『六甲英語学研究』(第 18 号), pp. 15-40, 2015 年 OED 第 1 版に関する辞書編纂論が 比較言語学から受けた影響 高増 名代 1. はじめに The Oxford English Dictionary1 (『オックスフォード英語大辞典』) の第1 版(以下、OED と略記)の編纂は、ヴィクトリア時代のイギリスで始まっ た 。1884 年 に 発 刊 さ れた 第 1分 冊 か ら 第 4分 冊 ま で を まと め た 第 1 巻 (A-B) が 1888 年に刊行され、1928 年には全 10 巻の出版が完了した。4代 にわたる編者のもとで、2,000 人以上の篤志文献閲読者 2 (volunteer readers) が用例収集に協力した末に完成されたという、実に壮大な国家事業であっ た。 本稿の目的は、OED 編纂に関する辞書論を書いた 19 世紀の筆者らが、 同時期に成立した比較言語学の思想や方法論からどのような影響を受けた のかを考察することである。考察の対象とする辞書論は次の4つである。 1. Trench, Richard Chenevix. 1857. On Some Deficiencies in Our English Dictionaries (Trench (1857) と表記) 2. [Philological Society]. 1859. “Proposal for the Publication of a New 3. [Trench R. C. et al.]. 1860. “Canones Lexicographici; or Rules to be English Dictionary” (“Proposal” (1859) と表記) Observed in Editing the New English Dictionary of the Philological Society” (“Canones” (1860) と表記) 4. Murray, James A. H. 1888. “ Preface to Vol. 1” and “General Explanations,” in Vol. 1 of the OED (Murray (1888) と表記) 次の2節では、OED 編纂に関する4つの辞書論が作成された経緯を振り 16 高増 名代 返る。3節では、比較言語学の定義と成立について考察する。4節では、 フランツ・パッソウが提案した、歴史的原則に基づく辞書編纂法を紹介す る。5節では、辞書編纂に対する比較言語学の影響を考察する。 2. OED 編纂に関する4つの辞書論作成の経緯 1933 年に OED が再発行された際に、補遺 (the Supplement) が1巻出た が、その冒頭に掲載された “Historical Introduction”(以下、”Introduction” と 略記)を参考に、これらの辞書論が書かれた経緯を振り返ってみよう。 19 世紀前半のイギリスに存在していた主要な辞書は、サミュエル・ジョ ンソン (Samuel Johnson) 編 A Dictionary of the English Language (1755) と、 チャールズ・リチャードソン (Charles Richardson) 編 A New Dictionary of the English Language (1836-37) だった。しかし、19 世紀半ばから、これらの辞 書の不備が指摘されるようになり、国語を記述した満足な辞書が欠如して いるのは国家の不名誉であるとの声が高まった (Murray 1977: 135)。 そのような愛国的気運に押され、1857 年6月に、「英国言語学会 3 (The Philological Society)」によって、既刊辞書に含まれていない語彙を集める 「未収録語委員会 4 (The Unregistered Words Committee)」が組織されること になり、その委員として、リチャード・トレンチ (Richard Chenevix Trench)、 ハーバート・コールリッジ (Herbert Coleridge)、フレデリック・ファーニヴ ァル (Frederick James Furnivall) が指名された (“Introduction,” p. vii)。 ウエストミンスター寺院の主任司祭トレンチは、1857 年 11 月の英国言 語学会の例会において、ジョンソンとリチャードソンの辞書の欠陥を指摘 した、“On Some Deficiencies in Our English Dictionaries(我が国の英語辞書 の欠陥について)” という講演を行い、それは同年出版された。 トレンチの講演を聞いた会員たちの間では、既存の辞書の補遺を作成す るだけでは不十分だという認識が広まり、翌 1858 年7月の例会で、英国言 語 学 会 は 、 新 し い 英 語 辞 書 の 編 纂 を 正 式 に 決 定 し (“Introduction,” pp. vii-viii)、1859 年に “Proposal for the Publication of a New English Dictionary (新英語辞典出版計画)” を発表した (“Introduction,” p. viii)。 同 1859 年に、コールリッジが、新英語辞典の初代編者に任命されたが OED 第1版に関する辞書編纂論が比較言語学から受けた影響 17 (“Introduction,” p. ix)、1861 年に病気で急逝したため、ファーニヴァルがあ とを引き継いだ。彼は、他のさまざまな活動にも興味を広げたため、編纂 作業が停滞してしまった (“Introduction,” pp. x-xi)。 そこで、言語学会の熱心な会員であり、グラマー・スクールの教員だっ たスコットランド人ジェイムズ・マリー (James A. H. Murray) が新しい編 者に推薦され、1879 年に正式に承認された (“Introduction,” p. xiii)。辞書の 出版は、オックスフォード大学出版局 (Oxford University Press) が請け負う ことになった (“Introduction,” p. xii)。このような新体制のもと、初代編者 マリーは、OED 第1巻 (1888) の冒頭で、“Preface to Vol. 1(第1巻の序文)” と “General Explanations(全般的説明)” という編纂方針を掲げた。 3. 比較言語学の確立 3.1. 