山行クラブ会報 第34号 平成21年9月発行 タ イ ト ル 頁 タ イ ト ル 頁 随想:秋吉台遠足から槍ヶ岳へ(佐藤博) 1 随想:山行自戒有訓無訓8(小沼) 25 随想:吉永君の2000山登頂を祝う(成住) 2 故門司正之さんの急逝を悼む(小沼) 27 紀行:矢筈ガ山登山体験記(豊田) 4 故井上利保さんとの山行思い出(岩村) 28 紀行:石鎚から屋久島15日間の山歩き(小沼) 5 議事録・会員異動 29 随想:トムラウシ山の遭難事故に思う(舩木) 10 山行計画・平成21年第3期分 31 随想:無事帰宅するまでが登山(小沼) 12 ひやりハット記録 32 随想:映画『剱岳点の記』を観て(舩木) 13 山行実施報告一覧 34 俳句:山行の思い出(西川) 15 山行実施報告(34件)+自主山行記録 35 解説:山のおもしろ用語・隠語(小沼) 16 写真 70 随想:山の歌・考(瀬尾) 18 会員名簿 78 解説:海外旅行保険(西川) 23 編集後記、他 79 嘘や偽りだらけの世の中で、これほど真実と向き合える世界はない だろう。正しいものはあくまでも正しいし、間違っているものはあくまでも間 違っているのである。 (伊藤 達夫) 秋吉台遠足から槍ヶ岳 会長 佐藤 博 私の出身地は、山口県の秋芳洞近くの山間部で地元の小学校・中学校・高校を過ごしてき ました。したがって山登りといえば、秋芳洞の上にあるカルスト台地の「秋吉台(400m)」だけで あり、恒例の春秋の遠足を含め同じところに何回登ったか数えきれません。又、戦後間もない 小学校時代の遠足では、春「わらび」秋「センブリ(薬草)」を採集し供出して、給食の足しにして いたことを懐かしく思い出します。 入社後、新任地が旧清水支店であった為、富士山山頂でのご来光を一度体験し、本社勤務 時は独身時代に高尾山へのハイキングを数回行った程度で、現役時代は登山には余り興味は 沸きませんでした。 退社後、西川さんからニュージーランドのミルフォードトレッキング参加( 02 年 12 月)の誘い を受け、登山用具を装備したことをきっかけに IMC に入会し「登山」を始めました。 03 年 9 月に は中学校同期(秋吉台遠足仲間)の W 君と二人で、いきなり槍ヶ岳へ登山することになり、槍沢 から入り槍ヶ岳から大喰岳・中岳・南岳と初めて3千 m 級を縦走し、槍山頂での素晴らしい展望 と南岳から見た槍を通した日の出を堪能することができました。 「健全なる精神(心)は健全なる肉体(体力)に宿る」と言われています。 健全なる体力の維持は運動と食事の補給で充足できますが、精神(心こころ)を豊かにする 為には心に栄養を与え続けることが必要です。その為、特にリタイヤー後は、芸術・文化的趣 味あるいはボランティアー活動等、各人それぞれ実行されています。私にとっては ICM 登山が おおいに貢献しています。体力の強化に寄与しているのは勿論ですが、大自然との触れ合い、 達成感、集中心、冒険度(危機感)、チーム連帯感等、心に多くの栄養をもらい満足しています。 又、皆で汗を流した後でのささやかな美味しい一杯も心を豊かにしてくれていますことも勿論で す。 (平成21年6月 記) - 1 - 吉永君の 2000 山登頂を祝う 成住 平成 20 年 10 月大島三原山 764m を登頂し、 俊二 私も山行では努めてメモをとり記録する方 とうとう念願の 2000 山登頂を果たされま だが、あらためて踏破した山の数を聞かれ した。長い間本当にご苦労さまでした。 ても答えられない。 上高地、焼岳で君の日本百名山登頂をお この記録には、日本百名山、深田クラブ 祝いしたのは平成 14 年 8 月でした。もうそ 日本二百名山、日本山岳会日本三百名山、 ろそろ 2000 山登頂の日も近いのではない 全国各県最高峰、関東百名山、花の百名山、 かと、E メールしたら、 「体力低下を防ぐた 標高ベスト百山、日本百低山、関東ふれあ めにウオーキングに精をだしている。加齢 いの道がちりばめられていて「よくぞ登っ と共に簡単に出来そうなものがなかなか出 たり」と感心してしまう。登頂積重ねの記 来なくなりもどかしく思う。一生の目標に 録は即ち君が生きてきた証であり、IMC で 「登頂の山2000座」と「関東ふれあい 長く語り継がれるだろう。 の道」はやりたい。お会いして近況報告出 しかしこれまでに不慮の災難もあった。 来るのを楽しみにしている」(平成 20 年 4 平成14年 8 月、お墓参りの帰路、九頭竜 月) ダム下流の国道のトンネルを出たところで 次いで「草津温泉にご一緒してから丁度 乗用車同士の正面衝突、胸椎 2 箇所骨折で 一年になる。あの時、御飯山 2169mに登り 緊急入院。この時は 1630 山で終りかと思っ 2,000 山登頂まで 30 座だったが、今年の夏 たそうだ。 は天候不順やその他結構野暮用あり、1998 石川県白山市、笈ケ岳(おいずるがたけ) 座になって 2 ケ月停滞している。なかなか目 1841m をガイドと下山中、雑草に足をとら 標は達成できないものだと感じている」 (平 れ 20m 滑落、右足関節を骨折、顔面、頭部 成 20 年 9 月) に擦過傷を負ったが、自力下山、現地病院 三原山の 2000 山登頂記念登山に、残念な に手術入院した。(平成 18 年 5 月)回復が がら同行出来なかった。スケジュールが、 進むにつれ、慎重に歩度をのばし、フェニ かとれあ丸夜行日帰りで忙しそうだったし、 ックスの如く蘇り、遂に 2000 山登頂の念願 今の私の体調ではとても叶わぬと尻ごみし を果たした。 てしまった。 私達は何故山に登るのだろうか、誰かに 記録を見ると聖岳、赤石岳、劔岳、神津 頼まれて登るのでもない、登頂の数やタイ 島天上山、千葉愛宕山など一緒に登った山 ムを競うのでもない、寧ろ危険や困難に対 もあるが、今まで聞いたこともない山もあ 峙し難渋と忍耐を強いられるのに、何故山 る。何よりも驚くのは山行の記録である。 に登るのだろうか。小暮理太郎によれば、 記憶だけでは自分の足跡でもだんだん薄れ 「好きだから登る。登山は志を大にすると ていく。①計画し、②山に登り③これを記 いう。そうであろう。登山は剛健の気性を 録し、登山を三度も楽しむ姿は見習いたい。 養うという。そうであろう。曰く何、曰く - 2 - 何、皆そうであろう。ただ私などは好きだ た山に向かうだろう。2000 山踏破の勢いを から山に登るというだけで満足する」と答 誰も止めることは出来ない。 えている。 私など山行にお供してもそれは山麓の温泉 君は寡黙で粛々と歩く。憑かれたように 山に向かう一途な姿は正に「山が好きだか までである。いつか時を忘れて山談義した いものと思う。 ら登る」であった。時には奥様も健脚でご 一緒に山行を楽しまれたし、山野草につい サウンドオブミュージックで修道院長が ても造詣がふかい。歴史、文学、山岳信仰 マリアを励ましたように、君のため、私も など先人が歩いた道を訪ねるのもいい。 声高らかに CLIMB EV 加齢による肉体的制約はあっても、君はま 心から声援を送りたい。 RY MOUNTAIN を歌い (平成21年1月 記) Climb ev’ry mountain, すべての山に登りなさい Search high and low. 高いところも低いところも Follow ev’ry by-way,ev’ry path you know. あ な た が知 っ てい る す べて の 脇道 を 歩いてみなさい Climb ev’ry mountain,ford ev’ry steam, す べ て の山 に 登り な さ い Follow ev’ry rainbow, 小 川 を 渡り Till you find your dream. なさい す べて の すべ て の 虹を 追 いか け 夢叶うまで A dream that will need, 夢 は与 えら れる だけ の愛 を All the love you can give. こそ叶うもの Ev’ryday of your life, 生きている限り 毎日 与え て いつでも For as long as you live. Climb ev’ry mountain,ford ev’ry stream. す べて の山 に登 りな さい Follow ev’ry rainbow, 小 川 を 渡り Till you find your dream! なさい (The Sound of Music) す べて の すべ て の 虹を 追 いか け 夢叶うまで (野村伸昭 - -3 3- - 訳) や はず せん 「矢筈ガ山」登山体験記 中国百名山「矢筈ガ山(1359m)」は伯耆大山 豊田 治 頃、遂に雨が降り始める。登山中止の方向へ気 の北東に位置する大山の外輪山の一つで、その 持ちが傾きかける。取り敢えず雨具を着る。する 名は大矢筈、小矢筈と二つのピークが「矢はず」 とどうだろう不思議なことに気持が前向きになる。 に似ることに由来する。 瀬尾先輩から頂いたメールで、「四国の笹ガ嶺 かぶと せん 昨年 9 月下旬、この山の尾根に 甲 ガ山 に登っ 登山は風雨の中で厳しかった」とあったのが頭に た折、一時間も歩けば辿り着けたのに、キレット状 残っていて、少しぐらいの雨で諦めるなんて、とい の急坂に怖じ気づいて縦走を断念した私にとっ う気持ちもあって、再び行ける所まで、少なくとも ては因縁の山である。 大休峠の避難小屋まで登ろうと、自分に言い聞 5 月 23 日、岡山・鳥取県境にある中国百名山 かね かせる。 や せ ん 89 座目の金 ガ谷山 に登り、道の駅の車中泊で夜 対岸の地獄谷上方の山襞に残雪が見られ、山 を明かし、翌 24 日は中国百名山 90 座目「矢筈 陰の厳しい気象に思いを馳せる。避難小屋への ガ山」登山。気になる天気予報は「曇り後雷雨、 登山道周辺はブナ、ミズナラの原生林が見事で 所により激しく降る」だ。何時もの迷いの虫が出る。 感動的ですらある。特にミズナラは直径が一メー 登るか、止めるか、堂々巡りだ。折角ここまで来た トル以上の巨木である。 のだから兎に角、行ける所まで行こうと腹を決め るまでに、かなり時間がかかった。 9 時 30 分清潔な大休峠避難小屋に着き小休 止。避難小屋脇からの登りは様相が一変する。 登山口のあるよく整備された一向平野営場まで 露岩の急坂である。喘ぎ喘ぎだ。これしきの急坂 車で入る。誰か登る人がいると心強いのだがな、 が何だとの思いとは裏腹に、足は上がらず胸は と期待したが、誰もいない。この天気予報では余 苦しくと言った体たらくだ。やっとの思いで歩き易 程の山好きでないと登らないのだろうなと思った。 い尾根に出る。花が終わったイワカガミ、ショウジ よし! と気合を入れて 7 時過ぎ歩き始める。大 ョウバカマ、蕾を付けたマイズルソウ、それに色鮮 山滝吊橋手前で幅広の歩き易い平坦な道が終 やかなミツバつつじに少し元気を貰いながら、最 わる。そして地獄谷と大休谷が合流し加勢蛇川 後の急坂を息を切らしてどうにか登り切る。そこが へと下る深い渓谷に架かる吊橋まで急な木製階 一等三角点のある山頂で 10 時 25 分だった。雨 段 360 段余を降って、渓谷に架かる吊橋を渡り、 は小康状態だったが期待した山頂からの眺望は 登り返して往古を偲ぶ旦那屋敷跡(たたら士が 全く得られない。大山や 烏 ケ山 、更に日本海な 住んでいた所)、木地屋敷跡の標識を右に見て ども展望できる筈なのに。この先のピーク、小矢 20 分程で、日本名瀑百選に名を連ねる深山幽 筈へは、雷が発生する恐れもあることから、諦め 谷の趣がある落差 42mの大山滝に出る。滝見台 記念写真を撮っただけで急ぎ下山にかかる。 からす に降りて水量多い見事な滝に暫し見惚れる。ここ までは観光気分で訪れる人が多いようだ。 せん 下山中に山好きの男性三人、滝見物の三人に 出会っただけで土砂降りとなった雨の中、登山口 大山滝から「中国自然歩道」でもある山道を登 に着いたのは 13 時過ぎだった。豊かな自然が残 ると、ガスが漂う幻想的ですらある手入れの行き る変化のある良い山だった。惜しむらくは天気の 届いた美しい檜林の中だ。平坦で、腐葉土の上 良いときに登りたかった。それにしても体力が落 を歩くような足に優しい道に変わる。 ちたなぁ――。 急速に上空が黒い雨雲で覆われて、8 時 50 分 - 4 - [2,009・7・17 記] 石鎚から屋久島・15日間の山歩き ∼石鎚、祖母、阿蘇、尾鈴、市房、韓国・高千穂、開聞、桜島、屋久島縦走∼ 小沼 5月 16 日夜8時浜松町貿易センタビルの地 下から海賊(パイレーツ)のバスで出発。マイカ 英夫 心した。下りは危くて時間が掛かると言ってい た。 ーで既に四国の山を巡っている長谷川徹さん 試し鎖はパス。一ノ鎖(33m)を登る。二ノ鎖で らと合流するために、明日朝は西条の筈であ 小雨になった。鎖の太いのに驚く。直径 2cm 位 る。 で眼鏡型 50cmの鎖が続いている。濡れた岩 最近の夜行バスはよくできていて、3列のバス 肌は滑り易く、太すぎる鎖は力が入 りにくい。 だと、夜間は個人毎にカーテンで仕切られて 修験者にはこれも必要なのであろう。40 代と思 いて、個室風に工夫されているため、読書など しきカップルはスニーカーですいすいと登って には便利だ。持ち込んだ新田次郎の本も、乗 行 った。若 い人は元 気 がよい。上の道 は「獣 車前のアルコールが効いて間もなく熟睡。眼が 道」だと言って、鎖を降りてきた。我々は上の道 覚めると岡山市を抜けて、瀬戸中央自動車道 を進んで直に巻き道に合流できた。間もなく三 に入る所であった。 ノ鎖の別れの付近からは崩れ落ちた谷に架か バス会社からの説明では、伊予西条駅の南 るアルミの桟道が整備されている。桟道ができ 側 400mと聞いていたが、バス停は駅の近くの るまでは苦労した道であろうことが想像できる。 市民文化会館の前であった。バス会社のいい 足もとに霧が迫ってきた。11:15 弥山の石鎚神 加減な説明と携帯電話の有難さを痛感した。 社に到着。1982mの標識の前で記念撮影。社 長谷川さんと無事落ち合えて、瀬尾さん、住吉 の奥に回るとそこに三ノ鎖の到着点があった。 さんの待っている石鎚ふれあいの里に向かう。 覗くとほとんど垂直でここを 68m 登るのは怖い 過疎化した小学校跡にふるさと創生 1 億円 感じがした。天狗岳への道を休憩室の人に聞 事業による 10 棟位のケビンが斜面を活かして いて、鎖の付け根まで行ったが、風が強く、霧 建ててある。風呂のサービスもあって 1000 円 で鎖も見えない位なので、残念ながら断念。お 以下である。ここで荷物を詰め替えて、日帰り にぎりと甘酒を一杯飲んで、11:45 下りに掛か 支度で、住吉さんと私は石鎚ロープウエイ口ま った。外は既に強風が吹いていた。桟道では で、長谷川さんに送ってもらう。瀬尾さんと長谷 飛ばされそうである。試し鎖の近くの山頂側の 川さんは笹ケ峰に向かう。 小屋では本降りとなり、10 分位雨宿りをした。こ 石鎚は私にとってはリベンジ登山である。前 れから登るというベテラン風の数人が同様に休 回は数年前の4月8日に登って、残雪が多くて んでいた。面河渓へ下りるらしく、盛んにラジオ 二の鎖で撤退した。帰り道で、足を滑らして 10 で天候を気にしていた。 m以上滑り落ちて、顔は傷だらけ、メガネは紛 小降りになって休憩所を出るとほぼ雨は止み、 失、しかも翌日はパソコン同好会の発足 日で 成就社に無事下山のお参りをして、ロープウエ 皆の前に立たなければならないという苦い思い イ駅に 13:40 に到着。登山口の居酒屋には 2 出がある。 時過ぎに着いた。 ロープウエイで上がり、8:40 成就社に参拝。 無事登頂できたことを祝って二人で乾杯。 八丁坂小屋から前社ケ森小屋付近で正装した バスの時刻まで約1時間。ふれあいの里には 小学生も入った家族づれや数人のパーティー 15:40 に着いて、笹ケ峰組を待った。瀬尾さん に出会った。錫杖を持った白装束の山伏姿で はバスで東京へ帰ったので、この日からメンバ 1本歯の高下駄で歩いている。大きなホラ貝を ーの変わった3人となった。 掛け、多角念珠を下げ、行者頭巾を着け、護 18 日は移動日。四国の西の端の八幡浜から 摩状筥を背負って岩道をよく歩けるものだと感 臼杵へフェリーで渡り、30 数年振りでの臼杵の - 5 - 切り立った丘陵の崖面に彫りだされた国宝の て降りた。九合目小屋は管理人が時々いるら 磨崖仏を見学した。徳山製油所に居たころに しい。炬燵があり、「鈴は止めて入 室して下さ 社員旅行で大分を巡った時に見て、感動した い」の張り紙があった。築5年位の綺麗な小屋 ことやその後、数年間郵便切手になっていたこ である。小屋に寄らなかった女二人に追いつこ とを思い出した。その後、「荒城の月 」の岡城 うと急いだが、追いついたのは5合目小屋であ (豊後竹田城)跡を訪れた。立派な石垣群には った。ここで 12:30 昼食。駐車場が 13:05.ロッ 唸ってしまった。 ジ入口の別れが 13:32、ロッジ 13:45 の帰還で 祖母山麓神原(こうばる)キャンプ場に泊まる。 あった。 キャンプ場は 25 年位前に作られたような施設 管理人に電話を入れると、シャワーを使わせ で、その後は整備されていないようだが、10 年 てくれるとのことで、緒環レストランまで 30 分で 前までは大勢が利用していたようなポスターや 行き、汗を流し、ビールを続けて2本飲んだ。シ フラッグがそのままに貼ってあった。一応電気 イタケ農業とレストランの管理を兼業している息 と水道が使えるのはありがたい。これとは別に、 子と共に半時ほど緒環の説明をしてくれた。そ 最近は、また新しく部落の中心部に神の里交 の後、軽4輪のトラックの荷台に乗せてもらって 流センター「ふるさと薬膳レストラン緒環(おだ ロッジへ帰った。 まき)」が出来ていた。豊後竹田駅から車で 25 分は掛かる辺鄙なところで、墓地まで移転して 7時過ぎに帰還した長谷川さんと三人で今日 の無事を祝って焼酎を空けた。 作った、ほとんど使われてない箱もの行政の典 20 日は今日も快晴だ。6:00 に阿蘇山・仙酔 型のような立派な建物である。レストランなどや 峡に到着。長谷川さんは休息 で、住 吉さんと っていない。数年前に募集して行った伝統的 私が高岳を目指す。高岳鞍部の火口壁から左 な結婚式の写真が仰々しく飾ってあった。シャ へ進み、天狗の舞台を歩く。登山口からずっと ワー施設も男女各 20 名位で使えるものがある ミヤマキリシマがほぼ満開である。高岳に 8:50。 が、使われている形跡はない。過疎地の再生 中岳が 9:15。ここから火口東展望台までの火 の難しさを象徴しているように思った。 口の眺めは絶景である。草千里の火口西駅方 19 日 5:45 に徒歩でキャンプ場を出た。長谷 面からは火口の中に石を並べた文字を見たこ 川さんは湯布院へ向かったので、一の滝を見 とがあるが、東側からは荒らしくそそり立つ断崖 て、6:15 に駐車場に着いた。神原川の右岸を 絶壁の岩肌から噴き出す噴煙と硫黄の塊が見 登り、5合目小屋で 7:30。朝食。国観峠で右側 渡され、ダイナミックで生きている地球を見るこ の道を登る。10:15 頂上に立つ。大阪から来た とができ、感動を覚える。次への移動の時間を という4人組の内の女性二人が休んでいた。民 考えると、10 時に仙酔峡に帰ることになってお 宿・清流荘に投宿とのことであった。我々が頂 り、9:40 のロープウエイで下った。 上下で抜いた 70 前後の夫婦を待っているとの 次の予定の大崩(おおくえ)山の麓の祝子川 ことであった。奥さんはほとんど初めての登山 (ほふりかわ)キャンプ場のバンガローを目指し 風で登頂は無理なような歩きであった。 て出発。途中で天岩戸神社に寄る。天照大神 頂上からの眺めは最高であった。古祖母、傾 と建速須佐之男命の神話の世界である。明治 山が近くにあり、九重、阿蘇、遠くは湯布まで 天皇の「目に見えぬ神にむかいてはじざるは が眺望できた。30 分の滞在で、10:45 出発の 人の心のまことなりけり」の石碑がある。天安河 少し前にご主人が登ってきた。下山 を始めて 原を訪ねてみた。 2,3 分のところで、よろよろと登って来る奥さん 祝子川のバンガローは八角形のログハウスで、 に出会った。ご主人は連れ立って頂上へ向か 羽根布団、炊事道具とシャワー付で2段ベッド った。我々と女二人は九合目小屋の方を通っ 4名用の1棟が 3500 円とは有り難い。前日との - 6 - 落差で猶のことうれしい。だが、四国の東側か さんを迎えに行く。残留部隊は洗濯後、ミヤマ ら連日の登山と車の運転で疲れが溜まった所 キリシマ満開のえびの高原を散策。この地も例 為か、長谷川さんが熱を出してしまった。新型 外でなく、鹿が多い。バンビを連れた親子が真 インフレエンザの発生した神戸は通過しただけ っ赤なミヤマキリシマを背景に川辺で若芽をむ で、感染はしていないとは思うが、一晩中頭を しっているのは被写体になる。ミヤマキリシマに 冷やした。キャンプの時の水汲み用のバッグが も種類があり、場所によって土の影響を受ける 氷嚢の代わりをした。 のか、花の色が微妙に変わっている。休日で 翌日、運転ができるように回復したので、20 家族連れも多く、子供たちの元気な声が飛び 分位車で降りた町の病院に行った。新型インフ 交っていたが、3時過ぎには、潮が引くように静 レの検査体制で、鼻の粘膜採取をされ、半時 けさを取り戻した。夕陽を受ける韓国岳は時間 待って、普通の風邪の判定。薬をもらって帰っ と共に雰囲気を変え、明日が楽しみだ。 た。長谷川さんは準備がよくて、健康保険証の 25 日も快晴に恵まれた。韓国岳(1700m)を目 カラーコピーを持参していた。私はコピーは持 指して 6:20 キャンプ場を歩きだす。8:05 頂上 っているが、白黒で、保険組合の住所の古い に着く。数年前にも来て、背後に岩のごつごつ ものであることに気づき、帰宅後早速やり直し した噴火口、前方には幾多の古代に活動して た。反省、反省。 いたと思しき火口跡が 20 数座あるのに感動し 大崩山はパスして、尾鈴山と市房山を目指し て、日向サンパークのキャンプ場に向かった。 たのを覚えている。ゆっくりと見渡せる景色を味 わった。8:25 縦走に出発。ミヤマキリシマの中 22 日晴れ。尾鈴山(1405m)に登る。正面登山 を進んで獅子戸岳を 9:45 に通過。新燃岳・中 口駐車場を 9:15 に出て、頂上に 11:05 到着。 岳を通って、高千穂河原に 12:05 着。昼食。 11:20 下山開始。12:35 駐車場に帰着。尾鈴キ 12:40 出発し、高千穂岳頂上(1574m)に 14:30 ャンプ場駐車場に移動し、約 20 分の歩きで、 到着。今朝から歩いてきた韓国岳への山々が 日 本 滝 百 選 の一 つである矢 研 (やとぎ)の滝 綺麗に見える。頂上では天孫降臨の「天の逆 (落差 73m)を見学後、宮崎県西米良村の双 矛」を参拝した。坂本竜馬も妻おりょうと新婚旅 子キャンプ村に向った。 行で登ったと姉に報告している。360°の眺望 23 日も晴れ。市房山(1721m)に登る。登山口 を満喫して、15:00 に下り始める。噴火の軽石 駐車場を 8:20 出発。11:03 頂上到着。昨夜の がやや大粒であるが、砂走り気分で下山出来 焼酎の飲み過ぎか、何とも足が重くて、付いて るので、速い。16:10 には河原に着いた。タクシ 行けなく、皆の足 を引 っ張 ってしま った。反 ーで溶岩道路をぐるり回って 30 分でえびの高 省!の意味も含めて、往復 10 分位のところに 原へ帰った。 ある心見ノ橋を見に行く。岩の裂け目に、四角 翌日、26 日は移動日で、南鹿 児島の頴娃 い岩が斜めにひっかかったようになっている。 (えい)町のアグリエイキャンプ場を目指した。 怖くて渡れない。心を見透かされたような気分 途中で霧島神宮を参拝し、池田湖畔の大ウナ である。11:40 に下山開始。13:40 に駐車場着。 ギを展示している店で昼食。キャンプ場は種類 えびの高原キャンプ場に向かった。ここは市営 の違うメダカを養殖しており、メダカの普及に努 のキャンプ場で、この時期は5人用ケビンで1 めているのであろうか。子供用の工作材料も展 棟 1300 円とは有り難い。硫黄臭の強い沸かし 示してあり、春休みや夏休みには混み合うので 湯の風呂も付いている。ここは駐車場からケビ あろうか。