1 歴史の中の「子ども」雑感 宮本 信乃 昔は、「子ども」という概念は

歴史の中の「子ども」雑感
宮本 信乃
昔は、
「子ども」という概念は無かったと言う。
「子ども」はおとなを小さくしただけのもの、あるいは
有産者階級にとっては、それを引き継ぐ者というだけの存在だったという。だから、「エッサイの子ダ
ビデ」であり、
「アラソルンの子アラゴルン」であり…。独立の「子ども」としては扱われていない。
そのことを何の本だったか忘れたが、フルューゲルの絵の中に描かれている「子ども」について、「大
人と同じ服装をさけられ、だぶだぶの服を捲り上げて着ていた…」と書いている。確かに近代以前の子
どもの絵は少ないし、有っても王侯貴族の後継者としての、肖像画である。
ピーテル・ブリューゲル Pieter Brueghel the Elder(1525-1569)フランドル
農民の婚宴
Peasant Wedding
1568
「子ども」は、歴史の中でどのように扱われてきたのだろう。そんな疑問を持ったのは随分以前のこと
ですが、
「イサクの犠牲」を読んだ時です。
イサクの犠牲(カルヴァッチョ)
ある日、神はアブラハムの信仰を試そうとしてイサク
を焼き尽くす犠牲として供える様求める。アブラハム
はこれに従った。イサクも自分が犠牲であることを悟
ったが抗わなかった。アブラハムがまさに息子を屠ろ
うとし時、神はアブラハムの信仰の確かさを知って、
天使が現れその手を止めた。神は言った。
「あなたが神
を恐れる者であることか分った」息子はすくわれた。
イサクは薪を背負って歩きながら、何を考えていたのだろう。ヨーロッパのキリスト教会聖堂の多くに
薪を背負って歩く親子の図像があるが、結果としてアブラハムの信仰の篤さを神に認められたとしても、
その時のイサクの恐怖を贖う言葉は無い。
女子供という言葉がある。女と子供ではない。「女子供」で一つの言葉になっている。それは弱い者、
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保護すべき者ということとは裏腹に、家父長制というシステムの中で利用されていった現実があるよう
だ。
それは何もヨーロッパには限らない。政略結婚や人質に使われたり、奴隷として売られたり、親を助け
るために…という話は、枚挙にいとまが無い。けれど、子どもは親、あるいは大人の中で生きるしかな
い、選択の余地もない。それ以前に多くの場合大人の作り出した社会の中で生きている。大人の価値観
の中で生きている。
とりわけ、古い時代は情報量も少ないし、大人からもたらされたものしか与えられない。大人自身の情
報量も少なく、コントロールされている。
ヨーロッパの中世史で興味深い事件を見つけた。それは「子供十字軍」といわれる事件だった。その前
に少し十字軍史のおさらい。
教皇ウルバヌス 2 世がクレルモンで提唱し、
「神がそれを欲し給う」の叫び声とともに第一回十字軍が
1096 年に始まった。この教皇はフランス人だった。この時期のローマ教皇は、フランスとドイツとロー
マ領の関係の中で激しく揺れ動いていた。その根本的な問題は、いわゆる叙任権といわれる、聖権と俗
権のせめぎあいと言える。
その中で、第4回十字軍の事件が起こった。十字軍はエレサルムには向かわずに、キリスト教国ビザン
ティン帝国のコンスタンティノーブルを襲い略奪と虐殺の限りを尽くした。
この事件についてローマ教会が正式に謝罪したのは、2005 年 4 月 2 日に亡くなったヨハネ・パウロ 2 世
だった。
子供十字軍
1202 年教皇インノケンティウス 3 世の呼びかけで始まった 4 回目の十字軍は、それまでの十字軍とは異質でした。スポ
ンサーであったベネチアの商人の陰謀で、味方のコンスタンチノーブルを攻撃するという迷走ぶり。ついに破門されてし