比較言語学の定義 2個以上の同系言語(源を同じくする言語)を比較研究して同系関係 を 確 立 す る 学 問 を 比 較 言 語 学 (Comparative linguistics [ 以 前 は philology]) という…… (中略) ……比較言語学の最も大きな仕事は、 比較文法 (Comparative grammar) である。これは、同じ源をもつ1群 の言語を、音韻、語形、および統語法の面において比較研究し、その 源をなす言語、すなわち共通基語[祖語](Parent language) を再建 (Reconstruction) する。その上で、共通基語と下位諸言語との歴史的・ 発生的 (Genetic) な関係を研究するのである(石橋 1973: 180-81)。 19 世紀という自然科学の時代に誕生した比較言語学は、生物学と強く結 びつき、その定義には、生物学の概念が援用された。語彙や文法の対応関 係が認められ、共通の祖語から分化したと考えられる諸言語は、互いに「親 縁関係」にあり、一つの「語族」を形成すると考えられた(亀井他 1996: 741)。 英語は、インド・ヨーロッパ語族 (the Indo-European Family) に属する。 18 高増 名代 3.2. 比較言語学の成立 3.2.1. サー・ウィリアム・ジョーンズの発見 イギリス人のサー・ウィリアム・ジョーンズ (Sir William Jones) は、判 事として赴任したインドにおいて、1786 年に、“On the Hindus(インド人 について)” と題した講演を行い、サンスクリットとギリシア語、ラテン 語、ペルシア語という別個の言語が、語彙や文法において著しい類似性を もっていることから、それらは共通の源から生じた言語であると結論づけ た (Aarsleff 1983: 133)。この発見は、のちの比較言語学成立へのきっかけ を作ったと言うことができる (Aarsleff 1983: 134)。 ヨーロッパ大陸の言語学者らは、ギリシア語、ラテン語だけではなく、 現在自分たちが使っているゲルマン語やロマンス語、スカンジナビア語な ども、古代インド語と深い関係にあることを知り、これらの言語の共通基 語である、インド・ヨーロッパ祖語の再建に熱中するようになった。 3.2.2. グリムの法則 ドイツの言語学者ヤーコブ・グリム (Jacob Grimm) は、ギリシア語、ゴ ート語、古高ドイツ語の子音変化に見られる循環パタンのことを、 『ドイツ 語文法』(1822) 第2版において、「音韻推移 (Lautverschiebung)」と呼んだ (Harris & Taylor 1997: 190)。 この公式にはさまざまな欠陥があることがのちに指摘されたが、興津 (1996: 44) は、グリムの発見を次のように評価する。 「人間のささいな音声 活動の中にも、天体の運行にも比べるべき規則性の存在することが、証明 されたのであり、変転きわまりない音変化の背後には、これを支える原理 があることが発見されたのである。この科学的傾向は、その後の比較言語 学の発展方向を特徴づける、ひとつの強力な原動力となった。」 グリム自身は、この子音の循環性を法則であるとまでは認識していなか ったが、それを法則へと押し上げた背景には、その英語名称 “Grimm’s Law (グリムの法則)” の存在があったと言える。Jespersen (1964: 43) によれ ば、“Grimm’s Law” の名付け親は、ドイツの言語学者マックス・ミュラー (Max Müller) であるという。田中 (1993: 229) は、 「かれが与えた『グリム OED 第1版に関する辞書編纂論が比較言語学から受けた影響 19 の法則』の名のおかげでグリム自身が名づけた『音韻推移』 (lautverschiebung) は、より一層広く知られることになったとしても、『法 則』の名はそれに劣らぬ誤解を人々に与えることになったはずだ」と述べ ている。 3.3. 言語自然有機体観 なぜ、人間の意識外のところで、言語変化にこのような規則性が見られ るのか。音韻変化は、数世代をかけて徐々に行われるものであり、同時代 の人々がその変化を観察することはできない (Harris & Taylor 1997: 191)。 それゆえ、言語変化を、人間の意志の影響が及ばない領域のことのよう に見なし、ここから、言語の変化も、動植物の一生と同様、人間の意志が 関与することのできない、自然の法則に支配されているという見方が生ま れた。言語変化の規則性は、自然有機体の生長を支配する法則と同等視さ れるようになった。この言語自然有機体観 5 は、辞書編纂にも応用された。 4. フランツ・パッソウの辞書編纂論 比較言語学の帰納的方法論を辞書編纂に応用したのが、ドイツの古典学 者フランツ・パッソウ (Franz Passow) である。自身が編纂した『ギリシア 語中辞典』(1819-24) の序文において、パッソウは、次のように説明した。 辞書は、個々の語の生命の歴史 (life history) を、適切に、秩序立った 順序に従って説明しなければならない。つまり、辞書は、個々の語が、 いつ、どこで(もちろん我々が知り得る限りにおいてだが)、最初に 見つかったのか、どのような方向に発達したのか、その形式と意味の 発達に関してどのような変化を受けてきたのか、最後に、どの時期ま でに廃用となり、別の語に取って代わられると予想されるか、につい て述べなければならない。言い換えれば、立法者の役割である、干渉 したり (interfere)、規定したり (prescribe)、排斥したり (proscribe) す ることを一切望まず、見つかったことを正確に報告し、必要に応じて、 それを証明する証拠を示すだけで十分である (Aarsleff 1962: 432)。 20 高増 名代 既刊辞書の憶測的な分析とは対照的に、パッソウの辞書編纂論は、記述 的 (descriptive) であることを強く意識したものだった (Berg 1993: 130)。 イギリスでは、1843 年に、ヘンリー・リデル (Henry Liddell) とロバー ト ・ ス コ ッ ト (Robert Scott) が 、 パ ッ ソ ウ の 辞 書 を 基 礎 に し て 、 Greek-English Lexicon(『希英辞典』)を出版した。5.1.1 節で扱うトレンチ の辞書論は、この Liddell & Scott (1843) に影響を受けたものである。 5. OED に関する辞書編纂論が比較言語学から受けた影響 1節で紹介した4つの辞書論に対する比較言語学の影響を調べるために、 5.1 節では歴史的原則、5.2 節では同族言語の根源的な語源、5.3 節では英 語の歴史の範囲、5.4 節では収録語彙の種類という、それぞれの論点に関 する四者の考え方を考察する 5.1. 