会報27年版 - 静岡県立浜松西高等学校同窓会

同窓会報編集委員会
浜松市中区西伊場町3番 1号
電 話 053-456-0662
( 有) ケ ー エ ス企画
発 行 部 数 1 5 , 1 0 0
浜二 中卒業生 2 , 0 4 1 名
浜西 高卒業生 2 4 , 3 0 1 名
( 内女子5 , 3 1 7 名)
内2 6 年度卒業生2 4 0 名( 1 1 2 名
)
いう 施
﹁ふ る さ と 創 生 事 業 ﹂ と 、
には 各 地
策 が打 ち 出 さ れ た 際 、
ら れた り 金 塊 を 購
で温泉 が 掘 、
入 し た な ど 話 題 にな った こと
も 記 憶 に残 って いま す が 、今 回
、
の ﹁地 方 創 生 ﹂ は 単 な る パ
フ ォー マン スや話 題 作 り に留 ま
、
る こと な く 東 京 一極 集 中 の防
、
止 や 新 た な 産 業 創 出 を 図 って
いく た め の具 体 的 な 指 針 が 示 さ
れ る こと を 大 いに期 待 す ると こ
ろ です 。
、
、
た だ そう は 言 いな が ら も
ど んな に
な 計 画 が 立 てら
立
派
、
り
く
れ ど ん な に多
、 の予算 が割
当 てら れ ても 地 域 を 元気 に で
き る か 否 か は 、 ひと え に人 材 の
く はず です 。
力 にか か って
、い
お り しも 静 岡 県 に お いて
、
は
の 山
、 伊 豆 の国 市 韮 反 射 炉
の
が 明治 産 業 革 命
、遺 産 構 成 資
産 の 一つと し て 世
、界文 化 遺 産
に観 光
への登 録 が な さ れ 気 、
客 が増 加 し た よう です が ノ ー
ベ ル賞 受 賞 と ま では いか な いに
し も、
を
にし よう
て
地
域
、 元気
と す る気 持 ち 他 には な いアイ
、
デ アや企 画 を 発 想 す る力 そ の
アイ デ アを 現 実 にし て いこう と
、
す る実 行 力 等 々 さ ま ざ ま な能
な 人 材 が こ の郷
力 を 有 す る多 様 、
、
上 に生 ま れ育 ち ぜ ひと も 将
、
来 こ の浜 松 市 が 平
、成 の産 業 革
命 の発 祥 地 と な り 、新 産 業 創 出
の メ ッカと な って 世 界各 地 か
ら 、数 多 く の方 が訪 れ る都 市 に
。
な る こと を 願 って いま す
日場会
時所費
主 運
催 営
会場:グランドホテル浜松
あの坂を登つた同志 との交流を通 じて、
今後 の人生 の さらなるステ ップとなる
口
.
的L
o 重のモGEG三ョョョ\ゝα宇
〓
Tl,00 ◆
静岡県立浜松西高等学校同窓会
発 行 人
御 室 健 一郎
題
字
町 田
晃
編
集
の恩 師 が勉 強 の楽 し さを 教 え て
く れ た ﹂ コ向校 時 代 にと に か く
本 を た く さ ん読 んだ ﹂ と いう お
。
勉
話 を 伺 いま し た そも そも 、﹁
強 ﹂ と は ﹁強 い て勉 め る ﹂ す
なわち ﹁
気 の進 ま な いこと を 仕
う こと
方 なく 行 う ﹂と
、 い 、 が語 源
だ そう です が 逆 に 勉 強 に楽
し を
された天野さんに
出
み
見
、
は と にか く 感 服 す るば か り で
、
、
あ り さ ら に そ のバ ックボ ー
ンには 、 浜 松 西 高 の存 在 が あ っ
、
た わ け で あ ら た め て ﹁郷 上 の
誇 り ﹂ と いう 思 いを 強 く し たと
こ ろ です 。
し か し 、 わ が 郷 上 の現 状 に目
、
を 向 け てみ ま す と 浜 松 市 の人
0万 人 、 これ が
口は 現 在 お よ そ 8
7 人 にま で減 少 す
5
万
2年 後 には 6、
ると の予測 や 静 岡 県 の人 口減
少 率 は 北 海 道 に次 いで全 国 ワー
であ ると の報 道 、
がなさ
スト 2位 、
れ る な ど そ の将 来 には 強 い
危 機 感 を 持 たざ るを 得 な い現 実
も あ り ます 。
、
、
少 子 化 高 齢 化 、 企 業 の海 外
進 出 が 加 速 す る中 我 が 国 が持
を げ て いく た め に
な
続的
、 発展 遂
は 人 口 減 少 に ス ト ップ を 、
か
、
け 地 方 の多 様 性 を 支 援 し て
めるこ
地 域 活 力 の維 持 向 上 に努 、
と が 不 可欠 であ ると し て 政 府
、
か らは
﹁ア ベ ノ ミ ク ス﹂ に続
き 、今 や、今 年 の流 行 語 大 賞 に
も な り そ う な 勢 い で ﹁地 方 創
ま した 。
ば
生 ﹂ が叫
、 れ始 め
過 去 地 域 活 性 化 のた め に
平成2 8 年 1 月 2 日 ( 土) 1 5 : 0 0 ∼
グラ ン ドホテ ル浜松
8,000円
( 高4 8 回卒 以前 )
5,000円
( 高4 9 回卒以後)
浜松 西高等学校 同窓会
浜松西高第4 8 回 ( 平成 8 年 ) 卒 同窓会幹事 会
:
チ
お問合せ先
ケ ッ トに関 す る こ と 0 9 0 _ 4 3 8 4 - 8 3 0 1 ( 宮
地)
可
記念誌広告・
協賛に関すること 0 9 0 _ 3 3 0 1 - 6 8 9 8 ( '合)
2()1()啓
喬
盤
墨
曇
義
蜜
同懇会長挨拶
韓
6回︶
同窓 会 会 長 御 室 健 郎 舎同1
、
、
盛 夏 の候 同 窓 の皆 様 には
と
び申 し
のこと
益 々ご 健 勝
、 お慶 、
。
上 げ ま す ま た 日頃 は 、 同窓
るご 理 解 ご協
会 活 動 に格 別 な 、
力 を 賜 り ま し て 厚 く お礼 申 し
。
上げ ます
、
皆 様 ご承 知 のと お り 昨 年 は
0
と いう 節 目
浜松
、 西 高 創 立 9周 年
に 本 校 O B の名 古 屋 大 学 天 野
浩 教 授 が ノ ー ベ ル賞 を 受 賞 さ れ
ると いう ビ ッグ ニ ュー スが加 わ
り 、 母 校 が 大 いに沸 き 立 ち ま し
、
。
け
た とり
私
が同窓 会 長 に
、わ
る ﹁
就 任 後 初 め て迎 え
新春 の
、
集 い﹂ にお いては 1 0 0 0人
を 超 え る同 窓 生 が集 ま り 皆 様 の
、
結 束 力 を 高 め る契 機 にも な り
く って いま す 。 あ
非 常 に嬉 し
、 思
ら た て こ の場 を お 借 り し
、め
ま 。
て お 礼 を 申 し上 げ
、 す
天 野 さ ん か ら は 習同校 時 代
ことを願 つています。
【羽 ば たく,
刷
印
8月 1日
平成 27年
・
浜 松 西 高 同 窓 会 報
(1)第 59号
メイ ンテ ー マ
誰 もが登 つた西 山台の あの坂、
90年の歴史を刻んだあの坂。
あの坂か ら 「
浜松西高」が世界へ と、
そ して未来へ と羽ばた く !
(2)第 59号
浜 松 西 高 同 窓 会 報
8月 1日
平成 2 7 年
◆ 役 員交 代
、
第 四 号議 案 に て 年 度 替 わ り
、
に伴 い 新 春 の集 い幹 事 によ る
7
8
副 会 長 が高 4回 か ら 高 4回 に交
8
代 す る こと が発 表 さ れ高 4回 岡
本 周 二 ・西 田容 子 の新 役 員 2名
。
が紹 介 さ れ た
質 問 コー ナ ー﹂ を 開 設
路へ ﹁
三 ︶ 天 野 浩 氏 ノ ー ベ ル賞 受 賞
︵
記 念 碑 の製 作 に つ いて
、
3日
6月 1
土 ︶ 午 後 4時 よ り グ ラ ンド ホ テ ル浜 松 孔 雀 の間 に
︵
、
5名 の会 員 の出 席 を 得
7年 度 同 窓 会 総 会 が 開 催 さ れ 、 7
て 平成 2
、
、
。
た 御 室 健 一郎 同 窓 会 会 長 木 村 功 名 誉 会 長 の挨 拶 に続 き 今
。
年 度 の議 事 に つ いて協 議 が行 わ れ た
◇ 議事
6
︵一︶ 平 成 2年 度 事 業 報 告
、
6
二︶ 平 成 2年 度 決 算 報 告 及
︵
び 監査 報 告
各 じ ﹁2 0 1 5年 新 春 の集 い﹂
、
、
事 業 報 告 決算 報 告 及 び 同 監
査報 告
四 ︶役 員改 選
︵
7
度
案︶
五︶ 平成 2
年
事 業計 画 ︵
︵
7年 度 予
六 ︶平 成 2
案︶
算 ︵
︵
七 ︶ ﹁2 0 1 6年 新 春 の集 い﹂
︵
事 業計 画
◇ 報 告事 項
0
︵一︶ 本 年 度 1月 上 旬 に会 員 名
簿 の発 行 を 予定
含 0 ﹁2 0 1 5年 新 春 の集 い﹂
か ら の寄 贈 品 に より 2階 中 央 通
今 年 度 の 総 会 は 天 野 氏 一色
と い って も 過 言 で は な い。
2 0 1 5年 新 春 の集 いでは 天 野
氏 の参 加 も あ り 例 年 にな い盛 況
と な った 。代 表 幹 事 か ら は お 礼
。
の言葉 が 述 べら れ た
7
平 成 2年 3 月 に は 同 窓 会 主
、
未
催 天 野 氏 講 師 の講 演 会 が ﹁
来 を 築 く 皆 さ ん へ﹂ の テ ー マの
も と 行 わ れ た 。在 校 生向 け の講
演 で多 く の生 徒 が こ の出 会 いに
。
感 銘 を 受 け た そう だ
、
現 在 後 世 に こ の想 いを 繋 げ
て いく た め に記 念 碑 の製 作 が進
。
め ら れ て いる 来 春 2 0 1 6年
新 春 の集 い で は 天 野 氏 の 講 演
。
会 も 予 定 さ れ て いる テ ー マは
。
﹁翔 ﹂ ︵羽 ば た く ︶ 浜 松 西 高
の同 窓 生 全 員 が世 界 へ未 来 へ羽
ば た く 原 動 力 にな る会 にし た い
、
と 熱 い想 いを 語 り 協 力 を 仰 い
。
だ
静 岡銀 行 蜆 塚 支店
普通預金 N o . 0 5 7 9 7 2 8
浜松信用 金 庫 東 伊 場支店
普通預金 N o . 2 0 7 8 0 5 7
名義 はいず れ も
「
静 岡県立浜松 西高等学校 同窓会寄付金 回
会長 御 室健―郎』
ョキ
m
0く\電電電子DヨDュ∽〓 b︻
名簿価格 4,000円
(送料 ・税込み)
予約限定出版となりますので、
購入を希望される方はお早目にお申し込み下さい。
浜 松 西 高 同 窓 会 報
(3)第 59号
平成 2 7 年
8月 1日
平成26年度 静岡県立浜松
収入総 額
支 出総 額
差 引残 額
収 入 の部
科
繰
(単位 :円 )
予 算
目
額
決 算
7,802,148
金
越
金
入
基 金 利 子 配 分 金
繰
14,705,938円
7,229,114円
7,476,824円
前年度繰越金
3,600,000
0
高校67回卒業生240名
0
500,000
2,207,480
1,707,480
34,410
入
20,000
54,410
1,040,000
1,040,000
12,964,048
計
考
0
エ アコン設備 料使 用料
雑
備
7,802,148
1.900
金
入
比較増減額
額
0
14,705,938
甲子園出場記念基金利子配分金
新春 の集 い剰余金
預金利子、同窓会名簿代等
後援会 よ り23年度か ら12年間回収
1,741,890
支 出の部
科
1 事
予 算
目
務 費
事
務
需
局
費
2 会 議 費
3 事
会
考
△ 9,483
409,483
433・756
事務局職員給与、光熱費他
複写機 リース料等
66‐244
300,000
255,668
44,332
総会会議費
費
200,000
178,088
21,912
役員会会議費
費
成
備
196,017
205,500
4,100,000
報
助
比較増減額
額
503,983
費
業 費
会
400,000
500.000
総
員
決 算
費
用
役
額
700,000
費
4 予 備貴
計
1,500,000
722,167
3,377,833
21254,273
345。
727
ホームページ運営費、
会報印刷代・
送料、
会報編集委員会運営費等
1,123,560
376,440
激励賞、
慰霊祭、
海外研修援助費、
西山賞、
講演会謝礼等
天野浩氏 ノーベ ル賞受賞関連
7,664,048
2,913,542
4,750,506
12,964,048
7,229,114
5,734,934
平成27年5月 22日
静
岡県立浜松西高等学校同窓会 会 長
御 室 健 一郎
以上のとお り報告 します。
会
計 鈴 木 微 勝
上記の決算について証拠書類、出納簿を精査 したところ、通正かつ正確であることを認めます。
平成27年5月 22日 会 計監査 前 田 米 蔵 ③
収入総額
支 出総額
差引残額
会 計監査 市 川 静
13,138,624円
13,138,624円
0円
収 入 の部
科
(単位 !円 )
本年度予算額
目
1,900
∠ヽ100
1,000,000
500,000
500,000
3,600,000
繰
入
金
雑
収
入
Aロ
エアコン設備料 使用料
備
考
前年度繰越金
高校68回 卒業生240名
20000
1,040,000
13,138,624
計
減
1,800
金
基 金 利 子 配 分 金
入
増
∠X325,324
7,476,824
越
前年度予算額
7.802.148
金
繰
子 ①
甲子園出場記念基金利子配分金
新春 の集 い剰余金
預金利子、同窓会名簿代等
後援会 より23年度か ら12年間回収
1,040,000
12,964,048
174.576
支 出の部
科
本年度予算額
目
1 事 務 費
.
