霊魂の哲学と科学

霊魂の哲学と科学
妖怪と天狗や鬼との違いなどを明らかにしながら、人間の「霊魂」
についての思索を深め、御霊信仰の本質を明らかにするとともに、
プラトンの霊魂論とはひと味違う私の霊魂論を展開した。
その結果、 一応、「平和の原理」を明らかにすることができたと思う。
はじめに
私は、建設省に入り、河川局長の前は、中国地方建設局長をしていたが、哲学を勉強しだ
したのはその頃からである。
原爆ドームは、あまり知られていないが、私達・・・建設省(中国地方建設局)の庁舎で
あった。そんなことで、毎年8月6日には、建設省中国建設局長が主催して、原爆ドーム
の下で、誠にささやかだが内々の原爆慰霊祭を行なっている。
私も、平成元年から平成4年まであしかけ4年、丸3年間、中国地方建設局長をやってい
たので、原爆慰霊祭をやってきた。御遺族やら当時の職員に御出席願い、亡くなった方の
霊を弔うとともに平和を祈るわけである。
平和の国づくり、・・・・・国土建設という立場から平和の国づくりに尽くすことを誓う
わけだ。爆心地に一番近い ところ・・・それが又原爆ドームでもあるが、そういった誠
に心苦しいというか・・・恐ろしいというか・・・・なんともいえない場所で慰霊祭を
やってい る。・・・・それが私達である。
そういったことで、私は、国土建設という立場から平和ということについて、どうしても
真剣に考えざるを得ないのである。平和の哲学とは?・・・・そして、そういった平和の
哲学に則った国土建設とはどんなものなのか?・・・・平和の哲学に則った地域づくりは
どう進 めていけばいいのか?・・・・そんなことをいろいろと考えさせられてきた。
地域づくりの実践活動をやりながら当時私の考えてきたことは、当時のホームページに書
いた。私のホームページは、現在、更新はしていないが、今まで二回の更新をした。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/index2.html
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/index2007.html
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/
その間、私は、「桃源雲情」と「劇場国家にっぽん」という本を上梓した。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/togen00.html
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/gekihon.html
日本の歴史の中で平安時代がいちばん平和な時代であったと言われている。平安時代のど
こに平和の原理が隠されているのか? 当時、ちょうど平安遷都1200年ということも
あって、私は, 平安時代のどこに平和の原理が隠されているのか・・・ そんな疑問を持
ちながら,「怨霊,妖怪,天狗」の勉強をはじめた。平安時代というのは,怨霊のうごめ
く時代であった。多くの権力者が「呪い」におびえる時代であった。そういう時代がなぜ
歴史上いちばん平和な時代になったのか? その秘密は,どうも御霊神社がそうであるよ
うに,「祈り」にあるようだと気がつきながら,私は、哲学の勉強を続けていった。
そして、2012年6月には、電子書籍「祈りの科学シリーズ」として、(1)「<10
0匹目の猿>が100匹」、(2)「今西錦司のリーダー論と松尾稔の技術論」、(3)
「怨霊と祈り」、(4)「<祈りの国>にっぽん」、(5)「 天皇はん」、(6)「地
域通貨」、(7)「<野生の思考>と政治」、(8)「平和国家のジオパーク」を出版し
た。
さらにその翌月には、「祈り」とか「神」ということを念頭におきながら、引き続き電子
書籍として、「天皇と鬼と百姓と」、「女性礼賛」、「 書評<日本の文脈>」、「さま
よえるニーチェの亡霊」を出版した。
その後も、「平和の原理」を追い求める私の旅は続いているが、いろいろと哲学の勉強を
進めていくと、どうもプラトン哲学に舞い戻るようだ。そこで、私はプラトンを勉強し直
して、「エロスを語ろう・・・プラトンを超えて!」という論文を書いた。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/eros.pdf
プラトンは、ご承知のように、霊魂論に基づいて国家論を展開している。私の課題は「平
和の原理」を追い求めることだ。 平和の哲学とは?・・・・そして、そういった平和の
哲学に則った国土建設とはどんなものなのか?・・・・平和の哲学に則った地域づくりは
どう進めていけばいいのか? そして、わが国は平和国家として、今何をやらねばならないのか? そう考えたとき、私
は、靖国問題を早急に解決しなければならないということに気がついた。靖国問題が解決
しないと戦後は終わらない。そもそも靖国神社は御霊信仰に基づいて建立されたものであ
るので、靖国問題を解決するためには、御霊信仰の哲学の問題をどうしても解決しなけれ
ばならない。他にも東条英機の分祀問題や日中戦争の歴史認識にかかかる問題があるが、
プラトンの「霊魂論と国家論」を意識すると、御霊信仰の哲学を私なりに考える必要があ
る。そのために、この「霊魂の哲学と科学」という論文を書くこととした。
私は、今まで、中村雄二郎とか中沢新一、また古くは徳一や明恵など、日本を代表する思
想家の勉強をして、上述の通り一連の電子書籍を書いたのだが、そこには怨霊や霊に関す
るものが含まれてはいるけれど、その本質的なものへの突っ込みが足らなかった。今回の
論文「霊魂の哲学と科学」はその不足部分を補うものである。「平和の原理」をしっかり
認識するためには、「祈り」の他に、「呪術」というものが必要である。「呪術」によっ
て・・・、「怨霊」も「御霊(神)」に変身することができる。
日本の国是は、平和国家となることである。だとすれば、靖国神社に祀られた英霊及び怨
霊は、神(御霊)に変身しなければならない。靖国神社の英霊及び怨霊が神(御霊)に変
身するためには、それなりの儀式が必要である。その儀式は怨霊を御霊化するための呪術
に支えられたものであろう。 それには日本におけるあらゆる宗教の参加が必要だが、宗
教上の知恵を総動員することができるならば、靖国神社は世界の冠たる御霊神社に生まれ
変わって、日本は真に平和国家となるだろう。
霊魂の哲学と科学
はじめに
目次
序文
第1章 妖怪論
第1節 妖怪とは何か
第2節 天狗と河童と鬼
1、天狗について
2、河童について
3、鬼について
4、ホトの伝承・・・ 鬼を食う口
第3節 当時を振り返って
第2章 呪力について
第1節 怨霊
第2節 岡本太郎の「美の呪力」について
1、 呪術の定義
2、 岡本太郎のいう「石の呪力」
3、 イヌクシュクの石
4、 石の信仰
5、 「重力の魔」
6、 「石を積む」ことの哲学的意味
7、 天地から引き離されないために!
8、 プラトンのコーラ
9、 石の囲い「炉」と柱の聖性
(1)炉の聖性
(2)繋(つなぎ)のカミ・石棒と柱・・・はたまた猿田彦
(3)縄文住居の祭壇
10、 謎のオルメカ文明
11、 「オルメカの巨石人頭像」の呪力について
13、 グリュウーネヴァルトの「磔(はりつけ)のキリスト像」
第3節 美とは何か?
1、 摩多羅神について
2、 両頭截断ということについて
3、 真の美を理解するには
第3章 谷川健一の「魔の系譜」について
第4章 「ユウレイ」とは何か?
第5章 霊魂の哲学について
第1節 序論
第2節 プラトンの霊魂観
1、生成の哲学と霊魂
2、プラトンの想起説と霊魂
3、霊魂不滅の最終結論(プラトン)
第3節 ホワイトヘッドの霊魂観
1、活動的存在
2、エネルゲイア
3、抱握
4、永遠的対象について
第4節 神と悪魔との違い
1、ギリシャにおける悪魔
2、 キリスト教における悪魔
3、グノーシス派の悪魔
第5節 神の対極的存在が悪魔か?
第6節 プラトンの語る悪魔
第7節 活動存在としてのさまざまな神
1、絶対神
2、アポロンとディオニソス
3、シヴァ神
4、八百万の神
(1)自然物や自然現象を神格化した神
(2)古代の指導者・有力者の神格化
(3)万物の創造主
(4) 神名 について
(5)「神」という言葉について
第6章 霊魂の科学
第1節 霊魂とは何か
第2節 系統発生について
第3節 生命の起源について
第4節 生命の実体
第5節 私の霊魂論
1、生霊について
(1)古典文学
(2)民間信仰
(3)病とされた生霊
(4)生霊と類似する行為・現象
2、地霊
(1)ローマの「土地の守護精霊」
(2)アレクサンダー・ポープ
(3)日本でのゲニウス・ロキ「地霊」
3、霊魂論:プラトンと私の違い
(1)「100匹目の猿現象」
(2) シュガーとパーキンスの鳩の誠に不思議な話
(3)ブラシーボ効果では説明のつかない医学的事実
(4)「霊魂」による説明
第6節 霊魂と国家
1、国家について
2、正義について
(1)正義論のさまざま
(2)「コミュニタリズム」と「ロールズの自由主義」との関係
(3)コミュニティについて
(4)民主主義国家について
(5)ポピュリズムについて
(6)日本が「正義」ある国家となるために
第7章 怨霊と御霊信仰
第8章 「神」はどこに存在するのか?
第1節 天におわす「外なる神」
第2節 エゾイタチの神
第3節 ゲーテの戯曲「ファースト」より
第4節 神の国の神々
おわりに
「霊魂の哲学と科学」序文
平成25年1月27日の世界日報に、映画監督の篠田正浩、この人は1950年に早大で
箱根駅伝の2区を走った方だが、その人が、箱根駅伝の存在意義を「箱根の山を目指し、
その先には富士山がある。だから箱根駅伝は、若者が日本の霊峰を目指して走る神事だ」
と語っているのが紹介されていた。相撲は本来神に捧げるものであるし、本来歌舞音曲も
そうである。私も箱根駅伝は神事だと言って良いと思う。だとすれば、東京から箱根に向
かうそのコースはさしずめ「霊ライン」と言って良いのかもしれない。私はいずれ機会を
見て「霊ライン」についてもその科学的説明をしたいと思っているが、そのまえにそもそ
も「霊とは何か?」を科学的説明をしておく必要がある。この論文「霊魂の哲学と科学」
は、私が今まで「平和の原理」を探し求めて旅をしたその決着をつけるために書いている
のだが、その結果、「霊ライン」とか「イヤシロチ」とか「風水」とか、はたまた中沢新
一が大阪に存在する「ディオニソス軸」などの科学的説明ができるかもしれない。
ここでちょっとお断りしておかなければならないのだが、哲学的に思考されるものにでき
るだけ科学的な説明を加えようという意味であって、随所に民俗学的知見や哲学的知見が
出てくるのをご理解いただきたい。
上述のように、この論文は、私が今まで「平和の原理」を探し求めて旅をしたその決着を
つけるために書いているので、まずは「怨霊」、「妖怪」、「天狗」、「鬼」とは何ぞ
や、というところから書き始めている。怨霊も妖怪も天狗も鬼もすべて霊的な存在だが、
それらが「神」に変身するためには、「呪術」が必要である。そこで、そのあとに岡本太
郎の名著「美の呪力」の要点を紹介している。次に谷川健一が「 普遍的な発展の法則に
したがっている日本歴史の裏側に、もう一つの奇怪しごくな流れがある。それは死者の魔
が支配する歴史だ。」という基本的な認識から、「魔の系譜」という本を書いている。こ
れも霊を語る上で必読の本であるので、私が考える・・・いちばん肝心なところ(心髄部
分)を選び出して、必要な解説を書いている。
実は、霊については、プラトンの霊魂論というのがあって、彼は「パイドン」と「国家」
という本を書いている。これらは、プラトンの力作であって、正に世界的な名著である。
歴史的に数多くの偉大な哲学者が出ているけれど、「霊魂についての哲学」を本格的に書
いた人はいない。プラトンの霊魂論は、人の生き方を指し示すものであり、国家のあり方
を指し示すものである。私には、プラトンによって、まさに「平和の原理」が哲学的に明
らかにされたと考えている。
藤沢令夫は、そのプラトン著の翻訳書「国家」(1979年6月、岩波書店)の解説で、
次のように述べている。
『 イデア論と魂不死の思想とは、両者相まってプラトンの哲学の、特にプラトン的と呼
ばれるべき心髄をなす。「国家」篇で構築される理想国家は、けっしてたんなる安楽国で
もなければ、」いわゆるユートピアや理想郷でもなく、戦争という悪を不可能とする条件
の下で、国のために戦う「守護者」の育成を中心として考えられたものであるが、現実的
な性格を持つものであるが、この極めて現実的ないし現世的な国家の構想そのものがしか
し、妻子共有の話や細々とした食物のことまでも含む記述と共々に、こうしたイデア論と
魂の不死の思想を心髄とする哲学によって、全体としてはそっくり「永遠の相」に包み込
まれることになるのである。』・・・と。
さて、臼田乃里子の「供犠と権力」(2006年12月、白地社)という素晴らしい本が
ある。「供犠」についてこれほど突っ込んだ考察をした論考を私は知らない。彼女は、
日本にも「いけにえ」(供犠)の文化があったということ、怨霊は「供犠」であるという
こと、そして御霊(ごりょう)という「神」は怨霊が変身したものであるということを、
主張しているのである。谷川健一もその著「魔の系譜」の中で怨霊について縷々述べてい
るけれど、臼田乃里子の方がより深い考察を加えている。そこで、私は、怨霊について、
臼田乃里子の「供犠と権力」から、今まで私の書いてこなかった知見を皆さんにご紹介し
て、私がかって書いた電子書籍「祈りの科学シリーズ(3)」「怨霊と祈り」の補足資料
としたい。
この論文「霊魂の哲学と科学」の最後に、以上の知見を踏まえながら、私の霊魂論を展開
する。「ユウレイとは何か?」「哲学的な幽霊について」「霊魂の科学」を述べ、「神の
世界」の構造を明らかにする。
悪魔にもいろいろな悪魔がいる。「ファースト」に登場するメフィストはその中でもまし
な悪魔である。ましな悪魔は、神の園に入ることが許されており、最高の神と話をするこ
とを許されている。本来の悪魔は神の園に入ることを許されておらず、悪魔の国に閉じ込
められている。ひとつの集合体が形成されている訳だ。しかし、本来の悪魔、それは怨霊
のことだが、そういう本来の悪魔も、密教僧の発信する「言霊」によってメフィストのよ
うな「ましな悪魔」に変身し、その後も、人々が神として「祈り」を捧げているうちに、
神、もちろん唯一絶対神の配下の神であるが、神へと変身する。怨霊から「ましな悪魔」
に、そして「ましな悪魔」から「神」へと二段階を経て変身していく。
このようなことは科学的に証明できることではなく、ただ単に、怨霊とか御霊信仰につい
ての科学的な説明を進める上での仮説だとお考えいただきたい。私はこれを「怨霊仮説」
と呼びたい。
神の国には、本来の神のほかに、人々の「祈り」によって普通の死者が変身した神と、特
別の祈祷と人々の「祈り」によって怨霊が変身した神がいる。このような神の国の構造を
考えないと、怨霊とか御霊信仰の科学的な説明ができない。
第1章 妖怪論
第1節 妖怪とは何か
小松和彦の「妖怪文化入門」(2012年6月、角川学芸出版)という本がある。それを
下敷きに、「妖怪」について私なりに語ってみたい。一般的に「天狗」も「鬼」も妖怪の
一種だと考えられているが、私の考えはそれとは違って、「天狗」や「鬼」は単なる妖怪
ではなく、人間と同様に「怨霊仮説」が適用される人間臭さのフンプンとした存在なので
ある。そのことをこの章で論じている。(注:「怨霊仮説」については序文で述べた。)
となりのトトロ もののけ姫 千と千尋の神隠し ドラえもん ポケットモンスター ド
ラゴンボール ゲゲゲの鬼太郎などについて、小松和彦は、アニメーションなどにふんだ
んに登場する妖怪たちと言うが、これらは妖怪なのだろうか? 私は、そうだとしても、
本来の妖怪ではなく、 「芸術的妖怪 」とでも呼ぶべき進化した妖怪であると思う。この
進化した妖怪まで含めて妖怪とは何か? その点を以下にいろいろ考えてみたい。
小松和彦は、「日本の妖怪文化の伝統」というが、妖怪文化とは何か? 文化とは、中西
進によれば、心の世界に関する教養の総体のことだが、昔の人々の心の世界において妖怪
というものがどのように認識されていたのか、その認識を私たちは現在の教養としてどの
ように受け止めれば良いのか? その受け止め方がはっきりしないようでは、軽々に妖怪
文化という言葉を使うべきではないので、私は、これから妖怪というものを考察し、その
考察にしたがって分類して見たいと思う。そして、妖怪の類似の現象と思われる・・・幽
霊や怨霊、そして最終的には、霊魂について語ることにしょう。
いろいろな怪異現象を土地の者が共通体験として語り伝えて行く過程で、その怪異に「小
豆洗い」とか「天狗倒し」といった「名付け」が行われることがあった。小松和彦は、さ
まざまな怪異現象の名付け=共有化ということの中に、日本における豊かな妖怪文化が花
開く基礎を見出している。 日本人の心の世界において、怪異現象に対して妖怪の名付け
が行われて、人びとはそういう妖怪がいるのだからまあ仕方がないか、と諦めるというか
納得して、心の安寧を得ていたのであろう。
興味深いことは、こうした「現象ー妖怪」の「存在ー妖怪化」が、日本では広く見られる
ことである。つまり、さまざまな「現象ー妖怪」にその現象にそくした名付けがなされ、
さらにはそうして名付けられた現象の多くが、後に「存在ー妖怪」化していったのであっ
た。その結果、無数の「存在ー妖怪」が誕生してきた。小松和彦はこう言って「妖怪存
在」という言葉を使うのだが、「妖怪存在」という言葉はそう軽々に使ってはならないと
思う。しかし、存在の哲学的意味及び科学的意味を知った上で、妖怪現象や名付けされた
妖怪まで、ホワイトヘッドのいう「活動存在」と認識するなら、「妖怪存在」という言葉
を使うことは妖怪というものを語る上で或いは妖怪文化というものを語る上でまさしく当
然のことであろう。
例えば、「狸囃子」という妖怪現象は「狸」という妖怪存在が引き起こしたものである。
霊魂の中には、人間に制御された状態が恒常化しているもの(祭祀している超自然的現
象)、制御と非制御の境界を行ったり来たりしているもの、そして制御されていないもの
(祭祀されていない超自然的現象)がある。制御されていない状態の霊的存在は、古代で
は、鬼とか天狗と呼ばれているものもある。蛇や狐もそうかもしれない。
中世に入る前、造形化されていない悪霊などに対し、災厄を鎮めるための祭祀や儀礼が行
われるようになった。しかし、中世になると、北野天神縁起絵巻、泣き不動縁起絵巻、大
江山絵巻、土蜘蛛草紙などの絵巻が発達するので、疫病神などの姿かたちが描かれるよう
になった。妖怪の絵物語は人気があったらしい。
室町時代に「つくも神絵巻」という絵巻があり、つくも神とは、「作られてから99年
経った道具の霊魂」であるとされている。その後、小道具の妖怪の総称。こんなものがな
ぜ妖怪なのか? どんな怪異現象がああるのか? わたくしは、「アニミズム」が関係し
ていると思う。アニミズムは、人間の霊魂と同じようなものが広く自然界にも存在すると
いう考え。自然界にも精神的価値を認めこれを崇拝する宗教の原型のひとつで、世界各地
でみられた。今日でも、各地域の先住民の間で現存し、また、さまざまな宗教や民俗、風
習にもその名残がある。日本でも古来、森羅万象に精霊(スピリット)が宿っていると信
じられ、唯一絶対の神が存在し、人間を裁くのではなく、あらゆるところ(山、海、川、
動物、植物から家、厠にいたるまで)に精霊=神が宿って人々を守っていると考えてられ
ていた。アニミズム思想は、日本のように気候風土が比較的穏やかな地域でみられるとい
う指摘がある。これは、自然を克服すべき敵対者としてみなす必要がなく、自然に対する
畏敬の念が生じるからと考えられている。一方で、近代人は、アニミズム思想を受け入れ
ず、自然を人間のための道具とみなし、自然界の精神的価値を認めない傾向が強いが、今
日の自然保護思想のうえで、アニミズム的な感覚や発想を再評価する動きも起きている。
スピリットについては、中沢新一を勉強して書いたページがあるので、ここにそれを紹介
しておきたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/kami01.html
路傍に捨てられた小道具たちは使用者から何の感謝の念も表されずに捨てられたことを怒
り、団結して人間に復習することを思い立つ。百鬼夜行絵巻とか鳥山石燕「画図百鬼夜
行」はそういうものである。こうなってくるともはや妖怪は怪異現象とは関係なく、人間
の想像する「怪しげなもの」となってくる。 これを何と呼べば良いのか? ここでは一
応絵画化された妖怪という意味で「絵画的妖怪」と呼んでおこう。絵画的妖怪の根っこの
部分には日本古来のアニミズムがある。日本では古来、森羅万象に精霊が宿っていると信
じられ、唯一絶対の神が存在し、人間を裁くのではなく、あらゆるところ(山、海、川、
動物、植物から家、厠にいたるまで)に精霊=神が宿って人々を守っていると考えてられ
ていたのだが、絵画的妖怪は「道具は永く大事に使わなければならない」というメーセー
ジを秘めた道徳的存在ではあるが、祀られるべき存在ではないという点で神とは一線を画
している。
アニミズム思想は、日本のように気候風土が比較的穏やかな地域でみられるという指摘が
ある。これは、自然を克服すべき敵対者としてみなす必要がなく、自然に対する畏敬の念
が生じるからと考えられている。
江戸時代から明治時代にかけて、「百物語」と呼ばれる参加者が順々に怪談を語って楽し
む会が盛んに行われ、それに刺激されて「百物語」と題した怪談集がたくさん刊行さてい
た。森鴎外の「百物語」というのはそういう短編小説である。
怪談(かいだん)は、怖さや怪しさを感じさせる物語の総称で、必ずしも初めから妖怪と
結びついたもとではなかった。もともと、日本には、古くから、死に関する物語、幽霊、
妖怪、怪物、あるいは怪奇現象に関する物語は民話伝説、あるいは神話の中にも多数存在
する。『今昔物語集』(「霊鬼」)など、平安時代末期(1120年頃)の古典文学にも多
数の怪談が収録されているが、それらを題材にしてまとまった形で残っている物では『雨
月物語』(1776年)が有名である。このように 怪談というものは必ずしも初めから妖怪
と結びついたもとではなかったが、妖怪存在が上記の「絵画的妖怪」にまで進化してくる
と、広義の意味で怪談も「妖怪文化」の範疇に入れても良いように思われる。私は幽霊も
含めて怪談に出てくる怖さや怪しさを感じさせる観念上の妖怪存在を「文学的妖怪」と呼
びたいと思う。現代における「文学的妖怪」として杉浦日向子の語る「百物語」がある。
それに出てくる怪談は怖さや怪しさの他に何となくなつかしがあって素晴らしい。
幕末期、十返一九、北斎、国芳、芳年、暁斎などの浮世絵師が文学作品や芝居などさまざ
まなところから素材を得た、優れた妖怪画を描いた。そしてこの妖怪の造形化・キャラク
ター化は、妖怪がさまざまの領域に進出する道を開いた。妖怪たちは、玩具や遊技の領域
に、さらには着物や屏風、根付けや印籠のデザインなどといった日常用品の領域にまで進
出していったのであった。
日々愛用される日常用品に登場する妖怪は「芸術的妖怪」と呼ぶにふさわしい。この日常
の愛用品に登場する妖怪をデザイン的妖怪と呼び、先の「絵画的妖怪」と上記の「文学的
妖怪」に「デザイン的妖怪」を含めて、私は「芸術的妖怪」と総称することとしたい。
これに対して怪異現象に対して名付けられた妖怪を「民話的妖怪」と呼ぶことにしよう。
「芸術的妖怪」は画家や作家やデザイナーなどの芸術家が創作するものであるのに対し、
「民話的妖怪」は一般大衆により語られてきた民話である。
文化とは、中西進によれば、心の世界に関する教養の総体であるが、文化の形成過程に
おいて芸術家の創作活動というもが当然あるしまた必要であるが、最終的には多くの人び
との共通感覚として日常生活に生かされなければならない。そう考えると「芸術的妖怪」
はまだ進化の過程にあって、今後、多くの人びとの共通感覚にまで進化しうるかが日本文
化の大きな課題ではないかと思われる。
妖怪は神の対極にあるものである。神は、祭られる存在すなわち「祈り」を捧げられる存
在である。御霊信仰が指し示すように、それが祀られることによって、怨霊変じて神とな
る。同じように、妖怪変じて神となる可能性はある。いわば、妖怪は神の予備軍である。
すでに、鬼や天狗といった妖怪は多くの神社やお寺で祀られて、人びとの「祈り」の対象
になっている。かの有名な角大師のお札は「鬼」である。
実は、「妖怪」という語は、近代になって妖怪をはじめて研究の対象とした井上円了が、
特定の現象や存在を指し示すために用いた学術用語であった。
円了は『妖怪学』『妖怪学講義』などでそれぞれの妖怪についての考察を深め、科学では
解明できない妖怪を「真怪」、自然現象によって実際に発生する妖怪を「仮怪」、誤認や
恐怖感など心理的要因によって生まれてくる妖怪を「誤怪」、人が人為的に引き起
こした妖怪を「偽怪」と分類し、例えば仮怪を研究することは自然科学を解明することで
あると考え、妖怪研究は人類の科学の発展に寄与するものという考えに至った。
こうした研究から、円了は「お化け博士」「妖怪博士」などと呼ばれた。いわゆる「こっ
くりさん」(テーブル・ターニングTable-turning)の謎を科学的に解明したのも彼であ
る。円了によれば、妖怪は実怪と虚怪に、実怪はさらに真怪と仮怪に、虚怪はさらに偽怪
と誤怪にそれぞれ分けられるという。すなわち、真怪は超理的妖怪で あり、宇宙の万物
で妖怪でないものは無く、水も小石も火も水も妖怪である。仮怪は自然的妖怪であり、物
理的妖怪(人魂や狐火など)と心理的妖怪(幽霊や憑 霊など)とがある。偽怪は人為的
妖怪であり、利欲その他のために人間が作り上げた妖怪である。誤怪は偶然的妖怪であ
り、たとえば暗夜に見る石地蔵(鬼)、 枯尾花(幽霊)を妖怪と見るものである。世間
でいう妖怪の5割は偽怪、3割が誤怪、2割が仮怪である。この3種は科学的説明ができ、
真怪の研究によって宇宙絶対の秘密が悟得できる、という。(注:ウィキペディア井上円了よ
り。)
さしづめこの論文で私が問題にしている「霊魂」は、井上円了のいう「真怪」といって良
いのではないか。「霊魂」の研究によって「宇宙の原理」を悟ることができる、私もそう
思う。
風俗史家の江馬務が著した「日本妖怪変化史」(1923年)は、井上円了とははっきり
と一線を画する研究姿勢で、妖怪研究に挑戦したものである。
江馬の扱った「妖怪」は、井上の妖怪よりはるかに狭いものであった。その書名が示すよ
うに、彼は「化ける」すなわち妖怪的な存在のうち、とくに別の姿かたちに変身した存在
や変身する能力をもったもの、つまり「化け物」に着目して論を進めているので、議論は
必然的に姿かたちをもった妖怪をめぐる物語や絵画に描かれた妖怪を念頭においたものに
ならざるをえないし、化けられない妖怪は議論の対象外にあった。しかしながら、「日本
妖怪変化史」は当時の本としては珍しいほどたくさんの妖怪画が写真もしくは模写絵とし
て掲載されており、したがって、それは図らずも、妖怪画史、妖怪図鑑的な性格を併せ
持っていたのである。妖怪撲滅学としての井上円了の妖怪学の隆盛を苦々しく思う一方、
江間務の妖怪変化の歴史の研究に拍手を送ったのが、柳田国男であった。
その後妖怪研究は衰退し、宮田登の登場までこれという研究は行われなかった。宮田登
は、「妖怪文化論」とかいった形で「妖怪」を全面に掲げた研究を行い、特に都市におけ
る怪異と妖怪伝承の研究に力を注いだ。
宮田登「都市空間の怪異」(2001年12月、角田書店)妖怪は人間に対してどのよう
なメッセージを伝えようとしているのか? かつて妖怪は人里離れた闇にひそんでいた。
しかし、闇が駆逐された近現代の都市空間にも怪異は存在し、妖怪は出現する。妖怪はな
ぜ現れ、何を人間に語ろう としているのか。学校の怪談などのうわさ話や都市伝説から
ホラー小説に至るまで、メディアやマスコミの介在によって増殖した現代における怪異譚
を、民俗学 の立場から考察する。
すなわち、宮田登は、今・現代社会における妖怪についての民間伝承を通して妖怪の特質
を探ろうとしたのである。
1、宮田登は、柳田国男の妖怪と幽霊を分ける考え方をとらず、むしろ幽霊が日本の伝統
的な霊魂観から生まれ、怨霊信仰となり、妖怪文化の中に主要な位地を占めるにいたった
点を指摘した。特に、都市空間の怪異と日本霊魂観(人魂、死霊の供養)との結びつきを
捉える新しい視点がある。(岩井國臣のコメント:怨霊信仰は古代に遡るので、都市空間の怪異の代表である
幽霊とは関係ない。)
2、近代の妖怪ブームの中心にあるアニメや漫画などのメディアが媒介する妖怪文化の基
底には自然と人間の共生のモチーフがある。宮田登は、これを妖怪学の観点に立って妖怪
の「人間に対する呼びかけ」と見なし、妖怪からのメッセージと捉えた。
3、近現代の妖怪のフォークロアは、人里離れた闇空間のイメージよりも大都市がしばし
ば選ばれている。そこには都市民の不安を介在して複雑な人間関係が生み出すフォークロ
アとしての怪異現象がある。そこで、宮田登は、妖怪を都市社会の現代世相の一環として
捉えて、広く日本文化論の次元で分析する視点を提示した。従来、妖怪研究が歴史的に中
世と近世に限定されがちなのに対して、宮田登は、あくまで現在の現象から生じる民俗と
見た。その点は重要である。
私はこのような宮田登が民俗学の対象として意欲的に取り組んだ「都市空間に出現する妖
怪」を「都市的妖怪」と呼ぶこととする。都市的妖怪は反自然的妖怪でもある。自然と都
市の本質的な違いについては 私の電子書籍「さまよえるニーチェの亡霊」の第8章をご
覧いただきたい。
http://honto.jp/ebook/pd_25249963.html
民話的妖怪、芸術的妖怪、都市的妖怪のほか、実は、「ルサンチマン的妖怪」というのが
ある。これは私が命名している妖怪であるが、かって私が平和の原理を訪ねる旅として
「平安遷都を訪ねて」というテーマで一連のホームページを書いたことがある。日本で
もっとも平和な時代は平安時代だといわれている。それにも関わらず平安時代は怨霊がう
じゃうじゃしていたのである。平和の原理を探る鍵はどうも怨霊にある。怨霊について
は、電子書籍「祈りの科学シリーズ(3)」の「怨霊と祈り」をご覧いただきたい。
http://honto.jp/ebook/pd_25231956.html
第2節 天狗と河童と鬼
天狗や河童や鬼は、民話的妖怪、芸術的妖怪、都市的妖怪のどれに分類されるのか? そ
れとも妖怪ではないのか? 以下に、そのことを考えてみたい。
1、天狗について
五来重という宗教学者であり民俗学者でもある人がいる。明治41年(1908)茨城県日立
市生まれ。昭和7(1932)年、東京帝国大学印度哲学科卒業。高野山大学助手。昭和11
(1936)年に京都帝国大学国史学科に再入学。西田直二郎の下で文化史学を学ぶ。また
在学中、柳田国男の講演を聴いたことで、民俗学に傾倒する。昭和15年(1940)卒業
(卒業論文「中世に於ける神仏習合思想の変遷と元寇の影響」)。京都師範学校教諭・高
野山大学助教授・同教授を経て、大谷大学教授。
日本仏教の庶民的受容の問題を追及し、そのなかから「仏教民俗学」の領域を体系化。そ
れまでの神祇信仰に偏りがちな民俗学に対して新機軸をひらいた。また個別研究では、
「念仏聖」や「修験者」などの民間宗教者の研究をはじめ、芸能・美術・説話文芸の分野
にいたる幅広い論考を数多く発表し、その後の宗教民俗研究に大きな影響をあたえた。一
般的にはあまり知られていないが、そういう人である。
五来重は、天狗について次のように書いている。すなわち、
『 天狗は日本人の霊魂観から発する霊的存在で,さまざまに形象化されて庶民信仰の対
象となり,絵画,彫刻,芸能に表現され,口誦伝承や民間文芸の主題となった。原始的神
霊観に支えられているので,顕著な善悪二面性をもつが,天狗を信仰対象や芸術,芸能,
文芸にとりいれたのは,山岳宗教の修験道であった。
したがって一般的認識では天狗即山伏というような印象をもたれている。この宗教の世
界では天狗の原質は山神山霊と怨霊である。したがって善天狗は修験道の寺院や霊場や修
行者を守る護法善神で,〈南無満山護法善神〉といって礼拝される。護法童子(護法),金剛
童子としてまつられるのはその山の山神(山の神)たる天狗である。このような 山神天狗は
その山の開山たる高僧や,行力ある山伏に服属して,守護霊であるとともに使役霊となっ
て,諸国を弁ずる。したがって疾走飛行自在であり,飛鉢法 によって山上に食物や水をも
たらすことができると信じられた。平安時代には天狗は天童や金剛童子と呼ばれていて,
童子形で表現されたのはそのためである。
それは豊後国東(くにさき)半島の屋山(ややま)長安寺の太郎天像(平安時代)や《信貴山縁起絵
巻》に見られ,《古事談》は平安時代の「浄蔵」の話として,唐装束の天童の飛鉢を語っ
ている。しかし山神山霊には荒魂的荒暴があり,暴風雨を起こし,怪音を発し人をさらう
と信じられたから,これが天狗に投影されて悪天狗の恐怖が生まれた。
天狗の名称は,文献的には《日本書紀》舒明天皇9年の条に見え,雷音を発して飛んだ
流星を中国の知識で〈天狗(あまつきつね)〉と呼んだことに発し,日本の霊的存在としての天狗
とはまったく異なる。これは天童子が飛行するところから混用したかも知れないし,天童
子が神仏に奠供(てんぐ)するところからきたかも知れない。しかし民間用語としては〈天白(て
んぱく)〉とか〈天ぐう〉〈天ぐん〉などと呼ぶ。
鞍馬の大魔王尊
また修験道の山では善悪両面をもつ天狗を奥院にまつり,大魔王尊と呼ぶところがあ
る。とくに有名なの は京都北山の鞍馬山で,天狗の絶大な除魔招福の霊力を,恐怖とと
もに信仰祈願する者が絶えない。この天狗の別称は大僧正で,大魔王尊は僧正谷にまつら
れて いる。牛若丸に武技を授けた天狗としても人口に膾炙(かいしや)しているが,大僧正の
名称は上級山伏を大僧(だいそう)と呼ぶところからきているであろう。
このように天狗即山伏という概念が成立した原因には,二つの筋道が考えられる。その
一は修験道の修行は苦行精進の結果として山神と同体化(即身成神)し,その絶大な霊力を
身につけて超人間的験力(げんりき)を得ることである。ここに山神天狗と山伏の同体化があ
る。その二は修験道の山岳寺院では正月の修正会(しゆしようえ)や 3月の法華会,6月または7
月の蓮花会などの法会に延年舞が行われ,これを山伏や稚児が演ずる。このとき神楽,田
楽,舞楽,伎楽,散楽などが演じられたな かで,もっとも頻繁に用いられた仮面が,悪
魔を払うと信じられた鬼面と天狗面であった。その服装は山伏装束で,天狗面をつけれ
ば,山伏即天狗となる。山神 の化身的霊物としては鬼も天狗も同じであるが,その仮面
もその起源はともに伎楽面にある。なかでも天狗面は伎楽の先払いとして魔を払う治道(ち
どう)面と,毒蛇を食べるという梼楼羅(かるら)面で,治道は鼻高面,梼楼羅は烏面なので,
鼻高天狗と烏天狗という2種の天狗の形象化が起こったのである。
次に怨霊が天狗となるという信仰があって,これを〈魔道に堕ちる〉という。怨恨を抱いて
死んだ者や みずからの力を自慢しながら不満を抱いて死んだ者は魔道に堕ちて人にたた
り,世に災禍を起こすといって恐れられた。そのもっとも顕著な例は《太平記》巻二 十
七の〈雲景未来記〉で,南北朝の大動乱は崇徳院,後鳥羽院,後醍醐院や,玄隈, 真済,慈
恵,尊雲など不遇の高僧が大魔王となって起こしたものとする。これらの大天狗の集会す
るところは京都の愛宕山とされているが,その天狗が比叡山, 園城寺,東寺,醍醐寺,
高野山,東大寺,興福寺などを驕慢の徒と批判風刺したのが《天狗草紙》である。これに
対して愛宕の天狗と中国から渡った是害房(ぜがいぼう)天狗が,比叡山の高僧に散々こらし
められるというのが《是害房絵詞》で,ともに天狗のイメージの種々相を活写した中世の
絵巻物である。
奥三河の花祭の天狗
また山村における天狗の祭りとこれに伴う天狗の舞を芸能化した代表的民俗芸能は,奥三
河の花祭である。この祭りは山頂の高嶺(たかね)祭で山神天狗をまつり,その天狗天白を祭
場(舞所(まいと))の屋根棟に迎えて,その下で徹宵の舞が行われる。中世の延年の一部が山
人の村に残ったのである。能楽では《鞍馬天狗》《損城天狗》《松山天狗》《是界(せが
い)》
《第六天》《大会》《車僧》などの曲があり,そのなかに著名な山の天狗が出てく
る。すなわち彦山の豊前坊,白峯の相模坊,大山の伯耆坊,鞍馬の大僧正,愛 宕山の太
郎坊などで,今も庶民信仰の対象となっていて,本社,本寺に並んで信者が多いところも
ある。また昔話,伝説のなかにも天狗を物語るものが多いの は,それだけ庶民に親しま
れる存在だったからである。
以上、五来重の知見を紹介したが、要は、「天狗は日本人の霊魂観から発する霊的存在で
ある」というところが重要な点なのだが、彼も言うとおり、私も、「天狗は神的性格と悪
魔的性格の両面をもっている」と思う。だから、天狗は神でもないし、怨霊でもない。ま
た逆に、神にもなり得るし、怨霊にもなり得る。私が「両頭截断」と呼ぶ絶対的認識でい
えば、天狗はどう定義できるのであろうか? はたして天狗は妖怪であろうか? 私は、
妖怪といえば妖怪、妖怪でないといえば妖怪でない。人間とまったく同じだ。あなたは善
人ですか悪人ですか? 善人といえば善人だし、悪人といえば悪人ですよね。両面をもっ
ている。したがって、このような矛盾的存在(パラドックス的存在)は、相対的な言葉で
は言い表すことができないのである。私はこのような存在は「妖怪」の範疇には入らない
と思う。天狗は天狗なのだ。妖怪ではない。それが私の考えだ。
2、河童について
さて、河童は妖怪だろうか?
そのことを考える前に、 宮田登(世界大百科、平凡社) の説明を聞こう。
『 水はあらゆる生命の生成と存続にとって不可欠の存在であるところから,世界各地に
おいてそれ自体が超自然力を保持するものとみなされる例は多く,さらに水(雨,海洋,
河川,井戸など)をつかさどる独立の神格が崇拝される例も多い。
日本でも,水のもつ威力や霊力に対する信仰は古くより形成されており,日本神話では
罔象女神(みつはのめのかみ),闇罔象(くらみつは),水分(みくまり)の神などと記
されている。水神の実態は複雑多様であるが,もっとも典型的なのは農耕社会における水
田稲作民にとっての守護神である。水神は豊穣をもたらす神であり,田の神と同一視され
ている。一般には,水田の用水堰か水田のほとりの石祠に場合は,山の神と同一視され
る。したがって水神は,田の神や山の神と一体化していて、3者をそれぞれ明確に区別で
きなくなっている。飲料水を供給する井戸や泉,川の洗濯場などにも水神が祭られてい
る。この水神は,水田稲作とは直接関係ないが,生活用水の守護神としての性格をもって
おり,各家ごとに祭られる屋内神として伝承されている。
水神の表徴として代表的なのは河童である。水の妖怪であるが,水神が河童の姿をとった
と想像される民間伝承は多い。
また水神は,竜やヘビなどの姿をとると信じられている。とくにヘビは,東アジア,東
南アジアに共通して,水神の使令とみなされてきた。中国の竜神(りゆうじん)信仰は,
日本の水神にも影響を与えており,水神と竜神は一体化している事例が多い。』・・・
と。
宮田登の説明は以上だが、ウィキペディアには、
『 河童(かっぱ)は、日本の妖怪・伝説上の動物、または未確認動物。 鬼、天狗と並
んで日本の妖怪の中で最も有名なものの一つとされる。 標準和名の「かっぱ」は、「か
わ(川)」に「わらは(童)」の変化形「わっぱ」が複合した「かわわっぱ」が変化した
もの。河太郎(かわたろう)とも言う。ほぼ日本全国で伝承され、その呼び名や形状も各
地方によって異なる。水神またはその仮の姿ともいう。具体例としては各地に河童神社が
ある。
河神が秋に山神となるように、河童も一部地域では冬になると山童(やまわろ)になると
言われる。大分県では、秋に河童が山に入ってセコとなり、和歌山県では、ケシャンボに
なる。いずれも山童、即ち山の神の使いである。』・・・とある。
自然には不思議な現象が多々あり、水や川についてもそうだ。本来、河童は水や川に関連
して起こる不思議な現象に「名付け」が行われて誕生したものだと思われるが、それが民
話で語られるようになった。そういう意味では河童は民話的妖怪である。しかし、宮田登
やウィキペディアをして言わしめているように、神として祀られたりして神的な要素もあ
る。その点では、単なる民話的妖怪ではない。
「河童」といえば、多摩美大の創設者・石田英一郎の名著「河童駒引考」を抜きに語れな
い。石田英一郎は、柳田の『山島民譚集』に収録された論文「河童駒引(かっぱ・こまび
き)」に触発され、世界中から関連する神話や説話をあつめて論じている。石田によれ
ば、河童は、宮田登の言うとおり、水神の表徴であり、河童が馬を引くという伝承は、世
界の古代社会において馬を水の神に供えた具儀(くぎ)の名残である。このように、河童
には他の妖怪にない神的要素が濃厚に含まれている。もちろん、河童ほど物語や小説或い
は絵画などに登場する妖怪はなく、その点ではすこぶる芸術的である。民話的要素と神的
要素と芸術的要素のすべてを兼ね備えている。かかる観点から、私は、河童を妖怪中の妖
怪という意味で、妖怪的妖怪と呼びたい。
しかし、河童は天狗とは違って、人間的な要素はなく、ブロックの言う「怨霊から御霊へ
の転換」はない。そこが河童と天狗の違うところだ。
3、鬼について
廬山寺の鬼法楽
さて、次は鬼について考えてみよう。小松和彦は『 鬼は大別して、説話や伝説、芸能、
遊戯などにおいて語られ演じられるものとしての鬼と、周囲の人々から鬼もしくは鬼の子
孫とみなされた人々、あるいは自分たち自身がそのように考えていた人々、つまり歴史的
実在としての鬼、の2系統に区分し得る。』・・・と言っているが、前者は民話的妖怪で
ある。後者については、『 恨みを晴らすために人に憑(つ)く生霊や死霊は普通は目に見
えないが、鬼と同一視された。神仏に祈願して肉体を鬼に変えて恨みを晴らす《平家物
語》剣の巻の宇治の橋姫も、この種の鬼である。いま一つの契機は年を取り過ぎることで
ある。年老いた女は鬼女になるといい(《今昔物語集》)、古ぼけて捨てられた道具は〈付喪
神(つくもがみ)〉という鬼になるという(《付喪神記》)。』『 ところで、鬼は人々の想像
の世界の中においてのみ活動したわけではない。そのような鬼の実在を人々に確信させた
背景には、鬼とみなされた人たちの存在があった。大和朝廷などの体制に従わない人々、
体制から脱け出し徒党を組んで乱暴狼藉を働く山賊、農民とは異なる生業に従事する山の
民や川の民、商人や工人、芸能者たち、山伏や陰陽師(おんみようじ)、巫女(みこ)たち。
これらの人々は、時と場合に応じて鬼とされることがあった。たとえば、酒呑童子一党の
イメージの背後には、山伏や山賊、田楽師たちの姿が見え隠れしている。また、鬼もしく
は鬼の子孫とされ、自分たちもそのように考えてきた家や社会集団も各地に伝えられてい
る。たとえば、大峰山中には,役行者(えんのぎようじや)に仕えたという前鬼・後鬼の子孫
と伝えられる人々が住んでいる。このような人々の多くは修験や鋳物師,芸能者などで
あった。』・・・と説明している。このうち、農民とは異なる生業に従事する山の民につ
いて、私は、電子書籍「天皇と鬼と百姓」の第5章「八瀬童子と天皇」で鬼のことを書い
たので、是非、それをご覧戴きたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/ten05.pdf
鬼は人間的な匂いがフンプンである。極めて人間的だという点で、天狗と同様、鬼は妖怪
の領域をはみ出している。したがって、鬼は妖怪ではなく、鬼として独立させて考えるこ
ととしたい。鬼は鬼なのである。
さて、鬼の話をしたついでに、「鬼は何に恐れるか?」、そんな興味ある話をしておきた
い。これは私の電子書籍「女性礼賛」の 第5章「ホトの不思議な力・・・聖なるかな生
殖」の第1節である。
4、ホトの伝承・・・ 鬼を食う口
「沖縄昔話通観第26巻」(稲田浩二、小沢俊夫、1983年7月、同胞舎)に次のよ
うな古伝承が二十五ほど収集されている。同じようなモチーフだ。その代表的なものとし
て 島尻郡久米島辺戸の古伝承を紹介する。
『 首里金城の兄と妹が、12月8日に山へ行き、途中で道に迷っていきはぐれる。妹は
鬼に出会うが、妹は前を開いて石に座り込み、くばで包んだ餅を食べる。妹が鬼に餅をや
ると、鬼は妹の隠し所を指さして、「これは何か」と尋ねる。妹が「ものを食うのは口
で、これは鬼を食う口だ」と答えると、鬼は驚いて一間ほどとび下がり、井戸に落ちて死
んだ。以来この日に「鬼餅」を作ることになる。』
河合隼雄は、「昔話と日本人の心」(1982年2月、岩波書店)と「神話と日本人の
心」(2003年7月、岩波書店)に同様の沖縄古伝承を取り上げるとともに、アイヌの
古伝承も取り上げて、解説をしているので、それらをここに紹介したいと思う。
まず沖縄の古伝承は、
『 昔首里の金城に食人鬼がいて、人々は困っていた。ある人の妹が鬼に性器を示した。
鬼はその口は何をする口かと尋ねた。女は上の口は餅を食う口で、下の口は鬼を食う口だ
と答えたので、鬼は恐怖のあまり、崖から落ちて死んだ。』
次にアイヌの古伝承は、
『 アイヌの村に飢饉魔がやってきて、人間の郷を飢饉に陥れようとして、通りすがりの
若者に、いっしょにやろうと声をかける。その若者はオキクルミといってアイヌの文化英
雄的存在であったので、彼は何とか魔神の行為を妨げようと考える。オキクルミはそこで
魔神に酒を飲もうというが、「酒は善神の喜ぶものだ。なに悪神などが飲みたがるもの
か」と相手にされない。そのとき、オキクルミの妹が、「婦人着の前紐をはらはらとほど
き、ぼっくりした乳房をあらわに前をはだけた。すると東の方がぱっと明るくなり、西の
方がぱっと暗くなった」。これを見ると悪神は考えが変わって、家にはいってきてオキク
ルミのすすめる毒酒を知らずに飲み、退治されてしまう。』
というあらすじであるが、河合隼雄は、アイヌの古伝承は「鬼の思いつめた意志をゆるま
せるために、女性が乳房をあらわにする」のだと言い,「鬼が笑う」昔話との共通点があ
ると言っている。
沖縄の上記二つの古伝承は、女性性器の露出が呪術的な威圧力をもつこと、そのため相
手に恐怖感を与えることを主張しているのは明らかであるであるが、そのことを考える前
に、「鬼が笑う」ことの意味を少し考えてみたい。
笑いについていろんな哲学者が語っており、その哲学は奥が深いし大変むつかしい。そ
こで判り易く私流の説明をしておきたい。
怒りが緊張の強化であるのに対し、笑いは緊張の緩和である。鬼は人を食ってやろうと
かさらってやろうとか気持ちが高ぶっているというか非常な緊張状態にあるとき、突然女
性性器や乳房を見せられたりすると、恐竜型脳が突然働き出して本能的に性欲をもようし
て緊張が緩むのだろう。その自分自身の心の急激な変化に思わず高笑いが生ずるのであ
る。照れ隠しといえばそうかもしれない。しかし、その高笑いは女性に対する平和のサイ
ンである。
来年のことを言えば「鬼が笑う」というが、これは何故か? 鬼は異界の人であるか
ら、二人の村の人が互いに向き合っている。鬼はその二人の村人に何か悪事を働こうと緊
張状態にあるとしよう。そんなとき村人が現実的でない来年の話をしたりすると、鬼は調
子が狂うというか緊張状態が緩むのではないか。村人はそんな感情が現在に伝わってきて
いるのではないか。
さて、私は上で、沖縄の上記二つの古伝承は、女性性器の露出が呪術的な威圧力をもつ
こと、そのため相手に恐怖感を与えることを主張しているのは明らかであるといったが、
以下にそのことを考えてみたい。
拙著「天皇と鬼と百姓と」の第5章で、八瀬童子のことを書いたが、その中で、『 八
瀬童子は、延暦寺の雑役に従事した童子村で最澄が使役した鬼の子孫と言われているが、
平安時代から延暦寺でいろいろな仕事をしていた「山の民」の子孫のことである。その仕
事の中には天台座主の輿を担ぐ役割もあった。「山の民」というのは、多分旧石器時代、
縄文時代に繋がるであろう山の人のことであり、京の都では、都人(みやこびと)と違う
のはもちろんのこと、郊外の農民とも違う特別な技能を持った人々という風に認識されて
いた。ひょっとしたら言葉なんかも違っていたかもしれないし、風習もいろいろと違って
いたのであろう。山で生きるひとつの部族と考えて良いと思う。』と述べた。鬼というの
は、多分、旧石器時代、縄文時代に繋がるであろう「山の民」、すなわち村人にとっては
異界の人のことである。「山の民」は、縄文時代から、女性性器を大地の神、豊穣の神を
して崇めてきた。女性性器には特別の畏敬の念を持っていたのである。したがって、鬼に
対して女性性器の露出は呪術的な威圧力をもっていたのである。
第3節 当時を振り返って
「平和の原理」を探し求めての旅を始めた頃、妖怪について少々書いた。今になってみれ
ば、上記に述べてきた通り、当時より考えの整理がついている。しかし、当時のホーム
ページは私の妖怪論の原点であるので、記念のため、ここに紹介しておく。妖怪リンク集
などは、結構、楽しめるかと思う。以下の通りである。
平和を語るには、どうしても怨霊とか鬼或いは妖怪について語らなければ ならない。広島
は国際平和文化都市である。これからの広島の有り様を考えるには平和を語らなければな
らないが、そのためには、どうしても怨霊とか鬼或いは妖怪について語らなければならな
いのだ。小松和彦さんがその著書「憑霊(ひょ うれい)信仰論」で言っておられるよう
に、問題は、怨霊、鬼、妖怪とは何かと 問うことではない。そうではなくて、そういっ
た怨霊、鬼、妖怪のずっと背後に どういう真理があるのかということこそが問題の核心
なのである。原爆ドームが私達の庁舎であったこともあって、私は、平和について語らな
ければならない し、「国際平和文化都市」ひろしまについて語らなければならない。ま
た、私は、地域づくりを専門にしている以上、平和の原理をふまえた「地域づくり」につ
いて語らなければならない。そのためには、どうしても、怨霊、鬼、或いは妖怪の ずっと
背後にどういう真理がかくされているのか、その辺について語らなければならない。
なお、妖怪にはいろんな妖怪がいるのでちょっと焦点が絞りにくいが、民俗学や心理学で
盛んに研究されるのは山姥とか河童とかである。土佐光信(とさみつのぶ)や鳥山石燕
(とりやませきえん)などの絵師が描いた絵画の中での妖怪たちは、民俗学や心理学など
学問の対象にはならないのかもしれないが、これはこれで大変おも しろい。存在の価値
は充分にあると思う。
私の妖怪リンク集をお楽しみ下さい!
ちょっと脱線したようだ。上にも述べたように、今、私達は、怨霊、鬼、或いは妖怪の
ずっと背後にどんな真理がかくされているのか、それを問題にして いる。怨霊、鬼、或い
は妖怪について考え、これがどのように平和と関係するのか。どのように地域づくりと関
係してくるのか。哲学の問題として怨霊、鬼、或 いは妖怪を問題にしている。
したがって、上記の妖怪リンクを楽しむのも良いけれど、科学的認識だけはしっかり持っ
た上で楽しんでもらいたい。この辺の呼吸は大変難しいのだけれ ど、非科学的な言論には
よほど注意してかからなければならない。決して興味本位 の言動に惑わされてはならな
い。 「護法」とは、通常、密教の奥義をきわめた高僧や修験道の行者・山伏たちの使役する神
霊・鬼神を意味しているが、そういった高僧や修験者は「護法」の力を使って怨霊や鬼或
いは妖怪の災いを取り除く。小松和彦さん によれば、それら高僧や修験者が行う呪文・
経文の誦唱と・・・・・怨霊、鬼、妖怪の 間に、不可視的・観念的レベルにおおむね属
している媒介項的存在が認められ、それが「護法」と 呼ばれる存在である。 陰陽道
(おんみょうどう)では「式神」という。
存在とは、存在そのものであり存在者ではない。ちょっと判りにくいかもしれない。今の
場合、神の話ではないので神を例にするのは適当でないかもしれ ないが、判りやすいか
と思うので神を例に説明する。存在とは、我が国におけるやよよろずの神のようなもの
で、唯一の存在者ではない。存在とは多神教におけ る神、存在者とは一神教における神
のようなものと理解されたい。存在とは海のようなもので、存在者とは山のようなもので
ある。海は一にして多である。山は 一にして一である。
こう説明してもやっぱり判りにくいかもしれないが、「護法」とは、存在そのものであ
り、高僧や験者の修行の程度によってその強さが違 う。修行を積んだものほど強力な
「護法」を呼び出すことができる。
さて、近代においても「護法」というようなものが必要なのであろうか。そこが問題で
あって、私は、近代科学では何ともならない災いと いうものがある以上、やはり、「護
法」のようなものが必要ではないかと思う。「護法」の本質は何かという問題について
は、追 々考えていくとして、とりあえずは、怨霊や鬼或いは妖怪に対応して「護 法」と
いう存在があるということを申し述べておきたい。
怨霊や鬼或いは妖怪はそれぞれ少しづつニュアンスを異にする。この際、怨霊や鬼或いは
妖怪などの詳細な説明をしておこう。
[怨霊][鬼][妖怪][つきもの][犬神][悪魔][霊魂]
これ
若干脱線気味したかもしれない。問題は、怨霊、鬼、妖怪とは何か と問うこと
ではない。そうではなくて、そういった怨霊鬼、妖怪のずっと背後に どういう真理があ
るのかということこそが問題の核心なのである。私は、問題の核心を探し求め・・ 旅を
続けたいと思う!
