オペラの風景(21)マスネ「マノン」、道徳観念のない女の魅力を DVD に

オペラの風景(21)マスネ「マノン」、道徳観念のない女の魅力を DVD
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道徳観念のない女を妖婦と名づけて、話を進めます。
妖婦を情婦と訳してしまえば、
「マノン」のイメージから外れます。
「マノン」が世にでたのは1731年です。バッハのケーテン時代でしょうか。
「マノ
ン」の著者アベ・ブレヴォは1697年の生まれです。17世紀末でロマン主義には
まだまだ遠い時期です。
アベ・ブレヴォの自伝的著書「ある貴族の回想と冒険」は、1730年~31年7巻
としてオランダで刊行され、その第7巻に「シュヴァリエ・デ・グリュとマノン・レ
スコオ物語」、通称「マノン」は世にでました。すぐ発売禁止になります。校訂版がで
たのは1753年です。
此れまで世にでた最高の物語と評価されたこともありました。
彼女は「妖婦」の草分けであり、メリメの「カルメン」やヴェーデキントの「ルル」
、
そしてデユマの「マルグリッド(椿姫)」も「マノン」の末裔といえるでしょう。これ
らでは、
「マノン」と同様に作者が体験者から話をきき、それを伝えるという形をとっ
ています。
道徳と無関係な女がヨーロッパの小説では市民権をえているといえます。
彼女らがオペラに登場すると、話は微妙に変化します。オペラ「椿姫」
(1854)の
マルグリットは妖婦としてはでていません。どん底に沈んだ女性のひた向きな更正が
見る者をとらえます。
本物の「妖婦」がオペラに登場したのはビゼーの「カルメン」(1870年)だといっ
てよいでしょうか。ジプシーの娘は元来がアウト・ロウの世界にいますから、西欧の
道徳では律せられなくて当然です。見る者も彼女の道徳的退廃を非難する気にはなり
ません。オペラでは怪しい魅力をもつしたたかな女性として描かれています。
ブレヴォの「マノン」が最初に誰がオペラ化したか不明ですが、多数あり、オーベー
ルの作品(1856年)が有名です。不穏当なところが事実上削除され、スクリープ
の台本はブレヴォーの「マノン」ではなくなってしまったほどで、出来たオペラ「マ
ノン・レスコー」
(1856年)は原作とは似て非なものだそうです。
1884年、メイヤックとジルの台本で本物の妖婦「マノン」(マスネ作曲)が生まれ
ます。下品な出来事を取捨選択し、ブレヴォーのエッセンスを要約しています。最も
演劇的部分を引き出し、できるだけオペラのことを考えにいれ、同時に全体の効果も
あげるよう、翻案しています。オペラは大当たりでした。マスネから10年も経たな
いのにプッチーニが、同じ素材をとりあげたのは、やはり無謀だったように私は思い
ます。イタリア・オペラ化した以上の意味は感じられませんが、彼の出世作です。
マスネの「マノン」は30年で831回も上演される、大ヒット作品となりました。
今も人気があり、上演回数が欧米では多いけれど、日本では今一つ冴えません。
妖婦をオペラ化するのは難しいようです。アウト・ロウの世界にいるカルメンより、
市民社会の一員であるマノンの、道徳を無視した行動は不自然になるのでしょう。マ
スネがどんな工夫をしたか。マノンが 16 歳~20 歳という世間知らずという設定でも
無理があります。原作にある軽やかで、あまい、華やかな雰囲気をだして、19 世紀半
ばのオペラファンを楽しませるには、一層の工夫が必要だった筈です。
一つはフランス・オペラで流行ったメロドラムという形式を使ったことです。一般に
はグランド・オペラがフランスでは有名ですが、「カルメン」はオペラコミックという、
会話の多い形式を使いました。マスネが「マノン」に使ったのがメロドラムで、コミ
ックに似ていますが、管弦楽の流れに台詞を載せて話を進めるやり方です。私の感じ
では歌劇より、演劇に近づいています。これはグノーが「ロメオとジュリエット」や「フ
ァウスト」で開拓しました。マスネも「マノン」以前の「ヴェルテル」で成功していま
す。