歴史的原則 5.1.1. Trench (1857) の方針 トレンチは、既刊辞書における、歴史的原則の適用が不十分であると述 べた。 「辞書は、語の古い用法や意味の連続的な変化を、適切な引用例によ って説明すべきである……語の歴史、すなわち、語が旅してきた意味の重 要な発達段階を、我々に提示すべきである」(Trench 1857: 34)。 ジョンソンの辞書が出版されたのは 1755 年であり、パッソウの提案を 活用できなかったことは、時代的に見ても当然である。ジョンソンの辞書 も歴史主義に則っているが、記述的方法や、同族言語の語根の追究など、 比較言語学に影響された「科学的」方法を意識していたとは思われない。 リチャードソンは、独特の辞書観をもち、思弁的な意義分析を行ったジ ョン・ホーン・トゥック (John Horne Tooke) の見解を積極的に採り入れた。 豊富な引用例は、一見歴史的方法を尊重しているかのように見えるが、リ チャードソンの辞書は、「人間の思想と精神の歴史を論証したものであり、 英語の歴史を記述したものではない」と Aarsleff (1983: 252) は指摘する。 OED 第1版に関する辞書編纂論が比較言語学から受けた影響 21 5.1.2. “Proposal” (1859) の方針 歴史的原則を、これまで以上に、明確かつ全面的に採用すると宣言した。 方針(iv) 個々の語の扱いについては、歴史的原則 (the historical principle) を一 様に採用すべきである。すなわち、これまでに行われ、試みられてき た以上に、明確かつ全面的に、それぞれの語の意味、あるいは種々の 意味の発達をその語源から示し、すべての変化を結びつける共通の糸 (the common thread) が存在することを明らかにする。適切な引用例に よって、それぞれの語が英語の中に出現した時代、また、古語、廃語 については、それらが消滅した時代も、可能な限り正確に確定するこ とに大いに留意したい (“Proposal,” p. 4)。 こ こ に 、 OED の も と の 表 題 A New English Dictionary on Historical Principles にある、“the historical principle” という語が出てくる。 歴史的原則とは、意味の変化を結びつける共通の糸が存在することを、 引用例によって証明する方法とあるが、 「共通の糸」という表現は、パッソ ウの定義にはなかったものである。この意味については、5.1.5.2 節で扱う。 5.1.3. “Canones” (1860) の方針 当辞典は、ある一定の範囲内における、英語にあるすべての語の存在 を記録する。その語とは、書かれたもの、話されたものを問わず、十 分な典拠を示すものであり、我々は、各語の歴史と派生を調査し、そ の語のいくつかの意味と適切な用法を、文献からの引用例によって、 十分にかつ正確に決定するだろう (“Canones,” p. 3)。 書かれたもの、話されたものを問わず、すべての語を記録するという記 述に注目されたい。OED の収録語彙は、実際には、「スタンダード書き言 葉」に限定されたのだが(5.4.2 節を参照)、この時点で、まったく異なる 22 高増 名代 構想が存在していたことは、OED 編纂史上見逃してはならないことである。 収録語彙の種類に関する “Canones” (1860) の提案は、5.4.3.1 節で扱う。 5.1.4. Murray (1888) の方針 マリーは、パッソウの歴史的原則を、次のように精密化した。 この大辞典の目的は、現在一般的な用法で用いられている、あるいは 過去 700 年間 6 のいずれかの時点で用いられたことのある英語の単語 の意味、起源と歴史を十分に説明することである。この辞典は、(1) 個々の語に関して、いつ、どのようにして、どのような形で、どのよ うな意味で、それが英語になったのか;英語として受け入れられて以 来、それはどんな形式と意味の発達を経験したのか;いくつかの用法 のうち、どれが時間の経過の中で廃用になり、どれがいまだに存続し ているのか;どのような新しい用法が、その後どのような過程によっ て、いつ生じたのか、を明らかにすること:(2) これらの事実を、そ の語が発生したと知られている時期から最近までの、もしくは現在ま での一連の引用例によって証明すること:そして、(3) 個々の語の語 源を、歴史的事実をもとに、現代の言語科学の方法と成果に従って厳 密に取り扱うことに極力努力することとする(“Preface to Vol. I,” p. vi)。 ジョンソンやリチャードソンの辞書以外に、グリム兄弟 (Grimm, J.and W.) の『ドイツ語辞典』(1852-1960)、リトレー (Littré, E.) の『フランス語 辞典』(1863-73) もまた、歴史的方針を採用した。 しかし、「歴史的原則」という語を表題の中に掲げた辞書は、OED のみ である (Osselton 2000: 60)。ここに、編纂者らの自負が感じられる。 5.1.5. 意義の配列順序 5.1.5.1. OED の意義配列は論理的順序に従っている。 OED は、歴史的原則に基づく辞書なのだから、意義は年代的順序に従っ て配置されているはずだと思いがちだが 7、これは誤解である。OED の意 OED 第1版に関する辞書編纂論が比較言語学から受けた影響 23 義配列は、原則的には論理的順序、すなわち意味的つながりをもたせた順 序に従っている。その問題を詳密に論じた Hultin (1986) を参考に、高増 (2008) では、マリーが論理的順序を選択した思想的背景について論じた。 論理的順序の基本となるのは、具象義から抽象義への変化である。 「 知的、 精神的、抽象的な語彙の全体は、もとをたどれば、具体的で、感覚で捉え ることができるものに行き着く。物質的なものと精神的なものとの間に類 似があることを認めて、意味を比喩的に転じた結果できたものである」 (Whitney 1869: 112)。例えば、apprehend は、 「捕らえる」という物理的な意 義から転じて、「理解する」という精神的な義で用いられるようになった。 マリーは、具象義から抽象義への変化を、論理的意義配列の基本とした (Hultin 1986: 43)。この変化は、自然有機体の、単純な形式から複雑な形式 への「進化」を支配する「法則」と同等の地位を獲得した。