第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 第2章 賃 金 この章では、賃金の意義、最低賃金、賃金の支払いの確保に関する法的措置、使用者の責に帰す べき事由による休業の場合の休業手当、解雇手当、災害補償等の際に必要となる平均賃金、時間外・ 休日・深夜労働に対する割増賃金等について記述する。 第1節 賃金の決定・構成要素 1.賃金の意義等 (1)労働基準法の定義 労基法 11 条は、賃金について「この法律で賃金とは、賃金、給料、手当、賞与その他名称の如 何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう。」と、 定義している。 この定義を要約すると、賃金の要素として ① 賃金は、名称を問わず、労働の対償として支払われるすべてのものをいい、現金はもちろ んのこと、現金以外の現物も労基法上の賃金となり得る(注)。 ② 賃金は、使用者が労働者に支払うものであって、第三者が支払うようなものは賃金でない。 ということができる。 注.通貨払の原則 = 労基法 24 条 1 項は、賃金は通貨で支払うべきことを規定しており、賃金を通 貨以外のもの(現物など)で支払うことができるのは、法令又は労働協約に別段の定めがある場 合のほか、退職手当の支払いを労働者の同意を得て銀行支払小切手等で支払う場合等に限られる。 (2)「労働の対償性」の判断基準 「労働の対償」であるかどうかは、給付の性質や内容によって判断されることになるが、その 判断もやはり容易ではない。そこで、行政は、実務上、労働の対償たる賃金と区別されるべきも のとして、①任意的恩恵的な給付、②福利厚生給付、③企業設備・業務費、に着目し①~③に該 当するものは賃金としないこととしている。 ① 任意的恩恵的給付 任意的恩恵的であるものは、賃金とされない。たとえば、使用者が任意に慶弔見舞金を与え る場合は賃金とみないが、その支給について就業規則等により支給条件が明確にされたものは、 労働の対償として賃金と認められる(昭 22.9.13 発基 17 号)。 なお、結婚祝金、死亡弔慰金、災害見舞金など個人的臨時的な吉凶禍福に対して支給される ものであっても就業規則等によってあらかじめ支給条件が明確にされているものは労働の対償 と認められ、賃金として保護される(前掲通達)。ただし、労働保険の保険料の徴収等に関する 法律における賃金総額の算定の基礎として取り扱わないこととしている(昭 25.2.16 基発 127 号)。(第 2-2-1-1 図 参照) しかし、結婚祝金等を賃金とみることには異説もあり、たとえば、下井 隆史教授は結婚祝金 等を「労働の対償」とみるのは不適切であり、書面による贈与ゆえに撤回できないものと解し て(民法 550 条参照)賃金ではないと考えるべきであろうと述べておられる(下井「労基法」 353 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 P240)。 民法 (書面によらない贈与の撤回) 第 550 条 書面によらない贈与は、各当事者が撤回することができる。ただし、履行の終わった部分 については、この限りでない。 ② 福利厚生給付 労働者の福利厚生のために支給する利益、費用は、賃金とされない。なお、 「福利厚生施設の 範囲はなるべく広く解釈すること」とする解釈例規がある(昭 22.12.9 基発 452 号) 。 たとえば、住宅の貸与は原則として賃金とはされないが、住宅の貸与を受けない者に対して 定額の均衡手当が支給されている場合は、住宅貸与の利益が明確に評価されて住居の利益を賃 金に含ませたものとみられるので、住居の利益の評価額を限度として住宅貸与の利益(均衡手 当の額に等しい額)は賃金であると解される(厚労省「労基法コメ」上巻 P158) 。(注) 注.住居の利益の評価額を限度として コンメンタールの記述では、たとえば、住宅の利益の評価額5万円、住宅の貸与を受けない者 に対して支給される均衡手当額が3万円である場合に、賃金と解される限度額が5万円であると いうように読めるが、通常は均衡手当の額をもって賃金に算入される(住宅の利益の評価額5万 円、住宅の貸与を受けない者に対して支給される均衡手当額が6万円というような場合には、5 万円を限度として賃金に算入されるという趣旨であろう。 )。 有泉 亨「労働基準法」有斐閣刊昭和 38 年 P237 では「実際の取扱い上は平均賃金、割増賃金 の基礎としては住宅の貸与を受けない者に対して一定額の均衡給与が支給されている場合に限り、 その手当額を以て評価額とした賃金とみている。」としている。 ⇒ 住宅の貸与の利益は「福利厚生施設の範囲はなるべく広く解釈すること」(昭 22.12.9 基発 452 号)とされて いるとおり原則として賃金とみないが、住宅の貸与を受けない者に均衡手当が支給されている場合は、その 限りで賃金であると解される。 ③ 企業設備・業務費 作業服、作業用品代、出張旅費、社用交際費、器具損料などは、賃金とされない。通勤手当 ないし通勤定期券は労働契約の原則からいえば労働者が負担すべきものであるので業務費に該 当せず、賃金とされる。 第 2-2-1-1 図 労働保険料等の算定基礎となる賃金早見表(例示) 賃金総額に算入するもの 賃金総額に算入しないもの ・基本給・固定給等基本賃金 ・休業補償費 ・超過勤務手当・深夜手当・休日手当等 ・結婚祝金 ・扶養手当・子供手当・家族手当等 ・死亡弔慰金 ・宿、日直手当 ・災害見舞金 ・役職手当・管理職手当等 ・増資記念品代 ・地域手当 ・私傷病見舞金 354 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 ・住宅手当 ・解雇予告手当(労働基準法第 20 条の規定に ・教育手当 基づくもの) ・単身赴任手当 ・年功慰労金 ・技能手当 ・出張旅費・宿泊費等(実費弁償的なもの) ・特殊作業手当 制服 ・奨励手当 ・会社が全額負担する生命保険の掛金 ・物価手当 ・財産形成貯蓄のため事業主が負担する奨励金 ・調整手当 等(労働者が行う財産形成貯蓄を奨励援助するため ・賞与 事業主が労働者に対して支払う一定の率又は額の ・通勤手当 奨励金等) ・定期券・回数券等 ・創立記念日等の祝金(恩恵的なものでなく、か ・休業手当 つ、全労働者又は相当多数に支給される場合を除 ・雇用保険料その他社会保険料(労働者の負担 く) 分を事業主が負担する場合) ・チップ(奉仕料の配分として事業主から受けるも ・住居の利益(社宅等の貸与を受けない者に対し のを除く) 均衡上住宅手当を支給する場合) ・住居の利益(一部の社員に社宅等の貸与を行っ ・いわゆる前払い退職金(労働者が在職中に、退 ているが、他の者に均衡給与が支給されない場合) 職金相当額の全部又は一部を給与や賞与に上乗せ ・退職金(退職を事由として支払われるものであっ するなど前払いされるもの) て、退職時に支払われるもの又は事業主の都合等に より退職前に一時金として支払われるもの) (厚生労働省ホームページより http://www2.mhlw.go.jp/topics/seido/daijin/hoken/980916_6.htm) (3)使用者が支払うもの 賃金の概念の2つ目は「使用者が労働者に支払うもの」であるから、たとえば、旅館の従業員 等が客から受け取るチップは賃金ではない。しかし、料理店や風俗店などにおいて客から受ける チップのみで生活している者の場合は、チップ収入を受けるために必要な営業設備を使用し得る 利益そのものが賃金に当たると解される。 なお、チップに類するものであっても、使用者が奉仕料として一定率を定め、客に請求し収納 したものを当日出勤した労働者に全額を均等配分している場合は、賃金である。 (4)具体的事例 1)実物給与 イ 臨時に支給される実物 臨時に支給される物、その他の利益は賃金とみなさない。祝祭日、会社の創立記念日又は労 働者の個人的吉凶禍福に対して支給される物は、賃金ではない。 ロ 住宅の貸与 住宅の貸与は原則として賃金とはされず福利厚生施設と解する。ただし、住宅の貸与を受け ない者に対して定額の均衡手当が支給されている場合は、住宅貸与の利益が明確に評価されて 住居の利益を賃金に含ませたものとみられるので、住居の利益の評価額(均衡手当の額に等し い額)を限度として住宅貸与の利益は賃金であると解される(厚労省「労基法コメ」上巻 P158) 355 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 ハ 食事の供与 食事の供与については、代金を徴収するか否かを問わず、次の3つの要件を満たす限り福利 厚生施設として取扱う(昭 30.10.10 基発 644 号)。 ① 食事の供与のために賃金の減額を伴わないこと ② 食事の供与が就業規則・労働協約等によって定められ明確な労働条件の内容となっている場 合でないこと ③ 食事の供与による利益の客観的評価額が社会通念上僅少なものと認められるものであるこ と ニ その他 労働者から代金を徴収するものは、原則として賃金ではないが、その徴収金額が実際費用の 3分の1以下であるときは、3分の1に達するまでの差額部分については、これを賃金とみな す(昭 22.12.9 基発 452 号)。 2)ストック・オプション ⇒ 賃金でない ストック・オプションとは、会社が、従業員等に対し、自社の株式を一定期間内にあらかじめ 設定した価格で購入する権利を与えることをいう。一定期間内に株価が上昇すれば権利を行使し て株式交付を受け、市場で売却すれば利益を得られる。ただし、権利を行使するか否か、いつ売 却するかは本人の判断にゆだねられることになる。株価が上昇しなかった場合は権利を行使する メリットがないので、利益は得られない。このような制度は、労働の対償ではなく、賃金に当た らない(平 9.6.1 基発 412 号)。ただし、労働者を対象にストック・オプションを制度として実施 する場合は就業規則に記載すべき事項(労基法 89 条 10 号)とされる。 なお、ストック・オプションの権利行使による利益について所得税法上の取扱いは、これを一 時所得とみるか、給与所得とみるか、判例は二分されていたが、最近の最高裁判決は、ストック・ オプションの権利が一定の執行役員及び主要な従業員に対する精勤の動機付けなどのために職務 遂行上の対価として付与される以上、その権利行使も給与所得に該当すると判断している(注)。 注.「アプライドマテリアルズ事件」最高裁三小判決平 17.1.25) 。 米国法人の子会社である日本法人の代表取締役が,親会社である米国法人から親会社の株式をあらかじめ 定められた権利行使価格で取得することができる権利(いわゆるストックオプション)を付与されてこれを行 使し,権利行使時点における親会社の株価と所定の権利行使価格との差額に相当する経済的利益を得た場合 において,上記権利は,親会社が同社及びその子会社の一定の執行役員及び主要な従業員に対する精勤の動 機付けとすることなどを企図して設けた制度に基づき付与されたものであること等の制度に基づき付与され た権利については,被付与者の生存中は,その者のみがこれを行使することができ,その権利を譲渡し,又 は移転することはできないものとされていることなど判示の事情の下においては,同代表取締役が上記権利 を行使して得た利益は,所得税法 28 条 1 項所定の給与所得に当たる、と判示した。 ⇒ このストック・オプションの例でも分かるように、労働法の賃金の範囲と所得税法の給与所得との範囲は、そ の目的の違いからおのずと異なるものである。よく知られている例として、役員報酬は労働法の賃金でないが 所得税法の給与所得として取り扱われる。 356 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 3)通勤手当・通勤定期券 ⇒ 賃金である イ 概 要 通勤に要する費用は、本来労働者が負担すべきもの(注)であるから業務費ではなく、賃金 に当たると解される(昭 25.1.18 基収 130 号) 。 菅野 和夫教授も「通勤手当またはその現物支給たる通勤定期券は、通勤費用が労働契約の原 則からいえば労働者が負担すべきものなので、業務費ではなく、その支給基準が定められてい るかぎり賃金である。」と述べておられる(菅野「労働法」P210)。 注.弁済の費用 = 労働者が労働契約上の義務である労務を提供するため自宅から事業場へ移動するために 要する費用(債務の弁済に要する費用)は、民法 485 条により労働者が負担すべきものとされている。そ のため、本来労働者が負担すべき通勤に必要な費用を使用者が負担する場合は、実費弁償としての旅費と は性質が異なり、業務費ではなく賃金に当たると解される。 民法 (弁済の費用) 第 485 条 弁済の費用(労務提供のために要する費用)について別段の意思表示がないときは、そ の費用は、債務者(労働者)の負担とする。ただし、債権者(使用者)が住所の移転その他の行為に よって弁済の費用を増加させたときは、その増加額は、債権者の負担とする。 (条文中カッコ書は筆者が独自に挿入) ロ 非常勤講師の通勤手当 非常勤講師が大学に通う交通費等を通勤手当でなく旅費規程による「旅費」として支払って いる例があるが、たとえ週に1回程度の来学であっても住居と就業の場所を移動するのに必要 な費用は「通勤手当」であり、労働法上の賃金として取り扱わなければならないと考える。た だし、月に1~2回通勤圏外から来学するような場合(例:北海道の自宅から関東の大学へ通 う場合)は、もはや通勤とは考えられず業務費である「旅費」として取り扱ってもよいのでは ないだろうか(私見)。 通勤手当と解するか旅費と解するかの判断基準として、往復の頻度・継続性、通勤圏内であ るか否かなどにより決めることが妥当と考える。この場合に旅費として支給する場合であって も、出退勤途上の災害補償については、労災保険の通勤災害規定が適用され得ると考えられる。 労災保険法 第 7 条 第1項 略 2 前項第二号の通勤とは、労働者が、就業に関し、次に掲げる移動を、合理的な経路及び方法によ り行うことをいい、業務の性質を有するものを除くものとする。 一 住居と就業の場所との間の往復 二 厚生労働省令で定める就業の場所(労災保険の適用事業など)から他の就業の場所への移動 三 第一号に掲げる往復に先行し、又は後続する住居間の移動(厚生労働省令で定める要件(一定の 事情のもとに単身赴任をする者)に該当するものに限る。) 第3項 略 (条文中下線の部分は筆者が独自に挿入) 357 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 4)解雇予告手当 ⇒ 賃金でない 解雇予告手当は、解雇に伴う経済的不利益の補償として使用者に支払いを義務づけたものと解 され、労働の対償性がなく賃金ではない。行政解釈では「賃金とは考えられない」が、その支払 いについては、指導方針として労基法 24 条に準じての通貨払い、直接払いの原則を適用するよう 指導することとしている(昭 23.8.18 基収 2520 号)。 5)休業手当=生活保障 ⇒ 賃金である 休業手当は、使用者の責に帰すべき事由により休業させた場合に、労基法 26 条の規定により支 払い義務が生じるものである。これが賃金に該当するか否かについて「休業手当を賃金と解し法 第 24 条第 2 項に基づく所定賃金支払日に支払うべきものと解してよいか。」という問に対し「貴 見のとおり。 」とする行政解釈がある(昭 25.4.6 基収 207 号)ので、賃金と解する。 6)休業補償=損害の塡補 ⇒ 賃金でない 休業補償は、業務上負傷し又は疾病にかかり、療養のため労働することができないため無給と なる場合に、労基法 76 条の規定によりその稼得能力を塡補するもの(損害の塡補)である。した がって、その性質は労働の対償ではなく災害補償であるから、賃金とされない。休業補償以外の 障害補償・遺族補償などの災害補償も同様である。 なお、労基法が定める休業補償は平均賃金の 100 分の 60 であるが、事業主が法定補償を上回っ て補償する場合には、法定補償を上回る部分(たとえば、100 分 80 を補償する場合における 100 分の 20 に相当する部分)を含めて賃金とされない(昭 25.12.27 基収 3432 号)。 ⇒ 使用者の責に帰すべき事由による休業させた場合の「休業手当」(労基法 26 条)は賃金であるが、災害補 償としての「休業補償」(労基法 76 条)は損害の塡補であって賃金ではない。 7)退職手当 ⇒ 賃金である 退職手当(「退職金」という場合も同義)は、労基法上の賃金であり、 「臨時に支払われる賃金」 と解される。そして当然ながら、労基法 24 条 2 項の「毎月1回以上払い」の適用は受けない。 なお、退職手当の性格は一般に功労報償的性格を併せもつものであるから、懲戒解雇による不 支給は否定されるものではないが、 「しかし退職金は、賃金の後払的性格をも帯有していることは 否定できないから、たとえ右制限規定の具体的適用が、就業規則上使用者の裁量に委ねられてい るとしても使用者の被懲戒解雇者に対しなす右具体的適用は労基法の諸規定やその精神に反せず、 社会通念の許容する合理的な範囲においてなされるべきものと考える。 この見地からすると、退職金の全額を失わせるに足りる懲戒解雇の事由とは、労働者に永年の 勤続の功を抹消してしまうほどの不信があったことを要し、労基法二〇条但書の即時解雇の事由 より更に厳格に解すべきである。」という判例もある(「橋元運輸事件」名古屋地裁判決昭 47.4.28)。 (第7章就業規則第3節懲戒の項で詳述) 8)旅 費 ⇒ 賃金でない 通常実費弁償としてとらえられる旅費は賃金ではない(厚労省「労基法コメ」上巻P160」)と解 されるが、他方、国家公務員の赴任旅費の請求権の時効問題に関して国家公務員の「赴任旅費請求 権は同条にいう賃金に該当すると解される。」とする判例がある(損害賠償請求事件札幌地裁判決 平19.02.23) 。しかし、この判決は国家公務員の赴任旅費の請求権の時効を問題とするものであり、 実費弁償を超える支給額があったと判断される要素があったのかも知れない。通常の実費弁償とし て捉えられる出張旅費などは、常識的には賃金に該当しないと考えられる。 358 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 2.賃金の決定に関する法規制 (1)労使対等の原則 労働条件決定の原則について、労基法 2 条 1 項は「労働条件は、労働者と使用者が、対等の立 場において決定すべきものである。」と、労使が対等の立場に立つべきことを定めている。しか し、現実に労働組合があるかどうか、また、団体交渉で決定したかどうかを問うものではない(厚 労省「労基法コメ」上巻 P67)。 また、労働契約法は、労働契約の原則として「労働契約は、労働者及び使用者が対等の立場に おける合意に基づいて締結し、又は変更すべきものとする。」と、契約締結に関し労使が対等の 立場に立った上での合意に基づくべきことを明定している(労契法 3 条 1 項)。 しかし、この労使対等の原則は個別労働条件を定める場合の基本原則を宣明したものであって、 この原則に反する労働条件を直ちに無効とする趣旨のものではない。労使対等の関係を擁護する ためには、別途、労組法が労働者に団結権・団体交渉権を保障している。 ⇒ 賃金の決定は労働契約の内容であるから、その変更は労働者の個別同意を原則とする(一定の制約のも とで就業規則の変更によることも可)。 ⇒ これに対し、配置換え・降格などの人事異動は労務指揮権の発動であるから、個別同意は原則的に必要と されない。 (2)就業規則変更に関する規制 1)概 要 近代的事業における労働条件締結・変更は、個別労働契約に先行して、就業規則において集合的・ 統一的に規定する方式が採られている。労働契約法においても、「使用者が就業規則の変更により 労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更 が、①労働者の受ける不利益の程度、②労働条件の変更の必要性、③変更後の就業規則の内容の相 当性、④労働組合等との交渉の状況⑤その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なもの であるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるも のとする。」(労契法10条)と、変更後の就業規則の内容が合理的であるということと当該就業規 則を労働者に周知することを要件として、使用者が就業規則を変更することにより労働条件を変更 することができることとしている(条文引用中①~⑤の番号は宮田が独自に挿入)。 裁判例においても、上司の指示に従わず残業を拒否した事件において、最高裁は「使用者が当 該事業場に適用される就業規則に当該三六協定の範囲内で一定の業務上の事由があれば労働契約 に定める労働時間を延長して労働者を労働させることができる旨定めているときは、当該就業規 則の規定の内容が合理的なものである限り、それが具体的労働契約の内容をなすから、右就業規 則の規定の適用を受ける労働者は、その定めるところに従い、労働契約に定める労働時間を超え て労働をする義務を負うものと解するを相当とする」と、就業規則の条項が合理的であることを 前提に、当該規則の内容が労働契約の内容になると判示している(日立製作所武蔵工場事件(残 業拒否)最高裁一小平成 3 年 11 月 28 日)。 賃金も労働条件であることは明白であるから、賃金決定についても就業規則を変更することに 359 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 より行うことが可能である。ただし、その場合に上記労契法 10 条に規定するとおり、「就業規則 の変更に係る事情に照らして合理的なもの」でなければならない。 2)就業規則への明定義務 労基法89条2号は、賃金の決定、計算及び支払の方法、賃金の締切り及び支払の時期並びに昇給 に関する事項を必ず就業規則に定めるべきことを規定している(絶対的必要記載事項)。つまり、 賃金の決定に関しては必ず就業規則に規定しなければならないということである。 「賃金の決定、計算及び支払の方法」とは、具体的には学歴・年齢・勤続年数・職能資格制度・ 出来高・成果など賃金決定要素とそれらを用いた賃金の計算方法のことである。「支払の方法」に は直接払いか銀行振込かなど、「賃金の締切り及び支払の時期」には日給制・週給制・月給制の別 やその算定締切日及び支払日などが該当する。「昇給に関する事項」としては、昇給の時期・昇給 期間・昇給率・昇給の条件などが対象となる。 (3)最低賃金 1)最低賃金の概要 市場経済体制の下では、賃金の額の決定は労働者と使用者間の自由な取引(契約の自由)に委 ねられ、経済情勢や労働市場の状況によっては著しく低額な賃金水準が出現するおそれがある。 そのような低賃金水準は労働者の生活を困窮にするだけでなく経済社会全体に種々の悪影響を及 ぼすこととなる。そこで、わが国のような社会国家の考え方を取り入れた市場経済体制において は、労働者と使用者間の取引における交渉力の対等化を図るために、労働者に労働組合を組織し て使用者と団体交渉を行うことを保障する(憲 28 条)ほか、労働者が労働組合によって代表さ れていない地域・産業・企業のためには、労働市場のセーフティ・ネットとして、国が賃金額の 最低限度を定めこれを使用者に強制する制度を設けている。これが最低賃金制度であり、憲法 27 条 2 項が国に対して要請する「勤労条件の基準の法定」の中核をなすものである。 最低賃金法は、 「賃金の最低額を保障することにより、労働条件の改善を図り、もって、労働者 の生活の安定、労働力の質的向上及び事業の公正な確保に資する」こと等を目的として、最低賃 金額を定めている(最賃法 1 条)。 また、改正前の規定では、最低賃金額は、①労働者の生計費、②類似の労働者の賃金、③通常 の事業の賃金支払能力、を考慮して定められることとされていた(旧最賃法 3 条)が、改正後は 上記①を考慮するに当たって、 「労働者が健康で文化的な生活を営むことができるよう、生活保護 に係る施策との整合性に配慮するものとする」 という要素が付け加えられた(新最賃法 9 条 3 項)。 2)最低賃金の決定方式 最賃法は平成 19 年に大幅な改正が行われた。従来の方式では、その決め方に①最低賃金審議 会の調査審議に基づく決定、②労働協約に基づく決定の二方式があり、その種類も「地域別最低 賃金」と「産業別最低賃金」(注)があったが、決め方について②はほとんど利用されていない (平成 19 年 3 月現在 2 件)ため①のみとし、その種類については「地域別最低賃金」を原則的 な決定方式とし、「産業別最低賃金」については一定の事業と職業に関する「特定最低賃金」と して補足的制度として存続することとなった。 注.産業別最低賃金 産業別最低賃金は、全国または一定地域の産業ごとに、関係労働組合の申し出によって、中央 または地方最低賃金審議会の審議に基づき、地域別最低賃金に上乗せする形で設定される最低賃 360 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 金であった。当初は、石炭産業、食料品製造業、繊維産業、機械・金属製造業、卸売り・小売業 などの大くくりの産業について設定されていたが、地域別最低賃金の整備とともに存在意義が疑 問視されるにいたった。 平成 18 年度において、産業別最低賃金は、一定地域(都道府県)の電気機械器具製造業、輸送 用機械器具製造業、各種商品小売業、鉄鋼業等の基幹的労働者(18 歳未満・65 歳以上の者、雇い 入れ後 6 カ月内の技能修得中の者、清掃・片づけ業務に従事する者などを除くという限定が典型) について 250 件設定されており、402 万人の労働者に適用されていた。 産業別最低賃金額は、一般に地域別最低賃金額より高く、たとえば、東京都の場合、地域別最 低賃金額は時給 719 円であったが、鉄鋼業は 810 円、一般機械器具製造業は 798 円、電気機械器 具製造業は 794 円、自動車製造業は 797 円、出版業は 794 円、各種商品小売業は 770 円、という 状況であつた(平成 19 年 4 月 1 日現在)。 3)最低賃金法の平成 19 年改正 最低賃金法は、平成 19 年に改正が行われ平成 20 年 07 月 01 日から施行された(平 20.4.25 政 令 150 号)。 その主な内容は次のとおりである。 イ 最低賃金の決定方式 最低賃金の決定方式は、①最低賃金審議会の調査審議に基づく決定、②労働協約に基づく決 定の二方式があったが、改正により①の最低賃金審議会による方式のみとなり、②の労働協約 による方式は2年間の経過措置を経て廃止された。 ロ 地域別最低賃金 ① 地域別最低賃金を決定するに当たっては、地域における労働者の生計費・賃金の額・通常 の事業主の支払能力を考慮して決めることになるが、労働者の生計費を考慮するにあたって は、労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、生活保護の施策との 整合性にも配慮するものとされる。 (最賃法 9 条 2 項・3 項)。 ② 地域別最低賃金の不払の場合の罰金額の上限が引き上げられる(2 万円から 50 万円へ)。 ハ 産業別最低賃金を廃止し「特定最低賃金」へ ① 産業別最低賃金は廃止され、代わって、労働者又は使用者の代表者の申し出により「一定 の事業若しくは職業にかかる最低賃金」(「特定最低賃金」という。)を決定する仕組みが導 入される(最賃法 15 条)。 ② 特定最低賃金については、その不払については最低賃金法の罰則は適用されないが、労基 法 24 条 1 項の賃金の全額払いの原則に反することになり、労基法違反の罰則(罰金の上限 額 30 万円)が適用される。 ニ 適用除外規定を廃止し「減額の特例」へ ・心身障害により著しく労働能力の低い者等に関する適用除外が廃止され、代わって、最低 賃金額に一定率を乗じる「減額の特例」が新設される(最賃法 7 条) 。なお、従来は「所定労 働時間の特に短い者」は適用除外であったが、 「減額の特例」の対象から削除された。 ホ 派遣労働者の適用最低賃金 ・労働者派遣事業の派遣労働者については、派遣先の地域(産業)の最低賃金が適用される (最賃法 13 条)。 361 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 ヘ 最低賃金額の表示 ・従来、法文上は時間額、日額、週額又は月額で定めることとされていた最低賃金額の表示 単位が、改正法により「時間額」のみの表示されることとなった(実際は、平成 14 年度より、 わかりやすさの点から時間額のみの表示で運営されていたので、改正は現状を追認しただけ である。)。 ト 施行期日 平成 20 年 07 月 01 日から施行された。 4)最低賃金額 最低賃金額は、毎年 10 月から翌年2月ごろにかけて、各都道府県労働局から公示される。業務 に関連する主な都道府県の最低賃金額は、次のとおりである。 第 2-2-1-2 図 地域別最低賃金額 都道府県 最低賃金額【円】 発効年月日 都道府 県 平 21 年 平 20 年 北海道 678 (667) 平 21.10.10 青 森 633 (630) 岩 手 631 宮 城 最低賃金額【円】 発効年月日 平 21 年 平 20 年 京 都 729 (717) 平 21.10.17 平 21.10.01 大 阪 762 (748) 平 21.09.30 (628) 平 21.10.04 兵 庫 721 (712) 平 21.10.08 662 (653) 平 21.10.24 奈 良 679 (678) 平 21.10.17 秋 田 632 (629) 平 21.10.01 和歌山 674 (673) 平 21.10.31 山 形 631 (629) 平 21.10.18 鳥 取 630 (629) 平 21.10.08 福 島 644 (641) 平 21.10.18 島 根 630 (629) 平 21.10.04 茨 城 678 (676) 平 21.10.08 岡 山 670 (669) 平 21.10.08 栃 木 685 (683) 平 21.10.01 広 島 692 (683) 平 21.10.08 群 馬 676 (675) 平 21.10.04 山 口 669 (668) 平 21.10.04 埼 玉 735 (722) 平 21.10.17 徳 島 633 (632) 平 21.10.01 千 葉 728 (723) 平 21.10.03 香 川 652 (651) 平 21.10.01 東 京 791 (766) 平 21.10.01 愛 媛 632 (631) 平 21.10.01 神奈川 789 (766) 平 21.10.25 高 知 631 (630) 平 21.10.01 新 潟 669 (669) 平 20.10.26 福 岡 680 (675) 平 21.10.16 富 山 679 (677) 平 21.10.18 佐 賀 629 (628) 平 21.10.01 石 川 674 (673) 平 21.10.10 長 崎 629 (628) 平 21.10.10 福 井 671 (670) 平 21.10.01 熊 本 630 (628) 平 21.10.18 山 梨 677 (676) 平 21.10.01 大 分 631 (630) 平 21.10.01 長 野 681 (680) 平 21.10.01 宮 崎 629 (627) 平 21.10.14 岐 阜 696 (696) 平 20.10.19 鹿児島 630 (627) 平 21.10.14 静 岡 713 (711) 平 21.10.26 沖 629 (627) 平 21.10.18 愛 知 732 (731) 平 21.10.11 三 重 702 (701) 平 21.10.01 滋 賀 693 (691) 平 21.10.01 713 (703) 362 縄 全国平均 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 ※ 括弧書きは、平成 20 年度地域別最低賃金額 ※ 最高額は東京の 791 円、最低額は佐賀・長崎・宮崎・沖縄の 629 円 ※ 新潟・岐阜は、平成 21 年度の改定は行われなかったため前年度と同じ金額が適用される 5)最低賃金の対象から除外される賃金 最低賃金の対象となる賃金は、毎月支払われる基本的な賃金に限られ、具体的には、基本給と 諸手当がその対象である。ただし、、次の賃金は、最低賃金の対象から除外される(最賃法 4 条 3 項、最賃則 1 条 2 項)。 ① 臨時に支払われる賃金 結婚手当など ② 1か月を超える期間ごとに支払われる賃金 賞与など ③ 所定労働時間を超える期間の労働に対して支払われる賃金(注) 時間外割増賃金など ④ 所定労働日以外の労働に対して支払われる賃金 休日割増賃金など ⑤ 午後10時から午前5時までの間の労働に対して支払われる賃金のうち、通常の労働時間の 賃金の計算額を超える部分 深夜割増賃金など ⑥ 精皆勤手当、通勤手当及び家族手当 注.たとえば、所定労働時間が7時間である労働契約において、7時間までは時給 800 円、7 時間を 超え 8 時間までの1時間は最低賃金額以下の時給 400 円とすることは、 (脱法行為とみなされる場 合を除いて)最低賃金法上問題はない。ただし、8時間を超えると労基法 37 条の強行規定により 1時間当たり 800×1.25=1,000(円)としなければならない(この記述は改正法により最低賃金額を 日額で表示することが廃止され時間表示1本になったことにより削除すべきかと思ったが、最賃法 4 条 3 項、 最賃則 1 条 2 項 1 号により「所定労働時間をこえる時間の労働に対して支払われる賃金」に対し最低賃金は 適用されないので、改正後も有効であると思われる。)。 6)最低賃金が適用される労働者の範囲 地域別最低賃金は、都道府県内の全ての使用者及び労働者に適用される(パート、アルバイト、 非常勤、嘱託などの雇用形態の別なく適用される)。 これに対し 産業別最低賃金(改正法の「特定最低賃金」 )は、都道府県内の一部の産業の一部 の使用者及び労働者に適用される(18歳未満又は65歳以上の者、雇入れ後一定期間未満で技 能習得中の者、その他当該産業に特有の軽易な業務に従事する方などには適用されない。これら の者には地域別最低賃金が適用される。)。 しかし、一般の労働者と労働能力などが異なるため最低賃金を一律に適用するとかえって雇用 機会を狭める可能性がある下記の労働者については、使用者が都道府県労働局長の許可を受ける ことを条件として個別に最低賃金の減額が認められている。 ① 精神または身体の障害により著しく労働能力の低い者 ② 試用期間中の者 363 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 ③ 認定職業訓練(事業主等の行う職業訓練の申請を受けて、都道府県知事が認定を行った訓 練)を受けている者 ④ 軽易な業務に従事する者その他厚生労働省令で定める者 上記④の厚生労働省令で定める者として「断続的労働に従事する者」が定められている(最賃 則 3 条 2 項) 。 最低賃金の適用除外許可を受けようとする場合には、使用者は事業所の所在地を管轄する労働 基準監督署に最低賃金適用除外許可申請書を提出する。 7)最低賃金額以上となっているか確認する方法 実際の賃金が最低賃金以上となっているかどうかを調べるには、最低賃金の対象となる賃金額 と適用される最低賃金額を次の方法で比較する。 ① 時間給の場合 時間給≧最低賃金額(時間額) ② 日給の場合 日給÷1日の所定労働時間≧最低賃金(時間額) ただし、日額が定められている産業別最低賃金が適用される場合には、 日給≧最低賃金額(日額) ③ 上記①及び②以外(週給、月給等)の場合 賃金額を時間当たりの金額に換算し、最低賃金(時間額)と比較する。 ただし、日額が定められている産業別最低賃金が適用される場合には、賃金額と最低賃金 額の日額のそれぞれを時間当たりの金額に換算して比較する。 ※最低賃金額以上となっているか確認する方法を次ページに示す。 364 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 (東京 京労働局 HP より よ http://w www.roudoukyyoku.go.jp/seid do/kijunhou/s shikkari-mastter/pdf/chingginhou.pdf) (4)賃 賃金を遡及して引上げ げる場合 国家公 公務員の場合 合、人事院勧 勧告がなされ れ給与が4月 月に遡って引 引き上げられ れる場合があ ある。この 場合に、①遡及する る、②改正後から上げる 、③改正後か から上げるが が遡及分は一 一時金として て支払う、 が考えられる るが、契約主 主義である国 国立大学法人 人や独立行政 政法人では、将来に向 というような対応が い。しかし、 公務員時代 代の慣習など ど過去の経緯 緯から遡り引 引上げを行 かって改正することが望ましい わざるを得ないことも起こり得 得る。この様 様な遡及賃上 上げの場合の の問題点を探 探る。 1)退 退職者に対す する遡及適用 用 賃金を過去に遡っ って引き上げ げられ異議を を唱えること とがあれば契 契約主義の建 建前上問題が があろうが、 注 1) 。したが がって遡及引 引き上げその のものは法的 的に何ら問題 題ないと考 特殊な場合以外あり得ない(注 える。 しかし、4月に遡 遡及した場合 合、遡及決定 定前に退職し した職員につ ついても遡っ って適用することにな 職手当の計算 算においても も差額分が発 発生する。こ これらは必須 須の事項とし して処理しな なければな り、退職 らないものだろうか か? については、支給日に在 在籍していな ない者に対し し不支給とす する慣行があ る場合に、不 不支給と 賞与に 365 Co orporate Evolu lution Institutte Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 することが認められた判例があり(注 2)、一般論としても支給日在籍要件は是認されるものと 考えられる(第3節1.(3)P452 参照)。 注 1.遡り昇給に異議を唱える場合 パートである家庭の主婦などは、年間収入を調整して一定金額以下に抑え、夫の税法上扶養控 除配偶者・健康保険の被扶養者を維持したいということがある。その場合に遡り昇給があると年 間収入金額に見込額と狂いが生じるため問題となることがある。 注 2.大和銀行事件 最一小判昭 57.10.7 支給日に在籍している者に対してのみ、決算期間を対象とする賞与が支給されている慣行が存 在していた。就業規則 32 条の改訂は単に Y 銀行の労働組合の要請によって慣行を明文化したもの であって、その内容においても合理性を有する。X は Y を退職した後の賞与については、支給日 に在籍していなかったので、受給権を有しない。 通達は、遡り昇給に対し退職者にも在職期間中の賃金差額追給をしないのは違法か、という問 合せに対し「支払対象を在職者のみとするかもしくは退職者をも含めるかは当事者の自由である」 としている(下記昭 23.12.4 基収 4092 号)。 したがって、実務においては、遡り昇給の対象者を在籍者のみとすることは問題ない。 【遡及賃金の支給対象】 問 9月3日に本年1月からの新給与を決定し、遡及支払を行う場合、1月以降9月2日迄の退職者に ついては支給しないと規定するのは違法か。 遡及支払額は、各月賃金の後払と観念されるので退職者と雖も当然当該在職期間中の賃金差額の追給を 受給する権利があり、使用者は支払義務を負うものと解されるが如何。 答 新給与決定後過去に遡及して賃金を支払うことを取決める場合に、その支払対象を在職者のみとす るかもしくは退職者をも含めるかは当事者の自由であるから、設問のごとき規定は違法ではない。 (昭 23.12.4 基収 4092 号) ⇒ 遡り昇給が行われた場合に、退職者にも遡り昇給を適用するか否かは当事者の自由である。 2)退職手当への跳ね返り 月次給与の遡り昇給については、上記1)のとおり、それを必ずしも退職者にも適用しなけれ ばならないわけではないが、退職者にも適用した場合に昇給差額を退職手当へ跳ね返らせなけれ ばならないのだろうか?結論は必ずしもそうではない。 それは、退職手当の請求権は退職という事実によって生じると考えられるが、遡り昇給は退職 後に決定された賃金であり、これを算定基礎に算入しないとしても直ちに不公平・非合理的とい えるものでないからである。退職手当が退職時の俸給を基礎として支払う規定であるならば、跳 ね返りがなくても違法とはいえないと考える。 一般に、退職手当規程には、 「第○条 退職手当の支給額は、その者の退職事由及び勤続期間に応じた別表に掲げる割合を退職 等した日におけるその者の俸給月額(俸給及び俸給の調整額の月額の合計額をいう。)に乗じて得 366 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 た額とする。」 というような規定になっており、退職日の俸給をもとに計算される。したがって、退職後に決定され た給与はその算定基礎に含まれないと考えられる。 ⇒ 遡り昇給が行われた場合に、退職手当の額に跳ね返りがなくても違法とはいえない。 3)労働保険料等の計算等 労働保険料(労災・雇保)は年度に支払った賃金の合計額に一定の料率を乗じて求めるから、 遡り昇給があっても実際に支払った月が属する年度の賃金総額に加算されていればよい。 なお、雇用保険の離職証明書に記載する賃金日額には「離職後に決定された給与」は算入しな いことになっている(「雇保法コメ」P441)ので、退職者に交付した離職証明書は書き直す必要は ない。 社会保険料(健保・厚保)は標準報酬の概念を用いるから、月々の賃金額に変動があっても原 則的には変化はない。ただし、定時決定対象月(4~6月)に遡り昇給が行われたときは、実際 に当該月に支払われた賃金額に昇給額を加算し本来支払うべきであった額に修正して(修正平均 を求めて)新標準報酬を求めなければならない。また、その結果大幅な等級変動を行うことにな る場合は随時改定の手続きを採らなければならないことも生じうる。 (5)賃金を遡及して引下げる場合 国家公務員の場合、例年人事院勧告に基づき給与・賞与の額が改定される。 平成 21 年の場合、給与について▲ 0.2%、賞与について現行年間4.50月分 → 4.15 月分(▲0.35月分)と、それぞれ減額することとし、12 月 1 日から施行された。このうち、 給与減額分は4月から 11 月分までの合計額を年末賞与の支給額を調整する方法によって行われ た。そして、政府の方針としては「独立行政法人、特殊法人等においても、今回の措置を踏まえ、 期末手当・勤勉手当等について社会一般の情勢に適合したものとなるよう適切な措置を講ずるこ とを要請します。」というものであった(平成 21.5.8 内閣官房長官談話) 。 これを民間法制が適用される国大・独法に適用した場合に、どうなるのであろうか? この問題は、まず、①人事院勧告とは無関係の一般的な賃金引下げの場合、と②長年にわたっ て人事院勧告に連動して賃金改定を行ってきた場合、に分けて考察する。 1)人事院勧告とは無関係の一般的な賃金引下げの場合 一般的な賃金引下げの場合、a.給与の引下げを定める労働協約又は就業規則を遡って適用す ることができるかという問題、とb.給与の引下げではなく、引下げに相当する額を将来支払う 賞与支給基準に折込むことが許されるかという問題、とに分けて考えることにする。 a.給与の引下げを定める労働協約又は就業規則を遡って適用することができるか? 労働協約の効力を遡って適用することができるか、という点について、最高裁は、協約締結 の当事者の合意によって労働協約の効力発生時期を遡らせることができる、と判断している。 ただし、具体的に発生した請求権は個人の既得の権利となるため,新たな協約によってそれを 奪うことは許されない。 就業規則による場合もほぼ同様である。この場合も、すでに発生した個人の請求権は新たな 就業規則によって奪うことはできない。最高裁は、就業規則の効力が生じたときにすでに従来 367 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 の基準に従って算出された賃金請求権を取得していたケースについて、 「事後に締結された労働 協約や事後に変更された就業規則の遡及適用により処分又は変更することは許されない」と判 示している(注 1、注 2)。 注 1.「朝日火災海上保険(高田)事件」最高裁三小判決平 8.3.26 既に発生した具体的権利としての退職金請求権を事後に締結された労働協約や事後に変更さ れた就業規則の遡及適用により処分、変更することは許されないというべきであるから、右拡張 適用の有無について判断するまでもなく、右主張は理由がないといわなければならない。なお、 被上告人は、従業員組合との間で締結した前記昭和五五年度及び同五六年度の各退職金協定に基 づき就業規則の変更を行い、昭和五九年八月二一日各協定書の写しを添付した各就業規則変更届 を所轄労働基準監督署長に届け出ているが、右就業規則の変更についても、同様の理由により遡 及効を認めることはできない。 注 2.「香港上海銀行事件」最高裁一小判決平 1.9.7 従来の基準に従って算出された賃金請求権を既に取得していたものである。 「そうであれば,具 体的に発生した賃金請求権を事後に締結された労働協約や事後に変更された就業規則の遡及適用 により処分又は変更することは許されないから(平成元年 9 月 7 日第一小法廷判決参照)、Y会社 は,Xに対し,昭和 58 年 7 月 11 日までは社員としての賃金の支払義務を負う」 ⇒ すでに具体的に発生した賃金請求権を事後に締結された労働協約や事後に変更された就業規則の遡及 適用により変更することは許されない。 b.引下げに相当する額を将来支払う賞与支給基準に折込むことが許されるか? 労働協約や就業規則を改定し遡り適用することは、すでに賃金請求権が発生しているものに 適用することが無理であるとすると、国が実施しているように、将来支給する賞与の額(注) から相当額を減じる方法が考えられる。 しかし、このような調整措置が不利益の遡及ではないと評価されることになれば、将来発生 する賃金債権を減額するという方式を採りさえすれば、いくらでも実質的に過去に遡って支給 済みの賃金を取り戻すことが可能になり、容易に不利益遡及適用禁止の原則を脱法する結果と なるから問題である。一般的には脱法行為として厳しく審査されることになろう(この問題は 将来支給される賞与等の額の変更が合理的なものであるか否かを論じることで解決され得る。)。 注.賞与の額 民間では、ほとんどの場合、賞与の額(又は支給係数)はあらかじめ固定的に定められるので なく、その都度ないし年度単位で決定する。したがって(本来支給されるばすであった)賞与額 から控除するという発想に乏しく、賞与額の増減で論じられることが普通である。 2)長年にわたって人事院勧告に連動して賃金改定を行ってきた場合 上記1)bの一般論を適用すれば、原則的には年末賞与の額から控除する調整方法は無効と解 される。 裁判例においても、人事院勧告に基づく4月から 11 月分までの給与減額分の合計額を本来支給 されるはずの年末賞与の額から控除する調整方法は、労働者の賃金請求権等の既得の権利を不利 益に変更し、これを遡及的に適用する旨を定めた就業規則の規程は、労使関係における法的規範 368 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 性を是認できるだけの合理性を認めることはできず、その効力は生じないとする特別養護老人ホ ームを経営する社会福祉法人の例がある(注 1)。 公務員関係では、地方公務員の例であるが、特例措置による期末手当等の減額の算定方法は、 実質的には、すでに発生した賃金請求権を事後に不利益に変更したものと評価することができ、 このような調整措置が不利益の遡及ではないと評価されることになれば、将来発生する賃金債権 を減額するという方式を採りさえすれば、いくらでも実質的に過去に遡って支給済みの賃金を取 り戻すことが可能になり、容易に不利益遡及適用禁止の原則を脱法する結果となるから、このよ うな調整措置も実質的に不利益を遡及させるものとして、その適法性を審査する必要があるとす る裁判例がある(注 2)(適法性の審査については3)参照。)。 しかし、すべて無効とされるものでもなく、遡及減額を認めた例もある。 私立学校において長年にわたり 4 月分以降の年間給与の総額について人事院勧告を踏まえて 調整するという方針を採り、人事院勧告に倣って毎年 11 月頃に給与規程を増額改定し、その年 の 4 月分から 11 月分ごろまでの給与の増額に相当する分について別途支給する措置を採ってき たというような場合は、増額の場合にのみ遡及的な調整が行われ、減額の場合にこれが許容され ないとするのでは衡平を失するものというべきである、として遡及減額を認めた(注 3)。 注 1.「社会福祉法人八雲会事件」札幌高裁判決平 19.3.23 労働者の賃金請求権等の既得の権利を不利益に変更し、これを遡及的に適用する旨を定めた就 業規則の規程は、労使関係における法的規範性を是認できるだけの合理性を認めることはできず、 その効力は生じないとして、平成 14 年度および 15 年度における 4 月遡及適用に伴う期末手当 での減額調整規定を無効とし、減額分の賃金支払義務を一部認めた一審判決が維持された。 注 2.「兵庫県(期末手当減額)事件」大阪高裁判決平 18.2.10 特例措置等による本件期末手当等の額の算定方法は、実質的には、本件改正条例により、すで に発生した賃金請求権を事後に不利益に変更したものと評価でき、このような調整措置が、不利 益の遡及ではないと評価されることになれば、将来発生する賃金債権を減額するという方式を採 りさえすれば、いくらでも実質的に過去に遡って支給済みの賃金を取り戻すことが可能になり、 容易に不利益遡及適用禁止の原則を脱法する結果となるから、本件特例措置等のような調整措置 も、実質的に不利益を遡及させるものとして、その適法性を審査する必要があるとされた。 その必要性については、公民均衡の観点から、地方公務員の給与は、年度の途中ですでに支給 済みの給与等も含めて年間ベースで見直す運用を行うことが適切であり、県人事委員会の給与勧 告の場合、現にこのような運用が 30 年以上もされており、長年の慣行として定着しているとし たうえで、このような給与改定システムの運用上、県人事委員会が行う調査の結果、地方公務員 の給与が民間の給与を下回る場合のみ見直しの結果に基づく遡及的な調整が許容され、上回る場 合にその方法のいかんを問わずこれが許容されないとするのは衡平を失するものとして、納税者 である市民の納得を到底得られず、ひいては財政に対する信頼を損ねることにもなりかねないも のというべきであるから、給与減額の場合であっても、これを遡及適用する合理的理由はあり、 その必要性は相当大きいと判断した。 注 3.「福岡雙葉学園事件」最高裁三小判決平 19.12.18 資料19 380 ページ参照 上告人(使用者)の就業規則の一部をなす給与規程の内容となったものと解し、11 月理事会の 369 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 決定が、その算定方法による額からさらに本件調整のための減額をする点において、被上告人(労 働者)らの労働条件を不利益に変更するものであると解する余地があるとしても、上告人におい ては、長年にわたり 4 月分以降の年間給与の総額について人事院勧告を踏まえて調整するという 方針を採り、人事院勧告に倣って毎年 11 月頃に給与規程を増額改定し、その年の 4 月分から 11 月分までの給与の増額に相当する分について別途支給する措置を採ってきたというのであって、 増額の場合にのみ遡及的な調整が行われ、減額の場合にこれが許容されないとするのでは衡平を 失するものというべきであるから、人事院勧告に倣って本件調整を行う旨の 11 月理事会の決定 は合理性を有するとされた。 ⇒ 永年にわたって人事院勧告を踏まえて調整するという方針のもとに増額改定を行ってきたような場合には、 減額について遡及適用することが認められる場合がある。 3)不利益の遡及適用が許される場合 前述「兵庫県(期末手当減額)事件」では、地方公務員の給与の立法において、 「特段の合理的 理由」ないし「公共の福祉を実現するための必要性」がある場合に不利益の遡及適用が許される 場合もあり得るとしている。その判断は、①その必要性の程度、②侵害された権利の内容、③侵 害の程度、などを総合的に考慮してなされるとし、本件においては、a減額の対象が日々の暮ら しに直結する月例給でなく生活補給金的性格の期末手当であること、b減額割合も月例給換算で 1.99%に過ぎないこと、c情勢適応の原則からいっても厳密に官民給与が連動することまで要求 されるものでなく立法裁量権を逸脱・濫用したものとまで認められないこと、d県人事委員会・ 県議会への手続きも適切であったこと、などから裁量の範囲を逸脱するものとまではいえないと し、不利益遡及適用が許容されている。 以上の点から不利益遡及が認められるのは、一つの傾向として次のようなことがいえるのでは ないかと思われる。 ① 永年にわたって人事院勧告に連動して給与改定を行っている場合は、不利益変更であっても 是認される傾向がある。 ② 増額改定の場合にも遡り昇給を行っていると、減額改定の場合にも是認されやすい。 ③ 月例給ではなく、期末手当や賞与のような生活補給金的な賃金で減額調整する方が是認され やすい。 ⇒ 月例給の遡り減額見合いとして将来支払う賞与等の支給係数を減額調整することは、遡り減額の脱法的手 法であるとの観点から許されないが、長年にわたって人勧連動の遡り増額を実施してきたなどの事情がある 場合には、是認され得る。 ⇒ 給与の遡及減額についての適法性の審査は、①その必要性の程度、②侵害された権利の内容、③侵害の 程度、などを総合的に考慮してなされる。 370 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 3.賃金格差の問題 使用者が職員の賃金を決定する場合において、職員の性別、正規職員・非正規職員等の雇用区 分の違いによる格差を設けることの可否が論じられることがある。 この問題は、 「男女同一賃金の原則」及び「同一(価値)労働同一賃金の原則」として論じられる ことが多い。前者は労基法に明文規定があり実体法として成立しているのに対し、後者(「同一(価 値)労働同一賃金の原則」 )は実体法として明定されているわけでなく、理念として分かるが法理・ 法則として確立しているとまで至っていないと思われる。 (1)男女同一賃金・均等待遇の原則 労基法は、性による差別について「使用者は、労働者が女性であることを理由として、賃金に ついて男性と差別的取扱いをしてはならない。 」と、賃金については明確に禁止している(労基法 4 条)。賃金以外の労働条件については、「労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由」とする差 別的取扱いを禁止しているに止まり、性差別を禁止するまでに至っていない(労基法 3 条) 。 しかし、平成 19 年 4 月から施行された改正男女雇用機会均等法では、配置、昇進を含む労働者 の処遇全般について性による差別を禁止することになり(従来は女性差別を禁止) 、さらに、間接 的な性差別になるような合理性のない採用条件、総合職・一般職の区別、転勤・昇進制度を禁止 することとなった(均等法 6 条、7 条)。 (第 10 章性差別・ハラスメントの禁止の章(第8回(12 月)で詳述) このため、現行法令では、次のようなことがいえる。 ① 賃金、配置、昇進を含む労働者の処遇全般について性差別をすることは禁止される(労基法 4 条、均等法 6 条)。 ② 表面的には性差別でないが実質的に性差別となるようなコース別管理・人事制度(例:総合 職の採用条件や管理職登用の条件として、とくに必要もないのに転勤できることを条件とする ことなど)なども禁止される(均等法 7 条)。 ③ とくに賃金に関し性差別することは、罰則を伴う違法行為である(労基法 4 条)。 ④ 国籍・信条・社会的身分を理由として賃金、配置、昇進を含む労働者の処遇全般について 差別的取扱いをすることは、罰則を伴う違法行為である(労基法 3 条)。 均等法 (配置、昇進及び教育訓練) 第 6 条 事業主は、次に掲げる事項について、労働者の性別を理由として、差別的取扱いをしてはな らない。 一 労働者の配置(業務の配分及び権限の付与を含む。) 、昇進、降格及び教育訓練 二 住宅資金の貸付けその他これに準ずる福利厚生の措置であつて厚生労働省令で定める もの 三 労働者の職種及び雇用形態の変更 四 退職の勧奨、定年及び解雇並びに労働契約の更新 (性別以外の事由を要件とする措置) 第 7 条 事業主は、募集及び採用並びに前条各号に掲げる事項に関する措置であつて労働者の性別以 外の事由を要件とするもののうち、措置の要件を満たす男性及び女性の比率その他の事情を勘案し 371 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 て実質的に性別を理由とする差別となるおそれがある措置として厚生労働省令で定めるものにつ いては、当該措置の対象となる業務の性質に照らして当該措置の実施が当該業務の遂行上特に必要 である場合、事業の運営の状況に照らして当該措置の実施が雇用管理上特に必要である場合その他 の合理的な理由がある場合でなければ、これを講じてはならない。 均等法施行規則 (実質的に性別を理由とする差別となるおそれがある措置) 第2条 法第七条 の厚生労働省令で定める措置は、次のとおりとする。 一 労働者の募集又は採用に関する措置であつて、労働者の身長、体重又は体力に関する事由を要 件とするもの 二 労働者の募集又は採用に関する措置(事業主が、その雇用する労働者について、労働者の職種、 資格等に基づき複数のコースを設定し、コースごとに異なる雇用管理を行う場合において、当該 複数のコースのうち当該事業主の事業の運営の基幹となる事項に関する企画立案、営業、研究開 発等を行う労働者が属するコースについて行うものに限る。 )であつて、労働者の住居の移転を伴 う配置転換に応じることができることを要件とするもの 三 労働者の昇進に関する措置であつて、労働者が勤務する事業場と異なる事業場に配置転換され た経験があることを要件とするもの (2)同一(価値)労働同一賃金の原則は確立しているのか? 1)概 要 性による賃金格差は、上記(1)のとおり、明文規定による禁止であった。 では、同一価値の労働に対しては本来同一の賃金であるべきであるとする考え方(同一(価値) 労働同一賃金の原則)はどうであろうか。 この考え方の是非を論じると議論が尽きないが、結論的にいえば、長期雇用管理(終身雇用慣 行)システムのもとでは必ずしも成立しない側面がある。わが国では年功序列賃金が基本とされ てきた経緯があり、年功賃金にも合理性が認められる。また、労働法制の面においても、上記(1) の男女同一賃金・均等待遇の原則が実定法上の明文規定であるのに対し、同一(価値)労働同一 賃金の原則は、労働法上の公理として明文規定を持たない。 ただし、下級審の判例であるが、これを認めたものもあるので、注意を要する(注)。 注.「丸子警報器事件」長野地上田支判平 8.3.15 会社が契約更新を形式的に繰り返して女性正社員との顕著な賃金格差を維持拡大しつつ長期間女性臨時社員 の雇用を継続したことは、同一(価値)労働同一賃金原則の根底にある均等待遇の理念に違反する格差であり、 社会秩序(公序良俗)に反して違法である。そして、原告らと正社員の労働内容が同一であること、一定期間 以上勤務した臨時社員については年功要素も正社員と同様に考慮すべきであることなどから、原告らの賃金が 同じ勤務年数の女性正社員の 8 割以下になるときは公序違反になる(「職場のトラブル」NO87)。 ⇒ 同一(価値)労働同一賃金の原則は、わが国の年功処遇制のもとでは必ずしも確立していない。 ⇒ 同一(価値)労働同一賃金の原則に反する年功序列賃金もまた合理的な制度である。 372 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 ⇒ 製造業現場における女性正社員と女性臨時社員との賃金格差は、同じ勤続年数で8割以下になると きは公序違反となり得る。 2)パートタイム労働者に関する同一(価値)労働同一賃金の原則 実際に、この同一(価値)労働同一賃金の原則が議論される場面は、前述「丸子警報器事件」 のように有期雇用職員やパートなど非正規職員の正規職員に対する処遇格差である。 同事件の判決では、労基法 3 条(均等待遇) ・4 条(男女同一賃金の原則)根底及び同一(価値) 労働同一賃金の原則の基礎にある「均等待遇の理念は、賃金格差の違法性判断において、ひとつ の重要な判断要素として考慮されるべきものであって、その理念に反する賃金格差は、使用者に 許された裁量の範囲を逸脱したものとして、公序良俗違反の違法を招来する場合があると言うべ きである」と述べて、賃金格差が公序良俗違反にあたるとした。 この事件を平成 20 年 4 月から施行された改正パート労働法に当てはめてみると、同法 8 条(通 常の労働者と同視すべきパートタイム労働者に対する差別取扱いの禁止)を適用した場合、 「職務 の内容が通常の労働者と同じ」と「実質的に期間の定めのない契約」の要件は満たされていると 解されるが、 「配置ローテーションが通常の労働者と同じ」の要件が満たされているかは必ずしも 明らかでない。この要件が満たされると、現行法上は賃金格差全体が差別的取扱いとして損害賠 償の対象となる(労働判例百選第8版 P40~41〔水町勇一郎〕)。 ⇒ 非常勤職員がその実態からみて「通常の労働者と同視すべき短時間労働者」である場合は、賃金その他待 遇面で差別的取扱いが禁止されている。 (3)パートタイム労働者の賃金 パートタイム労働者の適正な労働条件の確保・雇用管理の改善などを目的してその処遇を定め た法律として「短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律」 (パート労働法)がある。同法で 規定する「短時間労働者」 (パートタイム労働者)とは、一週間の所定労働時間が同一の事業所に 雇用される通常の労働者の一週間の所定労働時間に比し短い労働者とされているから、いわゆる 非正規職員でフルタイムで就労する者は、同法の適用を受けない(パート労働法 2 条)が、いわ ゆる「フルタイムパート」についても法の趣旨が考慮されるべきであるとしている(「パート労働 法指針」平成 19 年 10 月 1 日厚労告 326 号)。 パート労働者の賃金に関しては、使用者の責務について、通常の労働者の場合よりも細かく定 められている。すなわち、まず、①雇入れの際に労働条件の明示に関し、労基法に定められた事 項のほかに昇給・賞与・退職手当の有無についても書面交付の方法によって明示しなければなら ないこと、②次に、賃金の決定方法に関し、通常の労働者との均衡を考慮しつつ、その職務の内 容、職務の成果、意欲、能力又は経験等を勘案し決定するよう努力すべきことなど、③さらに② を担保するため、賃金の決定などパート労働法で定める待遇の決定に当たって考慮した事項につ いて説明しなければならないこと、などである。 373 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 パート労働法の賃金に関する主な規定 ① 労働条件の明示 雇入れの際に、労基法で定める事項のほか「昇給の有無」 、 「退職手当の有無」及び「賞与の有無」 についても文書交付の方法により明示すべきこと ② 賃金決定方法 (a)「通常の労働者と同視すべきパート」の差別的取扱いの禁止(パート労働法 8 条) ・ 「通常の労働者と同視すべきパート」については、賃金の決定、教育訓練の実施、福利厚生施設 の利用その他の待遇について、差別的取扱いをしてはならない。 ・「通常の労働者と同視すべきパート」とは、次の①~③の要件を満たすパートをいう。 ① 期間の定めのない契約(実質的に期間の定めのない契約を含む。) ② 職務の内容が通常の労働者と同じ ③ 配置ローテーションが通常の労働者と同じ (b)「職務の内容」及び「配置ローテーション」が通常の労働者と同じパートの賃金決定(努力義務) ・上記(1)②及び③を満たすパートについては、通常の労働者と同一の方法で賃金 を決定する努力義務がある(パート労働法 9 条 2 項) 。 (c)すべてのパートに適用すべき賃金決定方法(努力義務) ・パートの賃金は、通常の労働者との均衡を考慮しつつ、その職務の内容、職務の成果、意欲、 能力又は経験等を勘案し決定するように努めるものとする。 ・通勤手当、退職手当その他の厚生労働省令で定めるものは、就業の実態や通常の労働者との均 衡などを考慮して定めるよう努めるものとする(パート労働法 9 条 1 項)。 ③ 待遇に関し考慮した事項の説明義務 パートから求めがあったときは、賃金の決定などパート労働法で定める待遇の決定に当たって考 慮した事項について説明しなければならない(パート労働法 13 条) 。 374 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 4.賃金の構成要素 賃金を構成要素別にみると、 ① 毎月決まって支給される賃金(月例賃金) ② 特別に支給される賃金(賞与、退職金など) に大別される。月例賃金は、さらに基本給と諸手当からなる所定内賃金と時間外手当、休日手当、 深夜手当などの所定外賃金で構成される。 賃金の主要部分を占める基本給の決定要素をみると、①仕事量を単位として決定される奨励給 (出来高給など)と②時間を単位として決定される定額給(時間給・日給・月給・年俸など)と に大別される。 定額給は、単位時間当たりの額をいかなる要素で決定しているかという観点から、さらにa. 仕事に着目して決定される仕事給とb.年齢や職務年数など仕事とは直接関係ない労働者の属性 によって決まる属人給、とに分類され、前者はさらに(a) 職務内容によって決まる職務給と(b) 労働者の職務遂行能力によって決まる職能給などに分かれる。 戦後の日本企業においては、各労働者の職務内容や範囲が不明確で職務間の移動も煩雑にあっ たことから、生活保障部分が大きな割合を占める属人給的に賃金制度(いわゆる年功型賃金)が 普及していった。そして、学卒を定期採用して育成していく長期雇用システム(終身雇用慣行) とあいまって、日本独自の人事制度が発展していく。 昭和 40 年代に日経連が「能力主義管理」を提唱し、各企業は目標による管理をベースにした仕 事給的要素を採り入れていく。しかし、欧米型の賃金制度である職務給は定着せず、日本独自の 職能給制度が広かがりをみせ、平成 12 年には上場企業の8割強で職能給が導入されているという (社会経済生産性本部の調査)。もっとも、職能給制度を採る企業においても、実際の運営では、 職能給部分とともに年齢給・勤続給といった属人給的部分が設けられていることが多く、職能給 の決定基準である等級資格の格付けにおいて年功的な要素が大きなウエイトを占めることが少な くない。 ※目標による管理 目標による管理(Management by objectives=MBO)とは、個々の担当者に自らの業務目標を 設定・申告させ、その進捗や実行を各人が自ら主体的に管理する手法である。本人の自主性に任せ ることで、主体性が発揮されて結果として大きな成果が得られるという人間観、組織観に基づく。 日本では昭和 40 年代に一時ブームとなったが、自主性が無視されたノルマ主義と混同されたり、 「成果」を重視するあまり、人は「情」によって動くものという「人間尊重」の考え方が軽視され たりして、運用面で課題を残した。しかし、その考え方は、日本の企業において自己申告制度など 広く定着している。 375 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 第 2-2-1-3図 賃金の構成要素 基本給 時間給、日給、月給、年俸 所定内賃金 職務関連手当 諸手当 生活関連手当 月例賃金 そ の 他 務手当など 家族手当、住宅手 当など 通勤手当、精勤手 当など 時間外手当、休日手 所定外賃金 賞 役付手当、特殊勤 当、深夜手当 与 退職手当 (1)基本給 所定内賃金の主たる部分を占める基本給は、①仕事量に応じて定められる場合(出来高給)と ②時間を単位として定められる場合(時間給、日給、月給、年俸など)がある。 ①に該当する例としては、タクシー乗務員の賃金などが典型であり、客不足などの事情で賃金 が著しく低くなることを避けるために、労働時間に応じて一定額の賃金を保障すべきことが義務 づけられている(労基法 27 条)(注)。 注.労基法 27 条(出来高払制の保障給) 「出来高払い制その他の請負制で使用する労働者については、使用者は、労働時間に応じ一定額の賃金の保 障をしなければならない。」 保障すべき額については何ら規定が設けられていないが、休業手当の場合に平均賃金の 100 分の 60 以上の手 当の支払いを要求していることからすれば、労働者が現実に労働している場合の保障給については、少なくと も平均賃金の 100 分の 60 程度を保障することが妥当と思われる(厚労省「労基法コメ」上巻 P373) 。 ②に該当する基本給の形態は、パートや契約職員については時間給制又は日給制、正規職員に ついては月給制を採用していることが多い。 遅刻や欠勤などがあった場合に賃金を減額することができるか、という問題は、基本的には労 働契約上の問題であり、減額すべきことを就業規則、給与規程等に明確にしておく必要がある。 なお、遅刻・欠勤によっても減額されない月給制を「完全月給制」と呼んでおり、その適用を受 ける労働者は 27%である(平成 8 年厚生労働省「賃金労働時間制度等総合調査」 )。 376 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 第 2-2-1-4図 基本給の分類 職 務 給 仕 事 給 基 本 給 (仕事的要素を基準) 属 人 給 職 能 給 (学歴・年齢・経験等を基準) 綜合決定給 (仕事給・属人給の両要素) (2)諸手当 わが国では、基本給を補う賃金としてさまざまな手当が支給されており、その合計額は、所定 内賃金の 16%である(前述「賃金労働時間制度等総合調査」)。 諸手当の一例を挙げると、東京大学の場合、次のような諸手当が設けられており、職務関連手当 が圧倒的に多い。(医学部を除く。) 第2-2-5図 諸手当の例 諸手当の分類 職務関連手当 手 当 の 種 類 管理職手当、教育研究連携手当、義務教育等教員特別手当 高所作業手当、爆発物取扱等作業手当、航空手当、種雄牛馬取扱手当、死体処 理手当、放射線取扱手当、異常圧力内作業手当、山上等作業手当、夜間看護等 手当、教員特殊業務手当、教育実習等指導手当、教育業務連絡指導手当、極地 観測手当、学位論文審査手当、入試手当、期末手当 生活関連手当 扶養手当、住居手当、単身赴任手当、 その他 俸給の調整額、初任給調整手当、勤勉手当 所定外賃金として 附属学校教員時間外手当、超過勤務手当、休日出勤手当、宿・日直手当、夜勤 の手当 手当、(期末特別手当) (3)所定外賃金 所定外賃金としては、時間外・休日労働及び深夜労働に対して支払われる時間外手当、休日手 当、深夜手当などがある。これらについては、法律上割増賃金として支払わなければならない賃 金であり、その計算方法も定められている(労基法 37 条、労基則 19 条)。 割増賃金の計算の基礎となる「通常の労働時間又は通常の労働日の賃金」は、次の規定による。 ① 時間によつて定められた賃金 → その金額 ② 日によつて定められた賃金 → その金額を一日の所定労働時間数(日によつて所定労働時間 数が異る場合には、一週間における一日平均所定労働時間数) で除した金額 377 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 ③ 週によつて定められた賃金 → その金額を週における所定労働時間数(週によつて所定労働 時間数が異る場合には、四週間における一週平均所定労働時間 数)で除した金額 ④ 月によつて定められた賃金 → その金額を月における所定労働時間数(月によつて所定労働 時間数が異る場合には、一年間における一月平均所定労働時間 数)で除した金額 ⑤ 月、週以外の一定の期間によつて定められた賃金 → 前各号に準じて算定した金額 ⑥ 出来高払制その他の請負制によつて定められた賃金 → その賃金算定期間(賃金締切日があ る場合には、賃金締切期間、以下同じ)において出来高払制そ の他の請負制によつて計算された賃金の総額を当該賃金算定期 間における、総労働時間数で除した金額 ⑦ 労働者の受ける賃金が前各号の二以上の賃金よりなる場合 → その部分について各号によ つてそれぞれ算定した金額の合計額 (4)賞 与 賞与とは、定期又は臨時に、原則として職員の勤務成績に応じて支給される物であって、その 支給額があらかじめ確定されていないものをいう(昭 22.9.13 発基 17 号)。 したがって、その支給額があらかじめ確定している賃金を“賞与”と称して夏、冬の年2回払 いとすることは、法令上十分な注意を要すると考える(私見。たとえば、年俸額を 17 で割って毎 月年俸額の 17 分の 1 を支払い、夏、冬にそれぞれボーナス相当として年俸額の 17 分の 2.5 ずつ 支払う方法は、年俸額が十分高い場合には問題とならないであろうが、年俸額の 17 分の 1 で生活 費が賄えないような場合は、毎月1回以上払いの原則に抵触するおそれがあると考える。) 。 賞与は、年2回、夏と冬に支給されることが多く、通常、基本給などの基礎額に支給率(月数) を乗じて算定し、支給率の決定に際し、個々の職員の出勤率、成績評価などの人事考課などが考 慮される。 もっとも、人事考課(査定)は賞与の査定に止まらず、賃金額を決定する重要な要素として用 いられ、昇給率の決定において用いられることが多い。査定の決定については、一般に、使用者 の広範な裁量が認められており、評価の前提となった事実に誤認があるとか、動機において不当 なものがあったとか、重視すべき事項を無視し重要でない事項を強調するとか等により、評価が 合理性を欠き、社会通念上著しく妥当を欠くと認められない限り、これを違法とすることはでき ないとされている(「光洋精工事件」大阪高裁判決平 9.11.25、「ダイエー事件」横浜地裁判決 平 2.5.29、 「安田信託銀行事件」 東京地裁判決昭 60.3.14、いずれも裁量の権利濫用性を否定)。 ⇒ 査定・評価については、権利の濫用に当たらない限り、使用者の広範な裁量が認められる。 賞与は、一般に、多様な性格を併せもつといわれている。法的には、その多様な実態を踏まえ ながら個別具体的に判断されることになる。具体的には、次のような性格を有すると考えられる。 ① 賃金の後払い的性格 ② 月例賃金を補う生活補填的性格 ③ 職員の貢献に対する功労報償的性格 ④ 将来の労働に対する勤労奨励的性格 378 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 ⑤ 企業業績の収益分配的性格 (5)退職手当 日本では、長期雇用慣行や年功的処遇制度とあいまって、退職手当制度が広く普及している。 しかし、公務員のように退職金請求権を当然に有しているわけではない。退職金は就業規則や労 働協約に支給基準が定められている場合に労基法 11 条の「賃金」にあたり、その支払いが労働 契約上の権利義務になるというのが原則である。 その額の計算は、通常、算定基礎額に支給率(月数など)を乗じて算定する。支給率は勤続年 数に応じて逓増する仕組みとなっており、会社都合による退職の場合は自己都合退職の場合より 高く設定されていることが多い。 退職手当の性格については ① 賃金後払的性格 ② 功労報償的性格 ③ 老後保障的性格 などを併せもつと考えられてきたが、近年の変化として、a退職手当の算定方法を従来の年功的 な算定方式から資格等級や勤続年数などの要素をポイント化したポイント制退職手当制度、b在 職時に前倒ししてして月例賃金に上乗せする制度、c確定給付型企業年金制度や確定拠出型企業 年金制度など、 年功型 → 業績・成果重視型 一時金型 → 年金型 確定給付型 → 確定拠出型 への流れがある。 これまでのわが国においては、 「正社員」に関しては零細なものを除く大多数の企業に退職金制 度があり、ある程度以上の長さの勤務をした者には退職時の基本給に勤続年数を乗じたものを基 本として算定された退職金を支払うことが、いわば企業社会の常識であった。そこで、退職金に 関する就業規則の定めはないが「内規」が存在している場合、あるいは文書化された基準はない けれども支給実績が確固としたものとして認められるような場合には、慣行にもとづく退職金請 求権の存在を肯定してよいであろう。 退職手当の権利義務については、第3節2.(457 ページ以下)にて記述する。 379 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 資料19 (P369,P455 関係) 「福岡雙葉学園事件」最高裁三小判決平 19.12.18 事案概要 学校法人に雇用され、私立学校に勤務する教職員らが、平成14年度・同15年度12月期期末勤勉手 当を一方的に減額し、また一部しか支払われていないとして、同手当の残額及び遅延損害金の支払を求 めた上告審である。第一審福岡地裁は、両年度とも5月にはいまだ具体的請求権は発生しておらず、金 額決定後は全額支払われており未払はないとして請求を棄却。第二審福岡高裁は、11月理事会で支給 額が決定されなかった場合は従前実績に基づいて請求権が発生し、従前実績を下回る支給額が認められ るためには個別の労働者側の同意又は特段の事情が必要として、一審判決を取り消し、請求を認容した。 これに対し最高裁第三小法廷は、期末勤勉手当は、理事会が支給金額を定めることで初めて具体的権利 となるものであり、本件各期末勤勉手当支給額は、各年度とも5月理事会では具体的な支給額までが決 定されたものとはいえず、一方、11月理事会の決定は、既に発生した具体的権利である本件各期末勤 勉手当を変更するものではない等として、原判決を破棄し、請求を棄却する旨自判した。 判決要旨 〔労基法の基本原則(民事)-労働者-教員〕 〔就業規則(民事)-就業規則の一方的不利益変更-賃金・賞与〕 3 原審は,上記事実関係の下において次のとおり判断し,被上告人らの請求をいずれも認容すべきも のとした。 (1) 毎年度の12月期に期末勤勉手当が支給されることは,上告人と被上告人らとの労働 契約の重要な内容となっており,その支給実績がその都度個別の労働契約の中に取り込まれ,労働契約 の要素と化しているから,毎年11月に開催される理事会で具体的な支給額が決定されなかった場合に おける12月期の期末勤勉手当については,従前の支給実績に基づいて請求権が発生する。 したがっ て,11月開催の理事会で従前の支給実績を下回る支給額が決定された場合,労働契約の内容が労働者 に不利に変更されることになるから,その決定が効力を有するためには,原則として個別に労働者側の 同意があることを要し,それがないときにおいては,その減額が必要やむを得ないものであるなど,特 段の事情が認められなければならない。 (2) 本件各期末勤勉手当について,11月理事会の決定に基 づいて被上告人らに支給された額は,いずれも従前の実績を下回るものであるところ,そのことについ て労働者側の明示の同意があったとは認められない。もっとも,被上告人らは,平成14年度及び同1 5年度の人事院勧告に準拠してされた給与規程の減額改定自体や,本件各期末勤勉手当が減額改定され た給与規程に基づいて算定されることについては,黙示の同意をしているものと認められるが,本件調 整による減額については,同意をしていないことは明白である。 しかるに,上告人は,本件調整につ いて,人事院勧告に倣ったということ以上には何ら特段の事情を主張しないところ,それだけでは本件 調整を合理的なものとすることはできず,他に上記のような特段の事情は認められない。 したがって, 上告人がした本件調整をする旨の決定は,効力を有しないものというべきである。 4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。 (1) 前 記事実関係によれば,上告人の期末勤勉手当の支給については,給与規程に「その都度理事会が定める 金額を支給する。」との定めがあるにとどまるというのであって,具体的な支給額又はその算定方法の 定めがないのであるから,前年度の支給実績を下回らない期末勤勉手当を支給する旨の労使慣行が存し 380 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 第1節 賃金の決定・構成要素 たなどの事情がうかがわれない本件においては,期末勤勉手当の請求権は,理事会が支給すべき金額を 定めることにより初めて具体的権利として発生するものというべきである。 ところで,前記事実関係 によれば,本件各期末勤勉手当の支給額については,各年度とも,5月理事会における議決で,算定基 礎額及び乗率が一応決定されたものの,人事院勧告を受けて11月理事会で正式に決定する旨の留保が 付されたというのであるから,5月理事会において本件各期末勤勉手当の具体的な支給額までが決定さ れたものとはいえず,本件各期末勤勉手当の請求権は,11月理事会の決定により初めて具体的権利と して発生したものと解するのが相当である。 したがって,本件各期末勤勉手当において本件調整をす る旨の11月理事会の決定が,既に発生した具体的権利である本件各期末勤勉手当の請求権を処分し又 は変更するものであるということはできず,同決定がこの観点から効力を否定されることはないものと いうべきである。 (2) なお,仮に,5月理事会において議決された本件各期末勤勉手当の支給額算定 方法の定めが,上告人の就業規則の一部を成す給与規程の内容となったものと解し,11月理事会の決 定が,その算定方法による額から更に本件調整のための減額をする点において,被上告人らの労働条件 を不利益に変更するものであると解する余地があるとしても,前記事実関係によれば,上告人において は,長年にわたり,4月分以降の年間給与の総額について人事院勧告を踏まえて調整するという方針を 採り,人事院勧告に倣って毎年11月ころに給与規程を増額改定し,その年の4月分から11月分まで の給与の増額に相当する分について別途支給する措置を採ってきたというのであって,増額の場合にの みそ及的な調整が行われ,減額の場合にこれが許容されないとするのでは衡平を失するものというべき であるから,人事院勧告に倣って本件調整を行う旨の11月理事会の決定は合理性を有するものであ り,同決定がこの観点からその効力を否定されることはないというべきである。 5 以上によれば,本 件各期末勤勉手当において本件調整をする旨の決定が効力を有しないものであるとし,被上告人らの請 求を認容すべきものとした原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論 旨は以上と同旨をいうものとして理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,以上説示したところ によれば,被上告人らの請求は理由がないから,これを棄却した第1審判決は正当であり,被上告人ら の控訴をいずれも棄却すべきである。 381 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 第2節 賃金の支払い等 1.平均賃金 (1)平均賃金とは 平均賃金とは、これを算定すべき事由が発生した日以前3か月間に支払われた賃金の総額をそ の期間の総日数で除した金額をいう(労基法 12 条)。 第 2-2-2-1 図平均賃金の算定式 過去3か月間の賃金の総額 平均賃金= 過去3か月間の総歴日数 1) 「算定すべき事由が発生した日」 「算定すべき事由が発生した日」は、次のとおりである。 ① 解雇予告手当については、解雇の通告をした日。解雇の予告をした後において、労働者の 同意を得て解雇日を変更した場合でも当初の解雇を予告した日である。 ② 休業手当については、その休業日。休業が2日以上の期間にわたる場合はその最初の日 ③ 年次有給休暇手当については、年次有給休暇を取得した日 ④ 災害補償については、事故発生の日又は診断によって疾病の発生が確定した日 ⑤ 減給の制裁については、制裁の意思表示が相手方に到達した日 2)平均賃金算定期間( 「以前3か月間」 ) 平均賃金を算定すべき期間は、事由の発生した日を含まず、その前日から遡った3か月である。 たとえば、5月 10 日に算定事由が発生した場合は、5月9日から遡った3か月間、すなわち、2 月 10 日から5月9日までの期間(89 日。閏年の場合は 90 日)ということになる。 第 2-2-2-2 図 平均賃金の算定期 a原則的算定期間 2/10 3/10 4/10 5/9 5/10 3か月間 事由発生日 b賃金締切日がある場合 2/1 2/28 3/31 4/30 5/10 3か月間 事由発生日 382 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 それから、平均賃金を算定すべき期間内に次の期間が含まれるときは、その期間及びその期間 中の賃金を除外して算定する。 ① 業務上の傷病による休業期間 ② 産前産後の休業期間 ③ 使用者の責に帰すべき事由による休業期間 ④ 育児・介護休業期間 ⑤ 試みの使用期間 雇い入れの日に平均賃金を算定すべき事由が生じた場合や平均賃金算定期間のすべてが上記除 外期間にあたる場合の平均賃金の算定方法は、都道府県労働局長の定めるところによる(労基則 4 条)。 3) 「支払われた賃金の総額」 賃金については、労基法 11 条で定める賃金のすべてが含まれるので、たとえば、通勤手当、年 次有給休暇手当、通勤定期券及び昼食料補助(昭 26.12.27 基収 6126)などは、賃金の総額に含 めなければならない。ただし、次の賃金は除かれる(労基法 12 条 5 項)。 ① 臨時に支払われた賃金 ② 3か月を超える期間ごとに支払われる賃金 ③ 通貨以外のもの(現物)で支払われた賃金で、法令又は労働協約の別段の定めに 基づかないもの 「支払われた」とは、現実に支払われた賃金だけでなく、実際に支払われていないものであっ てもすでに債権として確定しているものについては、算入すべきものである(厚労省「労基法コ メ」上巻 P167)。 (2)平均賃金算定事由 平均賃金を算定する必要が生じる事由は、次のとおりである。 ① 解雇予告手当(20 条) ② 休業手当(26 条) ③ 年次有給休暇手当(39 条 6 項) ④ 災害補償(休業補償 76 条、障害補償 77 条、遺族補償 79 条、葬祭料 80 条、打切補償 81 条及び分割補償 82 条) ⑤ 減給の制裁(91 条) (3)最低保障額 賃金が日給制、時間給制その他出来高払い制・請負制によって定められている場合、 (1)の原 則により算定した額が、賃金の総額をその期間の労働日数で除した額の 100 分の 60 に満たないと きは、当該額が保障される(労基法 12 条 1 項ただし書)。 第 2-2-2-3 図 平均賃金の最低保障の適用算定式 (最低保障額計算式) (原則的計算式) 3か月間の賃金の総額 平均賃金= 3か月間の総歴日数 or 3か月間の賃金の総額 3か月間の実労働日数 × 60 100 いずれか大きい方をとる 383 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 (例) 平均賃金の最低保障が適用される場合 たとえば、賃金締切日が毎月 15 日である会社が、日給 7500 円、通勤手当1日 500 円の労働者 について、6 月 30 日に平均賃金の算定事由が生じた場合について計算してみると、次のようにな る。 算定期間 3/16~4/15 4/16~5/15 5/16~6/15 総 日 数 31日 30日 31日 労働日数 15日 11日 10日 通勤手当 計 112,500円 82,500円 75,000円 7,500円 5,500円 5,000円 120,000円 88,000円 80,000円 総 賃 金 (288,000円) 総日数 (92日) 労働日数 (36日) 原則的な平均賃金 288,000円÷92日=3,130.43円 最低保障の平均賃金 ◎288,000円÷36日×60/100=4,800円 最低保障の方が高額なため、最低保障4,800円が平均賃金となる。 384 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 2.賃金請求権とノーワーク・ノーペイの原則 (1)賃金請求権 1)賃金請求権発生の時期はいつか? 賃金はいつ請求できるかという命題(請求権発生の時期はいつかという問題)について ① 賃金の発生は労働契約の締結に求められるから、期間が経過すれば発生するとする説 ② 実際に労働の提供があった場合に発生するとする説(ノーワーク・ノーペイの原則) の対立がある。 現在のところ②を支持する最高裁判例もあり、②が定説であるといえる(注)。 注.たとえば「宝運輸事件」最高裁三小判決昭 63.3.15 では 「実体法上の賃金請求権は、労務の給付と対価的関係に立ち、一般には、労働者において現実に就 労することによって初めて発生する後払的性格を有する」と判示している。 ⇒ ノーワーク・ノーペイの原則 労働契約は労務を提供し賃金を支払うという有償・双務契約であるから、労務の提供がなければ賃金請求 権は発生しないとする考え方をいう。 次に、賃金を請求する権利は、当事者間の合意を根拠に成立するものであって、報酬の支払い は労務提供の後とされているため、労務の提供がなかった場合に、いかなる賃金が控除の対象と され(労務提供の対価としての交換的・対価的部分)、いかなる賃金が控除の対象とされないのか (従業員としての地位に基づく報償的・保障的部分)が問題となる。この問題に対し、最高裁判 決は、労使慣行に沿った家族手当のスト控除を適法であるとした(「三菱重工業長崎造船所(家族 手当カット)事件」最高裁二小判決昭 56.9.18-注)。(資料23 437 ページ) 注.同判決では「ストライキ期間中の賃金削減の対象となる部分の存否及びその部分と賃金削減の対象となら ない部分の区別は、当該労働協約等の定め又は労働慣行の趣旨に照らし個別的に判断するのを相当」である とし、従業員としての地位に基づく報償的・保障的部分の賃金を控除できないと主張する労働者側の「賃金 (資料22 436 ページ)を退け、家族手当の削減が労働慣行として成立している場合には家族手 二分説」 当も控除することができる、とした。 民法 (雇用) 第 623 条 雇用は、当事者の一方が相手方に対して労働に従事することを約し、相手方がこれに対 してその報酬を与えることを約することによって、その効力を生ずる。 (報酬の支払時期) 第 624 条 2 労働者は、その約した労働を終わった後でなければ、報酬を請求することができない。 期間によって定めた報酬は、その期間を経過した後に、請求することができる。 ⇒ 労務の提供がなかった場合に、従業員としての地位に基づく報償的・保障的部分の賃金である家族手当に ついても、控除することが労使慣行として成立している場合には賃金控除の対象となる。 385 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 2)賃金請求権の根拠 労働者が賃金を請求できる根拠は、まず第一に労務を提供したからであるが、それ以外にも請 求権の根拠となり得る。 荒木 尚志教授は、賃金請求権の根拠として次の3つを挙げている(荒木「労働法」P104)。 ① 労働契約上の義務の履行として労働がなされた場合 ② 労働がなされない場合であっても、賃金支払いの合意が存在する場合 ③ 債権者(使用者)の責に帰すべき事由により履行不能(労務提供不能)となった場合 a.労務の提供がなされた場合 労働義務の履行といえるためには、その労務の提供が債務の本旨に従ったものでなければな らない。使用者の業務命令に従わずに労務を提供しても賃金は発生しない(注 1、注 2)。 民法は「労働者は、その約した労働を終わった後でなければ、報酬を請求することはできな い。」(民法 624 条 1 項)とし、期間によって定めた報酬はその期間が経過した後に請求できる こととしている。つまり、月給制の場合は月の終了時点である。しかし、この民法 624 条は任 意規定であると解されるから、これと異なる合意はもちろん有効であり、月の半ばに当月分の 賃金が支払われることは一般によく行われている。 注 1.「水道機工事件」最高裁一小判決昭 60.3.7 出張・外勤拒否闘争を行っている組合員に対して、会社が個別に日時、場所、業務内容を指定 して出張・外勤を命ずる業務命令を発し、組合員がこれに応じずに通常の内勤業務を行った場合 の賃金カットについて、組合員は債務の本旨にしたがった労務の提供をしたものとはいえず、会 社は業務命令により指定した時間は出張・外勤以外の労務の受領をあらかじめ拒絶したものと解 すべきであるから、提供された内勤業務についての労務を受領したものとはいえず、会社は右時 間の賃金の支払い義務を負わないとする原審判断を支持した。 注 2.「新阪神タクシー事件」大阪地裁判決平 17.3.18 タクシー運転手が乗務員証の表示・ネクタイ着用に関する適法な指示を拒否したまま乗務した のは、債務の本旨に従った労務の提供があったとはいえないのであるから、原告が主張する期間 の出勤日につき、年次有給休暇の出勤率の計算においてこれを出勤したものとして算定すべきと はいえないとして、年次有給休暇請求権を有しないものとして会社が扱っても、雇用契約の債務 不履行又は不法行為に該当しないとされた。 b.労務提供の有無にかかわらず賃金支払いの合意が存在する場合 上記a.の場合と異なり、労働がなされない場合であっても当事者間に賃金を支払う旨の合 意があれば賃金請求権は発生する。たとえば、完全月給制のように、遅刻や早退をしても賃金 を減額しない旨の合意があれば賃金請求権が発生する。 よく問題となる例として、家族手当や住宅手当などについて労働義務の履行がなかった場合 に支払う必要があるかという疑問がある。しかし、これらの手当も完全月給制における遅刻や 早退の場合と同様に,労働義務の履行にかかわらず支払う合意があればそれに従って賃金請求 権が認められる。 この問題に関連して、かつて「賃金二分論」という考え方が主張されたことがあった。すな 386 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 わち、賃金には「交換的・対価的部分」と従業員たる地位に基づく「報償的・保障的部分」 (家 族手当や住宅手当など)があり、ストライキによる不就労の場合に賃金カットできるのは前者 に限られ,後者についてはなし得ないと主張し,一時は最高裁(注 1-資料21 435 ページ) もこれに従ったかに見えた。しかし,賃金の性格をこのように当事者の意思と無関係に抽象的 一般的に二分し,保障的部分については不就労でも賃金カットをなし得ないとする根拠は見出 し難い。現在では判例・通説ともに,かかる賃金請求権の有無も当事者間で労務不提供にもか かわらず支給する合意があったか否かによって判断すべきものと解している(注 2、注 3)。 注 1.「明治生命事件」最高裁二小判決昭 40.2.5 資料21 P435 参照 「ストライキによって削減し得る意義における固定給とは、労働協約等に別段の定めがある場 合等のほかは、拘束された勤務時間に応じて支払われる賃金としての性格を有するものであるこ とを必要とし、単に支給金額が相当期間固定しているというだけでは足らず、また、もとより勤 務した時間の長短にかかわらず完成された仕事の量に比例して支払わるべきものであってはなら ないと解するのが相当である。」と判示し、給料、出勤手当、功労加俸および地区主任手当につい ていえば、固定給ではないとされた。 注 2.「三菱重工長崎造船所(家族手当カット)事件」最高裁二小判決昭 56.9.18 【判決要旨】資料23 437 ページ参照 一、上告会社の長崎造船所においては、ストライキの場合における家族手当の削減が昭和 23 年頃か ら昭和 44 年 10 月までは就業規則(賃金規則)の規定に基づいて実施されており、その取扱いは、 同年 11 月賃金規則から右規定が削除されてからも、細部取扱のうちに定められ、上告会社従業員 の過半数で組織された三菱重工労働組合の意見を徴しており、その後も同様の取扱いが引続き異 議なく行われてきたというのであるから、ストライキの場合における家族手当の削減は、上告会 社と彼上告人らの所属する長船労組との間の労働慣行となっていたものと推認することができる。 二、上告会社の長崎造船所においては、昭和 44 年 11 月以降も本件家族手当の削減が労働慣行とし て成立していると判断できることは前述したとおりであるから、いわゆる抽象的一般的賃金二分 論を前提とする被上告人らの主張は、その前提を欠き、失当である。 三、ストライキ期間中の賃金削減の対象となる部分の存否及びその部分と賃金削減の対象とならな い部分の区別は、当該労働協約等の定め又は労働慣行の趣旨に照らし個別的に判断するのを相当 とし、上告会社のした労働慣行に基づく本件家族手当の削減は違法、無効であるとはいえない。 注 3.東大「注釈労基法」上巻 P373〔水町 勇一郎〕 「この問題(賃金請求権はいつ発生するかという問題-宮田補注)については,理論的には以 下のように整理・解釈されるべきである。 第 1 に,賃金請求権自体は前述のように当事者問の合意を根拠に成立するものであり,その発 生の時期・内容についても基本的に当該合意の内容(契約の解釈)に従って確定されるべき性質 のものである。特に,賃金の実態が極めて多様であることからすると,この契約の解釈は,賃金 のそれぞれの部分についての合意内容を黙示の合意や労使慣行をも含めて個別具体的に探求する という方法で行われるべきであり,およそ賃金は労務提供(または契約成立)によって発生する という原理原則的解釈はとられるべきではない(盛誠吾「賃金債権の発生要件」講座 21 世紀 5 巻 64 頁以下も同旨)。かつてストライキによる賃金カットの範囲をめぐって,賃金は労務提供の 387 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 対価としての「交換的・対価的部分」と従業員たる地位に基づく「報償的・保障的部分」とから なるとする賃金二分説が主張された(本多淳亮「労働契約と賃金」季労 25 号 93 頁以下(1957), 窪田隼人「争議中の労働関係」労働 18 号 12 頁(1961),外尾・団体法 510 頁以下など。かつて の最高裁判決(明治生命事件・最二小判昭 40.2.25 資料 21 P435 参照 民集 19 巻 1 号 52 頁)も,この学説の影響を受け,労働の対価ではなく生活補助費の性質をもっ賃金部分はスト控 除の対象とならないとした)が,賃金のいかなる部分がいかなる条件で発生するか(あるいは発 生しないか)については,抽象的・画一的な基準によるのではなく,契約の解釈の問題として個 別具体的に判定されるべきである(下井隆史「労働契約と賃金をめぐる若干の基礎理論的考察」 ジュリ 441 号 138 頁以下(1970),秋田成就「賃金の法的関係論」季労 93 号 15 頁以下(1974), 注釈・労組(上)556 頁,菅野 613 頁など参照。その後の最高裁判決(三菱重工業長崎造船所(家 族手当カット)事件・最二小判昭 56.9.18 民集 35 巻 6 号 1028 頁)は,このような観点から 個別的判断を行い、労使慣行に沿った家族手当のスト控除を適法とした。 ) 。」 ⇒ 労務の提供がなされなかった場合に控除できる賃金の範囲は、契約の解釈の問題として、労働協約等の 定め又は労働慣行の趣旨に照らし個別的に判断される。 c.債権者の責に帰すべき事由により労務提供不能となった場合 労働がなされず,当事者間に賃金支払合意がなくとも,民法 536 条 2 項によって,賃金請求 権が根拠づけられる場合がある。民法 536 条 2 項によると,債権者(履行不能となった労務提 供義務の債権者たる使用者)の責に帰すべき事由により履行不能となった場合,債務者(労働 義務の債務者たる労働者)は,反対給付(労働義務の反対給付たる賃金)を受ける権利を失わ ないこととなる。この規定は、使用者の権利濫用により無効と評価される解雇や休職,自宅待 機等,労働者が労務を履行できなくなった場合の賃金請求権の根拠として重要な役割を果たし ている。 ※民法 536 条 2 項の適用要件 民法 536 条 2 項が適用されるためには,①労働義務が「履行不能」となっていること、②履行 不能が使用者の責に帰すべき事由によることが必要である。 労働者は債務の本旨に従った履行の提供を行っていることが要求されるので,債務の本旨に従 わない履行提供であればこれを使用者が受領拒否し,結果として労働義務が履行不能となっても, それは民法 536 条 2 項の債権者の責めに帰すべき履行不能ではないので賃金請求は認められない。 裁判例では、減速闘争を行おうとする新幹線運転士が就労を拒否された事例につき、そのような 運転は債務の本旨に従った労務提供といえないとして使用者の使用者の責に帰すべき事由による 履行不能に当たらないとされた( 「JR 東海(新幹線減速闘争)事件」東京地裁判決平 10.2.26)。 ここでは,債務の本旨をどのように解するかが重要な解釈問題となるが,日本では職務内容を 契約で明確に定めていないことから,事案によっては微妙な判断となる。最高裁は,職種や業務 内容を特定せずに労働契約を締結した労働者が,現に命じられた特定の業務を十全にできない場 合でも,当該労働者が配置される現実的可能性がある他の業務について労務提供が可能で,かつ, その提供を申し出ているならば,なお債務の本旨に従った履行の提供と解するのが相当としてい る(「片山組事件」最高裁一小判決平 10.4.9)。 388 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 民法 536 条 2 項と労基法 26 条の休業手当との関係については、後述する(5.(2) 415 ペー ジ以下)。 なお、自宅待機命令と賃金請求権の関係については、5. (4)(420 ページ以下)で述べる。 (2)危険負担法理 いわゆる危険負担の問題に関し,民法 536 条 2 項は,双務契約における一方の債務が債権者の 責に帰すべき事由により履行不能となった場合には債務者は反対給付を受ける権利を失わないと 定めている。これを労働契約にあてはめると,労働者(債務者)の労働義務が,使用者(債権者) の帰責事由により履行不能となった場合には、労働者はなお賃金債権(反対給付を受ける権利) をもつことになる(条文上は反対給付を受ける権利を「失わない」となっているが,労働契約に おいては,売買契約などと異なり,契約の締結時点で具体的賃金請求権が発生するわけではない ので,労働義務の履行に代わって,民法 536 条 2 項により賃金請求権が発生すると解することに なろう)。 使用者の責に帰すべき労働義務の履行不能の代表的な例は,使用者が労働者を解雇したとして その就労を拒否したが,解雇が無効であった場合である(注)。その他,使用者が行う争議行為と してのロックアウト(作業場閉鎖)が正当性をもたない場合や,賃金を払わない休職や自宅待機, あるいは出勤停止の措置がその要件を欠く場合もこれにあたる。 なお,労働義務の履行不能は,使用者の帰責事由にもとづくものであること(因果関係)が必 要であり,労働者に就労の意思や能力がない場合にはこの要件が欠けることがある(「ペンション 経営研究所事件」東京地裁判決平 9.8.26)。 (山川「雇用関係法」P121 以下) 注.次のような例がある。 ① ユニオン・ショップ協定にもとづく解雇が無効とされた場合に賃金請求を認めた例として 「清心会山本病院事件」最高裁一小判決昭 59.3.29 ② 使用者が労働者の就労を拒否した場合,労働義務は時の経過とともに履行不能となり,解 雇が無効であれば,それについて使用者に帰責事由が認められる(「書泉事件」東京地裁決定 昭 63.1.19)。 民法 (債務者の危険負担等) 第 536 条 前二条に規定する場合を除き、当事者双方の責めに帰することができない事由によって債 務を履行することができなくなったときは、債務者は、反対給付を受ける権利を有しない。 2 債権者の責めに帰すべき事由によって債務を履行することができなくなったときは、債務者は、反 対給付を受ける権利を失わない。この場合において、自己の債務を免れたことによって利益を得たときは、 これを債権者に償還しなければならない。 389 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 3.賃金の支払五原則 賃金は、①通貨で、②直接労働者に、③その全額を支払わなければならない。 また、賃金は、④毎月1回以上、⑤一定の期日を決めて支払わなければならない。これが賃金支払五原則 である(労基法 24 条) 。 ただし、例外があり、①については、法令・労働協約に別段の定めがある場合又は退職手当等一定の賃金 については通貨以外のもので支払うことが可能であり、③については、労使協定がある場合は賃金の一部を 控除して支払うことができる。また、臨時に支払われる賃金、賞与その他これに準じる一定の賃金について は、④及び⑤は適用されない。 (1)通 貨 払 1)概 要 賃金は通貨で支払わなければならない。これは、労働者にとって不便である実物給与を禁じたものである。 したがって、労使対等の立場で締結されると考えられる労働協約による場合は、労働者保護に欠けるおそれ がないため、次に記述するように適法とされる。 次の場合には通貨以外のもので支払うことができる。 例外:① 法令又は労働協約(注 1)に定めがある場合 ② 労働者の同意を得て銀行振込等で支払う場合(注 2) (労基則 7 条の 2 第 1 項 1 号・2 号) ③ 労働者の同意を得て退職手当の支払いについて銀行振出小切手等で支払う場合(労基則 7 条 の 2 第 2 項) 注 1.労働協約 ⇒ 労働協約は、労働組合と使用者との間で締結された労働条件等に関する約定である。その 効力は当該労働組合及びその構成員たる組合員に対してのみ及ぶ(ただし、労働協約には一般的拘束力があ り、拡張適用される場合がある) (労組法 14 条、17 条) 。 しかし、通貨払いの原則の例外としての労働協約の場合は労基法上の効力(刑事免責)の問題であるから、 労働者の過半数組合との協約であることを要し、このような協約があれば本来はその効力が及ばない管理職 や非組合員にも適用が及ぶと解される(安西「採用・退職」P274) 。 注 2.銀行振込等で支払う場合 ⇒ 賃金の口座振込み等による支払いについて、平成 10 年の労基則改正により、 従来の銀行その他の金融機関の口座への振込みのほかに証券会社の預かり金に相当する証券総合口座への 振込みも認められることになったことに伴い、厚生労働省は、口座振込み等を行う場合は労使協定を締結す べきことを指導している(平 10.9.10 基発 530 号) 。しかし、これは法律に基づく拘束力はなく、あくまで も“行政指導”である。 2)外貨や小切手で支払うことの可否 賃金は、「通貨」で支払うこととされているが、外貨で支払うことは可能であろうか。通貨とは「日本国 において強制通用力ある貨幣をいうので、外国通貨は入らない」と解されているから、一般的には邦貨で支 払うことを要する(菅野「労働法」P225)。 小切手による支払いも通貨による支払いとは解されず、取引界では現金同様に扱われている銀行振出自己 小切手でも同様とされる。ただし、退職手当の支払いに関しては労働者の同意を要件として適法とされる(労 基法 24 条 1 項ただし書、労基則 7 条の 2 第 2 項)が、あくまでも例外である。 しかし、国際金融が自由化され、外国為替取引が普及している現状を踏まえると、国内において外貨建て 390 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 の賃金支払いを一律に違法とすることに疑問があるとする学説も見受けられ、たとえば、東大「注釈労基法」 上巻P413では、次のように述べている。 「日本国内に多くの外国資本が参入し,外国(法)人が設立する企業ないし外国企業の支店等が増大するにし たがって,外貨建てで賃金を支給される労働者が増えつつある。外国通貨は日本国内において強制通用力を有し ないから,これは本条違反を構成することとなる。しかし,現在のように多くの外国人が日本国内で就労し,ま た国内の外国企業で勤務する日本人も少なくないことや,国際金融が自由化され,外国為替取引が普及している 状況を踏まえると,外貨建ての賃金支給を一律に違法とすることには疑問がある。本人の意思に基づくことの確 認や日本円に換算した額の表示(これについては為替レートの確認方法を確定する必要がある)など,一定の条 件を付した上で認めることとするのが妥当であろう。 」 また、実務においても、国内の企業から派遣されて海外で働いている者の場合には、生活の拠点が海外に あるから、その拠点で通用する通貨の方が労働者にとって都合がよいこともあり得る。したがって、現在で は、海外に長期出張し海外で勤務する職員に対して国内事業法人が外貨建てで支払うことは、本人の意思に 基づくこと、日本円に換算した額の表示等一定の条件のもとに通貨払いの原則に反しないと解してよいと思 われる。 3)銀行口座への振込み 賃金を労働者の銀行口座へ振り込むことは、①労働者の同意を得ること、②労働者が指定する銀行その他 の金融機関の本人名義の預金又は貯金講座への振込みであること、を要件として、適法とされている(労基 則 7 条の 2 第 1 項) 。そして、労基署は、これらの要件に加えて、a.振り込まれた賃金の全額が所定支払 日の午前 10 時頃までに全額引き出すことが可能であること、b.労使協定を締結すること(注)、c.賃 金支払日において支払計算書を労働者へ交付すること、d.取扱金融機関等は一行一社に限定せず複数とす るなど労働者の便宜に十分配慮する、 などを行政指導している (平 10.9.10 基発 530 号、 菅野 「労働法」 P226) 。 注.賃金を銀行口座へ振込むために労使協定を必要とすることは必ずしも労基法が定めるものでないが、労基署は労使協定を 締結するよう指導している。 ⇒ 賃金を外貨で支払うことは、一定の制約のもとに適法であると解する時代になってきたのではないか。 ⇒ 賃金を小切手で支払うことは、月次給与については許されないが退職手当の支払いに関しては労働者の同意を要件 として適法とされる。 (2)直 接 払 1)概 要 賃金は労働者に直接支払わなければならない。これは、親方や職業仲介人が代理受領して中間搾取したり、 年少者の場合に親が賃金を奪い取るなどの悪弊を排除し、労働者本人の手に賃金全額を帰属させるため民法 の委任・代理の規定に対する特例を設けたものである。 例外はない。 ただし、労働者が病気のため生計を同じくする妻や子が給料を受け取ることなどは、使者に支払ったもの として適法と解される。 労働者が賃金受領権限を第三者に与える「委任」 、 「代理」等の法律行為は無効である(昭 63.3.4 基発 150 391 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 号) 。そのため、使用者は民法上適法に代理権を与えられた代理人に対しても、賃金を支払うことは避ける べきである。 直接払の原則に違反して代理人等に賃金を支払った場合は、支払いそのものの民事的効果はどうなるのだ ろうか。民法 479 条は、 「弁済を受領する権限を有しない者に対してした弁済は、債権者がこれによって利 益を受けた限度においてのみ、その効力を有する。 」としているところから、代理受領者が本人へ賃金を渡 した場合は現実に利益を得た限度で民事上の有効な弁済になるから、その限度で二重に支払う必要はない。 しかし、代理人が使用者から受領した賃金を労働者へ渡さずに着服した場合には、使用者はその代理人に対 して不当利得の返還を請求できることはともかく、本人から請求があった場合には使用者はそれに応じなけ ればならない(厚労省「労基法コメ」上巻 P536) 。 2)派遣労働者に対する賃金支払い 派遣労働者の賃金を派遣先の使用者を通じて支払うことは、派遣先の使用者が派遣中の労働者本人に対し て手渡すことだけであれば、直接払いの原則に反しない(昭 61.6.6 基発 333 号) 。 3)賃金債権の譲渡 賃金債権を他人へ譲渡することは可能であろうか。譲渡が有効である場合に、使用者は譲渡を受けた他人 へ賃金を支払うことは適法とされるのであろうか。 この疑問に対して、判例は、退職金譲渡を禁じる規定がなく、譲渡そのものは適法であるがその支払いに ついてはなお労基法 24 条が適用され、使用者は直接労働者に対し賃金を支払わなければならず、したがっ て、賃金債権の譲受人は使用者に対してその支払いを求めることできない、とされている(注 1、注 2) 。 ただし、譲受人は、裁判所に対し差押え・仮処分の手続きをとることができる。 注 1. 「小倉電報電話局事件」最高裁三小昭和 43 年 3 月 12 日 「退職者またはその予定者が右退職手当の給付を受ける権利を他に譲渡した場合に譲渡自体を無効と解す べき根拠はないけれども、同法 24 条 1 項が「賃金は直接労働者に支払わなければならない。 」旨を定めて、使 用者たる賃金支払義務者に対し罰則をもってその履行を強制している趣旨に徴すれば、労働者が賃金の支払を 受ける前に賃金債権を他に譲渡した場合においても、その支払についてはなお同条が適用され、使用者は直接 労働者に対し賃金を支払わなければならず、したがって、右賃金債権の譲受人は自ら使用者に対してその支払 を求めることは許されないものと解するのが相当である。 」 注 2. 「伊予相互金融事件」最高裁三小昭和 43 年 5 月 28 日 「本件退職金は、労働基準法 11 条にいう労働の対償としての賃金に該当するものというべきであるから、 その支払については、性質の許すかぎり、同法 24 条 1 項本文の定めるいわゆる直接払の原則が適用されるも のと解するのが相当である。しかし、退職金債権の譲渡を禁ずる規定はなく、また、本件退職金債権について その譲渡を禁ずる旨の特約があったことは原審の認定しないところであるから、退職予定者たる訴外Aが本件 退職金債権を被上告人に譲渡したことを目して無効とすることはできないものというべきである。 」 ⇒ 賃金債権を他人へ譲渡することは可能であるが、その場合であっても直接払いの原則が適用されるため、使用者は 賃金債権の譲受人に賃金を支払うわけにいかない。 392 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 (3)全 額 払 1)概 要 賃金は全額支払わなければならない。賃金の一部を支払い留保すると労働者の足止めを促進することにな るおそれがあるため、当然であるが全額払いを義務づけたものである。 ただし、次の場合は賃金の一部を控除することができる。 例外:① 法令に定めがある場合(所得税、社会保険料等) (注 1) ② 労使協定(注 2)がある場合(親睦会費、社内購入品代金等) 注 1.懲戒処分としての減給制裁(労基法 91 条) 懲戒処分としての減給制裁は、法令に定めがある場合(労基法 91 条)に該当すると解されるので、労使協 定を必要とせず控除することができる(厚労省「労基法コメ」上巻 P350) 。 注 2.労使協定 労使協定は、事業場に過半数組合があれば当該組合、過半数組合がなければ労働者の過半数を代表する者と 使用者との間で締結された労働条件に関する協定である。その適用は当該事業場のすべての労働者に及ぶ。た だし、労使協定には民事的拘束力がないので、控除することが就業規則等に具体的に規定されていること又は 労働者の同意を得ることが前提である。 労基法は、労使協定が必要な場合を全部で 14 定めている(資料20 434 ページ参照) 。 全額払いの対象となる賃金とは、労基法 11 条に定める賃金のすべてをいう(厚労省「労基法コメ」上巻 P341)から、労働の対象として使用者が労働者に支払うすべてのものが全額払いの対象である。したがって、 本給、諸手当などの月次給与、賞与、退職金などはすべて全額払いの対象とされる賃金であり、通貨以外の もので支払われる現物給与も同様である。 2)労使協定による控除 イ 控除できるもの 賃金から控除することを認める労使協定があれば、購買代金、社宅・寮その他の福利厚生施設の費用、 社内預金、組合費等、事理明白なものについてのみ、控除することができる。この協定は、所轄労働基準 監督署長への届出を要しないので、とくに様式は定められていない。しかし、行政通達は、①控除の対象 となる具体的な項目、②各項目別に定める控除を行う賃金支払日、を記載するよう指導することとしてい る(昭 27.9.20 基発 675 号) 。 ★労使協定の効力 労働基準法上の労使協定の効力は、その協定に定めるところによって労働させても労働基準法に違反 しないという免罰効果をもつものであり、労働者の民事上の義務は当該協定から直接生じるものでなく、 労働協約・就業規則上の根拠が必要である(昭 63.1.1 基発 1 号) 。 ※給与から一部控除する労使協定の一例 (給与からの一部控除) 第○条 給与支給の際に控除するものは、次のとおりとする。 (1)国家公務員共済組合掛金、社会保険料、雇用保険料、所得税、地方税その他法令で定めるもの (2)財形貯蓄 393 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 (3)共済積立貯金 (4)団体積立終身保険 (5)共済貸付けの返済金 (6)財形持家融資の返済金 (7)宿舎の使用料 (8)給与(諸手当を含む。)の過払い分 (9)旅費の返納分 (10)団体取扱いの保険料及び預入金 (11)留学生支援基金への寄附金 (12)退職時の債務の返済 (労使協定に下線のような項目を加えておくとよい。 ) ロ 控除額の限度 控除額については「控除される金額が賃金の一部である限り、控除額についての限度はない」(昭 29.12.23 基発 150 号)が、次項3)の相殺の場合(労働者の意思にかわらず使用者が一方的に控除する場 合)には制約があるので注意を要する。 ⇒ 少数組合の組合費をチェックオフする場合にも労使協定が必要か?という議論について賛否両論があるが、労基法 は例外規定を設けていないので、実務においては労使協定の控除項目に加えるべきである。 3)相 殺 使用者が労働者に対して有する債権を自働債権とし賃金債権を受働債権とする相殺は、労使協定がなくて もできるか、という問題がある。 この問題は相当複雑である。ここでは、まず、給与締切時期によって生じるA「給与の調整的相殺」と給 与以外の一般債権及び不法行為に基づく損害賠償債権などの給与以外の債権との相殺とに分け、後者をB 「使用者からする相殺」とC「労働者の同意を得てする相殺契約」とに細分して説明する。 ※相 殺 相殺(そうさい)とは、相手に対して同種の債権をもっている場合に、双方の債務を対当額だけ消滅させるこ とをいう。債権同士が消滅するとも債務同士が消滅するともいえるが、どちらで考えても差はない(債権と債務 は表裏一体) 。相殺は当事者どちらかの一方的な意思表示によって効力が生じる(民法 506 条本文)が、当事者 間の合意(契約)による場合もあり、これを「相殺契約」という。なお、意思表示に条件や期限をつけることは できない(民法 506 条ただし書) 。双方の債務は、相殺によって相殺適状の時点に遡及して消滅する(相殺契約 の場合は別途の約定も可能。 ) 。 相殺する側の債権を「自働債権」 (宿舎使用料、貸付金など) 、相殺される側の債権を「受働債権」 (給与・賞 与・退職金など)という。 まず、先に結論を図示すると、次ページの第 2-2-2-4 図ようになる。 394 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 第 2-2-2-4 図 賃金債権との相殺 労使協定は不要。民事執行法の適用はあるものと A 給与の調整的相殺 思われる(全額払原則が適用されない) 「福島県教組事件」最高裁一小判決昭 44.12.18 その行使の時期、方法、金額等からみて労働者の経済生 活の安定との関係上不当と認められないものであれば、 労使協定を要せずに控除することができる。 B使用者側からする相殺 労使協定が必要で、かつ、民事執行法の適用あ ①厚労省コメの記述 り(原則4分の1まで) 相 民法 506 条による相殺を行う場合は、民事執行法の規定 労使協定があれば 殺 相殺できるという により賃金額の4分の3に相当する部分については相殺 することができない(厚労省「労基法コメ」P351) 。 前提。 「日本勧業経済会事件」 たとえ不法行為債権であっても、労使協定なし 多数意見 ②昭 に相殺することはできない。 「日本勧業経済会事件」最大昭 36.5.31 6 3 最高裁大法廷判決 労使協定があれば 「労働者の賃金債権に対しては、使用者は、使用者が労 相殺できるという 働者に対して有する債権をもって相殺することを許され 趣旨と思われる。 ないとの趣旨を包含するものと解するのが相当である。 このことは、その債権が不法行為を原因としたものであ っても変りはない。 」 不法行為債権については労使協定がなくても相 反対意見 殺可(原則4分の1までか?) 裁判官下飯坂 潤夫の説 賃金は全額を払わなければならないとの意味は分割払 いや売掛代金と相殺してはならないというだけであっ て、損害賠償債権をもってする相殺は許さないなどとす るものでない。 下井説 C労働者の同意を得た相殺契約 労使協定は不要で、かつ、民事執行法の適用も ない(全額払い原則が適用されない) 。 「日新製鋼事件」判決を批判 菅野説 「日新製鋼事件」最二小判平 2.11.26 労働者がその自由な意思に基づき右相殺に同意した場合 労使協定が必要。 民事執行法の適用はないものと思 においては、右同意を得てした相殺は労基法 24 条 1 項に われる(全額払原則が適用されるべき) 違反するものとはいえないものと解するのが相当であ る。 395 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 (1) 業務上横領等による不法行為債権との相殺をする場合は、原則的には「日本勧業経済会事件」最大昭 36.5.31 大法廷多数意見に従うべき(相殺できない)であるが、同事件判決は個別の同意を得た場合の控除について言及 しているわけでないので、 実務上、 できるだけ本人の自発的同意を得て②相殺契約として処理をするようにする。 (2) 給与の過払い分を退職金と相殺する場合は、給与の調整的相殺は適用されないため、「B使用者側から する相殺」又は「C労働者の同意を得た相殺契約」によることになる。 A「給与の調整的相殺」 給与の調整的相殺とは、給与の支給日を月の半ばに設定している場合に、月給者の給与は月末までの分 を月の半ばに支払われることになる。そのため、給与支給日以後欠勤・ストライキなどにより減額事由が 生じると過払いとなる。また、賃金計算における過誤、違算等により賃金の過払が生じることも避けがたい。 このような過払い分を翌月給与ないしその行使の時期、方法、金額等からみて労働者の経済生活の安定との 関係上不当と認められないものであれば、労使協定を要せずに控除することができる(昭 23.9.14 基発 1357 号、裁判例「福島県教組事件」最高裁一小判決昭 44.12.18-資料26 447 ページ参照)。 詳しくは項を改めて4)において述べる(405 ページ以下)。 ⇒ 給与の調整的相殺については、労使協定を必要とせず控除することができる(ただし、労使協定に規定することが望 ましい。)。 B「使用者側からする相殺」 ① 厚労省コメの記述 給与と給与以外の債権(宿舎使用料・貸付金など)との相殺は、一定の制約のもとで可能である。 制約の第一は労使協定が必要であること、第二は同法 510 条及び民事執行法 152 条の適用を受けること により賃金額の4分の3に相当する部分(その額が民事執行法施行令 2 条で定める額=33 万円を超えると きは、同条で定める額に相当する部分)について使用者側から相殺することはできない(昭 29.12.23 基 収 6185 号) 、ということである(厚労省「労基法コメ」上巻 P351-注) 。 ⇒ 使用者側から相殺を行うことは可能であるが、 ① 労使協定が必要 ② 原則として賃金額の4分の3に相当する部分は相殺できない という制約がある。 注.厚労省「労基法コメ」上巻 P351 「(ロ)控除額の限度 本条ただし書の規定による賃金の一部控除については、 「控除される金額が賃金額の一部である限り、控除額 についての限度はない。 」が、使用者が、民法 506 条の規定による相殺を行う場合には、同法第 510 条及び民事 執行法第 152 条の適用があるから、賃金額の4分の3に相当する部分(その額が民事執行法施行令第二条で定め る額を超えるときは、同条で定める額に相当する部分)については相殺することができない。なお、退職手当に ついては、右の括弧書の適用はなく、その額の4分の3に相当する部分は相殺することができないこととされて いる(民事執行法第 152 条第 2 項、昭 29.12.23 基収第 6185 号、昭 63.3.14 基発第 150 号、婦発第 47 号) 。 」 (厚 労省「労基法」上巻 P351) 396 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 民法 (相殺の要件等) 第 505 条 二人が互いに同種の目的を有する債務を負担する場合において、双方の債務が弁済期にあるときは、 各債務者は、その対当額について相殺によってその債務を免れることができる。ただし、債務の性質がこれを 許さないときは、この限りでない。 2 前項の規定は、当事者が反対の意思を表示した場合には、適用しない。ただし、その意思表示は、善意の 第三者に対抗することができない。 (相殺の方法及び効力) 第 506 条 相殺は、当事者の一方から相手方に対する意思表示によってする。この場合において、その意思表 示には、条件又は期限を付することができない。 2 前項の意思表示は、双方の債務が互いに相殺に適するようになった時にさかのぼってその効力を生ずる。 (差押禁止債権を受働債権とする相殺の禁止) (不法行為により生じた債権を受働債権とする相殺の禁止) 第 509 条 債務が不法行為によって生じたときは、その債務者は、相殺をもって債権者に対抗することができ ない。 第 510 条 債権が差押えを禁じたものであるときは、その債務者は、相殺をもって債権者に対抗することがで きない。 民事執行法及び民事執行法施行令 民事執行法 (差押禁止債権) 第 152 条 次に掲げる債権については、その支払期に受けるべき給付の4分の3に相当する部分(その額が標 準的な世帯の必要生計費を勘案して政令で定める額を超えるときは、政令で定める額に相当する部分)は、 差し押さえてはならない。 