GKH021408

1
3
3
ミシェル ・フー コーによる同性愛者 の歴史
田
中
寛
一
,
〔
要 旨〕 ミシェル ・フーコーの 『
知への意志』は 『
性の歴史』第 1巻 として一般の
知的階層に向けて著述されたはずであるが,結果的にはゲイ ・レスピアン活動家からの
み評価されることとなった。そこで,この著作の記述を中心に,近代フランスにおける
同性愛者の歴史を,法律的かつ精神医学的に再構成することにより,これが性的選択に
より社会的な差別を受ける者の解放または抵抗運動の指針書 として受け入れられるに至
った理由と,フーコーおよびゲイ活動家 との相違点を考察する。
〔
キーワー ド〕 同性愛,セクシュアリティ,ゲイ解放運動,性の歴史,精神障害
Ⅰ
出版 された歴史的な研究書が,著者の意図 どお りに読み取 られることは稀 である。多かれ少
なかれ,それは常 に読者の置かれた立場 による,勝手 な誤読の危険性 に晒 されている。その著
作が斬新であればあるほど,一般的な読者 は,本能 的な違和感 を覚 える ものだ し,それが先鋭
であればあるほ ど,問題 に関係す る特定の読者 は, 自身に対す る批判 を読み取 ることになる。
かつて ミシェル .フーコーは 『
狂気 の歴史.
U(
1
9
61
年) において,古典主義時代 に狂気 を呈 し
た人び とが,いかなる処遇 を得 ていたかを詳述することによ り,1
9世紀初頭 までの精神医学 の
不名誉 な歴史 を明 らか に したため,反精神医学者 と目されて,不本意 な無数の批判 を浴 びた経
,「この ように序文 とは書 かれ る もの
緯か ら,その再版 (
1
9
7
2年) に寄せ て書かれた序文 では
である,著者 による君主制が確立 され始める最初の公式文書 ,独裁の宣言書 は。す なわち,私
の意図 は諸君の戒律でなければな らない。諸君 の読書 を,分析 を,批評 を,私が しようとした
ことに従 わせ るのだ。 [
-]私 は,私が語 った事柄 の君主であ って,それ らの事柄 に対 しては
卓越 した支配権 を,私 の意図の,そ して私がそれ らに与 え ようとした意義 の支配権 を保持 して
(
1
)
いるのである」 と,あるべ き序文の体裁 を借 りて,やや専横 的 に記 さなかっただろ うか。
そ して1
9
7
6年 に上梓 された 『
性 の歴史』第 1巻 『
知への意志』 もまた, フーコーに とっては
残念 なことに,そ うしたあ りうべか らざる誤解 に包 まれて しまった著作である。す なわち単純
な ところでは,近代 における性 の抑圧 とい うほ とん ど自明的な命題 に対 して,1
8世紀以降にお
ける性的言説の増殖 に注 目 し, これ を強調 したばか りに,ボー ドリヤールの 『フーコーを忘れ
3
P
・
E
るこ と』 を始め とする無用の誤読 を生み,分析 の正当性 を疑 われたのである。 フー コーは翌年
の ドイツ語版 に付 した序文 において, こう した事態 を次 の ように嘆いている。「
将来の出版物
を絶 えず暗示 している本 を, まず照明弾 として送 り出す ことが無謀であることは承知 している。
それが懇意的かつ独断的な外見 を呈す る危険は大 きい。その仮説 は問題 を一挙 に解決す る主張
に見 えるか もしれず,提起 された分析の格子 は誤解へ と導 き,新 しい理論 と取 られるか もしれ
ない。 こうして フランスでは,抑圧 に対す る闘争の側 に突如 として改宗 した批評家が (
それ ま
で この領域 においてさ したる熱意 も示 したこ とが なか ったの に),セ クシュア リテ ィが抑制 さ
1
3
4
天 理 大 学 学 報
れて きたことを否定 している と言って私 を非難 した。だが私 はい ささか も,セ クシュア リテ ィ
の抑圧 な どなか った と主張 したわけではない。私 はただ 自問 しただけなのだ,権力 と知 と性 の
関係 を解読するの に,分析全体 を抑圧 とい う概念 に指 向 させ ざるをえないのだろうか,それ と
もまた,禁忌や禁止や排除や隠蔽 といった もの を,主要で基本的な目標 としての抑圧 に基づい
て整序 されているのではない,
もっ と複雑かつ包括的な戦略 に組み込 んだほうが, よ り良 く理
t
3
)
解 しうるのではないか と」。
,「性 の歴 史」
同性愛者であることによる閉塞状況 を余儀 な くされて きた フー コーに とって
を著す ことは,おそ ら く著述活動 を始める前か らの積年の課題 であったはずである。 とい うの
,
性 的禁忌の歴 史 もま
ち,早 くは 『
狂気 の歴史』 にあ って,問題意識 はい まだ素朴 なが らも 「
た,それ も単 に民族学の用語 を用 いてではな く,書 く必要があるだろ う。我 われの文化 その も
のにおいて,たえず流動 しつつ も執掬 である抑圧の形 について語 る必要があるのだが,その 日
(
4
る
的は品行や寛容 の年代記 を書 くことではな く,西欧世界の限界 として,その道徳 の起源 として,
)
知の
欲望 に満 ちた世界の悲劇的な分割 を明 らか にす る ことであ 」 と記 したばか りで な く 『
,
,
考古学』(
1
9
7
0
年) において も 「だが私 は進 んで一 味 わ うべ き幾多の試練 と多 くの模索 とを今
は留保 しつつ一 異 なる方向 に発展す るはずの考古学 を思 い巡 らす ものである。すなわち,た と
えばセ クシュア リテ ィに関す る考古学的な記述。私 には今後 いかに してそれをエ ピステーメー
9
世紀 にあ ってセ クシュア リテ ィに関す る生物学 と
の方向 に指向 させれば良いのかがわかる。1
か心理学 といった認識論 的形象が,いかに して形成 されたのか, またいかなる切 断 を通 して科
(
5
)
学的な言説が フロイ トによって確立 されたのかが示 され よう」 とい う,かな り具体的 な構想 を
指摘 しうるか らである。 フーコーの生涯の伴侶 であ ったダニエ ル ・ドウプェ-ルが言 うように,
(
6
)
「この本 は フー コーにすれば約束 を果 たす宣言書 と考 え られていた」 のであれば, この著作 に
込め られたはずの 自負 と意気込み に対比 して, フー コーの味 わった失望 は想像 に難 くない。伝