単純な生物が 複雑な生物に先行するのと同様に、具体的な意味は、抽象的な意味よりも 単純であり、抽象的意味に先行することは明白である (Hultin 1986: 43)。 意味発達が論理的であることは、西洋社会では「自明の真理」と見なさ れ (Hultin 1986: 47)、マリーにとっても当然の順序であった 8。 5.1.5.2. “Proposal” (1859), “Canones” (1860) の方針 「共通の糸」の意味が、“Canones” (1860) において明らかにされている。 語源から論理的に (logically) 推定されるさまざまな意味は、それらを つなぎ合わせる共通の、一本または複数の糸を示すように配列される。 各意味には番号を振り、そのあとに、その意味をもつ引用例が配置さ れるようにする (“Canones,” p. 6)。 logically という語が、注釈なしに使われていることに注意すべきである。 「共通の糸」とは、論理的つながりを指している。論理は、連続性を保 証するので、歴史資料上の空白も、論理によって復元することができる。 24 高増 名代 5.1.5.3. Murray (1888) の方針 意義の歴史的発達順序を決めることが、編纂上最も困難な仕事である。 これらの意義が発達してきた順序が、その語の歴史の中で最も重要な 事実の一つである。その順序を発見し、提示することが、語の歴史を 記述することを目指す辞書の最も困難な任務の一つである。もし歴史 上の記録が完璧であるならば、すなわち、個々の語の、その発生から のすべての用法が書き記された例を我々が所有しているのであれば、 それらを単に見せることで、合理的、あるいは論理的な発達 (a rational or logical development) をはっきりと示すことができる。歴史上残され た記録は、これを行えるだけ完全にそろっているわけではないが、た いていの場合、実際の発達順序を推論するのを可能にするのに十分で ある。当辞書でその順序を示す場合、英語の中で実際に最も古い意義 が最初に配置され、他の意義は発生したと思われる順序で以下並べら れる。しかしながら、その発達はしばしば多くの枝分かれした方向に 進み、時には平行したり、時には異なる方向に向かうので、それを一 本の連続した線として表すことができないのは明らかである…… (“General Explanations,” p. Xxi)。 意味の発達は、枝分かれしたり、異なる方向に向かうので、一本の糸の ように表すことができないと述べている点で、マリーのほうが、“Proposal”、 “Canones” と比べ、意味変化の複雑さを良く認識していることが分かる。 また、意義の配列について、「最も古い意義が最初に配置され、他の意 義は発生したと思われる順序で以下並べられる」とあるが、これを読めば、 OED の意義配列は年代的順序に従っていると考えるのも無理はない。 しかし、その発言の直前の、 「もし歴史上の記録が完璧であるならば…… それらを単に見せることで、合理的、論理的な発達をはっきりと示すこと ができる」という箇所に注意すべきである。意義を年代的順序に並べても、 それは、論理的順序にかなっているはずだとマリーは主張する。なぜなら、 論理的順序が、その語本来の、自然な発達順序だからである。 OED 第1版に関する辞書編纂論が比較言語学から受けた影響 25 マリーは、資料が語る事実としての歴史ではなく、論理に基づく「理想 の歴史」を語っているのだと Hultin (1986) は主張する。 マリーの言う歴史的発達とは、引用例が支配するものではなく、むし ろ、 「自然の秩序 (natural order)」、つまり「合理的・論理的発達 (rational or logical development)」に依拠していた。彼が、意義の歴史的順序を 「発見した」と言ったとき、心の中にあったのは、それらが作られた、 あるいは出版された年数だけではなかったはずである。むしろ、「発 見」とは、本質的には、「論理」という原理をさまざまな意義に適用 し、それらが、原義からどのような順序で発達したのかを示すことを 意味した。それゆえ、何の証拠もない語や、反証が存在する語ですら、 歴史的に配列することが可能になるのである。マリーが言うように、 「本当の順序を推論する」ことができるのである (Hultin 1986: 47)。 マリーは、自分が実証主義を支持したことと、それを理論上のモデルに 訴えたこととの矛盾を認識していなかったと Hultin (1986: 47) は指摘する。 5.1.6. 語の一生 (life history) を記録する伝記 (biography) トレンチは、語の生命 (life)、誕生 (birth)、死 (death)、伝記 (a biography) を記録するのに十分な注意を払っていないと述べた (Trench 1857: 33)。パ ッソウも、「個々の語の生命の歴史 (the life history of each single word)」と 言い、マリーも、「誕生した年 (the date of its birth)」、「個々の語の伝記 (a biography of each word)」(Burchfield 1993: 119) という言い方をした。 ここには、言語自然有機体観の影響が見られる。歴史資料の空白は論理 によって復元できるので、有機体としての語の伝記を描くのは可能となる。 5.2. 同族言語の根源的な要素の追究 トレンチ以降の辞書論では、英語としての語源だけではなく、インド・ ヨーロッパ語族の根源的な要素をも記述するという方針が採用された。 26 高増 名代 5.2.1. Trench (1857) の方針 トレンチは、既刊辞書では、語族、語系統の収録が不完全であると述べ たが (Trench 1857: 15)、彼自身の記述もまた不完全だった。English Past and Present (1855) の中で、語根から、語が自然に成長する過程を三段階に分け たが、その語根とは、文献の証拠のない、単なる想像上のものだった。 語は、その歴史の中で、連続的に3つの主要な段階を表していると言 える。まず、それは、自らの語根から生まれて自然に成長し (it grows naturally out of its own root)、それ自身の自然な意味で充満される。第 二段階で、語は、別の意味、つまり、古い意味から新たに引き起こさ れ、語源とは無関係になった意味をもつようになる。この段階では、 古い意味と新しい意味は共存するのである。なぜなら、一方が存在す るところに、他方がそれと共に存在することはよくあることだからだ。 