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NO.102
2005年11月号
1
大迫弘和
「わたしはブーチュというやさいが好
きです。でも日本にはブーチュがないで
す。ほかの韓国のやさいも、まずいと
か、ぜんぜんないです。だからまえには
ほとんどたべたものもいまはたべられま
せん。こんしゅうブルコギとチヂミをた
べたんだけど、とうがらしがからくない
からまずかったです。さかなもそうで
す。日本では韓国よりおいしいさんまが
たべられます。でも韓国にはジョウギと
かアグーというさかながあります。それ
がたべられないです。ほかにも日本では
たべられないものがたくさんあります。
でも、日本のりょうりもおいしいで
す。」
「ぼくは日本でたくさんアクティビ
ティーをしました。ぼくはアミューズメ
ントパークとレストランにいきました。
アミューズメントパークではチケットを
かいます。そしてたくさんのゲームをし
ます。レストランでは「とんかつおねが
いします」と言います。そしてたべま
す。日本のアミューズメントパークとレ
ストランはたかくない。ハンガリーでは
とってもたかいです。ハンガリーではア
ミューズメントパークはおもしろくな
い。日本でアミューズメントパークは
とってもおもしろいです。ききたいとき
もむずかしくない。たとえばせんしゅう
きんよう日にぼくはあわざにいきまし
た。あわざでファミリーインフィフ
ティーズにいかなければいけません。ぼ
くみつけれなかった。そしてみちにいる
ひとにききたかった。きいてわかっ
た。」
これはOISの中学生の日本語の授業
での作品です。「日本に住んでいて、自
分の国にいたときには出来たのに今は出
来ないことや、出来なかったのに出来る
こと」といったテーマで書かれたもので
す。(本人たちの了承を得て掲載してい
ます。)
世界のいろいろな国から日本にやって
きて、日本のことを、自分の国のことを
学び知っていくこどもたち。そのような
こどもたちが集うわたしたちのキャンパ
2
ス。
以前、OISの幼稚園で5つの言語が
飛び交いながら4歳5歳の園児たちが仲
良く遊んでいるといった光景を見たこと
があります。ことばが違っていても仲良
しで、4歳5歳のこどもたちの「友情」
がちゃんと存在していました。
SIS12年生の早瀬麻衣さんと最近お
話をした時、以前5年間ミュンヘンで過
ごしていた麻衣さんはこんなことを話し
てくださいました。
「日本に帰ってきてからドイツのこと
が分かるってことがあるんです。」
「例えばどんなことですか?」
「そう例えば、日本の、みんながセカ
セカキリキリしているような毎日の生活
の中で、ドイツの時間ってとってもゆっ
くりと流れていたんだなぁ、って今に
なって気付くんです。」
折々「小さな国際社会」といった呼ば
れ方をするわたしたちの学園では、生徒
たちが、確かに世界と出会い、世界を見
つめ、感じ、考えています。
そのようなことが出来る環境が、いつ
までも続きますように。
戦後60年という2005年にそのように願
うのです。
☆☆
以前ここに「国際ということばの一番
先にあるもの、行き着かなくてはならな
いところとは「平和」という、そのわず
か一事ではないのかと。交流ということ
ばも、共生ということばも、理解という
ことばも、すべてが「平和」ということ
ばのシノニム(同義語)なのではないで
しょうか」と書いたことがあります。本
校保護者であられた奥克彦大使がイラク
で非業の死を遂げられた直後、心からの
ご冥福を祈りつつ。
世界の諸情勢を見渡したとき、わたし
たちはやはり「戦争と平和」の問題につ
いては、決して忘れてはならないことと
して、こどもたちに伝えなければならな
いと思います。
今年本校のオールスクールプロダク
ションでは「ブルンジバール」を公演す
ることに決定しています。「ブルンジ
バール」、それは第二次大戦下、ユダヤ
人強制収容所のひとつ、プラハからほど
近いテレジンの収容所でこどもたちに
よって上演されたこどもたちのためのオ
ペラです。テレジン収容所は他の収容所
とは違い音楽、演劇などの文化活動が許
された特別な収容所でした。なぜならナ
チスドイツが大量虐殺を隠すためのカモ
フラージュとしてそれを宣伝に利用して
いたからです。「ユダヤ人理想の町テレ
ジン」として。しかし、実際には過酷な
労働を強いられ、家族が引き離され、劣
悪な環境、そして勿論、アウシュビッツ
のガス室に送られる恐怖にいつもさらさ
れていたのです。それでもテレジンでは
秘密の自治組織が作られ、教育活動、芸
術活動が行われていました。テレジンの
こどもたちはすでに死を宣告されていな
がら、この美しいオペラを上演すること
で悪、すなわちナチスドイツと闘いまし
た。30分足らずのこの作品は時代を超え
た美しさと愛らしさをもつ作品ですが、
テレジンのこどもたちの気持ちを象徴的
に表していると言われています。死を控
え、それでも悪と闘おうという。「私た
ちは、この作品にナチスへの抵抗の気持
ちを込めていたんです」と、生存者の方
は語ります。さらに「そのときのわたし
たちにとっては、みんなで一緒に歌うこ
とはパンより大事でした。みんなで歌う
ことにより生きる希望が湧いてきたので
す。それが生きる支えでした」と。
学校という場所は大切なことを、忘れ
てはならないことをこどもたちに伝える
場所です。
戦後60年という年に、こどもたちに伝
えなければならないことがあります。
大迫奈佳江
すでにお知らせしておりますが2005年
度のオールスクールプロダクション は
"Brundebar(ブルンジバール)"と"夕鶴"
の二作品を公演いたします。"Brundebar
(ブルンジバール)"は英語での公演(日
本語字幕)で、"夕鶴"は日本語での公演
(英語字幕)で行われます。公演予定は
以下の通りです。
4:00 p.m."Brundebar(ブルンジバール)"
5:00 p.m."夕鶴"
6:45 p.m. 終了予定
6:00 p.m."Brundebar(ブルンジバール)"
7:00 p.m."夕鶴" 8:45 p.m. 終了予定
2:00 p.m."Brundebar(ブルンジバール)"
3:00 p.m."夕鶴" 4:45 p.m. 終了予定
6:00 p.m."Brundebar(ブルンジバール)"
7:00 p.m."夕鶴" 9:00 p.m. 終了予定
チケットは、11月10日(木)よりス
クールサービスセンター(SSC)に
て、お求めください。入場料は本校生徒
および12歳以下の小学生が500円、一般が
1500円となります。
本年度は二つの公演となっております
が、チケットは二公演通しのものにな
り、いずれか一公演だけのチケットはご
ざいませんことをご了承ください。また
今年のチケットは、皆様の入場時の便宜
を図るため、前売り券は指定席となりま
す。前売り券完売の際は当日券を発券し
ますが、前売り券をお持ちの方が全員入
場されてからの入場になります。あわせ
てご了承くださいますようお願い申し上
げます。
なお、チケットの収益はすべて本公演
を支える諸費用一部として使用させてい
ただいておりますので、どうぞ寄付とし
てお考えくださいますよう、お願い申し
上げます。
公演に関するご質問がありましたら、大
迫奈佳江072-727-5050までお問い合わせく
ださい。
このミュージカルのストーリーや、
キャスト・オーケストラ・プロダクショ
ンスタッフのリストなどが学園のホーム
ページでご覧になれます。今年は、SIS12
年の獅子倉玲奈さんが『夕鶴』の演出
を、同じく12年の藤盛祐輔君が『ブルン
ジバール』の指揮を担当してくれまし
た。二人とも今までの豊かな経験を生か
し、シニアとしてリーダーシップを発揮
してくれています。ご家族、お友達、お
知り合い等、お誘いあわせの上お越しく
ださいますようご案内申し上げます。
大迫弘和校長の二冊目の著書が出版されました。タイトルは『A Heartful of Love 心いっ
ぱいの愛』(翔文社書店)。本の帯には次のように書かれています。”しあわせのプレゼン
ト 国際学校の校長が贈る愛の日英バイリンガルメッセージ こどもたちに「心いっぱいの
愛」を”。
子育てに関しての愛に満ちたメッセージが日英両語の詩の形式で書かれています(英訳は
OIS卒業生の大迫亜朗さんです)。
一般の書店及びAMAZON(Amazon.co.jp)にも置かれておりますが、本校スクールサービス
センターにても取り扱っています。
この本にはホームページがあります。http://kokoroippai.com
興味のある方はどうぞアクセスしてみてください。
なお大迫校長の一冊目の著書は「My Name Is・・・・ こどもたちのよき海外体験のため
に」(影書房)です。
3
10月1日(土)、秋晴れのもと、本校の
フィールドにおいて運動会が行われまし
た。OIS小学部の運動会の閉会式に合
わせて行われた中等部・高等部の開会式
が、それぞれの学年色に身を包んだ生徒
たちの入場行進で始まりました。今年の
学年色は、6年生:黄、7年生:赤、8年
生:緑、9年生:オレンジ、10年生:黒、
11年生:青、12年生:紫です。午前の部
は、ドッジボールとフリスビー。熱い声
援の下、チームとして頑張る姿が見られ
ました。昼食の後は、お待ちかねの各学
年のパフォーマンス。運動会前の1週間
は、学校中のあちこちで音楽をかけて練
習する姿が見られ、運動会の競技以上の
盛り上がりを見せていました。その練習
の成果か、それぞれ個性豊かなパフォー
マンスが繰り広げられ、見ていてとても
楽しいものでした。午後の競技は、去年
と変更は無く、障害物競走、借り物競
4
争、大縄跳び、綱引き、そしてリレー。
熱い応援と必死で頑張る姿。今年もとて
も充実した運動会でした。今年の優勝は
12年生。すばらしい団結力でした。おめ
でとう!!
1.00pm MS Performance Strings
3.00pm HS Concert Strings and HS Concert Band
9.15am HS Chorus / HS String Ensemble
1.00pm MS Chorus and Intermediate Strings
9.15am HS Wind Ensemble
1.00pm MS Performance Band
5
三浦 森
僕は、2004年の7月から2005年の8月
までの14ヶ月の間、Irelandという国に留
学していました。Irelandと言っても、名
前は聞いたことがあるけど、「どこにあ
る」、「何語を話す」、「どのような
人々が住んでいる」、などの情報はあま
り中高生の中では知られていません。
Irelandとは、Great Britain島(イギリ
ス)の横のある、Ireland島の中にある、
Eire(エール)という国の名称です。
Eire政府によると、Ireland語という、ケ
ルト語が第一言語になっていますが、普
段からIreland語を使っている人はかなり
少数。Irelandは、イギリスに占領されて
いた為に、一般には英語が使用されてい
ます。英語はほぼ100%の人が話すことが
出来ます。そろそろ本題に。
で、僕はDublinと言うIrelandの首都に
留学していました。Dublinで通っていた
学校はRockbrook Park Schoolという、カ
トリックの私立、男子校でした。僕の学
年は2クラスで、各クラス15人弱という
少なさだったので、クラスはアットホー
ムな感じで一週間もすれば友達が出来て
いました。まあ、この一週間だけで「友
達」と呼んで良いかは分からないくらい
の仲でしたが、このときに知り合った友
達とは1年が終わるまでずっと友達でし
た。友達になれたきっかけとしては、や
はり話題が合ったからだと思います。一
人でもクラスに話題が合いそうな感じの
人がいれば、その人と仲良くなり、その
人を通して友達を増やす、というやり方
がいいと思いました。
そして重要なHost Family。学校は楽し
かったけど、最初の、Host Familyとは、
あまりうまく行きませんでした。Family
は優しく問題がなかったのですが、毎
日、毎日4:30に学校から帰って、夜ご飯
までは、Familyと一切のコミュニケー
ション無かったのです。Host Fatherも
Motherも働いていて、子供は19歳で、仕
事中? 12歳の男の子は、友達と直ぐに
6
遊びに行きます。そして、一人の時間が
多くなった時に、僕は「Irelandで何を
やっているのか?」と思い、Host Family
を変えてもらうよう、学校に申し出まし
た。そして、Host Familyは、学校で友達
になったひとつ下の学年のDavidの家にな
りました。
Davidの家に変わってから、僕の生活
は、Japanese風Irishに変わりました。
Davidには、一人の弟、Conor(コナー12
歳)と三人の妹、クイバ(スペルも書け
ない、Ireland語の名前。読み方もあって
いるかどうかわからない。1 1 歳)、
Roisin(ロイシン。これもIrelandの名
前。6歳)、そしてRachel(レイチェル
4歳)がいます。こんなに大人数の家
に、飛び込みかなりいい経験をしまし
た。Rachelは、とても人懐っこくて、可
愛くて、直ぐに兄弟のように遊ぶように
なりました。僕が学校から帰ってくると
飛びついてくるようになり、時々、
Rachelから、逃げたくなったくらいで
す。だけど、初めての妹が出来たような
感じで、楽しかったです。ここで、僕の
生活は前のHost Family時代と180°回転し
とても嬉しかったです。そしてH o s t
MotherはEilis(アイリス(英語ではエリ
ザベス))、Host FatherはDavid(親子、
同名です。)。二人とも、とても優し
く、かなりのお喋りで、いつも話してい
ました。この二人も僕の生活をRachelみ
たいに支えてくれました。Host Familyと
は、Irelandで盛んな、ラグビーの試合に
行ったり、クリスマスを一緒に過ごし、
毎日曜日にはミサに行き、とても楽しく
生活できました。感謝、感謝のDublinで
の生活でした。
最後に。この留学は、語学だけでな
く、僕をも変えてくれた、人生の大きな
経験だと思います。一年なんてそんなに
長くないですが、この、たった一年で
も、人を少しは変える力があると思いま
した。この留学に行かせてくれた、おじ
いちゃん、お母さんetc.ありがとう。ま
た、Irelandの学校でチューターをしてく
れた、巨体のLuis、Host Familyの6人、
Irelandの友達、手紙をくれたSISの友達・
先生etc.、みんなにありがとう。
2005/10/21
堂腰紗千
去年の八月から一年間、私はカナダ、サ
スカチュワン州にあるLashburn という小さ
な村にステイしていました。Lashburnは見
渡すかぎり地平線で、隣の家にいくのに車
を時速100Kmでとばして15分もかかるとい
う所でした。そして村は人の数よりも牛の
数のほうがはるかに多くとてものどかなと
ころでした。私のHost Familyはクラシック
カーとエルヴィス・プレスリーが大好きな
