第 8 章 弱い相互作用の古典論

第8章
8.1
8.1.1
弱い相互作用の古典論
ベータ崩壊とニュートリノ仮説
ニュートリノ仮説
electron number
ベータ崩壊は電子の放出を伴う原子核の崩壊過程である.電子はガンマ遷移における内
部転換電子1 として放出されることもあるが,Chadwick [ 1 ] は 1919 年に, 両者の間に明
瞭な違いがあり, はっきりと区別できることを示した.
Q
0.0
0.2
0.4
0.6
0.8
1.0
kinetic energy [MeV]
図 8.1: 中性子のベータ崩壊の電子のエネルギースペクトル
ベータ崩壊の測定は次の特徴を示している(図 8.1 参照)
•
電子は連続なエネルギースペクトルを持つ.
• どのような既知の放射線でも捕捉できるように熱量計を用いて測定しても, 電子以外
の粒子(エネルギー)は検出されない.
1
内部転換電子( internal conversion electron )
:励起状態にある原子核が基底状態,あるいは,より低い励
起状態に遷移するとき,ガンマ線を放出する代わりに,そのエネルギー Eγ を原子の軌道電子に与え,電子が軌
道から飛び出す.この電子を内部転換電子という.電子の運動エネルギーは Ee = Eγ − φ ( φ は軌道電子の結
合エネルギー)で,固有のエネルギー Ee の線スペクトルをもつ.なお,電子の放出により軌道に空孔が生じ,
その外側の軌道電子によって満たされる.そのとき,軌道電子のエネルギー準位の差に相当するエネルギーが
特性 X 線として放出される.
153
154
第 8 章 弱い相互作用の古典論
• エネルギースペクトルは決まったエネルギーの上限を持ち, 崩壊によって解放される
エネルギーに対応している.たとえば,トリチウム( 3 H )からヘリウム( 3 He )への
ベータ崩壊の場合, 電子の運動エネルギーの上限値は,トリチウムとヘリウムの質量
の差に等しい.
これらの実験データは,以下の重大な問題を提起した.
• ベータ崩壊ではエネルギーの保存則が破れている.ベータ崩壊は2つの状態間の遷移
であり,放出されるのは電子だけであるから,エネルギーの保存則が成り立つなら,
電子の運動エネルギーは一定でなければならない.原子核の反跳運動量は小さく,そ
れに伴う運動エネルギーは無視できる.エネルギー保存則は時間の一様性に起因す
る非常に重要な基本的物理法則である.
• ベータ崩壊では角運動量の保存則および複合系の統計の規則が破れている.トリチ
:
ウムのベータ崩壊の場合( ( ) 内に角運動量の値を記す)
3
H( 12 ) −→
3
He( 12 ) + e− ( 12 )
崩壊する 3 H のスピンは 12 である.一方,崩壊によって生成される 3 He と電子のス
ピンもそれぞれ 12 であり,両者の相対運動に付随する軌道角運動量を考慮しても,崩
壊後の系の角運動量は整数になる.
これらの困難のすべては,観測されない未知の粒子を導入することによって解決できる.
この粒子は 1930 年に Pauli [ 2 ] が仮定した粒子であり,ニュートリノである.ニュートリ
ノはベータ崩壊で電子と共に放出され,電子が持ちうる運動エネルギーの上限値と電子の運
動エネルギーの差に等しいエネルギーを持ち去ると考えられる.
物理学の基本的な保存則が,ベータ崩壊においても成り立つとすると,ニュートリノの
性質について幾つかの制限が加えられる.
•
電荷の保存則から,ニュートリノは電気的に中性である.この性質はベータ崩壊の実
験結果とも一致する.もしニュートリノが電荷を持つならば,電磁相互作用( イオン
化など )によって検出されるはずである.同様な考察から,ニュートリノが磁気モー
メントを持つとしても極めて小さい.
• エネルギー保存則から,ニュートリノの質量 mν は小さく,mν = 0 と矛盾しない.
トリチウムのベータ崩壊において,3 H,3 He および電子の質量から mν の上限とし
て 0.5 keV が,さらに電子のエネルギースペクトルの形から上限値 0.2 keV が得ら
れる.
•
角運動量の保存則および複合系の統計規則から,
3
ニュートリノはスピン
H( 12 ) −→
1
2
3
He( 12 ) + e− ( 12 ) + ν e ( 12 )
を持つ Fermi 粒子である.
8.1 ベータ崩壊とニュートリノ仮説
8.1.2
155
Fermi のベータ崩壊理論
Fermi は 1934 年,電磁相互作用によるガンマ線放出との類推から,ベータ崩壊の理論
を構築した [ 3 ].Fermi の理論はパリティの保存を仮定するなど ,以降の発展により幾つ
かの根本的な変更を受けるが,その結果の多くは現在でも通用する.その詳細は後述する
が,重要な点は1つのパラメータ(結合定数 g )を導入して以下の事項が説明できることで
ある:
• ベータ崩壊によって放出される電子の連続エネルギースペクトルの形
•
電子のエネルギーの上限値と崩壊寿命の関係
• ベータ崩壊の分類と選択則
連続エネルギースペクト ル
Fermi の理論に従い,遷移確率についての golden rule を用いると,エネルギーが ε と ε +dε
のあいだの電子を放出するベータ崩壊の確率は次の式で表される:
w(ε) dε =
g 2 me 5 c 4
2
2
|
M
|
F
(Z,
ε)
(ε
−
ε)
ε
ε2 − 1 dε
if
0
2π 3 h̄7
(8.1)
すなわち,この式は電子(陽電子)の連続エネルギースペクトルの形を与える.ただし,電
子のエネルギー ε は質量を含み,また,電子の質量 me c2 を単位としている.β ± 崩壊の Q
値は
Qβ = ε0 − 1
(8.2)
で与えられる.Mif は原子核の行列要素であり,許容遷移2 では電子のエネルギーに依存
しない.F (Z, ε) は電子(陽電子)の波動関数が,原子核がつくる Coulomb ポテンシャル
によって原子核に引き込まれる(から押し出される)効果を取り入れる因子である.β + 崩
壊では,原子核の電荷 Z を −Z で置き換えて F (−Z, ε) とすればよい.
(8.1) を次のように書き直し
w(ε)
K(ε) = √
2
ε ε − 1 F (Z, ε)
1/2
g 2 me 5 c 4
=
2π 3 h̄7
1/2
| Mif | (ε0 − ε)
(8.3)
K(ε) を電子のエネルギー ε に対してプロットすると,許容遷移では直線になる( Kurie
plot ).
例として,64 Cu のベータ崩壊を示す.64 Cu は 図 8.2 に示すように,隣り合う2つの原
子核よりエネルギー(質量)が大きく,電子を放出する β − 崩壊と陽電子を放出する β + 崩
壊の両方が可能である:
β−
64
Cu −→
64
Zn + e− + ν
β+
64
Cu −→
64
Ni + e+ + ν
(8.4)
第 8 章 弱い相互作用の古典論
156
1
64
β
Cu
0
64
β
Q( β ) = 579 keV
Q( β ) = 653 keV
0
64
Ni
64
Cu の崩壊様式
5
4
4
[arbitrary]
5
3
2
K( ε )
ω(ε)
[arbitrary]
図 8.2:
1
0
0.0
0.1
0.2
0.3
Zn
0.4
0.5
0.6
0.7
3
2
1
0
0.0
0.1
kinetic energy [MeV]
0.2
0.3
0.4
0.5
0.6
0.7
kinetic energy [MeV]
図 8.3: 左:エネルギースペクトル,右:Kurie plot.白丸は β + 崩
壊,黒丸は β − 崩壊.
図 8.3 の左図に 64 Cu のベータ崩壊のエネルギースペクトル [ 4 ] を示す.(8.1) は電子と陽
電子のエネルギースペクトルの形を良く再現している.また,図 8.3 の右図に示すように,
実験データは (8.3) で良く表されている.
崩壊寿命
電子(陽電子)のエネルギー ε について 1 から ε0 まで積分すると崩壊確率が得られる.す
なわち,崩壊確率 λ と電子のエネルギーの上限値 ε0 とが関係づけられる:
λ=
f=
1
2
ε0
g2 me 5 c4
| Mif |2 f
2π 3 h̄7
F (Z, ε)(ε0 − ε)2 ε ε2 − 1 dε
後で述べる Fermi 型と Gamow-Teller 型を許容遷移という.それ以外は禁止遷移と呼ばれる.
(8.5)
(8.6)
8.1 ベータ崩壊とニュートリノ仮説
157
ベータ崩壊では,平均寿命 τm = 1/λ より半減期 t1/2 = log 2/λ が用いられることが多い.
崩壊の半減期を測定することによって,原子核の遷移行列要素 Mif を求めることができる.
あるいは,逆に,行列要素が理論的に予言できる遷移の半減期を測定して,結合定数 g を
求めることができる.また,原子核の遷移確率を表す尺度として f t 値
ft =
log 2
g me c
2
7 | Mif |
3
2π h̄
2
(8.7)
5 4
がしばしば用いられる.この式は単に (8.5) を書き直しただけであり,t は半減期である.
