六 道 絵

2007 年 11 月刊行
道
繪
相
畧
縁
起
﹄
﹃
往
生
要
集
﹄
な
ど
関
係
資
料
の
翻
刻
を
収
録
し
た
、
美
術
史
だ
け
で
な
づ
け
﹂
に
関
す
る
論
文
に
加
え
、
詳
細
な
全
場
面
解
説
、
軸
木
に
残
さ
れ
た
銘
文
や
﹃
六
図
版
で
掲
載
。
三
名
の
研
究
者
に
よ
る
﹁
伝
来
と
研
究
史
﹂
﹁
技
法
と
表
現
﹂
﹁
図
様
と
位
置
滋
賀
県
大
津
市
聖
衆
来
迎
寺
に
伝
わ
る
国
宝
六
道
絵
十
五
幅
、
そ
の
全
て
を
大
判
の
カ
ラ
ー
泉
武
夫
/
加
須
屋
誠
/
山
本
聡
美 編
・
著 金
井
杜
道 撮
影
六
道
絵
The Six Realms Paintings in Shoˉ juraigoˉ ji Temple
く
仏
教
史
・
中
世
史
・
国
文
学
に
お
い
て
も
重
要
な
第
一
級
絵
画
史
料
研
究
の
決
定
版
。
国
宝 中央公論美術出版
目 次
︿
仏
文
概
説
﹀
略
で
、
本
幅
に
描
か
れ
る
の
は
、
同
書
が
出
典
と
し
て
あ
げ
る
﹃
摩
訶
止
観
﹄
基
づ
く
図
像
で
あ
る
。
﹃
往
生
要
集
﹄
に
お
け
る
該
当
箇
所
の
記
述
は
簡
︿
英
文
概
説
﹀
文
献
目
録
Yukio Lippit
の
説
く
﹁
不
壊
法
の
九
相
観
﹂
に
則
っ
た
表
現
で
あ
る
。
The Six Realms Paintings in Shoˉ juraigoˉ ji Temple: An Introduction
A propos des Images des Six Destinées (Rokudoˉ -e) du temple Shoˉ juraigoˉ ji:
Laure Schwartz-Arenales
Une introduction
た
め
に
、
朽
ち
ゆ
く
死
屍
を
九
つ
の
段
階
に
分
け
て
観
相
す
る
九
相
観
に
浄
の
み
が
九
相
図
の
表
現
で
描
か
れ
て
い
る
。
九
相
図
と
は
欲
心
を
断
つ
こ
こ
に
挙
げ
た
人
道
不
浄
相
幅
︵
中
央
部
分
︶
画
面
で
は
、
死
屍
の
不
こ
と
を
勧
め
て
い
る
。
11 菩 4 1
﹃ 薩 .
﹃
.
﹃ .
考 発 来 六
古 心 迎 道
画 因 寺 絵
譜 縁 要 旧
十
軸
﹄
王 書 木
﹄
修
12 経 ﹄
﹃ 5 理
.
銘
四
﹃ .
明 8 来 ﹄ ﹃ 迎
餘 .
霞 摩 寺 2
訶
﹃
﹄
.
止 年 六
代
道
観
13 ﹄ 記 繪
﹄
﹃
. 像
史
修
学 9 6
覆
﹃ .
普 .
﹃ 記
及 二 往 ﹄ 雑 水 生 誌 記 要
﹄ ﹄ 集 3
.
﹄ ﹃
六
10
﹃ 7 道
.
繪
古
相
﹃
.
画
畧
仏
備
考 説 縁
﹄ 地 起
蔵 ﹄
与
え
た
。
源
信
は
こ
の
忌
む
べ
き
世
界
を
解
脱
し
、
浄
土
へ
と
転
生
す
る
広
く
読
ま
れ
、
信
仰
上
だ
け
で
な
く
、
文
学
・
美
術
の
う
え
に
も
影
響
を
し
た
教
学
書
﹃
往
生
要
集
﹄
を
著
し
た
。
平
安
か
ら
鎌
倉
時
代
に
か
け
て
を
鼓
舞
す
る
目
的
で
、
寛
和
元
年
︵
九
八
五
︶
に
様
々
な
経
論
よ
り
撰
述
資 全
場
面
料 解
説
︿
図
様
と
位
置
づ
け
﹀
往
生
要
集
絵
の
成
立
と
展
開
加
須
屋
誠
一
〇
世
紀
、
恵
心
僧
都
源
信
︵
九
四
二
∼
一
〇
一
七
︶
が
極
楽
浄
土
信
仰
修
羅 六
道
﹂
﹁ と
人 は
﹂
﹁ 、
衆
天 生
﹂ が
の 輪
六 廻
つ 転
の 生
世 を
界 く
。 り
末 返
法 す
思 ﹁
想 地
、 獄
﹁
無 ﹂
常 餓
観 鬼
が ﹂
﹁
強 畜
ま 生
っ ﹂
﹁
た 阿
︿
技
法
と
表
現
﹀
六
道
絵
の
作
風
と
絵
師
の
分
類
︿
伝
来
と
研
究
史
﹀
論 考
︿
参
考
図
版
﹀
フ
リ
ー
ア
美
術
館
所
蔵
﹁
畜
生
道
幅
﹂
・
﹁
天
道
幅
﹂
国
宝
﹁
六
道
絵
﹂
の
修
復
と
移
動
︿
参
考
図
版
﹀
模
本
﹁
六
道
絵
﹂
色
紙
形
写
真
絹
目
拡
大
写
真
加 泉 山
須
本
屋 武
聡
誠 夫 美 六
道
と
﹃
往
生
要
集
﹄
て
は
十
三
世
紀
後
半
と
位
置
付
け
た
。
後
掲
の
伝
来
・
図
様
・
様
式
に
関
す
る
論
考
を
通
じ
、
制
作
時
期
に
関
し
に
お
い
て
比
較
作
例
に
と
ぼ
し
く
、
未
だ
定
説
を
み
な
い
。
本
書
で
は
、
描
法
、
ま
た
は
十
五
幅
一
具
の
大
画
面
六
道
絵
と
い
う
構
成
と
画
面
内
容
期
と
目
さ
れ
て
き
た
が
、
や
ま
と
絵
と
宋
画
の
要
素
が
渾
然
と
融
合
し
た
作
時
期
に
関
し
て
、
先
行
研
究
に
お
い
て
は
十
三
世
紀
の
い
ず
れ
か
の
時
13 9 5 1
.
