レオナルド・ダ・ヴィンチを読むヴァレリー 『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法

レオナルド・ダ・ヴィンチを読むヴァレリー
今井
勉
「 X を 読 む Y 」と い う 題 目 で 、作 家 の 読 書 体 験 を 探 る 。X と Y の 組 合 せ は 無 限
に あ る だ ろ う 。あ る 作 家 が 何 か を 読 ん で そ れ に 反 応 す る 。そ の 痕 跡 が 作 家 の テ ク
ス ト に 刻 印 さ れ る 。私 た ち は 、そ の 痕 跡 を た よ り に 、作 家 の 読 書 体 験 が ど の よ う
な も の で あ っ た の か 、そ の 原 像 を 求 め て 遡 っ て い く 。こ の 種 の 追 跡 調 査 は 文 学 研
究 の 手 続 き と し て は 平 凡 で あ る が 、作 家 の 思 想 形 成 を 研 究 す る 場 合 、と り わ け 有
効 な 手 段 で あ る 。な ぜ な ら 、思 想 形 成 期 の 読 書 体 験 は し ば し ば 劇 的 か つ 決 定 的 で
あ り 、そ の 激 し い 反 応 の 様 態 そ の も の の 内 に 、作 家 が 独 自 に 目 指 そ う と し て い る
ものの基本線が窺えるからである。
ヴ ァ レ リ ー が 『 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ 方 法 序 説 』 1( 以 下 『 序 説 』 ) を 書
い た の は 二 十 三 歳 の 時 で あ る 。 こ の 年 1894 年 、 ヴ ァ レ リ ー は 『 序 説 』 の 執 筆 に
入 る 一 方 、『 テ ス ト 氏 と の 一 夜 』を 構 想 し 、さ ら に 、言 わ ば 正 式 に『 カ イ エ 』執
筆 の 習 慣 を も 身 に つ け る 2 。1894 年 は 独 自 な 散 文 の 紡 ぎ 手 ヴ ァ レ リ ー の 出 発 の 年
と 言 え る だ ろ う 。も ち ろ ん 、ヴ ァ レ リ ー の 思 想 形 成 が こ の 時 期 に 終 わ っ て い た な
ど と い う の で は な い 。ヴ ァ レ リ ー の 探 究 が 本 格 的 な 実 践 期 間 に 入 っ て い く の は む
し ろ そ れ 以 降 で あ る 。し か し 、ヴ ァ レ リ ー と い う 作 家 の 、も の を 書 く 基 本 的 な 態
度 は こ の 時 期 す で に 成 熟 し て い る よ う に 思 わ れ る 。私 た ち の 興 味 の 対 象 は 、『 序
説 』『 テ ス ト 氏 』『 カ イ エ 』と い っ た ヴ ァ レ リ ー 独 自 の テ ク ス ト が 誕 生 す る 過 程
で 、ヴ ァ レ リ ー が 先 人 の テ ク ス ト に ど う 反 応 し な が ら 自 分 の 基 本 姿 勢 を 鮮 明 に し
て き た の か 、と い う 問 題 で あ る 。こ の 問 題 を 考 え る 際『 序 説 』は 手 が か り の 宝 庫
と な る 。と い う の も 、『 序 説 』は 陰 に 陽 に そ れ ま で の ヴ ァ レ リ ー の 読 書 遍 歴 な い
Paul Valéry, Introduction à la méthode de Léonard de Vinci, Œuvres I, Gallimard, 1980,
Biblio-thèque de la Pléiade, p.1153-1199. 以 下 、Œ I, 1153-1199.の よ う に 略 記 す る 。本 稿 で の『 序 説 』
か ら の 引 用 は 原 則 的 に プ レ イ ア ッ ド 版 を 底 本 と し た が 、1895 年 の 初 版 と 異 同 が あ る 場 合 は 、1895 年 版
( La Nouvelle Revue, tome XCV, livraison du 15 août 1895, p.742-770. ) に 基 づ い た 。 ま た 本 稿 で
は 便 宜 上 、 『 序 説 』 の 形 式 段 落 ( 『 序 説 』 は 全 部 で 五 十 四 の 形 式 段 落 か ら 成 る ) を 例 え ば §51( 第 五 十
一段落を表す)のように略記する。
2 Œ I, 22. ( ア ガ ー ト ・ ル ア ー ル = ヴ ァ レ リ ー に よ る 伝 記 的 年 譜 )参 照 。ま た 、第 一 カ イ エ『 航 海 日 誌 』
中 の い く つ か の ペ ー ジ を 基 に 、『 序 説 』『 テ ス ト 氏 』『 カ イ エ 』を 書 く ヴ ァ レ リ ー の 内 面 を 分 析 し た 論
考 と し て 、恒 川 邦 夫「 ペ ネ ロ ペ の 織 布 -『 カ イ エ 』の ヴ ァ レ リ ー - 」(『 文 学 』1991 年 春 季 号 、岩 波
書 店 、 p .58-71. 特 に 、 p.62-69.) を 参 照 。
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しは反応の歴史の総決算書的性格を持っているからだ。
『 序 説 』に 刻 印 さ れ た 読 書 の 痕 跡 は 多 種 多 様 で あ る が 、特 に 顕 著 な も の を 三 つ
挙 げ る と す れ ば 、ヴ ァ レ リ ー の 読 書 体 験 の 時 間 軸 に 沿 っ て 順 に 、エ ド ガ ー ・ ポ ー
3 、レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ 、自 然 科 学 系 諸 論 文 4 と な る だ ろ う 。そ れ ぞ れ 決 定
的 な 反 応 を 若 い ヴ ァ レ リ ー に も た ら し た こ の 三 者 は『 序 説 』の 主 要 な 参 照 体 系 を
構 成 す る も の で あ る 。来 た る べ き『 序 説 』論 で 私 た ち は 、こ れ ら 三 つ の 読 書 体 験
を 軸 に 、先 人 の テ ク ス ト を 読 ん で 反 応 す る ヴ ァ レ リ ー の 姿 を 詳 細 に 追 跡 し て い か
な け れ ば な ら な い 。本 稿 の ね ら い は 、そ の 中 で も 特 に 、レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン
チを読むヴァレリーの様子を追跡することにある。
な ぜ レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ な の か 。第 一 に 、『 序 説 』読 解 の 場 で 、現 実 の
レオナルドが残した著作を読むヴァレリーの姿が見落とされがちだという事情
が あ る 。た し か に 、『 序 説 』の ヴ ァ レ リ ー は 、歴 史 的 実 証 的 博 識 を 排 除 し 、レ オ
ナ ル ド 的 精 神 の「 仮 説 的 な 」「 モ デ ル 」を 提 示 す る の だ 、と 力 強 く 宣 言 し て い る 。
し か し 、だ か ら と い っ て 現 実 の レ オ ナ ル ド の 著 作 を 無 視 す る な ど と は ヴ ァ レ リ ー
は 一 言 も 言 っ て い な い 。そ れ ど こ ろ か 、「 あ る 知 的 生 活 の 細 部 」「 人 間 の 業 績 の
生 成 過 程 」「 内 面 の 劇 」へ の 問 い か け を 強 制 す る も の と し て「 レ オ ナ ル ド の 手 稿 」
を 第 一 に 挙 げ る ほ ど 、レ オ ナ ル ド の 著 作 と 深 く 関 わ っ て い る の で あ る 5 。第 二 に 、
『 序 説 』研 究 の レ ベ ル で も 、ヴ ァ レ リ ー が「 レ オ ナ ル ド の 手 稿 」を ど う 読 ん だ か
に 関 す る 具 体 的 研 究 が 手 薄 の 感 を 否 め な い 。こ れ ま で に「 ポ ー ル ・ ヴ ァ レ リ ー と
レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ 」 と 題 し た 論 稿 は い く つ か あ る 6が 、 そ れ ら は 概 ね ヴ
3 ヴ ァ レ リ ー 1889 年 の 評 論 『 文 学 の 技 術 に つ い て 』 に は ボ ー ド レ ー ル 訳 の ポ ー の 『 あ る 詩 の 生 成 』 の
影 響 が 明 白 で あ る 。ヴ ァ レ リ ー は こ の 他 、『 マ ル ジ ナ リ ア 』、「 デ ュ パ ン 三 部 作 」(『 モ ル グ 街 殺 人 事
件 』『 マ リ ー ・ ロ ジ ェ の 謎 』『 盗 ま れ た 手 紙 』 ) そ し て 『 ユ ー レ カ 』 を 読 ん で い る 。『 序 説 』 で 直 接 引
用 さ れ る の は 『 マ ル ジ ナ リ ア 補 遺 』 所 収 の 「 シ ェ ー ク ス ピ ア に つ い て 」 ( 『 序 説 』 §18 原 註 ) だ け だ
が、「効果理論」や「(作品生成の)舞台裏への眼差し」といったテーマは明らかに『ある詩の生成』
の読書体験の延長上にあると言える。
4 ヴ ァ レ リ ー が マ ク ス ウ ェ ル の 『 電 磁 気 論 』 を 読 む の は 1893 年 11 月 頃 ( ジ ッ ド 宛 1893 年 11 月 27
日 付 手 紙 - 註 60 参 照 ) と 考 え ら れ る 。 同 書 序 文 は 『 序 説 』 §51 に 引 用 さ れ る 。 ま た 、 §10 原 註 で は
ア ン リ ・ ポ ワ ン カ レ の 数 学 論 文 ( 『 形 而 上 学 倫 理 学 誌 』 1894 年 7 月 号 所 収 「 数 学 的 推 論 の 性 質 に つ い
て 」)へ の 言 及 が 見 ら れ る 。こ の 他 に も 、ウ ィ リ ア ム ・ ト ム ソ ン( ケ ル ヴ ィ ン 卿 )の『 科 学 講 演 録 』
( 1893
年 刊 )や ポ ワ ン カ レ の 他 の 論 文 、エ チ エ ン ヌ ・ J ・ マ レ イ の 連 続 写 真 を め ぐ る 論 文 や シ ャ ル ル ・ ア ン リ
ィの科学的美学論文等も『序説』の参照テクストと考えられる。
5 ΠI, 1158.
6 René Huyghe, 《 Valéry et Vinci》 in Quadrige, 1945 octobre, p.8-12., 《 Léonard de Vinci et Paul
Valéry 》in Gazette des Beaux-Arts, 1953 octobre, p.183-198. / Edmée de la Rochefoucauld, 《 Paul
Valéry et Léonard de Vinci 》in Bulletin de l'Association Léonard de Vinci , n o 7, p.5-9. , 《 Parallèles
Paul Valéry, Léonard de Vinci, J.Wolfgang Gœthe 》 in Annales du Centre Universitaire
Médi-terranéen 24 è m e vol.(1970-1971) p.99-113. / Jacques Duchesne-Guillemin, 《 Valéry et
Léonard 》 in Essays in French Literature, 1971 nov. p.57-71. こ れ ら 諸 論 文 の 他 、 ヴ ァ レ リ ー の 作
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ァ レ リ ー の 生 涯 と の 関 わ り か ら 一 般 的 に 論 じ た も の で あ り 、ヴ ァ レ リ ー 青 年 期 に
おける決定的読書体験という観点から具体的に分析していない点に物足りなさ
が 残 る 。第 三 の 理 由 は よ り 積 極 的 で あ る 。す な わ ち 、ヴ ァ レ リ ー の レ オ ナ ル ド 体
験 は 、『 序 説 』と い う ヴ ァ レ リ ス ム 宣 言 の 中 で も と り わ け「 倫 理 的 な 信 条 」の 表
明 に 深 く 関 わ っ て い る 点 で 特 別 な 位 置 に あ る と 思 わ れ る の で あ る 。た し か に 、ポ
ー 体 験 や 自 然 科 学 系 諸 論 文 を 読 む 体 験 の 一 種 の 派 手 さ に 比 べ る と 、レ オ ナ ル ド 体
験 は 地 味 な も の に 見 え る か も し れ な い 。し か し 、そ の 体 験 の 質 は 、ヴ ァ レ リ ー の
自我の革命と極めて密接に関わっていると感じられるのである。
以 上 の よ う な 理 由 か ら 私 た ち は 、レ オ ナ ル ド の 手 稿 を 読 む ヴ ァ レ リ ー の 姿 を 探
究 し て み た い 。手 順 と し て 、ま ず レ オ ナ ル ド 手 稿 と 出 会 っ て か ら『 序 説 』執 筆 に
至 る ま で の 経 過 を 概 観 し 、続 い て『 序 説 』に お け る レ オ ナ ル ド 手 稿 の 痕 跡 を い く
つか手がかりにしながら、ヴァレリーのレオナルド読書あるいはレオナルドの
「 ヴ ァ レ リ ー 化 」の 様 態 に つ い て 考 察 す る こ と に し よ う 。そ の 結 果 と し て 、ヴ ァ
レ リ ー と い う 作 家 が 先 達 の テ ク ス ト と 対 峙 し 、自 分 の 血 に 同 化 吸 収 し 、自 ら の テ
クストに織り込んでいくあり方のひとつのモデルのようなものが浮き彫りにで
きればよい、と思う。
1
レオナルド手稿との出会いから『序説』制作まで
ヴァレリーがレオナルドの手稿に接し始めたのはおよそいつ頃のことであろう
か 。晩 年 の 1939 年 5 月 13 日 付 フ ィ ガ ロ 紙 に 、ヴ ァ レ リ ー は「 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・
ヴィンチの著作」と題する記事を寄せ、次のように書き出している。
私 の 二 十 歳 頃 、時 折 時 間 を 潰 し に 行 っ た 図 書 館 で 、偶 然 か ら( こ れ な く し て
は 私 た ち は 精 神 を 持 つ ま い が )、レ オ ナ ル ド の 手 稿 の 写 真 複 製 版 の う ち の 一
巻 を 、繙 き 、頁 を 繰 っ た の だ っ た 。学 士 院 所 蔵 の オ リ ジ ナ ル に 拠 り ラ ヴ ェ ッ
品 全 般 に お け る レ オ ナ ル ド の 影 響 を「 普 遍 性 と 構 築 」の テ ー マ か ら 論 じ た も の と し て 、ラ ウ ル ・ ペ ル モ
ン の 『 ポ ー ル ・ ヴ ァ レ リ ー と 美 術 』 第 二 章 ( Raoul Pelmont, Paul Valéry et les Beaux-Arts, 1949,
Harvard University Press, p.36-65.) を 参 照 。 ま た 、 唯 一 、 『 序 説 』 に お け る 「 レ オ ナ ル ド の 手 稿 」
の 読 書 体 験 を 部 分 的 に で は あ る が 極 め て 綿 密 に 追 究 し た も の と し て 、ジ ャ ニ ー ヌ ・ ジ ャ ラ の 次 の 論 考 が
あ る 。Jeannine Jallat, 《 Léonard dans le texte》 in Micromegas, rivista di studi e confronti italiani
e francesi, nn.2-3, 1983, p.275-282.本 稿 は ジ ャ ラ が 示 し た 読 解 の 方 向 に 大 き な ヒ ン ト を 受 け な が ら 、
考 察 の 対 象 を『 序 説 』の 基 本 に 関 わ る 引 用 文 に 広 げ た 点 に お い て 、ジ ャ ラ の 仕 事 の 延 長 線 上 に 位 置 づ け
られる。
3
ソ ン = モ リ ア ン が 刊 行 し た も の の 一 つ で あ る 。私 は そ れ ま で 、第 一 級 の 精 神
の 生 活 と 、そ の 自 ら の 能 力 と の 親 交 に つ い て の か く も 並 外 れ た 資 料 が 世 界 に
存 在 し よ う と は 想 像 も し な か っ た 7。
ヴ ァ レ リ ー の 二 十 歳 頃 と い え ば 、 1891 年 頃 で あ る 。 「 時 折 時 間 を 潰 し に 行 っ
た 図 書 館 」と は 、ヴ ァ レ リ ー が モ ン ペ リ エ で 学 生 生 活 を 送 っ て い た 頃 の モ ン ペ リ
エ市立図書館を指すだろう。ヴァレリーはレオナルド手稿との出会いが「偶然」
に よ る も の だ と 言 っ て い る が 、出 会 い の 可 能 性 は 高 か っ た は ず で あ る 。と い う の
も 、十 九 世 紀 末 の ヨ ー ロ ッ パ で は 、レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ 手 稿 の 刊 行 が 堰 を
切 っ た よ う に 相 次 ぎ 、そ れ ま で は 一 部 専 門 家 の 研 究 対 象 に 過 ぎ な か っ た も の が 一
般 読 者 の 眼 に も 触 れ る よ う に な っ た か ら で あ る 。と り わ け 、ヴ ァ レ リ ー が 手 に し
た 、シ ャ ル ル ・ ラ ヴ ェ ッ ソ ン = モ リ ア ン 編 訳 に よ る フ ラ ン ス 学 士 院 所 蔵 手 稿(『 レ
オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ の 手 稿 』 全 6 巻 8) の 出 版 は 、 写 真 複 製 技 術 を 駆 使 し 、
天 才 の 手 稿 を 忠 実 に 提 示 し た 点 で ま さ に 画 期 的 で あ っ た と 言 え る 。大 判 の 見 開 き
右 頁 に レ オ ナ ル ド 手 稿 の 写 真 複 製 版 を 、左 頁 に 原 文 筆 写 と 仏 訳 を 配 し た こ の エ デ
ィ シ ョ ン は 、 1881 年 に 刊 行 を 開 始 し 完 結 ま で に 十 年 を 費 や し た 。 全 6 巻 が 完 結
し た 1891 年 に 、 ヴ ァ レ リ ー は こ の 「 第 一 級 の 精 神 の 生 活 と 、 そ の 自 ら の 能 力 と
の親交についてのかくも並外れた資料」とのつきあいを開始したわけである。
晩 年 の 回 想 を 裏 付 け る 資 料 と し て 参 考 に な る の は 、1891 年 10 月 1 日 付 の ギ ュ
ス タ ー ヴ ・ フ ル マ ン 宛 の 手 紙 で あ る 。 ヴ ァ レ リ ー は ち ょ う ど こ の 時 ( 1891 年 9
月 19 日 か ら 10 月 23 日 ま で )パ リ に 滞 在 し て お り 、ユ イ ス マ ン ス と 面 会 し た 後 、
ピ エ ー ル ・ ル イ ス の 紹 介 で マ ラ ル メ に 会 っ て い る 。二 人 の 師 に 念 願 の 面 会 を 果 た
し た 点 で 意 義 深 い こ の 滞 在 中 、ヴ ァ レ リ ー は フ ル マ ン 宛 に 次 の よ う に 書 い て い る 。
昨 日 、カ ー ド な し で 図 書 館 に も ぐ り こ む の に 成 功 し た 。僕 が ダ ・ ヴ ィ ン チ
7
Paul Valéry, Vues, La Table Ronde, 1948, p.227.