記作者のひ とりミラーは 『ミシェル ・フーコ-の受難』 において,「しか しフーコーが ここで
暗示 した可能性 は大半の読者の生活か らは隔絶 していたので, この本で読者の多 くは理解 に苦
しむか当惑するかのいずれかであ った。賞賛 に満 ちた数多 くの批評 に もかかわ らず,著者 は失
望 したのである。彼が望 んでいたのは,人び とを揺 り起 こ し,新 しい方法で考 え させ, とりわ
(
7
)
け左派 に新鮮 な論議 を巻 き起 こす ことであ った」 と記 している。そ して 「
政治的な思考 と分析
(
8
)
においては,依然 として国王の首 を切 り落 としてはいない」,古 い権力概念 に囚われた ままの
フランスの伝統 的左派のほうは, フーコーの提示 した,所有 されるよ りは行使 される権力,禁
止す るよりは生産す る権力,上か らよ りは下か ら来 る権力,恋意的である よりは合 目的的な権
力 ,局所 的であるよ りは偏在 的な権力,そ して拒否 よりは抵抗 を内包する権力, といった概念
に振 り回 され,解放の可能性 を否定す る もの として, これを黙殺 したのである。
9
7
0
年代のアメ リカに始 まった フェ ミニス トお よびゲ イ ・レ
だが一方 ではこの同 じ著作が ,1
ス ビア ン活動家か ら圧倒 的な支持 を受け,多大 な発行部数 を記録 したことも事実 なのである。
,「最大 の知 的かつ政治的 な衝撃 を
『
性 の歴 史』第 1巻である
与 えた ミシェル ・フー コーの著作 は,議論 の余地 はあるにせ よ,
た とえば 『フーコー と倫理学 の技術』の著者 オ リア リーは
。
この著作 は,女性 のセ クシュア リテ ィ形成の歴史 についての フェ ミニス トによる読解 ,1
9
世紀
の性 の (医学化 )に村す る批判的な歴史学,そ してクィア-な性 的実践 についての一連の歴史
的な研究 を鼓舞 して きただけでな く,デ イヴイッ ド ・ハルプ リンの言葉 によれば,アク ト ア
ップの ような,エ イズ問題 に関す るアメ リカのゲ イ活動 グループの (聖書 )ともなっているの
(
9
)
である」 と, この 『
知への意志』 にほ とん ど最上級 に近 い賛辞 を贈 っている。
1
3
5
ミシェル ・フーコーによる同性愛者の歴史
そのハ ルプリンが 『
聖 フーコー』 において
,「だか らもしフー コーが存在 しなか った とす る
なら, クィア-の政治的活動 は彼 を発 明 しなければな らなか ったはずだ
し・- おそ ら くは実際
H
+
I
に彼 を発 明 しているか,少 な くとも部分的に彼 を再発 明 している」 とい う手放 しの献辞か らす
知- の意志』 な くしては,1
980年代 以 降の アメ リカの諸大学 にお ける,ゲイ ・レス ビ
れば, 『
0年以上 を経 た現在 にお
アン研 究講座 は成立 し得 なかった といって も過言ではあるまい。死後2
いて も, と りわけアメ リカにおけるフーコー研 究は熱気 を帯 び,英語で著述 された研 究書 だけ
で も年間に複数 は発行 されている状況 にあ り,その うち定評 のある ところだけを列挙 して も,
ドレイ77ス とラビノウの 『ミシェル ・フー コー :構造主義 と解釈学 を超 えて』,マ ジ ョール
I
l
ど
=ペ ソツルの 『ミシェル ・フー コーの西欧文化 の考古学』, ライ ックマ ンの 『ミシェル ・フー
い
コー :哲学の 自由』 な ,枚挙 に暇 はない。 シェ リグンの 『ミシェル ・フーコー :真理- の意
(
1
2
)
志』の ような解説書 を除けば, フー コーに村す る評価 は極端 なほ どに相半 ば してお り,上述の
著作 の ように最大級の賛辞 を里す る研究 もあれば, ゴル
(
1
3
) ドヒルの 『フーコーの純潔』の ように
敵意 に満 ちた批判 を浴 びせ るそれ もあるとい うように,清濁は混沌 としている。支持派の弱点
はその全面性 によ り余 りにも近視眼的であると言 うことがで き,批判派の欠点 は場合 によって
は悪意 による中傷 を思 わせ さえするほ どであって,いずれに して もフー コーに固有 の思考方法
を見落 とす危険があ り,すで に手垢 に塗れた引用 に頼 りつつ も,第 3の道 を通 って ミシェル ・
フー コーの素顔 に迫 らん とす る ものである。 フーコー とフェ ミニス トの関係 については, また
1
984年)お よび 『自己へ
『
性 の歴 史』の続刊 と して実 際 に公 刊 され た 『
快 楽 の活 用』 (
(
]
4
) の配
慮』 (同年) とゲ イの下位文化 との関係 につ いて も,すで に論考 を発表 してい るので,本論 に
あ っては,『
知へ の意志』 にお ける記述 を中心 に,当初 の予告 によれば第 5巻 『
倒錯者』 にお
いて構成 された と推察 される,近代 フランス における同性愛の歴史 を再構成す ることによ り,
,『知への意志』の射程 の範 囲で, フー コー とゲ イ
性 に関す る言説の増大 を確認す る とともに
活動家 との相 同点お よび相違点 を考察す ることを もって課題 とす る ところである。
Ⅱ
まず は,同性愛者の法的地位 の歴史的変遷 を概括す ることか ら始めることにす るが,法 によ
る同性愛の包 囲は,そ こか ら抑圧のみ を抽出 し,性的言説の増殖
(
1
5
) とい う事実 を見過 ごす恐れが
あるため
,「同時 に法 な しで性 を,王 な しで権力 を考 えるこ と」 に した フーコーが,団塊 的 な
記述 を遺 しているわけではないので,最初 に一般 的な指標 として ,1
9
80年代以降の男女同性愛
者の法的な権利拡大の過程 を詳述 した,メカ リー とプラデルの 『同性愛者の権利』か らの引用
,
によ り 『
知への意志』が出版 された1
97
6年 当時 までのその概 要 を把撞 してお きたい。以下か
ら措定 しうるのは,1
8世紀以前 と1
9世紀 と20世紀 とい う大 まかな時代 区分である。す なわち,
「
刑法 による同性愛 に対す る懸念 は流動的である。同性愛 には弾圧 と寛容が繰 り返 されている。
しか しなが ら,1
3
世紀以降,それは広範 に弾圧 された。 さらに注 目すべ きは男性同性愛のほ う
