れる人達の光景も珍し
くない。
雨の日であったがこの町に吟行にでかけた。宇治
川の派流という川の両岸に芽柳の美しいさ緑が糸を
引くように雨に濡れていた。この辺に酒蔵群の白壁
が連なり、その酒造会社の中にこのご名水が湧き出
ている。酒造りも今では機械化され昔懐かしい杜氏
が仕込む光景はないが、その昔の酒造りの工程を展
示公開し、すっかり観光用となった。
伏見の酒は全国に名を馳せる銘酒も数多い。
重厚な趣の酒蔵は今では食事処となったりしている。
お酒のいい香りも漂ってくる。
川を渡ると坂本龍馬ゆかりの『寺田屋』がある。
庭にはお登勢を祀る祠がひっそりとあり、紅椿が
雨に濡れていた。
― 97 ―
篠﨑代士子の俳句紀行
山開き
冷しサイダー喉を鳴らして一気飲み
水羊羹竹の筒よりすべり落つ
神 職 の 声 の 谺 す 山 開 き
矢車そして鯉幟今は昔の語り種
九州に暮し山背を知らぬ日々
恋猫のやつれて傷をなめてをり
七色のメモ用紙貼る新学期
寂庵
江國滋(滋酔郎)が食道癌で亡くなったのは、平
成九年八月十日であった。半年にわたる闘病日記
「おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒」は読んでいない。
が、昭和六十年「旅」に連載された「旅ゆけば俳
句」は、ユーモアセンス抜群の肩肘張らない、楽し
い読み物であった。
秀逸なのは、一富士二鷹の鷹羽狩行師をゲストに
迎え、京都に遊び、寂庵を訪れた話である。
寂聴尼は、江國宗匠の女弟子。自然ぎらい植物音
痴の宗匠が仏門の静謐にひたりたいとの口実で、早
々に結構な酒肴にあずかった話。「京まんだら」の
モデルの女将と舞妓たちとの粋なやりとり等は、ぎ
くしゃくしない長閑な時代であった。
読み初めのその著者の寂庵を訪ふ
狩行
とりこめのかんざし抜いて舞妓見せ 寂聴
祝箸ふくろに江國御旦那様
滋酔郎
大まじめな狩行先生の「姫はじめなき寂庵の」の
下五を受けて、滋酔郎が「乱れ箱」としめ合作した。
風流の極めである。
(二○○七年[平成十九年]六月一日
「上人ケ浜句会会報」『緑陰』より転載)
― 98 ―
首藤加代の俳句紀行
恋の猫
天地の動き始むる春立つ日
パン焼くる香り立ち初む春の昼
傷抱へ生き抜く覚悟青き踏む
鼻 面 の 傷 は 勲 章 恋 の 猫
村 長 の 挨 拶 長 し 山 開 き
矢車の真鯉緋鯉の拍子とり
お座敷で畏まりつつ水羊羹
パン教室
私の住む賀来地区の「小麦」が賞を取ったという
ので、何とかこの小麦を地産地消で、役立てないか
と話が持ち上がった。ひいては、この地区を代表す
る物とならないかと、大きな話があった。
この小麦を皆に広めるために、公民館でパン教室
をすることになった。ところが、国産小麦はパンを
作るために必要なグルテンの含有量が低い。急にト
ーンは下がり、結局市販のパン粉で、とりあえずパ
ン教室の発足となった。
私は、このパン教室に興味津々である。昨年定年
退職をした弟が、営農集団をしたいと言い、稲作の
後、小麦を植えて美味しい小麦粉を作る。その小麦
粉で、それは美味しいパンが出来るんだと夢を語り
ながら、自慢話をしたからである。弟の小麦をパン
にしてあげたい、実現すると良いなと思う。
三月中旬、パン教室を担当する先生と、公民館の
調理室で試し焼をした。パンの発酵する匂い、焼け
る香り。私は、お菓子よりパン作りの方がやっぱり
好き。四月から、またパンに拘わって楽しい時間が
始まりそうである。
― 99 ―
城戸杉生の俳句紀行
矢車
ニューヨークより山桜咲く里へ
百の蝌蚪吾の気配に鎮もれる
蒲公英に約 束の人現るる
矢車に鯉の眼の起こされし
雨の日は淋し矢車なほ淋し
矢 車や今日 一番 の風 捉へ
星空に矢車羽根を休めをり
『芹』再読・句評より③
ちゝにはゝすこし離れて桑摘める 桐野善光
倉田紘文
ちゝはゝのすこし離れてと叙するのが普通である
が、この様に母を主題に叙することによつて情がこ
まやかに感ぜられる。叙法というものはいつになつ
ても油断の出来ぬものである。
一本の幹のまはりの木蔭かな
一本の木の木蔭があつたということであろうが、
このように叙することによつてはつきりと印象的で
一種の新らし味を帯びてくる。
明 易 き 寺 に 歯 塚 を 残 さ れ し 村松紅花
鹿野山神野寺には虚子先生の歯塚があり、それに
大きな石に「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀」と彫つた
ものがかさつている。
昭和四十六年八月
「叙法というものはいつになっても油断の出来ぬ
ものである」と、素十が云うとますます重みが増す。
― 100 ―
下城たずの俳句紀行
傷
一坂に息を切らして初観音
三・一一の傷まだ癒へぬ春
大傷を負ひ し震災春愁ふ
カレンダーにメモと赤丸春うらら
矢車の廻る廻らぬ風まかせ
青 天に近づ く一 歩夏 の山
阿蘇噴火続く枯野や風車舞ふ
つれづれなるままに
春なのに、まだまだ寒い日が続いています。テレ
ビでは四年前の東日本大震災の模様が放映されてい
ます。なかなか進まない復旧、復興に胸が痛みます。
と同時に、被災地の人達の強さ、そして前向きに
頑張る姿には感心しています。
私達は、少しの寒さでも弱音をはき、我ながら反
省しています。これからは、気を引き締めて頑張ら
なければいけないと、改めて思いました。
先日は、遠方より小国まで来ていただいて、お疲
れさまでした。
眸子先生から、「俳句は、季節の移ろいを十七文
字に綴る文芸です。詩の心を育てて下さい。感覚を
磨いて下さい」などのお話がありました。
私には、ちょっと難しいけど大変勉強になりまし
た。これからもご迷惑をかけますると思いますが、
どうぞ宜しくお願いいたします。
かしこ
― 101 ―
杉野豊子の俳句紀行
傷
古 傷に い ためる 心福寿 草
メモとりて見る指先の蕗の薹
今もつて癒えぬ傷あと春愁ふ
矢車の矢を放つなり白木蓮
あらためて矢車草の苗を買ふ
サイダーの泡のごと夢うつつかな
山ガール開かれて山カラフルに
独り言
私の好きな言葉の一つに「縁」がある。ゆかり、
つきあい、人と人との出合いで「縁」があって、巡
り会う「縁」は否もの味なもの、親子の縁、どうし
ようもなく離れられない「腐れ縁」、一説に「鏈れ
縁」とも言うらしい。好ましくない関係は悪縁。
そして、「金には縁がない」と…。結婚に関して、
良縁に巡り会えない、人と人との関わり合う際、
「縁」無しでは語れない。
本気で話の出来る「親友」といえる友達はいます
か? 若い頃何人か友達はいたけれど、この齢にな
れば、そう簡単に「親友」は作れないと思う。色々
煩わしいことが多く、それ程「人」は「人」を欲し
ていないのかもわからない。でも長い人生色んな
「人」と出合うのは、とても大切なように思う。自
分を知るためにも…。
三十歳の女性友達と久し振りに会い、自分に自信
が持てない。人の目が気になる等悩み事を相談され
た。「スタイルは良いし、綺麗だし、もっと自分に
自信を持って、素の自分と向き合いなさい」と激励
の言葉を遺し別れた。彼女との「縁」は多分、私に
とって「腐れ縁」になるのかもと、呟く自分である。
― 102 ―
杉野正依の俳句紀行
矢車
音立てて矢車畦によく廻る
登山道祢宜あえぎ行く山開き
手作りの水 羊 羹に偲 ぶ 人
植木市とてポケットにメモ帳を
雪の事故とや訪ねけり友の傷
地獄畑光る黒菜に触れてみる
地 獄 噴 く 黒 菜 畠 の 今 蕾
西里村
小国に生まれながら小国を知らない所が多く、西
里村へ行こうと北里から行った。
山峡の一筋の道をゆっくり走ると、小さな集落が
あり、今は学校が統合され廃校となっている。木造
つくりののモダンでおしゃれな校舎があり驚いた。
校舎横のプールに満々と水を湛え、桜の木、椿の木
等、可愛い花の校舎が往時を偲ばせている。お寺が
あり寺前の小径を登ると矢印があり腹巻地蔵堂小さ
な祠があった。流行病を治す地蔵様という。村の人
達が集まり年に何回かお祭りしているとのことであ
る。穏やかで豊かな田圃には猪よけのトタン囲いが
張られ、猪害の多さが目立っていた。
眺めの良い所でお弁当を食べ、椎茸榾の並ぶ櫟山
の道を登りつめたら突然視界が開け、行き交う車の
多い大通りがあった。
此処はどこだろうか。大分県の天ケ瀬だろうか。
日田市だろうか。車を止めてよくよく見れば、見た
ことのある、小国岳の湯道入り口、七曲であった。
新しく道が出来てわからなくなっていた。「なあん
だ、此処は小国だ」と大笑い。でも楽しい吟行であ
った。
― 103 ―
杉本美寿津の俳句紀行
矢車
妹の小 さき願ひ は 春の旅
メモ用紙奪つてゆきし春疾風
古 傷 の 痛 み 忘 る る 桜 餅
悩み事飛ぶサイダーの栓を抜く
矢 車 の 青 空 廻 し 風 廻 し
矢 車 の時 に 勢ひ つけ 廻る
この店の水羊羹の好まるる
気強く生きる妹
たった二人の姉妹。妹、七十歳。
体は小さく、身長百四十センチ足らず、体重三十
キログラムに届かない。手首のあたりの太さといっ
たら、私の小さな手の親指と小指で輪を作った中に
収まるくらい。施設のお風呂に入れてもらったら、
浮いてしまい、びっくり! と介護士さん。鼻には、
酸素を取り込む管をつけている。自分でベッドから
起き上がることが出来ず、体位を変えることもまま
ならない。勿論、歩くことなど不可能。息をするの
も、御飯を食べるのもしんどいと言いつつも、精神
力は強い。
「お姉ちゃん、温かこうなったらどこかへ連れて
行ってほしいわ」と希望する。「ほんとだね~、活
けたらいいね~、行こう!」
お互い、無理と分かりつつ…の会話である。
このエッセイを書きながら、涙が落ちる。
春の気配が濃くなるにつれ、心は重くなるばかり。
いつもなら、楽しい春のはずなのに…。
幸せを運んで来てよ、春の風!
― 104 ―
住田至茶の俳句紀行
廻り初む
サイダーを飲む子片手は腰に当て
水羊羹隧道掘りて喰ひし頃
神 々 の戸 惑ふ 声や 山開く
矢車の廻り初む風伊吹より
民の夢そつと押し遣りやませ吹く
古傷の囁き聞こゆ梅雨近し
頼まれしメモに書き足す麦酒哉
水羊羹
子どもの頃、トンネル掘りにはまったことがある。
砂場などの砂浜での遊びに飽きたらず、いろいろな
ものにトンネルを掘った。
二つ割りにした西瓜をスプーンで掘り進んだ。ス
プーンを突き立てて回転させると、丸く西瓜が刳り
抜ける。シールドマシンさながらである。穴の中に
は果汁が湧いてくる。トンネルには湧水がつきもの
だと知った。ご飯は茶碗の中でひっくり返して山を
築いてから掘り進んだ。あらかじめご飯を押さえて
締め固めておくと掘りやすいことに気づいた。山の
上からお茶をかけて眺めていると、掘り上げたトン
ネルの内壁の飯粒が剥がれて落ちていく。トンネル
には湧水は大敵であると知った。
水羊羹は皿に載せて爪楊枝で掘っていく。粘土の
ようにトンネルが地山の重さでつぶれていくととも
に地山も変形する。支保工の大切さを知った。
このような経験がその後土木技術者への道を歩む
きっかけになったのかもしれない。私は水羊羹のク
シャッとした食感が苦手である。
もう何十年も水羊羹とは縁の無い人生を過ごして
きた。私にとっては水羊羹はトンネルを掘っていた
頃の思い出のままである。
― 105 ―
髙司良惠の俳句紀行
春料理
山菜のメモを片手に春料理
山背吹く佐渡に向かつて友を呼ぶ
矢車草風のリズムにゆれてゐる
山開きさつぱり無沙汰登山靴
手作りの水羊羹をほめらるる
菜の花やローカル線のひとり旅
城山の大木ふくらませ山笑ふ
住み慣れた我が家
永く住み慣れた我が家も六十年余、あちこちと綻
びはじめ、修理が必要となってきた。家の周りの木
々が大きくなり過ぎてしまい、今年は、剪定をしな
ければならない。大仕事の一つだ。
子どもの入学記念にと母が植えてくれた山茶花、
小でまり。毎年春先になると、先駆けて、庭先に春
を報せてくれる。親しい友からいただいた白紫花も
朝の光に映え、新芽が眩しい。在りし日のことが走
馬燈のように浮かんでくるが、今年は思い切って剪
定をすることにした。
栗、枇杷、柿、橙、柚子、金柑、梅、八朔、桃、
茱萸…一本一草思い出が甦る。
鵯、鳶、鳩、鴉…などで畑の作物は荒らされてし
まう。蜜柑の輪切りを綺麗に食べる鵯を見ていると、
何かしら憎めない。高速道路の開通により、宿を失
った鳥達に同情する。
五十年の散髪を終えた木々は、春光を浴び、大空
に向かっている。家の前を流れる川は、四季折々の
姿を見せてくれる。
家族の喜ぶ顔を思い描きながら、食膳を飾る野菜
作りに精を出す。俳句を楽しみながら…。
― 106 ―
高橋敏惠の俳句紀行
山開き
上高地ウエストン像や山開き
山 開 き 闇 の 行 列 二 荒 山
山開き唸る杣山チェンソー
コロコロとビー玉遊ばせ飲むラムネ
矢車の家紋の墓碑に父母眠る
やませ吹く田園アートは歪みをり
扉にはレシピのメモの冷蔵庫
戦後七十年
三月の東京大空襲より七十年経った。当時七歳だ
った彼女は深川にいて、家族全員助かったと言う。
人生右か左かでその生死が決まった。彼女は当時
の事を語らない。語りたくないのだと思う。体験者
は皆地獄絵図だと言う。到底想像も出来ない体験を
したのだと思う。
同い年の私は東京多摩地区の山村にいて、戦争の
怖さは多少味わったが彼女とは比較にならない。そ
んな山村のお寺に都内から集団で学童疎開の子供達
が来ていた。当事者でない一年生の私には親と別れ
た年端のいかぬその子ども達の寂しさ、悲しさ、ひ
もじさなど到底知る由もなかった。今にして思えば
何という酷いことか。
多くの人々の人生が狂ってしまった戦争。
どん底に突き落とされてしまった戦争。
七十年以前の戦争の事が風化しつつある中、語り
継ぐ取り組みも行われている。そんな最中、世界を
見れば戦争の恐怖と絶望の中にいる人たちが大勢い
る。人間の英知って何だろう。動物たちの秩序は不
変なのではないか。
― 107 ―
高橋紘子の俳句紀行
風の野火
山開き 前も後ろ も 息荒し
山風 に矢 車の音乾き をり
竹 筒 の 水 羊 羹 や 空 仰 ぎ
風の野火静まり猛り尾根を這ふ
畑にと書き置き在りし山瀬風かな
皸 や 爪 先 立 ち の 母 厨
蓐傷の癒へぬまま逝く寒椿
掛け算のクイズ
時間をみつけては、一時間位歩いている。東西南
北に各コースを設定し、気分によってコースを決め
て歩いている。
西周りには、小学校の通学路がある。学校帰りの
時間帯に出合うときもあり、団地内で出合う人には、
「お帰り」と言葉掛けするとニコッと笑み雑談へと。
ある日、二年生三人組と出合う。「おばちゃん掛
け算知っとる」「もう忘れたかもしれんね」三人組
は掛け算九九を唱えてみせる。六~九の段になると
スピードも落ち、誤りも出る。訂正すると「おばち
ゃん覚えとるじゃん」大笑い。
クイズを出すことにした。「木の葉っぱを拾いま
した。何枚拾ったでしょう」「葉っぱ、葉っぱ…」
響きから「あっ64枚だ」「当たり、やったね」
もう一つというので、「櫛が箱に入っている。さ
て櫛は幾つ」即座に36と答えてくる。
三人組から私へ。「おばちゃんの顔の皺は何本」
「一本」「ブッブー。皺は4×8だから32本だも
ん」「そんなに無いよ」「三二本より多いよ」と私
の顔をじろじろ見て三人は大笑いする。
掛け算を習いたてらしい。素直な三人組に出会え
て、若返りの時間を貰えた。
― 108 ―
髙松くみの俳句紀行
ひこばえ
初音かな真似する我の声太し
蘖や日に日に癒へる顔の傷
初 参 加吟行メ モに 竹の秋
薄れゆく石碑の文字や山開き
手土産は水羊羹と決めてゐる
外 さ れた矢 車の音 旧家門
陽炎や水面の樹々の躍りをり
病気知らず…?