.
的L
O I のモ付E G三チチョ\ゝα軍三
事
務
需
用
2 会
700,000
局
300,000
議 費
総
会
役
員
500,000
費
会
助
費
200,000
4,100,000
報
費
成
減
費
4 予 備 費
計
※科 目間の流用 を認める
備
考
事務局職員給与、事務所維持費等
複写機 リース料等
300,000
500,000
総会会議費
300,000
3 事 業 費
会
増
700.000
400.000
費
費
前年度予算額
役員会会議費
200,000
4,100,000
2.600,000
2.600,000
会報印刷代・
送料、
会報編集委員会運営費 ・ホームベージ運営費等
1,500,000
1,500,000
激励賞、
慰霊祭、
海外研修援助費、
西山賞、
講演会謝礼等
天野浩氏 ノーベ ル賞受賞関連
7,838,624
7,664,048
174,576
13,138,624
12,964,048
174,576
(4)第 59号
浜 松 西 高 同 窓 会 報
平成 27年 8月 1日
綬 震先生機 拶
校長 木 村 功
、
同 窓 生 の皆 様 には 日 ご ろよ
り 本 校 の教 育 活 動 に御 理 解 と 御
、
支 援 を 賜 り 厚 く お礼申 し上 げ
ます 。
、
0周
さ て昨 年 度 本 校 は創 立 9
。
年 を 迎 え ま し た そ し てそ の節
目 の年 に、 生 徒 た ち は掛 け替 え
、
のな い 貴 重 な 出会 いを 経 験 し
ま し た 。 ﹁人 間 は た った 一人 で
。
は 生 き て いけ な い 社 会 の中 で
。
生 き て いく し か な い 自 分 が働
く こと によ って、ど こか の誰 か
を 喜 ば せ る こと が でき る 。 そ れ
、
が 自 分 が社 会 の中 で存 在 す る
。
意 味 でも あ る ﹂ と いう 池 上 彰
、
、
先 生 か ら の示 唆 ま た ﹁早 い
う ち か ら自 分 の夢 を 決 め ら れ れ
、
ば 幸 せ だ が じ っく り自 分 のや
り た いこと を 考 え てか ら 決 め て
も 大 文 夫 。 これ しか な いと 決 め
、
つけ ず 自 分 が 学 ん で いる こと
が い つか は 人 や社 会 の役 に立 つ
、
と いう 強 い気 持 ち で 視 野 を 広
。
げ て様 々な 勉 強 に取 り 組 め ﹂
と いう 天 野 浩 先 輩 か ら の励 ま し
、
、
の 言 葉 か ら 何 か に気 付 き
こ こ ろ奮 い立 つ経 験 を し た 生 徒
も 多 か った はず です 。 お 二人 の
言 葉 のど ち ら にも ﹁じ っく り 学
。
。
べ いろ いろ幅 広 く 学 べ 必 要
。
な のは 教 養 ﹂ と いう メ ッセ ー
ジ が込 め ら れ て いる よう に感 じ
ら れま す 。
、
﹁教 養 ﹂ と 言 え ば 実 は 3 月
、
名
初 旬 週 刊 エ コノ ミ スト で ﹁
門高 校 の校 風 と 人脈 ﹂ の連 載 を
手 掛 け るジ ャー ナ リ スト の猪 熊
建 夫 さ ん の取 材 訪 間 が あ り ま し
。
た 本 県 で は本 校 が 三校 目 と の
こと 。 本 校 を 取 り 上 げ る理 由 を
き っか け
率 直 に伺 った と こ ろ ﹁
、
は そう ︵
天 野浩 氏 ︶ だ が 本 当
、
の関心 は 輩 出 さ れ た 人 物 の実
、
績 や知 名 度 では な く そ の人 を
、
育 てた 学 校 の上 壌 の厚 さ 育 む
。
教 養 の豊 か さ にあ る ﹂ と の返
、
答 に ち ょ っと し た 驚 き と 嬉 し
さを 覚 え ま し た 。
、
先 日 前 年 度 の新 春 の集 いの
、
幹 事 の皆 様 方 か ら 生 徒 た ち に
。
素 敵 な 贈 り 物 を 頂き ま し た 廊
下 の 隅 に 設 け た 学 習 質 問 コー
。
ナ ー 真 新 し いホ ワ イ ト ボ ー
ド 、 長 机 そ し て丸 椅 子 。 照 明 は
、
勿 論 L E D 天 野先 輩 の色 紙 を
、
添 え て 教 養 の基 礎 を 培 う 新 し
い学 び の ス ペー スが ま た 一つ増
、
。
え 大 変 感 謝 し ており ま す
、
同 窓 生 の皆 様 に は 本 校 の伝
、
統 を 継 承 し ま た自 ら 新 し い歴
史 を 拓 か んと し て頑 張 る後 輩 た
ち に今 後 も 一層 の御 支 援 ,御 声
援 を 賜 り ま す よう お願 い申 し上
。
げます
7回
高4
代 表 幹 事 村 松貴 通 ︵
︶
、
7
平 成 2年 1月 2 日 グ ラ ンド
ホ テ ル浜 松 に て毎 年 恒 例 の ﹁新
春 の集 い﹂ を 盛 大 に開 催 でき ま
し た こと を 心 より 御 礼 申 し 上 げ
ます 。
0周 年 、 そ し て、 天
西高 創 立 9
野 浩 先 輩 が静 岡 県 内 では じ め て
ノ ー ベ ル賞 を受 賞 さ れ た 記 念 す
、
べき 年 に 新 春 の集 い幹 事 を 担
、
7回
当 さ せ て いた だ き 私 達 高 4
、
卒 一同 感 謝 の気 持 ち で 一杯 で
、
今 回 の テー マ ﹁
繋 が る ﹂は
。
キ ー ワ ー ド ﹁3本 の矢 ﹂です
1 本 目 ⋮ 諸 先 輩 方 と ﹁繁 が
、
る ﹂。 地 元 浜 松 は も と よ り 日
本 全 国 及 び 様 々な 業 界 ・分 野 で
活 躍 す る諸 先 輩 方 と 繋 が る こと
、
によ り 学 生 時 代 では 学 ぶ こと
、
が でき な い知 恵 や知 識 の習 得
西 高 卒 業 生 と し て の誇 り を 学
、
。
ぶ 特 に今 回 は ノ ー ベ ル物 理
学 賞 受 賞 者 の天 野 浩 先 輩 も ご参
。
加 いた だ け ま し た
天 野 先 輩 の素 晴 ら し い功 績
、
、
は 我 々幹 事 学 年 はも ち ろ ん
全 て の西 高 関係 者 に や る気 を 与
、
え か つ自 負 の精 神 と 大 き な責
。
任 感 を喚 起 す るも のです 2本
目 ⋮後 輩 、 西 中 高 の現 役 学 生 と
。
﹁繋 が る ﹂ 次 代 を 担 う 若 者 と
、
繋 が る こ と に よ り 新 し い見
識 と 発 想 力 を 吸 収 し自 身 の活 力
と な る 。 西 高 が中 高 一貫 校 移 行
、
後 昨 年 は 中等 部 一期 生 が社 会
、
に巣 立 つ年 でし た の で 今 回 か
ら中 等 部 生 も 初 め てご参 加 いた
。
だ け ま し た 3本 目 ⋮同 級 生 と
。
﹁繋 が る ﹂ 卒 業 し て か ら 各 々
の進 路 を 歩 み そ れ ぞ れ の立 場 や
環 境 に お いて頑 張 る同 級 生 と 繋
、
が る こと によ り 西高 時 代 には
最高 の仲 間 が いた こと を 再 認 識
、
、
。
す る そう し た 1本 2本 3
、
本 が重 な り 合 う こと によ って
﹁繁 が り ﹂ が よ り 大 く 強 く な
り 、 西高 ・西 中 の存 在 感 、 社 会
的 貢 献 度 が より 一層 高 ま る こと
を期 待 し て いま す 。
、
今 回 の新 春 の集 いは 1000
名 を 超 え る大 変 た く さ ん の方 々
にご参 加 いた だ き 誠 にあ り がと
う ござ いま し た 。 天 野 先 輩 に よ
る ノ ー ベ ル賞 受 賞 講 演 も 同 日催
しま し た が 、 母 校 愛 に溢 れ る大
、
変 貴 重 な お話 で 参 加 者 の皆 様
も 大 満 足 の様 子 でし た 。会 場 で
、
は 大 人気 の ﹁
家康 く ん L E D
\\〓>ミ耳卜丁ゆヨ いコ︼
Jキ洋0 ﹁
のJFO︻m
ライ ト 付 き 液 晶 ク リ ー ナ ー﹂ を
、
販 売 さ せ て いた だ き 売 上 金 の
一部 を 天 野 先 輩 へ今 後 の研 究 費
。
支 援 と し て進 呈 いた しま し た
、
本年 の ﹁
新 春 の集 い﹂ に は
5
還 暦 を 迎 え ら れ た 高 2 回卒 の先
、
輩 の皆 様 には 1 0 0名 を 超 え
、
る多 く のご参 加 記 念 誌 のご協
力 を 賜 り 心 よ り 御 礼 申 し上 げ ま
、
。
す ま た 記 念 誌 の発 行 及 び 新
、
春 の集 い の開 催 にあ た り 広 告
協 賛 や チ ケ ット の購 入 にお き ま
し ても 、多 く の同 窓 生 の皆 様 、
企業 の皆 様 のご 理 解 と ご 尽 力 を
、
賜 ると と も に 温 か い励 ま し の
お 言 葉 を いた だ き 心 よ り 御 礼 申
。
し
ま
げ
す
上
2 0 1 6年 の ﹁
新 春 の集 い﹂
、 8
は 高4
回 同 窓 生 が幹 事 と な り
、
ま す ので よ ろし く お 願 い申 し
。
上げます
、
最 後 に 浜 松 西 高 等 学 校 の同
、
窓 会 同 窓 生 の皆 様 の益 々 のご
多 幸 と ご 発 展 を 祈 願 し て代 表 幹
事 の 言 葉 と さ せ て いた だ き ま
。
す
浜 松 西 高 同 窓 会 報
(5)第 59号
2015年
新 春 の集 い 決 算書 律 位 :円)
科 目
金 額
摘 要
収 入 の部
広 告 売 上
9,499,000
広告 453件
チケット売上
9,012,000
チケ ッ ト枚数 1,185枚
記念品売上
雑 収
0
100,000
入
預金利患
計
739
実施 せず
恩師等よりご視儀(10名)
預金利患
18,611,739
(単位 i円 )
科
目
金 額
摘 要
グランドホテル会場費等
会 場
費
9,290,002
景 品
費
360,162
印 刷
費
2,822,538
当 日抽選会の景品
記念誌 、チケ ッ ト等
支出 の部
通 信
費
459,630
会 議
費
1,399,660
事 務
費
交 際
費
476,900
文具等
西高フォーラム、
総会参加等
渉 外
費
1,483,736
クライアントとの打合わせ等
雑
そ の
5,683
6,588
費
99,360
他
本会計繰入
計
携帯電話、葉書等
幹事会、部会経費等
振込手数料等
学校 へ の寄贈品
2,207,480
18,611,739
以上 の通 り、 ご報告 申 し上 げ ます。
静 岡県立浜松西高等学校
第47回卒 2015年 新春 の 集 い幹事 会
代 表幹事 村
△ 計
島
松 貴 通
章 悟
上記 の 通 り、正確 に処理 され適正 と認 め ます。
会
計監査
前
会計監査
市
日 米 蔵
川 静 子
③ ③
平成27年 3月 17日
平成 2 7 年
8月 1日
.
.
