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2000年度スポーツ産業論レポート
国際スポーツ大会と NATIONALITY
作成者:石塚 真規 商学部3年 81020
森口 廉之 商学部3年 81270
渡邉 薫
商学部3年 81292
作成年月日:2001/01/23
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目次
イントロダクション(p3)
1. ワールドカップにおける事の数々(p4-9)
*自殺点の選手殺害される
*イタリアのトマト責め事件
*日本の清涼飲料水事件
*フーリガンは出国禁止
*NZ理事「欧州から圧力受け棄権」.W杯投票で
*ワールドカップ予選で戦争勃発
2.オリンピックとワールドカップの比較(p9-11)
*五輪の意味
*オリンピックに見られる平和的事例
3.「NATIONALITY」を W 杯でどう活かすのか
(p11-17)
*ワールドカップにも平和的理念を
*共同開催への期待
*経営面の改善がさらに可能性を広げる:開催国の範囲をもっと広く
アンケート表(p17)
コメントに対する回答(p18-19)
作業日程と作業分担(p20)
全体の評価と感想(p21)
参考文献(p22)
参考ホームページ(p24-33)
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INTRODUCTION
今回、このスポーツ産業論1という講義で我々が選んだテーマは「国際大会」と
いう途方も無くスケールの大きなものであったが、なぜ、このようなものを研究してい
こうと考えたのかというと、国際大会という大きな規模の大会だからこそ表面にはっき
りと現れてくる「NATIONALITY」というものに注目してみたかったからである。さ
らに、その「NATIONALITY」というものがスポーツに与える影響を考察し、それが
国家間、人々にどのような影響を与えているかということに興味をもったからである。
そもそも国際大会というものは「平和」
、
「商業」
、
「競争」という主に3つの要素
が融合して成り立っていると考える。
「NATIONALITY」対「NATIONALITY」の競技
だけに、国際大会にしか引き出す、または、創造することのできない世界平和の形や、
国家間の友好関係があるのではなかろうか。
また、スポーツにおける「NATIONALITY」というものは我々もごく普通に常
日頃から無意識に感じているものである。例えば、普段サッカーにこれといって興味の
なく、国内の J リーグの試合など興味がない人々でも、オリンピック、ワールドカップ
となれば話しは別で観戦するのはもちろんのこと、日本チームのプレーに一喜一憂して
しまうのではなかろうか。愛国心の薄いといわれる日本人でさえこの瞬間
「NATIONALITY」というものを無意識ではあるが、感じているのである。これがサ
ッカーに強烈な関心のある人、愛国心の強い人となれば国際大会というものは国際大会
でしかありえない特別な側面を見せてくると思う。このように自国に対してその競技の
プレイヤー、観戦者が誇りを持つことはその競技の発展にとっては非常に大切なことで
ある。
しかし、最近の国際大会では、「競争」という側面が強くなりすぎて、各地で諸問
題が発生し、この「NATIONALITY」という要素がその競技の発展という枠を超え、
平和とは全く違う方向に作用していることがあるのも事実である。
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そこで、我々は国際大会を取り巻く様々な問題を国際色の強いサッカー・ワール
ドカップに対象をしぼり検証し、「NATIONALITY」という要素を含む大会であるからこ
そ生じた「平和」について調べ、さらにこの「平和」を発展させていくためのアイデイアも
検討していきたい。
1.