ニュート リノの質量
(8.1) - (8.6) ではニュートリノの質量が mν = 0 であると仮定している.ニュートリノの質
量が有限であるときには,エネルギースペクトルの形に,上限値付近で特徴的な影響を与え
る.(8.1) で (ε0 − ε)2 はニュートリノのエネルギーと運動量の積を表している.エネルギー
は質量も含んでいるので変更を受けないが,運動量は有限な質量 mν のため,それに相当す
るだけ減少する:
エネルギー :
運動量
:
ε0 − ε
−→
ε0 − ε
−→
ε0 − ε
(ε0 − ε)2 − (mν /me )2
(8.8)
K( ε )
その結果,Kurie plot は直線からずれる.その例を 図 8.4 に示す.上に示したニュートリ
16.6
17.0
17.4
17.8
18.2
18.6
kinetic energy [keV]
図 8.4: トリチウムのベータ崩壊の Kurie plot.上から順に, mν =
0.0 keV, 0.2 keV, 0.5 keV.
ノの質量の上限値( 0.2 keV )は,このような実験の解析から得られた値である.なお,崩
壊確率を求める式 (8.6) の電子のエネルギー ε についての積分も,電子が取り得るエネル
ギーの上限値がニュートリノの質量分だけ減少する.しかし,ニュートリノの質量は小さい
ので,崩壊確率に対する影響は無視できる.
158
8.1.3
第 8 章 弱い相互作用の古典論
ニュートリノの存在を証明する実験
ニュートリノは,物理学の基本的保存則がベータ崩壊においても成り立つように導入さ
れ,また,それに基づいて作られた Fermi のベータ崩壊の理論は,電子の連続エネルギー
スペクトルの形などを説明するのに成功した.しかし,ニュートリノは直接捕まえることの
極めて難しい粒子であり,ニュートリノに関する証拠のほとんどは間接的であった.
ベータ崩壊において解放されるエネルギーのうち,電子がもつエネルギーの不足分をニュー
トリノが運び去ると考えられる.エネルギーに対応してニュートリノの運動量がある.同時
に放出された電子の運動量と反跳した原子核の運動量を測定すれば,運動量の保存則から,
両者の和はニュートリノが持つ運動量と大きさが等しく反対向きである.一方,ニュートリ
ノの質量が 0(あるいは極めて小さい)であるとすれば,ニュートリノの運動量によりエネ
ルギーが定まる.このような反跳実験は,原子核の反跳エネルギーが小さいために難しい
が,測定が幾つかの原子核のベータ崩壊について行われ,運動量とエネルギーの保存則が成
り立っていることが確かめられた.しかし,この実験は保存則が要求する以上の性質を明ら
かにするものではない.
ν
γ
γ
ν
γ
e
p
Cd
n
γ
図 8.5: ニュートリノの存在を証明する Reines と Cowan の実験
ニュートリノの存在を独立に証明する実験は,Reines と Cowan によって行われた(図 8.5
参照)[ 5 ].中性子のベータ崩壊で,中性子が陽子に変わり電子とニュートリノが放出され
るのであれば,陽子にニュートリノを照射するとベータ崩壊の逆反応が起こり,陽子は中性
子に変わり陽電子を放出するはずである:
n
→
p + e− + ν
ν +p
→
n + e+
(8.9)
水素を含む物質にカド ミウムを加えたものを大きな容器に入れ,原子炉からのニュートリ
8.1 ベータ崩壊とニュートリノ仮説
159
ノを照射した.ニュートリノ以外が反応を起こさないよう,容器は厚いコンクリートや鉛で
シールドした.生成された陽電子は,直ちに電子と対消滅し,
e+ + e− → γ + γ
(8.10)
ガンマ線として検出される.一方,中性子はしばらく後にカド ミウムに捕獲され,捕獲の際
に放出されるガンマ線によって検出される.対消滅とそれに続く捕獲ガンマ線は特徴的であ
り,上に示したニュートリノ捕獲反応は,他の反応と明瞭に区別される.この実験は,ニュー
トリノによって初めて起こる現象を捕らえており,ニュートリノの存在を証明している.
8.1.4
ニュートリノのヘリシティ
弱い相互作用の研究において重要な進展の一つは,Goldhaber らによるニュートリノの
ヘリシティの測定である [ 6 ].ヘリシティ h は次の式で定義される:
h =
σ·p
|p|
(8.11)
ここで,σ はスピンの向きを表し,p は運動量である.従って,スピンと運動量が同じ向き
のとき h = 1,逆向きのとき h = −1 である.
Goldhaber らの実験は
巧に利用して行われた:
152
152 Eum (0− )
Eu の準安定状態がK電子捕獲3 とそれに続くガンマ線放射を
+ e−
→
152 Sm∗ (1− )
152 Sm∗ (1− )
+ν
→
152 Sm(0+ )
g.s.
(8.12)
+γ
この崩壊過程で放出されるのはガンマ線とニュートリノであるが,ニュートリノは測定でき
ないので,ガンマ線を測定することによってニュートリノのヘリシティを決めなければなら
ない.より正確に言えば,ガンマ線の運動方向と角運動量の向きを測定することによって,
ニュートリノの運動方向と角運動量の向きを決定しなければならない.ここでは,基本的な
保存則である,運動量と角運動量の保存が重要な役割を果たしている.ガンマ線が放射され
る向きを量子化の軸( z 軸)とする.
角運動量の向き
+
1. 始状態においてK殻から捕獲される電子の角運動量・パリティは 12 であり,ベー
タ崩壊する原子核の状態は 0− である.従って,始状態の角運動量は 12 であり,そ
の z 成分は + 12 か − 12 のいずれかである.
2. 角運動量の保存は角運動量の z 成分の保存も意味する.従って,終状態における
角運動量の z 成分の大きさは 12 である.終状態は 0− 状態の原子核と,ニュート
3
ベータ崩壊の一種(ここでは Gamow-Teller 型). 原子軌道は殻構造をもつが,1番内側の殻をK殻といい,
軌道角運動量が = 0 の 1s1/2 軌道である.K軌道にある電子を原子核が捕獲する過程をK電子捕獲と呼ぶ.
160
第 8 章 弱い相互作用の古典論
0.046
Sm
152
0
Eu
γ
Eu
Sm
Sm
1
0.963
2
0
0.122
0.0
ν
ν
152
Sm
図 8.6: ニュートリノのヘリシティを決める Goldhaber らの実験.
152
Eu のK電子捕獲に続いて 152 Sm からガンマ線が放出される.
ニュートリノと反対方向に放出されたガンマ線だけが共鳴散乱に
よって選択的に捕らえられ,白抜きの矢印で表したように散乱体
152
Sm の 1− 状態を励起する.この状態はガンマ線を放出して 2+
及び 0+ 状態へ遷移する.
リノとガンマ線からなり,ニュートリノのスピンは 12 ,ガンマ線は 1 である.合
成した角運動量の z 成分の大きさが 12 になるのは次の2通りの場合であり(角運
動量の z 成分を記号 m で表す)
:

 mν
= + 12

 mν
= − 12
 m
γ
= −1
 m
γ
= +1
ど ちらの場合も mν と mγ は異符号である.従って,ガンマ線に対して mγ = +1
であるか mγ = −1 であるかを測定すれば,ニュートリノの角運度量の向き mν が
決定できる.
運動量の向き
3. 始状態の原子核 152 Eum は静止しているので,運動量の保存から,ベータ崩壊に
よって放出されたニュートリノと 152 Sm∗ (1− ) は反対向きに運動する.152 Sm∗ (1− )
の寿命は τm = 0.03 ps と短いため,ニュートリノを放出して反跳を受けた 152 Sm∗
は,運動量を保ったままガンマ線を放出する.
( 電子捕獲過程によって生成された
)
特定の z 成分の値がガンマ崩壊まで保持される.
4.
Sm の 1− → 0+ 遷移で放出されるガンマ線は,図 8.6 の右側に白抜きの矢印で
示したように,散乱体の 152 Sm の 1− 状態を励起する.Goldhaber らは Sm2 O3
を散乱体として用い,共鳴散乱によって励起された 1− 状態から 2+ 状態,及び 0+
状態へのガンマ線放射を観測した.ただし,このような共鳴散乱は,ガンマ線を
放出した 152 Sm が散乱体である 152 Sm に向かって運動するときだけ起こる.従っ
152
8.1 ベータ崩壊とニュートリノ仮説
161
て,共鳴散乱を用いると,ニュートリノの運動量とガンマ線の運動量は反対向きで
あることがわかる.
5. 以上より,ニュートリノとガンマ線は,角運度量が逆向きであり,また,運動する
向きも逆である.すなわち,ニュートリノとガンマ線のヘリシティは同じである:
hν = hγ
(8.13)
つまり,ガンマ線のヘリシティ hγ を測定すれば,ニュートリノのヘリシティ hν
は直ちに求まる.
Goldhaber らは 152 Sm の 1− 励起状態から 0+ 基底状態へのガンマ線の円偏向を測定し,
ガンマ線の角運動量の向きが mγ = −1 である結果を得た(ガンマ線の運動の向きに z 軸
をとっている).運動量の向きと角運動量の向きが逆であるから,ガンマ線のヘリシティは
hγ = −1 である.これより,直ちに,ニュートリノのヘリシティが求められ,
hν =
σ ν ·pν
= −1
pν
(8.14)
であることが示された.