的﹂
0 I のモGE 付三多チュ\ゝα〓三
(6)第 59号
浜 松 西 高 同 窓 会 報
8月 1日
平成 27年
第十 一
﹁未 来
︲
天 野 社ね 古同3回
7年 3月 1
6日、 西 高 体 育
平成 2
館 に於 いて ノ ー ベ ル物 理 学 賞 受
。
賞 記 念 講 演 が行 わ れ ま し た 3
月 1 日 に卒 業 式 を終 え た 卒 業 生
も ピ カピ カ の スー ツを 身 に付 け
。
て参 加 会 場 は 満 員 で熱 気 に満
ち て いま し た 。
、
まず 同 窓会 薩 川 副会 長 より
、
﹁天 野 先 生 本 国 は あ り が と う
、
ござ いま す 。 ど う か 生 徒 の皆
さ ん に希 望 と 勇 気 を 与 え る講 演
、
を お 願 いし ま す 。私 は 天 野 君
。
の同 級 生 です ノ ー ベ ル賞受 賞
、
の後 名 古 屋 に出 向 いて講 演 依
、
。
頼 を し 即 O K貰 いま し た 皆
さ ん に は学 歴 だ け で は駄 目 。 実
、
績 を 積 む こと 失 敗 を 成 功 の糧
と し て努 力 し続 け る こと が大 切
だ と いう こと を 身 に染 み て心 に
。
留 め て ほ し い 物 づ く り の町 を
卒 業 し たと いう 誇 り を 持 って社
、
。
会 で活 躍 し てほ し い ま た 1
月 2 日 に毎 年 行 わ れ て いる大 同
窓 会 のほう にも 足 を 運 ん で ほ し
。
いと 思 いま す ﹂ と の挨 拶 が あ
り ま した。
︱︱ 講 演 に先 立 ち 、 生 徒 が作 っ
た 天 野 氏 紹介 映 像 が流 さ れま し
、
。
。
た 以 下 講 演 内 容 です
D V D で詳 しく 紹 介 し てく れ
、
た の で も う 話 す こと あ ま り な
、
いの です が ノ ー ベ ル賞 を 受 賞
し た ら ど んな こと が起 き る か お
。
話 し た いと 思 いま す
こ の体 育 館 懐 か し いです ね 。
バ スケ ット を や った こと を 思 い
。
出 しま す
私 は 祖 母 によ く 育 てら れ ま し
、
。
た そ の祖 母 は 父 が 下校 時 グ
ラ マ ン に 追 いか け ら れ て 機 銃
、
掃 射 を受 け 弁 当箱 にそ れ が
、
当 た って助 か った と いう と き
﹁大 事 な 弁 当 箱 を 壊 し て ︱ ﹂ と
。
怒 った 人 です 父 は よく 酔 う と
こ の話 を し ま し た 。
私 は 小 さ い頃 体 が 弱 く て病 気
、
がち で 広 沢 小 学 校 の高 学 年 で
は ソ フト ボ ー ル を や り ま し た
、
が スポ ー ツはオ 能 が な いと 思
、
。
い 諦 めま した 呪 塚 中 学 校 で
は受 験 勉 強 に のめり 込 めず 過 ご
し ま し た が 、転 機 は 西 高 に入 学
し て数 学 の伊 藤 保 先 生 に出 会 っ
。
た こと で訪 れ ま し た 先 生 は非
常 に論 理 的 に話 を し てく だ さ
り 、論 理 的 に考 え れば 全 てが解
、
け ると 言 わ れ 面白 いと 思 いま
し 。
た
、
ま
た
当
の
曽
時
雄
一校 長 先
根
、
憂 き こと
生 が 朝 礼 のと き に ﹁
﹂の上 に積 も れ か し
の な ほ >
限 り あ る身 の力 試 さ ん︱ 熊 沢
、
春 山 ﹂ と 言 わ れ た言葉 は 高 校
時 代 勉 強 に息 詰 ま った と き の糧
と な り ま した 。
次 の転 機 は名 古 屋 大 学
,電 機 工
。
学科 のとき ﹁
工学部 の 工 “の
字 の意 味 は 人 と 人 と を 結 ぶ こ
と 。 人 の役 に立 つのが勉 強 な ん
、
だ ﹂ と 聞 いて視 野 が 広 が り 勉
強 す る意 味 が よう やく 分 か った
。
気 が しま した
な ぜ青 色 L E Dを 研 究 テー マ
、
にし た か と いう と ビ ル ・ゲ イ
、
ツと ポ ー ル ・アレ ンが マイ ク
、
ロ ソ フト を 創 業 し ス テ ィ ー
ブ ・ジ ョブズ が ア ップ ルを 創 業
し て、 コ ンピ ュー タ時 代 が 到 来
し ま し た 。 し か し 、 1 9 7 0年
代 のブ ラウ ン管 は 大 き 過 ぎ て電
。
力 がか かりすぎ る 青 色 L E D
があ れ ば 小 さ いデ ィ スプ レイ が
。
でき る 何 と か し よう ︱と 思 っ
。
た か ら です
初 め は デ ィ スプ レイ に使 う し
、
か考 え て いな か った の です が
黄 色 蛍 光 体 を つけ ると 青 色 L E
、
Dは自 色 にな り ま す 。 そ れ で
世 界 の子 供 た ち への簡 易 照 明 の
提 供 が でき る こと に な り ま し
。
0%が遊 牧 生
た モ ンゴ ル では 8
。
活 を し て いま す L E D のお陰
で子 供 た ち 勉 強 が でき る よう に
な り ま し た と 言 わ れ た と き は嬉
し った です 。
か
受 賞 を 知 った の は 7 月 8 日
フラ ンク フルト の空 港 で メ ー ル
を 開 い て知 り ま し た 。 そ れ か
ら 2 0 0 件 も の取 材 を 受 け 、
2 0 0件 も の講 演 体 頼 を受 け 、
。
生 活 が ガ ラリと 変 化 し ま し た
。
授 賞 式 は 一週 間行 事 詰 め ノ ー
、
ベ ル受 賞 博 物 館 では ゆか り の
も のを 寄 贈 し 、 昼 には スウ エー
デ ン国 王 も 出 席 す る パ ー テ ィ に
、
参 加 し ノ ー ベ ル コンサ ー ト で
。
は ソプ ラ ノ独 唱 を 聴 き ま し た
、
、
そう そう 次 に受 賞 す る人 英
。
語 は 勉 強 し てお いてく だ さ い
現 地 の高 校 で英 語 で授 業 も しま
貸 し 切 り 列 車 で移 動 を し てリ
ハー サ ルを し た と き に はと ても
ご 静 聴 あ り が と う ご ざ いま し
。
。
緊 張 しま し た 王 立 アカ デ ミー
、
主 催 の晩 さ ん 会 で は シ ル ヴ イ
ア王 妃 と ヴ ィ ク ト リ ア エ 女 の隣
、
に座 わ り 教 育 問 題 に つ い て話
しま した 。国王 、王妃 、工女 そ
、
れ ぞ れ 大 変 気 さ く で か つ勉 強
。
家 ス ウ ェー デ ン の状 況 を よ く
。
知 って お ら れ ま し た 全 てを こ
な す には体 力 も 必 要 だ と わ か り
ま した。
、
こ れ で皆 さ ん 受 賞 の準 備 が
。
でき ま す ね 皆 さ ん の こ れ か ら
のご 活 躍 を 楽 し み に し て お り ま
。
す
た
講 演 終 了後 は質 問 タ イ ムが設
、
け ら れ た く さ ん の挙 手 が あ り
ま した 。
O L E D の基 盤 は サ フ アイ アと
、
の こと で す が 宝 石 の サ フ ァイ
ア です か ? コ ス ト は か か り ま す
か?
︱︱ 固 ま り では な く 板 状 に し ま
。
宝 石 と 同 じ サ フ ァイ ア です
す
\\〓>ミ〓卜丁いヨ pD↓
Jキ一0﹁
∽JrO︻m
、
が 純 度 の高 いも のを 使 い透 明
。
の板 状 にし ま す 板 一枚 千 円 く
ら いです 。
○ 夢 は 早 く 決 ま れ ば よ いも ので
。
す か ?自 分 は ま だ です
︱︱ 早 く か ら 決 ま れ ば 幸 せ だ と
、
思 いま す が じ っく り自 分 の頭
で考 え る こと は し た ほう が よ い
。
です 時 が経 つに つれ て世 の中
のこと が 見 え た り自 分 の こと が
。
わ か る こと が あ り ま す 決 め つ
け な いで視 野 を 広 げ な が ら 過 ご
。
す と よ いと 思 いま す
○多 く の実 験 を し た と 聞 き ま し
た が新 し いアイ デ アは どう や つ
て作 り 出 します か ?
︱︱ 同 じ よう な 研 究 者 と 会 い、
、
いろ いろな 人 の意 見 装 置 を 見
、
せ ても ら つた り 本 を 読 ん で ヒ
ント は な いか 探 し た り 、参 考 に
な るも のは な いか と ず っと 考 え
て い る と そ のう ち 湧 い て き ま
。
す
、
講 演 終 了 後 に感 想 を 伺 う と
鋭 い質 問 に冷 や汗 が出 ま し た
﹁
、
が た く さ ん質 問 し てく れ て楽
し か った です 。 スト レ ー ト にど
んど ん質 問 でき る雰 囲 気 が素 晴
ら し いです ね 。皆 さ ん 、 元 気 そ
う で笑 顔 が た く さ ん見 れ て嬉 し
。
。
か った です ﹂ と
、
、
ま た これ か ら の夢 と し て
L E Dを 地 球 規 模 で考 え て利
︵
。
用 し て いき た い まず は エネ ル
。
ギ ー問 題 の解 決 次 に L E Dを
当 て る こと で消 毒 効 果 が得 ら れ
る こと か ら 環 境 と 健 康 や 食 料
、
へ︶ と 天 野 氏 の目 は 次 の日 標
。
へと 向 か って いま し た ﹁勉 強
は 人 のた め にす るも のだ ﹂︱ 心
に刻 み た いも の です 。
浜 西 陸 上 部 O B会 は 平 成 2年
。
の総 会 で正 式 に発 足 し た
、
O B会 の目 的 は 在 校 生 陸 上
競 技 部 を 積 極 的 に援 助 す る こと
と 併 せ て会 員 の親 睦 に努 め る こ
と と 定 め ら れ て いる 。 そ の目 的
5年 間 地 道 な
に沿 って発 足 以 来 2
。
活 動 を 続 け て いる
、
O B会 の初 代 会 長 は 鈴 木 啓
、
之 ︵
高 3 回 ︶ 二代 目 石 川 準 司
6回 、 三代 日 波 山 雅 章
高1
外
︵
︶
9回 と 続 き 、 私 は 四代 目
高1
︵
︶
。
の会 長 を お お せ つか って いる
、
陸 上 部 は 西高 開校 以 来 の伝 統
、
あ る部 活 で 石 川準 司 のよう に
オ リ ンピ ック に出 場 し た 先 輩 も
、
いれ ば イ ンタ ー ハイ で優 勝 し
、
た 先 輩 後 輩 も た く さ ん いて 静
岡 県 と いわ ず 全 国 でも 強 豪 校 と
し て知 ら れ た存 在 であ る 。
陸 上 部 初 代 監 督 は伊 藤 久 雄 先
、
生 で 伊 藤 先 生 は 一昨 年 米 寿 の
お祝 いを O B会 でさ せ て いた だ
、
いた が 現 在 も お 元気 で O B会
。
の象 徴 的存 在 であ る 一代 目 は
、
石 川 準 司先 生 〓代 目 は 津 田輪
差 西陸 上 部 O B会
O B ・O G会 活 動 紹介
8月 1日
平成 27年
浜 松 西 高 同 窓 会 報
(7)第 59号
、
彦 先 生 四 代 目 は山 下昌 彦 先 生
と 続 き 、現 在 は筒 井 計 臣 先 生 が
五 代 目 と し て現 役 生 の指 導 にあ
。
た って いる 本 年 も イ ンタ ー ハ
イ 県 予 選 が終 わ った と こ ろ であ
る が筒 井 先 生 の熱 心 な指 導 で多
く の選 手 が 東 海 大 会 への出 場 の
。
権 利 を 取 得 し た よう だ 歴 代 監
、
督 は 四代 目 の山 下先 生 を 除 き
いず れも 浜 西 陸 上 部 O B の生 え
。
抜 き の先 生 達 であ る
O B会 の主 な 活 動 と し ては年
1 回 総 会 と 懇 親 会 を 開き 、会 員
。
の親 睦 を は か って いる 現 在 の
O B会 員 は総 数 が 7 0 0名 を超
え て大 所 帯 と な って いる のは長
い歴史 と 伝 統 のた ま も のと いえ
、
、
る 。 た だ 総 会 懇 親 会 の出 席
、
0
0
者 が毎 年 3名 か ら 4名 程 度 で
さ ら に より多 く の会 員 に出 席 し
て いた だ け る よう 工夫 し て いき
。
た いと 思 って いる
の年 会
