日本フィル九州公演40周年記念誌(PDFファイル)

市民とともに40周年
~日本フィル九州公演~
2015年2月
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九州公演実行委員会代表 原武 博之
日本フィルとともに 㻠㻜 年
㻌 確かあれは民放労連青年婦人部の全国大会の席上だったと記憶しているが、これまで
放送局の専属として日本のクラシック音楽界を引っ張って来たメンバーが突然の解雇に
あい、途方に暮れているという短い「訴え」のあと、美しい音楽を奏でてくれた。その
音色はどんな訴えよりも強い力があった。
東京から遠く離れた九州の地で、日本フィルを応援するために演奏会を開こうという
ことになったがマスコミに働く我々にとっても、クラシックの演奏会を開くには全くノウ・ハウがなかった。
熊本ではさまざまな公演に関わる人たちに呼び掛けて、「熊本日本フィルの会」を作って主催した。その時
は一応「争議解決まで」というつもりであった。
ところが和解による解決をみた 年以降も九州公演は続く事になった。演奏会はすっかり九州の地に定
着し、日本フィルファンが根づいてしまっていたのだ。
先日熊本でマロことNHK交響楽団コンサートマスターの篠崎史紀氏と日本フィルのソロ・コンサート・マ
スター木野雅之氏とのジョイント・コンサートがあった。木野氏が、その日のプログラムに「東北の大震災被
害者の方々はこれまでの多くのものを一瞬にして失ったが、三年が経ち少しずつ想い出などを作りつつある」
と書いていたその姿と、楽団創立から少しずつ創って来た大切なものを、一瞬にして失ってしまった日本フィ
ルとの気持ちが重なって見える。
私が九州公演の実行委員長になった 回目の連絡会議では、各地の実行委員会はもうすでにマスコミ関係
者のみではなく、多くの市民が参加していた。そんななか、毎年開く演奏会の意義を地域ごとに捉え、実行し
ている。果たしていつまでこの演奏会は続くのだろうか?という不安を他所に、ボランティアにとって日本を
代表するオーケストラとの結びつきは大きな魅力である。
今、大きな課題として、実行委員会の高齢化と若手の参加者の減少。それと会場に足を運んで下さる聴衆の
減少などがある。しかし私たちは、生の音の素晴らしさを一人でも多くの人々に伝えていくことに喜びを感じ
る。そしてまだまだやることは山積している。次の時代を託せる人たちが出現するまで「市民とともに歩む日
本フィル」との歩みが続きそうだ。
九州連絡会議第2回~ 回事務局長 田副正武
〈九州公演 㻟㻡 周年誌の再録〉
㻌 日本フィル九州公演は 㻝㻥㻣㻡 年1月から2月にかけて第一回公演を九州6会場でスタートしま
した。㻌
㻌 思えば日本フィルが 㻝㻥㻣㻞 年にスポンサーの援助打ち切り、財団解散という楽団存続の危機
に見舞われる中、日本フィルの灯りを消すなという全国的な支援の輪のひろがりの一環として
日本フィル九州公演は取り組まれたのでした。㻟㻡 周年の取り組みは、運動が大きく盛り上がっ
た時期、あるいは停滞したときもあります。しかし、“日本フィルを愛する心”“音楽を愛する心”の連帯で、こうした山を乗
り越えてきました。㻌
㻌 運動の半ば 㻝㻡 周年に一冊の記念誌を作りました。この中に創立指揮者の渡這暁雄氏から次のような一文を寄せてい
ただきました。㻌 「㻝㻡 年も続いたことが何よりも素晴らしいことです!日本フィル九州公演を通して市民と共に歩むというこ
とを確認し定着させてきました。九州公演は、日本フィルに、そういう生き方が正しいのだという自信を持たせていただき
ました。これからも、㻞㻡 年、㻟㻡 年へと向かって手作りの音楽会を続けて参られますよう心から祈ります」㻌
㻌 この文章には、先生の“市民とともに歩むオーケストラ運動”の末永い発展への祈りが込められているように思います。㻌
㻌 世の中の心の荒廃がいわれる今こそ、運動の原点である“市民とともに”“音楽を愛する心”が問い直されているのだと
思います。㻌
-2-
㻌
九州連絡会議第1回事務局長 星野 信
日本フィルの危機はオーケストラの危機㻌
民放労連九州地連青年婦人協議会の会合が 㻝㻥㻣㻟 年 㻝㻞 月、佐賀市内で行われた会議
で「日本フィルがフジテレビと文化放送から契約が打ち切られ存亡の危機にある。放送労
働者としで看過できない。援助できないか」と熱い議論が交わされた。その席には日本フィ
ル労組執行委員で第2バイオリンの金本京化さんが「日本フィルの危機はオーケストラの
危機」と存続を願う楽団員と聴衆の思いを語って支援を訴えられた。青年の情熱をかきた
てないはずがない。㻌
翌年、青年部を中心に福岡、熊本、長崎、宮崎、大分、鹿児島で実行委員会が結成され、未知の世界へと飛び込ん
でいった。㻌
当時、福岡で活躍していた九州交響楽団の定期演奏会の聴衆は 㻡㻜㻜 人と言われていた。㻝㻜㻜㻜 人を超える聴衆を獲
得するのは並大抵ではない。金本さんが「赤字は日本フィルが責任を持ちます」との決断で腹が据わった。取り組むに
当たり8つの目的を確認。①解散の憂き目にあっている日本フィルを支えること。日本フィル労組支援は労働者に分か
ってもらえる。②生の演奏を聴く機会を提供できるのは聴衆を増やすことと音楽文化の向上に貢献すること。③地域の
文化向上の発展に寄与することになると地域へ足を運び、共感の輪が急速に広がっていった。㻌
曲目は帝政ロシアの圧政に抗したフィンランド人の魂が込められた「フィンランディア」で幕が開いた。会場はステージ
と観客が一体となった興奮の坩堝と化した。㻠㻜 年前のことが今日のようによみがえってくる。市民とともに歩むオーケスト
ラとして新たなスタートを切り、聴衆に支えられてきた“継続は力”が今日の礎を築いたのだった。㻌
㻌
九州連絡会議第 回~ 回事務局長 小橋省治
日本フィル九州公演は、民放や新聞社の青年労働者の方々がその中心となり公演の運営
を牽引してこられました。しかし、日本フィルが新たに財団法人として再スタートした 㻝㻥㻤㻠 年か
らは、市民参加の実行委員会が各地で誕生し、“市民とともに歩むオーケストラ”をスローガン
として掲げる日本フィルと手を携えて≪市民オーケストラ運動≫を展開し、今日に至るまで九
州各地で新しい地域文化運動を継続してきました。㻌
日本フィル九州公演は、最高時には久留米を含めた 㻝㻞 会場で公演を行っていました。しかし、残念なことに、久留米
の事務局長だった梅崎さんが不幸にも山の遭難事故で亡くなって休止になり、田川では秋の中四国公演でも取り組み
年2回公演をした時期もありましたが、高齢化が進み現在休止中になっています。㻌
このように日本フィル九州公演は、まさに良きに付け悪きに付け各地の「実行委員会」によって支えられ、作られてい
ます。これは各地の創成期から現在までの長年にわたり支え続けていただいた方々の大きな力無しでは行えませんで
した。前事務局長・田副さんは 㻞㻜㻝㻟 年 㻢 月病いで亡くなられましたので、㻟㻡 周年の挨拶を記載させて頂きます。そして
九州公演を立ち上げて頂いた第1回の事務局長星野さんに当時の思い出を語って頂きました。㻌
日本フィル九州公演、これから 㻡㻜 周年をめざしては、新たな道を切り開く事なしに難しくなるでしょう。しかし、日本フィ
ルは世界でも例のないこの公演を大切に継続しようとしています。そして、私たち九州各地の実行委員も、お客様た
ちとみんなでこの日本フィル九州公演を支えていこうと思っています。
皆さまのご協力・ご支援をよろしくお願い致します。㻌
㻌
㻌
㻌
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九州 周年ご挨拶
日本フィルハーモニー交響楽団の九州全県フルオーケストラ公演が 周年を迎えたことに、特別
な感慨を覚えております。
各地の市民ボランティアが作る実行委員会と日本フィルが共同で企画・制作・運営し、心血を注
ぎ、手塩にかけてつくってきた演奏会が、今年も 地域で開かれます。多くの市民の方々の共感を
得て 年にわたり伝承されていることは、日本のどこにも例がない、真に文化財ともいえるもので
はないでしょうか。
日本フィルの苦難な時代を支えていただいた歴史を経て、今では本物のクラシック音楽を地域の
方々により身近なものとして感じていただき、九州における文化発信の核となる活動に進化してい
るように思います。
単に当日の演奏会だけでなく、室内楽公演も先駆けて行い、学校・病院・社会福祉施設などに生
演奏をお届けしたり、楽器指等も行っています。「初めて聴いたオーケストラは日本フィルだった」
という声が九州各地で聞かれますが、人と人とのつながりを大切にする“市民とともに歩む”活動
を続けてきた成果であると考えています。永年にわたる活動を支えていただいた現旧実行委員の皆
様にあらためて敬意を表し、ともにこの 年の歴史を礎に、さらなる改革をしながら 年を目指
していきたいと思っています。
ITが急速に発達し人間の心がそれに追いつけない社会、経済発展・効率化が更に優先される社
会にあって、音楽・芸術の役割は益々昴まっていると思います。
音楽のもつ特別な力こそ地域に必要だと感じます。日本フィルはこの力を実感し、確信してきま
した。これからも実行委員会の方々と研鑽を続け、地域とともに次なる文化創造に挑戦していきま
す。高い演奏水準を保ち、温かい心をもつ楽団として、皆様の心に響く演奏をこれからもお届けし
続けたいと思っております。
公益財団法人日本フィルハーモニー交響楽団
理事長 平井 俊邦
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指揮者からのメッセージ
㻌 日本フィル九州公演40周年!!
㻌 なんという輝かしい言葉であろう。
㻌 長きに渡って日本フィルを愛し、励まし続けてくださった九州の皆様の
おつくり下さった奇跡。感動が心にしみる。
㻌 この記念すべき年にすべての指揮台にたてる幸せを実感しながら
㻌 日本フィルともども、皆様の心にいつまでも残る一期一会をお届けしたいと思う。
小林研一郎(日本フィル桂冠名誉指揮者)
㻌 九州での楽しく充実した日々を懐かしく思い出します。
㻌 コンサートに来て下さった皆さん、訪れたホール、そして各都市で私を大きく
迎えてくれた雄大な自然。すべて、私の心に今もしっかりと焼き付いています。
㻌
㻌 九州を、再び訪れたい!その機会が訪れることを願わずにはいられません。
㻌
㻌 愛を込めて。
㻌
アレクサンドル・ラザレフ(日本フィル首席指揮者)
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記念すべき 40 周年を迎えるにあたり
福岡公演実行委員会
福岡実行委員会は、九州公演 40 周年を迎えるにあたり、保存されていた各種の資料
を読み返し、今日に至るまでの活動を振り返りました。記録を読み込むにつけ楽団員、
田副さんをはじめとする当時の実行委員の方々のご苦労と情熱を改めて確認すること
ができました。
田副正武さんのこと
2013 年3月 19 日、田副さんの長男・元さんから「父を見舞って
欲しい」との連絡があり早速、福岡大学病院に駆けつけました。
肺炎と胃潰瘍の悪化、パーキンソン病の進行などで人工呼吸器を付け
て弱々しい声でしたが会話をすることは出来ました。田副さんからは、
入院していることや病状などについて、日本フィル(東京)
、福岡実行
委員会、その他関係者、知り合いなどには他言無用と言われました。
3月 20 日に見舞って以来、6月9日午前2時 56 分旅立たれるまで 10 回ほどお見
舞いに行きました。5月 14 日には胃ろうの手術を受け病状は更に進行しました。会話
の内容は世間話もありましたが、その殆どが日本フィルのことでした。九州公演の誘致
に尽力され、長年九州連絡会議の事務局長を務めるとともに、ポスターやチラシの作成
にも携わってこられたからです。「今回はポスターの制作に関われないが、ゲラが出来
たら是非見せて欲しい」が最後の会話となりました。日本フィルと福岡実行委員会、地
元の画壇にとって大きな財産を失いました。77 歳でした。
(大賀)
「森の歌」の取り組みと「福岡日本フィル協会合唱団」の誕生
第 13 回公演(1988 年)では、ショスタコーヴィッチの「森の歌」に取り組みま
した。合唱団は新聞による一般公募でした。合唱団の編成には福岡合唱連盟の力添えを
頂きました。特に男性合唱団については九大生の応援を受け成功を収めました。練習は
毎週一回、福岡市西市民センターで行いました。練習場所の確保や合唱団への連絡など、
当時事務局長だった西さん、事務局専従だった鶴島さんらが中心となり実行委員会が総
力を挙げて取り組みました。当時を振り返って「若かったから出来たんですよね」と。
演奏会本番での少年少女合唱団の澄んだ歌声は今も耳に残っています。
「森の歌」の合唱団は公演後解団しましたが、このまま消えてしまうのは残念と言う
声が高まり、存続したいとの熱意から有志が団を再編成しました。そして、どうしても
団名に「日本フィル」の名前を入れたいとの強い申し入れがあり、日本フィルは熟慮の
末、
「日本フィル」の名称の使用を認めました。こうして「福岡日本フィル協会合唱団」
が誕生しました。その後、同合唱団は二年に一回、定期演奏会を続けています。来年は、
10 回目の定期演奏会を開催されるそうです。福岡公演のチケット販売には、多くの団
員が協力してくれています。
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交響連詩<九州・天地人>との関わり
日本フィルは、1995 年九州公演 20 周年記念作品の作曲を和田薫氏と秋岸寛久氏
に委嘱しました。両氏は、九州各地を巡り風景や祭り風土などを取材しました。福岡の
実行委員は太宰府天満宮、都府楼跡を案内。金印の志賀島、博多湾に浮かぶ能古島を船
上から見てもらいました。ちょうど、この時期、博多の真夏の最大イベント「博多山笠」
の真只中。どうしても、両氏に男の熱気を伝えたく入手が極めて難しい櫛田神社の桟敷
席を用意しました。両氏は、命がけで山を担ぐ勇壮な男の熱気を肌で感じて感動されて
いたようでした。そうして完成した『交響連詩 九州』は三つの部分で構成され、最後
は「博多山笠」のモチーフにより熱狂的に演奏されました。
また、この年沖縄公演が行われ、福岡実行委員会からも多数参加しました。
実行委員会の取り組みと課題
チケット販売に関して、ここ数年の取り組みを紹介します。DMは毎年約 4,300
通を郵送し、2014 年の第 39 回公演では 430 枚の注文が有りました。奇しくも一割
です。福岡日本フィル協会合唱団、九州公演特別会員やプレコンサートで回る病院、公
民館、各種団体からは 276 枚。私たち実行委員は 22 人で 410 枚でした。一人当た
り 18.6 枚を販売したことになります。合わせて 1,116 枚。その他、プレイガイドが
349 枚。当日券などを合わせた販売総合計は 1,535 枚でした。総数の 72.7%を実行