なお,定量的には,円偏向の偏極度は 0.67 ± 0.15 であり,hν = −1 から期待される値
0.75 と誤差の範囲で一致している.最近の Vylov らの実験からは,hν = −0.93 ± 0.10 が
得られている [ 7 ].
β − 崩壊に伴って放出される反ニュートリノのヘリシティに関しては,間接的な方法に
よって hν = +1 であることが確かめられた.つまり,反ニュートリノは右巻きである.一
方,電子と陽電子のヘリシティは,磁化した鉄による散乱実験によって測定された.鉄原子
は2個の価電子を持ち,そのスピンは磁化磁場に並行である.ベータ崩壊で放出される電子
(陽電子)と価電子のスピンが反並行なとき,散乱の確率は平行なときより大きい.電子の
質量は有限なので,特定のヘリシティ he = ±1 を持たず,電子の速度 v に依存した値を持
つ [ 8 ].ヘリシティの測定の結果は 表 8.1 のようにまとめられる.
表 8.1 電子とニュートリノのヘリシティ
粒子
ν
ν
ヘリシティ
−1
+1
e−
−
v
c
e+
+
v
c
162
第 8 章 弱い相互作用の古典論
8.2
パリティの非保存
8.2.1
K中間子の崩壊
強い相互作用と電磁相互作用はパリティを保存するので,弱い相互作用も同様であると考
えられていた.弱い相互作用においてパリティが保存しないのではないかという疑問は K
メソンの崩壊の研究から生じた [ 9 ].K メソンは弱い相互作用によっていろいろな様式の
崩壊をするが,その中に2つの π メソンと3つの π メソンに崩壊するモードがある:
θ
→
π + + π0
τ
→
π+ + π+ + π−
(8.15)
これらは,初め,2つの異なる粒子 θ と τ の崩壊であると考えられた.しかし,両者は,崩
壊を除いて,ほかのどのような性質によっても区別することは出来ず,同じ粒子であると考
えざるを得なくなった.
π+
π0
L
L1
π+
L2
π+
π−
図 8.7: K中間子の 2π 崩壊と 3π 崩壊の軌道角運動量
π メソンのスピン・パリティは 0− である.図 8.7 に示すように,θ の 2π 崩壊では,π+
と π 0 の間の軌道角運動量を L とすると,終状態のパリティは (−1)1+1 (−1)L = (−1)L に
なり,θ のスピンは J = L である.一方,τ の 3π 崩壊では,2つの π + の間の軌道角運
動量を L1 ,両者の重心に対する π − の軌道角運動量を L2 とすると,終状態のパリティは
(−1)1+1+1 (−1)L1 (−1)L2 = (−1)L1 +L2 +1 となる.また,このとき,角運動量の保存から,τ
の角運動量は J = |L1 − L2 |,|L1 − L2 | + 1,. . .,L1 + L2 のいずれかの値になる.3π 崩
壊の Q-値は小さく,できるだけ小さい L1 , L2 の状態に崩壊しやすい.τ 崩壊の実験によ
り,L1 = L2 = 0 の状態への崩壊が起こることが確かめられた.このことは,τ のスピンが
J = 0 であり,終状態のパリティが負であることを示している.また,J = 0 より 2π 崩壊
の終状態のパリティは正となる.
すなわち,スピン J = 0 の K メソンが,K → 2π では正のパリティの状態に,K → 3π
では負のパリティの状態に崩壊している.この2つの崩壊モードの共存は,崩壊を引き起こ
す弱い相互作用において,パリティを保存する項と保存しない項が存在することを示して
いる.
8.2 パリティの非保存
8.2.2
163
空間反転と擬スカラー
物理学で用いられるベクトルには,空間反転に対して異なった振る舞いをする2種類の
ベクトルがある.空間反転とは3つの座標の符号を同時に変える変換である:
x → −x,
y → −y,
z → −z
(8.16)
空間反転に対して符号を変えるベクトルを極性ベクトル(単にベクトルということもある),
符号を変えないベクトルを軸性ベクトル(擬ベクトルともいう)という.極性ベクトルと軸
性べクトルは座標系の平行移動や回転に対しては同様に振る舞う.極性ベクトルの例として
は,位置 r ,運動量 p,電場 E などがあり,軸性ベクトルの例としては,角運動量 J ,ス
ピン σ ,磁場 B などがある.2つの極性ベクトル,あるいは2つの軸性ベクトルの内積は
空間反転に対して不変であり,スカラーと呼ばれる.一方,極性ベクトルと軸性ベクトルの
内積は空間反転に対して符号を変え,擬スカラーと呼ばれる.
ある物理現象と,それを空間反転した物理現象とが同等に起こるとき,パリティが保存
するという.パリティが保存するならば,この現象を支配するハミルトニアンの中で,空間
反転に対して符号を変える項は禁止される.たとえば,空間反転に対して不変である電磁相
互作用においては,スカラーである E 2 や B 2 は許されるが,擬スカラーである E·B は許
されない.実験で E·B を測定したら 0 になるはずである.
擬スカラーの測定値が 0 でないということは,パリティが保存しないことを意味する.言
い換えれば,擬スカラーの測定を行わなければパリティの保存に関する情報は得られない.
パリティを保存する強い相互作用と電磁相互作用の類推から,弱い相互作用のハミルトニア
ンからもパリティを破る項は除かれていた.1956 年に Lee と Yang [ 9 ] は,パリティを破
る擬スカラー量を測定する実験が行われていないことを指摘した.実際には 1928 年にベー
タ崩壊によって放出される電子の偏りが測定され,擬スカラー量 v e · σe が 0 でないことが
発見された.しかし,この事実は誰にも信用されず忘れ去られていた.
e
pe
ν
pν
σν
σe
J
図 8.8: 原子核のベータ崩壊における極性ベクトル( 白矢印)と軸
性ベクトル(黒矢印)
原子核のベータ崩壊に関与するベクトルを 図 8.8 に示す.空間反転に対して符号を変え
る極性ベクトル(運動量)を白抜きの矢印で,符号を変えない軸性ベクトル(角運動量,ス
ピン )を黒い矢印で表す.これらのベクトルの内積として作られる擬スカラーには,原子核
164
第 8 章 弱い相互作用の古典論
の角運動量に対する電子の角分布 J · pe ,電子のヘリシティ σ e · pe /| pe |,ニュートリノの
ヘリシティ σ ν · pν /| pν | などがある.
8.2.3
パリティの破れ:偏極核から放出される電子の非対称
ベータ崩壊における擬スカラー量のなかで,原子核の角運動量 J と電子の運動量 pe の
内積を検出するために特に設計された実験が 1957 年に行われた [ 10 ].この実験では,偏
極したコバルト原子核のベータ崩壊
60
Co →
60
Ni + e− + ν
(8.17)
で放出される電子の非等方性を測定した.図 8.9 に示すように,60 Co の基底状態のスピン・
パリティは 5+ であり,99 % 以上の確率で 60 Ni の 4+ 励起状態へベータ崩壊する.
(2.824) 5
60
2.506
4
1.333
2
0.0
0
Co
60
図 8.9:
60
Ni
Co のベータ崩壊
J
J
θ
pe
π−θ
pν
pν
pe
(a)
(b)
図 8.10: 原子核の角運動量と,電子とニュートリノの運動量
図 8.10 で (a) の鏡映が (b) である.電子の運動量は極性ベクトルであるから,空間反転
によって向きが変わる.一方,角運動量は軸性ベクトルであるから,空間反転によって向き
が変わらない
pe → −pe ,
J → J
(8.18)
もしパリティが保存する(空間反転に対する不変性が成り立つ)なら,(a) と (b) の現象は
同等に起こり,もし保存しないのなら,両者の間に差が現れる.たとえば,パリティが保存
8.2 パリティの非保存
165
するなら,原子核の角運動量 J の向き( θ = 0 )に放出される電子と,反対向き( θ = π )
に放出される電子の数は等しい.両者の数に違いがあるならば,それは空間反転に対する対
称性が破れていることを意味する.
1.3
counting rate
1.2
H
1.1
1.0
0.9
H
0.8
0.7
0
2
4
6
8
10
12
14
16
18
time [min]
図 8.11:
60 Co
のベータ崩壊における電子の非対称性
Wu らは 60 Co 原子核に断熱消磁法を用いた.磁場によって角運動量の向きをそろえると
ともに,冷却によって,熱的作用による角運動量の向きの変化が起こらないようにした.そ
して,原子核の角運動量の偏りの方向 θ = 0 とその反対方向 θ = π で電子の数を比較した.
実際には,測定器の方向を変えるのではなく,磁場の向きを逆転することによって,原子核
の角運動量の向きを反転した.
測定結果を図 8.11 に示す.Counting rate は温かい無偏極試料に対する比として表して
ある.原子核の角運動量に偏りがあるときには電子の数に明瞭な差があるが,時間が経過す
るに伴い試料の温度は上昇し,偏りの大きさは減少する.約6分後には原子核の偏極は消滅
し,電子の放出も等方的になる.こうして,弱い相互作用によるベータ崩壊において,空間
反転に対する対称性が破れている(パリティが保存しない)ことが確かめられた.