Les Manuscrits de Léonard de Vinci,le Manuscrit A de la Bibliothèque de l'INSTITUT, 1881.,
Manuscrits B&D, 1883., C,E&K, 1888., F&I, 1889., G,L&M, 1890., H, 1891.,publiés en fac-similés
8
avec transcription littérale, traduction française, avant-propos et table méthodique par Charles
Ravaisson-Mollien, Paris, Quantin. 以 下 、 学 士 院 版 手 稿 か ら の 引 用 は 、 B 47r o ( 手 稿 B 紙 葉 47 表
を 指 す )の よ う に 略 記 す る 。仏 訳 は ヴ ァ レ リ ー 個 人 が 手 を 入 れ て い る 場 合 を 除 き 、す べ て ラ ヴ ェ ッ ソ ン
=モリアンによるものを示す。
4
の 手 稿 と 、ア ル ベ ー ル ・ デ ュ ー ラ ー と マ ラ ル メ の 本 を 繰 っ て い た ら ル イ ス が
僕 の 腕 を つ か ん だ 9。
こ こ で の「 図 書 館 」と は パ リ の 国 立 図 書 館 で あ る と 思 わ れ る 。そ し て「 ダ ・ ヴ
ィ ン チ の 手 稿 」と は モ ン ペ リ エ の 図 書 館 で 親 し ん で い た は ず の 学 士 院 版『 レ オ ナ
ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ の 手 稿 』の 他 に 、例 え ば 、後 述 す る リ ヒ タ ー 版 の『 レ オ ナ ル
ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ の 文 章 作 品 』( 上 下 2 巻 1883 年 刊 )や『 絵 画 論 』( 1651 年 刊
の イ タ リ ア 語 版 及 び 仏 語 版 )な ど も 含 ま れ る か も し れ な い 。と も か く 、フ ィ ガ ロ
紙 の 回 想 記 事 と こ の 手 紙 か ら 考 え て 、 少 な く と も 1891 年 10 月 の 段 階 ま で に 、
ヴ ァ レ リ ー が レ オ ナ ル ド の 手 稿 に 触 れ て い る こ と は 確 実 で あ る 。そ し て そ れ 以 後 、
レオナルド・ダ・ヴィンチの名前はヴァレリーの読書リストに位置を占めるよ
う に な る 10 。
筆写するヴァレリー
ヴ ァ レ リ ー は 、折 に 触 れ 図 書 館 で レ オ ナ ル ド の 手 稿 を 眺 め 、関 心 を 引 く 箇 所 に
つ い て は 筆 写 を 行 っ て い る 。1892 年 か ら 1894 年 頃 の ヴ ァ レ リ ー の さ ま ざ ま な ノ
ー ト や メ モ 類 を 集 め た 資 料 11 等 の 中 に は 、 そ の よ う な 筆 者 メ モ が 少 な く と も 四 例
ある。以下、簡単な紹介を試みたい。
ま ず 第 一 に 、 1892 年 の も の と さ れ る 紙 葉 12 。 こ れ は 紙 の 表 が す べ て 引 用 句 集
と な っ て い る 。パ ス カ ル 3 箇 所 と ラ ン ボ ー 1 箇 所 の 引 用 に 混 じ っ て 、レ オ ナ ル ド
からの引用が2箇所ある。
「 ど ん な 物 体 も そ の 類 似 に よ っ て 周 囲 の 大 気 を 満 た し て い る 。類 似 は ま っ た
く全体の中にありしかもまったく部分の中にある」
「 大 気 は 無 数 の 光 り 輝 く 直 線 で 満 た さ れ て い る 。こ れ ら の 線 は 互 い に 交 差 し
織 り 合 わ さ れ て い る が 、あ る 線 は 決 し て 他 の 線 の 場 所 を 占 拠 す る こ と は な い 。
9
Paul Valéry-Gustave Fourment Correspondance 1887-1933 Gallimard, 1957, p.122.
10
例 え ば 1892 年 4 月 27 日 付 ジ ッ ド 宛 手 紙 に は レ オ ナ ル ド の 名 前 が 二 度 用 い ら れ て い る 。 André
Gide-Paul Valéry Correspondance 1890-1942, Gallimard, 1955, p.158.
11 フ ラ ン ス 国 立 図 書 館 手 稿 部 所 蔵《 NOTES ANCIENNES II De 1892 à 1894》
( 手 稿 番 号 NAF19114・
マ イ ク ロ フ ィ ル ム 番 号 3431) 以 下 、 NA II,BN ms の よ う に 略 記 す る 。
12 NA II, BN ms, f o 90. な お 、 「 大 気 は 無 数 の 」 で 始 ま る 引 用 箇 所 に つ い て は 註 59 参 照 。
5
こ れ ら の 線 は 、諸 々 の 物 体 に 対 し て 、そ れ ら の 理 由 の 真 の 形 を 表 象 し て い る
の で あ る 」( ヴ ァ レ リ ー は こ の 引 用 文 の 左 横 に 縦 線 を 引 き 、「 フ ァ ラ デ ー !
マクスウェル」と書き込みをしている。)
出典は明示されていないが、この二つの引用文の典拠は学士院版『レオナル
ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ の 手 稿 』第 1 巻 手 稿 A の 紙 葉 2 裏 で あ る 。ヴ ァ レ リ ー の 引 い て
い る 部 分 が ラ ヴ ェ ッ ソ ン = モ リ ア ン に よ る 仏 訳 と 一 致 し て い る こ と か ら 、ヴ ァ レ
リーが学士院版を見ながらこの部分の仏訳をそのまま筆写していることは間違
い な い 。こ の 引 用 句 集 は 、前 後 す る 他 の 紙 葉 に 比 べ る と 大 判 で あ り 、裏 に は 水 浴
す る「 ヴ ィ ー ナ ス 」の 丁 寧 な デ ッ サ ン が あ っ て 、明 ら か に 他 の 紙 葉 群 と は 異 な る
装 飾 的 趣 が 感 じ ら れ る 。つ ま り 、単 な る 引 用 句 集 と い う 以 上 に 、当 時 の ヴ ァ レ リ
ーの精神を刺激する一種の名言集とでも言うべきものだったのではなかろうか。
ま た 私 た ち は 、 「 大 気 は 無 数 の 」 で 始 ま る 箇 所 が 『 序 説 』 §51 の 忘 れ が た い 引
用と同じ部分であることに気づく。これについては後で触れる。
第 二 に 、 こ れ も 1892 年 頃 の も の と さ れ る 読 書 ノ ー ト 13 。
ダ・ヴィンチ
行機械
合せ飾り
手稿B
手 稿 B D / モ ラ ル 、デ ッ サ ン の 方 法 、音 楽 、水 、建 築 等
築城術
真珠漁
ギリシア火
蒸気砲
精神の存在
飛
組
教 会 [...]
「ダ・ヴィンチ
手 稿 B D 」と は 、や は り 学 士 院 版『 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン
チ の 手 稿 』第 2 巻 の 手 稿 B お よ び 手 稿 D を 指 す 。ヴ ァ レ リ ー は 、特 に 、手 稿 B の
頁を繰りながら、興味を引く断章やデッサンのテーマを並べて書きとめる一方、
レオナルドの言葉で気に入ったものはそのまま筆写している。
「 飛 行 機 械 」や「 築
城術」をめぐる数々のデッサンを眺め、レオナルドのノートを熟読する経験は、
や が て『 序 説 』を 書 く ヴ ァ レ リ ー に と っ て 基 本 的 記 憶 と し て 生 き る は ず で あ る 14 。
NA II, BN ms, f o 297.
例 え ば 『 序 説 』 §29 の 中 の 一 節 「 私 は 、 16 世 紀 イ タ リ ア の 警 戒 心 の 見 事 な 現 れ を そ こ に 味 わ い つ つ
思 い 出 す 。同 一 軸 の 回 り に 相 互 に 独 立 し て 存 在 す る 四 つ の 階 段 が あ っ て 、そ れ ら が 城 主 か ら 外 国 人 傭 兵
を 隔 て 、金 で 雇 わ れ た 兵 士 た ち の 各 部 隊 を 互 い に 隔 て て い る よ う な 天 守 閣 を 彼 が 構 築 し た こ と を 」。こ
れ は 、B 47r o や B 48r o の デ ッ サ ン に つ い て 語 っ て い る も の と 見 て 間 違 い な い 。レ オ ナ ル ド の 手 稿 は
言 う ま で も な く 言 葉 と デ ッ サ ン か ら 成 っ て い る 。言 葉 は 引 用 で き る が 、デ ッ サ ン に つ い て は 図 版 収 録 で
13
14
6
第 三 の 資 料 は 、1892 年 か ら 1893 年 頃 に か け て ヴ ァ レ リ ー が 使 っ て い た と 見 ら
れ る 小 型 の 黒 い 手 帳 15 の 中 に 記 さ れ た 次 の メ モ で あ る 。
J.P.リヒター
ダ ・ ヴ ィ ン チ の 文 章 作 品 16
普遍的になる仕方について
人間にとって自らを普遍的たらしめるのは容
易 な こ と で あ る 。 な ぜ な ら あ ら ゆ る 動 物 は 互 い に 似 て い る か ら で あ る 。 17
ヴ ァ レ リ ー は 、学 士 院 版『 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ の 手 稿 』の 他 に も う ひ と
つ の エ デ ィ シ ョ ン 、す な わ ち 、ジ ャ ン = ポ ー ル ・ リ ヒ タ ー 編 訳 の『 レ オ ナ ル ド ・
ダ ・ ヴ ィ ン チ の 文 章 作 品 』 18 も 見 て い る こ と が わ か る 。 リ ヒ タ ー 版 は 大 英 博 物 館
所 蔵 手 稿 、ウ ィ ン ザ ー 宮 所 蔵 手 稿 、フ ラ ン ス 学 士 院 所 蔵 手 稿 等 を 盛 り 込 ん で ジ ャ
ン ル 別 に 編 集 し 、一 つ の 頁 の 左 側 に イ タ リ ア 語 を 、右 側 に リ ヒ タ ー に よ る 英 訳 を
対 照 さ せ た 充 実 度 の 高 い 2 巻 本 で あ る 。ヴ ァ レ リ ー は「 普 遍 的 に な る 仕 方 に つ い
て 」 と 題 す る 一 節 を イ タ リ ア 語 で 筆 写 し て い る 19 。 こ の 引 用 句 は や が て 『 序 説 』
の 中 で 用 い ら れ る こ と に な る が 、ヴ ァ レ リ ー に お け る こ の 引 用 句 の 決 定 的 な 重 要
性については、後で詳しく触れる。
こ れ ま で 挙 げ た 三 つ の 例 は 、す で に ヴ ァ レ リ ー 独 自 の 関 心 の 所 在 を 物 語 る 貴 重
な 資 料 で あ る が 、い ず れ も「 筆 写 」メ モ の 段 階 に と ど ま っ て お り 、レ オ ナ ル ド 手
も し な い 限 り 引 用 は 難 し い 。そ こ で ヴ ァ レ リ ー は 、自 ら 眺 め た レ オ ナ ル ド 手 稿 の 多 様 な デ ッ サ ン 群 を 想
起 し な が ら 、 そ れ ら の デ ィ ナ ミ ス ム を 言 葉 に よ っ て テ ク ス ト 化 す る と い う 方 法 を 採 る 。 『 序 説 』 §26
か ら §30 に か け て の ヴ ァ レ リ ー の 語 り は 極 め て 印 象 的 で あ る 。 こ の 「 語 り 」 に つ い て は ジ ャ ラ の 前 掲
論考を参照。
15 フ ラ ン ス 国 立 図 書 館 手 稿 部 所 蔵 手 稿 番 号 NAF19140。非 常 に 傷 み や す い 資 料 の た め マ イ ク ロ フ ィ ル ム
化自体が困難なのか、本稿執筆現在マイクロフィルム化は未だなされていない。
16 NAF19140, BN ms, f o 11 gauche, 《 J.P Richter. The lit. works of Vinci》
17 ibid., f o 11 droite,《 Dell ordine del farsi universale/Facile cosa è a chi sa farsi [universale]
l'uomo - farsi/poi universale in pero che tutti gli animali an/similitudine》 ( [universale] は 線 で
抹 消 さ れ て い る 。 / は ヴ ァ レ リ ー に よ る 改 行 を 示 す 。 註 ( 20) 参 照 )
18 The Literary Works of Leonardo da Vinci, compiled and edited from the Original Manuscripts
by Jean Paul Richter, 2 vol.,London, Sampson Low, Marston, Searle&Rivington, 1883. リ ヒ タ ー 版
は そ の 後 1939 年 に 第 二 版 が 出 版 さ れ て い る が 、『 序 説 』制 作 に あ た っ て ヴ ァ レ リ ー が 参 照 し た の は も
ち ろ ん 1883 年 刊 の 初 版 で あ る 。
19註 17 に 示 し た ヴ ァ レ リ ー の 筆 写 は リ ヒ タ ー 版 の 第 五 百 五 項 ( 第 1 巻 p. 252-253.) の イ タ リ ア 語 原 文
( 項 目 の 題 名 と 本 文 冒 頭 三 行 分 ) を ほ ぼ 忠 実 に メ モ し て い る が 、 《 animali 》 の 直 後 の 《 terrestri 》
(「 地 上 の 」の 意 )と い う 単 語 を 省 略 し て い る 。な お リ ヒ タ ー 版 第 五 百 五 項 左 肩 部 分 に こ の 箇 所 の 原 典
が 《 G.5b》 す な わ ち 「 フ ラ ン ス 学 士 院 版 手 稿 G フ ォ リ オ 5 裏 」 と あ る の で 、 ヴ ァ レ リ ー が こ ち ら を も
参照している可能性は十分ある。学士院版の編訳者ラヴェッソン=モリアンは、レオナルドの文中で
《 Facile cosa è a chi sa farsi [universale] l'uomo farsi poi universale》と な っ て い る 点 に つ い て レ オ
ナ ル ド が 最 初 の《 universale》を 消 し た 時 、 前 の 《 farsi》 を 《 fare》 に 直 し 忘 れ た の で は な い か と 推 測
し 、こ の 箇 所 の 仏 訳 を《 C'est chose facile à qui sait faire l'homme,de se faire ensuite universel, (...)》
としている。
7
稿 に つ い て の 分 析 や 論 評 を 行 う レ ベ ル に は ま だ 達 し て い な い 。そ れ に 対 し て 、次
に 見 る 第 四 の 資 料 は 単 な る 筆 写 で は な い 。 こ れ は 1893 年 の 執 筆 と さ れ る 紙 葉 で
あ る 20 。
ダ ・ ヴ ィ ン チ と 応 用 。 力 の 定 義 。 p.2.そ れ は 、 G F O 6 V O に お い て と 『 絵
画 論 』 LXVIIに お い て 、 洪 水 と 戦 闘 に 関 し て 応 用 さ れ て い る 。
「 力 の 定 義 。 p.2.」 と い う の は 、 お そ ら く 学 士 院 版 『 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン
チ の 手 稿 』第 2 巻 の 手 稿 B の 2 頁 目 に あ た る 写 真 版 紙 葉 3 裏 に 見 ら れ る 記 述 を 指
し て い る の で は な い か と 考 え ら れ る 21 。 そ し て 「 G F O 6 V O 」 は 、 同 じ く 学 士
院 版『 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ の 手 稿 』第 5 巻 手 稿 G 紙 葉 6 裏 の 記 述「 洪 水 の
形 象 」 に 、 ま た 「 『 絵 画 論 』 LXVII」 は 、 1651 年 版 『 絵 画 論 』 第 67 章 「 戦 闘 を
ど の よ う に 表 象 す べ き か 」と 一 致 す る 。こ の ノ ー ト が 示 す の は 、前 三 例 に お け る
よ う な「 筆 写 」の レ ベ ル を 超 え て 、レ オ ナ ル ド 手 稿 の 空 間 を 踏 査 し 、相 互 に 関 係
す る 断 章 の 間 を 往 復 す る 域 に 達 し て い る ヴ ァ レ リ ー の 姿 で あ る 。 同 時 に 、 1893
年 に は 学 士 院 版 と リ ヒ タ ー 版 の 二 つ の 他 、1651 年 版『 絵 画 論 』22 も ヴ ァ レ リ ー の
参 考 書 目 に 入 っ て い る こ と が わ か る 。な お 、こ の 第 四 例 も ま た 、第 一 例 や 第 三 例
と 同 様 、 『 序 説 』 の テ ク ス ト 場 に 直 接 的 な 形 で 使 用 さ れ る こ と に な る だ ろ う 23 。
以 上 に 見 て き た 四 つ の 資 料 は 、い ず れ も 、レ オ ナ ル ド の 手 稿 を 読 む ヴ ァ レ リ ー
の 姿 を 示 す 指 標 で あ る 。レ オ ナ ル ド 手 稿 に 向 か う ヴ ァ レ リ ー は 、自 ら の 関 心 を 引
き つ け る 箇 所 を ピ ッ ク ア ッ プ し て 筆 写 し 、何 か を 学 び と ろ う と し て い る 。そ の「 何
か 」と は 、レ オ ナ ル ド の 文 章 と デ ッ サ ン に 一 貫 す る 極 め て ダ イ ナ ミ ッ ク な 精 神 の
NA II, BN ms, f o 155 r o .