が特 に抑圧 された ことであるが,それは恐 ら く女性 のセ クシュア リティが男性 を抜 きに して存
在 しうる とは考えに くかったか らであろう。罰則が消 え去 るにはフランス革命 まで待 たなけれ
9世紀が寛容 の時代 であった とい うことではない。抑圧 はただ直
ばならない。だか らといって1
接 的であることを止 めただけである。以後 は もはや同性愛者である とい う単純 な事実 をもって
処罰 され ることはな くなるが
,『判事 は未成年者 に対 す る強制濃褒 お よび公然濃褒条項 に基づ
き倒錯 を訴追 し,断罪す るのであ る』 。2
0世紀 になる と抑圧 の動 きは強化 される。 ヴ イシー政
,『他
府 は1
9
42年 8月 6日の政令 によって同性愛罪 を制定 し,次 の ように規定す る。す なわち
1
36
天 理 大 学 学 報
者の情欲 を満たすべ く,21
歳未満の同性 または異性の青少年の遊蕩 または堕落 を,扇動,促進
または酎助 したる者・お よび自身の情欲 を満たすべ く,同性の21
歳未満の未成年者 と, 1回な
い し数回にわた り淫 らなまたは自然に反する行為
を犯 したる者は, 6ケ月ない し3年の禁銅お
(
1
6
)
よび罰金 に処す』である」。
確かにフランスにあって同性愛は,男色 として,中世か ら1
8世紀の前半 に至 るまで,法 によ
る断罪の対象であった。 フーコーは 『
狂気の歴史』 において,「この罪 に陥 る者は生 きなが ら
の火刑 を も
って罰 される。我 らが判例 により採択 されたこの刑罰は,男子 にも女子 にも等 しく
(
1
7
)
適用 される」 とい う古い条文 を見つけ出 し,これに基づいて火悟 りにされた,ある人物 に対す
1
7
26年 3月2
4日,警察長官エローは,《パ リはシャ トレ下級裁判所 に
る判決文 を載せている。「
席 を置 く諸氏≫の立会いを得て,ある判決 を交付するが,その末尾 には 『ェチエ ンヌ ・バ ンジ
ヤマ ン ・デショフールは,起訴状 に記載 された男色の罪 を犯 した と正式 に起訴 され,有罪であ
ると宣告 される。購罪のため,判例 に従い,上記デシ ョフールは,グ レーヴ広場 において生 き
なが らに焼 き殺 されたのち,遺灰 は空 に撒 き散 らされ,財産は没収 されて国王に帰属するもの
とす る』 とある。処刑 はその 日の うちに執行
された。 これはフランスにあって,男色行為 に対
(
1
8
)
する最後の死刑判決のひ とつ となった」。 しか し1
9
77年のある対談で も 「
以前ですか。 とて も
(
し
た
適用で きない刑罰があ ります よ。同性愛者 に対 しては火刑ですか ら。それは1
8世紀に 2回か 3
I
9
)
回,相当に 《重罪≫だ と見 なされた場合に しか適用 され ませ んで
」 と指摘 されているよう
に,その実際的な適用 は限 られていた とい うのが フーコーの見解 である。「
大部分の場合,敬
(
20)
戒は辺境-の流刑でない とすれば,施療院または拘禁施設-の監禁であった」。
『
知-の意志』 においてはこう した事情 について,「た とえば優 れて 自然 に反す る大罪であ
った ものの歴史 を考えて もらいたい。男色一非常 に漠然 としたこの範噂一 に関する文書の極端
な慎み,それについて語 ることへのほとんど一般的な蒔緒が,長 らく二重の機能 を果た して き
た。すなわち一方は極端 な厳格 さであ り (
1
8世紀 においてなお通用 されていた火刑は,世紀の
半ばまでいかなる重要な抗議 も表明 されることはなかった),他方は間違 いな く非常 に広範 な
寛容である (
間接的には司法 による断罪の稀少 さか ら推論 される し, もっと直接的には軍隊 と
(
2
1
)
か宮廷 に存在 したはずの男性社会 に関す るい くつかの証言 を通 して認め られる)
」 とい う記述
を確認することがで きる。つ ま り 「
1
8世紀末 までは,明瞭な 3つの主たる法規- 慣習 による規
則 と世論 による拘束 を除いて-が,性的な不法行為 を規定 していた。すなわち教会法 とキ リス
ト教司教教書 と世俗法である。それ らは各々の仕方で合法 と非合法の分割 を定めていた。 とこ
ろでこれ らの規定はすべて結婚関係 に集中 していた。 [
-]《それ以外》は遥かに漠然 としてい
た。《男色≫の規定の暖昧 さとか,子供のセ クシュア リテ ィに対す る無関心 を思い起 こ して も
らいたい。加えて, これ らのさまざまな法規 は婚姻の規約 に対する違反 と生殖行為か らの逸脱
とのあいだに明確 な分割 をしていなかった。結婚の規則 を破 ることと奇妙 な快楽 を追求するこ
とはいずれに して も断罪 に値 したのである。その重大 さによって区別 されているにす ぎない重
罪の リス トには,淫蕩 (
結婚外の関係),姦通,誘拐,精神 的 または肉体 的な近親相姦 だけで
な く,男色 とか相互の ≪愛撫≫ も含 まれていた。裁判所 に関 して言えば,それは同性愛 を断罪
すると同時 に,不貞 も両親の同意な き結婚 も獣姦 も断罪することがあった。世俗的秩序 におい
ても宗教的秩序 において も,考慮 されていたのは,全体的な違法性であった。おそ らく ≪自然
に反す る罪≫は,そこで格別の嫌悪感 によって目立 っていた。だがそれは 《法令違反》の極端
(
22)
な形態 として知覚 されていただけなのである」。
さて,1
7
91
年の革命刑法典以後 は,同性愛その ものは処罰の対象ではな くな り,1
81
0年のナ
ミシェル ・フーコーによる同性愛者の歴史
1
37
ポ レオン刑法典 において も等閑に付 されたのではあるが,ルイ-フィリップによる王政復古期
の1
8
3
2年 に,未成年者 に対する強制張番罪あるいは公然濃嚢罪 として復活する。前掲の対談 に
1
9
6
0年 までは,抑圧的方向に向か う法律 の動 きがあ り
おいては次の ように解説 されている。「
ました。1
81
0年の刑法典 は性的犯罪 を認知 していませんで した。それは同性愛が断罪 されない,
ヨーロッパで唯一の法令だったのです。そ して少 しずつ強制濃褒 とか公然濃嚢 といった,例の
犯罪が出現 してきます 。1
8
3
2年のルイ-フィリップの時代。次いで1
8
6
0年頃の第 2帝政期です
ね。それか ら1
8
85年か ら1
9