委員会絡みで販売出来ました。現在、実行委員は 30 人です。この内、実行委員会に毎
回出席するのは 13 人前後です。しかし、公演日には、ほぼ全員が手伝ってくれます。
今後の課題として、実行委員会にも高齢化が顕著に進んでおり、70 歳を超える人が
随分増えました。チケット販売に関しても友人・知人も年老いていきます。若い実行委
員を増やすことが急務ですが思うようにはいきません。
地域との関わり強化を図る
今後の取り組みとして、プレコンサートなどを活用して地域との関わりや人との繋が
りを日常的に強めて行くことが大切だと思います。特に公民館などとの関わりは有効な
手段だと言えるでしょう。また、運営基盤の確立のためにも、日本フィルの徳田常務理
事から紹介されたTKC全国会との協力関係の構築も積極的に進めて行きます。
<第 40 回福岡公演・実行委員会の体制>
実行委員長=大賀信泰
副実行委員長=麻生博敏
事務局長=大神信彦
事務局次長=西恵美子
九州連絡会議副事務局長=佐野美穂
実行委員=青木大輔 糸瀬孝子 岩隈千代子 大島浩一 鬼塚耕子 大神奈菜子 黒川みの
り 小山早苗 斎藤聡子 笹尾暁 瀬戸美砂子 田代多香子 槻木和也 鶴島悦子 中村良江
永島勝美 星野信 牧洋子 松井ゆきえ 丸山紘充 森山典子 山崎洋美 横山孝雄 和田佳
小里 渡邉佳子
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熱き思いを繋ぐ仲間たちに
~北九州公演実行委員会~
人生によろこびと潤い~わが心の日本フィル <公演継続の情熱と努力に深い感謝>
日本フィル九州公演が40年を迎えたという。で、思わず薄くなった頭に手をやった。あの頃は黒髪
がふさふさだったのに、今や見る影もない。毎朝、鏡の前でフーッとため息をついて1日が始まる。
私と日本フィルとの出会いは、福岡の民放で働く人たちの呼びかけから、39年前のことだ。その若
者たちがひとりの人物に同道、私に「日本フィルとは」を熱く語り、北九州でも公演を、と迫った。名
刺には公演のオルグで日本フィルのバイオリン奏者とあった。私は音楽家と呼ばれる人とは接したこと
もなく一瞬、恐れおののいた。それがコトの始まりだった。
忘れられないその人は、すでにこの世におられない金本京花さんである。以後、私はさまざまなこと
を教えてもらった。まさに人生の師であり、その死が惜しまれてならない。そういえば公演のステージ
でも、親しくしてもらっていた楽員の姿が見当たらない。みんなそんな年齢なのだ。
時々、CD で「シベリウス2番」を聴く。そうすると、あの頃が蘇ってくる。人生によろこびと潤いを
もたらしてくれた、わが心の日本フィルハーモニー。気が遠くなるような時間を通して、九州、北九州
での公演に情熱と努力を注いでくれているみなさんに深い感謝を伝えたい。
北九州市門司区在住。 森田 稔(70歳)
第 40 回日本フィル九州公演おめでとうございます。
楽団を一方的に解雇された日本フィルの仲間への支援で始まったのが九州公演でした。私は、北九州
は九州に一年遅れの 1976 年 5 月 27 日の第 1 回、そして第 2 回から第 6 回まで事務局長として北九州公
演に携わってきました。千枚の街頭ポスター、約 8 万枚の街頭ビラ配りなどで小倉市民会館を超満員の
聴衆で埋め尽くされたこと。また、77 年 11 月 8 日の毎日新聞再建闘争支援の東京本社西口玄関前日本フ
ィルコンサートや 81 年 6 月 3 日に日本武道館で開催された「日本フィル再建目指す 1 万 5000 人の大音
楽会」に参加したことを思い出します。さらに、映画「日本フィルハーモニー物語・炎の第五楽章」上
映成功など、日本フィルを市民と共に支援してきました。
私はクラシック音楽の素人でしたが、公演の曲目決定に向けて公演毎に十数枚のレコードやCDを買
って聴いたことがクラシック音楽を好きになった要因です。そして、これまでの公演の中で一番好きな
日本フィルの演奏は渡辺暁雄指揮/シベリウスː交響詩「フィランディア」。強く印象に残っているのは「ア
ランフェス協奏曲」
、ドヴォルザークː「新世界より」です。
日本フィルの発展と活躍を祈念申し上げます。
橋本 眞一
「チラシ、下さい。」と女子高生が寄ってきて、母親と受け取ったチラシを見ながら、曲目などを語り合
う。北九州公演 PR のためのビラ配りのひとコマ。
日本フィルは 84 年3月、12 年にも及ぶ争議が解決し、85 年1月に財団法人として自主運営の形で新
たなスタートを切った。
労働組合が中心に公演を開催してきた北九州では争議解決後「争議が解決したから労働組合の支援も
終わり」
「自主運営なので、日本フィルが演奏会を作るべき」など多くの声が聞かれた。そうした中で 85
年の第9回以降、事務局を中心に会議を重ね、10 月の実行委員会総会では9年間の総括と 10 回公演の展
望について話し合った。
私自身がそうであったように、実行委員の中心を担ってきたメンバーは夜勤明けや実行委員会後のポ
スター貼り、街頭ビラ配布など、公演成功に向けたひどい取り組みを重ねても「争議が解決しても公演
を止めることはできない」との思いがあった。それは文化が育たないと言われる北九州でも公演を支え
る多くの聴衆がいることを目の当たりにし、楽団員と酒を酌み交わし交流を深めた日々が忘れられない
からだったかもしれない。
いつの間にか日本フィルとクラシック音楽が好きになっていった。今でも車では日本フィルの演奏か
サザンの曲が流れている。
益野 康一
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日本フィル九州公演、ひとつの運動が引き継がれて40年を迎える。
私も、1978 年、労組からの派遣という形で実行委員会に参加し、今日に至っています。
21才から、人生の約3分の2を日フィルと過ごしたことになります。
この年に、宮崎で第1回のシンポジウムが開かれ、楽団員、実行委員共に、音楽会作り、仕事、運動
と、人としての生きざまが熱く語られていたと聞く。
争議の支援の中の音楽会作り。ポスの貼り出し、チラシの配布、配券、点検活動、北九州の新聞の仲
間たちと駆けた日々。実行委の人たち、東京からのオルグの人、皆が熱く、私の労組、青婦部活動とも
重なり、多くのことを教わった。
シンポジウムの参加は、第2回の久留米が初めてです。楽団員の方も多く参加され、
「文化」という言
葉で、音楽会作りが話されていた。地域の活動の中で、映画「炎の第五楽章」の上映運動なども行って
いくなど、日フィル運動の大きな高揚の時期だった。また、私の熱い青春でした。
1983 年、争議解決後の、第4回シンポは、
「ほんものの文化を求めて」と題して佐賀北山湖畔で行われ
た。このシンポで、確認、共有された目的、目標が、のち九州40年を支えたと思う。
生活の中に音楽があり、音楽を通じて、夢、希望、勇気、人として大事なものが育まれていく。
私自身も、労組という団体を離れ、ひとりの市民として日フィルの運動に参加する契機でした。
この運動を熱く語る。40年から50年へとバトンがつながっていくことと思います。
谷﨑 幸雄
ミニコンサート訪問先(順不同/過去10年間)
福岡県立戸畑高校
福岡県立北九州視覚特別支援学校
福岡教育大学附属小倉小学校
北九州市立吉野中学校
北九州市立飛幡中学校
北九州市立南曽根中学校
北九州市立丸山小学校
北九州市立錦町小学校
北九州市立深町小学校
北九州市立葛原小学校
北九州市立南丘小学校
北九州市立小倉北特別支援学校
北九州市立文学館
レディスやはた北九州市立西部勤労婦人センター
錦町市民センター
遠賀南学童保育クラブ
社会福祉法人浅木会南部保育園
社会福祉法人門司民生事業協会 清滝保育所
社会福祉法人愛香会 愛香苑
社団法人 門司ゴルフ倶楽部
門司赤煉瓦プレイス
出光美術館(門司)
末永産婦人科麻酔科医院
愛光幼稚園
NTT レトロ電気通信資料館
門司港老松消防分署
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日本フィル大分公演実行委員会
九州公演40周年、心からお祝い申し上げます。大分公演実行委員会事務局長をしております
村津孝仁と申します。実行委員では最も若輩者ではありますが、新社会人となった1999年以
来15年間、毎年何らかの形で大分公演に携わっております。日本を代表するオーケストラに毎
年欠くことなく大分の地で演奏していただけること、その輪の中に毎年に関わらせていただける
ことに改めて喜びと感謝を感じています。
★変わり行く大分市中心部での演奏会
私が初めてお手伝いしたのは2000年の九州公演だったと記憶しております。長年演奏会場
だった大分文化会館から、大分が誇る麦焼酎「いいちこ」の名前を冠に持つ iichiko グランシア
タに移ってまだ間もない頃、真新しい建物独特の匂いの中で肌震わせる響きに圧倒されたことを
今でも覚えています。
あれから15年が経った来春、演奏会場周辺の大分市中心市街地は100年に1度と言われる
変化の年を迎えます。建設中の大分駅ビルが3月開業予定、そして演奏会場の道向かいには大分
県立美術館が 4 月にオープンします。さらには駅と演奏会場と美術館の3箇所、道のりにして徒
歩15分ほどの距離すべてが屋根の下につながります。こうした新しい始まりの目前に40周年
の記念公演が行われることに不思議なご縁と、この先50周年、60周年に向けた明るい予感を
感じさせずにはいられません。
★大分公演実行委員会
大分県には、全国で唯一の芸術系公立短大としてスタートした大分県立芸術文化短期大学があ
り、昭和36年の開学以来大分県の芸術文化を支え続けています。大分公演にあたってはそこで
長年教鞭を執っていらした先生方にも、多数実行委員としてご尽力いただいています。長年実行
委員長を務められていた加藤公康大分大学名誉教授が平成23年に退任、新たに大分で多くのヴ
ィオラ奏者を育てられた内田博先生を実行委員長に迎え、心新たなスタートを切りました。メン
バーには大きな変化はなく、みなさんそれぞれに年を重ねておりますが、最年少38歳の私が圧
倒されるほどの情熱をお持ちです。私も実行委員会にフレッシュな風を吹かせるべく職場でクラ
シック音楽好きも若手がいないか常日頃から目を光らせております。
★音楽家を目指すきっかけになった演奏会
私は放送局に勤務しており、月 2 回大分銀行で開催されているコンサートを収録、放送する番
組を担当しております。先日、大分市出身のコントラバス奏者 小野聡美さんが出演された時の
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ことです。番組の収録時に小野さんが音楽の道を志すきっかけとなったのが、中学生の時に聴い
た日本フィルの大分公演だったというお話を聞きました。中学生だった小野さんは生のオーケス
トラの迫力、特にコントラバスの響きに深い感銘を受けたそうです。そして演奏を聴いた直後の
その足で団員のコントラバス奏者田沢氏のもとへ「コントラバスを教えてください」と思いを伝
えに行ったと聞きました。その後小野さんは東京藝術大学へと進み、現在は東京を中心にフリー
のコントラバス奏者として精力的に活動されています。日本フィル九州公演40年の歩みは若者
たちに音楽の種を蒔いているのだと実感した出来事でした。
★演奏会後のお楽しみは
これまでの大分公演、演奏会後に欠かせなかったお店が「KOSAKA」でした。演奏会場にほど近
い繁華街の中にあったこのお店に、毎年レセプションを終えた団員の皆さんと実行委員がなだれ
込み、深夜まで笑い声が途絶えることがありませんでした。心から音楽を愛するマスターの前に
は重厚な木のカウンター、テーブル席は満席で立ち飲み席もできるほど。楽器を持ち込んだ団員
の方が演奏を披露してくださるのも恒例行事でした。その KOSAKA も5年前に閉店。大分公演を
毎年楽しみにしてくださっていたマスターも他界されました。大分公演に欠かせなかった灯がひ
とつ消えたようで実行委員のひとりとして大変寂しい思いをいたしました。しかし、現在のレセ
プション会場も小さなステージの上にピアノや打楽器が常備されており、前々回の公演後の打ち
上げではトロンボーン首席奏者の藤原功次郎氏がピアノの即興演奏を披露してくださるなど、場
を大いに盛り上げていただきました。「大分の夜はどこにも負けない」気持ちでこれからも団員
のみなさまとの交流を続けさせてもらえればと思っております。
★課題として
大分公演はここ数年チケット販売が非常に苦戦しており、申し訳なく、心苦しく思っておりま
す。実は大分県は年末から年度末にかけて毎月のようにオーケストラの公演があり、日本フィル
九州公演の日程はその真只中に位置しております。多数の演奏会が組まれていることは一聴衆と
しては大変喜ばしいのですが、実行委員としては悩ましいところです。この状況を打破するため
には「市民とともに歩む」日本フィルのカラーを実行委員会としてどう強調していくか、そして
若い世代の新たな聴衆をいかに取り込むかにかかっていると考えています。九州公演の新たな歴
史が輝かしいものとなるよう、諸先輩のお知恵とパワーをいただきながら努力してまいる所存で
す。この先10年、20年と変わらぬ末永いお付き合いをどうぞよろしくお願いいたします。
大分公演実行委員会
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事務局長 村津 孝仁
日本フィル宮崎公演
実行報告
事務局長:髙橋
健太
日本フィル九州公演の 40 年という長い歴史を語るには私の経験はあまりにも少ないとい
えるだろう。初めてクラシック音楽に関心を持つようになったきっかけは中学校一年、音
楽の授業で聴いた「モルダウ」であった。初めて感じるその力強さに感激したのを覚えて
いる。ただ学生時代は勉強や部活に汗を流す日々であり、クラシック音楽に関わるような
こともほとんどなかった。
そんな中、大学生になった私にとある話が持ちかけられた。当時宮崎の実行委員会に所
属していた方から公演当日、少しお手伝いをしてほしいとのことであった。クラシックコ
ンサートというものを生で聴いた経験のない私はあわよくば当日聴けるのでは…という下
心をひそかに抱きつつ、助人を引き受けたのであった。初めての楽器搬入、来客の対応と
緊張はしたものの、クラシックに関わっている実感を得たことに喜びを感じつつ、忙しく
も楽しい時間を過ごしたのを覚えている。
日本フィル九州公演に初めて参加したのが第 35 回。その後も毎年当日の手伝いをする形
で実行委員会との関わりは持っていたのだが、第 38 回公演後の交流会で、衝撃の事実を知
らされることとなる。宮崎実行委員会の解散である。当日のみではあったが、毎年実行委
員会のメンバーとともに活動できることを楽しみにしていた私にはこの事実はあまりにも
ショックが大きかった。日本フィルが宮崎にもう来なくなるのか。宮崎であの公演を聴く
ことができなくなるのか。様々な思いが私の中を巡ったが、その中でもひとつはっきりと
した考えがあった。そんなこと納得できない!
