高知県立大永国寺キャンパス2階会議室 2012.1.21(土) こうちネットホップ(ホームレス支援と貧困問題を考えるこうちの会) アルコール依存症と貧困 下司病院理事長 下司孝之 酒害と家庭暴力 高知新聞から毎年出されている詩集に 今から20年余り昔、掲載されていた 詩です。 南四国断酒会の方が探し出し、精神保健 福祉センターの廊下にパネルで張り出 されています。 おとうさんは おごります おさけも のみます おごりんぼです ねこも にげます ぼくも にげます みんなも にげます ねこが 一ばん さきににげます (田ノ浦小1年) 高知子供詩集「やまもも」 自己テスト 今日のテーマが「アルコール依存症と貧困問題」なので、まず最初にご自分は大丈夫か、 「新久里浜式アルコール症スクーリングテスト」を行っていただきます。提出する必要はありませんから、 終わりましたら今日の日にちを記載して保管していただき、 後日の比較参考資料としてください。 ご家族にも評価していただくと家族とのズレが分かりますよ。 1、 アルコール依存症について 酒の本体 エタノール (エチルアルコール)薬物です。 どんなお酒でも依存性がある合法ドラッグです。 百薬の長とはいえども万病の元、WHO は『酒は 60 以上の病気の元』としています。 飲酒は世界で年 250 万人の死因に関係します。2010 年WHO 社会通念として「酒は良いものだ」で危険性の教育がなされていません 病院職員の意識は消毒薬 それから睡眠薬です 酒の定義 酒税法の他に薬物として日本薬局方で規定されています。 日本薬局方では睡眠薬で登録、使われないのは眠薬が酒より安いからでしょうか ぶどう酒が局方薬として市販しています。日本では薬物の中で唯一自動販売機で売られています。 酒害の定義 「社会生活から発生し、社会・家庭・個人が共に解決にあたる害」 下司孝之。 実際には社会的な要因での発生も家族・個人での解決へと押し付けられています 社会的な取り組みが必要で自己責任論では解決しがたいが、該当者の取組みが解決には必須です 公的保障に支えられた共助と自助が理想です 飲酒基準値: WHO による酒量 「飲酒は少くなければ少ない程いい」と目安の値をやめています 適正ドラッグというとらえ方はないように適性飲酒も無いと言い切る医師もいます 1 摂取(許)容量は一日1単位(驚くほど少ないかな) アルコール20gが1単位です。 アルコールの分解速度は成人で体重1キログラムあたり1時間で0.1グラム 体重50キロの成人で1単位4時間かかる。 1単位は ビール500ml缶(濃度5%) 清酒1合180ml(15%) ウイスキー ダブル1杯60ml(43%) ワイン小さめグラス2杯220ml(12%) チューハイ350ml缶(7%) 男女の性差が顕著 焼酎コップ半分70ml(35%) 男性の半分の期間と量で問題飲酒者になります 依存性薬物の種類 ( 図 ) WHOによると一番がモルヒネ、麻薬で精神依存,身体依存、耐性とも にトップ、次がアルコールで精神依存と耐性が少し弱いのです。 でも、ひん回に飲んでいると酔いが得られなくなりもっと沢山、お酒も強いものを要求し ます。これが耐性です。お酒の腕が上がったな、という現象です。 ところが酒を飲む人間には致死量(半数が死亡する量)があり、例えば麻酔にアルコールを 使うのはまずいのです。同様に眠剤としても入眠のよさからアルコールを用いたくなりま すが、途中覚醒して再飲酒してしまい良眠が得られません。 他の依存型にコカイン、大麻、アンフェタミン、幻覚剤、有機溶剤などで、アンフェタミ ン型はヒロポンで、日本軍の特攻機乗務にもちいられた薬です。 酒害の内容 1 本人の健康破壊、2 家庭の破壊、3 職場の破壊、4 共同体の破壊 2 離婚共依存 AC(問題を抱えた親を持つ子供達)、 3 酒気帯勤務 二日酔いのこと 欠勤は月曜日の「風邪」「腹痛」の一報から 4 アルハラ セクハラ・パワハラのアルコール版。 2003 年の全国調査によると、問題行動を受けた成人は 3,040 万人。厚生労働科学 研究樋口班 5 他飲酒地域 酒で次々亡くなる夫や息子を守る運動 四万十市(なしし)名鹿部落 日本の酒害規模 厚生省研究班(東京医歯大)による損失調査 6兆円+健康破壊に対し酒税は2兆円で 問題飲酒者は増加中 1993 年 ア依存症の定義 「アルコール飲料を長く飲酒し、コントロールのきかない飲み方となり、ついには心身や社 会問題が出現する病気。 