旅行記 No.3

6月7日(日曜日)第4日目
昨晩ホテルに戻ってから、レミーマルタンで寛いだのはいうまでもない。
K さんは寝付きが早かった。NHK の衛星放送で、コタキナバルの地震情報を
見ようとしたが、ほんのちょっと、キナバル山頂の様子が写っただけだった。
客室乗務員から貰ってきたピーナツを、3 袋も摘まみにしたものだから、夜
中の3時頃お腹が急に痛くなって、トイレに駆け込んだ。急性腸カタルか?
猛烈な下痢である。落ち着くまで 3 度もトイレに走り込んで、何とか治まっ
た。朝起きて、K さんにその事を話すと笑っていた。
「向かい酒をやれば直っちゃうよ」名医の発言として聞いておいた。モー
ニングコールが鳴る前にレストランに行き、朝食を取る。コックがいたので、
目玉焼きを造って貰う。日本なら半熟が美味いのだが、卵の鮮度が気になる
ので、ひっくり返してよく焼いて貰う。温かいものなら安心なので、今朝も
[フォー]を軽く食べ、西瓜とパインと紅茶でフィニッシュ。K さんに「心
ゆくまで召し上がれ」と声を掛け、だめ押しのトイレ調整に。
今朝は薄い茶色に縦縞模様の甚兵衛に着替えた。K さんも私に合わせて薄
茶色で格子柄の甚兵衛を着て登場した。私は素足でサンダルを履く、ところ
が K さんは手袋みたいに 5 本の指が1本ずつ入る、それも指先が 5 色の靴下
を履きサンダルという出で立ちなのが面白い。今回の旅では K さんは動画に
ことのほか御忠心で、昨晩も電池の充電は忘れなかった。
7 時 20 分にボンがロビーに現れた。
「お早う御座います。今朝はお二人だけの殿様旅行です。車が来ています
から出発致しましょう」車は 12 人乗りのバンである。運転手にガイド付き、
まさに大名旅行である。
「今日は日曜日ですので、最初にサンデーマーケットに参ります。このマ
ーケットは土曜日の夜中の 12 時から開かれ、日曜の正午には綺麗に片付け
られます。日曜日だけの市場です。あと 20 分と 13 秒で着きます」街までの
道路は1本だから、毎日此処を往復する。車窓の景色もお馴染みになった。
「サンデーマーケットに着きまし
た。市内は午前中雨は降らないから
傘はいりません。この道路は駐車出
来ませんので、出口で携帯連絡しま
す」
マーケットは香港の九龍で最もに
ぎわう繁華街の旺角エリアにあるナ
イトマーケットを真似たもので、東
南アジアにはどこにもこうした市が
あり、どういう訳かどの国でもチャ
イナタウンに立つ。こんな所を見たくないけど、ボンの後に付いてマーケッ
トに入って行く。ガイドを要約すると
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「サバ州では日曜日になると、いたるところで大小様々なマーケットが開
かれます。コタキナバル市内ではこのガヤストリートで開催されます。売ら
れているものは様々で、コタキナバル周辺に住む民族の手工芸品や、ボルネ
オ関連の絵柄がプリントされた T シャツ、ボルネオで採れたコーヒー、民族
の演奏を行う太鼓「ドラ」等の楽器類、コタキナバルのお土産から、バケツ
や洗濯バサミ、爪切りなどの日用品、植え木やサボテン、土や鉢などの園芸
品、バックやサングラス、洋服や布地などの衣料品、フルーツや、野菜、マ
レー菓子などの食べ物、さらには ウサギや犬や猫、金魚などのペットまで
もが売られています」
ガヤストリートに一歩足を踏み入れると、道路の両側と、真ん中にシート
屋根の店が所狭しと並んでいる。人がやっとすれ違えるくらいの通路は、人、
人、すべて人で埋め尽くされた賑わいである。地元のマレーシア人に加え、
世界各国から集まる旅行者が入り混じり、ただでさえ暑いコタキナバルが、
いっそう暑く感じられる。私には特別買い求めたいものはないが、アジアン
雑貨、民芸品等がお土産屋より若干割安だというのであれこれに目が移る。
先住民族が作るビーズ細工は色鮮やかだし、民族衣装を着るときに必ず身に
つけるネックレスや、ビーズで作られたキーホルダー、鉛筆カバーなど趣向
を凝らしたアクセサリーを豊富に並べてある。ビニール袋を膨らませ、その
中に 15 ㎝ぐらいの生きた魚(こんなものがペットになるのか?)や、金魚の
類い、川の小魚も売っている。
K さんが面白がったのは、皮で
造られた蛙の小銭入れだった。手
と足を伸ばし、顔が付き長さ 25 ㎝
の蛙、背中にチャック付きだ。一
体どのくらいの年齢層がこんなも
のを買うのだろう?