昨年8月、私は宮崎のとあるホテルにいた。前実行委員会の方に呼び出され、賀澤さん・
鹿児島実行委員会の二反田さんと宮崎公演の今後について話し合いをし、新しく事務局長
に就任することになった。新・宮崎実行委員会の誕生である。とはいえ前述したとおり実
行委員会の活動に関しては右も左も分からず、誰かの手を借りないと一歩も動き出せない
状態であった。そこで助っ人として日本フィルOBの蒲谷隆行さんが急遽宮崎に住み込み
でサポートをしてくれることとなる。日中動けないことが多く、また休みが不定期で土日
祝日に休みの取れない私の代わりに宮崎の実行委員会として尽力してくれた。プレコンサ
ートや当日までの様々な手続等私の手の届かない部分のサポートや、当日まで広告や宣伝
を積極的に行ってくれた。また、それ以外にも各県実行委員会の方々、前実行委員会の方々
のお力添えで初めての事務局長としての宮崎公演は無事終えることとなった。
- 12 -
宮崎実行委員会として初めての公演を行い、たくさんの課題も見つかった。来年は日本
フィル九州公演が 40 周年という節目の年を迎えることとなり、この時に事務局長として日
本フィルを宮崎に迎えることができることを非常に光栄に思う。今回は前宮崎実行委員会
の方々も再び正式にメンバーとして迎えることとなり、昨年以上に宮崎公演を盛り上げて
いきたいと考えている。そしてまた 10 年後、20 年後も日本フィル九州公演を地元宮崎の地
で見届けていけたらと考えている。
話は変わるが、私は宮崎に日本フィルが毎年公演に来るという事実を実行委員会に関わ
るまで全く知らなかった。クラシック音楽に関心を持つ人間が決して多いとは言えない宮
崎でも、私のように日本フィル九州公演の存在を知らないという人は多くいるのだと思う。
そのような人にいかにしてこの公演の存在を伝えていくのかが、今の私の成すべき課題で
はないのだろうか。そうすることにより本来、日本フィルが掲げているテーマである“市
民とともに歩むオーケストラ”に近づいていくのではないだろうか。これからも続いてい
くであろう日本フィルとのかかわりの中で、私のようにクラシック音楽に関心を持ち、関
わっていく人が少しでも多くなっていけばと考えている。
最後になるが、私のようにクラシックについて、深くかかわってこなかったような人間
を実行委員会として受け入れてくれた日本フィルの皆様、宮崎実行委員会の皆様、宮崎公
演の灯を消すまいと協力していただいたすべての方々にこの場を借りて心よりお礼を申し
上げたいと思う。
- 13 -
日本フィル
鹿児島公演実行委員会
鹿児島演奏会のこの 10 年間を振り返っ
てみますと、2010 年に森本実行委員長が公
演活動中に急逝されるという悲しい出来事
がありましたが、演奏会自体は会場の宝山
ホールを 2 回も満席にできたほか、平均し
て 80 パーセント以上の入場率で、毎回盛況
の内に推移してまいりました。
また、九州公演を支えてくださる特別会
員の数も大幅に増えて 19 の法人、個人にな
りました。そして、日本フィルは一昨年春
に公益財団法人化を成し遂げることがで
き、新たな出発を致しましたが、これにも
皆様方から多くの善意をお寄せいただきま
した。
このように日本フィルを、あるいは日本
フィル九州公演を支えてくださる皆様方の
お力と運動の高揚をひしひしと感じながら
活動できた 10 年でした。
不安材料として実行委員会の高齢化があ
りますが、鹿児島大学の学生のサポートは
大きな力になっています。
これからまた、体制を整えながら次の 10
年に向けて邁進してまいります。さらなる
ご支援とご協力をお願い致します。
2005・12・5
訪問コンサート会場にて
前実行委員長森本雅樹
現実行委員長平田宗興
ご挨拶
日本フィル九州公演 40 周年
まことにおめでとうございます。
このたび前実行委員長故森本雅樹先生の後任を
拝命しました平田宗興です。
鹿児島大学に着任されたころから偉大な学者に
して少年のような先生の大ファンになりました。
日フィル鹿児島公演実行委員長に就任されてか
ら私は特別会員になりました。
鹿児島を離れても先生の日フィルへの応援は続
きました。なんということでしょう、プレコンサ
ート成功の宴の翌朝帰らぬ人となりました。
森本先生が他界されて2回目のコンサートが行
われた2年前、楽団員や実行委員会から実行委員
長にとのオファーを戴き、快く委員長をお引き受
けしました。
九州公演は楽団と市民が一つとなり運営されて
きました。素晴らしい伝統を継承するため全員で
頑張ります。
☆「午後のくつろぎコンサート」と訪問演奏
長い間、恒例の秋の訪問演奏の際、特別会員や病院、学校
などを訪問する一方で有料のミニコンサートを行っていました。
。
ちょっと趣向を変えて、昼間に音楽をお茶とケーキで楽しむ
「午後のくつろぎコンサート」を開くようになって 10 回を数
えます。夜の本公演に出掛けにくい皆様にも、堅苦しくなくて
楽しめると評判になっていま
す。始めた頃は試行錯誤しな
がら開催会場も転々としまし
午後のくつろぎコンサート 2012・12・14
たが、最近は桜島を目の前に
臨む素敵な所に落ち着きました。演奏会終了後はお花やお酒など
のプレゼント抽選会もあります。演奏者からお花をいただき、握
手をしてもらうとき、会場がいっそう和やかになります。多くの
方々が演奏者との心の触れ合いに感激して、本公演にも足を運ん
学校訪問演奏 2013・12・9
でくださるようになっています。
- 14 -
鹿児島実行委員会では、いろいろな係を分担しながら持ち場を守っていくことを活動の要としてい
ます。また、鹿児島大学の二つのサークルと一緒に活動しています。なかでもクラシックギター部は、
今となっては部の伝統となっているほどです。近年、クリニックの縁で吹奏楽団も参加しています。
卒業後もそのまま実行委員として参加しているメンバーもいます。
♪クラシックギタークラブ
♪吹奏楽団
私たち鹿児島大学クラシック
ギタークラブは毎年実行委員と
してお手伝いをしています。
実行委員の方々や楽団員の方々
はとても親しみやすく、楽しく活
動をさせていただいています。
プロの方々の演奏を間近で見る
ことができ、私たちの音楽の幅が
DM 発送作業風景
広がる良い機会となっております。
今回の記念すべき公演にも携わることができてうれし
く思います。
(3 年 山下実希・朝田奏子)
鹿児島でプロのオーケストラを聞
く機会があまりないので、とても
いい経験になりました。
自分は小学生の時からトランペ
ットをしていたので、プロの方の
音楽を聞いて多くのことを学ぶこ
とができました。
また鹿児島でプロの方の演奏を
聴く機会があまりない中その運営
を手伝えてとてもよい経験になり
ました。
学校訪問 2011・9・6
♪クラシックギタークラブから実行委員に
僕が入部した 1992 年頃には毎年誰かが日フィルを手伝っ
てて、先輩から話を聞いた時に面白そうだなぁ、と、簡単な
考えで参加しました。毎年誰か一人は新入部員から出さない
といけない、って言われた記憶がなくもないですが。
あの頃は日フィルの団員もツアーを楽しんでたから各地
で実行委員会やお客さんと積極的に交流してくれたし、それ
でこちらも手伝いがいがありました。
(新田浩之 談)
☆チケット案内窓口から
特に人気のある席には希望が殺到
します。鹿児島宝山ホールの場合、
12 列の 21・22 番は年平均 5、6 件、多
い年は 15、6 件もダブります。近く
に席が空いているとよいのですが、
離れた席を指定して発送すると、苦
情が来ます。感謝される事はそうは
ありません。また、チケットの受付
が始まると家を気兼ねなく空ける事
が出来ないことも大変です。ただ、
受付をしていると、世の中には色々
な価値観を持つ人がいるなと思いつ
つやっています。(春成 隆)
☆会場整理・案内の思い出
第 36 回公演は第 31 回に次ぐチケット完売ということで
記憶に残る公演となりました。
前年 11 月に実行委員長の森本先生が急逝され、実行委
員一同悲しみに陥りましたが、実行委員会への参加率も高
く、久々の日曜日公演ということもあり宣伝をはじめ準備
活動でも奮闘しました。チケットは公演の1週間前に完売
し、当日の立ち見席も多数となりました。
私は当日運営では主に会場整理・会場入り口付近を担当
しています。4、5 年前、鳥インフルエンザと口蹄疫が流行
した年は、会場入口に消毒マットを踏んでいただく必要が
あり、お客様が躓かれたこともあって案内に苦労しました
が、幸いに皆さん無事に入場されたのでほっとしたことが
(野元幸一)
印象的です。
<あとがき>未来を展望するとき、過去の足跡は大切な道標となります。今となってはもう会えない方々
も多数おいでです。この 40 年の間に携わってこられた皆さまに遺していただいたものを大事にしながら、
この先 10 年、さらにその先に続く時間に新たな模索をしていきます。私たちはひとりでも多くの方々に
心に響く音楽を届けることを無量の喜びとして活動しています。回を追うごとに大きくなっていく支援の
輪に感謝し、実行委員一人ひとりの行動力を結集してみんなで歩み続けていきたいものです。(真)
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出会い・・・語り・・・感動・・・別れ・・・涙・・・そして笑顔で 40 年!
熊本日本フィルの会
下田和喜:日本フィル支援の取り組みは、いろんな面で糧となり、私の人生に大きな影響を与えてくれた。40 周年の九州公演が終わると
定年を迎える。会社、労働組合、熊本日本フィルの会のメンバー、そして日本フィルに感謝。
“市民とともに”これからも大切に。
原武:事務局長を経て現在代表を務める。熊本は九州公演開始以来のメンバーが多いなか、20 代から身を投じて、今や 66 歳。月日の流
れを、日本フィルを通じて何かを得て欲しいと「楽しい事務局、魅力ある事務局」をモットーにしている。
木村:30 周年の時に「30 回九州公演を機に熊本日本フィルの会事務局長を辞める事に決めた・・・」と書いていた。2 年間の限定付きで
引き受けた事務局長も 22 年になってしまった。交響連詩「九州」の創作に燃えた 20 回、託児数が 30 人を超えた日曜日のモーツァルト、
2000 年合唱団と共演した第九、くじ運がなく八代公演となった 37回等々、一年一年の積み重ね。会議の度に白熱する議論、難題に「や
ってみよう」という懐の深い地域、個人商店で頑張っている地域。深夜まで語り合い、なぜか赤字になっても楽しくなるお酒だ。
安藤:いきなり「新しく入られた安藤さんです」と、事務局に紹介され、のこのことご馳走につられ出かけたのが間違いの始まり。以来
36 年。チケットを売らねばと、冬の夜のポスター貼り、仕事ついでのチラシ配り。それは、事務局の仲間との交わりが楽しいからだ。
大久保:高齢化気味のメンバーだが、様々な年代や職業、それぞれ趣味趣向の違うクラシック音楽好きが集まる事務局。作業中のおしゃ
べり、アフタードリンクに盛り上がる定例会に肩の力が抜けて行く。真綿のように優しい圧力がかかるチケット売り、でもそれも肝心。
広野:全くの畑違いから 20 年前に参加。コンサートまでの苦労と、オーデンでの反省会の楽しさ。年に一度のコンサートに来てくれる
知人、友人とは良い人間関係が出来ている。親しい楽団員が退団されていくのは淋しいが、新しいメンバーが頑張っているのは心強い。
吉畑:熊本労音の重鎮。九州公演当初は音楽会など一度も開いたことがなかった実行委員のなかでも、その指導的立場。今でもその協力
体制は変わらず、事務局を RKK から労音に移すなど、比重はますます高まっている。(事務局談)
卯野木:第 4 回の福岡公演から参加、熊本へ移って 20 年。第 37 回は計らずも故郷八代での公演となり、感動!「昭和臭さの音響」とい
う指揮者の評にホールの素晴らしさを改めて実感。八代でも生の音楽をと活動を始め、毎年 1 回の室内楽を日本フィルの協力で実現。
(事務局談)
吉岡:39 回公演のアンケートをきっかけに、この会に参加された事務局の新人(笑)ぜひ皆と長くお付き合いいただきたい。
服部佳子(服部秀幸):熊本日本フィルの会立ち上げの年にスタートした社会人人生。皆若く、ワイワイ飲んで食べてしゃべって…学生
のサークル活動のようだった。かつては観客だった人たちも沢山加わり、素晴らしい音楽のご褒美付きで、変わらぬメンバーと活動中。
下田友美: 41 年前、九州朝日放送の会議室に現れた、石井啓一郎氏と三好明子さん。芸術家とはかくありなんという佇まいの二人から
出た日本フィルへの支援要請の言葉。何とか応援したい!これが私の原点だ。その当時を良く知る団員さんの多くが定年退職された。
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豊田:日本フィルの会発足当時から、いつも事務局を置いていた熊本放送組合事務所にいてくれて、あらゆる作業は勿論、様々な連絡、
メンバーのよろず相談、愚痴等の聞き役としても無くてはならない存在だった。まさに「縁の下の力持ち」!!(事務局談)
瀬尾:30 年前、当時住んでいた宮崎で見た「炎の第五楽章」。それからコンサートに行くようになり、熊本に移った後 2000 年に「日本フ
ィルと第九を歌う」という幸せな経験からこの会に参加することになった。小学生だった娘も社会人。母娘で幸せな時を過ごしている。
宮崎のり子(宮崎健一):第 1 回九州公演の前年、日本フィル支援のキャンドルコンサートで出会った夫と結婚し、北海道から熊本に来
て 40 年。地方でも良い音楽をと九州公演のお手伝いをしている。中でも 2000 年、満席での第九の公演に参加できたのは、本当に一生の
想い出となった。今では息子夫婦も、札幌で日本フィルの公演を楽しんでいる。これからも音楽で豊かな人生を送るために続けたい。
元田:寒くて何もない 2 月に必ず来てくれる日本フィルがとても楽しみだった。その後「炎の第五楽章」を見て、その苦難の歴史を少し
知った。沢山の素晴らしい指揮者やソリストの演奏を聴くことが出来たが、今後は管楽器やギター、バンドネオンも聴けたら最高だ。
和やかにDM作り
市中心部の現代美術館でプレコンサート
当日のチラシ入れ作業中
<写真撮影当日、会議に参加できなかったメンバーたち>
木庭:熊本日本フィルの会のメンバーは、若かりし頃とても遊び好きだった。九重登山、能古島キャンプ、コンサート終了後の 2 次会で
のおしゃべり。どれも心楽しい想い出だ。今は亡き「おばん」こと長曽我部さんに教わった手羽先の美味しさ。下田さんと交わした「畳
屋の倅にクラシックがわかるのか?」の議論。今では皆、老老介護を気にする年代になったが、気持ちは若く 40 周年に向け頑張ろう!