《 Définition de force et mouvement dans les animaux. Je dit que ledit mouvement est causé sur
plusieurs points d'appui.》 《 La force est faite de dégonflement de muscles et de raccourcissement
de muscles qui se retirent, ainsi que de nerfs qui se tendent autant que le veut le sentiment qui
passe par les cordes vides.》 ( B 3 v o イ タ リ ッ ク は レ オ ナ ル ド に よ る 抹 消 を 表 す )
22 1651 年 版 『 絵 画 論 』 に は イ タ リ ア 語 版 ( Trattato della Pittura di Lionardo da Vinci, Raphaël de
Fresne 編 訳 ) と 仏 語 版 ( Traitte de la Peinture de Léonard de Vinvi, Fréart de Chambray訳 ) が あ
り 、共 に 1651 年 、Paris, Jacques Langloisの 刊 行 で あ る 。『 序 説 』§14 原 註 で ヴ ァ レ リ ー が 引 用 し て
い る 『 絵 画 論 』 第 271 章 は 、 こ の 1651 年 版 に 依 拠 し て い る 。
23 『 序 説 』§26 で ヴ ァ レ リ ー は 、戦 闘 ・ 嵐 ・ 洪 水 を 描 写 す る レ オ ナ ル ド に 触 れ て 、原 註 に「 『 絵 画 論 』
と 学 士 院 手 稿( ラ ヴ ェ ッ ソ ン = モ リ ア ン 編 )の 戦 闘 と 洪 水 の 描 写 を 参 照 。ウ ィ ン ザ ー 手 稿 に は 嵐 、爆 撃
な ど の デ ッ サ ン が 見 ら れ る 」と 記 し て い る 。た だ し 具 体 的 な 章 番 号 や 紙 葉 番 号 は 明 示 し て い な い 。な お
『 絵 画 論 』 第 67 章 だ け で な く 、 そ れ に 先 行 す る 第 61 章 か ら 第 66 章 ( 「 子 供 」「 老 人 」「 老 女 」 「 女
性 」 「 嵐 」 等 を い か に 表 象 す べ き か ) も 『 序 説 』 §26 本 文 の 参 照 体 系 に 組 み 込 ま れ て い る こ と を 指 摘
しておく。
20
21
8
運動力学とでも言うべきものではなかったろうか。
『序説』の制作
1894 年 3 月 、 ヴ ァ レ リ ー は モ ン ペ リ エ を 出 て 念 願 の パ リ 生 活 を 開 始 す る 。 ロ
ベ ー ル ・ マ レ に よ れ ば 、パ リ の 文 壇 人 た ち と の つ き あ い が 始 ま っ た こ の 年 の あ る
時 、「 ポ ー ル ・ ヴ ァ レ リ ー は マ ル セ ル ・ シ ュ ウ ォ ブ 宅 を 訪 問 し 、レ オ ン ・ ド ー デ
の前でレオナルド・ダ・ヴィンチについて非常に見事な語り口を披露し、レオ
ン・ドーデはジュリエット・アダン夫人を通じてヴァレリーに『ラ・ヌーヴェ
ル ・ ル ヴ ュ 』誌 に 論 稿 を 書 く よ う 依 頼 し た 。こ れ が『 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ
方 法 序 説 』 に な る 24 」 と い う 。 つ ま り 、 シ ュ ウ ォ ブ の 家 で 仲 間 た ち の 集 ま り が あ
っ た 際 に 、当 時『 ラ ・ ヌ ー ヴ ェ ル ・ ル ヴ ュ 』誌 の 編 集 に 携 わ っ て い た レ オ ン ・ ド
ー デ に 会 い 、レ オ ナ ル ド を め ぐ っ て 見 事 な 話 し ぶ り を 示 し た こ と が 、『 序 説 』誕
生の出版レベルでの直接的な契機であったというわけである。
仮 に 雑 誌 か ら 執 筆 を 依 頼 さ れ る こ と が な か っ た と し て も 、ヴ ァ レ リ ー は 当 時 の
彼自身の精神の宇宙を星雲的に取り巻いていた多様なテーマをアマルガム的に
テ ク ス ト 化 す る 意 志 を 持 っ て い た よ う で あ る 25 。し か し 、正 式 な 執 筆 依 頼 は 1894
年 12 月 12 日 付 の『 ラ ・ ヌ ー ヴ ェ ル ・ ル ヴ ュ 』誌 発 行 人 兼 編 集 責 任 者 ジ ュ リ エ ッ
ト ・ ア ダ ン 夫 人 の 手 紙 26 に よ っ て 現 実 化 し 、 そ れ は ヴ ァ レ リ ー に と っ て 初 め て の
注文原稿であった。
『 序 説 』 の 実 質 的 な 制 作 期 間 は 、 注 文 を 受 け た 1894 年 12 月 半 ば か ら 『 ラ ・
ヌ ー ヴ ェ ル ・ ル ヴ ュ 』 誌 に 原 稿 を 届 け る 1895 年 3 月 半 ば 27 ま で の お よ そ 3 か 月
24
25
André Gide-Paul Valéry Correspondance, p.229, note 1.
Paul Valéry vivant, Cahiers du Sud, 1946, p.260-261.兄 ジ ュ ー ル 宛 の こ の 手 紙 の 中 で ヴ ァ レ リ ー は
「 こ の 話(『 ラ ・ ヌ ー ヴ ェ ル ・ ル ヴ ュ 』に 論 文 を 書 く 件 )が 駄 目 に な っ た ら( ...)な に か 冗 談 め い た も
の で も で っ ち あ げ て や る つ も り で す 」と 書 い た 上 で 、温 め て い る 多 様 な テ ー マ を 列 挙 し て い る 。そ こ に
は「 現 代 都 市 」「 航 海 の 美 学 」「 専 門 家 の 数 学 的 概 念 」「 メ カ ニ ス ム と 機 械 の 美 学 」「 力 学 的 機 構 」「 い
か な る 心 理 的 現 象 が 力 学 的 に 表 象 さ れ う る か 」「 想 像 的 組 合 せ の 理 論 の 素 描 」「 連 続 的 感 覚 の 導 入 」「 無
意 識 な 個 人 的 タ ー ミ ノ ロ ジ ー に つ い て の 一 般 的 批 判 」と い っ た『 序 説 』に つ な が る 問 題 系 列 が 複 数 露 呈
している。
26 フ ラ ン ス 国 立 図 書 館 手 稿 部 所 蔵 《 LEONARD DE VINCI I》 ( 手 稿 番 号 NAF19054・ マ イ ク ロ フ ィ ル
ム 番 号 4234) 紙 葉 第 92 番 。 以 下 、 LEO I, BN ms, f o 92 の よ う に 略 記 す る 。 な お 、 ヴ ァ レ リ ー は こ の
ア ダ ン 夫 人 か ら の 手 紙 を 兄 ジ ュ ー ル 宛 の 手 紙 で 紹 介 し て い る ( Paul Valéry vivant, p.262.) 。 ア ダ ン
夫人の字体は極めて読みにくい。ヴァレリーも兄宛手紙で「ルーペ片手に一時間を要求したあの字体」
と評している。
27 ヴ ァ レ リ ー が 『 ラ ・ ヌ ー ヴ ェ ル ・ ル ヴ ュ 』 誌 側 か ら 受 け 取 っ た 一 連 の 手 紙 ( 1895 年 3 月 12 日 付 お
よ び 同 3 月 29 日 付 の ア ダ ン 夫 人 の 手 紙 、同 3 月 26 日 付 ロ ベ ー ル ・ シ ェ フ ェ ー ル の 手 紙 、同 3 月 28 日
付 レ オ ン ・ ド ー デ の 手 紙 。 順 に LEO I, BN mss, ff.93, 100, 94, 98. ) に よ る と 、 ヴ ァ レ リ ー は 同 年 3
月 半 ば に 原 稿 を 届 け た が 、ア ダ ン 夫 人 は ヴ ァ レ リ ー の 原 稿 の 冒 頭 3 ペ ー ジ 分 に つ い て 書 き 直 し を 要 請 し
9
間 で あ っ た と 考 え ら れ る 。ヴ ァ レ リ ー は「 テ ー ブ ル の 上 に 、古 い ノ ー ト 、ア ル バ
ム 、 手 帳 、 そ し て 封 筒 の 裏 を 全 部 出 し て 28 」 制 作 に 励 む 。 こ の 「 古 い ノ ー ト 」 や
「 手 帳 」の 中 に は 、先 に 見 た 四 つ の ノ ー ト も 含 ま れ て い た だ ろ う 。そ う し て 、全
編 特 異 な 緊 張 の 漲 る 独 自 の 散 文 『 序 説 』 は 1895 年 8 月 15 日 号 の 『 ラ ・ ヌ ー ヴ
ェ ル ・ ル ヴ ュ 』誌 に 掲 載 さ れ 、ヴ ァ レ リ ー を 語 る 上 で 最 も 重 要 な テ ク ス ト の 一 つ
となる。
私 た ち は こ れ ま で 、レ オ ナ ル ド 手 稿 を 読 む ヴ ァ レ リ ー の 姿 を 、『 序 説 』以 前 の
資 料 を 見 な が ら 概 観 し て き た 。し か し 、ば ら ば ら の ノ ー ト 類 か ら 、ヴ ァ レ リ ー に
と っ て の レ オ ナ ル ド 体 験 の 位 置 を 計 る こ と に は 限 界 が あ る 。断 片 的 な メ モ 類 が 明
確 な テ ク ス ト 場 に 織 り 込 ま れ て 初 め て 私 た ち は 、書 き 手 ヴ ァ レ リ ー に と っ て の レ
オ ナ ル ド 体 験 の 位 置 を 知 る こ と が で き る 。次 の 課 題 は し た が っ て 、『 序 説 』に お
け る レ オ ナ ル ド か ら の 引 用 の 仕 方 を 検 討 す る こ と で あ る 。論 の 進 め 方 と し て 、レ
オ ナ ル ド 手 稿 の 影 を 網 羅 的 に 逐 一 検 討 す る 仕 方 は 採 ら ず 、『 序 説 』の 中 で も と り
わけ書き手ヴァレリーの基本姿勢に関わると思われる引用句に絞って考察する
ことにしたい。
2
《 Hostinato rigore》
鋤のデッサン
ヴ ァ レ リ ー は『 序 説 』§2 で 、あ ら ゆ る 点 で 卓 越 し 、最 高 度 に 広 が り を 持 っ た
思考を実践した人物を想像すると宣言したあと、次のように書いている。
Je vois que tout l’oriente : c’est à l’univers qu’il songe toujours, et à la
rigueur. 29
ヴァレリーは上の文に続けて、事物の諸形態を手に入れ、自然の構造に達し、
ていることがわかる。ヴァレリーはこの要請に対して相当の衝撃を受けたことが推測されるが果して、
こ の 要 請 と『 序 説 』冒 頭 部 分 の 複 数 の 異 な る 草 稿 の 存 在 と が 関 係 し て い る か ど う か と い う 問 題 は 、『 序
説 』の 執 筆 経 過 を 考 え る 場 合 、決 し て 小 さ く な い 問 題 で あ る 。こ の 問 題 は 、『 序 説 』の マ ニ ュ ス ク リ 研
究の場で改めて取り上げなければならない。
28 André Gide-Paul Valéry Correspondance, p.229.
29 ΠI, 1155.
10
多 様 な 建 築 物 を 構 築 し 、幾 多 の 兵 器 を 設 計 す る「 彼 」す な わ ち レ オ ナ ル ド 的 精 神
に つ い て 、「 彼 は ~ す る 」と い う 肯 定 文 を い く つ も 重 ね て 列 挙 し な が ら 、そ の 広
が り を 強 調 し て い る 。そ の 列 挙 の 中 に は 、レ オ ナ ル ド 手 稿 と つ き あ っ て き た ヴ ァ
レ リ ー 自 身 の 読 書 の 経 験 が 凝 縮 さ れ て い る と 言 え る だ ろ う 。そ れ ら 具 体 的 な 記 述
を 導 く 役 目 を 果 た す の が 上 に 挙 げ た 箇 所 で あ る 。こ こ で ヴ ァ レ リ ー は 、
《 rigueur》
という単語に次のような註を付けている。
Hostinato rigore, obstinée rigueur. Devise de L. de Vinci. 30
こ の「 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ の 銘 句 」が ヴ ァ レ リ ー の 精 神 の 磁 場 に 取 り 込
ま れ て 、ど の よ う な 展 開 と 屈 折 を 受 け る か に つ い て 考 察 す る 前 に 、こ の 銘 句 の 典
拠を特定する必要がある。ヴァレリーはこの銘句をどこで見つけたのだろうか。
註 に は 具 体 的 な 典 拠 の 明 示 が な い 。ヴ ァ レ リ ー が「 博 識 」を 排 除 す る と 宣 言 し て
いる以上、私たち読者はヴァレリーに対して典拠の明示といういかにも「博識」
じ み た 動 作 を 望 む こ と が で き な い 。し か し 、『 序 説 』で ヴ ァ レ リ ー が 参 照 し て い
る レ オ ナ ル ド の 手 稿 は 、学 士 院 版 、リ ヒ タ ー 版 、1651 年 版『 絵 画 論 』お よ び 1893
年 刊 行 の 『 鳥 の 飛 翔 に 関 す る 手 稿 』 31 の 4 種 類 だ け な の で 、 そ れ ら を 検 討 す れ ば
典拠は容易に特定できる。リヒター版『レオナルド・ダ・ヴィンチの文章作品』
第 1 巻 三 百 五 十 六 頁 ( 第 六 百 八 十 一 項 ) 32 が そ れ で あ る 。
こ こ に 極 め て 興 味 深 い 事 実 が あ る 。 そ れ は 、 《 Hostinato rigore》 の 銘 句 が 見
いだされるリヒター版の頁の見開きに写真版図録として収録されているデッサ
ン の 存 在 で あ る 。上 か ら 順 番 に 、ま ず 、楕 円 形 の 枠 に 囲 ま れ て 大 地 を 耕 す 鋤 の デ
ッ サ ン と そ の す ぐ 下 に 《 Hostinato rigore》 の 銘 句 が あ り 、 次 に 、 円 形 の 枠 に 囲
ま れ て 羅 針 盤 の デ ッ サ ン と そ の す ぐ 下 に 《 Destinato rigore》 の 銘 句 が あ り 、 最
30
31
ibid.
I Manoscritti di Leonardo da Vinci Codice sul volo degli uccelli e varie altre materie pubblicato
da Teodoro Sabachnikoff trascrizioni e note di Giovanni Piumati traduzione in lingua francese di
Carlo Ravaisson-Mollien, Parigi, Edoardo Rouveyre Editore, 1893.
32 The Literary Works of Leonardo da Vinc , vol.1. p.356. リ ヒ タ ー 版 第 六 百 八 十 一 項 の 記 述 は 、 ま ず
左 肩 部 分 に 出 典( W .243)が 明 示 さ れ 、頁 の 左 側 に《 Ostinato rigore 》
( レ オ ナ ル ド の 表 記 は《 Ostinato》
で な く 《 Hostinato》 で あ る と 註 記 さ れ て い る ) お よ び 《 Destinato rigore》 の 二 つ の 銘 句 が あ り 、 頁
の 右 側 に 、リ ヒ タ ー に よ る そ れ ぞ れ の 英 訳《 Stubborn rigour.》《 Doomed rigour.》が あ る 。な お 、1939
年 の 第 二 版 で は 、出 典 の ウ ィ ン ザ ー 手 稿 の 番 号 が「 W .12701」に 、英 訳 が《 Obstinate rigour. 》
《 Destined
rigour.》 に そ れ ぞ れ 改 め ら れ て い る 。
11
後 に や は り 円 形 の 枠 に 囲 ま れ て ラ ン プ の デ ッ サ ン が あ る 33 。 リ ヒ タ ー 版 を 参 照 し
て い る ヴ ァ レ リ ー が 《 Hostinato rigore》 の 銘 句 を 単 に 独 立 し た 言 葉 と し て で は
な く 、大 地 を 耕 す 鋤 の デ ッ サ ン と 不 可 分 の ワ ン セ ッ ト と し て 眺 め た で あ ろ う こ と 、
加 え て 、 《 Destinato rigore》 の 銘 句 を 従 え た 羅 針 盤 の デ ッ サ ン と 、 多 く の 光 線
を放つランプのデッサンがヴァレリーの眼を射たであろうことは十分ありうる。
リ ヒ タ ー 版 の 図 録 を 眺 め る 限 り で は 、 レ オ ナ ル ド が 《 Hostinato rigore》 に 込
めた意味は、大地を耕す鋤のイメージの効果から、たゆみなく粘り強い
( Hostinato=obstinée) 努 力 を 持 続 す る 肉 体 的 か つ 精 神 的 な 厳 し さ ・ 厳 格 さ
( rigore=rigueur)で あ る と 考 え ら れ る 。 マ ル セ ル ・ ブ リ オ ン は そ の 著 『 レ オ ナ
ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ 』 に お い て 、 レ オ ナ ル ド が 《 Hostinato rigore》 の 銘 句 を 鋤
の デ ッ サ ン と 共 に 記 し た 頃 と 、有 名 な「 ヴ ィ ト ル ヴ ィ ウ ス 的 男 性 像 」( ヴ ェ ネ チ
ア ・ ア カ デ ミ ー 所 蔵 )の デ ッ サ ン が 書 か れ た 頃 と が ほ ぼ 同 時 代 で あ る 点 を 指 摘 し
つ つ 、レ オ ナ ル ド の「 モ ッ ト ー 」に つ い て 語 っ て い る 。ブ リ オ ン は 、円 形 の 中 で
手足をコンパスのように広げ厳しい眼でこちらを睨む男性裸像が若いレオナル
ド の 自 画 像 で あ る こ と 、「 万 能 の 天 才 」と レ ッ テ ル を 貼 ら れ る レ オ ナ ル ド が 、実
際 は 、土 を 耕 す 鋤 が 象 徴 す る 辛 く た ゆ み な い 努 力 を 粘 り 強 く 重 ね て い く 人 間 で あ
っ た こ と を 力 説 す る 。「 ヴ ェ ネ チ ア の デ ッ サ ン の 男 性 は 天 を 注 視 す る わ け で も な
く 地 を 注 視 す る わ け で も な い 。彼 は そ の 腕 の 間 に 、そ の 脚 の 間 に 、天 と 地 を 抱 く 。
彼 は 両 手 両 足 を 四 つ の 基 本 点 へ と 投 げ 出 し て 広 が り を 所 有 し て い る 。彼 は 世 界 を
満 た し 、 世 界 を 支 配 す る 。 し か し 、 こ の 王 座 は 《 obstinée rigueur》 に よ っ て の
み 獲 得 さ れ る の で あ り 、我 々 の 眼 に 対 し て 固 定 さ れ た あ の 眼 差 し は 我 々 の 心 の 奥
底 ま で 突 き 刺 し 、 世 界 を 刺 す 、 鋤 の 刃 の よ う に 34 。 」
で は 、こ の「 鋤 の 刃 」は 、若 い ヴ ァ レ リ ー の 心 を ど う「 突 き 刺 し 」た の だ ろ う
か 。 『 序 説 』 を 書 く ヴ ァ レ リ ー は 、 《 Hostinato rigore》 の 銘 句 を 、 一 方 で は レ
オ ナ ル ド 的 な 意 味 の 方 向 に 沿 っ て 忠 実 に 取 り 込 む と 同 時 に 、他 方 で は 、自 分 の 精
神 の 磁 場 に 取 り 込 ん で 、言 わ ば「 ヴ ァ レ リ ー 化 」さ せ て い る と 言 う こ と が で き る 。
忠 実 な 取 り 込 は 、『 序 説 』を 書 く 試 み の 出 発 点 で な さ れ て い る 。ヴ ァ レ リ ー は
『 序 説 』執 筆 に 取 り 掛 か る 頃 、兄 ジ ュ ー ル 宛 の 手 紙 で「 そ れ(『 序 説 』制 作 )を
33
34
The Literary Works of Leonardo da Vinci, vol.1.PL.LXII No.2.