一 債務者が国及び地方公共団体以外の者から生計を維持するために支給を受ける継続的給付に係る債権 二 給料、賃金、俸給、退職年金及び賞与並びにこれらの性質を有する給与に係る債権 2 退職手当及びその性質を有する給与に係る債権については、その給付の4分の3に相当する部分は、差し 押さえてはならない。 3 債権者が前条第一項各号に掲げる義務に係る金銭債権(金銭の支払を目的とする債権をいう。以下同じ。 ) を請求する場合における前二項の規定の適用については、前二項中「4分の3」とあるのは、 「2の1」とす る。 民事執行法施行令 (差押えが禁止される継続的給付に係る債権等の額) 第 2 条 法第 152 条第 1 項 各号に掲げる債権(次項の債権を除く。 )に係る同条第 1 項 (第 167条の 14 及び 第 193 条第 2 項 において準用する場合を含む。以下同じ。 )の政令で定める額は、次の各号に掲げる区分に応 じ、それぞれ当該各号に定める額とする。 一 支払期が毎月と定められている場合 33万円 二 支払期が毎半月と定められている場合 16万5千円 397 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 三 支払期が毎旬と定められている場合 11万円 四 支払期が月の整数倍の期間ごとに定められている場合 33万円に当該倍数を乗じて得た金額に相当す る額 五 支払期が毎日と定められている場合 1万千円 六 支払期がその他の期間をもつて定められている場合 1万千円に当該期間に係る日数を乗じて得た金額 に相当する額 2 賞与及びその性質を有する給与に係る債権に係る法第 152 条第 1 項 の政令で定める額は、33万円とす る。 ⇒ 使用者側から行う相殺の場合は、給与の額の4分の3に相当する額(その額が33万円を超えるときは33万円)まで は相殺できない。 しかし、次の② 昭 35 年最高裁大法廷判決「日本勧業経済会事件」最高裁大法廷判決昭 36.5.3 判決で は、労働者の賃金債権に対し、使用者は、労働者に対して有する債権をもって相殺することは許されない とし、このことは、その債権が不法行為を原因としたものであっても変りはない、と述べている。 (資料 24 P439 参照) いかなる場合に使用者は賃金債権との相殺ができるのかという点について、同判決は労基法 24 条 1 項 の全額払いの法的性質について見解であるから、労使協定に基づき控除する相殺については① 厚労省コ メの記述(396 ページ)の制約の範囲内で可能であると解される。 ② 昭 35 年最高裁大法廷判決「日本勧業経済会事件」 a.多数意見 労働者の賃金債権に対し不法行為を原因とする債権をもってする相殺の許否に関し、労働者の賃金債権 に対しては、使用者は、労働者に対して有する不法行為を原因とする債権をもつても相殺することは許さ れない、と判示している。つまり、使用者が賃金債権に対して他の債権をもってして本人の同意・合意を 得ずに相殺することは許されないとされる。 しかし、これは素朴な市民感情にそぐわないように思うが、実務参考書類では、たとえ, 会社の金銭の 使い込みという労働者の不法行為を原因とするものであったとしても, 労働者の賃金債権に対して, 使 用者が労働者に対して有する債権をもって一方的に相殺することは「関西精機事件」 (注 1)や「日本勧業 経済会事件」 (注 2)を根拠に許されない、と解説するものを見かける(注 3) 。 なお、裁判官 奥野 健一は、補足意見を述べている。すなわち、労働基準法24条1項は通貨で直接労働 者にその全額を支払わなければならない旨を規定しており、このことは現実の履行をしなければ債権存在 の目的を達し得ないものであることを示すものであつて、債務の性質上右賃金債権に対しては債務者は民 法505条1項但書により相殺をすることが許されないものと解する、そして、たとえば労働者に対する不法 行為による損害賠償債権をもつて相殺する場合でもこれを許さないと解すべきことは同様である、と。ま た、相殺はできないが賃金債権の差押えは4分1の金額について許される(民訴618条1項6号、2項)とし ている。 注 1.「関西精機事件」最二小判昭 31.11.2 「労働基準法 24 条 1 項は、賃金は原則としてその全額を支払わなければならない旨を規定し、これによれ ば、賃金債権に対しては損害賠償債権をもつて相殺をすることも許されないと解するのが相当である。 」 398 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 注 2.「日本勧業経済会事件」最高裁大法廷判決昭 36.5.31 (資料24 P439 参照) 「労働者の賃金は、労働者の生活を支える重要な財源で、日常必要とするものであるから、これを労働者に 確実に受領させ、その生活に不安のないようにすることは、労働政策の上から極めて必要なことであり、労働 基準法 24 条 1 項が、賃金は同項但書の場合を除きその全額を直接労働者に支払わねばならない旨を規定して いるのも、右にのべた趣旨を、その法意とするものというべきである。しからば同条項は、労働者の賃金債権 に対しては、使用者は、使用者が労働者に対して有する債権をもって相殺することを許されないとの趣旨を包 含するものと解するのが相当である。このことは、その債権が不法行為を原因としたものであっても変りはな い。 ・・・なお、同法第 17 条はとくにこれ(相殺/編注)を明示的に禁止したものである。また所論のように使 用者が反対債権をもって賃金債権を差押え、転付命令を得る途があるからといって、その一事をもって同法 24 条を前述のように解することを妨げるものではない。 」 (棄却、労働者勝訴) ⇒ 上記関西精機事件と同趣旨であり、使用者が労働者に対する不法行為に基づく損害賠償債権をもって相殺することを 許されないとされた。 注 3.産労総合研究所 労働法基礎講座の記述 (http://www.e-sanro.net/sri/q_a/roumu/r_bas_027.html) たとえば、 会社の金銭の使い込みという労働者の不法行為を原因とするものであったとしても, 労働者の賃 金債権に対して, 使用者が労働者に対して有する債権をもって一方的に相殺することは許されないとする解 説として、産労総合研究所 労働法基礎講座では、次のように述べている。 「たとえ, 会社の金銭の使い込みという労働者の不法行為を原因とするものであったとしても, 労働者の 賃金債権に対して, 使用者が労働者に対して有する債権をもって一方的に相殺することは許されません。 労基法 24 条は, 賃金の支払いについて, 「賃金は, 通貨で, 直接労働者に, その全額を支払わなければなら ない」として, 「賃金全額払いの原則」を規定しています。この規定の趣旨は, 使用者が賃金から種々の名目 の控除をすることによって, 労働者の所得額の安定性が害されることを防止する点にあります。 この全額払い の原則によれば, 賃金は従業員に全額支払うことが必要であり, 会社が受けた損害金を賃金から一方的に控 除することはできません。 」 「相殺予約をしたうえで相殺することは許されるのでしょうか。判例は, 「賃金債権と使用者が労働者に対 して有する債権とを, 労使間の合意によって相殺すること(相殺の予約ないし相殺契約)は, それが労働者の 完全な自由意思によるものである限り, 労働基準法第 24 条第 1 項の定める賃金の全額払いの規定によって禁 止されるものではない」(東京保健生活協同組合事件・東京地裁昭 47.1.27 判決, 判例時報 667 号 89 頁)とし ています。 また, 労働者の自由意思について, 日新製鋼事件判決(最高裁第 2 小法廷平 2.11.26 判決-注 5、労働判例 584 号 6 頁)は, 相殺の合意が労働者の完全な自由意思によるものであり, かつ, そう認めるに足りる合理的 な理由が客観的に存在している場合には相殺は認められるとされています。 もっとも, 労働関係下では自由意 思の認定は困難であることから, 相殺手続き, 相殺の方法に対する労働者の認識の程度, 相殺額の多寡, 相 殺の必要性など, 広範な事情を考慮に入れて判断する必要があるといえます。 」 (川田知子) b.反対意見 「日本勧業経済会事件」の裁判官斎藤悠輔、同下飯坂潤夫の反対意見は両者ともほぼ同様であり、その 主張はおよそ次のとおりである。(資料24 P439 参照) 399 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 (a) 労基法 24 条の全額払いの趣旨 いわゆる賃金は全額を支払わなければならないとの意味は賃金は分割払をしてはならないとか、 掛売代金と 相殺してはならないとか、いうだけのものであつて、民法が前示のように特に所遇している不法行為に因る損 害賠償債権を以てする相殺は許さないなどとは右条文はもとより、 その他の規定においても一言半句も言つて はいない。 (b)労基法 17 条の前借金相殺との関係 労基法 24 条の全額払いの趣旨が、もし多数説がいうような労働者の賃金債権に対しては労働者の不法行為 に基く損害賠償債権をもってしても相殺を許さないという趣旨であれば、17 条は前借金相殺との禁止を明定 しているのであるから同様な規定を設けるはずである。それがないということは、民法原則が適用されると解 すべきである。 (c) 民法 509 条の不法行為者からの相殺禁止との関係 雇主は損害賠償請求権を保有しているから、できないでもいいだろうなどと論ずる向もあるが、雇人に対す る損害賠償請求権などというものはえてして名目だけのもで、実のないものである。雇主は右債権の履行を請 求してもおそらく満足な弁済を得ないであろう、 この場合雇主が雇人に対し他に債権がありこれが履行を請求 してきたならばこれと相殺させて右損害賠償債権の実行を収めさせる。民法509条は実にこのような場合をも 慮つての規定である。 それが一面不法行為の防遏にも役立つのである。 私は民法の立案者の深慮に対し今更のように深い敬意を覚 えるものである。 C相殺契約の場合 では、労働者がもつ賃金債権と使用者が労働者に対して有する債権とを労使間の合意によってする相殺 (相殺契約)であればできるだろうか? 判例では、それが労働者の完全な自由意思によるものである限り全額払いの原則に反するものではないと 解され、労使協定を必要とせず控除することができるとされる( 「大鉄工業事件」大阪地裁判決昭 59.10.31、 「日新製鋼(退職金請求)事件」最高裁二小判決平 2.11.26) (注 1、注 2) 。 注1.「大鉄工業事件」大阪地裁判決昭59.10.31 「賃金債権と使用者が労働者に対して有する債権とを、労使間の合意によつて相殺することは、それが労働者の完全な 自由意思によるものであり、かつ、そう認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、全額払の原則によって 禁止されるものではなく、有効と解するのが相当である。」として、住宅ローンの債務の返済に充てる退職金との相殺は 労働者の完全な自由意思によるものと認められるとして、全額払いの原則に反しないし、民事執行法一五二条の各規定(相 殺が退職金の四分の一の範囲に制限される規定)も適用されないとされた。 注2.「日新製鋼(退職金請求)事件」最高裁二小判決平2.11.26 (資料25 P443参照) 破産した社員が使用者から借り入れた住宅資金の返済の一部を、労働者の同意の上で退職金と相殺したことについて、 破産管財人が労基法24条の全額払いの原則に反すると主張した事案に対し、次のように判示した。 「労働基準法二四条一項本文の定めるいわゆる賃金全額払の原則の趣旨とするところは、使用者が一方的に賃金を控除 することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその 保護を図ろうとするものというべきであるから、使用者が労働者に対して有する債権をもって労働者の賃金債権と相殺す ることを禁止する趣旨をも包含するものであるが、労働者がその自由な意思に基づき右相殺に同意した場合においては、 右同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、右 400 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 同意を得てした相殺は右規定に違反するものとはいえないものと解するのが相当である。」「もっとも、右全額払の原則 の趣旨にかんがみると、右同意が労働者の自由な意思に基づくものであるとの認定判断は、厳格かつ慎重に行われなけれ ばならないことはいうまでもないところである。」 たとえば、退職時に社宅の退去費用・貸付金の一括返済などを最後の給与や退職手当から控除することな どは、本人の申し出に基づいて行う限り問題ないが、実務においては、あらかじめ労使協定において控除で きることを定めておくことが望ましい。 。 ⇒ 相殺契約の場合は、それが労働者の自由な意思に基づくものである限り、全額払いの原則に反するものではないと する最高裁判例があるが、異論(菅野説)もある。 上記判例「大鉄工業事件」 (住宅ローンの債務の返済に充てる退職金との相殺)及び「日新製鋼(退職金 請求)事件」 (破産した社員が使用者から借り入れた住宅資金の返済の一部を、労働者の同意の上で退職金 と相殺したことについて、破産管財人が労基法違反を主張)は労働者と使用者とが合意した場合(相殺契約) には、それが労働者の自由な意思に基づくものである限り全額払いの原則は適用されず、したがって、労使 協定を必要とせず控除することが可能としている。 しかし、労使協定を必要とせず控除できるという点について学説は賛否両論があり、下井 隆史教授は賛 成、菅野 和夫教授は反対の立場である。 ※下井 隆史教授の主張 = 相殺契約による相殺は全額払いの原則に反しない 「労働者側からの貸金債権による相殺、あるいは労働者と使用者が相殺の合意をした場合(相殺契約)にも全 額払原則は適用されるか。判例はそれを否定し、労働者が相殺に同意している場合は労使協定の締結を要しない と解する(日新製鋼事件=最二小判平 2.11.26 民集 44 巻 8 号 1085 頁等) 。これに対し、相殺契約は許されない が労働者が一方的に行う相殺ならば自由意思によるかぎりは全額払原則によって禁止されていないとする考え 方もある(菅野 214 頁) 。筆者は、全額払原則は相殺禁止を含んでいないとする前述の見解にもかなりの説得力 があること、同項但書にもとづき労使協定が締結されれば使用者による相殺も一定範囲において許されること等 を考慮し、判例の見解を妥当と考える。ただし、前記の日新製鋼事件最高裁判決もいうように、相殺契約あるい は労働者による相殺が自由な意思にもとづいているかどうかのチェックは厳格に行われる必要がある。 」 (下井 「労基法」P246~247) ※菅野 和夫教授の主張 = 相殺契約による場合であっても労使協定を必要とする 菅野 和夫教授は「日新製鋼(退職金請求)事件」を批判し、 「理論的には、労働者の同意があっても使用者の 法違反は成立するのが労基法の建前であり(たとえば賃金の天引き契約も当然に無効となる。 ) 、また全額払原則 の例外は過半数組合または過半数従業員代表の集団的合意があって初めて認められるはずなので、判例の解釈は 疑問である。実際上は、労働者の使込み金返還や住宅ローンの返済等をめぐって合意相殺の手段が用いられるこ とが多いが、このような定型的な必要性には労使協定を整備して対処すべきである。 」と、相殺契約による場合 であっても労使協定を必要とするとの見解を示されている(菅野「労働法」P230) 。 私見では、労働者の同意があっても使用者の法違反は成立するのが労基法の建前であるとする菅野教授の 主張に説得力があり、相殺契約による場合であっても賃金から控除する場合には労使協定が必要と解する方 が妥当であるように思う。 401 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 ⇒ 実務においては、賃金から控除する場合は相殺契約によるものであっても労使協定に定めるべきであろう。 ※相殺に関する実務上の対応 以上、見てきたように、使用者側からする相殺は、相殺する側の債権が一般債権(宿舎使用料、貸付金など) であろうと労働者の不法行為に基づく損害賠償債権(業務上横領、公金使い込みなど)であろうと、労使協定が 必要で、かつ、民事執行法の制限が適用される。この結論には一部の批判があるが、現状では肯定せざるを得な い。 そこで、使用者側からする一方的な相殺ではなく、本人も合意する「相殺契約」の場合はどうであるかみると、 労使協定は不要で民事執行法の適用はないものと思われる( 「日新製鋼事件」最高裁二小判決平 2.11.6)(資料 25 P443 参照)。ただし、学説では労使協定が必要とする説(菅野説)もあり、これも有力である。 そのような事情から、実務上は、次のような取扱いをすることが望ましいのではないか(私見) 。 ① 賃金の一部控除に関する労使協定に、一般債権及び不法行為債権との相殺事由として掲げる。 ② 労使協定と同様な内容を就業規則に定める。 ③ 一般債権との相殺は職員の個別同意をとらないが、損害賠償債権との相殺の場合は職員の個別同意を取付け た上で相殺する(相殺契約に持ち込む。 ) 。 ④ 上記③の一般債権との相殺をする場合に、相殺額が民事執行法の制限を超える場合は職員の個別同意をとる。 上記③の損害賠償債権との相殺の場合、損害額が確定しない間に退職金の支給時期が到来することに備えて、 あらかじめ、退職手当規定の一時差止め事由として「横領その他不法行為により法人に損害を与えた場合」とい う事項を付け加えておくことが望まれる。 ※労働者側から行う相殺 労働者側から行う相殺は労働法が関知するところでなく、全額払いの原則は適用されず民法の原則がそのまま 適用される。したがって、労使協定は必要なく民事執行法の制限もない。 ※不法行為債権との相殺 厚労省コメによると、使用者側から行う相殺は、① 労使協定が必要、② 原則として賃金額の4分の3に相当 する部分は相殺できないという制約のもとで可能であった。しかし、会社の金銭を横領したような場合であっ ても労使協定がない限り未払い給与や退職金と相殺できず、また労使協定があって相殺できる場合でも相 殺できる額はその4分の1までという制約が適用されるのだろうか? 判例は、このような制約に肯定的であって、 「日本勧業経済会事件」最高裁大法廷判決昭 36.5.3(資料 24 439 ページ)では、労基法 24 条 1 項について「労働者の賃金債権に対しては、使用者は、使用者が 労働者に対して有する債権をもって相殺することを許されないとの趣旨を包含するものと解するのが相 当である。このことは、その債権が不法行為を原因としたものであっても変りはない。 」と判示し、使用 者が有する債権が労働者の不法行為に基づく損害賠償権であっても原則どおりの制約があることを明確 にしている。 なお、 「日本勧業経済会事件」判決において、2名の裁判官が上記多数意見に反対の意見を表明してい る。その理由として、裁判官下飯坂 潤夫は、法がもし不法行為に因る損害賠償債権をもってする相殺は 許さないとする趣旨ならば、「労基法 17 条は使用者は前借金その他労働することを条件とする前貸の債 権と賃金とを相殺してはならないと規定しているのであるから、労働者の賃金債権に関しては不法行為に 402 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 因る損害賠償債権を以てする相殺は許さない旨特にうたうべき筈である。」と指摘している(注 4)。 しかし、主文の多数意見は「同法一七条は、従前屡々行われた前借金と賃金債権との相殺が、著しく労働者 の基本的人権を侵害するものであるから、これを特に明示的に禁止したものと解するを相当とし、同法二四条の 規定があるからといつて同法一七条の規定が無用の規定となるものではなく、また同法一七条の規定があるから といつて、同法二四条の趣旨を前述のように解することに何ら妨げとなるものではない。」として、いわば、 労基法 17 条の前借金との相殺は著しく労働者の基本的人権を侵害するから相殺を明文規定により禁止し、 労基法 24 条 1 項はそれほど人権侵害を引き起こさないから明文規定を設けなかった、というようにもと れる説明をしている。この主文の説明よりも、裁判官下飯坂 潤夫の反対意見の方が論理が整然としてお り説得力があるように思える。 ⇒ 労働者の不法行為による使用者の損害賠償請求権であっても賃金と相殺するすることは許されない、とされた。 ⇒ 使用者が労働者に対して有する債権をもって労働者の賃金債権と相殺することは許されないが、労働者がその自由 な意思に基づき右相殺に同意した相殺契約の場合には認められるとした。 賃金債権との相殺をまとめると、次ページ第 2-2-2-5 図のようになる。 403 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 第 2-2-2-5 図 賃金債権との相殺のまとめ 斉藤裁判官・下飯坂裁判官の反対意見 全額払いの意味は、賃金は分割払をしてはなら 不法行為による損害賠償債権については全額払い の原則は適用されず、相殺できるとする。 ないとか掛売代金と相殺してはならないとかい うだけのものであつて、不法行為による損害賠 償債権をもってする相殺は許さないなどとする 民法の原則 ものでない。 二人が互いに同種の目的を有する債務を負担す る場合において、当事者の一方から相手方に対 する意思表示によって「相殺」をすることがで 下井説=「日新製鋼事件」を支持 きる(民法 505 条、506 条) 。 全額払原則は相殺禁止を含んでいないと する(下井「労基法」P246~247) 。 労働者の同意による相殺契約 賃金債権に対する相殺の禁止 しかし、受働債権が賃金債権であるときは労基 労働者がその自由な意思に基づき相殺に同意し 法 24 条 1 項の全額払いの原則が適用されるか た場合においては、その同意を得てした相殺は労 ら、たとえ労働者の不法行為に基づく損害賠償 基法 24 条 1 項に違反するものではないので、労 債権であっても相殺することはできない( 「日本 使協定を要せず、民事執行法の制限もなく自由に 勧業経済会事件」最大昭 36.5.31) 。 控除することができる。 (「日新製鋼事件」最二小判平 2.11.26)。 菅野説=「日新製鋼事件」を批判 労使協定による賃金の一部控除 労使の合意によって全額払いの原則を排除する 労基法24 条1 項ただし書は労使協定による賃金 ことはできず、労使協定が必要との批判がある の一部控除を認めているから、労使協定があれ (菅野「労働法」P230) ば民法の原則に戻って相殺することができる。 一方的な控除の根拠は民法の原則にあると解した (労使協定は相殺を可能とする根拠であって、労使 協定により一方的控除が可能なわけではない。 ) 民事執行法による制約 使用者が労使協定に基づき相殺する場合は、民 事執行法の適用があり、賃金額の4分の3に相 当する部分(その額が民事執行法施行令 2 条で 定める額=33 万円を超えるときは、同条で定 める額)について使用者側から相殺することは できない(昭 29.12.23 基収 6185 号) 404 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 4)給与の調整的相殺 多くの国大・独法では毎月17日に当月分給与を全額支払っている。そのため、17日以降に欠勤・遅刻・ 早退等があった場合やストライキが行われた場合には不就労分を減額することができず、過払いが生じてし まう。これを翌月分の給与から控除することは許されるのか、許されるとしても労使協定が必要か、という 問題がある。 しかし、これは給与計算上の調整の問題であって、貸付金や債務不履行による損害賠償請求権との相殺と は性質が異なるから、債権の一般ルールにより処理しなければならないとまで解する必要はないと考える。 事実、厚労省編「労基法コメ」(注)では、欠勤・遅刻・早退があった場合の不就労についてもその部分に ついては賃金債権は発生しないものであるから、賃金控除の問題ではないとしている。つまり、過払い分は 翌月分給与の前払いであるから、もともと相殺ではなく全額払いの原則に反しないし労使協定も不要である とも考えられるものである。 ただし、このような取扱いができるのは、①賃金支払日から接着して起きた遅刻・欠勤などの減額困難な 過払い分であること、②給与の過払い精算の問題であって、賃金と関係ない他の債権を自働債権とする調整 ではないこと、という点に注意しなければならない(菅野「労働法」P229、同書は「調整的相殺」と呼んで いる)。 注.厚労省「労基法コメ」上巻P347 「労働者の自己都合による欠勤、遅刻、早退があった場合に、債務の本旨に従った労働の提供がなかった限 度で賃金を支払わないときは、その部分については賃金債権は発生しないものであるし、また、賃金の一部を 非常時払その他により前払した場合に、残部の賃金を支払期日に支給するときは、前払分は既に履行済みであ るのであり、いずれも賃金債権そのものが縮減されるのであるから、控除ではなく、本条には違反しない」 イ 行政解釈 毎月15日にその月分の給与を前払いして支払う場合に、7月21日から25日まで5日間ストライキした場 合に、8月15日に支払う8月分給与から前月ストライキ5日間分を控除して支払うことは、「賃金それ自 体の計算に関するものであるから、法第24条の違反とは認められない。」(昭23.9.14基発1357号) ロ 裁判例「福島県教組事件」最高裁一小判決昭44.12.18(注)-資料26 P447参照 ① 公立中学校の教員に対して支給された勤勉手当中に940円の過払があつた場合において、過払金の返 納を求め、この求めに応じないときは翌月分の給与から過払額を減額する旨通知したうえ、過払金の返 還請求権を自働債権とし、その後の給料を受働債権としてした相殺は、労働基準法24条1項の規定に違 反しない。 ② 賃金支払について支払日後あるいは支払日に接着して減額事由が発生するような場合、その時期、方 法、金額等からみて労働者の経済生活の安定との関係上不当と認められないものであれば、後の支払賃 金額から減額控除することができる。 注. 「福島県教組(賃金清算)事件」最高裁判決昭 44.12.18 事件の概要 勤務評定反対の統一行動として9月中に職場離脱した公立学校の教職員らが、9月分の給与と年末の勤勉手当 につき生じた過払い給与を翌年2月ないし3月分の給与から控除されたのに対し、労基法 24 条に違反し無効で あるとして控除分の支払を求めた事例で、次のように判示し過払い分の調整的相殺は賃金の全額払いの原則反し ないとした(上告棄却、労働者敗訴) 。 405 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 判決の要旨 「賃金支払事務においては、一定期間の賃金がその期間の満了前に支払われることとされている場合には、支 払日後、期間満了前に減額事由が生じたときまたは、減額事由が賃金の支払日に接着して生じたこと等によるや むをえない減額不能または計算未了となることがあり、あるいは賃金計算における過誤、違算等により、賃金の 過払が生ずることのあることは避けがたいところであり、このような場合、これを精算ないし調整するため、後 に支払わるべき賃金から控除できるとすることは、右のような賃金支払事務における実情に徴し合理的理由があ るといいうるのみならず、労働者にとっても、このような控除をしても、賃金と関係のない他の債権を自働債権 とする相殺の場合とは趣を異にし、実質的にみれば、本来支払わるべき賃金は、その全額の支払を受けた結果と なるのである。このような事情と前記二四条一項の法意とを併せ考えれば、適正な賃金の額を支払うための手段 たる相殺は、同項但書によって除外される場合にあたらなくても、その行使の時期、方法、金額等からみて労働 者の経済生活の安定との関係上不当と認められないものであれば、同項の禁止するところではないと解するのが 相当である。この見地からすれば、許さるべき相殺は、過払のあった時期と賃金の清算調整の実を失わない程度 に合理的に接着した時期においてされ、また、あらかじめ労働者にそのことが予告されるとか、その額が多額に わたらないとか、要は労働者の経済生活の安定をおびやかすおそれのない場合でなければならないものと解せら れる。 (中 略) そこで、本件についてみるに、原審の適法に確定した事実関係に徴すれば、被上告人のした所論相殺は、前記 説示するところに適い、許さるべきものと認められ、従ってこれと同旨の原判決の判断は正当として首肯するこ とができる。 」 国大・独法において、国の例に準じて給与額を 3 月 31 日に減額改定することがあるが、その場合に3月 分給与は1日分について減額しなければならなず、若干の過払いが生じる。これを4月分給与から控除する ことは「調整的相殺」として、労使協定や本人同意を必要とせず行うことができると解する。 5)給与計算の端数処理 賃金計算をする場合に、労働時間、賃金額に端数が生じる場合があるが、その取扱いについては、次のよ 。 うに取り扱われたいとする通達がある(昭 63.3.14 基発 150 号) ① 遅刻・早退・欠勤等の取扱い 5分の遅刻を 30 分の遅刻として賃金カットするような処理は、 労働の提供のなかった限度を超えるカッ トについて賃金の全額払の原則に反し、違法である(このような取扱いを就業規則に定める減給の制裁と して科す場合は、労基法 91 条の範囲内の減給であれば可) 。 遅刻・早退の取扱いについては、一般的には5分の遅刻は5分、2分の遅刻は2分の遅刻として取扱う べきであり、分単位の不就業部分の賃金を減額することが適切・適法である。 労働者が、たとえば、5分遅刻した場合に時間単位の年休取得を申出ることがあるが、事後の申し出 である瑕疵はともかく、使用者が年休の使途に制限を付すことはできないので、5分の遅刻に1時間の休 暇を充てることに問題はない。その場合の55分間は、仮に業務を行っていても、もともと就労義務がな い期間に業務を行うことになるから使用者の指揮監督のもとにおける労務の提供とは解されず、法的には 労働時間に当たらないのではないか。 406 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 労基法 (制裁規定の制限) 第 91 条 就業規則で、労働者に対して減給の制裁を定める場合においては、その減給は、一回の額が平均賃金 の一日分の半額を超え、総額が一賃金支払期における賃金の総額の十分の一を超えてはならない。 ② 割増賃金の計算 次の方法は、常に労働者の不利となるものでなく、事務簡便を目的としたものと認められるから、法 24 条(賃金の支払い)及び 37 条(割増賃金)違反として取り扱わない。 a.1か月における時間外労働、休日労働及び深夜業の各々の時間数の合計(注)に1時間未満の端数 がある場合に、30 分未満の端数を切り捨て、それ以上を1時間に切り上げること。 b.1時間当たりの賃金額及び割増賃金額に円未満の端数が生じた場合、50 銭未満を切り捨て、それ以 上を1円に切り上げること。 c.1か月における時間外労働、休日労働及び深夜業の各々の割増賃金の総額に1円未満の端数が生じ た場合に、50 銭未満を切り捨て、それ以上を1円に切り上げること。 ③ 1か月の賃金支払額 次の方法は、賃金支払の便宜上の取扱いと認められるから、法 24 条違反としては取り扱わない。なお、 これら方法をとる場合には、就業規則の定めに基づき行うよう指導されたい。 a.1か月の賃金支払額(賃金の一部を控除して支払う場合には控除した額。以下同じ。 )に 100 円未 満の端数が生じた場合、50 円未満の端数を切り捨て、それ以上を 100 円に切り上げること。 b.1か月の賃金支払額に生じた 1,000 円未満の端数を翌月の賃金支払日に繰り越して支払うこと。 注. 「1か月における時間外労働、休日労働及び深夜業の各々の時間数の合計」 1時間未満の端数について、30 分未満の端数を切り捨てそれ以上を1時間に切り上げる処理方法は、 1か月における「時間外労働」 、 「休日労働」 、 「深夜労働」について認める趣旨であるから、これをたと えば、深夜労働について 125/100 で支払う「法定時間内の深夜労働」 、150/100 で支払う「時間外深夜労 働」 、160/100 で支払う「休日深夜労働」 、175/100 で支払う「月 60 時間を超える時間外深夜労働」とに 分けてそれぞれ端数処理をすることは許容限度を超えると解する(私見) 。この場合はそれぞれ「分」単 位で計算すべきである。 一方、時間外労働について 125/100 で支払う「月 60 時間以内の時間外労働」 、150/100 で支払う「月 60 時間超の時間外労働」とに分けてそれぞれを端数処理することは、改正法の要請に呼応するものであ るから、許容され得ると解する。 ⇒ 上記②a.の規定は1か月の合計時間数の場合の取扱いであるから、日々の時間外労働等の時間数の端数処理をす ることは許されない。 6)労働者によって放棄された賃金 労働者が何らかの事情によって賃金を受け取る権利を放棄した場合、賃金全額払いの原則が適用されない ことはいうまでもない。この場合も労働者の自由な意思に基づくものでなければならない(注) 。 注. 「シンガー・ソーイング・メシーン・カンパニー事件」最高裁二小判決昭 48.1.19 賃金にあたる退職金債権放棄の意思表示は、それが労働者の自由な意思に基づくものであると認めるに足り 407 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 る合理的な理由が客観的に存在するときは、有効である。 退職前に会社の西日本の総責任者であった労働者が、退職後直ちに競争関係にある会社に就職することが判 明しており、会社が在職中の当該労働者の旅費等の経費の使用について疑惑を抱いて疑惑にかかる損害を補填 する趣旨で退職に際し、 「労働者は会社に対していかなる請求権も有しない」との念書に署名を求めて当該労 働者が応じたことが、労働者の自由な意思に基づくものであると認められる合理的な理由が客観的に存在して いたといえるとして、退職金債権を放棄した意思表示の効力は肯定できると判示した。 この事案では労働者側は思考に錯誤があったと主張しており、学説では労働者の自由意思の認定は合意相殺 の場合に比べて一層厳格になされるべきであり、自由意思の存在について使用者側に挙証責任を負わせるべき との主張もある(野川「インデックス」P91) 。 408 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 (4)毎月払 賃金は毎月1回以上支払わなければならない。毎月払は、次項の一定期日払とあいまって、労働者に定期 収入の途を確保し、経済生活を計画的にできるようにすることを目的にしている。 支払期限については、ある月の労働に対する賃金をその月中に支払うことを必ずしも要せず、不当に長い 期間でない限り、締切り後ある程度の期間を経てから支払う定めをすることも差し支えない(注) 。 例外:① 臨時に支払われた賃金 ② 賞与その他1か月を超える期間を算定基礎とする賃金 賃金が年俸制によって定められている場合であっても、毎月1回以上支払わなければならない。 注.たとえば、本給は当月に支払い、超過勤務手当等は翌月に支払う旨を就業規則に規定することなどは差し支 えない。 (5)一定期日払 賃金は毎月一定期日に支払わなければならない。 月給について「月の末日」とするのは差し支えないが、 「毎月第2土曜日」のように月7日の範囲で変動す るような期日を定めることはできない。 所定支払日が休日に当たる場合に、支払日を繰り上げること、又は繰り下げることは一定期日払いに反す るものでなく、あらかじめ就業規則に定めておいた方法により支払うことは、差し支えない。 なお、次の賃金はその性質上毎月一定期日払の原則になじまないので、例外とされる。 例外:① 臨時に支払われた賃金 ② 賞与その他1か月を超える期間を算定基礎とする賃金 (6)労働協約と労使協定 以上見てきたように、賃金を通貨以外のもの(実物給与)で支払う場合は“労働協約” 、賃金から労働者の 債務を一部控除する場合は“労使協定”を必要とする(24 条 1 項ただし書) 。両者の違いはどんなものか、 以下説明する。 1)労働協約 労働協約は労働組合と使用者との間で締結された労働条件等に関する約定であり、必ず書面に作成しなけ ればならない。その効力は労使両当事者がその書面に記名押印(又は署名)することによって生じる。この 労働協約には規範的効力が認められ、労働協約に“違反する”労働契約は無効となる(労組法 14 条、16 条) 。 労働協約締結の相手方は必ず労働組合であって、単なる親睦団体等と締結するようなものは労働協約とは いえない。ただし、その相手方は当該事業場の労働者の過半数を代表するものは限らず、少数組合であるこ ともあり得る。 労働協約の定めによって賃金を現物で支払うことが許されるのは、その労働協約の適用を受ける労働者に 限られる(昭 63.3.14 基発 150 号) 。ただし、事業場の同種の労働者の4分の3以上が一の労働協約を適用 を受ける場合には、他の同種の労働者に関しても当該労働協約が適用される(一般的拘束力) 。 2)労使協定 これに対し労使協定とは、正しく表現すると「当該事業場の過半数で組織する労働組合があるときはその 労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者」と使用者との間 における書面による協定のことである(24 条 1 項ただし書) 。 409 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 協定すべき事項については、労基法に計 14(平成 22 年 4 月から 2 つ追加されて 14 となった。 ) 、その他育 介法、高年齢者法などに若干定められている。 労使協定締結の相手方の特徴は、挙手等の方法により選出された過半数を代表する者であっても、過半数 労働組合の場合であっても、必ず当該事業場の労働者の過半数の支持を得ているものである点である。 その法的性質は、使用者は労使協定により法違反を問われないという免罰効果があるということであり、 たとえば、労使協定がなければ賃金から一部控除すると労基法違反を問われるが、労使協定があれば違反と されない(注) 。ただし、注意しなければならないことは、違反とされないだけであって強制力があるわけ ではないので、控除するためには何らかの形で合意、承諾、同意等が必要である(一般的には就業規則に控 除する項目明細を掲げることで足りる。 ) 。 労働基準法で定める労使協定を必要とする場合(全部で 14 事項)については、資料20 434 ページを参 照。 注.昭 63.1.1 基発 1 号 「労働基準法上の労使協定の効力は、その協定を定めることによって労働させても労働基準法に違反しないという免罰効 果をもつものであり、労働者の民事上の義務は、当該協定から生じるものでなく、労働協約、就業規則等の根拠が必要であ ること。 」 第 2-2-2-6 図 労働協約と労使協定 労働協約 締結の相手方 労使協定 労働組合 過半数組合又は過半数代表者 (過半数組合とは限らない) 形 式 書面に作成し、両当事者が署名又は記名押印 書面による する 対象者の範囲 原則として組合員 全労働者 (4分の3以上組合との協約の場合は非組 合員にもその効力が及ぶ) 効 果 組合・組合員・使用者の三者を拘束する 使用者に対し免罰効果付与 労働者は何ら義務を負わない 3)過半数組合と締結する労使協定 当該事業場の過半数で組織する労働組合があるときは、労使協定の締結の相手方は当該労働組合となる。 この場合に、過半数労働組合と締結した労使協定は労組法 14 条の労働協約にも相当することになり、労使 協定及び労働協約両者の性質を併せもつことになる。すなわち、過半数組合と締結した賃金一部控除に関す る協定は、労基法 24 条 1 項の全額払の原則に違反しないという免罰効果のほかに、労働協約として組合員 労働者に対し強制力をもつものである。 ⇒ 組織率4分の3以上の大多数組合と締結する労働協約の場合は非組合員に関しても一般的拘束力を有するから、当 該労働協約による場合は非組合員に対しても強制力をもつことになる。 410 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 ※過半数組合と締結する労使協定は、労働協約としての効力を有するのか? 当初筆者(宮田)は、協定内容が労基法の要請に基づくものであっても労働条件に関する約定である以上、労 働協約としての性質(規範的効力)を有するものと理解していた。したがって、たとえば、過半数組合と締結し た組合費を給与控除する労使協定は、自動的に労働協約として組合員を拘束することになると考えていた。 しかし、 「エッソ石油(チェック・オフ)事件」最高裁一小判決平 5.3.25 では、使用者と労働組合の間に労働 基準法24条1項ただし書の要件を具備するチェックオフ協定が労働協約の形式により締結されている場合で あっても、使用者が有効なチェックオフを行うためには、当該協定の外に使用者が個々の労働組合員から委任を 受けることが必要であって、委任が存しないときは、使用者は当該組合員の賃金からチェックオフをすることは できない、と判示している。 これについて、荒木 尚志教授は、次のように説明している。 「労基法 24 条の全額払い原則の例外を認める労使協定が締結されていても、個々の労働者が、使用者にチ ェック・オフの中止を申し入れた場合、使用者はチェック・オフを中止し、組合費相当額を労働者に支払わな ければならないか。判例は、使用者が有効にチェック・オフを行うためには、使用者が個々の組合員から、賃 金から控除した組合費相当分を労働組合に支払うことにつき委任を受けることが必要であり、 組合員は使用者 に対していつでもチェック・オフの中止を申し入れることができ、その申し入れがなされたとき、使用者はチ ェック・オフを中止すべきものとした。チェック・オフは労働者から使用者に対する組合費の弁済(支払)委 任なので、その委任を労働者が解除した場合(民法 651 条)には、チェック・オフは中止すべしと解するわけ である。 」 (荒木「労働法」P488~489) ⇒ チェック・オフは、労働者から使用者に対する組合費の弁済(支払)委任であると考えられる。 しかし、この最高裁の判例には学説の多数は批判的である。チェック・オフ協定が労働協約であればその内容 が「労働者の待遇に関する基準」に該当する限り規範的効力をもって使用者・労働者間の契約を規律するはずで ある。この点について同教授は「労働者が当該労働組合に留まっている限り、協約の規範的効力に反する中止申 し入れは効力を否定されるべきものとなる。チェック・オフが歴史的に見ても労働協約の重要な部分であり、組 合費納入が組合員の基本的義務であること等を考えると、労働協約たるチェック・オフにこのような規範的効力 を認めてよいと解される。 」と述べておられる(荒木「労働法」P489) 。 ただし、実務においては前述「エッソ石油(チェック・オフ)事件」の最高裁判断を尊重し、チェック・オフ は「個々の労働組合員から委任を受けること」を前提とし、それ以外の労使協定締結事項については労働協約の 規範的効力が働く、と解するのが妥当であると思う。 ⇒ 実務においては、組合費のチェック・オフは本人から中止の申し出があれば控除を止めるべきであるから、そのことを 労働協約に明記するようにする。 (7)労働者の死亡退職による未払賃金の支払い 1)労働者の死亡に伴う金品の返還 労働者の死亡又は退職の場合において、権利者から請求があった場合には7日以内に賃金を支払わなけれ ばならないほか労働者の権利に属する金品を返還しなければならない(労基法 23 条) 。 この規定に基づき賃金の支払い又は金品の返還を請求することができる権利者とは、一般には労働者が退 411 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 職した場合にはその労働者本人であり、労働者が死亡した場合にはその労働者の遺産相続人であって一般債 権者は含まれない(昭 22.9.13 発基 17 号) 。 労働者が死亡した場合の権利者たる遺産相続人については、正当な相続人であるか否か判定が困難である が、請求者が正当な相続人であることを証明しない限り、使用者は支払又は返還を拒否することができると 解されよう。もし不注意により正当な相続人でない者に支払又は返還をした場合において、その後正当な相 続人が請求してきたときは、使用者は後に請求した正当な相続人にも支払又は返還をしなければならない。 分割相続により遺産相続人が二名以上ある場合は、他の遺産相続人の委任を受けていることを証明しない限 り、相続人の相続分に応ずるよう賃金及び金品を分割して支払い、又は返還しなければならない。遺産相続 人の資格の証明が不十分な場合や、各相続人の相続分が確知できない場合は、請求のあった日から七日以内 に供託 (民法第 494 条)するのが確実な方法である(厚労省「労基法コメ」P338)。 2)労働者の死亡に係る未払い給与・賞与 賃金は,一般的に労働者個人に帰属する債権であり第三者に賃金債権を譲渡したり本人に代わって受領し たりすることはできない性質のものである。しかしながら,労働者本人が死亡した場合,賃金も金銭債権の 一種である以上相続の対象になり,相続人が本人に代わって賃金債権の債権者となるものと考えられる。 この場合に、未払い賃金を誰に支払うか就業規則等に定めがあれば、それによることになる。労務行政「実 務相談」においても、次のように説明している。 「労基法においては,労働者が死亡した場合に,賃金をだれに支払うかということは定めがありませんが,賃 金債権も相続財産になり得るという考え方からすると、 労働者が死亡した場合の賃金の受取人については, まず, 当事者間の契約がどうなっているかによって定められるべきものと考えられます。 」 (労務行政 「実務相談」 P469) ただし、退職金の場合は、労働者の死亡による退職という事実の発生により支給されるものであるから、 死亡時に労働者が権利を取得していた財産であるということはできず、相続財産に当たらないと考えられる。 したがって、当然に相続人に受給権が生じるものでなく、あたかも生命保険の保険金受取人を定めるように その受給権者が定められていれば、それに従うべきものである。これを定めていない場合は、その規定の合 理的解釈により受給権者を決定すべきである(退職金については第3節2. P457 以下参照)。 労働者が死亡した場合の支払い先を就業規則等に定めていない場合、労働者が死亡しているのを知りなが ら,労働者の銀行口座へ賃金や退職金を振り込むというのはいかがなものかと思われる。 やはり,正当な相続人へ支払うことが,使用者側の措置として適当ではないかと考えられる。 相続人が複数いる場合には,相続人の誰かに相続人全員からの書面による委任をもって代表となってもら い,その代表者に支払う方法,民法の規定に従って使用者が退職金等を分割して各相続人に支払う方法など がある。 また,相続人がはっきりとしない場合や、何らかの理由で相続人間で争いがある場合は、賃金債権の帰属 者がはっきりしないものと考えられることから,法務局へ退職金等を供託することにより支払義務を果たす 方法もある。 いずれにしても,労働者が死亡した場合に未払い給与・賞与や退職金をだれに支払うのかということにつ いて,就業規則等ではっきりと定めておくことが望まれる(労務行政「実務相談 2004」P469) 。 412 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 4.賃金請求権と時効の問題 (1)労働者が有する賃金請求権 労働者が使用者に対して有する賃金債権は、 民法の原則によれば1年で消滅時効にかかることになるが (民 法 174 条) 、労基法は給与・賞与について2年、退職手当について5年という特別規定を設けている(労基 法 115 条) 。したがって、賃金債権の請求権の消滅時効は、一般的には2年であり、休業手当も賃金と解さ れているから時効も2年である。 災害補償その他の請求権についても2年と労基法 115 条は規定しているので問題ないが、年次有給休暇権 については議論があるところである。しかし、一般的には年次有給休暇の請求権も2年間は有効と考えられ る。 労基法 (時効) 第 115 条 この法律の規定による賃金(退職手当を除く。)、災害補償その他の請求権は二年間、この法律の 規定による退職手当の請求権は五年間行わない場合においては、時効によつて消滅する。 民法 (債権等の消滅時効) 第 167 条 債権は、十年間行使しないときは、消滅する。 第2項 略 (一年の短期消滅時効) 第 174 条 次に掲げる債権は、一年間行使しないときは、消滅する。 一 月又はこれより短い時期によって定めた使用人の給料に係る債権 二 自己の労力の提供又は演芸を業とする者の報酬又はその供給した物の代価に係る債権 三 運送賃に係る債権 四 旅館、料理店、飲食店、貸席又は娯楽場の宿泊料、飲食料、席料、入場料、消費物の代価又は立替金に係 る債権 五 動産の損料に係る債権 (2)賃金を過払いした場合の還付請求権 使用者が労働者に賃金を支払った際に、何らかの理由で誤って多く支払ってしまったということが起こり 得る。その場合は、本来支払うべきでなかった金銭を給付したのだから、使用者は労働者に対し不当利得の 返還請求権を有することになる。その時効の問題は労基法 115 条の適用はないので、民法の原則に戻る。 民法は債権一般について 10 年の消滅時効を定めているから、 使用者が賃金を過払いした場合の返還請求権 の消滅時効は 10 年である(民法 167 条 1 項) 。なお、同法 174 条には「月又はこれより短い時期によって定め た使用人の給料に係る債権」の消滅時効は1年という規定があるが、これは労働者が使用者に対して有する賃 金請求権に関するものであるから、使用者が労働者に対して有する不当利得の返還請求権については適用さ れない。 しかし、労働者の賃金請求権の時効は2年であるのに対し、それを過払いした場合の返還請求権の時効は 10 年であるということは、いかにも均衡を欠く感があり、労働者の納得を得られにくい。他方、大学・独法 が長期間にわたって過払いを続けたということに過失がなかったのか、過払いした給与の原資は国民の税金 413 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 であり、法人化前であれば会計法に基づいて金銭の給付を目的とする「国の権利」及び「国に対する権利」 の消滅時効は5年という規定(会計法 30 条)、 「国の権利」は時効の援用を要せず放棄もできないといういわ ゆる絶対的消滅時効規定(会計法 31 条 1 項)の適用があったはずであること、賃金台帳などの労働関係に 関する重要な書類の保存期間が3年であること、などの事情もあり、実務においてはこれらにも配慮する必 要があろう。 以上のことから、実務処理にあたっては、次のようなことを総合的に考慮して、どの時点まで遡って精算 するか労働者の納得が得られるよう配慮する必要があろう。 ① 使用者が賃金を過払いした場合の返還請求権の消滅時効は 10 年である(民法 167 条 1 項) 。 ② 一方、労働者が使用者に対して有する賃金請求権の時効は2年である(労基法 115 条)こととの均衡 にも配慮する必要がある。 ③ 過払いした給与が国民の税金から支出されたということから、国の権利である場合の時効は5年であ るという事情にも配慮する必要がある。 ④ 長期にわたつて過払いを続けた場合、使用者側の過失も考えられることから、このことにも配慮する 必要がある(民法 418 条) 。 会計法 第 30 条 金銭の給付を目的とする国の権利で、時効に関し他の法律に規定がないものは、五年間これを行わ ないときは、時効に因り消滅する。国に対する権利で、金銭の給付を目的とするものについても、また同様と する。 第 31 条 金銭の給付を目的とする国の権利の時効による消滅については、別段の規定がないときは、時効の 援用を要せず、また、その利益を放棄することができないものとする。国に対する権利で、金銭の給付を目的 とするものについても、また同様とする。 第2項 略 民法 (過失相殺) 第 418 条 債務の不履行に関して債権者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の責任 及びその額を定める。 ⇒ 過払いした給与を還付請求すべき期間はその事情(不正受給の悪質性、使用者側の過失度合いなど)にもよる が、通常は2~5年程度が適当ではないか。 ※給与計算において発生する欠勤・ストなどによる控除のいわゆる給与の調整的相殺の問題は、 3. (3) 4)P405 以下を参照。 414 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 5.休業手当 (1)休業手当の支払義務 使用者の責に帰すべき事由による休業の場合は、平均賃金の 100 分の 60 以上の手当を支払わなければな らない(労基法 26 条) 。 この休業手当は、使用者の責に帰すべき事由による休業のために収入の途が絶たれてしまうことを救済す ることを目的とする(生活保障)から、1日の所定労働時間のうち一部のみ休業させた場合に、現実に就労 した時間に対して支払われる賃金が平均賃金の 100 分の 60 に達する場合は、 休業手当の支払いは必要なく、 100 分の 60 未満の場合にはその差額を支払うことになる。 休業手当の対象となる休業日は、労働契約上就労義務のある日に使用者の責に帰すべき事由により現実に 休業した日であるから、所定休日は除かれる。この点、災害補償である休業補償(労基法 76 条)や労災保 険の休業補償給付の支給対象日とは異なるので注意を要する。 ※所定労働時間の一部労務不能の場合の休業補償給付の額 労働者が業務上の負傷又は疾病による療養のため所定労働時間のうち一部分についてのみ労務不能であった 場合、一部労働する日に係る休業補償給付の額は、給付基礎日額から当該労働に対して支払われる賃金の額を控 除して得た額の 100 分の 60 に相当する額とされる(労災保険法 14 条 1 項ただし書) 。 (2)休業手当と民法との関係 民法は、債権者(使用者)の責めに帰すべき事由によって債務を履行すること(労務を提供すること)がで きなくなったときは、債務者(労働者)は、反対給付を受ける権利(賃金請求権)を失わないことを定めている (民法 536 条 2 項)この場合において、自己の債務を免れたことによって利益を得たとき(休業期間中アル バイト収入があった場合など)は、これを債権者(使用者)に償還しなければならない。 民法 536 条 2 項の「債権者の責めに帰すべき事由」による休業の場合は、賃金を全額請求し得るものの、 「故意・過失または信義則上これと同視すべき場合」に限られるとされる(片岡「労働法」(2)P239)のに 対し、労基法 26 条の「使用者の責に帰すべき事由」による場合は賃金の 60%以上に限定して、 「第1に使用 者の故意、過失又は信義則上これと同視すべきものより広く、第2に不可抗力によるものは、含まれない」 とされる(厚労省「労基法コメ」上巻 P361) (注 1、注 2) 。 注 1. 「国際産業事件」東京地裁決定昭 25.8.10 「民法にいう『債権者の責に帰すべき事由』とは、債権者の故意、過失または信義則上これと同視すべきも のと解するが、労働基準法第 26 条にいう『使用者の責に帰すべき事由』とは、これよりひろく、企業の経営 者として不可抗力を主張し得ないすべての場合(たとえば、経営上の理由により休業する場合)も含むものと 解すべき」であるとしている。 注 2. 「ノース・ウエスト航空事件」最高裁二小判決昭 62.7.17 「右の『使用者の責に帰すべき事由』とは、取引における一般原則たる過失責任主義とは異なる観点をも踏 まえた概念というべきであって、民法 536 条 2 項の『債権者ノ責ニ帰スベキ事由』より広く、使用者側に起因 する経営、管理上の障害を含むものと解するのが相当である。 」 労基法 26 条は「使用者の責に帰すべき事由」による休業について平均賃金の 100 分の 60 以上の支払いを 義務づけているが、民法 536 条 2 項では「債権者の責めに帰すべき事由」 「反対給付を受ける権利を失わな 415 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 い」と 100 パーセントの請求権を認めている。そのため、労基法の規定は、労働者にとって民法の規定より 不利ではないかという疑問が生じる。 しかし、民法の規定は労基法の規定を否定するものでなく、また、労基法の規定も民法の規定を排除する ものでないので、生活保障と考えられる 100 分の 60 までの部分は労基法の強行性によって使用者にその履 行を義務づけ、残りの 100 分の 40 の部分は民法の一般原則に従うものであり、労基法の規定が民法の規定 に比して不利であるというものでない(昭 22.12.15 基発 502 号) 。 労基法 (休業手当) 第 26 条 使用者の責に帰すべき事由による休業の場合においては、使用者は、休業期間中当該労働者に、その 平均賃金の 100 分の 60 以上の手当を支払わなければならない。 民法 (債務者の危険負担等) 第 536 条 前二条に規定する場合(注)を除き、当事者双方の責めに帰することができない事由によって債務 を履行することができなくなったときは、債務者(労働者)は、反対給付を受ける権利(賃金請求権)を有しない。 2 債権者(使用者)の責めに帰すべき事由によって債務を履行することができなくなったときは、債務者(労働 者)は、反対給付を受ける権利(賃金請求権)を失わない。この場合において、自己の債務を免れたことによって 利益を得たとき(休業期間中アルバイト収入があった場合など)は、これを債権者(使用者)に償還しなければなら ない。 (労働法の場合の例示を宮田が独自にカッコ書で挿入した。 ) 注.前二条に規定する場合 ①双務契約の目的物が債務者の責めに帰することができない事由によって滅失し又は損傷したとき、②停止条件付双務 契約の目的物が債務者の責めに帰することができない事由によって損傷したときは、その滅失又は損傷は、債権者の負担 に帰する、という規定。 荒木 尚志教授によると、立法に当たっては「労働者の責に帰すことのできない事由」による休業の場合 に,一定の保障を行うことが議論されたが,不可抗力の場合にまで使用者に休業手当支給義務を課すのは妥 当ではないとされ, 「使用者の責に帰すべき事由による休業」と規定されることとなったそうである(荒木 「労働法」P108) 。そうすると,民法 536 条 2 項の規定する「債権者の責めに帰すべき事由」による履行不 能との異同や,民法の場合 100%の賃金(反対給付)が支払われるのに,労基法 26 条の場合は平均賃金の 60%以上の手当となっている点についてどう理解すべきかが問題となる。 まず,両規定の関係であるが,労基法 26 条は民法 536 条 2 項の適用を排除するものではない。むしろ,労 基法 26 条は,民法 536 条 2 項によって支払われるべき賃金のうち平均賃金の 6 割に相当する部分について 罰則によって支払を担保するとともに,民法 536 条 2 項後段に規定されている債務を免れたことによる利益 の償還を定めないことにより・労働者への平均賃金 6 割相当額の支払を確保する点で労働者保護を強化した ものと解される。 次に,両規定の帰責事由の解釈については,現在の判例・通説によると,労基法 26 条にいう「使用者の責 に帰すべき事由」は,民法 536 条 2 項の帰責事由(故意・過失または信義則上それと同視すべき事由)より 広く,民法上は帰責事由とされないような「使用者側に起因する経営,管理上の障害を含む」と解されてい る。たとえば,監督官庁の勧告による操業停止,親会社の経営難のための資金・資材の入手困難等は,民法 416 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 上は使用者の帰責事由とはいえないが,労基法 26 条にいう使用者の帰責事由には該当するとされている。 ただし,不可抗力による場合は「使用者の責に帰すべき事由」ということはできない(荒木 「労働法」P108) 。 以上の結果、労基法 26 条の「使用者の責に帰すべき事由」と民法 536 条 2 項の「債権者の責めに帰すべ き事由」との関係を図示すると、次のようになる(労基法 26 条には経営上の障害が含まれるが、民法 536 条 2 項では含まれない。 ) 。 第 2-2-2-7 図 労基法 26 条と民法 536 条 2 項との関係 民法 536 条 2 項の 「債権者の責めに帰すべき 事由」 故意・過失又 はこれと同 経営上の 視すべき場 障害 不可抗力 合 労基法 26 条の「使用者の責に帰すべき事由」は 「故意・過失又はこれと同視すべき場合」のほか、 「経営上の障害」が加わる。 (3)不可抗力による休業の場合 1)出勤不能の場合 使用者の責でも労働者の責でもなく、いわば不可抗力により出勤の方法がなく労務提供が不能となり休業 した場合の賃金の取扱いはどうあるべきであろうか。交通事故や天災事変などの場合である。 民法 536 条 1 項の原則によれば、このような不可抗力の場合の危険負担は“債務者(労働者)負担”とさ れており、無給であっても違法性はない(多くの国大・独法・民間会社では交通事情による不就業について は賃金を減額しない規定や慣行をもっているが、それは独自の処遇であって、労働者の当然の権利というわ けでない。 ) 。 ⇒ 関連:通勤に要する費用負担 労働者が労務を提供する義務を果たす(債務を弁済する)には就業場所まで通勤しなければならないが、そ の通勤に要する費用は別段の意思表示がなければ労働者が負担すべきものである(民法 485 条) 。ただし、事 務所の移転・転勤などにより増加した費用は使用者負担となる。 民法 (弁済の費用) 第 485 条 弁済の費用について別段の意思表示がないときは、その費用は、債務者の負担とする。ただし、 債権者が住所の移転その他の行為によって弁済の費用を増加させたときは、その増加額は、債権者の負担と する。 417 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 2)自然条件による場合 イ 植物の栽培や遺跡発掘の業務など 植物の栽培や遺跡発掘の業務など屋外における作業は、雨の日などは通常作業を行うことができない。こ のような場合に休業手当を支給しなければならないのだろうか? 前述(1)で述べたとおり、休業手当の支払いは、経営者として不可抗力を主張し得ないすべての事由が これに該当すると解されるから、雨天の日に通常屋外作業を行うことができなくても不可抗力とはいえず (屋外作業を行う経営者は雨天の日があることを当然に想定すべきである。 ) 、 「使用者の責に帰すべき事由 による休業」に該当し、休業手当の支払いを免れ得ない(注) 。 注.このような場合に労働日を変更して予備日と入れ替える契約とすることが適切であろう。 たとえば、通常の勤務日を月・水・金と定め、当日雨天のため作業を行うことができない場合は当日を休日 とし、代わって火・木を労働日とすることを就業規則及び労働契約に定めておく。また、そのような労働日の 入替えを行う手続き(いつまでに決めて、どのような方法で周知するのかなど)についても定める必要がある。 ロ 台風などによる休講 台風や大地震の影響で交通機関が停止し、やむを得ず休講にしなければならないことがある。通常、この ような場合には代替日を設けて講義を実施し、年間を通じて実施回数が維持されるから問題は生じないが、 法的にはどうであろうか? このような自然災害による休講は労基法 26 条の「使用者の責に帰すべき事由」に該当せず、民法 536 条 1 項の「当事者双方の責めに帰することができない事由」であると考えられるから、休講によって非常勤講師 が休業したとしても休業手当の支払い義務は生じない。 3)新型インフルエンザ対策の場合 イ 就業禁止と休業手当の支払義務との関係 次のいずれかに該当する職員については、その就業を禁止しなければならない(安衛法68条、安衛則61条 1項1号)。 ① インフルエンザのような病毒伝播のおそれがある伝染性の疾病にかかった者 ② 心臓、肝臓、肺等の疾病で労働のため病勢が著しく増悪するおそれがあるものにかかった者 ③ 前各号に準じる疾病で、厚生労働大臣が定めたものにかかった者 また、都道府県知事は、新型インフルエンザ等感染症患者・無症状病原体保養者に対し、感染症のまん延 を防止するため必要があると認めるときは、一定期間、飲食物の製造、販売、調製又は取扱いの際に飲食物 に直接接触する業務及び接客業その他の多数の者に接触する業務に従事することを禁止することができる (感染症予防法18条2項、感染症予防法施行規則11条2項) 。 法律の規定以外にも、たとえば、平成21年5月16日、政府の新型インフルエンザ対策本部幹事会は、次の ような内容の「確認事項」を発表し、事業主に適切な措置を講じるよう要請している。 ① 事業者や学校に対し、時差通勤・時差通学、自転車通勤・通学等を容認するなど従業員や児童・生徒 等の感染機会を減らすための工夫を検討するよう要請する。 ② 大学に対しては、休業も含め、できる限り感染が拡大しないための運営方法を工夫するよう要請する。 ③ なお、従業員の子ども等が通う保育施設等が臨時休業になった場合における当該従業員の勤務につい て、事業者に対し、配慮を行うよう要請する。 また、 「事業者・職場における新型インフルエンザ対策 ガイドライン」 (新型インフルエンザ及び鳥イン 418 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 フルエンザに関する関係省庁対策会議平成21 年2 月17 日)においては、 「38度以上の発熱、咳、全身倦怠 感等のインフルエンザ様症状があれば出社しないこと。 」としている。 このように、法令に基づく就業禁止や社会的な要請に基づく就業禁止等の措置(政府や公的機関が民間に 要請するガイドラインなどを含む。)は、経営者として不可抗力を主張し得る休業であると解されるから、 休業手当支払い義務は生じない。 しかし、社会的には休業まで要請していないにもかかわらず大学・独法独自の方針として万が一に備えて 休業を命じる場合(例:伝播地域に限らず、海外から帰国した者を一律休業させる措置など)は「使用者の 責に帰すべき事由」に当たると考える。したがって、その場合は労務指揮権により休業を命じることは可能 であるが、休業手当の支払い義務が生じる。 実際に、鳥インフルエンザのときに厚労省が出した見解も、おおよそこのような内容のもので、具体的に は、次の図のとおりである。 第2-2-2-8図「使用者の責に帰すべき事由」に該当するか否かの判断基準 事 例 労基法26条の休業手当支払い義務 ①国等の強制的な措置に基づく場合 ○感染症法第45条に基づき健康診断の受診勧告を受 けた労働者を休業させる場合 な し ○感染症法第45条に基づき入院勧告を受けた労働者 を休業させる場合 ②国等が要請している措置に基づく場合 原則 な し ○疑い例に該当する労働者を休業させる場合 ただし、伝播確認地域への渡航延期勧告発令後に使用 ○伝播確認地域から帰国した労働者を10日間自宅待 者が当該地域への出張を命じた場合は「あり」 機させ休業を命じる場合 ③上記①及び②に該当しない場合であって、事業主の あ り 自主的な判断で休業させる場合 ※平成15年5月22日付で厚生労働省が愛知労働局へ回答した要旨 注意点⇒休業手当支払い義務 法令に基づく就業禁止、国等の要請に基づく休業措置の場合は、 「使用者の責に帰すべき事由」に該当せ ず、休業手当支払い義務はない。 ロ 民法の危険負担に基づく賃金請求権 藤井 康広弁護士は、病者の就業禁止は使用者の法定義務であるから使用者は就業禁止命令権限を有する が、その行使に当たっては産業医その他専門医師の意見を聴かなければならないと説明しておられる。そし て、次のような場合には労働者は賃金請求権を失わないので、就業禁止措置をとることができるとしても無 給とすることはできないとされている( 「労政時報」08.4.25 号 P146) 。 ① 就業禁止が,裁量権の逸脱として違法と判断された場合,あるいは,産業医その他の専門医の意見を 聞かずに行われるなど法令に反する場合(少なくとも有給の就業禁止が違法と判断される事情がある場 合) 。 419 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 ② 違法とまではいえないまでも、就業禁止が,医師の意見を踏まえることなく漫然と行われた場合,あ るいは,必要な範囲を超えて行われた場合(感染期間を超えて完治するまで就業禁止等) 。 ③ 就業禁止以外の方法で感染防止という目的を達し得るような場合に,あえて感染防止を理由として就 業禁止が行われた場合。具体的には,インフルエンザの種類.流行状況,症状.感染期間,業務内容等に 鑑み、在宅勤務が可能な場合や,時差出勤や医療用マスクの着用によって他の労働者への感染を防止しつ つ就業を継続できる現実的可能性がある場合で,労働者が就業を希望する場合(参考: 「片山組事件」最 高裁一小判決平 10.4.9) ④ インフルエンザの罹患について,使用者に責任が認められる場合(安全配慮義務違反が認められる場 合) 。たとえば,インフルエンザが社会的に蔓延する中,使用者が適切かつ合理的な感染予防措置を行わ なかったがために,職場または出張先においてインフルエンザに感染したような場合。 参考:片山組事件 最高裁一小判決平 10.4.9 建築工事現場で長年にわたり現場監督業務に従事してきた労働者が、バセドー氏病のため現場作業に従事 できないと申し出たところ、会社から自宅治療命令を受け、約四か月間欠勤扱いとして賃金が支給されなか ったため、賃金請求した事案において「労働者が職種や業務内容を特定せずに労働契約を締結した場合にお いては、現に就業を命じられた特定の業務について労務の提供が十全にはできないとしても、その能力、経 験、地位、当該企業の規模、業種、当該企業における労働者の配置・異動の実情及び難易等に照らして当該 労働者が配置される現実的可能性があると認められる他の業務について労務の提供をすることができ、かつ、 その提供を申し出ているならば、なお債務の本旨に従った履行の提供があると解するのが相当である。」と して、労働者の賃金請求を認めた。 神奈川都市交通事件最高裁一小判決平 20.1.25 他方、タクシー乗務員として職種が限定されている場合には、使用者は事務職としての就労申入れを受け る義務はなく、休職は使用者の責に帰すべき事由によるものでないとして、労基法 26 条による休業手当の請 求には理由がないとされている。 (4)自宅待機と賃金支払義務 1)賃金支払い義務 自宅待機の措置については、①業務命令として自宅待機を命じる場合と、②使用者が労働者の労務提供の 受領を拒否する場合とがある。いずれの場合にせよ、労務指揮権の行使として当然に行えるものであって、 就業規則上の根拠規定は不要とされる。 たとえば、①の例として、経理上の不正が疑われる場合などに、証拠隠滅防止の観点から懲戒処分とは別 に(あるいは懲戒処分の前段として)当該職員の自宅待機(出勤停止)を命じることがある。②の例として は、職員が職場内で暴力有為を繰返す場合に、職場秩序維持の観点から職場内への立ち入りを拒否すること などが考えられる。労務の受領を拒否すること自体は、特段の事情がない限り違法とはなり得ない。 このような措置について、賃金支払いはどうすべきであろうか? 一般的には一種の職務命令(業務命令)とみるべきであるから、通常は「経営上の障害」による休業とし て労基法 26 条休業手当の対象となる(第 2-2-2-7 図 P417 参照) 。したがって、平均賃金の 60/100 以上の支 払いが必要とされる。この場合おいて、通常は民法 536 条 2 項の「債権者の責めに帰すべき事由」に該当す ると考えられるから、労働者はさらに賃金の全額を請求し得ることとなるが、同項は任意規定であるから就 業規則等にこれと異なる規定をもつ場合はそれによることになる。 420 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 しかし、次のような場合には、懲戒処分を下すまでの間又は一定の冷却期間の間、賃金を無給として自宅 謹慎を命じることができると考えられる(注) 。 ① ハラスメントや暴力行為の当事者同士を同一の職場に勤務させることが適当でない場合 ② 当該労働者を就労させないことについて、不正行為の再発、証拠湮滅のおそれなどの緊急かつ合理的 な理由が存する場合 注. 「日通名古屋製鉄作業所事件」名古屋地裁判決平 3.7.22 製鉄会社内で運送・荷役を行なう会社に勤務していた者が暴力行為を理由に自宅謹慎処分およびその後に懲 戒処分を受け、また、会社に無断で他社でタクシー運転手をしていたとして懲戒解雇された案件において、 「被告が右賃金控除をした根拠は、前項2(五)記載のAにかかる暴行事件の際に同様の措置が執られ、 それ以降、懲戒問題が生じて自宅謹慎を命ぜられ、後に懲戒処分が決定した場合その期間は欠勤扱いと する旨の慣行が成立しており、訴外組合もそのことを了承していたということにあると認められる。し かしながら、このような場合の自宅謹慎は、それ自体として懲戒的性質を有するものではなく、当面の 職場秩序維持の観点から執られる一種の職務命令とみるべきものであるから、使用者は当然にその間の 賃金支払い義務を免れるものではない。そして、使用者が右支払義務を免れるためには、当該労働者を 就労させないことにつき、不正行為の再発、証拠湮滅のおそれなどの緊急かつ合理的な理由が存するか 又はこれを実質的な出勤停止処分に転化させる懲戒規定上の根拠が存在することを要すると解すべき であり、単なる労使慣行あるいは組合との間の口頭了解の存在では足りないと解すべきである。 」と判断 し、 単なる労使慣行あるいは組合との間の口頭了解の存在では無給にすることはできないと解すべきであると した。 ⇒ 自宅待機を命じた場合における当該期間の賃金は、通常、労基法 26 条の強行規定により60%以上の支払いを要す るほか、労働者から請求された場合には60%を超える賃金の全額について支払わなければならない余地がある。 2)二重処分との関係 懲戒解雇された職員から 「懲戒解雇の前にした自宅待機の措置は実質的に出勤停止処分と同視されるから、 懲戒解雇は二重処分に該当し無効である」 、という主張される可能性がある。 この場合に、賃金を無給とした自宅待機を命じると「不正行為の再発、証拠湮滅のおそれなどの緊急かつ 合理的な理由」か「実質的な出勤停止処分に転化させる懲戒規定上の根拠」を必要とするから、懲戒処分と 明確に区別する意味でも一般的には賃金を 100%支払った上での自宅待機命令が望ましい。 これに関しては、裁判例では「自宅待機期間中も賃金が支払われたのであるから、右自宅待機は懲戒処分 に該当するものではないというべきであり、したがって、本件懲戒解雇が二重処分として無効になるという ことはない」 ( 「ダイエー(朝日セキュリティーシステムズ)事件」大阪地裁判決平 10.1.28-注 1) 、 「被告 は、原告の出勤停止期間について(中略)給与を支払っており、(中略)したがって、被告のした出動停止は懲 戒処分でなく、調査又は処分を決定するまでの前置措置として就業を禁止した業務命令にすぎないと認めら れ、原告の主張は理由がない」 ( 「京王自動車事件」東京地裁判決平 10.11.24-注 2)などがある。 自宅待機期間を無給にしていると、その自宅待機は懲戒処分であると判断され、自宅待機の原因となった 職員の行為に対しては、再度懲戒処分はできないという結果を招く心配が生じる。 注 1. 「ダイエー(朝日セキュリティーシステム)事件」大阪地裁判決平 10.1.28 大型スーパーを経営する会社から関連の警備会社に出向し業務部次長の職務にあった者が、 阪神大震災の際 に設置された対策本部事務局の責任者の一人として対策業務に従事していた際に、 東日本本部からの応援の社 421 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 員の夕食代の領収書を改ざんし、10 万円を水増しして請求し着服したことを理由に懲戒解雇され、その効力 を権利濫用等により無効である等として争ったが解雇有効とされた。 (請求棄却) 。 懲戒解雇と出勤停止との二重処分であるとの主張に対し、裁判所は「懲戒処分としての出勤停止とは、七日 以内(期間中の休日を含む。 )出勤を停止し、その間給与を支給しない処分をいうところ(被告就業規則六二 条一項三号) 、前記のとおり、原告に対しては、自宅待機期間中も賃金が支払われたのであるから、右自宅待 機は懲戒処分に該当するものではないというべきであり(同六二条三項参照) 、したがって、本件懲戒解雇が 二重処分として無効になるということはない。 」と判示している。 注 2. 「京王自動車事件」東京高裁判決平 11.10.19 タクシー会社に勤務する乗務員が、勤務中に同僚との間で、無線配車に関するルールの違反をめぐって争い となり、 同僚の営業車両のエンジンキーを抜き取って乗務できない状況にしたことを理由として懲戒解雇され、 右解雇を無効であるとして従業員としての地位確認を請求したケースの控訴審で、 右解雇は解雇権濫用に当た るとはいえないとして、解雇を無効として従業員としての地位確認を認めた原審を取消し、会社側の控訴が認 容された事例。 3)採用内定者の自宅待機 新規学卒者のいわゆる採用内定については、学生から入社誓約書又はこれに類するものを受領した時点に おいて、過去の慣行上、定期採用の新規学卒者の入社時期が一定の時期に固定していない場合等の例外的場 合を除いて、一般的には、遅くとも当該企業の例年の入社時期(4月1日である場合が多いであろう。 )を 就労の始期とし、一定の事由による解約権を留保した労働契約が成立したとみられる場合が多い。そのよう な場合において、企業の都合によって就労の始期を繰下げるいわゆる自宅待機の措置をとるときは、その繰 下げられた期間について休業手当を支給すべきものと解される(昭 63.3.14 基発 150 号) 。 422 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 6.割増賃金 (1)割増賃金の支払義務 次の場合に割増賃金支払い義務が生じる(労基法 37 条) 。 ① 法定労働時間を超えて労働させた場合 (非常災害の場合、 三六協定による場合いずれの場合であっても。 次の②において同じ。 ) ② 法定休日に労働させた場合 ③ 深夜時間帯(22:00~5:00、厚生労働大臣が定める地域又は期間については 23:00~6:00)に労働させ た場合 (2)割増率 時間外労働、休日労働及び深夜業については、通常の労働時間又は労働日の賃金の計算額の一定比率以上 で計算した割増賃金を支払わなければならない。 この規定(労基法 37 条)は強行規定であり、たとえば、労働組合の申し合わせ等労使合意の上で割増賃 金を支払わない申し合わせをしても、無効である(昭 24.1.10 基収 68 号) 。 第 2-2-2-9 図 割増率 5:00~22:00(平時間帯) 法定時間内 時間外労働 月 60H 以下 月 60H 超 休日労働 22:00~5:00(深夜業) 100/100 125/100 125/100 150/100 150/100(注) 175/100 135/100 160/100 ※休日労働が 8 時間を超えても 135/100 でよい。 (休日労働は 8 時間を超える部分を含めて休日労働であり、時間外労働という概念がない。ただし、 深夜については区別し、休日深夜として取り扱われる。 ) 注.労使協定により月 60 時間を超える時間外労働に対して有給の休暇(代替休暇)を与えることを定めた 場合は、125/100 を超える部分の割増賃金を支払うことを要しない(改正労基法 37 条 3 項) 。 代替休暇の与え方については、支払うことを要しない割増賃金が1時間当たりの賃金の 25 パーセント相 当額であるところから、時間外労働1時間につき 0.25 時間の休暇とされ、休暇の取得単位は1日又は半 日とされる。 ○ 中小規模の事業に対する猶予措置 1か月について 60 時間を超える時間外労働について、法定割増賃金率を 150/100 以上の率に引上げる規 定(労基法 37 条 1 項ただし書)は、経営体力が必ずしも強くない中小企業においては、時間外労働抑制の ための業務処理体制の見直し、新規雇入れ、省力化投資等の速やかな対応が困難であり、やむを得ず時間外 労働を行わせた場合の経済的負担も大きいため、当分の間、法定割増賃金率の引上げの適用を猶予すること とした(労基法 138 条) 。 なお、改正法の施行後3年を経過した場合において、中小事業主に対する猶予措置について検討を加え、 その結果に基づいて必要な措置を講じることとされている(改正法附則 3 条 1 項) 。 423 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 ※猶予措置の対象となる中小事業主(労基法 138 条関係) (1)中小事業主の範囲 「中小事業主」は、資本金の額又は出資の総額及び常時使用する労働者数によって判断される。具体的には、 次の業種の分類に応じて、それぞれに該当する場合に、中小事業主に該当することとなる。なお、中小事業主の 判断は、事業場単位ではなく企業単位で判断される。 a 小売業 資本金の額が五千万円以下又は常時使用する労働者数が五十人以下である場合 b サービス業 資本金の額が五千万円以下又は常時使用する労働者数が百人以下である場合 c 卸売業 資本金の額が一億円以下又は常時使用する労働者数が百人以下である場合 d その他の業種 資本金の額が三億円以下又は常時使用する労働者数が三百人以下である場合 これは、中小企業基本法(昭和 38 年法律第 154 号)第 2 条第 1 項に規定する中小企業者の定義を参考にした ものであり、資本金の額又は出資の総額及び常時使用する労働者数の少なくとも一方がこの基準を満たしていれ ば、中小事業主に該当することとなる。なお、中小企業基本法第 2 条第 1 項に規定する中小企業者は、一定範囲 の「会社及び個人」とされているが、労基法 138 条に規定する中小事業主については、労働基準法が適用される 事業主であれば、たとえば、独立行政法人や協同組合等「会社及び個人」以外であっても該当し得る。 (2)業種の判断 「中小事業主」の判断における業種の分類は、日本標準産業分類(平成 21 年総務省告示第 175 号)に基づく。 一の事業主が複数の業種に該当する事業活動を行っている場合には、その主要な事業活動によって判断される。 主要な事業活動とは、過去1年間の収入額・販売額、労働者数・設備の多寡等によって実態に応じて判断される。 (3)常時使用する労働者数の判断 「常時使用する労働者の数」は、当該事業主の通常の状況によって判断される。臨時的に労働者を雇い入れた 場合、臨時的に欠員を生じた場合等については、労働者の数が変動したものとしては取り扱われない。 労働者の数は、労働契約関係の有無によって判断される。たとえば、出向者については、在籍出向者は出向元 と出向先の両方との間に労働契約関係があるため両方の労働者数に算入され、移籍出向者(転籍者)は出向先と の間に労働契約関係があるため出向先の労働者数に算入される。また、派遣労働者は、派遣元との間に労働契約 関係があるため、派遣元の労働者数に算入される。 割増率については、時間外労働・休日労働に関しては「通常の労働時間又は労働日の2割5分以上5割以 下の範囲内でそれぞれ政令で定める率」とされており(労基法 37 条 1 項) 、平 12.6.7 政令 309 号により上 記第 2-2-2-9 図 P423 のとおりである。 深夜割増率については、 「通常の労働時間の賃金額の2割5分以上の率」 とされており (労基法 37 条 3 項) 、 深夜の割増率は固定的である(法律改正によらなければ変更できない。 ) 。 「通常の労働時間又は労働日の賃金」とは、割増賃金を支払うべき労働が深夜でない所定労働時間中に行 われた場合に支払われる賃金のことである。割増賃金を支払うべき時間に特殊作業に従事した場合には、当 該特殊作業に係る特殊作業手当は、当然に「通常の労働時間又は労働日の賃金」に含まれる(昭 23.11.22 基発 1681 号) 。 ⇒ 割増率の規定は、時間外労働・休日労働に関しては政令、深夜労働に関しては法律によって定められている。 改正労働基準法(平 20.12.12 法律 89 号)は、時間外労働に係る割増賃金に関し、①月 45 時間以上 60 時 間以下の時間外労働の割増率を 125/100 を超える率とする努力義務、②月 60 時間を超える時間外労働の割 424 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 増率を 150/100 以上とする義務とした。ただし、②について、労使協定により一定の代替休暇を与える場合 は 125/100 以上の率でよい(改正労基法 37 条 1 項・3 項) 。 イ 月45時間以下の時間外労働の割増率 限度時間内の時間外労働の割増率は現行制度を踏襲し、上記第 2-2-2-9 図 P423 の割増率と同様(平時 間帯 125/100)である。 ロ 月45時間以上60時間以下の時間外労働の割増率 労使当事者は、限度時間を超える一定の時間まで時間外労働ができる特別条項を定めるに当たっては、 時間外労働ができる時間をできる限り短くするように努めなければならないとされる。また、割増率につ いても 125/100 を超える率とするように努めなければならないこととされ、三六協定において限度時間を 超える特別条項を定める場合には、現行では① 労使当事者間において定める手続きを経ること、② 限度 時間を超える一定の時間まで労働時間を延長することができること、を定めることとされているのに加え て、新たに③ 限度時間を超える時間外労働に係る割増賃金率、を定めなければならないこととなった(平 21.5.29 厚労告 316 号「改正限度基準告示」3 条 2 項・3 項) 。 ハ 月 60 時間を超える時間外労働の割増率 平成 20 年労基法改正により、時間外労働の割増率は、平成 22 年 4 月 1 日以降月 60 時間までは 125/100 (現行どおり) 、月 60 時間を超える時間については 150/100 となった。ただし、労使協定により月 60 時 間を超える時間外労働に対して有給の休暇(代替休暇)を与えることを定めた場合は、125/100 を超える 部分の割増賃金を支払うことを要しない(改正労基法 37 条 3 項) 。 休暇の与え方については労規則に定められる(労規則 19 条の 2)が、1か月 60 時間を超えて時間外労 働をさせた時間数に、60 時間を超えた時間適用される割増率から通常の時間外労働の割増率を差引いた率 を乗じて求めた時間数とされる。 法定割増率でいえば、 60 時間を超えた時間適用される割増率は 150/100、 通常の時間外労働の割増率は 125/100 であるから、60 時間を超える時間外労働1時間につき 0.25 時間の 休暇となる(ただし、付与単位は1日又は半日) 。 例:時間外労働を月76時間行った場合 割増率が法定割増率どおりであるとすると → 月60時間を超える時間外労働が16時間であるから → 16時間×0.25=4時間分の有給の代替休暇を付与する (76時間×1.25のベースとなる割増賃金の支払は必要) 労使協定には、次の事項を定めることとされる(改正労規則 19 条の 2 第 1 項) 。 ① 代替休暇として与えることができる時間の時間数の算定方法 ② 代替休暇付与の単位(1日又は半日とする。 ) ③ 代替休暇を与えることができる期間(60 時間を超えた該当月の末日の翌日から2か月以内の期間と する。 ) 代替休暇に関する労使協定が成立しないときは、 月 60 時間を超える時間外労働部分に対する割増賃金の 割増率を 50%以上としなければならない。 425 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 ○休日労働との関係 法 35 条に規定する週 1 回又は 4 週間 4 日の休日(以下「法定休日」という。 )以外の休日(以下「法外休 日」という。 )における労働は、それが週 40 時間を超える場合には時間外労働に該当するため、法 37 条 1 項ただし書の「1か月について 60 時間」の算定の対象に含めなければならない。 なお、労働条件を明示する観点及び割増賃金の計算を簡便にする観点から、就業規則その他これに準じる ものにより、事業場の休日について法定休日と法外休日の別を明確にしておくことが望ましい。 ⇒ 法定休日は原則として週 1 回(7日ごとに1回というわけでなく、とにかく1週間に1回の休日を与 えればよい。 )であるから、週休2日制かつ国民の祝日(年間 15 日)を休日とすることが定着した現在 では、法定休日と法外休日とを区別することは困難である。 一方、法外休日に出勤させた場合には1週間の労働時間が 40 時間を超えてしまうことがある。この 場合は、労基法上休日労働ではなく時間外労働となるので、 「1か月について 60 時間」カウントに算入 しなければならない。 しかし、前述説明のように、法定休日と法外休日とを区別することは困難であるから、あらかじめ就 業規則上の休日のうち法定休日を特定しておく(たとえば日曜日)が望ましいとされる。 ○深夜労働との関係(労基則 20 条 1 項及び 68 条関係) 深夜労働のうち、 1 か月について60 時間に達した時点より後に行われた時間外労働であるものについては、 深夜労働の法定割増賃金率1か月について 60 時間を超える時間外労働の法定割増賃金率とが合算され、 175/100 以上の率で計算した割増賃金の支払が必要となる。 ニ 限度時間を超える時間外労働の割増率 現在、時間外労働の限度時間は月 45 時間、かつ、年間 360 時間とされているが、限度時間を超えて労働 時間を延長しなければならない特別な事情(臨時的なものに限るものとし、年間でいえば6か月以内の期 間でなければならない。 。 )が生じたときに限り、一定期間についての延長時間を定めた当該一定期間ごと に、次の内容について定め(特別条項)をしたときは、限度時間を超える一定の時間まで労働時間を延長 することができることとされている(平 10.12.28 労告 154 号「限度基準告示」3 条) 。 これが改正により、上記①及び②に加えて、 「③限度時間を超える時間の労働に係る割増賃金の率」が加 えられることになった(平 21.5.29 厚労告 316 号「改正限度基準告示」3 条 1 項) 。 なお、限度時間を超える時間外労働の時間数を定める特別条項を定めるに当たっては、時間外労働をで きるだけ短くするように努めなければならないものとし、③の割増賃金の率は、2割5分を超える率とす るように努めなければならないとされる(いずれも努力義務。 「改正限度基準告示」3 条 2 項・3 項) ⇒ 労基法改正により、特別条項を定める場合において、限度時間(月45 時間)を超える時間外労働をできる限り短 くするよう努力し、かつ、限度時間を超える時間外労働の割増賃金の率を2割5分を超える率とするように努力す る必要がある。 (3)除外賃金(労基法 37 条 4 項、則 21 条) 割増賃金の算定基礎となる賃金は「通常の労働時間又は労働日の賃金」とされ、次の賃金は割増賃金算定 の基礎としない。 426 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 ① 家族手当 ② 通勤手当 ③ 別居手当 ④ 子女教育手当 ⑤ 住宅手当 ⑥ 臨時に支払われた賃金 ⑦ 1か月を超える期間ごとに支払われる賃金 ①~⑤の手当は、同一時間の時間外労働に対する割増賃金額が労働の内容や量とは無関係な労働者の個人 的事情で変わってくるのはおかしいとの考え方から除外された。 ⑥の賃金は、 「臨時的・突発的事由にもとづいて支払われたもの及び結婚手当等支給要件は予め確定され ているが、支給事由の発生が不確定であり、且つ非常に稀に発生するもの」とされている(昭 22.9.13 発基 17 号) 。これは「通常の労働時間又は労働日の賃金」ではないため除外される。 ⑦の賃金は、賞与や1か月を超える期間について算定される精勤手当・勤続手当・能率手当などを指すと 解される。これらの手当は計算技術上割増賃金の基礎への算入が困難であるとして除外されたものである (菅野「労働法」P277~278) 。 1)家族手当 扶養家族数又はこれを基礎とする家族手当額を基準として算出した手当をいう。家族数に関係なく一律に 支給される手当や一家を扶養する者に対し基本給に比例して支払われる手当は家族手当ではない(昭 22.12.26 基発 572 号)から、割増賃金の基礎に算入しなければならない。 しかしながら、家族手当と称していても、扶養家族数に関係なく一律に支給される手当(物価手当、生活 手当など)や一家を扶養する者に対し基本給に応じて支払われる手当は家族手当でなく、また、扶養家族が ある者に対し本人○円、扶養家族1人に付き○円という条件で支払われるとともに、独身者にも均衡上一定 額の手当が支払われている場合には、これらの手当のうち「独身者に対して支払われている部分及び扶養家 族がある者に対して本人に支給されている部分は家族手当でない。 」とされる(昭 22.12.26 基発 572 号) 。 松岡 三郎教授も、おおむね同様の見解を示している。 「家族数を基礎として算出した手当は、物価手当、生活手当、勤務地手当、その他その他名称の如何を問わず、 実質的には、家族手当とみて除外するとされている。之に反して家族数と関係なく一律に支給される手当、例え ば所得税補充手当や独身手当、更に家族補給手当なども家族数と関係ない以上、除外されない。 」 (松岡「労基法 詳解」P167) 2)通勤手当 通勤距離又は通勤に要する実際費用に応じて算定される手当をいう。一定額までは距離にかかわらず一律 に支給する場合は、一定額までの部分は通勤手当ではないから割増賃金の基礎に算入しなければならない (昭 23.2.20 基発 297 号) 。 通勤手当と出張旅費との違いについては、第1節1. (4)3) (357 ページ)参照。 3)別居手当・子女教育手当・住宅手当 これらの手当は、上記1)及び2)と同様に、労働と直接の関係が薄く、個人的事情に基づいて支給され るため除外したものである。 427 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 4)臨時に支払われた賃金・1か月を超える期間ごとに支払われる賃金 これらの賃金は、主として計算技術上の困難さから除外することにしたものと思われる。 (4)年俸者の割増賃金 年俸制の適用を受ける者の割増賃金については、支給額が確定している賞与は労基法でいう「賞与」とは みなされないから、賞与分も含めた年俸額を算定の基礎として割増賃金を支払う必要がある(平 12.3.8 基 収 78 号) 。したがって、たとえば、年俸額を17で除し、毎月年俸額の17分の1ずつ支払うほか、 「業績 賞与」と称して年2回年俸額の17分の 2.5 ずつ支払うような場合は、 「業績賞与」はあらかじめ支給額が 確定しているから割増賃金の算定基礎に含めなければならない。 また、年俸制の報酬の中に割増賃金が含まれている場合には、その額が計算できる仕組みになっていなけ れば割増賃金を支払ったこととされない(注 1、注 2) 。 ただし、年俸制の社員の時間外手当が基本給に混在していても、会社から受領する年次総額報酬以外に超 過勤務手当の名目で金員が支給されないという合意があったこと、報酬の額が高額であったことなど勤務実 態、報酬額等からみて労働者の保護に欠ける点はないことが認められる場合には、労基法 37 条の制度の趣 旨に反することにはならないとする最近の裁判例がある(注 3) 。 注 1.創栄コンサルタント事件大阪地裁判決平 15.5.17 時間外労働割増賃金、諸手当及び賞与を含めて年俸額 300 万円(毎月 25 万円支給)として雇用した労働者 の割増賃金請求について、年俸制だから割増賃金を支払わなくてもよいというわけではなく、労基法 37 条の 趣旨から、割増賃金部分が法定の額を下回っているかどうかが具体的に計算できないような方法による賃金の 支払方法は無効であると判断した。 注 2.高知県観光事件最高裁二小判決平 6.6.13 歩合給に時間外、深夜労働の割増賃金を組み込んでいるとの会社の主張について、 「本件請求期間に上告人 らに支給された前記の歩合給の額が、上告人らが時間外及び深夜の労働を行った場合においても増額されるも のではなく、通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外及び深夜の割増賃金に当たる部分とを判別すること もできないものであったことからして、この歩合給の支給によって、上告人らに対して法三七条の規定する時 間外及び深夜の割増賃金が支払われたとすることは困難なものというべきであり」として、割増賃金の支払い を命じた。 注 3.「モルガン・スタンレー証券事件」東京地裁判決平 17.10.19 基本給に所定時間外労働に対する対価(超過勤務手当)が含まれる旨の合意があったとしても,原告Aが受 領した基本給は超過勤務手当とその余の貸金との区別がされておらず,超過勤務手当を基本給に含めて扱うと の労働契約は,最高裁判決である小里機材事件最高裁一小判決昭 63.7.14(注)の判旨に照らし無効であると 主張したのに対し、 ① Aの給与は,労働時間数によって決まっているのではなく,会社にどのような営業利益をもたらし,どの ような役割を果たしたのかによって決められていること, ② 会社はAの労働時間を管理しておらず, Aの仕事の性質上, Aは自分の判断で営業活動や行動計画を決め, 会社はこれを許容していたこと,このため,そもそもAがどのくらい時間外労働をしたか,それともしなか ったかを把握することが困難なシステムになっていること, ③ Aは会社から受領する年次総額報酬以外に超過勤務手当の名目で金員が支給されるものとは考えていなか ったこと ④ Aは会社から高額の報酬を受けており,基本給だけでも平成 14 年以降は月額 183 万円を超える額であり, 428 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 本件において 1 日 70 分間の超過勤務手当を基本給の中に含めて支払う合意をしたからといって労働者の保 護に欠ける点はないこと が認められるとして、会社からAへ支給される毎月の基本給の中に所定時間労働の対価と所定時間外労働の対 価とが区別がされることなく入っていても,労基法 37 条の制度の趣旨に反することにはならないと判示した。 注.「小里機材事件」最高裁一小判決昭 63.7.14 労基法 37 条 1 項の割増賃金の算定基礎額からの除外賃金を定める同条 2 項(平成 5 年改正で 4 項に繰り下 げ) 、同施行規則 21 条の規定は制限列挙と解するべきであるとし、時間外割増賃金の算定に際し、控除され ていた住宅手当、皆勤手当、乗車手当、役付手当は、実質においてもこれらに規定された事項に該当しない として、各手当を算入して算出した割増賃金と既払い分との差額及び附加金の請求を認容した原審を維持し た。 (編注: 「住宅手当」は、労規則 21 条の改正により平成 11 年 10 月 1 日から算入しない手当に加えられた。 ) この「モルガンスタンレー証券事件」の例は年収 2000 万円のスペシャリストの場合であり、一般的には前 述通達及び「創栄コンサルタント事件」の判断のとおり「賞与分も含めた年俸額を算定の基礎として割増賃 金を支払う必要がある」と考えるべきであろう。 (5)固定残業手当 月給制や日給制の場合に、毎月又は毎日の定額の賃金の中に「月間 20 時間分の時間外割増手当を含む」 とか「1日1時間分の時間外割増手当を含んで1日 10,000 円とする」というような契約も有効である(注) 。 注. 「徳島海南タクシー事件」最高裁三小決定平 11.12.14 「労使間で、時間外・深夜割増賃金を定額として支給することに合意したものであれば、その合意は、定額である点で労 働基準法 37 条の趣旨にそぐわないことは否定できないものの直ちに無効と解すべきものでなく、通常の賃金部分と時間外・ 深夜割増賃金部分が明確に区別でき、通常の賃金部分から計算した時間外・深夜割増賃金との過不足額が計算できるのであ れば、その不足分を使用者は支払えば足りると解する余地がある。 」と、時間外・深夜割増賃金を定額として支給することを 是認している。 ただし、注意が必要なのは、月給や日給の額の中に含まれる時間外割増手当の額がいくらであるか計算が できる仕組みとなっていなければならない、ということである。たとえば、 「1日1時間分の時間外割増手 当を含んで日給 10,000 円とする」とした場合に、日給の額の中に含まれる時間外割増手当の額がいくらで あるか計算ができる仕組みとなっているかどうか検証してみよう。 例題1: 「1日1時間分の時間外割増手当を含んで日給 10,000 円とする」という契約は適法か? 検証:1日の所定労働時間が8時間である場合には、8時間の通常勤務と1時間の残業をした場合の給与が 10,000 円であるから、通常勤務1時間当たりの時間給を x とすると 8x+1.25x=10.000 9.25x x =10,000 =1,081(円)となり 日給額=1,081×8=8,648 429 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 1時間分の割増賃金=1,081×1.25=1,352 となり 日給の額の中に含まれる時間外割増手当の額がいくらであるか計算ができる仕組みとなっているので、1時間 分の割増賃金が支払われたと解される。 これに対し、 「時間外割増手当を含んで日給 10,000 円とする」という場合は、日給の額の中に含まれる時間 外割増手当の額がいくらであるか計算できない仕組みであるので、割増手当が支払われたとはみなされない。 例題2: 「管理職手当には、勤務が深夜に及んだ場合における割増賃金相当額を含むものとする。 」という規定で 深夜割増賃金を支払ったことになるのか? 検証:通常の賃金部分(管理職としての職責に対して支払われる賃金)と深夜割増賃金部分が明確に区別でき、 通常の賃金部分から計算した深夜割増賃金との過不足額が計算できるのであれば深夜割増賃金を支払ったと解 する場合があり得るが、設問の例では通常の賃金部分と深夜割増賃金部分とが明確に区別できないため、割増賃 金が支払われたと解することはできない。 ⇒ 「時間外手当を含んで1日 1 万円とする」という契約では割増賃金支払い義務を免れないが、「時間外手当1時間分を 含んで1日1万円とする」という契約は1時間までの割増賃金は支払ったことになる。 (6)法内超勤の賃金支払い 1)契約自由の原則に準拠 法定労働時間(1週間 40 時間を超える時間又は1日8時間を超える時間)を超える労働及び法定休日(1 週間に1回与えられる休日)については労基法の割増賃金支払義務が生じることは明らかであるが、法定労 働時間内で所定労働時間を超えて労働させた場合、あるいは法定休日以外の休日(いわゆる土曜・祭日出勤 など)に労働させた場合(法内超勤)の賃金はどうなるのであろうか。 法内超勤に対して賃金を支払う義務があるか、また、支払う義務があるとすればそれは如何ほどか、につ いて、法律上は最低賃金法の規制を受ける以外まったく規制がなく、契約自由の原則にゆだねられる(福田 陽一郎「実例百選」P81、東大「注釈労基法」下巻 P636~637) 。 通達では、所定労働時間が法定労働時間より短い場合に、法定労働時間を超えない限り割増賃金を支払わ なくてもよいが、その時間について「原則として通常の賃金を支払わなければならない。ただし、労働協約、 就業規則等によって、その1時間に対し別に定められた賃金額がある場合にはその別に定められた額で差し 支えない。 」としている(昭 23.11.4 基発 1592 号) 。 なお、 管理監督者等労基法 41 条各号の労働者の場合には労働時間及び休日に関する規定の適用はないから、 時間外又は休日の割増賃金の問題は生じないが、 「所定労働時間を超えて労働したときに、超過労働に対し て幾何の賃金を支払うかは、当事者の定めるところによる」こととされている(昭 23.11.25 基収 3052 号) 。 学説上は,さらに,労働契約,就業規則,労働協約等における時間外,休日労働に関する割増賃金の定めが法外 超勤と法内超勤を区別せずに規定している就業規則等における法内外超勤を区別しない場合の賃金規定の 解釈につき,その意思解釈として原則的に使用者は法内超勤の場合にも割増賃金を支払う契約上の義務を負 うと解すべきとするものがある (金子征史「割増賃金」季労別冊 1 号 251 頁(1977)等)。 430 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 基本的には事実認定の問題ではあるが、法内超勤と法外超勤とを区別せずに「時間外労働」に対する割増賃 金を規定している場合には,法内超勤についても当該割増賃金を支払う旨の合意ありと解されることが多い であろう。 ⇒ 法内超勤に対し賃金を支払う義務があるか、また、支払う義務があるとすればそれは如何ほどかについて、契約自由 の原則にゆだねられる。 ⇒ 通達では、法内超勤に関し何も定めがなければ通常の賃金を支払わなければならす、就業規則等に法内超勤の賃 金額の定めがあればそれによることとし、ゼロと定めることは想定していない。 (7)残業代等未払い賃金の追給 ひところ、全国各地の国立大学において残業代未払いの問題があると報道され、労働基準監督署の指導の もとに未払い賃金を追給したことがあった。その場合の所得税の課税処理についてはどのような規定なのだ ろうか?その残業代は、①実際に残業をした時点の所得とするのか,②その残業代を実際に支払う時の所得 とするのか,又は③その残業代の本来の支給期の属する年分の所得とするのかという問題である。 税法の規定では、支給日が定められている給与等についてはその支給日が属する年度の所得とすることと している(所得税基本通達36-9) 。したがって、過年度分の過年度分の年末調整をやり直すことになり地方 税の額にも影響を与えることになる。 三好 毅税理士は、 「本来支払うべき残業代の一部が数年にわたって未払いとなっていたことが明らかにな って、過去2年分について早急に遡及払いを行うことになった場合の税務処理はどのように行えばよいか」 という質問に答えて、次のように述べておられる。 「お尋ねの場合には,実際にはその定められた支給日においてその残業代を支払わず,その後残業の事実を確 認した時点で遅れて支払うことになっていますが,その実際に残業代を支払う時期に関係なく,その残業代につ いて支給規程等に定められた本来の支給日により帰属年分を定めることになります。 なお,この場合,その残業代の本来の支給日に遅れて後日未払いであったことを確認してその支給を決定して いるため,その確認の時点で初めて残業代の支給が決定したのではないかという疑があるかもしれませんが,こ の場合の残業代の未払いの事実の確認というのは,本来支給すべきであった残業代の未払いを単に確認したにす ぎないものであり,その確認行為により新たな残業代の支払いが形成的に発生したものとは考えられません。 」 (労政時報 第 3673 号/06.3.10 P139) 源泉徴収は,所得の発生の時期にかかわらずその所得を実際に支払う際に行えばよいこととされており、 過去に発生した給与を遅れて支払うときには、その給与の帰属年分にかかわらずその給与を実際に支払う際 に行えばよいと考えられる。つまり、税額の計算は帰属年の収入を修正してやり直し、その結果生じた不足 税額は実際に遅れて支給した支払い月に源泉徴収する。 所得税基本通達 所得税基本通達(給与所得の収入金額の収入すべき時期)36-9 給与所得の収入金額の収入すべき時期は、それぞれ次に掲げる日によるものとする。 431 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 (1) 契約又は慣習その他株主総会の決議等により支給日が定められている給与等(次の(2)に掲げるものを除 く。 )についてはその支給日、その日が定められていないものについてはその支給を受けた日 (2) 役員に対する賞与のうち、株主総会の決議等によりその算定の基礎となる利益に関する指標の数値が確定し 支給金額が定められるものその他利益を基礎として支給金額が定められるものについては、その決議等があっ た日。ただし、その決議等が支給する金額の総額だけを定めるにとどまり、各人ごとの具体的な支給金額を定 めていない場合には、各人ごとの支給金額が具体的に定められた日 (3) 給与規程の改訂が既往にさかのぼって実施されたため既往の期間に対応して支払われる新旧給与の差額に 相当する給与等で、その支給日が定められているものについてはその支給日、その日が定められていないもの についてはその改訂の効力が生じた日 (4) いわゆる認定賞与とされる給与等で、その支給日があらかじめ定められているものについてはその支給日、 その日が定められていないものについては現実にその支給を受けた日(その日が明らかでない場合には、その 支給が行われたと認められる事業年度の終了の日) 432 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 7.賃金支払確保措置(賃確法による措置) 賃金の支払の確保に関する法律では、①貯蓄金、退職手当の保全措置、支払いを促進させる高率の遅延利 息、②倒産した企業の未払い賃金立替制度、などを定めている。その概略は、次のとおりである。 (1)貯蓄金の保全措置 労働者の貯蓄金をその委託を受けて事業主が管理する場合、 毎年、 3月 31 日現在の貯蓄金の総額について、 同日後1年間を通じる貯蓄金の保全について次のいずれかの措置を講じなければならない(賃確法 3 条)。 ① 銀行等の金融機関と支払保証契約を締結すること ② 信託会社と労働者を受益者とする信託契約を締結すること ③ 預金の払い戻しに係る債権を被担保債権とする質権又は抵当権を設定すること ④ 預金保全委員会を設置し、貯蓄金管理勘定として経理する等適切な措置を講じること なお、労基法 18 条 2 項において、労働者の貯蓄金をその委託を受けて使用者が管理しようとする場合は、 一定の事項について労使協定を締結し所轄労働基準監督署長へ届け出なければならない旨を定めており、こ の一定の事項の中に「預金の保全方法」が含まれている(労基則 5 条の 2 第 5 号) 。 (2)退職手当の保全措置 退職手当の支払いを明らかにしている事業主は、当該退職手当の支払いに充てるべき額として一定額につ いて上記(1)①~④に準ずる措置を講じるように努めなければならない(賃確法 5 条) 。 ただし、「法律により直接に設立された法人又は特殊法人等である事業主であって、退職手当の保全措置 を講ずることを要しない旨の厚生労働大臣の指定を受けたもの」(賃確則 4 条 1 項 4 号)については、この 規定の適用を除外しているので、国立大学法人や独立行政法人については保全措置は不要であると思われる (未確認)。 (3)遅延利息支払いの強制 退職者に未払賃金(退職手当を除く。)がある場合に、支払期日が到来しているにもかかわらず支払わな い場合は、当該支払期日の翌日からその支払いをする日までの期間の日数に応じ、年 14.6%で計算した遅延 利息を支払わなければならない(賃確法 6 条)。 このような高率の遅延利息を課することによって、間接的に賃金の未払いを防止する効果が期待される。 (4)未払賃金立替制度 事業主が破産手続き開始の決定を受けた等一定の事由に該当し、退職者の賃金が未払いとなっている場合 は、労働者の請求に基づき政府が立替え払いを行う(賃確法 7 条)。 立替え払いの対象となる部分(退職手当を含む。)は未払い額の 80%であるが、労働者の退職時の年齢に よりその額の上限が定められている(30 歳未満で 110 万円、30 歳~45 歳未満で 220 万円、45 歳以上で 370 万円)。 この未払賃金立替制度は、労働者災害補償保険の社会復帰促進事業の一環として、労災保険の保険料を原 資にして行われている(労災法 29 条 1 項 4 号)。 433 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 資料20(テキスト P393、P410 関係) 労基法の労使協定を必要とする場合 種 類 どんなときに 労基法の根 届 出 の 要 拠 1 貯蓄金の管理 労働者の貯蓄金をその委託を受けて管理しようとすると 18 条 2 項 不要 要 き 2 賃金の一部控除 親睦会費、寮費、昼食代などを給与から控除しようとする 24 条 不要 とき 3 フレックスタイ フレックスタイム制を実施しようとするとき 32 条の 3 不要 ム制度 4 1箇月単位の変 1か月単位の変形労働時間制を実施しようとするとき(就 32 条の 2 形労働時間制 要 業規則に定める方法でもよい) 5 1年単位の変形 1年単位の変形労働時間制を実施しようとするとき 32 条の 4 要 6 1週間単位の非 1週間単位の非定型的変形労働時間制を実施しようとす 32 条の 5 要 労働時間制 定型的変形労働 るとき 時間制 7 休憩の一斉付与 一斉休憩が適用される事業場において、一斉休憩を適用し 34 条 原則の例外 ないとき 8 時間外・休日労 法定労働時間を超えて労働させるとき及び法定休日に労 36 条 働 9 事業場外労働 不要 要 働させるとき 事業場外で労働する場合において、みなし時間に関し労使 38 条の 2 法定労働時 協定で定める場合で、かつ、所定労働時間を超えるとき 間超えると き要 10 裁量労働 専門業務型裁量労働制を実施しようとするとき 38 条の 3 11 年休の計画的付 年次有給休暇を与える時季について、あらかじめ計画的に 39 条 5 項 与 要 不要 付与しようとするとき(各労働者の付与日数のうち5日を 超える部分に限る) 12 年休賃金を標準 年次有給休暇手当を健康保険法で定める標準報酬日額で 39 条 6 項 不要 報酬日額で支払 支払おうとするとき う場合 13 代替休日の付与 月 60 時間を超える時間外労働に対し、割増加算に代えて 改正法 37 条 不要 代替休日を付与し 125/100 の割増賃金を支払うとき 14 年休の時間単位 年休を年間5日を限度として時間単位で付与するとき 付与 3項 改正法 39 条 不要 4項 434 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 資料21 (テキスト P387、P388 関係) 「明治生命事件」最高裁二小判決昭 40.2.5 事案概要 月掛生命保険の外務職員である上告人がストライキを行ったため被上告人会社が給与のうち「勤務手当」等をいわ ゆる固定給として削減したことに対し、上告人がその支払を求めた事例。 (請求を棄却した原判決を審理不尽として 破棄差戻) 判決理由 ストライキによって削減し得る意義における固定給とは、労働協約等に別段の定めがある場合等のほかは、拘束さ れた勤務時間に応じて支払われる賃金としての性格を有するものであることを必要とし、単に支給金額が相当期間固 定しているというだけでは足らず、また、もとより勤務した時間の長短にかかわらず完成された仕事の量に比例して 支払わるべきものであってはならないと解するのが相当である。 ところで、前記原審の確定した限りの事実関係の下においては、 所論諸項目の給与のうち、勤務手当および交通費補助は、労働の対価として支給されるものではなくして、職員に 対する生活補助費の性質を有することが明らかであるから、これら項目の給与は、職員が勤務に服さなかったからと いってその割合に応ずる金額を当然には削減し得るものでないと認むべきである。次に、給料、出勤手当、功労加俸 および地区主任手当についていえば、被上告人会社における勤務時間拘束の制度は、主として業務管理の手段として 設けられたものであって、そこに右各項目の給与の額を決定する絶対的基準としての意味は見いだし難く、従ってま た、これが設けられたことに対応して固定的給与を加味した給与体系が採られるにいたったということも、この種職 員の所得の安定を図る趣旨に出たものというべきであり、しかも、右係長、係長補、主任等の資格が純然たる給与の 級別に過ぎず、且つ、該資格の決定がその者の過去における仕事の成績によって行なわれる以上、給与の額は、主と して、仕事の成果によって決定されるものであって、それが一定の資格にとどまる間その期間中における募集、集金 の成果と関係なく支給されるのは、過去において完成された仕事の量に対して支払わるべき報酬を給与の平均化を図 る目的で右期間に分割して支給されるというほどの意味を有するに過ぎないものと認めるのが当然であり、また、右 期間中の仕事の成果が次期の給与額に直接自動的に影響を及ぼすことも否定し得ないところである。それ故、右各項 目の給与は、上告人らが勤務に服した時間の長短を基準として決定された面が全然ないとはいえないにしても、その 実質は、むしろ、本件ストライキの行なわれた昭和三二年六月以前における上告人らの募集、集金の成果に比例して 決定されたものであって、純然たる能率給であるかどうかは格別、少なくとも、前記意義における固定給ではない、 と認むべきである。もっとも、典型的な固定給の受給者と目されている一般労働者にあっても、日常の仕事の成績を 考慮してその者の昇格、格下げが決定され、これに伴ない給与の増減が招来されることは疑いを容れないところであ るが、この場合には、仕事の量によって決定さるべき資格が給与そのものの級別ではなくして職務の内容に関するも のであることを看過してはならないのであって、単に仕事の成績が給与の額に影響を及ぼすの一事をもって、右両者 の間に存する給与決定上の本質的相違を無視することは許されないものといわなければならない。 435 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 資料22 (P385 関係) 「日野自動車(二分説)事件」東京高裁判決昭 56.7.16 労働時間二分説が採用された。 事件の概要 多数回の遅刻等を理由として使用者がなした懲戒解雇につき、労働時間内に職場に到達しており右解雇は無効 であるとして雇用関係存続の確認を求めた事例。 判決の要旨 一般に労働基準法第三二条の「労働時間」とは、労働者が使用者の指揮、命令の下に拘束されている時間をい うものと解されている。ところで、労働者が現実に労働力を提供する始業時刻の前段階である入門後職場到着 までの歩行に要する時間や作業服、作業靴への着替え履替えの所要時間をも労働時間に含めるべきか否かは、 就業規則や職場慣行等によってこれを決するのが相当であると考えられる。 けだし、入門後職場までの歩行や着替え履替えは、それが作業開始に不可欠のものであるとしても、労働力 提供のための準備行為であって、労働力の提供そのものではないのみならず、特段の事情のない限り使用者の 直接の支配下においてなされるわけではないから、これを一率に労働時間に含めることは使用者の不当の犠牲 を強いることになって相当とはいい難く、結局これをも労働時間に含めるか否かは、就業規則にその定めがあ ればこれに従い、その定めがない場合には職場慣行によってこれを決するのが最も妥当であると考えられるか らである。 日野自動車事件最高裁一小判決昭 59.10.18 この事件は労働者側が上告し、最高裁一小は下記のとおり労働者側敗訴としている。 概 要 会社臨時工が、協約上本工組合に保障された時間内職場集会に参加し就労しなかったこと、所定労働時間は タイムレコーダー打刻の時刻であると考えて遅刻、早退したことを理由に懲戒解雇されたのに対し、雇用関係 の存在確認等求めた事例。 (上告棄却、労働者敗訴、原判決引用) 判決の要旨 所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、そ の過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。 436 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 資料23 (テキスト P385 関係) 「三菱重工長崎造船所(家族手当カット)事件」 最高裁二小判決昭 56.9.18 〔事案概要〕 三菱重工長崎造船労組(昭和 45 年 9 月結成の第三組合)は、47 年 7 月から 8 月にかけ、全日、時限ストをおこな ったため、会社は、家族手当をふくめてストの時間に対応する賃金カットをした。同労組の 23 人は、 「家族手当はス ト期間中でも賃金カットの対象とならない」と主張して、家族手当合計 3,724 円の支払いを求めて提訴していた。最 高裁は、かつて明治生命事件(二小判昭 40.2.5)において、賃金を労働の対価部分(基本給)と生活保障部分(家 族手当、住宅手当など)とに二分し、生活保障部分は「労働協約などで特に定めていない限りカットできない」との 判断を示したことがあり(注) 、本件の第一審(長崎地裁昭 50.9.18)も「労使対等の立場で結ばれた協約などの合 意がない限り、就業規制で定めていても家族手当はカットできない」との見解に立って会社にカットとした家族手当 の支払いを命じた。二審(福岡高判昭 51.9.13)も同旨の判示をして会社の控訴を棄却した。学説は、初め「賃金二 分説」を支持する見解が強かったが、批判的見解が現われ論議のあるところであった。本件、上告審で、最高裁は、 ストカットの対象となる部分とならない部分との区別は「当該労働協約等の定め又は労働慣行の趣旨に照らし個別的 に判断するのを相当」とするが、上告会社では、家族手当のカットが労働慣行となっていたと認められるから、会社 の本件カットは適法であるとして、一・二審の判決を破棄、改めて組合員側の請求を棄却した。 【判決要旨】 一、原審の認定した事実関係によれば、上告会社の長崎造船所においては、ストライキの場合における家族手当の 削減が昭和 23 年頃から昭和 44 年 10 月までは就業規則(賃金規則)の規定に基づいて実施されており、その取扱い は、同年 11 月賃金規則から右規定が削除されてからも、細部取扱のうちに定められ、上告会社従業員の過半数で組 織された三菱重工労働組合の意見を徴しており、その後も同様の取扱いが引続き異議なく行われてきたというのであ るから、ストライキの場合における家族手当の削減は、上告会社と彼上告人らの所属する長船労組との間の労働慣行 となっていたものと推認することができるというべきである。また、右労働慣行は、家族手当を割増賃金の基礎とな る賃金に算入しないと定めた労働基準法三七条二項及び本件賃金規則二五条の趣旨に照らして著しく不合理である と認めることもできない。これと異なる見解に立って本件家族手当の削減を違法とした原判決は、法令の解釈適用を 誤ったものというべきであって、右違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、 原判決は、その余の点につき判断するまでもなく破棄を免れず、更にこれと同旨の第一審判決は取消を免れない。 二、ストライキ期間中の賃金削減の対象となる部分の存否及びその部分と賃金削減の対象とならない部分の区別 は、当該労働協約等の定め又は労働慣行の趣旨に照らし個別的に判断するのを相当とし、上告会社の長崎造船所にお いては、昭和 44 年 11 月以降も本件家族手当の削減が労働慣行として成立していると判断できることは前述したとお りであるから、いわゆる抽象的一般的賃金二分論を前提とする被上告人らの主張は、その前提を欠き、失当である。 所論引用の判例(最高裁昭和 37 年(オ)第 1452 号同 40 年 2 月 5 日第二小法廷判決、民集 19 巻 1 号 52 頁)は事案を 異にし、本件に適切でない。 三、被上告人らは、本件家族手当の削減は、(1)労働基準法 37 条 2 項が割増賃金算定の基礎に家族手当を算入しな いとする法意並びに、(2)同法 24 条の規定にも違反する、と主張する。しかし、同法 37 条 2 項が家族手当を割増賃 金算定の基礎から除外すべきものと定めたのは、家族手当が労働者の個人的事情に基づいて支給される性格の賃金で あって、これを割増賃金の基礎となる賃金に算入させることを原則とすることがかえって不適切な結果を生ずるおそ れのあることを配慮したものであり、労働との直接の結びつきが薄いからといって、その故にストライキの場合にお 437 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 ける家族手当の削減を直ちに違法とする趣旨までを含むものではなく、また、同法 24 条所定の賃金全額払いの原則 は、ストライキに伴う賃金削減の当否の判断とは何ら関係がないから、被上告人らの右主張も採用できない。 そうすると、上告会社のした本件家族手当の削減は違法、無効であるとはいえず、被上告人らの各請求はいずれも 理由がないから、棄却を免れない。 注. (前ページ上から 6 行目) 資料21 P434 参照 438 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 資料24 (テキスト P398,399,402 関係) 「日本勧業経済会事件」 賃金と不法行為を原因とする債権との相殺 最高裁大法廷判決昭 36.5.31 要 旨 労働者の賃金債権に対し不法行為を原因とする債権をもつてする相殺の許否に関し、労働者の賃金債権に対しては、 使用者は、労働者に対して有する不法行為を原因とする債権をもつても相殺することは許されない。 ただし、裁判官斎藤悠輔、同下飯坂潤夫の反対意見がある。 主 文 本件上告を棄却する。 上告費用は上告人の負担とする。 理 由 上告代理人松田元市、同金田哲之、同田口俊夫の上告理由について。 労働者の賃金は、労働者の生活を支える重要な財源で、日常必要とするものであるから、これを労働者に確実に受 領させ、その生活に不安のないようにすることは、労働政策の上から極めて必要なことであり、労働基準法二四条一 項が、賃金は同項但書の場合を除きその全額を直接労働者に支払わねばならない旨を規定しているのも、右にのべた 趣旨を、その法意とするものというべきである。しからば同条項は、労働者の賃金債権に対しては、使用者は、使用 者が労働者に対して有する債権をもつて相殺することを許されないとの趣旨を包含するものと解するのが相当であ る。このことは、その債権が不法行為を原因としたものであつても変りはない。(論旨引用の当裁判所第二小法廷判 決は、使用者が、債務不履行を原因とする損害賠償債権をもつて、労働者の賃金債権に対し相殺することを得るや否 やに関するものであるが、これを許さない旨を判示した同判決の判断は正当である。) なお、論旨は労働基準法一七条と二四条との関係をいうが、同法一七条は、従前屡々行われた前借金と賃金債権と の相殺が、著しく労働者の基本的人権を侵害するものであるから、これを特に明示的に禁止したものと解するを相当 とし、同法二四条の規定があるからといつて同法一七条の規定が無用の規定となるものではなく、また同法一七条の 規定があるからといつて、同法二四条の趣旨を前述のように解することに何ら妨げとなるものではない。