:福岡での学生時代、毎年友人と日本フィルコンサートに行っていた。4 年時、演奏会後の交流会で、バイオリン
山口和也(山口真紀子)
の石井啓一郎さんから「九州公演の事務局に入れ」と命令調(笑)のお誘い。卒業後、熊本に帰って、熊本日本フィルの会に顔を出すよ
うになり、活動を通して妻もゲットした。日本フィルに振り回された感もあるが、今では石井さんの強引な勧誘に感謝している。
江藤:労音会員で、元、国労組合員。現在気象協会に勤務。気になる演奏会当日の天気や列車の乗り継ぎなどはお任せ!熊本日本フィル
の会の重要な情報源である。(事務局談)
♪
他に、熊本の事務局関連のあれやこれやをパソコン管理してくれる山下桂一さん、仕事と郷土の音楽家を両立させ、熊本で活躍中
の光永さん、プレコンサートで毎年素晴らしい会場を快く提供してくださる渡辺夫妻、今は事情があり事務局から離れているが、軽快
な会話でいつも明るい佐藤明子さん、復帰を待ってます!
残念ながら途中亡くなられた長曽我部さん、大森さん・・・感謝!
<熊本出身日本フィル楽団員からのメッセージ>
本田純一さん(Vn)
:九州公演 40 周年、自分も入団 30 年を超えた。故郷熊本で毎年演奏する機会を得ている。小さい頃からジュニア
オーケストラ、ソロと、自分に向い「大丈夫、緊張しないぞ」と、必死におまじないをかけていたことを思い出す。素晴らしいホールが
増え、日本フィルのファンが増えることを祈りながら演奏をしている。次は
50周年に向けて!
原川翔太郎さん(Horn):熊本公演も早いもので、僕自身 4 度目になる。年に一度故郷に帰ってこれる。とても嬉しい!幼少時、野球に
夢中だった頃、将来ホルン奏者になるなんて想像もしていなかった。人生は不思議なものだ。大学 4 年の教育実習で、母校大津高校の先
生から「あたはそぎゃんせまか部屋に住んどっとね?外輪山の中に東京 23 区は入るとだけん、たいぎゃこまかよね!大きく目標持たに
ゃんばい。また帰ってきなっせ」と言われた。第 40 回九州公演は、故郷に感謝し特別な思いを込めて演奏したい。
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「日本フイル長崎公演 ~ 40 年のあゆみ~」
長崎日本フィルの会 代表 河野英雄
■日本フイル九州公演の 「原点」
日本フィル九州公演の 「原点」 は、昭和 49 年 6 月、佐賀駅前の 「千代田荘?」 で、 開催された民放労連九州
地連青年婦人部の会議である。「日本フィル」 が、 フジテレビの支援打ち切りで、 存続の危機にさらされており、
同じ民放に働くものとして、 九州でも、日本フィルを支援するコンサートを開きたい
と す る 青 年 婦 人 部 執 行 部 の 提 案 を、 九 州 の 民 放 各 局 の 組 合 代 表 が、 承 認 す る か ど う か 論 議 が 行 わ れ た。 当
初は、組合がクラシックコンサートを開いて赤字を出したら、かえって負担をかけるのでは~など否定的な意見
も多かったが、 この会議のために、 東京から、 夜行列車で駆け付けた日本フィルの金本さんの、切々とした、 思い
に溢れた話が、出席者の心を動かし、「とにかく、1回だけでも、ガンバレ日フィルコンサートをやろう」 という
ことに決まった。私も、 その場で、「みんなで、 バカになってやれば、 なんとかなりますよ」 と、 ぜひ開催しよう
と、 発言した責任を、 今なおとっている。 それにしても、 まさか、 その後 40 年続くとは‥!今は亡き、金本さんの、
眼鏡の奥の、 やさしい、思いに溢れたまなざしを、 思い出す。
■超満員の第 1 回公演
第 1 回日本フィル九州公演の初日 ( 昭和 50 年 1 月 27 日 ) は、 長崎。1752 席の長崎市公会堂に、当日立聴
券を 50 枚以上出して、 超満席。渡辺暁雄指揮の 「フィンランディア」 の力強い演奏が始まった瞬間の、 身の震
えるような感動、 感情は、 忘れることができない。地元長崎新聞の、 当時の学芸部長宮川密義氏が、 演奏会
が終わった直後 「労働組合や、 若者が主催して、 クラシックのコンサートが満員なったのをはじめて見た。その
「ヒミツ」 を、 ぜひ新聞に書いてくれ」 と言われた。私は、 協力して下さった、 全ての人への感謝の気持ちを込め
て 「長崎は話のわかる街」 という原稿を書いた ( 写真参照 )
1975. 2. 1 長崎新聞掲載
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■長崎県下 7会場で開催
長崎は、 会場の長崎市公会堂が、 毎年 2 月に 「改修工事」 を行うことが多く公会堂が使えないときの、 コンサー
ト会場を決めるのが、 「継続」 の前提。昭和 50 年代から、 平成の初めまでは、 公会堂以外で、 長崎市民会館
文 化 ホ ー ル、 佐 世 保 市 民 会 館、 諫 早 文 化 会 館、 川 棚 公 会 堂、 佐 々 文 化 会 館 ‥ な ど で も、 日 フ ィ ル 公 演 を 行
った。特に、 川棚公会堂は、開館当時、 教育委員会の担当だった森優さんの協力で、 その後も、 本公演や、
小編成のコンサートが開催され、 活動の母体となる 「日本フィル協会川棚 ・ 波佐見支部」 が今も、 様々な企画
を展開している。長崎に、 ブリックホールが開館した、 平成 10 年以降は、毎年ブリックホールで開催しているが、
客席 2002 席と、 九州でも最大規模のホールだけに集客に苦労するとともに、 公会堂に比べて 「利用料」 が高
いと不満を言う事が多かったが、 思いがけず、 「館長」 を務めることになった。これも、 長年日本フィルに関わっ
てきたことと、 無関係ではない。
■いろいろありました!オルグ演奏
オルグ演奏 ( 今は、プレコンサート? ) も、 40 年の間には、 いろいろありました。大雪で、 JR が止まって、 学校で
の演奏がキャンセルとなったり、暖房のない公民館での、 コンサートでは、弦楽四重奏の演奏者 1 人 1 人の後ろ
に、 石油ストーブを置いて、 演奏してもらったことも‥。しかしこのコンサートがきっかけで、「ちゃんとしたコンサー
トホール」 を作ろうと、町の文化協会が運動して、 数年後に、「時津カナリーホール」 が完成。こけら落としには、
日本フィルが招聘され、 ヴィバルディ 「四季」 を演奏しました。地域の文化振興に、日フィルの活動が 「何らかの
役割」 を果たした 1 つの例です。
■日本フイルに 「青春」 を捧げた‥・!?
長崎公演をささえた 「長崎日本フィルの会」 始まった 40 年前は、 みんな若かった!ほとんど 「花の 20 代!」 綾
小路きみまろではないが、あれから、えっ、40 年!!。はっきり言って 「高齢化」 がすすんでいます。みんな、日フィ
ルに 「青春を捧げました!」 もちろん、 喜んでです。 決して後悔していません。
課題は、 やはり 「後継者」。早く育てて、「バトンタッチ」 することがさらに 「継続」 するために不可欠です。ま、 そ
れまでは、「老後の生きがい」 に、 もうひと頑張りしようと思っていますが‥・( 笑い‥)
- 19 -
佐ᴾ
賀ᴾ
支援から音楽文化の共有へ 年から年
ゆったりとした「モルダウ」の流れを響かせて年月に始まっ
た佐賀公演。佐賀のマスコミ労組を中心に組織した実行委員会が「日本
フィルの灯を消すな」と立ち上がり、クラシック音楽とは無縁の実行委
のメンバーも大いに燃えて公演成功へと汗を流した。東京の一流オーケ
ストラの楽団員は、輝いていて遠い存在ではあったが、「豊かな文化を
守ろう」との決意だけで団結しチケットをさばいた。
日を経るにつれ、実行委は労組を離れ、任意の市民団体へと姿を変え、
日フィルの持つ音楽の力を活用
した佐賀の音楽文化の拡大へと
広がりを見せた。
地元で活躍するピアニストや
歌手との共演、児童を含む市民
合唱団との「森の歌」(ショスタ
年
第回公演のポスター
コーヴィッチ)公演、地方では
珍しかったギターやトランペッ
トのコンチェルトもプログラムに。地方で音楽に取り組む人たちにとっ て、年に一度の日フィル公演は憧れから身近な存在となっていった。
またオーケストラとは別に室内楽での演奏は、その「機動力」を生か し、学校、公民館、病院など、日フィルを待つ人たちの場所へ足を延ば し演奏を届け、そのたびに楽団員個人の魅力も知ってもらった。年
に訪れた佐賀県立盲学校では、楽団員が「ヴァイオリンだよ」と、子ど 佐 賀 市 民 会 館 前 に 看 板 を 立 て
もたちの手の中に楽器を渡し、子どもたちは、豊かな響きを醸し出すヴ る実行委の人たち(年)
ァイオリンを興味津々となでていた。
これまで年間に回のオーケストラ公演。親子2代でのファンも少なくない。いまや佐賀の2月の音楽シ
ーンには欠かせない。日フィルは、市民とともに佐賀の文化を育て、音楽文化を共有する大きな存在となった。
輝くオケの仲間とともに
野中和行(佐賀日本フィルの会代表)
年の歩み-過ぎてしまうと、つい先日のことの
ようにも思える。入社間もない年に始まった佐
賀公演。当時の写真には、すでに鬼籍にはいられた若
き諸先輩の姿もある。まぶしく輝く一流オーケストラ
の楽団員たちと一緒に佐賀の街でビラを配ったり、狭
い会議室で一緒に歌を歌ったり。 年間の争議を経
て自立した日フィルと歩調を合わせるように私たち
も市民団体への脱皮を図り、いつも日フィルへ「思い」
佐賀県立盲学校を訪れた弦楽四重奏団。子ども
を重ねている。やさしい弦の響き、晴れやかな金管の
たちは楽器の形に興味津々だった。
音。力強い打楽器。そこに佐賀の聴衆。その全てが私
(1978 年)
たちの力の源泉だった。多くの仲間と支えあった
年だった。
- 20 -
佐賀公演を支えてくださった方々
㻌
幸せ求める熱い思い
【平野雄三元佐賀日本フィルの会会長】
今は亡き友、日フィルの伝説的な男・金本京化氏
からの依頼で労働争議の中、音楽を通して幸せを求
め る 人 々 の 熱 い雰 囲 気の日 フ ィ ル 佐 賀 公演 を お
手伝いしたのはついこの間のように感じます。今回
で
回目の節目を迎えたことに心から敬意を表
すると共に益々のご発展を心から期待します。
(佐賀女子短期大学名誉教授)
満席の感動㻌㻌忘れられず㻌
【西村徳之前佐賀日本フィルの会会長】
日本フィル公演回、おめでとうございます。私と日フ
ィル公演との関わりは、年前に佐賀市民会館から始まりま
した。満席のお客様をお迎えした時の充実感は、忘れられな
い想い出となっています。これからも、一人でも多くのお客
様に、素晴しい演奏を聴いていただけるよう、陰ながら応援
しております。(医師)
佐賀公演の思い出㻌
【田中正照㻔㻢㻜㻕㻌 元実行委員】
日本フィルがフジテレビに解雇され、楽団の存続が危ぶま
れた時、民間放送の組合(民放労連)が音頭をとり全国で演
奏会をスタートさせました。佐賀ではフジテレビ系列であっ
たサガテレビ労組が事務局を担当し、佐賀新聞やNHK佐賀
の組合、そして音楽家や市民が実行委員会をつくり、佐賀市
民会館で第一回公演を大成功させたことを昨日のように覚
えています。初めて聴いた新世界に涙しました。日本フィル
の更なる発展を祈念致します。
(サガテレビ)
第12 回日本フィル佐賀公演「森の歌」88・2・15(佐賀市民会館)
ドボハチが合言葉に【上杉芳久元実行委員】
私たち佐賀新聞労組も佐賀マスコミ共闘会議の一員
と し て 、 日 フ ィ ル 第 1 回 佐 賀 公 演 に か か わ り ま し
た。クラシック音楽など無縁という組合員も多かった
と思いますが、街宣車に二人一組で乗り込み一人がハ
ンドルを握り、一人がマイクを握って道行く市民に日
フィル佐賀公演を訴えました。
井上道義さん指揮でメインはドボルザークの交響
曲第8番。魂を揺さぶる演奏に日フィルの素晴らしさ
を知りました。演奏会を迎えるころには、それまでク
ラシック初心者だった佐賀新聞労組員たちも、メイン
曲の符丁である「ドボハチ」の言いまわしが、妙に板
についていたのが、おかしくも懐かしい思い出です。
(元佐賀新聞労組)
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富ま
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幸で
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自
分
に
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近
い
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付
き
合
い
に
な
り
ま
【多田修 佐賀日本フィルの会】
日本フィルの会に関わって8年目になりますが、公演を
毎年楽しみにしています。このすばらしい演奏を、一人で
も多くの人に聴いてもらいたいとの思いで頑張っており、
今年こそは会場を満席にしたいものです。
しす
た。
がそ
、の
再間
び、
お出
手産
伝や
い子
す育
るて
機で
会離
にれ
恵て
まい
れた
ま時
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たも
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今年こそ満席に
佐
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田
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々だ
のい
ごた
発方
展々
をに
お感
祈謝
り申
しし
ま上
すげ
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と
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も
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た
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待
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㻌 㻞㻜㻝㻠㻌年の公演終了後、指揮のインキネン氏を囲んで㻌
㻌
(佐賀市文化会館)㻌
㻌
㻌
大切な仲間とともに㻌
【大坪美穂子 佐賀日本フィルの会】
日フィルを通して、音楽、仲間、感動を得ることができ
ました。毎年2月の公演を楽しみに、仲間と活動し続けて
十数年日フィルは、私にとって、大切な物のひとつにな
りました。
- 21 -
日本フィル九州公演 40 周年おめでとうございます。
私と日本フィルとの出会いは、今から30年前。第10回公演で佐賀県で初めてベートーヴェンの「第九」