ワールドカップにおける事件の数々:
世界で一番盛んなスポーツはサッカーである。当然、そのサッカーの頂点を決め
るサッカー・ワールドカップがヒートアップしてしまうのは、しかたがないことである。
そして、さらに、NATIONALITY間の競技であるから、盛り上がりはさらに高
まるだろう。ワールドカップは、世界で最も注目される大会であり、それが、国際社会
に与える影響には計り知れないものがある。その影響力を平和的方面に生かすことは、
とても重要なことだ。しかし、最近のワールドカップは、競争重視が目立っているので
はないだろうか。その為、悪影響ばかりが現れているのが現状ではないだろうか。まず、
ワールドカップにまつわる数々の事件を調べ、ワールドカップが与えている影響の現状
を考えてみる。
ワールドカップの試合結果により選手が何かのトラブルに巻き込まれた事例:
1.自殺点の選手殺害さる(1994)
1994 年 7 月 2 日、コロンビアで、この年行われたサッカーのワールドカップ
でオウンゴールを入れてしまったアンドレス・エスコバル選手が数人の男に囲まれ、12
発もの銃弾を受けて死亡する事件があった。
サッカーでは誰が入れてもゴールに入れば得点になりので、ゴール前で激しい
攻防をしている場合、守備側の選手が蹴ったボールがたまたまゴールに飛び込んでしま
うこともある。これをオウンゴールという。積極的に相手のボールを取りに行けば時に
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起きうる事故で、たまに見かけることがあり、オウンゴールの経験を持つ人も少なくな
いはずである。
しかしサッカーというのはなかなか点数の入らないゲームなので、このオウン
ゴールが重くのしかかってくることもあります。この試合(アメリカ戦)でコロンビアは
結局1対2で負けてしまった。オウンゴールが無ければ引き分けていた所であった。
そもそもこの年のコロンビアは優勝候補であった。南米予選ではマラドーナを
擁するアルゼンチンにも勝っていたほどである。ところがワールドカップに来てみると、
予選リーグでスイスには勝ったもののルーマニアに1対3で負け、アメリカにも負けて
信じがたいことに予選リーグ最下位。決勝進出も達成することができなかった。エスコ
バル選手はこのチームの守りの中心であったため、ルーマニア戦で3点も取られた上に
オウンゴールまでやらかしたことに、一部の観戦者が熱くなってしまったのであった。
エスコバル選手を射殺したグループはコロンビアの予選敗退により、賭けで
巨額の損害を出してしまった人たちではないかと言われている。この頃まで、この味方
ゴールに入れてしまうことを多くの人が「自殺点」と言っていたのだが、この事件以降、
シャレにならないということでオウン・ゴールという言い方が普及しはじめた。
2.イタリアのトマト責め事件
1966 年ワールドカップで、優勝候補のイタリアが北朝鮮に負けて予選敗退。
(北朝鮮はこれが効いて決勝トーナメント進出。北朝鮮はアジアで唯一決勝トーナメン
トに行った国である)帰国したイタリア選手団に空港で大量にトマトがぶつけられた。
3.日本の清涼飲料水事件
1996 年のワールドカップで日本は 3 敗で予選敗退。得点は中山がジャマイカ
戦で入れた 1 点のみで、フォワードの要として期待された城は無得点。しかもゴールほ
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外しても笑っている姿やガムをかみながらプレイしている姿が映されて、かなり頭に来
たサポーター達が存在していたようである。そこで成田空港で帰国して来た所に清涼飲
料水がぶっかけられる事件が起きた。
ワールドカップにまつわるその他の事件の事例:
4.フーリガンは出国禁止 ドイツで改正旅券法成立
ドイツ連邦参議院(上院)は7日、サッカーのドイツ人フーリガン(暴徒化し
たファン)が外国で開かれる試合に押し掛けるのを防ぐため、旅券法を改正する法案を
可決した。同法案は既に連邦議会(下院)を通過しており成立が決まった。
法改正により、海外で大きな試合が行われる際にはフーリガンの出国を禁止で
きるようになる。ドイツの警察当局は悪質なフーリガンを監視対象にしており、試合開
