溝口由香(「遺跡修復ビジネスの可能性」)

遺跡ビジネスに関する一考察
溝口
遺跡ツアーの回想
由香
今春、ラオスの小さな遺跡を訪れた時の
ことだ。それは、入り口の枠組みと壁をわ
作品の概要
ずかに留めるのみで、その周囲は、自らを
構成していたであろう、大きな石のブロッ
私の趣味は海外一人旅です。大きなリュ
クが、山積みになって覆われていた。おそ
ックひとつ担いで、自力で各地を巡るバッ
らく古代の寺院跡で、特に見るべきものは
クパッカーです。今までいろいろな国を渡
なかった。
り歩いてきました。目的は主に遺跡巡りで
「この石をどかせば、もっとまともな姿が
す。その中で、日本では絶対にありえない
見えるに違いない。
」
経験を幾度となくしました。また考えさせ
私はそう思ったが
られることも多々ありました。
「ここから、少し離れた所にある、世界遺
今回、私が提案した「遺跡修復ビジネス」
産ワット・プーの修復も、まだ満足に出来
も、旅行中に実際に思いついたものです。
ていないのに、こんな小さな遺跡が復興さ
それを、データや資料を見つけて精錬しま
れるなんて、いつになるやら。
」
した。ですから、このコンテストのために
と思い直した。その時訪れていたのは私
知恵を絞って考えたものではありません。
だけ。それもそうだろう。ガイドブックに
自分が現場でこの目で見て、感じて、体験
は、これまた小さく欄外に名前が記載され
したことから、純粋にインスピレーション
ていた程度だった気がする。こんな寂れた
を得たものなのです。
場所に来るのは、私のような、よほどの遺
私は遺跡を愛しています。人間が造った
跡好きか、暇人くらいだと思った。おおか
ものの中で何よりも美しく、何ものにも代
たの人間はワット・プーの遺跡を見て満足
えがたいものだと思っています。しかし、
だろう。辺りはこの小さな寺院の他には何
現実には、人手不足と資金難で、多くの遺
もなく、ただ野っぱらが広がるばかり。も
跡が廃れています。そこで、私は、世界中
ちろん入場料もなし、寺院を囲む柵さえな
の遺跡を発掘・修復するには暇人な金持ち、
い。農作業を終えて、木陰でちょっと一息
観光客というボランティアを使う方法を閃
といった感じで、入り口にいた家族が、管
きました。そして、それを実現させるため
理人だったのだろうか。とにかくなんとも
に、実際の一観光客という立場からアイデ
平穏な場所だった。
ィアを練り、観光業の持つ様々なデメリッ
この小さな寺院跡を見終わった道中、閃
トの改善案を模索しました。
いたことがあった。
「観光客にあの石のブロックを掘らせたら
どうだろう。きっと、遺跡発掘は国家事業
本文
で個人では無理だろう、いや、あの規模で
1
あの平穏そうなマイナーな寺院なら、勝手
足と人手不足で、手が回らない状態だ。
に掘り始めても、ばれないかも(笑)
。それ
それを一気に解決できるのが、「観光客」
より、旅行会社に働きかけてもらえばいい
だと私は閃いた。言ってしまえば、彼らは
んじゃないか。ビジネスとして成り立てば、
暇人な金持ちだ。巨大な遺跡を抱えるのは、
遺跡発掘ツアーを組んでもらえるかも。
」
たいてい後進国で、自国にはない、壮大な
アイディアが溢れるように出て来て、私
人類の遺産を求めてやって来る旅行客の多
は、帰り道、ずっとこの夢のビジネスにつ
くは、先進国の人間だ。私が、旅先でよく
いて、あれこれ空想していたのを覚えてい
見るのも、欧米人、続いて日本人や韓国人
る。
などのアジア人だ。そんな彼らに、遺跡修
思えば、今まで旅してきた国々にも似た
復の手伝いをさせる。本当に遺跡の好きな
ような、あるいはもっと深刻な遺跡はあっ
人間は、ボランティアで十分に働くだろう。
た。例えば、世界的に有名な、カンボジア
国によって、遺跡保護の視点から、様々
のアンコール遺跡は、アンコールワットを
な制約があるだろうが、石のブロックを運
はじめとする、多くの周辺の遺跡群から成
ぶとか、遺跡に蔓延る草刈だとか、そんな
る。主要遺跡は整備されている一方、散乱
些細なことでもいいと思う。人類の遺産を
する石材に埋もれ、うっそうとした、巨木
救ったという意識、それがあれば、胸を張
の根に絡みつかれたベン・メリアの遺跡を
れる事実があれば、旅に意義を見出せる。
見て、
旅はいっそう深まるのだ。そこで働く現地
「修復に一体あと何年かかるんだ?」
の人間とも交流が持てる。かけがえのない
と思った。
思い出になるだろう。先人の遺産を通じて、
どこだったか、場所は覚えてないが、ア
現代人が国境を越えて助け合う。素晴らし
ジアの別の遺跡では、倒壊しそうな石造り
いことではないか。
の二塔の寺院を、裏から木組みで支えてい
近年、旅行の形態は変わりつつある。一
て、村人が修復の寄付をねだりに来た。ミ
昔前は、観光、グルメ、ショッピングが、
ャンマーの有名な遺跡でも、同様のことが
旅行の醍醐味であった。ツアー・パンフレ
あった。偶然出会った小さな少年僧達が、
ットも、それらを網羅したものが全てだっ
見晴らしのいい高台まで案内してくれた後、
た。アンケート調査では、実際、旅行の主