Marcel Brion, Léonard de Vinvi, Paris, Albin Michel, 1952, p.359.
12
実行するためには、僕が非常に気に入ったダ・ヴィンチの銘句そのもの
《 Hostinato rigore》 を 応 用 し な け れ ば な ら な い で し ょ う 35 」 と 明 言 し て い る 。
『 序 説 』は レ オ ナ ル ド 的 精 神 を 想 像 す る と い う 大 胆 な 試 み を 語 っ た テ ク ス ト だ が 、
そ の 第 一 段 落 で ヴ ァ レ リ ー は 、「 あ ら ゆ る 点 で 卓 越 し た 人 間 」を 想 像 す る こ と の
非常な困難を述べたあとで次のように書く。
し か し 、粘 ら ね ば な ら ぬ 、な じ ま ね ば な ら ぬ 、こ の 我 々 の 想 像 力 に と っ て 異
質な要素の集まりが我々の想像力に課してくる苦しみを乗り越えねばなら
ぬ 。 36
「苦しみを乗り越えねばならぬ」という執拗な意志・努力・忍耐のテーマは、
明 ら か に レ オ ナ ル ド 的 意 味 で の 《 Hostinato rigore》 の 忠 実 な 反 映 と 言 え る だ ろ
う 。 こ の テ ー マ が 、 二 単 語 か ら 成 る 銘 句 《 Hostinato rigore》 の 中 で も と り わ け
形 容 詞 《 Hostinato》 に 力 点 を 置 い て い る の に 対 し 、 次 に 扱 い た い の は 、 特 に
《 rigore》 と い う 名 詞 の ヴ ァ レ リ ー 独 特 の 使 用 法 で あ る 。
正確さへの熱狂
ヴ ァ レ リ ー は 、 《 Hostinato rigore》 が 示 す 厳 格 な 努 力 の 教 訓 を 汲 み つ つ 同 時
に 、鋤 の イ メ ー ジ に 備 わ る 鋭 さ に 引 か れ た の だ ろ う か 、《 rigore》を 、「 正 確 さ 」
や「 厳 密 」の 意 味 で 使 う 場 合 が し ば し ば 見 ら れ る 。た と え ば 、『 序 説 』草 稿 に は 、
《 Hostinato rigore Et la rigueur!》と 記 し た 直 後 に 、「 正 確 さ と い う 光 は さ ま ざ
ま な イ ド ラ を 殺 す 」 と 書 か れ た 一 節 が あ る 37 。 こ の よ う に 単 刀 直 入 に 《 rigore》
= 《 précision》 と す る 記 述 は 『 序 説 』 決 定 稿 で は 直 接 的 に は 現 れ な い が し か し 、
ヴ ァ レ リ ー は レ オ ナ ル ド 的 精 神 に つ い て 「 彼 は 幾 多 の 研 究 の 厳 密 な 表 象 [...] を
完 成 さ せ て い る 」( §2 )と 書 き 、「( 彼 の )推 論 は [...] 極 め て 厳 密 で あ る 」( §26)
と 書 い て 、 《 rigore》 = 《 précision》 の 等 式 を 間 接 的 に 語 っ て い る の で あ る 。
若 い ヴ ァ レ リ ー の「 正 確 さ 」へ の 熱 狂 は 注 目 に 値 す る 。「 正 確 さ 」へ の 言 及 は
ΠI, 22.
ibid. 1154.
37 《 Hostinato rigore Et la rigueur! ce bain , cette joie! Quel janus, ce mot. La lumière de la
35
36
précision fait mourir les idoles.(...) 》 ( LEO I, BN ms, f
13
o
14 r o )
『 序 説 』 の 中 で も 特 に 熱 し た 調 子 を 帯 び る 箇 所 で な さ れ る 。 §9 末 尾 で ヴ ァ レ リ
ー は「 思 考 に つ い て の 意 識 」を め ぐ っ て 、「 方 法 は 、思 考 の あ ら ゆ る 組 合 わ せ を
刺 激 し 、そ れ ら を 正 確 に 見 る こ と( les voir avec précision)、そ れ ら が 含 む も の
を 探 究 す る こ と に あ る 」と 述 べ 、続 く §10 で 、「 も し 意 識 的 で あ る と い う こ の 様
態が習慣的になれば」と条件を付けた上で「所与のものより一層強い、または、
一 層 正 確 な あ る も の ( une chose plus intense ou plus exacte que la chose
donnée)を 必 ず 見 抜 く 能 力 に 到 達 で き る だ ろ う 」 38 と 書 い て い る 。次 章 で 詳 し く
述 べ る が 、『 序 説 』の ヴ ァ レ リ ー は 、思 考 を 思 考 す る 意 識 の 習 慣 的 状 態 、思 考 の
す べ て の 組 合 わ せ を 汲 み 尽 く し て「 極 限 」を 越 え る 境 地 を 強 く 求 め て い る 。そ の
激 し い 欲 望 が「 正 確 さ 」と い う 言 葉 と 共 に 現 わ れ る の は 、ヴ ァ レ リ ー 自 身 が「 さ
ま ざ ま な イ ド ラ 」に ま み れ た 自 我 か ら 脱 却 す る た め の 手 掛 か り を「 正 確 さ 」へ の
意 志 に 見 出 し て い る か ら で あ ろ う 。 1919 年 の 『 註 と 余 談 』 で 、 『 序 説 』 執 筆 時
代 を 回 顧 し て 「 私 は ぼ ん や り と し か し 熱 烈 に 正 確 さ を 崇 拝 し て い た 39 」 と 書 き 、
1925 年 の 『 テ ス ト 氏 』 英 訳 版 序 文 で 、 『 テ ス ト 氏 』 執 筆 時 代 を 回 顧 し て 「 私 は
正 確 さ と い う 鋭 い 病 に お か さ れ て い た 40 」 と 書 く ヴ ァ レ リ ー 。 「 正 確 さ 」
《 précision》へ の 熱 狂 は 、『 序 説 』や『 テ ス ト 氏 』を 書 く ヴ ァ レ リ ー 、自 我 の 革
命の最中にあったヴァレリーの信条なのである。
1894 年 夏 頃 か ら 同 年 末 頃 ま で の 執 筆 と さ れ る カ イ エ 第 1 冊 『 航 海 日 誌 』 中 に
見 ら れ る 《 La rigueur imaginative est ma loi》 41 と い う 記 述 は 、 《 rigueur》 と
い う 言 葉 を 直 接 用 い て い る 点 で 、 《 Hostinato rigore》 を 十 分 意 識 し て い る だ ろ
う 。 想 像 力 を 働 か せ る に 際 し て 、 何 よ り も ま ず 《 rigueur》 を 考 え る と い う の が
ヴ ァ レ リ ー の 信 条 で あ る 。こ の《 rigueur》に は 、《 Hostinato rigore》の 銘 句 が
持 つ 粘 り 強 い 努 力 の 側 面 と「 正 確 さ 」へ の 意 志 の 側 面 を 二 つ な が ら 併 せ 持 っ た 響
き が あ る 。ま た 、『 序 説 』の 草 稿 を 見 る と 、ヴ ァ レ リ ー は 、ペ ー ジ の 最 上 段 に こ
の 銘 句 を 記 し て い る こ と が あ る 一 方 で 、 《 Hostinato rigore》 を 「 内 面 の 劇 」 の
タ イ ト ル に ふ さ わ し き も の と 見 な し て い た 時 も あ る こ と が わ か る 42 。 ヴ ァ レ リ ー
38
ΠI, 1162
《 j'adorais confusément,mais passionnément,la précision》 ( Œ I, 1207. )
《 J'étais affecté du mal aigu de la précision.》 ( Œ II, 11. )
41 Cahiers 1894-1914,I, Gallimard, 1987, p.68-69.
42 《 Hostinato rigore 》
( LEO I, BN mss, ff. 5 r o , 14 r o )/《 Hostinato rigore Rigueur obstinée. C'est
le titre d'un drame perdu,(...) 》 ( LEO I, BN ms, f o 34 v o ) / 《 Intérieurement il y a drame. Un
39
40
14
が 構 想 す る「 内 面 の 劇 」と は す な わ ち ヴ ァ レ リ ー 自 身 が レ オ ナ ル ド 的 精 神 を 想 像
す る と い う 想 像 力 の 冒 険 に 他 な ら な い 。安 易 な 称 賛 や 実 証 的 博 識 を 排 除 し て 、ヴ
ァ レ リ ー 自 身 の レ オ ナ ル ド を 想 像 す る 冒 険 は 、「 苦 し み を 乗 り 越 え る 」飽 く な き
努 力 と「 正 確 さ 」へ の 執 拗 な 意 志 だ け が 頼 り の 危 険 な 冒 険 で あ る 。冒 険 記 と し て
の『 序 説 』が 、論 理 的 整 合 美 か ら 遠 く 、「 正 確 さ 」自 体 よ り は そ れ を 目 ざ す 意 志
ば か り が 強 烈 で 、論 理 で 読 者 を 説 得 す る よ り も 、一 種 の 緊 張 感 と 力 で 読 者 を 圧 倒
す る テ ク ス ト と し て あ る の は 、 《 Hostinato rigore》 を 自 ら の 信 条 と し た 若 い ヴ
ァレリーの不器用で誠実な賭の所産ではなかったろうか。
羅針盤のデッサン
《 Hostinato rigore》 と 鋤 の デ ッ サ ン に つ い て 述 べ た つ い で に 、 リ ヒ タ ー 版 の
図 版 に 載 っ て い る も う 一 つ の 銘 句 と デ ッ サ ン 、 す な わ ち 、 《 Destinato rigore》
と 羅 針 盤 の デ ッ サ ン に つ い て も 一 言 述 べ て お き た い と 思 う 。 《 Destinato》 は 、
「 運 命 に よ っ て 決 め ら れ た 」と い う ほ ど の 意 味 で あ る が 、こ こ で は「 羅 針 盤 」の
デ ッ サ ン が あ る こ と か ら 、「 方 向 付 け ら れ た 」の 意 味 に 解 す る こ と が 十 分 可 能 で
ある。
ヴ ァ レ リ ー は 1894 年 の 夏 頃 か ら 『 カ イ エ 』 を 書 き 始 め る 。 つ ま り そ れ ま で の
よ う な 、ル ー ズ リ ー フ 的 な 紙 に で は な く 、一 冊 の 形 を 成 す ノ ー ト に 自 分 の 思 考 を
書 き 付 け る 習 慣 を 身 に つ け る の で あ る 。周 知 の 通 り 、こ の『 カ イ エ 』記 述 の 習 慣
は ほ と ん ど ヴ ァ レ リ ー の 生 理 と し て 彼 が 死 ぬ 1945 年 の 夏 ま で 51 年 間 続 き 、 ノ
ートの数は二百六十冊にのぼるだろう。その記念すべき第一カイエの表題が
《 Journal de Bord》 ( 『 航 海 日 誌 』 ) 、 第 二 カ イ エ が 《 Livre de Loch》 ( 『 測
程 日 誌 』 ) 、 第 三 カ イ エ が 《 Log-Book》 ( 『 航 海 日 誌 』 ) と い ず れ も 航 海 用 語
で あ る 点 に 注 意 し よ う 。ヴ ァ レ リ ー が 精 神 の 探 究 と い う 壮 大 な 試 み を「 航 海 」に
た と え る に 際 し て は 、 レ オ ナ ル ド の 《 Destinato rigore》 の 銘 句 と 羅 針 盤 の デ ッ
サ ン の 象 徴 が ひ と つ の ヒ ン ト に な っ た か も し れ な い 。精 神 の 機 能 を 解 明 す る と い
う 目 的 に 向 か っ て 「 方 向 づ け ら れ た 」 ヴ ァ レ リ ー が 、 飽 く な き 《 rigore》 ( 厳 格
ま た は 厳 密 )を「 羅 針 盤 」と し て 、探 究 の「 航 海 」を 日 々 続 け て い く 。そ の 日 々
[drame], qui dans notre sujet aurait pour titre Hostinato rigore (...) 》( [drame] は ヴ ァ レ リ ー に よ
る 削 除 。 LEO I, BN ms, f o 36 r o )
15
の日誌が『カイエ』である。
こ れ ま で に も 指 摘 さ れ た こ と が あ る よ う に 43 、 『 カ イ エ 』 と レ オ ナ ル ド の 手 稿
は 、大 局 的 に 見 て 似 た 点 が あ る 。量 的 な 面 で の 膨 大 さ 。質 的 な 面 で は 、か な り の
程 度 に お い て 感 情 的 生 活 的 記 述( 特 殊 個 別 的 側 面 )を 排 除 し 、知 的 理 性 的 考 察( 一
般 普 遍 的 側 面 )を 記 述 し て い る と い う 点 。自 我 の 革 命 を 熱 烈 に 求 め て い た ヴ ァ レ
リ ー は 、レ オ ナ ル ド の 手 稿 と い う ひ と つ の エ ク リ チ ュ ー ル の 実 践 形 態 ・ 執 筆 ス タ
イ ル の 中 に 、あ る 種 の 親 近 感 、自 分 の 存 在 理 由 の 発 現 の 場 を 看 取 し た の か も し れ
な い 。イ タ リ ア 人 レ オ ナ ル ド は 、ヴ ァ レ リ ー に と っ て 母 の 国 の 大 先 達 で あ る と 同
時 に 、精 神 の 力 を 具 現 し 、強 い 生 き 方 を 教 え る 父 親 的 存 在 で も あ る と い う 点 で「 親
和 」の 下 地 は 十 分 あ っ た と 思 わ れ る 。し か し 、同 じ 地 中 海 文 化 圏 に 生 ま れ た 二 人
を 文 明 論 的 に 比 較 し て 論 じ る 試 み は 本 論 の 枠 を 大 き く 越 え る 。 《 Hostinato
rigore》 と 《 Destinato rigore》 を 単 な る 言 葉 と し て で は な く 、 い わ ば 実 存 的 に
生きて実践しようとしたヴァレリーの取り込みの激しさを確認するにとどめて、
次の引用句の分析に移りたい
3
《 Facil cosa è farsi universale!》
「 普 遍 的 に な る の は 容 易 な こ と で あ る ! 」( §8 )。『 序 説 』の 読 者 に と っ て
こ の 一 句 は 忘 れ が た い 。ま ず 意 味 論 的 に は 、「 普 遍 的 に な る 」と い う 、一 般 に 困
難を予想させることがらが「容易である」とされている逆説性が印象的である。
そ し て 音 韻 論 的 に は 、 イ タ リ ア 語 原 文 を 発 音 し た 場 合 に 十 音 節 詩 句 44 の 形 に な っ
ている音楽性が効果的である。
ヴ ァ レ リ ー は ま た し て も 出 典 を 明 示 し て い な い が 、 先 に 見 た よ う に 、 1892 年
か ら 1893 年 頃 の 小 型 の 黒 い 手 帳 に よ れ ば 、出 典 は リ ヒ タ ー 版『 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・
ヴ ィ ン チ の 文 章 作 品 』で あ る こ と が わ か る 。し か し 、こ の 箇 所 の 原 典 は 学 士 院 手
稿 G で あ り 、ヴ ァ レ リ ー は 原 典 の 方 も ラ ヴ ェ ッ ソ ン = モ リ ア ン の エ デ ィ シ ョ ン に
よ っ て 見 て い る は ず だ 45 。 さ ら に 、 や は り ヴ ァ レ リ ー の 参 照 書 で あ っ た 1651 年
43
エドメ・ド・ラ・ロッシュフーコーの前掲論考参照。
イタリア人仏文学者ヴィイト・カロフィリオ氏より、「母音の数は十にであるが、発音した場合、
二重の母音脱落が起こるため、音節数は十である」との教示を戴いた。同氏に感謝申し上げる。
45 注 17 お よ び 19 参 照 。
44
16
版 『 絵 画 論 』 の 第 22 章 46 も 引 用 箇 所 と 同 じ 内 容 で あ る こ と か ら 、 結 局 ヴ ァ レ リ
ー は 、 三 種 の 刊 本 す べ て に こ の 引 用 句 を 見 い だ し た と 考 え て よ い 47 。
レオナルドの文脈
さ て 、レ オ ナ ル ド の 原 文 の 文 脈 は ど の よ う な も の で あ ろ う か 。レ オ ナ ル ド が「 普
遍 的 」と い う 語 を ど う い う 意 味 で 用 い て い る か 知 る た め に 、直 前 の 断 章(『 絵 画
論 』 第 21 章 。 学 士 院 版 手 稿 G 紙 葉 5 裏 の 上 段 部 分 ) と 合 わ せ て 以 下 に 掲 げ て み
よ う 48 。
「 画 家 は 普 遍 的 に な る よ う 努 め な け れ ば な ら ぬ 。な ぜ な ら 、一 つ の こ と は 上
手 に 行 う が 他 は 下 手 に 行 う な ら ば 、彼 は 著 し く 威 厳 に 欠 け る か ら だ 。そ れ は 、
あ る 人 間 は 太 っ て い て 背 が 低 い 、ま た は 背 が 低 く て 痩 せ て い る 、あ る い は そ
の 中 間 で あ る の に 、人 間 に は 均 衡 が あ り う る か ら と い っ て 裸 体 の 多 様 性 を 探
究 せ ず 、規 則 的 で 均 衡 の と れ た 裸 体 だ け を 研 究 す る 多 く の 人 た ち と 同 様 で あ
る 。こ の 多 様 性 を ま っ た く 顧 み な い 人 た ち は あ ら ゆ る 人 物 像 を 同 じ 一 つ の 鋳
型にはめて形作っているので、その形象はどれも似たり寄ったりに見える。
これは最大級の非難に値することだ。」
「 人 間( の 多 様 性 を 描 く 術 を 心 得 た 者 )に と っ て 普 遍 的 に な る の は 容 易 な こ
と で あ る 。と い う の も 、あ ら ゆ る 地 上 の 動 物 は 手 足 を 備 え 、手 足 は 筋 肉 と 神
経 と 骨 か ら 成 っ て い る 点 で 互 い に 似 て い る か ら で あ る 。異 な る の は そ れ ら の
長 さ と 太 さ に お い て の み で あ る こ と は 解 剖 に お い て 示 さ れ よ う 。水 の 動 物 に
関 し て は 、そ の 種 類 は 極 め て 多 い 。そ れ ら の 種 類 は 昆 虫 の よ う に 無 数 に あ る
46 《 Dell'essere universale
Facil cosa è all'huomo che sà, farsi universale,imperoche tutti
gl'animali terrestri hanno similitudine (...) 》 , Trattato dells Pittura di Lionardo da Vinci, CAP.