」 従来の言い方は酒精中毒・慢性アルコール中毒・略して差別的なひびきの「アル中」 進行性の病気 否認の病気 アルコール依存症は慢性疾患の1位 医療機関入院患者の 17.8%が重い問題飲酒者( 内 男では26.9% ) お酒の用い方 ストレス対策や 睡眠薬としても不適 ストレスに比例して飲めば致死量を越します。 酒は途中覚醒し、良質の眠りを得られない。「酒は男の子守唄」ではない 12745 万(2010) 日本の人口 日本の飲酒人口 7000 万 アルコール依存症予備軍 1500 万 82 万 アルコール依存症者 大量飲酒者 231 万 1994 問題飲酒者 440 万 2009 (大量飲酒 純アルコール換算で毎日 150 ミリリットル以上日本酒換算で約 5 合半以上) アルコール依存症で要入院者 40 万 アルコール依存症で治療中 数万 厚労省 「健康日本21」 現実の政策ではタバコにおいてけぼり 2 2、 下司病院にみるアルコール依存症貧困問題 最初に申し上げたいのはアルコール依存症者とは、路上生活者だけのことではなくて、どこにでもいる人のこ とです。 ア症平均寿命は 男52歳 女36歳(止められずに飲んでいた下司病院患者の場合 男57歳 女38歳)ととても短命です。 そして、離婚 共依存 AC(問題を抱えた親を持つ子供)が多く、現在の下司病院入院患者の29%が離婚、 未婚12%、別居中5%、死別2%となっています。2008 年 また、生活保護の占める割合も高く、日によっては通院患者の半数を超えることがあります。 2011 年 12 月の述べ患者数でいうと健保15,8%、国保55,8%、生活保護28,3%です。 その中でアルコール依存症者は健保の39,7%、国保32,3%、生保48,6%にのぼります。 デイケアを入れれば、生保のア症の患者さんだけは73,0%まで跳ね上がります。 国保の患者さんも昔のように農家か、自営業というのではなく高齢者と失業者が沢山含まれています。当院で は働く人の健保が15%と少ないのも気にかかるところです。 3、 高知の酒文化 土佐日記 酒に寛容の日本の中でも更に寛大な土佐の酒習慣 紀貫之は冷ややかに土佐の飲酒風土を「一文字も知らぬ童が十の字を踏む」と記述。 長宗我部の禁酒令 福留隼人こと儀重(のりしげ)は、元親が土佐に禁酒令を出した時、岡豊城に運ばれる酒樽を 割り元親を諌め、禁酒令を撤回させた。 野中兼山の倹約令 1648 年 山内藩政の禁酒令 1663 年 1695 年 庶民はというと 治外法権であると浦戸湾にでて船上で酒盛り 高知城築城時の大工落書「と思えども酒屋に自然、足が向かうよ」昭和大改築時天守閣で発見 「酔って候」の殿様たちは短命 一豊だけが 60 歳台 山内資料宝物館 酔鯨公明治維新に付き合えず 山内神社にギヤマンの盃を持つ酔鯨公(容堂)の銅像 安満地排酒同盟 写真は昭和8年8月、高知県幡多郡大月町安満地(あまじ)での『禁酒運動』。旗に「安満地 排酒同盟」とある。すでに日中15年戦争が勃発している頃。この年、第 14 回の日本国民禁酒 同盟大会が 8 年 4 月 1 日より 3 日まで高知市城東中学校講堂で開催されました。高知県排酒連 3 盟理事長の中沢寅吉さんは天祐に恵まれたと挨拶しました。「禁酒の日本より」 高知市長の村上 清は「ただ断酒あるのみ」と挨拶をしています。大会を受け入れた高知の薬 卸問屋社長中沢寅吉さんの息子さんは医者で外国にいてその様子を大正・昭和期のキリスト教 社会運動家、社会改良家の賀川豊彦さんが伝えてきています。 写真は高知県で大会が開催された昭和8年8月に高知県の一番遠隔の地を訪ねてこられた活動 家の島村・山村両氏を交えての一枚。集会のあとでしょう、『戦のあとの集ひ』と写真に書き 入れられています。 墓碑の教訓 土佐一宮神社裏山 代々藩医の長尾家墓碑に 「酒は万病の基」とあります 酒で落命土佐文士 大町挂月 田中貢太郎 「禁酒宣言」の上林暁 桂月宅跡は禁酒運動の婦人矯風会に。桂月を偲び、中秋の名月、桂浜では桂月碑に酒をかける 断酒地蔵 戦後になり国分寺内に酒絶地蔵尊がある(一言地蔵)。吉野川支流穴内川のダムで水没するとこ ろから持ってきた一言地蔵で、案内に酒を止めたければ断酒会に行けとあります。 ドブロクの摘発。 国税庁と警官隊による密造部落襲撃、氷嚢へ入れて出荷。猫いらず入りで危険と国税の宣伝。 物部川バス転落事故 1950 年(昭和 25 年)11 月 7 日。国道 195 号線を走っていた国鉄バスが美良布町で 64 メー トル下の物部川に転落しました。神祭の日で酒を飲んだ運転手の欠勤で次のバスが定員の2倍 を超えハンドルを切り損ねた飲酒事故で死者 33 人でした。 