お決まりのように、遺跡の修復への寄付を
たる目的は、年代を問わず観光だと答えて
せがまれた。インドネシアの遺跡を訪れた
いる。
(JTB総合研究所調べ)しかし、今
時には、ガイドが、
や旅行は多彩だ。従来のツアーも健在だが、
「掘ればなんか出る。でもお金無いから掘
個人志向が強まり、海外旅行が身近になっ
れない。」
たせいか、個人向きのツアーが増えた。今
と言っていた。私がこの目で見てきた遺
やパッケージツアーでさえ、全日フリータ
跡以外にも、当然、世界にはまだまだ修復
イムも当たり前だ。それだけ、現地でそれ
に途方もない年月がかかるものや、未発掘
ぞれが目的を持って過ごすことになってき
のものがあるだろう。その多くは、資金不
たということだろう。
2
える。これから、更に、旅行は、個人の嗜
アクティブな観光へ
好に合わせて多様になり、日本人もどんど
ん個人で世界を周る時代になるだろう。一
オケイコ留学というものがある。現地の
人一人が、旅に意味を見出すようになって
伝統や文化を学ぶために、短期間で観光と
いくと思う。
語学研修も兼ねて、気軽に留学をするそう
私のような、大きなリュック一つを担い
だ。渡航先で、例えばタイならタイ料理の
で、世界中を旅するバックパッカーは、長
見事なカービングを学んだり、アロマセラ
期間の旅の中で、次第に感動が薄れてくる
ピーやフラワーアレンジメントなど、主に
という贅沢な悩みが募る時期がある。エキ
女性をターゲットにしたものが多いようだ。
ゾチックな風景、珍しい動物、不思議な食
このように、今までにはなかった、学ぶこ
べ物、楽しい現地の人々との交流。初めは
とをメインにした旅行も急増しているとい
心躍らせていたものが、次第に慣れてしま
う。インターネットの普及で、こういった
って、当たり前になってしまう。結局、ど
情報は、誰でも、すぐに手にすることが出
こに行っても、似たような内容の現地ツア
来るようになった。
ーしかないのも原因の一つだ。マリンスポ
留学と言えば、私自身も、数年前にマル
ーツ、クルーズ、山歩き、気球乗り……風
タに二ヵ月半遊びに行ったことがあった。
景が違うだけで、どこでも出来てしまい、
一応現地の語学学校に入ったが、私の場合
マンネリになってしまうのだ。
は英語の勉強がしたかったわけではなく、
そこで、新しく遺跡修復ツアーだ。これ
当時行ったことのなかったヨーロッパに住
は、私が今まで旅した、約三十カ国の中で
んでみたい→英語の国じゃないと言葉が不
実施している所はなかった。だから世界各
安→イギリスはありきたりだし、冬だった
地の崩壊した遺跡を見かけるたびに、
から寒いのは嫌→でも二ヶ月も住むのに毎
「手伝いましょうか?」
日暇だし、とりあえず英語でも習うか、と
という気になることもままあった。
いうことで、マルタにしたのだが、マルタ
遺跡修復ツアーもマンネリになるくらい
のどこの語学学校も、週末や放課後には、
一般的になれば、現地も観光客にとっても
観光地巡りなどのアクティビティを実施し
いいはずだ。規制を緩和して、考古学者を
ていて、最短一週間の語学研修生にも楽し
気取れるほどの仕事を与えられるようにな
めるように、レクリエーションが充実して
れば、遺跡好きは、何日間も何ヶ月も滞在
いた。私自身、こうした学校主催のツアー
するだろう。次第に姿を現していく、その
に、何度か参加して大いに楽しみ、その後
遺跡の全貌だけを糧に。完成の暁には、功
の海外旅行への大きな弾みになった。
労者として遺跡の入り口に石碑でも立てて
このように、旅行とは、われわれ消費者
名前を刻んでやれば、彼らの自尊心は更に
も企業も、今や添乗員に連れられて、漫然
満たされるだろう。
と行程をこなすものではなくなってきたの
観光業は、裾野が広いことを考えてほし
だ。大事なのは、旅をする意義だと私は考
い。衣食住全てにおいて、彼らは金を落と
3
す。三度の飯から娯楽費に至るまで、生活
跡発掘ツアー」を検索すると、ずらりと出
の全てにおいて金を使う。客であり、労働
てきた。親子で参加できるものもあり、人
者である彼らボランティアの代わりに、生
気らしい。遺跡発掘自体、市町村便りや、
活費の一部を免除したっていい。現地の恩
たまに、ハローワークに求人が出ていたり
恵は計り知れない。そして世界中にそれが
するようなので、素人でも、十分、遺跡発
広がれば、世界中の多くの遺跡が救われ、
掘の仕事は可能だろう。
新しい観光地が生まれ、更なる集客が見込
私は、もっと大々的に、世界中で村おこ
まれるだろう。このサイクルは、長期的で
し的に、ビジネスとしてやってみたらどう
魅力的だと思う。せっかくの観光資源を、
だろうと思う。
地中やジャングルに埋めておくのは、実に
実際に、世界に名だたる遺跡がどれほど
もったいない。
の人気か、ほんの一例を数字で表してみよ
う。月から見える唯一の建築物であるとい
遺跡発掘ツアー
う、中国の万里の長城では、年間一千万人、
ペルーのマチュピチュでは、一日に 2,500
では、実際に、こういったツアーはない
のだろうか?