Dad, やさしくて美人なMom、11歳の弟Taylorそしてかわいい妹たち、9歳のShania
と4歳のDevyn、彼らは私を本当の家族の
ように受けいれてくれました。おじいちゃ
んやおばあちゃん、そしていとこ達もとて
も暖かく迎えてくれました。何よりも嬉し
かったのは、DadとMomが私を人に紹介する
ときに留学生としてじゃなくいつも、”
This is my new daughter, Sachi”と紹介し
てくれたことです。そしてどんなところに
でも一緒に連れてってくれました。それで
もやっぱりうまくいかないことも、もちろ
んありました。ホストブラザーのTaylorと
怒鳴りあいの大喧嘩したこともあります。
でもそのときDadとMomは「あなたとテイ
ラーは姉弟なんだから喧嘩するのは当たり
前だよ。」と言ってくれました。それから
はTaylorとはそれまで以上に仲良くなり、
喧嘩してもすぐに仲直りできたり、本当の
姉弟みたいでした。学校はとても小さな学
校で全校生徒120人、1学年大体20人程度
で、私はすぐに有名人になりました。でも
はじめのほうは正直つらかったです。いき
なり行ったところで友達もいないし、留学
生だからみんなが寄ってきてくれると思っ
ていたのはすごく甘い考えでした。でも、
私は絶対に一日目のランチを1人で食べた
くなかったので授業が始まる前に、後ろに
座っていた子にどきどきしながら話かけ
て、一緒にランチの仲間にいれてもらいま
した。みんな話しかけると笑顔で返してく
れるとてもいい子たちばっかりで、いろん
なところで助けてもらいました。授業も初
めは全然ついていけなくてつらかったけれ
ど、友達にノートを写させてもらったり、
授業の後先生に聞きに行ったりしました。
そうしていくうちに学校にも慣れていき、
週末は友達と映画にいったり、お泊りをし
たりとカナダでの生活が楽しくなっていき
ました。
私のカナダでの生活でかかせなかったも
のは、やっぱり『牛』です。私は一年間雄
牛を一頭飼っていました。カナダには4-H
という団体があります。それは馬や牛、豚
などを育てるという団体で、M o m は
Lashburn 4-H beef club のリーダーをして
いました。そして私も4-H に参加すること
になり、Momが雄牛を一頭私にプレゼント
してくれました。私は彼をPOPOと名づけま
した。POPOは1歳でしたが、とても大きく
て、初めてみたとき怖かったです、でも
MomにいわれてPOPOに触ってみると、POPO
はとてもやわらかかったです。それから毎
日学校から帰ってきてから、POPOにえさを
やりにいきました。冬は大体マイナス30度
くらいでした、最低気温はマイナス52度に
なった日もありました。そんな日のえさや
りは正直さぼりたかったし、イヤでした。
だんだん暖かくなってくると、晴れている
週末は牛達を洗いました。実は牛を洗うの
には洗剤を使います。普通にいつも台所で
使っている洗剤です。これにはびっくりし
ましたが、洗いあがりはとてもいいにおい
でした。そして牛を乾かした後にはブラシ
をかけます。ブラシは頭の方向にかけて牛
を大きく見せるようにします。洗っている
ときやブラシをかけているときは牛も気持
ちが良いのかとてもおとなしくしていま
す。
6月の初め、牛の大きなショーがありま
した。そのショーでPOPOの値段がきまり、
POPOは売られていきます。5月は毎日学校
から帰るとショーの練習をしました。ま
ず、いつもどおりえさをやって、それから
牛を捕まえて、ロープをつけます、そして
ブラシをかけて、最後に牛を横につれて歩
く練習をします。これを夜遅くまでして、
毎日、うでは筋肉痛でした。初めは牛が思
うように歩いてくれなかったり、いきなり
走り出したりと大変でしたが、最後には
ちゃんと一緒に歩けるようになりました。
そして私はそのショーの区の大会で優勝し
ました!体重別の地域での大会では3位
で、とても嬉しかったです。ショーの最終
日、POPOのオークションがはじまって、そ
してPOPOが売られていくときが来ました。
絶対に泣かないと思っていたのに、大泣き
してしまいました。いろいろ大変なことも
あったけど、とてもいい思い出です。カナ
ダから帰る前に、ホストファミリーのみん
ながさよならパーティを開いてくれまし
た。私はそのときお世話になっていた親戚
の人たちに、手紙をかいて渡しました。そ
したらみんなから、忘れないでねといって
指輪をもらいました。とても嬉しかったで
す。
帰る前の日、空港の近くのホテルに、送
りに来てくれたホストファミリーと一緒に
泊まっていたら、一番仲のよい友達の家族
がそのホテルまでサプライズで訪ねて来て
くれました。さよならパーティで会えなく
て残念だったので、すごく嬉しかったで
す。帰るときDadとMomが、「あなたはいつ
までも私達の娘だからいつでもここに戻っ
てきてね。」と言ってくれました。私はこ
の家族にあえて、そして一年間一緒に過ご
せた事が本当に幸せでラッキーだったと思
います。一年間、楽しいこともいっぱい
あったけど、もちろんつらい事も悲しい事
もありました。そんな時、友達や先生から
の手紙やメール、ホストファミリーの励ま
し、そして日本の家族の励ましに支えられ
ていたから、一年間やってくることができ
たのだと思います。カナダにいって、カナ
ダのすばらしさも知ったけど、日本の友
達、学校、そして家族が自分にとってどれ
だけ大切なのかを気付くことが出来まし
た。
最後になりましたが、私が留学するにあ
たってお世話になった大迫校長先生、栗原
先生、小野寺さんをはじめ、全ての先生
方、Dad、Mom、カナダの友達、SISの友達
たちそして留学に行かせてくれたお父さ
ん、お母さんに本当に感謝しています。あ
りがとうございました!!
7
手木マリア
私はこの夏、一ヶ月間、ドイツ政府の
PADというプログラムでドイツに滞在して
いました。前からドイツ語をやってい
て、昔ドイツに住んでいた事もあり何か
と私と関係深い国。もう一度行きたいと
思っていたので、このプログラムに参加
してドイツに行けると分かったときはも
う嬉しくて飛び上がらんばかりでした。
といっても、私にとって12年ぶりのドイ
ツ、懐かしいのかな?友達沢山できるか
な?ホストファミリーはどんな人たちだ
ろう?私のドイツ語通じるかな?などな
ど考えているうちに、あっという間に8
月12日、出発の日がやってきました。9
時半の飛行機なので、朝の5時過ぎに家
を出て、家族全員に関空まで送ってもら
い、フランクフルト行きのルフトハンザ
に乗り込みました。私以外にも四人、日本
からの参加者(受賞者)はいるのです
が、全員関東在住。というわけで私は関
空から一人で出発する事になったので
す。といっても、一人で海外に行くのは
初めてではないのであまり心配もせず、
のんびりと飛行機の中でくつろいでいま
した。そして、11時間あまりでフランク
フルト空港に到着。初の一人でのトラン
ジットも何とか無事にこなし、ボン/ケル
ン空港行きの小型飛行機に乗り換えて40
分。目的地の空港に到着。バゲージ・ク
レームからスーツケースを受け取り、空
港の自動ドアを出ると、すでに到着して
いたグループのメンバーが出迎えてくれ
ました。皆の暖かい出迎えに感動しつつ
もホテルに向かい、その日の晩は何事も
無く過ぎ、私のボンでの生活はこうして
始まりを迎えたわけです。そして、次の
日の朝、私たちはPhillip(私たちのグ
ループの引率)の部屋に呼び出され、初
めて全員が対面。グループはリーダーの
Phillipを初め、アシスタントのAnne、ド
イツからの高校生Karo、イスラエルから
ElenaとShani、ケニアからのStefan、
Edwin、アゼルバイジャンのDschamilia、
韓国からMin-jeongとYi-yeon、日本からみ
ち香、貴志、そして私の13人。Phillip
からボンに関する様々な資料、そしてメ
8
モ帳を手渡され、ボンでのプ
ログラムについて説明を受け
ました。その日はそれからケ
ルンに観光に出かけ、サッ
カーのブンデスリーガを見ま
した。試合はBayern München 対
Bayer Leverkusen(実物の
Oliver Kahnも見ました!)。
Bayern Münchenが5−2で勝ち
ました。私は競技場でサッ
カーを見るのは初めてだったのですが、
とてもワクワクして面白かったです。
ファンの熱気といったら!!ボンでは他
にも、戦後のドイツの歴史や文化に関する
博物館、ベートーベンの生家、市内観光
や、市庁舎に行ってボンの市長さんにあっ
たりなど、色々しました。ボンでの最後
の夜は、International Abendといってプ
ログラムの参加者たちがおのおのの国を
紹介するパーティーをしました。私たち
日本人5人は、浴衣を着て、日本に関す
る短いスピーチと、折り紙を皆に教えま
した。タイやアフリカ、韓国人の子達
は、民族衣装を着て踊っていてとてもき
れいでした。その国の食べ物を持ってき
ている国もあり、このパーティーは、普
段はあまり味わえないその国の文化とい
うものに触れられて、とても興味深いも
のでした。そして次の日の朝、私たちは
2週間ホームステイをすべく、ハンブル
グのそばのWedelという町へと出発したの
でした。ICE(日本でいう新幹線のような
もの)に乗ること数時間、ハンブルグの
中央駅につくとそれぞれのホストファミ
リーとFrau Kjar-PetersというWedelの学
校の先生が出迎えてくれました。皆それ
ぞれ一輪ずつバラを手渡され、それぞれ
のホームステイ先へと向かいました。私
のホストファミリーはEckmannといいお父
さんのBodoお母さんのSilke、おにいちゃ
んのFelix(今は別に暮らしている)、
Katharina、妹のTheresa、弟のLeonard、
そしておばあちゃんのToskaに犬が二匹、
ねずみが二匹、ウサギ一匹の大家族。そ
して、家に着くと自分の部屋(部屋を一
つもらえました)に案内され、なんと、
ダブルベッドで一人で寝てました!!そ
して、次の日から学校で授業があり、一
番面白かった科目は政治です。世界遺産
の都市リューベックやバルト海、北海に
も行きました。リューベックは趣のある
とてもきれいな町で、この町に住みた
い!と思ってしまいました。そして、バ
ルト海の砂浜でピクニック・・・本当に
気持ちよかったです!その反面、北海に
行った日はとても天気が悪く、夏なのに
気温は13度、しかも風が吹いて雨まで
降っていて、とても砂浜でピクニックど
ころじゃありませんでした。これぞ、北
ドイツの気候!というものを味わったわ
けです。という訳で急きょ予定を変更し
て、ナショナルパークの水族館に行きま
した。Wedelでは他にもハンブルグや
Wedelの観光、市庁舎に行って市長さんに
会ったり、はたまた地元紙に三度載った
りもしました。Airbusという世界一の飛
行機会社の工場見学に行き、コックピッ
トにも乗ってきました!また、ライオン
キングのミュージカルを見たり、Wedelか
らハンブルグまでナイトクルーズをした
り・・・ナイトクルーズは少し寒かった
けれど、夜景がとてもきれいでした。ま
た、Wedelでもホストファミリーたちに自
分達の国を紹介するパーティーがあり、
そこでは自分たちの国の料理をしなけれ
ばならなかったので、私とみち香と貴志
は、みち香の家で一緒に巻き寿司を作り
ました。しかし誰も寿司を作ったことが
無く、また炊飯器も無いため、鍋で2kg
ものお米を炊き、何とか美味しい巻き寿
司を作ることが出来ました。寿司作り
は、とても時間がかかったけれど、楽し
かったです。そして、パーティーでは私
の日本に関するスピーチの後、貴志が剣
玉を披露しました。プレゼンテーション
は成功で、特に剣玉は大受けで、皆がや
らせて!と興味を持ってくれました。ホ
ストファミリーの家では、妹のTheresaと
よく一緒にピアノを弾いたりしました。
Theresaはピアノが上手でよくリストの
『愛の夢』を弾いてくれました。また、
おばあさんのToskaの作る料理は格別で、
とくにプラムケーキの美味しい事といっ
たら!!そうこうしている内に2週間が
過ぎ、Wedelから旅立つ日、Katharinaが
ハンブルグの中央駅まで送ってくれて、
電車に乗り込みました。カバンの中にホ
ストファミリーからもらったMausのぬい
ぐるみや、料理の本、いろいろなものを詰
めて、むかうはドイツの首都、ベルリン
です。ベルリンでは、ブランデンブルグ
門や博物館島のペルガモン博物館、国会
議事堂(中も入ってきました)などな
ど、色々な場所へ行きました。ポツダム
まで行って、サン・スー・シー・宮殿を
見たりもしました。他にも、川辺の人口
砂浜でバーベキューをして、ビーチバ
レーやShaniと二人で、初めてカヤックを
漕いだりもしました。そして、日本料理
の回転寿司(日本に無い、なにやら怪し
げな寿司もありましたが、ちゃんと寿司
の味がして美味しかったです)やオース
トラリア料理でクロコダイルを食べたり
しました。もちろん、ベルリンの壁につ
いても勉強し、壁を見たりもしました。
また、ユダヤ人のナチスによる大量虐殺
についても学び、ミュージアムや碑にも行
きました。また、このあとミュンヘンか
らダッハウというユダヤ人の強制収容所
にも行きましたが、それらは口では表し
難い悲しみに包まれていて、ただただ、
こういう戦争は、もう繰り返してはなら
ないという思いでいっぱいでした。そう
して、あっという間にベルリンでの日々
は過ぎ、再びICEに7時間もゆられてミュ
ンヘンへ。ミュンヘンでは街のきれいさ
に感動しつつも、名物の白ソーセージ、
ザウアークラウト、ブレッツェルなどに
舌鼓を打ち、典型的なドイツを満喫して
いました。また、ドイツ一高いZugspitze
という山に登り(登山列車で簡単に登れ
ます)、夏に皆で雪遊びをしたりもしま
した。その山のふもとにはとてもきれい
な湖があり、皆で足漕ぎボートに乗りま
Laurence Levy (French)
My name is Laurence Levy and I am teaching French
in Japan since 7 years now. I spent 2 years in Tokyo as an
exchange student for my research and then moved to
Osaka. I have been teaching in several places like private
schools, universities and this is my first experience in SIS.
I really enjoy it and consider it as a great experience. I am
a specialist in Education and got my Diploma in France at
Lyon 2 University, the city I come from. Even if France is far from Japan I will try
to bring every day with me in my classes the atmosphere of my country.