166
第 8 章 弱い相互作用の古典論
8.3
4 Fermi 相互作用
8.3.1
Lorentz 不変な定式化
Fermi は 1934 年,電磁相互作用との類推から弱い相互作用を定式化した [ 3 ].電磁相互
作用は,量子電気力学(QED)によって,電流密度 JµEM
JµEM = −ψ e (x) γµ ψe (x)
(8.19)
とフォトンを表す場 Aµ との結合として記述され,Hamiltonian 密度は
HEM (x) = +eJµEM (x) Aµ (x) = −eψ e (x) γµ ψe (x) Aµ (x)
(8.20)
と表される.ここで,ψe は電子を消滅させる演算子であり,ψ e = ψe† γ0 は電子を生成する
演算子である.γ µ は Dirac の γ 行列を表し
I 0
0 −I
0
γ =
,
k
γ =
後で用いられる γ5 は
5
0 1 2 3
γ5 = γ = iγ γ γ γ =
0
σk
k
−σ
0
0 I
I 0
(8.21)
(8.22)
で定義される.I は 2 × 2 の単位行列で,
1
σ =
0 1
1 0
,
2
σ =
0 −i
i 0
,
3
σ =
1 0
0 −1
(8.23)
は Pauli 行列である.なお,xµ = (x0 , x) は反変成分を,xµ = (x0 , −x) は共変成分を表し,
両者は計量テンソル


1
0
0
0


 0 −1
0
0 

gµν = gµν = 
(8.24)
 0
0 −1
0 


0
0
0 −1
によって変換される.
カレント -カレント 相互作用
Fermi は電磁相互作用の電流密度 (8.19) に対応して,弱い相互作用の核子カレント密度 Vµc †
とレプトンカレント密度 lµc を導入した:
Vµc † (x) = ψ p(x) γµ ψn (x)
lµc (x)
= ψ e (x) γµ ψν (x)
(8.25)
8.3
4 Fermi 相互作用
167
肩に付けた c は電荷が変わることを表す.電荷を変える性質は電磁相互作用と大きく異な
る.他方,電磁相互作用を媒介するフォトンとの類推は弱い相互作用を媒介する場を意味
する.現在の理論では W ボソンであるが,当時はこのようなボソンの存在を示す現象はな
かった.そこで,Fermi は核子カレント密度 Vµc † とレプトンカレント密度 lµc との点状相互
作用を考案した(図 8.12 ).
e
e
p
γ
e
p
e
ν
n
ν
W
e
e
n
図 8.12: 電磁相互作用( 左)からの類推で得られる弱い相互作用
(中)と低エネルギーでの点状相互作用(右)
Hamiltonian 密度は,ベータ崩壊の結合定数を Gβ として,
Hβ (x) =
G √β lcµ (x) Vµc† (x) + V cµ (x) lµc † (x)
2
=
G √β ψ e (x) γ µ ψν (x) ψ p (x) γµ ψn (x)
2
+ ψ n (x) γ µ ψp (x) ψ ν (x) γµ ψe (x)
(8.26)
と表される.右辺の第1項は原子核内で中性子が陽子に変わる β − 崩壊(図 8.13 の左)を,
第2項(第1項の Hermite 共役)は陽子が中性子に変わる β + 崩壊(中),及び電子捕獲
(右)を記述する.
p
e
ν
n
n
ν
e
p
β
decay
β
decay
n
ν
p
e
electron
capture
図 8.13: 左:β − 崩壊,中:β + 崩壊,右:電子捕獲
168
第 8 章 弱い相互作用の古典論
Lorentz 不変な組合せ
Fermi が導入した弱い相互作用の核子カレント密度 Vµc † もレプトンカレント密度 lµc も ψγµ ψ
の形をしており,Lorentz 変換に対して4元ベクトル(極性ベクトルに時間成分を加えたも
の)として振る舞う.上に示した相互作用 (8.26) の時空構造は γ µ γµ によって決められる
ので,ベクトル -ベクトル結合と呼ばれる.この相互作用は原子核の角運動量の変化を伴わ
ない( ∆J = 0 )Fermi 型ベータ崩壊を記述する.しかし,実験では角運動量の変化を伴う
ベータ崩壊も観測されており,Fermi が提案したベクトル-ベクトル結合だけでは不十分で
ある.Gamow と Teller [ 11 ] は 1936 年,ベクトル -ベクトル結合だけが Lorentz 不変な構
造ではないことを指摘した.ベータ崩壊に関与するフェルミオンを表すスピノールは4つの
成分を持つので,ψ と ψ の双一次な組み合わせは下の表に示すように全部で 16 成分ある.
表 8.2 ψ と ψ の双一次形式
カレント密度の型
S :スカラー
V :ベクトル
T :テンソル
P :擬スカラー
A :軸性ベクトル
ψψ
ψγµ ψ
ψγµ γ ν ψ
ψγ5 ψ
ψγµ γ5 ψ
独立成分の数
1
4
6
1
4
さらに,レプトンカレントと核子カレントで異なる型の組合せも考えられる.ただし,γ 行
列の添字について和をとり,全体としてスカラーか擬スカラーでなければならない.許され
る組合せは,S-S ,V -V ,T -T ,P -P ,A-A,S-P ,V -A である.これらの中で,どれが正
しい型と組合せであるかは,実験によって決めるしかない.
8.3.2
Fermi 遷移と Gamow-Teller 遷移
寿命が短い許容遷移
ベータ崩壊の確率は Q-値(原子核の始状態と終状態のエネルギー差)と関係づけられるが,
一方,崩壊確率は原子核の行列要素の大きさによっても左右される.寿命が短いベータ崩壊
は,原子核の角運動量の変化についての選択則 ∆J = 0, 1 を満たすときに起こる.Fermi
型と Gamow-Teller 型の遷移を合わせて許容遷移と呼ぶ.例を 図 8.14 に示す.
許容遷移におけるスピン角運動量と軌道角運動量の関係を 図 8.15 に示す.Fermi 型と
Gamow-Teller 型に共通しているのは,放出される電子とニュートリノが軌道角運動量を持
ち出さない( ∆L = 0 )ことである.従って,原子核のパリティは変わらない( ∆π = 0 ).
2つの型の違いはスピンの変化( ∆S )である.電子とニュートリノがスピン反平行(1重
状態 S = 0 )で放出されるとき,Fermi の選択則 ∆J = 0 が得られる.Fermi 型遷移の選択
則は,スピンの移行も軌道角運動量の移行も許さない.従って,Fermi 遷移が許されるのは,
アイソスピンの第3成分のみが異なるアイソバリックアナログ状態( isobaric analog state,
8.3
4 Fermi 相互作用
169
(5.143) 0
14
3.948
1
O
(3.508) 0
6
2.313
0
0.0
1
14
He
0.0
1
6
N
Li
図 8.14: Fermi 遷移(左:0 → 0 )と Gamow-Teller 遷移( 0 → 1+ )の例
+
+
+
Fermi
Gamow-Teller
S=0
p
n
S=1
ν
e
p
∆S = 0
∆L = 0
∆J = 0
n
e
ν
∆S = 1
∆L = 0
∆J = 1
図 8.15: Fermi 遷移と Gamow-Teller 遷移
IAS )の間だけである.Gamow-Teller 型の選択則 ∆J = 1 が得られるのは,2つのレプト
ン対がスピン平行(3重状態 S = 1 )で放出されるときである.スピンを1単位持ち出す
( ∆S = 1 )ので,∆J = 1 である.ただし,∆J は球テンソルのランクであるので,原子核
の角運動量が常に1単位変化するとは限らない.また,J = 0 → J = 0 遷移は許されない.
ベータ崩壊の理論は,寿命の短い許容遷移 (Fermi 遷移と Gamow-Teller 遷移) を正しく
記述できなければならない.その上で,禁止遷移が,その理論によって説明できるか確かめ
れば良い.
許容遷移を表す Lorentz 不変な型
Fermi 遷移と Gamow-Teller 遷移に寄与するのが,表 8.2 に示した5種類の中のどの型であ
るかを見るには,対応する γ 行列を陽に書いてみると良い.γ 行列が作用する4成分スピ
ノールは,粒子の質量を m,運動量を p,エネルギーを E = p2 c2 + m2 c4 として
u± =


χ±

E + mc2  cσ · p
χ
E + mc2 ±
(8.27)
170
第 8 章 弱い相互作用の古典論
と表される.ここで,χ± は2成分 Pauli スピノールで,
χ+ =
1
0
,
χ− =
0
1
(8.28)
± の符合は正と負のヘリシティに対応している:
σ · p̂ χ± = ±χ±
(8.29)
原子核内に閉じ込められた核子の運動量は質量に比べると十分小さいので,核子は非相対論
的に扱える.すなわち,スピノールの4成分のうち,上の2成分(主要成分)が重要である.
従って,γ 行列(の積)において,スピノールの主要成分を結びつける左上の対角成分が 0
になる型は許容遷移に寄与しないと考えられる.許容遷移の実験データを再現すると期待で
きるのは,左上の対角成分が 0 でない型である.