まいます。権威回復をねらった教皇は、ヨーロッパ中にアジテーターを派遣し、十字軍への熱狂を再びかき立てます。こ
うした雰囲気の中にフランスやドイツの子供たちが鋭く反応したのでしょう。
1212 年のこと、フランスのオルレアン地方の小さな町に、ステファンという羊飼いの少年がいました。歳は 12 歳くら
い、イエスの声を聴いた、と確信した彼は、「モーゼが紅海を渡ったときのように、海が割れるだろう」と周囲を説得し
ます。少年の純真に年寄りは感激し、子供たちは彼の周りに群がりました。
ステファンの仲間が数千人マルセイユに集合しました。少女もいます。海が割れないことに落胆した者は故郷に帰りまし
たが、その他の者は我慢強く待ちました。運良く数人の商人がやってきて、無料でエレサレムまで運んでくれることに。
喜んだ子供たちを乗せて、7 隻の船は聖地目指して出航。しかし、その後の彼らの消息はばったりと途絶えてしまいまし
た。
20 年近く経った 1230 年のこと、一人の僧侶がフランスに帰ってきました。当時の少年だったという彼の口から衝撃的
な事実が。7 隻の船のうち、2 隻は遭難して乗船者はすべて死亡。残りの 5 隻は無事上陸したものの、商人の計略で、ア
ラブ人に売られ、アルジェリアやアレクサンドリアで奴隷になったこと、バクダットに連れて行かれた者の何人かは改宗
を拒否して殺されたこと、読み書きができたものは通訳、教師として重宝がられ、運良く自由の身になった者もいたこと、
彼自身もそんな一人だというわけです。
(インターネット
目で見る世界史
世界史小ネタ
27 より)
これを読むと幾つかの興味深い問題が見える。子供たちの親はどうしたのか。なぜアフリカ諸地方に売
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られたのか。第四回十字軍以後の地中海はどのような政治的経済的状況にあったのか。アラブ人(イス
ラム教徒)はキリスト教徒にどう対応していたのか。
「アラブが見た十字軍 アミン・マアルーフ」は「アラブ人にとって「十字軍」の語は殆ど登場しない。
あるのは「フランク(現在のフランス)
」という「侵略者」の名だけだ。」としている。
そのような大人たちが創り上げた環境の中での子どもたちの反応を、過去の集団ヒステリーとして片付
けられるだろうか。
この当時、情報や文化のほとんどを教会が独占的に支配していた。また精神面でもキリスト教を離れた
生活は考えられない。その支配力の強さは王侯諸侯の比ではない。これがもう少しバランスを崩し始め
るのはもう少し後の事。そのような中で一つの目的を持つ言動を取れば、一般庶民は選択の余地が無い。
ましてや子どもは…。それはこの時代特有の事ではない。60 年前の日本でも起こっていたし、あるいは
現在の世界でも、起こり得る。
ただ、いつの時代でもいちばん弱い立場の子どもが犠牲になるのは悲しい。
「子供十字軍」でも、止めるあるいは助ける機会はいくらでもあった。だが大人たちはしなかった。そ
れどころかその事で利益を得た人たちもいた。経済的にも、また「イスラム」に対する考え方にも。
イスラムはキリスト教徒を迫害しない。だがキリスト教徒はイスラムを迫害する。これは十字軍の時代
だけでなく、ヨーロッパとイスラムの対立の歴史の中で行われてきた。イスラムでは、イエス・キリス
トは預言者の一人として敬意をはらわれ、男尊女卑といわれるイスラム教には珍しく、マリアもキリス
トの母として敬意をはらわれているという。
中世の時代に起こった「少年十字軍」という事件は、時代が「子ども」をどう扱ってしまうか、それは
この時代特有な事なのか、現在にも通じる事なのかを考えさせられる。
ジーンズの少年十字軍
岩波少年文庫
テア・ベックマン 作
西村 由美 訳
13 世紀にタイムトラベルしたオランダの少年ドルフは,聖地をめざす「少年十字軍」の 8 千人の集団のまっ
ただ中に巻き込まれる.