Elisa Tricerri (French)
した。そして、その日の晩はアイスス
ケートへ・・・。本当に楽しかったで
す!そして、ミュンヘンで過ごす最後の
日、私たちは皆でBarbarian Film Studio
という映画の撮影場に行き、自分達で映
画を製作しました。時間はかかりました
が、本物のセットや機材を使って映画を
撮影するという、めったに無い経験が出
来ました。また、その撮影場は、あのネ
バーエンディングストーリーが撮影され
た場所で、撮影に使われた竜なんかと一
緒に写真を撮る事が出来ました。そし
て、その日の晩はお別れパーティー。
Phillipからもらったアルバムの自分の写
真のところに、それぞれメッセージを書
きあい、PADの歌を皆で歌って、別れを惜
しみました。そして翌朝の3時、最初の
グループ、ケニアとイスラエルの出発で
す。皆再会を約束しつつ泣く泣く別れ、
それぞれの帰路へ。そして次は、朝7時
半に大阪からの私の番です。皆がホテル
の前まで見送ってくれて、Anneに付き添
われ、空港に向かいました。本当に、皆
と別れるのはつらくて、名残惜しかった
です。でも、いつかもう一度会おうと心
に決めて、なんとかTsch??!!と言う事
が出来ました。空港では、Anneにセキュ
リティーチェックまで見送ってもらい、
お互いの再会を祈りつつ別れました。そ
して、フランクフルトで国際線に乗り換
え、一ヶ月間過ごしたドイツと別れて、
11日の朝、日本に帰ってきました。ドイ
ツで過ごした一ヶ月は、とても有意義
で、この夏の忘れられない思い出になり
ました。私はこの旅で、とても大切な友
達を沢山作り、多くのものを学びまし
た。私は、この旅に行く事に賛成し、
色々と助けてくれた両親と、このプログ
ラムに関わり、協力してくれた全ての人
に御礼を言いたいと思います。そして、
またドイツに絶対に行って、皆と会いま
す! Ich liebe Deutschland!! 9
西名 理
ちょうど一年ほど前に、英語科に教育
実習の申し込みをしに行きました。その
時はまったく実感がなく、高校にもどれ
ることがただ嬉しかったです。しかし実
習の期間が近づくにつれ授業をするとい
うことに対して緊張し、不安が高まって
いきました。大学の講義では「教育実習
中の睡眠時間は平均3時間」など不安を
あおられるようなことばかり言われ、恐
れおののいたこともありました。実際の
実習は、不安や恐れを感じる間もなく一
瞬で過ぎていった、これ以上ないほどに
充実した三週間だったと断言できます。
英語を教えるということに対して、私は
大きなコンプレックスを抱えていまし
た。私は帰国生でもなければ英語圏への
留学の経験もありません。こんな私が千
里国際の生徒に英語の何を教えられるの
か、考えれば考えるほど大きな不安とな
りましたが、最終的にはそのことを考え
ることをやめました。考えても仕方がな
い、自分の持てる力を最大限発揮しよう
という意気込みで実習に望みました。私
は千里国際学園で6年間という長い間を
過ごしました。これだけ慣れ親しんだ場
所にいくのに、何を緊張することがある
だろうかと思っていました。しかし、生
徒ではなく、先生でもないという不安定
さからか不思議なストレスを感じていた
ようです。なんとか不安をなくそうとも
がいていた時に先生方や事務の方、その
他たくさんの方に助けられていたと感じ
ます。朝のミーティングの後などに誰か
が笑いかけてくれるだけでこんなにも気
持ちが安らぐものかと驚きました。三日
目の朝からホームルームでのアナウンス
をさせていただきました。ただ前にたっ
てアナウンスするだけなのに思うとおり
にいきません。ホームルームでさえこの
ような状態だったら授業になったらどう
なってしまうのかととても気持ちが落ち
込んでしまいました。おそらくホーム
ルームの生徒たちはごく普通に私を見て
いたに違いないのですが、私がやたら敏
10
感になっており、とても視
線が痛かったです。そう
いったことで、何かあるた
びにへとへとになっている
ような最初の週でしたが、
私の顔を知った生徒が挨拶
してくれるたびにぐんと元気になってい
たのも事実です。最初の週は主に授業見
学をさせて頂いたのですが、この学校を
離れていた四年間の間に私もだいぶ認識
がずれていたようです。どの英語の授業
を見学に行っても、とにかく最初の感想
は「レベルが高すぎる!」ということで
した。大学の授業で模擬授業の講義はあ
りましたが、まったくといってよいぐら
い参考になりませんでした。まず教科書
がないということをすっかり忘れてお
り、いざ授業準備に入ろうとしたときに
「大学で習ったことと何かが違う…あま
りに違う…」と眉間にしわがよりまし
た。最初の授業はあまり記憶にございま
せん。話すこと、とにかく授業を進める
ことに必死で、気がついたら50分も時間
がたっていました。授業準備でその前の
晩眠れなかったにもかかわらず、終わっ
てみると、あらゆるところにほころびの
ある授業になってしまっていました。次
の日の授業はもう少しうまくいくよう
に、またほとんど寝ずに準備をしまし
た。家でも何度もリハーサルをし、ほと
んど寝そうになっている弟を揺り起こし
授業を聞いてもらいました。二日目の授
業の時間配分はなんとかうまくいきまし
たが、生徒を巻き込んだ授業をするとい
う目標はなかなか達成することができま
せんでした。木曜日は研究授業として、
たくさんの先生方が見に来てくださる大
変緊張する授業日でした。校長先生から
大学のゼミの先生まで来てくださり、生
徒たちもとても緊張していたようです。
この授業の直前はさすがに気分が悪くな
り、玄関で風に当たっていたのですが、
その時に用務員のおばさんに励ましても
らった言葉がまだ胸にのこっておりま
す。授業に入ると何かが吹っ切れてしま
い、緊張や先生方がいらしているのも忘
れ授業をしていました。最後の授業でよ
うやく授業をすることが楽しいと思えま
した。私が受け持った授業では生徒がと
ても協力的で、それがどれだけ大きな支
えになったかわかりません。英語科でも
私が少しでもストレスを感じないように
ととても気遣っていただきました。担当
していただいた水口先生はもちろん、英
語科全ての先生に大変お世話になりまし
た。目が回るような忙しさのなかで、私
が質問しても全ての先生がいやな顔一つ
せず丁寧に答えて下さいました。このよ
うなすばらしい環境しか知らなくては他
の学校で教師としてやっていけるかどう
かとても不安ですが、この実習で教師に
なりたいという思いが一層強まり、夢を
実現させまた母校を訪れたいと思いま
す。大学のゼミの先生も私の努力をほめ
てくだり、そして千里国際学園はいまま
で見学した学校のなかで一番理想の教育
現場だと言ってくださいました。少し恥
ずかしかったですが、とても誇らしい気
持ちになりました。最後になりました
が、毎晩遅くまで指導してくださった水
口先生、つたない授業についてきてくれ
た生徒の皆さん、ホームルームなどで顔
を合わし、挨拶を交わしてくれた生徒の
皆さん、そして支えてくださった学園の
皆さんに心から感謝を申し上げます。本
当にありがとうございました。
上田永久子 私は10月の最初の2週間、社会科で教
育実習をさせていただきました。私には
ひそかに、いつか「千里国際学園に先生
になって戻ってきたい」という夢があり
ました。それがこんなに早く叶うとは全
く思っていませんでした。すごくうれし
く思いました。でも私の2週間はもちろ
ん、夢が叶ったうれしさだけでは終わり
ませんでした。
私の実習はいつもの教室から始まった
のではなく、在学中に友達と良くバレー
ボールをしたフィールドから始まりまし
た。そう、その日はスポーツデイだった
のです。久しぶりに戻ってくることがで
きたSISでいきなりスポーツデイに一緒に
参加することができるなんて、すごく幸
運だと思いました。といっても、競技に
出場しないスポーツデイなんて初めてで
した。担任をすることになっていた9年
生たちに混じって、見学をさせてもらっ
ていたのですが、私が在学していた頃と
はたくさんの変化したことがあることに
気が付きました。特にパフォーマンスの
時間です。学年全体が一丸となって一生
懸命に練習したダンスを披露する。おま
けに先生まで一緒に踊っている!私が在
学していた頃には無かったプログラムで
す。私が在学していた頃のスポーツデイ
とは「つまらない行事」だったほどで
す。パフォーマンスの時間は学年のダン
スができる一部の生徒たちが参加するだ
けのものだったし。スポーツデイが終
わった後のホームルームでは、生徒会に
対して、改善点や良かった点、来年加え
てほしい競技などの意見を出すための話
し合いが行われて、「きっとこうやって
学校はどんどん新しく作られていくんだ
なぁ」と感じました。もっともっといい
学校になっていけばいいなとワクワクし
ました。
私の実習本番は、9年生の基礎社会と
10年生の比較文化、12年生の地球社会と
個人を受け持ちました。9年生の授業で
は「テクノロジーの進化は人間を幸福に
するか否か」というテーマでディベート
をしました。10年生の授業では「世界な
んでもランキング」という
色々なテーマで世界各国に
世論調査をした結果から、
何のテーマについてのラン
キングかを推理するゲーム
をしました。12年生の授業
では生徒たちの希望であっ
た「国際機関で働くには」
という授業をしました。これらは、SISだ
からこそできたユニークな授業です。ど
うすれば受身だけで終わらない参加型の
授業ができるのか、しかしただ「オモシ
ロかった」という感想で終わるのではな
く「今日は学ぶことが多かった」という
思いを生徒たちにいかに抱いてもらう授
業をするか。本当に難しいと思いまし
た。日本の学校はSISのような授業をさせ
てくれるところばかりではなく、色々な
学校もあるということも忘れてはならな
いことでした。そしてもう一つは、授業
をしながら教師はたくさんのことを瞬時
に考え、授業に反映しなければならない
ということが、すごく大変でした。生徒
に目配り、気配り、生徒の反応によって
は発問の仕方を瞬時に変えたり、立ち位
置を考えたり、声のトーンやアクション
や・・・・。その時、在学中に自分が授
業を受けていた時の先生たちのことを思
い出し、「あぁ、あの時の先生はこんな
にもたくさんのことを考えながら私たち
に授業をしていたのか」と、改めて先生
たちを尊敬しました。そして、謝りたく
なりました。「あの時はきちんと聞いて
なくてすみませんでした!」と。
教育実習中に先生から教えていただい
たことは、教員として働くことになった
後だけでなく、普段の人間関係の中でも
使えるものもありました。自分の人間性
や普段の話し方などでも、気をつけなけ
ればならないと気付かされたこともあ
り、教師になるための授業の仕方だけで
なく、本当にいろんなことを学ぶことが
できた2週間でした。「私は教師に向い
ているだろうか」という疑問を抱きつつ
始まった実習でしたが、まだその答えは
はっきり見つかっていません。自分の将
来の道もきちんと見えていません。た
だ、この2週間に学んだこと、先生方が
私にくださった励ましの言葉や授業への
コメント、そして今、私の中に生まれた
新鮮な数々の気づきは確かに私の中で生
まれた一つの答えだったことは分かりま
した。だからこれらは、絶対に忘れませ
ん。必ずこれからの将来に生かそうと思
います。支えてくださった多くの先生
方、ランチタイムやアンスケ中に私を仲
間に入れてくれた生徒のみんな、本当に
ありがとうございました。これからもが
んばります!
千里国際学園では、自分の行動
に責任を持ち、よい人間関係を維
持していく能力が、生徒各自に備
わっていると信じます。この考え
にもとづいて、次のような行動の
目安がつくられています。
<5つのリスペクト>
自分を大切にする
他の人を大切にする
学習を大切にする
環境を大切にする
リーダーシップを大切にする
11
自分達の目の前に困っている人たちがいるからです。
彼等は決して自ら進んで野宿しているわけではありません。彼
等は仕事を求め、できる限り自活することを望んでいますが、
高齢であったり障害を持っていたり、いろいろな理由で仕事が
みつからず野宿を強いられているのが現状です。またこれは日
本の経済政策、労働者施策のマイナス部分が現れた結果でもあ
ります。釜ヶ崎をはじめ「寄せ場」と言われる日雇い労働者の
街は主に建築関係の仕事をする使い捨て労働者市場として行政
主導でつくられたものです。彼等は日本の高度経済成長を底辺
で支え、不要になったからと切り捨てられた人々と言えます。
私たちは「人が人として」生きていける世の中になるよう、こ
ども達とともに自分達が出来うる何か・・のひとつとして夜ま
わりをおこなっています。
OIS 5th graders have been supporting welfare organizations in
Kamagasaki for almost 15 years now. Over the years, the children
have helped serve meals, as well as donating clothing and food.
Such service-oriented activities help our children to ponder: Who
are we? How do we organize ourselves? How do we share the
planet? What is our responsibility?
This year, our students are working alongside local Japanese
children who make and deliver onigiri to the homeless people in
their neighborhood, once a month.
Because there are people in front of us who are in need. They
themselves do not choose to live on the street by any means.
They seek jobs and want to be self-supporting. However, the
reality is that they cannot find jobs and are forced to live on the
street due to various reasons such as old age or being physically
handicapped. Also this is a result of economic and labor policies
in Japan being developed in negative ways. Districts called
“assembly areas” for day workers; including Kamagasaki, are
made to create a market of disposable workers who are mainly
engaged in construction-related work at the initiative of the
government. They are the people who supported Japan’s rapid
economic growth from the bottom up but now they’ve been
discarded because they are no longer needed. We patrol at night
as one of the things we can do with children hoping to help make
the world a place where “people can live as people”.
◇
The children who began this ‘Yomawari’ (evening circuit –
checking on people’s welfare and offering food or blankets) are all
members of Sanno Children’s Center, an after school care facility
in Nishinari-ku. http://www5c.biglobe.ne.jp/~sannoh/
The children have set circuits and go around in groups of 5-6
people, with 2 adults in each group. They are encouraged to ask
the homeless people questions such as what kind of onigiri they
like or their experiences of World War II. At the same time, they are
taught to bend down and meet the homeless at eye level, rather
than looking down on them.
After the ‘yomawari’, the leaders of Sanno Children’s Center
answer children’s questions and collect their reports about
homeless people who may need follow up care.
12
はい!夜まわりをする中で危ないということはありません。
こども達が住み、普通に生活している地域をまわっています
し、大人も一緒です。もし、野宿しているおじさん達が危険人
物ではという思いがあるのでしたら、それは偏見です。ほとん
どのおじさんは、こども達の夜まわりをうれしく思ってくれて
います。
No! It is not dangerous at all to patrol at night. They patrol the
area where children live normally and adults are with them. If you
think those men who live on the street are dangerous it is
prejudice. Most of them feel happy that the children patrol at
night.
◇
I liked the games and I made some friends. It was good. (Kai)
I want to do it again because I get extra time with my friends,
and make new friends. Also, you feel happy about yourself
because you know you’ve helped people. (Kate)
難波和彦
10月の始めに、静岡でJALT(全国語学教
育学会)という英語・日本語など語学を教
える先生たちの学会の全国大会があり、
参加をしてきました。僕は自分の研究し
ているコードスイッチングのことについ
て、発表をしました。発表は英語でおこ
ない、約20名ほどの聞きに来てくれた人
もほとんどが日本人ではありませんでし
たが、やはり日本でおこなわれている学
会なので、日本語のことはわかる人がほ
とんどで、データの中に出てくる日本語
のことなど、すぐにわかってくれたの
で、同じ話を海外でするときなどに比べ
ると、ずっと話がしやすかったです。
(今年は夏にイギリスで一度発表をした
のですが、そのときも日本語のことを
知っている人からは、的確な反応があり
ました。)持ち時間は25分で、残り時間
が15分になると、あと10分、あと5分、
あと1分、ストップ、というように、係
りの人が、残り時間をかいたカードを後
ろであげてくれるので、それを見なが
ら、時間に収まるように発表を進めなけ
ればいけません。ついついあれも言いた
い、コレも言いたいという感じで、いろ
んなことを詰め込みすぎてしまうのです
が、今回はなんとか時間内に自分の言い
たかったことを、全て言うことができま
した。発表の道具としては、パワーポイ
ントを使いました。昔ながらの、O H P
(オーバーヘッドプロジェクター)を
使っている人、プリントを配ってそれを
もとにして話す人、などいろいろなスタ
イルがありますが、やはり今はパワーポ
イントが主流になってきているようで
す。うちの学校でも中学1年生でもう使
い方習っていますよね。僕の発表は、
コードスイッチングで二つの言語を切り
替えるときに、切り替えるポイントが、
常にチャンク(コロケーション、熟語、
イディオム、フレーズ)の切れ目になっ
ているかどうか、ある単語のかたまりが
そういったチャンクなのかどうかを、ど
のようにして見分けるか、といった内容
lingualism 研究部会といって、バイリン
ガリズムに特に興味を持つ人たちのグ
ループがあり、定期的に出版物を出すな
どの活動をしています。僕の発表にもそ
この人たちが来てくれて、励ましてくれ
ましたが、今年はバイリンガルの子供に
どのように名前をつけたのか、というこ
とについて、60の家族のエピソードを載
せた冊子ができあがり、それに因んだ発
表もありました。(僕らも自分たちの子
供の名前の由来について、記事を書きま
した。またあるSISの生徒のことも書いて
あります)日本語と英語の名前の両方を
についてでした。例えば、”よーしkeep
an eye するぞ” というコースイッチング
の文について見てみると、”よーし[ ]
するぞ”という日本語のチャンク、”
keep an eye”という英語のチャンクの組
み合わせになっています。こういった
チャンクは、”文法”だけでは、説明で
きないものがあり、全てが辞書に書いて
あるわけでもなく、見分けるのが大変難
しいのですが、何回も同じ形で使われ
る、会話の中で特定の機能(例えば相手
に警告を与える)を持っている、明らか
に誰か他人の発言を真似しているという
証拠がある、独特のイントネーションを
伴う、といったような基準でチェックを
することで、”チャンク”であるかどう
かを決めることができるのではないか、
という話をしました。JALTの中には、Bi-
つけて、片方をミドルネームのようにす
る人もいれば、英語でも日本語でもどち
らでも通用する名前をつけて、ミドル
ネームはつけない人もいます。この場
合、英語できちんと発音できて、日本語
でちょうどいい漢字があるということが
条件になります。女の子の名前のほう
が、この条件に合う場合が多いらしいで
す。日本語でいいと思っていても、それ
が英語ではおかしな意味の言葉になって
しまうことなんかもあるようで、いろい
ろなことを考えないといけません。この
冊子を読んでみたい人は、僕の手元に一
冊ありますし、バイリンガリズム部会の
ホームページhttp://www.bsig.org から
も注文できるはずです。
It’s fun to make the onigiri. At first, I didn’t know what to say
to the homeless people but I’m used to it now. (Niki)
At first I thought it would be boring but everything was fun. I
want to go again. (Alem)
◇
The Yomawari program is usually held on the second Saturday
of each month.