05年 にかけての大量の法律ですね。そ してペ タンの時代 と, もっと
後 に もあ ります ね。 とい うの も1
9
6
0年 において もなお,その方向での法が あ って,≪公然猿
褒≫ (
つ ま り,屋外 でセ ックスす ることです)が男性 同士 または女性同士で犯 された場合 は,
刑罰の加重 を規定 しているのです よ。 2重 に罰 されるとい うことです。だか ら, ドゴール時代
の1
9
6
0年 には,女性同士でキスを交わす,あるいは男性同士でキスを交わす と,男性 と女性の
8ケ月か ら 3年で- 6ケ月か ら 2年 ではないのです。
場合 よ りも重 く断罪 され るわけです。1
(
最短で 3倍 になってい ます)。大 いに注意 しなければな りませ ん !よく見 なければ-。だか
(
2
3)
ら,随分 と最近 になって制定 された法律です よね」。
以上の ように,同性愛者の法的地位の変遷 を概括するだけで も,同性愛が法的抑圧の対象 と
なって きた歴史的過程 を,フーコーが確実 に把握 していたことが判明するが,我われ としては
ここに,弾圧 と黙認が交互 した過程のみを見 るのではな く,性的言説の増殖 をこそ見出すべ き
なのである。すなわち,「
1
8世紀 あるいは1
9世紀以降,性 に関す る言説 を掻 き立てるべ く活動
期 に入 った他の多 くの中心 を挙げることがで きよう。 まず は 《神経疾患≫ を媒介 とする医学。
次いで精神 医学であって,精神疾患の病因 を 《過度≫ に, 自慰 に,欲求不満 に,≪生殖 に対す
る不正≫にと次々 と探 し始めたばか りか, とりわけ性的倒錯の総体 をその固有の領域 として併
合 したのである。刑事裁判 もまた,長 らくはとりわけ 《途方 もない≫ 自然 に反する罪 とい う形
でセクシュア リティに関わっていた ものが,1
9世紀 中頃にはささやかな強制狼嚢,つ まらぬ公
(
ヱ4)
然濃嚢,些細 な倒錯 に対する微細 な裁判権 を行使 し始めるのである」。
Ⅱ
したが ってフランスにあっては,一般施療院の設置 された1
7世紀中頃か ら革命期 までは,同
性愛者は火刑 に処せ られるのでなければ,浮浪者 ・放蕩家 ・浪費家 ・涜神者 ・性病患者 ・魔術
師 ・自殺未遂者お よび精神病者 などの雑多 な人びととともに,多 くは封印状 により一般施療院
に監禁 されていた と考 えて よい。そ して1
7
9
3年の ビセ- トル施療院における,医師フィリップ
・ピネルによる,精神病者の鉄鎖か らの解放 という伝説的な出来事 に象徴 される近代精神医学
の誕生 は,同時 に同性愛者の施療院か らの解放 をも告げるものである。 とい うの もこの出来事
は,非理性 にあった者すべてを一括 して監禁 していた一般施療院か ら,精神病者のみを専一的
(
2
5)
に監禁す る精神病院への変容 を意味 したか らである。少な くとも革命後の一時期,同性愛は法
による処罰の対象でな くなると同時に,精神病院への監禁の対象で もな くなるのである。
ピネルの仕事 はエスキロール らによって継承 され,狂気 を病気 と認識 し,その治療可能性 を
探 る精神医学が医学の一分野 として発展 を見る。 ところが半世紀 もす ると,この科学は突如 と
して狂気か ら性へ とそのシフ トを移動 し,セクシュアリテ ィの科学,その異常性の医学へ と急
速な変貌 を遂げる。フランスではバ イアルジェや ミシェアらが, ドイツではカー ンや クラフ ト
-エ ビングらが,唐突 に異常性愛 について語 り始めたのである。 これ らの精神科医が さまざま
な性倒錯 を規定 し,倒錯者 を狩 り出 し,これを症例化 し,治療の対象 とす ることによ り,精神
1
38
天 理 大 学 学 報
医学 は本質的に,異常性 についての,異常者 とその異常 な行動 についての科学 とな り技術 とな
ったoハインリッヒ ・カーンが1
8
4
4年の 『
性的精神病理学』で記述 した症例 を列挙すれば, 自
慰 ・少年愛 ・レス ビアン ・死姦 ・獣姦 ・彫像姦 と並ぶが,これにビネの フェティシズム, クラ
フ ト-エ ビングのマゾヒズム,ヴェス トフアルの同性愛 を加 えれば,精神異常 としてのセクシ
(
2
6)
ュアリティはほとんど網羅 されていると言 ってよい。「
男色一昔の世俗法お よび教会法のそれ
9世紀の同
- は,禁忌 された行為の典型であった。その当事者は法的な主体 にす ぎなかった。1
性愛者はひとりの登場人物 となった。すなわち,ひとつの過去,歴史,幼年時代,性格,生 き
かたとな り, またある露骨 な解剖学や もしかすると神秘的な生理学 を伴 う,ひとつの形態学 と
なったのである。 ト ]忘れてな らないのが,同性愛 とい う心理学上 の,精神医学上の,病理
8
7
0年のヴエス ト77ルの 《自然 に反する性的感覚》 に関する
学上の範晴が成立 したのが ,-1
有名な論文が,生誕の 日付 としての価値 をもちうるが- ある種の性的関係 によるよりは,性的
感受性のある質によって,男 らしさと女 らしさをそれ自体で転倒 させ るある仕方 によって, こ
れを特徴づけた 日か らであるとい うことである。同性愛がセクシュアリティの形象のひとつ と
して出現 したのは,それが男色 の実践か ら,一種の内的な雌雄同体へ,魂の両性具有へ と変更
されたときである。男色家 はひとりの再異端者であったが,同性愛者は今やひとつの種族 なの
(
27)
である」。
こうして同性愛者は医学的に病人 とされ,精神異常者 とされたわけであるが,この経緯 と法
的地位 の変遷 とを単純 に照合するだけで,革命 によって一旦 は解 き放 された同性愛が,奇妙 な
ことに,1
8
4
0年前後 に1
0年ほどの時間差 をもって,法的には未成年者 に対する強制濃褒 または
公然濃嚢 として,精神医学的には精神障害 として,再び狩 り出 され,囲い込 まれるようになっ
たことが判明す る。すなわちフーコーの言 う,セ クシュア リテ ィの誕生である。「
1
9世紀以降
に発展 した性科学 は逆説的なが らも,義務的で網羅的な告 白とい う特異な儀式 を核 として保有
しているが,これはキ リス ト教西洋 においで性の真理 を産み出すための最初の技術 であった。
この儀式 は1
6世紀以来,悔俊 の秘蹟か ら徐 々に分離 していたのだが,精神の教導 と良心の指導
.
