THE ROTARY

THE ROTARY―
NO― TOMO
AUG.1997 voIJ.45 NO.8
会員増強を考える
R!テ ー マ を め ぐ っ て
■ 秀明学園の特色 ■
……
ムダ
ムラ
のな
い…
金曜帰宅… 4泊 5日 の全寮制 ●ムリ
●月曜登校、
、
、
中・高 一貫教育
・
に独立し
た¨
●各学年ごと
施設
輝 かしい進学実績
・文 II=2年 連続現役含格
東大理 Ⅲ
私は小学校時代から高校卒業まで受験塾
に通った経験はありません。学校 での学習 を
大切にすることだけを心掛けてきました。まず
秀明学園 では詰 め込み学習 ではなく、学
ぶ対象に興味 が持 てるようになり、知的探求
札ヽこ裏打ちされた学習ができるようになります。
受験勉強中は精神 的なストレスに苦しむこと
授業を真剣に受け、わからないことは必 ず質
問しました。秀明では昼も夜も質問をすること
もありましたカミ秀明学 園の特色 の一つであ
る′
いの学習で 自分を見 つめ直し、かえって心
を成長させることもできたと感謝しています。
ができるので助かりました。また、週テストや毎
月行 われる月テストは学習を一つひとつ積み
上げるのに役立ちました。この秀明の合理的
康 史 さん
な学習システムが、東大理 Ⅲ現役合格 の実
東京大学理科Ⅲ類合格
慶應義塾大学医学部合格 力をつけてくれたと信じています。
野村
人生の中で最も大切な中学・高校 の時期を
幕 内 浩 さん
秀明学園の寮 で過 ごしたことは 自分にとって
東京大学文科I類 合格
L智 大学外国語学部合格 一生の財産となったと思 っています。
卒業生の主な合格大学
系
東
京
大
学
名 古 屋 大 学
大 阪 大 学
九
州
大
千
葉
大
学
理
系
慶 應 義 塾 大 学
東
自 治 医 科 大 学
防 衛 医 科 大 学
京 都 大 学
東 京 工 業 大 学
産 業 医 科 大 学
慈 恵 医 科 大 学
日 本 医 科 大 学
― 橋 大
北 海 道 大
東 北 大
大 阪 大
群 馬 大 学
浜松 医科 大学
関 西 医 科 大 学
東京医科歯科大学
日 本 歯 科 大 学
東 京 歯 科 大 学
京
大
学
学
学
学
学
早 稲 田 大 学
慶 應 義 塾 大 学
く
学校 見学会〉 9月 27日 (土 )・ 10月 10日 (祝 )・ 11月 3日 (祝 )
平成 10年 度 より学科試験 がなくなります
o′ もPF
ロータリー とは
■ ロー タリー の誕 生 とその成 長
今か ら92年 前の 1905年 、そのころ経
済恐慌で人心の荒れすさんでいたア
メ リカ社会、特にシカゴの状態 を憂
銀行の重役 であった米山梅吉氏が、
初めて東京にこれを創立 し、翌 10年
4月 1日 、世界で 855番 目の クラブ
として加盟承認 されました。その後
第 2次 世界大戦の結果、一時国際 口
えた、
青年弁護士ポール P.ハ リスが 、 ―タリーか ら月
党退するのやむなきに
3人 の友人 と語 らって、2月 23日 、
至ったこともあ りましたが、その間
第
1回 の会合を開いたのが、 ロータリ
もよ くロー タリーの精神 を堅持 して
ークラブの誕生であ ります。 ロータ
会合に努め、その神髄 と組織を維持
リー とは、会員が持 ち回 りで順番に、
し、戦後国際 ロー タリーに復帰す る
集会を各 自の事務所で開いたことか
や、ます ます発展、
現在では北は北海
ら名付 けられました。 このクラブは
道、
南は沖縄 まヽ クラブ数 2,232、
着実 に成長 し、現在 155の 国家 に広
め られ、クラブ数 28′ 73欧 会員総数
会員数 130′ 6爛人 (5月 沐うに達 し、
なおすべ ての者F市 、すべての町にそ
は │′ 213′ 748ノ k(1997年 6月 30日 R
I公 式発表)に 達 しています。 これ
の理想の翼 を広げる努力を続けてお
らクラプをメンバー として国際 ロー
る堅実な実業家、専門職業人の中か
ら定款により、1業 種 1人 を選よ
タリーが構成 されています。
■ 日本の ロータ リー
ります。会員は地域内の理想にもえ
週 1回 のクラブ例会出席によって、
わが国の ロー タ リー クラブは 1920
各種職域人の交友を通 じて地域社会
へのよ り多 くの奉仕の機会 を得よう
年 (大正 9)10月 20日 、当時、三井
とはかってお ります。
ロータリーの綱領は、有益な事業の
基礎 として奉仕の理想 を鼓吹 し、 こ
アン各 自が、業務 を通 じて社会に奉
仕するために、その業務 を品位あら
れを育成 し、特 に次の各項 を鼓吹育
成することにある
第3
しめること
,
ロー タリアンすべてが、その
第 1 奉仕の機会 として知 り合 いを
広めること
個人生活、事業生活および社会生活
第 2 事業および専門職務の道徳的
水準 を高めること ,あ らゆる有用な
業務は尊重 されるべ きであるとい う
第 4 奉仕の理想 に結ばれた、事業
と専門職務 に携わる人の世界的親交
認識 を深めること ,そ してロータリ
和を推進すること。
,
に常に奉仕 の理想 を適用 すること
,
によって、国際間の理解 と親善 と平
言 行 は これ に照 ら してか ら
1.真 実 か
ど うか
2.み ん なに公平 か
3.好 意 と友 情 を深 め るか
4.み ん なの ため に な るか
ど うか
■ ゾー ン 1
第 2500地 区
北海道東部
梶浦
利 和 (留 辺 薬 )
第 2510地 区 北 海 道 西 部
石垣
博 美 (札 幌 西 )
第 2520地 区 岩 手
駒木
― 雄 (盛 岡 北 )
第 2530地 区 福 島
鈴木
喬 二 (い わ き平 中 央 )
第 2540地 区 秋 田
作左部
貢 (本 荘 )
第 2550地 区 栃 木
吉澤
兵 左 (葛 生 )
第 2560地 区 新 潟 ・ 群 馬
久 保 田 昭 治 (伊 勢 崎 中 央 )
第 2790地 区 千 葉
平 山 金 吾 (成 田 )
第 2800地 区
山形
菅
繁 三 (東 根 )
第 2810地 区 宮 城
松 田 英 一 (仙 台 泉 )
第 2820地 区
茨城
西村
敏 彦 (古 河 )
第 2830地 区 青 森
小宅
弘 道 (弘 前 東 )
■ソ ー ン 2
2570地
第
区 埼 玉 西北
寺 山 榮 ― (深 谷 東 )
2580地
第
区 東京・ 沖縄
阿部
孝 (東 京 神 田 )
第 2590地 区 神 奈 川
岡本
徳 爛 (川 崎 北 )
第 2600地 区 長 野
原
秀 好 (松 本 )
第 2610地 区
富 山・ 石 川
仲谷
純 三 (小 松 )
第 2620地 区 静 岡 ・ 山 梨
岩波
政 雄 (甲 府 北 )
第 2750地 区
東 京 ・ 北 マ リア ナ 諸 島 ・
グ ア ム ・ ミ ク ロ ネ シ ア・ パ ラ オ
岩井
敏 (東 京 京 浜 )
第 2770地 区 埼 玉 南 東
久世
晴 雅 (大 宮 中 央 )
第 27801th_区 神 奈 川
小 山 計 玄 (伊 勢 原 )
■ゾー ン 3
第 2630地 区 岐 阜 。二 重
福井
隆 男 (鈴 鹿 西 )
第 2640地 区 大 阪 府 南 部 ・ 和 歌 山
堤
啓 治 (和 歌 山 )
第 2650地 区 福 井 ・ 滋 賀 ・ 京 都 ・ 奈 良
二 郎 (亀 岡 )
山田
第 2660地 区
大 阪府 北 部
近藤
雅 臣 (千 里 )
第 2680地 区 兵 庫
松下
克 巳 (三 田 )
第 2690地 区
岡 山・ 鳥 取 ・ 島 根
橋本
譲 〈倉 敷 )
第 2760地 区
愛知
大飼
栄 輝 (名 古 屋 東 南 )
■ ゾ ー ン 4(A)
第 2670地 区 愛 媛 ・ 香 り││・ 徳 島 ・ 高 知
吉村
雄 治 (高 知 南 )
第 2700地 区 福 岡 ・ 佐 賀 ・ 長 崎
大 屋 麗 之 助 (福 岡 南 )
第 2710地 区 広 島 ・ 山 口
南園
義 ― (防 府 )
第 2720地 区 熊 本 。大 分
西島
世 晃 (佐 伯 MARINE)
第 2730地 区 鹿 児 島 ・ 宮 崎
図 師 鎮 雄 (西 都 )
第 2740地 区
長 崎 。佐 賀
辻
洋 三 (佐 世 保 南 )
7
公式地 域 雑誌
口",ツ ーOA第
CONTENTS
RI理 事 竹 山涼 一
文献邦訳諮問委 員会委員 佐藤千 壽
RI研 修 リーダ ー 紫 野 巌 渡辺好政
『 友』委員長 秋 山 一
広 めよ うロー タ リーの心 を 12
会員増強成功 の事例
和美雄二貢左治吾 三 一
RIテ ーマ座 談 会
6
テー マ の底流 に流 れ る
`
職業奉仕 こ そロー タ リー 、
喬
兵昭金繁 英
グ レン W。 キ ン ロス
第 2500地 区
第 2510地 区
第 2520地 区
第2530地 区
第 2540地 区
第 2550地 区
第 2560地 区
第 2790地 区
第 2800地 区
第 2810地 区
利 博
会 員増 強 を考 え る
浦垣木本部 澤田山 田
左 保
梶石駒鈴作吉久平菅 松
ガバ ナ ーの ペ ー ジ
ロー タ リー とは
RI会 長
“
第 8号
*.*kv17tt' 4.tt Lt6b
国際理解と人的コミユニケーション
米山奨学生
田
21
容承
ロータリー財団への寄付 の 22
-部 税制優遇措置 について
・センター
RI日 本サービス
ロー タ リー 用語早 わか り
今 月号 の ロー タ リー用 語
会 員増 強 (Membership Development)
ternal)の 通称 。新 ク ラブ を設立 して、 ロー タ リ
ー を拡 大 す る活動 。 各 ガ バ ナー は、 RI理 事 会
内部拡 大 (Extensbn,Internd)の 通称 。既 存 ク
の全般 的監 督 の下 に地 区 内 にお け る新 ク ラブの
ラブが適格 な職 業分 類代表 者 を もれ な く入会 さ
結 成 を監 督 す る特 別 な任 務 を託 され て い る。無
せ て、 ク ラブ会 員数 を増 加 させ るこ と。 あ らゆ
地 区地域 にお いて は、 RI理 事 会 の権 限 の下 に
る活動分 野 で 、 よ り効 果 的 に奉仕 す るた め に、
各 ク ラブ は均 衡 の とれ た会 員組織 、若 い人 に入
遂 4子 され る。
会 の 機 会 を与 え るこ と、元 ロー タ リア ンで 会 員
国際協 議 会 は毎 年 2月 15日 か ら 3月 31日 まで
の間 に開催 され る。 国際協議 会 は、 RI管 理 に
資格 条 件 を備 えた人 を会 員 に選 挙 す る、 な どを
念頭 に置 きつ つ 、会 員増 強 に積極 的 に取 り組 む
こ とが必 要 とされ る。
拡 大
(Extension)外 部 拡 大
(Extension,Ex‐
国際協 議会 (International Assembly)
お いて最 も重要 な国際会議 で あ る。 国際協議 会
の 目的 は、ガ バ ナ ー ノ ミユ ー に対 して、 ロー タ
リー 教 育 と管理 上 の任務 に関 す る指導 を行 い、
1997 VOL.45 NO.8
■
今 月は会 員増 強 および拡 大 月間 で す
(1)会 員 に な る呼 びか け を待 って い ます
4
普通 の 人 、 キ ン ロス会長 の テー マ は
(3)増 強 ク ラブ に その ノウハ ウを き く
6
(2ド
12
に)R財 団教育プ ログ ラムの寄付税制優遇措置22
(Dポ リオなき世界の実現が日前 に迫った
日本 の ロー タ リア ンの皆 さんへ 23
R財 団管理委員会委員長 ラ
ジェンドラK.サ ブー
24
1997-98年 度
エバ ンス トン便 り
26
今 月の ロー タ リー
27
28
第2680地 区パ ス トガバ ナー
田中
RI在 日委 員
30
毅
33
難聴者支援活動にIFOS事 務局長が感謝 35
昇仙峡 グ リー ンガー ド作戦 35
ロー タ リー・ア ッ ト
・ワー ク 36
地区大会告知板
1997-98年 度
29
日本 国 内・ 各種委 員会委員
阪神。
淡路大震災復興事業報告書
1997-98年 度
カラーペ ー ジ
グ ラスゴ ー 国際大会
RI理 事 会 メ ンバ ー 紹 介
告知板
②
1
再 び訪 れたキ ューバ
ロー タ リアン誌
45
46
ンモ ン・ ホ ワイ ト
ウィノ
へお送りいただいた本。
『友』
奥付
F本 文記事 中で ※印 の付 いて い る字 は本欄 を ご参 照 くだ さい。
か つ 、 ノ ミニ ー と他 の 出席 者 に、来 る年度 の ロ
善 と平和の確立 に寄与す るこ とを目指 した、事
ー タ リー の プ ログ ラ ム と活 動 の 実施 方 法 を討
業 お よび専門職務 に携 わ る指導者 が世 界的 に結
議 。計 画 す る機 会 を与 え る もので あ る。
びあった団体であ る。 RIは 、組織規定 に よっ
参 加者 は、 RIの 会長、理 事 、 会長 ノ ミユ ー 、
理 事 エ レク ト、事 務 総長 、ガ バ ナー ノ ミニ ー 、
て課 された義務 をたゆ まず遂行す る加盟 ロー タ
RIBI役 員 ノ ミニ ー 、RI各 種 委 員会委 員長 お よ
リーク ラブ によって構成 され る。
ロータ リアンは、 それ ぞれのクラブの会 員で
び RI理 事会 が 指 定 す るその 他 の者 か らな る。
あ り、 ロータ リーク ラブは国際 ロー タ リーの会
国際 ロー タ リー (RI=Rotary lnternational)
員であ る。 RIの 目的 は
国際 ロー タ リー は、世 界 中 の ロー タ リー ク ラ
ブの 連 合体 で あ る。 ロー タ リー は、 人道 的 な奉
仕 を行 い、 あ らゆ る職 業 にお いて高度 の道 徳 的
水準 を守 るこ とを奨励 し、 か つ 世 界 にお け る親
平成
9年 8月
号
;
①全世界 にわたって、 ロー タ リー を奨励 し、
助長 し、拡大 し、 そして管理す るこ と。
② RIの 活動 を調整 し、全般的 にこれを指 導
す るこ と
(RI定 款第 3条 )で あ る。
A Messa ge from President Glen
ハυgυ si 7997
ロータリーの心を
r/CareS
'20WRO″ む ところ
あなたの住
私 たちの世界
そ こに住 むす べ ての人々 に
会員 増強を考える
丁houghts on Membership Development
RI会 長 グ レン W.キ ンロス
Glen
W.
Kinross
会 員増強 とい う話題 が持 ち上 が るた び に、
真 っ先 に出 る反 応 は 「話題 を変 えましょう」
会員増強 お よび拡大月間 の今 月は、重要で
あ りなが らロータ リア ンた ち にか な り無視 さ
と。 それ よ り、今度 クラブで行 う資 金調達 パ
ー テ ィーや実施 中の クラブプ ロジェク トの話、
れて い る、会 員増強 の話題 を取 り上 げ るにふ
さわ しい 月です。近 年、 い くらか増加 の兆 し
そして地区大会 あ るいは次の 国際大会 の話 を
しましょう、 とい うこ とにな ります。
が見 られ る ものの、全世界 での会 員増強 は思
かつ て、あ る元 RI副 会長 が こ う問 い まし
会員増強 が低迷 して い る原因 は多種 多様 で
た。 「ロータ リーで一番重要 な こ とは何で し
`
ょうか ? それ は ロー タ リーの精神 、 で し
`
ょうか、 ロー タ リーのプ ログ ラム、で しょう
`
か、 それ とも ロー タ リーの国際性 、で しょ
す。 あ る ロー タ リアンの場合、会員増強 の話
に少 しで も触 れ る と、ク ラブ に入会す るため
うか ?」
「 3つ とも、全部大切 で す」 と彼 は答 えて い
自分 の会 員 として の威信 がおびやか され、平
几 なつ ま らな い もの にな るよ うな気 が す るの
「で す が 、それ ぞれ 3つ とも、会員 に依
ます。
存 して い ます。 その通 りです、 ロー タ リーで
です。
最 も大切 な もの は会員です。会員 が い なけれ
ば何 もで きな い し、会員が 存在す るこ とに よ
って、 ロー タ リー 自体、 そして ロー タ リーの
活動す べ てが可能 とな ります」 と。
わ し くあ りませ ん。
に行列 をなす大勢 の 男女 の集 ま りが、あ りあ
りと目の前 に思 い浮 かんで きます。 そして、
またあ る人 は、会員が20人 であれ、120人 で
あれ、今 の 自分のク ラブ は理想的 なサ イ ズ と
思 い込 んで い ます。少 しで も会員数 を増やす
と、 せっか くの 幸 せ な家族
(ク
ラブ )を 崩壊
させ るこ とにな る と考 えて い るので しょう。
1997 VOL 45 NO.8
A
Messa ge
from President Glen
ハυgusf プ
997
最 も当惑 させ るロータ リアン とは、 自分 た
した。 イ ー スタ ンハ ッ トRCか ら13人 の会 員
ちのク ラブ会 員 を増やすの に反対す るだ けで
が 新 ク ラブ に移籍 す るの を見届 けて か ら、 す
な く、新 ク ラブの設立 に よる拡大 を も拒否 す
ぐに同人数 の13人 の 新 会 員 を 自分 の ク ラブ に
る人です。 この よ うな人 は 「何 が あって も、
入会 させ ま した。1990-91年 度 には、デー ブが
新 しいロー タ リアンは絶対欲 し くな い」 と、
招 い た100人 目の 新 会 員 が イー スタ ンハ ッ ト
言って い るので す。
RCに 入 会 しま した。彼 は今 で も新 会 員 を推
あ るいは、新 しい息吹、新 しい見解、新 し
薦 し続 けて い ます。
い関心、 そして斬新 な行動 を持 ち込 む熱心で
私 た ちは この 2人 の ロー タ リア ンか ら学 ぶ
活発 な新 会員が、居心地の よい現状 を乱 す か
こ とがで きます。 第 1に 、 会 員増 強推 進 につ
ら、会 員増強 に興味 をな くした とい うロータ
い て、 自分 の活動 不足 を認 め な けれ ば な りま
リア ン もい るか もしれ ません。
せ ん。次 に、 会 員増 強 につ い て何 か行動 を起
しか しなが ら、最大の強 敵 はなん と言って
こさ な けれ ば な りませ ん 。 ロー タ リー が 成長
も無関心―― す なわち、会員増強 につ いて考
しな けれ ば 、21世 紀 に活重なを続 け るこ とが 不
えるこ ともなければ、何 か を しよ うとllヒ 戦 し
可 能 に な ります。
た こ ともな いロー タ リア ンた ちです。
私 は、会 員増強 を考 える時、次の 2つ の話
各地域 社 会 で、 ク ラブ 会 員 に な るた めの 資
格 を十分備 えた人 た ちが い ます。 会 員 で な い
た め ロー タ リア ン と呼 べ な いだ けで、本質 的
が頭 に浮 かんで きます。
数年前、 オー ス トラ リアの ジンピ RCの 例
に ロー タ リア ンで あ るこの 人 た ちは、皆 さん
会で会員増強 につ いて話 を した こ とが あ りま
か ら会 員 に な る呼 びか けを待 って い るので す。
す。例会後、1人 の会 員 が私 の ところに来 て、
こ う言 い ました。
「今晩、あなた のお話 を聞 い
私 た ちのだ れ か一 人 が 、 行動 に出 る決意 を し
な けれ ば、 その呼 びか けは届 か な いで し ょ う。
て恥ずか しくな りました。私 は ロータ リー に
私 た ちは、新 会 員 が どの よ うな奉 仕 を提 供
入会 して21年 にな りますが、新会員の スポ ン
し、 どん な に素 晴 らしい成果 を収 め るか分 か
サ ー を一度 もした こ とが あ りませ ん」 と。
りませ ん。 しか し、 同 じこ とはす べ ての RI
会長 、地 区 ガ バ ナ ー そ してす べ ての ク ラブ会
私 た ちの中で、同 じこ とを言 う人 は どの く
らいい る と思 い ます か ?
私 は大変 な数 に な
長 につ い て も言 えたで しょ う。新 会 員 の スポ
る と思 い ます。
一 方、 ニ ュージー ラン ドのイースタンハ ッ
ンサ ー に な るこ とに よって、 あ なたの思 って
い る以上 に ロー タ リー を助 け るこ とに な るか
トRCの デー ビ ッ ド・ ス ミスの素晴 らしい業
もしれ ません。
績 を思 い出 します。デーブ は会 員 が最高 36人
か ら21人 に減 った1963-64年 度 に入 会 しまし
た。1年 以内 に 6人 の新会員 を推薦 しました。
1973-74年 度 にク ラブ会長 を務 めた彼 は、す
ぐ近 くにで きる新 ク ラブ設立の手助 けを しま
平成
9年 8月
り
像 ん
グレン W.キ ンロス
1997‐ 98年 度RI会長
(RI指 定記 IF)
本年度 R:テ ーマ座 談会
テ ー マ の 底流 に流 れ る
`
職業奉仕 こ そ ロー タ リー 、
キ ン ロス会長 の人 とな り。 そ して新 しい RIテ ー マ は こ う して
生 まれた。 テー マ を正 し く深 く理解 す るための座 談会。
ントン さんの副会長 を
きに、時 の RI会 長 スケノ
出席 者
1997-99年 度 RI理 事
涼一
竹山
お務 め に な りま した。
そん な こ とな どを思 い合 わせ る と、熟練 した
本
し
幌南
ロー タ リア ン なんだ なあ と、 わか ります が 、 ぎ
文献邦訳諮問委員会委員
佐
1997年
紫
1997年
藤
千
壽
棘
東
棘
日本橋
らぎ らした ロー タ リーの 見識 を振 り回す よ うな
人 で はな い よ うに思 い ます。 それが、 テー マ の
「 ロー タ リー の′
じヽ
を」 に、 す ん な り出て い るの
RI研 修 リーダー
野
巖
RI研 修 リーダー
渡辺
好政
か な と思 い ます。
また、 あ る意 味 で は 日本 人 に似 た部分 を もっ
鵬
て お られ る。 もちろん、私 とは比 ぶ べ くもあ り
司会『友」委員長
秋山
―
ませ んが、年 齢的 に も近 くて、 ロー タ リー に関
東京調布
敬称略
す る価 値観 も、非 常 に似 て い るので私 は親近 感
を もって い ます。
新 会長 は
`
普 通 の ロー タ リア ン 、
RIの
新 しいテ ー マ も、徐 々 に浸透 し
は じめて い るころで す 力゛
、 こ こで テー マ に よつ
秋山
秋山
大 変親 しみの もて る方 の よ うで す ね。
竹山
そ うな んで す。 ところで 、 オー ス トラ
リアか らは ア ンガ ス・ ミッチ ェル さん(194849)、
これ は、会長 テー マ の な い時代 で したが、
ロイ
わ るあれ これ を披歴 いただ くの も、 日本 の ロー
それ か らク レム・ レス フ さん(1978-79)、
タ リア ンに、 テー マ を会得 い ただ く一 助 に な る
ス・ ア ビー さん (1988-89)、
の で は な いか 、 そん な思 いか ら前年度 と同様 、
ロス会 長 で 4人 目 に な ります。 ロー タ リア ンの
この座 談会 を企画 させ て い ただ きま した。
数 は 日本 の 3分 の
そ こで 、 テー マ にふ れ る前 に、竹 山理 事 か ら
キ ン ロス会長 の横 顔 といっ た ところ を、 お願 い
した いんで す が 。
1。
そ して今 回の キ ン
日本 か らは東 ケ崎潔 さん
(1968-69)、 向笠 広 次 さん (1982-83)の 2人
の会長 が 出て い るだ けです。
それ は ともか く、 レヌ フ さんの 「手 を さ し伸
そ うです ね。私 は時 々、 RIな どで顔
べ よ う」、 ア ビー さんの「 ロー タ リー に活 力 をあ
を合 わせ た り、 食事 を一 緒 にす る程度 で す が 、
`
ご 自分 で も書 いて お られ る とお り、普 通 の ロー
なたの活 力 を」 と、 今 回 の キ ン ロス さんの 「 ロ
ー タ リーの ′
じヽ
を」 と、 いず れ も精神 面 を強調 し
タ リア ン、 として歩 んで きた、 とおっ しやって
て いて、 そ うした つ なが りを感 じます ね。
竹山
い ます ね。 で す が 、 29歳 で 入会 して い ます か ら、
秋山
な るほ ど。
非 常 に長 い ロー タ リー歴 を もって お られ るわ け
竹山
で す が 、 メ ッセー ジ 冒頭 に出 て くるの
で 、 オー ス トラ リアで最 も古 い家具 会社 を経 営
は 「飢餓 、貧 困」 あ るいは 「識 字率 の向上 」 で
す るかた わ ら、 RI理 事 も、 日本 で い えば末 永
さん と、同期 で、 しか も私 の地 区 ガバ ナ ーの と
す。 これ は広 くい えば社 会奉仕 の分野 に属 しま
す け ど、 ち ょっ とそ こで 、私 はオ ー ス トラ リア
1997 VOL.45 NO.8
と日本 の 相違 を感 じます ね。
「最 も
別 に異 存 が あ るわ けで はあ りませ んが 、
困難 な地域 問題 、飢餓 、貧 困、読 み 書 き不 自由、
―の心 を」 となって い ますで し ょ う。 ご存 じの
よ うに、原 文 は「 Show Rotary Cares」 、続 いて
「for yOur cOmmunity,for our world,fOr its people」
児童 虐 待 な どに取 り組 んで下 さい」 といっ て い
と、 こ うな って い ます。 それで「Rotary Cares」
ます が 、 とくに「飢餓 、貧 困」 とい う問題 は ロ
を どう訳 す かで した。
ー タ リーだ けで は、 いかん ともしが た い わ けで
この 「Cares」 を、 どん な 日本 語 に転換 した ら
す。 同時 に、 日本 とい う範 囲 で考 え る と、 ピン
いいか 、 直訳 す れ ば 「思 いや り」 とで もな るん
とこな い感 じ もあ りますが、 その辺 のギ ャ ップ
で し ょ うが 、 中 身 を よ く読 ん で み ま した ら、
を どう埋 めて い くか、 これ は 日本 の ロー タ リア
take care ofと い う程 度 の言葉 じゃな い こ とが わ
ンの今後 の 問題 で し ょ う。
か った んで す。
ロー タ リーが 原 点 に戻 つ て きた
そ こで 、私 は即 座 に ロビンズ さん(1974-75)
の 「Renew the Spirit of Rotary」
和 訳 で は「 ロー
佐 藤 さん 、今 回 も翻 訳 を担 当 されて 、
タ リー の精神 を振 るい起 こせ 」、私 は い まだ にい
い ろ い ろかげの ご苦労 が あ った と思 い ます が 、
い訳 だ とは思 って い ませ んが、 と もか く、 それ
その辺 りの ところ を、 ひ とつ 。
を思 い出 しま した。
秋山
私 、去 年秋 に原 文 の原 稿 を いただ きま
した。 まず読 んで み て感 じた こ とは、正 直 申 し
その「Cares」 の 中 には、単 な る「思 いや りを
示 せ 」 とい う程 度 の 抽象 的 な意 味 じゃな い。 ハ
ま して、十何 年 かぶ りか に、 いい テー マ が 誕生
ー トとス ピ リッ ト、 その両方 の意 味 を もた せ て
佐藤
した とい う印象 を受 けた わ けで す。 ロー タ リー
い るので はな いか 、 しか も、 それ を行動 の 中 に
が 原 点 に戻 って きた なあ、 と。
示 せ 、 とい うこ となんだ 、 中身 を読 む うち に、
とい うの は こ こ数 年、「職 業奉仕 」が ほ とん ど
い われ て こなか った。実 は前 年度 、 ジ アイ会長
単 に同情 した りなん か して、甘 い言葉 をか け る
だ けの意 味 じゃな い、 と思 った わ けで す。
の テー マ に も最初 、 この 言葉 が あ りませ んで し
「 ロー タ リー
そ こで 、日本 語 は便 利 な もんで、
た。 そ こで 、 ジ アイ さんが、 ノ ミニ ー 時代 に 日
の心 を」と、あ とは書 か な いで 、接 続助 詞 の「 を」
本 の研 究 会 に来 たので、私 は意 見 を い わ せ て い
で止 め ちゃ って、 あ とは考 えて もらラ余韻 を残
ただ いた んで す。 そ した ら十分 で は な いです が 、
しま した。
1週 間後 に送 られ て きた修 正 に、「職業 奉仕 」と
い う言葉 が入 って いた とい う経 緯 が あ ります。
秋山
そ うで したか。
佐藤
で も、今 回 は違 い ま した。訳 文 で い い
「職 業奉 仕 を再 認識 し、その原 点 に帰 り
ます と、
秋山
受 け取 る側 に考 えさせ るた めの、 い わ
ゆ る「余 白」 をつ くられ た。
佐藤
そ う。 その た めの「余 自」。 │ま ん とうの
ところ は 「`じ ヽ
を」 の次 に、長 いハ イ フ ン を引 い
てか ら、 「 あ なたの住 む ところ
ま しょ う」 と「職 業奉 仕 こ そ ロー タ リーだ 」 と、
私 た ちの世 界
べ
そこに住 むす ての人 々 に」 と、 もって くるの
ちゃん といっ て い る。 これ は、 た い した もんだ
が 、私 の意 図で したが、残 念 なが ら……。
と、私 は非 常 に力強 く思 い ま した。
秋山
我 田 引水 で す が 、
『 友』誌 も「職 業 奉
仕 」 をテー マ に した記 事 を、最近 よ く掲 載 して
い ます。例 えば、 5月 号 で は 「脚 下照 顧 の 日々
を生 きよ う」とい う、「職 業奉 仕 」につ いての佐
藤 さんの 講演 要 旨 を掲 載 して い ます。
佐藤
ええ、 そ うです ね。今 回 テー マ の翻 訳
で、 まず苦労 しま したの は、最初 に「 ロー タ リ
平成 9年 8月 号
秋山
そ うです か。 ハ イ フ ンが 付 いて い ませ
んが 、 ほん とうは付 いて る と思 って解 釈 す れ ば
いい わ けで す ね。
佐藤
ええ、 そ ラ受 け取 って いた だ きた い。
「職 業 奉 仕 」 を 目で 見 え る よ うに
佐藤
今 年度 は 「職 業奉 仕 を 目で見 え る よ う
な存在 にす る年で もあ ります。職 業奉 仕 は ロー
竹 山 涼 一P G
紫 野 巌 P G
渡辺好政 PG
佐藤 千壽 P G
す ね。 そ して、 ロー タ リア ン以外 の 人 た ちが 、
そ うで す ねcそ の辺 、新 会長 は、一 人
ンまで、 そ
ひ と りの ロー タ リア ン、 ク ラブ レベ ノ
奉仕 活動 にお いて、 われ われ と同 じよ うに、 あ
の 存在 、そ して その一 人 ひ と りの心 掛 けの 大 切
るいは、 われ われ以上 にで き るか もしれ な いが 、
さを非 常 に重 要視 されて い ます。 これ らの率 直
しか し「職 業奉 仕」 こ そ、 われ われの ものだ 、
な指 摘 か ら、 ノ ミニ ー の皆 さんで、大変 感動 さ
こ うキ ン ロス さん はオ
旨摘 され て い る。 ぼ くは、
れ て い るむ き も多 か った よ うです。
タ リー その もので す」彼 は こ ういって い るんで
これ を非 常 に高 く評価 して い ます。
秋山
紫 野 さん は、 この 間 の 国 際協議 会で 、
紫野
秋山
私 はテー マ に対 して、国際社 会 とい う
観 点 か ら理 解 す る必 要が あ る と思 い ます が 、 日
2度 目の研修 リー ダー を務 め られ ま した。 テー
本の地域 で は、 どう対応 す べ きか 、 その辺 りは、
マ の発表 は、ガ バ ナ ー ノ ミニ ー に とって大 変感
どう受 け止 め られ ま したか。
動 的 な一瞬 なので す が 、 日本の ガ バ ナー ノ ミニ
紫野
勇気 を もって現 実 を見 な い といけ な い
ー の皆 様 方 の受 け止 め方 や感 想 は いかが で した
と思 い ま した。例 えば、会長指 摘 のホー ム レ ス
で し ょ うか。
の 問題 に して も東 京 に も相 当数 い る現 実 に、 日
紫野
深 く感動 して お られ た よ うに見 受 け ま
した。世 界平和 を『 綱 領』 にい くらうた って い
を そ らす わ け には い きませ ん。
秋山
キ ン ロス さん は、 貧 困 をな くす た め に
て も、現 実 に剣L餓 とか、貧 困、 これ が地 球 上 か
い ろ いろや ろ う として い ます が 、識 字率 向上 も
らな くな らな いか ぎ り、世 界平 和 は実現 しな い、
そ うで す ね。 文 字 が 読 め な い 人 が 多 けれ ば 、
と会長 は率 直 に語 りか けて い ます。今 年度 テー
われ われのや るこ とが 、 一 向 に効果 を表 さな い
マ は、 や は り、 そ うい うロー タ リー発 想 の 原 点
といって い ます ね。
を再 認識 す るこ とか らスター トして い ます。
紫野
その識 字率 向上 は 日本 の 問題 で もあ る
実 際、 1世 界 で は約 1億 人 の 児 童 が ス トリー
わ けです。現 に群 馬 、愛 知 な どで は多 くの南米
ンドレ ン として、絶望 的 な境遇 の 中 で生
ト・ チ ノ
か らの二世 、 三世 が 働 いて い る し、帰 国 した 中
き るた め に苦 労 して い ます し、毎 年 1,500万 人
国残留lA児 に も手 を差 し仲 べ な けれ ば、 とい う
(主 として児童 が )が 貧 困 と飢餓 で死 んで い る
こ とで、識 字率 向上 は、広 くはア ジア、 ア フ リ
わ けで、 日本 人 は戦後 しば ら くは苦労 した んで
カ な どへ の世 界社 会奉仕 です が 、身近 な社 会奉
す が 、 飢餓 な どとい う もの を もう実感 として忘
仕 の テー マ で もあ るわ けで す。
れ て しまって い ます。 で も、現 実 には世 界 に飢
次 に、 や は り研修 リーダ ーで い らっ し
ゃ る渡 辺 パ ス トガ バ ナ ー か らお願 い します。
餓 、貧 困 が あ るこ とを忘 れて は い けな い。
秋山
「Show Rotary Cares」 プ ラス、 シンボ
秋山
その とお りです ね。
紫野
この テー マ を いただ いて、 い ま こ そ、
ル マ ー クです ね。 シンボ /L/マ ー ク もテー マ を理
ロー タ リア ンの 心 を反 省 す べ きじゃな いで し ょ
解 す るの に大 い に助 け に な る。 あ るいは、 シン
うか。
ンマ ー ク もテー マ の一部 で は な いか と思 って
ボノ
秋山
要 す るに、 根源 に戻 ろ う とい うこ と。
渡辺
い ます。私 、眼科 医 な もんです か ら、
「Show」 と
1997 VOL 45 NO.8
秋 山 一P G
国際大 会 の決 議 23-34の 第 4項 (P llに 掲 載 )の
精神 の あ らわれ とも考 え られ ます。
「Care」 とは広 い意 味 で、
「看護 」
医学 用語 で 、
を意 味 す るこ とに もな ります。看 護 の 「看 」 と
い う字 を見 ます と、「 目」の上 に「 手」が 加 わっ
て い ます。 これ は、実際 に 自分 で 手 を出 して、
あ るいは 手 を くだ して、「`じ ヽ
」を もって世 話 をす
るわ けです ね。 そ して、大切 な こ とは、 日の上
い う、見 るこ とに大 変興 味 を そ そ られ ます が 、
に手 を掲 げて、 手 を くだ した お相 手 の 行 く末 を
見 えな い もの を、見 え るよ うにす る とい うこ と
見守 るこ となのです。 それ らの こ とを見 え るよ
へ の理 解 。
うに しま し ょ う。つ ま り、“Show''で あ ります。
秋山
ンマー ク に も
い われ るよ うに、 シンボノ
注 目す べ きで す ね。
渡辺
しか し、強調 した い こ とは、私 た ち に とって、
見 え る もの よ り見 えな い もの が もっ と大切 な こ
キ ン ロス年度 には、皆 さんが 、 この シ
ンマ ー ク を胸 におつ けにな ります し、 また、
ンボノ
となので す。 ここに「 ロー タ リー の心 を」 とさ
れ て い るゆ えんが あ る と思 うの です 。
例 会場 、 い ろ い ろな会合で か か げ られ ます し、
見 えな い もの を大切 に して、見 え るよ うにす
さ らに印刷物 にお使 い に な ります。私 は、 その
る と。 テー マ につ いて、 いろ い ろ話 し合 ってみ
度 ご とに ロー タ リア ンの 皆 さん にテー マ の認識
ます と、 テー マ を読 んで元 気 が 出 た とい う方 も
を新 た に して いただ きた い と思 って お ります。
多 いので す。
実 は、 この シンボル マ ー クの解釈 につ きま し
て は、 アナ ハ イ ムの 国際協 議 会の とき、 イ ンカ
ミングガ バ ナーの皆 さん に とって は、 とて も関
個 人 個 人 が ロー タ リー の 基 盤
佐藤
今 回 も、 キ ン ロス さん が 、「飢餓 、貧
心 の深 い事柄 で した。地球 を中心 に して、 四 つ
困」 を取 り上 げて い ます が 、国 際 ロー タ リーの
の 手 を組 み 合 わ され て い る ところ、 また、 その
会 長 テー マ とい う もの は、 国連 の テー マ に運 動
背景 も含 めて、色 合 いに もキ ン ロス さんの思 い
して い るんで す ね。例 えば、家族 を大事 に しよ
う とい った、 ブ ラウ ン会長 の 1995-96年 度 は国
が 加 わ って い る との こ とで す。
私 の友 人 の アメ リカ 人 に、ShOw Rotary Cares
連 の 「国際家 族 年」 に対 応 した もので した。 ま
を、別 の英 語 で は どうい うの か 、 と聞 きま した
た前 年度 は「貧 困撲 減 年」 で したが、 と くに国
ところ、彼 は、即 座 に``Reach out''と
「貧 困
連 は、1997年 か ら2006年 までの 10年 間 を、
言 った んで
「手 を さ し伸 べ よ う」とい
す。 これ は、 まさ に、
うレヌ フ さんの テー マ その もので した。
竹 山理事 もお触 れ に な りま した よ うに、 レヌ
撲 減 の た めの10年 」 と定 めて い るわ けで す。
秋山
そ うで す ね。
佐藤
それ と、 キ ン ロス会長 もいっ て い るよ
フ さん とか ア ビー さん といっ た オー ス トラ リア
うに、「 ロー タ リー は個 人個 人 が 原 点」だ とい う
人の共通性 を感 じます。 また、 キ ン ロ ス さんの
こ とで す ね。 です か ら、 当然 の こ とな が ら、個
お考 えは、 ジ アイ さんの 「未 来 を築 こ う一行動
人個 人 が 参加 す る形 で、世 界社 会奉 仕 に取 り組
力 と先見 の眼 で 」 の延 長線 上 に あ り、 バ ー ス さ
んで い くべ きだ。 これが 今 年度 の RIテ ー マ に
(1993-94)の 「 行動 に信 念 を 信 念 は行動
ん
に」 に も、 あ る意 味 で は、深 い ところでつ なが
る ところが あ る と思 い ます。
つ ま り、今 回の テー マ は、
「奉仕 す る もの は行
動 しな けれ ば な らな い」 とした、 セ ン トル イ ス
平成
9年 8月
サ
こた え る、 われ われの道 だ と私 は思 い ます。
秋山
今 年度 テー マ は、非 常 な感動 を もって
受 け止 め られ て いて、 それ を どの よ うに行動 に
移 して い こ う と考 え られて い るの かが わか りま
した。
竹山
キ ン ロス会長 を『 ダ ウ ンア ンダー 』 の
元編 集長 が「普 通 の ロー タ リア ン」と書 いて い ま
す が 、 そ うい う日で み ます と、 た しか に親 しみ
自分 で点検 しよ う と。 そ うい うこ とを、 しき り
にいって い る。 だ か ら、 そ うい う意 味 で は。
紫野
そ う、 ただ 走 るだ け じゃな いで す ね。
が わ きます。 実際 に話 してみ て、俗 っぱ い言葉
それ か ら、竹 山 さん 、 会長の奥様 もご主 人 と卜
]
で い えば、ぶ らな い方 で す ね。
じ雰 囲 気 を与 え る方 で す ね。 非 常 に健 全 な。
秋山
「普 通 の ロー タ リア ン」 といわれ る と
ころ に、 キ ン ロス さんの お人柄 が よ く表 れ て い
る と思 い ます。 ところで 、 い ろ い ろな人道 的 プ
竹山
そ うで す ね。 お二 人 は、 YMCAで 、
ず っ とご一 緒 だ った よ うで す。
紫野
その奥様 も、社 会奉仕事 業 をや って お
ログ ラムが提 唱 され ます が 、 これ を職 業奉 仕 と
られ る し、識 字率 向上 も手が けて お られ るよ う
い う基 本的 姿 勢 とロー タ リーの心 とい うスク リ
ー ン を通 して、一 人 ひ と りの ンベ ル か らみ る必
で す ね。
要 が あ る とい うこ とで し ょ うね。
る。 オー ス トラ リアで は朝 か 夜 が 多 くて、昼 の
佐藤
まさ に、 そこがポ イ ン トで し ょ うね。
渡辺
彼 の所属 ク ラブ は夜 に例 会 をや って い
ところ は、 む しろ少 な いで す が 。 夜 の 例 会 だ っ
「 あ なたの職 業 に ロー タ リー の心 を」 と、 しか
たか ら人会で きた し、夜 で な か った ら私 は RI
も「職 業奉 仕 を再 認識 し、 その原 点 に帰 りま し
会長 に なって い な いだ ろ う、 といっ て い ます よ
ょ う」とい う、 こ こで す よ。 さ らに、「 ロー タ リ
ね。確 認 は とって い ませ んが 、夜 の ク ラブ か ら
ーの理 想 と高度 の倫理 的水準 を同僚 や同業 者 に
出 た RI会 長 として初 めて か もしれ ませ ん。 だ
`
か ら、竹 山 さんの い われ るよ うに、 や は り ふ
分 か ち合 うこ とに よって… … 」 と、 ちゃん と指
摘 して ます もの、原点 を。 RI会 長 として、 こ
れだ けの こ とを いっ たの は、 久 しぶ りの こ とで
竹山
す よ。
` ー
ロ タ リー の 正 道 、 を歩 む た め に
紫野
だ ん着 、の カ ラーが 出 て い る。
`
ふだ ん着 の会長 さん、
秋山
自分 がで きる こ とをや らな いの は、 ロ
ー タ リア ン としての本分 を果 た して い な い こ と
この一 年、 先 ほ どもいい ま したが、歴
代 の オー ス トラ リアの会長 に共通 す る何 か を、
お持 ちの よ うだ か ら、 その点 を持 ち続 けて ほ し
いで す ね。
佐藤
テー マ を実践 す るに あた って、 まず、
に な る、 そ うキ ン ロス さん はス ピー チで いって
私 は 「 自分 の足 もとを照 らす こ とか ら始 め ま し
い ます が 、 これ を広 義 に解釈 す る と、 どん どん
ょ う」 と、 ロー タ リア ンの皆 さん に 申 し上 げた
おや りな さい、 ともな ります。 しか し、 どう も、
い わ けで す が 、足 もと とは 自分 の職 場 の こ と。
それだ け じゃな い よ うな気 が します。
そ こか ら、 出発 して、 そ してあ なたの住 む地
そ うで す ね。 また、 ス ピー チで は登 山
域 社 会、 そして世 界社 会奉仕 へ とい く。 そこの
の話 を熱心 に例 に引 いて い ます。進 む勇気、 待
ところの 認識 をはっ き りして もらいた い。 その
つ 勇気、 自分 に勝 つ 勇気 、 その 自分 の 「`じ ヽ
」を
た め に、何 度 もい うよ うですが 、今 年度 テー マ
渡辺
70
1997 VOL 45 NO.8
は実 にい い テー マだ と思 う。
秋山
キ ン ロス さん は、 い ままで に な い言 い
方 を して い る と。
機 づ けだ と思 う。 それ と、繰 り返 しますが、 シ
ンマ ー ク も合 わせ て。
ンボノ
竹山
最 後 に な ります が 、 申 し上 げてお きた
と くに「職 業奉仕 」 で 、職 業紹 介 とか
い こ とが あ ります。 前 年度 の終 わ りころか ら私
職 業訓練 とか、 周辺 の こ とを い って いた にす ぎ
の ところ に、新 年度 に なって も「新世 代 プ ログ
なか った、最近 は。 そ うじゃな くて今 回の いい
`
の は、 職 業 倫理 、を いっ て い るこ と。 こ とに企
ラム」 をは じめ とす るジ アイ会長 の掲 げた テー
マ が 残 るの か どうか とい った 問 い合 わせが か な
業犯 罪 が連 日マ ス コ ミで も騒 が れ て い る日本 の
「心 配 しな い
り多 くあ りま した。私 は その都度 、
現 状 か らいっ た ら、 もっ ともっ と「職 業奉 仕」
よ うに、 いい テー マ は残 ります よ」 と答 えて い
を強調 して ほ しい ところで す。
ます。
佐藤
紫野
新 会長 は会 員増強 に関 して、一 人 ひ と
これ は今 回 に限 らず、 毎 年変 わ る「会長 テー
りの ロー タ リア ンの 位 置 づ けを、非 常 に強調 し
マ」 に対 処 す るた めの基 本的 問題 だ と思 い ます。
て お られ ま した。 ロー タ リア ン こ そが ロー タ リ
私 は、 それ らを どう尊重 す るか は、個 々の ク ラ
ー の 資産 だ と。
ブの判 断 で決 めて もよい と信 じて い ます。 つ ま
今 回 の テー マ・ ス ピー チ の 中 で は 「職 業 奉
り、 ロー タ リー は本 来、 会長 テー マ に よって右
仕 」 の次 に「会 員増 強 」 を もって きて、重点項
往左往 す る もので はな く、 どの テー マ で もロー
目 に して い ます し、 会 員増 強 に関 して は一 人 ひ
タ リーの将 来 の た め に な る もので あ り、一世 紀
と りの ロー タ リア ンの 行動 が 、 ク ラブ に力 をつ
に なん なん とす る私 た ち ロー タ リー の、言 うな
け る、 と主張 され ま した。
れ ば一服 の 清涼剤 で あ る と考 えて い ます。
秋山
ク ラブがす べ ての ロー タ リー組織 の基
本 来、 ク ラブ は RIに 直結 して るんで
す か ら。 ク ラブの た めの地 区で あ って、地 区 の
た めの RI。
今 日の座談 会 の結論 が 出 た よ うに思 い
ます。皆 さんか ら、腹蔵 な くキ ン ロス さんの お
盤 なんだ と。
佐藤
秋山
ところが 、近 ご ろ逆 に なって い る。
それ に対 して、 キ ン ロス さん は警鐘 を鳴 らして
い るのだ と思 い ます。
彼 の強調 した い こ とは、もう一 つ「′
じヽ
」
`
は行動 で 見 え る、 もので な ければ な らな い、
渡辺
人柄 や、 RIテ ー マ の底 にあ る もの は何 か、 な
どお話 いただ きま した。
また、「 ロー タ リー よ、 どこへ 行 く」と思 って
いた方 も、 多 い と思 い ます が 、皆 さんの お話 で
ヽ
の霧 が 晴 れた よ うな気 が します。 ロー タ リー
`じ
`
は これ か ら も ロー タ リーの正道 、 を歩 んで い
け ます よ う、皆 さん 方 には、 よ き リーダー とし
とい うこ とで し ょ うね。 つ ま り、 行動 こ そ大切
て、 ます ます お元 気 で ご活躍 いただ くこ とを祈
な もの の一 つ で はな いか と。 それ を ロー タ リア
念 しま して、 きょ うの座 談会 を開 じさせ て いた
ンが 身 を もって示 そ う と。 ぼ くは素 晴 らしい動
だ きます。
│
決議 23-34第 4項
奉仕 す る もの は行動 しなければ な らな い。従 っ
て、 ロー タ リー とは単 な る`い 構 えの こ とを い うの
で はな く、 また、 ロー タ リーの哲学 も単 に主 観 的
な ものであって はな らず、 それ を客観 的 な行動 に
表 さなければ な らな い。 そして、 ロー タ リア ン個
人 もロー タ リー・ ク ラブ も、奉仕 の理論 を実践 に
移 さなければ な らない。
そこで、 ロー タ リー・ ク ラブの 団体的行動 は次
の よ うな条件 の下 に行 うよ うに勧 め られて い る。
いずれの ロー タ リー・ ク ラブ も、毎 年度、何 か一
つ の主 だ った社 会奉仕活動 を一一 それ もな るべ く
毎年度異 なって いて、で きれば その会計年度 内 に
完 了で き るよ うな もの を、後援 す るよ うにす るこ
とが望 ましい。 この奉仕活動 は、地域 社会 が 本 当
に必要 として い る もの に基 づ いた ものであ り、 か
つ、 ク ラブ全 員の一致 した協 力 を必要 とす る もの
で なければ な らな い。 これ は、 ク ラブ会 員の地域
社会 にお け る個 々の奉仕 を奨励 す るた めにク ラブ
が継続的 に実施 して い るプ ログ ラム とは別 に行 わ
れ るべ き もの とす る。
劃
平成
9年
8り J:j
広め よう
□― タ リー の心を
会員増強成功 の事例
信 と、 や れ ば で き るの だ とい う充 実 感 を、 わ が
31路 北 RCの 会 員 一 人 ひ と りが しみ じみ と味 わ
やればで きる
っ て い る昨 今 で あ ります 。
91路 北 RC
L___
会長
松田
第2500地 区・北海道
弘正
前年度 は、 わが 釧 路 北 RCに とって35年 ぶ り
の ガ バ ナー を誕 生 させ た記 念す べ き年度 で あ り
ま した。
「 第 2500
年度 当初 、坂 本 ガ バ ナ ー (当 時 )か ら、
地 区第 7分 区 内 に もう一 つ 新 ク ラブ を設 立 させ
年次計 画 書作 成 に あた り、会 員減 少 に よ るク
た い」 との話 を伺 った時 は、現 在 8ク ラブ あ る
ラブ活 動 の 低迷 、慢性 的 な予算不 足 と悩 みの 多
この地域 に、 しか も、各 ク ラブ に とって増 強 が
い年度 だ と感 じた。 これ を打破 す る方法 は、 ま
ま まな らな い現状 で、不可 能 に近 い こ とと思 い
ず会 員増 強 しか な い と思 い、計 画書 の第一 に掲
ま した。
げ るこ ととし、増 強委 員長 は指 導 力 の強 い会長
「新 ク ラブ設立 こ そが、ロー タ リー精
しか し、
神 の普及 につ なが る」 との坂 本 ガ バ ナ ー の 信 念
経験 者 にお願 い し、8、 9、 10月 を会 員増 強特
別 月間 と銘 打 って増 強活動 に入 った。
を知 った とき、倉1立 会 員 の半 数 くらい はわが ク
8月 第 1週 か ら未充填職 業 分類 の調査 表作 成
「 ロー タ リー の心 」
ラブで 増 強 し、多少 な りと も
(会 員 の前後 左 右 の事 業所 お よび先輩 、後 輩 そ
を理解 した会 員 を送 り出 した い もの と、 この一
して同趣 味仲 間他 )を 行 った。 これ は推 薦 す る
年 間 ク ラブー 九 とな って会 員増 強 に奮 闘 いた し
とい うのではな く、 まず自分の周囲の職業分類
の確認が狙 いであったが、 もうこの時点で推薦
ま した。
お か げ さ まで、本 年 5月 6日 に新 ク ラブリ1路
ベ イ RCの 創立 総 会 を開催 す るこ とが で きま し
が上 が って きた。第 2週 にはク ラブの10年 後 、
た。創立 会 員39人 、 うち、 わが ク ラブ か ら新 ク
ラブ ヘ の移 籍者 15入 。 ち ょ う ど、 年度 内純 増 会
らい、多 少 ク ラブの危機 感 をあ お った。
員 と同数 の会 員 が 新 ク ラブ に移籍 した結果 とな
会 員候 補者 との交歓 会 を行 いク ラブ と会 員 の雰
15年 後 の姿 を説 き、 ク ラブの現 況 を把握 して も
それ らの作 業 と並 行 し夜 間例 会 な どを利 用 し、
りま した。 わが ク ラブ と共 同 スポ ンサ ー となっ
囲気 を理解 して もらった。 この よ うに して会 員
た釧 路 西 RCの 移籍 者 5人 を加 えて も、新 ク ラ
と候 補者 の 間 にあ るロー タ リー とい う大義名 分
ブがで き るこ とで、 この地 域 に19人 の 新 ロー タ
は と りあ えず横 に置 いて、仲 間 としての親睦 を
リア ンが誕 生 した こ とに な るわ けです。
図 り、 その なかで、今 、 われ われ地域 の職 業 人
新 ク ラブ会 員 が 、生 き生 き と燃 えて い る姿 を
が なす べ き役割 を話 し合 い、 それが ロー タ リー
見 るにつ け、坂 本 ガバ ナ ー の信 念 が正 しか った
の 奉仕 プ ロジ ェク トだ とい うこ とを理解 して も
のだ とい う思 い と、会 員増 強・ ク ラブ拡 大 こ そ
らった。
が ロー タ リーの活性 化 につ なが るのだ とい う確
この よ うに して徐 々 に新 会 員 が増 えて きて い
1997 VOL.45 NO.8
る。
現 在 18カ 月間連 続 100%の 出席 率 で あ るが 、
会 員増 強 をす るの に困 った点 は紹 介者 リス ト
この 100%出 席 率 も新 会 員 の 欠席 を近 隣 ク ラブ
提 出 にお いて、紹 介 =入 会 ととらえて い るの か
で の メー ク ア ップで補 うた め にスポ ンサ ー 会 員
提 出率 が 50%台 で 終 わった。女性 会 員 の入 会 は、
が よ く指 導 して くれ たのが大 き く貢 献 して い る
理 事 会 で承認済 みだ が 、 一 部 の会 員 か ら抵抗 が
と思 って い る。 しば ら く低迷 して いた 当 ク ラブ
第2580地 区・ 沖縄 県
の活動 も新 会 員 を多数迎 え るこ とに よ リク ラブ
全体 が思 い を新 た に して い る模 様 が 見 え、頼 も
し くみ える今 日この ごろで あ ります。
(年 度初 め23人 、6月 現 在 32人 、9人 純増 )
第2830地 区・ 青森県
10周 年 に
会 員数 200人 を目標 に
東京中央 RC会 員増強委員長
清水
満
1987年 (昭 和 62)3月 27日 創 立 の 中央 RCは 、
ンを
チ ャー ター メ ンバ ー37人 に よ り、 帝 国 ホ テノ
会員 70人 体 制 を
例 会場 として発 足 して本 年 3月 27日 に創立 10周
浦添 RC会 員増 強委 員長
山 里
年 を迎 え ま した。 この 記 念す べ き年度 に私 た ち
9人 は会 員増 強委 員 に任命 され大役 を引 き受 け
―
―
当ク ラブ30周
年 (1997年 4月 11日
)に 当た り、
他 の ク ラブ と変 わ った ところは、例 会 にお いて、
ロー タ リー ソング 斉唱後 、下 記 の 30周 年重 点 目
標 を全 員で唱 えた こ とで あ る。
1.30周 年記 念事 業 を成功 させ よ う / 2.