If you would like to volunteer your time or donate goods to
Sannoh Children’s Center, please contact Lyn Melville-Rea
(Community Service Coordinator at OIS) [email protected]
冬季の夜まわり時には、おにぎりの他、毛布(布団はダメで
す)カイロを持って行きます。
衣類を持って行くことは多分ないと思いますので夜まわりへ
の支援には上記の品物をお願いします。お米・昆布・海苔など
も助かります。皆さまのご理解とご支援が大きな励みにもなり
ますので、よろしくお願いします。こどもセンターへのご支援
もよろしくお願いします。
社会福祉法人ストローム福祉会 山王こどもセンター
http://www5c.biglobe.ne.jp/~sannoh/
13
学年だより
12345678901234567890123456789012123456789012
12345678901234567890123456789012123456789012
12345678901234567890123456789012123456789012
12345678901234567890123456789012123456789012
●中等部1年生(7年生)
平井太佳子
中学1年生は今水泳の授業で6種類の異
なる泳ぎに挑戦しています。クロール、
平泳ぎ、背泳ぎ、横泳ぎ、バタフライ、
エレメンタリーバックストロークという
泳ぎです。エレメンタリーバックスト
ロークがいったいどんな泳ぎかはぜひお
子さんにお尋ねください。
小さいころからスイミングクラブに
通っていてスイスイ泳げる生徒もいます
が、初めてバタフライに挑戦するので緊
張している生徒もいます。口では「え
∼、無理ぃ!」と言いながらも、一生懸
命言われたように体を動かして授業終了
時にはなんとかバタフライになっていま
す。
ちょっとくらいバタフライが泳げても
何かの役には立たないかもしれません
が、でも「自分って頑張れば結構できる
んだ!」とか「しんどくても頑張った自
分をほめてあげたい」なんて思えたら、
人生のなかなかポジティブになるのでは
ないかな、と期待しています。
もちろん遠い将来、健康が気になり始
めてフィットネスクラブに通い始めた
時、プールで周りの人やインストラク
ターの人に「お上手なんですね」なんて言
われたら気持ち良いでしょうしね。
●中等部2年生(8年生)
難波和彦
8年生では、スポーツデイに向けて、
スポーツデイ委員をSIS-OISの各クラスで
選び、その委員がミーティングを開き、
パフォーマンスをどうするか、学年でそ
ろえるユニフォームをどうするか、と
いったことについて話し合い、学年の全
体をリードしていきました。ミドルス
クールの部で優勝といううれしい結果が
出ましたが、そこにいたるまでの、苦労
話を本人たちの口から語ってもらいま
しょう。
<全般について>
この前のスポーツデイはとっても楽し
14
かったです。今回私はスポーツデイ委員
でした。楽しそうだなと軽い気持ちで入
りましたが、やっているとすごく大変で
した。T-シャツやパフォーマンスなど、
決めることやみんなをまとめることが多
かったです。文句も何回も聞きました
し、本当に大変でした。今年は用意をは
じめるのが遅かったので、こんなことに
なってしまいましたが、最後にはパ
フォーマンスもT-シャツもうまくいきま
した。毎回私たちがミーティングをして
いるときなどにいてくださって、いろい
ろいいサイトなどを見つけてくださって
ありがとうございました。先生方の協力
があったからスポーツデイはうまくいっ
たのだと思います。来年はもっとはやく
から用意を始めたいと思います。(1組中
尾千里)
<Tシャツ作り>
今年、私はSports day委員をやりまし
た。想像してた以上に問題だらけで大変
でしたが大変だった分、やり甲斐があり
ました。学年皆の意見や希望に出来るだ
け応えたいと思ったけどやっぱりそれは
不可能でした。中にはSports day委員だけ
で決めなきゃいけないことも沢山あって
心苦しい時もありました。去年はT-shirt
を作らなかった私達は今年こそは皆でお
揃いのT-shirtを作ろう!ということに
なった時には、Sports dayまでは後三週間
足らずでした。その三週間程度でやらな
ければいけないことは沢山ありました。
今年は学年のほとんどの人がパフォーマ
ンスに参加することになっていたし初め
ての試みだったので訳がわからないし手
の空いている人がいなくて毎日必死でし
た。また、予算も安めだったので予算に
合う店がなかなか見つからず店を探すだ
けで一週間程使ってしまいました。なん
とか店を見つけてデザインも出来たとき
にはSports dayまで一週間でした。何とか
2日前には届くように発注してもらいやっ
てきたT-shirtはアメリカサイズでした。
そこまで把握してなかったので皆日本の
サイズに合わせて買ってしまいダボダボ
でした。何とか当日には皆T-shirtを着れ
ました。他の学年の人らはもっと早くか
ら計画的にT-shirtのこともパフォーマン
スのこともこなしていたのに対して今年
の私達は何て手際が悪かったんだろう。
と思っています。でも去年よりも楽しい
Sports dayになったのは事実です。色んな
問題やら話し合い中にケンカみたいに
なった時もあったけど最後には上手く
いってよかったです。失敗した点も多
かったけれど、そこから学んだ点も多
かったので結果良かったかなぁと思って
います。来年はもっとスムーズに余裕を
持ってやれたらいいなぁ。来年のSports
day委員やろうと思ってる人!期待してま
す。頑張って!!!(3組岡本さやか)
<Tシャツ作りとパフォーマンス>
SPORTS DAY was extremely exciting
and fun but the week before it was busy
and just... exhausting. We actually started
to look for T-shirts a week, two weeks
before the big day. BIG MISTAKE. After
looking on the Internet, we started to realize
that there aren't that many green , cheap Tshirts that you can receive in less than a
week. So on the Saturday before Sports
Day some of the committee went to
UNIQLO and some other stores to see if
there were and "perfect shirts". Of course
we couldn't find anything good enough
because there's almost no summer clothing
out in the end of September. But we were
saved- someone sent us an Internet site
that sells pretty cheap shirts than we can
get in less than a week. We had to do our
own decoration using iron prints but
somehow that worked out, even though
the shirts were enormous. But if you tied up
the bottom and rolled up the sleeves it
didn't look too bad. All in all the shirts were
OK but next year let's have a company do
everything! Another really hectic part of
Sports Day was the performance.
Everyone finally started to practice on the
last week, so basically we learned the whole
performance in one week. with practice
from 3:45-6:00 in the evening and 7:30-8:30
in the morning it's amazing how hard
everyone tried. The performance was
pretty good and I'd just like to thank
everyone for their hard work! It's a miracle
everything worked out! (Class 3•Tabatha
Johnston)
<パフォーマンス>
私は今年のsport dayを楽しみました。
一番楽しかったことはパフォーマンスで
す。パフォーマンスの練習はとても大変
でした。朝は7時半から集まって放課後
も6時までずっと練習していました。振
り付けを覚えるのがとても大変でした。
最初は4日間でこのダンスを全員が覚え
られるかどうかとても心配でした。でも
本番の時は思ったよりもすごくみんなま
とまっていて良かったと思います。私が
一番Sports day 委員をやって大変だった
ことは、やり始めるのが遅くて曲やダン
スの振り付けTシャツなどが手際よく出
来なくてあとから大変になったことで
す。でもTシャツも自分たちで印刷にす
ることによって8年のオリジナルができ
てよかったし、ダンスの振り付けもみん
ながんばって覚えて本番では成功したの
でよかったと思います。私は今年のsport
day委員をやってたくさんのことを学びま
した。例えば、みんなをまとめるにはど
のようにしたらいいか。でも私達は未熟
でそれが出来ませんでした。それに今年
は時間がなかったのでたくさんの人の意
見を聞かずにどんどん物事を進めていっ
てしまったので来年は今年の悪かった
点、良かった点を参考にし、物事がス
ムーズに進むようになって今年より沢山
の人の意見を聞いてもっと良いSports day
に出来たら良いと思います。(1組中村明
日香)
今回のスポーツデイは本当に楽しかっ
たです。私はパフォーマンス係で、ふり
つけを考え、それをみんなに教えたりし
ました。今回は準備を始めるのが遅かっ
たので、スポーツデイ当日は、本当にパ
ニック状態でした。しかし、みんなハー
ドな練習を積んでくれたので当日は成功
に終わりました。今回のスポーツデイに
も優勝できたし、無事パーフォーマンス
を終えられたので、一件落着でした。本
当に楽しい一日でした。(1組縄田咲)
<リレーに出場して>
9月の始めごろのある日、係りを決め
る日でした。僕は、なにをするか全く考
えていませんでした。きめる時間になっ
た時、僕は何も考えずに友達を誘ってス
ポーツデイ委員になりました。あまりス
ポーツデイ委員は何をするのかがよくわ
かっていませんでしたが、面白そうだか
らやろうと決めました。しかしそんなに
軽い仕事では、ありませんでした。ス
ポーツデイに近づくにつれミーティング
の回数と時間が増えていきました。大変
だったけど結局は誰かがやらないと思い
頑張りました。僕はそんなにたいしたこ
とを言えませんでしたが、すごく白分の
為になったと思います。僕は責任をもっ
てこういうことをするのが初めてだった
のでかなり大変でした。色々なもめあい
もありましたが、無事にスポーツデイを
成功できて良かったです。僕はスウェー
デンリレーに出たときは、最後に走った
のだけれど、前に走っていた人など(中尾
千里、岡本さやか、西本峻)がかなりの距
離を離してくれていたおかげで勝てまし
た。最後に今年のスポーツデイは、大成
功をおさめる事ができました。それは、
僕のほかのスポーツデイ委員の人たちや
パフォーマンス係の人、そしてみんなの
協力があってこそ成功できたのだと思い
ます。このスポーツデイによって8年みん
なの絆が深まったと思います。みなさん
お疲れ様でした!!! (2組松尾都司憲)
●中等部3年生(9年生)
松島 勇
中学三年生の国語の授業では、古典を
学びました。古文では松尾芭蕉の「奥の
細道」、漢文は「論語」というまさに古
典の王道といった教材のさわりの部分だ
けを学んだわけですが、私の力が及ばな
いせいか、反応も今ひとつで、あまり盛
り上がらないまま古典の授業が終わって
しまい残念に思いました。しかし、私自
身の中にこのままで終わっていいのかと
いう思いもあり、古典を学ぶ意義とまで
はいかないまでも何かしらを感じてもら
いたいと思い、最後の時間に孔子が理想
とした礼による統治の話をしました。専
門的に学んだわけではない私が言うので
すから、かなり大雑把な内容になってし
まったのですが、私が言ったことをかい
つまんで言うと「孔子が理想としたもの
は、一人一人が自分の中に「仁」という
徳を育てることによって、世の中を治め
ようとしたのだ」ということです。それ
に続けて、儒教から生まれた「性善
説」、「性悪説」の話をしたところ、
「今習っている」という生徒の声もあり
ました。それに気を良くした私は、校則
によって生徒の在り方を規定するのでは
なく、「五つのリスペクト」を守ること
で学園にふさわしい生徒になることを目
指すSISの教育は、孔子が目指したも
のによく似ているのではないかと語りま
した。改めて思うと確かに、孔子の
「仁」もSISの「五つのリスペクト」
もその実践の仕方は人によって違いがあ
るという点も、個人の人格の完成を目指
して学問を重んじた点も一致しているの
ではないかと思います。故きを温めて新
しきを知るというのも論語の言葉です
が、古典を学ぶ意義はこうした共通点が
見出せるところにあるのではないでしょ
うか。よりよい生き方を目指すというこ
とは、昔からの人間の課題だったとも言
えるのではないでしょうか。さらに、S
ISの生徒だから考えてほしいことがあ
ります。国際社会で活躍できる人間の育
成を目指すこの学校においてこそ、古典
をしっかり学ぶことは大切なことになる
のではないでしょうか。古典はその国の
人間が長い年月をかけて育んだ文化その
ものです。そうした自国の文化をしっか
り知ることの出来る人間が実は国際的な
人材になれるのではないでしょうか。国
際理解に必要なことは他の国の文化を尊
重できることです。自分たちの文化すら
理解しようとしない人間が他の国の文化
を大切に出来るでしょうか。自国の文化
も大切だと思います。
●高等部1年生(10年生)
土佐礼子
先日(10月19日)のHRでは、大学進
学を見据えた進路についての参考に、SIS
卒業生(大学4年生の上田永久子さん
と、この4月に卒業したばかり大学1年
の高津正義君)が皆さんに話をしてくれ
ました。この春高校生活が始まったばか
りでまだ半年、大学受験のことは早すぎ
る気もしますが、一方、2年後の今頃は
もうAO入試や推薦入試の真只中というの
も現実です。二人の話のポイントを拾っ
てみます。
…私学と国立の大学受験の経験を振り
返ってみても、高校での授業を基本とし
た学習をしっかりしておけば特別な対策
は必要でないと思う。特に高校1年、2年
の間はあまり大学入試ということに縛ら
れず、学校での勉強を広くしっかりやっ
ておくほうが良いだろう。…
しかし、高3にもなると、学校の休み
期間には塾の自習室などを利用して朝か
ら夜まで勉強したという話も聞き、驚い
た(ショック受けた)かも知れません。
15
そもそも高校卒業後の進路は何も大学
や専門学校に行くことばかりではありま
せん。
また、その先学校に行かないからといっ
て、もう勉強しないですむというもので
もありません。世の中の多くの問題は解
答の準備されていないものばかりです
し、問題自体を自分で見つけ出して答え
を探究していくことの方が知識をいっぱ
い持っているより重要になります。将来
自分の適性にあった進路を積極的に選ぶ
ことができればそれにこしたことはない
でしょうが、その適性がまだはっきりし
ない人も多いでしょう。社会の傾向やど
んな分野が有利かを気にする人もいるか
もしれません。いろいろな情報がありす
ぎると、かえって本質が見え難くなるこ
とがあります。
世の中の変化は急速です。5年後まし
て10年後のことは誰も正しく予測できな
いでしょう。これから幅広く学習をして
いく中で、自分の深いところにある興味
や関心のアンテナにかかるものを見出し
て欲しいと思います。
●高等部2年生(11年生)
山本靖子
10月1日、曇り勝ちながら、秋とはい
えないほど強い日差しが時折差し込む中
行われたスポーツデイでは、見事12年生
に続く2位を獲得しました。学年便りを書
くために、去年のこの時期はどんなだっ
たかなあとその時のインターカルチャー
を読み返してみると、スポーツデイ前も
至ってのんびりムード、というようなこ
とが書いてありました。今年もどうも動
きが外側から見えず、練習や準備どうし
てるんだろうというのが、もっぱら学年
会の話題でした。しかし、田中先生の「ど
うも地下組織で色々動いているようです
よ。」というお言葉は正しかったのです。
Tシャツの企画からに応援グッズ、競技の
練習、すべてしっかり団結して、執り行
われていました。すべてはスポーツデイ
当日にお披露目され、グッズ、競技、そ
のすべてのクオリティには驚くばかり。
パフォーマンスの一体感も素晴らしく(曲
がすべて日本語だったところがちょっと
審査員受けを逃した感がありますが)、満
足度の高いスポーツデイになりました。
16
SIS10年3組の黒川侑がリサイタルを開きます!