「ホーホケキョ」、今朝は鶯の声も一段と大きく
聞こえる。多摩川の河川敷のグラウンドで少年達が
野球の練習をしている。いつもの散歩。どんよりし
た空の色のように、気持ちも足取りも何となく重い。
一ヶ月前に視力に違和感があり、受診した。「網
膜中心静脈閉鎖症」と診断された。今まで大病もせ
ず、大きな病院に行ったこともない私にとっては大
きなショックだった。年齢から来ている症状とはい
え、眼の中枢である網膜のトラブル。物が歪んで見
えたり、夜は文字が見えにくくなったりする。急激
な視力の低下である。治療が順調にいっても一年程
はかかるという。これからは、集中できないことも
多くなってくるのだろう。
昨日、墓参した折に、亡夫に報告しながら愚痴っ
た。病気知らずの私、そして元気でエネルギッシュ
だった夫、病は突然に襲ってくるのである。夫は突
然、病に倒れ、その日に亡くなった。その頃のこと
を思い出し、少々落ち込んでいた。
「ホーホケキョ」、高い木の上から鳴き声が響く。
こちらも返す。掛け合いをする。鶯も下の方から、
変な太い声が聞こえてくるなあと思いながら付き合
ってくれていたのかも…。
― 109 ―
武田東洋子の俳句紀行
朝の風
幽玄の供 養塔にも 椿落つ
長閑なりしと一日のメモ読み返す
啓蟄や田畑勤しむ日も近し
朝の風 捉へ矢車廻り初む
高 清 弓 風 神 堂 の 山 開 き
サイダーを好み飲む母偲ばるる
なめらかに口にとろける水羊羹
奇襲作戦「火牛の計」を舞う
平成二十七年三月二十八日、日本特殊陶業市民会
館(名古屋)において、第五十三回民踊まつりが開
催され、豊翠会(故山下豊翠先生)はその民踊まつ
りに参加した。四年に一度の晴れの大舞台であり、
会員二八○名中四十名が参加した。
源平倶利伽羅合戦の義仲・巴御前をテーマとした
この民踊の概要は次のようである。
寿永二年(一一八三年)五月、信濃国で兵を挙げ
た木曽義仲と、それを迎え討つために北上した平惟
盛は、砺波山において、凄絶な戦いを繰り広げた。
埴生八幡宮に戦勝祈願文を奉納した義仲は、夜陰
に乗じ、五百頭の牛の角に燃えさかる松明をつけ、
鬨の声を挙げながら、平家目掛けて突入した。不意
を突かれた平家の軍勢は、慌てふためき、雪崩れる
ように、十余丈の倶利伽羅谷へ落ち込んで行ったの
である。これが世に名高い奇襲作戦「火牛の計」。
この様を描いたのが「倶利伽藍峠の歌」「石動小
唄」の二曲。その二曲を、私達豊翠会四十名は、勇
ましく、優雅に踊った。この舞台をたくさんの人に
見て貰うことができ、多くの人々に感動を与えるこ
とができたものと思う。
― 110 ―
田﨑茂子の俳句紀行
サイダー
立春や隅の机でメモをとる
蕗の薹味噌で和へてもほろ苦し
山開き見上げる峰の遙かさよ
矢車の高回転に孫はしやぐ
鯉 幟暴 言ありて 傷を負ふ
サイダーがシュワシュワと喉通る
青空にくつきり映えて桜咲く
待ち焦がれる春
空がギャーギャーと賑わっている。鶴が仲間を集
めている鳴き声である。この頃になると毎年、私達
の町の上空で繰り広げられる情景。出水から飛び立
ち、ここで気流に乗り、遠い北国へ帰って行く鶴達。
春の到来を実感する日々である。
今朝一匹だけ低空飛行で飛んで行った。仲間に老
いて行かれたのであろうか。具合でも悪いのであろ
うか。傷を負ったのであろうか。一羽でも遅れる鶴
がいると、又々心配になってくる。先頭を行くリー
ダーが時々、後ろに回って隊列を見ているのを見て
いると、遠い北の国までの飛行はとても大変な事な
のであろうと思う。脱落していく鶴も、残る鶴もい
るのであろうか。鶴の飛行を見ると、年を老いた鳥
は大丈夫だろうかと思ってしまう。
暖かい日、畑の草をとっていると、蕗の薹を二つ
見つけた。味噌和えにをすると、ほろ苦さが春を感
じさせてくれる。いつもの鳴き声が聞こえると、窓
を開けて確認。その後、外に出て、鶴を見送る。
昨年、インフルエンザの騒ぎがあり驚いた。その
ため、犠牲になった可哀想な鶏もいたが、拡大しな
くてよかった。花々も咲き、春を告げている。温み
を身に感じながら、肩の力が抜けた思いである。
― 111 ―
武末和子の俳句紀行
簗瀬風
青春の苦き思ひ出サイダー割り
店終 へて 父と一 服水 羊羹
里風の身に添ひにけり山開き
湯上りのほてり鎮めん簗瀬風
矢 車の風 音に 乗 り鯉泳ぐ
片膝にすり傷ちらと一年生
新年度メモを頼りの八十路なか
春彼岸
主人の祥月命日の三月十四日は、彼岸の月でもあ
る。三月には、回忌の他に必ず墓参、食事会を身内
で行い、主人を偲んでいる。
今年は、春分の日に揃うことにしたが、孫の四人
が仕事の都合で同席できなくなった。それでも、長
男宅三人、長女宅六人、次女宅三人の十二人、四世
代が集まってくれた。
霊園に行って驚いた。墓地の周辺は山であったが、
その周りはすべて墓地になり、車を駐車する場もな
いほどで、お参りの人々で賑わっていた。管理事務
所の前の広場には、焼きそば屋が二店出ていた。相
模原に住んでいた頃に、主人と一緒に買った墓地で、
既に三十年になるが、はじめての事である。
主人の十七回忌が終って、次は二十三回忌である。
それは私の手でやりたいと思っている。
お参りが終り、娘が予約してくれていた食事処に
落ち着いた。久し振りに曾孫二人に会った。可愛い。
ほどよいお天気の春分の日であったせいか、食事処
も賑わっていた。座敷がとれたので、周りの人に気
兼ねすることもなく、身内で親しく時を過ごすこと
ができた。主人も墓場の陰で喜んでくれたと思う。
― 112 ―
津田緋紗子の俳句紀行
水羊羹
点 ほ ど の 傷 に 包 帯 一 年 生
神 官 は 山 男 な り 山 開 き
ひとさじのサイダー飲めり夜の病間
掌にメモして去れりゆかたの子
縫ひ子から世に出た話水羊羹
水羊羹棟梁の目の細くなり
やませ風気象予報ははずれけり
シンプルに、ね
今年の春は寂しい。多発性骨髄腫を発病した友人
は、去年十二月初雪の頃に、駆け足で天国に旅立っ
ていった。
子育てと親の世話でいっぱいいっぱいだった私に、
遊びのススメをしてくれた人である。主婦だから、
母だからの殻にはまろうとすると厳しい目を向けた
人である。阿蘇、九重から北アルプスへ…。山のリ
ーダーでもあった。
皆が「アインシュタインの生まれかわり」と揶揄
する位、音楽教師でありながら科学に詳しかった。
地震のこと、気象のこと、ロケットや飛行機の原理
のこと…。私はみんな彼女に教わって興味が持てた
気がする。
ホスピスに移って予断を許さない状況になった頃、
ぱっと目をあけるときまってコーラやサイダーを欲
しがった。誤嚥が怖いからと看護士さんが小さいス
プーンで口元へ運ぶと、僅か数滴、ちゅっちゅと音
をたて、かわいい笑顔になるのだった。
彼女がいなくなった春、句を作りながら、彼女の
感性が懐かしかった。「シンプルに、ね」。意識混
濁の中で繰り返し続けていた言葉が耳に残っている。
― 113 ―
利光幸子の俳句紀行
か細き声
探梅や愚痴をこぼさず逝きし夫
白梅や夫逝きてはや十二年
サイダーをくれと臥す父か細き声
亡き母のメモを頼りに夏料理
お持たせのまろやかなりし水羊羹
山開きけふは私も山ガール
山 開 き 雪 山 賛 歌 合 唱 す
花々に心躍らせ
今年第一回の研究会の課題は、蓮葉口の器に、猫
柳と椿と枯薄の投げ入れ。春の兆しを表現すること
に心を砕き、満足するお点を頂く。六日後の夫の十
三回忌に、手向け花として床の間に飾る。花を続け
るよう応援してくれた貴方、有難う。
夫が逝きはや十二年。法要の席の作り方が変わっ
た。仏壇のある座敷は、私と若者組が正座。続く洋
間は、椅子を九脚並べ 正座が困難な年配組に。ホ
テルで心ばかりのお膳を囲む。部屋に梅の香が微か
に漂う。夫を追慕してくれる皆に改めて礼を述べた。
仕事に戻った甥を追うように、上京。日本橋高島
屋での創流百二十周年いけばな小原流展に参加。テ
ーマは「生命のかたち」。
若き宏貴家元、流誌で拝見する先生方、子ども生
け花でお世話になる柴田先生、全国の幹部の方々の
作品の中に居る。花の生命に心が躍る。
甥の提案で、土曜日は浄蓮の滝までの日帰りドラ
イブ。伊東市付近から渋滞。原因は思いもかけない
伊豆河津桜祭だ。艶やか河津桜を初観賞する。天城
を越え、深夜帰宅。春到来の一日。いつまでこのよ
うなハードな日程についていけるのだろうか。
― 114 ―
富岡いつ子の俳句紀行
柱の刀傷
刀 傷 の こ る 花 月 の 宵 の 春
花の名をメモする媼利久の忌
梓 川 流 れ の 音 の 山 開 き
矢車のはたと止まりぬ石畳
冷やしサイダー湧水の町の昼下がり
湧 水 の 鉄 砲 町 の 水 羊 羹
風垣の高き家々やませ吹く
ハイキング
二十代の頃、ハイキングの好きな友人に声をかけ
られ上高地を訪ねた。はじめての上高地であり、梓
川の周辺を散策できれば十分だと思い、家を出た。
梓川の流れの音、林の中を進む風の感覚、珍しい
植物など、なにもかも新鮮だった。河童橋のすぐ近
くの宿に二泊して穂高を朝夕眺め、化粧柳の話など
を友人から聞いたことが思い出される。
散策の途中にウェストン広場に寄り、はじめてウ
ェストンのことを知った。海辺の潮風と魚を食べて
育ったせいか、山のある風景に憧れをいだいていた。
山の空気、川風の心地よさ、林の中での人々の挨拶
など立ち止まって何回も深呼吸をして歩き続けた。
穂高をめざして本格的に登山するグループとすれ
ちがい、その背中の荷物を見て驚いた。女子学生の
グループのそのパワーと忍耐強さに圧倒された。
青春時代に登山に熱中する若者達に何回も挨拶を
されたことが、山の風景と共に印象が強く残ってい
る。
冬の厳しさは想像もできないが、夏の上高地のあ
の人の多さを見て軽井沢の夏のことが浮かんだ。今
年も上高地の夏の宿は満員になるのだろう。
― 115 ―
冨岡賢一の俳句紀行
山の友
足 の傷 自慢す る 奴山笑ふ
電話受けメモ取る君に若葉風
矢車もひととき休む里日暮れ
額よせ広げしマップ山開き
深刻な話は無しとソーダ水
里帰り律儀に切れし水羊羹
山背吹く大地を這うて山背吹く
俳号
眸子先生の「俳句入門コース講座」の中に高野素
十の「俳句以前」という言葉が載っている。
俳句を詠もうとする者は句作以前に「哀憐の情」
が必要である、との教えのようだ。ようだというの
はその内容を正しく理解している自信が無いのと、
素十自身が言葉の意味を詳しく説明していないこと
による。この言葉は客観写生の素十の言葉だけに余
計に印象的で考えさせられた。俳句にはその作者の
内面にあるものが自ずと現れるという事であろう。
そう考えて自分の詠んだ句を読み返してみると私
の句には景だけでなく思いのほか情も少ない、ただ
十七文字の中に季語が入っているだけの様に感じ、
まして哀憐の情は感じられない。心の成長には暫ら
く年月が必要であろう。「俳句以前」が整うまでは、
自分を世に知られない為に俳号等で作品を発表する
のも一つの方法かも知れないと思う。しかし俳号を
決めるには自己をある程度確立しなくてはならない
が、それにも月日が掛かるであろう。心の成長と俳
句の成長どちらも時間が掛かりそうである。
とりあえず句作のときは細心の注意を払い「哀憐
の情」を意識して、自然と人に優しい気持で句作に
当ろうと考えた次第である。
― 116 ―
長田民子の俳句紀行
彼岸会
山開き遅れがちなる宮司待つ
一 望 の こ こ が 古 里 山 開 き
サイダーや付きては離れ消ゆる泡
サイダーの泡見つめつつ愚痴を聞く
ひと口の後の溜息サイダー飲む
水羊羹腕白盛りも正座して
笑みながら生死を語る彼岸寺
一手間
今年の我家の菜の花は元気がいい。一月の半ばか
ら咲き始め、盛りは過ぎたものの、今も美しい菜の
花畑を誇示している。蕾もまだかなりある。花菜摘
みは六回した。花菜漬けや胡麻和えにし、蕗味噌と
一緒にご近所に配った。鮮やかな緑で柔らかく、菜
の花がこんなに美味しいとは思わなかったと言った
方もいた。
この二、三年は、前年に落ちた種で自然生えする
に任せてきた。すると十一月には咲き始め、傍の道
を通る人が不思議そうに眺めて行く。花も蕾も小振
りで茎も痩せているし、この時期では摘んで食べよ
うという気は起こらない。
今年は十月に畑全体を掘り起こして貰い、採って
いた種を蒔いた。この一手間で適時に生気に満ちた
菜の花畑が蘇った。手を加えればそれだけのことが
返ってくるのである。
様々な場面で「簡単に、速く、楽に」が喜ばれる
風潮があるが、もう一手間加えることで効果が倍加
することも多い。よく料理番組で、この一手間が美
味しくするこつですと言われ、納得することがある。
一手間の効力を知ることは生活の知恵を増やし、生
活を豊かにすることでもあると思う。
― 117 ―
中川英堂の俳句紀行
傷心の我
サイダーの泡ぶちまける餓鬼大将
老 僧 の読 経清ら か水 羊羹
雷 鳥も猿も 見守る 山開き
矢車 の風切 音の心地良く
渓深し電車も飛ばすやませかな
傷心の我を見据えてあまがえる
雪 嶺 の 求 心 走 る 新 幹 線
こんなにも句材が…
お彼岸近くになって急に寒さがぶり返し、冷たい
雨風、朝には霜柱が立っていた。明け方から、素晴
らしい天候に恵まれて、気温は一気に上昇する。冬
から春への移行を実感する気候である。
何気なく小川べりを見ると何とつくしんぼうがあ
ちこちに広がって、すくっと一気に伸びているでは
ないか。猫背気味の私に、姿勢を良くしなさいと言
わんばかりに。
そういえば、この日の早朝には、たった一輪の梅
が膨らんでいた。「今日開花かな!」と思っていた
が、昼頃には申し合せたように競って、開花を始め
た。テレビの天気番組でも梅の開花宣言をしていた
のである。
こんなに良い天気だからということで、庭の掃除、
手入れを始めた。雪に痛めつけられた草木の無事を
確認し、周りの草を採るなどの作業である。かたく
りの周りを丁寧に除草していると、なんとアマガエ
ル君のお出まし。こんな早い(三月中旬!)時期に
しかもしっかりとした風格を備えているのである。
天は、こんなにも句材は揃えてくれるのだが、肝
心の俳句には結び付かない…トホホ!!
― 118 ―
中嶋美知子の俳句紀行
流し雛
風に寄り風に散りゆく流し雛
矢車のことりともせず雨の午后
山開き見知らぬ人と昼餉の輪
緑敷く 白磁 の皿 や水 羊 羹
まこと
サイダーや喉元過ぎて知る 真
秋 水 や 一 子 相 伝 窯 の 里
古 傷も 今は懐 かし返り 花
一子相伝
天領日田で知られる豆田の町を通り抜け、四キロ
程じぐざぐの坂を登り詰めると、一子相伝の窯所、
小鹿田の里に辿り着く。四方を山に囲まれた閑静な
山峡に、秘めやかな小鳥の声。軽快なリズムを奏で
る渓流のせせらぎ。ギー、ゴットン、ギー、ゴット
ン。陶土を搗く唐臼の鈍く重々しい音。この三和音
が妙に調和して醸し出す長閑な響きが、耳に何とも
心地良い。
現職の頃、社会科の伝統工芸に関する学習で、小
鹿田焼を地域教材に選定し、取材のため二度ほど、
窯元を訪ね、実地見学をしたが、粘土状の素地がみ
るみる間に、壺や徳利に変形していく見事な手捌き
に、思わず「わぁ、凄い」と感嘆の声をあげていた。
灰色の陶生地に、刷毛目、飛びかんなや、櫛目等
の模様で、至って地味で素朴な陶器だが、得も言わ
れぬ情趣があり、陶器マニアを魅了している。
一子相伝の伝統を堅持する十戸の窯元。当に一器
入魂。土との戦いで、終日黙々と真向きに生きてい
る姿を目のあたりにして、唯々畏敬の念を深めるば
かりである。秋の窯開きの日は、遠来の客で大賑わ
いである。
― 119 ―
中田麻沙子の俳句紀行
春のせて
千枚の田に幾万の蝌蚪睡る
半島の先まで列車春のせて
メモ探しをり竹の子の日々伸びて
ひとり聴く米朝落語水羊羹
サイダーの気泡のゆくへ長電話
ホルンの音雪渓上り山開き
野も海も皆うつむきて山背吹く
能登半島
北陸新幹線の開業で加賀・能登が注目され、連日
のように城下町金沢の町並みや味覚、工芸などが紹
介され、テレビに目が行く。東京から金沢まで二時
間半。周辺の地図もさらに拡がっていくようだ。
「海や干潟がきらきらと輝き、花々が咲き始める
と、春が来た! と本当にうれしかった」と語る夫
の故郷は、金沢より三、四十分行った海に近い所。
昔は今よりも降雪が多く、晴れる日の少なかった。
暗い能登の冬。金沢の高校までの通学は雪道を転び
そうになりながら駅まで歩き、ローカル線、バスを
乗り継ぎ二時間かかったという。
さらに半島の先、輪島の千枚田は冷たい風の吹き
荒ぶ日本海に面して、しがみつくように段々と小さ
い田が千枚余。日本の原風景、昔ながらの農法は世
界農業遺産にも登録された。
数年前からこの畦道に二万個以上の太陽光発電L
EDのイルミネーションが煌めくという。映像を見
ていると、幾何学模様の縁取りの中の田んぼは黒々
と見え、やがて田の神ともいわれる無数の蛙が誕生
しそうな、そんな想いにとらわれた。
― 120 ―
西川青女の俳句紀行
杜若
サイダーやわきあがりたる志
駆けめぐる錫杖の音山開き
矢 車や洗 濯物 のよく乾き
鉄線や時に傷つく言の葉も
初鰹メ モ 手放 せ ぬ齢かな
杜若咲きをはりたる業平忌
額縁に収めおきたき雲の峰
業平忌
かきつばた
六歌仙の一人、在原業平(八二五~八八〇)が創
建したとされる奈良市法連町の不退寺(業平寺)で
毎年五月二十八日には「業平忌」が営まれる。
狭い堂内で謡曲が奉納され、声明を唱える僧侶達
の息遣いまでも伝わってくる。業平の肖像画のある
散華が音をたてて床に落ちる様を真近かにした。
文武に通じ浮き名を流した業平と、かくも質素な
寺との対比が心地よく感じられた。寺を出て、山裾
を少し登った所に業平の墓所がある。一際大きな五
輪塔が目を引く。本堂の本尊と業平像の軸の供花と
同じ花菖蒲が一対活けてあった。業平忌には秘宝の
「業平画像」が内陣に掛けられ、その前に業平が詠
んだとされる歌に因んで杜 若が供えられてきた。
しかし近年は、地球温暖化のためか命日前に杜若が
枯れてしまうため、花菖蒲で代用しているという。
境内の草花を供花としていると聞き、花の絶えない
日々の手入れが偲ばれる。
南門に向かう途中に「黒椿」と記した椿の木が目
に入った。別名「業平椿」とも言われている。
「毎年業平忌には、大阪から業平の末裔がこの寺
に見えていたのですが…」と言われた住職の言葉が
何故か今も心に引っかかっている。
― 121 ―
錦織正子の俳句紀行
山背
過疎の村矢車光りつつ廻る
湧水の桶にサイダーキャンプ村
姉 妹 揃 ふ 忌 日 の 水 羊 羹
神官 の祝詞清しき山開き
山背吹く夜のしじまの霧笛かな
初恋の傷ほろにがし木の葉髪
紙切れのメモ書き忘れ年暮るる
蜂の巣
台風のあと、枝折り戸の支柱が傾いているのに気
が付いた。知り合いの大工が来てくれた。玄関の上
を見るなり、大きな蜂の巣があると言う。直径三十
センチ程の蜜蜂の巣が吊り下がっていた。
梯子を掛け、恐る恐る上ってみてくれた。「巣は
壊れており、空っぽのようだ」と言いながら、巣を
下ろしてくれた。「鴉が攻撃したのだろう」との事。
この辺りの鴉は、子猫だって襲うのである。
思い返すと、牡丹の咲く頃から、我が家の庭は蜂
が飛び交う。白、黄、紫の大輪が十八は咲く。翌年
は牡丹の木の瘤に、蜜蜂の巣があるのに気付いた。
頬被りをして、ビニール袋を被せ、牡丹を剪って、
事なきを得た。
さて昨年、洗濯物を干していると、蜂が飛び交っ
ている。揚羽蝶は、やさしく私の周りを飛び、夕暮
れにはカボスの木に戻って来る。蜂も此の木に巣を
作っていた。足長蜂だ。雀蜂ではないし、今回はス
プレーを一気に吹き付けた。パラパラと蜂が落ちる。