会 の運 営 は 会 員 か ら 、
費 で ま か な って い る が 毎 年
1 0 0 名 以 上 の会 員 か ら 会 費
を 納 め て いた だ き 感 謝 し て い
る 。 現 役 陸 上 部 員 への応 援 と し
、
ては 全 国 大 会 出 場 選 手 への支
、
援 はも と よ り 中 1か ら高 3ま
で の全 部 員 に O B会 のネ ー ム入
リ オ リ ジ ナ ル スポ ー ツタ オ ルを
。
送 って いる 一部 の強 い選 手 だ
、
け でな く 全 部 員 を 激 励 し た い
と いう 趣 旨 か ら 始 め た こと であ
る 。 スポ ー ツタ オ ルを 全 部 員 に
、
送 って 7年 にな る が 中 1か ら
高 3ま で 6年 間 頑 張 った部 員 は
6本 の スポ ー ツタ オ ルが揃 って
。
いる は ず であ る た だ 嬉 し い悲
、
鳴 であ る が 現 役 陸 上 部 員 が
中 1 か ら 高 3 ま で合 わ せ る と
1 0 0名 以 上 にな り 、 タ オ ル代
。
ではあ る
捻 出 も 少 し大 変
、
こ のよう に O B会 及 び 現役
陸 上 部 員 も 大 勢 にな り 嬉 し い限
9
第 3回 定 期 戦 結 果
り であ る が 、 O B会 の事 務 を 担
当 す る事 務 局 が優 秀 でな いと 運
、
営 が成 り 立 た な いと こ ろ 現 在
5回卒 が
は鈴 木 公 ︵
高3
︶ 事 務を
迅速 正 確 に処 理 し てく れ て大 い
に助 か って いる 。今 後 は会 員 の
皆 様 の協 力 を 得 て歴 史 と 伝 統 の
あ る浜 西 陸 上 部 O B会 を さ ら に
発 展 さ せ る よう 努 力 す る所 存 で
。
ある
浜 西 陸 上 部 O B会
2回 ︶
高2
会 長 鈴 木 學 ︵
けヤ試議ベク
毎 年 8月 の第 一日曜 日 に浜 松
西高 校 と 浜 松 北 高 校 の定 期 戦 が
。
ッカ ー
行 わ れ て いま す 現 役 サ 、
部 員と O B の方 々が集 い サ ッ
カ ー の試 合 を 通 じ て交 流 を 深 め
。
て いま す 現 役 選 手 は各 種 大 会
、
で い う こと に加 え 両 校 の
合
競
じ る場 と し て、 O B の
伝統を感
、
方 々は 旧 友 と の再 会 を 懐 か し
み つ つ勝負 す る楽 し さ を 味 わ う
。
良 い機 会 と な って いま す
、
9回
第3
定 期 戦 は 浜 松 西高 校
、
が幹 事 当 番 と な り 遠 州 灘 海 浜
。
公 園 球 技 場 で行 わ れ ま し た 現
役 部 員 ,父 母会 ・若 手 O Bか ら
0
0
6代 ・7代 のO B の方 々ま でた
く さ ん の御 参 加 と 御 協 力 で定 期
戦 が 開 催 でき ま し た こと 感 謝 を
申 し上 げ ま す 。
、
、
当 日 は 天気 にも 恵 ま れ ど
の年 代 におき ま し ても 熱 戦 が 繰
り 広 げ ら れ ま し た 。 特 に、 いく
、
つ に な って も サ ッ カ ー を 愛
し 、真 剣 な プ レ ーを さ れ て いる
、
O B の方 々 の姿 は 現 役 選 手 に
と っても 多 く の こと を 学 べる よ
。
い機 会 と な って いま し た
こ のよう な 素 晴 ら し い伝 統 が
、
今 後 も 引 き 継 が れ 定 期 戦 が末
永 く 開 催 さ れ る こと を 期 待 す る
と と も に、 浜 松 西 高 校 と 浜 松 北
高 校 の両 校 が益 々発 展 し て いく
こと を 願 い定 期 戦 の報 告 と さ せ
。
て いた だ き ま す
0歳 以上 浜 西 01 3浜
O B戦 6
北
中等部︶浜 西 01 1浜 北
現役C戦 ︵
0歳 以上 浜 西 01 2浜 北
O B戦 4
現 役 B戦 浜 西 01 2浜 北
O B最 強 戦 浜 西 31 1浜 北
現 役 A戦 浜 西 11 2浜 北
一勝 五敗 0分
、
0周
サ ッカ ー部 は 来 年 創 立 7
。
年 を 迎 え ま す 記 念 イ ベ ントを
9 0
8 8 6日
月
平成 2
年
土
︵
︶ 1 ¨0
∼記 念 パ ー テ ィー ︵
ク ラ ウ ンパ
レ ス︶・7 日 ︵
日 ︶ 北 高 と の定
。
期 戦 を 開 催 し ま す 乞 う ご期 待
く だ さ い。
0回
大 隅 康 人 ︵
高4
︶
こ こ数 年 は 雨 で実 現 し な か っ
、
た恒 例 の浜 松 北 と の定 期 戦 が
9日
4月 2
︵
水 ︶ に快 晴 の浜 松 球
し た。 4回ま で
場 で開 催 さ れ ま
、
9
は0
4歳 以 上 が 5 回 以 降 は 3歳
以 下 の若 手 選 手 同 士 が 戦 う ルー
。
ル 笑 い絶 え な い珍 プ レ ー の
。 イ ーを
ナ
連続 でした ラ
﹁ぽ
、
ろ っと 落 と し エラ ーを 装 っ
﹂
た ?あ た かも 狙 った か のよう な
、
ダ ブ ルプ レ ー フライ の目 測 を
が ら も 捕 球 す る好
誤 り 転 倒 しな
、
プ レ ーな ど ま だ ま だ 動 け る ぞ
と 時 折 見 せ る O B の ハ ッス ルプ
レ ーが球 場 を 沸 か せ ま し た 。
若 手 選 手 が指 導 を受 け た 清 水
。
淳 次 前 監督 も 参 加 さ れま し た
、
師 弟 の懐 か し い会 話 も 弾 み ベ
ンチ は終 始 和 や か な 空 気 に包 ま
、
。
れ ま し た 結 局 浜 松 西 が 8対
9
6 で浜 松 北 を 下 し 、戦 績 を 1
勝
3 3 と しま し た 。
︲
敗 分
現 役 選 手 は 日 々練 習 に励 ん で
。
お り ま す 自 己 の限 界 に 挑 戦
し、 ﹁
文 武 両 道 ﹂ を 追 求 す る姿
には敬 意 を 表 し ま す 。
には
就 任 2年 目 の佐 藤 光 監 督 、
日頃 か ら 熟 いご指 導 を 賜 り 厚
く お礼 申 し 上 げ ま す 。
わ が多 いスポ ー
野球 は
﹁
、番 狂 せ
ツ﹂ と 佐 藤 監 督 の 仰 せ の 通
り 、 シ ー ド校 を 決 め る春 季 大 会
は強 一
象校 が相 次 いで敗 退 し ま し
。
た 夏 季 大 会 では選 手 た ち の勇
の では な
姿 を 見 ら れ た 方 も 多 い、
。
いでし ょう か ご声 援 あ り が
と う ござ いま し た 。
尽 く し て闘 う 浜 西 球 児
死力 を 、
の活 躍 を O B会 は期 待 し て い
ま す 。 球 場 に響 き 渡 る浜 西 の校
。
歌 を 何 度 も 聞 か せ て欲 し い
頑 張 れ 浜 西 ︱ 目指 せ 甲 子 園 ︱
8回 ︶
藤 時 巧 二 ︵
高3
口
.
的﹂0 一
a宇ヤ三
CSE 付三 、
耳とく耳\\”
三の一
(8)第 59号
浜 松 西 高 同 窓 会 報
8月 1日
平成 27年
6
平成 2年 秋 の叙 勲
4回
高1
万伺 ︵
瑞宝及光章 勝間 一
︶
4回
高1
瑞宝双光章 滝浪喜十男 ︵
︶
9
瑞宝単光章 古稿 堂景高 1回︶
7
平成 2年 春 の叙 勲
︲回
中2
瑞宝双光章 山内 明 ︵
︶
3
瑞宝双光章 中村 仲夫 舎円1回︶
4回
高1
︶
死伺 ︵
勝 間 一
6年 度 秋 の叙 勲 で瑞 宝 双
平成 2
、
光 章 を 受 章 す る こと と な り 皇
居 にお いて天皇 陛 下 に拝 謁 さ せ
て いた だ き 誠 に畏 れ多 く 有 難 く
。
思 っており ま す
西高 校 で は 3年 間 柔 道 部 に所
、
7
属 し て練 習 に励 み 昭 和 3年 3
月 に現 在 日本 武 道 館 が建 って い
る警 視 庁 警 察 学 校 へ入 校 し ま し
。
た
警 察 学 校 卒 業 後 は荻 窪 警 察
、
、
署 第 四機 動 隊 大 森 警 察 署 で
、
勤 務 し 東 京 で 9年 間 を 過 し た
後 静 岡 県 警 察 に特 別 採 用 さ せ て
。
頂 き ま した
第 四機 動 隊 在 任 中 は 〓派 全 学
連 の活 動 が華 や か な 時 代 で警 備
、
活 動 も 運 日 の様 に続 き 投 石 に
よ る生 傷 が絶 え る事 があ り ま せ
。
ん でし た
静 岡 県警 察 では機 動 隊 に配 属
、
さ れ 成 田闘争 警 備 の為 千 葉 県
。
警 察 へ応 援 派 遣 さ れ ま し た
、
こ の警 備 の際 に 近 く で警 備
活 動 に当 って いた神 奈 川 県 警 の
部 隊 が デ モ隊 に襲 わ れ 3名 の警
察 官 が 殺 害 さ れ る事 件 が起 こり
ま した。
、
そ の後 は伊 東 署 天竜 署 を 廻
わ り 細 江 署 か ら 交 通警 察 の道 を
、
、
歩 む こと と な り 浜 松 東 署 本
、
部 交 通 指 導 課 榛 原 署 へと 赴 任
し ま し た 。 榛 原 署 に お い ては
2 0 0台 に及 ぶ車 両 によ る暴 走
族 の集 団 暴 走 を 検 挙 す る事 と な
りま した。
そ の後 は 天竜 署 にお いて交 通
、
課 長 と し て勤 め 浜 松 東 署 にお
いて地 域 警 察 官 と し て勤 め た後
︲
4年 間 の警 察 官 生 活 に終 止 符 を
。
打 ち ま した
ナイ フで刺 さ れ て怪 我 を す る
等 生 命 が け の危 険 な事 も多 く あ
り ま し た が 、 公 僕 と し て生 き て
こら れ た こと は自 分自 身 の誇 り
、
でも あ り 多 く の周 囲 の方 々に
助 け ら れ た と 心 か ら感 謝 し た い
と 思 って いま す 。
又 こ の様 な拙 い文 を 読 ん で頂
く こと を 心 苦 し く あ り が た く 思
う 次 第 でござ いま す 。
。
あ り がと う ござ ま し た
母 校 西高 そ し て皆 様 の増 々 の
ご発 展 を心 からお祈 り致 します 。
4回
高1
滝 浪喜 十 男 ︵
︶
、
こ のた び 叙 勲 を いた だ き 本
当 に身 に余 る光 栄 と 感 じ て いま
、
。
す これ は警 察 に勤 務 し 無 事
2年 間 警 察 官 と し て の生 活 を
に4
終 え る こと が でき た か ら だ と 思
。
いま す 在 職 中 ご指 導 く だ さ っ
、
、
た諸 先 輩 方 同 僚 はも ち ろ ん
私 を 支 え てく だ さ つた 皆 様 に心
。
か ら感 謝 し てお り ま す
私 は浜 松 西高 を卒 業 と 同 時 に
。
静 岡 県 警 察 学 校 に入 り ま し た
仕 事 の内 容 は主 に防 犯 警 察 でし
。
た こ の業 務 は皆 さ ん が安 心 し
て生 活 でき る よう に犯 罪 を 未 然
、
に防 ぐ も のです 。 こ の後 警 察
、
署 や県 警 本 部 に異 動 を し 様 々
。
な 業 務 に携 わ ってま いり ま し た
特 に思 い出 に残 って いる出 来
、
事 は 警 察 本 部 少 年 課勤 務 時 代
の各 警 察 署 への事 件 処 理 応 援 で
、
。
す 事 件 は 東 京 方 面 か ら伊 豆
下 田方 面 ま で数 百 台 の バイ クが
、
暴 走 行 為 を 繰 り 返 し 最 後 に下
、
回 の白 浜 石廊 崎 で地 元 の暴 走
族 グ ループ と 乱 間 を 起 こす と い
う も の でし た 。当 時 は警 察 本 部
に現 在 のよう な暴 走 族 事 案 の担
、
当 課 は な か った た め 本 部 の防
、
、
犯部 交 通部 刑事 部 か ら な る
捜 査 員 で チ ー ムを 組 ん で対 処 し
。
てま いり ま し た 私 は チ ー ム の
、
キ ャ ップ に指 名 さ れ 伊 豆 の下
、
、
田 伊 東 沼 津 の各 警 察 の道 場
0名 と 共 に 泊 り を し
に捜 査 員 3
寝
、
、
て 運 日連 夜 事 件 処 理 に当 た
り ま し た 。捜 査 は 2 ヶ月 に及 ぶ
も の でし た が 、全 貌 解 明 の上 、
。
検 挙 す る こと が でき ま し た
、
こう し て今 自 分 の警 察 官 生
、
活 を 振 り 返 ってみ ると 家 族 に