ぜひ来て下さい!
日 時:12月17日(土)AM10:30開演
会 場:中之島大阪市中央公会堂 中集会室
入場料:1000円(自由席)
HP:http://www.soundpie.com/harvest/
whatsnew/update.htm
プログラム:モーツァルト/ピアノとヴァイオリンのためのソナタK304、
ブラームス/ヴァイオリンソナタ 第2番、ラヴェル/ツィガーヌ 等
興味のある方は、黒川君(10-3)まで。チケットあります。チケットぴあ
(TEL 0570-02-9990)でも購入可能です。Pコード 191-788
*問い合わせ・チケット申し込み:ハーベスト・コンサーツ TEL0727-594533
( 個人的には来年の優勝を確信しまし
た。)
そんなこんなで盛り上がったスポーツ
デイと平行して、高校生活の一大イベン
ト、学年旅行の企画も旅行委員を中心に
進みつつあります。10月末に行く先も決
定し、これからが委員にとってはなかな
かしんどいけれど楽しい部分でもある、
実際の旅程の企画や事前学習になりま
す。スポーツデイのいい勢いで、みんな
の心に残る旅行をみんなが関わって作り
上げていってくれることをとても楽しみ
にしています。
●高等部3年生(12年生)
田中 守
12年生にとって、今年のスポーツデイ
は特別なものとなりました。念願の優勝
ができたことはもちろんですが、そのこ
とよりも「パフォーマンス」にOISも
ふくめた学年全員が参加し、最高点をい
ただけたことでした。振り返ってみる
と、LHRでの激論の末、全員参加が決
まり練習が始まり、朝早くから集まり練
習の日々…。その勢いに背中を押され担
任まで一緒に踊ることにもなってしまい
ました。最長6年間の締めくくりの行事
として、感慨深いものがありました。そ
れぞれの個性を認めながら、協力して一
つのものを創りあげていく理想的な姿が
そこに実現されていました。
残る行事はいよいよ卒業式です。すで
に卒業式委員会もスタートしています。
きっとまた個性的なこだわりの式となる
ことと思います。また学年の保護者有志
の方々が中心となり、卒業式のあとの
パーティを校外で行うことを準備してく
ださっています。手狭なカフェテリアか
ら離れ、これまでのこと、これからのこ
と…。話したいことは山ほどあるでしょ
う。その大切な時間をゆったりとした空
間で過ごさせてあげたいというお心遣い
です。
今12年生は、次のステップに進むため
に、夢を膨らませながら、入試という試
練に立ち向かっています。ときにはつら
そうな表情を見せる彼らを見守りなが
ら、この試練が彼らをまた一段と成長さ
せてくれているようにも感じています。
そして、それぞれが納得のいく道を探し
当ててくれることを心から願っていま
す。
青山比呂乃
10月末の1週間、同志社大学から司書
課程履修者の大学4年生2名の図書館実習
を受け入れました。
これは、教職課程履修者が教育実習を
するように、司書資格、司書教諭資格取
得を目指す学生がしなければならない実
習です。実際に実習が出来るような学校
図書館は少ないため、同志社大学からの
依頼を受けて昨年度より受け入れるよう
になったものです。
実習では、図書館の本や雑誌を整理す
るなどの事務的な仕事の他に、授業で図
書館を利用する際に生徒の皆と一緒に資
料を探したり、OISの中学生に「五体不満
足」のような障害者の伝記を紹介する
ブックトークをしたり、中1の「知の探
検隊」や「コンピュータ基礎」では、教
室での中間発表へのまとめや発表自体を
見てもらったりと活躍してもらいまし
た。
1週間の最後は、ちょうどOIS小学部の
ハロウィーン・パレードが学内を練り歩
く午後にあたっていたため、「トリック
オアトリート!」の声に応え
て、トリート配りもしました。
以下は、実習生の感想です。
五日間という短期間の実習で
したが、学校図書館の仕事に一
通り触れさせていただくことが
でき、図書館での授業や関連す
る授業にも参加させていただいて、とて
も充実した日々を過ごすことが出来まし
た。生徒の皆さんの、素直で自発的に勉
強に取り組む姿勢や、先生方や図書館員
の方々との交流を通じて、多くのことを
得られたと思います。本当にありがとう
ございました。
五日間お世話になりました。毎日が新
鮮な出来事にあふれており、あっという
間に過ぎ去ってしまいました。様々なタ
イプの洋書を扱ったり、「知の探検隊」
など学校図書館を活用した授業の見学を
したりと、この図書館ならではの実習を
多くさせていただく中で、学校における
第二外国語教育や、総合的な学習の時間
の使い方、ならびに学校図書館の役割に
ついて、いろいろ考えさせられました。
お忙しい中、懇切丁寧に図書館業務や授
業について教えてくださった図書館員の
皆様、そして授業の見学や参加をさせて
いただいたクラスの先生方や生徒の皆さ
んには本当に感謝しております。貴重な
体験をさせていただき、ありがとうござ
いました。
弥永千穂
風邪の流行する季節となりました。インフルエンザもそ
ろそろ流行してくるかもしれません。これらの予防のため
には日頃からバランスよくしっかり食べ、十分な睡眠時間
をとり、運動し免疫力を高めておくことが大切。また外出
後の手洗い、うがいを習慣にしましょう。(公共交通機関
で登校する人は学校についてから手洗い、うがいを。)う
がいの苦手な人は緑茶を飲むというのもひとつの手です。
また乾燥した室内は風邪ウィルスにとって居心地がいい場
所になるので加湿器などを使用し湿度を50∼60%に保つと
よいでしょう。1∼2時間おきを目安に室内の換気も忘れ
ずに。それでも風邪はひいてしまうかもしれませんが、風
邪をひいた時は ①しっかり休養 ②バランスのとれた食事、
十分に水分をとる ③早めに医者に見てもらう(熱が
38度以
上、市販薬を数日飲んで症状が回復しない場合は必ず受診
しましょう。) ④人ごみに出かけたりしないように心がけ
ましょう。そしてみなさんが風邪で辛くならないよう、風
邪が学校で大流行しないようにお願いがあります。風邪を
ひいたら ①登校前に熱を測り、登校できるか保護者の方と
相談しましょう。(学校で高熱になって帰れなくなること
もあるので早退方法、保護者の居場所も確認を。)
②症状
が辛い場合は保護者の方と相談して市販薬を服用したり、
受診してから登校しましょう。(風邪症状が悪化した場合
は保健室では休養や早退させてあげるくらいしかできませ
ん。) ③周りへうつさないような心配りを(咳が出ている
時はマスクを着用する、口を必ずおさえて咳をする、頻繁
に手を洗う、鼻をかんだ後は手を洗うなど)。もし、急に
38℃以上の発熱、頭痛、関節痛、筋肉痛など全身の症状で
てきたら風邪ではなくインフルエンザの可能性が高いので
必ずお医者さんにみてもらってください。みなさんが元気
に冬を越せますように!
17
野村 悠
今年のテニス部は、いつも以上に活発で
みんなのヤル気が感じられました。プレ
シーズンは例年より早く5月末から始ま
り、みんな熱心に週3回の練習に参加して
くれました。楽しくかつ真剣にという感じ
で、和気あいあいとした雰囲気のなか、テ
ニスを通じで他の学年の生徒と仲良くなる
ことができたと思います。初心者の子達も
みるみるうちに上達して、週末に行われる
試合に参加出来るほどになっていました。
秋学期の練習ではフィールドが野球部の
練習と重なってしまい以前のように週3回
使えなくなってしまいました。そのため、
Mr.Eと中尾先生が男子女子各週1回ずつ近
くのテニスクラブのコートを予約してく
れ、練習に励むことができました。APACが
近くなるとみんなより一層力を入れて練習
に参加して、お互い声を掛け合い、とても
充実した練習内容だったと思います。イン
ビテーション試合でもその結果を示し、優
勝することができました。
このような練習の中で選ばれたAPACメン
バーは、私を含めた10名でした。SIS11年か
ら伏見こうすけ、溝口ともあき、桑原だい
すけ、上田るか、菅野もえか、野本ゆう
き。SIS10年から中田たくま、井上暢子、そ
してOIS11年の松宮しょう、というメンバー
で今年の会場の上海に飛び立ちました。う
ちの学校ではAPACのみが正式な試合となる
ので一気に緊張が高まります。あまり調子
が出なかったり、いつもしないミスをして
しましまったりということがありました
が、心強い応援と今まで頑張ってきた自分
を見つめなおしながら、みんな一つ一つの
試合に立ち向かっていました。
結果、総合2位というとても誇らしい成
績を収めることができました。個人の成績
では、女子シングルス11年上田るか2位入
賞、女子ダブルス12年野本ゆうき10年井上
暢子ペアが2位入賞。他のメンバーもベス
トを尽くして、みんなでつかむことができ
た総合2位だと思います。みんな、お疲れ
様。
もうテニスのシーズンが終わってしまっ
たと思うと、本当に残念です。今年は11年
18
生中心に部員が集まっていたので、来年は
12年になり、受験のシーズンと重なってし
まいますが、今年以上に頑張って欲しいと
思っています。
このテニス部が大きな成功に終わったの
には、Mr.Eと中尾先生の力強いサポートが
あったからです。2人とも優しく、そして
厳しく指導してくれ、みんなの上達を第一
に考えてくださいました。中尾先生は今年
でSISをお辞めになるのですが、今年のAPAC
の結果はこの3年間中尾先生がテニス部に
費やしてくれた努力がかなったものだと思
います。中尾先生がいなくなってしまうの
は本当に残念です。テニス部一同、感謝致
しております。お疲れ様でした!Mr.Eと中
尾先生には本当に感謝しています。ありが
とうございました。
私はもう卒業してしまうので、SISでテ
ニスはできなくなってしまいました。留学
していた1年を除いては、テニス部に所属
していたのでとても名残惜しいものがあり
ます。来年は総合1位を取るとこうすけと
約束したので大いに期待しています!笑
最後に再度、先生のお二方、ありがとうご
ざいました!
Kousuke Fushimi
This years tennis team was really great,
we ended up 2nd beating other four schools.
Not only that in the girls singles Ruka Ueda
became 2nd and also in the girl's doubles
Nobuko Inoue and Yuki Nomoto became
2nd, what a fantastic job. Also in boys
doubles Sho Matsumiya and Daisuke
Kuwabara were playing for third or fourth
place and they were in a close game, but they
ended up getting 4th. It was a nice game
guys you did a great job in your game. The
other members of the tennis team who went
to APAC did their best and they did a great
job to get the 2nd place trophy. I think that
every one had fun time during APAC and it
was great time for me too, except when I had
to come back to Japan.
In this years tennis season over thirty
people joined the tennis club and we
practiced Monday, Wednesday, and Friday
every week (if it didn't rain). We practiced not
only in the field, but also on the roof of our
school, at Aqua (tennis club near the
school), and at the Dai ni tennis courts. Every
single player were desperate to get in the
APAC team and I could feel that they were
serious and trying their best to get better and
better. For those who didn't go to the APAC
some of the members had games with the
middle school kids and most of them were
able to win although some of them had close
games. Still I think they did a great job and
congratulation for all the people who played,
and next year please work hard and try hard
to be one of the APAC member.
That would probably be enough for the
students and all of the tennis members owe
THANK YOU to the teachers who had
looked over us during the season. Thank
you very much for looking over the boys Mr.
Entwistle and thank you for looking over the
girls Mrs. Nakao we were really glad that we
had you two as our coaches. Also for Mrs.
Nakao we will be missing you from next year,
but thank you for looking over us for three
years; it was really an honor to have you as
one of our coach. That would be enough for
the tennis team and just one last thing, great
job to all the APAC members (Kousuke
Fushimi, Sho Matsumiya, Takuma Nakata,
Daisuke Kuwabara, Tomoaki Mizoguchi, Yu
Nomura, Ruka Ueda, Moeka Sugano,
Nobuko Inoue, Yuki Nomoto) and all the
members of the tennis team and to our two
coaches(Mr. Entwistle, Mrs.Nakao). We are
hoping that all of you would come back next
year and play for the team, and we would be
welcoming any people who would want to
join the team. Let's get 1st Place in APAC
next year.
相良宗孝
2005年APAC野球は、本校、CA、北京、上
海の4校で、上海アメリカンスクールで
開催されました。会場の野球場はいつも
狭いグランドでしか練習できないわれわ
れにとっては、眼を疑うかのような、外
野はもちろんのこと、内野まで天然芝を
きれいに敷き詰めた最高のグランド、ま
さにスタジアムでした。
大会初日のゲームはパワーヒッターが
揃っている北京でした。初ゲームで硬く
なってしまい、初回に4失点する苦しい
スタートになりました。ゲームが進むに
つれて、本来の輝きを取り戻し追い上げ
たのですが、惜しくも破れました。その
後も苦しい戦いを強いられてきたのです
が、優勝候補NO1の上海アメリカンスクー
ル戦では持ち前のシャープなバッティン
グに堅実な守備が復活し、8−7と僅差
の末、勝利しました。結局CAとともに両
校3位という結果に終わりましたが、優
勝チームに唯一黒星をつけるという快挙
を成し遂げました。また、何よりうれし
かったのが、スポーツマンシップアワー
ドを取ったことです。皆がすべてをリス
ペクトし、一生懸命応援し、とてもマ
ナーの良い試合をする生徒たちを本当に
誇りに思います。
優勝は出来ませんでしたが、最高の舞
台で最高のパフォーマンスを見せること
が出来、本当に満足なAPAC野球トーナメ
ントでした。
10月7日と8日に、横浜でJVトーナメ
ントが催され、私達9、10、11年を交え
たメンバーは、絶対優勝を目指して、旅
立ちました。参加チームはSabersをいれ
て8組集まり、Aプール、Bプールに分か
れて対戦しました。1日目は3試合し、
最後の試合は苦戦しましたが、結果的に
その日は全勝することができました。い
よいよ2日目、準決勝で負けてしまい、
最終的には3位でした。目標は達成でき
なかったけれど、それに負けず劣らず、
たくさんの事を習得する事ができまし
た。特に、次のSabersを背負っていく9
年生は、初めて優勝というものを目指し
て戦い、短期間であったけれども、それ
ぞれひとまわりBigになったと思います。
(11年 畑まりあ)
10月14・15日の2日間、名古屋にて、
女子バレーボールトーナメントが開催さ
れた。10チームが集い、初日は4試合を
こなすというハードスケジュールだっ
た。ここ数年、ライバルであるマリスト
にあと一歩のところで及ばず、優勝を果
たせていなかった。“今年こそ”という
思いで臨んだ初日は、4試合全てスト
レート勝ちという結果を残した。そして
翌朝の準決勝、気を緩めることなく自分
達のプレーを貫き、1セットも落とすこ
となくCAとの決勝戦を迎えた。今まで
幾度となく対戦してきた相手だけに、お
互いのプレースタイルはよく知ってい
た。適度な緊張とリラックスの中、私た
ちはストレート勝ちを果たし、優勝トロ
フィーというお土産を大阪に持って帰る
ことができた。
名古屋トーナメントから4日後、私た
ち大阪Sabersは、去年、台風でAPACへ行け
なかった悔しさを胸に、今年の開催地で
あるソウルへ向けて関西空港を飛び立っ
た。APACトーナメントには、大阪Sabersを
含め中国、韓国、フィリピン、そして日
本のインターナショナルスクールが合わ
せて6校集まった。初めの2日間は、そ
れぞれの学校と総当たり戦を行い、3日
目からPlay Offが始まった。私たちはまず
上海インターナショナルスクールと対戦
し、接戦の後、勝利した。そして迎えた
準決勝、それまで1セットも落とさず勝
ち進んできた、ホームチームであるソウ
ルとの戦いだった。私たちは初めの1
セット目を勝ち取ったが、その後につな
げることができず、決勝戦で戦う夢はそ
こで終った。そして私たちのAPAC最後を
締めくくる3位4位決定戦では、大阪は
Beijingと戦い、負けてしまった。長丁場
のトーナメントで戦ったことで、体力不
足を痛感した。結果は4位という満足の
いかないものだったが、大阪Sabersとし
てAPACに参加できたこと、さらには、
Sportsmanship Awardに選ばれたことを誇
りに思っている。
最後に、平井先生、森先生、M r .