第三段階では、新しく導入された意味は、その語が、所有するものの 半分だけであることに、つまり、その語が分割された一方だけである ことに満足できず、本来の正当な所有者を追い出して、独りで支配す るようになるのである (Trench 1855: 157, Hultin (1986: 43) で引用)。 トレンチは、一例として villain という語を提供した。 villain は、第一に、villanus という語だった。villanus は serf、つまり 「農夫 (peasant)」を意味する語で、農夫は、villa、つまり「農場 (farm)」 の付属者だった。第二に、農夫とは、当然のことながら、無礼で、利 己的で、不正直で、一般に不道徳な状態にあるものなので、このよう な資質は、常に農夫に属するものであると考えられるようになり、言 語の創造期の人々によって、永久にその名前と結びつけられるように なった。第三段階で、語源が示唆するような意味は何もかも失われ、 “villa” という意味もまったくなくなってしまった。農夫という意味は 完全に追放され、その名前で呼ばれる人の不道徳な面だけが残った。 その最終段階において、その語は、農夫だけではなく貴族にも自由に OED 第1版に関する辞書編纂論が比較言語学から受けた影響 27 使われるようになった (Trench 1855: 158-59, Hultin (1986: 43) で引用)。 トレンチの問題点を、Hultin (1986: 53) は、「語彙の発達は、順序立った (methodical)、秩序立った (orderly) ものなので、意味の歴史をたどること が可能である」という考えに固執したことであると言う。 5.2.2. “Proposal” (1859) の方針 同族諸言語の祖語の再建が比較言語学の目標だが、“Proposal” (1859) で は、言語を語に置き換えて、同族語の根源的な要素を見つけるという。 方針(v) それぞれの語の最も近い語源 (the proximate origin) を示すとともに、 語の最も古い形式の中に含まれる根源的な要素 (the radical element) を表していると思われる言語も含めた、同系統の言語と比較すること によって、それらとの類似点をいくつか提示する (“Proposal,” p. 4)。 ここでは、最も近い語源、すなわち英語としての語源と、同族語の根源 的な要素との、2種類の語源を示すと書かれている (Crowley 1989: 111)。 5.2.3. “Canones” (1860) の方針 “Canones” (1860) は、「語源付録 (the Etymological Appendix)」という欄 を、見出し語欄の最後に設け、そこで、同族語の語源解説を行うと言う。 「δ.語源 9」の箇所では、確実である、あるいは少なくとも可能性が 高いと思われる結果を記述することだけにとどめ、各項目 (the article) の最後において、「ε. 同族語における同系の諸形式」に含まれる、 英語以外の同族語の発達を論理的に遡って追跡し、その語の根源を見 つけるための議論が必ずなされるはずである (“Canones,” p. 7)。 “Canones” や “Proposal” が提示した二段構えの方針は、OED でも採用 28 高増 名代 された。英語としての語源に加え、同族語のさらに詳しい語源解説 (an etymological note) が必要な場合は、見出し語欄 (the headword section) の最 後に、四角括弧で括って記述できるようにした。 5.2.4. Murray (1888) の方針 5.2.4.1. 憶測的な語源記述からの脱却 マリーは、憶測的な語源には批判的だった。5.2.1 節のトレンチによる villain の説明を、次の OED における villain の第1義と比べてみよう。 Originally, a low-born, base-minded rustic(本来は、生まれの卑しい、心 根の卑しい田舎者);a man of ignoble ideas or instincts(下劣な考えや 本能をもった男) ;in later use, an unprincipled or depraved scoundrel(の ち の 用 法 で は 、 道 徳 心 の な い 、 不 良 の な ら ず 者 ); a man naturally disposed to base or criminal actions, or deeply involved in the commission of disgraceful crimes(卑しい行いや犯罪的行為を本能的に犯す傾向の ある男、または恥ずべき犯罪に深く関与する男) ;a. (Used as a term of opprobrious address)(口汚い呼びかけ語として)(初出例は 1303 年)。 OED は、villain が、「道徳心のない不良のならず者」という意味になっ たことには、トレンチと同様の見方をとっている。しかし、トレンチの言 う第一段階の意味、「農夫」を表す例を1つも載せていない。つまり、「農 夫」という意味で使われた実例を見つけることができなかったのである。 事実の裏付けがないことは記述しないという方針を守っている。 OED の語源記述は事実に基づいたものであると Silva (2000) は言う。 以上のような語源と意味との混同という遺物を考慮に入れれば、OED の偉大な業績の一つは、語源的研究を意味論から切り離したことであ ったと言えるだろう。それは、厳格な実証的研究 (rigorous empirical investigation) が必要となる OED 独自の方法であった。マリーは、ノ ア・ウェブスター (Noah Webster) のような、昔の辞書編纂者たちの OED 第1版に関する辞書編纂論が比較言語学から受けた影響 29 空想的な語源の組み立て方には批判的だった。「ウェブスターは、他 の多くの聡明な人々と同様に、語の定義だけではなく、その派生形も 自分自身の意識から作り上げることができるという考えをもってい た」(Murray 1900: 118) とマリーは述べている (Silva 2000: 78)。 マリーは、語源を、語の、事実に基づいた歴史の一部であると見た。 「語 源とは、単に語の歴史である。語の歴史とは、他のあらゆる歴史と同様、 実際に起こった事実を記録するものであり、起こったかもしれないと憶測 して作り上げるものではない」(Burchfield 1993: 118)。 5.2.4.2. 