人の入場制限がかけられるようになったく
全く不可能なことなのだろ
らい、世界中から観光客が詰め掛けている。
うか?インターネットで調べてみた。する
確かに、ここにあげた世界的にその名を
と実際にやっている所があったのだ。それ
知られる、稼げる遺跡のレベルに達するに
は、イタリアのマルケ州にある、ウルビサ
は、長い時間がかかることだろう。しかし、
イーアという自然豊かな美しい田舎町で、
冒頭に示したような、柱と壁だけの、ラオ
かつては、ウルブス・サルビアと呼ばれた
スの小さな、小さな遺跡からでも、このビ
場所だ。ここは、おそらく紀元前 1 世紀前
ジネスは可能であり、そここそが、たいへ
半に設立された、ローマ人の古代都市が置
んな魅力でもある。遺跡修復は、持続可能
かれた、歴史的に重要な場所で、町には当
なビジネスなのだ。
時の面影を残す遺跡があちこちにあるが、
それはほんの 10 パーセントに過ぎないと
遺跡修復ツアーの具体例
いう。
シビッリーニ国立公園の端にある、サル
では、次に、具体的に、私が考えた遺跡
ナノという小さな町の、ヴィラ・サン・ラ
修復ツアーの具体例を示そう。遺跡の候補
ファエロというホテルでは、遺跡発掘のボ
地は、先ほどから例が出ているラオスの、
ランティアを募っていて、希望者には遺跡
名前さえ忘れてしまった寺院跡とする。こ
発掘を手伝えるように手配するだけでなく、
のアイディアの源泉として、また、現地に
他の歴史ツアーとも組み合わせて、アレン
滞在した経験を考慮して、観光客目線でビ
ジしてくれるようだ。
ジネスモデルを展開していけるし、実際、
日本にも、このような遺跡発掘体験を催
この程度の規模から、実験的に始めた方が
す所は多い。試しに、インターネットで「遺
いいと思われるからである。なお、ラオス
4
における実際の遺跡発掘に関する法律等は
遺跡発掘の醍醐味である発掘を 4 割くらい
不明なので、そういったことを、クリアし
にして、客が楽しみを覚え始めた頃に終了
たものとして話を進める。
させ、翌日以降にリピートさせる。
メインとなるのは、時間に余裕のある学
1
募集方法
生や、仕事を辞めて世界一周旅行中に来た
初めは現地発のツアーのみで、現地のホ
若い個人旅行者だと思われるため、彼らの
テルや旅行会社、インターネットで取り扱
興味を尽きさせないことが、何よりも大事
う。日本を始め、諸外国からの観光客には、
である。この場所に何日も通い詰め、ステ
現地旅行会社を通した、オプショナルツア
ップアップすることで、より責任感のある
ーでのみ。私のような、バックパッカーが
仕事を任せられることが誇りとなり、楽し
よく集まる宿やレストランでも、ポスター
みである、と自覚させられるようなプログ
を貼ったりして宣伝してもらう。一定の集
ラムを作る必要があるだろう。忘れてはな
客があり、認知度も上がった後、先に示し
らないのが、彼らが労働者である以前に、
たような、オケイコ留学のように、外国か
客であるという事実であり、このボランテ
らも、本格的な遺跡修復をメインにしたツ
ィアが、地域を活性化させるビジネスであ
アーを組む。また、長期休暇のある国内外
ると言う側面だ。
の考古学系の学生をターゲットに、大学に
現地では、必ず、防犯のための遺跡内を
フリーペーパーを置くなどして、売り込む
監視する監視員を配置させる。
という方法もいいだろう。
食事は、併設のレストランやカフェでと
る。遺跡内は、環境保全のために、飲食物
2
期間
の持ち込みは厳禁にする。そうすれば、飲
手軽に体験できる半日・1 日〜本格的に
食業が産まれるという利点もあるし、後述
やりたい人用に 3 日、1 週間、2 週間と、様々
する、ごみ問題も防げる。さらにマッサー
にコースを用意する。時間のない団体客に
ジ店も出して、修復作業で疲れた体を癒し
は、半日か 1 日がメインとなり、時間に余
てもらうという商売も有りだろう。
裕のある、バックパッカーが長期間を選択
そして、作業終了時には感謝状を渡す。
するだろう。
トルコのカッパドギアやエジプトのある遺
跡では、気球に乗ると証書がもらえる。韓
3
修復作業
国の明洞で実弾射撃をすると終わった後、
遺跡の修復には様々な作業があるだろう
穴の開いた紙の的とバッジが貰える。旅の
が、初めに、一連の作業に関するレクチャ
記念と労をねぎらって、感謝状のサービス
ーを受ける。その後はわきあいあいと客同
はどうだろう。
士楽しくするもよし、黙々と作業に没頭す
るもよし。思い思いに、旅の思い出を作っ
4
てほしい。具体的には、測量や石のブロッ
ボランティアのため無償となる。
クをどかす、分けるなどの地味な作業 6 割、
ただし、ツアー客には送迎費を、旅行会
5
代金
社が送迎をするオプショナルツアーなら、
うでよくないのだが。)距離にして、およそ
その旅行会社に交通費を、フリータイムや
一本道を10キロ、でこぼこの土の道に丸
個人旅行者は自力で行くことになるので、
太を渡した橋、村と町を二つ三つ越え……
公共交通費を支払う。
しかも、日本で言う夏。あまり、カフェや
レストランも人がいなかったりして、休憩
修復ビジネス・モデルプラン
しにくい雰囲気……快適なサイクリングと
は、とても言いがたかった。
基本的なスタンスは、以上の通りである。
ちなみに、繁忙期だったはず。そこで、
ここから、実際のモデルプランとして、ラ
バスを通すのも、道を良くするのも、まず