親睦 を深 め よ う
.ノ
3.会
員 を増 強 しよ う /
3番 目の会 員増 強 は、 ク ラブ活 性 化 を図 るた
め、 日標「会 員70人 体 制 」 (純 増 24人 )を ス ロー
ガ ンに、会 員一 九 となって取 り組 んだ 。
(1)会 長 みず か
ら先頭 に立 つ 。 12)例 会 の席 で絶
るこ とに な りま した。 与 え られ た 目標 は10周 年
の 3月 27日 まで に会 員数 200人 の達 成 で した。
前 委 員長 か ら引 き継 いだ 会 員 数 は167人 で し
たので、33人 の純 増 を果 たす た め に理 事 会 、増
強委 員歴 代増 強委 員長 の皆様 の知 恵 を借 り計 画
を立 て ま した。 その 内容 を具体 的 に上 げ ます と、
18人
①各増強委員が 2人 の会員を獲得
ン
ノ
167人
8人
ープに
の全会 員を 7∼
のグ
分
②
ンープか ら1人 の新会員を推薦 して いた
け各グノ
だ くこ と。
17ノ 、
えず増 強 の現状 報 告 を行 う。 (3)会 員増強 プ ロジ
③ 全理事、各委 員長 お よび一般会員か ら10人
ェク ト部 隊 とは別 に、3年 未満 の会 員 で別動 隊
合計45人 の新会員を迎 え諸般の事情 により退会
96年 組 )を 結 成。 14)各 部 隊の 入会 状
者 を10人 前後 と見込 む とほぼ200人 は可能で あ
況 把握 の た め、大 ボ ー ド (縦 90cm× 横 120cm)を
ろ う、 とい うのが委 員会 の結論 とな りました。
設 置。 (5)例 会場 の入 り口に会 員紹 介 リス トー 覧
表 を掲示 。鯰)毎 週 月曜 日、 会長 、幹事 、増 強委
歴代委員長 が苦労 した退会者の問題、新会員
と現会員の利害 を伴 う対立 か ら新会員 には遠慮
員長 ほか、複 数 の会 員 を交 え紹介 者 リス トの フ
願 わなければな らな いこ と。 なんで そんな に大
ォ ロー 、チ ェ ック を実施 。 また、 年 2回 、会 員
きなク ラブにしなければな らな いのか とい う不
増 強委 員会 を開催 し、 各部 隊 の現 状 を確 認 す る。
満の声 も少なか らず耳 に入 りましたが、①定例
(つ 会長 は、 パ ス ト会長 あて、幹 事 は、4年 以上
会場 を確保 した い。② 中央区内 における奉仕活
の ロー タ リア ン あて、委 員長 は、4年 未満 の ロ
動 を継続的 にお こな うには財政的な基礎 を築 く
ー タ リア ンあて に、 ンター作 戦 を実施 。 (8)候 補
こ とが、新 しいク ラブ には必要であ る との歴代
先訪 間 には、 会長 、幹 事 、推 薦者 が 複 数 同行 す
会長の方針 に、大部分の会員が理 解 を示 され、
る。
3月 27日 に202人 の会員数 を もって 10周 年 を迎
(94、
平成
95、
9年 8月
号
73
どうもあ りが とうござい ました。
え るこ とがで きま した。
第2630地 区・岐阜県
振 り返 って みれ ば、会 員増 強 はク ラブ 員一 九
の協 力 が な ければ決 して達 成で きな い こ とを痛
感 しま した。
第2750地 区・東京都
見事 にハ マ ッた会員増強
岐阜長良川 RC会 員増強委員長
多 田
大 阪咲 洲 RC幹 事
釜 中
︱
ろ し くお願 いい た しま
敏雄
∃
32.53%地 区大会で ガバ ナー特別表彰 の栄誉
に輝 いた会員増強率です。34人 で創立 2年 目を
「 あ りが とうござい ま した 」 とい う言葉 が 、
船 出 した鈴木会長の運営方針の第 1が 会員増強
日本 語 の 中 で最 も美 しい言葉 だ と言 われ て い ま
で した。私 は11人 の 目標必達の熱願 に燃 えキー
す が 、「 よろ し くお願 いいた します 」とい う言葉
ワー ドを「和合結集」「スピー ド」「楽 しく」 と
は、 日本語 の 中 で、最 も耳 に心地 よ い言葉 で は
イ メージ した。
な いで しょ うか。
具体化 に向 け「 目的 と手段」 を明確化。全員
昨年 2月 、次期 会 員増 強委 員長 に指 名 され た
で 目的意識 を共有で きた こ とと手段 として マ ネ
後 、次期 会長 か ら、来年度 は会 員増強 に特 に力
ジメン ト手法 を導入 し短期間で推進 した こ とが
を入 れ るよ うに との方針 が発表 され ま した。
早 速 、「 よろ し くお願 いいた します 」を通 発 し
成功要因であった。匪ヨ「築 け未来 を行動力 と
「会
先見の眼で」に基 づ き、[回 未来 を築 くため
始 め ま した。「 よろ し くお願 いい た します 」と二
員増強」 と設定。理 由①永遠 の課題であ り、 そ
「 よ しわ
度 、三度 耳 に心地 よ い言葉 を言 われて、
れ に よ リクラブが充実。②大阪咲洲 RCの 財政
か った 、探 そ う」 とい う言葉 が 出 て くるのが 、
の健全化。巨□11人 の新会員を得て45人 体制の
さすが岐 阜 長 良川 ロー タ リア ンで す。 お か げで
10月 実現 を 目指 す。 以上 を達 成 す る手段 として
新 年度早 々10人 、後 半 3人 の新 会 員 を迎 え るこ
で きま した。
と力゛
次 の 5機 能 を駆 使 。
ンフ場 の 月例 に参 加 し
昨 年新 緑 の ころ、某 ゴノ
た とき、同伴 者 の一 人 が あ る会 社 の社 長 で、大
変 人柄 も良 く気 さ くな人 で、 プ ンーの 合 間 にい
ろ い ろ と雑 談 を交 わす うち に、 この 方 こ そ ロー
タ リア ンにふ さわ しい方 だ と確 信 しま した。現
在 、 わが 岐阜 長 良川 RCの 、将 来 を嘱望 され た
圧回 ① 8月 の増強月間をスター トに10月 まで
を特別月間 と設定、年度の前半を増強、後半を
本来の活動 とメ リハ リを付ける。②10月 では未
達 のゆえ12月 まで延長。③ターグ ッ トは未充填
部門 と女性 に注力。 組織化 ①llチ ー ムを編成、
各 1人 増強を合言葉 に楽 しく対抗戦をした。②
動機 づ けに新会員に印象的な重厚で荘厳な入会
タ リー 活動 の大切 さは認識 して いて も、 つ い忘
式を挙行。医董リ ーダー を中心 に活動展開、例
会で卓話や進捗報告をし、例会見学 に候補者を
招待。区ヨ①座席 をチー ム別 とし達成 まで固定。
れ が ちな私 の よ うな ロー タ リア ンで も、耳 に心
②成果表を展示し動機づけた。団コ各会合で議
地 よい言葉 を三 度 、三度 ささや かれ る と、 た ち
題 に と りあ げ一体 感 が盛 り上 が った。
優秀 な会 員 で す。
日ごろは本 業 や遊 びの多忙 に追 われ て、 ロー
どころ に「 よ しや ろ う」 とい う気持 ち に な るの
新 年 の ごあ い さつ で この よ うに振 り返 り、 日
が 、 ロー タ リー ク ラブの魅 力 で はな いで し ょ う
標 成就 の感謝 を卓 話 で 申 しあ げた時、SAA(弁
護 士 )氏 か ら「み ん な幹事 に見 事 にハ メ られ ま
か。
会 員 の皆 さん、 日本語 の一 番 美 しい言葉 で、
アイ
した 」と。会長 の リーダ ー シ ップ と素 直 にハ マ ッ
1997 VOL.45 NO.8
…
て くれ た会 員諸 兄 に敬意 と事務 局の 協力 に深 謝 。
これ か らは大 阪咲 洲 RC「 らしさ」 (C.I.=ク ラ
ブ 。アイデ ン テ ィテ ィー )を 求 めて 、 さ らな る
精進 を誓 い ます。
第2660地 区・ 大阪府
会 員増 強 は
若 く熱 意 あ る人 を /
小倉西RC 阿座上 憲美 │
.
わが小 倉西 ク ラブ は本年度 25周 年 を迎 え、 重
点 事業 として次 の 3つ の こ とに取 り組 み ま した。
1.バ ング ラデ シュ小学校 建 設 支援 (270万 円
SONGS」 を
新 年度 に入 り、皆 様 の ク ラブで も多 くの
新 しい仲 間 が 増 え られ た と思 い ます。 また、
予 算確保 )
2.イ ンター アク トの提 唱 (5月
18日 慶 成 高
校 イ ンター アク ト認証 式終 了 )
3.会 員拡 大増 強
新会 員 さん に
CD版「ROTARY
(目
標 10人 達 成 )
さて、 会員増 強 につ いて は、チ ャー ター メ ン
今 月 は 「会 員増 強 お よび拡 大 月間」 です。
新 しい仲 間 を迎 え よ う と会 員増 強委 員長 を
は じめ多 くの ロー タ リア ンの 方 々が ご活動
を され て い るこ とと思 い ます。
バ ーの 中 に もい ろ い ろ意 見が あ り、 あ る人 は量
新 しい会 員 の 方 々が 、 あ なたの ロー タ リ
よ り質だ、 あ る人 は とにか く人 会 して い ただ き
ー ク ラブ に一 日 も早 くな じまれ るた め に、
良 き ロー タ リア ン として育 て るこ と力Sク ラブ を
例 会 で先 輩会 員 の 方 々 と ともに ロー タ リー
活 気 づ け る。 と くに毎 年平均 年齢 が一 つ 上 が る
ノング を歌 えるようCD版「ROWRYSONGS」
わ けだ か ら若 い人の人 会 を重 点的 に図 るべ きだ。
をプ レゼ ン トされ て は いかが で し ょ うか 。
会 員増 強 の意 見 の さ まざ まあ るな かで 、私 は最
初 の理 事 会で増 強委 員長 に10人 を依頼 した とこ
曲名
君 が 代 、 それで こ そ ロー タ リー、
ろ、 とんで もな い この不況 の ときに10人 はお ろ
奉 仕 の理 想、 手 に手 つ な いで 、
か 5人 も難 しい との話 で した。 しか し、 み ん な
我 等 の生 業 、 四 つ の テ ス ト、
で 協 力 し合 って頑張 ってみ よ う とい うこ とに な
われ ら日本 ロー タ リア ンの 歌 、
りま した。次 の 3点 につ いて。
BIRTHDAY SONGS、
1.会 員 1人 が入 会者 1人 を推 せ ん す る。
2.推 せ んす る とき、 わが ク ラブ は他 よ り雰
囲気 よ く明 る く楽 しいク ラブで あ るこ とを
PRす る。
3.で き るだ け地元 密着 の企 業 で 若 く熱意 あ
る人 を推 せ んす る。
日 も風 も星 も、
SMILE SING A SONG、
Y
SING EVERYONE SING
R‐ 0‐ T― A― R―
各 曲 と も、合 唱 とオー ケ ス トラ演 奏 の 2
種 類 が入 って い ます。歌詞 カー ド付 き。
おか げで 新 会 員 を含 め現 在 86人 、 昨年 76人 で
頒布価 格
実 質 10人 の増強 とな りました。 会長 を引 き受 け
1枚
3,000円
(消 費税 ・ 送料 別 )
実 にあ っ とい う間 に一 年 が 過 ぎて しまい ま した。
第2700地 lX・ 福 ltl県
注
平成
役 職 は す べ て 1996-97年 度 当 時 の もの で す 。
9年 8月
け
『 友』事務 所 まで、 お 申 し込 み くだ さい。
TEL03‐
3436-6651
1AX03‐ 3436-5956
75
存在感
ペ ル ー 人質 テ ロ と
ロー タ リー
第2500地 区ガバナー(北 海道東部)
第2510地 区ガバナー(北 海道西部)
梶浦
利 1阿
石垣
留辺藁
PETSや
地 区協議 会 な どで、 つ くづ く感 じ
るこ とは、決議 23-34に 根 強 く染 まって い るベ テ
ランの 多 い こ とで す。
決議 92-286へ の移 行 に あた り、23-34を 残 す べ
く奔走 され た特 に 日本 の 先輩 ロー タ リア ンに深
く敬 意 を表 します。 この 長 い歴 史 を もつ 声 明の
L幌 西
本
博美
ペノ
ンーで は 日本大 使館事 件 が どう決 着 す るの
か 、 先行 き見 えぬ ま まの状 態 が 続 いて い た。一
方 、北米 の アナ ハ イ ムで は、国 際協議 会 が 、南
米 の そん な重苦 しい雰 囲気 とは裏 腹 に、活発 な
議論 で に ぎわ って いた。
銘記 は生 き続 け る と思 い ます。 それ は 日本 人 に
私 は、協議 会 セ ミナーの あ る場 面 で、 こん な
「ペ ル ー 人質事 件 で はキ リス ト教 牧
発 言 を した。
み られ る陰 徳 とい うか奥 t9か しさの よ うな もの
師 さん と赤十 字 の 代表 さんが 間 に立 って奔 走 し
が 多少 マ ッチ して い るの か と思 い ます が。
て い る。 ロー タ リー が 平和 に挺 身 とい うこ とを
い うの な ら、 この よ うな場 面 で、牧師 さん同様 、
「奉 仕 の理 想 」 の ロー タ リー の底流 は もちろん
調 停役 として ひ と肌 ぬ ぐべ きで な いか」 と。
「 ロー タ リー は政 治 に関与
す ぐに反 論 が 出 た。
不 変 で あ ります が 、時代 の背景 は 目 ま ぐ るし く
多様 化 して お り、社 会の ニ ー ズ を探 り続 け る活
しな い。テ ロは国際政 治 の 問題 だ」。そ うだ、そ
動 の 中 で 、おの ず か らServeの もつ ふ くみ もそれ
うだ、 とうなず く空 気 が流 れ た。 しか しまた、
に比例 します。決議 92-286と い うこ とに な りま
す ぐに「 人道 主 義的立場 か ら、何 かで き るので
した。
はな いか」 とい う声 が 出 た。続 いて 「少 な く と
さて、私 は新 入 会 員 に対 して は端 的 にI serve
は職 業奉 仕 、 We serveは 国 際奉 仕 、 その どち ら
も民 間 人の即 時解放 を訴 え るべ きで な いか」 と
も。 もち ろん結論 は出 な か った。
に も結 びつ くの が社 会奉仕 、 そ して それ に関 す
しか し、私 は こ う思 う。 ロー タ リー はア マ チ
る人づ くりが ク ラブ奉 仕 で あ る と説 きます。 そ
して ク ラブ 奉仕 は 自分 自身 へ の奉 仕 で あ る とつ
ュ アのボ ランタ リー組織 で あ る。 人道主 義 の立
け加 え ます。 人 づ く りは互 い につ く り合 う とい
場 といって も、危機 管理 の処理 につ いて能 力 も
う意 味 で 真 にあ なた を必要 とした か ら入会 して
準 備 もな い。だ が 今 度 の テ ロ事件 な どを発 生 さ
いただ いたので す と も。
せ て い る社 会環 境 を少 しで も改 良 向上 させ よ う
ロー タ リーが 奉 仕 の理 想 を普及 す る とす るな
と努 力 して い る。飢餓 や貧 困、麻 薬汚染 や家 庭
崩壊 、不平 等 や差 別 、 こ うい う社 会的 ア ンバ ラ
らば、 そろ そろ陰徳 か ら抜 け出 して、 もっ と地
ン ス要 因 を取 り除 くた め にい ろ いろ な こ とを し
域 に存在 感 の あ るク ラブ活動 を しな けれ ば な り
て い る。 テ ロ は これ ら と無 関係 とは い えな い。
ませ ん。
教 育水準 を向上 させ るの もその一 つ だ。
ロー タ リー の心 を行動 で実 証 す るゆ えんで あ
見 した よ うな気持 ち に なって い る。
ります。
(外 科医 )
76
私 は、 キ ン ロス会 長 の メ ッセ ー ジの合意 を発
(経 済学教育 )
1997 VOL.45 NO.8
ロー タ リアン よ
原点 に帰 れ
出会い
第2520地 lXガ バナー(イ :■ )
第2530地 lXガ バナー(IFi島
駒木
―雄
「可
盛
北
鈴木
11)
[│:央
喬 二 いわヨえ
昨年春 の地 区大 会 にお いて、 ガ バ ナー ノ ミニ
先 ごろ業者 の 会議 で郡 山 に行 った 時 の こ とで
ー に指 名 され て以来 、 ロー タ リーの各種 会合 に
あ る。郡 山 まで は70kmの 道程 、往路 は磐越 高速 を
出席 し ロー タ リーの思 想 の11大 さを再 認識 いた
利 用 したが、 復路 は49号 線 で の ん び り戻 りか け
し ました。
た。 10kmも 走 ったか と思 う地 点 で突然 エ ンジ ン
また 3月 の ア メ リカ・ アナ ハ イ ム市 にお け る
が Jlま って しまった。 止 まる寸 前 にす ばや く車
キ ン ロ ス RI次 期 会 長 は「 ロ
を路 肩 に寄 せ て、 まだ腕 は確 かだ な と変 な ド
:画
国際 協議 会の席
11、
ー タ リーの心 を」 との テー マ を発表 され ま した。
自賛、車 を降 リボ ン ネ ッ トを上 げてみ た もの の 、
そ して 「飢 餓 と貧 困 を無 くし識 字 率 を高 め よ
私 の知 識 で は方法 な しで あ る。 や む な く近 くの
う」 と申 され ま した。
家 にデ ンフ を借 りに行 った。 その家 の主 婦 が 中F
この テー マ の 中 の 「′
じヽ
を」 とは何 で あ るか 、
先 で 山蕗 の 皮 をむ きなが ら煮物 を して いた。
非 常 に奥深 い意 味 が 含 まれ て い るよ うに思 われ
事1青 を話す と親切 に近 くの スタ ン ドに電話 し
ます。 われ われ は この偉 大 な るテー マ の 「心 」
て くれ、 私 が代 わ って状ら1を 説 りJす る とデ ィー
を いか に して実行 に移 した らよいか、 今 か ら皆
ラーで な い と無理 と番号 を教 えて くれ た。 デ ィ
で 考 えよ うで はあ りませ んか。
ー ラー との や りと りの末、運 搬 車 が 来 るこ とに
「 ロー タ
私 のサ ブ テー マ を発表 いた しま した。
ン・ ハ リスが ロ
リア ン よ原 点 に帰 れ 」 と。 ポーノ
な り、 い わ きに戻 る私 も郡 山 に逆 戻 りす るこ と
に な る。
ー タ リー をつ くった時 の、 あの偉 大 な る考 えを
一部 始終 を聞 いて いた主 婦 は、 お 茶で もの ん
現 在 の われ われ ロー タ リア ン は忘 れ て い るの で
で 待 った ら とlAJじ 入 れ て くれた。軒 先の煮物 か
は な いで しょ うか。
ら盛 った お茶受 け に 舌鼓 をオ ちなが らしば しの
J‐
最近 ロー タ リー の 会合 も年 々派 手 に なって き
歓 談。 その うちFil婦 の 息
f―
が 高校 の 後輩 で あ る
て い るよ うに思 われ ます。 大都 市 を控 えて い る
こ とや、 以前 い わ きに在住 した こ とが分 か り驚
地 区 と、第一 次産 業 が主 となって い る私 ど もの
地 区 とで はす べ てが違 うはずで す。 例 えば、 会
く。 ちなみ に私 は い わ きの llll窓 会 の 副 会長で あ
る。極 めつ きは、 ごゴ1人 の 妹 が なん とその高校
員増 強 を とってみ て も7il疎 化 の激 しい地 区 で は
での 私 の 同級生 に嫁 いで い るこ とが 判 りJ、
1比 の
なか な か難 しい こ とで す。 また、財 団や米 山 に
えに しに まさ に一 驚 。 そして最 後 に も一 つ 、 オ
対 す る寄付 も農林 水産 品の価 格 に左 右 されが ち
マ ケが つ く。
で す。 無理 をす る と退 会者 が 出 ます。 ガ バ ナ ー
故障 車 を積 み終 え、私 も トラ ック に乗 り込 も
として私 は、地 区 の運 営 に 当た って無理 せ ず平
う とした瞬 間 に 目の前 を通 った車 が ク ラク シ ョ
凡 に、 しか もロー タ リーの心 を忘れ ず に と思 っ
ン を鳴 らして突然 にJLま った。 い わ きの友 人で
て お ります。 ロー タ リー につ いて皆 で もう一 度
あった。 帰 宅後 す ぐお礼 のデ ンワ をす る。 つ い
「 ロー タ リー とは
考 え直 そ うで はあ りませ んか。
で の再 会 が 楽 しみの昨 今 で あ る。
何 ぞや」 と。
`
F成 9118月 ぢ
(山 林経 常 )
(映 画館 )
77
ぶ とい うこ と
'学
第2540地 区ガ バ ナー (秋 │││)
第2550地 区 ガ バ ナー (llJ木
︵︹ ・
手 と手
作左部
貢
本メ
吉澤
:
)
再生
兵左
昨 114月 、 突然 ガバ ナー ノ ミニ ー に指 名 され
私 の 住 む本荘 市 は、 これ といっ た大 きな産 業
も持 た な い地 方 の 小都市 で、 今 まで 一度 もガ バ
て か ら、 ロー タ リー に対 す る考 え方 が一 変 しま
ナー を出 した こ とが なか った。思 えば本荘 ロー
した。従 来 ロー タ リー につ いて は漠然 と分 か っ
タ リー ク ラブ に人 会 して既 に30年 を経過 して い
るので、 それ な りの役 は経験 し、最近 で は 日々
た よ うな気で お り、相 応 の おつ き合 い は して き
たつ も りで お りま した。 しか しガバ ナー とな る
是好 Hと い う会 員 に な りつ つ あ ったの を見 て、
と話 は全 く違 い ます。 しば ら くその任 の重 さ と
そろ そろ引退 して は とい う家族 の すす め もあ り
考 えて いた ところへ 突然 の ノ ミニ ー の話 で あ っ
窮 屈 さで憂鬱 な 目が続 きま した。
た。 口
1:年 9月 の 東 京で の ノ ミニ ー 研修 会 、 11月
国 内 で の何 回 かの研 修 を受 け、また、ポール ・
ハ リスの 伝記 な ど読 んでみ ま した。 そ して今 年
神戸 での ロー タ リー研究 会 、 そ して、 この 3月
アナ ハ イ ム にお け るIJ際 協議 会、次 いで グ ラ ス
の 3月 、 米国 アナ ハ イ ムでの l■ l際 協 議 会 に参 加
す るこ と とな りま した。 アナハ イ ムの ヒル トン
ゴ ー と休 む問 もな く多忙 な スケ ジ ユール に追 わ
ホ テル は さすが に広 大 で ロー タ リーー 色で した。
れ て い るが 、 しか し楽 しいので あ る。 友 人 が 増
開 会式 はジ アイ会長 の あ い さつ 、国旗 人場 で始
え る とい うこ とは素 晴 らしい。 この 年 に なって
ま り、続 いて待望 の キ ン ロス次 jlJl会 長の RIの
一 度 に33人 の 友 がで きた ので あ る。 人生 ロー タ
テー マ発 表 と人道 的立場 に立 った演 説 は感動 的
リーの 友 と心 豊 か に暮 らして ゆ け るの は何 と幸
な もので した。 か くして い よ い よ本 番 に入 りま
せ な こ とで あ ろ うか。
したが、朝 8時 45分 か ら17時 まで スケジ ユー ル
3年 ほ ど前 か ら健 康管理 と運 動 不足解 消 を兼
ねて柴大 をAplい 朝 夕四季 の移 り変 わ りを楽 しん
は い っぱ いで した。
こん なカ ンゾ メ教 育 を受 けたの は何 年 ぶ りで
で い るが 、大 きな袋 を持 って愛 犬の散 歩 を しな
し ょ う。 年齢 も70歳 とな り記1意 力 も衰 え ま した
が らごみ を拾 って歩 く70歳 前後 の人 とよ く会 う。
が 、 ガ バ ナ ー として知 らねば な らぬ こ とは多 々
感心 な人だ と思 って いたが、 いつ の 間 にか散 歩
あ ります。 そ して、 われ われが頑張 れ たの は リ
して い る家 内 も私 も自然 と見習 うよ うに な った。
ーダ ーの 力 が大 きか った と存 じます。 われ われ
す る と今 まで と違 ったす が す が し
の理 解 を深 め るた め、 リーダ ー は夜遅 くまで ミ
さを覚 え るので あ る。 年 1回 町 の ク リー ン ア ッ
ー テ ィ ング を されて い るこ とを聞 き頭 の下 が る
プ大 作戦 は どこで も行 われ て い るこ とで あ るが 、
思 いで した。 そして、学 ぶ とい うこ との素 晴 ら
毎 日の積 み重 ね が大切 なの で あ る。
ロー タ リー もし か り、 ロー タ リア ン は 日本 で
しさ、大切 さを学 生 の ころ を思 い出 しなが ら再
び味 わった よ うな気 が いた しま した。 アナハ イ
13万 人、世界 で120万 人 もい る。皆奉 仕 の理 想 に
ムの 1週 間 は充実 した内容 で した。 そして、確
燃 えて集 まった人 た ちで あ る。一 人 ひ と りの ロ
か t_i先 脳 され た気分 に な りま した。 そこで私 の
ー タ リア ンの心 が 、 手が結 集 して行動 した ら素
地 区 の テー マ に「学 ぶ 」 とい うこ とを人れ させ
散歩か
らlliF宅
晴 らし く大 きな力 に な るで あ ろ う。
78
(整 形外科
)
て いただ きま した。
(イ
i灰 製造 )
1997 VOL 45 N0 8
ゞ
札 ―
ロータリーヘ の道
イl
第2560地 IXガ バナー(群 1場 ・新潟
第2790地 IXガ バナー(千 葉)
)
久 保 田 昭 治 伊勢崎中央
今 か らおお よ そ2500年 前、 春秋 戦 国時代 の乱
平山
成
金吾
ガバ ナ ー ノ ミニ ー に指 名 され て はや
│‖
1118カ
世 に生 きたfL子 の 教 えは、 論 語 に集約 されて お
月が過 ぎ、地 区 内80ク ラブの 公式訪 11開 始の時
ります。
IJlが 来
│こ
ま した。 第 2790地 区 は ち ょ う ど千葉 県
1
その キ ー ワー ドは 「仁」 で す。 ご承 知 の よ う
県 1地 区で ま とま りが よ く、地 区分割 を数 年末
「仁 」 とい う字 は人偏 に「二 」 を配 して お り
検 討 して きま したが結 論 が 出 ませ ん。 ガ バ ナー
ます。 人 1間 が二 人顔 を合 わせれ ば、 その 間 には
補佐 制度 が RI理
'I手
会で承 認 を期 に実行 しよ う
二 人 が お互 いに守 らねば な らぬ規約 の よ うな も
とした ところ、諮 問 委 員会 の 判 断 で、 わが地 区
の が 生 まれて きます。 それが 「仁 」 です 。他 の
で は規定 審議 会 で承 認後 実行 と決 定 しま した。
言葉 で表 現 す れ ば「思 いや り」 で あ り、村1手 の
「 ロー タ リー は常 に変化 して行 か な けれ ば な ら
立 場 に立 って考 え不 幸 な人間 をた とえ一 人で も
ン・ ハ リス も言 って お ります。私
な い」 とポ ーノ
少 な くしよ う とい う信 念 を持 った愛 情 で す。
は 「変革 にチ ャ レ ンジ」 をサ ブ テー マ に掲 げ ま
1905年 、 ポー /L/・ ハ リスが ロー タ リー をつ く
った 時代 背景 も経 済 恐慌 で 人心 は荒 れ暗 い時代
した。世 界 155カ [Fllか ら521人 の ガバ ナ ー ノ ミニ
一堂 に会 した アナ ハ イ ムでの 国際協議 会 は、
ーが ―
で した。 しか し、「奉仕 の理 想 」に共 鳴す る人 々
まさ に ロー タ リー の発展 と永続 の秘 密 の 鍵 を秘
に よって、 こだ まの よ うに国境 、 人種 、宗教 を
めて い る と感 じ ました。 あの教 育 プ ログ ラ ム は
超 えて ロー タ リー は発展 して きま した。 「奉仕
とは思 いや りの心 を持 って他 人 に尽 くす」 こ と
ン気 を奮 い立
知 情 意 を刺激 し、知識 、感動 、 ヤ ノ
バ
たせ、 まさ にガ ナー づ く りの カ リキ ュ ラム と
で 、論 語 とロー タ リー に共通 した心 で あ る と考
して最 高 と感 じま した。
え ます。
わが地 区協議 会で地 区役 員、 ク ラブ 役 員 の 方
今 年 度 RIの
ROTARY
CARESロ ー タ リー の心 を」 で私 た ち に強 く心
後 か な りの ク ラブ か ら「思 い 切 りや るぞ」 とい
の実践 を呼 びか け ま した。 大変簡 潔 な言葉 で す
う意 味 の お電 話 とお 手紙 を いただ き、思 った以
が 、 その根 底 に あ る もの は奥深 く、 た くさんの
上 の反 応 に、 手 ごた えを感 じま した。
テ ー マ は 「SHOW
ヒン ト、 イ ンス ピ レー シ ョンが含 まれ て お りま
す。 まさ に「仁 」 に通 ず る名 言だ と思 い ます。
に精 い っぱ い この 感動 をお伝 え しま した。 その
これ か ら地 区 内 4,300人 の ロー タ リア ン とク
ラブ 訪 間 で お 会 いで き るの が 楽 しみです。
キ ン ロス会長 は四大 奉仕 の バ ランス を と言 っ
外観 や形式 に とらわれ るこ とな く、個 人が ク
ラブが 自主性 。独 創性 を もって 善意 の心 を実践
して こ そ、 ロー タ リーの活 性 化 。発展 が あ りま
下」 とあ ります。 こ こに四大 奉仕 の源 流 が あ り
す。 時 代 の流 れ に そわ な い伝 統 や慣 習 が あれ ば、
ます。 まず 自分 自身 を修 め、 家庭 を ととの え、
勇気 を出 してや め ま し ょ う。この一 年、心 の オ ア
企業経 営 を通 して社 会 に奉 仕 し、世 界平和 に資
シス を求 めて努 力す る所 存で す。
す るこ とがで きれ ば と考 えて お ります。
(ウ
平成
9年 8月
り
ール婦人服地製造 )
てお ります。「大学 」の 中 に「修 身斉家治 国平天
(建 築 )
79
近 ごろ思 うこ と
友 と歩 む
ロー タ リー の旅
第 2800地 区 ガ バ ナー (│II形 県 )
第2810地 区ガ バ ナー (宮 城 )
菅
繁三
束根
英一
松田
仙台泉
人生 を語 るほ ど経験 な り知 恵 な どを持 ち合 わ
せ て お りませ んが、近 ご ろ気 に なって い るこ と
毎 年数 人の友 人 と胸 をはず ませ て国際大 会 ヘ
出発 します。 国際 色豊 か な国際大 会で は い ろ い
が あ ります ので、 それ につ い て述 べ てみ た い と
ろな郷 土 色や国柄 に直接 肌で接 します。 そこで
思 い ます。 本来 目的 を達 成 す るた めの手法 とし
ての手段 が 、 それ を一生 懸命 にす るあ ま り、 い
出会 う全世 界 の さ ま ざ まな顔 や民族衣 装 の 人 々
つ の間 にか 目的 に な って しまい、 その結果 、混
は実 に不可思議 な、 しか も絶 妙 な世 界だ と思 い
舌Lが ひ き起 こされ て い るよ うに思 われ ます。
ます。
の 目標 が 「 ただ ひ とつ ロー タ リーで あ る」 こ と
そ ういった こ とが、職 業 につ いて も言 え る と
初 対面 で も、 IJき 握 手 を交 し、 名刺 を交換 す
思 い ます。 多 くの 人 々は各 自の職 業 につ いての
る と、 あ っ とい う間 に長 年 の友 人 の よ うにお互
意 義 な り重要性 につ いて正 しい認識 を持 ち合 わ
い に打 ち解 けて しまい ます。 これ こ そ ロー タ リ
せ て い るの で し よ うか。 そ もそ も職業 を決 め る
ーの す ば らしさ とだ い ご味 を満 喫 す るひ と とき
時 、 どの よ うに して い るので し よ うか。 学 生生
です。
活 が 終 わ り就職 せ ぎ るを得 ず、 そ そ くさ と決 め
数十枚 の名刺 を手 に して 日時 や場 所 、特 徴 を
て しまった り親 の 家 業 を継 が な くて は と思 って
書 き込 み なが ら、 あ らた めて新 しい友人 が で き
決 めた り、 また、趣 味 が こ うじて その まま職 業
とな った り、 さ ま ざ まなケ ー スが あ る と思 い ま
た こ との喜 びをかみ じめて お ります。
す。職 業 は得 て して生活 の糧 を得 るた めの一 つ
人 と「何 が一 番 良 か ったか なあ」 と語 り合 う と、
の 手段 と考 え られ が ちです が 、果 た して ただ単
皆 それ ぞれ感 じ方 の相違 が わ か って な か な か面
に それだ けで し よ うか。
白 い もので す。
フ ランス・ ニ ー スの 国際大会 は ヨー ロ ッパ 各
職 業 の種類 も、 また選 択 の基準 Ъさ まざ まで
す が 、私 た ちの職 業 はなぜ 存在 す るので し ょ う
か。 なぜ 職 業 に従 事 して い るの か を深 く考 えて
み ます と、社 会 に有 用 なす べ ての職 業 は人 間 が
生 きて い くた め には、 ぜ ひ とも必要 な もの ば か
りで、何 一 つ として無駄 な もの が無 い こ とに気
前夜祭 、本大 会 な どプ ログ ラ ム を見 なが ら友
地 の旅 を組 み 合 わせ た もので したが、思 い出 に
残 る もので した。美 しい ニー スの 海浜 の風 景 と
紺碧 の海 、 アク ロポ リス会議 セ ンター は市 中心
部 に位 置 して視 聴覚 コ ミユ ニ ケー シ ョン システ
づ かれ るこ と と思 い ます。 5本 の指 の うち どの
ム完 備 のす ば らしい会場 、海 に面 した コー トダ
ンや モ ナ コでの食 事 の ひ と とき
ンのホ テノ
ジ ュ ーノ
1本 が 欠 けて も大 変不 自由 な もの です し、機 能
も印象的 で した。 日本 の高度 成長 社 会の め ま ぐ
を果 たす こ とがで きな くな ります。私 た ちの職
る しい リズ ム に合 わせ て生 きて きた 自分 の姿 を
業 もまさ に同 じ こ とで す。社 会 が 多様 化 し細分
振 り返 り、 この よ うな旅 をあ と何 回で き るの か
化 す るこ とに よ り私 た ちの職 業 もその 本 来 の意
なあ と考 えつ つ 「来 て良 か った なあ」 と友 と語
義 が か す んで しまいが ちで す が 、 この辺 で再 認
識 す るこ とも必要 な こ とと思 い ます。 (産 婦人科
れ る旅 を心 に刻 んで帰路 につ きま した。 これ こ
)
20
そ私 の 貴 重 な人生 の財 産 で す。
(不 動産販売
)
1997 VOL.45 NO.8
国際理解 と人的 コ ミュニケーション
浮田
ロー タ リー米山記 念奨学生
容承 (韓 国)
つ い最近 まで長 引 い て いた 「ペ ノ
ンーの 日本大
ん。何 よ りも、 お互 い を十分 に理 解 し合 うよ う
使 館 占拠事 件 」 は、作 戦 Fll始 後 、 ア ッ とい う間
な真 実 を伝 えて い る とは考 え に くい場 合 が 多 い
にお わ りま した。 そ して、 われ われ は その現場
ので す。
を衛星 中継 に よって、生 々 し く目撃 す るこ とが
しか し、私 は米 山記 念奨学 生 に な り、 ロー タ
ンリンの
で きたの です。 中国 の天安 門事 件 、 ベ ノ
リア ン と付 き合 って い る うち に、 自分 が もって
壁 崩壊 、湾 岸戦 争 や ソ連 の 崩壊 な ど、歴 史的 な
いた先 人観 や ステ レ オタイ プ を捨 て て、 日本 人
大 事件 は言 うまで もな く、 こ うした テ レ ビ報 道
や 日本 文化 を理 解 す るた め に必 要 な真実 を学 ぶ
は生活 の 中 に 日常化 して い ます。 い まや高度 な
こ とがで きま した。
情 報通 信 技術 の発 達 に よって、 人類 の コ ミュニ
アメ リカの ジ ャー ナ リス トで あ るW.リ ップ
ケ ー シ ョンが 全地球 的規模 で 行 われ て い るこ と
マ ンは、彼 の著 書 の 中 で 「 ニ ュ ー スが ひ とつ の
は、不思 議 な現状 で はあ りませ ん。
出来事 が起 こっ た こ とを知 らせ る合 図 にす ぎな
ンーの 日本大 使 館
ところが 、私 は今 回の 「ペ ノ
いの に対 して、真 実 の機 能 は、 隠 され た事 実 を
占拠事 件 」 が 続 いて い る中、面 白 い経験 を しま
表 面 に出 し、 それ らを相互 に関連 づ けて、 人間
した。 それ は、大学 院 の 卒 業 を控 えた春休 み に
が それ に基 づ い て行動 で き るよ うに現 実の情景
約 2週 間 ぐらい国 に帰 って い ま したが 、 日本 に
戻 り、テ レ ビの ニ ュー ス を見 た時 、
「 あ ら、この
をつ くる こ とで あ る」 と語 って い ます。
事 件 まだ続 いて いた んだ 」 と驚 いた こ とで す。
め に一 番 大切 なの は、 人的 コ ミュニ ケー シ ョン
私 は 自分 の 国 にい る間、す っか りこの事 件 の こ
で あ る と思 い ます。 また、人 は情報 の集結体 だ
自分 の経験 か ら考 え る と、 その真 実 を知 るた
とを忘 れ て い ま した。 なぜ だ ったで しょ うか。
と言 え ます。顔 の表 情 、身振 り、話 し方 や考 え
恐 ら く、事件 が あ ま りに も長 く続 いて いた こ と
方 な ど、 そのす べ て を通 して何 か を伝 え るこ と
や私 の 国 とは直接 的 なかか わ りが少 なか った た
がで き るので す。 それ故 、 もし、私 た ちが 国際
め、 マ ス メデ ィア に よって取 り上 げ られ るこ と
理解 を深 め よ う とす るな らば、 その最 た る方法
が 、 ほ とん どなか ったか らだ と思 い ます。
その時私 は、 この よ うな マ スメデ ィア に よ る
は、媒体 を通 した情報 の交換 で はな く、 国家 間
の人 的 交流 の機 会 を増 やす こ とで し ょ う。
国際報道 の仕 方 、 さ らにグ ロー バ ル コ ミュニ ケ
そ うい う意味 で、米 山記 念奨学 制度 は、 国際
ー シ ョンの 展 開が、果 た して人 々の 世 界 に対 す
る認識 や国際理 解 に どれだ け役 だ って い るの か 、
理 解 と親善 に大 い に貢 献 して い る と言 えます。
(L智 大学 。新聞学
あ らた めて考 え るよ うに な りま した。
カ ウ ンセ ラ ーか らひ と言
)
私 が 日本 に留学 す る前の こ とを思 い出 してみ
彼 の専攻 や 2年 間の お付 き合 いか ら、敗 戦40
る とマ スメデ ィア か ら得 られ る日本 に関 す る情
年後 の ワイ ツゼ ッカー独 大統 領 の 有 名 な演 説 の
報 の ほ とん どは、経 済 的 成長 に対 す る高 い評価
一 節 を思 い起 こ しま した。
「 かつ て起 こった事 を
と植 民地 歴 史 に絡 む敏 感 な 日韓 問題 で した。今
心 に刻 む代 わ りに忘 れ去 ろ う とす るな ら、 これ
度 は、 日本 にお け る韓 国報 道 をみ る とや は リニ
は単 に非 人道 的だ とい うだ けで な く (中 略 )和
ユー ス として伝 え られ る情報 は、 事 件 と言 うべ
解 の芽 を摘 み取 って しま うこ とに な る」
き もの力'多 く、 あ ま り喜 ば しい もの はあ りませ
平成9年 8月 号
井花 富男 (新 狭山)
27
ロータ リー財団へ の寄付の
一 部税制 上の優遇措置 についてのお知 らせ
国際 ロー タ リー 日本 サー ビス・ セ ン ター
ク ラブ事務 所備 え付 けの 「税 制 上 の優 遇 措
このた び、① 日本の ロー タ リア ン、② ロー タ
置扱 い分 寄付 申込 書」(個 人用 と法 人用 の 2
リア ンで な い日本在住者、 お よび③ 日本の法 人
(企 業、団体)力 ヽら、 ロー タ リー財団へ の寄付
金 に対 し、 その一部
(ロ
種 類 あ ります )に 必要事項 を記 入 し、 ク ラ
ブ事務 所 に提 出 します。
ータ リー財団の教育 プ
ログ ラムに対す る寄付 に限 る)に つ いて税制上
2.寄 付金 払込 み
ク ラブの銀 行 日座 に払 い込 み ます。
の優遇措置 が とられ るこ とにな りました。
3.ク
「税 制上 の優遇 措 置扱
ラブで は毎 月 1回 、
外務 省の所管 で あ る特殊法 人 「国際 交流基
い分 寄付 申込 書」 を取 りま とめて 、 日本 サ
金」 は、国際文化交流の専門機関 で、 日本 と諸
ー ビス・ セ ンター 財務 室 に送 付 し、併 せ て
外国 との人物交流 な ど、幅広 い文化交流活動 を
行 っています。 このほ ど、特定公益増進法人 で
寄付金 も同 セ ンターの 「 日本 ロー タ リー 奨