語源記述方針の後退の理由 語源の根源的要素の追究という意図は、マリーの方針では後退した。 もともと英語であると認められる語は、我々の知っている最も古い英 語まで遡る。さらに可能ならば、他のゲルマン言語やゲルマン方言の 同族語によって証明され、例証されるところの最も古いゲルマン語の 形式まで遡る。外国語が起源の語は、それらが直接借用されたり、形 成されたりしたもとの外国語の語や、その一部の要素までたどる。し かし、特にフランス語を起源にもつ英語は、もとのフランス語として の形式や構成要素までたどることにする。ただし、これらのフランス 語としての形式は、その語が英語に借用されてからの歴史や用法をよ り明確に理解する目的のためにのみ考慮されるものとする。もっと遠 縁の歴史を追跡したり、インド・ヨーロッパ語族としての、あるいは 他の語族としての「根源 (roots)」を探し出すことは、それらの英語と しての歴史とは無関係の部分である (“General Explanations,” p. XXi)。 Berg (1993: 121) によれば、オックスフォード大学出版局は、同時期に, スキート (Walter William Skeat) 編 An Etymological Dictionary of the English Language (1879-84) の出版を計画しており、その内容が OED と重なるので、 OED の語源記述を短縮、あるいは削除してはどうかと打診した。 30 高増 名代 マリーは当然反対したが、マックス・ミュラーから妥協案が出された。 ゲルマン語、フランス語まではたどるが、もっと遠縁の歴史までは追跡し ない、それ以上のことは、語源辞書に任せるという内容だった。 ミュラー案に合意したマリーの言葉は、それを反映したものである。し かし、彼の実際の語源記述には、合意内容以上の、根源的要素を見つけよ うとする試みが見られると Berg (1993: 121) は指摘する。 5.3. 英語の歴史の範囲 5.3.1. “Proposal” (1859) の方針 語の生死を確定するのであれば、言語の歴史も確定しなければならない。 方針(iii) 引用例の範囲を時代的にも定めるべきである。我々は、英語が始まっ たときから始めることに決定した。もっと厳密に言うならば、先行す るセミ・サクソン語 (semi-Saxon) とは区別される、英語らしい言語 タイプ (an English type of language) がはっきりと出現した時代から 始める。それは、ヘンリー三世統治時代の末期に起こった。もちろん、 この線引きも、他のいかなる線引きと同様に、困難なものであり、い くつかの明らかな矛盾を生じさせてしまう。なぜなら、我々の選んだ 13 世紀の文献リストの中には、サクソン語の母体のほうを英語より多 くとどめている書物が含まれているからである (“Proposal,” pp. 3-4)。 アングロ・サクソン語は、英語とはかなり違った特徴をもつので、二つ は異なる言語のように見えるが、言語自然有機体説の影響により、英語は 有機的に変化する連続体であるので、アングロ・サクソン語は、英語とは 別個の言語ではなく、英語の古い形式であると考えられた (Crowley 1989: 115)。事実、それは古英語 (Old English) と呼ばれている。 では、なぜ “Proposal” は、アングロ・サクソン語を英語の中に含めなか ったのだろうか。答えは、下のマリーの言葉の中に見つけることができる。 OED 第1版に関する辞書編纂論が比較言語学から受けた影響 31 5.3.2. Murray (1888) の方針 この辞書編纂の目標は、現在使われている語、あるいは 12 世紀半ば 以降使われてきたことが知られている英語の語彙の歴史と意味を明 示することである。12 世紀半ばと決めたのは、古英語、すなわちアン グロ・サクソン語の語彙全体を含めるために英語が始まった時期に戻 る以外には、この時期が唯一の自然な中断期だからである。古英語を 辞書に含めることは、膨大な語彙を収録しなければならないことを意 味し…… (“General Explanations,” p. xviii)。 アングロ・サクソン語を含めると、膨大な語彙数を収録しなければなら なくなるという、単に編纂作業上の事情だったことが分かる。 しかし、実際にどのような語が 12 世紀中期に使われていたのか、だれも 知らないのだから、このような線引きは不可能ではないかという疑問が出 された。そこで、執筆陣は、引用例によって我々が知っている範囲内の語 彙であると答えることで満足したと Crowley (1989: 116-17) は述べている。 5.4. 収録語彙の種類 5.4.1. Trench (1857) の方針 トレンチは、辞書編纂者の仕事は、言語の目録 (inventory) を完全なも のにすることであると述べた (Trench 1857: 5)。一方で、除外すべき語もあ ると言い、地方語・地域語と科学技術用語を挙げた (Trench 1857: 12, 49)。 専門用語は、語ではなく、単なる記号である (Trench 1857: 46)。 「辞書と 百科事典とは区別されるべきである。辞書の目的は、語について説明する ことであり、事物のことを教えるのではない」(Trench 1857: 49)。 5.4.2. “Proposal” (1859) の方針 “Proposal” (1859) は、英語の文献中のすべての語を収録すると述べた。 32 高増 名代 方針(i) あらゆる辞書がまず第一に備えているべき条件とは、それが例証する と述べているところの言語によって書かれた文献 (the literature) に 現れるすべての語を収録していることである (“Proposal,” pp. 2-3)。 “the literature” とは、文学に限らず、書かれたもの (writing)、書かれた 記録 (written records) という広い意味で使われている (Crowley 1996: 159)。 しかし、実際は、ある一つの種類の言語のみを収録の対象にしていた。 方針(ii) 電気や数学などに関する論文のように、純粋に科学的な主題について 書 か れ た も の と 、 地 方 の 方 言 を 説 明 す る 目 的 で 宗 教 改 革 (the Reformation) 以降に書かれた書物とを除く、すべての英語の書物を典 拠として認めるべきである。スタンダード・ランゲージ (a standard language) が形成されたのは、イギリスにおいては宗教改革以後のこ とであるが、それ以降は、辞書編纂者は、スタンダード・ランゲージ のみを扱うべきである。