「ココナッツオイルを売ってい
る店はないですか?」と K さんが
ボンに聞く、執念たるや、さすが
であった。
「気を付けて探してみます」と答えていたが、結局見つけられなかった。
「ボルネオ島で人気があるのはテノム産のコーヒーです」
「ベトナム産の珈琲は売ってないですか?」K さんの好みの珈琲である。
「店の人は無いと言ってます」入り口から出口まで、1時間掛けてゆっく
り見学し、中華門を出た所で車を呼んだ。
ボンも喫煙家で、道路に灰皿が設置してある所で巻きたばこを吸ってい
る。K さんの目の色が変わった。ボンが巻いたのを試飲していた。
ここから車はボーリン温泉の方向に約1時間走った。雑談的な雰囲気にな
り、K さんがボンのことについてあれこれ質問を始めた。
「ボンさんは今幾つなの?」
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「あと少し明日でで 42 歳になります」
「結婚はしているの? 子供は何人いるの?」
「今はまだ独身です。3 年前に婚約しましたが、駄目になってしまいまし
た。」
「それは残念、婚約って、この国ではどんな事をするの? やっぱり水牛
なんかを贈ったの?」
「その時結納を交わした女性は街に住む女性でしたから、水牛ではなく、お
金と、貴金属で御両親の承諾を受けました。コタキナバルの習慣で結納後半
年間経たないと結婚することができません。私が悪い訳ではないのに結納期
間に破談になりました」
「ボンさんが悪くないのなら結納金は返して貰えたんでしょう?」
「半分ぐらいでしたから大損でした」
「じゃあ寂しいね? 今は彼女はいないの?」矢継ぎ早に詮索が続く。
「実は、明日 42 歳の誕生日ですので結納を交わします」
「それは御目出度う。彼女は幾つなの? やはりイスラムの信者なの?結
納金って幾らぐらい払うの?」機関銃のような質問攻めである。
「ボルネオ島には 30 を超える民族がいて、人種構成も変化に富んでいます。
言語(方言)は 90 以上にもなるので、同じサバ州の住人でも種族が異なれ
ば言葉もわかりません。その内、サバ州で最大の民族グループがカダザン族
で、農業や米作を支えてきた種族です。その最大種族は 130 万人で、その半
分 65 万人がカダザン・ドゥスン族で私もカダザン族です。東南アジア地域
の中で、カダザン族の人たちが一番日本人に似ているといわれています。殆
どがキリスト教徒です。結納を交わす女性は 32 歳です。私もですが彼女も
キリストを信じていますから、イスラムに改宗する必要はありません。今年
の4月に消費税が課せられるようになり物価が高騰しました。それに便乗し
て結納金も相場が上がりました。切り詰めて貯金してきましたからビールも
飲めません。私の収入は少ないから大変なんです」
「都会人なんだから愛し愛された仲なんでしょう? 彼女はどんな仕事を
しているの? 先に子供を作っちゃえば結納金なんか払わなくたっていい
んだから先に作っちゃえば」
「マレ-シアではそういう事はできないんです。例え恋愛していても、結
納を交わして相手の父親の承諾を貰わなければいけないのです。結婚前に子
供ができたら世間に顔向けができなくなり、そこで暮らすことはできませ
ん。明日彼女の父親に結納金を積んで、彼女には指輪をプレゼントして認め
て貰うのです。結婚まではそれから半年待ちます。今度は絶対巧く行くと確
信しています。彼女のお父さんから反対はされないと思います。彼女は街の
大きな病院で看護師をしています」
「看護師を好きになったなんて巧くやったと思うよ。看護師ならあちらの
ことには詳しいから安心だね」意味深な質問だけに、ボンも仕方なく頷かざ
るをえなかった。その内に K さんの子作り談義が始まった。
「子供は何人欲しいの?」
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「私はゴムの木と、あぶら椰子の仕事をする半農です。ガイドは私が事業
実習生として1年半日本に留学致しました関係で、アルバイトとして空きが
ある時だけやっています。ですから収入は少ないです。最近はコタキナバル
でも子供にかかる教育費が高いので少子化現象です。マレーシアは男系家族
です。ですから男の子が生まれることを祈っています。男なら一人でいいで
す」
「そうか、それなら絶対男が生まれる方法を教えてあげるよ。これは私が
実際に勉強して妻に男の子を出産させたんだから間違いない」
「本当ですか?」ボンは身を乗り出してきた。やたらなことを教えて、も
し男が生まれなかったらどうするつもりなんだろう? ま、どうせ明日日本
に帰っちゃうんだから責任ない
か? 私は整然と並ぶ車窓から見
えるゴムの林を眺めていた。
「私も成功したし、嫁いだ娘が
女ばかりを産むので、舅からいじ
められているということを聞いた
から、婿さんに男の子の作り方を
教えに行き、実際に男が生まれた
のだから間違いはない」
「是非教えて下さい。何か特別
なことをするのですか?」私は口を挟まないで聞いていた。「良く覚えてお
くんだよ。男は、つまりボンさんのことだ。3 ヶ月間肉とか魚、タンパク質
しか食べてはいけない。女には、結婚した奥さんのことだ。同じく 3 ヶ月間、
野菜や果物だけ食べて貰う。その間は夫婦のいとなみをしてはいけない。そ
して、いざ子作りに入る際は、女を気持ち良くさせないことが肝心で、3 ヶ
月我慢して溜めた子種を一気に放出し、さっさと済ませることが秘訣なん
だ。これで男の子が絶対に授かること請け合いだ」「結婚したら教わったと
おりやってみます」ボンにしてみれば、半信半疑ながらの生返事だった。
テなばかげた話を聞いているうちに、オプショナルツアーのメインの施設
に到着した。ラジャブルック蝶(施設のシンボル)の絵が描かれた入り口は階
段を登ったところにあった。チケットを購入す
る入り口に、若い学
芸員がいて、珈琲を