学 金委 員会 口座 」 に送金 します。
あ る同基金では、 ロー タ リー財団 の教育 プ ログ
ラムに対す る日本 の民間か らの寄付金拠出は、
4.日 本サ ー ビス・ セ ンター 財務 室で は、入金
同基金 の行 う「特定寄付金事業」 の趣 旨 に合致
す るこ とを認 め、 日本か らロー タ リー財団へ の
け るた め に必 要 な書類 で はあ りませ ん)を
寄付金拠出 につ いては、 これを同基金へ の寄付
後約 1カ 月後 に領収証 (税 制 優過 措 置 を受
発 行 し、 ク ラブ あて に送 付 します。
5。
確 認後 ロー タ リー 財 団本部 へ 報 告 し認証 の
として扱 い、一 定の手続 きによって税制上 の優
遇措置 (個 人は所得控除、法人 は損金算入 )が
受 け られ るこ とにな りました。
日本 サ ー ビス・ セ ンター財務 室 で は、入金
手続 きを します。
6。
日本 サ ー ビス・ セ ンター 財務 室で は、 3月 、
この 対 象 とな るの は 1件 につ き300,000円 以
6月 、 9月 、12月 の 年 4回 、それ まで に「 日
上 (一 時払 い)の 寄 付 で、 国際親善奨学 金 (合
む ジ ャパ ンプ ログ ラ ム)、 開発途 上 国 で奉 仕 す る
本 ロー タ リー奨学 金委 員会 口座 」 に払 い込
ンー プ交換 に
大学 教 員の た めの 補助金 、研究 グ ノ
金特 定 寄付金取 扱 規程 に基 づ き、同基 金 に
対 す る寄付 に限 定 され ます。 この趣 旨 に基 づ い
て拠 出 され た寄付 金 は、 ロー タ リー財 団 に よ り
上 記 いずれ かの プ ログ ラ ム に振 り分 け られ ます。
そ して、個 人 に よ る寄付 の場 合 は、 ポー /1/・ ハ
ン・ ハ リス
ンチ プル・ ポーノ
リス 。フェ ロー /マ ノ
フェ ロー 、 また はベ ネ フ ァク ター の いず れ かの
まれ た寄付 金 を と りま とめて、国際交流基
送 金 します。
7.国 際 交流 基 金で は、所 定 の手続 きを経 て、
上 記 6.に よ り基 金 の 日座 に送金 され た寄
付金 全額 を ロー タ リー 財 団 に送 金 します。
同時 に基 金 は、各寄 付者 あて の領収証 (税
制優遇措 置 を受 け るた め に必 要 な書類 とな
認証 を受 け るこ とがで きます。法 人 に よ る寄付
ります )を 発 行 します。領収証 は 日本サ ー
の場 合 は感謝状 が お くられ るほか、法 人 の推 薦
ン・ ハ リス 。フェ ロー 等 が お く
す る個 人 にポーノ
ビス・ セ ンター か らク ラブ経 由で寄付者 に
られ ます。
送 付 され ます。
8.税 制 上 の優過 措 置
法 人 の場 合
手続 きはつ ぎの通 りです。
1.寄 付 申込 み
22
通 常の寄付金損 金算 入額 とは別枠 で、 これ
と同額 まで損 金算 入 が認 め られ ます。損 金
1997 VOL 45 NO.8
算 人の上 限枠 は下記 の 算 式 に よ ります。
るか 、 申告 書提 出時 に提 示 しな けれ ば な り
当該事 業 年度 の確 定 申告 書 の提 出 に あた り、
ませ ん。
法 人税 申告 書別表 14「 寄 付金 の 損金算 入 に
関す る明細 書」 に所 定事項 を記載 し、上 記
今 回の措 置 につ いて は、 ロー タ リー財 団管理
7.の 国 際 交流 基 金発 行 の 領収証 を添 付 し
委 員会 も了承 し、 日本 の ロー タ リア ンの皆 さん
ます。
の長 年 の希望 で あ る、 ロー タ リー財 団 へ の寄付
個 人の場 合
の税 制上 の 優遇 措 置 が 、制 限付 き とは い え実現
され た こ とは、大変喜 ば しい こ と と存 じます。
手続 きな どで、 ご不 明 な点 が ござい ま した ら、
除の対象 とな ります。寄付金の控除の適用
いつ で もRI日 本 サ ー ビ ス・ セ ンター財 務 室
を受 けようとす る旨を、 その年度の確定申
(TEL:03-3355-5425
告 書に記載 し、上記 7.の 領収証 を添付す
で お 問 い合 わせ くだ さい。
十
/ 1 1 ヽ
×
5
0
0
.一
・
2
額
金
得
所
〓
額
度
限
人
算
金
損
櫛
囀
総所得の %を 上限 として、 その年の寄付金
総額か ら 1万 円を差 し引 いた金額が所得控
Ⅲ :03-3226-4606)ま
ヾ 里×
十
Ψ鰤 )× 鶏 鴇
}×
:
June I 997
To The Rotuians ofJapan
Dcar fcllow Rotarians:
I congratulale you on the accomplishmcnt ofgaining tax doductibility for contributiore (cach
amounting to *300,000 or morc and boing designated to educational program) to The Rotary
Foudation fiom Rotuim and corporations in Japan, This is an exciting opportunity, which rhe
Trustees ofThe Rotary Foundation rcvicwcd and approvcd at their meeting in early May t992,
You will be receiving additional details on the procedures rhat will bccomc cffcqtivc on I Jr:ly for
contribuiions which qualify for this tax benefir
The suppon ofthe Rotuius in Japu has long bcen grcatly valued and rec.gnized by rhe
Foudation Trustces You generosity in c,onlributiog lo thc proE arns of the Foundation is
exemplary md togethcr we harc long sought a way in which there might be some rax deducribility
for thesc gifts The oicellcnt eforts of thc committee of distintuished Japurese Rowians who
havc hclped to work out thc dctails for this fine arangement are greatly appreciated by The
Rotary Foundation
We ue certain that this ncw opportunity will serve 8s an incentive for )our continued support of
thc Foundation's progrirms. The Founda(ion's oubtanding educationel ard humanitarian
programs depend I007o on the generosiry ofRotarims ud othcr fricnds ofthe Foundation, The
Rotarians of Japan have showr grer ladership to thc wholc Rotary world in advancing the ose
of The Rotary Foundation ud rhus ofworld pcacc, Wc havc no doubt that you will conrhue to
be h thc vanguard in thc futurc dso
On bchalfOf my fcllow Trustees,congratulations on your su∝ esses
Sincerely,
ミ
RaJendra K Saboo
Cha― コ、The
RotaFソ Foundation
ラジ ェン ドラ K.サ ブー
ロー タ リー‖
オ団管理委員会委員長
:上 レ
に
讐
奪
;リ リ
T::彙 易
8警 τ
員
扁
fこ 夫
│
か らの30万 円以上の ご寄付 に対 し、税制優遇措 置 │
が講ぜ られ るこ ととな りました こ とに、′
いよ りお
慶 び中 し上げ ます。 R財 団管理委員会 も、5「 Jの
委 員会で正式 に承認 いた しました。 日本の ロー タ
リアンのみ なさまの財団 プログ ラムに対す る貢献
は、財団管理委 員会 で も非常 に高 く評価 してお り
ます。今回の措置が講ぜ られ るよ う努力 して くだ
さった 日本の ロー タ リアンの方々に敬意 を表 した
い と存 じます。 これ を機会 にみ なさまか らの ご寄
付 が、一層充実 して い くこ とと確信 してお ります。
(サ ブー委員長から日本の ロータ リアンヘの要約文
)
14成
9年 8月
号
23
1997-98年 度 RI理 事会 メ ンバ ー 紹介
Meet the Board of Directors for 1997-98
は RIの 管ll1 11体 です。議長を務めるRI会 長、会長エ レク ト、 そして
'Hli会
ブーンの
指名委員会 によって,世 IIlさ 4し 、│」 際大会で選挙 された17人 の理 り 計19
11に 従って、 RIの 業務な らびに
人で構成 さ41て い ます。lll Ji会 は/L款 および判‖
資金のrilKと 管理 を行 い ます。各Jll Jiの 任期 は 211‖ lで 、今 11度 は 8人 の 2イ F日
のJl'liと 9人 の 111日 の理 'liと で構成されて い ます。 RIり i務 総長は、投票lllは
ri■ り
lHtt it
あ りませんが、 RIコ ‖li会 の指 /JN監 │`ド に実務を執行す る、RIの 最
としてlll JI会 に111111、 幹 Jif々 を務め ます。
i、
RI会 長 グ レン
ロー タ リア ン誌 8'!号 よ り
カ ー ル・ ウ ィル ヘ ル ム・ ス テ ンハ マ ー (199698)
W。 キ ン ロス
スウェーデ ン、 イエ ー テボ リ
オー ス トラ リア、 ハ ミル トン
RC会
RC会 員。 食料
員。家 具 製 造 会 社 ジ ョ
:l「
:卸 売 業。 複数
I副 会長、 ロー タ リー財 団管 理
の会社 の理 事お よび私立校 の理
・ 長。 1974年 RC人 会。 RI委
ンープの地
lt会 委員長、実行 グノ
委 員会 委 員、 1可 際協 議 会グ ル ー プデ ィ スカ ッシ
ン・ コーデ
域 コーデ ィネー ター な らびにゼ ネ ラノ
ョン リー ダ ー 、諮 問 グ 7L/― プ メ ンバ ー な ど歴任 。
1997-98イ littR I I 公ltエ レクト ジ ェーム ス 。レイ シ ー
ィネーターな ど歴任。
ジャック・ バ ーテ (199698)
ン・ キ ン ロス社 の共 l11経 営 者。
RC人 会。 RI理 可 R
1960年
r、
l手
フ ランス、 ホ ヘ イ7L/。 マル メ
■艤
米 1可 テ ネ シー 州 ク ックヴ ィル
RC会
員。投 資 会 ネLジ ェ ー ム
レ
ス・ イ シー &ア ソシエ イ ツの
イ ゾ ン RC会 員。管理職 役 員地
域 協会会長。元 カ リフ ォル ニ ア
社長。 19641l R C人 会。 RI理
n畔 製 造 会社 (ヨ ー ロ ッパ )社
食
:「
、 ロー タ リー財 団管理 委 員会
19721l
■■■■■■日長。
委 員、 1可 際 協議 会 グ ルー プデ ィスカ ッシ ョン リ
地 区 にお いて RYLA、
ー ダー とモデ レー ター な ど肝 fT。
`
″スコ
lt I副 会長 ロバ ー ト ボ ブ
ット
ジ ェ ク トで活躍 。
ロバ ー ト
グ RC会 員。 コボ ー グ・ ゼ ネ ラ
/病 院元主 任 医師 。現 在 は老 人
ノ
印刷 会社経 営 。 ニ ユ ー ジ ャー ジ
、
R I財 務 長 ベ リー
E
ー・ マ デ ィ ノン YMCA元 理 '11
RC
ンー プデ ィ
人会。 国際協議 会 グ ノ
゛
ス カ ッ シ ョン リータ ― 、 ロー タ リー情報 カ ウ ン
セ
実行 グ ル ー プの メ ンバ ー な ど歴任 。
トンプソ ン
長。 1973年
RC人 会。 国際 協議
ンー プデ イ スカ ッ シ ョ ン リー ダ ー 、 ロー タ
会 グノ
リー 財 団地 域 コ ー デ ィ ネー ター な ど歴 任 。
フ ラ ン シ ス コ・ ク レオ (199698)
メキ シ コ、 エ ンセ ナダ RC会
RC会 員。連 邦 空港 脇会航 空 管
理 部『 1総 支 配 人。 1978年 RC人
員。不動産 管理 ・ 投 資 会社 イ ム
ンデ スの
モ ビ リア・ ク レ オ・ バ ノ
よび実行 グル ー プ リーダ ー 、 ロー タ リーlri報 カ
リー
ウンセ ラー な ど歴任 。
ーな
成 を獅
カ ッシ ョン リー ダー、委 員会 お
L■■ ヽ任
オー ス トラ リア、 パ ッズ トウ
ンー プデ ィス
会。 国際協議 会 グ ノ
24
ロー ター アク ト・ プ ロ
米国 ニ ュー ジ ャー ジー州 モ リ
ンタ ス
スタ ウ ン RC会 員。 クーノ
ホー ムの 医療 主事 。 1971年
‐―
ガバナー、
会。
Aク ール タス (1996-98)
カナ ダ 。オ ンタ リオ、 コボ ー
フ
R C人
社 長 。 1970年
RC人 会。 国際 脇
ンー プデ ィ スカ ッシ ョン
議 会 グノ
各種 委 員、財 団地域 コー デ ィネ ー タ
1997 VOL.45N08
エ ドガ ー C . / \,y
+ f, -,
;f,-tv J.t>9'Teggz-gs)
Jr.(1996-98)
米国 バ ー ジ ニ ア/テ ネ シー 州
ンニ ア州サ ンタ
米国 カ リフ ォノ
ブ リス トル RC会 員。 歯科 医 で
クル ス R C ttit。 サ ンフ ラン シ
米 国 お よび国際歯科 医nT会 の メ
ス コ製 パ ン会社 の財 務 支配 人。
RC人 会。 国 際
ン
協議会 グノ ー プデ ィ スヵ ッシ ョ
1957年
ンバ ー 。 1958年
ン リー ダ ー
lt、
ン・
実 行 グ ル ー プのゼ ネ ラノ
コ ー デ ィ ネ― ター な ど歴 任 。
Gヘ
ラ フ ァエ ル
RC人 会。 ガ バ ナー、 国
際 協議 会 グルー プデ ィ スカ ッ シ
ョン リーダー 、 ロー タ リー財 団地域 コーデ ィネ
ー ター な ど歴 任。
チ ャ ノバ (199698)
フ リオ・ シ ーザ ー・ ス カラ フ ィア (199799)
フ ィ リピン・マカチ RC会 11。
空調 。家庭 用 i電 気機具 製造 会社
ン・
ス コ RC会 員。 弁護封f、 エ ノ
コ ンセ プ シオ ン産 業 の 副社 長。
ノー テ保 険 会社 副社 長 。 195611
1967■ lR C人 会。 国際協議 会 グ
RC人 会。 ガ バ ナー 、 国際協 議
ル ー プデ ィスカ ッシ ョン リー ダ
会 グ 7L/― プデ ィスカ ッシ ョン リ
― 、委 員 会委 員長、規 定審議 会代表議 員、 実 行
―ダーお よびモデ レーター な ど歴任。地域雑誌
ンー プIlllゼ ネ ラノ
ンコー デ ィネー ター な ど歴 任。
グノ
『 ビダ・ ロー タ リア』 の諮問委員。
竹山
涼 ― (1997-99)
ンゼ ンチ ン、サ ンフ ラン シ
アノ
薬 熙 兼 (1997-99)
「!工
札幌 南 RC会 員。 竹 山 食占
韓国 、 ソウル 西 RC会 員。 ド
業株 式 会社社長 。 全IJ調 理 食ギ
ン・ ジ ン 化 学 製 品 社 の 社 長。
組 合北 海道 ブ ロ ック会長。
Plan lnternational Koreaの 面U理
RC人 会。規定 審議 会代
事 長、
韓国身障 者更生協 会理事。
1972年 RC人 会。 ガバ ナー、 IJ
:
IFtl司
1956年
表議 員、IIL界 親睦 活動 (WFA)
タ ス ク・ フ ォー ス な ど歴任 。現 在 「 ロー タ リー
際 協議 会 グル ー プデ ィ スヵ ッシ ョン リーダー 、
歴 史 と伝 統 の 会=RHHIF」
委 員会委 員 な ど歴任 。
ハ ンス・ ミュ ー ラ 。レ ック〈
1997-99)
の理
]!i。
ロバ ー ト 0.プ リックマ ン(1997-99)
ンク RC
ドイ ツ、 ア ウク スブノ
米国 イ リ ノイ州 パ ラタイ ン R
務 局長。 19641l R C入 会。 ガ バ
会 員。 VALMEX写 真 用 具 会 社
会長 。 1978年 RC人 会。 ガ バ ナ
ンー プ
ナ ー 、青 少 年本仕 実行 グノ
ンー プデ ィス
ー 、国際 lZt議 会 グ ノ
地域 コーデ ィネー ター な ど歴任。
カ ッシ ョン リー ダー な ど歴 任。
C会 員。 ウ ォー ノンプー ノン社 の事
ア ン トニ ー 。モ ― ア (1997-99)
ジ ェー ム ス・ ピー タ ー・ チ ン (199799)
英国 ウエ ス ト・ ウ ォー ジ ング
マ レー シア、 ペ タ リン・ ジ ャ
モー ア薬剤店店 主 。
ヤ RC会 員。 マ ー ケ ッテ ィ ング
業 務 な どの イ ノバ ラ社理事 長。
R C ttlt。
会元理 可i。 1968年
バ
RC入 会。 ガ ナー、規定 審議
全国薬剤 l
カール
Sロ
ll協
会代表議 員、 RIBI元 会長。
ーゼ ンバ ウ ム (1997-99)
儘
燿
1967年
RC入 会。 ガ バ ナー、 委
員会委 員長 な ど歴 任。
RIJ崎 総長 ア ー ロン・ ハ イア ッ ト
ン・
米国 アー カ ン ソー 州 リ トノ
米 国 ジ ョー ジア州 メ イ コ ン R
ロ ック RC会 員。 アー カ ン ソー
C会 員、元 メ イ コ ン大学学 長。
R
ンー プデ ィスカ ッ
国際 協議 会 グノ
ガ ラス容器会社 社長 。 1967年
C人 会。 ガ バ ナー、委 員会委 員
シ ョン リーダー な ど歴任 。元 R
な ど歴 任。
I理 事 (1994-96)(RI指 定記Jl)
25
キ ンロス Ri会 長 8月 の動静
月初 、 米国 ワシン トン州タ コマ訪間。
グ レン
「超 我 の 奉仕 賞」推 薦募 集
この 賞 は、 ク ラブ 、地 区、地域 レベ ル で ロー
5日
ニュージー ラン ド・ オーク ラン ド訪間。
タ リー を通 じ、卓越 した個 々の ロー タ リア ンの
6日
ニュージー ラン ド・ ウェ リン トン訪問。
ボ ランテ ィア活動 な どに対 して与 え られ ます。
7日
ニュージー ラン ド・ ク ライス トチ ャー
8日
1997-98年 度 の受 賞候補 者指 名 は、現理 事 、元
理 尋1と 現 ガ バ ナー、 直前 ガバ ナー に よって行 わ
チ訪 問。
オー ス トラ リア・ シ ドニ ー、ア ル バ
家族 週 間
リー訪 間。
10∼ 11日
れ、オ
旨名 jlJl限 は 9月 15日 となって い ます。
:オ
ー ス トラ リア・ タ ス マ ニ アの ホ
バ ー ト訪 間。
あ なた の ク ラブ また は地 区で スポ ンサ ー を し
て、家庭 そ して家族 の きず な を強 め るの に成功
ンン訪 問。
12日 :オ ー ス トラ リア・ メ/L/ボ ノ
した プ ロジェク トが あ りま した ら、ぜ ひ聞 かせ
13日 :オ ー ス トラ リア・ アデ レー ド訪 問。
16日 :オ ー ス トラ リア・ ブ リスベ ー ン訪 間。
て くだ さい。 事例 集 、完 ∫日、費用 、写真 、新
聞 や週報 の切 り抜 きを下記 に送 って くだ さい。
R!新 役 員
担 当 :Petra Belcher,Community Programs
キ ン ロス会長 は、 カ ナダ・ コボ ー グ RCの ロ
バ ー ト・ ス コ ッ ト理 事 を1997-98年 度 RI副 会
Rotary lnternationa1 1560 Sherman Avenue
長 に選 び ま した。 また、 オ ー ス トラ リア・ パ ッ
ズ トウ RCの ベ リー・ トム ソン理 事 が RI理 事
TEL:847/866-3436
会 に よって財 務長 に選 任 され ま した。
RIグ ラス ゴ ー 国際大 会 の記 念 に ス ラ
イ ドセ ッ トは いかがで す か ? 各種 会合、 講演
(詳 細 は本 号横 組 み 24∼ 25ペ ー ジ参照 )
1996-97年 度 会 員増 強 。拡 大状 況
前 ロー タ リー 年度 の会 員 お よびク ラブ 数 の 増
Evanston lllinois 60201 U.S.A.
FAX:847/866-6116
グラ ス ゴーの思 い 出
1996年
者 、友 愛 の家 、余興 その他 いろ いろ網羅 され て
い ます。 R I Publication Order Service Sectionに
加 は、微 増 に とどま りま した。1997年 6月 30日 付
Official Slideset of the 1997 Conventionと
で ク ラブ数 は28,736(前 年 同 日付で は28,134)。
ンです。 また、 キ ン ロ
み くだ さ い。価格 は15ド ノ
602ク ラブの増 加 で 、増 加率 は 2%。 会 員数 は、
ス RI会 長 の 1997-98年 度 テー マ“ShOw Rota_
1,213,748人 (前 年 6月 30日 付、 1,206,112人 )で 、
ry Cares"の 講演 を撮 影 した ビ デ オ も販 売 され
7,636人 の増 加 。 1%以 下 の増 加率 。
ンで す。
て い ます。価格 は10ド ノ
8月 は会 員増強 お よび拡 大 月間で す。 各 ロー
F11し
込
今後 の R:国 際 大会
タ リー ク ラブ は、奉 仕活動 の 中 に会 員増 強 。拡
1998年 6月 14∼ 17日
イ ンデ ィアナ ポ リス
大 お よび会 員退 会防止 に力 を注 ぐこ とが 要 請 さ
1999年 6月 13∼ 16日
ン
シンガ ポーノ
れ て い ます。 元 RI理 事 で 1997-98年 度 の会 員
2000年 6月 4∼ 7日
ブ エ ノス ア イ ンス
ンー プゼ ネ ラノ
ンコー デ ィネー ター の オ ウ
教 育 グノ
エ ン・ マ ク ドエ 7L/氏 は、専 門職 の男女 が ロー タ
2001年 6月 24∼ 27日
米 国サ ン ア ン トニ オ
リー に入 会 す るの に最 高 の動 機 とな るよ うな有
2002年
統
オー ス トリア・ ウ ィー ン (予 定 )
計
意 義 な奉 仕 プ ロジ ェク トを開発 す るよ うク ラブ
全世 界 の ロー タ リア ン総 数 1,213,748人 、ク ラ
に呼 びか けて い ます。一 方、会 員 には ロー タ リー
ブ数28,736ク ラブ 、地 区数 521地 区、RI加 盟の
で 得 た指 導 力や経験 を用 い る機 会 を与 え るこ と
国 155。
をク ラブ に勧 めて い ます。 また、 会 員間 の親交
会 員数 144,118人 、加 ‖1回 数 129。
と友情 を広 め るこ とを求 めて い ます。 こ うした
ロー ター アク トの ク ラブ 数 6,266ク ラブ 、
トの ク ラブ 数 5,471ク ラブ 、 会 員数 125,833人 、
こ とが お互 いに善意 を分 か ち合 い、効果 的 な地
加盟 国数 93。
域 プ ロジェク トにお いて重要 な役 割 を果 たす と、
*1997年 6月 30日
ン氏 は述 べ て い ます。
マ ク ドエ ノ
**3カ
26
イ ンター アク
RI公 式 発表分
月 ご と(年 4回 )に 集計
(年 2回 )
(RI指 定岳」事
)
1997 VOL 45 NO.8
米 山記念奨学会
理事会・評議員会・GN研 修会 東京
26日
第 2500地 区 22∼ 24日
ライ ラセ ミナ ー
根室
GSE委 員会
3日 IA地 区大会 金 ヶ崎
第 2540地 区 30∼ 31日 IA地 区大 会 能代
第 2550地 区 24日 IA地 区大会 栃 木
第 2560地 区 2∼ 3日 IA地 区大会 館林
第 2790地 区 4日 WCS委 員長 セ ミナー、22日
R財 団委 員会・ 研修 会、28日 IA地 区大会 館 山
第 2000地 区
第 2010地 区
2∼
3日 拡大 。増強 セ ミナー
9∼ 10日 IA地 区大会 塩 釜、23日
社会奉 仕委 員会
IA地 区大 会
R
土浦、23日
会長 ・ 幹事会 、30日
財 団 セ ミナー、24日
クラ
第 2030地 区 31日
徳島
23日
国際青
区大会
長門
区大会
湯布院
シンガ ポ
計
5
5
IA海 外研修 (D3310。
R
1
6
国際
資 金 。30日
1
7
奉仕/青 少年交換 、委 員会 :23日
1
7
:2日 R財 団・29日
9
5
会
1
7
委 員長会議
区大 会
6
7
ROTEX総
IA地
6
6
青 少 年 部 門、 2日
国 際 奉 仕 /WC
2
7
:2日
1
8
委 員長会議
0
9
青 少年奉仕 セ ミナー
第 2630地 区 委員長研修セミナー :3日 社会奉仕 。30日 米山
2
7
企画委 員会、7日
8
7
分 区代理 連 絡 会 ・ 地 区大 会
7
6
6日
8
7
岩槻 、30日
4
8
区大会
第 2500地 区
第 2510地 区
第 2520地 区
第 2530地 区
第 2540地 区
第 2550地 区
第 2560地 区
第 2790地 区
第 2800地 区
第 2810地 区
第 2820地 区
第 2830地 区
第 2570地 区
第 2580地 区
第 2590地 区
第 2600地 区
第 2610地 区
第 2620地 区
第 2750地 区
第 2770地 区
第 2780地 区
第 2630地 区
第 2640地 区
第 2650地 区
第 2660地 区
第 2680地 区
第 2690地 区
第 2760地 区
第 2670地 区
第 2700地 区
第 2710地 区
第 2720地 区
第 2730地 区
第2740地 区
RC数
1
8
IA地
区
0
6
R財 団部 門 ・ 9日
地
7
5
米 山奨学部 門、23日
会員増強委 員長会議
8
5
:2日
セ ミナー
2日
0
7
府 中、4∼ 11日
区大 会
第 2740地 区
4
5
浜北、18∼ 19
「新世代 フ ォー ラム」Part l
平 成 9年 8月 り
区大会
ク ラブ奉 仕 委 員長 会議 :16日 。23日 、
拡 大委 員会 :23日 。30日
3
4
1日 IA地
IM
第 2720地 区
6
5
IA地 区大 会
。3日
青 少年交換派遣 (D3650。 韓 国 )
ン)、 23日
ーノ
IA地
:2日 IA。
6∼ 7日 IA地
9∼ 10日 IA地
4
4
R財 団
:2日
日 植林 フ ォー ラム(フ ィ リピン・ネグ ロス島 )
情 報 、19∼ 23日
第 2710地 区
4
5
財務 小委員会、
小松
委 員長 会議
職 業奉仕、9∼ 10日
第 2650地 区
委 員会
0
8
IA地 区大会
堺 、 30日
青 少 年活 動 。5
少年交換
4
9
24日
S。 9日
第 2700地 区
1
5
広報情報雑誌 。
23日
社会奉仕/環境保全、
第 2640地 区
第 2670地 区 23∼ 24日
3
4
:3日
10日
第 2700地 区
:2日
日 職業奉仕
1
6
8日 IA海 外研修 (D5000。 ハ ワイ)
委 員長 会議
第 2770地 区
委 員長 会議
3
4
青 少年奉仕委 員長会議 、28日
R情 報 セ ミナー
第 2750地 区
第 2760地 区
9
6
分区代理 会議
7日
第 2620地 区
第 2690地 区
9
6
第 2580地 区 29日
1∼
IA地 区大会 明石
1∼ 3日 IA地 区大会 倉敷
第 2600地 区 19日
)
青少年交換委 員会
第 2570地 区 22∼ 24日 青少年交換学生サマーキャンプ
第 2610地 区
会 員増 強 。21日
ロー タ リーの 友 4日 常任委 員会 東 京
地区別 クラブ数 。会員数 。出席 率 一 覧表 (5月 末現在
ブ奉仕研究会
第 2600地 区
:2日
第 2730地 区
第 2020地 区 17日
第 2590地 区
委 員長 会議
職業奉仕
第 2510地 区 4日
第 2520地 区
第 2660地 区
2,239
eFfi(tt++r)
3,365
(24)
4,249
(45)
1,961
(43)
3,294
(19)
1,913
(21)
2,738
(59)
5,626
(78)
4,318
(45)
2,524
(37)
2,026
( 6)
2,968
(38)
1,778
(17)
2,847
(22)
4,919
(50)
3,244
(61)
3,283
(29)
3,323
(39)
4,578
(54)
6,258 (150)
3,923
(87)
3,559
(23)
5,190
(49)
3,959
(60)
6,782
(23)
5,623 (124)
4,178
(13)
4,232
(39)
6,393
(58)
3,945
(24)
3,987
(24)
4,344
(11)
3,362
(34)
3,201
(14)
3,145
(19)
131,035(1,439)
出席率(%)
89.30
89.16
88.43
87.73
88.88
92.29
90。
36
88.36
90。 78
90。
40
91.34
80.98
90。 45
89.02
90。 94
94.93
92.57
92.10
87.17
88。 68
91.37
95。
30
91.80
98.26
94.60
94.77
92.62
98.70
88.39
93.59
95.22
88.96
86。 43
89.46
バ ナー月信
マ リアナ諸島
ガバ
・グ ア
ム・
・ ミク
(ガ
ナ ー 月 信 より
よ り)但
、 第 2750地 区は北
区 は北 マ
リア
アム
)但 、第
ロネ シア・パ ラオ7ク ラブ・386(62)人 を合み ます。()内 は女性会員数。
「告知板」
表の訂Jに は次号以降の
のページになります。
27
第 2690地 区川上儀 二郎 PG(松 江南 )が
敬弔
6月 20日 逝去 され ました。88歳 。謹 んで哀 悼 の
(1978-7911度
意 を表 します。
G)
太 田 南 (2560・ 群馬崎 太田市浜町3‐ 6〒 373
新
ク
大 田商工会議 所会館 4階
ブ
ラ
尾 花 沢 (2800・ 山形 県 )尾 花 沢 市大 デ尾 花 沢 35711〒
水 沢 い さ わ (2520・ 岩手県)水 沢東RC
会員数
21人
6月
4日 承 認 Oo223o
例会場 タカ トヨ T・ Tダ イナ ー
例会 日 金
丁若柳松原63
事務所 〒023-04肥 沢郡肥沢田
幹 事 高橋義雄
熊 谷 南 (2570・ 埼 玉 県 驚 谷 東
RC
6月
4日
事務 所
〒 360熊 谷 市 河原 町 2‐ 105
森 オfハ イ ツ
会 長 萎澤利 行
竜 ヶ崎 中央
(2820・
6月
1‐ 1‐
ンリッチ酒 田
ホ テノ
柴 田 (2810。 宮城県)柴 田部柴円町船岡中央
3‐ 5‐
11日 承認 (No223つ
谷 (2810・ 宮城県)遠 田部涌谷町字柳町 4〒
31‐
'爾
m飯 田内
〒 301竜 ヶ崎 市 上 町 4110
会 長 中本誠 一
幹 事 飯 田顕一
北 信 濃 (2600・ 長野 県 )長 野 北 東 RC
会 員数
21人
戸 田歯 科 医 院 内 戸 田1真 治 気付
青森県)北 津軽郡金木町菅原12〒 037‐ 02
大鰐
│1字 石り
1103‐ 5〒 036腕 葛 西 商 店
青森県 )弘 前市石り
帥 鳳 松 堂 松 橋 造 花 本店 内
(2830。
り‖越 中 央
(2570・
NHK川
6月 18日 承認Oo2230
埼玉県 l睡 市中原町2‐ 2‐ 1〒 350
)サ
2階 (住所 表 示 変 更 )
越 文 化 セ ンター
2570・ 埼玉県)志 木市本町 2037〒 353
志木 柳 瀬 川 〈
例会 日 火
5‐
NTT志
ンフク ラブハ ウス
例会場 信濃 ゴノ
事務 所
〒 38)12上 水 内部 牟礼 オ寸牟礼 2729田 オ1歯 科 医 院 内
会 長 田村六七 夫
事務所
41人
RC 6月
〒 939富 山市 新 根 塚 町 1-1-67
18日
Jヒ l生
会 長 押 田邦夫
会員数
2‐ 34‐
承 認 (No223つ
ミ ー ト榊 内
幹 事 御旅 屋正勝
RC
各 務 原 か か み の (2630・ 岐阜県)各 務原市那加東亜町106〒 504
各務 原 市 東亜 町 会館 内
加 茂 東 (2630・ 岐 阜 卿 加 茂 郡 七 宗 町 上 麻 生 2203〒
松 働更(2630。 二 重 県 )松 阪 市 日野 町 729‐
6月 18日 承認(NQ2236)
48人 例会 日 月
ン
例会場 宮 崎 観 光 ホ テ ノ
木営業所 内
6〒 190
小杉 ビノン7階 702号 室
ン
例会場 富 山第一 ホ テノ
例会 日 火
宮 崎 東 (2730・ 宮崎 県 )宮 崎
│1市 曙町
東 京立 川 (2750・ 東京都)立 り
幹 事 丸 山義範
富 山 み ら い (2610喧 山県 )富 山西
会員数
01
987‐
金 木 (2830・
会員数 24人 例会日金 例会場 竜 ヶ崎市農協馴 柴支所
事務所
509‐
1〒 515
綾 部 (2650・
1〒 623
京都府)綾 吉
rl‐
F市 西田
4‐
宮 田 町 ビ ノン 3階
京 都 Fヨ 辺 (2650・ 京都府)京 田辺市田辺沓脱40〒 61003
幹 事 畑迫 貞 了
王
奈良県)北 高城郡王寺町王寺
1‐ 1‐
=F(2650・
NTT大 和高 田支店
帥 大創 内
7〒 636
ン2階
王寺営業所 ビノ
園部 (2650・ 京都府)船 井郡園部町美園町 18〒 622
7‐
NTT北 京都支店
大和郡 山(2650・ 奈良県)天 理市嘉幡町600_1〒
事務所・ 住所変更
5階
1・ Tビ ノン3階
会 長 野崎伸 一
◆新クラブ欄の うち、承認日の後の括弧内の番号は
承認番号です。
04
ンサ ンル ー ト松 阪
ホ テノ
事務所 〒880宮 崎市宮田町1025
園部別館 内
632
奈 良 プ ラ ザ ホ テ ノン内
水 沢 (2520・ 岩手県)水 沢市横町94〒 023
浜 坂 0680・ 兵庫県 )美 方郡浜坂 田I正 法庵 372〒 ∞9‐ 67
水 沢 東 (2520・
豊 岡 ・ 豊 岡 円 山 川 (2680。 兵 庫 県 澄 岡 市 立 野 町
0鈴 吉 家 具 店 内
023
岩手県)水 沢市大手町436〒
鈴 木欽 也 方
福 島南 (2530・ 福島県)福 島市太平寺字過吹 2 〒960
ザ 。36。 メ イ フ ァイブ
萩 (2710・ 山 口県 )萩 市 東 田町 12〒 758
6‐
鷹 巣 (2540・ 秋田県)1ヒ 秋田部鷹巣町級子字大堤81_9〒
1階 2号
018‐
33
榊秋 田ギ フ トセ ンター 内
西 垣 晋 輔 方
9‐
31〒 668
ジ ョ イ フ ノンポ ノンタ
2階
三 次 中 央 (2710・ 広 島 県 )三 次 市 十 日町 東 H41〒 728
多 良 木 (2720・ 熊 本 県 )球 磨 郡 多 良 本 町 1027‐ 1〒 868‐ 05
0サ ニユ ウ内
湯 沢 南 (2540・ 秋 田 県 )湯 沢 市 表 町 3‐ 2‐ 14〒 012
28
5階
2〒 989‐ 16
舟 山成 子 方
201号
幹 事 長谷川隆
茨城県)竜 ヶ崎RC
安 部 工 業榊 内
1〒 998
酒 田東 (2800・ 山形卿 酒田市若竹町
承 認 (No2230
全員数 44ノ 、 例会日オ<18:30か ら)
ンサ ンノ
ンー ト熊谷
例会場 ホテノ
42
小 国 (2800・ 山形県)西 置賜郡小国町大字町原632〒 999‐ 13
佐藤公治方
会 長 佐藤公治
999‐
尾花沢専門店会 内
多 良 木 郵 便 局 内
出 水 (2730・ 鹿 児 島 県 )出 水 市 知 識 町 357‐
2〒 899_02
l■ l中
畑冷機工業所 内
1997 VOL 45 NO.8
現
Ю97-98年 度 日本 国 内・ 各種 委 員会委 員 ぽ架
盲
ガバ ナ ー会 事務所 105東 京都港区芝公園2_6‐ 3
議 長 岩井
abc会
館 8階 TEL 03‐ 3433‐ 6497 FAX 03_3433‐ 7395
孝 (東 京神田)近 藤雅 臣 (千 里)岡 本徳禰
敏 (東 京京浜)副 議長 阿部
(り
北)
│1崎
顧 ‖
1 竹 山涼 一 (札 幌南):RI理 事
青 少年 交換連絡委 員会
事務局長 河合
良 (加 須)
ロー タ リー文庫運営委員会 事務所 105東 京都港区芝公園 2‐ 6‐ 3 abc会 館 7階 TEL 03_3433_6456 FAX 03‐
委 it長
阿部士 良 (東 京東村山〉
運営委員
吉野一郎 (桐 生)緒 方基一 (八 代)筒 井敷三 (広 島東)塚 田和男 (長 野東)
目
J委 員長
西條正博 (ホ L幌 )齊 藤
監査委員 飯野行雄
顧
問 黒田
(り
│1越
7506
中山義之 (横 浜南
奈良)
博 (市 原)中 野重宏 く
南)大 丸 昌譲 (堺 南)
実 (茂 原)松 原
治 (東 京城西)
相 談 役 湯浅恭三 (東 京)石 渡 二郎 (横 須賀)木 本茂二郎 (東 京北)伊 藤
吉井
3459‐
)
陛 (東 京品川)相 原茂吉
(り
)津 田
│1越
進
(り
:1崎
茂 (相 模原中)
北)
黒澤張三 (東 京南)佐 野康博 (大 宮西)上 野 良一 (横 浜中)
自石雄 二 (東 京神田)岡
祐孝 (本 庄)谷 口 榮 (横 浜東)
ロー タ リーの 友委 員会
委 員 長 秋山
例
会
場
一 (東 京調布)副 委員長 森
変
三良6(寄 居)(各 委員名は本号48ペ ージ奥付に記載)
更
ホ ーム ペ ー ジ開設
ン ノー スラン ド 帯広
帯広 (2500・ 北海道)ホ テノ
東京紀尾 井町 (2580・ 東京都)RC
ン辰 巳屋
福 島東 (2530・ 福島県)ホ テノ
ンサ ンノ
ンー ト自河
白河西 (2530・ 福島県)ホ テノ
いわ き常磐 (2530・ 福見県)旅 館 こい と
http://www.kakimi.co.jp/kioirc/
!1県 )RC
金 沢香林 坊 0610・ 石り
http://www.hokuriku.or.jp/kohrinbO/
足利東 (2560・ 栃木県)大 津栄新館 (最 終例 会のみ )
茂原 東 (2790・ 千葉県)真 名カ ン トリー ク ラブ
清水西 (2620・ 静岡県)RC
2800・ 山形県)ホ テノ
ンリッチ酒 田 1階 自鳥 の間
酒 田東 〈
川越 中央 (2570・ 埼玉県)NHK川 越 文化 セ ンター 3階
松 阪 山桜 (2630・ 二重県)RC
和 光 (2570・ 埼玉県)和 光郵便 局 3階
ンセ ンチ ェ リー静 岡
静 岡西 (2620・ 静岡県)ホ テノ
久 喜 (2770・ 埼玉県)結 婚式場 ニュー八雲
http://shimizu.wbs.or.ip/ct/nishi‐
http://www.inetmie.or.ip/―
nishi‐
rc/
3/rotary.htm
クラブ読 み 方変 更
大和 (2810・ 宮城県)だ いわ→ た いわ
王寺 (2650・ 奈良県)王 寺町 や わ らぎ会館 3階
ン
大和郡 山 (2650・ 奈良県)奈 良 プ ラザホ テノ
ン本館 5階
大阪天王寺 (2660。 大阪府)天 王寺都 ホ テノ
ンーム
高松南 (2670・ 香川県)コ トデンそごう10階 バンケットノ
ン
萩 (2710・ 山[I県 )萩 グ ラン ドホ テノ
ン防府 2階
防府 南 (2710・ 山口県)シ ャ ンピアホ テノ
例 会曜 日 0時 間変 更
◆『 友』地 区委員変更 第 2760地 区『 友』委 員 が 、
下記 の通 り変更 に な りました。
吉田
静氏 (名 古屋東南 )→ 種村桂介 氏 (名 古屋栄 )
◆訂 正 『 友』 7月 号横組 み P。 18の 表 中第 2620地 区
の4月 末の平均 出席率 は92.80%、 会 員数 は4,588人 、
よって全 国 は130,807人 、 P.1の 日本 の ロー タ リー
氷見 中央 (2610・ 富山県)第 2例 会のみ 1&30か ら
の数 は130,459人 です。折 り込 みの分布 図中、静 岡県
の会 員数 を1,417人 へ ご訂正 くだ さい。同 横組 み P.