催中は所在確認を徹底させることで、これらフーリガンの出国を阻むことにしている。
1998年6月、サッカーのワールドカップ(W杯)フランス大会でドイツ人
フーリガンがフランス人警官を襲い、意識不明の重体とさせた事件を契機に、ドイツで
はフーリガン対策の強化を求める世論が高まっていた。
5.NZ 理事「欧州から圧力受け棄権」・W 杯投票で
国際サッカー連盟(FIFA)の2006年ワールドカップ開催国を決める理事
会の決選投票で、南アフリカ支持の約束を破ったとして、非難されている、チャールズ・
デンプシー理事(ニュージーランド)が、オークランドで記者会見を行い、
「オセアニ
アの利益を考え棄権した」と釈明した。
ニュージーランド通信によると、同理事は、「投票前夜に匿名の電話が多くか
かり、不安になった。そのうちの一つは、脅迫電話であった」と述べるとともに、
「あ
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る有力な欧州関係者から、南アフリカへの投票は、オセアニアに悪い影響を与える」と
言われたことも明かした。
同理事は、投票の3日ほど前から、自分にわいろを受けた疑惑がかけられてい
ることに気づいたと述べた。こうした状況も考慮しての棄権で、棄権する可能性は、
FIFA やオセアニア・サッカー連盟の理事たちにも事前通知していたと説明した。
同理事の出身母体オセアニア・サッカー連盟は、「イングランドが決戦投票に
残らなかった場合は、南アフリカに投票する」と機関決定していた。投票では、12票
を得たドイツが、11票の南アフリカを抑えて開催権を獲得した。
平和的なスポーツの祭典であるはずのワールドカップであるのに、ここでも、
物騒な問題が発生してしまっている。
6.ワールドカップ予選で戦争勃発
世界中を熱狂の渦に巻き込むワールドカップサッカーであるが、熱狂が時には、
狂気に変わることもある。
1970年メキシコ大会は、開催国メキシコが自動的に出場権を得たため、北
中米カリブ予選で異変が発生した。常に地区予選を勝ち抜いていたメキシコが地区予選
にでないということは、どこかが、その変わりにその代表の椅子に座ることができると
い状況がうまれた。
予選中も、代表の椅子をかけて各国が激しい戦いを繰り返し、そのうちにだん
だんとヒートアップしていった。1969年6月、2次予選に進出したホンジュラスと
エルサルバドルは、互いにホームゲームに勝ち、1勝1敗となり、決戦が、メキシコの
アステカ競技場で行われることとなった。
ここで、両国の感情が熱狂から狂気に変わっていった。この決戦を前に、エル
サルバドルが、ホンジュラスとの外交関係を断絶した。ホンジュラスにすむエルサルド
ル人の虐殺のうわさが広がり、政治的な関係まで悪化していった。厳重警備の中行われ
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た決戦は、3−2でエルサルバドルが勝ち、地区予選決勝でもハイチに勝ち、本大会出
場を決めた。
ここで、ホンジュラス側までもが、国交断絶を宣言してしまった。7月には、
国境付近で空中戦が始まり、ついに戦争に突入してしまった。国連が解決に乗り出し、
両者の間で、和平が成立したのだが、ワールドカップサッカーは、平和とはまったく逆
のこのような事件までひきおこしてしまっている。
サッカーは、世界でもっとも普及しているスポーツであり、そのサッカーの頂
点を極めるワールドカップは、世界最大のスポーツの祭典である。その大会の大きさと
熱狂振りは多大であり、ゆえに、国際的な影響力もはかりしれないものがある。大きな
影響力を持つ大会であるからこそ、競争だけにはしるのではなく、平和的な要素も多く
取り入れなければならないのではないだろうか。しかし、上述したように、競争の激化
により、ワールドカップによって引き起こされた事件は、数多く存在する。では、どの
ようにすれば、ワールドカップにも平和的要素が多く現れてくるのであろうか。ここで、
オリンピックとワールドカップを比較してみる。同じNATIONALITY間の競技
でありながらも、平和的要素の強いオリンピックについてのリサーチを行うことで、ワ
ールドカップにおける平和に対する何らかのアイデアがみつかるのではないかと考え
たからだ。
2.