フレミングがマノンをやった DVD で具体的にみてみます。時代は18世紀、場所は
フランス北部のアミアン。デユフロの演出で、ストーリーを忠実に追っています。
一幕はアミアンの旅籠の中庭
「宿屋で大臣のギヨーが女たちと戯れ、そこへ貴族仲間のプレティニきて、食事をと
る。場を移すと、マノンが馬車で到着し、従兄弟のレスコーが彼女を出迎える。
(ここ
までは簡単なオーケストラと短い会話で進む)。マノンがソロで歌うアリア「私は未だ
ボーットしているの」。レスコーが荷物をとりに行った隙に、居合わせたギヨーがマノ
ンに目をつける。
レスコーが帰ってきて、マノンは自分が遊び人であるのを棚に上げ忠告する。アリア
「僕をよくみて」。レスコーは彼女をおいて、賭博に行き、一人残されたマノンはこの
世に夢を残して修道院へ行くと歌う「さあ、マノン」。
これらは似たフレーズのオーケストラの響きを挟みながら、歌われる。
「馬車にのるため、若い騎士、デグリューが現れ、マノンと目があい、恋に落ちる。
彼女が軽はずみで享楽的だからという理由で、これから修道院に行くときき、二人は
ギヨーの用意した馬車でパリに逃げる。
」
これが第一幕です。歌うように話す(メロドラム)のが延々と続き、表情は淡々とし
ていてオーケストラが登場人物の気分の動揺を表しているようにおもえます。
アリアとはっきりわかるのは「さあ、マノン」くらいです。
2 幕は1幕と似た進め方ですが、筊が全体の雰囲気を象徴していて、甘さと繊細さが
自然に現れています。マノンとデグリューがパリで甘い生活を続けるシーンで、そこ
へ誘惑者プレテイエが従兄弟とともに訪問し、マノンをたたえ、今夜デグリューが父
の使いに拉致されるから、そうしたら二人で暮らそうと誘惑する。これも第一幕同様
の雰囲気で進められます。魅力的なアリアはマノンの「さらば小さなテーブルよ」で
す。ここではマノンの享楽的な性格が現れ、誘惑される前提で、思いを述べていて、
甘い繊細な雰囲気を醸し出します。
3 幕 1 場はフランス・オペラの慣例のようにバレーのシーンが中心ですから、筊の進
行は背景に引っ込み、音楽と筊との矛盾は感じられません。2 幕から四年後の出来事
で、マノンが享楽的生活を三年続けたあとです。美しく着飾って街を行くアリア「私
が街を行くと」は二幕の「さらば小さなテーブルよ」と対照的で魅惑します。次のパト
ロンにならんとする大蔵大臣ギヨーが催すパーテイがセーヌ河畔でパリ・オペラ座バ
レー団を呼んで行われ、そこにデグリューの父も登場、マノンはデグリューの近況を
知ります。彼が修道院で神父になっていて、過去をすっかり清算していると、聞いた
マノンは心にくすぶって彼への愛が甦り、修道院を訪ねる決意をします。
2 場は修道院で、デグリューにマノンはあい、デグリュウが懸命に拒否するのをマノ
ンが「過去を忘れたのか」と迫ります。自分は身売りをしていて身勝手な話ですが、
そこが「妖婦」の話、ひた向きな情熱が、会話で繰り広げられます。オーケストラは
脇役ですが、出てくる雰囲気は絶妙で、マノンの必死な心境が伝わってきます。ただ
ここでのマノン役はルネ・フレミング、彼女は二児の母であり、40代半ばの筈です。
1幕と2幕では演技で20歳くらいの雰囲気を出せていたといえないことはありませ
んが、この必死の場面ではどうしても濃艶な雰囲気が漂ってしまいます。若さの情熱
だけでないものがでていました。音楽や歌と矛盾して、全体がヴェルデイ的になって
いた感じでした。この点、もう一枚みた DVD のデセイが好演です。
4幕はホテルの広間、復縁したマノンとデグリューが仲良く登場します。
「椿姫」のマ
ルグリッドとアルフレッドの舞踏会再登場とは反対です。広間では賭博が開帳されて
いて、母の遺産が入ったデグリュウは、マノンに誘われるまま賭けます。会話と雑踏
とそれを助長する音楽で、アリアが無くても雰囲気がでます。2幕で振られたギヨー
は嫉妬から挑戦し、大きく負ける。マノンは喜んでアリア「金貨の歌」を歌う。これ
がききもの。ギヨーは遂に怒りを爆発させ、彼をイカサマとして警官をよび、マノン
を共犯として逮捕させる。
