上海外国语大学 2012 年度硕士学位论文 佐藤春夫「女誡扇綺譚」についての再探求 专 业:日语语言文学 研究方向: 日本文学 姓 名: 张琳 指导老师: 高洁 謝辞 本論文作成中、指導教官日本文化経済学院の高潔先生からご多忙中にもかかわ らず、貴重なご指導を頂きまして、心から感謝いたします。 また、論文の参考資料と作家の原作を提供してくださった日本文化経済学院の 元日本専門家櫻田芳樹先生にも心から感謝の気持ちをお贈りしたいと思います。 両先生のますますのご発展とご健勝をお祈り申し上げます。 さらに、始終熱心に応援してくださった多くの方々のおかげで無事修士論文が 完成する運びになりましたので、もう一度心からお礼を申し上げたいと思います。 要旨 『女誡扇綺譚』は佐藤春夫が大正九(1920)年の台湾紀行から取材し、大正十 四(1925)年五月『女性』に発表した作品である。大正十五(1926)年単行本とし て出版され、昭和十一(1936)年作品集『霧社』に収録される。本稿は「はじめ に」「佐藤春夫の台湾旅行」「作品の表裏」「近代日本人の台湾認識」「おわりに」の五 章から構成されている。 まず、作品のあらすじを簡単にまとめ、学者二十三名の作品評論を列挙し、今 までの論説を異国情調・怪奇譚を唱えるものと社会問題に対する作者の関心を主 張するものに収め、作品のテーマについての二種の理解を引き出している。次に、 作者佐藤春夫の台湾旅行をまとめ、気晴らしをする旅行者という私的姿勢と台湾 宣伝の為の視察者という公的姿勢の混同を指摘している。 作品に包含される二つの線についての分析は本稿の重点である。まず、「田園 の憂鬱」「女人焚死」と結びつき、作品全体に漂う荒廃―怪奇―幻想の情調を分析 する。「女誡扇綺譚」の荒廃は自然や地理的な荒廃だけでなく、政治権力の争いに 負け、近代思想に追い越された中国の実態そのものが象徴した荒廃である。不気 味な海の情景、幽霊伝説、花嫁姿の狂女の腐った死様などの描写は怪奇の趣を表 し、作者のイカモノ喰いな性癖を映し出している。市井の英雄児沈氏、永遠を信 じる沈嬢、野性に充ちた黄婢、幻想の光に包まれた三個の人物は「廃港ローマン ス」を築き上げ、作品の浪漫的情緒をクライマックスに押し進める。荒廃―怪奇― 幻想の情調を生み出す源泉は当時の文芸思潮即ち浪漫主義、耽美主義など反自然 主義文学の台頭と関係している。それから、作品に現れた身辺風景から社会問題 へのアプローチに関心を与える。作中人物「私」と世外民の友人関係の接点につい て当時西洋諸国から日本へ伝わる人道主義や近代個人主義等の影響が考えられ る。しかし、二人の置かれた現実は両者の行動を違う方向に導き二項対立の関係 を示している。冒頭の声明、赤嵌城址に対する感想、廃屋への視線を通して「私」 と世外民のポジショニングが強調される。「過去にしがみつく」世外民VS「現在 を主張する」「私」というイメージは「荒廃の美」をめぐる論争に備える仕組みであ り、「伝統保守思想」VS「近代合理思想」、もっと広い意味で言えば、前近代VS 近代という「二項対立」の思考様式を表している。この隠蔽された体質を最も浮き 彫りにしたのは幽霊屋敷の伝説に対する二人のまったく反対な反応である。「荒 廃の美」をめぐる論争を通じて「昔から受け継がれた生きた精神を唱える」世外民 VS「新たな展開を受け入れろと勧める」「私」というイメージが浮んでくる。続け て、「女誡扇」の意義を解明し二人の女性像を把握することで、両者はともに「女 誡」の教訓に従い、女の貞操を守り抜く旧い伝統を背負う人物であることを指摘 する。黄婢の行動と「私」の空想即ち「婦女の道徳に従い殉死した娘」VS「本能に 導かれ奔放無智な娘」という対照的なイメージによって、反植民地統治という政 治的な抵抗だけでなく、儒教的封建倫理という文化的な抵抗も根強いもので、篤 い迷信とともに近代的合理精神と真向から衝突するという現実が裏付けられて いる。幽霊伝説の真偽をめぐる「私」と世外民との「近代VS前近代」の対決は「私」 の勝利を示したが、世外民の言った「生きた精神」は前近代の性質を持つ二人の中 国人女性を通して現し、「女誡扇」の教えに従う二人の真実と近代日本人「私」の想 像との「前近代VS近代」の対決は「私」の敗北を示したのである。佐藤はこうした 文明の衝突を意図的に見せているはずである。