平成26年12月25日 さ か た り 1 ○ 防 府 天 満 宮 ▲御神幸祭をひかえ御網代輿と神輿が据えられた拝殿 か とりもとひこ の視点で描く 菅公精神「至誠」の心 ~大河ドラマ「花燃ゆ」によせて~ 宮司 鈴 木 宏 明 ふみ 話 だ と 聞 い て い ま す。 そ の 松 陰 の 志 を 強 く 受 け 継 い だ の が 文 の 来年の大河ドラマ「花燃ゆ」は 吉田松陰の妹・文(美和子)が主人公となり 激動の時代、松陰の残した志を受け継ぐ志士たちの燃える想いを陰で支えた女性 ʻ いま こ な影響を与えたといわれています。 維新後、素彦は初の群馬県令に就任しますが、この精神を実践し『修身説約』 を編纂させ「至誠の人」と称えられました。 『修身説約』は後の道徳教育に大き しゅう しん せつ やく 妬に迷うことなく「至誠」を貫くという強い天神信仰をも持っていました。 杉晋作がそうであったように道真公の身に自分の境遇を重ね合わせ、つまらぬ嫉 その素彦は野山獄に繋がれた際、夫人に宛てた遺言書の中で「菅丞相の御誠忠 は万々年迄も光り輝き、天満宮と御崇敬」されていると綴っています。素彦は高 の やまごく る「至誠」の心を素彦は胸に深く受け留めたのでありました。 『至誠にして動かざる者未だ之れあらざるなり』 ~誠を尽くせば何事も必ず動かすことができる~儒学者であった松陰が信念とす があります。 ていました。江戸送りになる直前に松陰が素彦に送った書の冒頭に有名なことば 下村塾を任されるほどでありました。その両者は「至誠」をキーワードに結ばれ か そんじゅく 治十四年死別、明治十六年文と再婚)、松陰が安政の大獄で投獄されてからは松 しょう 八号にて紹 素彦は晩年ここ防府に住み当宮に大きな功績を残されました(本八 ひさ 介)。若い時から松陰と親交深く互いに尊敬しあう間柄で文の姉・寿と結婚(明 夫・楫取素彦でありました。 ʼ 「花燃ゆ」のお蔭で、菅公精神「至誠」の心が維新の志士たちを通してその後の 日本の教育に深く浸透したことを知り、改めて公の遺徳を偲ぶことができました。 http://www.hofutenmangu.or.jp facebook更新中 佐加太利とは御鎮座地 天神山の古来名「酒垂 山」からとったものです 絵 巻 」 と 題 し て、「 天 神 縁 起 絵 巻 は詞書きの始まり方で古い順番に 本年八月三十日・三十一日の両 日にわたり、全国から約二十名の 北野天神縁起絵巻(弘安本)の流 と が 出 来、 松 崎 天 神 縁 起 絵 巻 は、 第四回松崎天神縁起絵巻研究会 研究者が参加し、標記研究会を開 れをくむ丙類に属している」と概 甲・乙・丙類の三種に分類するこ 催致しました。 て②集落の鎮守として③国府・国 ①既存の寺院及び惣社の祭神とし 全国の天満宮が創建された理由を が制作された鎌倉時代後期までに 信 仰 に つ い て 」 と 題 し て、 「絵巻 ( 写 真 ) が「 天 神 技法が巻によって異なることから したものであり、さらに描き方の の部分を埋めるために後で書き足 が書かれている部分に生じた余白 際に絵が描かれている部分と詞書 と指摘されました。これは制作の また絵巻の紙と紙との継ぎ目を 境に、絵の描き方が違う所がある 説されました。 分寺と深い関係がある場合の三つ 複数の人物によって書き足されて 先ず、同志社大 学竹居明男教授 に分類でき、防府天満宮は③に当 いる」と、報告されました。 