譬 .
人 .
餓 .
等
喩 道 鬼 活
経 苦 道 地
所 相 幅 獄
説 Ⅰ
幅
念 幅
仏 6
功
2
徳 10 .
畜 .
幅 . 生 黒
人
道 縄
14 道
地
苦 幅 獄
.
優 相 幅
婆 Ⅱ
塞 幅
7 戒 .
経
阿 3
所 11 修 .
説 . 羅 衆
念 人 道 合
仏 道 幅 地
獄
功 無
幅 徳 常
相
幅 幅
8
15 . 4
人
.
.
閻 12 道 阿
不
鼻
魔
.
王 天 浄 地
庁 道 相 獄
幅 幅 幅 幅
五 し を
㎝ て 主
閻 な
横 魔 典
六 王 拠
八 庁 と
・ ︵
し
〇
㎝ 一 、
で 幅 六
、 ︶ 道
大 が ︵
画 表 十
面 さ 二
に れ 幅
よ て ︶
る い と
全 る 念
十 。 仏
五 い 功
幅 ず 徳
の れ の
構 の 説
成 幅 話
は も ︵
圧 縦 二
巻 一 幅
。 五 ︶
制 五
・ そ
は
、
恵
心
僧
都
源
信
が
寛
和
元
年
︵
九
八
五
︶
に
著
し
た
﹃
往
生
要
集
﹄
図
版
六
道
絵
現
在
、
滋
賀
県
聖
衆
来
迎
寺
︵
天
台
宗
︶
に
所
蔵
さ
れ
る
国
宝
﹁
六
道
絵
﹂
聖
衆
来
迎
寺
本
・
国
宝
六
道
絵
︵
十
五
幅
︶
文
堂
、
二
〇
〇
〇
年
︶
、
﹃
若
冲
大
全
﹄
︵
小
学
館
、
二
〇
〇
二
年
︶
な
ど
。
写
真
家
、
京
都
国
立
博
物
館
名
誉
館
員
。
撮
影
に
携
わ
っ
た
書
籍
に
﹃
王
朝
の
仏
画
と
儀
礼
﹄
︵
至
金 [
井 撮
杜 影
者
道 略
︵ 歴
か
な ]
い
・
も
り
お
︶
道
絵
﹄
の
修
復
と
移
動
﹂
︵
﹃
美
術
史
﹄
一
五
六
号
、
二
〇
〇
四
年
︶
な
ど
。
大
分
県
立
芸
術
文
化
短
期
大
学
国
際
文
化
学
科
専
任
講
師
。
論
文
に
﹁
聖
衆
来
迎
寺
所
蔵
﹃
六
山
本
聡
美
︵
や
ま
も
と
・
さ
と
み
︶
加
須
〇 奈
〇 良 屋
年 女 誠
︶
、
﹃
仏
教
説
話
画
の
構
造
と
機
能
﹄
︵
中
央
公
論
美
術
出
版
、
二
〇
〇
三
年
︶
な
ど
。
子
大
学
文
学
部
准
教
授
。
著
書
に
﹃
美
術
史
と
他
者
﹄
︵
共
編
著
、
晃
洋
書
房
、
二
〇
︵
か
す
や
・
ま
こ
と
︶
九
九
二
年
︶
、
﹃
仏
画
の
造
形
﹄
︵
吉
川
弘
文
館
、
一
九
九
五
年
︶
な
ど
。
東
北
大
学
文
学
研
究
科
教
授
。
著
書
に
﹃
国
宝
釈
迦
金
棺
出
現
図
﹄
︵
京
都
国
立
博
物
館
、
一
泉 [
編
武 著
夫 者
略
︵
い
ず
み
・
た
け
お
︶
歴
]
①
②
道 幅
.天
.人 道 苦 相 Ⅱ 幅
「雑林苑」で管弦や舞楽を楽しむ天人
立
し
た
論
考
で
も
あ
る
。
な
く
、
本
作
品
を
広
く
世
界
へ
紹
介
す
る
ひ
と
つ
の
独
⑦
[
英
文
概
説
・
仏
文
概
説
]
本
書
の
要
約
と
い
う
だ
け
で
典
に
忠
実
に
復
刻
し
た
。
⑥
[
⑤
④
[
[
資 容 論 け 全 短
、
の
場 冊
料
考
] 充 ] 解 面 形
本 実 詳 説 解 の
作 を 細 と 説 文
品 図 な 該 ] 言
③
[
図
版
六
道
絵
]
に っ 註 当 各 を 江
幅 欄 戸
関 た を 部
分 そ 外 期
。
付 の れ に 模
連
し 図 ぞ 翻 本
す
、 版 れ 刻 に
る
資 を を し は
一
料 掲 百 た 、
次
図 載 三 。 図
資
版 。 十
料
中
を
を
に
の
掲
収
記
場
載
さ
面
集
し
れ
に
、
分
原
内
た
英
文
で
の
キ
ャ
プ
シ
ョ
ン
も
付
し
た
。
②
[
図
版
六
道
絵
]