オスのあの小さな寺院跡を例に、当てはめ
は難しいので、宿の人に送迎サービスを頼
て考えてみる。
もう。ラオス有数の観光地とはいえ、田舎
それでは、まず、私のような遺跡好きの
過ぎるくらい田舎だったので、原付の後ろ
個人旅行者が、ワット・プー観光のついで
に乗せるサービスや、送迎車を用意しよう。
に、宿泊先の宿の掲示板で、遺跡修復のボ
これはカンボジアでも、アンコールワット
ランティアが出来ると知って、参加しよう
を回る際に、実際に宿泊先の宿であったサ
とした場合を考える。この場合、近くに世
ービスだ。私は原付を選択したが、快適さ
界遺産ワット・プーという、ガイドブック
を犠牲に出来る人なら、渋滞知らずの身軽
でも、巻頭で紹介されているほどの、ラオ
さと安さでおすすめだ。もしくは、貸しオ
ス観光の目玉があるので、わざわざ、新た
ートバイ。これも海外ではよくあるスタイ
に遺跡修復ボランティアの宣伝をしなくて
ル。免許のある人にはさらに安上がりだ。
も、ワット・プー目的で来た観光客に、宿
や食堂で、直接アピールできる。そのため、
修復体験
大した宣伝や広告をしなくても済む。また、
バックパッカー同士の口コミは、未知の国
続いて、実際の修復体験を考える。この
では、貴重な情報源であるため、誰かがイ
個人旅行者は、今日は、生まれて初めてと
ンターネット上に参加した時の感想でも書
いうことで、一日体験コースを選択した。
けば、一気に広まるだろう。
楽しければ、明日から、本格的に長期間コ
さて、この個人旅行者は、目的地のワッ
ースにしようと考えている。一通り係員か
ト・プーまで自転車で行こうとする。理由
らレクチャーを受け、注意書きが書かれた、
は、ガイドブックに自転車で行けるからと
翻訳された日本語のガイドブックにも目を
書いてあり、宿や道端にも貸し自転車が溢
通した。そして、いよいよ、様々な国の観
れているからだ。私もそうだった。
光客に交じって、いざ修復体験。
しかし、私の経験上、自転車はきつかっ
ランチは、併設されたレストランで、こ
た。遠いし、道が悪い。
(そもそも、旅行者
の地域の郷土料理を食べながら、そこで、
が公共交通機関で辿り着ける町の中心から、
知り合った旅行者と、それまでの旅にまつ
ワット・プーまでが、遠すぎるのがいいよ
わる雑談をしながら。
6
再び修復作業に戻り、帰りに近くのお土
問題点について、ウィキペディアから長
産屋でラオス雑貨を買い、宿からの迎えで
所・短所と問題点を引用して、具体的な方
宿へ戻る。残念ながら、私が行った時には、
法と改善点を示していこう。
お土産屋は一軒もなく、まるで観光地とは
思えなかった。こじゃれたレストランが二
観光ビジネスの長所と短所及び相殺
軒、閑散と営業していたのみで、びっくり
した。ちゃんと大型バスが乗りつける場所
観光業の長所として、一般に以下のよう
なのに、実にもったいない。そこで、ラオ
なものが挙げられる。
1
スの特産品を売るべきである。
観光業の発展で多くの観光客が訪れ
次の日から、この個人旅行者は、2 週間
るようになると、宿泊や運輸、飲食、旅行
のボランティアに挑戦してみることにした。
業など様々な分野での経済活動が活発にな
1 週間以上の参加で、送迎費が割引される
り、経済への波及効果が高い。
2
からだ。送迎費の割引は、この地域では、
観光開発において、テーマパークの建
かなりありがたがられるだろう。人数さえ
設などを除けば、元々その地域に存在する
集まれば、ホテルが共同でマイクロバスを
自然や遺跡などを利用する者がほとんどで
購入し、各宿泊施設を巡ってもいいだろう。
あり、また小規模でも成立し得るため、資
あるいは旅行会社に委託してもいい。
金が少なくとも、ある程度の開発が可能で
軌道に乗って、色々な場所で野ざらしに
ある。
3
されていた遺跡の修復が始まったら、何箇
所かの修復現場を巡るツアーを出してもい
多くの工業とは異なり、基本的に高度
な技術水準が求められない。
4
いかもしれない。肝心なのは前述したよう
に、飽きさせないことだ。
国外から観光客を集めることが出来
れば、外貨を獲得することが出来る。
5
次は団体ツアーで来た場合を考える。ツ
広範囲、例えば世界各地から観光客を
アー客の場合は、日数も決まっているので、
集めることが出来れば、一国の景気に左右
簡単である。予定に組んであるため、ガイ
されにくい産業となる。
ドの同行で、難なく 1 日か半日の修復体験
6
をさせて終了である。
経済の発展や余暇活動の重視に伴い、
世界的に見て今後も市場の拡大が期待でき
さあ、多くの観光客の善意で、見放され
る。
ていた壁と、入り口の枠しかなかった寺院
一方、短所として、一般に以下のような
跡も、すっかり、往時の姿の片鱗を今に伝
ものが挙げられる。
1
えられるようになった。今まで尽力してく
基本的に娯楽活動に依存する産業で
れたボランティアの名前を刻んだ石碑が入
あり、消費における優先順位は低く、また
り口に置かれ、一帯も整備され、観光客も
一般に競合する観光地も各地に存在する。
訪れるようになった。ここからは、実際問
そのためある地域の観光需要の価格弾力性
題として、この寺院遺跡がこの先もビジネ
は高く、その時々の景気や流行の影響も受
スとして成り立つように、観光業が抱える
けやすい面がある。
7
2
屋外の活動が多く、また自然を利用し
スへ行ったのは、このワット・プーが 1 番