この春も牡丹や芍薬の赤い芽がふくらんできた。
さてね今年は? と心待ちも少し。
― 122 ―
橋本喜代志の俳句紀行
山開き
確かめてなぞる傷跡春愁ふ
柏 手の木 魂 幾重 に 山開き
矢 車 の音 高ら かに三 世代
サイダーの泡に昭和の自分見る
メモをとる新人一人目に青葉
畦道をパワーショベルと耕運機
やませ吹く棚田の先は老いの村
私の「山開き」
私の人生最初の「山開き」は、戦後まもなく祖父
に連れられ薪取りのため裏山に登った時である。当
時の生活は、井戸水と薪がベース。何もない質素な
生活だったが、自然は豊かで山にも川にも生命があ
ふれ、山登りは、生活の一部であった。
二番目は、大学時代のワンダーフォーゲル部。春
と夏の合宿では、重いザックを背負いキャンプしな
がら二週間もしごかれたが、まぶしく光る雪渓やお
花畑、天を焦がすキャンプファイアーなどいまでも
鮮明に思い出す。勉強より部活動に熱心だったこの
時期、仲間と自然の中で寝食を共にする貴重な経験
の数々。スポーツとレジャーの最初の感覚であった。
三番目は、家族で登った谷川岳や常念岳。子供た
ちは夏休み登山に張り切って、最初はスイスイ。し
かしながら長く厳しい登山路に我慢できなかったり、
ばてたりもした。それでもお互いに励まし合い助け
合いながら頂上へ到着した時の達成感。子供たちと
ハイタッチの懐かしい思い出だ。
兼題の「山開き」で思い出に浸っていると、孫娘
から春休み登山のお誘いの電話。もちろん、二つ返
事。日程やコースを考えながら気持ちは既に山へ。
まさに今日が、今年の「山開き」なのである。
― 123 ―
橋本やちの俳句紀行
誘はれて
誘はれて花見に行くとメモを置く
矢車草墓前に供へ偲びけり
運動場冷えたサイダー乾杯す
山開き九重帰へりの湯入りかな
吹き寄せた葉を吹き上げしやませかな
傷跡は子の身罷りし寒き日に
正月 は 母手作りの水 羊 羹
米寿を迎えた私
婦人会の役員をしていた頃、先輩の方が「私八十
代になったこの頃、文字を忘れることがあり、困っ
ています」と私にこぼした事があった。「そんな事
がありますか」とその時は深刻に思わなかった。私
がその年になって「あら、この字に点があったかな
ぁ」とか「冠があったかなぁ」とその都度、辞書を
見るようになり、先輩の言葉を想い出し愕然とした
ものだった。老のゆく道は大なり小なり、何か共通
したものがありそうな気がする。
子供の頃は燥ぎ廻り、お祭りの日を待ちこがれた
り、お正月の日が待ち遠しかったり感情のひらめき
は限りなくあったのに、それらも全て一緒に老いて
ゆくのだろうか。娘達が脳を鍛えるドリルなど買っ
てきてくれ、努力しているが雑用が多く大変である。
私は料理好きで、新しいメニューをあれこれ作り
楽しんでいるが、その際冷蔵庫に急いで取りに行っ
た時、「あれ、なんだったかなあ」と引き返してみ
る。我ながら嫌になることがある。
まあまあ、これからの人生を自分なりに楽しく充
実したものにしてゆきたいと思っている。
― 124 ―
濱
佳苑の俳句紀行
メモの重し
押入れの下段に泊まる山開き
サイダー飲む徹夜仕事をやり遂げて
母にならふロハスな暮し水羊羹
残されし矢車廻る夜更かな
竹の子の一つに鍬の傷のあり
伝 言 の メ モ の 重 し に 柏 餅
やませ吹く砂よりのぞく魚の骨
サイダー
私が長男を出産したのは、半世紀も前になる。
「金太郎さんのような大きな赤ちゃんですよ」と助
産婦さんの声を聞いた私は、心の中で快哉を叫んだ。
それから長男に「予定日を二週間も過ぎて生まれて
くるんだもの。難産で大変だったのよ」と心の中で
小言を言った。
ゆっくりと産道を通ってきた息子の頭は、まるで
福禄寿のようであったが、私のベッドに来たときに
は、もうチュパチュパと指をしゃぶっていて、見舞
いに来た母をびっくりさせたものだった。
入院していた当時の大森日赤病院は、増築を重ね
ていたので、古い旅館のように迷路めいていた。そ
の廊下の突当りに自動販売機が置いてあった。販売
機には、まだ水やお茶などは入っていない時代で、
ジュースやサイダー、コーヒーが主流であった。当
時のコカ・コーラが確か五十円だったように記憶し
ている。
私はそこで炭酸飲料のキリンレモンの瓶を買うの
が楽しみだった。お産という大仕事を終えて初めて
飲んだサイダー。この世にこんなにも爽やかでおい
しい飲み物があったのかと一人感動したものである。
― 125 ―
浜田正弘の俳句紀行
友若し我若し
海 峡に迫 る街 並木 の芽風
空 青 し矢 車廻る端 午の日
水羊羹淡し我が恋また淡し
サイダーを飲む友若し我若し
草 草の深 き香りや 山開き
山鳥 に招 かれ歩む 山開き
登山靴待ちわびたるや山開き
意外に速い
北九州市門司港。かつては大連・上海など大陸を
結ぶ海上交通の要衝として栄え、現在は、往時を偲
ばせる「門司港レトロ」として再整備され観光客も
多い。
門司には時々、仕事を兼ねて訪れるが、今回は少
し時間があり、旧大阪商船の「海峡ロマンホール」
や三井物産の「旧門司三井クラブ」などを見学させ
て頂いた。旧門司三井クラブにはアインシュタイン
ご夫妻の宿泊や講演時のエピソードの数々、また門
司は小説家、林芙美子の生誕の地でもあり、彼女の
身の回りの品々が陳列してある。
訪れたのは二月上旬。海に出ると小雨混じりの海
峡を大型の自動車運搬船が対岸の下関の街々を遮り
つつ瀬戸内海に入るべく東進している。船は周りに
注意を促すかのように時折汽笛を鳴らしゆっくりし
た速度で動いている。しかし少し目を離し、汽笛に
促されて再び海峡を見ると、船は既に関門大橋の下
を通り過ぎようとしていた。意外に速いのである。
橋梁のたもとでは春を待つ森の木々が芽吹きへの
準備をしているのか、もう薄緑色へと変わりつつあ
った。
― 126 ―
平田節子の俳句紀行
梅真白
不動なる仏のこころ梅真白
癒えぬ傷持ちたるままや春遅々と
広告にレシピメモして木の芽和へ
友人にメモ魔電話魔うららけし
音たてて風矢車を遊ばする
オホーツクより大いなる山背くる
断たれたる思ひ一途や久女の忌
ノラの背景
ある句会で「断」という兼題が出された。さて困
ったと思ったが、蓋を開けてみたら、結構色んな言
葉が出てきた。不断着、遮断機、裁断、決断、断崖、
活断層…みんな良く考えたものだ。私は、例によっ
て手抜きで、工夫をしないまま「断」を使った。
断たれたる思ひ一途や久女の忌 節子
久女と言えば、西日本婦人文化サークルというカ
ルチャーで、紘文先生の講義を思い出した。
足袋たぐやノラともならず教師妻 久女
この句の背景にあるものは、イプセンの「人形の
家」の女主人公のノラだけではない。時を同じくし
て、柳原百蓮が伊藤伝右衛門に宛てた絶縁状が大阪
朝日新聞に載っている。その頃、久女と夫宇内との
間には離婚問題も起こっている。大正十年十月二十
二日の新聞を見て、久女がこの句をホトトギスに投
句したに違いない。ホトトギスには、大正十一年の
二月号に載っていると、紘文先生の論文には記され
ている。
久女の心の背景にあったものは「人形の家」のノ
ラだけではなく、百蓮の香道があったのだ、と結ん
でいる。色んな証明があり、説得力の大いにある論
文だと思った。
― 127 ―
福田久子の俳句紀行
水草生ふ
ラムネ呑む煽り動かす喉仏
嘉門次の小屋の賑はひ山開き
暮れなずむ谷間矢車響き合ふ
傷あとの失せゆく日々の五月晴れ
ひんやりと銀のスプーン水羊羹
水草生ひ初むる水面に風やさし
天 地 の 轟 き 崇 む 空 弥 生
弥生句座
三月十一日、月一度の句会が催された。
その前日、北陸一帯は突如として猛吹雪と春雷で
大荒れ模様となった。天候を案じながらの翌朝は、
一端、吹雪は治まり、曇りがちな空から薄らと光が
射し込み、安堵した。真夜中の吹き荒ぶ不気味な音
と雷鳴。偶然とはいえ、三月十日は東京大空襲の日
であった。
ただならぬ野山も荒ぶ戦災忌
三月十一日、未曾有の東日本大震災の日。朝から
東北の復興を一途に念ずる人々の和の笑顔が放映さ
れた。寒風に曝され、耐え合う方々の情景は、とて
も眩しく、尊く、美しく、深く胸に刻まれた。
紡ぎ合ふ復興の二字震災忌
科学を駆使し、人間の知恵を結集しても、大自然
の力に立ち往生し、畏敬の念に駆られる。
天からの戦災、地からの震災と犠牲になられた方
々に黙祷を捧げ、句座へと向かった。
天と地の轟きあがむ弥生句座。止むに止まれぬ思
いが、即座に言の葉として迸り、俳句となった。
しかし、粗削りの独りよがりは反省すべき点が多々
あった。
天 地 の 轟 き 崇 む 空 弥 生
― 128 ―
藤井隼子の俳句紀行
野の花
普通とは人それぞれや春愁ひ
持ち寄りし野の花貰ひ卒業す
山開き行き交ふ人と声交はす
サイダーや一気に体突き抜ける
寝たきりの母に一匙水羊羹
古 傷 や 皺 と 紛 れ て 花 薊
矢車や夜空にむかひ鳴り止まず
握手
赤ちゃんを抱っこした若いお母さんがバスに乗っ
てきた。赤ちゃん用のタオル等を入れたバッグを右
手に持ち、左手で抱っこ紐の中の赤ちゃんを支えて
いる。「隣の席に座ってよいでしょうか」とご挨拶。
大分弁とはちょっと違うやわらかな話し方だ。
席に座ると、赤ちゃんがひょっこり顔を出した。
色白で髪の毛はふさふさ。青みがかった切れ長の目
を私に向けてじっとみつめ、体を乗り出して左右の
窓の外を見る。「かわいいねぇ。何ヶ月ですか」と
尋ねると、「十ケ月です。家の中ばかりいるのでい
ろいろめずらしいようです。関東から転勤してきま
した。大分の方はやさしいので、はじめての子育て
も助かっています」と、素直にていねいに話してく
れる。
突然、男の子が私の手をぎゅっと握った。「うわ
ぁ、うれしい」と握り返す。また握り返してきた。
まっすぐ私の目を見て握る。お母さんの愛情をいっ
ぱい受けて育ち、人を信じる無垢な行動だ。「この
お母さんありてこの赤ちゃんだなぁ」と思った。
バスを降りてゆく二人を見送った後も、ほのぼの
とした空気が漂っていた。
― 129 ―
堀内夢子の俳句紀行
掠り傷
サイダーや昔むかしの恋の味
母の忌や姉と二人で水羊羹
山開きそこにあるから山また山
音たて て 廻る矢 車風 の中
故郷のやませ吹く畦とぼとぼと
掠り傷一つ負はずや花海棠
メモにある時間確かむみどりの夜
四国の城
日本人は桜が好きである。その桜に思いを馳せて
いるうちに、いつの間にか四月は終る。
来年はまた桜を見れるか心配な年令となってしま
った私。毎年、毎年の桜を大切にしたい。元気なう
ちに、桜を見て廻ろうと決めた。
さっそく千葉の友を誘って、四国のお城と桜を見
に行くことにした。四国は何となくあたたかい感じ。
私が選んだのは三月二十五日発のツァー。
桜の花が咲くにはまだまだ。ピンク色の濃い蕾ば
かり。しかし、高知城、丸亀城、宇和島城、高松城
は登ることができた。どのお城も、大きすぎず、格
式のある、美しいお城ばかり。黒と白の美しさに息
をのむ。天守閣の急な階段も、とにかく登りつめる
と、豊かな春の海が一望できた。
城の美しさを引き立てるのは、石垣なのだと今回
の旅で気がついた。石垣がこんなにも美しく、重々
しく、永遠なものかと嘆息した。この石を一つひと
つ積み上げた昔の人達のことを思いながら、石に触
れてみた。このような生き方ができたら、どんなに
素晴らしいことであろう、そんなことを思いながら。
― 130 ―
本田 蟻の俳句紀行
五月
矢車の宴たけなはを廻りけり
切り口の小豆色よき水羊羹
見送りの駅頭に飲むサイダーかな
山伏 の 姿も 見ゆる山開き
雨の目の矢車の音の高きかな
メモ帳の母の忌日や額の花
擦り傷に赤チンをぬりひと泳ぎ
鯉のぼり
昭和の時代、五月になるとあちらこちらの家に鯉
のぼりが建てられた。男の子の誕生の印である。風
に乗って多くの鯉のぼりが空を泳ぐのは壮観だった。
私の生まれた地方では男児を殊に大切にした。わ
が生家でも弟が誕生した時、父は大層喜んだ。なぜ
なら子どもは私と妹の二人で男児がいなかったから
である。待望の男の子だったので、父は早速、多勢
の人を招いて御祝いをした。にぎやかな祝宴だった。
庭に杉の木を何本も建て、鯉のぼりをあげた。無数
の鯉のぼりが空を泳ぎ、矢車は音をたてた。
娘に男の子が生まれた時、私は大きな鯉のぼりを
贈りたかった。ところが、娘に「マンション住まい
で鯉のぼりを泳がす場所がない」と断られてしまっ
た。私もうっかりしている。
最近、鯉のぼりが揚がっているのを見かけるのが
少なくなった。少子化、住宅の狭さ、高層化など鯉
のぼりに不利な条件が増えてきた。五月の青空を悠
然と泳ぐ鯉のぼりに感動するのは私一人でなかろう。
どうぞ、無くなってほしくないものである。
― 131 ―
布田尚子の俳句紀行
カリスマシェフ
サイダーが眠気覚ましと修行僧
沙弥僧が先づ手を伸ばす水羊羹
世 界 的 遺 産 携 へ 山 開 き
矢車も視界に入れて閼伽の水
薫風に心の傷をみすかされ
山背吹く子供広場の忘れもの
メモを取るカリスマシェフの夏レシピ
ボクの勘違い
ボクネ、花屋のお兄さんと友達なんだ。六年前、
この家に来て何日か過ぎた時、お兄さんが初めて花
を売りにきたんだ。
ボクはてっきり又他の所へ連れて行かれると思い、
必死で外に逃げたんだ。右へ左へ、大通りへと、後
の方からは車が来ていた。七○○メートル位行った
所で、走ってきたお兄さんに捕らえられた。だから、
花屋のお兄さんは、命の恩人かもしれない。
それから時々、花を売りに来るよ。だからママと
一緒にいろいろいと花を選んでいるよ。
今頃はね、山からの優しい風に吹かれながら散歩
している。薔薇、アカシア、卯の花、鉄線、雛罌粟
といろいろ咲いているよ。
でもネ、一つ心配なことは、ママが初めて花粉症
になってしまい、目がかゆいとか、鼻がどうのこう
のと毎日言っている。
でも、ボクはていつもの通り散歩しているよ。マ
マの足元を気遣いながら。
またね!
マルチーズの五郎でした。
― 132 ―
牧 一男の俳句紀行
師と弟と
一枚はメモ用紙にと初句会
師と弟と月澄むごとき傘寿かな
松籟の高鳴りそめし山背かな
矢車の飛ばんばかりに鳴ることも
山開き控へし星を見て眠る
匙入れて水羊羹を揺らめかす
大工飲む盆のサイダー一息に
生涯学習
『日本の作家名表現辞典』を読んでいると、著氏
やの中村明先生の師が波多野完治先生だと書いてあ
った。はて、波多野完治という名、どこかで聞いた
ような気がする。しばらく思い巡らせていると、は
たと思い当たった。
そう言えば、永井龍男の『東京の横丁』という本
の中に、「小学校の同級生に、波多野完治がいた。
(中略)淡路町の開成中学から第一高等学校、東大
を卒業して、心理学者として大成した」と、ある。
永井龍男の神田区立錦華小学校以来の友人、波多野
完治が中村先生の師であった。思わぬ所から思わぬ
発見をした。
中村明先生は、今年九月で八十歳になられる。
「明亭」という俳号を持たれて俳句を嗜まれている。
波多野完治先生は、平成十三年に九十三歳で亡くな
られているが、八十歳から俳句を始められ、「治人
(じじん)」という俳号を持たれ、九十二歳の時に
『老いのうぶ声』という句集を出されている。どこ
か両先生に親しみを感じつつ、これを力に変えなけ
ればと秘かに思っている所である。
― 133 ―
松嶋民子の俳句紀行
涅槃西風
小さくともこころざしあり梅真白
傷つくも踏んばつてみよ新社員
わがままを許せわが背子涅槃西風
ピッケルにお神酒垂らして祝ひけり
復興の田をよけて吹け山背風
しゅわしゅわとサイダーの泡体内に
小皿より滑り落ちさう水羊羹
こころざし
NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」は、私が小学校か
ら高校まで過ごした萩市の吉田松陰の妹の話だ。私
の通っていた小学校は、藩校の名をとった「明倫小
学校」、道徳の時間に読んだ「松陰読本」の「玉木
文之進」「野山獄」の名は覚えていた。
先日の放送で、敷かれたレールを歩むような人生
の退屈さに悩み苦しんでいた若き高杉晋作に向かっ
て、松陰が「あなたの志はなんですか。志とは人に
与えられるものではなく、自分で見つけるもので
す」と言っていた。
では、私の志はなんだろうか。昨年度は三年生の
担任につけてもらい、夫の「もっと早く帰れ」コー
ルにもめげずにがんばった。今年度はどうなるかは
まだわからないが、どんな立場になっても精一杯仕
事をするつもりだ。 それから、四月から高校生に
なる次女のお弁当づくりも大切な仕事だ。そして、
私の人生に欠かせない俳句とエッセイにもエネルギ
ーを注いでゆきたい。
生きていくのに志は必要だ。どんなに小さくても、
たとえ果たすことができなくても、志を持って努力
することで、人はどこでもいつまでも輝いていられ
るのではないだろうか。
― 134 ―
松村勝美の俳句紀行
予感
山開き 玉 串の四 手風白 し
矢 車 のから から風 に 鯉幟
サイダーの浮く泡みつめ予感かな
水羊羹喉越しよろし薄茶かな
男 梅 雨 古 傷 痛 む 薬 指
母のメモやたらにふへし五月闇
山背吹けへこたれないぞ地震の街
春の雨
三月の初め、梅で有名な吉野臥龍梅を見に行った
が、まだまだ蕾は硬かった。この寒さのせいだろう。
そう言えば、ある朝、庭の手水鉢に薄氷が張り、野
や畑が一面真っ白になった。
それから、一雨ごとに暖かくなり、野辺の緑が艶
やかになってゆく。季節が冬から春へと目覚めてゆ
くのを感じる。寒気も緩み、春の煙のような雨が地
面に吸い込まれ、植物の芽吹きを促しているようだ。
草木に優しく降り注ぎ、烟るような春の雨、農作
業の段取りに合わせるように降り、穀物や野の草花
の成長を助ける。春の雨の景色はゆったりとした甘
さがあるようだ。雨が上がり、気温も上がると、庭
の杏の花が咲き始める。母が活け花に使うので、蕾
の小枝を剪り、手水鉢に浸け置くと、三日もせずに
満開となった。十種以上の水仙もその形、色とりど
りの花を咲かせ、自己主張を始めた。椿も落花して、
地に一花咲かせ、朽ちてゆく。辛夷は萼が天に向き、
大きく膨らんだ。
春の雨は心地よい。「春雨じゃ、濡れてゆこう」
と気取ってみたくなる。
恋を終えた猫達も、何匹か、腹の孕みが目立つよ
うになった。
― 135 ―
松村れい子の俳句紀行
緑
作りおく発句のメモ紙春炬燵
うかれ猫傷の深きは恋の傷
天地にしみゐる祓ひ山開き
ホスピスの小窓開くや山開き
笹の葉の緑したたる水羊羹
矢 車や稚の和毛 の耀 へる
矢車に沖つ風沿ふひもすがら
唯一の登山
頂きの神事は知らず山開
森田 峠
登山らしい登山の経験のない私はこの句に共感す
る。ただ一回最初で最後の登山で冬山の恐ろしさを
知った。
話は半世紀に遡るが、姉の友人で休日はたいがい
山に登るというOさんに誘われたのか頼んだのか経
緯は定かではないが、雪山登山しかも由布岳。初登
山にしては私たちも無謀、連れて行くOさんも無謀
だ。男物の登山靴を用意してくれた。麓ですぐに私
は吐気を催し、座り込んでいたが、こんな所でおい
てけぼりはごめんと後はがむしゃらだった。
ここが頂上だと教えてくれたが、立っていられな
いほどの猛吹雪になっていて一メートル先が見えず
眺望も達成感もなく下山。ところが八合目あたりで
人声がする。この吹雪で身動きできなくなっていた
男子高校生七~八人を見つけ、彼らを加えて、O さ
んは迷うことなく無事に下山させてくれた。遭難と
いう惨事を免れたのだ。
あのO さんは今頃七十五歳ぐらいだろう。高校生
達も七十歳に近いかもしれない。冠雪した由布岳を
望むとき、あの日のことが幻のように思い出される。