第2章 呪力について
第1節 怨霊
呪力とは、デジタル大辞泉によると、まじない、またはのろいの力。呪術の基礎をなす超
自然的・非人格的な力とある。大辞林によれば、①まじない,またはのろいの力。②特定
の人・物・現象などにやどると信じられている超自然的な力。 →「マナ」 とある。こ
の「マナ」については学問的にもいろいろと研究されているが、私はそれらも含めて呪い
の力すなわち呪力というものは実際に存在すると考えている。電子書籍「祈りの科学シ
リーズ(1)」の「<100匹目の猿>が100匹」では若干そのことに触れた。まずそ
れを振り返るところから呪力の話をはじめたいと思う。
第13章「内なる神」と第14章「おわりに」で次のように述べた。すなわち、
『 話をごろっと変えよう。悪魔の話である。実は悪魔も存在するのである。「呪い」と
いうのがある。「丑の刻参り」というのをご存知でしょうか? わら人形を木にくくり付
け,相手を強く呪いながら金槌で五寸釘を打ち付けるのである。かって私は貴船という題
で「丑の刻参り」の話を書いた。能にも出てくる「鉄輪」の話である。紙枚の関係もあ
り,あえてここでは書かないが,興味のある方は私のホームページを見てもらいたい。
要するに,「内なる神」や「外なる神」が存在するし,一方で,「内なる悪魔」や
「外なる悪魔」が存在するのである。ゲーテの「ファースト」はある老科学者が悪魔と取
引をして悪魔と共生する話だが,中村雄二郎はリズム論の立場から,今ゲーテが面白いと
言った。私もゲーテは神もおれば悪魔もいるという真実を見ていたと思う。ゲーテは面白
い!』
『ところで,日本の歴史の中で平安時代がいちばん平和な時代であったと言われている。
平安時代のどこに平和の原理が隠されているのか?当時、ちょうど平安遷都1200年と
いうこともあって、私は, 平安時代のどこに平和の原理が隠されているのか・・・ そん
な疑問を持ちながら,「怨霊,妖怪,天狗」の勉強をはじめた。平安時代というのは,怨
霊のうごめく時代であった。多くの権力者が「呪い」におびえる時代であった。そういう
時代がなぜ歴史上いちばん平和な時代になったのか? その秘密は,どうも御霊神社がそ
うであるように,「祈り」にあるようだと気がつきながら,私は、これから私の哲学の勉
強をどう進めていけば良いのか,はたと困ってしまった。「平安遷都を訪ねて」という
「怨霊,妖怪,天狗」を訪ねる私の旅は,そのとき、山寺(立石寺)の慈覚大師まで辿り
着いていたのだが,それから先どういう旅すれば良いのか?』・・・と。
貴船の「牛の刻参り」のホームページは、http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/
kibunejin.html であるが、「鉄輪(かなわ)」については、次のホームページを見ても
らいたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/kanawa.html
また、「杜若(かきつばた)」というページで「泰山府君」や「土蜘蛛」や「鞍馬天狗」
ともリンクが張ってありますので、それらを呪力と関連するものとしてご覧戴きたい。こ
の世には誠に不思議な世界があるものだなあと感じていただければそれで結構です。
さて、「平安遷都を訪ねて」という「怨霊,妖怪,天狗」を訪ねる私の旅については、次
に紹介する一連のページをご覧戴きたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/tabi/heian.html
私は、「怨霊,妖怪,天狗」を訪ねる旅を「北嶺の人」「赤山禅院」「鞍馬.貴船」「怨
霊・鬼・妖怪」「立石寺」と続けて、これから先「平和の原理」を探るために何を勉強す
れば良いのか、はたと困ってしまったのである。ちょうどそのとき、千歳栄さんから徳一
の話を聞き、また中沢新一さんの「フィロソフィアヤポニカ」を読んでいろいろと勉強を
重ねて今日に至っている。私の「祈りの科学シリーズ(3)」では「祈り」と関連して
「怨霊」についても書いた。第1章「天皇にまつわる怨霊」、第2章「御霊信仰と陰陽
道」、第3章「平将門の怨霊」、第4章「鎌倉大仏建立の謎」、第5章「怨霊普遍」、第
6章「御霊信仰から村の祭りへ」といったものだが、表紙には次のように書いた。すなわ
ち、
『 天神、神田明神、鎌倉大仏は、怨霊信仰がもととなって建立された。日本の三大怨霊
は菅原道真と平将門と源頼朝である。今や守護神に変身しているが、それら三大怨霊の力
が抜群に大きかっただけに、天神さんや神田明神や鎌倉大仏のお利益は絶大である。せい
ぜいお参りをして欲しい。怨霊信仰は時代とともに進化して村の祭りとも繋がっていく。
祭りの最大の意義は、「外なる神」との交信にある。人々と「外なる神」との響きあう重
要なインターフェース、それが村の祭りである。「祈り」こそ大事。今後、世界共通の
「祈り」を創っていかなければならないと思う。』・・・と。
それら各章の内容については、是非、次の電子書籍をご覧戴きたい。結構面白いと思いま
す。
http://honto.jp/ebook/pd_25231956.html
さて、私の電子書籍では、上述のように怨霊についてはある程度書いたけれど、妖怪や呪
力についてはまったく書かなかったので、結局、「怨霊,妖怪,天狗」を訪ねる私の旅は
終わったとは言い難い。そこで、「怨霊,妖怪,天狗」を訪ねる私の旅を終わらせて、
「平和の原理」というものに対する私の結論を出さねばならないという思いから、もう一
度怨霊や妖怪の勉強をし直し始めているところである。
第2節 岡本太郎の「美の呪力」について
「平和の原理」というものに対する私の結論を出さねばならないという思いから、もう一
度怨霊や妖怪の勉強をし直し始めて、怨霊や妖怪のことについてはそれを書く準備もおお
よそできたのであるが、呪力のことについて、岡本太郎の「美の呪力」(平成16年3
月、新潮社)を読み直して、今さらながら、未熟さを痛感しているところである。そこ
で、以下において、その要点を書き記し、私の思索を深めていきたいと思う。この本につ
いては、鶴岡真弓が解説を書いていて、・・・『「芸術」と「文明」を、行為して、思索
して、世界中を駆け巡った「岡本太郎」。その眼と脳と皮膚で世界美術史を踏破した、熱
い言葉の叢(くさむら)。「美の呪力」に収められた「著述/著術」を前にして、太郎が
示した思考の鮮度にたじろがない者はいないだろう。』・・・と言っているが、確かにこ
の本は凄い本である。今私はこの本を勉強できる幸せを噛み締めている。
では、勉強をはじめよう! ここでの勉強は、この本の中で岡本太郎が「のろい」とか呪
術とか呪力とか呪文とか「呪」のつく言葉を使っている箇所をいくつか拾い読みしなが
ら、私なりの考察を加えるというやり方で行うこととしよう。
1、 呪術の定義
『 本当の世界観は、現時点、この瞬間と根源的な出発点からと、対立的である運命の両
極限から挟み撃ちにして、問題を突き詰めていかなければならないはずだ。歴史は瞬間に
彩りを変えるだろうし、美術は、美学であることをやめて、巨大な、人間生命の全体をお
おい、すくいあげる呪術となって立ち顕われるだろう。』
美の術とは何か? 美というものも、歴史的な流れに応じて変わっていく。したがって、
現在美だと思われているものも将来は美とは認識されないかもしれない。
ハイデガーの「根源学」では、人間社会に実存している現象、木にたとえれば生い茂って
いる枝や葉のことであるが、枝葉を見てその根っこの部分を認識しようとするものであ
る。根っこの部分とは、物事の本質を意味するが、それは目に見えない。目に見えないも
のをどう認識するのか。その方法が根源学である。根源学では、「世界的内在」というと
いう概念が大事であるので、まずそのことを説明したい。私たちは歴史を生きている。歴
史的人間である。鶴見和子の「つららモデル」というのがあるが、過去は現在に繋がって
いる。ハイデガーは、過去という言葉は使わないで、「過在」と言っているが、その意
は、現在に繋がって今なお存在しているという意味である。私たちが身の回りのさまざま
な物とのかかわり合う際にも、そこには歴史的に形成されてきた種々の意味や解釈が作用
していること、そして、私たち自身の態度や意識も歴史的に形成されている。これがハイ
デガーの基本的認識であって、私たちの生とは、歴史を紡ぎつづける生、過去の人びとに
よる遺産を受け継ぎながら伝統を形成する生なのであって、ハイデガーは「歴史的な生」
と呼び、そういう生を生きる「私」のことを「歴史的な私」と呼んでいる。これは「宇宙
的な私」とは対極的なものである。私たち人間が歴史的な作用の中にあることは、宇宙的
な生命の一部として自己の生を感知するのとは違って、あくまで、分析的な作業、あるい
は自分の中に沈殿したさまざまな意味の層を掘り起こし、その根っこの部分(源泉)へと
突き進んでいく作業が大事で、そういう作業を通してはじめて解明されることがらであ
る。つまり、歴史的な層の解体作業によって「隠蔽されている」その殻(から)を突き破
らなければならない。そうしないと根っこの部分に存在する真理に到達できない。こうい
う作業をするのがハイデガーの「根源学」であるが、みなさんに注意してもらいたいの
は、禅でいうところの「両頭截断」との違いである。「根源学」の方は理性的な論理展開
によって真理に到達する。一方「両頭截断」の方は直観によって一気に真理に到達するの
である。西洋哲学において「直観」という言葉を使っている場合もあるが、それはあくま
で理性的なものであって、私のいう「霊性的な直観」とは違う。だから、西洋哲学で「直
観」という言葉が出てきたら、「直知」とか「直感」と言い換えるべきである。「直知」
や「直感」と「直観」とは違う。ハイデガーも、最終的には、「直感」という言葉を使わ
ずに、「理解」という言葉を使っている。さて、「世界的内在」という概念であるが、
「歴史的な生」とか「歴史的な私」ということをご理解いただいたところで、説明する。
この世界は「歴史的」なのである。つまり、人間はいわば荒涼として凍てついた宇宙の中
で、一人孤独な主体として生きているのではなく、歴史的に形成されたさまざまな意味関
連の中で生きている。私たち人間は、そういうことを意識しようがしまいが、意識以前の
事柄として、そういうふうに生かされているのである。これが「世界的存在」という概念
である。そういう概念のうち、ハイデガーは、特に人間に焦点を当てて「現存在」と呼ん
でいる。「現存在」とは歴史的に生かされている人間のことである。すべてのものは「世
界的存在」である。そして、すべてのものは、根っこの部分にある見えない本質(ハイデ
ガーが「ツハンデネス」と呼ぶもの)と、眼前に生い茂った枝葉(ハイデガーが「フォル
ハンデネス」と呼ぶもの)に分かれて存在しているが、私たちが意識して「ツハンデネ
ス」に注目するとき、「フォルハンデネス」が眼前に立ち現れてくる。その眼前に立ち現
れてくる「フォルハンデネス」を認識するのが、ハイデガーが「原体験」と呼ぶものであ
る。すなわち、「原体験」とは、意識的な対象認識であって、理論的な対象認識とは対極
をなす。ハイデガーは、こういう「原体験」をすることを「世界する」という。「現存
在」とは、先ほどと別の言い方でいえば、「原体験」をすることができるよう生かされて
いる人間のことである。私たちは、「原体験」をする、つまり「世界する」ように生かさ
れているからこそ、すべてのものは「世界的存在」なのである。
美も「歴史的内在」であって歴史的に変わるものであるが、その根源的なもの、すなわち
本質的なものは変わらない。したがって、美というものを真に奥深く認識するには、岡本
太郎が言うように、原存在と根源という対立的である運命の両極限から挟み撃ちにして、
問題を突き詰めていかなければならないのである。そうすることによって、美術は、美学
であることをやめて、巨大な、人間生命の全体をおおい、すくいあげる呪術となって立ち
顕われてくる。呪術の一般的な説明としてウィキペディアではいろいろな説明がなされて
いるが、私は、祈祷師の行う儀式・呪文や自然に存在する岩石や樹木、或いは岡本太郎や
今西錦司など直観の働く超人的な人、それらに秘められた「霊的な力の利用」と定義づけ
たい。
すなわち、美の呪術とは、現時点で美と認識されているものや歴史的に美と考えられてき
たものを踏まえながらも、それを超越してより根源的な美を認識できるようにする、すな
わち真の美を認識するための「霊的な力の利用」である。
端的に言えば、「美の術」とは、真の美を認識するための「霊的な力の利用」である。
2、 岡本太郎のいう「石の呪力」
「美の呪力」(平成16年3月、新潮社) の中で岡本太郎が「のろい」とか呪術とか呪
力とか呪文とか「呪」のつく言葉を使っている箇所は次のとおりである。
『 イヌクシュクには人間像になっていないものもあるというが、これがたとえ明らさま
な人形(ひとがた)ではなくても、生活の中の神聖な像であり、呪術的役割を果たしてい
ることは確かである。(中略)厳しい自然の抵抗の中を常に彼らは移動していた。獣皮で
作った橇を走らせ、小舟を操り、アザラシやセイウチ、鯨を仕留め、トナカイを狩る。猟
場を求めて、凍てつく荒漠たる天地を移動する。だからこそ、たとえささやかでも彼らの
生命の証として、運命的な場所に、動かない、孤独に佇立(ちょりつ)した、この人形
(ひとがた)を積み上げたのだ。自分たちの流動的な運命の中に、この最低限な、神聖な
標識、イヌクシュクは、彼らの生きてゆく切実な願いのしるしであり、それを受け止める
守護神でもあったのだろう。』
『 石を積み上げるという神聖な、呪術的行為。たしかに、命を積んでいるのだ。石ころ
一つ一つが命なのだ。それは取るに足らない、ささやかな、吹けば飛ぶ、蹴飛ばされれば
転がって無明に転落してしまう命。宗教儀礼の聖なるカレンダーの周期ではない。瞬間瞬
間、人間の命の周期は断絶なしにめぐっている。だから積むと崩れるとは同時なのであ
る。とすれば、積むこと自体が崩れる、崩すことではないか。(中略)ただ単に石を積む
という行為、それはいったい何なのだろう。蒙古、新疆(しんきょう)、チベットなどに
「オボ」という聖所がある。石を積み上げて一種の壇をつくり、その中心に木を立てる。
ここでシャーマンを中心とした祭りが行われるが、庶民日常の礼拝の対象でもある。この
種の石塚の伝統は朝鮮のタン、中国・東北のアオなど北方ユーラシアの広々とした地表を
おおい、ヒマラヤ山中からペルシャにまで及ぶという。私の眼に浮かんでくる。冷たく青
く透き通った北方の空の下に、積み上げられている石積み。・・・身近なわが国の伝説、
賽の河原を連想する。幼くして死んだ子供が三途の川の河原で小石を積み上げる。すると
苛酷な鬼が出てきて、積むそばからそれを崩してしまうのである。あれは中世の地蔵信仰
に基づいた伝説だ。仏教の因果ばなし、ご詠歌調の臭さが出ていて、それなりの面白さは
あるが、そのイメージのもとにははるかな古代からの、石を積む習俗があったに違いな
い。』
『 石は大地のよりどころ、木は天空に向かっての標識である。天と地は無限の両極から
人間の運命をかかえ、そして引き離す。木、石はそれに対応する呪術をはらんでいるの
だ。』
『 一つここに驚くべき事実がある。エール大学のマイケル・コー教授の最近の発表によ
ると、このオメルカの石の頭は最初から土に埋めてあったものらしい。粘土できちんと土
台を作って据え、土をかぶせてあった。メキシコ南部サン・ロレンスで、雨のために偶然
山が崩れ、そこに石造がわずかに露呈してきたのだ。これをヒントを得て、周辺の何でも
ない山肌を電波探知器で調べたら、このような石彫がまだ百あまりも埋もれていることが
判った。今まで、土地の者によって掘り出されていたものだけで、謎に包まれていたこの
巨石の顔は、いよいよ不可思議な神秘の相をあらわしてきた訳だ。顔を刻み、神格にした
のち、それをことごとく地面に埋めてしまう。これは一体どういうことなのだろう。大地
に対する呪術なのか。それにしても、現象的には無になってしまうのだ。ただ無存在で
「ある」、「なる」、ということよりもさらに激しい、積極的な還元である。何たる
謎。』
『 鮮血・・・このなまなましい彩(いろど)りが、石について書いているとき、ふと
私の心の中に湧き起こってきた。血を浴びた石。(中略)人間は石とぶつかりあいなが
ら、血を流しながら、生き貫いてきた。その残酷な思い出が心にうずくのだろう。血は清
らかであり聖であると同時にケガレである。この誇りと絶望の凝縮・・・。今強烈なイ
メージとして、グリューネヴァルトの「磔(はりつけ)のキリスト像」、あのイーゼンハ
イムの祭壇画が眼に浮かんでくる。(中略)
グリュウーネヴァルトに感動しながら、人間の業、傷口のいやらしさを、このように露
(あらわ)にした絵に共感する、せずにはいられないこの状況に、腹が煮える思いがす
る。血だらけのキリスト像は、人間とそれを超えた宇宙的存在との悲劇的な噛み合い、い
いかえれば人間そのものの運命を浮き彫りにしている。ヨーロッパ中世を数百年のあいだ
強力に抑えていたキリスト教の運命が、時代の末期に、むきだしに傷口となり、血を噴き
出している。この「呪い」にも似たイメージはキリスト教者でないわれわれにも、不思議
になまな迫力で迫ってくるのだ。信者でない私はまったく外側から、自由に受け止めるの
だが。神秘な感動は向こうからこちらに働きかけるばかりでなく、こちらから同時に対象
に押し及ぼす。その交流は強烈なものだ。
このような「血の呪文」がもしキリスト教世界の中でしか解けない、通じないとしたら
意味がない。われわれが今日の人間的感動で根源的な血として意味を解読すべきではない
か。その方がはるかに率直で、ダイナミックであり得る。それにしても、この絵はあまり
にもなまなましい。(中略)この血は霊であり、生命のしるしである。(中略)あの残酷
なリアリズム。凝固した血。単なる絵画表現をこえて、何か人間の絶望的な運命を予告す
る不吉な影を浮かび上がらせる。その呪術は今日まで、ながながと尾を引いているよう
だ。』
3、 イヌクシュクの石
大阪万博に飾られたイヌクシュク
イヌクシュクとは、カナダ極北に住んでいる先住民族イヌイット(昔はエスキモーと呼ば
れたが生肉を喰う人という差別用語であったので現在は使われない)のことですが、現地
におけるさまざまなイヌクシュクを集めてみましたので、是非、次のご覧戴きたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/inukusyuku.pdf
1970年の大阪万博のテーマ館をまかされた岡本太郎は、世界中の仮面や神像を集める
計画を立てて、第一線の人類学者たちに収集を依頼した。そのなかにカナダの北極圏に住
むイヌイットたちのあいだに伝わる「イヌクシュク」という石像があった。ある日カナダ
から現物が届き、岡本たちは倉庫で荷解きをして、そこに思いもしなかったものを発見す
る。中から出てきたのは、何の変哲もない、ただの石ころだった。どの石も角張って、ま
るで加工などされていない、自然の状態のまま のように見えたが、包みに同封されていた
指示書のとおり、順番に組み上げてみると、こつぜんと人間の像が現われたのだった。岡
本太郎は「美の呪力」で「イヌクシュクは石がただ積んであるだけ。全然接着していない
というところにわたしは暗示を受ける。いわゆる『作品』としての恒久性、そのものとし
て永続 するなどということは期待していないのだ。一突き、ぐんと押せば、ガラガラと
崩れる。すると像は忽然と消えてしまう。そこらに転がっているのとまったく見 分けが
つかない、ただの石くず、二度ともとの形になることのない瓦礫に還元されてしまうので
ある。」と言っているが、岡本太郎はこのような感性を出発点として、彼の鋭い直観と確
かな理性を働かせながら、根源的なものに迫っていく。
岡本太郎はイヌクシュクの石に対してこれはただ事ではないと感じながら、三つのことを
思った。一つは、石そのものの神聖感。二つ目は、石を積み上げるという神聖な、呪術的
行為。三つ目は、石は人間自体の象徴。彼のそのような鋭い直観と確かな理性を働かせな
がら、根源的なものに迫っていく。ここで私が確かな理性というのは、もちろん幅広い知
識に基づくものだが、根源的なものに迫る哲学的な思考という意味である。シジフォスの
神話に対する哲学的な思考については後ほど述べるとして、まずは一番目の石そのものの
神聖感すなわち「石の信仰」について、説明したい。
4、 石の信仰
石の信仰については、かって「月見野ジオパーク」という私のホームページで、少々勉強
したことがある。それを紹介しておこう。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/tukimi7.html
モンゴルの詩人・ボルジギン・オルトナストは「<モンゴル秘史>における石のシンボリ
ズム」という論文の中で「モンゴル人の岩石観」について、次のように述べている。すな
わち、
『 モンゴルでは、山頂、丘陵、湖畔、川辺で石を積み上げ、それをオボーと称し、毎年
定期的に盛大な祭祀を行なう宗教的行事が維持されている。オボーは天地の神々をはじ
め、自然の諸々の神霊が宿る聖所と看做され、人々に敬仰される宗教的施設である。石は
オボーを造営する際の基本的な材料であり、実 に多くのオボーは自然石を積み重ねる形
で造営されている。また岩石や絶壁の上にも数個の石を積み重ねオボーと看做し、祭祀を
行なう場合もある。そのためオボーと石、石とモンゴル人の間には特別な宗教的観念が脈
動していることが推察される。そこにモンゴル人の石信仰や岩石崇拝の宗教的表象を 求
めることも可能であろう。
諸民族の民間宗教には岩石崇拝の習慣が様々な形で堅持されており、その民族の自然観や
世界観を理解する点において貴重な情報源とされている。人間 の初期時代からの生産活
動、生活体験には共通する特徴が多い。モンゴル人の歴史的発展段階から見ると、環境に
適応し、生存を維持するための生業行動におい て、洞窟に移住する、絶壁に囲まれた自
然環境に生きることから石との向き合いが始まる。鉱石を溶かす、かまどにする、住居を
囲む、戦争の武器とする、祭儀 に使う、道具の加工に使用する、標識にする、絵を描き
壁画とする、文字を刻み碑文とする、彫刻し鑑賞にするなど、生業行動において石は広く
利用されてき た。そのためモンゴル人は石に対する独自の認識、考えが芽生え、石を神
聖視する、石を信仰するなどの石の文化的特徴が明白となり、モンゴル文化の中に特殊
性を持つ石の文化が形成された。「石は古代のモンゴル人の認識において特別な存在で感
じられ、自然信仰において拝天、拝火、霊魂観、神像信仰等と内包的意 味で結び付き、
多様な意味の文化的要素として重要な位置を占めている」。
石は神や精霊などの霊的存在が宿る所、それらが石化したもの、あるいはその代理とさ
れることも多い。神が石になった伝承は北アメリカ・インディアンをはじめとして各地に
ある。日本でも各地に要石が祀られているが、最も有名なものは鹿児島神宮の要石で あ
る。ただし日本の場合、大地のへそである要石は地上と地下を結ぶものと考えられている
ようである5。他方で、境界に石を置く慣習もよく見られる。チベッ ト、ブータンやネ
パールなどでは峠や村の境界に石を積み、旅の安全を祈る習慣も報告されている。日本で
は村境、峠、辻、橋のたもとなどに何らかの石造物 が置かれているのは、それらの材質
が石であることに関係しているとも考えられる。石は世界の中心や境界に置かれ、空間的
に異なる二つの世界、またこの世と あの世、俗世界と霊的世界、人間と神的存在を結ぶ
接点、両者の媒介物となると解釈しうるであろう。
モンゴルでは現在も高山の険しい絶壁や切り立つ岩石の上に石を積み重ねオボーを造営
し、毎年祭祀が行われる。こうした絶壁や岩石の上にオボーを造 営し、祭祀を行なうこ
とは、モンゴル人の昔からの山岳信仰や岩石崇拝の習慣を反映するものである。同様な岩
石や特徴ある岩を崇拝する習慣は日本でも堅持さ れている。三重県の夫婦岩はその好例
であり、毎年「夏至祭」が行われる。参拝者は、夫婦岩前の海の中へ腰まで入り、無病息
災などを祈りながら昇る朝日に手を合わせて身を清める。
ウジムチン地域では、エージ・オボー「母なるオボー」という名称のオボーが存在す
る。そのオボーは、大きな湖の直ぐ側に、自然の石を円形に積み上げる形で造営されてい
る。毎年 陰暦6月3日に盛大な祭祀が行われている。日本の夫婦岩もモンゴルの母なる
オボーも、人々の岩石や石に対する観念や伝統を反映し、そこに人々の宗教生活の 営み
が育まれ、形成されていることが覗かれる。石や岩は、霊的な力を物質化したものである
から、礼拝の対象となる。若い夫婦は、子供が生まれるよう祈願する。女たちは、先祖の
力によって妊娠するようにと、石に身をすり寄せる。商人たちは、石に油を塗って、商売
繁盛を願う。ときには、死の番人として、それらを畏れることもあるが、家内安全、一族
の保護のために祈願することもある。中 央アジアのヤクート人の間では、〈産婦は、雷
石のかけらを入れた水を飲むと、後産がた易くなる〉という習慣が伝えられている。ブリ
ヤート族の大部分の村に は、「天の石」があって、村の中心部に建てられた柱(天の
柱)に結ばれた小箱に、保存されている。春、この聖なる石は、儀式としてまかれる。降
雨と豊饒を 祈って、人々は供物を石に捧げる。モンゴルでは、山中やシカの頭の中、水
生の鳥やヘビ、ときには雄ウシの腹の中に石があり、これが風・雨・雪・氷をもたら す
と考えている。 』・・・・・と。
さらに、『 石は古代 のモンゴル人の認識において特別な存在で感じられ、自然信仰
において拝天、拝火、霊魂観、神像信仰などと内包的意味でつながり、多様な意味の文化
的要素と して重要な位置を占めている。モンゴル文化における石は多様な象徴的意味を
含み、モンゴル人の牧畜生業、自然環境、生活方式と有機的に調和し、歴史的な歩 みを
渡ってきた。そのためモンゴル人は石に対する独特な認識、考え方が芽生えた。そして、
石を神聖視する、石を信仰するなどの石に対する宗教的観念も次第 に形成された。モン
ゴルの遊牧生活を始め、神話や英雄叙事詩らの口承文芸の世界に、石は天の意志を伝達す
る、火を発生する、霊魂が宿る、英雄が生まれるな どの多様なモチーフが具わり、物質
と精神の世界を彩る。
そうした特徴が、上述した「秘史」における石のイメージに反映されると考えられる。
五来は「石はあくまでも自然宗教、庶民信仰を表現し、表出する 素材である。したがっ
て石の謎は庶民信仰の面から解かねばならい。それは石には、アニミズムの対象として神
霊が籠もるという観念がからでる。宗教的には石 は無生物、無機物ではない。神や神籬
(ひもろぎ)とともに磐境(いわさか)に宿ると考えられ、祭祀は磐境で行われることが
多い」と指摘した上、石の宗教形 態を「自然石崇拝、石の配列による崇拝、石の造型に
よる崇拝、石の彫刻・絵画による崇拝」という四つの形態に分類している (「石の宗
教」、1988年、五来重、角川書店)。 五来の指摘は、石と人間の宗教的、文化的
つながりを総括した見解として注目に値する。今日のモンゴルにおける石を積み、それを
オボーと称し、祭祀を営む行 為は、積石信仰に起因するものと考えられ、それが「秘
史」にも見られる石に対して、政治的、宗教的意味を求めた思想の集成を示すものと推測
される。 』・・・・と。
以上のように、「石の信仰」については、 ハイデガーのいう「原存在」ということであ
るがいろいろな形態がある。それら石の文化については文化人類学の課題で今後ともいろ
いろと研究されるであろうが、岡本太郎がイヌシュクの石で直観した二番目の問題「石を
積み上げるという神聖な、呪術的行為」の哲学を語ってみたい。岡本太郎の思想は、哲学
的体系の中から出てきたものではないかもしれないが、私はニーチェの「重力の魔」とい
う思想と二重写しに見えてくる。さあ、そこでいよいよニーチェの登場である。
5、 「重力の魔」
ツァラトゥストラ第3部(幻影と謎) でツァラトゥストラは、次のように言う。もちろん、
ツァラトゥストラの口を借りて、ニーチェが言っているのである。
『 ひたすら黙々と、ひややかにきしむ小石を踏みしめ、また足元を危うくする石塊(い
しくれ)を踏みしだくようにして、わたしの足は、上へ、上へと努力してのぼって行った。
上へ。・・・私の足を、下へ、深みへと引きおろすもの、私の悪魔であり、宿敵であるあ
の「重力の魔」にさからって・・・。』
ニーチェの「ツゥラトゥストラはこう言った」(第2部)の「重力の魔」の中で、ツゥラ
トゥストラは次のようにいう。すなわち、
『 人間にとって大地も人生も重いものなのだ。それは「重力の魔」のしわざである。し
かし軽くなり、鳥になりたいと思うものは、おのれ自身を愛さなければならない、・・・
これはわたしの教えだ。そしてまことに、自分を愛することを学ぶということ、これは今
日明日といった課題ではない。むしろこれこそ、あらゆる修行のなかで最も精妙な、ひと
すじなわではいかない、究極の、最も辛抱のいる修行なのだ。なぜなら、ほんとうの自分
のものは、自分の手がたやすくとどかぬように、たくみに隠されているからだ。(中
略)・・・これも「重力の魔」のしわざである。』
『 人間は容易に発見されない。ことに自分自身を発見するのは、最も困難だ。「精神」
が「心」について嘘をつくことがしばしばある。こうしたことになるのも、「重力の魔」
のしわざである。だが、次のように言うものは、自分自身を発見した者といえる。・・・
「これはわたしの善だ。これはあたしの悪だ。」と。彼はこう言うことによって、「万人
に共通する善、万人に共通する悪」などと言うもぐらと小びとを沈黙させた。まことに、
わたしは何もかも善いと言い、この世界をこともあろうに最善の世界と呼んだりする連中
を好まない。(中略)何が出てきてもおいしくいただく安易な満足、これは最高の趣味で
はない! わたしが尊重するのは、「このわたしは」と言い、「然り」と「いな」を言う
ことのできる、依怙地(いこじ)で。選り好みのつよい舌と胃である。』
『 いつか空を飛ぼうとするものは、まず、立ち、歩き、走り、よじ登り、踊ることを学
ばなければならない。・・・いきなり飛んでも飛べるものではない!』・・・と。
要するに、ニーチェは、「何人も自分自身で善悪を考え、自分の階段を一歩一歩高みに
向かって登っていくこと」が、「力への意志」を生きることだと、教えているのである。
私もまったくそうだと思う。 私たち人間は、自己超克をモットーとして、自分自身の階
段を高みに向かって、一歩一歩登っていくことだ。「重力の魔」に何度も何度も負けるか
もしれないが、それにもめげず「石を積みつづける」ことだ。
6、 「石を積む」ことの哲学的意味
私たち人間は、いろいろな欲望や願いのもと、いろいろな努力をする。しかし、その努力
は、目標が高ければ高いほど、無駄に終わりがちである。先の比喩では、ツァラトゥスト
ラは「石を積む」のではなく、山路を小石を踏みしめて「高み」に向かって登っていくの
だが、「石を積む」という行為も「重力の魔」に逆らって努力をするという意味では、比
喩的に同じことだ。「重力の魔」の仕業によって無駄になろうとも「石を積む」ように運
命づけられた男の話、ギリシャ神話「シジフォスの神話」というのがある。「シジフォス
の神話」については、カミュがその論考を行っているが、岡本太郎も「美の呪力」でその
ことに触れ、次のように書いている。すなわち、
『 カミュは岩に向かって降りてゆく英雄に共感して言う。「私がシジフォスに心を惹か
れるのは、この戻り道、この休止のときである。そのとき<すべてはよいのだ>という大
肯定によって<不条理の勝利>を勝ち取る。その言葉は、満足できない、無意味な苦痛の
味わいをもってこの世界に入ってきた神を追い出す。それは運命を人間のものにする。人
間同士の間で解決されるべき問題として。シジフォスの無言の喜び、すべてがそこにあ
る。運命は彼のものであり、彼の岩は彼自身のものだ 」・・・と。近代人の心情の泣き
所を抑えた殺し文句だ。だがなにも降りて行くときまで待つことはない。つまり押し上げ
ていながら落としているのだという虚無感は、誰でもの心の奥底にある。今日のニヒリズ
ムはそういう(カミュの言うような)カッコイイ、ヒロイズム(英雄的行為)ではすくい
とれないほど深く、一般的なのである。すべての人間が、暗い谷底に転がっている石であ
る己の姿を触知している。このように考えてくると、あの空しい賽の河原の石積みが、現
代と一見断ち切られていながら、何か言いようのない繋がりを暗示しているよう
だ。』・・・と。
ところで私は、電子書籍「書評・日本の文脈」「第1章キリスト教」のところで、中沢新
一と内田樹の「霊性論」に触れ、『 ここでいう穴とは、神とか霊とかの通う穴のことを
言っている。能舞台の切戸口はそういうもので、穴を開けておくとは、合理的な考えにこ
だわらないで、非合理な側面を認めておくことをいう。ラカンの言葉に「真実は言葉では
語れない」というのがあるが、私たちは言葉で考えるので、私たちが考える考えというも
のには限界があって、なかなか真実に近づくことはできない。だから、いろんな人が真実
に近づきながらいろんなことを言うのである。そのいろんなことが感じたまま自由に語ら
れるということが大事である。』と書いた。彼らの「霊性論」については、 電子書籍
「書評・日本の文脈」を読んでいただきたい。
http://honto.jp/ebook/pd_25249964.html
そして、ラカンについては、かって「ラカンの鏡面段階論」というのを私のホームページ
に書いたので、是非、それをご覧戴きたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/kyorakan.html
それらの詳しいことはここでは省くとしても、「真実は言葉では語れない」ということだ
けはしっかり頭に入れておいてほしい。 私たちは言葉で考えるので、私たちが考える考え
というものには限界があって、なかなか真実に近づくことはできないのである。もちろ
ん、ハイデガーの「根源学」は理性的な論理展開によって真理に到達するためのものであ
り、けっして理性的な論理展開で真理の到達できない訳ではない。内田樹は、「日本の文
脈」の中で・・・『 ユダヤには「脳の機能を活性化する」構造がある。例えば、ユダヤ
教においては、常に「中心が二つ」あって互いに真剣な議論がされている。タルムードに
はエルサレム版とバビロニア版の二つのバージョンがあるし、タルムードを研究する学院
も二カ所あり、同時代に必ず二人の偉大なラビが出てきて、おたがいに激烈な論争をす
る。だから、一つの結論に落ち着くということがない。ユダヤ教の聖典であるタルムード
は「増殖する書物」なんです。』・・・と言っているが、こういう方法も確かに理性的な
論理展開で真理に到達する方法であろう。とはいっても、根源学的方法もユダヤ的方法も
余程の学問的レベルに達していないと実効性は期待できない。したがって、一般庶民の私
たちの取りうる道は、理性的な論理展開ではなく、呪力つまり「霊的な力」に頼るしかな
い。
特定の人・物・現象などにやどる「霊的な力」に頼るのである。私は、岡本太郎はそう
言っているのだと思う。
7、 天地から引き離されないために!
『 石は大地のよりどころ、木は天空に向かっての標識である。天と地は無限の両極から
人間の運命をかかえ、そして引き離す。木、石はそれに対応する呪術をはらんでいるの
だ。』
第2節に述べたように、岡本太郎は「美の呪力」の中で石のもつ呪力についてこのように
書いている。木は天におわします父なる神が地上に降りてくる道である。父なる神の通う
通路である。一方大地は、母なる神のおわしますところ。私たちは父なる神と母なる神に
いだかれて、この命を生きている。父なる神と母なる神は無限のかなたから私たち人間の
運命をかかえているのである。もし、私たちが父なる神と母なる神の意に反し、傍若無人
に振る舞うならば、私たちは両方の神から見放され、不幸な人生を送らなければならな
い。そうなるかならないかは私たち人間次第ではあるが、木と石はそれに対応する呪術を
はらんでいるのだ。岡本太郎はこう言っているのだが、父なる神と母なる神の学問的な
きっちりした話は後回しにして、まずは、私たちはどのような傍若無人な振る舞いをすれ
ば、天地から引き離されることになるのか、その点について私の考えを申し述べてみた
い。
森岡正博の「ディープエコロジーの環境哲学−その意義と限界」という素晴らしい論文が
ある。その中に、岡本太郎の「美の呪力」(新潮社)と関係のある部分が少なくないの
で、その関係部分をピックアップして、「呪力」についての参考資料とすることとした
い。岡本太郎は、「美の呪力」の中で、・・・『 石は大地のよりどころ、木は天空に向
かっての標識である。天と地は無限の両極から人間の運命をかかえ、そして引き離す。
木、石はそれに対応する呪術をはらんでいるのだ。』・・・と言っているが、私たちは、
地球上のすべての存在もそうだが、天空と大地にいだかれて存在している。しかし、私た
ち人間が「天地」の意思に逆らって、傍若無人の生き方をするとき、「天地」は私たちを
見放し、私たちは「天地」から引き離されてしまう。岡本太郎はそう言っているのだ。以
下に記す「ディープエコロジーの環境哲学−その意義と限界」という論文の要約は、かか
る観点から岡本太郎のいう「呪力」に焦点を当てているので、その他の大事な部分が多少
抜けているかもしれない。したがって、「ディープエコロジーの環境哲学−その意義と限
界」という論文の全体を知るには、以下の要約だけでなく、次のページを是非読んでいた
だきたい。
http://www.lifestudies.org/jp/deep02.htm
それでは、岡本太郎の「美の呪力」(新潮社)と関係のある部分をピックアップすること
にしよう。
項目は、 1、ライフスタイルの根本的な見直しが必要。 2、地球環境問題を生み出
した現代文明に対する思想的な反省が必要。 3、 近代哲学批判、近代文明批判が必
要。 4、 意識改革が必要。 5、 戦うという姿勢が必要。 6、直観と経験を重視す
る姿勢が必要。 7、 あらゆる「支配」と戦うことが必要。 8、 近代科学の弱点に
気がつくことが必要。 9、 ディープエコロジーのために直接行動に立ち上がろう! 10、 ニューエイジ運動に立ち上がろう! 11、 宗教に大いなる関心を持つことが
必要。 12、「生と文化」の問題に大いなる関心を持つことが必要。 13、地域コ
ミュニティでの実践活動が必要。 14、 少数民族の生活文化に学ぶことが必要。 1
5、女性の活躍を応援することが必要。 16、霊的なものの正しい認識が必要。 1
7、新たな創作神話を読むことが必要。 18、 名著といわれる本を少しでも読むこと
が必要だ。 19、「女性礼賛」が必要。 20、 男は女房に対する自己反省が必要
だ。 21、 貧困問題について考えることが必要。・・・であり、それぞれの項目に対
する説明は、次をクリックしてください。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/youyakude.pdf
以上、1∼21まで、私たち各人が振る舞うべき事柄を書いた。どんな人でも、傍若無人
にこれらの事柄と逆のことをやっていると、遂には天地から見放されて、最後は不幸な人
生を送らなければならない。岡本太郎はそういっているのだと思う。ゆめゆめたゆまざる
努力を忘れたもうな!
8、 プラトンのコーラ
ハイデガーの基本的な考えは、真理は「歴史性」の中に隠されている。それが「原体験」
によってその都度「立ち現れてくる」というというものであるので、ハイデガーの哲学と
いうものは動的な認識論と言ってよい。そして、彼は、プラトンのイデア論は固定的であ
るとして、プラトンに対して良い評価を与えていない。それどころか、西洋哲学が理性に
凝り固まってのはプラトン哲学の勢であるとハイデガーは理解したようである。しかし、
ギリシャ哲学以降の哲学者もそうであるが、ハイデガーもプラトン哲学を誤解している。
プラトンの名誉挽回のために、この節を終わるにあたって、そのことだけを説明しておき
たい。ハイデガーもそうだが、西洋の哲学者の誰もが気がついていないものにプラトンの
「コーラ」がある。「コーラ」とは自然のおもむきや歴史のおもむきをいうのだが、プラ
トンのイデア論は、「コーラ」と深く結びついている。決して固定的なものではなく、動
的なのである。では「コーラ」の説明に入ろう。
藤沢令夫という大先生は、1956(昭和31)年京都大大学院修了後、九州大助教授
などを経て69年に京大教授に就任、退官後の91年から 97年3月まで京都国立博物
館長を務めた人である。先生は、古代ギリシャ哲学が専門で、特にプラトン研究で知られ
る。プラトン哲学の大家である。その先生の著に、「自然、文明、学問・・・科学の知と
哲学の知」(1983年9月、紀伊国屋書店)という本があって、それに、『 プラトン
の宇宙論が要請する根本原理としては、原範型イデアと、生成の「場」(コーラ)ないし
「受容者」(ヒュポドケー)と、デーミウルゴス(創造者)・・・これは、万有の動と変
化の根源であるプシュケー+ヌウスの神話的象徴と解せます・・・・と、この三つを考え
ることができます。』・・・・という説明がある。
藤沢令夫は、「コーラ」は生成の場だと言っているのだが、このことを、中沢新一が
「精霊の王」(2003年11月、講談社)の中で非常に判りやすく説明しているので、
それをまず紹介しておきたい。
『 そ れにしても、宿神=シャグジの空間はプラトンの言う「コーラ chola」というも
のに、そっくりである。(中略)コーラは「母」である、とプラトン(ティマイオス)は
いきなり宣言する。そして、それは「父」とも「子」とも関わりのないやり方で、自分の
内部に形態波動を生成する能力を持ち、その中からさまざまな物質の純粋形態は生まれて
くるのであると…語るのである。(中略)コーラは子宮「マトリックス」であると言われ
ている。同じようにして、宿神もミシャグチも子宮であり、胞衣だと考えられていた。そ
の中には「胎児」が入っ ていて、外界の影響から守られている。つまり、コーラは差異
と生成の運動を同一性の影響から守り、宿神は非国家的な身体と思考の示す柔らかな生命
を、外界を支配する国家的な権力の思考から守護する働きをおこなってきたのだ。
こうして私たちは、プラトン哲学の後戸の位置にコーラの概念を発見するのである。
この概念は、極東の宿神=シャグジの概念との深い共通性を示してみせるのだが、それは
おそらく、かつてこのタイプの存在をめぐる思考が、新石器的文化のきわめて広範囲な地
域でおこなわれていたためだろう、と考えるのが自然ではないか。コー ラという哲学概
念のうちに、私たちは神以前のスピリットの活動を感じ取ることができる。西欧ではいず
れこのコーラの概念を復活させる運動の中から、現代的なマテリアリズム(唯物論)の思
考が生まれ出ることになる。その意味では、マテリアリズム そのものが哲学すべてに
とっての「後戸の思考」だと言えるかも知れない。(第十章「多神教的テクノロジー」,
268頁,272頁)』・・・・・と。
ま た、オギュスタン・ベルクというすばらしい地理学者がいる。このひとは、1942年
生まれのフランス人であって、パリ大学で地理学第三課程博士号および文学博士号(国家
博士号)を取得後、1984∼88年に、日仏会館フランス学長を勤めた人である。現在フラ
ンス国立社会科学高等研究院教授。十数年日本に移り住んで、風土学の領野を開拓し、画
期的な独自の理論を構築した人である。この人の最近の著書に「風土学序説」(2002
年1月、筑摩書房)というのがあって、その中に、「神話にもとづいてプラトンは、場所
(コーラ)を母に、存在を父に、生成を両親の子に譬えているのである。」という説明が
ある。これは中沢新一の説明とほぼ同じ であろう。何故ベルクが存在学にこれほど深い
知見を有しているかというと、地理学というものは、「地理的に何故それがそこにあるの
か」を問うという側面をもっているからである。例えば、京都には祇園祭がある。この祇
園祭は何故京都で行われているのか? それに答えるには、「祈りのシリーズ(3)」
(平成24年5月、新公論社、電子出版)に書いたように、「御霊信仰」から説き始めな
ければならない。そのためにはどうしても歴史をひもとかなければならないのである。つ
まり、祇園祭には現在すでに見えなくなっている「歴史性」が沈殿しているのである。地
理学は「歴史性」を鋭く問う学問でもある。ベルクは、存在学を十分身に付けた真の地理
学者である。
さて、藤沢令夫の説明に戻ろう。原範型イデアとは何か? これはホワイトヘッドのい
う「永遠的対象」と同じものと考えてよいようだ。ホワイトヘッドの哲学は有機体哲学と
言われるが、すべてのものが変化する世界観から成り立っている。その変化の中で名詞的
に固定されているものが、ホワイトヘッドの考える「普遍」で、それを「永遠的対象」と
いうのだが、それがプラトンのいう原範型イデアのことではないか。それは、私の理解で
は、存在者というか出来事というか、そういうものの裏にある真理(絶対的な存在)であ
る。その原範型イデアが場所(コーラ)に作用し、変化のエネルギーによって生成という
両親の子が生まれる。ここで父というのは、真理(絶対的な存在)というか「永遠的対
象」というか「原範的イデア」のことである。「コーラ」はそういう生成の場所なのであ
る。生成の母であるとか、母の子宮であるというのはとてもわかり良いではないか。
なお、オギュスタン・ベルクによれば、「コーラ」は自然のおもむきであり歴史のおも
むきであるから、原範的イデアがハイデガーの言うように固定的なものであるとしても、
全体的な思考としては、「歴史性」が抜け落ちている訳ではない。その点、ハイデガーは
プラトンを誤解しているのではないか。それほどプラトンの哲学は奥深い。
9、 石の囲い「炉」と柱の聖性
(1)炉の聖性
新田次郎の「アラスカ物語」という素晴らしい本がある。主人公のフランク安田という
人の存在もそうだが、こういう本が存在すること自体が私たち日本人の誇りであると思
う。この「アラスカ物語」にはいろいろ光のことが出てくるが、その一部を紹介しておき
たい。すなわち、
『 薄紅色の南の空のオーロラが消える と、たちまち頭上に輝きが起こった。色彩のはげ
しい点滅と動揺が空いっぱいに広(ひろ)がっていた。天の心のいらだちをそのまま表現
したようなせわしげな 点滅が繰りかえされていた。その夜のオーロラは緑を主体とした
ものであった。緑の絨毯(じゅうたん)全体的に激しい明滅を繰り返しながら全天に拡
がって 行ったが、やがて、部分的な点滅現象は終わり、それにかわってかなりの面積を
持った平面的な明滅が始められた。点滅が明滅になり、時間的に余裕を持った、 輝きと
色彩の周期運動に変ってくると、緑の絨毯が翼に見えて来た。怪鳥の頭部に当たるあたり
に鮮明な赤い爆発が起こった。赤は緑を二つに分断した。緑の両 翼は空いっぱいに羽撃
(はばた)いた。オーロラが出ているのに、星は依然として輝きを失っていなかった。星
はオーロラよりも夜空における権威者であった。 遥(はる)かに高いところから、オー
ロラの芸当を眺めているようであった。』
『 フランクとネビロは暖炉の火を見つめながら夜遅くまで語った。長い放浪に近い生活
を互いに振り返りながら、外の吹雪の音を聞いた。「火がこんなに美しいものだとは知ら
なかったわ」ネビロは 膝(ひざ)に抱いているサダの小さな手を暖炉にかざしながら
言った。「そうだ暖炉の火ほど美しくて、心の暖まるものはない」心が暖まると言ったと
き、彼は 突然故郷を思い出した。石巻の生家の炉に赤々と火が燃えていた。天井から吊
り下げた鈎(かぎ)に掛けられた南部鉄瓶(てつびん)から湯気が吹き出していた。囲炉
裏をぐるっと家族がかこんでいた。祖父の顔が奥にあった。両親も兄弟姉妹たちも炉の火
に頬を赤く染めていた。どの顔もにこやかにほほえんでいた。』・・・・と。
炉というものは、実用な面だけでな く、何か不思議な力を持っているようだ。「炉の
聖性」と言っても良い。縄文人も「炉の聖性」を感じていたようで、縄文住居の炉は、灯
かりとりでも、暖房用 でも、調理用でもなかったらしい。 小林達雄は、その著書「縄文
の思考」(2008年4月、筑摩書房)の中で、「火を焚くこと、火を燃やし続け るこ
と、火を 消さずに守り抜くこと、とにかく炉の火それ自体にこそ目的があったのではな
いか」と述べ、火の象徴的聖性を指摘している。
詳しくは小林達雄の「縄文の思考」を 読んでもらうとして、ここでは、炉の形態はさま
ざまだとしても、一般的に縄文住居には聖なる炉が あって、 聖なる火が消えずにあった
のだということを確認しておきたい。そして、これも当然小林達雄も指摘しているところ
だが、炉と繋がって石棒などが祭られているのが一般的である・・・・、そのことを併せ
て確認 しておきたい。聖なる炉と聖なる石棒、これは正し<祭りのための祭壇>であ
る。
(2)繋(つなぎ)のカミ・石棒と柱・・・はたまた猿田彦
矢瀬遺跡は縄文時代の祭りを考える上 で欠かすことのできない遺跡であると思う。博
物館としてはほとんど手が入ってないので、一般の人には面白くないかもしれないが、祭
りの哲学的な意味について興味をお持ちの方は、 是非、 一度は矢瀬遺跡に出かけて欲
い。矢瀬遺跡は上越新幹線の上毛高原駅と上越線の後閑駅の間にある。上越新幹線と上越
線を結ぶために連絡バスがひっきりなし に出ているし、上越線の後閑駅に特急が止まる
ので、交通の便は非常に良い。
矢瀬遺跡については素晴らしいホームページがあるので、まずはそれを見ていただきた
い。
http://www2.odn.ne.jp/mcr/yaze/
私は先に、 「聖なる炉と聖なる石棒、これは正しく祭りのための祭壇である」・・・
と申し上げたし、これもまた先に、「祭りは神の世界と人間の世界をつなぐインター
フェースである」ことも申し上げた。
また、古代信仰に関する吉野裕子の見解・・・「 神霊は男性の種として蒲葵に憑依
し、巫女の力をかりてイビと交歓する」も紹介済みであるが、キリスト教でいえば聖霊、
中沢哲学でいえば流動的知性に関わる 精霊(スピリット)ということになるが、そうい
う種が、男性の象徴・石棒など(男根、石棒、立石)から女性の象徴・炉の火に発出され
て、何か価値あるもの が誕生するのである。これは自然の贈与と言って良い。この縄文
住居の祭壇において祭りが行われ、自然の贈与が発生するのである。これすべて流動的知
性の力 による。こういったことを念頭に置いて、矢瀬遺跡を見て回るとしよう!