東京杉 並 (2750・ 東京都)9月 の最終例会 は1&00か ら
44第 2680地 区「新 ガ バ ナーの横顔 」中の お写真 。
大会
王寺 (2650・ 奈良県)全 例会 1245か ら
委 員長 の お名前 は若林 光氏 に訂正 いた します。
平成
9年 8月
号
阪神・淡路大震災復興事業報告書
第2680地 区 (兵 庫 )パ ス トガバ ナー
田中
毅 (芦 屋川)
当地 区 を直撃 した阪神 ・ 淡路大震災 か ら、 はや 2
まざ まな事業 が、 ロー タ リア ン、 イ ンター・ ロー タ
年半 が過 ぎました。 その被害 は淡路 島、神 戸市、阪
ー アクター 、専従 スタ ッフ、 その他多 くのボ ラ ンテ
神 全域 に及 び、死 者6,394人 、負傷者 40,071人 、家屋
ィア に よって実施 されて い ます。
全壊 103,934戸 、半壊 136,096戸 とい うみ ぞ うの大惨
子 どもの家 を中心 に した被 災者 (児 童 )支 援 の主
ン・ ヘ ノ
ンス・ ケ アを中心 とす
な活動 として、 メ ンタノ
事 とな りました。
震災 直後 か ら、国内 は もとよ り全世 界 の ロー タ リ
る治療 的 プ ログ ラム、ボ ランテ ィア指導者養成 プ ロ
ア ンの皆 さ まか ら温 か いご支援 を賜 りました こ とを
グ ラム、広報啓 もう活動 な どの ほか に、被災児童 に
心 か ら感謝 しつつ 、地 区内全会 員が一 九 となって復
レ「ン・ ミゼ ラブル 」 の上演、楽 団
よる ミユー ジカノ
旧か ら復興 に向 かって 努力 してお ります。鉄道、港
の演 奏指導、本 工 教室、 自由遊 び、 い もは り大作 戦、
湾、幹線道路、 公共 の建物 な どは一応修復 が終 わっ
ワイ ワイ まつ り、 もちつ き、 もみの木 の ひろばの諸
て、昔 日の面影 を取 り戻 した ものの、 いっ たん幹線
道路 を離 れ る と更地 とバ ラ ックが 目立 ち、 い まだ に
活動、 ロー タ リー少年少女 キ ャ ンプヘ の派遣 、高知
県 室戸 岬 へ の キ ャ ンプ、サ ッカ ー観 戦、映画鑑 賞
『金
62,323人 の人た ちが34,624戸 の仮設住宅で不 自由 な
生活 を余儀 な くされて い るのが現 実の姿で あ り、町
ン草原 自
色のク ジ ラ』、木下 大サ ーカ ス見学 、モ ンゴノ
へ
転車 ツアー、被災 家族 のボ ランテ ィア派遣、七 草
全体 が かつ ての活力 を取 り戻 す 日の遠 い こ とを実感
摘 み と七草 が ゆバ スツ アー、み んなお いで よ 春 ま
して お ります。
つ り、東条義子 さんの お話会、 お絵 か き会、大倉山
仮設住 宅地域 との交流 、不登校児童 の フ リー スペ ー
全世 界の ロー タ リア ンか らご奇贈 いただ いた義援
金 を有効 に活用す るために、直 ち に地 区震災復興 委
ンの震災復興事業 と連携
員会 を組織 し、 ク ラブ レベ ノ
.′
ス、不登校児 を持 つ 親の ためのカ ウ ンセ リング 、音
しなが ら、今 日まで一連 の事業 を進 めて まい りまし
楽劇『 美男 におわす八尾地蔵』 の練 習 と公演 、貝 を
いっぱ い採 ろ う会、子 どもの家設 置 な どの広範 な活
た。仮設住 宅が解 消 され る まで には、 まだ相 当の 日
動 を実施 しました。
時 が かか るこ とが予測 され、 それ に対応す るた めに
ンして、最終
義援 金 の中か ら約 2億 3,000万 円 をプーノ
妻、ジアイ元RI会 長夫妻、カパ ラス元 RI会 長 をは じ
的 な事業 に備 えてお ります。大 変遅 くな りましたが、
め、多 くの方 々が この施設 を見学 され ました。
現 在進 行 中の もの も含 めて、震災 直後 よ り現在 まで
日―タリー・フレンドシップ 。
ノヽ
ウス (留 学生の家
の 震災復興事業 の概 要 をま とめ ましたので ご報 告 申
し上 げ ます。
ロー タ リー 子 ど も の 家
なお、キ ンロス RI会 長夫妻、ブ ラウン元 RI会 長夫
)
震災で住 居 を失 った留学生 の収 容施設 として、神
戸 YMCAの 敷地 内 に ロー タ フア ン、 ロー ター アク タ
ー 、 イ ンター アクター等が 自 ら汗 を流 して建設 した
神戸 市 中央 区内の真生塾の敷地 内 に、 ロー タ リア
施設 です。 なお、留学 生以外 に もボ ランティアや ス
ン、 ロー ター アクタ ー 、イ ンター アクター等の動労
タ ッフの受 け入 れ施設 として も活用 されて い ます。
奉仕 に よって建設 した施設 です。 当初 は震 災で親 を
亡 くした子 どもの収 容施設 として設立 され ましたが、
現在 は被災地域 の仮設住宅居住者 や児童 を対象 にさ
30
同額補助金制度
ロー タ リー財 団の同額補助 金 を模 して、 ク ラブ レ
1997 VOL.45 NO.8
ベ ル で 震災 復興 事業 を行 って い るク ラブ に、地 区 か
よび阪神間の 10大 学 が この ネ ッ トワー ク に加盟 し、
らほぼ │!]額 の補助金 を支給 す る制度 です。 19ク ラブ
西宮、西宮 甲子園、西宮夙川 RCが 中心 になって運
の 事業 に対 して約8,600万 円の補助 金 を交付 しま し
た。 なお、地 区内の 多 くのク ラブが 、 クラブ独 自の
営 に 当た って い ます。
財源 や ク ラブ レベ 7t/で 受 け取 った義援 金 を活用 して、
建築技 能 アカデ ミー
独 自の震災復興活動 を実施 して い ます。
震災復興 のた めに必要 な町の建 築技能者 を短期 間
ンダー科 、 イ ンテ リア
に養成す る学校 で、 ハ ウス ビノ
西 宮 学 生 ボ ラ ンテ ィア 交 流 セ ン タ ー
ンブ ロ ック科 、 ドロー イ ング科 、
ク ラフ ト科 、 タイノ
この 震災 にお いて特記す べ き もの に、ボ ランテ ィ
CAD科
アの積極的 な活動 があげ られ ます。震 災時 に登録 さ
な どがあ ります。受 講生 には震災で失職 し
た人、 中高 年 の 転職 。再就職希望者 に交 じって若者
れた学生ボ ランテ ィアのデー タを、今後有効 に活用
の姿 も目立 ち、すで に 2期 生 が それ ぞれの課程 を終
す るため に設立 されたセ ンター で、阪急西宮 北 口に
事 務所 を設 置 し、 イ ンター ネ ッ トを活 用 してボ ラン
了 して、実社会 で活躍 中です。神戸、阪神 間の ロー
タ フア ンが 中`じ ヽ
に なって設立 、運営 にあたって お り、
テ ィア1青 報 の収 集や提 供 、学 生ボ ランテ ィアの追加
多 くの会員が その職業経験 を いか して講師 としてボ
登録・ 派遣 な どの業務 を行 って い ます。西宮市 内 お
ランテ ィア活動 を して い ます。
阪神 。淡路大震災義援金収支明細書
自
95.│ 17-95.6 30
国 内 義 援 金
海 外 義 援 金
761′ 649′ 109
54′ 147′
100
413′
742
利 息
前 年 度 繰 越 金
921′
549
計
831′ 131′
500
そ
預
他
の
14′
金
95 1.17-95.6 30
被災クラブ見舞金
救援物資購 入費
フレン ドシップハ ゥス
子 どもの家建設・ 運営費
米 山奨 学 生 支 援
留 学生支援 の会
復 興 映 画 祭
青少年 ツアー補助
がんばれ兵庫 つ子
その他復興活動費
「その時 ロー タ リーは」
記録誌発行費
マ ッチ ド・ プラン
34′ 000′
6′
000
95.7 1-96 6.30
20′ 511′
457
048′
616
4′
247,081′ 400
出
小
計
計
19975.31
計
782′
121′
364
413′
742
842′
585
856′ 733′
973
│′
519′ 502′
231
286′ 246′
205
544′ 983′
340
286′ 367′
569
95.7.1-96.6 30
2′
000′
96.7 1-97.5.31
000
100′ 227′
983
160,566
58,317,080
14′
921,036
計
36′
000′
000
6′
440′
357
347′
309,383
今 後 の 運 営資金
を含 む
2′
800′
000
2,800,000
3′
300′
000
3′
300′
000
6′
947′
000
6′
947′
000
│′
500′
000
│′
500′
000
3′
001′
641
3′
001′
641
│′
795′
946
2′
258,718
4′
762′
925
462′
772
4,762′ 925
86′
046′
380
86′
046′
380
70′
000′
000
70′ 000′
000
建築技能アカデ ミー
設立および運営資金
差引次年度繰越金
至
96 7.│-97.5.31
440,357
学生ポ ランテ ィア
交流 センター設立資金
支
1995117
50′ 000′
000
50,000,000
269
258′ 737′
135
50′ 000′
000
620′ 366′
404
519′ 502′ 231
286′ 246′
205
236′ 367′
569
236′ 367′
569
500
544′ 983′
340
286′ 367′
569
856′ 733′
973
311′ 629′
831′ 131′
(単 位 =円
平成
9年 8月
号
37
)
1997-98年
度
国 際 ロ ー タ リ ー 在 日 委 員
(順 不卜
]、
敬称略 /1997117月 1日 現在 )
RI理 事
竹山
涼 ― (本 L幌 南)
ン
・ア ドバ イザ ー
ロー タリー財団管理委員会委員/1999年 国際大会委員会 スペ シャノ
定 男 (鎌
倉)
RI理 事エ レク ト
蔵並
′
卜谷
隆 ― (京
都)
アジア拡大委 員会委員/1998年 国際大会委員会委員
伊藤
義郎 (本 L 幌 )
ロー タ リー100年 史委員会委員/選 挙審査委 員会委員/ポ リオ・プラス広宣部 メンバー 菅 野 多利雄 (塩
釜)
鎮 雄 (神 戸 西)
地区区域検討委員会委 員
今井
職業奉仕委員会委 員/国 際ポ リオ・プラス委員会委員
中島治 ― 郎 (泉 大津)
青少年交換役員企画会議委 員会委員/西 太平洋地域 ポ リオ・プラス委員会委員
人間尊重推進 グループ ア ドバ イザー
平岡
Zone l:辻
ZOne 3:盛 田
Zone 2:高
和 昭 (名 古屋) Zone 4:岡
兵 吉 (秋
田)
正 己 (羽
衣)
野孫左 ヱ 門 (甲 府 )
俊 ― (鹿 児島)
村
・ゾー ン・コーデ ィネー ター
レープ ゾー ン・コーデ ィネーター/ア シスタン ト
識字・計算能力向上 グノ
Zone l:重 田
ZOne 3:菅 生
政信 (高 崎北 )
Zone 2:岡
浩 三 (大 阪北 ) Zone 4:須
(ア
全宏 (横 浜南 )
崎
之 内淳 二 (松 山西)
・ゾーンコーディネーター)
シスタント
会員教育 グループ コーデ ィネーター
Zone l:田 口
ZOne 3:深 川
良 ― (盛 岡北 )
純 ― (伊
Zone 2
宏 (東 京銀座 )
末永
直行 (福 岡西)
丹)
ン
・コーデ ィネーター
・ジェネラノ
会員増強・拡大 グル プ アシスタン ト
ン プ コーデ ィネータ
会員増強 。
拡大 グノ
Zone l:石 原
ZOne 3:小 谷
丸山
敬 士 (鹿
沼)
隆 ― (京
都)
Zone 2
岡 島哲 之助 (甲
府)
ン プ コーデ ィネータ
貧困・飢餓救済グノ
Zone l:田 口
ZOne 3:二 橋
良 ― (盛 岡北 )
Zone 2
貞雄 (八 日市 ) Zone 4
ポ リオ・プ ラス・パー トナー・プ ログ ラム メンバ ー
レープ メンバー
ポ リオ・プ ラス国際推進 ア ドホ ック・グ′
進 (り ll崎 北 )
津田
保 (岡 山南)
中島
紫野
巌 (東 京 日本橋 )
服 部誰 次郎 (東 京銀座 )
レープ
恒久基金 日本研究グノ
都)
平岡
正 己 (22 衣 )
堀場
小谷
隆 ― (京
都)
丸山
岡 島哲之助 (甲
府)
奥村
周 ― (塩
釜)
玉村
文夫 (東
榮 (横 浜東 )
富永
雄 幸 (佐
子)
山本
茂生 (出 雲南 )
菅原
谷口
山本
淳 正 (逗
宏 (東 京銀座 )
中村
昌平 (東 京北)南 部
孝 (神 戸西 )
進藤
和 行 (旭
京)
田村
俊 久 (高 知東 )田 中
作次 (八
潮)
島)山 道
昭彦 (藤
沢)
作 次 (八
潮)
世保南)渡 辺
ロータ リー財団学友諮問グループ アジア地域 メンバー
斎藤
好政 (児
隆 (日
川)紫 野
平岡
裕 (東
金)
巌 (東 京日本橋)
立)
田中
´
正 己 (羽 衣 )玉 村
菅 野 多利雄 (塩 釜 )千
紫 野 巌 (東 京 日本橋 )田 中
アジアお よび太平洋i合 岸地域担 当メデ ィア。リエ イゾン
1997年 国際 ロー タ リー研修 リーダ ー
敏雄 (足 利束 )
和 昌 (豊
1997-98年 度 ロータ リー財団地域 コーデ ィネーター
1999-2000年 度 RI会 長指名委員会委員
橋 )板 橋
石川
雅 夫 (京
作 次 (八 潮 )渡 辺
秋山
文 夫 (東 京)
宗室 (京 都 )
好政 (児 島)
一 (東 京調布 )
文献邦訳諮問委員会委員 佐 藤 千壽 (東 京東 )。 近 藤 正 夫 (東 京城北 )。 津 田 進 (り ll崎 北)。 土屋 亮平 (松 戸)
32
1997 VOL 45 NO.8
5 8日、 ス コ ット ラ ンド ・グ ラ スゴ ー で開か れ た 。
第 8回 。RI年 大 会 は、
次
6
∼
月
8
1
︲
一三 二カ国 、 二万 三 五〇 二人 ︵
仮集計︶
が参加 。 日本 は、米 国七九 一九 人 、英 国 四六 九 三人 に つい で、
二人人 四人 であ った 。
開会式を除き、主会場のスコティッシュエキジビジョン、協議会場コンコース
ジアイRI会 長 (左 )と セ
リア夫人のポール・八リス
とジーン夫人への表敬番組、
後は元R!会 長夫妻
キンロス会長エレク トの
家族の紹介
開会式のアイブロックス・ スタジアム
八イアット事務総長
エレクトのアナウン
スメント、左はジア
イ会長
平成
9年 8月
号
竹山涼― RI理 事エ レク ト夫妻の紹介
開会 式 前の ガバ ナー
パネル討論会 「将来のポランティア奉仕の意義」
ライオンズ、キワニス、シビタン、ソンタの各奉仕団体の
リーダー (左 から)が ジアイ会長 (左 端)の 質問に答えた
会員増強表彰は日本からは 4地 区、左から2590、
2540、 2630、 2610地 区のガバナーノミニー
大会 SAAの 板橋敏雄 PG
(右 から 2人 目)
未来を築 く研修会の 「12)奉 仕のパー トナーを
通して指導者の育成」のパネ リス ト、河合良・
青少年交換連絡委員会事務局長 (右 )
切手の親睦グループのプース
大会記念ス コッチウィスキーはいかか
1997 VttL 45 N0 8
難聴者支援活動に
IFOS事 務局長が感謝
P,W.ア ルバーチ国際耳鼻咽喉科学会連合 (IFOS)
事務局長が、5月 24日 大阪、26日 長崎、23日 東京で、
日本 回―タ リアンの難聴者への支援、協力に対 し、感
謝の意を表明 した。この活動は、Y.P.カ プア・ ミシガ
ン大学教授と鈴木淳―・ 帝京大学教授 (現 H ea「 ing
l nternational会 長 )が 東京国分寺 RCで 、東南ア
ジアの難聴児救済 に関する卓話を行 ったのがきっか け
で、第2750地 区 (1990-91年 度秋山一ガバナー)か 442
万円をジャカルタの耳のセンター開設のために寄付 し
`
たのが最初。第2750地 区では 6年 継続 され、その後、
仙台、四国、大阪、九州な どの各クラブで支援 してい
PWア ルバーチ事務局長が
組織や活動について講演
IFOSの
秋山一 PGが ロータ リーの
活動を例を挙げて説明
る。 (写 真は東京の国際文化会館で)
講演に先立ち、鈴木淳―教授が
アルバーチ事務 局長を紹介
昇仙峡グリーンガー ド作戦
甲府 7RC(D2620)で は、年間約300万 人の観光客が訪
れる昇仙峡の景観の主役 「松」を松 くい虫から守ろうと、甲府市 と
地元諸団体との協賛で、3年 間、「昇luJ峡 グ リーンガー ド作戦」を実
施 した。毎年会員 l人 1本 の松枯れ予防剤アンプルを負担 し、予防
効果の高い 2月 下旬か ら 3月 上旬に、専門技術者の指導の下、樹幹
注入の作業を行い、
樹齢 100年 から250年 の赤松約450本 を松 くい虫か
ら守 った。 2年 目には、 ローターアクター も参加 した。
3月 16日 、岡島哲之助 PGを 実行委員長 に、甲府市長、
地元諸団体
らと、合同奉仕終結記念式を開催 し、モニュメン トの除幕を行った。
山梨県
モニュメン トをはさんで、右に山本栄彦
甲府市長、左は岡島哲之助 PG
松枯れ予防剤アンプルを樹幹注入する会員たち
:■ 9句
'8サ
ll
●再発 見 日本 の心 京都 山科 (D
2650)で は、3月 9日 、池坊会館
「再発見
で、 RACの 協 力 も得 て、
己氏 の
日本 の心 」 を開催。池坊 由糸
講演、古典 芸能鑑 賞、 そ して生 け
花 や陶芸の体験教室 を行 った。会
員 ほか、 家族、留学生、― 般か ら
。
多数 が参 カロ
②
lM開 催
長 野県
(D2600)で は、 3月
分区
岡谷 エ コー
23日 、諏言
方
:Mを 開催。 テー マ は「 い ま
行動 を通 して 一小 さな命 を育 てよ
う」。講演「 自然 と共生 す る技術 」
や小 鳥 の巣 箱 づ くり (250個 )な ど
を行 った。また、全 会員 388人 に ミ
ズナ ラの苗木 を配布 した。
O交 通安全 の 呼び か け
北海道
遠軽 (D2500)で は、 4月 9日 、
町の交通安全街頭啓発 に、会 員 17
人が参加 し、運転手 に呼 びか けた。
●老 人 ホ ーム に鉢植 えを寄贈 新
潟県 柏 崎東 (D2560)で は、3
月 3日 、特別養護老 人 ホー ム「む
つみ荘」 と「か しわ荘 ]に 、 それ
ぞれ花 の鉢植 え 15個 を贈 った。
O漢 字 の文化 交流
岐阜県 中津
川 中 (D2630)で は、 さきごろ、
姉妹 クラブ 。新荘 RC(台 湾 )の
創立 20周 年 を記念 して、共 同 で、
「 日台学生書道大会」 を中津川市
で開催。小学 5年 生 か ら高校 3年
生 までの 130人 が参加 した。
Oク
ヌギ な ど200本 を植 樹
神奈
藤 沢北 (D2780)で は、3
月 14日 、地球環境保全 の 活動 と し
て、 藤沢市役所 の協 力 を得て、市
川県
内 山林 に、 クヌギ、 カキ、 ク リの
苗木 200本 を植 えた。
36
1997 VOL 45 NO.8
0
0カ
ンボジアの 小学校建設 を支援
千葉県
浦安 (D2790)で は、 チ ャ
リテ ィー ・ ウオー クの 収益 金の―
部 を 「カ ンボ ジ ア に 学 校 を贈 る
2∼ 27日 、 開校
したばか りの 小学校 を視 察 し、 児
会」 に寄付 、2月
童 に文房具 を手 渡 した
Oネ パ ール に学校建設資金 を寄付
東海 (D2820)で は、2
月22日 ∼ 3月 2日 、創立 0周 年 を
記 念 して、 ネ ハ ー ル の ブ ロ ダー
茨城 県
デ ィン村 を、坪 会長夫妻 と会 員 2
人 で訪 間 し、村長 に学校 建設資金
NABARI
JA RAN
を手渡 した
,'
0デ ンマー クの合 唱団 と交流 三
重県 名張 (D2630)で は、3月
ヽ
〈
〔
:
/4
29日 ∼ 4月 4日 、 テ ンマー クの エ
ど'J
スベ ル グ少女合唱 団 と レブル ・ オ
=‐ 1'
グクラ ト楽団 を招 いて、会員宅 に
ホー ムステ イ して もらい なか ら、
「国際交流 コンサー トJを 開催 し、
地域 の人 々に絶賛 され た
⑩ フナ を放流
大阪平野 (D2660)
では、3月 3日 、 きれ い な大和川
を取 り戻 そ うと、小学生、幼 稚園
児、保護者、会員 な と約 300人 で、
フナ3,000匹 を放流 した 多数 の 報
↑″l・
道機 関が取 り上 げた
i
妻 馬
でき,
0春 木川 を清掃
大阪府 岸和 国
岸和 田北 (D2640)で は、3月 6
日、春木川 をよ くす る市民 の会 と
清掃奉仕 した
⑫ 城 跡 を清 掃 長 崎 県 松 浦 (D
2740)で は、3月 28日 、松浦 党IFF
谷城 跡で、草刈 り、空 き缶拾 い な
との清掃 を行 った 会員4人 参加
た 、イ ト
│
⑬吉 野 山に山桜 を植樹 奈良県
橿原 (D2650)で は、3月 20日 、
創立 40周 年 を記念 して、桜 の 名所
の吉野 山に山桜 の 苗本 を植 えた_
イ ンター ・ 回― ター アクター も多
数参 /1qし た
0ソ
メイ ヨシ ノを植樹
長 崎県
大本
寸 (D2740) では、 3 月18日 、
ホール・ ハ リス没後 50周 年 を記念
し、市長 の参加 も得 て、 2世 紀 に
向け て2本 の ソメイ ヨシノ を池田
半に植 えた
湖田
⑮新種 の 陽光桜 を植樹 大阪府
堺清陵 (D2640)で は、4月 1日 、
女性 会員 の協 力て、新種 の 陽光桜
7本 を、堺市車 之町土居川公 園 に
植 えた
,
① ラムサ ール条約登録記念植樹
新潟西 (D2560)で は、3月 27日 、
区域 内の佐 潟公園 が ラムサール条
約 の登 録湿地 とな った こ とを記念
して、桜 の 苗木 0本 を会員総 出で
植 えた、
0公 園 に植 樹
岐阜県
2630)で は、3月
3日
不 破 (D
、環境保全
活動 と して、神 田西公 園 に約
のハ ナ ミスキ30本 を植 えた
2m
①身障児 を八 角親方 の 卓話 に招待
大阪府 堺 中 (D2640)で は、3
t設 「堺 あけ
月 2日 、 身障者授産力
ぼ の 園」 の 児童 と父兄、職 員 を招
き、 八 角親 方 (元 横絹北勝海 )の
卓話 「若 人 に夢 と自信 を IJと 会
食 て交流 を図 つた
1997 VOL 45 N0 8
①保育所 に落書 きボ ー ドを寄贈
二 重県 名張 中央 (D2630)で は、
さきこ゛
ろ、名張市 と青 山町の21保
育所 に、情操教育 の一助 になれば
と、落書 きボー ドを寄贈。市長 と
町長か ら感謝状 を受 け、 また地元
マス コ ミに大 き く取 り上 げ られた。
⑩小学 6年 生作 文 コンクール
大
阪南 (D2640)で は、2月
23日 、第 2回 「新世代 の ための小
阪府
学 6年 生作 文 コンクール 」 の作 品
発表 と、北尾 倫 彦 ・ 京都女子大教
授 の講演会 「これか らの教育 と子
育 て」 をイ
テった。
ORYLA愛
刈 谷 (D
5∼ 16日 、「地 区
知県
2760)で は、3月
第 5回 ロー タ リー青少年指導者養
成 セ ミナー (RYLA)」 を美浜少
年 自然 の 家 で 開催 。基 調 講 演「救
え 1地 球 を」 は、国際生態 学 セ ン
ター研 究所長 ・理 学博士 の 宮脇 昭
氏。 受講生 178人 参加会員 204人 。
②子供 た ち と交流
2650)で は、3月
京都 朱 雀 (D
29日 、京都 アス
ニーで、京都教育 大学教育 学部付
属養護 学校 の 子供 たち、保護者、
0
会 員、家族 で一緒 に昼食 を と り、
その後、 ジ ャズオー ヶ ス トラの演
奏、綿菓子 づ くり、輪投 げな どを
楽 しみ交流 した。約 30人 が参加 .
④
lM開 催
静 岡県
2620)で は、3月
伊 東 西 (D
22日 、静 岡第
│
分 区イ ン ター シテ ィー ミィーテ ィ
ング を開催 。長年支援 して い る伊
東市 少年少女合唱団の合唱 と、 み
なみ らんぼ う氏 の講演 を行 った。
② サ ッカー フェステ ィパ ル
山梨
都留 (D2620)で は、3月 8
日、第 1回 「者Б
留 ロー タ リー カ ッ
プジュニアサ ッヵ― フ ェステ′
ィバ
県
ル」 を開催 した。優勝 チー ムに優
勝旗 と金 メ グル を贈 った。
`
F,文 9418月 り
39
⑮市民水 泳大会 埼 玉 県 吉川 イ
ブ ニ ング (D2770)で は、2月 16
日、吉 川市 と共催 で 「市 内水泳大
会」 を開催。小学生 か ら60歳 代 の
選手約 100人 が参加 した。
④柔道 。剣道 大会
福 島県
原町
中央 (D2530)で は、3月 8日 、
原町市 スポー ツセ ンター で、小 中
学生 160人 余 り参加 の 、柔道 。剣道
大会 を開催 した。
0ス キ ー大会で障害者 を援助
北
旭川南 (D2500)で は、 さ
きごろ、第 17回 「旭川 国際 バ ーサ
海道
ー スキー 大会」 に車 いす で参加 の
障害者 を援 助、入賞者 に トロフ イ
ー と記念 品 を贈 った。
①スリランカの RCと 友好提携
豊 田西 (D2760)で は、
さきごろ、 コ ロンボ・ ミッ ドシテ
愛知県
ィー RC(ス リランカ)と 友好 ク
ラブ提携調 印式 を行 った。記念 に
﹂¨一
コロンボ市 に豊 田西 RC奨 学基金
を創設。 同 RCと の 交流 は長 く、
お互 いに援助 を交わ して いた。
0姉 妹 クラブが施設 に寄付 鹿 児
島西南 (D2730)で は、2月 19日 、
第 17回 創立 記念式典 を開催。臨席
した姉妹 クラブの浦項 RC(韓 国)
が、記念 に、市 内の養護施設 「愛
の聖母 園」 に 10万 円 を寄付 した。
⑩麻薬撲滅 キ ャ ンペ ー ン 福 島県
福 島西 ほか県北第 1分 区 5RCで
は、4月 13日 、 」 R福 島駅前歩行
者天 国 で、風船、 チ ラシ を配 り、
麻薬 の 恐 ろ しさを訴 えた。県警音
楽隊、福 島署、福 島保健所 も協賛。
]│『 :‖ 」::‖ :│][lll場 幌;刹
7回
創立記念
1997 VOL.45 NO.8
%
①
① 交通 安全防犯広告塔 を寄贈
各 妊 広
トロ 膚 日 本 阜県
岐
関 中央 (D2630)で は、2
月23日 、創立 20周 年 を記念 して、
関警察署構 内 に、交通安全防犯広
告塔 を寄贈 した。
⑫優良従業員 を表彰
香川県
善
二
一
通 寺 (D2670)で は、 3月 5日 、
日本酪 農協 同帥香川 工 場 で、職 場
訪 間例会 を行 い、4人 の優 良従業
員 を表彰 した。 その後、牛 乳や工
場 の説明 を受 け見学 した。
①
①鳳凰 賞
京 都府
2650)で は、3月
宇 治 鳳 凰 (D
27日 、宇 治 を住
み良 い街 にす るため に貢献 した団
体 と個 人 をたたえ、鳳凰 賞 を贈 っ
た。 5回 目。
04回 目の姉妹 クラブ締結
県
二重
四 日市西 (D2630)で は、 3
月22∼ 24日 、会員 と夫人 28人 で台
湾 を訪 間 し、 新店 RCと 4回 目の
姉妹 クラブ継続締 結調 印式 を開催。
記念 に、 日台幼稚 園児童 の絵画 を
交換。 3月 3日 ∼ 4月 3日 には、
新店市か ら高校生 5人 を迎 え、市
役所訪 間や市 内観 光 を行 った。
① 留学生 ボー リン グ大会
岡 山東
(D2690)で は、2月 22日 、 県内
の 留学生 同士 で交 流 を深め、 また
同 山を もっ とよ く知 って もらお う
と、「留学生 ボー リング大会 」と懇
親 会 を開催 した。
① マ レー シアの 奨学生 とスキー を
大阪府 松原 中 (D2640)で は、
2月 、会員 4人 が、雪の 降 らな い
マ レー シアか いの米 山奨 学生 ・ 楊
良桂 さん と、伊吹 山で 1泊 2日 の
スキー を楽 しんだ。
① ネ パ ール 大使 が 来 訪
(D2780)で
相模 原 北
神 奈川県
は、 4月
2
日、 マ ー テ ィ マ・ ネ ハ ー ル 大使 夫
妻 が来訪 し、 ネ ハ ー ル の 地 形 、 文
化 、 経 済 に つ い て話 した 小 川市
長 と河 本 ガバ ナ ー も臨 席 した
① 公 民 館 に桜 を植 樹
(D2790)で
津 中央
千葉県
富
は、3月
3日 、
創立 30周 年 を記 念 して、 富 津 市 中
央 公 民 館 の庭 に 、 吉 野 桜 0本 を植
えた
① ハ ナ ミズ キ を植 樹
白浜
(D2640)で
和 歌 山県
は、3月 28日 、
ホ ー ル ・ハ リス没 後 50周 年 を記念
して、白浜 町平 草 原 公 国 内 の「 ロー
タ リー の 森 Jに ハ ナ ミス キ 5本 を
1直
えた
① 公 園 に植樹
西
町
(D2780)で
RC(長
神奈川県
横須賀
は、 3月
3日 、 大
0
ネク ラブ
野 県 )と の 姉 女
締 結 と横須 賀 市 制 90周 年 を記 念 し
て 、 衣 笠 山公 □ に 、 大 町 RC、
市
長 、幼 稚 園 児 らを招 き、 オ オヤ マ
桜 な と 3種 1目 の苗 本 を植 え た
① ダ ウ ン症 児 と植 樹
広 島県
福
山東 (D270)で は、3月 6日 、
「 こは と会 │の タ ウ ン症 児 と、 新
設 の 小 学 校 で植 樹 を行 った
5年 ロ
カ ラ オケ も楽 しん だ
⑫彫 刻 を清 掃
北海道
交流
_
洞爺湖
は、4月
日、春 の
「 と うや湖 く
名見光 シー ス ン を迎 え、
(D250)で
る っ と彫 刻 公 同型 の 彫 刻 20基 を清
1尋
した
42
1997 VOL 45 N0 8
①
i iE 2r\ift7 ,,? &,.'fl,ilt
ヨ
臀 水
111
│● .lll出
1ド
フリ
11,IlllJ
ク ノブ
吉福祖協会
rt
⑬古利根川 を清掃
埼玉県
春日
部 (D2770)で は、 3月 30日 、緑
町地 内古利根川河岸 で、恒例 の ゴ
ミ拾 い をイ
テった
c
O小 学校 に清掃用 具 を寄贈
愛知
西春 日井 (D2760)で は、 さ
き ごろ、美化 活動 を実践 して い る
県
西枇杷 島小学校 と古城 小学校 に清
掃 用具― 式 を寄贈 した。
①
①聴 覚障害者 にファクス を寄贈
滋賀県 水 口 (D2650)で は、3
月 3日 、聴 覚障害者 の ため に公衆
フ ァクスを寄贈 。 また他 日、坪 田
地
愛華 ち ゃんの遺作、まんが絵本
I求 の 秘密 _を 22小 学校 に、 さらに、
福祉用具 を製作 す るボ ランテ ィア
の人 々にエ フ ロン を寄贈 した。
① 自動手指消毒器 を寄贈
茨城 県
取手 (D2820)で は、 2月 20日 、
重度精神障害 児施設 「 ときわ 園」
に、 自動手指 消毒器 を寄贈 した。
日常生 活 の訓練 の ひ とつ と して愛
用 されて い る。
● ラン ドセル を寄贈
長野県
松
本東 (D2600)で は、増 田会員の
協 力で、 ラン ドセル を、 3月 22日 、
養 護施設 「木 曽ね ざめ学 園」 に、
27日 、松本 地域 中国帰 国者 自立促
進協会 に寄贈 したて
,
0施 設 を訪間
福 島西 (D2530)で
は、3月 3日 、会員事業所の精薄
者授産施設 「福 島 おおなみ 学園」
を訪 間。作業 を見学 し、激励 した。
イ3
0会 員 100人 突 破
福 島県 郡 山
・ろ、会
南 (D2530)で は、 さ きこ
員増強 の 努 力が実 り、総会 員 03人
とな った。 また、新 クラブ創立や
2年 連続 交換 学生 の 受 け入 れな ど
も行 った。写真 は、親 睦会 での新
会員紹介。
⑩米寿 とダイヤ モ ン ド婚
神奈川
小 田原城北 (D2780)で は、
さきごろ、宮 田正 治会 員 の 米寿 と
県
ダイヤ モ ン ド婚 の お祝 い を した。
ご祝儀 に、坂東流坂 東三 扇 治氏 (長
崎吉 治会員 )が 清元 「梅 の春 」 を
舞 った。
①警察官 を表彰 福 島県 だて西
(D2530)で は、3月 21日 、地域
DAWA
O HOl
の職 業活動功 労者 と して、桑折警
察署地域 課 を表彰 した。
⑫ ボ ラ ンテ ィア活動者 を表彰 大
阪大淀 (D2660)で は、3月 6日 、
北 区ボ ラ ンテ ィア登 録 者 100人 の
うち 8人 を表彰、感謝状 と記念 品
を贈 った。卓話 や フ ォー ラム も行
い、現況 を聞 き、意見 を交換 した。
築 け未来を
J行 動力と先見の眼で
①記 念 事 業 三 重 県 伊 勢 南 (D
2630)で は、 3月 6日 、倉1立 30周
年記念式典 を開催。記念事業 は、
伊勢 度会 RC創 立、伊 勢市 生涯学
習 セ ンター に車 いす 10台 を姉妹 ク
ラブ台東 RC(台 湾 )と 共 同 で寄
贈、米 山奨 学会 と R財 団 に寄付。
① 留 学生 寮 を建 設 鹿 児 島南 (D
2730)で は、米盛庄司会 員が、外
国人留学生 の ための 「宇宿 留学生
寮」(0室 ・ 部屋代 2万 5,000円 )を
建設 し、4月 1日 か ら受 け入 れ を
開始 した。 (タ テ組 み P① 参 照)
念式
投稿 は、 動 きの あ る、 ひ と 目で
活 動 内容 の 分 か る写 真 (カ ラー )
'
ROTARY CLUB
と 100字 程 度 の 説 明 文、 回― タ
リー ・ ア ッ ト・ ワー ク係 あ て
イイ
1997 VOL 45 N0 8
1997-98年 度
地区大会告知 板 I
第 2500地 区 (北 海道東部 )
会
lo月
場
北見 市民 会館
登 録料
会 員 13,000円
申込 先
〒090北 見 市北 2条 東 4丁 目
ビ ッツアー クホ テノ
ン内
〒372伊 勢崎 市今 泉町
1-9-7
榊 泉屋 本店 ニ ュー いづ み 3階
第 2560地 区大 会事務 局
家 族 10,000円
TEL0270-21-2525 FAX0270-21-2527
第 2800地 区
第 2500地 区地 区大 会事務 局
会
TEL0157-23-2286 FAX0157-23-2296
登 録料
第 2540地 区 (秋 田県)
会
申込 先
4∼ 5日
10月 11∼ 12日
場
申込 先
(山 形県)
10月 25∼ 26日
陸上 自衛 隊神 町駐 屯地
会 員9,000円
家族6,000円
〒999-37東 根 市 温泉町 1-11-3
第 2800地 区ガ バ ナー事 務 所 内
本 荘 文化会 館 、 ホ テノンアイ リス
地 区大会 実行委 員会
登録 料
会 員 12,000円
TEL0237-42-3363 FAX0237-42-4040
申込 先
〒015本 荘 市大町 24
場
家族 10,000円
第 2030地 区
第 2540地 区ガバ ナ ー事務 所
TEL0184-24-3008 FAX0184-27-1811
第 2710地 区 (広 島県・ 山口県 )
会
場
登録料
申込 先
場
登録料
申込 先
家族 10,000円
〒036青 森県 弘前市百 石 町 14
第 2830地 区大 会事務 局
TEL0172-39-6622 FAX0172-39-6630
第 2日
会 員 16,000円
家族 10,000円
〒747防 府 市駅 南町 14-33
第 2610地 区
防府 消化器病 セ ンター 内
会
第 2710地 区大 会事務 局
登 録料
TEL0835-26-0105 FAX0835-26-0107
申込 先
(福 島県)
場
ll県
(富 山県・石り
)
25∼ 26日
こ まつ ドー ム
会 員 15,000円 家族 10,000円
〒923イ ヽ
松 市本折 町33
第 2610地 区大会 事 務局
いわ き市平 市民会館
TEL0761-24-1340 FAX0761-24-4700
会 員 12,000円
家族 8,000円
〒970い わ き市平 字 白銀 町 4-13
第 2630地 区 (岐 阜県 。二重県 )
ン2階
第 2不 二 屋 ビノ
バ
第 2530地 区ガ ナ ー 事務 所
登 録料
TEL0246-25-8300 FAX0246-25-8500
申込 先
(長 野県)
lo月
小松 グ ラン ドホ テル 2階
10月 18∼ 19日
会
場
10月 25∼ 26日
鈴鹿 市立体 育館
会 員 12,000円
家族 8,000円
〒513鈴 鹿 市飯 野 寺家 町816
鈴鹿 商工 会議 所 4階
10月 18∼ 19日
第 2630地 区大会 事務 局
場
駒 ヶ根 市文化 会館
TEL0593-81-3043 FAX0598-81-3040
会 員 14,000円
申込 先
〒399-41駒 ヶ根市上 穂栄 町
家族 7,000円
駒 ヶ根 商 工 会館 4階
場
登 録料
9年 8月
3-1
駒 ヶ根 RC内
第 2690地 区 鳥取県・島根県。
岡山県)10月 25∼ 26日
(′
会
場
第 2600地 区大会 事務 局
登録 料
TEL0265-83-0125 FAX0265-82-5364
申込 先
第 2560地 区 (新 潟県・群馬県 )
平成
会 員 15,000円
会 員 15,000円
登 録料
会
申込 先
弘前市民 会館 、 シテ ィ弘前 ホ テノ
ン
第 1日
第 2600地 区
会
場
10月 25∼ 26日
ザ・ グ ラン ドパ レ ス愛 、 防府 市 公会堂
第 2530地 区
会
10月 11∼ 12日
会
登 録料
(青 森県)
10月 25∼ 26日
伊 勢崎 市文化 会館
会 員 15,000円
号
家族 10,000円
倉敷 市民会館他
会 員 16,00o円
家族 10,000円
〒710倉 敷 市鶴 形 1-2-15
ン601
鶴 形 ビノ
第 2690地 区ガ バ ナー事務 所
TEL086-426-2690 FAX086-426-2691
再 び訪れ たキ ュー バ
ウ ィル モ ン・ ホ ワ イ ト
ロー タ リア ン誌 編 集最 高責任者
キ ュ ー バ の首 都 、 ハバ ナ はか つ て は活 気 あ ふ
れ、 そ して優 美 なカ リブ海 の 貴 婦 人の たたず ま
ロー タ リア ン誌 6月 号 よ り
リー ク ラブが再 びfil立 され た ら、最初 の会 員 に
な りた い と願 って い ます。
い を感 じさせ た都 市 で した。今 は荒 れ果 て て い
元 RI会 長 の 力 /t/ロ ス・ カ ンセ コ博 士 や メ キ
ます が 、懸命 に立 ち直 ろ う と努 力 を して い る と
シ コの フ ラン シス コ・ ク ン オ RI理 事 を合 めた、
ころで す。長 年 の、特 に崩壊 した ソ連 邦 か らの
メ キ シ コお よびベ ネ ズエ ラの ロー タ リア ン とそ
支援 を失 って か らの経 済 的孤立 が大 きな痛 手 と
の 配偶 者 た ちが ジ アイ会長 に同行 しま した。 ジ
な って い ます。
しか し、苦 難 や貧 困 に もかか わ らず キ ュ ー バ
ア イ会長 は 「私 た ちの訪 間 目的 は政 治的 な もの
で はあ りませ ん。 われ われの援 助 を、 キ ユー バ
は観 光 客や外 国 か らの投 資 に扉 を開 き、 21世 紀
の 人た ちが必 要 として い るだ けで 来 て い ます。
にお け る新 しい役害Jを 熟 慮 して い る姿 が 、 はっ
彼 らの健 康 、教 育 そ して福利 に積 極 的 な貢 献 を
き りと見 えて きて い ます。
した い と願 って い ます。私 た ちはlllIじ 人間で あ
今年 3月 末 の ジア イ RI会 長 の キ ュー バ 訪 間
は、 ロー タ リー の194011ハ バ ナ国際大 会 (登 録
り、行動 力 と先見 の 眼 で未来 を築 いて いか ねば
な りませ ん」 と、述 べ て い ます。
者 数 3,713人 )に 出席 した米 国 ニ ュー ジ ャー ジ ー
ンター・ ヘ ッ ド会長 以 来
州 テ ィー ネ ックの ウオノ
繰 り返 して い ます。 その 中 の一 人 は、 ポ リオの
で、 キ ュー バ を訪 れ た数少 な い現 職 会長 の一 人
とな りま した。 1916年 、 ハバ ナ は英語 を用 い て
予 防接種 式典 とロー タ リーが支援 して い る浄水
プ ロジェク ト開通 式 の両方 に出席 した、 キ ュ ー
い な い国 で初 めて倉J立 され た ロー タ リー ク ラブ
とな りま した。 以 後、 キ ュ ー バ は58の RCを 持
バ の 保健相 カ ノ
ンロス・ ドッ トレス 博十 で した。
ドッ トレ ス博 士 は、 キ ュ ー バ の 国民 を代表 し
つ ロー タ リー地 区 とな り、 RI理 事 会 に 3人 の
て、 ポ リオか ら子 供 た ちを守 って くれ る ロー タ
理 事 を送 り、 ヨー ロ ッパ が 第 2次 世 界 大戦 の最
「 ロー タ リーの活
リー に感謝 の意 を表 しま した。
中、 RI国 際大 会 のホ ス トを しま した。
ハバ ナ に滞 在 中、 ジア イ会長 はキ ュー バ の全
動 ぶ りを見 せ て い ただ き、 な ん と素晴 らしい こ
幾人 かの政 府 の 公衆 衛生 局高 官 もlrllじ 意 見 を
とか。 あ なた た ちは、 私 た ちの友達 です 」 と、
国予 防接種 日の巡 回 に参 加 し、遠 く離 れ た町 に
ンピ ン
浄 水 を供 給 す るた め の 新 し い R財 団 ヘ ノ
グ ・ グ ラン トを開 設 しま した。 また、 ロー タ リ
ー が キ ュー バ の 人 た ちを援 助 す る、他 の分 野 も
検 討 しま した。 ジ アイ会長 は、 キ ュー バ 最 後 の
パ ス トガバ ナー、 ラモ ン `モ ンゴ 、 グ エ ラに も
会 うこ とが で き満 足 で した。 1958-59年 度 の ガ
バ ナー を務 めた、 グ エ ラ氏 は 「 キ ュー バ は ロー
タ リー を必要 として い ます」 と、語 勢 を強 めて
述 べ ま した。 そ して、 いつ かキ ユ ー バ の ロー タ
イ6
キューバ の全 国予防接種 日に経 ロワクチ ン投与
1997 VOL.45N08
語 って い ます。
17カ 国 で汎米 保 健機 関
(PAHO)の
仕事 を
し、 この 5年 間 キ ュ ーバ 勤 め を して い るマル ク
エ ス博 士 は次 の よ うに話 して い ます。
「 ロー タ リ
ー の提 供 して くだ さった人 道 的 な援 助 の た め、
信頼 を築 くこ とがで きま した。 なぜ な ら、 ロー
タ リー の会 員 が世 界 の どの国 か ら も、駆 けつ け
て来 るこ とが 分 か って い るか らで す。 ロー タ リ
ー は私 た ちの抱 えて い る問題 を理 解 し、 手 を差
浄水 プロジェク トの開通式 でテープカッ ト
し伸 べ て くれ るこ とを示 して くだ さい ま した。
ンを調達 し、R財
ロー タ リー地 区 が 、200,000ド ノ
世 界 か らポ リオ を追放 す るこ とを真 剣 に望 んで
ンとな り
団 が その 50%を 追加 し、合計 300,000ド ノ
ハバ
ま した。
ナ か ら車 で約 3時 間 ほ どの所 にあ
お られ ます」
ロー タ リーの 訪 間 団 は、 医師 や看 護 婦 と打 ち
るヤグ アジ ェイ とい う町 とその近 辺 の 人た ち、
合 わせ を し、病 院 と 3カ 所 の診療 所 で抱 かれ て
15,000人 は長 年 、汚染 され た水 の被 害 を被 って
い る赤 ちゃんや小 さい子 ど もた ち にポ リオ ワク
チ ン を与 えま した。 ロー タ リア ン は、 キ ュー バ
きま した。飲料 水 中の寄生 虫 に襲 われ、成人 も
子 ども も肝炎 、 赤痢 その他 の症 状 を起 こ して い
の 子 ど もた ちの予 防接種 の た め に、世界 保健機
ま した。 ロー タ リーの補助 金 で浄 化装 置 を取 り
地域 支部 で あ る PAHOが 授 与
付 け、浄水 をプ ラスチ ックパ イ プで それ ぞれの
関
(WHO)の
したポ リオ・ プ ラス基 金 を監 督 す るた め に、近
家 に引 き入れ るこ とが で きま した。
年 キ ュ ー バ を行 き来 して い ます。 1990年 にメ キ
シ コの 2つ の地 区 が キ ュー バ で地 区大会 を開 き
「 ロー タ リー プ ロジ ェク トが 来 る まで、町
した。
ま した。 ジアイ会長 もこの 大 会の 1つ に会長代
の人 た ちは、 ひ弱 で、病 気 が ちで した。 働 け な
理 で 出席 して い ます。 ロー タ リー の こ とを覚 え
い人 も多 か った し、亡 くなった人 もい ます。 こ
て い る人 に会 った り、 実 に アベ ニ ダ 。ロー タ リ
れが新 しい出発 とな り、町 の 人た ちは微笑 んで
ア (ロ ー タ リー通 り)と 名 付 け られ た道 を も発
い ます。私 た ちは ロー タ リー の こ とを よ く知 り
見 しま した。
ませ んが、大 変尊敬 し、感謝 して い ます」
キ ュー ′゛
滞 在 中、 ロー タ リア ンた ちはユ ネ ス
汎米 で ポ リオ を防 止 す るた め に、 ロー タ リー
はメ キ シ コ 。モ ン テ レーの カ ンセ コ元 RI会 長
ン・ レ イエ スは感激 して い ま
町長 の ラフ ァエノ
が 委 員長 を務 め る、 メ キ シ コ全 国 ポ リオ・ プ ラ
コ世 界 文化遺 産 として、現在 、徹 底 した修 理 が
行 われて い る歴 史的 に有 名 な古 いハバ ナの町 を
ス委 員会 を通 じて、経 ロワクチ ン、社 会動 員 お
訪 れ ま した。 こ こには博物 館 、教 会 、城 、記 念
よび監 視 のた め、5年 間 に わた る米 貨600,000ド
碑 そ して繁盛 して い るマ ー ケ ッ トが あ ります。
ル の 補助 金 を提 供 して い ます。キ ュー バ は、1960
今 回の ロー タ リー訪 間 は、 メデ ィアで大 き く
年代 の初 頭 以来、 ポ リオの発症 例 はあ りませ ん
が 、 ヨー ロ ッパ や ア フ リカ か らの観 光 客や移 民
取 り上 げ られ ま した。 ジ アイ夫妻 は、 テ レ ビ、
ンスが 完
が 急激 に増 えて い るので 、 ポ リオ ウイノ
ュ ー を受 け ま した。
「月 に着陸 した とき、一 人 の
全 に除外 され る まで、 危険 な状 態 にあ る と考 え
人間 に とって は小 さな一 歩 にす ぎな いが 、 人類
られ て い ます。
浄水 プ ロジェク トは、 ロー タ リー の な い国、
に とって は巨大 な飛躍 と言 われ て い ます。 同 じ
よ うに、 今 回の キ ューバ 訪 問 も、私 た ちに とっ
また は地元 の ロー タ リア ンにスポ ンサ ーが 見 つ
て は小 さ な一 歩 で すが、 ロー タ リー に とって は
ラジオ、新 聞 の ジ ャー ナ リス トた ちの イ ンタ ビ
か らな い場 合 、 ロー タ リー 支援 を可能 に した、
大 きな躍 進 で した。今 日が、私 た ち に とって大
ンピング・ グ ラン トを通 じて実
新 しい R財 団 ヘ ノ
現 しま した。 カ ナダ 、 メ キ シ ヨ、 ベ ネ ズエ ラの
切 な 日で す」 と、 ジ アイ会長 はあ る ンポー ター
に言
1時 のものです。
吾って い ます。(RI指 定記事)役 職は■
平成9年
8月
り
47
◆ クラブ関係 ◆
1997∼ 1998年 度 R財 団国際親善奨学 生のための留学
徳島 (D2670・ 徳島)
関責 。大宮西 (D2770。 埼 玉 )
60年 史
ロー タ リーの心
D2780(神 奈 川 )G事 務所
の手引 き
ンー プ派遣報告
1996∼ 1997年 度第 1050地 区 へ 研究 グノ
ロー タ リー理解 の た めの 年表
稲葉 八朗 。松戸 (D2790・ 千葉 )
D2780(神
書
奈川 )G事 務所
職業奉仕 ―事例集 -1996∼ 1997年 度
扶輪 台湾 65年 史記 1931-1996
呉 (D2710。 広 島 )
扶輸 出版委員會 (台 湾 )
ンミッシ ョン
ポ リオ・ プ ラス (WCS)ネ パ ーノ
・
・
D2650(福 井 滋賀 京都・ 奈 良 )G事 務所
東 京交歓会 二 十周年誌
福 島 (D2530・ 福 島 )
創立 30周 年記念誌
身延 (D2620。 山梨 )
1996∼ '97年 度地 区協議 会記録誌
1996∼ 1997年 度地 区大会報告
D2720(熊 本 。大分 )G事 務所
D2500(北 海道 東部 )G事 務所
ンビア(D2750。 東 京 )
ふれ あって10年 東 京町 田サノ
ンフ全 国大会
10周 年記念誌 日本 ロー タ リー親睦 ゴノ
マ
・
お
はな
し
きの
サ リー 職業奉仕 とって
D2650(福 井・ 滋賀 。京都 。奈 良 )G事 務所
奉仕知行¢J立 45周 年記念誌)岡 崎(D2760。 愛知)
やまびこ第24号 (広 報機関紙)、 温流第24号 (交 通対
新千葉 (D2790。 千葉 )
策機関紙 )
那智勝浦 (D2640。 和歌 山 )
35年 の歩み
広 島南 (D2710。 広 島 )
創立 40周 年記 念誌
岸和 田東 (D2640。 大阪 )
二 十周年記念誌
◆ ロー タ リア ンの 著 書 ◆
道 ばたの うた
多治見西 ク ラブ 古庄 五生
A4判 196ペ ー ジ
2,000円 (消 費税込 み・ 送料 450円 )
〒500岐 阜市須賀 1-1-5
サ ンメ ッセ帥企 画 出版部
道
塩 釜 ク ラブ
非売品
〒985塩 釜市玉川3-6-13
菅野多利雄
竹輪 の 頭 は どっち !?