XXII.
47ヴ ァ レ リ ー は 三 種 の 刊 本 す べ て を 参 照 し た 上 で 、 原 文 を 大 幅 に 省 略 し 、 さ ら に 、 ど の 刊 本 に も 存 在 し
な い 感 嘆 符 を 付 加 し て 、 《 Facil cosa è farsi universale!》 と い う 十 二 音 節 詩 句 に 凝 縮 し て い る 。 『 序
説 』の 引 用 文 に お い て ヴ ァ レ リ ー が 、学 士 院 版( 学 士 院 版 に 収 録 さ れ て い る レ オ ナ ル ド 手 稿 の オ リ ジ ナ
ル 写 真 版 の 該 当 箇 所 を 見 て も 、や は り《 e》が 付 い て い る よ う に 見 え る 。少 な く と も《 Facil》で は な い )
や リ ヒ タ ー 版 の よ う に 《 cosa》 の 性 数 に 一 致 し て 《 e》 を 従 え た 形 の 《 Facile》 と せ ず 《 Facil》 に 《 e》
を 付 け な か っ た の は 、 唯 一 《 Facil》 と 表 記 さ れ て い る 『 絵 画 論 』 イ タ リ ア 語 版 の み に 依 拠 し た か ら と
い う よ り は 、十 二 音 節 詩 句 の 形 に 定 型 化 す る た め の 作 詩 法 的 要 請 か ら と い う の が 正 し い と 思 わ れ る 。と
い う の も 、 イ タ リ ア 語 で は 《 Facil 》 に 《 e》 を 付 け る と 「 フ ァ チ レ 」 と 発 声 さ れ て 音 節 数 が 一 つ 多 く
なり詩的音楽性に傷がついてしまうからである。
48 拙 訳 に あ た っ て は 1651 年 『 絵 画 論 』 仏 語 版 の ド ・ シ ャ ン ブ レ ー 訳 、 1890 年 学 士 院 版 の ラ ヴ ェ ッ ソ
ン = モ リ ア ン 訳( 後 半 に つ い て は 1883 年 リ ヒ タ ー 版 の 英 訳 も )参 照 し つ つ 、レ オ ナ ル ド の オ リ ジ ナ ル
に忠実なラヴェッソン=モリアンの仏訳に基づいた。
17
以 上 、私 は 画 家 に 対 し て そ れ ら に 規 則 性 を 見 つ け る よ う に と 説 得 す る つ も り
はない。」
こ こ で レ オ ナ ル ド が 語 っ て い る の は 画 家 の 心 得 で あ る 。ま ず 前 半 で は 、「 同 じ
一 つ の 鋳 型 」で し か 描 か な い 姿 勢 を 戒 め 、「 多 様 性 」に 対 処 す べ き だ と 説 く 。「 普
遍 的 に な る 」と は 、多 様 な 人 物 像 を 多 様 な 仕 方 で 描 け る よ う に な る 、と い う 意 味
に 解 さ れ る 。次 に 、後 半 部 す な わ ち ヴ ァ レ リ ー が 圧 縮 引 用 し て い る 箇 所 に な る と 、
対 象 が 人 間 か ら さ ら に 動 物 へ と 拡 大 さ れ て い る 。レ オ ナ ル ド の 文 脈 は 、人 間 も 地
上 動 物 の 一 種 で あ り 、筋 肉 ・ 神 経 ・ 骨 か ら 成 る 手 足 を 持 つ 、つ ま り 身 体 の 構 造 が
似 て い る の だ か ら 、多 様 な 人 物 像 を 多 様 に 描 け る 画 家 な ら ば 、地 上 動 物 を 描 く の
も 容 易 な は ず だ 、と い う も の で あ る 。前 の 文 脈 と 合 わ せ て 考 え る と 、こ こ で レ オ
ナ ル ド が 言 う「 普 遍 的 に な る 」と い う 言 葉 は す な わ ち 、「 一 つ の 鋳 型 」に は ま る
の で な く 、多 様 な 対 象 を 多 様 に 描 き 、さ ら に 人 間 だ け を 描 く と い う 特 殊 な レ ベ ル
に と ど ま ら ず 、動 物 と い う 博 物 学 的 に よ り 広 い 一 般 的 な レ ベ ル に ま で 対 象 を 広 げ
ることを意味するだろう。
ヴァレリーの文脈
一 方 、ヴ ァ レ リ ー は「 普 遍 的 に な る の は 容 易 な こ と で あ る 」と い う 引 用 句 を ど
の よ う な 文 脈 で 持 ち 出 し て い る だ ろ う か 。そ れ が 現 れ る『 序 説 』§8 前 後 の 文 脈
を 眺 め て み よ う 。直 前 の §7 で ヴ ァ レ リ ー は 、レ オ ナ ル ド 的 な 高 度 な 精 神 を 備 え
た 者 た ち の 秘 密 は 、諸 事 物 の 間 に「 連 続 性 の 法 則 」を 見 つ け 関 係 の 網 の 目 を 紡 ぐ
点 に あ る 、と 述 べ 、続 く §8 で 、こ の よ う な 諸 事 物 を 関 係 づ け る 方 法 が レ オ ナ ル
ド 的 な 精 神 の 場 に お い て は「 生 得 的 」「 基 本 的 」で あ り 、そ の 精 神 の 場 の「 生 命
そ の も の 」で あ り「 定 義 」で あ る 、と 何 度 も 言 い 換 え て 強 調 し て か ら 次 の よ う に
書きつける。
そして私がこの文章を書きながら思い浮かべている人物と同じくらい力を
備 え た 思 想 家 た ち が 、こ の 特 性 か ら 、彼 ら の 暗 々 裡 の さ ま ざ ま な 資 源 を 引 き
出 し て い る 時 、 彼 ら は 、 よ り 意 識 的 で 明 晰 な 瞬 間 、 《 Facil cosa è farsi
universale!》普 遍 的 に な る の は 容 易 な こ と で あ る ! と 書 き 記 す 資 格 を 持 っ て
18
い る の だ 49 。
こ の 箇 所 を 読 ん だ だ け で は 、ヴ ァ レ リ ー が「 普 遍 的 に な る 」と い う 言 葉 に 込 め
た 意 味 が 見 え に く い 。「 こ の 特 性 」と は 、「 連 続 性 の 法 則 」を 見 つ け 諸 事 物 の 間
を 関 係 づ け る 生 得 的 方 法 を 指 す と 思 わ れ る が 、「 よ り 意 識 的 で 明 晰 な 瞬 間 」と は
どういう瞬間であろうか。答えは、上に続く部分を読むと見えてくる。『序説』
§9 と §10 の 主 題 は 、 「 意 識 」 と 「 極 限 」 に つ い て で あ る 。
ヴ ァ レ リ ー の 言 う「 意 識 」と は「 思 考 の 諸 作 用 に 関 す る 意 識 」「 思 考 に つ い て
の 意 識 」で あ り 、私 た ち は 便 宜 上 、こ の 意 識 を 、メ タ 意 識 と 呼 ぼ う 。メ タ 意 識 は
最 強 の 頭 脳 に お い て す ら 稀 に し か 存 在 し な い が 、そ れ は 、あ ら ゆ る 通 常 の 個 別 的
思 考 を 対 象 化 し 等 価 な も の と す る 。メ タ 意 識 状 態 で 通 常 の 思 考 を 観 察 す る「 二 重
の 精 神 生 活 」の あ る 一 点 に 至 る と 、通 常 の 思 考 の 流 れ の 中 に 法 則 性 が 見 い だ さ れ
る 瞬 間 が あ る 。そ の 時 、通 常 の 思 考 を 構 成 す る 諸 項 を「 そ れ の 後 で は す べ て が 変
化 し て し ま う よ う な 極 限 」ま で 至 ら せ た い と す る 欲 望 が 現 れ る 。メ タ 意 識 状 態 が
習 慣 的 な も の に な れ ば 、こ の 欲 望 は 実 現 可 能 で「 知 覚 さ れ る あ る 対 象 の あ ら ゆ る
関 係 を 一 挙 に 考 察 す る に 至 る だ ろ う 」し 、「 持 続 し す ぎ た 一 つ の 思 考 の 外 で 目 覚
め る こ と 」も で き る だ ろ う 。ヴ ァ レ リ ー の 論 旨 を か い つ ま ん で 言 え ば 、以 上 の よ
う に な る 50 。
こ う し た 後 続 の 文 脈 か ら も ど っ て 考 え る と 、§8 の「 よ り 意 識 的 で 明 晰 な 瞬 間 」
と は 、自 ら の 通 常 の 思 考 の 流 れ の 中 に 法 則 性 が 見 え て く る ま で に メ タ 意 識 が 澄 み
渡 っ た 時 を 指 す だ ろ う 。そ し て 、「 普 遍 的 に な る 」と は 、通 常 の 思 考 を 構 成 す る
諸 項 の 組 合 せ が す べ て 汲 み 尽 く さ れ て「 極 限 」に 達 し 、「 あ ら ゆ る 関 係 」が「 一
挙 に 考 察 」さ れ「 持 続 し す ぎ た 一 つ の 思 考 の 外 で 目 覚 め る こ と 」が で き る 境 地 を
意 味 す る は ず で あ る 。し た が っ て 、ヴ ァ レ リ ー が《 Facil cosa è farsi universale!》
に 込 め た 意 味 は 、諸 事 物 の 間 に 連 続 性 の 法 則 を 見 つ け る レ オ ナ ル ド 的 精 神 が 自 ら
の 思 考 そ の も の に つ い て も 法 則 を 見 い だ し た 時 、自 ら の 思 考 を 自 在 に 操 作 で き る
境 地 に 到 達 す る 、と い う も の で あ る 。前 後 の 文 脈 を 読 む 限 り に お い て は 少 な く と
も、そのように解釈することができるように思われる。
49
50
ΠI , 1160.
ibid. 1161-1163.
19
以 上 、私 た ち は 、「 普 遍 的 に な る の は 容 易 な こ と で あ る 」と い う 一 句 を め ぐ っ
て 、レ オ ナ ル ド 手 稿 の 文 脈 と ヴ ァ レ リ ー の『 序 説 』の 文 脈 を そ れ ぞ れ 検 討 し て み
た わ け で あ る が 、そ の 隔 た り は か な り 大 き い 。画 家 の 心 得 を 説 く レ オ ナ ル ド の 文
章 と 、「 連 続 性 の 法 則 」や「 意 識 」や「 極 限 」と い っ た 言 葉 を 使 っ て 精 神 の 劇 を
語 る ヴ ァ レ リ ー の 文 章 と で は 、一 致 点 を 探 す の が 困 難 な ほ ど で あ る 。し か し 、ヴ
ァレリーは、レオナルドの文章に何か決定的に重要なことを学んでいるはずだ。
そ の「 何 か 」が ヴ ァ レ リ ー に と っ て 極 め て 貴 重 で あ っ た か ら こ そ 、レ オ ナ ル ド の
イ タ リ ア 語 を 格 言 的 詩 句 の 形 に 凝 縮 加 工 し 、さ ら に 、ど の 既 訳 に も 存 在 し な い 感
嘆符まで付けたに違いないのである。ヴァレリーは何を吸収したのだろうか。
構造的類似への信念と『序説』の出発点
こ の 点 に つ い て 、 私 た ち に 直 接 的 な ヒ ン ト を 与 え て く れ る 記 述 が 、 1919 年 の
『 註 と 余 談 』の 中 に あ る 。そ こ で ヴ ァ レ リ ー は 、『 序 説 』執 筆 当 時 を 回 顧 し て 次
のように書いている。
そ し て 私 は 、ヘ ラ ク レ ス は 我 々 よ り 多 く の 筋 肉 を 持 っ て い た の で は な く 、彼
の 筋 肉 は た だ 我 々 よ り 太 か っ た に 過 ぎ な い 、と 考 え た 。私 は 彼 が 持 ち 上 げ る
岩 を 動 か す こ と す ら で き な い が 、我 々 の 諸 器 官 の 構 造 は 異 な っ た も の で は な
い の だ 。私 は 彼 と 、骨 と 骨 、繊 維 と 繊 維 、作 用 と 作 用 と に お い て 対 応 し て お
り 、我 々 の 類 似 性 が 、私 に 彼 の 仕 事 を 想 像 す る こ と を 可 能 に す る の で あ る 51 。
こ の 記 述 は 示 唆 的 で あ る 。と い う の も 、一 読 し て 明 ら か な 通 り 、「 諸 器 官 の 構
造 」の「 類 似 性 」と い う 点 が 、レ オ ナ ル ド の 文 章 と ほ と ん ど 変 わ ら な い か ら で あ
る 。レ オ ナ ル ド は 、人 体 と 動 物 の 体 の 構 造 は 似 て い る か ら 、画 家 は 人 物 画 ば か り
で な く 、動 物 画 を 描 く こ と も 容 易 な は ず だ 、と 説 い て い た 。す な わ ち 、レ オ ナ ル
ド は「 普 遍 的 に な る の は 容 易 な こ と で あ る 」と す る 根 拠 を 、身 体 上 の 構 造 的 類 似
に 求 め て い た 。レ オ ナ ル ド の 文 脈 に お い て ヴ ァ レ リ ー が 注 目 し た の は 、こ の 構 造
51
ΠI , 1232.
20
的 類 似 へ の 依 拠 と い う 点 で は な か ろ う か 。「 ヘ ラ ク レ ス 」と は 、『 序 説 』で ヴ ァ
レ リ ー が 想 像 し よ う と し た レ オ ナ ル ド 的 精 神 の 比 喩 で あ る 。「 諸 器 官 の 構 造 」を
さ ら に 精 神 の 構 造 に 延 長 す れ ば 、 1919 年 の 回 顧 文 は そ の ま ま 『 序 説 』 の 出 発 点
と し て 読 む こ と が で き る 。『 序 説 』の ヴ ァ レ リ ー は 、身 体 的 構 造 の 類 似 か ら 精 神
的 構 造 の 類 似 へ 、絵 画 の 方 法 論 か ら 想 像 の 方 法 論 へ と 、レ オ ナ ル ド の 文 脈 を 大 胆
に ず ら し て い る 。レ オ ナ ル ド 的 精 神 の た ど る 仕 事 に つ い て の 想 像 は「 我 々 の 類 似
性 」を 根 拠 に 可 能 な の だ と 考 え る 。こ の 野 心 こ そ『 序 説 』の 大 前 提 で あ る 。『 序
説 』は 、卓 越 し た 精 神 と は ど の よ う な も の か を 想 像 す る 試 み を 大 き な 枠 組 と し て
い る が 、そ の 出 発 点 は ま さ に 精 神 の 構 造 的 類 似 へ の 依 拠 ま た は 信 念 に 他 な ら な い 。
普 通 の 人 間 で あ る「 我 々 」は 卓 越 し た 人 間 と 精 神 の 構 造 が 似 て い る か ら 卓 越 し た
人間を想像することができる。これが『序説』の書き手の基本的な立場である。
『序説』は次のような文章で始まる。
一 人 の 人 間 の 後 に 残 る の は 、そ の 人 間 の 名 前 と そ の 名 前 を 称 賛 や 嫌 悪 や 無
関 心 の し る し た ら し め る 業 績 と が 我 々 に 考 え さ せ る も の で あ る 。我 々 は そ の
人 間 が 思 考 し た の だ と 考 え て 、彼 の 業 績 の 中 に 、我 々 自 身 が 考 え た 彼 の 思 想
を 再 び 見 い だ す こ と が で き る 。我 々 は 我 々 自 身 の 思 想 に 似 せ て 彼 の 思 想 を 作
り 直 す こ と が で き る の だ 52 。
こ の 冒 頭 に 続 け て ヴ ァ レ リ ー は 、あ る 人 間 の 業 績 か ら そ の 思 想 を「 我 々 自 身 の 思
想 に 似 せ て 」「 作 り 直 す 」場 合 を 三 つ に 分 け て 述 べ て い く 。第 一 に 、「 我 々 」と
同 じ 普 通 の 人 間 の 場 合 。そ の 思 想 の 作 り 直 し は 容 易 で あ る 。第 二 に 、あ る 点 で 卓
越 し た 人 間 の 場 合 。「 我 々 」は そ の 卓 越 し た 特 性 の「 萌 芽 」し か 持 た ぬ が「 我 々
の想像力」を一方向に拡張すればその人間の思想の作り直しは不可能ではない。
そ し て 第 三 に 、あ ら ゆ る 点 で 卓 越 し た 人 間 の 場 合 。そ の 精 神 の 広 が り が 非 常 に 大
きいために、そのような人間の思想の作り直しは極度に困難である。「しかし、
粘 ら ね ば な ら ぬ 、な じ ま ね ば な ら ぬ 、こ の 我 々 の 想 像 力 に と っ て 異 質 な 要 素 の 集
ま り が 我 々 の 想 像 力 に 課 し て く る 苦 し み を 乗 り 越 え ね ば な ら ぬ 」ヴ ァ レ リ ー は そ
52
ibid . 1153.