さらに、書き換えは作品の浪漫的 要素をさらに顕在化させると同時に暗に社会的要素も強めていると見える。 最後に、近代日本人の台湾認識を検討する。観光者、特に大正期の作家たちに とって中国は怪奇幻想の発見と繋がって、華麗なる感覚と想像を呼び起こす場所 である。現在に至るまでなお「女誡扇綺譚」を異国情緒文学として読み続けること 自体はこのような認識を裏付けているであろう。彼等はロマンチックな思いを抱 きながら近代人の思考を活用し、時には知的文明を自慢するように批評を下して いる。また、作中に現れた台湾歴史の多様性は「侵略」の意味を曖昧にする可能性 があると言わざるを得ない。 従って、「女誡扇綺譚」の中で荒廃―怪奇―幻想の情調を成した浪漫的色彩と前 近代VS近代という「二項対立」の思考様式を孕む現実認識はともに存在してい ると言えるだろう。作品全体を包む華やかさだけでなく、裏に潜む作者の思考も 重要である。今後の課題として深めていきたいと思う。 キーワード: 佐藤春夫 「女誡扇綺譚」 前近代VS近代 摘要 《女诫扇绮谭》取材自佐藤春夫 1920 年的台湾旅行,于 1925 年 5 月发表在杂 志《女性》上。1926 年出版了单行本,1936 年收录到作品集《雾社》中。本稿由 序言、佐藤春夫的台湾旅行、作品的表里、近代日本人对台湾的认识、结语五部分 组成。 首先大致概括了作品梗概,通过附录中列举的二十三位学者对这部作品的评 论,笔者归纳出主张异国情趣、志怪幻想和主张作者的社会关注这两大类论断。本 稿将这两大论断有机结合,提出作品本身就具有两种性格。其次概括了佐藤春夫 1920 年的台湾旅行,试图从旅行中隐藏的公私两面间接引导出作品截然不同的两张 面孔。 对作品双重性的分析是本稿的重点。第一部分通过联系佐藤的其它两部作品 《田园的忧郁》《女人焚死》分析了作品中弥漫的荒废、志怪、幻想情调,作品背 景里的街道、港湾、破屋不仅展示了自然风景的荒废,更象征了在政治权力斗争中 失败,被近代思想甩在后面的中国。作品描绘了可怕的大海风景、幽灵传说、身着 新娘装的疯女的死状等,无一不是表现出志怪的趣味,反映了作者与众不同的特殊 癖好。市井的英雄儿沈氏、至死等待的沈家小姐、充满野性的黄家丫头、被幻想的 光芒笼罩的三个人物构筑起了“废港罗曼史”,将作品的浪漫主义情调推向高潮。 之所以产生荒废―怪奇―幻想的情调,与当时的文艺思潮即浪漫主义、耽美主义等 反自然主义文学的兴起是密不可分的。第二部分关注了作品从身边风景向社会问题 靠近的表现。作品人物“我”和世外民为什么会建立友人关系,也许是深受当时从 西欧各国传入的人道主义及近代个人主义等影响,然而他们所处的现实依旧分明地 把他们的行动导向不同的方向,使其显示出二元对立的关系。故事开头“我”的多 次声明,两人对赤嵌城址以及废屋的感想,都强调出“我”和世外民迥然不同的立 场。 “沉溺过去”的世外民VS“着眼现在”的“我”这一意象为引出“荒废之美” 的论争作了铺垫,表现出了“传统保守思想”VS“近代合理思想”,更为广义地 说,前近代VS近代这一“二元对立”的思考模式,对于鬼屋传说两人截然相反的 态度尤为清晰地刻画出这种隐蔽体质。“宣扬继承先人活着的精神”的世外民VS “劝说今人接受新事物”的“我”这一组对比通过“荒废之美”的论争浮现出来。 本稿还通过阐释“女诫扇”的意义,把握沈家小姐、黄家丫头这两个女性形象,指 出两者都是遵循《女诫》的教诲,坚守贞操背负传统的人物形象。通过黄家丫头的 行动VS“我”的空想即“遵从妇德殉情而死的姑娘”VS“听凭本能奔放无知的 姑娘”这一鲜明的对比证实了不仅反殖民地统治这种政治上的抵抗,儒家的封建伦 理道德这种文化上的抵抗也相当根深蒂固,和迷信一起与近代合理精神不可避免地 正面冲突。围绕幽灵传说的真伪展开的“我”与世外民之间的“近代VS前近代” 的对决以我的胜利告终,然而世外民所说的“活着的精神”却通过具有前近代性质 的两位中国女性表现出来,遵循《女诫扇》教诲的两人的事实和近代日本人“我” 的想象之间的“前近代VS近代”的对决宣告了“我”的失败。佐藤春夫应该是有 意识地想要表现这种文明的冲突。第三部分讨论了改写的相关问题。改写不仅深化 了作品的浪漫要素,也加强了作品的社会要素。 最后,本稿探讨了近代日本人对台湾的认识。对于旅行者,特别是大正时期的 作家们来说,中国是发现志怪幻想、激发华丽感觉和想象的场所。