表 8.2 に示した5種類の型に対応する γ 行列を陽に書いてみると次のようになる:
S:
1=
V :
γ0 =
I 0
0 I
γ0 γ 0 =
l
γk γ =
(8.30)
I 0
0 −I
T :
I 0
0 I
γk =
P:
γ5 =
A:
γ5 γ0 =
γ 0 γ k = γk γ 0 =
iεklm
0 I
I 0
0 −σk
σk
0
m
σm 0
0 σm
(8.31)
0 σk
σk 0
(8.32)
0 −I
I 0
(8.33)
γ5 γk =
σk
0
0 −σk
(8.34)
Fermi 遷移 ベクトル型 (V ) の時間成分とスカラー型 (S) (テンソル型の γ0 γ 0 もスカ
ラー型と同じ )が Fermi の選択則をもたらす.両者の違いは電子とニュートリノの角相関
に現れる.すなわち,電子とニュートリノの運動量ベクトルの間の角度を θ とすると,角
相関の θ に対する依存性は
v
v
V : 1 + cos θ,
S : 1 − cos θ
(8.35)
c
c
と符号が異なる( v/c は電子の速度と光速の比).この依存性の違いは,γ 行列の右下の対
角成分の符合に起因する.レプトンの質量は小さいので,4成分スピノールの両成分がほぼ
4 Fermi 相互作用
8.3
171
同等に寄与する.両者の違いを模式的に 図 8.16 の左のパネルに示す.反ニュートリノのヘ
リシティは正(右巻き)であり,電子は主に負のヘリシティで放出される.Fermi 遷移の選
択則 ∆S = 0( スピンが反平行) は,電子と反ニュートリノの運動量が同じ向きをもつベ
クトル型相互作用が実現し,スカラー型相互作用は逆の傾向を持つ.
Fermi
e ν
Gamow-Teller
e
e ν
e
ν
V
S
ν
A
T
図 8.16: Fermi 及び Gamow-Teller 遷移( β − 崩壊)における電子
と反ニュートリノの角相関とスピンの向き.細い矢印は運動の方向
を,太い矢印はスピンの向きを表す.電子のスピンの向きは主要成
分を示す.
Gamow-Teller 遷移 Gamow-Teller 選択則を満たすものとしては,軸性ベクトル型 (A)
の空間成分とテンソル型 (T : γk γ l ) が可能である.両者の違いは,やはり,電子とニュート
リノの角相関
1v
1v
A : 1−
cos θ,
T : 1+
cos θ
(8.36)
3c
3c
に現れる.図 8.16 の右のパネルは,両者の違いを模式的に示している.Gamow-Teller 遷
移においては1単位の角運動量が持ち出されるので,電子と反ニュートリノの運動量は逆向
きの傾向を持つ.従って,テンソル型相互作用は捨てられ,軸性ベクトル型が採用される.
電子と反跳核の運動量を測定する実験からニュートリノの運動量が求められ,その結果,
上の定性的な議論が正しいことが確認された [ 12 ].こうして,Fermi 遷移はベクトル相互
作用,Gamow-Teller 遷移は軸性ベクトル相互作用であることが明らかになった.
8.3.3
V−A 相互作用
実験による測定によって Fermi と Gamow-Teller の選択則を満たすベータ崩壊が存在す
ることから,ベクトル相互作用と軸性ベクトル相互作用が共に必要である.Lee と Yang は,
172
第 8 章 弱い相互作用の古典論
Hamiltonian 密度を
Hβ =
G √β
ψ p γµ ψn
ψ e (CV + CV γ5 ) γ µ ψν
2
+ ψ p γµ γ5 ψn
ψ e (CA + CA
γ5 ) γ µ γ5 ψν + h.c.
(8.37)
と仮定した.γ5 がパリティを保存しない因子(行列)であると考えれば良い.この Hamiltonian 密度は1つの結合定数 Gβ と4つの係数を含んでいる.ただし,結合定数は係数と
常に積の形で表れるので,結合定数の値を単独に求めることはできない.以下に,これらの
係数を決定する過程を説明する.
時間反転に対する不変性 4つの係数は一般に複素数である.しかし,極めて良い近似とし
て時間反転に対する不変性が成り立つので,4つの係数はすべて実数にとることができる.
質量が 0 のニュートリノ
ニュートリノの性質から,係数の間に重要な関係が導かれる:
CV = CV ,
CA = CA
(8.38)
すなわち,ニュートリノの質量は 0 であり,ニュートリノはヘリシティが負(左巻き)の成
分だけが存在し,反ニュートリノはヘリシティが正(右巻き)の成分だけが存在する.質量
を持たないフェルミオンの4成分スピノールは (m = 0, E = cp)
u± =
√

cp 

χ±
σ · p̂ χ±

(8.39)
と表される.ここで,ヘリシティの性質 (8.29) を用いると,
1
2 (1
− γ5 ) u− = u− ,
1
2 (1
+ γ5 ) u− = 0
1
2 (1
− γ5 ) u+ = 0
1
2 (1
+ γ5 ) u+ = u+
(8.40)
となるので, 12 (1 ± γ5 ) が 射影演算子 となる.従って,負のヘリシティを持つニュートリ
ノに対しては,
1
1
(8.41)
(1 − γ5 ) ψν = ψν ,
(1 + γ5 ) ψν = 0
2
2
が成りたつ.この関係から,直ちに (8.38) が導かれる.Hamiltonian 密度は次のように書
き直せる:
Gβ Hβ = √
ψ e γ µ (1 − γ5 ) ψν
ψ p γµ (CV − CA γ5 ) ψn + h.c.
2
(8.42)
係数として残されたのは,2つの実係数 CV と CA である.
2つの実係数の大きさ 2つの係数 CV と CA の大きさの比は,行列要素が容易に計算で
きる原子核のベータ崩壊から決めることができる.Fermi 遷移と Gamow-Teller 遷移の核行
列要素をそれぞれ MF と MGT とすると,ベータ崩壊の f t-値は
ft =
1
ln 2 2π 3 h̄7
2
2 m 5 c4
2
Gβ
CV |MF | + CA 2 |MGT |2
e
(8.43)
8.3
4 Fermi 相互作用
173
と表される.Fermi 遷移強度は IAS に集中する.
( Fermi 遷移演算子はアイソスピンの昇降
演算子 T± であり,それが作用する波動関数がもつ量子数の中でアイソスピンの第3成分だ
けしか変えられない.
)従って,その核行列要素は遷移に関与する状態のアイソスピンの固
有値から容易に正確に求められる.一方,Gamow-Teller 遷移強度は,一般には多くの終状
態に分散し,遷移行列要素は状態の構造に強く依存するが,特別な場合には簡単に計算する
ことができる.2つの例を 表 8.3 に示す.
図 8.3
n→p
→ 14 N
14 O
中性子と
14 O
のベータ崩壊
|MF |2
|MGT |2
f t [s]
1
2
3
0
1280 ± 250
3125 ± 10
2つのベータ崩壊の f t-値の比をとると
f t(n → p)
2 CV 2
= 0.41 ± 0.08
=
f t(14 O → 14 N)
CV 2 + 3 CA 2
(8.44)
となり,これから,2つの係数の大きさの比
|CA |
= 1.14 ± 0.16
|CV |
(8.45)
が求まる.また,Gamow-Teller 遷移の寄与がない 14 O のベータ崩壊から,ベクトル型相互
作用の強さ
Gβ CV = (1.403 ± 0.003) × 10−49 erg cm3
(8.46)
が得られる.弱い相互作用の結合定数 Gβ は,エネルギー × 体積の次元を持つ.ここで,
Gβ CV を原子核の体積で割ると約 1 eV になる.核子間にはたらく強い相互作用による核力
ポテンシャルは,これに比べると7ケタぐらい大きい.
2つの実係数の相対的符号 ベクトル型相互作用と軸性ベクトル型相互作用の相対的な符
号は,偏極した中性子のベータ崩壊における角相関の測定から求められた.角運動量 J を
持つ偏極した原子核のベータ崩壊において,電子が運動量 pe ,反ニュートリノが運動量 pν
で放出される確率は,
dω =
Gβ 2
(2π)5 c5 h̄7
(E0 − Ee )2 pe Ee dEe dp̂e dp̂ν
c2 pe ·pν
cJ ·pe
cJ ·pν
c2 J · (pe ×pν )
× ξ 1+a
+A
+B
+D
Ee Eν
Ee
Eν
Ee Eν
(8.47)
で表される依存性を持つ [ 13 ].A と B は,それぞれ,電子の非対称性,反ニュートリノ
の非対称性を表す項で,空間反転によって符合を変える.D は中性子-電子-反ニュートリノ
174
第 8 章 弱い相互作用の古典論
の相関にかかる係数で,空間反転に対して不変であるが,時間反転によって符合を変える.