勧めてくれた。園内
は蘭や南国の花に
囲まれた階段を登
っていき、いろいろ
なコーナーに入っ
て見学するように
なっている。学芸員
の説明をボンが通
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訳してくれた。「[キパンディ・バタフライパーク]は 1989 年に、昆虫博士
が作った施設であります。基本的には植物園の中にいる蝶々やその幼虫、さ
なぎの栽培などを見学する施設です。園内は1年中熱帯の花が咲き、1年中
を通して、100 種類以上の蝶が観察できます。ここでは「ラジャブルック」
や「ゴールデンバードウィング」等の貴重な蝶を繁殖させ、森に還す運動も
しています。ボルネオは昆虫の宝庫です。世界でもここでしか見られない珍
しい昆虫たちが沢山生息しています。昆虫博物館では 500 体以上の蝶、クワ
ガタやカブトムシ等のコレクションも見ることが出来ます。園内では昆虫だ
けでなく、希少種のウツボカズラや蘭なども育てています。
このファームの目的は、蝶を通して環境問題について学んだり、エコツー
リズムに貢献しようというものです。大きく 4 つの施設に分かれていて、展
示室、ネットで囲まれた施設、繁殖室、幼虫を育てる場所で、展示室とネッ
トで囲まれた施設のみ見学できます。繁殖室と幼虫を育てる場所は研究目的
のみで、一般客は入る事ができません。
ボルネオ島は熱帯地方に位置するので蝶の数が多く、日本の約 4 倍 950 種
類近くの蝶が確認されています。蝶と蛾の大きな違いは3つあり、色と頭の
触覚と活動時間です。蝶の方が色がカラフ
ルで、主に昼間太陽が出ている時間帯に活動します。
蟹の爪
蛾の触角はブラシのようになっているのが特徴です。また蝶のライフサイク
ルや卵、幼虫、さなぎの詳しい説明も展示してあります」と学芸員が流暢に
説明する。良くもまあ覚えているものだ。
私と K さん以外見学者はいなかった。
まず最初に蘭のネットの中に案
内された。世界一小さい蘭、ボルネオだけにしか
ない蘭、食虫植物のウツボカズラ等が蔦苔に覆われた高さ 2m 程の角材に植
え付けられ育てられている。今回の旅行では蘭園づいている。撮った写真は
蘭と熱帯の花が圧倒的に多い。
次には研究室でふ化された蝶が
放たれているネットに入った。こ
のネットの中も熱帯植物が集めら
れていて、3m の高さのネットの中
にボルネオだけに生息する蝶が
(私が見つけられたのは 5 種類ぐ
らいの蝶だが)ネットから外へ出
ようと集まっていた。
学芸員が、直径 2 ㎜、長さ 9 ㎝
ぐらいで先端が丸い小枝を持って
きた。よく見ると擬態した、手足
が付いている昆虫だった。名前を
聞いたが覚えていない。私には見分けが付かないが、そうした昆虫が沢山い
るようである。
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テントを出ると、白いシーツ 5 枚ぐらい
の大きな布が張ってあった。学芸員の説明
によると「このシーツは夜の昆虫ショーの
為のものです。夜のツアー参加者だけしか
見ることが出来ません。夕方にパークに到
着して、標本展示や蝶園を見学した後一旦
夕食を済ませて貰います。夕食後バタフラ
イ
パ
ークの一般向けの営業が終了して暗
くなった後に夜のパークに戻り、白布
に強力なライトを当てた「ライトトラ
ップ」で昆虫を呼び集めます。深い森
の中だけあって、沢山集まってきま
す。ボルネオの珍しい 3 本角のカブト
ムシ[モーレンカンプオオカブト]や
各種クワガタ、手のひらサイズの大き
な蛾やセミ、バッタ、カマキリ、カミキリムシなどです。昆虫嫌いな人だと
卒倒してしまいそうですが、昆虫に興味を持っている方なら、大人も子供も
大興奮です。生きた虫を捕まえて持ち帰ることはできませんが、希望者はモ
ーレンカンプオオカブトやクワガタの標本を作って記念に持ち帰ることも
出来ます」と話す。大自然の中なりに良く思いつくものだと納得した。
蝶の幼虫を育てている薄暗い部屋も見学した。その隣は展示室になってい
る。ショールームと書かれた小屋に入ると、エアコンが効いていてひんやり
して気持ちがいい。扉はなく 2 部屋に分かれていて、手前の展示室には蝶の
標本箱の多さに圧倒された。ボルネオ島の珍しく美しい蝶がたくさん並んで
いる。マレーシアの国蝶は[アカエリトリバネアゲハ]で、緑の帯が入った
大型の蝶、黄色い羽を持つ蝶は[アンフリサスキシタアゲハとヘレナキシタ
アゲハ]と言う名前だそうで、こちらも魅力的で美しい大型の蝶である。
[コ
ノハチョウ]と呼ばれ表側は普通の蝶に見えるが、裏側の羽を閉じると[木
の葉]のように見える。このように擬態する蝶は多く、天敵の鳥に襲われな
いよう長い時間をかけて進化してきたのだという。
奥の部屋にはカブトムシやクワガタなどの昆虫の標本が並べられている。
この部屋の壁にも蝶に関する資料が展示してあった。ボルネオ島だけにいる
カブトムシやクワガタムシの標本もあり、虫好きの子が見たら興奮して目を
白黒させることだろう。カブトムシは[アトラスオオカブト]、クワガタム
シは[ツヤクワガタ]などあるが、あまり詳しくは判らない。
蝶とカブトムシ以外の甲虫の標本もあり、今まで見た事もないような昆虫
がたくさんいてビックリである。バイオリンのような形をした[バイオリン
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ムシ]なんていうのもあった。その他はセミ、カメムシ、ナナフシ、カミキ
リムシ、タマムシ(大小合わせて 200 種類もあるのには吃驚した)、サソリ
なんかの標本も陳列してあった。
キパンディ・パークでのゆっくりした見学を終えて、ボンと K さんはテー
ブルに座って一服タイムである。K さんはボンの巻きたばこに興味津々で、
ボンにねだり自分で巻きタバコを包む茶色い紙(木の名前は良く聞き取れな