このような事故をなくそうと関係する運転手らが立ち上げたのが現在のモデル・ハイヤー。 勤評後の飲酒運転 60年安保前に県下で激しく繰り広げられた勤務評定反対闘争後に高知県教育委員会は厳しく 飲酒運転に対処をした。教員人事で遠距離通勤も増えていた時代です。 国鉄飲酒脱線事故 大豊町で国鉄解体前に貨物列車の機関車が脱線、 当時の金で 2000 万ほどの復旧費がかかった。 政治家短命 首脳が飲酒で皆倒れ豊かな芸西村政に赤信号と高知新聞 1980 年代 「訪れた厚生大臣室に塩見さんの姿が見えなく、机の影でポケット瓶を飲んでいたんですよ。」 (鈴木県議の話) 今は酒を止める政治家も 飲まない井上泉に「票は」と聞くと「関係ないよ」 副知事が酔って高知市内小児科病院に侵入し高新が報道、罷免されて出身官庁へもどる。 虹の宴 生協の酒『虹の宴』に添加物騒動。 フェリーでの飲酒 長距離トラックの乗船運転手による飲酒。室戸市議が甲浦フェリーの船内売店から酒を排除す るように提案したが、事故で運行そのものが止まってしまった。 大飲村大飲解散 飲酒運転を巡る大野見村村議会の出直し選挙騒動。 橋本知事の処分 橋本知事による高知国体を控えての飲酒運転即懲戒免職の打ち出し。職場における酒害教育等 の不在が問題。 保健所の統廃合と県独自の駐在保健婦制度の廃止。4保健所でのアルコール家族教室の中止。 献杯の酒 上下関係の酒 「俺の酒が飲めないのか」など酒の無理強い(アルハラ) 1987 年高知エイズ事件。薬物中毒者などがなると週刊誌などが不安を煽りました。献杯を不衛 生な酒文化としてキャンペーンも行われました。 1996 年、土佐ロケの田島兄弟を描く映画「絵の中の僕たちの村」にも無理強いの描写。 マイペースを保てないところから土佐酒離れの一因になっているのではないでしょうか。 元祖一気飲み どろめ祭り(1959~)は五月赤岡町で開催 「酒がえらい、またい」の文化。元祖イッキ飲 み 2010 年 高知県赤岡町での、漫画 de 満腹「シネマの食堂」の特別イベントのトークショーで、 酒豪の西原理恵子さんが挨拶にたち、ご当地赤岡の「どろめ祭り」で毎年盛況裏に行われている、 元祖一気飲み大会を「健康によくない、折角ご当地には縮緬雑魚の釜揚げご飯があるのだから早 飲み競争よりもそちらを売り出すべきでは」と語っています。 高知大学 高知大生による急性アルコール中毒で救急車利用が多々あります。 4 2000 年頃、中四ワ連で登山中の飲酒が問題になったことがり、高知大学の同部は容認派でした。 各大学新歓や部活コンパでのイッキ飲み死亡事故では強制性をめぐり次々に裁判になっています よさこい祭では医大時代の学生による一升瓶ラッパ飲みが見苦しいと苦情が上がっていました。徳 島大学医学部では2005年の新入生に酒害教育をしていますが、高知大関連では2003年 4/25 学生対抗きき酒選手権開催 高知大学オーケストラチーム優勝!10/18 高知大学医学部大学 祭にて土佐酒きき酒大会開催! 蕭 紅燕 教授による『土佐の酒』研究。 http://toyonoume.com/event/tushin/tushin03/0305/tusin.html#kikisyu 高知通運事故 園芸連のロゴが入った高知通運トラックによる乗用車幼子2名焼殺の東名高速飲酒事故 1999 年 11 月 28 日に発生。 土佐酒文化とアルコール依存症の存在が多くの飲酒運転事故の背景。 社長いわく『うちの社員が勤務中に飲酒する訳がない』 、管理強化だけでは乗り切れぬ現実。 「日 本の法律を変えた大事故」でした。現在、飲酒運転が減少した中で摘発されるドライバーの半数 がアルコール依存症とされています。(国立久里浜による神奈川県下での調査)。 病院での酒提供 2005.5 開院の急性期病院・高知医療センターでの入院患者への酒飲料の提供 西洋と社会的背景の相違 規制の厳しい欧米と日本との差異 看護師の抵抗もあり結局同病院の現場では2年後、全部で12件ぐらいと実施されていません。 2011.10.12 に病院局会議での堀見忠司院長による『アル中は入院させない』発言。 イオン高知 2006,7より開業したイオンモール TOHO シネマズ高知は館内での酒類販売、上映中での飲食可。 4、アルコール依存症と貧困 かつて高い生産力があったアラブ地域、アラビア語のアルコールという言葉が今日も呼称され、英国での産業 革命時、ラム酒など大量生産の安酒で空腹を忘れ、労働の疲れを癒す用いられ方がタバコと共にされている。 