出典:http://www2.odn.ne.jp/mcr/yaze/
この写真は、「四隅袖付炉」というが、四隅にある丸い小さな石が男性の象徴である。こ
れが柱の原型である。「はし」とか「はしら」とは、古代の言葉で、異界のものを繋ぐと
いういみである。石棒やその変形としての柱は、私たち人間と世界と天なる神の世界を繋
ぐ・・・ まあ言うなれば、 繋(つなぎ)の神と言えるのではないか。猿田彦はそういう
繋(つなぎ)の神であろう。炉は、女性のあれがその象徴であるが、地の神(地母神)の
象徴でもある。炉と柱、つまり地母神と繋(つなぎ)の神の関係はまことに大事であっ
て、七夕の再魔術化に当たっては、多分、そのことを哲学的にというかより深く考えねば
ならない筈だ。他にもいろいろの炉が出土しているようだが、現地に展示がないのでそれ
を見ることができない。残念である。
次の写真は六本の柱であるが、「はしら」は神の世界と人間の世界を繋ぐ架け橋であ
る。住居のなかでは「はしら」は設置できない。この六本の柱は、野外の祭 り用であ
り、 野外に設置された神の依代(よりしろ)である。 多分、部族の人たちを集めて、野
外で盛大な祭りが行われたのであろう。
6本の柱は神の依りしろ
三つの立石も神の依りしろ
これは、三本の立石。これも野外における神の依代だが、上の6っぽんの柱のほかにこ
ういう神の依代が併設されていたという訳ではない。時代が違うのである。この矢瀬遺跡
は複合遺跡であり、何百年も離れた時代の遺構が発掘されているので、それぞれの遺構が
いつの時代のものかを考えねばならない。炉の祭壇に祀られた石棒は一本の場合もある
し、4 本の場合もある。野外の柱も一本の場合もあるし、6本の場合もある。時代に
よっていろいろなのである。屋内と野外で祭りの仕方が違うし、石棒や柱の本 数によって
祭りの仕方が違う。そういうことを思いながら矢瀬遺跡を見ているとなかなか興味は尽き
ない。この地は夜とか月にご縁のあるところである。縄文の むかし、はたして星の祭り
は行われたのであろうか。
(3)縄文住居の祭壇
精霊(スピリット)の力とは、流動的知性のことであり、必ずしも信仰だけに関係す
るものではない。スポーツとか芸術とかボランティア活 動であるとか、何かに無我夢中
になって、今までに培った観念を忘れてしまうことがある。座禅を組むのもそのためだ
が、そういう純粋無垢な心に触れるような 経験を純粋経験というが、そういう純粋経験
も流動的知性を働かせる方法である。麻薬などの薬物によって純粋経験を経験することも
できるが、これは病的でありさらに犯罪に直結する可能性が高く、こういう方法は論外で
ある。しかし、スポーツとか芸術とかボランティア活動によって純粋経験が経験できるよ
う、これ からさまざまな工夫がなされなければならないが、信仰の世界でも・・・、今
後、さまざまな努力が必要であろう。
上において、私は、『 石棒やその変形としての柱は、私たち人間と世界と天なる神の世界
を繋ぐ・・・ まあ言うなれば、 繋(つなぎ)の神と言えるのではないか。猿田彦はそう
いう繋(つなぎ)の神であろう』・・・と述べ、さらに『男性の象徴・石棒など(男根、
石棒、立石)から女性の象徴・炉の火に発出される』・・・とも述べた。 道祖神は、ご
く一般に言われているように猿田彦の流れを汲むものであるが、さらにその源流を遡ると
「男性の象徴・石棒など(男根、石棒、立石)と女性の象徴・炉の火が一体になっ
た・・・縄文住居の祭壇』に辿り着く。
10、 謎のオルメカ文明
オルメカの巨石人頭像
仮面さながらに無表情で得体の知れない雰囲気
紀元前1200年∼約1000年前、日本では縄文時代後期から弥生時代にあたるころ、
メキシコ湾岸地方に存在したオルメカ文明。その建築や美術様式がマヤ文明など古代文明
の基礎となっていることから「母なる文明」とも呼ばれるが、紀元前200年ごろにこつ
ぜんと姿を消した。
オルメカとは、ナワトル語で「ゴムの国の人」を意味し、スペイン植民地時代にメキシコ
湾岸の住民を指した言葉である。巨石や宝石を加工する技術を持ち、ジャガー信仰などの
宗教性も有していた。その美術様式や宗教体系は、マヤ文明などの古典期メソアメリカ文
明と共通するものがある
オルメカの影響は中央アメリカの中部から南部に広がっていたが、支配下にあったのは中
心地であるメキシコ湾岸地域に限られた。その領域はベラクルス州南部からタバスコ州北
部にかけての低地で、雨の多い熱帯気候のため、たびたび洪水が起こった。しかし、河川
によって肥沃な土地が形成され、神殿を中心とした都市が築かれた。
オルメカ文明圏
オルメカの文化は、出土するさまざまな石像に現れている。人間とジャガーを融合させた
神像は、彼らにジャガーを信仰する風習があったことを物語っている。祭祀場では儀式と
しての球技が行われ、その際には人間が生贄として捧げられた。また、絵文字や数字を用
い、ゼロの概念を持つなど、数学や暦が発達していた。特徴的な美術としては、巨石人頭
像やベビーフェイスと呼ばれる石像が挙げられる。大きな石彫だけでなく、ヒスイのよう
な宝石を使った小さなものもあった。
巨石人頭像は、大きいもので3メートルもの高さがある巨大な石像である。胴体は存在せ
ず、頭部だけが作られたものと考えられている。左右に広がった低い鼻や厚い唇といった
顔立ちは、ネグロイド的ともモンゴロイド的ともいわれる。小鼻が横に広がった「あぐら
鼻」、分厚い唇、くっきりとした目、突き出た頬骨。日本人の顔付きには似てないように
見えるが、オルメカ人は氷河期にアジアか らベーリング海峡を渡って新大陸に散らばった
モンゴロイドをルーツにもつ。しかし、オルメカ人に写実の技能がなかったわけではな
い。それは下の写真で明らかだろう。「オルメカの巨石人頭像」は人間のようで人間では
ない。神のようであって神ではない。不思議な存在だ。
レスラー 仮面
鳥の器 壷 魚の器
11、 「オルメカの巨石人頭像」の呪力について
『 一つここに驚くべき事実がある。エール大学のマイケル・コー教授の最近の発表によ
ると、このオメルカの石の頭は最初から土に埋めてあったものらしい。粘土できちんと土
台を作って据え、土をかぶせてあった。メキシコ南部サン・ロレンスで、雨のために偶然
山が崩れ、そこに石造がわずかに露呈してきたのだ。これをヒントを得て、周辺の何でも
ない山肌を電波探知器で調べたら、このような石彫がまだ百あまりも埋もれていることが
判った。今まで、土地の者によって掘り出されていたものだけで、謎に包まれていたこの
巨石の顔は、いよいよ不可思議な神秘の相をあらわしてきた訳だ。 顔を刻み、神格にし
たのち、それをことごとく地面に埋めてしまう。これは一体どういうことなのだろう。大
地に対する呪術なのか。それにしても、現象的には無になってしまうのだ。ただ無存在で
「ある」、「なる」、ということよりもさらに激しい、積極的な還元である。何たる
謎。』
第2節に述べたように、岡本太郎は「美の呪力」の中で石のもつ呪力についてこのように
書いている。彼が何を言いたいのか、最後のフレーズを私なりに推測すると、
「 顔を刻み、神格にしたのち、それをことごとく地面に埋めてしまう。これは一体どう
いうことなのだろう。大地に対する呪術なのか。それにしても、現象的には無になってし
まうのだ。ただ形而上学的に存在する「ある」「なる」ということよりも、さらに激しい
積極的な「美の根源」への「気づき(接近)」である。何たる謎。」・・・となる。
地中に埋蔵された「オルメカの巨石人頭像」について、岡本太郎はこのように、私たちが
通常「神の力」よりもさらに強力な「霊の力」を発揮していたのではないかと直観してい
る。このような岡本太郎の直観を私たちはどのように受け止めれば良いのか、私にはよく
判らない。しかし、日本の縄文土器の埋葬の謎と重ねあわせて考えるとき、「オルメカの
巨石人頭像埋蔵の謎」を解く鍵があるように思われる。
小林達雄はその著書「縄文時代の世界」(1996年7月、朝日新聞社)の中で次のよう
に言っている。すなわち、
『縄文時代の土偶は、縄文人の精神世界の中で生み出されたものだ。』
『土偶は縄文人の神さまではもちろんなく、単なる縄文人の写しでも、ましてやお遊びや
話し相手の玩具でもなかった。』
『実は縄文人自身も、土偶の正体、つまりその人相・体格を正確にしっていたわけではな
かったのである。土偶とは縄文人を取り囲む自然物や、縄文人自らが作り出したさまざま
な物の中にも、かたちとして見いだすことのできない存在なのであった。それは、現実の
かたちを超え、いわば神にも似た力そのものであり、不可視の精霊のイメージであった。
縄文人の頭の中のまだ見ぬイメージが、ややもすれば自己の姿に近づきがちになるのをあ
えて振り払いながら表現したのが、なんとも曖昧模糊とした最初の土偶ではないか。つま
り、精霊の顔をまともに表現するなど、あまりにも畏れ多いことでもあったのであろう。
当初の土偶の伸張が、5∼6cmから10cmどまりであるのは、掌(てのひら)の中に収
められて祈られたり、願いをかけられたりするものであったせいとも考えられる。つま
り、土偶はその姿を白日の下にさらしたり、祭壇などに安置したりするものではなく、閉
じられた掌の中の闇の中でこそ力を発揮したと考えられる。
また土偶の容姿はもともと縄文人の目には見えなかったのであるから、その詳細なかたち
に本質的な意味があるのではなかった。それは、あくまでも縄文人の意識の中で確信され
た精霊であり、それが仮の姿に身をやつして縄文世界に現れたものであった、と理解され
る。』・・・と。
私には、「オルメカの巨石人頭像」も、 その姿を白日の下にさらしたり、祭壇などに安
置したりするものではなく、閉じられた闇の中でこそ力を発揮したと思えてならない。如
何なものであろうか。上述したように、「オルメカの巨石人頭像」は人間のようで人間で
はない。神のようであって神ではない。不思議な存在である。これを白日の下にさらすの
ではなく地中の闇の中に埋蔵した。そして、その場所で「生け贄」を捧げる供犠(くぎ)
が行われたと言われている。そのときどのような呪術が行われたか定かでないが、私が思
うに、時には豊穣の「祈り」であったであろうし、時には敵に対する「のろい」であった
かもしれない。
日本人は「無」が好きだ。否、日本人だけではない。東洋の特質だ。西洋の思惟では無が
有より軽んぜられたことは、「無」がBeingに対して常にNon-beingとしかいわれない、
という言語的な事実にその証拠を見出す事が出来る。一方、東洋では無を強調し、有中心
の非-有(Non-being)、を超えた意味合いを含ませた。岡本太郎の思想の底流にはこのよう
な「無」の思想が息づいているように思われる。「オルメカの巨石人頭像」とは何ぞ
や?・・・「無」! 岡本太郎はそう言っているようだ。
13、 グリュウーネヴァルトの「磔(はりつけ)のキリスト像」
『 鮮血・・・このなまなましい彩(いろど)りが、石について書いているとき、ふと
私の心の中に湧き起こってきた。血を浴びた石。(中略)人間は石とぶつかりあいなが
ら、血を流しながら、生き貫いてきた。その残酷な思い出が心にうずくのだろう。血は清
らかであり聖であると同時にケガレである。この誇りと絶望の凝縮・・・。今強烈なイ
メージとして、グリューネヴァルトの「磔(はりつけ)のキリスト像」、あのイーゼンハ
イムの祭壇画が眼に浮かんでくる。(中略)
グリュウーネヴァルトに感動しながら、人間の業、傷口のいやらしさを、このように露
(あらわ)にした絵に共感する、せずにはいられないこの状況に、腹が煮える思いがす
る。血だらけのキリスト像は、人間とそれを超えた宇宙的存在との悲劇的な噛み合い、い
いかえれば人間そのものの運命を浮き彫りにしている。ヨーロッパ中世を数百年のあいだ
強力に抑えていたキリスト教の運命が、時代の末期に、むきだしに傷口となり、血を噴き
出している。この「呪い」にも似たイメージはキリスト教者でないわれわれにも、不思議
になまな迫力で迫ってくるのだ。信者でない私はまったく外側から、自由に受け止めるの
だが。神秘な感動は向こうからこちらに働きかけるばかりでなく、こちらから同時に対象
に押し及ぼす。その交流は強烈なものだ。
このような「血の呪文」がもしキリスト教世界の中でしか解けない、通じないとしたら
意味がない。われわれが今日の人間的感動で根源的な血として意味を解読すべきではない
か。その方がはるかに率直で、ダイナミックであり得る。それにしても、この絵はあまり
にもなまなましい。(中略)この血は霊であり、生命のしるしである。(中略)あの残酷
なリアリズム。凝固した血。単なる絵画表現をこえて、何か人間の絶望的な運命を予告す
る不吉な影を浮かび上がらせる。その呪術は今日まで、ながながと尾を引いているよう
だ。』
第2節に述べたように、岡本太郎は「美の呪力」の中で石のもつ呪力についてこのように
書いている。彼は何を言いたいのか? 鶴岡真弓(美術文明史家。当時は立命館大学教
授。現在は多摩美術大学の教授で芸術人類学研究所長)が、「美の呪力」の解説の中で、
この点につき的確な解説をしているので、ここに紹介しておきたい。
『 多くの宗教がにあるように神聖さを神聖らしく表現するのではなく、人間存在の絶
望的な「醜さ」「けがらわしさ」が極限で示されるとき、むしろ「神聖さ」が発光すると
いうのである。「あえてお堕(おと)し込むことによって、逆に「人間」を超えた神聖が
浮かびあがってくる」ことが強調される。この「顛倒(てんとう)の真理」を確認するた
めに、太郎は本能的に「イーゼンハイムの祭壇画」を選んだのだろう。(中略)対立して
いるいっぽうが、飽和となり、豊穣(ほうじょう)に崩れていくとき、同時にその反対物
が顕われてくるという真理。それをくりかえし、さまざまな作例で証明し、その証明が
「美の呪力」には満ち溢れているのだ。(中略)そう、「美の呪力」に満ちていくこの
「顛倒のヴィジョン」は、若き太郎が10年間を暮らしたフランスでの出会い、彼がおそ
らく一生をかけて契(ちぎ)りとした思想源のひとつ、「異端の思想家」バタイユの唱え
た「反対物の一致」への共感を想起させる。』
彼女はこう言っているのだが、正しく彼女は岡本太郎の本質を言い当てていると思う。人
間誰しも、美しいものや聖なるものを経験したときにある種の感動を覚えるが、得てして
それで終わってしまうことが多い。しかし、「醜いもの」「汚らわしいもの」「戦慄をお
ぼえるもの」など美しいものや聖なるものと反対のものを見たり経験したりするときは、
「怒り」や「恐ろしさ」などの感情を抱かざるを得ない。岡本太郎はそのような「怒り」
や「恐怖」は「挑戦」のエネルギーになってゆくと言う。彼のいう「爆発」である。岡本
太郎は「美は爆発だ!」と言いたいのだと思う。
第3節 美とは何か?
1、 摩多羅神について
常行堂(じようぎようどう)というお堂のある天台系の寺院に祀られている「摩多羅神
(まだらしん)」は、仏教の守護神としては異様な姿をしている。 だいたい仏法を守る
守護神としては、インド伝来の神々の姿をしているものがおおむね主流である。これらの
神々は、もとはといえば仏教とは関わりのない「野生の思考」から生み出されたインド土
着の神々で、象徴的に含蓄の多い姿をしているものである。ところが、常行堂の後戸の場
所に祀られているこの神は、少しもインド的でない。さりとて中国的ですらなく、かと
いって日本的かと言えば、そうとも言いきれない。かつては天台寺院において重要な働き
をした神であるのに、摩多羅神は謎だらけの神なのである
摩多羅神の神像図(「摩多羅神の曼陀羅」)は、古くから伝えられているものである。ま
ずそれをよく見てみよう。
摩多羅神の神像図(「摩多羅神の曼陀羅」)
中央には摩多羅神がいる。頭に中国風のかぶり物をかぶり、日本風の狩衣(かりぎぬ)
をまとっている。手には鼓をもって、不気味な笑みをたたえながら、これを打っている。
両脇には笹の葉と茗荷(みようが)の葉とをそれぞれ肩に担ぎながら踊る、二人の童子が
描かれている。この三人の神を,笹と茗荷(みょうが)の繁(しげ)る林が囲み、頭上に
は北斗七星が配置されている。この北斗七星に是非ご注目願いたい。
この奇妙な姿をした神たちが、常行堂に祀られている阿弥陀仏のちょうど背後にあたる
暗い後戸の空間に置かれている。この背後の空間から、阿弥陀仏の仕事,つまり阿弥陀如
来の救済の働きを守護しているわけである。
後戸の神・摩多羅神
どうです! 後戸の神・摩多羅神って,面白いでしょう。
阿弥陀仏と摩多羅神の組み合わせは、非常なアンバランスなものをはらんでいるが、天
台宗の中で発達した「本覚論」という哲学の運動では、とくにこの摩多羅神が選び出され
て、重要な働きをおこなうことになった。その元祖がかの慈覚大師(円仁)である。
空海や最澄がそうであったように、円仁(えんにん)もほぼ完成された人格をもって唐
に留学に行っている。今我々が言う留学生ではない。円仁が我が国に持ち込んだシナ文化
についても、円仁という人物の感性を通して我が国に入ったということだ。ちなみに、円
仁は、15歳で比叡山に登り、最澄に師事。44歳で入唐している。第3代目の天台座主
である。
世界の三大旅行記というのがある。玄奘(げんじょう)の大唐西域記とマルコ・ポーロ
の東方見聞録、そして円仁の入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)であ
る。入唐求法巡礼行記は、元駐日大使ライシャワーが英語に翻訳し、研究を重ねて博士号
を取ったことでも知られている。ライシャワーの思いは、今、ハーバード大学のライシャ
ワー研究所に引き継がれ、精力的に日本文化の研究が行われている。
さて、慈覚大師が始めたこの哲学運動では、教えを弟子に伝達するのに、天台密教風の
「灌頂(かんじよう)」の様式を採用した。そのとき、本覚論の中の一元論哲学の奥義を
伝える灌頂の場を守ろうとしたのが、この三人の神なのだった。摩多羅神はこのとき、暗
い後戸の空間を出て、奥義が伝えられる場の前面に躍り出てくるのである。
この神の由来について、はっきりしたことはもうわからなくなっている。鎌倉から室町
にかけて、比叡山を中心にする天台系の寺院で流行していた本覚論は、江戸時代に入ると
「邪教」の烙印を押されて、書物を焼かれたり、仏具を壊されたりしてしまい、表だって
の伝承はそれで絶えてしまったから、摩多羅神の正体についてもすっかり不明となってし
まった部分が大きい。きれぎれに語られてきたことをつなぎあわせてみても、なかなかこ
の神の実体には届かない。
とりわけこの神の本質に関わる問題、たとえば、どうしてこのような名前と異例な姿を
持つ神が、天台宗のなかで一元論思考を徹底的に推し進めたラジカルな哲学である本覚論
と深いかかわりを持つことになったのかとか、猿楽(さるがく)をはじめとする芸能の徒
たちが、自分たちの芸能の守護神である「宿神」とこの摩多羅神とは同体の神であるとい
う考えをいだくようになったのかとか、この神の本質をめぐる問いに充分に答えた研究
は、まだ現れていない。
摩多羅神は,芸能の神でもある。リズムの神だと私は思っている。本音の神。本音は本
当の音と書く。本音とは,「本当のところ何やんね?」というわけだ。その神が摩多羅神
である。
こうしたなかで、『異神』という画期的な中世思想研究の書物の中で、山本ひろ子の出
している考え方が、いまのところこの問題にいちばん肉薄できている、と私には思える。 彼女はまず『渓嵐拾葉集(けいらんしゆうようしゆう)』(光宗(こうじゆう)著、1
317∼1319に成立)に記録されたつぎのような記事に注目する。
摩多羅神とは摩訶迦羅(マカカラ)天であり、またはダキニ天である。この天の本誓
(ほんぜいと読む。仏に誓う言葉。)は「経に云う。もし私は、臨終の際その者の死骸の
肝臓を喰らわなければ、その者は往生を遂げることは出来ないだろう」。この事は非常な
る秘事であって、常行堂に奉仕する堂僧たちもこの本誓(ほんぜい)を知らない。
ここにあげられているマカカラ天(マハーカーラ、大黒天)といい、ダキニ天といい、
どちらも仏教風に言えば「障礙神(しようそしん)」の特徴をそなえている。この神を心
をこめてお祀りしていれば、正しい意図をもった願望を成就するために、大きな力となっ
てくれる。しかし、少しでも不敬のことがあると、事を進める上に大きな障害をもたらし
て、あらゆる願望の成就を不可能にしてしまうというタイプの守護神が、障礙神(しょう
そしん)なのである。まあいえば「災いの神」だ。民俗学風にこれを言いかえれば、この
タイプの守護神はまぎれもない「荒神(あらぶるかみ)」である。
しかもこの神はカンニバル(人食い)としての特徴ももっている。人が亡くなるとき、
摩多羅神=大黒天=ダキニ天であるこの神が、死骸の肝臓を食べないでおくと、その人は
往生できないのだという。
往生とは、人が生前に体験した第一の誕生(母親の胎内からの誕生)、第二の誕生(大
人となるために子供の人格を否定するイニシエーションを体験して、真人間として生まれ
直すこと)に続いて、人が誰でも体験することになる「第三の誕生」を意味している。そ
のさいには、人生のあいだに蓄積されたもろもろの悪や汚れを消滅させておく必要があ
る。そうでないと、往生の最高である浄土往生は難しい。
ここでちょっとアドリブを入れておこう。私たちはよく「私なんかしょっちゅう,往生
してますわ!」と言いますが,本来的にはこういう言葉の使い方がおかしいかも。しか
し、往生していないけれど,往生したいと願う心がこもっているのかもしれない。私が思
うに,「ひっくり返し」の思想であるのかもしれないということだ。
元に戻ろう。往生のむつかしいとき、この恐るべき神が登場するのだ。人の肝臓には、
人生の塵芥が蓄積されている。そういう重要な臓器を、摩多羅神は臨終のさいに、食いち
ぎっておいてくれるという慈悲を示すのだ。カンニバル(人食い)とは人生からの解放を
もたらす聖なる行為だ。そしてそれを導いてくれるのが、恐ろしい姿をもって出現するこ
れら障礙神(しょうそしん)たちなのである。
つまり、常行堂の後戸に立って、前面に立つ光の仏である阿弥陀を守護しているこの謎
の神は、創造的カンニバルとしての特質を隠し持った、人類の思考の「古層」からやって
きた表現として、理知的な仏教にはとうてい理解不能の存在だと思う。摩多羅神が謎なの
は、この神が自分の内部に複雑な重層性をかかえているからである。表面には、狩衣をま
とって鼓を手に、いままさに音楽を奏でようとしている男の姿で描かれた摩多羅神がい
る。この姿でいるときは、摩多羅神は本覚論の「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」の
思想を直接に現した、日本思想の「中世」をあらわしている。ところがこの摩多羅神の奥
には、もう一人の摩多羅神がいる。この摩多羅神は大黒天やダキニ天の親しい仲間とし
て、仏教の中にひそんでいる「野生の思考」に深くつながっていく存在なのだ。この新石
器的摩多羅神は、狩衣をまとった中世の摩多羅神の内部に隠れて、不穏な波動をあたりに
放出している。この神の中には、折口信夫の言う「古代」が隠されているのだ。
そのような神が、いわば本覚論というその時代の先端的な哲学思考の、まさに「後戸」
に立つ。とてつもなく古代的な思考が、もっとも新しい思考と、文字どおり背中合わせに
立っている。古代思想と近代思想の融合。一元論的認識の重要性を改めて強調しておきた
い。一元論の哲学は重要である。「ほんとのところは何やんね?」というわけだ。
では、どうして本覚論のようなラジカルな一元論の哲学が、摩多羅神に凝縮されている
古代的ないし新石器的思考を呼び寄せることになったのか。
先述のように、「この新石器的摩多羅神は、狩衣をまとった中世の摩多羅神の内部に隠
れて、不穏な波動をあたりに放出している。この神の中には、折口信夫の言う「古代」が
隠されているのだ。ここではこの点について少し話をしておきたい。摩多羅神に凝縮され
ている古代的ないし新石器的思考とはなにか?
この点については、川村湊がその著書「闇の摩多羅神・・・変幻する異神の謎を追う」
(2008年11月、河出書房)に詳しく書いているので、それをもとにできるだけ判り
やすく説明する。正確さに欠ける点があるのはご容赦願いたい。天台宗には、玄旨灌頂
(げんしかんじょう)という独特の儀式を秘密裏に行う一派があった。灌頂(かんじょ
う)とは儀式のことをいうが、頭に水をそそぎ、正統な継承者とするための儀式である
が、その儀式は独特のもので、私は、世界的というか宇宙的というか、その名の通り深遠
な内容のものであると思う。玄旨(げんし)というのは深遠な道理という意味だ。
残念ながらこの一派は江戸時代に真言密教立川流の影響を受けて邪教扱いをされ、この
世に存在しなくなってしまう。何故邪教扱いをされたかは以下において徐々に説明する。
摩多羅神が邪教扱いにされた訳ではない。摩多羅神は今も天台宗の裏戸の神として祀られ
ているし、真言密教では「理趣教」が今もなお大事なお経として唱えられている。それら
を考えると、 玄旨灌頂(げんしかんじょう)も正しい理解のもとに今に伝承されるべきで
はなかったと思う。しかし、こういうきわどいものは「命の脳」と「知恵の脳」がうまく
バランスしないと変な方向に行ってしまうのも事実で、真言密教立川流の影響を受けたと
はいえ 玄旨灌頂(げんしかんじょう)が邪教扱いを受けたのもやむを得なかったとも思
う。
さて、 玄旨灌頂(げんしかんじょう)がどういうものか、逐次説明しよう。玄旨灌頂(げ
んしかんじょう)では、まず師と弟子は数日前から沐浴(もくよく)し、浄衣を着て、
なぜ今玄旨灌頂(げんしかんじょう)を行うのかを述べるなど、おごそかに始まりの儀式
を行う。
次いで、灌頂道場の前で香を焚き、香油を塗り、口をそそいで、幣帛(へいはく。神へ
の捧げもの。本来神道の作法。)を捧げる。その後に道場に入るのである。道場内には、
正面に先に示した摩多羅神画像、左右の壁には山王七社、天台八祖の画像、十二因縁図、
十界図が掲げられる。
灌頂を受ける弟子とその師は、道場に入る時は笏(しゃく)を持ち、さらに左手に茗荷
(みょうが)を持ち、右手に竹葉を持つ。これは先の摩多羅神画像における二人の童子が
茗荷と笹の葉を持っている構図と同じである。茗荷は一心一念を象徴し、竹の葉は三千三
観を象徴しているらしい。何事も一心不乱に取り組み、その経験から直観を養い、言葉で
は言い尽くせない多くのことを悟らなければならないということであろう。
道場の真ん中には、香炉や供え物が供えられている。師は左の壇に座り、弟子は右側の
草座に控えている。師は摩多羅神の前で三礼し、法華経や般若心経を唱え、山王神や宗祖
たちに拝礼し、それぞれの弟子への口伝(こうでん)に入っていく。口伝(こうでん)は
天台密教の奥義を語る言葉であり、ここまでは誠に厳かなものだ。問題はこれからだ。
口伝の後、摩多羅神画像の三人、つまり摩多羅神本尊とその脇を固める二人の童子をた
たえる歌を歌い舞うのである。「シシリシニシ」という茗荷童子の「リシト歌」と「ソソ
ロソニソ」いう竹葉童子ノ「ロソト歌」というらしい。これが問題であって、なかなか奥
が深いのである。 玄旨灌頂(げんしかんじょう)は、先にも言ったように、 世界的という
か宇宙的というか、その名の通り深遠な内容のものである。それがこの言葉である。言葉
で言い尽くせないことを言葉で説明するにはどうすれば良いか。「リシト歌」と「ロソト
歌」を一心不乱に歌うしかないのである。「シリ」はお尻であり、「ソソ」は女性器おそ
そである。つまり、こんな卑猥な歌や舞が 玄旨灌頂(げんしかんじょう)のハイライトで
あり、師が弟子にこれが意味する宇宙の真理を伝えることがこの一派の秘伝となっている
のである。
熱海の伊豆山神社には摩多羅神の祭りがあり、こんな歌が歌われているという(あやか
しの古層の神・摩多羅神」谷川健一)。「マタラ神の祭りニヤ、マラニマイヲ舞ワシテ、
ツビニツツミヲ叩カシテ、囃(はや)セヤキンタマ、チンチャラ、チンチャラ、チンチャ
ラ、チャン」。ここに「マラ」「ツビ」は男女の性器である。
玄旨灌頂(げんしかんじょう)は、前述のように、本来、世界的というか宇宙的という
か、その名の通り深遠な内容のものである。しかし、その深遠な内容が正しく理解されて
いないとこのように卑俗な取り扱いになるのである。こうしたところから、 玄旨灌頂(げ
んしかんじょう)は、真言密教立川流の影響もあり、性欲の積極的肯定というか性愛の秘
技というイメージが一人歩きしてしまうのである。
玄旨灌頂(げんしかんじょう)は口伝による秘技であり、本来外に漏れてはいけないも
のである。しかし、儀式の心覚えのためか、文章として残っているものがあるらしい。そ
れが大問題であって、秘技は秘技として自分の本当の弟子にしか伝えてはならない。
理趣経というお経があるが、空海が中国から持ち帰った『理趣釈経』(『理趣経』の解
説本)に関連して有名な最澄の借経(経典を借りる)事件というのがある。参考のために
それを紹介しておこう。
天台宗の開祖である最澄は、当時はまだ無名で若輩の空海に弟子入りし灌頂を受けたの
であるが、その後、天台教学の確立を目指し繁忙だという理由で自分の弟子を使って、空
海から借経を幾度となく繰り返していた。しかし、『理趣釈経』を借りようとして空海か
ら遂に断られた。これは、修法の会得をしようとせず、経典を写して文字の表面上だけで
密教を理解しようとする最澄に対して諌(いましめ)たもので、空海は密教では経典だけ
ではなく修行法や面授口伝を尊ぶことを理由に借経を断ったという。空海が断った理由
は、この『理趣経』の十七清浄句が、男女の性交そのものが成仏への道であるなどと間
違った解釈がなされるのを懼(おそれ)たためといわれている。
空海は、その後東寺を完全に密教寺院として再編成し、真言密教以外の僧侶の出入りを
禁じて、自分の選定した弟子にのみ、自ら選んだ経典や原典のみで修行させるという厳し
い統制をかけたが、その中にさえ『理趣経』はないといわれる。「理趣経」はそれほど誤
解を受けやすい経典であるが、それと同じように、 玄旨灌頂(げんしかんじょう)は万が
一外に漏れたらとんでもない誤解を受けかねないといいう、まさに秘技なのである。
なお、摩多羅神画像の上には北斗七星が描かれているが、摩多羅神は「天なる神への信
仰」(妙見信仰)とつながっているのである。 私が、「玄旨灌頂(げんしかんじょう)
は、世界的というか宇宙的というか、その名の通り深遠な内容のものである)という所以
(ゆえん)である。
摩多羅神は卑猥なものと聖なるものの間に存在している。卑猥といえば卑猥、聖だとい
えば聖なのである。また、卑猥でもないし、聖でもない、誠に深遠な存在であるが、神と
はまあそんなものではないか。「エロスの神」も全く同じであり、摩多羅神と同一の神だ
といえなくもない。摩多羅神は天台宗という特定の宗教に限っての神として存在していた
が、エロス神は一般庶民に崇められるべき神である。
2、 両頭截断ということについて 私の電子書籍「祈りの科学」シリーズ(4)でもいったが、ものごとには何ごとも両面が
ある。光があれば陰もあるし、物があれば「モノ」がある。「モノ」とは心のこもった物
のことである。物とは単なる物質のことだ。
私は「両頭截断(りょうとうせつだん)」とよく言っているが,これはそういうものご
とのには必ず両面があるので,それにこだわっていてはいけないということを言ってい
る。「あなたは善人ですか?・・・そうですねえ。善人と言えば善人だし,悪人と言えば
悪人ですね。善人でもないし悪人でもない。ああ,やっぱり私は善人です。」・・・とい
う訳だ。哲学的には二元論というが,そういう二元論を超えた世界,つまり一元論的認識
の世界,それが陰陽の世界である。両頭を截断した,つまり相対的な認識を超えた絶対的
な認識(一元論的認識)の世界である。私たちは陰陽の世界を生きているし,またそのこ
とを日頃から十分認識しておく必要がある。
私は「両頭倶截断一剣器倚天寒(両頭ともに截断して一剣天によってすさまじ)」とい
う禅語を略して「両頭截断」といっているのだが、その意味するところはきわめて奥が深
い。摩多羅神を考える場合にも、エロス神を考える場合にも、少なくともこういう一元論
的認識の重要性だけでも理解していないとダメだと思うので、ここで厳密を期しておきた
い。
この禅語は『槐安国語』(かいあんこくご)に出てくる。『槐安国語』は燈国師が書い
た『大燈録』に、後年白隠が評唱を加えたものである。禅書も数多いが、その中でもっと
も目につくものは、道元禅師の『正法眼蔵』と『槐安国語』といってよいと思う。両書は
いずれも難解な本である。前者についてはすでに多数の学者がその研究の成績を発表して
いる。しかし、『槐安国語』についてはほとんど研究らしい研究はない。そうだけれど、
大燈国師が胸中の薀蓄(うんちく)を披瀝したところへ、白隠禅師の悟りを加えたもので
あるから、この本は日本の禅の極限に達したものといってよいだろう。
この禅語については、 松原泰道がその著「禅語百選」(昭和四十七年十二月、詳伝社)
で詳しく説明しているので、それをここに紹介しておく。すなわち、
『 両頭倶截断一剣器倚天寒(両頭ともに截断して一剣天によってすさまじ)
両頭というのは、相対的な認識方法をいいます。相対的認識が成り立つのには、少なくと
も二つのものの対立と比較が必要です。つまり両頭です。たとえば、善を考えるときは、
悪を対抗馬に立てないとはっきりしません。その差なり段落の感覚が認識となります。
さらに、その差別を的確にするには、それに相対するものを立てなければなりません。
之が三段論法推理の基本となります。その関係は、相対的というよりも、三対的で、きわ
めて複雑です。知識が進むにつれてますます複雑になります。その結果、とかく概念的と
なります。また、比較による知識ですから、二者択一の場合に迷いを生じます。インテリ
が判断に決断が下せないのもその例でしょう。なお、恐ろしいことは、比較というところ
に闘争心が芽ばえることです。この行きづまりを打開する認識方法と態度が、禅的思索で
す。まず相対的知識の欠点が相対的なところにある以上、この認識方法と態度とを捨てな
ければなりません。それを「空(くう)ずる」といいます。ときには「殺しつくせ」「死
にきれ」と手きびしく申します。肉体を消すことではありません。相対的認識や観念を殺
しつくし、なくして心を整地することです。
相対的知識を殺しつくすのは絶対的知識です。しかし、相対に対する絶対なら、やはり
相対関係にすぎません。たとえば、「私が花を見る」のは、私と花と相対して花の認識が
生まれ、その花の色や色香(いろか)や美醜は、またそれに対するものが必要になりま
す。どこまでも相対知です。
次に、私は外の花を見ない、唯一絶対として私が花を見ると、一応は絶対値に立ったよ
うですが、相対に対する絶対値で、やはり相対的関係が残っています。「私」が「花」を
見るという我と花とが対しあっています。純粋絶対知とは、私が花を見るのではなく、花
そのままを見ることです。私が花そのものになって見るより見方のないことを知るので
す。
これを一段論法といいます。その名付け親は、明治後期の理学博士で、禅の真髄をつか
んだ近重真澄(ちかしげますみ)です。禅的さとりを得た人たちは、必ず従来とは、違っ
た見え方がしてきたと喜びを語ります。それは「ある立場から、規定づけられた見方を脱
した」ということでしょう。道歌(どうか。仏教などの趣旨をよんだ歌)の「月も月、花
は昔の花ながら、見るものになりにけるかな」が、一段論法の認識方法と、その結果を
歌っています。また、熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)が、無情を感じて法然上
人の下で出家して蓮生坊(れんしょうぼう)と呼びました。彼の歌と伝えられるものに
「山は山、道も昔に変わらねど、変わりはてたるわが心かな」にも、それが感じられま
す。両頭的な相対的認識を、明剣にたとえた一段論法の刀で、バッサリと断ち切る必要を
説くのがこの語です。相対的認識を解体した空の境地です。』・・・と。
直観を働かせるには、それなりの厳しい体験が必要だ。修行僧は日常厳しい修行に明け暮
れ、それが実ると悟りが開け、直観が働くようになる。そうするとこの禅語にあるよう
に、両頭が截断されて、絶対認識ができるようになる。私たちは、一般的には、死ぬか生
きるかというような厳しい体験をする訳ではないので、なかなか直観がはたらくレベルに
到達することが困難である。しかしながら、ものごとにはすべからく両面があることを理
解し、まずは反対物に注目しなければならない。自分と反対の意見をもっている人の言う
ことにも常日頃から耳を傾けなければならない。ともかく、ものごとの両面を見ることの
癖をつけなければならない。それには、岡本太郎の「美の呪力」を読んで、その中で取り
上げられている石造や絵画のどれかを真剣に勉強することだ。実際に現地に出かけること
は一般には難しいので、いろいろとネットで調べるなり、図書館で関係の図書を読むこと
はできるだろう。その際、岡本太郎の「美の呪力」はまたとない手引書になるはずだ。
3、 真の美を理解するには
プラトンの「饗宴(きょうえん)」という歴史的とでもいうべき名著がある。岩波文庫か
ら文庫本が出ているので読んだ方も少なくないだろう。その中の「エロス神」に関する真
髄部分を紹介する。その真髄部分は摩多羅神についても同じことがいえる。つまり、相対
的認識が解体されているのである。
『 エロスは偉大な神でかつ美しき者に対する愛などと考えてはならない。そんな考えに
立っていると、エロスは美しくもなければ善くもないことになる。したがって、美しくも
ないものは必然的に醜いとか、善くないものもまた同様に悪いとかいう風に考えてはいけ
ない。』
プラトンはこのように言っているのだが、プラトンはまさに禅僧の言いそうなことを言っ
ていますね。まさに両頭が截断されている。上述したように、 ものごとにはすべからく
両面があることを理解し、まずは反対物に注目しなければならないのである。その際、岡
本太郎の「美の呪力」はまたとない手引書になるはずである。この点について、 鶴岡真
弓が、「美の呪力」の解説の中で、この点につき的確な解説をしているので、ここに紹介
しておきたい。
『 ユーラシアの極西の「ケルト」から、極東の「縄文」までの世界を、太郎は踏破し、
透視していた。「美の呪力」を読むことは、「岡本太郎」による「世界美術館」を歩くこ
とである。その美術館は、おそらく世界一たくさんの展示室とテーマをもち、世界一陰影
に満ち、世界一わたくしたちに不思議な希望を与え続けてくれる場所である。そう、マル
ロの「空想の美術館」をも凌ぐだろう、またとない「呪力の美術館」なのである。』
マルロの「空想の美術館」は、次のホームページに詳しく解説してあるので、是非、それ
をご覧戴きたい。
http://www5b.biglobe.ne.jp/ kabusk/kohjoh4.htm
さて、岡本太郎は、「美の呪力」の中で、上述してきたように、イヌクシュクの石像のも
つ呪力について論じ、「磔(はりつけ)のキリスト像」と繋げながら「血」のもつ呪力に
ついて論じている。そして、それらを出発点として、ゴダールの名作「ウィーク・エン
ド」という映画のもつ呪力、アステカの人身供犠を描いた絵画のもつ呪力を論じていく。
そして、羅刹(らせつ)の女ジェマティーの図像、曼荼羅(まんだら)、ゴヤの「カプリ
チョス」、ピカソの「ゲルニカ」、各種戦争画、各種仮面、炎の像と絵画、夜の画家ゴッ
ホの作品、ビザンチンの夜に関わる美術品などももつ呪力について、鋭い眼を向けなが
ら、最後にケルトの文様を論じている。この最後のケルトの文様については、鶴岡真弓が
次のように解説しているので、それを紹介して筆を置くことにする。
『 「美の呪力」の最後を飾る第11章「宇宙を彩る・・・綾とり・組紐文(くみひもも
ん)の呪術に、ヨーロッパ極西の国アイルランドの「ケルト」の文様が語られる。中世ア
イルランドのケルト系修道院に立つ「石の十字架」や、福音書写本「ケルズの書」に修道
士が描いた呪文のようなケルトの「組紐文」。中心というものがない。無限に伸び、くぐ
り抜けて広がる。世界を流動の相で捉える人びとの造形だ。・・・自分たちを超えた運命
がいつでもすれ違いながら流れている。(中略)岡本太郎曰く。「私にいちばん問題を投
げかけてくる美は、他の大陸を別にすれば、ヨーロッパでいちばん古い、ケルトの文化な
んです。」』
第3章 谷川健一の「魔の系譜」について
「魔の系譜」(谷川健一、1999年2月、講談社)という本がある。彼はその中で、次
のように述べている。すなわち、
『 私は日本の歴史に触れて、しだいに一つの考えを抱くようになった。死者が生者を支
配する・・・といった現象が、日本の歴史において、あまりに多いように思うのだ。死者
が生者を支配する・・・というのは、周知のようにオーギュスト・コントの有名な言葉だ
が、それは死者と生者の連帯を意味するのであろう。ヨーロッパでは、伝統とは死者と生
者の連帯というほかない。しかし日本では先祖とのつながりはあるにしても、普遍的な死
者と生者との連帯はない。あるのは対立だ。しかも死者が生者を支配するのだ。』
『 普遍的な発展の法則にしたがっている日本歴史の裏側に、もう一つの奇怪しごくな流
れがある。それは死者の魔が支配する歴史だ。この死者の魔は、老ゲーテの信じた肯定的
なデーモン(地霊)とは違って、否定的な魔である。それは表面の歴史に対しては挑戦
し、妨害し、畏怖(いふ)させ、支配することをあえて辞さない。死者は、生者が考える
ほど忘れなくないということを知らせるために、ことあるごとに、自己の存在を生者に思
い出せようとするかのようだ。この魔の伝承の歴史・・・を抜きにして、私は日本の歴史
は語れないと思うのだ。(中略)私は、日本人が忘れっぽくない民族であることを証明し
たいだけである。』
『 戦後の日本人が生き延びたという、それだけの理由のために勝利者づらをするのを許
さない死者たちがいる。そういう死者は、被害者から加害者への道をひらくことにおのれ
を賭けて生者を揺さぶり、ひっぱたき、生者たちを眠り込ませないようにしている。もと
よりそうした死者は、戦死者だけではない。政治的事件や反乱に参加して処刑された死者
たちも含まれるのである。(注:政治的事件や反乱に参加して処刑された死者たちの例と
して、谷川健一は2・26事件の首謀者として死刑を宣告された磯辺浅一と「地蔵堂通夜
物語」に出てくる佐倉惣五郎(木内宗吾)を挙げている。そして彼らが死ぬ間際に「成仏
をせずに悪鬼として復活する決意を「呪い」の言葉として発する場面を描いている。そし
て、谷川健一は「成仏・・・つまり死者の安らかの眠りを断固として拒否し、悪鬼として
復活を願う瞬間に、私たちは立ち会っているのだ。」と述べている。)(中略)2・26
事件の被告に限らず、怨恨(えんこん)と呪詛(じゅそ)が、ついに「魔」の誕生を必然
化させる過程をここに見ることができる。』
『 そもそも怨恨とは何であるか。ニーチェは弱者が強者に抱く妬心(としん)、すなわ
ちルサンチマンと考えた。クレッチマーによると、ヒステリー性の神経症は、権力闘争
を、異なる手段で続けるのに他ならない。ヒステリーのもつ怨恨の突然の爆発は、それま
で抑圧されていた自分の優位性や権力を、一挙にして入手する手段だというのである。こ
うしてクレッチマーの医学心理学は、怨恨を権力闘争と密接に関連づける。権力闘争に破
れて打撃を受けたものの抱く感情が怨恨である。クレッチマーの考え方は、怨恨がキリス
ト教道徳の根底をなしているという見方を含めて、ニーチェのルサンチマンと酷似してい
る。力を求める闘争の中で、もっとも鋭い形のものは、政治支配をめぐる闘争である。政
治闘争の敗北は、おうおうにして政治死を招く。怨恨もまた、もっとも激烈な形を取らざ
るを得ない。』・・・と。
そしてさらに、谷川健一は、呪詛(じゅそ)について、『 呪詛には磯部浅一の「ノロ
イ」の他に、大別して「トコイ」「カシリ」があると、伴信友はいう。信友によれば、
「トコイ」は言霊(ことだま)によって、「憎むかたきに禍(わざわい)あらしむとてそ
の人を思いつめ、凶言(まがごと)して禍あらしむべく神に請うてする術」である。
『「カシリ」は「トコイ」と同義ながら、ことに稜厳(いつ)々々しき術をいうなるべ
し。』 つまり、カシリとはカジリックと同じくらい烈しい呪いなのである。この「トコ
イ」や「カシリ」が、言霊によってする術であるのにたいして、「ノロイ」は「一言も言
わず、念(おも)いつめてするものなり」、たとえば、女の丑の時参りというのはノロイ
にあたる。(伴信友「方術源論」) 金子武雄は、個人対個人の呪詛が「トコイ」であ
り、集団と集団、又は集団の代表と集団の代表の間の呪詛が「カシリ」ではないかと述べ
ている。』・・・と述べているが、もはや「トコイ」や「カシリ」という言葉は古語に
なって、今は使われない。したがって、呪詛については、少し判りやすく解説しておきた
い。
呪詛は、古くは「しゅそ」といったこともあるが、今は通常「じゅそ」と読む。「ずそ」
と読む人もある。「のろい」のことである。「のろい」を漢字で書くと「呪い」だが、
「呪い」は「マジナイ」とも読むので、呪詛(じゅそ)は「のろい」と言うべきだ。「呪
い」というと誤解を生じる。「マジナイ」は、所作や道具の使用による実践によって
「福」をもたらす方面で使用される。
さて言霊(ことだま)のことだが、私は電子書籍「祈りの科学シリーズ(8)」の第6章
で、「ことだま」について梅棹忠雄の言っていることも紹介しながらやや詳しく書いた。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/toile06.pdf
これは神への「祈り」に関連して「ことだま」の力について縷々書いたものだが、呪詛
(じゅそ)についてもかって昔は「ことだま」の力を利用していたらしい。しかし、現在
では、社会の表面ではもう見られなくなっている。裏社会ではまだ「のろい」の言葉を発
しながら呪詛(じゅそ)を行っていることもあるのかもしれないが、私はその実態をまっ
たく知らないので、そういう呪詛(じゅそ)があるとも無いとも何とも言えない。それに
対して、一言も言わず、念(おも)いつめてする「丑の刻参り」というのは、その形跡を
私は見たことがあるので、「丑の刻参り」という呪詛(じゅそ)は今でも行われていると
思う。
さあそこで、呪詛(じゅそ)の分類だが、私は、個人対個人の場合が「丑の刻参り」、個
人対集団の場合が「ユウレイ」、集団対集団の場合が「怨霊」、集団対個人の場合が「ツ
キモノ」で良いのではないかと考えている。ここで集団という言葉だが、「ユウレイ」の
場合は「世の中の人びと」、「怨霊」の場合は「政治集団」、「ツキモノ」の場合は「集
団が作り出す生活環境」や「集団の中のある人たち」まで含めて広義の意味と思ってほし
い。
「つきもの」は、「ある種の呪力が人間に憑依(ひょうい)して、その人間の精神状態に
劇的な悪影響を与えるという概念」であると一般的には考えられている。ここである種の
呪力とは、人びとの常識的な感覚を踏まえて祈祷師などがそう認定したものにしか過ぎな
いのだが、「つきもの」を信じている人が多いようなので、「つきもの」は当然民俗学や
人類学の研究対象となる。なお、小松和彦の「憑依信仰論」(1994年3月、講談社学
術文庫)は「つきもの」について人類学的に深く研究した名著であるので是非読まれるこ
とをお勧めする。
ところで金子武雄の「呪詛の分類」にもどるが、「集団の中のある人たち」の呪力が個人
に憑依(ひょうい)して個人が「忘我状態」になる現象であるから、金子武雄に準じて分
類すると集団の個人に対する呪詛、それが「つきもの」であるといえるのではないか。
しかし、私としては、ある人たちが「つきもの」に付かれたようになるのは、生まれなが
らのものか、劣悪な生活環境故のものかは別にして、ほとんどの場合、ひどい嫉妬とか精
神異常などの病的なものではないかと考えている。
「ジキル博士とハイド氏」という小説は、イギリスの小説家・スチーブンソンが1886
年に書いた有名な小説である。人格者ジキル博士が薬を飲むと極 悪非道なハイド氏に変
身するという、・・・言うなれば、二重人格者の悲劇を描いたものだが、人間の善悪の
藤を取り扱った・・・大変哲学的な課題を秘めた 小説である。いうまでもなく、ジキル
博士とハイド氏は同一人物である。したがって、ハイド博士はジキル氏であると言ってよ
い。こういう二重人格者は世の中にそう珍しいことではないが、現在、十三重人格者まで
確認されているという。「群盲象を撫でる」というたとえがあるが、一人の人間にもいろ
んな人格がある。神的なものもあれば悪魔的なものもある。気違いとしか言いようのない
ものもある。まあ、無数のアイデンティティーがあると考えて良い。通常は、それらがバ
ランスよくコントロールされているので、悪い人 格はそう表にでてこない。そのコント
ロールされているさまを、河合隼雄は「アイデンティティーネットワーク」という概念で
説明されておられる。いろん なアイデンティティー(人格)がネットワークで繋がってい
る。ある人格が何かの拍子で力を得て巨大化すると、その繋がりが切れる。その繋がりが
切れると、 その巨大化した人格が表面に飛び出してくる。それがたまたまジキル氏であっ
たりするのである。そのひどい状態が「つきもの」ではないか。つまり、「アイデンティ
ティーネットワーク」が病気又はひどい生活環境などによって、部分的にしろ完璧に破壊
されたときに、「つきもの」に付かれたような状態に陥るのではないか、と私は考えてい
る。私たちは、やはり、健康を保って精神的にも充実した生活を送るべきである。心身と
もに健康でなければならないのである。そのためには、プラトンの霊魂論をしっかり勉強
する必要がある。
上述のように「呪詛(じゅそ)」を「丑の刻参り」と「ユウレイ」と「怨霊」と「つきも
の」に分類して、まずは集団対個人の場合の呪詛「つきもの」について述べた。次は、個
人対個人の呪詛「丑の刻参り」について述べておこう。
「丑の刻参り」については、私の書いた次のホームページをとりあえずご覧戴きたい。
www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/kibunejin.html
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/kanawa.html
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/ujitopo.html
丑の刻参り(うしのこくまいり)とは、丑の刻(午前1時から午前3時ごろ)に神社の御
神木に憎い相手に見立てた藁人形を釘で打ち込むという、日本に古来伝わる呪術の一種。
典型では、嫉妬心にさいなむ女性が、白衣に扮し、灯したロウソクを突き立てた鉄輪を頭
にかぶった姿でおこなうものである。連夜この詣でをおこない、七日目で満願となって呪
う相手が死ぬが、行為を他人に見られると効力が失せると信じられた。ゆかりの場所とし
ては京都府の貴船神社が有名である。
京都府の貴船神社には、貴船明神が降臨した「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に参詣
すると、心願成就するという伝承があったので、そこから呪詛場に転じたのだろうと考え
られている。
また、今日に伝わる丑の刻参りの原型のひとつが「宇治の橋姫」伝説であるが、ここでも
貴船神社がまつわる。橋姫は、妬む相手を取殺すため鬼神となるを願い、その達成の方法
として「三十七日間、宇治川に漬かれ」との示現を受けたのがこの神社である。それを記
した文献は、鎌倉時代後期に書かれ、裏平家物語として知られる屋代本『平家物語』「剣
之巻」であるが、これによれば、橋姫はもとは嵯峨天皇の御世の人だったが、鬼となり、
妬む相手の縁者を男女とわず殺してえんえんと生き続け、後世の渡辺綱に一条戻橋とこ
ろ、名刀髭切で返り討ちに二の腕を切り落とされ、その腕は安倍晴明に封印されたことに
なっている。その彼女が宇治川に漬かって行った鬼がわりの儀式は次のようなものであ
る:
「長なる髪をば五つに分け、五つの角にぞ造りける。顔には朱を指し、身には丹を塗り、
鉄輪を戴きて、三の足には松を燃し、続松(原文ノママ)を拵へて、両方に火をつけて、
口にくはへつつ、夜更け人定まりて後、大和大路へ走り出て……」
この「剣の巻」異本ですでに橋姫には「鉄輪(かなわ)」(五徳に同じ)を逆さにかぶ
り、その三つの足に松明をともすという要素があるが、顔や体を赤色に塗りたくるのであ
り白装束ではない。室町時代にこれを翻案化した能楽の謡曲「鉄輪」においても、橋姫は
赤い衣をつけ、顔に丹を塗るなど赤基調が踏襲され、白装束や藁人形、金槌も用いていは
いないが、ただし祓う役目の陰陽師晴明の方は、「茅の人形を人尺に作り、夫婦の名字を
内に籠め、(後略)」祈祷をおこなうのである。よって現在の形で丑の刻参りが行われる
ようになったのは、この陰陽道の人形祈祷と丑の刻参りが結びついたためという見解があ
る。
人形を用いた呪詛自体はかなり古くから行われており、『日本書紀』用明天皇2年(587
年)4 月条に、「中臣勝海連(なかとみのかつみのむらじ)が家(おのがいえ)に衆(い
くさ)を集えて、大連をいたすく。ついに太子彦人皇子の像を作りて、まじな う」と記
され、古墳時代から人形を媒体とした呪いがあった。ただし、この時点では、まだ像を刺
す行為は確認できない。
考古学資料の遺物として、「奈良国立文化財研究所」所蔵の8世紀の木製人形代(もくせ
い ひとがたしろ)があり、胸に鉄釘が打ちこまれた状態の物も出土している。木簡を人
形に切り取り、墨で顔が描かれている。丑の刻参りと共通する呪殺を目的とした形代だっ
たと考えられている。この遺物からも、人形に釘を打ち込み、人を呪うと言った呪術体系
自体は古代(奈良時代)からあった事が分かる。研究者によっては、鉄釘自体が渡来文化
であり、こうした呪術体系自体が大陸渡来のものではないかとしている。この他にも類例
として、島根県松江市タテチョウ遺跡から出土した木札には、女性が描かれており、服装
から貴人女性と見られるが、3本の木釘が打ちこまれていた。その位置は、両乳房と心臓
に当たり、明らかに呪殺目的であった事が分かる。
「丑の刻参り」の痕跡は今でも目にすることができる。ここで、地主神社で行なわれてい
た「丑の刻参り」の話をしておきたい。
地主神社には、「おかげ明神」という社(やしろ)があるが、その前に外国人向けの説明 板
がある。そこには「丑の刻参り」の絵も書いてある。「丑の刻参り」による「呪い」を
聞き届けてくれる神が「おかげ明神」なのである。
( http://moon.ap.teacup.com/komichi/522.html より)
そして、この「社(やしろ」の裏に、「呪い杉」というご神木があって、五寸釘を打ち込
んだ穴が今も残っている。
( http://moon.ap.teacup.com/komichi/522.html より)
引き続き、、谷川健一は「魔の系譜」に戻ろう。谷川健一は「魔の系譜」の中で、次のよ
うな誠に重要なことを述べている。すなわち、
『 私たちがこれまで見てきたのは、呪詛(じゅそ)のもつ力についてである。武器とし
ての呪詛の有効性であり攻撃力であった。では、敗者のしての死者が、生者の心臓めがけ
て怨恨の矢をつがえるとき、その矢に呪詛を塗り付ける・・・その行為が日本において
ヨーロッパの歴史などより、はるかに多いと思われるのは何故であろうか。それは死者ひ
とりびとりに帰すべき原因なのであろうか。それともその背後に、より巨大な魔(デーモ
ン)の存在を想定すべきなのであろうか。
第一に、日本の社会が100年前まで、周期性をおもんずる農耕社会であったことがあげ
られる。そこでは死と復活、つまり収穫と播種(ほしゅ)が毎年繰り返される。要するに
そこには、発展というよりは反復があるのみである。そしてまた農作物を害する自然の悪
霊、それは台風であり、冷害であり、旱魃(かんばつ)であり、虫害であるが、それらが
しばしば来襲して、ほとんど年中行事の観を呈していたということである。こうした反復
する日常生活の中に閉じ込められているのは、古代にさかのぼるほど強烈であったに違い
ない。(中略)日本において、「魔」が強固な存在として役割を果たしてきたのは、農耕
を主体とする日本の民衆が、ただ反復の中に生きたからである。(中略)自然の悪霊や敵
対者の悪意というものが、その超歴史的な原因であり禍(わざわい)のもとであると信じ
られてきたのである。
第二に、道教の民間信仰と日本古来の民間信仰が癒着(ゆちゃく)した。仏教のもたらし
た輪廻(りんね)や業(ごう)の思想が、この祖型と反復の中に生きる日本人の農耕民と
しての心情を強化した。あいつぐ戦乱、洪水、大火、飢饉などが、京都に住む人びとの心
を不安にした。(中略)そしてその不安は、政治の恐怖と結びついた。禍神(まがつか
み)やあらぶる神を恐れ、自然の悪霊として、すべての凶事をそこに帰した農民の太古か
らの伝統的な心情に、上層社会の権力闘争に敗れた者の怨念が合流合体した。そればかり
ではない。(中略)神と人との仲介者であり、かつまた生者と死者との連絡者としての特
権を持つ呪術者が、この思想を普及し、それは日本人の固定観念となったのである。民俗
学で「御霊信仰」と呼ばれるものがそれである。』・・・と。
以上の通り、「怨霊」は日本特有の巨大な魔(デーモン)であるということなので、先ほ
ども申し上げたように、「怨霊」については、私は、すでに電子書籍「祈りの科学シリー
ズ(3)<怨霊と祈り>」を書いているけれど、今再び怨霊について勉強をして、若干今
までの内容を補足する必要を感じている。谷川健一は「魔の系譜」の中で、その他示唆に
富む事柄をいろいろと語っているが、それについては「魔の系譜」を読んでいただくとし
て、私の注目する点は一応述べた。
第4章 「ユウレイ」とは何か?