Parker、そして東先生をはじめとする先
生方、本当にありがとうございました。
(12年 奥井麻矢 吉岡佐知子)
5ヶ月間、ハードな練習だったけれ
ど、最後までこのメンバー、このチーム
でバレーができて楽しかったです。これ
だけ充実したシーズンを過ごせたのは、
みんながいたからだと思う。バレー部で
学んだ、努力すること、諦めないこと、
支えあうこと、感謝の気持ちを忘れない
こと、それぞれが学んだことをこれから
バレー以外にも生かしていってほしいと
思う。最高のシーズンをありがとう。
(さちこ)
平井監督、森コーチの鬼のような指導
で身についた“根性”は、これから様々
な場面で活かされるし、バレーを通じ
て、私を含め、一人ひとりが本当に多く
のことを得たと思う。バレー部のみん
な、先生方の言葉や行動から学んだ大き
なものを、1つのシーズンや、1つのス
ポーツで発揮するのではなく、これから
の全てへつなげていこうね!一緒に笑い
転げたこと、忘れません。本当に楽しい
シーズンをありがとう!(まや)
Asia Pacific Activities Conference の略称で、次の学校が加盟し
ています。
<APAC参加校>
北京インターナショナル・ スクール
(I S B : 中国)、上海アメリカン・ ス
クール(S A S : 中国)、ブレント・イ
ンターナショナル・ スクール・ マニ
ラ(B r e n t :フィリピン)、ソウル・
フォーリン・ スクール(S F S : 韓
国)、カナディアン・ アカデミー
(C A : 神戸)、千里国際学園(S I S /
OIS:大阪)
19
馬場博史
<リレーチーム>自転車20km花光照宗
(SIS10)、ラン5km佐藤直仁(コーチ)
<ボランティアスタッフ>吉積彩、松原
由佳、渡場文恵、土井智代(以上
SIS10)、真砂健土、長田大毅(以上
SIS11)
10月2日(日)大阪市舞洲スポーツア
イランドで開催され、高等部2年の永田
悠太君がスプリント種目(Swim750m,
Bike20km, Run5km)を1時間04分でフィ
ニッシュし、総合・大阪府選手権で2位
に入賞(年代別は優勝)しました。(ち
なみに優勝者は2005年U-23日本代表選手
でアジア選手権・世界選手権に出場した
大学生)
また同時にリレートライアスロンの部
があり、高等部1年の中島徳市君が最初
の750m水泳を、スプリント種目優勝者を
押さえて1位で終えましたが、チームは
惜しくも入賞できませんでした。
JTU(日本トライアスロン連
合)主催により、1 0 月3 0 日
(日)に本学園で開催されまし
た。この教室は全国各地で開催
されており、トライアスロン競
技の基礎となるスイム・バイ
ク・ランの練習方法を日本代表
ナショナルチームコーチ・選手
が楽しくわかりやすく紹介する
というものです。 当日はSIS/
OISと土曜学校の生徒約40名を
含む100名以上の小中学生が参
加、秋晴れのもとで気持ちよく
汗を流しました。(馬場)
20
10月16日(日)に吹田市総合運動場で
開催され、本学園から生徒18名が参加、
多数入賞しました。特に高等部2年永田
悠太君は、5000mを学園新記録16'32"で走
りました。
<入賞者> 小学男子100m3位1000m2位
Jonathan Junqua(OIS6), 1000m4位 Kento
Saito-Baba(OIS7), 高校女子1500m1位
3000m2位渡場文恵(SIS10), 女子3000m1位
小山エミリ(SIS11), 男子1500m1位 5000m1
位永田悠太(SIS11), 1500m3位古岡祐輝
(SIS10), 一般1500m1位 5000m1位16'18"佐
藤直仁(Coach)。
<他の参加者> Samuel Junqua(OIS4)、竹
尾麻子、早川いお、三木氣吹、阪上孟
志、八田旭(以上SIS7)、津高毬絵、小澤
悠、春名暢(以上SIS9)、真砂健土、長田
大毅、渡辺聖(以上SIS11)
11月11-12日にグアムで開催されます。
この大会は今年で2回目。初日は5kmマ
ラソン、2日目は駅伝で、個人・団体の
タイトルを争います。初回の2004年は
APACの1校を含む11校が参加しました
が、2005年はさらに参加校が13校に増
え、150名以上のランナーが集結します。
本校は初参加ですが、上位入賞を狙って
練習に励んできました。このインターカ
ルチュアが発行されるころには終了して
いますが、詳細は次号で報告します。結
果速報等は次のサイトをご覧ください。
http://www.senri.ed.jp/clubs/
triathlon/APIXC/2005
保護者会だより
保護者会の活動を次の通り報告いたしま
す。
・第4回定例会 9月8日(木)13:30∼
3F会議室 学校から大迫校長先生と
下村事務長のお話と各委員会からの活動
報告。前定例会で決めたcommitteeエプロ
ンですが、ご要望が多かったので同じ物
をインターナショナルフェアで販売する
ことになりました。保護者会室にPCが
入り委員会活動が便利になりました。
・第5回定例会 10月6日(木)13:30∼
3F会議室 学校から大迫校長先生と
下村事務長のお話と各委員会からの活動
報告。2005年度の保護者会活動が始まっ
て半年がたち、忘れがちになっていた約
束ごと等を見直しました。今後もリマイ
ンドの気持ちを大切にしていくことを確
認しました。
《今後の予定》
☆12月11日(日)昼頃、OIS/SIS合同の
交流パーティを考えています。今回は
potluck partyの予定です。詳細が決まり
ましたら お手紙とHPでお知らせ致しま
す。
☆定例会は、11月10日、12月1日、1
月12日、2月2日、3月2日。いずれも
3F会議室で13:30から行います。定例
会は保護者の方ならどなたでも参加でき
る場です。皆様のご参加をお待ちしてい
ます。
9月27日・10月12日・27日 インター
ナショナルフェア委員会を実施しまし
た。*9月中旬∼10月中旬まで、全学年
の懇親会にフェア委員がお邪魔して、イ
ンターナショナルフェア委員会の報告・
広報を行いました。特に、今年度、初の
試みであるエコロジー活動については、
皆さんに直接お話できたことはよかった
と思います。 10月14・15日 セイバー招待試合(男
子バレーボール)のコーチへのランチ
サービス。19日に梅田にて、お手伝いい
ただいた方々との親睦会開催。インター
ナショナルフェアの寄贈品ブースの担当
として手伝い。12月2・3日ASPのティー
サービスを予定。
10月 新入生・転居生などに伴う名簿
変更作業。新入生には「地域親睦会実施
についてのお知らせ」のお手紙と地域別
名簿を発送。
10∼11月 インターカルチュア101号発
行。102号の特集記事編集作業。ホーム
ページ運営。配信メール作業。
すべて場所は3F会議室です。
□11年生学年懇親会
9月21日11:00∼13:00
□9年生学年懇親会
9月29日13:30∼
□10年生学年懇親会
9月30日13:00∼15:30
□12年生学年懇親会
10月18日15:00∼17:00
いよいよインターナショナルフェアが開催されます。International Fair
Committeeでは、OIS、SISの更なる発展を祈願して、学園の皆が楽しくコミュニ
ケーションできる催しものとしたいと思っています。ロゴマークやキャッチフレー
ズ等へのご協力もありがとうございました。長い間準備してきた関係者の皆様に感
謝をこめてお礼を申し上げるとともに、当日は皆で思い切りはじけちゃいましょ
う!!
開催時間 開催時間 10:30
10:30∼
15:00(雨天決行)
10:30
∼15:00
(雨天決行)
ソウルの子供達による打楽器パフォーマンス<サムルノリ>、和
太鼓、三味線演奏、ジャグリングショウ、バンド演奏等、国際色豊
かで盛りだくさんなエンターティメント、美味しい食べ物ブース、
楽しい企画がいっぱいです。詳細は当日用のパンフをご覧下さい。
乞うご期待!
Committeeよりお願い》
《International Fair Committee
よりお願い》
☆今年はInternational Fair Committee 一丸となって、エコロジーの推進を進
めており、ゴミ減量作戦を展開すべく“とっとこECO隊”が出動しま∼す。ご参加
の皆さん、『マイ箸(マイスプーン、マイフォークでもいいよン♪)
マイ箸(マイスプーン、マイフォークでもいいよン♪)』をぜ
マイ箸(マイスプーン、マイフォークでもいいよン♪)
ひぜひご持参下さい。
☆駐車場の数には限りがございますので、極力、自家用車でのご来場はご遠慮願
います。これもエコロジーの推進でもありますので、公共交通手段を使ってお越し
下さいね。皆様のご理解とご協力をお願いいたします。
●お問い合わせは、International Fair Committee のアドレス までどうぞ。
☆新風舎第7回平間至写真賞大賞受賞作品
『たからもの You Are My Treasure』
11年の深井瑛子さんのお母さんで、写真家の深井美貴子さ
んの写真詩集が、11月に新風舎より発売されます。
『彼女を主人公とした作品を撮影し、発表することで、私自身子どもと
の関係を客観的に見ることができたような気がします。紆余曲折を経て、京都、東京での個展が実現し、2002年にこの
本のもとになる写真詩集「瑛子の時代∼A・K・I・K・O」を自費出版しました。それからまた年月が経ち、彼女も
成長し、たぶん私自身も骨太になった今、ご縁があってやっとこの本が出る機会に恵まれました。』
瑛子さん10歳頃までの写真でまとめられた写真詩集です。詩には英訳も付いています。是非一
度手にとってご覧下さいね。 21
Public Relations Committeeでは、開校15年目にちなんで、「学校(SIS)を取り巻く人たち」(4回シリーズ)というテー
マで特集記事を組むことにしました。第2回は、知ってるようで知らないユニークなカリキュラム「第二外国語」と「音
楽個人レッスン」について、そのシステムと先生方をご紹介します。 (第二回担当:PR 畑)
Second Foregin Language
千里国際学園における第二外国語は、
帰国生の受け入れ校としての役割も担う
べく開校した千里国際学園として、「第
二外国語の開講は絶対不可欠」という初
代校長藤澤先生の強いお考えに基づき、
1991年の開校時に、ドイツ語・フランス
語・スペイン語・中国語の4言語が開講
されました。その第二外国語の履修は、
各言語についての既習者に限って許可さ
れた「プライベートレッスン」のような
形で開講され、受講時間は放課後中心に
行われていました。しかし、授業として
開講されていたこともあって、既習者で
はない生徒の間からも、しだいに「**
語を学習してみたい」という声も多く出
始めたことを受け、学園としては、一つ
試みとして、ある学年での第二外国語全
員必修というカリキュラムに挑んだこと
もありました。
1994年度10年生は、学年全員が、開講
されている第二外国語のいずれか1カ国
語を履修することになりました。しか
し、この試みにおいては、時間割構成
上、実際には、ほとんどの生徒において
<第二外国語既習者等を除いて>、第二
外国語を週1時間程度しか受講できない
状況となり、その学習効果も思うように
上がらない結果で、早期に再検討にはい
りました。
最終的には、日英の学習を中心とする
方向を原点とすることに立ち返り、第二
外国語については、既習者については、
放課後を中心に開校当初のような形式
で、学習の機会は保証していくととも
に、初心者でも意欲ある生徒には、第二
外国語の学習の機会を保証していこうと
いう方針として、これを基本に、現在に
至っているわけです。
22
1995年頃からは、初心者でも、5人以
上の第二外国語受講希望者があれば、初
心者クラスを開講して、その希望に応え
ることにしましたが、開講できるかどう
か最終段階まで分からない、というよう
な状況もあり、なかなか受講希望を叶え
ることができない状況が続いていまし
た。
そして、約7年前の、学期完結制の導
入を機に、各第二外国語の履修は、初心
者でも、1人の受講希望者から開講でき
る制度になりました。現在は、次のよう
なシステムとなっています。
秋学期 レベル1 全くの初心者
冬学期 レベル2 レベル1既修生
春学期 レベル3 レベル1,2既習生
*入門コースは10年生の秋学期から履修
可能。
*レベル3まで受講を終了し、さらに受
講を続けたい場合は、中級以上の第二外
国語既習者として、各外国語担当の教師
と相談した上で、各自受講時間を設定。
5言語。ドイツ語/フランス語/スペイン
語/中国語/韓国語〈2005春学期より〉
さて、受講費用についてですが、1995
年頃までは、第二外国語受講するに際し
て、特別な学費を必要としていませんで
した。現在は、第二外国語は「受益者負
担」という方針のもとで、週4時間
64,000円、週3時間48,000円、週2時間
32,000円(各学期について)の受講料が
必要です。
但し、各言語とも、入門コースは、レ
ベル1からレベル3までの各レベルにお
いて、週3回の授業が義務づけられてい
ます(注1)。中・上級のレベルは、第
二外国語既習者として、各自、各外国語
担当教師と相談の上、上記の範囲内で受
講回数が選択できます。このような経緯
となりましたのは、1995年の震災直後、
開校よりの財政状態を検討する必要が生
じたことにあり、帰国生受け入れ校とし
ての使命も携えて開校した千里国際学園
として、第二外国語の重要性を認識して
いる理念は、現在まで一貫してかわりあ
りません。
注1:韓国語は、開講間もないので、週
2回の開講。
それでは、これまでのところをまとめ
ておきます。1991年開校当初の理念の実
現のためには、第二外国語を開講してい
ることは当然のこととして受け止められ
ましたが、それは、あくまで帰国生受け
入れ校としての使命から、第二外国語既
表1.2005年度履修者数(OISも含む)
2004秋 レベル1
2004冬 レベル2
2005春 レベル3
ドイツ語 フランス語 スペイン語 中国語
7
4
3
4
6
4
3
1
4
4
3
1
韓国語
2
表2.(参考)2004年度入門コース履修者数(OISも含む)
習者に限られていた開講でした。その
後、初心者としても受講したいという希
望者の要望に、教育的見地から応えるよ
うと、色々試行錯誤を重ねながら、現在
のシステムになりました。受講費用につ
いては、当初必要とされていませんでし
たが、財政上のやむかたない変化に起因
し、約10年前より、現在のようなシステ
ムになっています。
これまで、履修した第二外国語を活かし
た進路選択を行ったのは、過去3人でし
た。その一人の石田冬子さんから、第二
外国語を選択した意義を寄稿して頂きま
した。石田さんは、スペイン語入門コー
スを高校1年から始めた方です。
************<<寄稿>>************
(上智大学外国語学部スペイン語学科2
年生在学中)
私が第二外国語のクラスをとり始めた
のは、高1の秋学期でした。英語以外の
他の言語も学びたいと思って、第二外国
語のクラスをとることは決めていたもの
の、どの言語をとるかは、迷っていまし
た。私がスペイン語にした理由は、スペ
インのバルセロナという街に行ってみた
い、スペイン語だったら中南米でも話さ
れているから、けっこう使えるかも・・
という単純なものです。授業では、最初
からいきなり先生がスペイン語で話し始
めて、ほとんどなんにもわからなかった
のを覚えています。でも、そのうち、先
生の話をきいているうちに少しずつわか
るようになり、スペイン語のクラスは私
の好きなクラスの一つになりました。ス
ペイン語の先生は、メキシコ人の
Pr.Munozでスペイン語の文法以外にもい
ろいろなことを教えてくださいました。
授業で、スペインとラテンアメリカの歴
史や、先生の故郷メキシコの話をきいた
ことはとてもおもしろかったです。
高3になって、進路のことを考えるよ
うになった時、私は大学でもスペイン語
の勉強を続けたいと思い始めました。で
も、他にもいくつかやりたいことがあっ
たので、ぎりぎりまで悩んでいました。
大学でもスペイン語を第二外国語でとる
という方法があるけど、授業時間が少な
い。それに、SISでスペイン語のクラスを
とっている間に、スペイン語だけではな
くて、もっとスペインやラテンアメリカ
の文化、歴史、政治などを詳しく勉強し
てみたいと思うようになっていたので、
大学ではスペイン語学科で勉強しようと
決め、上智大学のイスパニア語学科に入
りました。大学では毎日何時間もスペイ
ン語の授業があるし、授業の進度も速く
てかなり厳しいです。でも、毎日しんど
くても勉強したいことが勉強できるので
とても充実しています。
いま、イスパニア語学科の卒業生でス
ペイン語に関わる仕事に就く人はあまり
多くありません。だけどスペイン語や、
今の学科で学んだことをいかせる職業は
あるので、私は将来もスペイン語に携わ
る仕事に就いて、高校や大学で学んだこ
とを役立てていきたいと考えています。
私は、SISで第二外国語のクラスがとれ
たのはとてもよかったと思っています。
英語以外の言語を知る事で、それまでと
はまた別の新しい世界が広がった気がす
るからです。だから、第二外国語をとろ
うか迷っている人には、まずとってみる
ことをおすすめします。いい経験になる
し、新しく興味があることが見つかるか
もしれません☆
***********<<進路紹介>>***********
高校1年から中国語を履修し、卒業後
は、上海外国語大学へ進学、1年後HSK語
学検定試7級レヴェルに合格後、現在は
広州曁南(じなん)大学文学部商業英語
科2年生に在学
フランス語中上級クラス履修し、上智大
学外国語学部フランス語学科1年次半ば
中退後、現在パリ第一大学(パンテオンソルボンヌ)芸術学部映画学科3年生に
在学
≪プロフィール≫
メキシコシテイに生まれる。来日して
10年になる。メキシコ国立自治大学で国
際関係論を学び、神戸大学で教育学、大
阪外国語大学で外国語としてのスペイン
語を研究、応用言語学を修める。趣味は
読書、オートバイに乗ること、バスケッ
トボールのプレイ。
OIS 、SISでは, スペイン語入門コースと
能力別の中上級クラスを担当している。
授業は基本的にスペイン語で行ってい
る。
≪メッセージ≫
Una de las riquezas de la humanidad
es la diversidad.