― 136 ―
御沓加壽の俳句紀行
傷
お帰りとメモを残して春の昼
矢 車 に 長 久 祈 る 親 心
日本晴れ矢車風と遊びをり
古傷を受け入れてこそ五月晴れ
サイダーは今は昔のおもてなし
サイダーのシュワーは鎮守の夜店前
膝の傷堪へてゴール運動会
HPの活用
新年の三郷俳句塾初句会で、先生より「皆さんは
どのようなポイントで選句をされているのでしょう
か」という問いかけがあった。
今後、自分らしい俳句を詠めるようになるために
はとても大切なことだし、俳句塾以外の方のために
もと思ったので、先生に今日のお話の内容をまとめ
ていただきたい旨申し上げた。先生は、そのうち
「俳話断章」で書きましょうとおっしゃった。
『少年』三月号が届いた。さっそく繙いてみると、
「選句力を養う」と題し、選句力を養う方法につい
て、俳句塾での話がわかりやすく紹介していた。
「俳話断章」は『少年』の冒頭にあるので必ず読
んではいたが、申し訳ないことにそれだけであった。
ところがこの度の一件で自分の中にスイッチが入っ
た。「師の教えが凝縮されている」十数年間分が
「少年俳句会HPのバックナンバー」の中に存在し
ているのである。この宝を活かさない手はない。
このページをA5版にコピーして携帯しながら機
会あるたびに紐解いている。俳句をはじめて三年余
りではあるが、その三倍もの学びの機会をいただけ
たことにいまは感謝している。
― 137 ―
水野幸子の俳句
水羊羹
サイダーに青空の色海の色
笑つても泣いてもふたり水羊羹
木曾馬の親子と遊ぶ山開き
矢車や 島に小 さき遊園 地
やませ吹く昨日も今日も海荒れて
指の傷見せて甘へる子供の日
薫風やメモ書ほどの子の便り
十一番目の孫
今年の一月十日、十一番目の孫が誕生した。上の
二人が男の子なので、今度は女の子かも知れないと、
勝手に想像していたのだが…。
息子からの電話で「今度も男の子だよ」との知ら
せに、「男の子三人も可愛いもんだよ」と答えた。
男の子だろうと、女の子だろうと、五体満足で、元
気に育ってくれたら、それが何よりである。
私には四人の子供がいるが、それぞれ家族に恵ま
れている。十一番目の孫を入れると、二十一人の大
家族になる。ある時、俳句の大先輩に「貴女にとっ
ての人生は何であった」と、突然聞かれた事があっ
た。私は、何も考えていなかったが、咄嗟に「家族
を増やしただけかしら」と答えた。すると、大先輩
は「それが何よりだよ」と、まるで父のような優し
い言葉をかけてくれた。思いがけない言葉であった。
子供達に残すものなど何もないと思っていたが、
こんなにたくさんの家族を残す事ができ、今は幸せ
だと思っている。
三人目の孫の名前は「泰陽」と決まった。長男は
「泰河」、次男は「泰地」、そして「泰陽」。まる
で団子三兄弟のような可愛らしさである。早く、
「泰陽」に会いたいと思っている。
― 138 ―
水野すみこの俳句紀行
母の味
春愁や心の傷は消しがたく
山開き立山開祖の地獄絵図
誇らかに孫の矢車風にのり
一と日終ゆ妻にサイダー冷しおく
在りし日の水羊羹は母の味
やませ吹く通ひなれたる看取り道
テーブルに夫へメモ書きおでん鍋
文芸散歩
業 平 の 恋 の 一 首 を 筆 始
すみこ
「新しい年が明け、初めて筆をとり、心新たに書
や絵を書く筆始。試筆、吉書始、一般には書き初め
で、二日にされるのが習わしとされている。今年の
決意や、御目出度い格言、詩歌などを揮毫すること
が多いが、作者は何と業平の恋の歌を試筆とされた。
美男の代名詞とされ、和歌の上手で、恋多き在原
業平。『昔男ありけり』の『伊勢物語』の主人公と
もされていて、恋の歌がまことに多い。…以下略。
しかし何よりも、大正生まれでいらっしゃる作者
の、この若々しい感覚、前向きな姿勢に大いに啓発
された」。これは、一月八日の北日本新聞の文芸欄
に掲載された私の句の評文である。執筆者は、ホト
トギス同人、片桐久恵先生。
友人が、入院中の私に、新聞の切り抜きを届けて
くれた。嬉しいやら、恥ずかしいやらで驚いた。
私の長い四ヶ月に及ぶ入院生活も二月で退院を許
され、家の近くの高齢者住宅に移り住むことになっ
た。老人ホームの主人を看取りながらの暮しが再び
始まる。友人や教え子、弟妹達に支えられながら、
毎日、皆の訪れを楽しみにしている。
― 139 ―
溝口
直の俳句紀行
三ツ矢サイダー
新谷慶洲先生追悼
天 国 に 響 く 歌 声 二 月 尽
スケジュールメモにうずまり春来る
昭和の町三ツ矢サイダーラッパ飲み
山開きいつもしんがり歩きけり
水羊羹恋しくなりぬおやつ時
やませ吹け熱き火照りの冷むるまで
不注意の火傷なりけり年数ふ
追悼 新谷慶洲先生
先生が、二月に身罷れたという訃報を聞いたのは、
眸子先生からでした。三月号にも普通にエッセイや
俳句をお投稿なさっていらしたので、全く安心して
いました。京都の周年大会でお会いして以来、医師
として先輩、私と同じキリスト聖公会に所属なされ、
日々の大先輩としてお慕いしてをりました。
私がマリア・カラスの映画記事を書いたことがき
っかけで、先生にソプラノの喉の使い方まで教えて
いただきましたね。それよりも、家内が重病の折り、
なすすべもなく先生におすがりしたところ、色紙に
お祈りの言葉を書いて送っていただきました。そし
て毎日お祈りをしていただきました。また、家内の
死後、私は神にも許していただけない罪を感じて、
また先生におすがりしたところ、優しくお手紙を返
してくれました。悩めば便り、苦しめば祈っていた
だく、慶洲姉は本当に俳句を通じてだけでなく、私
の一生の師ともいうべきお方でした。いつかは、先
生のいる和歌山の里にお伺いしたいと思っていまし
たが、それも叶わず、私はまたひとりになりました。
でも、今後も天国の先生をお慕いし、先生に祈りを
捧げます。どうか、今後ともお見守りください。
慶洲姉
溝口直
― 140 ―
― 141 ―
南 桂介の俳句紀行
喉仏
尋ぬれば矢車回る家を指しぬ
矢車を高く回して供養かな
風青し嬉しきメモが回りくる
サイダーがごくごく通る喉仏
袂より水羊羹を取り出しぬ
阪神 の連 敗止ま る水 羊羹
山の神おはすや今日は山開き
お湯三昧
九州は大分県、九重連山の山あいには湯治場が多
くある。その中の一つ、筋湯を一月半ばに訪ねた。
この筋湯は明治時代に二回もの火災に遭ったが見
事復興し、現在は約三十軒の宿泊施設が点在してい
る。由来は、うたせ湯から落ちる温泉が肩こりなど
の「スジの痛みに効く」ということかららしい。
うたせ湯は約二メートルの高さから滝のように落ち
てきて、その高さは日本一とのこと。そのうたせ湯
の奥まったところに露天風呂「岩ん湯」というのが
あった。日替わりの男女入れ替えであり、当日は運
良く男性の番であった。裏山を切り開いて作ったよ
うな露天湯は板塀に仕切られ、その上から緑の木々
が覗いている。湯船は四畳半ぐらいの広さがあり、
ゆったりとした岩風呂。奥には東屋をしつらえたよ
うな板屋根があり、その屋根は苔むし、羊歯が茂り
風情を醸し出している。
入浴客は私一人、誰も入ってくる気配はない。立
ち上る湯気につつまれ、冬雲をじっと見上げる。湯
はやさしく肌を包み、時折流れる風が紅葉の葉を落
とし、その落葉が湯舟に舞う。なんと閑かな時間だ
ろうか、なんと贅沢なお湯三昧なのだろうか。突然
に訪れた至福を一人かみしめたのだった。
― 142 ―
宮川洋子の俳句紀行
矢車草
福 島 の 深 き 傷 跡 春 遠 し
どの家も気ままに出入り雛祭
ポケットにバックにもメモ春散歩
傷心 の友への電 話春 の夜
メモ書いてそのメモ探す木瓜の花
矢車草庭に遺して母は逝く
幼子の小さき冒険サイダー飲む
燕
三郷に住んでいた頃、北部図書館に燕が毎年来て
いた。燕が来ると、入口の自動扉に「今年も燕がや
って来ました。巣立ち迄、あたたかく見守っていた
だきます様、お願いします」と貼り紙が毎年貼られ
る。その紙に今年も燕がやって来たとホッとする。
図書館に行く度に、巣を見上げ、子燕の成長を楽
しみにしていた。子燕が成長するにつれ、今日はま
だ居るだろうかと思いながら行くようになる。もう
一度、子燕に会いたいと思って行った日、貼り紙は
はずされていた。「燕は、○月○日、無事旅立ちま
した。あたたかく見守っていただき、ありがとうご
ざました」という貼り紙に変わっていた。このお礼
の貼り紙も毎年繰り返されていた。空の巣と知りつ
つ巣を見上げ、飛び立って行った空を見上げた。天
敵にやられないように祈りつつ。
燕の飛来する季節になると、三郷の北部図書館に
思いを馳せる。「燕の来る家は繁栄する。燕は幸せ
を運んで来る」と、子供の頃に聞いた事がある。燕
は益鳥であり、大切にするようにという教えだった
のだろうか。日本に飛来する燕の数は減少している
という。農薬使用などが景況しているのであろうか。
見守って行きたいものである。
― 143 ―
宮崎敬介の俳句紀行
遙かなるリラの街
サイダーや止まりし時を噴きこぼし
水羊羹ふかぶかと夜を切りとりぬ
山 開 き 灯 に 満 天 の 星 応 ふ
矢車の矢は金粉をふり零す
夏蝶の翅をひらけば傷の跡
青春の遙かなれどもリラの街
百の帆のヨットの島や星咲きて
とき
人生の 秋
高級霊の転生は「巨大な光が一つの役割を持って
分光してくるようなもの」
「イエスは文豪トルストイの意識で下生」
「ゼウスは分身としての意識でシェークスピアと
して生まれた」(大川隆法・霊言参照)
では、わがヘルダーリンは如何なる光の分身とし
て転生したのか。
圧倒的な愛、光を生きたヘルダーリン。彼のめざ
した愛は、重力の如き「与える愛」。さらに彼の愛
は「許す愛」。この愛は、東西の対話のなかで言え
ば、菩薩の愛、利他の思い。「神仏の子として生き
ていくとき、そこに自他ともに許し合う豊かな世界
が必ず現れてくる」
「謙虚に自らを見つめ、慎ましやかな自らの在り
方のなかに、神仏へとつながっていく一条の道を見
出していく」生き方を、今、彼の晩年に重ねている。
真に深いひびきを発し始めた、詩「夕べに思う」
で、「晴れやかな老い」を願い歌ったヘルダーリン。
休む時なく、愛ゆえに悩み多き詩人の老いの日々に、
透明感あふれる「人生の秋」が訪れたのであろうか。
― 144 ―
宮崎チクの俳句紀行
亡姉の形見
手放せぬ亡姉の形見のちゃんちゃんこ
メモ帖に格と八十路の年新た
師 を 迎へ賜る 句評 初句会
溢れ出る栓にシュワッとサイダー水
一匙のとろける甘さ水羊羹
頂 上 で 神 事 厳 か 山 開 き
大根の傷を切り捨て一夜漬
我が家の初詣
平成二十七年の元旦を家族揃って迎える。
炬燵を囲み、紅白歌合戦をみんなで見た後、年越
し蕎麦を食べる。
年越しの鐘の音を聞きながら、五時間ほどの睡眠。
「初詣にいくよ」との声がかかり、目が覚める。主
人は既に初詣の身仕度をきちっとしている。それな
のに私は、綿入れ半纏にショールを頭から被り、形
振り構わぬ格好。長靴を履き、杖をついて、主人の
照らす懐中電灯の後をついてゆく。
雪の中を五分ほど歩くと天神社に着く。
人気もない拝殿の前には、立派な門松が飾られ、
一升瓶のお神酒と盃が供えられている。二人で、お
神酒を有難く戴き、一礼する。
今年も家族の健康と無事を祈願し、雪の中を二人
でホツボツと歩いて帰る。
新しい年を迎え清々しい気分に浸りながら、幸せ
な人生を振り返り、そして感謝するのである。
― 145 ―
溝部美和子の俳句紀行
青い海
傷ついてなんかないわと土筆摘む
十九 時にラメールの前春ショール
人々が樹々に溶け込む山開き
水羊羹つるりと喉を滑り込む
くるくると回る矢車天を突く
サイダーのグラスに光る青い海
吹きちらし何をいばるかおいやませ
年上はつらいよ
新しい年度が始まり、新たな出会いがある。出会
いの時期は体重が落ちる。それだけ気を使っている
のだろう。どんな人なのか、話をしながら相手の心
の内を早く知りたいと思っている。腹の探り合いと
いうといやらしいが、探っている部分がないと言え
ない。
話をすればするほど、作業を一緒にすればするほ
ど、心が通い合い、仲間意識が育っていく場合はあ
りがたい。初めからそんなに上手くいく訳がないと、
自分に言い聞かせていた方が気が楽だ。
話が食い違った場合、どちらかが折り合いをつけ
ればまとまっていく。作業を人にさせようなんて思
うのではになく、率先して動く。出会いの時期は、
気を使い、体も使うが、相手との距離感を測れない
人が増えているのが、当面の問題である。話をした
がらない、一人で作業をする方を好む、少し注意め
いたことを言うと、固まってしまう、腹を立てる。
しかし、仕事を身に付けてもらわないと現場は回
らない。気を使いながら、相手をその気にさせてい
く。どっちが年上なのか分からない。
― 146 ―
光山治代の俳句紀行
風の色
サイダーや大海原の風の色
水羊羹夫との会話はづみをり
噴火せしこころの傷や山開き
矢車草風と一緒に遊びをり
やませ吹く山谷越えて日本海
入学や柱の傷もなつかしき
ことづけをメモに託して夏休み
蕗の薹
治代
私の住んでいる近くに、農遊館があり、新鮮な野
菜等が所狭しと並べてある。
その野菜で料理を作るのが私の楽しみでもある。
和食の好きな家族の一品は煮物。煮物はシンプルが
故に、出汁が決め手と思っている。
出汁にはこだわりがあり、長崎の平戸より一匹ず
つ炭で手焼きした飛魚を取り寄せ、羅臼の昆布と合
わせ、取るのが私の出汁。
時には、料理の勉強に行かない? と友を誘って
和食処のランチにも出掛ける。その中の一品を私な
りに作るのがまた楽しみでもある。
先月、蕗の薹を頂いので、蕗味噌を作った。歳時
記に書いてあるように、蕗の薹、白味噌、砂糖、味
醂の味付けで作り、春を感じている。
蕗の薹苦味が喉をうならせし
また、旬の食材が出廻る季節となり、何に挑戦し
ようかなと、今から楽しみにしている。
― 147 ―
宮本陸奥海の俳句紀行
六根清浄
萌ゆる野に目尻に皺の旧友会
一歩づつ六根清浄山開き
雨雲や矢車だけの回る音
登山靴の傷に思ふやあえぎ声
このメモで祭の手筈目処立ちし
"
陸奥の夏
"
農夫ぽつり山背越す山高くなれ
山背にも負けぬ種籾播く人等
二十六年前、港造りの仕事で青森に赴任し、丸二
年住んだことがある。一年目の夏は、梅雨明けに二、
三日暑くなり東の山の向こうに入道雲が見えたが、
その夏はそれきりだった。真夏の七月中旬以降も曇
り続きで太陽は出ず、涼しい東風が吹き続けた。
休日に近所の人達が東の方を見ながら話をしてい
る。そちらには南部と津軽を分かつ南北に連なる山
々が見え、北の浅虫温泉背後の山は頂上が略水平に
なっている。東岳という名で高さ六五○メートルら
しい。稲作農家の隣人が零した。「大昔、東岳はも
っと高かったのに、隣の八甲田と喧嘩して頸を刎ね
られ今の形になってしまった。あれが昔位高ければ、
この風 山背 が青森平野に入るのを止めてくれるの
になア…。田植の遅い陸奥は八月が稲の開花時期だ
から、山背が吹き続ける今年は不作が見えている」
そう言えば、毎夕ねぶた祭の練習に行っている職
員が「稲の不作は関連産業も含め、南部や青森地域
の不況に繋がる。今年のねぶたは音頭取りも跳ね人
も元気が出ない」と愚痴っていたのも思い出す。
賢治が「寒サノ夏ハオロオロ歩キ…」と嘆いた頃
はもっと酷かったらしい。「今は品種改良や冷夏に
強い作物切替えが進んだ」と当時の友から聞いた。
― 148 ―
村田文雄の俳句紀行
卒業
春 近 し 腹 腔 鏡 の 傷 わ ず か
春昼や書きとめしメモ見当たらず
宵 闇 の 腸 壁 灯 す 内 視 鏡
転移無く癌卒業と笑みの医師
朝風に矢車の音カラカラと
遠い日の甘きシベリア水羊羹
うろたえた告知と生還
T
C
喉を突くサイダー一気にラッパ飲み
健康診断の便潜血検査が陽性となり、内視鏡検査
を受けた。腸壁面から茸が生える様な画面で「あり
ゃりゃ」と検査医師は言った。茸の上部の傘は癌の
懸念があり、手術が必要と言う。晴天の霹靂だった。
帰宅して写真を見直す。自覚症状は無いものの隆
起した茸は癌に間違いない。何でよりによって私が
癌にかからなくてはならないのか。泣きたい気持ち
と、死の恐怖に落ち込み、うろたえた。
紹介状と内視鏡写真とともに都立K病院に向かう。
写真を見た医師から「直腸S状部癌」と告知を受け
る。思わず「私死ぬのでしょうか」と尋ねると「五
年間生存出来ないリスクは八%。発症後数年経過し
ているが、遅い進行なので大丈夫。腹腔鏡手術で
す」との回答。手術患者が多く、二カ月間待った。
手術は三時間、入院は十日間、仕事を三週間休ん
だ。以後半年ごとに や内視鏡の検査を受けた。
そして今春、医師から「術後五年、再発・転移無
し。癌から卒業です」と笑顔で言われ、安堵した。
生者必滅のこの世の無情を再認識した五年前。今
後は生かされた命に感謝し、限りある人生を楽しみ
たいと思う。三月五日は生還記念日として心に刻ん
でおこう。
― 149 ―
矢下丁夫の俳句紀行
サイダー
一言が出ずメモを見き夏めけり
今昔の衣装織り交ぜ山開き
サイダーの結露膨らむ妻の留守
閑静に過ぐ昼さがり水羊羹
矢車の機嫌直してからからと
野を畑を鈍色にしてやませ吹く
菜園の傷ありトマト愛ほしく
ラムネ
サイダーの話をしてもついラムネを思いだす。幼
い頃の炭酸飲料はサイダーかラムネだった。家では
サイダー、外ではラムネが多かった。
ラムネはレモネードが転訛したもので、サイダー
の名前はりんご酒シードルに由来するというが、中
身にあまり違いはないようだ。日本での製造、販売
の歴史にも大差はないそうだ。共に広く長く愛飲さ
れてはきたが、どうもラムネの方が多くの人が懐し
く感じているように思える。異形の瓶と中のガラス
玉の所為だろうか。これは、炭酸飲料を自らの内圧
で密閉する当時の閉栓技術によるものだが、括れた
不自然な形や中のガラス玉が飲むときの邪魔になる
ことが、子供心に印象深くさせたのだろうか。異形
ゆえに内容量が少ないことも子供向けとして幸いし
たのかもしれない。
コーラ等の進出に押されて衰退の体もあったが、
近年復活の様子だ。地ラムネなるものも流行ってい
るらしい(地サイダーも)。まだしばらくはラムネ
の情緒が継承されるだろう。
しかし、炭酸飲料も多彩化しており、やがてラム
ネは、伝統的飲み物といった範疇に入ることになる
のではないだろうか。
― 150 ―
安武くに子の俳句紀行
畦焼く煙
風邪に臥せ人の恋しくなりにけり
山開き待たずに逝きし山男
撫でてみる柱の傷や夏来る
子の残すサイダー待ちてママの酒
半メモの時刻迫りて冷汗す
水 羊 羹流し箱ごと頂きし
中 空 を 畦 焼 く 煙 延 々 と
歌の力
風邪籠もりの日曜日、ラジオからユーミンの
「『春よ来い』お聞き下さい」と言う声。コーラス
でアルトを歌った事が有り、軽やかなイントロにに
集中した。しかし、歌い出しは何度もつまずいた。
昨年、コーラスグループを引退したが、出会った
歌には量りしれない力をもらった。『千の風になっ
て』、『バラが咲いた』、『ありがとう』、他数々。
そして、中心には團伊玖磨氏の組曲『築後川』があ
った。
阿蘇外輪山に生まれた一滴の水が流れとなり、有
明海に注ぐ九州最大級の河川筑後川で、第一章「み
なかみ」から「ダムにて」「銀の魚」「川の祭り」
第5章「河口」となる。
川の流れは人生と重なる壮大なドラマという。川
の水は海に還り、壮大な旅をして、又、みなかみに
戻ると言う團氏の思想がある。
「河口」のフィナーレを…から先が、身近かな人
の死から歌えずにいるが、私のフィナーレはと考え
た。もちろん、おまかせに違いはない。