各
幅
主
要
な
図
様
の
部
分
図
を
掲
載
、
め
る
よ
う
に
配
置
、
さ
ら
に
ト
レ
ー
ス
図
を
付
し
た
。
①
[
図
版
六
道
絵
]
本
作
の
全
図
に
は
見
開
き
で
解
説
を
読
ラ
ー
で
参
照
で
き
る
の
は
、
本
書
が
本
邦
初
と
な
る
。
た
。
精
緻
に
描
き
込
ま
れ
た
国
宝
全
十
五
幅
を
大
判
カ
国
宝
の
細
部
ま
で
見
え
る
よ
う
に
、
高
精
細
に
刷
り
上
げ
"## ! $!%
五衰の相が現れた天人
"# $
" #%
⑦
﹃
国
宝
⑥
六
道
絵
﹄
組
見
本
⑤
④
③
①
②
⑦
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C0 ! ! A =A !<!">#<> #" !!! >!>
)+'*& - ,&) 4" 転写されたものであるが、その内容は歴代の修復銘を正しく伝えると 和三年︵一六八三︶の修復に際して新調されており、銘文もこの時に
﹁六道絵﹂附
みなして良い。なお昭和三十年︵一九五五︶九月には、
として旧国宝の追加指定を受け、続く昭和三十八年︵一九六三︶には 現行の文化財保護法に基づく国宝指定。聖衆来迎寺所蔵。
7> =2<$> 1 8 0" !/!F $&
"!>!=!&! => @$> &!!
京都、禅林寺
挿図 十界図 地蔵幅(下部分)
! =";94"
<!#!0" !<<!><">! !<!$>=< $ ""$%'% !
!<!=>!!!< ! "=<'$,%<#!
! 8 @ >$ !
挿図 北野天神縁起 巻 京都、北野天満宮
られる。
画面内容
穢土 毛浄土 毛倶 仁常楽
具師洛陽中尾浄阿弥紹弥修補畢則紹弥一首詠六 乃字 於深 久誠 仁願 以奈波
修理銘⑪
六道之繪像十五幅之内 山門坂本来迎寺什寶也
能阿弥生年卅五世
修理銘③
できる。
山門東坂本
六道之繪像十五幅之内 山門東坂本紫雲山来迎寺霊寶也
場面も含めて微に入り細を穿つ戦闘の情景は、実際の戦場を彷彿とさ
せるに十分な迫真性を備えている。⑥求不得苦。欲しい物を求めても
窟南壁﹁観経変相﹂中台部 ︵盛唐︶などの天空上端には青緑色のぼかしと
︵ ︶
写ながら、青緑色帯とその下の白色帯が輪郭線はないながら、図式的に表
凰き堂
鳳て
九図様の伝統を
認にめ
が々
都国立博物館︶にやはり青緑系のぼかしの
羅の
修﹁
阿絵
た扉
され
化、
形れ
造ら
、様
来跡
古痕
な印を結ぶ。極楽寺本﹁六道絵﹂左幅に描かれた帝釈天
されている。いっぽう日本絵画では、東寺旧蔵﹁山水屛風﹂︵十一世紀、京
本土寺本﹁観音経絵﹂などの変相図など、広い分野で類例を認めることが
哀れを誘う
。②その右方には筵で仮屋根を葺いた粗末
な小屋で、痩せ
ている。ぼろをまとった男性が、少々の食物らしき物を手にこの家に
来迎寺什寶也
が、ある程度の見通しを概略しておこう。鎌倉時代制作の当麻曼荼羅諸本
らの場面には反映されているのであろう。乳飲み子が亡骸となった母
縁起﹂と同様の立ち姿であるが、興味深いことに極楽寺
なわち、先行する﹁根本縁起﹂と聖衆来迎寺本とが混交
に室町時代以降の六道絵には二本指を立てた帝釈天も騎
言功徳絵﹂巻中に唯一継承されていく。しかし禅林寺本
もって示される作品 ︵顕教系︶と、甲冑を着け白象の上
釈天との闘争の場であることさえ忘れ去られてしまった
の熊野観心十界図に至っては、阿修羅道の状景は人間界
おいては甲冑の上に長袖の中国風の衣を着けた立像を
世 ごうと奮闘する上半
。近
ない
ていか
がれ類
き継、
も引々
の姿
どちら
天もめ
帝釈た
象のふ
ている。逃げまどい慌て
く
人
焼
を
防
左方の大きな屋敷から火
の
手
が
あ
近
隣
の
家
本﹁十
﹂さ
ら 屋にも広がりはじめ
奥院、
屛風
麻寺り
界図
や当が
陀幅
阿弥
図﹂
﹁十界
朝鮮半島の遺品に辿ることができるが、とくにわが国に