至今仍将《女诫 扇绮谭》作为异国情绪文学来解读本身就证明了这种认识。他们怀着浪漫情怀,运 用近代人的思考,时而像是炫耀似地对所见所闻加以评论。此外,不得不说作品中 表现出的台湾历史的多样性也可能模糊近代日本“侵略”的事实。 综上所述,笔者认为《女诫扇绮谭》中酝酿出荒废―志怪―幻想情调的浪漫主 义色彩和作者对现实社会的认识,尤其是前近代VS近代这种“二元对立”的思考 模式是共同存在的。作品整体洋溢的斑斓色彩固然重要,内在的作者的思考也不可 小觑。作为今后的课题笔者想要继续深入研究。 关键词: 佐藤春夫 《女诫扇绮谭》 前近代 VS 近代 目次 1 はじめに........................................................................................................................... 1 2 佐藤春夫の台湾旅行............................................................................................... 4 3 作品の表裏...................................................................................................................... 6 3-1 表の情調.............................................................................................................. 6 3-1-1 荒廃の美.................................................................................................... 6 3-1-2 怪奇の趣.................................................................................................... 7 3-1-3 幻想の実.................................................................................................. 10 3-1-4 近代的なロマンチシスト.................................................................. 12 3-2 裏の思考............................................................................................................ 14 3-2-1 「私」と世外民......................................................................................... 14 3-2-2 「二項対立」の思考様式......................................................................... 17 3-2-3 女誡扇の意義......................................................................................... 21 3-2-4 安易なヒューマニスト....................................................................... 25 3-3 書き換えについて...................................................................................... 27 4 近代日本人の台湾認識....................................................................................... 