上の式に現れる係数,及び ξ は CA と CV によって
ξ = |MF |2 |CV |2 + |MGT |2 |CA |2
A
B
2 Re(∓|CA |2 + CV CA ∗ )
=
ξ
a=
|CV |2 − |CA |2
ξ
2 Im(CV CA ∗ )
D=
ξ
(8.48)
と表される.ここで,時間反転対称性が成立しない場合も含めて,CV と CA を一般的に複
素数とした.弱い相互作用が V − A (CA と CV が同符合) のとき,中性子のスピン J と
ニュートリノの運動量 pν は強い正の相関を示し,中性子のスピンと電子の運動量 pe の角
相関はほとんどない.一方,相互作用が V + A のときは,逆に,J · pe は強い負の相関を示
し,J · pν の角相関はほとんどない.Burgy らが行った実験の結果を 表 8.4 に示す [ 14 ].
表 8.4
偏極中性子のベータ崩壊の実験結果
係数
得られた値
A
B
D
a
−0.114 ± 0.019
+0.88 ± 0.15
+0.04 ± 0.05
−0.09 ± 0.11
D の値は誤差の範囲で 0 に等しく,これは時間反転不変性を示している.より正確には,ベ
クトル型と軸性ベクトル型相互作用の間の相対的位相角が (175 ± 10) 度の範囲にある.一
方,A と B の値は CV と CA が同じ符号を持つことを意味し,上の相対的位相角のもとで
CA
= 1.25 ± 0.05
CV
(8.49)
が得られる.これは,偏極中性子のベータ崩壊の解析から得られた a の値と矛盾しない.ま
た,中性子と 14 O のベータ崩壊から求めた値とも誤差の範囲内で一致している.
弱い相互作用のカレントはパリティ非保存のため,ベクトル型と軸性ベクトル型が共存
している.レプトン カレントは V − A 型,核子カレントは V − (CA /CV )A ≈ V − A
型であり,弱い相互作用は V − A 型の相互作用といわれる.γ5 と γµ の交換関係から,
ψ e γµ (1 − γ5 ) ψν = ψ e (1 + γ5 ) γµ ψν であり,γ5 を γµ の右側に持ってきたときの,1 と γ5
の係数の符号から名前を付けている.
8.4 ベータ崩壊の分類
8.4
8.4.1
175
ベータ崩壊の分類
核子の弱カレント
ベータ崩壊は核子の弱カレントとレプトンの弱カレントの結合で記述され,弱カレント
はベクトルカレントと軸性ベクトルカレントからなる.核子の弱カレントは,個々の核子が
つくるカレントの和として表される.主要項は,γ 行列から明らかなように,ベクトルカレ
ントの時間成分と軸性カレントの空間成分である:
ρV
= gV
jA
= gA
k t− (k) δ(r
k t− (k) σ k
− rk )
δ(r − r k )
(8.50)
ここで,gV と gA はそれぞれのカレントの結合定数4 である.t− は核子に作用するアイソ
スピンの降演算子で,中性子を陽子に変換する: p | t− | n = 1.
主要項 (8.50) は非相対論的近似の 0 次の項である.次の次数の項は運動量と質量の比
p/M の1次の項で,ベクトルカレントの空間成分と軸性ベクトルカレントの時間成分から
導出される項である:
jV
ρA
1
{p δ(r − r k ) + δ(r − rk ) pk }
2M c k
k
h̄
+
µβ ∇ × σ k δ(r − r k )
2M c
1
= gA
t− (k)
[ p · σ k δ(r − r k ) + δ(r − rk ) σ k · pk ]
2M c k
k
= gV
t− (k)
(8.51)
j V の µβ がかかる項は弱磁気項と呼ばれる.質量数が A = 12 の原子核のベータ崩壊の分
析から得られた µβ の値は,CVC(後述)から予言される値と一致する:
µβ = µp − µn = 4.706
(8.52)
ここで,µp と µn は陽子と中性子の磁気双極子モーメントである.
8.4.2
多重極モーメント
ベータ崩壊を記述する Hamiltonian は,核子のカレントとレプトンのカレントの積を r
について積分して得られる.核子のカレント ρ,及び j の各項に δ(r − rk ) があるので,積
分によって原子核を構成する核子に作用する演算子の和になる.このとき,原子核が角運動
量を良い量子数としてもつので,演算子を球テンソルを用いて展開すると便利である.
4
この章の他の節では CV , CA で表す.これは,歴史的背景と,混同を避けるためである.この節では現在
用いられるように gV ,gA を用いる
176
第 8 章 弱い相互作用の古典論
一方,ベータ崩壊に関与する運動量の逆数は q−1 = h̄/p ∼ 102 fm に対応し,原子核のサ
イズよりかなり大きい.すなわち,たとえば球面波 exp(iq · r) を多重極展開すると球 Bessel
関数 jλ (qr) が現れるが,r に関する積分は原子核の内部に限定されるので,qr 1 として
近似することができる(長波長近似).
その結果(途中の経過は省略する),原子核に作用する多重極演算子は次のように書ける:
M(ρ, λµ) =
M(j, λµ) =
) ρ(r) dr
r λ Yλµ (r
) j(r) ]λµ dr
r κ [ Yκ (r
(8.53)
なお,時間成分 ρ,空間成分 j には,それぞれ,ベクトルカレントと軸性ベクトルカレント
) j(r) ]λµ は球テンソル演算子としての( Clebsch-Gordan
がある.また,空間成分の [ Yκ (r
係数を用いての)結合を表し,一般に λ = κ − 1, κ, κ + 1 が許される.
禁止度( forbiddenness )
原子核の遷移に寄与する多重極モーメントの中でも,演算子に含まれる r の次数が小さい
ほど ,一般に大きな行列要素を与える.また,運動量( ∇ も運動量と同等)を含む項は r
の次数が1つ大きい遷移とほぼ同じである.慣習に従い,多重極モーメントの禁止度 n を
次の式で定義し,禁止度に応じて分類する:
禁止度 n = r の次数 + 運動量の次数
(8.54)
これに従うと,パリティの変化 ∆π は常に
∆π = (−1)n
(8.55)
である.禁止度が n = 0 のものを許容遷移と呼び,n ≥ 1 の場合は第 n 禁止遷移と呼ぶ.ま
た,(8.53) に示した演算子はランクが λ の球テンソルであるので,原子核の角運動量が Ji
から Jf への遷移では,
| Ji − Jf | ≤ λ ≤ Ji + Jf
(8.56)
を満たす多重極モーメントが遷移に寄与する.表 8.5 に,ベータ崩壊の分類と選択則,典型
的な log f t の値を示す.ここで,t は半減期を表し,f は,許容遷移の場合は (8.6) に一致
し,禁止遷移の場合はそれに応じて変更を受ける.表 8.6 に許容遷移,禁止遷移の例を示す.
具体的な演算子の形
(8.50) と (8.51) を代入すると,ベクトルカレントの空間成分を除いて
M(ρV , λµ) = gV
t− (k)rkλ Yλµ (rk )
(8.57)
k )σk ]λµ
t− (k)rkκ [ Yκ (r
(8.58)
k
M(jA , κλµ) = gA
k
M(ρA , λµ) = gA
1 k )
t (k)( σ k ·pk ) rkλ Yλµ (r
Mc k −
(8.59)
8.4 ベータ崩壊の分類
177
と表される.ベクトルカレントの空間成分は複雑な形をしている.詳細については文献 [ 15 ]
を参照されたい.
表 8.5 べータ崩壊の分類と選択則
Fermi 遷移
Gamow-Teller 遷移
第一禁止遷移
第二禁止遷移
第三禁止遷移
第四禁止遷移
∆L
∆J
∆π
log f t
0
0
1
2
3
4
0
1
1,
2,
3,
4,
no
no
yes
no
yes
no
∼3
3-6
6 - 10
11 - 15
16 - 20
21 -
0,
1,
2,
3,
2
3
4
5
表 8.6 べータ崩壊の例
Jiπ → Jfπ
n→p
3
H → 3 He
6 He → 6 Li
14
O → 14 N
64
Cu → 64 Ni
38 Cl → 38 Ar
39
Ar → 39 K
10 Be → 10 B
22 Na → 22 Ne
97
Tc → 97 Mo
40 K → 40 Ca
87
Rb→ 87 Sr
113 Cd → 113 In
115
In → 115 Sn
1+
2
1+
2
0+
0+
1+
2−
7−
2
0+
3+
9+
2
4−
3−
2
1+
2
9+
2
+
→ 12
+
→ 12
→ 1+
→ 0+
→ 0+
→ 0+
+
→ 32
→ 3+
→ 0+
+
→ 52
→ 0+
+
→ 92
+
→ 92
+
→ 12
F + GT 遷移
F + GT 遷移
GT 遷移
F 遷移
GT 遷移
第一禁止遷移
第一禁止遷移
第二禁止遷移
第二禁止遷移
第二禁止遷移
第三禁止遷移
第三禁止遷移
第四禁止遷移
第四禁止遷移
log ft
半減期
3.0
3.0
2.8
3.5
5.0
9.2
10.1
13.4
15.1
13.0
19.7
17.5
23.2
22.5
614.8 s
12.33 y
0.8067 s
71.08 s
21.0 h
1.08 h
269 y
1.51 × 106 y
6.8 × 103 y
2.6 × 106 y
1.430 × 109 y
4.75 × 1010 y
9.3 × 1015 y
4.41 × 1014 y
178
第 8 章 弱い相互作用の古典論
8.5
普遍的相互作用
8.5.1
普遍的 Fermi 相互作用
原子核のベータ崩壊の他にも,弱い相互作用によって起こる現象はいろいろある.図 8.17
に示した原子核の µ 捕獲,µ± の崩壊,π± の崩壊もその例である.
n
νµ
e
p
µ
µ
νµ νe
e
νµ νe
µ
π0
e
νe
π
π0
e
νe
π
図 8.17: 左:原子核の µ 捕獲,中:µ± 崩壊,右:π ± 崩壊
原子核による µ− 捕獲は,電子捕獲と極めて良く似ている.形式的には,電子 e− を µ− に,
電子ニュートリノを µ ニュートリノに変えただけであり,この過程を記述する Hamiltonian
密度は,(8.42) で置換えをして
Gβ Hµ = √ (ψ νµ γµ (1 − γ5 )ψµ ) (ψ n γ µ (CV − CA γ5 )ψp ) + h.c.