我々の行ったときは隣に設置されて ンまではリヤカーに荷物を移して 300m 位運ぶ いる浴 場も休 みで、キャンプ場が休みの様な のが面白い。 感じであるが、管理人は休みの様な素振りはな 24 日快晴。長谷川さんは鹿児島空港へ西川 く、丁寧な応対であった。割り当てられた宿泊 -- 00 7 -- 所は一軒屋で料理道具、ガス・水道、風呂もあ れスマートになっていた。 り、二段ベッドに寝具付きである。これで一人 帰りは北側の道を下り、1 時間足らずでフェリ 当たり 2000 円以下で一泊できるのは有難い。 ーまで行ける予定で出発した。カンカン照りで 朝、庭から眺める開聞岳の姿は絶景である。 急いだが、なかなか港に着かず、予定をオー 早々に朝食を済まして、開聞岳(924m)登山口 バーしたが、出発間際の船で対岸に移り、2時 休憩所駐車場に着いたときは、どんよりと雨雲 前には高速艇のスケジュールを確認したが、 が立ち込めていた。8:05 出発。頂上に 10:10 明日ということになった。トッピーは満杯で、高 到着。途中から風が強くなり、頂上では雨も混 速船ロケットを予約して、天文館通り近くの池 ざり、眺望はほとんどゼロ。頂上に立ったことを 田さんが昨夜泊ったホテルに荷物を下ろして、 確認して、直ぐ下の祠の横の狭い広場で風を 市内観光に出た。 避 け な が ら 、 喉 を 潤 す 。 10:25 に 出 発 し て 、 タクシーで西 郷終焉の地 から城 山、照国神 12:30 に休憩所に入った。小雨になっていた。 社と南洲神社、磯公園(仙巌園)を回った。昨 ここでは登頂者に記念カードを渡している。年 年の NHK 大河ドラマの篤姫人気でこのコース 間3万人位が受け取って行くとのことであった。 は人気があるらしく、結構人が多かった。城山 大いなる観光資源である。大切にして欲しい。 観光ホテルにいる西川さんに出てきてもらって、 長 崎 鼻 の公 園 と灯 台 を見 学 して、この日 (27 池田、住吉さんの四人で芋焼酎を空けた。 日)の宿の指宿温泉の指宿海上ホテルに入る。 結局、全て一日遅れになって、予約のやり直 早速、砂風呂で汗を流して、疲れを取る。夜は しをやったが、上手く延 すことができ、先ずは 久しぶりのまともな和食である。これは明日の4 安心。 人の屋久島行き、鹿児島観光、及び雲仙、英 29 日は快晴で、前線も移動して、外洋も安定 彦山などに進む組とのフェアウエルパーティー しており、満杯の高速艇で屋久島・宮之浦港 でもある。 に 11:00 上陸。ここには食堂らしきものはなく、 28 日昨夜までの強い風雨は上がり、青空で、 売店でアンパンを買って、昼食とした。11:59 発 錦江湾は鏡の様に静かである。長谷川さんと バスで安房港近くの紀元杉行きのバスの停ま 西川さんとは屋久島行きの高速フェリーの出る るバス停に移動。できたて屋という弁当屋でお 鹿児島港で別れた。間もなく、ここから参加す にぎりを買う。店のおばさんは日食の宣伝や町 る池田(船長)さんと合流した。住吉さんが予約 の予算の使い方への不満の象徴として、サイ していた屋久島行きの高速艇 トッピーの乗船 ケ的椰子の木風の街灯を挙げて意見を述べて 手続きに行ったら「今日は外海の波が高いの いた。 で、出港できるか分からない。2時頃には決ま 確かに、けばけばしい色彩で、相当な金が掛 る」とのことである。 かったのであろうが、繁華街にある方がよい様 丸3時間はあるが、どう過ごすかを考えた。桜 なオブジェではあると思った。 島の展望台までは行って来られると読んだ。早 ここからバスで約1時間、14 時半に紀元杉に 速、荷物はコインロッカーに入れて、桜島へ渡 到着。7、8名いた乗客のうち、我々3名と女性 る。南側の溶岩道路を運転手の観光案内を聴 1名が淀川小屋を目指し、他の人は紀元杉を きながら進む。過去2回来ているので、大体の 見て、次のバスで帰るらしい。この女性は岩崎 道は分かっている。京大地震研究所の近くの 元 郎 教 室 に 通 う 自 称 「 ア ラ フ ォ ー 」 ( just 交差点で車を降りる。展望台まで車で行くのは、 40 ?)で、なかなかの健脚である。15 時半前 山歩きの者としては許し難い。最後の上りは歩 には小屋(標高 1380m)に着く。前回来た時よ いて行くことにした。快晴の下の桜島は目の前 りも大きく改築されていたが、既にほぼ満杯で、 に迫っていた。展望台の建物も化粧直しがなさ 外にブルーシートを張って夜露を避けて、シラ - 8 - フを広げる人もいる位である。彼女はアルコー けることは大切なことであるが、世の中に貢献 ルも行ける方で、予定以上に消費が進んだ。 して余生を生きるのは良いが、人の眼に触れる 翌日、30 日も晴れ。4:15 に出発。9:00 に宮 こともないために生き延びるのはそれも大切だ 之浦岳頂上に着く。曇りで眺望は良くない。祠 が、一番良い時に柱になった多くの杉も人間 は永田岳側に少し下った大きな岩の割れ目の に役立ってくれて有難うと言いたい。切り出す 中に安置されていた。前回の風雨の中で大阪 だけでなく、次世代を育てることもやらねばと思 の1人を救って皆で連れて降りたのを思い出し わせられた。 た。 結婚もせずに、自分だけ楽しめば、人に迷惑 焼野三叉路に荷物を置いて、空身で行き、 を掛けないのだからいいだろうと言っている若 永田岳の岩の上に 10:10∼10:20 まで居て、二 者の最後と縄文杉の肌が重なって頭の中を巡 度と来られない景色を脳裏に納めた。 っているのを感じた。 この時期はシャクナゲ祭りで、全山がシャクナ ウイルソン株で、株の中から青空を眺めた。こ ゲで一杯になると聞いていたが、宮之浦岳まで の上にあった杉は秀吉の大阪城で大黒柱にな はほとんど花はなかった。焼野からこちら側に ったのであろうかなどと思った。 ところどころでシャクナゲが見られた。この辺で ここから約 1.5 時間はトロッコ線の枕木を歩く。 は猿の群れにも出会った。鹿もいる。みなのん 住吉さんの計画では、楠川歩道出合に 9 時ま びりしている。事情通の話では、シャクナゲは 5 でに着けば、雲水峡でのバスの都合がよいと 年間隔位で花の量が変わるらしい。一昨年は のことで、飛ばした。途中で「間に合わないよ」 素晴らしかった、と言うことは、今年は最小の年 との声も聞こえたが、とにかくやってみようと急 に当たるのか。知っておればなあと思ってももう いだ。枕木の間隔が丁度いい。ゆるい下りでス 遅い。 ピードが付く。時々登って来る団体に会う。 新高塚小屋には 2 時前には着いた。予定より もうダメかと思った、丁度 9 時に出合の標識の 2時間も早く着いたが、これは正解であった。ツ ところに出た。左に曲がって登りに掛かる。辻 アーの先発隊が既に小屋の場所取りに来てい 峠 9:50 までは登り。そこから1時間で白谷雲水 た。我々は入口の一角 を確保 できた。この小 峡に到着。豊富な水で顔を洗い、11:00 のバス 屋は前庭がデッキ風に木道と同じ材料で小屋 に乗った。45 分で宮之浦港に着く。バスの運 の3倍位の広さの床高広場が出来ている。そこ 転手に教えてもらった食堂で縦走完遂を祝っ にテントを張っている人もいる。湯を沸かし、残 て乾杯と昼食。12:42 のバスで移動し、安房の りのウィスキーのお湯割りを飲みながら、ゆっく 民宿・志保に入る。石塚歩道を見に行った彼 りとした時間が過ぎて行った。夜空には天の川 女を誘って、民宿の主人推薦の居酒屋でトビ が見えた。こんな星空を見たのは何十年振りだ ウオの刺身で屋久島を味わった。彼女はまだ3 ろうか思い出せない位昔のことであった。あれ 日位島を回って横浜へ帰るとのことであった。 が小熊座、北極星と亡父が夜道で教えてくれ 翌日1日も晴れ。35 日降るこの島で3日間雨 たことを思い出した。都会では味わえない景色 に遭わないのは珍しい。がら空きのトッピーで である。 鹿児島へ。池田さんは飛行場へ。住吉さんと 31 日 5:30 に出発。1 時間で今回の目的の一 私はバスを博多で乗り継いで、2 日の朝にそろ つの縄文杉の前に突然出た。朝日を受けて七 そろサラリーマンで目を覚まし始めた新宿に着 千年の命が輝いている。荒れた肌を見るとよく いて、15 日間の旅を終わった。車の長谷川さ ぞ頑張ってきたな思う。可哀想にも思える。ふ ん、屋久島を計画してもらった住吉さん、楽しく と 94 歳の母の顔を思い出した。 盛り上げてくれた人々に感謝々々の満足の旅 命あるものは何時かは終わりが来る。生き続 - 9 - でした。 (2009.07.30) トムラウシ山の遭難事故に思う 去る7月16日(木)大雪山系のトムラウ 舩木 健 すぐ満員になってしまう。実際、私がヒサゴ シ山と美瑛岳で10名死亡という大変な遭難 沼の小屋に泊った時は定員超過で、中に入り 事故が発生した。原因は夏山では想定外の低 きれないほどであった。 温と冷雨強風に長時間さらされたためで、亡 厳しさの第三は、エスケープルートが全く くなった人たちの大半は低体温症=凍死であ ないことだ。つまり上記3箇所の登山口のど った。私は死者に鞭打つつもりは毛頭なく、 れかに下る以外に方法はない。山頂から最も これは稀に見る痛恨事故であり、心から哀悼 近い東大雪荘までは5時間40分となってい の意を表するほかになすすべはない。けれど るが、それも下りっぱなしというわけにはい も、何故このような不測の事故が起きてしま かず、カムイ天上というかなりシンドイピー ったか、は今後の参考のためにもできるだけ クを越えて行かなければならない。かつて私 明らかにしておかねばならない、と思う。 がここを越えたときは完全に顎を出し肩で息 ここではアミューズメントトラベル㈱主催 をするほど辛い思いをした。 の登山旅行(以下、A社山旅と略称する。)に 言及する。 以上のように実にハードな山なので、私の 百名山登山で98番目の山となってしまった。 私は平成10年8月に、このA社山旅と同 次に遭難原因の分析に入ろう。新聞やTV じコースを縦走した。今思い出してもトムラ でかなり詳しく報道されているので、それら ウシ山(2,141m)は実に厳しい山であ を考慮に入れた上で、私なりに考えてまとめ った。 た原因を以下に述べる。大別すると次の3か 厳しさの第一は、山の高さとアプローチの 条になる。 長さにある。北海道の最高峰旭岳とその約5 1.3人の山岳ガイド(以下、ガイドという。) km平方の範囲に位置する山々10数座を除 に重大な判断誤りがあった。 くと、トムラウシ山が唯一の2,100m峰 前日、ガイド3名が率いるトゥア参加者1 となるのである。このトムラウシ山には3つ 5 名( 55∼ 69才 )は 白雲岳 の小 屋か ら の登山ルートがある。最もポピュラーなコー 延々17kmに及ぶ長距離を、途中冷たい雨 スはトムラウシ温泉東大雪荘から往復するも に 打た れなが ら歩き 通し てヒサ ゴ沼 の小 屋 ので、山頂往復の所要時間は13時間半、こ に辿り着いた。濡れた雨具は一晩では乾かし れはまさしく日帰り山行の限界そのものだ。 きれない。問題の日の早朝、まだ雨が降って 二番目は天人峡温泉からのコースで、こちら いたので、出発時刻を30分遅らせて、一行 はヒサゴ沼避難小屋宿泊の1泊2日の行程で、 は昨日の疲れも充分とれぬまま雨の中へ出て 往復所要時間は18時間と非常に長い。三番 行った。暫く歩くと1人が急に動けなくなっ 目は旭岳からの縦走コースだ。途中、白雲岳 た。ガイド1人がその人に付き添った。 とヒサゴ沼の両避難小屋で2泊し、登頂後、 2人を残して他の16人は歩を進めた。北 東大雪荘へ下る。全行程40kmに及ぶ一大 沼あたりまで来ると、更に数人が動けなくな 縦走コースとなっている。 った。雨は降り続き、気温は4度まで下がっ 厳しさの第二は、避難小屋の規模の小ささ、 た。風速は25mと台風並みであった。降雨 つまり収容人員の少なさである。上述した白 と強風で体熱を奪われて低体温症に陥ったの 雲岳の小屋は60名であり、ヒサゴ沼の小屋 だ。こともあろうに、一行はガイドによって にいたってはわづか30名なので、どちらも この場に約1時間も立ち止まらされたのであ - 10 - る。警察に救助要請をしたのはまだずっと後 れ 帰っ てくれ る便利 なト ゥアが 多い 。そ の のことだった、と生還者は言う。この先で一 ような企画の登山に馴れ親しんでしまうと、 行の隊列は伸びきってしまった。先頭を行く た だお 金を払 うだけ で後 は他人 任せ にし て ガイドは警察に連絡をすると言って歩速を速 しまう。すべてあなた任せの山行になり、自 めたので、1人2人を除いて付いて行くこと 分 で考 えて行 動しな くな る。あ るい は今 回 はできなかった。 もそのようなお気軽参加がなかっただろうか。 (1)午後からは雨が上る、と考えてあえて 7月半ばの夏山縦走という安易な考えで装備 悪天候の中へ出て行ったことが最大の誤りで が万全でなかった人がいたかもしれない。だ あり、その結果重大事故につながった。前日 が、北海道の2,000m級の山は本州の3, の気象通報を聞きながら天気図を描くこ 000m級の山に匹敵するという。天候が急 とをしなかったのだろうか。 変した場合、やはり最後は独力で生還できる (2)体調が悪くて動けなくなった人が出た だけの体力・気力と必要最小限度の防寒用装 時点で小屋へ引き返すことは考えなかったの 備が必要なのである。現に今回、装備が万全 だろうか。 でなかった人は低体温症に陥るのが早かった、 (3)冷雨強風下で長い間立ち止まったため、 という見方もあるようだ。さらに、自力下山 全 員が さらに 体力を 奪わ れた。 何の ため の できた人は、15人中5人だけだったという 待機だったのか。 から、それなりの装備はやはり不可欠だった (4)3人のガイドのうち、このコースを実 のだ。今度の遭難で極限状況に置かれて奇声 際に歩いたことのあるガイドは1人だけで、 を発した人もいたそうで、それを聞いてすぐ 他の2人にとっては初めてのコースだった、 新田次郎の小説「八甲田山 という。これは大問題だ。未踏破者が大パー 後の場面を思い出した。 ティのガイドをするなどということは全く信 死の彷徨」の最 このトゥア・パーティも完全に寄合い世帯 じられない。 であった。今回のような限界状況の場合、同 2.会社の山旅に対する根本的な方針に問題 行者は自分の身を守るのに必死で、なかなか はなかったか。 他人の救助までは手が回らないものだ。まし 今回の山旅のパンフレットを見ると、この てやガイドによる指示や統制が全くなくなっ コースは「やや健脚向き」となっている。だ てしまっては如何ともし難いのであった。天 が本縦走コースは完全な上級コースであって、 候急変という天災的、不可抗力的な要因もあ 決して中級者向きとは言えない。その点で会 るにはあったが、人災という面が極端に強か 社の難易度についての認識の足りなさ甘さ、 った、と考える。 さらには安易な参加者募集の姿勢があったの ではないか。 加えて、A 社に限ったことではないが、山 旅 に予 備日が なく、 帰り の航空 便も 既に 手 翻って、私自身に関して言えることは、人 のふり見て我がふり直せ、であり、この遭難 事故をもって他山の石としなければ、と強く 思う今日この頃である。 配が終っていたことも強引に先を急がねばな ー完ー 7月25日記 らない大きな理由であった。 3.トゥア参加者側にも問題はなかったか。 最近は旅行代金を支払えば、街中から登山 口 まで 電車や バス等 の公 共交通 機関 で連 れ て行き山を往復してふたたび出発地点まで連 - 11 - 無事帰宅するまでが登山 北海道の山での遭難のニュースを見た。 亡くなられた方々のご冥福を祈ると共に、 この様なことにならないようにすることを 考えてみたい。近年、中高年の登山が多く なっており、山中で20名前後のグループ に出会うことも多い。今回の大雪山系の遭 難もガイドの付き募集ツアーである。メン バーは中国地方から関東までの50代後半 から60代が中心で、登山経験者で軽アイ ゼン及びテント泊の装備をしていたと報じ られている。私も山歩きが好きで、遭難の あったトムラウシには昨年登り、今年も先 週まで北海道の山を約十日間歩いてきた。 今年の山は残雪が多くて、予定していたカ ムイエクウチカウシでは山の中腹まで行っ て、撤退した。今回の事故を顧みると、現 地を把握していないことによる不幸が重な ったような気がして、実に残念でならない。 自分なりに以下のことを肝に銘じて安全 で楽しい山歩きを続けたいとものだと思う。 まずは、天候を把握して、無理をしない。 テレビ、ラジオなどで低気圧や前線の位置、 移動方向を把握する。強風、ガス及び雨の 中を歩けば、濡れて体力を消耗し、頂上は 吹きさらしで更に厳しい環境です。早めの 判断で、体力を温存できるように、一泊増 やしなどで、天候回復を待つことが大切で す。強風・豪雨の中を強行するのは、命を 失うことにつながります。当然ながら、非 常用食料は必携です。 風雨の中でのテントの展帳・収納は、ベ テランでなければ困難です。小型テントの 中では、濡れた衣服の乾燥は無理です。速 乾性衣服の着用が必要です。この時期の残 雪は陥没の危険もあります。雪の性質を知 ったベテランでも失敗することがあると聴 きます。4本歯の軽アイゼンだけではなく、 6本歯以上のアイゼンや輪かんじきなども 必要なことがあります。 北海道の山小屋は収容人員が15名前後 の避難小屋が殆どです。非常時には助け合 うのは当然ですが、シーズン中に20名も の団体が入ってきたら、どのような状態に 小沼 英夫 なるかを考え、ゆっくり体を休めるために は、ツアーの企画者はテントや携帯トイレ なども配慮して貰いたいと思います。 募集ツアーでは、お互いの経験・技量な どが分かりにくいのですが、パーティーを 組むからには、一番弱い人を考慮してルー トや時間配分を考えることが大切で、後続 が就いて来ていることを常に確認し、その ときの状況に合わせて、メンバーの意見を よく聞き、納得させ、無事下山できる方策 を考え、全員が協力することが大切です。 山は動きません。天候と通路環境の改善 を待って再挑戦する勇気を持ちましょう。 ツアーリーダーやガイドは、撤退を勧める ことも必要です。「無事帰宅するまでが登 山」であると考えています。 以上の文を要約して、読売新聞に投稿し ました。090725 の気流欄に以下の様になっ て掲載されていました。 「登山 撤収する勇気も必要」 国分寺市 小沼英夫 71 歳 北海道・大雪山系で登山ツアーの参加者 らが遭難して計10人が死亡した。現地を 十分に把握していないことによる不幸が重 なったような気がして、実に残念だ。 私も山歩きが好きで、つい先日まで北海 道の山を十日間ほど歩いてきた。今年の山 は残雪が多くて、山頂の近くまで行って、 やむなく引き返したこともあった。強風と 雨の中を歩けば、体が濡れて体力を消耗す る。頂上まで行けば吹きさらしで更に厳し い環境になる。風雨の中でのテントを設営 するのはベテランでなければ難しい。残雪 は陥没の危険もある。 山は動かない。天候と登山道の状況が良 くなるのを待って再挑戦する、あるいは撤 収する勇気が必要だ。ラジオなどを使って 天候を詳細に把握し、無理をしないことを 私も肝に銘じたい。 (2009.07.27) - 12 - 映画「剱岳 点の記」を見て 舩木 健 2007年から撮影が始まった上記の映画がこ 郎を演ずる香川照之。登山経験のないこの2人 のほど完成し、6月20日(土)に封切られた。一 が役に徹しきっていて、さすがだ!と感心させら 般公開されたら一刻も早く見たい、と思っていた れた。 が、初日と2日目は土曜・日曜だったので、3日 5.峻険な剱岳で起こる数々の自然の猛威、豪 目、つまり22日の午前10時の上映開始時刻に 雨強風雷鳴・雪崩・突然の落石等。このような危 合わせて出掛けた。 険な場面にCG(コンピューターを用いて作製す 前評判通りの素晴しい出来映えで、上映が終 る画像)を一切使わず、すべて現場で撮影した っても感動の余韻があって暫くは席を立てないほ のはすごい。それだけに実感がこもり迫力満点だ。 どであった。ここでは筋書きには触れずに、私の 登攀中、岩壁から谷底へ転げ落ちるシーンもあ 感想を思いつくまま箇条書きにしてみよう。 って、文字通り命懸けの演技だな、と手に汗握る 1.真っ先に挙げねばならない最大の魅力は山 思いで見た。 岳風景の美しさである。大画面に映し出された北 6.池辺晋一郎担当の音楽が実に素晴しい。ヴィ アルプスの峰々、特に当の剱岳や立山・薬師岳 ヴァルディの四季を中心に据えて、オーボエ協 などが圧巻で、遠く槍ヶ岳や富士山も大写しにな 奏曲(マルチェッロ作曲)や G 線上のアリアなどの って、それだけでもこの映画を見る価値が充分あ 名曲が登場。それぞれの場面にピッタリと合って る、と思った。加えて山陰(やまかげ)に夕日が沈 いて、この映画の価値を高めるのにさらに貢献し む美しい場面には涙が溢れてくるほどの感動を た。 覚えた。 次に、この映画の原本である新田次郎の小説 2.全編を通して明治時代(後期)の雰囲気がと 「剱岳 点の記」に話を移そう。 てもよく出ていた。建物や人々の服装、さらには この本を読んだのはもう何年前のことになるだ SLや創業期の市電など、時代考証には随分苦 ろうか?手元の現物が残っていないので、おそら 労があっただろうな、と思わせた。そんな中で、笑 く図書館で借りて読んだのだと思う。特に印象に 止だな、と感じたのは、陸軍軍人の未踏峰など簡 残った場面として鮮明に思い出すのは次の2ヶ 単に登ることができるんだというような思い上った 所である。 態度で、当時は何事にもあのような無謀な突貫 1.主人公柴崎芳太郎は、わが国で最後の地図 精神が支配していたのであろう。 空白部分として残された剱岳の頂上に、測量に 3.シナリオがよく練られている。陸軍陸地測量部 使用する三角点標柱を設置せねばならなかった。 と日本山岳会による初登頂競争という筋書きに だが、無類の難峰でどの登頂ルートも岩壁が険 なっていて、両者の熾烈な争いに一喜一憂する しく立ちはだかり一刻を争う登頂がどうしても達成 思いで見、上映時間の2時間半がアッと言う間に できない。悪戦苦闘を重ねながら頂上を目指し 過ぎ去った。(但し、初登頂をあのように競い合っ て行くと、ある岩屋に行者がいた。彼は「雪を負う た、というのは話を面白おかしくするためのフィク て登れ」と示唆した。この助言のお蔭で最終的に シ ョ ンのよ う で 、 実 際 には 疑 問 符 が つ くの で あ 長次郎谷を詰めることに決めたのである。 る。) 2.1907(明治40)年、柴崎の一行はようやく登 4.俳優陣がさすがにすごい。陸地測量部測量 頂に成功した。だが、前人未踏と思われていた 手柴崎芳太郎を演ずる主役の浅野忠信、一身 山顛(さんてん)には、奈良朝もしくは平安朝のも をなげうって柴崎の初登頂を補佐する宇治長次 のと思われる槍の穂先と錫杖が残されていた。さ - 13 - らには昔の焚き火の跡までも。(この部分を読ん 違わないのだから、あの頃の人たちの優秀な技 だ時のショックは忘れられない。古代の修験者は 術水準に驚嘆するほかはない。 人間業ではないことをものすごい精神力で成し 遂げていたのだ。) 映画を見るに当って、予めこの小説を読んでお けば、面白さは倍加する、と確信する。 常日頃、私が気軽に購入し山行の道しるべとし て当たり前のように使っている地形図は上記の小 説で読み、かつ映画で見たように、先人の想像を 絶する苦労によってつくり上げられたものであり、 参考までに付け加えておくと、柴崎測量隊の登 そのことに改めて思いを馳せ、感謝の念を持って 頂後、明治期の第二登頂は翌々年の1909年、 使うことが大事だな、と痛感する今日この頃であ 同じく長次郎谷を辿った吉田孫四郎によって達 る。 成された。(映画の中で、柴崎の好敵手役を務め 最後に私の剱岳登山の想い出を。 た小嶋烏水の名は剱岳登山史の黎明期には出 1982(昭和57)年8月6日の午後、室堂から地 てこない。しかし彼が偉大な岳人であったことは 獄谷まで行き1泊。翌7日早朝、別山乗越まで急 「日本アルプス」を著し日本 山岳会初代会長を 斜面を登り、主稜線である別山尾根を左へ辿る。 務めたことでも判る通り赫赫たる実績がそれを証 無類の快晴の下、剱御前・一服剱・前剱と岩尾 明しているのである。) 根を爽快な気分で登って行くと、いよいよ最大の 二転三転した剱岳の「背の高さ」についても触 れておかねばならない。 