また所論の ように使用者が反対債権をもつて賃金債権を差押え、転付命令を得る途があるからといつて、その一事をもつて同法 二四条を前述のように解することを妨げるものでもない。されば、所論はすべて採るを得ない。 よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官奥野健一の補足意見および裁判官斎藤悠輔、同下飯坂潤夫 の反対意見あるほか裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 ■裁判官奥野健一の補足意見 裁判官奥野健一の補足意見は次のとおりである。 労働基準法二四条一項は、賃金は同項但書の場合を除き、通貨で直接労働者にその全額を支払わなければならない 旨を規定しており、このことは現実の履行をしなければ債権存在の目的を達し得ないものであることを示すものであ つて、債務の性質上右賃金債権に対しては債務者は民法五〇五条一項但書により相殺をすることが許されないものと 解する。そしてこのことは例えば労働者に対する不法行為による損害賠償債権をもつて相殺する場合でもこれを許さ 439 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 ないと解すべきことは同様である。(民法五〇九条は不法行為に因りて生じた債権を受働債権として相殺することを 禁止したものであつて、不法行為に因る債権を自働債権として性質上相殺を許されない債権に対して相殺することを 許す趣旨でないことは明白である。) また、労働基準法一七条は、労働者の人権保障のため、従来行われていた前借金と賃金との相殺の弊害を排除する ため、特にこれを禁止する旨の規定であつて、その違反者に対しては六月以下の懲役又は五千円以下の罰金を科する こととして、同法二四条の違反者に対する五千円以下の罰金刑より遥に重き刑を以て臨み、更に右二四条但書の如く 労働協約又は書面協定による例外をも認めない趣旨であるから、同法二四条と一七条とは併存の理由があるものであ つて、右二四条があるからといつて一七条が無用の規定となるものではない。 また、賃金債権の差押は四分の一の金額のみについて許されるものであり(民訴六一八条一項六号二項)、そして 債務名義に基く強制執行として右差押可能の範囲において賃金債権を差押え、転付命令を得ることにより、たまたま 相殺をなしたと同様の結果となるからといつて、かかる例外的な場合の発生を根拠として、一般的な相殺許容を認め るべしとの論は本末顛倒であるという外はない。よつて本件上告論旨は理由がない。 ■裁判官斎藤悠輔の反対意見 裁判官斎藤悠輔の反対意見は、次のとおりである。 わたくしは、本件上告は、その理由あるものと考える。すなわち、労働基準法一三〇箇条中相殺に関する特別規定 は同法一七条ただ一箇条のみであるから、同法条を除いてはすべて民法の原則規定が適用されるべきものであること いうまでもなく、しかも、民法上労働者の賃金債権に対して使用者が労働者に対する債権をもつて相殺をすることを 許さないとの規定は存在しないからである。しかるに、多数説は、労働基準法二四条一項は、労働者の賃金債権に対 しては、使用者は、使用者が労働者に対して有する債権をもつて相殺することを許さないとの趣旨を包含するものと 解し、その債権は不法行為を原因とするものでも変りがないものとするのである。しかし、同法二四条一項は、賃金 は、原則として、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならないと規定しているだけで、所論のごとき 趣旨を包含するものとは到底解することができない。のみならず、もし多数説のごとく解するならば、上告理由も言 つているように、同法一七条の規定は、明らかにその存在の理由を失い、全く無用の長物と化するであろう。多数説 のように同法一七条を単に「特に明示的に禁止したもの」と解するだけでは同条の存在理由を説明するに足りるとは 思われない。されば、奥野説は、右説明をもつて満足せず民法五〇五条一項但書により相殺をすることを許されない と弁解するようであるが、それはそれとして一応の説明のようであるが、しかし、かかる説明は、後に述べるがごと く、むしろ、民法五〇九条の精神に反する見解であるばかりでなく、かかる相殺をなした者は、労働基準法一二〇条 により五千円以下の罰金(同法一一九条一七条の六箇月以下の懲役又は五千円以下の罰金よりは軽いけれども)に処 せられるという結論になるもののようで、かくてはますます正義に反することになりそうである。 (本件のごとく相殺した場合労働基準法一二〇条の罰則規定の適用がないと解すべき点から逆に同法二四条の規定 はかかる相殺を許さないとの趣旨を包含するものでない立法趣旨であること明白であるということができる。)そも そも、原判決の確定した本件上告経済会の被上告人に対する債権は、背任なる不法行為による債権である。従つて、 民法五〇九条により被上告人は、上告経済会に対し本件賃金債権をもつて相殺を対抗することは許されない。そして、 同条の立法理由は、周知のごとく、不法行為の誘発を防止するにある。 されば、もし、多数説のごとく労働基準法二四条一項による労働者の賃金債権に対しては、使用者は本件のごとき不 法行為に因る債権をもつて相殺をすることが許されないものとすれば、結局労働者の不法行為の誘発を来すおそれが ないとはいえないのである。これわたくしが多数説に反対する最大の理由である。 しかのみならず、被上告人の本訴で確定を求める賃金債権は、いわゆる破産債権であつて、労働基準法二四条一項 ことにその二項がそのまま適用される場合ではない。従つて、複雑な破産手続によつて結局これが弁済を受けられる 440 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 としても、本件反訴請求のように本件確定後直ちに全額につき強制執行を受けられる(上告理由主張の本件賃金債権 の四分の一の転付命令のほか)本件不法行為による損害賠償債務に比し相殺を禁止されることが必ずしも被上告人に 利益であるとも考えられない。それ故、わたくしは、多数説に賛同できない。 ■裁判官下飯坂潤夫の反対意見 裁判官下飯坂潤夫の反対意見は次のとおりである。 多数意見に対する反論としては、斎藤裁判官の反対意見を以て事足るわけであるが、私は多数意見に対し強い反発 を感じているので、以下、私なりの反対意見を一言述べさせて貰い度いと思う。 民法五〇九条は不法行為に因つて生じた債務を負担する者はその債権者に対し相殺を以て対抗することを得ない 旨明定している。けだし、不法行為に因る被害者保護の趣旨を以て、その救済に欠くるところなからしめんとする法 意に出ているのである。それ故、もし仮に上告人がその主張のような被上告人の背任行為に因つて取得した損害賠償 債権の履行を被上告人に請求したとする。被上告人はこれに対し本訴請求の賃金債権に基いて相殺を主張することが できないことになるのである(民訴法六一八条、民法五一〇条所定の関係は別論として)。然るに本事案は被上告人 が本訴請求の賃料債権の履行を求めたのに対し、上告人は右損害賠償債権を以て相殺の意思表示をしているのであ る。しかし、その結末は前の場合と同様になるのではなかろうか、すなわち、上告人は右相殺を以て被上告人に対抗 できるということになるのではなかろうか、何んとなれば、民法は相殺に関し不法行為に因る損害賠償債権を特別に 所遇している関係は前の場合たると、 本事案の場合たると、その間に軽重の差あるものとは考えられないからである。 いささか極端な事例をあげて説明するが、雇人が雇主に含むところがあつて、雇主の所有家屋に放火し、これを焼毀 したとする、雇主は勿論、雇人に対し不法行為に因る損害賠償債権を取得するが、この場合雇主は雇人が給料の請求 をしてきたならば右損害賠償請求権に基き相殺を以て対抗できないであろうか、雇主は損害賠償請求権を保有してい るから、できないでもいいだろうなどと論ずる向もあるが、雇人に対する損害賠償請求権などというものはえてして 名目だけのもで、実のないものである。雇主は右債権の履行を請求してもおそらく満足な弁済を得ないであろう、こ の場合雇主が雇人に対し他に債権がありこれが履行を請求してきたならばこれと相殺させて右損害賠償債権の実行 を収めさせる。民法五〇九条は実にこのような場合をも慮つての規定である。 それが一面不法行為の防遏にも役立つのである。私は民法の立案者の深慮に対し今更のように深い敬意を覚えるもの である。 多数意見は労働基準法(以下法とのみ言う)二四条が賃金はその全額を支払わなければならない云々とある規定を 楯として、労働者の賃金債権に対しては労働者の不法行為に基く損害賠償債権を以てする相殺は許されないものであ ると解釈するのである。しかし、右にいわゆる賃金は全額を支払わなければならないとの意味は賃金は分割払をして はならないとか、掛売代金と相殺してはならないとか、いうだけのものであつて、民法が前示のように特に所遇して いる不法行為に因る損害賠償債権を以てする相殺は許さないなどとは右条文はもとより、その他の規定においても一 言半句も言つてはいないのである。もし法がそうした含みをもつているとするならば、法一七条は使用者は前借金そ の他労働することを条件とする前貸の債権と賃金とを相殺してはならないと規定しているのであるから、労働者の賃 金債権に関しては不法行為に因る損害賠償債権を以てする相殺は許さない旨特にうたうべき筈である。それが民法に 対する特別法たる法の当然にあるべき筋道であろう。然るに、そのようなうたい文句のないところを見ると法二四条 は不法行為に基く損害賠償債権を以てする相殺に関しては何らタツチせず、その許否については民法の解釈に委ねて いるものと解釈するを相当と考えるのである。思うに、多数意見は昭和三元年一一月二日当裁判所第二小法廷判決の 影響下に在るもののようである。しかし、右判決は多数意見も言つているとおり、債務不履行に因る損害賠償債権を 以てする相殺に関するものであつて、本事案とはその内容を異にするものである。右判例は労働者の賃金債権に対す る損害賠償債権を以てする相殺の中には本事案のような場合のあることを何らせんさくせず、漫然と「使用者は労働 441 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 者の賃金債権に対しては、損害賠償債権をもつて相殺することも許されない」と断じ去つているのである。多数意見 が右判例のひそみに何の躊躇もなく傚われたものとすれば、具体的案件毎にこれに即して法律解釈を示し、これを積 み重ねてゆくべきものと信じている最高裁判所の態度としてはいささか速断に過ぎはしなかつたかと私は思料する のである。 最高裁判所大法廷 裁判長裁判官 横 田 喜 三 郎 裁判官 島 裁判官 斎 藤 悠 輔 裁判官 藤 田 八 郎 裁判官 河 村 又 介 裁判官 入 江 俊 郎 裁判官 池 田 裁判官 河 村 大 助 裁判官 下 飯 坂 潤 夫 裁判官 奥 野 健 一 裁判官 高 橋 裁判官 高 木 常 七 裁判官 石 坂 修 一 裁判官 山 田 作 之 助 保 克 潔 442 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 資料25 (テキスト P400,P402 関係) 「日新製鋼(退職金請求)事件」 最高裁二小判決平 2.11.26 労働者の自由な意思に基づく同意を得て、使用者が行う相殺は全額払いの原則に反しないとされた。 要 旨 一 使用者が労働者の同意を得て労働者の退職金債権に対してする相殺と労働基準法(昭和六二年法律第九九号によ る改正前のもの)二四条・一項本文二 使用者が労働者の同意の下に労働者の退職金債権等に対してした相殺が有効 とされた事例三 使用者が労働者の同意の下に労働者の退職金債権等に対してして相殺が否認権行使の対象となら ないとされた事例 一 使用者が労働者の同意を得て労働者の退職金債権に対してする相殺は、右同意が労働者の自由な意思に基づいて されたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、労働基準法(昭和六二年法律第九九号 による改正前のもの)二四条一項本文に違反しない。 二 甲会社の従業員乙が、銀行等から住宅資金の貸付けを受けるに当たり、退職時には乙の退職金等により融資残債 務を一括返済し、甲会社に対しその返済手続を委任する等の約定をし、甲会社が、乙の同意の下に、右委任に基づく 返済費用前払請求権をもつて乙の有する退職金債権等と相殺した場合において、右返済に関する手続を乙が自発的に 依頼しており、右貸付けが低利かつ相当長期の挽割弁済の約定の下にされたものであつて、その利子の一部を甲会社 が負担する措置が執られるなど判示の事情があるときは、右相殺は、乙の自由な意思に基づくものと認めるに足りる 合理的な理由が客観的に存在したものとして、有効と解すべきである。 三 甲会社の従業員乙が、銀行等から住宅資金の貸付けを受けるに当たり、退職時には乙の退職金等により融資残債 務を一括返済し、甲会社に対しその返済手続を委任する等の約定をした場合において、甲会社が、乙の破産宣告前、 右約定の趣旨を確認する旨の乙の同意の下に、右委任に基づく返済費用前払請求権をもつてした乙の有する退職金債 権等との相殺は、否認権行使の対象とならない。 判決 主 文 本件上告を棄却する。 上告費用は上告人の負担とする。 理 由 上告人の上告理由第一点及び第二点について 労働基準法(昭和六二年法律第九九号による改正前のもの。以下同じ。 )二四条一項本文の定めるいわゆる賃金全 額払の原則の趣旨とするところは、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確 実に受領させ、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその保護を図ろうとするものというべきであるか ら、使用者が労働者に対して有する債権をもって労働者の賃金債権と相殺することを禁止する趣旨をも包含するもの であるが、労働者がその自由な意思に基づき右相殺に同意した場合においては、右同意が労働者の自由な意思に基づ いてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、右同意を得てした相殺は右規定に 違反するものとはいえないものと解するのが相当である(最高裁昭和四四年(オ)第一〇七三号同四八年一月一九日 443 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 第二小法廷判決・民集二七巻一号二七頁参照) 。もっとも、右全額払の原則の趣旨にかんがみると、右同意が労働者 の自由な意思に基づくものであるとの認定判断は、厳格かつ慎重に行われなければならないことはいうまでもないと ころである。 本件についてこれをみるに、原審の確定するところによれば、(1) 被上告人Aは、被上告人日新製鋼株式会社(以 下「被上告会社」という。 )に在職中、昭和五六年七月二〇日、被上告会社の住宅財形融資規程に則り、元利均等分 割償還、退職した場合には残金一括償還の約定で、被上告会社から八七万円を、三和銀行から二六三万円を、それぞ れ借り入れ(以下、被上告会社からの右借入金を「被上告会社借入金」といい、三和銀行からの右借入金を「三和借 入金」という。 ) 、また、昭和五八年四月二六日、同人の所属する日新製鋼労働組合(以下「組合」という。 )の労働 金庫運営規程阪神支部内規(以下「内規」という。 )に則り、右と同様の約定で、兵庫労働金庫から二〇〇万円を借 り入れた(以下「労金借入金」という。 ) 、(2) 右各借入金は、いずれも、借入れの際には抵当権の設定はされず、 低利かつ相当長期の分割弁済の約定のもとに被上告人Aが住宅資金として借り入れたものであり、被上告会社借入金 及び三和借入金については、利子の一部を被上告会社が負担する等の措置が執られた、(3) 右各借入金のうち、被 上告会社借入金の返済については、右住宅財形融資規程及び被上告会社と被上告人Aとの間の住宅資金貸付に関する 契約証書の定めに基づき、被上告会社が被上告人Aの毎月の給与及び年二回の賞与(以下「給与等」という。 )から 所定の元利均等分割返済額を控除するという方法で処理することとされ、被上告人Aが退職するときには、退職金そ の他より融資残金の全額を直ちに返済する旨が約された、(4) 三和借入金の返済については、右住宅財形融資規程 及び被上告会社と三和銀行の住宅財形融資制度に関する協定書、被上告人Aと三和銀行間の三和ローン契約書の定め に基づき、被上告会社が被上告人Aの委任により同人の給与等から所定の元利均等分割返済額を控除したうえ、右控 除額を三和銀行の被上告会社名義の預金口座に振り込んで支払うという方法で処理することとされ、右協定書には、 被上告会社の従業員が退職等により従業員の資格を喪失した場合には、被上告会社は残債務を一括して右と同様の方 法で入金して繰り上げ償還する旨が約されており、被上告人Aは、右約定を承認し、右償還を被上告会社に委任した、 (5) また、労金借入金の返済については、被上告会社と組合との間で締結された労働協約、前記内規及び被上告人 Aと兵庫労働金庫との間の金円借用証書の定めに基づき、被上告会社が被上告人Aの委任により同人の毎月の給与か ら所定の元利均等分割返済額を控除したうえ、右控除額を組合に交付し、これを組合が兵庫労働金庫に支払うという 方法で処理することとされ、右内規には、労働金庫より融資を受けた者が退職等で資格を喪失したときは退職金等を 優先的弁済に充てる旨の定めが、右金円借用証書には、被上告人Aが兵庫労働金庫の会員の構成員の資格を喪失した ときには期限の利益を失い、直ちに債務を返済する旨の定めがあり、被上告人Aはこれらを承認し、同人が退職する ときには、被上告会社に対し退職金等により労金借入金の残債務全額に相当する金員を直ちに組合に交付して支払う ことを、組合に対し被上告会社から受領した右金員を兵庫労働金庫に支払うことを、各委任した、(6) 被上告人A は、昭和四九年頃から交際費等の出費に充てるために借財を重ね、昭和五八年九月頃には、総額七〇〇〇万円余の負 債の返済に追われ、破産申立てをするほかない状態になったことから、被上告会社を退職することを決意し、昭和五 八年九月七日、被上告会社に対し、退職したい旨を申し出るとともに、前記のとおり退職によって一括償還義務が生 ずる前記各借入金の残債務を返済しなければ、永年勤めた被上告会社や労金借入金について連帯保証人となっている 同僚に迷惑をかけることになるので、前記各約定に従い右各借入金の残債務だけでも自己の退職金、給与等をもって 返済しておきたいと考え、被上告会社に対し、右各借入金の残債務を退職金等で返済する手続を執ってくれるように 依頼し、被上告会社はこれを了承した、(7) 被上告会社においては、このような場合、従来からの労使間の協議に より、被上告会社が退職する従業員から退職金、給与等より右各借入金の一括返済額を控除して被上告会社及び融資 機関に対する返済に充てることの同意を個別的に得るとともに、その返済手続を被上告会社に一任させる取扱いが慣 行的に実施されてきていたことから、被上告会社は、本件も右取扱いに従って処理することとし、昭和五八年九月一 444 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 四日、同月一五日を退職希望日とする被上告人Aからの退職願を受理するとともに、同人が右各借入金についての前 記各約定の趣旨を確認し、これに従い自己の退職金等をもって被上告会社が右各借入金を一括返済するための手続を 行うことに同意する趣旨で作成した「今般私儀退職に伴い会社債務(住宅融資ローン残高)及び労働金庫債務の弁済 の為、退職金、給与等の自己債権一切を会社に一任することに異存ありません」との文面の委任状(以下「本件委任 状」という。 )の提出を受けた、(8) そこで、被上告会社は、被上告人Aの退職日を昭和五八年九月一五日とした うえ、同月二〇日(八月分給与支給日)退職金三九二万一二二二円及び八月分給与二二万八三一一円を計上し、同日 これらから被上告会社借入金の一括返済額六九万六七九一円を控除するとともに、三和借入金の一括返済額二二九万 五一三四円を控除したうえ、右控除額を三和銀行の被上告会社名義の口座に振り込んで支払い、同月二二日には、労 金借入金の一括返済額のうち、一一五万七六〇八円を控除したうえ、これに被上告人Aの共済会脱会餞別金四万円及 び九月分給与の一部九万九五四六円を加えて、合計一二九万七一五四円を組合に交付し、組合がこれを兵庫労働金庫 に支払う等の、各清算処理を行った、(9) 被上告人Aは、同年一〇月六日大阪地方裁判所に破産の申立てをし、同 裁判所は、同月一九日同人に対し破産宣告をし、上告人を破産管財人に選任した、(10) 同年一一月下旬頃、被上 告会社の担当者が被上告人Aに対し、右清算処理の明細書を交付したうえ、事務処理上の必要から退職金計算書、給 与等の領収書に署名押印を求めたが、その際にも、被上告人Aはこれに異議なく応じた、というのであり、原審は、 右事実関係に基づき、右各清算処理につき、被上告会社が、前記各約定に基づき被上告人Aの退職により同人に対し て有するに至った被上告会社借入金の一括返済請求権及び三和借入金と労金借入金について被上告会社がその残債 務の一括返済の委任を受けたことに基づく返済費用前払請求権(民法六四九条)と、被上告人Aの有する退職金及び 給与等の支払請求権とを、被上告人Aの同意のもとに対当額で相殺した(以下、右相殺を「本件相殺」という。 )も のであると判断しているのであって、右認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として首肯することがで き、その過程に所論の違法はない。 右事実関係によれば、被上告人Aは、被上告会社の担当者に対し右各借入金の残債務を退職金等で返済する手続を 執ってくれるように自発的に依頼しており、本件委任状の作成、提出の過程においても強要にわたるような事情は全 くうかがえず、 右各清算処理手続が終了した後においても被上告会社の担当者の求めに異議なく応じ、退職金計算書、 給与等の領収書に署名押印をしているのであり、また、本件各借入金は、いずれも、借入れの際には抵当権の設定は されず、低利かつ相当長期の分割弁済の約定のもとに被上告人Aが住宅資金として借り入れたものであり、特に、被 上告会社借入金及び三和借入金については、従業員の福利厚生の観点から利子の一部を被上告会社が負担する等の措 置が執られるなど、被上告人Aの利益になっており、同人においても、右各借入金の性質及び退職するときには退職 金等によりその残債務を一括返済する旨の前記各約定を十分認識していたことがうかがえるのであって、右の諸点に 照らすと、本件相殺における被上告人Aの同意は、同人の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる 合理的な理由が客観的に存在していたものというべきである。 してみると、右事実関係の下において、本件相殺が労働基準法二四条一項本文に違反するものではないとした原審 の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はないものというべきである。論旨は、採用するこ とができない。 同第三点について 被上告人Aが被上告会社に対して提出した本件委任状は、これにより前記の一括返済請求権及び返済費用前払請求 権を発生させる意思表示をその内容とするものではなく、被上告人Aが右各借入金についての前記各約定の趣旨を確 認し、これに従い自己の退職金等をもって被上告会社が右各借入金を一括返済するための手続を行うことに同意する 趣旨で作成したものであり、被上告会社が被上告人Aに対して有するに至った右一括返済請求権及び返済費用前払請 求権は、各借入れの段階において締結された前記各約定に基づき被上告人Aの退職の事実により発生し、右各債権と 445 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 被上告人Aの有する退職金及び給与等の支払請求権とが破産宣告前において相殺適状になったものであるとした原 審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。 右事実及び前記の事実関係によれば、本件相殺は、被上告会社の右一括返済請求権及び返済費用前払請求権をもっ てする相殺権の行使に被上告人Aがその自由な意思により同意したことに基づくものとみるべきところ、債権者の相 殺権の行使は、債務者の破産宣告の前後を通じ、否認権行使の対象とはならないものと解すべきであるから(最高裁 昭和三九年(オ)第一一五八号同四一年四月八日第二小法廷判決・民集二〇巻四号五二九頁参照) 、本件相殺におけ る被上告会社の相殺権の行使自体は否認権行使の対象となるものではないというべきである。そして、右にみた被上 告人Aが被上告会社に対して提出した本件委任状の趣旨、内容に照らすと、本件委任状による同意は、破産法上これ を否認権行使の対象とする余地のないものというべきである。これと同旨の原審の判断は正当として是認することが でき、原判決に所論の違法はない。所論中本件相殺が許されるとした原審の認定判断に破産法一〇四条の解釈適用を 誤った違法がある旨の部分は、原審の認定に沿わない事実に基づき原判決の違法をいうものにすぎず、また、所論引 用の判例は、事案を異にし本件に適切でない。論旨は、いずれも採用することができない。 よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 最高裁判所第二小法廷 裁判長裁判官 藤 島 昭 裁判官 香 川 保 裁判官 中 島 敏 次 郎 裁判官 木 崎 良 446 一 平__ Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 資料26 (テキスト P396,P405 関係) 「福島県教組事件」全額払いの原則と調整的相殺 最高裁一小判決昭 44.12.18 神奈川大学准教授 坂本宏志 賃金の調整的相殺は労基法 24 条 1 項の全額払いの原則に反しないとされた。 事実の概要 Ⅹら(原行・控訴人=被控訴人・上告人)は Y 県(被告・被控訴人=沖訴人・被上告人〉の公立学校の教職員で あり,Ⅹらの給料および暫定手当は毎月 21 日にその月分を,勤勉手、当は毎年 6 月 15 日および 12 月 15 日に支給 されることとなっていた。 昭利 33 年 9 月 5 日から 15 日までの間に,Ⅹらは一定期間職場離脱をした。X らの勤務しなかった期間について 減額すべき金額を,Y 県は減額せずに 9 月分の給料および暫定手当ならびに 12 日の勤勉手当を支払った。翌 34 年 1 月,Y 県は X らに過払金の返納方を求め,かつこれに応じなければ翌月分給与から減額すべき旨を通知し,これ に応じなかった X らの 2 月分の給与から給料および暫定手当の過払分を,また 3 月分の給与から勤勉手当の過払分 を減額した。そこで,Ⅹらはこれら減額された分の支払を請求した。 第 1 審(福島地判昭利 38・3・25 民集 23 巻 12 号 2503 頁参照)は,給料および暫定手当に関する減額は予告が 過払いから接着した時期になされなかったとしてこれらに関する請求を認容したが,勤勉手当に関する請求を棄却 した。Ⅹらと Y 県はいずれも控訴したが,控訴審(仙台高判昭和 40・7・14 前掲民集 2513 頁参照)は,控訴をい ずれも棄却した。これに対し,Ⅹらのみが上告した。 判 旨 上告棄却。 (i) 「労働基準法 24 条 1 項‥‥‥は,一般的には,労働者の賃金債権に対しては,使用者は使用者が労働者に対し て有する債権をもって相殺することは許されないとの趣旨をも包含する」 。 (ii)①「しかし,賃金支払事務においては,一定期間の賃金がその期間の満了前に支払われることとされている場 合には,支払日後,期間満了前に減額事由が生じたときには,減額事由が賃金の支払日に接着して生じたこと等に よるやむをえない減額不能または計算未了となることがあり,あるいは賃金計算における過誤,違算等により,賃 金の過払が生ずることのあることは避けがたいところであり,このような場合,これを精算ないし調整するため, 後に支払わるべき賃金から控除できるとすることは,右のような賃金支払事務における実情に徴し合理的理由があ るといいうるのみならず,労働者にとつても,このような控除をしても,‥・…実質的にみれば,本来支払わるべ き賃金は,その全額の支払を受けた結果となるのである。 」 ②「このような事情と前記 24 条 1 項の法意とを併せ考えれば,適正な賃金の額を支払うための手段たる相殺は, ‥‥その行使の時期,方法, 金額等からみて労働者の経済生活の安定との関係上不当と認められないものであれば, 同項の禁止するところではないと解するのが相当である。 」 ③「この見地からすれば,許さるべき相殺は,過払のあった時期と賃金の清算調整の実を失わない程度に合理的に 接着した時期においてされ,また,あらかじめ労働者にそのことが予告されるとか,その額が多額にわたらないと か,要は労働者の経済生活の安定をおびやかすおそれのない場合でなければならないものと解せられる。 」 解 説 1.使用者が労働者の賃金を受働債権として相殺しその額を支払わないことは,労働基準法 24 条 1 項の賃金全額払 いの原則に違反する。このような解釈は判例においても早くから定着しており(最判昭和 31・11・2 民集 10 巻 11 447 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 号 1413 頁〔関西精機事件〕 ) ,本件判旨(i)もこの旨を示している。そうすると,特定の賃金支払期に生じた過払 いを後の支払期の賃金から控除することも労基法違反となるのか,これが調整的相殺の問題である。本件判決が登 場するまで,調整的相殺の可否について下級審裁判例は分かれていた。否定説は,24 条 1 項但書に定められる例 外に該当しない限り調整的相殺も許されないとする(東京地判昭和 35・4・15 判タ 103 号 75 頁〔東京都教組事件〕 , 東京地判昭和 39・10・20 労民集 15 巻 5 号 1125 頁〔日本赤十字社事件〕 ,東京地判昭和 41・9・20 労民集 17 巻 5 号 1100 頁〔東武鉄道事件〕など) 。肯定説は,一定の要件の下に調整的相殺を許容する(本件第 1 審判決,高松高 判昭和 39・4・16 判時 381 号 13 頁〔高知県教組事件〕 ,東京高判昭和 42・3・1 判時 472 号 30 頁①事件〔群馬県教 組事件〕など) 。本件判決は,最高裁が肯定説を採用することを明らかにしたものである。 2.判旨(ii)①は,調整的相殺の対象となる過払いの事例を列挙している。これによると,a.賃金支払後に減額 事由が生じたとき,b.減額事由が賃金の支払日に接着して生じたこと,c.賃金計算における過誤,違算が挙げ られる。第一生命事件東京地判平成 10・9・25(労判 752 号 26 頁)は,効率成績の引戻しによる募集手当の減額 という特殊な事案であるが,あえていえばaに類するといえよう。JR 東日本事件東京地判平成 12・4・27(労判 782 号 6 頁)は,事案がこれらのいずれにも該当せず,清算調整のらち外であるとしている。aはやむを得ず過払 いが生ずる場合といえよう。bもやむを得ないといえる場合があろう。cは,誰にでも間違いはあると考えればや むを得ないといえようが,過誤・違算という文字からして使用者側に過失があることを思わせる。このようなもの まで調整的相殺の対象となるということは,使用者が労働者に不当利得返還を請求し得る場合すべてを含むという こととなろう。しかし,そうだとすると,不当利得返還請求権の成否そのものに争いがある場合はどうなるのだろ うか。本件におけるⅩらの上告理由はこのような問題も指摘していたようであるが,本件判決はこれに答えていな い。後述する調整的相殺が許容されるための要件に,使用者の不当利得返還請求権の成否について争いがないこと が含まれていない以上,使用者は裁判外でこの請求権を行使,すなわち調整的相殺をすることができ,提訴する負 担は常に労働者側が負うという結果となる。 3.判旨(ii)②は,24 条 1 項但書に定める例外的場合に該当せずとも,調整的相殺が賃金全額払いの原則に対する 例外として許容されることを明らかにしている。つまり,法律上の例外のほかに,判例法上の例外が存在するとい うわけである。学説には,このような判例法上の例外を認めず,但書の協定をあらかじめ締結することにより対応 すべきだとする見解も根強いが(片岡泉『労働法実務大系(6)使用者の争議対抗行為』 [1969]241 頁,西川達雄 「賃金支払方法」日本労働法学会編『現代労働法講座(11)賃金・労働時間』 [1983]33 頁など) ,判例上の要件 が厳格に適用されている限りにおいて調整的相殺を許容するというのが多数であろう(下井隆史『労働基準法〔第 4 版〕 』 [2007]274 頁など) 。逆に,翌月の賃金で清算することは計算方法の問題であって,控除とみるほどのこと はないとする見解もある(有泉亨『労働基準法』 [1963]249 頁) 。 4.判旨(ii)③によれば,具体的要件の第 1 は,調整的相殺が「過払のあった時期と賃金の清算調整の実を失わな い程度に合理的に接着した時期においてされ」ることである。本件判決は本件の第 1 審や控訴蕃の判決を概ね支持 しているようにみえるが,この時期の要件に関してはわずかな違いがみられる。第 1 蕃は過払いの時期と後述する 予告の時期との間隔を問題にしている。加えて,減額事由が生じた時期も考慮すべき余地がある。本件における勤 勉手当の減額は減額事由発生時期と過払い時期との間に 3 か月の隔たりがあるからである。ただ,この点はむしろ 過払いがやむを得ないかどうかの判断にかかるのかもしれない。次に,合理的に接着した時期とは何であろうか。 本件判決以前の下級審裁判例には,過払い後最初に減額をなしうべき機会に行うことを要件とするものがあった (前掲群馬県教組事件など) 。このように解すると,毎月支払われる賃金については,過払いのあった月の翌月分 の賃金に対して調整的相殺を行うべきことが原則となる。このような理解と本件判旨(ii)③とが合致するものな のかどうかは必ずしも明らかでない。本件で調整的相殺が許容された勤勉手当については,過払いから予告までが 448 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第2節 賃金の支払い等 1 か月,その翌月は給料の調整的相殺,勤勉手当の調整的相殺はさらにその翌月となっている。ただ,Y 県が上告 しなかった結果,勤勉手当の過払いか調整的相殺まで 3 か月の隔たりがあることは,上告審の審判の対象になって いないのである。 5.具体的要件の第 2 は,あらかじめ調整的相殺を行うことが労働者に予告されることである。判決文の文言には「と か」が付けられているので,必ずしも必須の要件ではないようにもみえる。福岡県教組事件最判昭和 50・3・6(判 時 778 号 100 頁)は,上記時期の要件を厳格に適用しているが,予告の要件は明示されていない。また,日新製鋼 事件大阪地判昭和 61・3・31〈判時 1195 号 144 頁)は,時期の要件と金額の要件とをみたしている事案について, 予告には触れずに通勤費補助金の過払いの調整的相殺を許容している。また,予告と調整的相殺との間隔はどうあ るべきだろうか。減額の事実とその理由を労働者に知らしめるだけならば,予告は減額された賃金が支払われる前 日になされるのでも足りることになろう。しかし,予告が労働者に生活設計を考えさせるような趣旨でなされるべ きであるとするならば,予告と調整的相殺との間にも十分な間隔を必要とすることになる。この点について判例は なんら答えるところがないが,前述した合理的に接着した時期を判断する際に予告と調整的相殺との間隔も考慮さ れることになろう。 6.具体的要件の第 3 は,調整的相殺の金額が多額にわたらないことである。ここにも「とか」という文言が付され ているが,本件判決以後の判例傾向はこの金額の要件に配慮しているようである。ただ,実例として多額にわたる がゆえに調整的相殺を違法としたような例はほとんど見当たらない。日本システム開発研究所事件東京高判平成 20・4・9(労判 959 号 6 頁)は,相殺を無効とした理由のひとつとして,相殺額が賞与の約半額であって少額とは いえないとしているが,無効の理由はこれだけではなかった。結局,具体的に多額とは何を指すのか明らかでない。 ただ,古い下級蕃裁判例には,民法 510 条および旧民事訴訟法 618 条 2 項(現行民事執行法 152 条)により,賃金 債権を差押え可能な部分に限り調整的相殺が許されるとするものがみられる(前掲群馬県教組事件・東京高判昭和 42・3・1 判時 472 号 30 頁②事件〔東京都教組事件〕など) 。私見は必ずしも調整的相殺肯定説に与するものでは ないが,肯定説を前提としてこの金額の要件を考察するならば,民事執行法 152 条を参照することは要件の明確化 に役立つであろう。 (別冊 JuIist No.197 P68~69) 』 [2007]274 頁」は、次のとおりである。 解説文中「下井隆史『労働基準法〔第 4 版〕 「これは、ある賃金支払期におけるストライキや欠勤等に対する賃金カットを次期以降の賃金について行うこと は許されるかという問題で、前述の賃金全額払原則と関係する。それゆえ労基法二四条一項但書の労使協定が締結 されている場合は問題にならない。 判例は、一定の要件をみたした「調整的相殺」を全額払原則の例外として認めるという考え方をしている。すな わち、以下のようにいわれる。賃金支払いの実際において計算の困難等のために過払いを生ずることは避け難く、 その過払額を後に支払う賃金と精算することは形式的には賃金に対する相殺であるが実質的には適正な賃金額支 払いのための調整であって、賃金と関係のない債権による相殺と同一視すべきではない。そこで、過払いのあった 時期と賃金の精算調整の実を失わない程度に合理的に接着した時期になされ、その金額・方法等において労働者の 経済生活を脅かす恐れのない控除は労基法二四条に違反しない(福島県教組事件=最一小判昭四四・一二二人民集 二三巻三号二四九五頁、群馬県教組事件=最二小判昭四五・一〇・三〇民集二四巻=一号一六九三頁等) 。このル ールが労基法「二四条一項本文の法意を害することのないよう、慎重な配慮と厳格な態度をもって」 、 「みだりに右 例外の範囲を拡張することは、厳につつし」んで(前掲群馬県教組事件判決)運用されるのであれば、それでよい であろう。 」 449 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 第3節 賞 与・退職手当・その他 1.賞与支給の権利義務 (1)労働者に賞与請求権があるのか? 賞与は、一般に、その支給があらかじめ決まっていないものであるから、具体的な支給率・額に ついてその都度労使協議等を経て使用者が決定する。その決定がない場合には、賞与請求権は発生 しないと解される(「清風会光ケ丘病院事件」山形地裁酒田支部決定昭 63.6.27 など)。 就業規則等に具体的な賞与支給基準が定められている場合には請求権が発生すると考えられる が、慣行による場合にはほとんど認められないものと思われる。それは、一般に、賞与は一定期間 における企業の営業実績と従業員の勤務成績等によって支給額が変動し、ときには支給が行われな いこともあるからである。実際に賞与請求権を否定した裁判例も多い(注)。 ○賞与請求権が認められなかったもの 注 1.「小暮釦製作所(賞与請求権)事件」東京地裁判決平 6.11.15 「具体的な賞与請求権は、就業規則等において具体的な支給額又はその算出基準が定められてい る場合を除き、特段の事情がない限り、賞与に関する労使双方の合意によってはじめて発生すると 解するのが相当である。 これを本件についてみるに、成立に争いのない(証拠略)によれば、被告の「服務規定」第二七 条は、「賞与は、年二回、七月及び十二月に左の通り支給する。但し、支給額は、その勤務成績、 勤続年数及び会社の業務成績等により増減することがある。尚、勤続六ケ月未満の者及び前半期の 出勤日数が八割に満たない者に対しては減額する。七月・基本給の〇・五ケ月分、十二月・基本給 の一ケ月分」と規定していることが認められるところ、右規定が「支給額は、その勤務成績、勤続 年数及び会社の業務成績等により増減することがある。」と定めているから、これによって直ちに 具体的支給額が算出されるものではない。」として、 「会社は、会社で働く労働者の雇用、労働条件 については、組合と協議、合意してから決定する。」と約定した労働協約により、労働者の賞与請 求を否定した。 注 2.「江戸川会計事務所事件」東京地裁判決平 13.6.26 給与規程に「賞与」の名目で臨時給与を支払うことがあるという規程があるが、支給基準の 定めがないので任意的恩恵的給付であって労働者に請求権はないとした。 注 3.「カシマ・リノベイト事件」東京地裁判決平 13.12.25 解雇を無効として月例賃金は失われないとしたが、賞与については同列に論じられないとして請 求権を否定した。 注 4.「相互信用金庫事件」大阪高裁判決平 17.9.8 給与規程に賞与の支給は「事業成績等を考慮して決定」すると定めていた場合に、使用者は賞与 の具体的請求権を確定させる義務を負うとは認められないとした。 ⇒ 賞与の請求権は容易に認められない。 賞与請求権の存否や発生時期については、労働契約の内容によって決まる。そのため、賞与など の臨時の賃金を制度として支給する場合には、就業規則にその支払いに関する事項を定めておかな 450 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 ければならない(労基法 89 条 4 号)。 もっとも、毎回最低1か月分が賞与として支給されていた事案(「大島園事件」東京地裁判決昭 52.3.20)や生活給的に一律に賞与が支給されていた事案(「日本ルセル事件」東京高裁判決昭 49.8.27)などでは、これまでの取扱い・慣行に応じた賞与請求権が認められている。賞与の性格 による判断の違いといえよう。 ○賞与請求権が認められたもの 注 1.「ノース・ウエスト航空(賞与請求)事件」千葉地裁決定平 14.11.19 会社が、定期昇給なしとの条件を承諾するのであれば例年どおりの率をもって夏季賞与を支給す る旨を労働同組合に提示し、同組合が上記条件を受け入れることができない旨を回答したところ、 同賞与が支給されなかった事案について「支給しないことが従前の労使関係に照らして合理性を有 せず、」「前提条件の存在を主張すること自体が信義則違反」として賞与請求権を認めた。 注 2.大島園(賞与・解雇予告手当・附加金請求)事件東京地裁昭 52.3.30 被告においては、少くとも、経営状態が著しく劣悪でその支給により経営維持が危くなるとか当 該従業員の勤務成績が著しく不良であるとかの特段の事情のない限り、毎年七月及び一二月に各賃 金一月分以上の賞与を支給すべきことが労働条件の内容となっていたものと解するのが相当であり、 そして昨今の企業一般における賞与の支給実態に鑑みると、一般に、賞与は単なる使用者の恩恵に よる給付ではなく、従業員の提供した労務に対する賃金の一種とみるべきであるから、特段の社内 基準等のない限り、その支給の対象とされる労働期間の全部を勤務しなくても、またその支給日に 従業員たる地位を失っていても、支給最低基準額(本件においては一ケ月分)については、支給対 象期間中勤務した期間の割合に応じて、その請求権を取得するものと解するのが相当である。 (社内規定があれば支給日在籍要件が認められる趣旨であると思われる。) 注 3. 「日本ルセル(賞与請求)事件」東京高裁判決昭 49.8.27 資料27 P470 ページ参照 従来から、毎年 6 月及び 12 月に、他の会社及び官公庁と同様、従業員に対し賞与が支給され、 毎期、会社側が右賞与を支給すること(従業員の側から言えば、賞与を受けること)を当然の前提 として、労働組合と賞与の額及び支給時期等について協定を結び、非組合員及び管理職についても 右協定に準じて取扱ってきていること状況下において、控訴会社における賞与は、従業員にとり (特に管理職である被控訴人にとっては)、単なる会社の恩恵又は任意に支給される金員では なく、会社が従業員に対し労働の対価として、その支払を義務づけられた賃金の一部であると 認めるのが相当であるとして、賞与の支給対象期間を勤務していたが、退職により支給日在籍の 条件を満たさないため賞与の支給を受けなかった支店長が、右賞与の支払を請求し、認容された。 ⇒ 賞与の支給が慣行化している場合には、請求権が認められる場合がある。 (2)賞与支給基準としての出勤率要件 賞与をいかなる基準で支給するかは、次項の退職手当の場合と同様に基本的には自由である。し かし、それが労働法が保障する権利の行使を抑制するような場合は問題となり、たとえば、①労基 法所定の産前産後休業をした期間、②育児・介護休業をした期間又は育児短時間勤務制度を利用し て短時間勤務をした期間、などの減額の可否である。 下記注 1.「日本シェーリング事件」では、前年出勤率80%以下の者を昇給の対象から除外す る労働協約に関し、労基法及び労組法が保障する年次有給休暇・組合休暇などを欠勤として取扱う 451 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 部分を「公序に反し無効」とした。注 2.「東朋学園事件」では、出勤率90%以上を賞与支給要 件とする計算において労基法に基づく産前産後休業及び育介法に基づく勤務時間短縮措置に基づ く育児時間を欠勤に含める取扱いを無効とした。ただし、不就労部分を減額する計算式は、もとも とこれらの不就労部分は賃金請求権を有しないのだから有効としている(下井「労基法」P269)。 注 1.日本シェーリング事件最高裁一小判決平 1.12.14 前年の稼働率によつて従業員を翌年度の賃金引上げ対象者から除外する旨の労働協約条項は、そ のうち労働基準法又は労働組合法上の権利に基づくもの以外の不就労を稼働率算定の基礎とする部 分は有効であるが、労働基準法又は労働組合法上の各権利に基づく不就労を稼働率算定の基礎とす る部分は公序に反し無効である。 注 2.「東朋学園事件」最高裁一小判決平 15.12.4 賞与の支給要件として出勤率90%以上と定めていることに対し、本件90%条項中、出勤す べき日数に産前産後休業の日数を算入し、出勤した日数から産前産後休業の日数および勤務時間短 縮措置による育児時間を除外することと定めている部分は、労働基準法65条、67条、育児介護 休業法10条、の趣旨に反し、公序良俗に違反するから無効であるとした。 ただし、産前産後休業を取得し又は育児のための勤務時間短縮措置を受けた不就労部分について 欠勤日数に応じて減額する計算式は、公序に反し無効なものということはできない。 ⇒ 一定の出勤率を賞与の支給要件とする場合に、産前産後休業、育児・介護休業、育児・介護短時間勤務をし た期間を欠勤として取扱うことにより出勤率が不足して賞与をゼロとすることは無効であるが、当該休業期間 に応じて賞与を減額とすることは違法ではない。 (3)賞与の支給日在籍要件 1)支給日在籍要件は個別に判断される 支給日に在籍していない者に賞与を支給しない、という取扱い規定は有効であろうか。 理論的には、賞与の具体的性格に照らして個別に判断すべきものであるが、1)③の功労報償的 性格や④の勤労奨励的性格の強い賞与については功労の抹消や退職によってその分の賞与が減殺 されることも合理的と考えられる。一方、1)①の賃金後払的性格が強い賞与については、支給日 に在籍していないことのみをもって賞与を大きく減額し又は不支給とすることは、合理性を欠くと 解すべきであろうとする説もある(東大「注釈労基法」上巻 P384〔水町 勇一郎〕)。 ⇒ 賞与の支給日在籍要件は、賞与のもつ性格が「功労報償的」や「勤労奨励的」である場合は有効と判 断されやすく、「賃金後払い的」性格であるときは無効とされやすい。 2)支給日在籍要件を無効とする学説・裁判例 片岡 曻教授は、賞与の性格は支給対象期間中の労働の対償に基づくものであるから、月例賃金 と異なるものでなく、賞与に支給日在籍要件を付すことは公序良俗違反として許されないとする。 「賞与の賃金としての性格は、支給対象期間中の労働の対償であることに基づくものであって、こ の点では月例賃金の場合と異なるところはない。労働者は、支給対象期間中の労働に対応して賞与に 対する請求権を取得するものである以上、使用者が一方的にこれを剥奪もしくは減額することは、性 452 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 質上なしうるところではない。また賞与は、労働者の生活維持にとり不可欠的重要性をもつのに対し、 勤務継続に対する使用者側の期待は単に支給日までであることからみて、支給日在籍要件の合理性に は疑念が生ぜざるをえない。こうした点から、賞与に右要件を付することは許されない(公序良俗違 反)と解する。かりに、支給日在籍要件に合理性があり有効と解されるにしても、定年退職者など任 意に退職時期を選択できない労働者に対しては、勤務期間に対応した請求権を認める等の措置がなさ れるべきであろう。 」(片岡 曻「労働法」(2)P234) 裁判例では、退職者に対し将来への期待部分(賞与の2割)を超えて減額することは労基法 24 条の全額払の原則に反し公序違反・無効と判示したもの(「ベネッセコーポレーション事件」東京地 裁判決平 8.6.28(注 1)) 、賞与計算期間全部を勤務した従業員に対しては、右従業員がその後も在 職しているか否かを問わず、当然、その期の賞与を支給すべき義務あり、すでに具体的請求権とし て発生した賞与につき、会社が一方的に賞与の計算期間経過後の在籍者にのみこれを支給すると定 めて、その権利を剥奪することは許されないとしたもの(前述「日本ルセル(賞与請求)事件」- 資料27 470 ページ)などがある。 注 1.ベネッセコーポレーション事件 東京地判平 8.6.28 退職予定がある場合など、将来に対する期待の程度の差に応じて、退職予定者と非退職予定者の 賞与額に差を設けること自体は不合理ではないとしながらも、「過去の賃金とは関係のない純粋の 将来に対する期待部分が、被告と同一時期に中途入社し同一の基礎額を受給していて年内に退職す る予定のない者がいた場合に、その者に対する支給額のうちの 82 パーセント余の部分を占めるもの とするのは、いかに在社期間が短い立場の者についてのこととはいえ、肯認できない・・・ (中略) ・・・ 賞与制度の趣旨を阻害するものであり、無効である。」と判示し、労働者に対する将来の期待部分 の範囲・割合については、諸事情を勘案して判断すると、賞与額の2割を減額することが相当であ るとしている。 注2. 前述「日本ルセル(賞与請求)事件」東京高裁判決昭 49.8.27 従来から、毎年六月及び一二月に、他の会社及び官公庁と同様、従業員に対し賞与が支給され、 毎期、会社側が右賞与を支給すること(従業員の側から言えば、賞与を受けること)を当然の前提 として、前記労働組合と賞与の額及び支給時期等について協定を結び、非組合員及び管理職につい ても右協定に準じて取扱ってきている状況下においては、右計算期間全部を勤務した従業員に対し ては、右従業員がその後も在職しているか否かを問わず、当然、その期の賞与を支給すべき義務あ るものというべく、従って既に具体的請求権として発生した賞与につき、控訴会社が一方的に右賞 与の計算期間経過後の在籍者にのみこれを支給すると定めて、その権利を剥奪することは許されず、 かゝる定めは法律上無効であるといわなければならない。 3)支給日在籍要件を有効とする学説・裁判例 下井隆史教授は、賞与の具体的債権としての発生時期が支給日であるとし、「支給日在籍」とい う要件は適法であると、次のように述べられている。 「賞与は一般に、たとえば 6 月から 11 月までを「成績査定期間」とし 12 月に支給するというように して支払われる。その際、支給日以前に退職した従業員には通常、賞与は支給されない。それが就業 規則あるいは労働協約に明記されていることもあるが、そうでない場合も少なくないようである。こ 453 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 の点に関し、退職金の不支給・減額条項の無効論 (264 頁参照 )と同じ趣旨で、つまり賞与は「後払い の賃金」ゆえ支給日以前の退職者への不支給は賃金全額払いの原則等に反するとして、支給日在籍条 項は無効であるとする考え方もある。しかし、賞与とは一定期間の勤務の全体を評価して毎月一回以 上支給する通常の賃金に加えて支払われる賃金であり、具体的な債権としては支給日に請求権が発生 するものである。そして、いかなる支給基準を設けるかは退職金の場合と同じく基本的には自由であ る。将来の勤務における精励を期待して付せられるのであろう「支給日在籍」という受給要件を、著し く不合理ゆえ無効と解すべきであるとは考えられない。」(下井「労基法」P270) また、最高裁判例では、支給日に在籍している者に対してのみ決算期間を対象とする賞与が支給 されている慣行が存在していた場合に、有効としたもの(「大和銀行事件」最高裁一小判昭 57.10.7 (注 1))、支給日の在籍を要件とする慣行は不合理ではなく、労働者側がこれに従う意思を有して いたかどうかにかかわらず事実たる慣習として効力を有するとしたもの(「京都新聞社事件」最高 裁一小判決昭 60.11.28(注 2))などがあり、支給日在籍が労働慣行となっていた場合には、これ を有効と判断している。ただし、本来支給されるべき支給日よりも遅れて支払われたために支給日 在籍要件を満たさなかった者に対し不支給とすることは合理的理由がなく認められないとしてい る(「ニプロ医工(賞与支給日遅延)事件」東京高裁判決昭 59.8.28(注 3))。 注 1.「大和銀行事件」最高裁一小判昭 57.10.7 「被上告銀行においては、本件就業規則三二条の改訂前から年二回の決算期の中間時点を支給日 と定めて当該支給日に在籍している者に対してのみ右決算期間を対象とする賞与が支給されるとい う慣行が存在し、右規則三二条の改訂は単に被上告銀行の従業員組合の要請によって右慣行を明文 化したにとどまるものであって、その内容においても合理性を有する」として賞与の支給日在籍要 件を有効とした。 注 2.「京都新聞社事件」最高裁一小判決昭 60.11.28 「賞与の受給権の取得につき当該支給日に在籍することを要件とする前記の慣行は、その内容に おいて不合理なものということはできず、上告人がその存在を認識してこれに従う意思を有してい たかどうかにかかわらず、事実たる慣習として上告人に対しても効力を有するものというべきであ る」として賞与の支給日在籍要件を有効とした。 注 3.「ニプロ医工(賞与支給日遅延)事件」東京高裁判決昭 59.8.28 労使交渉が難航し夏期賞与の支給日が遅延した場合の賞与支給日在籍要件の取扱いについて「本件 のように、本来六月期に支給すべき本件賞与の支給日が、二か月以上も遅延して定められ、かつ、右 遅延について宥恕すべき特段の事情のない(この点は本件全証拠によるも認められない。)場合につ いてまでも、支払日在籍者をもって支給対象者とすべき合理的理由は認められない。」として、本来 の支給日に在籍していれば賞与請求権が認められると判示した。 ⇒ 最高裁は、支給日在籍要件が労働慣行となっている場合には、おおむね支給日在籍要件を合理性ありと判 断している(支給日在籍要件は有効)。 ⇒ 支給日に在籍しない者に賞与をまったく支給しないこととする取扱いは、職場の慣行となっている場合は是 認される。 454 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 4)支給日在籍要件のまとめ 賞与の支給要件は、労使間の合意ないし使用者の決定により自由に定めることができるが、支給 要件の内容は合理的でなければならない。そこで、しばしば問題となるのが、「支給日に在籍する 者」といった「支給日在籍要件」の有効性である。 一般に、支給日在籍要件は不合理といえず、賞与の不支給も有効であると解されている。また、 京都新聞社事件(最高裁一小判決昭 60.11.28)によれば、こうした取扱いをすることは、明文の 規定がない場合でも、社内の慣行として成立していると認められるときは許される。 ただし、内規で定められた予定支給日から実際の支給日がずれ込んだ場合、予定日に在籍してい た従業員には賞与請求権が認められることがある(「須賀工業事件」東京地裁判決平 12.2.14)。ま た、整理解雇のように、使用者が一方的に解雇の効力発生日を設定する場合には、支給日在籍要件 を根拠に賞与を支給しないのは問題があるが、退職日を選択できない定年退職者に対する在籍支給 要件を有効とする裁判例がある(「カツデン事件」東京地裁判決平 8.10.29)。なお、早期退職優遇 制度の適用対象者が、支給対象期間途中に退職日が設定されていたため、継続勤務要件を満たさず、 賞与を受給できなかったことについて、退職日を任意に選択することができなかったとはいえない として、賞与請求権を否定した裁判例がある(「コープこうべ事件」神戸地裁判決平 15.2.12)。 年俸制の場合には、たとえば、年俸額を 16 分割し、その 1 を毎月支給し年 2 回の賞与支給時期 にその 2 をそれぞれ支給するように、固定額を支給する旨、年俸額の合意に含めている場合がある。 このような場合、年俸制適用者が年俸期間途中で解雇ないし退職を余儀なくされた場合、賞与支給 日に在籍しないことをもって、不支給とできるかは問題である。 この点について、勤務割合に応じた賞与請求権を認めたものがある(「山本香料事件」大阪地裁 判決平 10.7.29、 「シーエーアイ事件」東京地裁判決平 12.2.8)。年俸制のように、成果・業績を評 価する賃金支払いの方法をとる場合、支給日に在籍しない労働者に対しても、その成果・業績に応 じた賞与の支給が求められる。 (日本労働政策研究機構の「個別労働関係紛争判例集」より) ⇒ 支給日在籍要件は不合理といえず、賞与の不支給も有効であると解されるが、①予定支給日から実際 の支給日がずれ込んだ場合、②退職日を選択できない定年退職者、③使用者が一方的に行う整理解雇な ど特別の事情があるときは、無効とされ得る。 (4)賞与の減額支給(人事院勧告に基づく基本給の遡り減額) 人事院勧告に準拠して毎年給与を引上げ、4月に遡った差額を 11 月頃に支給してきた場合に、 人事院勧告が引下げ勧告し公務の給与の遡及減額にならって民間においても遡り減額することは 可能であろうか?可能であれば、年末に支給される期末手当(賞与)の額を減額調整することによ って実施できる。 これが争われた例として「福岡雙葉学園事件」最高裁三小判決平 19.12.18 がある(資料 19 380 ページ参照) 。 同事件の一審は、平成 16 年 12 月 22 日に減額調整を適法とし労働者側敗訴、二審は、平成 17 年 8 月 2 日に労働者側の主著を全面的に認めて労働者側勝訴、最高裁は、学園側が長年にわたって 人事院勧告を踏まえて年間の給与額を調整してきたこと、「増額の場合のみ調整し、減額の場合に これが許されないとするのでは衡平を失する」ことなどを指摘して学園理事会の減額決定に合理性 455 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 があると判断し、平成 19 年 12 月 18 日に二審判決を破棄して労働者側敗訴の判決を下した。 詳しくは、第1節2.(5)P367 以下参照。 456 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 2.退職手当の権利義務 (1)退職手当の請求権 退職手当は、就業規則や労働協約に支給基準が定められている場合に労基法 11 条の「賃金」に あたり、その支払いが労働契約上の権利義務になる。そこで、退職手当に関する就業規則等の定め はないが「内規」が存在する場合、あるいは文書化された基準はないけれども支給実績が確固とし て認められるような場合には、慣行に基づく退職手当請求権の存在を肯定してもよいであろうとさ れる(下井「労基法」P263)。 使用者は、退職手当を制度として支給する場合は就業規則に「適用される労働者の範囲、退職手 当の決定、計算及び支払の方法並びに退職手当の支払の時期に関する事項 」を定めなければなら ない(労基法 89 条 3 号の 2)。したがって、その対象者とされる職員には一般に退職手当の請求権 が認められるが、このような明文規定がない場合や明文規定があっても適用を受ける職員の範囲が 不明確な場合に問題となることがある。 そのような場合は黙示の合意や労使慣行を踏まえた労働契約の意思解釈により決定することに なる。 しかし、退職金の支払いについては、個別企業において災害補償規定との整合性の関係からか、 遺産相続人ではなく生計維持又は生計同一の関係にある親族に優先支給する規定を有することが 少なくない。 たとえば、東京大学の退職手当支給規則では死亡退職による退職手当の受給権者となる遺族及び 労基法の遺族補償の受給権者は、次のとおりである。 第 2-2-3-1 図 退職手当受給の遺族及び遺族補償の受給権者 順位 東大退職手当 労基法遺族補償 東京大学の退職手当支給規則 10 条 労基法施行規則 42 条・43 条 ① 配偶者(事実上の配偶者を含む。 ) 配偶者(事実上の配偶者を含む。 ) ② 職員の死亡当時生計維持関係があった 労働者の死亡当時生計を維持関係又は生計同一関 子、父母、孫、祖父母及び兄弟姉妹 係にあった子、父母、孫及び祖父母 職員の死亡当時生計維持関係があった 上記②以外の子、父母、孫及び祖父母 ③ 上記②以外の親族 ④ 上記②以外の子、父母、孫、祖父母及び 兄弟姉妹(労働者の死亡当時生計を維持関係又は生 兄弟姉妹 計同一関係にあった者を先にする。) 東京大学退職手当支給規則 (退職手当の支給) 第2条 退職手当は、教職員が退職等した場合に、その者(死亡により退職した場合には、その遺族) に支給する。ただし、教職員として引き続き在職した期間が6月未満の場合(次条第1項第1号に該 当する場合及び同項第4号における雇用期間が満了し退職した場合の在職した期間に限る。)には退職 手当は支給しない。 第2項・第3項 略 457 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 (遺族の範囲及び順位) 第10条 この規則において、「遺族」とは、次の各号に掲げる者をいう。 (1) 配偶者(婚姻の届出をしないが、教職員の死亡当時事実上婚姻関係と同様の事情にあった者を含 む。) (2) 子、父母、孫、祖父母及び兄弟姉妹で教職員の死亡当時主としてその収入によって生計を維持し ていた者 (3) 前号に掲げる者のほか、教職員の死亡当時主としてその収入によって生計を維持していた親族 (4) 子、父母、孫、祖父母及び兄弟姉妹で第2号に該当しない者 2 退職手当を受けるべき遺族の順位は、前項各号の順位により、同項第2号及び第4号に掲げる者の うちにあっては、当該各号に掲げる順位による。この場合において、父母については、養父母を先に し実父母を後にし、祖父母については、養父母の父母を先にし実父母の父母を後にし、父母の養父母 を先にし父母の実父母を後にする。 第3項 略 労基則 第 42 条 遺族補償を受けるべき者は、労働者の配偶者(婚姻の届出をしなくとも事実上婚姻と同様の 関係にある者を含む。以下同じ。)とする。 ② 配偶者がない場合には、遺族補償を受けるべき者は、労働者の子、父母、孫及び祖父母で、労働 者の死亡当時その収入によつて生計を維持していた者又は労働者の死亡当時これと生計を一にしてい た者とし、その順位は、前段に掲げる順序による。この場合において、父母については、養父母を先 にし実父母を後にする。 第 43 条 前条の規定に該当する者がない場合においては、遺族補償を受けるべき者は、労働者の子、 父母、孫及び祖父母で前条第二項の規定に該当しないもの並びに労働者の兄弟姉妹とし、その順位は、 子、父母、孫、祖父母、兄弟姉妹の順序により、兄弟姉妹については、労働者の死亡当時その収入に よつて生計を維持していた者又は労働者の死亡当時その者と生計を一にしていた者を先にする。 ② 労働者が遺言又は使用者に対してした予告で前項に規定する者のうち特定の者を指定した場合に おいては、前項の規定にかかわらず、遺族補償を受けるべき者は、その指定した者とする。 権利者についてとくに問題となるのは、退職金のうち死亡労働者に対する退職金の受給権者であ る。 死亡労働者に対する退職金の受給権者は、直ちに遺産相続人であると考えることは困難である。 それは、死亡退職金を相続財産なりとするには、死亡労働者本人が請求権を取得した後に死亡した という論理構成をとらなければならないが、死亡金は労働者の死亡による退職という事実の発生に より支給されるもの(労働者が死亡した後に発生する債権)であるから、死亡退職金を相続財産と いうことはできない。 したがって、労働者が死亡した場合に退職金を支給する旨の規定を制定する場合には、あたかも 生命保険の保険金受取人を定めるようにその受給権者を明確に指定しておくべきであり、これを定 めていない場合は、その規定の合理的解釈により受給権者を決定すべきである。 458 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 解釈例規は、「労働者が死亡したときの退職金の支払について別段の定めがない場合には民法の 一般原則による遺産相続人に支払う趣旨と解されるが、労働協約、就業規則等において民法の遺産 相続の順位によらず、施行規則第四二条・第四三条の順位による旨定めても違法ではない。従って、 この順位によって支払った場合はその支払は有効である。同順位の相続人が数人ある場合について もその支払について別段の定めがあればこの定めにより、別段の定めなき時は共同分割による趣旨 と解される。 」(昭 25.7.7 基収 1786 号) 判例も、次のとおり判示している。 「改正後の規程六条は、死亡退職金の受給権者の範囲及び順位につき民法の規定する相続人の範 囲及び順位決定の原則とは著しく異なった定め方をしているのであり、これによってみれば、右規 程の定めは、専ら職員の収入に依拠していた遺族の生活保障を目的とし、民法とは別の立場で受給 権者を定めたもので、受給権者たる遺族は、相続人としてではなく、右規程の定めにより直接これ を自己固有の権利として取得するものと解するのが相当である。」(「福岡工業大学事件」最高裁一 小判決昭 60.1.31、同旨の判決として「日本貿易振興会事件」最高裁一小判決昭 55.11.27) ⇒ 労働者が死亡したときの退職金の支払について別段の定めがない場合には、民法の一般原則による遺産 相続人に支払う趣旨と解される。 ⇒ 死亡退職金の支払いについて、労働協約、就業規則等において民法の遺産相続の順位によらず他の遺族 に支払う規定があるときは、その規定による。 ⇒ 労働者が死亡した場合に退職金を支給する旨の規定を制定する場合には、あたかも生命保険の保険金受 取人を定めるようにその受給権者を明確に指定しておくべきであり、労基法施行規則 42 条・43 条の災害補償 の受給権順位によることも一方法である。 (2)退職手当の減額・不支給 職員が懲戒解雇された場合などに退職手当の全部一部を支給しない旨の就業規則上の条項を設 けることがある。このような条項は有効なのであろうか。 ここで、議論を進める上で、減額・不支給事由を整理しておきたい。 ① 懲戒解雇された場合に退職手当を不支給とする場合 ② 懲戒解雇事由がある場合に(実際に処分が行われていなくても)不支給とする場合 ③ 自己都合退職であっても「同業他社への転職」等を不支給事由とする場合 1)懲戒解雇された場合 退職手当は日給や月給等として払われる賃金のように労働契約の締結によって当然に請求権が 発生するものではなく就業規則等の定め(又は慣行)に基づいて使用者が支払義務を負うものであ る。退職金請求権は、抽象的債権としては就業規則の定め等にもとづき労働契約締結時に発生する が、具体的債権としては一定期間にわたり継続されてきた勤務の全体が退職時に所定の基準によっ て評価されつつ額が確定して請求権が発生するもの、と考えられる。それ故、退職手当の減額・不 支給のの問題は賃金の全額払いの原則とは無関係であり、それを違法・無効として論じる理由は公 序違反(民法 90 条)しかないであろう(下井「労基法」P264)。 459 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 使用者は退職手当を支払う義務を当然に負うわけでないから、その支給基準をどのように定める かは原則的には自由である。とはいえ、退職手当の減額・不支給は労働者にきわめて過酷な結果を もたらす可能性がある措置であるから、減額・不支給の措置が著しく合理性を欠く場合には違法と 解されるおそれがある(注 1、注 2) 。一般的には「永年の勤続の功労を抹消してしまうほどの不信 行為があった場合」に退職手当の減額・不支給条項が適用されるべきものであろう。 注 1.「日本高圧瓦斯工業事件」大阪地裁判決昭 59.7.25 「懲戒解雇等円満退職でない場合には退職金を支給しない旨の規定があっても、これが労働者に 永年の勤続の功労を抹消してしまうほどの不信行為があった場合についての規定ならば、その限度 で有効と解するのが相当であり、労働者に右のような不信行為がなければ退職金を支給しないこと は許されないものというべき」であり、従業員の退職についての手続規定違反を就業規則所定の「円 満な手続による退職」に該当しないというその主張事由自体からして、「これが労働者である原告 らの永年勤続の功労を抹消してしまうほどの不信行為に該当するものといえないこと明らかであ る。」として使用者側の主張を退けた。 ⇒ 円満な引継ぎ業務など退職時の手続き違反を理由とする就業規則の退職金不支給規定は無効であ る。 注 2.小田急電鉄(退職手当不支給)事件東京高裁判決平 15.12.11 度重なる電車内での痴漢行為を理由に被控訴人会社から懲戒解雇された私鉄社員の訴えに対し、 懲戒解雇処分を有効とするも退職手当の不支給については「賃金の後払い的要素の強い退職金につ いて,その退職金全額を不支給とするには,それが当該労働者の永年の勤続の功を抹消してしまう ほどの重大な不信行為があることが必要である。ことに,それが,業務上の横領や背任など,会社 に対する直接の背信行為とはいえない職務外の非違行為である場合には,それが会社の名誉信用を 著しく害し,会社に無視しえないような現実的損害を生じさせるなど,上記のような犯罪行為に匹 敵するような強度な背信性を有することが必要であると解される。」とし、本件退職手当について は本来の支給額の3割(7割不支給)とするのが相当であるとした。 ⇒ 鉄道職員が電車内で痴漢行為をしたことを理由とする懲戒解雇は有効であっても、退職金全部 不支給は相当でなく3割支給(7割カット)が相当であるとした。 ⇒ 退職手当を不支給とするには、それが当該労働者の永年の勤続の功を抹消してしまうほどの重大な背信行 為があることが必要である。 2)懲戒解雇事由がある場合(実際に処分が行われず、退職後に事実が判明した場合) 労働者が任意退職した後に不支給・減額条項に相当する事実が判明した場合に、退職手当を不支 給・減額とすることや既に支給した退職手当の全部又は一部の返還を求めることができるのであろ うか? ○不支給事由に「懲戒解雇事由がある場合」を加えるべき 判例には、就業規則に「懲戒解雇した従業員には退職金を支給しない」旨を定めてある場合に、 懲戒解雇事由が存することを理由に「退職金の支払いを拒むことはできない」としたものがあり、 これは、裏を返していえば、就業規則に懲戒解雇事由が存することを定めてある場合は任意退職 者への減額・不支給が許されるという考え方と思われる(注-下井「労基法」P266)。 460 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 注.「新光ランド(退職金請求肯定)事件」東京地裁判決平 9.10.24 「被告の従業員に適用される退職慰労金規程(第二条)には被告が懲戒解雇した従業員には退職 金を支給しないことが規定されているのみで、これ以外の退職金不支給事由を規定していない」場 合に、「結局、被告において、就業規則上の懲戒解雇の手続をとったと認めるに足りる証拠はない から、被告の主張1記載の事実が存することを理由に退職金の支払いを拒むことはできないという べきである。」として、主張1記載の事実(懲戒解雇事由に相当する事実)が存することを理由に 退職金の支払いを拒むことはできないとした。 ⇒ 「懲戒解雇した従業員には退職金を支給しない」のみの規定では、現実に懲戒解雇事由が存す る場合であっても、現実に懲戒処分が行われていないときは、不支給とすることができないとさ れた。 ○懲戒解雇事由にあたる事実がある場合には退職後でも不支給とすることが可能 一方、退職金不支給条項は、退職後でも懲戒解雇事由にあたる事実がある場合には適用可能と いう趣旨を含むと解されるものもある(注 1)。 また、労働者にその在職中背信的な行状等があった場合には、その行状の背信性の程度次第で、 退職金請求権を行使することが権利の濫用に当たる場合がある、とする例もある(注 2)。 注 1.大器(退職金請求)事件大阪地裁判決平 11.1.29 退職金規程三条一項が「背信行為など就業規則に反し懲戒処分により解雇する場合は退職金を支 給しない」旨規定している場合に、 「本来、懲戒解雇事由と退職金不支給事由とは別個であるから、 被告の右退職金規程のように退職金不支給事由を懲戒解雇と関係させて規定している場合、その規 定の趣旨は、現に従業員を懲戒解雇した場合のみならず、懲戒解雇の意思表示をする前に従業員か らの解約告知等によって雇用契約関係が終了した場合でも、当該従業員に退職金不支給を相当とす るような懲戒解雇事由が存した場合には退職金を支給しないものであると解することは十分に可 能である。 このような観点から本件をみると、前記説示のとおり、原告の前記背任行為は、いずれも悪質か つ重大なものであって、被告に対する背信性の大きさからして、本来懲戒解雇に相当するのみなら ず、これを理由に退職金不支給とすることも不当ではないと考えられる。」と、懲戒解雇事由にあ たる事実がある場合には退職金不支給とすることができるとした。 ⇒ 悪質かつ重大な背任行為はの場合は、懲戒解雇事由にあたる事実がある場合には退職金不支給と することができるとした。 注 2.「アイビ・プロテック(退職金請求)事件」東京地裁判決平 12.12.18 「労働者の退職金請求権の行使がいかなる場合に権利の濫用に当たるかについては、個別の事案 に沿って判断せざるを得ないが、退職金の右性質、とりわけ、功労報償的性質の面にかんがみると、 当該労働者に、その在職中背信的な行状等があった場合には、その行状の背信性の程度次第で、退 職金請求権を行使することが権利の濫用に当たる場合があるというべきである」 「懲戒解雇とは、使用者が、従業員の企業秩序違反行為に対する懲戒権に基づき懲戒処分を行 うに当たり、特に著しい企業秩序違反行為、言い換えれば、使用者として看過し難い背信的な行 状等があった場合に行う、労働契約関係を解消する措置であること、現に、就業規則上退職金支 給規定が置かれている場合にあって、懲戒解雇の場合は退職金不支給の事由とされることが多い こと、以上がその理由である。なお、右の理は、当該企業に右行状等が判明したのが、当該労働 461 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 者の退職後であっても変わるところはないと解される。」 ⇒ 在職中背信的な行状等があった場合には、その背信性の程度次第で退職金請求権を行使することが 権利の濫用に当たり、その請求が認められない場合がある。 3)任意退職した場合 任意退職した場合であっても、たとえば、退職後一定期間内に「同業他社への転職」したときは 退職金を減額・不支給とする、という条項を就業規則に設けることは可能だろうか? 退職金は月例給与と違って当然に請求権が発生するものでなく、就業規則の定め(又は慣行)に 基づいて使用者が支払い義務を負うものである。退職金請求権は、抽象的債権としては労働契約締 結時に発生するが、具体的債権としては退職時に勤続年数その他所定の基準によって計算された額 が確定して請求権が発生すると考えられる。 また、使用者は退職金を支払う義務を当然に負うわけでないから、その支給基準をどのように定 めるかは基本的には自由である。「同業他社への転職」について減額・不支給といった措置も競業 避止義務の定めとして適法といえるものであれば無効とする理由はない。最高裁も下記「三晃社(退 職金減額)事件」において、退職後同業他社へ就職した場合は、支給額を一般の自己都合による退 職の場合の半額と定めることも合理性のない措置であるとすることはできないとしている(注)。 注.「三晃社(退職金減額)事件」最高二小判決昭 52.8.9 被上告会社が営業担当社員に対し退職後の同業他社への就職をある程度の期間制限することを もって直ちに社員の職業の自由等を不当に拘束するものとは認められず、したがって、被上告会社 がその退職金規則において、右制限に反して同業他社に就職した退職社員に支給すべき退職金につ き、その点を考慮して、支給額を一般の自己都合による退職の場合の半額と定めることも、本件退 職金が功労報償的な性格を併せ有することにかんがみれば、合理性のない措置であるとすることは できない。 第 2-2-3-2 図 退職手当不支給・減額支給が認められた例 支給制限率 100%の減額 非違行為の態様 備 事前連絡なしの一斉退職・退職時 の引継義務不履行 考 日音事件( 東京地裁平成18.1.25 判決) 70%の減額 企業外非行・痴漢行為事例 小田急電鉄事件(東京高裁平成15.12.11 判決) 2/3 の減額 企業外非行・酒気帯び運転で検挙 ヤマト運輸事件(東京地裁平成19.8.27 判決) 60%の減額 無断二重就職事例 橋元運輸事件(名古屋地裁昭和47.4.27 判決) 50%の減額 競業避止義務違反 三晃社事件(最高裁二小昭和52.8.9 判決) 50%の減額 うつ病・職場放棄事例 東芝事件( 東京地裁平成14.11.5 判決) (3)退職手当の放棄 懲戒処分を免れるためなどの理由により、労働者が退職金を放棄する場合がある。そのような意 思表示は有効なのだろうか? 労基法 24 条 1 項の趣旨が、確定した賃金債権の全額払いを義務づけるにとどまることからすれ ば、自由意思による放棄も認められて然るべきだが、労働者の従属状態を考慮するならば、労働者 462 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 に真の自由意思があったかどうかの判断は、慎重かつ厳格になされれることが前提となる。 最高裁は、労基法 24 条 1 項の趣旨からして、放棄に関する労働者の意思表示が労働者の自由な 意思に基づくことが明確であれば放棄は可能との原則を示し、具体的判断においては、意思表示が 労働者の自由な意思にもとづくものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在していたとし た例と(注 1)それを否定した例(注 2)がある(西谷「労働法」P262~263)。 なお、賃金引き下げに関する合意は、賃金債権の放棄に通じる問題であり、賃金引き下げについ ても、放棄に関する判例の枠組みを適用して、労働者の真に自由な合意が存在したと認められる場 合に限りその効力を認めるというべきであろう(西谷「労働法」P263)。 注 1.「シンガー・ソーイング・メシーン事件」最高裁二小昭 48.1.19 退職前会社の西日本における総責任者の地位にあつた上告人(労働者)が、①退職後直ちに被上 告会社の一部門と競争関係にある他の会社に就職することが判明していたこと、②在職中における 上告人およびその部下の旅費等経費の使用につき書面上つじつまの合わない点から幾多の疑惑をい だいていた、等の事情により、右疑惑にかかる損害の一部を填補する趣旨で、会社が上告人に対し 退職金を放棄する書面に署名を求めたところ、これに応じて上告人が右書面に署名した事案におい て 「本件退職金は、就業規則においてその支給条件が予め明確に規定され、被上告会社が当然にそ の支払義務を負うものというべきであるから、労働基準法一一条の「労働の対償」としての賃金に 該当し、したがって、その支払については、同法二四条一項本文の定めるいわゆる全額払の原則が 適用されるものと解するのが相当である。しかし、右全額払の原則の趣旨とするところは、使用者 が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の 経済生活をおびやかすことのないようにしてその保護をはかろうとするものというべきであるから、 本件のように、労働者たる上告人が退職に際しみずから賃金に該当する本件退職金債権を放棄する 旨の意思表示をした場合に、右全額払の原則が右意思表示の効力を否定する趣旨のものであるとま で解することはできない。 」と、退職金の放棄が有効とされた。 注 2.「北海道国際航空事件」最高裁第一小平 15.12.18 賃金規程に「月の途中において基本賃金を変更または指定した場合は、当月分の賃金は新旧いず れか高額の基本賃金を支払う」と定められおり、7 月1日に遡っての20%の減額を使用者が7月 18日に労働者に伝え、25日までに就業規則にその旨定めた事案において 「既発生の賃金債権を放棄する意思表示の効力を肯定するにはそれが労働者の自由な意思に基づ いてされたことが明確でなければならない」とし、 「改正後の賃金規程が同月(7月)24日以前に 効力を生じていた事実は確定されておらず、具体的に発生した賃金請求権を事後に変更された就業 規則の遡及適用により処分または変更することは許されない」と、賃金減額を無効とした。 (4)死亡退職金の受給権者 前述(1)で述べたとおり、死亡退職金の請求権は労働者の死亡による退職という事実により発 生するもの(労働者が死亡した後に発生する債権)であるから、死亡退職金を相続財産ということ はできず、退職金の受給権者が直ちに遺産相続人であると考えることは困難である。そこで、職員 が死亡した場合の退職金を誰に支払うかをあらかじめ就業規則に定めておく必要があるが、定めが なかったり、定めがあっても不明確な場合には問題となる。 463 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 1)遺族の範囲 判断のヒントとなる類似の諸規定として、①国家公務員退職手当法と労基法の災害補償の規定を 見てみよう。 いずれも配偶者(事実婚を含む。)が生計維持関係を問わず第一順位とされ、他の遺族について は生計維持関係(又は生計同一関係)があった者を先順位としている。 ○ 国家公務員の遺族の範囲 国家公務員の場合、遺族の範囲を、①配偶者(事実婚関係にある者を含む)、②子、父母、孫、 祖父母および兄弟姉妹で職員死亡当時主としてその収入によって生計を碓持していたもの、③ ②に掲げる者のほか、職員死亡当時主としてその収入によって生計を維持していた親族、④子、 父母、孫、祖父母および兄弟姉妹で③に該当しないものとし、受給資格もこの順位によることと している(国家公務員退職手当法 2 条の 2)。 ○ 労働基準法施行規則の遺族の範囲 災害補償の受給資格者を定める労基法施行規則は、遺族補償の受給権者の範囲について、① 配偶者(内縁関係にある者を含む)、② 労働者の子、父母、孫および祖父母で、労働者の死亡 当時その収入によって生計を維持していた者または労働者の死亡当時これと生計を一にしてい た者とし、順位もこの順序によるとしている(労基則 42 条)。これは業務上災害の場合の遺族補 償についての規定で、退職金についてのものではないが、私企業では、死亡退職金についてこの 規定を援用したり、これと同趣旨の規定をおいている例が少なからずみられる。 このような規程があれば、受給権者の決定もこれによってなされることはいうまでもない。 内縁の妻の場合の取扱いについて、山口 浩一郎教授は、次の場合などではつねに内縁の妻に受 給権が認められる、と述べておられる(ジュリスト別冊労働基準実例百選第三版昭和 61 年〔山口 浩一郎〕)。 ① 遺族が内縁の妻だけである場合にその受給資格の存否が争われている場合 ② 遺族が内縁である後妻と嫡出である先妻の子(または死亡労働者の孫、父母、祖父母、兄弟 姉妹など)である場合に両者の間で受給資格争いがある事例 2)戸籍上の妻か、内縁の妻か 実務で判断を悩ますのは、死亡した職員に、永年音信不通の「戸籍上の妻」と生活をともにして いる「内縁の妻」がいた場合などである。退職金規程では「退職金は遺族にこれを支給する」と定 められているような場合は、退職金の受給資格者はどちらになるのだろうか?上記国家公務員退職 手当法及び労基法の遺族補償の遺族の範囲においても、「戸籍上の妻か、内縁の妻か」という点に ついては明確な定めをもっていない。 この場合には、死亡退職金というものの性質、すなわち、受給権者は死亡した労働者からの相続 によって退職金の受給資格をえるのか、それとも退職金規程の定めによって直接受給資格をえるの か、を考えてみる必要がある。 この点、最高裁はくり返し、退職金規程からみると、死亡退職金は労働者の収入に依拠していた 「遺族の生活保障を目的とし、……受給権者たる遺族は、相続人としてではなく、右規程の定めに より直接これを自己固有の権利として取得するもの」である、と判示している(「日本貿易振興会 464 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 事件」最高裁一小判決昭 55.11.27、 「福岡工業大学事件」最高裁一小判決昭 60.1.31)。つまり、判 例は、死亡労働者からの相続という構成(相続説)をとらず、遺族の直接的取得という構成(固有 権説)を採用している。 相続説にたてば、相続である以上戸籍上の妻が優先されるのは当然であり、よほど特殊の事情が ないかぎり、受給権者は戸籍上の妻ということになるであろう。しかし、固有権説をとるかぎり、 その実質的根拠は遺族の生活保障にあるわけであるから、死亡労働者の生計に依存していたか、生 計をともにしていた方が優先されるべきである。 前述例では、戸籍上の妻とは永年音信不通で生計は内縁の妻とともにしていたというのであるか ら、内縁の妻をもって受給権者となすべきであろう。しかし、両者の間に争いがあり、使用者とし て万全を期す場合には供託の方法をとることも一方法である(ジュリスト別冊労働基準実例百選第 三版昭和 61 年〔山口浩一郎〕)。 国家公務員退職手当法 (遺族の範囲及び順位) 第 2 条の 2 この法律において、「遺族」とは、次に掲げる者をいう。 一 配偶者(届出をしないが、職員の死亡当時事実上婚姻関係と同様の事情にあつた者を含む。) 二 子、父母、孫、祖父母及び兄弟姉妹で職員の死亡当時主としてその収入によつて生計を維持して いたもの 三 前号に掲げる者のほか、職員の死亡当時主としてその収入によつて生計を維持していた親族 四 子、父母、孫、祖父母及び兄弟姉妹で第二号に該当しないもの 2 この法律の規定による退職手当を受けるべき遺族の順位は、前項各号の順位により、同項第二号 及び第四号に掲げる者のうちにあつては、当該各号に掲げる順位による。この場合において、父母に ついては、養父母を先にし実父母を後にし、祖父母については、養父母の父母を先にし実父母の父母 を後にし、父母の養父母を先にし父母の実父母を後にする。 3 この法律の規定による退職手当の支給を受けるべき遺族に同順位の者が二人以上ある場合には、 その人数によつて当該退職手当を等分して当該各遺族に支給する。 4 次に掲げる者は、この法律の規定による退職手当の支給を受けることができる遺族としない。 一 職員を故意に死亡させた者 二 職員の死亡前に、当該職員の死亡によつてこの法律の規定による退職手当の支給を受けることが できる先順位又は同順位の遺族となるべき者を故意に死亡させた者 労基法施行規則 (遺族補償を受ける者) 第 42 条 遺族補償を受けるべき者は、労働者の配偶者(婚姻の届出をしなくとも事実上婚姻と同様の 関係にある者を含む。以下同じ。)とする。 2 配偶者がない場合には、遺族補償を受けるべき者は、労働者の子、父母、孫及び祖父母で、労働 者の死亡当時その収入によつて生計を維持していた者又は労働者の死亡当時これと生計を一にして いた者とし、その順位は、前段に掲げる順序による。この場合において、父母については、養父母 を先にし実父母を後にする。 465 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 (遺族補償の受給者及び順位) 第 43 条 前条の規定に該当する者がない場合においては、遺族補償を受けるべき者は、労働者の子、 父母、孫及び祖父母で前条第二項の規定に該当しないもの並びに労働者の兄弟姉妹とし、その順位 は、子、父母、孫、祖父母、兄弟姉妹の順序により、兄弟姉妹については、労働者の死亡当時その 収入によつて生計を維持していた者又は労働者の死亡当時その者と生計を一にしていた者を先にす る。 2 労働者が遺言又は使用者に対してした予告で前項に規定する者のうち特定の者を指定した場合に おいては、前項の規定にかかわらず、遺族補償を受けるべき者は、その指定した者とする。 ※給与・賞与の未払い分受給権者 給与・賞与は既往の労働に対し当然に生じるものであるから、死亡時においてその権利は労働者に 属している(支払期日が到来していないだけ。 )。そして死亡という事実によって相続が開始され、死 亡した労働者が被相続人となり、給与・賞与はその相続財産として相続人が相続することになる。し たがって、就業規則で給与を受ける者や相続人の順位を指定することはできず、労働者が特定の者に 相続させたいのであれば、民法が一般原則として用意する遺言の制度を利用することになる。 給与は金額も1か月程度で多額ではないから、退職手当規程に定める遺族の順位に従って生計維持 関係にある内縁の妻に支払ったとしても、実務上はそれほど問題となるものでない。しかし、厳密に は退職手当受給権者と切り離して、相続の仕組みの中で処理すべき事項である。 466 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 3.賃金にまつわるその他の問題 (1)支払期日前の非常時払い 労働者は、支払期日が到来するまで賃金の請求をすることができないことが原則であるが、一定 の場合(労働者にとって非常時である場合)には支払期日前であっても、賃金の支払いを請求する ことができる(労基法 25 条)。 「一定の場合」とは、労働者本人又は労働者の収入によって生計を維持する者が次のいずれかに 該当する場合であり、請求できる賃金は既往の労働に対する賃金である。 ① 出産、疾病、災害(自然災害のほか火災等も含まれる。) ② 結婚、死亡 ③ やむを得ない事由により1週間以上にわたって帰郷する場合 (2)出来高払いの保障給 1)保障給の趣旨 労基法は出来高払い制の賃金をも肯定しており、一定額の保障給を義務付けている(労基法 27 条)。このことは、賃金が必ずしも労働時間に比例するものでなくても肯定され、ただ労働時間に 応じた一定額の賃金が保障されるべきと解する。 出来高払い制とは、労働者の製造した物の量・価格や売上げの額などに応じた一定比率で額が決 まる賃金制度のことで、客不足のタクシー乗務員、原料粗悪のため生産が上がらない工員など労働 者の責に帰すべきでない事由によって実収賃金が著しく低下するのを防止する措置である(菅野 「労働法」P232)。 保障給の趣旨は、労働者の最低生活を保障することにあるから、常に通常の実収賃金とあまりへ だてのない程度の収入が保障されるように保障給の額を定めるべきである。大体の目安としては、 休業手当が平均賃金の 100 分の 60 以上の額としていることからすれば、労働者が現実に就業して いる保障給の場合は少なくとも平均賃金の 100 分の 60 程度を保障することが妥当と思われる。 2)請負代金と保障給との区別 ところで、請負契約における報酬である請負代金は賃金ではなく、 「出来高払制その他の請負制」 によるものは賃金であるが、どのように判別するのだろうか? 下井 隆史教授は、労基法 27 条の「出来高払制その他の請負制で使用する労働者については、使 用者は、労働時間に応じ一定額の賃金の保障をしなければならない。」の解説において、次のよう に述べておられる。 「労基法 27 条の『出来高払制その他の請負制』とは、賃金の額が労働時間でなく出来高によって 決定されるものをいう。請負契約における報酬たる請負代金であるのか出来高賃金であるのかは、理 論的には『仕事の結果』 (民 632 条)への報酬と『労働に従事する』 (民 623 条)ことへの報酬のいず れであるかによって決まるが、実際の判断は困難なことが多いであろう。 」(下井「労基法」P241) 定義的にいえば、対価の額が『仕事の結果』であるのか、労働の成果の評価を基準として決定さ れるものであるのかによるものであり、つまり、42~43 ページで取上げた労働者性の判断に帰す ることになる。 467 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 再掲 本テキスト P42~43 (2)労働基準法上の労働者 1) 「使用従属関係」及び「賃金支払」の二側面 労働者とは、職業の種類を問わず事業又は事務所に使用される者で、賃金を支払われる者をい う(労基法 9 条)。 労働者であるか否かの判断は、「使用従属関係(指揮監督下の労働)」及び「賃金支払」の二側 面からなされる。この労働者性の判断基準について、旧労働省の諮問機関である「労働基準法研 究会」が昭和 60 年に出した報告書が参考になる。同報告書では、 「使用従属性に関する判断基準」 と「労働者性の判断を補強する要素」に大別し、前者をさらに「指揮監督下の労働」と「報酬の 労務対償性」に関する判断基準とし、使用従属性の判断が困難な事例については、補足的に労働 者性を補強する要素をも考慮して総合的に判断するものとして、次のような枠組みを示している (資料2 58 ページ参照)。 ⇒ 労基法上の労働者であるか否かは、「使用従属関係(指揮監督下の労働)」があるか、また「賃金支払」がな されるか、という二側面から判断される。 第 1-2-1 図 労働者性の判断要素 労務提供が指揮監督下で行われること ・諾否の自由の有無 ・「使用者」の具体的な指揮命令を受けている ・通常の業務以外の業務にも従事することがある 使用従属性 ・勤務場所及び勤務時間が指定されている ・労務提供の代替性が認められている 労働者性の判断 報酬が労務の対償として支払われること ・時間給を基礎として計算される ・欠勤した場合には応分の報酬が控除される ・残業した場合に別の手当が支払われる 事業者性の有無 ・本人所有の器具が高価 ・報酬が著しく高額 ・独自の商号使用が可 労働者性を補強する要素 専属度 ・専属性の程度が高い ・報酬に固定部分がある その他 ・労働者として認識している ・就業規則が適用される 468 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 つまり、労働者性の判断基準は、原則的には①使用者の指揮監督下における労務提供であるか、 ②支払われる報酬が労務の対償であるか(賃金であるか) 、によってなされる。 しかしながら,現実には、指揮監督の程度及び態様の多様性、報酬の性格の不明確さ等から、 具体的事例では「指揮監督下の労働」であるか、 「賃金支払」が行われているかということが明確 さを欠き,これらの基準によって「労働者性」の判断をすることが困難な場合がある。 そのような場合に、 「専属度」、 「収入額」等の諸要素をも考慮して、総合判断することによって 「労働者性」の有無を判断せざるを得ないものと考える。 469 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 資料 27 (テキスト P451,P453 関係) 「日本ルセル(賞与支給日在籍要件)事件」東京高裁判決昭 49.8.27 事案概要 賞与の支給対象期間を勤務していたが、退職により支給日在籍の条件を満たさないため賞与の支給を受 けなかった支店長が、右賞与の支払を請求し、認容された事件。(原審 請求認容) 判決理由 先に認定した控訴人の就業規則第四二条は控訴会社における賞与についての唯一の規定であると認 められるが、同条の文言は前認定のとおりきわめて簡単なものであるうえ、「会社は……賞与を与える ことがある」となっているので、一見すると、控訴会社における賞与は、いかにも会社の任意的又は恩 恵的なものであって、会社は賞与の額及び支給時期は勿論、支給対象者についても、自由にこれを決定 することができるように見られないでもない。しかしながら、《証拠略》を総合すれば、控訴会社にお いては、従来から、毎年六月及び一二月に、他の会社及び官公庁と同様、従業員に対し賞与が支給され、 毎期、会社側が右賞与を支給すること(従業員の側から言えば、賞与を受けること)を当然の前提とし て、前記労働組合と賞与の額及び支給時期等について協定を結び、非組合員及び管理職についても右協 定に準じて取扱ってきていること、又前記就業規則第四二条には「会社は……従業員の過去六ケ月間の 業務成績に応じて、賞与を与えることがある」と規定されているが、実際は、右業務成績に応じた考課 査定に基く賞与というより、大部分、これに関係ない一律の生活給的な賞与であって、現に本件昭和四 六年一二月の賞与については、前記計算期間を充足する限り、その支給率は全員一律となっていて、勤 務成績に基く考課査定は一切行なわれなかったこと、並びに控訴人は外資系の会社であって、特に管理 職を採用するに当っては年収契約によることが多く、従って控訴人と被控訴人間の入社時における雇傭 契約においても、被控訴人の給与は月額約一三万円及び年間の賞与、六月と一二月で合計約七ケ月分と 定められたことが認められるから、控訴会社における賞与は、従業員にとり(特に管理職である被控訴 人にとっては)、単なる会社の恩恵又は任意に支給される金員ではなく、会社が従業員に対し労働の対 価として、その支払を義務づけられた賃金の一部であると認めるのが相当である。ところで、前記就業 規則第四二条にいわゆる「過去六ケ月間」とは、従来控訴会社においては、六月の賞与については前年 一一月一日から当年四月三〇日まで、一二月の賞与については五月一日から一〇月三一日までを、それ ぞれいうものとされていたことは当事者間に争いがなく、《証拠略》によれば、右各期間は控訴会社に おいては、賞与の計算期間又は支給対象期間と呼ばれていることが認められるので、以上の各事実に前 記就業規則第四二条の文言全体を併せ考えると、控訴会社は六月又は一二月のいずれの賞与にせよ、右 計算期間全部を勤務した従業員に対しては、右従業員がその後も在職しているか否かを問わず、当然、 その期の賞与を支給すべき義務あるものというべく、従って既に具体的請求権として発生した賞与につ き、控訴会社が一方的に右賞与の計算期間経過後の在籍者にのみこれを支給すると定めて、その権利を 剥奪することは許されず、かゝる定めは法律上無効であるといわなければならない。しかるところ、被 控訴人は、既に昭和四六年五月一日から同年一〇月三一日までの六ケ月間、勤務を履行していることは 前記認定のとおりであるから、同年一二月の賞与については、前記計算期間を充足し、その後同年一一 月四日控訴会社を退職したとしても、控訴人に対し右賞与の支給を受けるべき権利を有すること明らか である。そうとすれば、控訴人が被控訴人の退職後、右賞与につき、前記計算期間経過後である同年一 470 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第2章 賃 金 第3節 賞与・退職手当・その他 一月三〇日現在の在籍者を以て、その支給対象者と定めたことは、少くとも、被控訴人に対しては、法 律上無効であるといわなければならない。従って、この点に関する被控訴人の主張は理由がある。 471 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 補講 賃率を変えることができるのか? 補 講 労働の内容によって賃率を変えることができるのか? (1)問題の所在 通常、賃金の決定は、月給制にせよ日給・時給制にせよ、単一の労働契約に対して単一の賃率(注) が設定される。したがって、同一の労働者が性質の異なる業務に従事することがあっても、労働時 間であると評価される時間に対しては単一の賃率が適用され、作業内容の違いによって異なる賃金 を支給することは、普及していない。従事する作業内容の違いや精勤などの貢献に対しては「特殊 作業手当」、 「精勤手当」などの諸手当を加算することによってカバーされる。 しかし、労働時間概念が多様化する中で、コンプライアンスを重視しかつ納得性がある賃金制度 をつくりあげていくには、単一の労働契約であっても従事する業務(あるいは時間帯)の労働密度 によって賃率を変える必要があるのではないか、ということが議論されるようになってきた。その きっかけとなったのが「大星ビル管理事件」最高裁一小判決平 14.2.28 である。 〔労働時間性〕 同事件は、ビル・施設管理などのために夜間宿泊して途中仮眠して勤務する態様の業務において、 仮眠時間が労働時間に当たるか否かという点について次のように判示した。 ① 不活動仮眠時間において、労働者が実作業に従事していないというだけでは、使用者の指揮 命令下から離脱しているということはできない。 ② 労働者が労働から離れることを保障されていて初めて、労働者が使用者の指揮命令下に置か れていないものと評価することができる。 ③ 本件仮眠時間中、仮眠室における待機と警報や電話等に対して直ちに相当の対応をすること を義務付けられているのであり、本件仮眠時間は全体として労働からの開放が保障されている とはいえず、労働契約上の役務の提供が義務付けられていると評価することができる。 ④ したがって、本件仮眠時間中は不活動仮眠時間も含めて被上告人の指揮命令下に置かれてい るものであり、本件仮眠時間は労基法上の労働時間に当たるというべきである。 すなわち、不活動仮眠時間であっても、仮眠室における待機と警報や電話等に対して直ちに相当 の対応をすることを義務付けられている場合には、労働契約上の役務の提供が義務付けられている と評価することができ、仮眠時間は労基法上の労働時間に当たるというのである。 ⇒ 不活動仮眠時間が労働時間でなく休憩時間であると評価されるためには、当該仮眠時間が労働から離れる ことが保障されていなければならない。 〔賃金支払い〕 しかし、仮眠時間が労働時間であるからといって、労働契約所定の通常業務に対する賃金と同額 の賃金を支払うべきであるか否かとは別問題であるとして、賃金に関し次のように述べている。 ⑤ 労基法上の労働時間であるからといって、当然に労働契約所定の賃金請求権が発生するもの ではなく、当該労働契約において仮眠時間に対していかなる賃金を支払うものと合意されてい るかによって定まるものである。 ⑥ もっとも、労働契約の合理的解釈としては、労基法上の労働時間に該当すれば、通常は労働 契約上の賃金支払の対象となる時間としているものと解するのが相当である。 472 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 補講 賃率を変えることができるのか? ⑦ したがって、時間外労働等につき所定の賃金を支払う旨の一般的規定を有する就業規則等が 定められている場合に、所定労働時間には含められていないが労基法上の労働時間に当たる一 定の時間について、明確な賃金支払規定がないことの一事をもって、当該労働契約において当 該時間に対する賃金支払をしないものとされていると解することは相当とはいえない。 結論的にいえば、労働時間であると評価された仮眠時間について、いかなる賃金を支払うかは労 使の合意によって決められるが、明確な賃金支払規定がないことをもって賃金支払いをしない合意 があったということはできず、そのような場合には労働契約上の賃金支払の対象となる時間として いるものと解するのが相当である、ということである。 そこで、本講では、異なった賃率制度を導入する場合における賃金の決定に関する法令上の制限 その他実務上の課題について検討することにする。 賃率 = 単位時間当たりの賃金の額をいう。賃金制度が異なる複数の賃金を比較する場合に、賃率 を比較すれば分かりやすい。 (2)周辺事項の確認 議論を進める上で必要となる周辺事項について確認しておこう。 まず、賃率の決定に関する1)法令上の規制として、(イ)就業規則記載事項、(ロ)労働契約締結 時における労働条件の明示及び(ハ)最低賃金法による最低賃金がある。その他労基法 41 条 3 号に よって労働時間規制の適用を除外される2)宿日直勤務、3)休憩時間、4)割増賃金などがある。 1)賃金の決定に関する法令上の規制 イ 就業規則記載事項 まず、就業規則に記載すべき事項として、賃金関係では次の事項がある(労基法 89 条 3 号・4 号の 2、5 号)。このうち、①については必ず就業規則に記載しなければならない事項(絶対的必要 記載事項)であり、②及び③については定めをする場合に就業規則に記載すべき事項(相対的必要 記載事項)である。 ① 賃金(臨時の賃金等を除く。以下この号において同じ。)の決定、計算及び支払の方法、賃 金の締切り及び支払の時期並びに昇給に関する事項 ② 退職手当の定めをする場合においては、適用される労働者の範囲、退職手当の決定、計算及 び支払の方法並びに退職手当の支払の時期に関する事項 ③ 臨時の賃金等(退職手当を除く。)及び最低賃金額の定めをする場合においては、これに関 する事項 ①の「賃金の決定、計算及び支払の方法」とは、賃金べ-ス又は賃金額そのもののことではなく、 a.学歴、職歴、年齢等賃金決定の要素 b.賃金体系など賃金の決定及び計算の方法 c.月給制、日給制、出来高払制等の支払の方法 をいう。職階制が実施されていて賃金決定に結びついている場合には、職階制もこれに該当する。 割増賃金について特別の割増率を定めている場合にはその割増率を、また、賃金の端数計算処理 を行っている場合にはその方法を記載しておかなければならない。 家族手当、通勤手当等の手当で法律上毎月の支払が強制されている賃金の一部を構成するものに ついては、「賃金の決定の方法に関する事項」等について記載しなければならない。 473 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 補講 賃率を変えることができるのか? つまり、賃金をどのような基準で決定するかは労基法の関知するところではなく、労使の自治に ゆだねられる。通常作業と仮眠時間とを分けてそれぞれ異なる賃率を設定する場合、当然、賃金の 決定に関する事項であるから、就業規則に規定しなければならないことになる。 前述「大星ビル管理事件」では「もっとも、労働契約は労働者の労務提供と使用者の賃金支払に基 礎を置く有償双務契約であり、労働と賃金の対価関係は労働契約の本質的部分を構成しているというべ きであるから、労働契約の合理的解釈としては、労基法上の労働時間に該当すれば、通常は労働契約上 の賃金支払の対象となる時間としているものと解するのが相当である。」と述べており、労働時間であ る仮眠時間について明確な賃率を定めなかった場合には通常作業に適用する賃率を適用すべきである とした。 ⇒ 仮眠時間に対し異なる賃率を適用する場合は、就業規則に規定しなければならない。 ロ 労働契約締結時における労働条件の明示 次に、上記1)①~③に関する事項は、個別労働契約締結の際に明示すべきことも義務づけられ ており、その方法も書面交付の方法(昇給に関する事項を除く)によることとされる(労基法 15 条 1 項、労基則 5 条)。 その内容は実質的に就業規則記載事項と変わらないが多少表現が異なっており次のとおりであ るが、実質的には同じである。 ① 賃金(退職手当及び臨時に支払われる賃金等を除く。)の決定、計算及び支払の方法、賃金の 締切り及び支払の時期並びに昇給に関する事項 ② 退職手当の定めが適用される労働者の範囲、退職手当の決定、計算及び支払の方法並びに退 職手当の支払の時期に関する事項 ③ 臨時に支払われる賃金(退職手当を除く。)、賞与及び第八条各号に掲げる賃金並びに最低賃 金額に関する事項 通常作業と仮眠時間とを分けてそれぞれ異なる賃率を設定する場合、当然、賃金の決定に関する 事項であるから、就業規則に規定するとともに、労働契約の締結に際しそのことを明示しなければ ならない(契約更新の場合も同様) 。 ⇒ 仮眠時間に対し異なる賃率を適用する場合は、採用時に交付する労働条件通知書に記載しなければならな い。 ハ 最低賃金法による最低賃金 最低賃金額は、時間によって定められる(最賃法 3 条)。平成 19 年改正前は、「時間、日、週又 は月によって定める」(最賃法 4 条)と規定され、実際上も、地域別最低賃金は長い間日額と時間 額の双方で設定されてきた。しかし、雇用形態の多様化(特にパートタイム労働者の増加)などの 労働市場の変化にかんがみて見直され、平成 14 年度からは時間額による表示に一本化されてきた 経緯がある。改正法施行後の平成 20 年 7 月からは規定上も実際の運営上も時間を単位として設定 されている。 最低賃金額は、平成 22 年 7 月現在、最高額は東京の 791 円、最低額は佐賀・長崎・宮崎・沖縄 474 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 補講 賃率を変えることができるのか? の 629 円である。 なお、一般の労働者と労働能力などが異なるため最低賃金を一律に適用するとかえって雇用機会 を狭める可能性がある下記の労働者については、使用者が都道府県労働局長の許可を受けることを 条件として個別に最低賃金の減額が認められている。 ① 精神または身体の障害により著しく労働能力の低い者 ② 試用期間中の者 ③ 認定職業訓練のうち基礎的な技能または知識を習得させるものを受ける者 ④ 軽易な業務に従事する者その他厚生労働省令で定める者 上記④の厚生労働省令で定める者として「断続的労働に従事する者」が定められている(最賃 則 3 条 2 項) 。 最低賃金の適用除外許可を受けようとする場合には、使用者は事業所の所在地を管轄する労働基 準監督署に最低賃金適用除外許可申請書を提出する。 なお、この個別に最低賃金の減額の許可を受ける要件としては、業務全体として上記①~④のい ずれかを満たさなければならない。1日の業務のうち仮眠時間部分だけの許可を受けるというわけ にいかない。したがって、仮眠時間に対して支払われる賃率に対しても最低賃金が適用されること になり、菅野和夫教授は次のように説明している。 「たとえば、一昼夜交替制でビルの保守警備業務に従事するビル管理人が通常の勤務時間の間に与 えられる仮眠時間は、もしも休憩時間の一種であれば、これに対する手当は最低賃金の規制の対象外 である。しかし、警報が鳴った場合には必要な対応をしなければならない手待ち時間として労働時間 にあたるとされる場合には、使用者はこの時間について通常の勤務時間の賃率よりも低い特別の賃率 を設定することは許されるが(大星ビル管理事件一最一小判平 14・2・28 民集 56 巻 2 号 361 頁)、仮 眠時間も所定労働時間の一種であることになるから、その時間帯に対する賃率は最低賃金額以上のも のとしなければならなくなる。 しかし、当該一昼夜交替勤務が、仮眠時間の方が実勤務時間よりも長いものであれば、一昼夜交替 勤務の全体につき「軽易な業務に従事する場合」として減額の特例の許可を受ける可能性があると考 えられる。 」(菅野「労働法」P239) ⇒ 仮眠時間に対して通常作業と異なる低い賃率を設定する場合においても、一般的には最低賃金が適用され る。 ⇒ 仮眠時間が労働時間である場合に、仮眠時間だけを「軽易な業務に従事する者」として最低賃金の適用除 外の許可を受けることはできない(仮眠時間を含む業務全体が「軽易な業務に従事する者」に該当しなければ ならない。) 2)宿日直の業務 イ 宿日直の意義 労基法は「監視又は断続的労働に従事する者で、使用者が行政官庁の許可を受けたもの」につい ては、労働時間、休憩及び休日に関する規制の適用を除外している(労基法 41 条 3 号)。 475 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 補講 賃率を変えることができるのか? 許可されるような監視又は断続的労働に従事する時間は労働時間であるが、労働密度が薄いため 労基法の労働時間、休憩及び休日に関する規制の適用を除外するものである。また、当該業務に従 事かることによって支払われる賃金についても通常業務の場合における賃率であることを要せず、 宿直手当(深夜割増賃金を含む。)又は日直手当の最低額は、 「当該事業場において宿直又は日直の 勤務に就くことが予定されている同種の労働者に対して支払われている賃金の1人1日平均額の 3分の1を下らないものであること。」とされる。この場合の賃金は割増賃金の基礎となる賃金か ら除外される家族手当、通勤手当などは除外される(昭 22.9.13 発基 17 号)。一般的には、通常業 務における賃率の3分の1程度の賃率であればよいといえる。 また、通常業務と監視・断続的労働とが混在・反覆する場合にはその勤務の全労働を一体として とらえ、常態として断続的労働に従事すると認められる場合に許可されるものであり、断続的労働 と通常労働とが1日の中において混在し又は日によって反覆するような場合は許可されない(昭 63.3.14 基発 150 号)。 このような宿日直に対して労働時間、休憩及び休日に関する規制の適用を除外したのは、労働者 が輪番で夜間の宿直、休日の日直勤務に常時することが歴史的にみて広く行われてきたという現状 に配慮して設けられたのではないかと思われる。 ⇒ 宿日直業務の手当額は、通常業務における賃金の少なくとも3分の1程度としなければならない。 ロ 宿日直業務と仮眠時間との比較 宿日直業務も仮眠時間も労基法上の労働時間であるが、宿日直業務は労基法の労働時間・休憩・ 休日に関する規制を受けない(ただし、労基署長の許可を受けることが要件。) 。したがって、法定 労働時間(1日8時間、1週 40 時間など)を超えても問題ないし、休憩や週休を与えなくても違 法とされない。1日8時間、1週 40 時間を超えて労働させても割増賃金の支払いを要しない。 これに対し(労働時間であると評価された)仮眠時間の場合は、労基法の規制に関し他の通常業 務の場合に受ける規制と異なるところはない。そのため通常業務と仮眠時間とを合わせた時間が法 定労働時間を超えると、割増賃金支払い義務が生じる。 ⇒ 許可を受けた宿日直業務に従事する時間は、労基法上の労働時間であるが同法の労働時間規制を受けず、 賃金も通常の賃金の3分の1程度でよい。 ⇒ 労働時間であると評価される仮眠時間は、労基法上の労働時間であることはもちろんのこと、同法の労働時 間規制を受ける。ただし、賃金は通常の賃金と異なる賃率を設定することができる。 3)休憩時間 イ 休憩時間の意義 休憩時間とは、単に作業に従事しないというだけでなく、労働者が権利として労働から離れるこ とを保障されている時間の意である(昭 22.9.13 発基 17 号)。 休憩時間の制度の趣旨は、第一次的には①労働による身体及び精神の疲労を回復させること、② 食事をとる時間を保障することにある。その結果、副次的効果として③疲労に起因する災害防止と、 ④疲労により低下した作業能率の回復という効果をもたらす。 476 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 補講 賃率を変えることができるのか? ⇒ 休憩時間とは、労働者が権利として労働から離れることを保障されている時間のことである。 ロ 休憩時間と労働時間との比較 通達は「休憩時間とは単に作業に従事しない手待時間を含まず労働者が権利として労働から離れ ることを保障されている意であって、その他の拘束時間は労働時間として取扱うこと。」としてい る(昭 22.9.13 発基 17 号)。つまり、現在のわが国においては、就業時間(1日の労働開始から終 了までの時間)のうち休憩時間にあたらないものはすべて労働時間である、という命題がほぼ自明 の理とされる。 そこで、ある仮眠時間が労働時間であると評価されるのは、休憩時間に当たらないから労働時間 であるともいえるのであって、休憩時間の要件を満たす仮眠時間は労働時間ではないことになる。 この点については、別途検討する。 ⇒ 労働時間とは、労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいい、待機・仮眠等の不活動時間であ っても使用者の指揮命令下に置かれていたものと評価される場合は労働時間である。 4)割増賃金 1)割増賃金算定の基礎となる賃金 割増賃金の算定の基礎となる賃金は「通常の労働時間又は労働日」における賃金である(労基法 37 条 1 項)。 「通常の労働時間又は労働日」における賃金とは、割増賃金を支払うべき労働が深夜でない所定 労働時間中に行われた場合に支払われる賃金のことである。割増賃金を支払うべき時間に特殊作業 に従事した場合には、当該特殊作業に係る特殊作業手当は、当然に「通常の労働時間又は労働日」 における賃金に含まれる(昭 23.11.22 基発 1681 号)。 また、労働の内容や量とは無関係な労働者の個人的事情で支給される手当など一定の賃金は計算 基礎から除外される(労基法 37 条 5 項、労基則 21 条)。 ※割増賃金算定の基礎から除外する賃金 ① 家族手当 ② 通勤手当 ③ 別居手当 ④ 子女教育手当 ⑤ 住宅手当 ⑥ 臨時に支払われた賃金 ⑦ 1か月を超える期間ごとに支払われる賃金 除外の理由について、菅野 和夫教授は次のように説明されている(菅野「労働法」P277~278)。 ①~⑤の手当 労働の内容や量とは無関係な労働者の個人的事情で変わってくるのはおかし いとの考え方から除外された。 ⑥の賃金 「通常の労働時間又は労働日の賃金」ではないため除外される。 ⑦の賃金 計算技術上割増賃金の基礎への算入が困難であるとして除外された。 477 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 補講 賃率を変えることができるのか? 2)仮眠時間と割増賃金 仮眠時間を労働時間であると捉えて法定労働時間の枠内で運営している場合は問題とならない が、事後的に労働時間であると判定された場合には、一般的には、仮眠時間が法的に時間外労働と なるため、いかなる賃金を基礎とした割増賃金を支給すべきが問題となる。 月給者の場合、割増賃金の基礎となる賃金の計算は、一般に月給額を1年間における1か月平均 の所定労働時間数で除して求めることとされている(労基則 19 条)から、仮眠時間であっても、 通常業務における時間外労働と同様な賃率による割増賃金を支払わなければならない。 ⇒ 仮眠時間が労働時間であると評価され時間外労働となった場合、割増賃金の算定の基礎となる賃金は仮眠 時間に対して支払われる賃金ではなく、通常業務に対して支払われる賃金である。 (3)24 時間勤務における仮眠時間の取扱い 1)異なる賃率を適用することの適法性 最高裁は、ビル管理受託業務を行う会社のビル管理業務に 24 時間勤務する場合の仮眠時間(7 ~8 時間)について、労基法上の労働時間であるとした(「大星ビル管理事件」最高裁一小判決平 14.2.28)。 しかし、労基法上の労働時間であるからといって、当然に労働契約所定の賃金請求権が発生する ものではなく、当該労働契約において仮眠時間に対していかなる賃金を支払うものと合意されてい るかによって定まるものであるとし、通常業務における賃率と仮眠時間における賃率が異なること があっても法令に反するものではないとの見解を示した。もっとも、労働契約の合理的解釈として は、労基法上の労働時間に該当すれば、通常は労働契約上の賃金支払いの対象となる時間としているも のと解するのが相当であるとも述べている。 つまり、労働協約や就業規則において仮眠時間について支払う賃率を定めていないときは、一般 的には通常業務における賃率で支払うことを要するが、別途仮眠時間に適用する賃率を定めている 場合は、当該賃率を適用することができるということである。 ⇒労働時間を通常業務と仮眠時間とに分けて、それぞれ異なる賃率を設定することは、可能である。 2)仮眠時間の賃率 では、仮眠時間について異なる賃率を設定する場合に、どのような賃率とすることができるので あろうか? 前述のように、賃金の決定に関する法令上の制約その他は、次のようなものであろう。 ① 仮眠時間も所定労働時間の一種であるから、その時間帯に対する賃率は最低賃金額以上のも のとしなければならない。 ② 監視又は断続的労働に従事する者として宿日直の許可を受けた場合に支払われる宿日直手当 の額は、同種の労働者に対して支払われている賃金の1人1日平均額の3分の1を下らないも のとされていることとの均衡を考慮する必要があるのではないか。 478 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 補講 賃率を変えることができるのか? 3)実務上の対応 16 時間ないし 24 時間勤務する場合の仮眠時間について労基法上の労働時間であるとした場合に、 ビル管理業務などでは、たとえば、増員することによって週2~3勤務の変形労働時間制により法 定労働時間内の勤務体制をとることも可能であろう。 しかし、病院などの医療業務では労働力需給の面から増員が困難で、1勤務 7~8 時間の仮眠時 間を労働時間として取扱う勤務体制を敷くことは難しいのではないか?現行法体系のもとでは、次 の方法を維持することが現実的であるように思われる。 ① 宿日直の許可を受けて緊急時に備えること。 ② 16 時間ないし 24 時間勤務体制における仮眠時間について、全体として労働からの解放が保障 されている仕組みをつくること。 479 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 補講 賃率を変えることができるのか? 補足資料 「大星ビル管理事件」最高裁一小判決平 14.2.28 「大星ビル管理事件」最高裁一小判決平 14.2.28 ・ビル管理受託業務を行う会社のビル管理業務に・しかし、労基法上の労働時間であるからといって、当 然に労働契約所定の賃金請求権が発生するものではなく、当該労働契約において仮眠時間に対していかな る賃金を支払うものと合意されているかによって定まるものである。 〔事実の概要〕 原告Ⅹらは、不動産の管理受託業務を行う Y 会社の従業員で、Y が受託したビルに配置され、建築物の 警備、設備運転保全等の業務に従事している者である。Ⅹらは、毎月数回、午前 9 時、あるいは 9 時 30 分または 10 時から翌朝の同時刻までの 23 時間ないし 24 時間の連続勤務(以下「24 時間勤務」という) に従事し、その間、休憩時間が合計 2 時間、仮眠時間が連続して 8 時間ないし 7 時間(23 時間連続勤務 の場合)与えられている(以下、 「本件仮眠時間」というときは、24 時間勤務における仮眠時間を指す) 。 Ⅹらは、本件仮眠時間中、ビルの仮眠室に待機し、警報が鳴る等した場合には直ちに所定の作業を行うこ ととされているが、そのような事態が生じないかぎり、睡眠をとってもよいこととなっていた。 本件仮眠時間は、原告全員について、その全部が時間外勤務手当の支給対象となる時間帯にかかってお り、また、原告によっては、その全部または一部が深夜就業手当の支給対象となる時間帯にかかっていた。 しかし、Y 会社は、賃金計算上、仮眠時間を労働時間に含めておらず、24 時間勤務に対しては泊り勤務 手当(1 回の勤務に対して 2300 円)を支給するだけであり、原則として時間外勤務手当、深夜就業手当 を支給していなかった。もっとも、仮眠時間前に開始された業務が仮眠時間帯にまで継続したり、または 仮眠時間中に突発的に業務が発生したりすることがあるが、こうした場合には、現実に業務に従事した時 間に対し、時間外勤務手当および時間帯に応じては深夜就業手当が支給されている。ただし、仮眠時間中 に突発的に生じた業務についても、当該業務に従事した者がその旨を Y 会社に申し出( 「残業申請」とい う)なければ右のこれら手当は支給されない。実際にⅩらは、仮眠時間中の突発業務に従事して残業申請 をし、手当を受給したが、その実作業が十数分で終わるような場合には、Y 会社の管理委託者に対する立 場が悪くなることを慮って、あえて残業申請をしないで済ませることもあった。 Ⅹらは、本件仮眠時間は、現実に作業を行ったかどうかにかかわらず、すべて労働時間として扱うべき であるとして、その全時間帯については時間外勤務手当の支払いを、また、午後 10 時から午前 5 時まで の時間帯については深夜勤務手当の支払いを請求した。 判決内容 〔労働時間-労働時間の概念-仮眠時間〕 「労基法32条の労働時間(以下「労基法上の労働時間」という。)とは、労働者が使用者の指揮命令 下に置かれている時間をいい、実作業に従事していない仮眠時間(以下「不活動仮眠時間」という。 )が 労基法上の労働時間に該当するか否かは、労働者が不活動仮眠時間において使用者の指揮命令下に置かれ ていたものと評価することができるか否かにより客観的に定まるものというべきである〔中略〕。そして、 不活動仮眠時間において、労働者が実作業に従事していないというだけでは、使用者の指揮命令下から離 脱しているということはできず、当該時間に労働者が労働から離れることを保障されていて初めて、労働 者が使用者の指揮命令下に置かれていないものと評価することができる。したがって、不活動仮眠時間で 480 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第2章 賃 金 補講 賃率を変えることができるのか? あっても労働からの解放が保障されていない場合には労基法上の労働時間に当たるというべきである。そ して、当該時間において労働契約上の役務の提供が義務付けられていると評価される場合には、労働から の解放が保障されているとはいえず、労働者は使用者の指揮命令下に置かれているというのが相当であ る。 そこで、本件仮眠時間についてみるに、〔中略〕上告人らは、本件仮眠時間中、労働契約に基づく義務 として、仮眠室における待機と警報や電話等に対して直ちに相当の対応をすることを義務付けられている のであり、実作業への従事がその必要が生じた場合に限られるとしても、その必要が生じることが皆無に 等しいなど実質的に上記のような義務付けがされていないと認めることができるような事情も存しない から、本件仮眠時間は全体として労働からの解放が保障されているとはいえず、労働契約上の役務の提供 が義務付けられていると評価することができる。」 〔賃金-賃金請求権の発生-賃金請求権の発生時期・根拠〕 「本件仮眠時間は労基法上の労働時間に当たるというべきであるが、労基法上の労働時間であるからと いって、当然に労働契約所定の賃金請求権が発生するものではなく、当該労働契約において仮眠時間に対 していかなる賃金を支払うものと合意されているかによって定まるものである。