Ⅵ.未来志向の音楽祭

Ⅵ.未来志向の音楽祭
Ⅵ.未来志向の音楽祭
杉浦
幹男
(UFJ総合研究所 芸術・文化政策センター 研究員)
■はじめに
これまで見てきたように、わが国の音楽祭、特に地方部における音楽祭は、今大きな岐
路を迎えている。
音楽祭は、バブル期に見られた町おこし、村おこしのための一つのイベント、あるいは
芸術文化を愛する同好の士の社交場といった一つの目的だけのために開催されるのではな
く、地域社会全体を巻き込むために、複合的な意義を持ち始めている。それらの意義は、
開催される地域社会のシチュエーションによって異なるものの、聴衆、地元住民、そして
主催者等、関与する全ての人々がそれぞれの意義を見出していることに成功の要因があろ
う。
本稿においては、国内音楽祭の成功事例としてすでに紹介した3事例に加えて、さらに4
事例を取り上げ紹介することにより、地域社会における音楽祭のあり方、その存在意義に
ついて考察する。
1.サイトウ・キネン・フェスティバル松本
サイトウ・キネン・フェスティバル松本(以下、「SKF」)は、1992年に第1回のフェステ
ィバルが開催され、早11年が経過した。毎年8月下旬〜9月上旬、世界的指揮者である小澤征
爾氏を迎えて開催されるフェスティバルは、クラシック音楽界の一大イベントとなってい
る。
■地域に愛されるフェスティバル
サイトウ・キネン・オーケストラを母体とするフェスティバルの候補地は、当初から大
都市が想定されておらず、街全体がフェスティバルに向けて一体となる地方都市での開催
が望まれていた。また、松本市は首都圏の自然環境豊かなリゾート地としての顔も持って
おり、さらに、92年に県松本文化会館が開館するなど、好条件が重なっていた。しかし、
地元サイドは当初、短期の開催を想定しており、いわば松本市は 腰掛け の候補であっ
た、と実行委員会 赤廣三郎事務局長は言う。
地元サイドとは別に、音楽家たちの想いはSKFを国際的なフェスティバルに育てることで
あった。そのため、当初から20年間を一区切りとし、長期の開催がその前提として考えら
れていた。
音楽家たちの想いは、地元の人々へのアピールへとつながっている。小澤氏は当初から
「国際的なフェスティバルであるなら地域密着型でなければならない」「地元に愛されな
ければ意味がない」と考えていた。音楽家たちは街に出て、ミニコンサートやふれあいコ
ンサート、そして子どものための演奏会を開催し、地元住民と交流を深めている。また、
地元のアマチュア合唱団との共演や児童がオペラに出演するなど、地元住民が参加する機
会を設け、地元に愛される音楽祭に向けた様々な取り組みがなされている。さらに、教育
事業「若い人のためのサイトウ・キネン室内楽勉強会」も開催され、若い優れた演奏家の
育成にも取り組んでいる。
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そうした音楽家たちのアピールに応え、地元住民も93年に「SKF松本ボランティア協会」
を設立し、運営ボランティアとして開催を支えており、演奏家・スタッフと一体となった
他に例を見ないフェスティバルとなっている。※
SKFでは、10年間で10万人の子どもたちがオーケストラ演奏を鑑賞した。また、フェステ
ィバル開催時の松本市は、吹奏楽パレードで使用する楽器もなく、演奏しながら歩ける子
どももいなかったが、現在では全国レベルの吹奏楽コンクールで優勝するまでになってい
る。SKFを契機として、音楽の感動が子どもたち、そして地元住民に広がり、また、 クラ
シック音楽の街 としての松本市の都市イメージによって、高いレベルの演奏家(あるい
は音楽教師)が集まってくる。そうした相乗効果を生んでいるのである。
以上のようにSKFは、日本から世界にアピールする質の高い音楽祭であるとともに、今や
地元住民にとっての愛着と誇りとなっている。
単なるイベントとしてのフェスティバルではなく、コミュニティの形成、ボランティア
育成、青少年育成、そして都市文化の形成という様々な効果をもたらしており、1年間を通
じて クラシック音楽の街・松本 の重要な出来事となっているのである。
近年、パリ・オペラ座やフィレンツェ五月音楽祭劇場とのオペラ公演の共同製作も行わ