を日本フィルが演奏した際、父に誘われて合唱団員になったことが始まりでした。その時の唐津公演では1,
000席のホールに1,800名の聴衆が入り、背筋がぞくぞくする大きな感動を味わったことがいまでも心
に残っています。その後実行委員会に入り、教員という立場で子供たちに生の素晴らしい音楽を聞かせたいと
活動を続けてきました。クラスの子供たちを演奏会に連れて行ったり、プレコンサートで他の学校に日本フィ
ルの演奏を広めたりしました。第 13 回公演でのショスタコーヴィッチの「森の歌」では、唐津・佐賀・福岡の
3県合同の合唱団を結成し、合唱団の事務局長を務めました。とても大変なことでしたが、成功させたことの
喜びは何事にも代え難く、各県合唱団との強い連帯感を感じることができました。唐津公演の事務局長を数年
経験し、今は会長をやっていますが、日本フィルの活動は自分のライフワークの一つとなっています。唐津少
年少女合唱団・唐津 Jr.オーケストラ・佐賀県民「第九」の始まるきっかけを作ったのも日本フィル九州公演が
生み出した素晴らしい結果と言えるでしょう。また、交響詩「まつら」を募金で創作し、海外の演奏で好評を
博したことも唐津の誇りです。(第 11・13 回公演で演奏)40 年間九州のファンと共に歩んできた日本フィル。
唐津公演に足を運んでくださるファンの方々や公演を主催する実行委員のメンバーも高齢化が進み、毎年の公
演実現に向けては大変なものがありますが、若い世代にもこの取り組みの素晴らしさを知ってもらい、未来に
つなげていけたらと思います。
会長
新郷英二
1978 年(昭和 53 年)の暮れに突然私の家を訪ず
れた当時楽員の脇坂(旧:小川)みどりさんとの出会
いが、その後 40 年近くも日本フィルと関わって行く
ことになるとは思ってもいなかった。小川さんからは
唐津で演奏会を開きたいという話だった。当時音楽会、
特にオーケストラの演奏会は福岡まで行かなければ
聞けなかった。地方の小さな町で 100 人近い楽員を受
け入れ、それに数百万円近くの出演料を支払うほどの
聴衆を唐津で動員できるのか、最低千人の客が入らな
ければ出演料も払えない。組織はどうするのか、どう
やってチケットを販売するのかなど不安ではあった
が、他の地区の話を聞き、唐津でも友人知人に声をか
け、教職員組合の子供たちによい音楽を聞かせたいと
願う先生たちを巻き込んで実行委員会を立ち上げた。事務局は教職員組合内に置いて発足、本格的な運動を開
始、日本フィルからは楽員はもちろん、専務理事まで応援に来ていただき、第一回の演奏会は室内楽であった
が成功することができた。その後は交響詩「まつら」を作ったり、合唱を行ったりと唐津独自の活動もたくさ
ん行ってきたが、年数が経ち、実行委員も高齢化し、発足時から残っているのは私一人になってしまった。そ
の後若い人の入会も少なく、現在では10名ほどの実行委員だが、娘が事務局長となり「唐津から音楽文化の
灯を消したくない」と言う思いで運動を続けている。
吉田和充
日本フィル九州公演 40 周年おめでとうございます。日本フィルが九州公演を始めた 40 年前、唐津のクラシ
ックファンは福岡・佐賀・久留米のホールに足を運んでいました。最初の日本フィルの九州公演もそうでした。
このような実情の中で唐津の文化会館で公演ができないかという話が舞い込みました。佐賀民放労連と日本フ
ィルのヴァイオリン奏者の金本さん(故人)が再三オルグにやってきて、唐津市職労・教職員組合と話し合い
をしました。唐津という町は人口が約 8 万人、大学なし、大企業もなし、県庁所在地でもないのに 1,600 席の
文化会館を 8 割方も入場させることは不可能でした。唐津はその程度の文化水準だったのです。そうこうして
いるうちに赤字覚悟でやってみようと言う雰囲気になりだし、九州公演の第 3 回で「室内楽」をやってみまし
た。まずまずの入場で実行委員は胸をなで下ろし、第 4 回から九州公演の仲間入りをしました。その時、入場
唐津日本フィルの会
- 22 -
者は必ずしもクラシック音楽の理解が高まっているとは思われず、実行委員の熱意であると思いました。この
熱意は今後の活動に活用できるのではないかと考えるようになりました。これから継続的に日本フィルの後援
を続けていくには、市民が「日本フィルはわが町のオーケストラだ!」という意識を持ちうる取組みが必要だ
と考えました。そこでその第一の取組みにわが町のオーケストラ曲を作ってみたらどうだろうということを提
案したところ、多くの実行委員が賛同してくれました。そこで唐津の風土、歴史、民謡、祭りなどを織り込ん
だ交響詩的なもので 1 口 1 千円の 3 千口を目標に募金を始めました。作曲に当たっては日本フィルにお願いし、
外山雄三氏に決定しました。数回の訪問取材を受け、秋祭りの 11 月 2~4 日の唐津くんちの曳山囃子が『交響
詩まつら』を最高に盛り上げるという新曲ができあがりました。これをかわきりに、日本フィルの唐津公演は
盛会が続き、その後ショスタコービッチの「森の歌」
・ベートーヴェンの「交響曲第 9 番(合唱付)などへと発
展していきました。
元事務局長
吉田
孚
物心ついた頃から家ではいつもクラシック好
きの父が音楽を流していました。小学生の頃、
初めて唐津でクラシックを生で聞きました。で
もその前のはっきりとした記憶があるのは、公
演後の自宅での交流会。都会からきた洒落た男
性や女性を交えて、方言のない言葉や唐津弁が
飛び交う楽しい空間。それから交響詩「まつら」
の募金を両親や仲間の皆さんたちが懸命に行っ
ていました。そしていよいよ初演の日。子供な
がらに身震いするほどの感動がありました。そ
の後、公演当日のもぎりの手伝いから始まり、
花束贈呈役と来て、今では事務局長まで任せら
れるようになりました。正直クラシックのことは何も分かりませんが、両親をはじめ、上の方々が続けてこら
れた大好きな日本フィルの演奏会を、唐津日本フィルの会・九州連絡会議の皆さんに支えられ、これからも市
民が唐津の町で聞いていただけるように頑張っていく覚悟です。
事務局長
木下たかね
日本フィル唐津公演の実行委員として 35 年。ひたすら唐津の地で「市民とともに歩むオーケストラ」の実践
は、私たち家族の文化運動の歴史でもあります。微力ですが唐津公演を楽しみに待って下さる市民のために今
後もがんばります。
吉原健治
恭子
ダイレクトメール発送に始まる毎年の実行委員会活動、それから 4~5 カ月は明けても暮れてもチケット売り
のことが頭を離れない。近年は知り合いも高齢化で「もう行ききらんよ。」の言葉に無理も言えない。でも生演
奏の感動と団員さんとの交流会の楽しい思い出が私を支えている。
「第九」や「森の歌」の大合唱も忘れられな
い思い出である。
鬼木重代
九州にクラシックの生演奏を届けてくださること、感謝しています。
日本フィル実行委員会に入って2,3年です。微力ながら頑張っています。
吉村美佐子
会計
早川佐和子
宮崎美幸
日本フィル九州公演 40 周年おめでとうございます。私は、以前はあまりクラシックに興味がありません
でしたが、職場で開催されたプレコンサートで生の音楽に感動し実行委員会に顔を出したのが第一歩です。
楽員の方々との交流や実行委員会に関わるようになり、現在ではクラシックというより日本フィルにのめ
りこんでしまいました。本公演で会場が満席になるよう、これからも微力ながらも実行委員として活動し
ていきたいとおもっています。
宮崎博嗣
唐津日本フィルの会
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日本フィル九州公演 大牟田日本フィルの会のあゆみ
大牟田日本フィルの会は九州公演に第 12 回目から参加した。旧市民会館から大牟田文化会館に建物が新
しく生まれ変わったこと、その新しい文化会館にオーケストラ公演の予定がなかったこと、が大牟田日本
フィルの会を立ち上げたきっかけではあったが当時、日本フィル団内に在籍していたトランペット奏者亡
き中島大臣氏の「郷土に日本フィルを」という強い要望がなかったら現在はない。
旧市民会館にも日本フィルオーケストラは来ていたが労音主催が殆どだった。
中島氏の後輩に当たる生田静夫氏を初代事務局長にスタートした大牟田日本フィルの会ではあったが炭
鉱の町でのクラシック音楽運営のむつかしさにたちまち直面、九州公演第 15 回目(大牟田は4回目)でお
手上げしてしまった。
続けるのも苦しかったが辞めたいというこちらの意向を東京と福岡の日本フィルの担当スタッフと中島
大臣氏に何とか続けてほしいと説得されたのはこたえた。
あの時3人の方々に「コンサートの運営は山あり、谷あり」だと人生にたとえ、ちから強く背中を押さ
れ励まされなかったら今の大牟田日本フィルの会はない。
第 16 回目(大牟田・第5回目)チャイコフスキーコンクールで見事優勝した当時高校生ヴァイオリニスト、諏訪
内晶子女史の話題は日本フィルの会の認知度を少しづつ広げていくきっかけになった。
第 18 回目初めて「第九」を取り上げた。8団体ある大牟田市民合唱団と一般公募の市民を巻き込んでの大イヴェ
ントとなって盛り上がった。
第 20 回目(大牟田・9回目)日本フィル九州の共通財産ユニークな創作曲 交響連詩「九州」が生まれ、この年
全会場で初披露。いつの日か改めて再演できるように会議の席でリクエストしたい。
- 24 -
第 22 回目は記念すべき年となった。大牟田出身のヴァイオリニスト数住岸子氏が死去。
急遽コンサートマスターの木野雅之氏がピンチヒッターで演奏した。この年
はもうひとつ「三井三池炭鉱の閉山」が大きなニュースとなった。生田静夫
氏もそれに伴い大牟田日本フィルの会事務局長を辞任。
第 26 回目は大牟田文化会館の修復工事のため隣接の荒尾市文化センターで初の公演。
オーケストラの縁が少ない文化センターの職員ほか市民からも3年に1度か
又は5年に1度くらい荒尾で公演してほしいと要望が出た。
第 29 回目(大牟田・17 回目)この年、久留米公演が終了。大牟田
では長く市民に愛された「老舗デパート松屋」が閉店し
た。
第 30 回目ではデパートをなくした大牟田市民の寂しさを思って合
唱曲「フィンランディア」を企画歌った。大牟田での初
めての「子供たちのための音楽ワークショップ」を取り
上げた。対象は小学校5、6年生。次の日のオーケスト
ラを聴くこととセットにして 35 人が参加した。他の事
務局にも声をかけたが賛同を得られず大牟田単独のワー
クショップになってしまったのは残念。
第 31 回目(大牟田公演 19 回目)館野泉氏が左手のピアニストとし
て登場。
第 35 回目ラザレフ氏が九州初登場。ブラームスのヴァイオリン協
奏曲も初登場した。
第 36 回、(大牟田・第 24 回目)ショパン生誕 200 年記念。この記
念にふさわしい人としてショパンコンクール日本人初の
男性受賞者「横山幸雄」氏が出演。また大牟田では事前
に記念のドイツ映画「別れの曲」の上映会をしたのもな
つかしい。歩調を合わせてくれる声も聞こえず単独で上
映。1日3回上映し予定の3倍の入場者があった。
第 40 回 社会的な観点から当時の教育委員会との共催事業、あり
あけ広域圏の「ジュニアピアノコンクール・グランプリ
受賞者と共演」も回を重ねてきたが新しく次なるステッ
プを生み出すため今年 11 年目で終了することにした。
第4回ありあけジュニアピアノコンクール
グランプリ 手島 加央里さんとともに…
九州全事務局の皆様方及び日本フィル交響楽団の皆様方、第 12
回公演から 40 回目までの 28 年間非力な大牟田事務局を支え、且つ
励まし続けていただきましたことに深く感謝申しあげます。皆様方
のお力を頼りにここまで続けて来られました。どうもありがとうご
ざいました。今後とも尚一層のご指導をお願いしたく存じます。
大牟田日本フィルの会 上野由幾恵
- 25 -
久留米日本フィルの会
日本フィル九州公演 40 周年に寄せて
福岡市民会館のステージで満員のお客様の拍手の中、地元出身として紹介された時の晴れがましさ、感動を今で
もありありと覚えています。そう、40 年前日本フィル九州公演が始まった時、私は日本フィルのフルート奏者でし
た。日本フィルは解散、分裂した大変な時期で、自主運営で存続を模索している、まさにその時九州公演が始まっ
たのです。日本フィルを支援して下さる人たちの力が、大きなうねりとなって、「市民とともに歩むオーケストラ」
日本フィルの原点、根幹になったのです。
4 回までは、楽員としてステージに立ち、各地に演奏会開催のお願いにもまいりましたが、縁あって、退団後久
留米市に住むようになりました。
久留米は 4 年遅れて、最初の 2 回は久留米音友(労音)主催でした。音友解散を受けて久留米日本フィルの会ができ、
7 回から 29 回まで日本フィル公演を主催しました。
久留米日本フィルの会は、梅崎英昭さんのご自宅に事務局を置き、事務局長の梅崎さん、京子夫人、音友の篠原
さん、佐野さんを中心に少人数の文字通り家内興業のような実行委員会でした。実行委員は少なかったけれども、
サポートして下さる方は増えていきました。1080 名の石橋文化ホールを満席にするのはなかなか大変で、上手く行
かないときもありましたが、毎年日本フィルの演奏を楽しみにして下さる方が増え、久留米の地に音楽の、文化の
種が根付き広がっていった事は確かです。
第 13 回公演では、ソリストとして久留米と佐賀で外山雄三氏指揮日本フィルと協演させて頂きました。フルーティ
ストとしての私には輝かしいキャリアになりました。
パワフルに、その人望と人脈で久留米日本フィルの会を牽引してくれた梅崎さんが山の遭難事故で突然亡くなら
れ、間もおかずに篠原さんまで失って、久留米日本フィルの会は存続出来なくなりました。残念でした。40 年の中
の 25 年間久留米公演があったことを覚えていて頂きたく筆を執りました。
何故、各地の実行委員の方たちが日本フィル公演を続けて来られたのか、公演当日の日本フィルの熱く素晴らし
い演奏を聴いた時の感動、お客様が良かったといって下さる声、そして楽員との深いつながり、心の交流が挙げら
れます。あの人が演奏している、ステージ上に知っている人がいれば、それはもう、ただ聴くのとは大違い、一体
感が生まれます。そうやって、40 年の歴史が刻まれたのですね。どれだけの人の人生に関わり、エネルギーに支え
られてきたのでしょう。これからは実行委員、お客様の若返りを図り、50 周年まで続きますように願っています。
脇坂みどり
40 周年おめでとうございます。たくさんの地域にたくさんの音楽をとどけて下さって、ありがとうございます。
これからも全国に音楽の歓びが広がっていきますように。
寺松恭子
秋になると、チケットの準備を今年は大丈夫かな ・・・ という思いで始めていましたが、当日、久留米は年配の方
も多く「ここなら来られました」とにっこりしてあったのが印象に残っています。
大塚智恵子
先輩方の人脈の網にかかり事務局の若手のホープだった 3 人娘?
