老化は胸椎9番から

健康だより
てのひら
通信
2008.9月号 No.28
発行責任・久次米(くじめ)晃 南三国ヶ丘町 6-6-26 TEL 090-9093-6415
『てのひら通信』9月号をお届けします。秋風が心地よい季節です。でも、意外と健康の大敵です。気をつけて下さい。
老化は胸椎9番から
高峰秀子のフケ役
「若い俳優さんたちは、フケ役というとすぐに腰を曲げるか、ガニマタになるか、と安直に考える。しかし、
私は、なぜそういう状態になるのかを納得できなければイヤという執念深い性格。初めてのフケ役の時、整形
外科の診察室に駆け込んだ。老いの兆候は背筋の衰えから始まる。背中の筋肉が弱ると、背骨が前に曲がるか
ら、姿勢が崩れ、まっすぐ立つのが苦しくなる。胸が引っ込み、アゴが前に出る。アゴを引けば、そのまま転
んでしまうからである。若い時はつま先で歩いていたのが、重心が後ろになりカカトで歩くようになる。徐々
に左右の足の間が広がり、おなかが出てくる。
」
女優・高峰秀子さんの随筆の一節です。見事な分析です。ガニ股で、アゴ・首を前に出し、歩く時はカカト
に重心という、お年寄りの姿勢・歩き方の特徴=「フケ役の型」は、すべて「丸くなった背中」からなのです。
老化を「型」の崩れから考える
実は、高峰さんの文章は、井原秀俊というお医者さんの本から引用させてもらいました。井原先生は、
「多関
節運動連鎖」という「全身の関節のつながり」から整形外科の病気を見ることを提唱している方です。
老化についても、井原先生のグループでは、全身の関節のつながり(=姿勢)の崩れに注目します。力や感
覚・神経が衰えることよりも、姿勢・歩き方の崩れが問題だと考えるのです。言いかえれば、カラダの「はた
らき具合」ではなく、姿勢という「型」が、大切なのです。力や神経という「はたらき具合」が年とともに衰
えても、カラダの「型」を崩さないように注意すれば、老化による病気や事故を防ぎやすくなります。たとえ
ば、お年寄りの転倒は、危険です。転倒→骨折→寝たきり、その後の生活は大きく変わります。転倒の最大の
原因は、筋肉や神経の衰えではなく、姿勢の崩れであると、井原先生のグループは考えます。
胸椎9番から始まる
姿勢はどのように崩れるのか。図①を見てください。矢印は全身の重心を示してい
ます。左が正常、右は背中が丸くなった状態。図でははっきりしませんが、正常な背
骨はゆるやかにカーブしています。首の骨はそり、背中はやや丸くなり、腰は少しそ
り、というように。重心は胸椎9番(肩甲骨の下の高さが胸椎7番。それより少し下)
のあたりで、背骨よりも前にあります。前にかかった重心を後ろに引っぱって支えて
いるのは、背骨の柔軟さと背筋の強さです。さて、背中が丸くなると、重心はもっと前になります。
図②は背骨と足だけを描いたものです。○は足の付け根の股関節をあらわしています。このような猫
背では、重心が足の付け根よりもずいぶん前です。このままでは前に倒れます。背筋でふんばり、腰
を後ろに引き、膝を少し曲げて、やっとバランスをとります。これが「フケ役」の疲れる姿勢です。
もう始まっている
「背骨が丸くなる・硬くなる」と言っても、
「自分はまだまだ」と思っている人もいるかもしれません。でも、
10 代前半から変化が始まっているという報告もあります。井原先生たちは、50 歳後半~60 歳前半に劇的な変
化がおきているのではないか、と推測しています。背中を丸くしてデスクワークをしている人は、もっと早く
変化し始めていると考えられます。体重の支え方(=姿勢)が変わっていることに自分では気づかず、その時
期を通りすぎてしまっているかもしれません。背中の曲がり具合をチェックして見て下さい。鏡で横から見て、
耳の穴が肩の一番とんがった所(あるいは、シャツの肩の縫い目)より前にあれば、背中が丸くなっています。
首・肩・背中・腕……
「フケ役」の姿勢は、全身の痛みや症状に関係していると考えられます。上半身では、首・肩・腕、下半身
では、腰・股関節・膝。
(下半身については、次回説明することにして、今回は上半身です。
)
①の右の図を見てもわかるように、頭が前にあるために、首の後ろがずっと引っぱられています。首の筋肉
の多くは、背骨や肩甲骨にくっついているために、そのあたりも緊張しっぱなし。そうすると何が起こるかと
いうと、肩コリ・肩の痛み・背中のコリはもちろん、頭痛・アゴの違和感・胸の痛みや呼吸のしづらさ。腕へ