れるなど、SKFは20年間の区切りの半分を過ぎ、さらなる世界へのアピールに向けた新しい
取り組みが続けられている。フェスティバルの拡大とともに、それを核とした松本市の都
市形成の取り組み、そして地元住民の成長も続いていくのであろう。
2.別府アルゲリッチ音楽祭
別府アルゲリッチ音楽祭(以下、「ア祭」)は、1998年11月に開催され、2002年4月で第4
回を数えている。会場であるビーコンプラザ・フィルハーモニアホールの名誉音楽監督に
ピアニストのマルタ・アルゲリッチ氏が就任し、その交流のなかで音楽祭が計画され、実
現した。
■アジアへの発信
音楽祭のコンセプトとして、「創造と発信」「育む」「アジア」を三つが挙げられている。
大きな特色の一つは、ア祭がアジアの音楽の中核となる音楽祭をめざしていることである。
大分県は、県長期総合計画『おおいた新世紀創造計画』において 九州アジア経済圏
そして アジアへのゲートウェイ機能の充実 を掲げており、ア祭でも「アジア」がコン
セプトとして挙げられ、今後も可能な限りアジアの演奏家との係りを持っていく方針であ
ると言う。
そのため、ア祭のオーケストラ演奏会は桐朋音楽大学や東京芸術大学の学生オーケスト
ラで編成され、また、公開レッスン(マスタークラス)、大分県出身若手演奏家コンサート
が開催されるなど、アルゲリッチをはじめとする世界的な音楽家たちと若手演奏家の
Meeting Point の機会を多く設けている。
※
SKF 松本ボランティア協会については、前稿『Ⅵ.音楽祭におけるボランティア』参照。
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こうしたプログラムは、世界に飛躍しつつあるアジアの若手演奏家たちの魅力となり、
演奏家たちを通じて大分県・別府の名をアジアにアピールすることとなり、県の他施策と
の連携を図ることにもつながっている。
別府アルゲリッチ音楽祭コンセプト
[創造と発信/Creation]
地域の人たちとともに創る、温かな「手づくりの音楽祭」をめざしています。みんなの
力で、九州大分県・別府の地から世界に向けて、個性あふれる音楽文化を創造・発信して
いきます。
[育む/Fostering]
21世紀を生きる子ども達が心豊かに暮せる社会をつくることは、大人達みんなの願いで
あり、また義務でもあります。子ども達が素晴らしい音楽にふれることのできる場を、ま
た音楽を志す若者達が学ぶことのできる場を提供して、音楽を通じて人を育んでいくこと
は、この音楽祭の大きなテーマです。
[アジア/Asia]
アジアの音楽家とアルゲリッチの出逢いの場 Meeting Point をつくり、また音楽を志
すアジアの若者達を育てることで、アジアの音楽文化の中核となる音楽祭をめざします。
また、ア祭においても、地元との係りが重視されている。「育む」のコンセプトの下で子
どものための無料コンサートが開催されるなど、子どもたちのための良い音楽環境の提供
機会となっている。さらに、会場であるビーコンプラザのサポーターや市民団体「ハーモ
ニアス別府」のメンバーを含む計200人余りがボランティアとして音楽祭を支えており、地
元でのクラシック音楽のすそ野は広がってきていると言う。
ア祭は、ビーコンプラザの建設を機に、ピアニストである伊藤京子氏(ア祭総合プロデ
ューサー)への「何か音楽で世界に発信できるものを」という相談からはじまった。伊藤
氏から長年の友人であるマルタ・アルゲリッチ氏へ、そして彼女たちの仲間たち、若手演
奏家たち、地元住民へとその取り持つ縁が広がっていった。ア祭だけでなく、伊藤氏は子
どもたちに良質な音楽を聴く機会を提供するための「おたまじゃくし基金」を設立するな
ど、ア祭を踏まえたさらなる取り組みも進められている。
現在、ア祭の組織委員会の活動には、地元商工会議所、旅館組合、観光協会等が大きく
係っている。歴史ある温泉観光地である別府のアピールの一つとしてア祭が大きく貢献し
ていることを示すとともに、別府がリゾート地として演奏家たちに愛されていることを示
している。また、アジアからの観光集客の行政施策とも連携し、ア祭は単なる文化イベン
トとしてだけでなく、アジアに目を向けた県の戦略、そして地元の誇りの一つとなってい