一
価 のなかの術- を媒介 として,教育学 に,成人 と子供の間柄 に,家族関係 に,医学 と精神医
5
0年 ほ どになるが,性 に関す る真理の言説 を
学 とに移住 したのである。いずれにせ よやがて1
産み出すためにある複雑 な装置が設置 されている。歴史 を大 きく跨いだ装置であって,告 白と
い う昔か らの命令 を臨床的な聴取 とい う方法 に結 び付けているのである。そ してこの装置 を通
して,《セクシュアリテ ィ≫の ような何 かが,性 とその快楽の真理 として出現 しえたのである。
《セクシュアリテ ィ》 とは,性科学 とい う緩慢 な発達 を見せ たこの言説の実践の相関物 なので
(
2
8)
ある」。
8
6
7
年 に発生 したシャルル ・ジュイ事件 に見
フーコーは精神医学的な性的異常者の誕生 を,1
出 している。すなわち,ロレ-ヌ地方ナンシー近郊の リュプクール村 に住 む4
0歳位の,知的障
害 にある農業労務者が起 こした風俗素乱事件であ り,ひとりの少女に対する強姦 または強姦未
遂であって,野原で少女 に性器 を握 らせて射精 させてもらったことのあるジュイが, これに味
を占め,煎 りアーモ ン ドを買 う駄賃 と引 き換えに,少女 を道端 に連れ込 んで犯 した,あるいは
犯そ うとした という一件である。事件 は少女の母親が下着 についた染み を見つけたことで発覚
し,両親は村長 に告発 し,村長 は憲兵隊に通報 し,逮捕 されたジュイは告訴 されたのちに, ま
ずは地元医師による,次いで二人の精神科医 による,数週間に及ぶ詳細 な精神医学的検査 を受
け,免訴 されて精神病院に監禁 された とい う。 フーコーはこの事件 を1
9
7
5
年のコレージュ ・ド
(
2
9)
・フランスにおける講義で報告 したうえ, この 『
知への意志』 において も言及 している。 この
ミシェル ・フーコーによる同性愛者の歴史
1
39
事件の異様 さは何 よりも,犯罪その ものの取 るに足 りなさに比較 される,その犯罪 に対処 した
村社会の,司法当局の,そ して精神医学の仰 々 しさの,対比 にある。片田舎の風景 に馴染んで
暮 らして きた知的障害者のセクシュアリテ ィの ささやか さに対する,ボネとどュラールとい う
精神科医が公刊 まで した,徴 に入 り細 を穿 った報告書の,これがいかに も大事件であ り,ジュ
イが途方 もない異常者であると印象づ ける,勝 ち誇 ったような言説の大仰 さ,ジュイの身体 を
隅々まで調べ上げ,肉体的な不均衡 を指摘 し,その思考方法が子供 と変わらぬ と結論づける,
精神科医の職業意識の尊大 さである。
フーコーは講義 においては次の ように論 じ,近代の精神医学 における性的異常者 に対す る差
別意識の源泉 を指摘 している。「こうした状況 にあって,変質 とい うこの概念 と遺伝 について
のこれ らの分析か ら, どの ように して精神医学が実際に,ひとつの人種差別に結 び付 くとい う
か,それ を生み出 しうるかがお分か りになるで しょう。それは当時 にあって,伝統的な,歴史
的な人種差別,《民族的な人種差別≫ と呼 びうる もの とはかけ離れていた人種差別です。 この
時期の精神医学 において生 まれる人種差別,それは異常者 に対す る差別であ り,何 らかの容態
とか傷痕 とか欠陥の持ち主であって, 自らの うちにもつそうした害悪 とい うか,非正常性の,
予測不可能 な結果 を, まった くの偶然 によって子孫 に伝 えるか もしれない諸個人 に対する差別
です。 したがって,ひとつの集団の もうひとつの集団か らの保護 とか防衛 よ りもむ しろ,ひと
つの集団の内部そのものにあって,実際に危険性の持 ち主であるか もしれない者すべての検出
を機能 とす る人種差別です。それは内的な人種差別,ある社会の内部 においてすべての個人 を
(
3
0)
。
選別することを可能にする人種差別 なのです」 『
知-の意志』では再掲 されることのなかった
この発言 こそは,その性的選択 により社会的かつ歴史的な性的差別 を受 ける者 としてのゲイお
よびレスビアンの,そ うした差別 に対する解放 または抵抗運動 を理論的に支 え, これを鼓舞す
るものであ り, フーコーがその闘争 を展開する者の聖人に祭 り上げられたの もご く当然のこと
であった と断定することがで きよう。
Ⅳ
ミシェル ・フーコー自身が 1
9
84年にエ イズで倒れたことが,こうした傾向になお さら拍車 を
かけた可能性 は否めない。 まさか予見 していたわけで もあるまいに 『
初-の意志』 にあって,
「
西洋世界の外では,飢健が,かつてないほどに重大な規模で存在 している。そ して種の被 る
生物学的危機は,微生物学の誕生以前
よりも大 きいか もしれない し,いずれにせ よよ り深刻で
(
3
J
)
ある」 とい う指摘が遺 されているが,ハルプリンはエイズ禍 による医学 と行政 とい う知 と権力
の共謀的関係 に対する闘争 に対 して, フーコーの 「
活性権力」概念,つ まりセクシュア リティ
を通 して,人び との生命 を維持 し,管理 し,調整 し,配分する,近代的な権力概念が,格好の
戦略的な視座 を提供 して くれた と言 う。「
つ ま りエイズは, フーコーが 『
性の歴史』第 1巻 に
おいて (活性権力 )と呼んでいるものの様態 に- とりわけ生命 を生産 し調整す る,科学技術の
(
32)
国家管理 に注意 を集中 させ たのである」。確 かに 「
おそ ら く歴史上初めて,活性化が政治面 に
反映 される。生 きるという事実 は, もはや死の偶然 とその宿命 に時たまに しか出現 しない,あ
の触知 しえない基盤ではない。それはある意味で知の管理 と権力の介入の領域 に移動す るので
(
33)
ある」 とい う指摘 か らして,次の ような戦略 はフーコーな しでは考 えられなかったであろう。
すなわち,「
エイズ政治行動 は,それが効果的であるためには,知 に権限 を与 える伝統的な方
式 と同 じく,権力 を権威あ らしめ正当′
化する伝統的な方式 にも異議 を唱えなければならなかっ
た。それは,職業的専門知識の独 占を打破する方法 を,知 を民主化する方法 を,そ して無力 に
1
40
天 理 大 学 学 報
なった者に権利 を認める方法 を見つけなければならなかったが,それによってこの伝染病
に関
(
l
l
)
する医学的かつ行政的な管理体制に介入 しうるのである」。
9
8
0年代のエイズ
ハルプリンが指摘 しているフーコーとゲイ活動家のいまひとつの接点は,1
の蔓延によって勢力 を強化 した同性愛嫌悪者 による,支離滅裂 な攻撃的言説に対する日常的な