ユーミンの『春よ来い』のお陰で風邪も治りそう。
― 151 ―
山岡英明の俳句紀行
山開き
春風や震災の傷まだ癒えず
古 里 の 矢 車 光 立 て 回 る
酔ひ醒めのサイダーひとり呟ける
入院 の 母へお 見 舞水 羊 羹
新社員一所懸命メモを取る
山開き空 へ空へと 靴弾む
復興へ山背を知らぬボランティア
サイダー
サイダーは、甘味と酸味で味付けされたアルコー
ルを含まない無色透明の炭酸飲料である。元来、イ
ギリスのサイダーは、アルコール入りのリンゴ酒で
あるが、日本ではアルコールを含まない炭酸水にク
エン酸香料・砂糖等を加えて味付けされている。
サイダーの発祥は、横浜の外国人居留地において、
一八六八年、イギリス人のノースレーが製造販売を
始めた炭酸飲料「シャンペン・サイダー」で、その
商品名を略してサイダーと呼ぶようになったという。
夏の暑い盛り、炎天下を歩いて来て飲むサイダー
は喉の渇きをいやす絶好の飲み物であるが、私にと
ってのサイダーは、一升酒のあとの酔い醒めのサイ
ダーが最高であった。特に、昭和四十年代の高度成
長期に頑張って業務に励み大酒をよく飲んだ。サイ
ダーをコップに注ぐとぶつぶつと小言をいっている
ようである。それを一気に飲みこむ爽快感はストレ
スの解消にも役立った。
ただ、酔いが醒めてない時のぶつぶつ話はワイフ
との喧嘩の原因にもなった。
今年は、後期高齢者の仲間入り。糖分塩分控えめ
の生活には、サイダーのスカッとではなくボトルの
天然水を酔い醒めの甘露の味として堪能している。
― 152 ―
山口
修の俳句紀行
サイダー
海からの風に矢車勇み立つ
古傷を化粧で隠し薄暑かな
サイダーや喉で弾くる泡辛し
山開き 先頭 切 るは爺と 婆
煮え切らぬ男が好む水羊羹
メ モ 帳 の 俳 句 今 一 夏 籠
霧に紛れやませ海から這ひ上がる
夏籠
加齢と膝関節症、さらに腰痛などが加わり、外出
が年を追って苦痛になるこの頃である。
まして、梅雨の頃ともなると、エアコンの効いた
部屋居が快適である。
妻は、運動不足が病を悪化させるから、散歩でも
よいから外出せよとうるさいが、部屋居は、古来か
ら続いた「安居」という崇高な精神活動であると答
えることにしている。何のことはない。単に目的の
ない「引き籠り」をしているのであるのだが。
所在がないので、古い句帳やメモ帳を引っ張り出
して読み返してみることがあるのだが、どれもこれ
も出来が悪くいわゆる「今一」の代物ばかりである。
俳句は説明ではなく、もっと感覚的で、象徴的な
ものだとは思っているが、なかなかびしっと決めら
れる言葉やアイデアが閃いてこない。只々俳句の神
様のご降臨を待っているこの頃ではある。
― 153 ―
山口慶子の俳句紀行
メモ魔
ペンペ草鳴らして帰るランドセル
机の傷卒業の子の撫でてゆく
かすみ草メモ魔を名のる米寿翁
花曇 り 点滴 液を 見続け る
初めての登山靴なり山開き
柱の傷子らは異郷の子供の日
花 便 り 搭 乗 口 へ 客 流 る
おさらい会
弥生三月の三味線のおさらい会は、私にとって二
年続きのあわただしい日であった。
昨年は見合いを仲介した二人が婚約し、三月十五
日に結納の儀となった。今風に仲人を立てない結婚
式にするということで、結納には私たち夫婦が仲人
代わりに列席することになったのである。
その日が春のおさらい会。終わるのを待って、結
納式の場所へ急行。時間通りに結納が行われ、まず
は目出度し、目出度し。
今年のおさらい会は三月二十二日。
二月より勤務を始めた、さいたま市の長女から、
三年生の孫が三月二十三日から四月六日まで家に一
人で居ることになるのでとても心配。三月二十二日
までに来てもらえないかとの断れない頼み。
今回は稽古の折、師匠にその旨話すと、出番を早
くするようプログラムを調整してくれ、仲間は「三
味線や着物は預かるので、おさらい会の会場から直
接空港に行くといいよ」とアドバイスしてくれた。
お言葉とご好意に甘えることにした。
当日は、予定通りに事が進み、午後九時過ぎに目
的地に到着できた。
― 154 ―
山田洋子の俳句紀行
竜門石窟
首タオルとりサイダーの山男
凡夫婦いつもの店の水羊羹
山開き尖る白 銀遥かにす
お早ようと矢車まはる保育園
山背波田の面の苗を打ちかぶり
傷も 尊し 龍門石窟夏日影
メモとるも五限の日ざし目借時
町屋人形さま巡り
ガタン、ゴトンは旅のリズム、念願のひとり旅へ
出発だ。いなほ一号に乗り、約二時間半で城下町村
上駅に到着。立て札と桃と菜の花の竹筒活けが目印。
75番迄の町屋と人形四千体とは凄い。廻りきれ
ずに足が棒になるし、三月二日は風花日和。だが町
屋の方々はおっとりと迎えてくれお茶の接待もあり、
土間や囲炉裏、太い梁など歴史ある家物語と、人形
さまの歴代物語を語られる。
享保雛、古今雛、五月人形に武者人形、それに土
雛等が数多く打ち並び、豪華絢爛、飽く事を知らな
い。代々大切に守られて来たお人形の年一回の顔み
せが今年で第十六回目とのこと。箱の出し入れの手
間を考えると頭が下がるばかり。
私はひとり旅の気易さから、芭蕉と曽良の旅籠の
『井筒屋』で、コーヒーを待ちながら 句帳を開く。
お店の方とも話が弾み、二日目も立ち寄り、お昼
のうどんを注文した。梅干しの果肉がのり疲れが癒
された。お礼を述べると、母から教わりましたとの
こと。優しい笑顔が人形の面差しに似て、素敵なひ
とり旅の記となる。
― 155 ―
山本枡一の俳句紀行
遠き日々
「
」
春風に誘われました とメモ残し
恋猫やひねもす舐める傷の痕
一度はと夢見る富士の山開き
サイダー瓶小遣ひ稼ぎの遠き日々
矢車の音に和するや吹き流し
寺嶋斎之助という巷間の俳人(2)
(
(
)
夏痩せや一切れ含む水羊羹
やませ吹く天気図睨む深き皺
斎之助氏、長身痩躯に分厚い眼鏡。背筋ピンとし
寡黙な風情。略歴には、昭和三年浅草日本堤生れ、
昭和十九年より句作を始める。出奔、焼き芋売り等
の浮草稼業、一眼失明。闘病と貧窮の中、句作を継
続、六千句を詠う。この情念は?その軌跡を追った。
敗戦―デカダン、無頼 詩心の萌芽)
八月一五日水撒けば来る赤とんぼ
戦さ無しこほろぎ長い長い髭
未亡人斜めに嗤ひバラ呉れる
転居・再生 抒情を育くんだ地・坂東
冬なぎさ旅の足跡流れ着き
裏窓に秋風を入れ再婚す
厳しさが好き坂東の空っ風
貧窮の中、失われない情熱
剛情を生涯とほす滝の丈
酒場出てまたも孤りや春の雨
梅雨滂沱胎児のごとく眠りたし
炎天や脳のどこかに餓鬼が棲み
郷土の自然へと同化していく安らぎ、救い。
部落部落に筑波山あり焼芋売
坂東を過ぎ海に出る北颪
冬の風消え坂東は草の国
― 156 ―
鎗水稔子の俳句紀行
花の宿
花の宿チャボ優先の散歩道
山 開 き 孫 負 籠 に 湧 蓋 山
サイダーの泡の向かふに弾む子等
矢車や孫と遊びし日の遠く
民族を分ける国境著莪の花
北の旅智恵子の空にやませ吹く
メモしたるメモを探して十二月
兼題は「国」
三月七日と八日、穴井梨影女先生をはじめ、『少
年』小国の十八人が眸子先生をお迎えし、懇親会と
句会を開催。兼題の「国」は事前に出されていた。
まず思い浮かんだのが、「小国杉」「小国富士」
「火の国」。「固有名詞を使う場合は注意が必要で
す」と眸子先生がおっしゃていたのを思い出す。
次に思い浮かんだのが「靖国神社」。登校の際、
靖国神社の前を通る際、上級生を見習って頭を下げ
ていたあの大鳥居。春秋の御霊祭にはサーカスがや
ってきて、ジンタの演奏が教室まで届き、そわそわ
落ち着かず、その度に先生に叱られた。中学一年生
のある日、授業が終わったので鞄を教室に置いたま
ま、サーカスのテントに潜り込み、ピエロの玉乗り
を見ていた。下校時間に気づき、学校に戻ったとこ
ろ、週番の先生にみつかり、大目玉。土曜日は二時
半までに下校する校則になっていたのだ。
雑念ばかりで句がまとまらない。炬燵で四苦八苦
していると、同室の句友が「難しくてどうせできな
いのなら大きくいこう」と言った。その言葉にハッ
とした。(そうだ!梨影先生に連れて行って戴いた
旅行の句を作ろう)と気付いた。そして出来たのが、
朝鮮半島三十八度線をモチーフとした作品である。
― 157 ―
川さち子の俳句紀行
五月の風
盆栽の 林檎の 花や津軽旅
山開き遠きこととし痛む足
姉 妹矢車に風 無き 日 かな
余花の風映して留守のガラス窓
留守宅へメモの押さへに蝸牛
サイダーや昔むかしの空晴れて
麦秋の傷心ジェットコースター
そっと反省
久しぶりに句友を訪ねた。留守かも知れないと思
いながら立ち寄ると、やはり留守。縁側のガラス戸
越しに「ニャーニ?」と言うように、毛の長い猫が
こちらを見ている。何という種であろうか、白黒の
美しい猫である。
「おりこうね。お母さんはお出かけ?」と話しか
けると、台から降りて近寄って来た。
撫でようにもガラス越しでは…と手を振ると、目に
付いたガラスの何とよく研かれていることか。後ず
さりして二階の窓を見上げると、これも又、あたり
の風景や空を映し出して光っている。このガラス窓
を見てもこの方の日常が浮かぶ。お忙しいでしょう
に…と呟きながら帰宅した。怠けていた畑の草の片
付け、生垣も切り、ちょっと生き方を正したような
気になっている。
畑の隅に水を溜めておいた大きなプラスチック箱
の中に、おたまじゃくしがいっぱい生まれて、水に
映った綿雲をパクパク食べている。
― 158 ―
田みゆきの俳句紀行
幽霊に
山巓を仰ぎサイダー一気飲み
噴火せし嶺も祓ひて山開き
女房が船待つ波止場やませ吹く
矢車の高らかに鳴る漁村かな
お転婆の頃の古傷アッパッパ
広縁に運ばれてくる水羊羹
風入れの幽霊にメモ見られけり
膝の古傷
高所恐怖症の今では信じられないほど小学生の頃
にはお転婆だった。駆けっこも結構、得意だった。
クラス対抗リレーの選手をしたこともある。しか
し人を掻き分けても前に出るという気概や要領の良
さが皆目無かったせいか、コーナーワークも下手で、
肝心のところで勝てなかった。
ぶらんこは勝負には関係無いし一人遊びができる
ので大好きだった。そのころ男の子がよくやってい
たのは、ぶらんこを高く高く漕いで握っている両手
の鎖を空中でパッと離し、できるだけ遠くまで跳ぶ
ことだった。遊びといっても勇気は要るし、タイミ
ングを瞬時に決める判断力も必須である。ある日、
誰もいない時に、ふっと私もやってみたくなった。
思いっきり威勢よく漕いで、鳥になったつもりで飛
んだところまでは良かったが、着地に失敗して片膝
にかなりの怪我をしてしまった。 その傷は今も膝
に残っている。
無鉄砲と勇気ある行動とは、明らかに違うものだ。
今の年齢の方が状況を分析して手順や手段を熟慮し
た上で大きな事はできそうである。でも、ぶらんこ
から手を離して空へ飛び出したあの昂揚とチャレン
ジする心を取り戻したいとも思う。
― 159 ―
吉村喜子の俳句紀行
矢車
矢 車に神 舞下 りて 空青く
サイダーを飲む若人ら泡立てて
手作りの淡き味はひ水羊羹
メモ取りしメモ忘れたり茗荷の子
山 開 き 御 札 賜 り 男 体 山
横向くはケルンの頭頬に傷
長 引 きて 冷害 被害 山背風
秩父の山々
五十歳代に入り、暇になったので、山登りをして
みようかなぁということになった。まずは、秩父の
山々に登った。両神山、武甲山、城峰山、大持山、
武川岳、伊豆ヶ岳、有間山、蕨山、棒の折れ山など。
両神山は秩父山地の北端にある山。標高一七二三
メートル。日本百名山の一つ。数回登山道を変えて
登ってみた。面白かったのは八丁尾根コース。鎖場
の連続、スリル満点。剣岳の練習にとカラビナも持
って登ったが、それを使う山ではなかった。両神山
も事情により登山道が変わって来ている。
武甲山は秩父盆地の南側にあり、標高は一三○四
メートル。北側斜面が石灰岩質であり、石灰岩の採
掘が行われている。山頂からは工場の様子が米粒位
に見えた。春浅い頃で山頂には雪が一面残っていた。
棒の折れ山は奥多摩の低山としてよく登られてい
る高水三山の北、埼玉県との県境に位置している。
皇太子様が登った一週間後の青天の日曜日人気があ
った。私達三組が何故か道に迷い、一期一会を実感
した有意義な登山になった。「また何時か山でお会
いしましょう~」。大きく何回も手を振って名残を
惜しんだ。
― 160 ―
和多哲子の俳句紀行
野遊び
ままごとの茣蓙によばるる水羊羹
法螺の音のむせぶやうなり山開き
矢車の軽やかに風まわしけり
山瀬てふニュースの昔ありにけり
野遊びのメモ帳いつもポケットに
湖中句碑遠巻きにして残り鴨
竹矢来 低く 結びし涅槃寺
山瀬
子どもの頃、ラジオで「山瀬風の来てーー」とか、
「今年も冷害が…」のニュースを聞くことがあった。
「山瀬て何?」と父に聞いたりした。夏は暑いもの
と思っているのに。
せっかく育てている稲が実らなくなったりすると
いう。そして、東北地方の寒い夏を思った。
宮沢賢治の「サムサノナツハオロオロアルキ……
…」が思い浮かぶ。
俳誌『蕗』の「リレー随筆」でどなたかが、新潟
の魚沼産の米こしひかりについて書いていらっしゃ
るのがあった。以前はその地方の米は雀も跨いで通
ると言われていた程だった、とのこと。
品種改良や、寒さに強い稲をとの研究と実践によ
り、今ではおいしいお米が出来るようになり、高い
評価を得ている…。
そのような文章だったと思う。今では新潟はもと
より、東北、北海道地方でもおいしい米が収穫でき
るようになり、「冷害」という言葉もあまり聞かな
くなったように思う。
― 161 ―
阿部王一の俳句紀行
夏の風
サイダーを一気飲みする喉仏
水 色 のガラ スの器水 羊羹
登 山 道 合 流 地 点 山 開 き
矢車や風に勢ひつけてゐし
擦り傷は勲章なりし日焼けの子
傷口を広げてしまふ四月馬鹿
メモ帳の買物リストさくらんぼ
東九州自動車道開通
子どもの大学入学準備のため三月に二度、別府と
宮崎の間を自家用車で往復した。
一度目は東九州自動車道が開通する前で、佐伯I
Cから北川ICまでを主に国道十号線で宗太郎峠を
越えた。旧北川町には道の駅があり、ここで休憩し
たのだが、そのとき自動車道開通後は利用者が減る
のだろうな、と思った。
二度目は佐伯・蒲江間の開通後であった。「佐伯
~延岡南は無料区間」となっていて、意味が分から
なかったが、佐伯ICで料金を支払った後、そのま
ま自動車道を走ることになる、ということだった。
そして延岡南ICから再び有料区間となる。その間
のICには料金所が設定されておらず、乗り降り自
由となっている。何とも不思議な自動車専用道路で
ある。別府から南にはサービスエリアが無く、道の
駅がその機能を代替するようだ。
大分県のホームページにはよれば、東九州自動車
道には「生活の道」「命の道」「活力の道」という
三つの役割が期待されている、とのこと。確率が年
々高まっている東南海・南海地震に間に合ってよか
った。
― 162 ―
荒木輝二の俳句紀行
今もなほ
山開き何事も無事祈りしや
サイダーや少し自慢げ飲みし頃
今もなほ癒へざる夏の恋の傷
スプーンで水羊羹をつまむ吾
風 ありて 矢車 回る夏の 頃
あちこちにメモのありしも夏夕べ
海を越へ山を越へ来るやませかな
サイダーとラムネ
幼い頃は、近所の駄菓子屋に十円玉を持って、ラ
ムネを買いに行った。夏の暑い盛り、そのラムネは
本当に美味かった。ラムネの瓶の中にあるビー玉を
取り出すことも面白かった。ラムネ瓶を割ってしま
うというリスクもまた面白かった。
ラムネは庶民的な飲み物、冷蔵庫にあるサイダー
は少し高級な飲み物という記憶がある。ラムネは駄
菓子屋で買い、サイダーは冷蔵庫から出して飲むこ
とが多かったことが影響しているのかも知れない。
しかし、ラムネはだんだん姿を消していったが、
サイダーはメーカーの方針もあり、「三ツ矢サイダ
ー」の商品名で連綿と今日まで残っている。
ラムネとサイダーの成分的はほぼ同じである。ラ
ムネはあらかじめ瓶にビー玉がくびれた所で固定化
され、飲む時栓で圧力を加えると一定の音をともな
い、ビー玉が崩れ、飲めるようになる。最近は、ス
ーパー等で販売されるようになり、懐かしい。
サイダーは飲む時、栓は必要なく飲める。アルミ
缶に入ったサイダーもある。しかし、ノスタルジー
を感じるのはラムネである。
― 163 ―
阿部鴫尾の俳句紀行
居酒屋
啓蟄や 球根の芽も 一斉に
鳥の声聴きて目覚めの朝寝かな
花冷えや術後の傷を語る夜
居酒屋にサイダー有りとお品書
気になりしこと忘るるや水羊羹
鎮魂 の装ひ あら た山開き
矢車の廻る音聴くや保育園
庭木の剪定
「冬の剪定木を枯らす」。昨年受けた剪定講座の
先生の開口一番を思い出し、冬に剪定するご近所を
横目に、なにもせず来たのであった。見廻すと、花
が散り終わった山茶花、早咲きの椿、月桂樹、木犀、
松、柊、金柑、枇杷などが勝手気ままに伸びて風通
しを悪くしている。剪定の時期到来である。
毎年のことなのであるが、暖かい穏やかな日を選
び、梯子を出し、鋸と剪定鋏を持ちだして、「こん
な楽しい作業を人に委ねるなんて、しかもお金まで
付けて」などと言いながら、いそいそと作業をする。
伐採した枝を束にして積み上げ、これを眺めての夕
餉のビールだった。
だが今年はちっと様子が違うのである。何時もは
冬の間に伐っていた柿・花水木などの落葉樹が残っ
ているので、例年よりも量が多いのである。そんな
ところを見透かしたかのように、若者三人の写真入
チラシがポストに放り込まれていた。「私達が、庭
木一本からの剪定に応じます。お気軽にご連絡下さ
い」と。
ぐらっと、なりそうになったが留まった。まだま
だこんな楽しいことを手放してたまるものかと、今
年も頑張ることに決めた。
― 164 ―
穴井梨影女の俳句紀行
懐古
雛おさめ母の墨字のメモ古りぬ
くすし
大 杯 の 正 座 は 薬師 山 開 き
踏ん張つて矢車見上ぐ畑隣
洗ひ張り母の帷子かく傷み
美 し き 焼 山 火 の 宮 雨 の 宮
焼け残る萱筋吹かれ唯無聊
やませかぜ牛飼減りし里に吹く
小さなスナップ
女学校二年、十四歳の春だった。裁縫(洋裁)の
授業で、ジャンパースカートを縫うことになった。
七人兄姉の末であった私は、常々、寄宿舎でも、
級でも、妹だ、弟だとの話をする友が羨ましくてな
らなかった。甥っ子しかいない私は(そうだ、分家
の従妹の淑ちゃんに縫ってあげよう)と、赤黒白の
チェックのウール地を買った。
私の頭には型が決まっていた。十六の襞をもった
可愛いジャンパースカートが出来た。早速、先生へ
提出、次の週「甲の上」をいただき、意気揚々と皆
に見せた。春休みの帰省日も間近。わくわくしなが
ら小包をつくり、分家の叔母さんに送った。喜びの
返事がすぐに来た。春休みがさらに嬉しく待たれた。
帰省翌日、叔母さんが来て「このスカートどうや
って着せるの?」と聞く。私は(!?) 遊んでい
た淑ちゃんを坐らせ、得々とスカートの襞を落下傘
のように広げ、頭から被せた。と如何にや如何に、
頭が出ないのである。アレ!? 顔を上げると、母
と叔母とが側でニヤニヤ笑っている。私も笑い転げ
た。肩の一方のスナップ留めを失念。オッチョコチ
ョイで抜けた私の「甲の上」が大失敗の巻。何事に
も細心の注意が必要なことを悟されたのであった。
― 165 ―
飯野亜矢子の俳句
星の雫
サイダーのシュワシュワ弾け一気飲み
ひと試合終へてサイダー一気飲み
擦 傷 の両 肘 かわ い四才 児
春耕の朝読み返す父のメモ
水羊羹仲見世路地のふたつ先
青信号次々変はり春日濃し
犬ふぐり星の雫を集め咲く
受検生なのに
ももくろクローバーZと言う五人組女性アイドル
グループをご存知であろうか?