5幕はル・アーブルに通じる街道。マノンは売春婦とともにアメリカに送られるため、
そこを通る。父伯爵のお陰で釈放されたデグリューが待ちうけ、彼女の奪取を図るが
失敗、賄賂で面会を勝ち取る。現れたマノンは涙ながらに詫びる。音楽と会話で劇は
進む。楽しかった日々を懐かしみながら、星を見てマノンは「これがマノン・レスコ
ーの物語よ」と呟き,こと切れる。アリアはない。
このオペラでは純粋な台詞部分はごく僅かで、殆んどはメロドラムとなっている。台
詞がオーケストラにのっています。大きくはオペラ・コミックに入る、この技法はフ
ランスでは古い。19世紀に入り、ロッシーニの「泥棒かささぎ」やウエーバーの「魔
弾の射手」で使われていて、フランスではマイヤベアーの「北極星」で復活したとい
われます。その技法がマスネーの「マノン」にはぴったりで、妖婦オペラの傑作誕生
となったようです。
このオペラはストーリーらしいものはありません。何故マスネーの作品が原作の優れ
た雰囲気をだしているのか、上の説明だけでは不十分です。原作の特徴に触れる必要
があります。
ストーリーで原作と違うのは、マノンと絡んだ男性が原作では三人、オペラでは二人、
マノンの死は、原作ではアメリカであり、開拓時の特異な風習が筊に反映して起こる
が、オペラではフランスで、マノンの疲労でおきます。しかしこれ等は原作の特徴を
大きく支配してはいません。
原作は文庫本で200ページになるから、本作品のようにストーリーが単純だと、短
縮は不可能でしょう。
原作全体を支配している性格のオペラへの移し変えがマスネの成功に大事でしょう。
原作「マノン」の性格は何か。文学史的にいうと外側は古典主義で、中味はロマン主
義、また悲痛で、生き生きとしていて感性にあふれているところはローマン主義の先
駆です。
知名人の評をとりあげるとこんなものがあります。
デュマ・フィス(椿姫の原作者、
(1875)
)
「ブレヴォは 18 世紀の作家として無心に
書いた。不道徳を書くつもりもなければ、道徳をとくつもりもなかった。一つの話を、
自分が感動し、面白いと思ったら、それをその通りに書いた。」
ゴンクル(1912)
「腐敗から香気が立ち上がる不滅の小説。
」
ジャン・コクトウ(1949)
「その中の恋愛は淫蕩に堕することなく白鳥の羽のよう
な塗料で人物をくるんでいるから、きたない水の中を泳いでも汚れることはない・・・・」。
入手可能な DVD
マスネ:歌劇《マノン》パリ国立オペラ座パリ2001(日本語字幕あり)
舞台;ジルベール・デュフロ、指揮ヘスス・ロペス=コボス
パリ・オペラ座管弦
楽団合唱団
マノン;ルネ・フレミング、デグリュー;マルセル・アルバレス、レスコー;ジャン
=リュクシェニョ、
デ・グリュ伯爵;アラン・ヴェルヌ、ギヨー;ミシェルセネシャル、プレティニ;フ
ランク・フェラーリ
マスネ:歌劇《マノン》(日本語字幕なし)リセウ化劇場バルセロナ2007
舞台デヴィット・マックヴィカー、指揮ヴィクトル・パブロ・ペレツ、リセウ大劇場
管弦楽団合唱団
マノン;ナタリー・デセイ、デグリュー;ローランド・ヴィラソン、レスコー;マヌ
エル;ランザ、
デグリュー伯爵;ラザル・レイミー、ギヨーフランシスコ;ヴァス、プレティニ;デ
デル・ヘンリー
(この方が私は好きですが、話の筊がわかりにくい演出です。演出家は今人気者です。
)
マスネ:歌劇『マノン』全曲
マノン:アンナ・ネトレプコ・
騎士デ・グリュー:ローランド・ビリャソン
伯爵デ・グリュー:クリストフ・フィッシェッサー
レスコー:アルフレッド・ダザ
ギヨー・ド・モルフォンテーヌ:レミー・コラッツァ
ブレティニー:アルットゥ・カターヤ
プセット:ハナン・アラッター
ジャヴォット:ガル・ジェームズ
ロゼット:シルヴィア・デ・ラ・ムエラ
宿屋の主人:マティアス・ヴィーヴェグ
ベルリン国立歌劇場合唱団(合唱指揮:エーベルハルト・フリードリヒ)
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
指揮:ダニエル・バレンボイム
演出:ヴィンセント・パターソン
(未だ見ていませんが、評判です)