たものも多いため、その時々の気候に大き
の目的だった。近くの同じような寺院跡も
く影響される。
発掘されればなおよい。
3
自然を利用するものが多く、また観光
また、ラオス政府観光総局の 2009 年と
客は基本的に休日に訪れるため、季節・時
2010 年の海外旅行者受入数を比較してみ
期によって観光客数は大きく異なり、繁閑
ると、日本を始め世界 23 カ国から、いずれ
の差が激しい。
も旅行者が増加している。ラオスは、未だ
4
上記のような特徴に対して、ホテルや
認知されていない秘境であるため、今後も
遊園地などの施設や人員を簡単に増減させ
ラオスへの入国者は増えていくだろう。
ることは出来ず、繁忙期の観光客に対応し
短所 2 はどうか。ワット・プーのあるチ
ようとすると、閑散期にはそれらが無駄に
ャンパーサック県パークセーの年平均気温
なり、効率が悪い面がある。
は 27.2 度、年間最高気温は 31.7 度、年間
5
自然や歴史・伝統などによるものが多
最低気温 22.6 度(世界気象機関データ、
く、観光開発では立地条件に大きく左右さ
1951 年から 2000 年の 50 年の平均)と快
れる。それらに恵まれない地域での観光開
適といえるだろう。問題は雨季のスコール
発は困難であり、また規模の拡大がそれら
だが、これも 1 日中降り続くものではなく、
の条件により制約される場合も多い。例え
一気に土砂降りが来て、また晴れるため、
ば海水浴場やスキー場などでは人の密度に
作業が完全に出来なくなるということはな
限度があり、温泉であれば過剰な取水は枯
いだろう。併設のレストランで雨宿りをす
渇を招く。
ればいい。
6
観光資源となるものは様々ではある
短所 3 も長所 5 で、概ね補えるだろう。
が、自然や歴史などを利用する場合には、
日本人が正月休みで旅行に出かけた後、中
他の産業の発展と両立しがたい場合がある。
国人の旧正月による旅行が増えるように、
自然環境や街並み、景観などの保存が求め
外国人を相手にする観光地なら、それなり
られる場合、工業化や近代化、都市化など
に閑散期と繁忙期の溝は広がらず、安定し
が抑制される。逆に言えば、それらが進展
た収益を上げられるはずだ。
した際、観光業が衰退する可能性がある。
また、ラオスのベストシーズンは、11 月
から 4 月の乾季とあるが、この南ラオス観
ウィキペディアによると、以上のことが
光のもう一つの目玉は、詳細は後述するが
観光業の長所と短所である。私は観光業に
周辺の滝であり、こちらは水量が豊富な 6
携わっているわけではないが、実際の観光
月から 9 月の雨季の方が迫力がある。こち
客という立場から意見を述べる。
らを強く推しながら、遺跡修復ツアーにも
まず、短所の 1 について。これは長所 5
来てもらえば良いと思う。
で補えると思われる。近くに世界遺産ワッ
私がマルタで語学学校に行った時の話を
ト・プーがあるため、この寺院も安定した
覚えているだろうか?
集客を見込めるといえるだろう。私もラオ
兼旅行会社だった。生徒は同時に客であっ
8
そこは、語学学校
たのだ。今思うと、実にうまいマーケティ
思う。成功例は、何と言っても、ヨーロッ
ングだ。週末の隣の島へのクルーズ観光か
パの町並みや古城だろう。周りの風景との
ら、夜の教室での映画鑑賞会までレクリエ
調和は、完璧としか言いようがない。地域
ーションの幅は広かった。
をあげて保存に取り組んでいる姿勢は、本
観光客にとって、選択肢が多いのは嬉し
当に素晴らしい。わが日本も、早くから町
い限りだ。選択肢の多さが「魅力的な観光
並みの保存に、力を注ぐべきだったと思う。
地」の一つのバロメーターになる。楽しみ
このワット・プー周辺も、古代の人々のよ
が増えれば増えるほど、観光客はそこに長
うに、聖と俗とを分けるような観光開発を
居したくなり、リピーターも増える。
してほしいと思う。
この遺跡修復体験も、周辺の観光地と組
み合わせてどんどん売り込むべきだろう。
ラオスの観光産業の将来
短所 4 については、直接この遺跡修復ボ
ランティアには関係ないが、始めは何も大
それでは、最後に国際機関アセアンセン
規模なホテルを作る必要はない。世界中の
ターのホームページで見つけた文章を援用
観光客をターゲットにするのだから、必然
させてもらうとしよう。
的に年々観光客は増えていくだろう。需要
鈴木・ケオラ[2005b]は、タイの投資家に
に応じて、供給を合わせていけば良いと思
対する聞き取り調査から、ラオスの観光産
う。また短所 6 にも重複するが、景観を守
業の将来性について以下のごとく述べてい
るためにも、豪奢なリゾートホテルや団体
る。
ツアー客向けの大型ホテルは郊外に建て、
観光地に近い所には、小ぢんまりした家族
専門家が見て、観光の潜在価値が最も期
経営の宿やゲストハウスを建てるべきだ。
待できる地域は、チャンパーサック県であ
短所 6 については、私も、景観を守るた
ろう。チャンパーサック県は、ラオスの南
めの努力は必要だと思う。こういった寺院
西部に位置し、タイとカンボジアに国境を
は、古代は聖地だった。むやみやたらな開
接している。同県の人口は 58 万 9,300 人
発は、遺跡の持つ雰囲気を損ねてしまう。
(Statistic Center of the Lao PDR [2003])
例えば、エジプトのギザのピラミッド。こ