この「子供十字軍」を調べていて、もう一つの事件に行きあたった。
「子供十字軍」をインターネットで検索していたら、多くの項目に「子供の十字軍」が出てくる。これ
はドイツのヘルベルト・ブレヒトの詩について書かれているもの。
1939 年ポーランドで戦争に合い、雪の原野をさまよった 55 人の子どもたち…それを詩として書き絵を付けて出版され
ている。戦乱のポオランドをのがれて子供たちが行く、平和の地を求めて。ブレヒトが魂をこめて謳いあげた感動的な名
作。美しい銅版画を添えて贈る宝石のような詩集。市川の図書館にも所蔵しているが(両方とも絶版)
。
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これを読むと大人が子どもに責任を持つということは、どういうことか考えさせられる。
(「子供の十字軍」ベルトルト・ブレヒト著
矢川澄子訳
(「子供の十字軍」ベルトルト・ブレヒト著
長谷川四郎訳
マガジンハウス
リブロポート
1992 年)
1986 年)
ベルトルト ブレヒト (著), 高頭 祥八 (イラスト), Bertolt Brecht (原著), 長谷川 四郎 (翻訳)
この詩に曲を付けた演奏会が最近各地で行われているということを知り、とても興味を持った。機会が
あったら聴いてみたい。
子どもが集団失踪するという事件は過去何度かあったようだ。「子供十字軍」の
後も、有名な「ハーメルンの笛吹き男」では 130 人の子どもたちが男とともに
消えた。この話については(ハーメルンの笛吹き男
ちくま文庫 阿部謹也)に
詳しい。これもこの時代の社会構造の中での「子ども」として考えることが必要
かもしれない。
いつの時代でも戦争の一番の被害者は子どもだ。親を失い、家を焼かれ、食べる物もなく「浮浪児」と
なった子どもの事を、戦後 60 年たって多くの人たちは忘れていく。早食い競争や大食い競争で、食べ
物を食い散らかしている同じ時、地球上では多くの子どもたちが栄養失調で死んでいく。戦争は悪いと
誰でも言う。でも「太陽」よりも「北風」を選択しまうのは何故だろう。
市川の中央図書館に行くと「戦争と平和」のコーナーがある。その図書のタイトルを見ていると、大人
の愚かしさが浮かび上がってくる。本当に防ぎきれなかったのか。防ぐためにはどうすればよいのか。
常に自分自身に問い掛けなくてはいけないような気がする。
東西冷戦か終結したのはラジオのせいだという話がある。ラジオの呼びかけに答えて民衆が行動を起こ
したと。今は、一部の為政者だけが情報を流す時代ではなくなっている。ただ、受け取る側が、情報を
どう受け止めるかということに掛かって来た。あらゆる情報を自らの力で収集し判断するか、一部の情
報に身を委ねるか…。
「ノートルダム・ド・パリ」という映画の冒頭に、ルーテンベルグの印刷機がでてくる。それを見て司
祭は「庶民が言うことを聞かなくなる」と非難するが、王は「面白そうだ」と興味を示す。やがて宗教
改革の時代。司祭の懸念は当たる。改革派はこの印刷機を使って自らの主張を広める事に成功する。
カトリック教会はエリート文化である。伝統的思考の枠組みを打破ることができずに、民衆への文
字による教化や宣伝に否定的であったが、宗教改革派は、常識や固定観念にとらわれることなく、
大衆に文字をもたらす活版印刷術を躊躇なく利用できたことになる。
ところで、宗教改革の担い手たちは、全体として、カトリック教会の指導者たちよりも世代がひと
まわり若かったので、その若さゆえ、新しい情報メディアである活版印刷物を抵抗なく受け入れる
ことができたという解釈がある。
近年、我々の周囲でパソコンやワープロは当たり前の筆記用具になってしまった感がある。どうや
ら十六世紀はじめにも、現代と同様に新技術をめぐる世代間断絶があったようである。
(宗教改革の真実
永田諒一
講談社学術文庫)