甲類は「王城(京都)鎮守の神々~」 乙 類 は「 日 本 我 朝 は 神 明 ~」、 丙 類 は「漢家(中国)本朝(日本)霊験 不思議~」と始まり、書き出し方か ら 京 都 か ら 中 国 日 本( 当 時 の 世 界 ) へと時代を経る毎に天神信仰が広が っていったことを表しています。 ⇒松崎天神縁起絵巻冒頭詞書(丙類) てはまると話されました。そして 絵巻が作成された一三一一年まで の防府天満宮に関する史料をあ げ、絵巻に記される土師氏などの 人物が実際に防府天満宮とどのよ うな関係があったのかを指摘さ れ、古くから国分寺・周防国府官 人・ 北 野 社 と 関 連 性 が あ っ た 」 、 と報告されました。 次に、東京国立 博物館土屋貴裕研 究員(写真)が「松 崎天神縁起絵巻と弘安本天神縁起 歴史館だより NHK大河ドラマ 「花燃ゆ」応援企画 楫取素彦展(仮) 開催 展示期間 平成二十七年一月一日 ~平成二十八年一月十一日 拝観料五〇〇円 高校生以下無料 ドラマの主人公である吉田松陰の 妹・文の夫、楫取素彦に焦点をあて て展示致します。 第一展示 (明治維新室) 「貞宮多喜子内親王遺品」 「奉納書籍で見る素彦の政治理念」 防府天満宮に奉納された書籍の中 に群馬県令時代に素彦主導のもと復 刻出版された江戸時代の蘭学者高野 長英によって記された「二物考」と いう飢饉対策の本があります。群馬 県を治めるにあたり、急激な西洋化 に反対し日本古来の良きものを残そ うと奮闘した、素彦の信念とした救 民の思いを知ることが出来ます。 第二展示 「吉田松陰と至誠の心」 楫取素彦と至誠の心でつながった ▲「二物考」馬鈴薯 (じゃがいも)栽 培について図入り で書かれている。 2 ○ さ か た り 平成26年12月25日 吉田松陰。彼は防府天満宮神職であ りながら国学者として活躍した鈴木 高鞆に手紙をだしています。その内 容は鈴木高鞆の弟子で松蔭と親交の あ っ た 岸 御 園 の 死 を 惜 し む も の で、 松蔭自身もこの手紙を書いた翌年に は刑死、高鞆もその翌年に病没しま した。文献などで交流があったこと が知られる松陰と高鞆ですが現在書 簡で確認されるのはこの一通のみで す。またこの手紙を見た長州藩士天 野華は彼らを「勤王之親友」と評し、 また「皇軍まさに徳川賊を討つ、天 下の愉快極まる」という新時代を夢 見て逝った彼らに思いを馳せ添え書 き を し て い ま す。 現 在 こ の 二 通 は、 一緒に軸として表装されていますの で是非御覧ください。 「ほうふ志士闊歩入場券」販売 来年一月十一日より防府にNHK大 河ドラマ館が開館します。これに合わ せて市内にある関係施設四箇所を巡る 券が販売されました。 大人 一〇〇〇円 小・中学生 五〇〇円 平成二十七年一月十一日~平成二十 八年一月十一日、の期間中、左記の四 施設に入場できます。 ・ほうふ花燃ゆ大河ドラマ館 ・防府天満宮歴史館 ・英雲荘 ・毛利博物館(毛利氏庭園は別途入園 料が必要です。 ) お求めは防府天満宮参集殿もしくは 市内各販売所まで。 崇敬会だより ●第七回研修旅行 去る十一月二十七〜二十八日、第 七回研修旅行を行い、福田百合子会 長以下三十名が参加されました。