2008 鳴門部屋

市松「キャンバス」
市松わくわくインタビュー特別編
「鳴戸部屋〜鳴戸俊英親方」
松戸市には2つの相撲部屋があります。
その一つが八ヶ崎にある鳴戸部屋です。
鳴戸親方の現役時代は横綱「隆の里」そ
の相撲スタイルと生きざまから「おしん
横綱
隆の里」と当時いわれていました。
今回3年生3人で鳴戸部屋を訪問しイ
ンタビューにいきました。
Q「どうして相撲の道を志すようになったのですか?」
高校一年生の時、二子山親方(初代・横綱若乃花)にスカウトされました。
最初は柔道で大学に行くことを考え、将来は体を生かした仕事をと思っていた
ので、お断りするつもりでした。
相撲界は苦しい、つらい、自由にならないイメージもありました・・・しかし、
当時の大スター、二子山親方のお誘いと東京へのあこがれもあって、とにかく
上京し、3日間だけ入門するつもりでいました。数日がたち、ある日、担任の
先生やクラスメートから手紙をもらいました。そこには、入門に対する熱烈な
激励の言葉が書かれてありました。せまい田舎のことです。私の相撲界入りは
評判になっていたのでしょう。引くに引けなくなってしまいました。今ここで
帰れば、みんなから何と言われるだろう・・家族も何と言われてしまうだろ
う・・・・。入門のことが当時の新聞にも載っていました。自分のことだけ考
えられれば、どんなに楽かしれません。しかしそんなことはできませんでした。
決して「一旗揚げよう!」・・・そんな大それた動機ではなかったのです。
しかしその時、その際に二子山親方から「土俵の中には地位も名誉もみんな落
ちている・・・くじけない力が大切だ」と言われました。
Q「相撲を通しての生き甲斐は?
また今までのご苦労は?」
強くなれば番付が上がる。喜
んでもらえる。喜んでもらえる
姿を見たい。これが自分の生き
る力でした。
つらかったことはたくさんあります。
入門してすぐ、父と妹を相次いで亡く
しました。それでも帰れないのがこの相撲の世界です。自由も少ない。お金
もあまり無い。プライバシーもあまりない。でも頑張らなくてはいけない。
また、自分と同期の同じスタートラインに立った者が先に番付が上がるつ
らさもありました。入門が同期でも番付が上の人の方が、いろいろな面で優
遇される世界なのです。また20歳の時、糖尿病であることがわかりました。
スポーツ選手は皆そうですが、特に生身の体がぶつかりあう力士にとって食
事は本当に大切な要素です。その中で、自分で考えて食事制限したり、自分
にあったトレーニングをしたり、大変なことは数え切れません。
場所中ずっと入院し、点滴をうけて、そこから国技館へ向かうことがあり
ました。ふらふらになりながら土俵に立ち、すべての力を集中して出し切っ
て戦った昭和56年秋場所の2日目、当時の横綱千代の富士に勝って病院に
もどると、病院中の患者さんが拍手で向かえてくれました。
そんな生活でしたから、番付の浮き沈みも激しかったです。地元青森から
の応援が得られないなどもありました。それでもくじけず、努力し、大関に
なり、やがて30歳の時に横綱に昇進しました。新横綱の昭和58年9月場
所では全勝優勝をしました。新横綱での全勝優勝は相撲界では初めてで、そ
の記録は未だに破られていません。
現在でもそうですが30歳での横綱昇進は珍しく、同期はみな引退をして
いたころでした。自分より10歳以上年下の力士と渡り合うわけです。それ
でも実力の世界、勝たないといけません。そのように苦労してはい上がると
いうところから「おしん、家康、隆の里」といわれるようになったのです。
本当にいろいろな事がありましたが、今にして思えばその時に心が鍛えら
れたと思います。自分は自分だと・・・自分で自分なりのことをすればいい・・・。
とらわれない心が大切です。本を読んだり、いい映画を見たり、人の話を聴
いたり、周りにヒントはたくさんあります。
Q「いままでの大切な出会いは何ですか?」
まず家族です、父は厳しく深い愛、母は心の豊かさを教えてくれました。
ですからそのためにも恥ずかしい生き方をしたくないのです。
もちろん、親方、おかみさんにも感謝しています。私の周りの様々な人たちが
支えてくれて生きています。
それから挨拶はとても大切にしています。たとえ相手が後輩であっても先に
挨拶をするように心かけていました。大関、横綱と言えば相撲の世界では最高
の地位にあるわけですから、番付最上位者に声をかけられた若力士はみなキョ
トンとしていたものです。それは私にとっても一つの戒めとして、のぼせない、
天狗にならない様にするためでもあったわけです。
「おはよう!!」と自分から挨拶をする・・・挨拶に負けてはいけないのです。
Q「親方としての生き甲斐は何ですか?」
親方として多くの弟子、家族が
います。特に中学を卒業したばかりの
若い力士には、私の基本的な
考える死生観を伝えることが難しい
です。今様に物事を推し進めて行くな
らば「忍」という言葉を背負い、人づ
くりをするのだと自身に言い聞かせ、
家族が見ている、自分を支えて下さった人々が見ていると思いながら、一人で
も人々に感動を与えられるような力士を土俵に送り出せればと日々思ってます。
Q「最後に私たちにメッセージを!!」
偶然性を高める努力が大切です。私に起きた、様々なことが、もし自分だけ
のことなら私はとっくに逃げている。人は自分だけで生きているのではないん
です。
「いろいろなことを体験して、いい先生、いい友人と出会う・・・・。」
これが大切です。
病気、怪我、ご家族の不幸、様々なご苦労がありながら、頂点に上りつめ、
後進の指導に当たられている点にとても感激しました。私たちもインタビュー
中、言葉が詰まったこともありました。しかしとても優しく、熱心に、気持ち
をこめてお話しいただきました。親方と鳴戸部屋のみなさまの益々のご活躍を
お祈りしています。