梅崎家の「おいしいごはん」目当てだった私もしっかり者の 2 人の働きぶりに感化され、頑張ることができました。
田原奈津子
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おらがまちのオーケストラ
日本フィル田川公演実行委員会
田川という町は、昔は石炭で栄え、今は人口約5万人。この小さな町に日本フィルオーケストラが 24 回もやっ
てきたことは、夢と幸運の奇跡ともいえます。
1986 年、この町に高等学校の退職者・現職及び主旨に賛同した仲間による自前の教育文化会館が建立されました。
この中に「田川の教育と文化を創る会」を結成し、文化事業について模索をしていた矢先、「日本フィル」との運
命的な出会いがありました。以来、教育文化会館を母体にした粘り強い活動が展開されました。「日本フィル」を
“ おらがまちのオーケストラ ” に! “ 夢だせ TAGAWA 祭 ” のとりくみが、この小さな町に大きな旋風を巻き起こし、
数多くの幸せを運んできてくれました。日本フィルと共に歩いてきた年月、振り返れば教育文化会館の文化活動に
誇り高き歴史の一ページを残してくれました。
▶ 1990 年、九州公演 15 回、第1回田川公演は、労組をはじめ団体・自治体とあらゆる方面に呼びかけて 1400 人
入場という成功を収め、1991 年第 2 回田川公演も好運にもチャイコフスキー国際音楽コンクール一位の諏訪内明子
氏を迎えて満席の成功となり、九州公演の仲間入りの気を強くしたところです。
▶その後重ねた田川公演も軌道に乗ったと思いきや、皮肉にも田川に一つしかない会場が初の大工事となり、1994
年から 1996 年の定期公演までの間、室内楽でつなぐことになりました。
しかし、1996 年秋公演で今まで満たされなかった想いを爆発させ、1997 年後からの年 2 回公演へと発展させるこ
とになりました。結果的に年 2 回公演は 3 年連続となりました。このことは、九州実行委員会の中でも大きな論議
を巻き起こし、刺激を与えたことと自負しています。
▶ 1999 年は、九州公演 25 周年記念、田川公演「第九合唱」へ向けての新聞発表に、小学生から 70 代までの多く
の未経験者と幅広い応募に驚いている間もなく、本番まで毎週木曜日延べ 50 回の猛練習のたたかいの一年となり
ました。
▶ 2000 年 2 月 19 日、晴れ舞台に立てたのは 260 人、その内 55 人は鹿児島実行委員会他の応援団であり、事を成
す時の連帯のありがたさにつくづく感じ入りました。田川の快挙をもう一つ上げるならば、前日の 2 月 11 ~ 13 日、
鹿児島第九合唱団のひな壇建立と合唱の応援を成し遂げたことであり、より一層の連帯と今後の可能性を確信しま
した。
▶ 2001 年に入り、
21 世紀を担って生きる子どもたちの為に、新しい構想をと、まずは「夢だせ TAGAWA 祭・2001 オー
ケストラ」を企画。本物の音楽を子どもたちに無料招待という大イベントの目標を掲げての資金作りと、子どもた
ちを文化センターに一堂に集める取り組みを、ほぼ一年がかりで実現させることになりました。一般市民にも理解
と協力を求め、個人 200 人、他団体からの支援により田川市郡の小学 5 年生の 1120 人がベートーベンの「運命」
を聴き入ることとなりました。これは田川公演 13 回目にしての大イベントであったといま感慨深くしています。
▶ 2003 年、田川公演第 15 回、九州の中でただ 1 ヵ所での園田髙弘コンサートを成功させ、その後は田川にとって
最も厳しい苦難を迎えることとなりました。事務局長不在と交替の事態にみんな一丸となって立て直しを図り、実
行委員 40 人にしての、以降 10 回の田川公演を重ねて成功、よく頑張り抜きました。しかし、最近の急激な会員減
少は、予想以上の勢いで押し寄せてきました。為すすべもなく苦渋の決断となりました。
▶ 2013 年(田川公演 24 回)は、「有終の美を飾ろう!」を合言葉に必死の力をふりしぼって頑張りました。2 月
19 日本番は、遠方からも駆けつけてくれた満席の日フィルファンで埋め尽くされていました。支えてくださった皆
さんへの感謝の思いと万感の思いがあふれ出ました。
▶今までの日フィル九州実行委員会の “ おらがまちのオーケストラ・
夢だせ TAGAWA” への温かいご支援に深くお礼と感謝を申し上げ
ます。
九州公演 40 回記念を迎えられ、今後の益々の発展と成功をお祈りい
たします。
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日本フィル九州公演 40 年間の公演地・指揮者・ソリスト・演目 一覧表
第1回(1975 年)福岡・大分・宮崎・鹿児島・熊本・長崎
指揮:渡邊暁雄
ピアノ:宮沢明子
シベリウス:「フィンランディア」
ヴァイオリン:大川内弘
モーツァルト:「フィガロの結婚」
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
シベリウス:交響曲第2番
モーツァルト:戴冠式協奏曲
シューベルト:未完成交響曲
チャイコフスキー:交響曲第5番
モーツァルト:交響曲第40番
ベートーベン:第7交響曲
ベートーベン:交響曲「田園」
第2回(1976 年)福岡・北九州・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・長崎
指揮:井上道義
ピアノ:渡邊康雄、三沢慶子
スメタナ:交響詩「モルダウ」
トランペット:中島大臣
広瀬量平:弦楽の為のファンタジー
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 グリーク:ピアノ協奏曲 フンメル:トランペット協奏曲
シベリウス:交響曲第2番
ドボルザーク:交響曲第8番
第3回(1977 年)福岡・北九州・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・長崎・沖縄
指揮:外山雄三、エリアフ・インバル
ベートーベン:
「エグモント」序曲
ピアノ:村上弦一郎
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
シベリウス:
「フィンランディア」ストラビンスキー:
「火の鳥」組曲
チャイコフスキー:交響曲第5番
チャイコフスキー:第1ピアノ協奏曲
ドボルザーク:交響曲「新世界」
モーツァルト:交響曲第40番
第4回(1978 年)福岡・北九州・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎
指揮:渡邊暁雄
ピアノ:藤村佑子、園田高弘、植田伸子
ヴァイオリン:前橋汀子、江藤俊哉
チェロ:林峰男
ロッシーニ:「泥棒かささぎ」 序曲 小山清茂:管弦楽の為の鄙歌第2番 ドボルザーク:チェロ協奏曲
ベートーベン:ピアノ協奏曲第4番 グリーク:ピアノ協奏曲 メンデルスゾーン:バイオリン協奏曲
ベートーベン:皇帝協奏曲 ブラームス:交響曲第1番 ドボルザーク:交響曲「新世界」
リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェヘラザード」
第5回(1979 年)福岡・戸畑・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎
指揮:尾高忠明
ピアノ:館野泉
ウェーバー:「オベロン」序曲
ウェーバー:「魔弾の射手」序曲
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
チャイコフスキー:交響曲「悲愴」
ビゼー:「アルルの女」第2組曲
グリーク:ピアノ協奏曲
ベートーベン:交響曲「運命」
[親子コンサート]
第1部
ベートーベン:「交響曲運命」
第2部 ビバルディ:ピッコロ協奏曲 ビバルディ「四季」~春より第1楽章
ハチャトゥリャン:「剣の舞」 ドボルザーク:新世界交響曲~「家路」
第3部
みんなでうたおう
ウェーバー:「魔弾の射手」序曲
チャイコフスキー:悲愴交響曲
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グリーク:ピアノ協奏曲
第6回(1981 年)福岡・北九州・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・佐賀・唐津・長崎
指揮:渡邊暁雄
ピアノ:村上弦一郎
ギター:山口修
ビゼー:
「アルルの女」第2組曲 武満 徹:弦楽の為のレクィエム J.シュトラウス:
「こうもり」序曲
シベリウス:「フィンランディア」
大島ミチル:「御誦(オラショ)」
ショパン:ピアノ協奏曲第1番
ロドリーゴ:アランフェス協奏曲
ブラームス:交響曲「第1番」
ドボルザーク:交響曲「新世界」
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
シベリウス:交響曲第2番
第7回(1982 年)福岡・北九州・久留米・佐伯・宮崎・鹿児島・熊本・唐津・諫早
指揮:渡邊暁雄
ヴァイオリン:数住岸子
グリンカ:「ルスランとリュドミラ」 チャイコフスキー:
「ロメオとジュリエット」 石井 歓:
「日向の賛歌」
チャイコフスキー:バイオリン協奏曲
ベートーベン:交響曲「英雄」
外山雄三:交響詩「まつら」
ベートーベン:交響曲第7番
〈音楽の旅“ヨーロッパ編”〉ロッシーニ:ウィリアム・テル序曲
シューベルト:未完成交響曲
ショスタコービチ:交響曲第5番
オーケストラとみんなでうたおう
第8回(1983 年)福岡・北九州・久留米・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・佐世保
指揮:尾高忠明
ピアノ:フレッド・モイヤー、神谷郁代、植田伸子
モーツァルト:「後宮からの誘拐」
外山雄三:交響詩「まつら」
ウェーバー:「魔弾の射手」序曲
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲
ベートーベン:ピアノ協奏曲第4番
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
ショパン:ピアノ協奏曲第1番
チャイコフスキー:交響曲第4番
ブラームス:交響曲第4番
第9回(1984 年)福岡・北九州・久留米・大牟田・大分・宮崎・佐賀・唐津・諫早
指揮:松尾葉子
ヴァイオリン:前橋汀子
ワーグナー:「ニュルンベルクの名歌手」前奏曲
モーツァルト:3台のピアノの為の協奏曲
メンデルスゾーン:バイオリン協奏曲
メンデルスゾーン:イタリア交響曲
モーツァルト:「フィガロの結婚」ラベル:ボレロ
チャイコフスキー:バイオリン協奏曲
ストラビンスキー:「火の鳥」組曲
ブラームス:交響曲第4番
〈音楽の旅“ヨーロッパ編”〉オーケストラとみんなでうたおう
ラロ:スペイン交響曲
シューベルト:未完成交響曲
ストラビンスキー:「火の鳥」組曲
メンデルスゾーン:バイオリン協奏曲
ラベル:ボレロ
第 10 回(1985 年)福岡・北九州・久留米・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・川棚町・佐々町
指揮:小林研一郎、大友直人
ピアノ:渡邊康雄、徳田千佳子
モーツァルト:「フィガロの結婚」
シベリウス:「フィンランディア」
ベートーベン:「エグモント」序曲
グリーク:ピアノ協奏曲
ベートーベン:交響曲第9番
ベルリオーズ:幻想交響曲
ウェーバー:「オベロン」序曲
モーツァルト:交響曲第40番
ドボルザーク:交響曲「新世界」
第 11 回(1986 年)福岡・北九州・久留米・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎一川棚町
指揮:山田一雄
ピアノ:小山実稚恵
ベートーベン:
「エグモント」序曲
ベートーベン:ピアノ協奏曲第3番
ベートーベン:交響曲「英雄」
ベートーベン:「プロメテの創造物」ベートーベン:エリーゼのために
ベートーベン:ピアノ協奏曲「皇帝」
ベートーベン:交響曲第7番
外山雄三:交響詩「まつら」合唱付
ベートーベン:交響曲「運命」
ヘンデル:「メサイヤ」~ハレルヤ
- 29 -
第 12 回(1987 年)福岡・北九州・久留米・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎
指揮:大友直人・小林研一郎
チェロ:藤原真理
モーツァルト:「フィガロの結婚」
トランペット:佛坂幸男
ビゼー:「アルルの女」第2組曲
ソプラノ:実松郁子
チャイコフスキー:「白鳥の湖」
マルチェルロ:トランペット協奏曲 モーツァルト,マスネ,プッチーニ: オペラ・アリアより
ドボルザーク:チェロ協奏曲 チャイコフスキー:交響曲第5番 マーラー:交響曲第5番
第 13 回(1988 年)福岡・北九州・久留米・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎
指揮:外山雄三
ピアノ:フレッド・モイヤー、伊藤恵
フルート:脇坂みどり
独唱:佐々木正利、佐藤征一郎
外山雄三:交響詩「まつら」 外山雄三:管弦楽の為のラプソディ モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 モーツァルト:フルート協奏曲第2番 ブラームス:交響曲第1番
ドボルザーク:交響曲「新世界」
モーツァルト:交響曲「ジュピター」
ドップラー:ハンガリー田園幻想曲
ショスタコービチ:
「森の歌」
ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲
第 14 回(1989 年)福岡・北九州・久留米・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎
指揮:渡邊暁雄、十束尚宏
ピアノ:渡邊康雄
スメタナ:交響詩「モルダウ」
ヴァイオリン:数住岸子
独唱:佐々木正利、池田直樹
ワーグナー:「タンホイザー」序曲
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 チャイコフスキー:バイオリン協奏曲
メンデルスゾーン:バイオリン協奏曲
シューベルト:未完成交響曲
ショスタコービチ:「森の歌」
チャイコフスキー:交響曲「悲愴」 シベリウス:交響曲第2番 モーツァルト:交響曲「ジュピター」
第 15 回(1990 年)福岡・北九州・久留米・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:小林研一郎
ピアノ:三村和子
モーツァルト:「フィガロの結婚」
ギター:山口修
メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」
ロッシーニ:「セビリアの理髪師」 ショパン:ピアノ協奏曲第1番
マーラー:交響曲第1番「巨人」
シベリウス:交響曲第2番
ロドリーゴ:アランフェス協奏曲
モーツァルト:交響曲第40番
リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」
第 16 回(1991 年)福岡・北九州・久留米・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・長崎・田川
指揮:ウラジミール・バーレック
ヴァイオリン:諏訪内晶子
ピアノ:原田英代
グリンカ:「ルスランとリュドミラ」 スメタナ:「売られた花嫁」序曲
モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番
スメタナ:交響詩「モルダウ」
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
ドヴォルザーク:交響曲第8番
ムソルグスキー:展覧会の絵
第 17 回(1992 年)福岡・北九州・久留米・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:山下一史