長野西 ク ラブ 清水 匡杜士
A5判 255ペ ー ジ
1,500円 (消 費税別・ 送料 300円 )
〒150渋 谷区恵比寿南3-1い 1■214
。
111メ タ ブ レー ン出版事業部
T E L058-274-5011
T E L022-367-3711
T E L03-5704-3919
月
刊
B5判
菅 野多利雄
420ペ ー ジ
0月 号 1997年 7月 31日 印刷 1997年 8月
ロー タ リーの 友
1日 発行
ロ ー
タ
リ ー の 友 委 員 会
委員長 パストガバナー 秋 山 一 (東 京調布) 副委員長 パストガバナー 森 二郎 (寄 居)
特別顧問 湯浅恭三 (東 京)上 野 豊 (横 浜)加 藤進治 (横 浜)高 野孫左 ヱ門 (甲 府)板 橋敏雄 (足 利東)
顧
間 岡本禄太郎 (涌 谷)吉 田昭平 (村 上)松 本 宏 (半 田)三 宅洋三 (高 松)田 村健治 (米 子
常任委員 林 ―子 (横 浜あざみ)村 松演代 (東 京田園調布)木 村卓司 (鴻 巣)中 西平四郎 (神 戸)監 事 北村告弘
)
地 区委 員
第2500地 区
第2510地 区
第2520地 区
第2530地 区
第2540地 区
第2550地 区
第2560地 区
第2790地 区
第2800地 区
第2810地 区
第2820地 区
第2830地 区
滝 沢
芹 田
藤 原
長 内
佐 藤
坪 内
近
成 田
横 尾
近 野
粕 谷
鈴 木
英二郎 (北 見 東)第 2570地 区
馨 (札 幌 西)第 2580地 区
孝 人 (盛 岡 北)第 2590地 区
嘉 文 (tヽ わき平)第 2600地 区
荘)第 2610地 区
秀 男 (本
生)第 2620地 区
馨 (高
弘 (新 潟 東)第 2750地 区
田)第 2770地 区
敷 正 (成
根)第 2780地 区
昭 男 (東
兼 史 (仙 台 泉)第 2630地 区
河)第 2640地 区
栄 市 (古
正五郎 (弘 前 東)第 2650地 区
正 田
加 納
鈴 木
等 々力
岩 谷
小 林
原
星
三
衣
倉
砂
谷)
秀 雄 (深
達 男 (東 京浅草)
― 男 (横
浜)
正 敏 (松
本)
松
泰 州 (小
聴―郎 (甲 府城北)
康 (東 京調布)
野 和
武
斐 信
橋
山 憲
)
央 (浦 和北東 )
野)
力 (秦
行 (鈴 鹿 西)
祐 (和 歌 山)
― (京 都洛中)
第2660地 区
第2680地 区
第2690地 LX
第2760地 区
第2670地 区
第2700地 区
第2710地 区
第2720地 区
第2730地 llX
第2740地 区
中
山
井
種
武
藤
宮
吉
平
矢
谷
本
上
村
市
本
田
田
岩
次
(東 京)
里)
良 恭 (千
田)
光 洋 (三
敷)
隆 夫 (倉
桂 介 銘 占屋栄 )
知)
雄 次 郎 (高
健 八 (福 岡 南 )
府
幸 博 (防
分)
四 郎 (大
七 朗 (西
都)
保 夫 (佐 世保南)
)
編集長 別所直責 (東 京みなと)編 集スタッフ 浅見勇 二神典子 熊谷直樹 稲川や よい 烏羽千枝子 LLl際 関係 川部lll司
英語版・編集長 鷲巣 きく子 スタッフ 藤本民子 経理 後藤和 子 日原陽子 三 島恵 鈴木弥寿子
『友』
編集顧問 谷岡清
ロータリーの友事務所 〒105 東京都港区芝公園 2-6-3(abc会 館 8階 )電 話 (03)3436-6651 FAX(03)3436-5956
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印刷 大 日本印刷帥 表紙印刷 半七写真印刷工業い
定価200円 (消 費税別・ 送料別
)
ロータリーの友事務所までお知らせください
落丁本・乱
「 本は
イ8
1997 VOL.45 NO.8
地震 ・雷 ・火 事 ⋮ ⋮
古来、 ﹁
雷 ﹂ は怖 いも の ラ ンキ ング の堂 々
二位 を占 め てき た 。雲 行 き が怪 し くな った途
端 、 日 のく ら む よ う な 閃 光 と とも に、 耳 を つ
んざ く大 音響 を轟 かせ る雷 ︱ 。 時 には、 ひと
抱 えもあ る大木 を真 ッニ つに引 き裂 く そ の底
力 は、 尋常 でな い。 これ は ″神 鳴 り ″だ、 と
も に結 構 重 用 し て、 中 国 や 日本 への出 張 にも
表 紙 を ご覧 いた だ き た い。 片 や中 国 の奥 地 、
連 れ て来 た ほど であ る。
砂 漠 の大 ギ ャラリ ーと言 わ れ る敦 建 石窟 第 二
四 九窟 の壁 面 に描 かれた ﹁
雷 神 図﹂。 風神 と雷
神 は 風袋 と 太 鼓 を 持 ち 、 規 定 通 り の姿 を し て
。 六世紀 中 ごろ の作 。
いる ︵
挿 図上 ︶
一方 、 金 地 の空 で雲 に乗 って大 見 えを 切 っ
日 に見 え な い神 の存 在 を 感 じ る。 そ の最 も身
人知 を 超 えた 大 き な 力 に出合 った時 、 人 は
日 、 足 を 開 いて宙 を 飛び 、 周 り に太 鼓 を 巡 ら
せた 姿 は、 ど う 見 ても瓜 二 つ。宗 達 の絵 を 先
カ ラ フ ルだ が 、怪 物 のよ う な顔 立 ち 、 大 き な
画 家 俵 屋宗 達 の﹁
雷 神 図 ﹂。 琳 派 と いう装 飾 性
の強 い流 派 の始 祖 だ けあ って、宗 達 の雷 神 は
て いる のは、 江 戸 時 代 初 期 に京 都 で活 躍 し た
近 な も のが 自 然 現象 であ ろう 。 太 陽 も馬 車 に
に見 て いた 私 は、敦 連 の風神雷 神 を 見 た と き、
昔 の人 が考 えた のも無 理 はな い。
乗 った太 陽 神 が東 から 西 へ 一日が かり で駆 け
宗 達 は こ の絵 を 見 た に違 いな いと確 信 し た 。
上 ・敦連 ﹁
風神雷神 図﹂
F ・宗達 ﹁
風神雷神 図﹂
そ れ ほど よ く似 て いる のであ る。時 代 は千 年
抜 け ると考 えた 。 派 手 な 雷 や台 風 も神 の仕業
古 代 イ ンド では、 風神 も 雷 神 も 、 民 族 信 仰
風神 雷 神 図 ﹂ だ と す れば 、 この奇 怪 な 二
の ﹁
神 は そ ろ って雲 に乗 って敦 連 から京 都 の空 に
と 思 う のも 当 然 の成 り行 き だ ろう。
と し て信 じ ら れ てき た 。紀 元 前 五 世紀 ごろ、
以 上 、 距 離 も 数千 キ ロ離 れ て、 時 空 のあ ま り
にも隔 った宗 達 が 、敦 連 の絵 を 見 る機 会 は絶
支 部 を増 やし た わ け であ る。 雷 支 部長 は、 そ
の派 手 な パ フ ォー マン スと 同 様 、 実 に ユ ニー
クな いでた ち であ った 。 大 き な 耳、 ど ん ぐ り
た のは 間 違 いあ るま い。 二神 のポ ーズ は違 う
起 絵 巻 ﹂ に現 れ る雷 の図 な ど があ る。 と も に
京 都 にあ る鎌倉 時 代 の作 品 であ り、宗 達 が 見
話 だ が ︶ と いう 品 の悪 さ であ る。教 養 の高 い
日本 の代 表 的 画 家宗 達 が 、構 図を研 究 し尽
間 に阿 修 羅 が いるが ︶ にな った のは、 信 じ ら
れな い 一致 であ る ︵
挿 図 下 ︶。
俵 屋 宗 達 ﹁雷 神 図 ﹂ ︵
2 ア組表紙︶ 江 戸 時 代
国 宝 ﹁風 神 雷 神 図 ﹂ 二山 一双 屏 風 のう ち
一五 七 × 一七 三 m 一
示都 建 仁 寺 蔵
c
写真提供 一
示都国立博物館
写真提供 平凡社 ﹃
中国石窟 敦違莫高窟 ︵一y より
西 魏 時 代 ︵六 世 紀 中 ご ろ ︶
﹁
雷 神 図 L ヨコ組表赳 敦 建 第 二 四 九 窟 壁 画 よ り
美 術 評論 家 谷岡 清
た と し か、 考 え ら れ な いのであ る。
飛来 し、宗 達 の前 で、 ﹁レ ッツポ ーズ ﹂と や つ
そ こに登場 した のが お釈 迦 様 の説 く 仏教 であ
る。 仏教 は寛 大 な宗 教 で、 す で に存 在 し て い
で は宗 達 は この形 を ど こから得 た のだ ろう
対 に有 り 得 な か った のだ け れ ど。
た さまざ ま な 神 た ち を 教 義 の中 に取 り 入 れ、
眼 、 なぜ か虎 の皮 の フ ンド シを締 め ︵
と いう
が 、 そ れら を ヒ ント に描 いた のだ ろう 。 だ が、
ブ ッダ の替 属 ︵一族 ︶ と し た 。 吸収合 併 し て
こと にな って いる︶、 筋 肉 モリ モリ の体 の周
こ のよ う にほと ん ど同 じ姿 ︵
敦 連 のは 二神 の
か。 古 い例 と し ては、 京 都 三十 三間 堂 の ﹁風
神 ・雷 神 ﹂ の彫刻 、 ま た絵 巻 の ﹁
北野 天 神 縁
り には、 多 数 の大 鼓 を 配 し て、 騒 々し く打 ち
お釈 迦 様 は、 仲 間 にす る の に躊 躇 した に違 い
く し 、 最 晩 年 に到達 した 天 衣無 縫 の境 地 が こ
鳴 ら す 。 そ の上 、 人 のオ ヘソを 狙 う ︵
後代 の
な い。 し かし そ こは 心 の広 い仏様 、 風神 と と
⑫
9年 8月 ルl
平成
デ
会 員 推 薦 は全
五月 号 の ﹁
ロー タリ ー の会 員資格 は同 一
れ る生真 面目 さ には感 心す るが、
一〇 〇%出席 に こだ わ って おら
済措 置を﹂ と訴 え て おら れる。
この方 が八 一歳 にし て、な お
でも ヨ コでも よ いの か
国 旗 の掲 揚 方 法 は タ テ
0年 ・愛知県︶
楽器配布 ・7.歳 .会員歴3
︵
う か。
行 政区 域内 に所在 す る クラブ 間
そ こま で こだ わ る必要 はな いの
会 出席 に ついて の救済 措置 は拡
私 が 入会 し て から 三〇年 、例
真 で見 る かぎ り 、 日章 旗 の掲 揚
年 一月 ∼九 年 四 月 ︶ に掲 載 の写
﹃友 の過去 五 二冊 中 ︵
平 成五
﹄
障 が生ず る であ ろう。
に お いて のみ、 当該者 の居住 地
、
ま た は職域 のあ る場合 に いず
れ の クラブ ヘの大会 も可能 であ
会 員 推薦 は何 も自 クラブ に
る。﹁
大 の 一途 をたど り、表 面的 な出
高山西 河 野 善 男
限 らず 、他 の地域 のクラブ 幹事
席 率 は向 上 した かも し れな いが、
ではな いかと申 し上げ た い。
世
π 広 田中 弘
に推薦 状 を 送 ると よ い﹂ とあ る
国 レ ベ ル でも ﹂ に 疑義 を
ロー タリ ー に おけ る会 員資 格
方 法 は次 の通 り であ った 。
ヨ コ 一六 一例 。 タ テ 三 二 八 例 。
日本 と外 国 旗 と の併 用 例 で は 、
例。
向 か って左 〓 二例 。 右 壬 一
そ の実態 は かなり水増 しされ て
私 は出席 は出席 、 やむを得 な
韓 国 旗 は 一二例 が タ テ扱 い、 星
いな い第 二者 から の推薦 と いう
守 ら れ てき て いる。職業 分類 は
ブ 会 員 選考 委 員会 にと って、 い
い欠席 は欠席 でよ いと思う のだ
条 旗 は 五 例 の タ テ吊 り が あ る。
が、 クラブ 所在 地域 に居住 し て
ロー タリ ー の特 徴 で異業種会 員
かが な も のであ ろう。地域住 民
が、 あ れ これ理屈 を つけ て表 面
フラ ン ス、 オ ラ ンダ 、 イ タ リ ア、
の根本 には、 職業 分類 に基 づ く
間 の親睦 こそ ロー タリ ー活 動 の
に密着 した RCと し て実業 人、
的 な 出席率 を上げ るな ん て、 ナ
ハンガ リ ー、 エジプ ト 、 イ エメ
ン、 ギ ニア、
マリ 、 モナ コ、 ポ
き て いるよう に思 わ れ る。
根幹 であ る。 さら に ロー タリ ー
専 門 職業 人 の温 か い心 の触 れ合
ンセ ン スではな いだ ろう か。 メ
こと は、 クラブ会 員増 強、 クラ
の特 色 と し て、 クラブ ごと に区
いの中 に こそ ロー タリ ー活動 は
﹁一業種 一会 員 制 ﹂が原 則的 に
域 限界 が定 めら れ て いる。
不シア、 な ど
・
1フンド 、 イ ンド ヽ
タ テ扱 いにす る と区 別 の つかな
ー クア ップ も欠席 例会 の前後 一
この際、救済 措 置 のリ スト ラを
週間 で十分 と言 いた い。 む しろ
4 会員歴 3
9年 ・
PC︶
北海道 ・
︵
洋 服販売 ・
7歳 ・
く な る よ う な も のも あ る。
でも よ いの か。 決 め ら れ た 掲 揚
救 済 措 置 の リ スト ラ を
っても 一向 にかま わな いと思 う。
方 法 が あ る のな ら 、 ぜ ひ教 え て
タ テ でも ヨ コでも 、 右 でも 左
自
ユ 橋 石 田康 太郎
外 国 の ことは、 よく知 らな いが、
な 出席率 が、 た とえ九〇% にな
提 唱 した い。 そ の結果、表 面的
存 在 す るも のと思 う。
お説 にあ る会 員増 強 に当 たり
新会 員 候補 者 発掘 の作業 困難が
一部 にはあ ると は いいながら、
全国 一律 に広 域的 に候補者 を区
職業 分類 への配慮 もなく、推薦
四月 号 の本欄 で広島 東 RC の
例会
八 一歳 の ロータリ ア ンが ﹁
いた だ き た い。
域 限界 を度 外 視 し、 か つ未充填
す る こと は、 そ れぞ れ の区域 の
出席 率 に ついて、 こんな に こだ
0歳 会員歴 7
︵
歯科医 ・
1年 ・岐阜県︶
6
.
わ る のは 日本 だ け ではな いだ ろ
特 殊性 、産 業 構 造、文化、 人間
永年 連 続 出席 者 にな んら かの救
関係 を考 慮 す るとき、種 々の支
1997 VOL.45 NO.8
⑪
姉妹 ク ラブ 提携 を
希 望 し て います
韓国 。ニュー大川 姜 鍾 善
わが ニュー大 川 R C は、 韓 国 の
中 心部、第 二 六 二〇地区 に属 し、
ソウ ″から 二時 間 三〇分 のと ころ、
忠 清南 道西部、海岸 地域 の保寧 市
内 にあ ります。創 立 は 一九 八 九年
二月 二〇 日、 承認 は同年 四月 二〇
日。 現在会 員数 は七 二人。
日本 で姉妹 クラブ提 携 を ご希 望
のRCは左 記 へご連絡 くだ さ い。
◇ 韓国 。忠清南 道 ・保寧 市 大 川洞
四三八︱ 六 二ュー大 川 RC
◇ aO 四五 二︱ 九三 六︱ 三 六 二〇
人物 写真 集
﹃
米
山
吉
梅
翁
発刊
﹄
長 泉 米山 聴
このたび 、慶 應、 明治 、大 正 、
昭和 を生き抜 いた 日本 の偉 人 ﹃米
山梅 吉翁﹄ の人物 写真 集 を 発 刊 し
ま した。翁 に ついて の特 別寄 稿 文
や写真 など、 四 六〇 ページ に五 三
〇点余 が収録 され て います 。
◇ 仕様 ・B 4判横 型、特製 布張 り、
題字 金箔 押仕 上げ 、 ケー ス入 り
◇ 価格 。一万 八〇 〇〇円
︵
税 込 み、 送料 別︶
◇ 申 込先 ・0四 一 一
静 岡 県 三島
市芙蓉 台 一︱ 一二︱ 六
米 山梅 吉翁 写真 集 出版 会
Ⅲ O五 五九︱ 八 七︱ 八八 四四
︵
第二六二〇地区・
静岡県・
簡易郵便局︶
◎天童市美 術館
没後 二〇年 熊 谷守 一展
九月 五 日 ∼ 一〇月 五 日 ︵
月曜日
休館 ︶ 九時 ∼ 一七時
山形県 天童 市老野森 一︱ 二︱ 二
aO 二三 六︱ 五 四︱ 六三 〇〇
☆ 一九 九七︱ 九八年度
﹃
ロ
ー
タ
リ
ー
手
帳﹄
☆ 一九九七年 ︵
暦年 ︶
劃
日程 九月 一三 日 ︵
土三 一一
時より
、
九月 一四 日 ︵日︶
一五 日︵
まで
月︶
会場 ホテ ル マウ ント富 士
劃
定 員 九〇 〇人 ︵
満席 にな り次第
締 め切 ら せ て いただきます ︶
資 格 ロー タリ ア ンとそ の夫 人
◇ お問 い合 わ せ 。お申 し込 みは
じ四2占 五山梨県南 都留 郡 山中湖村
山中 一六 二 山中湖音楽祭事 務局
Ⅲ O五 五 五︱ 六二︱ 六〇 〇〇
Ⅲ O 五 五 五︱ 六二︱ 六二〇〇
第 二 六 二 〇 地 区 ・山 梨 県 ・テ ニ ス民 宿 ︶
︵
罰
遠 田耕平
秋 田大学法医学教室 講師
〇 ・二六〇〇 。二六 一〇 ・
二六 二〇地区
タ テ組 活 動報告 ﹁ベト ナ ムのポ
リ オ根絶 ま でもう 一歩 ﹂
﹁
神奈 川沖浪裏 ﹂葛 飾 北斎
﹁
波﹂ カ ミー ユ ・ク ローデ ル
ヨ コ組 RI会 長 メ ッセージ
新 世代 のた め の月間特集
﹃
ど 顧間 松本 宏 PG
ガ バ ナー の ページ
第 一天 二〇 上 一
八三〇 二 一
五 七〇 。二五八〇 。二五 九
表 紙
ゝ
﹃ロータ リ︰ ・ダ イ アリー﹄
今年度 は、 いず れも、 まだ残 部
があ ります。 お早 め に お申 し込 み
くだ さ い。
◇ ﹃手帳﹄ 一部 ・六〇〇円
ダ イ アリ ー﹄ 。 一〇〇〇円
◇ ﹃
︵
共 に消費 税 ・送料 別 ︶
︵
後藤︶
﹃︰A C名簿﹄ を 八月号 と共 に各
RCと IAC へお送 りしま した。
︵
消費税 ・送料 別 ︶
﹃
全 国 RC会 員名簿﹄ に ついて
会 員名簿 は、 八月中旬 ごろ出来
上 がり次第 、﹃友﹄誌送付先と同 住
所 あ て、 お送 りします。例会場 あ
て のクラブ は、特 に品物 のお受 け
取 り に ご注意 くだ さ い。請求書 は
クラブ事 務 局 あ て に、別便 で お送
り します 。
は八月中 旬 の予定 。 ご注文 は クラ
ブ を 通じ て ﹃友﹄事 務所 ま で。
売 り 切 れ の節 は ご容 赦くだ さ い。
◇ 一組 ・七 〇〇〇円
一九九 七︱ 九 八年度 版
﹃ 国 RC会 員名簿﹄
全
引 き続 き、 ご予約受付中 。完 成
夢慶
﹁これ から の日本 人気 質を 考 え る
﹂
パ ネ ルデ ィスカ ッシ ョン例会 と
﹁
山
中
楽
へ どうぞ
湖
音
祭
﹂
山中湖 天 野 凱弘
日本 が経済 的 に発展 した 半面 で
昨今 の贈賄 、汚 職、殺 人、援助交
際 な ど、精神 的崩壊 は見 るも無 残。
こう した 日本 を救 う にはどう した
らよ いか、 富 士 山麓 の山中 湖畔 で
真 剣 に考 え る パネ ルデ ィ スカ ッシ
ョン例会 へ、
ロー タリ ア ンご夫妻
で、ぜ ひ、 ご参 加 く だ さ い。
◇ パネ リ スト ・竹 内均 ︵ニ ュート
、笠松泰
ン
集
編
長
。
東 大名 誉教 授 ︶
、 岩波 政雄第 二六 二〇
洋︵
作 曲家 ︶
地区 ガ バ ナーと歴 代 P G ほ か。
な お期間中 は例 会 終 了後 、 ウ ィ
ー ン弦楽 四重奏 団 、遠 藤 郁 子さ ん
を お迎 えし て の音楽 祭 ︵
有料 ︶と出
演奏 者 を囲 ん で のデ ィナ ー パーテ
ィー ︵
有料 ︶を用意 しま した。
⑩
号
9年 8月
平成
このクリ ー ン活動 で児童 たち は
めぐ らし ても、妙案 が浮 かん で こ
現在 の会 報 は マンネリ化 し て いな
の会 報 と は、 ど んなも のな のか、
るなら精魂 込 め て取 り組 みた い。
壱 岐焼 酎 は、米麹% 、大麦% を
① 町を き れ いにす る ことを学び 、
な い。 思案 の結果 、多分同 じ悩 み
ま や かな 心づ か いは、 この運動 に
製 造 は近所 の気 の合 った人たち が
も ろ み︶を熟 成 さ
順 次 仕 込 み、修 ︵
② 社会 に奉 仕す る こと の尊 さを知
り、③ わが 町を自分 で美 化す る心
︱が技 術 を競 い、 うち五社 が ロー
集 ま り、 必要 な資 金 と原 料 を 出 し
せ蒸 留 す る。焼酎 の留 出が始 ま る
を育 み、④ き れ いな 町 づくり に参
を抱 え て いるだ ろう仲間 に頼 る こ
そ れ以来 、会 員 によ る会員 のた め
合 い醸 造 し て いたが、 明治 三 二年 、
と留 出 成分 は刻 々変 化 し、 ア ル コ
加す る喜び と責 任感 を実感 し、⑤
と にした。
う って つけ であ る。
政府 は酒 類 製 造 の免許 制度 を施 行 、
ー ル度 数 は高度 から徐 々 に低 く な
る。 この原 酒 を貯蔵 熟 成 し、度 数
友達同 士が協力 し、 助 け合 う こと
タリ ア ンであ る。
これを機 会 に各 グ ループ は解 散、
に合 わ せ て出荷 す る。麦 の香 り と
の尊 さを学 ん で いる ことだ ろう。
一六世紀 ごろ から で ﹁むぎ焼酎発
祥 の地 ﹂ と言 わ れるゆえ ん であ る。
そ の中 から代表 が 選ば れ、改 め て
米 麹 で天然 の甘 みが特 徴 の壱 岐焼
﹃全 日本 RC会 員名簿 ﹄を丹念 に
調 べてみると 一九 七〇︱ 七 一年度
のよう に目新 し い会 報、週報が送
該当す る クラブ に会 報 の提 供を求
めた と ころ、 ご快 諾 を得 て、毎 日
同 期 の桜 ﹂ は四五 クラブ
創立 の ﹁
存在 す る ことが分 か った。早速 、
いだ ろう かなど、 いろ いろと思 い
酒 類 製 造 免 許 を取得 し、今 日 に至
酎、
一度 お試 しを。
そ れ にし てもポ イ捨 てす る人 の
って いる。 免 許 制 にな った ころ、
多 いのに驚 く が、 クリ ー ン運動 の
子供たち は大 人 にな っても ゴ ミを
捨 てる こと は絶対 にな いだ ろう。
第 二七七〇地区 ・
耳鼻 哨喉科医 ︶
︵
埼 玉県 ・
ら れ てく る。 そ れぞ れ特色 あ るも
ター ミナ ル、公 園 など公共 の場 所
も に花壇 に花 を植 え、道行 く人 に
砂 デ ー﹂ と名付 けら れ、清 掃 と と
ブ の会 員 が共同 し て行 う環境 美化
活 動 は定 着 し て いる。﹁クリ ー ン高
児 童 六三〇人 と全教 職 員、当 クラ
いなあ﹂ と思 って いると不 思議 に
ま る。﹁この委 員会 だ け は遠慮 した
て次年度 の各種委 員会 に配属 が決
な ると、各 クラブ では、会 員す べ
桜前線 が 北上を開 始 す る ころ に
福島南 斎藤 浩
た いも のであ る。
報 な どあ りま したら、ぜ ひ拝 見 し
で いる。 これま で に、各地区 で表
た会 報 を作 って みた いと意気 込 ん
を参考 に、 これま でと は 一味違 っ
を開催 し、 お送 り いただ いた会 報
目 の会 報 が届 き次第 、会 報委員会
気 持 ち で い っぱ いであ る。 四五番
同期 の桜 にお願 い
に心な い人 にポ イ捨 てさ れ、 タイ
素 晴 ら し い環境 を提 供す るよ う 心
はま ってしま う。 な んと運悪 く、
会 報委 員会 ﹂ の委員長 にさ
その ﹁
のば かり で大 いな る喜び と感謝 の
ルに張 り 付 いたガ ムを ケ レン棒 で
掛 け て いる。児童 たち は、 わが町
れ てしま った。 し かし、決 ま った
速 、新 し い用具 も準 備 した。
浦 和 駅 に近 い高 砂 小学校 、 全校
も 老朽 化 し て いると いう ので、早
に奉 仕 す る こと にした。清 掃用 具
地域 の環境 美化 のた め児童 と とも
︵
第 二七〇〇地区 ・
長崎県 ・
焼酎醸造 ︶
壱岐 には五 〇軒 の造 り酒 屋 があ っ
た と いわ れ、今 では七 つのメー カ
児 童 と クリ ー ン活 動
浦和ダイヤモンド 小野 昌 子
取 る児童 が いれば 、 タバ コの吸 い
を き れ いにす る ことを誇 ら しそ う
から には や るし かな い。 どう せや
今 日、 環境 問 題 は地球規模 で大
殻 を 拾 って いる児童も いる。植 え
に汗 を流 し て いる。当 クラブ は女
きな社会 問 題 にな って いる。
込 み の空 き缶 を拾 う子供 も いる。
性 会 員 が多 く、女性特 有 のき め こ
こんな時 、 浦 和 駅前周 辺、 バ ス
こんな姿 を 目 の当たり にし、私 た
歯科医師 ︶
福島県 ・
︵
第 二五三〇地区 ・
彰 さ れた会 報 や クラブ ご自 慢 の週
ち のクラブ では会 員も汗を流 し、
1997 VOL 45 NO.8
④
青 少年 交 流 一四年
津 南 R C新 世 代 委 員 会
二重 県津 南 R C と新潟 県 津 南 R
C と が メ ー ク ァ ップ カ ード の取 り
持 つ縁 で、 会 員 は も と よ り青 少 年
の交 流 が 始 ま り 一四 年 が 過 ぎ た 。
前 年 度 も 二 月 二 七 日 から 三 泊 四
の町 を 訪 間 、 ホ ー ム ステイ と スキ
で お世 話 く だ さ り 子 供 た ち には 楽
津 南 ク ラブ の会 員 が マン ツー マン
開 か れ 、 上 級 者 用 コー スも 体 験 、
き 、 S J A 指 導 員 の スキ ー教 室 が
心 配 ﹂ と の話 。 期 間 中 は快 晴 が 続
ん で は し いが 少 し暖 か過 ぎ る のが
は ﹁五 月 ま で残 雪 の スキ ーを 楽 し
い歓 迎 に子 供 た ち は 見 間 を 広 げ た 。
長 旅 と 仲 間 づ く り 、 寒 い国 の温 か
思 い出深 い話 題 は つき な か った 。
を 、 列車 乗 務 員 の接 客 態 度 な ど 、
から 日本 と アジ ア大 陸 と を 結 ぶ文
化 交 流 の要 衝 であ った 。 そ こ には
熊 本 県 の球 磨 焼 酎 、 沖 縄 県 の琉 球
ー ニ ュ。 焼 酎 は長 崎 県 の壱 岐 焼 酎 、
はボ ルド ー、 シ ャブ リ 、 シ ャ ン パ
ャ ック、 ア ル マ ニャ ック。 ワイ ン
︱︱︱
﹁
ー 体 験 で交 流 を 深 めた 。 列 車 を 乗
し い日 々と な った 。
国 税庁 は平 成七年 七月 一日付 で
さま ざ ま な 生活 文 化 が 芽 生 え ﹁ラ
クと親 伸
︲
り 継 いで 六時 間 半 、 飯 山線 から の
が 強 風 で架 線 切 れ、 列車 不 通 、 復
地 理的表示 を制定 し、 全国 で三地
ンビ キ ﹂ によ る ﹁む ぎ 焼 酎 ﹂ の蒸
夕 島竹
じ
いИ レ
ア 有ん
老 ウ” ︵
風 景 は銀 世 界 、 桜 の開 花 間 近 い地
から 雪 国 へ、 津 南 駅 で は大 勢 のあ
旧 の メド が た たず 、 指 定 席 も キ ャ
域 を指定 、壱岐焼酎 が そ の 一つに
留 製 法 も 、 そ の中 の 一つであ る。
かり
ιつ
し2Йれ
げ摯 ︰
った か い出 迎 え を 受 け た 。 早 速 、
ン セ ルさ れ 、 時 間 区 切 り で自 由 行
選ば れた。地 理的表示 と は、酒類
壱 岐 は島 全 体 が 平 坦 で長 崎 県 で 二
日、 小 中 学 生 と 会 員 ら 一五 人 が 雪
町 役 場 を 表 敬 訪 間 、 子 供 た ち 一人
動 と 集 合 を 二 ∼三度 繰 り 返 し た が 、
の確 立 した製法 や品質 、 社会 的 評
番 目 に広 い水 田を 有 す る恵 ま れた
の
世界 のブ ラ ンド ヘ
壱岐焼酎が仲間 入り
士
τ 岐 山内 賢明
から 伝 わ った 製 法 を 生 かし 、 壱 岐
初 め て歴 史 の舞 台 に登 場 し、 古 く
﹃魏 志 倭 人 伝 に 一支 国 と し て、
﹄
壱 岐 は、
一七 〇 〇年 前 、 中 国 の
泡 盛 の 一〇 カ所 が 指 定 。
ひ と り に町 長 から テ レホ ンカ ード
団 体 行 動 で し か味 わ え な い貴 重 な
価 を勘案 し、原産 地を特定 し て世
島 。 そ こで島 民 は麦 を 原 料 に中 国
第 二人 三 〇 地 区 ■ 一
重県 ︶
︵
が 渡 さ れ ﹁よ う こそ津 南 へ﹂ と の
あ いさ つが あ った 。 道 路 は除 雪 し
体 験 で あ った 。 数 時 間 遅 れ で慌 た
界 的 に保護 しようとす る制度 。
動 一肝近 い雪
れ が積 も って
を
。
一 ぃる グ リ
ス ンピ 津
ー
ア
参 加 回 数 の多 い子供 は友 情 の深 さ
帰 路 、 長 野 ∼名 古 屋 間 ︵
中 央 線︶
てあ る が 、
だ し く 乗 り 込 ん だ 車 中 で は、 スキ
町 中 の軒 先
ち
餃 には、 ま だ
ー 自 慢 、 お世 話 にな った 人 や家 、
独特 の焼 酎 を 生 み出 し た 。 そ れ が
職業分類は漫画家
世界 では、 ウイ スキ ーは ス コッ
チ、 バーボ ン。ブ ラ ンデ ーは コニ
南 の支 配 人
'ナ
④
平 ,よ 9年 8月
市村章君の作品
神奈川県 相模原中 RC
晴 らし い年 であ ります よ う にと、
し、今 思 えば、両 親 にと って みる
と同時 に、 皆様 にと っては ︵
宗教
タリ ア ンの奉 仕活 動 の原 点 であ る
様 に、例会 の点鐘 も、 例会 は ロー
し悪 戦苦 闘 した後 、 編集 ソフトを
ごと に秋葉 原 に出 かけ解説書 を探
速、研究 を お願 いした。氏 は日曜
やれば でき る のではと のこと。早
博章 会 員 に聞 く と、 経験 はな いが、
でき るとあ る。 そ こで当 クラブ で、
ただ 一人、 パ ソ コンに詳 し い田川
金 制度 を設 け、 地区内 の学 生、 生
び 、 昭和 四 一年 一〇月、福島奨 学
ア ン ・福 島 喜 二次翁 の遺徳 を し の
大 先輩 で 日本 人第 一号 の ロータリ
佐 賀 県 の有 田 RCでは、郷 土 の
武 雄 有 田峰 次郎
ど んな友達 にも負 けな いほど充実
な く、 さまざまな こと に挑戦 し て、
きま した。 いえ、 ﹁
終 え る﹂だ け で
年 間 の大学 生活 を終 え る こと が で
学金 を いただく こと で、無事 に四
のではな いかと思 います。福 島 奨
ら に 一つ下 の弟 の進学 の こともあ
り、 かなり の経済的不安 があ った
う言葉 が目 に入 り、 紙面 の編集 が
色 のな い︶教会 であ り、︵
人 生 の︶
使 い、写真 は スキ ャナー で読 み込
徒 に経済 的 な援助 を行 ってきた。
と、 四年分 の授業料 、 生活 費 、 さ
修養 道場 であ り、学校 であ り、 心
レーザ ープ リ ンター で打 ち出
み、
福 島 奨 学金 制度
の憩 いの場 でもあ るよ う です から、
そ れぞ れ の感 慨 を込 め て、 お聞 き
願 いを 込 め て、 お聞 き にな ると同
な さ れま した ら、 いかがな も ので
した大学 生活 を送 る ことが できま
お かげ だと思 って います。 ま た、
した。 これは両 親 と福島 奨 学金 の
そ の奨 学 生 の感想 文 を紹介す る。
︵
第 二 七 四 〇 地 区 佐 賀 県 瑯 上歴 史 研 究 家 ︶
し、
ついにテ スト 版 が できあ が っ
た。 見 ると特 別代 表 に書 いて いた
第 二六六〇地区 夫 阪府 建 築材料 ︶
︵
し よう カ
だ いた題字 も く っきり と、素晴 ら
そ れを コピ ー し て いた が 、 い つま
と き 困 った のが 会 報 であ る。 仮 ク
ラブ のと き は ワープ ロで打 って、
当 ク ラブ は 創 立 二年 目 、 創 立 の
八潮 イ アィ 伊藤 祐 嗣
クラブ の状況 を よ く反映 した、 生
事 を随 意 に取 り 込 む ことが でき、
バー の情報 や例 会 の様 子 など の記
は、経費 の節 減 だ け でな く、 メ ン
の栄 誉 に輝 いた。 この方 法 の長所
コンテ スト でガ バ ナー特 別賞受賞
クラブ創 立初年 度 で地区 の会報
発行 を始 め、 現在 に至 って いる。
生 の二月 、 私 は志望 し て いた九州
前 の こと になります が、高校 三年
お世 話 にな りま した。もう 六年 も
いま す 。福 島 奨学金 には、本当 に
し いけ れど楽 し い毎 日を過 ごし て
し て勤 め始 め て、半年 が過ぎま し
た。今 は元気 な 四年 生を相手 に忙
長 い間 の夢 だ った小学校教師 と
元福島奨学生 松尾 ゆかり
人生を スタート さ せる こと にな り
これ から、 小学校 の先生 と し て の
えら れ て いるんだ なと感 じます 。
自分 は、 いろ いろな人たち に支
謝 の気 持 ち で い っぱ いです。
達 、 そ し て奨学金 に対 し ても、感
で自分 を応援 し てく れた両 親 や友
は到底 できな か った こと で、今 ま
きま した。 これも自分 だ け の力 で
教 員 採用試験 に合 格す る ことが で
四度 目 の挑戦 ではあ りま したが、
で も そ う いう わ け に は い かな い。
き生 き した紙 面 を作 る ことが でき
大学 文 学 部 にな んと か合格す る こ
ます 。 そ の中 で、感謝 の気 持 ちを
今 ま でを ふり かえ って
予 算 は な いけ れ ど 、 内 容 が ま と ま
る こと。欠 点 は パ ソ コンやそ の周
とが でき、 これ から始 ま る大学 生
持 つこと のでき る子ども、素直 に
﹁
あ りがとう﹂ の言 え る子 どもを
し い仕 上が り であ った。次号 から
った 体 裁 のよ い会 報 を 作 り た い、
辺機 器 の進歩 が 非常 に早 く、 や っ
活 の ことを考 え て、期待 に胸 を ふ
育 てた いと思 って います。
パ ソ コンで会 報 製 作
そ う 思 って 日夜 悩 ん で いた 。
とそ ろえた機 器 が、 す ぐ に古 く見
くらま すば かり でした。両 親も、
あ る時 、 何 げ な く パ ソ コン雑 誌
もち ろ ん喜 ん でく れま した。 し か
第 二七七〇地区 ・
︵
埼 玉県 ・
歯科医︶
え てしまう こと のよう であ る。
デス
を め く って いた ら 、 D T P ︵
クト ツプ 。パブ リ ッ シ ング ︶ と い
1997 VOL.45 NO.8
②
川口むさし野 仲島 行 男
五〇周年追悼晩餐会
ポ ー ル・ハリ ス没後
って未来 を築 こう。︱ これは ライ
員事 業所 の優 良 社 員 を招待 した。
四、次 の世代 を準 備 す る こと によ
よ って未来 を築 こう。︱ これは会
二は クラブ奉 仕 の分 野 に入 る。
三、 職業 奉仕 の質 を高 め る こと に
の増 強 にも力 を 入 れ て いる。
一と
来 日まも な い厳 し い日常 生活 の中
し て いる。松 山市 は俳句 の王国 、
の二年 生 で松 山西 RCが お世話を
媛 大 学、博 士課程、 生産 工学 専攻
披 露 さ れた。
の鐘 妙坤 君 が 詠 んだ俳句 一三句 が
ーを開 催 した 。席 上、米 山奨学生
カウ ンセラーを招 き懇親 パーテ ィ
仕 え し て、今 日 に至 りま した が、
わた り、歴代 二五人 の会 長様 に お
れま した。以来、 四分 の 一世紀 に
初代 中 谷会長様 によ って初点鐘 さ
第 一回例会 の会場 正 面 に据 えら れ、
二月 二八 日、午後 六時 三 〇分点 鐘 、
石 井治 PG の ﹁
ポ ー ル ・ハリ スと
私 は昭和 四七年 二月、 当 クラブ
東大阪中 岡 田早苗 三
点鐘 の鐘のモノローグ
ポ ー ル ・ハリ ス没後 五 〇周年 の
ラ研修 生を招 いた 。
五、平 和 な都市 づ く り に尽力 し未
で詠 む心 の平 静 さ に感動 した。
鐘 君 は中 国 出身 、現在 、国 立愛
ロータリ ー の奉 仕 ﹂ に ついて の卓
来 を築 こう。︱ 川 口市 の都市 づく
追 悼晩餐 会をす る こと にな った。
話 や名誉会 員 の永瀬洋 治 川 口市 長
た。 この六 つの内容 を包 合 した事
を築 こう﹂ と 六 つの柱 を 掲げ ら れ
人 の夫人 全員が P H F にな ってく
て未来 を築 こう 。︱ パ スト会長 六
五 は社会奉 仕 の分 野 であ る。
六、 R財団 を支 援 す る こと によ っ
奨 学金 も ら え る便 り春 の草
紅 梅 の陽 にさんさんと雪 の中
な ︵
中 国 東 北部 の冬景色 ︶
雪 路 から出 てきた馬 車 の早 さ か
舞 う雪 と群 れ飛 ぶ鴎 心酔 う
わち、 ○時 三〇分 に 一点鐘 が始 ま
り、 三 〇分 おき に 一つず つ数 を増
を知 ら せた のが始 ま りと か。 す な
余 談 にな ります が、点鐘 の起源
は、船 で当直 者 に鐘 を突 いて時 刻
立 ち た いと念願 し て おります 。
今後 も計 り知 れな い年 月、 お役 に
業 を と、実行 委員会 を何 回 も開 き
だ さ った。佐 々木 年度 のGSE派
紅 自 の梅 咲き乱 れ天守 の辺
し て、 四時間 ごと繰 り返 します 。
留 学 生 の雑詠 一三句
検 討を重ねた。 これらを充 足 す る
遣 メ ンバ ー、 現在 の米 山奨学 生を
春 雨 の音聴 く夜 や人恋 し
り に尽力 す る市長 を招 いた。 四と
こと は四大奉 仕す べてを統 括 す る
招 いた。 これは国 際 奉 仕 に属す る。
が採 用 された のは、 い つごろ の こ
ら多 く の来賓 の出席 を いた だ いた。
ジ アイ会長 は ﹁ロー タリ ー の未来
こと になり、 全会 員参 加 に つな が
春 風 に乗 るひと 日旅 城 の庭
と か定 かではあ りま せんが、 年 一
ロー タリ ー に、 この点鐘 の慣 習
七夕 や再 会 の息 子背丈 のび
回 の国 際大会 にも、 また、世界 に
ポ ー ル ・ハリ ス追 悼 と敬意 を 払 う
も点鐘 の音 が響 き渡 って いま す。
図 にす ぎな いと無 視 さ れ るよ り は、
秋空 や自 雲 流 れ馬 走 り ︵
中国大
き ょう休 み三食 昼寝 秋雨音
この現象 を時 を知 ら せる単 な る合
舞 う枯 れ葉 に巻 かれた喪 亡 の便
り ︵
第 二 六 七 〇 地区 ・
徳島 県 ・
衡 機 製 造 ・P C ︶
ヽ
除 夜 の鐘 が行 く年来 る年 の節 目 を
つけ、来 る年 が希 望 に満 ちた、素
草原 の景色 ︶
ハワイ から 日焼 け て戻 る春寒 日
制限 の九時 を 過 ぎ ても中座 す る人
地球 サイズ の友情温 れ避暑 地 か
散在 す る三万近 い全 RC に お いて
米 山奨 学 生 の俳句
会場 の雰 囲気 も 和 や か に推移 し、
る意義 を見 いだ した次第 であ る。
一、 先達 の歩 み に敬意 を払 う こと
な
によ って未来 を築 こう。︱ これは
な く、時 間を 延長 し 成功裏 に終了
工だ。︵
第二七七〇地区・
埼玉県・
オフセット印刷︶
︱´
のはもち ろん、 当 クラブ の物 故会
員追 悼 と創 立時 に尽力 さ れた先達
本 年 度 、 第 二 六 七 〇 地 区 では 、
徳 島 井内 尭 治
う。︱ 現在 ま で に四人 の増 強、 純
県 単 位 で米 山 奨 学 生 、 指 導 教 官 、
を招 き、あ らた め て敬意 を 払 った 。
二、会員増 強 によ って未来 を築 こ
増 二人。量的増 強 はもち ろ ん、質
④
号
9年 8月
平成
渇 いた喉 にし みわた るビ ー ルの味
大 阪城南
大 阪 ・車 中 南
ち ょ っと 退会 を ち ゅう ち ょさ れ て
いる様 子 であ った 。 結 局 、 若 い人
福 岡 ・八 幡 西
長 崎 ・壱 岐
佐 賀 ・唐 津 東
愛 峨 ・伊 予
間 稲荷 囃 子が参加、多 大 な感 動 を
与 えた。特 に ﹁
神事 流鏑馬 ﹂ は、
テ ィア活動 であ る。 茨城 県 から は
笠 間 稲荷 神社 ﹁
神事 流鏑馬 ﹂ と笠
ロの回 遊 を はじ め珍 し い海 の生 き
笠 間 RC の会 長 で宮 司 の塙 東 男 氏
分 だ け の人 生 を 歩 む の は寂 し い こ
は格 別 であ った。そ の後 、高 西臨
物 を童 心 に かえ って見 て回 った。
が率 先 し て参加、 日米交流 の お役
いただ き、 さら に マイ ア ミRCな
と で は な いで し ょう か、 と言 う と 、
海 水 族館 で は、 日本 で唯 一の マグ
日帰 リ ツアーも夕 日ととも に無事
に立 てれば と、前年度 から 現 地視
ど多 く の関係 者 の協 力 と交流 を重
住 田 新平
松本 邦 夫
宮岡 英 夫
山門 幸夫
坂 口 蟻 心
小 田 博
終了 し た。︵
な お京急 のト ンネ ルは
察 な どを重ね、開 催 日 には神 社 氏
確 か に寂 し いかも し れま せん が と 、
妻 と組 む シャ ルウ イダ ン ス老 いも よし
六十路 き て医食 同源 知 った旅
病床 へ山 から届 く 一番茶
九階 の窓泳 いで る ミ ニの鯉
善悪 の境 に立 てる杭 を選 る
銀座 の柳 も大 正 ロ マンも還らな い
平 成 九年 二月 七 日 に竣 工 した ︶
ね多大 な成果 を得 て終 了 した。
な お、平 成 三年 には、 茨城県 の
子総 代 、神 職、巫女 、 そ し て流 鏑
第 二七 i
︵
7 O 地 区 ・東 京 都 ・上 地 家 屋 調 査 ■ ︶
馬 小笠原流射 手 ら 一行 二〇 〇人余
のよ う に ロー タ リ ー の輪 の中 で活
た ち と 話 し合 う機 会 も な く、 以 前
ロー タ
躍 す る場 が な い長 老 方 は、
姉妹県 にな って いる フラ ン ス ・エ
ノンヌ県 オ ー ベ ルサ ンジ ョ″ジ ョ
ンでも ﹁
神事 流鏑馬 ﹂ を 公開 し、
﹁
神事 やぶさめ﹂
海 外 で文化交流
二万 人余 の観客 に感動 を与 えた 。
積極的 な国 際交流 を行 って いる。
の関 係 者を組織 し、 ア メリ カ で初
め ての ﹁
神事流鏑馬 ﹂ を公開 し、
ま た 、行事 に参 加す る武 士団 な ど
笠 間 ク ラブ
平 成 八 年 二 月 八 日 から 三 日間 、
ロ
リ ー で何 か仕 事 を し な け れば 、
ー タリ ア ンと し て、 皆 に悪 いと い
う良 心的 反 省 から 退会 を 考 え ら れ
を す る こと ﹂ と の 心境 から す れば 、
某 パ スト ガ バ ナ ー が 言 わ れた 、
た の であ ろう 。
プ で同 席 し た 。 私 が ﹁ロー タリ ー
独楽 二 人 で
深 く は考 え ら れず 、 ﹁
た某 パ スト ガ バ ナ ー と メ ー ク ァ ッ
以前 、 相 当 そ の名 を 雄 た ら し め
第 二八 二〇地区 ・茨城県︶
︵
六〇人余 は、 現地関係 者 の奉 仕 を
ロー タ リ ー と は ?