旧ソ連では「アル中は資本主義の残渣」であると体制間優劣の問題のみを捉え、 「我が国にはアル中はいない」とい う認識でしたが、原発安全神話と同じく、ないのだから対策もとる必要はなくて、経済的破綻が生じた後もロシア では更に多くの依存症患者を生み出しました。 ①、 アルコール依存症が貧困を作り、貧困がアルコール依存症を生みだす。 『飲酒と貧困 には、世界の貧困問題と不可分である。世界的に、学歴が低く、低所得、失業中などの人において 飲酒率が高いことが多数の統計的研究によって裏付けられている。複数の研究では、貧しい国の中には家計の 約 18%が飲酒に費やされていることもあると指摘されている。そのため、少ない所得から食費・健康管理費・教育 費などがさらに削られ、栄養不良・医療費増大・早死・識字率低下をもたらし、社会階層の固定化に影響してい る』(WHO による)。 アルコール依存症が貧困を作るし、貧困がアルコール依存症を生みだすのは、貧困による心の隙間を アルコールが埋めてゆくからなのですが、お金があっても心の隙間があればアルコール依存症になり ますから、経済的な貧困とは別に「精神的な貧困」について別立てして話していくことも必要に思い ます。 アルコールさえ止めれば貧困から解放されるのか、問題は解決かといえばそうはいえないし、立ち直 りのスタート地点に立てたということです。 また、精神的貧困からスターやお金持ちでもなるのです。 5 昔は「お酒さえ飲まなければいい人」と家族が言ったものですが、酒を飲まなければ生業に就き、 後は家族さえ我慢すれば取り繕えるからそれで良いという考えを持つ家族は、今はいません。 お酒さえ飲まなければと、耐える「明治の女」はいないのです。 「お義母さんのいうとおり私が悪くて息子が酒を飲むというのであれば、お酒が止まった今のうち に離婚していただきます」ということも今ではありえます。 アルコール依存症は「生き方の病気」であり、経済的な貧困、精神的な貧困双方からの立ち直りが 必要で、それは本人ばかりではなく巻き込まれた家族の立ち直りも含めてのことです。 健康と貧乏にならない程度のお金があれば「幸福」という考えに例を取ると、お金があるのだから お酒をいくら飲んでも困らないし、困らなければ依存症への理解は得られなく、やがて心身は破綻 して死を迎えます。 仕事をしなくても食べていられる人の別宅でビールの背丈ほどのうずたかい山を見たことがあり ますが、アルコール依存症をもてあましてやがて亡くなりました。 一般的には貧困の「底つき体験」でやっと浮かび上がってくるケースが多く、医療サイドは手を添 えて上げ底で立ち直りに手を貸すのです。 そのためには一旦酒を切った状態での治療を加え、如何に家族をはじめ、多くの人に迷惑を及ぼし てきたのか、体験発表による内観を自らに科すことで、酒への依存関係を断ち切っていきます。 それを始めから社会が悪いから、家族や同僚が悪いからと責任を他に転嫁してしまうと、自らの課 題を見失い立ち直る手がかりや足がかりがツルツルになり、うまくないのです。 自らにひきつけて、その次に社会を観てゆく力をつけてゆく、そのために酒害仲間の力を得る。こ うして、貧困からの脱出口を見つけ出すことが出来るようになるのではないでしょうか。 実際の貧困からの脱出は自らを組織していく中で、得られる力量を付けていくこととかんがえるべ きではないでしょうか。 ② 、 路上生活 下司病院は繁華街に最も近い精神科病院であり、主要河川である鏡川の北に存在しているので中 央公園と鏡川河川敷という路上生活者群の至近にあります。 競輪橋とも言われる天神大橋の周辺でも、少し前まで路上生活が営まれていました。常時数名 女性を含む集団で飲酒が繰り返されていましたが、救急車の出動が相次ぎ1名が亡くなりました。 堀詰西の松渕川公園では青森から出稼ぎに来てアルコール通院歴のある路上生活者が、霜がおり た早朝、酒を飲んで倒れていて朝の牛乳を買いに出たアルコールの患者さんに見つけられ、救急 病院に運ばれた後、亡くなりました。献眼登録証を身につけていて検眼できたところから、美談 として読売新聞に写真付きで取り上げられました。 中央公園でも東西植え込みの中で集団飲酒が繰り返され福祉課が特定するために撮影していた そうですが、殺人事件などを機に離合集散がなされました。高知駅は新駅になってシャッターが つき追い出され、自主的に掃除をする姿もなくなりました。はりまや橋の下にもダンボールを敷 いて生活をしていたのですが小事件を機に地下通路が夜間閉鎖されていき、天神橋南下は大きな 石を敷き詰めて排除、城西公園や比島橋、小公園や種崎の千松公園、宇佐など周辺部へ拡散して いきました。 