29 5 おわりに......................................................................................................................... 31 付録............................................................................................................................................. 32 参考文献.................................................................................................................................. 39 1 はじめに 『女誡扇綺譚』は佐藤春夫が大正九(1920)年の台湾紀行から取材し、大正十 四(1925)年五月『女性』に発表した作品である。大正十五(1926)年単行本とし て出版され、昭和十一(1936)年台湾を題材にした作品集『霧社』に収録される。 作品は「赤嵌城址」「禿頭港の廃屋」「戦慄」「怪傑沈氏」「女誡扇」「エピロオグ」の六 章に分けられ、主人公「私」の視点または友人「世外民」との対話や老婆の話を通し て、台湾の禿頭港における不可思議な体験を物語ったのである。主人公「私」は新 聞社の日本人記者で、台湾人の友人世外民に誘われ台南の安平港を見物する。古 を偲ぶ世外民と違って「私」は「赤嵌城址」の荒涼たる眺望に心を打たれ、全体に漂 う荒廃の美に魅入られた。続いて「禿頭港の廃屋」で不意に若い女の声が聞こえ、 老婆から死霊の声だと聞かされた。老婆の話が更に進んで、幽霊屋敷の狂女伝説、 沈家の興起と没落など「戦慄」すべき怪異談を耳にした。幽霊伝説を真に受ける世 外民と正反対に「私」は逢瀬の場所で恋人を待つ生きた人間の声だと判断し、その うえ、沈家の祖先を「怪傑沈氏」だと評価した。廃屋を再訪する時「私」は「女誡扇」 を拾い、この扇に就て二人の女性の姿を空想した。最後の「エピロオグ」では、穀 物問屋の下婢が張本人で、恋人を追って殉死したという思いがけない結末を知ら された。 『女誡扇綺譚』は台湾日本語文学の第一作と位置づけられ、「台湾を描いたエ トランゼの文学として最高峰に位置する」①と評価されている。その異国情緒と南 方風情は日本国内の読者や文人を引き寄せ、台湾文学の発展に格別な風を吹き込 んでいる。台湾関係の文学史における作品の意義について、島田謹二は台湾関係 の散文物語として「十分に王座につく価値がある」 ②と高く評価し、文学史上にお ける作品の大きな役割を指し示したのである。また、 『日本探偵小説全集 20』(改 造昭和 4)、『日本推理小説大系 1』(東都昭和 35)に収録され、作品の推理小説的 手法の応用は文学史的枠組の変換に大きく関係している。『女誡扇綺譚』は『現 ① 川西政明 昭和文学史上巻 東京講談社 2001 P501-502 島田謹二「台湾文学の過現未 第 4 章佐藤春夫の『女誡扇綺譚』」(1942 年発表、1976 年『日本における外国 文学』朝日新聞社所収) P236 1 ② 代日本文学全集 30』(筑摩昭和 29)、 『現代日本文学大系 42』 (筑摩昭和 44)、 『新 潮日本文学 12』(新潮昭和 48)等合計 12 種類の文学全集に収録されることから、 春夫文学におけるこの作品の重要性と必要性も窺える。単行本(第一書房大正 15) のあとがきでは、佐藤自身も「数数の不満はあるけれども、それにしても作者自 らはこの作を愛してゐる。この点でおそらく、この作は指折ってみて五つのうち に加はるだらう」①と述べ、作品への愛着と自信を躊躇なく示している。作品が内 蔵した重要な意味を認識し、今まで数々の学者は「女誡扇綺譚」を論じてきていた。 具体的な内容は筆者が作った付録 2「『女誡扇綺譚』をめぐる評価」に示している。 筆者が集めた情報から見ると、今までの論説は作品の浪漫的要素と社会的要素 に基づく着眼点によって明らかに異なる二つの流れが窺える。