もっとも、労働契約は労 働者の労務提供と使用者の賃金支払に基礎を置く有償双務契約であり、労働と賃金の対価関係は労働契約 の本質的部分を構成しているというべきであるから、労働契約の合理的解釈としては、労基法上の労働時 間に該当すれば、通常は労働契約上の賃金支払の対象となる時間としているものと解するのが相当であ る。したがって、時間外労働等につき所定の賃金を支払う旨の一般的規定を有する就業規則等が定められ ている場合に、所定労働時間には含められていないが労基法上の労働時間に当たる一定の時間について、 明確な賃金支払規定がないことの一事をもって、当該労働契約において当該時間に対する賃金支払をしな いものとされていると解することは相当とはいえない。」 481 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 第3章 労働時間、休憩及び休日 この章では、労働時間、休憩及び休日について記述する。労働時間の概念を理解すること、労基法 の労働時間制の枠組みを押さえることは、労務管理の基本である。また、労基法の労働時間制の枠組 みは数次の改正を経て複雑化しており、これに重点をおいて記述する。 第1節 労働時間 1.労働時間の概念 (1)「労働」及び「労働時間」の定義 労働とは、一般的に、使用者の指揮監督のもとにある(使用者の指揮命令下に置かれている)こ とをいい、必ずしも現実に精神又は肉体を活動させていることを要件とされない。そして、その状 態にある時間が労働時間である。たとえば、貨物取扱いの事業場において、貨物の積込係が、貨物 自動車の到着を待機して身体を休めている場合とか、運転手が二名乗り込んで交替で運転に当たる 場合において運転しない者が助手席で休憩し、又は仮眠しているときであってもそれは労働である (これを一般に「手待時間」という。)( 「労基法コメ」上巻 P392)。 また、使用者の指揮監督とは必ずしも明確な指揮命令でなくともよく、たとえば、作業前に行う 準備や作業後の後始末・掃除等が使用者の明示他は黙示の指揮命令下で行われている限り、それは 労働時間となる。また、使用者が具体的に指示した仕事が客観的にみて正規の勤務時間内ではなさ れ得ないと認められる場合において、所定労働時間外に労働者が自発的に職務を行っていることを 使用者が黙認・許容していれば、それは超過勤務の黙示の指示によって行われた労働となる(昭 25.9.14 基収 2983 号)。 (2)労働時間概念の多様性 1)労働時間「客観説」 ・「二分説」 労働時間となるか否かの判断は 労働契約や就業規則等による労使間の取決めによって左右さ れるのではなく、客観的に使用者の指揮監督のもとにあるかどうかによって定まるものである(注)。 注.「三菱重工業長崎造船所(更衣時間)事件」最高裁一小判決平 12.3.9 この事件は、工場労働者の更衣等に要する時間の判断に関して、 「労働時間とは、労働者が使用者の指揮命令 下に置かれている時間をいい、右の労働時間に該当するか否かは、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置か れたものと評価することができるか否かにより客観的に定まるものであって、労働契約、就業規則、労働協約 等の定めのいかんにより決定されるべきものではない」と、労働時間は客観的に決まるものであるとする「客 観説」を支持した。 判決は、更衣に要する時間及び更衣後作業場近くの体操場へ移動する歩行時間について「XらはY会社から、 実作業にあたり、作業服等の装着が義務づけられ、右装着を事業所内の所定の更衣所等において行うものとさ れていたというのであるから、右装着及び更衣所等から体操場への移動は、Y会社の指揮命令下に置かれたも のと評価することができ、労働時間である。」と判示している。 482 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 労働時間客観説(注)はごく当たり前の見解のように思うが、実はこの判決が出る前には「労働 時間二分説」という有力な説があり、労働時間は直接作業に従事する時間と作業前後の周辺時間と に分けて考える必要があり、作業前後の周辺時間は労使の合意によって労働時間となるとの見解が あった。上記判決はこの二分説を否定したものである。 注.労働時間客観説 「労働時間とは、労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間」とする説は学説の大勢を占め、 「指揮 命令下説」という。そして指揮命令下説は、その判断基準が指揮命令概念のみとする「純粋指揮命令下説」 と、指揮命令概念に加えて補充的概念(内部規定要員)を用いる「限定的指揮命令下説」とに分かれる。使 用者の指揮命令下に置かれているか否かの判断は、客観的に判断するとする「客観説」と、中核的労働時間(作 業時間)と周辺的労働時間とに分けて、中核的労働時間は客観的に判断するが周辺的労働時間は労使の約定(就 業規則や労働協約の定め)によるとする「二分説」とがある(東大「労働時間」P91 以下)。 「三菱重工業長崎造船所(更衣時間)事件」最高裁一小判決平12.3.9 1.事件の概要 Y会社では週休2日制実施に伴い、従来のタイムレコーダーによる勤怠把握方法を改め自己申告と 所属長の確認という方法に変更した。確認は作業現場近くの体操を行う場所で行われるため、始業時 刻までに更衣等を済ませ体操を行う場所に到着していなければならない。この変更について多数組合 は同意したがXが所属する少数組合は同意しなかった。そこで、従来どおり、入場の通門から退場の 通門まで(この間に更衣等に要する時間、保護具・工具等の受渡時間、終業後の入浴時間などが含ま れる。 )が労働時間であるとして、その間の賃金支払いを求めたものである。 始業・終業の勤怠把握基準としては、 (一)始業に間に合うように更衣等を完了して作業場に到着し、所定の始業時刻に実作業を開始し (二)午前の終業においては所定の終業時刻に実作業を中止し (三)午後の始業に当たっては右作業に間に合うように作業場に到着し、 (四)午後の終業に当たっては所定の終業時刻に実作業を終了し、終業後に更衣等を行う というものである。 少数組合員Xら19名は、次の(1)~(8)のいずれもが労働基準法上の労働時間に該当するとして、 8時間を越える時間外労働に該当する部分に対する割増賃金等を請求した。 (1)入退場門から所定の更衣所までの移動時間 (2)更衣所等において作業服のほか所定の保護具等を装着して準備体操場まで移動時間 (3)午前ないし午後の始業時刻前に副資材等の受出し・午前の始業時刻前の散水に要する時間 (4)午前の終業時刻後に作業場から食堂等まで移動し、現場控所等において作業服等を一部離脱す る時間 (5)午後の始業時刻前に食堂等から作業場等まで、作業服等を再装着する時間 (6)午後の終業時刻後に作業場等から更衣所等まで移動してそこで作業服等を脱離する時間 (7)手洗い、洗面、洗身、入浴後に通勤服を着用する時間 (8)更衣所等から入退場門まで移動する時間 Y社側の上告審で、最高裁は一審と同様に、(2)、(3)及び(6)の諸行為に要した時間は、い 483 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 ずれもY社の指揮命令下に置かれているものと評価でき、労働基準法上の労働時間に該当するとして Xらの請求を一部認容した原審の判断が正当として是認できるとして、Y社らの敗訴部分取消しを求 めた上告が棄却された。(会社側敗訴) 2.判 決 ①労働時間の概念 労働基準法上の労働時間とは、労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいい、右の労働 時間に該当するか否かは、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価することができ るか否かにより客観的に定まるものである。 したがって、労働契約、就業規則、労働協約等の定めのいかんにより決定されるべきものではない。 ②労働時間と評価される時間 労働者が、就業を命じられた業務の準備行為等を事業所内において行うことを使用者から義務づけ られ、又はこれを余儀なくされたときは、当該行為を所定労働時間外において行うものとされている 場合であっても、特段の事情がない限り、労働時間に該当する。 ③結 論 XらはY社から、実作業にあたり、作業服等の装着が義務づけられ、右装着を事業所内の所定の更 衣所等において行うものとされていたというのであるから、右装着及び更衣所等から体操場への移動 は、Y会社の指揮命令下に置かれたものと評価することができ、労働時間である。 第 2-3-1-1 図 通門 準備作業の例 更衣所 歩行時間 歩行時間 更衣時間 (1) 作業場 体操場 (2) 散水 体操 (2) 実作業 (3) 労働時間と評価される 歩行 業務終了 (4) 食事 副資材 歩行 受渡し場所 午前の 業務終了 食堂 通門 作業場 実作業 歩行 (6) (5) 入浴・着替え 歩行 (7) (8) 労働時間と評価される ※労働時間二分説 二分説を採用した判例として、次のものがある。 「日野自動車(二分説)事件」最高裁一小判決昭 59.10.18 資料29 P527 参照 会社臨時工が、協約上本工組合に保障された時間内職場集会に参加し就労しなかったこと、所定労 働時間はタイムレコーダー打刻の時刻であると考えて遅刻、早退したことを理由に懲戒解雇されたの 484 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 に対し、雇用関係の存在確認等求めた事案で、「一般に労働基準法第三二条の「労働時間」とは、労 働者が使用者の指揮、命令の下に拘束されている時間をいうものと解されている。ところで、労働者 が現実に労働力を提供する始業時刻の前段階である入門後職場到着までの歩行に要する時間や作業 服、作業靴への着替え履替えの所要時間をも労働時間に含めるべきか否かは、就業規則や職場慣行等 によってこれを決するのが相当であると考えられる。 」とする二審判決( 「日野自動車事件」東京高裁 判決昭 56.7.16)を最高裁は支持した。 東大「労働時間」P97~98 は、 「客観説」を採るべきであるとしつつ、 「二分説」の根拠ないし メリットについて、次の3点を挙げている。 ① 労働時間性判断の容易な中核的労働時間については客観的判断を行い、労働時間性判断の困 難な周辺的労働時間については約定を基準とした判断を行うことにより、労働時間性判断が明 確・容易になる。 ② 周辺的労働時間については約定により定めたところによるから、当事者の労働時間認識と合 致しており紛争を惹起させない。また、労働時間の範囲を当事者もよく認識していることから、 当事者による履行確保も機能しやすく監督も容易になる。 ③ 周辺的労働時間とは、元来、労働時間と非労働時間の中間にある時間であるから、かかる判 断枠組みをとることも労基法上許される。 (上記東大「労働時間」は 1990 年 9 月刊行であるが、その前年 1989 年 3 月刊行の労働判例百選(第五版)P100 では荒木 尚志教授がまったく同様の内容の根拠ないしメリットを掲げている。このことから察するに、東大「労 働時間」の記述は、署名がないが荒木 尚志教授のものではないかと思われる。) ⇒ 実務においては、「二分説」も有用である。本書においてもしばしば妥協的解決策として二分説的説 明をしている。 2)労働時間概念の多様性 イ 実質的な労働時間と形式的な労働時間 現在では、労働時間について概念的には「使用者の指揮命令下に置かれた時間」とする理解で 十分であるが、実は「労働時間」という用語には多様な概念が含まれている。 まず、 「労基法上の労働時間(実労働時間)」と就業規則等によって形式的に定められる「所定 労働時間」の相違である。これは前者が実質的な労働時間であるのに対し後者が形式的な労働時 間であると定義づけることができよう。 公法上の取締りの対象となる労働時間は実質的な労働時間であり、就業規則上の労働義務を負 う労働時間(一般的には賃金支払い義務を負う。)は形式的な労働時間であるといえる。 第 2-3-1-2 図 労基法上の労働時間と所定労働時間 労基法上の労働時間 = 実質的な労働時間 労働時間 所定労働時間 = 485 形式的な労働時間 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 ロ 労基法上の労働時間と労働契約上の労働時間 一方、「労基法上の労働時間」と労働契約上の賃金の支払い対象となる時間とを峻別する見解 もみられ、労働契約当事者の合意によって決せられる労働時間概念と労基法の観点から客観的に 決せられる労働時間概念の峻別の必要性が認識されるようになった(荒木尚志教授によると、西 ドイツ労働時間法は「労働時間」と「賃金時間」とを区別しているそうである←東大「労働時間」 P80)。 さらに、労働契約上の労働時間を賃金支払い対象となる時間のみに限定せず、労働契約上の労 働義務以外の義務(たとえば、入門時にタイムカードを打刻する義務、始業時刻より一定時間前 に集合する義務など)とに分けて把握する考え方も生まれてきた。 第 2-3-1-3 図 労基法上の労働時間と労働契約上の労働時間 労基法上の労働時間 労働時間 = ①実質的・客観的な労働時間 ②賃金時間 労働契約上の労働時間 ③労働契約上の義務が存する時間 このように、労働時間の中味を吟味していくと、①労基法が定める客観的な労働時間、②労働契 約上賃金の支払いが約束される賃金時間、③労働契約上の作為義務時間(義務が存する時間)、と に峻別される。実務においては、②及び③は必ずしも労基法上の労働時間となるものでない点に注 目すべきである。 ③に当たる例として、始業時刻が 8 時 00 分の工場において、始業時刻の 15 分前までに通門しタ イムカードを打刻する義務、などが考えられる。 ⇒ 労働時間の概念が多様であると解すると、労働時間の範囲がかなりの部分で明確になる。 (3)指揮命令の強弱の程度からのアプローチ 1)黙示の指揮命令 使用者の指揮監督下にあるか否かは明示的である必要はなく、現実に作業に従事している時間の ほかに、作業前に行う準備や作業後の後始末、掃除等が使用者の明示又は黙示の指揮命令下に行わ れている限り、それも労働時間とされる。前述「三菱重工業長崎造船所(更衣時間)事件」では、 「業務の準備行為等を事業所内において行うことを使用者から義務づけられ、又はこれを余儀なくされ たときは、当該行為を所定労働時間外において行うものとされている場合であっても、特段の事情がな い限り、労働時間に該当する。」と判示している。 この考えに沿って言えば、 ① 終業後居残りをして業務を継続した場合において、使用者がそれを見過ごして(黙認ないし 許容)いた場合(注 1) ② 使用者が具体的に指示した仕事が客観的にみて正規の勤務時間内でなされ得ないと認めら れる場合(昭 25.9.14 基収 2983 号-注 2) 486 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 などは、労働時間であると判断される。 注 1.滲透工業事件大阪高裁判決昭 45.1.27 ← 黙認を労働時間と判断した。 「労働基準法が時間外労働について厳格な規制をしている趣旨にかんがみると、同法六〇条三項 (三二条一項)にいう「労働させ」るとは、単に使用者が労働者にこれを指令したり依頼した場合 にかぎらず、労働者からの申出によつて労働を許可した場合はもとより、これを黙認した場合をも 含むものと解するを相当とする」 注 2.昭 25.9.14 基収 2983 号 小中学校の教員の正規の勤務時間を超える勤務は、校長に直接命じられた場合のみならず、間接 的に命じられた形においてなしている場合が極めて多い。 すなわち、校長に命じられた仕事が正規の勤務時間で終了せず超過勤務をする場合、あるいは学 校の教育計画、経営方針に基づく業務-職員会議、各種委員会、運動会、学芸会、展覧会、教育研 究会、講習会、遠足、修学旅行、特別教育指導(クラブ指導、職業指導、特殊児童指導など) 、PT A諸会合及び諸業務、家庭訪問、学校を代表する諸会合など-が正規の勤務時間内でできず超過勤 務をする場合が極めておおいのである。これらの勤務をなした場合は当然超過勤務手当が支給され なければならないと考えるがどうか、という問いかけに対し次のように答えている。 「教員が使用者の明白な超過勤務の指示により、又は使用者の具体的に指示した仕事が、客観的 にみて正規の勤務時間内ではなされ得ないと認められる場合の如く、超過勤務の黙示の指示によっ て法定労働時間を超えて勤務した場合には、時間外労働となる。」 2)労働者の自発的な残業 労働者が自発的に超過労働を行った場合、当該時間は労働時間となるのだろうか? 使用者の指揮命令によらない労務の提供であるから、使用者責任は生じないと考えられがちであ るが、労働者が指示もなく超過労働を行っているのを使用者が知りながら、これを中止させずに放 置している場合又はその労働の成果を受け入れている場合はこれを容認したことになり、上記1) の黙示の指揮命令があったか、あるいは事後においてこれを承認しているものとみなされ、労働時 間となる。 旧労働省労基局監督課編「採用から解雇、退職まで」新訂新版 P101~102 は、このことは戦前か ら判例として確立したものとなっていると説明し、戦前の大審院判決を次のとおり紹介している。 「行政官庁ノ許可又ハ認可等正規ノ手続ヲ経スシテ時間ヲ超エテ就業セシメタル場合ニハ所論ノ如 ク女工等ノ希望ニ基クトキト雖違法ニシテ処罰ヲ免レサルモノトス。 蓋シ工場法ハ其ノ第三条第一項、第八条、第二十条ノ如キ規定ヲ設ケタル所以ハ幼少年工及ヒ女工 ハ心身共二薄弱ナルヲ以テ保健上特二保護スル必要アルヲ認メ法律ノ規定二依り過当ノ労働ヲ節制 スルニアリテ全ク公益的見地二基クモノナレハナリ」 (昭 10.10.24 大審院判決)。 (行政官庁の許可又は認可等の正規の手続きを経ずして時間を超えて就業させた場合には、所論のごと く女工等の希望に基づくときであっても処罰を免れない。なんとなれば、工場法がその第 3 条第 1 項、第 8 条、第 20 条のような規定を設けたのは、幼少年工及び女工は心身ともに薄弱であるから保健上とくに保 護する必要があることを認め、法律の規定により過当な労働を節制することにあり、公益的見地に基づく ものであるからである。) 487 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 判例においても、18 歳未満の年少労働者らが、職場全体の終業時刻がそれだけ早く終るとの考 慮から許可を求めることなく自発的に時間外労働をした場合において、許可を与えたのでないから 「労働させ」た場合でないとする会社側の主張に対し、 「「労働させ」るとは、単に使用者が労働者 にこれを指令したり依頼した場合にかぎらず、労働者からの申出によつて労働を許可した場合はも とより、これを黙認した場合をも含むものと解するを相当とする」と判示し、黙認・許容した場合 は労働時間であるとしている(「滲透工業事件」大阪高裁判決昭 55.1.27)。 したがって、労働者がたとえ自発的であっても、それが違法な超過労働である場合は、使用者は すみやかにこれを中止させる措置をとる必要がある。 ⇒ 所定勤務時間終了後、自発的に超過労働を行った場合に労働時間とされるのは、場所的な問題も考慮され ると考えられる。同じことを自宅で行った場合には必ずしも労働時間と評価されない。両者の違いは、事業場と 自宅という場所における使用者の支配力の違いにあるのではないか。 東大「労働時間」は、所定労働時間外の居残り残業が労基法の労働時間となるか否かについて、 そのような居残り残業を使用者が黙認・許容していたか否かにあるとして、次のように述べている。 「ある労働者が所定労働時間外に自発的労働を行っていた場合、これが労基法上の労働時間となる か否かという場面では、使用者が、かかる労働を黙認も許容もしていなかった場合、いかに労働者が 本務たる活動を行ってもそれは労基法上の労働時間とは評価されない。また研修等への参加について も、使用者がその参加を強制していたか否かにより労働時間性が決せられていた。ここでは、研修参 加という客観的活動内容は全く同一であるにもかかわらず、使用者がいかなる関与をしていたかとい うことよりその労働時間性に違いが生じ、使用者の強制という関与が欠けていれば労働時間たり得な いのである。このように、労働時間となるためには「使用者の関与」という外部規定要因を備えてい る必要がある。」 (東大「労働時間」P123~124) 3)出張に関する労働時間の取扱い イ 出張の往復に要する時間 出張の際の往復に要する時間は、日常の出勤に費やす時間と同一性質であるから、特別な事情 がない限り労働時間とされない。下級審の判例であるが、「出張の際の往復に要する時間は、労 働者が日常の出勤に費やす時間と同一性質であると考えられるから、右所要時間は労働時間に算 入されず、したがってまた時間外労働の問題は起こり得ないと解するのが相当である。」とする ものがある(「日本工業検査事件」横浜支部川崎支部決定昭 49.1.26)。この例では、使用者の指 揮命令の強弱の程度ではなく、「移動」という性質(職務性)に着目して労働時間性を判断して いる。 なお、出張により労働時間の全部又は一部が事業場外で行われる場合において、労働時間を算 定し難いときは、原則として所定労働時間労働したものとみなすことになっている(労基法 3 条の 2。第4節みなし労働時間制1.397 ページ以下参照)。 注.「日本工業検査事件」横浜支部川崎支部決定昭 49.1.26 出張の際の往復に要する時間は「出張の際の往復に要する時間は、労働者が日常の出勤に費す時 間と同一性質であると考えられるから、右所要時間は労働時間に算入されず、したがってまた時間 488 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 外労働の問題は起り得ないと解するのが相当である。 」として労働時間にならないとした。 従業員の通常の場合と地方現場へ出張する場合の作業形態の比較、出張作業の実施状況、出張従 業員の人数、出張期間、出張従業員中に責任者を指定する点、会社が出張従業員から労働時間関係 事項を記載した作業報告書を提出させている点等から判断すれば、従業員の出張作業は拘束性を有 し、右出張作業は労働基準法施行規則第 22 条(現行労基法 38 条の 2 第 1 項)所定の労働時間を 算定し難い場合に該当するとは考えられないとして、事業場外労働みなし時間は適用されないとし た。 なお、会社は、地方現場への出張従業員から提出される作業報告書の労働時間関係欄の記載事項は 信用できずしたがって、会社において出張従業員の実労働時間を算定することは困難であると主張し たが、規則第二二条所定の労働時間を算定し難い場合に当るか否かは客観的に決せられるものであり、 会社が前記作業報告書の当該記載事項を信用するか否かとは別異の問題であるとして、退けられた。 ロ 旅行時間について 出張に際しては当然旅行時間(乗車・乗船・搭乗時間)の扱いが問題となる。出張の際の往復 の旅行時間や一つの出張先から他の出張先へ転じるための旅行時間の取扱いについては、①これ を通勤時間と同性貿であるとみて労働時間でないとする説と、②これを使用者の拘束のもとにあ る時間とみて、労働時間であるとする説とがあるが、実際の取扱いは前説によるのが一般的とい える(労働省「採用・退職」P160~162)。 (イ) 休日の旅行時間 休日の旅行時間といっても、出張中の休日に一つの出張先から他の出張先へ転ずる場合と、 出張の出発や帰社のため休日に旅行する場合とが考えられるが、「出張中の休日はその日に旅 行する等の場合であっても、旅行中における物品の監視等別段の指示がある場合の外は休日労 働として取扱わなくても差し支えない」(昭 23.3.17 基発 461 号)こととされている。 この「休日労働として取扱わなくても差し支えない」の意味について、労働省「採用・退職」 は次のように説明している。 「ところで、所定休日に旅行を命じられても休日労働にならないのなら、依然として休日で あるから、休日の旅行を拒否して労働日に旅行しても差し支えないかという疑問が生じる。 こうした疑問は「休日労働として取扱わなくても差し支えない」という通達の解釈から生じる わけであるからこの意味を考えてみよう。休日に出発すべき出張を命令しながら、当日を休日労働 と扱わないというのは出張の労働命令を出しながら、その労働を割増賃金を支払うべき休日労働と 扱わないことを明らかにしたものにすぎない。したがって、休日の旅行が労働でないということで はなく、使用者の出張命令により出張が義務として課せられているかぎり、広い意味での「労働」 であることは当然である。しかし、その労働の特異性にかんがみて、これを労働基準法上の休日労 働として取り扱わないでよいというわけである。これは、ちょうど宿直、日直勤務が、使用者の命 令によって課せられた「労働」であるにもかかわらず、労働基準法上の時間外労働、休日労働とし て取り扱われないのと同様といえる。 」(労働省「採用・退職」P160~161) しかし、休日移動を労働時間であるとする見解には異論もあり、たとえば、安西 愈弁護士は次の ように述べて、休日移動時間は労働時間でないとしておられる。 489 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 「この点(一定時間までに目的地に到着すること-宮田注)については、前記でも述べたとおり 休日に出張旅行するというのは、使用者の業務命令によって用務を果たすために労働の場所を移動 するための時間であるから、通勤時間に類似しているが、しかし使用者の拘束下にある時間であっ て次の具体的用務の遂行に備えて移動しているものであるから、労働時間の間にある休憩時間にも 似ており、具体的労働から離れている休息時間でもあり、いずれにしても出張旅行時間は労働時間 ではない。それは、使用者の広い意味での拘束下にある時間であり、事業場内における休憩時間に 類似した「拘束時間中の自由利用時間」であり、拘束下にあるものの、その間に労働や業務は行わ ないので労働時間には当たらない。 このため行政解釈でも「出張中の休日はその日に旅行する等の場合であっても、旅行中における 物品の監視等別段の指示がある場合の外は休日労働として取り扱わなくても差支えない。」(昭 23.3.17 基発 461 号、昭 33.2.13 基発 90 号)として、出張中の休日の旅行時間については労働時 間に該当しないと通達しているのである。」 (安西「改正労働時間法」P381) ⇒ 休日移動時間が「『労働』であるにもかかわらず、労働基準法上の時間外労働、休日労働として取り扱われな い」とする労働省「採用・退職」P160~161 の説明はとっぴ過ぎて理解に苦しむ。 ⇒ 休日移動時間は、翌日の労働に備えた準備時間であって労働時間ではない、と解する安西説が妥当と思わ れる。 次にこの場合の賃金が問題となる。 宿日直の場合は時間外、休日労働として扱わなくてよいとする代り、その最低手当額を定めて いる。ところが、休日の旅行の場合は休日労働として扱わないでよいと定めているだけでその賃 金の取扱いには言及していない。労働者は出張命令により休日の旅行が義務づけられながら休日 労働とならず、もしその休日の賃金も何ら支払われないとしたら不合理になる。民間企業では拘 束時間に応じて定額の手当を支給することがある。 しかし、旅行という労働の質は当然その労働者の平常の労働とはまったく性質の異なった労働 であるから、平常の労働に対するのと同じ率の賃金を支給しなければならないということにはな らない。 ※労働時間の長さと賃金請求権 賃金は労基法上の「労働時間」に比例して支払わなければならないわけでない。 行政解釈は古くから労働時間であれば同一額の賃金を必ず支払うということは必要でなく、 たとえば、所定外の法内超勤の時間に所定内と異なる賃金額を約定することも認めていた(昭 23.11.4 基発 1592 号)。学説においても、労働時間と賃金とは必ずしも比例的に支払われる必要は なく、一定の労働時間にいくらの賃金を支払うかは契約自由の問題であるという見解で一致してい る(東大「注釈労基法」下巻 P505〔小畑 史子〕 )。 ※昭 23.11.4 基発 1592 号 問 所定労働時間が 7 時間である場合に 8 時間まで労働させたときは、所定労働時間を超える 1時間について割増賃金を支払わなくてもよいが、時間割賃金は当然支払わなければならない 490 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 ものと解するが如何。 答 法定労働時間内である限り所定労働時間外の 1 時間については、別段の定めがない場合には 原則として通常の労働時間の賃金を支払わなければならない。ただし、労働協約、就業規則等 によってその 1 時間に対し別に定められた賃金額があるときは、その別に定められた賃金で差 支えない。 (ロ) 労働日の旅行時間 通常の労働日の旅行時間は、物品の監視等をすべきことを命じられている場合以外はたとえ深 夜まで旅行に費やしても所定労働時間労働したものとみなされる(深夜時間帯の実労働時間に対 して 25/100 の深夜割増賃金支払い義務があることを別として。)。 (ハ) 日帰り出張などの場合 出張といっても、日帰り出張のように、特定の用務を処理することを指示されて、通常の勤務 場所から特定の場所に赴き用務を処理して再び帰社する場合のように、使用者の指揮管理権が相 当程度及び、かつ、労働時間の把握も可能であるときはこれにより、しからざる場合は、旅行時 間も含め、みなし労働時間により取り扱われることになる。 ⇒ 出張時における休日移動の厚労省の説明は、労働時間であるが休日労働として取扱わなくてよい、というも ので、一般的には分かりにくい。実務においては労基法上の「労働時間でない」と割り切った理解の方がスッキ リする。 (休日移動は使用者の関与「弱」、職務性「弱」であると考えられるので、労働時間となり得ないという考え方も成り立つ(相補 的二要件説)。) ⇒ 休日移動や所定勤務時間外の移動に対し、民間ではなにがしかのインセンティブ(手当)を与えることがあ る。 ※有泉 亨教授の説 出張の際の往復の乗り物に乗っている時間が労働時間となるのか否かについて、有泉 亨教授は出 張そのものが本来の業務であるかどうかによって区別すべきであるとする。 「たとえば、出張の目的が現金・書状を目的地へ届けることが当該労働者の仕事である場合は、乗 り物に乗って移動する時間は当然に労働時間となる。しかし、それが通勤の延長としての意味しか持 たない場合には労基法の労働時間にはならず、ただ労働契約上補償されるべき時間かどうかが問題に なるだけである。 」(有泉「労基法」P283) (このような考え方に基づいて、第 2-3-1-3 図(P486)のように、労基法上の労働時間と賃金時 間・労働契約上の義務が存する時間という分類がなされることになる。) 4)自宅残業の取扱い 労働時間となる必須要件である指揮命令とは、いかなることを指すのであろうか。 安西 愈弁護士は、労働時間といえるためには次の①~⑤の要件がすべて満たされる必要がある、 と述べておられる(安西「労働時間」P66)。 491 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 ① 一定の場所的拘束 ② 一定の時間的拘束 ③ 一定の態度・行動上の拘束(服装等の服務規律) ④ 一定の労務指揮的立場からの支配・監督的拘束(使用従属関係) ⑤ 一定の業務内容・遂行方法上の拘束 たとえば、自宅残業の場合を考えてみると,①については,自宅でなくてもどこでもよく,出張 と違って,場所・地域の指定もないこと,②については,深夜・早朝でもいつでもよいこと,③寝 そべりながらでも酒を飲みながらでもよいこと,④については,このような使用従属関係が許され ない家庭生活上の作業であること,⑤については,一般的にはこのような拘束はなく,作業の成果 しか問われないから要件を充足しない。したがって,安西氏は自宅残業は労働時間とはなり得ない という(注) 。 注.自発的に自宅に持ち帰って行う業務についてはこのとおりとしても、上司から「自宅でやるよう に」と命じられて行う場合はどうであろか。安西 愈弁護士は、業務命令の形をとり、事実上労働者 がそれに従っていたとしても、それは労働法令上の従属的労働でなく、民法の「法律行為に非ざる 事務の委託」 (民法 656 条の準委任)に該当するか又はこれに類似する性質を有する契約であると説 く。 しかし、委任・準委任は特約がない限り報酬を請求できない(民法 648 条)ので、この説では作業 の成果が一方的に使用者に帰すことになり、疑問を感じる。また、職場における日常的な組織活動の 中に「法律行為に非ざる事務の委託」をもちだされても違和感がある。 これに対し、立命館大学の吉田美喜夫教授は安西説を次のように批判し、自宅残業の場合,特命 (明示の命令)がなくても,それより軽度の黙示の指示ないし黙認があれば労働時間とすべきであ ると主張されている。 「同じ実態の活動を所定労働時間を超えて事業所で行えば労働時間になるのに,場所が自宅になる だけで全く評価されないというのは常識に合致しない。また,明示の指示がある場合も準委任とし, 労働契約上の労働と見ないのは問題である。さらに,当該活動の成果は使用者が取得するから,労使 の利益において均衡を欠く議論である。 」 (立命館法學 2003.JUN.06「自宅残業の労働時間性」) 同教授によると、労災保険の「業務上」の判断において、社長も出席する恒例の「グループ改善 活動全社発表会」の場で発表中くも膜下出血により倒れ,以後寝たきり状態になった被災当時 31 歳であった技術者の例を紹介し、労基署長の判断及び不服申立に対する審査官の判断は、自宅残業 が「使用者による特命がなく、賃金も支払われていないので、その時間は「作業」でしかなく、労 働時間とはいえない」というものであったと述べている。現状の労災認定では、使用者の明示の指 示がなければ、自宅残業は労働時間と判断されないようである。 私見では、明示的な指揮命令(制度として自宅勤務制度があるとか使用者の強い指示によるなど) により自宅作業が行われるときは、後述する相補的二要件説に従い労働時間として捉えるのが妥当では ないかと思う。 492 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 ※労働者性の判断基準 労働時間となるか否かの問題は労働者の定義の考え方が参考になる。 労働者性の判断基準は「使用従属性」であるが、それは「使用者の指揮監督下における労務提供」 と「支払われる報酬が労務の対償(賃金)であること」であった。この場合に勤務場所及び勤務時間 が指定されて管理されていることは,一般的には「指揮監督下」であることを裏付ける重要な要素で ある(第1第2章 「5.労働者」42 ページ以下参照)。 ⇒ 自宅残業は、使用者の明確な指示によるものでなければ労働時間とならない。 (4)拘束時間・周辺時間の問題 1)拘束時間と労働時間 労働者が出勤して始業時刻まで事業場内で過ごす時間や出張時に目的地まで移動する時間など は、現実に使用者の指揮命令下におかれているというわけでないので、労働時間に当たらない。こ れらの時間は拘束時間(注)に含まれる。 注.拘束時間 労基法上の用語でなく、実務上使われることばである。拘束時間は通常(労働時間)+(休憩時 間)という意味(狭義)で用いられることが多いが、出張時の移動・宿泊などのように現実の労務 の提供を行わない時間であるが抽象的な使用者の支配下で過ごす時間(広義)を含めることもある。 通常、事業場に勤務する場合、労働者が事業場の構内に入門してから構外に退出するまでの時間 が拘束時間(広義)である。この間、使用者の企業施設管理権に服する義務があるし、企業秩序権 に従う義務がある。終業後、労働者は何をしても自由であるというわけでなく、事業場の構内にと どまっている限り使用者の拘束を受ける。しかし、拘束を受けるの企業施設管理権・企業秩序権に 基づくものであって業務遂行上の指揮命令ではないから、労働時間と評価されない。 なお、一般に、終業後の同好会活動や組合活動についても使用者の施設管理上・企業秩序上の権 限は及ぶものであり、労働者はこれに服さねばならない。安西 愈氏は、これについて次のように 説明している。 「労働者は、終業後であるからなにをしても自由であるというわけでなく、会社の構内にとどまっ ているかぎり拘束を受ける。終業後の同好会活動や組合活動についても、使用者の施設管理上及び企 業秩序上の制限に服することになる。 よく、組合事務所には会社側の者は絶対に入ってはならない治外法権的なものであるということが いわれるが、全くの立入禁止区域ではなく、防火防災等の合理的な理由のある立入りは許されるし、 終業後の集会だからといって、外部の者が自由に構内に出入りしてもよいということにはならない (一般の来訪者と同じ程度の氏名または人数の届出等や入構の許可がなければならない。) 。このよう な点について注意が必要であるし、この問題をめぐるトラブルは、拘束時間というものの法的意義に ついて明確な理解に欠ける取り扱いとなっている現状が、ともすれば組合活動の不当な制限としての 不当労働行為を生むことにもなっている。」(安西「労働時間」P7~8) 「労働時間」は就労のために使用者の現実の指揮命令下にあり、労働者が自由に利用できない時 間である。「休憩時間」は労働時間の途中で権利として労働から離れることを保障されている時間 493 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 であり、その中間の時間帯については、使用者の指揮命令下にあり労務に服している時間とみるこ とができるか否かが労働時間性を判断する基準になる。 安西 愈氏は、労働基準法上の労働時間を次ページ第 2-3-1-4 図のように整理説明されている (安西「労働時間」P4) 。 494 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 第 2-3-1-4 図 労働時間の判断 広義の拘束時間 事業場内時間 実作業時間 労働時間である 手待ち時間 労働時間である 宿・日直時間 労基署長の許可を受ければ労働時間とし て取扱わなくてよい ・労働から解放される時間であれば労働時 仮眠時間 間でない ・待機的不活動時間であれば労働時間であ る 私用・組合活動 労働時間でない 休憩時間 労働時間でない 自由時間 労働時間でない 事業場外 時間 ・通常日:所定労働時間労働したものと 外勤時間 みなす ・休日:業務を行わないときは休日とみ 出張(宿泊) なす 旅行時間 ・乗車中:労働時間でない 休息時間 ・労働時間でない 2)周辺時間と労働時間 実際に作業指揮下に入った時間が労働時間であることは明白であるが、その前後に付帯する周辺 時間(たとえば、作業服に着替えたり、掃除や整理整頓、後片付け、入浴など実作業に接着する前 後の時間)は、どこまでが労働時間になるかという問題がある。 これらの時間が労働時間となるか否かは、それがその作業や業務にとって必要不可欠で、かつ、 その行為が労働者の自由裁量で任意的に行われるものでなく、使用者の指揮命令のもとに拘束され 強制的に行われているものであれば、労働時間となる。 この「必要不可欠時間」は次の第 2-3-1-5 図のように分類されるが、労働時間となるにはこれに 加えて「指揮命令関係」の要素が必要であることに注意しなければならない。 495 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 第 2-3-1-5 図 周辺時間と労働時間 法令上不可欠 法令により一定の準備や後始末が定められている場合でこれを使用者 の指揮命令下で行うとき。たとえば、保護衣・保護具等の装着が義務 づけられている場合、作業後の身体の洗浄が義務づけられている場合 など。 性質上不可欠 その作業を行う場合に作業の性質上必ず一定の準備や後始末を要する 場合で該当作業につき指揮命令されているとき。たとえば、始業時の 点検、用具の整備、作業後の格納、清掃等。 必要不可欠 社則上不可欠 作業の性質上の不可欠とまでいえないが、社内の規則・内規等で義務 指揮命令 とされている準備、後始末。たとえば、ゼロ災害運動の危険予知訓練、 朝礼・終礼等が規定され、怠れば不利益がある場合。 慣習上不可欠 慣習上義務ないし制度化されており、かつ、それを行わない場合何ら かの不利益が予想される準備、後始末。たとえば、鍵当番としての始 業前の開錠、社旗・安全旗の掲揚、輪番制で行っている義務的な清掃・ 整理。 安西「労働時間」P9 より (5) テレワーク勤務 1)テレワークの概要 情報通信機器を活用して、働く者が時間と場所を自由に選択して働くことができる働き方として 「テレワーク」がある。テレワークは通勤負担の軽減に加え、多様な生活環境にある個々人のニー ズに対応することができる働き方であり、そのような働き方は広がりをみせてきている。 自宅で業務に従事する勤務形態である在宅勤務についても、労働者が仕事と生活の調和を図りな がら、その能力を発揮して生産性を向上させることができ、また、個々の生きがいや働きがいの充 実を実現することができる次世代のワークスタイルとして期待されている。 なお、テレワークには、事業主と雇用関係にある働き方として、在宅勤務以外に、労働者が属す る部署があるメインのオフィスではなく郊外の住宅地に近接した地域にある小規模なオフィス等 で業務に従事する、いわゆる「サテライトオフィス勤務」 、ノートパソコン、携帯電話等を活用し て臨機応変に選択した場所で業務に従事する、いわゆる「モバイルワーク」がある。また、在宅勤 務と似かよっているが、事業主と雇用関係にない請負契約等に基づく働き方として、いわゆる非雇 用の就業形態である「在宅就業」という概念もある。 これらを総称して「テレワーク」というが、その関係は下記のとおりである。 496 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 第 2-3-1-6 図 テレワークの概念 在宅勤務 労働者性あり サテライトオフィス勤務 モバイルワーク テレワーク 労働者性なし 在宅就業 2)在宅勤務における労働時間管理の注意点 在宅勤務は一般に、労働者が仕事と生活の調和を図りながら、その能力を発揮して生産性を向上 させることを可能とするものとして一定の評価を受けている勤務形態であるが、その一方で、労働 者の勤務時間帯と日常生活時間帯が混在せざるを得ない働き方であることなど、これまでの労務管 理では対応が難しい面もあることも事実である。 すなわち、①労働者の労働時間や健康など労働者の管理が難しいこと、②労働者の評価がしにく いこと、③労働災害における「業務上」の判断が難しいこと、などである。 そのようなことから、在宅勤務の制度を適切に導入するに当たっては、労使で認識に齟齬のない ように、あらかじめ導入の目的・対象となる業務・労働者の範囲・在宅勤務の方法等について、労 使委員会等の場で十分に納得のいくまで協議し、文書にし保存するなどの手続きをすることが望ま しい。要は自宅勤務が制度として行われることが文書により明確にしておくことである。 政府は、 「テレワーク人口倍増アクションプラン」 (平成 19 年 5 月 29 日テレワーク推進に関する 関係省庁連絡会議決定)や「仕事と生活の調和推進のための行動指針」 (平成 19 年 12 月 18 日ワー ク・ライフ・バランス推進官民トップ会議決定)などが策定されたことを受けて、在宅勤務を含む テレワークの普及促進に取り組んでいるところであり、厚生労働省も「情報通信機器を活用した在 宅勤務の適切な導入及び実施のためのガイドラインの改訂について」 (平成 20 年 7 月 28 日基発 0728001 号)を発している(資料28 521 ページ参照)。 同ガイドラインによると、労働時間等管理の主な注意点は、以下のとおりである。 ① 在宅勤務について、一定の場合に労基法 38 条の 2 の事業場外におけるみなし時間を適用する ことができる。 ② 現実に深夜に労働した場合には、深夜労働に係る割増賃金の支払いが必要となる(みなし時 間が適用される場合は 100 分の 125 ではなく 100 分の 25 で可と解する-宮田)。 ③ 労働者は、業務に従事した時間を日報等において記録し、事業主はそれをもって在宅勤務を 行う労働者に係る労働時間の状況の適切な把握に努め、必要に応じて所定労働時間や業務内容 等について改善を行うことが望ましい。 ④ 業務が原因である災害については業務上の災害として労災保険法の保険給付の対象となる (自宅における私的行為が原因であるものは業務上の災害とならない。)。 497 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 2.労働時間に関する具体的事例 (1)法令により実施が義務づけられているもの 次の事例のような法令により実施することが義務づけられているものは、一般的に労労働時間と される。 ① 安全・衛生委員会への出席(昭 47.9.18 基発 602 号) ② 安全衛生教育の時間(同上) ③ 特殊健康診断(同上) ④ 消防法所定の消防訓練(昭 2310.23 基収 3141 号) ただし、一般健康診断は一般的な健康の確保をはかることを目的として事業者にその実施義務を 課したものであり、業務遂行との関連において行われるものでないので労働時間としない(昭 47.9.18 基発 602 号)。 (2)職務に関連するもの 職務に関連するものは一般的に労働時間となるが、使用者の関与度合いが低いものは労働時間と ならない。 ① 教員のクラブ指導・生活指導等 黙示の指示による教員のクラブ指導、生活指導、PTA 業務(昭 25.9.14 基収 2983 号)。この 事例では、使用者が具体的に指示した仕事が、客観的にみて正規の勤務時間内でなされ得ない と認められるときは、超過勤務の黙示の指示があったとされている。 ② 参加を強制される教育訓練等 業務命令として参加を強制される教育訓練は労働時間である(昭 26.1.20 基収 2875 号)。就 業規則上の制裁等の不利益取扱いによる出席の強制がなく自由参加の教育は労働時間としな い(同上)。 この考え方は、所定労働時間外に行われる職場反省会・懇談会、職場安全会議、QC活動、 地域ボランティアなどの名称で職場に残って会議や討論などがなされる場合にも適用される。 「不利益取扱い」は就業規則上の不利益取扱いのみに限られず、間接的な不利益(賞与や昇給 の査定において出席の有無を考課項目の一つとしている場合など)や実質的な強制とみなされ る場合(所属長が出欠の点呼をとり出席状況を報告させるなど)も含まれる(安西「労働時間」 P85)。 ③ トヨタ自動車の「カイゼン」活動 トヨタ自動車が生産作業の「カイゼン」のために実施している従業員の「品質管理(QC)サ ークル」活動について、会社は業務と認め、残業代を全額支払うこととしたと報じられている(共 同通信 平 20.5.22)。 トヨタのQCサークルは 1964 年に始まり、同社が強みとするカイゼンの基盤とされ、国内に 約 5,000 のサークルがある。自動車の品質向上のためにお互いにアイデアを提案し議論すること が目的で、国内の生産現場の従業員約4万人は、原則全員参加している。QCサークル活動は勤 務時間外に行われているが、これまでは従業員の「自主的な活動」と位置付けて、残業代は最大 月2時間分しか支払っていなかった。 トヨタのQC活動をめぐっては、愛知県豊田市の工場で勤務中に倒れて死亡した男性従業員 (当時 30 歳)が参加したQC活動を業務とした上で、過労死と認める名古屋地裁判決が昨年1 498 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 2月に確定していたこともあり、会社は、QCサークル活動は残業代が支払われる業務であると 明確にした上で、上司に事前に申請する制度に変えることとした。 監督署長が任意の自主活動で業務と評価できないとした「創意くふう提案」「QCサークル活 動」について,裁判所は,「事業活動に直接役立つ性質のもので,…事業主が育成・支援するも のと推認され,これにかかわる作業は,…使用者の支配下における業務と判断する」と判示した (注)。 注.「豊田労基署長(トヨタ自動車)事件」名古屋地裁判決平 19.11.30 資料30 P528 参照 夜勤中の社員(30 歳)のいわゆる突然死が業務に起因するものかどうかが争点となった事案で,労災保険 給付の不支給処分とした監督署長は,当該社員の業務はその労働時間数,業務内容に照らして特に過重な身 体的負荷,精神的負荷となるものではなかったと反論したが、裁判所は心停止の発症・死亡に業務起因性を 認め,これを否定した監督署長の不支給処分を違法とし,取り消した。 (3)労働力の提供のための準備行為 職務に付帯する作業で強制されるものは、一般的に労働時間となる。 ① 入坑前のキャップランプ受渡時間(昭 23.10.30 基発 1575 号) ただし、坑内労働者の就労後の入浴は強制されるとまでいえないので、入浴時間は通常労働 時間に算入しない(同上)。 ② 業務の準備行為等を事業所内において行うことを使用者から義務付けられ、これを行うとき は労働時間である(前述「三菱重工業長崎造船所(更衣時間)事件」では、更衣、準備体操の 時間は労働時間とされた。)。 (4)不活動時間 不活動時間であっても自由利用が保障されない時間は、一般的に労働時間となる(手待ち時間)。 次の①~⑥はすべて労働時間と評価される。 ① 昼休みの来客当番(昭 23.4.7 基収 1196 号) ② 路線トラックの助手席で仮眠する時間(昭 33.10.11 基収 6286 号) ③ 貨物の積込み係がトラックの到着を待って待機する時間(同上) ④ すし屋の店員が客のいないときを見計らって適宜休息する時間(「すし処『杉』事件」大阪 地裁判決昭 56.3.24-注 1) ⑤ ビル管理会社のビル管理人が仮眠室で仮眠する時間(労働から解放されていると言えない) (「大星ビル管理事件」最高裁一小判決平 14.2.28-注 2) ⑥ コピーライターの勤務時間中の「空き時間」(「山本デザイン事務所事件」東京地裁判決平 19.6.15-注 3) 注 1.「すし処『杉』事件」大阪地裁判決昭 56.3.24 原告らと被告との間の雇用契約における右休憩時間の約定は、客が途切れた時などに適宜休憩し てもよいというものにすぎず、現に客が来店した際には即時その業務に従事しなければならなかっ たことからすると、完全に労働から離れることを保障する旨の休憩時間について約定したものとい うことができず、単に手待時間ともいうべき時間があることを休憩時間との名のもとに合意したに すぎないものというべきである。 注 2.「大星ビル管理事件」最高裁一小判決平 14.2.28 ビル管理会社のビル管理業務に 24 時間勤務制により従事する労働者について「仮眠室における待 499 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 機と警報や電話等に対して直ちに相当の対応をすることを義務付けられているのであり、 ・・・本件 仮眠時間は全体として労働からの解放が保障されているとはいえず」労働時間であるとした。 注 3.「山本デザイン事務所事件」東京地裁判決平 19.6.15 ← 作業と作業の合間の空き時間は労働時間で ある。 デザイン事務所にコピーライターとして勤務していた労働者について、 「作業と作業の合間に一見 すると空き時間のようなものがあるとしても、その間に次の作業に備えて調査をしたり、次の作業 に備えて待機していたことが認められるのであり、なお、被告会社の指揮監督の下にあるといえる から、そのような空き時間も労働時間として認めるべきである」として、 「そのような時間を利用し て原告がパソコンで遊んだりしていたとしても、これを休憩と認めるのは相当でない」と、当該空 き時間は労働時間であると判示した。 しかしながら、次のような場合などは、労基法の労働時間には当たらないと解される。 ⑦ ガス漏れ修理に備えて事業所に隣接する寮で待機するシフト時間について、出動頻度が少な く自宅で過ごすのと変わらない自由度がある場合(大道工業事件 東京地裁判決平 20.03.27 -注 4) ⑧ 複数の警備員を配置し,物理的にも就労すべき場所と隔絶された場所において仮眠すること ができるような場合に、仮眠している警備員の時間(「ビル代行割増賃金請求事件」東京高等 裁 判決平 17.07.20-注 5) 注 4.「大道工業事件」東京地裁判決平 20.03.27 ← 緊急時に備えて社員寮で待機するシフト時間帯は 労働時間ではない。 「不活動時間におけるAら従業員の状況をみてみると,①日中の不活動時間において従業員は私 服で,寮の自室でテレビを見たり,パソコンに興じるなどしていたこと,②会社内で労働組合が結 成され,従業員がその労働条件を意識し始めるようになった平成 17 年 2 月以前には,シフト時間 帯であっても,複数の従業員が本件寮内の一室に集合してマージャンに興じたり,飲酒をすること もあったこと,③本件拠点には,寮の賄いの業務を担当するK子のほかは,本件工事に従事する従 業員しかおらず,これら従業員の管理を行う社員は置かれていなかったこと,④シフト時間帯であ っても,不活動時間帯の外出には特段の規制はなく,携帯電話を所持して買い物のため外出するこ とは可能であったこと――が挙げられる。 以上によると,Aら従業員の本件不活動時間帯の活動・行動様式は,社会通念に照らすと,自宅 からの通勤労働者が自宅で過ごすのとさほど異ならないものであったと評するのが相当である。」 注 5.「ビル代行割増賃金請求事件」東京高等裁 判決平 17.07.20 ← 隔絶された場所における仮眠時間は 労働時間ではない。 ①仮眠時間がとられていた午後10時以降の業務量は少なく,一定の限られた業務しか発生しな い状況にあったこと、②仮眠中の者を施錠確認のために起こすことはなかったとの原審証人Cの証 言に照らすと,これら施錠確認表によって仮眠者が施錠確認のためにしばしば起きたと認めること はできないこと、③他に、仮眠者が実作業への従事の必要性があって出動したことを認めるに足り る的確な証拠はないこと、などの事実により本件の仮眠時間については,実作業への従事の必要が 生じることが皆無に等しいなど実質的に警備員として相当の対応をすべき義務付けがされていない 500 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 と認めることができるような事情があるというべきである。したがって,本件の仮眠時間について 労働基準法32条の労働時間に当たると認めることはできない。 ※終業後、他の事業所へ作業応援に行く場合の移動時間 たとえば、A工場の従業員を終業後B工場へ応援に行かせる場合、工場間を移動する時間は労働時 間となるのであろうか? 労働時間の定義(使用者の指揮監督のもとにあることで、必ずしも現実に精神又は肉体を活動させ ていることを要件とはしない。)に照らして考えると、A工場での業務終了後B工場の業務応援のた め移動する時間は、使用者の指揮命令のもとで業務として移動する時間であり、労働時間であると考 えられる。 なお、移動時間についての賃率を通常の作業とは別に定めることは、最低賃金に違反しない限り適 法である。 (5)オンコール(呼出し待機) 1)オンコールの実情 医療系職員を中心に、緊急事態に備えて勤務時間外に労働者を待機させる場合がある。通常はそ のような義務を就業規則ないし労働契約に規定し一定の義務を課すが、休日や勤務時間外であって も使用者が労働者の私生活を拘束することになるので、問題となることがある。 実態としては、たとえば、次のようなものである。 ① 当直医を補佐し、重症患者の緊急手術などの麻酔や処置に加わるために、病院から直ちに連 絡が付き、かつ緊急の呼出に対応できる場所に待機する制度。呼び出しがなされた場合には病院 に赴き当直医を補佐等する。 ② 宿直医の専門外の患者に対する緊急の処置等が必要な場合に備えて、各専門ごとにあらかじ め当番の医師を定めて待機させる。たとえば、整形外科の医師や耳鼻科の医師が宿直の場合、外 科医の対応を必要とするときは、当番の外科医が帰宅後であってもポケットベル・携帯電話で呼 び出す。 ③ 複数の医師がたとえば毎週1回など当番を決める。オンコールの当番として呼出しを受けた 場合、電話連絡により応答するだけで済むときもあれば、病院に駆け付けて緊急の処置をとった り、緊急に手術を実施することもある。 労働者側からは、オンコールについても労働時間であるという主張がなされるが、一般的には、 時間的拘束が弱く場所的拘束がないことから、使用者の指揮命令下にあるとは必ずしもいえない ため、実際にコールがかかる頻度が稀であれば労働時間と把握しないと解釈されているようであ る。また、法的にどうかという議論とは別に、実際に職場に駆けつけて業務を行った場合には時 間外労働や深夜労働の対象として実時間に応じた割増賃金を支払うほか、呼び出しの有無にかか わらずオンコール手当等を支給してインセンティブを与え、該当者の納得性を得て、不満の解消 を図っているのが実情のようである。 2)問題点整理 労働法の観点から問題を整理すると、次のようになものであろう。 a.電話呼び出しに対し、携帯電話による応答を勤務時間外に義務づけることは可能であろう か? 501 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 b.緊急呼び出しに応じて職場へ駆けつけなければならない場合に、その往復の時間は労働時間 となるのか? c.オンコール当番に対し手当を支給しなければならないのか? d.どのような場合に、オンコール(呼出し待機)を労働時間として取扱わなければならないの か? a.について 第 2-3-1-3 図(P486)のとおり、「③労働契約上の義務が存する時間」として労基法の労働時間 とは異なった時間として把握することができるのではないか。結論として、携帯電話による応答を 勤務時間外に義務づけることは可能と考える。ただし、一般的には、労働者の納得性を得るためオ ンコール手当等を支給してインセンティブが必要となろう。しかし、オンコールがかかる頻度が稀 であれば、職務上の責務としてインセンティブを与えないこともあり得る(注) 。 注.たとえば、学生寮の管理を担当する職員に学生寮施設や学生生活上の緊急事態に備えて勤務時間 外にオンコールを義務づける場合がある。しかし、オンコールの頻度が月に1~2回程度に過ぎな いというような場合には、オンコール対応は職責上の責務であるとして特別なインセンティブは与 えない、ということでも職員の納得性が得られよう。 b.について これも難しい問題であるが、現実に労務を提供している時間ではないので、労基法上の労働時間 とならないと解するのか無理のないところであろう。 類似の例として、出張における休日移動は労基法上の労働時間でないとされる。 c.について 手当を支給する目的は労働者の納得性を得るためであるから、オンコールの頻度と関連するもの と思われる。手当は必ず支給しなければならないものでなく、オンコールの頻度が少ないときは特 別なインセンティブは与えないこともあり得る。 d.について 不活動時間が労働時間と評価される例を掲げると、次のようなものがある。 ① 休憩時間中に電話当番・来客当番をさせる場合、実際に電話や来客がなくてもその時間は労 働時間である(昭 23.4.7 基収 1196 号)。 ② 一昼夜勤務のビル管理員が実作業に従事していない仮眠時間について、仮眠室に待機し、警 報が鳴る等した場合には直ちに所定の作業を行うことを義務づけられている場合は、仮眠時間 は全体として労働からの解放が保障されているとはいえず労働時間である(「大星ビル管理事件」 最高裁一小判決平 14.2.28)。 ③ 貨物取扱いの事業場において、貨物の積込係が、貨物自動車の到着を待機して身体を休めて いる時間は、労働時間である(昭 33.10.11 基収 6286 号)。 ④ 運転手が二名乗り込んで交替で運転に当たる場合において、運転しない者が助手席で休憩し 又は仮眠している時間は、労働時間である(同上)。 これらの例に共通しているしいるのは、場所的な拘束があるということである。 オンコールの場合は、連絡が入れば業務上の指示を与えたりアドバイスをするほか場合によって は職場へ駆けつけて実際に業務に従事する必要があるが、待機する間の行動が自由である点が上記 502 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 例と異なる。 3)オンコールの労働時間性判断 以上みてきたように、呼出しに備えて待機するオンコールは一般的に場所的な拘束がなく、労働 時間性は否定されるであろう。ただし、呼出し頻度が頻繁である場合や、呼出しに備えて 30 分以 内に職場へ駆けつけることができる位置にいることを義務づけるとか飲酒を禁止するするなど私 生活を制限するような場合は、労働時間性が肯定される可能性がある。 イ システムエンジニアの場合 労務行政「新・実務相談 2010」P319 では、システムエンジニアに携帯電話を持たせて顧客にトラブ ルがあったときに呼出しをかけて処置させる場合に、常に連絡がとれる状態にしておくことに対し何ら かの賃金・手当の支払いが必要か、という問題に、次のように答えている。 「トラブル発生時の呼び出しに応ずるため携帯電話を携帯している時間は,行政の考え方である 「現実に作業はしていなくても,使用者からいつ就労の要求があるかもしれない状態で待機している 時間」,いわゆる手待時間に該当するのではないかということが考えられます。また,最高裁は,ビ ル警備員の夜間の仮眠時間について,警報や電話等に対して直ちに相当の対応をすることが義務づけ られていることから,労働時間であるとしています。一般的にいって警報がそう頻繁に鳴ることはな く,多くの場合,特段のことはなく仮眠できるものと思われますが,それでも(寝ていても)労働時 間であるとしています。 以上のようなことから考えれば,ご質問の携帯電話を携帯している時間は,使用者の指揮命令下に あり,労働時間ではないかということが考えられます。 しかし,貨物積込係の手待時間にせよ,ビル警備員の仮眠時間にせよ,一定場所における待機や仮 眠が同時に義務付けられており,その場所から離れることは許されていません。 しかし,ご質問のケースでは,場所の限定はありません。どこにいても,何をしていても自由です。 そういった点では,上記 1.,2.で紹介した考え方,事例と比較しても,拘束の度合いはかなり低い ということができます。 さらに,「携帯電話を持たせ」とありますが,義務づけの度合いがどうであるのか,もし携帯して いなかった場合にどのような制裁の対象になるのか,つながらなかった場合には,2 人目,3 人目に 連絡し,特段のとがめ立てはしないのか,といった点も影響すると思われます。 そういった点の強弱によっては,また,呼び出される頻度が高いといった場合には,手待時間とし て取り扱われる可能性がありますが,特段,制裁の対象とはしないとか,連絡は多くても月に 2 3 度といったような場合についてまで労働時間として取り扱い,賃金支払いの対象とすべきであるとい う考え方をとるとすれば,それは社会常識的にみても少々行きすぎではないかと思われます。〔中川 恒彦〕 」(労務行政「新・実務相談 2010」P319) つまり、次のような判断をしている。 ① 待機や仮眠の場所が指定されている場合は、使用者の指揮命令下に置かれている要素が強まる。 ② 連絡のための携帯電話の所持が罰則や不利益取扱いをもって強制される場合は、使用者の指揮命 令下に置かれている要素が強まる。 ③ 連絡の頻度が低い(月に2~3度)場合は、使用者の指揮命令下に置かれている要素が弱まる。 503 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 ⇒ オンコールの労働時間性は、場所的拘束、連絡義務の強制、呼出し頻度などを総合的に勘案して判断され るのではないだろうか。 ロ 病院勤務の産婦人科医の「宅直」 業務繁忙のため、公立病院の産婦人科医が宿日直勤務のほかに、自主的に「宅直」当番を定め当 直医師(1名)で対応できない分娩等の場合には、宿日直医師の求めに応じて病院へ来て宿日直医 師に協力して診療を行っていた事例につき、裁判所は次のように判断し、「宅直」勤務は労働時間 でないとしている。 「宅直勤務」の労働時間性について 「宅直勤務が、割増賃金の請求できる労働基準法上の労働時間といえるか否かは、宅直勤務時間が 「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間」に当たるか否かによる。 本件の宅直勤務制度は、救急外来患者も多い本件病院における産婦人科医師の需要の高さに比べて 五名五名しか産婦人科医師がいないという現実の医師不足を補うために、産婦人科医師の間で構築さ れたものである。しかしながら、原告らも認めるように宅直勤務は本件病院の産婦人科医師の問の自 主的な取り決めにすぎず、病院の内規にも定めはなく、宅直当番も産婦人科医師が決め、本件病院に は届け出ておらず、宿日直医師が宅直医師に連絡をとり応援要請しているものであって、本件病院が これを命じていたことを示す証拠はない。また、宅直当番の医師は自宅にいることが多いが、これも 事実上のものであり、待機場所が定められているわけではない。このような本件の事実関係の下では、 本件の宅直勤務時間において、労働者が使用者の指揮命下に置かれていた、つまり、病院の指揮命令 下にあったとは認められない。 したがって、自宅等における宅直勤務については、割増賃金を請求できる労働時間とはいえない。」 (「公立病院医師時間外手当請求事件」奈良地裁判決平 21.4.22) 労働時間性が否定された要素は、①「宅直」制は、産婦人科医師の問の自主的な取り決めにすぎない こと、②「宅直」当番を病院へ届け出ていなかったこと、③「宅直」当番者は自宅にいることが多いが 待機場所が指定されていたわけでないこと、などである。 504 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 3.労働時間性の判断基準 (1)概 要 前述1. (2)2)P485 以下のとおり、労働時間の概念は多様であり、まず、労基法上の労働時 間と労働契約上の労働時間があるという議論が展開され、前者は①「実質的な労働時間」、後者は ②「賃金が支払われる時間」と③「労働契約上の義務が存する期間」とに分類されるとされた。 (再掲)第 2-3-1-3 図 労基法上の労働時間と労働契約上の労働時間 労基法上の労働時間 = 労働時間 ①実質的・客観的な労働時間 ②賃金時間 労働契約上の労働時間 ③労働契約上の義務が存する時間 このうち「労働契約上の労働時間」についてはさておき、以下では、「実質的な労働時間」であ る労基法上の労働時間について、その判断基準を述べることとする。 1)学説の分類 労基法上の労働時間概念を論じる前提として,労働時間性をいかなる観点から判断するか(労働 時間性判断枠組み)が問題となるが,これについては理論上次の3つの立場が考えられる(東大「注 釈労基法」下巻 P508〔小畑 史子〕) 。 ① 約定基準説 労働時間とは何かをすべて当事者の約定(労働協約・就業規則・労働契約等) により決してよいとする説。 一般命題としてすべて約定によって決してよいとする論者はいないが、 「二分 説」のような中核的部分と周辺的部分とに分けて論じないものはある(沼田稲 次郎「労働法入門」P160 (1980 年)) ② 客観説 労働時間であるか否かにつき,当事者の約定にかかわらず,労働基準法の観 点から客観的に判断しようとする説。 細分すると、主な主張に次のようなものがある。 a純粋指揮命令下説 指揮命令下のみを基準とする(有泉説・行政もこの立場) b限定指揮命令下説 指揮命令概念に加えて「業務性」という基準を加えた(蓼 沼説・菅野、安西などもこの立場) c相補的二要件説 「使用者の関与要件」と「職務性」の二要件から構成され、 この二要件が合わせて相当程度に達している場合に労働時間 性が肯定されるとする(荒木説) d労務受領説 使用者が労務を受領したときから履行の終了までを労働時 間とする(渡辺説) ③二分説 中核的労働時間は客観的に判断するが,周辺的労働時間については当事者の約 定等により労働時間性を左右することを認める(萩澤 清彦「八時間労働制 P79 (1966 年))。 505 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 第 2-3-1-7 図 労働時間性判断の枠組み 約定基準説 労働時間とは何かをすべて当事者の約定(労 働協約・就業規則等)により決定する 純粋指揮命令下説 労 働 時間性 判 断 限定指揮命令下説 客 観 説 相補的二要件説 労務受領説 指揮命令下のみを基準とする(有泉 説・行政もこの立場) 指揮命令概念に加えて業務性とい う基準を加えた(蓼沼説) 使用者の関与要件と職務性の二要 件がした(荒木説) 使用者が労務を受領したときか ら履行の終了までを労働時間と した(渡辺説) 二 分 説 中核的労働時間は客観的に判断するが、周辺的労 働時間については当事者の約定により決定する 2)最高裁の判断 最高裁の立場は、一時「二分説」に立つようであった。昭和 56 年の「日野自動車(二分説)事 件」(注 1)では、労働者が入門後職場到着までの歩行に要する時間や作業服、作業靴への着替え 履替えの時間、いわゆる周辺時間については「就業規則や職場慣行等によってこれを決するのが相 当であると考えられる。 」と、労使の約定によって労働時間となるか否かが決まるとされた。 しかし、平成 12 年の「三菱重工業長崎造船所(更衣時間)事件」(注 2)では、 「労働時間(以 下「労働基準法上の労働時間」という。)とは、労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間 をいい、右の労働時間に該当するか否かは、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと 評価することができるか否かにより客観的に定まるものであって、労働契約、就業規則、労働協約 等の定めのいかんにより決定されるべきものではないと解するのが相当である。」と、労働時間性 は労使の約定に左右されず客観的に定まるものとされた。 注 1.「日野自動車(二分説)事件」東京高裁判決昭 56.7.16 資料29 P527 参照 「一般に労基法の「労働時間」とは、労働者が使用者の指揮、命令の下に拘束されている時間を いうものと解されている。ところで、労働者が現実に労働力を提供する始業時刻の前段階である入 門後職場到着までの歩行に要する時間や作業服、作業靴への着替え履替えの所要時間をも労働時間 に含めるべきか否かは、就業規則や職場慣行等によってこれを決するのが相当であると考えられる。 けだし、入門後職場までの歩行や着替え履替えは、それが作業開始に不可欠のものであるとして も、労働力提供のための準備行為であって、労働力の提供そのものではないのみならず、特段の事 情のない限り使用者の直接の支配下においてなされるわけではないから、これを一律に労働時間に 含めることは使用者の不当の犠牲を強いることになって相当とはいい難く、結局これをも労働時間 に含めるか否かは、就業規則にその定めがあればこれに従い、その定めがない場合には職場慣行に 506 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 よってこれを決するのが最も妥当であると考えられるからである。 」 注 2.「三菱重工業長崎造船所(更衣時間)事件」最高裁一小判決平成 12 年 3 月 9 日 「労働基準法(昭和六二年法律第九九号による改正前のもの)三二条の労働時間(以下「労働基 準法上の労働時間」という。)とは、労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいい、右 の労働時間に該当するか否かは、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価するこ とができるか否かにより客観的に定まるものであって、労働契約、就業規則、労働協約等の定めの いかんにより決定されるべきものではないと解するのが相当である。〔中略〕 労働基準法(昭和六二年法律第九九号による改正前のもの)三二条の労働時間(以下「労働基準 法上の労働時間」という。)とは、労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいい、右の 労働時間に該当するか否かは、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価すること ができるか否かにより客観的に定まるものであって、労働契約、就業規則、労働協約等の定めのい かんにより決定されるべきものではないと解するのが相当である。そして、労働者が、就業を命じ られた業務の準備行為等を事業所内において行うことを使用者から義務付けられ、又はこれを余儀 なくされたときは、当該行為を所定労働時間外において行うものとされている場合であっても、当 該行為は、特段の事情のない限り、使用者の指揮命令下に置かれたものと評価することができ、当 該行為に要した時間は、それが社会通念上必要と認められるものである限り、労働基準法上の労働 時間に該当すると解される。〔中略〕 」 〔労働時間-労働時間の概念-着替え、保護具・保護帽の着脱〕 「右事実関係によれば、被上告人らは、上告人から、実作業に当たり、作業服及び保護具等の装 着を義務付けられ、また、右装着を事業所内の所定の更衣所等において行うものとされていたとい うのであるから、右装着及び更衣所等から準備体操場までの移動は、上告人の指揮命令下に置かれ たものと評価することができる。また、被上告人らの副資材等の受出し及び散水も同様である。さ らに、被上告人らは、実作業の終了後も、更衣所等において作業服及び保護具等の脱離等を終える までは、いまだ上告人の指揮命令下に置かれているものと評価することができる。」 507 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 (2)相補的二要件説 1) 「使用者の関与」及び「職務性」 荒木 尚志教授は、裁判例・行政解釈を分析した結果、労働時間と判断される要素として、 ① 使用者の関与要因(強制度合) ② 活動内容要因(職務性) が必要で、「ある時間が労働時間となるために必ず備えている必要があるという意味での二要件と 解すべきものと思われる。」とする労働時間の二要件説を唱えた。労働時間と評価されるには、そ の強弱の度合いはともかく、①使用者の関与要因(強制度合)及び②活動内容要因(職務性)の二 要素が必要であるというのである(荒木尚志著「労働時間の法的構造」2001 年 P258 以下。) 。 「使用者の関与要因」とは、使用者が当該時間に外からどのように関与していたのかということ であり、従来から使用者の指揮命令と解されてきたものにほぼ相当する。使用者の直接的指揮命令 のみならず使用者の黙認・許容といったものも含まれるためより広義に「使用者の関与」と呼んで いる。 ①「使用者の関与」 ところで、労基法 32 条 1 項は「使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間 を超えて、労働させてはならない。」と、使用者が「労働させ」るという文言を用いており、労働 に使用者が何らかの形で関与することが前提となっている。したがって、ある労働者が所定労働時 間外に自発的に業務上の作業を行っていた場合に、それがいかに本務たる活動であっても労基法上 の労働時間とは評価されない。 長距離トラックに2名乗り組んで、助手席で適宜仮眠ないし休息する時間は労働時間と判断され る(昭 33.10.11 基収 6286 号)が、フェリー乗船中のトラックの運転手が運転席を離れて客室ない しデッキで休息する時間は労働時間として取り扱わなくてよいとされている(注)。この差は、ト ラックの助手席という狭い空間とフェリーという比較的広い空間によるものと考えられ、狭い空間 では使用者の関与が強く働くと考えれば相補的二要件説で説明がつく。 注.自動車運転者のフェリー乗船中の拘束時間について、荷物の見張り等の必要がなくデッキ等で自 由に休息し得るものであれば労働時間としないとする通達(昭 55.1.16 基発 21 号)があったが、 この通達は平元 3.1 基発 92 号により廃止された。しかし、厚労省「労基法コメ」P396 では、 「例え ば、長距離トラックの運転の途中にフェリーを利用することとなっている場合に、これに乗船中の 時間を労働時間として取り扱うべきか否かという問題があるが、結局、その時間について自由利用 が保障されているか否かという個別的な観点から判断されるものであり、目的地に到達するまでは 船内で自由に行動できるという場合であれば、労働時間として取り扱わなくても差し支えないと解 すべきであろう。」と述べており、従来からの見解を踏襲している。 自動車運転者の労働時間管理は「自動車運転者の労働時間等の改善のための基準」 (平元 2.9 労告 7 号、最終改正平 12.12.25 労告 120 号)により、拘束時間(労働時間、休憩時間その他の使用者に 拘束されている時間)と休息期間(使用者の拘束を受けない期間)とにより管理されることとなっ た。現在は、フェリー乗船中の時間は2時間を拘束時間、残りを休息期間としている(前述「自動 車運転者の労働時間等改善基準 2 条 1 項」) 。 なお、荒木尚志教授は、最近の著書において、労働時間性の分析を①使用者の関与要因(当該活 動について使用者の認識の有無、黙認・許容、命令・指示、強制によって労働時間性が問題となる 508 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 場面)と、②本務外の活動(準備後始末労働や小集団活動など、活動の性格の点で労働時間性が問 題となる場面:労働時間の質的外延)、③不活動時間(手待ちや待機、仮眠時間などの労働時間密 度の薄さゆえに労働時間性が問題となる場面:労働時間の量的外延)の三つに整理されている。 そして、面白いことに、労基法 32 条の法定労働時間を超えて「労働させてはならない」という 文言を「労働」 「させ」てはならない、と分解し、 「させ」という文言が指揮命令を中心とする「① 使用者の関与要因」(明示・黙示の指揮命令、労働の黙認)を要求し、使用者の命じた活動ないし 拘束が「労働」と評価されることが「②③の職務性要因」を要求していると解される、と説明して おられる(荒木 尚志著「労働法」2009 年 P164) 。 これをまとめると、次の表のように分類できる。 第 2-3-1-8 図 労働時間概念の構造 ①使用者の関与要因 労働時間 「させ」 ②本務外の活動(労働の質的外延) 活動内容(職務性) 「労働」 ③不活動時間(労働の量的外延) ②「職務性」 他方、労働時間となるためには当該活動ないし拘束が実質的に労働と評価される実態(職務性) を備えていることが必要である。 たとえば、裁判所は、所定時間外に小集団活動としての生産性向上研修会を行った時間を労働時 間とし、趣味の会については労働時間性を否定している(注)。その違いは職務性に求められると いえる。 注.「八尾自動車興産事件」大阪地裁判決昭 58.2.14 趣味の会活動については、強制・不利益の取扱いはなく、「業務として行われたと到底いい難い」 として労働時間性を否定、専門委員会については、経営に参加する趣旨で設けられたこと、委員長、 副委員長は会社が委嘱し手当が支払われて いること、全従業員がいずれかの委員会に配属されてい たことから「業務としてなされたもの」と労働時間性を肯定している。 労災保険の「業務上」 労働時間の判断基準として用いられる「職務性」に似たものとして労災保険の「業務上」という概念 がある。事業主の命令があったとしても、それが事業目的を達成するためのものでなく業務とまつたく 関係ない事業主個人の私用であるときは、問題が起きる。 某事業団の理事が出先事務所に来た際に、接待ゴルフのお供を命じられた出先の若い職員が理事の振 ったクラブで目を強打されて失明する事故に対し、その接待を被災職員の業務に該当しないとして労災 保険が支給されなかった例があるそうである(井上「最新労災法」P66)。 労働基準監督官を務められた井上 浩氏は、これをあまり厳密に考えると労働者にとって酷な場合が あり、厳密な意味では上司の私用であるが労災保険の適用という面から見た場合には業務と評価しても よいと考えられると述べておられる。 509 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 (ただし、この問題は労基法の災害補償が罰則付き強行規定であるところから、労基法と労災保険法と の関係を遮断した上で行わなければならないという制約があるということも、同氏は指摘されている。) 2)二要件の相互補充的関係 労働時間となるには二要件のいずれかが欠けてはならないと考えられるが、裁判例・行政解釈を 分析すると、この二要件は一方の充足度が高い場合は他方の充足度は低くてもよいという相互補充 的(相補的)関係があると解される。言い換えれば、両方の要件の充足度の総和が相当程度以上に 達していれば労働時間と判断されるというものである。 例をあげると、仮に、労働時間となるために二要件の充足度の総和が 100 必要であるとすると、 使用者の関与が 90 以上の場合、職務性は 10 程度の低いものであっても労働時間となり得る。たと えば、終業時刻以降の労働の継続は活動がまさに本務であるが故に職務性は著しく高度であり、使 用者が明示的に命じたものでなくても黙認・許容という軽度の関与があれば労働時間となる。 しかし、二要件の一方が欠けている場合、すなわち一方が 100 でも他方が 0 であれば(本務を行 ったことについて使用者の黙認すら存在しなかったとか、使用者の事実上の強制があってもその内 容がまったく職務関連性のない私用であった場合など)、合計が 100 であっても労働時間とはなら ない。 第 2-3-1-9 図 労働時間の判断要素の相補的関係 活動内容要因(職務性=「労働」) 強 弱 なし 強 ○労働時間である ×労働時間でない 例:上司の明白な指示によ 例1:業務命令により休日 例:昼休みに上司から「オレの弁 り所定勤務時間外に業務を に得意先接待ゴルフを行 当を買ってきてく れ」と指示さ 行う。 う。 れ買いに行く。 例2:工場労働者が始業前又 は終業後着替えをする。 弱 使用者の関与要因(使用者の関与=「させ」 ) ○労働時間である なし ○労働時間である ×労働時間でない ×労働時間でない 例1:多忙のため所定勤務 例1:出席が強制されてい 例1:上司から「囲碁を覚えた方 時間外に業務を行ってお ない社内親睦運動会、期末 がいいよ」と言われて 習いに行 り、上司もそれを知ってい 打上げ会、歓送迎会等に参 く。 る。 加する。 例2:工場労働者が業務終了後風 例2:所定勤務時間外に会社 例2:休日に慣習になってい 呂に入る。 が 奨励するQC活動に参加 る転勤者の引っ越しの手伝 する。 いをする。 ×労働時間でない ×労働時間でない 例:居残り残業は禁止され 例:業務に役立つ資格取得 ているにもかかわらず隠れ 等の勉強を私的に行う。 ×労働時間でない てやっている。 例はあくまでも参考である。 510 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 (3)労働時間性の判断基準 上記(1)2)で述べたとおり、労働時間性には「職務性」と「使用者の関与」の二側面があり、 そのいずれか一方が欠ければ労働時間となり得ず、かつ、この両者は互いに補完し合っている。 この労働時間性の判断基準をまとめると、次のように整理される。 ① 「職務性」と「使用者の関与」のいずれも「強」であれば労働時間となる。 ② 「職務性」又は「使用者の関与」のいずれかが「強」で、他方が「弱」の場合も労働時間と なる。 ③ しかし、「職務性」又は「使用者の関与」のいずれかが「強」であっても、他方が「なし」 の場合は労働時間とならない。つまり、労働時間性は「職務性」と「使用者の関与」の二要素 がなければ否定される。 ④ 「職務性」と「使用者の関与」のいずれも「弱」である場合も労働時間とならない。 (4)労働時間と準備作業等との関係 労働者が事業場の施設内に入ると(通門すると)、使用者のさまざまな拘束(騒いではいけない とかタバコを吸ってはいけないとか)を受ける。これは使用者の施設・環境管理権に基づく拘束で あって、その意味では使用者の抽象的な関与である。しかし、このような抽象的な使用者の弱い関 与を受ける時間のすべてが労働時間となるわけでない。 前述「三菱重工業長崎造船所(更衣時間)事件」では、最高裁は、通門から更衣所までの歩行時 間は労働時間ではないが、更衣に要する時間及び更衣所から作業場までの歩行時間は労働時間であ ると判示している。 最高裁が「労働者が、就業を命じられた業務の準備行為等を事業所内において行うことを使用者 から義務付けられ、又はこれを余儀なくされたときは、・・・使用者の指揮命令下に置かれたもの と評価することができ」ると判断した時点は、更衣を開始した時点と考えられ、その後は特段の事 情がない限り労働時間と評価される。通門しただけでは必ずしも労働が開始されたと判断されるも のでない。 ⇒ 労働者が事業場の施設内に入ると抽象的な使用者の関与を受けるが、それだけでは労働時間とならない。 ⇒ 労働時間であると評価されるには、「使用者の関与」及び「職務性」の二要素が必要である。 (4)労働時間と休憩時間との関係 休憩時間は労働時間ではないが、事業場の施設内で休憩する限り使用者の抽象的な関与を受ける ことに変わりない。その違いは労働からの解放が保障されているか否かにあり、行政通達において も「休憩時間とは単に作業に従事しない手待時間を含まず労働者が権利として労働から離れること を保障されている時間の意であって、その他の拘束時間は労働時間として取扱うこと。」としてい る(昭 22.9.13 発基 17 号)。 休憩時間と労働時間の一種である手待ち時間との区別はまぎらわしいが、休憩時間であれば労働 者は自由に利用できる(労基法 34 条 3 項)のに対し、昼休みの来客当番やすし屋の店員が客のい ない時間帯に適宜休息する時間などは、たとえ休息している時間であっても労働から解放されてい るわけでないため、労働時間として取り扱わなければならない(前述昭 23.4.7 基収 1196 号、「す 511 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 し処『杉』事件」大阪地裁判決昭 56.3.24)。 平成 18 年 6 月まで国家公務員に保障されていた「休息時間」は、労基法の手待ち時間と同様な 性質のものと考えられ、人事院規則においても「休息時間は、正規の勤務時間に含まれるもの」と 規定されていた(改正前の人規 15-14 第 8 条)。 ⇒ 労働から離れることが保障されていなければ休憩時間とはいえず、手待ち時間(労働時間)である。 (5)公務員の超過勤務との比較 最近の傾向として、国の機関から民営化された国立大学法人や独立行政法人などで残業代未払い の問題が新聞紙上で取り上げられている。残業未払いが生じた理由として、超過勤務に対する国家 公務員の一般職の職員の勤務時間、休暇等に関する法律(「勤務時間法」という。)の規定と民間労 働者に対する労基法の規定の違いをよく理解していなかったために生じた問題であるということ が指摘できる。 1)公務員の超過勤務 公務員の場合は、超過勤務を命じることができるのは、法律上「公務のため臨時又は緊急の必要 がある場合」に限って命じることができることとされており、信じられないことであるが、人員不 足等による通常の業務繁忙の場合には、そもそも超過勤務を命じることができない仕組みになって いる。 (勤務時間法 13 条 2 項、 「公務員勤務時間法」P155)。そして、超過勤務手当が支払われるの は、正規の勤務時間を超えて勤務することを命じられた場合のみであり、一般職の職員の給与に関 する法律第 16 条第 1 項では「正規の勤務時間を超えて勤務することを命ぜられた職員には、 ・・・ 超過勤務手当として支給する。」と規定している。したがって、業務繁忙のために所定勤務時間後 居残りして業務に従事し、それを上司が認識していても、超過勤務命令がない限り超過勤務手当は 支給されない。 ⇒ 公務員の場合は、明確な超勤命令がなければ超過勤務手当の支給対象とされない。 2)民間労働者の時間外労働 これに対して民間労働者に適用される労基法の場合は、労働時間とされる使用者の監督下にある かどうかの判断基準は、明示の指示のみならず黙認・許容も含まれることになるから、業務繁忙の ために所定勤務時間後居残りして業務に従事し、それを上司が認識していた場合は労働になり、時 間外割増賃金の支払いを要することになる。したがって、残業を発生させないためには、仕事を打 ち切って退出するように上司が明確に指示しなければならない。 残業に対する管理者の考え方を変える必要があり、公務員時代の超過勤務の概念はもはや通用し ないことを知るべきである。 実際に、残業代不払いとして報道されている大学の事例では、教職員団体が残業代支払いと環境 改善を要求したのに対し、大学側が「超過勤務命令簿に記載されていないので時間外労働はない」 と主張したため、教職員側が労働基準監督署へ残業代不払いの申告をし、監督署の臨検、是正勧告 という経緯をたどっているものがある。 これに対し、大学側は、「国立大学法人化後、超過勤務に対する意識が足りなかった。二度と起 きないように管理したい」というようなコメントを発表している。 512 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 ⇒ 時間外勤務(時間外労働)に対する公務員と民間との違いは、公務員は「超過勤務を命じられたか否か」が 問題であるのに対し、民間は「超過勤務(時間外労働)という実態があったか否か」が問題となることである。 (6)研究職の残業問題 全国の国立大学で起きた残業代不払い問題を調べると、そのほとんどが事務系職員と医学系技術 職員などであり、研究を本分とする教員については皆無である(付属小中学校等の教諭を除く。)。 このことは、大学教員については裁量労働制の導入割合が高いこともあろうが、業務の自由度と の関係も影響しているように思われる。つまり、自由度の高い業務では長時間といっても労働密度 が平均的に低いためそれほど不満が現れないのに対し、自由度の少ない業務では労働密度が高いた め長時間と結びつくと不満が現れやすいのではないかと推察される。 しかし、最近は、①研究員や教員についても任期を付した採用が行われるなど一定期間内に成果 を挙げることが求められるようになってきたこと、②理化学研究所の例のように、研究員・技術員 についても残業代不払いが新聞紙上で報じられており(平 19.5.14 読売)、研究の業務であっても 不満が顕在化しつつあること、など残業不払い問題が研究員や教員に対しても波及しつつあるよう に思われる。 ⇒ 研究の業務であっても、時間配分の自由裁量が希薄な場合は時間的拘束に対し労働者の不満が募る。 (7)修学旅行の付き添い業務 小中学校の宿泊旅行の場合、引率する教員の労働時間の算定に関し、どこまでが使用者の指揮命 令のもとにあるのか問題となることがある。たとえば、夕食後居室に引きあげてくつろぐ時間は休 憩時間のようにも見えるが、居室を離れて街へ出かけることはできないところから「手待ち時間」 のようにも見える。しかし、何事もなければ「作業」に就くことはなく、また居室に閉じこもって いなければならないわけでもなく、居場所を明確にしてホテル内の娯楽室や浴場などへ行くことも 可能である。 そのようなことを考えると、夕食後居室に引きあげてくつろぐ時間は労働時間ではないと解する ことができよう。また、実務においては、労働時間の概念を客観的に把握することも意義のないこ とではないが、労使双方が納得できる標準時間(賃金時間)はどれか、ということが重要である。 そこで、修学旅行の付き添い業務の場合の労働時間は、たとえば、始業時刻から夕食終了時まで (途中の休憩時間を除く。)までとする、ただし、夕食終了後臨時的業務が発生した場合は当該業 務に従事した時間を加算する、というような決め方も考えられる。 いずれにしても、修学旅行の付き添い業務は拘束時間が長く、長時間にわたって緊張を強いるこ とになるものと思われるので、なにがしかの対価(時間外手当)を支払わないと労働者側は納得し ないのではないか。 ⇒ 上記例への対応のように、実務においては、労働時間二分説も有用である。 なお、市立小中学校の教員の修学旅行や遠足の引率・付添いの業務が労基法 41 条 3 号の監視又 は断続的業務に当たるか否かが争われた事件で、最高裁は「修学旅行や遠足の引率・付添いの勤務 は、児童生徒に対する教育的効果の達成や危険の予防ないし発生した危険に対する善後措置の施行 513 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 等極めて重大な責任を負担し、心身ともに不断の緊張およびその結果としての疲労を伴うものであ つて、その労働の密度において決して労働基準法四一条三号にいわゆる監視または断続的労働に該 当するような性質のものではないことが認められる」と、否定し、超過勤務手当の支払いを命じた 高裁判決を支持している(「静岡市立学校教職員時間外手当請求事件」最高裁三小判決昭 47.12.26) ※公立学校教職員の特例 公立の小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校及び幼稚園の教育職員については、 時間外・休日労働をさせることができる場合を条例に定め、その場合に限って労基法所定の三六協定 及び割増賃金の支払いを要しないとされる。その代わり、これら教育職員には俸給月額の 100 分の 4 の教職調整額が支給される(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法 3 条 1 項・2 項、6 条 1 項) なお、国立大学法人の小中学校等の教育職員については、当該特別措置は適用されない。 公立学校の教育職員に関する特例については第4節第1款2. (2)P560 以下参照。 514 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 4.労働基準法の労働時間規制 (1)労働基準法の労働時間の体系 労基法の労働時間の原則は1週間 40 時間を基本とし、1 週間の労働時間を各日に割り振る場合 の上限として 1 日 8 時間の制約を設けている。例外として、販売業、サービス業等で労働者数 10 人未満の小規模事業場では 1 週間 44 時間、かつ、1 日 8 時間とする特例が認められている(労基 法 40 条、労基則 25 条の 2)。 この労働時間制のバリエーションとして、①一定期間内において1週間当たり 40 時間以内とす れば厳格に1週間 40 時間かつ1日8時間制を適用しない変形労働時間制、②使用従属関係の重要 な要素である始業及び終業の時刻を労働者の決定にゆだねることにより1週間 40 時間かつ1日8 時間制を厳格に適用しないフレックス・タイム制、③労働時間算定の基本原則である実労働時間算 定の例外として一定の“みなし”を認めるみなし労働時間制、④管理・監督者や監視・断続的労働 従事者などについて労働時間規制を適用しない適用除外規定、がある。 第 2-3-1-10 図 労働基準法の労働時間制 労働時間の原則 1 週 40 時間かつ 1 日 8 時間 例外①非常災害の場合 ②労使協定による場合 1 か月単位の変形労働時間制 変形労働時間制 1 年単位の変形労働時間制 変形期間内における平均が 週 40 時間であればよい。 1 週間単位の非定型的変形労働時間制 労働時間 フレックス・タイム制 事業場外労働 みなし労働時間 実労働時間にかかわ らず一定の時間とみ 専門業務型裁量労働制 裁量労働制 なすことができる。 企画業務型裁量労働制 農・水産業従事者 適用除外 管理監督者・機密事務取扱者 1 週 40 時間かつ 1 日 8 時間 の原則、休憩付与、週休制 監視・断続的労働従事者 を適用しなくてよい。 515 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 (2)労働時間の原則 労働時間は1週間 40 時間、かつ、1日 8 時間以内としなければならない(労基法 32 条)。 「1週間」がどの期間を指すのかは就業規則等において定めるべきものであるが、就業規則等に 別段の定めがない場合は、実務上日曜日から土曜日までの暦週をいうものとしている(昭 63.1.1 基発 1 号)。 1 日 10 時間、週 4 日勤務というような働き方は1週間の労働時間が 40 時間であるが、次項の変 形労働時間制を採らない限り認められない。 また、この8時間とか 40 時間というのは現実に労働した時間をいうから、たとえば、午前中に 年休を取得して午後から現実に業務に従事した場合は、定時の 17 時 15 分を過ぎて労働させても8 時間に達しなければ時間外労働とならない。 なお、労基法には拘束時間についての制約規定はなく、労働時間が 8 時間、休憩時間が 4 時間、 計(拘束時間)12 時間というような働き方も労基法の明文規定に抵触するものでない(公序良俗 に反しないか、権利の濫用とならないか等の考慮をする必要がもちろんある。) 。 1) 「1日」の意義 1日8時間という場合の「1日」とは、原則として午前 0 時から午後 12 時までの暦日をいうが、 継続勤務が2暦日にわたる場合には、たとえ暦日を異にする場合でも一勤務として取扱い、当該勤 務は始業時刻の属する日の労働として、当該日の1日の労働とする(昭 63.1.1 基発 1 号)。 通常の日勤の時間外労働が翌日に及んだ場合についても、暦日の原則によって午前 0 時をもって 分断すると解することはできず、勤務が継続する限り、前日の労働時間の延長と解され、時間外割 増賃金の算定は翌日の所定労働時間の始期までの超過時間が対象になる(昭 26.2.26 基収 3406 号)。 この場合に翌日の所定労働時間も含めて一勤務とみるのか、それとも前日の労働とは別な労働が 始まったとみるのか疑問が生じる。筆者は、次の理由により、別な勤務が始まったと考えて前日か ら引き続く勤務は強制的に終了すると考えるべきであると思う。 ① 一勤務であると考えると、1日8時間を超えても割増賃金が不要であることが起こり得るこ とになり(注)、労基法37条の趣旨に反する。 ② 一勤務であると考えると、翌日の始業時刻以後はすでに別な労働義務が設定されている時間 帯に対し前日から続く時間外労働を命じることになる。 注.時間外労働が継続して翌日の所定労働時間に及んだ場合 時間外労働が継続して翌日の所定労働時間に及んだ場合、「翌日の所定労働時間の始期までの超過時間に対 して、法第 37 条の割増賃金を支払えば法第 37 条の違反にならない。 」とする通達がある(昭 26.2.26 基収 3406 号)。 もし翌日が法定外休日で労働義務が設定されていないのであれば、継続した勤務が続く限り時間 外労働も継続すると考えるべきであろう。 ⇒ 時間外労働が継続して翌日の所定労働時間に及んだ場合は、新たな勤務が始まったものとして考えるべき であろう。 516 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 第 2-3-1-11 図 17:30 徹夜業務 0:00 22:00 5:00 8:30 所定終業時刻 所定始業時刻 深夜業 前日から引き続く時間外労働 新たな勤務開始 上記例では、17:30~22:00 及び 5:00~8:30 の間は時間外労働(割増率 25%)、 22:00~ 5:00 の間は時間外・深夜労働(割増率 50%)となる。 翌日 8:30 以降は割増不要となる。 2)休日と継続勤務との関係 時間外労働が翌日の休日に及んだ場合の労働時間の取扱いは、次のようになる(平 6.5.31 基発 331 号)。 第 2-3-1-12 図 休日前夜の徹夜業務 休 日 0:00 17:30 22:00 終業 5:00 休日深夜業 時間外深夜業 10:00 休日労働 業務終了 時間外労働 つまり、休日労働は、一勤務であるか否かにかかわらず、暦日を基準として取り扱われる。 上記例では、17:30~22:00 の間は時間外労働(割増率 25%)、 22:00~ 0:00 の間は時間外・深夜労働(割増率 50%) 、 0:00~ 5:00 の間は休日・深夜労働(割増率 60%)、 5:00~10:00 の間は休日労働(割増率 35%)となる。 ※正規の勤務時間 国家公務員の場合、超過勤務手当の支給要件は、3. (5)512 ページで述べたとおり「正規の勤務 時間を超えて勤務することを命ぜられた職員には、正規の勤務時間を超えて勤務した全時間に対し て・・・超過勤務手当として支給する。 」である(一般職の職員の給与に関する法律 16 条 1 項)。し たがって、午前中に年休をとって不就労があっても、所定終業時刻(17:00)以後の勤務対し超過勤 務手当が支給される。 国大法人・独法においても過去の経緯から同様の内容の就業規則をもつものがあるが、それは労働 法制の要請ではなく独自の規定である。 例:東京大学教職員給与規則第 43 条(超過勤務手当) 「所定の勤務日(次条の規定により休日出勤手当が支給されることとなる日を除く。)に所定の勤 517 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 務日(次条の規定により休日出勤手当が支給されることとなる日を除く。)に業務上の必要により所 定の勤務時間以外の時間に勤務することを命じられた教職員には、所定の勤務時間以外の時間に勤務 した全時間に対して、勤務1時間につき、第7条に規定する勤務1時間当たりの給与額に 100 分の 125(その勤務が深夜において行われた場合は、100 分の 150)の割合を乗じて得た額を超過勤務手当 として支給する。ただし、第21条の規定に基づき管理職手当の支給を受ける教職員及び指定職俸給 表の適用を受ける教職員には支給しない。」 (3)時間外労働と休日労働 労基法は、「1週間に 40 時間を超えて、労働させてはならない」し、「1日について8時間を超 えて、労働させてはならない」こととしている。これを超えて労働させる場合は一定の事由と手続 きが必要で、 「時間外労働」と呼んでいる(条文の表現は「労働時間を延長」する、としている(労 基法 36 条 1 項)。 )。 また、「毎週少なくとも、1回の休日を与えなくてはならない」こととし、この休日(法定休日 という。)に労働させることを「休日労働」と呼んでいる(条文の表現も「休日に労働させる」と いういい方である(労基法 36 条 1 項)。 )。 そこで、注意しなければならないことは、国大・独法では、通常、土・日曜日を就業規則上の休 日と規定し土・日に勤務した場合は「休日勤務」として取扱うのに対し、労基法は「法定休日」以 外の労働で1週間に 40 時間を超えた労働及び1日8時間を超えた労働を「時間外労働」として取 扱うということである。 この違いは、具体的には、土・日の休日のうち土曜日に勤務させた場合などに現れる。すなわち、 土曜日の勤務は就業規則上は「休日勤務」として休日割増賃金(135/100)を支払うが、日曜日に 休ませている限り、土曜日の勤務は(当該週の労働時間が 40 時間を超えるから)時間外労働であ るということである。しかし、労基法上の時間外労働であっても休日割増賃金(135/100)を支払 うから、さしたる問題は生じなかった。 しかし、労基法の改正により月 60 時間を超える時間外労働に対して割増率を 150/100 以上とし なければならないことになると事情が変わってくる。この点について、通達は次のように説明しこ のような土曜日出勤の時間は 60 時間カウントに算入すべきとしている。 「法第35条に規定する週一回又は四週間四日の休日(以下「法定休日」という。)以外の休日(以 下「所定休日」という。)における労働は、それが法第32条から第32条の5まで又は第40条の 労働時間を超えるものである場合には、時間外労働に該当するため、法第37条第1項ただし書の「一 箇月について60時間」の算定の対象に含めなければならないものであること。 なお、労働条件を明示する観点及び割増賃金の計算を簡便にする観点から、就業規則その他これに 準ずるものにより、事業場の休日について法定休日と所定休日の別を明確にしておくことが望ましい ものであること。 」(平 21.5.29 基発第 0529001 号) 518 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 (4)労働時間の通算 労基法の適用は原則として事業場単位であるが、労働時間の計算においては事業場を異にする場 合であっても通算する(労基法 38 条 1 項)。これは、①1日のうち甲事業場で労働した後に乙事業 場で労働した場合、②1週間のうち特定の曜日は甲事業場で労働し、他の曜日は乙事業場で労働す る場合に労働時間の計算においては通算する趣旨であり、同一の事業主の異なった事業場だけでな く事業主を異にする事業場の場合においても同様である(昭 23.5.14 基発 769 号)。 異なった事業場において労働時間を通算すると1日8時間を超えることが起こり得るが、いずれ の事業場の使用者が割増賃金を支払うべきであるか問題となる。この場合、後で契約した事業主は、 契約に当たって当該労働者が他の事業場で労働していることを確認した上で契約すべきであるか ら、通常は、時間的に後で契約した事業主に割増賃金支払い義務があると解すべきであろう。 しかし、先に契約した事業主が所定労働時間を超えて労働させたがために、後から契約した事業 主のもとでの労働が時間外労働となってしまう場合もそれでよいのか、いずれかの事業においてフ レックス・タイム制を採用している場合の時間外労働の計算はどうなるのか等疑問が払拭できない。 また、この労働時間の通算は狭義の労働時間と密接な関係にある休憩、休日にも及ぶと考えられ る(東大「注釈労基法」下巻 P653)から、労働者の私生活・職業生活の自己決定権を侵害すると の批判もある(「労働法の新たなパラダイムのための一試論(1) 」広島法学 24 巻 2 号 2000 年 P45)。 このような状況から、この労基法 38 条 1 項(注 1)の解釈としては、週 40 時間制移行後は、同 一の使用者の二以上の事業場で労働する場合にのみ適用されると解釈すべき(菅野「労働法」P253注 2)などの見解もある(下井隆史教授も菅野説を支持している(下井「労基法」P282、P299-注 3))。 注 1.労基法 38 条 1 項 労働時間は、事業場を異にする場合においても、労働時間に関する規定の適用については通算する。 注 2.菅野「労働法」P253 「労働時間の法規制については、2 以上の事業場で労働する場合は、労働時間は通算して計算す るとされる(38 条 1 項) 。 「2 以上の事業場で労働する場合」については、通説・行政解釈は、同一 使用者の 2 以上の事業場で労働する場合のみならず、別使用者の 2 以上の事業場で労働する場合も 含まれるとしてきた(昭 23.5.14 基発 769 号)。しかし、過 40 時間制移行後の解釈としては、この 規定は、同一使用者の 2 以上の事業場で労働する場合のことであって、労基法は事業場ごとに同法 を適用しているために通算規定を設けたのである、と解釈すべきであろう。行政解釈でも、使用者 が、当該労働者の別使用の事業場における労働を知らない場合には、労働時間の通算による法違反 は故意がないために不成立となる。」 注 3.下井「労基法」P299 「たとえば労働者がある日にA社で6時間勤務した後にB社で2時間労働する場合、B社の使用 者は45分以上の休憩時間を設けなければならないのか。労基法 38 条 1 項につき事業主を異にする 場合にも適用されると解するならば、それは肯定される(注釈労基下 653 頁〔和田〕 )。しかし、同 条項は労働者が同一使用者の別事業場で勤務した場合についての定めであると見るほうが妥当ゆえ (282 頁参照)、休憩時間を設けることは不要と解してよいであろう。」 しかし、通達は、所定労働時間 8 時間で事業主Aに雇われている者が経済上の事由により退社 後B事業場に雇われて労働に従事しようとする場合に、事業主Bは該労働者を使用することができ 519 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 るか否かについて、 「事業主Aのもとで法第 32 条第 2 項所定の労働時間労働したものを、B事業主 が使用することは、法第 33 条又は法第 36 条第 1 項の規定に基き、夫々時間外労働についての法定 の手続をとれば可能である。」とし、「法定時間外に使用した事業主は法第 37 条に基き、割増貨金 を支払わなければならない。」とする(昭 23.10.14 基収 2117 号)。 実際にあった事例で、大学図書館において正規職員の勤務のすき間を埋めるため、午後6時から 8時までの2時間のパートを募集したところ、日中は他の事業所において通常勤務している者を採 用してしまった例がある。この事例では、予定していた時給から逆算して割増前の時給を設定し、 2時間分の時給は2割5分増で支払うことにし、労基法違反を免れた。しかし、前述「週 40 時間 制移行後は、同一の使用者の二以上の事業場で労働する場合にのみ適用されると解釈すべき」とす る有力学説もあり、実務においてそれほど神経質になる必要はないだろう。 (5)労働時間及び休憩の特例 労基法の労働時間の原則は業種や業態を問わず原則としてすべての事業に適用されるが、事業の 性質や規模によっては公衆に不便をもたらす等の不都合が生じることがある。そのため、運送業・ 貨物取扱業・その他サービス業等の事業で「公衆の不便を避けるため必要なものその他特殊の必要 があるもの」については、その必要避けるべからざる限度で労働時間・休憩について厚生労働省令 で別段の定めをすることができる、とされている(労基法 40 条)。 現在、労働時間の特例として、零細規模(10 人未満)のサービス業等において1週間 44 時間・ 1日8時間制が認められている(労規則 25 条の 2)(第6節 P637 以下にて詳述)。 ※アメリカの労働時間規制 日本の労働基準法における労働時間規制では、 1週間 40 時間を超えて労働させると違法になるが、 アメリカの公正労働基準法(Fair Lavor Standards Acts of 1938)の労働時間規制では労働の長さ 自体は規制されず、ただ、週 40 時間を超える労働に対して 1.5 倍の割増賃金支払いを義務づけてい るいるそうである(荒木「労働時間」P222)。 日本の法制は労働時間そのものを規制する「硬性労働時間制」を採るのに対し、アメリカは高率の 割増賃金支払いを義務づけることにより間接的に規制する「軟性労働時間制」を採用している、とい ういい方をする。 勤務時間中の居眠り 労働者には労働契約に伴い労務提供義務があるが、それは、いつでも労務を提供できる状態で待機す れば足りると考えられる。それをどのように利用するか、あるいは利用しないかは使用者の労務指揮権 の問題である。 したがって、所定勤務時間内に、自席で居眠りをしたり雑談したりしていても、その時間は労働時間 である。持ち場を離れたり泥酔して容易に起きることができないような場合はスタンバイ状態ではない から、もはや労働時間とはいえないであろう。 520 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 資料28 (P497 関係) 在宅勤務の適切な導入及び実施のためのガイドライン 基発第0728001号 平成20年7月28日 都道府県労働局長 殿 厚生労働省労働基準局長 (公印省略) 情報通信機器を活用した在宅勤務の適切な導入及び実施 のためのガイドラインの改訂について 標記については、平成16年3月5日付け基発第0305003号「情報通信機器を活用した在宅勤務 の適切な導入及び実施のためのガイドラインの策定について」により、通知したところである。 標記ガイドラインは、在宅勤務が適切に導入及び実施されるための労務管理の在り方を明確にし、もっ て適切な就業環境の下での在宅勤務の実現を図ることを目的としたものであるが、在宅勤務の普及に伴 い、その記載内容に関しさらなる詳細な解釈が各方面より求められている状況にある。 また、テレワーク普及促進に係る目標を掲げた「テレワーク人口倍増アクションプラン」(平成19年 5月29日テレワーク推進に関する関係省庁連絡会議決定)や「仕事と生活の調和推進のための行動指針」 (平成19年12月18日ワーク・ライフ・バランス推進官民トップ会議決定)などが策定されたことを 受けて、在宅勤務を含むテレワークの普及促進に関しては政府全体で取り組んでいるところであり、今後 さらにテレワーク人口は増加することが見込まれ、標記ガイドラインの重要性も高まるものと考える。 このような状況にかんがみ、今般別添のとおり、標記ガイドラインの改訂を行ったので、この周知に遺漏 なきを期されたい。 なお、平成16年3月5日付け第0305003号「情報通信機器を活用した在宅勤務の適切な導入及 び実施のためのガイドラインの策定について」は、本通達の発出をもって廃止する。 別添 情報通信機器を活用した在宅勤務の適切な導入及び実施のた めのガイドライン 1 在宅勤務の現状と課題 (1)在宅勤務を巡る現状 近年、インターネットや情報処理を中心とした技術革新により、IT(Information Technology:高度 通信情報ネットワーク)化が急速に進んでおり、パソコンや端末等のVDT(Visual Display Terminal) が家庭や職場を問わず広く社会に導入され、職場環境や就業形態等についても大きく変化している状況に ある。 このような中で、情報通信機器を活用して、働く者が時間と場所を自由に選択して働くことができる働 き方であるテレワークは、通勤負担の軽減に加え、多様な生活環境にある個々人のニーズに対応すること ができる働き方であり、そのような働き方は広がりをみせてきている。 その中で、事業主と雇用関係にある労働者が情報通信機器を活用して、労働時間の全部又は一部につい て、自宅で業務に従事する勤務形態である在宅勤務についても、労働者が仕事と生活の調和を図りながら、 その能力を発揮して生産性を向上させることができ、また、個々の生きがいや働きがいの充実を実現する 521 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 ことができる次世代のワークスタイルとして期待されている。国土交通省「平成17年度テレワーク実態 調査」(平成18年6月)によると、2005年時点で、テレワークのうち在宅勤務を実施することがあ る者(週8時間以上テレワークを実施している者のうち自宅で実施することがある者)は、約450万人 であり、労働者全体の約8.2%を占めるとされている。 一方でテレワークの普及促進については、平成19年5月に政府を挙げてテレワークの円滑な導入を促 進するための施策を総合的、重層的かつ集中的に実施するための「テレワーク人口倍増アクションプラン」 (平成19年5月29日テレワーク推進に関する関係省庁連絡会議決定)が策定されたほか、「仕事と生 活の調和推進のための行動指針」(平成19年12月18日ワーク・ライフ・バランス推進官民トップ会 議決定)にテレワーク人口に係る数値目標が掲げられるなど、政府全体で取組を実施しているところであ る。このようなことから、今後テレワーク人口は更に増加することが見込まれるものである。 なお、テレワークには、事業主と雇用関係にある働き方として、在宅勤務以外に、労働者が属する部署 があるメインのオフィスではなく郊外の住宅地に近接した地域にある小規模なオフィス等で業務に従事 する、いわゆる「サテライトオフィス勤務」、ノートパソコン、携帯電話等を活用して臨機応変に選択し た場所で業務に従事する、いわゆる「モバイルワーク」がある。また、在宅勤務と似かよっているが、事 業主と雇用関係にない請負契約等に基づく働き方として、いわゆる非雇用の就業形態である「在宅就業」 がある。 (2)在宅勤務の評価 在宅勤務に関しては、総務省「テレワーク人口等に関する調査」(平成14年3月)や国土交通省「テ レワーク・SOHO の推進による地域活性化のための総合的支援方策検討調査」 (平成15年3月)及び厚 生労働省「在宅勤務の推進のための実証実験」 (平成17年9月)等によれば、事業主は、 「仕事の生産性・ 効率性の向上」、 「オフィスコストの削減」、 「優秀な人材の確保」等の効果の面を評価しており、在宅勤務 を行う労働者の側からも、 「仕事の生産性・効率性の向上」 、 「通勤に関する肉体的、精神的負担が少ない」 、 「家族との団欒が増える」等の効果の面を評価している。 例えば、「仕事の生産性・効率性の向上」に関しては、事業主から、在宅勤務の方が職場における場合 よりも業務成果がかなり高いという評価があり、同様に、在宅勤務を行う労働者からも、労働者の私生活 が確保されている自宅において一人で業務に携わる方が、職場において行うよりも、精神的負担が少なく、 かつ集中できる時間が長く続くという評価もある。 また、「通勤に関する肉体的、精神的負担が少ない」に関しては、事業主から、育児・介護等の事情に より有能な人材が離転職することを防ぐことが可能であり、かつ職場復帰も比較的早期に実現できるとの 評価があり、同様に、育児期の児童を抱える労働者からも、通勤に係る時間を家庭に対する時間に充てる ことができ、仕事と家庭の両立を図ることができるとの評価もある。 (3)在宅勤務の課題 (2)に記したように、在宅勤務は一般に、労働者が仕事と生活の調和を図りながら、その能力を発揮し て生産性を向上させることを可能とするものとして一定の評価を受けている勤務形態であるが、その一方 で、労働者の勤務時間帯と日常生活時間帯が混在せざるを得ない働き方であること等、これまでの労務管 理では対応が難しい面もあることから導入をためらう事業主もあると考えられる。前出した総務省調査及 び国土交通省調査、加えて厚生労働省「在宅勤務に関する実態調査」(平成16年)においても、在宅勤 務を実施していない理由として、労働者の労働時間や健康等「労働者の管理が難しい」を挙げる事業主が 多くなっている。また、「労働者の評価がしにくい」等を挙げる事業主も多くなっており、在宅勤務を行 う労働者からも同様の課題が挙げられているところである。 522 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 なお、これらの課題は、いわゆる非雇用の就業形態である「在宅就業」も含め、勤務時間帯と日常生活 時間帯が混在せざるを得ない働き方に共通の点もあり、今後はこれらの働き方が、その長所を生かして次 世代のワークスタイルとして普及定着していくための課題を明らかにし対策を講じていくことが求めら れることになろう。 2.在宅勤務についての考え方 在宅勤務を制度として導入するか否かは、基本的には事業主が労働者等の意向を踏まえ、業務の内容や 事業場における業務の実態等を勘案して判断するものであろうが、1の(1)(2)に照らし、仕事と生 活の調和等の観点から在宅勤務を希望する労働者の存在等を随時把握し、在宅勤務の可能な業務の検討な どを進めておくことが望まれる。 また、導入に当たっては、3及び4に留意するとともに、1(3)の課題の解決方策について、労働者 の合意を得て、適切な在宅勤務の導入及び実施に努めることが求められる。 3.労働基準関係法令の適用及びその注意点 (1)労働基準関係法令の適用 労働者が在宅勤務(労働者が、労働時間の全部又は一部について、自宅で情報通信機器を用いて行う勤 務形態をいう。)を行う場合においても、労働基準法、最低賃金法、労働安全衛生法、労働者災害補償保 険法等の労働基準関係法令が適用されることとなる。 (2)労働基準法上の注意点 ア 労働条件の明示 使用者は、労働契約を締結する者に対し在宅勤務を行わせることとする場合においては、労働契約の締 結に際し、就業の場所として、労働者の自宅を明示しなければならない(労働基準法施行規則第5条第2 項)。 イ 労働時間 (ア)在宅勤務については、事業主が労働者の私生活にむやみに介入すべきではない自宅で勤務が行われ、 労働者の勤務時間帯と日常生活時間帯が混在せざるを得ない働き方であることから、一定の場合には、 労働時間を算定し難い働き方として、労働基準法第38条の2で規定する事業場外労働のみなし労働時 間制(以下「みなし労働時間制」という。)を適用することができる(平成16年3月5日付け基発第 0305001号「情報通信機器を活用した在宅勤務に関する労働基準法第38条の2の適用につい て」 。(参考)参照) 。 在宅勤務についてみなし労働時間制が適用される場合は、在宅勤務を行う労働者が就業規則等で定め られた所定労働時間により勤務したものとみなされることとなる。業務を遂行するために通常所定労働 時間を超えて労働することが必要となる場合には、当該必要とされる時間労働したものとみなされ、労 使の書面による協定があるときには、協定で定める時間が通常必要とされる時間とし、当該労使協定を 労働基準監督署長へ届け出ることが必要となる(労働基準法第38条の2)。 (イ)在宅勤務についてみなし労働時間制を適用する場合であっても、労働したものとみなされる時間が 法定労働時間を超える場合には、時間外労働に係る三六協定の締結、届出及び時間外労働に係る割増賃 金の支払いが必要となり、また、現実に深夜に労働した場合には、深夜労働に係る割増賃金の支払いが 必要となる(労働基準法第36条及び第37条)。 このようなことから、労働者は、業務に従事した時間を日報等において記録し、事業主はそれをもって 在宅勤務を行う労働者に係る労働時間の状況の適切な把握に努め、必要に応じて所定労働時間や業務内容 等について改善を行うことが望ましい。 523 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 なお、みなし労働時間制が適用されている労働者が、深夜又は休日に業務を行った場合であっても、少 なくとも、就業規則等により深夜又は休日に業務を行う場合には事前に申告し使用者の許可を得なければ ならず、かつ、深夜又は休日に業務を行った実績について事後に使用者に報告しなければならないとされ ている事業場において、深夜若しくは休日の労働について労働者からの事前申告がなかったか又は事前に 申告されたが許可を与えなかった場合であって、かつ、労働者から事後報告がなかった場合について、次 のすべてに該当する場合には、当該労働者の深夜又は休日の労働は、使用者のいかなる関与もなしに行わ れたものであると評価できるため、労働基準法上の労働時間に該当しないものである。 [1] 深夜又は休日に労働することについて、使用者から強制されたり、義務付けられたりした事実がない こと。 [2] 当該労働者の当日の業務量が過大である場合や期限の設定が不適切である場合など、深夜又は休日に 労働せざるを得ないような使用者からの黙示の指揮命令があったと解し得る事情がないこと。 [3] 深夜又は休日に当該労働者からメールが送信されていたり、深夜又は休日に労働しなければ生み出し 得ないような成果物が提出された等、深夜又は休日労働を行ったことが客観的に推測できるような事実が なく、使用者が深夜・休日の労働を知り得なかったこと。 ただし、上記の事業場における事前許可制及び事後報告制については、以下の点をいずれも満たしてい なければならない。 [1] 労働者からの事前の申告に上限時間が設けられていたり労働者が実績どおりに申告しないよう使用 者から働きかけや圧力があったなど、当該事業場における事前許可制が実態を反映していないと解し得る 事情がないこと。 [2] 深夜又は休日に業務を行った実績について、当該労働者からの事後の報告に上限時間が設けられてい たり労働者が実績どおりに報告しないように使用者から働きかけや圧力があったなど、当該事業場におけ る事後報告制が実態を反映していないと解し得る事情がないこと。 (3)労働安全衛生法上の注意点 事業者は、通常の労働者と同様に、在宅勤務を行う労働者についても、その健康保持を確保する必要があ り、必要な健康診断を行うとともに(労働安全衛生法第66条第1項)、在宅勤務を行う労働者を雇い入 れたときは、必要な安全衛生教育を行う必要がある(労働安全衛生法第59条第1項) 。 また、事業者は在宅勤務を行う労働者の健康保持に努めるに当たって、労働者自身の健康を確保する観点 から、 「VDT作業における労働衛生管理のためのガイドライン」 (平成14年4月5日基発第04050 01 号)等に留意する必要があり、労働者に対しその内容を周知し、必要な助言を行うことが望ましい。 (4)労働者災害補償保険法上の注意点 労働者災害補償保険においては、業務が原因である災害については、業務上の災害として保険給付の対 象となる。 したがって、自宅における私的行為が原因であるものは、業務上の災害とはならない。 4.その他在宅勤務を適切に導入及び実施するに当たっての注意点 (1)労使双方の共通の認識 在宅勤務の制度を適切に導入するに当たっては、労使で認識に齟齬のないように、あらかじめ導入の目 的、対象となる業務、労働者の範囲、在宅勤務の方法等について、労使委員会等の場で十分に納得のいく まで協議し、文書にし保存する等の手続きをすることが望ましい。 新たに在宅勤務の制度を導入する際、個々の労働者が在宅勤務の対象となり得る場合であっても、実際 に在宅勤務をするかどうかは本人の意思によることとすべきである。 524 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 (2)業務の円滑な遂行 在宅勤務を行う労働者が業務を円滑かつ効率的に遂行するためには、業務内容や業務遂行方法等を文書 にして交付するなど明確にして行わせることが望ましい。また、あらかじめ通常又は緊急時の連絡方法に ついて、労使間で取り決めておくことが望ましい。 (3)業績評価等の取扱い 在宅勤務は労働者が職場に出勤しないことなどから、業績評価等について懸念を抱くことのないよう に、評価制度、賃金制度を構築することが望ましい。また、業績評価や人事管理に関して、在宅勤務を行 う労働者について通常の労働者と異なる取り扱いを行う場合には、あらかじめ在宅勤務を選択しようとす る労働者に対して当該取り扱いの内容を説明することが望ましい。 なお、在宅勤務を行う労働者について、通常の労働者と異なる賃金制度等を定める場合には、当該事項 について就業規則を作成・変更し、届け出なければならないこととされている(労働基準法第89条第2 号)。 (4)通信費及び情報通信機器等の費用負担の取扱い 在宅勤務に係る通信費や情報通信機器等の費用負担については、通常の勤務と異なり、在宅勤務を行う 労働者がその負担を負うことがあり得ることから、労使のどちらが行うか、また、事業主が負担する場合 における限度額、さらに労働者が請求する場合の請求方法等については、あらかじめ労使で十分に話し合 い、就業規則等において定めておくことが望ましい。 特に、労働者に情報通信機器等、作業用品その他の負担をさせる定めをする場合には、当該事項につい て就業規則に規定しなければならないこととされている(労働基準法第89条第5号) 。 (5)社内教育等の取扱い 在宅勤務を行う労働者については、OJTによる教育の機会が得がたい面もあることから、労働者が能力 開発等において不安に感じることのないよう、社内教育等の充実を図ることが望ましい。 なお、在宅勤務を行う労働者について、社内教育や研修制度に関する定めをする場合には、当該事項につ いて就業規則に規定しなければならないこととされている(労働基準法第89条第7号)。 5.在宅勤務を行う労働者の自律 在宅勤務を行う労働者においても、勤務する時間帯や自らの健康に十分に注意を払いつつ、作業能率を 勘案して自律的に業務を遂行することが求められる。 (参考) 基発第0305001号 平成16年3月5日 改正 基発第0728002号 平成20年7月28日 京都労働局長 殿 厚生労働省労働基準局長 (公 印 省 略) 情報通信機器を活用した在宅勤務に関する労働基準法第38条の2の 適用について 525 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 平成16年2月5日付け京労発第35号(別紙甲)をもってりん伺のあった標記について、下記のとお り回答する。 記 貴見のとおり。 なお、この場合において、「情報通信機器」とは、一般的にはパソコンが該当すると考えられるが、労 働者の個人所有による携帯電話端末等が該当する場合もあるものであり、業務の実態に応じて判断される ものであること。 「使用者の指示により常時」とは、労働者が自分の意思で通信可能な状態を切断することが使用者から 認められていない状態の意味であること。 「通信可能な状態」とは、使用者が労働者に対して情報通信機器を用いて電子メール、電子掲示板等に より随時具体的指示を行うことが可能であり、かつ、使用者から具体的指示があった場合に労働者がそれ に即応しなければならない状態(即ち、具体的な指示に備えて手待ち状態で待機しているか、又は待機し つつ実作業を行っている状態)の意味であり、これ以外の状態、例えば、単に回線が接続されているだけ で労働者が情報通信機器から離れることが自由である場合等は「通信可能な状態」に当たらないものであ ること。 「具体的な指示に基づいて行われる」には、例えば、当該業務の目的、目標、期限等の基本的事項を指 示することや、これらの基本的事項について所要の変更の指示をすることは含まれないものであること。 また、自宅内に仕事を専用とする個室を設けているか否かにかかわらず、みなし労働時間制の適用要件に 該当すれば、当該制度が適用されるものである。 別紙甲 京労発基第3 5 号 平成16年2月5日 厚生労働省労働基準局長 殿 京 都 労 働 局 長 (公 印 省 略) 情報通信機器を活用した在宅勤務に関する労働基準法第38条の2 の適用について 今般、在宅勤務に関し、下記のとおり労働基準法第38条の2の適用に係る疑義が生じましたので、御 教示願います。 記 次に掲げるいずれの要件をも満たす形態で行われる在宅勤務(労働者が自宅で情報通信機器を用いて行 う勤務形態をいう。)については、原則として、労働基準法第38条の2に規定する事業場外労働に関す るみなし労働時間制が適用されるものと解してよろしいか。 [1] 当該業務が、起居寝食等私生活を営む自宅で行われること。 [2] 当該情報通信機器が、使用者の指示により常時通信可能な状態におくこととされていないこと。 [3] 当該業務が、随時使用者の具体的な指示に基づいて行われていないこと。 526 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 資料29 (P484、P506 関係) 日野自動車事件(二分説)事件 日野自動車(二分説)事件東京高裁判決昭 56.7.16 多数回の遅刻等を理由として使用者がなした懲戒解雇につき、労働時間内に職場に到達しており右解雇 は無効であるとして雇用関係存続の確認を求めた事例。 「一般に労働基準法第三二条の「労働時間」とは、労働者が使用者の指揮、命令の下に拘束されている時 間をいうものと解されている。ところで、労働者が現実に労働力を提供する始業時刻の前段階である入門 後職場到着までの歩行に要する時間や作業服、作業靴への着替え履替えの所要時間をも労働時間に含める べきか否かは、就業規則や職場慣行等によつてこれを決するのが相当であると考えられる。けだし、入門 後職場までの歩行や着替え履替えは、それが作業開始に不可欠のものであるとしても、労働力提供のため の準備行為であつて、労働力の提供そのものではないのみならず、特段の事情のない限り使用者の直接の 支配下においてなされるわけではないから、これを一率に労働時間に含めることは使用者に不当の犠牲を 強いることになつて相当とはいい難く、結局これをも労働時間に含めるか否かは、就業規則にその定めが あればこれに従い、その定めがない場合には職場慣行によつてこれを決するのが最も妥当であると考えら れるからである。」 「右慣行に照らせば、本件の場合、入門から職場までの歩行の所要時間が労働時間に含まれないことは明 らかであり、また着替え履替えの所要時間も、それが被控訴人の明示若しくは黙示の指示によつてなされ るものであるとしても、右指示は前記(原判決説示)のとおり職場における従業員の安全確保のためにと つた使用者の便宜的措置であることを考慮すれば、右は労働時間に含まれないと解するのが相当である。 」 527 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 資料30 (P499 関係) 豊田労基署長(トヨタ自動車)過労死労災給付請求事件 名古屋地裁判決平 19.11.30 事件の概要 A(昭和46年生)は、平成元年4月にT社に入社し品質検査業務に従事していた者であり、平成12 年にエキスパート(従前の「班長」、以下「EX」)に昇格した。 Aが所属する係の勤務形態は、1週間ごとに日勤(午前6時25分始業・午後3時15分終業)と夜勤 (午後4時10分始業・午前1時10分終業)を交替する2交替勤務制がとられていた。またT社では、 小集団活動として、①創意くふう提案活動、②QCサークル活動、③EX会活動、④交通安全活動があり、 Aは組合による職場委員会の活動も含めて、すべて参加していた。 品質検査業務において不具合を発見したときは、前・後工程の担当者とうまく調整をつけることが求め られ、そのため信頼関係を築くことが重要とされていたところ、Aも不具合を発見できなかったとして、 前・後工程のチーフリーダー(CL)から厳しく叱責されることがあった。また、死亡前6ヶ月間におけ るAの勤務状況は、新たな部品が生産されることになって業務量が増え、Aは本件災害直前には子供の相 手も満足にできないほど疲労していた。 平成14年2月9日、Aは夜勤に従事していたが、不具合が生じて他の工程のCLから強い口調で叱責 されるなどし、上司の助けを得られないままCLとの折衝などをし、申送帳に記入中、脳血管疾患及び虚 血性心疾患を発症し死亡した。 Aの妻である原告は、Aの従事する品質管理業務は大きな心理的負荷がかかる過密な業務であり、更に 会社の小集団活動は業務と判断すべきであって、これらを合わせるとAの業務内容は量的・質的に過重で あるから、本件心停止及びこれに続く死亡は、これら過重な業務に起因するものであると主張して、労基 署長に対し、療養補償給付、遺族補償年金及び葬祭料の支給を請求した。これに対し同署長は、Aの死亡 は業務災害に該当しないとして原告の請求につき不支給の処分を行ったところ、原告は本処分を不服とし て労災保険審査官に対する審査請求をしたが棄却され、更には労働保険審査会に対する再審査請求を行っ たが3ヶ月を経過しても裁決をしなかったため、本処分の取消しを求めて本訴を提起した。 主 文 1 豊田労働基準監督署長が原告に対し平成15年11月28日付けでした労働者災害補償保険法によ る療養補償給付、遺族補償年金及び葬祭料を支給しない旨の各処分を取り消す。 2 訴訟費用は被告の負担とする。 判決要旨 1 業務起因性の判断基準 労災保険法に基づく保険給付は、労働者の業務上の負傷、疾病、傷害又は死亡の災害について行われる が(同法7条1項1号)、労働者の死亡等の災害が業務上の事由によるものであるといえるためには、業 務と死亡等の災害との間に相当因果関係があることが必要である。そして、上記相当因果関係があるとい うためには、当該災害の発生が業務に内在する危険が現実化したことによるものとみることができること を要すると解すべきである。 528 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 2 業務の過重生について Aは、平成14年1月10日から同年2月8日までの期間の各日において、労務提供可能な状態で工場 内にいた時間は、1月10日と11日夜勤23時間15分、12日から18日まで日勤55時間45分(休 日2日) 、19日から25日まで夜勤64時間30分(休日1日) 、26日から2月1日まで日勤63時間 (休日2日)、2日から8日まで夜勤71時間40分(休日1日)と、労働時間は278時間10分であ ったと認められ、時間外労働は106時間45分となり、労災認定における業務起因性の判断においては、 Aは退社時刻まで使用者の指揮命令下にあって労務に従事したものと認めるのが相当である。 原告は、小集団活動が業務であり、これに要した時間を労働時間とすべきであると主張し、被告はこれ を労働時間とすべきでないと主張するところ、創意くふう提案及びQCサークル活動は、本件事業主の事 業活動に直接役立つ性質のものであり、また交通安全活動もその運営上の利点があるものとして、いずれ も本件事業主が育成・支援するものと推認され、これにかかわる作業は、労災認定の業務起因性を判断す る際には、使用者の支配下における業務と判断するのが相当である。EX会の活動については、これも本 件事業主の事業活動に資する面があり、役員の紹介などといった一定の限度でその活動を支援しているこ と、その組織が会社組織と複合する関係にあることなどを考慮すると、懇親会等の行事への参加自体は別 としても、役員として、その実施・運営に必要な準備を会社内で行う行為については業務であると判断す るのが相当である。これに対し、組合活動である職場委員会の活動に従事した時間は、業務起因性の判断 においても、業務と同様に捉えることはできないというべきである。 Aの従事したライン外業務は、不具合の処理として、その発注元や、ときに他の組のCLから叱責され ることもあったというのであるから、その職務の性質上、Aに対して比較的強い精神的ストレスをもたら したと推認できる。また、Aはライン外業務に従事するに際し、ライン稼働中はゆっくり座って仕事がで きる日がほとんどなかったというのであるから、ライン稼働中のAの業務は労働密度も比較的高いもので あったというべきである。加えて、夜間・交替制勤務による労働は、慢性疲労を起こしやすく、様々な健 康障害の発症に関連することが良く知られており、特に近年の研究により、心血管疾患の高い危険因子で あることが解明されつつあることに照らせば、Aの業務が、深夜勤務を含む2交替制勤務の下でされてい たことは、慢性疲労につながるものとして、業務の過重性の要因として考慮するのが相当である。以上に よれば、Aの業務及びこれと同様に捉えるべき活動等は、質的にみても、心身の負担となる過重なもので あったというべきである。 更に、Aは本件災害直前の平成14年2月9日に発生した不具合を処理するに際して、後工程のCLら から強い口調で叱責され、自らで事態を収拾できずに、上司に助けを求めるなどしたものであるところ、 かかる不具合対応は、Aに対して相当強い精神的ストレスをもたらしたと推認できる。 心臓性突然死とは、心停止が予兆なく発症し、比較的短時間で死亡することをいい、恒常的な長時間労 働等の負荷が長期間にわたって作用した場合には、ストレス反応は持続し、かつ過大となり、この疲労の 蓄積によって生体機能は低下し、血管病変等が増悪することがあると考えられている。このように疲労の 蓄積にとって最も重要な要因である労働時間に着目すると、発症1ヶ月前に、1日5時間程度の時間外労 働が継続し、1ヶ月間に概ね100時間を超える時間外労働が認められる場合には、特に著しい長時間労 働に継続的に従事したものとして、業務と心室細動などの致死的不整脈を成因とする心臓突然死を含む心 停止発症との関連性は強いと判断される。 以上によれば、死亡2ヶ月前から6ヶ月前における労働時間数やいわゆるトヨタ生産方式の詳細につい て判断するまでもなく、Aは量的及び質的にも過重な業務に従事して疲労を蓄積させた上、本件災害直前 529 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第1節 労働時間 において極度に強い精神的ストレスを受けたものと認められ、Aが従事した業務は、心室細動などの致死 性不整脈を成因とする心臓突然死を含む心停止発症の原因となるものであったということができる。 3 Aの素因等について Aは、自然気胸、喘息性気管支炎等による通院歴があるものの、定期健診において心臓疾患に関連する 異常は特に認められず、心臓疾患に関連のある既往歴も特に有していなかった。Aは、1日に約40本と いう喫煙習慣があり、かかる程度の喫煙習慣が虚血性心疾患の発症において有するリスクについて、非喫 煙者の 7.4 倍から8倍との報告がある一方、2.11 倍から3倍に留まるとの報告例も少なくないから、1日 約40本の喫煙習慣が本件発症に対する確たる発症因子とならないのはもちろん、加齢を含めた素因等の 増悪要素としても、Aの喫煙歴や年齢に照らし、その影響は限定的なものに留まると解するのが相当であ る。Aの死因については、致死性不整脈の出現が引き金となった心臓突然死を含む心停止と認められるが、 Aが罹患していた心筋炎は軽微であり、これが直ちに致死性不整脈出現の原因たる基礎疾患となったと も、同出現に対する確たる発症因子となったとも認められない。 4 結 論 本件において、Aは致死性不整脈を発症しているのであるから、その発症の基礎となり得る素因等を有 していた可能性があることは否定し難いが、脳・心臓疾患専門部会の委員らが病理解剖の結果を踏まえて 協議しても、基礎疾患があるとは判断できなかっただけでなく、Aは本件災害当時30歳と比較的若年で あり、心臓疾患に関連のある既往歴は特に有しておらず、周囲の者からは健康状態に格別異常はないと見 られていたというのであるから、本件発症の基礎となり得る何らかの素因等があり、これが喫煙習慣等に より一定程度増悪したとしても、確たる発症因子がなくても自然の経過により致死性不整脈による心停止 に至らせる寸前まで進行していたとみることはできない。そして、Aが従事した業務は過重なもので、本 件発症の原因となるものであったから、上記素因等をその自然の経過を超えて増悪させる本件発症に至ら せる要因となり得るものというべきである。 以上によれば、他に確たる発症因子のあったことが窺われない本件においては、Aの従事した業務によ る疲労の蓄積や本件災害直前の極度に強い精神的ストレスが素因等をその自然の経過を超えて増悪させ、 本件発症に至らせたものとみるのが相当である。したがって、本件災害の発生は、Aの業務に内在する危 険が現実化したことによるものとみることができるから、Aの業務と本件災害との間には、相当因果関係 の存在を肯定することができる。 以上の次第で、本件災害は、Aが従事した業務に起因するものというべきであるから、これを業務上の 災害と認めなかった本件処分は違法であり、取り消されるべきである。 530 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 第2節 変形労働時間制 労基法で定められている変形労働時間制は、①1か月単位の変形労働時間制、②1年単位の変形 労働時間制、③1週間単位の非定型的変形労働時間制、の3種類である。変形労働時間制を採用す るには、①については就業規則に定めるか労使協定の締結、②、③については労使協定の締結が必 要である。 労使協定には一定の事項を定めなければならない。①と②の労使協定には有効期間の定めをしな ければならないが、③については有効期間の定めをしなくてもよい(労基則 12 条の 2 の 2、12 条 の 2 の 4)。 1.1か月単位の変形労働時間制 (1)概 要 1)変形労働時間制の趣旨 変形労働時間制は、労働基準法制定当時に比して第三次産業の占める比重の著しい増大等の社会 経済情勢の変化に対応するとともに、労使が労働時間の短縮を自ら工夫しっつ進めていくことが容 易となるような柔軟な枠組みを設けることにより、労働者の生活設計を損なわない範囲内において 労働時間を弾力化し、週休二日制の普及、年間休日日数の増加、業務の繁閑に応じた労働時間の配 分等を行うことによって労働時間を短縮することを目的とするものである(昭 63.1.1 基発 1 号)。 2)1か月単位の変形労働時間制の概要 1か月以内の一定期間を平均し1週間当たりの労働時間を 40 時間以内に定めた場合は、その定 めにより特定された週に 40 時間又は特定された日に 8 時間を超えて労働させることができる(労 基法 32 条の2)。1か月単位の変形労働時間制を採用する場合においても、就業規則で始業及び終 業の時刻を定めることとされているので、各日の労働時間の長さだけでなくその始業及び終業の時 刻も定める必要がある(昭 63.1.1 基発 1 号)。 この規定は、もともと4週間を単位とする変形制(変形期間を最長4週間とする変形制)であっ たが、わが国の給与体系の多くが月給制であり勤務割表による労働時間管理も1か月単位とする方 が生活実態になじみやすいなどの事情から、昭和 63 年 4 月から1か月単位の変形制に変更された ものである。 ⇒ 変形労働時間制(1か月単位の変形労働時間制及び1年単位の変形労働時間制)は、各日、各週の労働日 及び労働時間があらかじめ特定されていなければならず、使用者の恣意によって変更されたり、あるいは変形 期間を平均して結果的に週 40 時間以内に収まっていればよいというものでない。 (2)定めの方法 この定めは、次のいずれかの方法によらなければならない。どちらによるかは最終的には使用者 が決定することができる(平 11.1.29 基発 45 号)。 ① 労使協定 労使協定を締結して労働基準監督署長へ届け出る。この労使協定には有効期間の定めをする必 要がある(労働協約による場合を除く。)(労基則 12 条の 2 の 2)。 531 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 なお、始業・就業の時刻は就業規則にも定める必要がある(労基法 89 条 1 号)ので、結局、 労使協定を締結したほか、同様の内容を就業規則にも定めなければならない。 ② 就業規則 労基法は就業規則に始業・終業の時刻を定めることと規定しているので、変形期間における労 働時間の長さだけでなく始業・終業の時刻も定める必要がある。ただし、変形期間における勤務 パターンが必ずしも固定的であるとは限らないため、一般的には、就業規則に次のような条項を 設け、具体的運営は勤務割表によることとする場合が多い。 (1か月単位の変形労働時間制) 第○条 会社は、業務の運営その他の理由により、1か月以内の期間を平均して一週間あたりの勤務時間を40 時間以内として変形労働時間制を採用することがある。 2 前項の適用については、対象者の範囲、勤務日及び当該勤務日の所定勤務時間等具体的運用の内容に関し 勤務割表を作成し、当該変形期間が開始される前にあらかじめ職員に周知するものとする。 このように1か月単位の変形労働時間制の定め方は2通りある。それは、従来は就業規則等にお いて規定することとしていたが、弾力的労働時間制度としてフレックス・タイム制、1年単位の変 形労働時間制(当初は3か月単位の変形労働時間制)及び1週間単位の非定型的変形労働時間制が 創設されるようになったことに伴い、それら制度との整合性を図って労使協定による方法も認めた ものである。 また、変形労働時間制というと、各日の労働時間に長短があるものと考えがちであるが、かなら ずしも各日の労働時間に長短のデコボコがあるものだけが対象となるものでなく、たとえば、次の ような労働時間制にも活用できる。 ① 1日9時間、週4日勤務(週休三日制) ② 1日7時間、隔週休日二日制(35 時間の週と 42 時間の週が交互にある) ⇒ 労使協定の締結と届出 1か月単位の変形労働時間制を採用する場合において、労使協定による場合は有効期間の定めを要する。 この協定は労働基準監督署長へ届け出なければならない。 就業規則に定める方法による場合は、有効期間の定めは不要である。 (3)変形期間と法定労働時間 1)変形期間 変形期間は1日を超え1か月以内の期間であれば自由に設定してよい。したがって、1週間単位、 4週間単位などの変形労働時間制も考えられる。 2)法定労働時間 変形労働時間制における法定労働時間は、変形期間を平均して原則として1週間当たり 40 時間 である。そして1日及び1週間の上限は、定められていない。 変形期間を週を単位とすると法定総労働時間数の計算が単純で分かりやすい(たとえば、変形期 間が4週間の場合の法定総労働時間数は 40×4=160 時間)が、1か月を単位とすると次のように 複雑になる。 532 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 ※1か月の法定総労働時間数 ① 30 日の月 40×30/7=171.4(時間) ② 31 日の月 40×31/7=177.1(時間) ③ 28 日の月 40×30/7=160.0(時間) ④ 29 日の月 40×30/7=165.7(時間) ※月の初日が月曜日から始まる月で 30 日の月(例:2010 年 11 月)の場合、週休2日制の事業所で 1日の所定労働時間が8時間である事業所では、標準勤務者の月間所定総労働時間は 22 日×8 時間 =176 時間であるが、1か月単位の変形労働時間制を採る場合は月間所定労働時間を 171.4 時間以内 に設定しなければならない。 ※上記の場合に、フレックスタイム制の場合には 176 時間とすることを認める通達があるが(平 9.3.31 基発 228 号)、この通達の中で「なお、この計算方法は、フレックスタイム制においては、各 日の始業及び終業の時刻が労働者の自主的な選択にゆだねられているところから認められるもので あり、他の変形労働時間制には適用される余地がないものであること。」としている。 ※安西 愈弁護士は、上記通達を紹介しつつも、「曜日との関係で例えば31日の月で1日が月曜日 の場合、1日8時間で週休2日制の定型のときは23日の労働日となり1カ月184時間となるが、 かかる曜日と歴月との差による右計算式のオーバーは調整時間として違法とは解されないであろう。」 としている(安西「労働時間」P174)。 ⇒ 1日8時間、完全週休2日制は変形労働時間制を採らない場合は適法であるが、同じ勤務体勢を変形労働 時間制のもとで行うと違法となる、というのは、社会通念上いかがなものか。通達の見解よりも安西 愈弁護士 の主張の方が妥当であると思う。 (4)各日、各週の所定労働時間の特定 1) 就業規則又は勤務割表による特定 1か月単位の変形労働時間制を採用する場合は、変形期間における各日、各週の労働時間をあら かじめ就業規則(就業規則に委任条項を設けて、勤務割表による方法も可)に特定しておかなけれ ばならない(結果的に週当たり 40 時間以内に収まればよいというものではない。)。 しかしながら、勤務ダイヤによる変形労働時間制を採用する場合や三交替制連続操業をしている 事業において臨時に番方変更する場合にも就業規則を変更して特定しなければならないとするの は実情に合わないので、勤務ダイヤによる変形労働時間制を採用する場合は、「就業規則において できる限り具体的に特定すべきものであるが、業務の実態から月ごとに勤務割りを作成する必要が ある場合には、就業規則において各直勤務の始業終業の時刻、各直勤務の組合せの考え方、勤務割 表の作成手続き及びその周知方法等を定めておき、それにしたがって各日ごとの勤務割は変形期間 の開始前までに具体的に特定することで足りる」(昭 63.3.14 基発 150 号)。 臨時の番方変更の場合には、「番方転換を行なう場合の事由を就業規則に規定し、その規定によ って労働者に事前にその旨を明示して番方転換を行なった場合は、これにより4週間を平均し1週 間の労働時間が1週間の法定労働時間を超えない限り法 32 条違反ではない」としている(昭 42.12.27 基収 5675 号)。 533 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 注.「特定された日」又は「特定された週」 労基法第 32 条の 2 第 1 項は、変形期間における1週間当たりの労働時間が 40 時間を超えない定 めを就業規則又は労使協定においてしたときは、「特定された日」又は「特定された週」において 1日8時間又は1週 40 時間を超えて労働させることができる、と規定している。 この場合の「特定された日」又は「特定された週」とは、就業規則又は労使協定によってあらか じめ8時間を超えて労働させることが定められている日又は1週間に 40 時間を超えて労働させる ことが具体的に定められている週の意味である(昭 23.7.15 基発 1690 号)。 なお、労基法第 89 条は就業規則で始業及び終業の時刻を定めることと規定しているので、就業 規則においては、各日の労働時間の長さだけではなく、始業及び終業の時刻も定める必要がある ものであること(昭 63.1.1 基発 1 号、平 9.3.25 基発 195 号、平 11.3.31 基発 168 号)。 2)特定する時期 各日・各週の労働時間は、少なくとも変形期間の開始前までに特定しなければならない。したが って、変形期間が開始されてから勤務割表を書き換えることはできない(昭 63.3.14 基発 150 号)。 各日・各週の労働時間の定め方について「始業、終業の時刻は、起算日前に示すダイヤによる」 と就業規則に定め、起算日前に勤務ダイヤを示すことで足りるか否かという点について、同通達は 「就業規則において各直勤務の始業終業時刻、各直勤務の組合せ方、勤務割表の作成手続き及びそ の周知方法等を定めておき、それにしたがって各日ごとの勤務割りは、変形期間の開始前までに具 体的に特定することで足りる。」としている。 なお、この通達は変形期間が開始された後は勤務割表を書き換えることができないとしているが、 学説・裁判例では異論もある。 まず、安西 愈弁護士は、変形期間に入ってからでも変更は可能で、当該週の開始前の変更であ ればよいとする(安西「労働時間」P223)。 裁判例では、変更事由について、あらかじめ就業規則の中に特定日の変更について具体的な規定 があり、その定めに従って勤務割表を変更することは適法であるとする裁判例(下記「JR東日本 (横浜土木技術センター)事件」)がある。 ※具体的な規定 勤務割りを変更することができる「具体的な規定」とは、「労働者から見てどのような場合に変更 が行われるのかを予測することが可能な程度に変更事由を具体的に定めることが必要であるという べき」であって単に「業務上の必要がある場合、指定した勤務を変更する」というような規定では社 員においてどのような場合に変更が行われるのかを予測することが到底不可能であることは明らか であり、労基法三二条の二に定める一か月単位の変形労働時間制の制度の趣旨に合致せず、同条が求 める「特定」の要件に欠ける違法、無効なものというべきである」とされる(「JR東日本(横浜土 木技術センター)事件」東京地裁判決平 12.4.27-資料30 P547 参照)。 また、 「JR西日本(広島支社)事件」もほぼ同様であり、 「労働者にどのような場合に勤務変更が 行われるかを了知させるため、上記のような変更が許される例外的、限定的事由を具体的に記載し、 その場合に限って勤務変更を行う旨定めることを要するものと解すべき」と、している(広島高裁判 決平 14.6.25-資料31 P549 参照) 。 534 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 ⇒ 1か月単位の変形労働時間制における勤務割表の変更は、当該変形期間が始まる前に行わなければなら ないことが原則である。 ⇒ しかし、労働者からみて予測可能な程度に具体的な変更理由が就業規則に定められており、その規定に従 って勤務割表を変更する場合には、違法性はないと解される。 (5)時間外労働となる部分 1か月単位の変形労働時間制を採用した場合に時間外労働となるのは、次の時間である。 ① 1日については、就業規則その他これに準ずるものにより8時間を超える時間を定めた日は その時間を、それ以外の日は8時間を超えて労働した時間 1週間については、就業規則その他これに準ずるものにより 40 時間を超える時間を定めた ② 週はその時間を、それ以外の週は 40 時間を超えて労働した時間(①で時間外労働となる時間を 除く。) ③ 変形期間については、変形期間における法定労働時間の総枠を超えて労働した時間(①又は ②で時間外労働となる時間を除く。) 時間外労働の時間を確定する上では、1日単位の時間外労働時間(上記①)をまず確定し、次い で1日単位の時間外労働とならなかった延長時間について1週間単位の時間外労働の成否(上記②) を確定し、その次に1日及び1週間単位の時間外労働とならなかった延長時間につて変形単位(1 か月)の時間外労働の成否(上記③)を確定する(東大「労働時間」P414~415)。 ⇒ 1か月単位の変形労働時間制の場合は、特定の1日及び特定の1週間について労働時間の上限はな いが、週休制は適用される。 (6)1か月単位の変形労働時間制と「休日の振替」 1)勤務割表の書換えでは対応できない場合の「休日の振替」 1か月単位の変形労働時間制のもとにおいて、業務の都合により勤務割表を変更せざるを得ない ことが起こり得る。その場合に、昭63.3.14基発150号では、少なくとも変形期間の開始前までに特 定しなければならないとしているが、「JR東日本(横浜土木技術センター)事件」東京地裁判決 平12.4.27では「労働者から見てどのような場合に変更が行われるのかを予測することが可能な程 度に変更事由を具体的に定めることが必要」とし、一定の制約のもとに変形期間が開始された後の 勤務割表の書換えを適法としている(注)。 そこで、実務においては一度作成した勤務割表は変形期間が開始された後であっても書き換える ことができるという前提に立って、就業規則を整備しておくことが適切であろう(この場合に、変 形期間に入ってから変更する場合には少なくても当該週の開始前の変更であることを要する、とす る安西 愈弁護士の見解に留意する。)。 注.「JR東日本(横浜土木技術センター)事件」東京地裁判決平12.4.27(資料30 547ページ参 照) 「業務上の必要がある場合、指定した勤務を変更する」というような規定では「社員においてど のような場合に変更が行われるのかを予測することが到底不可能であることは明らかであり、労基 535 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 法三二条の二に定める一か月単位の変形労働時間制の制度の趣旨に合致せず、同条が求める「特定」 の要件に欠ける違法、無効なものというべきである。 」として、工事の日程等の都合により、対象 期間開始後まもなく、約二週間後の勤務について変更がなされた勤務割表の書換えを認めなかった。 ⇒ 勤務割表を適法に書換えることができれば、割増賃金の問題は生じない。そのためには、労働者から見てど のような場合に変更が行われるのかを予測することが可能な程度に、変更事由を就業規則に具体的に定める ことを要する。 それでも、突発的で予期できぬ事由により休日を変更しなければならないことも起こり得る。そ の場合に、1か月単位の変形労働時間制のもとにおいても「休日の振替」が否定されるものでない が、振替によってもともと予定していた当該週の所定労働時間を超え、かつ、40時間を超える場合 には(5)で述べたように時間外労働となる点に注意しなければならない(他の週に休日を与える ことによって変形期間の総労働時間が変わらないものであるが、時間外労働として取扱わなければ ならないことが起こり得る。)。 なお、変形労働時間制のもとにおいても週休制は適用されるので、少なくとも4週4日の休日が 確保されるものでなければならない(昭22.11.27基発401号)。私見では、「1週間に1回、4週 4日の変形週休制が採られている場合は4週4日の休日」とすべきではないかと考えるが、厚労省 「労基法コメ」上巻P461では、次のとおり、単に「4週4日の休日が確保されるもの」としている ので、あまり厳密に考えなくてもよさそうである。 ※、厚労省「労基法コメ」上巻P461 「休日の振替は、4週4日の休日が確保されるものでなければならず、さらに、休日を振替えた ことによって当該週の労働時間が週の法定労働時間を超えるときには、その超えた時間は時間外労 働となり、時間外労働に関する労使協定(三六協定)及び割増賃金の支払いが必要である。」(昭 22.11.27基発401号、昭63.3.14基発150号・婦発47号) ただし、就業規則で4週4日の変形休日制の単位期間の起算日を定めていないときは、変形休日制を 利用することはできないと解すべきである。なぜなら、変形休日制は就業規則で起算日を明らかにする ことで特定される4週間を単位期間として適用されるものであるから、就業規則が起算日を定めていな ときは特定の4週間という単位期間が存在しないことになり変形休日制適用の前提を欠くことになる からである(東大「労働時間」P376)。 2)「休日の振替」による時間外労働の発生 1か月単位の変形労働時間制を採用する場合には、あらかじめ変形期間における各日、各週の労 働時間を具体的に定めることを要し、変形期間を平均し週 40 時間の範囲内であっても使用者が業 務の都合によって任意に労働時間を変更するような制度はこれに該当しない(昭 63.1.1 基発 1 号)。 したがって、結果的に「1か月を平均して 40 時間以内」であれば時間外労働が発生しないという わけでなく、その変形期間内における各労働日及び各労働日ごとの労働時間があらかじめ特定され ていなければならない。 536 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 たとえば、下第2-3-2-1図の変形制において、第1週の土曜日に休ませ、第3週の土曜日に出 勤させると、変形期間の総労働時間に変わりがないが、第3週の土曜日出勤はもともと40時間と 設定した週に48時間勤務させることになるため、自動的に時間外労働となり割増賃金の支払いを 要することになる。 このような休日振替は可能ではあるが、時間外労働の問題が生じてしまう。 第2-3-2-1図 もとの 勤務割表 変更後の 勤務実績 4週間単位の変形労働時間制の例 日 月 火 水 木 金 土 計 第1週 休み 8 8 8 8 8 8 48 第2週 8 8 8 8 8 8 休み 48 第3週 休み 8 8 8 8 8 休み 40 第4週 休み 休み 休み 8 8 8 休み 24 日 月 火 水 木 金 土 計 第1週 休み 8 8 8 8 8 休み 40 第2週 8 8 8 8 8 8 休み 48 第3週 休み 8 8 8 8 8 8 48 第4週 休み 休み 休み 8 8 8 休み 24 第3週は、もともと 40 時間と設定されていたものを 48 時間勤務さ せため時間外労働となる。 これが、もし勤務割表の書換えであるということになれば、時間外 労働の問題は生じない。 ⇒ 勤務割表で40時間以内に設定された週に土曜日出勤等の事情により40時間を超えて勤務させた場合には、 (それが休日振替えによるものであっても)時間外労働となり割増賃金の支払いを要する。 ⇒ これを避けるためには、標準勤務における休日の振替の場合と同様に、当該週内の振替でなければならな い。 537 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 2.1年単位の変形労働時間制 (1)概 要 1年単位の変形労働時間制は、季節的な繁閑がある業務については、年間単位の労働時間管理の 下に、閑散な時期に集中して休日を設定する等により、年間単位での休日増を図ることが所定労働 時間の短縮のために有効であることから、従来の3箇月単位の変形労働時間制の変形期間を3箇月 から最長1年まで延長したものであり、適正かつ計画的な時間管理を行うことで変形期間を平均し て週 40 時間労働制を実現し、労働時間の短縮を図るものである(平 6.3.31 基発 132 号)。 季節的な繁閑がある業務については、年間単位の労働時間管理のもとに閑散な時期に集中して休 日を設定する等により年間単位での休日増を図ることが所定労働時間の短縮のために有効である。 そこで、変形期間を最長一年まで延長したものであり、適正かつ計画的な時間管理を行うことで変 形期間を平均して週 40 時間労働制を実現し労働時間の短縮を図るものである (労基法 32 条の4)。 変形労働時間制とは、一時的に1週間 40 時間又は1日8時間を超えることがあるが、一定の変 形期間を平均すれば1週間当たり 40 時間以内に収まる働き方を認めるものである。1年単位の変 形労働時間制の場合は、1年以内の一定期間を平均して1週間当たり 40 時間以内であることを条 件に1週間 40 時間又は1日8時間を超える労働を適法とするものである。 1年単位の変形労働時間制が創設された趣旨は、年間単位の労働時間管理をすることによって休 日の増加を図り所定労働時間の短縮の実現に資するものである。 また、1年単位の変形労働時間制はあらかじめ業務の繁閑を見込んで労働時間を配分するもので あるので、突発的なものを除き恒常的な時間外労働はないことを前提とした制度であるとされてい る(平 6.1.4 基発 1 号)。 (2)対象となる業務 1年単位の変形労働時間制においては、労使協定等により変形期間における労働日及び当該労働 日ごとの労働時間を前もって定めることが要件とされており、最長1年までの一定期間における計 画的な時間管理が可能な業務が対象となるものであり、使用者が業務の都合によって任意に労働時 間を変更するような業務は、対象とできないものである。たとえば、貸切観光バス等のように、業 務の性質上1日8時間、週 40 時間を超えて労働させる日又は週の労働時間をあらかじめ定めてお くことが困難な業務又は労使協定で定めた時間が業務の都合によって変更されることが通常行わ れるような業務については、1 年単位の変形労働時間制を適用する余地はない(平 6.3.11 基発 132 号-資料32 P552 参照)。 ⇒ 1年単位の変形労働時間制は、たとえば、長期の夏休み、冬休みなどがある小・中・高等学校の教員の働き 方に適している。一例として、1日9時間制とし、夏季・冬季に休日を増やす働き方などが考えられる。 (3)労使協定の締結 1年単位の変形労働時間制を採用するには、次の事項について労使協定を締結しなければならな い(所轄労働基準監督署長へ届出が必要)。 ・適用対象となる労働者の範囲 ・対象期間(1か月を超え1年以内の期間で、その期間を平均し1週間当たりの労働時間が 40 時間を超えない範囲内において労働させる期間) 538 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 ・特定期間(対象期間中のとくに業務の繁忙な期間) ・対象期間における労働日及び当該労働日ごとの労働時間 ・有効期間 1)対象となる労働者の範囲 1年単位の変形労働時間制の対象とすることができる労働者の範囲は、従来は変形期間の初日か ら末日まで勤務する者に限られていた。しかし、途中転入・転出者、途中退職者などに適用できな いなどの不都合があるため、平成 10 年改正時にこの要件を削除し、代わって途中採用・途中退職 者などには賃金清算が義務づけられた(労基法 32 条の 4 の 2)。 したがって、1年未満の期間雇用者に対し適用することもできるし、変形期間の途中で定年退職 する者に対しても適用することができる。 2)対象期間の区分 1年単位の変形労働時間制の対象となる期間は、1か月を超え1年以内の期間であれば任意に決 めることができる。そして、各日・各週の労働日及び労働日ごとの労働時間はあらかじめ定められ ていなければならないが、対象期間を1か月以上の期間ごとに区分して労働日及び労働日ごとの労 働時間を設定することが認められている。 この場合は、最初の期間については労働日及び労働日ごとの労働時間を定める必要があるが、最 初の期間以外の期間については、各期間ごとに労働日数及び総労働時間を定めるだけでよい。そし て、最初の期間を除く各期間が始まる少なくとも 30 日前までに、過半数代表者の同意を得て具体 的労働日及び労働日ごとの労働時間を設定する。 3)特定期間 対象期間中のとくに業務の繁忙な期間を指定して「特定期間」を設けることができる。 一般に1年単位の変形労働時間制においては連続して労働させる日数の限度は6日であるが、特 定期間については1週間に1日の休日が確保できればよい(最長連続 12 日出勤が可能)。 なお、対象期間中に特定期間を変更することはできない(平 11.1.29 基発 45 号) 。 ⇒ 特定期間の意義 1年単位の変形労働時間制においては、連続して労働させることができる日数の限度は6日であるが、特定 期間においては1週間に1日の休日が確保できればよいとされる(最長連続 12 日出勤が可能)。 4)労働日及び労働日ごとの労働時間 1年単位の変形労働時間制を採用するには、労使協定において、対象期間における労働日ごとの 労働時間をあらかじめ特定しなければならない。労使協定において特定された日又は特定された週 の労働時間を対象期間の途中で変更することはできない。仮に、労使協定において、「労使双方が 合意すれば、協定期間中であっても変形制の一部を変更することがある」旨明記されていたとして も、これに基づき対象期間の途中で変更することはできない(昭 63.3.14 基発 150 号)。 5)その他 「労使協定の法定の記載事項とはなっていないが、労使間において適切に清算が行われるよう、 賃金の清算の事由及び方法について労使協定において事前に定めておくことが望ましい」とされて いる(平 6.3.1 1 基 発 13 2 号 ) 。 539 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 (4)就業規則への記載 始業・終業の時刻や休日に関する事項は就業規則の絶対的記載事項であるから、1年単位の変 形労働時間制を採用する場合であっても原則的には記載しなければならない。しかし、各月各日 の労働日及び労働時間の割振りは毎年変わるものであるから、通常年度ごとに締結する労使協定 に労働日及び各日の始業・終業の時刻を記載することでも問題ない。ただし、その場合は当該労 働日及び各日の始業・終業の時刻を記載する部分は就業規則の一部であるから、これを変更する ことは就業規則の変更に当たることになるが、実務においては、労使協定の届出の際に別紙とし て添付することで済ませているようである。 通達においては、「就業規則で『一年単位の変形労働時間制か適用される者の各日の始業及び終 業時制は一年単位の変形労働時間制に関する労使協定による』旨定め、各日の始業終業の時刻を就 業規則本体に明記しないこととして差し支えないか。」という問いに対し「労使協定の各条にその まま就業規則の内容となりうるような具体的な始業、終業時刻が定められている場合に限って、設 例のような取扱いが可能であるが、このような場合には、就業規則の中に引用すべき労使協定の条 文番号を明記し、かつ、就業規則の別紙として労使協定を添付することが必要である。」と答えて いる(平 6.5.31 基発 330 号)。 (5)内 容 1)労働時間等 対象期間を平均し1週間当たりの労働時間が 40 時間を超えない範囲内において、当該労使協定 で定めるところにより特定された週に 40 時間又は特定された日に 8 時間を超えて労働させること ができる。 ただし、次の制約がある。 ・1日の労働時間の限度は 10 時間、1週間の労働時間の限度は 52 時間である。 ・対象期間における連続して労働させる日数の限度は6日である(特定期間については1週間に 1日の休日が確保できる日数)。 ・対象期間における労働日数の限度は1年当たり 280 日である(対象期間が3か月を超える場合 に限る。)。 540 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 第 2-3-2-2 図 1年単位の変形労働時間制の規定 1か月を超え1年以内の変形労働時間制 3か月以内のもの 基本要件 3か月を超えるもの ・変形期間を平均して週40時間、 ・就業規則に記載する ・労使協定を締結して届出、 所定労働時間の特定方法 ・あらかじめ変形期間の全期間について定めることを原則とする ・労働者代表の同意を得て1か月の期間ごとに定めて、当該期間が始 まる30日前までに書面で定める方法も認められる 所定労働日数の限度 313日(週休制確保) 連続労働が可能な日数 原則6日、特定期間については12日 所定労働時間の上限 1週48時間を超える週の限 280日(85日の休日確保) 1日10時間、1週52時間 なし ・連続3週間以内 度 ・かつ、3か月に3週間以内 時間外労 原 則 働の限度 特別条項 年間360時間 年間320時間 適用できる ※変形期間が3か月を超える場合、休日を年間85日確保しなければならないが、85日の意味は 4週6休制プラス7日ということである(菅野「労働法」P286)。 7日はお盆や年末年始のまとまった休みに相当する休日なのであろうか? 2)休 日 イ 休日の特定 前述(2)4)に記述したとおり、1年単位の変形労働時間制においては労働日が特定されて いなければならないから、必然的に休日も特定されることになる。したがって、個人別に夏期休 日を設定するような場合に、たとえば、「7月から9月までの間に職員の指定する3日間につい て休日を与える」というような休日の設定は、変形労働時間制を採らない労働者に対しては適法 であるが、1年単位の変形労働時間制適用者(1か月単位適用者も同じ。)に対して適用するこ とはできない(注)。行政解釈においても「労働日を特定するということは、反面、休日を特定 することとなり、設例の場合のように、変形期間開始後にしか休日が特定できない場合には、労 働日が特定されたことにならない。 」と述べている(平 6.5.31 基発 330 号)。 注.事業所は休業とせず職員が交互に休む「夏休み」については、就労義務がない「休日」とするよりも、就 労義務が免除される「休暇」として設計する方が運営面で混乱を避け得る。 ロ 休日の振替 1年単位の変形労働時間制を採用する場合において、休日の振替を行うことができるだろうか。 行政解釈は、1年単位の変形労働時間制は使用者が業務の都合によって任意に労働時間を変更 することがないことを前提とした制度であるので、通常の業務の繁閑等を理由として休日振替が 通常行われるような場合は1年単位の変形労働時間制を採用できないとしている。 しかし、労働日の特定時には予期しない事情が生じ、やむを得ず休日の振替を行わなければな らなくなることも考えられるが、そのような休日の振替までも認めない趣旨ではなく、その場合 541 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 の休日の振替は、以下の要件のもとに認められる。 ① 就業規則で休日の振替を必要とする場合に休日を振替えることができる旨の規定を設けこ れによって休日を振り替える前にあらかじめ振り替えるべき日を特定して振り替えるもので あること。この場合、就業規則等において、できる限り、休日振替の具体的事由と振り替える べき日を規定することが望ましいこと。 ② 対象期間(特定期間を除く。)においては連続労働日数が六日以内となること。 ③ 特定期間においては1週間に1日の休日が確保でおる範囲内であること。 また、たとえば、同一週内で休日をあらかじめ8時間を超えて労働を行わせることとして特定 していた日と振り替えた場合については、当初の休日は労働日として特定されていなかったもの であり、労基法 32 条の 4 第 1 項に照らし、当該日に8時間を超える労働を行わせることとなっ た場合には、その超える時間については時間外労働となる(平 6.5.31 基発 330 号、平 9.3.28 基発 210 号、平 11.3.31 基発 168 号)。 ⇒ 厚生労働省の見解では、変形期間(区分期間)に入ってから休日の振替等の勤務割変更が行われた場合に 1日8時間を超えた場合は、事前特定の要件を欠くため8時間を超える部分が時間外労働となる。 ⇒ 安西 愈氏は、当該1週間の開始前である限り「特定された週」・「特定された日」となるので時間外労働とな らない、との見解を示している(安西「労働時間」P224)。 3)勤務割表の変更 1年単位の変形労働時間制において、前述2)のとおり、休日と8時間を超えて設定した労働日 とを振替えると時間外労働が生じてしまうので、勤務割表を変更することによって対応することは できないものだろうか。 これについて、行政解釈は、次のとおり「変形期間の途中で変更することはできない」との見解 を示している。 【特定された時間の変更】 問 一年単位の変形労働時間制に関する「労使協定」事項中に、「甲・乙双方が合意すれば、協定期 間中であつても変形制の一部を変更することがある。」旨が明記され、これに基づき随時、変形労 働時間制を変更することについての取扱い如何。 答 変形期間の途中で変更することはできない。 (昭 63.3.14 基発 150 号、平 6.3.31 基発 181 号) しかし、勤務割表は、当該期間(区分期間)の初日の少なくとも 30 日前までに、過半数代表 者の同意を得て決定する必要があるが、当該期間が開始される前であれば一度定めた勤務割表を 変更することは可能であると解される。この場合に、①当初定めた労働日数及び総労働時間の範 囲内であること、②過半数代表者の同意を得ること、が要件となることはもちろんである。 また、当該期間が始まってからは、厚生労働省の見解(平 9.3.28 基発 210 号)どおり、1日 8時間を超える部分等が時間外労働となるとして取扱うことが妥当であると思われる。 ※安西説では、当該期間(区分期間)に入ってからであっても、次の要件を満たすことを条件に当該 542 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 単位週に入る前であれば勤務割の変更(休日の振替)は可能と解している(安西「労働時間」P223)。 ① 労使協定に、具体的な変更振替事由規定の定めがあり、それに該当する事由が生じた場合であ ること ② 少なくとも当該週の開始前の特定変更であること ③ あらかじめ決定されている勤務割表の枠内の休日と勤務日の変更であること ④ 事前に労働者代表の同意を得ること ⑤ それにより変形制の枠がくずれないこと(当該期間(区分期間)の労働日数及び総労働時間の 枠内であること) (6)賃金清算 1)賃金清算の計算方法 1年単位の変形労働時間制では、対象期間が長いので、採用・退職により変形期間の途中で制度 の適用を打ち切らざるを得なくなった、変形期間の途中から制度を適用したりすることが考えられ る。その場合は、当該労働させた期間を平均して1週間当たり 40 時間を超えて働かせたときはそ の超えた分のについて時間外又は休日労働としての割増賃金を支払わなければならない(労基法 32 条の 4 の 2)。 たとえば、下記第 2-3-2-3 図のような年間労働日数・労働時間数が定められている事業場で、4 月1日から9月 30 日までの6か月間就労したとすると、労働させた期間が変形労働時間制の対象 期間よりも短いので清算義務が生じる。 まず、4月1日から9月 30 日までの6か月間における歴日数は 183 日であり、変形制の所定総 労働時間は 1,088 時間である。、 次に、これに対応して比較すべき「1週間当たり 40 時間」の算定は 40 × 183 7 ≒ 1,045 時間 となる。 したがって、割増賃金を計算して追加払いすべき時間数は 1,088-1,045 = 43 時間 である。 これに対し、10 月 1 日から 3 月 31 日までの6か月間就労した場合は、当該6か月間における歴 日数は 182 日であり、変形制の所定総労働時間は 944 時間である。 次に、これに対応して比較すべき「1週間当たり 40 時間」の算定は 40 × 182 7 = 1,040 時間 となる。 実際に労働した時間は 944 時間に過ぎないから、追加払いすべき必要はない。 第 2-3-2-3 図 月別労働日数及び総労働時間数 543 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 月 労働日数 総労働時間 月 労働日数 総労働時間 4月 21 165 10月 22 176 5月 18 135 11月 21 168 6月 25 200 12月 20 150 7月 26 208 1月 18 135 8月 24 180 2月 20 150 9月 25 200 3月 22 165 小計 139 1088 123 944 小計 年間労働日数 262日 年間総労働時間 2,032時間 注.週当たり 40 時間に収めるための時間数の限度は、4~9 月=1,045 時間、10~3 月=1,040 時間、 年間=2,085 である。 2)賃金清算を必要とする場合 対象期間中において、1 年単位の変形労働時間制により労働させた期間が当該対象期間より短い 労働者が賃金清算の対象となる。 この「労働させた期間が当該対象期間より短い労働者」に該当するか否かは、適用される1年単 位の変形労働時間制ごとに判断される(すなわち、当該労働者に関してあらかじめ特定された労働 日及び労働日ごとの労働時間が変更されることとなるか否かで判断される。)。たとえば、一の事業 場において複数の変形労働時間制が採用されている場合に配置転換された労働者については、配置 転換前の制度においては中途退職者と同様の清算が必要であり、配置転換後の制度においては、中 途採用者と同様の清算が必要となるものである(平 11.3.31 基発 169 号) 。 賃金清算を必要とする場合は、1年単位の変形労働時間制の対象労働者であって「途中退職した 者及び途中採用された者」である(厚労省「労基法コメ」上巻 P433) 。したがって、人事異動等配 転により変形期間中に変形労働時間制適用者から標準勤務制適用者になった場合や、その逆に標準 勤務適用者から変形期間中の変形労働時間制適用者になつた場合など当該企業において雇用が継 続している者は、賃金清算の対象とされていない。 なお、1年単位の変形労働時間制の適用労働者が対象期間中に育児休業や産前産後の休暇取得に より労働せず、実際に労働した期間が対象期間よりも短かったとしても、賃金清算は必要ない(平 11.3.31 基発 169 号)。 ⇒ 人事異動により変形期間中に転入・転出した者や育児休業・産前産後休業した者などは、賃金清算の対象と ならない。 (7)時間外労働となる部分 1年単位の変形労働時間制は、あらかじめ業務の繁閑を見込んでそれに合わせて労働時間を配分 するものであるので、突発的なものを除き恒常的に時間外労働はないことを前提とした制度である。 しかし、現実に時間外労働を行わせることもあり得るから、その場合には次の時間が時間外労働と なる。 544 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 ① 1日については、労使協定により8時間を超える労働時間を定めた日はその時間を超えて、 それ以外の日は8時間を超えて労働させた時間 ② 1週間については、労使協定により 40 時間を超える労働時間を定めた週はその時間を超え て、それ以外の週は 40 時間を超えて労働させた時間(①で時間外労働となる時間を除く。) ③ 変形期間の全期間については、変形期間における法定労働時間の総枠を超えて労働させた時 間(①又は②で時間外労働となる時間を除く。) ⇒ 1年単位の変形労働時間制は、突発的なものを除き恒常的な時間外労働はないことを前提とした制度 である。 第2-3-2-4 図 変形労働時間制における時間外労働 日 月 火 水 木 金 土 計 所定労働時間 休み 9 9 7 9 10 6 50 就労事例A 休み 11 9 7 9 年休 6 45 就労事例B 休み 9 9 8 9 10 6 51 就労事例C 休み 9 年休 年休 9 10 9 37 就労事例A:月曜日が、所定9時間に対して11時間就労しているので2時間の時間外労働発生 就労事例B:1週間の合計が所定50時間に対して51時間就労しているので1時間の時間外労働発生 就労事例C:土曜日が、所定6時間に対して9時間就労しているので8時間を超える1時間が時間外労働と なる。 (ロ) 対象期間の区分 1年単位の変形労働時間制においてはあらかじめ各日・各週の労働日及び労働日ごとの労働時間 が定められていなければならないが、対象期間を1か月以上の期間ごとに区分して労働日及び労働 日ごとの労働時間を設定することが認められている。 この場合は、最初の期間については労働日及び労働日ごとの労働時間を定める必要があるが、最 初の期間以外の期間については、各期間ごとに労働日数及び総労働時間を定めるだけでよい。そし て、当該期間が始まるすくなくとも 30 日前までに、過半数代表者の同意を得て具体的労働日及び 労働日ごとの労働時間を設定する。 ⇒ 対象期間を1か月ごとに区分する場合、各月の労働日数及び総労働時間は年度の初めに定められて いなければならない。 545 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 3.1週間単位の非定型的変形労働時間制 (1)内 容 定型的な変形労働時間制(1か月単位及び1年単位の変形労働時間制)では、各日・各週の所定 労働時間をあらかじめ就業規則等に定めておく必要があるが、1週間単位の非定型的変形労働時間 制は、各日における業務の繁閑があらかじめ分かっていなくても、当該1週間が始まる前にその週 の各日の労働時間を書面で労働者に通知することによって、1週間 40 時間の範囲内で、1 日 10 時間まで労働させることができるものである(労基法 32 条の5)。 (2)対象となる事業場 小売業、旅館、料理店及び飲食店で常時使用する労働者数が 30 人未満の事業場が対象となる。 したがって、大学・独法では1週間単位の非定型的変形労働時間制を採用することはできない。 (3)手続き ① 労使協定を締結し労働基準監督署長へ届け出る。 ② 少なくとも1週間が始まる前にその週の各日の労働時間を書面で労働者に通知する。 546 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 資料30 (P534、P535 関係) 「JR東日本(横浜土木技術センター)事件」東京地裁判決平 12.4.27 事案の概要 一か月単位の変形労働時間制の対象労働者が、対象期間開始後に変形期間開始前になされた対象期間中の 勤務指定を、就業規則に定める「業務上の必要性がある場合、指定した勤務及び制定した休日等を変更す る」旨の規定に基づいて変更する命令(本件の場合、工事の日程等の都合により、対象期間開始後まもな く、約二週間後の勤務について変更がなされた)は、労働基準法三二条の二の要件を充足せず、本件命令 に基づいて従事した労働は所定外労働に該当すると主張して、割増賃金とそれと同額の付加金、及び不法 行為責任に基づく慰謝料の支払を請求したケースで、就業規則の変更条項に基づく勤務変更は労働基準法 三二条の二の要件を充足し適法であるとしつつ、変更条項は「労働者からみてどのような場合に変更が行 われるかを予測することが可能な程度に変更事由を具体的に定めることが必要である」として、右就業規 則の変更事由は具体的な事由を明示しない包括的な内容であるとして違法、無効なものであるから、本件 命令も違法とし、本件命令に基づく労働者の勤務につき割増賃金の請求が認容、慰謝料請求については請 求が棄却された事例。 判決要旨 〔労働時間-変形労働時間-1か月以内の変形労働時間〕 一か月単位の変形労働時間制の下において、就業規則上、いったん特定された労働時間の変更に関する 条項を置き、右条項に基づいて労働時間を変更することが、およそ、労基法三二条の二にいう特定の要件 に適合しないものといえるであろうか。 この点については、就業規則に変更条項を置くことによって変更を行うことは、同条にいう「特定」の 要件を満たすものではなく、あらかじめ特定した勤務時間を変更することはすべて所定外労働となるとす る見解も考えられないではない。というのは、労基法三二条の二に定める一か月単位の変形労働時間制と 同法三二条の五に定める一週間単位の変形労働時間制とを比較した場合、後者においては、労基法施行規 則一二条の五第三項に「緊急でやむを得ない事由がある場合には、使用者は、あらかじめ通知した労働時 間を変更しようとする日の前日までに書面により当該労働者に通知することにより、当該あらかじめ通知 した労働時間を変更することができる。」との、労働時間の変更に関する定めが置かれているのに対し、 一か月単位の変形労働時間制においては、このような変更に関する定めが置かれておらず、このような労 基法及び同法施行規則の関係規定の対比からすれば、一か月単位の変形労働時間制における「特定」は事 後的な変更を一切予定していないものと見る余地もないではないからである。 しかし、関係規定上、一か月単位の変形労働時間制においては変更に関する定めが置かれていないとい うことをもって、就業規則中に設けた変更条項に基づいてする変更が全く許されないとの根拠とすること はできないものといわざるを得ない。けだし、一週間単位の変形労働時間制においては、もともと就業規 則において労働時間を定める建前にはなっていないことから、その変更についても就業規則に留保すべき ところではなく、使用者の裁量によって変更を行う場合についての定めが置かれているに過ぎないものと いえ、このことからすれば、労基法が一か月単位の変形労働時間制について変更が許される場合に関する 定めを置いていないのは、使用者の裁量による変更が許されないという趣旨にとどまるものであって、就 業規則上の留保を禁じた趣旨に出たものとまではいえないと解されるからである。 547 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 そして、前記のとおり、労基法三二条の二が就業規則による労働時間の特定を要求した趣旨が、労働者 の生活に与える不利益を最小限にとどめようとするところにあるとすれば、就業規則上、労働者の生活に 対して大きな不利益を及ぼすことのないような内容の変更条項を定めることは、同条が特定を要求した趣 旨に反しないものというべきであるし、他面、就業規則に具体的変更事由を記載した変更条項を置き、当 該変更条項に基づいて労働時間を変更するのは、就業規則の「定め」によって労働時間を特定することを 求める労基法三二条の二の文理面にも反しないものというべきである。 もっとも、労基法三二条の二が就業規則による労働時間の特定を要求した趣旨が、以上のとおりである ことからすれば、就業規則の変更条項は、労働者から見てどのような場合に変更が行われるのかを予測す ることが可能な程度に変更事由を具体的に定めることが必要であるというべきであって、もしも、変更条 項が、労働者から見てどのような場合に変更が行われるのかを予測することが可能な程度に変更事由を具 体的に定めていないようなものである場合には、使用者の裁量により労働時間を変更することと何ら選ぶ ところがない結果となるから、右変更条項は、労基法三二条の二に定める一か月単位の変形労働時間制の 制度の趣旨に合致せず、同条が求める「特定」の要件に欠ける違法、無効なものとなるというべきである。 (四) そこで、被告就業規則六三条2項にいう「業務上の必要がある場合、指定した勤務を変更する」 との定めを見ると、特定した労働時間を変更する場合の具体的な変更事由を何ら明示することのない、包 括的な内容のものであるから、社員においてどのような場合に変更が行われるのかを予測することが到底 不可能であることは明らかであり、労基法三二条の二に定める一か月単位の変形労働時間制の制度の趣旨 に合致せず、同条が求める「特定」の要件に欠ける違法、無効なものというべきである。 〔賃金-割増賃金-支払い義務〕 以上によれば、本件各命令、特に、本件各変更部分に係る労働による労働時間は、被告就業規則五三条 (1)号にいう所定労働時間に当たらず、したがって、同規則一一一条1項にいう「正規の勤務時間外」 の勤務に係る労働時間として、同規則上の割増賃金の一種である超過勤務手当(同規則一〇六条(1)号 参照)の支給対象となることが明らかである。 なお、労基法三二条の二に定める一か月単位の変形労働時間制においては、一日当たりの法定労働時間 を超えた労働時間が特定されている日については、右特定された労働時間を超えた労働時間のみが時間外 労働の時間になるとともに、一日当たりの法定労働時間以下の労働時間が特定されている日については、 右特定された労働時間を超えて労働が行われたとしても、右の法定労働時間の範囲内にとどまる限り(単 位期間の総法定労働時間の枠内に収まることを前提とする。 )、右超過した労働時間は、時間外労働の時間 になることはないものと解される。そして、被告就業規則六六条2項は、このこと(特に後者)を前提と して、 「会社は、 ・・・業務上の必要がある場合、所定労働時間外・・・において、労基法三二条の二に規 定する労働時間に達するまで、社員に臨時に勤務を命ずることがある。」旨定めているものと考えられる。 しかし、被告就業規則一一一条1項にいう「正規の勤務時間外」の「勤務」には、同規則六六条2項に いう臨時の勤務が含まれるものと解されるところ、右臨時の勤務には所定労働時間外の勤務が含まれるこ とは同項に明らかであるから、労基法三二条の二との関係では、一日の法定労働時間の範囲内に収まるた め本来時間外労働に当たらない労働であっても、所定労働時間外の勤務である以上は、被告就業規則一一 一条1項により、超過勤務手当の支給対象となるものというべきである。 〔雑則-附加金〕 原告らは、被告の割増賃金の不払につき、付加金を課すべきことを求めているが、原告Xは平成七年三 月一五日に、同小村は同月一六日に、それぞれ、一日の法定労働時間である八時間を超えて労務を提供し、 548 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 労基法三七条所定の時間外労働を行ったものと認められるものの、後記二2認定の事実によれば、被告が 時間外労働に伴う割増賃金の支払をしないのは、労基法三二条の二に関する法的見解に基づき、その支払 義務を有しないものと判断していたものと認められること、その他、本件に顕れた諸般の事情を勘案すれ ば、被告に対して付加金を課するのは相当ではないというべきである。 資料31 (P534 関係) 「JR西日本(広島支社)事件第一審判決」広島地裁判決平 13.5.30 事案概要 JR西日本Yの従業員Xら二名が、Yでは労基法三二条の二に基づく一カ月単位の変形労働時間制が採用 され、就業規則には毎月二五日までに翌月の勤務指定を行うとするほか、業務上の必要がある場合は指定 した勤務を変更するとの規定が置かれていたところ、右就業規則の規定に基づき、乗務員の事故予防のた めの現場訓練への参加や年次休暇取得などによる乗務員の欠員を理由に、いったん地上勤務に指定されて いた勤務を乗務員勤務への勤務変更が命じられるとともに、勤務変更後の勤務時間のうち変更前の勤務時 間を超過する部分についても、勤務変更後も週当たりの労働時間が四〇時間以内であれば賃金を支給しな くてよいとして、割増賃金が支払われなかったことから、一旦特定された労働時間は変更が認められず、 勤務変更後の変更前の勤務時間を超過する部分は時間外労働であるとして、割増賃金の支払を請求したケ ースで、公共性を有する事業を目的とする一定の事業場においては、勤務指定前に予見することが不可能 なやむを得ない事由が発生した場合につき、使用者が勤務指定を行った後もこれを変更しうるとする変更 条項を定め、これを使用者の裁量に一定程度委ねたとしても、当該就業規則等の定めが法の要求する「特 定」の要件を充たさないものとして無効ということはできないとしたうえで、本件就業規則は、勤務変更 が予測可能な程度に変更事由を具体的に定めていないことから、特定の要件を満たさず無効であるとし て、請求が一部認容された事例。 判決要旨 〔労働時間-変形労働時間-1か月以内の変形労働時間〕 変形労働時間制とは、当該事業場における事業の性質から、連続操業や長時間勤務のための交替制労働 を行う等、労基法三二条の定める法定労働時間とは異なる労働時間の不均等配分を行う必要のある場合に 対応すべく、法が、総労働時間を一定期間にわたって平均して、同条の規制に適合するよう所定労働時間 を設定することを認めた制度である。 そして、被告の採用する同条三二条の二に基づく一か月単位の変形労働時間制においては、一方で当該 事業の性質からくる労働力の不均等配分の必要性を充たすとともに、他方でこれにより規則正しい日常生 活が乱されて健康を害したり、余暇時間や私生活の設計を困難にさせたりする労働者の生活上の不利益を 最小限にとどめるよう配慮すべく、各勤務日の勤務時間については変形期間開始前にあらかじめ「特定」 することで、労使の両利益のバランスを図ることを要求しているのである。 イ そこで、上記のような、同条に基づく一か月単位の変形労働時間制がその要件として労働時間の「特 定」を要求した趣旨に鑑みると、同条の「特定」の要件を満たすためには、労働者の労働時間を早期に明 らかにし、勤務の不均等配分が労働者の生活にいかなる影響を及ぼすかを明示して、労働者が労働時間外 549 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 における生活設計をたてられるように配慮することが必要不可欠であり、そのためには、各日及び週にお ける労働時間をできる限り具体的に特定することが必要であると解するのが相当である。 そして、変形期間を平均して、一週間当たりの労働時間が同法三二条の定める一週四〇時間の法定労働 時間を超えないことという同法三二条の二の要件からは、他の日及び週の労働時間をどれだけ減らして超 過時間分を吸収するかを示す必要があるため、法定労働時間を超過する勤務時間のみならず、変形期間内 の各日及び週の所定労働時間を全て特定する必要があり、さらに、常時一〇人以上を使用する事業場にお いては、始業・終業時刻を就業規則において定めることを義務づけられていることから(同法八九条一号) 、 結局、かかる事業場においては、就業規則において変形期間内の毎労働日の労働時間を、始業時刻、終業 時刻とともに定めなければならないと解するのが相当である。〔中略〕 他方で、交通機関の運営等の公共性を有する事業を目的とする一定の事業場においては、当該事業がそ の利用者の生活に重大な影響を与えるため、災害や事故の発生等の緊急事態、労働者の年休取得や病欠等 による要員不足等により、事業の運営が滞りかねない事態が発生した場合には、これらの事態に迅速に対 応して事業を円滑に遂行すべく、労働者に対しあらかじめ指定した勤務を変更して勤務させる必要性が非 常に高いといえるから、利用者への悪影響を最小限にとどめるために職務上やむを得ない事情が存する場 合には、労働者が勤務変更に応じざるを得ない事態が想定しうる。 エ この点、同法には、同法三二条の二に基づく一か月単位の変形労働時間制における勤務変更につい ての規定が一切存在しないが、同条が「特定」を要するとした趣旨及び一定の事業場における高度な勤務 変更の必要性に照らすと、同法が一か月単位の変形労働時間制について勤務変更の許否に関する定めを置 いていないのは、使用者が任意に勤務変更をなすことが許されないとの意味を有するに止まり、勤務指定 前には予見することが不可能であったやむを得ない事由の発生した場合についてまで、勤務変更を可能と する規定を就業規則等で定めることを一切禁じた趣旨に出たものとまではいえないと解すべきである。 オ したがって、公共性を有する事業を目的とする一定の事業場においては、同条に基づく一か月単位 の変形労働時間制に関して、勤務指定前に予見することが不可能なやむを得ない事由が発生した場合につ き、使用者が勤務指定を行った後もこれを変更しうるとする変更条項を就業規則等で定め、これを使用者 の裁量に一定程度まで委ねたとしても、直ちに当該就業規則等の定めが同条の要求する「特定」の要件を 充たさないとして違法となるものではないと解するのが相当である。 カ ただし、勤務変更が、勤務時間の延長、休養時間の短縮及びそれに伴う生活設計の変更等により労 働者の生活利益に対して少なからぬ影響を与えることが多いのは確かであるから、使用者は、勤務変更を なし得る旨の変更条項を就業規則で定めるに際し、同条が「特定」を要求した趣旨を没却せぬよう、当該 変更規定において、勤務変更が勤務指定前に予見できなかった業務の必要上やむを得ない事由に基づく場 合のみに限定して認められる例外的措置であることを明示すべきであり、のみならず、労働者の生活利益 に対する十分な配慮の必要性からすれば、労働者から見てどのような場合に勤務変更が行われるかを予測 することが可能な程度に変更事由を具体的に定めることが必要であるというべきであって、使用者が任意 に勤務変更しうると解釈しうるような条項では、同条の要求する「特定」の要件を充たさないものとして 無効であるというべきである。〔中略〕 〔賃金-割増賃金-割増賃金の算定方法〕 本件においては、勤務変更前の勤務指定により「特定」された勤務時間が「正規の勤務時間」(被告賃 金規程一一四条一項)となり、勤務変更によって変更前の勤務時間より変更後の勤務時間が長くなった部 分については「正規の勤務時間外」(同項)の時間外労働に該当し、超過勤務手当の支給対象となる。 550 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 この点、変形労働時間制の下では、一週四〇時間又は一日八時間を超えた所定労働時間が定められた週 又は日については、その所定時間を超えた労働時間のみが時間外労働の時間となり、他方、一週四〇時間 又は一日八時間以下の所定労働時間が定められた週又は日については、法定労働時間である一週四〇時間 又は一日八時間を超えて労働時間が延長されてはじめて時間外労働が生じるが、一週又は一日当たりの労 働時間延長がそれら法定労働時間の枠内であっても、単位期間の法定労働時間の総枠を超えるときは、超 えた労働時間は時間外労働となるものと解される(昭和六三年基発一号)。そして、被告は、同規則五九 条二項が「勤務の指定にあたっては、一箇月間の労働時間が次表の労働時間数を超えない範囲内とする。 」 とした上で、次表として週四〇時間の労働時間を一か月の日数で計算し直した時間を労働時間数として規 定していることから、この時間内の勤務指定である限り時間外労働とはならないと主張する。 しかしながら、勤務時間の「特定」後に無効な勤務変更に基づいて勤務した勤務時間が、「特定」され た勤務時間を超過した時間の労働について、被告賃金規程一一四条一項の「正規の勤務時間外」の勤務に 該当することは明らかであるから、労基法三二条二との関係では一週又は一日の法定労働時間以内である ため本来は時間外労働にあたらない労働であっても、「特定」された勤務時間外の勤務である以上は、被 告賃金規程一一四条一項により、超過勤務手当の支給対象となるというべきである。 551 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 資料32 (P538 関係) 一年単位の変形労働時間制についてのガイドライン (平 6.3.31 基発 132 号) 使用者は、一年単位の変形労働時間制を採用する場合には、法令が定める基準を遵守するとともに、下 記の事項についても留意しつつ、適切な運用が行われるよう努める必要がある。 記 第一 趣 旨 一年単位の変形労働時間制は、季節的な繁閑がある業務については、年間単位の労働時間管理の下に、 閑散な時期に集中して休日を設定する等により、年間単位での休日増を図ることが所定労働時間の短縮の ために有効であることから、従来の三箇月単位の変形労働時間制の変形期間を三箇月から最長一年まで延 長したものであり、適正かつ計画的な時間管理を行うことで変形期間を平均して週四〇時間労働制を実現 し、労働時間の短縮を図るものであること。 第二 対象としうる業務 本変形労働時間制においては、労使協定等により、変形期間における労働日及び当該労働日ごとの労働 時間を前もって定めることが要件とされており、最長一年までの一定期間における計画的な時間管理が可 能な業務が対象となるものであり、使用者が業務の都合によって任意に労働時間を変更するような業務 は、対象とできないものであること。例えば、貸切観光バス等のように、業務の性質上一日八時間、週四 〇時間を超えて労働させる日又は週の労働時間をあらかじめ定めておくことが困難な業務又は労使協定 で定めた時間が業務の都合によって変更されることが通常行われるような業務については、本変形労働時 間制を適用する余地はないものであること。 第三 対象労働者 労使協定において対象となる労働者の範囲を明確に定める必要があること。また、対象労働者は、対象 期間の最初の日から末日までの期間使用する労働者に限られることから、期間雇用者であって変形期間途 中の退職が明らかである者は含め得ないことはもとより、契約期間の定めのない者であっても変形期間中 に定年を迎える者は含まれず、配置転換等による変形期間途中からの適用もできないものであること。 第四 休日の設定 本変形労働時間制は、年間単位の休日管理により休日増を図ることを目的とすることから、その採用に 当たっては、採用前と比較して休日日数を増加して設定することが望ましいこと。 また、連続労働日数は、法文上「一週間に一日の休日が確保できる日数」とされており、最長一二日間ま で認められるが、長期間の連続労働日数は好ましいものではないことから、これを常態とすることは、本 制度にそぐわないものであること。 第五 時間外労働 本変形労働時間制においては、あらかじめ業務の繁閑を見込んで、それに合わせて労働時間を配分する ものであるので、突発的なものを除き、恒常的な時間外労働はないことを前提とした制度であること。 第六 労使協定の有効期間 本変形労働時間制に関する労使協定は長期にわたるものとなる可能性があるが、状況の変化にもかかわ らず不適切な変形制が長期間運用されることを防ぐため、その有効期間を一年程度とすることが望ましい 552 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第2節 変形労働時間制 ものであること。 第七 特別の配慮を要する者に対する配慮 使用者は、本変形労働時間制の下で労働者を労働させる場合には、育児を行う者、老人等の介護を行う 者、職業訓練又は教育を受ける者その他特別の配慮を要する者については、これらの者が育児、介護、職 業訓練、教育等に必要な時間を確保できるような配慮をするように努めることとされていること。その場 合に、法第六七条(育児時間)の規定は、あくまでも最低基準を定めたものであって、法第六六条(産前産 後)第一項の規定による請求をせずに本変形労働時間制の下で労働し、一日の所定労働時間が八時間を超 える場合には、具体的状況に応じ法定以上の育児時間を与えることが望ましいものであること。 第八 途中離脱者の賃金の清算 解雇、任意退職、配置転換等により、変形期間途中に対象労働者に該当しなくなった場合において、こ れが生じた時期によっては、全期間就労した労働者等との均衡上賃金の清算(再計算)が必要となる場合が 生じることも考えられるが、この場合、労使協定の法定の記載事項とはなっていないが、労使間において 適切に清算が行われるよう、賃金の清算の事由及び方法について労使協定において事前に定めておくこと が望ましいものであること。 553 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第3節 フレックス・タイム制 第3節 フレックス・タイム制 労働である要件として重要な要素は、①就業の場所、②就業日及び始業・終業の時刻、が指定され ていることであるが、フレックス・タイム制はこのうちの「始業・終業の時刻」をその労働者の決定 にゆだねるものである。その点でユニークな制度であるといえる。 (1)概 要 始業及び終業の時刻を労働者の決定にゆだねることを就業規則に定め、労使協定において下記 (2)②の事項を定めた場合は、清算期間として定められた期間を平均し1週間当たりの労働時間 が 40 時間を超えない範囲内において、1週間 40 時間(注)又は1日8時間を超えて労働させること ができる(労基法 32 条の 3)。 フレックス・タイム制は、始業・終業の時刻を労働者の決定に委ねること、清算期間内の法定労 働時間に達するまでの間は時間外労働とならないことなどの特徴がある。 なお、誤解のないように明確にしておくが、フレックス・タイム制は始業及び終業の時刻を労働 者の決定にゆだねるだけであって、裁量労働制のような「業務の遂行の手段及び時間配分の決定等」 について「使用者が具体的な指示をしない」制度ではない。したがって、フレックス・タイム制適 用者に関しては、業務に関する具体的指示が及ぶものである。 また、フレックス・タイム制の適用を受ける労働者の範囲はとくに制限が設けられていない。 ⇒ 裁量労働制を適用できる業務は一定の専門業務・企画業務に限られるが、フレックス・タイム制はすべての 業務において採用することができる。 (2)労使協定 フレックス・タイム制を導入する場合は、まず就業規則に始業及び終業の時刻を労働者の決定に ゆだねることを規定し、下記のとおり労使協定を締結する(届出は不要)。 1)協定すべき事項 労使協定において協定すべき事項は、次の①~⑥の事項である(労基法 32 条の 3、労規則 12 条 の 3)。 ① 適用対象となる労働者の範囲 ② 清算期間(1か月以内の期間で、その期間を平均し1週間当たりの労働時間が 40 時間を超え ない範囲内において労働させる期間) ③ 清算期間における総労働時間 ④ 標準となる1日の労働時間 ⑤ コアタイムを定める場合はその開始及び終了の時刻 ⑥ フレキシブルタイムを定める場合はその開始及び終了の時刻 2)内 容 清算期間を平均し1週間当たりの労働時間が 40 時間を超えない範囲内において、1週間 40 時間 又は1日 8 時間を超えて労働させることができる。この場合、清算期間における法定総労働時間に 達するまでは1日何時間労働させても法定労働時間内であり割増賃金の支払いを必要としない(深 554 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第3節 フレックス・タイム制 夜部分を除く。)。 3)起算日 フレックス・タイム制を採用する場合は、就業規則又は労使協定において清算期間の起算日を定 める必要がある(昭 63.1.1 基発 1 号、平 12.1.1 基発 1 号)。 また、フレックス・タイム制の場合は有効期間を定める必要はない。 ⇒ フレックス・タイム制の労使協定では、清算期間の起算日を設ける必要があるが有効期間は定めなくてよい (恒常的な制度であると理解できる。)。 4)労働時間の把握及び三六協定 フレックス・タイム制においても、使用者は各労働者の各日の労働時間を把握しなければならな い。 時間外労働については、2)で述べたように、清算期間における法定総労働時間に達するまでは 時間外労働とならないので、三六協定においても1日について延長することができる時間を協定す る必要はなく、清算期間を通算して時間外労働をすることができる時間を協定することになる。 第 2-3-3-1 図 フレックス・タイム制の一例 フレキシブル フレキシブル コアタイム タイム 7:00 10:00 8:30 休憩 12:00 コアタイム 12:45 タイム 15:00 一般労働者の所定勤務時間 22:00 17:15 (3)労働時間の過不足 1)過 剰 清算期間における実際の労働時間に過剰があった場合に、超えて労働した時間分を次の清算期間 中の総労働時間の一部に充当することは、その清算期間内における労働の対価の一部がその期間の 賃金支払日に支払われないことになり、賃金全額払いの原則に反し許されない。 2)不 足 清算期間における実際の労働時間に不足があった場合に、その期間の賃金は減額せずに次の清算 期間中の総労働時間に上積みして労働させることは、法定労働時間の総枠の範囲内である限り適法 とされる。 (4)フレックスタイム制にまつわる諸問題 1)フレキシブルタイムから外れる時間帯の勤務 フレキシブルタイムが設けられている場合はその範囲内において勤務することになる。しかし、 現実にフレキシブルタイムを超えて勤務することは起こり得る。その場合は、フレックス・タイム 制の総労働時間の枠に含めて処理すべきであろう。その結果清算期間内の総労働時間が増加するこ とになり、時間外労働として取り扱わなければならない場合が多いものと思われる。 厚生労働省も「フレキシブルタイムが設けられた場合には、労働者はその範囲内で労働する必要 555 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第3節 フレックス・タイム制 があるが、労働者がフレキシブルタイムを超えて労働した場合にも使用者がそれを認めている場合 には、労働時間として取り扱われることになる。 」との見解をとっている( 「労基法コメ」上巻 P417)。 2)法定休日以外の所定休日に勤務した場合の取扱い これについて論じた参考書は見あたらない。しかし、前述「フレキシブルタイムから外れる時間 帯の勤務」をフレックスタイム制の枠内で処理するのであれば、法定休日以外の所定休日に労働し た場合の取扱いもフレックスタイム制の枠内、すなわち、清算期間内の総労働時間に加算して時間 外労働となるか否かを判断することが妥当ではないかと考える(私見)。 しかし、通常の労働者の場合は清算期間の総労働時間数が所定労働時間に満たないということは ほとんどないと思われるから、土曜勤務時間数だけを分離して即時間外労働としてカウントしても、 結果としてあまり変わりないこととなる。そうであれば、「三六協定の時間外労働時間数には、フ レキシブルタイム時間帯を超える週日の勤務及び土曜勤務の時間数は、時間外労働として加算する」 こととし、即割増賃金の対象とする取扱いをしても実態と法定との間に誤差が少なく、かつ、現場 の管理者や対象職員にわかりやすいというメリツトがあるのではないだろうか。 3)法定休日に勤務した場合の取扱い 労基法 36 条は、時間外労働について○○時間、休日労働について○日、という取扱いをしてい るから、法定休日に労働させた場合は、その日をフレックスタイム制の枠組みで取扱うのではなく 休日労働1日として取扱うべきである。割増賃金の支払いにおいては休日労働の時間数も必要とな るが、三六協定の時間外労働の時間数・休日労働日数の取扱いにおいては日数カウントをするだけ でよい。 4)フレックス・タイム制適用者に時間外労働時間の限度を指示することは可能か? フレックス・タイム制適用者にたとえば、「今月の時間外労働は、○○時間内で収めてほしい」 などと指示することができるだろうか? 一般にフレックス・タイム制は自由勝手な勤務ができる制度であるかのような誤解があるが、 単に「始業及び終業の時刻をその労働者の決定にゆだねる」制度であるに過ぎない。したがって、 特定の日に「8時から勤務に就け」とか「18時になったら仕事を終えろ」というような指示はで きないが、「月170時間以内」(残業をするな)とか「月180時間まで」(残業10時間まで) というような指示は、使用者の有する業務指揮権により可能であると考えられる。 そのように考える理由の第一は、フレックス・タイム制適用者であっても使用者は労働時間管理 義務があり、法定労働時間を超えて労働させることは原則としてできないし、三六協定を締結した としてもその協定の範囲内でなければ労働させることができない仕組みであることである。 第二の理由は、フレックス・タイム制適用者であっても使用者には安全配慮義務があり、業務上 の精神的負荷及び長時間労働に対するコントロールを労働者の健康状態に応じて配慮する責務が あることである。 時間外労働に制限を設けることについて、安西 愈弁護士も次のように述べて肯定しておられる。 「なお、法定労働時間を超えたり、三六協定の時間を超えて、労働者が自主的に残業等を行うこと のないように使用者は違反防止に必要な措置をとる必要があり、「時間外労働が月間20時間をこえる 場合には所属長の承認を要する」といった管理上の措置は、フレックスタイムについてもさしつかえ ない。」(安西 「労働時間」P152) 556 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第3節 フレックス・タイム制 ⇒ フレックス・タイム制において、使用者が時間外労働に制限を設けることは可能である。 5)フレックス・タイム制適用者に時間外労働を命令できるのか? 特定の日に「何時まで仕事をしろ」というような指示はできない。 また、「残業は月20時間まで」というような指示は上記4)のとおり可能であるが、「月20 時間残業をしろ」というような指示が許されるかどうかは労働契約上の権利・義務にかかわってく る。一般に、就業規則には時間外労働を命じることができる規定があるから、当該規定に基づき包 括的な残業指示は可能と考える。 (5)長所・短所 フレックス・タイム制は、1か月以内の一定期間の総労働時間を定めておき、労働者がその範囲 内で各日の始業及び終業の時刻を選択して働くことにより、労働者がその生活と業務との調和を図 りながら効率的に働くことを可能とし、労働時間を短縮しようとするものである。したがって、適 用を受ける労働者には「生活と業務との調和」に理解を示し、いずれに偏ることなく始業及び終業 の時刻を選択する態度が求められる。 組織の中で働く場合に、チーム内の連携や関連部門との意思疎通のため会議や打合せなどの会合 が避けられない。この場合に「業務との調和」を無視する者がいるとフレックス・タイム制はうま く機能しない(注)。 制度設計においてこの点に留意し、「生活と業務との調和」を図ることができない者を排除する ことや業務の必要性に応じてフレックス・タイム制を一時的に中止できるような内容にすることも 一方法である。 注.業務を行うにあたり、仕事と生活の調和にも配慮することは労働契約の原則である(契約法 3 条 3 項) 。 労働者があまりにも生活に偏った判断をすることは、労働契約の原則に反する。 (6)年少者に対する適用 フレックス・タイム制は 18 歳未満の年少者には適用されない。しかし、1か月単位の変形労働 時間制及び1年単位の変形労働時間制については、1週間 48 時間以内かつ1日8時間以内の制限 のもとに、15 歳以上 18 歳未満の年少者に適用することができる(繁忙期の土曜出勤が可能となる。) (労基法 60 条 3 項)。 557 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 第4節 時間外・休日労働 労基法上、時間外労働又は法定休日労働を行わせることができる場合は、①災害等による臨時の必 要がある場合(労基法 33 条 1 項)、②時間外・休日労働に関する労使協定を締結し所轄労働基準監督 署長へ届け出た場合、の二方法がある。 なお、公務員については、①に準じる事由として公務のために臨時の必要がある場合には、災害等 によるものでなくても時間外労働又は法定休日労働を行わせることができる(労基法 33 条 3 項)。 第1款 非常事由による時間外・休日労働 1.非常事由による時間外・休日労働 災害その他避けることのできない事由によつて、臨時の必要がある場合には、所轄労基署長の許 可を受けて、その必要の限度において時間外労働をさせ、又は法定休日に労働させることができる。 いわゆる非常事由による時間外・休日労働であるが、事態急迫のために所轄労基署長の許可を受け る暇がない場合は、事後に遅滞なく届け出なければならないこととされている(労基法 33 条 1 項)。 事後届出があつた場合において、その労働時間の延長又は休日の労働を所轄労基署長が不適当と 認めるときは、その後にその時間に相当する休憩又は休日を与えるべきことを命じることができる (労基法 33 条 2 項)。 許可の対象となる「災害」とは、天災地変その他これに準じるものを指し、事業場で通常発生す る事故は含まれない。通達においても「第 1 項は災害、緊急、不可抗力その他客観的に避けること が出来ない場合の規定である」としている(昭 22.9.13 発基 17 号)。また「その他避けることので きない事由」とは、業務運営上通常予想し得ない事由がある場合をいうものと解される。 所轄労基署長の許可又は事後の承認の基準は、次のとおりである(昭 22.9.13 発基 17 号)。 ① 単なる業務の繁忙その他これに準じる経営上の必要は認めないこと。 ② 急病、ボイラーの破裂そのほか人命又は公益を保護するための必要は認めること。 ③ 事業の運営を不可能ならしめるような突発的な機械の故障の修理は認めるが、通常予見され る部分的な修理、定期的な手入れは認めないこと。 ④ 電圧低下により保安等の必要がある場合は認めること。 なお、この非常事由による時間外・休日労働の要請に対し、労働者はこれに従う私法上の義務が あるかという点については、三六協定による場合と異なり、事柄の性質上、就業規則等に明示して いない場合にも一定の範囲で私法上も労働時間の延長又は休日労働に従う義務を認め得ると解さ れよう(厚労省「労基法コメ」上巻 P445)。 ⇒ 災害その他避けることのできない事由によつて臨時の必要がある場合には、所轄労基署長の許可を受けて、 その必要の限度において時間外労働又は休日労働をさせることができる。 558 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 2.公務のために臨時の必要がある場合 (1)非現業の官公署 公務のために臨時の必要がある場合には、官公署の事業(別表第一に掲げる事業を除く。)に従 事する国家公務員及び地方公務員については時間外労働又は休日労働をさせることができる。 別表第一に掲げる事業を除く「官公署の事業」とは、いわゆる「現業にあらざる官庁事務」をい い、厳密には「非現業の官公署」とは必ずしも一致しないそうである(厚労省「労基法コメ」上巻 P447)が、実務上の理解としては「非現業の官公署」と解して支障がないであろう。 この対象となる国営企業(国家公務員)については、特定独立行政法人等労働関係法(特労法) が適用される林野庁本庁、各森林管理局(注 1)などである。 地方公共団体の官公署(地方公務員)については、地方公営企業法に規定する地方公共団体の行 う企業の管理部門、都道府県家畜保健衛生所(注 2)などがこれに該当する。 注 1.林野庁本庁、各森林管理局に勤務する国家公務員 一般職国家公務員ついては、原則として労基法は適用されない(国公法附則 16 条)が、特定独 立行政法人等に勤務する一般職国家公務員には国公法附則 16 条が適用されない (特労法 37 条 1 項) ため、労基法は全面的に適用される。ただし、同法 33 条 3 項カッコ書によって労基法別表第一に 掲げる事業(現業の事業)は適用されないこととしているから、結局、適用されるのは、特労法が 適用される事業であって非現業の官公署に該当する林野庁本庁、各森林管理局に勤務する国家公務 員などに限られる。 注 2.地方公営企業法に規定する地方公共団体の行う企業の管理部門、都道府県家畜保健衛生所に勤 務する地方公務員 地方公務員については、原則として労基法は適用されるが、地方公務員法によって一部の条項 (労使協定を必要とする条項など)が適用除外される(地公法 58 条 3 項)。しかし、当該労基法 33 条 3 項は地公法によって除外される「一部の条項」に含まれていないため、原則的には地方公 務員に適用されることとなるが、同項カッコ書により別表第一に掲げる事業は除かれることになる から、結局、同項が適用されるのは、地方公営企業法に規定する地方公共団体の行う企業の管理部 門、都道府県家畜保健衛生所に勤務する地方公務員などに限られる。 「公務のために」とは、国又は地方公共団体の事務のすべてをいうものと解され、公務のため臨 時の必要があるか否かの判断は、一応使用者たる当該行政官庁に委ねられており、広く公務のため の必要を含むものである(昭 23.9.20 基収 3352 号)。 当該規定が適用される官公署の事業においては、時間外・休日労働に関する三六協定は不必要と いうことにる(昭 23.7.5 基収 1685 号)。 ⇒ 公務のために臨時の必要がある場合に、三六協定の締結を要せず時間外労働又は休日労働をさせること ができる国家公務員及び地方公務員は、次のとおりである。 ① 特労法が適用される事業であって非現業の官公署に該当する林野庁本庁、各森林管理局に勤務する国 家公務員など ② 地方公営企業法に規定する地方公共団体の行う企業の管理部門、都道府県家畜保健衛生所に勤務す る地方公務員など 559 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 「公務のために臨時の必要がある場合」(労基法 33 条 3 項)の適用 (1)国家公務員の場合 原則:国家公務員には労基法は適用されない(国公法附則 16 条)。 → 特労法が適用される特定独立行政法人等(特定独立行政法人及び国有林野事業を行う国の経営す る企業)の職員にいては、国公法附則 16 条が適用されないため、労基法が全面的に適用される(特 労法 37 条)。 → しかし、労基法 33 条 3 項は、そのカッコ書において現業官公署(労基法別表第一に掲げる事業) については適用しないこととしているから、結局のところ「公務のために臨時の必要がある場合」 (労 基法 33 条 3 項)の規定が適用される「現業にあらざる官庁事務」は、特定独立行政法人等労働関係 法が適用される林野庁本庁、各森林管理局に勤務する職員などに限定される(特定独立行政法人は非 現業の官公署に該当しない。) 。 (2)地方公務員の場合 原則:地方公務員については、原則として労基法は適用されるが、地方公務員法によって一部の条項 (労使協定を必要とする条項など)が適用除外される(地公法 58 条 3 項)。 → 労基法 33 条 3 項は地公法によって除外される「一部の条項」に含まれていないため、原則的には 地方公務員に適用されることとなる。 → しかし、労基法 33 条 3 項は、そのカッコ書において現業官公署については適用しないこととして いるから、結局のところ「公務のために臨時の必要がある場合」 (労基法 33 条 3 項)の規定が適用さ れる「現業にあらざる官庁事務」は、地方公営企業法に規定する地方公共団体の行う企業の管理部門、 都道府県家畜保健衛生所に限られる(地方公営企業は非現業の官公署に該当しない。 )。 (2)公立学校の教育職員に関する特例 1)給特法による地公法 58 条 3 項の読替え 公立学校(公立の小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校又は幼稚園をいう。) は労基法別表第一の 12 号の事業(教育・研究・調査の事業)に該当すると考えられるから、原則 的には非現業の官公署が対象となる「公務のため臨時の必要がある場合」 (労基法 33 条 3 項)の規 定は適用されない(非常災害でなく、労使協定によるのでもなく時間外・休日労働が可能。 )。 しかし、 「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」 (「給特法」という。) によって地公法 58 条 3 項を読替えることにより、公立学校の教育職員(校長・副校長・教頭を除 く。)について、労基法 33 条 3 項を適用することとしている。ただし、やはり地公法 58 条 3 項を 読替えることによって労基法 37 条(割増賃金)の規定は適用されず、時間外労働又は休日労働を 命じても教職調整額(原則として給料月額の 100 分の 4)の支給のみで足りる(給特法 3 条 2 項) 。 ただし、時間外勤務を命じることができるのは次の5項目に限られ、しかも「臨時又は緊急にやむ を得ない必要があるとき」に限られ、時間外労働等を命じるには二重の制約がある( 「限定業務」 と呼ばれる。 )(昭 46.7.5 文部省訓令 28 号)。 ① 生徒の実習 ② 学校行事 ③ 教育実習の指導 560 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 ④ 教職員会議 ⑤ 非常災害等やむを得ない場合 ⇒ 地方公務員である公立学校の教育職員の場合は、「公務のため臨時の必要がある場合」(労基法 33 条 3 項) に時間外勤務を命じることができるが、割増賃金の支払いは必要なく、教育調整額の支給のみで足りる。 裁判例では、京都市立小・中学校に勤務する教育職員が,違法な時間外勤務を行わせた上,健康 保持のための安全配慮義務を怠ったとして,損害賠償等請求した訴訟の控訴審において,「教育職 員の時間外勤務そのものが違法と評価されるのは,同職員の自由意思を強く拘束するような状況下 でなされ,給特法の趣旨を没却するような場合に限られるというべきである」とし、本件教員の時 間外労働そのものは,自主性,自発性が期待されており,自由意思を拘束しないとして違法とは認 定しなかった「京都市立小中学校教諭(損害賠償請求)事件」がある(注)。 注.「京都市立小中学校教諭(損害賠償請求)事件」大阪高裁判決平 21.10.1 「一審原告らは,超過勤務をせざるを得ないほどの課題を与えていたり,超過勤務を余儀なくさ せる時間帯での業務をさせているのは行政当局であり,これらは,教育職員の自主的,自発的,創 造的な選択では絶対にないし,教育職員は,形式的な時間外勤務命令や個々の具体的指示がなくて も,校長の包括的な職務指示に拘束されて時間外勤務を余儀なくされているのであり,自主的,自 発的な時間外勤務といえる状況にはないなどと主張する。 しかし教師と児童生徒との間の直接の人格的接触を通じて,次代を担う児童生徒たちの人格の発 展と完成を図る教育に関わる職務は,職務遂行による成果が目に見える結果等により計測できない 性質を有しており,そのような教育職員の職務の性質に照らせば,教育職員の職務遂行にあたって は,今なお,それぞれの自主性,自発性,創造性に基づく職務遂行に期待する面が大きいというべ きあり,本件各証拠によっても,授業内容やその進め方,担任する学級の運営,部活動の内容や時 間,保護者との対応などの様々な場面で,教育職員それぞれの判断が求められ,その判断に基づき 職務が遂行されていることが窺える。決められた時間数の授業を行い,一定の基準に従い成績をつ け,あるいは部活動の顧問になったり,研究授業等を行うなどの点で職務の大枠が定められ,また, その枠や内容が時代により変化してきているという状況にあるものの,自主性,自発性,創造性に 基づく職務遂行が期待されるという教育職員の職務の本質部分に変化はないと解されることから すれば,先に説示したように,教育職員の時間外勤務そのものが違法と評価されるのは,同職員の 自由意思を強く拘束するような状況下でなされ,給特法の趣旨を没却するような場合に限られると いうべきであるから,一審原告らの上記主張は採用できない。」 判決文でいう「一審原告らの上記主張」の主なものは、次のとおりである。 ① 給特法の解釈上,教育職員の自由意思を強く拘束するような状況下でされた場合だけが,給 特法に抵触する違法な職務命令に該当すると狭く解釈すべきではなく,黙示のものや余儀なく されたものも超過勤務と解されるべきである。 ② 超過勤務をせざるを得ないほどの課題を与えていたり,超過勤務を余儀なくさせる時間帯で の業務をさせているのは行政当局であり,これらは,教育職員の自主的,自発的,創造的な選 択では絶対にない。 ③ 教育職員は,形式的な時間外勤務命令や個々の具体的指示がなくても,校長の包括的な職務 561 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 指示に拘束されて時間外勤務を余儀なくされているのであり,自主的,自発的な時間外勤務と いえる状況にはない。 ④ 給特法や本件条例は,時間外勤務をさせないという前提にたち,時間外勤務をしたときにど うするのかを明記していないのであるから本来あるべき労働基準法 37 条,本件条例 15 条及び 18 条に立ち戻って,時間外勤務手当の請求が認められなければならない。 2)国立大学の義務教育諸学校等の教育職員の場合 しかし、国立大学の義務教育諸学校等の教育職員については、公務員ではないため労基法 33 条 3 項は適用されず、一般労働者と同様に三六協定に基づいて時間外・休日労働をさせることになる。 給特法ももちろん適用されないため、たとえ教育調整額を過去の経緯により支給していても、時間 外労働又は休日労働については他の職員と同様に割増賃金の支払いが強制される。 前述「京都市立小中学校教諭(損害賠償請求)事件」においても、教職調整額 4%の支給額が労 基法 37 条による割増賃金額に不足するときは、その差額分を支払う必要がある、としている。 「国立大学法人A大学が、その運営する附属小中学校について、平成 20 年 7 月 7 日、時間外労働 に係る割増賃金の支給等について、○○労働基準監督暑の是正勧告を受けたこと、労働時間を適正に 把握すべく措置を講ずることなどの指導を受けたことが認められるが、上記学校は、国立大学の独立 行政法人化に伴い、給特法の対象外となったことから労働基準法 37 条の適用を受けることになり、 それが上記是正勧告等に結びついていると解されるのであり、本件(筆者注:京都市)のように給特 法の適用を受ける教育職員に関する時間外勤務手当の支給の要否が問われる場合とは事案を異にす るというべきである。」 ⇒ 国立大学の義務教育諸学校等の教育職員の場合は三六協定に基づいて時間外・休日労働をさせることに なり、割増賃金の支払いが必要である。 公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法(給特法) (教育職員の教職調整額の支給等) 第三条 教育職員(校長、副校長及び教頭を除く。以下この条において同じ。 )には、その者の給料月額 の百分の四に相当する額を基準として、条例で定めるところにより、教職調整額を支給しなければならな い。 2 教育職員については、時間外勤務手当及び休日勤務手当は、支給しない。 第3項 略 (教育職員に関する読替え) 第五条 教育職員については、地方公務員法第五十八条第三項 本文中「第二条 、」とあるのは「第三十 三条第三項中「官公署の事業(別表第一に掲げる事業を除く。) 」とあるのは「別表第一第十二号に掲げる 事業」と、「労働させることができる」とあるのは「労働させることができる。この場合において、公務 員の健康及び福祉を害しないように考慮しなければならない」と読み替えて同項の規定を適用するものと し、同法第二条 、」と、 「第三十二条の五まで」とあるのは「第三十二条の五まで、第三十七条」と、 「第 五十三条第一項」とあるのは「第五十三条第一項、第六十六条(船員法第八十八条の二の二第三項 及び 562 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 第八十八条の三第四項 において準用する場合を含む。)」と、 「規定は」とあるのは「規定(船員法第七十 三条 の規定に基づく命令の規定中同法第六十六条 に係るものを含む。 )は」と、同条第四項 中「同法第 三十七条第三項 中「使用者が、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労 働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協 定により」とあるのは「使用者が」と、同法 」とあるのは「同法 」と読み替えて同条第三項 及び第四 項 の規定を適用するものとする。 (下線(エビ茶色)の部分が読替えた部分) 地方公務員法 (他の法律の適用除外等) 第 58 条 労働組合法 (昭和二十四年法律第百七十四号)、労働関係調整法 (昭和二十一年法律第二十 五号)及び最低賃金法 (昭和三十四年法律第百三十七号)並びにこれらに基く命令の規定は、職員に関 して適用しない。 2 労働安全衛生法 (昭和四十七年法律第五十七号)第二章 の規定並びに船員災害防止活動の促進に 関する法律 (昭和四十二年法律第六十一号)第二章 及び第五章 の規定並びに同章 に基づく命令の規定 は、地方公共団体の行う労働基準法 (昭和二十二年法律第四十九号)別表第一第一号から第十号まで及 び第十三号から第十五号までに掲げる事業に従事する職員以外の職員に関して適用しない。 3 労働基準法第二条 、第十四条第二項及び第三項、第二十四条第一項、第三十二条の三から第三十二 条の五まで、第三十八条の二第二項及び第三項、第三十八条の三、第三十八条の四、第三十九条第六項、 第七十五条から第九十三条まで並びに第百二条の規定、労働安全衛生法第九十二条 の規定、船員法 (昭 和二十二年法律第百号)第六条 中労働基準法第二条 に関する部分、第三十条、第三十七条中勤務条件に 関する部分、第五十三条第一項、第八十九条から第百条まで、第百二条及び第百八条中勤務条件に関する 部分の規定並びに船員災害防止活動の促進に関する法律第六十二条 の規定並びにこれらの規定に基づく 命令の規定は、職員に関して適用しない。ただし、労働基準法第百二条 の規定、労働安全衛生法第九十 二条 の規定、船員法第三十七条 及び第百八条 中勤務条件に関する部分の規定並びに船員災害防止活動 の促進に関する法律第六十二条 の規定並びにこれらの規定に基づく命令の規定は、地方公共団体の行う 労働基準法 別表第一第一号から第十号まで及び第十三号から第十五号までに掲げる事業に従事する職員 に、同法第七十五条 から第八十八条 まで及び船員法第八十九条 から第九十六条 までの規定は、地方公 務員災害補償法 (昭和四十二年法律第百二十一号)第二条第一項 に規定する者以外の職員に関しては適 用する。 4 職員に関しては、労働基準法第三十二条の二第一項 中「使用者は、当該事業場に、労働者の過半数 で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合 においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定により、又は」とあるのは「使用者は、 」と、 同法第三十四条第二項 ただし書中「当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合にお いてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表す る者との書面による協定があるときは」とあるのは「条例に特別の定めがある場合は」と、同法第三十七 条第三項 中「使用者が、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、 労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定によ り」とあるのは「使用者が」と、同法第三十九条第四項 中「当該事業場に、労働者の過半数で組織する 労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を 563 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 代表する者との書面による協定により、次に掲げる事項を定めた場合において、第一号に掲げる労働者の 範囲に属する労働者が有給休暇を時間を単位として請求したときは、前三項の規定による有給休暇の日数 のうち第二号に掲げる日数については、これらの規定にかかわらず、当該協定で定めるところにより」と あるのは「前三項の規定にかかわらず、特に必要があると認められるときは、」とする。 5 労働基準法 、労働安全衛生法 、船員法 及び船員災害防止活動の促進に関する法律 の規定並びに これらの規定に基づく命令の規定中第三項 の規定により職員に関して適用されるものを適用する場合に おける職員の勤務条件に関する労働基準監督機関の職権は、地方公共団体の行う労働基準法 別表第一第 一号から第十号まで及び第十三号から第十五号までに掲げる事業に従事する職員の場合を除き、人事委員 会又はその委任を受けた人事委員会の委員(人事委員会を置かない地方公共団体においては、地方公共団 体の長)が行うものとする。 給特法 5 条によって読替えられた地方公務員法 58 条 3 項・4 項 (他の法律の適用除外等) 第 58 条 3 第1項・第2項 略 労働基準法「第三十三条第三項中「官公署の事業(別表第一に掲げる事業を除く。) 」とあるのは「別 表第一第十二号に掲げる事業」と、「労働させることができる」とあるのは「労働させることができる。 この場合において、公務員の健康及び福祉を害しないように考慮しなければならない」と読み替えて同項 の規定を適用するものとし、同法第二条 、」第十四条第二項及び第三項、第二十四条第一項、第三十二条 の三から「第三十二条の五まで、第三十七条」、第三十八条の二第二項及び第三項、第三十八条の三、第 三十八条の四、第三十九条第六項、第七十五条から第九十三条まで並びに第百二条の規定、労働安全衛生 法第九十二条 の規定、船員法 (昭和二十二年法律第百号)第六条 中労働基準法第二条 に関する部分、 第三十条、第三十七条中勤務条件に関する部分、「第五十三条第一項、第六十六条(船員法第八十八条の 二の二第三項 及び第八十八条の三第四項 において準用する場合を含む。) 」 、第八十九条から第百条まで、 第百二条及び第百八条中勤務条件に関する部分の規定並びに船員災害防止活動の促進に関する法律第六 十二条 の規定並びにこれらの規定に基づく命令の「規定(船員法第七十三条 の規定に基づく命令の規定 中同法第六十六条 に係るものを含む。 )は」、職員に関して適用しない。ただし、労働基準法第百二条 の 規定、労働安全衛生法第九十二条 の規定、船員法第三十七条 及び第百八条 中勤務条件に関する部分の 規定並びに船員災害防止活動の促進に関する法律第六十二条 の規定並びにこれらの規定に基づく命令の 規定は、地方公共団体の行う労働基準法 別表第一第一号から第十号まで及び第十三号から第十五号まで に掲げる事業に従事する職員に、同法第七十五条 から第八十八条 まで及び船員法第八十九条 から第九 十六条 までの規定は、地方公務員災害補償法 (昭和四十二年法律第百二十一号)第二条第一項 に規定 する者以外の職員に関しては適用する。 4 職員に関しては、労働基準法第三十二条の二第一項 中「使用者は、当該事業場に、労働者の過半数 で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合 においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定により、又は」とあるのは「使用者は、 」と、 同法第三十四条第二項 ただし書中「当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合にお いてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表す る者との書面による協定があるときは」とあるのは「条例に特別の定めがある場合は」と、「同法」第三 564 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 十九条第四項 中「当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働 者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定により、次 に掲げる事項を定めた場合において、第一号に掲げる労働者の範囲に属する労働者が有給休暇を時間を単 位として請求したときは、前三項の規定による有給休暇の日数のうち第二号に掲げる日数については、こ れらの規定にかかわらず、当該協定で定めるところにより」とあるのは「前三項の規定にかかわらず、特 に必要があると認められるときは、」とする。 第5項 略 給特法 5 条によって読替えられた地方公務員法 58 条 3 項による労基法 33 条 3 項 (災害等による臨時の必要がある場合の時間外労働等) 第 33 条 3 第1項・第2項 略 公務のために臨時の必要がある場合においては、第一項の規定にかかわらず、別表第一第 12 号に掲 げる事業に従事する国家公務員及び地方公務員については、第三十二条から前条まで若しくは第四十条の 労働時間を延長し、又は第三十五条の休日に労働させることができる。 565 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 第2款 労使協定による時間外・休日労働 1.労使協定(三六協定)の締結 (1)協定が必要な場合 法定労働時間を超え、又は法定休日に労働させる場合は、労使協定を締結し所轄労働基準監督署 長へ届け出なければならない(36 条)。 労使協定を締結しない場合、又は労使協定を締結したが届出を欠く場合は、労基法 32 条(労働 時間)又は 35 条(休日)の違反となる(注 1)。 労基法 36 条 1 項は「・・・労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、これを行政 官庁に届け出た場合においては、・・・労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる。」 と規定している。したがって、労使協定を締結しても届出を欠く場合は、「労働時間を延長し、又 は休日に労働させる」こと自体が違法となる(他の労使協定(1か月単位の変形労働時間制、1年 単位の変形労働時間制、専門業務型裁量労働制、企画業務型裁量労働制など)の場合は、届出を欠 く労使協定であっても、協定の内容に沿って労働者を使用しても労働時間規制違反とされるわけで なく届出義務違反を問われるだけである。(注 2))。使用者としてはこの点について十分注意しな ければならない。 注 1.労基法 32 条・35 条違反は「6か月以下の懲役又は 30 万円以下の罰金」に処せられる(労基法 119 条) 。 注 2.たとえば、1か月単位の変形労働時間制の場合は、労基法 32 条の 2 第 1 項において「・・・労 働者の過半数を代表する者との書面による協定により・・・労働時間を超えて、労働させることが できる。」と規定し、第 2 項において「・・・前項の協定を行政官庁に届け出なければならない。 」 としている。したがって、届出を欠く場合であっても、労使協定を締結していれば時間外労働が違 法とされることはない(届出義務違反を問われるのみで、罰則は「30 万円以下の罰金」である(労 基法 120 条) 。 )。 (2)労使協定の締結単位及び当事者 1)締結単位 労使協定は事業場単位で締結することを要する。これは、事業場ごとに異なる就業実態に合わせ て労基法の規制を調整する途を残そうとするものである(筑波大「労働時間」P254)。 この「事業場」というのは労基法が適用される単位としての事業場をいうから、本社・支店・工 場等の複数事業場を擁する企業にあっても、企業全体の労働者数による過半数ではなくそれぞれの 支店・工場ごとの個々の事業場について、当該事業場の単位で過半数組合であるかを判断しなけれ ばならない。 独立した事業場であるか否かは、主として場所的な観念-すなわち同一の場所に存するかどうか -で判断される。ただし、場所的には別であっても小規模な事務所等で上位の機関と一体となった 労務管理が行われている場合には、その上位機関と併せて一個の事業場とみなされるし、同一の場 所であっても労働の態様が著しく異なる場合は別の事業場とみなされる(「事業場」概念について は本テキスト 37 ページ以下参照)。 566 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 2)当事者 労使協定の使用者側当事者は、労働契約上の権利義務の帰属主体となる事業主(法人経営の場合 は法人そのもの。個人経営の場合は事業主個人としての自然人。)を指しており、労基法 10 条の使 用者概念と必ずしも一致せず限定される。ただし、協定を締結する権限を代表者から授権されたも のであれば、事業場の長(支店長、工場長等)だけでなく、人事部長等でも締結当事者となり得る (筑波大「労働時間」P255)。 労働者側の当事者については労基法上厳格に規定されており「当該事業場に、労働者の過半数で 組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない 場合においては労働者の過半数を代表する者」とされている。 すなわち、事業場ごとに、当該事業場に労働者の過半数で組織している労働組合(過半数組合) がある場合にはその労働組合、そのような労働組合がなければ労働者の過半数を代表する者、であ る。過半数組合がある場合に別途過半数代表者を選出して協定しても無効である。また、少数組合 は労使協定に関し何の影響も与えない(過半数組合が存在しない事業場において、少数組合の執行 委員長など組合役員が過半数代表者に選任されることがあるが、当該過半数代表者は個人として労 使協定締結の当事者となるのであって、当該少数組合が協定に影響を与えるものでない。) 。 過半数の意義については後述する。 (3)協定すべき内容 協定すべき内容は、次のとおりである(労基則 16 条)。 ① 時間外又は休日労働をさせる必要のある具体的事由 ② 業務の種類 ③ 労働者の数 ④ 1日及び1日を超える一定期間(1日を超え3か月以内の期間及び1年間)についての延長する ことができる時間又は労働させることができる休日 ○労働基準法第三十六条第一項の協定で定める労働時間の延長の限度等に関する基準 平成 10 年 12 月 28 日労働省告示第 154 号 最終改正平成 15 年 10 月 22 日厚生労働省告示第 355 号 (一定期間の区分) 第二条 労使当事者は、時間外労働協定において一日を超える一定の期間(以下「一定期間」という。) についての延長することができる時間(以下「一定期間についての延長時間」という。)を定めるに 当たっては、当該一定期間は一日を超え三箇月以内の期間及び一年間としなければならない。 したがって、時間外労働について協定する場合は、次の時間について協定する必要がある。 ① 1日 ② 1日を超え3か月以内の期間 ③ 1年間 ⇒ 限度時間が設けられているのは②及び③だけであるが、協定には①~③について定める必要がある(フレッ クス・タイム制適用者の場合は①について協定する必要はなく、②及び③について協定することで足りる。)。 567 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 実際にどのように協定を締結するのか、協定内容別に東京大学本郷キャンパスの例を紹介してお こう(平成22年度の例)。 1)具体的事由 ① 年度始め、年末から年度末、学期始め及び学期宋等、季節的に業務が集中し、法定労働時間 内の勤務では処理が困難なとき ② 大学及び部局(東京大学基本組織規則第3章及び第4章に掲げる組織及び教育学部附属中等 教育学枚をいう。以下同じ。)の行事並びに大学及び部局の管理運営に係る業務を実施するた め、法定労働時間内の勤務では処理が困難なとき ③ 教育・研究に係る業務及び支援業務を実施するため、法定労働時間内の勤務では処理が困難 なとき ④ 診療、投薬、看護、検査、動植物等の飼育・栽培、設備備品の修繕及び事故・災害への対応 等を実施するため、法定労働時間内の勤務では処理が困難なとき ⑤ 一定の期日までに業務を完了しなければならないため、法定労働時間内の勤務では業務の処 理が困難なとき、その他これに準ずる業務遂行上の必要性があるとき 2)業務の種類 (1)業務の種類 ① 入学式、卒業式その他諸行事の準備業務 ② 諸会議に関する準備業務 ③ 採用、配置換、懲戒その他教職員の人事管理、表彰及び叙勲に関する業務 ④ 教職員の俸給その他の給与の決定及び支給に関する業務 ⑤ 中期目標 ⑥ 予算編成業務(概算要求業務) ⑦ 月末の決算業務 ⑧ 学生等の入学手続きに関する業務 ⑨ 授業時間割の編成に関する業務 ⑩ 試験に関する業務(入学試験を含む。) ⑪ 卒業、修了判定に関する業務 ⑫ 学生、生徒の関係で職務上必要なとき ⑬ 奨学資金の申請業務 ⑭ 図書館資料の選定及び発注に関する業務 ⑮ 図書館資料の目録・所蔵情報の構築に関する業務 ⑯ 図書館資料の整理、閲覧に関する業務 ⑰ 建物、設備等の工事の計画、設計、契約、監督及び検査に関する業務 ⑱ 安全衛生に関する業務 ⑲ 動植物の飼育・栽培業務 ⑳ 教育・研究の業務及びその支援業務 ㉑ 実験業務、実験準備 ㉒ 課外活動での指導、引率業務 ㉓ 診療、投薬、看護及び検査の業務 ㉔ 病棟看護業務 中期計画及び年度計画等の作成に関する業務 568 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 3)労働者の数 ① 事務職員 2,089 名 ② 技術職員 914 名 ③ 大学教員 2,213 名 ④ 医療職員 9名 ⑤ 看護職員 17 名 ⑥ 特任教員等 2,316 名 4)延長時間又は休日労働日数 ① 1日につき5時間以内 ② 1か月につき45時同以内 ③ 1年間につき360時間以内 各部局においては、前項の規定に係わらず次に掲げる時間以内となるよう努力するものとする。 ① 1か月につき25時間以内 ② 1年間につき200時間以内 (4)労使協定のもつ意義 1)労使協定の法的意義 イ 面罰効果 三六協定に限らず労基法が定める労使協定の意義は、その協定に定めるところによって労働させ ても労基法に違反しないという免罰効果をもつ、ということであり、労使協定の範囲内で時間外・ 休日労働を命じることができるということではない。したがって、別途就業規則等においてその旨 規定しておく必要がある(昭 63.1.1 基発 1 号-注 1)。 もっとも、わが国の労働関係においては、もはや別途就業規則などに明文規定を設けなくても、 超過労働は使用者の命令によって行われるという労働慣行が成立し、労働契約にとくに反対の約定 がない限り、そのように解釈されるべきであるとする見解もある(労働省労基局監督課編「採用か ら解雇、退職まで」新訂新版 P26~27 労働基準調査会刊平成元年-注 2)。しかし、常識的には前 述通達にあるとおり、別途就業規則等においてその旨規定しておくことがよい。 注 1.労使協定の効力 「労働基準法上の労使協定の効力は、その協定に定めるところによって労働させても労働基準法 に違反しないという免罰効果をもつものであり、労働者の民事上の義務は、当該協定から直接生じ るものではなく、労働協約、就業規則等の根拠が必要なものであること。」(昭 63.1.1 基発 1 号) 注 2.超過労働命令 労働省労基局監督課編「採用から解雇、退職まで」新訂新版 P26~27 では、超過労働命令につい て次のように説明している。 「次に、業務命令のなかでも超過労働命令、いいかえれば、休日労働命令、時間外労働命令、宿 日直勤務命令についてとりあげてみよう。 