全国には酒害者が手配師や貧困ビジネスのくいものにされている現状があります。ただ、アルコ ール依存症というと路上生活者のイメージが強すぎるのですが、実際は完全な路上生活者より、 パートタイマーで路上に出てきている人もいます。今日的には中産階級から落ちてきて貧困層が 大きな厚みを増していることだと思います。 6 ③ 、災害支援 1、災害支援 東日本大震災の被災地では、昨年10月で避難所のほとんどが閉鎖され、避難所から仮設住宅へと被災者対 策は移っています。 衛生面でも、急性期の肺炎や手洗い水の確保などという最初期の救援活動から、さまざまな生活支援を経て、 長期化し気が緩むと起きてくるメンタルな障害対策にと、だんだん移行してきているようです。アルコール対 策は今から大事な取り組みとなります。 アルコール類の摂取には、阪神大震災の教訓から規制が必要ではという意見が多く出ています。阪神の被災 地では、時がたつにつれて孤独死の急増がみられました。神戸・ポートアイランドの仮設住宅地では、近くの コンビニでの酒類の売り上げが他店の8・5倍にも跳ね上がったといわれています。飲酒量の増大が仮設での 孤独死を押し上げたと思われます。三宅島の噴火でも、数年して飲酒量が増大したといいます。 東日本大震災でも発生直後の3月中に、現地で取り組む人から「ストレスが充満している避難所では、酒の 持ち込みは火花のようなものだ」と警告が出ていました。被災現地へいち早く心の救援に行かれた高知県・市 の保健精神行政の方が4月、 「避難所では屋外で焼き肉パーティーが開かれ、(困ったことに)飲酒が始まってい る」と話されていました。いったん飲酒が始まると制止は難しく、従来禁酒の避難所での禁止を言い渡すのは困難 な雰囲気だったといっておられます。 小学5年からの公的酒害教育自体が最近始まったばかりで、大学生以上の年齢者にはなされていない日本。避難 先への酒の持ち込みは歓迎されるでしょうが、原発大事故までも加わり、ストレスがかかる被災地での飲酒は騒ぎ の元ともなり、飲酒自体がストレスになります。 阪神大震災では避難所へ「火事見舞い」のような心算でドンドン一升瓶が届けられ、長期化する仮住まいの中で、 潜在していた依存症の発現がみられたといいます。アルコール依存症が増えたというのではなくて、潜んでいた酒 害要因を持っている方が表に出てきたのです。 昨年 2011.10.29 高知市で 1300 人を集めて行われた地域医療研究会での特別講演『地域医療の心をどう伝える か』で鎌田實氏 (諏訪中央病院名誉院長・ 『がんばらない』の著者)は東北の被災地支援に及んだ体験として、 『多 量のおでんと少量のビールを被災地に持ち込んだ』 『どんなことをしても批判をする人はいるものだ』と、お酒の持 込を容認しました。 意気消沈している人達に「暖かいオデンを沢山と、すこしばかりの酒を持ち込むのは許されると思う」とおっしゃ れば説明になったと思うのですが、初めから異論を切り捨てる態度はいただけません。 実行委員長の五島正規医師が第 4 分科会でも「私もおでんを沢山と少量の酒の持込みました」と同様に話されて いましたから鎌田氏の見解は地域医療研の見解に近いものでしょう。 鎌田氏は 1300 人を集めたメイン講演で批判の存在を意識したのでしょう、最後のスライドはチェルノブイリでア ルコール依存症の親に見棄てられた子供の写真で終わりました。 もう一度、高知新聞の鎌田氏の発言要約掲載から、被災地へのお酒持込に関するか所をご紹介します。 ・・・避難所に巡回診療に入る前に、同じように考えた。自分が体育館に 10 日間寝ているとしたら何をして欲 しいか。 『暖かい食事を取れていない』と聞き、おでんを大量に用意した。 「漁師さんが精神的に参っている」と聞 き、批判を承知でビールも少し用意した。これは喜ばれた。 「家を流されて、家族を失った。『元気を出して』と言 われても、どう生きていいか分からない。死ぬことばっか考えてた。でも今日、震災後初めて暖かいおでんを食べ て、ビールを一口飲んだ。先生、今日死ぬことを考えないで眠れそうだ」。漁師のおじさんがこう言ってくれた。 『も し自分がその立場だったらどうしてほしいか』と考える。地域医療の心とは、相手の身になって考えてみることで はないか。 ・・・ 7 地域の要請から考えてゆくという「地域医療学会」のスタンスはいいと思いますが、この度学会に精神医療分科会 を始めて加えたので、修正はなされていくものと思います。 