1)
オリンピックとワールドカップの比較
五輪の意味:
これは地球上の五大陸、すなわちヨーロッパ・アフリカ・アジア・オ
セアニア・アメリカを表している。世界中の人々がスポーツという同じ目的を
持ち、同じ場所に集い、競うという平和の意味が込められている。
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オリンピックの理念:
・平和と友好を目指す
・競い合う情熱と温かい思いやりを胸にオリンピックに集う喜びを
世界の友と分かち合いたい(長野五輪大会基本理念)
(ほとんどの大会でこのような理念が掲げられている)
このように、オリンピックは、平和第一であり、平和的理念を前面に押し出し
て、大会運営がなされている。マスコミの報道のしかたも平和的要素を多く含んだもの
が多いように感じる。それに対して、ワールドカップにおいては、このような現象はあ
まりみられない。オリンピックのように、平和的理念を前面に押し出しアピールした大
会運営はなされていない。
2)オリンピックにみられる平和的事例:
シドニー五輪 閉会式:
シドニーオリンピックの閉会式においては、各国・地域の選手団が、国境の垣
根を取り払って、4つのゲートから一緒になって入場した。このことによって、
「世界
は一つ」があらためて認識された。
五輪、南北同時入場行進:
白地に青で朝鮮半島を描いた「統一旗」をかかげて、韓国を朝鮮民主主義人民
共和国の選手団が、一緒に入場行進して幕をあけたのが、シドニーオリンピックであっ
た。冷戦構成がいまだに残る朝鮮半島だが、オリンピック選手たちは、はじけるような
笑顔を浮かべ、スタジアムには、ゆれるほどの拍手と歓声が巻き起こった。歴史的な入
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場行進に感動した人は少なくないはずだ。その感動的な入場行進は、朝鮮半島情勢安定
に重要な役割を果たした、と振り替える日が、いつか訪れるはずである。
南北関係をみるとき、雰囲気作りや、ムードといった、一見ささいな要素が極
めて重要だということが証明された。シドニー五輪での、同時入場行進は、まさに南北
和解の雰囲気作りであり、和解ムードにつながるものであった。
聖火:
オリンピックには、聖火の存在がある。この聖火は、開会式で点灯され、大会
運営中、灯り続ける。この聖火は、平和の象徴であり、毎大会、平和を背負うことので
きるような人物が点灯者として選出され、点灯式が行われる。アトランタオリンピック
では、現在パーキンソン病と闘っている元ボクサーのヘビー級元世界チャンピオンモハ
メド.アリが聖火を灯し世界中を感動させた。前回のシドニーオリンピックでは、アボ
リ族の血を受け継ぐオーストラリア人で、陸上金メダル候補のキャシー.フリーマンが
選ばれ、人種差別の撤廃を訴えた。
3.「NATIONALITY」をワールドカップでどう活かすのか
1)
ワールドカップにも平和的理念を
*
ワールドカップにもオリンピックのようなイメージ、理念をより強く根づかせ
る必要があるのではないか。そのためには、マスコミ、メディアの協力がこのゴール
の達成には、不可欠である。
1928 年のFIFA総会で、当時フランスサッカー協会会長だったアンリ.ド
ロネーがワールドカップというもの初めて提案した時の目的は明確であった。
「世界
的スポーツであるサッカーは、オリンピックの舞台で世界ナンバーワンを決定するこ
とはできない。多くの国でプロ組織が確立され、アマチュアだけのオリンピックには
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ベストメンバーを派遣できない現実がある。その国の組織に関係なく、真の世界チャ
ンピオンを決定する大会を開く必要がある。
」と彼は提案した。この時点でのワール
ドカップの開催意義は、競争という要素にしかないことがこの発言からわかる。現在
のワールドカップの理念は全く変わっていないと断言そても良い。それに対するオリ
ンピックの理念には、平和的要素がはっきりと組み込まれている。IOCのホームペ
ージでのオリンピックの定義を読むと次のように書いてある:
“オリンピックは世界
の友好と親善を目的として、国際オリンピック委員会(IOC)が主催する国際的な
総合スポーツ大会である。”。こういった要素をワールドカップにも組み込むべきだと
いうのが私達の最初の提案である。
大会のイメージに大きな影響を与えるのがまずは、開会式、閉会式である。近