上述のように、1907年、柴崎芳太郎一行が命 難所として名高い、通称カニのタテバイのすぐ下 へ着いた。鎖場なので順番待ちを余儀なくされる。 が、思ったほどのすごさはなく岩壁を登りきった。 懸けで登頂を果し5万分の1地図を作り上げた時 さらにガラガラした岩場を行くと、数十年来の の標高は2,998.02M(四捨五入して2,998 夢、剱岳の山頂に到達。まさに感慨無量!(この M)であった。その後、1930(昭和5)年に同じく 時の標高は2,998M であった。)頂上は大勢の 陸地測量部が再測量した結果、3,003M となっ 人で賑っていた。下りは往路を引き返し、14時過 た。だが、この数字が出た根拠経緯は今ではあ ぎ、今宵の宿剱御前小屋でザックを下ろした。 まりよく判っていないそうだ。更に戦後20年以上 8日は剱沢の長い雪渓を下り、二股から仙人乗 経った1968(昭和43)年、国土地理院が航空 越までは急坂を登り返す。午後、仙人池ヒュッテ 写真を使って測ったところ、再び2,998M という を過ぎてさらに行くと、突然雷鳴とにわか雨が襲 結果になった。この時点でわが国の貴重な3,00 来。暫く岩陰に身を潜めて雷雲の通過を待つ。1 0M 峰1座が消えてしまったのである。当時の登 6時ごろ、その晩泊る仙人の湯に到着。早速、小 山界の落胆ぶりはことのほか大きく、私もひどく失 屋の前の露天風呂に飛込んで汗を流した。9日、 望したのを覚えている。 阿曽原小屋まで下り、そこから左下方向へ。激流 最終的に2004(平成16)年、精度の高い GPS で名高い黒部川、その左岸の断崖絶壁にコの字 (全地球測位システム)を初めて使って測量した 形に大きく削って造られた水平歩道(別名、日電 結果、2,998.60M(四捨五入後2,999M)と 歩道)を約4時間歩く。最後の大下りの後、ようや 確定した。「あと1M あればなあ」と言う声が登山 く欅平に辿り着いた。 界や地元の人たちから上ったという。私も至極残 念に思った。 実に厳しく、かつ変化に富んだ剱岳単独登山 を無事終えることができ、大満足であった。 それにしてもつくづく感じることは、明治時代の 平成21年6月27日記す 測量技術は大したものだ、ということである。現在 の最新技術を駆使して測った標高と僅か1M しか - 14 - 山行の思い出 春時雨たった一人の無人駅 雪解川中州の若木ふんばれり 安曇野や顎に氷柱の石地蔵 凩の山路一夜に一変す 峠駅 湯檜曽川 安曇野 榛名山 筑波山麓 丹沢山 落日や植田の描く幾何模様 玄倉川 空カンの白きつつじや山の小屋 濁流に化ける清流男梅雨 高千穂岳 三つ峠 万緑や木漏れ日白き石畳 鳥海山 争いと思えぬ老鶯右左 大雪渓眼下に雲湧き明け渡る - 15 - 山のおもしろ用語・隠語 山登りに参加するようになって、先輩の皆さ 小沼 英夫 (6) 空身;荷物を背負っていない状態。 んの使う用語・隠語が理解できないで、曖昧な (7) ガレ場;石や岩がごろごろしている斜面の 返事をしていたことを思い出す。事あるごとにメ ところ。フランス語の Galet(小石)に由来という モしていたものを整理してみた。不足している 人も。ザレ場は石がガレ場よりも細かく、ザラザ こと、理解が間違っているところは、諸賢のご指 ラしているところ。 摘を得て徐々に充実していきたいと思います。 (8)キジ撃ち;男の排便行為が、雉を打つ (1)一本立てる;休息すること。杖にしている棒 猟師の姿に似ているからと言う。その場所を を荷物の下につっかい棒にして立てて、荷物 「キジ場」と呼ぶ。「キジを打ってくる」と の荷重をゆるめて肩を休めたことに由来する。 言ったら、期待して付いて行ってはいけない。 → 一服する(たばこを吸う)も同義語。 女性の場合は「花摘み」と言う。使った紙な (2) 右岸/左岸;隠語ではないが、歩くルー どはきちんと埋めておきましょう。 トを説明するときに「川の川下に向かって立っ (9) キレット;切れ処、切戸から来ているらし た時の岸」を言う。地図を示しながらの説明の い。尾根が大きく切れ落ちたところ。唐松岳の ときにも頻繁に使う。 滝の場合は上流に向か 不帰のキレットや槍穂の大キレットが有名。→ っての状態を言う。滝の上 流に向 かって右の 「窓」。 壁を右壁と呼ぶ。 (3) 鞍部(あんぶ)=コル;ピークとピークの間 の低くなったところ。馬の鞍を載せるところから 来 ている。コルはフランス語 の Col(首)に由 来。 (4) エビのしっぽ;木や草の葉に着氷した氷 が風に吹く方向に伸びている形が海老のしっ ぽに似ていることに由来する。 (5) カール;ドイツ語の Kar に由来。稜線下 部がスプーンでえぐられたように丸くて広い谷 地。劇場のステージ部の平面をカールボーデ (10) しゃりばて;シャリは寿司屋の「しゃり」= ン(底)と言うことからの略か。穂高の涸沢カー 白米。バテは「ばてる」から。合わせて、ご飯を ルが有名。 しっかり食べていないか、食事を上手く摂れず に行動していてバテること。急に力が抜けたよ うになって、歩けなくなる。疲れる前に、何かを 食べることが大切。 (11) 体感温度;風に当たっていると気温より も寒く感じること。風速1mで体感温度は1℃下 がると言われています。風の吹くときは、体を極 端に冷やさないように衣服に気を付けましょう。 雨や汗で濡れたときは低体温症になって、死 に至ることがあります。→ 疲労凍死。→ オロ ク。 - 16 - (12) テン場;テントを張る場所。国立公園では (20) モルゲンロート;朝焼け。夕焼けは「アー 勝手にテントを張るのはマナー違 反です。管 ベントロート」。共にドイツ語由来。 理人の許可を得て、張りましょう。 (21) やせ尾根;尾根で両側が削られて、細い (13) 読図(どくず);地図を見て、等高線や各 尾 根 に な っ て い る所 。 更 に 厳 し い 状 態 は → 種印を見て、登山ルートを見極めること。 「ナイフエッジ」。昔は通れたのですが、大山は (14) トラバース;岩場、草場、雪渓などを横断 通行禁止になっています。戸隠でも怖い思い すること。→ 同じような言葉に岩場での「へつ をしたことがあります。 る」があります。 (22) やぶこぎ;灌木や笹などが道を覆ってい (15) のっこし(乗越);尾根のコルや鞍部など る状態のところを歩くこと(道のないところを言う で、一方から反対側へ越える場所。道がはっき こともある。これが本当の「藪こぎ」であろう)。 りしているところは峠だが、乗越は道が明確で (23) 廊下;両側が切り立った狭い岩壁の沢が ない時もある。昔から「のっこし」と呼ばれている 流れる部分を言う。主に沢登りの用語。→ ゴ 所で、槍付近の飛騨乗越などが有名。 ルジュ(仏語) (16) パレット;控壁、胸壁とも言う。大きな壁を (24) 輪かんじき;雪国の歩行用具。「輪かん」 側の壁で支えているような急峻な所。北岳パレ とも言う。スノーシューにお株を取られつつある ットが有名。 ようです。 (17) ひざが笑う;山の下り道を歩いていて、疲 (25) ラク(または ラーク);「落石!注意して」 れてくると、力が入らなくなること。転倒すること の短縮語。崩れ易い道(沢、岩場)を登る(下 もあるので、空身にし、周りの人が支えてやるこ る)ときは、岩石を落下させないように注意しな とが必要のこともある。 がら進むことが第一であるが、万一、落石を起 (18) ビバーク;露営。予定外の露営は不時露 こした時は大声で「ラク」と叫んで、下の人に注 営で、フォストビバークと言います。 意を喚起しましょう。 (19) ブロッケン現象;一方に太陽、他方が山 (26) オロク;遭難死体のこと。「南無阿弥陀 や霧のような状況のとき、これがスクリーンのよ 仏」の六字の六におを付けたものか。「あいつ、 うな役割となり、人などの姿が虹色の輪となっ ロクっちゃって」などと言われないように、注意 た後光を帯びたシルエットで映し出される現象。 深い山行を徹底したいと思っています。 二重山稜で背に太陽が昇る時などに、後光を (27) ぽっか;山で荷物運搬をすること、また 発する自分の影を見ることができます。ドイツの は荷物運搬をする人。「歩荷」とも書く。昔 100 ブロッケン山に由来するようです。 kg以上の荷物を山小屋まで背負い上げること を仕事にしていた人が山々に居たという。小説 「強力」もその一人であろう。 (28) ホワイトアウト;濃い霧や吹雪に取り囲ま れて一面真っ白になって、視界がなくなること。 新田次郎の作品には、これで命を落とす様子 が多く出てくる。 道迷いに繋がるからである。 倒木の多い林の中や残雪の広いところでも、 同様の道迷いになり易いと聞きます。 夏の富 士山でも、つい最近事故になっています。気を 付けたいものですね。 - 17 - (2009.07.20) 「山の歌」考 瀬尾 一太郎 とが分かった。純然たる山の歌ばかりではない。 私は山の歌が好きである。パソコンをやって い る と き に B G M と し て WINDOWS MEDIA 山で歌う歌ということで唱歌、叙情歌、民謡、フ PLAYER のライブラリに保存してある山の歌を ォークソング、その他歌であれば何でも、まさに 流し、単独行での下山路が単調な時など鼻歌 いろいろである。ロシア民謡が多いのも、戦後 で出て来るのも主として山の歌である。 の歌声運動の名残であろう。聞いたことがない 最近は、すっかり山の歌が聞かれなくなった。 昔、と言ってもそれほど昔でもないのだが登山 山の歌が出ていると思ったら、その本の編集者 が作詞したものとは笑わせられた。 と山の歌は切っても切れない縁があったように 学校や企業の登山部、ワンゲル同好会等で 思う。 引き継がれているであろう山の歌集もそれを編 「岳人」の2001年の6月号に「よみがえれ山 集した人間の考えで取り上げられていると思わ の歌」という特別企画が載っていた。やはり最 れる。40年前に学生ワンダーフォーゲル会議 近、山の歌が歌われなくなったという危惧感か で編纂された歌集 を見たところ、「人生 劇場」 らのもので、私の考えと合致するものであった。 「さすらい」といった演歌まで含まれていたのに 夜になればテントの中で歌う、雨のため山小 は驚いた。 屋で停滞すれば歌うといった具合であった。昔 テープやCD等で市販されている山の歌で 人間なら、キャンプファイヤーで歌った思い出 は、歌手としてダーク・ダックス、ボニー・ジャッ を持つ人も多いと思う。 クス、芹洋子、横内正(俳優)等が歌っている。 山小屋で歌えば自然発生的に、同宿者も歌 山の歌について、山の自然を謳歌するもの、 いだし大合唱になった。プライバシーがうるさく 山の思い出にまつわるもの、山を愛する人たち なり、知らない者との関わりを避けるようになっ を表すもの、特定の山を讃美するもの、山の遭 た昨今では、山小屋で歌など歌ったら怒鳴ら 難 死 を悼 むもの と定 義 したの を見 たこ とが あ れるのが関の山か。 る。 30年くらい前には山小屋で歌唱 中には、山岳部の部歌、県歌として作られた 指導もあった。恐らく今でも大学と ものもある。前者には「守れ権現」(慶応大学山 か高 校 の部 活 では山 の歌 が歌 い 岳部部歌)、エーデルワイスの歌(法政大学山 継 がれているのではないだろう 岳部部歌)、北岳の歌(専修大学山岳部部歌)、 か? 蔵王の歌(東北大学山岳部部歌)、剣の歌(早 戦 後 すぐ共 産 党 の政 策 か若 者 稲田大学山岳部部歌)、山の四季(北大山岳 が山のサークルをつくり、ハイキングが流行っ 部部歌)、山の友よ(成蹊大学山岳部部歌)、 たことがあった。同時に歌声運動が盛んになり なため(明大ワンダーフォーゲル部部歌)、旅 ロシア民謡のほか山の歌もよく歌われ広まった 鳥(全日本学生ワンダーフォーゲル連盟歌)等 時代がある。 が有名である。県歌としては長野県の「信濃の 今のカラオケでは、山の歌としては「雪山讃 国」が親しまれている。 歌」と「山男の歌」くらいしかないのではないか。 ただ、その中身は、外国の歌を翻訳したもの、 今や数少ない歌声喫茶に行けば歌集に山の いろいろな歌の替え歌等があり、勝手に歌詞を 歌が載っており歌うことが可能である。 変えることもできるので、一つの歌でもその歌 山の歌と一言で言ってもいろいろである。山 の歌という本を国会図書館まで行って調べて みたが、その本の編集者によって様々であるこ 詞がいろいろあり、ややこしいこと、この上もな い。 結局は特にこれとこだわることなく、山で歌え - 18 - る歌なら何でもとなるのだろうが、山で歌える歌 最近、できた山の歌もある。みなみらんぼうは ではなく山を歌った歌(前述の定義が参考に 昨今、山の雑誌に記事を書いたり山づいてい なる)のみに山のうたを限定したいものだ。 るが、「山遊歌」という歌をつくった。歌っている これらの歌はどのようにして生まれたのであ ろうか?信仰登山、修験者の時代ではなく近 のがこれまた山づいている女優の市毛良枝な のはご愛嬌。 代登山が始まって、学校に登山部ができて歌 ができていったのであろう。 海外の山に行ったとき、キリマンジャロでは 現地のポーターたちに「キリマンジャロの歌」と 山の歌としてよく知られている定番の歌にそ の経緯が伝えられているものがある。 いうのを習った、ネパールのトレッキングではシ ェルパ族の歌「レッサンピリリ」という歌を覚えた。 「雪山讃歌」は京大の学生であった西堀栄 三郎がスキー合宿で、吹雪で閉じ込められた 海外にも土地土地で山の歌があるということで ある。 新鹿沢の宿で、「愛しのクレメンタイン」の替え 山歩きそのものもロマンであるが、さらに山の 歌を作詞し山岳部の部歌にした(西堀がつくっ 歌を歌うことでその想いが倍加される。将来的 たのは一番だけ)。この歌のヒットで京大学士 にも定番の山の歌が継承されて欲しいもので 山岳会のヒマラヤ遠征の強力な財源になった ある。 といわれる。 近い将来、私も山に行けなくなる日が来るで 「遥かな友に」は終戦後、早大グリークラブ常 あろう。そのときには山の歌を聴きながら(口ず 任指揮者だった作曲家の磯部俶が、貧しくて さみながら)ビデオに撮りためた山の画像を眺 合宿に参加できなかった学生らに思いを寄せ めることになるのであろうか。 てつくったと最近、知った(朝日新聞 08.9.7 朝 刊)。 参考 山の歌ベスト10 「穂高よさらば」は映画「雷撃隊出動」の替え (岳人 2001.6 月号 50 人の調査から) 歌で、アルピニスト芳野満彦が作ったといわれ 1.岳人の歌 るが、微妙に異なる歌詞のものがあり作詞者も 2.エーデルワイスの歌 別人のものがある。芳野が作ったのは1番だけ 3.山の四季 で、山男・山女たちの間に広まる過程で、次々 4.なため と詞が付け加えられ、記録に残っているかぎり 5.雪山讃歌 では 10 数番まであるといわれる。ちなみにこの 6.坊がつる讃歌 歌の作曲者は古関裕而である。 7.シーハイルの歌 「シーハイルの歌」は、林征次郎が青森の大 鰐スキー場での合宿で、当時流行していた鳥 8.穂高よさらば 9.思い出の赤いヤッケ 取春陽作曲の「浮草の旅」のメロディーに替え 歌として歌詞をつけたもの。 谷川小唄 10.いつかある日 参考 市販されている山の歌集 山の歌・海の歌 音楽之友社編 (音楽之友社) 1963 山の男の歌110 黒木惇而編 (協楽社) 1982 カラー山のうた 土橋茂子編 (山と渓谷社) 1967 山のうたごえ(山渓文庫11) 土橋茂子編 (山と渓谷社) 1962 山のうた150 土橋茂子編 (山と渓谷社) 1981 山の歌集 土橋茂子編 (山と渓谷社) 1992 - 19 - 青春の歌声喫茶愛唱歌全集から 坊がつる讃歌 《坊がつる》は阿蘇山の北東に位置し、大分 県の西部九重山群の山間にある小さな湿原盆 地です。《つる》とは、山から水が押し流した土 砂が堆積してできた扇状地で、周辺に法華院 白水寺の坊があったので《坊がつる》と呼ばれ た。元歌は広島高師の山岳部歌で、元歌の作 者神尾明正は1937年(昭和12年)頃の作と いう。1952年、当時九州大学生だった松本征 夫・草野一人・梅木秀徳の三人が坊がつるの 山小舎「あせび小屋」で小屋番の退屈しのぎ に替え歌を作り、これが山の仲間たちによって 歌い広められた。芹洋子が熊本県阿蘇高原の コンサート後、会場にいた登山グループからこ の歌を聴かされ、これがきっかけで1978年に レコード化した。 山のロザリア 哀愁のある優美なワルツのこの歌は、ボデス バーニャに属するロシアの民族舞踊曲「アレク サンドリア」に、丘灯至夫が歌詞をつけたもの である。従って「ロシア民謡」という表現は間違 っていて、「ロシア舞曲」が正しいと思う。1956 年(昭和31年)、織井茂子の歌唱でレコード化 された時は全然反応がなく、1961年(昭和38 年)に女声コーラス・トリオのスリー・グレイセス が歌ってから、歌声喫茶で愛唱されて有名に なって行った。ロザリアは丘灯至夫が創作した 女性名で、鎖=ロザリオではありません。元来は 器楽曲でしたが、歌詞をつけて歌ってみると、 ロシア民謡風の悲しみが秘められた美しい歌 にお色直しされてしまった。 山小舎の灯 1946年(昭和21年)、シベリアより引き揚げ てきた米山正夫が近江敏郎の部屋を訪ねた際、 米山が戦前、ポリドール専属時代に高峰秀子 のために作った半音階で進むスイングするよう なこのメロディーを近江に渡し、NHKの「ラジ オ歌謡」への売り込みを依頼した。1947年(昭 和22年)10月に、近江敏郎の歌で「ラジオ歌 謡」で紹介されるや、忽ち大 ヒットし、「のど自 慢」の常連曲になった。ところが米山は、北ア ルプスの地図を買う金さえなく、旧制成蹊高校 の学生時代、多勢のグループでキャンプした 日本アルプスの想い出に自らの想像を加えて 詞をはめこんだので「暮れゆくは白馬か穂高は 茜よ・・・」の詞に 白馬と穂高の両方が見える 山小舎はない とクレームがついたものだった。 北帰行 1961年(昭和36年)、ボニージャックスの歌 った「北帰行」は、フランク永井の「君恋し」と最 後まで日本レコード大賞のグランプリを競い、 八票の差で敗れた。作者の宇田博は、1940 年(昭和15年)、創立したばかりの旅順高等学 校に入学したが、ガールフレンドとのランデヴ ーがバレて、1年2ヵ月で退学処分になった。 宇田は自分のデカダンスが容れられなかった 悔恨と絶望の歌を友 人に残した。別れの日、 友人たちと円陣を組んで一緒に歌ったが、この 歌は旅順から北の奉天の自宅に帰ることを歌 っているので「北帰行」と名づけられた。最初ボ ニーが歌ったレコードは「旅の唄」という「北帰 行」の替え歌だったため、宇田から発売中止を かけられた。そしてボニーが吹き込み直しをし ている間に小林旭がレコーディング、漁夫の利 を得てヒットに結びつけた。 夏の思い出 毎年5∼6月頃になると季節の名曲としてよく 聞かれるこの歌は、1949年(昭和24年)6月1 3日から石井好子の歌でNHKの「ラジオ歌謡」 で放送された。爽やかで、ちょっぴりもの悲しく、 詩の持つ美しい抒情をそのまま表現した中田 喜直のメロディーは、今では女声合唱に編曲 され、ママさんコーラスでも非常に良く歌われ ている。1980年(昭和 55年)6月16日発行 の〈日本の歌シリーズ 第六集〉の記念切手 に、安野光雅の画に なる「夏の思い出」が 選ばれたが、これは現 存する作家の作品で は最初のことだった。 高原の清澄な水や爽やかな空気など、尾瀬湿 原の美しさを謳いあげている詩です。この作品 によって尾瀬と水芭蕉は突然有名になり、夏に なると全国から大勢のハイカーが訪れるように なった。 - 20 - おお牧場はみどり チェコ共和国のボヘミア地方の民謡ですが、 チェコでは余り歌われていない。というのは原 歌詞は、領主が若い娘の尻を追いかけるという 歌だったからだ。原題は「Ej,l u cka l u cka」 で、1973年に来日したチェコのプラハ少年少 女合唱団に日本で知られたこの歌の演奏を希 望したが、指揮者のボフミール・クリンスキーは 歌詞の内容から難色を示したことがあった。19 世紀の終り頃、アメリカ新大陸に渡った移民た ちがアメリカで広め、それが日本に伝わった。1 956年(昭和31年)8月7日より、宮本正の歌 で、NHKの「ラジオ歌謡」に取りあげられてか ら、広く愛唱されるようになり、今日では音楽教 科書にも収められている。 おおブレネリ 19世紀からあった原曲に、詩人で国民軍中 尉だったツイベリが歌詞をつけ、1910年にスイ スのルツエルンで出版し、第一次大戦中に愛 唱された。現在、スイスではそれほど有名でな く、ややメロディーが趣を異にしている。日本で はキャンプ・ソングとして、遠くの山あいにいるミ ス・ブレネリ(女声)を、スイッツランドの若者が 一生懸命に呼ぶ(男声)掛け合いの型で楽し まれている。この明るいマーチ調の曲は、アメリ カ経由で伝えられたもので、フォークダンス曲と してもよく踊られているし、キャンプ・ソングにも ぴったりの歌です。 アルプス一万尺 独立戦争(1775∼81)で歌われて以来、ア メリカの愛国 歌 として親 しまれており、原題 は 「Yankee Doodle」。「ヤンキー」はインディア ンの言葉で卑怯者の意味だが、いまではアメリ カ人全体を皮肉って呼ぶときに使われる。「ドウ ドル」は一説には「まぬけ野郎」の意味だといわ れる。平易なメロディーなので、アメリカのみな らず世界中で沢山の替え歌が生まれた。これ は日本でもっとも有名な替え歌のひとつで、山 登り好きの人によって創作され、歌い広められ た、リズミカルで楽しい歌である。 いつかある日 井上靖の小説「氷壁」の中で主人公魚津の 日記の中に出てきたこともあって、一層有名に なった登山者仲間の間で歌われる歌。フランス のアルピニストであるロジェ・デランの詩を、作 家でありヒマラヤの有名な研究者で「日本百名 山 」の著 者である深 田久 弥が訳して雑誌 「岳 人」に載せたものに、1956年(昭和31年)、関 西登高会の西前四郎が作曲した。西前が名乗 り出ないこともあって、暫くは作者不詳になって いた。1959年頃から流行りだした歌声喫茶で 盛んに指導されていたが、変拍子リズムのため、 みんなで合わせることがとても困難だった。ケ ルン=登山記念に山頂に積まれる石塚、ピッ ケル=氷壁上で使われる杖と斧と鳶口の三つ の機能を備えた用具。 山男の唄 広島県江田島にあった海軍兵学校で、土曜 日の午後から日曜日にかけてのカッターによる セーリングの際に愛唱された「巡航節」の替え 歌である。これにも元唄があった。「嫁にゆくま い 石 屋 の 家 に、 石 がドン と来 りゃ 後 家 にな る よ・・」という、岡山県笠岡市北木島の民謡「石 切唄」がそれだ。これが1961年(昭和36年) 頃からブームになった歌声喫茶ではやりだし、 ダーク・ダックスがレコーディングしてヒットにし、 1962年のNHK紅白歌合戦で歌って流行を 決定的なものにした。手拍子をたたいて謳う気 楽な歌で、この曲の大ヒットでダークは、それま でかけ離 れていた大衆との距離 を縮め、親し みやすいコーラスグループの印象を大衆に与 えた。 シーハイルの歌 ダーク・ダックスが福島県磐城地方で採譜し てきて、1960年(昭和35年)3月にレコーディ ングしてヒットさせた曲。<シーハイル>とはド イツ語で、山で会った人達がお互いに交わす 挨拶の言葉である。この歌は、1930年(昭和5 年)青森県大鰐スキー場の合宿に、参加したと き、林征次郎が作った歌といわれてきた。ところ が、元歌は、1923年(大正12年)に演歌師の 鳥取春陽が作詞・作曲した「三年の昔に故郷 をいでて、旅から旅へと漂らう我身・・」という、 演歌の「浮草の宿」の替え歌と判明した。近年、 鳥取の出生地、岩手県下閉伊郡刈屋村(現新 里村)に、この歌碑が建立された。岩木のおろ し=秀麗な姿で津軽富士と呼ばれる岩木山に 吹 く強風のこと。梵珠嶺 ・阿 闍羅 =青森 県 大 鰐スキー場にある山。 - 21 - ホルディリディア お国元のスイスはもちろん、世界で最も有名 な民謡である。曲名を「ルツェルンからヴェッギ スへ」、別名を「リギの歌」ともいう。リギはスイス 中部、山の名で、夏には登山客で賑わいルツ ェルンやヴェッギスといった湖畔の名が詠われ ている。 ホリディリ は 今日は良い日 といっ たヨーデルの挨拶で、ハイキングにかっこうの 軽妙な唄です。