かったが、紙ではなくて、木の皮を薄くしたものだそうである。あらかじめ
カールがついている)と、シャグ(刻まれたタバコの葉)を貰って作り始めた
ものである。ボンの、たばこ巻器を使わない手慣れた巻きたばこの作り方は、
【先ずカールした巻紙を反対に折ってそりを少なくし、シャグを乗せる左
手の人差し指と中指の間に巻紙を置く。シャグを適当な量(0.5g 相当)を均
等に乗せる。糊の面が手前で上に、ついてない方が下になるようにする。巻
紙を上下に数回動かし形を整えた後、巻き込む。「あらかじめ巻紙の糊の付
いていない端を 3mm ほど内側に折っておくと巻きやすい」と説明する。巻
き込む糊面を濡らし、さらに巻紙を巻き込み接着する。「糊面を舐めるとき
は周囲に舌を見せないようにするのがベテランの技です」だそうである。吸
い口とする部分を下に向けテーブルの上などでトントンと落すと、タバコが
程よく巻紙内に収まって完成である。巻きタバコは市販のタバコの2/3ぐら
いの太さになる。】
K さんも同じようにやっていたが、1度目はタバコにならず、2 度目にな
んとかタバコになった。巻紙は 100 枚単位らしく厚めである。(私が子供の
頃はタバコ巻器を使って、英語の辞書のような薄い紙を使ったものである)
シャグは別の紙に袋詰めになっていた。お値段は市販のたばこ 100 本分の 1/3
の値段だという。
「マレーシアはタバコは高いですから、美味くなくてももっぱらこれで我
慢しているのです。」と本音を述べる。
K さんはこれを買って帰りたいとねだったが、街には売ってないから譲れ
ないと断られていた。
車は市内へと戻る。帰りはボンの仕事についての話を聞いてみた。ゴムの
採取については専門家だけに詳しい。
「ラテックス(ゴムの木の樹皮に傷を付けたとき分泌される乳白色の液体)
の採取は樹齢5歳ころから始めます。幹の周囲の 1/4~1/2 にわたって V 字型
または左上から右下に向かう斜線に、皮部を切りつけます。角度は約 45 度
とし、下端に受け容器を置き、ラテックスを受けます。毎日または隔日、早
朝にタッピングナイフで数百本の木の、斜線の下面を1㎜削ります。採取は
雨季の2箇月間は休みです。1年間に切りつけの痕は 20~40 ㎝になります。
樹齢 15~18 歳が最盛期であり、40 歳以後は激減してしまいます。乳液量は
1日約 30 ㏄、ゴム含有は 30~40%、1本1年のゴム生産量は最盛期で 3~
3.5kg です。ラテックスは金網で濾過、異物を取り除き、約 0.1%の酢酸また
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は 0.06%の蟻酸(ぎさん・カルボン酸といい、刺激臭のある無色の液体で、
皮膚に触れると炎症を起こす。アリやハチの毒腺などに含まれる)を加え、
凝固させます。これをローラーに掛けて水で洗浄し、ローラーでシート状ま
たはクレープ状に仕上げ、日乾しまたは火力乾燥させます。これが生ゴムと
よばれるものです。取れたての生ゴムで加工するコンドームは薄さと丈夫さ
で最高級品です」
「ボンさんも採取するんですか?」
「ガイドの仕事がないときは毎朝薄暗い時間に起き採取します。その他に
はアブラヤシの仕事もあります」
「あぶら椰子の実は年に 2 回取れると教わったんですが?」マレーシアの
ガイドはそう言ったのを覚えていたから聞いてみた。
「いいえ、ひと月に 2 回取れます。アブラヤシは切り落としておけば回収
業者が運んでいってくれますから、それほど手が掛かりません」
「それで年収はどれくらいになるのですか?」いみじくも聞く、
「私が持っている土地は雀の涙ぐらいなので、恥ずかしくて幾らとは申せ
ません。結納金は他の仕事で稼ぎました」と金額は教えてくれなかった。
私も気になっていたことを聞いてみた。
「今東南アジアでは、昨年 NHK の朝のドラマで放送した[あまちゃん]
がブームになっていると聞いてきたんですが、マレーシアでも放映されてい
るんですか?」
「いえ、マレーシアではそのドラマは放送されていません。ですが、今か
ら 15 年前に[おしん]が放送されまして、家中の者が涙しました。高い視
聴率でした。私も毎日見ましたよ。日本のお客さんに良く聴かれますから[お
しん]についてなら詳しく知っていますよ」
「私はストーリーを忘れちゃったけど、どんな風に話すの?」
「[おしん]は 1983 年、今から 32 年前に日本の朝の時計代わり番組とし
て NHK で放送されました。84 年に米国、オーストラリア、シンガポール、
タイで放送さて以来、スリランカ、インドネシア、フィリピン、台湾、香港、
ベトナム、アフガニスタン、シンガポール、エジプト、イラン、中国、無論
マレーシアも含めた世界 68 ヶ国や地域で放送されました。苦難に遭いつつ
も決してあきらめず、明治、大正、昭和を生きた女主人公[おしん]の姿は、
日本だけでなく世界各国で人々の共感を呼び、[おしんドローム]という言
葉を生み出しました。[世界で最もヒットした日本のテレビドラマ]と評価
され、今もなおファンが多く根強い人気です。レンタルで何時でも借りられ
ます」何とまあ恐れ入ったことである。
再び K さんの質問、
「一昨年マレーシア旅行をしたときに、マレーシアのガイドはバティック
(インドネシアのジャワ島を中心に行われている臈纈染ジャワ更紗)のシャ
ツを着ないと罰金を取られると言ってたけど、ボンさんはバティックのシャ
ツを着ていないよね。どうしてなの? そしてあちらのガイドは全員が公務
員だと説明していた。ボンさんも公務員なの?」
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「公務員てなんですか?」ボンには K さんの質問の意味が分からない。
「公務員を知らないの? マレーシア国とか、州とか市役所とかに勤務し