異国情調・怪奇譚 を唱えるものと社会問題に対する作者の関心を主張するものに分けられる。「筑 摩現代文学大系 26 佐藤春夫集」のような権威ある文学全集の注解や付録に目を向 ければ、作品に込められた異国情緒・怪奇・幻想などを重視し、これによって評価 する傾向が依然として強いことがわかる。「異国情緒論」の主導的な影響力はまだ 多数にわたって揺るがせないものである。 台南安平の観光とともに、炎天下で海に揺れる舢舨、榕樹・竜眼肉など熱帯植物、 棕櫚の葉の団扇、亜字欄や竜の彫刻を施した豪華な廃屋、ごく厚い黒檀の寝床など が次々と現れ、また、台湾という地の風習・民俗が世外民や老婆等の言動で示され、 同時代評を下した下村海南、橋爪健のほかに、比較文学者島田謹二もこうした中国 趣味の描写に惹かれ、作品の基調を「異国情緒文学」②と捉えている。さらに、中村 真一郎は中国名媛の訳詩集「車塵集」(武蔵野書院昭和4)や「聊斎志異」「古今奇観」 に取材した「玉簪花」(新潮社大正12)など、特に代表作「女誡扇綺譚」を佐藤の中国趣 味から生れたものと見なしている。「女誡扇綺譚」の「私」が竜の彫刻を飾った円柱を 目にして何よりも「その異国情緒を先づ喜」んだように淡くてこせこせとした島国 の風物と遥かに異なる大陸の落ち着いた華やかさは日本近代知識人にとって魅力 的なものとなっている。異国情緒だけでなく、怪奇·幻想も注目の的である。井村 君江、奥野健男、芳賀徹などの評論がこの一派に属すると考えられる。詳細は付録 2をご参照ください。だが、文学的芸術的価値を十二分に賞賛するのにひきかえ、 作品と現実世界との関連性を往々にして軽んじる考え方もないわけではない。「女 ① 藤井省三 「殖民地台湾へのまなざし―佐藤春夫『女誡扇綺譚』をめぐって―」『日本文学』1993 年 1 月 23 ② 島田謹二 「日本における外国文学」4 佐藤春夫の「女誡扇綺譚」 朝日新聞社 1976 年所収 P219 2 P 誡扇綺譚」に出た作者の精神に対して島田謹二は「思想的要素がありそうに見えよ うとも、…ときどき肯頭すればそれで足りるものなのである。」①と述べている。だ が、時代と社会の背景から離れて真正面から取り組まなければ作品の全貌をどうし てより明確に捉えられるだろうか、深層まで掘り下げてはじめて作品への理解がよ り深まるではないかと思う。 近年になって別様の見解が出てきた。アメリカの文学批評家エドワド・W・サイ ドは著書『オリエンタリズム』(原名 Orientalism)で「オリエンタリズム」(西洋 の東洋に対する思考の様式)という概念を提出し、西洋列強の東洋を見る姿勢即 ち植民地の文化・政治・芸術等に関する西洋の言語表現を論じている。これを契機 に、西洋に倣い植民地政策を推し進める日本、その近代文学と文学評論にも「オ リエンタリズム」の思考様式が潜在しているかという批判と反省が高まってきた のである。藤井省三は異国情趣とは「台湾総督府の文化戦略から出たもので」「日 本版オリエンタリズムのキーワードであった」と鋭く指摘し、さらに、作品の特 色は植民地支配下の人間に偏見や差別意識を抱かず作者の強い関心と共感を示 したところにあると考えている。姚巧梅、朱衛紅の見解は藤井の「友愛論」を継ぐ ものと見てもよかろう。しかし、台中で日本の植民地支配について台湾知識人林 献堂と議論した時に佐藤は「友愛説」を持ち出したが、「自分の怪説の残骸を自 分の胸のなかに蔵して居なければならないのを厭はしく感じた」②のである。磯村 美保子は「佐藤の友愛は『植民地の旅』の中で林献堂によって一蹴され、林の前 で彼はその一説を説いた自分を恥じた」③と指摘している。つまり、「友愛説」の脆 弱と不確定性は旅行中の佐藤自身に認識されたわけである。したがって、「女誡 扇綺譚」に現れた佐藤のまなざしは「友愛に溢れる」かどうか、再検討の必要があ るではないかと思う。筆者の考えでは、二つの評論系統を一体化し互いの足りな い部分を補足しあってはじめて「女誡扇綺譚」の真意を把握できるだろう。 ① 島田謹二 「日本における外国文学」4 佐藤春夫の「女誡扇綺譚」 朝日新聞社 1976 年所収 P231 朱衛紅 「佐藤春夫『女誡扇綺譚』論―「私」と世外民の対話構造が意味するもの―」 日本語と日本文学 (35), 2002.08.31,P75 ③ 磯村美保子 「佐藤春夫の台湾体験と『女誡扇綺譚』―チャイニーズネスの境界と国家・女性―」 金城学院大 学論集人文科学編第 2 巻第 1 号 2005.9 P64 3 ② 2 佐藤春夫の台湾旅行 台湾紀行から取材した「女誡扇奇譚」を本格的に検討する前に、まず作者佐藤春夫 の台湾紀行に注意を払わねばならない。