昨年5月には、東日本の被災地海岸部での飲酒運転摘発が2倍になっています。10月30日、3000 人を集めて 開催された静岡での断酒会全国大会では、宮城県の断酒会会長から、酒におぼれる人が増えていると現地報告がな されています。 こうしたことが起こるため、諸外国ではいち早くルールづくりができていて、サンフランシスコ大地震のおりに は、地域に飲酒禁止処置がとられたと聞いています。 日本でも阪神大震災の轍(てつ)を踏まないように、アルコール類の差し入れなどの禁止処置をとり、酒害を町 内会など地域にすばやく伝え実行を促す必要を感じます。また、阪神大震災では震災を機に酒害者が集える共同作 業所やグループホームが開設され、今も続けられています。 東日本の震災では日本アルコール問題連絡協議会が、ビール会社の差し入れを中止させたりしています。 1998年の高知豪雨の場合にも、各被災家庭へ支給された日赤救急箱にポケットウイスキーが入っているのを断 酒会の方が見つけ、同協議会から日赤へ申し入れて撤去をさせています。 断酒会の全国組織である全日本断酒連盟も昨春、公益社団法人に認定されました。これらの団体が、被災地で酒 害者を出さないための連携先に加わり、仮設や自宅で過ごす避難者を応援することが期待されています。 2、ホームレス支援 40 年前、釜が崎の赤ひげといわれた本田良寛医師が診療所を作ってアルコール依存症者を診てい たことを思い出します。 この頃、山谷などに医師が入るときは路上のグループに一升瓶を持っていって、人間関係を作ってか ら話しをしてゆくようなオルグ活動をしていましたが、路上生活者にも問題飲酒を抱えている方がい ますので、人間関係の構築最初期に酒をむやみに使うものではないと思います。 3、病院支援 医療に求められている課題は、アルコール依存症についていえば回復というよりも新生といいうべ きものであって、新たな立ち直りの支援ということになります。回復にとどまっていては以前の自分 を超えていけません。 アルコール医療にいう医療は自己完結できず、断酒会という自助組織へバトンタッチをしてゆくこと が大切だということを断酒新生という立ち直りは物語っています。 酒害者にとっては、 「わからない」 「困った」「助けて」を言える仲間の発見が大事です。病気を認めることで新しい 生活が始まります。依存症は否認の病気であり、その間どんどんすすんでゆく進行性の病気であって、社会生活の 崩壊、精神の崩壊、死にいたる身体の崩壊がまっているのです。 病院の役割は早い段階でここが地獄の一丁目だとの「底つき体験」を援助するかさ上げ援助です。患者さんに病気 を認識していただき、否認を解くことです。依存症になるのは本人の責任ではないのですが、断酒新生は酒害者自 身の問題であることをまなぶことです。 立ち直りには、①まず治療環境。②住居と収入の援助。③社会に目を向けていく主体の形成が必要です。 4、県の支援 高知県は平成 23 年度に「日本一の健康長寿県」づくりを発表しましたが、重点施策としてタバコはあるもの の酒害対策の記載がすっぽり抜け落ちています。 県庁内の横の連携が取れていない様子ですが、自他共に認める酒飲み県で酒害を抜かして効果が期待できるの 8 でしょうか。高知県の今年の『日本一の健康長寿県構想』のポスターとチラシにも、肝癌の原因比較に(飲酒 が1位ではありません)とわざわざコメントが入っていました。酒飲県でこれは何が言いたいのでしょう。飲 酒が原因での肝癌も増えて来ていますし、飲酒の奨励と勘違いする人も出るのではないでしょうか。 総務省家計調査 (県庁所在都市と政令都市) 平成20~22年平均 でも外食中飲酒代は2位を引き離して 高知市は 1 位です。 ----------<金 額>全国 17,335 高知市 35,169 金沢市 27,117 松尾徹人高知市長の証言でもそれはうなずけます。 < 資料 > 第30回高知酒害サマ―・スク―ルでの松尾徹人 市長挨拶 2002年7月7日 「上町、昔の水道町で高齢者と話し合う機会がありましたが、酒屋がこの狭い地域に何十軒もあった。通り を梯子して行き抜けるのが大変な酒王国だった。 昭和60年より2年間高知県の保健環境部長をおおせつかったが、男女の平均年齢に高知県は大きな差があ りました。女は全国平均より高いくらいだったが男は最下位クラス、死亡原因にアルコールがあるのは顕著だ ったが、余りおおっぴらに出来なかった。 呼びかけタブーで科学的な県民運動の必要性を感じた。 