21
う言って、第三の場合を選択する。
私 は あ る 人 間 を 想 像 す る つ も り で あ る 。そ の 人 間 か ら は 実 に 多 様 な 活 動 が 現
れ た の で 、そ う し た 多 様 な 活 動 を 産 み だ す 思 考 を 想 定 す る と な る と そ れ 以 上
に 広 が り を 持 っ た 思 考 は 存 在 し な い と い う よ う な 人 間 で あ る 53 。
こ の「 想 像 宣 言 」を す る に 当 た っ て ヴ ァ レ リ ー が 依 拠 し た も の が 他 な ら ぬ「 我 々
の 類 似 性 」な の だ 。第 二 の 例 す な わ ち 、あ る 点 で 卓 越 し た 人 間 を 想 像 す る 場 合 に
つ い て ヴ ァ レ リ ー は 、そ の 人 間 に お い て「 卓 越 し た 特 性 」が「 我 々 」の 内 に も「 萌
芽 」と し て 潜 在 し て い る 、と 捉 え て い た 点 に 注 意 し よ う 。「 萌 芽 」は 万 人 の 精 神
に 共 通 し て い る 点 で「 我 々 」の 精 神 は 互 い に 似 て い る の だ か ら 、「 萌 芽 」の 開 花
し た 人 間 を 想 像 す る こ と は 可 能 で あ る 。「 萌 芽 」の 一 般 性 を「 我 々 」の 精 神 的 構
造 の「 類 似 性 」と 捉 え る こ と が 許 さ れ る な ら ば 、想 像 可 能 だ と 断 言 す る ヴ ァ レ リ
ー の 前 提 に は ま さ に こ の 精 神 の 構 造 的 類 似 へ の 依 拠 が あ る と 言 え る だ ろ う 。さ ら
に 、第 三 の 例 す な わ ち ヴ ァ レ リ ー が「 あ ら ゆ る 点 で 卓 越 し た 人 間 」を ヴ ァ レ リ ー
自身の思想に似せて作り直そうとする場合についてはいっそう明白である。
い か な る 理 解 も 、こ こ で は 、あ る 統 一 的 な 秩 序 の 発 明 、あ る 一 つ の 発 動 機 の
発 明 と 融 合 し 、理 解 し よ う と 自 ら に 課 し て い る シ ス テ ム を 一 種 の 同 類 に よ っ
て 活 気 づ け よ う と 欲 す る 54 。
精神の全能力をあらゆる分野に渡って発揮したような人間を想像することは
「 一 種 の 同 類 」で あ る「 我 々 」に と っ て 可 能 な の だ 、と ヴ ァ レ リ ー は 考 え る 。さ
ら に 、§4 で ヴ ァ レ リ ー は 、人 間 の さ ま ざ ま な 業 績 が い か に し て 生 成 す る か と い
う 問 題 の 探 究 理 由 と し て「 こ の よ う な 探 究 は 、あ ら ゆ る 精 神 が そ の 精 神 の 産 物 が
見 さ せ る ほ ど 深 く は 異 な っ た も の で は な い と 思 う た め に 必 要 な の だ 55 」 と 書 い て
い る 。こ こ に 読 み 取 れ る ヴ ァ レ リ ー の 考 え は 、極 端 に 言 え ば 、天 才 も 凡 才 も 精 神
53
54
55
ΠI , 1155.
ibid . 1154.
ΠI, 1157.
22
の 構 造 は ほ と ん ど 変 わ ら な い と す る 見 方 、あ る い は 、例 え ば 科 学 者 と 芸 術 家 で は
一 見 し た と こ ろ 仕 事 の 結 果 が 大 き く 異 な っ て い る よ う に 見 え る が し か し 、そ の 精
神 の 構 造 は そ れ ほ ど 異 な っ て は い な い の だ と す る 見 方 で あ る 。こ う し た 精 神 の 構
造的類似性に対する信念のようなものは「普遍的になるのは容易なことである」
としてその根拠を人体と動物の身体の構造的類似に求めたレオナルドの場合と、
構造的類似を根拠に持ち出しているという一点においてはまったく同じである。
レ オ ナ ル ド の 教 訓 は 大 き く 形 を 変 え つ つ も 、『 序 説 』を 書 く ヴ ァ レ リ ー の 中 で 強
く生きているのである。
自我革命の呪文
以 上 は 、言 わ ば 表 層 的 ・ 形 式 的 な 面 で 、ヴ ァ レ リ ー が レ オ ナ ル ド に 学 ん だ こ と
で あ る 。と こ ろ で 、ヴ ァ レ リ ー が レ オ ナ ル ド か ら 得 た も の は 、よ り 深 層 的 ・ 実 存
的 レ ベ ル で の 、一 種 の 励 ま し と い う 側 面 も あ っ た の で は な い か 、と 私 た ち は 考 え
る 。二 人 の 文 脈 で 決 定 的 に 違 っ て い る の は 、「 普 遍 的 に な る 」こ と が「 容 易 」だ
と す る 立 場 の 違 い で あ る 。神 中 心 の 中 世 的 世 界 像 や ギ リ シ ア 的 理 想 美 の 紋 切 型 か
ら 自 由 な ル ネ サ ン ス 期 の 代 表 的「 マ ル チ 人 間 」レ オ ナ ル ド に と っ て は 、多 様 な 対
象を多様に描き、人体のみならず動物の体をも描くこと自体が実際的に「容易」
だ っ た に 違 い な い 。こ れ に 対 し て ヴ ァ レ リ ー の 文 脈 で は 、「 普 遍 的 に な る 」こ と
が強く望まれているが、その実現は「容易」どころか、極めて困難な業である。
《 Facil cosa è farsi universale!》の『 序 説 』で の 文 脈 を も う 一 度 思 い 起 こ そ う 。
ヴ ァ レ リ ー が そ こ に 込 め た 意 味 は 、メ タ 意 識 状 態 の あ る 一 点 で 自 ら の 思 考 そ の も
のについて法則を見いだした時に人は自らの思考を自在に操作できる境地に到
達 す る 、と い う も の で あ っ た 。し か し 、§9 と §10 を 読 む 限 り で は 、現 実 に こ の
境 地 に 到 達 す る こ と は 極 め て 困 難 で あ る 。と い う の も 、メ タ 意 識 は「 最 強 の 精 神
に お い て す ら 稀 に し か 存 在 し な い 」上 に 、通 常 の 思 考 の 流 れ に 法 則 性 が 感 じ ら れ
る の は メ タ 意 識 状 態 の「 あ る 一 点 」で し か な い 。さ ら に 、あ る 対 象 の あ ら ゆ る 関
係が一挙に考察されるのは「もし意識的であるというこの様態が習慣的となれ
ば 」と い う 条 件 つ き だ か ら で あ る 。習 慣 的 な メ タ 意 識 状 態 や「 あ ら ゆ る 関 係 」を
汲 み 尽 く す「 極 限 」ま で 至 る 心 的 状 態 は 、実 現 が 極 め て 困 難 な の だ 。つ ま り 、「 普
遍 的 に な る の は 容 易 で あ る ! 」と い う の は 、極 め て 困 難 な 前 提 が 乗 り 越 え ら れ て
23
初めて到達しうる仮想の境地なのである。しかし、そうであるにもかかわらず、
現 実 的 に は 不 可 能 に 見 え る こ の 稀 有 な 心 的 状 態 は 、『 序 説 』の 書 き 手 に よ っ て 強
く 求 め ら れ て い る 56 。
こ の 困 難 な 欲 望 、す な わ ち 、澄 ん だ メ タ 意 識 に よ っ て 通 常 の 思 考 を 対 象 化 し そ
の 法 則 を つ か み た い と い う 困 難 な 欲 望 は 、レ オ ナ ル ド 的 人 間 の 想 像 と い う 困 難 な
試 み と 、パ ラ レ ル な 関 係 に あ る だ ろ う 。な ぜ な ら 、『 序 説 』の レ オ ナ ル ド 的 人 間
と は 、困 難 な 欲 望 を 実 現 し た 人 間 と し て 想 定 さ れ て い る か ら で あ る 。そ れ で は な
ぜ ヴ ァ レ リ ー は 、レ オ ナ ル ド 的 な「 あ ら ゆ る 点 で 卓 越 し た 人 間 」を 想 像 し 、自 ら
の 思 想 に 似 せ て そ の 作 り 直 し を 目 指 す 、な ど と い う 尋 常 で な い 困 難 な 試 み に 乗 り
出したのだろうか。
自分の特殊個別的な通常の思考を対象化して何らかの法則性をつかみだし自
分 の 思 考 を 自 在 に 操 作 で き る よ う な 境 地 に 到 達 し た い と い う 欲 望 は 、ヴ ァ レ リ ー
青 年 期 に お い て 、極 め て 強 烈 な 実 存 的 欲 望 で あ っ た と 思 わ れ る 。ド ・ ロ ヴ ィ ラ 夫
人 を め ぐ る か な り 長 期 に 渡 っ た 感 情 的 危 機 、文 学 で 身 を 立 て て い く こ と に 絶 望 し
詩 作 を や め る キ ャ リ ア 上 の 危 機 、1892 年 か ら 1894 年 頃 の ヴ ァ レ リ ー の 精 神 の 風
景 は 決 し て 明 る く な い が 、自 我 の 革 命 は 緩 や か に 進 行 し て い た 。恋 愛 に 挫 折 し 詩
作 を や め る 一 方 で 、レ オ ナ ル ド の 手 稿 を 眺 め 、数 学 や 物 理 学 の 著 作 に 思 想 の ヒ ン
ト を 求 め る よ う に な り 、書 く も の が「 具 体 的 直 観 か ら 抽 象 的 直 観 へ の 意 志 的 な 変
化 57 」 を 示 す よ う に な る 。 特 殊 個 別 的 な 普 通 の 人 間 に 過 ぎ な い 特 殊 的 自 我 を 消 去
し、そのような小さな自我を包摂する広大な普遍的自我を希求するヴァレリー。
精神の機能を一般性・任意性・非人称性のレベルで表象しようと試みることに
よ っ て 、自 分 の 特 殊 的 な 精 神 の 機 能 を 特 殊 個 別 的 な 一 例 と し て 相 対 化 し 、自 分 を
苦 し め る 感 情 的 ・ 文 学 的 危 機 を 対 象 化 し よ う と す る ヴ ァ レ リ ー 。ヴ ァ レ リ ー の 自
我 の 革 命 と は 要 す る に 、特 殊 自 我 の 消 去 で あ り 普 遍 自 我 の 希 求 で あ る 。こ う し た
ヴ ァ レ リ ー の 個 人 的 状 況 を 考 え た 時 、私 た ち は『 序 説 』に お け る「 想 像 宣 言 」を
ヴァレリー自身の自我の「作り直し宣言」として読むことができる。すなわち、
56
思考の法則への欲望とその欲望成就の不可能性という構図は、後の未完の傑作『アガート』にも見
られる。この点については次の拙論を参照。「思考の昼と夜-『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』
と『アガート』-」(恒川邦夫編『ポール・ヴァレリー『アガート』-訳・注解・論考』筑摩書房、
1994 年 、 所 収 )
57 《 Mon écriture me révèle le changement volontaire qui s'est fait en moi d' intuitif concret en
intuitif abstrait. 》 ( NA II, BN ms, f o 18 v o .)
24
自 ら の 思 考 を 自 在 に 操 作 す る レ オ ナ ル ド 的 な「 普 遍 的 」精 神 を 想 像 す る こ と に よ
っ て 、言 い 換 え れ ば 、レ オ ナ ル ド 的 人 間 の 思 想 を 作 り 直 す こ と に よ っ て 、ヴ ァ レ
リ ー 自 身 を「 普 遍 的 」た ら し め よ う と し た「 自 我 の 革 命 宣 言 」と し て 。そ の 意 味
では『序説』は特異な自伝的テクストであると言うことができる。
《 Facil cosa è farsi universale!》、そ う 叫 び た い の は ヴ ァ レ リ ー 自 身 で あ る 。
格 言 的 詩 句 の 形 に 凝 縮 加 工 さ れ た こ の 文 句 は 、 《 Hostinato rigore》 と 同 様 に 銘
句 と し て 、ま た は 、悪 魔 祓 の 呪 文 と し て の 役 割 を 果 た し た か も し れ な い 。思 考 を
思 考 す る メ タ 意 識 を 研 ぎ 澄 ま し 、人 間 の 精 神 の 一 般 性 ・ 非 人 称 性 の 中 に 特 殊 な 自
我 を 消 し 去 り 、レ オ ナ ル ド の よ う な「 普 遍 的 人 間 」を 想 像 す る こ と に よ っ て 、か
つ て の 自 分 で な い 新 し い 自 分 、も は や 特 殊 個 別 的 な 自 我 を 超 越 し た 機 械 的 シ ス テ
ム と し て の 普 遍 的 ・ 非 人 称 的 な 自 我 に 自 ら を「 作 り 直 す 」こ と 。格 言 的 詩 句 の 形
に 凝 縮 し た 上 に 、ど の 版 に も 存 在 し な い 感 嘆 符 を つ け た の も 、自 分 自 身 の 自 我 の
革 命 を 鼓 舞 し 、困 難 な 試 み を 励 ま す 気 持 ち を 込 め た「 ヴ ァ レ リ ー 化 」の 証 明 で は
な い だ ろ う か 。ヴ ァ レ リ ー に よ っ て エ ッ セ ン ス に 還 元 さ れ た こ の 引 用 句 は 、『 序
説 』 草 稿 の あ る 段 階 に お い て は 、 エ ピ グ ラ フ と し て の 役 割 を 負 っ て い る 58 。 『 序
説 』決 定 稿 へ と 執 筆 の 進 む 過 程 で 、エ ピ グ ラ フ の 位 置 か ら 本 文 中 で の 引 用 句 の 位
置 に 移 動 し た こ と を 、前 景 か ら 後 景 へ の「 後 退 」と 消 極 的 に 捉 え る の は 説 得 的 で
は な い 。『 序 説 』の テ ク ス ト 全 体 が ヴ ァ レ リ ー 自 身 の 自 己 普 遍 化 の 試 み を 物 語 る
自 己 革 命 的 テ ク ス ト で あ る こ と を 考 え れ ば 、こ の 引 用 句 は エ ピ グ ラ フ と し て 祭 り
上げられるよりはむしろテクスト全体の中に溶かし込まれるまでに血肉化する
に至ったのだと積極的に捉えるほうが説得的ではないだろうか。
4
加工引用
《 Hostinato rigore》も《 Facil cosa è farsi universale!》も 共 に 、『 序 説 』を
書 く ヴ ァ レ リ ー の 倫 理 的 ・ 実 存 的 な 基 本 姿 勢 に 深 く 関 わ っ て い る だ け に「 ヴ ァ レ
リ ー 化 」 の 屈 折 を 強 く 受 け た 引 用 句 で あ る と 言 え る 。 特 に 《 Facil cosa è farsi
universale!》は 、ヴ ァ レ リ ー の 磁 場 に 取 り 込 ま れ て 大 幅 な「 加 工 」を 被 っ た 引 用
58
LEO I, BN ms, f
o
37.