第 二 回 。ホ ノ ″ ″
日米 文 化 交 流 ﹁
フ エステ イ バ ″﹂ が 開 催 さ れ た 。
こ の フ ェ ステ ィ バ ルは 、 日本 文
化 紹 介 の 一環 と し て公 開 さ れ るも
と は 一体 何 な ん で し ょ う か? ﹂ と
問 う と 、 答 え は ﹁そ れ は 、 皆 で 一
一人 で趣 味 を
酒 を 飲 ん で楽 し む 、
あ る長 老方 の言 葉
緒 に食 事 を す る こと で す ﹂ と の こ
こん な 話 を さ れ て いた 。
第 二 六 二 〇 地 区 ・静 岡 県 ・不 動 産 賃 貸 ︶
︵
な かな か難 し い こと だ 。
ロー タリ ー を 楽 し めば よ いの で は
﹁ロー タリ ー と は 、皆 で 一緒 に食 事
いろ いろ考 え て みた が
と 。 後 で、
生 かし て楽 し む と い った 心境 で、
清水北 長 阪 光 夫
の で、 日本 伝 統 芸 能 、 文 化 および
﹁わ れわ れは年齢 から言 っても 、ロ
分 か って いる よ う で、 ま た 分 から
武 道 、 スポ ー ツな ど の 日本 を 代 表
ー タ リ ー に対 す る貢 献 度 も 以 前 に
な いだ ろ う か。 し かし ﹁
独 楽 ﹂ は、
あ る ク ラブ の 二人 の長 老 方 が 、
比 べると、ず っと低 下 し て いる。そ
な い部 分 も あ り 、 今 日 ま で頭 の隅
に、 そ の言 葉 が 残 って いた。
す る 六 〇 余 の文 化 団 体 が 主 催 委 員
ろ そ ろ 引 退 す る時 期 で は な い か﹂
先 の長 老 方 に、 も し 退 会 さ れ た
ら 一人 き り 、 例 会 にも 出 な いで自
と。全国 には同 じ考 えを 持 つ方 も お
ら れ る ことだ ろう。
1997 VOL 45 N0 8
④
会 の要 請 を 受 け て参 加 す るボ ラ ン
ホ ノル ル で 公 開 され た
笠 出椰 荷 神 社 の 「 神 11
流 鏑 `特 」
作 所 に決 定 、 卒 業 式 を 終 え 帰 国 す
る。 他 の二 人 は あ と 一年 、 学 生 生
東 京 ベイ エリ ア
公 廟 を 見 な が ら 彼 ら の母 国 マ レー
町 を 眺 め、 久 昌 寺 、 大 田 三高 、 義
し た様 子 。 曼 如 庵 で抹 茶 一服 を 喫
し 西 山公 園 へ、 展 望 台 から 太 田 の
公 像 を 見 て テ レビ と 同 じ 姿 で納 得
の建 物 に安 置 さ れ て いる晩 年 の義
理解 し た よ う だ 。 そ の後 、 守 護 職
れ を 読 ん で若 い ころ の姿 であ る と
いた が 、 私 が 説 明 文 を 示 す と 、 そ
の ﹁
水 戸 責 門 ﹂ と 異 な る木 像 を 見
てイ メ ージ が 違 った ら し く驚 いて
し 、 義 公 に つ いて話 し た 。 テ レビ
った と いう 。 翌 日 は 西 山荘 を 案 内
ま で話 し合 い、 ほ と ん ど 眠 ら な か
よ ほ ど 楽 し か った のだ ろ う 、 遅 く
た が 、 駒 柵 夫 人 の おも てな し で、
会 員 宅 に ホ ー ム ステ イ を お願 いし
り 上 が り 、 カ ラ オ ケま で披 露 し て
く れ、 楽 し いタ ベ であ った 。 駒 柵
か い歓 迎 と ア ル コー ルも 入 って盛
みた い人 も いる 。 会 員 皆 さ ん の温
ポ ット 、 お台場海 浜公園 にあ るテ
午 後 は、 ヤ ング 人気 のプ レー ス
にた だ た だ驚 くば かり であ つた。
いたト ンネ ル現場 と の大 きな違 い
ー技 師 のみ で、私 たちが想像 し て
が完 備 さ れ作業 員 は コンピ ュータ
掘 ら れ て いた。ト ンネ ル内 は空調
ピ ュー ター制御 で掘 削す る技 法 で
先 にカ ッター の ついた機 械 を コン
ド エ法 と呼ば れ る大 きな円筒 状 の
が でき た。 このト ンネ ルは シー ル
羽 田空 港 の地下 を走 る予定 の京急
し て いる こと から実 現 したも ので、
二港湾 建 設局東京港湾 工事 に参 加
蛇 正 則 親 睦委 員 の会社 が運輸 省第
工事 の現場 を見学 した。 これ は定
午 前 中 は、 京急 羽 田線 の延長 地下
リ ア の日帰 リ ツアーを実 施 した。
奉 仕 の共催 で、話題 の東京 ベイ エ
昨 年 一〇月 一八 日、親睦 と職業
東一
ふ八王子南 高橋 彰
日帰 リ ツア ー
シア の話 を 聞 く 。 日本 で勉 強 し た
ツク スビ ー チ で レイ ンボ ーブ リ ッ
活 が 残 って いる が 、 大 学 院 ま で進
知 識 、 技 能 を 生 か し て頑 張 り た い
ジ を見 な がら、 しば し ヤ ング に戻
った気 分 で楽 し い昼食 を と った。
のト ンネ ル掘 削 の様 子を見 る こと
と 熱 っぱ く 話 し て く れ た 。
第 二八 二〇地区 ・茨城県 ・洋 画家︶
︵
吉岡龍城 選
投稿 規定 □会 員 とそ の家族
□ 一カ月 に、
一人 はがき 一枚
に三句 ま で □締 切 日 毎 月
二八 日 □裏 面 にクラブ 名、
氏名 明記 □楷 書 では っきり
と □﹃友 ﹄川柳 係 あ て
◎百歳 にな ったら秘訣 教 えよう 千葉・
柏 神 野 義 一
日本 人 の寿命 も延び て八〇歳 は当 たり前 の時 代。 これま で無 我
夢中 で生き て、い つの間 にか米寿 。まだま だ卒寿、自寿 を クリ アー
し てから、百 歳 にな うた ら、 わが人 生を振 り返 って長 寿 の秘訣 を
教 え てあげ よう。作 者 は、 まだ フアイト十分 の人 生 であ る ことが
う かがえ る ロータリ ア ンであ る。
◎食 豊 か国籍 不 明 のも のば かり 岩手・
盛岡西 飯 岡 竹花
私 は日本的 な ﹁
天 ぷら そば ﹂ が大好物 であ るが、 そ の材料 であ
る ﹁そば 粉﹂ の大半 は中国 産 やブ ラジ ル産 など であ り、 天 ぷら の
エビは台湾 か東南 アジ ア の諸国産、
コロモは ア メリ カ かオ ー スト
、ダ シ
ラ
ア
粉
リ
産
の
小
麦
の
醤
油 に使 う大 豆 は ア メリ カや南 米産 、
純国 産 は水ば かり であ る。 ﹁
江戸前寿 司﹂のネ タも国 籍 不 明 の味。
そし て茶髪 の若者 の言葉 も国籍 不 明 であ る。
列島 の行 く末案ず む つごろう 埼玉・
浦和東 窪 川 勝 久
朱 を引 いた本青春 の日が恋 し 埼玉・
加須 大 川 光男
バラよりも庭 のミ ント が 人気 です 千葉・
銚i 名 雪 凛 々
メデ ィア から生ま れた 人気 す ぐ に消 え 千葉・
銚子 宮内 ほるす
いざ ぎ を
ひと
ボ
こ
消
す
大
ス
の
呪
み
千
葉
・
銚子 松本 けんじ
言葉 より呪 みき かせた 父 の背な 千葉・
銚子 金 田ま さ か
ほど ほど に酒 と薬 を飲 み分 け る 千葉・八街 今 井 秀 雄
歓声 の陰 にお下げ の銃撃 死 東一
ポ新橋 佐藤 一夫
官僚 に四 つのテ スト読 ま せた い 静岡・
伊東 北村 順則
親 ゆず り ここ 一番 です ぐ折 れ る 愛知・
瀬戸 山内 鉱 平
死 ん で から や つと世 に出 る書 画骨董 一
一
三・
伊勢南 一
局見 俊 一郎
飲 むま いと誓 った酒 も 三 日間 岐阜。
一
局山 堺 秀雄
④
号
9年 8月
平成
肝 の金華 山 山項 に建 つ岐阜 城 、 そ
岐阜 市 の シンボ ″、 標 高 三 二〇
が ら ハッと気 が つ いた 。 今 日 は 二
野 であ った 。 シカ ゴ を 思 い出 し な
地 上 四 四 〇 屑 から も 見 渡 す 限 り平
界 一の シカゴ の シ ア ーズ タ ワー ・
た 風 景 も 山 が な か った 。 ま た 、 世
ルの 一七 階 。R I会 長 室 から 眺 め
博義 先 生 ︵
市立
だ いて いる 住 吉
指 導 を し て いた
足 と 同 時 に音 楽
作 曲 は同 好 会 発
長 ・石川允さん、
作 詞 は初 代 会
も 二曲 も ⋮ ⋮ 。
記念 日 の瓦運び
の屋根 瓦 の葺 き替 えが 四〇年 ぶり
た ち と シカ ゴ で初 め て会 合 を も っ
月 二 三 日、 ポ ー ル ・ハリ スが 友 人
中学校立
日楽教諭ヽ
岐阜城 渡 辺 亨
に行 わ れ る こと にな った。
た 記 念 す べき 日 で は な い かと ⋮ ⋮ 。
共 に語 ろう 熱 き 心 を
共 に歩 も う 奉 仕 の道 を
固 き きず な の 花 の輸 で
お お マイ フ レンド 心 は 一つ
お お マイ フ レンド 西 ロー タリ ー
ニ、 略
天下統 一を 目指 した本 丸 であ る。
斎藤 道 三など の武将 が城 主 と し て
でも 実 践 で き る喜 び を 感 じ つ つ、
提 唱 し た奉 仕 の精 神 を 、 さ さ や か
そ の記 念 日 にポ ー ル ・ハリ スが
十 数 回 。 キ ーボ ード 、 ギ タ ー、 ド
貸 し スタ ジ オ で練 習 を 重 ね る こと
の 日 に向 か って毎 週 木 曜 日 の夜 、
同 伴 例 会 で曲 の発 表 会 を決 定 。 そ
平 成 九 年 一月 一 一日、 新 年 夫 人
点 鐘 の音 も 心 に泌 み る
優 し い想 いは ス マイ ルに
ロー タリ ー ノ ング は大 き な 声 で
楽 し い火 曜 日
一、 さ あ ︱ 一緒 に 食 べよ う
一万 三〇〇〇枚 の瓦 を 山頂 ま で運
さ わ や かな 汗 を 流 し た 。 下 山 し て
麓 の例 会 変 更 の会 場 へは 、 い つも
ラ ム、 ト ラ ン ペ ット 、 バイ オ リ ン、
そ の昔 、戦国 時代 に織 田信 長 や
ぶボ ラ ンテ イアを募 って いると聞
き、 わが岐阜 城 RCと し ては、何
と 一味 違 った 気 分 で臨 み、 す が す
常陸大田 岡部 栄
米山奨学生らと懇親会
第 二七 一〇地区 ・広島県 ・建築総合 設備工事︶
︵
ニ、 略
お お ワ ンダ フ ル チ ューズ デ イ
お いし い 昼 食 ︵おひ る ︶
はさ て おき、早速、 社会 奉 仕委 員
ト ロンボ ー ン、 そ し てボ ー カ ルな
拍 手 の嵐 、 発 表 会 は大 成 功 /
ケ ット で 、 さ っそ う と 登 場 ⋮ ⋮ 。
ど 、 おそ ろ いの淡 いブ ルー のジ ャ
が し い 一日 で あ った 。
た
〃フブの歌を作っ
第 二六三〇地区 ・岐阜県 ・小 日金融︶
︵
長 が市当局 へ協力 を申 し入 れた。
当 日は多 く の市 民 とと も にクラブ
全会員 によ る瓦 運び が始 ま った。
私 はもくも くと 山道 を歩 き な がら
シカゴ ヘ留学 中 の娘 が 友 人 を連 れ
五 周 年 記 念 式 典 に、 わ れ わ れ で
福山西 北 ユ
泊郎
年 齢 も 若 い。 そ ん な 明 るく て楽 し
毎 月 第 四 例 会 日 に合 唱 す る こと に
な った 。 創 立 し てま だ 七年 、 会 員
廣 志 君 の四人を招待 し、刑 さ ん の
学 生 。軍淑芳 さ ん、荘友 仁君、 金
米 山奨 学 生 ・刈秀珍 さ ん、 私費 留
今 後 は 正 式 に ク ラブ の歌 と し て、
一緒 に この山 へ登 った と
て帰 り、
何 かを や ろ う と 発 足 し た 音 楽 同 好
いク ラブ 。 施 設 への慰 間 が でき る
歓送会 と、他 の二人 の激 励 を兼 ね
みんなで歌っ
た/
き のこと。外国 人 の彼 女 の足 元が
会 。 ほと ん ど素 人 、
一生 懸 命 練 習
よう、
一層 練 習 に励 みた い。 メ ー
二年 ほど前 の ことを 思 い出 した。
ふら つき不安定 な歩 き方 であ る。
し て祝 宴 で披 露 。 これ が 大 う け。
た懇親会 を開催 した。
去 る二月 一二日、家 族新年会 に
大 文夫 かと聞 くと、 シカゴ には山
ク ア ップ は第 四火 曜 日 にど う ぞ 。
刑 さんは 日本 で四年間 の勉 学 が
調 子 に の って ? メ ンバ ー も 九 人
が な いから 山道を歩 く のは初 め て
から 一四 人 に増 え 、 おま け に ク ラ
と いう。 そう いえば 私 が エバ ン ス
終 わり、就 職も マレー シア 日立製
ブ の歌 ま で作 って し ま った 。 そ れ
お お マイ フ レ ンド
一、 こ こ に集 いし わ が 友 よ
ト ンのワ ン ロータリ ー セ ンタ ービ
1997 VOL.45 NO.8
④
お そろ いの ジ ャケ ッ トを着 た メ ン パ ー
を聞 き、慎 重審 議 の結論 であ った。
旧海 軍 の町、軍 港 都市 とし て、今
にし て思 えば 文化財 保護 と観光的
見地 から新時代 に蘇 生 の道が展開
できたも のと感激 ひと し おであ る。
第二七一
〇地区・
︵
広島県・セメント販売︶
二五 周 年 記 念 事 業
障 害 者 の自 立 援 助
宮 山西ク ラブ
初期 に建 てら れた木 造平 屋建 て の
入船 山記念 館休憩所 は明治時 代
登録 さ れ る ことが決定 した。
帥 家 住 宅離 れ︶が文化 財 建造物 に
の入船 山 記念館休 憩所 ︵
旧東郷 元
築 したも のであ る。当 時 、国 の文
る ことを願 って入船 山公 園 内 に移
休 憩所 とし て広 く市民 に利 用 さ れ
事 業委 員会 が歴 史的 価 値 を 認 め、
四年 、 呉東 RC創 立 二〇周 年 記念
も使用 し て いな か った が、 昭和 五
た海 軍 ゆ かり の施 設 と し て登録 さ
れた。 この建物 は老朽 化 し、 だ れ
る共同作業 所 が 三 カ所 し かな い。
かな助成金 をも と に運営 され て い
体 とし て、国 や自 治体 から のわず
所 は少な く、富 山市 内 には任意団
こう した精神障害 者 の共同作業
支援 を行 う こと にした。
﹁
精神障害 者社会 復 帰施 設﹂の運営
の中 でも、特 に福 祉 に重点を置き
運び とな った次第 であ る。
された精神障害 者特集 ﹁こころ支
え合 う﹂ をき っかけ に、 記念 事業
と し て の機 運 が高 ま り、実 現 への
んな折、 地 元 の北 日本新聞 に連載
境 の充実 が急 務 とな って いる。 そ
そ れを支 え、 ケアす る施 設 など環
たち が社会復 帰 しようとす るとき、
化 し、混 迷 が深 ま る現代 社会 にお
いて、 ﹁心 の病 ﹂を持 つ精神障害 者
がます ます増 加 し て いる。 この方
にかけて
深 い理解 と協力 への 一石 とな る こ
迎え、 記念 事業 と し て、社会奉 仕
離 れ︵
約 二 七平 方 済︶
で、 明治 二 三
化 財 建造物 に登録 さ れ ると は夢 に
私ども は、 この三 カ所 の中 で唯 一
個 人運営 され て いる ﹁フ ンンド リ
ミ ・ヽ
ぼ ロ ー ー 顆 ∼ 二四年
も思 わな か った こと で、 R C の記
記念事 業委 員長 を仰 せ つか った
の増 加 に対処 す べく ﹁
第 ニ フ レン
ド リ ー ハウ ス﹂ を建設、作業 の供
給 と交流 を 通 じ て、施 設 の運営 を
とを祈念 し て⋮⋮。
このような活 動 を通じ て社会福
画 旧海軍呉
休
調謀長だっ
私 は、 二〇周年 に何 を期 待 し、何
支 援 し て いく こと にした。
第 二 六 一〇 地 区 ・富 山 県 ︶
︵
とな り、 ひ いては地域社会 のより
を 目指 す 人た ち への何 より の支援
刹 た東郷平
を なす べき か、時 代 の ユーズ に こ
雌 第 二代 参
八郎 氏 が
移
た え るも のは何 か、広範 囲 に意 見
高度情 報化社会 に向 か って複雑
´ 住 ん で い
て の こと であ ろう。
祉 への理解 を深 める ことが、自 立
第 2フ レ ン ドリー ハ ウ ス開 所 式
ー ハウ ス﹂ と共同 で、 入所希 望者
当 クラブ では、 創 立 二五周年 を
瞥 審
念 事業 と し ては恐 らく 日本 で初 め
呉 東 賀 谷 倭 登
二〇周年記念事業 が文化財 建造物 に登録
ご投稿は一一―一 トピック的
なもの、各地の話題、尋ね人
など、会員間の相互交流の場
に応、
さわ しいものを600字 以
内にまとめ、お送りください。
舗鎮守府の
平 成 九年 二月 二 一日、 呉市幸 町
'17Pq
{o"t' -
F
│``ヽ
!ブ ′
ス■′
鶴
・
鷹羅
⑫
号
9年 8月
平成
談話室
ДX蝠
高脂血症 に ついて
、 IDL︵
中 間 比重リポ 蛋
リポ 蛋自 ︶
、H
、 L DL ︵
自︶
低比重 リポ 蛋自 ︶
DL ︵
高 比重 ソポ 蛋自 ︶の五 つに分 け
老人とは何歳 から
中 に存在 でき な い。 そ のた め に コン
脂質 は水 に溶 け にく く、単 独 で血 漿
ギ ー源 とし て利 用 さ れ る。 これら の
により分解 さ れ て遊離 脂 肪酸 を生 じ
る。 そ れが 血中 に放 出 さ れ て エネ ル
るが、体 の活動 に際 し て酸素 の作用
Gは脂肪 細胞 に大 量 に蓄 えら れ て い
リ ン脂質 も 細胞 膜 の成 分 とな る。 T
ステ ロイド ホ ルモ ンの材料 であ る。
重要 な成分 であ ると とも に胆汁酸 や
在 す る。 コンステ ロー ルは細胞膜 の
、遊離 脂肪酸 の四種 類 の脂質 が存
肪︶
中性 脂
質、 トリグ リ セライド TG ︵
人体 には コンステ ロー ル、 リ ン脂
因 子 にな る。高 コンステ ロー ″血症
症 が存 在 す る時 には動 脈硬 化 の進展
品 コンステ ロー ル血症 や低 HDL血
一
血症 は急 性膵 臓炎 と深 い関係 にあ り、
度 の高 く な った場合 を いう。高 TG
のどち ら か 一つまたは両 者 の血中濃
品脂 血 症 は コンステ ロー ルかTG
一
HDL は動 脈壁 から肝臓 ヘコンステ
ロー ルを戻 す役 目を し て いる。
ステ ロー ルを 肝臓 から動脈 へ運び 、
肪 の運搬 形式 であ る。 L DLが コン
る臓 器 と の橋渡 しをす る 一時 的な 脂
造 る肝 臓 ま た は腸と、 そ れを利 用す
が大 き く な る。 リポ蛋自 は、 そ れを
ほど TG は減 少 し、 アポ 蛋自 の割合
G の合 有率 が高 く、比重 が高 くな る
表情 に乏 し い。⑤ 趣味 を持 た な い。
③ 友達 を持 たな い。④ 笑 い、喜び の
件 に関 心な し。② 電 話 を かけな い。
は① テ レビ 。新聞 を見ず 、社会 的事
く最近 のこと は忘 れ る﹂。日常 生活 で
足腰 が弱 い﹂
神的 に共 通点 があ る。 ﹁
﹁
昔 のこと はよく覚 え て いるが、 ご
は八 一・
五歳。入所 者 には身 体 的、精
て七〇歳以上、私 の施 設 の平 均 年齢
老人保健施 設 の入所対象 は原 則 と し
いては七〇歳 以上、疾病 で寝 たき り
法律 では老人保 健法 で、医療 に つ
や古希 の意 味 が薄 れ、喜寿 、 米寿 に
命 が長 い、祝 う ︶
寿 ﹂= ︵
至 って ﹁
が意味合 いをも つ時代 にな った。
は男七 六 上二歳、女 八 二 ・
五歳 、 還暦
日本 人 の平均 寿命 が 延び 平 成 五年
神原琴海病院院長 森 田 稔
ステ ロー ル、 リ ン脂質 、 TG の三 つ
は動 脈硬 化 、特 に冠動脈硬化 と関係
⑥ 買 い物 に興味な し。⑦ オ シャ ン感
ら れ る。 比重 の低 いリポ蛋 自 ほど T
はアポ 蛋白 と結び 付 き 、 リポ 蛋自 と
が深 く、 労作 性狭 心症、不安定 狭 心
澤 本 政 光
いう球状複合 体 を構 成 し て、 また遊
症、急 性 心筋 梗塞 など の虚 血性 心疾
覚 なし。③ 腕時 計 を つけな い ︵
細か
澤木 内科 院長
離 脂肪酸 は ア ルブ ミ ンと結合 し て、
そ れぞ れ可溶 性 とな り、 血漿 中 に存
患 の最 大 危 険 因子 で成 入病 の健康 診
児島RC会員・
同RCで︶
か■と。 ︵
凹山県・
だと 六五歳 で老人 と定 めら れ て いる。
在 す る。
い時間 の感 覚 がな い︶⑨ 便 秘 と不眠
︵大 阪 府 ・豊 中 R C 会 員 ・同 R C で ︶
断 の ″︱ テ ィ ン検 査 は欠 かせな い。
リポ 蛋白 は比重 の小 さ いも のから
超低比重
カイ ロミク ロン、VL D L ︵
■﹁
卓 話 の泉﹂は、各 RCの会報、週報 に掲載 の卓 睛 の中 から、客観的内容 の話題、 ミ ニ知 識とな るも のを主 に選んで要約、掲載 し て います。
1997 VOL.45 NO.8
④
小惑星と隕石
嚇
刻
群
沖
瞳
勁
硝
馴
蝙
孵
朗村山 定男
地名 、 ﹁
渋 谷﹂は五島プ ラネ タリ ウ ム
があ る地名 。 このたび 当 クラブ の関
リゾ ナ の フラグ スタ ッフと いう 町近
るが、小 さ いなが らも有名 な のは、ア
こち に隕石 の落 ちた穴 と いう のがあ
係者 が新 発 見 さ れ、東京 お茶 の水 R
直 径 一豊 一
く の荒 地 に、
鰐 と いう大穴
今 ま で約 七 五 〇 〇 個 見 つか って いる。
つ いて いる。 そ の後 、 続 々発 見 さ れ、
最 も 大 き く ﹁ケ ンス﹂ と いう 名 前 が
星 を 発 見 し た 。 直 径 約 一〇 〇 〇虜 で
の パ レ ″モ天 文 台 が 一番 最 初 に小 惑
五万 ∼ 一〇 万 個 あ る と いわ れ て いる。
一八 〇 一年 一月 一日 、 シチ リ ア島
は数 百 済 と いう も のま で合 め ると 、
れ て、 だ ん だ ん小 さ く な り 、 現 在 で
が 長 い間 に、 衝 突 を 繰 り 返 し破 壊 さ
今 から 六五〇 〇万年前 に巨 大 な隕石
のであ る。 よ く耳 にす る ことだが、
が時 には地 球 に ぶ つかる危険 もあ る
ま で入 ってく るも のがあり、 そ れら
て、本 星 や土星 の外ま で出 て い った
り、 ま た、 地 球 や金星 の軌 道 の辺 り
中 でも細長 い軌 道を持 つも のがあ っ
あ る こと が分 か ってきた。 小惑星 の
いる安 心 な星 であ るが、危険 な星 も
の外側 を九 い軌 道 で行儀よく回 って
の水﹂ は約 三年 八 カ月 の周期 で火星
と いう話 が 出 てき て いる。 ど んな こ
と かと いう と、例 えば 、 この ﹁お茶
と言 え る。
最近 ﹁
小惑 星 はち ょ っと怖 いぞ﹂
発 見 された。本 日は卓 話 の記念 に お
ぐら い、大 小入 れ て 一〇 八 の穴 があ
ト ンも の鉄 の隕石 が
き、全部 で二 豊 一
落 ち た。
一番大 きな穴 は直 径 二八肝
の針葉樹 密林 に非常 に大 き な隕石 が
南 三〇〇炉 、 シオタ アリ ンの山並 み
今 から五〇年前 の 一九四 七年 二月
ま って いる。
な る べく危険 を防 ぐと いう研究 も始
分 からな い。落 ち そうな星 を観 測 し、
な いこと で、 将来、 ど こ に落 ち る か
き ると いわ れ、な かな か油断 のなら
な眺 めであ る。 このアリゾ ナ のよう
C にち な ん で付 けら れた﹁お茶 の水﹂
は東京 の地名 の中 でも割合 早 い命 名
初 め の ころ、 名 前 は ギ リ シ ャ神 話 の
が地球 に衝突 した ことは疑 いのな い
見 せしようと思 い、ポ ケ ット の中 に、
小 惑 星 と いう のは 、 火 星 と 木 星 の
女 神 の名 前 が 付 け ら れ た が 、 そ れだ
事実 で、場 所 は メキ シ ョの ユカタ ン
そ の シオ タアリ ンの ﹁
小惑星 ﹂ を 入
れ てき た。近 く で ご覧 にな る機会 は
があ いて いて、 そ の壁 を 登 って みる
と、 そ れは信 じら れな いほど の壮視
け で は足 り な く な り 、 し だ い に発 見
半島 、直 径 二〇 〇房 もあ る円形 の地
少 な いと思う。どうぞじ つくり ご覧
間 を 回 って いる大 変 小 さ な 惑 星 で、
し た 天 文 台 の地 名 と か著 名 な 学 者 の
形 があ り、 キ ラー ク レーターと呼ば
れ、 恐竜 の絶減 の原 因 にな ったと言
くだ さ い。 案工
宗お茶の水RCC
足 らず の数 十 個 の星 が 生 ま れ、 そ れ
太 陽 系 が で き た 当 時 に、
一〇 〇 〇”
名 前 と か、 そ の他 、 さ ま ざ ま な 名 前
わ れ て いる。 ほ か にも世界中 のあち
一二日、 シベリ ア の ハバ ロフ スクの
な 隕石 の衝突 は、数万年 に 一度 は起
が 付 く よ う にな った 。 東 京 都 の中 で
は ﹁
東 京 ﹂ と いう のが あ り 、 ま た 、
﹁三鷹 ﹂ ﹁
多 摩 ﹂は東 京 天 文 台 のあ る
⑩
号
9年 8月
平成
佐佐木 幸綱 選
辛 夷 咲 く 山 のな だ り は 残 雪 のあ るが に見
え て斑 に自 し
岐阜東南 西 松 民 子
早春 の山 の斜面 の 一角 に、遠 く からもよ
く見 えるような、見事 な花 を 咲 かせる辛夷
の本 があ る。
一首 の調 べが、な んと はなし に万葉 ふう
な調 べを感 じさ せるのは、たと えば 、︿みけ
む かふ南淵 山 の巌 には降 りしはだれ か消え
のこりた る 柿本人麻呂歌集 ﹀等 の万葉歌
を読者 に連想 させる からだ ろう。
レング 咲 く 刈 田 に遊 ぶ群 雀 幼 稚 園 児 の遠
足 の ごと
愛知 ・豊田 杉 本 定 治
群 れなす雀が、落 ち つきなく飛 んだり歩
いたりし て いる様 子、そ し て、 ひ っきりな
し にさえず って いる様 子が、遠足 ではじ ゃ
ぐ幼稚園児を思 わせるのであ る。ポイ ント
は童 心。
雀 の短歌 をたくさん作 った のは、北原自
秋 であ る。﹃雀 の卵﹄と いう タイト ルの歌集
ま であ るほどだ。自秋 は、 たく さん の楽 し
い童謡を みれば わ かるよう に、終 生、童 心
を持ち つづけた歌 人だ った。
寒 風 に散 り た る花 び ら 池 の面 に濡 れ も せ
ず 浮 く寄 り あ いな が ら
長崎 。松浦 太 田 晴 康
さ いさ いと 瀬 音 ひび き て流 れ く る朝 の川
の汀 に立 て り
長崎 ・諫早 草 野 源 一郎
投稿規定 □雑詠 ロクラブ会員とその家族
□ 一カ月に、はがき 一人 一枚に三首まで
□締切日 毎月二〇日 ロクラブ名、氏名明記
歌壇係あて
友﹄
□楷書では っきりと □﹃
ワープ ロの挨 拶 状 のそ の後 に手 書 き の俳
句 二句 を 添 え た り
香川 。高松 三 好 義 則
春 浅 き け ふ父 逝 き て五 十 年 墓 の辺 にわ れ
父 よ り 老 いて
岡山 ・倉敷東 吉 岡 洋 子
上 海 の動 物 園 を 訪 ひ行 けば 大 パ ンダ ゐ て
笹 を食 みを り
大阪梅田 辻 中 昭 一
ミイ ラ観 て 生 け るが ごと し そ の顔 に ピ ラ
ミ ッド の謎 と け る気 が す る
大阪 ・守日 井 上 桂 作
朝 日影 山 の端 染 め て半 月 の自 き 一点 蒼 天
に冴 ゆ
長野 ・伊那中央 丸 山 希 一
人 に問 ひ て 宮 鳴 一の穴 子 屋 に案 内 さ れ た
り嬉 し き 味 な り き
神奈川。平塚 高橋 定 幸
宙 を舞 う サ ー カ スの女王全身 を弓 の ごと
く にそら し て飛 べ
基ふ八王子南 谷 口 金 治
戸 を 繰 れば 山某 英 の枝 に黄 の花 の群 が り
咲き て春 立 ち にけり
基ふ江一
戸川 長 尾 敏 子
ふるき書 庫 の窓 を 明け れば 風入 り来 て本
の匂 ひ は気 持 よきなり
千葉 。銚子 青 野 進
春 風 のま ま に スカー フ遊ば せて午 後 のひ
と時 蝶 にな って いる
栃木 ・矢板やしお 小川 ま つ枝
伊勢南 中 村 宏 美
公一
歳︶
︵
二重県 みやげ も の販売 工
酒 は百薬 の長 。薬 にな るような飲 み方 をしま
し ょう。深酒 す るな。 よく眠 れ。
鎌倉中央 都筑 健 一
早朝鎌倉鶴 岡 八幡 宮参拝 、境 内 の源 平 池畔 の
土を踏 ん で、グ ループ と体 操。至極 そう快。
︵
神奈川県 写真館 七三歳︶
基ふ国立 吉 田 政彦
毎朝 体重測定 と カ ロリ ー制限、晩酌 で スト ン
東京都 内科医 五七歳︶
︵
ス解消 と熟 睡、 週 一回 ウ エイトト ンー ニング。
柳川 大城 有 元
洗顔 の後 、雨 の日も 風 の日も玄 関先 の軒下 で、
深呼 吸 一〇回。 ついで体 四肢 の運動 を 一〇分 間。
気分 そう快 です。
︵
福岡県 外科医 七四歳︶
和歌山東 内畑 瑛造
毎朝 五時 五 〇分 起床 。根 こん ぶ水 と にんじ ん
ジ ュー スを飲 み、 和歌 山城 へ四〇分 の速歩。昼
家庭 サウ ナ。
は三〇分横 にな り、夜 は腹筋 運動 、
ハ四歳︶
︵
和歌山県 繊維製品配布 エ
□ 投稿 は五〇宇 以内、当係あて
1997 VOL_45N08
⑩
円瞬 踵 嘲
稲畑 汀 子 選
街 灯 の消 え て し ま ひ し雪 卸
北海道 ・名寄 鈴 木 御 風
雪 の深 い北海 道 に住 む作者 は、雪 の降 る
時期、屋根 に積 も った雪を卸す のが欠 かせ
な い暮 らしな のであ る。雪 の降 り方 によ っ
ては雪卸 の回数なども違 ってく るが、街灯
が消え てしま ってもまだ終わらな い雪卸。
昼 間仕 事 を し て いて雪卸 を 始 め る のが 遅
か った のかも しれな い。雪国 の厳 し い暮 ら
しが想像 さ れる句 。
大阪 ・豊中大阪国際空港 築 山 能 波
震 災 に耐 へた る屋 根 や菖 蒲 葺 く
阪神 ・淡 路 大 震 災 から 三年 目 にな る。 い
ま だ に復 興 でき な い家 も あ り、 見 た 目 ほど
順 調 に元 に戻 った と は言 えな いのであ る。
何 と か持 ち 耐 え ら れ た家 の屋根 に、 五月 の
節 句 の習 わ し と し て の菖 蒲 が葺 かれ男 の子
の成長 を祝じ こと が でき た喜 び が伝 わ って
く る。 屋 根 や と 切字 を使 って強調 し て いる
作 者 の感 慨 が あ る。
引返す こと も 止 むな き梅雨 の旅
熊本 加藤 芳 子
新茶 汲 む鐘 の余 韻 のあ る茶店
大阪西南 宮崎 正
柿 の花葉 裏 にひ そと散 るときも
大阪 山 口 百桑
投稿規定 □雑詠 ロクラブ会員とその家族
□ 一カ月に、はがき 一人 一枚に三句まで
□締切日 毎月二〇日 ロクラブ名、氏名明記
□楷書では っきりと □﹃
友﹂俳壇係あて
人 生 も 森 の命 も 風 涼 し
大阪 滝 土
目佳
問 診 や しば ら く 初 音 聞 いて よ り
京都 ・福知山 大 槻 右 城
藤 房 のも う へは 隠 ぎ る
衰
せ
岐阜東南 深 見 恵 津 子
吊 橋 に続 いてを り し 登 山 道
石川 ・加賀 折 橋 紀 与 美
ど の本 にも草 にも 冥 加春 の雨
静岡 ・浜松 鈴 木 折 州
帰 り 来 て花 のほ てり の帯 を 解 く
静岡 ・浜松 本 俣 千 代 子
大 漁 に船 脚 遅 し卵 浪 寄 す
一
員 布能 民雄
︰猿 イ
村 田 士口隆
一人行 く 一人静 の径 かな
埼玉 ・浦和西 島 崎 義 行
新緑 の風 の調 べの中 に居 り
群馬 ・高崎南 山本 春樹
奥 の湯 と いふ新緑 の行 き 止 ま り
新潟 ・十日町北 小 川 公巴
壺飾 り れ り
こ
よ
客
間
夏座 敷
千葉 ・富津 自 井 吉晴
野良 猫 に名前 のあ り し 日永 かな
福島 田中 須美 子
花 ど き の浦 一軒 の酒 屋 の灯
岩手 ・宮古 ・藤島﹃
かの
ぼう た ん の庭 よりもど る生返事
秋田 伊藤 恵美 子
鳥 一羽 はぐ れ て秋 日落 ち にけり
北海道 ・深川
柳川 村 上 仁吉
起床直 後 コップ 一杯 の冷 乳 に黄 な粉小 さじ三
杯 を混合 し て飲 んで います。 おかげ で快 便 で愉
快 な 日を 過 ごし て います。
︵
福 岡県 八〇歳 ︶
宮崎西 村 上 四朗
六時 半 起床 。約 四五分神様 に報 恩感謝 のお祈
り。 三食 か かさず 、週 に三 日 の休 肝 日、 そ し て
エイジ シ ューター に向 か ってま い進中 。
宮 崎 県 建築 エ
︵
ハ三 歳 ︶
和歌山東 上 山 英 明
精 神 上 の スト レスを 受 け な いよ う に︱ 現 実 に
は不 可 能 な の で気 力 と落 ち 着 き で対 抗 。 何 でも
﹁し す ぎ ﹂ な いよ う に。 と に かく 歩 く 。 あ わ て
な い、 あ せ ら な い。
︵
和歌 山県 公立大学 七 一歳 ︶
矢吹 遠藤 重 衛
食 事 は 心 でと る︱食事 の前 にまず 感謝 、魚 や
稲 の命 を いた だき自 分 の生命 を維持 し て いる こ
とを考 え、歯 と 心 でそ し ゃくす る。健康 セ ンター
のプ ー ルは竜宮 城、 よく泳 ぎ に いく。
︵
福島 県 畜 産 七〇歳 ︶
⑩
号
9年 8月
平成
いま や企業 も利潤追求 のみ の会 社 人間 では、
て いる人 は多 い。
め にな る。 し かし、身 近 にも奉 仕活 動 に献身 し
ント調合 剤 で固 めます。 そ れ から先 は、 パイプ
は冷 水 だ から進 入禁 止と いう こと で、側 を セメ
送 り 込 み、 中 を洗 います。 三〇 〇 メート ルま で
エアと水 を
スト ンー ナ管 と いう パイプ を入 れ、
感謝 し楽 しん で生 き よう
あ るがまま にな るがま ま にす べてを受 け入 れ
佐伯 小 野宮 太 郎
大分県 玩具販売 四七歳︶
︵
浜松 天 方 啓 二
基ふ築地 山 形 政 男
大東 加藤 敏 明
□ 投稿は五〇宇 以内、当係あて
大阪府 通信 五〇き
堂 々。 ︵
勢 第 五 。奇 と は 臨 機 応 変 の機 略。 正 と は 正 々
奇 正 ﹂。孫 子 の兵法 の兵
可 き者 は奇 正 是 れな り の﹁
三 軍 の衆 必ず 敵 う け て敗 る る こと 無 から し む
奇正
一
蔑︶
ふ都 紳士服製造 八一
う努 力 し た い。 策 一
ぞ れ の立 場 に て、周 囲 を 明 るく 照 らす 人 にな るよ
伝 教 大 師 の言葉 。職業 、身 分 を 問 わず 、人 そ れ
一隅を照らす
た、日本拳法 の宗家 である故澤山宗海先生 の言
︵
静岡県 電気機器配布 ニ
四歳︶
ハ
某。
一
仕事 にも同じような気持ち で向 かえと言われ
拳 には汗 を与 えよ
常 に他人 に J心いやり﹂のあ る生き方 をした い
も のです。笑顔を忘 れず に。
自杵中央 平 林 丈 生
大分県 焼酎製造 五九歳 ︶
︵
これ から の時代 は乗 り切 れな い。 地域社会 が好
キ ヤ ンプ 場 、 ビ ニー ル ハウ ス、水耕 栽培 、 ピラ
一笑 一若 、 一怒 一老
に穴 のあ いた スト レーナ管 を入 れ て、 ど んど ん
水 を送 り 込 みます。
感 度 を も つ社会 人間待 望 の時 代 とな って いる。
︵
第 二 七 三 〇 地 区 鹿 児島 県 民 間 放 送 ︶
ペ ント ナイ ト と いう液 は、 固ま り やす いので
すが 、長 時 間 お いたあ と、水 を やると、 溶 け出
最 後 に、 汲 み上げ ポ ンプ を 入 れます 。 私 のと
私 の夢 実 現
す性 質 が あ る のです。 そし て、 どんど ん エアを
送 って、 ペント ナイト液 を 吸 い上げ てしま いま
温 泉 が 出 ま し た 。 皆 さ ん は 、 温 泉 はド リ ルで
ころは、 地下 三〇〇 メート ルのと ころ に入 れま
す。
ど ん ど ん地 面 を 掘 って い って、 お湯 に当 た る と
した。 こ こではじ め て温泉 のお湯 が 出 る のです。
出 て いま せんが、 温度 五七度 で、量 も毎 分 四五
温泉 は、自噴 はしま せん。湯質 の分析 結 果 は
自 然 に噴 き だ し てく るも の、 と 思 わ れ て いる よ
ド リ ルで掘 り 、 ペ ント ナ イ ト 液 を 注 入 し、 穴
〇リ ッター汲 ん でも、ま だ減 ら な いと いう温泉
う です が 、 ぜ んぜ ん違 う の です 。
のま わ り から水 が 侵 入 し な いよ う に被 膜 を 造 り
が出現 しま した。
農 家 を や って いた関係 で、広大 な 土地 が あ る
な が ら 、 何 百 メ ート ルと掘 って ゆ く わ け です 。
そ し て圧 力 を 二 〇 キ ロく ら い か け ま す と 、 砕 け
あ る程度 掘 った 段 階 で、 ボ ー リ ング を 中 止 し
ニアや ス ッポ ンの養殖 な どを やり た いな 、 と い
も のです から、 将来 は温泉 熱 を利用 した オ ート
一メ ー ト ルごと に温
て、 温 度 測 定 機 を 入 れ て、
う 夢 は持 って いま す 。
た 石 や、 切 り くず が 上 にあ が ってき ま す 。
度 を 測 り ま す 。 そ れ から 、 ペ ント ナイ ト 液 が 大
都 会 に行 って いる私 の子 ど も た ち にも 、 自 分
知 床 へ帰 って、お父 さ ん
の夢 を 話 し た と ころ、﹁
量 に減 った と ころ と 、 温 度 と を 調 べ て、 ど のく
ら い のと ころ な ら 、 ど のく ら い の お湯 が 出 るな 、
の手 伝 いを し た い﹂ と い ってく れ ま し た の で、
第 二丘〇〇地区 北海 道 建物維持管 理︶
︵
一安 心 し て いる と ころ です 。
と いう 想 定 を す る わ け です 。
でも 、 ま だ 温泉 は 出 て いな い の です 。 お湯 は
止 め てあ り ま す から 。 ボ ー リ ング が 終 わ ると 、
○
1997 VOL.45 NO.8
このよう に考 え てきます と、奉仕 の本 質 はあ
くま で精神 的 、倫 理的 なも のです 。 どう か、 こ
の ﹁
奉 仕 の理想 ﹂ により、家庭 に お いて、 企業
にお いて、 そ し てま た経 済社会 の浄化 に励 ん で
いただ きた いと、 願う しだ いであ ります 。
︵
第 二五九〇地区 神奈川県 沿海海運 一
九会 員︶
﹁
社会 人 間﹂待望 の時代
一〇室 ︵一室 が 七 ・五畳 ︶ の規模 で、 この四月
一日 から クラブ の国 際奉 仕委 員会 が中 心とな っ
て、留学 生 の入居者 を募 集 し て いる。部屋代 は
二万 五〇〇〇円 と格 安 であ る。
日本 の留 学 生計 画 は 一九八 三年 、当時 の中 曽
根首相 が、 東南 アジ アな ど の エ コノミ ックア ニ
マ″批判 に こた え て、留 学 生 一〇万 人計画を発
全国 的 に有 名 にな った歴 史 の古 い ″から いも交
流 ″があ る。
また、鹿 児島 大 学 には現在 二〇 〇人以上 の留
若 い世代 と の会 話 理解 には、 どう し ても メデ ィ
を使 いイ ンターネ ット で RIと の通信 を試 みた。
クラブ 職業奉 仕委 員長 研 修会 では、 パ ソ コン
大分県 歯科医 エ
︵
ハ一歳 ︶
木造 渡 辺 屋 城
り であ ろう。 冥 庫県 アイヽ
キ ッシュ配布 六一
き
不 運だと か不利 だ と か い って自 分 の マイ ナ ス
面 にば かり目を向 けて いては、負 け大 になるば か
不 利 は 一方 の側 にだ け あ るも の で は な い
豊岡 浮 田 栄 三
の輪 は保 てま せん。 冥 阪府 都市銀行 四五き
て厳しさは必要 ですが、おも いやりなくして人間
人間 は弱 い動物 です。自分、同僚、部下 に対 し
厳 し さ の中 にも おも いやり を
藤井寺 中 島 守
︵
青 森 県 宝 く じ販 売 工
歳︶
全 一
クヨせず明るく楽しく生きた い。
何事も楽天的 に考える。 一度きりの人生、クヨ
人生楽観
佐伯 牧 雅 保
人生 は往復 切符 は発行 さ れな い、
