『日常生活の人道』に翼を与えて

『日常生活の人道』に翼を与えて
日本赤十字社 企画広報室
橋本 真理
「わたしの国で紛争があったこと、知ってる?」。マリヤに聞かれて、心底驚いた。
わたしたちがその時話していたのは、なぜマリヤが何カ国語も話せるのかということで、
そこに『紛争』が出てくるとは、まったく思いもしなかったからだ。
わたしはマリヤの国で紛争があったことを知っている。大学の授業の一環として、マ
リヤの国で起こった民族対立と武力衝突について、学んだことすらある。そして、その
悲劇を題材にした映画を見たことも。しかし、いまわたしの目の前にいる、いつも楽し
くおしゃべりし、一緒に出かけて食事をする友人の口から、『紛争』ということばが出
てくるとは予想していなかった。
『紛争・戦争』について初めて考えたのはいつだろう。小学生のころに読んだ漫画『は
だしのゲン』。その当時は、描かれている傷ついた人・死にゆく人の姿がただただ恐ろ
しくて、部屋の電気を夜消すことや、一人でお風呂に入ることが怖くなった。
題名は覚えていないけれど、同じころにホロコーストについて描いた漫画も読んだこ
とがあった。詳細もまったく覚えていない。ただ、強制収容所に入れられた人びとの食
事風景が焼き付いている。食事といえるものではないお湯のようなスープに、ネズミの
尻尾が浮かんでいた。「戦争になったら、ネズミの尻尾を食べなきゃいけないの?」そ
れが、小学生のわたしが考えたことだった。
そしてその後も、わたしの中では長い間、戦争は歴史でありフィクションであり、身
近にはないものだった。マリヤのことばを聞くまでは。
マリヤが何カ国語も話せる理由。それは、彼女が紛争の起こった国に生まれたからだ。
マリヤはベオグラード出身のセルビア人。自国では教育を受けられなくなったためにド
イツへ逃れて、高校と大学をそこで卒業した。「ドイツの高校・大学に行ったから、ド
イツ語が話せるの。英語もドイツで学んだ。それから、セルビア語と親戚みたいなもの
だから、ロシア語も分かる」と話してくれた。
少し年下だけれど、共通の趣味や興味があって、お互いが第2言語を使っていても話
題が尽きることはない。そんな友人がただ一度ユーゴスラビア紛争について話してくれ
たのが、この時だった。
「マリヤの国で紛争があったこと、知っているよ」。わたしはそう答えたけれど、そ
のあとのことばが続かなかった。いのちの危険を感じたことなどなく、毎日を安全で平
和に過ごせることが当たり前だと思っていたと、理不尽な暴力にこれまでの生活やたい
せつな家族・友人を奪われる経験など想像もつかないと、マリヤに言えただろうか。
マリヤは医師であるお母さんのことや弟のこと、おばさんのことをいろいろ話してく
れる。けれど、会話の中にお父さんやおじさん、おじいさんが出てきたことは一度もな
い。わたしも聞くことができない。その理由が想像できるから。
ユーゴスラビア紛争を伝えるニュースを目にしていた時、当事国での民族対立や武力
衝突について講義を受けていた時、その後自分がその紛争を生き抜いた人と知り合い、
友だちになり、人生について語り合うとは思いもしなかった。
わたしにとって戦争はもはや、歴史やフィクションではない。死者や難民・国内避難
民の数でもない。傷つけられ、愛する人を亡くし、故郷を追われ、教育の機会を奪われ、
希望やよろこびを見出せなくなった、一人ひとりの悲劇だ。
マリヤとの出会いはそれだけ衝撃的で、わたしがその後、支援の道を目指すきっかけ
の一つになった。いま赤十字の一員として、ユーゴスラビア紛争時に行われていた人道
支援について知る機会を得て、考えることがある。10歳代半ばの少女が武力衝突が激
しさを増す祖国から脱出するために、どれだけの人が尽力したのか。その人たちを突き
動かしていたのは、いのちを脅かす危険や恐怖さえも超える、人を人として尊ぶ『人道』
への思いではなかったか。
戦禍のシリアから11月、シリア赤新月社のボランティアが来日し、インタビューす
る機会を得た。2人が話してくれた「『赤十字・赤新月運動の基本7原則』はわたした
ちの活動の真髄」ということばがずっと心の中で、頭の中で響いている。彼女たちが日々
いのちを懸けて助け、救っている人の中には、明日のマリヤがいるかもしれない。そし
て彼女たちを突き動かしているのもまた、「苦しんでいる人を救いたい」という人道へ
の熱い思いだった。
インタビュアーとして失格だと思うが、シリア赤新月社ボランティアの話を聞いてい
て、涙がこぼれるのを止めることができない時があった。彼女も涙を流していて、こと
ばもなく互いに手を重ね合っていた。ただただ「無事でいてほしい」と思い、人道にい
のちを懸ける赤十字・赤新月の姉妹の姿に胸が詰まった。「これが『人道』だ」と目の
前に突き付けられた思いがした。
赤十字・赤新月運動の真髄である『基本7原則』。そして、その真髄である『人道』。
マリヤやシリア赤新月社ボランティアのように戦火を目にしてはいないわたしは、日本
の平和な日常の中で、そのために何ができるのだろうか。赤十字職員が赤十字・赤新月
運動を担う一員であるのはもちろんだが、その前に一人の人間として人道を考えたとき
に、何ができるのだろうか。
ここしばらくこのことについて考え続けていて、
「あなたにとっての『人道』とは?」
という質問を、友人に投げかけてみた。それぞれの『日常生活の人道』を聞いてみたい
と思ったのだ。
「人の尊厳を守ること」
「人が人として生きていけるように道を開くこと」
「性別や人種・国籍、障がいや病気の有無に関わらず生きていけるように、互いに支え、
補い合うこと」
「正しい道を歩むこと」。返ってきた答えはどれも、わたしの心を打った。
ではわたし自身はどうだろう。「人が人として尊ばれていると感じられること。その
ために努力を惜しまないこと」。これがいま、わたしが感じている日常生活の中の人道
だ。
日本赤十字社でのわたしの業務は広報。人道支援に貢献し、人に伝え広めていくこと
に情熱を抱いているわたしにとって、何よりもやりがいを感じ、全力で取り組むことが
できる業務だ。そしてわたしは広報をとおして自分なりに、『日常生活の人道』を伝え
ようと努めている。
コーポレートウェブサイトのトピックス、フェイスブックやツイッター、社内報など
のニュースで取り上げる受益者にはそれぞれの人生があり、愛する家族や友人がいる。
ニュースの読者との間に、人間としての違いはないのだ。もしかしたら10年、20年
先に、読者の一人が世界のどこかで受益者と出会い、友だちになるかもしれない。マリ
ヤとわたしのように。
だからわたしは、人道に翼をつけてニュースを書き、人びとの心に届くことを願いな
がら送り出す。まず自分が「この受益者がわたしの家族だったら?友だちだったら?」
と考える思いやりの翼、そして、
「このストーリーをどのようにすればより多くの人に、
より興味を持ってもらえるように伝えられるか」と考える想像力の翼を。
わたしが日本赤十字社の広報担当として働いていることを話した時、マリヤはこう言
ってくれた。
「赤十字にはとても感謝しているの」。その理由は聞かなかったけれど、わ
たしは確信している。ユーゴスラビア紛争に巻き込まれた子どもの一人だったマリヤを、
赤十字がなんらかの形で支援したことを。そして、その支援があったからこそ、いまマ
リヤが生きていて、わたしたちが友だちでいられることを。