谷川健一は、前章で述べたように、その著「魔の系譜」(1999年2月、講談社)にお
いて、『 私は日本の歴史に触れて、しだいに一つの考えを抱くようになった。死者が生者
を支配する・・・といった現象が、日本の歴史において、あまりに多いように思うのだ。
死者が生者を支配する・・・というのは、周知のようにオーギュスト・コントの有名な言
葉だが、それは死者と生者の連帯を意味するのであろう。ヨーロッパでは、伝統とは死者
と生者の連帯というほかない。しかし日本では先祖とのつながりはあるにしても、普遍的
な死者と生者との連帯はない。あるのは対立だ。しかも死者が生者を支配するの
だ。』・・・と述べ、呪詛について、『金子武雄は、個人対個人の呪詛が「トコイ」であ
り、集団と集団、又は集団の代表と集団の代表の間の呪詛が「カシリ」ではないかと述べ
ている。』・・・と述べている。
では、集団が個人に対する呪詛は何と呼べば良いのか、また、個人が集団に対する呪詛は
何と呼べば良いのか、ということである。さあそこで、呪詛(じゅそ)の分類だが、私
は、個人対個人の場合の呪詛「丑の刻参り」、個人対集団の場合が「ユウレイ」、集団対
集団の場合が「怨霊」、集団対個人の場合が「ツキモノ」で良いのではないかと考えてい
る。ここで集団という言葉だが、「ユウレイ」の場合は「怨霊」の場合は「政治集団」で
ある。
怨霊の代表的なものは菅原道真の怨霊だが、この場合は道真配流の張本人・藤原時平のみ
ならず、朝廷そのもの、否「世の中の人々」も「うらみ」の対象になった。その「うら
み」というのは菅原道真個人の「うらみ」というより、道真一族や臣下を含めての「うら
み」というべきである。また、靖国神社に祀られている非業の死を遂げた兵士は「集団」
であり、その「うらみ」をぶつける先も国家という集団である。
しかし、「ユウレイ」の場合は、そういう怨霊の場合とは違って、「ユウレイ」そのもの
は個人の霊である。「うらめしい」と出てきて肝を冷やすのはおおむね「世の中の人々」
である。例えば、
http://homepage2.nifty.com/01241104/starthp/subpage16.html
「ツキモノ」の場合は「集団が作り出す生活環境」や「集団の中のある人たち」まで含め
て広義の意味と思ってほしい。
前章では個人が被害を受ける呪詛「つきもの」と「丑の刻参り」について述べた。この第
4章では、「ユウレイ」について述べることとしたい。
「幽霊」は、 死んだ者が成仏できず姿をあらわしたものであると一般的には考えられて
いる。
( http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%B9%BD%E9%9C%8A より)
日本語の日常会話や文学作品などでしばしば用いられている「成仏」という表現は、仏教
でいう厳密な意味での「さとりを開いて仏陀になること」ではなく、死後に極楽あるいは
天国といった安楽な世界に生まれ変わることを指し、「成仏」ができない、ということ
は、死後もその人の霊魂が現世をさまよっていることを指している。私はこのような現象
を「ユウレイ」と呼びたいと思う。「ユウレイ」はともかく「成仏」を願ってさまよって
いるので、集団の中の誰でも良いから「ユウレイ」が成仏できるように行動すれば良いの
である。そうすれば「ユウレイ」は安心して「成仏」するのである。私はこのように考え
て、金子武雄に準じて分類すると個人の集団に対する呪詛、それが「ユウレイ」だと定義
したい。
実は、『幽霊学入門』河合祥一郎著(新書館)という本は、「幽霊」に関する学術書であ
るが、ここでいう「幽霊」は哲学的な意味でいう「霊魂」のことで、奥が非常に深いし、
その概念を理解することは大変難しい。私に言わせれば、「幽霊」というものを哲学的
に、しかも判りやすく書いた本はなく哲学者はさぼっている。そこで、私は別途「幽霊」
について判りやすい哲学的な説明をしたいと思っているが、ここでは「幽霊」と「ユウレ
イ」は違うということだけを申し上げておきたい。「ユウレイ」とは通常私たちが言って
いる「通俗的な幽霊」のことである。
では、以下に日本文化としての「ユウレイ」について紹介しておこう。
昔話には「子育て幽霊」、「幽霊女房」、「雪女」、「幽霊のそで掛け松」などの話があ
る。日本は島国であるためなのか、海の幽霊の話も多い。船幽霊とも言う。その内容とは
例えば、幽霊船が現れて、幽霊が「柄杓(ひしゃく)を貸してくれ」というが、それを渡
すとその柄杓で水を汲んで水船(水没してゆく船)にされてしまうといい、幽霊には柄杓
の底を抜いてから渡さなければならない、とする。紀州に伝わる話では、幽霊船が出た
ら、かまわずぶつかってゆけば消えてしまうとされる。
「皿屋敷」など江戸時代以前から怪談という形で伝承され、江戸時代には幽霊話が大流行
し、雨月物語、牡丹燈籠、四谷怪談などの名作が作られ、また講談・落語や草双紙・浮世
絵で描かれ花開き、現在も題材として新作から古典の笑話・小説・劇などに用いられ、そ
の他の様々な媒体で登場し紹介される。1825年7月26日に江戸の中村座という芝居小屋で
「東海道四谷怪談」が初公演された事に因んで、7月26日は「幽霊の日」となっている。
さあそれでは現代の幽霊について、ネット上に興味あるページがあるので、それを紹介し
ておきたい。
http://www.occultic.net/occult/shinnreisupotto/
http://kaidance.blog62.fc2.com/blog-entry-766.html
http://matome.naver.jp/odai/2128037485353514801
http://scary.jp/supot/index.php
http://www.ryusuidou.com/sinrei/index.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E9%9C%8A%E3%82%B9%E3%83%9D
%E3%83%83%E3%83%88
「ユウレイ」は、「つきもの」と違って「世の中の人びと」がそれを見るのである。「つ
きもの」は、前章で説明したように、「アイデンティティーネットワーク」が病気又はひ
どい生活環境などによって、部分的にしろ完璧に破壊されたときに、「つきもの」に付か
れたような状態に陥る現象である。私たちは、やはり、健康を保って精神的にも充実した
生活を送っておれば「つきもの」に付かれたような状態に陥るようなことはない。しか
し、人を殺し、そのことで精神がおかしくなって、殺した相手が「ゆうれい」として出て
来るということはある。その「ゆうれい」は「世の中の人びと」が見えるというものでは
ない。したがって、これは「つきもの」と言うべきであって、「ユウレイ」ではない。私
としては、「ユウレイ」と「ゆうれい」とは区別したい。今問題にしたいのは「ユウレ
イ」である。「ユウレイ」は存在するか? 私はまた、「幽霊」を、「霊魂」として「ユ
ウレイ」と区別しており、のちほど章をあらためて「霊魂」のことは詳しく論ずるが、
「霊魂」は存在する。しかし、「ユウレイ」は存在するのか? 「芸術的妖怪」にすぎな
いのではないか? 私は、『「ユウレイ」は誰かがかってに作り出した「芸術妖怪」では
なく実際に存在する。』という立場だが、一般的には、「ユウレイ」なんていろいろと興
味はあるけれど、腹の中では、「そんなものいる訳が無い」と考えている人がほとんどだ
ろう。
たしかに、「ユウレイ」の実在を証明する科学的根拠はない。医学的には、脳に傷害・疾
患を患った患者の症例報告や、脳手術を行った患者の観察記録などの研究から、ある人が
「ユウレイ」を見るというのは、人間の意識・感情・記憶にかかわる脳の機能・構造によ
るものとみなされている。これに対し、「幽体離脱体験や臨死体験で天井からの視点を証
言した例」「前世の記憶を語る人物」「心臓移植後に移植元の人物の人格を一部引き継い
だ例」などの反論となる報告も散見されるものの、科学的な証拠というものではさらさら
ない。
では、私はなぜ「ユウレイ」が実際に存在すると思うのか? もちろん科学的な証明はで
きないけれど、 この論文「霊魂の哲学と科学」を最後まで読んでいただければ、私の考
えをご理解いただけるものと思う。しかし、ここでは、すでに「法華経の霊性」について
中村圭志の超訳も参考にしながら、私の思うところを書いているので、その中から2つの
大事な点を申し上げておきたい。
ひとつは、「生き物の円錐宇宙」のことである。「生き物の円錐宇宙」という法華経の世
界観については下の画像の左の絵をご覧戴き、是非、皆さん方のイメージを作ってくださ
い。円錐の裾野には私たち普通の人間も含めて生き物たちがいる。これらはすべて、この
円錐の中に入りさえすれば、菩薩曲線に乗っかって上昇し、最終的にはボサツになれる。
すなわち、成仏できるのである。この法華経の世界観は天台宗の「草木国土悉皆成仏」と
いう天台本覚思想に生きている。このことは誠に重要なことなので、是非、覚えておいて
ください。
生き物の円錐宇宙
(「超訳 法華経」<中村圭志、中央公論新社、2014年3月> より)
今私は、すべての生き物は この円錐の中に入りさえすれば、菩薩曲線に乗っかって上昇
し、最終的にはボサツになれるという釈迦の考えを申し述べたが、問題はどうすればこの
円錐に中に入れるのか、ということである。通常は、私たちはこの円錐の外にいる。だか
らいつまでたっても菩薩曲線の乗っかって上昇できないのである。ではどうするか?
釈迦は菩薩席に向かって向かって話す。ところが、ここの部分は非常に解りにくく、中村
圭志の超訳でも説明が不十分なので、釈迦が現在に蘇っつて一般の人々に語るという形
で、私流の説明をすることとしたい。釈迦は次のようなことを言いたかったのであろう。
すなわち、
『 声聞、縁覚、菩薩、普通の人、人間以外の生き物たち・・・誰でも成仏できる。ただ
し、人間の場合は、意識というものを神よりさずかった代わりに、欲望を持つようになっ
た。ご承知のように、仏教では108の煩悩があると教えているが、欲望は、必ずしも悪
いものばかりではなく、良い欲望というか人間らしく生きるためになくてはならない欲望
もある。欲望五段階説というのが有名であるが、自己実現のための欲望もあるのである。
人間以外の生き物にはそういうものはないが、その代わり人間以外の生き物は、煩悩もな
く、ただひたすら無心に生きている。この無心に生きるということは極めて大事なこと
で、特別な精進をしなくても、仏を信じて仏に身を任せるという生き方をしているだけで
も、成仏できるのである。もちろん、人間以外の生き物は、仏を信じるとか信じないとか
そういう意識はないけれど、ただひたすら無心に生きているので、成仏できるのである。
人間の場合は、通常の場合そうはいかない。しかし、人間の場合であっても、私のような
ブツダに出会い、今われわれが演なじているような法華経のドラマに触れて、ちょっとで
も感動を覚えたものは、誰であれ、きっと将来、宇宙の真理に到達することができるだろ
う。いや、ブツダに出会うことができなくても、法華経のエピソードを聞いてわずかにで
も感動を覚えた者は、将来必ず完全な洞察に達する。』・・・と。
成仏とは以上の通りであるが、生活環境が劣悪なためにろくな人生を送ることができな
く、成仏できない人間もいる。そういう人の霊はどうなるのか? この世とあの世の幽界
に彷徨いながら、時々はこの世にうらみ出てくるのではないか? それが「ユウレイ」で
はないのか。これは通常の人でも見える。精神のおかしくなった人の見る「つきもの」と
は違う。「ユウレイ」は向こうから出てくるのであって、こちらの精神状態とは関係な
く、通常の人でも見るのである。
二つ目は、「宇宙の原理」のことである。「宇宙の原理」について、老子は次のように
言っている。すなわち、
『 豊かに徳をそなえている人は、赤ん坊にたとえられる。赤ん坊は、蜂やサソリ、マム
シ、蛇も刺したり咬んだりせず、猛獣も襲いかからず、猛禽もつかみかからない。骨は弱
く筋は柔らかいのに、しっかりと拳(こぶし)を握っている。男女の交わりを知らないの
に、性器が立っているのは、精気が充足しているからである。一日中泣き叫んでも声がか
らないのは、和気が充足しているからである。和の状態を心得ていることを恒常的なあり
方といい、恒常的なあり方を知ることを明知という。生きることに執着(しゅうじゃく)
することを妖祥(わざわい)といい、欲の心が気持ちを活動させることを頑張りという。
ものごとは勢いが盛んになれば衰えに向かうのであり、このことを、道にかなっていな
い、というのだ。道にかなっていなければ早く滅びる。』・・・と。
ご承知のように、老子のいう「道」とは「宇宙の原理」のことであるから、上記の老子の
言葉は、『 宇宙は「宇宙の原理」によって動いている。「宇宙の原理」は恒常的であ
る。したがって、すべてのもののあり方は、「つねに和の状態にあること」であり、恒常
的であるのが望ましい。』 と解釈できる。
恒常的とは、「私たち人間は死んだら終わりではなく、何らかの形であの世に生きてい
る」ということではなかろうか。それが「宇宙の原理」であるのではないか。そして「宇
宙の原理」によると、「あの世」は存在するのではないか。そんなことを老子を読んで私
は考えるのである。「あの世」は存在するということだ。
実は、最新の科学では、宇宙は「波動に海」であり、波動の状態で「あの世」は存在する
と考えられている。「あの世」ということばではなく「平行世界」といっているが、「平
行世界」は法華経の中でも出て来る。中村圭志の超訳によると、釈迦は、法華経で、「大
宇宙にはさまざまな平行世界がある。あなたがたまたま住んでいるこの銀河宇宙を含む世
界は、娑婆(しゃば)世界だ。この世界のブツダが私である。極楽世界も平行世界の一つ
だが、その世界のブツダは阿弥陀(あみだ)である。」と説教している。
それでは、最新の科学ではこの「平行世界」についてどのようなところまで判ってきたの
か、その話をしておきたい。
神は存在する。現在のもっとも偉大な科学者ホーキングは、神は存在すると考えている
し、「神のみ心」を科学的に解き明かすことに最大の関心を持っているようだ。
ホーキングが「神のみ心」を科学的に解き明かすことができるかどうかはまだ判らない
が、神から選ばれたような偉大な哲学者には「神のみ心」を哲学的に推し量ることができ
たのではないか。その点では哲学が科学に先行しているように思われる。
神から選ばれたような大哲学者は、宇宙の原理について必死になって考えた。したがっ
て、世界の大哲学者、プラトンとかニーチェとかホワイトヘッドなどの哲学によって、あ
る程度「神のみ心」を伺い知ることができる。現在、科学は急速に進歩している。新しい
知見がどんどん出てきているのだ。したがって、それら新しい知見を踏まえて、新たな哲
学を構築しなければならない。梅原猛の提唱する人類哲学はその一つであろうが、新たな
哲学というものは、もちろん宇宙の原理、自然の原理に合致するものであり、「神のみ
心」を明らかにする宗教哲学に他ならない。
神から選ばれた特別の人、その中には大哲学者のほかにキリストや釈
や老子などの偉大
な宗教家がいる。そういう偉大な宗教家は神の啓示を受け、「神のみ心」にしたがって人
の生きる道を説いた。私はそういう偉大な宗教家の教えは「神のみ心」に合致していると
考えるので、偉大な宗教家の教えに関する宗教哲学を語る必要があるという訳だ。
神は、私たち人間や動物だけでなく、草木国土などすべてのものをお造りになった。宇宙
もだ。
宇宙におけるすべての現象が波動現象。宇宙は「波動の海」 である。それに関する最新の
科学が「弦理論」であり、それを一般向けに解説したのが「ミチオ・カク」の著書「超空
間」(1994年12月、翔泳社)である。ミチオ・カク(加來道雄、1947年生まれ)は
日系アメリカ人(3世)の理論物理学者で、専門は素粒子論。弦理論に大きな貢献があ
り、いわゆる弦の場の理論の創始者の一人。科学の普及活動に熱心で多くの著書を出版、
ベストセラーも複数ある。科学解説者としてTVなどでも活躍している。
宇宙について、「ミチオ・カク」は、著書「超空間」では次のように述べている。すなわ
ち、
『 現在の弦理論の興隆は、カリフォルニア工科大学のジョン・シュワーツと、ロンドン
のクイーンメリー大学のマイケル・グリーンの共同研究に始まった。1984年、この二
人の物理学者が弦について全く矛盾のない条件が成立することを証明したのである。これ
が発端になり、若手の物理学者たちが先を争って弦理論に取り組み始めた。1980年代
後半には、まさに「ゴールドラッシュ」と呼べるような競争が物理学者たちの間で始まっ
ていた。現在では、世界でももっとも優秀な理論物理学者たちがこの理論に決着をつけよ
うと躍起になっており、競争は実に熾烈な状況になっている。』
『 弦理論の本質、それはこの理論が物質と時空の両方の性質を説明できるという点にあ
る。弦理論は、これまでの物理学者を悩ませてきた粒子についての難問二大して明確な解
答を与えてくれる。例えば、何故自然界にこんなに多種多様な粒子が存在するのか、と
いった問題だ。弦は、陽子の1000億×10億分の一という恐ろしく小さなものなのだ
が、振動している。この振動のそれぞれのモードが、特異的な共鳴つまり粒子に対応して
いるという。この弦は非常に小さなものであるため、ごく近くで拡大してみない限り、そ
れが弦の共鳴なのか粒子なのかをはっきり判別することができない。何らかの方法で拡大
して観察することができれば、粒子が点ではなく、振動する弦のモードであることが判る
はずだ。こう考えると、一定の周波数で振動する共鳴の数だけ粒子が存在するということ
になる。共鳴という現象そのものは日常生活でもなじみの深いものだ。』
『 バイオリンの弦はさまざまな周波数で振動する。弦は無限に異なる周波数で振動させ
ることができる。バイオリンの弦がどのように振動するのかさえわかれば、無限にある音
色の性質は即座に理解できる。これと全く同じで、宇宙に存在する粒子も、それ自体基本
的な要素ではない。つまり、電子がニュートリノより基本的であるということはない。粒
子が基本的に見えるとすれば、それは我々の装置の倍率がまだ十分ではなく、粒子の構造
を明らかにできないためである。弦理論によると、素粒子を何らかの方法で十分に拡大し
て観察することができれば、振動する小さな弦が見えるという。この理論に従えば、物質
とは小さな弦が織りなすハーモニーにすぎない。バイオリンで演奏する無数のハーモニー
を作曲することができるように、多数の粒子の存在を説明することができる。宇宙全体
は、無数の振動する弦で組み立てられた壮大な交響曲にたとえることができるだろう。』
『 我々は、物質エネルギーと時空の両方を包括することのできる統合的な理論、弦理論
をついに手にしたのである。弦が矛盾なく運動できるための条件は、驚くほど厳しい。例
えば、この条件によって三次元や四次元の空間を運動できない。弦は特定の次元でしか運
動できないのだ。実際、弦理論で許される「魔法の数字」は10次元と26次元だけであ
る。幸い、この二つの次元で定義された弦理論には、自然界に存在する基本的な力を統一
するだけの「余裕」がある。』
『 弦理論には、自然の基本法則をすべて説明できるだけの十分な奥行きがある。弦理論
の出発点は振動する弦というごく単純な理論なのだが、この中からアインシュタインの理
論、カルツアークライン理論、超重力理論、標準理論、大統一理論まで、あらゆる理論を
導き出すことができるのだ。弦という純粋に幾何学的な概念から出発して、過去2000
年間にわたる物理学の進歩を一望できるというのは、まさに奇跡としか思えない。』
『 1863年、生物学者のトーマス・H・ハクスレーは、「人類にとって最大の問題。
すなわち、あらゆる問題の背後にあり、しかもどんな問題よりもはるかに興味深い問題と
は、自然における人間の位置と、人間と宇宙との関係を解き明かすことである」と語って
いる。宇宙論研究者スティーブン・ホーキングは、今世紀中に統一の問題は解決されるだ
ろうと語っている。また、ホーキングは、物理学の根底にある本質的な原理をできる限り
多くの人々に説明することの必要性について次のように書いている。「我々が完璧な理論
を発見しようとするのなら、それはごくわずかの科学者だけでなく、原理的には誰にでも
理解できるものでなければならない。そうすれば、哲学者であろうと、科学者であろう
と、あるいは一般の人々であろうと、だれもが、<我々と宇宙がなぜ存在するのか>とい
う議論に参加できるようになるはずだ。そして、もしこの問題に対する解答が得られれ
ば、それは人間の理性の究極的な勝利と呼ぶべきものになるだろう。このとき我々は、<
神のみ心>を知ることになるのである。』・・・と。
上述のように、弦理論によると、弦は10次元と26次元の空間でしか運動できない。
ご承知のように、私たちの地球を含む宇宙には四つの力が存在する。電磁力というは、私
たちにお馴染みのもので、電気、磁気、光といった形態をとる力である。強い力というの
は、恒星を輝かせるエネルギーを供給している力である。弱い力というのは、ある種の放
射性崩壊を引き起こす力である。そして、重力とは、これまたお馴染みのもので、地球や
惑星の軌道を一定に保ったり、無数の恒星から渦巻銀河をつくったりする力でもある。
弦理論によると、これらの四つの力は、10次元と26次元の空間に弦の振動という形で
存在している。つまり波動的に10次元と26次元の空間に存在している。ということ
は、私たちの地球とすべてが10次元と26次元の空間に存在しているということを意味
している。宇宙には無数の平行世界があるというのがホーキングの見解だが、意味のある
平行世界は、弦理論によれば10次元と26次元の空間だけであるので、私は、10次元
と26次元の空間だけを平行世界と呼びたいと思う。平行世界にはこの地球上のすべてが
波動的に存在しているのである。
弦理論によって宇宙の原理、自然の原理を解明する糸口が得られたことは現代科学の大勝
利であるが、まだまだ判らないことが多すぎる。「ユウレイ」の科学的解明はまだまだ先
のようだ。しかし、弦理論によって宇宙の原理、自然の原理を解明する糸口が得られたこ
とは、「ユウレイ」の科学的解明がいずれ将来になされるであろうことを感じさせてくれ
る。
私は、老子の語る「宇宙の原理」および 弦理論によって明らかになった「宇宙の原理」
を考えながら、「ユウレイ」は存在すると感じている。
第5章 霊魂の哲学について
第1節 序論
ネットサーフィンをしていると、幽霊に関心を持っている人が結構多いことに気がつく。
その中で私が注目するホームページを二つ紹介しよう。
久保有政:http://www2.biglobe.ne.jp/ remnant/069ningen.htm
一条真也:http://d.hatena.ne.jp/shins2m/20120731/1343660470
私は先に、「ユウレイ」について多少私の持論を展開したが、その中で次のように述べ
た。すなわち、
『 実は、『幽霊学入門』河合祥一郎著(新書館)という本は、「幽霊」に関する学術書
であるが、ここでいう「幽霊」は哲学的な意味でいう「霊魂」のことで、奥が非常に深い
し、その概念を理解することは大変難しい。私に言わせれば、「幽霊」というものを哲学
的に、しかも判りやすく書いた本はなく哲学者はさぼっている。そこで、私は別途「幽
霊」について判りやすい哲学的な説明をしたいと思っているが、ここでは「幽霊」と「ユ
ウレイ」は違うということだけを申し上げておきたい。「ユウレイ」とは通常私たちが
言っている「通俗的な幽霊」のことである。』・・・と。
今ここで取り上げるのは、「通俗的な幽霊」ではなく、「哲学的な幽霊」についてであ
る。私の持論は最後に展開するけれど、その前にいくつか勉強しておかなければならない
点がある。まずは、上記のホームページから、私が注目する記事を抜き書きしてみたい。
1、 岩石や土などは「物質」という"存在様式"を持っていますが、神の"存在様式"は
「霊」なのです。
2、 大脳を研究する人々の中に、人間の内には無形の精神(霊)があることを認める人
が増えています。 たとえば、頭脳活動における神経接合期の機能に関する輝かしい発見
によって一九六三年にノーベル賞を受賞したジョン・エクレス卿は、公然と唯物論的な考
えに挑戦し、人間は肉体組織と無形の精神(霊)との両方からなる、と主張しました。そ
してこう語っています。
「もし人間の自己の独自性が、遺伝法則から説明できないとしたら、また経験から由来
するものでもないとしたら、これは一体何から生ずるのだろう。私の答えはこうである。
それは神の創造による。それぞれの自我は、神の創造なのである」。
彼は、人間の内に神の創造による霊があって、それが人間の自我の個性・独自性をもた
らしているとしたのです。
また、カナダの優れた精神病理学者ワイルダー・グレイブズ・ペンフィールドは、頭脳
の物質的構造を超えたところに非物質的精神(霊)がある、と唱えています。彼はその著
「心の神秘」の中で「(頭脳と精神の)二重構造という仮説が・・・・もっとも理解できるも
のだ」と述べました。彼もやはり、物質的な頭脳と無形の精神(霊)とが互いに深くかか
わり合って二重構造を形成している、としたのです。
3、 一九八一年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大脳生理学者ロジャー・スペリー
博士も、こう述べています。
「物質的な力、つまり分子や原子の働きからは、私たちの脳のモデルは描ききれない。
それは部分のレベルであって、全体的レベルから部分のレベルをコントロールする意識と
いうものを、考えなければならない」。
彼のいう、全体的レベルから脳をコントロールするこの「意識」というものも、「霊」
の考えに非常に近いものとなっています。
4、 霊のあるところに、知・情・意があります。霊は、「私」という自己意識の場であ
り、すべての思考、感情、心や思いの源泉です。
5、「悟りの霊」、「知恵の霊」、「祈りの霊」、「主を恐れる霊」のような良い霊もあ
ります。これらはみな、ある分野で人間に影響を与える霊です。
6、『幽霊学入門』河合祥一郎著(新書館)は、科学から哲学まで駆使して検証する「幽
霊学」の最新ガイドだそうです。幽霊を愛する15人が、幽霊の真実と怖さの秘密に迫っ
ています。 その執筆メンバーがまことに豪華で、本書の「目次」は以下のような構成に
なっています。「序」(河合祥一郎) ヨーロッパ中世の幽霊(小林宜子) シェイクス
ピアの幽霊(河合祥一郎) ゴシック文学の幽霊(今本渉) アメリカン・ナラティヴの
幽霊学(巽孝之) ベケットとモダニズム文学の幽霊(田尻芳樹) ヴィクトリア朝の幽
霊探究(風間賢二) 幽霊屋敷考(加藤耕一) 女と幽霊――リメイクされる女の性(小
澤英実) 演劇の幽霊 コラム(鵜山仁) 日本幽霊学事始(諏訪春雄) 能の幽霊(松
岡心平) 幽霊西東――中国と英国と(南條竹則) 千里眼事件とその時代(長山靖生)
近現代日本の幽霊文学史をたどる(東雅夫) 現代幽霊小説ベストテン――人間という虚
数(三浦雅士) 「あとがき」(河合祥一郎)
7、『幽霊学入門』河合祥一郎著(新書館)の編者でもある東京大学大学院 総合文化研
究科准教授で英文学者の河合祥一郎氏の「シェイクスピアの幽霊」から。その冒頭で、河
合氏は「幽霊と 気(スピリット) 」の問題を取り上げ、 次のように述べています。
「シェイクスピアの時代のイギリスでは、人は自然とつながっていた。辺り一面に咲き誇
る美しい花を見て晴れやかな気分になったり、雨に降られ て憂鬱な気分になったりする
のは、自然という大宇宙(マクロコスモス)と人間という小宇宙(ミクロコスモス)のあ
いだに 気 が通じ合っていればこそと考 えられていた。リア王が怒りのあまり『風よ吹
け、怒り狂え』と叫ぶのも、リアの気の乱れと天気の乱れとが呼応するからにほかならな
い」
8、 大宇宙と小宇宙、すなわち天体と人体が呼応するという「天人相関説」は儒教にも
ありました。西洋においては古代ギリシャの「世界霊魂(アニマ・ムンディ)」の思想に
まで遡るとして、『幽霊学入門』河合祥一郎著(新書館)の中で河合氏は次のように述べ
ます。『 宇宙に統一原理としての霊魂(アニマ)があると想定するこの考え方はプラト
ンが「ティマイオス」において完成させたものだが、それによれば 天体の運行の調和は
人間の魂の調和と同期した。それゆえ占星術は――今日の星占いとは違って――学問とし
ての意義を認められていた。人間の 気 が宇宙の 気 と結びつくというその思想は、新プ
ラトン主義、グノーシス派、キリスト教神学、そしてルネサンスの自然哲学に至るまで広
く受け入れられていたのであ る』・・・と。 そして、そのような「天人相関説」が、
シェイクスピアの世界にどのように影響を与えているのか? 河合氏は、『当時の世界観
で重要なのは、人は 独りで生きているのではなく、さまざまな霊や気と呼応しながら生
きているという点だ。自我のなかだけで世界が完結しうるかのように錯覚する悧巧ぶった
近代理性主義に依拠していては、曖昧模糊たるシェイクスピアの世界は到底理解できな
い。シェイクスピアの世界は個を超越するスピリットの世界なのである』・・・と述 べ
ています。
9、 18世紀すなわち理性の時代に入り、幽霊にとってはいささか分の悪い時代を迎え
たかには見えましたが、にもかかわらず19世紀に入ると、それは心霊主義(スピリチュ
アリズム)のうちに復活を遂げたのです。心霊主義とは、死者と生者とが霊媒を通して対
話することができると考える思想です。(注:19世紀の欧米において、自然科学の発展
によるキリスト教の影響力の低下により生まれた思想。)霊媒により死んだ人の霊と交信
できる、死んだ人の霊が守ってくれる(守護霊)などの、現代オカルト思想は、ここから
生まれた。
10、 1848年にニューヨーク州北部に暮らすフォックス姉妹が騒霊(ポルターガイ
スト)と交信したとする、いわゆる「ハイズビル事件」 について、『幽霊学入門』河合
祥一郎著(新書館)の中で 巽孝之氏は次のように述べています。『ここで注目したいの
は1848年、すなわち心霊主義勃興の起源ともいえるフォックス姉妹の事件とまったく
同じ年に、かのマルクス=エンゲル ス共著の「共産党宣言」(1848年)が発表さ
れ、その冒頭が誰もが知るとおり、こう始まっていることだ――「とある亡霊(spec
ter)がヨーロッパ に取り憑いている――共産主義という名の亡霊が」。この『亡
霊』こそは、コットン・マザーが「生霊」と呼び、同書旧訳が「妖怪」と訳して来た存在
ならざる 存在である。心霊主義と共産主義の同時発生、いわば超自然思想と唯物論思想
の同時発生は、偶然ではない。南北戦争前夜の時代、アメリカ北部にとって南部の 黒人
奴隷制はそれ自体が妖怪のごとき呪いであったし、いっぽう南部はといえば、そのころ勃
興中の社会主義や共産主義やフーリエ主義などすべての言説を包含 するアグレリアニズ
ムという名の妖怪によって農地再分配が行われ、奴隷制という名の私的所有形態を震撼さ
せる恐怖におののいていた』・・・と。
以上、久保有政さんと一条真也さんのホームページから、私の注目する記事を抜き書きし
たが、ここではそれぞれの解説は省略させていただいて、皆さんには、「哲学的な幽霊」
というのは大変奥が深くて難しいものだと実感していただければ結構だ。余程しっかり勉
強しないと「哲学的な幽霊」を理解することはできない。
霊魂は魂とも心ともいわれるが、そもそも漢字の「霊」は雨乞いをして神の言葉を聞く巫
女を意味し、「魂」は死者の身体から立ち上がっていく雲気のようなものを指すという。
霊魂は人の身体に宿ってその活動をつかさどるとされる霊妙な存在である。
古代ギリシャのホメロス時代では、人が死んだ時、その身体を離れて黄泉(よみ)の世界
へ下る影、亡霊のように考えられた。したがって死後に何かが残ると見なされている。そ
れが霊魂不滅説に結びつき、かつまた霊魂は人が死んだ後にのみ登場し、生きてさまざま
の活動をする文脈には位地をもたない結果になっている。生命のさまざまな活動はむし
ろ、生気、元気、勇気、士気、気性などの座としての「気分」に求められ、これが心臓に
結びつきつつ心の働きを担っていた。しかしながら、その後の哲学の発達により、 こう
いう認識は間違いであるとされている。例えば、ホワイトヘッドによれば、霊魂もエネル
ゲイアに起因する活動的存在である。では次に霊魂について、その後の哲学者はどのよう
に考えたのか、その点を少し勉強しよう。ヘラクレイトス、ソクラテス、キリスト教中世
哲学、ニーチェ、デカルトなど、それぞれの霊魂観があるが、ここでそれぞれを解説する
のは大変なので、ここでは代表的な哲学者としてプラトンを取り上げ、その霊魂観を解説
したいと思う。
第2節 プラトンの霊魂観
幽霊とは、本来の魂がその人の欲望などによって悪い状態になったもので、さまよえる亡
霊のことである。しかし、その亡霊も何かの拍子で成仏できる。そうすれば、その魂も本
来の魂に戻ることができる。さまよえる亡霊が成仏できるかどうかは、僧侶など特別の能
力を持った人に秘儀を行ってもらうか、社会環境の変化で生前の悔しい思いが干渉される
か、それ次第である。皆さんご承知のように、ニーチェはまことの不幸な死に方をした。
私は、ニーチェの亡霊は今なお成仏できずにこの世をさまよっていると思い、「さまよえ
るニーチェの亡霊」という本を書いた。
http://honto.jp/ebook/pd_25249963.html
さまよえるニーチェの亡霊が成仏するためには、ニーチェの真の願いが実現するように、
新たな哲学が必要である。上記の本はそのことを書いたのだが、私たちは不幸な死に方を
した人々のことを思い、神の国に近づく努力をしなければならない。亡霊のことはプラト
ンの最大の哲学的課題であり、プラトンは、その著「パイドン」(岩田靖夫、1998年
2月、岩波書店)の中でも触れており、次の通り言っている。すなわち、
『 魂が純粋な姿で肉体から離れたとしよう。その場合、魂は肉体的な要素を少しも引き
ずっていない。なぜなら、魂は、その生涯においてすすんで肉体と交わることがなく、む
しろ、肉体を避け、自分自身へと集中していたからである。このことを魂はいつも練習し
ていたのである。そして、この練習こそは正しく哲学することに他ならず、それは、ま
た、真実に平然と死ぬことを練習することに他ならないのだ。』
『 魂が以上のような状態にあれば、それは、自分自身に似たあの目に見えないもの、神
的なもの、不死なるもの、賢いもの、の方へと立ち去っていき、ひとたびそこに到達すれ
ば、彷徨や、狂愚の振る舞いや、恐怖や、凶暴な情欲や、そのたの様々な人間悪から解放
されて、幸福になるのではないか。そして、秘儀を受けた人々について言われているよう
に、残りの時間を真実に神々と共に過ごすのではないか。』
『これに対してもう一つの場合として、魂が汚れたまま浄められずに肉体から解放される
場合がある。というのも、そのような魂はいつも肉体と共にあり、肉体に仕え、これを愛
し、肉体とその欲望や快楽によって魔法にかけられて、その結果、肉体的な姿をしたも
の、すなわち、人が触ったり、見たり、飲んだり、食べたり、性の快楽のために用いたり
するもの、以外の何ものをも真実と思わなくなるからである。そして、肉眼には暗くて目
に見えないもの、しかし、知性によって思惟され哲学によって把握されるもの、このよう
なものを、この魂は憎み、恐れ、避けるように習慣づけられてきたからである。』
『この肉体的なものは重荷である、と考えなければならない。それは、重く、土の性質を
帯び、目に見える。このような魂は、この重荷をもつために、酷い荷物を背負わせれて、
目に見える場所へと再び引きずりおろされる。それは、目に見えないものとハデス(あの
世、字義通りには、目に見えないもの)を恐れるからである。そのような魂は、よく言わ
れるように、墓碑や墳墓の周りをうろつくのであり、墓碑や墳墓の周囲には魂のなにか影
のような幻が見られるのである。』・・・と。
1、生成の哲学と霊魂
「パイドン」(岩田靖夫、1998年2月、岩波書店)において、プラトンは、『 「生
者は死者から再びうまれる」のだとすれば、われわれの魂はあの世に存在する他はな
い。』と述べ、以下のように生成の哲学を説明する。すなわち、
『 美が醜に反対であり、正が不正に反対であり、その他無数のものがそのような関係に
あるのだが、・・・そういうものにおいては、その一方は反対である他方からしか生じ得
ないのだ。』
『 反対のものの対(つい)の間には、それらが二つである以上は、二つの生成があ
る。』
『 例えば、眠っていることから目覚めていることが生じ、目覚めていることから眠って
いることが生ずる。そして、両者の生成過程は、一方が眠りに落ちることであり、他方が
目覚めることである。(中略)生きているものから生じるものは何か? 死んでいるも
の。死んでいるものからは何が生じるか? 生きているものである。(中略)こういう事
情であれば、それは、死者たちの魂が必ずどこかに存在していて、そこから再び生まれて
くる筈だ。』
『 一方の生成が、ちょうど円環をなして巡るように、他方の生成を常に補うのではな
く、かえって、生成が一方からその正反対のものへのみ向かう何かが直線的なものであっ
て、再び元に戻ることもなければ向きを変えることもないとすれば、万物は最後には同じ
形をもち、同じ状態になって、生成することをやめてしまうだろう。(中略)すなわち、
ものがすべて死んでゆき、ひとたび死んだならば、死者はその状態にとどまって再び生き
返らないとするならば、最後には万物は死んで、生きているものはなにもない、というこ
とになる筈だ。』・・・・と。
2、プラトンの想起説と霊魂
プラトンの哲学はイデア論を中心に展開されると言われる。生成変化する物質界の背後に
は、永遠不変のイデアという理想的な範型があり、イデアこそが真の実在であり、この世
界は不完全な仮象の世界にすぎない。不完全な人間の感覚ではイデアを捉えることができ
ず、イデアの認識は「精神の目」で忘却されていたものを「想起」 (アナムネ−シス)す
ることによって得ることができるものであり、その想起からかつて属していたイデアの世
界を憧れ求めるところの愛(エロス)が生じるとした。
イデアの想起(想起説)が主題的に語られるのは、プラトンの『パイドロス』という対話編
である。では、「パイドン」(岩田靖夫、1998年2月、岩波書店)において、プラト
ンがソクラテスをして語らせている要点を以下に紹介しておこう。
ケベス:あなたがよく話しておられるあの理論、・・・それは、われわれの学習は想起に
他ならないというあの想起説ですが・・・それにしたがってもまた、もしそれが真実であ
れば、われわれは何か以前のときに、現在想起していることを学んでしまっている、とい
うことにならざるを得ません。だが、このことは、もしわれわれの魂がこの人間の形の中
に入る前に、どこかに存在したのでなかったならば、不可能です。だから、この点から
も、魂がなにか不死なるものである、と思われるのです。
ソクラテス:もしも誰かが何かを見たり、聞いたり、なにか別の感覚で捉えたりした場合
に、その当のものを認めるばかりでなく、別のものをも想い浮かべるとすれば・・・この
両者については同一のではなく、別の知識が存在するのだが・・・この思い浮かべたもの
を彼は想起したのだ。(中略)人間についての知識と竪琴についての知識とは別のものだ
ね。ところで、恋する人びとは、かれらの愛する少年たちいつも使っていた竪琴とか、上
着とか、なにかそんなものを見ると、今僕が述べたことを経験するということは、君も
知っているね。彼らは竪琴を認めると、その竪琴の持ち主であった少年の姿形を心に思い
浮かべる。これが想起なのだ。(中略)時間の経過と注意を払わなかったために、すでに
すっかり忘れていたものごとについて、この経験をする。
ケベス:まったくその通りです。
ソクラテス:君が何かあるものを見ながら、この見たことをきっかけにして、何か別のも
のを考えつくならば、それが似ていようと似ていまいが、そこに必ず想起がオコッタの
だ。
ケベス:まったくその通りです。
ソクラテス:だれかが何かを見て、自分が現に見ているこのものは存在するもののうちで
何か別のものになろうと望んでいるが、何かが不足していて、かのもののようになれず、
より劣ったものである、ということに気がつくとき、多分このことに気づいた者は、かの
ものを必ず予め見たことがあるのでなければならない。
ケベス:どうしても、そうでなければなりません。
ソクラテス:もしもわれわれが生まれる前に知識を得て、その知識を持ったまま生まれて
きたのだとすれば、われわれは、生まれる以前にも生まれてからすぐにも、「等しさ」や
「より大」や「より小」ばかりでなく、このようなすべてを知っていたことになる。なぜ
なら、われわれの現在の議論は「等しさ」についてばかりでなく、「美そのもの」「善そ
のもの」「正義」「敬虔」などにも同様に関わるからだ。そして、いつも言っているよう
に、対話の議論において問うたり答えたりしながら、われわれが「まさにそのもの」とい
う刻印を押すすべてのものに、関わっているのだから。したがって、われわれはこれらの
すべてについて、生まれる以前に知識を得ていたのでなければならない。その知識を獲得
して、いつもそれを忘れないでいるのならば、われわれは常に知りながら生まれてきて、
生涯を通じて知り続けているのでなければならない。なぜなら、知るということは、何か
について知識を獲得した者がそれを保持して、失わない、ということなのだから。(中
略)われわれが「学ぶこと」と呼んでいる事柄は、もともと自分のものであった知識を再
把握することではなかろうか。そして、これが想起することである。何かを、見たり、聞
いたり、なにか他の感覚を用いて、知覚しながら、このものを機縁にしてすっかり忘れて
いたなにか他のものを考えつく、ということは。このものとかのものとが似ても似ていな
くても、関係がありさえすれば、そういうことが起こるのだ。
ケベス:まったくその通りです。ソクラテス。
想起説については以上だが、最後にプラトンはソクラテスをして次のように語らせてい
る。
ソクラテス:魂は人間の形の中に入る前にも、肉体から離れて存在していたのであり、知
力を持っていたのだ。(中略)もしも、われわれがいつも話し続けているもの「美」や
「善」やすべてのそういう実在が、確かに存在するならば、そして、そういう実在がかっ
てはわれわれ自身のものとしてあったことを再発見しながら、感覚によって把握されるす
べてのものをその実在に遡って関連づけ、相互の類似を確かめるのならば、これらの実在
が存在するように、われわれの魂もまた、われわれが生まれる以前にも存在したのでなけ
ればならない。
「パイドン」(岩田靖夫、1998年2月、岩波書店)では、「魂とイデアの親近性」に
ついて以下のように議論が展開される。
ソクラテス:合成されて出来たものや、自然的に合成物であるものにとっては、それが合
成されたのと同じ仕方で分解される。これに対して、もしなにかが非合成的であるなら
ば、他のものはいざ知らず、このものだけが分解されない。
ケベス:そうだと思います。
ソクラテス:では、常に自己同一を保ち同じように有るものが、非合成的であり、これに
対して、時によってその有り方を変えけっして自己同一を保たないものが、合成的であ
る、とするのがもっとも適切だろうね。
ケベス:はい、私はそう思われます。
ソクラテス:「等しさそのもの」「美そのもの」、何であれまさにそのもの自体、まさに
それで有るところのもの、は、いかなる変化であるにもせよ、変化なるものを受け入れる
ことはまさかあるまいね。いや、これらのそれぞれの「正にそれで有るところのもの」
は、単一の形相であり、それ自身だけで有るのだから、常に同じように自己同一を保ち、
いかなるときにも、いかなる仕方においても、けっして、いかなる変化をうけいれないの
ではないか。
ケベス:そうです、同じように自己同一を保つことは必然です、ソクラテス。
ソクラテス:目に見えないものは常に同一の有り方を保ち、目に見えるものはけっして同
一の有り方を保たない。魂は前者であり、肉体は後者である。ところで、魂は、何かを考
察する際に、視覚なり、聴覚なり、なにか他の感覚を通して、肉体の助けを借りる場
合、・・・というのは、感覚を通してなにかを考察するということは、肉体を通して考察
するということに他ならないのだから・・・そのとき、魂は肉体によってひとときも同じ
有り方を保たない方へと引きずり込まれ、それ自身が彷徨(さまよ)い、混乱して、酔っ
たようになって目眩(めまい)を覚えるのだ。
ケベス:そのとおりです。
ソクラテス:魂が自分自身だけで考察するときには、魂は、かなたの世界へと、すなわ
ち、純粋で、永遠で、不死で、同じように有るものの方へと、赴くのである。そして、魂
はそのようなものと親族なのだから、魂が純粋に自分自身だけになり、また、なり得る場
合には、常にそのようなものと関わり、さまようことを止め、かの永遠なるものと関わり
ながら、いつも恒常的な同一の有り方を保つのである。なぜなら、魂はそういうものに触
れるからである。
ケベス:ソクラテス、あなたの言われることは、まったく美しく、また真実です。
ソクラテス:魂と肉体が同じ者の内に有るとき、自然は、肉体には奴隷として奉仕し支配
されることを命じ、魂には支配し主人であること命ずるのである。
ケベス:私もそう思います。
ソクラテス:では、魂はどちらに似ているのかね。
ケベス:もちろん、明らかに、ソクラテス、魂は神的なものに、肉体は死すべきものに似
ています。
以上を要するに、『 一方には、神的であり、不死であり、可知的であり、単一の形相を
もち、分解され得ず、常に同じように自分自身と同一であるものがあるが、この種のもの
に魂はもっとも似ているのであり、他方では、人間的であり、可死的であり、多様な形を
もち、知性的でなく(無思慮であり)、分解可能であり、けっして自分自身と同一ではな
いようなものがあるが、今度は肉体がこの種のものにもっとも似ているのである。』
・・・という結論になる。
3、霊魂不滅の最終結論(プラトン)
「パイドン」(岩田靖夫、1998年2月、岩波書店)において、シミアスとケベスは、
ソクラテスの根本前提(美や善などは、本質的に、それ自体が存在するという前提、すな
わち、事物の本質=イデアが存在し、その働きによって事物の形態が決まってくるという
前提)に同意しつつも、なお「魂は多数の肉体を何度も着つぶしたのちに最後の肉体をあ
とに残して今度はそれ自身が滅び去ってしまうのではないか」「人間の肉体の中に入った
こと自体が魂にとっては病気のようなもので、魂はこの人生を惨めに苦しみながら生きて
最後にいわゆる死において滅亡するのではないか」という大いなる疑問を拭いさることが
できない。そこで「パイドン」(岩田靖夫、1998年2月、岩波書店)において、シミ
アスとケベスを相手にソクラテスの応答が延々と続くのだが、その議論のやりとりの詳細
は「パイドン」(岩田靖夫、1998年2月、岩波書店)をご覧戴くとして、ここでは議
論の最終結論の部分のみ紹介しておこう。
ソクラテス:身体のうちに何が生ずると、それは生きたものになるのだろうか。
ケベス:魂が生ずると、です。
ソクラテス:すると、魂は、なんであれなにかを占拠すると、そのものに常に生をものと
してやってくるのだね。
ケベス:たしかに、そうです。
ソクラテス:それなら、魂は、自分が常にもたらしたもの「生」とは反対のもの「死」
を、決して受け入れないのではないか。
ケベス:まったくそうです。
ソクラテス:よかろう。では死を受け入れないものを、われわれは何と呼ぶかね。
ケベス:不死なるものと呼びます。
ソクラテス:魂は死を受け入れないのではないか。
ケベス:受け入れません。
ソクラテス:それなら魂は不死なるものだ。
ケベス:不死なるものです。
シミアス:僕自身もまた、少なくともこれまで語られてきたところからすれば、もはや不
信の念を抱きようがない。しかし、言論に関わってきた事柄の大きさのために、また、人
間の弱さを低く評価せざるを得ないために、僕としては語られた事柄に対してなお不安の
思いを抱かざるを得ないのだ。
ソクラテス:シミアス、君のその言の正しさは、ただ単にこれらの結論についてだけでな
く、あの根本前提についても妥当するのだ。たとえ、それらの前提が君たちにとって信ず
るに足るものであっても、それでもより一層明晰にそれらを検討しなければならない。そ
して、君たちがそれらの前提を充分に分析したならば、思うに、人間にとって付き従うこ
とが可能な限り、君たちはこの言論に付き従うことになるだろう。そして、このことその
もの「根本前提」が明らかになれば、君たちはそれ以上探求しなくて良いだろう。
シミアス:おっしゃることは真実です。
議論の最終結論の部分は以上の通りであるが、プラトンはソクラテスをして最後に言わし
めているように、根本前提(美や善などは、本質的に、それ自体が存在するという前提、
すなわち、事物の本質=イデアが存在し、その働きによって事物の形態が決まってくると
いう前提)並びに魂の本質とその形態の問題は今後も探求され続けられなければならない
し、それによって人びとの生き方、国家のあり方を模索し続けなければならない。
第3節 ホワイトヘッドの霊魂観
ホワイトヘッドは、その画期的な哲学によって、神の存在を明らかにしたが、同じ論理展
開を行えば、霊魂の存在もそのまま説明できる。神も霊魂も現象論的には同じ現象であ
る。後ほど述べるように、歴史的にいろいろと悪魔が語られてきたが、それらの悪魔論に
おいて、悪魔が神と見なされている思想も少なくない。このことも神と悪魔とは現象論的
に同じ現象であることを示していると思われるのだが、霊魂は、その人が善人であるか悪
人であるか、その人の人生における行いによって、神にもなるし、悪魔にもなる。した
がって、霊魂が示す霊的現象は、本質的に言えば、神と悪魔に関わる両義的な現象であ
る。ここではホワイトヘッドの神の存在を明らかにするその哲学を説明しておきたい。
1、活動的存在
すべての存在は、活動的に存在している。この「活動的に存在している」という言い方が
ホワイトヘッドの心髄を表しており、これをきっちり理解しておかないと、ホワイトヘッ
ドの哲学をきっちり理解することはできない。そこで、私はまず、ホワイトヘッドのいう
「活動的存在」をどのように理解すればいいか、その説明をしてみたいと思う。
「万物流転」という言葉があるが、すべての存在(万物)は変化している。普通はそのよ
うに考えているかと思うが、ホワイトヘッドは、すべての存在(万物)は、変化をしてい
るように見えるだけで、実は、すべての存在(万物)は生成し瞬間的に消滅しているのだ
という。すなわち、すべての存在(万物)は、瞬間的に存在しているだけですぐに消滅す
るのだが、消滅したあとすぐにまた生成される。生成されればまた瞬間的に消滅する。生
成と消滅が次々とくり返されていく。点の連続だという訳だ。瞬間瞬間で切ったとき、そ
の点である存在は、唯一無二のものである。すなわち、すべての存在は、生成されればす
ぐに消滅するけれど、変化はしない。唯一無二というのはそういうことだ。しかし、私た
ちの目には、すべての存在(万物)が変化するように見えるのはどういうことであろう
か?