今 回は、 「伊勢神宮おかげ参りの旅」 と 題 し、二 十 年 に 一 度 の 式 年 遷 宮 が 昨 年斎行された伊勢神宮へ正式参拝致 平成 柴田 稔・陽子 年(敬称略) 6月1日 7日 中光 昭典・香代子 6月 日 戸田 政巳・美由希 小嶋 稔・友美 7月5日 中川 鉄也・雪乃 日 藤田 剛広・恵 8月3日 アリソン・ジョセフ・ ジョナサン・万理 9月 日 田中 寛郎・純子 日 山本 浩士・佳代子 日 藤井 航平・永奈 月4日 重國 義生・麻衣 5日 藤本 貴浩・裕子 日 原田 航一郎・紹子 弘中 善史・哲子 日 相本 篤志・律子 日 志田原 建一・浩子 日 岩野 剛之・暁子 蔵重 大樹・沙璃 日 角屋 孝志・昌子 日 大賀 亮・智美 月1日 佐甲 敬志・美和 奥嶋 聡・梨乃 藤安 強・香奈美 2日 西山 健一・明子 3日 松井 勇気・理絵 ー・佳代 9日 赤座 博人・寛子 日 リチャード・セッカ 日 樋口 貴大・悠希 月6日 池田 雅彦・晶子 日 柴田 敏彦・彰子 日 田辺 陽久・久美子 藤本 紳太郎・なみ お二人の末永いお幸せをお祈り致します ことができました。 翌日には外宮を参拝、その後平成 二 十 四 年 に 開 館 し た「 せ ん ぐ う 館 」 を拝観、学芸員の説明に熱心に耳を 傾けておられました。 この度の旅行で、神宮の祭祀や建 物についての理解を深めることがで き有意義な研修旅行となりました。 崇敬会ご入会をご希望の方は、同 封の入会案内を御覧の上、お申込み (敬称略) 頂きますようご案内申し上げます。 新規会員紹介 平成二十六年六月一日からの入会の方々です 26 22 20 21 15 31 7日 野村 貴久・志穂美 ご結婚おめでとう(神社挙式分) しました。初日は皇大神宮 (内宮) を 参拝。内宮神楽殿で御神楽を奉納し た後、正宮御垣内参拝、その後も神 宮神職のご案内で荒祭宮等を参拝 し、参加者は神宮の厳かな佇まいと 新鮮な空気に終始感動されておられ 島根県鹿足郡津和野町 山口市阿知須 山口市宝町 宇部市文京町 防府市自力町 宇部市東万倉 周南市遠石 山口市吉敷 山口市吉敷 山口市嘉川 山口市徳地 防府市迫戸町 宇部市沼 防府市牟礼今宿 防府市富海 萩市大字山田 防府市下右田 防府市自由ヶ丘 12 ました。懇親会では、近況報告やカ ラオケで皆様と大いに親交を深める 特別 矢田 真弓 家族 伊藤 学 原口 良次 蒲浦 等 斉藤 英輝 内田 悦生 川越 俊治 山中 毅 木下 堅固 坂村 圭子 藤原 幸広 和田浩一郎 村田 忠保 吉村 隆 野村 成真 個人 道同 正巳 濱野カヨ子 末岡 敬子 10 11 11 28 26 25 20 18 16 30 20 14 平成26年12月25日 さ か た り 3 ○ ひたぶる 権禰宜 一木孝史 近年、神社仏閣でいただく御朱印が ちょっとしたブームになっている。以 前は御年配の方が受けるのが大半であ ったが、今ではパワースポットを求め 参拝する若い世代も加わり、老若男女 問わず御朱印を受ける姿をよく見かけ るようになった。 御朱印とは、本来参拝者が願文や写 あかし 経を神社やお寺に奉納した証としてい しるし ただく印であった。それがいつの頃か らか、奉納しなくても参拝の証として 誰でも頂けるようになった。 ただ、観光地などの記念スタンプと は意味合いがまったく違うという事を ご理解いただきたい。御朱印は、御守 やお札と同じく神仏や社寺名が書いて あるので、御神体や御本尊の分身と言 っても良い。なかには参拝もせず、御 朱印だけ受けて帰る人がいるがそれで は有難みもなくなってしまう。参拝を して、心静かに御朱印をいただいてこ そ神仏を身近に感じる事ができるので はないだろうか。 御朱印が一つのきっかけになり、神 社に参拝する人が境内の厳かな空気の 中で参拝の良き思い出と共に、もっと 神仏を身近に感 じ、さらなる御 加護をいただか れることを願う 次第である。 ▲ 防府天満宮御朱印帳 至誠 の 人 楫 取 素 彦 ~「花燃ゆ」に関連して~ 一、松陰との出会い 楫取は、藩命により江戸勤務と なった時に、遊学のため江戸へ出 てきた吉田松陰と出会い、二人の ませんが、楫取は実は文と結婚す という方もいらっしゃるかも知れ と結婚し、松陰は大変喜びました。 います。その上その楫取が妹・寿 はわが及ぶ所に非ず」と評価して 対して「老兄の気力、詩力、酒力 交友が始まります。松陰が楫取に る前は文の姉・寿を妻としていま しかし、松陰は投獄され「投獄後 ・はじめに NHK大河ドラマ「花燃ゆ」が 新春一月四日(日)から始まりま した。要するにあの松陰の妹二人 は妹婿小田村伊之と申す儒官これ 4 吉田 松陰 萩藩医松島瑞幡の次男として誕生 吉田松陰誕生 歳 藩儒官小田村家の養子となり、 「小田村伊之助」と称す 歳 藩校明倫館に入学 歳 藩校講師見習役 歳 江戸藩邸勤務 歳 松陰の妹・寿と結婚 歳 松陰投獄 歳 寿の妹・文が久坂玄瑞と結婚 松下村塾開塾 松陰安政の大獄で処刑 歳 太宰府で坂本龍馬と会う 歳 薩長同盟成立 歳 大政奉還。藩命で「楫取素彦」 と改名 歳 三田尻宰判管事(防府市長職 相当)就任 歳 山口藩権大参事(山口県知事・ 副知事に次相当) 歳 初代群馬県令就任 妻・寿没 歳 文が美和子と改め、楫取と再婚 歳 群馬県令退任・元老院官 歳 華族に列し、男爵 歳 貴族院議員に当選 歳 防府市三田尻に屋敷を構える 歳 貞宮御養育係主任 歳 宮中顧問官 貞宮多喜子内親王夭折 歳 防府天満宮御神忌千年大祭総裁 歳 防府三田尻にて没 妻美和子没 ずいばん 楫取素彦関連略年表 文政 年 天保元年 天保 年 弘化元年 嘉永 年 嘉永 年 嘉永 年 安政元年 安政 年 安政 年 慶応元年 慶応 年 慶応 年 明治 年 明治 年 明治 年 明治 年 明治 年 明治 年 明治 年 明治 年 明治 年 明治 年 明治 年 明治 年 明治 年 大正元年 大正十年 初婚 誠」をもって幕府と戦う決意を述 場を他の家臣より妬まれ、松陰の 藩主毛利敬親公の側近としての立 方となります。楫取は、第十三代 義弟であることを理由に野山獄に 投獄されました。死を覚悟した楫 ~菅公の如く~ や子供の教育の事、また藩の行く と題した遺言書を送り、家の生活 取 は、 家 族 に「 申 し 残 し 言 の 葉 」 松陰亡き後の藩内は、一時幕府 二、引き継いだ『至誠』 ある「至誠』を引き継ぐのでした。 べました。松陰は処刑させられま 三女 艶 (夭折) 四女 文 (美和子) 久坂 玄瑞 死別 杉 敏三郎 文の夫 三男 再婚 したが、楫取はこの松陰の信念で の言葉を引用して、自身の信念 「至 者未だ之れあらざるなり」の孟子 の 冒 頭 で、「 至 誠 に し て 動 か ざ る 翌年に松陰は江戸送りが決まる と書簡で、「小田村伊之助に与ふ」 の両義弟に塾を託しています。 也」と深い信頼を寄せ楫取や久坂 ひさ す。そのドラマ関連の町は観光客 と結婚をしたという経歴の持ち主 を主り居候、久坂玄瑞もわが妹婿 ひさ 誘致に精を出しています。中でも なのです。ドラマでどのように描 なり…(中略)小生の志を継ぎ候 次男 千代 杉 梅太郎 (民治) 長女 寿 12 寿の夫 楫取素彦 (小田村伊之助) 死別 次女 長男 4 維新の町萩は主人公文(後の美和 かれるか興味がありますが、一足 ふみ 子 ) が 吉 田 松 陰 の 妹 と い う 事 で、 先にその人物像をご紹介しましょ か とり また群馬県前橋市は文の夫・楫取 もとひこ 素彦が初代群馬県令(県知事)と う。 ▲楫取素彦肖像画 (当宮蔵) して活躍した地としてその高まり を見せています。そして当防府市 も楫取が毛利敬親公の懐刀と言わ 文之進 杉 百合之介 叔父 玉木 父 母 12 11 6 3 2 4 6 29 26 25 22 21 16 39 38 37 41 3 2 2 3 35 32 31 30 26 23 20 17 16 14 9 42 48 70 69 65 62 59 56 55 84 74 主な居住 萩 山口 群馬 防府 東京 東京 れていたことや天満宮を崇敬して ▲楫取美和子 (当宮蔵書より) 防府 いたこと、更には楫取夫妻の終焉 の地として大河ドラマ効果に期待 をしています。 そんな功績ある楫取素彦という 名前をこれまで聞いたことがない 滝 楫取素彦関係図 4 ○ さ か た り 平成26年12月25日 悪口を沢山言われることは当然わ 私に対して、多くの者より嫉妬や に 御 信 用 さ れ た こ と と 似 て お り、 ことではあるが、菅公が宇多天皇 としてお仕えしたことは恐れ多い た。その中で「藩主敬親公の側近 末、藩主への思いなどを綴りまし り、教育と伝統産業(養蚕業と製 いわれた群馬県の初代県令とな 九年、楫取は当時「難治の県」と したが、その手腕が評価され明治 まれ山口藩権大参事として仕えま えます。その後、藩主敬親公に頼 の推進役として活躍し、明治を迎 て仕え幕府との交渉役や薩長同盟 取の「至誠」が県民に認められ花 塞いだ者もいた程です。まさに楫 を惜しみ、中には涙ながらに道を は、沿道には数千人の県民が別れ 十年在任した県令の職を終えた時 文と再婚します。そして翌年、約 ますが、母の強い希望で楫取は妹・ 県令在職中に最愛の妻寿を亡くし 製 糸 場 」 は 今 に 残 る そ の 証 で す。 至誠は、私達の心の中に生き続け れました。今に至るまでの楫取の 令を務めた群馬県前橋市へ寄贈さ 「 梅 」 が「 至 誠 の 梅 」 と し て、 県 その菅公のシンボル防府天満宮の 大 河 ド ラ マ「 花 燃 ゆ 」 の ご 縁 で、 「 至 誠 」 と い え ば 維 新 の 志 士 達 も崇敬した菅原道真公です。今秋 に感じたのでありました。 ていることを実感し、それを誇り 「至誠の梅」が前橋市へ かっており、言うまでもありませ 開いたのでありました。 明治11年楫取が編纂させた道徳の教 科書『修身説約(全十巻)』 (当宮蔵)。 全国的にも使用され、群馬は全国ト ップクラスの教育県となりました。 糸業)に大きく貢献しました。今 富岡製糸場は、明治5年に洋式の繰糸 器械を備えた官営の模範工場として日 本初の器械製糸工場。その経営危機に 存続を決意する。(写真は本年10月) 年世界遺産登録された官営「富岡 ▼教育の成果として ん。 」 と、 菅 公 が 天 皇 に 至 誠 を 尽 ▼伝統産業の成果として くしたように、自身の藩主敬親公 へ の 至 誠 を 重 ね 合 わ せ て、 「自分 ・おわりに 楫取は、防府の地に屋敷を構え 晩年を過ごします。その間、当宮 に貞宮遙拝所を建設し皇女を偲 び、御神忌千年祭総裁を務め当宮 発展に寄与されるなど、当地の為 にも尽力されました。 こ の よ う に 明 治 と い う 時 代 は、 松陰をはじめ維新の露と消えた志 士たちの「至誠」の上に成し得た ものといえましよう。そして維新 後の中央では、伊藤博文や山縣有 朋といった人物によって新しい文 明が開化しました。