これらの場合は、契約上は労働義務の課せられていない休日や時間外における労働の要求であり、 そのかぎりにおいてその都度労働契約の変更が行われるとみるべきだという考え方も成り立つが、 労働契約はそれほど狭いものとみるべきでなく、時間外労働や休日労働も労働契約に基づく使用者 の業務命令で命じ得ると解した方が実情に合致すると考えられる。 労働契約の内容となるとみられている就業規則の規定をみても、一般に時間外労働や休日労働を 569 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 命ずることがある旨の規定が設けられており、時間外労働や休日労働の命令権が労働契約上、あら かじめ確保されていると解される。 このような明文の根拠規定がおかれていなくても、もはや、わが国の労働関係においては、超過 労働は使用者の命令によって行われるという労働慣行が成立し、労働契約も、とくに反対の約定が ないかぎり、そのように解釈されるべきである。」 (労働省編「採用から解雇、退職まで」新訂新版 P26~27) 一方、労働協約による場合(注 1)は当該協約内容が組合員である労働者を拘束するので、協約 において時間外・休日労働義務を規定しているときは、使用者の命令により就労義務が生じる、と 考えるべきである(注 2)。ただし、それは組合員に対してだけである。労基法の規定に基づいて 締結する過半数組合との労使協定が労働協約としての効力を有するものか否かについては議論が あるが、ひとまず、両者の効力を有する約定は可能であると解しておく。 労働協約の法的性質については、第3編第5章4.労働協約の効力拡張(一般的拘束力) (第 10 回(2 月を予定))の項で詳述する。 注 1.労働協約による場合 労使協定の締結の相手方は、 「当該事業場に、①労働者の過半数で組織する労働組合がある場合に おいてはその労働組合、②労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半 数を代表する者」であるから、当該事業場に過半数組合があるときは当該過半数組合と締結する。 それは、労組法 14 条に定める労働協約にも該当することになる。 労組法 (労働協約の効力の発生) 第十四条 労働組合と使用者又はその団体との間の労働条件その他に関する労働協約は、書面に作 成し、両当事者が署名し、又は記名押印することによつてその効力を生ずる。 注 2.有泉 亨「労基法」P340 有斐閣刊昭和 38 年 「協定が労働協約の形で行われた場合には、協定としての効力と協約としての効力とが併存する ことになる。そして労働協約の規範的部分は個々の労働契約に直律的効力を及ぼすのであるから、 個々の労働者は協約で定めるところに従って超過労働に従事する義務を負担する。これが通説的見 解である。ただ超過労働の義務は使用者の命令をまってはじめて具体化するもので何と言っても通 常の労働とは性格を異にするから、労働者の都合で超過労働の命令に従わない場合について、これ に通常の労働の場合と同じ規律をもって律することができるかどうかはさらに別個の問題である。 個々の場合について具体的に検討すべきである。」 ロ 私法上の効果 前述イのとおり、労使協定のもつ法的意義は、その協定に定めるところによって労働させても労 基法に違反しないという免罰効果をもつに過ぎず、協定から直接権利・義務は生じないとされてい る。 しかし、その根拠となった昭 63.1.1 基発 1 号をよく見ると「労働基準法上の労使協定の効力は、 その協定に定めるところによって労働させても労基法に違反しないという免罰効果」と述べている もので、労働時間に関する協定に限定した説明である。したがって、労働時間に関する協定(三六 570 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 協定、変形労働時間制、みなし労働時間制など)については免罰効果をもつに過ぎないという理解 でよかったが、たとえば、計画年休に関する労使協定の場合は個々の労働者の意思と無関係に年休 取得の時期が指定される効果をもつ。この点について、東大「労働時間」は次のように述べている。 「各労使協定についての以上のような解釈作業は各該当条文の注釈に譲るが、結論のみ一言すれば、 時間外労働協定や変形協定に関して問題となる労働義務は本来私法上の合意に根拠を有するものであ り、かつ労基法上の該当規定において労使協定に司法上の合意に代わるだけの効果が与えられている とはいい難いから、労使協定からは個々の労働者の義務は発生しないと解され、他方計画年休協定に ついては、年次有給休暇権(および時季指定権・時季変更権)が労基法の定める条件をみたせば自己 完結的に発生する法律効果であること、および労使協定はそうした性格をもつ時季指定権等を排除す るにとどまり、時間外労働義務と同様な意味で労働者に義務を課すわけでないことに鑑みれば、個々 の労働者の合意を要せずに上記の私法上の効果が発生するものと考えられる。 」 (東大「労働時間」P44) ⇒ 労基法上の労使協定は免罰効果のみに限らず、計画年休協定のように個々の労働者の合意を要せずに私 法上の効果が発生する場合もあると考えられる。 2)残業命令には常に絶対に服従すべき義務があるのか? イ 残業命令と三六協定との関係 三六協定の締結・届出は、適法に時間外労働を行うための要件である。いいかえれば、8時間を 超えて働かせてはならないという法律上の禁止を解くための手続きであって、許可などと効果は同 じである。したがって、三六協定の直接的な効力は法定労働時間を超えて時間外労働をさせても法 違反として処罰の対象とされないという刑事上の免責的効力にかぎられるものであり、時間外労働 を命じる根拠、いいかえれば労働者がその命令に服すべき義務は、この三六協定から直接生じるも のではない。 その根拠は、別の権利・義務関係を規定する労働契約で定められるべきものである。労働契約で 定められるといっても、実際は三六協定が締結きれれば超過労働を命ずることができる旨を就業規 則で定めているのが通例であるが、このような契約が存在しない場合には、たとえ三六協定が成立 しても使用者は時間外労働を命じ得ず、労働者はこれに従うべき義務は負わない。また、三六協定 がない場合の残業命令は、非常災害の場合を除き、違法な残業命令となるので、これを拒否しても 懲戒の対象とすることはできない。 それでは、三六協定があれば、その範囲内での残業命令には常に絶対に服従すべき義務が生じる であろうか? 換言すれば、命令を拒否した場合に懲戒処分することができるかということに通じる。 就業規則の規定に従った残業命令であれば、労働者は原則としてこれに従うべき義務を負うとい う考え方が一般的である(注)。したがって、これを拒否した場合は、懲戒の対象とすることがで きると考えられる。 しかし、この点については、学説上は争いがあり、残業命令のように超過労働については、個々 の労働者の同意、承認を必要とするという見解もあるが、本来、残業が臨時的、突発的な事由によ り必要となるのに、多数の労働者にいちいち同意を求めなければ残業を行わせることができないと いう考え方は、企業の経営、労働の実態からみて無理があるように考えられる。したがって、就業 571 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 規則等で超過労働の義務を定めている場合には、命令に従うべき義務があるとする考え方が妥当で あり、この命令を拒否すると、原則として懲戒の対象とすることができると考えるべきであろう(資 料34 P596 に東大「労働時間」の記述掲載)。 注.「日立武蔵工場(時間外労働義務)事件」最高裁一小平 3.11.28 「思うに、労働基準法(昭和六二年法律第九九号による改正前のもの)三二条の労働時間を延長し て労働させることにつき、使用者が、当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合等と書面によ る協定(いわゆる三六協定)を締結し、これを所轄労働基準監督署長に届け出た場合において、使用 者が当該事業場に適用される就業規則に当該三六協定の範囲内で一定の業務上の事由があれば労働 契約に定める労働時間を延長して労働者を労働させることができる旨定めているときは、当該就業規 則の規定の内容が合理的なものである限り、それが具体的労働契約の内容をなすから、右就業規則の 規定の適用を受ける労働者は、その定めるところに従い、労働契約に定める労働時間を超えて労働を する義務を負うものと解するを相当とする」 なお、、会社と上告人の加入する組合との間で、会社は、業務上の都合によりやむを得ない場合に は、組合との協定により一日八時間の実働時間を延長することがある旨の労働協約が締結されており、 裁判官 味村 治は「これによっても残業義務を負うこととなったと解すべきである。」と、補足意 見を述べている。 ロ 正当な理由があれば拒否できる ただし、労働基準法が労働時間の基準を定める趣旨からして、超過労働はやはり特別の事情があ る場合における臨時的な労働義務であり、所定労働時間の労働義務とは異なり、絶対的な効力をも つものとは考えられず、労働者に正当な理由があるときは、早退が認められるのと同様に残業を拒 むことも許されると考えられる。 裁判例においても、一般的概括的時間外労働に従事する義務がある場合であっても権利の濫用と ならない範囲内で時間外労働の業務命令を拒否する自由を持っていると判示している(「毎日新聞 東京本社事件」東京地裁判決昭 43.3.22)。 「人間誰しも一日の行動計画ないし生活設計を立ててそれに従った行動をするのが通例であるか ら、時間外労働をすべき日時が何月何日とか毎週何曜日とかのように、労働契約等で予め特定されて いる場合ならともかく、単に一般的概括的時間外労働に関する約束が存在しているに過ぎないような 場合に、終業時刻まぎわになって業務命令で時間外労働を命令し得るとなすときは、予め予定された 労働者の行動計画ないし生活設計を破壊するような不利益の受忍を労働者に強いる結果となること も考えられないでもなく、労働基準法第一五条の労働条件明示の規定の趣旨とも関連して、その業務 命令に絶対的な効力を認めるとすることは妥当なものであるとはいい難いから、一般的概括的時間外 労働に関する約束がある場合においても、労働者は一応使用者の時間外労働の業務命令を拒否する自 由を持っているといわなければならない。但し、使用者が業務上緊急の必要から時間外労働を命じた 場合で、労働者に終業時刻後なんらの予定がなく、時間外労働をしても、自己の生活に殆ど不利益を 受けるような事由がないのに、時間外労働を拒否することは、いわゆる権利の濫用として許されない 場合のあることは否定できない」 (「毎日新聞東京本社事件」東京地裁判決昭 43.3.22)。 ※残業拒否事由の開示 上司から残業を命じられた場合に、自己の私的事由によりこれを拒否する場合は、残業に応じられ 572 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 ない理由を説明すべきである。 一定の業務上の事由があれば労働時間を延長して労働者を労働させることができる旨を就業規則 に定めているときは、労働者はその定めるところに従い労働時間を超えて労働をする義務をもともと 負うものであるから、労働者がこれを拒否するためには応じられない理由を誠意を尽くして説明すべ き義務があると考えられる。 労使協定は、通常、次のような文言で締結される。 「国立大学法人○○と国立大学法人○○職員代表は、労働基準法(昭和 22 年法律第 49 号。以下 「労基法」という。)第 36 条第1項の規定に基づき、超過勤務及び休日勤務に関し、次のとおり協 定する。」 その意味するところは、労基法 36 条 1 項に規定する超過勤務(労働時間の延長)及び労基法上 の休日(法定休日)ということであるから、たとえば、週休2日制の事業所において土曜日に勤務 させても日曜日に休ませる限り休日労働にはならない。ただし、当該週の労働時間が 40 時間を超 えることになる場合は時間外労働として取り扱わなければならない(この場合に当該週内に祭日や 年休取得日があって不就業の日があると、土曜日に勤務させても 40 時間を超えないことがあり得 るが、その場合の土曜日勤務は時間外労働でも休日労働でもないということになる。)。労使間の慣 行として就業規則上の休日(土曜日・日曜日・祭日など)に勤務した場合に時間外労働の取扱いを せず休日労働として取扱う場合があるが、そのような前提の三六協定は不適当である。 また、法定休日の労働時間を時間外労働に加えて計算する例も見受けられるが、この点について 通達は「一定期間についての延長時間として、法定労働時間を下回る事業場の所定労働時間を基準 に定めた時間外労働時間の限度を協定して届け出る例、法第 35 条の規定による休日又はいわゆる 法定休日における労働時間を含めて協定し届け出る例が少なからずみられるところである。これら の届出は本来適正な届出とは認められないが、労使慣行への影響等を配慮して、当分の間やむを得 ないものとして取り扱うこと。」としている(昭 57.8.30 基発 569 号) 。 しかし、このような場合は、誤解を避けるためにも、協定の文言中「労働基準法(昭和 22 年法 律第 49 号。以下「労基法」という。)第 36 条第1項の規定に基づき」などの表現は削除した方が よいであろう。 なお、改正労基法が施行される平成 22 年 4 月 1 日以降は、月 60 時間を超える時間外労働に対す る割増賃金率が 150/100 となったので、従来のような法定外休日と法定休日とを区別せず就業規則 上の所定休日をすべて「休日勤務」として管理することは問題を残すことになる。すなわち、法定 外休日出勤のうち週 40 時間を超える勤務時間は時間外労働の 60 時間カウントに含めて計算しなけ ればならないことである。 このため、通達(平 21.5.29 基発 0529001 号)も「なお、労働条件を明示する観点及び割増賃金 の計算を簡便にする観点から、就業規則その他これに準ずるものにより、事業場の休日について法 定休日と所定休日の別を明確にしておくことが望ましいものであること。」と述べているように、 簡便な方法として、法定休日を固定的に定めることをお奨めする(たとえば日曜日というように。) 。 (5)有効期間 時間外労働協定には、労働協約である場合を除き(注)、有効期間を定めなければならない(労 基則 16 条 2 項)が、定期的に見直しを行う必要があると考えられることから、有効期間は1年間 とすることが望ましい(平 11.3.31 基発 169 号)。 573 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 有効期間中は、労働者又は使用者より一方的に協定破棄の申し入れをしても他方においてこれに 応じないときは、協定の効力に影響はない(昭 23.9.20 基収 2640 号)。ただし、協定中に「協定の 有効期間中といえども乙(労働組合)の破棄通告により失効する」等の附款がある場合は、破棄通 告により失効する(昭 28.7.14 基収 2843 号)。 注.労働協約の有効期間 労働協約には3年を超える有効期間を定めることができず、3年を超える有効期間を定めた労働 協約は3年の有効期間を定めたものとみなされる。 有効期間の定めがない労働協約も有効とされており、その場合は、当事者の一方が 90 日前に予 告することによって解約することができる(労組法 15 条)。 (6)自動更新 1)原 則 時間外労働協定の届出は様式第9号によって行うこととされているが、協定に自動更新の定めが あってそれに基づき更新しようとするときは、その旨の協定を届け出ることによって代えることが できる(労基則 17 条 2 項)。「その旨の協定」とは、当該協定の更新について労使両当事者のいず れからも異議の申し出がなかった事実を証する書面をもって足りるものとされている(昭 29.6.29 基発 355 号) 。 2)実際の手続き 時間外労働協定を上記1)の自動更新により更新する場合の実際の手続きはどうすればよいのか。 労基則 17 条 2 項の表現では、異議のないことを証する書面を提出すれば足りるのではないかと 思われるがはっきりしない。そこで、下記のa~cについて東京の中央労働基準監督署と土浦労働 基準監督署に訊いてみた。 a.届出用紙は通常使う様式9号を使わずに、「異議の申出がなかった事実を証する書面」(異 議がないと書いて労使がハンコを押したもの)だけを届け出ればよいのか。 b.様式9号の用紙には労働者代表が押印するようになっていないが、これに押印すれば「異議 の申出がなかった事実を証する書面」として使えるのか。 c.自動更新して届け出る場合、三六協定そのものの写しは添付する必要がないと思われるが、 実際に監督署ではそれでよいとしているか。 両監督署の話は、次のとおりである。 ■東京の中央労働基準監督署の話 上記a~cのいずれについても「イエス」であった。したがって、更新の届出は、a又はb の書類だけを提出すればよく、cは添付する必要がない。 ■土浦労働基準監督署の話 労基則 17 条 2 項及び昭 29.6.29 基発 355 号「労使両当事者のいずれからも異議の申出がな かった事実を証する書面」について、応対した担当者はあまり理解しているといえず、様式9 号及び労使協定の写しが必要との見解であった(署としての見解ではなく応対に出た担当者の 個人的見解。 )。 したがって、実務においては、自由な様式で労使異議がないことを証する書類を作成し、両者が ハンコを押したものを提出すれば足りる。その際、適用労働者数などは最新のものを書き加えると よいだろう。 574 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 2 過半数代表者 (1)過半数の分母となる労働者 労使協定締結の相手方となる過半数代表者は、あくまでも当該事業場に使用されるすべての労働 者の過半数を代表する者であって、事実上時間外労働又は休日労働の対象となる労働者の過半数の 意思を問うものではない。この考えは、他の労使協定の場合も同様である。 具体的には労基法 41 条 2 号の管理監督者、病欠・出張・休職期間中の者、労働契約上時間外・ 休日労働を行う義務のないパート労働者が含まれることになる。要するに、労基法 9 条の定義によ る労働者が対象である(昭 46.1.18 基収 6206 号)。ただし、労使協定の締結事項と法律上無関係な 労働者(たとえば、三六協定における労基法 41 条 2 号の管理監督者)は分母に含めるべきでない との主張もある(21世紀3「労働条件」P154〔渡辺 章〕)が、そうすると、賃金一部控除の労 使協定では管理監督者も含めるべきことになり整合性に欠けるように思われる。 東大「労働時間」は通達の考え方を支持しており、次のように述べている。 「36条については「労働者」の範囲を、同条の趣旨に即して限定する説も、法律政策上および理 論上十分に成り立つ考え方であるが、それにもかかわらず、行政解釈のように36条の「労働者」を 「全従業員」とする解釈がとられるのは、36条も労基法が多様な事項について定める労使協定制度 の一環であり、いわば共通の従業員代表制度として各規定に共通の制度とした方が便宜であるという 配慮によるものであろう。したがって、労使協定一般についてもこのように解することになる。つま り、一定範囲の従業員にのみ適用される制度に関する労使協定(例えば、セールスマンにのみ適用さ れる事業場外労働協定)についても、「労働者」とは当該事業場の全労働者をいうものと解される。 」 (東大「労働時間」P31) 実務上は通達どおりすべての労働者が分母となると解することがよいだろう。 ⇒ 過半数の分母となる労働者は、労基法 9 条の定義による労働者のすべてが含まれる。 ⇒ 出向労働者は出向先において、派遣労働者は派遣元において、労働者として算定される。 1)第一組合・第二組合とも単独で過半数に達しない場合 第一組合・第二組合とも単独では過半数に達しないが2つの組合を合わせると過半数に達する場 合は、使用者側、第一組合及び第二組合の三者連名の協定であっても違法とは解されない(昭 28.1.30 基収 398 号)。 これは、本来であれば「労働者の過半数を代表する者」を選出して当該代表者と協定すべきもの であるが、上記三者連名の協定であっても違法と解されないとするものであるから、使用者として はいずれの方法によるか選択することができる。 では、第一組合・第2組合の組合員数を合算すれば過半数を占める場合において,使用者が各組 合の代表者と相次いで同一期間内に適用すべき同一内容の三六協定を締結したときは,適法な三六 協定となるのだろうか? 判例では、「三六協定は必ずしも 1 個の協定書により締結される必要はなく,数個の協定を合一 575 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 して 労基則 16 条所定の要件を充足するときは,有効な協定が存すると解するべきである。」とす るもの(「全日本検数協会事件」名古屋高裁判決昭 46.4.10)があるが、筑波大「労働時間」P262 は、同判決を批判し、次のように述べている。 「本判決は,組合員数を合算すれば過半数に達する複数の少数組合とそれぞれ別個に労使協定を締 結した場合でも,同一内容同一期間であれば複数の協定を合一して有効とみなすべきである,と判示 している。しかしながら,過半数に達しない組合と締結した労使協定はそれ自体無効であるから,そ れを複数個積算したところでやはり無効という結論は変わらないはずである。 これに関し,事業場に二つの少数組合が存在し,双方の組合員数を合計すれば過半数となる場合, 両組合が連名で締結した協定は適法であるとする労働省の見解も示されているが(労働省労働基準局 編・改訂新版労働基準法上 444 頁〔労務行政研究所,2000 年〕,また,昭和 28・1・30 基収 398 号も 参照),その趣旨は,複数組合の意思が連署という形で一つの協定書に示されていない限り,たとえ 複数組合の組合員数が合計で過半数に達していたとしても,これを過半数組合と同等にみなすべきで はないとするものと考えるべきであろう。」 (筑波大「労働時間」P262) 筑波大説が妥当のように思われる。 ⇒ 単独では少数組合であっても合計すれば過半数となる複数の組合は,一つの協定書に連署することに より,労働者側当事者として使用者と有効に労使協定を締結し得る。 2)臨時雇用労働者の契約期間を超える有効期間を定める労使協定 第一組合と第二組合があり、第一組合が全労働者の過半数を占めていたが第一組合の労働争議に 伴い臨時雇用の労働者を雇入れた結果、第二組合と臨時雇用の労働者とを合わせると過半数を占め るに至った場合、第二組合の代表者と臨時雇用の労働者の代表者との三六協定を締結することは可 能である。この場合において、臨時雇用の労働者との契約期間が 30 日であるときであっても、協 定の有効期間を6か月とすることができる(昭 36.1.6 基収 6619 号)。 過半数組合又は過半数代表者の要件は存続する必要なく成立要件であるから、協定締結時に過半 数に達している相手方と協定すれば、その後相手方が要件を満たさなくなったとしても協定の有効 期間中は効力が認められる。 しかし、上記通達は雇用期間1か月程度の臨時労働者を雇って有効期間6か月間の三六協定を締 結したものであり、協定を締結することを意図して臨時労働者を雇入れたような場合は脱法行為と して無効とされるべきであろう(私見)。 ⇒ 労使協定締結の有資格者の条件である「過半数」は成立要件であって、存続要件ではない。 (2)過半数代表者となることができる者 1)概 要 労基法の過半数代表者は、次のいずれにも該当する者とされている(労基則 6 条の 2)。 ① 法 41 条 2 号に規定する管理監督者でないこと ② 投票、挙手等民主的な手続きによって選出されたこと 576 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 すなわち、①過半数代表者の適格性としては、事業場全体の労働時間等の労働条件の計画・管理 に関する権限を有するものなど管理監督者ではないこと、②過半数代表者の選出方法として、(a) その者が労働者の過半数を代表して労使協定を締結することの適否について判断する機会が当該 事業場の労働者に与えられており、すなわち、使用者の指名などその意向に沿って選出するような ものであってはならず、かつ、(b)当該事業場の過半数の労働者がその者を支持していると認めら れる民主的な手続が採られていること、すなわち、労働者の投票、挙手等の方法により選出される こと、が要件である(昭 63.1.1 基発 1 号)。 なお、過半数代表者は当該事業所に雇用される労働者でなければならないと解する(労組法の団 体交渉権の場合は「労働組合の委任を受けた者」であれば社外の者であっても適格であるが、労基 法の場合はこれと異なる。)。 また、労使協定は、三六協定のほかに労基法が全部で14定めているほか、育児・介護休業法や 高年齢者法などにも規定されており、協定締結の都度過半数代表手続きを踏むことは煩雑である。 このような場合は労働者の過半数代表者の選任についての規約を定め、労基法等で定める過半数代 表者について1年間は○○氏とする、というようにあらかじめ定めておくことがよい。この点につ いて、社団法人全国労基団体連合会の研究報告(平 1.8.2)では「労働者代表の選出について適正 な規定を定め社内において制度化し、定着を図ることは不当な干渉や介入ではなく、むしろ必要か つ好ましいことといえる。・・・そのために事業場において過半数代表者の選出方法をあらかじめ 定めておくことも、その選出手段の適正化の観点から望ましいというよう。」と述べており、規約 等に基づいてあらかじめ労働者代表を定めておくことは問題ないとしている。 次に、過半数を問う時点は一般に年度の初めであるから、その後労働者数が変動した場合にその 適法性が心配となる。この問題について安西 愈弁護士は「その選任当時の労働者の構成等が大き く変動しないかぎり、当該事業場の労働者の全体意思として1年間はその人を代表者とするという 明示の意思の下に選任されたといえるから、それを否定することはできないと解される。」と述べ ておられる(安西「労働時間」P638)。 労働者の過半数代表者に関する規定の例 労働者の過半数代表者規定(就業規則) (労働者代表者) 第〇〇条 この規則にいう労働者の過半数代表者とは、次により選出し、労働基準法、労働安全衛生 法、労働者派遣法、その他の法令に定める「労働者の過半数代表者」としての職務を行う。 2 労働者の過半数代表者の選出は、各課ごとに課を代表する者 (課長以上は除く。以下「委員」 という)を従業員の互選により選出し、各選任された委員の選挙により従業員の過半数代表者一名 を選出する。なお、同時に副代表者一名も同様に選出する。 3 前項の各課ごとに選任する委員は各課最低一名とし、課員一〇名を超える課については、一〇名 単位(端数四捨五入)で一名を加えるものとする。 4 会社は、労働者の過半数代表者及び副代表者の選任の通知を受けたときは、所定の周知方法に従 い従業員に周知する。その変更についても同様とする。 5 労働者の過半数代表者の任期は、毎年四月一日から三月末日までの一年間とする。ただし、任期 期間中に代表者が欠けた場合(退職、転勤または課長以上への昇格等) には、副代表者が残任期 577 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 の代表者となる。ただし、いずれも欠けたときは本条に定める方法に従って補選する。 6 労働者の過半数代表者は、労働基準法、労働安全衛生法、労働者派遣法、その他の法令に基づく 協定の締結または意見の提出その他所要の行為を行う。 7 従業員は、前項の協定等に関し、意見・希望・苦情等がある場合には各課の委員及び労働者の過 半数代表者に申し出ることができる。 (安西「労働時間」P639より) ⇒ 過半数代表者となり得る要件は、当該事業所に雇用される労働者であって、①法 41 条 2 号に規定する管理 監督者でないこと、②投票、挙手等民主的な手続きによって選出されたこと、である。 2)親睦団体の代表者 親睦団体の代表者が三六協定の労働者側代表者となることがあるが、このような労使協定は有効 であろうか? 残業命令拒否などを理由に解雇された事件において、役員を含む全従業員が加入する親睦団体 「友の会」代表者のAと締結した三六協定は無効であり、それを前提としてなされた残業命令に従 う義務はないから解雇も無効であると労働者側が主張したのに対し、裁判所はそれを認め解雇無効 と判示している(注)。 注.「トーコロ事件」東京高裁判決平 9.11.17 Y会社は残業命令の拒否等を理由に従業員Ⅹを解雇したが,Ⅹは,役員を含む仝従業員をもって 構成される親睦団体である「友の会」代表者である訴外AとYとの間で締結された三六協定は無効 であり,それを前提としてなされた残業命令に従う義務はないから,解雇も無効である旨主張して 争った。原審では本件解雇を無効としたためY会社が控訴した。 控訴審で高裁は、 「友の会」はその規約上,親睦団体であって労働組合とは認められないから,A が「友の会」代表者として自動的に本件三六協定を締結したにすぎないときには,Aは労働組合の 代表者でもなく「労働者の過半数を代表する者」でもない。また,Aが本件三六協定の締結に際し て「労働者の過半数を代表する者」として民主的に選出されたと認めうる証拠はなく本件三六協定 が有効であったとは認められないから,それを前提とする本件残業命令も有効であるとは認められ ず,Ⅹはこれに従う義務があったとはいえないとして一審判決どおり解雇無効とした。 なお,「親睦会の代表者が労働者代表となっている場合」は過半数代表としての適格性を欠くと する通達があった(昭和 53・6・23 基発 355 号)が、現在は昭 63.1.1 基発 1 号に統合されて、親 睦会の代表者である故をもって不適格とするものではない。そこで「親睦会の代表者であっても, 労使協定の締結の際には労働者の過半数代表者となることが当該親睦会の規約等によって明示さ れ,民主的な手続を経て選出されている場合には,過半数代表者としての適格性を損なうものでは ないと考えられる。」(筑波大「労働時間」P264) (3)過半数判断の時点 ある労働組合が当該事業場の全労働者の過半数に達しているか否かが微妙な情勢の場合は、いつ の時点で判断するのか問題となる。 労基法 36 条は当事者資格の確定の基準・時期・方法について何らの規定も設けていないから, 578 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 その確定は通常の法律解釈に従い,原則として協定締結時を基準とすべきである。ただし,確定の 基準時について関係当事者が別段の合意をした場合,または合意に至らなくても使用者からの基準 時の通告に組合が異議を述べなかったような場合には,基準時と締結時との間に極端に長い時間的 間隔があるために労働者の意思を正確に反映できない著しい危険がない限り,締結時以外の基準時 によって当事者資格を確定することもできる(注)。 注.「浜松郵便局事件」静岡地裁浜松支部決定昭 48.1.6 A郵便局には,訴外B労働組合と訴外C労働組合が組織されていた。A郵便局長は,三六協定締 結に際し,両労組の勢力が伯仲していたことから,両労組と折衝の上,昭和 47 年 10 月 31 日,双方 の組合代表と所属組合月数の確認手続に入ったが,重複加盟者の取り扱いをめぐって紛糾し,確認 手続は中断された。その後,A局長は書類資料の突き合わせにより独自に所属組合の確認を行い, 全職員 433 名のうち,A組合月が 212 名,B組合員が 218 名,未組織労働者は 3 名であると判断し, 翌 11 月 1 日,B労組と三六協定を締結した。しかし,A労組に属する申請人Ⅹらは,一部の職員の 組合所属について争い,B組合員は過半数に達していないとして,時間外労働禁止等を求める仮処 分を申請した。 裁判所は、協定締結時において局長がB組合員と判断した 218 名中の 4 名は,実際には同組合員 ではなかったと認められるから,B組合は過半数組合ではなく,B労組と締結した三六協定は無効 である、と判示した。 ⇒ 過半数判断は、次の時点による。 ① 原則として協定締結時を基準とすべきである。 ② 確定の基準時について関係当事者が別段の合意をした場合には、基準時と締結時との間に極端に長い 時間的間隔があるために労働者の意思を正確に反映できない著しい危険がない限り,締結時以外の基準時 によって当事者資格を確定することもできる。 579 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 3 時間外労働の限度 (1)限度時間 1)1日を超える一定期間の限度時間 時間外・休日労働は原則的には労使間の合意によって行うべきものであるが、労働時間の延長を 適正なものとするため、協定で定める労働時間の限度その他の必要な事項について、厚生労働大臣 は、労働者の福祉、時間外労働の動向等を考慮して基準を定めることができることとされている(労 基法 36 条 2 項)。 現在、この規定に基づき、「労働時間の延長の限度等に関する基準を定める告示」 (平 10.12.28 労告 154 号、最終改正平 21.5.29 厚労告 316 号(平 22.4.1 より適用))が示されている (資料33 593 ページ参照)。 この告示は、労基法 36 条 2 項の規定により「労働時間の延長の限度」と「その他の必要な事項」 を公告するものであるが、「労働時間の延長の限度」については「1日」については定められてお らず、「1日を超え3か月以内の期間」及び「1年間」について定められている(下記第 2-3-4-1 図)。 なお、この告示は時間外労働の限度に関する告示であって、休日労働日数に関し限度を設けるこ とは法文上できない。 「その他の必要な事項」については後述する。 第 2-3-4-1 図 期 時間外労働の限度時間 間 限度時間 1 年単位の変形制 1週間 15時間 14時間 2週間 27時間 25時間 4週間 43時間 40時間 1か月 45時間 42時間 2か月 81時間 75時間 3か月 120時間 110時間 1年間 360時間 320時間 参考:育児・介護休業法による時間外労働等の制限 育児・介護休業法では、小学校就学の始期に達するまでの子を養育する労働者から当該子の養育のた めに請求があった場合は、1か月 24 時間、1年 150 時間を超えて時間外労働をさせてはならないこと 。 を定めている(育介法 17 条) また、当該労働者は、1 か月以上 6 か月以内の期間を定めて深夜業に従事しない旨の請求をすること もできる(育介法 19 条) 。 2)限度時間の適用除外 時間外労働協定の締結に際し、上記1)の1日を超える一定期間の限度時間を遵守しなければな らないが、次の事業又は業務については限度時間を適用しない(限度基準告示 5 条) 。したがって、 580 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 当該事業又は業務においては、時間外労働協定において限度時間を超える時間で協定することがで きる。また、次項(2)で述べる特別条項付き協定を締結する必要もない。 ① 工作物の建設の事業 ② 自動車の運転の業務 ③ 新技術・新商品等の研究開発の業務 ④ 季節的要因等により事業活動若しくは業務量の変動が著しい事業若しくは業務(鹿児島県・ 沖縄県における砂糖製造業など計4業務)又は公益上の必要により集中的な作業が必要とされ る業務(発電用原子炉等の定期検査等の業務など計2業務)として厚生労働省労働基準局長が 指定するもの ⇒ 上記①~④の事業・業務は限度時間の制限を受けずに三六協定を締結できるのであって、三六協定なしに 時間外労働ができるわけではない。 (2)特別条項付き協定 労使協定において、上記(1)の限度時間を超えて労働時間を延長しなければならない特別の事 情(臨時的なものに限る。)が生じたときに限り、労使当事者間において定める手続きを経て限度 時間を超える一定の時間まで労働時間を延長することができる旨及び限度時間を超える時間の労 働に係る割増賃金の率を定めたときは、その定めにより労働させることができる(注)。 注.限度時間を超える時間外労働の割増率の設定=平 22.4.1 より追加された(平 21.5.29 厚労告 316 号)。 特別条項付き協定を締結するに際し、①1日を超え3か月以内の期間、②1年間、の期間の双方 について限度時間を超える時間外労働を協定する場合は、それぞれについて限度時間を超える時間 外労働に係る割増賃金率を定めなければならない(平 21.5.29 基発 0529001 号)。 ① 臨時的なもの この特別条項付き協定は臨時的なものに限ることとされ、一時的又は突発的に時間外労働を 行わせる必要があるものとされ、1日を超え3か月以内の一定期間について原則となる延長時間 を超え特別延長時間まで延長することができる回数を協定する。当該一定期間について上限時間 は設けられていないが、回数については全体として1年の半分を超えない見込みのものでなけれ ばならない。 なお、特別条項付協定は、臨時的なものである限り1年間についても協定することができる。 したがって、協定文書としては、 「・・・などの特別の事情があるときは、 ・・・の手続きを経て 1か月に付き 80 時間、1年に付き 600 時間まで延長することができる。ただし、月 45 時間を超 える特別延長することができる回数は年6回以下とする。 」というように記載する。 ② 労使当事者間において定める手続き 労使当事者間において定める手続きについてはとくに制約はないが、時間外労働協定の締結当 時者間の手続きとして労使当事者が合意した協議、通告その他の手続きが必要とされる。「その 他の手続き」には通知、同意、承認、届出などが想定され、要は三六協定の趣旨に反しない方法 であれば差し支えない(安西「労働時間」P664)。 労使間においてとられた所定の手続きの時期、内容、相手方等については書面等で明らかにし ておく必要がある。書面等の保存期間については、労基法 109 条の趣旨に従って3年間は必要で 581 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 ある。 この手続きは事前にとることが必要である。しかし、臨時的、突発的でその余裕がないことも 想定されるので、そのような場合は事後手続きとすることを当該協定に定める「手続き」として おけば、特別条項で定める特別延長時間の事由及び範囲内である限り、差し支えないと解される。 ③ 限度時間を超える時間外労働をできる限り短くする努力義務 労使当事者は、限度時間を超える一定の時間まで時間外労働ができる特別条項を定めるに当た っては、時間外労働ができる時間をできる限り短くするように努めなければならない(時間外労働 の限度基準 3 条 2 項-資料33 593 ページ参照)。 そして、限度時間を超える一定の時間まで時間外労働ができる特別条項を定めるに当たっては、 政令で定める割増率 125/100 を超える率とするように努めなければならない(時間外労働の限度基 準 3 条 2 項) 。 実際にどのように特別条項について協定を締結するのか、これも東京大学本郷キャンパスの例 を見ておこう(平成22年度の例) 。 1. 限度時間を超えて延長することができる特別の事由 (1)大学入試センター試験及び第 2 次学力試験実施のための業務が生じた場合 (2)大学の業務に支障を来たすような窄発的事掛こ対応する場合 (3)大幅な業務計画の変更があった場合 (4)前各号のはか、臨時業務が発生し、集中的に処理しなければならない場合 2.特別に延長することができる時間数 ① 1か月につき80時間以内(1年につき6回以内) ② 1年間について700時間以内 3.手続き 事前に、該当教職員に部局長より通知するものとする。 4.限度時間を超える時間外勤務の割増率 (1)1 か月につき 45 時間超 60 時間まで 100 分の 125 (2)1 か月につき 60 時間超 100 分の 150 (3)1 年間につき 360 時間超 100 分の 125 ※労使当事者間において定める手続き 特別条項に定める「労使当事者間において定める手続き」とは、労使協定の締結当事者間の手続き という意味であって、上記例のような当該労働者へ直接通知するような方法は想定していない。通達 においても「労使当事者間において定める「手続」については特に制約はないが、時間外労働協定の 締結当事者間の手続として労使当事者が合意した協議、通告その他の手続であること。 」(平 11.1.29 基発 45 号、平 15.10.22 基発 1022003 号)としているので、過半数代表者又は過半数組合との手続き を指すことは明らかである。 なお、特別条項で定める時間については限度はないが、労働条件は「労働者が人たるに値する生 活を営むための必要を充たすべきものでなければらない」とする原則(労基法1条1項)からいえば、 人間生活を営む上でおのずから職業に費やすべき時間には限度があると考えなければならない。 人間の生理機能からみても、労災保険の「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するもの を除く。)の認定基準」(平13.12.12基発1063号)において「発症前1か月間におおむね100時間 582 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働 が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できること」とされているところから、 特別条項を設ける場合においても時間外労働の限度は月80時間程度に止めるべきであろう(ちなみ に、 「認定基準」で用いられる80時間・100時間というのは1週間に40時間を超える労働時間をいう から三六協定でいう時間外労働のほか休日労働時間数も含まれる点にも留意する必要がある。)。 ※限度基準を超える時間外労働の割増賃金の率 特別条項付き協定において限度時間を超える時間外労働に係る割増賃金率を定めるに当たって、労 使当事者は、時間外労働について労基法 37 条 1 項の政令で定める率(125/100)を超える率とするよ うに努めなければならない(「限度基準」3 条 3 項) 。 月 60 時間を超える時間外労働については 150/100 以上の法定割増賃金率が強制的に適用されるの で、125/100 を超える率とする努力義務は、結局、月 45 時間を超え 60 時間以下の時間外労働に適用 される。 ※就業規則への記載 限度時間を超える時間外労働に係る割増賃金率は、労基法 89 条 2 号の「賃金の決定、計算及び支 払の方法」に該当し、就業規則(具体的には給与規程等)に記載する必要がある。 (3)時間外労働と休日労働の区別 1)所定休日の労働と時間外労働との関係 週休2日制が普及した今日では、法定休日数よりも就業規則上の所定休日数の方が相当数多い。 これに対し企業の多くは、法定休日と法定外休日とを区別せず就業規則上の所定休日を三六協定に おける「休日」として取扱う場合が見受けられる。それは、たとえ法定外休日であっても就業規則 上の休日(本テキストでは「所定休日」(注)ということにする。)に労働させた場合は休日労働 として135/100以上の割増賃金を支払うこととしているから、仮に法定外休日労働が労基法上の時 間外労働にあたるとしても割増賃金支払いにおいて問題がないからである(法令上は125/100以上 の割増賃金支払い義務であるところを135/100以上の率で支払っている。)。 しかし、平成20年の労基法改正において、月60時間を超える時間外労働の割増率は150/100以上 とされることになったため、実務上、法定休日と法定外休日とを峻別せざるを得なくなったので、 注意を要する(平22.4.1施行)。 注.所定休日=通達(平 21.5.29 基発第 0529001 号)では就業規則上の休日のうち「法定休日」以外 の休日を「所定休日」と呼んでいるが、本書では、通常の実務担当者の感覚に合わせて、就業規則 上の休日は法定休日であるか法定外休日であるかにかかわらず「所定休日」と呼び、法定休日以外 の休日を「法定外休日」ということにする。 第 2-3-4-2 図 本書で用いる用語 法定休日 所定休日 就業規則に定める休 日をいう。 法定外休日 583 労基法が定める週 1 回又は4週4日 の休日をいう。 就業規則に定める休日のうち、法定休 日以外の休日をいう。 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 4.法定割増賃金率の引上げ (1)月 60 時間を超える時間外労働の割増率 時間外労働が1か月について 60 時間を超えた場合は、その超えた時間の労働について通常の労働時 間の賃金の計算額の 150/100 以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない(労基法 37 条 1 項ただし書) 。 1)対象となる時間外労働 150/100 以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならないのは、1か月について 60 時間 を超えて時間外労働をさせた場合における 60 時間を超えた部分である。 「1か月」とは、暦による1か月をいうものであり、その起算日を労基法 89 条 2 号の「賃金の 決定、計算及び支払の方法」として就業規則に記載する必要がある。1か月の起算日については、 毎月1日、賃金計算期間の初日、時間外労働協定における一定期間の起算日等とすることが考えら れる。 2)休日労働との関係 労基法 35 条に規定する週 1 回又は 4 週間 4 日の休日(「法定休日」)以外の休日(「法定外休日」) における労働は、それが週 40 時間を超える場合には時間外労働に該当するため、労基法 37 条 1 項ただし書の「1か月について 60 時間」の算定の対象に含めなければならない。 なお、労働条件を明示する観点及び割増賃金の計算を簡便にする観点から、就業規則その他これ に準じるものにより、事業場の休日について法定休日と法定外休日の別を明確にしておくことが望 ましい。 ⇒ 法定休日は原則として週 1 回(7日ごとに1回というわけでなく、とにかく1週間に1回の休日 を与えればよい。)であるから、週休2日制かつ国民の祝日(年間 15 日)を休日とすることが定着 した現在では、法定休日と法定外休日とを区別することは簡単なことではない。 一方、法定外休日に出勤させた場合には1週間の労働時間が 40 時間を超えてしまうことがある。 この場合は、労基法上休日労働ではなく時間外労働となるので、 「1か月について 60 時間」のカウ ントに算入しなければならない。 しかし、前述説明のように、法定休日と法定外休日とを区別することは簡単ではないから、あら かじめ就業規則上の休日のうち法定休日を特定しておく(たとえば日曜日)ことが望ましいとされ る。 ※「(3)休日労働との関係 法第 35 条に規定する週一回又は四週間四日の休日(以下「法定休日」という。 )以外の休日(以 下「所定休日」という。)における労働は、それが法第 32 条から第 32 条の 5 まで又は第 40 条の労 働時間を超えるものである場合には、時間外労働に該当するため、法第 37 条第 1 項ただし書の「一 箇月について 60 時間」の算定の対象に含めなければならないものであること。 なお、労働条件を明示する観点及び割増賃金の計算を簡便にする観点から、就業規則その他これ に準ずるものにより、事業場の休日について法定休日と所定休日の別を明確にしておくことが望ま しいものであること。」 (平 21.5.29 基発第 0529001 号) 584 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 法定休日が特定されている場合は、割増賃金計算の際には当該特定された休日を法定休日として 取り扱い、 「1か月 60 時間」の算定に含めないこととして差し支えない。したがって、日曜日及び 土曜日の週休2日制の事業場において、法定休日が日曜日と定められている場合、日曜日に労働し 土曜日は労働しなかった場合でも、割増賃金計算の際には日曜日を法定休日として 135/100 の割増 率とし、日曜日の労働時間数を「1か月60時間」の算定に含めなくてよい。 法定休日が特定されていない場合は、暦週(日~土)の日曜日及び土曜日の両方に労働した場合、 当該暦週において後順に位置する土曜日における労働が法定休日労働となるので 135/100 の割増 賃金を支払って「1か月60時間」の算定に含めなくてよい。法定外休日となる日曜日の労働につ いては、当該週の労働時間が 40 時間を超える場合又は当該日の労働時間が8時間を超える場合に 時間外労働となるため「1か月60時間」カウントに含めなければならない。 4週4日の変形休日制を採用する事業場においては、ある休日に労働させたことにより、以後4 週4日の休日が確保されなくなるときは、当該休日以後の休日労働が法定休日労働となる(法定休 日を定めない場合は、28 日間のうち最後の4日間が法定休日となるため、この4日間を除いた日 の労働については、当該週の労働時間が 40 時間を超える場合又は当該日の労働時間が8時間を超 える場合に時間外労働となるため「1か月60時間」カウントに含めなければならない(厚労省ホ ームページQ&A NO10 より)。 しかし、法定外休日の労働を 60 時間カウントに含めるべきであることが正しいとしても、その 結果、①月 60 時間を超える時間外労働に関し、法定休日の割増率が 135/100、法定外休日の割増 率が 150/100 ということが起こりうること、②従来から法定休日と法定外休日とを区別せず、就業 規則上の所定休日については一律 135/100 以上の休日割増率を適用してきた習慣があること、など により、法定外休日を 60 時間カウントに含めるべきことを強制する行政指導に批判的な意見もあ る(下記第一東京弁護士会の厚生労働省への意見書参照) 。 改正労働基準法による特別割増賃金及び時間単位有給取得制度の問題点(抜粋) 第一東京弁護士会の厚生労働省への意見書 (前略) 以上をまとめると,改正労基法の解釈としては,60 時間超の時間外労働については「休日労働」(法 定休日における労働)を含まないと解釈することが正当であるが,その結果,法定休日以外の日にお ける時間外労働(60 時間超)については 5 割増、法定休日労働については 3 割 5 分増の割増率という 適用関係となる。その結果,労基法制定以来維持されてきた考え方(法定休日における労働は所定労 働日における労働時間延長よりも労働者に対する負荷が高いのでその分割増率を引き上げるというも の)とは矛盾を来たすこととなる。 しかし,このような矛盾が生じたのは、本改正の過程において,特別割増という新たな仕組みを導 入するに当たり、唐突に割増率が示され、また,国会でも、休日労働に対する割増率を飛び越えるよ うな高い割増率を設定することの是非がほとんど議論されないままに法律が可決されたためである。 そもそも、法定時間外労働に対する割増賃金率の引き上げが改正労基法の趣旨(長時間労働を抑制 し,労働者の健康を確保するとともに仕事と生活の調和がとれた社会を実現するという点)に資する ものと言えるかにはさまざまな意見があるところであり、当委員会が平成 18 年 12 月に御省に提出し 585 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 た意見書にもその旨指摘したところである。いずれにしても企業活動を必要以上に萎縮させるおそれ のある行政指導書の発出は行われないようにお顧いする。 (後略) 3)深夜労働との関係(労基則 20 条 1 項及び 68 条関係) 深夜労働のうち、1 か月について 60 時間に達した時点より後に行われた時間外労働であるものにつ いては、深夜労働の法定割増賃金率1か月について 60 時間を超える時間外労働の法定割増賃金率とが 合算され、175/100 以上の率で計算した割増賃金の支払が必要である。 (2)中小規模の事業に対する猶予措置 1)概 要 1か月について 60 時間を超える時間外労働について、法定割増賃金率を 150/100 以上の率に引上げ る規定(労基法 37 条 1 項ただし書)は、経営体力が必ずしも強くない中小企業においては、時間外労 働抑制のための業務処理体制の見直し、新規雇入れ、省力化投資等の速やかな対応が困難であり、やむ を得ず時間外労働を行わせた場合の経済的負担も大きいため、当分の間、法定割増賃金率の引上げの適 用を猶予することとした(労基法 138 条)。 なお、改正法の施行後3年を経過した場合において、中小事業主に対する猶予措置について検討 を加え、その結果に基づいて必要な措置を講じることとされている(改正法附則 3 条 1 項) 。 2)猶予措置の対象となる中小事業主(労基法 138 条関係) イ 中小事業主の範囲 「中小事業主」は、資本金の額又は出資の総額及び常時使用する労働者数によって判断される。 具体的には、次の業種の分類に応じて、それぞれに該当する場合に、中小事業主に該当することと なる。なお、中小事業主の判断は、事業場単位ではなく企業単位で判断される。 a 小売業 資本金の額が 5,000 万円以下又は常時使用する労働者数が 50 人以下である場合 b サービス業 資本金の額が 5,000 万円以下又は常時使用する労働者数が 100 人以下である場合 c 卸売業 資本金の額が 1 億円以下又は常時使用する労働者数が 100 人以下である場合 d その他の業種 資本金の額が 3 億円以下又は常時使用する労働者数が 300 人以下である場合 これは、中小企業基本法(昭和 38 年法律第 154 号)第 2 条第 1 項に規定する中小企業者の定義を 参考にしたものであり、資本金の額又は出資の総額及び常時使用する労働者数の少なくとも一方がこ の基準を満たしていれば、中小事業主に該当することとなる。なお、中小企業基本法第 2 条第 1 項に 規定する中小企業者は、一定範囲の「会社及び個人」とされているが、労基法 138 条に規定する中小 事業主については、労働基準法が適用される事業主であれば、たとえば、独立行政法人や協同組合等 「会社及び個人」以外であっても該当し得る。 ロ 業種の判断 「中小事業主」の判断における業種の分類は、日本標準産業分類(平成 21 年総務省告示第 175 号) に基づく。 一の事業主が複数の業種に該当する事業活動を行っている場合には、その主要な事業活動によって 判断される。主要な事業活動とは、過去1年間の収入額・販売額、労働者数・設備の多寡等によって 実態に応じて判断される。 586 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 ハ 常時使用する労働者数の判断 「常時使用する労働者の数」は、当該事業主の通常の状況によって判断される。臨時的に労働者を 雇い入れた場合、臨時的に欠員を生じた場合等については、労働者の数が変動したものとしては取り 扱われない。 労働者の数は、労働契約関係の有無によって判断される。たとえば、出向者については、在籍出向 者は出向元と出向先の両方との間に労働契約関係があるため両方の労働者数に算入され、移籍出向者 (転籍者)は出向先との間に労働契約関係があるため出向先の労働者数に算入される。また、派遣労 働者は、派遣元との間に労働契約関係があるため、派遣元の労働者数に算入される。 587 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 5.三六協定にまつわる諸問題 (1)三六協定更新拒否 使用者に対する要求貫徹の手段として、労働組合が時間外・休日労働協定(三六協定)の更新を 拒否し、時間外労働を行わず、それによって業務運営を阻害する争議手段として用いることがある。 労基法第 36 条は、時間外及び休日の労働の適法性を労使間の協定の存在にかからしめているの であって、このような協定が存在しない場合には、使用者は労働者に対し適法に時間外労働をさせ ることはできない。この労基法第 36 条の立法趣旨は、時間外労働が労働者の健康や福祉に重大な 影響を有することにかんがみ、このような労働ないしその条件についての使用者の申入れが労働者 の福祉の観点から当該事業場の労働者にとって受け入れられるものかどうかを労働者側に判断さ せ、その任意の選択にゆだねようとするにあるといえよう。したがって、既存の三六協定の有効期 間満了に際し、労働者側が労働福祉の観点から時間外労働ないしその条件についての使用者の申入 れが労働者にとって受け入れられないものであると判断し、その更新を拒否することは、まさに法 の本旨に適合するところであって何ら問題ない。 しかしながら、使用者から三六協定更新の申入れがあるのを利用し、労働者の福祉の観点から受 諾可能かどうかの判断を全く離れて、もつぱら、これとは別の事項に関する主張を貫徹するための 手段として三六協定の更新を拒否するような場合には、それが争議行為であるかどうかの問題を生 じることになる。 そして、このような三六協定更新拒否が、労調法上の「争議行為」にあたるかどうかの判断につ いて、行政解釈はこれを「業務の運営であって、経験則に照らし経常・普通の状態にある客観的に 判断しうるような事情の存するとき」において前述のような態様による三六協定の更新を拒否する ことは、「争議行為」にあたるとしている (法制局一発 22 号 昭 32、9、9 法制局第一部長発労 働省労政局長あて)。これは、時間外労働が行われることが常態であり、それが行われることによ って業務の運営が経常・普通の状態にある職場を前提としているが、一般的には大学・独法におい て当てはまるものと思われる(厚労省「労組法コメ」P1002)。 ⇒ 三六協定拒否は、争議行為となり得る。 (2)任意の附款 三六協定に、たとえば、「時間外又は休日労働を行わせる場合、当該職員の了解を得た上で行わ せるものとする」というような任意の附款をつけることは可能であろうか?また、そのような附款 をつけた協定書は受理されるであろうか? 通達は、その内容が施行規則 16 条の要件を具備したものであれば、協定当事者の意思により必 要事項以外の事項について協定したものであっても受理すべきである、としている。ただし、協定 届を受理することと付せられた附款が有効であるか無効であるかは別問題であることも指摘して いる。 一般に、次のような附款は違法ではないから有効であると解される(昭 28.7.14 基収 2843 号)。 ① 「甲(使用者)は時間外又は休日労働を行わせる場合、当該職員の了解(又は承認)を得る とともに乙(労働組合)の下部機関に通知しなければならない。」 ② 「協定の有効期間中といえども乙(労働組合)の破棄通告により失効する。」 588 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 ③ 上記「②の場合で「乙」(労働組合)の破棄通告のあった日から三日後に失効する。」 労基則 (時間外・休日労働の協定) 第 16 条 使用者は、法第三十六条第一項 の協定をする場合には、時間外又は休日の労働をさせる必 要のある具体的事由、業務の種類、労働者の数並びに一日及び一日を超える一定の期間についての延 長することができる時間又は労働させることができる休日について、協定しなければならない。 2 前項の協定(労働協約による場合を除く。)には、有効期間の定めをするものとする。 3 前二項の規定は、労使委員会の決議及び労働時間等設定改善委員会の決議について準用する。 (3)三六協定の終了 1)有効期間中の解約 三六協定は、一旦成立すると有効期間中に破棄の申入れがあっても協定を解約することはできな いのが原則である。協定に破棄条項が設けられていない場合は、使用者はこれに応じなくても差支 えない(昭 23.9.20 基収 2640 号)。 もっとも,協定に破棄条項があれば、それに従って有効期間中といえども一方的に解約すること は可能である。 東大「労働時間」は、次のように述べている。 「 (イ)有効期間中の解約 労使協定に有効期間の定めがある場合には,有効期間中に協約を解 約することはできないのが原則である(36 協定に関する昭 23.9.20 基収 2640 参照) 。これに対し, 36 協定に関してであるが,労働者側は正当な事由がある場合で,かつ労働者の過半数が破棄を望ん でいることが立証されれば、協定を一方的に破棄しうるとの見解(有泉 340)や、不当に長い期間を 定める協定は、相当期間経過後にはいつでも相当の予告期間を置くことにより解約できるとの見解が ある(蓼沼・実務大系 11 巻 148)。しかし,契約一般についての扱いに準じ,協定の種類を問わず, 当事者が有効期間の定めを置いた以上は 特段の破棄条項が存在しない限り(かかる条項も有効であ る。昭 28.7.14 基収 2843、昭 63.3.14 基発 150) 、その期間中は当該協定に拘束されるというべきで あろう。もっとも,有効期間中といえども,当事者が協定を合意解約すること、あるいは協定中の破 棄条項があればそれに従って一方的に解約することは可能である。 その他、協定の有効期間中に問題となるものとしては,事情変更による解約が考えられる。一般論 としてはこれを否定する理由はないであろうが,解約を正当化する事情変更とはいかなるものかは分 明でない。協定を締結した労働組合や労働者の代表者が事業場の労働者の過半数の支持を失った場合 がこれに当たるとする見解もあろうが(36 協定に関し,蓼沼・実務大系 11 巻 148 参照),労働者の 過半数で組織することまたは過半数による支持を得ていることは,協定の締結・更新・破棄など、労 働者側においてその意思を表明する時点においてのみ要求されるものと考えられるので、必ずしも妥 当とは思われない。 」(東大「労働時間」P47) ※有泉 亨「労基法」P340 「四 超過労働協定の失効 協定はその中で定められた期間の満了によって失効する。期間の定の ない労働協約によった場合には、その協約が解約によって失効すると同時に失効する。また協定の有 効期間中でも両当事者が解約の合意をすれば失効することはいうまでもない。労働者側が一方的に協 589 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 定を破棄できるかについては、反対説もあるが、正当の事由がある場合には可能であると考える。但 しその手続については、労働者の過半数が破棄を望んでいることの立証が要求される。なお、協定の 当事者となった労働組合の組合員がその後当該事業場の労働者の過半数を割った場合又は労働組合 が解散した場合に失効するであろうか。協定は一定期間を定めて秩序を定立する行為であるから、こ れに参加した者がその後資格を喪失してもそれだけでは失効しないと解すべきである。しかし、労働 協約によって協定され、有効期間の定がない場合には組合が解散しまたは組合員数が労働者の過半数 に達しなくなった場合には、協定としての効力を失うと解すべきである(基準局・コンメンタール 340 頁はこの区別をせず一律に失効しないとする) 。」 2)期間の定めがない協定の場合 三六協定には「有効期間の定めをするものとする。」こととされているが、当該協定が労働協約 を兼ねる場合は有効期間の定めは不要とされる(労基則 16 条 2 項)。そこで、三六協定が労働協約 の形式で締結された場合に、労組法 15 条 3 項に規定される 90 日前の予告により解約することがで きるかが問題となる。 通説的見解は、労組法 15 条 3 項による解約の可能性が認められるとする。そして、三六協定の ほかに、事業場外労働協定や裁量労働協定についても、労働協約の形をとる以上、やはり 90 日前 の予告により解約することができると解することになろう(東大「労働時間」P47~48)。 労組法 (労働協約の期間) 第 15 条 労働協約には、三年をこえる有効期間の定をすることができない。 2 三年をこえる有効期間の定をした労働協約は、三年の有効期間の定をした労働協約とみなす。 3 有効期間の定がない労働協約は、当事者の一方が、署名し、又は記名押印した文書によつて相手 方に予告して、解約することができる。一定の期間を定める労働協約であつて、その期間の経過後も期 限を定めず効力を存続する旨の定があるものについて、その期間の経過後も、同様とする。 4 前項の予告は、解約しようとする日の少くとも九十日前にしなければならない。 3)解約の当事者 合意解約であれ一方当事者による解約であれ,労働者側において解約を行いうるのはいかなる者 かが問題となる。当初の締結当事者が労働組合の場合には,解約の時点で当該組合が事業場の過半 数の労働者を組織していないという事態が生じうるし,労働者代表の場合も,同様に事業場の労働 者の過半数の支持を失うことがありうるからである。労使協定は事業場の労働者の意思を反映させ るためのものであり,協定の解約についても,その締結と同様にその時点における労働者の意思を 反映させる必要があるので,この点については,解約の時点で事業場の労働者の過半数を組織する 労働組合であればその労働組合、かかる組合がなければその時点で事業場の労働者の過半数を代表 する者がこれをなすべきであろう(以上のことは,協定の更新手続についてもあてはまる)。この ような取扱いによると,当初の合意の当事者ではない者がその合意を解消しうることになり,通常 の私法理論からすればかなり奇妙な結果を呈する。現行法のもとでも,労基法の解釈として,この ような者に協定を解消しうる権限が法律上与えられているという説明をすることも不可能ではな いが,立法の不備という感も免れがたい。労使協定の解約に関しては,その当事者の問題,および 上述の解約の可否の問題等につき,規定を整備することが求められるであろう。 590 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 4)労働組合の消滅 労使協定の労働者側当事者が労働組合である場合,その組合が解散または事実上消滅したとき (分裂を含む)には,協定も自動的に失効すると考えられる(36 協定につき,有泉 341 参照)。当 該労働組合が事業場の労働者の過半数を組織しているという要件が協定締結時に備わっていれば よいと解されることとの対比からすれば,組合が解散するなどしても協定は失効しないとの立場も ありえようが,労使協定が労働協約の形をとっている場合には協約法理の適用を免れず,またそれ との均衡上協約の形式をとらない協定についても,同様に解さざるを得ないであろう(東大「労働 時間」P50)。 ※労組法 2 条の要件が消滅した場合 労使協定の締結当事者たる労働組合は,労組法 2 条の要件をみたすもの(使用者の利益を代表する 者の参加を許すもの、使用者の経理上の援助を受けるもの等は除かれる。 )でなければならないが、 協定締結後にこの要件がみたされなくなった場合はどうなるか。36 協定に関し失効を認める説もあ るが(下井他「コンメンタール労働基準法」P154〔渡辺〕有斐閣昭 54 年),この要件については,協 定の締結当事者の適格性に関するものであるという点で,事業場の労働者の過半数の支持という要件 と同様に扱うのが妥当であるので,協定の締結時に備わっていれば足りると解すべきである(東大「労 働時間」P50) 。 ⇒ 労使協定締結の労働者側当事者が労働組合である場合、組合が解散または事実上消滅したとき(分裂を含 む)には,協定も自動的に失効すると考えられるが、組合が労組法2条の要件を満たさなくなっても協定の締 結時に労組法2条の要件が備わっていれば足りると解すべきである。 5)代表者の死亡・退職 事業場の過半数の労働者を代表する者が労使協定を締結した場合,この代表者が死亡または退職 したときにも,協定が失効するかという問題が生じる。労働者代表が協定を締結する場合,代表者 個人は私法上労働者の代理人ないし法人の代表者として行為しているわけではないから,私法上の 代理人や代表者が死亡した場合(この場合は,これらの者によって締結された合意は失効しない) と直ちに同視することはできないが,労基法上協定の効果を受けるのは事業場の労働者全体であり, したがって協定の締結主体は(形式的には代表者個人であるとしても)究極的にはこの労働者集団 であるといいうることからすれば,労使協定についても法人と同様の取扱いをするのが妥当と思わ れる。したがって,代表者個人が死亡または退職しても,有効期間中の協定は失効しないと解する。 これに対し,前述4)の労働組合が消滅した場合は,法人そのものが消滅することによりそれが主 体となっている契約等が失効することと同様に考えることができよう(東大「労働時間」P50)。 ⇒ 労使協定締結の労働者側当事者が労働者の過半数代表者である場合、代表者個人が死亡又は退職しても, 有効期間中の協定は失効しないと解する。 (4)時間外労働の削減と不利益変更との関係 使用者が業務改善・適正配置などを推進し、三六協定における時間外労働の限度時間数を減少さ せることがある。そうすると、従来行われていた時間外労働が減少し、労働者が受ける賃金が結果 591 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 的に減少する。これは労働条件の不利益変更に当たるのだろうか? 結論をいうと、労働者には時間外労働を求める権利はなく、時間外手当の減少をもって、不利益 性の内容として重視することはできない、と考えられる。 「労働者には時間外労働を求める権利はなく、その意味で、時間外労働に支払われる時間外手当は、 従来支払われていたものであっても、既得権としての権利性が弱いものであることは否定できない。 したがって、基本給の低い分を時間外手当によって補っているという現実の状況があるにしても、な お、時間外手当の減少をもって、不利益性の内容として重視することはできないというべきである。 」 (「函館信金事件」函館地裁判決平 6.12.22。同判決は最高裁二小判決平 12.9.22 で支持-資料35 P597 参照) 。 何をもって労働条件の不利益変更というかという問題については、本テキスト P32「※労働条件 の向上とは何か?」の項で論じているので参考にされたい。 ⇒ 三六協定における時間外労働の限度時間数の減少をもって、労働条件の不利益変更であると解する必要は ない。 592 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 資料33 (P580、P582 関係) 時間外労働の限度基準 ○労働基準法第三十六条第一項の協定で定める労働時間の延長の限度等に関する基準 平成 10 年 12 月 28 日労働省告示第 154 号 改正平成 15 年 10 月 22 日厚生労働省告示第 355 号 最終改正平成 21 年 5 月 29 日厚生労働省告示第 316 号 労働基準法(昭和二十二年法律第四十九号)第三十六条第二項の規定に基づき、労働基準法第三十六条第一 項の協定で定める労働時間の延長の限度等に関する基準を次のように定め、平成十一年四月一日から適用 し、労働基準法第三十六条の協定において定められる一日を超える一定の期間についての延長することが できる時間に関する指針(昭和五十七年労働省告示第六十九号)は、平成十一年三月三十一日限り廃止す る。 (業務区分の細分化) 第一条 労働基準法(以下「法」という。)第三十六条第一項の協定(労働時間の延長に係るものに限る。 以下「時間外労働協定」という。)をする使用者及び労働組合又は労働者の過半数を代表する者(以下「労 使当事者」という。)は、時間外労働協定において労働時間を延長する必要のある業務の種類について定 めるに当たっては、業務の区分を細分化することにより当該必要のある業務の範囲を明確にしなければな らない。 (一定期間の区分) 第二条 労使当事者は、時間外労働協定において一日を超える一定の期間(以下「一定期間」という。)に ついての延長することができる時間(以下「一定期間についての延長時間」という。)を定めるに当たって は、当該一定期間は一日を超え三箇月以内の期間及び一年間としなければならない。 (一定期間についての延長時間の限度) 第三条 労使当事者は、時間外労働協定において一定期間についての延長時間を定めるに当たっては、当 該一定期間についての延長時間は、別表第一の上欄に掲げる期間の区分に応じ、それぞれ同表の下欄に掲 げる限度時間を超えないものとしなければならない。ただし、あらかじめ、限度時間以内の時間の一定期 間についての延長時間を定め、かつ、限度時間を超えて労働時間を延長しなければならない特別の事情(臨 時的なものに限る。)が生じたときに限り、一定期間についての延長時間を定めた当該一定期間ごとに、 労使当事者間において定める手続を経て、限度時間を超える一定の時間まで労働時間を延長することがで きる旨及び限度時間を超える時間の労働に係る割増賃金の率を定める場合は、この限りでない。 2 労使当事者は、前項ただし書の規定により限度時間を超える一定の時間まで労働時間を延長すること ができる旨を定めるに当たっては、当該延長することができる労働時間をできる限り短くするように努め なければならない。 3 労使当事者は、第一項ただし書の規定により限度時間を超える時間の労働に係る割増賃金の率を定め るに当たっては、当該割増賃金の率を、法第三十六条第一項の規定により延長した労働時間の労働につい て法第三十七条第一項の政令で定める率を超える率とするように努めなければならない。 (平一五厚労告三五五・一部改正) 593 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 (一年単位の変形労働時間制における一定期間についての延長時間の限度) 第四条 労使当事者は、時間外労働協定において法第三十二条の四の規定による労働時間により労働する 労働者(三箇月を超える期間を同条第一項第二号の対象期間として定める同項の協定において定める同項 第一号の労働者の範囲に属する者に限る。)に係る一定期間についての延長時間を定める場合は、前条の 規定にかかわらず、当該労働者に係る一定期間についての延長時間は、別表第二の上欄に掲げる期間の区 分に応じ、それぞれ同表の下欄に掲げる限度時間を超えないものとしなければならない。 2 前条第一項ただし書、第二項及び第三項の規定は、法第三十二条の四第一項の協定が締結されている 事業場の労使当事者について準用する。 (適用除外) 第五条 次に掲げる事業又は業務に係る時間外労働協定については、前二条の規定(第四号に掲げる事業 又は業務に係る時間外労働協定については、厚生労働省労働基準局長が指定する範囲に限る。)は適用し ない。 一 工作物の建設等の事業 二 自動車の運転の業務 三 新技術、新商品等の研究開発の業務 四 季節的要因等により事業活動若しくは業務量の変動が著しい事業若しくは業務又は公益上の必要に より集中的な作業が必要とされる業務として厚生労働省労働基準局長が指定するもの (平一二労告一二〇・一部改正) 附 則 (平成一二年一二月二五日労働省告示第一二〇号) 抄 (適用期日) 第一 この告示は、内閣法の一部を改正する法律(平成十二年法律第八十八号)の施行の日(平成十三年一 月六日)から適用する。 改正文 (平成一五年一〇月二二日厚生労働省告示第三五五号) 抄 平成十六年四月一日から適用する。 別表第一(第三条関係) 期間 限度時間 一週間 十五時間 二週間 二十七時間 四週間 四十三時間 一箇月 四十五時間 二箇月 八十一時間 三箇月 百二十時間 一年間 三百六十時間 594 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 備考 一定期間が次のいずれかに該当する場合は、限度時間は、当該一定期間の区分に応じ、それぞれ に定める時間(その時間に一時間未満の端数があるときは、これを一時間に切り上げる。)とする。 一 一日を超え一週間未満の日数を単位とする期間 十五時間に当該日数を七で除して得た数を乗じて 得た時間 二 一週間を超え二週間未満の日数を単位とする期間 二十七時間に当該日数を十四で除して得た数を 乗じて得た時間 三 二週間を超え四週間未満の日数を単位とする期間 四十三時間に当該日数を二十八で除して得た数 を乗じて得た時間(その時間が二十七時間を下回るときは、二十七時間) 四 一箇月を超え二箇月未満の日数を単位とする期間 八十一時間に当該日数を六十で除して得た数を 乗じて得た時間(その時間が四十五時間を下回るときは、四十五時間) 五 二箇月を超え三箇月未満の日数を単位とする期間 百二十時間に当該日数を九十で除して得た数を 乗じて得た時間(その時間が八十一時間を下回るときは、八十一時間) 別表第二(第四条関係) 期間 限度時間 一週間 十四時間 二週間 二十五時間 四週間 四十時間 一箇月 四十二時間 二箇月 七十五時間 三箇月 百十時間 一年間 三百二十時間 備考 一定期間が次のいずれかに該当する場合は、限度時間は、当該一定期間の区分に応じ、それぞれ に定める時間(その時間に一時間未満の端数があるときは、これを一時間に切り上げる。)とする。 一 一日を超え一週間未満の日数を単位とする期間 十四時間に当該日数を七で除して得た数を乗じて 得た時間 二 一週間を超え二週間未満の日数を単位とする期間 二十五時間に当該日数を十四で除して得た数を 乗じて得た時間 三 二週間を超え四週間未満の日数を単位とする期間 四十時間に当該日数を二十八で除して得た数を 乗じて得た時間(その時間が二十五時間を下回るときは、二十五時間) 四 一箇月を超え二箇月未満の日数を単位とする期間 七十五時間に当該日数を六十で除して得た数を 乗じて得た時間(その時間が四十二時間を下回るときは、四十二時間) 五 二箇月を超え三箇月未満の日数を単位とする期間 百十時間に当該日数を九十で除して得た数を乗 じて得た時間(その時間が七十五時間を下回るときは、七十五時間) 595 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 資料34(P572 関係) 時間外・休日労働拒否に関する東大「労働時間の記述」 時間外・休日労働拒否(東大「労働時間」P458~459) (ハ)結論 以上のように法定基準を超える時間外・休日労働の義務の発生要件について,学説は 5 説に分かれて複雑な対立状況を呈しているが,本書としては,それらの理論的検討に加えて,時間外・休 日労働に関する実際的状況や,改正労働基準法の基本的政策をも考慮して,次のように解しておきたい。 まず,時間外・休日労働の義務(使用者の側からは命令権限)の発生の有無は,適法に締結され届け出 られた 36 協定の定める範囲内で時間外・休日労働が行われるものである限りは,時間外・休日労働に関 する労働協約または就業規則の規定,実際上の慣行,契約上の信義則などによって定まる労働契約の内容 いかんの問題であり,すなわち,労働契約の合理的解釈の問題である。いいかえれば,36 協定は,その定 める時間外・休日労働の限度の中でそれら労働を適法に行いうる労働契約上の枠を設定するものなので, その枠の中では私的自治が存するのである。 そこで,時間外・休日労働の義務に関する労働契約の解釈としては,時間外労働と休日労働を分けて考 えるべきであろう。まず,時間外労働については,就業規則ないし労働協約上の「業務の必要により時間 外労働を命ずることがある」との規定によって,包括的な時間外労働義務(命令権限)が発生し,しかし 使用者は,労働者が個別的に時間外労働に従事するのが困難な事由がある場合にはそれを強行しえない (強行する場合は時間外労働命令権の濫用となる)と解すべきである。この点については,時間外労働義 務の成立には,時間外労働の日・時間・事由などの特定・具体化が必要であるとする学説もあり(上記の 具体的規定説、限定的命令説),またそのような特定・具体化がなされれば労働者の利益に資することも 確かである。しかしながら,時間外労働はそのときどきの様々な業務上の必要性に基づき機動的に行われ るのが実状であって,そのような特定・具体化は,ごく特殊な事業や業務などを除けば実際上困難であろ う。したがって,時間外労働義務に関する私的自治(契約)の可能性を一般的にそのような合意に限定す るのは合理的ではない。それら学説の危惧する時間外労働の無限定化は、基本的には 36 協定によるその 枠付けによって対処すべきものであろう。労働日の中での所定労働時間の延長は,その機動的性格にかん がみれば,36 協定の枠の中で労働契約による包括的な義務付けを認めるべきであり,労働者の生活上の利 益との調整は信義則に基づく時間外労働命令権の濫用法理によって対処すべきである。この権利濫用の成 否は,時間外労働命令に従うべき原則的な義務を前提としつつ,労働者がそれに従事するのを困難とする 具体的事情を当該時間外労働の業務上の必要性との衡量において検討して,個別的に判定すべきである。 以上に対して,休日労働の義務のほうは,週休 2 日制を普及させることにより時間短縮を推進させよう との改正労働基準法の法律政策,時間外労働との間に存する労働者の生活に与える実際上の影響の違い, 近時形成されつつある実務界での休日尊重の意識などに照らせば,時間外労働義務とは別個に考えるべき である。すなわち,休日労働については、就業規則や労働協約上の「業務上必要ある場合は休日労働させ ることがある」との包括的規定は,休日労働義務を定めたものとは解釈すべきでなく,将来休日労働があ りうる旨の告知としての意義しかもたないと解すべきであろう。休日労働の場合は,就業規則などにおい て具体的に日を特定した休日労働義務の規定(例えば,「〇月〇日の休日には休日出勤を命じることがあ る」・ 「月の第 4 週の土曜日には休日労働を命じることができる」)が存在する場合や,個別労働者とのそ のような個別的合意があってはじめて、労働契約上の休日労働義務が生じると解釈すべきである。そのよ うな規定や個別的合意がなければ,休日労働は個別的同意によってのみ行いうると考える。 596 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 資料35 (P592 関係) 「函館信用金庫事件」 「函館信用金庫事件」最高裁三小判決平 12.9.22 事案の概要 Y信用金庫には、多数組合の従組Aと少数組合の労組Bがあり、Xらは従組Aの組合員であった。当時の 政府は、週休2日制を実現しようとし、昭和62年に労働基準法が改正し、週40時間労働制に向けての 段階的な労働時間の短縮を進めることとし、信用金庫については、昭和63年に政令により、土曜日が休 日とされた。 Yは、土曜日を休日とし、平日の所定労働時間を25分延長することを内容とする就業規 則の変更について、従組Aを団体交渉したが、同意を得られず、同意のないまま就業規則を変更した。な お、本件就業規則の変更により、年間所定労働時間は7時間5分短縮されている。 判決の要旨 1 本件就業規則変更により、Xらにとっては、平日の所定労働時間が25分間延長されることとなった のであるから、本件就業規則変更がXらの労働条件を不利益に変更する部分を含むことは、明らかである。 また、労働時間が賃金と並んで重要な労働条件であることは、いうまでもないところである。 2 そこで、まず、変更による実質的な不利益の程度について検討すると、25分間の労働時間の延長は、 それだけをみれば、不利益は小さなものとはいえない。しかしながら、本件就業規則変更前のXらの所定 労働時間は、第3土曜日を休日扱いとしていた実際の運用を前提に計算しても、第1、第4及び第5週が 40時間、第2及び第3週が35時間50分であって、これが、変更後は、一律に週37時間55分にな るのである。そうすると、年間を通してみれば、変更の前後で、所定労働時間には大きな差がないという ことができる。 さらに、本件では、完全週休2日制の実施が本件就業規則変更に関連する労働条件の基 本的改善点であり、労働から完全に解放される休日の日数が増加することは、労働者にとって大きな利益 である。〈中略〉したがって、全体的にみれば、Xらが本件就業規則変更により被る実質的不利益は、必 ずしも大きいものではないというのが相当である。 3 次に、変更の必要性について検討すると、本件では、金融機関における先行的な週休2日制導入に関 する政府の強い方針と施行令の前記改正経過からすると、Yにとって、完全週休2日制の実施は、早晩避 けて通ることができないものであったというべきである。そして、週休2日制の実施に当たり、平日の労 働時間を変更せずに土曜日をすべて休日にすれば、一般論として、提供される労働量の総量の減少が考え られ、また、営業活動の縮小やサービスの低下に伴う収益減、平日における時間外勤務の増加等が生ずる ことは当然である。そこで、経営上は、賃金コストを変更しない限り、土曜日の労働時間の分を他の日の 労働時間の延長によって賄うとの措置を採ることは通常考えられるところであり、特に、既に年間所定労 働時間が同業者の平均よりも短くなっていたYのような企業にとっては、その必要性が大きいものと考え られる。加えて、Yは、本件就業規則変更の当時、相対的な経営効率が著しく劣位にあり、人件費の抑制 に努めていたというのであるから、他の金融機関と競争していくためにも、変更の必要性が高いというこ とができる。 4 さらに、新就業規則の内容をみると、変更後の1日7時間35分、週37時間55分という所定労働 時間は、当時の我が国の水準としては必ずしも長時間ではなく、他と比較して格別見劣りするものではな い。そうすると、平日の労働時間の延長をせずに完全週休2日制だけを実施した場合には所定労働時間が 週35時間50分になることやYの経営状況等も勘案すると、本件就業規則変更については、その内容に 597 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第4節 時間外・休日労働協定 社会的な相当性があるということができる。 5 以上によれば、本件就業規則変更によりXらに生ずる不利益は、これを全体的、実質的にみた場合に 必ずしも大きいものということはできず、他方、Yとしては、完全週休2日制の実施に伴い平日の労働時 間を画一的に延長する必要性があり、変更後の内容も相当性があるということができるので、従組がこれ に強く反対していることやYと従組との協議が十分なものであったとはいい難いこと等を勘案してもな お、本件就業規則変更は、右不利益をXらに法的に受忍させることもやむを得ない程度の必要性のある合 理的内容のものであると認めるのが相当である。 したがって、本件就業規則変更は、Xらに対しても効 力を生ずるものというべきである。 598 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 第5節 みなし労働時間制 みなし労働時間が適用される場合は、①事業場外において労働に従事するため使用者として労働時 間を算定しがたい場合、②専門業務や企画業務において業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関 し使用者が具体的な指示をせず労働者の裁量に任せる場合、の2種類がある。②は専門業務型裁量労 働制と企画業務型裁量労働制とに分かれ、適用の方法がそれぞれ異なる。 第 2-3-5-1 図 みなし時間の概念図 事業場外労働 みなし労働時間 専門業務型裁量労働制 裁量労働制 企画業務型裁量労働制 1.事業場外みなし労働時間 (1)概 要 第三次産業の拡大や技術革新の進展に伴い、外交セールス、記事の取材等事業場外で労働するた め使用者の具体的な指揮監督が及ばず、労働時間の算定が困難な場合がある。そのような場合に、 一定の方法、手続きによって一定時間労働したものとみなすこととしている(注)。 対象となる事業場はとくに限定されておらずすべての事業場が対象となる。また、事業場全体に 適用する必要がなく、個々の労働者ごとに適用するものであるが、事業場労働のすべてにみなし時 間を適用できるわけでなく、あくまでも「労働時間を算定し難いとき」に限られる。 注.「みなす」の意味 ⇒ 「みなす」とは、性質の異なるものを一定の法律関係について同一のもの として、同一の法律効果を生じさせることをいう。この場合、労働者が反証を挙げても結論は覆ら ない。みなし労働時間は、個々の労働者の実労働時間にかかわらず、一律的に一定時間労働したこ とにみなす制度である。 (2)みなし時間 1)原 則 労働者が労働時間の全部又は一部について事業場外で業務に従事した場合において、労働時間を 算定し難いときは、所定労働時間労働したものとみなす(労基法 38 条の 2 第 1 項)。ただし、年少 者や妊産婦に係る労働時間の算定にみなし時間を適用することはできない(労基則 24 条の 2 第 1 項)。 ここで注意しなければならないことは、事業場外で業務に従事した場合であっても、使用者の具 体的な指揮監督が及ばず労働時間を算定することが困難な業務でなければみなし時間は適用でき ない、という点である。したがって、次のような場合は、みなし労働時間制の適用はない(昭 63.1.1 599 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 基発 1 号)。 ① 何人かのグループで事業場外労働に従事する場合で、そのメンバーの中に労働時間の管理を する者がいる場合(付属小中学校の修学旅行の引率の業務などはこれに該当するものと思われ る。) ② 事業場外で業務に従事する者が無線やポケットベル等によって随時使用者の指示を受けな がら労働している場合 ③ 事業場において訪問先、帰社時刻等当日の業務の具体的指示を受けた後、事業場外で指示ど おりに業務に従事し、その後事業場に戻る場合 2)通常所定労働時間を超えて労働することが必要となる場合 事業場外における労働が通常所定労働時間を超えて必要となる場合は、当該業務の遂行に通常必 要とされる時間労働したものとみなす(労基法 38 条の 2 第 1 項ただし書)。 ⇒ 「当該業務の遂行に通常必要とされる時間労働したものとみなす」のは、事業場外における労働が所定労働 時間を超えて通常必要となる場合である。 3)労使協定がある場合 上記2)の場合において、「当該業務の遂行に通常必要とされる時間」に関し労使協定があると きは、その労使協定で定める時間を「当該業務の遂行に通常必要とされる時間」とする。 この労使協定は、所轄労働基準監督署長へ届け出なければならない。ただし、協定で定める時間 が法定労働時間内(8時間以内)であるときは、届出を要しない。別途三六協定を締結し届け出る 場合は、三六協定に付記して届出に代えることができる(この場合は様式 9 号の 2 を用いる。) (労 基則 17 条 1 項カッコ書) 。 この労使協定には、有効期間を定めるものとされている(労規則 24 条の 2 第 2 項)。 (3)一部のみ事業場外で労働する場合 労基法 38 条の 2 第 1 項は、 「労働時間の全部又は一部について事業場外で業務に従事した場合に おいて、労働時間を算定し難いときは、所定労働時間労働したものとみなす。」と規定している。 そこで、労働時間が事業場内労働と事業場外労働とが混在する場合には、みなし時間が適用になる のは事業場内労働と事業場外労働を含めた時間と考えるのか、それとも事業場外労働の部分に限る のか、が問題となる。 学説は、①労働時間の一部を算定困難な事業場外労働に費やした場合には,その日の事業場内労 働と事業場外労働とを一括してみなしが行われるとする「一括みなし説」、②みなしの対象となるの はあくまでも算定困難な事業場外労働に限られるので、1 日のうちで算定困難な事業場外労働と事 業場内労働とが行われた場合も,事業場外労働の部分のみがみなしの対象とする「別途みなし説」が ある(東大「労働時間」P549)。 行政当局の解釈は、一時「一括みなし説」の立場に立つもの(昭 63.1.1 基発 1 号では「労働時 間の一部について事業場内で業務に従事した場合には、当該事業場内の労働時間を含めて、所定労 働時間労働したものとみなされる」としている。)であつたが、その後「別途みなし説」に変更し たように思われる(昭 63.3.14 基発 150 号では「みなし労働時間制による労働時間の算定の対象と なるのは、事業場外で業務に従事した部分であり、労使協定についても、この部分について協定す 600 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 る。」と変更した。)。ただし、通達の基発 150 号では明らかでないが、労務行政「労基法コメ」上 巻 P518 では労基法 38 条の 2 第 1 項ただし書の「当該業務」とは、「事業場外において従事する業 務のこと」と解説しており、「当該業務を遂行するためには通常所定労働時間を超えて労働するこ とが必要となる場合」に限って、同項ただし書のみなし時間を適用することとしている。 したがって、行政の解釈は、①事業場外の業務遂行に要する平均的な時間と事業場内の時間とを 加えて所定労働時間以下の場合(労基法 38 条の 2 第 1 項本文)は「一括みなし説」の立場、②事 業場外の業務遂行に要する平均的な時間が単独で所定労働時間を超える場合(労基法 38 条の 2 第 1 項ただし書)は「別途みなし説」の立場、というものではないかと思っている(私見)。 この個人的見解をまとめると、労働時間の一部について事業場内で業務に従事した場合の取扱い は、次のようになると解される(私見)。 第 2-3-5-2 図 一部事業場外労働の場合の取扱い 事業場外の業務遂行に要する平均的な時間 労働時間の算定 事業場内の時間を加えて所定労働時間以下の ・事業場内の労働時間と事業場外の算定困難な労働 場合 時間とを含めて「所定労働時間」労働したものとみ (労基法38条の2第1項本文) なす。 事業場外労働単独で所定労働時間を超える場 ・事業場外の労働時間の算定が困難な業務の遂行に 合 通常必要とされる時間労働したものとみなす。 (労基法38条の2第1項ただし書) ・事業場内労働時間については別途把握して加算す る。 イ 一括みなし説 安西 愈氏は、昭 63.1.1 基発 1 号通達を根拠に「労働時間の全部が事業場外労働の場合に限ら ず、一部分が事業場外である場合も、ともに所定労働時間の労働とみなされる。」と述べられてい る。つまり、事業場外労働+事業場内労働=所定労働時間の労働とみなすということである(安西 「労働時間」P434)。この説に従えば、たとえば、外勤営業社員が事業場外で一日活動した後午後 8時に帰社し2時間事業場内で業務処理を行った場合であっても、全体として「所定労働時間労働 したものとみなす」ことになる(同氏は、事業場内の内勤の業務は事業場外労働の付随的業務に限 る、としている-安西「労働時間」P435)。 労基法 第38条の2 労働者が労働時間の全部又は一部について事業場外で業務に従事した場合において、労 働時間を算定し難いときは、所定労働時間労働したものとみなす。ただし、当該業務を遂行するため には通常所定労働時間を超えて労働することが必要となる場合においては、当該業務に関しては、厚 生労働省令で定めるところにより、当該業務の遂行に通常必要とされる時間労働したものとみなす。 第2項以下 略 通達 【事業場外労働における労働時間の算定方法】 (イ)原則 労働時間の全部又は一部について事業場外で業務に従事した場合において、労働時間を算定し難 601 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 いときは、所定労働時間労働したものとみなされ、労働時間の一部について事業場内で業務に従事 した場合には、当該事業場内の労働時間を含めて、所定労働時間労働したものとみなされるもので あること(昭63.1.1基発1号)。 以下 略 ロ 別途みなし説 これに対し、労基法 38 条の 2 第 1 項本文の「所定労働時間労働したものとみなす」とは、その 日の所定労働時間のうち事業場外で労働がなされた所定労働時間の部分であるとし(菅野「労働法」 第二版補正版 P234)、「所定労働時間の一部を事業場内で労働する場合には(労基法 38 条の 2 第 1 項本文)、まずこの時間を所定労働時間から差し引く。そうして、事業場外の労働時間の算定が困 難な労働に従事する時間が残りの時間の中におおむね収まるものと認められるときは、その所定労 働時間の残りを労働したものとみなすべきである。」(東大「労働時間」P549 で引用するジュリス ト臨時増刊 917 号「新労働時間のすべて」〔渡辺 章教授発言〕P93 有斐閣刊昭和 63 年)。 例を挙げると、所定労働時間8時間、始業8時 30 分、終業 17 時 30 分、休憩1時間である事業 場において、午前中事業場内で業務に従事し、昼の休憩後事業場外で業務に従事した場合に、午後 からの業務が 8-3、5=4、5(時間)程度でおおむね収まるものと認められるときは、4、5 時間労働 したものとみなすものである。 始業時刻 終業時刻 12:00 13:00 8:30 3.5 時間 社内業務 17:30 おおむね 4.5 時間程度で収まる 外勤業務 みなし時間は 4.5 時間となる (菅野「労働法」第二版補正版 P234 の記述は、手持ちの第五版ではすでに削除されており、事業 場外みなし時間に関する記述はない。) その後入手した菅野「労働法」第二版補正版 P234 昭 63 年の記述は、次のとおりである。 「みなし制が適用になる事業場外労働は、常態的な事業場外労働(例、取材記者、外勤営業社員) のみならず臨時的な事業場外労働(例、出張)も含む。また、労働時間の全部を事業場外で労働する 場合のみならず、その一部を事業場外で労働する場合も含む。労働時間の一部のみを事業場外で労働 する場合は、労働時間の「みなし」は事業場外での労働の部分について許されるが、事業場外労働が 1日の所定労働時間帯の一部を用いて(ないしは一部にくいこんで)なされるかぎりは、このみなし の結果、所定労働時間帯における事業場内労働を含めて、1日の所定労働時間だけ(または、事業場 内労働の時間と、事業場外労働に通常必要とされる時間だけ)労働したととなる。なお、事業場外労 働に付随してそれと一体的に事業場内労働が行われるという場合には、それら労働は全体として事業 場外労働と把握できよう。 」 (菅野教授は「一括みなし説」の立場のようである。 ) 602 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 通達 【一部事業場内労働の場合の算定】 問 労働時間の一部を事業場内で労働する場合、労働時間の算定はどうなるのか。 答 みなし労働時間制による労働時間の算定の対象となるのは、事業場外で業務に従事した部分であ り、労使協定についても、この部分について協定する。事業場内で労働した時間については別途把握 しなければならない。そして、労働時間の一部を事業場内で労働した日の労働時間は、みなし労働時 間制によって算定される事業場外で業務に従事した時間と、別途把接した事業場内における時間とを 加えた時間となる(昭63.3.14基発150号)。 ハ 具体的事例 次のような事例について、 「一括みなし説」 「別途みなし説」の立場から、労働時間の一部につい て事業場内で業務に従事した場合における労働時間をそれぞれ算定してみる(東大「労働時間」P551 ~553)。 始業時刻 8:30 終業時刻 17:30 休憩時間 1 時間 所定勤務時間8時間 事例1 この図は,当該労働者が定時に出勤して内勤に従事して休憩をとった後,外勤に従事し,そのまま 帰宅した場合を想定している。 一括みなし説:外勤部分+内勤部分=8時間(双方合算して全体として所定労働時間) 別途みなし説:4 時間 (内勤部分)+α(外勤みなし部分)となるが,αは原則として当該日の所定労 働時間中内勤で費やされた時間を除く時間 (13 時~17 時の所定労働時間、つまりは 4 時間)となり,結果的には合計時間は同じく 8 時間となる。 始業時刻 終業時刻 12:00 13:00 8:30 社内業務 17:30 業務終了 外勤業務 一括みなし説も別途みなし説も8時間としており、実務においては、その日の内勤・外勤を合 わせた全体を8時間とみなすことが適当と解する(私見) 。 603 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 事例2 この図は,始業時刻前に自宅から外勤業務に出て終業時刻まで継続し,就業時刻後は 2 時間の内 勤業務に従事した場合を想定している。 一括みなし説:外勤部分+内勤部分=8時間(双方合算して全体として所定労働時間) ただし、所定終業時刻後の内勤業務はみなし時間に加算すべきとする説もある(井 上克樹著「事業場外・裁量労働とみなし時間」季刊労働法 147 号 P58 総合労働研究所 刊-概要を P637 に掲載したので参照されたい。) 。 別途みなし説:8 時間 (外勤みなし部分=始業時刻から終業時刻まで)十 2 時間 (内勤算定部分)= 10 時間とされる。 始業時刻 8:30 終業時刻 業務終了 17:30 19:30 12:00 13:00 外勤業務 2 時間 社内業務 金融・保険証券業等のセールスに従事する外勤職員については、実務上の取扱いとしては外勤 業務に附随する事務処理業務(たとえば 30 分とか1時間とか固定的に決めておく。 )を除く社内業 務の時間を8時間に加算した時間とみなすことが適当ではないかと思う(私見) 。この場合の「外 勤業務に附随する事務処理業務」は労使協定においてあらかじめ定めておくことが望ましいが、協 定が成立していないときは個々に判断するよりほかない。 仮に、 「外勤業務に附随する事務処理業務」が 30 分であるとした場合、当日の労働時間は、8 時 間+1、5 時間とされる。 事例3 この図は、始業時刻前に早出残業を1時間行った後、そのまま内勤業務に従事し(12 時まで), 午後から外勤に出て,就業時刻後に直接帰宅した場合を問題としている。 一括みなし説:外勤部分+内勤部分=8時間(双方合算して全体として所定労働時間) ただし、所定始業時刻前の内勤業務はみなし時間に加算すべきとする説もあること は事例2と同じ。 別途みなし説:4 時間 30 分 (内勤算定部分 )+4 時間 30 分 (外勤みなし部分) =9 時間とされる。 始業時刻 7:30 8:30 終業時刻 12:00 13:00 17:30 4 時間 30 分 社内業務 4 時間 30 分 外勤業務 実務上の取扱いとしては、始業前の早出が外勤業務に附随する事務処理業務(たとえば 30 分と か1時間とか固定的に決めておく。)に要する時間内であれば、全体を8時間とみなすことが適当 と解する(私見)。 仮に、 「外勤業務に附随する事務処理業務」が 30 分であるとした場合、当日の労働時間は、8 時 間+(1-0.5)時間=8時間 30 分とされることになる。 604 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 事例4 この図は,当該労働者が定時に出勤して内勤に従事して休憩をとった後,外勤に従事し、18 時に帰 社してそのまま業務を終了した場合を想定している。 一括みなし説:外勤部分+内勤部分=8時間(双方合算して全体として所定労働時間) 別途みなし説:外勤部分+内勤部分=8時間(双方合算して全体として所定労働時間) ただし、12 時~18 時の外勤労働がその時間帯の所定労働時間数 (=4 時間 30 分) を超えて働くことが通常であると認められれば、その通常の労働時間 (たとえば 5 時間)労働したものとみなされる。 始業時刻 8:30 12:00 3 時間 30 分 社内業務 終業時刻 帰社 17:30 18:00 13:00 みなし 4 時間 30 分 外勤業務 実務上の取扱いとしては、全体を8時間とみなすことが適当と解する(私見)。 業務を終了した場所が外出先であるか会社であるかの違いだけであって、本質的には事例1と同 じである。 社内業務のうちに「外勤業務に附随する事務処理業務」という概念を用いたのは、外で行う業務 の労働密度には個人差があり、労働時間の算定において一定の弾力的取扱いが許されるべきと考え たからである(専門業務型の場合も個々の事情は考慮せず、みなし時間を適用する。 )。したがって、 このような取扱いは外回り営業のような外勤が本務である業務を前提としている。 大学・独法における事業場外労働は内勤者が臨時に外勤業務(出張業務)に就くことを前提とす るから、「外勤業務に附随する事務処理業務」という概念を用いることは適切でなく、所定終業時 刻後の内勤業務はみなし時間に加算すべきとする井上克樹説を採用することが妥当であろう。 ⇒ 「一括みなし説」と「別途みなし説」との違いは、就業規則上の始業時刻前及び終業時刻後の時間であって実 際に労働時間算定が可能な時間(事業場内で勤務する時間)の取扱いの違いである。 (4)在宅勤務 1)みなし時間適用の条件 在宅勤務は、たとえば、労働契約において、①午前 9 時から 12 時まで、及び午後 1 時から 3 時 までを勤務時間とする、②勤務時間帯と日常生活時間帯が混在することがないよう仕事を専用とす る個室を確保する等の取決めがなされ、③随時使用者の具体的な指示に基づいて業務が行われる場 合は、労働時間を算定しがたいとはいえず、事業場外労働に関するみなし労働時間制は適用されな い(平 16.3.5 基発 0305001 号)。 反対に、①当該業務が起居寝食等私生活を営む自宅で行われ、②使用するパソコン等通信機器が 使用者の指示により常時通信可能な状態におくこととされていない、③当該業務が随時使用者の具 体的な指示に基づいて行われていない、というような場合は(労働時間を算定し難いから)、事業 605 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 場外労働に関するみなし労働時間制が適用される(前掲通達)。ただし、在宅勤務についてみなし 労働時間制を適用する場合であっても労働したものとみなされる時間が法定労働時間を超える場 合には、三六協定の締結・届出、割増賃金の支払いが必要となるため、労働者は業務に従事した時 間を日報等に記録し、使用者はそれをもって在宅勤務を行う者の労働時間の状況の適切な把握に努 め、必要に応じて所定労働時間や業務内容等について改善を行うことが望ましい(平 20.7.28 基発 0728001 号)。 2)深夜・休日労働の制限 在宅勤務に関するみなし労働時間制が適用されている者が、深夜又は休日に業務を行った場合で あっても、次のすべての要件を満たす場合には、使用者のいかなる関与もなしに行われたものであ ると評価できるため、労働基準法上の労働時間に該当しない(前掲通達)。 ① 労働者からの申告がないこと 就業規則等により深夜又は休日に業務を行う場合には事前に申告し使用者の許可を得なけれ ばならず、かつ、深夜又は休日に業務を行った実績について事後に使用者に報告しなければなら ないとされている事業場において、深夜若しくは休日の労働について労働者からの事前申告がな かったか又は事前に申告されたが許可を与えなかった場合であって、かつ、労働者から事後報告 がなかった場合 ② 当該労働者の深夜又は休日の労働に関して、次のすべてに該当する場合 a、深夜又は休日に労働することについて、使用者から強制されたり、義務付けられたりした 事実がないこと。 b、当該労働者の当日の業務量が過大である場合や期限の設定が不適切である場合など、深夜 又は休日に労働せざるを得ないような使用者からの黙示の指揮命令があったと解し得る事 情がないこと。 c、深夜又は休日に当該労働者からメールが送信されていたり、深夜又は休日に労働しなけれ ば生み出し得ないような成果物が提出された等、深夜又は休日労働を行ったことが客観的に 推測できるような事実がなく、使用者が深夜・休日の労働を知り得なかったこと。 d、事前許可制及び事後報告制の場合において、労働者からの事前の申告に上限時間が設けら れていたり労働者が実績どおりに申告しないよう使用者から働きかけや圧力があったなど、 当該事業場における事前許可制が実態を反映していないと解し得る事情がないこと。 e、事前許可制及び事後報告制の場合において、深夜又は休日に業務を行った実績について、 当該労働者からの事後の報告に上限時間が設けられていたり労働者が実績どおりに報告し ないように使用者から働きかけや圧力があったなど、当該事業場における事後報告制が実態 を反映していないと解し得る事情がないこと。 606 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 2.専門業務型裁量労働制 (1)概 要 1)専門業務型裁量労働制とは 専門業務型裁量労働制は、人文科学又は自然科学に関する研究の業務等などの「業務の性質上そ の遂行の方法を大幅に当該業務に従事する労働者の裁量にゆだねる必要があるため、当該業務の遂 行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をすることが困難なものとして厚生 労働省令で定める業務」に従事する労働者について、労使協定により一定の事項を定め、当該労働 者を裁量労働制対象の業務に就かせたときは、その協定で定めた時間労働したものとみなす制度で ある。対象となる業務は後述(2)の一定の業務に限られ、限定された業務のみが専門業務型裁量 労働制の対象となる(労基法 38 条の 3 第 1 項) 。 専門業務型裁量労働制を採用した場合、実労働時間にかかわらず労使協定で定めた「みなし時間」 労働したものとして取扱う。 2)専門業務型裁量労働制のメリット 専門業務型裁量労働制を導入するメリットは何であろうか? まず、使用者にとっては、労働時間把握・記録義務を免れるということがある(もっとも、労働 者の健康確保を図る必要があることから、適正な労働時間管理(出退勤時刻又は入退室時刻の記録 等による。)を行う必要がある、というわかりにくいロジックを用いている。)。裁量労働制を導入 しない場合には、大学教員・研究所の研究員に対しても「始業・終業時刻の確認及び記録」をしな ければならない。このことは、創造的業務である「教授研究の業務」に従事する教授陣(教授・准 教授・講師・もっぱら研究の業務に従事する助教)にとって相当程度の雑務負担を強いることにな るほか、国家公務員時代に培われた教授陣の働き方に一定の制限を加えなければならないことを意 味する(労働時間を把握するということは、ことばを変えていうと監視要素が加わるともいえる。) また、みなし時間の設定にもよるが、労働時間の算定は「みなし時間×出勤日数」であるから簡 単であることである。それだけ事務負担が軽減される。 次に、教員・研究員にとっては、次のように点が明確になり、手続き的雑務が軽減されるととも に、「自由な」研究環境の確保に資することになる。 ① 「自由な」研究環境の確保 「始業・終業時刻の確認及び記録」に代わり、「いかなる時間帯にどの程度の時間在社し、労 務を提供し得る状態にあったか等を明らかにし得る出退勤時刻又は入退室時刻の記録」(注)で よいこと(その中味に私的時間が含まれているか否かを精査する必要がなく、「自由な」研究を 目指す教員・研究員にとって大きな利点である。) 注.この規定は企画業務型裁量労働制に関する通達(平 12.1.1 基発 1 号)によるものであるが、専 門業務型裁量労働制においても「企画業務型裁量労働制における同措置の内容と同等のものとする ことが望ましいものであること。 」とされている(平 11.12.27 労告 149 号) 。 ② 兼業のあり方について 従来の、兼業時間とは別に所定労働時間(週 38.75 時間)勤務する義務を見直すことができ る可能性がある(みなし時間を適用するところから、半日程度の所定時間内兼業は週 38.75 時間 確保の枠からはずす論理的根拠が生まれる。) 。 兼業手続きについて簡素化できる余地も生まれる。 607 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 ③ 学外研修について 従来慣習化していたが制度的には不明確であった(と思われる)自宅研修について、制度化 と週所定 38.75 時間という就業規則上の整合性が明確になるとともに、自宅研修にまつわる災害 補償における「業務上」の立証も容易になる。 ④ 健康管理について 出退勤時刻又は入退室時刻の記録を把握することにより、監視要素を排除しつつ、しかも安 全配慮履行のための客観データを把握することができ、教授陣に対する大学側の安全配慮が一層 充実することになる(とかく研究者は自己の健康管理に無頓着な傾向があり、外的要因によりあ る程度強制的に余暇を付与したり医学的所見を受けさせることも重要であろう。 )。 (2)対象業務 1)概 要 業務の性質上その遂行方法を大幅に当該業務に従事する労働者にゆだねる必要があるため、当該 業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し具体的な指示をすることが困難なものとして厚生 労働省令(労基則 24 条の 2 の 2 第 2 項)で定める業務である。 具体的には、次の 19 業務に限られる。 ① 新商品若しくは新技術の研究開発又は人文科学若しくは自然科学に関する研究の業務 ② 情報システムの分析又は設計の業務 ③ 新聞、出版、放送の事業における取材・編集の業務 ④ 服飾、工業製品、広告等のデザイン考案の業務 ⑤ 放送番組、映画等の制作の事業におけるプロデューサー又はディレクターの業務 ⑥ その他厚生労働大臣の指定する業務(平成 15 年 10 月 22 日厚労告 354 号) 1.コピーライターの業務 2.情報システムエンジニアの業務 3.室内装飾コーディネーターの業務 4.ゲームソフト創作の業務 5.証券業におけるアナリスト及びストラティジストの業務 6.金融商品開発の業務 7.学校教育法に規定する大学における教授研究の業務(主として研究の業務従事するものに 限る) (注) 8.公認会計士の業務 9.弁護士の業務 10.建築士の業務 11.不動産鑑定士の業務 12.弁理士の業務 13.税理士の業務 14.中小企業診断士の業務 注、 「教授研究」とは大学の教授、准教授又は講師が学生を教授し、その研究を指導し、研究に従事するこ とをいう。業務の中心はあくまでも研究の業務であることを要し、講義等の時間が1週間の所定労働時間 (又は法定労働時間)のおおむね5割に満たないものであることとされている。 608 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 なお、助教については⑥7 の「教授研究の業務」でなく、①の人文科学又は自然科学に関する研究の 業務に専ら従事する場合に裁量労働制の対象となる。 2)研究開発又は研究の業務 「新商品若しくは新技術の研究開発又は人文科学若しくは自然科学に関する研究の業務」におけ る「新商品若しくは新技術の研究開発」とは、材料、製品、生産・製造工程等の開発又は技術的改 善等をいうものである。 この研究開発又は研究の業務に従事する場合はもっぱら研究開発又は研究の業務に従事する場 合に専門業務型裁量労働制の対象となるが、当該業務以外の業務に従事する時間が、1週間の所定 労働時間又は法定労働時間のうち短いものの方の1割程度以下である場合には、もっぱら研究開発 又は研究の業務に従事するものとして取扱って差支えないとされる。 なお、担当する業務が「研究開発又は研究の業務」なのかどうかが問題なのであって、本人の学 歴・経験・資格などは不問であり、博士や修士の資格がなくても問題ない。 3)大学における教授研究の業務 イ 対象業務となったいきさつ 専門業務型裁量労働制の対象者は、専ら当該対象業務に従事する場合にみなし時間が適用される ものである。そのため、大学の教員は講義等を担当することがあるため、前述①の「新商品若しく は新技術の研究開発又は人文科学若しくは自然科学に関する研究の業務」に該当せず、専門業務型 裁量労働制の適用は難しいのではないかとされていた。 そのため、平成16年4月の国立大学法人化に合わせて、「大学における教授研究の業務」を急遽 「厚生労働大臣の指定する業務」に加えたいきさつがある。 平成15年10月22日厚労告354号によると、 「学校教育法(昭和22年法律第26号)に規定する大学に おける教授研究の業務(主として研究に従事するものに限る。)」とは、次の業務をいうものとさ れている。 平成15年10月22日厚労告354号(最終改正平18.2.15基発0215002号) 「教授研究の業務(主として研究に従事するものに限る。) 」 1 改正の趣旨 専門実務型裁量労働制の対象業務としては、これまで労働基準法施行規則(昭和22年厚生省令第 23号。以下「則」という。 )第24条の2の2第2項において規定する5業務に、平成9年労働省告示第7 号(労働基準法施行規則第24条の2の2第2項第6号の規定に基づき厚生労働大臣の指定する業務を定 める件)により追加した6業務及び平成14年厚生労働省告示第22号(労働基準法施行規則第24条の2 の2第2項第6号の規定に基づき厚生労働大臣の指定する業務の一部を改正する件)により追加した8 業務を規定しているところであるが、今般、前回の告示制定以後に生じた状況の変化等を踏まえ、 新たに大学における教授研究の業務(主として研究に従事するものに限る。)を追加するものであ ること。 2 改正の内容 「学校教育法(昭和22年法律第26号)に規定する大学における教授研究の業務(主として研究に 609 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 従事するものに限る。) 」を専門業務型裁量労働制の対象業務に追加することとすること。 「教授研究の業務」とは、学校教育法に規定する大学の教授、助教授又は講師(以下「教授等」 という。)の業務をいうものであること。 「教授研究」とは、教授等が、学生を教授し、その研究を指導し、研究に従事することをいうも のであること。 「主として研究に従事する」とは、業務の中心はあくまで研究の業務であることをいうものであ り、具体的には、研究の業務のほかに講義等の授業の業務に従事する場合に、その時間が、1週の 所定労働時間又は法定労働時間のうち短いものについて、そのおおむね5割に滴たない程度である ことをいうものであること。 なお、大学病院等において行われる診療の業務については、専ら診療行為を行う教授等が従事す るものは教授研究の業務に含まれないものであるが、医学研究を行う教授等がその一環として従事 する診療の業務であって、チーム制(複数の医師が共同で診療の業務を担当するため、当該診療の 業務について代替要員の確保が容易である体制をいう。)により行われるものについては、教授研 究の業務として取り扱って差し支えないこと。 3 その他 (1)学校教育法に規定する大学の助手については、専ら人文科学又は自然科学に関する研究の業務 に従事する場合には、則第24条の2の2第2項第1号に基づき、専門業務型裁量労働制の対象となるも のであること。 (2)改正告示及び本通達については、平成16年1月1日からの円滑な施行に向けて、改正労働基準法 の周知と合わせ、その内容をリーフレット等を活用して、各種集団指導等により十分周知すること。 (下線を引いた箇所(エビ茶色の箇所)が平18基発第0215002号による。 ) 平成 19 年 4 月 2 日基監発第 0402001 号より抜粋 1 准教授について 准教授は、局長通達記の 2 の「助教授」に該当するものと考えられるので、労働基準法施行規則第 24 条の 2 の 2 第 2 項第 6 号の規定に基づき厚生労働大臣の指定する業務を定める告示の一部を改正す る告示第 7 号「学校教育法(昭和 22 年法律第 26 号)に規定する大学における教授研究の業務(主として 研究に従事するものに限る。)」として専門業務型裁量労働制の対象業務として取り扱うこと。 2 助教について 助教は、専ら人文科学又は自然科学に関する研究の業務に従事すると判断できる場合は、労働基準 法施行規則第 24 条の 2 の 2 第 2 項第 1 号の業務のうち「人文科学又は自然科学に関する研究の業務」 として専門業務型裁量労働制の対象業務と取り扱うこと。 なお、この場合において「助教」は、教授の業務を行うことができることになっていることから、 その時間が、一週の所定労働時間又は法定労働時間のうち短いものの一割程度以下であり、他の時間 においては人文科学又は自然科学に関する研究の業務に従事する場合には、専ら人文科学又は自然科 学に関する研究の業務に従事するものとして取り扱って差し支えないものとすること。 610 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 通達では教授研究の業務を「研究の業務」と「講義等の授業の業務」の二種類に分けているが、 実際には大学の運営に関する「校務」や「社会貢献」などの活動もあるという(労働法律旬報 2007.11.10深谷信夫「大学教員の労働時間制度と裁量労働時間制」)。 そのような場合には、「校務」や社会貢献などの活動は「研究の業務」以外の業務であるから「講 義等の授業の業務」に含めて当該業務が5割に満たない程度であるかを判断することになろう(ち なみに、深谷教授によると、「校務」や「社会貢献」などの活動を加えた「講義等の授業の業務」 の時間が、週40時間の5割以上を占めているのが圧倒的多数の大学教員の勤務実態であろう、という。)。 ロ 「准教授」「助教」の取扱い 改正学校教育法(平成 19 年 4 月 1 日施行)では助教授を「准教授」、助手を「助教」と「(新) 助手」とに分けることとなったが、専門業務型裁量労働制の適用に関しては、次のように取扱うこ ととしている(平成 19、4、基監発第 0402001 号)。 ① 准教授 = 従来の助教授と同様に「大学における教授研究の業務(主として研究に従事する ものに限る。)」として専門業務型裁量労働制の対象業務として取り扱う(労規則 24 条の 2 の 2 第 2 項 6 号に基づく平 15、10、22 厚労告 354 号 7 号の業務)。 ② 助教 = 従来の助手と同様に「専ら人文科学又は自然科学に関する研究の業務に従事すると 判断できる場合」に専門業務型裁量労働制の対象業務として取り扱う(労規則24条の2の2第2 項1号の業務)。 この場合に、「助教」は教授の業務を行うことができることになっていることから、その時 間が、1週間の所定労働時間の1割程度以下であり、他の時間においては専ら人文科学又は自 然科学に関する研究の業務に従事することが裁量労働制の対象業務の要件となる。 ③ (新)助手 = 「(新)助手」の取扱いは従来の助手の取扱いと異なるところはない。すなわち、 専ら人文科学又は自然科学に関する研究の業務に従事する場合に、専門業務型裁量労働制の対 象となる(「助教」と同様に、労規則 24 条の 2 の 2 第 2 項 1 号の業務)。 ハ 医学部の教員に対する適用 大学病院等において行われる診療の業務については、当初「患者との関係のために、一定の時間 帯を設定して行う診療の業務は教授研究の業務に含まれないことから、当該業務を行う大学の教授、 助教授又は講師は専門業務型裁量労働制の対象とならないものであること」とされていたが、平成 18年3月1日より「専ら診療行為を行う教授等が従事するものは、教授研究の業務に含まれないもの であるが、医学研究を行う教授等がその一環として従事する診療の業務であって、チーム制(複数 の医師が共同で診療の業務を担当するため、当該診療の業務について代替要員の確保が容易である 体制をいう。)により行われるものは、教授研究の業務として取り扱って差し支えないこと」とな った(平18.2.15基発0215002号)。 (3)みなし時間 1)裁量労働のみなし制の趣旨 そもそも裁量労働のみなし制とは何のための制度であるか、その目的ないし趣旨に関し学説は一 致しない。その主な一つは、裁量労働制は労働時間の長さにかかわりなく労働の質や成果によって 報酬を定めることを可能とした制度であるとする見解である(ジュリスト別冊「新労働時間法のす べて」P109〔菅野 和夫〕)。この説によれば「始業・終業時刻の枠もはずすのが自然」というこ 611 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 とになる(前述「すべて」P115)。 もう一つは、裁量労働制は所定労働時間自体でなく時間外労働の適正な管理を行うことを主な目 的とした制度であるとする見解である(渡辺 章著「わかりやすい改正労働基準法」有斐閣リブレ 21 P97 1988年刊)。この説では就業規則上の絶対的記載事項である始業・終業の時刻の規制は裁 量労働適用者にも及ぶから、結局のところ、裁量労働者に委ねられたのは始業・終業時刻間の休憩 の取り方と始業・終業時刻の枠外の時間外労働の仕方にとどまることになる。 裁量労働制適用者に就業規則上の始業・終業時刻の規制が適用されるか、という問題については、 後述する。5)616ページ参照 2)みなし時間の設定 みなし時間をどのように定めるべきかという点について、労基法は労使協定に定めるべき事項と して「対象業務に従事する労働者の労働時間として算定される時間」と規定するのみであり、基本 的には労使の自主決定にゆだねている(労基法38条の3第1項2号)。 しかし、通達は「労使協定において、専門業務型裁量労働制に該当する業務を定め、当該業務の 遂行に必要とされる時間を定めた場合には、当該業務に従事した労働者は、当該協定で定める時間 労働したものとみなされること。」としており、労使協定で定めるべきみなし時間は「当該業務の 遂行に必要とされる時間」とすべきこととしている(昭和63.3.14基発150号、平12.1.1基発1号)。 この「当該業務の遂行に必要とされる時間」について、厚労省「労基法コメ」P536は「各日の労 働時間は相当長短が生じることもあり得るが、当該労働者については、各日の実際の労働時間によ るのではなく、平均的に当該業務の遂行に必要な時間として労使協定で定められた時間労働したも のとみなされることになる。」と説明している。つまり、当該業務を遂行するために必要とされる 時間はいかほどか、という観点から労使の合意が成立すればみなし時間を適用できる、という趣旨 であろう。 また、次のような通達も出されている。 「問 専門業務型裁量労働制において労使協定で定める時間は、1日の労働時間だけでなく、1 か月の労働時間でも可能か。 答 1日当たりの労働時間を協定する。」(昭63.3.14基発150号) 東京労働局が配布したパンフレット(平18年5月作成)においても「専門業務型裁量労働制にお いて労使協定で定める時間、すなわち、みなし労働時間は、対象業務の遂行に必要とされる時間を 1日当たりの労働時間として定める必要があり、1日以外の期間、例えば1箇月の労働時間として定 めることはできません。」と、みなし時間は1日以外の期間について協定することはできない、と している。 しかしながら、学者や実務家では、みなし時間をどう設定するかについては各論がある。 イ 労使の合意にのみよるべきとする説 まず、安西 愈弁護士は、労基法が基本的には労使の自主決定にゆだねているのに、行政解釈に おいて「当該業務の遂行に必要とされる時間」という制約を課して行政指導していることを批判し 「法令の定めは、労使が『協定で定める時間』であるのに、通達で『当該業務の遂行に必要とされ る時間』との制限を課し、協定時間について行政指導している問題がある。」と、労基法の規定は 単に労使間の合意で定めることとしているに過ぎないということを指摘し、みなし時間の協定のあ り方に行政が介入することを問題視している(安西「労働時間」P507~508)。 