ている役人のことだよ」
「コタキナバルのガイドはプライベートの会社の社員ですし、私はアルバ
イトです。ガイドが着る服は自由です。出も罰金は取られたことがありませ
ん」同じマレーシアでも違うのだということは分かった。こちらのガイドは
きちんとした教育をされていないようだ。サバ州としての、観光事業にもそ
れほど熱心じゃないらしい。
車は市内のレストランが並んでいる狭い道路に着いた。今日の昼食も中華
料理でる。K さんと向かい合ってテーブルに着く。既にぼそぼその御飯が乗
っていた。このレストランにはタイガービールが置いてあり、10RM(350 円)
は、今迄で一番安い、1本ずつ注文した。ボンにもビールを飲むように勧め
たが、「仕事中ですから結構です」と遠慮された。
ありきたりの料理が 6 品程出てきた。どれも 6 人で食べるくらいの量なの
である。たった二人なのだから、盛り付ける量を加減すればと思うのだが、
どう頑張ったって食べきれるものではない。食事時間も早い、ゆっくり食べ
ても 40 分と掛からなかった。食後、
「この店はビールが安いから、3 本ばかり買って帰りたいんだけど」とボ
ンに言うと、「ここより安い所へ案内しますよ。インドネシアからの密輸品
ですが、中味は心配ありません」と言われ店を出た。レストランの並びの雑
貨屋に連れて行ってくれた。3 本買うと 10RM だというから、「4 本買いた
い」と言うと、「3 本まで 10RM ですが、追加分は 1 本 5RM 取られますが」
という。K さんは要らないと言うし、3 本にしておいた。
予定より1時間早く、ホテルには 13 時に戻ってきた。
「夜のツアー出発は午後 5 時 30 分です。ゆっくりお休み下さい」車とボ
ンは会社に戻っていった。
部屋に戻ると、先ず冷蔵庫の冷凍室にビールを入れる。今日は波も静かで、
潮騒も聞こえない。せっかく南国来ていて、しかもリゾート地なのだから、
ホテルのビーチで泳がなくては勿体ない。
「プールまで水着姿で歩いて行ってもいいのかな?」K さんが心配する。
「プールの脇に脱衣所があるけど、ここはリゾートホテルなんだから大丈夫
だよ。プールサイドにタオルの貸し出し所があるから、風呂のバスタオルは
持って行かなくてもいいみたいだ。」
好天である。気温は 35 度。部屋番号を言いバスタオルを借りて、木製の
ビーチベッドに敷く。4 つあるプールには人っ子一人いない。我々だけで独
占だ。ココナッツやアルコール類を売っているが、RM の残りを計算して、
けちけちに徹することにしここでは飲まなかった。
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プールは温泉みたいに生暖かい。プ
ールから 100m も歩くと真っ白い砂浜
と美しいコバルトブルーの海がある。
K さんが木製のビーチベッドでタバコ
に火を点けると、ホテルのボーイが灰
皿はあっちですと指を指す。タバコを
吸うにも気苦労が多いことである。
小荷物があるので、K さんが先に海
で軽く泳いできた。その後で、私も素
足で砂浜を歩いてみた。粒子の細かい
白い砂浜は、急ぎ足で歩かないと火傷をしそうに熱かった。今年はこの砂浜
を歩いたから、水虫になることはないだろう。波の静かな海は遠浅で、その
せいか水温も生暖かだ。胸が沈むくらいまで沖に向かって歩いてみた。海辺
にはホテルの宿泊客のアベックがひと組いただけだった。小1時間適当に泳
いで部屋に戻り、シャワーを浴びる。
ビールがよく冷えていた。レミーマルタンも少々飲んで、ベッドで横にな
る。K さんの「薩摩気」は K さんが責任を持って完飲してしまったが、レミ
ーマルタンは 1000ml だけにまだ 1/3 も残っている。
さっぱり目覚めて、17 時 30 分からの我々
2人だけのツアーに出発した。ホテルを出発
して約 50 分の所にあるマリマリ文化村(マリ
マリとは「おいでおいで」という意味)に着
いた。入り口にはシンボルの 2 本のトーテム
ポールが立っている。我々が乗ってきたのと
同じ会社のマイクロバスが、方々からツアー
客を運んでくる。椰子の葉の屋根の下に、2m
四方の木の板にマリマリ文化村の絵地図が吊
されていた。ボンの説明によると、
「こツアーの特徴はグループに分かれての
体験型なので、村に入る前にグループに分け
られ、グループのリーダーを決めます。かつ
て首狩り族だった[ムルット族]の村に入る
際にはグループのリーダーが代表して村のリ
ーダーとの挨拶の儀式を行いますので、他の
人が来るまで少しお待ち下さい」村の様子が
判らないので、待つしかない。ボンの話し
「
ボルネオ島は現在3つの国[マレ
ーシア、インドネシア、ブルネイ]
に分けられていますが、もともと
は各地域ごとに異なる民族が暮ら
していました。ここサバ州だけで
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も大まかにわけて 30 以上の民族に分けられる多民族、多文化な島なのです。
民族ごとに異なる言語や風習を持ち、様々な伝統文化がその土地ごとに育ま
れてきました。旅行でコタキナバルの街に滞在するだけではなかなかそうい
った背景を知る機会がないですから、皆さんにも先住民族の文化を知っても
らいたいという想いから作られたのが[マリマリカルチュラルビレッジ]な
のです。このマリマリカルチュラルビレッジは他の文化村や博物館などと異
なり、一日三回(賞味 4 時間のツアーで午前、午後、夜)のツアーが組まれ
ています。村の中にはサバ州を代表する 5 つの民族の伝統家屋が復元されて
おり、すぐそばを流れる川や森の自然もその当時のままに作られています。
説明が主ではなく、実際に体験するデモンストレーションやアクティビティ
が沢山用意されているのが売りです」説明を上の空で聞いているうちにあた
りが薄暗くなってきて絵地図に照明灯が点いた。なかなか人が集まってこな