ると言えよう。
ビーコンプラザという施設(ハード)の活用を目的として開始された音楽祭は、音楽が
結ぶ大きな輪が広がっていったことによって、今や地元にとってなくてはならないものと
なっているのである。
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3.ゆふいん音楽祭
ゆふいん音楽祭(以下、「ゆ祭」)は、1974年に開始され、昨年2002年で第28回を数える
長い歴史を持った音楽祭である。今や日本を代表する温泉の一つとなった由布院温泉であ
るが、ゆ祭開催当初は、全国的な知名度は低く「別府の奥座敷」として認識されていた。
ゆ祭は、町おこしを目的として観光協会によって開始され、第6回以降は地元の音楽愛好
家を中心に構成される実行委員会が運営している。2002年は、7月25〜28日の4日間にわた
って、地元の公民館やゴルフクラブで6公演が開催された。
■小さな街の小さな音楽祭
ゆ祭の大きな特色は、行政や観光協会や商工会議所等の地元団体を主体とするのではな
く、地元有志による実行委員会と全国各地から集まるボランティアで運営されていること
である。実行委員会は、地元住民の音楽好きやお祭り好きの有志を中心に約50人で構成さ
れている。また、ボランティアを希望する人は断らないという原則で受け入れており、そ
のなかには各地のホールに勤務するプロも含まれている。さらに、演奏家もほとんどがボ
ランティアとなっている。つまり、ゆ祭は、ボランティアが支える音楽祭なのである。
実行委員会の個人的なつながりで支えられている音楽祭は、小さな街の小さな音楽祭で
あり、身の丈にあった運営を手づくりで楽しんで実施している。運営している側が楽しめ
る範囲で開催されることで、観客にとっても温泉地ならではの、肩のこらないリラックス
した音楽祭となっており、地元客だけでなく広く各地から多くの観客を集めることにつな
がっているのであろう。
湯布院町では、他にも映画祭が開催されるなど、文化的イメージをアピールしている。
しかし、そのアピールは行政からの押し着せの 町おこし・村おこし ではなく、地元が
自分たちでできる範囲で支えていることで、長く継続することが可能となり、その結果と
して効果が挙がっているように感じられる。また、実行委員長の加藤氏の言う「無理をし
ないこと」の原則が、仲間で支える音楽祭を実現させているのであろう。
それぞれの顔の見える小さな街の小さな音楽祭は、由布院温泉の大きな財産として、こ
れからも多くの人に支えられて受け継がれていくのであろう。
4.草津国際アカデミー&フェスティヴァル
2002年夏、第23回草津夏期国際アカデミー&フェスティヴァル(以下、「草ア」
)が草津音
楽の森国際コンサートホールで、「音楽都市パリとウィーン」をテーマに開催された。草ア
は、日本でも有数の温泉地である草津町で開催され、毎年特色あるテーマが設定されてい
る。音楽祭全体は、若手演奏家の育成の場であるアカデミーと演奏会で構成される。
草アは、わが国の文化環境の向上を目的として1980年に開始され、現在では高いレベル
の演奏家が集う質の高い音楽祭として国際的に知られるようになっている。
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■
in Local
から
Local to Local
へ
わが国の文化、音楽環境の向上を目的とする一方で、草津町にとって草アは街のイメー
ジを一新する重要な役割を果たした。
当初、草アは、米国アスペンが廃鉱町からスキーと夏の音楽祭の街へと変貌を遂げたま
ちづくり、活性化の姿をイメージして開催された。草津町は、近接する高級別荘地・軽井
沢と比べて古くからの 湯治場 のイメージが強かった。
高いレベルの本格的な音楽祭として草アが開催されることによって、草津町は 湯治場
から
音楽のあるリゾート地 のイメージづくりに成功している。草津町が首都圏から1
泊2日の旅程に適した距離にあり、文化人や有名人を滞在させることができたことも大きな
要因と考えられる。また、若い音楽学生がアカデミーに参加し、あるいはボランティアと
して運営を支えることによって、古い温泉街に活気があふれ、それが地元の活性化へとつ