古代インド神話に登場するインドラ神は仏教にとりい
れられて、帝釈天となった。その造形はインド ・ 中国 ・
したような、特異なイメージを極楽寺本は採用している
と伝える。⑦五盛陰苦。
突然の厄災に見舞われ苦しみを受ける。画面
のである。象上に直立する帝釈天のイメージは﹁光明真
③
帝釈天
王たちは、かくのごとく描かれている。
本の帝釈天は地上ではなく、白象の上に立っている。す
をする女性の姿が、下層
の人々の慎ましい暮らしの一場面を活き活き
修羅
阿況
、状
てめ
もと
を不
述が
記色
の具
﹄当
経。
処る
なした
明に
判軍勢を率いる
の的彩
初体
設けられているのは周知のごとくであ
部越が
色
白述
し
下
そのの
、﹄
各画
い れて
年︶も
きな
五三が
﹂︵わ
はでせ
一〇る
生図
こと被
品往横
するを
明衣
に解
わか
をに
過程
形成敷
源と。
の起る
現い
空表
た天
うし
﹁根
また
姿勢も
本 を背負って若菜摘み
そのる
る。回
でいり
結ん
じ印を
と同駄
これ下
えて、
も、た
を
法念欠け
記
﹃正の
な
略に
簡
要集
生か
往か
こけた女 性こが
死
ん
で
物
の
上
に
ら
た
、
胸面上端引にき青つ緑つ系、﹃ぼ向
っ
て
い
る
。
歯
、
走
犬
、
子
郭の明快な藍色︵群青︶の帯が設けら
輪⑨
り銘
は理
くいが、や修
東坂本来迎寺為什物耳此時表具願主来迎寺住持曵智和上
癸
亥
弥修補畢則紹弥一首詠六 乃字 於深 久誠 仁願 以奈波穢土 毛浄土 毛倶 仁常楽
なく﹁人道苦相Ⅰ幅﹂同六様
も
﹃
往
生
也 要集﹄の記述以上に、人
霊寶
院之
霊山
山横川
幅叡で
拾五こ
繪像こ
道之、
修理銘⑩
西大寺十二
として彫刻では東寺講堂像、絵画では な遺品
天画像のうちの一幅がある。どちらも平安前期作であり、
これに続く平安後期∼鎌倉時代の作例も少なくない ︵関
施りてこれを轉ずること人の鈴を弄ぶが如く﹂であった
右黒闇天女幢左太山府君幢
帝釈天が率いる軍勢について﹃正法念処経﹄はその中
帝釈天軍勢がほぼ全員甲冑に身を包んだ重装備をしてい
み。そのいでたちで戦いを挑む彼等の勇気はかうにして
あ り、 軍 勢 の 大 半 も 裸 も し く は 素 肌 に 甲 冑 を 着 け る の
これに対して、阿修羅軍勢はいずれも軽装だ。軍を指
揮 す る 阿 修 羅 王 か ら し て 四 人 中 三 人 ま で が 上 半 身 裸で
ころが描写されている。本幅を描いた絵師は﹃正法念処
も満ちている。
乗る白象が鼻で阿修羅軍勢の一人を捉まえて振り回すと
と説く。まさしく本幅には、この説明どおりに帝釈天の
婆那は卽時に鼻をもって阿修羅を捉へ、虚空中に於て廻
るのは、四天王のイメージが投影されているからだろう。
の道具類が手に手に運ば
れ、日常生活の一断面が活写された躍動感に
天の乗る白象は名を伊羅婆那という。そして﹁時に伊羅
それについて詳しく説く。たとえば同経によれば、帝釈
かれ
に描
。本幅
げる・
を挙鍋
た 徳・筵・念持仏など
の名、
天王
者に四
働くり
して入
核とが
て、貴賤聖俗の老若男女
乱
れ
釜
・
五
﹃往生要集﹄は阿修羅軍勢と闘う帝釈天の様相につい
て説くところはなにもない。﹃正法念処経﹄巻二十一は
軍勢
双方
性は深窓の姫君であろうか⑤。
突の然
の災害を描くこの場面は、それでい
きりとしており、全身に気品が漂う。
也立ちがくっ
人鼻
役目
汰。
沙る
重い
軽て
罪し
テ持
申に
ト手
司右
獄を
左剣
かたちになった
我関せず盆に乗せた石で遊ぶ子ども、男に背負われて避難する若い女
して消えていったことが知られる。
働く輩もおり抜刀した男
に追われている。慌てふためく大人を尻目に
劇は、わが国説話画の歴史上ほんの短期間のみ現れ、そ
。
根俊一﹃梵天・帝釈天像﹄至文堂、一九九七年︶
右令神申三千界衆生業果
本幅に描かれた帝釈天も白象の上に座している。朱
沙汰役人也
華の付いた宝冠を戴き、甲冑に身を包み、束が三鈷杵の