かったのでボンが、
「この文化村の決めで、必ずガイドツアーに参加しなければなりません。
この入場ゲートの小屋で、ツアー内容の簡単な説明を受けます。その時に男
性参加者の中から、ツアーグループのチーフを選びます。各村を訪問する際
にチーフには仕事があります。
いざ入村という際に、まずは第一の関門があります。先住民との対面の時、
彼らにやたらと睨まれ、舐めまわされるように全身を観察されます。
チーフの最初の仕事は、酋長と向かい合い、お互いに右手を相手も肩に乗
せ儀式に臨みます。。
酋長から『何しにこの村へ来た?』と聞かれます。
チーフが恐れる振りをして『えーと・・ 異文化を勉強しに来ました』と
答えます。何語でも構いません。すると
酋長が『よし、入っていいぞ』と許可を出してくれます。というセレモニ
ーを演じなければなりません」。
「私達は2人だけなので、他の人
を待たずに先に中に入りましょう。
私は詳しいですからセレモニー抜き
でも心配入りません」と、ボンが入
り口を指さした。
いきなり 30 ㎝の板を 4 枚縦に並
べ、35 ㎝置きに横に角材で止めてあ
る長さ 200m(キャノピーウォークの
吊り橋も、これを高い位置に造った
ものなのだろう)もある吊り橋を渡
る。吊り橋には丈夫な金属のネットが張ってあり、1m20 ㎝の高さにビニー
ルで包んだワイヤーが張ってあり危険ではない。少数民族の部落が、こうし
た川の奥にあったことを実証しているのだろう。
最初の家屋は、地面から高さ 1m50 ㎝程の高床式で、屋根と外壁は木の皮
を使っている。家の階段を上がった入り口の天井にレプリカの頭蓋骨が吊し
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てある。髪の毛は麻なのか、しらっ茶けていた。
[DUSUN(ドウスン・サバ州先住民では 2 番目に多い民族)族]の家で
ある。部屋の床は竹を割って平に敷き詰めてあり、窓枠や天井の桟や梁にも
太い竹が使われている。家の奥まった
所に素焼きの高さ 40 ㎝ぐらいの壺が
30 個程並べてあった。
米、タバコの油、砂糖からリヒンと
呼ばれる酒をこの壺で作る。ボンの説
明では[ライスワイン]と呼ばれるそ
うで、竹で作ったぐい飲みで試飲して
みると、香りは日本酒、味は甘いワイ
ンのようだった。蒸留酒も作ってい
て、それは焼酎のような味がした。ま
だ準備中のようで試食はできなかっ
たドウスン族の竹筒料理は鶏肉や野菜を竹筒に詰め火にかける。これはラン
チの時にビュッフェに並ぶそうである。
村の中には椰子の葉の屋根で覆い、丸木の柱だけで建てた沢山の小屋があ
り、種族ごとの自慢の菓子や料理を作っていた。ボンの説明によると、ここ
にいる人達は、少数民族の格好をしているが、殆どの人がアルバイトだそう
である。隣の家は
[RUNGUS(ルングス)族]の家、
地面から 15 ㎝程床を高くしてある。
竹で作った長い(50m 以上ある)家
になっていて、縦に真ん中を仕切り
左側にも部屋が連なっている。それ
ぞれの部屋に台所が設けられてい
て、親族の幾組もの家族がここで暮
らしている。床は太い竹を 1/4 に割
ったポコポコした床である。一人の
若者が、竹から火を起こす様子を実
演してくれた。長さ約 1m の丸い竹の皮を削り、それを竹の中に仕込み膝で
押さえる。厚さ 1 ㎝、幅 3.5 ㎝、長さ 40 ㎝の木の板を横にして摩擦を加える
と、50 秒も掛からないで燻らせ、そこに火種になる藻草を乗せ、火を起こし
てしまった。
若者が着ているベストは、濡らした木の皮をなめして作ったものだとい
う。腰紐は、さらにこの木の皮をなめして、編んで作ったそうである。
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この種族は蜂蜜をとるのが上手だという。
太い竹を節と節の外側で切り半分に割る。そ
れを横に並べ、筒の中で蜂蜜を作らせてとる
のだとか。
ルングス族の女性は、着ている服で独身か
どうか、彼氏がいるかどうかを(肩に黒い布
を付けていれば独身、頭に髪飾りがあれば彼
氏あり)示しているそうである。ボンが仕切
りの左側の部屋に案内してくれた。1家族が
暮らす部屋で、2m の高さに 1m20 ㎝位の天袋
のような寝室が設えてある。そこを登り降り
するのは取り外しができる梯子である。
「これはなんだか判りますか?」とボンが
聞く。私にはすぐ判った。数カ国で娘を守る
隠し部屋は見てきているから、
「夜這いを防ぐ娘の部屋でしょう」と答えると、
「鈴木さんは何でも知っていますねえ」と笑っていた。
「娘があの部屋に入ると梯子は取り外されます」
[LUNDAYEH(ランダイエ)族]は首狩族である。強い男の家にはワニ
を模した盛り土があり、狩ってきた首をここにおくのだと話す。家の中央の
天井にぶる下げられている家の守り神は本物の頭蓋骨だと言う。
[BAJAU(バジャウ)族]ではお菓子作
りを見せて貰った。材料は米、砂糖、そし
てパンダンの葉。じょうろのような形の細
い口から鉄板の油に材料を注ぎ、網のよう
な丸いものを三角形に折りたたむお菓子
を作って見せてくれた。ジンジャーとい
う、それを試食させてくれたけど一つでも
う充分である。砂糖味で作るパンダンジュ
ースは温かく飲んでも、冷たくしても良
く、眠れない病気の時にも効果があるらし
い。
パジャウ族が結婚の時に飾る部屋にし
てあった。家の周囲も飾って結婚式をして
いることを村人に知らせるのだとか。
村の最後の家の前に上半身裸の男性が
いて、2日目のディナーショウの時に経験
した吹き矢を披露していた。この家にはひ
とグループごとにで入るので、他のグルー
プが来るまで、吹き矢をやって時間を過ご
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す。ここの的は藁を丸くした日本の時代劇で使われたような物だった。吹き