抵抗 における,フーコーの指示 した反転的な言説の戦略的な活用であるが,その前提 としてま
ず,異性愛者は自らを正当なる規範 とし,同性愛者 をそれからの逸脱 としているのに,異性愛
者は自らが同性愛者ではないという否定を通 して,つまり同性愛を基準 として自己確認 を行 っ
ているという現象を認識 しておかなければならない。ハルプリンはこれをフーコー-の参照な
く,「[
-]同性愛 と異性愛は,真の対語,相互に指示 し合 う反対語ではな く,階層的対立語で
あって,そこで異性愛は自らを同性愛の否定 として構成することによって暗黙裡 に自己を規定
する。異性愛はそれ自身を問題化することな く自己を規定する。それは同性愛 を蔑祝 し,問題
化することによって,特権化 された無徴の項 として上位 に位置するのである。[
-・
]無徴の項
は有徴の項に対する一種の先行権 または優先権 を主張するが,まさにその代補の論理が,無徴
の項の有徴の項への依存性 を含意 しているのであ
り,軽微の項はそれ自身を無徴の もの として
(
3
5)
生成するには,有徴の項 を必要 とするのである」 と説明 しているが,これは明 らかに次のよう
正規の婚姻 に集中 したこのシステム
なフーコーの指摘 を踏まえたものであろう。すなわち,「
に,1
8世紀 と1
9世紀の言説の爆発はふたつの変更をもたらした。 まずは異性愛の一夫一婦制に
対する遠心的運動である。 もちろん,実践 と快楽の領域はその内的な規則 として一夫一婦制に
依拠 し続ける。 しか しそれについては次第に語 られな くなっている し,いずれにせ よます ます
簡潔になっている。その秘密のなかに一夫一婦制を追い詰めることを放棄する。 もはやその 日
ごとに自らを口にするよう求めることもない。正規の夫婦は規則的なセクシュアリティをもっ
てより多 くの慎 ましさへの権利 を得 る。それはより厳密か もしれないが より寡黙なひとつの規
範 として機能する傾向にある。逆 に問われているのは子供のセクシュアリティであ り,精神障
害者 と犯罪者のそれである。異性 を愛 さない人びとの快楽であ り,夢想であ り妄想であ りささ
やかな偏執であ り激 しい執念である。かつてはほとんど知覚 されなかったこれらすべての形象
が,いまや進み出て,口を開 きそれが何であるかについての困難な告 白をする順なのである0
これ らはおそらくやは り断罪 される。 しか しこれ らは耳を傾けられるのである。そ してふたた
び正規のセクシュアリティに問いかけることがあれば,逆流 によって,これ らの周辺的なセク
(
3
6)
シュアリティか ら発 してなのである」。
,
知への意志』 には近代 における同性愛者の抵抗 を規定 した
ハルプリンも指摘するとお り 『
部分があ り,それによれば 「ところで1
9世紀の,精神医学,判例,文学における同性愛,男色,
少年愛,《
心的両性具有》 といった種 と亜種の出現 は,間違いな くこの 《
性倒錯≫ とい う領域
における,社会的な統制の非常 に強固な突出を可能にした。だがそれはまた,《反転 した》言
説の組成 をも可能に したのである。すなわち,同性愛は自分 自身について語 り始め,その正当
性 とか 《自然性》 を主張 し始めたが, しか もそれは同性愛が医学的に資格剥奪 された用語にお
いて,その範峠 を用いてなのである。一方に権力の言説があ り,対面にそれと対立するもう一
方の言説があるのではないO言説 とは力関係の領野 における戦術上の部品または集合であるO
同 じ戦略の内部 に,異なった,矛盾 さえした言説があ
りうる。反対 にそれ らは対立する戦略間
(
3
7)
で変形することな く流通することもあ りうるのである」。こうして同性愛が医学の対象 とな り,
精神医学上の異常 と認め られたことで,それは自身の抵抗拠点 を獲得することになったとフー
コーは言 う。「
同性愛の場合を取 ってみて ください。精神科医がその医学的分析 をし始めたの
1
41
ミシェル .フーコーによる同性愛者の歴史
は1
87
0年代 ごろのことです。確かにこれが一連の新 たな干渉 と統制の出発点です。同性愛者 は
精神病院に収容 されるか,治療 を企画 され始めます。かつて彼 らは放蕩家 として, ときには軽
犯罪者 として知覚 されていました (
そこか ら生 じたのが,厳格 にす ぎることもあった-1
8世紀
で もなお時 としては火刑- だが必然 的に稀であった断罪です)。以後,彼 らはみんな精神病者
との全体的な類縁性 において,性的本能の病人 として知覚 されることにな ります。 しか し,そ
うした言説 を文字通 りに受 け取 り,正 にそのことによってこれを歪めなが ら,挑戦 という形式
の反論が出現することにな ります。我われがあなた方の言 う者,生 まれなが らに して病気であ
れ倒錯であれ,お望みの ままであるとしよう。 よかろう,我われがそうだ とするなら,そ うし
てお こう。そ して我われが何者かを知 りたいのなら,我われ自身であなた方 よりも上手 にそれ
を語ろう。放蕩家の物語 とは大いに異なった同性愛文学が 1
9
世紀末 に出現
します。 ワイル ドや
(
3
8)
ジッ ドのことです。 これは同 じ真理へ の意志 の戦略的な反転 なのです」。あるいはまた 「た と
えば同性愛運動 にあって,同性愛の医学上の定義 は,1
9
世紀末お よび2
0世紀初頭 に同性愛が被
害 を受けた抑圧 と戦 うための非常 に重要な道具 とな りました。抑圧の手段で もあったこの医学
化は, また常 に抵抗の用具で もあったのです。 とい うの も,人びとは 『
我われが病気であると
して,それなら何故 に我われを断罪 し,何故 に我われを蔑視するのか』な どと言 うことがで き
たか らです。 もちろん, この言説は今 日では随分 と素朴 に思 えますが,当時 としてはとて も重
,「同性愛嫌悪 と戦 うひとつの方法は,
(
39)
要だったのです」。そ してハルプリンはこれに呼応 して
したが って,私が試みて きた ように,同性愛嫌悪の言説の作戦 を露呈 させ,医学,法律,科学,
そ して宗教の言説が, レス ビアンお よびゲイの人び との権利 を剥奪する戦略 を暴 き,それ らの
言説 を政治的な批判 に晒 し, これによって,言説の展開に内在する政治的な戦略 を突 き崩す方
法 を,それ らの権威主張 を不当化する方法 を,そ してそれ らの制度的な基盤 を分解する方法 を
(
1
0)
見つけようとすることにあるはずである」 と,抵抗の決意 を固め直すのである。
Ⅴ
ミシェル ・フーコー とゲイ活動家 との明 白な相違点のひとつは,同性愛者であることの公然
たる表明である,カ ミング ・アウ トに対する是非にある。た とえばバル トは 『ロラン ・バル ト
,「倒錯
1
97
5年)において