25
句 と し て 極 端 な 例 を 提 供 す る も の で あ る 。次 に 私 た ち は 、レ オ ナ ル ド の 手 稿 か ら
の 一 見 忠 実 な 引 用 で あ る よ う に 見 え て 、実 は 、巧 妙 に「 ヴ ァ レ リ ー 化 」し て い る
引 用 句 を 二 つ 取 り 上 げ な が ら 、「 加 工 」せ ざ る を え な い ヴ ァ レ リ ー の 内 的 促 し に
ついて検討してみたい。
化粧の形
は じ め に 、 『 序 説 』 §51 で 引 か れ る 次 の 文 を 見 よ う 。 ヴ ァ レ リ ー は ま ず 引 用
文 の 仏 語 訳 を 、続 い て 現 代 伊 語 訳 も 提 示 し 、出 典( 学 士 院 版 手 稿 A 紙 葉 2 )も き
ちんと明示している。以下は仏訳部分の日本語訳である。
「 大 気 は 無 数 の 光 り 輝 く 直 線 で 満 た さ れ て い る 。こ れ ら の 線 は 互 い に 交 差 し
織 り 合 わ さ れ て い る が 、あ る 線 は 決 し て 他 の 線 の 走 行 路 を 借 り る こ と は な い 。
こ れ ら の 線 は 各 物 体 に 対 し て そ れ ら の 理 由 の( そ れ ら の 説 明 の )真 の フ ォ ル
ム を 表 象 し て い る の で あ る 59 。 」
本 稿 第 1 章 で 触 れ た よ う に 、ヴ ァ レ リ ー に お け る こ の 箇 所 の 引 用 体 験 は こ れ が
初 め て で は な い 。 1892 年 執 筆 と さ れ る 紙 葉 に お い て す で に 、 レ オ ナ ル ド の こ の
文 は ラ ヴ ェ ッ ソ ン = モ リ ア ン の 仏 訳 を ほ ぼ そ の ま ま 引 い て 、い わ ば 名 言 集 の 中 に
書 き 留 め ら れ て い た 。つ ま り 、ヴ ァ レ リ ー に と っ て こ の 引 用 句 と の つ き あ い は 長
いのである。
『 序 説 』 の ヴ ァ レ リ ー に よ る 仏 訳 は 以 下 の 通 り ( Œ I, 1192.) 。《 L'air est rempli d'infinies lignes
droites et rayonnantes, entre- croisés et tissues sans que l'une emprunte jamais le parcours d'une
autre,et elles représentent pour chaque objet la vraie FORME de leur raison, (de leur
explica-tion).》こ の 箇 所 に は 、所 有 形 容 詞《 leur》 の 曖 昧 性 と い う 問 題 が あ る 。《 leur》 は 複 数 主 体 の
所 有 形 容 詞 で あ る か ら 、意 味 論 的 に 直 前 の《 chaque objet》を 受 け る は ず だ と 考 え た く て も 文 法 的 に は
そ の よ う に 考 え る わ け に は い か な く な る 。 す る と 複 数 主 体 は 《 elles》 す な わ ち 「 無 数 の 線 」 と い う こ
と に な る が 、そ う す る と 今 度 は「 無 数 の 線 が 無 数 の 線 の 理 由 の 真 の フ ォ ル ム を 表 象 し て い る 」と い う 一
種のトートロジーに陥ってしまう。実はこの矛盾はレオナルド自身の原文に起因する。ヴァレリーが
《 L'air
1892 年 に 筆 写 し て い た 学 士 院 版 の ラ ヴ ェ ッ ソ ン = モ リ ア ン に よ る 仏 訳( A 2 v o )を 以 下 に 示 す 。
est plein d'infinies lignes droites et rayonnantes, réci proquement entrecoupées et tissues, sans
que l'une occupe la place de l'autre ; elles représentent, pour les objets pour un objet quelconque,
la vraie forme de leur cause.》 ( イ タ リ ッ ク は レ オ ナ ル ド に よ る 削 除 を 表 す ) つ ま り 、 ダ ・ ヴ ィ ン チ
は 初 め 「 す べ て の 《 allio 》 物 体 に 対 し て 」 《 pour les objets 》 と 書 い た が 、 続 い て そ れ を 抹 消 し 「 あ
る 任 意 の 《 aqualunche》 物 体 に 対 し て 」 と い う 表 現 に 改 め て い る 。 し か し 「 そ の 理 由 の 」 の 「 そ の 」
に 当 た る 所 有 形 容 詞 は 《 della lor chagione》 と い う よ う に 「 す べ て の 」 と い う 複 数 を 受 け る 「 そ れ ら
の 」 《 lor 》 の ま ま で あ り 、 文 法 的 な 統 一 が な さ れ て い な い 。 1892 年 の 筆 写 で ヴ ァ レ リ ー は 、 こ の 不
統 一 を 回 避 す る た め 、レ オ ナ ル ド に よ っ て 削 除 さ れ た 部 分 で あ る《 pour les objets 》の 方 を 採 っ て い る 。
と こ ろ が 、 『 序 説 』 §51 で は 、 イ タ リ ア 語 原 文 を 掲 げ た こ と も あ っ て か 、 文 法 的 困 難 は 困 難 と し て 、
レオナルドに忠実な仏訳を提示している。
59
26
と こ ろ で 、 『 序 説 』 に お け る 仏 訳 引 用 文 は 、 1892 年 の ノ ー ト で ほ ぼ そ の ま ま
筆写されていたラヴェッソン=モリアンの仏訳とは微妙に異なっている。
『序説』
の ヴ ァ レ リ ー は 、レ オ ナ ル ド の 原 文 に 忠 実 な ラ ヴ ェ ッ ソ ン = モ リ ア ン 訳 に「 化 粧 」
を 施 し て い る の で あ る 。ま ず 第 一 に 、ラ ヴ ェ ッ ソ ン = モ リ ア ン 訳 で は 何 の 強 調 も
な さ れ て い な い 二 つ の 単 語 が 、そ れ ぞ れ 異 な る 仕 方 で 強 調 さ れ て い る 。ひ と つ は
「 表 象 し て い る 」( représentent )と い う 単 語 で あ り 、こ れ は イ タ リ ッ ク に よ る
強 調 。 も う 一 つ は 「 フ ォ ル ム 」 ( FORME) と い う 単 語 で 、 こ ち ら は 大 文 字 に よ
る 強 調 で あ る 。 第 二 に 、 ラ ヴ ェ ッ ソ ン = モ リ ア ン 訳 で は 「 場 所 」 《 place》 と な
っ て い る 部 分 が 、ヴ ァ レ リ ー 訳 で は 、「 走 行 路 」《 parcours》と い う 単 語 に 置 き
換 え ら れ て い る 。 1892 年 の 「 忠 実 な 筆 写 」 か ら 『 序 説 』 に お け る 「 加 工 引 用 」
までの間に何が起こったのだろうか。
私 た ち は 、 1892 年 の 引 用 句 集 な い し は 名 言 集 の 中 で 、 問 題 の レ オ ナ ル ド の 引
用 文 の 左 横 に 縦 線 が 引 か れ「 フ ァ ラ デ ー ! マ ク ス ウ ェ ル 」と 書 き 込 み が し て あ っ
た こ と を 思 い 出 そ う 。ヴ ァ レ リ ー が マ ク ス ウ ェ ル の『 電 磁 気 論 』を 読 ん で「 非 常
に 面 白 い 」と 語 る の は 1893 年 11 月 27 日 付 ジ ッ ド 宛 手 紙 60 に お い て で あ る か ら 、
こ の 書 き 込 み は 1892 年 の も の で は な く 、 後 に な さ れ た も の と 考 え て よ い 。 『 電
磁 気 論 』を 読 む ヴ ァ レ リ ー は 、一 見 空 虚 な 空 間 に 電 磁「 力 線 」の 幾 何 学 的 充 満 を
予見したファラデーと先駆者ファラデーの電磁場の仮説に数学的な証明を与え
た マ ク ス ウ ェ ル と に 非 常 な 感 銘 を 受 け た よ う で あ る 。 実 際 、 1894 年 頃 の ヴ ァ レ
リ ー が 書 い た も の の 中 で 、フ ァ ラ デ ー と マ ク ス ウ ェ ル は 、第 一 級 の 精 神 を 代 表 す
る 二 人 組 と し て の 位 置 を 保 ち 続 け て い る 61 。 本 稿 冒 頭 で 述 べ た よ う に 、 マ ク ス ウ
ェ ル や ト ム ソ ン な ど を は じ め と す る 科 学 者 た ち の 著 作 は『 序 説 』の 主 要 参 照 体 系
の 一 つ で あ り 、そ の 読 書 体 験 に つ い て 検 討 す る に は 別 の 論 稿 が 必 要 に な る 。さ し
あ た り 、私 た ち に と っ て 重 要 な の は 、レ オ ナ ル ド 体 験 の 上 に マ ク ス ウ ェ ル 体 験 が
重 な っ た た め に 、問 題 の 引 用 句 が「 加 工 引 用 」さ れ ざ る え な か っ た だ ろ う と い う
点 で あ る 。大 気 を 飛 び 交 う 線 の イ メ ー ジ と そ れ を 予 見 す る 想 像 力 は 、ま ず レ オ ナ
ル ド 手 稿 の 読 書 に よ っ て す で に 、ヴ ァ レ リ ー に と っ て 親 し い イ メ ー ジ で あ り 、想
像 力 の 理 想 型 と な っ て い た 。そ し て マ ク ス ウ ェ ル の『 電 磁 気 論 』に よ っ て 電 磁 気
60
61
André Gide-Paul Valéry Correspondance , p.191.
Cf. André Gide-Paul Valéry Correspondance , p.215. ; Cahiers 1894-1914,I , pp.47,395.
27
学 の 物 理 的 空 間 表 象 と り わ け「 力 線 」の イ メ ー ジ を 知 っ た ヴ ァ レ リ ー の 想 像 界 で 、
レオナルド的な線のイメージがファラデー・マクスウェル的な力線のイメージ
と 重 な っ た 瞬 間 、ヴ ァ レ リ ー は 、以 前 の ノ ー ト か ら 例 の 引 用 句 集 を 取 り 出 し 、レ
オ ナ ル ド か ら の 引 用 の 隣 に 感 動 を 込 め て「 フ ァ ラ デ ー ! マ ク ス ウ ェ ル 」と 書 き 込
み を し た に ち が い あ る ま い 。ヴ ァ レ リ ー に と っ て 、フ ァ ラ デ ー と マ ク ス ウ ェ ル は
レオナルド的想像力の現代的具現者と映ったのである。
こ の イ メ ー ジ の 重 な り の 体 験 は 、『 序 説 』で 想 像 力 を 論 じ る ヴ ァ レ リ ー に と っ
て 貴 重 な 体 験 で あ っ た ろ う 。可 視 の 部 分 の 規 則 性 が 不 可 視 の 全 体 の 規 則 性 を「 表
象 し て い る 」 こ と を 見 抜 き 、 見 え な い 全 体 の 「 形 」 《 FORME》 を 見 抜 く 想 像 力
は 、 『 序 説 』 の テ ク ス ト 場 の 至 る 所 で 、 理 想 の 位 置 に 置 か れ て い る 62 。 『 序 説 』
を書くヴァレリーは、もはやレオナルドの引用をそのまま忠実な形で、つまり
1892 年 の 段 階 で の よ う に ラ ヴ ェ ッ ソ ン = モ リ ア ン の 仏 訳 を 素 直 に そ の ま ま 引 い
て そ れ で 満 足 で き る 状 態 で は な か っ た は ず で あ る 。「 フ ォ ル ム 」や「 表 象 」を 大
文 字 や イ タ リ ッ ク で 強 調 し 、ラ ヴ ェ ッ ソ ン = モ リ ア ン 訳 の「 場 所 」と い う 語 を「 走
行 路 」と い う 一 歩 踏 み 込 ん だ 単 語 に 置 き 換 え て 加 工 し た の は 、ヴ ァ レ リ ー が レ オ
ナルドの原文の仏訳をよりファラデー・マクスウェル的な力線のイメージに近
づけて解釈するように読む側を誘いたかったからということももちろんあるだ
ろ う 。事 実 、『 序 説 』§51 の 論 の 運 び は 、ま ず レ オ ナ ル ド の 引 用 文 か ら 始 ま り 、
次 に「 充 満 と 空 虚 の 問 題 」に 移 り 、そ し て フ ァ ラ デ ー ・ マ ク ス ウ ェ ル ・ ト ム ソ ン
へ と 流 れ て い く 。し か し 、そ れ 以 上 に 、こ の 加 工 引 用 が 示 し て い る の は 、ヴ ァ レ
リ ー 自 身 の 読 書 遍 歴 の 中 で 起 こ っ た 、幸 福 な 相 互 的 参 照 と で も 言 う べ き ひ と つ の
事 件 の 余 韻 で は な い だ ろ う か 。レ オ ナ ル ド か ら の 引 用 文 の「 化 粧 の 仕 方 」そ の も
の の う ち に 私 た ち は 、ヴ ァ レ リ ー の レ オ ナ ル ド 体 験 だ け で な く そ れ と 重 な っ た フ
ァラデー・マクスウェル体験をも読みとることができるのである。
感嘆符の意味
「 加 工 引 用 」の 興 味 深 い 例 を も う 一 つ 掲 げ よ う 。『 序 説 』は レ オ ナ ル ド 手 稿 か
らの次の引用で終わっている。上に見た「大気は無数の線で」の引用と同じく、
62
ΠI , 1163,1168,1169,1173,1176,1194,1195, etc.
28
ま ず 仏 語 訳 、続 い て 現 代 伊 語 訳 が 掲 げ ら れ 、脚 注 に は 出 典(『 鳥 の 飛 翔 に 関 す る
手 稿 』 ) が 明 示 さ れ て い る 63 。 以 下 は 仏 訳 に 基 づ く 。
偉 大 な 鳥 は 、大 白 鳥 に 登 っ て 、そ の 最 初 の 飛 翔 を 行 う だ ろ う 。世 界 を 呆 然
た る 驚 き で 満 た し 、あ ら ゆ る 書 物 を そ の 栄 光 で 満 た し て い く 。そ れ が 生 ま れ
た 巣 に 永 遠 の 称 賛 あ れ ! 64
「 偉 大 な 鳥 」は レ オ ナ ル ド が 夢 見 た「 飛 ぶ 人 間 」を 表 し 、「 大 白 鳥 」は フ ィ レ
ン ツ ェ 近 郊 に あ る チ ェ チ ェ ロ(「 白 鳥 」の 意 )山 を 指 す 。飛 行 機 械 に 乗 っ て「 飛
ぶ 人 間 」は レ オ ナ ル ド の 好 き な 研 究 課 題 で あ っ た 。こ の『 鳥 の 飛 翔 に 関 す る 手 稿 』
ば か り で な く 、学 士 院 版 手 稿 B に は ハ ン グ グ ラ イ ダ ー 型 か ら ヘ リ コ プ タ ー 型 ま で
実 に さ ま ざ ま な 飛 行 機 械 の デ ッ サ ン が あ る 65 。 「 飛 ぶ 人 間 」 を 夢 見 て 飛 行 機 械 の
研 究 に 勤 し む レ オ ナ ル ド の 姿 は 、「 普 遍 的 人 間 」レ オ ナ ル ド を め ぐ る イ メ ー ジ の
中 で も 特 に ヴ ァ レ リ ー が 好 ん だ も の の 一 つ で あ る 。「 彼 が 飛 ぶ 人 間 の 構 築 を 夢 見
る と き 、彼 は 見 る だ ろ う 、そ れ が 舞 い 上 が っ て 山 々 の 頂 ま で 雪 を 取 り に 行 き 、も
ど っ て 来 て そ の 雪 を 真 夏 、 暑 さ に 揺 れ る 街 の 舗 石 に ば ら ま く 姿 を 66 。 」 ( §29)
「 飛 ぶ 人 間 」を イ タ リ ッ ク で 強 調 す る ヴ ァ レ リ ー は 、カ イ エ『 航 海 日 誌 』の 中 で
「 飛 ぶ 人 間 。 普 遍 的 人 間 67 。 」 と い う よ う に 並 べ て 記 し て い る 。 つ ま り 、 ヴ ァ レ
リ ー に と っ て「 飛 ぶ 人 間 」は「 普 遍 的 人 間 」の 代 名 詞 で も あ る 。「 飛 ぶ 人 間 」レ
オ ナ ル ド と ヴ ァ レ リ ー 自 身 の 関 係 を 詠 じ た「 詩 」が 、『 序 説 』草 稿 の 中 に 見 ら れ
る 68 。
[ル・ペイルーから]私は何度見たことか
彼が海から西へと渡って行き
プ レ イ ア ッ ド 版 で は 脚 注 が 落 ち て い る が 、 『 ラ ・ ヌ ー ヴ ェ ル ・ ル ヴ ュ 』 1895 年 8 月 15 日 号 で は 、
《 Codice sul volo degli uccelle. Edition Sabachnikoff.》 と い う よ う に 出 典 が 明 記 さ れ て い る 。
64 ΠI, 1198-1199.
65 B ff.73v o ,74r o ,74v o ,75r o ,77v o ,79r o ,79v o ,80r o ,83v o ,88v o , 89r o ,etc.
66 Œ I, 1178. な お 、 ヴ ァ レ リ ー は 1919 年 の 『 精 神 の 危 機 』 「 第 一 の 手 紙 」 の 中 で 、 『 序 説 』 §29 の
こ の 箇 所 と §54 の 引 用 部 分 と を 合 成 し な が ら レ オ ナ ル ド に 触 れ て い る ( Œ I, 993.) 。
67 Cahiers 1894-1914,I , p.67-68.
68 《 Que de fois je l'ai vu [du Peyrou] / traverser de la mer à l'Occident / crever les cercles du ciel
fin./ il faisait des expériences / sur sa machine dans l'air,/ semblait il - mais en réalité / sur moi.
Etait ce m'apprendre / à lire ? Quel alphabet !/ Une chose qui si elle s'envase / c'est dans les
sommités des arbres.》 ( [ ] は ヴ ァ レ リ ー に よ る 削 除 、 / は 改 行 を 表 す 。 LEO I,BN ms,f o 6v o . )
63
29
細い空の円を破裂させるのを。
彼は実験していた
空中で彼の機械について
そう見えた
しかし実際は
私について。あれは私に読み方を教えること
だったのか。なんという初等読本!