代オリンピックの開会式、閉会式は常にスポーツを通じての民族の融和と国際平和の
尊さを訴えてきた。シドニーオリンピックの閉会式も例外ではなかった。閉会式では、
各国の選手団が、国境の垣根を取り払って四つのゲートから一緒になって入場したこ
とは、やはりオリンピックの平和的な理念のイメージを強化するものであった。ワー
ルドカップにもこういった平和的要素をくいこんだ理念とそれを強調するイベント
の開催が必要なのではないか。オリンピックノ開会式や閉会式は、印象に残るもので
ある。メディアにも大々的に取り上げられ、テレビでは各国で高視聴率をマークして
いる。ところがワールドカップの開会式、閉会式は、印象に残らない。その存在すら
忘れてしまうほど印象が薄い。
その根本的な原因は、私達は、メッセージの欠如にあると考えます。これらの
イベントには、訴えるものがなければ意味がないのではないか。現在の開会式、閉会
式は大会の始まりと終了を祝うものでしかない。確かにそれで良いと思われる人も多
いかもしれない。しかし、私達はここに非常に大きな機会損失が存在すると考える。
異なった「NATIONALITY」の世界中の人々が注目する国際大会は大きな影
響力を持っている。その事は、明確である。その影響力を利用しないことはもったい
ない。ワールドカップには、競争的要因しか含まれていない。平和的な要素をそこに
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組み込まないことは、大きなもう一つ大会意義を無視し、それは、大きな機会損失と
して受け止められるべきだと私達は、考えました。
*
この平和的理念が成り立つには、ワールドカップで起きている数々の事件やト
ラブルを防ぐことが不可欠である。顧客同士の衝突が毎日のように起きている大会に
平和的なイメージを与えようと思ってもそれは、実現不可能なことだ。まずは、本大
会でのトラブルを防止する必要がある。警備体制による安全の向上も考えられるが、
この解決法は決して平和的ではない。暴れたい人を力で抑えてもそれは、根本的な問
題解決にはなりえない。その観客のフラストレーションがたまり、そのフラストレー
ションはやがて暴力や暴言という形で爆発してしまう恐れがある。真の問題解決はや
はりワールドカップを訪れる観客の意識に改革を起こすことである。もちろんフーリ
ガンを含むすべてのサポーターの大会に対する意識の改革を進めるのは、容易な作業
ではない。しかし、そこから始めないかぎりワールドカップには、先ほど明記したよ
うな事件が付き物になってしまう。これは、もちろん長期的な思考を持ったときの解
決手段である。ワールドカップでは、暴力的な行為を起こしづらい、空気、ムードと
いうものをつくる必要があると私達は考えます。試合会場の中やその周辺に平和的な
試合観戦を求める看板を設置したり、アナウンスや主催者の声で観客に直接訴えるよ
うな工夫を考える必要がある。しかし最も大事なのは、やはり大会に平和的な要素を
含む明確な理念を組み込むことである。平和的な大会理念こそが大会の平和を支える
のだ。メディアや開会式、閉会式などを通じてワールドカップに平和的なイメージを
観客にも与える必要がある。それによってワールドカップにも平和的な雰囲気が定着
し、その雰囲気は観客の行動にも反映されるに違いない。
。こういったことをまとめ
て考えるとワールドカップの大会理念に平和的な要素を組み込むことは不可欠なこ
とだと思われる。こういった理念は、もちろんすぐに定着するものではない。長期的
な計画を立てる必要がある。何大会にもわたりこういった活動をしていかなければ大
会理念は定着しないに違いない。
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2)
共同開催への期待
*
2002年のワールドカップの日韓共同開催は平和的な観点から見て、大きな
可能性を秘めている。朝日新聞社による調査によると、
「共同開催で日韓関係は今よ
りよい方向に進む」と答えた日本人は62%、韓国人は67%であった。この数字は、
両国の国民が、ワールドカップの大会を通じて、友好、親善を高められるのではない
かという前向きな期待を抱いていることを明確にしている。また、両国の国民の姿勢
は、時間がたつにつれ、より前向きなものとなっている。同社が行った前回調査(1996
年 11 月)と比較してもその傾向は明確である。
「よりよい方向に進む」と見る人は、