しかし、一方 その陰で地方において自分の信ず る「至誠」を貫き、地域発展に尽力 した姿がありました。その姿こそ が楫取素彦という人物なのです。 植樹記念の説明板 が死んでも菅公の様に後世の人達 がきっと理解してくれる」と松陰 から引き継いだ「至誠」を菅公の 「 至 誠 」 に な ぞ ら え、 伝 え 残 し た のでありました。 『菅公の至誠』を漢詩にする 楫取素彦 書 聖績ノ図ニ題ス 松崎社司ニ贈ル (防府天満宮所蔵) 三、花開いた『至誠』 ~世のため人のため~ 出獄後は、再び藩主の側近とし 前橋副市長(左)と宮司 於:前橋市前橋公園 平成26年10月28日 平成26年12月25日 さ か た り 5 ○ 社務所だより たきのうえ 千五百個灯され幻想的な七夕まつ りとなりました。また、本年より 四月に斎行されていた「筆まつり」 (平成二十六年) 月次祭・朝粥会 月次講社祭 月次祭・天神市(縁日)・月次茶会 日誌抄 毎月1日 日 日 毎 毎 防されたもので、当宮芳松庵での 交会第四十八回中国地区大会に来 されました。これは茶道裏千家淡 裏千家御家元 が十一月九日参拝 ▲11月3日の注連縄奉製 薄茶席に御家元、宮司並びに御宗 家御一同が席入りされました。 6月1日~7月 日 筆まつり七夕書道展 2日 梅ちぎり 7日 滋賀県山村神社氏子総代4名様正式参拝 日 滝上神社創祀百年記念大祭 日 月次茶会煎茶専心小笠原流山口県中部 支部様御奉仕 日 夏越神事・大祓式・お田植祭 佐波幼稚園様七夕参拝 7 月 1 ~ 7 日 七 夕 ま つ り 笹 飾 り 短 冊 奉 納、 境 内ライトアップ 他 1日 双葉幼稚園様七夕参拝・大菊育成講座 2日 瑞祥幼稚園様七夕参拝 5~7日 牛乳パック灯籠 光の斎庭 6日 筆まつり並びに七夕書道展表彰式・七 夕まつり茶席・彦星★織姫コンサート 7日 七 夕 祈 願 祭 ・ 社 殿 復 興 年記念大祭、 同式典 日 奉納清書展審査会 日 松崎佐波両地区子供会様清掃奉仕 日 原田英代コンサートゲネプロ(参集殿) 日 月次茶会 裏千家吉松宗純先生御奉仕 日 国庁通り老人クラブ、栄町老人クラブ 様清掃奉仕 日 国府中学校剣道部様 春風楼清掃奉仕 日~8月1日 子ども教室 8月3~5日 御誕辰祭(夏祭り)万灯の夕べ・ビ アガーデン・浴衣茶会敬神婦人会奉仕 3日 万 灯 祭・ 奉 納 清 書 奉 告 祭 同 表 彰 式・ 剣道大会・カラオケ大会・大茶碗茶会 山本百次会御奉仕 4日 豊穰祈願祭・夫婦円満祈願祭・柔道大 会・遠的弓道大会・古武道大会・歌謡 コンサート 5日 御誕辰祭当日祭・少年剣道大会・邦楽 コンサート (雨天中止)大花火大会・和太鼓奉納演 奏・子供樽みこし・クラブを楽しもう 群馬県前橋市役所様参拝 日 池坊花展 月次茶会池坊花雅会劔持玲華、市川水 月、山本梅昇各先生御奉仕 日 ~ 日 若者サポートセンター様清掃奉仕 御分霊奉送式・大小行司役宅祭 生長の家 名様正式参拝 秋季祖霊大祭・観月会(茶室)・海軍少 年電信兵第六十八期会慰霊祭 松崎地区老人クラブ様清掃奉仕 瀬戸内海お散歩クルーズ 大菊育成講座 お籤上げ神事 名様正式参拝 ~ 日 第二回子供科学者応援塾(於大専坊) 第三回花燃ゆ案内人講座 日 日~ 日 第四回松崎天神縁起絵巻研究会 9月1日 お手廻り保存会宣誓式・式典保存委員会 現在会員は三十七名。これまでの は 新 た に「 筆 ま つ り 七 夕 書 道 展 」 青年部の活動を継承し、会員相互 15 滝上神社創祀百年大祭 が六月十 五日盛大に斎行されました。