それを哲学的に説明するためには、「抱握」とか「延長連続体」というホワイトヘッド独
特の概念を用いなければならないのだが、これを説明しだすとよけい頭がこんがらがって
くるので、ここではその説明はしない。ここでは、「 すべての存在は、生成されればす
ぐに消滅するけれど、変化はしない。唯一無二のものである。」ということを申し上げて
おくだけにとどめておく。ここでは「抱握」とか「延長連続体」とかの概念を用いない
で、私なりの説明をしてみたいと思う。
すべての存在(万物)、すなわち「活動的存在」の例としてホワイトヘッドがあげたもの
を列挙してみよう。これは「ホワイトヘッドの哲学」(中村昇、2007年6月、講談
社)からの引用である。同著の中で中村昇は次のように言っている。すなわち、
『ワラックは、ホワイトヘッドが例としてあげた「活動的存在」を列挙している。
神、瑣末な一吹きの存在、一羽の鳥、一匹の野獣、一本の木、一本の草、一枚の葉、一頭
の羊、一粒の砂、母親についての子供の観念、太陽、ソクラテス、可死的生起、アテネ的
生起、シーザー、ルビコン川、シーザーのルビコン川の渡河、ハンニバル、電子的生起、
陽子的生起、エネルギー量子、人間身体の諸器官、神経細胞、エディンバラの城岩、古代
ローマ帝国、ヨーロッパ、北米におけるヨーロッパ諸人種の歴史、スペインのカリフォル
ニア支配の失敗、スペインのイングランド支配の失敗、地質学で論じられている事柄、
シェイクスピアのソネット、バッハのフーガ、講堂、ビルディング、マサチューセッツ州
のケンブリッジ、地球の表面、地球、太陽系、星雲、星雲系、生きる生起、聞き手、究極
の知覚者、直前の過去のわれわれ自身、われわれの直接の現在、自我、霊魂、心、ギリ
シャ語についてのある人間の知識、人間の知っている生起、人間の知らない生起、人間的
経験、下級の有機体、いわゆる「空虚な空間」における生起、存続する生きていない対象
の生起、原始的有機体、動物の生起、植物の生起、細胞の生起、大規模な無機的自然の生
起、分子以下の出来事。』・・・と。
『「活動的存在」を、その意味(あり方)を汲み取って訳すとすれば、「その都度のあり
方」「唯一無二のそれ」「生き生きとした、ただ一つの経験」といったことになるかもし
れない。この世界を満たすすべての存在(この「存在」というのが、すでに「もの」的な
言い方なので、「あり方」といった方が良いかもしれない。』・・・と。
以上のホワイトヘッドが例としてあげたという「活動的存在」の列挙を見ても判るよう
に、ホワイトヘッドは、アメーバーも人間も、また地球も宇宙も、さらには心までも、本
質的には、みんな同じであると考えていたことは明らかである。したがって、人間に霊魂
があるとすれば、アメーバーも含めて、総ての動物に霊魂があるということになる。動物
霊というものは存在するのだ。
さあそこで、私は、上に列挙したものは、すべて現実の存在する「万物」を言っている。
この「万物」は間違いなく変化している。変化しながらも消滅しないで継続して存続して
いる。したがって、私は、上に列挙したものを「存続物」と呼びたいと思う。
私のいう「存続物」とは、
『 神、瑣末な一吹きの存在、一羽の鳥、一匹の野獣、一本の木、一本の草、一枚の葉、
一頭の羊、一粒の砂、母親についての子供の観念、太陽、ソクラテス、可死的生起、アテ
ネ的生起、シーザー、ルビコン川、シーザーのルビコン川の渡河、ハンニバル、電子的生
起、陽子的生起、エネルギー量子、人間身体の諸器官、神経細胞、エディンバラの城岩、
古代ローマ帝国、ヨーロッパ、北米におけるヨーロッパ諸人種の歴史、スペインのカリ
フォルニア支配の失敗、スペインのイングランド支配の失敗、地質学で論じられている事
柄、シェイクスピアのソネット、バッハのフーガ、講堂、ビルディング、マサチューセッ
ツ州のケンブリッジ、地球の表面、地球、太陽系、星雲、星雲系、生きる生起、聞き手、
究極の知覚者、直前の過去のわれわれ自身、われわれの直接の現在、自我、霊魂、心、
ギリシャ語についてのある人間の知識、人間の知っている生起、人間の知らない生起、人
間的経験、下級の有機体、いわゆる「空虚な空間」における生起、存続する生きていない
対象の生起、原始的有機体、動物の生起、植物の生起、細胞の生起、大規模な無機的自然
の生起、分子以下の出来事。』・・・のことである。
みなさんもよくご存知のように、あらゆる物質は分子からで来ており、その分子は原子核
と電子からできている。それらはさらに細分化されて、究極的には、量子の世界になる。
量子の世界では、例えば光りについて理解されているように、粒子は波動であり、波動は
粒子である。この世界は波動の海である。
このことについては、拙著『「祈りの科学」シリーズ(1)第11章』(2012年1
月、新公論社、電子出版)に書いたので、ここでその部分を紹介しておく。すなわち、
『ところで、皆さんはあらゆる物質はエネルギー(波動)であるということはご存知であ
ろうか?物質が波動であることは量子物理学の常識であって,非科学的な話ではない。あ
らゆる物質は「波動」なのである。だから、私たち人間もその波動を感じてあらゆる物を
見えるままに認識しているのである。人間みんなが見ているリンゴは貴方の見ているリン
ゴとまったく同じリンゴである。しかし,他の動物がリンゴをどのように見ているか,そ
れはその動物になってみなければ判らない。違う形や色に見えているかもしれない。「波
動」とはそういうものである。 ところで、「外なる神」を科学的な立場から理解するに
は、浜野恵一の「脳と波動の法則・・・宇宙との共鳴が意識を創る」(1997年3月,
PHP研究所)が一番良い。関係する図書はいくつかあるけれど,一度はこの本を是非読ん
でもらいたい。』・・・という部分である。
なお、私たち人間も宇宙も同じではないかということは、「1リットルの宇宙論・・量子
脳力学への誘い」(治部眞里、保江邦夫、1991年3月、海鳴社)が良い教科書になる
かと思うので、是非、それを読んでいただき量子の世界の理解を深めてほしい。
では、その要点を以下に紹介しておきたい。
『細胞膜を貫通するように存在する膜タンパク質の中には、内側の部分で細胞質の細胞骨
格とつながり、また外部の部分では細胞外マトリックスとつながっているものがある。』
『細胞骨格や細胞外マトリックスと呼ばれるタンパク質フィラメントは、大脳皮質の中に
織りなす網目状の立体構造をしており、これが梅沢先生のいう「大脳皮質自由自在」であ
る。その中を伝搬する何らかの波動運動の存在が考えられます。』
『ミクロの世界ではの波動運動は、場の量子論によって正しく記述できる。そこでは、一
般的にいえることだが、一定の振動数を持った電磁場の波動運動によって、光子というエ
ネルギー量子が飛び回っている。大脳皮質自由度の中の波動運動についても全く同じこと
がいえる。場の量子論の教えるところによれば、大脳皮質自由度の波動運動も何らかのエ
ネルギー量子の運動と考えられる。』・・・と。
これがスチュアートン量子、つまり南部・ゴールドストーン量子であるポラリトンにほ
かならない。「1リットルの宇宙論」での説明によると、ポラリトンは、ニューロン内部
だけでなく外部にも存在し、大脳皮質全体にあまねく拡がっているらしい。このことにつ
いて、「1リットルの宇宙論」では次のように言っている。すなわち、
『このポラリトンガ、宇宙における光子のように直接に見ることができるならば、脳の表
層を覆う大脳皮質はポラリトンの集団が飛び交う、まばゆいばかりの宇宙として写るので
はないでしょうか。ポラリトンは1リットルの宇宙、脳の中に輝く満点の星に譬(たと)
えられるのです。』・・・と。
実に良い譬(たと)えですね。美しい。この満天の星に譬えられるポラリトンが引き起
こす物理現象が、どうも記憶や意識のもとになっているらしい。このことを「1リットル
の宇宙論」では次のように言っている。すなわち
『大宇宙の中で電子が引き起こす現象といえば、超伝導、オーロラ、ファイヤーボールの
生成など、どれをとってみても光子が重要な役割を果たしています。実は、光子と電子は
互いに密接に関連していて、ことに電子は光子をやり取りすることによって互いに作用し
合うという性質を持っています。』・・・と。
「1リットルの宇宙論」では、光子が脳の中でも重要な役割を果たしていると言ってい
るのだが、この点については次のように説明している。すなわち、
『わが国の現代物理学の父と謳われている仁科芳雄の研究や、ノーベル物理学賞をとられ
て朝永振一郎の研究は、電子と光子についての不思議な性質を解き明かす研究だったので
す。光子があってはじめて、電子は多様な物理現象を生み出し大宇宙を美しく飾ってくれ
るのです。いくら場の量子論をもってきたとしても、もし電子なら電子だけ、あるいは光
子なら光子だけしか存在しないのであれば、そこには何も起こらないといってよいでしょ
う。これもまた場の量子論からの帰結なのです。
朝永振一郎やアメリカのファインマン、それにスイスのスチュッケルなどにより、電子
と光子の間の素過程を記述するための量子論である量子電磁力学が完成したのは20世紀
の中頃のことでした。その時点から、われわれは電子の運動の背後には必ず光子が存在
し、宇宙の中を駆け巡る電子たちは光子によって互いに強く結びつけられることを知って
います。このような電子と光子のつながりがあってはじめて、一つの電子は他の電子と関
わった運動を見せることができるのです。
これと同じことが1リットルの小宇宙、脳の中を駆け巡るポラリトンたちの運動につい
てもいえるのです。』・・・と。
以上、ホワイトヘッドの「活動的存在」というものをきっちり理解するためには、量子
の世界をある程度理解しておく必要があると考え、少し横道にそれたかもしれないが、
縷々述べさしていただいた。
場の量子論というのは、宇宙全体に適用される一般的かつ普遍的な理論体系だが、脳の中
のミクロの世界にも適用できる統一的な物理法則であり、脳に関する物理的な学問は量子
脳力学と呼ばれている。量子脳力学では、生命というもの、記憶や意識というもの、そし
て心の実態というものが、物理的に理解されるようになってきている。私のつたない説明
をきっかけとして「1リトルの宇宙論」を読んでいただければ、私としては大変ありがた
いと思う。
要するに、量子の世界では、宇宙と人間の脳に限らず、ホワイトヘッドのいう「活動的存
在」は、すべて同じ原理で動いているのである。「活動的存在」の生成する原理を「エネ
ルゲイアの原理」という。この「エネルゲイア」は「存続物」が変化(活動)するるため
のエネルギーのことである。「エネルゲイア」は、目に見えるものばかりでなく、老僧の
「悟り」とか今西錦司の「直観」のように目に見えないものも含む。そのような目に見え
ない「心の動き」もすべて「エネルゲイアの原理」によって生じてくるのである。「エネ
ルゲイア」というものはまことに摩訶不思議なものである。では次項において、「エネル
ゲイア」について説明することとしたい。
2、エネルゲイア
現在用いられているような「エネルギー」という概念が確立したのは19世紀後半のことで
ある。
エネルギーという語はドイツ語のEnergieが日本語に持ち込まれたもので、その語源と
なったギリシア語の「エネルゲイア」はエルゴンに由来する。 エルゴンは < 物体内部に
蓄えられた、仕事をする能力 >という意味の語である。
このように、エネルギーという語・概念は、物体が仕事をなし得る能力、を意味したが、
その後、自然科学の説明体系が変化し、熱・光・電磁気もエネルギーとされるようにな
り、さらに20世紀初めには質量までがエネルギーの一形態であるとされるようになっ
た。そして、ホワイトヘッドは、老僧の「悟り」とか今西錦司の「直観」のように目に見
えない「心の動き」もエネルギーの一形態であると考えたのである。
なお、アリストテレス哲学では、「エネルゲイア」という概念について形而上学的な思考
が重ねられ、それ以来、西洋哲学では「エネルゲイア」についての形而上学的な思考が続
いている。したがって、この「エネルゲイア」という言葉については、いろいろなことが
言われているので、それらを勉強しようとすると本当に頭がこんがらがってきてしまう。
「エネルゲイア」という言葉はアリストテレス以来の哲学的な言葉であり、エネルギーと
いうのは科学的な言葉であるが、ホワイトヘッドの哲学は、アリストテレス以来の哲学と
近年の科学を統一する形而上学的な論理である。科学的なエネルギーという言葉を使って
いては、形而上学的な思考ができない。つまり、この世の中の原理を理解することはでき
ないし、神の存在を説明することもできない。唯一、ホワイトヘッドの哲学だけが、この
世の中の原理を説明することができるし、神の存在を説明することができる。その鍵を握
るのが「エネルゲイア」という言葉であり、「エネルゲイア」という概念である。
さあ、そこでだ。私たちは「エネルゲイア」というものをどう理解すれば良いのか? そ
れをこれから説明していきたいと思う。
私は先に、『「エネルゲイア」は「存続物」が変化(活動)するるためのエネルギーのこ
とである。』と述べた。したがって、「エネルゲイア」を理解するためには、「存続物」
のきっちりした認識が必要である。「存続物」の本質は何か? 「存続物」の本質的な構
造はどんなものか?そこから説明を始めよう。
ホワイトヘッドは、存続物とは「ネクサス(nexus)」であるという。「ネクサス」とは、
辞書を引きと、「結び、結合とかつなぎ、きずな」、「関係とか関連、或いは関連性のあ
る一連のもの」、「集合体」などの説明があるが、「事物、観念の連鎖的系列」或いは
「生物学で細胞間の結合様式の一つ」という説明のある辞書もある。荒川嘉広は「関係性
の統一のうちにある一組の諸細胞」と解釈している。私は、「連鎖的結合体」と呼んでい
るので、以下において、「ネクサス」に代る言葉として「連鎖的結合体」という言葉を使
うことにする。皆さんもよくご承知のように遺伝子は「連鎖的結合体」である。鎖状の結
合体になっているという意味である。人間の身体もそうだが、すべての物質は分子の「連
鎖的結合体」である。人間社会を考えれば、人々や自然や歴史との網の目のような関係性
の中にあり、社会はそれらの「連鎖的結合体」と考え得る。社会が変化するということ
は、それを構成している人間や自然や歴史という「存続物」すなわち「ネクサス」が変化
することであり、変化の担い手は「ネクサス」である。また、逆に、社会を構成している
人間や自然や歴史が変わるということは、社会が変わるということでもあり、そういう意
味で、変化の担い手は「社会」であるという言い方もできよう。
そういう変化の担い手を変化せしめる力というかエネルギーが、「エネルゲイア」であ
る。なお、この世には、宇宙にも人間の身体の中にも、いろんな「場」というものがあっ
て、そこに力が作用すればエネルギーが発生するし、エネルギーが作用すれば力が発生す
る。「場」というものを通じて、力とエネルギーは同じようなものと考えてよい。「場」
としては、「電磁場」が身近なものであるが、摩訶不思議な「場」としてシェルドレイク
の「形態形成場」というものがある。私が「意識の場」と呼んでいるものもある。そうい
う「場」の働きを通じて、「ネクサス」は変化し、社会は変化するのである。「場」には
まだ量子物理学で解明されていない摩訶不思議な「場」がいくつかあると思われるので、
「場」を通じて発生する力やエネルギー、つまり「エネルゲイア」は摩訶不思議な存在で
ある。人間の理性を遥かに超えた存在である。「神」もそういう存在であるが、実は、霊
魂もそういう存在なのである。
荒川嘉広は、その著書「生成と場所・・・ホワイトヘッド哲学研究」(2001年2月、
行路社)の中で次のように述べている。すなわち、
『生成と変化という語は、従来同一の事態を指すものとして曖昧に扱われてきたが、ホワ
イトヘッドは両者を明確に区別している。すなわち一般の現実存在は生成し消滅するが、
変化しないのである。変化の担い手はいわゆる存続物であり、存続物とは本来、特殊な形
態をとってきた社会であり、ネクサスなのである。したがって、変化の担い手が現実存在
ではなく、社会であると言われるとき、変化とは、一定の型のある一つの社会に属するも
ろもろの現実存在間の相違を意味しているのである。
ホワイトヘッドは神に焦点を当てて、エネルゲイアの現実存在の説明をしている。ホワイ
トヘッドの神は一つの現実存在であり、社会ではない。たしかに彼は、「存在するために
それ自身以外の何ものも必要としない存在」として定義される実態概念を否定し、神でさ
えもそのような存在ではなく、「すべての存在はその本質において社会的であり、それが
存在するためには社会を必要とする」と述べている。だが、このことは、神が社会である
ということを意味しない。そうではなく、神は完全な社会性をそなえたひとつの現実存在
なのである。それゆえ、ひとつの現実存在として神は生成するが、しかし変化はしない。
しかも主体としての現実存在の生成過程はエネルゲイアとしての活動に比せられるので、
神の生成はエネルゲイアとしての活動を意味しているのである。
ところで、神以外の現実存在は、いつかはその合成過程を終了して主体的直接性を失い、
客体的不滅性の機能へと移行していくものである。しかし、神という現実存在は、この世
が始まって以来一度も死滅したことはなく、つねに主体的直接性において他のすべての創
造的働きと生成の一致にあり、同時に絶えず自己を世界へと与えつつある、ひとつの合成
過程としてのエネルゲイアなのである。つまり、神は原初的本性としては、非時間的で無
限の現実性である。しかもその現実性は概念的であるにすぎず、各時間的現実存在を物理
的に抱握することによってはじめて十分な現実性を獲得する。それゆえ神は、結果的本性
において、現実的にますます豊かになっていく。しかしその過程全体は、あくまでもひと
つのエネルゲイアとしての活動にほかならない。』・・・と。
私が思うに、神がそうであるのと同様に、霊魂もエネルゲイアの活動に他ならない。霊魂
の原初的本性としては、非時間的で無限の現実性である。神も霊魂も不滅である。
以上の説明の中に、「抱握」という一般的には聞き慣れない言葉が出てきたので、次の項
3で説明するとしよう。
3、抱握
ホワイトヘッド哲学には、「連鎖的結合体」という概念のほかに、「抱握」というこれま
た重要な概念がある。把握という言葉に近いが、把握というのは理性的に把握するもので
あり、「抱握」は感性的に把握するもので、両者を明確に区別するために、ホワイトヘッ
ドは「抱握」という言葉を使いだした。「抱握」は感じることであり、「feeling」だと
言っても良いかもしれない。ラカンの有名な言葉に、「言語で真実を語りきることはでき
ない」というのがある。 人間の思考には、どうしても「真実を語りきれない空洞の部
分」が残る。これがラカンの「トーラスモデル」だが、これを補うために芸術家の感性と
か老僧の悟りとか或いは今西錦司などいわゆる巨人の直観が重要になってくる。理屈を超
えた感性が重要になってくるという訳だ。しかし、ホワイトヘッドのいう「抱握」という
のは、必ずしも人間にだけ通用する概念ではなく、「活動的存在」すべてに通用する概念
である。たいへん難しい概念だ。
中村昇は、その著「ホワイトヘッドの哲学」(2007年6月、講談社)の中で、ホワイ
トヘッド哲学における「抱握」について次のように述べている。すなわち、
『ホワイトヘッド哲学の中で、もっとも重要な概念のひとつに「抱握」がある。ホワイト
ヘッドは、この概念をこう説明している。
知覚(理解)するという言葉には、日常の用法では、認識把握という観念がどうしても入
り込んでいる。把握という言葉も同様であり、認識的という形容詞がついていないときで
さえそうである。わたくしは、非認識的把握にたいして、「抱握」という言葉を使いたい
この言葉でわたくしが意味しているのは、認識的であり、またそうでないこともありうる
把握だ。(「科学と近代世界」)』
『この世界の本当の姿である「抱握」とはどういった状態なのか、われわれの認識を例に
して考えてみよう。
机の上にあるコップを知覚するとしよう。しかし、<それ>は、最初から「コップ」とし
て存在している訳ではなく、もともとは、<何ものでもないもの>としてそこにある。そ
のような<何ものでもないもの>を、漠然とわれわれは受け取る。眼前の風景をまるごと
受け入れるというわけだ。こういう受け取り方を、ホワイトヘッドは、「物理的な抱握」
という。
次に、その何ものでもない、のっぺりした対象を、こちら側の都合で切り分ける。はじめ
てここで、何ものでもない<それ>が、特定の「色」や「形」をもつものとしてあらわれ
る。さらに、その「色」や「形」が、「コップ」として認識されるだろ。これが、「概念
的抱握」だ。
もっと意識して、この事態を「あっ、コップがある」と言葉にすると、「命題として抱
握」したことになるだろう。こういう段階を踏んで、対象が「対象として」こちら側に現
れるのだ。
しかし、このような抱握の働きは、人間という「活動的存在」だけが行っている訳ではな
い。あらゆる「活動的存在」の中で生じている。というより、このような「抱握」の働き
のみが、世界に充満していると行った方が良い。つまり、関係、「抱握」の複雑な網の目
によって世界は満たされ、その網の目のところどころに、「活動的存在」という結節点が
あるということになるだろう。だが、その結節点は、生じると同時に消えるのだから、い
わば「ない」に等しい。
それでは、「物理的抱握」と「観念的抱握」という働きは、人間以外の「活動的存在」に
おいては、どうなっているのか。植物や鉱物が、対象を「***として」認識するのだろ
うか。ホワイトヘッドは、それぞれの「活動的存在」の「抱握」の仕方を「主体的形式」
と呼ぶ。例えば、われわれが、何かを認識するとき、その対象を「好き」であったり、
「嫌い」であったり、何かしらの価値を、その対象に付与する。それが、「主体的形式」
だ。そういう「主体的形式」ともとにして、「***として」という、「抱握」の仕方が
決まる。
このような「主体的形式」を、細胞のほかの細胞と接触するとき、おのずとそこには、分
子間、細胞間に、ある種の「主体的形式」がある。親和的であったり、反発したりするだ
ろう。そのつどの分子間の反応や細胞の関係を規定する、この「主体的形式」によって、
特定の「概念的抱握」がなされるのである。分子であろうが、細胞であろうが、あらゆる
「活動的存在」は、「概念的」に抱握していることになるだろう。つまり、関係する相手
を、その都度それなりに評価することによって抱握しているのだ。』・・・と。
難しいですね。分子間や細胞間に働く「主体的形式」とはどんなことを言っているのか?
項1で説明したように、量子の世界では、宇宙と人間の脳に限らず、ホワイトヘッドのい
う「活動的存在」は、すべて同じ原理で動いており、生成と消滅をくり返している。ま
た、項2、で説明したように、「活動的存在」の周辺にある「場」を通じて「エネルゲイ
ア」の働きがある。ということは、「活動的存在」間に何らかの関係が生じているという
ことだ。関係があるということはそれらの間に主体的なものと客体的なものがある。中村
雄二郎のリズム論でいえば、主語と述語があるということである。中村昇は、上記の説明
の中で、「主体的形式」と言っているが、私は、 分子間や細胞間に作用する力やエネル
ギーの関係、すなわち「エネルゲイア」の関係は主語的であり、かつ、述語的関係である
と思う。さらに、項2、で説明したように、「エネルゲイア」は神や霊魂と考えてよいの
で、分子間や細胞間に作用する神や霊魂の力は、主語的であり、かつ、述語的である。
「抱握」という概念は、主体と客体、主語と述語を包括した概念である。すなわち、ホワ
イトヘッド哲学においては、自然理解を二元分裂(bifurcation)させてしまう哲学や科学
の見方に対する異議申し立てに使われている。何かの対象や出来事や現象を抱握すると
は、そこに主語と述語を分断しないでそれらを包みこんで把握することが大事なのであ
る。神はそういう「活動的存在」とともにある。
4、永遠的対象について
私は項3において、「抱握」について説明した。 ホワイトヘッドのいう「抱握」という
のは、必ずしも人間にだけ通用する概念ではなく、「活動的存在」すべてに通用する概念
であるが、人間については、『「抱握」は感じることであり、「feeling」だと言っても良
いかもしれない。』・・・と申し上げた。そして、『ホワイトヘッド哲学においては、自
然理解を二元分裂(bifurcation)させてしまう哲学や科学の見方に対する異議申し立てに
使われている。何かの対象や出来事や現象を抱握するとは、そこに主語と述語を分断しな
いでそれらを包みこんで把握することが大事なのである。神は「活動的存在」とともにあ
る。人間についていえば、神は人のためにあるし、人は神のためにある。』・・・とも申
し上げた。
これらのことは、主体と客体、主語と述語を包括した「抱握」という概念が神や霊魂を理
解する上で決定的に重要であることを示しており、主体と客体、主語と述語を包括した
「抱握」というのがとりもなおさず「feeling」だから、何かの対象や出来事や現象に対
して何か不思議な力を感じることによって神を感じるということとなる。つまり、神は
主体と客体、主語と述語を包括した「抱握」、つまり「feeling」の中におわすという、ご
く常識的というか私たちの感覚に合致した結論をホワイトヘッドは形而上学的に導きだし
たのである。
例えば、何か神や霊魂のようなものを感じながら「祈祷」を行う場合、その「祈祷」の中
に神や霊魂は姿を現すのである。つまり、「祈祷」というものがいろんな形で行われてい
るが、それはとりもなおさず神や霊魂が私たちとともにいることの証明である。神や霊魂
が存在するのかしないのか、そんな議論は不要である。「祈祷」が行われているという事
実を持って「神や霊魂は存在する」と断言していいのである。ニーチェは「神は死んだ」
と言ったが、現実に「祈り」が行われている以上、「神は死んでいない」のである。そう
言いきれるのはホワイトヘッド哲学のお蔭であって、その哲学を成り立たせている概念が
「抱握」なのである。
したがって、「抱握」という概念をしっかり認識することが大事である。「抱握」がなぜ
「feeling」と言えるのか、「抱握」を成り立たせているのは何なのか? 以下、その説明
をしたい。
ホワイトヘッドはすべての存在は動いている、万物は流転しているということを考えた。
ホワイトヘッド哲学の基本はそこにある。そこでホワイトヘッドは、私たちの感覚に合致
するように、「永遠的対象」ということを考えついたのである。この「永遠的対象」とい
う概念は、ホワイトヘッドのきわめて難しい哲学と私たちの常識的な感覚とをつなぐ
「橋」である。ホワイトヘッド哲学の難しい世界からこの「橋」を渡って私たちの現実の
世界に立ち戻れば、私たちがどう生きなければならないのか、また現実の社会がどうあら
ねばならないのかが見えてくる。現実の社会に生きる私たちがホワイトヘッド哲学を具体
的に活かすための「橋」、それが「永遠的対象」である。
中村昇は、その著「ホワイトヘッドの哲学」(2007年6月、講談社)の中で、ホワイ
トヘッド哲学における「永遠的対象」について次のように述べている。すなわち、
『ホワイトヘッドは、変化のただなかで、変化せず、いわば「名詞」的に固定されている
ものを「永遠的対象」という言葉で取り出した。ホワイトヘッドは、つぎのようにいう。
これらの超越的存在は「普遍」といわれてきた。わたくしは、「永遠的対象」ということ
ばを使って、「普遍」ということばが哲学で長く問題にされたために、くっついているお
おくの先入観から脱したい。だから、永遠的対象は、最初から抽象的である。(「科学と
近代世界」)
「普遍」ということばで意味されるような、この世界から離れたところに存在しているも
のという印象を払拭するために、あるいは、中世における普遍論争と同類のものが生じる
可能性をなくすために、ホワイトヘッドは、「永遠的対象」という概念を使うという。こ
の「永遠的対象」は、完全に現実からはなれている訳でもないが、だからといって、現実
にどっぷり埋没している訳でもない。「活動的存在」が活動している領域とは異なるとこ
ろから、「活動的存在」に入り込んでくる(ホワイトヘッドは、このことを「進入」とい
う)ものなのだ。
たとえば、複雑で目くるめくようなこの世界の混沌を前にして、われわれは「コップ」と
いう言い方で、その一断面を切り取る。そのときの「コップ」や、その「色」や「形」
が、「永遠的対象」だ。流動している過程のなかの変化していない側面が、「永遠的対
象」なのである。永遠的対象が「抽象的」だというのは、具体的で変化し続けている状態
から、引き出されたもの(抽象)だからだ。ホワイトヘッドは、つぎのようにいう。
わたしが使う「抽象的」ということばの意味は、永遠的対象が本来あるところのも
の・・・つまり、その本質・・・は、なにかひとつの個別の経験の生起と関連させなけれ
ば理解できないということだ。(「科学と近代世界」)』・・・と。
以上のように、ホワイトヘッドは、「抽象的」な「永遠的対象」という独特の概念を使っ
て、「活動的存在」の世界と現実の世界との関係を形而上学的に説明する。厳密ではない
けれど、ざっくり言って、 ここでの文脈では、「活動的存在」の世界とは神や霊魂の世界
と考えてください。
そうすれば今私が何を説明しようとしているのかがお判りになる筈です。
神と私たちとの関係、これが問題の焦点だが、「抱握」という概念が主語と述語を包括し
ているように、「活動的存在」と現実の存続物と関係、つまり神と私たちとの関係につい
ても、ホワイトヘッドは「永遠的対象」という中間的なものを使って、自然理解を二元分
裂(bifurcation)させてしまう哲学や科学の見方に対する異議申し立てる形で、神と私た
ちとの関係を説明しているのだと私は思う。ホワイトヘッドの説明は、もちろん神に焦点
を当てた形而上学的な説明であるが、霊魂に対してもまったく同様の論理でその存在が説
明されいているものと思うのである。そこがホワイトヘッドの凄いところだ。
さて、どんな哲学書を読んでも「永遠的対象」の概念を容易に理解することはできない。
それほど形而上学的な思考はややこしいということだ。そこで、私流の説明として判りや
すい説明をしたいと思う。「永遠的対象」とは何か? 私は冒頭に、「『現実の社会に生
きる私たちがホワイトヘッド哲学を具体的に活かすための「橋」、それが「永遠的対象」
である。』と申し上げた。では、この「橋」とは何か?
ここでいう「橋」とは「関係を変換するためのもの」、つまり「変換方程式」である。も
ちろん、これは「永遠的対象」という抽象を判りやすく説明するための便宜的な私の抽象
概念であって、そんな方程式が実際に存在するという訳ではない。
私たちの世界には物理現象に対してはその現象を説明する方程式が存在する。しかし、心
の問題や神の問題が絡んでくると、その関係性を説明する方程式は存在しない。「活動的
存在」は生成と消滅をくり返す世界であるから、これは、一応、イメージとして量子の世
界を念頭に置いてほしい。量子の世界は波動の世界であり、そこには量子間の関係を説明
する波動方程式というものが考えられている。量子力学のことである。しかし、波動の世
界においても、心の問題や神の問題が絡んでくると、その現象を説明する方程式は今のと
ころ存在しない。現実の世界においても量子の世界でも、心や神の問題を説明できる方程
式は存在しないのであるが、ここでは、一応、現実の世界においても量子の世界において
も、すべての現象を説明し得る方程式が存在するとイメージしてほしい。
現実の世界と量子の世界にはそれぞれ成り立ちの異なる方程式があるとイメージしてほし
い。この二つの成り立ちの異なる方程式を変換するには、中間的に何か変換方程式のよう
なものを考えざるを得ないだろう。それが相異なる世界をつなぐ「橋」である。
現実の存続物にはそれなりの本質的な意味がある。しかし、その本質的な意味を生じせし
めているのは、生成と消滅をくり返す「活動的存在の世界」、つまり「量子の世界」であ
る。そこで生じた本質的な意味を私たちは「橋」という変換機能によってはじめて「抱
握」しうるのである。神や霊魂は「活動的存在の世界」、つまり「量子の世界」に存在す
る。しかし、そのままでは私たちはそれを「抱握」できない。私たちは「橋」という変換
機能によってはじめて心や神の存在を「抱握」しうるのである。この文脈ではざっくり
言って「抱握」は「感じる」のこと(フィーリング)であると考えてもらっていい。
さて、「橋」というのは行ったり来たりができる。「活動的存在」によって生み出された
存続物に秘められた本質的な意味が、その「橋」によって私たちは「感じる」ことができ
る。また、逆に、現実の世界で私たちの「feeing(感じ)」によって、原初的な本質とは
異なるものが生成される可能性がある。私たちの感じ方の如何によって、神は生き生きと
してくるのである。
第4節 神と悪魔との違い
以上に述べたように、ホワイトヘッドは、その哲学によって、神の存在を明らかにした
が、同じ論理展開を行えば、霊魂の存在もそのまま説明できる。また、歴史的にいろいろ
と悪魔が語られてきたが、それらの悪魔論において、悪魔が神と見なされている思想も少
なくない。以下において、歴史的に悪魔についてどのように語られてきたか、ウィキペ
ディアによって、その勉強をさっとしておきたい。
1、ギリシャにおける悪魔
悪魔を指す西洋語の「デヴィル」 はヘブライ語のサタンのギリシア語訳ディアボロス か
ら派生した言葉であり、キリスト教の神に敵対する存在を指す。
悪魔と和訳される西洋語の「デーモン」(フランス語読みで「デモン」とも)の語源は、
ギリシア語の「ダイモーン」である。デヴィルとデーモンはいずれも、ラテン語で神を意
味するデウス (deus) と同様に、サンスクリットで神を意味する語である。
ところで、 ハイデガーが言うには、「エートス・アントロポイ・ダイモーン」という言葉
をヘラクレイトスが使っている。これはギリシャ人の思考を非常にうまく表現していると
いう。「エートス」親しくあるもの、「アントロポイ」は人間、「ダイモーン」はギリ
シャの神々である。だから、「人間にとって親しくある場所は神の近くにいることであ
る」という意味だとハイデガーは言っているのだが、ここで留意していただきたいのは、
「ダイモーン」という言葉が神という意味で使われているということだ。
2、 キリスト教における悪魔
ギリシア語の旧約および新約聖書では悪霊的存在がダイモーンと記されており、使徒パウ
ロ、教父アウグスティヌスは、異教の神と悪魔を同一のものとして記述している。アウグ
スティヌスは『神の国』第10巻において、人を欺くダイモーンの危険性を指摘した新プラ
トン学派の哲学者ポルピュリオスの不徹底を批判し、ダイモーンはすべて悪霊であって、
異教の神々は悪霊が偽装したものであるとした。アウグスティヌスは、キリスト教徒はイ
エス・キリストの再臨によってやがて来る神の国に入れられるが、悪魔の国に属する悪魔
の子たちは地獄に落ちると教えている。カトリック教会における悪魔憑きは、外から語り
かけることによって始まり、体内に入り、体を乗っ取る「憑依」によって完成する。
3、グノーシス派の悪魔
グノーシス主義では、旧約聖書の創造神ヤハウェがこの世の悪しき支配者とみなされ、悪
魔化された。それ以下の偽りの神や悪霊的存在とみなされたものはアルコーンと呼ばれ
た。グノーシス主義においては、アルコーンは低次霊的存在で、地上の支配者である。ア
ルコーンに対比されて、超越的天上界に位置する諸アイオーンが存在する。
第5節 神の対極的存在が悪魔か?
神は人を罰することがあるか? まずそのことを考えてみたい。
このことに関連して、私は、電子書籍「さまよえるニーチェの亡霊」の第2章「ツァラ
トゥストラの真骨頂」の中から、「驢馬(ろば)の祭り」の場面を紹介しておきたい。
『 鷲と蛇を相手に話し終わったとき、ふいにツァラトゥストラは、恐怖を感じた。今ま
で騒ぎとこう笑のあふれていた洞窟が、急に死の静寂にかわったためである。・・・そし
てツァラトゥストラの鼻は、松の実でもこげているようなかんばしい香煙を嗅いだ。(中
略)奇怪!奇怪!(中略)洞窟の客人・ましな人間すべてが子どもや信心深い老婆のよう
に膝まずいて驢馬(ろば)をおがんでいたのだ。その連禱(れんとう)は次のように聞き
取れたのである。
アーメン! さんび、栄光、知恵、感謝、ほまれ、勢いが、世世限りなく、われらの神に
ありますように!
・・・すると、驢馬は、それに応えて「さよう! さよう!」と嘶(いなな)いた。
われわれの神はわれらの重荷を負い、僕(しもべ)のかたちをとり、心から忍耐強く、決
して「いや」と言われません。また、神を愛する者は、この神を懲らしめることになって
います。
・・・すると、驢馬は、これに応えて「さよう、さよう」と嘶いた。
われらの神はお語りになりません。その創られし世界に対して、つねに「さよう、さよ
う」と言われる以外には・・・。このような神はその世界を讃えられるのです。口を開か
ぬのは、神の狡猾さであり、かくしてなかなかあやまりを犯さないのです。
・・・すると驢馬は、それに応えて「さよう、さよう」と嘶いた。
われわれの神は目立たぬ姿で、この世を歩まれます。灰色のからだに、その徳をつんで
おられます。霊力を持っておられても、これを隠しておられます。そのためすべての者が
その長い耳を信じています。
・・・すると驢馬は、それに応えて「さよう、さよう」と嘶いた。
われらの神が長い耳をお持ちになり、「さよう、さよう」としか言われず、決して「い
や」と言われないことは、なんと深く隠された知恵でしょう! 神は世界を、おのれのか
たちに似せて、すなわちできるかぎり愚かに創られたのではないでしょうか?
・・・すると驢馬は、それにこたえて「さよう、さよう」と嘶いた。(中略)
あなたは幼子(おさなご)を近づけなさる。悪道どもがあなたを誘い出すときでも、あ
なたは無邪気に「さよう、さよう」と言われます。
・・・すると驢馬は、それに応えて「さよう、さよう」と嘶いた。(中略)』
このあと「ましな人間」たちとツァラトゥストラとの深刻なやり取りがつづくのだが、
この辺りは全部省略して、話の筋書きを追うこととする。ただし、新しい祭りとして「驢
馬祭り」がきわめて重要だと何度もツァラトゥストラが言ったことだけは強調しておく。
ツァラトゥストラは「この夜とこの驢馬祭りを忘れなさるな」と言ったのである。
つまり、ニーチェは、ツァラトゥストラをして『 神は「さよう、さよう」としか言わな
いで、「嫌(いや)」とは決して言わないが、それは驚くほど深く隠された知恵であ
る。』・・・と言わしめている。絶対神、唯一神とも言うが、そういう名で呼ばれる最高
の神というのは、私たちのやっていることを見てけっして怒りはしない。最高の神という
のはけっして人を罰することがないのである。人を懲らしめるのは悪魔の好むところであ
る。悪魔は神の対極にある。「ファース」に登場する「ましな悪魔」はいい加減な人間に
対し「いたずら」をする。私たちは最高の神から「さよう、さよう」と肯定してもらえる
ように、「神の御心に沿うように人生を生きていかなければならない。
驢馬は、ご承知のように、「さよう、さよう」と言うように頸を振る。馬鹿みたいに
「さよう、さよう」というわけだ。したがって、驢馬(ろば)は「肯定」のメタファー
(暗喩)となっているのである。形而上学的には、これをディオニソス的肯定という。
第6節 プラトンの語る悪魔
悪魔は神の対極にある。プラトンはソクラテスをして絶対神、つまり最高の神について語
らしめているのが、まず次にそれを紹介しよう。それによって、その対極としての悪魔の
特性が自ずと明らかになるであろう。
アディマントス:ソクラテス、あなたに考えていただきたいのは、「正義」と「不正」に
ついて個人的にも口にされ、詩人たちも公表しているような別の種類の言説のことです。
すなわち、すべての人びとが異口同音に繰り返し語るのは、節制や正義はたしかに美し
い、しかしそれは困難で骨の折れるものだ、これに対し放埒(ほうらつ)や不正は快(こ
ころよ)いものであり、たやすく自分のものになる、それが醜いとされるのは世間の思惑
と法律・習慣のうえのことにすぎないのだ、ということです。彼らはまた、不正な事柄の
方が多くの場合正しい事柄よりも特になると言い、邪(よこさま)な人間であっても金そ
の他の力を持っていれば、そういう人間のことを、公の場でも個人的な立場でも、何はば
かることなく、祝福し尊敬しようとします。他方、正しくても無力で貧乏な人間に対して
は、前者と比べてより善人であることを認めながらも、これを見下し、軽蔑しようとする
ものです。
しかし、すべてこうした言説の中でももっとも驚くべきは、神々と徳について語られてい
る次のようなことでしょう。つまりそれによると、神々でさえも、善き人びとに不運と不
幸な生活を、悪しき人びとにその反対の運命を与えることがしばしばある、というので
す。そして乞食坊主や予言者といった連中は、金持たちの家の門を叩いては、自分には犠
牲や呪文によって神々から授かる力があるのだと信じ込ませようとします、・・・もしあ
なたに何か罪があるならば、それをおかしたのがあなた自身であろうと、あなたの先祖で
あろうと、宴会を楽しんでいる間に自分はその罪を償ってあげることができる。また、も
し誰か敵に危害を加えたいのであれば、その敵が不正なものであろうと正しい人間であろ
うと、わずかの金を出してくれさえすれば、呪いと魔力によってその敵を痛めつけてあげ
よう。自分は神々にお願いをして、自分の言うとおりに働いていただくように説得するの
だからと、こう彼らは自称するわけなのです。(中略)この供犠と楽しい遊戯のことを彼
らは「秘儀」と名付け、それはわれわれをあの世での苦しい罪から解放してくれるが、こ
の儀式をなおざりにする者には、数々の恐ろしいことが待っているのだ、とおどかすわけ
です。
さあ、こうなるといったい、われわれが最大の不正よりは正義の方を選ぶためのどのよう
な根拠が、なお残っているでしょうか?(中略)「正義」と「不正」のそれぞれが、それ
ぞれを所有している者の「魂」の内にあって、神々にも人間にも気づかれないときに、そ
れ自体としてそれ自身の力で、どのような働きをなすかということは、詩においても散文
においても、かって一度もくわしく語られたことはなかった。まさにその見地から、「不
正」こそは魂が自己自身の内にもつ悪の最大のものであり、「正義」こそは最大の善であ
ることをじゅうぶんに証明した者は、一人もいなかった。(中略)そういうわけですか
ら、どうかわれわれのために、ただ「正義」は「不正」にまさるということを言葉の上で
示すことだけでなく、それぞれは、神々と人間に気づかれる気づかれないにかかわりな
く、それ自体としてそれ自身の力だけで、その所有者にどのような働きを及ぼすが故に、
一方は善であり、他方は悪であるのかを示してください。
ソクラテス:これは、愛する友らよ、うまい言い方だと僕は思う。なぜって、あれほど不
正のために弁じることができながら、しかも「不正」が「正義」よりまさるということを
信じてはいないとしたら、君たちはまったく「神のごとき」性質を持っていることになる
からね。そして君たちは、本当のところ、そうは信じていないように見えるのだ。僕は君
たちの平生の人となりから判断して、そう推測する。君たちが論じている言葉を聞くだけ
だったら、とても君たちを信用できなかっただろうがね。とはいえ、君たちを信用すれば
するほど、それだけいっそう僕は途方に暮れるのだ・・・さてどうしたものか、と。ま
ず、僕は、どうやって「正義」を助けたらよいのかわからない。(中略)
ソクラテス:しかるに、馬であれ、犬であれ、他の動物であれ、気概のないものが勇敢で
あることができるだろうか? 君は気づいたことがないかね・・・気概というものがどれ
ほど抗しがたく打ち克ちがたいものであって、それがそなわっていれば、どんな魂でも、
いかなる事柄に直面しても恐れず、不屈であるということに?
アディマントス:気づいたことがあります。
ソクラテス:では、身体の面では、守護者はどのような者でなければならないかというこ
とは明らかだ。
アディマントス:ええ。
ソクラテス:また魂の面でも、気概のある性格でなければならぬこと、これも明らかだ。
アディマントス:ええ、そのことも明らかです。(中略)
ソクラテス:次の問題に移ろう。いったい君は、神とは魔法使いのようなものであって、
あるときはいろいろと多くの形へと実際に変身して自分自身の姿を変え、またあるときに
はわれわれを欺いて、自分についてただそのように見せかけることにより、そのときその
ときで、故意にさまざまの違った姿で現れることができると思うかね? それとも、神は
単一な性格のものであって、自分自身の姿から抜け出すというようなことは、到底あり得
ないと思うかね?
アディマントス:ちょっとすぐには答えられません。
ソクラテス:では、この点はどうかね・・・もし何かが自分自身の姿から抜け出すとすれ
ば、自分が自分で変わるか、他のものによって変えられるか、このどちらかでなければな
らないのではないか?
アディマントス:そうでなければなりません。
ソクラテス:そこでまず、他のものによって動かされ変様させられるということのほうだ
が、これは、最も優れた状態にあるものには最も起こりえないことではないかね? たと
えば、身体は、食物や飲み物や労苦に影響され、またすべての植物は、太陽の熱や風やそ
れに類するものの影響をこうむるけれども、その場合、最も健康で強いものほど、変様を
受ける度合いが最も少ないのではないかね?
アディマントス:たしかにそのとおりです。
ソクラテス:また魂は、最も勇気があり最も思慮のある魂ほど、外部からの影響によって
乱されたり変様を受けたりすることが、最も少ないのではないかね?
アディマントス:ええ。
ソクラテス:しかし、それでは、神は自分で自分を変化させたり、変様させたりするのだ
ろうか?
アディマントス:そういうことになるのは明らかです。そもそも変様することがあるとす
れば。
ソクラテス:ではその場合、神は、より優れたもの、より美しいものへと自分を変えるだ
ろうか、それとも自分より劣ったもの、より醜いものへと変えるのだろうか?
アディマントス:それはどうして、自分より劣ったものへでなければなりません・・・も
し変様するとしたらですね。なぜなら、いやしくも神が、美しさや優れてあることにおい
て不完全なところがあるとは、われわれにはけっして言えないでしょうから。
ソクラテス:それはこの上なく正しい指摘だ。(中略)してみると、神が自分を変様させ
ようと望むということも、ありえないことになる。むしろ、どうやら、どの神も可能な限
り最もうつくしく最も優れているからには、常に単一のあり方を保って自分自身の姿のう
ちにとどまる。
アディマントス:私にはそのことは、全き必然であると思われます。
ソクラテス:そうすると、君、いかなる作家(詩人)にも次のようなことを、われわれに
向かって語らせてはならない訳だ・・・
神々は異国の人たちに姿を似せ
ありとあらゆる様に身をやつして国々を訪れる
(中略)
その他これに類する多くの偽りをわれわれに語らせてはならないのだ。他方また母親たち
も、こうした人びとの言うことを信じ込んで、何か神々がいろいろと多くの異人の姿をし
て夜な夜な徘徊しているといったような、間違った物語を語り聞かせることによって、子
供たちをこわがらせてなならない。神々を冒涜(ぼうとく)しないために、同時にまた、
子供たちを臆病者にしないためにね。
アディマントス:たしかに許してはならないことです。おそらくは。
ソクラテス:なんだって? 神は言行いずれにおいてにせよ、見せかけだけの幻影を差し
出すことによって、偽ることを望むだろうか?
アディマントス:わかりません。
ソクラテス:わからないのかね。ほんとうの偽り・・・こういう言い方ができるとし
て・・・というものは、すべての神々も人間も、これを憎むということが?
アディマントス:それはどういう意味でしょうか?
ソクラテス:つまり、自分自身の最も肝要な部分において、また最も肝要な事柄に関して
偽るということは、何びともみずからすすんでこれを望むものではなく、逆に、そこにそ
ういう偽りを所有することを、何にもまして恐れるということだ。
アディマントス:そう言われてもまだわかりませんが。
ソクラテス:僕が何か、しかめっつらしいことを言っていると思うからだよ。僕が言って
いるのは要するに、真実に関して魂において偽り、偽りの状態にあり、かくて無知である
こと、そして魂の内に偽りをもち所有していること・・・これをどんなものでもいちばん
受け入れたがらないし、そのような場合の偽りを何よりも憎むということなのだ。
アディマントス:そのことならたしかにそうです。
ソクラテス:しかるにそのような偽りこそは、さっき僕が言ったように、最も正当にほん
とうの偽りと呼ばれてしかるべきものだろう・・・偽りにおちいっている人たちがもつ、
魂の内なる無知こそはね。なぜなら、言葉における偽りは、魂の内なる状態の模造であ
り、後から生じる影なのであって、まったく純粋に混じり気のない偽りというわけではな
いのだから。
アディマントス:たしかにそのとおりです。
(中略)
ソクラテス:してみると、およそダイモーン的なもの、神的なものは、どのような観点か
ら見ても、偽りとはいっさい無縁であることになる。したがって、神とは、全き意味にお
いて、行為においても言葉においても単一にして真実なものであり、自ら実際に変身する
こともなければ、また・・・現(うつつ)においても夢においても、幻影によって言葉に
よって兆(きざし)を送ることによっても・・・他の者を欺くということはないのだ。
(中略)すなわち、神々は自ら変身して姿を変えるような魔法使いでもないし、言葉や行
為における偽りによってわれわれを迷わすこともない、ということ。
アディマントス:賛成します。
プラトンがソクラテスをして言わしめていることは以上のとおりであるが、ここで注目し
てほしいのは、悪魔は神の対極的存在であるので、『 悪魔は、どのような観点から見て
も、偽りと縁がある。したがって、悪魔とは、行為においても言葉において偽りであり、
自ら実際に変身することを好むという特性を持っており、また・・・現(うつつ)におい
ても夢においても、幻影によって言葉によって兆(きざし)を送ることによっても・・・
他の者を欺くということになる。(中略)すなわち、悪魔は自ら変身して姿を変えるよう
な魔法使いであるし、言葉や行為における偽りによってわれわれを迷わすものである、と
いうこと。』・・・になる。
第7節 活動存在としてのさまざまな神
1、絶対神
私の言う絶対神は、厳密には「唯一絶対神」と言うべきかもしれない。私はその時々にお
いて、絶対神と言ったり、超越神と言ったり、唯一神と言ったりしてきた。それらは、厳
密には、唯一絶対神(ゆいいつぜったいしん)と言うべきであったかもしれないが、少し
でも短い単語の方が言いやすいので、絶対神とか超越神とか唯一神とか、はたまた創造主
と言ってきたのだ。厳密には「唯一絶対神」である。唯一絶対神は、唯一神教で信仰され
る神のことである。一般に言われる一神教は他の神々を前提にしている場合もあり、必ず
しも一神教=唯一神を崇拝する、とは限らない 。アブラハムの宗教であるユダヤ教・キリ
スト教・イスラム教などで信仰されている、アッラーフ、ヤハウェ、あるいは一般名詞で
「神」と呼ばれ、その信仰のあり方は、宗教、宗派によって様々だが、父性を基調とし偶
像崇拝を禁じるなど、共通点も多い。これは元来、これらの宗教が同一の起源から派生し
たものであるからである。
なお一神教では、信仰する神のほかに神はないため、元来自らが信仰する神をわざわざ
「唯一神」と表現することは無かったが、多神教地域への布教や 文化交流とあいまっ
て、神学上の比較分析的な意味で、または単純に広報的な意味で、昨今では一般信者や外
部向けの説明で「唯一神」や「唯一絶対の神」など という表現が用いられる機会も増え
ている。
一神教の例としてユダヤ教、キリスト教、イスラム教がある。
いずれも、旧約聖書を経典とし、同一の神を信じている。ユダヤ教においてはモーセの時
代にそれ以前の宗教から新しい体系が作り上げられたとされる。ユダヤ教を元に、イエ
ス・キリストの教えからキリスト教が誕生し、さらにムハンマドによってイスラム教が生
じた。
これらは一神教ではあるが、絶対神以外にも人間を超えた複数の知的存在としての神々が
いることを認めている。天使がその代表例であり、人間以上だが絶対神以下の存在であ
る。絶対神はその姿を変えるということはしないけれど、天使はある時は普通の人の形を
して現われたり、人とは違う形をして現われたりする。「神の働き」は絶対神およびその
他の神々だけが行うことができ、天使などその他の存在は「神にお願いすること、執り成
しができる」だけである。聖母マリアへの崇敬も、厳密には敬愛であり、少なくとも教義
上では区別している。聖母マリアはお願いをイエス・キリストに伝えてくれる存在ではあ
るが、神と同等の存在ではない。
またキリスト教では、聖人が特定の地域、職種などを守護したり、特定のご利益をもたら
すとするという信仰がある。ただし、キリスト教のなかでもカトリックなどは聖人崇敬を
行っているが、プロテスタント諸教派のなかには聖人崇敬を行わない教派もある。また、
聖人崇敬を行う教派であっても、崇拝する対象はあくまでも神であり、神ではない聖人は
崇敬の対象であり崇拝の対象ではない。イスラム世界ではジンという人間と天使の間に位
置する精霊が想定されている(『千夜一夜物語』(アラビアン・ナイト)に登場する魔法
のランプのジンが有名)。
実際、一神教内部においても例えばインドの ように多神教を信仰している人々と共存して
いる地域だと、一神教の人々も場合に応じて多神教の聖地を崇拝したり神格のようなもの
を認知することがしばしば 行なわれる。無論一神教と多神教が両立不可能かというのは
個々人の解釈にもよる問題であり、成文化された教義と現実的な宗教行為が齟齬すること
も多く、宗 教と社会の関係は動態的に捉えなければ単純な図式化に陥る可能性が有る。
ニーチェは、キリスト教の「神は死んだ」と言ったが、それはキリスト教の絶対神だけで
なく、キリスト教におけるすべての神々が死んだと言ったのだ。ニーチェは、ゾロアス
ターという絶対神に憧れをもっており、ゾロアスターのドイツ語のツァラトゥストラを登
場させ、ツァラトゥストラをしてニーチェの哲学を語らせたのである。シバ神の影響でゾ
ロアスターが誕生し、ゾロアスターの影響でディオニソスが誕生した。それらは根源的に
ニーチェの憧れる絶対神である。
中沢新一の穴の論理は非常に面白い、かつ、大事な論理であると思う。シナイ山でモーゼ
はヤーウェという絶対神から「十戒」(石版)を受け取ると同時に「わたしはある。わた
しはあるという者だ。」という声を聞く。
ここでは、「ある」という存在するという意味の動詞として使われていると同時に三人
称使役形としても使われているらしいので(「キリスト教の歴史」小田垣雅也、1995
年5月、講談社)、ヤーウェの言っていることを私流に解釈すると、「私はたしかに存在
しているのだ。疑う事なかれ!人間社会には穴が開いていて、私はその穴のなかにいるの
で人間には絶対に見えない。私の存在を感じるだけだ。疑う事なかれ!絶対神である私と
はすべての在るものを在らしめている存在そのものである。疑う事なかれ!」となる。
しかし、ユダヤ的解釈は、「私はたしかに存在しているのだ。疑う事なかれ!人間社会
には穴が開いていて、私はその穴のなかにいるので人間には絶対に見えない。見えないが
あなたたちは穴の中に入ってきて見る努力をせよ。そして、私があなたたちに何を望んで
いるか、それを考えよ。私を怒らしてはならない!絶対神である私とはすべての在るもの
を在らしめている存在そのものである。疑う事なかれ!」となるのではなかろうか。
ところで、内田樹は、「日本の文脈」(2012年1月、角川書店)における中沢新一と
の対談の中で、ユダヤ文化の本質的な構造について、次のようなことを言っている。すな
わち、
『ユダヤには「脳の機能を活性化する」構造がある。例えば、ユダヤ教においては、常に
「中心が二つ」あって互いに真剣な議論がされている。タルムードにはエルサレム版とバ
ビロニア版の二つのバージョンがあるし、タルムードを研究する学院も二カ所あり、同時
代に必ず二人の偉大なラビが出てきて、おたがいに激烈な論争をする。だから、一つの結
論に落ち着くということがない。ユダヤ教の聖典であるタルムードは「増殖する書物」な
んです。』・・・と。
以上、絶対神の本質についてその核心部分を述べたが、その詳細については、私の電子書
籍「書評・日本の文脈」に書いたので、是非、それをご覧戴きたい。
http://honto.jp/ebook/pd_25249964.html
2、アポロンとディオニソス
ゼウスは、ギリシア神話の主神たる全能の存在である。全宇宙、天候、社会秩序を司る天
空神でもあり、オリンポス十二神をはじめとする神々の王である。その息子がアポロンで
ある。古代オリンピックは、ゼウスのための祭りであったこと、並びにかの都市国家同士
の戦争に明け暮れたギリシャもオリンピック開催中は休戦する習わしであったことは、み
なさんもご存知だと思うが、オリンピックはまさに平和の祭典であった。ギリシャでは、
オリンピックのほかに、ネメアー、イストモス、ピューティアという三つの競技大祭が
あった。そのうちピューティアはアポロンのために行われた。これら4つの競技大祭のう
ち、大神であるゼウスに捧げられるオリンピックが最も盛大に行われたのは言うまでもな
いが、アポロンを主神とする競技大祭が4大競技大祭のひとつに数えられるということ
は、アポロンもギリシャにとって大事な神であったことが伺える。
アポロンは、神話のオリンポス十二神の一人である。ゼウスとレトの子で,狩猟の女神ア
ルテミスと双生の兄。おもに詩歌,音楽,予言,弓術,医術をつかさどるほか,法典を裁
可し,道徳を鼓吹し,哲学を庇護するなど,人間のあらゆる知的文化的活動の守護神であ
る。また光明の神としてフォイボス(光り輝く者)なる呼称をもち,前5世紀以降は太陽神ヘ
リオスと同一視されることもあった。彼は一般にもっともギリシア的な神格とされるが,
もともとは小アジアもしくは北方遊牧民に起源をもつ外来の神であったと考えられてい
る。 余談だが、アポロ計画、アポロ11号のアポロはこのアポロン神に由来する。
デルフィの考古遺跡はギリシャ本土、パルナッソス山のふもとにある古代ギリシャの聖地
である。現在も崇高な空気が漂うデルフィの遺跡は19世紀末まで小さな 村の下に埋もれ
てその存在が知られていなかった。やがてフランスの考古学隊により発掘されることと
なったため、村全体が移動され現在デルフィ村とな り、現在、デルフィ遺跡観光の起点と
なっている。
「世界遺産100」では「神託の地」と題し、かつて予言の神アポロンのお告げが聞ける
聖地として大きな賑わいをみせたデルフィの威光を保全している。紀元前8世紀頃からこ
の地でアポロンを崇拝する信仰が始まるのである。市井の人々からアレクサンドロス大王
まで、人々はこぞって神託を授かる ため遺跡のアポロン神殿に集まってきた。神殿の地下
からは「大地のへそ」と呼ばれる大理石の巨大な石が発掘された。当時、デルフィは世界
の中心だと考えられ ていたのだろう。人々は神託への感謝の気持ちを込めてデルフィに
様々な貢物を贈った。ブロンズで出来た精巧な御者の像やスフィンクス、ローマ皇帝が納
め た像など幾多の美術品がアポロン神殿までの参道を飾ったのである。世界最古の楽譜
とも言われるデルフィ讃歌の楽譜も発見され、当時のデルフィの威光を示す貴重 な証拠と
なっている。
さて、アポロンの対極にいるのがディオニソスである。アポロンは「光の神」、ディオニ
ソスは「酒の神」である。これをふまえて、ニーチェは、芸術を可能ならしめる根本衝動
を、造形的で静観的なものと、音楽的で激情的なものに分けた。前者はアポロン的であ
り、後者はディオニソス的である。ギリシア悲劇のすぐれた芸術性はこの両衝動の対立と
奇蹟的結合によって産み出されていた。全体的生命を肯定するディオニソスの態度は、
ニーチェの理想であった。「驢馬の祭り」とは「ディオニュソスの祭り」のことである。
夜は陰陽でいえば陰。昼が合理の世界であれば、夜は非合理の世界である。ツァラトゥ
ストラは合理の世界の住人。「ましな人間」たちは「驢馬の祭り」を至上の喜びとする非
合理の世界の人間。ニーチェは、これらの非合理の世界の重要性は十分認識しながらも、
合理の世界を強調せざるを得なかったために、結局、合理と非合理の統一ができなかっ
た。合理と非合理の統一哲学はハイデッガーやホワイトヘッドまで待たなければならな
い。
プラトン哲学の核心部分は何か? それは「ディオニュソス」である。プラトンもニー
チェもディオニュソス的なものに強いあこがれを持っていたのであって、これに厳しく対
峙するものがソクラテス主義である。ソクラテス主義とは、理性と道徳によって生を抑圧
するもの以外の何ものでもなく、ディオニュソス的狂乱こそ、音楽と踊りの熱狂の中で、
人びとが世界の根源に触れ生をイキイキと生きる根源である。
プラトンは、エロスの神について形而上学的思考を重ねた哲学者で有名であるが、彼
は、知識の源としての「バクティ」と官能的な「マニア」とを区別した。「バクティ」と
は、サンスクリット語で、「献身」「信愛」「信仰」「神への愛」「帰依」を意味する言
葉であり、「マニア」とは、マニアの語源はギリシャ語で「狂気」のことであり、自身の
趣味の対象において、周囲の目をも気にしないようなところもある事から、「∼狂(きょ
う)」と訳され、ほぼ同義のものとされている。
さらに、 プラトンは、 官能的な「マニア」を、酩酊と陶酔のダンスを伴う「マニア」
と性愛に結びつくエロチックな「マニア」に分けて考えた。前者の 酩酊と陶酔のダンス
を伴う「マニア」は、ディオニュソスとより直接的なつながりを持つと見なした。
プラトンもニーチェもディオニュソス的なものに強いあこがれを持っていたということ
は、ヨーロッパにありながら、アジア的なものを理解する感性を持っていたということで
あり、そのような哲学者は歴史上二人以外に見当たらない。二人はまさに超人的な大哲学
者であるが、実は、二人が知り得たディオニュソスの神は、もっともヨーロッパ的な神・
アポロンの影響を受けてかなり変身していたのだ。もともとディオニュソスは、アジアの
影響によって誕生したのであり、「ディオニュソス」を深く理解するためには、その源流
をさかのぼって「シヴァ」を知らねばならない。幸い、「シヴァとディオニュソス・・・
自然とエロスの宗教」(著者・アラン・ダニエル、訳者・浅野卓也と小野智司、2008
年5月、講談社)という格好の本があるので、私たちは今、「ディオニュソス」の源流を
知ることができる。 シヴァとディオニュソスは、厳密にいうと、少し異なる部分がある。
酩酊と陶酔のダンスを伴う「マニア」に関してはまったく同じ。しかし、 性愛に結びつく
エロチックな「マニア」については、シヴァは元型そのまま、ディオニュソスはアポロン
の影響を受けてかなりマイルドになっている。そのようにお考えいただきたい。
ちなみにニーチェの「ツァラトゥストラ」はゾロアスターのドイツ語であり、ゾロアス
ターもシヴァの変身したものである。世界最古の神はシヴァ神である。これはまた世界最
強の神ともいわれている。
私の電子書籍「エロスを語ろう!」(未定稿)の第2章第1節で述べているように、と
もにアフリカを出発し、西に進路をとる「ヨーロッパ人」と東の「アジア人」が別れたの
は、「アッシリア地方」においてであり、遺伝学の分析によると今から六万年前のことで
ある。その後アッシリア地方を中心として、ヨーロッパではオーリニャック文化を初めと
し、バルカン半島やアッシリア地方もそれに準ずる文化的発展をする。そして遂には、
アッシリアがメソポタミアと古代エジプトを含む世界帝国を築くことになる。紀元前10
世紀末のことである。交通という観点から言えば、これらの動きはすべて地中海の海上交
通の重要性を高めることに繋がるものであり、クレタ文明の勃興に引き続いてフェニキア
人の活躍を経て、ギリシャの交易都市・ポリスが世界的にも珍しい華やかな発展をするこ
とになるのである。ギリシャという都市国家の発達は、人類大移動に際して大きな役割を
果たした「アッシリア地方」の存在があってはじめてなし得た歴史的必然であったと思
う。つまり、都市国家ギリシャは、時代とともにヨーロッパの色が強くなっていくが、も
ともとはアジアの影響が濃厚だったのである。このことを人類学的に十分理解しておかな
いと、ディオニソスとシヴァ神との繋がりを理解することは難しい。
3、シヴァ神
ニーチェの「ツァラトゥストラ」はゾロアスターのドイツ語であり、ゾロアスターもシ
ヴァの変身したものである。世界最古の神はシヴァ神である。これはまた世界最強の神と
もいわれている。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=fzKCEiv2x8w
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=B68XnAPOf5w#!
これからの時代、世界は、どう考えてもシヴァに祈りを捧げる時代です。是非、この
youtubeをご覧ください!これが世界最強の神シヴァの実態です。
「なまシーヴァよ、なまシヴァよ!ハルハルホーレイ!なまシーヴァ!」・・・いいです
ね!この動画に、リンガとヴィギナが随所にでてきたのにお気づきになりましたか?