と少ない。ラオスの動脈となる国道 13 号線
れは、意外にも、砂漠ではなく街中にある。
が、同県を南北に縦断している。メコン川
スフィンクスの前には、お馴染みの某ファ
とセドン川の合流するパークセー郡に、県
ーストフードチェーン店。これは、これで、
庁所在地がおかれている。ここから、国道
オモシロイと言ってしまえばそうなのだが、
10 号がタイのウボンラーチャターニーへ
個人的には世界一有名な建築物の景観を守
通ずる。また国道 10 号線は、パークセーか
れなかった失敗例だと思う。
ら東へ延びると、肥沃なボーラヴェン高原
ワット・プー周辺も、私が行った頃は全
をなすパークソーン郡に至る。メコン川は、
然観光地化されていなかったので、あのの
チャンパーサック県で、ラオス領に大きく
どかな田舎風景と静けさは残してほしいと
入り込み、国道 13 号線と併走する。チャン
9
パーサック県は、メコン川と切り離して考
リカ人、イギリス人、日本人、台湾人、韓
えることはできず、支流や沼、密林が原始
国人といった外国人が居住しており、避暑
的な自然を形成し、世界的な水棲動物や野
地需要が存在する。パークセー空港の拡張
生動物の宝庫として、自然愛好家からその
工事が完了し、ヴィエンチャンやカンボジ
価値が高く認められている。カンボジアに
アのシェムレアップから空路でもパークセ
至る最南端 35km の流域では、メコン川の
ーに行けるようになった。もちろん陸路は
川幅は、およそ 25km に(ティーラプット
タイと陸続きであるからアクセスの問題は
[2003: 71-92])広がり、「シーパーン・ドー
ない。問題は雨季の 4 か月間は観光客を集
ン」(四千の島)と呼ばれる、数多くの島を
客できないので、カジノ、テニス、ゴルフ
形成する。メコン川にかかる世界一幅の広
場、乗馬などのスポーツ施設を作る必要が
い滝「コーン・パペン」
(パペンの滝)や「コ
ある。このように総合的な施設を作るなら
ーン・ソムパミット」(ソムパミットの滝)
ば、チャンパーサックには大きな観光需要
は絶景をなす。その上、「淡水いるか」(イ
が生まれる可能性を秘める。
ラワジイルカ)が生息しているので、アト
ラオス南部のメコン川流域地域は肥沃な
ラクションとしても期待できる。バードウ
耕地が展開している。冷涼な気候により輸
オッチングなど、エコ・ツーリズムに適す
出用コーヒーの栽培が盛んになりつつある。
る地域としても注目されている。
タイ企業によるポテトチップスの原料とし
チャンパーサックはカンボジアにアンコ
て、ポテトの大規模な栽培が行われており、
ールワットを建設したクメール民族の発祥
タイで生産コストが高くなってきた原料の
の地と言われている。
「パサート・ヒン・ワ
下請け生産が、今後活発化するであろう。
ット・プー」寺院は、クメ−ル様式の寺院と
またこの地域は牧草地が広がるうえ、タイ
して 11〜12 世紀に建立された。2002 年ユ
市場にも近いことから畜産業に期待がもた
ネスコ世界文化遺産に指定されたパサー
れている。
ト・ヒン・ワット・プー級の水準に至らな
(日本アセアンセンターの HP
くともこの寺院の周辺村には、クメール様
http://www.asean.or.jp/ja/asean/know/cou
式の石造寺院遺跡が数多く残っている。
ntry/laos/invest/guide/section12/section12
_04.html 1013.3.10 アクセス)
チャンパーサックは、冷涼な気候で、最
低気温が摂氏 5-6 度になることもあるが、
年平均 25〜27 度で安定している。19 世紀
それでは、観光地化が成功した暁に起こ
末より、フランスがラオスを植民地化して
りうるであろう問題点にも、同じくウィキ
以来、数多くのフランス人がこの地に住居
ペディアから抜粋して考えてみよう。
を構えたほど、自然環境がすばらしいこと
は歴史が証明している。タイは 6,000 万人
問題の考察
の人口を抱え、富裕層のみならず、拡大し
てきた中間所得層の観光需要も期待される。
その上タイにはおよそ 25 万人に上るアメ
観光業も、他の産業と同様に外部性を持
っており、観光業の持つ負の外部性として
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以下のような問題が挙げられる。
を手渡す人までいたという。大型連休時に
観光客の増加による公害。ホテル・娯楽
は、ごみ清掃員が 1 日に拾うごみの量は 50
施設などの建設や観光客によるごみの投棄
キロ以上らしい。清掃員は 130 人に上ると
などでの森林破壊・海洋汚染など自然環境
いうから、ものすごい量のごみを、観光客
の破壊や、悪臭、騒音など。交通量の増加
が捨てていくのだ。私は、まだ万里の長城
による道路の渋滞、交通機関の混雑。観光
には行ったことがないから、現地のことは
客目当ての犯罪が増加することなどによる
分からないが、
「近くにゴミ箱があるのに投
治安の悪化。
げて入らなかったんだね。
」と清掃員がこぼ
観光開発に、当初、さほどの資金が必要
していたと記事にはあった。
とされない場合でも、このような問題の解
観光客にごみを持ち帰らせるのは難しい
決には相応の投資が必要となる。
だろう。身軽な軽装を良しとするのだから。
また、地域外から、大勢の観光客が訪れ
なぜごみなんてわざわざ持ち歩く?