行く神経・血管は首や肩の前を通っているので、腕の症状の原因にもなっているかもしれません。
ストレッチと心がけ
右の図のようなストレッチをしてみてください。③はヒ
ジをついていますが、ヒジを伸ばしても効果的です。ポイ
ントは胸椎9番のあたりです。腰ではありません。④は左
の方がしやすいと思います。背中を上下に伸ばす感じ。深呼吸も付け加えると、胸全
体が広がります。
ふだん心がける姿勢のイメージでは、単に「姿勢をよくする」というだけでは、間違うことがあります。
「腰
をそらせる」のではなく、
「首を立てて、カラダを縦にまっすぐ伸ばす」イメージです。あるいは、
「臍をその
ままにミゾオチを前に」
。そう、ミゾオチが胸椎9番の前にあたりますね。
東洋医学をさかのぼる
パフォーマンスと三十貫
和田東郭先生が、弟子相手の話の中で、このような人物を取り上げています。
「花の好きな人が、花の会に行く途中で、見事な蘭の花を見つけ、一両で買い取り、その場で切り取った花を従者に持
たせ、鉢は花屋に返して、会に向かった。会場に着くと、その蘭の花を残らずどっと一つの花瓶に入れたところ、居合
わせた人々は見事なものだと、その人の豪胆ぶりを褒めそやした。」
「ある藩へ出入りする医者がいた。ある時、その者が藩に金三百両の借用を申し入れに来た。その理由を尋ねると、
『島
原の太夫を身請けしようと思う。駕籠の中に自分の持ち金もあるが、それと合わせて、このまま島原へ行こうと思って
いる』と。これを聞いて、藩の者は止めることもできない。金三百両を貸したところ、そのまま駕籠に乗って島原へ行
き、その太夫を身請けし、妻にしたということ。」
このような人物を、皆さんはどう思いますか。東郭先生は、次のようにコメントしています。
「これは『人騒がせ』である。このようなことをする人に、まじめな人はいない。感心しない。身請けの話も、別にそ
の藩で借りなくても、懇意にしている商人にでも借りれば済むものである。普通の人ができないことをしてやろうとい
う意図でやっているので、けっして誉められたものではない」と。東郭先生が嫌ったことは何だったのか、大切にした
ことは何だったのか、と考えてみます。この二人にとって、蘭の花の美しさや太夫との恋愛が大切だったのでしょうか。
それとも、自分が目立つこと、話題になることが大切だったのでしょうか。
前回、「大量」消費社会というような話をしましたが、それは、「大衆」消費社会・「大衆」情報化社会というこ
とでもあります。一つの出来事が、一度に多くの人に知られる社会です。そして、多くの人に知られること、大衆の
注目を浴びることが重視される社会だと言えるかもしれません。目立つこと=評価されること。パフォーマンスの重
要性。いかに大衆に受けるか。芸能人に限らず、政治家やベンチャー企業の若い経営者の、あの時の言動を思い出し
たりもします。江戸という時代は、次第に町人が文化の担い手になりつつあった時代です。町人=大衆の中でいかに
話題になるか、いかにオモシロイことをしでかしてみるか。今でいうワイドショーの話題になるパフォーマンス。
もちろん、東郭先生は、そのような人物・生き方を批判的に見ています。特に、医療にたずさわることになる弟子
たちには、その道のきびしさを強く説いています。オモシロサを求めてはいけない。もっと大切なものがある、と。
「人は実意深切ということが第一である。これを一言で言い切ってしまうと、忠ということである。この忠を貫くなら、
岩をも通す力があると言うことができる。真の医者たろうとする者は、このようなこと(二人の人物の行為)は羞じる
べきである。病人の気持ちをよく理解し、他の人が二十貫を持つというのなら自分は三十貫を持つという心構えで、時
間がかかっても堪えていかなければならない。」
「実意深切」・「忠」という言葉は、誠実さと言いかえてもいいと思います。大衆消費社会とは言え、私たちが本
当に求めているのはパフォーマンスなのでしょうか。確かに、一時的な気晴らしの娯楽としては
そうかもしれませんが、切実な場面で、たとえば自分が「病人」になった時求めるものは、「三
十貫」の重さを担うように自分のことを考えてくれる誠実な医者。そのような人間が求められて
いることは間違いないと、東郭先生が言っています。二十貫ではなく、三十貫。そのことの意味
を考えてみたいと思います。