あの機械が泥にはまることがあるとすれば
それは木々の頂においてだ。
こ の「 詩 」は『 序 説 』決 定 稿 に は 現 れ ず 、一 般 読 者 の 目 に 触 れ る こ と な く 終 わ
っ た が 、ヴ ァ レ リ ー に と っ て は 、レ オ ナ ル ド 手 稿 と つ き あ っ て き た 感 慨 を 込 め た
個 人 的 な 「 詩 」 で あ っ た ろ う 69 。 こ こ で の 中 心 的 イ メ ー ジ は 、 ヴ ァ レ リ ー の 想 像
界 の 中 で 、「 彼 」が 自 ら 制 作 し た 飛 行 機 械 に 乗 っ て 大 空 を テ ス ト 飛 行 し て い る 姿
である。「ル・ペイルー」はモンペリエ市街の西の外れにある高台の散歩道で、
すぐ北には植物園があり、ヴァレリーにとっては親しい散歩コースであった。
「 彼 」と は 飛 行 機 械 を 夢 見 る「 飛 ぶ 人 間 ・ 普 遍 的 人 間 」レ オ ナ ル ド と 考 え て よ か
ろ う 。モ ン ペ リ エ 時 代 か ら 近 所 の 図 書 館 で レ オ ナ ル ド 手 稿 を 眺 め て い た ヴ ァ レ リ
ー が 、や は り ユ ル バ ン 5 世 街 の 自 宅 か ら 遠 く な い ル ・ ペ イ ル ー で 、空 を 見 上 げ な
が ら「 飛 ぶ 人 間 」の 空 想 に 耽 っ た と し て も 何 の 不 思 議 も な い 。こ の「 詩 」で 面 白
い の は 6 行 目 か ら 8 行 目 ま で の 部 分 で あ る 。夢 想 か ら 覚 め て 反 省 的 に な っ た「 私 」
に よ れ ば 、レ オ ナ ル ド が 実 際 に 実 験 し て い た の は「 私 に つ い て 」で あ っ て 、こ の
実験は「私に読み方を教えることだった」という。詳しい具体的な記述はなく、
ただ、「私に読み方を教える」ために与えられた教科書が並大抵のものでなく、
「 な ん と い う 初 等 読 本 ! 」と 叫 ば せ る よ う な 途 轍 も な い も の だ っ た こ と が 暗 示 さ
れ る だ け で あ る 。こ の「 初 等 読 本 」を レ オ ナ ル ド の 手 稿 と 考 え る の は 散 文 的 に 過
ぎ る が 、そ れ で も 、ヴ ァ レ リ ー が レ オ ナ ル ド 手 稿 を 読 ん で「 学 ん だ 」こ と が ら は 、
こ の「 詩 」を 書 く 時 点 ま で に か な り 蓄 積 さ れ て い た だ ろ う こ と は 予 想 で き る 。
「普
69 実 は 『 序 説 』 執 筆 中 の 1895 年 1 月 3 日 付 ジ ッ ド 宛 の 手 紙 で ヴ ァ レ リ ー は 、 こ の 「 詩 」 の 全 体 を 、 改
行 な し で 散 文 風 に し た 上 で 、若 干 の 改 変 を 加 え つ つ 手 紙 の 本 文 に 溶 か し 込 ん で 書 い て い る 。親 友 ジ ッ ド
に は 自 ら の レ オ ナ ル ド 体 験 を さ り げ な く 語 っ て お き た か っ た の だ ろ う か ( André Gide-Paul Valéry
Correspondance, p.229. な お 、 手 紙 で は 《 du Peyrou 》 は そ の ま ま 使 わ れ て い る ) 。
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遍的人間」レオナルドの精神のディナミスムと想像力の豊かさ、構築への意志、
自 己 に 対 す る 厳 し さ 、「 あ ら ゆ る 点 で 卓 越 し た 」そ の 精 神 の 力 は 、自 ら の 普 遍 化
を 企 図 す る ヴ ァ レ リ ー に と っ て 一 つ の 理 想 で あ っ た は ず だ 。こ の「 詩 」は 、「 飛
ぶ人間」レオナルドへのオマージュであると同時に、レオナルド手稿を読んで、
確 か に「 読 み 方 」を 習 っ た と 感 じ る ヴ ァ レ リ ー 自 身 の 体 験 の 確 認 の 意 味 を も 含 ん
でいるのである。
さ て 、引 用 文 に も ど ろ う 。原 典 は『 鳥 の 飛 翔 に 関 す る 手 稿 』の 最 終 ペ ー ジ に 当
た る 裏 表 紙 の 内 側 に 記 さ れ て い る 。書 か れ た 位 置 か ら 見 て 、レ オ ナ ル ド 自 身 の 個
人 的 感 慨 を 記 し た「 あ と が き 」的 な 文 言 と 見 な す こ と が で き る 。こ れ を 引 用 す る
に 際 し て ヴ ァ レ リ ー は 、ラ ヴ ェ ッ ソ ン = モ リ ア ン の 仏 訳 と ピ ウ マ チ の 現 代 伊 語 訳
を ほ ぼ 忠 実 に 借 用 し て い る が 、一 点 だ け 決 定 的 に 違 う の は 、引 用 文 末 尾 に 、ラ ヴ
ェ ッ ソ ン = モ リ ア ン 訳 に も ピ ウ マ チ 訳 に も 存 在 し な い「 感 嘆 符 」《 ! 》を 付 け て
いる点である。この「感嘆符」は、どう説明したらよいだろうか。
も ち ろ ん 、「 そ れ が 生 ま れ た 巣 に 永 遠 の 称 賛 あ れ 」は 祈 願 文 と 取 れ る か ら 、最
後 に 感 嘆 符 を 付 加 す る こ と は 言 わ ば 自 然 の 勢 い で 、翻 訳 の ル ー ル に 違 反 す る ほ ど
の 加 工 で あ る と は 言 え な い だ ろ う 。し か し 、こ の 感 嘆 符 は 、「 称 賛 あ れ 」だ け を
受 け る 符 号 で は な く て 、こ の 引 用 文 全 体 に 対 す る ヴ ァ レ リ ー の 極 め て 親 密 な 思 い
入れを表している、と取ることもできるように思われるのである。
「 そ れ( 偉 大 な 鳥 す な わ ち 飛 行 機 械 )が 生 ま れ た 巣 」と は 、結 局 、レ オ ナ ル ド
の精神であるから、引用文はレオナルド自身の自画自賛になる。ヴァレリーは、
レオナルドがこのような自画自賛をするに至る状況を思い描いて次のように記
し て い る 。「 彼 は 叫 ぶ 、彼 の 未 完 了 の ま ま の 労 苦 に 雷 撃 を 浴 び せ 、精 神 の 至 高 の
視界の出現、粘り強い確信によって彼の忍耐とさまざまな障害を照らしながら
70 。 」 問 題 の 引 用 文 が 置 か れ る の は こ の 直 後 で あ る 。 す な わ ち 、 ヴ ァ レ リ ー は 引
用 文 全 体 を 一 つ の「 叫 び 」と 捉 え て い る よ う に 見 え る 。ヴ ァ レ リ ー が 想 像 し た レ
オ ナ ル ド の 叫 び は 、自 ら の 労 苦 が な か な か 実 を 結 ば ず 完 了 に 至 ら な い こ と に 対 す
る 苛 立 ち を 静 め 、「 粘 り 強 い 確 信 」に よ っ て 自 ら の 忍 耐 力 を 鼓 舞 し 、克 服 す べ き
困 難 に 立 ち 向 か う た め の 、励 ま し の 叫 び な の だ 。こ の「 粘 り 強 い 確 信 」《 obstinée
《 il s'écrie, ― foudroyant son labeur imparfait,illuminant sa patience et les obstacles par
l'apparition d'une suprême vue spirituelle,obstinée certitude : (...)》 ( Œ I , 1198. )
70
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certitude》 と い う 言 葉 は 、 も ち ろ ん 、 《 Hostinato rigore》 と 響 き 合 う 表 現 で あ
る 。ま た 、こ れ と 並 記 さ れ て い る「 精 神 の 至 高 の 視 界 の 出 現 」と い う 表 現 は 、倫
理 的 な 崇 高 さ を 感 じ さ せ る と 同 時 に 、ヴ ァ レ リ ー 的 意 味 で の「 普 遍 的 人 間 」の 境
地とつながるように思われる。
ヴ ァ レ リ ー は 、レ オ ナ ル ド の 手 稿 の 中 で は 比 較 的 稀 に 高 揚 し た こ の 箇 所 に 、レ
オナルドがレオナルド自身を励ます姿を見いだしている。飛ぶ人間=普遍的人
間 ・ レ オ ナ ル ド が 、こ こ で は 、よ り ヴ ァ レ リ ー の 位 置 に 近 い と こ ろ に い る 。「 飛
行 機 械 」が 実 現 し な い 現 在 の 絶 望 と 、い つ か そ れ に 乗 っ て「 飛 ぶ 人 間 」が 実 現 す
る だ ろ う と い う 未 来 へ の 希 望 が 混 じ り あ っ て 稀 な 高 揚 を 示 す こ の 箇 所 に 、ヴ ァ レ
リ ー は 、ヴ ァ レ リ ー 自 身 の 状 況 を 投 影 し て い る の で は な い だ ろ う か 。自 分 の 仕 事
は 未 完 了 の 困 難 な 労 苦 だ が 、忍 耐 し て 、粘 り 強 い 確 信 を 持 ち 続 け な け れ ば な ら な
い 。 1919 年 の 『 註 と 余 談 』 で ヴ ァ レ リ ー は 、 『 序 説 』 時 代 を 回 顧 し な が ら 「 私
は 、当 時 私 に つ き ま と っ て い た 幾 多 の 難 題 を 、あ た か も 彼( レ オ ナ ル ド )が そ れ
ら に 遭 遇 し 克 服 し た か の よ う に 、彼 に 帰 し た 。彼 の 能 力 を 想 定 し 、自 分 の 当 惑 の
身 代 わ り に し た 。私 は あ え て 、彼 の 名 の も と に 自 分 を 考 察 し 、私 の 人 間 を 利 用 し
た の だ っ た 71 」 と 書 く 。 『 序 説 』 末 尾 の 引 用 文 は 、 「 飽 く な き 厳 密 」 「 普 遍 的 に
な る の は 容 易 な こ と で あ る 」と 共 に 、お そ ら く 、ヴ ァ レ リ ー 自 身 に 対 す る 鼓 舞 ・
激 励 の 叫 び な の で あ る 。『 序 説 』は 、「 普 遍 的 人 間 」の 想 像 宣 言 で 始 ま り 、激 励
の 叫 び を 示 す ひ と つ の 感 嘆 符 で 終 わ る 。想 像 の 試 み は テ ク ス ト 内 で 完 結 し た わ け
で は な く 、励 ま し の 叫 び を あ げ な が ら「 未 完 了 の 労 苦 」の 持 続 を 予 定 し た ま ま で
ある。
結び
本 稿 で 私 た ち は 、主 に 、『 序 説 』の い く つ か の 引 用 句 を 取 り 上 げ な が ら 、ヴ ァ
レ リ ー の レ オ ナ ル ド 体 験 の あ り 方 を 探 っ て き た 。さ ま ざ ま な テ ー マ が 複 雑 に 錯 綜
し て い る 上 に 、文 章 自 体 の 凝 縮 度 が 高 い た め 、一 般 に 難 解 ま た は 生 硬 な 若 書 き と
言 わ れ る『 序 説 』。迷 宮 の よ う な こ の テ ク ス ト 場 へ の 入 口 は 多 く 、ど こ か ら 入 る
か に よ っ て 見 え て く る 風 景 も 変 わ る 。言 い 換 え れ ば 、多 様 な 観 点 か ら 多 様 に 読 む
71
ΠI , 1232.
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こ と な し に は 全 体 が 見 え て こ な い 構 造 に な っ て い る の で あ る 。レ オ ナ ル ド ・ ダ ・
ヴ ィ ン チ と い う 参 照 体 系 へ の 注 目 も 、多 く の 入 口 の 一 つ に 過 ぎ な い 。し か し 、や
や 控 え め に 見 え る こ の 入 口 か ら 中 に 入 る と 、か な り 興 味 深 い 風 景 が 展 開 す る と い
うことは今や認めることができるだろう。
ヴ ァ レ リ ー の レ オ ナ ル ド 読 書 に は 真 剣 勝 負 の 緊 張 感 が あ る 。た だ 称 賛 し か し な
い よ う な 実 の な い 読 み 方 で は ま っ た く な い し 、研 究 者 的 な 距 離 を 置 い た 読 み 方 で
も な い 。こ れ は と 思 っ た 部 分 は 徹 底 的 に 読 み 込 み 、考 え 、そ し て 想 像 す る 。手 稿
が 写 真 版 で 複 製 さ れ て い れ ば 、レ オ ナ ル ド の 鏡 像 文 字 の 息 づ か い に ま で 目 を 配 る 。
イ タ リ ア 語 の 筆 写 に つ い て は 、現 代 伊 語 訳 だ け で な く レ オ ナ ル ド 自 身 の イ タ リ ア
語 に ま で 遡 り 、削 除 や 加 筆 な ど も 丁 寧 に 追 う 。訳 文 に つ い て は 、既 訳 を 参 照 し つ
つ も ヴ ァ レ リ ー 流 に 納 得 ゆ く 仕 方 に 加 工 す る 。「 加 工 」は レ オ ナ ル ド の 文 脈 そ の
も の に 及 ぶ こ と も あ る 。ヴ ァ レ リ ー の 読 み 方 は 貪 欲 だ が 、よ く 消 化 吸 収 し て 自 己
の 血 に 取 り 込 む 点 に お い て ま っ た く 誠 実 で あ る 。ヴ ァ レ リ ー の 想 像 力 は 、レ オ ナ
ルドの手稿を起爆剤として、必ず感応し運動するのだ。
ヴ ァ レ リ ー に お け る レ オ ナ ル ド 読 書 の 緊 張 感 と い う 点 に 関 し て は 、『 序 説 』草
稿 に 見 ら れ る 次 の 一 節 が 示 唆 的 で あ る 72 。
美 術 館 や 歴 史 物 語 の あ の 人 物 で は な い 、そ う で は な く て 、別 の 人 間 だ ! そ
の人間なら私は知っている。時には私はその人間だったことさえあるのだ。
そ う 、短 い 時 間 で は あ る が 、レ オ ナ ル ド だ っ た こ と が あ る 。ち ょ う ど 、ポ
ー だ っ た り パ ス カ ル だ っ た り 、ボ ナ パ ル ト だ っ た り 、あ る い は デ ュ パ ン あ る
い は デ カ ル ト だ っ た り し た こ と が あ る の と 同 様 に 。こ れ ら の パ ー ト 、こ れ ら
の 劇 を 持 っ た こ と が あ る 。動 物 、魚 、天 使 等 だ っ た こ と が あ り 、船 乗 り だ っ
たこともあり病人や死者だったこともある。
構築する、予見するあるいは見る喜びを知った。それは同じ一つのもの、
内 部 で 精 錬 さ れ た 眼 だ ! 提 起 さ れ た 事 物 が 何 を 含 ん で い る か 、そ れ を 垣 間 見
《 ...non celui des musées et des histoires, mais un autre! Et celui là je l'ai connu. Je l'ai même
été quelquefois./ Oui,à des minutes, on a été Léonard comme on a été Poe,Pascal,Bonaparte,ou
Dupin, ou Descartes. On a eu ces parties, ces comedies. On a été bte,poisson,ange,etc. marin aussi,
malade et mort aussi./ On a connu les délices de construire, de prévoir ou de voir c'est le
même,oeil affiné au dedans! apercevoir ce qu'impliquent les choses proposées.》( / は 段 落 変 更 を 示
す LEO I,BN ms,f o 12v o .)
72
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ること。
「時には私はその人間だったことさえある」
「 レ オ ナ ル ド だ っ た こ と が あ る 」、
私 た ち は こ れ を 、ヴ ァ レ リ ー と 共 に 、「 同 一 化 」の 経 験 と 呼 ぶ こ と が で き る 。『 序
説 』 §18 で ヴ ァ レ リ ー は 「 同 一 化 」 に 触 れ て 「 想 像 力 の 生 活 の 中 で こ れ 以 上 に
強 力 な も の は な い 」と 言 い 、「 同 一 化 能 力 」は「 想 像 力 の 活 気 を 刺 激 し 、潜 在 エ
ネ ル ギ ー を 顕 在 エ ネ ル ギ ー に 変 換 す る 方 法 」 で あ る と 述 べ て い る 73 。 ヴ ァ レ リ ー
の 想 像 力 が 対 象 に 激 し く 感 応 し た 時 、そ れ は 同 一 化 と い う 尋 常 で な い 経 験 に な る 。
「 同 一 化 」と「 ヴ ァ レ リ ー 化 」で は 、言 葉 上 は ヴ ェ ク ト ル の 向 き が 反 対 に 見 え る
が 、想 像 力 を 徹 底 し て 働 か せ 所 与 の テ ク ス ト に 集 中 し て い く「 同 一 化 」と は 、ヴ
ァ レ リ ー 流 に 言 え ば 、自 己 の 思 想 に 似 せ て 対 象 の 思 想 を 作 り 直 す こ と 、つ ま り は
対 象 の「 ヴ ァ レ リ ー 化 」を 意 味 す る だ ろ う 。両 者 は 同 じ 一 つ の こ と の 二 つ の ア ス
ペ ク ト で あ る 。私 た ち は 、レ オ ナ ル ド の 手 稿 を 読 む ヴ ァ レ リ ー の 姿 の 中 に 、想 像
力 に よ る「 同 一 化 」あ る い は「 ヴ ァ レ リ ー 化 」の 劇 的 な 例 を 見 た よ う に 思 う 。最
後 に 、こ れ も ま た『 序 説 』草 稿 の 中 に 書 か れ た も う ひ と つ の「 詩 」、「 普 遍 的 人
間 」 レ オ ナ ル ド に 対 し て 親 密 な オ マ ー ジ ュ を 捧 げ た 「 詩 」 74 を 紹 介 し て 、 論 を 閉
じよう。
レオナルド!全く正しい!すべてに極めて正確で
好きなことは何でもやり
どんな情熱の下にも
より偉大な情熱を隠している君、
目覚める術を知っていた君、目覚めていた君、
ΠI, 1170-1171.
《 Léonard! si juste! étant si exact avec tout / et ne te refusant rien et cachant sous/ toute passion,
une plus grande Passion,/ toi qui savais te réveiller, toi qui te/ réveillais, o pouvoir de voir
toujours quelque chose de plus que la chose donnée et/ de te voir le voyant! Tu rattrapais
toujours/ ta personne, ta différence majeure.》( / は 改 行 を 示 す LEO I,BN ms, f o 15r o .)こ の「 詩 」
に は 、 ヴ ァ レ リ ー 化 し た レ オ ナ ル ド の エ ッ セ ン ス が 見 ら れ る 。 《 si exact avec tout》 は 、 ヴ ァ レ リ ー
的 意 味 で の 《 Hostinato rigore 》 つ ま り 「 飽 く な き 厳 密 ( 正 確 さ ) 」 と 対 応 す る 。 ま た 《 toi qui savais
te réveiller, toi qui te réveillais》 お よ び 《 pouvoir [...] de te voir le voyant!》 と は 、 メ タ 意 識 の 習 慣
的 覚 醒 状 態 に あ っ て 思 考 の 法 則 を つ か み 、 思 考 を 自 在 に 操 作 す る 、 ヴ ァ レ リ ー 的 意 味 で の 《 Facil cosa
è farsi uni-versale! 》 の 境 地 を 描 い て い る 。 こ れ は 『 テ ス ト 氏 』 に も 直 結 す る テ ー マ で あ る 。 最 後 の
《 Tu rattrapais toujours ta personne, ta difference majeure.》は 、思 考 す る 自 我 と そ れ を 眺 め る( 思
考 を 思 考 す る )自 我 と の 間 を 習 慣 的 に 往 復 で き る ヴ ァ レ リ ー 的 意 味 で の「 普 遍 的 人 間 」レ オ ナ ル ド の 姿
を象徴するだろう。なお、この「詩」は、『序説』草稿では他に見られない飾り文字で書かれており、
この飾り文字の息づかいそのものに、ヴァレリー自身の高揚が窺える。
73
74
34
おお、力よ、所与のもの以上の何かを必ず見抜き、
それを見ている君を見る力よ!
君はいつでもつかみなおしていた
君の自我を
君の主要なる差違を。
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