日本
ることによる文化的な摩擦や、地域の伝統
でも、ごみの持ち帰りが叫ばれ始めたが、
文化の変容などが起こり、地域住民などか
海外に行けば、そこは他人の国。モラルだ
ら反発されることもある。
って緩まる。
観光地におけるごみ問題。これは至極簡
まして、インド人のように、ごみなんて
単だと思う。ゴミ箱を増やせばいいだけの
その辺に捨てるのが常識のお国柄の観光客
話だ。なぜごみをそこら中に捨てるのか?
だっている。ポイ捨てなんて自国でしない
ゴミ箱がないからだ。私も、いつも外国で
人だって、ついついやってしまうだろう。
不便に感じていた。町歩きで、観光地で、
私もどこかの国で、ずっと持っていたラン
買い食いの後に、
チのごみに気づいた現地の人が、そのごみ
「なぜゴミ箱がないんだろう。
」
をポイ捨てしてくれた経験がある。その人
私は、いつも仕方なく鞄に入れて、ゴミ
は私に親切にしてくれたことなのだが、複
箱を見つけるまで持ち歩くが、あまり気持
雑な気分だった。
ちのいいものではない。日本は、自販機の
結局、ゴミ箱がないから、そこら辺に皆
横に缶を捨てるゴミ箱があったり、公園に
捨ててしまうし、モラルが低い国の観光客
さえゴミ箱が置かれるようになって久しい
もいるのだ。万里の長城のような遺跡なら、
が、海外で、特に後進国のマイナーな遺跡
飲食物の持込みを禁止したり、荷物の制限
などは、当たり前のようにゴミ箱がない。
をかけるべきだ。訪れる観光客に「人類の
それでもきれいだったのは、清掃員がいた
遺産」という自覚を持たせ、汚してはなら
のか国民性なのか。
ないと啓発すべきだ。
インターネットの記事で、中国の万里の
なお、私としては、バンコクのカオサン
長城も、このごみ問題に悩んでいるという
通りのような、昼夜を問わず人が溢れる所
ことが書いてあった。ごみ拾いのボランテ
なら、10 メートルおきにゴミ箱を作ってほ
ィアが出来たことで、なんと、更にごみが
しい。その通りにある店は、必ず店頭にゴ
増え、ボランティアスタッフを見て、ごみ
ミ箱を設置させるなど。提供だけするので
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はなく、その商品やサービスによって生じ
客にとってもゾーン分けは、決して悪いこ
る廃棄にも責任を持たせるべきだ。
とではないだろう。観光客は観光客、住民
は住民と線引きすれば、不用意な摩擦も地
観光客が来ることによる騒音や犯罪の増
元住民の文化の変容も起きないだろう。
加は、周辺の住人への配慮も込めて、外国
しかし、気をつけねばならないのは、や
人の滞在する一つの居留地を作ればいいと
り過ぎると、どこの観光地も同じようにな
思う。明確に観光客と住民のゾーン分けを
り、観光客はどこに行ってもその土地の趣
すれば共存できる。
を感じなくなる。その土地らしさを生かし
先ほど例に出したカオサン通りの、あの
た町並み造りが大事だろう。
喧騒は、もし外人相手の商売をしている人
間以外の住民が、あそこにいたとしたら悪
次に、交通機関の混雑や渋滞の問題。こ
夢だろう。
れは、道路の整備や公共交通機関の充実な
ワット・プーもいい例だ。良くも悪くも
ど、行政機関による問題であると思われる。
観光の起点となる観光客の宿が集まる町か
雨季になったら、道が陥没して、一晩立ち
ら、ワット・プーまで遠いのは、この面か
往生するような国の場合、舗装する以外に
らしていいだろう。他にも、アルゼンチン
対策はない。
のイグアスの滝がある町も良い。観光客し
とはいえ、そういう国でも、今から、ま
かいなくて、こっちも安心した。あまりに
た日本でも、ヨーロッパの都市部ように、
も地元過ぎると、観光客向けのサービスが
自転車専用レーンを作って、推奨するのが
なくて不便だったり、外国人というだけで
良いのではないだろうか。
浮いてしまう。地元の人からジロジロ見ら
私の経験からして、ワット・プーやタイ
れたり、声をかけられたりして気まずいの
のスコータイ遺跡、ミャンマーのバガン、
だ。
エジプトのルクソールなど、通常日本では
私が女性ということもあるが、あまり雰
ありえない距離を、旅先では自転車でひた
囲気が良くないと、居心地が悪い。トルコ
走れるものだ。旅ゆえに。砂地で車輪が埋
のドゥーバヤズッドに行った時のことだ。
もれて、なかなか走れないバガンの道であ
眉唾物のノアの箱舟が見れる、という謳い
ろうとも、暑くて試練としか思えなかった
文句に惹かれて行ってみたが、観光地化さ
ルクソールの道も、旅の醍醐味で済まされ
れておらず、宿の周辺には何もなかった。
る。(二度目はごめんこうむるが。)
観光客の入りやすそうなレストランも、見
バギーでもいいだろう。専用レーンを使
かけなかった気がする。
って、バギーを乗り回しながら観光できる
私個人としては、場所にもよるが、観光
となれば、若者を中心に人気が出そうだ。