は本 当 に苦 労 を か け た も のと 思
。
いま す 中 でも 私 に代 わ って常
に家 庭 を 守 ってく れ た 妻 には心
。
か ら感 謝 し てお り ま す 昨 年 の
皇 居 で の拝 謁 には妻 と と も に出
掛 け ら れ た こと を 非 常 に嬉 し く
。
思 いま す
これ ま で の日 々を 誇 り に感 じ
、
、
な が ら 今 後 も 健 康 に留 意 し
安 心 ・安 全 な 地 域 社 会 のた め に
。
尽力 し て いき た いと 思 いま す
9
古 稿 由三 舎同1回 ︶
娘 か ら の重 い贈 り 物 ︱
2年 に西 山 台 を 飛 び 立 ち
昭和 4
0
約 5年 の歳 月 が経 と う と し て い
ま す 。 こ の度 は秋 の叙 勲 で私 ご
と き に瑞 宝 単 光 章 と 言う 勲 章 を
授 与 し て頂 き 感 謝 す る 次 第 で
〓キ
∞
0く\電電電子Dヨいュの〓 b︻
。
す 私 が受 章 に至 った 背 景 は就
ガ ラス
職 し た ヤ マ ハで F R P ︵
繊維 強 化 プ ラ スチ ック︶ 成 形 の
、
仕 事 に従 事 し そ の関 係 で静 岡
県 の職 業 能 力 開 発 協 会 か ら 技 能
0
検 定 委 員 を委 嘱 さ れ 3年 近 く 務
。
め て来 た事 によ り ま す 朗 報 を
聞 き 付 け て西 高 の同 窓 生 か らも
お祝 いのお 言 葉 や宴 を 設 け て頂
き 感 謝 し て いま す 。 し か し 絶 対
、
に得 ら れ ぬ物 を 得 た半 面 絶 対
に失 っては な ら ぬ物 を 昨 年 は失
。
いま し た
9
に
回
同
窓
そ れ は 西 高 の4
の
生
5
な り ま す 次 女 の万 里 が享 年 3
歳
。
で鬼 籍 に入 り ま し た 一昨 年 2
月 に多 発 性 筋 炎 そ し て 3月 に乳
が ん の診 断 が 下り 現在 5歳 の男
、
の子 3歳 の女 の子 を 抱 え 明 る
く
と 闘 ってき た の です が昨
難
病
8 日 に帰 ら ぬ人 と な り ま
年 8月 1
し た 。秋 の叙 勲 の内 示 を 頂 いた
、
時 娘 に伝 え ま し た が ﹁お 父 さ
ん が 頑 張 った ん じ ゃ無 く お 母 さ
ん の頑 張 り だ と 言う 事 を 忘 れ な
、
い事 周 囲 の人 達 に我 儘 を 許 し
て賞 った事 に感 謝 す る事 !﹂ と
。
手 厳 しく やら れ ま し た 娘 の葬
儀 の際 には 西 高 の同 窓 生 も お 別
れ に来 てく れ て悔 し さ と 感 謝 の
。
気 持 ち で 一杯 でし た 婿 と 孫 は
そ の日 か ら 拙 宅 に同 居 し て生 活
し て いま す 。 婿 は会 社 に行 く の
。
で専 ら私 は育 爺 ︱ です 人 生 あ
いう え お ︵
愛 と 運と縁と ご恩 ︶
を 忘 れず に A T M ︵
明 るく ︱楽
しく ︱前 向 き に ︱︶ で生 き て行
こう と 思 って いま す 。 天 野 先 生
の ノ ー ベ ル 賞 受 賞 の年 に 叙 勲
の栄 誉 に浴 し た事 も 感 謝 感 激 で
。
す 更 な る西 高 の発 展 を お 祈 り
しま す 。
8月 1日
平成 27年
浜 松 西 高 同 窓 会 報
(9)第 59号
山内
︲
中 2回 ︶
明 ︵
9年 夏 、 兵 庫 県 よ り
私 は 昭和 1
、
。
転 入学 し た 在 校 生 は 1 2年
。
。
のみ 閑散 と し た学 内 だ った
上 級 生 は 学 徒 動 員 で働 い て い
。
た 暮 には 大 き な 地 震 も あ り 不
。0 に
安 な毎 日だ った 2
年 は学 徒
動 員 で鈴 木 織 機 ︵
現 スズ キ ︶ で
空 襲 に お び え な が ら の作 業 の
日 々⋮ そ し て終 戦 。 復 学 後 も 2
年 く ら いし か勉 学 でき て いな い
の で青 春 時 代 の楽 し みも 無 く 浜
。
二中 で の想 い出 は極 め て薄 い
3年 、 ︲回生 で卒 業 。
昭和 2
春 2
浜 工専 で機 械 工学 を 3年 学 び
。
旧国 に
昭 6 か ら私
就
職
年
鉄
和
2
。
の鉄 道 人 生 が始 ま った 初 め は
、
蒸 気 機 関車 の運 転 か ら 始 ま り
次 に西 山台 の 二中 か ら 見 下 ろし
て いた 工機 部 へ移 り 機 関 車 検 修
に従 事 し東 海 道 新 幹 線 電 車 検 修
、
。
の設 備 計 画 設 計施 工を 担 当
、
3
昭和 4
年 奉 国鉄 本 社 へ転 勤
し 続 いて現 さ いたま 市 の大 宮 工
、
場 で鉄 道 工場 の動 力 近 代 化 機
、
。
策 に努 め た
械 化 、公 害 対
、
又 東 北 上 越新 幹 線 が大 宮
工場 の中 央 部 を 高 架 で縦 断 す る
こと に なり 当 時 3 0 0 0人 の職
員 の日常 作 業 を 継 続 し な が ら 支
障 工 事 も 施 行 と いう 難 工 事 で
。
あ った
次 いで仙 台 へ転 勤 し新 幹 線 の
仙 台 駅 と 車 両検 修 の仙 台 工場 の
、
企 画 設 備 新 設 で 4年 間 単 身 赴
。
任 で働 いた 再 度 大 宮 工場 へ戻
り 、無 事 に新 幹 線 の テ ープ カ ッ
ト を 皆 で祝 った のであ った 。 国
鉄 が 民 営 化 にな る春 に国鉄 退 職
しJ R東 海 の会 社 で東 京 地 区 の
、
機 器 設 備 の保 全 担 当 協 力 会 社
の育 成 と 保 全 体 制 の確 立 に力 を
。
注 ぎ 平 成 十 年 春 に退 職 し た
、
軍 人 だ った 父 か ら の教 え は
。
誰 からも 信 頼 される人 になれ ﹂
﹁
。
であ った 戦 後 の就 職 難 の時 代
に入 った 鉄 道 人 生 は派 手 な 目 立
つも ので は な く 縁 の下 の力 持 の
、
、
連 続 であ った が 上 司 同 僚 部
。
下と の信 頼 の上 の0
5年 であ った
今 回 は か らず も 春 の叙 勲 の栄
誉 に浴 し参 内 し陛 下 のお 言 葉 を
。
賜 り ま し た 鉄 道 も スピ ー ド化
、
の時 代 九 州 か ら 北 海 道 ま で新
幹 線 は つな がり つ つあ り 中 央 リ
。
エア の着 工も 近 い 何 よ り も 安
全 第 一で益 々 の発 展 を 願 って い
る 。 母 校 の後 輩 た ち が 平 和 な 環
境 で思 う 存 分 有 意 義 な 学 生 生 活
を 過 し て も ら いた いと 心 か ら
。
祈 って いる
3回
中村 伸 夫 ︵
高1
︶
こ のた び の春 の叙 勲 の内 示 を
、
受 け た 時 あ ま り に突 然 な こと
で大 変 び っく り し 戸惑 ってしま
、
。
いま し た そ し て 教 育 功 労 に
値 す る仕 事 を し てき た のだ ろう
、
かと 自 ら を 振 り 返 ら ざ るを 得
ま せ ん でし た 。
、
私 は 西 高 在 学 中 器 楽 部 で活
、
動 し た こと か ら 音 楽 の教 師 に
な り た いと 思 い静 岡 大 学 へ進 学
し ま し た 。 そ の後 、大 変 お 世 話
にな った 3人 の先 生 と の出 会 い
、
が 私 を 音 楽 教 師 と し て育 て て
。
いた だ く こと にな り ま し た 個
人 的 にピ ア ノ の指 を受 け た故
導
、
中 島 静 先 生 教 育 実 習 でお 世 話
、
にな った 渡 瀬 祥 光 先 生 そ し て
合 奏 の指 導 法 を 教 え て いた だ い
、
た故 森 口喜 雄 先 生 は 私 の音 楽
芯 ﹂ を 作 って い
教師 と し て の ﹁
。
た だ いた方 だ と 思 って いま す
大 学 で のオ ー ケ スト ラ活 動 が
き っか け で、 子 供 た ち に ﹁
音楽
を楽 し む 心 ﹂ を 育 てた いと いう
、
思 いを 持 つよう にな り 勤 務 し
た各 小 中 学 校 で の指 導 や浜 松 市
教 委 の依 頼 で長 年 携 わ った 児 童
、
会 館 音 楽 隊 で の指 導 は そ の思
いを 実 現 す る た め の活 動 が 中 心
にな り ま し た 。
学 校 を 離 れ て西 部 教 育 事 務 所
、
に勤 務 し た時 には 同 じ 職 場 に
高7
勤 め る先 輩 の藤 森 徹 さ ん ︵
回 ︶ を は じ め 西 高 同 窓 の方 々か
ら多 面 にわ た る ご 示 唆 を いた だ
き 、 のち に三 ケ 国青 年 の家 所 長
や校 長 と し て職 に就 いた 時 の大
き な支 え になり ま し た 。
出 会 った 先 輩 方 や同 僚 の支 え
、
があ って 今 回 の受 章 と な った
と 思 いま す 。 ご指 導 いた だ いた
多 く の方 々 に感 謝 す る と と も
、
、
に 教 職 の道 を 歩 ん でき て 本
当 によ か った と 思 って いると こ
。
ろ です
し た 。 正 月 休 み明 け に息 者 さ ん
、
あ り が と う 娘 の前 で恥
から ﹃
を か か な く てす んだ よ﹄ と 言 わ
れ た 時 は大 変 う れ し か った こと
を 覚 え て いま す 。 こ の経 験 が僕
の医 療 人 と し て の ベー スと な っ
。
た よう に思 いま す 大 学 卒 業 後
、
は 困 って いる息 者 さ ん の力 に
な れ る のは 入 れ歯 が上 手 な 歯 医
、
者 だ と 思 い 義 歯 や噛 み合 わ せ
を 専 門 と す る医 局 に大 学 院 生 と
し て入 局 し 研 究 に診 療 に、 ま さ
に寝 食 を 忘 れ る 生 活 を 強 要 さ
れ る ハー ド な 4年 間 を 送 り ま し
、
。
た そ の後 勤 務 医 を 経 て当 院
、
を 開 院 す る の です が 当 地 と 離
れ た と こ ろ で生 活 し て いた こと
も あ ってか 、自 分 が 西高 O B で
あ る こと を 意 識 す る機 会 は あ ま
り あ り ま せ ん でし た 。 浜 松 市 内
に フ ル歯 科 医 院 を 開業 後 は様 々
な 出 会 いの中 で同 窓 の先 輩 達 に
、
助 け ら れ な が ら こ の4年 間 を
。
過 ご し てき た よう に思 いま す
開業 準 備 中 にお 世 話 にな った
、
のは 当 院 を 設 計 し た も ら った
。
設 計 士 さ ん でし た 自 分 と は 入
れ違 いの先 輩 でし た の で面 識 な
ど 当 然 な か った の です が 西 高 の
、
先輩 と 言う だ け で 何 と な く頼
も し く 思 え た こと を 覚 え て いま
。
す そ の先 輩 か ら は当 院 の ロゴ
や ホ ー ム ページ を 製 作 し てく れ
活 躍する同窓生
8回
高4
古橋 拓 哉 ︵
︶
浜 松 に U タ ー ン開業 を し てか
ら 4年 が 経 と う と し て いま す 。
最 近 は 地 域 に根 ざ す こと が でき
、
つ つあ る よう で そ れ な り に忙
しく 、 お む つを し て いる赤 ち ゃ
、
、
んか ら お じ いち ゃん お ば あ
ち やんま で幅 広 い世 代 にわ た っ
て診 療 さ せ ても ら つて いる今 日
こ の頃 です 。
大 学 進 学 当 初 か ら腕 の い い歯
医 者 にな って浜 松 に帰 り た いと
、
漠 然 と 思 って いた と こ ろ 大 学
5年 生 の病 院 実 習 で父 より も 若
い息 者 さ ん の入 れ 歯 を 作 った こ
と が卒 業 後 の進 路 を 決 め るき っ
。
か け と な った よう に思 いま す
そ の息 者 さ ん は僕 に こう 言 いま
した 。 ﹃
上 手 に年 越 し そ ば が食
べら れ る 入 れ歯 が 欲 し いんだ﹄
1
と、 1
月 下旬 にな ってか ら の こ
と で スケ ジ ュー ル的 には か な り
厳 し いも のでは あ り ま し た が指
、
導 医 の協 力 も あ り 何 と か 年 末
に義 歯 を 装 着 す る こと が でき ま
口
.