台湾旅行について「作家の自伝12佐藤春夫」 の中で佐藤は次のように述懐している。 わたくしが台湾へ旅行したのは、まだ二十九歳という壮時であったが、一夏故郷へ帰 っていると町角で、中学時代の旧友でごく親しかったのとぱったりと出遇った。彼は台 湾高雄で歯科医の開業をしているが、医院新築の費用を兄から調達のため帰郷していた という。(中略)そのおかげで、わたくしは思いがけなくも総督府の客のような待遇をう けて、種々の便宜を与えられるところが多く、この島の名所旧跡の主なものは隈なく見 て歩くこともできた。全く幸福な一夏であった。 「詩文半世紀」P280-282① 大正九年七月から十月にかけての三ヶ月間、佐藤春夫は友人東熙市の招きで台 湾旅行に出かけ、高雄を基点に嘉義・阿里山・日月潭・埔里社・霧社・能高山・彰化・ 鹿港・台中・台北を巡ったのである。当時佐藤は谷崎潤一郎、千代夫人との三角関 係で気が沈んでいた。 『旅びと』(新潮大正 13)の中で、佐藤は「私には大へん好い てゐるひとがゐた。それから大へん好かない女房がゐた。今だから言ふが、さう いふことで思ひ屈して私は台湾山界へ放浪しに出たのである」②と述べている。無 論「大へん好いてゐる人」は千代夫人のことを指し、「大へん好かない女房」は女優 米谷香代子のことを指す。作中主人公の口を借りて失恋の不愉快を伝える箇所も 次のように「その頃の私は、つまらない話だが或る失恋事件によって自暴自棄に 堕入って」「それといふのも私は当然、早く忘れてしまふべき或る女の面影を、私 の眼底にいつまでも持ってゐすぎたからである。」③と出ている。旅行前後の佐藤 の動向に目を通してみよう。 大正九年(一九二〇)極度なる神経衰弱のため二月郷里に帰る。六月台湾及び支那福建 に旅行す。十月帰来。米谷香代子と別れる。この年、作品殆んど無し。大正十年(一九二 一)一月「黄五娘」を「改造」に、三月「星」を同誌に発表。谷崎潤一郎と交を絶つ。…八月「 南方紀行」を「新潮」に断続連載(十一月完)。 ① 佐藤春夫「作家の自伝 12 佐藤春夫」東京日本図書センター 1994.10 ② P280-282 定本佐藤春夫全集第 5 巻 京都市臨川書店 一九九八年六月 以下「旅びと」「霧社」の引用はすべてこの書籍 に収められた本文に拠る。 ③ 現代日本文学大系 42 佐藤春夫集 東京都筑摩書房 昭和 44 年 6 月 以下「女誡扇綺譚」「田園の憂鬱」「星」 「女人焚死」の引用はすべてこの書籍に収められた本文に拠る。 4 牛山百合子編年譜① 女房争奪のことで谷崎と絶交状態になっていわゆる小田原事件である。事件に 遭遇した佐藤は「女誡扇綺譚」発表後、六月三人の関係を書き記す長編小説「この 三つのもの」を「改造」に断続連載し始めた。これらの動向を見て、佐藤の台湾行 きは恋愛の滞りによる個人的な事情を契機に動いていると言ってもよいだろう。 しかし、このきわめて私的な旅は最後まで続けられたのであろうか。友人の紹 介で当時台北博物館長を務める森丙午(実名丑之助)と知り、彼の作ったスケジュ ールに従い高雄・台南・廈門・漳州を廻った。さらに九月中旬から民政長官下村宏 (号海南)の庇護を得て、先々の官庁から地方見物の案内者をつけて貰い、蕃地ま で出入りした。「旅びと」のなかで佐藤は得意とも皮肉ともつかぬ口調で「貴賓の ようなもてなし」を具体的に描いている。彼は二八水・集々街・日月潭・化蕃の道中 で、半官半民の電力会社に勤める十も十五も年長の人たちに「とって置きの上等 の言葉」で「慇懃に挨拶」され、半ダースの名刺を受け取って、「特別仕立の台車」 や「椅子駕籠」に乗って「えらい御役人が通る」ような格好をしたのである。特に「 お願ひ」「許し」というユーモラスな二言で待遇の篤さはくっきりと浮んでくる。 この厚遇は作品の冒頭に「台湾総督府民政長官下村海南先生並に、台湾蕃族志著 者森丙午先生に献ず」という謝辞から見ても察しられる。「霧社」(改造大正 14)や「 植民地の旅」(中央公論昭和 7)のなかでも下村の厚意に言及し感謝の意を表して いる。 