客の集まる宿周辺の雰囲気は開かれて明る
バギーはあまり見かけたことがないので、
いオープンな方が良い。旅行会社と宿が並
珍しくて良いと思う。
び、レストランやパブ、クラブが揃ってい
渋滞緩和は、発展途上の国の方が、整え
る場所の方が、英語も通じて快適だ。観光
やすいのではないだろうか。日本のように
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これから新たに自転車専用レーンを作り足
私のこの行為や考え方に対する批判は、
すのは大変そうだ。ただし、これも景観を
今は抜きにして考えてほしい。国や地域に
損ねる危険がある。バガンを思い出すと、
よって、現地の人間は驚くほど遺跡に興味
舗装されたアスファルトの道路もあったが
を払わない。外国人から見たら、何て素晴
やはり、砂地のどうしようもない道の方が、
らしいのだろうと、感銘を受けずにはいら
あの荒涼とした大地にしっくりくる。そう
れない小さな祠一つでも、現地の人々にと
いうところは馬車もあったが、じっくり気
っては、自分達のすぐ近くにありすぎて、
兼ねせずにバギーで巡りたい。
価値が分からないのだ。
もちろん、信仰の対象として、大切には
今後の課題
されているだろう。しかし、初めてそれを
見た外国人のような大きな感動はない。彼
ここに提示された問題点以外にも、おそ
らにとっては、生まれた時からあって、老
らく問題は出てくるだろう。以上に示した
人になるまで、おそらくずっとあり続ける。
のは、あくまで一般論に過ぎない。それで
それがそこにあるのは当たり前なのだ。
も、私なりに、この小さな寺院を軸にした、
私だって、同じ世界遺産なら、日本の熊
周辺地域を活性化させるモデルを展開する
野古道より、遥かにエジプトのピラミッド
ことが出来た。夢物語ではなく、少しでも
の方が価値があると思う。だから、あの寄
実現出来るかもしれないという希望を見出
付をねだりに来た村の住人達も、本気で救
せたと思いたい。
おうとしていないのかもしれない。
この遺跡修復ビジネスの目的は、あくま
勿論、これは、まったくもって、偏見と、
で遺跡の復興だ。かけがえのない人類の遺
何の根拠も持ち合わせていない私の空論だ。
産を保護し、守っていくためだ。上に例に
ただ、そういう疑念を、一旅行者に抱かせ
挙げた、寄付をねだられたアジアのどこか
たというだけの話だ。遺跡への寄付は、真
の小さな遺跡の話を思い出してほしい。遺
実で、たまたまその日は、修復していた人
跡修復の寄付をねだられた私は、
たちが、休憩中でいなかったかもしれない。
「いや、いや、いや。あんた達の生活費の
最近天災に遭って、おとといから寄付を始
足しにするだろう」
めたのかもしれない。予算が途中で尽きて、
と、勘ぐった。汚れた服を着た、目の前
仕方なく寄付を始めたのかもしれない。汚
にいる村人、修復の手が入っていなそうな
れた服でいたのは、ここに来る途中で転ん
倒壊寸前の仏塔。確証は持てなかったため、
だだけかもしれない。
寄付嫌いな私は、それでも遺跡のために、
だが、もし遺跡の修復を餌に、観光客か
「まぁいっか。
」
らカネをせびっているのだとしたら、それ
と、はした金を寄付した。
はとても悲しいことだ。現地の人間にして
もし、ちゃんと遺跡の修復に使っている
みれば、遺跡よりも今生きている自分や家
という確証があれば、もう少し、私は寄付
族が大事だろう。
しただろう。
「遺跡を直したところで何になる?
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生活
が改善されるわけもない。
」
そう思っているとしても不思議ではない。
私が同じ立場なら、間違いなくそうするだ
ろう。だけど、私は敢えてこう言いたい。
「遺跡の価値に気づいてくれ」
私は、遺跡には驚くほどの感動を持って
いると思う。初めて訪れたバリ島の壮麗な
ボロブドゥール遺跡でときめき、子どもの
頃からの憧れだった、タイのアユタヤ遺跡
で、
「生きていてよかった。神様ありがとう。
こんなに素晴らしいものを見せてくれて」
と心の底から思い、メキシコのテオティ
ワカンに向かうバスの中では、実物のピラ
ミッドを見る前から、感極まって泣けた。
だから、どうか自分達の先祖が残してい
ってくれたものを、大切にして後世に残し
てほしい。それは、通りすがりの私達外国
人では無理なことだ。それには、現地の人々
が、自分達の遺跡の価値に気づかなければ
ならない。この壊れかけた寺院が宝だと。
貴重な観光資源になり、守っていくことが
カネを生み、更に恵みをもたらすのだと。
ユネスコによって、アスワンハイダムか
ら逃れたエジプトのアブシンベル大神殿。
今度は、世界中の一般旅行者が一体となっ
て、あの奇跡を当たり前にしたい。
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