的﹂O 一
耳とこ声\\”
a宇宇三
CGE C三 、
三り一
59号
(10)第
た デザ イ ナ ー の先 輩 を 紹 介 し て
も ら いま し た 。 こち ら の先 輩 は
、
野球 部 O B で 僕 も 体 育 を 教 え
ても ら つた 野球 部 監 督 の先 生 の
話 で盛 り 上 が ったり ?妙 な親 近
、
。
感 がわ き ま した ま た 歯 科 医
師 会 にも 数 多 く の西高 O B が在
籍 し てお ら れ会 議 で隣 席 す る先
輩 が ベ スト セ ラ ー作 家 であ った
り 、 西 高 O Bが各 方 面 で活 躍 さ
。
れ ていること を 実 感 し ていま す
今 後 は 僕 も 同 窓 の皆 さ ん に負 け
ぬ よう に精 進 を 続 け て いか ね ば
と 思う 今 日 こ の頃 です 。
8回
己 ノ瀬 郷 子 ︵
高4
︶
﹁お 母 さ ん は白 バイ 隊 員 だ った
んだ よ ﹂
9年 前 に西 山 台 の瓦 葺 の校 舎
︲
、
か ら巣 立 った時 には 自 分 の息
子 た ち に こ んな 話 を す ると は夢
にも 思 いま せ ん でし た 。
早 いも の で私 が静 岡 県 警 察 官
5 、 そ し て2
を 拝命 し てか ら 1
年
人 の息 子 た ち は 6歳 と 2歳 にな
り ま した。
お母 さ ん は
白 バ イ隊 員
浜 松 西 高 同 窓 会 報
8月 1日
平成 2 7 年
、
大 き な声 では 言 え ま せ ん が
私 が警 察 官 にな った のには大 き
な 志 が あ った 訳 で は あ り ま せ
。
ん
大 学 4年 生 の時 に就 職 活 動 も
段 落 し た と こ ろ で警 察 官 の採
、
用 試 験 があ り 翌日通 のO L に
な る よ り 面 白 いかも ﹂ と いう 軽
、
い気 持 ち で採 用 試 験 を受 け 合
。
格 し て警 察 官 にな り ま し た
し か し 、 6 ヵ月 間 の警 察 学 校
で の初 任 研 修 で意 識 が大 き く 変
、
自 分 が 生 ま れ育 った静
わり
﹁
、
岡 県 のた め に 私 が 出 来 る限 り
の こと を し よう ﹂ と 強 く 思 う よ
う にな り ま し た 。
警 察 学 校 を卒 業 後 富 士警 察 署
、
に配 属 さ れ そ こ で学 生 時 代 に
趣 味 で オ ー ト バイ に乗 って いた
こと か ら当 時 の上 司 に声 を 掛 け
、
て いた だ いて 白 バ イ乗 務 員養
成 訓練 を受 け る こと にな り ま し
。
た
、
白 バイ 乗 務 員 養 成 訓 練 は テ
レビ 番 組 の警 察 密 着 番 組 な ど で
、
紹 介 さ れ る よう に と ても 厳 し
。
いも の でし た
現在 は
排気量 750 c c ︵
1 0 0 0 c c超 の白 バイ が主 流
です が ︶ 総 重 量 2 6 0 k g の白
バイ を 手 足 のよう に操 れ る よう
にな るま で転 ん では起 こし の繰
り 返 し で、 全 身 あ ざ だ ら け にな
るま で走 り ま し た 。
そ れ か ら交 通機 動 隊 と警 察 署
の交 通 課 で通算 5年 間白 バイ に
、
乗 り 悲 惨 な 交 通事 故 を 1件 で
も 減 ら す べく 交 通違 反 の取 締 ま
り や イ ベ ント で の交 通 安 全 啓 発
に めま した。
努
そ の後 長 男 を 出 産 し て 2年 間
、
の育 児 休 暇 を 取 り 一日 仕 事 に
、
復 帰 し た後 に次 男 を 出 産 し 再
度 2年 間 の育 児 休 業 を いた だ い
、
た後 に 今 年 5月 に仕 事 復 帰 を
しま し た 。
、
こ のよう に 妊 娠 出 産 を 経 て
、
再 度 仕事 に復 帰 でき た のも 仕
事 と 子 育 て の両 立 を 後 押 し し て
く れ る制 度 と 家 族 の協 力 が あ っ
。
て こそ だ と 感 謝 し て いま す
2人 の子 ど も に恵 ま れ た今 、
、
県 民 の安 心 安 全 を 守 る た め ま
、
た家 族 の笑 顔 を 守 る た め に こ
れ か ら も 日 々職 務 と家 事 育 児 に
ま い進 し た いと 思 って いま す 。
、
そ し て ま た い つの日 か 子 ど
も 達 に ﹁お 母 さ ん は 白 バ イ に
乗 って る んだ よ ﹂ と 話 せ る よう
、
にな れば い いな と 思 いま す 。
4
帥
第1回
車
醒
犀
越
彊
鶴
彊
騒
彊
圏
圏
圏
電
麓
襲
圏
醸
騒
ー
帥西高同憲 フオ ラム 等
4
回
第1
西高 同窓 フオー ラム
、
7 2月 ︲ 日
は 平成 2
土︶ホ
年
︵
2
テ ル コ ン コルド 浜 松 に て 1 0 0
名 余 り の出 席 者 のも と 開 か れ ま
した。
第 部 は ﹁銀 木 の間 ﹂ に て竹
内 県 議 会 議 員 の講 演 が 行 わ れ ま
した①
﹁浜 松 の将 来 と 静 岡 県 の未 来 ﹂
と 題 し 、静 岡 県 の人 口削 減 に つ
、
いて 西 高 卒 業 生 が地 元 浜 松 市
や静 岡 県 に戻 る率 が低 いこと も
、
、
踏 ま え た く さ ん の資 料 の中
具体 的 な 数 字 を 出 し て いた だ き
、
な が ら 今 後 ど う し て いく のが
よ いか を お話 いた だ き ま し た 。
第 二部 は ﹁
雲 の間 ﹂ に会 場 を
。
4
移 動 し て の懇 親 会 恒 例 の高 1
、 7
回大 塚 哲 雄 氏 高 1
回飯 尾 強 氏
に よ る 司 会 に て進 め ら れ ま し
、
。
た ご 挨 拶 花 の舞 で の乾 杯 の
、
、
後 歓 談 の時 間 と な り 世 代 を
。
超 え て の交 流 が 図 ら れ ま し た
6回高 田光 三氏 か ら ゴ ル フ コ
高3
7回
ン ペ幹 事 挨 拶 、高 4
村 松貴 通
、
氏 か ら 新 春 の集 い幹 事 挨 拶 高
8
4回 岡 本 周 二氏 か ら 来 年 1月 の
、
新 春 の集 い幹 事 挨 拶 の後 恒 例
の応 援 歌 により 閉 会 と な り ま し
。
た
◇ 臨 時 特 別 西高 同窓 フ ォ ーラ ム
7
日︶ ホ テ
平 成 年 6月 7 日 ︵
2
ル コン コルド 浜 松 に て ﹁
臨 時特
J汁キ0﹁
\\ゴ>ミ耳や丁いヨ いコ↓
∽JrO︻m
別 西 高 フ ォー ラ ム﹂ が 開 催 さ れ
ま した 。
、
これ は 先 の統 総 選 挙 で当
、
選 さ れ た 方 の祝 福 市 議 会 議 員
8年 間 務 め ら れ た高 6 回 酒 井
を2
、
基 寿 氏 のご 退 任 等 も あ り 特 別
。
に今 回 開 か れ たも の です
、
第 一部 では 酒 井 基 寿 氏 の基
8年 を り 返 る と 題
調 講 演 ﹁2
振
﹂
し 、 これ ま で市 政 に熱 意 を も つ
て取 り 組 ま れ た こと を お話 し し
。
て いた だ き ま し た
、
ま た 城 内 実 外 務 副 大 臣 も お招
き し 、 ご 挨 拶 を いた だ き ま し
。
た
、 2
回溝 口紀 子
第 二部 では 高 4
氏 の静 岡 県 教 育 委 員会 委 員 長 退
、
任 に際 し ご 挨 拶 を いた だ き 2
月 開 催 の フ ォー ラ ム開 催 時 と 同
、
様 あ ち こち で和 やか に歓 談 す
る様 子 が伺 え ま し た 。
9回浜松西高
第3
車
中
同窓ゴルフ大会
。
た 熱 い勝 負 の中 にも 和気 謁 謁
と 同 窓 生 同 士 の親 睦 を 深 め る こ
と が でき 、 大 変 有 意 義 な 日と
。
な り ま し た 競 技 の結 果 は 下記
。
の通 り です
3
グ ロス 8
・
ヽ
不 ツト 3
7 4
︲ 、
グ ロス 9
不ット 拘 ・6
7 真
2 グ位
ヽ
回6
ツト
︶
易拘 ・
不人
ロス森
9
2回
ヽ 田明 史 各同3
3
位
永
︶
3 ヽ
グ ロス 8
不ツト 2 ・2
以上
0 .4
ヽ
不 ツト 8
2
名
参
︶
加
◆ 女 性 の部 ︵
2回
高3
︶
優 勝 石 川江 利 ︵
2
0
グ ロス ︲
多 大 な るご協 賛 を 賜 り ま し た
、
皆 様 ご参 加 いた だ き ま し た 同
、
窓 生 の皆 様 に 御 礼 な ら び に感
、
謝 を いた しま す と と も に こ の
大 会 の更 な る発 展 と 今 後 も 未 来
永 劫 引 き 継 が れ る こと を 祈 念 い
。
た します
6回 同
白
同3
幹 事 一
醒醸 館
6回
高2
︶
大塚 功 ︵
5
4年 前 に西 山台 の東 坂 を 登 っ
た 記 憶 は 次 第 に 薄 れ つ つあ る
、
が な ぜ か 同 窓 会 館 の場 所 に
鑢
◆ と 一ア の部
5回 以 上 ¨7名 参 加
高1
︶
︵
6
向橋 誠 舎同4回 ︶
優 勝 一
7 ヽ
グ ロス 8
不ツト 2
7 ・6
2 位 一
向部 勝 各同9 回 ︶
5 ヽ
グ ロス 8
不ツト 3
7 ・0
1
3 位 松 山 百男 ︵
高 1回 ︶
◆ 校 の部
5回 以 下 一1 3 3名 参 加 ︶
高1
︵
8
優 勝 小 楠 順 久 各同1回 ︶
般 の部優勝
要
中結 果 報 告 書
恒 例 の浜 松 西 高 同 窓 ゴ ル フ大
、
3日
7年 5月 1
会 が 平成 2
︵
水︶
に浜 名 湖 カ ント リ ー ク ラブ で開
。
催 さ れ ま し た 伝 統 あ る こ の大
9
会 も 本 年 で 3回 を 数 え る こと と
。
なり ま した
前 日 の台 風 6号 の影 響 が心 配
、
さ れ ま し た が 素 晴 ら し いゴ ル
、 6
、
フ日 と り
な
新
緑 の中 中 1
和
8回 ま で の総 勢
回 ・高 2回 ∼高 4
2 0 2 名 が 腕 を 競 い合 いま し
シ エアの部 優 勝
軍
8月 1日
平成 27年
浜 松 西 高 同 窓 会 報
(11)第 59号
あ った 記 念 館 の 記 憶 だ け は 鮮
、
。
明 だ 然 も そ の中 で体 育 の授
業 が あ り 倒 立 の試 験 が あ った こ
と を 覚 え て いる 。 還 暦 を 迎 え 母
、
、
校 を 思 い出 せば 学 舎 は今 そ
。
の殆 ど が建 て替 え ら れ た 東 坂
、
の北 側 に木 造 の武 道 館 が有 り
プ ー ルも 柔 剣 道 場 も 宿 泊 棟 も な
。0 プー
ル の完 成 披 露
か った 5
m
、
式 典 に は 母 校 の誇 り で有 り 日
本 水 泳 界 の伝 説 と な って いる故
古 橋 度 之 進 先 輩 が 来 校 さ れ て見
。
事 な 泳 ぎ を 披 露 さ れ た そ の様
子も 私 にと って忘 れ ら れ な い光
。
景 で あ る 同 窓 会 の会 合 の折
、
、
に 母 校 を訪 れ た と き 私 が高
校 時 代 に校 舎 の屋 上 か ら 見 た 遠
州 灘 のキ ラキ ラと 光 る水 面 が今
の後 輩 た ち にど のよう に見 え て
。
いる のか と 思 う こと が あ る こ
の気 持 ち が卒 業 後 0
4年 を 過 ぎ た
。
感 傷 と いう のだ ろう
、
さて 2
に
の集 いの
新
年
前
春
2
0歳 は遠
幹 事 を 任 さ れ た 時 には 6
。
い存 在 であ った 先 輩 の方 々 の
アド バイ スを 受 け な が ら 約 2年
、
間 月 1回 の集 ま り か ら 少 しず
つ準 備 し て い った 過程 は新 鮮 な
も の であ った 。当 番 幹 事 にな り
高 校 時 代 には接 点 が な か った 同
窓 生 と も 交 流 が す る こと が で
き 、 そ の後 は 生 活 範 囲 が大 き く
。
広 が った よう に感 じ て いる 昨
6
年 夏 に開 いた高 2回 の学 年 同 窓
、
会 でも 遠 方 か ら 本 当 に久 し ぶ
り に駆 け つけ てく れ た 同 級 生 と
も 懐 か し い会 話 が弾 み心 地 よ い
。
時 を 過 す こと が でき た し か
し、 0
5代 の後 半 と いう こと か ら
、
健 康 や病 気 の話 可愛 い孫 の自
慢 話 や子 ど も の結 婚 の話 が 思 い
0
出 話 よ り も多 く な った こと が 4
。
年 の月 日を 感 じ さ せ た
、
毎 年 送 ら れ てく る同 窓 会 報
で西 高 生 や同 窓 生 の活 躍 を 知 り
。
大 き な 刺 激 を 受 け て いる 平 均
0
寿 命 か ら考 え れば 残 り 2年 余 り
、
の人 生 少 し でも 社 会 に恩 返 し
が で き る こと が あ れ ば と 考 え
る 。 論 語 に ﹁六 十 に し て 耳 順
う 。 七 十 にし て心 の欲 す る所 に
。
。
従 って矩 を 除 え ず ﹂ と あ る
私 も 孔 子 のよう に 0
6歳 を 過 ぎ れ
ば自 分 の心 の中 に次 に進 む べき
道 が 開 け てく る こと を 願 って い
、
る が 未 熟 者 には 到 底 孔 子 のよ
う に は道 が 開 け て こな いも の で
。
あ る よう に感 じ る
、
ア メ リ カ の詩 人 サ ミ エル ・
、
ウ ル マンは ﹁
青 春 ﹂ の中 で
﹁青 春 と は 人 生 のあ る期 間 を
言う の で は な く 心 の様 相 を 言う
、
。
のだ 優 れ た創 造 力 遇 し き 意
、
、
志 炎 ゆ る情 熱 怯 儒 を 却 け る
、
勇 猛心 安 易 を 振 り 捨 てる 冒険
。
のだ 年 を 重 ね た だ け では 人 は
。
老 いな い 理 想 を 失 う と き に初
。
め て老 いが来 る ﹂ ︵
以 下略 ︶
、
遺 暦 を 迎 え た が これ か らも
日 々 の生 活 の中 で ﹁
青 春 ﹂ を感
じ 取 り た いと 願 って いる 。
.
