(2015.2.27.発行) ネコ咬傷の1例 2014年度研修医 樋上拓哉

ネコ咬傷の1例
2014 年度研修医
恵寿通信第33号(2015.1.27.発行)掲載
樋上拓哉
【症例提示】
33歳 女性 喫茶店経営者
既往歴:鉄欠乏性貧血(小学校の時にHb9で鉄剤半年内服)
病歴:●年●月●日の夜,飼い猫に右手関節付近を咬まれる。抗生剤軟膏を塗って就寝した。翌朝から同部
位に疼痛を感じていたが,次第に右前腕が軽度腫脹し疼痛も増強してきたため18時半頃に夜間救急受診した。
初診時身体所見:体温37.0℃ 血圧129/94 脈拍86回/分 呼吸数18回/分
診察室までは歩いて入室 全身状態は良好
右手関節付近に2ヶ所咬傷痕あり,1ヶ所には膿疱形成を認め,強い圧痛を伴う
右前腕に淡い赤い線状の発赤が創部から肘まで続きリンパ管炎と考えられた
右前腕に全体に重度の圧痛あり
いかがでしょうか?
猫に噛まれたことにより皮膚軟部組織感染症を起こしていると考えられました。
起因菌は何でしょうか?抗生剤を選択するとしたら何を投与したらよいのでしょうか?・・・
膿疱のグラム染色では多数の多核球と繊細なグラム陰性菌を認め,貪食像も散見されました。
【経過・考察】
人を含む動物咬傷は卑近な疾患です。
下記に簡単に犬,猫,人の咬傷の特徴や原因菌を挙げます。
犬咬傷
動物咬傷の中では最も多く全体の70-80%を占め,5-20%で感染を合併すると言われています。女性より男性
で多く5-9歳の男児に最も多く発生しているという報告があります。感染には複数の菌が関与しておりβ溶血
性連鎖球菌,Pasteurella属,MRSAを含むブドウ球菌属,Eikenella corrodens,Capnocytophaga canimorsus
などが挙げられます。Actinomyces属,Fusobacterium属などの嫌気性菌もしばしば関与します。
猫咬傷
犬より数は少ないですが猫咬傷は80%以上に感染を合併します。その原因は猫の犬歯は鋭く細かいためによ
り組織の深部に達しやすいからと考えられています。そのため犬より化膿性関節炎,骨髄炎を合併しやすい
と言われています。また猫咬傷はなぜか女性に多いそうです。原因菌としてはPasteurella multocidaが有名
であり猫咬傷の大半に関与すると言われています。しかし猫咬傷も犬と同様に嫌気性菌を含む多菌性のこと
が多いと言われています。
人咬傷
受傷機転としては自傷,喧嘩,医療従事者が患者ケア中に咬まれる場合等があります。感染率はおよそ10−15%
と言われています。原因菌としては緑色レンサ球菌,黄色ブドウ球菌が代表的ですが,Eikenella corrodens,
インフルエンザ菌,腸内細菌科,嫌気性菌が関与した報告もあります。実際に噛まれた損傷よりも手拳で顔
面を殴ったときに生じる手拳損傷の汚染の方が重度の感染症を合併するとも言われています。
本症例で観察されたグラム陰性菌は,腸内細菌科のようにドッシリとした明確な桿菌ではなく繊細で球菌と
も桿菌ともとれるような形状をしていました。猫咬傷で有名な細菌であるPasteurella multocidaはまさしく
グラム陰性球桿菌であり,この細菌である可能性が高いと考えられました。実際,本例から得られた膿の好
気培養でPasteurella multocidaが分離されました。非β連鎖球菌,大腸菌なども分離され多菌性でした。
Pasteurella multocida
グラム陰性球桿菌で犬や猫などのペットの消化管や呼吸器に定着しています。口腔内の定着率は猫で70-90%,
犬で50−65%と言われています。感染の大部分は皮膚や軟部組織であり2/3が猫によるものです。Pasteurella
感染症は比較的急速に進展するのが特徴であり
膿瘍,リンパ管炎,腱鞘炎,さらには関節炎や骨髄炎といった合併症がありえます。
動物咬傷の抗菌薬投与について
既に感染が成立している場合,感染防止の予防投与の2つにわけて考えます。
① 既に感染が成立している場合
全例で抗菌薬投与が必要と言われています。Pasteurella属は多くの薬剤に感受性がありますが,犬猫
の場合は黄色ブドウ球菌,C.canimorsus,レンサ球菌,口腔内嫌気性菌などにも有効な抗菌薬を投与し