台湾・南方紀行における佐藤と総督府の関係について、藤井省三は「前期二か月の 台湾滞在中は、総督府から距離を保つ私人の旅行者という立場を保証することとな るであろう。」②「森の尽力により…佐藤の立場を気ままな私人から、大日本帝国植 民地=台湾宣伝の為の取材という使命を背負った視察者に変えたのである。」③と述 べている。日本の植民地政策は撫民政策期(1895-1919年)・同化政策期(1919- 1936年)・皇民化政策期(1936-1945年)からなっている。佐藤の旅行及び創作は 同化政策期にある。当時植民地成果の宣伝をするために総督府は文化人の誘致活動 を行なっていた。したがって、佐藤は一私人としての旅をしながら多かれ少なかれ ① 現代日本文学大系 42 佐藤春夫集 東京都筑摩書房 昭和 44 年 6 月 P411-412 下線は筆者が読者に注意し てもらいたいためつけたもので、本稿における全ての下線はそのつもりでつけたものである。 ② 藤井省三「植民地台湾へのまなざし-佐藤春夫『女誡扇綺譚』をめぐって (アジアという視座<特集>) 」 日 本文学 42(1) 1993-01 P20 ③ 同④P29 5 植民地統治者である総督府らの影響下にあるのであろう。気晴らしをする旅行者と いう私的姿勢と台湾宣伝の為の視察者という公的姿勢の融合は作品の混沌とした 二つの顔を前もって用意しておいたと見える。 3 作品の表裏 3-1 表の情調 3-1-1 荒廃の美 人はよく荒廃の美を説く。又その概念だけなら私にもある。 (中略)私が安平で荒廃の 美に打たれたといふのは、又必ずしもその史的知識の為ではないのである。だから誰で もいい、何も知らずにでもいい。ただ一度そこへ足を踏み込んでみさえすれば、そこの 衰頽した市街は直ぐに目に映る。さうして若し心ある人ならば、その中から凄然たる美 を感じさうなものだと思ふのである。 「赤嵌城址」P254 作品の舞台は台南安平の最も奥の廃港「禿頭港」に設置し、物語の序曲としてま ず荒廃の雰囲気を作り出し凄然たる美を表している。「風雨曝されて物毎にさび れてゐる事が厭味と野卑とを救ひ、それにやっとその一部分だけが残されてある といふことは却って人に空想の自由をも与えた」という表現で示したとおり、「 私」は実景による荒廃の美に感動され、空想のネタを掴んだのである。こうした 荒廃の美の発見は名作「田園の憂鬱」(中外大正 7)に続いたものである。「田園」の 一節を掲げて分析してみよう。 それ等の遺された木は、庭は、自然の溌剌たる野蛮な力でもなく、また人工のアアテ ィフィシャルな形式でもなかった。反って、この両様の無雑作な不統一な混合であった。 さうしてそのなかには醜さといふよりも寧ろ故もなく凄然たるものがあった。この家の 新しい主人は、木の蔭に佇んで、この廃園の夏に見入った。 「田園の憂鬱」P11 真夏の廃園に面した時、主人公は自然と人工の混合に凄然たるものを感じ、官 能的な恐怖さえ感じたのである。荒廃の美は自然そのものが授けた美ではなく、 自然と人工が組み合わせた時に発する美である。佐藤は「人工と自然の境界、あ 6 わいの空間に心ひかれていくのだ」①。「女誡扇綺譚」の背景である廃市・廃港・廃屋 が示した美もまた単なる純粋な風景美ではなく、様々な歴史の痕跡が混じった美 である。世外民を「この港と興亡を共にした種族」、自分を歴史なぞに対して「無 関心者」と宣言しながらも、本当に歴史や伝統と向き合わずにはいられないだろ う。だから、「私」は「港の一語」で「この廃屋がやっと霊を得た」と感じられ、廃屋 が象徴する歴史的変遷の巨大さを認めたのである。台湾自体は古くから多くの政 治権力に目をつけられ、歴史の重みを感じさせる場所である。 1920 年代西洋諸国や日本は近代国家の健全と拡張を目指し猛スピードで発展 しつつある。このような質的変化を遂げた世界情勢のなかで、中国は明らかに立 ち遅れている。自然科学を礎にして経済利益の獲得を中心に立ち上った西洋諸国 や日本から見れば、東洋文明の発祥地である中国は政治体制といい、中華文明と いい、いずれも廃れつつ時代遅れの兆しを示している。中国の懐から引き裂かれ た台湾は停滞的な地域として日本という近代国家と否応なしに対面したのであ る。したがって、安平に映した荒廃は主人公「私」の目にしてみれば、自然や地理 的な荒廃だけでなく、もっと抽象的で広範囲のものである。