日韓とも大幅に増えた。また、「そうは思わない」と答えた日本人は 29%、韓国人は
33%減った。私達は、この前向きな傾向の大きな要因としてメディアの影響があると
考える。1996 年当時のマスコミには、共同開催を不安視したり、批判的に見る記事
や番組が多かった。しかし、今はそうでもない。また、実際、物事が今のところ大き
なトラブルなく進んでいるため、不安を抱いていた人々も「以外と大丈夫だな」と考
ええお前向きなものに変えているのではないか。
私達は、現在の日本人のこの共同開催に対する意識を確認するため、アンケー
トを実地した。これは、あくまでも参考のためである。自分達の調査で日本人の日韓共
同開催に対する意見を把握する必要があると考えた。また、こういった共同開催の場合、
両国の姿勢が前向きであるか否かが成功の大きな要因であると私達は考えた。この調査
は、「共同開催は良いと思うか、悪いと思うか」
、
「両国の関係を友好にすると思うか、
思わないか」を聞いた。しかし、YES か NO かを聞いて数をこなすよりも、今回は、
対象を23人に絞り、この二つの問題について深く聞き、その答えの裏にある原因を探
りました(アンケートの詳細は資料に明記)
。アンケートというよりもインタビューに
近いものを行ったと言える。結果としては、
「共同開催は、良いと思う」が 14 人(約
60%)
、
「両国の関係を友好にすると思う」が 19 人(約 83%)であった。つまり、
「共
同開催は、悪いと思うが両国の関係を友好にするのは、確かだ」と考える人が 5 人もい
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たのである(共同開催は、良いと思うが、両国の関係を友好にするとは思わないという
人はいなかった)。この回答者の話を良く聞くと一つの共通意識が見えてきた。彼らが
共同開催を良くないと考える理由は、あくまでも組織的な問題や利便性、コンセプトの
曖昧さというところにあり、友好関係の悪化とは関係なかった。例えば、両国のオーガ
ナイザーのコミュニケーション問題によるトラブル、観客にとっての分かりづらさ、不
便さ、そして何よりも、はっきりしないということ、両国の国民がすっきりした気分に
なれないのではないか、という意見が共同開催に対する否定的な姿勢の原因であった。
平和的な要素のための共同開催という意味では、ほとんどの回答者が賛成しているとい
うことが言える。また、共同開催をもともと支持していた回答者のすべては、その一つ
の要因として両国の関係を友好にする可能性があるという意見が含まれていた。平和的
観点から見た場合、共同開催というものは、
80%以上の割合で支持されているのである。
共同開催が成功するためには、各国の国民が前向きな思考を大会前から持つことが不可
欠であると私達は考えた。だからこそ、その調査をすることは、極めて重要なことであ
った。誰もが反対意見を持ち、成功すると考えていない中の共同開催は、関係の悪化を
導きかねないからだ。来年開催される日韓共催ワールドカップには、今後も注目してい
きたい。
実際に共同開催の成果が、少しづつではあるが、見えてきた。先日行われた日
韓選抜チーム対世界選抜チームの試合に出場した三浦和良選手は「日韓が合同チームを
作るなんて今までは考えられなかった。この試合にキャプテンマークをつけて出場でき
たことは、特別な思い出になる」。と試合後のインタビューで満足げに話していた。こ
の試合で、日韓の選手は、かたことの英語で違いにコミュニケーションをとっていたと
いう。
また、日韓のワールドカップ共催をきっかけに、Jリーグと韓国のKリーグの交流が
目立っている。洪明甫(柏)ら韓国トップクラスの選手の来日が相次ぐ一方、去年は逆
に日本から朴康造(元京都)が初めて K リーグに進出した。互いの国で強化合宿をす
るなどクラブ同士の交流も盛んになっている。早い段階でのこういった交流は、日韓共
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同開催のワールドカップなしではありえなかったのかもしれない。共催のワールドカッ
プがこういった交流の意識を高めているのは間違いないことである。
3)経営面の改善がさらに可能性を広げる:開催国の範囲をもっと広く
サッカーのワールドカップは、人気度においてオリンピックに肩を並べるとまでいわれ
るもので、単独競技としては文句なく世界最大級のスポーツイベントである。98年の
フランス大会では、168の国および地域がエントリーし、勝ち残った32チームで行