ピアノ:館野泉、小川典子
ビゼー:「カルメン」組曲
ウェーバー:「魔弾の射手」序曲
グリーグ:ピアノ協奏曲 リスト:ピアノ協奏曲第1番 ショパン:ピアノ協奏曲第1番
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」モーツァルト:交響曲「ジュピター」 ラヴェル:ボレロ
- 30 -
第 18 回(1993 年)福岡・北九州・久留米・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:小林研一郎
ピアノ:仲道郁代
ヴァイオリン:漆原朝子
独唱:S:豊田喜代美
A:伊原直子
T:林
誠
B:大久保眞
ベートーヴェン:※「プロメテウスの創造物」序曲
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
ベートーヴェン:交響曲第7番
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」ベートーヴェン:交響曲「運命」
第 19 回(1994 年)福岡・北九州・久留米・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:井上道義
ピアノ:伊藤恵
チェロ:長谷川陽子
J・シュトラウスⅡ世:皇帝円舞曲
ハイドン:チェロ協奏曲第2番
チャイコフスキー:「花のワルツ」
ドヴォルザーク:スラブダンスより「フリアント」
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
チャイコフスキー:交響曲第4番
ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
第 20 回(1995 年)福岡・北九州・久留米・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:広上淳一
ピアノ:横山幸雄
ヴァイオリン:渡辺玲子
秋岸寛久&和田薫:交響連詩「九州」
バーバー:弦楽のためのアダージョ
グリーグ:ピアノ協奏曲 ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲
パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 R=コルサコフ:シェエラザード サン=サーンス:オルガン交響曲
沖縄一宜野湾市、沖縄一那覇市
指揮:トマーシュ・コウトニーク
ピアノ:小山実稚恵
交響連詩「九州」グリーグ:ピアノ協奏曲
ドヴォルザーク:新世界交響曲
ビゼー:「カルメン」組曲
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 R=コルサコフ:スペイン奇想曲 ラヴェル:ボレロ
第 21 回(1996 年)福岡・北九州・久留米・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:ジェームズ・ロッホラン
ピアノ:野島稔
フルート:佐久間由美子
ハープ:吉野直子
チャイコフスキー:1812年 グリンカ:「ルスランとリュドミラ 」 モーツアルト:交響曲「ジュピター」
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲
シューベルト:未完成交響曲 ベートーヴェン:交響曲「運命」 チャイコフスキー:交響曲「悲愴」
第 22 回(1997 年)福岡・北九州・久留米・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:小林研一郎
ヴァイオリン:木野雅之、徳永二男
シベリウス:「フィンランディア」
ピアノ:野原みどり
グリーグ:ペール・ギュント第1組曲ソルヴェイグの歌
グリーグ:ピアノ協奏曲 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン
チャイコフスキー:交響曲第5番 ムソルグスキー:展覧会の絵
第 23 回(1998 年)福岡・北九州・久留米・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:藤岡幸夫
ピアノ:花房晴美
フルート:山形由美
ワーグナー:ニュルンベルグのマイスタージンガー序曲
テノール:米渾傑
スメタナ:「モルダウ」
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲「皇帝」モーツァルト:フルート協奏曲第2番アンダンテ
ドヴォルザーク:交響曲第8番 プッチーノニ/星は光りぬ ほか2曲
- 31 -
第 24 回(1999 年)福岡・北九州・久留米・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:外山雄三
ピアノ:有森博
外山雄三:交響詩「まつら」
ヴァイオリン:小林美恵
各地フィンランディア合唱団
シベリウス:フィンランディア〈合唱つき〉
ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲
ワーグナー:「さまよえるオランダ人」序曲
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ヴィヴァルディ:「四季」メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ベートーヴェン:交響曲第7番 ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
第 25 回(2000 年)福岡・北九州・久留米・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:小林研一郎
ヴァイオリン:渡辺玲子
ピアノ:小山実稚恵
独唱:S:佐藤美枝子、小濱妙美
ロッシーニ:「セヴィリアの理髪師」序曲
各地第九合唱団
A:田中友輝子
T:米沢傑
B:青戸知
バッハ:G線上のアリア
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 小林研一郎:日蘭友好400周年のためのパッサカリア
ベルリオーズ:幻想交響曲
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」
第 26 回(2001 年)福岡・北九州・久留米・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:広上淳一
ピアノ:小川典子
ヴァイオリン:川畠成道
サキソフォン:須川展也
和田薫・秋岸寛久:交響連詩「九州」オッフェンバック:
「天国と地獄」序曲
ミヨー:スカラムーシュ
ハーライン:星に願いを
ホーナー:タイタニックのテーマ
ピアソラ:エスクヮーロ(鮫)オブリビオン(忘却)
リスト:ピアノ協奏曲第1番
ブラームス:交響曲第1番
ブラームス:大学祝典序曲
リベルタンゴ
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
ビゼー:「アルルの女」第1組曲・第2組曲
第 27 回(2002 年)福岡・北九州・久留米・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:小林研一郎
ピアノ:フランソワ・フレデリック・ギー
グリンカ:「ルスランとリュドミラ」序曲
芥川也寸志:弦楽のための3楽章
ヴァイオリン:前橋汀子、木野雅之
シベリウス:「フィンランディア」
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
グリーグ:ピアノ協奏曲 プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
チャイコフスキー:交響曲第4番 ドヴォルザーク:
「新世界」交響曲
R=コルサコフ:
「シェエラザード」
第 28 回(2003 年)福岡・北九州・久留米・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:藤岡幸夫
ピアノ:園田高弘
ヴァイオリン:岡崎慶輔
ビゼー:「カルメン」より闘牛士の行進/ジプシーの踊り
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
ギター:大萩康司
ストラヴィンスキー:「火の鳥」
(1919版)
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
ロドリーゴ:アランフェス協奏曲
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
チャイコフスキー:「白鳥の湖」抜粋
第 29 回(2004 年)福岡・北九州・久留米・大牟田・大分・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:沼尻竜典
ピアノ:田部京子
ヴァイオリン:神尾真由子
ロッシーニ:「セヴィリアの理髪師」序曲
ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲
ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番26番「戴冠式」ラロ:スペイン交響曲
ドヴォルザーク:交響曲第8番
ムソルグスキー(ラヴェル):展覧会の絵
- 32 -
第 30 回(2005 年)福岡・北九州・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:小林研一郎
ピアノ:小林亜矢乃
独唱:S:中丸三千檜
ロッシーニ:
「セヴィリアの理髪師」序曲
A:秋葉京子
T:米澤傑
B:勝部太
シベリウス:
「フィンランディア」 外山雄三:交響詩「まつら」
モーツァルト:「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」プッチーニ:「誰も寝てはならぬ」「私のお父さん」ほか
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
チャイコフスキー:交響曲第5番
ベルリオーズ:幻想交響曲
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」
第 31 回(2006 年)福岡・北九州・大牟田・大分・宮崎鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:下野竜也
ピアノ:館野泉
モーツァルト:「魔笛」序曲
ヴァイオリン:渡辺玲子、川畠成道
メンデルスゾーン:「真夏の夜の夢」より序曲/結婚行進曲
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲
ロッシーニ:「ウィリアム・テル」序曲
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ドヴォルザーク:
「新世界」交響曲
チャイコフスキー:
「悲愴」交響曲
ベートーヴェン:
「運命」交響曲
第 32 回(2007 年)福岡・北九州・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:小林研一郎
ピアノ:仲道郁代、有森博
ヴァイオリン:アナスタシア・チェボタリョーワ
チャイコフスキー:「エフゲニー・オネーギン」よりポロネーズ ロッシーニ:「セヴィリアの理髪師」序曲
ヘンデル:オンブラ・マイ・フベッリーニ「ノルマ」より《清らかな女神よ》
モーツァルト:「魔笛」より《復讐の心は地獄のように胸に燃え》
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲
チャイコフスキー:交響曲第5番
グリーグ:ピアノ協奏曲
ベートーヴェン:交響曲第7番
シベリウス:交響曲第2番
第 33 回(2008 年)福岡・北九州・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:井上道義
ピアノ:児玉桃、菊池洋子
ヴァイオリン:南紫音
ワーグナー:「ニュルンベルグのマイスタージンガー」前奏曲
チャイコフスキー:バレエ「眠りの森の美女」よりプロコフィエフ:バレエ「ロミオとジュリエット」より
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20.21番 メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
マーラー:交響曲第1番「巨人」
ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」
第 34 回(2009 年)福岡・北九州・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:小林研一郎
ピアノ:北村朋幹
ヴァイオリン:木嶋真優
チェロ:横坂源
ドヴォルザーク:スラブ舞曲第1番 R=コルサコフ:スペイン奇想曲
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
グリーグ:ピアノ協奏曲
ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
ラヴェル:ボレロ
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」
スメタナ:交響詩「わが祖国」よりヴィシェフラド/モルダウ/ボヘミアの森と草原より
第 35 回(2010 年)福岡・北九州・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:アレクサンドル・ラザレフ
ピアノ:小山実稚恵
チャイコフスキー:戴冠式祝典行進曲
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
ブラームス:交響曲第1番
ヴァイオリン:神尾真由子
ウェーバー:歌劇「オイリアンテ」序曲
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
チャイコフスキー:バレエ「くるみ割り人形より」ハイライト
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第 36 回(2011 年)福岡・北九州・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:藤岡幸夫
ピアノ:横山幸雄、片野和紀
ヴァイオリン:堀米ゆず子
J.シュトラウスⅡ世:喜歌劇「こうもり」序曲
チャイコフスキー:歌劇「エフゲニー・オネーギン」よりポロネーズ
ショパン:ピアノ協奏曲第 1 番
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
ラヴェル:ボレロ
ベートーヴェン:交響曲第 7 番
第 37 回(2012 年)福岡・北九州・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮:大友直人
ピアノ:小川典子
ヴァイオリン:岡崎慶輔
ベートーヴェン:レオノーレ序曲第3番
スメタナ:交響詩「モルダウ」
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
ラヴェル:ボレロ
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
ドボルザーク:交響曲第8番
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