聖衆来迎寺本にみられる優美な帝釈天、勇猛な伊羅婆
那、彼らを主役に据えたドラマチックな阿修羅との戦闘
ようである。
抱えさらに頭上に大きな
荷物をのせて走る母親、中には火事場泥棒を
帝 が子を背中と右腕に
羅と
阿修
そこが
れ、人
示さる
とくす
のご
の戦争
武者そ
表的を運
ける出
の代財
におび
教系家
れる
。密
大別さ
とに男
系︶の
密教
︵
の 乳 を ま さ ぐ り、 こ れ が 母 子 の 死 別 の 苦 し み を 表 し た
場 面 で あ る こ に座す作品閻
身
裸
た
ち
、
う
と
々
、
我
魔王庁幅 ︵裏書﹁第一 閻魔社図﹂︶
︿参考図版﹀模本﹁六道絵﹂
浄土善相令圖畫処卅幅也内十五幅不知其所在今六道界之圖十五幅山門
とが分かる。傍らに数珠を手にした尼がたたずみ、烏や野犬 ︵画絹が
女勧化雖然蒙昧未被冥之故法皇特加慈愍命金崗穢土悪相
此繪像之由来圓融院法皇往生要集叡覧有而深含厭欣之志故皇后宮内諸
切りつめられているために姿半分しか見ることができないが、模本によっ
、
阿修羅王︵左上︶
︶
② 鉢呵婆阿修羅王︵右下 て全身を確認することができる︶が屍肉を窺っている。霞を隔てて上の
暦 八 月 廿 三 日 初 十 月 十 日 終 願 主 来 迎 寺 住 持 曵 智 和 上表
于時天和三 癸
亥
東麓来迎寺為什物耳
手に入らない苦しみ。画面に描かれるのは柱が傾き壁が破れ今にも崩
画にあると容易に想定できる。たとえば敦煌莫高窟第二一七壁北壁の﹁観
画面下から上に向かっ
て見ていく。最下部では、愛別離苦が複数の
れ落ちそうなあばら屋とそこに住む貧しい一家。台所の竈の火は絶え
于時天和三年十月十日修覆畢
にこの表現があることは、八世紀制作の原本にすでにあった可能性があり、
て普及した当麻曼荼羅諸本では、中央部の極楽浄土の天空はしばしば金色
場面で表されている。これは、現世において愛する者
必
ず
別
れ
食
べ
る物はない。母親と年長らしき子どもが身に着けるのは
中国
原は
の起
、そく
からし
こと久
で制作されているて
響下く
影な
強い
画の
は唐
原本
またと
図。
坂本
び香雪美術
よ也
お寶
凉
の門清
頃山
ば内
半之
代幅
時五
の帯が画面上端に加えられ
寺什
迎本
来寺
像拾
繪倉
之鎌
道。
六る
白
しみを味わ
う男女がいる
。
は
、そ
の
成
仏
を
て梵字を書した
が為す術もなく神仏に祈っている。本幅他の場面に比べて簡略な表現
也 願っ
寶
什法
寺
幅
五に
十﹂
像骸
繪羅
之亡
界曼
その下の白色と思われる空間の設定がすでに認められる。やや降った敦煌
語
が
様迎の
同来
も山
で雲
ど内
な之
図
、垂迹画紫
荼
幡道宮
曼荼羅図﹂、栗棘庵本﹁八六
たときに観察される雲の層と、その上にひろがる蒼
眺め
ゆくすへをこしかた程におもへとも
とは前述したとおりである。おそらく、われわれが空を
年五十四ニ成ル者也
め
か連
程もあらしな程もなからし
。本
するお
穹と
作の
、この二層で表現したものと想像 を
.阿 修 羅 道 幅
説﹀
全場
︿性
安
・解
院面
仏伝図、耕三寺本や自
養院本﹁仏涅槃図﹂などの仏伝関係の絵画、
出土の﹁観世音菩 像﹂︵九七二年銘、大英博物館︶背景空間でも、稚拙な描
用いられるほか、久遠寺本や常楽寺本﹁釈迦八相図﹂といった鎌倉時代の
布が懸けら
れ、また足下に
ではあるが、色紙形の題辞にある、衣食住の困窮が実に的確に表され
銘⑭ 小さな子ども用の下駄が揃えられており
修理は
場合、ここに挙げた諸図では藍色帯は明瞭なのだが、そ
ので、白色帯の有無は
帯状の表現があった可能性もある
山門東坂本
六道之絵像十五幅之内
彩色が脱落しているもののそういった
は⑧
在銘
現理
の下の層に修
今後の課題としたい。
こ主来迎寺住寺利曵和上 敬
れて
ら古
け師
の帯
色之
銀覆
は修
白色
に六
下年
層の藍
菴る願
右い
表設具
御が
四た日
月ま
永の八
寛色