一度 出発 し
たら 二度 と帰 って こな い。
三木清の ﹃
哲学 ノート﹄によるヒ ュー マニズ ム
に基づく詞 ︵
宮城県 農林業 七九き
角田 高 橋 勇
希 望 に生 き る者 は つね に若 い
警 一
慾
表 したが、最近 は この希 望 者も漸減傾 向 にあり、
識者 を嘆 かせ て いる。
私 は 一九九五︱ 九 六、 九 六︱ 九七 の二年 間、
が、 職業奉 仕 は特 に理論 ではな く、実 践行動 の
地区 の職業 奉 仕委 員長 を務 めさ せて いただ いた
最近 、総 務 庁 が 日本 の大学 の留 学 生 にア ンケ
ロータリ ー に
世界 だと考 え て いる。 も ち ろん、
小原
ート調査 を し た と ころ、不満 が多 か った のは家
鹿児島南
賃 、 生活費 、寮 の設備 な どだ った と いう。鹿 児
も、時流 に悼 さし て変 化 す る部 面も大 切だ が、
″超我 の奉 仕 と い った不 易 の世界 は厳 に存在
″
学 生が在 学 し て いる。 し かし、 留学 生が起 居 を
ア ミ ック スの多 元的 世 界 への理解 が必要 だと強
調 したが、
一方 ″奉 仕 への献身 ″がな ければ 、
ロータリ ー活動 そ のも のが成立 しな いのは当然
島 には外国 の 一般 の若者 と の交流 シ ステ ムに、
す る国 際交 流 会 館 は留学 生 の要 望を満 たす 器 で
であ る。
し て いる。
二年 以上在 学 の学 生 は物 理的 にア パート な ど の
ロー タリ ー理解 への早 道 は、
いうま でもな く、
﹃手続要 覧 の熟 読 であ ろう。 し かし血 の通う
﹄
理解 には始祖ポ ー ル ・ハリ ス、 米 山梅 吉ら諸先
はなく、 そ れ に入館 は 一年間 と いう制限 があ り、
家探 し にか からねば なら な い悩 みがあ った。
支 援 に熱 心 であ るが、 この悩 み の閉塞 状 況 を打
達 の業績 を尋ね る のが具 体 的 だ ろう。もち ろん、
鹿 児島 南 R C の米盛 庄 司 さ ん ︵
鹿 児島 市 ・米
破 す る 一助 と し て二四〇〇万 円 を投 じ、鹿 児島
公 共 のた め に献身 した国 内外 の偉 人 の伝記もた
盛 建設会長 ︶ は かね て から若 い世代 の国 際交 流 、
市 内 に、留 学 生寮 を建設 した。木 造 三階 建 て の
⑩
号
9年 8月
平成
今後 、経営 はす べて委 任 し、院 政 は敷 か
給料 は社長 の半 分 で可
私 の存命 中 に企業 を 倒産 さ せな いこと
必 須 の服 装 な の であ ろ う 。
私 は い つも 、 老 醜 を さ ら す な 〃 美 し い ロー
製 で防 寒 目 的 に加 え 、 国 際 外 交 V I P と し て の
降 り てき た 光 景 を 見 た が 、 多 分 高 価 な カ シ ミ ヤ
タ ン の上 質 オ ー バ ー を 着 用 し て政 府 専 用 機 から
とを見失 い、 ﹁
金 さ え出 せば ロータリ ア ン﹂ど こ
リ ー の奉 仕 の本質 が、精神 性な も のだ と いう こ
発 な奉 仕活 動 に幻惑 され て、 ともす れば ロー タ
ロー タリ ー財団 の活
究 の余 裕 も な く、例 えば、
ただ、 現代 の厳 し い企業 活動 の第 一線 で活 躍
綱領 ﹂ 研
す る若 い ロー タリ ア ンは、 な かな か ﹁
0、体調 に合 わ せ て自 由 勤務 と し てほし い
な い
タ リ ア ンであ れ ″ と の父 の遺 訓 を 思 い出 し て
二項 の関 連 性 にも、 思 いを致 し て いな いのでは
綱領 ﹂の 一項 と
さら に四大奉 仕 に ついても、 ﹁
のではな いか、 と危 惧 さ れます。
ろ か、 ﹁クラブ の自 主性 ﹂さえ、喪失 し かねな い
ロー タ リ ア ンに望 む
︵
第 二 六 七 〇 地区 徳 島 県 建 築 材 料 販 売 ︶
オ ー バ ー を 着 て いる。
と いう 五 カ条 であ り、 短時 間 の中 に事 業 のリ
レーは完 了、最後 に ﹁よ ろしく頼 んだ でよ﹂ と
言 いな がら年 老 いた 父 は私 に握手 を求 めた。
彼 の長 い人生経験 から も多 くを伝承 した か っ
た であ ろう が、 これが濃 縮 さ れた最後 の必要 条
件 であ った。 そ し て追 加 と し て息 子 への次 の忠
な いかと、私 は懸念 し て います。よく、﹁クラブ
奉 仕L社会 奉 仕 L国 際奉 仕﹂は、いず れも F⋮ ︰
問 題 とな って います。﹁
経済活 動 はき れ いごと で
癒着 の スキ ャンダ ルが、国 際的 にも大 き な社会
このと ころ巨額 の金 が動 く と ころ、 政官財 の
一般 的奉 仕観念 の形
リ ア ンと し て資質向 上と、
ロー タ
会 ではな く、 親睦 と相互扶 助を 通し て、
ます 。た し か に的を射 た解説 ではあ ります。
﹁クラブ 奉 仕委 員会 ﹂ は、 クラブ に対す る委 員
に対 す る奉 仕﹂ であ ると いう解説 が行 わ れ て い
六〇歳以上 にな る日が く る。 ロータリ ー の例会
はす ま ぬ﹂ と いう現実 主義 が改 ま ら な いかぎり、
先名
やど こかに行 く とき には、 な んぼ高 う ても ええ
不 祥事 は跡を絶 たな いのではな いかと思 います。
川崎
けん、最高級 品 のオ ー バ ーを高松 三越 に作 ら せ
て、 必ず 着 るよう にしな いよ。下 に着 る背広 が
告 つき の続 編 が面白 い。
﹁
準 一よ。 人 は年 を と ってゆく ので お前 も 必ず
安物 であ っても分 かれ へん し、他 の人 はええ の
私 は この風潮 を改 め るた め に、最 も 強 く求 め
ら れ るも のは ﹁
綱領 ﹂ の定 め る奉 仕 の精 神 であ
り、 いま は公 式標 語 におけ る ﹁
第 一標 語﹂ では
リ ア ンの資 質向 上を求 め、 この効果 を企業 に生
成 のた め の委 員会 です。 ﹁
職業奉 仕委員会 ﹂もま
ロータ
た、 職業 を 通 し て の奉仕活 動 の以前 に、
を着 いと ると思 いよ る。
に死 ん でしま う のが老 人性 肺炎 だ。 これは恐 ろ
︶
の精
な いがぃ
雷o﹁﹃
3 お 〓o8 ■ぎ ∽o
2.
﹁
お∽ωo
高齢 にな ると、 体力 が なく なり発熱 せんまま
し いんじ ゃ。 よう 日経新 聞 の死亡記事 の肺炎 の
かす た め の委 員会 です。
したが って、 とも に ﹁
綱領 ﹂ の実践 のた め の
人格 形成 を求 めた、 この両 者 は表裏 一体 の委 員
会 であ りま す 。 この二 つの委 員会 で、 切磋 琢磨
神 の追求 にほ かならな いと確 信 し て います。
された高邁 な 人格 を家庭 に、職場 に、 地域社会
いでし ょう か。
ロ
に、 はた ま た国 際社会 に顕 現 さ せる ことが、
奉 仕 の理想 ﹂ の実 践 ではな
ータリ ー におけ る ﹁
いま こそ、全世界 一二〇万 に及 ぶ ロー タリ ア
ロー タリ ー の精 神 が顕 現 さ
自 ら実 践 し て こそ、
れ、 経 済 界 の浄化 に つな が るも のと思 います。
ンが 、 そ れぞ れ自 己 の企業 が属 す る経 済 団体 に、
﹁ロー タリ ー の利他﹂ の精神 を導 入 し、 そ こで
人 は大抵 このくち でよ。
お前 も 必ず ええ オ ーバ ーを こ っし やえな いよ。
そう せんと 必ず 肺炎 で死 ぬでよ﹂ と いう純粋 阿
過 日 ベ ルリ ンで開 かれた G 7会議 に参加 し て
波弁 で の父 から の忠 告 であ った。
いた スタイリ スト の橋 本 総 理が、ダ ブ ル四 つボ
1997 VOL.45 NO.8
⑮
lul ll o
得 ず 、 警 官 二名 に て、 よ う やく 二人 を 分 か つ﹂
硬 直 の最 も 強 い時 間 帯 であ るた め、 容 易 に離 し
本 人 に欠 かせな いみそ、 し ょう ゆ の原料大豆 は
は年産 一〇〇〇万 ト ンで 一〇 〇 %、 し かし、 日
徐 に現 れ ると いう のです。
あ ります。 アジ ア ・ア フリ カで飢 餓 の地域 が徐
死 を し た 経 験 あ り ︶ で は 、 死 後 硬 直 は あ っても
り 、 し かも青 酸 薬 物 死 ︵
小 生 、 か つて症 例 の検
と ころ が 、 こと は す で に終 わ って いる の であ
高 い自 給率 ではな いのです 。 日本 は ア メリ カ の
年 間 一七〇〇万 ト ンも輸 入。 です から、決 し て
〇 %。 し かし、 そ の飼料 であ るト ウ モ ロコシは
な ん と 二 % の自 給 率 。牛 肉 は 六 〇 %、卵 は 九
を農 業高 校 に贈呈。 心 から ﹁
農 を営 み、 わ れわ
れ の生命 を育 む農民 の皆 さん、 あ りがとう の
﹂
会 に出席 しま した。私 は、こう いう こと から ﹁
食
の主催 で、地域農 民を 一夕招待 し ﹁
農 業 教育賞 ﹂
昨年 、 研 修 の期間、 サ ン ルイ スの ロー タリ ー
と あ る。
離 す こと が でき な いほ ど 強 い こと は な い。 し た
が って、 こ の記 述 は医 学 的 に不 自 然 であ り 、 い
糧安 全保 障 ﹂ の大 きな新 し い動 きを ロー タリ ー
にも期 待 す る のです。
︵
第 二五八〇地区 東京都 牧師 ︶
が 八〇億 人 ︵
毎 年 九〇〇 〇万 人増 加 ︶ にな った
国 に転 じ はじ めま した。 二〇 二〇年 、 地球人 口
し て いる。 た だ ひと つ、
ロー タリ ー で嫌 いな こ
会 に行 く ことを楽 しん で いた、晩年 の父を追憶
九 二歳 ま で長命 し て、 い つも徳島 西 RC の例
徳島中央
と き、 地球 の全耕 地 は この人 々を養 えなくな る
ァ メリ カが い つま でも ﹁
世界 の パ ン籠﹂ では
あ り得 な いのです 。
〓 一
億 人 の中国 が穀物輸 入
水。
中 部大平 原 のオガ ララ帯水 層 の枯 渇 し つつあ る
こり つつあ ります 。年 間 六 〇億 ト ンの表土流 出、
、小麦 生産 に、いま静 かに異変 が起
ント コー ン︶
ト ウ モ ロ コシ全 生産 の 一一% も輸 入 し て います。
いま 日本 は、 ﹁
飽食 の時 代 ﹂です 。 グ ルメば や
り です 。 し かし、 ア メリ カ のト ウ モ ロコシ ︵
デ
さ さ か興 味 本 位 で オ ー バ ーだ と 思 う の であ る。
第 二六五〇地区 福井県 内科医 ︶
︵
戸枝
食糧安全保障 を考え る
東京 江東
この 一五年 、私 の夏 のア メリ カプ ログ ラ ムに、
﹁ァ メリ カ農 業研 修 ﹂ を 加 え てきま した。全国
に約 五〇 〇校 の農 業 高 校 があります 。
万年青 年 を自負 し、老 人会 にも 入らな か った
と は クラブ 計 画書 の最高齢 者欄 に、自 分 の名前
日本 は、 わず か五〇〇万 ヘクター ルの耕 地 し
父 は、あ る 日突然好 きな ホー ムクラブ 退会 を決
のです 。 ﹁
飢餓 の時 代﹂が確実 にや ってきます。
﹁
普 通高 校 に行 かな い ︵
行 けな い︶農 校 生 に自
信 をもた せた い。 ア メリ カで の研修 計画 を﹂ と
いラあ る農業 高校 の先 生 の希 望 があ り、 そ れを
かなく、 そ れも減反 政策 で細 って います。水 を
が書 かれ る こと であ つたら し い。
加州州 立大 学農 学部 と の共同 で実 現 し てきま し
豊 か にたた え る日本 全 上 の水 田。 そ し て、水 と
す で に八億 人が飢餓線 上 にあ ると いわ れます。
た︵
毎 年 一〇〇 人参 加 ︶。年 を重ね る ごと に、 日
意 し、愚息 の私 に代打 者 にな れと いう厳命 であ
る。 そ し て同時 に社長 を辞 し、会 長 にな ると い
アジ ア諸国 の急 速 な工業 化 ︵これは ﹁
国 際分
0、地域 社会 に貢献す る私企業 であ る こと
の通り であ る。
そ の事業 引 き継 ぎ は単 純 明快 そ のも ので左 記
う即断 即決 の明治 人ら し い発想 であ った。
養 分 を供給す る山と森 から流 れ出 る河 川。
日本 の国 土 は、 このよう な、 自 然 の恵 みを豊
本 と ア メリ カ の農 業 の格差 の大 き さ のみな らず 、
世界 の食 糧問 題 に目 を 開 かされま した。 日本 は
業 論 ﹂ の皮肉 な効果 です ︶ は、 耕 地 を奪 い つつ
か にたた え て いる のです。
現在 、穀 物自給率 三 二%、 先進国 の間 で最 低 で
す。 これ は、 ﹁
国 際 分業 論 ﹂が優 位 を保 ち、 工業
製 品輸 出、農産物輸 入 からきたも のです。 コメ
⑭
号
9年 8月
平成
ロー タリ ー の拡 大、 並び に情
奉 仕 哲 学 の解 明、
と ころが、
一九 一〇年 に連 絡 調 整機 関 とし て
を 縮 小 した も のが ﹁ロー タリ ー の綱領 ﹂ であ り
﹁四 つのテ スト﹂ と いえ る のであ る。
も 詳 細 にふれ て おり、ロー タリ ー にと っては ﹁
般
若 心経 ﹂ の経典 にも相当 す るも のであ る。 これ
わ って し ま えば 、 も は や ロー タリ ー は ロー タリ
かを 、 も う 一度 静 か に考 え て み よ う 。 こ れ が 変
変 わ ら な いも の ﹁ロー タリ ー の原 点 ﹂ と は な に
も に変 わ る も のと 、 変 わ ら な いも のと が あ る。
﹁
不 易 流 行 ﹂ と いう 言 葉 が あ る。 時 の流 れ と と
が 望 ま し いと 述 べ て いる。
練 を 施 す 研 究 室 の実 験 のよ う な も の で、 単 年 度
な いか、 と いう感 じ であ る。
しくな ってきた かなあ、 汚 いし、夢 が違 う じ ゃ
私 ごとき老 人 とな ると、渡 辺淳 一は少 し おか
るほどと、自 ら省 みる に暇 がな か った であ ろう。
か った ことだ ろう。 ま た熟年者 はな るほど、 な
ひ かれ、新聞連 載 当時 は翌 日 の紙面 が待 ち遠 し
読 む ほう も、 正直 い って疲 れた くら いだ。 そ
の項 目 に 一言 した い。 そ れは、死後 推定 約 二〇
時間、 男性 が女 性 の中 に挿 入さ れたまま ﹁
死後
そ の終章 に、自 ら命 を断 った主 人公 の男女 に
死体検 案 調書 ﹂ が記 さ れ て いる。 こ
ついての ﹁
の愛 の美 しさがあ る のではな いかと思 う。
体 よりも、 心 の労 りを伴 って こそ、 人間 と し て
はな いか。 そ こには醜悪 さだ けが残 り はしな い
か。
一片 の心 の労 りもな いではな いか。私 は肉
スの愛 ではあ ま り に肉 欲 的 で、 味 わ いがな いで
り に寂 し いではな いか。著 者 の いう、 オ ス、 メ
著者 は男女 の愛情︱︱恋 愛 はけ っき ょく のと
ころ、極 致 の性愛 な り と し て いるよう であ るが
︵
小説 では︶、私 は同調 できな い。そ れ ではあま
したも のと思う。
阿部定事件 や有島 武郎 の情 死事件 ま でを持 ち 出
とら え て、 そ こに達 す るま でのプ ロセ スと し て、
女合 体 の死と いう悲劇 を、 逆 に最高 の快楽 と、
に陥 って いく様 を焦 点 に、 ついに死、 そ れも男
よ って女 が開花 さ れ て いく。 そ し て次第 に泥 沼
の深 まりと耐 えがた い つぼを追求 し つつ、男 に
転 さ せな がら、女 を御 す る こと によ って、性 ヘ
著者 は マスタ ベー シ ョンの妄想 を幾 重 にも 回
報 の媒 介 の三項 目 に限 って与 えら れた権限 を、
ー で な く な る の であ る。
した作 品 の感 じが しな いでもな か った。 ま た、
二、 三 の エ ッセイ集 に目を通 したが、 こ のほう
私 は、 昭和 六三年 一二月号 に、渡 辺淳 一氏 の
﹃静寂 の声 の読後感 を投稿 した。氏 が昨 年 、
﹄
マス コミを にぎ わ した
日本 経済 新 聞 に連 載 し、
力作 と いう こと で ﹃失楽園﹄ を読 ん で みた。
昨 今 は寡 作 でし かも加齢 のた め か、 少 々老 成
﹃失 楽 園 ﹄所感
︵
第 二 七 一〇 地 区 山 口 県 循 環 器 医 ︶
R Iはあ た かも ロー タリ ー クラブ より上 の官僚
と 誤 認 し て 一致団結 し て31 Hプ ログ ラ ムやポ
リ オ ・プ ラ ス撲滅 に挺身 す るよう指 示 し、不 足
金 は ロータリ ー財 団 の資 金 を流 用 した り した。
ま た事 務局 の冗費 も 目立 つよう にな った。
R Iは 一九八四年 ﹁
職業 倫 理訓 ﹂ を削除 し、
3︲ 4﹂ を抹 消 しよう と試 みた り、 七 四年 ウ
﹁2
3
イ リ ア ム ・ロビ ンズ が ﹁RIが特 定 事 業 を主催
し て各 ロータリ ー クラブ に協力 さ せ る こと は目
的 の範 囲外 であ る﹂ 旨決定 し て ﹃手続要 覧﹄ に
記 載 し て いる にも か か わ らず 、 七 八 年 に ク ン
ム ・レヌフは 一〇〇門 の鉄 砲 を 一門 の大砲 にと、
31 Hプ ログ ラ ムを提 唱 し て現在 に至 って いる。
このような考 え方 はも とも と ロー タリ ー には
は不得 手 のよ う であ る。
疲 れた。
さ て、 ﹃失 楽 園 ﹄であ るが、 著者 は ﹁
自 ら ヒ ロイ ンになりき る こと で、 これ程 主 人公
な いのであ る。﹁ロータリ ー の真 価 は いかほど の
と いう こと ではなく、 そ の クラブ が いかな る ロ
に のり移 って書 いた ことはな か った﹂ と述 懐 し
金 銭 を集 めた か、 いかほど の計 画 を実 践 した か
ー タリ ア ンを育 てた かにあ る只 一九七 五年 ウイ
し て後 味 は よく な い。若 い人たち は性 的 興 味 を
て いる。 な るほど、 そうだ ろう と思 う。
一九 七 九年 前 原 勝樹 ︶と い
リ ア ム ・ロビ ンズ、
4
わ れ て おり、 ﹁3
2︲ 3﹂の六項 には ロー タリ ーが
ロー タリ ア ンに奉 仕 の訓
団 体 奉 仕 をす る のは、
1997 VOL.45 NO.8
⑬
ささ や かなプ レゼ ントが 心 の温ま る礼 状 と な
って帰 ってきた こと は楽 し いこと であ った。
︵
第 二五三〇地区 福島県 貨物自動車 運送︶
ネパ ー ル ヘ行 モ つ
大里荘太郎
いる。 ただ建物 の利用 は十分 ではなく、
一年 で
二回 だ けし か利 用 がな か った と いう。
このほ か支援 に ついて、ネ パー ルに関す る本
を読 んだ り し て、 いろ いろ検 討 し て いる。例 え
ば 、あ の地形、 環境 から し て、 学校 を造 る にし
ても容 易 ではなく、 子供 を 通学 さ せる にも大変
困 難 だと いう ことが わ かる。
そ の中 で、学校 が なく ても 、 先生が いなく て
も、識字率 の向 上を 図 る こと は できな いも のか
と考 えた結果、 日本 で いう ﹁いろは﹂ を組 み合
わ せたポ スターを家 庭 に配布 す る ことを思 い つ
み に、 子供 たち の澄 んださ れ いな目 を見 るた め
に、 ネ パー ″ へ行 こう。
︵
第 二八三〇地区 青森県 飼料販売 ︶
ロータリーよ、原点 に返ろう
保田
ロー タリ ー の歴史 は 一九〇五年相互 扶 助 を目
的 と し て設 立 さ れ た こと に始 ま る が、ド ナ ル
政府 組織 ︶ など にかけあ った り した。最終的 に、
ブ を拡大 す る必要 があ るとし てR Iが 生ま れた。
そ し てチ ェスリ ー ・ペリ ーら によ って ﹁
奉仕
会 員 の皆 さん から、何 気 なく協力 いただ いて
いる ﹁アジ ア 一〇〇 円献金﹂ は、実 は、次 のよ
う な こと に役 立 てら れ て いる のであ る。
ポ スターを家庭 に配 っても、 張 る場所 がな く、
ロータリ ーは哲学 だ け
哲 学 ﹂ の完 成を みたが、
ド ・カー ター の提 唱 により ﹁
世 の為 。人 の為﹂
と いう思想 を加味 し、 そ のた め には全米 にクラ
ー ルの力 ″キ君 が、国 に帰 って五〇〇 カ所 の井
張 ってお いても、家 の中 で火 を燃 やす ので、す
いた。 そ こで、ネ パー ルの大 使館 や NGO ︵
非
戸 を掘 り、 現在 四 五 〇 カ所 が実 際 に稼 動 し て い
る。
一つの井戸 は 二〇〇 〇人 に利 用 さ れ、女 性
ぐ真 っ黒 にすす け てしま う ことが わ か って、 こ
青森 県鶴 田町 で井 戸掘 り の技術 を学 んだネ パ
の水 く み の苦労 を軽 減 さ せ、雨季 だ け であ った
ではな く ﹁
実践﹂ を伴 わな ければ な ら な いと い
う フラ ンク ・マ″ホー ラ ンド の提 唱があ った。
ダ デ イ ・ア レン︶
この ころ エド ガ ー ・ア レン ︵
の方 法 は やめ にした。
このよう に、 これ から も 困難 に数多 く直 面す
は自 分 の子供 が鉄 道事 故 で亡くな った のを機会
に、身 体障害 者養護学校 を次 々と造 り、 さら に
耕作 も三毛 作 を 可能 にした。ま た乳幼 児 の死 亡
率 を半減 さ せた 。
タ マン試験農 場 では、 多 く の種類 の作 物 を 日
る ことを覚悟 し て いるが、急 がず に 一つ 一つ解
の失敗 を繰 り返 す こと のな いよう に、化 学 肥料 、
立 つも のを 選 ん で いる。 この場合 も、 日本農 業
の農 法 に マッチ し、 し かも彼 ら の食 糧 と し て役
え る こと は でき な いL国 際 交 流 と は相 手 の文化
の簡単 な報告 の 一部 であ る。
︱︱ ﹁
文 明 は伝 え る ことが でき るが文化 を変
以上 は、 地区 ネ パー ル支 援 委 員長 と して、私
決 し て いきた いと思 って いる。
農 薬 の使 用 は極 力 避 け て いるが、 す べて押 し つ
を 認 めあ う こと にあ るL奉 仕 の見 返 りを求 める
立 した のは 一九 二七年 であ るが、 この決議 は六
本 のタネ で耕作 し、 そ のうち同地 におけ る在 来
けはしな い。 ま た、 シ ハラ の灌 漑農 場 への支 援
こと は できな い﹂。
も とも と個 人奉 仕 であ るが、団体奉 仕 の こと に
ポ ー ル ・ハリ スに相 談 のう え大会 に提案 さ れ、
3︲ 4﹂ が でき たo
そ の結 果、 ﹁
決議 2
3
奉 仕 の四分類 法 が提 唱 され て ロータリ ーが確
り寄 付金 を徴 収 した。 これが会 員 の反対 を受 け、
身 障 者協会 を設立 し て ロータリ ー クラブ会 員 よ
も行 って いる。
項 目 からな り、第 六項 目 は各論 で ロー タリ ーは
ト レー ニング セ ンター の農 地 では、 野菜 や草
さあ、 ヒ マラヤ の美 しく も神 々し い山 々を眺
め に、 お いし い ロキ シー、 ネ パー ルテ ィーを飲
花 の作 付 けを し、 タネ の採取 など十分役 立 って
⑫
号
9年 8月
平成
な か った。 と ころが、 筑波 大 学 の遠 藤 誉教授 の
体験 話 を、 そ っく り いただ いて書 き上げ た 山崎
豊 子 の作 品 であ った ことが話題 とな った。作 者
は否定 し て いるが、教 授 は ﹁
人格権 侵害﹂ と、
とが わ か った。動 詞 では、 はさま る、 ひ っかか
る、 人員 や財 物 などを押 さ え て他 にま わ さな い
な ど、 そ の他+車 、十 路里、+片 な ど、 いろ い
ろと使 わ れ る。 また 一つ勉 強 にな った。
︱ ヒーで、 生徒 た ち は慣 れな い手 つき でナイ フ
や フォー クを使 い分 け て楽 しそう であ った。
生徒 の皆 さ ん の礼 状が届 いた のは、 そ れ から
一週間後 であ った。大 きな文字 が用箋 い っぱ い
に躍 って いる。字 のやさ し い礼状 は女 生徒 のも
のであ る。﹁ナイ フと フォー クで食 べる のは思 っ
︿
第 二五 一〇地区 北海道 老 人医療︶
私 はそ んな問題 と は別 に、 ﹁+子﹂に興味 があ
訴 訟 沙汰 にま で発 展 し て いるら し い。
りあ らた めて読 ん で みた。 終戦 後 の中国 は当時
孔 子様 の時 代 から軍 隊 を守 る重要 な関所 であ る
こと ?﹂ と尋 ね る シー ン。 そ こで養 父 は熱 心 に
主 人公 の日
つめた空気 の緩衝 地帯 で、 陸 一心 ︵
陸徳 志 ︶ に ﹁キ子とは何 の
本 人 孤児︶が養 父 ︵
そ れ はさ て おき、ド ラ マの中 に出 てく る張 り
字 は ついに和字 とも な れな い哀 れな字 だ った の
あ る和字 の 一つに峠 も あ るが、 音 はな い。 + の
にした 生 徒 たち の社会 参加 や、自 立 に役 立 てて
何度 も開 いてき たが、 とく に今 回 は卒 業 を 間近
精神薄 弱 児施 設 の子供 たちを招 いて の交 流会 は
会 員 のう ち から四〇人が参 加 した。 恵 ま れな い
と引率 教 職員 の皆 さん三〇 人 で、 クラブ から は
日 のお客 さ ん は市内 のあ ぶくま養護 学 校 の生徒
れ る郡 山北 クラブ の例 会場 ﹁
ジ ャ ルダ ン﹂ は招
待 し た生 徒 たち の明 る い声 で にぎ わ った。 この
昨 年 一二月 一六日、外食 プ レゼ ント 会 の開 か
気 持 ち よさそう に自在 にク レヨンを動 かしたと
あ る。 二枚 ともあ ま り絵 は得意 ではな いら し い。
隅 に これが ごち そう の絵 です と添 え書 き が し て
先 生 の手 によ るも のら し い皿が書 いてあ って、
絵 を描 いてよ こした生徒も いる。画用紙 には
のもあ った。
中 には先 生が蛍光 ペ ンで書 いた字 をな ぞ ったも
く った用箋 の マスロを 一つ 一つ丁寧 に埋 め て、
る必要 があ った。 そ こが + 子 であ る。 いく つか
師 に かけ るた め、狭 い緩衝 地帯 を設 け て検 問 す
国 府 軍 と共産軍 の内 戦 が激 しく な り、 通行 人を
た より かんた ん でしたLあ っと いうま に食 べて
しま った﹂﹁ロー タリ ー クラブ の皆 さん、また し
ょうた いし てくだ さ いL こんどは学校 にあ そび
にき てくだ さ い﹂。ど の礼 状 にも喜び の言葉 があ
ふれ て いる。何 回 も消 しゴ ムを使 った跡 のあ る
こと を、 そ し て今 は悲 し いこと に国府軍 と八路
もら おう と、 クリ ス マスを前 にし て開 いたも の
いう感 じ で、 ミカ ン色 は ステーキ、 美 し い若 み
であ る。 そし て見 るも の の心も ほ っと安堵 でき
養 父を雀 篭 と呼び 、 親 子 の心が 一体 とな れた の
バ スを利 用 した ほど であ った。
つけ さ せよう と、会 場 と の往復 にわざ わざ 路線
るた め に必要 な公衆 道徳 や社会 的 ルー ルを身 に
この招待 を機会 に、 テ ーブ ル マナー や社 会 に出
仕活動 に駆 け回 って いる会 員 も いる。
の養護 教育進 路 推進協議 会委 員 と し て地味 な奉
生徒 たち の礼 状 は早 速次 の例会 の席 で、 この
″外食プ レゼ ント を取 り上げ てく れた新聞 記
″
事 ととも に披 露 さ れた。当 クラブ には、福 島県
絵 の上 に重 な って いる。
どり はサ ラダ 菜 であ る。温 かそう な生徒 の心が
礼 状 もあ る。 心を こめた文字 が特 別 に大 きく つ
軍 、 そ し て通行 人ま でも厳 し く検 問 し て いるん
であ った。
かも し れな い。
だ よ、 とやさしく教 え て いた。 八路軍 に引き離
た のであ る。 そ んな前後 の描写 はま さ に圧巻 そ
食 事 は生 徒 たちが喜び そう な メ ニューを そ ろ
学校 は当 クラブ の招待 を非常 に喜 ん でく れた。
のも の、 心ま で洗 わ れた 思 いであ る。
あ と で子供 ら から古 希 の祝 いに贈 ら れた ﹃中
コ
えた。 スープ 、 サ ラダ 、 ステーキ、 ケーキ、
一心 は はじ めて大声 で
さ れそう にな ったとき、
日辞 典﹄を めく ってみ て、 さ ら に いろ いろな こ
1997 VOL.45 NO.8
⑪
私 は最後 の スピー チ に﹁
外 国 で″私 は 日本 人 ″
と いう代 わり に ″アジ ア人 ″と答 える﹂ と の話
を したと ころ、あ と で 一人 の学 生 が傍 ら にき て、
﹁
先 生 の話 が気 に入 った。 これ から は アジ ア の
な アジ ア人﹂だ なあ と実 感 す る。
と し て の自 覚 を 持 ち 、 台 湾 人 と し て の誇 り を 持
姿 の写 真 を 見 て安 心 し ま し た 。 郭 さ ん こそ 華 僑
ま した。
ち 、 し かも 日本 人 の心 を 日本 人 以 上 に知 って い
た り も し ま し た 。 し か し、 葬 儀 で郭 さ ん の和 服
郭 さ ん を 台 湾 人 と書 いて よ か った の かな と 思 っ
こ の会 報 が 出版 さ れ てあ ら た め て読 み返 し 、
時 代、 わ れわ れは国籍 の違 いを超 え てアジ ア人
と し て連帯 しな ければ いけま せんね﹂ と目を輝
た 人 、 そ し て最 愛 の 日本 人 の妻 と 仲 睦 ま じ く添
が商 売 を よ く し、 人 を 欺 かな い こと が 力 だ と い
商 売 と は 職 業 奉 仕 であ る、 心正 し く 行 う こと
いとげ た 人 だ と思 いま し た 。
かす のだ った。
︵
第 二 五 一〇 地 区 北 海 道 医 学 研 究 ︶
日本 を愛 し た台 湾 人
う のが 信 条 の郭 さ ん は 、 儒 教 に裏 打 ち さ れ た 立
派 な 国 際 人 であ り ま し た 。 ま た 、 台 北 で の国 際
親 切 の押 売 り はしな い。
親 切を し てあげ る こと によ って相 手 から
感謝 さ れ る ことを期 待 しな い。
親 切をす る こと で見返 りを要 求 しな い。
会 員 以外 が親 切をす る ことを強要 しな い。
他 人 に親 切 にさ れたら素直 に感謝 し、 さ
れ る必要 が な いと いう態 度 や言動 は取 ら
な い。
︵
第二七五〇地区 東京都 タクシー業︶
加 した関係 で大変 私 と仲良 し でした。昨年 発行
当 クラブ の郭安 然 さ ん は大 正 生ま れ の七三歳
で、 台北 や ニー スの国 際 大会 に夫婦 ともども参
ロー タリ ー活 動 の 一環 と し て留
そ し てま た 、
し き り であ り ま し た 。
ら 出 発 す る光 景 を 見 た 郭 さ ん は、 感 心 す る こと
車 の馬 が ふ ん を す ると馬 車 を 止 め掃 除 を し て か
や 、 石 畳 の道 路 を 清 掃 し て いる老 人 や 、 観 光馬
了 後 、 観 光 地 の ミ ハス ヘ寄 った 時 、 自 宅 の石 垣
私 の質問 に、彼 は丁寧 に優 しく教 え てく れた。
彼 のことを 写真 入 り で取 り上げ た ことがあ った。
委 員長 のとき、 三 〇周年記念 誌を出す に当 た り、
り に お会 いし、 尋 ね てみた。数年 前、私 が雑 誌
中国 人留学 生 だ った王強 君を思 い出 し、久 し振
ロー タリ ー の元
載 って いな い。 そ こです ぐ に、
最 近、 こんな ﹁
+ ﹂字 を見 て ﹁
十﹂ と錯 覚 し、
いろ いろと 日本 製 の辞典を調 べたが、 ど こにも
﹁十子﹂と いう 字
さ れた﹃アジ ア文化 ﹄と いう雑 誌 の編集 者を し て、
﹁
名利 を求 めず 、 正 しく清 ら か に社会 のた め に
学 生 へのさ ま ざ ま な 支 援 、 市 内 の名 所 旧跡 、有
そ れはあ る二 つの県 の国境 、 日本 で いえば 江戸
大 会 で 、 台 湾 に つ いて話 を す ると き の郭 さ ん は
生 きようと した華僑 ﹂ と いわ し めた郭 さん です 。
名 工 場 の訪 間 な ど を な さ った り 、 日本 の理 解 と
時 代 の関所 のよう なと ころだと。字 面 からす ぐ
水田
郭 さんが発行 れ いる ﹁
さ
小 さな親 切を しま
て
し ょう会 ﹂ の会 報 に、 私 は ﹁
郷 土 の自 然を守 ろ
相 互 の親 睦 を 図 るな ど 、 そ の実 践 活 動 はす ば ら
納得 できた。
東京武政府中
う﹂ と いう題 で投稿 した こと があ ります。内容
は私 の尊 敬す る台湾 の政治 家李 登 輝総統 の日本
し いも の であ り ま し た 。
目 が 輝 いて いま し た 。 ニー スで の国 際 大会 の終
と の かかわり と、 わ れわ れが府 中 を愛 す る台湾
念 で な り ま せ ん。 親 切 運 動 で郭 さ ん の提 唱 さ れ
本 当 に有 能 な 謙 虚 な ロー タリ ア ンを 亡 く し残
人 であ る郭 さん の、 小 さな 親 切 の具体的実 践 運
動 ﹁
欅 並本 を大 切 に、府 中 を美 しく、環境 にや
た ﹁
守 り ま し ょう 項 目 ﹂ を 紹 介 いた し ま す 。
なぜ こんな話 を持 ち 出した かと いえば 、 以前
NHKテ レビド ラ マで放映 さ れた ﹃大 地 の子﹄
に+ 子が出 て いた から。そ のとき は気 にも と め
さ し い府 中 の町 づく り、欅 並木 の清 掃﹂を書 き
⑩
号
9年 8月
平成
0佃 )O l_l ll
私 は アジ ア人
の エ レベ ー タ ー で、 見 知 ら ぬ自 人 男 性 が いき な
に中 国 人 か、 韓 国 人 かと 聞 かれ た こと も あ る。
こん な こと も あ った 。 シ ンガ ポ ー ルの ホ テ ″
も似たような印象 をも った。 と いう こと は みん
えた。中国 に行 ったときも、 タイ に行 った とき
見 えた し、 日本 に帰 ったら、 みんな韓国 人 に見
り 私 に お前 は ど こ の人 かと いう 。 シ ンガ ポ ー ル
な似たも の同 士と いう こと であ る。
あなた はど この人 か﹂ と いうた
最近、私 は ﹁
ノー と いう と 、 ビ ル マか、 フ ィリ ピ ン かと いう 。
る気 持ちもあ るし、 日本 人 だと い って誇 ら しく
ぐ いの質問 に、 ﹁
私 は 日本 人﹂と答 えず に ﹁
私は
アジ ア人﹂ と答 え る こと にし て いる。
プ ライ バ シー に かかわ る質問 にち ゅうち ょす
かと いう の で ﹁ノ ー ﹂ と いう と 、 タイ か、 あ る
ち ょう ど そ のと き エ ンベ ー タ ーが 止 ま った の で
思う気持 ちも な いではな いが、 アジ ア人 だと い
いは マ レー シ ア かと 矢 継 ぎ 早 に聞 く 。 そ れ で も
イ遺 跡 を 見学 し て いた とき、 アリゾ ナ から きた
降 り な が ら ﹁私 は 日本 人 ﹂ と答 え た が 、 相 手 は
考 え て み れば 、 彼 ら に、 わ れ わ れ の国 名 の区
マレー シアな ど、 アジ ア各国 の留学 生た
韓国、
な ぜ かキ ョト ンと し て いた 。
と聞 く ので、﹁いや、私 は 日本 から きた 。私 も ロ
ー タリ ア ンだ﹂ と答 えた。 ロー タリ ア ン同 士 の
具 合 が す こし 違 う く ら いで、 ほ か に大 き な 違 い
先 日、地区 の米 山記念 奨 学 生 の壮行会 で中国 、
う共 通 の認識 が大事 だ と思 う から であ る。
連 帯感 で話 は楽 しくはず んだ。
あ なた はど この人 か?﹂
思 い返 す と外国 で ﹁
は な い。
い つか韓 国 に行 った と き は、 み ん な 日本 人 に
別 は つけ にく いだ ろ う 。 南 方 の人 と は 肌 の や け
とよ く聞 かれ る。
と いう 二人 の ロータリ ア ンと出会 った。 そ のと
き 先方 は ﹁
あ なた は こちら ︵
タイ ︶ の人 か?﹂
この 一月 、 タイ のチ ェン マイ の近 く、 ス コタ
この欄へのこ投稿は1,000宇 内外にお願いし
ます。規定をはるかに超える原稿は掲載が非
常におくれ、あるいは掲載できかねることも
こさいます。一人でも多く掲載をと考えてい
ますので、こ協力を切 にお願いします。
趣旨を変えずに削つたり直 したり、見出し
を変えさせていただくこともあります。
ち と懇談す る機会 があ った。彼 ら の顔 を 見 て い
ると、みんな仏面 にも似 て表 情 は優 しく、﹁みん
日本 人 かと聞 かれ る ことが多 か った が、 とき
1997 VOL.45 NO.8
③
ダ リア
ク スの発 想 で ござ いま す 。
私 た ち ボ ラ ンテ イ ア は、 こ の運動 を 通 じ
感 動 的 な いろ ん な 光 景 を 見 る こと が でき ま
か った。 そ れを、彼 らが ぼく に教 え てく れ
た ん です﹂ と、 述懐 し て いま した。
う な 金 髪 にし た 青 年 が コー チ に来 て いま し
を し て 一生 懸命 にさ せて いる のだ と 思 いま
分 たち で考 えな がら、自分 たち でな んと か
やり遂げ よう と いう、 そ の達 成感 が、彼 ら
約 分 に上 乗 せを し て製 作 し ま し た 。
お かけ いた し ま し た が 、 今 年 度 は ご予
だ れも リ ーダ ーが いるわ け ではな い。自
た 。 と ころ が 、 あ る自 閉 症 の少 年 は こ の青
す。
す 。 さ ま ざ ま な 人 が コー チ に来 ま す が 、 あ
る と き、 だ れ が 見 ても 一見 、 髪 が 鶏 冠 のよ
いわ れ ると おり
年 の いう こと を よ く 聞 き 、
付 録 は 、﹁ロー タリ ー ク ラブ 定 款 。細
した が、 この間 、多 く の人 々 から、 こう し
七
悧¨ ﹄﹄︸ ﹂時 一 い浮耐郭 筆 者﹁ げ二
一
切り取 って ﹁ロー タリ ー手 帳﹂ に入 れ 一
私 は 一〇年余 り、 この運動 を続 け てきま
自 閉 症 の子 供 は団 体 行 動 が 取 れな いと い
とも に喜び を味 わう 一体感 の素 晴 ら しさが
て持 ち歩 け るよう にな って います。
一生 懸 命 に頑 張 って いま す 。
う特 性 が あ る そ う です が 、 少 年 は そ の青 年
の横 にち やん と座 って、 自 分 の出 番 を じ っ
あ ります 。
彼 が いう には、﹁ほ ん と う に ス ペ シ ャ ″オ
う こと にし ま し た 。
いう ので、 そ の 日、 私 は時 間 を つく って会
り 、 そ の壮 行 会 の席 上 で私 と 話 が し た いと
後 、 世 界 大 会 の コー チ と し て行 く こと にな
出 てな り ま せ ん で し た 。 こ の青 年 は、 そ の
広 くな り 、 世界 の人 々と対等 に交流 が でき
活 動 が、 これ に参加す る人たち の心がよ り
て いる のはそ のた めです。 そし て私 たち の
ペシヤ ルオリ ンピ ック スの運動 に、参加 し
を 工面 し てま で、時間 を つく ってま で、 ス
この運動 を 通じ て多 く の ことを学び と って
います 。 お金 のた めではな く、自 分 で費 用
この運動 に参 加す るす べて の人た ちが、
Ⅲ O三︱ 三 四三 六︱ 五九五六 .