東京少年少女合唱隊が早くか らレパートリーに加えて歌っていたが、1961年 (昭和36年)にNHKの「みんなの歌」に取り上 げられてから、急速に日本中に広まった。 静かな湖畔 輪唱曲としてキャンプやハイキングなど、集 いの時には欠かせない歌で、三つのグループ に分れて三部輪唱をしている。各グループとも <カッコウ>のところのテンポが早くならないよ う、歯切れよく歌うとよい。朝霧にけむる湖畔、 小鳥たちが少しずつさえずりはじめる様子がう たわれているようだが、誰がいつ作ったのかは っきりしていない。デューク・エイセスはさすがコ ーラスグループの王者 らしく、このシンプルな 歌にさまざまなアレンジを施して、コーラスの面 白味をたっぷり聞かせてくれている。 雪山讃歌 ジョン・フォード監督の名作西部劇「荒野の 決闘」(1947年8月12日封切)の主題歌にも なったアメリカ西部の民謡「いとしのクレメンタイ ン」の替え歌である。1926年(大正15年)1月、 京都三高山岳部創成期のメンバー4名が、鹿 沢で登山中に吹雪に遭遇し山小舎に閉じこめ られた時、三高教師のエルダーから教わって いた「いとしのクレメンタイン」のメロディに合わ せて登山愛好家の心情を歌った歌詞を作った。 これが「雪山讃歌」で、替え歌作りのメンバーの 中に、後に第一次南極観測越冬隊長として知 られた西堀栄三郎らがいた。1959年(昭和34 年)6月、ダーク・ダックスがこれを取り上げて大 ヒットさせ、この年のNHK紅白歌合戦でも歌っ た。 はるかな友に 1951年(昭和26年)、早稲田大学グリークラ ブが神奈川県津久井湖畔で合宿した。この時、 OBで合唱の指揮に来ていた磯部俶(1998年 没)が作ったものである。歌詞に出てくる おま え は恋人のことではないかと言われるが、実 際は戦後間もない頃でアルバイトをしてもお金 が足りず合宿に参加出来なかったメンバーのこ とをイメージに置いたものである。一日の練習 が終わると夜は発散することがなくて枕投げが は やっ たので 、これ はほこ りが立 って 喉 に 悪 い!。 静かな曲を歌ってやればいいじゃない か と磯部が一日かかって作ったところ、 お休 み番組 といって今でもグリーではコンサートの フィナーレはこの曲の演奏で幕を閉じる習慣に なっている。早稲田大学グリー出身のボニーが レコード化し、テレビでも歌って一般にも流行ら せた。 山の人気者 アルプス山岳地方の娘たちが、イカれた牛 乳屋に騒ぐ風景を明るく軽快に歌っている。こ の地方の唄の多くにはヨーデル(表声と裏声を 交互にひっくりかえす独特な歌い方)が入って いるが、陽気な節廻しと響きは歌詞にもあるよう に〈アルプスの花〉である。 日本では1933年(昭和8年)8月、中野忠 晴とコロムビア・リズム・ボーイズの歌でレコード 発売されて大ヒットしたが、当時ダンスホールで もフォックス・トロットで演奏されていた「愉快な 牛乳屋」に本牧二郎が詞をつけたものである。 作曲者はアメリカ人のレスリー・サロニーで、イ ギリスで出版された唄である。 - 22 - 森へ行きましょう(シュワジヴェチカ) 1955年(昭和30年)、ポーランドの首都ワル シャワで開かれた第5回世界青年友好祭に出 席した日本の青年代表者たちが、この曲を持 ち帰り、その後広く歌われるようになったという。 また、1953年(昭和28年)に発行された「青年 歌集第五篇」に収められ、〈うたごえ運動〉によ っても知られるようになった。若い男女の野外 生活での楽しさが歌われているこの歌の原曲 名は、「シュワジヴェチカ」といい、日本語で「娘 さん」を意味する。 あなたならどうする 海外僻地で思わぬ事故 さあ困った! 西川 幸男 最 近まで「保険に加入する」と言 うと、単 に に戻ることが出来ました。その後現地ガイドとホ 保険金額等損害額に見合う補填がなされ、そ テル従業員に助けられ Lrfoud の医院を訪れた れが満たされると「其れで良し」と考えて居まし が詳細が判らず、又 Lrfoud にはこの医院しか た。例えば死んだら幾らになるか、事故の賠償 医療施設は無く途方に暮れました。この時点 は幾らか。壊れたカメラの修理代が補填される で余儀なくツアーから離脱させられ、我々夫婦 のか等、その金銭の部分が中心で、その保険 のみの行動が始まりました。その離 脱前に現 の内容には関心が薄く気に掛けた事は殆どあ 地ガイドが隣町の Er・Rachidiano の病院に連 りませんでした。 絡、更に救急車の手配をしてもらい、2時間か その為 か役務 提供 付保 険については、自 動車事故の示談代行等は薄っすらと知ってい け Er・Rachidiano に移送入院し検査を受けま した。 た程度で,他ではほとんど気にした事はなく、 具体的内容知りませんでした。 その間損保ジャパン(保険会社)に連絡をし ましたが、公 衆電話が無く又ホテルの電 話も この様な事は私だけの事であれば良いので すが、一部会員の方も同様ではないかと思い 通じ難く(先進国と違い僻地では国際電話が 特にひどい)イライラさせられました。 ます。しかしある種の保険には金銭の保障問 Er・Rachidiano の病院でのCT検査の結果、 題以外に隠れた大きなサービスとも言うべきも 国際空港のある Casablanca に戻るには、骨折 のがあり、苦境時に大変に助けられた体験を もあり数日の経過を見る必要があるとのことで いたしました。その商品は「海外旅行保険」で した。モロッコの地方の町はアラビア語とフラン す。どのように助けられたか以下の通りです。 ス語のみで、英語も極一部の医者(医療制度 が異なり病院に殆ど居ない)だけで、病院側と 今年の1月末から2月上旬にかけてのモロッ の意思疎通が殆ど出来ませんでした。その為 コへの10日間のツァーに夫婦で参加いたしま 旅行社の現地代理店を経由し(付近には公衆 した。旅は4日目までは順調でしたが、5日目 電 話 が無 く、又 病 院 では海 外 には取 次 がな に事故に遭遇いたしました。 い)保険会社に病院との対応を依頼し、又財 前日 Lrfoud のホテルに宿泊、当日未明に車 布の中身が心配 となり、この事も保険 会社に で約1時間はなれた Merzouga 砂漠にて日の 相談、「キャシュレス治療」の適用を受け、金銭 出を見物するツアーに参加した時でした。 下 面での不安は解消しました。又帰国まで治療 車場所からビューポイントまで約1時間かかる を受ける Casablanca の病院や救急車の手配 為、妻のみ駱駝に乗りましたが、その途中急に (Casablanca の病院まで15時間かかる)、更に 駱駝が暴れだし4∼5M跳ね飛ばされ、全身を 通訳の手配をしてもらいヤット当方の思いも繋 打撲し身動きできなくなりました。他ツアー客 がる様になり不安が徐々に解消してきました。 が戻るまで、痛みを訴える妻を脇に、未明の暗 4日後やっとの思いで Casablanca に到着その 闇で今後どうなるかの不安に襲われながら待 後10日間治療とリハビリを受けました。その間 たざるを得ず途方に暮れておりました。他ツア 都度病院から回復状況を保険会社が入手し、 ー客が戻り、やっとの思いで Lrfoud のホテル 帰国の可否・時期や方法を検討していた様で - 23 - す。 当 方の早い帰国 希 望 と回 復状 況 (歩 行 困 ◎ 移送(救急車・飛行機)の手配 ◎ 資格を持った介護人の手配 難だが3時間椅子に座れるまで回復)、更にフ もしも無保険で、言葉の繋がらない国の僻地 ライトの状況又帰国後の入院する病院の手配 で放り出されたら、何の手配が出来たであろう 等を調整した結果、入院の11日目に帰国する かと思うとゾットしています。一般に小遣い銭し 事になりました。 か所持していないので不安はなお一層のこと 又歩行困難の患者の搭乗には資格のある です。 介 護 人が必 要(小生 一 人 では物理 的にも無 事故に対処できる仕組みはありますが、残 理)との事で、帰国時にはモロッコまで介護資 念ながら我々一般人ではそれに到達する術は 格保持者の派遣を東京から受け、機内で検診 ありません。旅行社もある程度対応しますが、 を受けながらフランス経由で帰国し、更に寝台 金銭が絡むことなので、対応には腰が引けて 車で都内の病院に入院、その後3月上旬に退 居り、逃げ腰のような感じがしました。 院、現在リハビリに通院し全快も間近と期待し ています。 海外旅行は高額商品であり楽しさと安全が 含まれていると思い、自分が事故に遭うとは思 以上の通り対処や手配は当方の意向と打ち っていないのではありませんか。保険料の僅か 合わせの上保険会社に実施してもらいました。 な加算額で、電話一本で動く秘書付き旅行を 即ちこの保険で今回受けた主な行為は ◎ 買うと考えれば、旅もより楽しくなるのではない 海 外 での入院 ・治療 費 をキャシュレスで でしょうか。僻地であればある程です。 対応。(国内は立替・清算。) ◎ (平成21年6月 記) 病院・通訳の紹介と手配 参考 今回は障害死亡・後遺症 保険会社 2000万 障害治療 2000万 疾病治療 2000万 保険金額を多少増減しても 賠償責任 10000万 保険料は殆ど変わらない。 救援者 2000万 保険料 3610円(10日間) 損保ジャパン 出光保険サービスのホームページにて申し込む。 - 24 - 山行自戒有訓無訓(8) 今年の前半も山友と共に多くの山を歩くチャ 小沼 英夫 のあるところまで遡行して、水を汲んでいるの ンスに恵まれた。同じコースを歩いても、年々ス である。川下に当たる水汲み場は、その人たち ピードが低下するのは已むを得ないことである。 の濁した水が綺麗に澄むまでは、水を汲めな それに従って歩く時間が長くなっている。歩くと いことになる。水汲みにもマナーがあることを知 き何かを考えている。昔の楽しかったこと、失敗 ってもらいたいと思った。こんな時に柄杓かコッ したこと、苦しかったこと、そこから抜け出そうと プがあれば、他人に迷惑を掛けないで済むの もがいていた時のこと、など等。一番思い出す だがと思いました。 のは終戦後の避難生活での食糧難で栄養失 コッヘルには柄が付いているので柄杓の代 調の体でも皆に付いて行かなければ、捨てら 用になる。コップでも役立つ。一寸したことで、 れて倒れてしまう行進の様子である。病人や年 一夜の雰囲気を壊すことなく過ごすことができ 寄りが脱落していく。今の自分はそんな中に入 るのではと考えさせられた。 りつつあるのであろうか。 ついでに付け加えるならば、水場で食器洗い 山の中での見聞、気付きを文字にして、自分 や洗濯などをするときは、上流から飲み水、食 の生き方の反省材料になればと備忘するもの 器洗い、衣類の洗濯の順に数mずつ離れて行 であれば、賢明なる皆様には何らの係りのなき い、残飯等は流さないということがマナーである。 もので、気軽に、或いは、未だそんなところをう 昔、田舎で湧水を大勢で活用していた時の、 ろうろしているのかとニヤリとしていただくのもよ 自然発生的に確立していた、水利用のマナー ろしいのではないかと思います。 を思い出した。これを守らないとそこには住め ① 水汲みには柄杓を持って なくなる。山でも、一過性と言わずに守りたいマ キャンプ場や山小屋は水の便の良い所に造 ナーと思いました。 られている。夕食の準備、お湯割りを作るにも、 先ずは、水汲み。ということで、私は3L の水バ ② ストックカバーで安心を ッグを2個を持って水場へ行く。先日、屋久島 最近はストックを使うと体が楽だと思うようにな の最初の小屋でいつものように水汲みに川へ って、自然破壊にならないようにしながら、時に 降りて行った。 は2本使うことも多くなった。それで常に2本を 川の中には水を汲み易いように足場になる石 が置いてあったり、容器を沈めて汲めるように ザックに付けて山行に出かけることになってい る。 窪みを作ったりしてある。 注意して見ていると、可愛いカバーを掛けて 袋状で、口がペットボトルと同じくらいの小さ いる人も多い。 な水バッグは、水を入れるには一寸工夫が必 電車やバスに乗った時に、ザックのストックが 要である。ペトボトルならば窪みに沈めると水が 人に当たりそうになったことがあった。柄の方を 入るが、袋のときは、水圧で袋が押しつぶされ 上にしているので、いいかなと思っていたが、 て水が入って来ない。こんな時には、柄杓で水 周囲の人に不安を感じさせることはよくないの を汲んでバッグに移すか、落差のあるところに で、袋に入れることにした。自分で作るのもい バッグの口を持っていくことが必要だ。 いが、カッコよく作る自信がない。 水場に着くと、3 人の女性が5、6m上流で袋 状のバッグに水を入れている。その人たちは水 それでスポーツ量販店で探してみた。ストッ ク売り場にストックカバーがあった。 圧に潰れてバッグに水が入り難いので、落差 - 25 - T 字型用とストレート型用で幅が異なるようだ。 2本持っていくので、2つ購入した。1つ千円程 度。 薄めの中性液体洗剤で漬け洗いで、大量の 水でよく洗剤を抜いて、水を軽く切って、天日 家で実際にストックを入れてみると、1つで2 乾しにするのが、素材を傷めないで長持ちさせ 本入る。千円は授業料と思うことにした。一寸 るコツのようだ。乾燥後に、素材に合った撥水 高い無駄使いのようにも思えるが、安心が保た 剤を掛けておくのがよい。 れるなら、まあいいか。 新しい合羽を着た時の涼しさはうれしいもの である。テントのフライヤーに付いた水滴を見る ③ 洗濯機の使用もほどほどに と、素材は生きているのだなと実 感する。 最 最近は織物の素材が高品質になり、用途毎 にそれぞれに合ったものが使われている。汗掻 後の買い物になるかも知れない。大切に最後 まで使いたいものである。 きの私には特に助かるのに防水通気性の布が ある。いろいろのメーカーの製品が出ているが、 ④ 山も岩も丸くなるが 米 国 ゴア&アソシエイツ社 のゴアテックス 山へ登ると山肌が崩れて草も生えない赤土 (Gore-Tex)が有名である。テフロンとポリウレ が剥き出しのところや、雪崩で樹木をなぎ倒し タンを主材料に用い、1平方センチメートル当 た痕、風雪で砕けた岩石、荒らしい火山も溶岩 たり14億個の細かい孔が開いているとのことで、 を流し、噴石を吹き上げ、年月と共に丸みを帯 水蒸気は通るが、水滴は通さない構造になっ びた山影に変わって、なめらかな女性の肌を ている。 思わせる緩やかな高原の様になって行く。石も、 雨具、靴、ザック、テントなどに使われている。 蒸れなくて助かっている。 流木も時間と共に角が削られて丸くなるものが ほとんどのように思う。階段の花崗岩も擦り減っ 糸や布にそれなりの複雑な微細構造の工夫 て滑り易くなり、靴底は数年で張替が必要のよ がなされていて、高機能を発揮することになっ うに丸くなる。物言わぬものは自然と共に丸み ている。 を帯びてくる。狭い空間で皆で詰め合って存 それだけに取り扱いにもそれなりの注意が必 在するためには球になることが必要であること 要になる。不適切な洗剤は繊維にダメージを を知っているのであろう。ヒトだけは歳と共に、 与えることになる。洗濯時の不用意な機械的な 頑なになり、角が固くなり、コンペイトウになるら 力が掛かると繊維や布の微細構造に微妙な変 しい。人以外は年と共に丸くなる。 化を与えることになる。ゴシゴシ擦るのはよくな い。洗濯機や脱水機に掛けるのも良くない。 - 26 - (09.07.20) 門司正之さんの急逝を悼む 小沼 英夫 山友であり、パソコンの仲間であった門司さんの突然の訃報に接し、誠に痛恨哀惜に堪 えません。奥様のお話では、1月14日(水)の朝、お庭に出て庭草を眺め、深呼吸をし、軽 く体を動かしてから、食卓に着くのが日課であり、いつもと変わらない様子だったとのこ とでした。食事の支度が出来、ちょっと遅いので迎えに行ったら、芝生に倒れていたとの ことでした。余りの突然のできごとでした。 山行クラブには平成19年に参加せれ、幾つかの山へご一緒させていただきました。ま だ非常勤で元の会社に週何日か出勤するとのことで、時間の許す限りよく参加していただ きました。20年の1月には、長谷川さんと私と3人で、氷雨の高尾山を歩きました。4 月には奥多摩の御前山、7月には新潟の苗場 山、9月の赤岳を回る八ケ岳縦走、10月に は群馬・新潟の平標と仙の倉とよく歩いてお られました。今年の2月にはリーダーとして 奥多摩の馬頭刈山を計画されていました。気 にされていて、下見に行くと奥さまには話さ れていたそうです。この計画は長谷川徹さん が引き受けて、2月6日に9名が参加して実 施されました。 門司さんはパソコン同好会でも活躍され ており、そこでも私はお世話になり、多くの ことを教えていただきました。インターネッ トでの買い物が上手で、パソコンに繋ぐ拡大 投影機のプロジェクターを格安で購入した り、山で使うストックで、コンパスの付いたものを購入したりで、皆を感心させていまし た。パソコンのことでは、不調のパソコンを修理するのが上手で、1月の12日にもパソ コン同好会の人の家まで出向いて、終日掛けて動くようにして、感謝されていました。同 好会の後のお酒も楽しく飲ませてもらいました。 山の会では役員に入っていただき、これから大いに活躍していただこうという時の突然 のことで、まことに残念のことで痛恨の情を禁じ得ません。 ご家庭のことでは、ようやく悠々自適の日々を迎え、奥さまと共にこれから余生を楽しも うという矢先に、あなたは突然去ってしまいました。願わくば、御家族の幸せを見守って、 この悲しみを乗越える力を授けてあげていただきたいと思います。 今までのご苦労とご協力に対し深い感謝を贈ると共に、安らかに眠られることを衷心よ りお祈りいたします。62 歳とは若すぎる。あなたの笑顔を忘れません。 合掌 (2009.06.20) - 27 - 故井上利保さんとの山行思い出 岩村 誠之 2009年8月12日早朝、同期入社の親友・井上利保さんが肝臓がんで幽明境を異にされました。享年満70 歳、人生80年代にしては早すぎる死でした。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 昨年10月、病が発見される直前までは平日は現役の仕事 を続ける傍ら,休日は江東区のアマチュア野球の審判員とし て朝早くから数試合の審判を務めるなど殆んど休養日がない 状態で、普段の酒量もさることながら日常の疲労もかなり蓄積 されていたのではと思うと、我々の仲間と会えば年相応な休養 も大事だよと伝えていただけに残念でなりません。 井上さんは、皆さんご承知の通り無類の酒好きでしたが、ま た多彩な趣味の持ち主でもあり、野球が大好きな人でした。同 じ広島県出身(彼は広島、小生は福山)の広島カープフアンとし てときどき一緒に神宮球場や東京ドームに出かけていました が、彼の誘いで出かけると何故かカープが負けるというジンクス があり球場でのアルコールの量が増えたものでした。東京6大 学野球にも詳しく、春秋の大学野球があるときはよく神宮球場 に出かけていました。球場ではフリーパスの顔の利く持ち主で小 生もその恩恵にあずかった一人です。特に東大野球部とは部 員だけでなくその両親とも親戚付き合いをするほどの仲で、葬儀には多くの学生が参列されていました。一ツ 橋大グリークラブ出身だけに歌唱力は抜群で灰田勝彦の「野球小僧」がいつもカラオケでのトリの歌でした。あま り知られていませんが詩吟は8段の持ち主で所属流派の師範免許も持っており、昨年末の発表会を楽しみに していましたがそれも叶わぬことになってしまいました。多彩な人脈の持ち主でした。 井上さんは山行クラブのメンバーでしたが、懇親会ではときどき皆さんと会う機会があったものの毎日が多忙 なためクラブ山行に参加されたことがあまりないのではと思います。小生や同期の仲間とは時々山行に出かけ ていました。 井上さんとは、小生が退社後山歩きを再開した頃、はじめて一緒に登った山が夏の木曽駒が岳でした。彼 はそれまでいちども山歩きをしたことがなく、一緒に山のショップに行き急遽装備品を揃え翌日には出発というあ わただしい登山をした思い出があります。千畳敷まではロープウエーでしたが山小屋にも1泊して3000mに近い 山の霊気や山上のすがすがしい空気に触れ感激もひとしおで元気そのものでした。その後はお互いに体力 に応じた高尾山や陣馬山、金時山など身近な山には時々出かけ帰りの吉祥寺での一杯が楽しみでした。 小生のC型肝炎が完治した一昨年の夏、同期入社の仲間と出羽三山に出かけたとき今までと違って彼の足 取りが重く、休憩を何回も取りながらやっとの思いで月山頂上にたどりついたことがありました。また昨年、明神 平から谷川岳に登ったとき、途中の天狗のたまり場付近で彼がかなりの疲労で登頂を断念したことがありました。 そのときは少し日常の疲労がたまりすぎたのではと思っていましたがその頃から既に井上さんの体調はすこし づつ変調していたのかと思うと自責の念に駆られています。 ほかにも写真で小生が尾瀬ヶ原に出かけるときも井上さんが同行してハイキングを共にしたり、また富士山 一周ウオーク(サンケーツアーズ)などにも一緒に出かけたり、山行以外にもつきない思い出が多くある好人物 でした。今でもあの井上さんのなつっこい笑顔で「一杯やらんかい」の声が聞こえそうです。 初七日法要に出席した際、直会で井上さんの兄上が「利保のために」と詠まれた句を紹介します。 あの世よりこの世短し蝉の声 - 28 - 平成21年8月17日 合掌 総務関連事項のまとめ 総務担当 役員会・懇親会議事録 (詳細はメールにて配信済のため、要点を示す) 平成21年1月役員会・懇親会議事録 1.開催日時 1月21日(水)役員会15:00∼16:30 懇親会17:00∼19:00 2.開催場所 3.出席者 役員会 光友会・会議室 懇親会 魚や一丁 役員会 佐藤(博) 、西川、小沼、長谷川、佐藤(英),住吉、 海堀、杉山 (8 名) 懇親会 高田、瀬尾、舩木、塚原、長谷川、吉永、長嶋、池田、小沼、 西川、岩村、佐藤(博)、大川、佐藤(英)、高橋、住吉、大賀、 海堀、由村、杉山 (20 名) 4.議題等 ア.山行会が光友会の同好会として正式に幹事会で承認された。 イ.会旗については事務局が保管する。 ウ.吉永さんの 2000 山行達成へのお祝い品の贈呈を行った。 平成21年3月役員会議事録 1.開催日時 3月11日(水) 役員会15:00∼16:30 2.開催場所 役員会 3.出席者 佐藤(博)、西川、小沼、長谷川、住吉、 海堀、杉山 光友会・会議室 (7名) 4.議題等 ア.会長より、「文芸春秋」誌の岩崎元郎氏の悠々山歩き/第33回「安心登山 十ケ条」 の記事の紹介があった。 イ.旗は「出光」の文字を消して、使用する。 平成21年5月役員会・勉強会・懇親会議事録 1.開催日時 5月12日(火) 役員会13:00∼14:00 勉強会14:00∼16:30 懇親会17:00∼19:00 2.開催場所 役員会/勉強会 凌霜会館・会議室 懇親会 3.出席者 役員会 魚や一丁 佐藤(博) 、西川、佐藤(英)、村重、小沼、長谷川、 住吉、海堀、杉山、岩村、荒井 勉強会 (11 名) 成住、瀬尾、山戸、高田、吉永、由村、結城、舩木、深見、 - 29 - 長嶋、津出、塚原、田中、大川、井戸川、池田、天ヶ瀬、和田、 緒方、佐藤(博)、西川、佐藤(英)、村重、小沼、 長谷川、住吉、海堀、杉山、岩村、荒井、三木 懇親会 勉強会の三木さんを除く (31 名) (30名) 4.議題等 ア.役員候補として総務担当・岩村誠之さん、広報担当・荒井克益さんを 選任し、10月の総会で承認を得る予定。 イ.勉強会では成住さん、瀬尾さん、の両先輩の山の素晴らしさ及び安全登山のお 話を伺った。更に、西川さんのモロッコ旅行での事故及び保険の大切さの話が あった。 ウ.懇親会で、4名(緒方淳夫さん、瀬尾一太郎さん、山戸 昌さん、 津出さん)の喜寿の祝いを行った。 エ.瀬尾さんから山の歌のCD、山戸さんから山の安全の本4冊が 寄贈された。 平成21年7月役員会・懇親会議事録 1.開催日時 7月8日(水)役員会15:00∼16:30 懇親会17:00∼19:00 2.開催場所 3.出席者 役員会 光友会・会議室 懇親会 魚や一丁 役員会 佐藤(博) 、西川、佐藤(英),岩村、海堀、杉山、荒井 (7名) 懇親会 高田、瀬尾、舩木、塚原、吉永、松尾、西川、岩村、 佐藤(博) 、大川、佐藤(英)、矢作、大賀、海堀、栗本、 荒井、杉山 (17名) 4.