グローバル化の時代、あらゆる人・物・金が地球上を動き回る時代。地球市民といわれつつ、だからこ
そ己のアイディンティティーという事で、ナショナリズムも強くなる。グローバル化とナショナリズム
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は裏表の関係。そのような中で、お互いが理解しあうためには、過去の歴史の中からこそ学ばねばなら
ない。
そこであらゆる点から見て、カンビュセスの精神が極度に錯乱していたことは明白であると私は考え
る。さもなくば、いやしくも信仰や慣習に関わることを敢えて嘲笑するようなことをしたはずがないか
らである。実際どの国の人間にでも、世界中の慣習の中から最も良いものを選べといえば、熟慮の末誰
もが自国の慣習を選ぶに相違無い。このようにどこの国の人間でも、自国の慣習を格段に優れたものと
考えているのである。そうだとすれば、これほど大切なものを嘲笑の糧にするなどということは、狂人
ででもなければ考えられぬ行為といえるのである。どの国の人間でも、慣習についてこのように考えていることは、いろ
いろな証拠によって推論することができるが、中でも次に記すことはそのよい例といえるだろう。
ダイオレスがその治世中、側近のギリシア人を呼んで、どれほどの金を貰ったら、死んだ父親の肉を食う気になるか、と
訊ねたことがあった。ギリシア人は、どれほどの金を貰っても、そのようなことはせぬと言った。するとダイオレスは、
今度はカッラティア人と呼ばれ両親の肉を食う習慣を持つインドの部族を呼び、先のギリシア人を立ち合わせ、通訳を通
して彼らにも対話の内容が理解できるようにしておいて、どれほどの金を貰えば死んだ父親を火葬にする事を承知するか、
とそのインド人に訊ねた。するとカッラティア人たちは大声をあげて、王に口を慎しんで貰いたいといった。慣習の力は
このようなもので、私にはビンダロスが「慣習こそ万象の王」と歌ったのは正しいと思われる。
(ヘロドトス
歴史
松平
千秋
訳
岩波文庫
第三巻
38)
ヘロドトス
BC484 頃~430 ギリシア
相手を理解するということは、とても難しいことかもしれない。けれどその人や物の背景や歴史的な歩
みを一つずつていねいに辿って行くと、地域は遠く離れているのに、わたしたちと同じような感性を持
っている事に気づく事も少なくない。そんな時心の中から同じ人間なんだからとつくづく思う。自分の
観念にとらわれず、相手の心情や歴史的背景をじっくりと考え合った時に、本当の理解が生れてくると
思いたい。
私が子どもの心をどう理解するかということに限っていえば、その理解は、三つ
の事を基点にしている。一つは、観察―それも日常的な、大方は無意識的なもので、
私が普通、ほかの大人たちを観る時と同じ程度のものである。二つ目は、私自身の
幼少時代の記憶であり、三つ目は、どの作家であれ、記憶と観察の上に積み重ねね
ばならない想像力である。
(452P)
(今からでは遅すぎる
A.A.ミルン
石井桃子
訳
岩波書店)
メソポタミアの粘土板の文字を判読したら、「今の若者は大人の言うことを聞かず怠け者である。若者
が自分たちの歴史を正しく継承してくれるか不安である。」と書いていたそうだ。いつの時代も大人た
ちは子どもを信用しない。たぶんわたしたち自身もそう思われていたし、わたしたちも次の世代の子ど
もたちをそう思っているのかも知れない。
だからこそ、相手を理解し理解されるように、わたしたち自身が実践するしか、現代の複雑な時代を乗
り越えていく方法は無いような気がする。あせらず、静かに絡んだ糸を水の中で晒しながらほぐすよう
に、けれど決して諦めず…
安直に解決する方法などきっと無いのだろう。理解したいのなら、自分自身で地道に積み上げて行くし
かない。
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