矢の筒はディナーショウと同じ物で、私は的を少々はずし、K さんも的を射
ることができなかった。頭に鶏の羽が沢山付いたかぶり物を付けた、上半身
裸の男性が数人の男を従えてやって来た。
「あの人がかつての首狩り族として知られるムルット族の伝統衣装に身を
包んだ酋長です。入口でムルツ族による身体検査を受けなくてはなりません
が、入村式を見たくないなら中に入って待ちましょう」とボンが階段を指さ
した。
[MURUT(ムルツ)族]の家は床下が
3m もある高床式で、家はルングス
族の家と同じような長い造りである。この家の丁度真ん中には、木製のトラ
ンポリンみたいな物が造ってあった。お祝いや結婚式、戦争に勝った時に使
うそうで、ランサランというダンスでも使われる。床を四角く切り抜き、40
㎝ぐらい下に 2.5×3m の動く板が取り付けられている。その板には小指ぐら
いの細い竹が真ん中を中心に円を描いてビッシリ張り付けてある。(滑り止
めなのか?)板の下には 8 本の長い孟宗竹を等間隔に並べ固定し(その竹を
上下に揺すると板が動く)、トランポリンごときものにしている。天井には
酋長(又は恋人)に捧げる、[布で作った花?]が吊してある。その廻りに
は床の高さより一段高くした腰掛けが設けてあり、見物人はそこに座って見
物する。
実演は、ジャンプする人を真ん中にし、両脇の二人が板を上下に揺すって
弾みを増して行き、タイミングを計って真ん中の男がジャンプする。驚いた
ことに、練習しているとはいえ凄い跳躍力で、5m も飛び上がってそれをゲ
ットしたのである。飛び入りで挑戦した人は、1mぐらいしか飛べず不様で
あった。
希望するなら、タトゥーペイント(数日で消える入れ墨)をしてもらえる
そうだが我々には興味がないから、民族舞踊の舞台がある建物まで先に移動
した。その入り口の横に高さ 40 ㎝ぐらいの細長い異形の盛り土(短く刈り込
んだ草が生えている)があった。
「これはなんだか判りますか?」ボンに聞かれて,
「トカゲじゃないの」と答えると、
「これはワニです。刈ってきた人間の首をこの上に置きます」というのだ
が、ワニには見えなかった。
タトゥーペイントをしなかったから、劇場にも一番乗りで、客席には誰も
居なかった。ボンが冷たいジュースを持ってきてくれた。K さんが聞いたと
ころによるドイツの女性4人が入ってきた。揃って 190 ㎝はあろうと思われ
る大きな彼女らは、タンクトップにミニショートパンツという出で立ちで、
今描いて貰ったばかりのタトゥーを上腕部に付けている。髪の毛は金髪、銀
髪、赤毛とともかく目立つ。
全てのグループが揃うと伝統楽器の生演奏が奏でられ、民族舞踊のショー
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が始まった。いくつかの民族伝統舞踊が終わると、クライマックスのムルツ
族による迫力のバンブーダンスが始まった。4 組の娘が操作する竹を上半身
裸の男性3人が、凄い速さで竹を跨ぎ踊る様は迫力満点である。
「希望者は一緒に踊れるので、遠慮せずに舞台へ上がって下さい」と客席
に降りてきて引っ張り上げる。ビッグ女性 4 人が舞台に上がった。裸の部分
が多いし、兎に角目立つ。ムルツ族の男より首一つ大きい。手を取られて一
緒にステップを誘導して貰う様がちぐはぐで面白かった。
民族舞踊ショーの後は、ボルネオの先住民族の料理を取り入れたビュッフ
ェである。ジャックフルーツのココナッツ煮込みやふかしバナナなど、ここ
でしか食べられないメニューが用意されていた。私にはなんだか判らない料
理なので、選ぶのにも躊躇した。実演していたバンブークッキングも完成し
並べられていた。お味は勧められたものではない。
ボンが「売店が開けばビールがある筈です」というので暫く待った。やっ
と係員がきたけれど、「今日は売り切れました」は、がっかりだった。
レストランは山の天っ辺にあった。入り口まで坂道を下るのかと思ってい
たら、文化村は粋な設計で、レストランを出たところにマイクロバスは待っ
ていた。3 日間を通じて、観光中は雨に降られなかったのはラッキーだった。
ここからの帰りも、車が走り出すと猛烈なスコールに見舞われた。
ホテルには 21 時 30 分に着いた。昼にシャワーを浴びている。美味いブラ
ンデーを嗜むために石鹸を使わず、少々ぬるいがバスタブに浸かった。明日
の出発は早い、今夜着たパジャマを入れればそれで荷造りは完成という段取
りにして、ラストナイトを過ごした。今日の枕銭は K さんが払う日である。
トイレ使用の時にお釣りに貰ったコインも「オマケのチップ」だと気前よく
65 センを 1RM 紙幣の上に置いていた。
「飲みきれないブランデーをどうしようか? 全部飲んだら飲みすぎだ
し」独り言を言うと、
「高いものだからペットボトルに入れて持ち帰ればいいよ」と K さんがア
ドバイスを下さった。
23 時、K さんがもう鼾をかいている。「おやすみなさい」
私は翌日が早いので、[レミーマルタン]を飲みながら、翌日分の日記を
書き始める。すると K さんがむっくり起き出して、
「それって日記にならないんじゃないのかい?」ご尤もな御指摘である。
「俺の日記は、1日約 800 字・B5 に 1 ページを書くことが日課なのだから余
りこだわらないんだ。タバコを飲み忘れたので目が覚めたの?」
24 時にベッドイン。
6月8日(月曜日)・帰国
モーニングコール前の午前 3 時 40 分には起床した。K さんが[レミーマ
ルタン]を飲んでいる。帰国するというのに呆れた呑兵衛だと感心している
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と、「後ほんの僅かだから飲んじゃえよ」と、僅かに見えてもダブル2杯分
の、残っていたブランデーをコップに注いで差し出した。「俺はいいよ」と