によるロラ ン ・バ ル ト』(
(
4
1
る
(ここではふたつの H,ホモセ クシュア
)
リティとハ シュシュとい うそれ)の快楽の力 は常 に過小評価 されてい 」 と記 したことで,一
般 にカム ・アウ トした と見なされているが, フーコーは同性愛者 として発言 したことはあって
,
私 は同性愛者です」 と告 白 したことは一度 もない。前掲 の ミラーはゲイ専 門誌 における
ち 「
,「こうした事柄 を表明す ることによって,彼 は事実上 カム ・
フーコーの記事や対談 を指 して
(
1
2)
アウ トしていたのである-遅す ぎたか もしれないが, また決然 として」 と決めつけているが,
,「問題 は今で も
これはいささか強弁 とい うべ きであろ う。 フーコーは1
9
8
2年 にも依然 として
とて も切実です よ。つ まり 《私 は同性愛者だ≫ とい う表明 とそれを言 うことの拒否のあいだに
は,非常 に両義的なひとつの弁証法その ものがあるとい うことです。それは権利 の表明なので
すか ら必要な表明ですが,同時 に艦 であ り,毘なのです。いつの 日にか,《同性愛者ですか≫
とい う質問が,≪
独 身ですか≫ とい う質問 と同 じくらい 自然 な ものになるで しょう。で も,蘇
局の ところ, どうしてその選択 を言 うこんな義務 に同意す るので しょう。 ひとつの立場 になん
(
1
3)
か決 して安住で きないのです。それを行使す ることは臨機応変 に決めなければな りませ ん」 と,
カ ミング ・アウ トに対する疑義 を呈 しているか らである。つ まりカ ミング ・アウ トには,同性
愛者 としての立場 を明白に し,その権利 を主張す るとい う利点がある反面,それをあえて告 白
1
42
天 理 大 学 学 報
することで・個人のセクシュアリテ ィがそのアイデ ンテ ィティと同列 に見 なされ,それに同定
される恐れがある とい う,諸刃の剣 としての両義性が備わっているのである。 これが単純 に解
放 をもた らす ものではないことはハルプリンも認識するところであって,「カム ・アウ トす る
ことが不 自由な状態か ら自分 自身を解 き放つことであるとして も,それはカ ミング ・アウ トが
権力範囲か ら権力外の場所への脱出を構成するか らではない。む しろカ ミング ・アウ トは,異
なる一連の権力関係 を起動 させ,個人的かつ政治的な闘争の力学 を変更 させ るものである.カ
(
4
4
)
ミング ・アウ トは自由の行為であるが,解放 とい う意味においてではなくて抵抗 とい う意味に
おいてである」 と記 している。「
告 白の義務 は,今ではか くも多 くの異 なる地点か ら我 われに
投 げ返 され,今やか くも深 く我われに染み付いているので,我 われは もはやそれを,我われに
強要する権力の効果 と認識 してはいないのである。 卜 ]告 白は解放 をもた らし,権力は沈黙
を強いるものであるとか,真理は権力の命令 に帰するものでな く,本来的に自由と類縁関係 に
あるといった,哲学 におけるこうした伝統的な命題 を,≪真理の政治史≫は逆転 させ, もとよ
り真理が 自由で も,誤謬が隷属で もな く,真理の産出はそっ くり権力関係 に貫通 されているこ
(
4
5)
とを示 さなければなるまい」。
フーコーがカミング ・アウ トを拒否 した理由は, もうひとつの両者の相違点である,同性愛
者 としての権利獲得 を目指 したゲイ解放運動 に対する距離 にも見出 される。1
9
81
年のある対談
で 「どうい うものであれ,私が何 らかの性の解放運動 に所属 したことは一度 もあ りませ ん。第
-,私 は何 であれ どんな運動 にも所属 してい ませ ん し,加えて私 は,個人がそのセクシュアリ
(
1
6)
テ ィによって,それを通 して識別 され うる という事態 を拒否 しているか らです」 と言っている
9
7
0年代初頭 に 「
革命行動的同性愛者戦線」 を組織 したギ
ように,たとえばフランスにあって1
ー ・オ ッカンガム と接触 を持 ち,共闘 したこともあ りなが ら, フーコーはその団体 に加入 した
ことはな く,すでにフーコーの発言のなかに含 まれているその理由は,カ ミング ・アウ トを拒
否 した理由と共通である。すなわち,「
個 人がそのセクシュアリティによって,それを通 して
識別 され うるとい う事態 を拒否 している」か らである。1
9
7
8年のある対談でさまざまな性解放
運動 に対する立場 を問われて,フーコーは 「
それ らが提起 している基本的な目標 は賞賛 に値 し
ます。 自由で教養ある人間を産み出す とい うのですか ら。 しか しそれ らが性的な範噂一女性の
解放,同性愛の解放,主婦の解放一 に従 って組織 されているとい う事態 はきわめて憂慮すべ き
です。実際の ところ特殊 な理想 と目的への従属 を要求す る集団に結ばれた人び とをどうすれば
解放で きるので しょうか。 どうして女性解放運動 は女性 しか集めなければな
らないので しょう。
(
1
7
)
率直に言 って,男性の加入が認め られるとは思い ませんね」 と,やや邦旅するように答 えてい
るが,この発言の意図 も同 じ趣 旨であろう。
したがって, フーコーにとってはカム ・アウ トすることとゲイ解放運動 に加入することは,
ほとん ど同 じひとつの行為であったがゆえに,それを拒否 した理由 も同一であった と言 うこと
9
7
8年のある対談において,同性愛者の権利
がで きる。だがそれだけに尽 きない。 フーコーは1
を主張する団体 に参加 しようとして, 自身の同性愛遍歴の告 白を迫 られた経験 を語 り,「フロ
3世紀以来の ヨーロ ッパの
イ トの精神分析 は,カ トリック教会 による告解の義務づけ とい う,1
伝統 を無視 しては理解で きない。わた しの関心 を引いているの もそこです。それに一般的に言
って,告 白の伝統 は,現在の ヨーロ ッパで もきわめて根強いのです。たとえば全 く別の領域で
すが,同性愛者の権利 を主張する団体がある。 ところが,そ うい う団体 に加入 を認め られるに
は必須条件がひとつある。それは自分の同性愛遍歴 を細大漏 らさず告 白する, とい うことです。
[
-]重要なのは, ここで も告 白が,性 についての真実の言説化が,その人の主体の真実の保
ミシェル ・フーコーによる同性愛者の歴史
1
4
3
証であ り,かつ,それを相手 に引 き渡すことによってひとつの力関係 に加え られる・
という点
(
4
8
)
です。わた しとしては,こうい う要請は法外 なもので, とて も認めることはで きない」 と述べ