『父さんの健康は減塩、減量、休肝から」とか『上手に飲んで長生きしよう』『健康は自分への最大のプレ ゼント』などと酒や煙草に対する標語を作りました。」 高知県は国のスタンダードに合わせて、全国でも唯一のユニークな加配、駐在保健婦制度を廃止したばかりか、 保健所そのものも統廃合をし、民生サービスを低下させて、残った保健師を机に縛り付けてきました。 酒害家族教室も全ての保健所で2007年に中止しました。これは自助組織の断酒会との連携にも影を落とし ています。 知事発言年表 中内知事 「地酒で乾杯」 日本酒愛用運動 1984 地場産品奨励 県 「週休二日の休肝日」1986 年度 県 ジュースで乾杯「仕事納め」 県 休肝長寿の推進「酒休二日運動」 県 「健康飲酒普及事業」 1990 県 酒の飲み過ぎによる健康防止キャンペーン 橋本知事 酒が飲めない知事の就任 赤坂なしの日帰り出張 「ただ酒自粛」訓示 1992『日の高いうちからお酒を飲んで論議しているようでは、なかなか 若者も定住しない』 (1992.2.21 土佐町での知事を囲む座談会) 9 全国知事で始めて官々接待の全廃を表明 1995.9 カタカナ(バー・スナック)産業の衰退と料亭の全滅 「昼間からの宴会は意にそまない」と市町村首長会議退席 飲酒運転一発懲戒免職 1997.10.8 『今後、飲酒運転をした職員は、何らかの形で県職員を辞めてもらう方向で事務当局に検討を 指示した。 』 (県議会予算委員会 97.10.8) 飲酒運転職員一発懲戒免職 県 1997.11 『懲戒免職とする規定を施行』 飲酒調査 2001 健康政策課 知事 トラック協会に飲酒運転禁止徹底を要請 飲酒運転の防止指示 職員逮捕で臨時幹部会 2004.5.12 高新 2005.5.9 第32回高知酒害サマ―スク―ルでの橋本知事の挨拶 2004.7.18 自著「融通無碍」で県庁職員の飲酒問題 所信表明 2006.5 5、高知市の援助 高知市役所での取り組み 氏原一郎市長の市長机には酒代をねだりに来る盟友・松村春繁の為に100円札 をいつも袖机に入れてありました。やがて松村は断酒して、断酒会を全国にたちあげました。 勤務時間中に市庁舎のカーテンを閉めてした宴会に市民の批判があったこともありました。 元助役の高野拓男氏が福祉課長時代に立ち上げたアル考会「アルコール問題を考える会」が成果をあげましたが、 その後の暴力団の抗争に続き高齢者対策に手をとられ、2009年に解散今日に至っています。 飲酒運転では市の保健師が職員向けに二度、市民運動ASKの水澤都加佐さんを呼んだ事がありました。 市図書館の関連する出版祝賀会ではコーヒー席が好評で高知新聞が報道しました。 6、経済界の援助 昨年日経新聞で「酒量多いほど幸せ」との 12 月 14日記事には驚かされました。記事は共同通信による高知からの 配信でした。 「酒量多いほど幸せ」と言う見出しの記事によると、 法政大大学院が発表した都道府県別の「幸福度」調査で 46 位だった高知県の土佐経済同友会が、独自の豊かさ指標「高知県民総幸福度(GHN)をつくり、県政に反映させる べきと提言した内容です。 「一人当たりの酒量や仲間と飲む回数が多いほど幸せだなどとする」内容で酒を嗜む知事は、「県の中長期計画に も反映できるのではないか」と歓迎とする記事です。 ビリ47位はなぜか大阪、ブータンの『幸福度』に触発された記事でしたが、土佐経済同友会に出向いて聞きます と、この記事は例を挙げたに過ぎないということでした。 アルコール依存症対策としては EAP、Employee Assistance Program「従業員支援プログラム」があります。 職場の複雑な人間関係などによるストレスが原因となっての従業員の抑うつなどを回避させるために、企業などが 外部団体と契約して専門のカウンセラーにより従業員の心の健康を心理的・物理的にサポートするシステムが一般 的ですが、県内では未発達です。 もともと EAP は 1970 年代のアメリカではじまり社会問題となっていた工場などでのブルーカラー労働者のアルコ ールや薬物などへの依存を問題解決にあたった労組側の取り組みでした。 当初はアルコールや薬物の依存への対策からはじまった EAP でしたが、社会の多様化によりアルコールや薬物の依 存だけのプログラムに限られなくなりました。 現在ではアルコールや薬物への依存の EAP はごく 1 部となり、うつ、神経症、心身症、家庭問題への対応などが中 10 心に移り変わっています。 最近では、 企業のリストラや合併にともなう支援プラグラムも多くなって業者が仕切り、 当初の労組が運営していた頃と様変わりをしています。 