Preservemos esa diversidad a traves
del estudio de las lenguas.
『人間の豊かさは、その多様性である。
これは人間にとって宝物である。それは
護られるべきものである。
外国語を勉強して、この宝物を護ってい
きましょう。』
Li-Driskill,Hwei 先生
≪プロフィール≫
私は台湾に生まれました。Dr.Richard
Driskillと結婚し、25歳の息子と22歳の娘
の2人のこどもがいます。学部時代にス
ペイン語と英語を勉強し、スペインのサ
ラマンカ(Salamanca)大学とカナダのア
ルバ-タ大学ではスペイン文学で学士を取
得しました。そして、カリフォルニアに
ある教員養成学校、マサチューセッツに
あるDeerfield AcademyというAmerican
Boarding School(注1)の2校、香港で
は台北アメリカンスクール、中国イン
ターナショナルスクールという、イン
ターナショナルスクール二校で、20年以
上教鞭をとってきました。私は、アメリ
カシステムにおけるAP,英国システムでの
IBおよびIGCSEを含む、全レベルのスペイ
ン語を教えました。(注2)
OISではスペイン語IB(Ab 初級、B上級)
を教え、SISでは中国語を教えてきまし
た。今年度は、22名の生徒を教え、OISと
SISで半数ずつの割合です。クラスはレベ
ル別に編成し、一人一人にあった授業を
行いました。今私は、ここで教師とし
て、今までとは全く違った経験をしてい
ます。ここで教員として価値あるレッス
ンを学んだということです。
23
趣味は読書、旅行、料理、考えるこ
と、そして自然と美の観賞です。
≪メッセージ≫
私たちが見ようとしたり、知ろうとし
たり、探求しようとする世界は外にあり
ます。だからそこに座っていてはだめで
すよ!
(2005年春学期まで在任:原文英語)
注1;アメリカの寄宿学校で、各地から
生徒が集まる。アメリカでは数少ない。
注2;IGCSE:International
GeneralCertificate of Secondary Education
Ap:Advance Placement
柳 蕙心(Liu hui-hsin)先生
≪プロフィール≫
皆様、今日は。台湾からの柳 蕙心
(Liu hui-hsin)と申します。2005年の秋
学期から、中国語の授業を担当すること
になります。日本歴は4年間で、今は大
阪外国語大学大学院の博士後期課程に在
学しております。専攻は宗教心理学で、
人と話すことが大好きです。他にも天文
学などを趣味として勉強しております。
これから、千里国際学園の一員として、
この環境に溶け込みたいと思いますの
で、是非とも、宜しくお願い申し上げま
す。
中国語はとても奥深く、美しい言語で
す。文字の形は勿論のことだが、とりわ
けコミュニケーションにおける要は、発
音です。周知のように、中国語の発音に
は、四声というものがあります。四声の
区別は難しいとよく言われますが、この
四声をはっきりすることで、中国語の発
音の響きが出るのです。そのため、中国
語学習の第一歩は、
(Pinyin)と四
声をマスターすることです。
(Pinyin)と四声をしっかり押さえてお
けば、しゃべれるようになった時の嬉し
さとその響きの醍醐味を味わえると思い
ます。そして、そこから始まるのは、中
国語学習の道における美しい道沿いの風
景です。発音を完全にマスターしてもら
い、次に日常会話に重点を置きます。こ
のように、発音と日常会話を授業の重点
にして、"コミュニケーションできる"中
国語を指導するつもりでおります。
≪メッセージ≫
中国語に触れたいあなたへ
24
中国という国はなんといっても、広
い。一つ大きな国でありながらも、多元
的な文化が潜んでいます。歴史が長く
て、文化大国である中国の公用語―"普通
話"(Putongha)(中国語)ができれば、
あなたの中の世界観と視野はどれだけ広
げられるでしょうか。言葉から、その国
の真髄である歴史、文化、思想などを窺
われると思います。ですから、中国語の
勉強は中国への理解の第一歩だといえる
でしょう。文化教養の面においても、コ
ミュニケーションの実用性においてもあ
なたの期待に応えるに違いません。あま
り難しく考えないで、宝探しの感覚で、
宝物が満ち溢れている中国文化の宝蔵か
ら知りたいことをどんどん掘り出してく
ださい。ようこそ、中国語の世界へ。
日本に来る前に、2年半余り(1999、
秋∼2002、春)、台北市立(公立)の高
校で教師として勤めた経験がありまし
た。公立だということもあり、当時の第
二外国語教育はまだ実験の段階でした。
そのため、どの高校でも第二外国語の授
業があるわけではありません。首都圏
(台北市内)の学校だったので、第二外
国語の授業は設けられていましたが、地
方の公立高校に行きますと、そうでもな
かったです。そして、私が勤めた学校で
第二外国語の授業がある場合でも、日本
語とフランス語の二つだけでした。又、
私の知っている限り、他の学校では日本
語とドイツ語であったり、或は日本語と
スペイン語であったりのような状況でし
た。大抵の学校は二つ、多くても三つぐ
らいでした。既に述べましたように、当
時はまだ実験の段階でしたので、週間授
業時間は2∼3時間でした。以上は国公
立の高校における第二外国語教育の当時
の状況で、私立高校の場合は、時間数は
もう少し組まれています。
(2005年秋学期より着任:原文日本語)
Elisa Tricerri先生
≪プロフィール≫
わたしは Elisa Tricerri Soudan と
言います。今は天王寺の近くに住んでい
て、大学で日本語と日本文化のデイプロ
ムを取得しました。その後すぐ日本に来
日し、フランス語教師として働いて4年
半になります。
趣味は料理、日本の食器も大好きで
す。人と話すことも好きです。旅行、山
登りや自転車も大好きで、大阪の町発見
のためのサイクリングによく出かけま
す。
クラスの人数はレベルによって違いま
す。入門クラスには6人から8人でした
が、中・上級クラスでは、個人レッスン
となることがしばしばありました。それ
は、帰国子女であったり、仏検やその他
のフランス語検定を受けたい人がいたり
すると、個々のレベルやニーズにできる
だけ対処するようにしているからです。
一般的に、レベル別にグループ学習でき
るように編成します。学期毎に、履修者
全員で、全体の時間割を決定していま
す。
≪メッセージ≫
国際交流の言語としては、英語が支配
的地位にあるといえるが、それでも、フ
ランス語は、なお主要な言語の地位にあ
る。(つまり、世界において重要な言語
であり、よく使用されている言語である
ということ)。例えば、フランス語は、
オリンピックを始めとする競技会で使用
されるし、外交言語として、ヨーロッパ
連合や国際連合等でも活躍する地位にあ
る。またフランス語を学ぶことによっ
て、フランス文化やフランスの生活様式
に出会うことができる。さらには、フラ
ンス語は、詩の分野や愛情表現において
も不可欠な言語であることも忘れないで
ほしい。フランス語を学ぶことは、フラ
ンス語圏(フランス語が公用語であった
り、母国語であったり、あるいは教育の
場での必須言語である国で、51ヶ国以上
はある)においてと同じぐらい豊かで広
汎な文化の中に浸ることでもある。
フランスの中・高等学校においては、
二つの外国語を選択できる。一言語につ
いて、一週間に3∼4時間の授業があ
る。11歳から12歳まで、ひとつの外国語
を選択して学び、13歳から14歳で二番目
の外国語を始める。従ってバカロレア
(大学合格検定試験)まで、生徒は二外
国語を学習することになり、バカロレア
では、少なくとも、そのうちの一言語を
受験科目にしなければならない。
しかし最近では、将来のために、二つ
の外国語をバカロレアの受験科目として
選択する傾向にある。英語とスペイン語
を選択している生徒が多いが、高校で
は、一般に、ドイツ語やイタリア語も選
択できるようにしている。最近は、日本
語、中国語やロシア語のようなその他の
言語についても、生徒が選択できる高校
が増えている。以上のことは、公立私立
を問わず、いえることだと思う。
(2005年9月末まで在任:原文フランス語)
Laurence Levy 先生
Laurence Levy です。新任のフランス語
の教師です。7年前に来日しまして、1
年半東京で過ごしたのち、関西にきまし
た。私はパリに生まれましたが、高校1
年生までメンヌーロワール県(注1)で
育ち、その後来日までリヨンで暮らしま
した。東京では、リヨン第二大学との提
携校である、専修大学で6ヶ月、中央大
学で1年半学びました。専攻は、教育学
と都市計画学です。来日した当初は、日
本の文化の豊かさに、これまでにない強
い印象を受けたことが記憶に残っていま
す。学業を終え、大学で教師として、大
阪に赴任しました。人が優しく、食も美
味しい大阪、大阪の風景も大好きで、も
う離れたくありません。休日は、よく気
分転換にスポーツをします。特に水泳と
エアロビックが大好きです。時間のある
時は、友達と遠出します。読書も私に
とって、大変重要なことで、現代の新人
フランス人作家や外国人作家の作品を好
んで読みます。
フランス語を教え始めて以来、フラン
ス語の難しさを意識するようになりまし
た。フランス語は、世界的に評価されて
おり、且つ尊重されている言語だという
ことを、旅行したり、人と議論したりし
て、わたくしは気が付きました。また、
新ヨーロッパで最も学習されている言語
のひとつでもあります。フランス語を学
習することは、旅行好きな人や、職業
上、色々な活躍を夢見ている人たちにも
役立つことでしょう。よろしく。
(2005年10月から着任:原文フランス語)
注1;フランス北西部
桂木忍先生
Ibald Ralf先生
≪プロフィール≫
担当はラルフ・イバルドと桂木忍です。
私、桂木忍は、出身は伊丹で、地元の
公立の学校を小中高と普通に卒業しまし
た。大学は京都外大のドイツ語学科で
す。ドイツの大学でもドイツ語教育を専
攻しました。
1995年秋から千里国際学園で5年間ド
イツ語を教え、しばらくお休みし、昨年
の春からまた懐かしい職場に復帰しまし
た。ドイツ語は大阪ドイツ文化センター
(Goethe-Institut Osaka)でも教えて
います。もうひとつの仕事は日本語教師
です。ドイツ語を教えるかたわら大学院
で日本語教育を専攻し、ドイツの
Nordrhein-Westfalen州の州立言語研究
所での一年間の客員講師を経て、現在
は、大阪外国語大学と京都大学でさまざ
まな国からの留学生に日本語を教えてい
ます。イバルト先生は私がドイツで客員
講師をしていたときの日本語の生徒でも
あります。彼は、2001年に日本にやって
きて、普段は大手語学学校でドイツ語を
教えていて、Canadian Academyでもドイ
ツ語の生徒を担当しています。
ドイツ語の授業内容をご紹介します。
Level 1-3では、Schritte という教科書
を使って授業をしています。これはドイ
ツで作られている教材です。基本的に授
業はドイツ語で、1年間で単文レベルで
現在完了形でも簡単な発話ができる程度
までを勉強します。Level 3が終わって
そのままafter Schoolでドイツ語を継続
した場合、1学期から2学期でドイツ語
検定4級、あるいはSD1(EUが認定して
いる外国語基礎A!レベル修了を証明する
テスト)の合格レベルに到達します。帰
国生を含め、after schoolの生徒には、
生徒の到達度、学習目標に合ったものを
選びます。after schoolの授業はプライ
ヴェート授業になることも多く、授業内
容もクラス毎に違いますが、どの授業で
も最低学習語彙数や単元数を決め、単語
テスト、単元テストの量もクラスごとに
差が出ないようにするようにしていま
す。
≪メッセージ≫
みんなが勉強しやすい環境を整えるの
が私たちの役目です。みんなのやる気
と元気な笑顔を待ってます!(桂木
忍)
Englisch ist ein Muss - Deutsch ist
ein Plus! (英語は義務、ドイツ語はプ
ラス!:ラルフ・イバルト)
(原稿は桂木先生にお願いしました)
一般的に小学校3年生から英語を勉強
し始めますが、これも学年が下がってく
る傾向にあり、州や学校によっては小学
校1年生からはじめるところもあるそう
です。
ドイツでは、小学校5年生ごろには、
将来の方向を決めなくてはならず、理科
系に進む子供はそのまま英語を、文科系
に進む子供はラテン語や古代ギリシャ語
を履修します。ただ、中学生になるころ
には第二外国語の履修が義務になり、理
科系の生徒はほかの外国語(フランス語
が多い)、文科系の生徒は英語が必修に
なります。第3外国語を選択することも
可能だということです。履修できる外国
語の中には最近日本語も入ってきてお
り、日本語を卒業試験の科目に選べる高
校もある、ということです。
最近、この質問をされることが多いの
ですが、日本の高校を経てそのままドイ
ツの大学に入学することはできません。
ドイツの高校は日本より一年長く、しか
もAbiturというかなりレベルの高い卒業
試験を受けて、初めて卒業できるものな
のです。ですから、日本からドイツの大
学へ留学するには、まず日本の大学に入
学し、最低2年を修了してはじめて資格
があるとみなされます。この段階までく
れば、比較的簡単に(もちろん、学部に
よっては入学制限もありますし、人気都
市には希望が殺到するので、どこでも何
学部でも、というわけにはいきません)
ドイツの大学への入学許可をもらうこと
ができます。入学許可をもらえばあとは