2
(8.60)
となる.ただし,結合定数は Gβ とした.µ 捕獲の確率は電子捕獲の場合と同様に計算する
ことができる.
µ± 崩壊ではレプトンだけが関与している.この過程を引き起こす Hamiltonian 密度は,
Gµ Hµ = √ (ψ e γµ (1 − γ5 )ψνe ) (ψ νµ γ µ (1 − γ5 )ψµ ) + h.c.
2
(8.61)
と書けるであろう.ここで,結合定数を Gµ とした.Hµ を用いると µ 崩壊の確率は
ω(µ− → e− + νµ + ν e ) =
Gµ 2 mµ 5 c4
24(2π)3 h̄7
(8.62)
と表される.実験で測定された µ− の寿命と比較して結合定数
Gµ = (1.435 ± 0.001) × 10−49 erg cm3
(8.63)
が得られる.この値は,ベータ崩壊を記述する Hamiltonian の結合定数 Gβ CV と 2% 程度
の精度で一致する.
8.5
普遍的相互作用
179
弱い相互作用の Hamiltonian 密度はカレントとカレントの積で表される.今までに述べ
たカレントは次の通りである( λ = CA /CV )
:
核子カレント
(N )
Jµ
= gN ψ pγµ (1 − λγ5 )ψn
(e)
= ge ψ νe γµ (1 − γ5 )ψe
(µ)
= gµ ψ νµ γµ (1 − γ5 )ψµ
eνe カレント
Jµ
µνµ カレント
Jµ
(8.64)
原子核の β 崩壊,原子核の µ 捕獲,及び µ 粒子の崩壊 µ− → e− + νµ + ν e の3つの過程
は,(8.64) の3つのカレントの異なる組合せで表され,Hamiltonian 密度との比較から,結
合定数の関係が導かれる:
表 8.7
弱い相互作用のカレントの積と結合定数
過程
カレントの積
原子核の β 崩壊
原子核の µ 捕獲
µ 粒子の崩壊
(e) †
J (N)µ Jµ
(µ) †
J (N )µ Jµ
(µ) †
J (e)µ Jµ
結合定数
√
Gβ C V / 2 = gN g e
√
Gβ CV / 2 = gN gµ
√
Gµ / 2 = gµ ge
実験事実は,ベクトルカレントに対して
gN ≈ ge ≈ gµ
(8.65)
が成り立つことを示している.これは,陽子,電子,µ 粒子の電荷の大きさが等しいことと
同じように,弱い相互作用のベクトルカレントの “電荷” が等しいことを示している.一方,
軸性ベクトルカレントの “電荷” に対しては
λgN = ge ≈ gµ
(8.66)
であり,核子カレントとレプトンカレントとで明らかな違いが見られる.核子は強い相互作
用をするので,弱い相互作用の “電荷” が影響を受けているようである.しかし,違いはそ
れほど大きくなく,軸性ベクトルカレントにおいても顕著な類似性があると思われる.この
ような著しい一致の事実は,弱い相互作用の普遍的性質を示唆している.弱い相互作用のレ
プトンカレントには e-µ-τ 普遍性があると考えられ,
lµc = ψ e γµ (1 − γ5 )ψνe + ψ µ γµ (1 − γ5 )ψνµ + ψ τ γµ (1 − γ5 )ψντ
(8.67)
と,µ 粒子や τ 粒子が関与する項も電子と同様に含めるべきであろう.
一方,ベータ崩壊で考えた核子カレントは,たとえば 図 8.17 に示した π± 崩壊も記述で
きるように,ハド ロンカレント hcµ † に一般化できるであろう.このようにして,Fermi に
よって提唱されたベータ崩壊の理論は,弱い相互作用の理論へと一般化される:
HW (x) =
GF cµ
√ J (x) Jµc †(x)
2
Jµc (x) = lcµ + hcµ
(8.68)
(8.69)
180
第 8 章 弱い相互作用の古典論
ここで,結合定数を GF とした.このハミルトニアン密度は,ベータ崩壊や π ± 崩壊を記
述するレプトンカレントとハド ロンカレントの積の項 lcµ hcµ † ,hcµ lµc † だけでなく,µ± 崩
壊のようなレプトンだけが関与する項 lcµ lcµ † と,ハド ロンだけが関与する項 hcµ hcµ † を含
んでいる.ただし,これらの項のなかには,Fermi 粒子以外が関与するものもあり,もはや
4 Fermi 相互作用とは言えない.
8.5.2
CVCとPCAC
(8.67)-(8.69) は弱い相互作用が V − A 型であり,さらに,弱い相互作用によって引き起
こされるすべての過程に対して,唯一つの普遍的な結合定数 GF が存在することを示唆して
いる.しかし,たとえ普遍的相互作用から出発しても,強い相互作用が作用する場合には何
らかの影響を受けるとも考えられる.実験事実は,そのような効果がベクトルカレントには
ないことを示しており「保存するベクトルカレント 」 (Conserved Vector Current : CVC)
が提唱された.
電磁カレント 保存するベクトルカレントは,電磁相互作用の電荷(電磁相互作用の結合定
数)が保存する事実と類似している(図 8.18 参照).電荷を持った陽子は,強い相互作用に
p
p
p
e
νe
p
π0
π
γ
γ
n
νe
p
π
p
e
π
p
n
n
図 8.18: 保存するベクトルカレント.左:電磁相互作用,右:弱い相互作用.
より,ある確率で,電荷を持たない中性子と π + に解離している.電荷が 0 である中性子に
は電磁相互作用の作用はなく,解離している確率だけ陽子の電荷が減少したように見える.
しかし,π+ も陽子と同じ電荷を持っているので,常に電荷は一定である.たとえば,陽子
の磁気双極放射においては,裸の陽子による放射( Dirac 磁気モーメント )と,陽子が中性
子と π + に解離したときの π + による放射(異常磁気モーメント )がある.π+ の衣を着た
現実の陽子による放射は両者の和であり,どちらの場合も結合定数は普遍的な値 e を持つ.
数学的には,この関係は次の保存則で表される:
∂ µ JµEM = 0
時間成分と空間成分を分け,全空間に渡って積分すると
∂tQ = ∂t
d3 x J0EM = −
d3 x ∂ k JkEM = −
(8.70)
dS k JkEM
(8.71)
8.5
普遍的相互作用
181
最後の等号では空間部分の体積積分を表面積分に変えた.十分大きな閉曲面を考えれば最後
の項は 0 になる.これは,十分に大きな空間をとれば,その中の電荷が保存することを表
している.
弱ベクトルカレント
電荷の保存と同様に,弱い相互作用のベクトルカレント Vµ の保存は
∂ µ Vµ = 0
(8.72)
と表される.中性子のベータ崩壊 n → p + e− + ν e の場合,中性子はある確率で陽子と π−
になる.π − も中性子と同様に弱い相互作用によってベータ崩壊する:
π− → π 0 + e− + ν e
(8.73)
その崩壊に関与する弱い相互作用の “電荷” が,中性子の崩壊の場合と等しいか否かは,電
磁相互作用の電荷ほど 明らかではなく,実験によって確かめなければならない.π のスピ
ン・パリティは J π = 0− であるので,π− のベータ崩壊 (8.73) は純粋に Fermi 遷移であ
り,14 O のベータ崩壊と同じ f t-値を持つはずである.実験結果は,π の結合定数が中性子
のベータ崩壊の場合と等しく(等しいとして矛盾がない),弱い相互作用のベクトルカレン
トの ”電荷” が保存することを示している.ただし,この測定は実験的には極めて難しい.
π − は主に
π − → µ− + ν µ
(8.74)
で崩壊し,ここで問題にしている崩壊モード (8.73) の分岐比は 10−8 程度しかない.
中性子の解離によって生じる π − のベータ崩壊の補正(図 8.18 の右端の図)は,核子の
異常磁気モーメントと関係がある.この効果は,電子とニュートリノの角相関のエネルギー
依存性に顕著に現れると期待されるが,このような実験を高い精度で行なうことは難しい.
現実的には,鏡映核のベータ崩壊で,電子のエネルギースペクトルを比較するのが最適で
ある.