ます。人の場合は黄色ブドウ球菌,インフルエンザ菌,口腔内嫌気性菌にも有効な抗菌薬を選択しま
す。これらにはβラクタマーゼ配合の広域ペニシリン系薬(内服ならオーグメンチン®+サワシリン®,ペ
ニシリンアレルギーならクリンダマイシン®+クラビット®あるいはアベロックス®など)が最も信頼性が
高く,投与期間は通常10-14日程度です。
② 感染防止の予防投与
咬まれた動物によって感染率も異なるため,抗菌薬を投与するかも咬まれた動物によって異なってきま
す。一般的に人,猫,猿に咬まれた場合は感染率が高いので感染治療薬と同じものを投与すべきと言わ
れています。投与期間は通常3−5日程度です。
以下に表で示します。
原因動物
原因菌
抗菌薬例
予防的投与
犬
黄ブ菌,Pasteurella
AMPC/CVA(875/125mgを1日2
回or500/125mgを1日3回)ま
たABPC/SBT(1回1.5−3.0mg
を6時間毎に静注)
場合により投与
※創が重度の場合,顔面の
傷,挫滅創,免疫不全者,
骨や関節まで達している場
合に投与を考慮する
投与
multocida,
C.canimorsus,嫌気性菌
猫
人
Pasteurella multocida,
黄ブ菌,嫌気性菌
緑色レンサ球菌
黄ブ菌,インフルエンザ
菌,嫌気性菌,
E.corrodens
同上
同上
※手拳咬傷はカルバペネム
系もあり
投与
本症例でもP.multocidaや嫌気性菌の関与を考え救急室でABPC/SBTを点滴しました。反応は良好であり翌日
にはリンパ管炎は消失し,AMPC/CVA投与に内服スイッチしました。
ここで注意しなければならないのが投与するAMPC/CVAの量です。サンフォードによるとAMPC/CVAを875/125mg
を1日2回または500/125mgを1日3回が標準量となっています。しかし日本のAMPC/CVAであるオーグメンチン配
合錠 ®は250/125mgとなっています。サンフォードに記載されている量を投与するならば「オーグメンチン
250mg配合錠®×1錠+アモキシシリン250mg®を1日3回」のように処方すれば標準量を満たすことが出来ます。
この用法はいわゆる「オグサワ」と呼ばれているものです。
また動物咬傷においては破傷風予防も重要です。
一般的には破傷風トキソイド,テタノブリン投与基準については以下の表に基づいて決定されます。
破傷風
予防接種歴
3回未満または不
明
3回以上
汚染がなく小さい創
トキソイド
テタノブリン
接種
接種しない
その他の創
トキソイド
接種
10年以上接種し
ていない場合に
接種
5年以上接種し
ていない場合に
接種
接種しない
テタノブリン
接種
接種しない
一般的に動物咬傷の創は汚染が強く破傷風予防が必要な創と考えられています。本症例では破傷風トキソイ
ド接種歴が不明であり念のためにトキソイド,テタノブリン共に接種することとしました。
本症例では5日目の受診では一見治癒しているようでしたが,膿胞があった所に強い圧痛を認めました。骨
膜が非常に近いため念のためさらに1週間オグサワを処方しました。その後1ヶ月を経て再発を認めていませ
ん。
※参考までにup to dateに掲載されていたP.multocidaの画像です。猫咬傷による膿のグラム染色であり,
本症例と同様に多数の多核球とグラム陰性の桿菌や球桿菌が見られます。
※破傷風トキソイド,テタノブリン接種について
動物咬傷に限らず外傷における破傷風の危険性が高い創は具体的に以下のような傷と言われています。
・挫滅
・熱傷
・凍傷
・深さ1cm以上
・引き裂かれた傷
・唾液,ゴミなどによる汚染あり
・銃創
などなど…
また破傷風予防接種が始まったのは1968年です。具体的に接種が広がり始めたのが1975年と言われていま
す。よって2015年現在で40歳以上の方は接種が怪しいと考えられます。
【参考文献】
ハリソン内科学第4版 メディカルサイエンスインターナショナル
ワシントンマニュアル第12版 メディカルサイエンスインターナショナル
サンフォード感染症治療ガイド2013 ライフサイエンス社
Endom E:‘Initial management of animal and human bites’. Up To Date Release 21.6−C21.74
恵寿通信第3号 報告者真智俊彦