議題等 ア.会長より、平成20年の登山遭難者統計から、中高年者の事故が増加 傾向にあること、及び我がIMCでも最近怪我が2件出ているので、 安全登山の徹底してほしい旨の話があった。 イ.「山行クラブ」(略称IMC)の名称は光友会の同好会に加盟すること により、光友会の規則、範例にしたがって命名したものであり、この名 称で光友会幹事会で正式に承認された。 会員異動(平成21年8月末現在46名 会友を含む) 1.退会 吉野栄二、末次憲一(平成21年 2 月)、天ヶ瀬 昇(平成21年 7 月) 2.死亡 門司正之(平成21年1月14日) 、井上利保(平成21年8月12日) 以上 - 30 - 平成21年第三期山行計画概要 NO. 期日 行き先 (曜日) (標高) リーダー 鳥海山 (2,236m) 2 3 7/21(火) 北穂高岳(3,106m) ∼ ∼奥穂高岳(3,190m) 7/24(金) 4 8/1(土) ∼ 8/4(火) 5 8/21(金) 塩見岳 (3,047m) ∼ ∼ 光岳 (2,591m) 8/29(土) 9/2(水) 6∼ 9/4(金) 空木岳 (2.764m) 北岳 (3,193m) ∼ 間ノ岳 (3,189m) 9/12(土) 7∼ 守門岳 (1.537m) 9/13(日) 8 9/25(金) ∼ 田代山 (1,926m) 9/26(土) 歩行時間 宿泊 集合 締め切り 場所 (一日目) 酒田駅→大平山荘 (二日目)大平山 荘→ 鳥海山→御室小屋 (三日目)御室小屋→ 伏拝岳→ 大平山荘→酒田駅 舩木 (一日目)新宿→信濃大町→扇沢→針ノ木小屋 一日目 5:00 (二日目)針ノ木小屋→針ノ木岳→蓮華岳→船窪 針ノ木小屋 二日目 7:00 6月13日 7月15日 小屋 (三日目)船窪小屋→船窪岳→烏帽子岳→ 上級 船窪小屋 三日目 9:00 (土) (水) 烏帽子小屋 (四日目)烏帽子小屋→七倉→信 烏帽子小屋 四日目 6:00 濃大町→新宿 西川 (一日目)新宿→松本(二日目)松本→上高地 二日目 6:00 7月22日 →涸沢小屋(三日目)涸沢小屋→北穂高岳→ 涸沢小屋 6月21日 上高地バス 53,000 (水) 健脚 三日目 7:30 奥穂高山荘 (日) 停 新宿起点 涸沢岳→奥穂高山荘(四日目)奥穂高山荘→ 8:30 三日目 9:00 前穂高岳→上高地→新宿 長谷川 一日目 0 やや 大平山荘 二日目 6:10 健脚 御室小屋 三日目 4:10 費用概算 海堀 7/14(火) 7/15(水) 針ノ木岳 (2,820m) ∼ ∼ 烏帽子岳 7/18(土) (2,628m) 程度 日時 7/12(日) 1∼ コース概要 (一日目) 新宿→須原(二日目)須原→ウサギ平 一日目 0 8月1日 →木曽殿山荘 (三日目) 木曽殿山荘→空木岳 やや 二日目 6:50 木曽殿山荘 6月20日 (日) →南駒ヶ岳→越百山→越百小屋 (四日目) 越百 健脚 三日目 6:30 越百小屋 (土) 17:00 小屋→林道ゲート→須原 四日目 4:30 小沼 (一日目)松川IC→三伏小屋(二日目)塩見岳(三 日目)高山避難小屋(四日目)荒川岳・赤石岳(五 日目)聖岳→聖平小屋(六日目)光岳小屋(七日 目)光岳→寸又侠温泉(八日目)寸又侠温泉→金 谷→東京 海堀 (一日目)甲府→広河原→白根御池小屋(二日目) 一日目 3:05 白根御池 白根御池小屋→北岳→北岳山荘(三日目)北岳山 健脚 二日目 5:15 小屋 荘→間ノ岳→北岳山荘→二俣→広河原→甲府 三日目 7:10 北岳山荘 健脚 計画書参照 山小屋6泊 民宿1泊 (一日目) 東京→浦佐→守門温泉 一日目 0 守門温泉 長谷川 (二日目) 守門温泉→二分キャンプ場→大岳→守 一般 二日目 6:00 青雲館 門岳→守門温泉→浦佐→東京 小沼 7月12日 5月26日 酒田駅前 (日) (火) バス乗場 13:10 8月1日 (土) 新宿7時発 スーパーあ 41,000 ずさ1号車 新宿起点 内 須原民宿 いとせ 50,000 新宿起点 8月21日 松川ICまた 90,000 (金) は伊那大島 新宿起点 14:00 駅 9月2日 7月15日 (水) (水) 9:15 甲府駅 バス乗場 34,000 新宿起点 9月12日 8月10日 只見線 32,000 (土) (月) 越後須原駅 東京起点 16:40 (一日目)浅草→鬼怒川温泉→会津高原尾瀬口→ 9月25日 湯の花温泉 (二日目)湯の花温泉→猿倉登山口 やや 一日目 1:00 湯の花温泉 9月20日 会津高原 (金) →田代山→帝釈山→田代山→猿倉登山口→湯の 健脚 二日目 7:00 みちのく (日) 尾瀬口駅 14:30 花温泉→会津高原尾瀬口→鬼怒川温泉→浅草 - 31 - 46,300 東京起点 25,000 浅草起点 留意事項 トラブル&ヒヤリハットフォローシート 作成年月日;平成21年4月14日 報告者;村 重 高 男 件名;下山中の滑落トラブル 発生日時;平成21 年 4 月 12 日 14 時 2〇 分頃 発生場所;三つ峠山から三つ峠駅に下る、股のぞきの手前 被害者;村重高男 (73 才) 同行者;有〇 無 目撃者;同行者11名 天候; (前日)晴れ (当日) 晴れ (事故時)晴れ 1. 内容 三つ峠山頂から三つ峠駅に下山中、股のぞきの手前(14時20分頃) 2番目に歩いていた時、谷側の朽ちた階段につまずき、谷側にバランスを崩し 転倒、三回転しながら滑落(約7から8m)登山道(約1m幅)で止る。 水筒は谷底まで転がり落ちた。 被害の程度; 2.処置・対応 右腕かすり傷 要となる) 右腕のかすり傷にバンドエード2枚貼る (14日にはエード不 保険使用;有/無〇 3.原因(推定原因も含む) (1) 気の緩み、後30分ぐらいで、下山が終わりバスに乗れる時間帯にあったので気の緩みが あった。 (2)登山道の谷側を歩いていた。 4.対策 (1) 最後まで気を緩めない事、今までも下山中の終わりに近い時間が危険と言う事は よく知っていたが、甘かった。 (2)登山道は出来るだけ、山側を歩く。 目撃者/同行者コメント 5.コメント(会長、先輩等) 特に下山時は、気を緩めず、慎重に、会話を慎しみ行動を しましょう (リーダー、池田) 6.その他 今回、リュックの中に防寒着、雨具、着替えの肌着等入れていた為クッションになったのではないか。 又後で、谷底を見たり、滑落箇所の岩などの状況を見て、ゾットし九死に一生を得た気持ちであった。 - 32 - トラブル&ヒヤリハットフォローシート 作成年月日;平成 21 年 7 月 21 日 報告者;海堀 進 件名;女峰山山行での転倒事故 発生日時;平成 21 年 6 月 19 日 12 時 45 分頃 発生場所;女峰山から大真名子山縦走路の小真名子山からの下り登山路 被害者;海堀 早苗(61才) 同行者;8人パーテ 目撃者;海堀 進他 同行者 長谷川 徹(67才) ィー 天候; (前日)曇り時々晴れ 、 (当日)晴れ 、(事故時)晴れ 1.内容 IMC 女峰山山行(8人パーティー)で、中禅寺湖に前泊し、女峰山∼帝釈山∼小真名子山 ∼大真名子山の縦走路登山中に事故発生。女峰山、帝釈山、小真名子山の山頂を越え、約 200mの下 りの途中、約3mの下り斜面で海堀 早苗が足を滑らし転倒、先に下りていた長谷川 徹さんが身を 挺して止めようとした。海堀 早苗は更に2mほど斜面を転がって止まったが、長谷川さんは弾みで 更に4mほど斜面を転がり落ちた。その際に海堀 早苗は頭部裂傷と打撲、長谷川さんも頭部裂傷と 打撲を負った。 2.処置・対応 海堀 早苗、長谷川 徹さん共に頭部から出血が有った為、 タオルで裂傷箇所を押さえ、三角巾を巻いて血止めをした。打 撲は有ったものの、骨折等は無く歩行可能なので二人の荷物を 各人に分散し、大真名子山を越え、下山予定地の志津乗越まで 歩いた。迎えをお願いしていた民宿の前田さんの車で中禅寺湖 の診療所で診察を受けたが、縫合出来ないとの事で日光市民病 院の紹介を受けタクシーで市民病院に向かい、診察、縫合手術 を受けた。 被害の程度; 海堀 早苗は頭部裂傷4針縫合、長 谷川 徹さんは頭部裂傷7針縫合し た。レントゲン等については事故か ら2時間半も自力で歩けたので問題 は無いとの医師の判断で撮影せず。 その他、肘、脇腹、膝等打撲数箇所 有り。 保険使用;有 3.原因(推定原因も含む) 今回の山行は女峰山、帝釈山、小真名子、大真名子の4つのピークを登る縦走路であった。 事故を起こした小真名子山の下り箇所まで 700m の登り、400m の下り、300m の登りを繰り返すか なり厳しいコースであった。事故を起こした約3mの下り箇所は手掛り、足場は有ったので慎重に対 応すれば問題なく通過出来る場所であったと思われるが、それまでのアップダウンの繰り返しで事故 者はかなり疲れが溜まっていた為に、注意力が鈍り足を滑らせたと思われる。 4.対策 アップダウンの厳しい登山コースの場合、後半に疲労が蓄積され、判断力・集中力が鈍り易い。 特に下りに於いて事故は発生し易いので、岩場の通過や崖の下りは慎重な行動が望まれる。 5.コメント(佐藤会長) 目撃者/同行者コメント 頭部の為、出血が多く心配したが、メンバーの持っ ていた三角巾を含め緊急対応具が役立ち良かった。 6.その他 - 33 - IMC会報34号・山行実施報告一覧 No. 実施日 1 1月11日 高尾山(初歩き) 小沼 英夫 IMC IMC:13名 2 1月16日 嵯峨山&水仙ロード 村重 高男 IMC IMC:9名、他9名 3 鍋割山 海堀 進 自主 夫人 4 1月23日 2月6日 馬頭刈山 長谷川 徹 IMC IMC:7名、他1名 5 2月18日 仏果山 佐藤 英樹 IMC IMC:8名、他2名 6 3月1、2日 雲取山 住吉 龍教 IMC IMC:3名、他1名 7 3月3日 湯河原城山 長谷川 徹 IMC IMC:3名 8 3月15日 大持山 小沼 英夫 IMC IMC:9名、他2名 9 3月28日 権現山 杉山 修二 IMC IMC:5名、他1名 10 4月12日 三ツ峠 池田 鎮雄 IMC IMC:10名、他1名 11 4月18日 畦ヶ丸 小沼 英夫 IMC IMC:5名 12 5月10日 西川 幸男 IMC IMC:11名、他1名 13 5月14日 高水三山(清掃登山) 剣山 長谷川 徹 自主 瀬尾、住吉 14 5月15日 三嶺 長谷川 徹 自主 瀬尾、住吉 15 5月16日 東赤石山 長谷川 徹 自主 瀬尾、住吉 16 5月17日 両神山 海堀 進 IMC 結城、荒井 17 5月17日 笹ヶ峰 長谷川 徹 自主 瀬尾 18 5月17日 石鎚山 小沼 英夫 自主 住吉 19 5月19日 小沼 英夫 自主 住吉 20 5月19日 祖母山 由布岳 長谷川 徹 自主 21 5月20日 阿蘇(高岳・中岳) 小沼 英夫 自主 住吉 22 5月22日 尾鈴山 長谷川 徹 自主 小沼、住吉 23 5月23日 市房山 長谷川 徹 自主 小沼、住吉 24 5月25日 韓国岳・新燃岳・高千穂峰 長谷川 徹 自主 西川、小沼、住吉 25 5月27日 小沼 英夫 自主 西川、住吉 26 5月28日 開聞岳 桜島 小沼 英夫 自主 池田、住吉 27 5月29日 大崩山 長谷川 徹 自主 28 5月29日∼1日 屋久島(宮之浦岳、永田岳) 29 6月1日 蒜山 住吉 龍教 自主 小沼。池田 長谷川 徹 自主 30 6月3日 武奈ヶ岳 長谷川 徹 自主 31 6月4日 小秀山 長谷川 徹 自主 住吉 龍教 IMC IMC:6名、他1名 住吉 龍教 自主 小沼 長谷川 徹 自主 小沼、住吉 32 33 34 山 名 リーダー 6月18,19日 女峰山、小真名子山、大真名子山 6月29日 斜里岳 6月30日 羅臼岳 35 その他自主山行記録(平成21年1月∼6月末) - 34 - 区分 同行者等 山行実施報告書 平成21年1月12日 リーダー:小沼英夫 サブリーダー:長谷川 徹 作成者 :小沼英夫 行き先 実施日/ 天候 参加者 (氏名) コースタイム 費 用 高尾山(599m) [所在地:東京/多摩] 初登り 平成21年1月11日(日) 天候:晴れ 村重高男、佐藤博、高橋傳、西川幸男、長谷川徹、長谷川夫人、大川佳伸、結城勝也、荒井克益、 住吉龍教、塚原恒夫、岩村誠之、海堀進、小沼英夫 合計14名 京王線高尾山口駅・・・・琵琶瀧不動尊・・・十一丁目茶屋・・・神変堂・・・設待茶屋・・・・・・・ 10:00 10:25 薬王院・・・大見晴台(上頂) ・・・モミジ台・・・一丁平・・・城山・・・ 12:00 / 12:25 小仏峠・・・小仏バス停======高尾駅 14:30 / 14:40 15:04 [交通費] ・電車(東京基点往復):2020 ・バス等:220 ・その他: 小計 [宿泊費] ・ホテル ・山小屋 [その他] ・懇親会 4500 小計 小計 合計 約 6800 円 所感ほか ①天候に恵まれ、人の多いのに驚かされた。 ②富士山がよく見えた。モミジ台北の「しもばしら」は雪のため見えなかったが、一丁平手前で「し もばしら」を観察できた。 ③3日ほど前に降った雪が一部に残っており、頂上から一丁平までは泥道のところがあった。 ④薬王院裏では雪が凍りついていたので、頂上から小仏峠超えまでは軽アイゼンを着用した。 ⑤初登りで懇親会はにぎやかに行われた。 一口アドバイス ①当初の計画の、八王子城址行きは雪で道がよく 情報入手先電話番号等 ないことが予想されたので、小仏峠行きに急遽変 交通機関 更した。 宿泊場所 観光案内所 ②この時期は軽アイゼンの携行がよい。 ガイドブック ③急に坂道や泥道を歩いて、貧血や重篤な急病に 地形図名 昭文堂「高尾・陣場」 なる人が2ケ所で見られた。高尾山がミシュラン くろしお(立川)042-527-9640 に登録されたと言って甘く見てはいけない山であ る。 - 35 - 山行実施報告書 平成 21 年 1 月 21 日 リーダー:村重高男 サブリーダー: 作成者 :村重高男 行き先 嵯 実施日/ 天候 平成21年1月16日(金)∼ 参加者 (氏名) 峨 (316 m) 月 日( ) { [所在地:鋸南町] 泊 日}天候:快晴 池田、小沼、高橋、大川、岩村、由村、住吉、長谷川夫妻、村重 計10名 光友会ウォーキング同好会 計9名 合計19(女性2)名 コースタイム JR 内房線保田駅――(長狭街道から保田川土手を歩く)――小保田バス停――― 9:40 10:40 水仙ピーク登り口―――嵯峨山頂上付近昼食―――釜の台道路―――涸れ沢分岐 11:00 12:00/12:30 12:50 (ここで間違う)――上白狐方面に歩く――竹岡駅===(電車)===保田== 15:00 (バス)==ばんや:懇親会 15:30 (凡例) 費 用 山 電車・バス・タクシー・航空機等乗り物:== [交通費] [宿泊費] ・電車 :1、900円 (姉崎起点) ・ホテル ・バス等: ・山小屋 ・その他: 小計 小計 歩行:−− [その他] ・懇親会 3、000円 所感ほか 小計 合計 4、900円 ① 嵯峨山を下り涸れ沢分岐の場所は道路工事があり、標識もなく水仙ピーク登り口 方面を間違えた。 ②上白狐川方面に歩くと、竹岡駅に行くバスもなく、歩く以外帰る方法はない。 ③5年前に比べ嵯峨山山裾の水仙は、雑草に負け荒れてきている。 ④夕日に映える富士山は素晴らしい眺めであった。 一口アドバイス ① ばんやは土、日曜日は大混雑します、 情報入手先電話番号等 平日の15時頃からが良い。 交通機関 ② 水仙は保田川の土手に咲いている花 宿泊場所 持ち帰りに良い。今回、ルートを間違え土 観光案内所 産にならず残念 鋸南町観光協会 0470-55-1683 ガイドブック ③ 地形図名 等 ④ - 36 - 自主山行実施報告書 平成 21 年 2 月 17 日 リーダー:海堀 進 作成者 :海堀 進 行き先 鍋割山 ( 1,272 m) 実施日/ 天候 平成21年 1 月 23 日(金) 参加者 (氏名) 海堀 コースタイム 費 用 [ 所在地:神奈川県丹沢 ] 天候:雨 進 、海堀 早苗 合計 2 車 横浜自宅 ===== 表丹沢県民の森駐車場 ――――― 二俣 7:25 8:40 / 9:20 9:40 名 ――――― 後沢乗越 10:45 / 10:55 ―――――― 鍋割山 ――――― 後沢乗越 ――――― 二俣 ―――――― 12:10 / 13:00 13:40 14:30 ――――― 表丹沢県民の森駐車場 14:50 / 15:10 所感ほか (凡例) 電車・バス・マイカー:=== 歩行:―――― [交通費] [食事代] ・高速料金(町田―秦野中井)1,000×2 ・鍋焼うどん 980 円 ・ 合計 2,980 円 ① 前日の雨は丹沢では雪だろうと鍋割山を急遽実行した。 ② いつもは大倉の登山口に駐車するが、今回は少し楽をして表丹沢県民の森駐車場まで行く。 ③ 朝から雨は上がる予定だったが、しばらく駐車場で雨宿りの後、小雨の中登山開始。 ④ 途中、鍋割山荘の水置き場で各一本づつ担いで登る。 ⑤ 後沢乗越から山頂までの登りはいつもきつい、やっと山頂かと思うとまた登りが続く。 ⑥ 山頂の鍋割山荘の鍋焼うどんを楽しみに登ったが、山小屋は閉まっている。暫く、食事中の鹿 の群れを眺めてると、山荘主人の草野さんが「こんな雨の中、誰も来ないと思ってた」と戸を 空けてくれた。 ⑦ 温かいうどんに生き返った思いがした。登山客が我々夫婦以外いないので、草野さんとゆっく り話しが出来た。(いつもは混んでて話をする余裕が無い) ⑧ 山小屋への荷揚げは週5∼6日は続けてるそうだ。今は平均 60kg のボッカだが、最高は 110kg だそうだ。 ⑨ 残念ながら雪は解け、富士山の展望も無かったが、雨の為一人の登山客と会わないのんびりと した鍋割山を楽しめた。 一口アドバイス ①表丹沢県民の森駐車場は20台は OK、トイレ も有る。 ②鍋割山荘の鍋焼うどんは人気メニュー、特に この時期は最高。 - 37 - 情報入手先電話番号等 山行実施報告書 平成 21 年 2 月 8 日 リーダー:長谷川 徹 行き先 馬頭刈山(884m) 実施日/ 天候 平成 21 年 2 月 6 日(金) [所在地:奥多摩] 天候:晴 参加者 瀬尾、塚原、小沼、佐藤博、岩村、住吉、荒井、長谷川夫妻 (敬称略) コースタイム 費 用 合計 9 名 武蔵五日市=(バス)=軍道−−−十里木との分岐−−−高明山−−−馬頭刈山 9:30 9:40/9:50 10:25 11:10/11:20 11:40/12:10 −−−鶴脚山−−−茅倉−−−払沢ノ滝入口−−−払沢ノ滝−−−払沢ノ滝入口 12:30/12:35 13:35 13:55 14:50 =(バス)=武蔵五日市 15:10 (凡例) 電車・バス・タクシー・航空機等乗り物:== 歩行:−− [交通費] [その他] ・ 電車(新宿基点) :¥780*2=¥1560 ・懇親会¥2500 ・バス:300+460=¥760 小計 ¥2,320 合計 ¥4,800 ①暖かい陽射しの中、梢越しに富士や大岳山を見ながらの、快適なコース。 ②軍道からの登りは、針葉樹林の道。高明山手前は急な登り。 ③鶴脚山から茅倉への下山道は、急な下り道が続く。 所感ほか ④払沢ノ滝はこのところの暖かさの為全く氷結していなかったが、滝そのものは美しい滝で ある。 ⑤本山行は、故門司さんがリーダーの予定であった山行で、下山後の反省会において全員で 門司さんのご冥福をお祈りした。 一口アドバイス ①払沢の滝入口に美味しい 手作りとうふ屋 ある。バス停には立派なトイレあり。 ②荷田子付近に温泉あり。 - 38 - が 情報入手先電話番号等 交通機関 宿泊場所 観光案内所 ガイドブック 地形図名 等 山行実施報告書 平成21年 2月19日 リーダー:佐藤 英樹 作成者 :佐藤 英樹 仏果山( 747m) 行き先 実施日/ 天候 参加者 (氏名) [所在地:神奈川県] 平成21年 2月18日(水)日帰り 天候:晴れ 高橋傳、杉山修二、長谷川徹夫妻、佐藤博、小沼英夫、海堀進夫妻、 結城勝也、住吉龍教、佐藤英樹 合計9+2名 コースタイム JR 小田急 バス 木更津===錦糸町===新宿===本厚木===野外センター―――登山口――― 6:11 7:26/7:30 7:55/8:03 8:58/9:20 10:00/10:15 10:30 仏果山(昼食)―――土山峠―――半原越の手前右折―――リッチランド(入浴)――― 12:00/12:30 13:10 13:50 14:30/15:25 バス 坂尻バス停===本厚木 15:45/16:02 16:50 (凡例) 電車・バス・タクシー・航空機等乗り物:== 費 用 [交通費] ・電車 :960(新宿往復) ・バス等:550+490 ・その他:650(入浴料) 小計 2,650 円 [宿泊費] ・ホテル ・山小屋 歩行:−− [その他] ・懇親会:約 3,000 小計 3,000 円 合計 5,650 円 小計 所感ほか ①本厚木駅発のバスについて 行き先に応じて多くのバス路線あり、ネット等で事前に調査が必要である。(リーダーの私 が探し回り、最後の集合者となった) ②頂上からの下りは、「急坂の岩場」と50cm幅のやせ尾根が続き、精神的な緊張を強いられ た。 ③それに続く、リッチランドへ下りたが、小石のある滑りやすい傾斜で、ストックと側木を頼り に下山した。 ④リッチランドの入浴は、沸かし湯の露天風呂であるが、下山の冷や汗を流すには格好の湯であ る。 一口アドバイス ①雨天・強風時の下山は、十分な注意が必要であ る。できれば避ける勇気が必要と考える。 ②低山であっても、このようなコースがあること 認識しておきたい。 ③ ④ - 39 - 情報入手先電話番号等 交通機関:神奈川中央交通 046-241-2626 宿泊場所 観光案内所 ガイドブック:関東山歩き100選(昭文社) 地形図名 等 山行実施報告書 平成21年 3月 4日 リーダー:住吉 龍教 作成者 :住吉 龍教 行き先 実施日/ 天候 参加者 (氏名) コースタイム 費 用 雲取山( 2,017m ) 平成21年 3月 1日(日)∼ [所在地:奥多摩 3月 2日(月) { 長谷川 徹、 結城 勝也、 海堀 進、 海堀夫人、 ] 1泊2日}天候:曇/晴 住吉 龍教 合計 5名 一日目: 12.5km JR 中央線 JR 青梅線 バス 東京====立川====青梅====奥多摩====鴨沢―――小袖乗越――-堂所(昼食) 6:30 7:10/7:15 7:50/7:52 8:28/8:35 9:10/9:20 9:50/9:55 11:30/12:00 ―――七ツ石山分岐―――石尾根分岐―――奥多摩小屋―――巻き道―――雲取山荘(泊) 12:40 13:50 14:35 15:25 16:15 二日目: 21.0km(内、林道終点∼鴨沢:10.5km) 雲取山荘―――雲取山―――三条ダルミ―――狼平―――北天のタル(昼食)――三条の湯 7:00 7:35/7:50 8:20 9:20/9:30 12:05/12:35 14:05/14:30 タクシー ―――林道終点―――塩沢橋―――後山林道起点―――お祭――――鴨沢=====奥多摩 14:50 15:45 16:25 16:50/17:05 17:25/17:50 18:15/20:08 (凡例) 電車・バス・タクシー・航空機等乗り物:== 【交通費】 【宿泊費】 ・電車:1210x2 =2420 ・山小屋: 7500 ・バス: 610 (弁当: 1000) ・タクシー:5210/5 =1050 小計 4080 小計 8500 所感ほか 一口アドバイス 歩行:−− 【その他】 ・山荘飲食: 1050 ・反省会: 2350 ・入浴費: 700 小計 4100 合計 16,700円 ①第一日目は曇りで雲取山頂はガスがかかっていたので巻いて雲取山荘に直行した。 ②鴨沢ルートは堂所の手前から5cm程度の積雪があり、七ツ石山分岐を過ぎると凍結個所が出て きたのでアイゼンを着用した。 山頂の巻き道は膝程度の積雪であった。 ③雲取山荘は他に5名の宿泊者で、我々には個室二部屋を使わせてくれた。食事は値段相応、トイ レは水洗で綺麗、部屋には炬燵が入れてあった。 水とお湯は無料でくれた。 ④二日目は6時から朝食。 6:10に山荘前で日の出を拝む。 外気温は−8℃。 山荘前で記 念撮影後、曇り空の下、アイゼンを着けて7:00に出発したが風が強く寒い。 