弱軸性ベクトルカレント Gamow-Teller 遷移の結合定数は,原子核のベータ崩壊で見たよ
うに,Fermi 遷移の結合定数と完全には一致しない.すなわち,CA は CV より幾分大きい.
このことは,弱い相互作用の軸性ベクトルカレントが,強い相互作用の影響を多少受けて部
分的に保存しないことを示している( Partially Conserved Axial-vector Current : PCAC ).
π − の主崩壊モード (8.74) は,それ自身,弱い相互作用の軸性ベクトルカレントの非保
存を意味している.始状態には1つのハドロンがあるが,終状態にはハドロンがない.つま
り,ハドロンのベータ崩壊をハドロンのカレントとレプトンのカレントの相互作用として記
述するが,J π = 0− の粒子が相互作用によって真空に変わってしまっている.この過程はベ
クトルカレントでは起こり得ず,純粋に軸性ベクトルカレントによって起こる.もし π の
質量が 0 であれば,π は崩壊せず,弱い相互作用の軸性ベクトルカレントも保存すると考
えられる.これは現実とは異なるが,一方,π の質量 mπ c2 ≈ 140 MeV が他のハド ロンの
質量と比べてかなり小さいのも事実である.
182
第 8 章 弱い相互作用の古典論
p
e
νe
π
n
図 8.19: 軸性ベクトルカレントの保存を破る過程
ベータ崩壊において,軸性ベクトルカレントの保存が完全に成り立たないのは,中性子が
解離して生じる π − が,図 8.19 に示すように,弱い相互作用によって崩壊するためであると
考えられる.π の質量が小さいことを考慮してこの過程を分析し,Goldberger と Treiman
は次の関係式を導いた [ 16 ]:
√
CA
2 gπ gπNN
=
(8.75)
CV
mp + mn
ここで,gπ は π とレプトンカレントとの結合定数,gπN N は π と核子の強い相互作用に
おける結合定数,mp と mn は陽子と中性子の質量を表す.この式に現れる量は,それぞれ
実験で測定できるので,この式が成り立つか確かめることができる.実験から決められた
CA /CV と gπNN を Goldberger-Treiman の式に代入して gπ を計算すると,その値は実験
値と 10% の精度で一致する.この結果は,弱い相互作用の軸性ベクトル型ハドロンカレン
トは,π が有限な質量を持つために保存しないことを裏付けている.
8.6
8.6
8.6.1
古典論の限界
183
古典論の限界
ベクト ルカレント の強さ
Fermi によって考案され,その後さまざまな改良を加えられた弱い相互作用の古典論は,
弱い相互作用に起因する過程を良く記述することが確かめられてきた.特に,ベータ崩壊と
µ 粒子の崩壊のエネルギースペクトルや角相関に対しては,極めて高い精度で実験データを
再現している.また,弱い相互作用のベクトルカレントの保存は,レプトンカレントだけで
なく,強い相互作用をするハドロンのカレントにおいても普遍的な唯一つの結合定数が存在
することを示唆している.
ここで,図 8.20 に示す3種類のベータ崩壊におけるベクトル型相互作用の強さを比較す
る.これらの過程のうち,Λ 粒子の崩壊を記述するには新たなハドロンのカレント
νµ
e
νe
µ
p
e
p
νe
e
νe
Λ
n
図 8.20: µ 粒子(左),中性子(中),Λ 粒子(右)のベータ崩壊
Jµ(Λ) = gΛ ψ p γµ (1 − λ γ5 )ψΛ
(8.76)
を (8.64) に加えて導入しなければならない.このカレントも含めて,図 8.20 に示した3種
類のベータ崩壊におけるカレントの結合,及び結合定数は次の表にまとめられる:
表 8.8
弱い相互作用のカレントの積と結合定数
過程
カレントの積
µ 粒子の崩壊
中性子の崩壊
Λ 粒子の崩壊
(e) †
J (µ)µ Jµ
(e) †
J (N )µ Jµ
(e) †
J (Λ)µ Jµ
結合定数
√
gµ ge = Gµ / 2
√
gN ge = Gµ CV / 2
gΛ ge
3つの崩壊過程に ge は共通に含まれるので,ベクトル相互作用の強さの違いは,gµ ,gN ,
gΛ の違いに起因する.
前に見たように,gµ と gN とは 2% 程度の精度で一致する:
gµ = gN [1 + (0.022 ± 0.002)]
(8.77)
184
第 8 章 弱い相互作用の古典論
この差は小さいようであるが,誤差はさらに1桁小さい.すなわち,実験的には有意な差で
あり,何らかの理論的説明が要求される.
ハイぺロン( Λ 粒子)のベータ崩壊の実験の精度はあまり良くないが,ベクトル型相互作用
の強さはおよそ
gΛ ≈ 0.2 gN
(8.78)
程度である.中性子のベータ崩壊の強さと比較するとずっと弱く,弱い相互作用の普遍性が
破れている.しかし,中性子と Λ 粒子を合わせると,
gµ =
gN 2 + gΛ 2
(8.79)
が,高い精度で成り立っているようである.
8.6.2
メソンの崩壊
弱い相互作用の古典論の重大な欠点の一つがメソンの崩壊である.フェルミオンの4元
(N )
カレントは,たとえば,Jµ = gN ψ p γµ (1 − λγ5 )ψn と表されるが,メソンに対しては同じ
形で表現することができない.たとえば,π− のベータ崩壊 (8.73) π − → π 0 + e− + ν e のハ
ドロンカレントは
√ 2
(π)
Jµ = gπ
(∂µ φ0 )φ† − φ0 (∂µ φ† )
(8.80)
ch̄
と書くことができる.ここで,φ0 は π 0 の場,φ† は π ± の場を表す.フェルミオンのカレン
トとは明らかに異なる構造をしている.ただし,前に見たように,π− のベータ崩壊 (8.73)
はベクトルカレントの保存 (CVC) と密接に関係しており,上の構造を仮定すると gN ≈ gπ
が導かれ,実験で検証されたベクトルカレントの保存を再現することができる.
軸性ベクトルカレントの部分的保存 (PCAC) においても,π の崩壊が重要な役割を果た
している.この過程に関与する崩壊 π− → e− + ν e ( 図 8.19 )は,式 (8.73) の崩壊と異な
り,ハド ロンカレントは保存しない.すなわち,π のハド ロンカレントは式 (8.80) の形で
も表すことができない.
このように,弱い相互作用の古典論は,メソンの崩壊をフェルミオンと同じレベルで記述
することができない.現在,我々は,核子もメソンも素粒子ではなくクォークから構成され
る構造を持った粒子であることを知っている.観測されるハドロンをクォークから成る系と
して,メソンの崩壊を核子や他のフェルミオンと同等に記述する理論が期待される.クォー
クはスピン 12 を持つフェルミオンであるから,弱い相互作用の古典論をクォークレベルの
記述に適用できそうに思われるが,古典論で採用している点状相互作用の仮定も捨て去らな
ければならない.
8.6
8.6.3
古典論の限界
185
高エネルギー散乱の断面積
弱い相互作用の古典論が採用している点状相互作用は,高エネルギー散乱の断面積を定
性的にも再現することができない.ここで,一例として,電子とニュートリノの弾性散乱を
考える.古典論に従えば,この散乱の断面積(重心系)は近似的に
Gµ 2 Eν 2
dσ(νe + e− → νe + e− )
= 2 4 4
dΩ
π c h̄
(8.81)
で与えられる.Eν は重心系でのニュートリノのエネルギーである.もし,この式が正しい
のであれば,断面積はニュートリノのエネルギーの2乗で限りなく増大する.
一方,散乱理論によれば,散乱振幅は部分波に展開される.構造を持たない点状の電子
とニュートリノが一点で相互作用するのは,軌道角運動量 E = 0 のS波だけである.このと
き,散乱断面積は
dσ
c2 h̄2
|M0 |2
(8.82)
=
dΩ
4Eν 2
と表される.ここで,|M0 | はS波の部分波振幅で,常に |M0 | ≤ 1 が成り立つ.つまり,式
(8.82) は断面積の上限を与える.従って,式 (8.81) は高いエネルギー領域で式 (8.82) と矛
盾する.簡単に |M0 | = 1 とすると,両式が等しい断面積を与えるのは,
Eν =
π c3 h̄3
2 Gµ
1/2
∼ 300 GeV
(8.83)
のときである.すなわち,エネルギーがこのくらい高くなると(実際にはもっと低いエネル
ギーで)弱い相互作用の古典論は適用できなくなる.電磁相互作用と弱い相互作用を統一し
た現在の理論では,弱い相互作用は W ± ボソンによって媒介され,その質量が約 100 GeV
である.W ± ボソンの質量に対して十分低いエネルギーの領域では,点状相互作用の近似
が悪くないが,W ± ボソンの質量に対して無視でない運動量移行が伴う高エネルギー反応
では,点状相互作用が成り立たなくなる.
上に示した散乱断面積の表式はかなり単純化した考察である.しかし,古典論が高エネ
ルギー領域で破綻することは明らかである.これは,点状相互作用の問題でもあるが,古典
論が繰り込み可能でない理論であることに深く根ざしている.
186
第 8 章 弱い相互作用の古典論
8.7
第 8 章の参考文献
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