労働界も酒害対策は立ち遅れていて、かつて断酒サマースクールにお迎えした同盟の山崎議長が『労働者に迷惑を かけるアル中は止めてもらいたい』と会の趣旨と反対の発言をしたことがありました。三翠園の社長などがなんと か首を切らずに済まそうと、発言していた最中でしたので驚きでした。 まとめ 飲酒運転事故や、飲酒がらみの病気などで、酒がいつでもど こでも良いものだといえないことは一般的には分かっていて も、きちんとした酒害教育は公教育では今の大学生はまだ受 けていません。受けた人は高校生の年齢に到達していますが、 それも酒に甘い体育の先生に保健の授業を任せていて、初期 の成果を上げているか疑問です。 教育者自身も、もっとも立ち直りの悪い勤労者です。 酒害に陥っても認めようともせず、高所より酒一般を理解す るばかりで、血肉化せず、自らにもっとも大事な仲間である 断酒会に溶け込めないで自ら苦しんでいる方を多く見ます。 父兄との宴会における二次会でのただ酒が脇を甘くしていま す。 教育者自身が酒害根絶にとって大きな阻害要因になっていま す。 ( 資料 お父さんは仕事から帰ってきた時は ゴミの汁のにおいがする。 それはいつも 清そうの仕事をしているからだ。 休みの日の昼は タバコのにおい。 夜は きょうれつなお酒のにおい.。 お父さんは三つの匂いを持っている。 いっしょうけんめいに働いたあかしの ゴミのしるのにおいが ぼくは一番すきだ。 (松田川小5年) 高知子供詩集「やまもも」 ) アルコール依存と貧困を語る時、経済的貧困ばかりでなく精神的貧困を感じます。心の貧困は、安心・安全・ やすらぎが得られないときにあらわれます。結果として酒に縛られますが、本人だけではなく負の連鎖が子供 から孫へと限りなく連なっていきます。 ですから、本人だけでなく家族や地域・職場など日本で 3000 万人が被害をこうむっているわけです。 今日の会を主催されているこうちネットホップ(ホームレス支援と貧困問題を考えるこうちの会)のように平常 時の活動によって得られるつながりは、緊急時につながります。勿論大災害時にも威力を発揮することが出来 るでしょう。 全国組織の断酒会は自らを社会的資源として2011年に公益法人を取得、市民社会とのつながりを強化する ことに方針を変えていきました。主な対外運動のひとつはアルコール関連基本法の制定運動です。 身近なところでは、刑務所や中・高校のクラス入りです。自らの酒害・体験発表で酒害を食い止める奉仕です。 酒害者の体験発表・体験性は医療従事者の専門性に匹敵するもので職場や集まりで感動を呼び起こします。 皆さんで、呼んで酒害の話を聞こうと言う方には無料出前で酒害者が届けることになります。 最後に、今日こそ「現代の酒屋会議」が必要ではないかと思います。酒屋会議とは土佐における民権家の植木 枝盛が明治十五年(1882)5月4日淀川船上で開いた民権運動で「民権と酒屋の利益」を結合させました。 今こそ「民権と酒屋の利益、プラス酒害取組」で合議を持つべき時期の到来ではないかと思います。 11 資料 戦後の高度成長期に酒類の消費は飛躍的に上昇した。その結果、アルコール依存症は 220 万人となり、 死亡、離婚、失職が増加し、そのほか飲酒運転、傷害事件などの社会問題が生じた。最近、イッキ飲 みによる死亡、酒乱家庭の子の人格障害、青少年や老人と女性飲酒者の増加が注目を浴びている。 本年7月、厚生省はわが国のアルコールによる年間死亡者は3万人弱、アルコールの飲み過ぎによ る経済的損失は、年間6兆6千億円以上という驚くべき数字を発表した。後者は酒税2兆円のなんと 3倍以上である。 欧米ではアルコール対策が以前から実施されている。酒類販売と飲食店の酒類提供の時間制限、酒 類広告の厳重な規制、政府の教育アプローチ、酒害防止の切手の発行などがある。アメリカでは 25 歳未満者が酒類購買許可証を提出しないと酒類を買えない。ある州では 21 歳未満者が飲酒すれば罰 金刑に処せられ、青少年の飲酒運転防止のため、自動車運転免許の年齢下限が引き上げられた。(中 略) 世界保健機構(WHO)は平成3年4月、日本政府に酒類自動販売機の撤去を勧告したが、まだそのま ま。世界で酒類自動販売機のあるのは、日本だけである。 未成年者飲酒禁止法の趣旨からも、撤去すべきである。 全日本断酒連盟最高顧問 下司 考麿 1993 年 10 月 15 日毎日新聞より 12
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