日
的 ﹂O 一
耳と雪多\\中
a 申中三
CG E G 三 ヽ
三の一
9年 前 に高 5 回生 全 体 の会 合
は 最 後 にす ると いう こと にし て
、
いま し た が 前 後 の回 が ま だ 元
気 に会 合 を 持 って いる こと も 踏
、
2月 のミ ニ同 窓 会 の
まえ 前年 1
、
際 には 出 席 の皆 さ ん が 異 口同
0
音 に 8歳 の節 目 には 是 非 同期 全
体 の顔 合 わ せを し よう と の強 い
要 望 の声 を 挙 げ ら れ ま し た の
、
で
﹁
傘 寿 の会 ﹂ を 開 催 す る こ
と にし ま し た 。 当 初 は 泊 二 日
、
最終 的 に
の声 も あ り ま し た が
6 0
2年 1月 5 日夕 刻 に実 施 にな り
ま した。
同 期 卒 業 生 は 3 0 7名 で し た
、
が 同 窓 生 名 簿 によ り 約 2 0 0
,
名 の同 期 生 に 少 し 前 の ニ ュー
、
0
ス で 日 本 男 性 の平 均 寿 命 が 8
歳 を 超 え た こと が 報 じ ら れ ま し
。
た
我 々 5 回 生 は 正 に そ の年 齢
、
、
こ れ か ら の余 命 お 互
、
そ れ ぞ れ の場
です が
いに よ り 健 康 に
で し っか り 存 在 感 を 持 って生 活
し な け れ ば と 思 いま せ ん か 。 頑
張 り ま し ょう H “の呼 び か け で
﹁傘 寿 の会 ﹂ へ の出 席 連 絡 し ま
した。
体 調 不 良 に よ る欠 席 は 当 然 多
、
返 信 で の計 報 連 絡
数 でし た が
0数 名 、 流 石 に年 齢 を 感 じ さ
も1
。
せ る数 字 でし た 出 席 の返 信 は
、
当初 3
5名 で し た が 当 日 は遠 く
は マレ ー シ ア在 住 で こ の会 のた
め に 国 し た者 や北 海 道 ・仙 台
帰
などから ︲
5名 の 同 期 生 が 参 集
し 、 旧 交 を 温 め る こと が 出 来
ま し た 。 会 の始 め に 約 3 分 の
6
1 に当 た る 9
に対 す
の
名
物
故
者
、
る黙 祷 を す ると と も に 出 席 で
き た幸 せと お 互 いの健 康 と 今 後
の健 勝 を 誓 つて懇 親 会 を 進 め ま
し た 。 遠 方 出 席 者 を 主 に近 況報
、
告 な ど を 行 いな が ら 各 テ ー ブ
ルご と そ れ ぞ れ に話 を 盛 り 上 げ
て いま し た が
、
台 風 接 近 によ る
る新 春 の集 いで顔 を 合 わ せ て い
、
る人 た ち は 顔 も 名 前 も わ か っ
、
て いる が 出 席 さ れ た 方 で名 前
も 顔 も 思 い出 せ な い人 も いた 。
しか し 、 同 じ同 級 生 な ので、
。
す ぐ 打 ち 解 け て親 し く な った
会 が 盛 り 上 が って き た と こ ろ
、
8回卒
で 東 京 高 8 回末 広 会 ︵
の人 は末 が広 が って いる ︶ エイ
ト会 の代 表 が会 の活 動 状 況 を 報
。
告 し た お楽 し み抽 選 会 は 賞 品
が た く さ ん出 た の で大 いに盛 り
。
上 が った 最 後 には全 員 が 素 晴
ら し い笑 顔 で記 念 写真 に納 ま っ
、
。
た 会 の終 わ り には 次 回 開 催
、
の声 も 聞 か れ 3年 後 の ﹁
傘寿
の会 ﹂ の検 討 を す る こと にな っ
、
、
。
た 余 韻 も あ ってか 2次 会
3次 会 へ流 れ て い った 。
高 8回︶
牧 田 亘弘 ︵
7
9
平 成 2年 5月 1 日呉 竹 荘 に て
第 2 回 の有 志 懇 親 会 を 新 メ ン
、7
の
バ ーを 含 め 2
名
参 加 で開催
2名 で出 席
した。 案内 送付者 5
︵
0 % キ ︲プ 、前 日 ま で に 3
率5
︶
、
こ れも
名 のド タ キ ャ ンがあ り
歳 のせ いかと 残 念 であ った が校
、
歌 斉 唱 で スタ ー ト し 今 後 の行
同窓会専用電話 ・フ ァックス
a/□053E456・0662
J洋キ0”
\\〓≧電耳卜丁いヨ いコ↓
∽JrO︻∞
※毎遇火曜 日午前1 0 時∼ 1 2 時までは事務員の徳永 さんが応対。それ以外 はフ ァックス ・メール又 は、
留守番電話に メ ッセ ー ジを録音 して下 さい。
交 通 不 順 を 考 慮 し て や や早 め の
解 散 にな った のは折 角 の同 窓 会
。
だ った だ け に残 念 でし た そ れ
でも 最 後 の校 歌 斉 唱 は高 校 時 代
を 思 い出 す と と も に応 援 歌 ま で
声 高 ら か に歌 い継 ぐ 元気 を み せ
。
て いま し た
0数 年 前 か ら偶 数 月 5 日
なお2
に 有 志 交 流 会 を 実 施 し て いま
。
す 当 初 は バ ー デ ンバ ー デ ンで
、
行 って いま し た が 現 在 は ハー
ト ラ ンド
浜 支店 北 ︶ で
静
銀
︵
松
5名 が集 ま り
0∼ 1
午 後 6時 か ら 1
。
参 加 を 待 って
交 流 し て いま す
。
いま す
、
木 々が色 づ き 始 め 風 が 肌 寒
、
く感 じ ら れ る 1
1月 のは じ め 私
達 高 8 回卒 業 生 が喜 寿 を 祝 って
集 う こと が でき た こと は最 高 の
。7
喜 び だ った 4名 の同 級 生 が全
国 各 地 か ら 集 ま って 来 て く れ
。
会 の初 め に 7年 前 の古 稀 の
た
0
ど
ほ
集 い以 来 亡 く な ら れ た 1
名
。
の物 故 者 に対 し黙 祷 を 捧 げ た
校 歌 斉 唱 か ら始 ま り 久 し ぶり に
会 った友 と 心 行 く ま で語 り 合 っ
。
た 毎 年 1月 2 日 に行 わ れ て い
hama24②shizuoka.emall.ne.jp
Eメ ー ル ア ドレス
(12)第 59号 ・
浜 松 西 高 同 窓 会 報
8月 1日
平成 27年
8月 1日
平成 27年
浜 松 西 高 同 窓 会 報
(13)第 59号
事 予定 等 が発表 さ れ
、
各 クラス
代 表 か ら ユー モ アあ ふ れ る元 気
な スピ ー チ があ った 。 な か でも
老 老 介 護 の日 々 の報 告 に は痛 く
、
。
身 に つま さ れ た そ し て 一次
二次 会 の4時 間 余 が あ っと いう
。
間 に過 ぎ て行 った お 店 の方 か
ら は お酒も 良 く 飲 ま れ る、 元気
な お年 寄 り です ね と 冷 や か さ れ
、
な が ら 散 会 し た 。 次 会 は全 員
8年 1
0月 9
の学 年 同窓 会 を 平 成 2
1
日 ホ テ ルオ ー ク ラに て ﹁
喜寿 の
祝 いの会 ﹂ と 銘 打 って開 催 予 危
。
です
学年 代 表幹事 白 柳俊 司
3
土
去 る 5月 2 日 ︵
︶ ホテルコ
︲
︲
ン コルド浜 松 に於 て、 6
名 の2
回卒 の面 々が久 し振 り の懐 か し
。
い顔 を 合 わ せ た
司会 の大 庭 美 知 子 さ んを は じ
、
め 各 界 で活 躍 し て いる メ ン
、
バ ーも 多 く な ご や か なう ち に
。
スタ ー ト
、
。
始 め 物 故 者 に黙 祷 続 いて
、
代 表 幹 事 の水 野進 君 の挨 拶 乾
、
ク ラ ス毎 に壇 上 にあ
杯 と進 み
遠 方 の参 加 者 も多 く
が って の自 己紹 介 が 始 ま る こ ろ
には宴 も 最 高 潮 に達 し た 。
人 生 も 熟 年 の域 に 入 ら ん と
し 、文 武 両道 の西 高 魂 を 社 会 に
於 いて実 践 し てき た 誇 り や様 々
、
な 経 験 が皆 の顔 を 紅 潮 さ せ 更
に宴 は 佳 境 に入 って い った 。
、
、
県外
、
年 に数 回 開催 し て いる
有 志 幹事
。
語 り 尽 く せ ぬ青 春 の想 いが会 場
、
至 る所 で熱 く 盛 上 が り あ っと
、
いう 間 の 2時 間 であ った が 回
く 再 会 を 誓 い、 最 後 に集 合 写 真
、
を 撮 り お 開き と な った 。
、
、
尚 余 談 であ るが
会は
1月 2 日浜 松 西 高 新 春 の集 い
、
が盛 会 に てお 開 き にな った後
︲
別室 にお いて参 壱 会 ︵
西 高 3回
卒 の幹 事 年 度 よ り 結 成 さ れ た 学
。
年 同 窓 会 組 織 本 会 終 了 後 召集
0人 以 上 の出 席 が あ
さ れ て毎 年 5
る︶ に よ る天 野 浩 君 祝 賀 会 が催
さ れま し た 。
、
浜松を
天 野 君 の今 日 の礎 を 築 いた伊
、
藤 先 生 の乾 杯 か ら 始 ま り 同 級
生 や当 時 の恩 師 が 1 0 0名 以 上
、
本 会 か ら 集 ま り 2時 間 半 が
あ っと いう 間 に過 ぎ た と ても 楽
し い時 間 でし た 。
中 に は 西高 卒 業 以 来
離 れ初 め て こ のた め に帰 浜 さ れ
た 同 級 生 や初 め て参 壱 会 に参 加
し た 同 級 生 も お り 、会 場 は終 始
懐 か し さ の感 動 と 笑 顔 に包 ま れ
ま した 。
今 回 は 天 野 君 の娘 さ ん に も 参
、
お ふた り と も
加 し て いた だ け
本 会 や テ レビ で は 見 ら れ な い素
。
の笑 顔 で 過 さ れ ま し た
実 は お ふ た り に は 3次 会 ま で
、︲
お 付 き 合 いし て いた だ き 3 回
。
全 員 が 同 窓 会 の本 当 の意 味 を 体
、
実 感 し た と 喜 ん で いま し
感
た
あ と 5年 後 に は 還 暦 を 迎 え 鏡
割 り を す る た め にも 元 気 で いよ
う と 声 を か け 合 って、 来 年 の再
会 も 呼 び か け合 いな が ら参 壱 会
は盛 会 のう ち にお 開き と な り ま
した 。
5 日 の静 岡 新 聞 社 の賀 詞 交 換
会 に て天 野 浩 君 の挨 拶 が 開 口 一
番 ﹁2 日 の同 窓 会 が涙 が出 る ほ
ど 嬉 し か った ﹂ と 言 って いた だ
き 、名 古 屋 ま で出 席 を お願 いに
行 って本 当 に良 か つた と 胸 を な
。
でお ろし ま し た
担 当 幹 事 と 皆 さ ん のご協 力 の
お か げ で これ ほど 会 が盛 り 上 が
り ま し た こと 、本 当 に感 謝 し て
。
おり ま す
。
あ り が とう ござ いま し た
︲
薩 川 敏 ︵
高 3回 ︶
.
.
的L
O Iのモ付E付三ョチョ\ヽaギ三
・
(14)ち第59号
浜 松 西 高 同 窓 会 報
8月 1日
平成 27年
甑問
6日 土 1
0
2 0 1 4年 7月 2
︵ ︶
。
4 、 子1
4
時半集 合 男子 1
名
女
、
0名 は
名 引 率 教 師 2名 の合 計 3
専 用 バ ス で浜 松 駅 を 出 発 しま し
。
た 途 中 少 し酔 った 生 徒 も あ り
、
ま し た が 回復 し 元気 よ く 中 部
国 際 空 港 か ら 乗 り 継 ぎ の香 港
。
へ 香 港 で は 雨 のた め 1時 間 程
、
度 の遅 れ が でま し た が 現 地 時
間 6時 に ロ ンド ン の ヒ ー ス ロー
。
7
空 港 に到着 浜 松 を 出 てか ら 2
。
時 間 でした
ガ イ ド の ア マンダ さ んと 合 流
し て浜 松 西 高 校 の モデ ルと な っ
。
た イ ー ト ン校 へ ︵
改 修 工事 の
、
た め 残 念 な が ら 外 か ら の見
学 ︶ 午 後 は ウイ ンザ ー城 を 見 学
し て、 いよ いよ カ ンタ ベ リ ー の
。
街 へ 生 徒 た ち は ホ スト フ ァミ
リ ー の出 迎 え を 受 け 、 不 安 と 希
望 を抱 き な がら それ ぞ れ 別 れ て
。
いき ま し た
ホ ー ム ス テ イ 先 か ら の初 登
、
、
、
。
校 徒 歩 バ ス 一人 で ハウ
ス メイ ト と 一緒 にと 方 法 は様 々
、
でし た が 全 員 遅 れ る こと な く
。
登 校 しま し た
研 修 4 日 目 にはプ レゼ ン の準
備 のた め街 に出 てイ ンタビ ュー
を し ま し た 。 そ ろそ ろ 日本 食 が
、
恋 しく な る頃 半 分 の生 徒 が 日
。
本 食 レ スト ラ ンに行 き ま し た
2
研 修 1 日 目 の夜 は 浜 西 ジ ャパ
ンナイ ト 。 武 道 ︵
剣 道 ・空 手 ,
、
、
柔道 ︶ 歌と ダ ンス サ ブ カ ル
、
、
、
チ ャー ソー ラ ン節 落 語 時
、
、
代 劇 書 道 折 り紙 と会 場全 体
、
が 日本 文 化 に触 れ 大 いに楽 し
。
み ま し た ジ ャパ ンナ イ ト最
高︱ ︵
落 語 を や った 川 島 く ん は
卒 業 式 で特 別賞 を いた だ き ま し
た︶
、
今 回 生 徒 た ち は 日本 を 自 分
、
を 見 つめ直 し 行 く 先 々 で異 文
、
、
化 に触 れ 多 く のこと を 感 じ
。
考 え る こと が でき ま し た し か
し 、 これ で終 わ り では あ り ま せ
、
。
ん や る べき こと は も っと多
く のこと を 学 び 、 日本 を 知 り 、
、
、
自 分自 身 を 知 り 世 界 を 知 り
今 回 の経 験 を 日本 で育 て る こと
。
です 我 々 の学 び は第 一歩 を 踏
。
み出 し た ば か り です
最 後 に英 国語 学 研 修 は生 徒 た
ち にと って 一生 の記 憶 に残 る得
。
難 い経 験 であ ったと 思 いま す
ご 支 援 ・ご 協 力 に 感 謝 致 し ま
。
す
新 刊 紹 介 融粥
﹃オ ノ マ ト ベ ラ ベ ラ ﹄
水 野良太郎 ︵
高 7回︶
ジ ャカ ルタ漁港 物 語 ﹄
﹃
8回
高1
折 下 定 夫 ︵
︶
﹃F A U S T U S ﹄
7回
大庭 みさ こ ︵
高3
︶
高林 清和先生
Q 一浜 松 西高 校 の最初 の印 象 は?