︶の二層の帯とする。聖護院本﹁熊野
母⑬
雲銘
︵理
などでも、画面 上端は青と白 修
この天空帯は二重になっており、最上
は⑦
で銘
例理
鎌倉仏画諸修
てはならな
いという苦しみ。①画面左下に、幼い子ど
もとの死別の苦、三二〇窟南壁ぼ
ろぼろの着衣、小さな子どもは裸で泣いている。隣の部屋では父親
﹁阿弥陀浄土変﹂・ 一七二
経変相﹂中台部 ︵初唐︶︹挿図 ︺
館本﹁二河白道図﹂、鎌倉後半の金戒光明寺本﹁地獄極楽図屛風﹂︹挿図 ︺
たとえば﹁人道苦相Ⅱ﹂の天空帯では群青の粒子が認め
かれる。﹃往生要集﹄大文第一﹁厭離穢土﹂にはこれに関する于記
新月死
の
紹 交差する。死にまつわる実際の儀礼や習慣がこれ
阿弥が
尾浄ジ
陽中ー
師洛メ
表具イ
終
十日相
和三は年八月廿三日初十
時天述
願主首楞嚴 霊山院沙門宗舜
文明九年八月日修覆第三度
修理銘④
明應九年五月日於四条町与室町之間修覆之畢俗名廣田法名豊真生年
五十四歳友久願主西山三鈷寺門人惠遵
④ 華鬘阿修羅王
⑧ 勇健阿修羅王
画面左方、館の門外にはすでに出陣の準備を整えた一団がおり、霞を
み合う宿敵同士が現世で出
い闘わざるを得ないという苦しみ。川を
挟んで相対する軍勢の合戦場面。右方からは赤旗の軍が攻め上り、渡
河して対岸の砦を攻めおとそうと奮戦する。対する白旗の軍は土塁や
柵で守りを固め両者が激しく激突する。使用する両軍の楯には洲浜と
はクールな帝釈天軍勢に遠く及ばない。
ザンバラ髪かあるいは禿頭、容姿においても阿修羅軍勢
左神記悪形如羅刹
於中殿裏大鏡台
二名善名称院
左右有檀荼幢上安人頭形人能見人界如見掌中掩羅果
は 人 差 し 指 と 中 指 を 立 て た ︵ 羅 刹 天 の 印 相 と 似 る ︶特 異
三千大千世界衆生寿命長短計
二人宮人左司命申炎魔王侍者
右候司申地獄宮領也
着け地上に立つ姿で描かれる。白象はいない。彼の左手
亀甲の紋所が確認できるが、特定の家や戦の指標となるものではない。
しかしながら、甲冑・武具・馬具の詳細かつ正確な表現、残虐な殺戮
一名光明院
る二人の侍者の緊迫した動きを含め全てがスローモーションのように、経﹄を丹 本
、
人
的
な
あ
る
、
軍勢
釈天
勢は帝
羅軍で
阿修難
に 死別 ・ 戦争 ・ 飢餓 ・
いて苦
にお
ったとっ
装備面
当たに
的な遍
画に間
実質普
て作
も、て
におい
念頭は
れをに
、そ幅
念に読み
明らかに劣っている。
のだろう。
天は真
帝釈
冑をを持
闘う
劣っているのは装備だけではない。ギョロ目で丸鼻、
、甲性
羅と
て阿修
八にが
﹂巻害
生きながらにして愛する者達と別れる者の苦しみを鮮やかに切り取る。 ﹁根本縁起災
非
常
な
迫
って表されている。
わしながらも、左手は既に手綱に懸ける男、馬の口をとり轡を押さえ
の奥で泣き崩れる妻、御簾を跳ね上げ追いすがる幼い息子と視線を交
の上方では、④甲冑に身を固めた男性が家族と別れ戦場に赴く。御簾
間世界の苦しみを具体的に描き出している。
色紙形
.﹃六道絵旧軸木修理銘﹄
① 羅
場面では、③屋内で最愛の妻との死別に慟哭する男性がいる。またそ
幸石
六道繪像拾五幅台嶺首楞嚴院霊山之霊寶也修覆之施主千代靍
料﹀
︿資
宿悪申現
愛別離苦者依癡愛非悲別
離怨増會苦者
悪成怨念懐害心求不得苦
者食不滿口衣不隠膚風雨
盗賊慮外細苦即此苦相
0$ :@ !$ = 1=
隔ててすぐ上に描かれる合戦場面へと展開していく。⑤怨憎会苦。憎
侵家燈燭苦光五盛陰苦者或遇火
災或
色紙形は、画絹最上部の右端に淡墨線で区画、素地のままとする。
三 行 目、﹁ 害 ﹂ の 文 字 の 部 分 に 植 物 ら し き 金 泥 の 地 紋 が 確 認 さ れ る。
題辞の出典は定かでなく文意が必ずしも明確ではないが、概略﹁愛別
離苦とは盲目的な愛情によって別離を悲しむこと。怨憎会苦は、宿敵
挿図 地獄極楽図屛風 右隻 京都、金戒光明寺
-*
@!!$ =!"D>" <!= 7!#
& &$$+$&% ! ( #!