山頂に着いた 頃から雲が切れ、青空とともに富士の絶景を見ることができたが、南アルプスは霞んでいた。 ⑤晴れて見通しが良いので、下山は当初計画通りに飛龍山∼丹波ルートにしたが、三条ダルミから 先は踏跡が無く、随所の滑落危険個所を慎重に通過したために予定の倍程度の時間を要し、北天 ノタルで12:00となった。 以降の所要時間を見込むと丹波バス停に着く前に暗くなること が予想されたが、 「三条ルートであれば後半は林道歩きであるから暗くなっても安全だ」との長 谷川さんの助言で、そちらにルート変更して無事に下山できた。 ①鴨沢ルートはこの時期でもしっかり踏まれてい 情報入手先電話番号等 て問題なし。ただし、アイゼンは必携。 ②三条ダルミから北天ノタルの間は全く踏み跡が 交通機関、京王タクシー:0428-83-2158 無く、細い巻き道を雪が斜面にしているために 宿泊場所 雲取山荘:0494-23-3338 温泉入浴、玉翠荘:0428-83-2363 随所に滑落危険個所があり、要注意である。 ③反省会は奥多摩駅前の蕎麦屋、温泉入浴は近く ガイドブック 地形図名 等:『山と高原地図』の『奥多摩』 の旅館『玉翠荘』 (700円)を利用した。 および『雲取山・両神山』 ④京王タクシーは6人乗りの車で鴨沢バス停に迎 えに来てくれた。 (鴨沢まで携帯は不通) - 40 - 山行実施報告書 平成 21 年 3 月12 日 リーダー:高田 順甫 サブリーダー: 作成者 :長谷川 徹 行き先 湯河原城山( 563m) 実施日/ 天候 平成 21 年 3 月 3 日(火)天候:曇後小雪 参加者 (氏名) 佐藤 コースタイム 費 用 博、高橋 傳、井戸川 三男、長谷川 徹 合計 4 名 湯河原駅−−−城山城址−−−しとどの窟−−−幕山公園−−−幕山バス停====湯河原駅 10:00 11:45/12:20 13:00 13:50 14:05 14:30 (凡例) 電車・バス・タクシー・航空機等乗り物:== [交通費] [その他] ・電車 :東京基点¥3,240 ・懇親会¥2500 ・バス等:¥200 歩行:−− 所感ほか 小計 ¥3.440 小計 ¥2500 合計 ¥6,000 ①湯河原駅から小田原方面へ少し戻り、ガードをくぐってアスファルトの急な道を真っ直ぐ進む。 鈴なりの蜜柑と早咲きの満開の桜の出迎えを受ける。初島の奥に大島の影がぼんやり浮かぶ。 ②土肥氏の城跡で昼食。本来はここで高田リーダー、長嶋さん、津出さんと合流する予定であった が、登山口が見つからず幕山公園に向うとの電話が入った。小雪がちらついてきた。 ③しとどの窟への道は急なコンクリートの道と、ロープのある山道があり、凍結時はアイゼンがな いと危険。 ④幕山公園では雪も止み、満開の白梅・紅梅と沢山の観梅客に出会う。 ⑤バス停で、高田リーダー達とばったり遭遇。しばし歓談の後別れ湯河原駅前にて打ち上げ。 ⑥鈴なりの蜜柑の木々、満開の桜、幕山公園の手入れの行き届いた梅林、しとどの窟等史跡もあり、 楽しい山行であった。 注)長嶋・津出・高田の三人組は、当初「しどどの窟」で合流する予定でしたが、バスのルートを 間違え急遽「城山登山口」から城山にて合流するバスのルートに変更した。しかし「城山登山口」 で下車すると「この道は城山に通じません。直ぐ左の道を進んでください」を読み間違えあちこち 登山口を探したが見当たらず、仕方なく下山し湯河原駅からバスで「湯河原梅林」に出掛けて、そ こで4人組みに出会った次第。(高田さん追記) 一口アドバイス ①しとどの窟周辺は日影箇所が多く、凍結の危険 情報入手先電話番号等 があるため、アイゼンの準備が必要。 ②幕山公園は、上から降りてきたため、入場料は 交通機関 宿泊場所 取られなかった。(200 円)ラッキー! 観光案内所 ガイドブック 地形図名 等 - 41 - 山行実施報告書 平成 20 年3月17日 リーダー:小沼英夫 作成者 :小沼英夫 行き先 大持山(1294m) 実施日/ 天候 平成20年3月15日(日) 天候:晴 参加者 (氏名) [所在地:東京/奥武蔵秩父] 長谷川徹、長谷川美保子、舩木健、荒井克益、高橋傳、塚原恒夫、結城勝也、 杉山修二、佐藤 博、海堀 進、海堀早苗、小沼英夫 合計12名 (姉ヶ崎発 6:05 池袋 7:40 着 / 7:46 発) コースタイム 西武線飯能駅==(バス)==名郷――――セメント工場――――3軒小屋(廃屋)[水]――― 8:35/8:45 9:45 / 9:55 10:30 11:00 鳥首峠(936m)―――――分岐――――大持山(1294m)――――分岐―――― 11:40 / (昼食)12:00 13:30 13:45 / 13:55 14:05 妻坂峠――――山中――――名郷====(バス)====飯能 14:45 15:30 16:00/16:18 17:25 費 用 [交通費] ・電車:450×2=900 ・バス等:790×2=1580 ・ 小計 2480 [その他] ・懇親会=3000(飯能駅前「和民」) 小計 3000 所感ほか 一口アドバイス 合計 5500 円 ①前日の前線通過の台風的強風がうその様な快晴に恵まれ、電車からは富士山が美しかった。 ②頂上では、遠方は霞んで、富士や筑波は明確ではなかったが、両神山(?)の雪が見えた。 ③気温は 10℃位で、陽の当たるところは氷が解けているが、その下は凍っていて、滑り易かっ た。 ④3軒小屋(廃屋)の右には石灰岩の掘り出しの山肌がそそり立っていた。15分後にそれを上から右 下に眺めるところを通過した。 ⑤[水]は小屋から5分位前方で、小さな川を渡るところ(?)。 ⑥セメント工場から右に入るところから頂上まで登りだけ、頂上から林道(山中)までは下り だけ。 ⑦予想していたよりもきついコースであったが、全員無事下山できた。 ①今年は降雪が少なかったので、楽であったが、 情報入手先電話番号等 この時期は残雪情報を入手しておくことが大切で 交通機関;国際興業バス 042-979-1515 あろう。 ②集合場所は一駅東の「東飯能」でもよい。 「名郷」 宿泊場所 行きのバスは飯能発で、東飯能駅前バス停を通る。 観光案内所 ガイドブック 座席確保には「飯能」がよい。 地形図名 等; 昭文堂「奥武蔵・秩父」2002 年版 - 42 - 山行実施報告書 平成 21 年 3 月 29 日 リーダー:杉山修二 作成者 :杉山修二 権現山(1311M) 行き先 実施日/ 天候 参加者 (氏名) [所在地:山梨県] 平成 21 年 3 月 28 日(土) 天候:薄日より 佐藤博、高橋傳、長谷川徹、 池田鎮雄 、海堀 進、海堀早苗、杉山修二(計7名) JR 線 上野原駅 8:07 着 上野原駅 バス(富士急山梨バス) 8:28 発 松姫行き コースタイム 初戸――――和見分岐――――権現山――――和見分岐――――和見峠―――― 9:20 11:20 11:50/12:30 12:55 13:30 富士急山梨バス ゴウド山分岐――――高指山――――不老山――――不老下========上野原 13:35 14:00 14:20 15:10/15:26 実歩行時間:4 時間 50 分 (凡例) 電車・バス・タクシー・航空機等乗り物:== 費 用 ・交通費 東京 上野原 不老下 ・反省会費 歩行:−− ∼ 上野原 (往復) 2,300 円 (JR 中央線 ホリデーパス) → 初戸 (バス) 690 円 (富士急山梨バス) → 上野原 (バス) 480 円 (富士急山梨バス) 3,000 円 合計 6,470 円 所感ほか ①薄日よりで、風が当たる尾根筋では気温は低く大変肌寒く感じたが、少人数の行動であった こともあり、計画のコースをほぼ 1 時間早く完歩することが出来た。 ②登山道はほぼ全コースに亘り杉と檜の林の淡々とした山道で綺麗に整備されていた。 ③権現山頂上では富士山の展望を期待したが、あいにく曇り空で残念であった。 ④反省会は上野原駅には適当なところが無いため、立川の「黒潮」で行った。 一口アドバイス 情報入手先電話番号等 ①上野原駅からの富士急山梨バスは「都内共通 バスカード」が使えないので要注意、PASUMO、 交通機関:富士急行山梨バス 上野原営業所 SUICA は利用可 Tel 0555−63―1260 ②ガイドブックにある 992 峯は巻き道があり、 注意して登山しないと見過ごす。 - 43 - 山行実施報告書 平成21年4月12日 リーダー:池田 鎮雄 作成者 :池田 鎮雄 行き先 三ツ峠山(開運山:1,786m、木無山:1,730m ) 、 [所在地:山梨県] 実施日/ 平成21年4月12日(日) 日帰り 一般 天候:曇り後 晴れ 天候 参加者 (氏名) 高橋傅、長谷川徹、村重高男、荒井克益、佐藤博、住吉龍教、矢作良平、西川幸男、 深見国興、小沼英夫、本郷葉子、池田鎮雄、 12名 コースタイム (特急あずさ3号) (直行バス) 姉崎駅===千葉駅===新宿駅===大月駅===河口湖駅===三つ峠登山口・・・・・ 5:44 6:09 / 6:38 7:30 8:31 / 8:34 9:34 / 9:40 10:20 / 10:30 (昼食) 木無山・・・三つ峠山頂・・・山荘(四季楽園) ・・・神鈴権現様の標識・・・股のぞき・・ 11:45 12:00 / 12:30 12:45 13:10 14:10 (入浴及び反省会) (富士急) ・・達磨石・・・グリーンセンター====三つ峠駅====大月駅===新宿駅 14:40 15:00 / 16:40 16:58 17:40 / 17:45 19:00 費 用 所感ほか (凡例) 電車・バスス・=== 歩行:・・・ 注: 往路は姉崎駅を設定 [交通費] [宿泊費] [その他] ・ 電車 :JR 2,300 円(ホリデーパス)・富士急(大月駅∼河口湖駅)1,110 円 富士急(三つ峠駅∼大月) 690 円 入浴 480 円(団体割引 通例:600 円) ・ 富士急バス(河口湖∼三つ峠登山口) 710 円, ・ その他 : 反省会:3,000 円(含む 入浴代) 小計 7,810 円 合計 7,810 円 ① 御巣鷹山の頂上はパラボラアンテナの周囲をフエンスで囲まれているために三つ峠の 内の一峰を登らなかった。 ② 標高差 400m の日帰りコースを設定。沿面距離は約 7.3 キロ、難易度は一般向けであ ったが、登り坂の南面は霜解けぬかるみであった。 ③ 殆どの登山道で富士山が眺められ、特に午前中の富士の稜線は見事の一語であった。 山頂から三つ峠駅への下りは落石注意箇所があり、長いので注意を要する。 途中 屏風岩ではロッククライミングの練習をする人で賑わっていた。 ④ 下山途中、数メートルの滑落が発生したが、擦り傷程度でホットした。 一口アドバイス ① 今年のバス運行二日目で登山客が多く、臨時 バスを増発した。 ② 河口湖より登山口への交通手段としてタクシ ーの利用もある。大型(5人乗り)5,500 円程 度で人数によっては利用しても良い。 ③下山後、西桂町営のグリーンセンターで温泉入浴、反省 会に利用し、入浴後三つ峠駅へ無料で送迎しても らった。 - 44 - 情報入手先電話番号等 富士急高速バス : 0555-72-2922 富士急タクシー:0120818-229 イビシタクシー:0555-72-1077 河口湖観光協会:0555-72-2460 三つ峠グリーンセンター:0555-25-3000 ガイドブック 地形図名 等 山行実施報告書 平成 21 年 4 月 22 日 リーダー:小沼英夫 作成者 :小沼英夫 行き先 畦ケ丸 (1293m) 実施日/ 天候 平成21年4月18日(土)天候:晴れ 参加者 (氏名) 高橋傳、結城勝也、長谷川徹、佐藤博、西川幸男、小沼英夫 コースタイム 費 用 [所在地:神奈川県丹沢地区] 合計 6名 新宿===新松田====(バス)==西丹沢自然教室―――権現山(1138m)分岐――― 7:41 9:04 / 9:35 10:46 / 11:00 11:30 下棚の滝―――本棚の滝―――本棚沢分岐―――善六ノタワ上――― 11:40 11:50 (昼食)12:05/12:25 13:00 畦ケ丸(1293m)―――大滝峠上――― 一軒屋避難小屋―――大滝橋バス停 14:00 / 14:10 14:45 15:15 16:05 / 16:23(臨時?) ==【バス】==新松田====新宿 17:15 / 19:05 20:37 (若松食堂で打上) [交通費] ・電車(新宿起点) :1500 ・バス等:1150+1080 ・その他: 小計 3730 [宿泊費] ・ホテル ・山小屋 [その他] ・懇親会 4000 小計 所感ほか 小計 合計 約 7800 ①晴天に恵まれ、メンバー全員のご協力で、予定外の下棚、本棚の滝も見学して、オンタイムで周 ることができました。 ②川は橋が整備されており、標識も多くあり、安心して歩けるコースであった。6歳、9歳の子供 連れの一家が反対コースで回っていた。畦ケ丸小屋に泊まる二人連れもいた。 ③この山行は栗原さんの計画でしたが、小沼が代わって実施しました。 ④反省会の予定でいた宴楽は貸切で入れなかった。 ⑤山行クラブの旗を改定試作し、参加者に見てもらった。概ねの賛同を得た。 一口アドバイス ①大滝橋バス停から徒歩約 20 分で中川温泉があ 情報入手先電話番号等 る。町営の日帰り入浴場がある。バスの時刻を 地図 昭文堂「丹沢」 (2002 年版) 見て活用すると汗を流すことができる。 新松田の若松食堂 0465-82-1957 ②Suicaを使うとバス運賃が安くできるよ うだ。この時期は臨時のバスが出ているようだ。 他に宴楽 0465-84-5391 などがある ③川を 10 回位渡るので、前日に豪雨のときは西 丹沢自然教室に確認してから実施するのがよ い。 - 45 - 山行実施報告書 (清掃登山) 平成21年5月13日 リーダー:西川幸男 作成者 : 〃 行き先 高水三山【高水山(759m) 岩茸岩山(793m) 惣岳山(756m)】 所在地:東京都 実施日/天候 平成21年5月10日(日)天候:快晴 池田・海堀・小沼・佐藤(英)・佐藤(博)・住吉・塚原・長谷川・ 深見・本郷(葉)・村重・矢作・ 西川。(敬称略) 計13名 参加者 コースタイム * 東京====立川====青梅====軍畑――――平溝―――――高水山(昼食) (8;53) (9;35) (10;07)(10;09) (10;22)(10;40) (11;00) (12;25)(12;50) * 青梅特快 ―――――岩茸岩山―――――惣岳山―――――御岳駅=====立川(反省会) (13;15)(13;30) (14;00)(14;10) (15;15)(15;23) (*16;30) *事故で 20 分遅れ 【交通費】 【宿泊費】 ・電車: 1780 円 (新宿基点) 【その他】 ・反省会;3300 円(立川;くろしお) (遠路の方はホーリデイパス¥2300) 費 用 小 ① 所感ほか ② ③ ④ 計:1780 円 小 計: 小 計:3300 円 合 計 約: 5000円 ゴールデンウイークの最終休日と好天の為賑っており、多数の外人も見受けられ人気コー スを実感した。 今年最初の30℃近くの暑さで体が慣れておらず、低山の割には疲労を感じた。 清掃登山でゴミを拾ったが、弁当の包装やペットボトルなどの大きくて目に付くものは 殆ど無く、全体的には予想よりは少なく(45L袋の半分)、マナーも徐々に浸透してい る様に思えた。しかし小さな紙屑やビニールの切れ端等が相変わらず多い。 新緑の本仁田山・川苔山・棒の折山等の山々が手に取るように見えた。(岩茸石山にて) 一口アドバイス ① コースには安全な水場は無い。トイレは 情報入手先電話番号等 高水山頂上直下の常福院に有り。 交通機関 ② 眺望の良いのは岩茸石山で、他では多く 宿泊場所 望めない。 地形図名 等 昭文社地図帳 ③ 沢井駅付近では入浴可能の旅館有り ○ 勝仙閣(042-878-8221) 軽食+入浴で 2500 円 営業時間(16,00~)の都合で今回は利用せず。 - 46 - 自主山行実施報告書 平成 21 年 6 月 11 日 リーダー:長谷川 徹 行き先 実施日/ 天候 参加者 (氏名) 剣山(1955m) [所在地:徳島県] 平成 21 年 5 月 15 日(金)天候:晴れ、風やや強し 瀬尾一太郎、住吉龍教、長谷川徹 合計 3 名 コースタイム 東京==徳島==見ノ越−−−西島駅−−−頂上ヒュッテ−−−頂上−−−西島駅−−− 0:40 13:30 14:15 15:00/15:15 15:20/15:30 15:50 見ノ越==中尾山高原キャンプ場 16:30 17:10 (凡例) 電車・バス・タクシー・航空機等乗り物:== 費 用 [交通費] [宿泊費] ・合計金額を登った 17 座で分担 ・中尾山高原ロッジ 小計 3,563 円 小計 3.000 円 歩行:−− [その他] ・食費他 小計 883 円 合計 7,446 円 所感ほか ①PM2時前に見ノ越に着いたので、翌日登る予定を前倒しした。 ②約 1 時間半で頂上ヒュッテ着。前回はガスと風の中であったが、今日は晴れ。但し相変わらず風 は強く冷たかった。 ③頂上からは次郎笈∼三嶺への笹の稜線が美しい。 ④見渡す限り山また山で奥深さが感じられた。 一口アドバイス ①見ノ越の駐車場は広い。トイレあり。 ②危険箇所まったくなし。 ③見ノ越から徳島側に約30 分程の所に、中尾山 高原キャンプ場がある。風呂があり、トイレもき れい。8 人用コテージ¥9000 で、まな板・包丁・な べ・ヤカンあり。マットレスと毛布 2 枚付き。 ④食料は徳島市内のスーパーで調達。 - 47 - 情報入手先電話番号等 交通機関 宿泊場所:中尾山キャンプ場:0883-68-3422 観光案内所 ガイドブック 地形図名 等 自主山行実施報告書 平成 21 年 6 月 11 日 リーダー:長谷川 徹 行き先 実施日/ 天候 参加者 (氏名) 三嶺(1893m) [所在地:徳島・高知県境] 平成 21 年 5 月 15 日(金)天候:晴れ 瀬尾一太郎、住吉龍教、長谷川徹 合計 3 名 コースタイム 中尾山高原キャンプ場==名頃−−−三嶺登山口−−−ダケモミの丘−−−三嶺−−−三嶺小屋 6:10 7:40 8:10 9:15 10:30/11:10 11:30 −−−菅生=(バス)=名頃==かずら橋==祖谷秘境の湯==祖谷渓キャンプ場 13:10/13:25 15:20 16:30 18:00 (凡例) 電車・バス・タクシー・航空機等乗り物:== 費 用 [交通費] [宿泊費] ・合計金額を登った 17 座で分担 ・祖谷渓キャンプ場 小計 3,563 円 小計 1.490 円 歩行:−− [その他] ・食費他 小計 2,307 円 合計 6,360 円 所感ほか ①ブナ、トチ、ツガの原生林を抜けると、まさに大草原の中に三嶺がある。交通アクセスはよくな いが、おすすめのすばらしい山である。 ②東に剣山、西に西熊山への緑のじゅうたんが続く。はるかに西方に赤石山系、北の足元に深い祖 谷の渓谷が続く大展望にしばし見とれる。 ③頂上付近にはコメツツジの大群落があるが、まだ蕾であった。開花時の美しさが想像される。 ④三嶺小屋からは、バスに間に合うように 1 時間 40 分で駆け下り、名頃に置いておいた車を取り にいった。久しぶりの駆け下りをした。 ⑤麓の祖谷では、新緑の淡い緑の中 あちこちに薄紫の藤が咲きうつくしい。 ⑥等身大の人形がいたるところにあり、人の少ない祖谷ならではと感じた。 ⑦かずら橋に寄り、祖谷渓の秘湯で汗を流す。 一口アドバイス ①危険箇所は無し。 ②山頂直下の三嶺避難小屋は広くきれい。小さな 明るい池もあり、一泊してみたい小屋である。 ③時間が許せば、西熊山から久保へのルートもよ さそうだ。 ④祖谷には食料品の売店は見当たらない。朝食・ オムスビ等は事前に調達が必要。 ⑤名頃の駐車場は、祖谷川の橋を渡ったところに ある。 ⑥かずら橋は観光地化している。 ⑦祖谷渓キャンプ場はバーべキュウ用具等揃って いる。5 人用バンガロー¥3150. - 48 - 情報入手先電話番号等 交通機関:三好市営バス 0883-88-2212 宿泊場所:祖谷渓キャンプ場 0883-75-2044 観光案内所 ガイドブック 地形図名 等 自主山行実施報告書 平成 21 年 6 月 12 日 リーダー:長谷川 徹 行き先 実施日/ 天候 参加者 (氏名) 東赤石山(1707m) [所在地:愛媛県] 平成 21 年 5 月 16 日(土)天候:高曇り 瀬尾一太郎、住吉龍教、長谷川徹 合計 3 名 コースタイム 祖谷渓キャンプ場==池田==伊予三島==筏津−−−瀬場谷分岐−−−赤石山荘−−− 8:15 9:00 11:15 八巻山−−−東赤石山−−−瀬場谷分岐−−−筏津===別子温泉===新居浜=== 11:50 12:40/13:00 15:15 16:00 石鎚ふれあいの里 (凡例) 電車・バス・タクシー・航空機等乗り物:== 費 用 [交通費] [宿泊費] ・合計金額を登った 17 座で分担 ・石鎚ふれあいの里 小計 3,563 円 小計 1.947 円 歩行:−− [その他] ・食費他 小計 1,974 円 合計 7,484 円 所感ほか ①あけぼのツツジがちょうど見頃で、鮮やかなピンクと赤石山の赤いカンラン岩の岩肌とのマッチ が見事。この時期お勧めの山である。 ②赤石山荘から道を間違え八巻山に直登してしまったが、思いもよらず岩稜帯を楽しめた。道はし っかりしている。 ③頂上からは新居浜の街と瀬戸内海の島々を望むことができ、山と海の眺望を楽しめた。 ④新居浜のジャスコで食料を調達し、石鎚山麓へ向かう。 一口アドバイス ①駐車場は橋を渡ったところにある。トイレは駐 車場のすぐ上。 ②瀬場谷沿いの径は木の根の多い急な登りが多 く、雨後の下りは危険と感じた。 ③付近には食料品店はない。事前調達。 ④赤石山荘から東赤石山へのルートは、山荘から しばらく(15 分)並行気味の径を進むと直登ルー トがある。 ⑤石鎚ふれあいの里は 6 人用ケビンで¥5840. 台所、トイレ、風呂付、清潔な布団つき 2 段ベッ ド。 - 49 - 情報入手先電話番号等 交通機関 宿泊場所:石鎚ふれあいの里 0897-59-0203 観光案内所 ガイドブック 地形図名 等 山行実施報告書 R 平成 21 年 5 月 30 日 リーダー: 海堀 進 作成者 : 海堀 進 行き先 両神山(1,723 m) [ 所在地:埼玉県秩父 ] 実施日/ 天候 平成 21 年 5 月 17 日(日)∼ 5 月 18 日(月) {一泊二日} 参加者 結城 勝也、荒井 克益、海堀 天候: 一日目 曇り 二日目 晴れ 進 合計3名 (一日目) 特急 ちちぶ13号 池袋 ===== 12:30 (二日目) マイカー 西武秩父 ===== 13:48 / 14:00 日向大谷口(民宿両神山荘) 14:50 コースタイム 両神山莊 ――――― 会所 ――――― 清滝小屋 ―――――― 両神神社 ――― 6:00 6:30 / 6:35 8:10/8:20 9:15 / 9:25 ―――― 両神山 ―――― 両神神社 ―――― 9:55/ 10:20 10:45/10:50 清滝小屋 ―――― 会所 ―――― 11:30/11:35 12:45/12:55 両神山荘 ==== 両神温泉薬師の湯 ==== 西武秩父 13:25 /13:45 14:20/15:30 16:00 (凡例) ==== 費 用 自家用車等 、 ―――― 徒歩 、 着時刻 / 発時刻 [交通費] ・電車賃(西武池袋―西武秩父 特急 1,370×2 2,740 円) ・マイカー(1.500 円/人 徴収) [宿泊費] 民宿両神山荘 7.350 円 、 弁当 500 円 [入浴料] 600 円 +缶ビール他 所感ほか ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一口アドバイス ・ ・ ・ ・ ・ 合計 約 13,000 円 登山口の民宿両神山荘は山菜中心の食事が大変良かった。 登山口から清滝小屋までは新緑に覆われた沢沿いの道で30度近くの気温も苦にならなかった。 清滝小屋から両神神社までは数箇所の岩場・鎖場が有るが慎重に通過すれば問題は無い。 清滝小屋付近では二輪草が満開だったが、期待していたアカヤシオは一週間遅かったようで山頂 付近でしか見られなかった。 山頂からは秩父連山越しに富士山、八ヶ岳、浅間山、遠くに北アルプスまでが展望出来た。 