ているのであって, この発言か らは, カミング ・アウ トお よびゲイ解放運動 による,自身のア
9
イデ ンティテ ィの固定化 の回避 といった理由よ りはむ しろ,キリス ト教以来の伝統であ り,1
世紀 における性科学の本質的手段 となった,「
告 白」その ものに対す る歴然 とした拒否 をこそ
汲み取るべ きであろう。「ところで,告 白 とは語 る主体 と言表の主語 とが合致す る言説の儀式
である。それはまたある権力関係 において展開される儀式で もある。 とい うの も,少な くとも
相手の仮想的な存在 な くしては告白などされないか らであるが,相手 とは単 なる対話者ではな
く,告 白を要求 し,強要 し,評価するとともに,裁 き,罰 し,許 し,慰め,和解 させるために
介入する決定機関なのである。 また,真実が表明 されるために除去 しか ナればならなかった障
害 と抵抗 によ り.真実性が認証 される儀式であるo最後に,ただ一度の発話行為が,その外的
結果 とは無関係 に,それを口にする者 に内在的な変化 を生み出す儀式である。それがその者
(
1
9
)を
無実に し,罪 を償い,浄化 し,その過 ちの重荷 を解 き,解放 し,救済 を約束す るのである」。
カ ミング ・アウ トもまたこうした告 白のひ とつ に他 なるまい。「こうして沈黙 を評価す るもう
ひとつの要件 は,語れ とい う強制 と関係があるのか も知れ ませ ん。 [
-]私 はよく自問 した も
のです, どうして人びとは語れ とい う強制 に動かされた りするのか とね。沈黙のほうが よっぽ
(
5
0)
ど興味深い人間関係 のあ り方だ とい うのに」。
,
知への意志』 においては 「
だか らこそ1
9世紀 にあってセクシュアリテ ィは実
とい うの も 『
生活の最 も微細な細部にいたるまで追求 されたのである。それは行動 において追い詰め られ,
夢想のなかで追い回される。 どんな些細 な狂気の下 にもそれが疑われ,幼児期の初期の年代 に
までそれが追求 される。それは個性の暗号 とな り,その分析 を可能にすると同時に,その調教
(
5
1
)
9
8
2
年の別の対談 において も 「
明 らかに,性
をも可能 にするもの となるのである」 と記 され ,1
は もはや今日では生活の秘密ではあ りませ ん。現代では少 な くとも一個人がその性的選択のあ
る一般的な形式 を表出させて も,呪祖 とか断罪の危険に晒 されることはあ りませんか らね。で
も私が思 うに,人び とは今で も性的欲望が 自身の深遠なアイデ ンティティの指標 だと見 な して
います し,見 なす ように誘導 されています。セクシュアリティはもはや大いなる秘密ではあ り
ませんが,それは今 でも我われの個性 に含 まれたより秘めたる ものの兆候であ り,顕現 なので
(
5
2)
す」 と述べ られているように, もとより性 とは,最 も個人的な ものであるがゆえに,個人を分
析 し, これを把振する絶好の素材であるのに対 して,告 白だけが個人のセクシュアリテ ィを追
求 し,狙上に載せ うる,ほとん ど唯一の手段 だか らである。「ところで,キ リス ト教 の悔懐 か
ら今 日に至るまで,性 は告 白の特権的な素材であった。 [
-]我 われ にとって,真理 と性が結
びついているのは,告 白においてであ り,個 人の秘密の義務的で網羅的な表明 によってであ
(
5
3
)
る」。結局の ところ, フーコーの選択 した実際的な戦略は,カ ミング ・アウ トを回避 し,ゲイ
9
7
9年以降い くつかのゲ イ専門誌において,単 に同性愛
解放運動 に加入す ることもない まま,1
者 として発言するばか りでな く,サ ド-マゾという特異 な性的晴好の意義 を臆することな く語
り,禁欲 と友愛 とい うゲイとして生 くべ き方向性 を示唆するとい う,第 3の道であった。
Ⅵ
言 うまで もない ことだが,い くらミシェル ・フーコーが同性愛者であったか らといって も,
,『知への意志』は,あ くまで一般の知的階層 を対象
『
性の歴史』の全体的な構想 か らすれば
として著述 された書物であることは明白であ り,専一的に同性愛者のために書かれた著作では
1
44
天 理 大 学 学 報
決 してない。 に もかかわ らず こうした事態 を招 いた ことが,その後の フー コーの行方 に何 らか
の変更 をもた らしたことは十分 にあ りうるこ とである○推論の域 を出る ものではないが,前掲
の ドゥフェ-ルが 「
事実
,『知へ の意志』の受容 は知的階層 よ りもフェ ミニス トやゲイの運動
においてのほうが熱狂的であった。 この ことが フーコーをそ
うした運動 にあって新 しく表明 さ
1
5
1)
,『知- の意志』 に
れていたことになお さら注 目させ たのか も しれない」 と述べ ている ように
対す る一般の知的階層 の無理解 に失望 した ミシェル ・フーコーは,この事実 を もって予告 した
『
性 の歴史』の続刊 を断念 し,かつて小論 「ミシェル ・フー コーにおける少年愛」 において論
及 したことがあるように,ゲイの下位文化のひ とつであるサ ド-マゾの実践 と,古代 ギ リシャ
・ローマ における少年愛 に関す る性道徳 との類縁性 を手掛 か りに,ゲイ活動家 と同調す ること
はな くとも何 らかの連帯 を感 じつつ,ひ とり 『
快楽の活用』 と 『自己への配慮』へ と向か うこ
とになった と考 え られるのである。最後 にこれ までの研究 にあ って本論の位置が,共時的 には
「
《フェ ミニス ト≫ としての ミシェル ・フー コー」 (
20
03年)
と対照する ものであること, また
(
5
5)
適時的 には 「ミシェル ・フー コー による両性具有者 の歴史」 (
2004年) に並行す る と同時 に,
「ミシェル ・フーコーにお ける少年愛」 (
1
9
93年)の前提 にある ことを明 らか に して本稿 を閉
じることとす る。
注
(1) Mi
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972,p.
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(2) Je
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994,p.
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5) 田中寛一 「ミシェル ・フー コーに よる両性具有者 の歴史
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」
,『仏語仏文学』第31号,2∝姓年.