A @! <!#!<"!!> ! =! !& !
敬
白⑫色 ︵または銀︶
・ 青色 ︵または藍︶の二層
さ宮れ
わ子
表真
に聖
さらにその上
理銘
修に
光、
寶が
仕る
永禄九年三月十二日修復之願主来迎寺真雄上人施主
白
、
︵講談社、一九八二年︶
煌絵画Ⅱ﹄
'&!-,)((+)&
" !!! " %'$ '%"-">$> ! <!" =
六道之繪像拾五幅之内叡山横川霊山院之什寶也
天文七年七月十一日修覆之願人三光坊暹俊
修理銘⑤
#!%"'$!""'%&'%
0" !="!$!5 )&(,! < <!!
てしまうこと。これらがすなわち苦相である﹂と読み解かれる。
$"
%%!&%"$&"-+"-%'--+! !A!"
助修之人与法名惠舜 敬
与次郎
白
G">G>=<!"! "<!=! "<!
﹀六道絵の作風と絵師の分類
︿技法と表現 " 仕、終
覆か
十れ日
月乱
廿は三
月で
和道三
天人
るほ
あ修
が奉
絹の
に十
火畢
端始
上日
Ⅱ﹂
相八
苦年
﹁
なお
災の黒煙とまぎれる天空表現となっているのでわかりに
修理銘①
修覆之
正和二年九月廿八日
六道之繪像拾五幅之内叡山横川霊山院之霊寶也
修理銘②
! %%!&
に
﹁
愛
離
苦
﹂
﹁
怨
憎会苦﹂
諸 。左手の親指と人差し指を合わせて印を結んでお
宮内る
皇后す
志故出
欣之露
含厭く
而深き
覧有大
集睿は
来圓融院法皇往生要部
之由不
繪像求
此﹁
阿弥
門忍
沙
浄土
欣求
願主
之別
修覆
小路
三条冨
日於苦
月九死
年九病
享三老
四苦八苦の八苦とは、永生
女勧化雖然蒙昧未被冥之故法皇特加慈愍命金崗穢土悪相
世の中をうき身におくることわさの
得苦﹂﹁五盛陰苦﹂を加
えさて
八
と
し
も
含めて、
﹁ 人 道 不 浄 相 幅 ﹂ に 描 か れ た 高 貴 な 女 性の
山門
十五幅
之圖器
道界飲
今六の
所在辺
知其枕
幅不、
圖畫処卅幅也内十五り
相令描
土善が
浄苦
き 。本幅には後半の四
なしの
そかも
はてた
わぬ
むく
ても
六道之繪像拾五幅叡山横川霊山院之霊寶也
! A ! >
<<>!!> ! ! =<!A =!!!<?" ④
.人 道 苦 相 Ⅱ 幅
> =>$!$D<!!>< >>$<!
と遭遇し怨念や敵愾心を懐くこと。求不得苦は、食に満たされず、衣
'&) # 7=! "@@>#=8 <!"
&>!!=!>!!@ 国宝﹁六道絵﹂旧軸木十四本に記された、正和二年︵一三一三︶か
﹃西域美術 ⑥博物館スタイン ・ コレクション
銘英
修理大
敦
ら天和三年︵一六八二︶にかけて八回の修復銘。これらの軸木は、天 ! <<!7!# !#= "<@ !!!<"
敬
白
(*)
! @ <" =
"' <$<< "@$=!@" # =! >! *
5 4 1 C 5 =
* %8 !<! !!=!= () ! $ "F
⑥
.﹃六道絵旧軸木修理銘﹄
= " $ @@ >< !$ = ! ! < = 6F 7! !