612 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 ロ かい離があっても問題としない説 次に、政府の労働政策審議会の会長を務めた菅野 和夫教授は「裁量労働制は、専門業務型のも のであれ、企画業務型のものであれ、法所定の業務について労使協定でみなし労働時間数を定めた 場合には、当該業務を遂行する労働者については、実際の労働時間数に関係なく協定で定める時間 労働したものと「みなす」という制度である。」と述べられており、みなし時間と実際の労働時間 との間にかい離があっても問題としていない(菅野「労働法」P296) (注)。 注、菅野教授は、みなし時間イコール所定労働時間(8時間)とすることは割増賃金支払いを不要とすることに なるので、①労働時間を拘束することが高度の専門性を有する労働者の能力発揮の妨げになること、②自律性 が保障されていること、③割増賃金不払いを補ってあまりある経済的待遇を与えられていること、④年次有給 休暇がほぼ完全に消化されること、などの条件が整わなければならないとしている。 ハ 当該業務の遂行に通常必要とされる時間とする説 前述イで安西弁護士が批判したように、厚労省の立場は通常必要とされる時間で協定すべきもの としている(厚労省「労基法コメ」上巻 P○○)。 吉田 美喜夫教授は、労働時間の把握が困難な事業場外労働のみなし時間ですら通常必要とされ る時間労働したとみなされるのであるから、労働時間の把握が可能な裁量労働制においてもみなし 時間数と実際の労働時間数とを合致させる要請が含まれていると考える、とされている。ただし、 それを強制する法的規制がないので、結局のところ、次期の労使協定の見直し手続きによるほかな いことも指摘されている。 「元来,労働時間の把握が困難な事業場外労働のみなし制ですら「当該業務の遂行に通常必要とさ れる時間」労働したものとみなされるのであるから,労働時間の把握と管理が可能な業務が対象とな っている裁量労働制の場合,みなし時間数を実際の労働時間数に合致させる要請が含まれていると考 える。ただし,その法律上の上限や事業場外労働の場合のような,みなすための法規定を欠いている から,結局、次期の協定や決議,見直し手続の際,適切なみなし時間を協定・決議することで対応す ることになる。」 (21 世紀の労働法5「賃金と労働時間」P280〔吉田 美喜夫〕) ⇒ みなし時間を設定する基準として「当該業務の遂行に必要とされる時間」も考慮されてよいが、それを強制さ れるわけでなく、本来、労使の合意のみが要件である。 3)1週間や1か月のみなし時間設定も許されるのか? 労基法 38 条の 3 第 1 項は、 「労働者を第一号に掲げる業務に就かせたときは、当該労働者は・・・ 第二号に掲げる時間労働したものとみなす。」としており、第一号に掲げる業務は専門業務型裁量 労働制が適用される「対象業務」のことであり、第二号に掲げる時間は対象業務に従事する労働者 の労働時間として算定される時間(労使協定で定める「みなし時間」)のことであるから、結局の ところ、法が定めているみなし時間の規定は、次のことに過ぎない。 『労働者を対象業務に就かせたときは、当該労働者は労使協定で定めたみなし時間労働したもの とみなす。』 613 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 つまり、法文上は、労使協定において「1週間」や「1か月」の期間についてみなし時間を協定 すれば、当該期間の労働時間をみなし時間によって算定することができることになる。 ただし、通達は「労使協定で定める時間は、1日の労働時間だけでなく、1か月あたりの労働時 間でも可能か。」という問に対し「1日当たりの労働時間を協定する。 」と答えている(昭 63.3.14 基発 150 号)点にも留意しなければならない。 イ 1週間についてもみなし時間を設定できるとする説 さらに、菅野 和夫教授は、裁量労働制は1日及び1週の法定労働時間の特則として設けられて いる制度なので、1日の労働時間についてのみならず1週の労働時間についてのみなし時間数を設 定できると解すべきであるとして、次のように述べておられる。 「裁量労働制は、1 日および 1 過の法定労働時間の特則として設けられている制度なので、1 日の 労働時間についてのみならず、1 週の労働時間についてもみなし時間数を設定できると解すべきであ る(行政解釈は「1 日のみなし」のみとする。昭 63.3.14 基発 150 号、平 12.1.1 基発 1 号) 。通常は、 1 日の労働時間についてのみなし時間数を定めるのにとどめ、週休日の労働については所定外労働と しての割増賃金支払を行うのが多いであろう。しかし、業務の高度の裁量性と高額の職務給のもとで は、1 週の労働時間数をも適所定労働時間とみなして、法定週休日(35 条)ではない週休日(週休 2 日制における 1 日の週休日)における労働については労働時間数としては報酬に反映させない、とい (菅野 う取扱いも十分ありうるのであって、本制度はこれをも視野に入れていると解すべきである。 」 「労働法」P297) また、様式第 13 号をみると、記載欄は1日の所定労働時間と協定で定めるみなし時間の2つだ けを記載するようになっている、これを日と週の両方について設定すべきだとするのは「何を根拠 にしているのですか。」という問いに対して、同教授は「確かにそう言われてみると、法規定の文 言上は日と週の両方について必ず協定せよということはないかもしれません。しかし、立法趣旨で す。少なくとも、1日についてしかみなし時間を協定できないというのはおかしい、そのような限 定的規定にはなっていない。」と述べておられる。 (立法趣旨であるならば、それを最もよく知る行政はそのような対応をとるものと思われるが、届 出用紙との整合がとられていない理由について、説明はされていない。) 下井 隆史教授はこの菅野 和夫教授の説を支持し、次のように述べておられる(下井「労基法」 P296)。 「この『みなし』時間の定め方について、行政解釈は『1日あたり』の労働時間であるとする(昭 63.3.14 基発 150 号、平 12.1.1 基発 1 号)。しかし、1週の労働時間について『みなし』時間を設定 することも可能(菅野 279 頁)と解すべきであろう。 」 東大「注釈労基法」下巻 P667〔水町 勇一郎〕も1週間の労働時間について『みなし』時間を設 定することに肯定的であり「もっとも、1日当たりのみなし時間と合わせて、週あたりのみなし時 間を定めることも可能と解されており、このような定め方(例えば1日8時間、週 40 時間)をし た場合には、労働義務のない日(例えば非出勤日とされている土曜日)に労働したとしても労働時 間は週のみなし時間によって算定されるものと解される。 」と述べておられる 614 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 ※東京大学のみなし時間 東京大学の専門業務型裁量労働制(平成 21 年度)は、次のように1日及び1週間のみなし時間を 協定している。 「第2条 前条に規定する者(以下「裁量労働従事者」という。)が業務を遂行する場合は、1日 の勤務時間については7時間45分及び1週間の勤務時間については38時間45分勤務したもの とみなす。」 このような協定に基づいてみなし時間を適用して既に6年を経過しているが、とくに問題は生じて いないようである。 ロ 1か月についてもみなし時間を設定できるとする説 吉田 美喜夫教授は、安西 愈「新裁量労働制をめぐる問題点」季労 189 号(1999 年)で「1カ月 単位を認めるべき」との見解があることを指摘されている。しかし、これは「認めるべき」との見 解であって「できる」とは違うようである。 手元にある安西 愈弁護士の書籍では、同氏が1か月単位のみなし時間を適法とする内容は次の ようなものである。 通達は「協定で定める時間」について、それが「1日当たりの労働時間でなければならない」と する趣旨ではなく、それを原則とするものであり、月給者については月間労働日数が月によって変 動しても時間外労働の額を一定にするため「例えば、1日のみなし時間を時間外労働分を含めて「8 時間 30 分」とし、月間のみなし時間を月の労働日数にかかわらず、最大労働日数となる月に併せ て「195 時間」とし「月間 20 時間」を時間外労働時間として、毎月 20 時間分(1日単位の時間外 みなし時間×1カ月の計算による最も多い月の時間以上とする)の時間外労働割増賃金を支払う旨 協定することは違法とはいえないであろう。」とするものである。1か月単位のみなし時間を協定 する目的は、時間外労働割増賃金を「裁量労働従事手当」として各月定額で支払うためである(資 料 36 632 ページ参照)。 たしかに、そのようなものであれば違法とは解されないであろう。 結論として労基法 38 条の 3 第 1 項 2 号の労使協定で定めるべき事項である「対象業務に従事す る労働者の労働時間として算定される時間」の解釈としては、実務上、次のように考えることがで きるのではないか。 ①1日について協定する ⇒ 通達の見解と同じであって妥当である。 ②1日及び1週間について協定する ⇒ 通達の見解と異なるが、これを支持する学説があり違法 と断定することはできない。 ③1か月について協定する ⇒ 通達の見解と異なる上、これを支持する学説も見あたら ないので違法と判断される可能性が高い(前述安西説のよ うなものであれば適法と解する。) 。 ただし、②の「1日及び1週間について」もみなし時間を適用することは、菅野教授も指摘して いるように「業務の高度の裁量性と高額の職務給のもとでは」という限定のもとにおいての話であ るから、実務においては、①の「1日について」みなし時間を適用するのが妥当であろう。 いずれにしても、労使協定を締結しなければ裁量労働制を導入することができないのであるから、 結局のところ労使間の合意で決めざるを得ないということになる。 615 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 ⇒ 実務においては、みなし時間は1日についてのみ設定するのが適切であると考える。 4)複数のみなし時間設定の可否 一の事業場で、たとえば、文系学部と理系学部、教授・准教授・講師グループと助教・助手グル ープというように分けて、複数のみなし時間を設定することは差支えないと考える。労基法38条の 3第1項2号は、協定すべき事項に関し「対象業務に従事する労働者の労働時間として算定される事 項」と規定しているだけであるから、みなし時間を①業務別に設定する、②業務の繁忙に合わせた 時期別設定、③対象労働者の職位等に応じた設定、④一定期間に集中した長時間労働に対応する設 定などが可能であると解される(安西「労働時間」P511) 。ただし、裁量労働制の対象業務におけ る仕事の成果は一般に労働時間の長さに比例するものでないと考えられるので、業務や時期などと 労働時間の関係を重視するみなし時間の設定は必ずしも適当であるとはいえない。 ⇒ 裁量労働制の対象業務における仕事の成果は一般に労働時間の長さに比例するものでないので、む やみに複数のみなし時間を設定すべきでない。 5)裁量労働制適用者に所定労働時間等の規定は適用されるのか 専門業務型裁量労働制適用者には所定労働時間が設定されるのであろうか?また、設定されると したら、始業・終業の時刻という形で設定されるのであろうか? これについては、1)で述べたとおり、適用されるという説(渡辺 章説)と適用されないとす る説(菅野 和夫説)とがあった。 行政の立場については、明確に見解を述べるものは見つからない。ただし、使用者の労働時間管 理が不要とされる労基法41条2号の管理監督者について次のような見解があり、参考になる。 イ 管理監督者に関する厚労省の見解 労基法 41 条 2 号に該当する管理・監督者の場合には、労働者の深夜業に対する割増賃金の計算 基礎時間について,「当該職種の労働者について定められた所定労働時間を基礎とする」との通達 (昭 22.12.15 基発 502 号)が出されており、始業・終業の時刻が設定されていることを前提とし ている。厚労省労基局賃金労働時間課が回答するQ&Aにおいても次のような説明をしている。 「管理・監督者は労働時間に関する規定の適用を受けないことから,管理・監督者には所定労働時 間という概念が存在しないと誤解している方もおられるようです。しかし,管理・監督者といえども 労働者であることには変わりなく,労基法 41 条は先に説明したとおり,労働時間,休憩及び休日に 関する規定の適用を除外するのみですから,例えば労基法 89 条で就業規則の絶対的な必要記載事項 の中に「始業及び終業の時刻」が含まれているので,管理・監督者にも所定労働時間の定めは必要と なります。 」(労政時報 第 3638 号 04.8.27 151 ページ) この例から推察するに、厚労省は、労働者である限り始業・終業の時刻は設定され、その規制を 受ける、との立場のようである。たしかに、所定労働時間が設定されないと平均賃金や割増賃金の 算出基準となる単位時間賃金が確定しないから不都合である。また、 「勤務場所及び勤務時間が指 定されている」 (本テキストP42以下)ことは労働者性の判断基準とされる「使用従属性」の重要な 要素でもある。 616 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 このように考えると、労働契約上始業・就業の時刻(あるいは所定労働時間)が設定されていな いのではなく、設定されているけれどその規制を厳格に運用するか、緩やかに運用するかの違いと 解するのが自然である(※)。 ※渡辺 章教授の見解 渡辺 章教授は、裁量労働制適用者であっても就業規則の絶対必要事項である始業・終業の時刻の 適用をうけるのであり、すべての労働者に労働条件として明示しなければならないものである、と次 のように述べておられる。 「思うに、始業、終業時刻は労働者と使用者との間で、労働時間が取り決められる際の基本的要素 (労働時間の法的存在形式)であり、裁量労働者を含むすべての労働者に労働条件として明示されな ければならないものであり、また就業規則には絶対的に必要な記載事項とされている(15条1項、89 条1項1号)。この原則は裁量労働の概念が新しく登場したといっても当面変わるものでない。「始業、 終業時刻とは意味の異なる「出社、退社の時刻」の規定だけで足りるという扱いは、当該規定自体か ら労働時間を明瞭にしえないために個々の労働契約の内容になり得ないと考えられる。 」(渡辺 章 「わかりやすい改正労働時間法」有斐閣リブレ21 P100~101 1988年) ※吉田 美喜夫教授の見解 吉田 美喜夫教授は、時刻や時間について裁量が認められることは裁量労働制の根幹に関わる要請 であるから、使用者は出退勤の時刻を定めたり一定の時刻から会議出席を命じることはできない、と 次のように述べておられる。 「裁量労働制では出退勤の時刻は自由である。これとの関係で、たとえば一定の時刻からの会議出 席を命じうるかが問題となる。時刻や時間について裁量が認められることは裁量労働制の根幹に関わ る要請であるから、当該命令は原則としてできないと考える。ただし、各労働者のその都度の同意が あれば、当該時刻に出勤する義務が発生すると考える。 裁量労働制は業務遂行の方法や時間配分を労働者の自由に委ねるに過ぎないのであって、出勤する か否かまで自由にするものではない。そして、休日の規制が及ぶ関係で所定の労働日も定める必要が ある。しかし、労働日に出勤を義務づけないことや労務提供の場所を協定するか決議し、それに基づ いて運用することは可能であると考える。」 (21世紀の労働法5「賃金と労働時間」P281〔吉田 美 喜夫〕 ) ⇒ 裁量労働制適用者には、労働契約上始業・就業の時刻(あるいは所定労働時間)が設定されていないので はなく、設定されているけれどその規制を一般の労働者よりも緩やかに運用する、あるいは規制をしないと解す るのが自然である。 ロ 中間的存在の安西説 採用労働制適用者について、菅野説は所定労働時間の適用はなく全く自由であるとの見解に対し、 渡辺説は始業・終業時刻により設定された所定労働時間の適用を受けるから、結局のところ裁量の 範囲は所定労働時間を超える就労と勤務時間中における休憩時間の自由度に過ぎない、というもの であった。 筆者は、この両説ともしっくりこないので、いわば菅野説・渡辺説の中間的存在に位置する次の 617 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 安西説を推奨したい。 安西 愈弁護士は、 「改正労働時間法の法律実務」総合労働研究所刊昭和63年P424~426において、 次の点を指摘されている(資料37 633ページ参照)。 ① 始業・終業時刻の就業規則の定めを一応適用することは差支えない。始業・終業時刻を守る ことを一般的に要求してもよいが、遅刻・早退に対し賃金カットやその他のペナルティを課す ことはできない。 ② 業務上の必要があれば研究開発その他の業務自体の中止を命じたり変更を命じることも差支 えない。 ③ 勤務中の労働組合活動は誠実勤務義務や職務専念義務に反し労働契約違反となる。 ④ 休憩時間は何時から何時までであることを就業規則や労使協定に定めておきさえすれば、現 実の取得は本人に任せられている。 ⇒ 国大・独法の実務においては、裁量労働制適用者であっても就業規則上の始業・終業の時刻が原則的に適 用されるが、その運用面においては標準勤務者と異なる緩やかな運用をする、ということが適切であろう。 (4)労使協定 1)協定に定めるべき内容 資料38 P634 参照 労使協定には、次の事項について定めなければならない(労基法 38 条の 3 第 1 項)。 ① 対象業務 ⇒ 労働者本人の同意は必要とされていない。 ② みなし労働時間(1日について。ただし、前述(3)3)で述べたとおり、1日及び 1 週間について協定することも可能とする説あり。) ③ 業務遂行の手段及び時間配分の決定について、使用者が具体的な指示をしないこと ④ 対象労働者の福祉及び健康を確保するために講じる使用者の措置 ・労働時間の状況等の勤務状況の把握(いかなる時間帯にどの程度の時間在社し、労務を提 供できる状態にあったか等を明らかにし得る出退勤の時刻又は入退室の時刻の記録など) ・把握した勤務状況に基づいて健康・福祉確保の措置をどのように講じるかを明確にする。 ⑤ 苦情の処理のために講じる使用者の措置 苦情の申し出の窓口及び担当者、取り扱う苦情の範囲、処理の手順・方法など ⑥ その他厚生労働省令で定める事項(労規則 24 条の 2 の 2 第 3 項) ・有効期間の定め(労働協約による場合を除く。 ) ・労働者ごとの次の記録を有効期間中及び有効期間満了後3年間保存すること a、対象労働者の労働時間の状況、当該労働者の健康・福祉を確保するため講じた措置 b、対象労働者からの苦情の処理に関して講じた措置 2)福祉及び健康を確保するために講じる措置 イ 健康・福祉確保措置の内容 上記1)④の福祉及び健康を確保するために講じる措置の具体的内容は、企画業務型裁量労働 制における同措置(平 12.1.1 基発 1 号第1、3(2)ニ)の内容と同等なものとすることが望まし いとされており、その内容は次のいずれにも該当するものとされる(平 15.10.22 基発 1022001 号第 3、1(2))。 ① 使用者が対象労働者の労働時間の状況等の勤務状況(以下「勤務状況」というう。)を把 618 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 握する方法として、当該対象事業場の実態に応じて適当なものを具体的に明らかにしている こと。その方法としては、いかなる時間帯にどの程度の時間在社し、労務を提供し得る状態 にあったか等を明らかにし得る出退勤時刻又は入退室時刻の記録等によるものであること。 ② 上記①により把握した勤務状況に基づいて、対象労働者の勤務状況に応じ、使用者がいか なる健康・福祉確保措置をどのように講ずるかを明確にするものであること。 ※「労働基準法第38条の4第1項の規定により同項第1号の業務に従事する労働者の適正な労働条 件の確保を図るための指針」(平 11.12.27 労告 149 号) 「指針」において、次の留意事項が示されている。 イ 対象労働者については、業務の遂行の方法を大幅に労働者の裁量にゆだね、使用者が具体的な指 示をしないこととなるが、使用者は、このために当該対象労働者について、労働者の生命、身体及 び健康を危険から保護すべき義務(いわゆる安全配慮義務)を免れるものではないことに留意する ことが必要である。 ロ 使用者は、対象労働者の勤務状況を把握する際、対象労働者からの健康状態についての申告、健 康状態についての上司による定期的なヒアリング等に基づき、対象労働者の健康状態を把握するこ とが望ましい。このため、委員は、健康・福祉確保措置を講ずる前提として、使用者が対象労働者 の勤務状況と併せてその健康状態を把握することを決議に含めることが望ましいことに留意する ことが必要である。 ハ 労使委員会において、健康・福祉確保措置を決議するに当たっては、委員は、健康・福祉確保措 置として次のものが考えられることに留意することが必要である。 (イ) 把握した対象労働者の勤務状況及びその健康状態に応じて、代償休日又は特別な休暇を付与 すること (ロ) 把握した対象労働者の勤務状況及びその健康状態に応じて、健康診断を実施すること (ハ) 働き過ぎの防止の観点から、年次有給休暇についてまとまった日数連続して取得することを 含めてその取得を促進すること (ニ) 心とからだの健康問題についての相談窓口を設置すること (ホ) 把握した対象労働者の勤務状況及びその健康状態に配慮し、必要な場合には適切な部署に配 置転換をすること (ヘ) 働き過ぎによる健康障害防止の観点から、必要に応じて、産業医等による助言・指導を(使 用者が)受け、又は対象労働者に産業医等による保健指導を受けさせること ロ 健康・福祉確保措置を設けた理由 かかる協定要件の導入の背景には、専門的な業務における裁量労働のもとでの過労死・過労自 殺の労災認定がなされるケースが発現してきたことがある。たとえば、専門業務型裁量労働制の 対象業務であるシステム・エンジニア(SE)の過労死について、最高裁は「使用者は雇用契約 上の信義則に基づいて、使用者として労働者の生命、身体及び健康を危険から保護するように安 全配慮義務を負い、その具体的内容としては、労働時間、休憩時間、休日、休憩場所等について 適正な労働条件を確保し、さらに、健康診断を実施した上、労働者の年齢、健康状態等に応じて 従事する作業時聞及び内容の軽減、就労場所の変更等適切な措置をとるべき義務を負うというべ きである。」として「民法 425 条に基づき損害賠償責任を免れない。」 (平 12.10.13 最高裁二小判 619 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 決、システム・コンサルタント事件-注)と判断しており、このような判決が出されたことが大 きく影響していると思われる(安西「労働時間」P504)。 注.「システム・コンサルタント事件」最高裁二小判決平 12.10.13 コンピュータソフトウェア開発に従事していた従業員が、脳幹部出血により死亡し、相続人らが 会社に対し、これは過重な業務に従事したことが原因の過労死であり、同社には安全配慮義務を尽 くさなかった債務不履行がある旨主張し、逸失利益・慰謝料等の損害賠償を求めた事例。二審は 3,200 万円の損害賠償責任を認めた。 事案の概要 (1) A は Y 社においてシステムエンジニアとしての業務に従事していた。 (2) 入社以来、年間総労働時間は平均して約 3,000 時間近くに達するものであり、所定外労働 時間は平均しても所定内労働時間の約 40%強にもなるうえ、最も多い年には年間 3,578 時間に達 するなど、恒常的に過大であり、Y 社内においてもその多さが問題にされたことがあった。 (3) 死亡前の 2 か月は、総労働時間が 1 か月換算で約 270 時間ないし約 300 時間に達していて過大 であり、とりわけ死亡直前 1 週間の総労働時間が 73 時間 25 分(週 48 時間の法定労働時間の 1.53 倍、週 40 時間の所定内労働時間の 1.84 倍)にも達し著しく過大であった。 (4) A がプロジェクトリーダーに就任してから死亡するまでの約 1 年間は、時間的に著しく過大 な労働を強いられたのみならず、極めて困難な内容のプロジェクトの実質的責任者として、スケ ジュール遵守を求めるクライアントと、増員や負担軽減を求める協力会社の SE ら双方からの要 求および苦情の標的となり、いわば板挟みの状態になり、高度の精神的緊張にさらされ、学生時 代に行っていたスポーツをしなくなり、死亡する 1 年くらい前からはドライブにすら行かず「疲 れた」と言っては夕食後早々に寝てしまうような状態になるなど、疲労困憊していた。 (5) かかる状況において、A は自宅で倒れ、直ちに病院に緊急搬送されたが、脳幹部出血により死 亡した(当時 33 歳) 。 3)苦情の処理のために講じる使用者の措置 上記1)⑤の苦情の処理のために講じる措置の具体的内容についても上記2)と同様に、企画業 務型裁量労働制における同措置(平 12.1.1 基発 1 号第1、3(2)ホ)の内容と同等なものとするこ とが望ましいとされており、その内容は「対象業務に従事する対象労働者からの「苦情の処理に関 する措置」については、苦情の申出の窓口及び担当者、取り扱う苦情の範囲、処理の手順・方法等 その具体的内容を明らかにするものであることが必要である。」とされる(平 15.10.22 基発 1022001 号第 3、1(2))。 ※「労働基準法第38条の4第1項の規定により同項第1号の業務に従事する労働者の適正な労働条 件の確保を図るための指針」(平 11.12.27 労告 149 号) 次の留意事項が示されている。 イ 労使委員会において、苦情処理措置について決議するに当たり、委員は、使用者や人事担当者以 外の者を申出の窓口とすること等の工夫により、対象労働者が苦情を申し出やすい仕組みとするこ とが適当であることに留意することが必要である。 また、取り扱う苦情の範囲については、委員は、企画業務型裁量労働制の実施に関する苦情のみ ならず、対象労働者に適用される評価制度及びこれに対応する賃金制度等企画業務型裁量労働制に 620 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 付随する事項に関する苦情も含むものとすることが適当であることに留意することが必要である。 ロ 苦情処理措置として、労使委員会が対象事業場において実施されている苦情処理制度を利用する ことを決議した場合には、使用者は、対象労働者にその旨を周知するとともに、当該実施されてい る苦情処理制度が企画業務型裁量労働制の運用の実態に応じて機能するよう配慮することが適当 であることに留意することが必要である。 4)届 出 労使協定は所轄労基署長へ届け出なければならない。みなし労働時間が法定労働時間内であって も届け出なければならない(労基法 38 条の 3 第 2 項、労規則 24 条の 2 の 2 第 4 項)。 労使協定が締結されたが届出を欠く場合、あるいは届出が遅れた場合の法的問題については、届 出義務(労基法 38 条の 3 第 2 項)違反ではあるが労使協定に基づくみなし時間処理は有効である と考えられる。 (第 1 項で「・・・みなす。」とし、第 2 項で「・・・届け出なければならない。」としており、 第 2 項の要件を欠く労使協定であってもその効力は否定されない。これに対し時間外・休日労働に関 する三六協定(労基法 36 条 1 項)の場合は、「・・・協定をし、これを届け出た場合においては・・・ できる。」とされているから、届出を欠く労使協定は無効とされる。) (5)裁量労働制と労働時間規制との関係 1)フレックス・タイム制との比較 裁量労働制は労働時間の算定に際しみなし時間が適用される働き方であるのに対し、フレック ス・タイム制は始業・就業の時刻を労働者が決めることができる働き方である。両者の働き方は似 ているようであるが、本質的な違いがある。それは、「労働」と呼ばれる働き方の根本に関わるも のといえる。 イ 業務の遂行の手段及び時間配分の決定等 フレックス・タイム制の場合は、業務の遂行の手段及び時間配分の決定等については使用者 の指揮命令に基づいて行われ、使用者はその労働時間を把握・記録しなければならない。この 点では標準時間勤務者の場合と何ら変わりがない。ただ始業・終業の時刻をその労働者の決定 にゆだねるだけである。 これに対し裁量労働制の場合は、業務の遂行の手段及び時間配分の決定等については使用者 は具体的指示をしないこととされており、労働者の裁量に任される。そして、使用者は労働時 間を把握・記録する必要がなく、安全配慮の面から労務提供が可能である時間帯の把握・記録 が義務づけられるだけである。労務提供が可能である時間帯とは、具体的にはいかなる時間帯 において労務を提供することが可能であったかを示す入室・退室の時刻のことである。 ロ 労働時間把握義務 上記1)で述べたように、フレックス・タイム制の場合は、使用者は各日の始業・終業の時 刻を把握し、労働時間を具体的に把握しなければならない。つまり、始業・終業の時刻は労働 者の決定にゆだねるが、実際の始業・終業の時刻は使用者が把握し記録しておかなければなら ない。 これに対して裁量労働制の場合は、 「いかなる時間帯にどの程度の時間在社し、労務を提供し 得る状態にあったか等を明らかにし得る出退勤時刻又は入退室時刻の記録等」(平 11、12、27 621 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 労告 149 号)を把握すべきとしている。つまり、休憩時間を含めた拘束時間を把握するもので ある。 2)裁量労働制と変形労働時間制とを併用できるか? 変形労働時間制は、各日各週の労働時間に凹凸があっても、変形期間を平均して週 40 時間以内 となるようにあらかじめ労働時間を設定することができる制度である。一方、専門業務型裁量労働 制は、対象に就かせたときは(通達によれば日を単位としている。) 、実労働時間でなくみなし時間 労働したとみなす制度である。したがって、みなし時間を8時間と設定しておきながら、他方にお いてある特定された日に所定労働時間をたとえば 10 時間と設定し、労働時間の算定を8時間とみ なして2時間の不就労減額をしたり、現実に 10 時間勤務するように使用者が具体的な指示をした りするようなことは、両制度の趣旨に反し認められず、制度を併用することはできないと考えるべ きである。 これに対し、週の労働日数の変動を変形労働時間制によって吸収しようとする併用は両制度の趣 旨に反するものでなく、違法性はないと考える(私見)。 この点について、東京労働局が配布したパンフレット(平18年5月作成)では「また、裁量労働 制のみなし労働時間制度は、各日の労働時間にとらわれずに労働時間を算定するものであり、変形 労働時間制との重複には、なじまないものです。」と、両制度の併用について否定的な見解を示し ている。しかし、その理由は、「みなし労働時間制度は、各日の労働時間にとらわれずに労働時間 を算定するもの」とするだけであって、変形労働時間制は各日の所定労働時間が変動して設定する ものであるから裁量労働制との併用が否定されるものなのか、そうでなければ肯定されるものであ るのか定かではない。 筆者は、裁量労働制においては1日の労働時間を固定化してみなし時間を適用するのに対し、変 形労働時間制においては各日の所定労働時間が変動することを想定するため、たとえば、ある日の 所定労働時間を10時間と定めた場合にみなし時間を8時間とする裁量労働制適用労働者に10 時間を適用することができないため「なじまない」という表現になったのではないかと推察する。 したがって、1日の所定労働時間とみなし時間に矛盾が生じない併用を禁止する趣旨ではないと解 する。週の所定労働時間は、労基法において休日の特定が義務づけられていない以上、標準勤務者 においても変動することは許容されるものであるから、裁量労働制適用者の週所定労働時間が変動 することは何ら問題ないものと考える。 また、各週の所定労働時間が変動する場合に専門業務型裁量労働制が適用できないとしたら、た とえば、所定労働時間がもともと7時間で隔週週休2日制を採用し変形労働時間制により週 35 時 間と 42 時間を交互に繰返す事業場では、専門業務型裁量労働制の対象業務従事者であっても裁量 労働制のみなし制度を適用できないことになる。 結論としては、週休2日制の事業場において、いわゆる土曜日出勤を他の週の週日と振替える休 日振替を実施するための変形労働時間制は、専門業務型裁量労働制適用者であっても、適用できる と解する。 しかし、この点について明確な通達はなく、取締り行政は各監督官の判断に任されているようで ある。裁量労働制適用の教員について土曜日出勤による週法定労働時間(40 時間)オーバーを1 か月単位の変形労働時間制との併用で運用したいとのある国大の問合せに対して、変形労働時間制 622 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 は労働時間の予めの特定が要件である制度である一方で、専門業務型裁量労働制は1日の労働時間 の特定が出来ないことを前提とする制度であることから、両者にはその導入の要件においてそもそ も相容れないものがあるとして「否」と回答した例もあると聞く。 注.「特定」に関する私見 たしかに、変形労働時間制においては各日・各週の所定労働時間が特定されていなければならな い。しかし、そのことは標準勤務制においても同様であって各日の始業・終業時刻という形で特定 されている。変形労働時間制と標準勤務制との違いは「特定」にあるのではなく、変形労働時間制 の場合は1日8時間及び1週 40 時間を超える「特定」が可能となることである。 したがって、もしこのことをいうなら、「特定」ではなく「変動」するから併用は認められない といわなければならない。その場合に、週所定出勤日数の違いによる週単位の労働時間数が変動す ることが認められない理由があるとは思えず、疑問である。 ⇒ 裁量労働制と変形労働時間制との併用の問題は、1日の所定労働時間が固定され週の所定労働時間が所 定労働日数の変動による変形のみである変形労働時間制である場合は、裁量労働制と「なじまない」といえず、 併用できるものと解する。 例:1日の所定労働時間 8時間、 4週間単位の変形労働時間制 第1週(6日勤務) 所定労働時間 48時間 第3週(5日勤務) 所定労働時間 40時間 第2週(4日勤務) 第4週(5日勤務) 所定労働時間 40時間 32時間 2)深夜労働との関係 裁量労働対象労働者の労働時間が深夜時間帯に及ぶことがある。この場合の割増賃金はどうある べきか? 現実に深夜時間帯(午後 10 時から午前 5 時)に労働した部分については割増賃金の支払義務が あるが、労働時間の算定はあくまで“みなし時間”であるのでその日の労働時間は深夜部分を含ん で“みなし時間”である。したがって、現実に深夜時間帯に労働した時間分だけ 25/100 の割増賃 金を支払わなければならない(100/100 の部分は“みなし時間”として支払われるから。)。 裁量労働制において深夜労働を行うと割増賃金の問題が生じるから、使用者が深夜勤務を禁止し たり許可制にしたりすることは差し支えないものと解される。 3)休日労働との関係 通常、みなし時間は休日労働には適用されない。労使合意の上で適用したいのであれば、労使協 定の中に「所定休日についても適用する」というように明確に定めればよい。 休日に勤務に就かせるかどうかは、使用者が判断すべきことで、就労日まで労働者の裁量に委ね ているわけでない。また、振替制と併用することも可能である。 ※1週間についてみなし時間を設定している場合 1週間についてみなし時間を設定している場合は、1週間の出勤日数に関係なくみなし時間が適用 される(たとえば、みなし時間を「1日8時間、1週40時間」と設定した場合、週6日勤務させて も1週間の労働時間は40時間とみなすことができる。) ただし、裁量労働制適用者についても労基法 35 条の週休制が適用されるから、法定休日について は、特約により1日のみなし時間を適用することができても、1週間のみなし時間を適用することは 623 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 できないものと考える(私見)。 (たとえば、日曜日を法定休日と定めている場合に、月曜日から土曜日までの6日間について1週間 40 時間とみなすことができるが、月曜日から日曜日までの7日間について 40 時間とみなすことはで きない。) 4)出張・外出との関係 裁量労働適用者が出張・外出する場合は、その理由が二種類考えられる。 一つは、研究の業務の一環として出張する場合である。「対象業務の遂行の手段及び時間配分の 決定等」については労働者の裁量に任せていても、就業の場所まで任せたわけではないから、出張 を許可制にすることと矛盾しない。この場合にみなし時間の適用は専門業務型となるのか、事業場 外労働のみなしとなるのか疑問が生じるが、あらじめ、どちらを適用するか決めておけばよい。実 務においては、労働者の裁量による出張を使用者が追認するケースが出てくるものと思うが、許可 制にすることで使用者が出張をコントロールすることは可能であると思われる。 もうひとつは、使用者の意向により出張を命じる場合である。この場合は裁量労働制を適用する 余地がないので、他の一般職員の場合と同様な方法で労働時間算定すべきである。一般的には労基 法38条の2に規定する事業場外労働のみなし時間を適用することになる。 5)裁量労働制における所定労働時間 労働法の原則として、労働契約上の権利義務として所定労働時間が設定され、それが就業規則に 記載されていなければならないと考えられる(厚生労働省も、管理監督者についてそのような考え を採っており、その根拠は労基法 89 条 1 号の「始業及び終業の時刻、休憩時間」) 。そうでなけれ ば「使用従属下における労務の提供」が実現されず、賃金の時間単価の算定もできないからである。 この原則は、管理監督者であろうと裁量労働制適用者であろうと変わらない。 したがって、裁量労働制適用者であっても就業規則上の所定労働時間(たとえば 8:30~17:15) の適用を受けるのであり、本来この時間帯の勤務が免除されたり不問とされているものでない。た だ、標準勤務者に求められるような厳密な意味での職務専念義務などの服務規律が、裁量労働適用 者の場合は緩和されるだけなのである(すでに紹介したが学説には異論もある。 )。 したがって、たとえば、裁量労働制適用者が所定労働時間中に使用者の許可なく組合活動に従事 することなどは許されないと考えられる。 ⇒ 裁量労働制適用者が、たとえば、午前中に勤務を終了し午後から組合活動に従事する場合には、その勤怠 を明確にする限り許可・届出は不要であろう。しかし、再度職場に戻って業務に復帰する場合(いわゆる「中抜け」) には、許可・届出制にすべきではないか。 6)裁量労働制適用者の時間単位の年休取得 上記理由により裁量労働制適用者についても所定労働時間(つまり就労義務のある時間)が設定 されているのであるから、私用のため又は病気のため所定労働時間を欠く勤務をする場合は不就業 部分を年休又は病休を充てて処理することが筋である。裁量労働制適用者の場合はこの原則を厳格 に当てはめないだけのことである。 したがって、職員に対する説明としては、業務に関しての時間配分により8時間を欠く勤務は何 ら問題ないが、私用のため又は病気のため8時間を欠く勤務の場合は不就業部分を年休又は病休の 624 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 手続きをすることが本来正しいが、しかし、裁量労働制適用者の場合は、そのような行為の度が過 ぎなければ、1日未満の不就業について、とくに休暇の手続きをしなくても労務管理上問題としな い、とすることが適当であろう。これを就業規則に規定するのであれば、次のような表現が考えら れる。 「裁量労働制適用職員に対する第○条の規定の適用については、その職責及び自律的就労の必要性に応 じた対応をするものとする。」(第○条の規定=所定労働時間を定めた条項) いずれにしても、度が過ぎた行為をとる者に対しては職務規律を求める含みを残すべきであろ う。 ⇒ 教員・研究員の勤務時間管理は、その創造的・自由裁量的業務の特徴に合わせて自律性を尊重することが 望ましいが、抽象的権利・義務関係においては「使用従属制」が否定されるような解釈をすべきでない。 (6)使用者の基本的指揮命令権 1)途中経過の報告を求めること 専門業務型裁量労働制の対象となる業務は、上記(1)1)で述べたとおり、「当該業務の遂行 の手段及び時間配分の決定等に関し具体的な指示をすることが困難なものとして厚生労働省令で 定める業務」である。そこで、裁量労働制適用者に対して使用者の指揮命令権は一切及ばない、と いう誤解が生まれる。しかし、裁量労働制適用者の裁量にゆだねられるのは「当該業務の遂行の手 段及び時間配分の決定等」についての具体的な自律(自己決定権)であるから、使用者は業務遂行 についての基本的指揮命令権を保持していると考えられており、使用者が業務の基本的内容を指示 したり、途中経過の報告を求めることは可能である。 2)職場秩序及び施設管理との関係 業務遂行と直接かかわりのない職場秩序や施設管理に関する事項については、使用者が指示した り規律遵守を求めたりすることが可能である。 たとえば、最終退出時刻を設定することや喫煙場所を限定することなどは、施設管理や災害防止 の観点から問題ない。 3)会議への出席強制 たとえば、裁量労働制適用者に対し、朝9時からの研究会議に出席せよというような指示は可能 だろうか? 菅野 和夫教授は「ミーティングへの出席等も労働者が主体的に行う」と否定的に解している(菅 野「労働法」P297)が、全体として裁量労働制に反しないことを条件にこれを肯定すべきであろう (東大「労働時間」P576)。 吉田 美喜夫教授は「時刻や時間について裁量が認められることは裁量労働制の根幹に関わる要 請であるから,当該命令は原則としてできないと考える。ただし,各労働者のその都度の同意があ れば,当該時刻に出勤する義務が発生すると考える。」とし、個別同意を要件に会議出席の義務が 生じるとしている(21 世紀の労働法5「賃金と労働時間」 P281〔吉田 美喜夫〕) 。 ⇒ 裁量労働制適用者に対する会議等への出席強制は、全体として裁量労働制に反しないことを条件に認めら れるべきである。とくに「教授研究の業務」の場合はもっぱら研究の業務に従事することが要件とはされていな 625 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 いところから、より一層認められるべきであると考えられる。 4)出社義務 労働者に与えられた裁量には勤務するか否かの裁量まで含まれるとする学説・実務家意見は、さ すがに見当たらない。一般的には、出勤義務がある日について「業務の遂行手段及び時間配分決定 等」に限って労働者の裁量権が認められるもである。 したがって、出勤するかしないかを労働者が自由に決められるわけでないが、始業・終業時刻は 就業規則の絶対的必要記載事項であるし,労働時間と自由時間の区別の意識と行動規範の維持を図 る上でもそれらを定めるべきである。しかし,労働時間の配分が自由であるという制度の趣旨から して,そのような定めの法的な拘束力はなく,就業規則に始業・終業時刻の定めを置いた上で裁量 労働制の通用対象者については拘束されない旨を規定することになる(21 世紀の労働法5「労働 時間」P281〔吉田 美喜夫〕)。 ⇒ 裁量労働制において、出勤日は就業規則の定めによるものであり、対象労働者が自由に決められるもので はない。 5)職務専念義務 一般に、労働契約を締結すると、これに付随して職務に専念する義務が生じ、勤務時間中は業務 に関係のないことを行ったり考えたりしてはならないこととされる。したがって、フレックス・タ イム制適用者の場合は、始業・終業の時刻を押さえれば、その時間帯から休憩時間を除いたものが 労働時間であるから、容易に労働時間を把握することができる。 しかし、裁量労働適用者の場合は「業務の遂行の手段及び時間配分の決定等」に関し「使用者が 具体的な指示をしない」こととしているから、たとえば、休憩時間以外の時間であっても私的な研 究や休息に費やすことが起こり得る(注)。したがって、裁量労働適用者に課せられる職務専念義 務は標準勤務者やフレックス・タイム制適用者に要求するような職務専念義務ではなく、もつと緩 やかな義務ではないかと考えられる(私見)。 注.裁量労働制適用者の一斉休憩適用除外 裁量労働制適用者であっても労基法 34 条の一斉休憩の原則が適用される(管理・監督者の場合 は適用されない。)から、別途労使協定により一斉休憩適用除外の協定が必要となる。 菅野 和夫教授は「休憩(34 条)については、裁量労働に従事する労働者が法所定の休憩時間を自 己の裁量で随時とり、これを自由に利用することになろう。」と述べておられる(前述「すべて」 P113)。 ⇒ 裁量労働制において、対象労働者にも就業規則上の職務専念義務が課せられるが、標準勤務者に要求さ れる職務専念義務よりもゆるやかな義務でないかと思われる。 (7)その他 1) 使用者の安全配慮義務 裁量労働制においても、労働者の生命・身体・健康を危険から保護する使用者の義務(安全配慮 義務)を免れるものではない。そのため、対象労働者の入退室の時刻を把握するなど適切な労働時 626 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 間管理が求められる。 企画業務型裁量労働制の指針(平 15、10、22 厚労告 353 号)では、対象労働者の労働時間の状 況等を把握する方法として「いかなる時間帯にどの程度の時間在社し、労務を提供し得る状態にあ つたか等を明らかにし得る出退勤時刻又は入退室時刻の記録等によるものであること。」 (注)とし ているが、この規定は専門業務型裁量労働制においても適用される(平 15.10.22 基発 1022001 号 第 3 の 1(2)) 。 注、裁量労働制適用者に求められる労働時間の状況等を把握する方法は、通常の労働者の場合のような「始業及 び終業の時刻」の把握ではなく、「出退勤時刻又は入退室時刻」である。つまり、この時間帯から休憩時間を 除いた時間のすべてが労働時間であるという前提ではないということである(労務提供可能時間に過ぎない。)。 したがって、裁量労働制(専門業務型及び企画業務型)適用労働者に対する使用者の「適切な労 働時間管理」義務とは労働時間を直接把握することでなく、労務提供可能時間を把握する義務であ る。もっとも、労働時間を把握していないから、労務提供可能時間を基準に、たとえば、医師によ る面接指導(安衛法 66 条の 8)を受診させることになる。 ※医師による面接指導 安衛法は、長時間労働による健康障害を防止する観点から「1週間当たり 40 時間を超えて労働さ せた場合におけるその超えた時間が 1 月当たり 100 時間を超え、かつ、疲労の蓄積が認められる者」 に対し、医師による面接指導を行うべきことを義務付けている。 裁量労働制適用者の場合は労働時間の把握義務がないところから、入退室記録等の労務提供可能時 間を基準に医師の面接指導を行うことになる。 2)裁量労働制適用者の兼業許可について 裁量労働制適用者であっても兼業許可が必要であろうから、許可基準として、たとえば、平均的 に本業の時間が週 40 時間確保できるような兼業に限って認めるというような方法もあるのではな いだろうか。 例1:週1回、火曜日の午後のみ(4時間)不就業するような時間外兼業の場合 兼業の理由が時間外に行うべきものであっても、この程度の不就業であれば本業に支障が生 じないの許可する。 例2:週3回、月、水、金、の午後(各日4時間、計週 12 時間)不就業するような時間内兼業 兼業の理由が時間内に行っても認められるようなものであれば許可するが、兼業の理由が時 間外でなければ許可されないようなものであれば、本業に支障が生じるので許可しない。 3)労働者の同意 専門業務型裁量労働制においては、企画型のような労働者の同意は必要とされていない。したが って、労使協定に規定すべき事項も労働者の特定ではなく「対象業務」である。しかしながら、労 使協定が成立しないことには専門業務型裁量労働制を採用できないところから、労働者側の要望を 受け入れて同意のあった者だけを対象者とする労使協定を締結している独法が相当数ある。これも、 実務においてはやむを得ないものと思われる。 多数組合と協定して一定の対象業務従事者を専門業務型裁量労働制の対象としたところ、少数組 合の組合員である対象業務従事者が不同意を唱えることが起こりうる。このような場合に備えて労 627 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 使協定の内容を就業規則の内容として定めておけば、当該規則条項が労働契約の内容となって当事 者を拘束することになる(労契法 10 条)。 4)裁量労働制と組合活動時間 労働者が所定労働時間中に組合活動に従事する場合は使用者の許可必要であり、また、当該組合 活動に従事する時間に対して賃金を支払うと不当労働行為となるから、実質的には無給としなけれ ばならない(注1)。 専門業務型裁量労働制が適用される労働者の場合はどうなるのであろうか? 裁量労働制は労働時間算定の一方法であるに過ぎず、労働契約の基本原則を否定するような治外 法権的制度ではないこと留意する必要がある。裁量労働制適用者であっても労働契約に附随する誠 実労務提供義務、職務専念義務などを負うから、使用者の許可なく所定労働時間中に組合活動を行 うことはできない(注2、注3)。もっとも、裁量労働制適用者に要求する職務専念義務は、標準勤 務者に要求するそれと異なり緩やかな規制であるべきである。というのは、制度の目的が高い専門 能力を要求される当該業務において、労働者の自由な発想や真理探求心などは尊重されるべきであ り、たとえば、研究に疲れたときなどは気分一新のために施設内を散歩したり瞑想にふけったりす ることを規制することは好ましいことでないからである。専門業務型裁量労働制は、そのような時 間が混在する勤務時間を厳密に「労働時間」、「休憩時間」と峻別することなく、一定のみなし時 間をもって労働時間とする趣旨であるから問題がないと考える(私見)。 注 1、「 一般組合員についても、組合活動を従事した時間に対して給与を支給することは不当労働 行為になる。争議のために労務を提供しなかった時間に対して給与を支給することも同様である。 」 (昭 27.8.29 労収 3548 号) 注2、安西「労働時間」P518 「また、勤務中の労働組合活動についても、裁量労働従事者だから自由であるということにはな らず、裁量労働従事者も、勤務中は誠実勤務義務や、職務専念義務を負っている。そこで、出勤し、 当該業務に従事中は、休憩時間を除き、業務以外の目的に当該労働時間を費消することは労働契約 の違反であり、職場秩序に反することになる。」 注3.安西「改正労働時間」P424以下。資料37 633ページ参照。 組合活動の場合は、その時間に対し使用者が賃金を支払うと不当労働行為となるから、勤務時間 中の組合活動時間を峻別して把握し、無給としなければならない。ここで注意しなければならない ことは、不当労働行為は組合運営を支配・介入するすること、組合運営のための経費の支払いにつ いて経理上の援助を与えること等であるが、これらは使用者の意図(組合に介入しようとする)に かかわらず成立するものであるということである。したがって、組合運営に介入する意図がなくて も、組合活動に要した時間に対し賃金を支払うわけにいかない。この点について厚労省編「労組法 コメ」は、次のように述べている。 「このような経理上の援助を与えることを禁止した趣旨は、一般に労働組合の自主性を阻害するも のであるからであるから、上記①~③を除いては、使用者の主観的な意図にかかわらず禁止される。 このような援助の結果労働組合が御用化したというような効果の如何を必ずしも問うものでない。」 (厚労省編「労組法コメ」P463 労務行政刊) 。 628 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 (「上記①~③」とは、① 労働者が労働時間中に時間又は賃金を失うことなく使用者と協議し又 は交渉すること、② 労働組合の厚生資金又は福利基金に対する使用者の寄附、③ 最小限の広さの事 務所の供与、のこと。) (労組法 7 条 3 号) しからば、裁量労働制適用者が、たとえば、午前中に業務を終了し午後から組合活動に従事する 場合はどうであろうか? これについてはすでに述べた((5)5)624~625 ページ)が、裁量労働制適用者が所定勤務時 間内に組合活動に従事する場合は使用者の許可を受けるべきであろう(注)。業務を終了したり中 断したりすることが労働者の裁量に委ねられており当該不就業部分の賃金が減額されないとして も、所定勤務時間内については使用者の抽象的な指揮下にあると考えられるからである(菅野説で は始業・終業時刻の適用はないとしつつ、「協定時間が所定時間みたいになるのです。」(前述「す べて」P118)と述べておられ、裁量労働制適用者であっても労働契約上の所定時間を否定している わけでない。 )。 注.仮に、裁量労働制適用者が所定勤務時間内において業務を終了し、施設内において組合活動に従 事することが、仮に使用者の抽象的な指揮下にあると考えられない場合でも、施設内における勤務 時間内の行動については届出等により使用者が実態を把握できる仕組みとすべきである。 629 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 4、企画業務型裁量労働制 (1)概 要 企画業務型裁量労働制は、事業の運営に関して、企画・立案・調査・分析の業務を行う労働者に ついて、労使委員会の決議があった場合、対象労働者の労働時間は、当該決議に定める時間労働し たものとみなす制度である(労基法 38 条の 4)。 平成 15 年改正前は事業運営に関して重要な決定が行われる事業場であること(いわゆる本社、 役員が常駐する事業本部、地域統括支社等)という要件があったが、改正により制約がなくなり、 次項の対象労働者が存在する事業場であれば採用することができるようになった。 企画型裁量労働制を採用した場合、実労働時間にかかわらず労使委員会の決議で定めた時間労働 したものとみなされる。 ⇒ 専門業務型裁量労働制の場合は労使協定締結により導入可能であったが、企画業務型裁量労働制の導入 は労使委員会の決議が必要とされ、より厳格な手続きが求められる。 (2)対象労働者 次のいずれにも該当すること ① 事業運営に関し企画、立案、調査及び分析の業務に常態として従事し、かつ、その業務を 適切に遂行するための知識、経験等を有する者 ② 労働者本人の同意があること (3)労使委員会 1)労使委員会の設置 ① 委員会は使用者代表、労働者代表それぞれ同数の委員で構成される。 ② 労働者代表の選出方法は、労使協定締結の相手方の場合と同じ。 ② 人数についてはとくに規定がないが、少なくとも労使それぞれ複数必要であり、 事業場の規模等により決めればよい。 ④ 委員会が設置されたことを当該事業場の労働者に周知する。 2)労使委員会の決議 ① 次の事項について決議し、所轄労基署長へ届け出る。 ・ 対象業務 ・ 適用を受ける労働者の範囲 ・ みなし労働時間(1日について) ・ 対象労働者の福祉及び健康を確保するために講じる使用者の措置 ・ 苦情の処理のために講じる使用者の措置 ・ 対象労働者の同意を得ること及び同意しなかった者に対して不利益取り扱いをしない こと ・ 有効期間 ・ 次の記録の保存(有効期間中及びその後3年間) a 労働者の労働時間の状況、福祉及び健康を確保するために講じた措置 b 苦情の処理に関して講じた措置 630 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 c 労働者の同意 ② 決議には5分の4以上の委員の賛成が必要 (4)所轄労働基準監督署長への報告 次の事項について6か月以内ごとに、所轄労働基準監督署長へ報告しなければならない(本来は 6 か月以内に 1 回、及びその後 1 年以内ごとに 1 回、であるが、「当分の間」6 か月以内ごとに 1 回とされている。)。 ① 労働者の労働時間の状況 ② 健康及び福祉を確保するための措置の実施状況 ③ 苦情処理に関する措置の実施状況 ④ 労使委員会の開催状況 (5)労使委員会の決議の拡張適用 労使委員会の決議は企画業務型裁量労働制の実施に関して設けられた規定であるが、労働時間に 関する次の事項について、労使協定の締結に代えて労使委員会の決議(委員の5分の4以上の多数 による議決)によることができる(38 条の 4 第 5 項)。 ① 1か月単位の変形労働時間制 ② フレックス・タイム制 ③ 1年単位の変形労働時間制 ④ 1週間単位の非定型的変形労働時間制 ⑤ 一斉休憩の適用除外 ⑥ 時間外労働及び休日労働協定 ⑦ 事業場外みなし労働時間 ⑧ 専門業務型裁量労働制 ⑨ 年次有給休暇の労使協定による付与時期の例外 ⑩ 年次有給休暇手当を標準報酬日額で支払う場合 なお、上記3、企画業務型裁量労働制を採用する場合は、労使協定ではなく、必ず労使委員会の 決議に拠らなければならないものとされている。 余談ながら、労基法上労使協定を必要とする場合は全部で12あり、上記①~⑩の他、次のの2 規定がある。 ⑪労働者の委託を受けて貯蓄金を管理する場合 ⑫賃金の一部を控除する場合(全額払の原則の例外) 631 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 資料36 (P615 関係) 安西「労働時間」月単位のみなし時間 安西 愈「労働時間・休日・休暇の法律実務」全訂五版中央経済社刊平成 17 年 P513~515 六 月単位のみなし時間の改定はできないか 裁量労働の 1 みなし労働時間」の設定にあたっては実務上は月給制度と合わせた一カ月単位のみなし労 働時間の設定がのぞましいと考えられているが、通達では「裁量労働において労使協定で定める時間は、 盲の労働時間だけでなく、一か月の労働時間も可能か。」という問いに対し「1日当たり労働時間を協定 する」 (昭 63.3.14 基発 150 号)としている。 しかしながら、労基法上は前述のとおり「その労働時間の算定については当該協定で定めるところによ ることとする旨を定めた場合において、労働者を当該業務に就かせたときは、当該労働者は、厚生労働省 令で定めるところにより、その協定で定めた時間労働したものとみなす」とあり、法 38 条 1 項 2 号に規 定する「協定で定める時間」について、それが「1日当たりの労働時間でなければならない」とは規定さ れていない。あくまでも労使協定で定める「対象業務に従事する労働者の労働時間として算定される時間」 の労働をしたものとみなすのであり、労使協定で一カ月当たりの時間を協定しても違法ではないといえよ う。また少なくとも一日当たりとともに一カ月単位の労働時間を協定してはいけないとはいえない(ただ し、届出様式上は、一日単位とされている)。 裁量労働の業務従事者は、ほとんどすべての者が月給者であると思われるが、実務上は時間外労働時間 を含む協定時間とする場合には、裁量労働の性質上、その業務を毎月継続するものであるから毎月同じ時 間の時間外労働のみなし時間として毎月一定の金額の時間外労働割増手当(一般には「裁量労働手当」等) を支給することが妥当と解されており、労働日数が月によって異なることにより、毎月支給するみなし時 間外労働手当としての「裁量労働従事手当」等も月により異なってしまうことは裁量労働対象者に対する 取り扱いとしては繁雑であり、企業としては毎月同じ手当とした方が取り扱いやすいし実務的でもある (もちろん、「所定労働時間の労働」とみなして賃金の方は成果給、業績給の体系にすればこの間題は生 じない。) 。 そこで、右の通達の「1日当たりで協定する」との要件を満たしながらこの間題を解決するため例えば、 一日のみなし時間を時間外労働分を含めて「八時間三〇分」とし、月間のみなし時間を月の労働日数にか かわらず、最大労働日数となる月に併せて「一九五時間」とし「月間二〇時間」を時間外労働時間として、 毎月二〇時間分(一日単位の時間外みなし時間×一カ月の計算による最も多い月の時間以上とする)の時 間外労働割増賃金を支払う旨協定することは違法とはいえないであろう。 また、一日当たりのみなし時間と月単位のみなし時間について必ずしも最大労働日数の月とせず標 準的みなし時間としても労使協定で定めるなら違法とはいえないであろう。 このような工夫をすることにより「一日当たりの時間」のみなし時間の協定としつつ、月単位で毎月同 一額の時間外労働割増賃金(裁量労働手当)を支給するという実務上の要請を充足することができよう。 以上のように、裁量労働の「みなし時間」の協定は、事業場外労働とは異なり一般には通常仝一日の業 務すべてが裁量的労働に従事することになるのが原則なのであり、この業務はその性質上創造的な仕事で あるだけに毎日同じ時間ではないというのが特徴であるため、月単位で平準化した労働時間とみなす協定 の方が合理的とも考えられる。 また、裁量労働の協定時間は、法定労働時間内で一日七時間という協定とし、一日当たりでは時間外労 働は生じない協定としつつ、別途所定外労働時間を含む月間みなし時間的な協定をして毎月一定の時間外 632 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 労働手当ないし定額性の残業手当(裁量労働手当)というものを設定するということも、もともと労働時 間把握・算定義務のないみなし時間であるからこれを違法とするわけにはいかない。なお、例えば一方月 単位でも法定時間を超える時間外労働となるみなし時間の協定をした場合には、その法定時間を超えるみ なし時間について、法定要件を備えるために時間外労働の協定(三六協定)も必要となる。(安西「労働 時間」P513~515) 資料37 (P618、P629 関係) 裁量労働従事者の勤務管理や職場秩序をめぐる問題 安西 愈「改正労働時間法の法律実務」総合労働研究所刊昭和 63 年 P424~426 7. 裁量労働従事者の勤務管理や職場秩序をめぐる問題 裁量労働については、「当該業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し具体的な指示をしないこと とするものとして当該協定で定める」ことが必要であるが、前述のとおり、勤務管理上、職場規律の維持 等の関係を明白にしておかないと、具体的労働時間等についての指揮監督権限を行使しないわけであるか ら、問題が生ずる。 したがって、裁量労働者が労働時間の配分等や業務の遂行の手段等について自己裁量を有するといって も、業務の方法や業務を行うに当たっての時間配分を自主的に行ってもよいというだけで、まったく何も かも自分勝手に行ってもよいというものではなく、定められた就業規則や職場秩序を守って勤務しなけれ ばならない義務があることは明らかなのである。そこで、基本的義務である労働義務すなわち出勤義務や 始業・終業の際にタイムレコーダーを打刻したり、出勤簿に押印したり等の勤務上の管理を定めた場合に は従わなければならない。また業務の進行状況、研究開発等の成果をチェックするために報告義務を課し、 報告日を定めて定期報告させあるいは業務の内容・目的等について指示や指導を受けること等も業務遂行 の具体的な手段の指示ではないからさしつかえない。さらにこれらの裁量労働者であっても、業務上、あ るいは職場規律上、また、施設管理上、さらには安全衛生面等において各種の規制、規律を受け、規則、 規定等の遵守義務を負うことも、免れることはできない。 次に裁量労働は、その業務の遂行の手段や時間配分の決定に関し、本人の自由裁量に任せて、指示、命 令をしないということであるが、始業・終業時刻の就業規則の定めを一応適用することはさしつかえなく、 また、遅刻、早退等が問題となるが、始・終業時刻を守ることを一般的に要求してもフレックスタイム制 の労働者とはちがうのでさしつかえない。しかし、遅刻・早退したからといって賃金カットやその他のペ ナルティを課すことは「みなし」と矛盾するのでできない。 さらに業務上の必要があれば研究開発その他の業務自体の中止を命じたり、変更を命ずることも業務の 目的に関することであるからさしつかえなく、このような指示命令を管理者が行うことができる。裁量労 働といえども職場秩序および施設管理面からの拘束を受けることは業務遂行の手段および時間配分の決 定等に関し具体的な指示をしないということと矛盾するものではない。 また、勤務中の労働組合活動についても裁量労働従事者だから自由であるということにはならず、裁量 労働従事者も勤務中は誠実勤務義務や、職務専念義務を負っているので、出勤し、当該業務に従事中は休 想時間を除き、業務以外の目的に当該労働時間を費消することは労働契約の違反となる。 裁量労働従事者であっても、みなされるのは労働時間の計算についてのみであって、休憩、深夜労働、 あるいは休日は、法定どおり付与しなければならず、これまでみなしとなっているものではない。したが 633 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 って、法定どおり休懇時間を労働時間の途中で与えなければならないし、深夜労働があった場合は深夜労 働割増手当を支払わなければならない (ただし、みなし労働時間の範囲内であれば 25%分の加算のみで 125%の加算とする必要はない) 。また休日も法定どおり与えなければならない。 しかし、裁量労働については労働時間の配分は労働者本人の自主決定であるから、休憩については、労 働時間の途中で一時間とること、その時間は何時から何時までであること等を就業規則や労使協定で定め ておきさえすれば、現実の取得は本人に任せられている。休日についても、みなし規定の適用はないので、 法定どおり付与しなければならないが、裁量労働だからといって勝手に休日に出勤したり、休日を自己の 都合で変更することは許 されないので、これについては使用者の命令や承認によらなければならない。 この点について、明白とするため、業務命令によらない勝手な休日労働や深夜労働は認めない旨の禁止 の条項を労使協定や就業規則の中に記載しておくことも必要である。 このように裁量労働はなんでも自由裁量であると思いちがいする者がないように、勤務管理や労務管理 面における注意と労働者に対するこの点の指導教育が重要である。 ′ 資料38 (P618 関係) 専門業務型裁量労働に関する労使協定例(厚労省案) 専門業務型裁量労働制の労使協定例 (厚生省案) ○○株式会社と○○労働組合は、労働基準法第38条の3の規定に基づき専門業務型裁量労働制に 関し、次のとおり協定する。 (対象従業員) 第1条 本協定は、次の各号に掲げる従業員(以下「対象従業員」という。)に適用する。 (1) 本社研究所において新商品又は新技術の研究開発の業務に従事する従業員 (2) 本社附属事務処理センターにおいて情報処理システムの分析又は設計の業務に従事する 従業員 (専門業務型裁量労働制の原則) 第2条 対象従業員に対しては、会社は業務遂行の手段及び時間配分の決定等につき具体的な指示を しないものとする。 (みなし労働時間) 第3条 対象従業員が、所定労働日に勤務した場合は、就業規則第○条に定める就業時間に関わらず、 1日9時間労働したものとみなす。 (時間外手当) 第4条 みなし労働時間が就業規則第○条に定める所定労働時間を超える部分については、時間外労 働として取り扱い、賃金規定第○条の定めるところにより割増賃金を支払う。 (休憩、休日) 第5条 対象従業員の休憩、所定休日は就業規則の定めるところによる。 (対象従業員の出勤等の際の手続) 第6条 対象従業員は、出勤した日については、入退室時にIDカードによる時刻の記録を行わなけ ればならない。 634 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 みなし労働時間制 2 対象従業員が、出張等業務の都合により事業場外で従事する場合には、事前に所属長の了承を得 てこれを行わなければならない。所属長の了承を得た場合には、第3条に定める労働時間労働した ものとみなす。 3 対象従業員が所定休日に勤務する場合は、休日労働協定の範囲内で事前に所属長に申請し、許可 を得なければならない。所属長の許可を得た場合、対象従業員の休日労働に対しては、賃金規定第 ○条の定めるところにより割増賃金を支払う。 4 対象従業員が深夜に勤務する場合は、事前に所属長に申請し、許可を得なければならない。所属 長の許可を得た場合、対象従業員の深夜労働に対しては、賃金規定第○条の定めるところにより割 増賃金を支払う。 (対象従業員の健康と福祉の確保) 第7条 1 対象従業員の健康と福祉を確保するために、次の措置を講ずるものとする。 対象従業員の健康状態を把握するために次の措置を実施する。 イ 所属長は、入退室時のIDカードの記録により、対象従業員の在社時間を把握する。 ロ 対象従業員は、2ヵ月に1回、自己の健康状態について所定の「自己診断カード」に記入の 上、所属長に提出する。 ハ 所属長は、ロの自己診断カードを受領後、速やかに、対象従業員ごとに健康状態等について ヒアリングを行う。 2 使用者は、1の結果をとりまとめ、産業医に提出するとともに、産業医が必要と認めるときに は、次の措置を実施する。 イ 定期健康診断とは別に、特別健康診断を実施する。 ロ 特別休暇を付与する。 3 精神・身体両面の健康についての相談室を○○に設置する。 (裁量労働適用の中止) 第8条 前条の措置の結果、対象従業員に専門業務型裁量労働制を適用することがふさわしくないと 認められた場合又は対象従業員が専門業務型裁量労働制の適用の中止を申し出た場合は、使用者 は、当該労働者に専門業務型裁量労働制を適用しないものとする。 (対象従業員の苦情の処理) 第9条 1 対象従業員から苦情等があった場合には、次の手続に従い、対応するものとする。 裁量労働相談室を次のとおり開設する。 イ 場所 ロ 開設日時 ハ 相談員 2 ○○労働組合管理部 毎週金曜日12:00~13:00と17:00~19:00 ○○○○ 取り扱う苦情の範囲を次のとおりとする。 裁量労働制の運用に関する全般の事項 ロ 対象従業員に適用している評価制度、これに対応する賃金制度等の処遇制度全般 3 イ 相談者の秘密を厳守し、プライバシーの保護に努めるとともに、必要に応じて実態調査を行い、 解決策等を労使に報告する。 (勤務状況等の保存) 第10条 使用者は、対象従業員の勤務状況、対象従業員の健康と福祉確保のために講じた措置、対 635 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休 休憩・休日 第 5節 みなし労働時間制 講じた措置の の記録をこの の協定の有効 効期間の始期 期から有効期 期間満了後 象従業員からの苦情について講 時まで保存す することとす する。 3年間を経過する時 (有効期間) 第11条 の有効期間は は、平成○年 年○月○日か から平成○年 年○月○日ま までの○年間 間とする。 この協定の 年○月○日 平成○年 社 ○○株式会社 取締役人 人事部長 ○ ○○○ ○○労働組合 合 執行委員 員長 ○ ○○○ は、上記ひな型 型の第6条のよ ような義務規定 定を労使協定に に定めても、果 果たして私法上 上労働者を拘束 束することが ※私見では できるのか か、違反した場 場合には懲戒処 処分等の不利益 益制裁を課すこ ことができるの のか、疑問であ ある(対象従業 業員の出勤等 の際の手続 続きについて就 就業規則に「労 労使協定に定め めるところによ よる」とする委 委任規定があれ れば別であるが が。)。 636 Co orporate Evolu lution Institutte Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 の補 足 補 足 604 ページの井上克樹著「事業場外・裁量労働とみなし時間」(季刊労働法 147 号 P58 総合労働 研究所刊)を要約すると、次のとおりである。 井上 克樹弁護士は、たとえば、事業場の外で一部労働がなされた場合であっても、下記「図2⑥」、 「図2⑦」のように事業場内における労働が「所定労働時間」を超えている場合まで、所定労働時間 しか労働しなかったとみなすことは無理であろう、とし、旧労基則 22 条の時代の行政当局の見解が 労基法昭和 62 年改正後の第 38 条の 2 の事業場外労働のみなしについても適用されると考えられる、 とされている(「図2⑤」については後述)。 始業 9:00 休憩 1時間 終業 17:00 実働 7時間 図2 ⑤ 終業時刻 始業時刻 9:00 業務終了 20:00 17:00 18:00 外勤業務 2 時間 社内業務 図2 ⑥ 始業時刻 9:00 10:00 11:00 終業時刻 業務終了 17:00 20:00 9 時間 外勤業務 社内業務 社内業務 図2 ⑦ 始業時刻 9:00 10:00 外勤業務 終業時刻 業務終了 17:00 20:00 10 時間 社内業務 ① Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第5節 の補 足 井上 克樹弁護士は、旧労基則行政当局の見解を次のように述べておられる(井上克樹著「事業 場外・裁量労働とみなし時間」(季刊労働法 147 号 P58 総合労働研究所刊)。 「この点、旧労基則第 22 条の時代の行政当局の見解をみると、 「金融、保険、証券業等においては、 セールス等に従事する外勤職員が、事業場外における勤務終了(所定終業時刻以降)後一旦帰社して 現金の納入、契約書の整理その他の事務処理を行なうことが義務づけられている場合が多いが、この ような勤務における労働時間の算定は、全体の勤務について、通常の労働時間労働したものとみなす ことは誤りであって、一旦帰社後、事務処理に要した時間は、正確に算定できるので、帰社した時刻 までを所定労働時間労働したものとみなし、その上に帰社後の労働時間を加算して、当日の捻労働時 間を算定すべきである」(下線筆者、労働省労働基準局監督課編著『新訂労働時間管理の手引』31、 32 頁)としており、したがって、⑤の場合は七時間プラス二時間の勤務をしたことになる。 私も、⑥、⑦のケースを考えてみた場合に、これを加算しないことがいかにも不合理であることか らみて、右の終業時刻後の事業場内の労働は別途加算すべきであるとの考え方が、妥当であると考え る。 右の行政当局の見解は改正前の労基則第 22 条の解釈について述べられているものであるが、前述 のとおり改正後も、事業場外労働のみなしについて基本的考え方は変わっていないので、改正法につ いても同じ考え方がとられると考えられる。」 ② Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第6節 労働時間等の特例 第6節 労働時間等の特例 (労基法 40 条の特例) 労基法の労働時間、休憩に関する規定に関する例外として、次節で述べる管理監督者等の「労働時 間等に関する規制の適用除外」が有名であるが、「公衆の不便を避けるために必要なものその他特殊 の必要があるもの」について厚生労働省令で別段の定めをすることができることとされている。 1.労働時間及び休憩の特例 労基法は、業種、業態の如何にかかわらずすべての事業に対して労働時間、休憩及び休日に関し 均一の原則をとっている。しかし、それでは不都合が生じる場合もあるため、次の要件を満たす事 業については、その必要避くべからざる限度で、労働時間(変形労働時間制を含む。)及び休憩に 関する規定について、厚生労働省令で別段の定めをすることができることとしている。ただし、こ の定めをする場合は、労基法で定める基準に近いものであって、労働者の健康及び福祉を害さない ものでなければならない(労基法 40 条)。 ① 製造業等、鉱業、土木建設業、農林水産業以外の事業であること ② 公衆の不便を避けるために必要なものその他特殊の必要があるもの 現在、労働基準法施行規則において、この特例に該当するものとして労働時間に関する特例及び 休憩に関する特例が次のとおり定められている。 (1)労働時間に関する特例 1)商業等における小規模事業の 1 週 44 時間制 商業・映画演劇業(映画の製作の事業を除く。 ) ・保健衛生業・旅館飲食業の事業であって、労 働者数 10 人未満のものについては、1週 44 時間、1日8時間制が認められる(労基則 25 条の 2 第 1 項)。 これらの事業にあっては、1週 44 時間制を基準として1か月単位の変形労働時間制及びフレ ックス・タイム制を採用することができる(労基則 25 条の 2 第 2 項) (1年単位の変形労働時間 制及び1週間単位の非定型的変形労働時間制の場合は、原則通り1週 40 時間が基準である。 ) 2)列車等の予備勤務者の1か月単位の変形労働時間制 列車等に乗務する者のうち予備の勤務に就く者については、あらかじめ就業規則等で定める方 法によらずに、1週 40 時間制を基準に1か月単位の変形労働時間制をとることができる(労基 則 26 条)。 当該業務では労働者個人ごとに複雑な勤務に就くことを常態とするため、就業規則等に定める ことが困難であることによる措置である。 (2)休憩に関する特例 1)商業等における一斉休憩適用除外 商業・金融業・映画演劇業・通信業・保健衛生業・旅館飲食業・官公署の事業については、一 斉休憩の適用が除外される(労基則 31 条)(労使協定を必要とせず一斉休憩の適用が除外され る。)。 2)休憩付与の例外 637 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第6節 労働時間等の特例 次のいずれかに該当する者については、休憩時間を与えないことができる(労基則 32 条 1 項)。 ① 運輸交通業において列車等に乗務する者のうち長距離にわたり継続して勤務に就くもの ② 通信業に使用される者のうち屋内勤務者 30 人未満の郵便局において郵便等の業務に従事 するもの 3)自由利用の例外 次のいずれかに該当する者については、休憩の自由利用の規定を適用しない(労基則 33 条 1 項)。 ① 警察官、消防吏員、常勤の消防団員及び児童自立支援施設で児童と起居を共にする者 ② 乳児院、児童養護施設、知的障害児施設、盲ろうあ施設及び肢体不自由児施設に勤務する 職員で、児童と起居をともにする者(所轄労働基準監督署長の許可が必要) 638 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) 第7節 適用除外(管理監督者等) 前節は労基法の労働時間、休憩に関する規定について「別段の定めをすることができる」という特 例であったが、この節の規定は労基法の労働時間、休憩及び休日に関する規定を適用しない(適用除 外)ものである。 1.適用除外の概要 (1)適用除外の対象労働者 労基法は 41 条において、次の各号の一に該当する労働者については、労働時間、休憩及び休日 に関する規定を適用しないこととしている。具体的には、次の一~三に該当する事業・業務に従事 する者には週 40 時間・1 日 8 時間の労働時間規制、休憩付与、休日に関する規制(週休制・4週 4休制)を適用しないということである。 一 土地の耕作・開墾又は植物の栽植・栽培・採取・伐採の事業(林業を除く。)及び動物の飼育 又は水産動植物の栽捕・養殖の事業、畜産・養蚕・又は水産の事業に従事する者(農水産業等に 従事する者) 二 事業の種類にかかわらず監督若しくは管理の地位にある者又は機密の事務を取り扱う者(管理 監督者及び機密の事務を取扱う者) 三 監視又は断続的労働に従事する者で、使用者が所轄労働基準監督署長の許可を受けたもの(監 視・断続的労働に従事する者) 第 2-3-7-1 図 適用除外の概要 事業がその性質上天候・気象等の自然的条件 農水産業従事者 に著しく影響を受ける産業であるため、法定 労働時間及び週休制になじまない。 経営者と一体となって、労働時間、休憩及び 適用除外 管理監督者・秘密 休日に関する規定の規制を超えて活動しなけ 事務を取扱う者 ればならない企業経営の必要上が認められるも のであること 本来の業務が「監視又は断続的労働に従事する 監視・断続的労働 者」及び定期的巡視、緊急の文書又は電話の収 に従事する者 受、非常事態に備えての待機等を目的とする「宿 日直の業務」 639 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) 労基法 (労働時間等に関する規定の適用除外) 第41条 この章、第六章及び第六章の二で定める労働時間、休憩及び休日に関する規定は、次の各 号の一に該当する労働者については適用しない。 一 別表第一第六号(林業を除く。)又は第七号に掲げる事業に従事する者 二 事業の種類にかかわらず監督若しくは管理の地位にある者又は機密の事務を取り扱う者 三 監視又は断続的労働に従事する者で、使用者が行政官庁の許可を受けたもの 別表第一 (第33条、第40条、第41条、第56条、第61条関係) 一~五 略 六 土地の耕作若しくは開墾又は植物の栽植、栽培、採取若しくは伐採の事業その他農林の事業 七 動物の飼育又は水産動植物の採捕若しくは養殖の事業その他の畜産、養蚕又は水産の事業 八~十五 略 (2)適用除外の効果 1)時間外労働・休憩・休日等の取扱い 上記一~三に該当する者については、次のような取扱いが可能となる(カッコ内の条項が適用さ れない。)。 ① 週 40 時間、1日8時間を超えて使用することができ、三六協定及び割増賃金の支払いを必 要としない(32 条,33 条,36 条,37 条,38 条の 3 など)。 ② 労働時間が6時間を超えても8時間を超えても、休憩を与えなくてよい。また、休憩を与え る場合においても一斉に与えなくてもよい(34 条)。 ③ 週1回又は4週間に4日以上(注)の休日を与えなくてよく、しかも三六協定及び割増賃金 の支払を必要としない(35 条)。 ⇒ 注、4週間に4日以上の休日を与える場合(変形休日制)は、就業規則に4週間の起算日を定めることと している(労基則 12 条の 2 第 2 項)ので、結果的に4日以上の休日を与えればよいというわけでなく、あ らかじめ変形休日制を採用することを就業規則に定めておかなければならない。 ④ 15 歳以上 18 歳未満の年少者について、労働時間に関する制約を適用しない(60 条)。 ⑤ 妊産婦に関して、本人の請求により時間外労働及び変形労働時間制に関する制限規定を適用 しない(66条1項・2項) 。 ⑥ 生後満1年に達しない生児を育てる女性に関して、その請求により1日2回各々少なくとも30分 の育児時間を与える必要があるが、管理監督者については当該規定を適用しない(67条)(東大「注 釈労基法」下巻P758)。 なお、当該規定は「労働時間、休憩及び休日に関する規定を適用しない」ものであり、年次有給 休暇(39 条)や女性の生理休暇(68 条)に関するは、通常労働者と同様に適用される。深夜割増 に関する規定(37 条 3 項)は労働時間の長さではなく位置に関する規定であるので、適用除外さ れないと解されている。 640 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) ⇒ 管理監督者であっても、年次有給休暇(39 条)、女性の生理休暇(68 条)及び深夜割増賃金に関する規定 (37 条 3 項)は、通常の労働者と同様に適用される。 2)適用除外者の所定労働時間 なお、労働時間等に関する規定を適用しないということは、所定労働時間や始業・終業の時刻が 定められていないというように誤解されている向きもあるが、それは誤りである。とくに、管理監 督者についてはそのような誤解が生じやすいので注意を要する。 専門誌において、管理監督者の深夜割増賃金の支払義務に関するQ&Aで厚生労働省賃金時間課 は、次のように回答している。 「管理・監督者は労働時間に関する規定の適用を受けないことから,管理・監督者には所定労働時 間という概念が存在しないと誤解している方もおられるようです。しかし,管理・監督者といえども 労働者であることには変わりなく,労基法 41 条は先に説明したとおり,労働時間,休憩及び休日に 関する規定の適用を除外するのみですから,例えば労基法 89 条で就業規則の絶対的な必要記載事項 の中に「始業及び終業の時刻」が含まれているので,管理・監督者にも所定労働時間の定めは必要と なります。 」(労政時報 第 3638 号 04.8.27 Q&A厚生労働省労働基準局賃金時間課回答)。 ⇒ 管理監督者であっても、労働契約上始業・終業時刻の適用を受ける。ただし、経営者と一体となって労働時 間等の規制を超えて活動しなければならない責任と権限から、一般職に要求されるような厳しい規制ではな い。 3)適用除外者の深夜割増賃金 イ 役職手当の額と深夜割増賃金 本来は、役職手当中に何万円部分とか何時間部分とかを「深夜業割増賃金部分」として、その他 の性質を有する対価部分とは区分して定めるべきであるが、もともと労働時間の規定が適用除外 (把握義務の免除)されており、深夜労働の労働時間の算定もその性質上困難なところから、少な くとも一般に当該企業で予測されうる程度の深夜業の割増貸金(25/100 部分のみでよい。管理職 については所定労働時間に対する月ぎめの賃金として深夜部分を含む 100/100 の部分は月給の中 に含まれている。)を含んでいることが明白であればよいと解される(安西「労働時間」P766)。 ロ 深夜割増率 また、割増率が 125%でなく 25%でよい点については、前述Q&A厚生労働省労働基準局賃金時 間課回答においても「実際に管理・監督者が深夜業を行った場合の割増賃金の支払いはどうなるの でしようか。結論から申し上げますと,割増部分の 25%相当分の支払いのみで労基法上は足りま す。なぜなら,午後 10 時以降の労働に対する通常の賃金は,時間外労働に対する通常の賃金と同 様に,すでに所定賃金に含まれていますから,125%までの支払い義務は生じないということにな ります。」と述べている。 641 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) 2.農水産業等に従事する者 農業・水産業等の事業については、この種の事業がその性質上天候・気象等の自然的条件に著し く影響を受ける産業であるため、法定労働時間及び週休制になじまないものとして区別したもので ある(「労基法コメ」上巻 P599)。つまり、業務の性質上その勤務が気象条件、季節、繁殖等の自 然現象に左右され、たまたま8時間を超える労働があっても休業や手待ち時間が多いことなどによ り労働時間等に関する規制をしなくても労働者保護に欠けるところがないという趣旨であると考 えられる。したがって、農水産の事業であっても一定の加工設備を有する場所における加工は、天 候等の影響を受けるものでないので製造業の区分に入り、労働時間等に関する規定は原則どおり適 用される(昭 22、9、13 発基 17 号) 。 また、林業については従来この適用除外の事業に入っていたが、平成 5 年の労基法改正において、 作業の機械化、労働時間・休日等に関する労使の意識の変化、労務管理体制の整備等により労働時 間管理の体制が整いつつあると判断し、規制を適用することになった経緯がある。 642 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) 3.管理監督者 (1)管理監督者の概念 管理監督者は、経営者と一体となって、労働時間、休憩及び休日に関する規定の規制を超えて活 動しなければならない企業経営の必要上が認められるものであること、及びこれらの者の地位から して規制外においても労働条件に及ぼす影響が比較的少ないこと、と説明されている(「労基法コ メ」上巻 P600)。 管理監督者の判断にあたり、行政の見解は次のとおりである(昭 22.9.13 発基 17 号、昭 63.3.14 基発 150 号) 。 1)原 則 法に規定する労働時間、休憩、休日等の労働条件は最低基準を定めたものであるから、この規 制の枠を超えて労働させる場合には、法所定の割増賃金を支払うべきことはすべての労働者に共 通する基本原則であり、企業が人事管理上あるいは営業政策上の必要等から任命する職制上の役 付者であればすべてが管理監督者として例外的取扱いが認められるものではないこと。 ⇒ 職制の役付者であれば、即労基法の管理監督者として例外的な取扱いが認められる、というものではない。 2)適用除外の趣旨 これらの職制上の役付者のうち、労働時間、休憩、休日等に関する規制の枠を超えて活動する ことが要請されざるを得ない重要な職務と責任を有し、現実の勤務態様も労働時間等の規制にな じまないような立場にある者に限って管理監督者として法 41 条による適用の除外が認められる 趣旨であること。したがって、その範囲はその限りにおいて限定しなければならないものである こと。 3)実態に基づく判断 一般に、企業においては、職種の内容と権限等に応じた地位(職位)と、経験・能力等に基づ く格付け(資格)とによって人事管理が行われることがあるが、管理監督者の範囲を決めるに当 たっては、かかる資格及び職位の名称にとらわれることなく、職務内容、責任と権限、勤務態様 に着目する必要があること。 4)待遇に関する留意 管理監督者の判定に当たっては、上記1)~3)のほかに賃金等の待遇面についても無視し得 ないものであること。この場合、定期給与である基本給、役付手当等においてその地位にふさわ しい待遇がなされているか否か、ボーナス等の一時金の支給率、その算定基礎賃金等についても 役付者以外の一般労働者に比し優遇措置が講じられているか否か等について留意する必要があ ること。なお、一般労働者に比べ優遇措置が講じられているからといって、実態のない役付者が 管理監督者に含まれるものでないこと。 ⇒ 職制の役付者であれば労基法の管理監督者として例外的取扱いが認められるものではなく、例外的取扱い が認められる管理監督者とは、規制の枠を超えて活動することが要請されざるを得ない重要な職務と責任を 有し、現実の勤務態様も労働時間等の規制になじまないような立場にある者に限られる。 643 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) 5)スタッフ職の取扱い 法制定当時にはあまり見られなかったいわゆるスタッフ職が本社の企画・調査等の部門に多く 配置されており、これらのスタッフの企業内における待遇の程度によっては管理監督者と同様に 取扱い、法の規制外においてもこれらの者の地位からしてとくに労働者の保護に欠けるおそれが ないと考えられ、かつ、法が監督者のほかに管理者も含めていることに着目して一定範囲の者に ついては同法 41 条 2 号該当者に含めて取り扱うことが妥当であると考えられること。 管理監督者については、時間外勤務手当等が支給されない代わりに管理職手当・役職手当が支給 されるのが普通であり、管理監督者の判断基準として特別手当などによりその地位にふさわしい待 遇が与えられていることが要件とされる(菅野「労働法」P256)。一般労働者に支払われる時間外・ 休日労働手当の額を考慮しても十分に高額な経済的待遇を受けていることが要件のひとつである と考えられる。 また、客観的にみて管理監督者に該当しない場合であっても、役付手当として支払われた額が時 間外労働等に対する割増賃金相当額を下回らない場合には適法とする下級審判例がある(前述「日 本アイテーアイ事件」) 。 6) 「使用者」の概念との関係 次に、「使用者」の概念と管理監督者との関係について考察する。 「使用者」とは、①事業主、②事業の経営担当者、③その事業の労働者に関する事項について事 業主のために行為するすべての者をいうとされている(労基法 10 条)。①と②については固定的 に捉えられるが、③については相対的関係であり、一般に、職員はある場合には労働者に関する事 項について指示命令をしたり(事業主のために行為する)、他の場合には指示命令を受けたり(使 用される)する。つまり、「使用者」の概念は職員の行動によって使用者となったりならなかった りするものである。 これに対し管理監督者の場合は、その職務内容、経済的処遇、労働時間管理の内容などによって 決まり、固定的である。一般論として言えば、管理監督者は「使用者」として行動することが多い と思われるが、使用者として行動する者は必ずしも管理監督者であると限らず(一般の職員である こともあり得る。)、管理監督者であっても労働者であることに変わりない。 7)労組法「監督的地位にある労働者」との関係 労組法 2 条 1 号は、「監督的地位にある労働者その他使用者の利益を代表する者の参加を許すも の」は適合組合(注)として認めないこととしている。そのため、「特定独立行政法人又は特定独 立行政法人等の労働関係に関する法律」 (特労法)において「特定独立行政法人等は、職を新設し、 変更し、又は廃止したときは、速やかにその旨を委員会に通知しなければならない」ことされ(特 労法 4 条 4 項)、中央労働委員会は、その通知に基づいて労働組合法 2 条 1 号 に規定する者の範囲 を認定して告示することとしていた(特労法 4 条 2 項)。 ⇒ 注.「適合組合」=労組法は適合組合でなければ不当労働行為の救済が受けられず、労働協約の 規範的効力(協約に反する労働契約を認めない。)を有しないこととしている(労組法 2 条) 。 この場合の「監督的地位にある労働者その他使用者の利益を代表する者の参加を許すもの」には、 ①会社役員、理事、②工場長、人事課長、会計課長、③従業員の雇用、転職、解雇等の権限を持つ 者又はその決定に参画する者、④労務に関する組織の上級職員、⑤秘書等、会社警備の任にある守 644 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) 衛が含まれる(昭 24、2、2 労発 4 号)。 労基法 41 条 2 項の管理監督者の範囲と労組法 2 条 1 号の「監督的地位にある労働者」の範囲に ついては必ずしも一致せず、前者は労働時間等の規制を適用除外しても労働者保護の観点から差し 支えないかという点に着目して決定されるべきものであり、後者は職務遂行上要請される義務と組 合員の誠意・誠実に矛盾するような立場にあるか否かという観点から決定されるべきものである (安西「労働時間」P763)。 一般的には、労基法の管理監督者の範囲よりも労組法の「監督的地位にある労働者」の範囲の方 が広いと考えて差し支えない。裁判例においても、労基法の管理監督者の範囲は「労働基準法の精 神に則りそれより遥かに狭く解釈さるべきは当然である」とするものがある(「国鉄荒尾駅事件」 熊本地裁判決昭 36.11.15(注))。 ⇒ 注.A助役は旧公共企業体等労働関係法 4 条に基き非組合員に指定されているが、駅長を補佐し 又は代理する旨定められているとはいえ、出退社について厳格な制限を受けない者に該当する とは解し得ないので、労基法 41 条 2 号所定の「監督若しくは管理の職にある者」とは認めら れないとされた。 (2)管理監督者の範囲 1)金融機関の場合 では、いかなる立場の者が法 41 条 2 号に該当する管理監督者となるのか。これについては、昭 和 51 年に労働省が行った金融機関の実態調査に基づく見解が参考になり、都市銀行等における管 理監督者の具体的範囲は、次のとおりとされている(昭 52.2.28 基発 104 号の 2)。 ① 取締役等役員を兼務する者 ② 支店長、事務所長等事業場の長 ③ 本部の部長等で経営者に直属する組織の長 ④ 本部の課又はこれに準ずる組織の長 ⑤ 大規模の支店又は事務所の部、課等の組織の長で①~④と同格以上に位置づけられている者 ⑤ ①~③等を補佐し、かつ、その職務の全部又は一部を代行又は代決する権限を有 する者(①~④と同格以上に位置づけられている次長・副部長等) ⑦ 経営上の重要事項に関する企画立案等の業務を担当する者(①~④と同格以上に 位置づけられているスタッフ) ざっくりとした言い方をすれば、管理監督者となる者の範囲は、本部の課長以上のライン職及び それと同等以上に格付けされる支部ライン職並びにこれらと同等以上に格付けされるスタッフ職 というところであろうか。 管理監督者が労働時間等の規制から適用除外される理由は、その職責上経営者と一体となって労 基法の規制の枠を超えて活動することが要請され、かつ、一般労働者の場合に受ける時間外・休日 労働に対する割増賃金に比して十分な経済的待遇(役付手当など)を与えられているから、と理解 してよいと思われる。 2)多店舗展開する小売業・飲食業の場合 小売業、飲食業等において、いわゆるチェーン店の形態により相当数の店舗を展開して事業活 動を行う企業における比較的小規模の店舗において、店長等が十分な権限、相応の待遇等が与え られていないにもかかわらず労基法の管理監督者として取り扱われるなど不適切な事案もみられ 645 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) るところから、前述1)昭63.3.14基発150号に示された「職務内容、責任と権限」「勤務態様」 「賃金等の待遇」についてより具体化した次のような通達を出している(平20.9.9基発0909001 号 )。 イ「職務内容、責任と権限」についての判断要素 ① 採 用=アルバイト・パート等の採用に関する責任と権限が実質的にない場合には、管理監 督者性を否定する重要な要素となる。 ② 解 雇=アルバイト・パート等の解雇に関する事項が職務内容に含まれておらず、実質的に もこれに関与しない場合には、管理監督者性を否定する重要な要素となる。 ③人事考課=昇給、昇格、賞与等を決定するため部下の業務遂行能力、業務成績等を評価するこ となど人事考課に関する事項が職務内容に含まれていない場合には、管理監督者性を 否定する重要な要素となる。 ④ 労働時間の管理=勤務割表の作成又は所定時間外労働の命令を行う責任と権限が実質的にな い場合には、管理監督者性を否定する重要な要素となる。 ロ「勤務態様」についての判断要素 ① 遅刻、早退等に関する取扱い=遅刻、早退等により減給の制裁、人事考課での負の評価など 不利益な取扱いがされる場合には、管理監督者性を否定する重要な要素となる。 ② 労働時間に関する裁量=営業時間中は店舗に常駐しなければならない、アルバイト・パート 等の人員が不足する場合にそれらの者の業務に自ら従事しなければならないなどに より長時間労働を余儀なくされている場合のように、実際には労働時間に関する裁量 がほとんどないと認められる場合には、管理監督者性を否定する補強要素となる。 ③ 部下の勤務態様との相違=会社から配布されたマニュアルに従った業務に従事しているなど 労働時間の規制を受ける部下と同様の勤務態様が労働時間の大半を占めている場合 には、管理監督者性を否定する補強要素となる。 ハ「賃金等の待遇」についての判断要素 ① 基本給、役職手当等の優遇措置=基本給、役職手当等の優遇措置が、実際の労働時間数を勘 案した時間外・休日労働の割増賃金相当額に比して十分でないは、管理監督者性を否 定する補強要素となる。 ② 支払われた賃金の総額=一年間に支払われた賃金の総額が、他店舗を含めた当該企業の一般 労働者の賃金総額と同程度以下である場合には、管理監督者性を否定する補強要素と なる。 ③ 時間単価=長時間労働を余儀なくされた結果、時間単価に換算した賃金額がアルバイト・パ ート等の賃金額に満たない場合には、管理監督者性を否定する重要な要素となる。 (3)管理監督者に関する裁判例 実際に裁判で争われた管理監督者に該当するかどうかの事例を紹介する。 1)金融機関の場合 ○銀行本店の調査役は、管理監督者に該当しない 「静岡銀行事件」静岡地裁判決昭 53.3.28 「第41条第2号の管理監督者とは、経営方針の決定に参画し或いは労務管理上の指揮権限を有す る等、その実態からみて経営者と一体的な立場にあり、出勤退勤について厳格な規制を受けず、自 646 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) 己の勤務時間について自由裁量権を有する者と解するのが相当である。」とし、 「毎朝出勤すると出勤簿に押印し、30 分超過の遅刻・早退 3 回で欠勤1日、30 分以内の遅刻・ 早退 5 回で1日の欠勤扱いをうけ、欠勤・遅刻、早退をするには、事前或いは事後に書面をもって 上司に届出なければならず、正当な事由のない遅刻・早退については、人事考課に反映され場合に よっては懲戒処分の対象ともされる等、通常の就業時間に拘束されて出退勤の自由がなく、自らの 労働時間を自分の意のままに行いうる状態など全く存しないこと……部下の人事及びその考課の 仕事には関与しておらず、銀行の機密事項に関与した機会は一度もなく、担保管理業務の具体的な 内容について上司(部長、調査役、次長)の手足となって部下を指導・育成してきたに過ぎず、経 営者と一体となって銀行経営を左右するような仕事には全く携わっていない」としている。 ○国民金融公庫の支店業務役は、管理監督者に該当しない 「国民金融公庫事件」東京地裁判決平 7.9.25 支店業務役の地位は、本来の管理職の系列に属さない補佐的な役割を有するにとどまり、(原告 の場合も、総務課長の権限の一部として検印業務等を行っていたものである)公庫の経営方針の決 定や労務管理上の指揮権限につき経営者と一体的立場にあったとは認めるに足る事実は存在せず、 管理監督者とは認められない。 (平成5年3月以降は時間外手当の支給対象となった。) 2)製造業の場合 ○従業員 40 人の工場の課長は、管理監督者に該当しない 「サンド事件」大阪地裁判決昭 57.7.12 従業員 40 人の工場の課長について、決定権限を有する工場長代理を補佐するが、自ら重要事項 を決定することはなく、また、給与面でも、役職手当は支給されるが従来の時間外手当よりも少な く、また、タイムカードを打刻し、時間外勤務には工場長代理の許可を要する場合には、管理監督 者にあたらない。 ○主任は、管理監督者に該当しない 「キャスコ事件」大阪地裁判決平 12.4.28 主任は一般職位の上位にあるものであるが、室長、班長らの指揮監督下にあり、労務管理に関し 経営者と一体的な立場にある者で、出退社について厳格な制限をうけない者とは、到底いえない。 被告は、職能手当、職位手当には(定額の)時間外割増賃金の趣旨を含めて支給していると主張 するが、職能手当は一般職位にある者にも支給される手当であり、職位手当はその役職の重要度と ランク評価により支給されることになっている手当であって、 (かつ、そのいずれも、)割増賃金部 分と他の部分とが明確に区分されているとはいえないから、時間外割増賃金が支払われているとい うことはできない。 3)外食チェーン等の場合 ○ファミリーレストランの店長は管理監督者に該当しない 「レストラン・ビュッフェ事件」大阪地裁判決昭 61.7.30 ファミリーレストランの店長について、コック等の従業員6~7名を統制し、ウエイターの採用 にも一部関与し、材料の仕入れ、売上金の管理等をまかせられ、店長手当月額2~3万円を受けて いたとしても、営業時間である午前 11 時から午後 10 時までは完全に拘束されて出退勤の自由はな く、仕事の内容はコック、ウエイター、レジ係、掃除等の全般に及んでおり、ウエイターの労働条 647 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) 件も最終的には会社で決定しているので、管理監督者にあたらない。 ○喫茶店責任者の管理監督者に該当しない 「三栄珈琲事件」東京地裁判決平 3.2.26 労基法 41 条 2 項の管理監督者に当たるか否かは、具体的勤務の実態に即して決定すべきである が、原告は、 ① パート従業員の採用権限、労務指揮権限を有し、売上金の権利を任されていたこと、材料の仕 入、メニューの決定についてもその一部を決める権限を与えられていたこと、店の営業時間は原告 が決定したものであること、責任手当として月額金1万円を支給されていたこと、が認められる。 ② しかし、原告の欠勤、早退、私用外出は必ず被告に連絡、パート従業員の労働条件の決定も被 告が許容する範囲でのことであり、被告と一体的立場に立って行ったとまではいえず、営業時間も 独自に決定できる予定は些少なものであったこと、被告は、店の営業成績が芳しくない場合は、原 告の意思とは無関係にいつでもこれを閉店できる立場にあったこと、店は、原告とパート従業員の 2名で行っており、原告自らが、パート従業員を補助者として、調理・レジ係・掃除等の役務に従 事していたこと、が認められる。 以上を考え併せれば、いまだ労基法41条2項の管理監督者に該当するとまではいえない。 管理監督者が、保護の対象から外されている実質的理由は、 ① 企業体の中で重要な位置を占め、自分自身の職務の遂行方法につき相当程度の裁量権を有して いて勤務時間などについても厳格な規制を受けず ② しかも、職務の重要性に応じてそれに見合う高額の給与を受けているはずであるから、敢えて 労働基準法の保護の対象としなくても保護に欠けることはない という点にある。 本件における係長級職員は、そのいずれの実態も備えていないとして労働基準法にいう管理監督 者にあたらない。 ○マックの店長は管理監督者に該当しない 「日本マクドナルド事件」東京地裁判決平 20.1.28 日本マクドナルドが直営店の店長を管理職と見なして残業代を支払わないのは違法として、埼玉 県熊谷市の店舗の男性店長が、同社を相手取り、2年分の未払い残業代や慰謝料などの支払いを求 めた事件で、判決はまず、管理監督者について、「企業経営上の必要から、経営者との一体的な立 場にあるような重要な職務と権限を与えられ、賃金などで一般労働者より優遇されている者」とし、 ほぼ厚労省の通達と同様な見解を示した。 その上で、日本マクドナルドの直営店長の権限について、①アルバイトの採用や勤務シフトの決 定など店舗内に限られ、本社の打ち出した営業時間に従うことを余儀なくされている、②独自のメ ニューを開発したり、商品価格を設定したりできない、などの理由から「管理職といえるような重 要な職務と権限を与えられているとは認められない」と判断。さらに、③自ら勤務シフトに入って 残業を余儀なくされるなど労働時間の自由裁量がないという勤務実態や、④賃金の面でも十分な待 遇を受けているといえないことを踏まえ、「店長は管理職ではない」と結論づけた。 4)その他の事業の場合 ○アート・ディレクターは管理監督者に該当しない 「ケー・アンド・エル事件」東京地裁昭 59.5.29 原告はコピー部長の指揮監督を受けて、広告の視覚に訴える部面の製作に従事していたもので、 648 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) その製作の過程において技術者を指揮監督することはあったものの、労務管理方針の決定に参画し、 或いは労務管理上の指揮権限を有し、経営者と一体的な立場にあったとはいえないこと、また、原 告の職務の内容は勤務時間について厳格な規制を加えるのには必ずしもふさわしくないが、出退勤 については、タイムカードが使用され、遅刻や休日出勤についてタイムカード上明確にされており、 上司からも遅刻について注意をされたことがあるなど、原告に対し勤務時間についての管理が行わ れていたと認められること、原告の賃金については、原告が従前得ていた収入を参考として決定さ れたもので、監督若しくは管理の地位にあることに対する特別な給与が支払われていたとは認めら れないこと、更に、雇用契約の締結に際し、休日に勤務した場合には代替の休日が与えられること が約されたこと、以上の事実を総合してみると、原告は、監督若しくは管理の地位にある者であっ たと認めることはできないといわなければならない。 ○総務局次長は、管理監督者に該当する(独自の見解) 「日本プレジデントクラブ事件」東京地裁判決昭 63.4.27 原告に対して経理のみならず人事、庶務全般に及び事務を管掌することを委ねたこと、総務局次 長として任用し、基本給、職能給のほか、役職手当3万円、職務手当5万円、家族手当2万円を支 給していたこと、そして、被告の就業規則には、役職手当の受給者に対しては時間外労働手当を支 給しない旨の規定があることから、管理監督者に該当する。 (本件判決が)管理監督者か否かは、専ら就業規則の定めによると解せられるところ、就業規則に よると原告に対しては時間外手当を支給しないことになっているのであるから、原告の割増賃金の 請求はその根拠を欠くといわねばならない。 (「管理監督者か否かは、専ら就業規則の定めによる と解せられる」としたのは、独自の見解というべきであろう。) (4)管理職手当と深夜割増賃金 1)役職手当の額と深夜割増賃金 本来は、役職手当中に何万円部分とか何時間部分とかを「深夜業割増賃金部分」として、その他 の性質を有する対価部分とは区分して定めるべきであるが、もともと労働時間の規定が適用除外 (把握義務の免除)されており、深夜労働の労働時間の算定もその性質上困難なところから、少な くとも一般に当該企業で予測されうる程度の深夜業の割増貸金(25/100 部分のみでよい。管理職 については所定労働時間に対する月ぎめの賃金として深夜部分を含む 100/100 の部分は月給の中 に含まれている。)を含んでいることが明白であればよいと解される(安西「労働時間」P766)。 2)深夜割増率 割増率が 125%でなく 25%でよい点については、Q&A厚生労働省労働基準局賃金時間課回答に おいても「実際に管理・監督者が深夜業を行った場合の割増賃金の支払いはどうなるのでしようか。 結論から申し上げますと,割増部分の 25%相当分の支払いのみで労基法上は足ります。なぜなら, 午後 10 時以降の労働に対する通常の賃金は,時間外労働に対する通常の賃金と同様に,すでに所 定賃金に含まれていますから,125%までの支払い義務は生じないということになります。」と述べ ている点からも明かである(労政時報 第 3638 号 04.8.27 151 ページ)。 3)管理職手当の中に「深夜割増」分を含んで月々定額で支払うことはできるのか? イ 本来は職責分と深夜割増分とを分けるべき 一般に管理職手当や営業手当などはその職責に対して支給する性格の手当であり、その中に職務 遂行上必要となる時間外労働や深夜労働に対する割増賃金相当の額を含めることがある。そのよう 649 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) な支払い方は適法であろうか? 判例は、役職手当、営業手当又は業務手当として相当の金額が時間外・休日勤務手当を支給しな いことの代償措置の一面を有することが認められる場合は、実際に行った超過勤務、休日勤務等に ついて、支払われるべき割増貸金の額が役職手当等の額を超えない場合は、改めて割増貸金の請求 をすることはできないとする下級審判決がある(注 1)。 しかし、その後に出された最高裁判例では「通常の賃金部分と時間外・深夜割増賃金部分が明確 に区別でき、通常の賃金部分から計算した時間外・深夜割増賃金との過不足額が計算できるのであ れば、その不足分を使用者は支払えば足りると解する余地がある。」とする高裁判決(徳島南海タ クシー事件 高松高判 平成 11.7.19)を支持しており、時間外等の割増賃金として労働基準法に 定める額が支払われているか否かを判断できるように、役職手当等の中に「深夜業割増賃金部分」 が何万円部分とか何時間部分とかが明確にされていなければならない、と考えるべきであろう(注 2)。 注 1、「日本アイティーアイ事件」東京地裁判決平 9.7.28、 「被告会社においては、役職手当、営業手当又は業務手当として相当の金額が支給されているこ とは前記認定のとおりであるところ、これらが営業職であり、管理職である原告らに時間外・休日 勤務手当を支給しないことの代償措置の一面を有することが認められ、労基法三七条は、毎月支給 する給与の中に割増貸金に代えて一定額の手当を含めて支払うことまでを禁止する趣旨ではない と解せられることからすれば、原告らが行った超過勤務、休日勤務等について、各月の基本給を基 に労基法及び被告会社の就業規則に従って計算した割増貸金の額が、右役職手当等の額を超える場 合はその超過する金額を請求することはできるけれども、超えない場合は改めて割増貸金の請求を することはできないものというべきである。」 この判決では、役職手当の中に「深夜業割増賃金部分」が何万円部分とか何時間部分とかが明確 になっていなくても、実際に支払われるべき割増賃金の額が役職手当の額を超えない場合には適法 であるとしていると解される。 注 2、「徳島南海タクシー事件」最高裁三小決定平 11.12.14 「労使間で、時間外・深夜割増賃金を定額として支給することに合意したものであれば、その合 意は、定額である点で労働基準法 37 条の趣旨にそぐわないことは否定できないものの直ちに無効と 解すべきものでなく、通常の賃金部分と時間外・深夜割増賃金部分が明確に区別でき、通常の賃金 部分から計算した時間外・深夜割増賃金との過不足額が計算できるのであれば、その不足分を使用 者は支払えば足りると解する余地がある。」と、時間外・深夜割増賃金を定額として支給することを 是認している。 一般論としていえば、次のいずれの要件をも満たす場合に適法とされる、と考えるべきであろう (注)。 ① 通常の賃金部分と時間外・深夜割増賃金部分が明確に区分できること。 ② 通常の賃金部分から計算した実際の時間外・深夜割増賃金に対し不足が出る場合は、その不 足分を支払うこと。 注.実務上の取扱い 通常、大学・独法の就業規則では次のような規定としており、管理職手当の中に深夜割増賃金相 当額を含むことを明確にしているものの、その金額又は深夜時間数を明確にしていない。 650 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) 上記裁判例を考慮すると若干心配ではあるが、実務上の取扱いとしてさほど問題がないものと思 われる(私見)。それは、①一般的に大学・独法における管理職手当の対象者が深夜勤務しなけれ ばならない機会が少ないものと思われること、②管理職の深夜割増は 25/100 であり深夜割増の金 額も僅少であると思われること、③管理職の深夜割増について労組が交渉を求めることは考えにく いこと、などである。 (管理職手当) 第○○条 管理職手当は、別に定める管理又は監督の地位にある職を占める教職員に支給する。 2 管理職手当には、勤務が深夜(午後10時から午前5時までをいう。以下同じ。)に及んだ場合に おける割増賃金相当額を含むものとする。 (超過勤務手当) 第○○条 業務上の必要により所定の勤務時間以外の時間に勤務することを命じられた教職員に は、 ・・・超過勤務手当として支給する。ただし、第○○条の規定に基づき管理職手当の支給を受ける 教職員及び指定職俸給表の適用を受ける教職員には支給しない。 (休日出勤手当) 第○○条業務上の必要により勤務することを命じられた教職員には、勤務を命じられた全時間(当該 休日をあらかじめ当該週の勤務日に振り替えた場合は除く。)に対して、・・・休日出勤手当として支 給する。ただし、第○○条の規定に基づき管理職手当の支給を受ける教職員及び指定職俸給表の適用 を受ける教職員には支給しない。 ロ 深夜割増賃金部分を明確に区別できるようにすべきとする判例 ○「日本コンベンションサービス(割増賃金)事件」大阪高判平成 12.6.30 「割増賃金が定額の別手当によって支払われるのが認められるのは、その手当が時間外あるいは 深夜手当に対する対価という性質を有していると認められるものでなければならず、そうでない場 合には、当事者間で合意があったとしても、労働基準法第37条に違反し無効と解される。」 ○徳島南海タクシー事件 高松高判 平成 11.7.19 「労使間で、時間外・深夜割増賃金を、定額にして支給することに合意したものであれば、その 合意は、定額である点で労働基準法 37 条の趣旨にそぐわないことは否定できないものの、直ちに 無効と解すべきものではなく、通常の賃金部分と時間外・深夜割増賃金部分が明確に区分でき、通 常の賃金部分から計算した時間外・深夜割増賃金との過不足額が計算できるのであれば、その不足 分を使用者は支払えば足りると解する余地がある。」 「割増賃金を定額の別手当によって支払う場合、現実の時間外労働に対する法所定の割増賃金額 以上の額が支払われている限り、労働基準法第37条所定の計算方法を用いることまでは要しない が、定額の手当が法所定の割増賃金の額を下回る場合には、使用者はその差額を支払う義務がある。 従って、時間外等の割増賃金として労働基準法に定める額が支払われているか否かを判断できるよ うに、割増賃金部分が明確にされていなければならない。」 651 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) ○「ジオス(割増賃金)事件」名古屋地判平成 11.9.28 「ある手当の全額を時間外労働に対する割増賃金として定額で支払うものとする場合には、そう した趣旨が明確になるようその手当を設定すべきであり、通常の労働時間に対する賃金の性質を併 有する手当を設定し、これに時間外労働に対する割増賃金分を含ませる場合には、その金額的内訳 を明示すべきである。」 ○「千里山生活協同組合賃金等請求事件」大阪地裁判決平 11.5.31 「被告〔会社〕は役職手当(職務手当、業務手当)が時間外手当を含むものであると主張すると ころ、役職手当等は時間外賃金以外のものを含むものであるが、時間外賃金を固定額で支払うこと 自体は、その額が労基法所定の割増賃金額を超えるかぎり、これを違法とすることはできないもの の、その場合でも、時間外割増賃金としての労基法所定の額が支払われているか否かを判断できる ように割増賃金部分が明確でなければならない。しかるに、本件では、右役職手当等のうち、いか なる部分が時間外割増賃金に該当するかを明らかにする証拠はないから、被告の右主張は採用でき ない。」 ○「関西事務センター事件」大阪地裁判決平 11.6.25 「被告〔会社〕は、原告〔課長就任者〕に時間外勤務手当を支給しなくなったのは部門長以上の 役職者には時間外勤務手当を支給しないとの就業規則によるものであると主張している。(略)被 告が就業規則や賃金規程で定めている時間外勤務手当が、労働基準法が法定労働時間超過の労働に 対して支給することを強制している割増賃金の趣旨であることは明らかであり、さらに、これを所 定労働時間超過の労働に対してまで支給することとしたものであり、その点で、労働基準法による 保護以上に拡張したものである。割増賃金の支給を命じる労働基準法の規定は強行法規であるから、 単なる合意によってこれを不支給とすることは許されないし、部門長以上の役職者であることを理 由に、割増賃金を含む時間外勤務手当を支給しないとするのであれば、そのような取扱いが有効と されるためには、右役職者が、同法 41 条 2 号に言う監督若しくは管理の地位にあるものに該当す るか、あるいは右役職者に実質的にみて割増賃金が支給されていると解される場合でなければなら ない。(略)課長に就任したことによって原告が従業員の労務管理等について何らかの権限を与え られたとの主張立証はなく、(略)地位の昇進に伴う役職手当の増額は、通常は職責の増大による ものであって、昇進によって管理監督者に該当することになるような場合でない限り、時間外勤務 に対する割増賃金の趣旨を含むものではないというべきである。仮に、被告としては、右役職手当 に時間外勤務手当を含める趣旨であったとしても、そのうち時間外勤務手当相当部分または割増賃 金相当部分を区別する基準は何ら明らかにされておらず、そのような割増賃金の支給方法は、法所 定の額が支給されているか否かの判定を不能にするものであって許されるものではない。」 652 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) 4.機密の事務を取扱う者 機密の事務を取扱う者とは、必ずしも秘密書類を取扱う者を意味するわけでなく、「秘書その他 職務が経営者又は監督もしくは管理の地位にある者の活動と一体不可分な関係であって、厳格な労 働時間管理になじまない者」とされている(昭 22、9、13 発基 17 号)。 同じ秘書であっても、たとえば、秘書室長以下数名の秘書がいて主として事務所内で秘書室長 の指揮監督下において秘書の事務に従事する場合は、多少機密事項を取扱う場合があっても原則と して法 41 条 2 号の機密の事務を取扱う者に該当しない。この場合は秘書室長、係長、主任程度ま でがこれに該当するものと認められる(安西「労働時間」P764)。 また、機密の事務を取扱う者には、職務手当が支給されることが普通であるとされる(菅野「労 働法」P256) 。 ⇒ 第2号(機密の事務を取扱う者)が労働時間等の規制から適用除外される理由は、その職責上経営者等と 一体不可分な関係であって、厳格な労働時間管理になじまない立場にあり、かつ、一般労働者の場合に受ける 時間外・休日労働に対する割増賃金に相当するような職務手当が支給されることが普通であるから、保護に欠 けるものでないと解されるからである。 653 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) 5.監視又は断続的労働に従事する者 (1)概 要 労働時間、休憩及び休日の規定を適用除外する第三のグループとして、労基法 41 条 3 号は「監 視又は断続的労働に従事する者で、使用者が行政官庁の許可を受けたもの」と規定している。 このことからすると、「監視又は断続的労働に従事する者」とは本来の業務がこれに該当する者 が許可の対象であり、通常の労働者と比較して労働密度が疎であり、労働時間、休憩及び休日に関 する規定を適用しなくても必ずしも労働者保護に欠けるものでないため、様式 14 号の許可申請書 に基づき労基署長の許可を受けた場合に適用除外するものである(労規則 34 条)。 これとは別に、労規則 23 条は「使用者は、宿直又は日直の勤務で断続的な業務について、様式 第 10 号によって、所轄労働基準監督署長の許可を受けた場合は、これに従事する労働者を、法第 32 条の規定にかかわらず、使用することができる。」と規定している(この宿日直に関する規定は 法律の規定を超える違法な措置であるとする批判が古くからあるが、判例は適法と判断している。) 。 したがって、労基法 41 条 3 号の「監視又は断続的労働に従事する者」に該当する者は、①本来 の勤務が監視又は断続的労働に該当する者と、②宿日直者の勤務に就く者とがあり、いずれの場合 も労基署長の許可を要件として労働時間、休憩及び休日に関する規制から適用除外される。これら の業務は拘束時間のうち手待ち時間が長く実労働時間が短い等、通常の労働者と比べて労働密度が 疎で肉体的・精神的負担が少ないため厳格な労働時間規制をしなくても保護に欠けるところがない からと説明されている(東大「注釈労基法」下巻 P758)。 宿日直者の場合は、通常の勤務のほかに当該業務が付加されるものであり、業務全体の労働密度 が疎である「監視又は断続的労働に従事する者」の場合と事情が異なる。その許可にあたり「常態 としてほとんど労働する必要のない勤務のみ」を認めることとし(下記 1)の通達)、許可された 場合は通常勤務と分離して労働時間管理の規制からはずすことができる(同種の労働者に支払われ る賃金1日平均額の3分の 1 を下らない額の手当を支払うことが条件)。 第 2-3-7-2 図 監視又は断続的労働に従事する者 業務全体の労働密度が疎。 様式第 14 号により許可申請(則 34 条) 本来の業務が 監視又は断続的労働である者 監視又は断続的労働に従事する者 宿直又は日直の勤務で 断続的な業務 通常業務のほかに宿日直業務に従事。 様式 10 号により許可申請(則 23 条) 654 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) (2)本来の業務が監視又は断続的労働である者 監視労働と断続的労働とは概念上区別することは一応できるが、実際上は両者を含んだ労働も多 くみられ、必ずしも厳密に区別し得ないし区別する実益もないので、しばしば「監視・断続的労働」 と一括して扱われる。通達では、次のように区別している。 1)監視に従事する者 監視に従事する者は、原則として一定部署にあって監視するのを本来の業務とし、常態として身 体又は精神的緊張の少ないものについて許可される。したがって、次のようなものは許可されない (昭 22、9、13 発基 17 号、昭 63.3.14 基発 150 号)。 ① 交通関係の監視、車両誘導を行う駐車場等の監視等精神的緊張の高い業務 ② プラント等における計器類を常態として監視する業務 ③ 危険又は有害な場所における業務 2)断続的労働に従事する者 断続労働従事する者とは、休憩時間は少ないが手待ち時間が多い者の意であり、許可はおおむね 次の基準によって行うこととしている(上記1)と同じ通達)。 ① 修繕係等通常は業務閑散であるが、事故発生に備えて待機するもの ② 寄宿舎の賄い人等については、その者の勤務時間を基礎として作業時間と手待ち時間折半の 程度までの業務(ただし、実労働時間の合計が8時間を超えるようなものは許可しない。) ③ 鉄道踏切番等については1日交通量 10 往復程度までのもの なお、とくに危険な業務に従事する者については、上記1)と同様に許可しないこととしている。 また、小中学校教職員の修学旅行・遠足における引率・付添いの勤務は、断続的労働に当たらな いとする判例がある(注)。 注.「静岡市教職員事件」最高裁三小判決昭 47.12.26 「被上告人らの主張する第一審判決添付別紙明細表の各記載のごとき時刻がその行事の集合時 刻、乗車・出発時刻あるいは就寝時刻、起床時刻、さらには静岡駅着時刻、解散時刻等と定められ ていること、右旅行や遠足が計画どおり実施され、被上告人らがその主張のとおり各所属学校長の あらかじめした命令によつてこれに参加し、その主張の各時間外勤務をしたことが明確に証明でき ること、右修学旅行や遠足の引率・付添いの勤務は、児童生徒に対する教育的効果の達成や危険の 予防ないし発生した危険に対する善後措置の施行等極めて重大な責任を負担し、心身ともに不断の 緊張およびその結果としての疲労を伴うものであつて、その労働の密度において決して労働基準法 四一条三号にいわゆる監視または断続的労働に該当するような性質のものではないことが認めら れるとし、このような各学校長の命令によつて現実にした時間外勤務に対し、被上告人らは、給与 規則二七条二項によりその主張の各時間外勤務手当請求権を取得すると解すべきであるとしてい るのであつて、その認定判断は、挙示の証拠に照らし、すべて正当として首肯することができる。 また、教職員に対して支給される旅費に含まれる日当は実質的にも割増賃金と理解すべきものでは ないとする原審の判断も正当である。所論は、ひつきよう、右原審の認定に反する事実を前提とし あるいは独自の見解に立つて原判決を非難するか、原判決の結論に影響のない傍論部分を非難する にすぎないものであつて、採用することができない。」 