ここがキリスト教にはないところです。
現在、日本もそうだが、世界は「人間が生きる最高の価値観」を失ってニヒリズムに
陥っている。そのニヒリズムから脱却して私たち人間がイキイキと生きていくためには、
何をなすべきか? それを一言で言えば、ニーチェの考えを中心として、ハイデガーやホ
ワイトヘッドらの哲学のいいところ取りをして、ニーチェの哲学を超えた新しい哲学の方
向を見定めて、具体的な運動を展開することだ。そういった新しい哲学、すなわちニー
チェとハイデガーとホワイトヘッドの統一哲学が形而上学的に誕生するにはかなりの年月
がかかるかと思われる。現在の状況からして、それを待っているわけにはいかないという
のが私の認識であり、したがって、私は、せめてその方向性を見定めて、具体的な運度を
展開すべきだと申し上げたいのだ。
私は前章で『 人生いろいろ、神もいろいろだが、哲学の問題としては、神をアポロン
的な神とディオニュソス的な神とに峻別しなければならない。アポロン的な力とディオ
ニュソス的な力の統一がパラドックス論理によってなされなければならないのである。エ
ロスについても合理と非合理の統一がなされなければならない。ニーチェはキリスト教の
神と戦うことに一生を捧げたので、その必要性を認識しながらも、パラドックス論理を使
うに至らなかったと言い得るかもしれない。必然的な自己矛盾を克服できなかったのであ
る。私は、今後、ニーチェの神に対する考えを中心として、ハイデガーやホワイトヘッド
らの良いところ取りをして新しい21世紀の哲学を作ることができると思う。』・・・と
申し上げた。
古代ギリシャにおいては、ディオニュソス=シヴァと考えておおむね間違いではない
が、実は、厳密に言えば、両者の間に異なる点がある。これ以降、私は、ディオニュソス
とシヴァを峻別して、ディオニュソスをシヴァと言い換える。シヴァはまさに東洋的で、
ディオニュソスの源流に存在する。西洋的なものと東洋的なものを統一した哲学を考える
場合、少しは西洋の色の染まったディオニュソスよりも西洋の色のまったく染まっていな
いシヴァを対象にすべきだと思う。アポロンは西洋であり、シヴァは東洋である。シヴァ
は自然の神であり、シヴァの思想は都市に徹底的に反対してきた。その自然が今まさに大
きくクローズアップされてきている。
4、八百万の神
自然のもの全てには神が宿っていることが、八百万の神の考え方であり、欧米の辞書には
Shintoとして紹介されている。日本では古くから、山の神様、田んぼの神様、トイレの神
様、台所の神様など、米粒の中にも神様がいると考えられてきた。自然に存在するものを
崇拝する気持ちが、神が宿っていると考 えることから八百万の神と言われるようになっ
たと考えられる。八百万とは無限に近い神がいることを表しており、数ある多神教の中で
も、数が多い考え方であ ると言える。 またこういった性格から、特定能力が著しく秀で
た、もしくは特定分野で認められた人物への敬称として「神」が使われることがある。
神道における神(かみ)とは、信仰や畏怖の対象である。神道の神々は人と同じような姿
や人格を有する「人格神」であり、現世の人間に恩恵を与える「守護神」であるが、祟る
性格も持っている。この点は、プラトンの認識とは異なるし、私の霊魂論で縷々述べてき
たように、「祟り」は悪魔の仕業であって、神はけっして祟らない。しかし、日本人の伝
統的な認識では「荒ぶる神」が存在する。日本では、祟るからこそ、神は畏れられたので
ある。神道の神は、この「祟り」と密接な関係にある。
(1)自然物や自然現象を神格化した神
この中で最も古いのは 自然物や自然現象を神格化した神である。古代の日本人は、山、
川、巨石、巨木、動物、植物などといった自然物、火、雨、風、雷などといった自然現象
の中に、神々しい「何か」を感じ取った。この感覚は今日でも神道の根本として残るもの
であり、小泉八雲は これを「神道の感覚」と呼んでいる。自然は人々に恩恵をもたらす
とともに、時には人に危害を及ぼす。古代人はこれを神々しい「何か」の怒り(祟り)と
考え、怒りを鎮め、恵みを与えてくれるよう願い、それを崇敬するようになった。これが
後に「カミ(神)」と呼ばれるようになる。
(2)古代の指導者・有力者の神格化
日本において天皇のことを戦前・戦中は現人神と呼び、神道上の概念としてだけでなく、
政治上においても神とされていたことが挙げられる。現在では、昭和天皇によるいわゆる
人間宣言により政治との関わり、国民との関係は変わった。だが、神道においては天照大
御神の血を引くとされる天皇の存在は現在も大きな位置を占め、信仰活動の頂点として位
置付けられている。
また、その時代の有力者を死後に神として祭る例(豊臣秀吉=豊国大明神、徳川家康=東
照大権現など)や、権力闘争に敗れまた逆賊として処刑された者を、後世において「怒り
を鎮める」という意味で神として祭る御霊(ごりょう)(菅原道真、平将門など)もこの
分類に含まれる。
様々な部族が個々に固有の神を信仰していた。それらの部族が交流するにしたがって各部
族の神が習合し、それによって変容するようになった。さらに、北方系のシャーマニズム
なども影響を与えた。これを「神神習合」と呼ぶ学者もいる。この神神習合が、後に仏教
を初めとする他宗教の神々を受け入れる素地となった。
(3)万物の創造主
平田篤胤が禁書であったキリスト教関係の書の影響を受け、天御中主神(アメノミナカヌ
シノカミ)を万物の創造主として位置づけたものである。尊王攘夷思想の基盤を形成し、
近代の教派神道各派にも強い影響を与えている。国家神道の基盤ともなったが、神道事務
局祭神論争(1880年 - 1881年)での出雲派の敗退により表舞台からは消えて潜勢力となっ
た。天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神は造化三神とされた。造化三神は、多くの復古
神道において現在でも究極神とされている。中でも天御中主神(アメノミナカヌシノカ
ミ)は最高位に位置づけられている。
(4) 神名 について
神道の神の名前である神名は、大きく3つの部分に分けられる。例えばアメノウズメノミ
コトの場合
1.
「アメ」ノ
2.
「ウズメ」ノ
3.
「ミコト」
となる。
この他に、その神の神得を賛える様々な文言が付けられることがある。例えば、通常「ニ
ニギ」と呼ばれる神の正式な神名は「アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノ
ミコト」である。
神名は、1.の部分を省略して呼ぶことがある。また、民俗学・神話学など学術的な場面で
は神号(3.の部分)を略すことが多い。
(イ)「アメ」ノ(神の属性)
1.はその神の属性を示すものである。最も多い「アメ」「アマ」(天)は天津神であるこ
と、または天・高天原に関係のあることを示す。「クニ」(国)は国津神を表すこともあ
るが、多くは天を表す「アメ」のつく神と対になって地面もしくは国に関係のあることを
示す。「ヨモ」(黄泉)は黄泉の国の神、「ホ」(穂)は稲穂に関係のあることを示す。
この部分が神名にない神も多い。
(ロ)「ウズメ」ノ(神の名前)
2.はその神の名前に当たる。これもよく見ると、末尾が同じ音である神が多くいることが
分かる。例えば「チ」「ミ」「ヒ」「ムス」「ムツ」「ムチ」「ヌシ」「ウシ」「ヲ」
「メ」「ヒコ」「ヒメ」などである。これらは、神神習合が起こる前の各部族での「カ
ミ」あるいはマナを指す呼び名であったとも考えられる。「チ」「ミ」「ヒ」(霊)は自
然神によく付けられ、精霊を表す(カグツチ、オオヤマツミなど。ツは「の」の意味)。
「チ」より「ミ」の方が神格が高いとされている。「ウシ」(大人)と「∼の大人」の略
称である主(ヌシ)は位の高い神につけられる(オオヒルメノムチ(アマテラスの別
名)、大国主な ど。ムジナ、ミチ等動物と関連する可能性のある「ムス」(産)「ムツ」
(親)「ムチ」(祖)は何かを産み出した祖神を表し「キ」「ヲ」(男)「シ」「コ」
(子)「ヒコ」(彦・比古・毘古)は男神、「メ」(女)「ヒメ」(媛・姫・比売・毘
売)は女神に付けられるものである。特に「メ」のつく神は、巫女を神格化した神である
とされることが多い。「コ」は国造(ミヤツコ)小野妹子など、元は男性を表したが、藤
原氏が女性名として独占し、近世までは皇后など一部の身分の高い女性しか名乗れなかっ
た事から、現代では女性名として定着した。
(ハ)「ミコト」(神号)
3.は神号と呼ばれる。いわば尊称である。代表的なのは「カミ」(神)と「ミコト」
(命・尊)である。「ミコト」は「御事」すなわち命令のことで、何かの命令を受けた神
につけられるものである。例えばイザナギ・イザナミは、現れた時の神号は「神」であ
る。別天津神より「国を固めよ」との命令を受けてから「命」に神号が変わっている。た
だし、『日本書紀』では全て「ミコト」で統一している。特に貴い神に「尊」、それ以外
の神に「命」の字を用いている。特に貴い神には大神(おおかみ)・大御神(おおみか
み)の神号がつけられる。また、後の時代には明神(みょうじん)、権現(ごんげん)な
どの神号も表れた。
(5)「神」という言葉 について
(イ)外国語との関係
日本語における「神」という言葉は、元々は神道の神を指すものであった。ただし『日本
書紀』にはすでに仏教の尊格を「蕃神」とする記述が見られる。16世紀にキリスト教が日
本に入ってきた時、キリスト教で信仰の対象となるものは「デウス」、「天主」などと呼
ばれ、神道の神とは(仏教の仏とも)別のものとされた。しかし、明治時代になってそれ
が「神」と訳された。
逆に外国において、神道の神を指す場合は "Kami" と略されて一般的な神とは区別される
ことが多く、英語版Wikipediaの項目名も "Kami" である。
(ロ)語源
現代日本語では「神」と同音の言葉に「上」がある。「神」と「上」の関連性は一見する
限りでは明らかであり、この2つが同語源だとする説は古くからあった。しかし江戸時代
に上代特殊仮名遣が発見されると、「神」はミが乙類 (kamï) 、「上」はミが甲類 (kami)
と音が異なっていたことがわかり、昭和50年代に反論がなされるまでは俗説として扱われ
ていた。
ちなみに「身分の高い人間」を意味する「長官」「守」「皇」「
代語でいう「オカミ」)、「
」「頭」「伯」等(現
」(神の名)、「狼」も、「上」と同じくミが甲類
(kami)であり、「髪」「紙」も、「上」と同じくミが甲類(kami)である。
「神 (kamï)」と「上 (kami)」音の類似は確かであり、何らかの母音変化が起こったとする説もある。
カムヤマトイワレヒコ、カムアタツヒメなどの複合語で「神」が「カム」となっているこ
とから、「神」は古くは「カム」かそれに近い音だったことが推定される。大野晋や森重
敏などは、ï の古い形として *ui と *oi を推定しており、これによれば kamï は古くは *kamui となる。これらから、「神」はアイヌ語の「カムイ (kmui)」と同語源だという説もあ
る。また、古代トルコ語 (テュルク 語)の「カム (Kam)」と同語源だという説もある。ドイ
ツのハンブルクで出てくるように、地域によって「ハム (Ham)」という読み方もある。
「カム」には「交む」「組む」「絡む」「懸かる」「係わる」「案山子」「影」「
、
鉤」「嗅ぐ」「輝く」「翳す」「首」「株」「黴(かび)」「賀 茂、鴨」「醸す」「食
む(はむ)」「生む」「
(はふる)」「
う」「蛇(ハブ、はふむし)」「土生、埴生(はぶ)」「祝
る(ほふる)」「放る」などの派 生語がある。
第6章 霊魂の科学
第1節 霊魂とは何か
私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(1)」「<100匹目の猿>が100匹」の第6
章で、「岩井國臣という存在が宇宙の中にも波動的に存在している」ということを述べ
た。それが私・岩井國臣の霊魂ということなのだが、そのことを加筆修正して霊魂の科学
的な実態というものを明らかにしてみたい。
同上第4章で、『脳にはいろんなニューロンネットワークがあり、それぞれ独特の律動を
している。すなわち、脳には脳波(アルファー波,ベーター波,デルター波,シーター
波)があるということを述べ、第5章では、宇宙には、いろんな波動があり、磁場、電
場、重力場などの「場」をとおして、物質にある作用を及ぼしているが、私たちの脳もそ
の作用を受けている。』・・・ということを述べた。
私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(1)」「<100匹目の猿>が100匹」につい
ては、是非、次をご覧戴きたい。
http://honto.jp/ebook/pd_25231954.html
脳の中にも波動があり、宇宙からの波動が脳に及んでいる。だとすれば、脳の中では、
内からの波動と外からの波動が共振を起こすだろうということは容易に想像できること
だ。それが科学的事実かどうかは、まだ分からないが、ここで誠に画期的な科学的仮説を
勉強するとしよう。シェルドレイクの「形態形成場」というものだ。 シェルドレイクの
「形態形成場」の仮説は,それ自体まともに勉強するとなると非常に難しい。しかし,私
はそれを何とか分かりやすく説明できるかどうか、自分自身の勉強を進めながら、その難
問に挑戦してみたい。では,始めよう!!!
まずはじめに、シェルドレイクの「形態形成場」というものは、まったく新しい概念で
あるが、そもそも量子物理学でいうところの「場」とは、空間において、ある性質を持っ
た特定の物質が存在する場合に、その物質に作用し、何らかの力が発生させるという空間
的な性質であるということを思い出して欲しい。
シェルドレイクの「形態形成場」というものは、あらゆる物質に作用し、何らかの力に
よって何らかの効果を及ぼすのだが、問題は、どんな力が作用してどんな効果を及ぼすの
かということである。答えを先に行ってしまえば、波動の共振によってその物質の形が決
まるということだ。その摩訶不思議なことが起るのは、「形態形成場」という「場」の性
質による。あらゆる物質に形がある以上、おのおの特定の形態形成場がある筈である。つ
まり、陽子にも、窒素原子にも、水の分子にも、塩化ナトリュームの結晶にも、ミミズの
筋肉細胞にも、ヒツジの腎臓にも、ゾウにも、ブナの木にも、みなそれぞれ固有の形態形
成場があると考えられる。えっ、そんな摩訶不思議なことが・・・・?
さあ、それではその摩訶不思議な「形態形成場」について勉強して行こう。まず固有の
形態形成場があるということは、その物質の形をきめるある特定の固有振動数を持った波
動が、その形態形成場で大きく振動していて、他の波動の振動は小さいということだ。こ
ういっても分かりにくいだろうから、このような喩えがどうだろうか。
形態形成場に100人の岩井國臣の分身がいる。脳の中と宇宙の中にいるということだ
が・・・。岩井1、岩井2,岩井3・・・・岩井99という訳だ。実際の岩井國臣に一番
似ているのはそれらの重み付き平均値岩井100とする。他は岩井國臣に似るというよ
り、岩井國臣の父親に似たり、母親に似たり、兄弟や親戚の者に似ている。岩井國臣が生
まれる以前に、すでに宇宙というか人間の外に存在している波動は、もちろん膨大な数の
波動からなっているのだが、岩井國臣の親兄弟、親戚、或は先祖たちと共振をしていて、
岩井1、岩井2、岩井3・・・・岩井99に特徴的な固有振動数を持っている。宇宙にも
岩井1、岩井2、岩井3・・・・岩井99が波動的に存在しているということだ。一方,
遺伝子を通じて、現実の岩井國臣には岩井國臣の分身である岩井1、岩井2、岩井
3・・・・岩井99が存在している。
したがって、岩井國臣が母親の腹の中で
命を授かった時、成長が始まるのだが、脳
にいる岩井1、岩井2、岩井3・・・・岩
井99と宇宙にいる岩井1、岩井2、岩
井3・・・・岩井99とが、それぞれ共振
あって、それらの合成の結果、岩井100
の固有振動が卓越してくるのである。最終
的は、岩井100の波動が形態形成場で支
配的となり、岩井國臣が誕生する。
判りにくかったかもしれないが、形態形成場の仮説の真髄を理解するのは、シェルド
レイクの「生命のニューサイエンス」(日本版,1986年,工作舎)を熟読する必要が
ある。これがなかなか大変なのである。そこで、シェルドレイクが形態形成場の仮説の
真髄を言い表しているのではないかと思われる部分を次ぎに転記するが、これを理解する
のも結構難しいかと思われるので、是非、上記の喩えを参考にしていただければと思う。
次は「生命のニューサイエンス」第5章「過去の形態の影響」からの引用である。すなわ
ち、
『 (形態形成場の考え方は,形態形成場は不変であるという考えとは)根本的にことな
る。化学的形態や生物の形態がくり返し現れるのは、不変の法則や永遠の形態によって決
定されるからではなく、過去の同様の形態からの因果的影響のためだと考えるのだ。この
影響は、既知のどんな物理学的作用とも異なり、空間と時間を超えて作用するものでなけ
ればならない。
この考えによると、システムの形態はそれが最初に現れる以前に物理学的に決定されるの
ではない。にもかかわらず形態が反復されるのは,最初に現れたシステムの形態自体が,
その後に現れる同様の形態を決定するからだ。』・・・と。
この文章で、作用とあるのは「波動の共振」と考えてもらって良い。形態形成場におい
て「波動の共振」の作用によって形というもの(形態)が作られていくのである。
岩井國臣は今ここに生きている。ここの他にはどこにも岩井國臣はいない筈だ。しか
し、岩井國臣の分身は脳の中にもさらには宇宙の中にも存在している。分身は波動的に存
在しているのだが・・・・。
さあ、ここで、肝心なことを申し上げると、脳の中に存在する岩井國臣の分身とか宇宙の
中に存在している岩井國臣の分身というのは、霊魂のことである。霊魂は岩井國臣の身体
の中にも存在するし、宇宙にも存在するということだ。そして上記の説明で岩井國臣1∼
99といったのは、系統発生のことであり、岩井國臣100といったのは、現実の岩井國
臣のことである。現実の岩井國臣の誕生は系統発生を経て誕生する。では次に系統発生に
ついて説明しておきたい。
第2節 系統発生について
私は、三木成夫の著書「胎児の世界」(一九八三年五月、中央公論新社)をもとに、「系
統発生」の摩訶不思議を書いたことがある(電子書籍「女性礼賛」の第2章)。
www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/onna02.pdf
その中の「系統発生」の部分をここに抜き書きしておこう。
『 ニワトリの胚、いわゆる胎児は、黄味の天辺に張り付いた臍のような「胚盤」からで
きてくる。最初は小さな小さな<ちょん髷(まげ)>のようだ。卵を温めはじめて三日目
にもうそれはできかかる。そして、あたかもこれと併行して、まん丸い血管の網が、その
髷の周りの黄味の表面に姿を現す。卵黄血管網である。一方、この楊枝(ようじ)の先に
も満たない胎児にも、その頸(くび)の付け根には、S字にうねった原始の心臓の管が姿
を見せ、ここから細い大動脈の芽がのびて体軸を貫く。
こうして発生の初期、ニワトリの血液は心臓管から大動脈を経て、周りの卵黄血管網に流
れ込み、やがてその円の周りに沿って左右からふたたび心臓管にもどるというかたちで、
ぐるぐると循環を開始する。それは親の<遺産>の黄味によって胎児が養われ、刻一刻と
成長していくのである。』
『「個体発生は系統発生をくり返す」という呪文のようなことばが私の頭から離れず、人
体のなりたちを知るためには、やはり、こうした動物の胎児の世界も避けて通ることはで
きないだろう。ニワトリの卵に手を出し、肉眼では見えない血管に墨を注入し、その網の
目のでき方を調べようとしたのも、すべてこのような経緯からにほかならなかった。』
『原始の脊椎動物である八つ目ウナギは出羽鳥海山の麓で、硬骨魚類のニジマスは青梅の
寒村で、両生類のサンショウウオは山陰の山奥で、爬虫類のアオウミガメは阿波の海岸
で、それぞれ卵が採集され、その少なくとも数百個が慎重に研究室に運ばれる。そこで細
心の注意を払ってそれらの卵を育てながら、毎日毎日の変化をにらみ、発生の段階を追っ
て、それぞれの時期の標本をつくっていく。これが私の取り組んだ「比較解剖学」の研究
内容である。』
『 孵卵器の卵は、こうしていよいよ四日目の後半に入る。成長はめざましい。ひとまわ
り大きくなった勾玉(まがたま)のからだを激しくうねらせながら、胎児は心臓を怒濤の
ように波打たせる。』
『 そこにはまぎれもない<ニワトリ>の顔があるではないか。昨夜からひとまわり大き
くなったといっても、勾玉はまだせいぜい小指の先ほどだ。しかし、見るがいい。それま
での鰭(ひれ)のような前肢(ぜんし)の突起は、明らかにもう将来の翼の方向を目ざし
ている。その口もとは、だれが見ても、ヒヨコの嘴(くちばし)だ。やっぱり、ニワトリ
だった・・・。』
『 ふつう、胎児の発生は、生体の顔かたちができてきたら、そこでまず一息つく。発生
のスピードは、それ以降は急速に衰える。』
『 陸上動物のどんな脾臓(ひぞう)も、発生の初めはみな腸管にくっついていたに相違
ない。それが次第に独立していく。』
『 胎児は、受胎の日から指折り数えて30日を過ぎてから僅か一週間で、あの一億年を
費やした脊椎動物の上陸誌が夢のごとく再現する。』
どうです。胎児の成長というのはまことに摩訶不思議ではありませんか。こんな摩訶不
思議な現象がどうして母親の腹の中で起り得るのか? それが私の問題提起であり、みな
さん方に是非考えてほしいことなのだが、以下に私の考えを申し述べることとしたい。
系統発生は、身体の中における自立的なエネルギーで生じるのではない。天から何らかの
波動が入ってくる。天に存在する魂には、その人が生命を獲得してから以降に発した過
去、もちろん胎児や胎芽のときもふくめてだが、過去のすべての波動を含み、波動の束と
なっている。
心も波動の塊かたまりであるが、その波動の塊は身体の中に当然ある。しかし、実は、そ
れと同じものが天にもあるのである。まずこのことをご理解いただけなければならない。
私は、電子書籍「祈りの科学シリーズ(1)<100匹目の猿>が100匹」に書いたの
で、是非、それをご覧戴きたい。
http://honto.jp/ebook/pd_25231954.html
私も私の両親や先祖はもちろん、私が生命を受け継いできたすべての生命体、それは進化
の系統樹を遡ることになるのだが、すべての系統生命は、現在なお、波動の形で天に存在
しているのである。天というか宇宙は「波動の海」であるのだ。
さあ、そこで問題なのは、「精子と卵子が合体した時、その天にある母自身の波動の束が
母の身体の中の波動の束と共鳴するのか」という問題である。すなわち、母親の波動の束
が直接精子と卵子の合体に作用して生命が誕生するのか、という問題である。私が思う
に、実は、私の霊魂観はプラトンのそれと異なる部分があるのだが、魂というものは身体
が死んでしまってから、そのひとの魂は天に永久に存在するということについては、まっ
たく同じ認識である。詳しいことは、後ほど申し述べるが、私は、その母親の両親を初め
とする系統生命の魂がその母親の身体の中に入ってきて、子供の生命を生むと考えてい
る。
私は先ほど「私の霊魂観はプラトンのそれと異なる部分がある」だと申し上げたが、私
は、「魂は、身体が死んだ時、身体から離れて天に昇っていくのではなく、生前から天に
存在した魂がそのまま永遠に生き続け、身体の中にある魂は身体の死とともにしにたえ
る。」のだと思っている。つまり、魂は身体と天との間を出たり入ったりするのではな
く、身体と天に同時に存在していて、二つの魂が常に共鳴している。身体の魂が成長する
につれて、天の魂もそれに同期して成長する。私の考えはそういうことだ。私たち人間
は、アメーバーの状態から進化の過程を経て、現在の姿がある。その間、そのときの生命
体に応じて天に存在した魂が、そのまま天に存在している。魂は不死であるので、その魂
は生命体に応じて天に存在しているので、生命体が進化してきた以上、魂も進化してきて
いると考えざるを得ない。あらゆる生命体が進化するのと同じように、魂も進化するので
ある。
最初の生命体の誕生、その時の魂が進化して現在の私たちがいる。問題は、私たちの魂が
どのようにして身体の中で成長するか、ということである。本来魂は天に存在している。
母親の腹の中で生命が誕生する時、アメーバーの魂が身体に入るのではなく、天に存在し
たアメーバーの魂が精子と卵子の合体に作用するということである。これは多分シェルド
レイクの「形態形成場」での作用なのであろう。そうして誕生した子供の生命は、シェル
ドレイクの「形態形成場」の中で、天に存在する系統的に進化した魂の作用を受けて、母
親の腹の中て進化の過程を辿らなけばならない。それが系統発生である。
系統発生は何故起こるのか、その説明が上記である。それしか説明のしようがない。魂は
私たちの行動、つまり生き方次第で良くも悪くもなる。プラトンは「魂のせめぎ合い」と
いうことを言っているが、私もそう思う。胎芽の最終段階に作用した魂によって子供の身
体が誕生するが、どうもこの時、子供の魂も誕生するらしい。私の考えでは、身体の誕生
と魂の誕生は同時に起こる。同じように、身体の死と身体の中にある魂の死は同時に起こ
る。この地上の世界が陽の世界だとすれば、どうも宇宙には魂的にはそれとまったく同じ
陰の世界があるらしい。私は「陰陽の世界観」というか「対称性の論理」の立場に立って
いる。
ちなみに、ちょっと横道にそれるが、「対称性の論理」に触れておきたい。量子の世界に
おける対称性とは、対称性を有した波動方程式のことである。しかし、さらにその奥が
あって、「対称性の破れ」という不思議な現象があるようだ。ヒッグス粒子はこの「対象
の破れ」によって生成され、さらにこのヒッグス粒子によって質量をもったいわゆる物質
というものが生成され、今私たちがいるこの物質の世界が作られている。中沢新一の「対
称性」という概念は、量子力学の世界における対称性の概念と同じである。「陰陽の世界
観」というか「対称性の論理」というのはなかなか奥が深いですね。
さて本論の魂の話に戻ろう。誕生したばかりの子供の魂は、本来の人間の魂であって純粋
なものだが、その魂が生後の魂と身体の中でせめぎ合いながら汚れていく。人間の成長に
応じて、魂も変化していくのだ。多くの場合、人間の欲望のために人間の魂は、本来のも
のに比べて汚れていくのである。私たちはできるだけ欲望を断ち、徳と善を生きて魂の清
浄を保たなければならない。私たちが生きているときの魂が子供に引き継がれるのである
から・・・・。
第3節 生命の起源について
生命は、いつ、どこで、いかにして誕生したのか?
この問いかけとそれに対する説明は古代から行われていた。遡れば、人類は古くは神話に
おいて、それを行っていた。また、様々な宗教においても古くからそれは行われ、現在で
も行われている。
古来人々は、生命というのは無生物からわくようにして生じていた、と考えていたふしが
ある。 古代ギリシアにおいては、神話とは異なった哲学的な考え方が行われるように
なったとされる。「アルケー」つまり万物の起源・根源はなにか、という(現在の西洋の
科学に通じる面ももつ)考察が行われた。それと同様に、哲学者によって、生物の起源に
関する考察も行われた。アリストテレスは観察や解剖を行ったが、彼の説は動物は親の体
から産まれる以外に物質からも生じることもあるとし、その見解はその後およそ二千年間
も支持されることになった。また彼は世界には生命の胚種が広がっており、それが物質を
組織して生命体を生じさせると考えていた。
近代でも自然哲学者らが考察を行った。さらに19世紀になり科学者という職業が誕生す
ると、この科学者たちも同様の考察・研究を行い、生命の起源の仕組みを何とかして科学
的に説明しようとする試みが多く行われてきた。
現在、科学の領域における仮説の多くは、チャールズ・ダーウィンの進化論を適用するこ
とによって、おそらく最初に単純で原始的な生命が生まれ、より複雑な生命へと変化する
ことが繰り返されたのだろうと推察している。また、われわれヒトの誕生(人間の存在)
を分子生物学的に説明するという試みも行われている。また科学者の中には、宇宙空間に
は生命の種のようなものが広がっており、生命の誕生の場所は地球上ではなかったとする
説(パンスペルミア説)を支持する人々もいる。
つまり現在、地球上の生命の起源に関しては大別すると三つの考え方が存在する。ひとつ
は、超自然現象として説明するものであり、一例を挙げると神の行為によるもの、とする
説である。第二は地球上の化学進化の結果と考える説である。第三は、地球外に起源があ
るとする説で、パンスペルミア説と呼ばれる。現代でも、第一の超自然現象説や第三のパ
ンスペルミア説を発表する学者は多い。(自然科学者の間では)一般的には、オパーリン
などによる物質進化を想定した仮説が受け入れられているとされる。
生物が無生物質から発生する過程は、自然、実験の両方で、観察、再現されていない。ま
た理論的にも、生命の起源に関しては、決定的な解答は得られていない。
なお、自然科学においては、ただ「生命の起源」と言っても、そこには、生命とは何か
(生命の定義)、生命はどこから・どのように誕生したのか(狭義の生命の起源)、生命
はどのように多様性を獲得したのか(種の起源)、という問題・テーマが関連してくるこ
とになる。
生命とは何か(生命の定義)についてもまだ定説はないのであるが、ただ最新の科学「量
子脳力学」ではどのように考えられているのか、その最新の知見を次の節で紹介しておき
たい。また、生命の進化(種の起原)については、私の霊魂論と深く関わっているので、
その後節を改めて書き記すこととしたい。
第4節 生命の実体
私は、「脳と心の量子論・・場の量子論が解き明かす心の姿」(治部眞理、保江邦夫、1
998年5月、講談社)にもとづいて心の実態を求めて必要な勉強を進めてきて、その要
点を電子書籍「書評・日本の文脈」の補筆として書いた。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/bunhohitu1.pdf
その中で、現在量子脳力学で理解されている「生命の実体」については、下記の通りであ
る。
驚くべきことに、このようなミッキーたちの動きというものは、脳の中だけではなく
て、お尻の細胞であろうと、あるいは他の動植物や単細胞生物の細胞であろうとも、一般
的に行われているという。そして、そういう生物が死んだ場合、ミッキーたちの動きがだ
んだんとバラバラになっていき、だんだんとダイナミカルな秩序が消えていってしまうら
しい。このことから、次のような極めて重要な結論が導き出される。すなわち、
『生命とは、細胞のミクロな世界に広がるミッキー場が隅々まで張り巡らしたダイナミカ
ルな秩序、小さなミッキーたちが集団で演技する、調和のとれた華麗なシンクロナイズス
イミングそのものである。』
私の教科書「脳と心の量子論」(治部真理、保江邦夫、1998年5月、講談社)では
以上のような考えについて次のように言っている。すなわち、
『もちろん、これは場の量子論によって理論的に考え出された一つの理論にすぎず、実験
によって実証されたものではありません。それでも、本質に迫る理論だという確証がある
のです。
いったい、なぜでしょうか?
実は、生命のない物質の性質を調べるために用いられた範囲では、場の量子論の理論的
考察はすべて正しい結果を導いてくれたのです。いまでは、場と量子という概念によって
ミクロのスケールでの物質のなりたちを説明することに、全く疑問をはさむ余地はありま
せん。
だからこそ、生命のある物質の場合にも、きっと正しい結論を与えてくれるはずです。
それに、万が一最終的な答えになっていなくとも、少なくとも、そこから何か生命の本質
に迫るきっかけがつかめるのではないでしょうか。
世界で最初にこう考えた理論物理学者が、梅沢博臣と高橋康なのです。時に1960年
代から70年にかけてのことでした。
しかも、アメリカやカナダ、ヨーロッパで多くの優秀な物理学者の弟子たちを育てた二
人だけあって、そのあとにつづく研究も盛んになっています。(中略)キーポイントは、
細胞の中の水、ミクロの量子の世界でのミッキー場の秩序ある運動でした。それまでだれ
ひとりとして顧みることのなかった、場の量子論でしか理解することのできない細胞内外
の秩序運動に目を付けたのは、場の量子論の大家としての「勘所」にちがいありませ
ん。』・・・と。
理論物理学者・梅沢博臣と高橋康によれば、「生命とは量子論的な秩序」なのである。
現在量子脳力学で理解されている「生命の実体」については以上の通りであるが、結局、
現在のところこれ以上のことは判っていない。つまり、「生命の起源」において、どうし
て「量子論的な秩序」が形成されるようになったのかは、今のところ、量子脳力学では
まったくお手上げなのである。
第5節 私の霊魂論
1、生霊について
プラトンの霊魂論は、人は死ぬとその霊魂が身体から遊離して、原則として天に昇るとい
うものだが、成仏できない場合もあり、その場合は亡霊としてこの世をさまよう、という
ものだが、人間に限っての論理である。きわめて奥の深い哲学であり、さすがプラトンだ
と私は深甚なる敬意を表しておきたい。しかしながら、私のリズム人類学の立場からは、
上述してきたように、最新の科学的知見を踏まえ、私の霊魂観を持っている。基本的には
プラトンの霊魂論を踏襲しつつも、日本の伝統的な霊魂から、少し修正を加えたい。それ
は「生霊」というものをどう考えるか、ということである。プラトンの霊魂論では、「生
霊」の科学的な説明ができない。動物霊の「つきもの」の説明もできない。すべての
「命」には霊魂があるということは、上述した通りである。この動物霊が人間についたも
のが「つきもの」である。生霊もそれと同じ現象なのだが、以下において、「生霊」につ
いて、ウィキペディアの記述を紹介しておこう。
生霊(いきりょう、しょうりょう、せいれい、いきすだま)とは、生きている人間の霊魂
が体外に出て自由に動き回るといわれているもの。人間の霊(魂)は自由に体から抜け出
すという事象は古来より人々の間で信じられており、多くの生霊の話が文学作品や伝承資
料に残されている。広辞苑によれば、生霊は生きている人の怨霊で祟りをするものとされ
ているが、実際には怨み以外の理由で他者に憑く話もあり、死の間際の人間の霊が生霊と
なって動き回ったり、親しい者に逢いに行ったりするといった事例も見られる。
(1)古典文学
古典文学では、『源氏物語』(平安時代中期成立)にお
いて、源氏の愛人である六条御息所が生霊となって源氏
の子を身籠った葵の上を呪い殺す話がよく知られてい
る。また、『今昔物語集』(平安末期成立)27巻20話
に、辻で立っていた女が実は夫に離婚された近江国の女
房の生霊だったというものがある。
憎らしい相手や殺したい相手に生霊が憑く話と比べると数が少ないが、相手に恋焦がれる
あまり、その想いの強さが生霊となって恋する相手に憑く話もある。江戸中期の随筆集
『翁草』56巻「松任屋幽霊」では、享保時代に京都のある男性に近所の女性が恋をして、
あまりに強い想いが生霊となって彼に取り憑き、想いを囁いたり男の体を激しく動かした
りし、男が散々悩まされた挙句に病の床に臥せってしまったという話がある。また、寛文
時代の怪談集『曾呂利物語』では、ある女性が眠っている間に、その生霊が抜け首となっ
てさまよい歩き、道端で男に追いかけられ、眠りから目覚めた後に「外で男に追いかけら
れる夢を見た」と語っており、かつて夢とは生霊が遊び歩いている間に見ている光景と解
釈されていたことが窺える。
(2)民間信仰
死に瀕した人間の魂が生霊となる伝承が、日本全国に見られる。青森県西津軽郡では、死
の直前の魂が出歩いたり物音を立てたりすることを「アマビト」といい、同様の怪異を秋
田県鹿角地方では「オモカゲ(面影)」という。岩手県遠野地方では、人間の心だけが遠
くの故郷へ赴くことを「オマク」といい、民俗学者・柳田國男の著書『遠野物語拾遺』に
も記述が見られる。能登半島では「シニンボウ(死人坊)」といって、数日後に死を控え
た者の魂が寺へお礼参りに行くという。こうした怪異はほかの地域にも見られ、特に戦時
中、はるか日本国外の戦地にいるはずの人が、肉親や知人のもとへ挨拶に訪れ、当人は戦
地で戦死していたという伝承が多くみられる。
また昭和15年(1940年)の三重県梅戸井村(現・いなべ市)の民俗資料には前述の『曾
呂利物語』と同様の話があり、深夜に男たちが火の玉を見つけて追いかけたところ、その
火の玉は酒蔵に入り、中で眠っていた女中が目覚めて「大勢の男たちに追いかけられて逃
げて来た」と語ったことから、あの火の玉は女の魂とわかったという。
(3)病とされた生霊
江戸時代には生霊が現れることは病気の一種として「離魂病」(りこんびょう)、「影の
病」(かげのやまい)、「カゲワズライ」の名で恐れられた。自分自身と寸分違わない生
霊を目撃したという、超常現象のドッペルゲンガーを髣髴させる話や、生霊に自分の意識
が乗り移り、自分自身を外側から見たと言う体験談もある。また平安時代には生霊が歩く
回ることを「あくがる」と呼んでおり、これが「あこがれる」という言葉の由来とされて
いるが、あたかも体から霊だけが抜け出して意中の人のもとへ行ったかのように、想いを
寄せるあまり心ここにあらずといった状態を「あこがれる」というためと見られている。
(4)生霊と類似する行為・現象
「丑の刻参り」 は、丑の刻にご神木に釘を打ちつけ、自身が生きながら鬼となり、怨め
しい相手にその鬼の力で、祟りや禍をもたらすというものである。一般にいわれる生霊
は、人間の霊が無意識のうちに体外に出て動き回るのに対し、生霊の多くは、無意識のう
ちに霊が動き回るものだが、こうした呪詛の行為は生霊を儀式として意識的に相手を苦し
めるものと解釈することもできる[10]。同様に沖縄県では、自分の生霊を意図的に他者や
動物に憑依させて危害を加える呪詛を「イチジャマ」という。
また、似ていることがらとしては、臨死体験をしたとされる人々の中の証言で、肉体と意
識が離れたと思われる体験が語られることがある。あるいは「幽体離脱」(霊魂として意
識が肉体から離脱し、客観的に対峙した形で、己の肉体を見るという現象)も挙げられよ
う。
2、地霊
ゲニウス・ロキ(地霊)とは、現代建築において「ある場所の特有の雰囲気」を指す 言
葉である。中村雄二郎は「ゲニウス・ロキは、それぞれの土地がもっている固有の雰囲気
であり、歴史を背景にそれぞれの場所がもっている様相である」と説 明している。ゲニウ
ス・ロキ概念は、建築ならびにランドスケープ、タウンスケープ(シティスケープ)等に
おいて、その場所の歴史的経緯や雰囲気、変遷を考 慮する必要があると主張するもので
ある。
(1)ローマの「土地の守護精霊」
ラテン語では「genius locī」(ゲニウス・ロキー)と表記する。geniusは英語のspirit
(精神・魂・精霊)であり、locīはlocus(場所)の属格単数であ る。したがって、ゲニ
ウス・ロキーとは、ある場所を司る精霊のことであった。ローマ神話において、ゲニウ
ス・ロキーはある場所の守護精霊であり、蛇の姿で 描かれることも多かった。
ゲニウスはもともと、「(父性として子を)産ませる」「生み出す」といった意味の
gignoと関連する言葉である。これが守護する精霊・精気の概念に移行した。
ゲニウス・ロキーは土地に対する守護霊であるが、日本の土地の神様や産土神のような鎮
守様のようなものではなく、姿形なくどこかに漂っている精気のようなものとされる。
グレッグ・ウルフ教授の論文『古代ローマにおける神性と権力』では、「地区連合が、統
治している皇帝のゲニウスに対する定例のいけにえを行 なっていた」とされている。これ
らの265の地区には「ラレース・コンピタレス(Lares Compitales、岐路の神)」を中心
として組織された信仰集団があったが、アウグストゥス帝はゲニウス・アウグスティとと
もにラレース・アウグス ティへの信仰集団に再編した。 皇帝のゲニウスがローマ帝国の
「場所」全体の「ゲニウス・ロキ」とされていたということになる。
これらの精霊のローマにおける事例としては、ウィルトシャー・テケナムのセントジャイ
ルズ教会で、ローマ人の建物の残骸で建てたノルマン教 会の壁のレリーフにゲニウス・ロ
キがみつかる。。これは、若々しい巻き毛のローマのゲニウスが、左手に豊穣の角、右手
にパテラ(神酒の皿)を持っている高浮彫りであるが、これまで誤って医神アイスクラー
ピウスとされてきた。
(2)アレクサンダー・ポープ
Genius Lociという概念を建築の分野に持ち込んだのは、18世紀イギリスの詩人アレキサ
ンダー・ポープであった。ポープは、建築道楽で有名だった政治家バーリントン卿リ
チャード・ボイルに宛てた書簡(「バーリントン卿への書簡」、『書簡集4』1731年)に
おいて「genius of place」という言葉を使っている。これが建築学に「ゲニウス・ロキ」
概念が導入された最初の例であるとされる。
すべてにおいて、その場所のゲニウス(精霊/雰囲気)に相談せよ。
それは水を昇らせるべきか落とすべきかを告げてくれる。
丘が意気揚々と天高くそびえるのを助けるべきか、
谷を掘って丸い劇場にするべきかを教えてくれる。
土地に呼びかけ、森の中の開けた空き地を捕まえ、
楽しげな木々に加わり、木陰から木陰へと移り、
意図したラインを切ったり、方向を変えたりする。
あなたが植えたとおりに塗り、あなたが作ったとおりにデザインしてくれる。
(松永英明訳)
すなわち、建築や造園において、その場所のゲニウス(ゲニウス・ロキ)に適合させよう
とすることが、趣味のよいものを作り出すことになるというのである。
すべての場所はそれぞれ独特な特質を持っている。それは、物質的な構造だけではなく、
どのように認知されるかという点でも同様である。そこ で、建築家やランドスケープデザ
イナーはこの独特な特質を敏感に察知し、それを破壊するのではなく増強する責任を持つ
ことになる(が、そうでないことが多 い)。
ここにおいて、「ゲニウス・ロキ」概念は、「その場所の特別な雰囲気」という意味が強
調されることになった。
クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ『ゲニウス・ロキ―建築の現象学をめざして』
(Christian Norberg-Schulz, Genius Loci (1979)、加藤邦男・田崎祐生訳 住まいの図
書館出版局 1994)では、プラハ、ハルトゥーム、ローマの3都市のゲニウス・ロキを分析
しているが、個々の場所ではなく都市単位で考察しているため、一般的なゲニ ウス・ロキ
概念とは少々異なっている。なお、本書の邦訳には毛綱毅曠・鈴木博之・松岡正剛の対談
も収録されており、貴重な一冊となっているが、絶版である。
(3)日本でのゲニウス・ロキ「地霊」
日本でゲニウス・ロキ概念について最も詳細に語っているのは、鈴木博之である。鈴木博
之は、当初ゲニウス・ロキを「土地の精霊」と訳してきたが、後 に「地霊」という訳語を
当てるようになった。これについて、「わが国でも土地と精神性との関係を意識する伝統
は古来あって、「英雄の出づるところ地勢よ し」とか「人傑地霊」という言葉も存在す
る」ことから「地霊」という言葉を採用したと述べている。
鈴木博之の地霊に関する著書には、その代表的なものとして『建築の七つの力』(鹿島出
版会、1984)がある。
「地霊の力」の項(初出は『アプローチ』1979年夏号所収の「見えないものの力」)
で、タウンスケープに絡めて地霊(ゲニウス・ロキ)について述べられている。
「ゲニウス・ロキとは、結局のところある土地から引き出される霊感とか、土地に結びつ
いた連想性、あるいは土地がもつ可能性といった概念になる。」
「地霊の力(ゲニウス・ロキ)という言葉のなかに含まれるのは、単なる土地の物理的な
形状から由来する可能性だけではなく、その土地の もつ文化的・歴史的・社会的な背景
を読み解く要素もまた含まれているということである。こうした全体性に目を開くこと、
すなわちタウンスケープを、その土 地固有の微地形や歴史性との対応のなかで読み解く
ことこそが、地霊の力(ゲニウス・ロキ)に対する感受性を生み出すのである。」
「建築的営為とは、地霊の力(ゲニウス・ロキ)を一方に据えてなされてきたものではな
かったのか。そしてその集積が都市を作り上げてきたのではなかったか。」
「現代の東京の近代的なタウンスケープを訪れる際にも、われわれはその土地が歴史的必
然をもってそのような現状に至っていることを忘れてはなるまい。そうした目をもつと
き、はじめて新旧の街並みを統一的に見ることが可能となろう。」
タウンスケープにおいて、その土地の歴史的経緯が重視されており、この視点は続く著書
において具体的に展開されることとなる。
3、霊魂論:プラトンと私の違い
プラトンの霊魂論は人が死んだときに霊魂が身体から離脱して天に昇っていくというもの
だが、これでは生霊が説明できない。生霊なんてそんなものは存在しないと言ってしまえ
ば、それまでのことであるが、上述のように、日本では、生霊はさまざまな形で語られて
きており、私は生霊は存在するのだと思う。だったら、プラトンの霊魂論は修正されなけ
ればならない。また、ホワイトヘッドの活動的存在というのは、「死」とはまったく関係
のない形而上学的思考から思いついたもので、霊魂はその活動存在のひとつである。した
がって、ホワイトヘッドの哲学では、霊魂は死とは関係なく関係なく存在するということ
になる。
私は、プラトンの壮大な哲学を基礎として、その後の注釈的な哲学で必要な修正を行っ
て、少しずつではあるが、逐次、新たな哲学を構築していく哲学者の努力が求められる。
私は、哲学者ではないけれど、哲学者に向かって、或いは哲学を愛好する人に向かって、
はたまた国のリーダーであるべき政治家に向かって、新たな哲学の課題を気のついた範囲
で申し述べているのである。霊魂論というのは極めて大事である。政治と深く繋がってい
る。だからプラトンは霊魂論を論じたのだが、私もまったく同じ感覚で、もちろんプラト
ンを勉強する過程でそういう感覚になったのだが、正義ある政治が行われ、この日本とい
う国が正義ある国なるために、私の霊魂論を申し述べているのである。私の考えでは、私
の霊魂論の立場に立たないと、日本は、靖国神社の問題を解決することはできないし、世
界に認められた世界に冠たる平和国家になることは到底できない。私の霊魂論が哲学者や
哲学愛好家や政治家や、そして多くの国民に理解されるようになれば、日本は世界に冠た
る平和国家になることができる。ことほどさように霊魂論というのは大事なのである。
また、私の霊魂論の立場に立たないと、次に記す「100匹目の猿現象」などの科学的事
実「脳と波動の法則・・宇宙との共鳴が意識を創る」(浜野恵一、1997年3月,PHP
研究所)が説明できない。以下、その説明をしておきたい。
(1)「100匹目の猿現象」
宮崎県の南部の海上に幸島(こうじま)という無人島がある。そこには数十匹の野生の
日本猿が,以前から生息していた。独創的な「棲み分け理論に基づく今西進化論」で世界
的に著名な生物学者,今西錦司京都大学教授が主宰する同大学の動物学教室では,195
2年にこの幸島の野生猿の生態研究のために,餌付けを開始した。このフィールドワーク
には今西教授の門下生である徳田喜三郎,伊谷純一郎両博士が責任者となり,京都大学の
動物教室の若い研究者たちがそれに従事した。
幸島に生息する野生の猿に,研究者たちがこれまでの猿たちの食物であった植物の芽
や,つぼみ、果実といった自然のものに替えて,新しく餌付けのためのサツマイモを与え
始めた。最初に専従者たちが予想していたより容易に,このサツマイモの餌付けは成功し
た。この島の野生猿たちは,意外とこのサツマイモを気に入ったようであった。しかし、
これらのサツマイモには、砂や泥が付いて汚れたものがかなりあったので、猿たちはそれ
らを嫌って残すことがあった。
そのような状況下である日突然,群れの中の生後18ヶ月の若い雌猿が,そのイモを海
辺に持っていき,海水に浸けて洗って食べることを思いついた。塩味が付いたイモは、若
い雌猿にとってこれまでにない美味なものであったろう。しかも海水に浸けることで、砂
や泥の汚れも取れるという利点がある。早速この雌猿は、母親にイモを洗うことを教え
た。やがてその食習慣は他の猿にも、非常にゆっくり伝播していった。ここまではごく当
たり前の現象である。私たちの社会の中にも見られるように、新しい習慣を頑なに拒絶す
る猿もいたのである。現在では「100匹目の猿効果」といわれている、奇妙な現象が生
じたのは、サツマイモの餌になって6年目のことであった。この100匹目の猿の加入に
よって、あたかも臨界量を突破したかのように、その日の夕食時にはほとんど全部の猿
が、イモを洗って食べるようになったのである。さらに、もっと驚くべきことが同時に
起った。海を隔てられている別の無人島の野生猿のコロニーにも、本州の高崎山のコロ
ニーにも、このサツマイモを洗う食習慣が自然発生したのである。後にこれは「100匹
目の猿効果」と呼ばれるようになり、いまでは猿以外のものにも、同様な現象例の認めら
れることが、他の科学者によって指摘されている。
(2) シュガーとパーキンスの鳩の誠に不思議な話
鳩、鮭、鰻、蜂や渡り鳥など多くの動物には帰巣本能がある。誠に不思議だと言わざる
を得ない。帰巣本能は一般に、動物が住み慣れた巣の方向を感知するために、太陽や星の
位置と高さ、地球磁場、風の超低周波音の波形といった種々の手がかりを利用して、帰巣
する能力のことであるが、そもそも何をどう感知するのか?そりゃあ∼動物によって感知
するものが違うのさ・・・という説明では、そこで思考停止になっていて、とても科学的
な説明とは言えない。私は、納得のいく科学的説明を未だ聞いたことがない。皆さんも是
非ネットで調べてみて下さい。ウィキペディアにもまだ書いてないし、他に納得のいく科
学的説明を見ることはできないだろう。今私が勉強しようとしているのは、思考停止のま
まになっている帰巣本能に関する科学的説明に風穴を開けることだ。それにはまず「脳と
波動の法則・・宇宙との共鳴が意識を創る」(1997年3月,PHP研究所)という浜野
恵一の著書を勉強するところから始めなければならない。浜野恵一のこの著書には、帰巣
本能ということでは絶対に説明でない、先の「100匹目の猿現象」のほか、有名な二つ
の科学的事実が記述されているので、まずそれをここに紹介しておきたい。
一つは、「ロッキー山脈を越えて主人を探し当てた猫」の例(その猫の名はシュガーと
いうので、以下においてシュガーの例と呼ぶ)である。二つ目は、それと同様な鳩の例
(その鳩はパーキンスという少年が飼っていた伝書鳩であるので、以下においてパーキン
スの鳩の例と呼ぶ)である。
シュガーの例はこうである。
カリフォルニア州に住んでいたシュガーの飼い主は、都合で2400キロ離れたオクラ
ホマ州に移転することになった。2400キロというと、概算で北海道の稚内から、青
森、東京を経て鹿児島まで、直線で結んで2400キロであるから、それ以上ということ
になる。飼い主は隣人にシュガーの飼育を依頼して、1951年6月にオクラホマへ転宅
して行った。シュガーは隣人宅に半月ほど飼育されていたが、ある日突然いなくなった。
それから一年と四ヶ月経った1952年の八月のある朝、オクラホマの引っ越し先で、
シュガーのもとの飼い主が乳牛の搾乳をしていたとき、見る影もなく痩せ衰えて、薄汚れ
たペルシャ猫が入ってきて、搾乳中の自分に身体をすり寄せ喉を鳴らすのを見てシュガー
だと分からなかった。しかしよく見ると毛色は汚れているがクリーム色で,仔猫の時右の
後足を骨折し,ひとめで分かる後足の歪みがシュガーにはあったが,その猫の後足にまさ
にその痕跡が認められたのである。
元の飼い主は「シュガーだ!」と叫んで,妻に知らせた。カリフォルニアからオクラホ
マまでの2400キロというとてつもない道程を,シュガーは踏破して元の飼い主を探し
当てたのである。しかもこの道程には,アメリカで最高峰のロッキー山脈が横たわってお
り,砂漠も存在する。それらの難所を乗り越えてシュガーは,主人の元に帰ってきたので
ある。
なお、シュガーと同じような出来事が最近もあった。 AP通信によると、「米西部コ
ロラド州で約5年前、飼い主の家から姿を消した雌の三毛猫ウィローが2011年14
日、約2600キロ東のニューヨーク市内で発見された。体内に埋め込まれたマイクロ
チップが識別の決め手だったが、どのようにしてニューヨークに移動したのか、どんな生
活を送っていたのかなどは謎に包まれたままだ。」
パーキンスの鳩の例はこうである。
1939年のことである。その年の冬,12歳のパーキンス少年は自宅のサマーズヴィ
ルから112キロ離れた,ウェストヴァージニア州にあるマイヤーズ記念病院に入院中で
あった。そのことが起ったのは,少年が手術を受け,術後の療養中のある吹雪の夜であっ
た。病室の窓に吹き付ける風や雪に混じって,何か物がぶつかるような音を,その少年は
聴いたような気がした。パーキンスは術後のため,ベッドから降りて窓の外を調べること
ができなかったので,看護婦を呼んで調べさせることにした。看護婦が病室の窓の傍に
行って外を透かしてみると,夜陰の中で一羽の鳩が病室には入ろうとして,その窓に体当
たりをしていることが分かった。少年はハッと気付くことがあって、看護婦に窓を開けさ
せた。するとすぐに一羽の鳩が少年の病室に飛び込んできた。
パーキンスは看護婦に叫んだ。「その鳩をつかまえて、鳩の脚に輪がはめてあるか調べ
て!はめてあったらその番号を読んでみて』。
その番号は「AU39C&W167」であった。その鳩は,可愛がってペットにしていた鳩で
あった。鳩は少年が病院に入院して数日後,自宅から姿を消したのである。シュガーほど
ではないが,112キロといえば相当な距離である。私が住んでいる岡山を基点にして考
えれば,鳥取ぐらいの距離がある。一体どのようにしてこの鳩にしてもシュガーにして
も,飼い主の居所が分かったのであろうか。
(3)ブラシーボ効果では説明のつかない医学的事実
村上和雄の著書「人は何のために<祈る>のか」(2010年12月,詳伝社)によ
れば、「祈り」についても同様のことがあり,それは医学的事実として認められる。しか
し、医学的事実として、ブラシーボ効果では説明のつかないことがあるという。上記著書
から,その部分を紹介しておく。すなわち、
『 最近、アメリカの病院で,大変興味ある実験が行われました。新病患者393人に
よる実験で,他人に祈られた患者はそうでない患者よりも人工呼吸器,抗生物質,透析の
使用率が少ないということがわかりました。しかも、西海岸にあるこの病院に近いグルー
プからの祈りも,遠く離れた東海岸側からの祈りも,同様に効果がありました。そして、
これらの患者は祈られていることすら知らなかったのです。距離を超えて,他の人のため
に祈ることが有効だとすると,この祈りは単なるブラシーボ効果では説明がつきませ
ん。』・・・と。
(4)「霊魂」による説明
私は、私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(1)」の「<100匹目の猿>が100匹」
でやや複雑な説明したが、ちょっとややこしかったかと思うので、ここでは私の「霊魂
論」にしたがって説明をやり直したい。その方がすっきりした説明になるかと思う。
のちほど説明するように、天空には神の領域と悪魔の領域がある。そして、ここが大事な
ところであるが、私たちの身体に存在する霊魂は、常に新たな要素が加わって、全体とし
ては成長していく。良い魂に変化していくか悪い魂に変化していくかは、その要素次第で
あって、日常生活において、できるだけ徳を積むように心がけていれば良い魂が加わって
いくし、非道徳的なことをやっておれば悪い魂が加わっていく。
私は、電子書籍「祈りの科学シリーズ(1)」の「「<100匹目の猿>が100匹」で
「外なる神」の説明をしたが、これは「祈り」に焦点を当てていたために、神の領域にお
わす神のことを言ったまでで、実は、「外なる悪魔」も天空には存在するのである。私た
ちが死んだのちに神の国、これは神の園という言い方もあるが、そのような神の国に住む
ことができるかどうかは、私たちの魂が最終的にどのような魂に変化しているかどうかに
かかっている。生きている間に存在する霊魂、これは身体の霊魂ということだが、良い霊
魂の要素と悪い霊魂の総体である。どんな悪人の霊魂でも、その人が神を信じて必死に
なって「祈り」を捧げておれば、総体としての霊魂はいっきょに神の国に赴くことのでき
る良い霊魂に変化する。「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや−」という親鸞の
「悪人正機説」は、今述べた私の霊魂観の立場に立てば理解が容易であろう。要は、必死
になって神に「祈り」を捧げるかである。
私は、「外なる神」と同じように、、電子書籍「祈りの科学シリーズ(1)」の「「<1
00匹目の猿>が100匹」で「内なる神」の説明をしたが、これは「祈り」に焦点を当
てていたために、身体に存在する良い霊魂の要素のことを言ったまでで、実は、「内なる
悪魔」も身体には存在するのである。
この総体としての霊魂は、天空にも存在している。身体の霊魂と同じものが天空にも存在
しているのである。身体の霊魂と天空の霊魂。この二つの霊魂が響き合う、つまり共振す
るのである。魂は総体として常に成長している。それは基本的に日々の生活次第で良い魂
になるのか悪い魂になるが決まるのであるが、どんなに悪い魂でも、必死に「祈り」を捧
げていれば、総体としては、いっきょに良い魂に変化する。身体の魂が良ければ、天空の
魂は神の園に存在することができるが、身体の魂が悪ければ、天空の魂は悪魔の国に迷い
込んでしまう。天空の魂が神の国に住もうと悪魔の国に住もうと、身体の魂は天空の魂と
響き合う、つまり波動として共振を起こすのである。しかし、ここで大事なのは、神の国
に存在する天空の魂は神の波長と調和的で、悪魔の国に存在する天空の魂は悪魔の波長と
調和的である。身体の魂が悪いと悪魔の付け入る隙があって、その人間はいろいろと悪質
なことをやらかすのである。私たちは、ゆめゆめ悪魔の付け入る隙を与えてはならない。
自分で関心できないと思う生活が続いたときは、猛反省をして神に「祈り」を捧げなけれ
ばならない。けっして傍若無人な生活をしてはならないのである。
さて、「100匹目の猿現象」であるが、天空での頑固猿の霊魂が発する波動、その波動
が、形態形成場という「場」の見えざる力によって,99匹の猿に強い影響を与えたので
ある。この作用は,時間と空間を超えて作用する。子供の猿の芋洗い状況を頑固猿は何度
も見ている。その「記憶」は頑固猿の脳に保存されている。芋洗い状況に応じた波動特性
が保存されている。ついに頑固猿はまねをする勇気ある決断をする。それによって頑固猿
の天空の魂と地上の魂との共振が起こる。そして、頑固猿とすでに芋を洗っている猿たち
との響き合いが発生するのである。ということは、天空には芋を洗っている猿たちの霊魂
がいるから、頑固猿はそれら霊魂との響き合いもやっていることになる。「地上の波動と
宇宙的な霊魂の波動との共振」が起こっているのだ。「地上の波動と宇宙的な霊魂の波動
との共振」、この共振現象は広域にわたって引き起こされるので、海を隔てた他の島の猿
にとって外部からの刺激となる。それが猿の「意識形成場」に作用し、他の島の猿にも芋
を洗おうとする「意志」が発生するのである。
ペルシャ猫シュガーの不思議について。飼い主の宇宙的な霊魂が発する波動とシュガー
が発する波動はとも共振を起こすので,共振波動がやってくる方向に向かって進んで行け
ば良いのである。パーキンスの鳩の場合も同様だ。「波動の共振」には強弱があるので、
弱い場合は人間はそれを受信することはできない。しかし、猫や鳩は独特の進化を遂げて
おり、弱い波動でも受信できる独特の能力を持っている。猫や鳩は人間の「願い」や「祈
り」を理解することができる。脳の中で起こる「波動の共振」は、要するに、発信側の能
力と受信側の能力が関連して、強弱がある。直観の働く人は、発進力も受信力も強い。念
力の働く人も同様である。だから、私たちは直観がはたらくよう訓練すると良い。座禅や
ヨガも良いかもね。
「100匹の猿現象」と同じ現象が「祈り」の場合にも起る。つまり、祈りによって
ある刺激が脳に起り,その振動に応じて「波動の共振」が発生する。シェルドレイクの
「形態形成場」という「場」において、天空の神が人びとの願いを聞き入れて発する波
動、それは「さよう、さよう」と肯定するだけのものだが、そういう神の発する波動と、
地上にいる人の霊魂とが共振を起こすのである。人の霊魂というものは、神の「さよう、
さよう」という声を聞くことができるのである。そう考えれば、「祈り」の不思議な効果
も科学的な理解が容易であろう。
もちろん、怨霊など悪魔の発する波動とも人の霊魂は共振を起こすので、いわゆる「牛
の刻参り」の不思議な効果も科学的にあり得る。しかし、自分の魂をいい状態に保つため
には、ゆめゆめ「牛の刻参り」などはけっして行ってはならない。人間は、できるだけ神
と自分の魂との交信をやって、常に魂の保全を図らなければならない。
最終章で述べるように絶対神は天のいちばん高いところにいる。それは多分宇宙のはるか
彼方であろう。だから、そこから見れば、地球なんてものは極めて微小なものであり、そ
こから発信される波動は地球上のいかなるところにも、共時的に届く。波動現象が共時的
であることは、しっかり頭に刻んでおいて欲しい。
プラトンは、「100匹目の猿現象」などの科学的事実を知らないし、近年の量子脳力学
のことは知らない。したがって、私のいう「霊魂の系統発生」ということは知る由もな
い。
プラトンは「コーラ」の重要性を知っていたが、オギュスタンベルクの到達した「風土
論」の水準までは達していない。私は、オギュスタンベルクの考えに付け足して、『「風
土」とは「その土地に生きてきた地域の人々の「生きざま」がしみ込んだもの」をい
う。』・・・と今まで言ってきたが、そういう言い方は、私の霊魂論からは科学的ではな
いので、今ここで、『「風土」とは、その土地に生きてきた地域の人々の、天空に存在す
る「魂の趣」と言い代えたいと思う。すなわち、私は、オギュスタンベルクのいう「自然
の趣」「歴史の趣」のほかに、そういう人びとの執念というか「魂の存在」を考えている
のである。私たちが心してその土地に立てば、私たちの「魂」は、今までそこに生きてき
た地域の人々の「魂」との「響き合い」が起こる。「地霊」とはそういうものである。
人びとの祈りに対して、「さよう、さよう」と驢馬がいななくように、神もまた、「さよ
う、さよう」と頷(うなず)くのである。実際に声を出すかどうかはしらないけれど、念
波は間違いなく発信される。それは、波動として共時的に相手に届くのである。
第6節 霊魂と国家
プラトンは、その著「国家」(藤沢令夫訳、1979年4月、岩波書店)で、彼の霊魂論
を踏まえながら国家論を展開しているが、プラトンの基本的な思想は、『国家は、「知
恵」があり、「勇気」があり、「節制」をたもち、「正義」をそなえていなければならな
い。』というものである。そういうプラトンの基本的な思想を踏まえ、以下において私の
国家論を述べていきたいと思う。
1、国家について
プラトンの霊魂論と私のそれとの違いは、すでに述べたように、「生霊」と「地霊」とい
うものに対する認識の違いだが、私は、「生霊」と「地霊」の存在を重視している。それ
を一言でいえば、「魂のふれあい」である。この「魂のふれあい」というのは、すでに述
べたように、共時的に起こる。多くの国民の中には、現在および過去において、「知恵」
がある人とか、「勇気」がある人とか、「節制」があるひととか、「正義」がある人と
か、素晴らしい人はいる。国家の指導的立場にある人は、そういう人たちの「魂」と響き
合わなければならない。「魂の響き合い」があれば、何かの目標に向かって、自分を奮い
立たせることができる。地域には、歴史的に、偉大な人というものはいるものである。そ
ういう地域の偉人と響き合わなければならない。また、全国には、自分の生き方に何かヒ
ントを与えてくれる素晴らしい人がいる。そういう人と響き合うことができれば、自分の
生き方を変えることができるかもしれない。要は、「魂の響き合い」だ。
さあそれでは、以上に述べたプラトンの霊魂論と私のそれとの違いを明らかにした上で、
私の国家論を以下に述べていきたい。
私もプラトンがいうように、『 国家は、「知恵」があり、「勇気」があり、「節制」を
たもち、「正義」をそなえていなければならない。』・・・と思う。まず、「知恵」のあ
る国家とはどのようなものか? 農業や金融など産業の技術あるいは財政や国土政策などに関わる技術に長じた国家という
のも大事だが、もっと大事なのは国を守る、つまり国民の命と財産を守るための「知恵」
である。農業や金融など産業の技術あるいは財政や国土政策などに関わる技術は知識であ
るが、国民の命と財産を守るためのものは、知識と呼ぶより、「知恵」と呼ぶべきであ
る。プラトンはそういっているのだが、私もそう思う。
国を守る、つまり国民の命と財産を守るための「知恵」を有している指導者はごく少数で
ある。したがって、国家としてはそういう指導者を大事にし、またその育成に努めなけれ
ばならない。「知恵」のない人が「知恵」のある人を支配すると国は危なくなる。
二番目に、「勇気」ある国家とはどのようなものか? 「勇気」は、教育によって生ずるものであり、動物がもっているような勇気はあまり永続
的なものでないと、プラトンは言っているが、私もそう思う。だから国家の防衛にあたる
人に対しては、国家が責任を以て、音楽・文芸と体育によって教育をしなければならな
い。防衛大学がそのようになっているかどうかは少し怪しいが、私は、一般的に、小学校
や中学校や高等学校の時代から、音楽・文芸と体育による教育がしっかり行われていれ
ば、国民の中に勇気ある人が増えて、防衛大学においてもさらに効果のある教育が行われ
るようになると思う。私は、武士道の再評価が必要であるし、あらゆるスポーツの振興が
必要であると思うが、日本の伝統的な音楽や文芸についても、日本文化の再評価という観
点から、その教育がしっかり行われる必要があると思う。教育によって日本文化の深い認
識が身に付かないと、国家のために死ぬなどという「勇気」はとうてい湧いてこないと思
う。
次に、「節制」ある国家とはどのようなものか?