⑤
@!#!"!>
!>B< =!< " "! は皮膚を覆うのに十分でなく、風雨に家を侵され、燈燭には十分な光
がないこと。五盛陰苦は、火災や盗賊など思いもしない災害に遭遇し
7
/"!># 9$"G "% C6 <F
. - < ! > !$
③
7
C !"! !>=! #@# A&<>=>&
﹁
阿
鼻
地
獄
幅
﹂
部
分
ISBN978-4-8055-0556-4
阿
鼻
地
獄
は
地
獄
道
で
も
最
下
層
に
あ
た
る
。
﹁
日
本
絵
巻
大
成
﹂
・
﹁
国
宝
﹂
シ
リ
ー
ズ
購
入
読
者
、
画
集
・
美
術
豪
華
本
愛
読
者
寺
院
関
係
者
と
関
係
機
関
、
表
装
・
表
具
店
、
仏
具
店
文
化
財
保
存
・
絵
画
修
復
関
係
者
、
画
廊
、
古
美
術
商
、
日
本
画
・
水
墨
画
画
家
美
術
館
・
博
物
館
学
芸
員
、
大
学
・
公
共
図
書
館
お取扱いは
美
学
・
美
術
史
、
日
本
思
想
史
、
仏
教
史
、
国
文
学
な
ど
の
研
究
者
・
研
究
室
■
本
書
を
お
勧
め
す
る
方
々
巻
末
に
本
書
の
英
文
概
説
・
仏
文
概
説
を
掲
載
。
広
く
世
界
へ
と
本
作
の
魅
力
を
伝
え
る
。
生
要
集
﹄
な
ど
、
本
作
に
関
連
す
る
一
次
資
料
を
収
集
、
復
刻
掲
載
し
た
。
﹁ お
け
資
料 る
仏
﹂
に 教
理
お 解
い
て に
通
、 じ
国
宝 る
附 幅
の 広
﹃ い
旧 内
軸 容
木 と
修 な
理 っ
銘 て
﹄ い
や る
﹃ 。
六
道
繪
相
畧
縁
起
﹄
ま
た
﹃
往
と
つ
ひ
と
つ
の
典
拠
や
図
像
的
伝
統
を
記
述
、
本
作
理
解
の
み
に
と
ど
ま
ら
ず
、
わ
が
国
に
﹁
全
場
面
解
説
﹂
に
お
い
て
、
十
五
幅
に
描
か
れ
た
図
様
を
百
三
十
の
場
面
に
分
け
、
ひ
■
作
品
理
解
の
助
け
と
な
る
詳
細
な
場
面
解
説
と
資
料
類
る
聖
衆
来
迎
寺
本
﹁
六
道
絵
﹂
の
位
置
づ
け
を
論
じ
た
て
わ
が
国
及
び
大
陸
の
地
獄
絵
・
六
道
絵
の
展
開
を
辿
。 り
、
日
本
・
東
洋
美
術
史
上
に
お
け
﹁ で
︿ あ
図 る
様 こ
と と
位 、
置 ま
づ た
け 十
﹀ 五
往 幅
生 に
要 お
集 け
絵 る
の 分
成 担
立 な
と ど
展 、
開 新
﹂ た
で な
は 知
、 見
文 を
献 提
と 示
現 す
存 る
作 。
例
を
通
じ
の
少
な
か
っ
た
画
家
に
つ
い
て
、
各
幅
画
面
の
詳
細
な
観
察
か
ら
、
二
人
の
手
に
よ
る
も
の
﹁ を
︿ も
技 と
法 に
と 考
表 察
現 す
﹀ る
六 と
道 と
絵 も
の に
作 、
風 近
と 現
絵 代
師 の
の 美
分 術
類 史
﹂ 学
で に
は お
、 け
こ る
れ 研
ま 究
で 成
論 果
じ を
ら 概
れ 説
る し
こ た
と 。
本
作
品
が
聖
衆
来
迎
寺
に
移
さ
れ
伝
来
し
て
き
た
過
程
を
、
修
理
銘
を
は
じ
め
と
す
る
史
料
中央
﹁
︿
伝
来
と
研
究
史
﹀
国
宝
﹁
六
道
絵
﹂
の
修
復
と
移
動
﹂
で
は
、
比
叡
山
横
川
に
あ
っ
た
■
新
知
見
を
盛
り
込
ん
だ
充
実
の
論
考
道
幅
﹂
も
参
考
資
料
と
し
て
解
説
を
付
し
て
掲
載
す
る
本
と
し
て
、
鮮
明
な
大
型
図
版
の
な
か
っ
た
フ
リ
ー
。 ア
美
術
館
所
蔵
の
﹁
畜
生
道
幅
﹂
﹁
天
論美
定
価
三
七
、
八
〇
〇
円
︵
本
体
三
六
、
〇
〇
〇
円
+
税
︶
部
分
図
や
絹
目
の
拡
大
図
版
、
ま
た
江
戸
期
に
写
さ
れ
た
模
本
や
、
同
時
代
の
六
道
絵
類
B
4
判
上
製
函
入
カ
ラ
ー
口
絵
一
七
六
ペ
ー
ジ
■
二
〇
〇
七
年
十
一
月
刊
行
本
文
二
〇
四
ペ
ー
ジ
超
え
る
ほ
ど
の
豊
富
な
意
味
内
容
を
も
つ
本
作
の
細
部
に
ま
で
迫
る
。
付
し
た
全
体
図
に
加
え
、
各
幅
ご
と
に
6
ペ
ー
ジ
に
わ
た
る
見
開
き
図
を
掲
載
。
絵
巻
物
を
図
の
上
部
に
あ
る
色
紙
形
に
残
さ
れ
た
文
言
の
翻
刻
と
、
画
面
内
容
を
紹
介
す
る
解
説
を
■
圧
倒
的
な
迫
力
の
豊
富
な
カ
ラ
ー
図
版
出版
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