西武秩父駅からマイカーで登山口まで行った 情報入手先電話番号等 が、最後の5kmは道幅が狭く離合が大変で 0494-79-1100 ある。午後に2便、中型の乗合バスが通る。 小鹿野町役場産業観光課 民宿両神山荘 0494-79-0593 登山口の駐車は民宿の駐車場を含め三箇所有 道の駅両神温泉「薬師の湯」 0494-79-1533 る。民宿泊りは無料(一般 500 円) 清滝小屋は避難小屋になってる。トイレ、水 場は管理されてる。 白井差登山ルートは廃道になってる。 下山後、両神温泉道の駅「薬師の湯」で汗を 流したが、露天風呂付きで良かった(600 円) 住吉さんお勧めの国民宿舎両神荘の日帰り温 泉は 15 時までの時間制限があるため見送っ た。 - 50 - 自主山行実施報告書 平成 21 年 6 月 12 日 リーダー:長谷川 徹 行き先 実施日/ 天候 参加者 (氏名) 笹ヶ峰(1860m) [所在地:愛媛・高知県境] 平成 21 年 5 月 17 日(日)天候:雨、強風 瀬尾一太郎、長谷川徹 合計 2 名 コースタイム 石鎚ふれあいの里==林道登山口−−−宿−−−丸山荘−−−笹ヶ峰−−−丸山荘−−−宿− 10:00 10:50/11:00 11:30/40 12:40/50 13:35 14:10 −−登山口===伊予西条===新居浜===石鎚ふれあいの里 14:50 (凡例) 電車・バス・タクシー・航空機等乗り物:== 費 用 [交通費] [宿泊費] ・合計金額を登った 17 座で分担 ・石鎚ふれあいの里 小計 3,563 円 小計 1.947 円 歩行:−− [その他] ・食費他 小計 3,215 円 合計 8,725 円 所感ほか ①登り始めてしばらくして、雨が降り出した。丸山荘からは本降りで強風。さえぎるもののない笹 原の急斜面を頭を下げながらジグザグ登る。 ②頂上では飛ばされないように案内板にしがみつき写真を撮った。石鎚に登った小沼・住吉さんは 大丈夫だろうか? ③丸山荘付近からは樹林帯。のんびり下る。 ④朝 7 時前 西条駅に小沼さんを迎えに行き、キャンプ場に戻って住吉さんを乗せ石鎚山ケーブル 登山口まで送った。その後、笹ヶ峰に向かった。 ⑤下山後帰京する瀬尾さんを西条駅まで送り、新居浜ジャスコで食料を調達後キャンプ場に戻る。 一口アドバイス 情報入手先電話番号等 ①危険性はまったく無し。ファミリー登山向けの 交通機関 山。 宿泊場所 ②丸山荘は鍵がかかっていて不在。 観光案内所 ガイドブック 地形図名 等 - 51 - 自主山行実施報告書 平成21年6月9日 リーダー:小沼英夫 作成者 :小沼英夫 行き先 石鎚山 (1974m) [所在地:愛媛県 ] 実施日/ 天候 平成21年5月17日(日) 天候:曇り→(頂上で暴風雨) 参加者 (氏名) 住吉龍教、小沼英夫 コースタイム 合計2 名 (小沼は東京から夜行バスで、石鎚ふれあいの里に前泊の住吉さんと合流) 山麓下谷駅==(ロープウェイ)==山頂成就駅・・・・・成就社/・・・・八丁坂休憩所・・・・・・試し鎖 8:00 8:15 8:35 8:50 9:35 ・・・・一の鎖(35m)・・・・・・二の鎖(65m)・・・・・・三の鎖入口・・・・・・・弥山頂上・・・・・・八丁坂休憩所 10:10 10:45 11:15 11:25 / 11:45 13:00 ・・・・・成就社・・・・・・・山頂成就駅======山麓下谷駅===(バス)===石鎚ふれあいの里 13:25 13:40 13:50 / 15:17 15:40 費 用 [交通費] [宿泊費] ・バス :東京→西条 10800 ・バス等:下谷駅→ふれあいの里 880 ・山小屋 1500 ・その他:ロープウェイ(往復)1440 小計 小計 [その他] ・懇親会 1500 小計 合計 約 16000 円 所感ほか ①17日朝 西条駅近くで長谷川車に同乗。石鎚ふれあいの里に荷物を置いて、ロープウェイ下ま で送ってもらう。マイカーのお世話になった。夜行バスは3列シートでよく眠れた。 ②鎖は一及び二の鎖を登る。他はパス。雨に濡れた岩で、二の鎖は緊張した。鎖は特別に太い。 ③頂上では曇りから急に風雨が強くなり、天狗岳は割愛した。天狗岳への鎖は弥山頂上の岩の左側 奥にある。視界はほとんどなし。 ④前回雪で撤退したのは、二の鎖であることを確認した。 ⑤信仰の山のため、行者装束を着けた数グループに出会った。1本歯の高下駄でよく歩けるものだ と感心した。ほら貝を鳴らして悠然と降りて行った。6−7月には多く見られるとのことでした。 ⑥下谷駅近くのみやげ物や兼食堂兼旅館で、バス待ちの間、昼食と軽い打ち上げを行った。 一口アドバイス ①石鎚ふれあいの里は竹下内閣の1億円で、旧小 学校を増改築したもので、設備もよく、料金もリ ーズナブルで好感を持てた。 ②西条駅→石鎚ふれあいの里→石鎚ロープウエイ 下の路線バスがあるので、交通の便もよい。 ③弥山頂上までは鎖を使わなくても、全て巻き道 があるので、天候の良くないときは迂回するのが よいであろう。 - 52 - 情報入手先電話番号等 交通機関 夜行バス(パイレーツ;京急バス) 宿泊場所 石鎚ふれあいの里 5840 円 (4−6人用キャビン)0897-59-0203 観光案内所 西条市観光課から詳細地図入手。 ガイドブック 地形図名 等 昭文堂「山と高原地図 54 石鎚・四国剣岳」 自主山行実施報告書 平成 21 年 6 月 10 日 リーダー:小沼英夫 作成者 :小沼英夫 行き先 祖母山(1756m) [所在地:大分県] 実施日/ 天候 平成 21 年 5 月 19 日(火)天候:晴れ 参加者 (氏名) 住吉龍教、小沼英夫 合計2名 コースタイム (前日 神原(コウバル)キャンプ場に長谷川車で入り、宿泊) キャンプ場…・・・一合目滝・・・・・・登山口駐車場・・・・・五合目小屋(朝食)・・・・・・・国観峠・・・・・・ 5:45 6:15 6:40/6:50 7:25/7:35 9:15/9:20 祖母山頂上・・・・・九合目避難小屋・・・・・・国観峠・・・・・・五合目小屋(昼食)・・・・・・登山口駐車場・・・・ 10:15 / 10:45 10:55/11:00 11:20 12:25 / 12:40 13:05 一合目滝・・・・・・キャンプ場下・・・・・キャンプ場・・・・・・おだまきレストラン====キャンプ場 13:20 13:32 13:45 14:30 (シャワー後車で送ってくれた。5分) 費 用 [交通費] [宿泊費] ・電車 : ・ホテル ・バス等: ・キャンプ場 500 ・その他:マイカー代は別途支払い ・入浴 100 小計 小計 [その他] ・懇親会 食事 1500 所感ほか 小計 合計 約 2500 ①神原キャンプ場は最近ほとんど使用されていないようであった。代わりに「緒環(おだまき)レ ストラン」が部落内に建設されていたが、ここも機能していないようであった。シャワーは 100 円 で、特別に使わせてくれた。 ②急坂が多く、滑りやすい粘土質の土と岩で雨天は苦労すると思った。 ③山頂は 360 度の展望で九州の主な山はほとんどが見渡すことができた。 ④九合目避難小屋で「室内では鈴を止めること」の張り紙があった。 ⑤18 日は臼杵の石仏、竹田城跡を見学でき、よい思い出になった。 一口アドバイス ①竹田市の観光課は管理人の番号として、おだま きレストラン(0974672288)の番号を教えてくれ たが、これは通じない。管理人の携帯電話か、自 宅(パーマや)の番号に電話する必要がある。 ②九合目避難小屋はきれいに整備されており、炬 燵もある。 ③民宿からは、登山口滝駐車場までは送迎してく れるようだ。 ④神原に前泊する人は民宿「清滝」などを利用す る人が多いようだ。 ⑤おだまき部落に入る入り口がわかりにくい。 - 53 - 情報入手先電話番号等 交通機関 宿泊場所 キャンプ管理人 09050213897 自宅 0974672134 観光案内所 ガイドブック 地形図名 等 昭文堂「山と高原地図 57 祖母山・傾」 自主山行実施報告書 平成 21 年 6 月 12 日 リーダー:長谷川 徹 行き先 実施日/ 天候 参加者 (氏名) 由布岳(1583m) [所在地:大分県] 平成 21 年 5 月 19 日(火)天候:晴れ 長谷川徹 合計 1 名 コースタイム 祖母山麓神原キャンプ場==竹田==湯布院==登山口−−−合野越−−−マタエ−−− 8:55 9:25/30 10:40/50 西峰−−−マタエ−−−登山口===湯布院===竹田===神原キャンプ場 11:15/25 11:45/50 12:50 (凡例) 電車・バス・タクシー・航空機等乗り物:== 費 用 [交通費] [宿泊費] ・合計金額を登った 17 座で分担 ・神原キャンプ場 小計 3,563 円 小計 470 円 歩行:−− [その他] ・食費他 小計 2,836 円 合計 6,869 円 所感ほか ①キャンプ場は九州の最深部。ツツドリ、トラツグミ、アカショウビンなどの鳥の声を楽しむ。 ②祖母山に向かう小沼・住吉さんを見送り、キャンプ場から約 2.5 時間で登山口着。 ③さわやかな緑の高原の中の双耳峰。緑がまぶしい。 ④8 合目あたりにミヤマキリシマがちらほら咲いていた。まだ時期的には早い。 ⑤マタエから西峰へは鎖場と梯子が少し続くが、足場はしっかりしている。 ⑥快晴の頂上から、直下に由布院の町並みと湯煙、遠くに祖母山、久住山がくっきりと。 ⑦帰路由布院で温泉につかり、竹田で食料を調達して、キャンプ場へ 一口アドバイス ①西峰は鎖場と梯子があるが、変化に富んで面白 い。 ②駐車場は広い。トイレあり。 ③山麓は広々とした草原。 ④湯布院温泉は山のホテル夢想園の広々とした露 天風呂がお勧め。 ⑤神原キャンプ場は山奥にありあまり使用されて いない様子。大広間の宿泊所に 3 人で泊まる。毛 布は積んであり何枚でも使用可。一応炊事場所、 冷蔵庫、食卓等がある。トイレもきれいだった。 ¥470/人と安いのが魅力。温泉は徒歩 30 分ぐらい のところにある町営センター。 (最近は民宿泊まり の人が多いようだ) - 54 - 情報入手先電話番号等 交通機関 宿泊場所:神原キャンプ場 0974-67-2288 観光案内所 ガイドブック 地形図名 等 自主山行実施報告書 平成 21 年 6 月 10 日 リーダー:小沼英夫 作成者 :小沼英夫 行き先 阿蘇山[高岳] (1592m) [所在地:熊本県] 実施日/ 天候 平成 21 年 5 月 20 日(水)天候:晴れ 参加者 (氏名) 住吉龍教、小沼英夫 コースタイム 費 用 合計2 名 (前日 祖母山麓神原キャンプ場に泊まり、早朝に仙酔峡に移動) 神原キャンプ場======仙酔峡・・・・・・・高岳火口壁・・・・・・・天狗の舞台・・・・・・・高岳・・・・ 5:00 6:00 8:00 8:15/8:25 8:40/8:50 中岳・・・・・・・・火口東駅==(ロープウェイ)==仙酔峡===天岩戸===祝子川キャンプ場 9:05 9:35 / 9:40 9:50 12:20/13:40 16:40 [交通費] ・電車 : ・マイカー-:別途 ・ロープウェイ:800 小計 [宿泊費] ・ホテル ・山小屋 小計 [その他] ・懇親会 小計 合計 約 1000 円 所感ほか ①ツツジが満開で、お花畑の中を登って行く感じであった。 ②頂上からは360°の展望で、九重、祖母が見渡せた。 ③長谷川さん(車)との待ち合わせ時間の関係で、下山はロープウェイを使った。 ④草千里の方(公園道路)から火口を覗いたことはあるが、中岳・火口東展望台からの眺めの方が、 火口の崩落や断崖絶壁の段層が見られて迫力が違う。 ⑤下山後は天岩戸に立ち寄って宿泊場所の祝子川キャンプ場に向った。 一口アドバイス ①火口東駅からロープウェイを使わずに歩くと、 仙酔峡駐車場まで、約40分。 - 55 - 情報入手先電話番号等 交通機関 宿泊場所 観光案内所 ガイドブック 地形図名 等 昭文堂「山と高原地図 56 阿蘇・九重」 自主山行実施報告書 平成 21 年 6 月 12 日 リーダー:長谷川 徹 行き先 実施日/ 天候 参加者 (氏名) 尾鈴山(1405m) [所在地:宮崎県] 平成 21 年 5 月 22 日(金)天候:曇り 小沼英夫、住吉龍教、長谷川徹 合計 3 名 コースタイム 日向サンパークキャンプ場===尾鈴山三差路−−−尾鈴山−−−三差路===矢研の滝=== 9:20 11:03/20 12:35 高鍋===西米良温泉双子キャンプ場 (凡例) 電車・バス・タクシー・航空機等乗り物:== 費 用 [交通費] [宿泊費] ・合計金額を登った 17 座で分担 ・双子キャンプ場 小計 3,563 円 小計 1,610 円 歩行:−− [その他] ・食費他 小計 2,460 円 合計 7,633 円 所感ほか ①病み上がりのため最も簡単なルートを登る。 ②危険箇所もなく整備された道を登る。 ③一等三角点の頂上は展望はあまりよくないが、途中木の間越しに日向灘を望む。 ④帰路尾鈴キャンプ場から 30 分 尾鈴瀑布群の雄矢研の滝を見にいった。 落差 73m の堂々たる滝。 (100 名瀑) ⑤高鍋で食料調達。 一口アドバイス 情報入手先電話番号等 ①三差路には路肩駐車で 4~5 台駐車可。 交通機関 ②危険箇所無し。 ③双子キャンプ場は、快適なコテージで隣が温泉。 宿泊場所:双子キャンプ場 0983-36-1833 観光案内所 ¥1610. ガイドブック 地形図名 等 - 56 - 自主山行実施報告書 平成 21 年 6 月 12 日 リーダー:長谷川 徹 行き先 実施日/ 天候 参加者 (氏名) 市房山(1721m) [所在地:熊本・宮崎県境] 平成 21 年 5 月 23 日(土)天候:晴れ 小沼英夫、住吉龍教、長谷川徹 合計 3 名 コースタイム 西米良温泉==人吉湯山==市房神社駐車場−−−市房神社−−−市房山−−−市房神社駐車場 8:15 8:40 11:00/11:45 13:35 ===人吉===えびの IC===えびの高原キャンプ場 (凡例) 電車・バス・タクシー・航空機等乗り物:== 費 用 歩行:−− [交通費] [宿泊費] ・合計金額を登った 17 座で分担 ・えびの高原キャンプ場 小計 3,563 円 小計 1,960 円 [その他] ・食費他 小計 1,856 円 合計 7,379 円 所感ほか ①市房神社駐車場まで車乗り入れが可能で、大変助かる。 ②南国だけあって一本一本の木の幹がとても太く驚かされる。 ③市房神社から馬の背∼8 合目付近までは岩場のロープ、木の枝、根っこにつかまりながらの急坂 が続く。思っていたよりアルバイトを強いられた。 ④頂上からは人吉盆地、五木村、椎葉村を見下ろし、遠くに霧島連山を望む。一等三角点。 一口アドバイス ①駐車場は 10 台程度。 ②想定外の急坂が続く。 ③えびの高原には食料店がない。事前に麓で調達。 ④えびの高原キャンプ場 8 人用キャビン¥1800。 ⑤温泉は場内無料。20 時まで。トイレットペーパ ー持参。バーベキュー用具レンタル。 - 57 - 情報入手先電話番号等 交通機関 宿泊場所:0984-33-0800 観光案内所 ガイドブック 地形図名 等 自主山行実施報告書 平成 21 年 6 月 12 日 リーダー:長谷川 徹 報告者 :住吉 龍教 行き先 実施日/ 天候 参加者 (氏名) 韓国岳(1700m)、新燃岳(1421m)、中岳(1332m)、高千穂峰(1574m) 平成 21 年 5 月 25 日(月)天候:晴れ 西川幸男、小沼英夫、長谷川徹、住吉龍教 合計 4名 コースタイム えびの高原キャンプ場―――韓国岳登山口―――硫黄山分岐―――韓国岳山頂――― 6:20 6:30 6:50 8:00/8:15 獅子戸岳―――新燃岳―――中岳―――高千穂河原(昼食)―――古宮址―――火口壁――― 9:35 10:30/10:35 11:05 12:10/12:40 12:50 13:40 元宮―――高千穂峰山頂―――高千穂河原==(タクシー)==えびの高原キャンプ場 14:05 14:30/15:00 16:10 (凡例) 電車・バス・タクシー・航空機等乗り物:== 費 用 [所在地:霧島] 歩行:−− [交通費] [宿泊費] ・合計金額を登った 17 座で分担 ・えびの高原キャンプ場 小計 3,563 円 小計 1,960 円 [その他] ・食費他 小計 1,856 円 合計 7,379 円 (高千穂河原∼キャンプ場のタクシー代: 3600 円) 所感ほか ①天候に恵まれ、満開のミヤマキリシマを愛でながらの快適な霧島連山縦走であった。 ②ミヤマキリシマ目当てか、平日にも拘らず何処も人が多かった。特に中岳はハイキング気分の人 で賑わっていた。 ③新燃岳から中岳の間は正面に高千穂峰を見ながらアップダウンの少ない大草原を歩く。 ④中岳からの霧島市街・高千穂峰の景色は雄大そのもの。 ⑤高千穂峰の登山道は殆ど崩れ易い溶岩のザレ道で、山頂直下の急坂を下る際には恐怖を覚える。 火口壁の馬の背で登頂を諦めて引き返す女性もいた。 ⑥えびの高原の鹿は人馴れしていて昼夜を問わず人の近くに出没する。 一口アドバイス ①えびの高原には食料店がない。事前に麓で調達。 ②えびの高原キャンプ場 8 人用ケビン¥1800。 ③温泉は場内無料で 20 時まで。トイレットペーパ ー持参。トイレは水洗で綺麗。 ④共同炊事場の他にケビン前でもバーベキューが できる。バーベキュー用具はレンタル。 - 58 - 情報入手先電話番号等 交通機関 宿泊場所:0984-33-0800 観光案内所 ガイドブック 地形図名 等 自主山行実施報告書 平成 21 年 6 月 10 日 リーダー:小沼英夫 作成者 :小沼英夫 行き先 開聞岳 (924m) [所在地:鹿児島県] 実施日/ 天候 平成 21 年 5 月 27 日(水)天候:小雨(強風) 参加者 (氏名) 西川幸男、住吉龍教、小沼英夫 コースタイム 費 用 合計3名 (前日『夢・風の里アグリランドえい』のロッジに泊まり、長谷川車で登山口へ移動) アグリランドえい・・・・・・開聞ふれあい公園・・・・・・二合目登山口・・・・・・仙人洞・・・・・ 7:00 8:07 8:15 9:35 頂上・・・・・・・・・・仙人洞・・・・・・・五合目・・・・・・・二合目登山口・・・・・・・開聞ふれあい公園 10:20 / 10:35 11:20 11:55 12:30 12:40 [交通費] ・電車 : ・バス等: ・その他: 小計 [宿泊費] ・ホテル ・山小屋 小計 [その他] ・懇親会 小計 合計 所感ほか ①前線が停滞していて、頂上では強風であった。 ②九合目を過ぎると眼下に東シナ海、池田湖を望めたが、櫻島は時々幽かに見える程度であった。 ③頂上で記念撮影後、一段下がったところの祠の横の岩に囲まれたところで強風が鎮まるまで休憩 して下山。 ④下山後、長崎鼻公園を巡り、指宿海上ホテルに移動。 一口アドバイス ①頴娃町の『夢・風の里アグリランドえい』のロ ッジはガス、水道、シャワー、ふとん、鍋、食器 などが完備した1軒屋で、開聞岳が面前に見える 高台にある。安くて、快適なキャンプ場である。 ②メダカの繁殖に力を入れているようであった。 ③登山口の開聞ふれあい公園の管理事務所では登 山記念証を発行してくれる。年間約2万人が登る とのことでした。 - 59 - 情報入手先電話番号等 交通機関 宿泊場所 夢・風の里アグリランドえい 0993-36-3535 登山口・駐車場 開聞山麓ふれあい公園キャンプ場 099-32-5566 ガイドブック 地形図名 等 昭文堂「山と高原地図 58 霧島・開聞岳」 自主山行実施報告書 平成21年6月3日 リーダー:小沼 英夫 作成者 :池田 鎮雄 行き先 桜島 ( 御岳:北岳 1,117m, 中岳 1,060m, 南岳 1,040m) 実施日/ 天候 平成21年5月28日(木) 参加者 (氏名) 小沼 英夫、 住吉 龍教、 池田 鎮雄 (長谷川 徹さん、西川 幸男さんは類似コースを別行動で) コースタイム 費 用 日帰り 一般 [所在地:鹿児島県] 天候:晴れ 3 名 (フエリー) (観光タクシー) 鹿児島フエリーターミナル===桜島ターミナル===烏島展望所===叫びの肖像== 10:00 10:20 / 10:25 10:30 / 10:35 10:40 湯の平手前交差点・・・湯の平展望台・・・交差点・・・桜洲小学校前・・・櫻島ターミナル 10:45 10:55 / 11:00 11:10 11:40 12:00 / 12:05 (フエリー) ==== 鹿児島フエリーターミナル 12:25 所感ほか (凡例) 電車・バス・タクシー・フエリー === 歩行:・・・ [交通費] [宿泊費] [その他] ・ フエリー乗船賃 : 150 円 × 2 = 300 円 ・ 観光タクシー : 8,550 / 3 = 2,850 円 合計 3,150 円 / 人 ① 当日(28日)鹿児島 10:20 発 屋久島行きのジエットホイール乗船予定で集合したが、 低気圧接近による強風、荒天により午前は運航休止となり、余暇の 2時間を利用し て櫻島登山(???)を実施した。 ② 12:00 に午後の屋久島行きの便の運行可否の決定がされるので、切符の手配などでそ れまでには屋久島行きターミナルに帰る予定であったので、舗装された下山道での時速 6∼ 6.5 キロ の歩行は流石応えた。 ③ 下山途中の道路わきには小粒ながら黄色に熟れた「びわ」に癒された。 ④ 快晴に恵まれ、目の前に聳え立つ桜島をゆっくりと眺める事が出来た。 一口アドバイス ① 櫻島への入山許可区域は湯の平展望所までで ある。 北岳の標高 373m にある展望所。眼 前に北岳がそそり立ち、眼下には錦江湾、鹿 児島市街の風景が楽しめる地点にある。 ② 28 日は荒天のため全便運行停止となり、屋久 島登山のスケジュールを 1 日遅らせる。 ④ 櫻島定期観光バス:乗り場 フエリーターミナル 1階 所要時間 : 約2時間 料金 : 大人 1,700 円、 子供 850 円 発時間 : 09:40 , 14:20 問い合わせ: 鹿児島市交通局バス事業部 : 099-257-2111 - 60 - 情報入手先電話番号等 櫻島港フエリーターミナル : 099-293-4333 櫻島フエリー(船舶部):099-293-2525 鹿児島中央駅観光案内:099-253-2500 地形図名 等 自主山行実施報告書 平成 21 年 6 月 12 日 リーダー:長谷川 徹 行き先 大崩山(1643m) 実施日/ 天候 平成 21 年 5 月 29 日(金)天候:晴れたり曇ったり 参加者 (氏名) コースタイム 費 用 [所在地:宮崎県] 長谷川徹 合計 1 名 延岡==祝子川温泉==大崩山登山口−−−大崩山荘−−−湧塚分岐−−−袖ダキ−−− 6:30 7:10 7:45 9:25/50 −中湧塚下−−−坊主尾根分岐−−−大崩山−−−袖ダキ−−−ワク塚分岐−−−山荘− 11:10 12:00 12:30/13:00 14:55 16:20 17:00 −−−登山口===祝子川温泉===延岡 17:30 (凡例) 電車・バス・タクシー・航空機等乗り物:== 歩行:−− [交通費] [宿泊費] ・合計金額を登った 17 座で分担 ・車中泊 小計 3,563 円 小計 0 円 [その他] ・食費他 小計 1,400 円 合計 4,963 円 所感ほか ①九州にこんな厳しい山があるのかと吃驚した。 ②登山口から湧塚分岐までの径は不明瞭で、15m 位おきに木の枝についた赤いテープ(細く小さい) を探しながら行きつ戻りつを繰り返して進む。意外に時間を食う。 ③分岐では、川原の大石を飛びながら、ステンレスの橋を渡り鎖を使って対岸に渡る。 ④暫くガレバ等を急登し、ロープを頼りに花崗岩の袖ダキに出る。垂直に切れ落ちた谷をはさんで、 小積ダキの大岩盤が眼前に現れ、圧倒的な景観にしばし茫然。これから登る湧塚の岩峰群にも圧倒 されっぱなし。 ⑤下湧塚、中湧塚の花崗岩の岩にロープと靴のフリクションで登り、丸っこい頂を四つんばいにな ってそろりそろりと進む。左へ滑れば垂直の谷へ、一巻の終わりである。 ⑥上湧塚は恐ろしいので巻き道を行く。 (下・中湧塚も巻き道あり) ⑦上湧塚を過ぎると一般道。ほっとする。笹薮のトンネルを掻き分け頂上へ。 ⑧頂上で、先行2パーティと出会う。 ⑨下山は同じ道を引き返す。湧塚は全て巻き道を下る。巻き道も若干注意する箇所あり。 ⑩バランスが悪くなった私には、すばらしい岩峰群の景観と恐怖を感じる山であった。 