Ⅲ O三︱ 三四 三 六︱︲
六六五 一
ロータリ ー の友事 務所 ま で。
待 ち いた し て おります 。 お申 し込 みは
新会 員 の皆様 、 予約 注文 を お忘 れ で
て優 し さを教 え てもら つて います 。 そし て
と 待 って いるそ の素 直 さ を 見 て、 私 は涙 が
リ ンピ ック スに出 合 え て よ か った 。 ぼ く は
高 校 を 中 退 し て、 親 父 を ぶ ん 殴 って、 家 具
るよう にな る、 そ の手 だ て にな れば 、と願
お困り の会 員 の皆様 の お申 し込 みを お
も ひ っく り かえ し て大 暴 れ し て いた ん です 。
って いま す 。
相夫 人︶
︵スペ シャ ルオリ ンピ ック ス日本 本部/
三四
熊本市 北 千 反畑 町 一︱ 七 aO九 六 ︵
〓長 ・細 川佳代 子細 川元首
四︶ 九 九〇 三 ︿
でも 障 害 を 持 ち 、 自 分 で は何 にも でき な い
人 た ち だ と 思 って いた 、 あ の子 た ち が頑 張
って いる姿 を 見 て、 ぼ く は 甘 か った と 思 う 。
や れば でき る く せ に、 何 にも し な いで面 白
く な いと い って は、 暴 れ て いた 。 自 分 で は
何 も 努 力 し て いな か った 、 と いう こと が わ
③
号
9年 8月
平成
J
年 七月 の こと でした。
コネ テ ィカ ット大会 に参 加 した のは、 九五
が 世界 大会 に参加す るた め に渡 米 しま し て、
幸 運 に恵 ま れま した。 こう し て、彼 女 と私
議 にも思 いま した が、 これが、 スペシャ ″
のです。得点 から い つても、な んだ か不 思
しま いま した。彼 女 は銀 メダ ルを獲得 した
とき には、 心底驚 き と とも に大変 感激 し て
シ ルバ ー﹂ と、 場 内 ア ナウ ン スで呼ば れた
な ん と 人 間 味 のあ る評 価 の仕 方 で し ょう か。
換 え 、 ス ペ シ ャ ルオ リ ンピ ック スのそ れ は、
ろ から 疑 間 を 持 って いま し た 。 そ れ に引 き
を ほ と ん ど 摘 ん で し ま う こと に、 私 は 日 ご
仕 組 みが でき てし ま って いて、 可 能 性 の芽
学 校 の試 験 も 受 け ら れ な いよ う な 、 そ ん な
彼 女 は、幾 つもあ る競 技 の中 で、私 が教
オリ ンピ ック スの素 晴 ら し さな ん です。
終 わり、審 査 の結果、 四 ・七 五と いう得 点
一生懸命 に演 技 を しま した。 そ れも無 事 に
こえな い彼 女 には大変 な ハンデ イです が、
音楽 に合 わ せ て躍 ると いう競 技 は、 耳 も聞
地 から集 ま る、 こう した人た ち に伍 し て、
人たち の指導 にあ た って いる のは、 みな民
ア メリ カ では、私 の知 る かぎり、 そ れら の
ラ ンテ イア の コー チと し て の参加 でした。
設 から先 生方 が、 生 徒 たちを引率 さ れ て行
きま したが、私 はた だ 一人、 民間 から のボ
日本 から は、多 く の公 立 の養護学校 、施
あ れ ば 、 音 楽 でも絵 画 でも 、 周 囲 が 少 し サ
す 。 こ の人 た ち には実 は、 や り た い こと が
しば しば 追 い込 ま れ る よ う な こと も あ り ま
人 間 と し て生 き て いけ な いよ う な 状 況 に、
知 的 障 害 のあ る人 た ち は、 極 端 な 場 合 、
え る新 体 操 の競技 に出場 しま した。 世 界各
でした。
一〇点満 点 です から、私 はよ く や
間 人 です 。
スペ シャ ルオリ ンピ ック スでは、
す と、
ハ
ルに輝 いた のはどう いう こと か、 と いいま
と ころ で、古 本 と も こち やんが、銀 メダ
て いるも の です 。 そ れ を 、 スポ ー ツを 通 じ
て、 し かも 楽 し みな が ら 、 手 助 け し よ う と
ポ ー ト し てあげ れば 、 驚 く べき 才 能 を 持 っ
人 間 の優 し さ知 る
った と 思 いこそす れ、ま さ か入賞 す ると は
みじ んも思 って いま せん でした。
能 力 で は な く 、 いか に努 力 し た か
スペ シ ャ ルオリ ンピ ック スの目
いう のが 、
これ ら の人 た ち は、 不 幸 にも 医 学 が ど ん
ンデ イの少 な い人 と 重 い人 とを競争 さ せる
ま で努力 し、 四 ・七 五 の点数を取 る のは大
な に進 歩 し ても 、 人 口 の 二 % は 生 ま れ ると
的 な の です 。
変 な努力 だ った でし ょう、そ の努力 は、﹁
銀
や さ し さ を 教 え るた め のプ レゼ ント であ る、
ことはなく、あ な た は障害 のあ る、 そ のま
メダ ルに値 しま す ﹂ と いう ことだ った ので
す。 です から、 五点 以内 で金 ・銀 。銅 が出
と いう 認 識 を 私 た ち は じ っかり と 持 つべき
と です。 日本 では、 例 えば 、教育 の世界 に
を評価 す る メジ ャーを持 って いると いう こ
た か、自 分 が ど れだ け努 力 した の か、 そ れ
これは、 そ の人 の能力 を ど れだ け伸ば し
る のだ 、 と いう のが ス ペ シ ャ ルオ リ ンピ ッ
う し た 人 た ち は、 私 た ち のた め に いてく れ
あげ な さ い、 と教 育 さ れ てき ま し た が 、 そ
た 人 が いた ら 、 自 分 の でき る こと で助 け て
でし ょう 。 私 も 幼 い ころ から 、 親 から 困 っ
いわ れ ま す が 、 そ れ は神 様 から の、 人 間 に
た のです。
偏差 値 と いうも のがあ り、自分 が希 望す る
1997 VOL.45 NO.8
⑦
と ころが、﹁
ジ ャパ ン、ト モ コ 。フ ルモト
な かむ ら か つこ
1944年 熊本県山鹿市に生 まれる。 65∼ 69年
熊本県立高森高等学校教諭、育児のため退
職。73年 フラワーデザインに出合 う (現 在
フラワーデザイン教室6ヵ 所 を経営)。 83年
第 6回 スペ シャルオ リンピックス国際大会
にポランティアとして参加。
人 の援 レ さ を 知 る
コ炎シャルオリンピ//
ス﹂
のボライアィア豊︱チ体験記
私は、単なるスポーツ好きの主婦でしたが、この
運 動 に参 加 しなが ら、 心 か ら幸 せ を感 じ て いま す 。
ご存 じ のよ う に、 パ ラ リ ンピ ック は身 体
各 方 面 から の支 援 を 仰 いで いま す 。
ス イー じ げ 負 呆 副裏 中村 勝 子
ス ペ シ ャ ル オ リ ン ピ ック ス の
リ カ です が 、 日本 で は 神 奈 川 県 から 始 ま り
シ ャ ルオ リ ンピ ック スは 、 発 祥 の地 は ア メ
最 近 で こそ 、 少 しず つ知 ら れ てき た ス ペ
界 で 日本 を 含 め、
一四 五 カ国 、
一〇 〇万 人
ハンデ イ のあ る 人 た ち のた め のも の で、 世
ス ペ シャ ルオ リ ンピ ック スは 、 知 的
す が、
的 な 競 技 大 会 で、 す で に広 く 知 ら れ て いま
的 に ハンデ イ のあ る人 た ち のた め の、 世 界
ま し た 。 私 は 一三 年 前 の こと にな り ま す が 、
素晴らしさ
神 奈 川 県 伊 勢 原 市 で行 わ れ た合 宿 に か かわ
以 上 の知 的 障 害 者 が 参 加 し て いま す 。
ピ ック ス熊 本 ﹂ の例 で い います と、 二〇〇
コーチと し て
人 にのぼ るボ ラ ンテ イアが、
登録 し て おりま し て、
一五〇人 からな る知
的障害 の スポ ー ツを やりた い人 々が登録 し
ており、競技 は九種 目 ござ います 。
私 がボ ラ ンテ イアと し て、 そ の世話 に か
かわり始 めた当時 は、高校受験 の息 子を抱
え て いま し て、難 し い時 期 でしたが、どう
し ても、 この素 晴 ら し い運動 のお手伝 いが
したく て、 し ぶる主 人 と息 子を説得 し、 こ
の運動 に参 加 した よう なわ け でした。 スペ
シヤ ルオリ ンピ ック スの大会 へ、私 が初 め
て行 ったとき は、会 場 の雰 囲気 が想 像 と は
全然違 って いた ことが いまも印象 に残 って
います。 だ れも変 に頑張 って いる人 は いな
く て、 むしろ楽 しげ な雰 囲気 に、大変驚 い
たも のです。
そう こう し て いるうち に、私 は、単 な る
お手伝 いではあ き たらな くなり、体育教 員
だ った経験 を生 かし新 体操を教 え るよう に
な った わけ です。 そ の後 、 いろ いろと経 過
ョナ ル ︵
本 部 ア メ リ カ ・ヮ シ ン ト ン D
ス ペ シ ャ ″オ リ ンピ ック ス ・イ ンタ ー ナ
わ れ て いま す 。
一九 九 四 年 一〇 月 に ﹁ス ペ
シ ヤ ″オ リ ンピ ック ス東 京 ﹂、九 六年 四 月 に
﹁ス ペ シ ャ ルオ リ ンピ ック ス神 奈 川 ﹂ が 組
本 ﹂ を 本 部 にし て、 全 国 で組 織 づ く り が 行
学 のた め に、 ち ょうど この世界大会 を見 学
日本 で は ﹁ス ペ シ ャ ″オ リ ンピ ック ス日
C ︶ は 、 知 的 障 害 者 の社 会 的 自 立 を めざ し
て、 スポ ー ツを 通 じ て応 援 す るボ ラ ンテ イ
織 さ れ て いま す が 、 現 在 ︵九 六年 一〇 月 ︶
しよう と準備 し て いた と ころ でしたが、彼
った のが 、 最 初 で ござ いま し た 。
ア によ る世 界 的 な 組 織 で、 国 際 オ リ ンピ ッ
で は 国 内 各 地 に 一〇 団 体 が 誕 生 し て いま す 。
があ りま したが、 私 が指導 し て いた 一〇歳
ク委 員 会 ︵I O C ︶ から も 正 式 に認 めら れ
例 え ば 私 の所 属 す る ﹁スペ シ ャ ルオリ ン
女 が選手 と し て出場 す ると いう、予期 せ ぬ
大会 に出場す る こと になりま した。 私 は後
の吉本 とも こち ゃんと いうダ ウ ン症 の少女
が、 ァ メリ カ で開 かれ る四年 に 一度 の世界
て いる団 体 です 。 そ の活 動 に必要 な費 用 は 、
⑥
号
9`F8月
平成
10月
卓話要 旨1996年
第2700地 区大会
ア ンのボ ラ ンテ イア活 動 のも と、撲 滅 運動 が
進 めら れ、 ポ リ オ接種 のた め のワクチ ン購 入
世 界 のす べ て の 国 か ら の
そ し て いま、 ア フリ カでは大 きな チ ャ ンン
ポ リオ 根 絶 が 目標
現在 では、 ポ リ オ募金 は 二億 四八 〇 〇万ド
ジ が行 わ れ て いる。 そ こには遠隔 地 への動 員
も、 これ にと もな って行 わ れた。
ルとな り、 投 資 の結果 を合 め て約 四億ド ルに
I D s実施 のほ か広 く支援 し て いる。また財
団 管 理 委 員 会 の中 島 治 一郎 。前 委 員 ︵
泉大
、蔵 並定 男 。現委員 ︵
津︶
鎌倉 ︶らも、 そ れぞ
れ世界 の ロータリ ア ンに伍 し て積 極 的 に協力
を行 って いる。
放 され て いるが、 す べて の国 々 から のポ リ オ
日本 はす で に何年 も前 から、ポ リ オ から解
れ のポ リ オ撲滅 運 動 を複 雑 にし て いる現実 が
追 放が、 われわ れ の使命 であ る。
が困難 な う え、不 安 定 な 政治情勢 が、 わ れわ
あ り、 し かも ワクチ ンは冷 却 し て おく のも難
達 し て いる。
見 え てき た
かも し れな い。衛 生 に関 す る情 報 が 、 かな り
れ から の奉 仕活 動 は、 さら に困難 を とも な う
わ れわ れ ロータリ ー のポ リ オ に対 す る、 こ
ー のリ ーダ ー は マ ット ・カ パ ラ スR I会 長
ロー タリ
中国 および 西 太平 洋 諸国 に対す る、
リ ー のな い国 でも接種 運動 が行 わ れ て いる。
ロータ
ま た中国 、 ラオ ス、 ベト ナ ムな ど、
ながら、活 動 が果 敢 に続 けら れ て いる のだ。
年 ま で に、世界 からポ リ オをな くす た め の撲
先 に述 べたよう にアメリ カ政府 も 二〇〇〇
づ くり、冷蔵庫 の提 供 など であ る。
エプ ロンや帽 子
く り や、ポ スター、 シャ ツ、
選 ぶ ことが でき る。例 えば 、
パ ンフ レット づ
この運動 に参加 でき る希 望 のプ ロジ ェクトを
各地 の ロータリ ア ン、 クラブ および 地区 が、
遅 れ て いる 一方 で、 ア フリ カ、 イ ンド 、 イ ン
︵一九八 六︱ 八 七年 度 ︶ であ る。 とく に中国
滅 運動 に深 く かかわ って いる。ポ リ オ接種 は
ポ リ オ な き 世 界 の実 現
ド ネ シア、 そ の他、 アジ ア諸国 で の子供 の多
内 には紆余曲 折 があ ったも のの、 ワクチ ン製
世 界 の子供たち のた め の人道主義 プ ログ ラ ム
し い。 し かし、 こう した困難な事態 に直 面 し
い国 々 に加 え て、東欧諸国 な ど にも接 種 を行
ロー タ
造 の薬 品工場 を建 設 す る資金 のた め、
と いう ことだ けではな く、繰 り返す が、 計 り
し かし幸 いに、最近 に至 り、 よう やく ″ポ
、 と いう こ
って いかな け れば ならな いから であ る。
リ ー のポ リ オ ・プ ラ ス補 助金 一五〇 〇万ド ル
知 れな い大 きな経済 的利益 を もた らす のだ。
以上 が、国 際 ロータリ ーを中 心とす るポ リ
受 けた計算 にな る。 これは ロータリ ー のポ リ
国 々では、 五歳以下 の九五% の子供 が接 種 を
ア ルメ ニアなど の子供 たち であ る。 これら の
ブ ″ガ リ ア、 ヨ ルダ ン、 イ ラ ク、 パ ンスチナ、
れた。当時 の平 岡 正 已 。財団 コーデ ィネ ー タ
のた め日本 から 七 〇万 ド ルの追 加寄 付 がな さ
クチ ンが接種 さ れ、 中 国 におけ るポ リ オ撲減
もあ る。 八〇 〇 〇万 人を 数 え る子供 たち に ワ
二回 のポ リ オ接 種 は N ID sの実施 の効 果
は、国際 ロータリ ーが人類 に何 を成 し遂げ た
か、永久 に忘 れら れ る こと はな いであ ろう。
〇周年記念 とし て、 この夢 が実 現 さ れる暁 に
プ レゼ ントとな る のだ。 ロー タリ ー創 設 一〇
の子供 たち に、 これは この上 な い素 晴 ら し い
が、 この恐 ろし い病気 から救 わ れ る! 世界
オ ・プ ラ ス ・プ ログ ラ ムの歴 史 的 足跡 の概略
と、 そ の理想 であ る。
一〇億 人も の子供 たち
思わ れ る。
これ により、中国 ではポ リ オ の撲滅 も近 いと
が供与 さ れ、 現在 これが軌 道 に乗 って いる。
リ オなき 世 界 ″が ほ の見 え てきた
とが でき よ う。
前年度 は、東 欧 や東部 地中 海 の国 々で、 六
ロー タリ ア ンのボ ラ ン
オ ・プ ラ ス補 助金 と、
ー ︵
羽衣 ︶ の努力 が高 く評価 され る。 日本 の
ロー タリ ア ンは、 イ ンド 、 モンゴ ″など のN
三〇 〇万 人 に及 ぶ子供 たち が接種 を受 けた。
テ ィア活 動 のおかげ と、 いわな け れば な らな
い。
1997 VOL_45N08
⑤
多 く は、 これ を 世 界 的 プ ロジ エクト し て、 と
によ るも の であ るが 、 当 時 の ロー タリ ア ン の
七 九年 度 R I会 長 の ク ンム ・レ ヌ フ氏 の提 唱
げ た 31血 プ ログ ラ ム の発 案 者 、
一九 七 八︱
ライゾ ン委 員会 が発足 し て から であ る。
ー 。マッキ ャ フリ ー会 長 が任命 した ニュー ホ
れ た の は、
一九 八 一︱ 八 二年 度 の ス タ ン ン
でポ リ オ ・プ ラ スの考 え方 が本 格 的 に始 めら
オ接 種 を始 めた のであ るが、実 際 に世界 規模
来の ﹁
ポ リ オ 二 〇 〇 五 ﹂ と いう 名 称 を ﹁
ポリ
ロジ ェクト と 協 力 し て進 め るた め、 R I は従
最 大 のプ ロジ ェクト であ り 、 W H O の接 種プ
これ は 、 いま ま で の ロー タリ ー に お いても
ち に対 す るポ リ オ の予 防 接 種 を 行 う こと を 、
ー タ リ ア ン の 養 成 を 行 った 。 ポ リ オ ・プ ラ
そ の後 間 も な く 、 ポ リ オ ・プ ラ ス資 金 の大
人 であ った 。
東 京麹町︶も そ の 一
務 め た 日本 の山 田葬 氏 ︵
キ ヤ ン ペー ンを 指 揮 す る三 七 〇 〇 人 以 上 の ロ
理事 会 で承 認 され ﹁
ポ リ オ二〇〇 五﹂ と呼ば
れ るよ う にな った。
ス ・キ ヤ ン ペー ン 。国 際 コーデ イネ ー タ ーを
委 員 会 は 、 直 ち に四 四 に及 ぶ国 内 委 員 会 を
オ ・プ ラ ス﹂ と変 え た の であ る。
であ った 。
ら え る こと が で き な か った 。
設 置 す ると と も に、 各 国 各 地 で の資 金 集 め の
し かし、 フ イリ ピ ン で 六 〇 〇 万 人 の子供 た
こ の委 員会 の目的 は ″ロータリ ー創 設 一〇
〇周 年 ″ のプ レゼ ント と し て、ポ リ オ接 種 を
世界中 の子供 たち に行 う こと であ って、 RI
第 一回 と し て、 これ を 承 認 し て から 、 31童
プ ログ ラ ムが 未 来 に連 な る夢 と し て推 進 さ れ 、
R I創 設 七 五 周 年 記 念 に際 し て、 七 〇 〇万 ド
″の寄 付 が 集 め ら れ た の で あ る。
長 ︵一九 八 四︱ 八五年度 ︶は ﹁
経 ロ ワクチ ン﹂
の発 明者 ア ルバート ・セービ ン博 士 を はじ め、
そ れ から 二年後 に、 カ ル ロス ・カ ンセ コ会
が 一九 七 九︱ 八 〇 年 度 のジ ェー ム ス 。ボ ー マ
世界 的 なポ リ オ専門家 からな る特 別委 員会 を
こ の第 一回 のポ リ オ 予 防 接 種 が 行 わ れ た の
ー会 長 の時 期 で、 彼 は のち に同 様 に会 長 ︵一
た め、 ナ シ ョナ ル委 員 会 は 、 のち にR I会 長
部 分 が ア メリ カ で集 め ら れ る こと が わ か った
世界 中 の子供たち に対 す る、ポ リ オ接 種 を
と な る ハー バ ート ・ブ ラ ウ ン氏 ︵一九 九 五︱
任命 し て、 アド バイ スを依頼 した。
実施 す る のは、途方 も なく大 きな事 業 であ っ
九 六年 度 ︶ を委 員 長 に任 命 し た 。
九 八 七︱ 八 八 年 度 ︶ と な った チ ャー ル ス ・ケ
た が、 まず 一億 二〇〇〇万ド ルの費 用 で、 五
感 動 を 与 え ら れ た と 述 懐 し て いる。 そ の少 年
、
ロバ ート ・バ
コスタ ︵一九 九〇︱ 九 一年度 ︶
オ 。キ ヤ ン ペー ン委 員 会 が 任 命 さ れ、 ロイ
ス 。アビ 1 2 九八八︱ 八九年度 ︶、 パウ ロ 。
そ し て この資金集 めを行 うた め、国 際ポ リ
集 めが 続 け ら れ 、 八 八 年 の フィ ラデ ルフ ィ ア
八 七 年 そ し て八 八 年 と 、 ポ リ オ ・プ ラ ス募 金
深 く 銘 記 さ れ な け れば な ら な い。
一九 八 六年 、
のよ う な 金 銭 的 な 面 ば かり で は な く 、 時 間 的
ラ ー氏 ら と と も に、 フ ィリ ピ ン に おけ るポ リ
オ接 種 に立 ち 会 った 。
億 人 に接 種 す ると いう計 画 が立 てら れた。
が 氏 のズ ボ ンを 引 っ張 り な が ら 、﹁ぼく の小 さ
ー ス ︵一九九 二︱九 四年度 ︶ の各 RI会 長 を
ポ リ オ ・プ ラ ス ・プ ログ ラ ム の初 期 は 、 こ
そ の ケ ラ ー 氏 は、 フ ィリ ピ ン で ひ と り のポ
リ オ犠 牲 者 の少 年 に出 会 って、 人 生 に大 き な
な 妹 が ポ リ オ に か から な いよ う にし てく れ て
ロー タリ ー に
あ り が と う ﹂ と い った 言 葉 は 、
これ を 機 に、 何 千 人 と も いう べき ロー タリ
発 表 さ れた 。
対 し て、 実 に 一億 一九 〇 〇万 ド ルに達 し た と
にも 提 供 さ れた ロー タ リ ー の多 く の努 力 は、
と っても 、 ま た 感 動 的 な 瞬 間 であ った ⋮ ⋮ と 。
国 際 大 会 で は、 日 標 額 一億 二 〇 〇 〇 万 ド ルに
にあ り、 めざ すゴ ー ルは 一億 二〇〇 〇万 ド ル
この委 員会 の任務 は巨額 にのぼ る資 金 集 め
はじ め、 日本 の松平 一郎 理事 ︵
東京 日本 橋 ︶
ら、 お歴 々が委 員 に名を通 ねた。
﹁二 〇 〇 五 か ら ﹁
ポ リ オ ・プ ラ ス﹂
﹂
への 名 称 変 更
ロー タ リ ー は大 量 のポ リ
こ のよ う にし て、
④
号
9年 8月
平成
だ。天然痘 と同 様 、 世界中 の医療 界 はもち ろ
ん、各国 と の人類 史 上類 のな い協調 、協力 に
に対す る非常 な重要 な役 割 をも つ監視 チー ム
に寄贈 し て いる。 これら の科 学 者 は、全世界
練 す るた め の資 金を、世界保 健機 関 ︵WHO︶
に往来 し て いる かぎり、 そ れは撲滅 への単 な
より、 この地 球 上 からポ リ オが 一掃 され る こ
ウイ ルスが パキ スタ ンやガ ー ナ、 タイ と自 由
る 一歩 にす ぎ な い。
これ ま で の
の 一員を成す 人たち であ る。
そ し て何 千 何 万 と いう 人 々 の生命 が 、 救 わ
と にな る。
ロータリ ーはビジ ョンを 明確 に立
そ こで、
て直 し、 あ ら た めてウイ ″スを全 世 界 から根
に七 四 カ国 のみだ った のが、 現在 は ロー タリ
も のではな いポ リオウイ ルスの伝 播 は汎米 で
一方 、 ワ シント ンの汎米保 健機 関 ︵PA H
培 養 さ れた
O︶ の本 部 は、時 を同 じく し て ﹁
も は や伝染 し て いな いことを宣 言 し た。
南 北 ア メリ カ大陸 におけ るポ リ オタ イ ルスが、
絶 を 証 明す る国際審議 会 では 一九 九 四年 九月、
ではす で に達 成す る ことが できた。 ポ リ オ根
私 た ち は、 この目標 を、 少 なく と も 西 半球
し て四週 間な いし 八週間後 に、 二回目 の ワク
内 にポ リ オ に対 す る抗 体 を生ま れさ せ る。 そ
国 あ る いはそ の対象 地域 全体 の子供 全員 に対
し、
一斉 に免疫接 種 を行 って、 子供 たち の体
おり であ る。こ のN ID s の実施 により、全
予防接種 日︶を実 施 し て いる のは ご存 じ のと
シ ョナ ″ イ ミ ュ ニゼ ー シ ョン デ イズ =全国
R Iでは、この目標達 成 のた めNID s︵
ナ
ド ルに のぼ る と いわ れ る。
一〇 億 ド ル、 米 国 だ け で は約 二億 三 〇 〇 〇 万
の であ る。 世 界 中 で節 約 でき る経 費 は年 間 約
資 金 が 、 も っと 別 の深 刻 な 問 題 に投 入 でき る
ポ リ オ に対 す る免 疫 接 種 や そ の治 療 に要 し た
し て、 成人男性 や女 性、 そ し て子供 たち の生
育 。文化交流 、 そし て人道的プ ログ ラ ムを通
そ の沿革 を次 のよう に述 べて いる。
長 ︶は、ポ リ オ ・プ ラ スに ついて の説 明 で、
一九 九 二︱九 二年度 RI会
理委員会委員長、
現 ・財 団管
クリ フォード ・ダ クター マン氏 ︵
るポリ オ ・プ ラ ス ・プ ログ ラ ムの沿革 に つい
て、 ふれ ておきた い。
ここであらた めて、国 際 ロータリ ー に おけ
ポ リ オ ・プ ラ ス ・プ ログ ラ ム
一四 四 カ国 でそ の発 生 が見
ー の努 力 により、
れ るば かり で は な く 、 実 質 的 な 面 に お いても 、
ら れな く な った。ポ リ オと の闘 いの勝 利 を目
活 改善 に努 め てきたが、中 でもポ リ オ ・プ ラ
スは、 いまま で の中 で、 非政府 組織 によ る最
絶 さ せ る ことを目標 にした のであ る。
前 にし て、私 たち は究 極 の目標達 成 を めざ し、
チ ンが投 与 さ れ る。 も ち ろ ん、ヽ
﹂の N I D s
に、 これを受 けな か った子供が いれば 目標達
でポ リ オが発 生 した な らば、直 ち に、 そ の地
絶対 に不可欠 の要 素 となり、 も しも、 ど こか
そう ならな いた め に、 そ の後 の監視活 動 が
夢 をも って開始 されたも のであ った。 このプ
保 健 。飢餓 。人間 性尊 重﹂ を掲
ログ ラ ムは ﹁
ラ ムは、 もともと国際 ロー タリ ーが、世界中
の業績 を、あま りよく知 ら な い。 このプ ログ
と ころが、多 く の特 に新 し い ロータリ ア ン
は、ポ リ オ ・プ ラ ス ・プ ログ ラ ムの歴史 やそ
の人 々の生活改善 をす る のだ と いう、大 きな
域 で 一掃活動 を実 施 しな ければ なら な い。 そ
のた め ロータリ ー は先 に ″ポ リ オ の探偵 ″ と
も呼 ぶ べきウ イ ルス学 の八人 の専 門技 師 を訓
も大きな人道主義プ ログ ラ ムであ る。
ロー タリ ー財 団 は 五 〇 年 以 上 も の間、教
昨年 六月、 力 ″ガ リ ー国 際 大会 で行 わ れた
さら に力 を尽 くす ときを迎 えた と いわ な けれ
成 は難 しくな る。
は遮断 さ れた﹂ と歴 史的 な発表 を行 って いる。
ポ リ オ ・プ ラ スが スタート した 一九 八五年
ば な ら な い。
ポ リオを完全 に
過 去 のも のとす るた め に
この目標 を達 成す る ことが でき るな らば 、
か つて地 球上 で猛威 を振 る った天 然痘 と同 じ
よう に、ポ リ オは完 全 に過去 のも のと な る の
1997 VOL 45 NO.8
③
ポ リ オな き 世 界 の実 現
﹁
ポ リ オ ・プ ラ ス ・プ ログ ラ ム﹂ の めざ す も の
ンが 多 いよ う であ る。
の か? ﹂ と いう 疑 間 を 投げ か け る ロー タ リ ア
と を 主 眼 と し て いた の であ る。
促 進 し、 そ れ に必 要 な ワ クチ ンを 提 供 す る こ
即喘褐廻 曜報蔵並 定男
世界 の子供 た ちを 、 恐 ろ し いポ リ オ から救 おう ︱ わ れわ れ の努 力 は も
う少 し で報 わ れ る のだ。 目 標年 度 二 〇 〇 〇年 も そ こま で や ってき た 。 わ れ
わ れ は いま 、 こ こで力 を 緩 め るわ け には いかな い。 ロー タリ ー創 設 一〇 〇
周 年 記 念 と し て、 この夢 が実 現 さ れ る暁 には、 国 際 ロー タリ ー は 人類 に何
を 成 し遂げ た か、 ヽ
水久 に忘 れら れ る こと はな いであ ろう。
いま な ぜ 、 再 び
画期的 な 運動 の重要 性 を 強調 す るた め、
一九
で に達 成 さ せ る ことを 目標 と し ており、 この
国際 ロ
と し 、 も大 き な善 意 の
ー
タ
リ
ー
最
て
奉 仕活動 と いえば 、″ポ リ オな き世界 ″
実現 へ
の努力 であ る。 RIは、 これを 二〇〇〇年 ま
のリ ーダ ーを 驚 か せ ると と も に、 ポ リ オ と の
金 を 行 って いる。 こ の偉 業 は、 公 共 保 健 業 界
いた 。 そ のた め、 二億 四 七 〇 〇 万 米 ド ルの募
た め に、 免 疫 を 与 え る こと を 主 な 目 的 と し て
の子 供 た ち を身 体 障 害 者 にす る疾 病 から 守 る
状 況 が 変 わ ってき た の であ る。 当 初 は 、 世 界
細 菌 であ り 交 通機 関 が発 達 した 現 代 で は、 ど
が わ か った の であ る。 ウ イ ルスは旅 の好 き な
に住 ん で いても 、
一〇 〇 %安 全 では な い こと
ル スが存 在 す れば 、 た と え、 ポ リ オ のな い国
こ の地 球 上 のど こ か に、 野 生 のポ リ オ ウ イ
と は でき な いと 判 断 さ れ る に至 った 。
ポ リ オ を コント ロー ルす る こと が でき ても 、
そ れだ け で は 、 ポ リ オ を 完 全 に根 絶 さ せ る こ
し かし そ の後 、 必要 な ワ ク チ ンを 提 供 し て、
九二年 の規定 審議会 は 二〇 〇〇年 ま で にポ リ
問 い に ロー タリ ー が 主 要 な 役 割 を 果 た し た こ
こ へでも 容 易 に行 く こと が でき る。 例 えば 、
実 は 一九 八 五年 に、 ポ リ オ ・プ ラ ス ・プ ロ
オを根 絶 さ せ、 二〇 〇 五年 ま で には、 これを
ロ
と を 世 界 に示 し た 。 こ の最 初 の計 画 で は、
ペ ルー でポ リ オ を 根 絶 さ せ る こと は で き て も 、
ポ リ オ ・プ ラ スな の か
証 明す る ことを最優 先事 項 と し て決 議 を し て
いる。
ー タ リ ー が 世 界 中 の発 展 途 上 国 で免 疫 付 与 を
グ ラ ムと し て発 足 し た 当 時 と 現 在 と は 、 少 し
と ころ で、昨今 、﹁いま なぜ、再びポ リ オな
②
号
9年 8月
1′ 成
さだお
くらなみ
1927年 生まれ。慈恵医大・ 大
井教授のもとで外科学専攻。
「胃・ 十二指腸潰瘍の実験的
研究」で医学博士。現在、神
奈川県鎌倉市にて開業。
鎌倉 RC会 員。1970-79年 度ガ
バナー、国際協議会グループ
ディスカッションリーダー、
国際大会副委員長、国際研究
会委員長、 Rl理 事歴任。
公 式 地域雑 誌
稲畑 汀 子選 ⑮
フ社会 人間 ″
待 望 の時代﹂
鹿児島南
﹁
私 の夢 実 現 ﹂ 斜 里
私 の好きな ことば
何 歳 から
吉岡 龍城選 ②
小惑 星 と隕 石 。高 脂血症 に ついて 。老 人 と は
卓 話 の泉 ⑩
健康 ひと くち メ モ
ロータリ ー柳壇
ロ ー タ リ ー 歌 壇 佐佐木幸綱選 ⑩
ロータリ ー俳壇
赤 小
澤 原
︼ロー リー●A 霜葵曇
,
ポ リ オなき世界 の実 現
蔵並
人 の優 しさを知 る 中村 勝子⑥
友 愛 の広 場
旦昭
水島 一
﹁
私 は アジ ア人﹂ 札 幌 北 小林
﹁日本 を愛 した台湾 人﹂
東京武蔵 府 中 水 田 秀哉
フ十 子 ″と いう字 ﹂ 札幌 幌 南
﹁
心
の
礼
状
郡 山北 佐 藤 博
﹂
﹁
青 森 東 大 里荘太郎
ネ パー ″ へ行 こう
﹂
、
﹁
に返 ろう ﹂
ロ
点
リ
ー
よ
原
ー
タ
岩国 中 央 保 田
久津 見
準 一
義明
正四
F A XO 三︱ 三 四 三 六︱ 五 九五 六
T E LO 三︱ 三 四 三 六︱ 六 六五 一
ロー タリ ー の友 事 務 所
ab c会 館 八階
■﹃
友﹄への ご投 稿 ・ご連 絡 は 左 記 ヘ
5 東 京 都 港区 芝 公 園 二︱ 六︱ 三
0
〒︲
談 話室
︱ 表 紙 に ついて︱ 谷岡 清 ⑫
雷・
火事 ⋮⋮
地震 ・
﹃友 次 号 主要 記事 予定
﹄
ab cだ よ り
投書 箱
斎藤浩 。
内外 よろず案内 。マンガ
︹
福島南︺
小野昌 子・
︹
壱岐︺山内賢 明 八浦 和ダ イ ヤ モ ンド︺
津南 ・
︹
八潮 シティ︺伊藤祐嗣 八武 雄︺有 田峰次郎 ・
島行男 八徳島︺
井内尭 治 八東大 阪中︺
岡 田早苗 三。
笠間 八清水北︺長 阪光夫 八川 口むさし野︺仲
橋彰 ・
北治郎 八常陸大 田︺
岡 部栄 八東京 八王 子南︺
高
西︺
富 山 西 八岐阜 城︺
渡 辺亨 八福 山
︹
呉東︺
賀 谷倭 登 ・
②
①
⑩
⑩
政
勝 雄
⑩
⑩
勇②
博 ⑨
浩
専
1997 VOL.45 NO.8
①
﹁失 楽 園﹄所感 ﹂ 福 井 北
﹁
食 料 安 全保障 を考 え る﹂
東 京江 東
﹁
父 の遺 訓﹂ 徳島 中央
﹁ロー タリ ア ンに望 む﹂ 川崎
先 美 戸
名 馬 枝
lJ
キ リ ック スリ ー スは自 動 車 関連 企 業 7社 からな る
キ リ ック スグ ルー プ のカー リー ス 専 門会 社 。
日本 で最 初 の フル メ ンテナ ンスリ ー スを 手掛 け るな ど 、
豊 富 な 経 験 、 ノウ 八ウ とグ ル ープ の総 合 力を結集 し た
独 自 の シ ステムが 社 用車 の コスト 削 減 、
経 営 の合 理化 を 具体 的 に推 進 。
常 に時 代 の 一歩 先 を 見据 え た カ ー リ ー スにより 、
次 代 の企 業 経 営 を 力 強 く サポ ー ト し ま す 。
KllRIX
晃11量 ヨ〕
1丁
1魔]量 ILII璽
名豊 リース(株 ))
国産・ 外車を問わず
全メーカ…全車種取 り扱い
オリジナルシステムを提供
年中無休のサー ビス体制
全国網羅のアフターサー ビスネット
30年 以上のノウハウで
/1
キリックスリ弓烈Il ]身 :電
(旧
「キ リン」はおとな しくて誠実な動物。私 どもキ リックスグループは創業以来
「誠心・ 誠意 。誠実」をモ ッ トーに歩んで参 りま した。「キ リン」はそんな私 ど
もの気持ちを表わすシンボルであり
「X」 =永 遠に誠実であることを誓 った社
名が「キ リックス」なのです。
一
歩先の時代を見 つめて、
企業経営を力強くサポートします。
はス
ス
”
一
リ
H
H
′
一
カキ
KIRIX
東京 。 大阪 ● 名
屋
古
,∫
THE ROTARY―
NO― TOMO
AUG. 1997 VOL.45 NO.8
ポ リオ な き 世 界 の 実 現
人 の 優 しさ を 知 る