この時代以前の「英語」とは、実際には、サ クソン語と対立する英語らしいタイプを表している、数々の地方語の 総体を称する名前だった。したがって、宗教改革以前のすべての地方 語は、同じく辞書の典拠として認められる資格がある (“Proposal,” p. 3)。 Crowley (1989: 99) は、スタンダード・ランゲージとは、「国家の文化的、 政治的、地理的領域において、一様に (uniformly) 用いられる書き言葉で ある」と指摘し、この「スタンダード書き言葉」こそ、OED 編纂を実行可 能にする概念だったと言う (Crowley 1989: 117)。OED の編纂者は、この概 念によって、彼らの辞書が扱うべき英語の歴史と、参照すべき言語資料と の両方に、範囲を設定することができると考えた (Crowley 1989: 117-18)。 OED 第1版に関する辞書編纂論が比較言語学から受けた影響 33 5.4.3. “Canones” (1860) の方針 “Canones” の草稿を書いたのは、1859 年に英国言語学会の新英語辞典の 初代編者に任命されたハーバート・コールリッジだったが、他の執筆者ら による大幅な修正を経て、1860 年に刊行された。英語にあるすべての書き 言葉、話し言葉を記録するという野心的な計画に対して賛否両論が起こっ たが、最後はコールリッジの判断に委ねられたという (Bailey 2000: 209)。 “Canones” (1860) の全体編成は、トレンチの論文よりも広範囲になった。 Part I. Part II に含まれていない言語の中のすべての語を含む辞書は、 “the Main Dictionary” と呼ぶことにする。 Part II. 専門技術科学用語の語彙。人や場所を示す固有名詞の語彙。 Part III. 語源付録 (Etymological Appendix) (“Canones,” p. 3)。 5.4.3.1. Part I: “the Main Dictionary” に含まれる語 Part I には、言語中の普通語に加えて、αからηまでの特殊形も含まれる。 α.廃語 (Obsolete Words) β.地方語と地域語 (Provincial and Local Words) γ.固有名詞の派生語 (Derivatives of Proper Names) δ.専門的用語と科学的用語 (Technical and Scientific Words) ε.スラングの語句 (Slang Words and Phrases) ζ.アメリカ語法と植民地語法 (Americanisms and Colonialisms) η.不規則な比較級、最上級、過去形、過去分詞、複数形、格 (“Canones,” p. 4)。 注目すべきは、地方語・地域語、専門的用語・科学的用語、さらにはス ラング語句、アメリカ語法、植民地語法まで、あらゆる種類の語を、普通 語と区別することなく、平等に収録すると述べている点である。 34 高増 名代 5.4.3.2. “Canones” (1860) に見られる言語学的思想 “Canones” (1860) の最後に、結語と思われる一節が掲載されている。こ れは、コールリッジが書いたものであることは間違いないだろう。 OED が採用した「スタンダード書き言葉」は、英語の歴史と種類を限定 したものだが、コールリッジは、「現在の計画は、いかなる点においても、 一般読者にとって不完全なものであってはならない」(“Canones,” p. 10) と 述べ、限定することに反対した。彼の述べた理由を以下に紹介しよう。 ……これ[地方語法 (Provincialisms)、筆者注]は、今回の “the Main Dictionary” に含めることにした。もちろん、我々は、それを、科学 的用語を Part II で扱ったように、そちらに入れたほうがよかったかも しれない。しかし、そのように分割することにより、言語学的な (philological) 目的の価値が半減してしまうことが容易に分かるだろ う。このような辞書編纂事業における言語学 (Philology) の主張が、 他のいかなるものにも勝るがゆえに、“the Main Dictionary” のページ の中に、地方語法―引用例という欠くことのできないパスポートが備 わっていてもいなくとも―の場所を確保したのである。 トレンチの講演と出版計画では触れられなかったスラング語句と 固有名詞についても、我々は、それらに資格があると自主的に判断し、 その結果、ある制限のもとに収録することにした。今回の規則 (the canons) の中で我々が具体化し、熟考して立てた計画のほうが、理論 的な適合性に固執しすぎるあまり、多くの読者が役立たないと感じて しまうような計画よりも、最終的には、一般読者にとって満足の行く ものとなるであろうと我々は確信している (“Canones,” p. 11)。 この論述の重要性は、スタンダード・ランゲージのような理論的言語を 扱うのではなく、辞書は、方言、スラング、科学技術用語などさまざまな 種類が存在する現実の言語の総体を収録すべきであり、それが、言語学研 究に貢献することになると主張している点にあると思われる。 コールリッジは、1861 年に肺結核のため 31 歳の若さで急逝し、“Canones” OED 第1版に関する辞書編纂論が比較言語学から受けた影響 35 の壮大な計画は、彼の死とともに消滅してしまうのであるが、もし OED の初代編者がマリーではなく、コールリッジだったとしたら、OED はどの ような辞書になっていただろうか。 5.4.4. Murray (1888) の方針 マリーは、OED 編纂を実行可能にするため、語彙の種類に範囲を設けた。 ……英語の語彙には、その「英語性 (Anglicity)」が疑われることのな い、何千という中核的な語の集団がある。それらの中には、書き言葉 としてのみ用いられる語、あるいは、話し言葉としてのみ用いられる 語があるが、大半の語は、書き言葉にも話し言葉にも用いられ、それ らは、英語の「普通語 (the Common Words)」である。しかし、これら の普通語は、他の、普通語と呼ばれる資格のない語や、方言、俗語・ 隠語、専門用語、科学技術用語、外国の言語などの領域へとつながっ ているが、いずれの方向においても明確な境界線はない。英語の中心 部分は明確だが、周辺部分はあいまいである。 ……(語彙範囲の図は省略)…… しかし、辞書には限界があるので、辞書編纂者は、動植物学者のよ うに、分岐しているそれぞれの方向のどこかで線引きをしなければな らない。