我が家の孫が今夢中になっているアテドルである。
テレビ出演があればビデオに録画し、CDが出れば
すぐ買う。コンサートにはすぐ応募し、当選すれば、
一と月以上毎朝毎晩うるさいくらい自慢し、黄色い
シャツを着て、ペンライトを持ち一緒に踊るらしい。
とは言え私も、ももくろ情報に敏感になっていて、
すぐにビデオを撮ったり、協力してしまう。
思い出して見れば、私達の若い頃は「御三家」の
時代。私は舟木一夫が好きで、劇場に行ったり、写
真を撮りに行ったりしたものだ。グループサウンズ
が盛り上がっていて、一曲しか有名にならなかった
あのグループにも夢中になっていたような気がする。
余り文句は言えないのだ。みんな一度は通る道なの
かも知れない。
荒木輝二さんは前号のエッセイに、七十歳を過ぎ
た今も、一人の女性歌手の「おっかけ」をしている
と、書いていた。それはそれでいいと思う。問題な
のは、孫は今中学三年生、受験生である点である。
― 166 ―
五十嵐千恵子の俳句紀行
サイダー
小銭持ち歩きサイダー買ふ町湯
湯上りにサイダー一気飲む至福
爪楊枝刺せば崩るる水羊羹
松 明 の 御 神 火 下 り 山 開 き
矢 車 の 雨 に 音 な き 庭 淋 し
更衣隠せし傷を見られたる
メモ添へてカーネーションの束届く
家族旅行
四年生の孫は、幼少の頃、曾祖母とテレビの大相
撲中継を見ていた。そのうちに、相撲が大好きにな
り、力士の名前をほとんど覚えた。孫が四歳の時、
両国国技館で大相撲の初場所観戦を見せるため、家
族旅行をした。
六年振りの東京への家族旅行は、孫も二人から三
人に増え、孫の要望する所へ行くことになった。一
日目のディズニーランドでは時間に追われ、私も皆
と突っ走った。二日目はホテルに車を置き、地下鉄
を利用し、歩ける所はどんどん歩いた。長谷川町子
美術館で、さざえさん一家のパネルと記念写真をパ
チリ。浅草寺では、混み合う中、露店で昼食を済ま
せ、目先に見える東京スカイツリーへと墨田川沿い
を歩いた。東京スカイツリーでは天望回廊まで行き
眺望した。三日目は午後から帰る予定だったのに、
四人が次々と体調を崩し、日程を早めてホテルを後
にした。体調を崩した息子が脂汗を流しながら運転
してくれた。四年生の孫と私は元気で一杯で旅行を
楽しんだ。
久しぶりの東京方面への旅行に私を連れていって
くれた息子や、楽しませてくれた家族に感謝したい。
― 167 ―
佐藤一歩の俳句
中村沙佳の俳句
やませ風まつ先に来る膝頭
矢車にひたすら乾く昼の月
碑の梵字道に覚めをり山開き
友の文字乗せて届きぬ水羊羹
禁煙の指寂しかりサイダーのむ
マレットの後のサイダー皆笑顔
矢 車の音里山に吹き渡 り
朝夕に手合はす八ケ岳の山開き
一声 し真つ 青な空鳥帰 る
春うらら一言のメモ置かれをり
指先の小さき傷も春を待つ
春うらら
消しゴムで 消せぬ傷心炬燵塞ぐ
労 ひ の 水 羊 羹 に 長 電 話
梵字
新入生待つ校内のメモ掲示
― 168 ―
章
虚 子 嫌 い が 読 む 虚 子 の 歳 時 記 〈一 ○ 九
後藤
〉
◆小粉團の花
ここでは風生のとてもいい句を紹介して終
わる。
こでまりに端居の頃となりにけり 風生
◆楓の花
どうもこの季題は新しいのかもしれない。
例によって改造社「俳諧歳時記」にはどのよ
うな記載がしてあるのかと調べてみると、こ
れがないのである。ないということを確認す
るのはなかなか大変である。索引にあたって
ないと確認しても駄目である。全ページを見
て確認するしかない。過去に手ひどい間違い
をしているから。しかしやはりないのである。
あったのは、楓の芽であった。何回も書い
ているが、改造社「俳諧歳時記」の春、冬の
部は編集を虚子が担当している。この出版が
昭和八年、虚子の「新歳時記」が昭和九年に
初版である。この時系列において改造社「俳
諧歳時記」には楓の花がなく、楓の芽のみで
あるが、一年遅れで出た「新歳時記」では楓
の花、楓の芽、両方採用している。
ここに分かれ目があるようである。江戸末
期の「俳諧歳時記栞草」(一八五一年)では
楓の花は勿論、楓の芽もない。「滑稽雑談」
(一七一三年)、「毛吹草」(一六四五年)
にも両方ない。明治期の歳時記を調べなけれ
ばはっきりしないが、楓の芽、花に注目しだ
したのは写生俳句の隆盛に伴う事なのではな
かろうか。
この歳時記の解説を読むと何処に惹かれて
いるのかが分かる。このような美というのか、
ものを季題として取り扱う心情は何処から生
まれてきたのであろうか。写生の精神が見つ
けたとしかいいようがなかろう。
「楓の若葉が少し開きかかると、もうその
葉陰々々に小さな花をつけてゐる。暗紅色の
淋しげな小花である。この花はすぐ翅のやう
― 169 ―
な実になるが、花よりも実の方が美しい」
これを秋桜子が表現すると次のようになる。
(断っておくが虚子の歳時記も、秋桜子のそ
れも本人が解説を書いたとは考えていない。
しかし両人の目を通したものとして、その考
えが現れているものとは考えている)
「美しい楓若葉のかげに隠れ咲く暗紅色の
細かい花は、目立たないけれどもそれだけに
却ってあはれさが有り、心を惹くものである。
散りこぼれてゆくのはましてあはれ深い」
前者の客観的な記述に比べて、秋桜子のも
のは「美」と「あはれ」で規定されている。
これをして虚子が小主観といって、秋桜子の
傾向に危惧していたのならば正解である。こ
の狭さが虚子にはなんともいやらしいのであ
ろう。
◆松の花
「十返りの花」という傍題がある。百年に
一度花が咲くということでこの言葉があるら
しい。十年に一度咲くというのもある。
しかし毎年花は咲くのであるからこれは完
全に嘘である。それもよく観察していれば、
昔でも分からないはずはないのにこのような
名がついたのは何故か。それと「緑立つ、若
緑、若松」との関係はどうなるのだろう。
まず文献的に現れた状況を順序立ててみる。
「毛吹草」(一六四五年)では、連歌四季之
詞、初春の項に載っている。しかし「松の
花」と書いてそのすぐ下に小さな字で「初
緑」、「若緑」と添え字してある。解説はな
い。
「俳諧御傘」(一六五二年)では、「若
緑」の題で「松の緑。雑也。緑立つは春也」
と書いている。また、「松の花。百年に一度
づつ咲く物なり。初春なり。正花にはあら
ず」とも書いている。
「滑稽雑談」(一七一三年)では、正月の
部下に出てくる。時珍曰ではじまり、藻塩草
の註を引いている。「十がへりの花」に言及
している。また「松の花・若松・初みどりな
どとて春に可用」と書いて、松の花と若緑を
同等のものとしている。
「俳諧歳時記栞草」(一八五一年)では、
― 170 ―
これも正月に分類され、松の内の隣に出てく
る。解説は「滑稽雑談」とほとんど同じであ
る。「十かへりの花」を傍題としている。ま
た、若緑については別立てで採用していて、
解説は本草綱目によって記述している。
改造社「俳諧歳時記」(一九三三年)では、
春に分類し、月別ではないが、桜の後に出て
きて木瓜の花の次である。「十返りの花」は
別立てで次に出てくる。解説はどちらも植物
図鑑のごとき客観的書き方である。ただ、
「十返りの花」では藻塩草を引いて名の由来
を書いている。若緑も別立てで解説に御傘を
引いている。
「新歳時記」虚子編(一九三四年初版)で
は、四月の項に出てくる。「十かへりの花」
を傍題にしていない。解説でもこのことには
触れていない。若緑は別立てでかなり後に出
てくる。これはこの歳時記の場合、季節的に
松の花より後という意味になる。四月も終わ
りに近い感覚である。
平凡社「俳句歳時記」(一九五九年初版)
では、春の部で採用、若緑も別にある。解説
で晩春という言葉を使用している。「十返り
の花」にも言及している。
「新編歳時記」秋桜子編(一九五一年初
版)では、ちょっと異変がある。初夏に分類
し解説に「五月の声を聞くと…」と書いてい
る。若緑については索引に「みどりたつ」二
〇三頁とあるが、「みどり」だけが有り万緑
などの解説はしているが「みどりたつ」には
触れていない。目次には「若緑」「みどりた
つ」もない。杜撰である。
「藻塩草」=一五一三年に宗祇の弟子であ
る連歌師の宗碩が書いた歌語辞書。
時珍=李時珍 一五一八年-一五九三年 中
国、明末の博物学者・薬学者。民間にあって
『本草綱目』の著述に一生をささげた。刊行
されたのは没後の一五九六年。
さて整理してみると、「松の花」「十返り
の花」は一五一三年の歌語辞典である藻塩草
まで遡る事になる。連歌四季之詞として毛吹
草(一六四五年)にあるのはその為であろう。
このあたりまではいわゆる和歌の詞である。
俳諧の季題として採用されたのは「俳諧御
― 171 ―
(
)
傘」(一六五二年)あたりだが、松の花とし
てではなく若緑であった。しかし今の所「俳
諧御傘」本体にあたっていないので確定では
ない。
しかしいずれにしても江戸期末期の俳諧歳
時記「栞草」(一八五一年)までは、松の花
も十返りの花も若緑も同じことをさしていた
ようである。そうして大事な事は初春の季題
としている事だ。これはかなり実態の自然現
象と乖離している。滑稽雑談(一七一三年)
の作者はこのことに気づいているようで、藻
塩草の百年に一度咲く云々に続いて「然ども
是等は、都(すべて)て春にはきはめがたき
歟(か)、実(まこと)には春毎に蕊を抽出
て黄白色の蕊をあらはすを、松の花・若松・
初みどりなどとて春に可用、然どもその十が
へりのめでたきためしに准へて、歌などにも
よみし也、俳諧にも其心得あるべし」(括弧
内の読みは筆者の解釈)と書いている。
一七一三年には「和漢三才図会」というい
わば百科事典が編まれた年であり、本草綱目
は最近の調べでは一六〇四年には日本に渡来
している。つまり日本における博物学はかな
り進んだ時代であったのである。写実画の大
家円山応挙は一七三三年に生まれているが、
其の写実の態度はこのような時代背景にも因
るのであったと思う。
滑稽雑談の作者もこの時代の雰囲気の中で
上記の記述をなしたのである。詞が歌の世界
から実の世界にシフトしつつあった証左であ
る。明治よりはるか前にリアリズムの芽は日
本に芽生えていたのである。
「十返りの花」というのは、千年に一度花
が咲くとか、百年に一度咲くので千年で十回
咲くというところから来ているらしいが、こ
れは松の花粉が古来中国では稀に採取できる
薬で王様に献上したものらしい。白居易や蘇
東波もこれを飲むと幸せになるとか、若さを
保つ事が出来るとか詩に詠んでいる。
実際の所、松の花粉はその薬効に現代の科
学でも注目しているらしい。これらの伝聞が
迷信の時代の日本の宮廷にも伝わり歌語とし
て定着したのであろう。
昭和八年の改造社「俳諧歳時記」は松の花
― 172 ―
と若緑は別々に取り上げている。そして季節
的にも晩春に配置している。「新歳時記」虚
子編は翌九年に刊行しているが、同じ虚子編
纂でも、十返り花についてはきっぱりと捨て
ている。この辺が面白い。そして秋桜子に至
っては初夏に配置換えしている。実際現在で
は五月に見受けられる花である。
この辺が、詩とリアリズムの攻防といった
ところで、実に興味深い所である。
幾度か松の花粉の縁を拭く 虚子
昭和十九年
― 173 ―
直
銀幕の季語たち(十五)
溝口
サウンド・オブ・ミュージックの「風薫る」
真っ白な雲の中からカメラは大俯瞰撮影で
降りてくる。まるで薫風の中を突き抜けるよ
うに…。ロバート・ワイズ監督のミュージカ
ル映画「サウンド・オブ・ミュージック」の
冒頭シーンである。
風に光る湖水、緑に輝く草原、オーストリ
ア・ザルツブルグ地方の自然を、これほど美
しく印象的に捉えた映画が今までにあっただ
ろうか。
緑の丘の上では、若い尼僧のマリア(ジュ
リー・アンドリュース)が薫風をいっぱいに
受けて歌い踊っている。彼女はあまりの気持
ちよさに、修道院へ帰る時間を忘れてしまっ
ていたのだ。気がついたマリアは大慌てで尼
僧院に飛んで帰った。
この後、マリアは院長の命令でオーストリ
アのアルプス近くに住むフォン・トラップ海
軍大佐の家を訪ねる。そして七人の子供たち
の家庭教師をすることになる。いたずら盛り
の子供たち。厳格な父トラップ大佐。しかし
マリアは持ち前の明るさと優しさで、すぐ子
供たちと打ち解けてしまう。
トラップ大佐の留守中に、アルプスの丘の
上で子供たちに歌を教えるシーンは楽しい。
「ドはドーナツのド、レはレモンのレ、ミは
みんなのミ…」これがかの有名な「ドレミの
歌」だ。わかりやすいメロディーと歌詞(歌
詞は日本人用にこのように変えられている)
で、もはやこの曲は映画音楽の域を超え、日
本の愛唱歌になっている。
ストーリーは実話。マリアはトラップ大佐
と結婚する。しかしナチスの台頭で一家は亡
命。アメリカでトラップ・ファミリー合唱団
として成功する。
アルプスの緑、風薫るザルツブルグの丘、
今も日本人の観光客が引きも切らないという。
(二○○二年〔平成十四年)五月五日
「俳句文学館」より転載)
― 174 ―
雄大なアルプスの自然の中で歌い躍る尼僧のマリア
― 175 ―
穴井梨影女
梨影女の俳句夜話(六)
湖畔の句会
御孫姫宮様の「出雲」へ門出の佳き日、玄
関までお見送りのテレビ放映に、三笠宮殿下
と同妃殿下のお姿を拝して、突然おなつかし
い昔日を思い出した。
昭和二十七年八月、「フォークダンス全国
レクリエーション大会」が、三笠宮殿下同妃
殿下を熊本にお迎えして開かれた。
その後、どのような仕儀でこうなったのか
忘れたけれど、思いがけなく宮様を囲み、俳
句会をして、江津湖でおくつろぎいただく事
になった。
この頃、「三笠若杉」と俳号をお持ちの殿
下が、はじめて鎌倉に、虚子、立子先生をご
自分の意志で訪ねられたご様子を『玉藻』誌
で拝した事があり、何とも爽やかで明るくて
親しい宮殿下と想像申し上げていた。
江津湖畔にお出迎えしたのは、横井迦南先
生、阿部小壺、大久保橙青、有動木母寺、河
野扶美女、穴井梨影女であった。
九州で一番暑い標準にされている熊本死の、
最も暑い時季であった。一応ご挨拶が済んだ
ところに、若杉殿下が「失礼しましょうよ」
とおっしゃ った。そのお言葉に、皆さん背広
の上衣を脱ぎ、ネクタイを弛めたり、取った
りされ、身軽なワイシャツ姿になられた。と
はいえ、従姉の扶美女と私は、簡単服という
わけにはゆかず、上布の着物で緊張していた。
* * *
炎熱下ギラギラと目を刺すような湖面の眩
しさが展けている中、暑さに一番弱い私は、
湖畔のとある大樹の蔭を頼みに、心を鎮めん
と屈み込んだ。一人の句作の静かな時間が進
む。落ちついて、ふっと顔を上げ見廻した途
端、右手の家の開かれた窓際に、いつの間に
― 176 ―
三笠宮殿下を囲んでの俳句会
三笠宮殿下を囲んでの記念写真
― 177 ―
か、籐椅子にゆったり凭れて、湖を眺めてお
られる、ワイシャツ姿の若杉殿下のお姿があ
った。
どんなお句をおつくりかなと思っていると、
思わず目が合い、私は驚いて一礼申し上げ、
湖畔の歩を移した。
締切間近となったので部屋に入ると、机上
に硯箱と小筆、半紙の句短冊が一人ずつ置か
れていた。又心臓がどきどき、ばくばくして
くる私が悲しく恥ずかしかった。
何度か読み上げられ、名乗りゆくうちに落
ちついて来たが、この日の句を一句も思い出
せない。ただその後、出席者七名の墨字の短
冊が並ぶ額縁がこの部屋に掲げられていたの
を、恥ずかしく眺めた事が思い出される。
記念写真を撮るとて庭に誘われる。一番に、
お立ちの殿下に此処にいらっしゃいと招かれ、
殿下の右側のお傍ら近くに侍る。前に丁度腰
を下ろせる大きな石があり、それに畏まって
腰を下ろしたのは従姉の扶美女。後日の話で、
「その時、火傷しそうに熱く灼けた石であっ
た」と笑い話になった。
* * *
大広間の床の間の前に並び坐り、お茶を戴
く。遥か下座の簾の陰より正装のご婦人が一
人ずつ捧げ持ち来て、お茶をすすめ下がられ
る。次いで「うなぎの蒲焼」の御膳が運ばれ
てくる。若杉殿下はさっと蒲焼の器を取り上
げ、御飯の器にばーっとお掛けになった。ほ
っとしてお伴の皆も殿下にならい食事となっ
た。最後にやっとお茶を戴いた途端、すーっ
と風の様にお付きの方が近づき、後ろより横
長い手鏡と櫛を差し出された。それを受け取
られた殿下は、素早く髪を梳かれ、身仕度を
整え、あっと思う間に立ち上がられた。市内
の道筋には、大勢のお迎え、お見送りの人々
が○時○分頃とお待ち申し上げらている。
こんな驚く程めまぐるしく決められたお時
間がおありの殿下の、ご健康を心より願い、
旅の恙無きをお祈りし、今日の一日の句会を
感謝し、お見送り申し上げたのだった。
― 178 ―
代士子の万華鏡(五十六)
篠﨑代士子
「マッサン考」
今日でも、スコットランドまでは、飛行機
で十四時間かかる。大正時代は、船で五十日
はかかっていた。生きて帰れるかどうかもわ
からない旅であった時代、ウイスキーの勉強
のため、海を渡った竹鶴政孝の行動力と、ス
コットランドの医者の娘リタとの純愛を基調
とした、NHK朝ドラマ「マッサン」が好評
のうちに終了した。
大正七年冬、スコットランドで出会い、恋
に落ちたふたりは、周囲の反対を押し切って
結婚、苦難にも負けず、夢を追い続けた。
国産ウイスキーの夢に掛けた夫の情熱を支
え続けたリタとの国際結婚の珍しかった時代
の夫婦の絆の美しさを見事に描いた物語の評
判はよかった。
ドラマと実像の差もあまりないらしく、ニ
ッカウヰスキー社長の中川圭一氏は、「私の
週間食卓日記」の中で、次のように語ってい
る。「『マッサン』を鑑賞していて、一部枝
葉のところは脚色もあるが、大筋は史実と同
じ」と記している。
ウイスキーは十五世紀頃、ヨーロッパ北部
のアイルランドやスコットランドで造られよ
うになった蒸留酒である。
スコットランドに出張した夫が、本場物の
スコッチ・ウイスキーをおみやげに買ってき
たことがあったが、燻し臭かったと記憶して
いる。
世界五大ウイスキーは「スコッチ」「アイ
リッシュ」「アメリカン」「カナディアン」
「ジャパニーズ」であり、日本のウイスキー
は穏やかでハーモニーのとれた飲みやすいウ
イスキーとのことである。
「竹鶴政孝とウイスキー」の著者である土
屋守は「マッサン」のウィスキー考証を担当
している。
ウイスキーと竹鶴政孝氏の物語は、史実と
― 179 ―
マッサン
竹鶴政孝とウイスキー 土屋守
― 180 ―
同じであるが、脚色された戦中戦後の女学生
の服装や言動に違和感を覚えた。
戸棚の奥から、大分合同新聞企画の終戦前
後の「別府高女」の学徒動員や戦後の教育等
の忘れきった記事が見つかったので転載し、
戦後七十年の記憶を新たにする。
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別府高女(9)
《転載》「大分合同新聞」昭和六十年九月十二日
七十五年の刻み
戦後教育がスタート
食糧難、物価高騰の中で
「終戦の詔書」が発せられた日も二年生は、無
心に開墾作業に精を出していた。昭和二十年、本
土決戦が迫るとともに授業は四月から一年間停止
された。
この年、学徒の勤労動員は、二年生まで繰り下
げられた。そのラインに引っかかった二十八回生
は、七月の炎暑のひと月を、杵築で農兵隊と一緒
に「イモ植え作業」に励んだ。合宿のつらさは、
寂しさと空腹であった。夜になるとだれかがシク
シク泣き出す。次々にすすり泣きが広がっていく。
体調をくずして帰宅してしまった人もいた。
七月十六日、夜半の大分大空襲を、ふるえなが
ら眺めたのも、高台のこの宿舎からだった。燃え
さかる炎に抗することのできない無常感を味わっ
た。
そして混乱の戦後へ。授業は九月一日から始ま
った。
戦後の教育は、平和と文化国家の建設を目指し
て民主主義教育体制を整えることからスタートし
た。国民生活は、極度の食糧難、生活物資の不足、
物価の高騰で苦しんでいた。
学校のまわりの広大な松林は接収され、チッカ
マグワ・キャンプが出来た。キャンプの中の通学
路は通行禁止になり、う回した。
教科書も平和国家に都合の悪いところは、墨で
くろぐろと塗りつぶす修正削除の指導が行われた。
中止されていた英語の授業も再開された。校庭
のイモ畑、防空ごう、防火用水も徐々にとり除か
れ、テニスコートやバレーコートに戻った。
二十一年二月二十六日の新聞に奉安殿改造の記
事があった。
校友会誌「湧き出づる力」の復活本としての
― 181 ―
昭和 19 年 4 月入学 モンペを穿いて入学
(昭和 60 年 9 月 12 日 「大分合同新聞」掲載)
昭和 19 年 10 月 上級生が福岡へ学徒動員
(昭和 60 年 9 月 12 日「大分合同新聞」掲載)
― 182 ―
終戦後の運動会に繰り出した仮装行列のメンバー
― 183 ―
山岡英明
英明 さんのフ ォト アルバ ム(三 十二)
~花 ま つり~
花 ま つ り は 、 四 月 八 日 に お 生 まれ に な った お釈
迦 さ ま の 生 誕 を お 祝 い す る 日 のこ と で あ る。 そ し
て 、 お 釈 迦 さ ま が お 生ま れ に な った 時 「 天 上 天 下
唯 我独 尊 」 と言 わ れ た と いう 。 私た ち 一 人 一 人の
か けが えの ない 生命 の尊 さを 思 う日で も ある 。
お釈 迦 さ ま は 紀 元 前 五 世紀 頃 、ネ パ ー ル の ル ン
ビ ニ ー の 花 園 に て お 生 ま れ に な った と い う。 母親
の 摩耶 夫 人 は 、 白 象 が 体 に 入 る 夢を 見て 、 お 釈 迦
さまを 身籠もったと伝 えられて いる。 お釈迦 さま
の 誕 生 に ま つわ る 様 々 な 出 来 事 は 、 仏 誕 図 に 描 か
れ て い る 。 大き な 宮 殿 、 龍 の 口 か ら 香 湯 を 浴 び る
お 釈 迦 さま の 姿 、天 地 を 指 差 す 姿 な ど 画 面 全 体 を
通 して お 誕 生 日 が 華 や か に 表 さ れ て い る 。
花 ま つり の 名 称 は 、 明治 時 代 に灌 仏 会 の 日 付 の
四 月 八 日 が 桜 で 満 開 に な る 頃で あ る こ と か ら 、 浄
土 真 宗 の 僧 ・ 安 藤嶺 丸 が 提 唱 し 、 そ れ 以 来宗 派 を
問わ ず 灌 仏 会 の 代 名 詞 と し て 用 い ら れ る よ う に な
っ た と い う 。 花 ま つ り は 釈 迦 の 誕 生を 祝 う 仏 教 行
事で あ る ので 、 寺 院で は 灌 仏 会 法要 が 行 わ れ る 。
英明
お 寺 が 経 営 して い る 幼 稚 園 や 保 育 園 で は 、 子 供