ながっていったのであろう。
この 湯治場 での試みは、地元住民も動かしている。団体客を対象としてきた旅館は
演奏家や若い音楽学生にも対応した、すなわち個人客へのきめ細かいサービスへの改善に
取り組んでいる。また、町民の間でまちづくりに対する気運が高まり、草アを支える「音
楽アカデミー友の会」が組織され、
「ポピュラーコンサート」が開催されるなど、地元住民
との連帯感が定着していると言う。
その意味で、草津は、日本の旧来の湯治場的な温泉地の姿を、滞在型温泉リゾートへと
転換させ、また街の地元住民の交流を促進する一つのきっかけになっていると言える。
草アの試みは、現在もさらに広がっている。
草アは、ウンブリア州の音楽祭と姉妹音楽祭提携を結んだ。※ペルージャ出身の音楽団体
イ・ソリスティ・ディ・ペルージャの草ア出演を契機として、ウンブリア音楽祭側からの
申し入れによるものであり、同州内のグッビオ音楽祭等との交流が企画されている。姉妹
音楽祭提携はわが国初めての試みである。また、音楽祭の交流の他、昨年秋には草津町長
がグッビオを来訪し、産業交流についても話し合われたということである。グッビオは山
地に位置し、白トリュフ、オリーブオイル等の山の産品で知られており、今後、草津との
交流によりPRをしていきたいと考えていると言う。このように、音楽を契機としながら様々
な分野へと地域間交流、国際交流が広がっていくことが期待される。
※
ウンブリア音楽祭については、拙稿『Ⅳ.欧州における音楽祭事』参照。
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■地域社会と音楽祭
以上、さまざまな成功事例を見てきたが、共通することは地域社会に欠かすことのでき
ない存在となっていることである。先述の通り、小澤征爾氏の語った「地元に愛されるフ
ェスティバル」であることが、それらの成功を支えているのではないか。また、ナント音
楽祭にも、地域密着型の音楽祭の成功例を見ることができる。
地元に愛されること、それは地元にとって音楽祭の開催が意義あることと感じることを
意味する。多くの場合、当初からクラシック音楽が地元住民に熱狂的に支持されているこ
となどないだろう。また、場合によっては、クラシック音楽をはじめとして 音楽 を取
り上げることに異論の声もあるかもしれない。
しかし、音楽祭に観客として、ボランティアとして、そして人々を受け入れる住民とし
て参加することによって、人々の新たな交流のきっかけとなり、その出来事自体が地元住
民によって欠かせないものとなる。準備を含めて、音楽祭が年間を通じた地域住民のふれ
あいのきっかけとなるのである。
また、質の高い音楽祭を開催することは、音楽界にとって意義あることであるばかりで
なく、子どもたちに良質な芸術文化環境に触れる機会を創出し、また、地域のイメージア
ップとなることで住民の愛着と誇りへとつながっていく。
「地域社会と音楽祭」を考えるとき、 地域文化振興 や 観光振興 、 国際文化交流
といった行政的なタテマエで、単なる文化イベントを開催するのではなく、いかに地域を
巻き込み、地域に愛されるかが課題であり、それが継続へとつながっていく。そのための
お仕着せでない仕掛けづくりが重要である。また、今回の取材にご協力いただいた各音楽
祭の事務局あるいは実行委員を勤められている方々は、いずれも音楽祭の開催に夢や信念
をもって取り組まれていた。こうした方々のリーダーシップが、地域を巻き込む力となっ
ていると感じている。
SKFの事務局長 赤廣氏の「フェスティバルのためにフェスティバルをするのではない」
という言葉が、その意味を象徴しているように思う。
【インタビュー取材協力】
○サイトウ・キネン・フェスティバル松本
実行委員会事務局
事務局長
赤廣 三郎 氏
飯田 益彦 氏、事務局次長
佐原 秀治 氏
○別府アルゲリッチ音楽祭組織委員会
実行委員・事務局長
○ゆふいん音楽祭実行委員会
○草津夏期国際音楽アカデミー
委員長
加藤 昌邦 氏
事務局長
井阪 紘 氏、平野 芙紗子 氏
ありがとうございました。
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