、
3
4
A ¨私 は 昭 和 6
月
から平 成
年
4年 3月 ま での1
4年 間 、
︲
浜 松 西高
。
校 の教 壇 に立 ち ま した
、
この高 校 の最 初 の印 象 は と て
も 素 晴 ら し い生 徒 たち が揃 ってい
、
ること でした。一
や点 数
方で 受験 、
に縛 ら れ す ぎ る こと な く 生 徒
人 ひとり の素 晴 ら し い資 質 を 伸
一
ばし てあ げ た いと で つ思 いを 抱 き
ま した。
Q ¨勤 務 期 間 中 の思 い出 は?
A ¨中 高 一
貫 校 への移 行 を 担 当 し
。
たことです 伝 統 あ る本 校 の体 制
が変 化 す ることや受 験 や部 活 動 ヘ
、
の影 響 な ど 多 方 面 からずじ
心 配の
、
声 を 頂 き ま したが 個 人 的 には全
く 問 題 な いと確 信 し ていま した 。
た ち を 6年
逆 に素 晴 ら し い生 徒、
間 指 導 でき ること で 個 々の生 徒
の可 能 性 がより 一
層 広 が るのでは
と感 じていま した。
Q ÷中等 部で力 を 入れた教育 は?
A ÷自 分 の思 いを 相 手 に伝 え る
表 現 力 ﹂と自 分 の本 質 と向 き 合、
﹁
。
う﹁
探 究 力 ﹂の向 上 です とも に
将 来 社 会 に出 てから 立 派 な 地 位、
に立 つであ ろう 生 徒 たち にと って
。
だと感 じたからです そ
必 要 な力、
のために 日本 や世 界 の偉 人 の名
言 や格 言 を 丸 暗 記 す る時 間 を つ
く り ま した。今 はそ の意 味 がわか
らなく ても 、
将 来 必 ず や偉 人 の 言
葉 が自 分 自 身 を 照 らし出 す と き
\\〓>ミ耳卜Jpヨ いコ↓
Jキキ0 ”
のJ一0︻m
。
がく ると確 信 していたから です
8 回 と の い出 は?
Q ¨我 々4
生
思
A 一教 員 人 生 で何 度 も 研 修 旅 行
、
修 学 旅 行 X 行 き ま したが 君
︵
た ち と 行 った と き のこと は 特 に思
。
い出 深 いです ね
、
て 地元の
﹁碑 巡 り 学 習 ﹂と し、
皆 さ ま に協 力 いただ き 被 爆 者 体
、
験 のお 話 を お 聞 き し た り 爆 心 地
。
の見 学 な ど を 企 画 し ま した
、
当 時 吉同校 2年 生 の9月 と い つ
、
早 い時 期 に そ れ も 九 州 に行 く 学
0
従 前 は 1 月 以 降 に西 は 広
校 は稀 ︵
。
島 付 近 ま で︶でし た 移 動 に飛 行
と の調 整 も 大 変
機 を 使 用 す るこ
、
。
でし た そ れ と ク ラス内 のつな が
り を 深 め る 意 味 でも 旅 行 の行 程
。
はクラス単 位 と し ま し た
後 記
ごめんよ∼︱今日は僕ばかり
﹁
、
がしやべって!﹂と 古
同林先生お気
っ
に入
、りの白 ワインの力も手伝 て
か 和やかな雰囲気で宴は進みま
した。当時の些細な出来事から日
。0
年前に西
本の政治の話題まで 2
高の教室 で受けた ﹁現代社会﹂や
﹁政 治経済 ﹂の授 業 の記憶が蘇 っ
。
てきました
先 生 か ら のお みやげ は ﹃平成 6
。
年度 研修 旅 行報 告 書 ﹄
、当 時 の自
ら のコメント欄 を 見 て 一
同 みな赤
。
つまんなかっ
面 冨 面白かった1﹂﹁
た ! ﹂そ の 一
行 で も 良 い! と に か
く 記録 に残 す こと ﹄が 先 生 の目 的
。
だったと のこと、
4年 3月に
高 林 先 生 は 平成 2
浜
松湖東高 校 の校 長職を最後に定年
、
退職 さ れ 現在 は静 岡英 和学 院 大
。
学の入試 ・
広報課 で勤めています
﹁君 た ち は これか ら の浜 松 を 背
との
なんだから!﹂
負 って立 つ人 間、
、
激 励 に対 し て 我 々 も ﹁先 生
、 いつ
ま でもお 元気 で!
、﹂と 応じ 互いの
再 を いつつ 宴 は お 開 き と な
会
誓
りました。
7
平成 2年5月吉日 呉竹 荘にて
浜 松 西 高 同 窓 会 報
(15)第 59号
平成 27年 度
北 甲! 工業 大
格
回
公
立
大
私
立
四
大
平成26年度
合計
現役
現役
3
0
各種 専 門学 校
線 崩)
慶 悠 義裂 天
ヽ4L,夕 7!年 │▼
合計
現役
537
499
合計
現役
7
0
1
1
1
3
1
4
0
0
8
0
0
7
7
合計
現 役
命 占1
2
1
1
l
2
1
福 島大
1
1
8
3
福井大
富 山大
山梨大
1
1
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静 岡大
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藤 回保 健衛 生 大
酪 島学 園大
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金沢 美 術 工 芸 人
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岐早 聖 徳学 園大
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名古屋女子大
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京都 府 立大
京都市 立芸 術大
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関西外大
神戸女子大
川崎医科大
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海上保安大学校
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防衛 戻科 ★
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大 阪府 立大
兵庫 県 立 大
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広 拷 i 何立 人
高知工科大
北 九州 市 立大
気象 大 学 校
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石川県立
静 岡県 立大
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泉 者低厳 府
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愛知県立大
愛知県 立 芸術 大
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百都大東京
横 浜市 立大
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埼 玉 県 立大
前橋工科
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神奈川県立保健福祉大
日本 女 子 大
東京都市大
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国際教 春大
東 京 氏科 大
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津 田塾 大
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福島県立医科大
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東 海 大
同 意 社 女 子大
龍谷大
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佐賀大
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帝京大
東京女子大
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獨協 大
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長崎大
順天堂大
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広 島大
鳥取 大
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北里大
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余 員女 子大
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京 都教 育 大
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聖 隷 ク リ ス トフ ァ ー 大
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明治学院大
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山形大
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橋大
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電気通信 大
構 浜 国 立大
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立教 大
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東京海洋大
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上智大
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田 治 茉
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東 京 外 国語 大
金沢 大
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東 京
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科 開 科
1
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お茶 の 水 女 子 大
平成25年 度
15
回公私立短大
管 外 大 学 校
況
命 高1
1
宇都官大
埼玉大
千葉大
京十
平成27年 度
状
現役
1
山
石
合
合計
2
東 】ヒ大
茨 城大
筑波大
入 試 結 果 概 要
試
1
現 役
8月 1日
斗45▼ ク氏資FI▼
平 成26年度
合計
北海道大
(平成 27年 4月 進学)
入
平 成27年度
現イ
受
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国公立 大学
( 害外 夫 撃 枝 を含 む 〕
平成 2 7 年
名桜 大
1
1
1
1
1
3
1
尺
1
1
1
※推 薦 A O ・ 補欠合格等 を含み ます。
※私 立総合計欄 は、表記以外 のすべ ての私立大学合格 を含み ます。
西山 賞 と は ﹁
全 国 レ ベ ル で特
に優 れ た業 績 ・功 績 を 挙 げ た 生
、
文化
徒 ﹂ に対 し て 三部 門 別 ︵
、
、
芸 術 部 門 スポ ー ツ部 門 善 行
部 門 ︶ に同 窓 会 か ら 卒 業 時 に授
。
与 さ れ るも のです
市 川 陽就 山 添 翔 吾
檀 佑 次 朗 中 村 十 悟
米 山 遼 真 高 部 裕 嗣
鈴 木 蓮
︲
第 4回 全 国 中 学 生 テ エス選 手 権
大 会 団体 戦 出場
鈴
蓮
木
4
中
国
テ
ニ
ス
選手
平成 2
年
全
学
生
6
権 大 会 ダ ブ ル ス ベ スト ー
︲
第 4回全 国 中 学 生 テ ニス選 手 権
今 尾 美運
6年 度 第 8回全 国 高 等 学 校
平成 2
3
総合 文 化 祭
美 術 ・工芸 部 門 文 化 運 盟 賞
ヽ
永田 真 理 奈
4
0
金 融 と 経済
平 成 2年 度 第 1回 ﹁
を考 え る﹂高 校 生 小 論 文 コン
クー ル
特 選 金 融 広 報 中 央 委 員会 会 長
( 作文 については上 記 希望 者 のみ)
平成 28年 1月9日 (土)総合 適性検 査 、作 文
挙
貝
5年 度 に関 す る高 校 生 の
平成 2
税
作文
国税 庁 長 官 賞
▼スポ ー ツ部 門
入谷 玲 音 米 倉 史 博
5
5
平 成 2年 度 第 2回全 国高 校 選 抜
ボ ート競 技 大 会
ー
男 子 ダ ブ ル スカ ル ー位
6年 度 第 2回全 国 高 校 総 体
平成 2
6
ボ ート競 技
男 子 ダ ブ ル スカ ル 6位 入賞
入谷 玲音
6年 度 第 9回 国 民 体 育 大 会
平成 2
6
ボ ート競 技
男 子 ダ ブ ル スカ ル‘ 準 決 勝進 出
山本 紗弓
︲
5
平 成 2年 度 第 6回 全 国高 校 総 体
ボ ー ト競 技 女 子 舵 手 付 き クオ
選抜資料 総合適性検査、作文、面接、調査書等
▼文 化 芸 術 部 門
中等部弦楽部 ︵
団体 ︶
T BS ﹁こども 音 楽 コンク ー ル﹂
ンング ル ス出 場
大会 ヽ
佐 々木 健 人
4年 第 2回 全 国 中 学
平成 2
校水
5
泳競技大会
9位 男 子 3 m
男 子高 飛込 2
2位
飛板 飛 込 2
5年 第 3回 全 国 中 学
平成 2
校水
5
泳 競 技 大会
4
男 子 高 飛 込 2位 男 子 3 m
9
飛 板 飛 込 1位
6年 第 4回 全 国 中 学 校 水
平成 2
5
泳競 技 大 会
9
男 子 高 飛 込 1位 男 子 3 m
2位
飛板 飛 込 1
石丸 利 恵
4
平 成 2年 度 全 国 選 抜 中 学 校 テ ニ
ス大 会 出 場
▼文 化 芸 術 部 門
ド ルプ ル 準 々決 勝進 出
野崎 舞 夏 星
6年 度 第 4回 世 界 ジ ュ ニア
平成 2
相 撲 選手 権 大会
軽 量 級 優 勝 知 事 顕彰 表 彰
( 実技検 査 については上 記 希望 者 のみ)
平 成 28年 1月 10日 (日)面 接
平成 2 8 年 3 月4 日 ( 金) 面接 、実技検 査
実施 期 日
東 日本 優 秀 演 奏 発表 会
文 部科 学
最 優秀 賞 全 国大会 ︵
大 臣 奨 励賞 選考 会 ︶ 出 場
鈴 木 大達
4
6
第
平成 2
年
5回 日本 学 生 科 学
静 岡県 教
皆
貝 静 岡 県 代 表 出 品 ︵
育 長賞 ︶
▼スポ ー ツ部 門
鈴 木 大達
5回 全 国 中
0
第4
学 校柔道大 会 5
g
k
級
5位
石原 真 生 子
︲
第 4回 全 日本 中 学 校 陸 上 競 技 選
手 権 大 会 女 子 2 0 0 m 7位
5回 ジ ュ ニアオ リ ンピ ック陸
第4
上 競 技 A B C女 子 4 ×1 0 0
mリ レ 1 7位
大 川 七彩
5
5
平 成 2年 度 第 3回全 日本 リ コー
ダ ー コン テ スト全 国大 会
高 校 ソ ロ の部 銀 賞
中 等
部
高 等 部
80名 程 度 (2学級 )
調査書、学力検査、面接、実技検 査及 び作文
(実技検査及び作文については、「
体育的活動」に関す
る裁量枠希望者のみ)
平成 2 8 年 3 月3 日 ( 木) 学力検 査 、作 文
募集 定員 160名 (4学級 )
・
(16)第 59号
浜 松 西 高 同 窓 会 報
8月 1日
平成 27年
定)
平成28年度静岡県立浜松西高等学校・
同中等部の入学者選抜」について(予
「
※お知 り合 いの方 々にお知 らせください。
.
〓キ
∞
0く\電電電子Dヨいヨ∽〓 b︻
◆ 先 輩 方 と 楽 しく 雑談 し な がら
、
の編 集 作 業 あ っと いう 間 で
し た 。 ︵
Y︶
◆ 初 め て参 加 さ せ ても ら いま し
。
た 今 年 の会 報 を 読 む のが さ
。
らに し
F︶
み
で
楽
す
︵
、
母
◆ 卒 業 し てだ いがた っても
校 の編集 作 業 に関 わ れ て光 栄
。
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でし た ︵
0回
高4
大 隅 康 人 ︵
︶
9回
高3
岩 測 千 江 ︵
︶
近 藤 哲哉 ︵
高 9回 ︶
9回
中1
︶
左 右 田丈 夫 ︵
◆ 会 報 は 西 高 同 窓 生 の ﹁軌
、
。
0 目
ま
は
の
年
私
跡 ﹂卒業 2
。
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だ ま だ 道 半 ば です ⋮ ︵
◆ 編 集 委 員 会 に興 味 のあ る方 A
どう
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窓
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局
会
事
務
。
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絡くだ さ い ︵
融緩菊竪難
0回
高4
貝長 山 本 優 美 ︵
編集副委︼
︶
6回
落 合 優 ︵
高4
︶
6回
高4
原 野扶 友 美 ︵
︶
7回
高4
安 田 恵 ︵
︶
7回
高4
小 杉 哲 康 ︵
︶
8回
岡 田 佳 久 ︵
高4
︶