達 に と っ て 甘 茶 を 戴 く 日で あ る 。 多 く の お 寺 は 稚
児 行 列 を 出 し た り 、 白 い 象 の 引 回 し 等 を 行 って い
る。 疎開 した 田舎 の お 寺で は 、 日 曜学 校 が あり 、
花 ま つ り に は 、 地 域 の 幼 児 を 動 員 して 稚 児 行 列 が
行わ れ て い た 。 白 く お 化 粧 を し た 稚 児 行 列 は 、 私
に と って 見 た こ と も な い 不 思 議 な 世 界 の 記 憶 と し
て 残 って い る 。 昨 年 、 護 国 寺 の 花 祭 り で 拝 見 し
た。
日 本で は 、 様 々 な 草 花 で 飾 っ た 花 御 堂 を 作 っ て 、
その 中 に 灌 仏 桶を 置 き 甘 茶を 満た す 。 誕 生仏 は 、
宇宙 間に自 分よ り尊 いも の は ないと い う意味 の 像
で あ り 、誕 生仏 の 像 を そ の 中 央 に 安 置 し 、 柄 杓で
像 に 甘 茶を か け て 祝 う。 甘 茶 を か け る の は 、 釈 迦
の 誕 生 時 の 産湯 使用 の伝 説 に 由 来 し 、 その 像 に 甘
茶を か け る の は 人 間 一 人ひ と り が 宇 宙 に 唯 一 つ し
か な い 命を 戴 いて い る尊 い 存 在の 姿 に 祈 りを さ さ
げ る の で あ る。 甘 茶 は参 拝者 にも ふ る ま わ れ 、 甘
茶を 戴き な がら 、命 の尊 さ に 一層の 思 い を は せ 、
楽 し く 生き て い け れ ば 幸 いで あ る 。
花まつり稚児行列の新たなり
― 184 ―
①
③
④
②
⑤
⑥
①灌仏会奉納行列 護国寺 ②灌仏会法要 護国寺 ③稚児行列 護国寺
④仏誕図 浅草寺 ⑤園児奉納踊り 浅草寺 ⑥甘茶掛け 浅草寺
― 185 ―
~ 昭和 の日 ~
「 昭 和の 日 」 は「 激 動 の 日 々 を 経 て 、 復興 を 遂
げた 昭 和の 時 代 を 顧 み 、 国 の 将 来 に 思 い を い た
す 」 と して ゴ ー ル デ ン ウ ィ ー ク を 構 成 す る 祝 日 の
一 つ と して 制 定 さ れ た 昭 和 天 皇 の 誕 生 日 で あ る 。
二 〇〇 七 年に 四 月二十 九 日と制 定された 。四 月二
十 九 日 が 「 昭 和 の 日」 と な る ま で は 「 天 皇誕 生
日」 、 崩 御後「 みどり の 日」と な った が 、「 み ど
りの 日」は五月 四日に移動 した 。 昭 和を 記念す る
施 設 と して 、 昭 和 記 念 公 園 、 昭 和 館 が あ る 。 「 昭
和の 日を お祝 いす る集 い」 も開 催されて いる。
昨 年の 昭 和 の 集 い に 参 加 し た 。 ユ ニ ー ク な雰 囲
気 に 感 じられ た 。 相 撲 解 説者 の 舞 の 海 氏 が「 昭 和
天 皇 と 大 相 撲 」 と 題 して 、 皇 室 と 大 相 撲 の 繋 が り
等 講 演を され た 。
〈 父母 よ 昭 和は 雪 の 日の 多 き 辻 直美 〉の 句
は 、 昭 和 と い う 時 代 へ の 郷 愁 を 思わ せ ら れ る。 父
は 大 正二 年 生 、 母 は 大 正三 年 生で 、 第 二 次 大戦 後
の 困 窮 な 時 代 に 頑 張 って 育て て 戴 いた 父 母 に 感 謝
して い る 。 激 動 の 昭 和 の 時 代 は 雪 の 日 の 多 き が ふ
さ わ し い 。 父 母 は 昭 和 の 時 代 を 生 き 抜 いて 、 父 は
平 成 九 年 、 母 は 平 成 二 十 三 年 に 鬼 籍 に 入 った 。
英明
私 の 記 憶 に も 昭 和 時 代は 雪 の 多き 想 い が あ る 。
雪 が 降 って 寒 い と 感 じ る よ り は 、 頑 張 ろ う と い う
楽 し さ が 有 っ た よ う に 思 う。 三 月 の 下 旬 に 大 雪 が
降 り 、 電 車 が 動 か ず 歩 いて 会 社 に 言 っ た 覚 え も あ
る 。 昭 和 十 五 年 生れ の 私 に と っ て の 昭 和 は 、 戦 後
の 疎 開 生 活 の 貧 困 、 昭 和 四 十 年 代 の 高 度 成 長期 の
日曜祭日を 顧 みない 仕 事の頑 張り等、元気 の発 揮
で き た 楽 し き 残 る 時 代で も あ った 。 私 の 昭 和 時 代
で の 心 に残 る 一 つを 上 げ る と すれ ば 、 昭 和 五十 八
年 に J I C A か ら 中 国 へ 技 術 指 導 で 行 ったこ と で
あろ うか 。 中 国 の 内 陸 の 石 炭 を 輸 出 す るた め 、 兌
石 線 敷 設で の 耐 震 指 導 を 行 い 、 合 間 に 北 京 ・ 天 津
・ 曲 阜 ・ 唐 山 地 震 跡 ・ 青 島 等 の 見 学 は 初 めて の 経
験で 楽 し か っ た 。 現 在 の 中 国 と の 状 況 が 信 じ ら れ
な い よ う な 友 好 関 係 の 中 で の 訪 問で あ っ た の で 、
つ く づ く 時 代 の 移ろ いを 感 じ て い る 。
昭和を 遠 く感 じる よう になったが 、戦 争と いう
物 語 は 風 化 さ せ て は なら な い 。 戦 争 は 昭 和 の 時 代
で 終焉 に し て ほ し い 。 年 一度 の 昭 和 の 日 に 、 昭 和
の 時 代 を 、 年 々 改 め て 見 つ め 直 して み た い 。
父母の昭和をしのぶ昭和の日
― 186 ―
①
②
③
④
⑥
⑤
①昭和の日の式典 万歳三唱 明治神宮 ②舞の海「昭和天皇と大相撲」講演
③昭和記念公園(立川) ④昭和天皇記念館(立川)⑤中国との技術交流記念写真
(前列右が山岡)⑥昭和館(九段下)
― 187 ―
(
小野京子
続・京子の愛唱一○○句[癒し] 二
初めての町なつかしき夕桜
西村和子
)
バスを降りると時計を眺め、会合に
はまだ時間があることを確認し、坂を
上りはじめる。
お目当ては桜。二週間前にはまだま
だ蕾が堅かった。
今日の蕾はどうなっているのか…。
胸を躍らせながら近づいていく。「ま
あ、こんなに…」、思わず叫びたくな
った。
蕾は随分ふくらんで、まん丸な蕾の
先にはほのかに白い花びらが開花を待
っているではないか。
スプリングコートいきなり犬にキス
今井 聖
猫というものは、年を取るほど賢く
なるものらしい。感情の表出や願いの
仕方が上手になる。
最近のトムは洗濯機にのり、「マッ
サージ」をせがむ。五分余り全身マッ
サージをした後、毛並を整えると、そ
れはそれは満足気に目を細め、喉を鳴
らして喜ぶ。帰りが遅いと、玄関まで
出迎えに来ては、寄り添って離れない。
私が落ち着かないと、遠慮がちに動静
を見守っている。
あたかも、人の気持ちや考えまでも
見抜いているかのように…。
― 188 ―
ものの芽のほぐるる先の光りをり
深見けん二
子ども達は、十分間の戸外観察が大
好き。運動場を吹き抜ける風や陽光、
木々の梢が気になったり、草花にふれ、
花びらのやさしさや不思議に気づいた
りする。
最近は、何度も読み返すことでリズ
ムを感じたり、自分の思いに近いこと
ばを選ぼうとしはじめた。「上の五文
字と下の五文字を入れ替えてみること
で、思いがすっきり表現できることも
ある」ことに気づきはじめた。
子ども達の学ぶ力の素晴らしさに驚
いている。
てふてふや遊びをせむとて吾が生れぬ
大石悦子
長浜小二年・「ありがとう俳句教室」より。
「いつもいろいろな書き方や楽しいや
り方を教えてくれてありがとうござい
ます。作るといつも『じょうずだね』
とほめてくれるのがとてもうれしいで
す。真結子」
「わたしは先生が来るのをいつも楽し
みにしていました。どうしてかという
と、いつもいっぱいはいくが作れるか
らです。三年生もよろしくおねがいし
ます。知花」
「はいくを教えてくれてありがとうご
ざいます。先生にもはいくの先生はい
るのですか。あんじゅ」
― 189 ―
あたたかや師弟の絆古びなし
上田日差子
気の合うひとと語り合うとき、時間
は何処かへ飛び去ってしまう。何を話
したのか、どんな料理をいただいたの
かさえ忘れてしまう。
熱中できる話題を共有できるひとは
幸せだ。
いつの間にか自分をさらけ出してい
ることさえ忘れ、話に興じている自分
に驚く。
長い人生の中で、どんなひとに出会
えるのか。これはその人の生き方にも
かかわってきそうだ。
ある日より笑ひはじめし名なき山
桂 信子
「山笑う」は、春の季語。
大分から中津方面へ向かう高速道路
から見える扇山ひとつを眺めても、張
りつめた厳寒の空気から解放された山
の佇まいは何処か緊張感がうすれ、山
の稜線が伸び伸びとして来たように感
じる。陽の当たった山の斜面はゆるや
かに動きはじめているかのようだ。ま
るで春を謳歌しているかのように…。
遠景の山々も霞み、柔らかな陽ざし
が花たちを誘っている。
― 190 ―
(
)
中嶋美知子
自叙伝「私は軍国少女」 十四
学徒動員
米軍の戦力増強による反撃作戦は、昭和十
九年に入って一段と熾烈化し、ビルマや太平
洋の各地で、日本軍は苦戦を迫られ、次々と
悲惨な敗北を続けるばかりであった。特に、
インパール作戦における日本軍の惨敗は、世
に靖国街道といわれる程の惨憺たる有様だっ
た。つまり、靖国神社への道、絶対に生きる
ことの無い戦いなのだ。更には、サイパン島
の玉砕、レイテ戦における海上決戦の大損失
は、日本の敗戦を予測せざるを得ないような
戦況だった。
それでも尚軍閥政府は、「総力戦」をモッ
トーに、戦力の増強を強化し、労働に従事出
来ない者を除いては悉く根こそぎ動員して、
戦場に、或いは、軍需産業に総動員していた。
昭和十六年の開戦当時二四〇万人だった軍隊
は、十九年十月には、徴兵年令を十八才まで
に引き上げて五三六万人、続いて二十年八月
の終戦当時は七一九万人にも及んでいた。こ
れだけ大量の人力を軍事に投入したのだから、
国内における生産労働力の確保と補充の問題
が深刻化せざるを得なかったのである。
そこで、女子と少年の勤労の就業時間の制
限が撤廃され、新たな女子労働者の投入、転
廃業者の徴用、或いは配置転換による労働補
充政策が施行され、ついには就学中の学生、
生徒(十一歳以上)三百万人が動員される事
になった。
日田高女もその例外ではなく、学徒動員令
を受け、四年生は長崎県の佐世保に、一、二
年生は市内の中央発条の工場へ、私達三年生
は被服廠管轄の軍服の縫製作業を命じられた。
勿論、授業は全廃となり、終戦までの一年余
りをミシンとの対決で、女学校は軍需工場と
― 191 ―
化してしまった。
その時から、学校には被服廠の将校が頻繁
に出入りするようになった。
頭には被服廠の頭文字の「被」の字の入っ
た五角形のマークの付いた鉢巻を締め、上衣
は叔母の和服を仕立て直した筒袖の戦時服に
モンペ姿で、当時の国防婦人会と同様の服装
で登校していた。
朝会時には講堂に三学級全員が集合し、軍
属として、軍人勅諭(明治十五年明治天皇か
ら陸海軍人に与えられた旧軍隊の精神教育の
基礎)の朗唱で一日の活動がスタートする。
一ツ、軍人ハ 忠節ヲ尽クスヲ 本分ト
スベシ
一ツ、軍人ハ 礼儀ヲ 正シクスベシ
一ツ、軍人ハ 武勇ヲ尊ブベシ
一ツ、軍人ハ 信義ヲ重ンズベシ
一ツ、軍人ハ 質素を旨トスベシ
百五十人の女子隊員の凛とした声が、廃校
と化した閑静な校舎に響き渡り、優雅で貞淑
をモットーにしていた女学生の姿はなく、完
全に軍人化した女子女郎への変身であった。
続いて担当の家庭科主任から、縫製上の諸
注意があり、最後に前日の各小隊の生産数が
発表され、「昨日は第二小隊がよく頑張って
一位です。他の小隊も負けないように」と競
争心を煽られる。
作業場は小隊毎に、家庭科室、音楽室で、
ミシンを並べただけの簡易なもので、軍人着
用の国防色の開襟シャツを部分的に縫製する
流れ作業であった。仕事そのものは難儀な事
ではないが、終日ミシンに向かっての単調な
日々を過ごしていると、女学生としての意識
が薄らぎ、女子工員そのものである。
休息時になって何人か集まると、
「○○将校はハンサムで、感じがいいね」
「あんな男性と結婚したいな」
等と雑談している。
一ケ月後には被服廠から僅かながら給料が
支払われた。初めての給料は嬉しくて、急い
で帰って叔母に渡すと、「へ~え、女学生が
給料取りになったと。女工さんのようになっ
て…」
驚きながらも、まんざら悪い気はしていな
― 192 ―
いようである。
従兄弟の広さんも日田林工高校の生徒だっ
たが、動員令によって、大分市内の軍需工場
での生産活動に従事し、寮生活を余儀なくさ
せられたが、度重なる空襲で爆死したり、負
傷したりする学徒も続出したようで、谷村の
家族も広さんの安否を案じていた。中には、
不馴れな過重労働と食糧不足で栄養失調症を
患い、帰省させられる学徒も少なくなかった。
学徒動員で未だに脳裏に焼き付いているの
は、隣家の長男の方の事故死である。成績優
秀で、福岡の明治専門学校に進学したが、そ
こで動員令により北九州の軍需工場に就労中、
突然の事故で急死。母親は半狂乱の状態にな
り、暫くは食事にも手を付けなかったそうで
ある。
将来が期待されていた長男を、お国の為と
はいえ、余りにも悲惨で、家族の胸中は如何
ばかりかと思うと、胸が痛む思いであった。
叔父に赤紙が
こつ
うち
四十歳を越えた兄が召集令を受けることに
なるとは夢にも思っていなかったが、更に驚
いたことに、谷村の叔父にも遂に赤紙が来た
のだ。兵役に服した事の無い五十歳に近い初
年兵である。何が出来るか見当もつかないの
だが、国の命令である以上名誉な事として出
征しなければならない。誰よりもショックを
受けたのは叔母であった。
「まあ、あんたがそん年で兵隊じゃち、日本
の国はおかしかがの」
「どう仕様も無かたい。俺一人じゃなかけん。
これも国家の為じゃけん」
お な ご
「あんたが居らん事なったら、家はどげんな
こつ
ると、女子と子供ばっかりになってしもて」
うち
こつ
「そげな気が弱か事ば言うて…。これからは、
おっかさんが大黒柱じゃけん。しっかりして
貰わんと」
「そうじゃの。何とかせんばね。家の事ば心
配せんで、あんまり無理はせんで…。元気で
早う帰って欲しかけん」
― 193 ―
「この年で初年兵じゃけん。どげんなるか分
からんが」
こつ
「そげん情けない事言わんで」
叔母の目から涙が滴り落ちていた。
当時では、わが子の出征には決して見せて
はならない涙だったが、気丈でしっかり者の
叔母が別人のように哀れに思えた。
翌日、叔父は、朝早く家族と一緒に大原神
社で、武運長久祈願をした後、町内の人や国
防婦人会の人々に見送られ、日田駅を発った。
叔父不在の谷村商店は、女子供ばかりの五
人で、何とも心許ない世帯となった。表面で
はしっかり気を張っているように見える叔母
だが、日が経つにつれ、気力が弱り、顔にも
声にも張りが無く、苦渋の色が濃くなった。
叔父は至って無口で、あまり笑顔を見るこ
とも無く、私には縁遠い存在に思っていたが、
或る時、ふっと、何を想ってか、「美知子、
スカートが短か過ぎりゃせんか」
声を掛けられた時、(ああ、叔父さんは私
のこと、ちゃんと気に掛けてくれていたんだ
な)と、何だか温かい父の言葉のように思え
こつ
て、嬉しさが込み上げてきたことがあった。
それに一度だけ福岡の博覧会に、長男の広さ
んと次男と一緒に連れて行って貰ったことが
ある。一時的ではあったが、谷村の一員にな
ったような気分になったことがある。それ以
来、言葉を交わすことは殆ど無かったが、矢
張り私の叔父さんという実感があった。叔父
の不在によって、私の心の中にも空洞ができ
ていた。
叔父が出征して十日程過ぎた頃、漸く手紙
が届いた。叔父の任務は何と、宮崎県の都城
に補助憲兵として派遣されたそうである。
「まあ、戦地じゃのうてよかつたたいね。九
州じゃけん危なか目にあうことも無かじゃろ
う」
「本当によかったですね。補助憲兵なら、あ
んまり無理になることも無いでしょう」
「そうかのう。補助憲兵ちゃどげん事ばしよ
るかのう」
「確か、憲兵は軍人を取り締まる警察官みた
いなもんじゃないですか」
「ほう、そげん偉かもんに…」
― 194 ―
もん
思わずにこっとした叔母。久しぶりに見る
笑顔であった。
憲兵は軍隊の中では、特別な権威を与えら
れていることを、誰からともなく聞かされた
ことがあり、補助とはいえ、四十過ぎた初年
兵の叔父が、そんな要職に任ぜられることが
不思議に思えた。後で分かったことだが、叔
父の所属する都城に、小学校六年生の担任だ
った石井先生も同じく補助憲兵だそうだ。
店の方は開店休業の状態で忙しさはないが、
店の経理面で叔母は難渋しているようだった。
叔母は学校には殆ど行っていないらしく、仮
名文字位は何とか読めるが、文書の解読は無
理なようで、「ミッちゃん、一寸、これ読ん
で」と聞いてきた。
隣保班の回覧板や店に関する文書、或いは
通信物の解読、それに叔父からの手紙の代読、
返事の代筆まで任されるようになった。
「今、家ではあんたしか頼れる者は居らん
もんの」とまで言われるようになり、俄然私
の存在価値が急浮上したようで、嬉しくなり、
仕事への張り合いも出てきた。
― 195 ―
松村れい子
れい子の宝箱(八)
埋み火
朝八時、玄関のチャイムが鳴った。近所で
一番親しくしているM子さんだった。今朝四
時に起きて作ったというお中日のぼたもちを
差し入れてくださった。包装紙をひろげると
艶々のぼってりしたのが五つも入っていた。
餡の香しい匂いがたまらなく心に滲みた。
彼女の温もりが埋れ火のように一つひとつに
込められ最上の出来栄えだった。彼女は今年
八十歳になった。小柄でか細く、つい手を差
し伸べたくような人なのだ。
かれこれ十年も前、M子さんご夫婦の家の
近くに引っ越すことになった。その当時は、
新聞投稿をよくしていた頃で、彼女から思い
がけないことを言われた。「こっちに来て、
賢ぶったら駄目よ」。それはまったくの買い
被りで、自分でも底の浅さを知っているので、
そのうち見込み違いに気づいてくれるだろう
と聞き流した。案の定というか思ったより早
く、彼女は私のお馬鹿さんぶりに呆れ返る事
になる。恥かしいことではあるが、勘違いは
早く修正した方がいいのだ。
移転してどうやら落ち着いた頃、友人に誘
われて食事に出掛けた。久しぶりなのでボー
リングをしょうか、ついでにカラオケもとさ
んざん遊んだ。
翌朝、目が覚めるとブラックホールに飲み
・ ・ ・
込まれそうな恐ろしいめまいに襲われた。あ
いにく日曜日の事で、頼みの綱はやはりM子
さんご夫婦。
お二人で駆けつけてくださったが、私のあ
まりの変わり果てた姿に、「可哀想に、可哀
・ ・
想に」と手やら腕やら摩ってくれるが、めま
・
いなのでどうにもならない。
丁度、在宅しておられた掛かり付けの先生
― 196 ―
・
・
・
に電話し、「めまいの方向に頭を落ち着ける
と良い」と教わった。原因は遊び過ぎと白状
すると「もちっと賢い人かと思ってたら、お
たんちんだった」と後で大笑いになった。
以来、私はお二人に頭があがらなくなった。
でもこれでいいだ。M子さんとの距離がこれ
でぐ~んと縮まったのだから。
***
蜷の道
団地の駐車場で隣り合わせた縁で彼女との
交友が始まった。聞けば、母上と同居し、水
彩画の先生ということだ。互いに独身で子供
達は遠くにいて、老後の不安材料が似ている
ことから、いつの間にか行ったり来たりの仲
になり、〈恥じ多き人生〉を慰め合っている。
ある日、「こういう諺知っている?」と聞
く。「三味線はなくとも、琴のない家はな
い」。持って回った言い方に惑わされそうだ
が、三味線はなくても琴はどこの家にもある
ってことのようだ。つまり「琴」を「事」に
掛けているのである。「事」は悩み事、問題
事や出来事のこと。どこで聞いてきたのか上
手いことを言っているなと感心した。
相田みつをの書に「『雨の日には雨の中、
風の日には風の中』で、この場合の雨と風は、
次から次に起きてくる人間の悩みや迷いのこ
とです」と書いている。
彼女の言いたいのは一人には一人の、家族
には家族の内にも外にも出来事が生じていて、
常になにかしらの悩ましい問題があり、禍福
はあざなえる縄のごとしということになる。
一つ解決できても、二の次、三の次と引きず
ることもあったりするのである。何か問題が
持ち上がるたびに、おろおろしていては身が
もたないし、頭で理解しても、心が悴むと解
決の道さえ分からなくなる。
私は人生訓も好きだ。「事」がおきても心
が悴まないように、転ばぬ先の杖ということ
で、壁のいたるところに人生訓を貼っている。
それは京都・嵯峨野の古刹で墨書の「人生五
訓」と「幸福の道」の道しるべを羅列してい
― 197 ―
るものだが、見ていると結構、他の拝観者の
方々も嬉しそうに買っていたので、日本人は
こういうのが好きな民族なのだと思った。
出来るだけ「事」が起きないように回避し
つつ、起きたら起きたで人生訓を踏まえて生
きて行かねばならない。振り返れば、くっき
りとした蜷の道を通すことができればと思っ
ている。
― 198 ―
くにをの絵手紙紀行(七)
梅島くにを
喜多院へ
宮川洋子さんの「ちょっと俳句ing」を
読み、興味をもった。埼玉の喜多院、時の鐘
の川越町内、三郷俳句塾の勉強ぶりを見たく
なった。手紙を書くと、洋子さんは、全行程
をエスコートして下さるとのご返事だった。
出発前日に、妻のお墓参りを済ませた私は
洋子さんと埼玉県の某駅で待ち合わせた。
喜多院の門前町を散策した後、葉桜の下の
ベンチから多宝塔や伽藍を見渡した。境内は
一万四千坪といい、堂縁に坐って涼しいお庭
を眺めること暫し。江戸初期の職人の様子を
描いた狩野吉信の風俗画、江戸城から移築し
た春日の局の化粧の間などに目を瞠った。
店蔵が三つ並ぶ前で、時の鐘を見上げた。
説明板には、今は電気仕掛けだとあった。そ
の時、頭上に鳴り響いた。音色に歴史を感じ
た。五百羅漢像の自由な姿もゆっくり見て廻
った。お寺の売店の土鈴に、絵心が走った。
お 城 下 へ 今 も 時 打 つ 鐘 涼 し くにを
― 199 ―
百花園
翌日の午後は三郷俳句塾なので、午前は向
島の百花園に出掛けた。四十五年ほど前に、
私は一人で百花園を見学したことがあった。
今では、電車などが網の目のように走ってい
る。田舎の老人は、エレベーター、エスカレ
ーター、階段も大変。一本の土産の地酒も、
洋子さんに持ってもらった。
