14心の糧 H14.03

生かせいのち心の糧
お大師さまの言葉
口に信修を唱ふとも心嫌退すれば
頭有って尾無し
言って行ぜざれば信修の如くして
信修とするに足らず
三教指帰・性霊集巻第十
たとえ、口で祈りを唱えても心にその気がなけ
れば始まって、終わりなきものと同じである。
口で言っても、実行がないなら信仰しているよう
でも信心することはできない。
いのち⋮仏教からのメッセージ
ピエール・ジャネというフランスの心理学者が、
加齢によって時の経過が速く感じられるようになる
という現象を、統計的に研究したことがあります。
その研究によりますと、六〇歳の人は、二〇歳の人
が感じる一年を、四ヶ月にしか感じていないのだそ
うです。つまり、六〇歳の人にとっては、時間が二
〇歳の人の三倍も速く流れていくということですね。
どうしてそんなことになるのかと申しますと、こ
ういうことらしいのです。たとえば、腕時計の針は、
子供にとっても大人にとっても同じ速さで動いてい
ます。ところが、それとは別に、私たちはみな、新
陳代謝という身体の時計を持っているのです。
子供はケガをしても治るのが速い。それは、身体
の時計が速く動いているからですね。ですが、年を
とるにつれて、身体の時計がゆっくりになってくる。
そのために、ケガの治りも遅くなる。
そこで、いわゆる客観的な時間と、主観的な時間
にずれが生じてくるのです。つまりは、加齢ととも
に身体の時計がスローダウンしていくにつれて、相
対的に、腕時計の針がスピードアップしていくよう
に感じられるようになる、というわけです。
かくして、歳をとればとるほど、一日が短くなっ
ていく。そして、ついには人生最後の日を迎えるこ
とになる。ですが、﹁その日﹂は、同じ速さで歩み寄
ってくるのではなくて、加速しながら走り寄ってく
るのです。﹁六〇歳で退職して、あと二〇年はある﹂
と思っていても、その二〇年は、数年の値打しかな
いのかもしれません。
私たちは﹁今、ここに﹂いる、と思っています。
たしかに、﹁身体﹂は﹁今、ここに﹂あります。です
が、心が﹁今、ここに﹂はいないのです。日常の私
たちは、何もしていないときでも、常に休み無く、
心のなかでオシャベリをしています。常に何かを考
えていると言ってもよいでしょう。
過去を誇ったり悔やんだり、未来に期待したり不
安を抱いたりして、決して﹁今﹂のこの一瞬にとど
まっているということがありません。つまりは、心
のなかで過去へ未来へと走り回っている私たちは、
﹁今、ここに﹂いないということになります。
私たちは、過去に生きているわけでも、未来に生
きているわけでもありません。私たちは、本当は﹁今、
ここに﹂生きているはずなのです。ですが、
﹁エゴ﹂
は、過去へ未来へとさまよって、幻のような﹁自己
イメージ﹂を生み出している。そして、それにしが
みついて、悩み苦しんでいる。それが、私たちです。
﹁エゴ﹂の世界に閉じ込められると、どうなるのか。
それは、新聞やテレビで、日々報道されているよう
な世界になるのです。宗教的世界を切り捨てた私た
ちには、﹁エゴ﹂しか残されていません。﹁エゴ﹂に
は、﹁自分の欲望の実現﹂にしか関心がないのです。
仏教は、そんな﹁偽りの自分﹂を離れて、﹁本当の
自分﹂に戻ることを教えています。
﹁エゴ﹂が停止して、
﹁自己イメージ﹂が解き放たれ
てしまえば、﹁死﹂でさえも平然と受容できるのです。
﹁本当の自分﹂にとっては、
﹁死﹂は深刻なものでは
ないのです。﹁死﹂が深刻でないのなら、人生で深刻
なものなど何もありません。
そこには、ただ、満ち足りた﹁今﹂が輝いている
だけです。
仏教が目指しているのは、そんな世界です。
私は世界に二つの宝を持っている。
私の友と私の魂と。
ロマン・ロラン
﹃高野山こころの電話﹄ 〇七三六五 六
- 四
- 五〇〇
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