プラトンも言っているが、「節制」とはさまざまな快楽や欲望を制御することである。一
般的な言い方でいえば、「節制」とは、「己に克(か)つ」ことである。それは、その人
の内なる魂の優れた本性が劣った本性を制御するということであって、結局、魂の問題で
ある。先に「魂の響き合い」ということを申し上げたが、「神との響き合い」(祈り)だ
けでなく、死んだ両親とか祖父母などの助けを借りないとなかなか「己に克つ」というこ
とは難しい。「己に克つ」ことのできる人は極めて少ないが、私たちはそのための努力ぐ
らいはしなければならない。私は、「祈り」ぐらいなら誰でもできると思う。ここでいう
「祈り」とは、神への「祈り」だけでなく、死んだ両親とか祖父母などの「霊魂」に、
「何とか己に克(か)てるよう助けてください」・・・と強い願いを念ずることだ。そう
すればニーチェのいう「力への意思」が働くであろうし、森岡正博のいう「転轍」が起
こって、私たちは「己に克つ」ことができるかもしれない。よしんばそれができなくて
も、諦めずに何度も何度もそういう「祈り」の生活を続けていれば、やがては「己に克
つ」ことができる人間に成長するだろう。
プラトンは「節制」について次のように言っている。
『 「勇気」と「知恵」の場合は、どちらも国家のある特定の部分のうちに存在すること
によって、一方は国家を知恵のある国家とし、他方は勇気ある国家にするということだ
が、「節制」はそうではない。それは国家の全体に、文字通り弦の全音域に行き渡るよう
に行き渡っていて、最も弱い人びとにも最も強い人びとにも、またその中間の人びとに
も、完全調和の音階のもとに同一の歌を歌わせるようにするものなのだ。』・・・と。
だから、私は「祈り」というものの重要性を訴えているのである。
http://honto.jp/ebook/pd_25231954.html
2、正義について
では最後に、「正義」ある国家とはどのようなものか、プラトンの考えを下敷きとして、
私の考えを申し述べたい。
(1)正義論のさまざま
「正義」ある国家とは、プラトンもいうように、今まで述べてきた「知恵」「勇気」「節
制」という「三つの徳」をすべてそなえている国家である。すなわち、プラトンによれ
ば、「正義」とは、一言でいえば、「三つの徳」の総体であるが、実は、正義については
歴史的に著名な哲学者はそれぞれ自分の考えをもっていて、それらを一言ではいえない。
ニーチェはニーチェの正義があるし、ハイデガーはハイデガーの正義があるし、ホワイト
ヘッドはホワイトヘッドの正義がある。レヴィナスの正義もあるであろう。それらをいち
いち勉強することは大変である。まさにそれぞれの哲学者の哲学を深堀することであるの
で、余程の学者でないとそれをなし得ない。では、私たち浅学のものが正義の何たるかを
勉強するにはどうすれば良いのか? 現代では、ロールズの「正義論」という歴史的名著がある。正義のない状態では社会秩序
が保たれないとの危惧から、1971年にアメリカの哲学者ロールズが「正義論」を著
し、相対主義下での正義を再構築しようと試み、カントやロック、ルソーなどの社会契約
論に回帰する「公正としての正義」を主張した。それを踏まえ、マイケル・サンデルが
「これからの正義の話をしよう・・・今を生きのびるための哲学」(2011年11月、
早川書房)を書いた。彼はハーバード大学の教授だが、彼の政治哲学に関する講義は、実
に判りやすく、また奥が深いのであるが、同時に、議論に学生を巻き込むその講義のやり
方が素晴らしく、サンデルの講義は大人気である。「これからの正義の話をしよう」とい
う本は、ハーバード大学におけるそういう講義をもとに書かれているので、実に判りやす
く、「正義」というものを勉強する上での必読書ではないかと思われる。私は、まずサン
デルの「これからの正義の話をしよう」「これからの正義の話をしよう」を勉強するとこ
ろから、私の正義論を展開したいと思う。
(2)「コミュニタリズム」と「ロールズの自由主義」との関係
私はここのところ、「権威と服従の問題」というテーマで、一連のブログを書いてきた。
オオカミのごとく「尊厳」を生きることの重要性を訴えたつもりである。思いもよらずこ
れが正義論と繋がっていることが判った。第一回目から第六回目までの文章に題を付け
て、今ここに改めて紹介しておく。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/kenhuku.html
また私は、ジョン・グレイの「暫定協定自由主義」を「究極の自由主義と呼び、その考え
方を勉強してきて、「私たちの感性でジョン・グレイの政治哲学を呑み込もう!」と主張
した。ジョン・グレイの「自由主義」はロールズの「自由主義」を越えている。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/jyongu00.html
さらに、私はかなり前になるが、地域コミュニティの元気再生が日本の最重要課題の一つ
との観点から、私なりの「地域コミュニティ論」を書いたことがある。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/6jisanti.html
それを見ていただければ判るように、私は、「コミュニタリアン」である。マイケル・サ
ンデルも「コミュニタリアン」であるが、ロールズの正義論を越えているのか越えていな
いのか? ところで、ジョン・ロールズの「自由主義」については、ジョン・グレイが批
判するように欠陥があるが、ジョン・グレイは価値多元主義の立場からの批判であるの
で、それが直ちに「正義論」と繋がる訳ではない。「正義論」との繋がりをもってジョ
ン・ロールズの「自由主義」を修正するには、「コミュニタリズム」とどう整合をとる
か?マイケル・サンデルのやや欠けている部分をどう埋めるか? そこが大問題なのであ
る。今ここで、私の考えを述べてみたいと思う次第である。
戦争は、できるだけ避けた方がいい。主義の違いで戦争をしたり、覇権主義にもとづいて
戦争をするのは絶対に止めるべきである。日本は憲法第9条第1項を堅持すべきである
し、戦争になる前に話し合いに全力を傾けるべきである。しかし、相手からしかけられた
時には、敢然と戦って相手に勝たねばならない。国家は、国民の生命と財産、そして国民
の自由を守るために戦争に負けるわけにはいかない。どんな手段を使ってでも相手を打ち
負かさなければならない。
私は、前に、「オオカミはもの凄い攻撃力を発揮しますが、相手が敵愾心を持って闘争を
仕掛けてきた時にほぼ限るようです。すなわち、オオカミは、自分に敵愾心のない或は弱
い動物に対しては、優しい心を持ちながら接するのだそうです。ここが肝心のところで
す。」と述べたが、
http://iwai-kuniomi.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-db66.html
「尊厳」を生きることの重要性を主張する私の立場からすると、人も国もオオカミのごと
く生きなければならない。オオカミに学ばねばならない。
ジョン・ロールズの「格差原理」は、社会に不平等があってもいいが、その大前提とし
て、もっとも不遇な立場にある人の利益を最大にする社会システムがなければならな
い・・・というものだが、この原理は妥当なものだと思う。
ウィキペディア等の教科書的な説明によると、彼は、正義の根拠を、社会契約説に立脚し
ながら、合理的な人々が、彼が「原初状態」と名付けた状態におかれる時に契約(合意)
するであろう内容に求めた。この原初状態とは、社会の人々が彼のいう「無知のベール」
に覆われた状態・・・すなわち自分と他者の能力や地位に関する情報は全く持っていない
状態である。このような状態で人々は、他者に対する嫉妬や優越感を持つことなく契約内
容を合理的に選択するであろうと考えられ、おおむね同じ結論になると思われる。そして
人々は、自分がもっとも不遇な立場になることを嫌うはずであり、その結果、もっとも不
遇な立場にある人の利益を最大にする社会システムがなければならない・・・という社会
契約が成立するであろう・・・という訳だ。すなわち、ジョン・ロールズの「格差原理」
は、社会契約説に立脚し、「無知のベール」というものを想定するところに一大特徴があ
るが、これらに特に問題はないと思う。「格差原理」は素晴らしい。しかし、「格差原
理」は「人間が合理的な動物」であろうとなかろうと導ける結論で、「格差原理」だけな
らそういう前提をおかなくてもいいのではないか。
マイケル・サンデルを筆頭とするコミュニタリアンがロールズの「自由主義」に批判的で
あるのは、より根源的な存在論レベルにおいてであるが、私も存在論レベルにおいてより
根源的な問題提起をしているのである。それが私の「感性哲学」である。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/kansei00.html
すべての動物は、もちろん人間も含めて、合理的な生き方をするところに生きる意義があ
るのではなく、生きること自体に生きる意義がある。生きるということは、仲間を大事に
し、 自分に敵対しない他者、自分にすり寄る他者、 弱い他者に優しくすることである。
これぐらいなら誰でもできるだろう。合理的に生きるなんてどだい難しい話だ。
問題は、戦争に関する認識だ。ロールズは、戦争に関するいくつかの原理を導いて、地獄
のような戦争を一刻でも早く終わらせるためならどんな手段でも選んでもよいとする考え
に反対し、広島への原爆投下を厳しく批判した。「人間を合理的な動物」と考えるからこ
そ、そういう結論になるのであって、そもそも人間をどう認識するかが大問題である。人
間は合理と非合理の間、つまり矛盾システムを生きており、合理的な社会を前提におくこ
とに無理がある。
「人間を合理的な動物」と考えるのは間違いだと思う。新進気鋭の哲学者・マーク・ロー
ランズもそう言っている(哲学者とオオカミ、2010年4月、白水社)が、私も、多く
の人々は合理的な思考ができないと考えている。人々ができるのは、仲間を意識すること
ぐらいのものだけだ。もちろん、 自分に敵対しない他者、自分にすり寄る他者、弱い他
者に対する憐憫の情はある。しかし、中心は仲間意識である。
原爆投下の問題に関して、マイケル・サンデルも明確な答えはもっていない。当然だろ
う。コミュニタリアンとしては、原爆投下やむなしの結論しかでないだろうし、かといっ
て、ロールズの「自由主義」に批判的である以上、ロールズの考えに従う訳にもいかな
い。この点、 マイケル・サンデルはどう考えているのだろうか? 是非、教えてもらいた
いと思うが、 とりあえず私としては、「人間を合理的な動物」とするロールズの考えが間
違いだと言っておきたい。
私は、上述のごとく感性というものを重視し、自分なりの「感性哲学」を考えてきた。私
は、河合隼雄の「アイデンティティネットワーク」のことを「個別潜在的自己」と呼んで
いるが、「個別潜在的自己」を大別すれば、原人類的に先天的なもの(原初的)と人類的
に先天的なもの(文化的)、それに後天的なもの(学習や修行によって得られる文化的な
ものほか「三つ子の魂」を含む)の三つに分類するのが良い。原初的な状態とは遺伝子の
支配する世界、つまり感性だけが働く世界であって、文化的はものはないのである。
「人間を合理的な動物」だという大前提をかなぐり捨て、感性を大事にする社会を目指す
となれば、戦争に関するロールズのような考えには論理的にならない。再度申し上げる。
戦争は、できるだけ避けた方がいい。主義の違いで戦争をしたり、覇権主義にもとづいて
戦争をするのは絶対に止めるべきである。日本は憲法第9条第1項を堅持すべきである
し、戦争になる前に話し合いに全力を傾けるべきである。しかし、相手からしかけられた
時には、敢然と戦って相手に勝たねばならない。国家は、国民の生命と財産、そして国民
の自由を守るために戦争に負けるわけにはいかない。どんな手段を使ってでも相手を打ち
負かさなければならない。しかし、そういう国家の正義の原点に、私は、コミュニティが
あると思う。個人の魂に正義がない限り国家の正義は保てないし、同様に、さまざまなコ
ミュニティの正義がない限り、国家の正義は保てない。国家もひとつの集団だが、コミュ
ニティも集団である。集団における正義というのは、個人における正義とは異なっている
部分があり、国家の正義を語るには、コミュニティの正義を語らないと、いきなり個人の
正義を語っていたのでは、国家の正義で私がもっとも大事だと考えている正義の部分が抜
け落ちてしまう。かかる観点から、以下において、コミュニティというものの特質をまず
明らかにしておきたい。
(3)コミュニティについて
ジグムント・バウマンの「コミュニティ・・・安全と自由の戦場」(訳者奥井智之(奥井
友之)、2008年1月、筑摩書房)という本がある。サブタイトルの「安全と自由の戦
場」という意味は、「安全と自由という二律背反的なものがせめぎあっているところ」と
いう意味であるが、この本はコミュニティを考えるのに必読書かと思われるので、それを
下敷きにしながら、以下に私独自のコミュニティ論を説明したい。まず上記著書の冒頭に
人びとの描いているコミュニティのイメージを次のように述べている。すなわち、
『コミュニティは「暖かい」場所であり、居心地がよく、快適な場所である。それは、
ひどい雨から身を守ってくれる屋根のようなものであり、凍えるほど寒い日に手を温めて
くれる暖炉のようなものである。外では、街路では、ありとあらゆる危険が待ち構えてい
る。外出に際して、油断は禁物である。こちらから話しかける人、向こうから話しかけて
くる人に用心しなければならず、片時も警戒を怠ることはできない。しかし、内では、コ
ミュニティでは、私たちはリラックスできる。ここは安全で、暗い街角で不気味に迫って
くるさまざまな危険とは無縁である(たしかにここでは「闇の曲がり角」はほとんど見い
だせない)。コミュニティにおいて、私たちはみな互いに良く理解しているし、耳にした
ことは信用でき、たいていは安全である。当惑したり、困惑したりといったことは、ほと
んどない。私たちは、互いに決して「よそ者」ではないのである。時にはケンカをするこ
ともある。しかしそれは友好的なケンカであって、みなで、自分たちの一体性をこれまで
もより高め、楽しいものにしようとしているだけである。その一方で、協力して自分たち
の生活を改善したいという願いを共有しながらも、どうするのが一番良いかについて、意
見が一致しないこともある。しかし決して互いの不幸を願うことはなく、他のメンバーす
べてが自分の幸福を願っていてくれると信じることができるのである。
さらに言えば、コミュニティでは、互いの善意を期待できる。つまずいたり倒れたりし
ても、他のメンバーが、立ち上がるのを手助けしてくれる。からかったり、無様だとあざ
けったり、相手の不幸を喜んだりする者は、だれもいない。もし間違いをしでかしたとし
ても、必要ならば、打ち明けて、説明し、謝罪し、悔悟することもできる。人びとは共感
を持って話を聞き、許してくれる。結果として、ずっと悪意を持ちつづける者などいない
のである。そして悲しいときには、いつも誰かが手を握ってくれる。』・・・と。
そして、バウマンはその後で、『「コミュニティ」は、今日では失われた楽園の異名で
はあるが、私たちはそこに戻りたいと心から望み、そこにいたる道を熱っぽく探し求めて
いるのである。』と言っている。すなわち彼は、コミュニティとは「想像のコミュニ
ティ」であっていわばユートピアみたいなものであり、「既存のコミュニティ」はそれと
はほど遠いと言っているのだ。そして彼は次のように言う。すなわち、
『コミュニティを失うことは、安全を失うことを意味する。コミュニティを得ること
は・・・たまたまそんなことがあればだが・・・即座に自由を失うことを意味する。安心
と自由は、ともに等しく貴重かつ熱望される価値であるが、それらは、善かれ悪しかれバ
ランスを保っているが、両者の間で調和が十分に保たれて、軋轢の生じないことはめった
にない。』
『安心と自由の間の論争は、そしてまたコミュニティと個別性の間の論争は、解決がつき
そうもないものであり、今後も長い間続くものと思われる。』・・・と。
そうなのである。私の問題意識はまさにそこにあって、現実には難しくとも、そういう
理想のコミュニティに向かって努力することが肝要である。私は、バウマンが楽園の異名
といったり、ユートピアみたいなものといったり、「想像のコミュニティ」といったりし
ている地域コミュニティを、マイノリティを救済するNPOが存在するという大前提で、私
たちが現実に目指すべき理想のコミュニティと呼ぶことにする。私は、バウマンが言うよ
うに、地域コミュニティからはじき出されるマイノリティが出てこざるを得ないが、マイ
ノリティが助けを求めて逃げ込む避難所がどこかにあれば、その地域社会は健全で慈悲に
満ちていると思う。私たちはそういう理想的な地域社会を「地域コミュニティ」を中心に
創り上げていかなければならない。民主主義の原点は草の根の民主主義であり、ポピュリ
ズム(大衆主義)にもとづき民主主義を進化させるには、地域コミュニティにおける草の
根民主主義が不可欠である。しかし、その地域コミュニティには、別途マイノリティーの
「駆け込み寺」のようなNPOが存在するというのが大前提である。
ところで、人びとが幸せにイキイキと生きていくには、何よりも政治が大事だと考え、
そのために哲学の大系を作り上げた人はプラトンである。その後偉大な哲学者が出てはい
るが、すべてプラトン哲学の部分的な脚注だと言われている。私は今の日本の政治を ポ
ピュリズム(大衆主義) であると肯定的に捉えながら、その「ゆくえ」を心配してい
る。今上述したように、民主主義の原点が草の根民主主義にあるとすれば、民主主義がど
うなるか、 ポピュリズム(大衆主義)がどうなるか、そのゆくえはひとえに地域コミュ
ニティが今後どうなっていくかにかかっている。地域コミュニティの有り様次第である。
かかる観点から、私の電子書籍「エロスを語ろう・・・プラトンを超えて!」(未定稿)
の第10章では、「ポピュリズムのゆくえ」を考える際の基本的な問題として「対話と地
域コミュニティ」という問題を取り上げた。プラトンの考えからいえば、まず政治家が問
題提起をし、それをもとにさまざまな対話が起こるのであって、対話の原点には政治家が
いる。したがって、政治家たるものは、地域の人々の幸せのために欠かすことのできない
問題についてはそのための政策を発信しなければならない。私は「エロスを語ろう・・・
プラトンを超えて!」(未定稿)の第1章第6節で、『政治家は、企業がそうであるのと
同じように、良い政治商品を一般大衆に提供していけば良いのである。それがポピュリズ
ムの本質だ。』と述べているが、市場経済下におけるポピュリズムが成功するかどうかは
政治家の質にかかっている。政治家は天下国家の事も考えねばならないし地域コミュニ
ティの事も考えねばならないが、何よりも大事なのはプラトンがいうように「哲学」であ
る。プラトン以降政治を語った哲学者は見受けられない。政治を語った偉大な哲学者はプ
ラトンをおいてほかにないのである。かかる観点から、「ポピュリズムのゆくえ」を探る
上でプラトン哲学が不可欠と考え、この本ではプラトンを中心として思索を重ねてきた。
プラトン哲学の心髄はエロス論であると思う。では、プラトンのエロス論がどのように
「ポピュリズムのゆくえ」と関係してくるのか?
地域コミュニティというものは、必ずマイノリティがでてくる。これは避けられない。
地域コミュニティはマジョリティの住み良い地域社会のことであり、そこからはじき出さ
れたのがマイノリティであるから、地域コミュニティの問題を考える際には、マジョリ
ティとマイノリティがともにイキイキと生きていけるような社会構造というものが問題と
なる。したがって、政治家と住民はともにこの問題を考えて対話を重ねていかなければな
らない。
私たちは身体を生きているが、それはとりもなおさず「エロスの原理」によって生き
ていることに他ならない。主体がすべての対象と向き合うとき、その対象が女性であれ男
性であれ、自然であれ、神であれ、すべての場合、「エロスの原理」が作用する。このこ
とは上述したとおりである。だとすれば、マジョリティとマイノリティがともにイキイキ
と生きていくための原理として「エロスの原理」は考えられなければならない。「エロス
の原理」のもとづく社会構造とはどのようなものか? そこが問題で・・・・、この本の
主題はそこにある。「エロスの原理」を考えないと「理想的な地域コミュニティ」は作れ
ないというのが私の基本的な考えである。
私は、これから人びとがイキイキとした生活をしていく上で、地域の人々に求められる
知性として「エロス」が基本的に大事であると思う。「エロスの原理」は、差異を認めた
上でそれを乗り越える原理である。愛、善、慈悲を生じせしめるものは「エロスの原理」
である。愛、善、慈悲は、自分自身が「対象」に働きかけてはじめて、「自分と対象との
響き合い」が起こり、その現象の中で生成される。まず「対象」を見つけてそれに向かっ
ていかなければならない。そういう志向性の中に愛、善、慈悲は生成される。
地域コミュニティにおける対話は民主主義の原点である。ポートランドがその模範だ
が、数多くのNPOがあり、政治家と住民の対話が大変うまくいっているので、地域コミュ
ニティがうまく機能していれば住民はイキイキと生活ができる。ポートランドは参考にす
べき点は多いと思う。しかし、理想をいえばその他にも考えねばならない事がある。 現
実には難しくとも、 理想的な地域コミュニティを作るために私たちは努力をしなければ
ならないのである。私が考える努力の方向は、三つある。ひとつは「地域通貨」である。
「地域通貨」については、私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(6)「地域通貨」で詳し
く述べた。地域通貨は、私が地域コミュニティにおける「信頼切符」と読んでいるもの
で、地域コミュニティに信頼関係ができていれば、その発行は容易である。また逆に、最
初は有志で小さく始めたとしても、そのうちに地域コミュニティ全体に広がり、地域コ
ミュニティの信頼関係が醸し出されていく。そういう可能性を持ったボランティア経済と
いうか贈与経済における通貨である。地域通貨は地域コミュニティを作り上げていく上で
もっとも大事なことがらである。努力すべき二つ目はマイノリティを支援するNPOが地域
コミュニティに多数あることであり、三つ目は、「エロスの神」が地域コミュニティ或い
は域外に多数存在することである。
(4)民主主義国家について
民主主義国家であるかどうかの基準は、いろいろあると思うけれど、私は、フランク・
フクヤマの次の基準が良いと思う。イ、相対立する複数立候補者が存在する、自由で、無
記名で、定期的な男女普通選挙の実施。 ロ、普通選挙によって構成された議会が立法権
の最高権限を持っていることの憲法などの公式文書での明文化。 ハ、議会内における相
互批判的な複数政党の存在。 ニ、自由で多様な行政府批判を行う国内大手メディアが存
在し、それを不特定多数が閲覧できること。
世界には多様な民主国家が存在しているが、これらはおおむね共通して存在する基準で
ある。したがって、日本は間違いなく、この基準を満足しているので、民主主義国家であ
る。一 方、プラトンの考えを不用意にそのまま現在の民主主義に適用すると、「民主主
主義の成功のためには、国民の有権者全体が知的教育を受けられること、恐怖や怒りなど
の感情、個人的な利害、マスコミによ る情報操作や扇動などに惑わされず理性的な意思
の決定ができる社会が不可欠である。つまり徳を持つことである。逆の言い方をすれば、
民主主義を無条件に広めると、知的教育を受けていないもの、恐怖や怒りなどの個人の感
情や利害損得に影響されやすい非理性的なものも有権者(政治家と選挙民)となり、結果
として衆愚政治となりかねない危険がある」ということになってしまいかねない。この点
からすれば、おおよそ世界の民主主義国家と考えられている国家は、すべて衆愚政治に
陥っていることになる。したがって、現在の民主主義において、プラトンの哲人政治とい
うか強い政治を望む声も出てくるようなことになる。マスコミ亡国論などというものも衆
遇政治を忌避するところからでてくる。しかし、これらは間違っている。
では、プラトンの考えは間違っているのではないか? そうではない。そうではなく
て、古代ギリシャのが現在の民主主義国家基準に合わないだけのことで、当時の政治活動
からすればプラトンの政治哲学が必ずしも間違っていた訳ではない。間違っているのは、
プラトンの政治哲学を不用意にそのまま現在の民主主義に適用することなのである。しか
し、現在、プラトンの哲人政治を望む声もなくはないので、私があえて「プラトンの民主
政治の考えは間違っている」と言うことをお許しいただきたい。
(5)ポピュリズムについて
衆愚政治とポピュリズムは違う。衆愚政治とは、政治家の大半が知的訓練を仮に受けて
いても適切なリーダーシップが欠けていたり、判断力が乏しい人間に参政権が与えられて
いる状況である。その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が
停滞してしまったり、愚かな政策が実行される状況をさす。また、政治家がおのおののエ
ゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。エゴイズムは自己の積極的利益の追及
とは限らず、恐怖からの逃避、困難や不快さの回避や意図的な無視、他人まかせの機会主
義、課題の先延ばしなどを含む。それに対し、ポピュリズムとは、ラテン語の「populus
(民衆)」に由来し、民衆の利益が政治に反映されるべきという政治的立場を指す。大衆
主義。ノーラン・チャートによる定義では、個人的自由の拡大および経済的自由の拡大の
どちらについても慎重ないし消極的な立場を採る政治理念を指し、権威主義や全体主義と
同義。個人的自由の拡大および経済的自由の拡大のどちらについても積極的な立場を採る
政治理念である自由至上主義(リバタリアニズム)とは対極の概念である。
私は、ポピュリズムを、ニーチェのいう大衆のルサンチマンが生み出す大衆主義だと考
えており、プラトンの「哲人政治」とは対極のものであると思う。すなわち、ポピュリズ
ムは(大衆主義)は、弱者の論理であって、強者の論理ではない。
報道において「衆愚政治」という意味で用いられることもあるが、その場合は、「今日
では、複雑な政治的争点を単純化して、いたずらに民衆の人気取りに終始し、真の政治的
解決を回避するもの」として、ポピュリズムは批判的に言及されることが多い。民意を離
れてデモクラシー(民主主義)は運用できないとしても、民衆全体の利益を安易に想定す
ることは、少数者への抑圧などにつながり、危険であるからである。しかし、そういう行
き過ぎがあると、これからの時代、そういうマイナス面をできるだけ速やかに是正してい
かないと大衆受けしないのも事実であろう。
私は、日本の政治はようやくポピュリズム(大衆主義)になってきたとおもう。ポピュ
リズムは(大衆主義)は、弱者の論理であって、強者の論理ではない。民意を尊重する政
治、おおいに結構なことではないか。
なお、ポピュリズムは、得てして衆遇政治に陥りやすい危険性を常に持っているので、
衆愚的な政治家を引っ張って、速やかに「民意」に落ち着かせる、そのような大リーダー
が必要であることはいうまでもない。大リ­ダーは、人柄がよく、先行きが見えて決断が
早く、そして結果について責任の取れる人である。今西錦司が言うように、人柄、洞察
力、責任が大リーダの条件だ。国民の目から見て決めるべきはさっさと決めてほしいので
ある。小田原評議をしていても始まらない。そして失敗したときは責任を取ってほしい。
ポピュリズム(大衆主義)は、必ずしも理想的な姿ではないが、現在のところ、積極的
に肯定できる社会思想である。私は、政治も進化していて、ようやくにしてこのような良
い政治になったと考えている。これからも進化しつづける。しかし、現時点で言うと、政
治は良い姿になっていて、プラトンのいうような「哲人政治」は時代に逆行した「カビの
生えた遺物」でしかない。
リチャード・セネットというアメリカの社会学者がいる。1943年シカゴ生まれ。リー
スマン、エリクソンらに師事し、20代半ばから都市論などを発表し注目を浴びる。73年
よりニューヨーク大 学教授を務め、同大学人文学研究所を設立。現在はマサチューセッ
ツ工科大学(MIT)およびロンドン経済学校(LSE)教授としてロンドン在住。小説も発表
し、プロ級のチェロ奏者でもある。彼は、著書「不安な経済/漂流する個人―新しい資本
主義の労働・消費文化」(翻訳者森田典正、2008年1月、大月書店)の中で、次のよ
うに言っている。すなわち、
『 私の主張の要点は人々の怠惰にあるのではなく、人々に職人的思考を難しくする政治
的風潮を経済がつくりだしたということにある。「柔軟な」労働を中心にして築かれた組
織において、何かに深くかかわることは、労働者をうち向きなものに、あるいは、視野の
狭いものにすると恐れられる。くりかえしていえば、ある特別な問題に必要以上の興味を
覗かせる者は、能力判定を通過しない。いまや、科学技術自体が関与を求めないのだ。』
『 「組織のフラット化」「短期的価値の追求」といった「グローバリゼーション」に伴
う一部の先端的な企業のあり方が広く「社会の趨勢」とされ、「プロテスタンティズム」
と衝突し、コミットメントが軽視され、政治でさえも商品のように消費されるようになっ
た、ということだろう。「関与を求めない」の意味するところがどこにあるか分からない
が、科学もまた、そうした「短期的価値の追求」に染まっている部分はあるだろう。科学
者も同じ社会に生きているのだから、当然それに影響される。問題はこの次にコミットメ
ントの復権、職人的価値の復活が「来る」のかどうかである。』
『 人々はウォルマートで買い物するように、政治家を選択してはいないか。すなわち、
政治組織の中枢が支配を独占し、ローカルな中間的政党政治が失われていないか。そし
て、政治世界の消費者が陳列棚の名の知れたブランドにとびつくとすれば、政治指導者の
政治運動も石けんの販売宣伝と変わりないのではないか。』・・・と。
また、山口二郎は、ブログの中でリチャード・セネットの考えを視野に入れながら、次
のように言っている。すなわち、
『 現代の民主政治においては、各人の知的能力や政治的関心の度合いには無関係に政治
参加の権利が与えられている以上、大衆の気分が政治に大きな影響を与えることは不可避
である。』
『 ポピュリズム批判もかなり長い歴史を持っている。』
『 ポピュリズムの第1の特徴は、庶民(common man)の欲求と怨嗟を原動力として
いる点である。 第2の特徴は、指導者との直接的結合を目指すという点である。 第3
の特徴は、単純な善悪二元論と敵と目されるものや異質なものの排除という発想であ
る。』
『 以上がポピュリズムの基本的な特徴であるが、19世紀から20世紀中ごろまでの近代
と20世紀末以降のポスト近代とでは、大きな違いも存在する。基本的な前提としては、経
済的達成と、メディアの発展の度合いに関する大きな違いがある。 ここでいう近代とポ
スト近代という2つの言葉は、イギリスの政治学者、コリン・クラウチの『ポストデモク
ラシー』(近藤康文訳、青灯社、2007年)から示唆を得た概念である。クラウチは、20
世紀に確立し、1970年代まで維持された、組織的政治参加の拡大+平等主義的福祉国家
プログラムのパッケージをデモクラシーの最盛期と捉え、1990年代以降、組織の弛緩と
政治参加の停滞、新自由主義的経済構造改革の展開、不平等の拡大などが結合したポスト
デモクラシー段階が始まったと捉えている。こうした歴史区分は、リーダーシップのあり
方や庶民、大衆を政治的に動員する方法についても当てはまる。言い換えれば、20世紀
後半までのデモクラシー(ここでいう近代)と21世紀以降のデモクラシー(ここでいう
ポスト近代)を区別する必要がある。ポピュリズムはデモクラシー段階とポストデモクラ
シー段階の両方に存在するが、その内容は大きく異なる。』
『 近代のポピュリズムは、平等化のベクトルに沿って動いてきた。リーダーはコモン
マンの代表あるいは化身であった。そして、政治という活動は、価値獲得の手段であっ
た。19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカでは大企業の横暴に対抗する農民運動が
活発化したが、そのスローガンは「富の分け前をよこせ(share our wealth)」であっ
た。まさに、価値を再分配し、社会の平等化を進める政治運動がポピュリズムであっ
た。』
『 これに対して、ポスト近代のポピュリズムは、正反対のベクトルに沿って動いている
ように見える。まず、ポスト近代のポピュリズムは、差別のベクトルを内包している。た
とえば現在の日本ではグローバリズムがもたらす経済的不平等はなかなか政治争点化しな
かった。ポピュリズムは富の再分配や平等化とは結びつかない。むしろ、「公務員」対
「民間の低賃金労働者」、「都市の無党派層」対「農民、建設業者」という、全体の貧富
のスケールから見れば小さな差異が争点化される一方、「ヒルズ族」と「ワーキングプ
ア」の間に存在するような巨視的な不平等は放置される。』
『 ポスト近代のポピュリズムは、庶民の政治的受動性と結びつく。』
『 庶民はリーダーの権力基盤を強化している。そこにおいて庶民は、自ら行動するより
も、与えられた構図の中でリーダーが期待する役割を演じるという受動的な性格を持って
いるにすぎない。』
『 変化の不可逆性を認識しつつ、ポスト近代のポピュリズムが持つ陥穽をも見据えよう
というのがセネットの戦略であろう。彼は、現代の民主政治において、人々が市民から消
費者・観客に移行することによって、「能動的に受動的状態に入ろうとしている」という
逆説を見出す。その過程について、次の5つの要素を指摘している。第1に、政党・政治
家の打ち出す政策が相似的になる。第2に、だからこそ政党・政治家は本質的ではない争
点をめぐって対決を演じる。第3に、消費者・観客は、人間の持つ複雑性や曖昧さを受容
できなくなる。第4に、人々はより利便性の高い政治を信頼するようになる。第3、第4
の要素が重なり合えば、人々は、複雑な政策論を拒否し、単純明快な解決(英語で言う
quick fix)を求めるようになる。第5に、継続的に供給される新しい政治製品を受け容れ
るよう促される。』
『 大量消費の資本主義文化に対抗する方策の1つとして、セネットは職人技(クラフト
マンシップ)の重要性を指摘する。安価な大量生産の商品が市場にあふれるからこそ、手
作りの製品も市場での居場所を確保できる。同じことはメディアにも当てはまるであろ
う。メディアが視点をずらす可能性を提示できるかどうかに、ポスト近代の民主主義の可
能性がかかっているということができる。』・・・と。
問題は、政治家にも、セネットのいう職人技(クラフトマンシップ)が必要だというこ
とではないか? また、政治も音楽やスポーツと同じように、ひとつの文化だから、やは
りエリート教育が必要ではないか? その際には今西錦司の「リーダー論」が基軸になる
と思う。今西錦司の「リーダー論」については、是非、次をご覧戴きたい。
http://www.youtube.com/watch?v=pebArgmgfXw
(6)日本が「正義」ある国家となるために
「正義」ある国家とはどのようなものであるか、それをひと言で語ることはできないが、
以上縷々述べてきたところから、私が、今日本の政治に求められている「正義」の要諦と
いうか「正義」が行われるための条件みたいなものをいくつか指摘しておきたい。もちろ
ん、これで「正義」を語ったことにはならないけれど、次のような具体的な姿が全国的に
見いだせれば、日本国は「正義」のある国家と言ってよいだろう。残念ながら現在はその
姿とはほど遠いが・・・。
イ、 ポピュリズムは、得てして衆遇政治に陥りやすい危険性を常に持っているので、衆愚
的な政治家を引っ張って、速やかに「民意」に落ち着かせる、そのようなリーダーが必要
である。 今西錦司のような生まれつきのリーダーの発掘に努めなければならないが、も
しそういう大リーダーがいない場合でも、努力型のリーダーで良いから、プラトンの目指
したような教育「音楽・文芸や体育」によって、「知恵」と「勇気」と「節制」を身につ
けた、世界に誇り得る政治家がいること。
ロ、 地域コミュニティというものは、必ずマイノリティ(弱者)がでてくる。これは避け
られない。地域コミュニティはマジョリティの住み良い地域社会のことであり、そこから
はじき出されたのがマイノリティ(弱者)であるから、地域コミュニティの問題を考える
際には、マジョリティとマイノリティがともにイキイキと生きていけるような社会構造と
いうものが問題となる。 「正義」ある国家とは、コミュニティ、とりわけ地域コミュニ
ティを中心に、マイノリティ(弱者)に対する「救済システム」が存在すること。マイノ
リティを支援するNPOが地域コミュニティに多数あることが大事なのである。それには資
金援助のできる全国的なNPOが必要だし、NPOができるだけ自主的な活動を活発化する
ためには「地域通貨」が必要である。さらに、マイノリティ(弱者)の精神力をつけるた
めには、マイノリティ(弱者)の霊魂を奮い立たせなければならないので、「エロスの
神」が地域コミュニティ或いは域外に多数存在することが必要である。
ハ、第二次世界大戦で亡くなった人びとに対する 御霊信仰にもとづく儀式を、国家の責
任で、全国的に展開するとともに、世界に向けては力強い「平和宣言」を行うこと。その
ためには、学者も霊魂論を語り、国民の間に霊魂に対する正しい認識、とりわけ御霊信仰
に対する正しい認識が普及しなければならない。靖国神社は国直轄の御霊神社でなければ
ならないし、沖縄にも国直轄の御霊神社が必要である。
ニ、国民の「文化」を学ぶシステムが国にあまねく存在すること。プラトンは、「知恵」
と「勇気」については、一般国民にそれを求めるのは困難だとして、国のリーダーにそれ
を期待した。一方、「節制」については、できるだけ多くの国民にその徳を身につけてほ
しいと願っていた。しかし、ポピュリズムを礼賛する私としては、「節制」のみならず、
一般国民には、できるだけ「知恵」を身につけ賢くなってほしいし、できるだけ「勇気」
ある人間になってほしい。したがって、 国民の「文化」を学ぶシステムが国にあまねく存
在することが必要である。
私は、教育もさることながら、この「文化」を学ぶシステムというものを国はもっと大事
にすべきだと考えているので、以下に、この問題について述べてみたい。
日本の場合、「文化」を学ぶ場合、いわゆる「達人の境地」に達するまでその奥は深く、
その段階ごとに目標がある。その目標に向かって一歩一歩階段を登っていく。これこそ
ニーチェのいう「力への意思」を体現していることになる。
私の電子書籍「書評・日本の文脈」でも紹介したが、内田樹は、『 レヴィナスの本を読
んでいて僕がいちばん「来た」のは「始源の遅れ」という概念です。僕はここに日本にお
ける「道」の概念に通じるものがあるような気がしたんです。たぶん。「 道」というの
は、自分が起源ではなくて、「自分は遅れてここに参入した」という自覚から始まりま
す。偉大な流祖がいて、その人が天狗とか武神とかに夢の中で出会って天啓を得て発明し
た巨大な体系がある。僕たちその道統に連なるものたちはそのいちばん末端の、初心のと
ころから修行を始めて、しだいに複雑で高度な術技と心の持ち方を体得してゆく。でも、
どれだけ修行しても先人の達した境位には決してたどりつくことがない。最後は「夢の中
の天狗」ですから、無限失点みたいなものです。終着点には到達できない。でも、そのこ
とは少しも修行のさまたげにならない。この「すでに遅れて参入して、決して起源には遡
及(そきゅう)できない」という枠組みは学習する装置としてはきわめてすぐれたもの
じゃないかと思います。ユダヤ人と日本人は、かたちは違うけど、社会集団が生きていく
ために必要な生存戦略として、こうした態度や考え方を採用してきたんじゃないか
な。』・・・と言っている。
内田樹が「道」(武道や芸道)というものを「始源の遅れ」という概念と繋げて考えて
いる、その考え方は面白い。きわめて重要な考え方である。偉大な流祖は多分こう言うの
だろう。「夢の中の天狗はたしかに存在する。疑う事なかれ!人間社会には穴が開いてい
て、夢の中の天狗はその穴のなかにあるのであなたたちには絶対に見えない。見えないが
あなたたちは穴の中に入ってきてそれを見る努力をせよ。そして、夢の中の天狗があなた
たちに何を望んでいるか、それを考えよ。夢の中の天狗を怒らしてはならない!夢の中の
天狗は「道」の奥義を教えてくれる存在そのものである。疑う事なかれ!」となるのでは
なかろうか。これは、「始源の遅れ」の概念そのものであり、ユダヤ教の原点、つまり
ヤーウェの宣言そのものではないか。「道」を究めるということはそういうことである。
ネットサーフィンをやっていたら、次のページが見つかったので、参考のためここに紹介
させていただく。
http://akibe.tripod.com/nipponwokanngaeru.html(1998/6/17掲載)
「道」の文化:日本
(政府刊行物新聞1985/10)
十月十日は体育の日、東京オリンピック大会開催の日に因んで昭和41年に設けられたも
のだ。十月は暑からず寒からず、確かにスポーツには絶好のシーズン。大いに楽しみたい
ものだ。
(中略)
ところで、この柔道という名称が示すように日本育ちのスポーツや芸ごとの多くにこの
「道」という言葉が つく。剣道、弓道、合気道、空手道、棋道、華道、茶道、香道、書
道、画道、歌道・・・、そしてこの「道」がつくと、とたんに、それを通して精神修養を
図る という意味合いが付加される。呼名に「道」の付いていない外来のスポーツであっ
ても日本人は本能的には、この「道」という言葉が付いたものとして受止めて いる。炎
暑の中で行われる夏の甲子園大会を見れば、やはりそこには野球道というものがありそう
だ。サッカー道、バスケット道、バレー道、どのスポ一ツにも 「道」をつけても、およ
そおかしくないように思える。
「道」がつくと、そこは真面目な人生の生き方の探究の場になる。不真面目は許されな
い。楽しみよりは、苦 しみこそが求められなければならない。苦しい血の滲むような練
習こそがふさわしい。笑えるようではまだ甘い。それに一度その道に入れば、その道一
筋、道を 極めるまで頑張らなければならない。柔道部に席を置く一方、バレー部にも手
をだすような二股をかけたり、二兎を追ってはならない。
精神修養の場である以上、教師あるいは師匠には、ひたすらへりくだっ教えを乞わねば
ならず、師に反発し たり、師の用いない技を用いたりしてはならない。弟子は弟子らし
く、謙虚でなければならない。先輩後輩の序列は頭に叩きこんでおき、兄弟子は常に尊重
しな ければならない。従って、練習の場は道場とよばれ、神聖視される。本番は真剣勝
負の場、勝って泣き、負けて泣く。これこそ人生の道そのものであり、人生修 養の場で
なくてなんであろう。観衆もそこに人生の縮図を見て感激する。
「みち」は、道、途、路などと書き、人が歩く道だけの意味でなく、抽象的には人生行
路、人間の進むべき 道、さらには、真理といった意味で用いれられる。これは、日中共
同している。しかし、芸ごとや武術に「道」をつけることは、中国ではしない。書道は書
法、 空手道は拳法といい、法は方法・技法の意味だ。それだけ日本人のほうが、スポー
ツや芸ごとにも生真面目に取組んでいる様にみえる。単なる技術より、精神面 や「芸」
を尊重し、その一方で合理性や科学を軽んずる面がある。
日本の道は、網の目状に張り巡らされた「あらゆる道はローマに通ず」という道ではな
い。石畳の道ではな く、放っておくとたちまち雑草に覆われ消えてしまう道だ。雨に流
され土砂に埋もれてしまう道だ。山地の多い日本の道のことゆえ、次第に高く昇ってい
き、奥 山へ消えていく道無き道こそが日本人にとっての道のイメ一ジと言ってよい。どこ
へ達するかは分らない。それゆえ脇見もふらず、その道一筋に極めなければな らないの
だ。一度道を外したり、迷ったりしたら目的地に着けないばかりか、それこそ、行き倒れ
にもなりかねない。
そういう高きに昇っていく道のイメージを反映してか、柔道にしても剣道にしても、ま
た棋道にしても技量向上の目安に「段」を用いている。一段一段高く昇っていき、その道
を極めるところに人生の意義があり、人生そのものが集約されると考えるのだ。
こうした道のイメージが、今もって日本人のスポーツ観には付纏っている。従って、大
きな大会になればな るほど、人生の大事という意識が前にでて、たかがスポーツ、楽しく
伸び伸びやろうぜ、とはいかず、期待を精一杯背負いこんで頑張る。そこで堅くなり、上
がってしまう。その結果、たかがスポーツ派の外国人に負けてしまう。
弓道や華道や茶道など、およそ「道」の付くものには様々な流派や家元が存在し、それ
ぞれの他の流派から 没交渉でその流派なりの技を磨く。華道だけでも約3千の流派がある
という。つまり、本道から脇道へ脇道へと限りなく細分化していき、奥山へ奥山へとわけ
い るようなものだ。だから、他の道と決して交わらない。各家元が独自性を装う結果、
役柄の名称の様な技術的抹消的な差異が重要視され、本道が見失われやすく なる。一度
ある流派に入門すると、他の流派に鞍替え出来ないのみなちず、師匠の使う花屋の花や道
具屋の道具を使い、師匠の教える技術のみ使うよう拘束さえ 受ける。次第に技術の互換
性は失われ、情報を交換して、技術を磨きあうことなど出来なくなる。違う流派の人と付
きあうことすら禁じられる。
(以下省略)
私は、日本の家元制度は、 国民の「文化」を学ぶシステムとしては実に素晴らしいと考
えている。師匠のまねをしながら、技を磨いていくと、次第次第に自分の「魂」が成長し
ていくのを感じる。良い「霊魂」は子々孫々まで良い影響を与えるのである。「正義」あ
る国家とはそういう側面ももっている。私はこのことを強調したい。今は低落傾向にある
日本の家元制度をなんとか盛り返したい。
「平和国家」、プラトン流にいえば「正義ある国家」ということになるが私流には「平和
国家」であるが、日本が「平和国家」であるためには、日本にはまだ成仏できない「霊
魂」がうじゃうじゃいる。私は特に沖縄が気になる。私は先ほど、「 沖縄にも国直轄の
御霊神社が必要である。」と申し述べたが、沖縄で死んでいった人たちの「霊魂」をなだ
めるための「国直轄の儀式」をまず真っ先にやらねばならないと思う。そして、次のよう
な歌を聴くとき、死んでいった人の「霊魂」だけでなく、沖縄という土地そのものに宿る
霊魂、すなわち「地霊」のことを思わざるを得ない。
https://www.youtube.com/watch?v=YZ-vhsASZDQ
さとうきび畑(作詞/作曲 寺島尚彦、昭和44年)
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
今日も 見わたすかぎりに 緑の波が うねる
夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
むかし 海の向こうから いくさが やってきた
夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
あの日 鉄の雨にうたれ 父は 死んでいった
夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
そして 私の生れた日に いくさの 終わりがきた
夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
風の音に とぎれて消える 母の 子守の歌
夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
知らないはずの 父の手に だかれた夢を 見た
夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
父の声を 探しながら たどる 畑の道
夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
お父さんて 呼んでみたい お父さん どこにいるの
このまま 緑の波に おぼれてしまいそう
夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ けれど さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
今日も 見わたすかぎりに 緑の波が うねる
夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ 忘れられない 悲しみが
ざわわ ざわわ ざわわ 波のように 押し寄せる
風よ 悲しみの歌を 海に返してほしい
夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ この悲しみは 消えない
「さとうきび畑」は生きている。だから、「さとうきび畑」にも霊魂がある、否、「さと
うきび畑」だけではない。沖縄各地の自然に霊魂がある、「自然の霊魂」が・・・。これ
は「ひろしま」にも言えることだ。否、「ひろしま」だけではない。全国各地だ。私は、
戦争で亡くなった人びとの「霊魂」はもちろんのこと、「自然の霊魂」にも「祈り」を捧
げなければならないと思う。
この本を書き終わるにあたって思うのは、そのことであり、この本では「自然の霊魂」に
ついてほとんど触れていないことに気がついた。私は若い頃には随分山に行った。山の魅
力に取り付かれていたし、「山の霊魂」にも感じ入っていた。そういう体験をもとに、稿
を改め、「山の霊魂」について書きたいと思っているが、この本については、日本が真に
「平和国家」になることを強く願いながら、この章を終わりたいと思う。
第7章 怨霊と御霊信仰
臼田乃里子の「供犠と権力」(2006年12月、白地社)という素晴らしい本がある。
「供犠」に付いてこれほど突っ込んだ考察をした論考を私は知らない。彼女は、 日本に
も「いけにえ」(供犠)の文化があったということ、怨霊は「供犠」であるということ、
そして御霊(ごりょう)という「神」は怨霊が変身したものであるということを、主張し
ているのである。谷川健一もその著「魔の系譜」の中で怨霊について縷々述べているけれ
ど、臼田乃里子の方がより深い考察を加えている。そこで、私は、怨霊について、臼田乃
里子の「供犠と権力」から、今まで私の書いてこなかった知見を皆さんにご紹介して、私
がかって書いた電子書籍「祈りの科学シリーズ(3)」「怨霊と祈り」の補足資料とした
い。私の「怨霊と祈り」は次の電子書籍を是非ご覧戴きたいと思う。
http://honto.jp/ebook/pd_25231956.html
天神、神田明神、鎌倉大仏は、怨霊信仰がもととなって建立された。日本の三大怨霊は菅
原道真と平将門と源頼朝である。今や守護神に変身しているが、それら三大怨霊の力が抜
群に大きかっただけに、天神さんや神田明神や鎌倉大仏のお利益は絶大である。せいぜい
お参りをして欲しい。怨霊信仰は時代とともに進化して村の祭りとも繋がっていく。 祭
りの最大の意義は、「外なる神」との交信にある。人々と「外なる神」との響きあう重要
なインターフェース、それが村の祭りである。「祈り」こそ大事。今後、世界共通の「祈
り」を創っていかなければならないと思う。
私はこういうことを電子書籍「怨霊と祈り」で主張しているのだが、何故怨霊が守護神に
変身するのか、ということはまったく触れていない。その理由が判らなかったからであ
る。しかし、今は、臼田乃里子の「供犠と権力」を勉強して、怨霊が「供犠」であること
が判ったので、私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(1)」「<100匹目の猿>が10
0匹」で述べた「波動」に関する知見とを重ねあわせると、怨霊が守護神に変身する理由
が見えてくる。臼田乃里子はそこまで書いていないけれど、私は、臼田乃里子の「供犠と
権力」の要点を紹介した後で、そのことに触れてみたい。まずは、臼田乃里子の「供犠と
権力」の要点をまず最初に紹介しよう。
1、日本文化の深部にこびりついている存在として「供犠」がある。それを歴史・民俗学
はいろいろと語ってきた。
2、供犠に関する用語、「犠牲」「人柱」「生け贄」「はたもの」等はどういった文脈で
日本文化の諸要素と結びついているのか。
3、生け贄はそれ自体では何の価値ももたない。権力の介入を通じてのみ、その価値観が