断ったが,「大酒飲みが何を言ってんだ。第一ペットボトルに入れて持ち帰る
ほど残っちゃいないよ」と無理矢理よこす。「そうかい」少々水を割って責
任を感じて飲んでしまった。
ホテル出発は 4 時 40 分なので、20 分前にロビーに降りた。母嬢で参加し
ていた二人に会った。
「お早う御座います。昨日のツアーは如何でしたか?」と、娘さんが
「結構楽しかったですよ。参加者が二人なので個人旅行みたいでしたし、
午前のツアーから帰ってきて、ビーチで泳ぐこともできました。夜のツアー
も、首刈り族の村で面白い体験をしてきました。市内に行かれてお目当ての
買い物はできましたか?」
「行きはシャトルバスで行き、食事をしたり、貴金属店を覗いてちょっと
だけ買い物をしただけです。」
「コタキナバルへ沢山お金を落としてきたんでしょう?」
「そんな、後はエステに行ってさっぱりしてきましたわ。帰りはタクシー
で戻ってきました」
「それは良かったですね」そんな会話をしているとボンが、
「精算はお済みですか? ルームキーはフロントに返しましたか? 袋に
入ったお弁当を持ちましたか? バスがきておりますから御乗車くださ
い。」と言っている。ツアーの人達は皆さん旅慣れていらっしゃって、スー
ツケースを引いてバスに向かう。
バスは 4 時 40 分にホテルを出発した。
「お早う御座います。今朝は出発が早くて眠くないですか? 空港まで 29
分 20 秒で着きます」相変わらず冗談のつもりなのだろう可笑しなことを言
っている。パスポートの確認とか、忘れ物についてのチェック云々について
は何も言わない。空港に着くと
「パスポートを出してください。eーチケットは必要ありません。先にチ
ェックインを済ませましょう。お弁当はその後で御自由に召し上がってくだ
さい」と言い先にカウンターに向かって歩き出した。
朝が早いだけに空港は閑散としている。チェックインにはボンが傍に付き
添ってくれ、希望する座席を通訳して確保してくれた。
「私はここまでしか入れません。出国審査はこの先です。バスの予定が詰
まっておりますので、これでお別れとさせて頂きます。またコタキナバルに
来て下さい」あっさりしたものである。
「いろいろお世話様でした。お見合いは今日だっけ? 巧く行くことを祈
ってるからね。またお逢いしましょう」握手してボンと別れた。
出国審査前にお荷物の弁当を食べてしまうことにした。ベンチに座ってビ
ニール袋を開いてみると、ハムと野菜を挟んだハンバーグ、紙の箱に入った
生野菜のサラダとジュース、リンゴに 500ml のペットボトルが入っていた。
食欲はない、機内食が出るのは 9 時過ぎになるだろうから、ハンバーグとジ
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ュースはいただいておいた。出国審査の際にペットボトルは没収されちゃう
し、ゴミ箱に入れるのも気が引ける。そこへ空港の清掃スタッフがキャスタ
ーにゴミの収集駕篭を乗せてやって来た。言葉は通じなくとも、身振りでそ
の女性に、水とリンゴと生野菜サラダを受け取って貰った。「サンキュー」
とお礼を言われたのを見て、Kさんもリンゴとペットボトルを渡していた。
コタキナバル空港は国際空港であるが、搭乗ゲートは 3 つしかない。免税
店や BAR などがあっても、早朝なので皆シャッターがおりている。空港で
ビールを飲む RM は残してきたがその楽しみも消えた。ゲートに向かうと、
一つだけお土産店が開いていた。K さんはここでもココナッツオイルの有無
を聞き、無いと判ると残った RM で珈琲豆を買い、不足分をカードで決済し
ていた。私は使い損なった 53RM(1,855 円)を見せて、買える範囲で店員に
缶に入った菓子を選んで貰った。ぴったし2つ買うことができた。私も K さ
んも換金した RM は全部使い果たせた。
(MH-0080)便は定刻通り 7 時 20 分にコタキナバル国際空港を飛び立っ
た。機内はがらがら、来たときよりも乗客は少ない 1/3 程度である。座席は
来たときと同じ 28A と C、客室乗務員が、お好きな席をお使い下さいと言っ
てくれた。飛行機が安定すると、ジュースと烏龍茶をトレイに乗せてきた。
K さんは既に高鼾でぐっすり寝込んでいたので、私だけ烏龍茶をいただく。
機内食が配られ始めたので K さんを起こす。帰りの便ではビールがあった。
袋詰めのピーナッツは出なかった。食後私が通路の反対側に移ってあげる
と、K さんは二つの肘掛けを持ち上げて、毛布を被り横になって寝込んでし
まった。前席の背に小型のテレビが付いている。私も少しだけ横になってみ
たけれど、K さんみたいに上手に眠ることができず、座ったままで少々目を
瞑る。眠れないのでビールをリクエスト、グビグビやりながら、テレビで、
最近上映されたばかりのディズニーの[白雪暇]を見て過ごす。直ぐ後ろが
トイレなので、フライト中の約 5 時間で、350ml 缶ビールを6本平らげて、
14 時 20 分に、無事成田国際空港に到着した。
追記:マレ-シア・ボルネオ島で 5 日発生したマグニチュード 6.0 の地震で、
キナバル山(4095.2m)山頂で地滑りや落石などが起き、この地震で山頂付近
に登山者が取り残され、州政府は 7 日の捜索が終了した時点で日本人を含む
16 名が死亡、行方不明者が 2 名などと発表していた。最後まで行方不明にな
っていた 2 人の死亡が 10 日確認され、これにより死者は計 18 人になった。
地震で死亡したとされる日本人男性 オザキ・マサヒロ(29 歳・漢字不明)
さんは、落石の被害に遭いそうになったシンガポールの小学生を助けようと
して自らも犠牲になってしまった。心から御冥福をお祈り申し上げる。
2015年7月14日(火曜日)
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