書物や会話で用いられる「普通語」、さらには科学技術用語、 俗語、方言、外来語のうちで、一般的な用法を獲得し、普通語として の地位に近づきつつある語をすべて収録しなければならない。しかし、 各人にとっての普通語の領域は、その人とつながりのある分野の方向 へと広がっているが、つながりのない分野の方へは実際に広がって行 かない。すなわち、一人の英語がすべての人の英語ではない。したが って、辞書編纂者は、各人のもっている語彙の大部分を示すことで満 足しなければならない (“General Explanations,” p. xvii)。 科学技術用語、方言、俗語の各領域の一部が OED で除外されたのは、 それらが、普通語ではないからである。ただし、普通語の範囲は、万人が 36 高増 名代 同意できるほど明確なものではないので、どこかで線引きをする必要があ る。 普通語の範囲内の話し言葉である「スタンダード話し言葉」について、 マリーの言葉からは、収録されるかのような印象を受けるが、実際は除外 された。その理由を、Crowley (1989: 119) はこう述べる。話し言葉を含め たすべての語を収録するのにどのくらいの年数がかかるのか、また、現在、 あるいは過去の話し言葉の典拠を何に求めるのか、といった問題が持ち上 がり、「スタンダード書き言葉」のみを収録することに落ち着いたという。 6. おわりに 本稿では、OED 編纂に関する4つの辞書論が、比較言語学の思想や方法 論から受けた影響について考察した。 第一には、フランツ・パッソウが、比較言語学の帰納主義に基づき考案 した辞書編纂法である(4節)。語の意味や形式の各段階の発達を語源から 示し、各段階の証拠として、文献からの引用例を付加するという、歴史的 事実に基づいた方針が徹底された。 第二に、類似する諸言語間の語彙や文法の対応に基づき、英語は、イン ド・ヨーロッパ語族に属することが判明したことである。辞書編纂において も、英語としての語源だけではなく、インド・ヨーロッパ語族の根源的な 要素を突き止めることを目標とした (5.2 節)。 第三に、辞書編纂に対する言語自然有機体観の影響である。語を一個の 有機体と見なし、その生死を記録することが辞書の仕事であると考えられ た。歴史資料上の空白は論理によって復元することができるので、語の伝 記を中断なく記述することが可能であると考えられた (5.1.6 節)。 論理による意味の復元と、事実に基づく調査とは、互いに矛盾する方法 論だが、マリーたちは、それには気づくことなく、どちらも「科学的」で あるとして、都合よく使い分けた (5.1.5.3 節)。 第四に、“Canones” (1860) において、コールリッジが、辞書編纂を言語 学への一つの貢献と見なしたことである (5.4.3 節)。彼は、辞書が、現実に 使われているすべての種類の言語を公平に収録することが、言語学研究に OED 第1版に関する辞書編纂論が比較言語学から受けた影響 37 益することになると考えた。 OED の収録語彙は、実際には、「スタンダード書き言葉」に限定された が、その編纂途中でコールリッジのような考え方が生まれたのは、言語学 の思想という新風が辞書編纂に吹き込まれた結果であると言えるだろう。 注 1.OED 第1巻の第1分冊 (1884)、続いて第1巻 (1888) が出版されたときの表題は、 A New English Dictionary on Historical Principles(『歴史的原則に基づく新英語辞 典』、略 NED)だった。1895 年発行の分冊の表紙では、その表題の上に “The Oxford English Dictionary” が加えられ、それ以降は、そちらのほうが通称となり、1933 年に第1版が再発行されたときに正式名称となった (Berg 1993: 146-47)。 2. 「篤志文献閲読者」という日本語訳は、永嶋 (1984: 33) から採った。 3. 「英国言語学会」という日本語訳は、小島 (1999: 325) から採った。 4. 「未収録語委員会」という日本語訳は、小島 (1999: 326) から採った。 5. 言語自然有機体説に反対し、言語は自然物などではなく、社会の所有物であると、 言語変化に対する人間の関与を主張したのが、アメリカの言語学者 W. D. ホイッ トニー (William Dwight Whitney) である。自然対人間の論争が当時の言語学界を 二分した。 6. OED が扱う年代を過去 700 年間としているのは、英語らしいタイプが現れたとさ れる 1150 年から 1850 年までを指している。英語の時代的範囲については、5.3 節で論じる。 7. 例えば、国広 (1997: 207-9)、池上 (2000: 47-48)、瀬戸 (2005: 98-99) などはいず れも、OED では意義は発生年代順に並べられていると述べている。 8. 児玉 (2013: 100) は、 「その[語義の、筆者注]発達過程に論理的必然性や言語普 遍性が存在するとみるのは辞書編集者や言語学者の錯覚である……諸言語の語 義獲得[拡大]の背後にあるのは、むしろ偶然性や恣意性である」と指摘する。 「どの言語集団で使用される新しい意味が言語共同体のものとなるか否かを予 測したり規定できるものではない」 (児玉 2013: 100)からである。マリーの描く 論理的意義発達は、単に理想の歴史であり、言語集団、言語共同体による採用と いう観点が抜けている。 38 高増 名代 9. 「δ.語源」とは、見出し語部分の構成要素 (α~ζ) のうちの、語源に関するも のである。“Canones” (1860) の全体構成を示した表は、5.4.3 節で提示する。 参考文献 Aarsleff, H. 1962. “The Early History of the Oxford English Dictionary.” Bulletin of the New York Public Library 66, 417-39. Aarsleff, H. 1983. The Study of Language in England, 1780-1860. Minneapolis: the University of Minnesota Press. Bailey, R. W. 2000. “‘This Unique and Peerless Specimen’: The Reputation of the OED,” in L. 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