獲得されるのである。
4、生の豊かさがあるように、死の豊かさもまたあるのだ。
5、人は供犠を行うことにより生来の動物性を破壊し、その残余としての非肉体的な真実
だけを存続させようとした。肉体をともなわない真実こそが、人を「死に向けての存在」
(ハイデガー)に、あるいは「人間的な生を生きる死」(コジェーブ)に値するものへと
昇華させる。供犠では、肉体が死にゆくものとして存在するにも関わらず「死が人間的な
生を生きる」のだ。
6、「1889年1月3日ニーチェは狂気に屈したのだった。トリノのカルロ・アルベル
ト広場で、彼は啜り泣きながら、鞭打たれる馬の首にすがりつき、ついで昏倒した。目覚
めた時、彼は信じ込んでいた。自分がディオニソス、あるいは、十字架にかけられし者で
あると。この出来事は悲劇として記念されなければならない。ツァラトゥストラは次のよ
うに言っていたのだ。<生ある者が、自分自身にしたがって生きようとするときには、こ
の生ある者は自分の権力をつぐない、自分自身の掟による裁き手、その復讐者、そして犠
牲とならねばならない。>と。」・・・とタルコフスキーは「サクリファイス」(河出書
房、1957年)で述べている。
7、ヘーゲルも歴史を神の示現、「世界精神」の顕われだと信じた。歴史の中で起こりえ
ることは「世界精神」が欲したものであるのだと。ニーチェの「神の死」はこのユダヤ・
キリスト教の信仰の延長線上にあった。しかし、ニーチェのいう回帰とは同一なものの回
帰ではない。選択的な思想であり、存在に関わるものである。なぜなら同一なるものの回
帰は生成を拒むからだ。
8、モーリス・ゴドリエは、供犠とは破壊する行為であり、狩猟採集には存在しないとい
うモースの考えを推し進める。
『人間による神々への贈与は、寄進行為と奉納されたモノの破壊によって実現される。人
身御供を捧げ、香の香り、生け贄の煙を神々に贈り、場合によっては生け贄の肉を食べ
る。供犠するとは、供えたものを破壊することであり、その点においては、供犠は一種の
ポトラッチであり、贈与の経済と精神を「至高に至らす」。これは神と霊との贈与の実績
と、供犠による契約の関連に他ならない。』
9、ここでゴドリエは、供犠が存在する社会とは恐怖と権力に基づいた社会であるとい
う。
『供犠は普遍的なものではない。なぜなら、供犠を必要としない狩猟採集の宗教も存在す
るからである。彼らにとって、動物と人間の優位の差はあまり存在しない。供犠の宗教と
は、神々が全能で、人間を支配し、恐怖を与える宗教なのである。供犠が存在するために
は、犠牲が必要であり、この犠牲はしばしば隷属する人間か、動物(特に家畜)である。
古代ギリシャでは、牛の供犠に対して論争がなされたし、ピタゴラス教団の人びとは供犠
の肉を食するのを拒否したではないか。』(モーリス・ゴドリエ「贈与の謎」法政大学出
版局、2000年 )
10、日本に人身御供が古くから行われていたことは明らかであって、有名なスサノオが
大蛇を退治されたのも、かの地方に蛇のごとき邪神に人身御供を捧げた習慣があったの
を、スサノオが打破した形跡を神話によって記している。仁徳帝の頃に、二人が河の神に
生け贄にされたことが日本書紀には記録されているし、今昔物語には、処女の人身御供が
喜ばれていることが記されている。駿河には生贄川という名の川があり、ある人が犠牲に
なった可能性がある。このような事実は日本の習慣としてあったのである。
(注: 森浩一の『倭人伝の世界』によれば、 猪は、縄文時代から人間が飼育することも
あったという。それはもっぱら山の神の祭の贄とするために幼い猪を捕獲して飼育したら
しい。塩尻にもあるが、私の山小屋のある秩父市荒川にも贄川(にえかわ)という地名が
ある。多分、山の神に猪を生け贄として捧げた風習からそういう地名となったのだと思
う。)
11、柳田国男は「掛神の信仰について」(1911年)の中で次のように述べている。
『鳥獣を神に供える神事は、肉を忌み、血を穢れとする以前よりあったもので、由緒ある
神社でも行っている。(略)古語拾遺(こごしゅうい)に、大歳神を祭るに、白馬、白
猪、白鶏を用いるなどと書かれていることと同様である。生け贄は生きたままにて奉る贄
にて、食物の新鮮を保障する誠意から出ているのである。伊勢の皇大神宮の御物にも生け
贄のあることは儀式帳に見える。』
12、加藤玄智は「仏教史学第1編8号」で次のようにいっている。
『三河のうなたり神社の風祭りにおいては、昔は女子を犠牲にしていたが、のちにこれを
猪、もしくは雀の犠牲に代えたことなどは、明らかに人身御供に代わる動物をもってした
例である。一遍上人が神託と講して、鹿の犠牲をやめさせたりしたのも明らかに仏教の慈
悲の思想が動物の供犠を否定した実例である。筑前の宗像神社などは、もとは獣や魚を供
えていたが、のちにこの神に菩薩号を授けて漁猟の祭りまでやめさせてしまった。ハーン
が「神国」の中で逝っているように、七月盆の精霊祭りに茄子や生瓜で馬や牛の形をこし
らえて供えているような儀礼も動物の犠牲の代用である。日本の古代宗教は儒教と仏教が
感化していった。人間の犠牲が動物にかえられ、動物が植物に代えられていったことは明
瞭なのである。』
13、高木敏雄は「人身御供論(序論)」(1913年)で、「人身御供のモチーフは日
本の民間伝説、童話においては、主たるものの一つであり、早太郎童話も邪神退治伝説の
系統に属するものである。」と言っている。
14、柳田国男は人を神に祀る風習のもっとも顕著な例が八幡信仰であったことを明らか
にした(柳田国男「人を神に祀る風習」1926年)。八幡に祀られた数は戦国時代が
もっとも多く、多くの勇士が殺され、憤り、祟りをなしたが故に、神として祀られたのだ
という。しかし、これらの神は常に八幡と呼ばれたのではなく、天神、大明神、若宮、今
宮、御霊とも呼ばれた。(中略)宗教者の言葉は、時代に即した絶対的なものであったと
いう事実。宗教者の言葉が絶対であった故に権力と結びつき、極めて政治性を含んだもの
となっていった歴史が、死者を神に祀り上げる風習の背後に潜んでいたのだという。
15、1987年、ローチェスター大学で開催されたルイス・モーガン記念講演でモリ
ス・ブロックは儀礼に対する一般的見解に対する再検討を促した。ブロックが自分の儀礼
理論に自信を持っていたことは疑いなく、確固とした証明をするために、西洋の人類学者
ができるだけ避けてきた日本の宗教に言及している。この記念講演の3年前にわずか数ヶ
月ではあるが来日して、現地調査を行ったからだ。ブロックが興味をもったのは、神道と
仏教が絡み合って創出される「力」の転換作用であり、日本の祭りの中に潜む若者の身体
を媒体とするエネルギーの氾濫であった。そこで、供犠のない文化と言われる日本文化に
供犠と政治権力の構造的歴史をブロックは見たのである。この研究は1992年に「生け
贄から狩猟者へ・・・宗教経験の政治学」と題され、ケンブリッジ大学出版から刊行され
る。ブロック理論について、ブルース・カップラーは次のように述べている。
『ブロックはジラールに対する人類学者たちの批判を踏まえ、ジラールの暴力の解釈が如
何に現実の事例に相応しないかを論破する。供犠のもつ暴力は社会的調和などではなく、
共同体の「力」を拡大せしめる力であり、暴力は力であり供犠の力は更なる力を与えるこ
とにあると主張する。ブロックにとって、儀礼における破壊は生成の暴力である。力と暴
力は一つであり、共に生成していく。このように見ると、ブロックの理論は奥深いところ
でデュルケイムとモースの供犠論を確証しているように見える。「生贄から狩猟者へ」は
多様化された暴力と権力の関係において提出された問題を儀礼の転倒性を通して検討した
ものであり、朝夕で立ち上げられたものではなく、理論的には、これは人類学の入門テキ
ストではなく、政治、経済と幅広い学問の領域を駆使して供犠の深部に密着したものを探
り出そうという作業なのである。そして、何よりもブロックが読者に求めたことは言説へ
の再考であり、この理論がさらに他学者によって推敲されることであった。』
臼田乃里子の「供犠と権力」の要点はまだ続くのであるが、怨霊と御霊信仰の話に入る前
に、今まで述べてきた供犠に関する知見を、私の御霊信仰論との関係で整理しておきた
い。
臼田乃里子の「供犠と権力」の要点で述べられている上記の供犠は、Aは人の生け贄であ
り、Bは動植物の生け贄であり、Cは戦いで非業の死を遂げた勇士であり、祟りをなした
者である。このうちAとBは神に捧げられるいわゆる生け贄であり、Cは神として祀られる
霊魂である。怨霊とは、非業の死を遂げた人の霊魂で、これが生きている人に災いを与え
るとして恐れられている存在である。したがって、臼田乃里子の「供犠と権力」の要点で
述べられている上記の供犠のうち、AとBは生きている人に災いを与える訳ではない。少
なくとも生きている人が自分らに災いが及ぶとは考えていない。したがってAタイプとB
タイプの供犠は怨霊ではない。しかし、14のCタイプは、祟りをなした或いは祟りをな
す恐れのある霊魂であるので怨霊である。問題ははたしてこの霊魂が供犠なのかどうかで
ある。供犠とは、神に犠牲をささげ,それを媒介として人間が神に祈る儀礼のことであ
る。ところで、戦いというものは戦死者を出す目的で行うものではないけれど、戦いで非
業の死を遂げた者は戦いの犠牲者であることは間違いない。その犠牲者を媒介として神に
祈る儀礼が行われれば、その儀礼の際、戦死者をもって神に犠牲をささげたので、神のご
加護をお願いしたいと祈ることになるので、戦死者は、神への供犠であると言えよう。い
ちばん大事なのは宗教者の呪術であるが、宗教者の呪術によって戦死者は神の国に赴いて
神の仲間となる。いずれ述べることになるが、神にもいろいろあって、絶対神の下に多く
の神が存在する。戦死者はその仲間に入るのである。Aタイプの供犠すなわち生け贄の霊
魂はすべて神の国に赴いて、神の仲間入りをする。Bタイプの霊魂はすべて神の国に赴く
けれど神の仲間入りをする訳ではない。
以上、Aタイプの供犠とBタイプの供犠とCタイプの供犠の違いがご理解いただけただろ
うか。
ところで、以上に述べてきた供犠の話と以下に述べる怨霊と御霊信仰の話を繋ぐのは、上
記14と15である。冒頭に述べたように、 私はかって電子書籍「怨霊と祈り」を書い
たが、その中で何故怨霊が守護神に変身するのか、ということはまったく触れていない。
その理由が判らなかったからである。その原因は15で臼田乃里子が重視している「モリ
ス・ブロック」の理論( 生け贄から狩猟者へ転換されることについての理論)を私が
まったく知らなかったからである。また、14で臼田乃里子が紹介した柳田国男の八幡神
社に関する見解も私はまったく知らなかった。私はかって八幡神社についていろいろと書
いてきたが、全国に3万社あると言われる八幡神社が御霊信仰の流れを汲むものであると
はまったく知らなかった。だから、今まで書いてきたものに若干手を加える必要があるか
もしれない。八幡神社に関する代表的なページを次に紹介しておこう。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/8tanjyou.html
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/masasoku.html
平将門の「新皇」即位という破天荒な儀式が巫女によって演出されたというだけでなく、
即位を正当化するものとして、八幡大菩薩と菅原道真が登場しているは驚きである。天神
(菅原道真)が怨霊であるというのは判るが、何故八幡大菩薩が怨霊なのか?それとも、
八幡大菩薩はすでに御霊に変身して武家の守護神になっていたのか?なぜ将門が八幡大菩
薩を持ち出したのか? その点が私が今後考えてみたい問題点だ。
では、いよいよ怨霊と御霊信仰の話に入っていこう。それでは、引き続き、臼田乃里子の
「供犠と権力」の中から、怨霊や御霊信仰に関する要点を紹介していこう。
16、御霊信仰では国家権力の内部にあって悲惨な死を遂げた生贄から狩猟者へと生き抜
く歴史を生き抜く。
17、祟りを克服し、内面化すること。ここに、天の支配の秘儀があり、御霊信仰の秘密
が隠されていた。この祟り信仰にもとづいた、新しい権力形態を繰り広げたのが仏教徒で
あった。
18、大化の改新(645年)で仏教推進派の蘇我馬子が殺されたが、仏教は衰えるどこ
ろか、神祇祭祀とともに天皇を頂点とする律令国家の支柱となっていった。これは、密教
僧が怨霊のもたらす一切の罪、穢れ、災害などすべてを経によって怨霊会で祓い除くこと
が可能であると宣言したからだ。祟り調伏として用いられた大般若経は、その理論的要素
が剥奪され、祓いの呪法に変えられた。「僧尼令」が出された時、仏法以外の呪術、占い
で病を治すことが国家によって禁止され、仏教の特権化が更に進んでいった。これは、日
本文化の根底に潜む仏教思想がいかなるものであったかを教えている。国家仏教とは天神
の祟り、国家の鎮護、道教の鎮魂儀礼を吸収した祟り体系だったのであり、犠牲者と加害
者の立場を転倒させさえするメカニズムを有していた。
19、天は全てを支配する。これはイデオロギーではなく現実問題である。旱魃が続いた
時、カトリック教会は聖人像を水の中に投げ込み、祈雨を願ったが、これは歴史上、決し
て奇妙な行為ではない。聖なる死者こそが天地の媒介者としてもっともふさわしかったか
らである。日本の古代国家も、ありとあらゆる手段を使って雨乞いをした。御霊会もその
歴史の残滓であり、地域によって多様化してはいるが、多くの御霊神社が名水に関わって
きた。御霊会は疫神を遷却するために始められたと言われ、祭日は随時的であった。五、
六月に行われることが多かったが、疫病が流行しなかった年は行う必要がなかった。社殿
や鎮座地も本来は存在していなかったのである。しかし、国家が御霊会を正式に取り入れ
ることで、その姿は政治的なものに変貌した。この変貌を明確に表しているのが、「三代
実録」に記された貞観五年(863)の記録である。疫病が流行したため、対処に悩んだ
朝廷は京都の神泉苑で六体の御霊を祀ったとある。霊座に花束が供えられ、金光明経一部
と般若心経が読まれたというが、この法会の特徴を義江彰夫はうまく描き出している。
「怨みの心を慰めながら、同時にそれをかき立て、盛り上げるかのようなものであっ
た。」
そして、法会を営んだ人びとは怨霊を敬意の念を込めて御霊と呼んだ。ここで注目すべき
ことは、怨霊の慰撫だけでなく、怨霊の超越的な存在が儀礼の中で転換され、疫病退治に
用いられていることである。御霊が疫病の原因とされていると同時に疫病退治に利用され
ているのである。鎮めながらかき立てるという言葉は私たちに物部氏の鎮魂儀礼を思い出
させる。このとき、雅楽寮の楽人が音楽を奏で、天皇近侍の児童および稚児によって大唐
舞や高麗舞といった異国の舞が演じられた。この御霊会の二年後に、国家は一般民衆が御
霊会を催すことを禁止している。これは、祈雨や疫神を送り返すことができる御霊信仰の
転倒的な力、供犠の独占化でもあったのだが、ここに密教僧が深く関与していた。
20、菅原道真は藤原時平の陰謀により太宰権師として九州に左遷され二年後に没した。
翌年は疫病、雷電、旱魃と、都は災害に見舞われ、延喜五年(906)には、天に異変が
起こったという。月食と同時に大彗星が現れ、十日以上も空にあった。道真を九州に追い
やった時平のその後の運命は惨憺たるもので、家系も絶えてしまい、930年には平安京
内裏の天皇の居所であった清涼殿に雷が落ちる。道真の死後39年を経て、京都右京区に
住む多治比文子に神託があった。道真が祀られたい場所を告げたという。それが現在の北
野天満宮の位置するところである。5年後に、近江の宮司の息子にも神託があった。そし
て、道真のために松樹を植えたが、一夜にして数千本の松が北野右近馬場に現れたとい
う。そこに北野社を造営したが、結局文子は除外され、天台宗が寺の職務の中心を占めて
いくようになる。(中略)道真が御霊信仰の対象に選ばれていったのは、社会的影響と文
化性、及び知性が御霊信仰に必要とされたからである。政治が欲する御霊信仰の本質は善
悪論にはなく、「力」による。これは供犠なのだ。
21、藤原氏全般の絶頂であった道長の時代に、北野天満宮の信仰は国家的になってい
く。すなわち藤原氏に反対した菅原道真の霊の輝きが藤原氏の盛運と平行して増していっ
たという事実は、深く考えてみるべきところであり、そこに怨霊のもつ大きな歴史的意味
があったと思われる。
21、菅原道真の霊に怨霊という言葉を使い続けることには賛成できない。寛弘9年6月
25日の記録、「本朝文粋」には北野天神に御幣と種々のものを献じたことが書かれてお
り、菅原道真を祀る信仰が盛んになったのは道真の霊が怨霊としてではなく、御霊と見な
されていた可能性があるからだ。
22、御霊信仰に権力の媒介を見た小松和彦は、怨霊の選択が意図的であったことに注意
を促している。
『怨霊の本体は予め定まっている訳ではない。しかし、まったく恣意的に選び出されてい
る訳でもない。それは人々が期待しているものを満たすべく選び出されたものなのであ
る。つまり、怨霊の正体を知った人々が納得するような怨霊が出現するのである。
23、明治新政府軍は奥羽諸藩を討つための祈願として、四国讃岐の坂出にある白峰に墓
参した。天皇の勅使は墓前で天皇の宣命を読み上げ、崇徳上皇(1119∼1164)の
霊を迎え、京都の飛鳥井町に新しく作った白峰神社に祀った。白峰神社については、次の
私のホームページが良いでしょう。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/ku/jyuonryo.html 崇徳上皇は保元の乱(1154)で後白河天皇に滅ぼされた。皇室内部で起こったこの内
乱は、崇徳上皇と後白河天皇の対立から発生した。一方、摂関家でも藤原頼長と忠道との
対立が悪化し、崇徳と頼長側は源為義の軍を頼りに後白河打倒を図るが、平清盛、源義朝
の軍が後白河側に付いたため、崇徳は淡路に流され、過去最大の怨霊になったと言われて
いる。
]
崇徳が死後も仇敵を呪う姿が、名著「雨月物語」に描かれている。
http://www.youtube.com/watch?v=f2cq_UXGRRs
第8章 「神」はどこに存在するのか?
第1節 天におわす「外なる神」
ラカンという人がいる。精神科医であり、哲学者でもある。彼の考えを私流に一言でい
えば「言葉では真実を語れない」ということになる。だから、私は、音楽や芸術が必要だ
と思うのだが、そのことを理解するにはラカンを勉強する必要がある。しかし、ラカンの
哲学は非常にむつかしい。ラカンの哲学を勉強するには中沢新一の著書「カイエソバー
ジュ・神の発明」を勉強するのが良い。ここでは言葉ではなかなか語ることのむつかしい
「神」の話をしておきたい。
「神」には、キリスト教やマホメット教などの宗教でいう「神(ゴッド)」や「アッ
ラーの神」などの他に、インディアンがいう「グレートスピリット」というものがある。
そのほか村上和雄がいうサムシンググレートというのがある。直訳すると「偉大なる何者
か」だが、村上和雄は科学的立場から「生物の進化に影響を与えた人智を超えた存在」の
ことをこのように呼んでいる。
「天は自ら助く者を助く」「天は人の上に人を作らず」「天の声」とか、「天」という
言葉がよく使われるが、「天」は東洋思想の世界観が生み出した概念であって、上記の言
い方とは立場が違う。「神(ゴッド)」や「アッラーの神」も、「グレートスピリット」
も,サムシンググレートも、「天」ないし「天の神」も・・・宇宙に存在する「外の神」
である。私は、神には「外の神」「内の神」があると考えている。
「内なる神」は、脳の中に存在する神で、中沢新一のいうスピリットがそうである。スピ
リットはいつもどこかに隠れて表に姿を出さないが、何かの拍子に表に姿を現す。その姿
はその都度違っている。山の神、水の神、火の神、道祖神などがそうである。
姿を現さないけれど心に感じることがある。トイレの神様などがそうである。
諏訪神社の御柱(おんはしら) や伊勢神宮・出雲大社の心御柱(しんのみはしら)
は、まあ神のようなものと考えて良い。私はその源を縄文時代に遡ると考えている。三内
丸山遺跡など多くの縄文遺跡に立てられていたとされる巨木はその実例である。そもそも
「柱」とは、「神の通う道」のことであって、神そのものではないが、神聖視されるうち
に神のようなものになったのであろう。その源をさらに遡ると結局は「石棒」に辿り着く
のではないかと考えている。道祖神の源は「石棒」である。
猿田彦神社の心御柱(しんのみはしら)は、「神の通う道」であるが、それが神格化し
て猿田彦になったようである。猿田彦は導きの神とされて道案内の神としてまつられてい
る場合も少なくないが、これは本来「神の導き」のことである。「石棒」を源とするこれ
らの神は、まあいうなれば「内なる神」に分類されるだろう。「外なる神」でないことは
確実だ。
ところで,神道の八百万の神(やよろずのかみ)は「外なる神」であろうか、それとも 「内なる神」であろうか。
山形県に葉山信仰というのがある。人が亡くなって暫くは、その魂が山の頂上あたりの空
中にとどまっていて、やがては「天」に昇っていって神となる。そういう信仰だが、こう
いうことも加味して考えると,八百万の神は「天」にまします「外なる神」ではないかと
思う。
なお、妙見信仰というのはそもそも神道なのかどうかよく判らないところがある。記紀
(古事記・日本書紀)などに名前だけ出てきて活躍が記載されていないことから、日本古
来の信仰に繋がるものではなく、やはり中国の道教に繋がるとする説が有力だが、その真
偽はともかく,妙見信仰の神は北極星(太一神)であり、これは間違いなく「外なる神」
である。神仏習合の影響で妙見菩薩という仏さまも居られるので、「神」と言い切るのは
ちょっとはばかれるが・・・。
いずれにしろ、日本では神仏習合の影響で、神について語りだすと切りがないほど難しい
問題が一杯ある。したがって、「神」の話はこの辺で切り上げて,先に進もう。これから
進めるべき課題は、「外なる神」と「内なる神」の科学的な説明である。「外なる神」と
「内なる神」の存在がはたして科学的に説明できるのか? 次はいよいよ・・・極めて大
事な話に移っていこう!
第2節 エゾイタチの神
神話というのは世界各国にあり、神話の世界は実に広くさまざまなものがある。アイヌ
の神話もさまざまなものがある。神話から何を学び取るべきかについては、神話の奥が深
すぎて学問的な定説というものはない。しかし、私はアイヌの神話から二つの神話を取り
上げ、これからの文明を考える際の重要な視点を明らかにしてみたい。この節では「エゾ
イタチの神」(松谷みよ子「日本の伝説<下>」昭和50年7月、講談社)を取り上げた
い。そこでは「神というものは人間あっての存在である」と語られているが、本当か? つまり、皆さんに問いかけたい問題は「 人間あっての神というのは、科学的に本当
か?」ということである。
まず「エゾイタチの神」という神話のあらすじを紹介しよう。
天に「エゾイタチの神」がいて人間の世界(地上)を見守っている。「エゾイタチの
神」が刺繍(ししゅう)の手仕事に夢中になってちょっと地上から目を離している隙(す
き)に、地上が飢饉となる。「イナウ(木幣)の神」が村のかしらが供えたわずかな酒を
携えて「エゾイタチの神」に「飢饉が終わったときに、さまざまな御馳走を差し上げます
のでどうかお助けください!」という村のかしらのお願いを伝える。
イナウというのは、木製の祭具のひとつで、本州のいわゆる「削り花」とよく似てい
る。北海道(アイヌ社会)では一般にミズキやヤナギ、キハダなどを用い、病気払いや魔
除けにはタラノキ、センなどの刺のある木、エンジュやニワトコなどの臭気のある木も使
われたらしい。イナウの機能としては、神への捧げ物となる、神へ伝言を伝える、清めを
行う、それ自体が神となる、などいくつかのものに分かれるが、「エゾイタチの神」とい
う神話に登場するイナウは、村のかしらの伝言が「エゾイタチの神」に届くように供えら
れた。イナウは、祭壇や囲炉裏の中などに供えられるが、祭主がイナウにお神酒を捧げな
がら祈り言葉を述べると、イナウを介して祈り言葉が神へ届くと考えられている。イナウ
は神が最も喜ぶ捧げ物だが、神自らは作れないことになっていて、神は人間からイナウを
たくさんもらうことで神の国で地位を高めるものと考えられていた。つまり、神は人間か
ら数多く祈られれば祈られるほど「神としての大きな力」を発揮することができると考え
られていたのである。この祭祀で重要なのはお神酒である。お神酒を捧げなければならな
い。神さまも酒が好きらしく。天上の神々はその酒で酒宴を開くのである。今回は飢饉で
あるので山の幸海の幸は捧げられていないが、飢饉が終われば捧げるという誓いのもと、
お神酒だけが捧げられた。それで村のかしらの気持ちは天の神々に伝わるのである。
「エゾイタチの神」はさっそく天上の神々を招いて、イナウの神が届けてきたお神酒に
よって酒宴を開く。そして神々に村のかしらの口上を伝えるのである。
酒宴の場でシカの神とサカナの神は、最近の人間はシカやサカナを取る時の作法がなっ
てないことを言い,人間を懲らしめているのだという。そこで「エゾイタチの神」は言う
のである。
『シカの神よ、サカナの神よ、お話は、よくわかりました。お怒りは、もっとものこと
です。けれど、もう一度、おもいなおしてくださいませ。飢饉が、あんまりひどすぎる
と、人間もまた、死に絶えましょう。そうなれば、誰がわたくしたちに、かぐわしい酒
や、飾りのついた木幣や、おいしい食べ物をそなえるでしょう。人あっての神であり、神
あっての人であれば、助けあい、教えあって暮らしたいもの。どうか許してやって下さ
い。鹿を下界へ、さかなを下界へ、どうか、降ろしてやってください。』・・・と。
この神話にはその他いろいろな場面があってそれぞれ詩的に美しく語られているが、こ
の神話のハイライトはこの「エゾイタチの神」の発する「言葉」である。最終的な結論だ
け言うと、「エゾイタチの神」のこの「言葉」に神々は感動し、もとの豊かな大地が無事
取り戻された。そのあと、「エゾイタチの神」は村のかしらに、夢の中で、けものを殺す
作法、さかなを殺す作法を教えた。村のかしらは、それを人々に伝えたから、それからは
鹿はうつくしい飾り矢をくわえ、さかなは、うつくしい飾り棒をくわえ、はねまわりなが
ら天へ帰ってくるようになった。「めでたし!めでたし!」・・・という訳だ。
「エゾイタチの神」の神話にもいろいろな「野生の思考」(古代の人の考え)が見ら
れ、いろんな側面からその理解を深める必要があるが、ここでは焦点を この神話の語る
心髄部分 に絞って、「神というものは人間あっての存在である」という「野生の思考」
を科学的にどう理解すべきなのか、それを私の「リズム人類学」の観点から説明すること
としたい。
先に触れたが、シェルドレイクの「形態形成場」という科学の世界で画期的と言われる
科学的仮説があるが、それについて私は、先に、皆さんにも判り易い比喩を使って説明し
た。すなわち、『 岩井國臣が母親の腹の中で命を授かった時,成長が始まるのだが,脳
にいる岩井一、岩井二,岩井三・・・・岩井九十九と宇宙にいる岩井一、岩井二,岩井
三・・・・岩井九十九とが、それぞれ共振あって,それらの合成の結果,岩井100の固
有振動が卓越してくるのである。最終的は,岩井100の波動が形態形成場で支配的とな
り,岩井國臣が誕生する。』・・・と。
脳の中にも波動があり宇宙にも波動があるのだが、私は脳の中の波動を「内なる神」
と呼び宇宙の波動を「外なる神」と呼んでいる。「内なる神」の存在については、第一章
で必ずしもうまく説明できていないかもしれないが、私たちの身体の中に間違いなく「内
なる神」は存在するのである。そのことについては、村上和雄と棚次正和共著の「人は何
のために<祈る>のか」(平成22年12月、詳伝社)を是非読んで確信をもっていただ
きたい。「内なる神」は存在するのである。
しかし、ここで問題にしているのは「外なる神」である。「エゾイタチの神」という神
話でいうところの「天にまします神」のことである。「天にまします神というものは人間
あっての存在であるかどうか?」ということである。普通、神という存在は超越的な存在
だと考えられている。だから神というものは畏敬の念をもって祈らなければならないと誰
もが考えているのである。しかし、「エゾイタチの神」という神話では、「そうではな
い。神と人間とは対等である。 人あっての神であり、神あっての人であれば、助けあ
い、教えあって暮らしたいもの。」と言っているのである。私は、先に、『 脳の中にも
波動があり,宇宙からの波動が脳に及んでいる。だとすれば、脳の中では,内からの波動
と外からの波動が共振を起こすだろうということは容易に想像できることだ。』と言った
が、この神話の語るところによれば、『 宇宙の中にも波動があり,脳からの波動が宇宙
に及んでいる。だとすれば、宇宙の中では,外からの波動と内からの波動が共振を起こす
だろう。』という言い方もできる筈である。本当にそうなのか?科学的にそう言えるの
か?ここではそのことを考えてみたい。
「祈りの科学」シリーズ(1)の第13章で、「祈り」というものの摩訶不思議な効果
について説明した。密かにその人の病気回復を願って祈れば、その人は回復に向うことが
あり得るのである。岸壁の母のように、子供の無事を必死に祈っていれば、その願いは子
供に通じるのである。「祈り」は相手に通じるのである。上記の「人は何のために<祈る
>のか」という本には、いろんな事例が掲載されているので是非ご覧いただきたいが、植
物も人間の「祈り」の声を聴いているらしい。祈りの相手は動物でも植物でもあっても
「祈り」の効果はあるらしい。願いは相手に通じるのだ。そのことを科学的に説明すると
なれば、以下のような言い方になる。
私たちの心には「内なる神」が存在する。「祈り」によって「内なる神」に振動が起る
か、その波動の振動が「外なる神」が持つ固有の波動と共振を起こす。波動の共振が起る
ということは「外なる神」から新たに強い波動が発振されるということに他ならない。
「外なる神」から新たに発振される波動によって、私たちの「祈り」による願いが、相手
に通じるのである。つまり、「外なる神」を介して私たちの「内なる神」から発振された
波動によって、相手の「内なる神」が共振し、相手の遺伝子がスウィッチオンされるので
ある。私たちの「祈り」によって、神の力が発揮される。そういう意味では「神というも
のは人間あっての存在である」。
こういったことを敷衍(ふえん)して考えると、神の怒りというものも考えねばならな
い。生とし生きるものはこの地上で生きるための活動をしているのだが、人間だけが自然
を破壊し、とんでもない悪知恵を働かし、世の中の秩序を乱している。人間の行動には自
ずと「作法」というものがなければならない。「エゾイタチの神」の神話が語るように、
その人間が「作法」を忘れて傍若無人なことを行う時、神の怒りが落ちて来る。私はシカ
の神やサカナの神の怒りももっともだと思う。
ところで、人と他の動物との違いは何か?「祈り」をできるのは人間だけである。私た
ちは「祈り」の生活を生きなければならないのではないか。私は、「人間は太陽の子供で
ある」と思う。太陽に感謝し、自然の恵みに感謝し、人々の幸せを祈りながら日々の生活
を過ごすことが大事ではないか。
祭りは村の人々の安寧のためになくてはならない。除災だけでなく人々の連携(団結、
共生、共同、恊働、協和)が必要である。そのために村の祭りを真剣にやって、神に祈ら
なければならない。「我語る故に我あり」というのは中村雄二郎のリズム論だが、私のす
すめる「リズム人類学」では「我祈る故に我あり」ということになろうか。
天皇は祈る人である。私たちも天皇に習って国民の幸せを祈らなければならない。自分
の幸せ、親や子供の幸せ、友達の幸せ、地域の人々の幸せ、みんなの幸せ、世界の平和を
祈らなければならない。そういう生活を送りたいものだ。
さて、以上の「エゾイタチの神」という物語は、次のような語りから始まる。
そらには、五つの空があるのだよ。
いちばん低い空を 切りの空
その次の空を かかっている空
その次の空を 星をささえる空
その次の空を 高い雲の空
その奥の空の果てを いちばん高い空
そこには、鉄の城があり、鉄の塀をめぐらして、鉄の門が立っている。そこにすべての
神々の中でも、いちばん偉い神が住んでいるのだよ。
さて、エゾイタチの女神は、低い空を守る神だった。
第3節 ゲーテの戯曲「ファースト」より
ゲーテの戯曲「ファースト」は「天上の序曲」から始まる。
主。ついでメフィストフェレス。
三人の大天使、進み出る。
大天使ラファエル:太陽はあいかわらず輝きながら兄弟星と歌を競い合っている。雷鳴を
おともに定められた天空を走り終えた。それを見るにつけ天使たちは活気づく。何故そう
なるのかはわからない。はかり知れない業(わざ)ごとに、天地が生まれた最初の日のよ
うに神々しい。
大天使ガブリエル:おそろしい速さで大地がにぎやかに旋回している。楽園のような明る
さ、つぎには奈落のように深い闇だ。海は太い流れをつくって泡立ち、大岩にぶつかって
波がくだける。その岩も海もひっさらって、星辰(せいしん)はまわりつづける。
大天使ミカエル:海から陸(おか)、陸から海へと嵐が吹きすさんでいる。猛り立ち、も
つれ、ねじれ合って、そこへ稲妻が走り込み、劫火(ごうか)が燃え、そのあとから雷鳴
がとどろいた。主よ、あなたのお使いは、おだやかな一日のうつりゆきを触れていたが、
これがそうか。
三天使:天使は活気づくが、主の御業(みわざ)はわからない。まるで最初の日のように
神々しい。
メフィストフェレス:これはこれは、ご主人さま、わざわざお出ましくださって、しもじ
ものことをあたずねになる。いつもこころよく会っていただける。それでつい、召使いめ
にまじりこみました。はい、ごめんください。上品ぶった言葉が苦手でして、まわりから
も、とやこういわれます。こちらが燃え立ちなどすればお笑いだ。笑いをお忘れではあり
ますまいね。太陽や世界のことはなんにも知りませんが、人間の悶(もだ)えようならよ
く知っている。この星のちっぽけな神さまたちときたら、いつも妙ちきりんでして、天地
開闢(かいびゃく)以来、さっぱり変わりばえいたしませんな。:あなたさまが天の光な
どをおすそわけなさらなければ、もちっとはましな生き方もできたでしょう。人間という
やつ、それを理性だと称して、実のところは獣も顔をそむけるようなことに精をだしてい
る。失礼ながら申し上げますが、あのやからは脚の長いバッタ野郎で、跳んだりはねたり
したあげく、草にかくれて古くさい歌をがなっています。それならずっと草のなかにいれ
ばいいものを、すぐまたしゃしゃり出て、つまらぬことに鼻をつっこむ。
主:いいたいのは、それだけか。いつも苦情を申し立てる。地上のことが、おまえには何
であれ気に入らない。
メフィスト:気に入りませんとも!まったくもってほどい話だ。あいもかわらず悶えずく
めの人間を見ると、つい哀れをもよおしますね。
主:ファーストを知っているか?
メフィスト:あの学者先生ですか。
主:わたしの下僕だ。
メフィスト:それにしても仕え方が風変わりだ。あのへんくつ者の飲み物、食べ物ときて
は、地上のものじゃない。わき立つ胸は、ただ遠くへ恋こがれ、自分でも愚かさかげんに
は半分がたは気がついています。天の星から、いちばんきれいなのをとりたがり、地上で
は最高のよろこびをあまさず欲しい。近いのも遠いのも、あの高ぶった胸には収まりがつ
かない。
主:当人も往き迷って、どうにもならない。ついては何とかしてやりたいと思っていると
ころでね。木が芽吹けば、いずれ花が咲く、実がむすぶ。庭師はそっくりお見通しだ。
メフィスト:ひとつ、賭けますか。こいつはいただいた。お許し願って、手もとにまんま
とたぐりこんでみせましょう。
主:あやつが地上にいるあいだ、そうしたければするがいい。思いが迷うもの、それが人
間だ。
メフィスト:ありがたい。死人相手はおもしろくない。ふっくらした色つやの頬(ほっ)
ぺたがいい。死体などは願い下げだ。猫がネズミをいたぶるようにやるとしましょう。
主:よし、まかせた!あやつの心を根っこからもぎとって、好きなように引き回すがい
い。赤恥をかくな。良い人間は暗い衝動に駆られても、正しい道をそれなりに行くものだ
と、ぼやきにこないかな。
メフィスト:引き受けた!手間はかからない。賭けはいただきだ。まんまとしとめたら、
心から凱歌(がいか)をあげさしていただきますぜ。あやつにちり芥(あくた)を食わし
て見せよう。身内の蛇はリンゴを食わせたが、あの手でやっつける。
主:なんなりと、いいにくるがいい。おまえたちは楽しい連中だ。天邪鬼(あまのじゃ
く)ぞろいだが、いたずら連中は手がかからない。人間は何をするにせよ、すぐに飽きて
休みたがる。だからこそ仲間をつけてやろう。あれこれ手出しをして引き回す悪魔が相棒
だ。そちらの天使たち、おまえたちは神の子だから、このゆたかな、いきいきとした美の
世界を楽しむがいい。永遠に働きかける力があって、おまえたちをやさしい愛の囲いで
守ってくれる。揺れながらやってくる者たちを、しっかり迎えてやれ!
(天が閉じる。大天使たちが去っていく)
メフィスト:(ひとりのこって)
ということで、メフィストとファーストの関わり合いの劇が始まるのだが、この最初の幕
「天上の序曲」で最後の結末が暗示されている。最終幕の「山峡、森、岩」で、ファース
トは死に至るのだが、主(最高の神)が天使たちに「 揺れながらやってくる者たちを、
しっかり迎えてやれ!」と言った通り、ファーストの霊魂は天使たちに導かれて天に昇っ
ていく。メフィストは、結局、賭けに負けたのだ。メフィストは「賭けはいただきだ」と
言っていたのだが、主(最高の神)が「良い人間は暗い衝動に駆られても、正しい道をそ
れなりに行くものだ」と言っていた通りにファーストは正しい人生を歩んだので、メフィ
ストは賭けに負けたのである。メフィストは、 天邪鬼(あまのじゃく)の仲間であり、
いたずら好きなので、主(最高の神)は最終的な結末を見通しながらメフィストに対し
「いたずら」を仕掛けたのだと思う。
ここで注目してもらいたいのは、メフィスト、はましな悪魔であって、神の国に入ること
を許されており、 主(最高の神)とも話ができる存在であるということだ。
第4節 神の国の神々
以上に紹介したように、神の国には、いちばん偉い神つまり最高の神、それは超越神とか
唯一絶対神と呼ばれることもあるが、そういう最高の神がいて、その下にいろいろな神が
いるという考えがある。「エゾイタチの神」の作者もゲーテもそういう観念を持っている
のだが、どうでしょう? 私たちは、一般的にそういう観念を何となく持っているのでは
ないでしょうか? 少なくともかの偉大なゲーテがそういう観念を持っていたということ
は、やはり重く受け止めて良いように思われます。そういう神の国の構造を科学的に証明
することはできないけれど、リズム論というか波動論あるいは霊魂論の立場から、一つの
科学的仮説ないし哲学的仮説として考えてい良いと、私は考えたい。波動論的に神の国の
構造を多重構造と考え、それを前提として、私は怨霊が神の仲間入りをする、その転換
(変身)がどのように行われるのか、そのことを説明したいと思う。
私は、電子書籍「祈りの科学シリーズ(8)」「平和国家のジオパーク」の第6章で、
「言霊」について書いたように、言霊の力というのは確かにある。言霊の力に対する認識
は、天孫降臨以来、受け継がれる日本古来の伝統でもあり、正しい心で正確に使用する事
によって、「ことだま」が自然発動的に存在する全てを生かし、「ことかえ」が行われ、
より善良で高度な精神性がもたらされるとされてきたが、近代では、梅棹忠雄が言うよう
に「ヨーロッパ人が言語的心霊主義者であるとすれば、日本人は、言語的無神論者であ
る。」のかもしれない。ゲーテは「言霊」の力を十分認識していたようである。ゲーテの
「ファースト」はドイツ語で声を出してこれを読むと確かに魂に響くと言われており、
ゲーテは、そのことを十分認識した上で、「ファースト」という戯曲を書いたらしい。梅
棹忠雄は「現代の日本人にとっては、言語をどのようにもてあそんでも、たたりもなく、
害もない存在である。俳句のような言語遊戯が、民衆の、もっともポピュラーなあそびと
なるゆえんである。俳句は、とにかくにもひとつの詩であろうが、そこには、詩神のやど
り場所もない。」と言っているが、私たち日本人も、古来の伝統に立ち返って、「言霊」
というものをもっと重視した方がよい。
さあそこで、ここがもっとも私の言いたいことだが、御霊会において空海をはじめ、特別
の修行をおさめた密教僧によって、怨霊に対して特別の祈祷が行われたのだが、その祈祷
というものは、「言霊」の特に強力な力に有していたのではないかと思う。
密教僧の発信する「言霊」、これは密教僧の発信する波動(リズム)であるが、その波動
(リズム)によって、怨霊の持つ波動は、徐々に共振(共鳴)しはじめて、最終的には、
もともと持っていた波長が変化するのではないかと思う。その変化が、ブロックの言う
「転換」である。
悪魔にもいろいろな悪魔がいる。「ファースト」に登場するメフィストはその中でもまし
な悪魔である。ましな悪魔は、神の園に入ることが許されており、最高の神と話をするこ
とを許されている。本来の悪魔は神の園に入ることを許されておらず、悪魔の国に閉じ込
められている。ひとつの集合体が形成されている訳だ。しかし、本来の悪魔、それは怨霊
のことだが、そういう本来の悪魔も、密教僧の発信する「言霊」によってメフィストのよ
うな「ましな悪魔」に変身し、その後も、人々が神として「祈り」を捧げているうちに、
神、もちろん唯一絶対神の配下の神であるが、神へと変身する。怨霊から「ましな悪魔」
に、そして「ましな悪魔」から「神」へと二段階を経て変身していく。
このようなことは科学的に証明できることではなく、ただ単に、怨霊とか御霊信仰につい
ての科学的な説明を進める上での仮説だとお考えいただきたい。私はこれを怨霊仮説と呼
びたい。
神の国には、本来の神のほかに、人々の「祈り」によって普通の死者が変身した神と、特
別の祈祷と人々の「祈り」によって怨霊が変身した神がいる。このような神の国の構造を
考えないと、怨霊とか御霊信仰の科学的な説明ができない。
おわりに
原爆ドームは、あまり知られていないが、私達・・・建設省(中国地方建設局)の庁舎で
あった。そんなことで、毎年8月6日には、建設省中国建設局長が主催して、原爆ドーム
の下で、誠にささやかだが内々の原爆慰霊祭を行なっている。
私も、平成元年から平成4年まであしかけ4年、丸3年間、中国地方建設局長をやってい
たので、原爆慰霊祭をやってきた。御遺族やら当時の職員に御出席願い、亡くなった方の
霊を弔うとともに平和を祈るわけである。平和の国づくり、・・・・・国土建設という立
場から平和の国づくりに尽くすことを誓うわけだ。そういったことで、私は、国土建設と
いう立場から平和ということについて、どうしても真剣に考えざるを得ないのである。平
和の哲学とは?・・・・そして、そういった平和の哲学に則った国土建設とはどんなもの
なのか?・・・・平和の哲学に則った地域づくりはどう進 めていけばいいか?・・・・
そんなことをいろいろと考えさせられてきた。
歴史上いちばん平和な時代になったのか? その秘密は,どうも御霊神社がそうであるよ
うに,「祈り」にあるようだと気がつきながら,私は、これから私の哲学の勉強をどう進
めていけば良いのか,はたと困ってしまった。「平安遷都を訪ねて」という「怨霊,妖
怪,天狗」を訪ねる私の旅は,そのとき、山寺(立石寺)の慈覚大師まで
り着いていた
のだが、それから先どういう旅すれば良いのか勉強の目標を見失ったのである。その後、
中沢新一の勉強やら徳一と明恵の勉強やら、やみくもに平和に関係のありそうな勉強をし
て、上述の通り一連の電子書籍を書いたのだが、そこに怨霊や霊に関するものが含まれて
はいるけれど、その本質的なものへの突っ込みが足らなかった。今回の「霊の科学」はそ
の不足部分を補うものである。すなわち、かって勉強した「妖怪」を勉強し直し、妖怪と
天狗や鬼との違いなどを明らかにしながら、人間の「霊魂」についての思索を深め、御霊
信仰の本質を明らかにするとともに、プラトンの霊魂論とはひと味違う私の霊魂論を展開
した。その結果、一応、「平和の原理」を明らかにすることができたと思う。しかし、実
は、第6章に述べたように、「山の霊魂」についてはほとんど触れていない。「山の霊
魂」のことを書かずして私の霊魂論は完結しない。いずれ機会を見て「山の霊魂」につい
て書きたいと思うが、この本では、一応、所期の目的どおり、「平和国家」の諸条件を、
明らかにすることができたのではないかと思う。
「平和の原理」をしっかり認識するためには、「祈り」の他に、「呪術」というものが必
要である。「呪術」によって・・・、「怨霊」も「御霊(神)」に変身することができ
る。
日本の国是は、平和国家となることである。だとすれば、靖国神社に祀られた英霊及び怨
霊は、神(御霊)に変身しなければならない。靖国神社の英霊及び怨霊が神(御霊)に変
身するためには、それなりの儀式が必要である。その儀式は怨霊を御霊化するための呪術
に支えられたものであろう。 それには日本におけるあらゆる宗教の参加が必要だが、問
題は現在の靖国神社側にその度量が必要であるということだ。しかし、靖国神社側の大き
な寛容の精神 によって宗教上の知恵を総動員することができるならば、靖国神社は世界
の冠たる御霊神社に生まれ変わって、日本は真に平和国家となるだろう。平和国家、そ
れは専守防衛に徹するということであって、もし日本がどこかの国から攻められたときに
は、狼が死ぬ覚悟で相手の喉頸を食いちぎるように、日本国は相手国を 完膚なきまで叩
きのめさければならない。それが尊厳ある国の生き方だ。プラトンの「正義」ある国家と
はそのような国家をいうのであろう。
桜井 邦朋(さくらい くにとも)という大先生がおられる。桜井邦朋(1933年5月27日生
まれ、京都大学理学部卒業、神奈川大学名誉教授。 )は日本の代表的な宇宙物理学者。
太陽物理学、高エネルギー宇宙物理学の世界的な権威であり、現在、早稲田大学理工学部
総合研究センター客員顧問研究員とユトレヒト大学、インド・ターター基礎科学研究所、
中国科学院の客員教授を努めている、まさに日本が誇る世界的学者である。その大先生
が、「宇宙には意志がある」という本(2001年6月、徳間書店)を出しておられる。
その本の中で先生は次のように言っておられる。すなわち、
『 ここで、私は一つの仮説を読者に提示したいと思う。それは「人類の誕生は、宇宙の
進化から必然的に生み出された結果なのではないか」ということである。すなわち、この
宇宙は私たち人間を誕生させるために存在しているのではないか、ということである。私
たちは、たまたま地球上に生まれたのではなく、宇宙そのものが私たちを必要としている
から、知性を持った人類を生み出したのだ、ということだ。もちろん、読者の中には「そ
んな馬鹿な」と思う人も多いだろう。確かに常識から考えれば、「人類を生むために、宇
宙が作られた」というのは、暴論に属する話かもしれない。(中略)しかし、最新の物理
学の成果から考えると、このような推定はけっして暴論とはいえないのである。この「宇
宙は人間を生み出すためにある」という考え方を、現代物理学では「宇宙の人間原理」と
呼ぶ。最初にこれを提唱したのは、アメリカのロバート・ディッキーという宇宙論学者で
あった。もちろん「宇宙の人間原理」は、あくまで仮説である。この考え方に対して反対
意見を唱える人もいる。しかし、この原理は単なる思いつきで作られたアイディアではな
い。物理学の最新知見をもとに言われていることなのだ。』
『 ケンブリッジ大学のスティーブン・ホーキングも、現在、私たちが見ている宇宙は
「神」のような、何らかの手によって作られた設計図にしたがって作り出されたのだとい
う趣旨のことを言っている。物理学に「神」とか「創造主」という言葉を持ち込むのはき
わめて危険なことであるのは言うまでもない。しかし、現実の物理学の歴史を見ていく
と、今や私たちは「創造主」の領域に迫りつつあるというのも、事実であろう。この宇宙
を理解していこうとする人間の努力は、宇宙創成の瞬間をも解き明かそうとしている。ま
た、一方では生命進化の秘密も、徐々に明らかになりつつある。36億年前に地球上に誕
生した生命は、今や「神のみわざ」を理解しようというところまできているのであ
る。』・・・と。
私は、上述のように、「平和原理」を追い求めている。そしてまた、上述のように、桜井
邦朋は「人間原理」が物理学の最新知見にもとづいて言われていることを述べている。
「人間原理」は「宇宙の意思」である。私は、ニーチェの「重力の魔」と「力への意思」
について、私の電子書籍「さまよえるニーチェの亡霊」のなかで詳しく説明したが、「重
力の魔」の働きかけにもめげずに、高見に向かって階段を一歩一歩登っていくには、
「神」に「祈り」を捧げることが必要である。「神」に「祈り」を捧げるということは、
「神に伺いを立てる」ということであり、「神」に「さよう、さよう」という声なき声を
聞くことである。「宇宙の意思」とは、「神」、それは創造主とか唯一絶対神と呼んでも
同じことだが、「神」というものは「正義」を好む。「悪魔」は不正義を好む。したがっ
て、「神に伺いを立てる」ということは、正義に向かうことでもある。しょっちゅう
「神」に「祈り」をささげている人は道を誤ることはない。「正義の魂」が宇宙に満ちれ
ば、国家は平和になる。「宇宙の意思」とは、「正義の魂」が宇宙に満ちることである
し、国家が平和になることである。
私たちは、学生の頃、幾何学の問題を解くのに補助線を引くことがよくある。プラトン
は、「正義」ある国家とはどのようなものなのか、その答えを見出すために、「魂」とい
う補助線を使った。そのような哲学者はプラトン以降に誰もいない。だから、プラトン以
降の哲学はプラトン哲学の注釈にしか過ぎないといわれるのだが、ことほど作用にプラト
ンはまさに偉大な哲学者である。ただ問題は、それ以降に科学が著しく進歩して、上記の
ように、今や私たちは「神」の領域に迫りつつあるということである。したがって、今私
たちがなすべきことは、現在の科学的知見のもとづいてプラトン哲学の注釈を行うことで
ある。私は学者でないし誠に浅学なのだが、自分の今までの知見にもとづいてできるだけ
「平和の原理」を明らかにしたいと思い、浅学に顧みず、「霊魂」という「プラトンの補
助線」を使って、この本を書いた。おおむね私の目的は達したのではないかと感じてい
る。「平和の原理」は「祈り」に秘められている。
私たちは、「神」に「祈り」を捧げながら、「正義の魂」を磨かなければならない。その
魂(霊魂)は宇宙における「神の領域」に永久に存在して、子々孫々に良い影響を及ぼ
し、国家は、次第次第に「正義ある国家」になっていき、「平和国家」が実現していくだ
ろう。これが「宇宙の意志」である。ゆめゆめ悪魔の付け入る
を与えないように・・。
役行者、空海、円仁などは「山の霊力」をどのように感じたか? おそらく彼らは、
「神」を感じたにちがいない。そして、それに触発されて日本独特の宗教をそだてていっ
た。それが修験道や東蜜や台蜜である。
「山の霊力」というのは「自然の霊力」の一つにすぎないが、そもそも「自然の霊力」と
いうのは、桜井邦朋が言う「神の意志」によるものであり、ホーキングの言う「神のみわ
ざ」によるものであろう。すなわち、最新の科学的知見にもとづいて言われている「人間
原理」でもある。人間が自然を畏敬し、また「神のみわざ」を信じて、「祈り」を捧げる
ように、宇宙の設計図が描かれているのかもしれない。
私が言う「民話的妖怪」は自然の不思議な現象を、昔、農民が「名付け」をし、代々語り
伝えられてきたもので、民話に登場する妖怪である。現在アニメなどに登場する妖怪が、
私のいう「芸術的妖怪」である。「民話的妖怪」は、自然現象の不思議とつながってお
り、「自然の霊力」の現れである。その根源は、ホワイトヘッドのいう「エネルゲイア」
であり、それはホーキングのいう「神のみわざ」によるものと言ってよい。すなわち、
「民話的妖怪」は、「神」とつながっているといえばつながっている。しかし、それは霊
魂ではないので、特殊な場合を除いて、「祈り」の対象ではない。特殊な場合とは、天狗
と鬼の場合をいうが、その特殊性については第1章第2節に詳しく書いた。「民話的妖
怪」は農民の生活空間、里に出没する妖怪である。それに対し、天狗や鬼は、まあいわば
異界と里との境界領域に出没する。里の人びとにとっては山は異界である。その異界には
山の民の霊魂のみならず、動植物の霊魂が存在する。その総体が「山の霊魂」である。い
ずれ機会を見て私の霊魂論「山の霊魂」を書きたいと思う。乞うご期待! そのことを申
し上げここらで私の霊魂論「霊の科学」を終わりたいと思う。