【パラダイム】 相対性理論と平等政策 北海道大学公共政策大学院 院長・教授 宮脇 淳 アインシュタインの「相対性理論」は、誰しも一度は耳にしたことのある言葉である。しかし、その内容となると、 理解不十分・理解不能となることが多い。私自身、文系の人間であり、物理学の相対性理論の「そ」の字さえ理解 しているわけではない。しかし、相対性理論の核は、「誰にとっても、どういう状況でも光に対する相対速度は同じ である」という点にある。たとえば、止まっている人「A」と時速100キロのスピードで移動している人「B」がいると する。時速150キロで追い越した車に対する「A」にとっての相対速度は、時速150キロと認識される(「A」は停 止しているため時速0であり、150−0=150)。これに対して、時速100キロで移動している「B」を時速150キ ロで車が追い越した場合、「B」にとって追い越した車に対する相対速度は時速50キロとなる(「B」は時速100キ ロで移動しているため、150−100=50)。こうした相対速度の実感は、常にどこでも生じることである。 しかし、光の場合はこうした関係にはならない。たとえば、止まっている「A」と時速100キロで移動している「B」 を同じ光が追い越した場合、「A」にとっても「B」にとっても光に対する相対速度は同じとなる。すなわち、「A」と 「B」の時速差100キロは何ら意味を持たず、「光との相対速度」の関係ではどこかにいってしまうのである。どこ にいってしまうのか…? その答えは、相対性理論に基づけば、時間軸、すなわち「時空」の歪みとなる。我々が 日常生活している縦、横、高さの三次元の世界では、「A」と「B」の追い越す車に対する相対速度には100キロ の違いが生じる。しかし、縦、横、高さ、それに時間軸を加えた「四次元の世界」では、100キロの時速差は生じ ない。その原因は、時間軸たる時空が100キロの時速差を飲み込む歪みを持っているからである。この歪みを 利用すれば、タイムマシンが実現する。 ここで重要なことは、タイムマシンの可能性ではなく、どんな状況の人にとっても光の速度は同じ点である。ど んな状況でも同じであることは、平等とも言える。しかし、状況の違う人にとって同じ光の速度がもたらされること は、どこかに歪みが生じていることを意味する。光の速度は、表面上、誰にとっても同じであり平等である。しかし、 その平等のウラには、歪みが生じている。その歪みによって誰にとっても平等であるという表面的な姿が造られ ているのである。 政策をめぐる平等議論は、「機会平等」と「結果平等」の二つの視点がよく指摘される。最近では、結果平等で はなく「機会平等」が重視される傾向にある。道路、空港等社会インフラが整っていないなど他の地域と差がある ことは、「機会平等」を奪うものであるとする主張などが典型である。しかし、全ての地域が同じように社会インフラ を整えることが、果たして平等と言えるのであろうか。各地域によって、それぞれ置かれた状況は異なる。その異 なる状況を無視し、全国一律の政策を展開することは、誰にとっても同じである光の相対速度が時間軸に歪みを もたらすことと同様に、何かに必ず歪みをもたらすことになる。しかし、従来の三次元の視点では四次元に位置す る時空の歪みが見えないのと同様に、形式的平等の名の下に見えない歪みをもたらしているのである。止まって いる「A」と時速100キロで移動している「B」がなぜ同じに扱われるのか。時速100キロの努力はどこに行くのか。 時空の歪みを旅するのは、夢あるタイムマシン。平等の歪みを旅する者は、何であろう。 「PHP 政策研究レポート」(Vol.8 No.93)2005 年 6 月 1
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