われた本大会における観客動員数は延べ279万人(1試合平均4万4千人)
、テレビ
観戦者は世界中で延べ400億人にまで達するといわれている。なかでも、イベントの
クライマックスといわれる決勝戦は、世界中で同時に20億人の人がテレビ観戦したと
いわれており、この大会の規模の大きさを物語っている。
当然、このような規模の大会であるからこそ、それがもたらす経済効果というもの
も大きなものとなる。98年のフランス大会では税込み収益が約5億5000万フラン
(約98億円)にもなり、税引き後収益が約2億9000万フラン(約56億5000
万円)となった。ワールドカップ組織委員のミシェル・プラテイ二会長は「フランスのス
ポーツ史上、ビッグイベントで財政的な勝利を収めたのは初めて。すばらしい結果を誇
りに思う。」と述べたという。
2002年の日韓共同開催のワールドカップでも決勝戦の行われる横浜市内への
経済波及効果は、複雑な計算などは省略するが、257億円に達するという試算も存在
する。しかも、直接金額で表されるものでわないが国際的なイメージアップやサッカー
文化の振興などにも大きな影響力を持つといわれる。
しかし、このような規模の大きな大会を開催し、しかもそれである程度の利益をあ
げるとなると、それは容易なことではない。現在までの歴代のワールドカップが先進国、
またはそれに準ずるような国で開催されており、全ての大会が黒字をあげているわけで
はない、ということがそのことを証明している。しかし、フランス大会、そして200
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2年の日韓共同開催の例をみれば分かるように、最近ではワールドカップ開催の経営方
法やそれに付随するビジネスの発展のおかげで、黒字をあげることができるようになっ
てきたというのも事実であるので、そのノウハウを伝えることができれば、いままでの
ような限られた先進国だけでなく、より幅広い範囲で大会を開催することが可能になっ
てくるのではないだろうか。もちろん、先進国のように莫大な利益をあげられるとは限
らないが、これはワールドカップによる、異文化の交流、平和の実現という側面からみ
てみるとよりよいことなのではないだろうか。
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意識調査アンケート
調査対象:*23 人(男性 14 人、女性 9 人)
*詳細:−身近にいる大学生:男性 6 人、女性 3 人(20 代前半)
−20 代後半社会人:男性 4 人、女性 3 人
−30-40 代社会人:男性 4 人、女性 3 人
形式:インタビュー。一人の回答者に対して最初に、
「あなたは、日韓共同開催は良い
試みだと思いますか?」(質問1)
、「あなたは、共同開催が両国の友好関係を改善する
と思いますか?」(質問2)という二つ質問を問いかけ、YES or NO で回答しても
らう。次にその理由について 10 分ほど(20 分話しこんだ回答者もいた)話を聞く。
日程:数日に分けて回答者にインタビューが行われた。一つのインタビューを除いて、
すべてのインタビューが一月に入ってから実地された。
質問1:
YES 14
質問 2:
YES 19
結果:
NO
NO
9
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4
中間・最終コメントに対する回答
コメント者:鎌田 佑生紀
内容:テーマは面白いが何を言いたいのかわからなかった。
第三章において、NATIONALITYをどのように平和に結び付けてゆけ
ばよいのかの、明確なアイデアを出した。あと、この人は、あまり話しを聞いていなか
ったようなので、プレゼンの難しさを知るとともに、注目を引きつけることの大切さを
知りました。
コメント者:平口慶幸
内容:様様な国の人々がW杯で日本に来た場合の治安が心配
確かにこれは大きな問題であると思うし、我々の中にも、常に、この事に対す
る問題意識はあった。そして、さらに平和に対する意識の必要性を感じた。やはり、こ
の問題解決のためには、第三章で述べたのだが、警備体制を整えることと、さらには、
このレポート全体を通して論じているように平和的要素の増大によって、サポーター達
の意識改革を行なう必要がある。
コメント者:酒井淳
内容:W杯での平和的要素のよい案はないのか
このコメントに対しては、第三章において、ディスカッションや、インターネ