DSHという大学入学語学試験に合格すれ
ば、晴れてドイツの大学生です。
ただ、上のような条件は音楽など芸
術系の大学では若干ゆるくなるようで
す。ただ、音楽などで留学する人は、
25
留学する前に教えてもらいたい先生を決
めたほうがいい、など、ほかの問題がで
てくるようです。
ドイツの大学は授業料もなく、入学式
も卒業式もありません。もちろん、学年
もクラスもありません。完全に自由な
「学問をする世界」です。一見すばらし
いシステムですが、自分をコントロール
できず、「永遠の学生」になってしまう
人々も少なくありません。高校卒業した
ばかりの若い人たちには、よほどの具体
的な志がない限り、溺れてしまいかねな
いところかもしれませんね
金廣植(キム・ガンシクKim
Kwang-Sik)先生 ≪プロフィール≫
2001年韓国漢陽(はんやん)大学大学院
日本学修士卒業
あんにょんはせよ。
私は大学院を卒業してから、日本国外
務省のJETプログラムに参加し、石川県庁
国際課で国際交流員(CIR)として石川県
と韓国との国際交流における沢山の韓国
語・文化講座と通訳・翻訳などを担当し
ました。
2001年4月から3年間、様々な日韓交流
に携わることができました。 例えば、
経済交流はもちろんのこと文化・行政・
学術・青少年・スポーツ・農業・観光・
教育・市民団体などの国際交流における
業務を経験しました。また小・中・高校
における国際理解教室で、60回以上、
韓国語・文化理解講座、修学旅行事前研
修の講師を務めたことがあります。
3年間の任期を終えて、2004年4月から
大阪大学 大学院博士課程に進学し、柳
田國男の民俗学を手がかりとして、日韓
比較文化論を専攻しております。
2005年度は初めてハングル講座がで
き、意外と希望者が少なかったので、初
級2人、上級1人を教えました。皆韓国語
に非常に興味を持って学習しています。
クラスは初級、中級、上級がありますの
で、生徒の学習レベルに合わせて教える
ことができると思います。また少人数な
ので 直接に会話できるチャンスも多い
26
恵まれた環境なのではないでしょうか。
≪メッセージ≫
私は、高校時代から第2外国語として日本
語を学び、日本が好きになりライフ・ワー
クとして研究したいと考えるようになり
ました。高校卒業以来、日本学を専攻す
ることとなり、今にいたっております。
これまで7年間に渡っての日本滞在を通し
て日韓をめぐる様々な文化体験すること
ができ、心底よかったと思っている毎日
です。ドイツの詩人、ゲーテは「外国
(のこと、言葉、文化)を分からない
と、自分(のこと、言葉、文化)も知ら
ない」と述べていますが、まさにそのと
おりだと思います。人は常に他者の存在
のお蔭で自分を省察、再考できるのでは
ないでしょうか。そういった点で千里国
際学園は素晴らしい教育の「場」である
と確信しています。その「場」で素敵
な、後悔のない有意義な学窓時代になれ
ばと望みます。読んでいただきありがと
うございます(かむさはんみだ)
韓国では現在小学校の高学年から英語
を勉強して、高校から第二外国語とし
て、英語以外外国語を勉強しています。
その第二外国語のなかでも日本語は半数
以上を占めていますが、日本語は韓国語
と語順と文法が似ているので学びやすい
し、何より近い隣国だからでしょう。ま
た近年は中国語ブームもあり、中国語も
ぐんと伸びています。中学校の段階でも
第二外国語を勉強しているところが増え
ています。
韓国の大学でも、グローバル化に向け
て国際交流に力を入れている大学が増え
ています。また、外国人特別入学や、海
外における在外韓国人の特別入学に力を
入れています。近年の「韓流」で韓国
語・文化に関心を示している外国人が増
えているので、それにあわせて、ほとん
どの大学で韓国語教育を専門的に行って
います。韓国語をそこでマスターして大
学などで学ぶ人も多いといわれていま
す。詳しくは大学のホームページ、参考
にしてください。英語のホームページだ
けでなく日本語ホームページを作成して
いる大学も多いはずです。
(原文日本語) 石田冬子さんの寄稿はこれから、第二
外国語を始めようか迷っている皆さんに
はきっと参考になったことと思います。
また、第二外国語の関わる新旧の先生方
も皆さん、魅力的な方でしたね。
約10年前の統計ですが、世界に約350言
語存在しています。言語の数だけもちろ
ん文化が存在しているわけです。「言語
は世界の扉を開けてくれる」、「言葉
は、その国の生活や時間と密着してい
る」のだということを聞きました。元
来、言葉は単なる道具に留まるものでは
ないような気がします。言語を学ぶこと
は、その言語を支える文化のプライ
ヴェートな部分を学ぶことにつながるよ
うです。より多くの言語に関心をもつこ
とにより、文化の多様性の奥深さが実感
できるのではないでしょうか?
ここで、これまでの履修者からの意見
もご紹介しておきます。「入門コースの
レヴェル1から複数言語を同時進行でき
るようになればいいな?。」「言語選択枝
が(5カ国語になったけれど)もっと増
えたらいいな?」、少数意見かもしれませ
んが、貴重な意見だと思いました。 同
時にまた「レヴェルあがると、スケー
ジュールを先生と決めることができた
し、授業内容も個人にあわせてもらえた
ので、忙しくても続けることができた。
大学の会話のクラスよりも質がよかった
のではないかと感じています」というご
意見も頂きました。
朝日新聞2005/09/19付の、教育現場にお
ける、英語以外の外国語授業に関する記
事で、1位中国語から10位エスペラン語
までの、高校で開講されている第二外国
語のランキングが紹介されていて、その
記事によれば、アイヌ語も含めて22言語
開講している高校もありました。「他国
の言語を知ることで、多角的思考力と探
求心を旺盛にしてほしい」という趣旨だ
そうです。しかし、それにしても問題は
やはり、「教材や教員の研修体制を充実
する必要性」にあることも、そこで指摘
されていたこともお伝えします。
SISとしても、第二外国語編成におい
て、これからも良きところはどんどんの
ばし、同時に教育的効果という観点のみ
ならず、より多角的に今後も研究を続け
てほしいと思いました。[参考資料;le
grand ATLAS 等]
* 外国語のシステムについては、大迫校
長と真砂先生から頂いた原稿、資料に基
づいて、担当者がまとめる。
* この記事における(注)のすべては担
当者の責任。
SISは「国際学校(インターナショナル
スクール)」の教育手法を大幅に取り入
れている。そういう意味で、SISが展開し
ている教育はJapanese Schoolとしてのそ
れではなく、あくまでJapanese INTERNATIONAL Schoolとしてのものです。従っ
て、この「音楽個人レッスン」について
もJapanese Schoolで行っているところは
ないと思いますが、SISの音楽教育を補完
するものとして1991年の開校以来取り入
れられています。
(大迫校長)
千里国際学園の音楽の個人レッスンで
は、生徒各個人のレベルや必要に合わせ
たレッスンが受けられます。ご周知のよ
うに音楽を学ぶ場合、個人レッスンはほ
ぼ必須と考えられます。個人レッスンに
おいて、生徒は、テクニックを身につけ
るだけでなく、質のよい音、正しい姿勢
や演奏方法を指導者より直接学ぶことが
できます。成功している生徒はほとんど
授業以外に個人レッスンを受けていま
す。レッスンは音楽学校への進学を目的
とするのではなく、各個人の可能性を探
究することを目的としています。
千里国際学園音楽科ではインタ
ビュー・実技の考査を経て、経験豊かで
音楽に対する理解が深く、本校の音楽科
の教育方針をよく理解してくださってい
ると判断された先生を個人レッスンの指
導者として斡旋しています。
個人レッスンのためには音楽練習室
(プラクティス・ルーム)(注1)を用
意しています。(学校行事等のため他の
場所を使うケースがあることを予めご了
承ください。)時間は放課後3:30∼6:00
の間に行われます。中高生はフリータイ
ムを利用して受講することも可能です。
<レッスン料等>
レッスン料は1レッスンを2500円と
し、月4回の場合はその月の最初のレッ
スン時に10,000円を直接講師の先生にお
渡しください。1レッスンは30分としま
すが、上級の生徒でレッスン時間が更に
必要な場合、レッスン時間(それに伴っ
てレッスン料)が増えることもありま
す。….以下略 」 (音楽個人レッスン
案内から抜粋)
注1) 練習教室はAからDまで用意さ
れ、その他シアター、楽屋、セミナー
ルーム等が練習室に使用。
表3.2005年秋学期現在、開講楽器と受
講者状況
(表3.を参照のこと)
各ジャンルにつき1名の先生が担当さ
れ、現在14名の先生が教授されていま
す。
先生のお一人からメッセージを頂きま
したのでご紹介します。
プロの演奏家として活動をはじめてい
つの間にか35年。もしも音楽の神様が存
在するならば、常にその忠実な信者であ
り、伝道者であり続ける自信と覚悟はで
きています。OIS/SISでの課外レッスンと
しての個人レッスンは、次世代の音楽を
愛する子供たちに、バッハやベートーベ
ンをはじめジャズの多くの尊敬する先輩
よりひきついだこのとてつもなく素晴ら
しい音楽というものの魅力を伝える喜び
に満ちあふれています。ほとんどの個人
レッスンの指導者が、海外での音楽家活
動を経験した上で、日本のこの地で国際
的な視点に立って子供たちに直接触れな
がら、非常に実践的なレッスンをおこ
なっています。それは、満場の聴衆の前
で演奏するのとは又違った大きな喜びの
一つです
めます。
☆音楽の授業の受講者でなくても申し込
めます。
☆グループレッスン等も可能ですが、先
生とよく相談してください。
希望者には、申し込み規約があるので、
大迫奈佳江先生(Office211),または音楽
科の先生方に問い合わせてください。
ここにも素晴らしい先生方がおられま
した。先生方はみなさん、芸術を教育理
念のひとつにするSISの精神を支えてくだ
さっています。スペース、時間数など
様々な制約もでてきていますが、音楽を
愛するみなさん、ルールを遵守して、有
意義な時間にしてください。
☆現在開講されていないジャンルでも、
習得したい楽器等を、音楽科の大迫奈佳
江先生に相談し、先生がいらっしゃれば
開講も可能です。
☆学期制に関係なくいつからでも申し込
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1 1 ∼2月行事予定
月
日
11 16∼20
1 9 土
2 5 金
3 0 水
12 01∼03
0 9 金
1 3 火
1 7 土
01 09 月
1 0 火
1 5 日
02 08∼11
1 0 金
曜
A P A C 音楽祭合唱(マニラ)オーケストラ(北京)
インターナショナルフェア
秋学期終了
冬学期開始
オールスクールプロダクション
プレゼンテーション大会
高等部ホリデーコンサート(メイプルホール)
冬季休暇開始
編入選考
授業再開
中等部入学選考
A P A C バスケットボール
高等部入学選考 イヤーブックの購入申し込みを1階SSC
にて受け付けます。1冊5000円で、締切
は12月16日です。締切以降も数に余裕が
ある場合は申し込みを受け付けますが、
この場合は1冊6000円となります。 最終締
切日は4月1 4 日です。また、お支払の
際、SSCでお渡しするレシートを保管し、
受け取るまでなくさないようにして下さ
い。よろしくお願いします。
(事務局:飯田裕子)
編集後記
最近秋の味覚に続けて恵まれました。ある会社の見学会に参加したらビンゴゲームで松茸が当たり、焼きたてを賞味し
ました。次は地区運動会で入賞し、その賞品がコシヒカリの新米でした。炊きたては最高です。また、箕面市の事業で畑
を借りて育てた黒大豆の収穫をしました。これも茹でたては格別です。さらに、近所で畑を持っている人が取れたての薩
摩芋を分けてくださいました。タイミング良く学年のLHRで焼き芋をすることになっていたので、一緒に焼いて食べまし
た。さて、できたてのインターカルチュア、楽しくご賞味いただけましたでしょうか。(馬場博史)
11月4、5日泊りがけで教員研修会が行われました。開校当初は毎年行われていましたが、ここ何年かは、まったく行
われていませんでした。この研修会で、改めて、設立の理念を思い起こすことで、学園の特殊性やジョイントスクールの
あり方などをじっくり考えることができました。今年は、学園創立15周年の節目の年。また、新たな気持ちで、日々生徒
達と学園での1ページが作って行けたらと思います。(志垣満理)
インターカルチュアへの記事・ご感想等は、e-mail で [email protected] までお送り下さい。インターカルチュアはバッ
クナンバーも含めて本学園ホームページ www.senri.ed.jp/interculture でもご覧いただけます。また広報センター担当の学
園ホームページにつきましてのご意見・ご感想などもお待ちしています。
春学期
5 月 号 ( 上 旬 ) 卒業式、入学式、大学等合格状況
期5
6 月 号 ( 中 旬 ) 学園祭、教育実習
秋学期
( 上旬
) 夏の宿泊行事、夏の諸活動報告
期11 0 月号
月号(
上旬)
1 1 月号
( 中旬
) 運動会、玄関コンサート
月号(
中旬)
冬 学 期 2 月 号 ( 上 旬 ) オールスクールプロダクション
3 月 号 ( 中 旬 ) 入試結果、卒業生へ贈る言葉
他に留学報告、スポーツ結果、各種表彰、授業紹介、生徒会・クラブ活動等
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