政治権力の争いに負 け、近代思想に追い越された前近代のものを抱える中国の実態そのものが象徴し た荒廃である。荒廃の美は佐藤の美感、人生観にも繋がっている。浅見淵は「西 班牙犬の家」から「女誡扇綺譚」まで約十年間の間の作品は「退屈まぎらしのとこ ろから出発し」「近代的憂愁を捉えたものである」②と述べている。しかし、この近 代的憂愁と頽廃はもっぱら消極的でマイナスなものではない。寧ろ太陽を愛する 健全で前向きな一面もひそかに潜んでいる。第四章に展開した「荒廃の美」をめぐ る二人の論争から見て推測できよう。これについて本稿の後半で詳しく分析した いと思う。さらに、この荒廃した構図は後の怪奇と幻想を引き起こすメカニズム である。 3-1-2 怪奇の趣 歴史の風雨に曝され寂れた廃市の続きは荒涼たる一面の泥の海で、しかも、ポー 風の陰気な風景である。「アッシャ家の崩壊」の想起によって画面に荒廃の美だけ ① 川本三郎「大正幻影」1990 年 10 月新潮社 P183 井上洋子 「『女誡扇綺譚』の主題と方法―‹扇›の両義性 をめぐって―」 福岡国際大学紀要 No.11 (2004) P29 ② 浅見淵 日本現代文学全集 59 佐藤春夫集 佐藤春夫入門 東京都講談社昭和 39 年 1 月 P431 7 でなく、怪奇の趣も現し始める。エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)は十 九世紀アメリカの詩人・短編小説家・文学批評家であり、ゴシック風、シンボリズム、 唯美主義の大成者と称される。彼の小説は主にホラー・探偵・SFの種類に収められ、 「アッシャ家の崩壊」は怪奇性溢れる短編である。「英文双書64アッシャー家の崩 壊」の中で、註解者梶尾忠郎は作品について「THE FALL OF THE HOUSE OF USHER(1839 年)はRomance of Death(死に対する驚異を描く空想物語)に属し、早まった埋蔵や 死者の霊が他の人物の肉体に蘇生し、極端な憂うつ病者の妄想に符号する事実を伴 わせたものである。」①と解釈している。「女誡扇綺譚」に描かれた憂うつな「私」の 空想や狂女の腐れた死などと対照して両作品の共通点は少なくないことがわかろ う。佐藤はポーの作品を愛読し、彼の技巧と作風に傾倒したところがある。「私は、 呻吟の世界でひとりで住んで居た。私の霊は澱み腐れた潮であった。」②という「田 園の憂鬱」の冒頭は正にエドガアの詩の訳文である。 私の目の前に広がったのは一面の泥の海であった。(中略)それらすべてが一種内面的 な風景を形成して、象徴めいて、悪夢のやうな不気味さをさへ私に与えたのである。い や、形容だけではない、この景色に接してから後、私は乱酔の後の日などに、ここによ く似た殺風景な海浜を悪夢に見て怯かされたことが二三度もあった。 「赤嵌城址」P255 「奇怪な海」によって物語の展開は怪異の空気に覆われ、「私」に恐怖の情感を与 えたのである。「アッシャ屋の崩壊」の背景―寂れて寒々とした夕暮れの映像と違 って、「女誡扇綺譚」の背景は万物が烈日の蒸し暑さに喘ぐ真昼にあるが、主人公 「私」が感じた悪夢のような不気味さと脅かされた抑圧感は「アッシャ屋の崩壊」 にも負けないほど暗くて重苦しい感覚である。さらに、幽霊屋敷の伝説を彩るバ ックライトは浮世絵師芳年の絵画も見劣りするほどのもので異国情緒を生み出 し、「私」の感興にぴったりと合致したのである。月岡芳年について言えば歴史絵、 美人画、役者絵を主とする浮世絵師で、特に無惨絵で知られ「狂画家」「血まみれ 芳年」と呼ばれている。花嫁姿の狂女の腐りつつあった死様、大きな紅い蛾、隠 喩に満ちる扇、若い美しい男の笑みを含んだ縊死体、こうした映像は次から次へ と登場し、いずれも死の陰影が纏わりついて、物語全体の色彩を一層陰惨にして、 ① EDGAR ALLAN POE 解 ② THE FALL OF THE HOUSE OF USHER アッシャー家の崩壊 東京都学生社直読直解アトム英文双書64 現代日本文学大系 42 佐藤春夫集 1971 東京都筑摩書房 「作者と作品について」 昭和 44 年 6 月 8 P3 ポー――梶尾忠郎=註
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