ットのサイトをもとに、様々なアイデアを出した。
コメント者:関
内容:W杯はナショナリズムあってこそ盛り上がる。その点は否めない。
私たちは終始NATIONALITYに関しての否定はしていなかった。NA
TIONALITYを生かせるからこそ生み出せる平和について考えてきて第三章で
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そのアイディアを出した。
コメント者:真田 学
内容:日韓合同の試合はすごかった。
コメント者:藤沢 直仁
内容:この前の日韓合同の試合は平和・協調に貢献するものだ。他にもこのような例を
あげていってほしい。
私たちも当初から日韓については注目していたが、このような意見を頂き、も
っともだと思うとともに日韓について詳しく調べ、日韓共同開催以外にも、オリンピッ
クの北朝鮮、韓国の共同入場などについても触れることができた。
コメント者:田中 邦弘
内容:朝鮮の問題など国際大会が平和の架け橋となるほうこうというのは見つけられな
いのだろうか・
コメント者:下田 真人
内容:競争のあり方が問題。もっといい方向があるのかもしれません。
私たちは国際大会が平和の架け橋となると信じて調査を進めており、競争のあ
り方というのも、競争の質を下げることなく、平和へとつなげられるように第3章のア
イディアをあげてみた。
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作業日程と作業分担:
流れ:
課題設定
ディスカッション(大会の問題点や、その改善のためのアイデア)
調査:
・裏付けの為の資料収集
インターネット、文献、新聞等
・アンケート調査
ディスカッション(最終改善策のまとめ)
レポート作成
分担: W杯の平和的要素調査
石塚真規
W杯にまつわる事件の調査
森口廉之
オリンピックの平和的要素調査
渡辺薫
アンケート調査
メンバー全員
レポート作成
メンバー全員で分担して
ディスカッション
全員参加
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全体の評価と感想
全体の評価:
テーマがはっきりと明確にされ、課題が設定されていること、そして、レポー
トが論理的に展開され結果にたどりつくことができた。また、ディスカッションに多く
の時間をさき、様々な意見がでてきて、それをうまくまとめることができた。
しかし、参考文献の意見をそこまで多くは、取りいれなかったため、意見の裏
付けが少し弱いところも若干ある。
このプロジェクトをやり終えてみての感想:
普段、国際大会を観戦するにあたって、どうしても、国民として、自国の側にたった、
観戦をしてしまいがちなのだが、このプロジェクトを通じて、その枠を越えて、国際大
会を眺め、また、考えることができたのは、大きな収穫であった。普段、ただ観戦して
いるだけだと、ただ、「競争」のところだけを意識して見てしまうが、
「平和」のメッセ
ージ(特にオリンピック)も多く込められているという事実を尊重していきたいと思う。
NATIONALITY間で競い合うスポーツの祭典であるからこその、また、それに
しか達成することのできない、「平和」のカタチが存在している。競技を観戦し、熱狂
する。しかし、それだけでは終わらず、その中に存在する「平和」へのメッセージを感
じ取りたいし、また、さらに多くの「平和」へのメッセージが、国際大会に込められて
ゆくことを強く希望する。
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参考文献:
康 奉雄 「知られざる日韓サッカー激闘史−韓国と日本をつなぐショートパス
ス」 広報道出版(1998 05 01)
(第三章の共同開催への期待でのアイデアを作る為に使用)
鈴木 武士 「サッカー狂想曲」 ベースボールマガジン社(1998 0503)
(W杯とオリンピックの比較際して、サッカー側のイメージをつかむ為に使
用)
田中 哲彦 「オリンピックおもしろ情報館−オリンピック熱き戦いと友情」
汐文社 68 (2000 04 01)
(オリンピックの平和要素の模索に使用)
石井 清司 「スポーツと権利ビジネス−時代を先取りするマーケティング・
プログラムの誕生」 かんき出版 (1998 02 01)
(第三章の経営面の改善がさらに可能性を広げる、で使用)
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