滝上 として六日斎行されました。 さんけい 神社は当宮御分社三景天満宮の御 本社にあたり、大祭には当宮神職 二名も奉仕、滝上町長を始め多く の氏子関係者の他、当宮からも宮 司以下役員総代夫婦十二名が参列 しました。今後滝上神社の更なる 七夕まつり を七月一日から七日 の親睦を図り、注連縄奉製等の当 弥栄をお祈り申し上げます。 防府天満宮青年部「若梅会」総会 が八月四日に行われ、宇野好一責 に斎行。二年目となる今年は、回 宮祭事行事にも積極的に参加して 31 任役員を青年部会長に選出、愛称 廊内に笹飾りのトンネルが登場 50 43 27 を「 若 梅 会 」 と 決 定 致 し ま し た。 し、また五日から七日には市民に いくこととなりました。 日 2日 7日 日 日 日 日 日 22 より作られた牛乳パック灯籠が約 25 15 25 15 30 25 21 19 12 30 25 31 31 25 24 11 30 28 26 23 22 20 17 10 24 ▲滝上神社本殿前にて 創祀百年大祭を終えて(北海道紋別郡滝上町鎮座) 6 ○ さ か た り 平成26年12月25日 「防府菊花会」無料大菊育成講座 水警報発令)の為中止となりまし 大会は、残念ながら雨天(大雨洪 今 年 の 御 誕 辰 祭( 夏 祭 り ) 花 火 去 る 十 二 月 一 日 に 斎 行。 宮 司 以 下、 設 計 の 種 村 強 氏、 施 工 の 藤 本 工 業( 株 ) を は じ め 納 骨 殿 使 用者並びに関係者多数参列しま した。完成は来秋を予定。現在、 利用希望者の受付を行っており ま す。 詳 し く は 同 封 の チ ラ シ を ご覧下さい。 「第二納骨殿」地鎮祭 よりご冥福をお祈りいたします。 神 徳 の 高 揚 に 尽 力 さ れ ま し た。 心 ま し た。 四 十 年 間 の 長 き に 亙 り 御 男氏が享年八十九歳でご逝去され 去る七月一日当宮責任役員橋口照 訃報 の神賑行事も中止となりました。 た。期間中は雨に祟られ、その他 を三月から十一月まで五回に渡り こう に努めました。同会(原田幸会長 会員十名)には今年も大菊等約 二百鉢を奉納頂ましたが、お蔭で 期間中に三名の新規入会がありま 花神子役 開催され、技術の向上と会員増強 本年度大・小行司・花神子役紹介 小行司役 藤井和明さん 清水博道さん 野村結花さん 大行司役 天神祭振興会・新会長 小松 宗介(責任役員) 合格はちまき洗濯 煤払い 天神おんな神輿写真コンテスト表彰式 古絵馬焼納神事・月次茶会表流角中宗 智先生御奉仕 正月巫女奉仕者説明会 大祓式 例祭併せ神宮大麻頒布始祭・節分参与会 10 11 した。ご興味がおありの方は是非 あ ※天神祭振興会は、天神おんな神輿 を中心とした天神祭を応接する組 秋祭・月次茶会表流平野宗順先生御奉仕 日 日 敬神婦人会研修旅行周防国一宮~五宮 詣り 日 第 回防府天満宮勝ち牛杯氏子対抗ゴ ルフ大会 月5日 印章祭・花神子社参式役付児童説明会 日 花神子社参式 日 裸坊安全協議会 日 梅苗木出発式楫取素彦顕彰会より前橋 市へ 日 愛情防府フリーマーケット、第五回書 道パフォーマンス、天神芸術村 日 毛利家秋祭 ~ 日 巫女舞研修(講師先崎径子先生) 日 月次茶会煎茶三葵亭賣茶流清月会国貞 喜雲社中御奉仕 同族会記念史編纂委員会 日 日 松崎小学校児童職場体験 日 防府支部大麻頒布始祭(於参集殿) 日~ 月 日 第五十九回奉納菊花展 月1日 EOS様清掃奉仕 