第 38 回(2013 年)福岡・北九州・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎・田川
指揮: アレクサンドル・ラザレフ ピアノ:河村尚子 ヴァイオリン:竹澤恭子
グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
チャイコフスキー:オペラより「ポロネーズ」
チャイコフスキー:交響曲第5番
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
ドヴォルジャーク:交響曲第9番「新世界より」
第 39 回(2014 年)福岡・北九州・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎
指揮:ピエタリ・インキネン
ピアノ:清水和音
シベリウス:交響詩《フィンランディア》
ヴァイオリン:三浦文彰
チャイコフスキー:幻想序曲《ロメオとジュリエット》
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
チャイコフスキー:交響曲第4番
シベリウス:交響曲第 2 番
第 40 回(2015 年)福岡・北九州・大牟田・大分・宮崎・鹿児島・熊本・佐賀・唐津・長崎
指揮:小林研一郎
ピアノ:小林亜矢乃
ドヴォルジャーク:スラブ舞曲第1番
ヴァイオリン:千住真理子
モーツァルト:オペラ⦅フィガロの結婚⦆序曲
モーツァルト:ピアノ協奏曲第 20 番
ベルリオーズ:幻想交響曲
ドヴォルジャーク:交響曲第9番《新世界より》
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~九州公演に出演したすばらしいアーティストたち~
【指揮者】 名
年(第 回)~ 年(第 回)出演順
渡邉暁雄㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 井上道義㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 外山雄三㻌 㻌 㻌 㻌 エリアフ・インバル㻌
㻌 㻌 㻌 㻌 尾高忠明㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 松尾葉子㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 小林研一郎㻌
(第㻝、㻠、㻢、㻣、㻝㻠 回)㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 (第㻞、㻝㻥、㻟㻟回)㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 (第㻟、㻝㻟、㻞㻠 回)㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 (第㻟 回)㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌(第㻡、㻤 回)㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌 㻌 㻌 (第㻥 回)㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 (第㻝㻜、㻝㻞、㻝㻡、㻝㻤、㻞㻞、㻌
㻞㻡、㻞㻣、㻟㻜、㻟㻞、㻟㻠 回)㻌
㻌
㻌
㻌
㻌 㻌 㻌 㻌 大友直人㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 山田一雄㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 十束尚宏㻌 㻌 㻌 㻌 ウラジミール・バーレック㻌 㻌 㻌 㻌 山下一史㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 広上淳一㻌 㻌 㻌 ジェームズ・ロッホラン㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌
㻌㻌 㻌 㻌(第 㻝㻜、㻟㻣 回)㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 (第 㻝㻝 回)㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 (第 㻝㻠 回)㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 (第 㻝㻢 回)㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻔第 㻝㻣 回㻕㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 (第 㻞㻜、㻞㻢 回)㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 (第 㻞㻝 回)㻌
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㻌
㻌
㻌 㻌 㻌 㻌 藤岡幸夫㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 沼尻竜典㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 下野竜也㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 アレクサンドル・ラザレフ㻌㻌㻌ピエタリ・インキネン㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌
㻌 㻌 㻌 㻌(第㻞㻟、㻞㻤、㻟㻢 回)㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌(第㻞㻥 回)㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌(第㻟㻝 回)㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌(第㻟㻡、㻟㻤 回)㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌㻌(第㻟㻥 回)㻌
【独奏者】
ピアノ:宮沢明子、渡邉康雄、三沢慶子、村上弦一郎、藤村佑子、園田高弘、植田伸子、舘野泉、山口恭子、フレッド・モイヤー、
神谷郁代、徳田千佳子、小山実稚恵、伊藤恵、三村和子、原田英代、小川典子、仲道郁代、横山幸雄、野島稔、石井啓子、
野原みどり、花房晴美、有森博、フランソワ=フレデリック・ギー、田部京子、小林亜矢乃、児玉桃、菊池洋子、
北村朋幹、片野和紀、河村尚子、清水和音
ヴァイオリン:大川内弘、前橋汀子、江藤俊哉、数住岸子、諏訪内晶子、漆原朝子、渡辺玲子、木野雅之、徳永二男、小林美恵、
川畠成道、岡崎慶輔、神尾真由子、アナスタシア・チェボタリョーワ、南紫音、木嶋真優、堀米ゆず子、竹澤恭子、
三浦文彰
チェロ:林峰男、藤原真理、長谷川陽子、横坂源 フルート:脇坂みどり、佐久間由美子、山形由美 トランペット:中島大臣、佛坂幸男 ハープ:吉野直子 ギター:山口修、大萩康司 サキソフォン:須川展也 独唱:豊田喜代美、春日成子、饗庭知昭、勝部太、実松郁子、佐々木正利、佐藤征一郎、池田直樹、伊原直子、林誠、大久保眞、
西村晴子、瀬戸口美希代、米澤傑、佐藤美枝子、小濱妙美、田中友輝子、青戸知、中丸三千繪、秋葉京子、原田真以子、
谷口まりや
㻼㼔㼛㼠㼛:外山雄三ⓒ三浦興一/エリアフ・インバルⓒ堀田力丸/尾高忠明ⓒ㻹㼍㼞㼠㼕㼚㻌㻾㼕㼏㼔㼍㼞㼐㼟㼛㼚/小林研一郎ⓒ満田聡/大友直人ⓒ㻾㼛㼣㼘㼍㼚㼐㼋㻷㼕㼞㼕㼟㼔㼕㼙㼍/十束尚宏ⓒ㻱㻚㻹㼕㼥㼛㼟㼔㼕/山下一史ⓒ三浦興一㻌
広上淳一ⓒ㻳㼞㼑㼓㻌㻿㼍㼕㼘㼛㼞/藤岡幸夫ⓒ㻹㼑㼓㼡㻚/沼尻竜典ⓒ㻾㼅㻻㻵㻯㻴㻵㻌㻭㻾㻭㼀㻭㻺㻵/下野竜也ⓒ㻺㼍㼛㼥㼍㻌㼅㼍㼙㼍㼓㼡㼏㼔㼕/アレクサンドル・ラザレフⓒ三浦興一/ピエタリ・インキネンⓒJukka Mykkänen㻌
日本フィルハーモニー交響楽団㻌
㻝㻥㻡㻢 年 㻢 月創立、楽団創設の中心となった渡邉曉雄が初代常任指揮者を務めました。当初より幅広いレパートリーと斬新な演奏スタイ
ルで、ドイツ・オーストリア系を中心としていた当時の楽壇に新風を吹き込み、大きなセンセーションを巻き起こしました。㻝㻥㻢㻞 年には世界
初のシベリウス交響曲全集(渡邉曉雄指揮)を録音。また、イゴール・マルケヴィチ、シャルル・ミュンシュなど世界的指揮者が相次いで客
演、㻝㻥㻢㻠 年にはアメリカ・カナダ公演で大成功を収め、創立から 㻝㻜 年足らずの間に飛躍的な発展を遂げました。㻌
現在はロシアの名匠、首席指揮者アレクサンドル・ラザレフ、桂冠指揮者小林研一郎、首席客演指揮者ピエタリ・インキネン、正指揮者
山田和樹、そしてミュージック・パートナー西本智実という充実した指揮者陣を中心に、さらなる演奏力の向上を目指しています。㻌
㻝㻥㻣㻟 年以降は、市民とともに歩むオーケストラとして活動、㻝㻥㻤㻤 年からは「人、音楽、自然」をテーマに掲げ、全国各地での演奏活動を
活発に展開、地域の人々との交流を重視して参りました。この理念を更に推し進め「文化の発信、感動の共有」を目指し、地域からの文化
の発信に注力しております。㻞㻜㻝㻝 年に創立 㻡㻡 周年を迎えた日本フィルは、この歴史と伝統を守りつつ、さらなる発展を目指し、現在「オー
ケストラ・コンサート」「エデュケーション・プログラム」「リージョナル・アクティビティ」の 㻟 つの柱で音楽を通じて文化を発信しております。㻌
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公益財団法人
日本フィルハーモニー交響楽団
● 首席指揮者/アレクサンドル・ラザレフ
● 名誉指揮者/ルカーチ・エルヴィン
● 首席客演指揮者/イルジー・ビェロフラーヴェク
● 桂冠名誉指揮者/小林研一郎
● 正指揮者/山田和樹
● 名誉指揮者/ジェームズ・ロッホラン
● ミュージック・パートナー/西本智実
ヴィオラ
木野雅之
小俣由佳
遠藤剛史
扇谷泰朋
菊田秋一
柴田 勲
中里州宏
◎ 小池 拓
難波 薫
中務朋子
後藤悠仁
◎ 真鍋恵子
◎ 橋本 洋
千葉清加
○ 高橋智史
第1ヴァイオリン
冨田大輔
太田麻衣
中川裕美子
九鬼明子
斎藤千種
齋藤政和
佐々木裕司
田村昭博
坪井きらら
中谷郁子
西村優子
平井幸子
本田純一
松本克巳
第2ヴァイオリン
遠藤直子
大貫聖子
加藤祐一
◎ 神尾あずさ
川口 貴
□ 佐藤駿一郎
竹内 弦
中溝とも子
ソロ・チェロ
菊地知也
チェロ
伊堂寺 聡
江原 望
大澤哲弥
久保公人
中務幸彦
○ 山田智樹
横山 桂
コントラバス
菅原 光
高倉理実
◎ 髙山智仁
○ 田沢 烈
成澤美紀
豊田早織
オーボエ
◎ 杉原由希子
トランペット
☆ オッタビアーノ・クリストーフォリ 中根幹太
○ 星野 究
トロンボーン
中川二朗
伊波 睦
○ 松岡裕雅
○ 岸良開城
クラリネット
◎ 伊藤寛隆
楠木 慶
○ 芳賀史徳
平塚美保
ファゴット
木村正伸
◎ 鈴木一志
○ 田吉佑久子
西森光信
ホルン
伊藤恒男
宇田紀夫
楽団長
◎ 藤原功次郎
バス・トロンボーン
中根幹太
テューバ
柳生和大
ティンパニ&
パーカッション
会長・理事
マネジメント・
スタッフ
理事長(代表理事)
淺見浩司
島田晴雄
平井俊邦
副楽団長
後藤悠仁
副理事長(代表理事)
五味康昌
常務理事(代表理事)
中根幹太
ステージ・マネージャー
小林俊夫
豊田尚生
阿部紋子
チーフインスペクター
宇田紀夫
インスペクター
鈴木一志
田沢 烈
中務幸彦
遠藤 功
ライブラリアン
福島喜裕
鬼頭さやか
○ 三橋 敦
ハープ
松井久子
◎ 日橋辰朗
原川翔太郎
☆ 丸山 勉
村中美菜
山田千秋
常務理事(代表理事)
德田俊一
業務執行理事
磯部一史
上西 仁
江原陽子
小川紗智子
賀澤美和
柏熊由紀子
後藤朋俊
川口和宏
理事
河村由紀子
荒木 浩
石井啓一郎
遠藤 滋
小網忠明
ヴィパン・シャルマ
立木正夫
田村浩章
松本冠也
評議員会長
島田敏生
評議員
青井 浩
荒蒔康一郎
石塚邦雄
植村 徹
内川清雄
小野敏夫
梶浦卓一
加藤𠀋𠀋
河北博文
越村敏昭
後藤 茂
小林研一郎
島田精一
武田隆男
津田義久
永井良孝
野間省伸
堀越作冶
溝口文雄
宮村眞平
山口多賀幸
佐々木文雄
佐藤孝雄
杉山綾子
高橋勇人
田中正彦
槌谷祐子
富樫尚代
中村沙緒里
二平俊二
長谷川珠子
藤田千明
益滿行裕
山岸淳子
山﨑絢子
吉岡浩子
監事
◎ 首席奏者
○ 副首席奏者
☆ 客演首席奏者
□ 試用期間
上條貞夫
名誉顧問
熊谷直彦
相談役
田邊 稔
団 友
青柳哲夫
青山 均
赤星昭生
赤堀泰江
浅井俊雄
新井豊治
石井啓一郎
伊堂寺 仁
江藤 子
大石 修
大川内 弘
大味 修
筧 美知子
金本順子
蒲谷隆行
吉川利幸
工藤光博
小山 清
佐藤英彦
髙木裕子
髙木雄司
高木 洋
高橋 諭
立川和男
蔦井康三郎
堂阪俊子
永田健一
奈切敏郎
箱山芳樹
畑井紀代子
平賀法子
松本伸二
三谷昭平
三本克郎
宮武良平
三好明子
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森 茂
山下進三
山科淑子
山本辰夫
渡辺哲雄
アドバイザリー・ボード
大島 剛
田邊 稔
コミュニケーション
・ディレクター
マイケル・スペンサー
(2014 年 11 月 1 日現在)
JAPAN PHILHARMONIC ORCHESTRA
ソロ・コンサートマスター
佐藤玲子
フルート
楽団創立
● 首席客演指揮者/ピエタリ・インキネン
● 客員首席指揮者/ネーメ・ヤルヴィ
アシスタント・
コンサートマスター
〈 〉
1956 年 6 月
● 創立指揮者/渡邉曉雄
日本フィルハーモニー交響楽団九州公演実行委員会
2014 年度九州連絡会運営委員会
〒810-0003 福岡市中央区春吉3-22-17 協立ビル2F
代 表
☎Fax:092-781-7270
:原武 博之
副代表 :二反田 信一
事務局長:小橋 省治
財 政
:佐野 美穂
企 画
:真辺 典子
組 織
:伊東 和俊
2014 年度各地公演実行委員会
日本フィル福岡公演実行委員会
事務局長:大神 信彦
〒810-0003 福岡市中央区春吉3-22-17 協立ビル2F
日本フィル北九州公演実行委員会
事務局長:小野 登代子
〒801-0861 北九州市門司区長谷 1-9-10
日本フィル大分公演実行委員会
☎&Fax:092-781-7270
☎:090-4997-5500 Fax:093-331-8624
事務局長:村津 孝仁
〒870-8620 大分市今津留3-1-1 OBS大分放送内
日本フィル宮崎公演実行委員会
事務局長:高橋 健太
〒880-0035 宮崎市下北方町世々町 369-3 第 1 高妻マンション 207 号
日本フィル鹿児島公演実行委員会
事務局長:真辺 典子
〒890-0054 鹿児島市荒田 2 丁目 65-18 ハートビル MIWA 2F JOEーCOOL 内
熊本日本フィルの会
☎&Fax:096-354-2129
事務局長:森 裕子
〒850-0056 長崎市恵美須町 4-5 NBC第 3 ビル2F
佐賀日本フィルの会
☎:0952-23-0397
事務局長:木下たかね
〒847-0082 佐賀県唐津市和多田天満町1丁目1-13
大牟田日本フィルの会
☎:095-820-1082
事務局長:野中 和行
〒840-0815 佐賀市天神 3-2-23 佐賀新聞社労組内
唐津日本フィルの会
☎:099-258-0728
事務局長:木村 和久
〒860-0803 熊本市新市街 3-13 五島ビル3F
長崎日本フィルの会
☎:090-6703-9818
☎:080-3909-1155
事務局長:上野 由幾恵
〒836-0046 大牟田市本町1-2-19 コーヒーサロンはら
☎:0944-53-0430