百花園からスカイツリーが近く見えた。墨
田区の山崎昇区長さんは、私の隣在所の出身
の人で、「上京したら寄られや」と故郷で話
された。百花園の竹薮が美しかった。蚊遣り
香が焚いてある四阿で、弁当を食べていて、
蚊に刺された。
三郷俳句塾に行くと、山岡英明さん達十九
名が、眸子先生を待っておられた。五句投句、
互選。各自披講。合評の進行は眸子先生。
「季語、叙法、類句…」について、塾生の作
品を一句ずつ取り上げ、丁寧に指導なさって
いた。私も帰ったら、このすごい方法を真似
よう。終了後、私の歓迎の宴を持ってくれた。
蚊に刺されつつのほそ道百花園 くにを
― 200 ―
輝二さんのつれづれ紀行
韓国への出張
荒木輝二
◇はじめに
NO RETURNで出向した(株)組合
貿易から子会社を通じて二千万円の資金が流
れていた。税務調査では問題にならなかった
が、私としては腑に落ちない。部長と一緒の
慌ただしい出張となった。
パスポートは羽田出発、羽田帰国となって
いる。羽田出発で良かった。成田では間に合
わない。確か八時ごろの便だと思うが、前夜
酒を飲み二日酔いの状況であり、ギリギリに
間にあった。
用件は、私なりに三日前から整理しており、
酔いの残る頭であったが、韓国での業務に支
障なかった。
韓国着陸と同時に、ありがとうございます
という意味の韓国語の甘い声で「カムハムニ
ダ」のアナウンスがあった。一遍に疲れが取
れ、その気にさせてくれた。最近、ナッツ騒
動で揉めていたが、大きな違いである。
金哺空港には、現地の所長都さんが迎えに
来てくれていた。私達は直ぐに事務所に行き、
話し合いに入った。
◇碗曲的交渉
従来から無批判に二千万円を支出していた。
しかし、基本部分、歩合部分、報償部分の三
つに構成にして支出することの方が良いと判
断した私は、韓国の年長者を相手に碗曲的交
渉をすすめた。韓国は、儒教を重んじる国で
所長である年長者はうなずくものの、GOサ
インは出なかった。
後日、所長は再び日本を訪れるものも合意
には至らなかった。
― 201 ―
◇北朝鮮を遠望
所長は、打合せ後、現地職員と共に焼き肉
に招待してくれた。私は変な気持ちになった。
この焼き肉代も二千万円から出でいるのかと
勘繰ったからだ。
翌日は、所長の車で鳥頭山統一展望台に行
った。漢江の傍を北上し、右に「青瓦台」、
左に国会議事堂が眺めながら、約一時間でそ
の展望台に着いた。
国境線には金網が張り巡らせてあり、幅の
広い非戦闘地域も見えた。望遠鏡が据えられ
ていた。さっそく覗いてみると、遠くに民家
が見えた。
帰りには、二○○二年に日韓共催で開催し
たワールドカップの会場を見学した。広々と
した競技場であった。
車の中で気づいたことは、軍人の姿が多く
目立ったことだ。やはり北朝鮮との緊張関係
が影を影を落としているのであろうか。最近
でもこの状況は依然として続いているようだ。
帰りは仁川国際空港から羽田空港に飛んだ。
実に、疲れる出張であった。
― 202 ―
河内静魚
稲田眸子
この本、この一句(三十五)
『夏風』
新 涼 や 砂 糖 の 白 と 塩 の 白
「黒」「白」「赤」の三色は「死」や「誕
生」といった生命現象と結びつき、原初の色
といわれている。就中、「白」は誕生のシン
ボルであり、再生や鎮魂、穢れを清める力の
象徴として用いられてきた。花嫁が神に結婚
を報告するために白無垢をつけ、明治以前の
日本では穢れを清める色として白を喪色とし
た。白は神秘的な力を持つ色であり、人の一
生、生活の中の重要な場面で用いられてきた。
この句のロケーションはどこであろうか。
食卓、旅先のテラス、あるいは…。筆者は旅
先のテラスを思い浮かべたい。湖面を渡って
来る風を感じながら、ゆったりと食事を楽し
んでいる作者を思い描く。やがて、さり気な
(「俳句界」平成二十四年六月号より転載)
く置かれた容器に気付く作者。中身は砂糖と
塩。透けて見えるそれらの白に触発され、口
をついて出た言葉が「砂糖の白と塩の白」な
のである。穢れを清める力を持つ「白」はす
べての光を反射し、特定の色だけ自分の懐に
しまいこんだりしない、懐広い色でもある。
その「白」に新涼の気配を感じ取った作者の
感性に感服し、興味をそそられるのである。
本著は『氷湖』『手毬』『花鳥』に次ぐ第
四句集。そのあとがきに「ビルをかけ抜ける
小鳥たちの影にも、鉄路の土手にそっと顔を
覗かす土筆たちにも、都会で共生している自
然を見いだしほっとしています。四季に身を
ゆだねる心地よさは、花鳥風月のよろしさ、
といっていいのかもしれません」と記す作者。
平成十六年「毬」を創刊主宰。石巻生まれ。
― 203 ―
四 季 の 句 暦 ( 三 十 三 ) 稲田 眸子
落葉にも裏表あり日暮れ時
橋本喜代志(さつき平)
ふと立ち止まり、落葉を拾い上げ、呟く。
「この落葉に裏表があるように、万物にも裏
表があるに違いない。そのことを受け入れ、
これからも生きていこう…」と。「日暮れ
時」が、晩年を想像させ、作者の置かれてい
る現在の心境をも見事に表してくれる。
【落葉・冬・植物】
◇
マニキュアの指ぎこちなく蜜柑むく
中村由美子(彦成)
塗ったばかりのマニキュアは少しべとつく。
その指でむく蜜柑。「指ぎこちなく」がその
動きを伝えてくれる。身体の動きだけではな
い、心の動きもまた伝えてくれるのだ。即物
的でありながら、心の襞までも表現できるの
が俳句。その器は小さいようで大きい。
【蜜柑・冬・植物】
◇
路地裏 に夕餉の 匂ひ 花八ツ手
磯野ヨシ(鷹野)
茎の頂きに、球状の纏まった小さな花火の
ような花を沢山つける八ツ手。慎ましやかな
風情を持つ八ツ手の花が路地奥の玄関口に咲
いており、その家の営みを諷詠。「夕餉の匂
ひ」がその家の団欒の様をイメージさせてく
れる。幸せはこんなところにもある。
【花八ツ手・冬・植物】
(「りぶる」平成二十七年一月号より転載)
― 204 ―
便り
の
小箱
小国のお仲間にぜひ会いたいと、梨影女先生にご
連絡をしたところ、ご快諾を頂き、その願いが叶い
ました。親しく膝を交え、懇親を深めることができ
ま し た 。 小 国 の お 仲 間に 感 謝 で す 。 ( 稲 田 眸 子 )
◇三月七日( 土)
大分のお仲間と句会後、梨影女様と合流。その後、
杖立温泉「米屋別荘」にて懇親会食、十七名。
杖立温泉「米屋別荘」宿泊
◇三 月八 日( 日 )
午 前 中 、 小 国 の お仲 間 と 句 会。
出席者は、穴井梨梨影女、河津悦子、河津昭子、
河津せい子、北里信子、北里典子、北里千寿恵、
笹原景林、佐渡節子、佐藤テル子、杉野正依、下城
たず、高橋紘子、橋本やち、宮崎チク、安武くに子、
鑓水稔子、稲田眸子の十八名。
四句投句(そのうち、一句は兼題「国」)
◎穴井梨影女選
特選
春光や尾根の放牛動きだす
花の宿チャボ優先の散歩道
春の水分つ大きな石一つ
亀鳴くや大亀石のそのあたり
入選
霾るや久住山より阿蘇朧
懐かしや小国言葉の花の宿
春雷と耳傾けしが遥か消ゆ
民族を分ける国境著莪の花
村人の数より多き猪嘆く
入国の荷の太りおる夏の旅
残照に影を重ねて冬の杉
国の花桜咲く日も間近かな
木ノ芽雨欅赤芽のほつほつと
堪え立つ櫟に野火の容赦なく
棒切れに大騒ぎなる蝌蚪の国
湯の 町の 目 覚 め は 早 し 笹 鳴 き す
◎稲 田眸 子選
特選
三月の炉になほ火あり渓の温泉
春光や尾根の放牛動きだす
正依
稔子
景林
眸子
千 寿恵
千 寿恵
悦子
稔子
景林
紘子
やち
信子
典子
くに子
眸子
眸子
梨影女
正依
― 205 ―
火の国の神話の里の大山火
花の宿チャボ優先の散歩道
入選
霜晴れの川滔々と鴨溜り
春暁の小国富士ある旅の宿
棘の威の間にばらの芽の紅し
おおげさに神鈴振れば三月来
神 楽 鬼 餅 撒 く 仕 草 牛 祭
下萌や掃きつつ降りる八十段
霾るや久住山より阿蘇朧
県境過ぐれば小国山笑ふ
阿蘇牧野小国牧野や山を焼く
村人の数より多き猪嘆く
炉を守り炉火を育てて宿主
春光や植継がれきし小国杉
枝垂れ梅かんざしの如風に揺れ
花の下お国言葉で抱き合えり
木ノ芽雨欅赤芽のほつほつと
国の為桜散るごと逝かれしも
堪え立つ櫟に野火の容赦なく
景林
稔子
梨影女
梨影女
梨影女
せい子
せい子
テル子
千 寿恵
千 寿恵
正依
景林
稔子
典子
紘子
やち
典子
信子
くに子
*
先 日 は 遠 い 処 、 お 忙 し い 中を 、 小 国 に お 越 し い た
だ き 、 種 々 御 指 導 あ り が と う ご ざ い ま した 。
心配していた『少年』の句会が、理解できたらし
く、皆さん今から折々こうした句会もやって、馴れ
てゆきましょうと、心新たに勉強したいとの話が出
ました。嬉しい事、有難い事でございます。
何せ「ちん」と言えば、「かん」とすぐに届かな
いお年の者ばかりで、先生にはもどかしい思いにか
られたのでは? と存じますが、好きで、熱心です
ので、着実に学んでゆけると思います。牛の歩みの
一 歩 か らで 、 よ ろ し く お 願 い 申 し あ げ ま す 。
穴 井 梨 影女 ( 小 国 町 )
*
先日は御遠路、この小国の里まで御来訪され、有
難うございました。俳句は長い間していたのですが、
今まで平々凡々に句作りをしたいたようで、反省し
て い ます 。
もっと句の神髄をつかみきれるよう、努力したい
と思 いま す。 が 、 少々齢 を と り 過 ぎ 、思 うば か り か
も知れません…。先生の湧きあがるような御熱弁に
心が動きました。
― 206 ―
句会風景
お国の仲間たち
― 207 ―
杖立温泉 米屋別荘(山々に囲まれた渓流「杖立川」河畔の素敵な宿)
阿蘇の野焼き(炎は瞬く間に大地を走り、草原を黒々と焦がしていく)
― 208 ―
今まで、主人の役職などで、寸暇もない日でした
が 、や っ と 自 分 の 時 間 が と れ る よ う に な り 、 頑 張 っ
てみようと思っています。
橋本やち(南小国町)
*
先 日は 多 忙 な 折 に も か か わ ら ず 、 遠 い 所 、 山 の 中
の小国の里においで下さいまして、本当に有難うご
ざ い ま した 。 厚 く お 礼 を の べ ま す 。
梨影女先生のご挨拶で、今日の日をどんなにか楽
しみにしていたとありましたが、私もその一人です。
初対面なのに…いつもお会いしてお話している方の
よ う で 、 心 も や わ ら い だ よ う に 思 い ま した 。
しかし、俳句の事になったら、八十過ぎた私には
ついて い け な い気 が し ま した 。 つ く づ く 基 本 が 大 切
だと思いました。俳句はなかなかうまくならないよ
う な 気 が し ま す が 、 何 事 も や れ る 限 り 努 力 した い と
思って います。
宮崎チク(南小国町)
*
此 の 度 は 、 遠 路 わ ざ わ ざ 小 国 俳 句 会の 為 お 越 し 頂
き誠に有難うございました。
さぞやお疲れになられた事でございましょう。先
生のお優しいお人柄と俳句のあり方等々、大変為に
なるお話を聞く事ができました。
先生には、お話しして下さる事が多く、お酒もお
肴も余り手をつけられず申し訳無い事でございまし
た。私は、素十先生と紘文先生にお習いしましたが、
紘文先生亡き後、途方にくれておりましたが、梨影
女先 生の お陰で 、 眸子先 生に御指導を 受 ける事が 出
来 ま す 事 、 大変 に 幸 せ に 存 じ 上 げ ま す 。
北里信子(小国町)
*
三月の雪、戻り寒に震えています。二日前の暖か
さは最高、眸子先生のお土産のようでした。
句会は多くの事に気付かされ、反省ばかりです。
詩の心、詰め込まず、抜き取る等々、心掛けてまい
りま す。 有難 うご ざ い ま した 。
安武くに子(小国町)
*
先日の小国句会では大変お世話様になりました。
あれから、小国は雪が降ったりして寒い日が続きま
した。
野焼後の阿蘇はいっせいに野の花が咲き、木々が
芽 吹 き 、 絵 ハ ガ キ そ のも の の 風 景 に な り ま す 。
― 209 ―
次は、新緑の阿蘇に奥様と御一緒においで下さい
ませ。お待ちもうしております。
今後も、梨影女先生の御指導のもと、句作りに精
進していきたいと思っています。
鑓 水 稔子( 小 国 町 )
*
春は名のみの三月でございます。風邪もひかずに、
ど う に か 冬 を 越 し ま した が 、 な か な か 暖 か く な り ま
せん。
北の方では、まだ 積雪の便りもあり、季節の変わ
り方も、暦通りには参らぬようです。
そんな中で、私は季節ならぬ季語や兼題と向き合
って、悪戦苦闘を致しております。「山開き」「や
ませ」「メモ」、どうしてもできませんでした。
エッセイも、香道について書いておかねばならな
い事がたくさん有りまして、四百字に収めるのがや
っとのことでございます。
川西ふさえ(福岡市)
*
先日は、大分での句会、有難うございました。細
やかなご指導に皆様よろこんでおいででした。
さて、小学校の俳句指導を終え、ほっとしている
とこ ろ で す。
「先生、上五と下五を入れ替えてみると、思いがよ
り伝わることにおどろきました」。子ども達から、
こんな言葉が聞けるようになったこの頃です。子ど
も達の学びに感じ入っています。
明野東小の校長先生から嬉しいお言葉をいただき
ま した 。
「もし、自分が来年度もこの学校にいたら、子ど
も達の俳句授業を分析し、市教研で発表したいと考
えています。又、幼稚園児にも俳句を教えていただ
けないで しょ うか。 子 ども 達のこ とば の 発 達 の 過 程
を追ってみたい…」
私も、この事については、先般、眸子様とお話を
したことなので「是非に…」とお願いを致しました。
又、新しい取り組みができそうです。その節はアド
バイスをお願いします。
小 野 京 子 ( 大分 市 )
*
先週は長浜小・明野東小の今年度最後の俳句授業
に出 かけ ました 。 各学 校で 、子 どもや 校 長先 生や 先
生方に身に余るお礼の言葉を頂きました。その一端
をお知らせします。小野先生は二年一組、私は二組
から寄せ書きを頂きました。
― 210 ―
「こっそりと 利光先生へ 俳句教室、大変お世
話になりました。こういう形で先生と再びご一緒で
きること、嬉しく思っています。今年の二年生はい
かがだったでしょうか。(笑)来年度もよろしくお
願 い し ま す。 安 井 」 ( 寒 田 小 時 代の 同 僚 )
安井さんの温かい学年学級経営で素直に育ってい
る子ども達。本当に素敵です。安井さんに続き、全
員 の 寄 せ 書 き が 綴 じ ら れ て い ま し た 。 ど の 子 も 、丁
寧な文字で感想と俳句。心のこもったプレゼント、
大切にします。
「一年間ありがとうございました。私は一番さい
しょ五七五のはいくがすぐにできませんでした。だ
けど アド バ イス を た く さ ん も ら った ので 今 は は い く
がはやくなりました。三年生になってもおしえてく
ださい。
さむい冬たくさんあそんでぽっかぽか
赤峰由奈」
お礼を言いたいのは私達です。
利光幸子(大分市)
*
久しぶりに先生のお顔を拝見し、句会に参加させ
て頂き、勇気と元気をいただきました。これからも、
精進してゆきたいと思っています。
本田 蟻 ( 大 分 市 )
*
先日の大分での句会では、貴重な機会を逃し残念
でなりませんでした。次の機会があることを願い、
待っています。
長田 民子( 大 分市 )
*
一週間ほど前までは、三寒四温のお手本のような
陽 気 で し た の に 、 いき な り 気 温 二 十 度 と か で 、 驚 い
て お り ま す 。 今 日 の あ た た か な 雨 は 、 待ち 遠 し い 桜
の季節もまもなくと思わせてくれます。
この一週間は、忙しい仕事の合間の、ホットする
一時、大切に過ごしております。
倉田洋子(東京都)
*
三月初めから、我が家では耐震補強工事を始めま
した。一階、2階の要所に筋交いの柱を入れたり、
屋根瓦を全部剥がして、軽い瓦(今の2分の1の重
量)に葺き替え、塗装もふくめて、ほぼ1ヶ月余り
改修工事が続いています。「お屋根替」というと、
茅葺き屋根の葺き替えのようですが、平成の世の屋
― 211 ―
根替はガンガンドンドンと騒音が続き家中が埃だら
け の 状 態 。 荷 物 を 整 理 ・ 処 分 す る 必 要 も あ っ て、
「 断 捨 離 」 にも 難 儀 し ま し た 。
あと何年、主人と二人でこの家に住めるのか分か
らないものの、折角「入れ物」
が補強できたのですから、せいぜい長生きをしなく
て は … と 、 余 生の 第 2 段 階( ? ) へ 入 る 心 構 え を し
直しています。
吉田みゆき(宇治市)
*
桃の蕾は真丸で濃いピンクの花が一輪開いていま
す。桜は蕾が三角になって間もなく開く準備をして
いま す。 色の 薄 い ソ メ イ ヨ シノ も 蕾 の 時 は し っか り
としたピンク色です。カーテンを開ければよそ様の
ラッ パ水仙。 私の 席から は 辛夷 、雪柳、連 翹 、椿 が
見 え ま す 。 梅ほ の 白 く 、 辛 夷 は 真 っ 白 。
幸せな色にあふれた春がきました。どっぷりと春
に浸かっています。
先生はいかがお過ごしでしょうか。今日は寒いで
すね。暖かさに慣れた頃の『春寒』は身にしみます。
俳句をしていてありがたいことは、寒さを託つだけ
でなく「おお、これこそが『春寒』だ」と言葉を身
体に納得させる機会に出来ることですね。
小 野 啓 々 ( 大 分市 )
*
句 会の 折 、 平 田 先 生か ら 「 美 知 子 さ ん は 何 時 も 若
々しい」と声をかけて戴きました。八十も半ばの私
ですが、『少年』に入会し、今最高に生き生きとし
て輝いているようだと自惚れております。本当にあ
りがたい余生を戴いており、心より感謝しています。
中嶋 美 知 子( 大 分市 )
*
あの見事な桜も、不機嫌な風雨で散ってしまいま
した。年をとりますと、花の季節への想いひが一入
で ご ざ い ま す の に。
私方は、主人と二人静かに日々を重ねております。
やがて五月、緑滴る良い季節になってまいります。
笠村昌代(福岡市)
*
(編 集 後 記)
《 長谷 の 丘 》
学校・地域との連携を密にしながら子育てを、と
いうことで校区毎に様々な取り組みがなされ大きな
成果をあげていることは喜ばしい限りである。
― 212 ―
パ ー ト Ⅳ ・ 二十 号
( 平成 二 十 七 年 七 月 号 )
パ ー ト Ⅳ ・ 二 十 一号
( 平 成 二 十 七 年 九 月 号)
(
パートⅣ・二十三号
)
( 平 成 二 十 八 年 一 月 号)
)
パ ー ト Ⅳ・ 二 十 二 号
共通テ ー マ 兼 題
○月代
○ 中元
○ 夜業
○栗飯
○ 秋扇
○判子
○ネジ
( 平成 二 十 七年 十 一 月 号 )
共通テーマ 兼題
○雲海
○片陰
○花氷
○夜濯 ぎ
○夕 凪
○クリップ
○卓
(
共 通テ ー マ 兼 題
○切干
○北窓塞ぐ
○ 煮凝
○ 鰭酒
○ 葛湯
○紐
○横顔
(
)
平成二十七年三月七日]
大分市退職校長会々報・第五十五号
我が校区でも先般、三年生を対象に「○○名人に
なろう」のテーマで児童との交流を行った。菓子作
り ・ 発 声 ・ 着 つ け ・ チ キ リ ン バ ヤ シ ・ 俳 句 等 々子 ど
も達にとって未経験な分野も多く興味津々の子ども
達であった。
菓子作りでは地域の菓子屋さんが講師となり生菓
子作りに挑む。出来上がった作品を前に食べたいと
ね だ る 子 ど も 達 に 名 人 は 「 家 族 に 出 来 栄 え を 見て も
ら い 共 に 味 わ う 」こ と の 大 切 さ を 説 い た と 言 う 。
また、着つけでは「着物のたたみ方、立ち居ふる
まい、正座しての挨拶の仕方」までが大切だと教え
て 下 さ った の だ と 言 う 。
単に作る、着るということだけに止まらず、物へ
の対し方、心のあり様までが「作ること」「着るこ
と」、これは、学校教育の中だけではなかなか身に
つかないことだ。地域の方々と手を携えてこそ成し
とげ られ るこ と だ 。こ れこ そ地 域の力 に 他 な ら な い。
(小 野京子 )
[転載
(
共 通 テ ーマ 兼 題
○菊の酒
○蓑虫
○ 萩の 実
○荻
○ 紅葉 忌
○キャンディ
○ビー玉
― 213 ―
)
― 214 ―
― 215 ―
― 216 ―
― 217 ―
[執筆者住所]
◇巻頭作家招待席/水野幸子
〒444-2149 岡崎市細川町字窪地77-17
TEL:0564-45-3665
◇秀句ギャラリー鑑賞/首藤加代
〒 870-0849 大分市賀来南2-10-7
TEL: 097-549-0139
e-mail: [email protected]
◇虚子嫌いが読む虚子の歳時記
〒331-0044 大宮市日進3丁目34ー1 ハウス大宮日進101
TEL:0975ー68ー6566
e-mail:[email protected]
◇銀幕の季語たち/溝口 直
〒 870-0952 大 分 市 下 郡 北 3-24-2
TEL: 0975ー69ー5074
e-mail: [email protected]
◇梨影女の俳句夜話/穴井梨影女
〒869-2501 熊本県阿蘇郡小国町宮原1750-1
TEL:0967-46-2438
◇代士子の万華鏡/篠﨑代士子
〒 874-0033 別 府 市 上 人 南 町 11組
TEL: 0977ー66ー0015
◇花曼陀羅/平田節子
〒 870-0875 大 分 市 青 葉 台 2ー2ー11
TEL: 0975ー45ー8707
◇続・京子の愛唱百句「癒し」/小野京子
〒 870-0873 大 分 市 高 尾 台 2丁目 8番 4号
TEL: 097-544-3848
◇英明さんのフォトアルバム/山岡英明
〒 274-0816 船 橋 市 芝 山 6- 36- 3
TEL: 047-461-6683
e-mail:[email protected]
◇自叙伝「私は軍国少女」/中嶋美知子
〒870-0864 大分市国分1975-18
◇れい子の宝箱/松村れい子
〒870-0826 大分市大字永興城南西町1A33-331
TEL:097-544-4941
◇くにをの絵手紙紀行/梅島くにを
〒 939-1552 富 山 県 南 砺 市 柴 田 屋 114-1
TEL: 0763-22-2764
◇輝二さんのつれづれ紀行/荒木輝二
〒341-0036 三郷市東町370-1-604
TEL:048-956-5637
e-mail: [email protected]
― 218 ―