3日 注連縄奉製山口市大内御堀菅内地区 名様、当宮青年部「若梅会」 名様御 奉仕 4日 総代就任奉告祭・防飛二期慰霊祭 5日 宗像大社菊友会様参拝 6~7日 役員総代研修旅行伊豫豆比古命神社正 式参拝(愛媛県) 8日 防府天満宮杯奉納少年野球大会開会・ 裸坊実行委員会・菅公みらい塾開校式・ 大菊育成講座 8~9日 茶道裏千家淡交会第 回中国地区 大会(於芳松庵) 9日 裏千家家元十六代千宗室様正式参拝 日 防府菊花展表彰式 日 注連縄取替え・大幟立て・猟友会様清 掃奉仕 日 おはけ・銘建㈱様 境内清掃奉仕 ~ 日 大小行司夜々詣 日 七五三詣・少年野球大会閉会 日 おんな神輿説明会・第十回天満宮杯松 崎佐波地区子供会キックベースボール 大会 日 若者サポートセンター様清掃奉仕 日 蔵出し・大祓 日 御神幸祭前夜祭 日 御神幸祭(裸坊祭)・御神幸祭奉祝茶会 山本百次会、敬神婦人会御奉仕 日 御神幸祭報賽祭・神上式・天神おんな 神輿奉納・奉納邦楽演奏会 日 蔵納め マツダ(株)防府工場様・防府保護司会 様・防府街商組合様清掃奉仕 破魔矢奉製始め・第二納骨殿地鎮祭 月1日 5日 日 日 日 日 日 日 12 ご参加下さい(次回三月十四日開 催) 。詳細は社務所まで。 と まつり 祭翌日十一月二十三日(日)の報 賽祭に斎行されました。それに併 せて表参道では、県内七団体のよ 新総代 織です。 て頂きました。今後も「土曜日の さこい連の演舞により、花を添え 男まつり裸坊」 、 「日曜日のおんな 葛原 豊和 六行事区 新市街 どうぞ宜しくお願い致します。 神輿」として盛大に行います。 48 24 14 16 26 25 17 15 12 27 18 21 10 11 12 ・ 天 神 お ん な 神 輿 は、 本 年 御 神 幸 ▲本年奉納された大菊 25 21 19 30 30 28 26 13 10 16 15 14 14 22 21 20 19 23 24 25 23 19 15 31 28 平成26年12月25日 さ か た り 7 ○ のご案内 1 月 5 日 釿始式 年頭祈願祭について 号 電 話 〇八三五─二三─七七〇〇 FAX 〇八三五─二五─〇〇〇一 http://www.hofutenmangu.or.jp facebook更新中 同封の「新春に祈りをこめて」の初詣祈願受付書や厄除 祈願祭の申し込み用紙 に必要事項をご記入になりご持参 下さい。御参拝できない時は、郵送でも受付けておりま す。この他、企業繁栄、商売繁盛等の「事業所年頭祈願祭」 詳しくは社務所まで。)も受け付けております。 の予約 ( ※ さかたり第 2 月 2・3 日 節分祭牛替神事 発行所 山口県防府市松崎町十四─一 94 防府天満宮社務所 1 月 12 日 弓始式 ★交通規制について 元日から三日まで当宮周辺は交通規制 があります。同封の「初詣駐車場案内図」 をご覧頂き、安全にご参拝下さい。 1 月 11 日 貞宮遙拝式 2 月 15 日~3 月 1 日 梅まつり 初詣 一年の幸せを願い当宮へ参拝頂きますよう 御案内申し上げます。 「一年の計は元旦にあり」というように 何事も最初に計画や準備をすることが大切です。 是非とも受験合格・学業成就・家内安全・交通安全・ 無病息災など年頭の御祈願祭をお勧めいたします。 平成 2 7 年 新 春 行 事案内 8 ○ さ か た り 平成26年12月25日
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