一口アドバイス ①湧塚はバランスに不安のある人は巻き道を ②登山口から湧塚分岐までは、道が判りずらい。 ゆっくり確認しながら進むこと。 ③祝子川温泉はゆったりとした広い風呂。大崩山 を見ながらの露天は格別。 ④食料は延岡(ジャスコ他)で調達。 ⑤祝子川キャンプ場は、2段ベッドの広いキャビ ンで¥5000/棟。キッチン(ガス) 、トイレ、風呂、 清潔な布団つき。管理人の女将さんがよい(小野 ます子)温泉手前の橋を渡り部落へ。 - 61 - 情報入手先電話番号等 交通機関 宿泊場所:祝子川キャンプ場 0982-20-1130 観光案内所 ガイドブック 地形図名 等 自主山行実施報告書 平成 21 年 6 月 10 日 リーダー:住吉龍教 作成者 :住吉龍教 行き先 実施日/ 天候 参加者 (氏名) コースタイム 費 用 宮之浦岳(1936m)、永田岳(1886m) [所在地:鹿児島県屋久島] 平成 21 年 5 月 29 日(金)∼6月1日(月) 天候:晴れ/晴れ/晴れ 池田鎮雄、小沼英夫、住吉龍教、 合計3名 29日: 高速船 バス バス 鹿児島本港====宮之浦港====安房===紀元杉―――淀川登山口―――淀川小屋(泊) 9:10 11:00/11:59 12:41/13:17 14:11/14:30 14:45/14:55 15:40 30日: 淀川小屋―――展望所―――花之江河―――投石平―――くりお岳―――宮之浦岳 4:35 5:35 6:00/6:10 6:45 8:15 8:35/8:50 ―――焼野三叉路―――永田岳―――焼野三叉路―――新高塚小屋(泊) 9:10 10:07/10:30 11:33 13:22 31日: 新高塚小屋―――縄文杉―――ウイルソン株―――楠川歩道出合―――辻峠――― 5:33 6:32/6:40 7:50/7:55 9:01 9:45 白谷雲水峡==バス==宮之浦(昼食)==バス==安房・民宿『志保』(泊) 10:48/11:00 11:30/12:48 13:30 6月1日: 高速船 安房港=====鹿児島本港(解散)以降、航空機とバスに分かれて帰京 7:00 9:35/11:55 [交通費] ・自家用車:3600 ・バス等: 23000 ・高速船: 9000 小計 35600 [宿泊費] ・民宿 5300 ・ 小計 5300 [その他] ・飲食代 10000 小計 10000 合計 51,000円 所感ほか 一口アドバイス ①当初は28日スタートの予定であったが悪天候で屋久島行きの全交通機関が終日欠航となった ために、急遽、予定を桜島・鹿児島観光に変更して屋久島山行は一日遅らせた。 ②屋久島観光イベント・しゃくなげ登山の実施日と重なったために山中泊の淀川小屋、新高塚小屋 ともに定員オーバーで、多くの登山者が小屋の外で寝た。 ③新高塚小屋では超満員だった宿泊客は5:30までに全て出発した。 皆、行動が早い。 ④屋久島では珍しく3日連続の晴天であったが宮之浦岳・永田岳の両山頂では何れもガスで視界ゼ ロの状態であった。また、前日までの悪天候の名残か、登山道の至る所で水が流れ出していた。 ⑤石楠花は淀川側はチラホラ、宮之浦岳から高塚小屋への下りでマアマアといったところ。 ⑥トロッコ道では間断無い登りの人(大半は観光客)で屋久島人気の盛り上がりを実感した。新高塚 小屋まで同行した横浜の女性は居残って屋久島を隈なく歩く(観る)とのことであった。 ⑦安房港から徒歩5分の海辺のレストラン『屋久どん』で打上げをしたが、刺身、料理ともに美味 しかった。また、屋久鹿のさしみも出してくれる。 ①イベント開催中の避難小屋は大変な混雑が 情報入手先電話番号等 予想されるので、早めに小屋に着いて寝場所を 交通機関 高速船:トッピー 099-223-4251、 確保すること。 ロケット 099-223-1011 ②登山道・標識はよく整備されていて危険個 屋久島路線バス 0997-46-2221, 0997-43-5000 所・迷い易い個所は無い。程度は一般クラス。 九州高速バス・桜島号 0120-489-939 ③宮之浦港の飲食店は閉店中(偶々か)で他に食 高速バス・東京∼福岡 03-5376-2222 事する処無し。安房港は少し歩くとレストラ 宿泊場所 民宿・志保 0997-46-3288 ン、コープのスーパーなどがある。 地形図名 等 昭文堂「山と高原地図 59屋久島・宮之浦岳」 - 62 - 自主山行実施報告書 平成 21 年 6 月 12 日 リーダー:長谷川 徹 行き先 実施日/ 天候 参加者 (氏名) 上蒜山(1202m) [所在地:岡山・鳥取県境] 平成 21 年 6 月 1 日(月)天候:晴れ 長谷川徹 合計 1 名 コースタイム 上蒜山スキー場駐車場−−−五合目−−−八合目−−−上蒜山−−−駐車場 11:00 12:00 12:25/50 13:00 14:55 (凡例) 電車・バス・タクシー・航空機等乗り物:== 費 用 [交通費] ・合計金額を登った 17 座で分担 小計 3,563 円 歩行:−− [その他] ・食費他 小計 2,414 円 合計 5,977 円 所感ほか ①広々とした蒜山高原の北に蒜山三座があり、一番西の上蒜山が最高峰である。 ②駐車場から牧場の中を通って登山口。ここから杉林の中の急登、雨後は滑りやすい。五合目から は展望が開けた尾根歩きで、蒜山高原を見渡しながら登る。 ③頂上は樹林の中。眺望はなし。 ④危険箇所はなく、ファミリー登山向け。 一口アドバイス 情報入手先電話番号等 ①スキー場の駐車場は広い。駐車場から少し戻っ 交通機関 たところから登山口に向かう径あり。 宿泊場所 観光案内所 ガイドブック 地形図名 等 - 63 - 自主山行実施報告書 平成 21 年 6 月 12 日 リーダー:長谷川 徹 行き先 実施日/ 天候 参加者 (氏名) 武奈ヶ岳(1214m) [所在地:滋賀県] 平成 21 年 6 月 3 日(水)天候:高曇り 長谷川徹 合計 1 名 コースタイム ガリバー青少年旅行村−−−大摺鉢−−−八雲ヶ原−−−武奈ヶ岳−−−細川越−−−広谷分岐 7:00 7:40/50 9:30 10:30/50 11:10 11:30 −−−大摺鉢−−−旅行村 12:10/20 12:40 (凡例) 電車・バス・タクシー・航空機等乗り物:== 費 用 歩行:−− [交通費] [その他] ・合計金額を登った 17 座で分担 ・食費他 小計 3,563 円 小計 3,069 円 合計 6,632 円 所感ほか ①滝あり湿原あり大展望ありと変化に富んだ面白い山。渓流に新緑が映える。 ②大摺鉢から滝を楽しみながら谷を詰める。やがて最大の滝貴船滝(日本の滝 100 選)が現れ、し ばし見とれる。 ③貴船滝下を右岸から左岸へ渡り、滝つぼを鎖を伝ってへつり、梯子・鎖を使って滝上に出る。 ④カジカや聞きなれた小鳥たちの声に加えトラツグミ・アカショウビンの声を聞きながら八雲ヶ原 に出る。池塘の中のサンショウウオ?を見て緩やかな傾斜を登る。 ⑤頂上からは琵琶湖や鞍馬の山々が一望。西下にはさば街道の村落。 ⑥細川越からの広谷は明るく広々とした谷で、小さな流れの横をのんびり歩く。 ⑦大摺鉢の渡河は、大石に抱きつき位置をずらしながら登りクリアー。 一口アドバイス ①八淵の滝(滝群の総称)は鎖・梯子等があるが、 情報入手先電話番号等 足場はしっかりしているので、基本的には危険が 交通機関 少ない。 宿泊場所 観光案内所 ガイドブック 地形図名 等 - 64 - 自主山行実施報告書 平成 21 年 6 月 12 日 リーダー:長谷川 徹 行き先 実施日/ 天候 参加者 (氏名) 小秀山(1982m) [所在地:岐阜・長野県境] 平成 21 年 6 月4日(木)天候:曇り 長谷川徹 合計 1 名 コースタイム 乙女渓谷キャンプ場−−−夫婦滝−−−孫滝−−−カモシカ渡り−−−分岐−−−兜岩−−− 8:30 9:30/45 10:30 11:00 11:35 11:55 −第一高原−−−小秀山−−−分岐−−−三ノ谷登山口−−−キャンプ場 12:20/40 13:20/30 14:30/40 15:55 16:30 (凡例) 電車・バス・タクシー・航空機等乗り物:== 費 用 歩行:−− [交通費] [その他] ・合計金額を登った 17 座で分担 ・食費他 小計 3,563 円 小計 1,963 円 合計 5,526 円 所感ほか ①ニノ谷乙女渓谷は次々と滝が現れ、新緑の美しい渓谷で、夫婦滝までの約 7 割が桟道である。 ②夫婦滝の雌滝は途中の展望台でしか見られない。雄滝は落差80mの豪快な滝。 ③夫婦滝からは急勾配の尾根道に取り付き、双子滝、孫滝を経てさらに急斜面を登る。途中満開の 石楠花が迎えてくれる。 ④狭い岩尾根のカモシカ渡りをよじって、三ノ谷からの道に合する。 ⑤兜岩の岩場を過ぎると道は緩やかになり、第一高原、第二高原、第三高原を通って山頂につく。 2 人連れのパーティと出会う。 ⑥山頂からは晴れていれば御嶽山を目前に見ることができるとのことだが、今日は見られず。雨雲 が流れてきているので、急ぎ下山。 ⑦三ノ谷の道は檜の造林地をただひたすらジグザグに下る単調な径。 一口アドバイス 情報入手先電話番号等 ①三ノ谷は景色も変化もない単調な径。下山路。 ②夫婦滝からカモシカ渡りまでは急斜面と岩場が 交通機関 あるので、慎重に。 宿泊場所 ③乙女渓谷は紅葉の時期もよさそうだ。 観光案内所 ガイドブック 地形図名 等 - 65 - 山行実施報告書 平成 21 年6月25日 リーダー:住吉 龍教 作成者 :住吉 龍教 行き先 女峰山(2483m)、小真名子山(2323m)、大真名子山(2375m) [所在地:日光] 実施日/ 天候 平成21年6月19日(金)天候:晴れ 参加者 (氏名) 舩木健、小沼英夫、西川幸男、佐藤博、長谷川徹、海堀夫妻、住吉龍教 合計 8名 コースタイム 6月18日(木) 日光中宮嗣の民宿・八汐荘に前泊 6月19日(金) 八汐荘==(宿の車)==馬立―――唐沢小屋―――女峰山―――帝釈山――― 5:35 6:35 8:18/8:25 9:08/9:20 10:00/10:10 富士見峠(昼食)―――小真名子山―(急坂下りで事故)―鷹ノ巣―――大真名子山――― 11:00/11:25 12:10/12:25 (20) 13:15 14:20/14:25 志津乗越==(宿の車)==八汐荘(入浴)==(バス)==日光(反省会)====浅草 16:00 16:50/17:36 18:30/19:35 21:35 費 用 [交通費] ・日光フリー切符+特急 浅草起点 6400 ・その他: 小計 6400 [宿泊費] ・民宿・八汐荘 ・山小屋 小計 10000 [その他] ・懇親会 10000 小計 合計 4500 4500 約21,000円 所感ほか ①八汐荘の車で馬立まで送って貰ったので約1時間の林道歩きが省略できたが、歩行距離約9㎞、 累積標高差約 1,400m、三山ともに急坂のアップダウンとなる、かなりハードで、予想以上に時間 がかかる山行だった。特に馬立から女峰は2kmで800m登る急登である。 ②小真名子から鷹ノ巣への急坂下りで数メートルの転落事故が発生して2名が頭部に裂傷を負っ たが、応急手当をして自力で志津乗越まで下山し八汐荘の車で病院に搬送して貰った。 ③女峰山山頂から見える男体山から大真名子、小真名子の連山は、父親が二人の子供を従えている 例えそのものであった。因みに男体山の祭神が大国主命であるのに対し、女峰は妃の一人である田 心姫命(たごりひめのみこと)を祭っている。 ④小真名子からは目の前に太郎山その左(西)奥に日光白根山(頂部には雲)が見えた。 ⑤八汐荘は舩木さんの紹介で利用したが、登山口までの送迎(主人が山林パトロールの資格を持っ ていてゲートを開けられるので馬立まで送って貰った)や病院への負傷者の搬送などで大変お世話 になった。また、温泉は湯元から引いた源泉掛け流し、食事には手作りの岩魚の燻製が出るなど、 お勧めの宿である。 一口アドバイス 情報入手先電話番号等 ①山と高原地図のコースタイムでは厳しい。 計画は余裕を持たせること。 宿泊先:八汐荘 0299-55-0261 ②女峰側から小真名子の登りは大変なザレ道 栃木県日光市中宮祠 2484 で、これを下るのは危険。 バス停:大崎から徒歩5分くらい ③今回転落事故が起きた小真名子から鷹ノ巣(大 地図: 昭文堂「日光 白根山・男体山」 真名子側)の下りは疎林の急坂であるが、立ち木 やストックを使って慎重に下れば大丈夫であ る。 ④日光フリー切符は割安 - 66 - 自主山行実施報告書 平成 21 年 8月 17 日 リーダー:住吉 龍教 作成者 :小沼 英夫 行き先 実施日/ 天候 参加者 (氏名) 斜里岳(1547m) [所在地:北海道/清里町] 平成 21 年6月 29 日(月)天候:晴れ 住吉龍教、小沼英夫 合計 2 名 長谷川車で宿泊所(清里オートキャンプ場)から約20分で清岳荘(標高 670m)に移動。 コースタイム 清里 AC===清岳荘―――林道終点―――下二股(標高 810m)―――方丈の滝(1020m) 6:10 6:30/6:35 6:45 7:25 8:40 ―――上二股(1230m)―――馬の背(1430m)―――斜里岳(1547m)―――馬の背――― 9:25 10:00 10:25 / 10:45 11:10 上二股―――熊見峠―――下二股―――清岳荘===オシンコシンの滝===知床野営場 11:30 12:15 13:05 13:50 費 用 [交通費] ・電車 : ・バス等: ・その他: 小計 ① ② 所感ほか ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ [宿泊費] ・ホテル ・山小屋 [その他] ・懇親会 小計 小計 合計 長谷川徹さんの車で、6月27日大洗発のフェリーで出発、28日苫小牧に上がり、清里町ま で大移動して清里オートキャンプ場に前泊。 29日、清里オートキャンプ場を6:10に出発、6:30に清岳荘に到着。長谷川さんは既 に登っているので、今回は待機。 残雪が多く、渡渉する沢は靴が被る程度の水量である。7時位から雪上歩行となる。 沢コースは数箇所でルートが雪を被っていた。 9:50頃まで残雪が続く。 馬の背までの20分位は急登のザレ場で非常に登り難い。 頂上は360度の展望で、北東の知床半島に海別(うなべつ)、遠音別(おんなべつ) 、羅臼、 硫黄山などが眺望できた。 帰路は上二股から新道の熊見峠まわりで下ったが、峠からの下りは単調で眺望も無い。 チシマキンバイソウ、フタマタタンポポ、ヤマオダマキ、イワギキョウが見られた。 一口アドバイス ① 旧道は沢を登るので、残雪の多い時や水量の 多い時は、注意が必要である。 ② 新道は特に見るものはないが、段差の大きい ところもあり、降雨時は登りには要注意であ ろうと思った。 ③ ④ - 67 - 情報入手先電話番号等 交通機関 宿泊場所;清里オートキャンプ場 観光案内所 ガイドブック 地形図名 等 山と高原地図 1.「利尻、羅臼、斜里、阿 寒」 自主山行実施報告書 平成 21 年 8月 17 日 リーダー:長谷川 徹 作成者 :小沼 英夫 行き先 実施日/ 天候 参加者 (氏名) 羅臼岳(1661m) [所在地:北海道/斜里町・羅臼町] 平成 21 年6月 30 日(火)天候:晴れ/曇り(小雨) 長谷川 徹、住吉龍教、小沼英夫 合計3名 長谷川車で知床野営場から岩尾別温泉・ホテル地の涯(標高 185m)駐車場に到着 6:10。 コースタイム 木下小屋―――オホーツク展望台(標高 485m)―――弥三吉水(標高 790m)――― 6:20 7:00 7:50 銀冷水(標高 1230m)―――大沢入口―――羅臼平(標高 1350m)―――羅臼岳(1661m)――― 8:45 9:00 9:50 11:20 羅臼平(昼食)―――大沢入口―――羽衣峠―――弥三吉水―――オホーツク展望台――― 12:25 / 12:50 13:25 13:35 14:15 14:55 木下小屋―――ホテル地の涯駐車場 15:20 15:25 費 用 [交通費] [宿泊費] ・交通費を登った10山で コスト分割 小計 10,700 小計 350 [その他] ・食費・風呂他 小計 7000 合計 18,050 所感ほか ① ② ③ ④ 国設知床キャンプ場に前泊。 キャンプ場を 5 時 30 分に出発、6 時 10 分にホテル地の涯に到着。 大沢は残雪が多く、軽アイゼンを装着。アイゼンを外して5分位で羅臼平に着く。 羅臼平から 20 分位で角ばった岩の多い急登になる。一名(小沼)体調不良[足が重い]で遅れ る。体調管理が大切。岩清水付近はイワウメをはじめ多くの高山植物が咲いていた。 ⑤ 頂上手前から風が出てきて、小雨が混ざる。頂上からは残念ながら国後島を見ることができな かったが、サシルイ∼硫黄岳に連なる知床連山やオホーツク海・ウトロの街が眼下に望めた。 ⑥ 岩尾別までの道で沢山のエゾ鹿に出会う。 ⑦ 夕陽の丘の温泉に浸かった後、ウトロの道の駅近くの飲食店で打上げをした。 一口アドバイス ① 残雪が多く、軽アイゼンが役立った。 情報入手先電話番号等 ② 羅臼平にはフードロッカーがあり、キャンプ 時には食料を保管し、熊害を防ぐようになっ 交通機関 宿泊場所;前泊 知床キャンプ場、 ている。 この日斜里町清里キャンプ場に泊まる。 ③ ホテル地の涯の前の無料駐車場はあまり広く ない(10 台程度)ので、利用するときは早め 地形図名; 山と高原地図 1.「利尻、羅臼、斜里、阿 に着くように。(有料駐車場もある) 寒」 - 68 - その他自主山行一覧(平成21年1月∼6月) 山名 参加者 実施日 桜島 [鹿児島県] 西川 幸男、 長谷川 徹 5月28日 晴れ 概略コース:桜島港から湯之平展望所 コメント等:湯之平展望所まではすべて舗装のバス道。車で行く。桜島は名山であっても 火山活動のため登ることができない。観光バスの走る舗装道路を歩いて展望所まで登 る。 長谷川 5月30日 曇り 概略コース:表参道正面コースを往復。 コメント等:しっとりとした靄が漂う神域らしい雰囲気の中、急な階段主体の表参道正面コ ースを登った。 英彦山 [福岡県] 雲仙普賢岳 (1359m) [長崎県] 長谷川 氷ノ山(1510m) 長谷川 [鳥取・兵庫県境] 徹 徹 徹 5月31日 晴れ 6月2日 概略費用 5,300 円 6,600 円 概要・コメント等 仁田峠=(ロープウェイ)=妙見駅−−−普賢岳−−−仁田峠 10:40 11:30/40 12:20 ・国見岳のミヤマキリシマが満開。 ・普賢岳の眼前には、平成新山の溶岩ドームが荒々しく聳える。 ・ファミリー登山コース。 ・雲仙温泉新湯共同浴場 100 円。 氷ノ山キャンプ場−−−氷ノ山越−−−氷ノ山−−−氷ノ山越−−−キャンプ場 8:30 9:10 10:20 11:10 11:40 ・一等三角点の頂上には三角屋根の立派な避難小屋がある。360 度の展望。ハチ高原 スキー場、若桜町はるか西方に蒜山が望まれる。 ・ファミリー登山コース。 ・根曲がりダケ・ワラビ・ミズ等山菜を採る人が多く入っていた。 ・キャンプ場まで車が入れる。駐車場は広い。 - 69 - - 70 - - 71 - - 72 - - 73 - - 74 - - 75 - - 76 - - 77 - IMC会員一覧 (2009年8月、会員:43名、会友:3名) (注)個人情報保護のため電話番号・メールアドレスは掲載しません。必要であればIMCホームページ の会員紹介のページでご確認下さい。 No. 氏 名 1 和田 義信 住 所 備 考 No. 横浜市 氏 名 住 所 備 考 24 岩村 誠之 練馬区 総務 25 佐藤 博 横浜市 会長 26 大川 佳伸 品川区 4代会長 27 安宅 邦夫 浦安市 5 瀬尾 一太郎 江戸川区 2代会長 28 井戸川 三男 神奈川県中郡 6 山戸 昌 守谷市 3代会長、会友 29 佐藤 英樹 木更津市 7 舩木 健 横浜市 30 高橋 傳 さいたま市 8 本郷 精吾 岩沼市 31 山田 一明 世田谷区 9 春田 義彦 太宰府市 32 住吉 龍教 葛飾区 10 塚原 恒夫 川崎市 33 矢作 良平 袖ヶ浦市 11 津出 忠宏 柏市 34 志鷹 義明 神奈川県中郡 12 小松 神童 前橋市 35 栗原 賢造 大田区 13 長谷川 徹 町田市 36 大賀 進 川崎市 14 吉永 次広 鳩ヶ谷市 37 田中 哲 杉並区 15 長嶋 宏 横浜市 38 杉山 修二 船橋市 総務 16 池田 鎮雄 柏市 39 海堀 進 横浜市 企画 17 村重 高男 市原市 会計監事 40 森 裕三 豊島区 5代会長 41 結城 勝也 松戸市 2 成住 俊二 千葉市 3 緒方 淳夫 市原市 4 高田 順甫 市原市 18 松尾 憲之助 佐倉市 初代会長、会友 会友 企画 19 三木 雅雄 目黒区 42 由村 英樹 市原市 20 稲崎 福三 柏市 43 栗本 一弘 市川市 21 豊田 治 周南市 44 深見 国興 千葉市 22 小沼 英夫 国分寺 総務、事務局 45 荒井 克益 市原市 23 西川 幸男 江戸川区 副会長 46 荒牧 隆三 市川市 - 78 - 会計 広報 広報 編集後記 1)先ず、今号(34号)の発行が私(住吉)の都合で大変遅くなってしまいましたことをお詫 び申し上げます。次号以降は、新しく広報担当に加わった荒井さんと協力して、速やか な会報編集・発行に努めますのでご容赦下さい。 尚、今号の発行は9月になってしまいましたが山行実施報告・写真は6月末までのもの を掲載しています。 2)今号の会報編集中・8月12日に会員の井上利保さんがご逝去されました。心よりご 冥福をお祈りします。1月に急逝された門司さんとともに追悼文が寄せられています。 3)7月にトムラウシ山で一度に9名もの登山者が遭難する大事故がありました。この事 故の前日は晴天で、私は長谷川さんと一緒に石狩岳に登って目の前に広がる大雪の山並 みとトムラウシ山を写真に収めていました。事故当日は一変して荒天で、予報では暫く 天候の回復は見込めないとのことであったので、私は以降の山行を諦めて北海道から引 き上げました。帰宅して夜のニュースで事故を知り大変驚いた次第です。この事故につ いても随想文が2編寄せられています。 4)平成21年上期は天ヶ瀬さんと末次さんが退会されましたので、平成21年8月末で の会員数は43名、会友は3名となりました。会報の会員名簿には個人情報保護の観点 から、氏名と居住地域のみ掲載しておりますので、詳しい最新の会員情報はホームペー ジの「会員紹介」をご覧下さい。 5)28号から会報のペーパーレス化で紙への印刷を限定し、IMCホームページでの掲 載・閲覧が主体となりました。会報はインターネット閲覧用の Web ページ形式と配布・ 印刷用のPDF形式の両形態で提供しております。投稿された文章の文言は両形態で当 然同じですが、写真の扱いは全く違います。Webページ形式では寄せられた全ての写 真が閲覧できますが、PDF形式では紙面の都合上、記事毎に写真は原則1枚以下とし、 それらをA4に収まるように編集しています。 また、Webページでは一部の山行報告で動画スライドショーも提供しており、紙と は較べ物にならない豊富な情報提供をしていますので、次のIMCホームページにアク セスしてご覧下さい。 IMCホームページ:http://10.pro.tok2.com/~sumi0221/ 6)山行実施報告は、自主山行も含めて、できるだけ速やかに提出するように心がけまし ょう。広報担当に報告書が届かないと会報に掲載されませんのでよろしくお願いいたし ます。また、トラブル&ヒヤリハットに遭遇したときは速やかに総務担当に報告しまし ょう。 7)山行で感動したこと、詳細を残しておきたいこと、気づいたことなどを紀行、随想、 文芸作品などにして投稿されることを期待しております。 Wordに不慣れな方やWordをお持ちでない方は、メールの本文に原稿を直接入力 してお送り下さい。 次号(会報35号)の原稿は [email protected](住吉)までお送り下さい。 締め切りは12月末の予定ですが募集要領は11月中旬にお知らせします。 8)印刷した会報の取り扱いには十分気を付けて、個人情報が不法に扱われないように、 完全なシュレッダーまたは焼却処分をお願いいたします。 (広報 住吉 2009.09 記) - 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