655 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) (3)宿直又は日直の勤務で断続的な業務 前述「(2)本来の業務が監視又は断続的労働である者」の場合は、本来業務の労働密度が疎で あるものについて拘束時間が長い勤務であっても認めようという趣旨である。 宿日直勤務の場合は、本来業務を通常の労働者と同様にこなした上で宿日直勤務に従事するもの であるから、同じ断続的労働であっても本来の業務が監視又は断続的労働である者の場合と事情が 異なる。また、2)で後述するように、宿日直の勤務について法律の規定を超えるものであり憲法 違反ではないか、という批判もある。 そのような事情であるからかどうか分からないが、宿日直勤務の許可基準はかなり厳しく、許可 手続きにおいても厳格に行われるようである。 1)宿日直の許可要件 宿日直の許可は、労働者保護の観点から厳格な判断のもとに行われるべきものとし、その許可 基準はおおむね次のとおりである(昭 22、9、13 発基 17 号、昭 63.3.14 基発 150 号)。 イ 勤務の態様 ① 常態としてほとんど労働する必要のない勤務のみを認めるものであり、定期的巡視、緊 急の文書又は電話の収受、非常事態に備えての待機等を目的とするに限って許可する。 ② 原則として通常の労働の継続は許可されない。 ⇒ 許可を受けて宿日直の業務中である者が、緊急事態のため通常の勤務に就いた場合は時 間外労働として所定の割増賃金を支払わなければならないとする通達がある(電気事業に おいて不測の事故発生に備えて宿直勤務に関して昭 24、4、12 基收 1133 号。JR信号保 安関係の職員の宿直に関して昭 27、1、31 基收 380 号)。 ロ 宿日直手当 ① 宿直手当又は日直手当の額は、1回につき、宿直又は日直が予定されている同種の労働 者に支払われる賃金1日平均額の3分の 1 を下らないものとすること。この場合に同一企業 において複数の事業場があるときは、企業の全事業場において宿直又は日直に就くことが予 定されている同種の労働者の平均額により企業を単位とする統一的な額を定めることがで きる。 ② 宿直又は日直勤務の時間が通常の宿直又は日直と比べて著しく短い等の場合は、①の基 準によらずに許可することができる。 ③ 宿日直手当は時間外・休日労働の割増賃金に相当する性格をもつので労基法上の賃金で あり、労働保険の保険料算定基礎とされる賃金総額に算入される。しかし、税法上は実費 弁償とみて所得とされていない(厚労省「労基法コメ」上巻 P613)。 ⇒ 宿日直手当は労働法上の賃金であるが、税法上は実費弁償とみて所得とされていない。 上記①の「同種の労働者」についてはとくに見解が示されていないので、企業が職場慣習や人 事制度に基づいて独自に設定できるものと考える。 しかし、下記「医師・看護師等の許可基準」(658 ページ)を理由に、賃金額に著しい差がな い職種の場合は同種の労働者として取扱うべき、と指導している監督官もある。「医師・看護師 等の許可基準」の趣旨は、たとえば、医師、看護師のように賃金額に著しい差があり、当直業務 において医療法に基づいてそれぞれの責任度や職務内容に応じて軽度の又は短時間の専門業務 656 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) を行うものであるから、それぞれ分けて手当額を定めなければならない、とするものである。賃 金額に著しい差がない場合に、宿直又は日直に就く者の手当額を分けて設定してはならないとい う趣旨ではないと考えられるのでね監督官の指導に疑問を感じる。 ハ 宿日直の回数 宿直勤務は週1回、日直勤務は月1回が限度である。ただし、少人数の事業場でこの基準 によることができない場合は週1回を超える宿直、月1回を超える日直について許可するこ とができる。 ニ その他 宿直勤務については、相当の睡眠設備を備えていることを条件とすること。 ⇒ 第3号(監視・断続的労働)の場合は、拘束時間が長いが手待ち時間が多く、全体として 労働の密度が疎であるため、労働時間等の規制の対象から除外しても保護に欠けるところが ない、という趣旨である。 2)宿日直許可の法的根拠 労基法は「監視又は断続的労働に従事する者で、使用者が行政官庁の許可を受けたもの」につい ては、労働時間、休憩及び休日に関する規制の適用を除外している(労基法 41 条 3 号)。 したがって、本来業務として「監視又は断続的労働に従事する者」については一定の手続きを経 て適用除外されることは明らかであるが、通常の労働者と同じように勤務した上で宿日直の業務 (監視又は断続的労働)に従事する場合も含まれるのか否かについては法文上明確でない(ただし、 通達では、宿日直の許可の根拠は法 41 条 3 号に基づくものであるとしている。-昭 23.3.17 基発 464 号)。また、通常業務と監視・断続的労働とが混在・反覆する場合にはその勤務の全労働を一 体としてとらえ、常態として断続的労働に従事すると認められる場合に許可されるものであり、断 続的労働と通常労働とが1日の中において混在し又は日によって反覆するような場合は許可され ないものである(昭 63.3.14 基発 150 号)。 このような宿日直に対して労働時間、休憩及び休日に関する規制の適用を除外したのは、労働者 が輪番で夜間の宿直、休日の日直勤務に常時することが歴史的にみて広く行われてきたという現状 に配慮して設けられたのではないかと思う。 ■一般の業務の許可基準 【断続的な宿直又は日直勤務の許可基準】 規則第二十三条に基づく断続的な宿直又は日直勤務のもとに、労働基準法上の労働時間、休憩及び 休日に関する規定を適用しないこととしたものであるから、その許可は、労働者保護の観点から、厳 格な判断のもとに行われるべきものである。宿直又は日直の許可にあたっての基準は概ね次のとおり である。 一 勤務の態様 イ 常態として、ほとんど労働をする必要のない勤務のみを認めるものであり、定時的巡視、緊急 の文書又は電話の収受、非常事態に備えての待機等を目的とするものに限って許可するものであ ること。 657 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) ロ 原則として、通常の労働の継続は許可しないこと。したがって始業又は終業時刻に密着した時 間帯に、顧客からの電話の収受又は盗難・火災防止を行うものについては、許可しないものであ ること。 二 宿日直手当 宿直又は日直の勤務に対して相当の手当が支給されることを要し、具体的には、次の基準によるこ と。 イ 宿直勤務一回についての宿直手当(深夜割増賃金を含む。)又は日直勤務一回についての日直手 当の最低額は、当該事業場において宿直又は日直の勤務に就くことが予定されている同種の労働 者に対して支払われている賃金(法第三十七条の割増賃金の基礎となる賃金に限る。)の一人一日 平均額の三分の一を下らないものであること。ただし、同一企業に属する数個の事業場について、 一律の基準により宿直又は日直の手当額を定める必要がある場合には、当該事業場の属する企業 の全事業場において宿直又は日直の勤務に就くことの予定されている同種の労働者についての一 人一日平均額によることができるものであること。 ロ 宿直又は日直勤務の時間が通常の宿直又は日直の時間に比して著しく短いものその他所轄労働 基準監督署長が右イの基準によることが著しく困難又は不適当と認めたものについては、その基 準にかかわらず許可することができること。 三 宿日直の回数 許可の対象となる宿直又は日直の勤務回数ついては、宿直勤務については週一回、日直勤務につい ては月一回を限度とすること。ただし、当該事業場に勤務する十八歳以上の者で法律上宿直又は日直 を行いうるすべてのものに宿直又は日直をさせてもなお不足でありかつ勤務の労働密度が薄い場合に は、宿直又は日直業務の実態に応じて週一回を超える宿直、月一回を超える日直についても許可して 差し支えないこと。 四 その他 宿直勤務については、相当の睡眠設備の設置を条件とすること。 (昭 22.9.13 発基 17 号、昭 63.3.14 基発 150 号) ■医師・看護師等の許可基準 【医師、看護婦等の宿直】 医師、看護婦等の宿直勤務については、一般の宿直の場合と同様にそれが昼間の通常の労働の継続 延長である場合には宿直として許可すべき限りでないことは、昭和二十二年九月十三日附発基第十七 号通牒に示されている通りであるが、これらのものの宿直についてはその特性に鑑み、取扱いの細目 を次のように定めるから、これらによって取扱われたい。 なお、医療法第十六条には「医業を行う病院の管理者は、病院に医師を宿直させなければならぬ」 ことが規定されているが、その宿直中本通牒によってその勤務の実態が左記標準に該当すると認めら れるものについてのみ労働基準法施行規則第二十三条の許可を与えるようにされたい。 記 (一)医師、看護婦等の宿直勤務については、次に掲げる条件のすべてを充たす場合には、施行規則 第二十三条の許可を与えるよう取扱うこと。 (1) 通常の勤務時間の拘束から完全に解放された後のものであること。即ち通常の勤務時間終了後 658 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) もなお、通常の勤務態様が継続している間は、勤務から解放されたとはいえないから、その間は 時間外労働として取扱わなければならないこと。 (2) 夜間に従事する業務は、一般の宿直業務以外には、病室の定時巡回、異常患者の医師への報告 あるいは少数の要注意患者の定時検脈、検温等特殊の措置を必要としない軽度の、又は短時間の 業務に限ること。従って下記(二)に掲げるような昼間と同態様の業務は含まれないこと。 (3) 夜間に充分睡眠がとりうること。 (4) 右以外に一般の宿直の許可の際の条件を充たしていること。 (二)右によって宿直の許可が与えられた場合、宿直中に、突発的な事故による応急患者の診療又は 入院、患者の死亡、出産等があり、或は医師が看護婦等に予め命じた処置を行わしめる等昼間と同 態様の労働に従事することが稀にあつても、一般的にみて睡眠が充分にとりうるものである限り宿 直の許可を取消すことなく、その時間について法第三十三条又は第三十六条第一項による時間外労 働の手続をとらしめ、第三十七条の割増賃金を支払わしめる取扱いをすること。従って、宿直のた めに泊り込む医師、看護婦等の数を宿直の際に担当する患者数との関係あるいは当該病院等に夜間 来院する急病患者の発生率との関係等から見て、右の如き昼間と同態様の労働に従事することが常 態であるようなものについては、宿直の許可を与える限りでない。例えば大病院等において行われ ている二交替制、三交替制等による夜間勤務者の如きは少人数を以て右の業務のすべてを受け持つ ものであるから宿直の許可を与えることはできないものである。 (三)小規模の病院、診療所等においては、医師、看護婦等が、そこに住込んでいる場合があるが、 この場合にはこれを宿直として取扱う必要はないこと。但し、この場合であつても右出に掲げるよ うな業務に従事するときには、法第三十三条又は第三十六条第一項による時間外労働の手続が必要 であり、従って第三十七条の割増賃金を支払わなければならないことはいうまでもない。 (昭 24.3.22 基発 352 号、平 11.3.31 基発 168 号) ■社会福祉施設の許可の基準 【社会福祉施設における宿日直】 一 社会福祉施設における宿日直については、次に掲げる条件のすべてを満たす場合に、労働基準 法施行規則第 23 条による許可を与えるよう取扱うこと。 (1) 通常の勤務時間の拘束から完全に開放された後のものであること。 (2) 夜間に従事する業務は、一般の宿直業務のほかには、少数の入所児・者に対して行う夜尿起 こし、おむつ取替え、検温等の介助作業であって、軽度かつ短時間の作業に限ること。 (3) 夜間に十分睡眠をとることができること。 (4) 上記(1)~(3)以外に、一般の宿直許可の際の条件を満たしていること。 二 社会福祉施設に保母等が住込んでいる場合、単にこれをもって宿直として取扱う必要はない が、これらの者に一般の宿直業務及び上記一(2)の業務を命じる場合は、宿直勤務として取扱う ことを要するものであること。(昭 49.7.26 基発 378 号) 659 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) 6.ホワイトカラーエグゼンプション構想 まだ法律が制定されたわけでなく構想段階に過ぎないが、平成 18 年秋から 19 年年初にかけて新 聞紙上をにぎわせたホワイトカラーエグゼンプセンション制度も労働時間等の規制を適用除外す る制度である。以下、その概略を紹介する。 (1)制度の概要 厚生労働省の労働政策審議会労働条件分科会が平成 18 年 12 月 27 日にとりまとめた報告書案に よると、一定のホワイトカラー労働者について労働時間に関する一律的な規定の適用を除外する制 度を新たに設けることとしている。 ホワイトカラーエグゼンプション制度の概要(平成18年厚生労働省案) 1、対象労働者 対象労働者は管理監督者の一歩手前に位置する者が想定され、次のすべての要件を満たす者とする。 ① 労働時間では成果を適切に評価できない業務に従事する者であること ② 業務上の重要な権限及び責任を相当程度伴う地位にある者であること ③ 業務遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をしないこととする者である こと ④ 年収が相当程度高い者であること(900万円程度?) 2、実施の要件 ① 労使委会(注1)を設置し、週休2日相当以上の休日の確保、対象労働者の同意を得ることその他 の一定事項について決議しなければならない。 ② 「週当たり40時間を超える在社時間等がおおむね月80時間程度を超えた対象労働者から申出があ った場合には、医師による面接指導(注2)を行うこと」を必ず決議し、実施しなければならない。 ③ 4週4日以上かつ一年間を通じて週休2日分の日数(104日)以上の休日を確実に確保しなければな らない。 3、導入の効果 報告書案では明確に示されていないが、1月25日に労働政策審議会が厚生労働大臣へ提出した建議書 では労働時間、休憩及び休日に関する労基法の規制の適用から除外することとしている。 注 1、労使委員会=労使同数の委員で構成する労働時間等に関し調査審議し事業主に対し意見を述べることを目 的として設置される。労使委員会の決議は委員の 5 分の 4 以上の多数により議決しなければならない(労基法 38 条の 4) 。 注 2、 医師による面接指導=安衛法では、1 週間当たり 40 時間を超えて労働させた場合の時間が 1 か月当たり 100 時間を超え、疲労の蓄積が認められる場合に、医師による面接指導を受けさせなければならないこととし ている(安衛法 66 条の 8,安衛則 52 条の 2) 。 (2)管理監督者との違い このホワイトカラーエグゼンプションの適用を受ける労働者と現行の管理監督者はどちらも労 基法が定める労働時間、休憩及び休日に関する規定の適用を除外(エグゼンプション)することで あるが、その違いは、管理監督者の場合は客観的に「監督又は管理の地位にある者」は自動的に(手 続き不要で)除外されるのに対し、ホワイトカラーエグゼンプションの場合は、①労使委員会の決 660 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第7節 適用除外(管理監督者等) 議(労使同数の委員会において 5 分の 4 以上の多数で議決する必要がある)、②対象労働者の同意、 ③休日の確保等かなり厳格な担保措置が講じられていることである。 ※ このホワイトカラーチグゼンプション導入等を盛り込んだ労基法改正法案は平成 19 年 1 月 25 日から開会された第 166 回通常国会に提出される予定であったが、政治情勢等を考慮し見送られ た。 しかし、千差万別である労働の実態、とくに成果が必ずしも労働時間と比例しない職種が増加 していることを考えると、労働時間に比例して賃金の支払いを義務づける現行法制はいずれ修正 を加えるべき必要性を感じる。 661 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第8節 休 憩 第8節 休 憩 休憩は単なる“休息”ではなく、自由利用が保障されていなければならないが、まったくの自由と いうわけでなく使用者の施設管理権や職務規律に反しない範囲での自由利用である。 この節では、休憩の意義、一斉休憩の原則、自由利用の原則などについて述べる。 1.休憩時間 (1)休憩時間とは 休憩時間とは、単に作業に従事しないというだけでなく、労働者が権利として労働から離れるこ とを保障されている時間の意である(昭 22.9.13 発基 17 号)。すなわち、現実に作業はしていない が使用者からいつ就労の要求があるかも知れない状態で待機しているいわゆる「手待ち時間」は、 就労しないことが使用者から保障されていないため、休憩時間ではない。 国家公務員時代に連続4時間勤務ごとに与えられていた15分の「休息時間」は、一応勤務を要 しないものとされているものの所属長が必要と認めるときは勤務を命じることができることとな っており、就労しないことが保障されているわけでないため労基法でいう休憩時間ではない(「休 息時間」を定める人事院規則15-14第 8 条の規定は、 「公務の運営上の事情により特別の形態 によって勤務する必要のある職員」 (勤務時間法 7 条 1 項)を除いて平成 18 年 7 月 1 日より廃止さ れた。)。 (2)休憩の意義 1)疲労の回復 人間は、ある程度の時間作業を続けると疲労して能率が低下するが、途中で休憩をとると疲労が 回復し再び作業能率が向上する。また、休憩は作業能率だけでなく労働災害防止の観点からも重要 な意味を有するものである。そのため、労基法は、ある程度労働時間が継続した場合に、労働者の 心身の疲労を回復させるため労働時間の途中に休憩時間を与えるべきことを規定している(労基法 34 条 1 項)。 東大「労働時間」は疲労の回復、食事時間の確保といった観点から、休憩の趣旨について次のよ うに説明している。 「休憩時間の制度の趣旨は、第1次的には、労働による身体及び精神の疲労を回復させることにあ る。労働が一定時間継続すると必然的に心身の疲労が蓄積するが、それが人間の健康にとって好まし いものでないことは明らかであり、他方、だからといって労働時間をあまりに短いものにすることも 実際上不都合である。そこで、労働時間の途中に休憩時間を置くことによって、疲労の回復を実現し ようとしたのである。この疲労回復の効果に加え、休憩時間は、疲労に起因する災害防止と、疲労に より低下した作業能率の回復という効果をもたらすが、これらは、休憩時間の副次的効果として位置 づけることができよう。また、疲労の回復と関連することであるが、休憩時間の制度は、食事をとる 時間の保障という意味を併せもっていると思われる。食事は人間の生活の基礎をなす活動のひとつで あり、労働が一定時間継続する場合には、その途中に食事をとるための時間を設ける必要性が生ずる 662 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第8節 休 憩 からである(そのためには、1回に与えられる休憩時間の長さの最小単位とその位置について規制を 置くことが必要となるが、現行法がそうした必要に十分応えていないことは後述(→4)のとおりで ある) 。 」(東大「労働時間」P314) また、休憩時間を単に「静かに動かないで疲れをとる」だけの消極的な時間ととらえるのは誤り であるという主張も見受けられ(小西國友=渡辺章=中嶋士元也「労働関係法」第3版有斐閣刊 1999 年 P259~260-注 1)、労働者の生活にゆとりと潤いを与え、ひいては労働者の健康で文化的 な生活を実現させるためのより積極的な意義を有するものであるとする(筑波大「労働時間」P51 -注 2)。 注 1.手元にある小西國友=渡辺章=中嶋士元也「労働関係法」第2版有斐閣刊 1995 年 P263~264 では、休憩時間の趣旨について次のように記述している。 「休憩時間は、労働者が「静かに動かないで疲れをとる」だけの消極的な時間ではなく、食事を ある程度ゆっくりし、職場の違う同僚とも会ってまとまった話をし、単純な球技を即製のチームを 組んで楽しみ、労組の役員や世話役ならわざわざ終了後に集まらなくてもよい簡単な打合せや組合 員への働きかけくらいはすませることができるような時間である。 」 注 2.筑波大「労働時間」P51 では、次のように述べている。 「労基法 34 条は,使用者の労働者に対する休憩時間付与義務を定める。この規定は, 「労働時間 の中途に適当な休憩を入れることは,労働者の健康や疲労の緩和のために必要でもあり,また有益 である」 (有泉 274 頁)ことから設けられたものである。また,作業能率の向上という見地からは, 「適当な休憩は使用者にとっても有益である」(同)という側面もある。しかし,休憩時間を,単 に「静かに動かないで疲れをとる」だけの消極的な時間ととらえるのは誤りである(小西=渡辺= 中嶋 259~260 頁[渡辺]) 。労働者の生活にゆとりとうるおいを与え,ひいては労働者の「健康で 文化的な」 (憲法 25 条参照)生活を実現するための,より積極的な意義を有することを忘れてはな らない。行政解釈が,休憩時間は,「単に作業に従事しない手待時間を含まず労働者が権利として 労働から離れることを保障されている時間」であるとしている(昭和 22・9・13 発基 17 号)のも, この趣旨を含むものと解される。 」 なぜそのように考えるのか説明がないので分からないが、休憩にそのような効果があるとしても、 労基法が使用者に義務づけていることは生理的疲労回復・食事等の栄養補給のための時間と解する ことが自然であろう(私見)。 ⇒ 休憩時間の目的が労働者の生理的疲労回復・食事等の栄養補給のための時間と解されるから、飲食店など における長時間営業を必要とする経営上の要請から休憩時間を不必要に長く定めることには限界がある。 (下記(3)2) 666 ページ参照) 2)休憩時間と労働時間 通達は「休憩時間とは単に作業に従事しない手待時間を含まず労働者が権利として労働から離れ ることを保障されている意であって、その他の拘束時間は労働時間として取扱うこと。」としてい る(昭 22.9.13 発基 17 号)。 つまり、現在のわが国においては、就業時間(1日の労働開始から終了までの時間)のうち休憩 663 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第8節 休 憩 時間にあたらないものはすべて労働時間である、という命題がほぼ自明の理とされる。 そうすると、ある時間が休憩時間といえるかどうかを判断するためには ① その時間が就業時間の途中に置かれているかどうか ② その時間が労働時間にあたらないものかどうか を判断すれば足りることになり、権利として労働から離れること(自由利用)を保障されているか どうかを判断する必要はないことになる(東大「労働時間」P319)。 しかし、②の「労働時間にあたらない」ということは「使用者の指揮監督のもとにある」ことが 否定されるものであるから、結局のところ、「権利として労働から離れること(自由利用)を保障 されている」ことになるのではなかろうか(私見)。 ⇒ 所定労働時間のうち、休憩時間に当たらない時間は労働時間である。 3)休憩時間と仮眠時間 ビル・施設管理などのために夜間宿泊して途中仮眠して勤務する態様の業務などにおいて、仮眠 時間が休憩時間に該当するか否かが問題となることがある。最高裁は、「大星ビル管理事件」最高 裁一小判決平 14.2.28 において、これら仮眠時間について ① 不活動仮眠時間において、労働者が実作業に従事していないというだけでは、使用者の指揮 命令下から離脱しているということはできない。 ② 労働者が労働から離れることを保障されていて初めて、労働者が使用者の指揮命令下に置か れていないものと評価することができる。 ③ 本件仮眠時間中、仮眠室における待機と警報や電話等に対して直ちに相当の対応をすること を義務付けられているのであり、本件仮眠時間は全体として労働からの開放が保障されている とはいえず、労働契約上の役務の提供が義務付けられていると評価することができる。 ④ したがって、本件仮眠時間中は不活動仮眠時間も含めて被上告人の指揮命令下に置かれてい るものであり、本件仮眠時間は労基法上の労働時間に当たるというべきである。 と判示し、不活動仮眠時間であっても、仮眠室における待機と警報や電話等に対して直ちに相当の 対応をすることを義務付けられている場合には、労働契約上の役務の提供が義務付けられていると 評価することができ、仮眠時間は労基法上の労働時間に当たるとした。 「労基法 32 条の労働時間(以下「労基法上の労働時間」という。 )とは、労働者が使用者の指揮命 令下に置かれている時間をいい、実作業に従事していない仮眠時間(以下「不活動仮眠時間」とい う。)が労基法上の労働時間に該当するか否かは、労働者が不活動仮眠時間において使用者の指揮命 令下に置かれていたものと評価することができるか否かにより客観的に定まるものというべきであ る(最高裁平成 12 年 3 月 9 日第一小法廷判決参照) 。そして、不活動仮眠時間において、労働者が実 作業に従事していないというだけでは、使用者の指揮命令下から離脱しているということはできず、 当該時間に労働者が労働から離れることを保障されていて初めて、労働者が使用者の指揮命令下に置 かれていないものと評価することができる。したがって、不活動仮眠時間であっても労働からの開放 が保障されていない場合には労基法上の労働時間に当たるというべきである。そして、当該時間にお いて労働契約上の役務の提供が義務付けられていると評価される場合には、労働からの開放が保障さ 664 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第8節 休 憩 れているとはいえず、労働者は使用者の指揮命令下に置かれているというのが相当である。 そこで、本件仮眠時間についてみるに、前記事実関係によれば、上告人らは、本件仮眠時間中、労 働契約に基づく義務として、仮眠室における待機と警報や電話等に対して直ちに相当の対応をするこ とを義務付けられているのであり、実作業への従事がその必要が生じた場合に限られるとしても、そ の必要が生じることが皆無に等しいなど実質的に上記のような義務付けがされていないと認めるこ とができるような事情も存しないから、本件仮眠時間は全体として労働からの開放が保障されている とはいえず、労働契約上の役務の提供が義務付けられていると評価することができる。したがって、 上告人らは、本件仮眠時間中は不活動仮眠時間も含めて被上告人の指揮命令下に置かれているもので あり、本件仮眠時間は労基法上の労働時間に当たるというべきである。」(「大星ビル管理事件」最高 裁一小判決平 14.2.28) 665 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第8節 休 憩 (3)休憩時間の原則 1)休憩の付与 使用者は、労働時間の途中に少なくとも次の休憩時間を与えなければならない。 第 2-3-19 図 休憩時間 労働時間 休憩時間 6時間まで 与えなくてよい 6時間を超え8時間まで 45 分 8時間を超える 1時間 休憩は、始業後6時間を経過した際に少なくとも 45 分の休憩を与えなければならないという趣 旨ではなく、一勤務の実労働時間の合計が6時間を超え8時間までの場合は、その労働時間の途中 に 45 分の休憩を与えなければならないという意味である。労働時間の途中であれば、休憩時間が 置かれる位置は問わない。 労働時間が8時間を超える場合に、8時間を超える時間が何時間であっても1時間の休憩を与え れば違反とはならない。解釈例規では一昼夜交替制勤務の場合であっても休憩時間は1時間でよい としている(昭 23.5.10 基収 1582 号)。1か月単位の変形労働時間制により一勤務16時間として いる場合でも、休憩時間を1時間とすることも法律上は適法である。 2)休憩時間の長さ 上記1)のとおり、労基法 34 条は1日の労働時間が6時間を超える場合に休憩時間を少なくと も 45 分、8時間を超える場合に少なくとも1時間付与すべきことを定めているが、長さの上限に ついてはとくに制限を設けていない。また、労働時間と休憩時間とを合算した時間いわゆる「拘束 時間」について、労基法はとくに制限を設けていない。 そこで、飲食店などでは事業の事情に合わせて、1日8時間労働制としつつ休憩時間を必要以上 に長く設定することがある。たとえば、始業時刻 10:00、終業時刻 23:00、途中5時間の休憩(実 労働時間は8時間)というような勤務は適法であろうか? 休憩の目的(疲労の回復、食事時間の確保)からすれば5時間の休憩時間は目的に沿って設定さ れたのではなく飲食店事業の事業上の要請により設定されたと推測できるが、これを直ちに違法と する明文規定は存在せず、判断の難しいところであるが、実務においては、休憩時間の長さはせい ぜい2時間~2時間 30 分程度に止めるべきではなかろうか(私見)。 学説では、経営上の理由による不必要に長い休憩時間も必ずしも違法と解するものでなく、たと えば、菅野 和夫教授は次のように述べておられる。 「法が規制する休憩時間の長さは最少時間であって、最長時間は規制されていない。そこで、営業 時間が長く、1日の業務の繁閑が顕著なところでは、閑散時間帯に長い休憩時間が置かれうることに なる。 」(菅野「労働法」P254) ※動物の世話をする業務 生物の研究のため飼育魚へ餌をやる業務がある。労働時間は1日4時間程度であるがその時間帯が 6:00~8:00 及び 17:00~19:00 というような勤務の場合、中抜けの 8:00~17:00 の9時間は労基法の 666 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第8節 休 憩 休憩時間であるのだろうか?それとも朝と夕方の勤務は別個の勤務として取扱うべきものであろう か? 休憩時間は事業場の業務の都合によって長短を自由に決めてよいというものではなく、休憩の目的 (疲労の回復、食事時間の確保)に沿って決められるべきであるとすれば、2時間勤務した後に9時 間の休憩を与える必然性はない。したがって、法的には朝・夕の勤務は別個の勤務であると解すべき であろう。そうすると1日に2回往復する通勤が生じるが、2回分の通勤に要する費用を誰が負担す るかという問題は、休憩の問題とは別個に検討すべきである。 (通勤に要する費用は本来労働者が負担すべきもの(民法 485 条本文)であるが、勤務地の移転や転 勤により勤務地が変更された場合はその増加額分については使用者が負担すべきとされる(同条ただ し書) 。そのような事情から、日本の企業では通勤に要する費用は使用者が負担し「通勤手当」とし て支給することが一般化している。第2章第1節1. (4)3)P357 参照) (4)公務員の休憩時間 公務員の場合は、休憩時間の位置について「おおむね毎四時間の連続する正規の勤務時間の後に 置くこと」とされている。休憩時間の長さについては正規の勤務時間が8時間の場合にあっては1 時間(各省各庁の長が業務の運営並びに職員の健康及び福祉を考慮して必要があると認める場合は 45 分)、8時間未満の場合は 30 分以上とされている。(人事院規則 15-14 第 7 条 1 項)。 労基法の規定と異なる点は、①勤務時間が8時間の場合に、労基法では「少なくとも 45 分」で よいのに対し、人事院規則では原則1時間(業務運営上必要な場合であって職員の健康・福祉に問 題ない場合は 45 分)とされていること、②勤務時間が6時間を超え8時間未満の場合は、労基法 では8時間の場合と同様に「少なくとも 45 分」を与える必要があるが、人事院規則では 30 分でよ いこと、などである。 なお、人事院規則では、休憩に関し自由利用の原則を掲げているが(7 条 5 項)、一斉に与える ことまで規定していない(もっとも、労基法においても非現業の官公署の事業については一斉休憩 の原則を適用除外しているので、非現業公務員については労基法の規制と変わらない(労基法 40 条に基づく労規則 31 条))。 667 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第8節 休 憩 2.一斉休憩 (1)一斉休憩の原則 休憩は一斉に与えなければならない。その理由は休憩の効果をあげるためと説明されている(厚 労省「労基法コメ」上巻 P452)。 この場合の「一斉」は事業場を単位とするのか、それとも作業場単位でよいのか疑問が生じるが、 法文上とくにその範囲が定められていない以上、労基法の適用単位である事業場単位で一斉に休憩 を与える必要があると解される(昭 22.9.13 発基 17 号)。 派遣労働者については、派遣先が休憩を一斉に与える義務を負っており、自己の雇用する労働者 と派遣中の労働者を含めて休憩を一斉に与えなければならない(昭 61.6.6 基発 333 号)。 ⇒ 休憩は事業場単位で一斉に与えることが原則である。 (2)一斉休憩の適用除外 1)適用除外業種 次のいずれかに該当する事業では、休憩を一斉に与えなくてもよい。 運送業(労基法別表第一 4 号)、販売業(同 8 号)、金融保険業(同 9 号)、興行の事業(同 10 号)、郵便電信の事業(同 11 号)、保健衛生の事業(同 13 号)、旅館・飲食店等の事業(同 14 号)、非現業の官公署(労規則 31 条) 2)労使協定による一斉休憩の適用除外 上記1)に該当しない事業においては、労使協定を締結することによって一斉休憩の適用を除外 することができる(労基法 34 条 2 項)。 この労使協定には、①休憩を一斉に与えない労働者の範囲、②当該労働者に対する休憩の与え方、 を定めなければならない(労基則 15 条、平 11.1.29 基発 45 号)。 届出は不要である。 また、裁量労働制適用者の場合は一斉休憩を適用することが困難であるので、上記1)以外の 事業においては、2)の労使協定を締結すべきである。 ⇒ 国大・独法は、通常、「教育、研究又は調査の事業」(労基法別表 12 号の事業)に該当するから、一斉 休憩の原則が適用される。ただし、医学部附属病院など「病者又は虚弱者の治療、看護その他保健衛生の 事業」に該当する事業では労基法 40 条に基づく労基則 31 条により、一斉休憩の原則は適用されない。 668 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第8節 休 憩 3.自由利用 (1)自由利用の原則 休憩は自由に利用させなければならない。休憩時間は、労働者が権利として労働から離れること を保障されている時間の意であるからである。 休憩も手待ち時間(労働時間の一種)も外見上は“休息”しているように見えるが、手待ち時間 は自由に利用することができない点で休憩と異なる。 小学校教員の授業の合間のいわゆる休憩時間については、「授業の合間の休憩時間が自由に利用 することが出来る時間であれば、法第 34 条にいう休憩時間である。」 (昭 23.5.14 基発 769 号)。 事業場の規律保持上、必要な制限を加えることは、休憩の目的を損なわない限り差し支えない(昭 22.9.13 発基 17 号)。また、休憩時間中の外出について所属長の許可を受けさせることは、事業場 内において自由に休憩し得る場合には必ずしも違法にはならない(昭 23.10.30 基発 1575 号)。 1)休憩時間中の電話当番 休憩時間中に訪れる来客や電話応接のため、当番を決めて職場に居残りをすることがあるが、適 法であろうか? 休憩時間中にこのような当番業務に従事することは休憩時間を与えたことにならず、その業務に 従事している時間は労働時間となる。来客の応待や電話の応接などは通常の業務であって、その労 働のために当番として居残る義務を課し、待機しているのはいわゆる手待ち時間であって、使用者 の指揮命令下にいつでも労働しうるような状態で待機している時間であるから、権利として労働か ら離れることを保障された時間ではなく、休憩時間とはいえない。ただし、強制や義務を課せず、 従業員が顧客の来訪や電話に対応することがあった場合に、それだけで労働から解放されていなか ったということはできず、それが常時にわたるものでなければ、昼の休憩時間が与えられなかった というわけでない(「京都銀行事件」大阪高裁判決平 13.6.28)。 通常、常時来客に備えて待機していなければならない商店等のサービス業については、一斉休憩 の原則(労基法 34 条 2 項)の適用が除外されているので問題はないが、この原則が適用される工 業的業種の事業については、来客当番等で居残りさせ、他の時間に休憩を与える交替休憩制をとる ときには、労使協定でその旨定めなければならない。 なお、管理監督者については休憩時間の適用が除外されているので、これらの者が昼休み休憩等 の間の来客や応接にあたることは問題がなく、また、受付、守衛等は労基法 41 条 3 号により「監 視又は断続的労働に従事する者」として所轄労基署長の許可を受けた場合には、管理監督者の場合 と同様適用除外となるので、これらの者にその時間中の応接を委ねることもさしつかえない。その 場合に、労基署長への許可申請にあたっては、 「労働の態様」欄に昼休みの来客の応待や電話の応 接などを記載しておく必要がある。 669 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第8節 休 憩 2)休憩時間中のビラ貼りや政治活動 労基法 34 条 3 項は休憩時間の自由利用を定めているが、では、休憩時間中に組合のビラ貼りに ついて使用者の許可を得ることとするのは違法となるのであろうか? 裁判例は、使用者が「職場の秩序を維持し環境を整備するため、施設管理権及び人事権に基づい て、会社構内における従業員の行動に関し、必要限度の制限を行い得るのであり」、一定の手続、 内容を定めて休憩時間中の文書配布等の規制をすることは、休憩制度本来の目的を害するものでは ない、としている(「川崎重工業事件」神戸地裁判決昭 41.12.24、 「立川基地事件」東京高裁判決昭 40.4.27、 同上告事件最高裁判決昭 49.11.29 件) 。 そこで、休憩時間中のビラ配りも会社は規制できるが、わが国の労働組合は企業内労組が大部分 であり、したがって、企業内が組合活動の中心となるが、労働時間中は原則として組合活動が禁止 されているので、休憩時間や始業前、終業後の構内自由時間が組合活動の場となり、ビラ配布によ る教宣活動は組合の主要な活動の一つでもあるから休憩時間中の場合は、秩序を乱すおそれのない 特別の事情がある場合には許され、会社の管理権との調和を図り、支障のない範囲で一定の場所、 方法、態様の中であれば違反しないと考えられている(「明治乳業事件」最高裁三小判決昭 58.11.1 -注)。一方、会社側も業務上の必要があれば配布場所、方法等を規制できる(「ソニー厚木事件」 東京都労委命令昭 40.3.9 ほか)し、組合も「会社役員室、事務室、応接室など、特に会社の機密 を保持すべき場所あるいは特に美観を尊重すべき場所においてのビラなどの配布はこれを控える べく、また食堂など従業員並びに外来者が自由に出入のできる場所においても、その施設の目的を 考え、その目的を害わない方法でビラなどの配布行為を行うよう注意しなければならない。」(「東 洋工機製作所事件」名古屋地裁決定昭 42.4.21)。一方、政治活動については「もともと高度の社 内的利害の対立、イデオロギーの反目を内包する」ので「性質上従業員間に軋轢を生ぜしめ、職場 の規律を乱し、作業能率を低下させ、労務の提供に支障をきたす結果を招くおそれが多分にあるか ら」一切の活動を禁止してもよい(「横浜ゴム事件」東京高裁判決昭○8.9.27)。ただし、就業規則 は使用者をも拘束するから会社側が休憩時間中に従業員に向けての政治活動をしながら、従業員側 の政治活動のみを禁ずることは許されないと解されている(「三菱電機事件」静岡地裁判決昭 51.10.28)。 注.「明治乳業事件」最高裁三小判決昭 58.11.1 休憩時間中に会社食堂において、赤旗号外及び日本共産党参議院議員選挙法定ビラを無許可で配 布したことは、形式的にいえば前記就業規則一四条及び労働協約五七条に違反するものであるが、 食事中の従業員数人に一枚ずつ平穏に手渡し、他は食卓上に静かに置くという方法で行われたもの であって、従業員が本件ビラを受け取るかどうかは全く各人の自由に任され、それを閲読するかあ るいは廃棄するかもその自由に任されていた。また、右の配布に要した時間も数分間であった。 「本件ビラの配布は、工場内の秩序を乱すおそれのない特別の事情が認められる場合に当たり、右 各規定に違反するものではないと解するのが相当である。」 (2)自由利用の適用除外 次のいずれかに該当する場合は、当該業務の特殊性から自由に利用させなくてもよいとされる (労規則 33 条)。 例外:① ② 警察官、消防吏員等 児童養護施設、肢体不自由児施設等に勤務する職員で児童と起居をともにする者で、 670 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第8節 休 憩 労働基準監督署長の許可を受けたもの (3)自由利用の限界 休憩時間が就労する義務のない時間であっても、始業から終業までのいわゆる拘束時間中の時間 であり、使用者の一定の拘束を受けることはやむを得ないところであって、自由利用といえども一 定の拘束を受ける。行政解釈においても、「休憩時間中の利用について事業場の規律保持上必要な 制限を加えることは、休憩の目的を害さない限り差支えない。」としている(昭 22.9.13 発基 17 号)し、裁判例においても、上司の「ベトナム侵略反対」等のプレート取り外し命令に抗議し、そ の着用等違法な行為をあおり、そそのかすビラを休憩時間中に配布したことを理由として懲戒処分 の対象としても、労基法 34 条 3 項の休憩時間の自由利用に違反するものでないと判示している(注 1)。 注 1.「目黒電報電話局事件」最高裁三小判決昭 52.12.13 「休憩時間の自由利用といってもそれは時間を自由に利用することが認められたものにすぎず、その時間の 自由な利用が企業施設において行われる場合は、使用者の企業施設に対する管理権の合理的な行使として是認 される範囲内の適法な規制による制約を免れることはできない。また、従業員は労働契約上企業秩序を維持す るための規律に従うべき義務があり、休憩中は労務提供とそれに直接附随する職場規律に基づく制約は受けな いが、右以外の企業秩序維持の要請に基づく規律による制約は免れない。」と、休憩時間中の演説・ビラ配布 は使用者の許可が必要とされた。 ⇒ 休憩の自由利用の原則も、企業の施設管理権の制約を受ける。 ※休憩の特例 労基法の労働時間の原則は業種や業態を問わず原則としてすべての事業に適用されるが、事業の性 質や規模によっては公衆に不便をもたらす等の不都合が生じることがある。そのため、運送業・貨物 取扱業・その他サービス業等の事業で「公衆の不便を避けるため必要なものその他特殊の必要がある もの」については、その必要避けるべからざる限度で労働時間・休憩について厚生労働省令で別段の 定めをすることができる、とされている(労基法 40 条)。 具体的には、① 運送業における長距離列車の乗務員等に対し法定休憩を与えないことができる規 定(労規則 32 条 1 項) 、② 運送業・商業等における一斉休憩の適用除外規定(労規則 31 条) 、③ 警 察官・消防吏員に対する休憩自由利用の適用除外規定(労規則 33 条) 、などがある(第6節 637 ペー ジ以下参照) 。 (4)休憩時間中の注意義務 休憩時間中に労働者に課せられた注意義務を履行することが「労働」と評価される場合は、その 時間は休憩時間でなく労働時間であるから、自由利用の原則違反を問うまでもない(通常は「手待 ち時間」と評価されよう。)。このような例として、たとえば、職場の保安のため休憩時間中も職場 内に留まることを義務づける場合などである。 これに対し、労働者が注意義務を履行してもそれが「労働」と評価されない場合は、形式的には 休憩時間であるから自由利用の原則に反しないかが問題となることがある。たとえば、自動車運転 手に対して休憩時間中も鍵の保管を義務づけるような場合である。この場合は、鍵を保管すること のみをもってその時間を労働時間とすることは難しいであろう。 671 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第8節 休 憩 タクシー運転手など自動車運転者の場合は、休憩中といえども盗難防止のため車両の監視をしな ければならない義務もある。万一、保管管理を怠って車両を盗まれると、その泥棒が起こした事故 についても車の所有者である会社に損害賠償責任が生じることがあるからである。このような義務 があると、自由利用の原則に反し休憩時間と認められないことになるのだろうか? 休憩時間中に何らかの注意義務を負っているというだけでその時間を自由に利用できなくなる とは考えにくいから、この程度の注意義務を課すことは休憩時間自由利用の原則に違反するもので ないと思われる(東大「労働時間」P337)。 安西 愈弁護士も「その車両監視の方法について厳格な定めがあってそれを怠る場合には制裁等 の不利益処分の対象になっている場合には拘束力が強く、したがって労働時間性も強くなるが、そ れが単に訓示的なものであってなるべく監視してほしいという程度の労働者の裁量にまかされて いるものであれば、法的な拘束力は認められないので労働時間とは認められないことになる」と述 べておられる(安西「労働時間」P359)。厚労省の見解も「運転者は事業場外においては一般に車 両の保管責任をもつものであるが、とくに使用者から車両の損傷防止等につき車両から目をはなす ことが禁ぜられ、命ぜられていないかぎり、労働者自らの判断で安全か否かを判断するのが通常で あり、例えば、ゴルフ場などでの駐車時間については、車両から離れうる状態にあるとみるべきで あろう。」としている(旧労働省労基局編著「自動車運転者労務改善基準の解説」P43)。 672 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第9節 休 日 第9節 休 日 労基法は週休制を採用しているが、変形週休制も認めているほか休日の特定までを強制しておらず、 緩やかな週休制である。 この節では、休日の意義、週休制と変形週休制、休日の振替と代休、割増賃金に代わる代償休日付 与の問題などについて述べる。 1.休 日 (1)休日とは 1)休日の概念 労基法の休日とは、労働者が使用者の一切の拘束から解放される日を意味する。「使用者の指揮 命令から完全に離脱する日」、 「労働契約において労働義務がないとされている日」などとも表現さ れる。 また、休日に関する規定は事業又は事業所を単位として規制されるものであるから、休日におけ る労働時間からの開放は当該事業又は事業所との関係においてのみ実現されればよい。したがって、 ある日に使用者が労働者を労働から解放している限り、たとえその日に当該労働者が他の事業又は 事業所において労働に従事していても当該日は休日である。 労働時間に関しては事業場を異にする場合においても通算する(労基法 38 条 1 項)から、休日 付与に関しても週休制の適用について通算すべきだとする学説ももちろんある(注)が、労基法に は週の労働日数を通算して週休制を適用する規定がないから、罰則付強行規定の解釈としては労基 法 38 条 1 項を準用することは認められない(東大「労働時間」P357) 。 ※1日5時間だけ働くパートがいたとしよう。 A会社事業所で週4日勤務(月~木曜)しているところを、さらにB会社事業所において3日(金 ~日曜)就労させることは可能であろうか? 結 論 B会社事業所にとってみれば、月~木曜にB会社事業所の一切の拘束から解放しているか ら休日を4日付与していることになり、それ以外に休日付与義務を負わないから3日就労させること ができる。 注.下井隆史他「コンメンタール労基法」有斐閣刊昭和 54 年〔渡辺 章〕P167、中嶋士元也「パートタイマーの 労働時間・休憩・休日・年次有給休暇」季刊労働法 127 号 P23 では、労基法 38 条 1 項による週当たりの最長 労働時間の規制が及ぶ結果そうなるとし、大脇雅子「パートタイマーの法律問題」季刊労働法 76 号 P144 では、 同項を休日についても準用するとしているそうである(東大「労働時間」P357)。 しかし、前者は最長労働時間の規制(週 40 時間)についてはたしかにそのとおりであるが、それは休日の 規制ではなく労働時間規制というべきものであり、後者は法律の規定なく準用可能かどうかという点で、いず れも疑問である(私見)。 ⇒ 事業場を異にして就労する場合において、週休制は各事業場ごとに適用され、事業場を通算して適用する必 要はない。 673 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第9節 休 日 2)暦日単位の原則 労基法上の休日とは、労働契約において労働の義務がない日をいい、原則として暦日単位で与え る必要がある。「暦日」ということは、所定勤務時間が 8:00~17:00 の事業所では継続39時間の 休息が確保でき、継続24時間の場合と大きな差がある。 しかし、3直交代制勤務などの場合は、一定の要件を満たせば継続した 24 時間でよいとされる。 また、旅館業務と自動車運転の業務に関しては特別の取扱い基準が示されている(昭 57.6.30 基発 446 号)。 労基法の休日は次項で述べるとおり週1回の休日であるが、週休2日制の普及等により労働契約 上の休日の方が多いことが普通である。そのため、労基法上の休日(週1回の休日)を「法定休日」 と呼んで労働契約上の休日と区別することがある。 休日前夜の深夜残業 ある日が労基法上の休日であるといえるためには、暦日 24 時間の間、労働時間性を帯びる活動から 開放されなければならない。したがって、休日前夜に残業をして終業時刻が午前零時を過ぎた場合は、 当該午前零時を過ぎた日の所定勤務時間帯に就業しなくても労基法上の休日を与えたことにならな い。 現在では法定休日を大幅に上回る就業規則上の所定休日を設定している企業が大部分であるから、 実務上問題となることはまずないと思われるが、一応留めおきたい。 3)休日の特定の要否 1か月単位の変形労働時間制の場合(注)と違って、休日は就業規則等において特定することが 望ましいが、特定しなくても違反とされない。したがって、その都度休日を指定するという方法で も適法であり、また、(2)2)で述べる変形週休制のもとにその都度休日を指定するということ でもかまわない。ただし、通達では「法第 35 条は必ずしも休日を特定すべきことを要求していな いが、特定することがまた法の趣旨に沿うものであるから就業規則の中で単に1週間につき1日と いっただけでなく具体的に一定の日を休日と定める方法を規定するよう指導されたい。」としてい る(昭 23.5.5 基発 682 号)。 注.1か月単位の変形労働時間制の場合は各日の労働時間があらかじめ定められていなければならないから、そ の結果、休日が当然に特定されることになる。 なお、改正労基法(平成 20 年改正。22 年 4 月施行)では、月 60 時間を超える時間外労働につ いて割増賃金の割増率を 150/100 とすることとなったため、時間外労働と法定休日労働とを峻別す る必要が生じてきた。 今までは、就業規則上の所定休日(たとえば土曜日)に勤務すると自動的に 135/100 の休日給が 支払われるため、当該所定休日が週 40 時間を超える法定時間外労働であるのか単なる所定休日労 働であるのかを意識する必要がなかった。しかし、改正後は週 40 時間を超える法定時間外労働で あるならば割増率を 150/100 とする60時間カウントに算入しければならなくなった。 674 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第9節 休 日 ※法外休日と時間外労働60時間カウント 週休2日制が普及した今日では、就業規則上の所定休日数が法定休日数を大幅に上回るが、どれが 法定休日であるか特定することは難しい。しかし、実務上は所定休日のすべてを法定休日並みの割増 賃金(3割5分増以上)とすれば、法定休日と法外休日とを区別する必要がなかった。 しかし、改正労基法(平成 22 年 4 月 1 日施行)では、月60時間を超える時間外労働について割 増賃金率を5割増以上とすることになったため、法外休日であっても時間外労働に相当する場合(週 40 時間を超える労働等)には、60時間カウントに算入しなければならない。そのため、厚労省は、 ①労働条件を明示する観点、②割増賃金の計算を簡便にする観点、から事業場の休日について法定休 日と所定休日の別を明確にしておくことが望ましい、としている(平 21.5.29 基発 0529001 号)。 ⇒ 休日は特定することが望ましいが、特定しなくても違反とされない。 ⇒ 平成 22 年 4 月施行の改正労基法では月60時間を超える時間外労働を把握する必要が生じるため、改正法 が施行される平成 22 年 4 月以降は実務上特定せざるを得なくなるのではないか。 4)公務員の場合の「週休日」及び「休日」 公務員の場合における「週休日」は、勤務時間の割振りにおいて勤務を要しない日とされ、民間の休 日に相当する。勤務時間法は「日曜日及び土曜日」を週休日と定めている(勤務時間法 6 条 1 項)。 一方、公務員の場合の「休日」は、民間の休日の概念とは異なり、本来正規の勤務時間が割振られて いる勤務日であるが、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために祝い、感謝し、記念する日と して、あるいは社会の慣行に合わせて勤務が免除される日のことをいう( 「公務員勤務時間」P247)。し たがって、民間の感覚でいえば、 「特別休暇」に近い。具体的には国民の祝日と年末年始の期間を指す。 (2)週休制の原則と変形週休制 1)週休制の原則 毎週少なくとも1回の休日を与えなければならない(労基法 35 条 1 項)。 この場合の1週間は、何も定めがなければ日曜日から土曜日までの7日間とされ、就業規則等に 定めがあればそれに従う。 「毎週少なくとも1回の休日」とは、7日ごとに休日を与えるということではなく、たとえば、 次のような与え方の場合は連続 12 日間就労させることになるが、週1回の休日が確保されている ので週休制の原則に反しない。 第 2-3-9-1 図 週休制の例 日 月 火 水 木 金 土 第1週 休み 出勤 出勤 出勤 出勤 出勤 出勤 第2週 出勤 出勤 出勤 出勤 出勤 休み 出勤 2)変形週休制 休日は上記1)のとおり「毎週少なくとも1回」与えなければならないが、4週間を通じ4日以 上の休日を与えることとしても適法である(変形週休制) (労基法 35 条 2 項)。ただし、通達は「第 1項が原則であり第2項は例外であることを強調し徹底させること。 」(昭 22.9.13 発基 17 号)と 675 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第9節 休 日 しており、あくまでも週1回の休日を与えることが原則である。 変形週休制を採用する場合、4日以上の休日を与えることとする4週間の起算日を就業規則等に おいて明らかにするものとする(則 12 条の 2 第 2 項)。就業規則等において起算日を明らかにして いないときは、変形週休制を利用することはできないと解すべきである(東大「労働時間」P376)。 起算日の定め方によっては、ある4週間と次の4週間との間に間隔が空く場合がある。たとえば、 4週間の起算日を毎月1日とする場合に月末の 29 日、30 日及び月によっては 31 日が変形週休制 の単位期間に含まれない。この単位期間に含まれない期間については原則とおり週休制が適用され るから、「29 日、30 日及び月によっては 31 日」の属する週について1日の休日が与えられなけれ ばならない(次図第 2-3-9-2 図参照) 。 このような休日付与は、1か月単位の変形労働時間制を採用する場合などに都合がよいであろう。 第 2-3-9-2 図 1か月を単位期間とする変形休日制 日 月 火 水 木 金 土 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 29・30 日が属 22 23 24 25 26 27 28 する週に1日 29 30 4週間に4日の 休日 の休日 なお、4週間4日の変形週休制を採ると、連続して労働させることができる日数の最長は48日 となる。 (3)休日・休暇・休職の法的性質 休日は(1)で説明したとおり労働契約上の労働義務がない日をいうから、年次有給休暇の付与 要件である出勤率の算定においては、休日は「全労働日」に含まれない。 休暇は、本来であれば労働義務がある日であるが何らかの事情により労働義務が免除された日を いい、有給であるか無給であるかは問わない。なお、育児介護休業法による育児休業は「休業」と いう呼び方をするが、法的性質としては「休暇」と同様であり「労働義務が免除された日」である (平 3.12.20 基発 168 号) (介護休業についても同様と解される。) 。 「育児休暇」といわず「育児休 業」としたのは、年次有給休暇や慶弔休暇は比較的短期の不就労をイメージするのに対し、育児休 業の場合は比較的長期間の不就業をイメージするため、「休暇」と区別した呼称にしたのではない だろうか(私見)。 なお、 「休暇」は就業規則の絶対必要記載事項である(労基法 89 条 1 号)が、育児休業法による 育児休業も「休暇」に含まれるものであり、育児休業の対象となる労働者の範囲等の付与要件、育 児休業取得に必要な手続き、休業期間については就業規則に記載する必要があるとされる(平 3.12.20 基発 712 号)。 休暇の種類としては、①年次有給休暇、②慶弔・自己研修などの特別休暇、③育児休業・介護休 業などの社会的要請により付与された休暇などがある。 「休職」ということばは、「労働義務が免除された日」である点では「休暇」と変わらない。た 676 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第9節 休 日 だし、 「休暇」の場合は労働者の権利として捉えられるが、 「休職」の場合は使用者の権限(病気休 職など)ないし実務上の取扱い(組合専従期間・出向期間など)と解される。 ※上記「②慶弔・自己研修などの特別休暇」について 特別休暇は法律に基づく休暇ではなく、各企業が独自の制度として設けたものである。したがって、 法令上の制約がないため自由な制度設計が可能である。 677 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第9節 休 日 2.休日の振替と代休 (1)休日の振替 1)概 要 休日の振替は、本来休日であった日と他の労働日とを入れ替えることをいう。振替を行うと休 日であった日は労働日となるので、休日労働には当たらない。ただし、当該週の労働時間が 40 時間を超えて時間外労働が生じる可能性がある点に注意しなければならない。 休日の振替を行う場合は、できる限り就業規則等において振替を行うことができる具体的事由と 振替えるべき日を規定することが望ましく、振替えるべき日は振り返られた日以降できる限り近接 している日が望ましい(※)、とされている(昭 23.7.5 基発 968 号、昭 63.3.14 基発 150 号)。 ※例:休日である土曜日と就労日である水曜日とを入れ替える休日の振替の場合、本書では前述基発 150 号と同様に 振替えるべき日=水曜日 振替えられる日=土曜日 と表現している。 2)具体的事例 週休2日制(土曜・日曜が就業規則上の休日)を実施し、1週間の起算日を日曜とし、日曜を「法 定休日」と定めている場合の具体的事例を掲げる。 イ 休日の振替1 休日の振替1は、法定休日である日曜を労働日とし当該週の木曜日を振替休日とした例である。 当該週内の振替であるから、当然ながら週 40 時間内に収まることになり、割増賃金の問題は生じ ない。 第 2-3-9-3 図 休日の振替1 日曜日を労働日とし、当該週の木曜日を振替休日とした場合(週 40 時間以内) 8 時間 8時間 8時間 8時間 振替休 8時間 休日 日 日 月 火 水 木 金 土 (法定休日→労働日) ■週 40 時間以内に収まるから割増賃金の問題は生じない。 ロ 休日の振替2 678 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第9節 休 日 予定通り振替を行うことができず、さらに振替を行って翌週の月曜日に振替休日を与えた例であ る。この場合の木曜日は最初の振替により休日となったがさらに休日の振替が行われたため労働日 となった(もどった)ものである。ただし、当該週の労働時間が 40 時間を超えることになるから 時間外労働としての割増賃金(125/100)の支払いが必要となる。 第 2-3-9-4 図 休日の振替 2 日曜日を労働日、木曜日を振替休日としたが、予定通り振替ができず、翌週の 月曜日に振替休日を与えた場合 8 時 振替 間 8 時 8 時 8 時 8 時 (25% 8 時 間 間 間 増) 間 火 水 木 金 間 日 月 (法定休日→労働日) 休日 休日 休日 8 時 間 土 日 (労働日→振替休日→労働日) 月 火 (労働日→振替休日) ■当初休日の日曜日は労働日になったので休日労働とはならない。 ■木曜日の振替休日に労働させたので、当該週は 40 時間を超えることになり超えた分について 125/100 以上の割増賃金が必要である。 ハ 休日の振替3 第 2-3-9-5 図 休日の振替 3 日曜日を労働日、翌週の火曜日と振替えた場合 8 時間 25 % 増 日 8 時 8 時 8 時 8 時 8 時 間 間 間 間 間 月 火 水 木 金 休日 土 休日 日 (法定休日→労働日) 8 時 振替 間 休日 月 火 (労働日→振替休日) ■当初休日の日曜日は労働日となったので休日労働とはならないが、当該週は 40 時間を超えるこ とになり超えた分について 125/100 以上の割増賃金が必要である。 ■法定休日を日曜と定めた場合に、当該日曜と他の週日との休日振替を行うと、法定休日は他の 週日へ移動するのではなく、当該週については法定休日の定めが解消されたと考えられる(東京 都産業労働局「ポケット労働法 2009」P48)。 ⇒ 法定休日を日曜と定めた場合に当該日曜と他の週日との休日振替を行うと、当該週については法定休日の 定めが解消されたと考えられる。したがって、当該週の法定休日は日曜日ではなく7日目の土曜日である。 679 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第9節 休 日 3)公務員の場合の週休日の振替 公務員の場合の週休日の振替の場合は、勤務を命じる必要がある日を起算日として4週間前の日 から8週間後の日までの間の日と振替えることが可能であるが、このような振替ができるのは労基 法の適用を受けないからである(勤務時間法 8 条、人事院規則 15-14 第 6 条 1 項) 。 労基法適用下でこのような振替を行うと、勤務を命じた週の労働日が6日となって 40 時間を超 えてしまい、三六協定及び時間外労働に対する割増賃金の支払いが必要となる。これを防ぐために は変形労働時間制を採るほかないが、1か月単位の変形労働時間制の場合にはあらかじめ各日・各 週の所定労働時間が特定されていなければならず、業務繁忙等による臨時の必要に対応し切れない。 なお、公務員の場合の振替は「週休日」 (土曜日・日曜日)についてのみ認められ、超過勤務手当 は支給されない。 「休日」 (国民の祝日・年末年始期間)勤務の場合は休日給が支給されるが、各省 庁の長は代休を取得させることもでき、その場合は休日給は支給されない(勤務時間法 15 条 1 項)。 4)同一月内の振替による割増賃金 25/100 の支払い 上記1)で述べたとおり、休日の振替を行うと当該週内において振り替えない限り1週間の労働 時間が 40 時間を超えてしまい割増賃金(125/100)を支払わなければならないことが起こり得る。 しかし、振替えられて休日が増加した週の労働時間は1日分減少し、総労働時間に変化がないにも かかわらず 125/100 の割増賃金を支払うことに抵抗を感じるし、財政的にも容易でない。そこで、 休日の振替を行った結果1週間の労働時間が 40 時間を超える日については 125/100 の割増賃金を 支払い、振替によって不就労となつた週日についてはノーワーク・ノーペイの原則に従い 100 分の 100 を減額することを検討してみてはどうか。 たとえば、ある月の土曜日に出勤する必要があり、当該週内の勤務日と振替えることは困難であ るけれど2週間後の水曜日とならば振替えることができるというような場合を考えてみる。 「ある月の土曜日」と「2週間後の水曜日」とが同一月(同一賃金計算期間)であれば、「ある 月の土曜日」の出勤に対し 125/100 の割増賃金を支払い、「2週間後の水曜日」の不就業に対して 100/100 の控除をすると、結果的に 25/100 を支払ったことになる。注意すべきことは、振替を同 一月(同一賃金計算期間)内に行わないと賃金の全額払いの原則に反することになる点である。 これを就業規則に規定する場合のモデルを示すと、次のようなものである。 休日振替による割増賃金 25/100 の支払い 勤務時間等規程 (休日及び休日の振替) 第○条 職員の休日は、次のとおりとする。 (1) 土曜日及び日曜日 (2) 国民の祝日に関する法律(昭和 23 年法律第 178 号)に定める休日 (3) 12月29日から1月3日までの日(前号に定める休日を除く。) (4) その他学長が指定した日 2 学長は、前項に規定する休日について、業務上必要があると認める場合は、他の勤務日と振り替 えることができる。 3 学長は、第1項の規定により休日の振替を行う場合には、当該休日振替によって、原則として、 1週間当たりの勤務時間が40時間を超えることのないようにするものとする。 680 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第9節 休 日 4 前項の規定による休日の振替ができないときは、月の初日を起算日とした1か月までの期間にあ る勤務日を休日に変更し、その勤務することを命じた日に振り替えることとする。 給与規程 第△条 職員勤務時間等規程第○条第4項の規定により休日の振替を行ったときは、当該勤務をした 全時間に対して、勤務 1 時間につき、第□条に規定する勤務 1 時間当たりの給与額に 100 分の 25(当 該勤務が深夜に行われた場合は 100 分の 50)を加算した額を支給する。 (2)変形労働時間制と休日の振替 変形労働時間制においても休日を振り替えることは可能である。ただし、1日8時間又は1週 40 時間を超える所定労働時間が設定されていない日又は週に、振り替えることによって1日8時 間又は1週 40 時間を超えて労働させることになる場合は、その超える時間は時間外労働となる(昭 63.3.14 基発 150 号)。 第 2-3-9-6 図 変形労働時間制における休日振替の例 日 月 火 水 木 金 土 振替前 休み 10 6 6 6 6 6 振替後 10 休み 6 6 6 6 6 1日8時間を超える所定労働時間が設定されていない日(日曜日)に8時間を超えて労働 させることになるので、8時間を超える時間(2時間)が時間外労働となる。 (3)代 休 代休は、休日に労働させた代わりに他の労働日に休ませることである。労基法は休日労働に対し 代休を与えるべきことを定めているわけでないし、第一、代休を与えたからといって休日労働が帳 消しになるわけでなく、休日労働に対する 135/100 の割増賃金を支払わなければならない。この場 合に、代休を与えた不就労日の賃金を減額すると 100/100 の部分が帳消しとなり、休日労働に対す る割増賃金は 135/100 でなく 35/100 とすることができるが、後述する労基法 37 条の割増賃金支払 い規定の強行性との関係が問題となる。ただし、このような帳消しが可能とされる場合であっても、 賃金の全額払いの原則上、休日出勤日と代休取得日とが同一の賃金計算期間内にあることが条件で ある(代休取得日が翌賃金計算期にずれ込む場合は、当月分給与では一旦 135/100 で計算した額を 支払わなければならないと解される。)。 681 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第9節 休 日 第 2-3-9-7 図 「休日の振替」 と 「代 休」 休日の振替 代 あらかじめ休日と定められた日を労働日と し、その代わり他の日を休日とすること 定 出勤 日 休日労働が行われた場合に、その代償として後日労 働義務を免除する日を設けること 休日が移動する 休日 月 水 火 休 休日は固定である 出勤 木 代休 日 月 火 水 木 義 休日労働 営業日とな 休日となる 法 もとの休日(たとえば日曜日)は労働日とな 的 り、振替えた日(たとえば当該週の水曜日)が 意 休日となる 勤務免除 休日の変動はな 労働日であるが勤務が免 い 除される 後日労働義務を免除する日(代休)を与えたとして も、休日労働が行われたことに変わりがない 義 ① 休日の振替を必要とする場合及び休日を振 実 替えることができる旨の規定を就業規則に設 施 ける ① 休日労働に関し三六協定を締結する ② 休日労働を命じることができる規定を就業規則に の ② 休日を振替える場合にあらかじめ振替える 要 日を特定して振替える(たとえば今週の日曜 件 日を労働日とし、当該週の水曜日を振替える ③ 後日、一定の範囲内の時期(たとえば1か月以内) 日として休日とする) に代休を与える 同 意 就業規則に休日の振替に関する規定があれ ば、労働者の個別同意は不要 割 休日労働ではないから、休日割増賃金は不 増 要。ただし、休日を振替えた結果週40時間を 賃 こえて労働させると時間外割増賃金の支払い 金 が必要 留 意 点 設ける 就業規則に休日労働を命じることができる規定があれ ば、労働者の個別同意は不要 休日労働が行われることが前提であるから、休日割増 賃金の支払いが必要 ① 振替える日を当該週内の日としなければ、 ① 休日労働(法定休日)に対し休日割増賃金を支払わ 週40時間を超える時間外労働が生じる場合 なければならず、後日代休を与えてもそのことに変わ がある りがない。 ② 週休制も同時に適用される(1週間に1回 の休日が確保されていなければならない) ② 休日を与えた上で勤務を命じることになるから、週 休制に反しない ③ 振替えるべき日は振り返られた日(たとえ ③ 休日労働に対し代休を与えることは労基法の強制 ば日曜日)以降できる限り近接している日が望 ではなく、任意の制度である(休出後8週間以内とす ましい(昭 23.7.5 基発 968 号) ることも可) 682 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第9節 休 日 3.割増賃金に代わる代償休日付与の問題 日々の時間外労働時間を積み上げて、その合計が1日の所定労働時間(8時間)となった場合に 1日の代償休日を与えて、割増賃金を支払わないことができるだろうか。前述2.の代休付与の考 えを時間外労働に応用した考え方であり、結論は、直ちに違法とまではいえないが実務面では自粛 した方がよいと思われる。 (1)労基法 37 条の割増賃金の意義 上記代償休日付与の問題は、すでに発生した時間外労働に対して 125/100 の割増賃金が確定して いるため、後に代償休日を与えた場合に、代償休日の不就業部分を給与無給とすることが適法かど うかという問題に等しい。もし、無給にできれば 100/100 の部分について時間外労働と帳消しにす ることが可能となり、結果として 25/100 の支払いで済むことになるからである(時間外労働時間 の 1.25 倍分の代償休日を与えて割増そのものをゼロにすることは論外とする。) 。 代休付与によって割増賃金の 100/100 の部分を帳消しにできるかというこの問題は、法 37 条の 「通常の労働時間又は労働日の賃金の計算額の2割5分以上の率で計算した割増賃金を支払わな ければならない」とする強行規定をどう考えるかということに帰する。すなわち、25/100 部分の みが強行規定であり、100/100 の部分は就業規則による特約に基づく支払義務であるとするならば、 代休不就業部分の賃金をゼロとする就業規則の規定も特約であり有効と解されなければならない し、125/100 が強行規定であるならば、結果として 25/100 でよいことになる就業規則の規定(代 休部分を無給とする特約)は法 37 条の強行規定に反し無効となると考えられるわけである。 (2)行政解釈 初期の頃の行政解釈は「法 37 条が割増賃金の支払を定めているのは当然に通常の労働時間に対 する賃金を支払うべきことを前提とするものであるから、月給又は日給の場合であっても、時間外 労働についてその労働時間に対する通常の賃金を支払わなければならないことはいうまでもない。」 と、125/100 であるべきとしている(昭 23.3.17 基発 461 号)。また、労基法制定に携わった寺本 廣作氏の主張では「割増賃金といふ文字は 10 割の賃金支払ひを含むものである。単に2割5分を 支払ふのみであれば、それは通常の賃金の7割5分の割引賃金にほかならない」 (「改正労働基準法 の解説」時事通信社刊 昭和 27 年)としているとのことである(東大「労働時間」P490)。 したがって、労基法 37 条の割増賃金は通常の賃金を含んだ 125/100 の支払いを強行規定によっ て義務づけていると一般的に解されている(「125%説」ということにする。)。 (3)通常の基本賃金がすでに支払われている場合 ただし、100/100 の部分が支払われていることが明確になっていれば、25/100 の支払いでよいと する次の例がある。 ① 出来高払制その他請負制による賃金の場合 タクシーの運転手について、1か月の総水揚げ高の2割相当額が歩合給とされる場合の時間外 労働については、通常賃金の2割5分の割増賃金を支給すればよい(「合同タクシー事件」福岡 地裁小倉支部判決昭 42.3.24)。 ② 裁量労働における深夜割増賃金の場合 「みなし」が適用される場合は 100/100 の部分はすでに基本賃金として支払済みであるから、 25/100 の部分が深夜割増賃金として支払えばよい(東大「労働時間」P491)。 ③ 法 41 条 2 号の管理監督者の場合 683 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第9節 休 日 管理監督者の場合は時間外・休日労働という概念がないから時間外・休日に関して割増賃金の 問題は生じないが、深夜については割増賃金を支払わなければならない(昭 63.3.14 基発 168 号)。その深夜割増はいかほどかという疑問に対し、厚生労働省労働基準局賃金時間課は次によ うに答えている。 「割増部分の 25%相当分の支払いのみで労基法上は足ります。なぜなら、午後 10 時以降の労 働に対する通常の賃金は、時間外労働に対する通常の賃金と同様に、すでに所定賃金に含まれて いるから 125%までの支払い義務は生じません。 」(2004.8.27「労政時報」労務行政刊 P150)。 この(3)①~③の事例を発展させて、次の(4)ような考え方も成り立ち得る。 (4)代休付与による帳消し 法 37 条は 25/100 についてのみ強行性がありに、100/100 の部分は就業規則による特約があるか ら支払義務が発生するという考えも成り立ち得る。その証左として法 114 条の付加金の支払いでは、 割増賃金を支払わなかった使用者に対する付加金の支払命令は 25/100 として取り扱われてきた経 緯があり、法 37 条で強制し得るのは 25/100 のみであり 100/100 の部分は同条に根拠を求めること はできないと考えることもできるからである(100/100 の部分は就業規則その他の特約に根拠を求 める。)( 「25%説」ということにする。)。 弁護士の安西愈氏は、「時間外労働の代償としての代休日が付与された場合には、付与要件とし て時間外労働時間の2割5分増で換算し6時間以上の残業に対して1日付与することとし、代休日 が付与されたときは時間外割増労働相当分の時間が休日として付与されたので割増賃金は支給し ない。」とすることはできないが、100/100 の部分はノーワーク・ノーペイの原則によりプラス・ マイナス・ゼロとなるので 25/100 の部分を加算すればよいとしている(安西「労働時間」P396)。 しかし、この考え方は、法 37 条の 125/100 の強行規定を代休付与によって修正できることになる から、批判も少なくない。 ※割増賃金における代替休暇(本テキスト第2章第2節6.P423 以下) 労使協定により月 60 時間を超える時間外労働に対して有給の休暇(代替休暇)を与えることを定 めた場合は、125/100 を超える部分の割増賃金を支払うことを要しない(改正労基法 37 条 3 項)。 代替休暇の与え方については、支払うことを要しない割増賃金が1時間当たりの賃金の 25 パーセン ト相当額であるところから、時間外労働1時間につき 0.25 時間の休暇とされ、休暇の取得単位は1 日又は半日とされる。 (5)25%説への批判 25%説は、8時間を超える労働に対して就業規則上通常の賃金を支払う義務があるから、法 37 条は 25/100 の部分の支払いを強制し、使用者は都合 125/100 の支払義務を負うとするものである。 仮に、100/100 の部分が就業規則上の特約であるとすると、8時間を超える労働の割増を除く部分 は 80/100 でも 50/100 でもよいのではないかという疑問が生じる。 そこで、法 37 条の解釈として、明示的に規定しているのは 25/100 の割増賃金であり、100/100 の部分を減額する労働契約は 37 条の趣旨に反し無効と解すべきであるという考え方が生まれ、現 在のところ 25%説では、8時間を超える労働について 100/100 を下回る契約は無効と解し、25/100 684 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第9節 休 日 の部分は法 37 条、100/100 の部分は契約によつて支払いが義務づけられていると考える。しかし、 100/100 を下回る契約がなぜ無効となるのかよく分からず説得性がないと感じられる。 (6)代休付与による残業帳消しは可能か? 割増賃金の支払いに代えて、割増分だけ代休を与えることは認められるものであろうか?この問 題を次の2点に分けて考えてみる。 ① 割増賃金をまったく支払わず、1時間の時間外労働に対して 1.25 倍(1時間 15 分)の代休 を与える。 ② 25/100 の部分を賃金で支払い、100/100 の部分について代休を与える。 ①の方法は、125%説においても 25%説においても 25/100 の部分は法 37 条の強行規定と解し ているところから、いずれの説においても無効と考えられる。 ②の方法は、125%説と 25%説とで結論が分かれ、125%説では法 37 条が 125%全部について 強行規定と解しているところから無効と考えられる。25%説では法 37 条の強行規定部分は 25%部 分と解しているところから、100%部分は契約の問題であり適法であるという結論に達する(東大 「労働時間」P493、「注釈労基法」下巻 P633)。 なお、「実務相談 2004」P299 では、②による方法を法 24 条ないし 37 条に違反するとしている (125%説の立場と思われる。)。 以上の点から、①は違法であり、②は違法と決めつけるわけにいかないが、学説の割れるところ であり、せいぜい休日に対する代休付与の場合に止めるべきであり、時間外労働に対する代休付与 は“やり過ぎ”ではないかと思われる。 法 37 条の適用を受けない法定内残業や法定外休日労働について、賃金の代わりに代休を付与す ることは、当事者の契約の問題であり自由とする点で、125%説、25%説とも一致している。 ⇒ 1時間の時間外労働に対して1時間 15 分の代休を与えて割増賃金を支払わないことは違法である。 ⇒ 1時間の時間外労働に対して1時間の代休を与えて 100 分の 25 だけの賃金を支払うことは違法とまでいえな いが“やり過ぎ”ではないか? (7)代休付与による 100/100 帳消し 休日労働に対して後日代休を与えて、100/100 の部分を無給にすることも、 (6)と同様である。 しかし、時間外労働との相殺は“やり過ぎ”で、休日労働との相殺は「せいぜい休日に対する代休 付与の場合に止めるべき」と是認したのは、①週休2日制が普及している今日では就業規則上の休 日が法定休日になるとは限らないこと(法定外休日であることが大部分であると思われる。)、②代 休付与による 100/100 の部分の相殺は民間において相当程度普及していること、等の理由によるも のである。理論的には未解決な部分があるが、実務においては是認されるのではないか。 ⇒ 1時間の休日労働に対して1時間 21 分(1時間の 135/100 に相当する時間)の代休を与えて割増賃金を支払 わないことは違法である。 685 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第9節 休 日 ⇒ 1時間の休日労働に対して1日の代休を与えて 100 分の 35 だけの割増賃金を支払うことは、適法と考えて差 支えない。 4.半日単位の休日振替 (1)半日単位の休日振替の可否 休日に勤務することが丸1日必要であるのではなく4時間程度である場合に、あらかじめ他の労 働日の時間と入替えて半日単位の休日振替をすることが可能であろうか。 労基法の休日とは、暦日を指し午前 0 時から午後 12 時までの休業をいうものとされているから (昭 23.4.5 基発 535 号) 、入れ替えられた労働日の労働時間を4時間程度減じたとしても休日を与 えたことにならない。したがって、一般的には半日単位の休日振替はできないと解される。 しかし、現在では週休2日制が普及しているから、法定外の休日(就業規則上の休日)が存在す る。この法定外の休日については、労基法が関知するところではなく、週 40 時間に対する時間外 労働の問題だけである。したがって、半日単位の休日振替を当該週内に行って週の労働時間が 40 時間以内とすれば、割増賃金の問題は生じない。 休日の振替を分割して2日間に分けて振替ることも同様で、法定休日についてはできないが、法 定外の休日であれば週40時間の制約の中で行うことができる。実務上は週1回の休日が確保されて いる限り、半日分だけの休日の振替や2日に分けて振り替えることもできると考えてよい。 第 2-3-9-8 図 A図 B図 半日単位の休日振替の例 日 月 火 水 木 金 土 合計 休み 8 8 4 8 8 4 40時間 日 月 火 水 木 金 土 合計 休み 8 8 8 8 8 4 44時間 休み 8 8 4 8 8 休み 36時間 1か月単位の変形労働時間制を用いて、B図のような勤務割表を作ることが可能。 C図 土 日 月 火 水 木 金 合計 4 休み 8 8 4 8 8 40時間 1週間の起算を土曜日とする例 ⇒ 法定外休日であれば、週40時間を超えない範囲内において半日単位の休日振替ができる。 ⇒ 法定外休日であれば、週40時間を超えても、①当該超えた時間に25/100の割増賃金を支払うこと、②振替を 同一賃金計算期間内に行うこと、を要件に半日単位の休日振替ができる。 (2)公務員の場合の半日勤務時間の割振り変更 国家公務員の場合は、各省各庁の長は、週休日とされた日においてとくに勤務することを命じる 必要がある場合には、勤務日の勤務時間のうち4時間を当該勤務日に割振ることをやめて当該4時 間の勤務時間を必要がある週休日に割振ることができることとされている(勤務時間法 8 条 1 項)。 686 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第3章 労働時間・休憩・休日 第9節 休 日 この場合に、週休日の振替と同様に、4時間を単位として勤務を命じる必要がある日を起算日と して4週間前の日から8週間後の日までの間の日の4時間と振替えることができる。ただし、4週 間に4日以上の休日が確保され、かつ、連続勤務日数が 24 日を超えないようにしなければならな いこととされている(人事院規則 15-14 第 6 条 2 項)。 ただし、4時間単位の振替を行うと振替えた日も振替られた日も共に勤務日(4時間)となり休 日数が減少するから、週休日の振替(1日単位)及び半日勤務時間の割振り変更の双方を行うこと ができる場合には、できる限り週休日の振替を行うものとすることとされている。 また、やむを得ず半日勤務の割振り変更をする場合は、割振り変更する勤務日の始業時から連続 する4時間、又は就業時まで連続する4時間でなければならない。これは、午前中休んで午後から 出勤すればよいこととするか、午前中勤務して午後には帰れるようにするかしなければならないと いう趣旨である(「公務員勤務時間」P96)。 ⇒ 公務員の場合は、前4週間後8週間の範囲内の期間で4時間単位の勤務時間の振替を行うことができる。 687 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 第4章 年次有給休暇 この章では、年次有給休暇について述べる。その目的は、労働者の心身の疲労を回復させ、労働力 の維持培養を図ることにあり、また、今日的にはゆとりある生活の実現に資するという意義も付加さ れている。 内容は、年次有給休暇の法的性格、休暇日数、使用者の時季変更権、年休の買上げなどである。 1.年次有給休暇の法的性格 (1)年次有給休暇権 1)年次有給休暇と休日との違い 年次有給休暇(年休)の趣旨は、休息を保障することにある。休息の規定は、別に週休制の規定 (労基法 35 条)があるが、週休制は1週の労働による身体的・精神的疲労から生理的な回復を図 ることを主眼し、休日に対し賃金の支払いを要しないのに対し、年休の場合は休暇取得の時期・期 間を自らが決定することができる点など労働からの一時的開放をより効果的・実質的なレベルにお いて実現しようとするものであり、しかも賃金を失わない。本来的意味では、年休は「余暇」とい うべき性質を有するものである。 西欧諸国では、(2)で述べるように年次有給休暇は「休養休暇」として位置づけられ、年休手 当が休暇に先立って支払われるべきこと、休暇期間は4~5週間と長く、休暇期間中は他の有償労 働に従事してはならないこと、などが定着している。 これに対し日本では10~20日程度の休暇日数を1日単位で取得することが普及しており、さ らに、半日単位の取得も認められ、改正労基法(平 22.4.1 施行)では制限付きで時間単位の取得 も可能とされる。「余暇」の実現とはほど遠い現状であり、休暇というよりも「有給の不就労」と して活用する労働者側の好みも否定できない。 。 2)形成権としての年次有給休暇 年次有給休暇の権利は、継続勤務により法律上当然に労働者に生じる権利であって、労働者の請 求を待って初めて生じるものでない。「請求」とは休暇の時季を指定するという意味にほかな らない(形成権-注)。 注.形成権 権利者の一方的な意思表示で一定の法律関係を発生させる権利。取消権、追認権、解除権、認知権などが ある。年次有給休暇権の場合は、時季指定権と解されている。 労働者がその有する休暇日数の範囲内で、具体的な休暇の始期と終期を指定したときは、事業の 正常な運営を妨げる事由が客観的に存在し、かつ、使用者がこれを理由として時季変更権の行使を しない限り、年次有給休暇が成立し当該労働日の就労義務が消滅する。休暇の時季指定の効果は、 使用者の適法な時季変更権の行使を解除条件として発生するのであって、年次休暇の成立要件とし て労働者の「休暇の請求」や使用者の「承認」の観念を容れる余地はないものといわなければなら ない(注)。 注.「国鉄郡山工場事件」最高裁二小判決昭 48.3.2 688 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 「労働者がその有する休暇日数の範囲内で、具体的な休暇の始期と終期を特定して右の時季指定したときは、 客観的に同条三項但書所定の事由が存在し、かつ、これを理由として使用者が時季変更権の行使をしないかぎり、 右の指定によって年次有給休暇が成立し、当該労働日における就労義務が消滅するものと解するのが相当である。 すなわち、これを端的にいえば、休暇の時季指定の効果は、使用者の適法な時季変更権の行使を解除条件として 発生するのであって、年次休暇の成立要件として、労働者による「休暇の請求」や、これに対する使用者の「承 認」の観念を容れる余地はないものといわなければならない。」と、形成権説の立場で判示している。 ※公務員の年次休暇は承認制である 国家公務員の「年次休暇」 (勤務時間法 17 条)の場合は、「年次休暇、病気休暇又は特別休暇の 承認を受けようとする職員は、あらかじめ休暇簿に記入して各省庁の長に請求しなければならな い。」と、事前請求を原則としている(人事院規則 15-14 第 27 条)。 そして、請求を受けた各省庁の長は「速やかに承認するかどうかを決定し、当該請求を行った職 員に対して当該決定を通知するものとする。 」と承認制としている(人事院規則 15-14 第 29 条 1 項)。 3)休暇目的 休暇の使用目的は使用者の関与し得ないところで、労働者は使用目的を告知する義務はない。 ただし、使用者が時季変更権を行使するか否かの判断に用いるため労働者に告知を求めることは起 こり得る。 休暇の利用目的は、もともと所定労働日に賃金の減収を伴うことなく休養させるために付与され るものであり、ドイツやスエーデンでは病気欠勤に充当することを禁止しているそうであるが、我 が国においては、休暇を病気療養のために利用する場合も、その請求時季が事業の正常な運営を妨 げる場合でない限り使用者はこれを付与しなければならない(昭 24.12.28 基発 1456 号)。 労働者が年次有給休暇をいかなる目的に利用するかはその自由にゆだねられ、使用者としては労 働者の利用目的の如何によってその付与を左右することはできないものである。しかし、一斉休暇 闘争のような同盟罷業(ストライキ)のために年次有給休暇を利用することは許されないと考えら れる。 そもそも、ストライキは労働組合がその要求を貫徹するために集団的に労務の提供を拒否して業 務の正常な運営を妨げることを目的とするものであるから、同じ「休む」といっても、事業の正常 な運営を妨げることなく取得することを前提とする年休とは両立せず、年休であって同時にストラ イキでもあるということは法律的にあり得ない(注) (「労基法コメ」上巻 P563) 。ただし、休暇を 利用して他事業所の争議行為の応援に行くようなことは認められて然るべきである。ただ、実際問 題としては、同盟罷業とみるべきか、単なる応援行為にすぎないか等をめぐって問題となることが 少なくないと考えられる。 注.「国鉄郡山工場事件」、「白石営林署事件」最高裁二小判決昭 48.3.2 「いわゆる一斉休暇闘争とは、これを、労働者がその所属の事業場において、その業務の正常な運営の阻害 を目的として、全員一斉に休暇届を提出して職場を放棄・離脱するものと解するときは、その実質は、年次休 暇に名を藉りた同盟罷業にほかならない。したがって、その形式いかんにかかわらず、本来の年次休暇権の行 使ではないのであるから、これに対する使用者の時季変更権の行使もありえず、一斉休暇の名の下に同盟罷業 に入った労働者の全部について、賃金請求権が発生しないことになるのである。 しかし、以上の見地は、当該労働者の所属する事業場においていわゆる一斉休暇闘争が行なわれた場合につ 689 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 いてのみ妥当しうることであり、他の事業場における争議行為等に休暇中の労働者が参加したか否かは、なん ら当該年次休暇の成否に影響するところはない。けだし、年次有給休暇の権利を取得した労働者が、その有す る休暇日数の範囲内で休暇の時季指定をしたときは、使用者による適法な時季変更権の行使がないかぎり、指 定された時季に年次休暇が成立するのであり、労基法三九条三項但書にいう「事業の正常な運営を妨げる」か 否かの判断は、当該労働者の所属する事業場を基準として決すべきものであるからである。」として、両事件 とも年休を利用して他事業所の争議を応援する行為を適法な年休取得であるとした。 (2)西欧諸国の年次有給休暇 年次有給休暇制度は、立法化されたのは日本では戦後のことである(制定当初は1年間の継続勤 務、出勤率8割以上、付与日数6日(勤続1年増すごとに1日ずつ増加し 20 日が限度)であった。) (東大「労働時間」P602)。 西欧諸国においては戦前から制度化されており、国際労働機関においては 1936 年(昭和 11 年) に「年次有給休暇に関する条約」を採択している。 付与日数は、スエーデンが5週間、ドイツは 24 日間(4週間)、フランスは 30 日間(5週間) とされており、連続取得や一定時期に集中して付与すべき旨を定めていることが少なくない。たと えば、スエーデンでは6月から8月までの間に4週間取得しなければならないとしており、フラン スでは取得時期について労働協約で5月から 10 月までの間で定め、12~24日連続していなけ ればならないこととされている。ドイツでは休暇行使計画の作成について工場委員会が協同決定権 を有することとされているが、労働者の希望に配慮して定めることとしている(「労基法コメ」上 巻 P558)。 690 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 2.年次有給休暇権の発生 (1)休暇権発生の要件 1)概 要 労働者が雇入れの日から起算して6か月継続勤務し、全労働日の8割以上出勤した場合は 10 日 (労働日)の年次有給休暇を与える(労基法 39 条 1 項)。 その後は1年経過するごとに直前1年間の出勤率8割以上を要件として、次の日数を与える。 第 2-4-1 図 年次有給休暇の付与日数 期間 A 雇入日からの経過期間 雇入日 ~ 付与日数 6月 B 6月~1年6月 C 要件 出勤率 なし 10日 A期間8割以上 1年6月~2年6月 11 B期間8割以上 D 2年6月~3月6月 12 C期間8割以上 E 3年6月~4年6月 14 D期間8割以上 F 4年6月~5年6月 16 E期間8割以上 G 5年6月~6年6月 18 F期間8割以上 H 6年6月~7年6月 20 G期間8割以上 I 以下1年ずつ増加する期間ごとに 20 一つ前の期間8割以上 6年6か月経過後の各1年間は一律 20 日の付与日数である。 2)全労働日から除外する日 「全労働日」とは、労働者が労働契約上労働義務を課せられている日(働く義務のある日)」 (「エ ス・ウント・エー事件」最高裁三小判決平4 .2.18)をいうが、具体的には就業規則等により定め られた所定休日を除いた日であり、次に掲げる場合は全労働日に含まれない。 ① 使用者の責に帰すべき事由による休業の日(昭63.3.14基発150号) ② ストライキその他正当な争議行為により労務の提供がまったくなされなかった日(33.2.13 基発90号) ③ 生理休暇を取った日(昭23.7.31基収2675号)、 ④ 慶弔休暇を取った日(昭33.2.13基発90号) 会社が行った解雇が取り消されて職場復帰した場合や長期争議行為のために全労働日がゼロと なる場合は、年次有給休暇権は発生しないと解される(解雇取消について昭27.12.2基収5873号)。 年次有給休暇の発生要件である前年度の出勤率の計算における「全労働日」が就業規則上の所定 休日を除いた日をいうところから、前述「エス・ウント・エー事件」では、会社の就業規則で、休 日とは別個に定められた一般休暇日(「労働義務があるが欠勤として差し支えない日」とされ、休 んだ場合は「要出勤日数」とされ、労働者が不利益を受けることになる日)が「全労働日」に含ま れるかが争われた。最高裁判所は、 「全労働日」とは「労働者が労働契約上労働義務を課せられて いる日」を指すが、この事件の一般休暇日は、働く義務のない日なので、「全労働日」には含まれ ないと判示している。したがって、就業規則上の休日を、たとえば日曜日とし、日曜日以外の土曜 日、祭日、年末年始等を「休日ではないが勤務を割り振らない場合は出勤する必要がない」と定め てみても、勤務を割り振らなければ「全労働日」の算定においては、これらの日を除外しなければ 691 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 ならない。 注.「エス・ウント・エー事件」最高裁三小判決平4 .2.18 出勤率算定方法の変更 旧就業規則の休日は、日曜日、出勤を要しない土曜日、国民の祝日及び年末年始(12 月 29 日から 1 月 3 日 まで。)とされており、右の休日を前提に、全労働日1年間の総日数から休日を引いた日)の8割以上出勤し た従業員に所定の日数の年次有給休暇を与えるとされていた。 この規則を改訂し新就業規則では、日曜日のみを休日とし、国民の祝日、交替出勤日以外の土曜日、年末年 始は、 「一般休暇日」 (本来労働義務が課されてはいるが通常は欠勤しても差し支えのない日)として、生理休 暇、特別休暇などとともに、年休付与の基準となる全労働日に含ませることとした(すなわち、全労働日とは、 1年の総日数から休日とされる日曜日の日数を引いた日数とした。)。 最高裁の判断 労基法 39 条 1 項が、前年 1 年の全労働日の 8 割以上出勤を年休付与の要件としているのは、労働者の勤怠 の状況を勘案し、特に出勤率の悪い勤務成績不良者を除外する趣旨であると解されるから、「一般休暇日」を 労働義務はあるが勤務しなくても債務不履行の責を問われない日と解すると、勤務成績の不良と評価しえない 「一般休暇日」における不就業を出勤率算定にあたり欠勤と同様に評価する結果となり相当ではなく、一般休 暇日は労働義務のない日と解すべきである。 そして、労基法 39 条 1 項にいう「全労働日」とは、1年の総日数から就業規則その他によって出勤義務が 課されていない日を除いた日を意味すると解されるから、新就業規則の労働義務のない「一般休暇日」を全労 働日に含める部分は、労基法 39 条 1 項に違反して無効であり、当該部分については旧就業規則によるべきで ある、とした。 3)出勤したものとみなす日 出勤率の計算において、次の①~③の期間は法律上「出勤したものとみなす」(労基法39条7項) こととし、④の期間については「出勤したものとして取扱うこと」(昭22.9.13基発181号)とされ ている。 ① 業務上傷病により休業する期間 ② 育児休業・介護休業をした期間 ③ 労基法65条に定める産前産後の休業をした期間 ④ 年次有給休暇を取得した日(昭22.9.13発基17号) なお、事務効率化等の観点から年休付与の基準日を斉一的に取扱うため年次有給休暇を前倒しで 付与することがあるが、法定基準日以前に付与する場合の出勤率の算定は、短縮された期間はすべ て出勤したものとみなす必要がある(平6.1.4基発1号)。 4)遅刻・早退をした日の取扱い 遅刻、早退などにより所定労働時間の一部が不就労であった日は、出勤率の計算においてどのよ うに取扱うのだろうか?不就労部分がわずかのときは問題とならないが、たとえば1時間程度しか 勤務しなかったとしても出勤した日として取扱わなければならないのか、半日勤務のときは0.5日 の出勤した日として取扱うことが可能か、という疑問が生じる。 年次有給休暇の付与要件である8割以上の出勤の意義は「労働者の勤怠の状況を勘案して、特に 出勤率の低い者を除外する立法趣旨であると考えられる」(厚労省「労基法コメ」上巻P573)とさ れていること勘案すると、出勤したのかしなかったのか、がその判断基準とされているようである。 692 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 そうであるとすれば、1日1時間程度又は半日の勤務が行われた日は、勤務時間の長短にかかわら ず「出勤した日」として取扱うことが妥当であるように思われる(注)(私見)。 注.寺本廣作「労働基準法解説」P248以下に「出勤率の特に悪かった者についてだけ年次有給休暇を 与えないこととなる」という記述があるという(東大「労働時間」P615)。前述厚労省「労基法コ メ」の説明は、この寺本意見を根拠にしているものと思われる。 なお、東大「労働時間」は、出勤率8割の数字に科学的根拠があるとは思えないこと、寺本意見 がすでにこの要件によって出勤率のとくに劣悪な者だけを除外する趣旨であったともしているこ となどからすれば、出勤率要件は緩やかに解釈運用すべきである、と述べている(東大「労働時間」 P616)。 ⇒ 年次有給休暇の付与要件である出勤率の算定に当たっては、労基法制定当時の「出勤率のとくに劣悪な者 だけを除外する趣旨」を考慮し運用を心がけたいものである。 5)継続勤務 イ 継続勤務の意義 「継続勤務」は出勤を意味するのでなく、労働契約の存続期間すなわち在籍期間を意味すると解 される(「労基法コメ」上巻P569)。 継続勤務か否かについては、勤務の実態に即し実質的に判断すべきものであり、次に掲げるよう な場合を含む。この場合、実質的に労働関係が継続している限り勤務年数を通算する(昭63.3.14 基発150号)。 【継続勤務と判断される例】 ① 定年退職による退職者を引き続き嘱託等として再雇用している場合(退職手当に基づき、所定 の退職手当を支給した場合を含む。) ただし、退職と再採用との間に相当期間が存し、客観的に労働関係が断続していると認められ る場合はこの限りでない。 ② 短期契約を更新して6か月以上雇用している場合 短期契約の場合に、契約更新時に直ちに更新せず、数日の間隔を置いてから契約を更新する例 が見受けられるが、この場合の継続勤務の事実が中断したとみられるか否かの判断に当たっては、 年休付与義務を免れるための脱法的意図でなされているかどうかも考慮される。 ③ 会社の合併又は事業譲渡の場合 会社の合併は、個人財産の相続の場合と同様に債権債務の包括継承がなされるので、合併前の 会社とその労働者の間における労働関係も合併後の会社との間に当然継承され、勤務も継続する こととなる。 ④ 在籍型出向をした場合 出向元における勤務期間を通算して継続勤務しているものと解され、出向元における勤務期間 を通算した勤務年数に応じた休暇日数を与えなければならない(注)。 ⑤ 労働組合の専従者期間 会社に在籍しているから、継続勤務期間として取り扱わなければならない。 ⑥ 休職期間 上記⑤と同様である。 693 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 注.昭和 59 年に労働基準法研究会が次のような報告をしている。 「なお、出向直後の出向先における年次有給休暇の付与については、継続勤務年数や出勤率の算定に当たっ て出向元の勤務を通算すべきかどうかが問題となる(復帰直後の出向元での取扱いも同様に問題になる。)。実 態としては、出向元での勤務を通算するものがほとんどであるので問題は少ないであろうが(第8表)、労働 基準法の解釈としては、出向元事業主及び出向先事業主双方との間の二つの労働契約関係をあわせて一つの労 働契約関係と考え、勤務状況を通算すべきであろう。」 (労働基準法研究会報告「派遣・出向等複雑な労働関係 に対する労働基準法の適用について」昭 59.10.18) 前述通達昭 63.3.14 基発 150 号は、この研究会報告に基づく見解であろう。 ロ 競馬開催時期だけ反覆雇用する場合 判例では、 a.競馬開催時期だけ労働契約を締結している事例について、雇われている期間が仕事のある時 だけに就業規則で限られ、労働契約を結んでいない期間があるからといって、労働契約が実態 として同一性がないと考えるのは妥当ではない、とされた例(「日本中央競馬会事件」東京高 判平 11.9.30) b.常勤の正規職員が定年退職の後、翌日から非常勤嘱託職員として月 18 日間(週 4 日相当) の 勤務となった場合、両者の勤務関係は実質的には別個であって、「継続勤務」ではない、と判 断された例(「東京芝浦食肉事業公社事件」東京地判平 2.9.25) などがあり、「継続勤務」の判断に当たっては、単なる時間的連続性のみで判断するのでなく、実 質的勤務実態により判断される。 上記aなどは、附属小中学校の給食炊事員の雇用などで参考になるのではないだろうか? 通達では、①おおむね毎月就労すべき日が存すること、②雇用保険の日雇労働求職者給付金を 受けるなど継続勤務を否定する事実が存しないこと、を満たす場合は「継続勤務」と解されるとし ている(平 1.3.10 基収 140 号)。 注.「日本中央競馬会(年休等請求)事件」東京地裁判決平 7.7.25 原告は昭和 48 年以降過去十数年にわたって競馬開催の期間(年間 50~88 日)フルに勤務勤務し ていたが、上記通達が発せられた後も年休が与えられなかった。、 立川簡裁判決平 6.3.24 は「競馬会は、年度事業計画において、東京・中山競馬場については、 7月及び8月は恒常的に競馬を開催しないこととしており、その結果、仮に従業員の繰り返しの雇 用を目して契約の更新と解したとしても、この空白期間の存在により、競馬会と従業員との間の雇 用契約は中断されることとなり、「継続期間=在籍」ということもできなくなると解される。」と 判示し継続勤務を認めなかったが、東京地裁判決平 7.7.25 は、次のように述べて継続勤務を認め た。 「労働基準法39条1項にいう「継続勤務」に該当するか否かは、形式的に労働者としての身分 や労働契約の期間が継続しているかどうかのみによってのみ決すべきものではなく、勤務の実態に 即して実質的に労働者としての勤務関係が継続しているか否かにより判断すべきものである。そし て昭和62年改正後の同法39条3項により、通常の労働者と比べて労働日数の少ないパートタイ ム労働者に対しても年次有給休暇の比例付与の制度が設けられた理由は、通常の労働者との均衡上 から妥当であるとともに、労働者の希望する時期に連続した休みを取ることができるようにするこ とが相当であると考えられたことにある点に鑑みると、所定労働日数の少ない労働者について、よ 694 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 り質の高い労働力の継続的提供を可能ならしめる勤務の実態にあるかどうかとの観点を考慮すべ きであり、勤務日と勤務日との間隔又は労働契約期間の終期と始期との間隔の長短はその一事情に 過ぎないものというべきである。 」 「控訴人などの関東地区の開催従業員に夏季の勤務日がないのは、各人の希望によるものではな く、年間を通じて東京競馬又は中山競馬を開催することが現行法令上不可能であることが理由であ り、また、右開催従業員が夏季に開催される競馬に勤務を希望しても、人数制限のために勤務でき ない場合があり、これらの特殊事情を有する関東地区の開催従業員について、1ヶ月に1日以上の 勤務日が存するか否かという形式的基準のみで一律に判断することは、勤務の実態に沿うものでは なく、また従業員間の均衡を欠き相当ではないというべきである。」 ⇒ 反復雇用する場合、次の要件を満たす場合は「継続勤務」と解される。 ① おおむね毎月就労すべき日が存すること ② 雇用保険の日雇労働求職者給付金を受けるなど継続勤務を否定する事実が存しないこと ハ 派遣労働者の場合 派遣労働者を受入れている場合に、当該労働者を直接雇用に切替えることがある。この場合に、 人材派遣会社に雇用されていた期間を継続勤務として取扱う法的義務はない。しかし、実態として 一定の継続勤務期間が認められるのだから何らかの配慮をすることが望ましいものである。 ニ 部署間異動と継続勤務 年休は「継続勤務」年数ごとに与えられるから、雇用主が「国立大学法人○○大学」又は「独立 行政法人○○機構」という法人である限り、場所的に異なる部署間異動があっても継続勤務として 取り扱わなければならない。 よく問合せを受ける例として、①A部署で雇用されていた非常勤職員がA部署を退職しB部署に 継続して雇用される場合の継続勤務の問題、②週2日勤務の非常勤職員をA部署で雇用していたが、 さらにB部署で週2日雇用するすることになった場合の付与日数の問題、などがある。 ①「継続勤務」の判断は、形式的な退職・新規採用で判断するのではなく、その実質・実態によ り判断すべきものであるが、一般論としていえば、退職・新規採用の時期が継続している場合は「継 続勤務」として取扱うべきであろう(ただし、退職・新規採用の時期が継続していても、職種や勤 務形態がまったく異なる場合は、契約に至る事情を勘案し別々の雇用であると判断され、「継続勤 務」が否定されることがあり得る。 )。 ②「付与日数」の問題は、基準日(新規採用後6か月経過日及びその日後1年ごとに経過する日) における週所定労働日数又は週所定労働時間数によって比例付与すべきか否かが決まる。 ⇒ 退職・新規採用の時期が継続している場合は原則として「継続勤務」として取扱うべきであるが、雇用の実態 が異なる雇用であると判断される場合は「継続勤務」として取扱わなくてもよい。 4)休暇権発生の時期 年次有給休暇権は継続勤務の期間(6か月間)の終了する日の翌日(「基準日」という。)におい て発生する。具体的には、雇入れの日から起算して6か月経過した日、すなわち、4月1日に雇入 れた者については 10 月1日において権利が発生する。 695 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 発生する年次有給休暇の日数は、基準日におけるその者の所定労働日数等によって比例付与され るべきか否かが決まるが、一旦決まった休暇日数はその後(又はその前)に所定労働日数に変更が あっても、付与日数に影響を受けるものでない。たとえば、4月1日に雇い入れたときに週所定労 働日数が5日であった者が 10 月1日に週所定労働日数が3日の短時間就労者に変更された場合、 付与日数は比例付与により5日となる。逆に、雇入れの時点では週所定労働日数が3日であった短 時間就労者が 10 月1日に週所定労働日数が5日に変更された場合の付与日数は 10 日である。そし て、一旦付与された日数は、その後所定労働日数が変更されてもその年休年度において影響を受け ない。 ⇒ 年次有給休暇権は、基準日(継続勤務の期間(6か月)の終了する日の翌日)において発生する。 (2)短時間就労者に対する比例付与 短時間就労者(週所定労働時間が 30 時間未満の者)の場合は、通常の労働者の1週間の所定労 働日数(5.2 日)と当該労働者の1週間の所定労働日数との比率を考慮して定められた日数の有給 休暇が与えられる(比例付与)。 1)比例付与の対象者 比例付与の対象となる者は、次のいずれの要件をも満たすものである(39 条 3 項、労基則 24 条 の 3)。 ① 週所定労働時間が 30 時間未満の者 であって、 ② 週所定労働日数が4日以下の場合 (週以外の期間によって所定労働日数が定められていると きは、年間所定労働日数が 48 日~216 日の場合) したがって、1日5時間、週5日勤務のパートは週所定労働時間が 25 時間であるが、比例付与 の対象ではなく一般労働者と同様の休暇日数を与えなければならない。また、1日8時間、週4日 勤務の嘱託の場合も、週所定労働日数が4日であるが週所定労働時間が 32 時間となるため、同様 に比例付与の対象ではない。 ■1週間に1日勤務の非常勤講師の年休について 非常勤講師に年休を付与していない国大は多いと思われる。そのため、「年休なし」と記載した労 働条件通知書を渡すことも支障があり、非常勤講師に労働条件通知書を交付していないところが多い と聞く。 改善策として、1週間に1日勤務の非常勤講師の年休については、次のようなこともひとつの可能 性として検討してみてよいのではないか(私見)。 就労日をたとえば「毎週月曜日」というように週を単位として決めるのでなく、「年間○○日」又 は「前期○○日、後期○○日」というように年又は半年を単位として決めることとする。そうすると、 1週間に1回程度の非常勤講師は年間48日に達しないと思われるから、年休付与義務はない(労基 法39条3項2号、労規則24条の3第3項)。 48日に達する場合や週2日以上勤務する場合にはムダであるが。 (労基法は週以外の期間によって所定労働日数が定められている場合は 1 年間の所定労働日数に よって比例付与すべきこととしており、年間所定労働日数が 47日以下の者には年休を与えなくても 696 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 よいとしている。) 2)比例付与日数 比例付与日数は、週所定労働日数(又は1年間の所定労働日数)と継続勤務期間との組合せによ り決まり、次のとおりである。 第 2-4-2 図 年次有給休暇の比例付与日数 週所定 1年間の 日数 雇入れの日から起算した継続勤務期間 所定労働日数 6月 4日 169~216 日 7日 8日 9日 10 日 12 日 13 日 15 日 3日 121~168 日 5日 6日 6日 8日 9日 10 日 11 日 2日 73~120 日 3日 4日 4日 5日 6日 6日 7日 1日 48~72 日 1日 2日 2日 2日 3日 3日 3日 1年6月 2年6月 3年6月 4年6月 5年6月 6年6月 ※参考文献 「比例付与される日数は、所定労働日数に応じて定められているが、この所定労働日数は、年休が 付与される年度における当該労働者の所定労働日数による。すなわち、週所定労働日数が前年度は3 日であつたが、当年度に4日になった者については、当年度には、週所定労働日数が4日の者として の日数の年休を与えなければならない。 また、年次有給休暇の権利は、基準日に発生するものであるので、基準日において予定されている 所定労働日数に応じた日数の年休を付与すべきものであり、年休年度の途中で所定労働日数が変更さ れても、それに応じて年休の日数が増減されるものではない。もっとも、所定労働日数が増加した場 合に、それに応じて年休の日数を増やすことは当事者の自由である。」 (厚労省「労基法コメ」上巻 P583) 697 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 3.年休の取得単位 (1)概 要 1)労働日単位の取得が原則 年休の与え方は「継続し、又は分割した 10 労働日の有給休暇を与えなければならない。」(労基 法 39 条 1 項)と規定しているところから、労働日単位で与えることを原則としている。 日によって所定労働時間が異なる場合であっても、年休付与の単位の原則は「日」であり、過去 に普及していた「半ドン」と称した土曜日の所定労働時間が半日程度であった場合においても、土 曜日の年休は1日と数えていた(もっとも、 「半ドン」の年休を有給休暇半日として取扱うことは、 労基法上何ら問題ない。 ) 2)半日単位の取得 労働者が半日単位で請求してきたときは「年次有給休暇は、1労働日を単位とするものであるか ら、使用者は労働者に半日単位で付与する義務はない。」とされる(昭 63.3.14 基発 150 号) 。この 通達は、一般に労働協約や就業規則に半日単位で付与する規定があれば付与することができる、と 解されている。 3)時間単位年休の取得 年休の時間単位の付与は原則的には無効であるが、平成 22 年 4 月 1 日に施行された改正労基法 により、次の事項について労使協定を締結した場合には、年間5日以内に限って時間単位の年休を 取得することができることとなった(労基法 39 条 4 項)。 ① 時間を単位として年次有給休暇を与えることができることとされる労働者の範囲 ② 時間を単位として与えることができることとされる年次有給休暇の日数(5日以内に限る。) ③ その他厚生労働省令で定める次の事項(労基則 24 条の 4)。 a.時間を単位として与えることができることとされる年休の1日の時間数(所定労働時間を 下回らない整数時間) b.1時間以外の時間を単位として年休を与えることとする場合には、その時間数 ⇒ 現行法制下においては、年休の取得単位は最低分割は1日を原則とし、労働者から請求があれば半日単位 で付与することができ、一定の事項に関し労使協定を締結すれば年間5日分までは時間単位で与えることが できる。 「時間単位年休」を実施する場合には、事業場において労使協定を締結する必要がある。この労 使協定は、当該事業場において、労働者が時間単位による取得を請求した場合において、労働者が 請求した時季に時間単位により年次有給休暇を与えることができることとするものであり、個々の 労働者に対して時間単位による取得を義務付けるものではない。労使協定が締結されている事業場 において、個々の労働者が時間単位により取得するか日単位により取得するかは、労働者の意思に よるものである。 なお、労使協定の締結によって時間単位年休を実施する場合には、労基法 89 条 1 号の「休暇」 として時間単位年休に関する事項を就業規則に記載する必要がある。 698 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 4)時間単位年休に係る労使協定で定める事項 時間単位年休に係る労使協定においては、①時間単位年休の対象労働者の範囲、②時間単位年休 の日数(年間5日が限度)、③その他厚生労働省令で定める事項、について定めなければならない (労基法 39 条 4 項)。 ③は、a.時間単位年休1日の時間数、b.1時間以外の時間を単位とする場合の時間数(労基 則 24 条の 4) 、である(、労規則 24 条の 4)。 イ 時間単位年休の対象労働者の範囲(労基法 39 条 4 項 1 号関係) 年次有給休暇の権利は、法定要件を充たした場合法律上当然に労働者に生じる権利であるが、 その取得に際しては、事業の正常な運営との調整が考慮されるものである。この点において、時 間単位による取得は、たとえば一斉に作業を行うことが必要とされる業務に従事する労働者等に はなじまないことが考えられる。このため、事業の正常な運営との調整を図る観点から、労使協 定では時間単位年休の対象労働者の範囲を定めることとされている。 なお、年次有給休暇を労働者がどのように利用するかは労働者の自由であることから、利用目 的によって時間単位年休の対象労働者の範囲を定めることはできない。 ロ 時間単位年休の日数(労基法 39 条 4 項 2 号関係) 時間を単位として与えることができる年次有給休暇の日数については、まとまった日数の休暇 を取得するという年次有給休暇制度本来の趣旨にかんがみ、年間5日以内とされており、労使協 定では、この範囲内で定める必要がある。 労基法 39 条 3 項の比例付与の規定により付与される休暇日数が年間5日に満たない労働者に ついては、労使協定で当該比例付与される日数の範囲内で定めることとなる。 時間単位年休の日数は、前年度からの繰越分も含めて年間5日以内である。 ハ 時間単位年休1日の時間数(労基則 24 条の 4 第 1 号関係) 1日分の年次有給休暇が何時間分の時間単位年休に相当するかについては、当該労働者の所定 労働時間数を基に定めることとなるが、所定労働時間数に1時間に満たない時間数がある労働者 にとって不利益とならないようにする観点から、1日の所定労働時間数を下回らないものとされ ており(労基則 24 条の 4 第1号)、具体的には、1時間に満たない時間数については時間単位に 切り上げる必要があり、労使協定ではこれに沿って定めなければならない。 ※1日の所定労働時間が7時間 45 分の場合 1日の所定労働時間が7時間 45 分の事業所の場合、1日分の年次有給休暇は少なくとも8時間分 の時間単位年休に相当する、というように定めなければならない。 「1日の所定労働時間数」については、日によって所定労働時間数が異なる場合には1年間に おける1日平均所定労働時間数となり、1年間における総所定労働時間数が決まっていない場合 には所定労働時間数が決まっている期間における1日平均所定労働時間数となる。 労使協定では、当該労働者の時間単位年休1日の時間数が特定されるように定める必要がある が、これが特定される限りにおいて、労働者の所定労働時間数ごとにグループ化して定めること (例えば、所定労働時間6時間以下の者は6時間、同6時間超7時間以下の者は7時間、同7時 間超の者は8時間等)も差し支えない。 ニ 1時間以外の時間を単位とする場合の時間数(労基則 24 条の 4 第 2 号関係) 2時間や3時間といったように1時間以外の時間を単位として時間単位年休を与えることは、 699 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 労使協定でその時間数を定めることによって可能である(労基則 24 条の 4 第 2 号)。 5)時間単位年休に対して支払われる賃金(労基則 25 条 2 項及び 3 項) 使用者は、時間単位年休として与えた時間については、①平均賃金若しくは②所定労働時間労働 した場合に支払われる通常の賃金の額をその日の所定労働時間数で除して得た額の賃金又は③標 準報酬日額をその日の所定労働時間数で除して得た金額を、当該時間に応じ支払わなければならな いこととされている(労基則 25 条 2 項・3 項)。 「その日の所定労働時間数」とは、時間単位年休を取得した日の所定労働時間数をいう。 「平均賃金」 「通常の賃金」 「標準報酬日額」のいずれを基準とするかについては、日単位による 取得の場合と同様としなければならない。 6)時間単位年休に関するその他の取扱い ○1日の年次有給休暇を取得する場合の取扱い 時間単位年休は、年次有給休暇を有効に活用できるようにすることを目的として、原則となる取 得方法である日単位による取得の例外として認められるものであり、1日の年次有給休暇を取得す る場合には、原則として時間単位ではなく日単位により取得するものである。 ○半日単位年休の取扱い 年次有給休暇の半日単位による付与については、年次有給休暇の取得促進の観点から、労働者が その取得を希望して時季を指定し、これに使用者が同意した場合であって、本来の取得方法による 休暇取得の阻害とならない範囲で適切に運用される限りにおいて、問題がないものとして取り扱う こととしているところであるが、この取扱いに変更はない。 700 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 4.年休の取得手続き (1)労働者の時季指定権 1)時季指定権の意義 2.で述べた休暇日数の発生はいわば抽象的な権利であるから、年休を具体的に実現するために は年休の取得時季が確定されなければならない。この時季確定の手続きとして、使用者は「有給休 暇を労働者の請求する時季に与えなければならない」が、その「時季に有給休暇を与えることが事 業の正常な運営を妨げる場合」には、後述(2)の時季変更権を行使することができる(労基法 39 条 4 項)。 労働者が具体的に休暇の時季を特定して指定する権利を「時季指定権」といい、時季指定権の行 使に対し使用者が適切に「時季変更権」を行使しないときは、当該指定にかかる労働者の就労義務 は消滅することになる。 ⇒ 労働者が休暇の時季を特定して時季指定すると、使用者が適切に時季変更権を行使しない限り、労働者の 当該日における就労義務は消滅する 2)時間的余裕のある時季指定 使用者には次項で説明する時季変更権が保障されているから、時季変更の時間的余裕を与えない 時季指定権の行使、すなわち、休暇開始直前の時季指定は、年休の円滑な実現というこの権利の制 度目的に反し、権利濫用法理によりその効果が生じないことがありうる。 そこで、いかなる時期における時季指定権の行使を使用者の「時季変更の時間的余裕を与えない 時季指定」と評価すべきかが問題となるが、通常は代替要員確保の措置に要する時間などを考慮し て就業規則において取得手続きが定められている。たとえば、「此花電報電話局事件」大阪高裁判 決昭 53・1・31 では、時季指定にともなう勤務割変更を前々日の勤務終了までに限るとする規定が あり、この規定を有効と判断している。 休暇の時季を指定するといっても、使用者が当該休暇を付与することによって事業の正常な運営 を阻害する否かの判断に必要な時間的余裕を与えないような時季指定の仕方は適切でなく、裁判例 においても「年休付与により事業の正常な運営を阻害する客観的状態が発生するか否かの判断に必 要な時間的余裕をあたえない時季指定等、使用者の適法な時季変更権の行使を不可能ないし困難な らしめるような時季指定」は権利の濫用にあたるとされている(「徳島県事件」徳島地裁判決昭 50.3.18、「夕張南高校事件」札幌地裁判決昭 50.11.26 など)。 3)時季指定権の行使 時季指定権の行使方法について、労基法はとくに方式を定めていないので、実際上は就業規則等 において一定の要式を定めることになる。しかし、法的には、書面であれ口頭であれ「誰が・いつ・ 年休をとるのか」年休の時季を明確にして知らせれば足りるのであり、その通知により使用者の時 季変更権行使のための考慮の機会ないし資料を提供すればよいと解される(東大「労働時間」P642 ~643)。 4)当日請求または事後請求(振替) 以上の観点からすると、まず年休の取得当日の時季指定は、多くの場合、時季指定権の濫用また は就業規則に定める手続き違反としてその効力を否定される可能性が強いものといえる。同様に、 701 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 労働者の不就労日を年休として時季指定すること(事後請求)、すなわち不就労日の年休への振替 もまた、原則として時季指定の効力を生じない。この場合、不就労の法的原因(たとえば無断欠勤、 病気欠勤、振替休日等)がいかなるものであったとしても、当該原因に即した法的効果はすでに実 現しているものと解され、改めて遡及的に年休取得の意思表示をなしたとしても、既に生じている 不就労の効果を打ち消すことはできず、使用者もまたこれに同意する義務はないといえよう(東大 「労働時間」P646)。もっとも、労働契約、労働協約、または就業規則上に使用者が年休の振替を 認める旨の定めがある場合、あるいは当該事業場に同内容の慣行がある場合には、使用者は振替を 拒否できないと解される(「宮崎県(年休請求)事件」福岡高裁宮崎支判決昭 53.12.20-注)。 また、使用者が労働者の求めに応じて年休の振替を個別的に認めることも、もとより自由である。 注.「宮崎県(年休請求)事件」福岡高裁宮崎支判決昭 53.12.20 県庁舎での職場放棄闘争にピケ要員として参加するために、組合の指令に従って年休をとって出勤しなかっ た出先機関勤務の県職員が、年休権の行使を認められず提訴した事案で「被控訴人らは、その所属する各出先 機関の長が時季変更権を事実上行使し難いような時間的余裕のない時季指定をなしたものというべきである が、しかし、《証拠略》によれば、控訴人県の各出先機関においては、従前、時季変更権が行使された事例は ほとんどなく、また職員のいわゆる年休請求の手続は事前ばかりでなく事後的(休暇当日に申請した形式をと る事後申請を含む。)にこれをなすことも事実上容認されてきたのであり、被控訴人らの本件時季指定も手続・ 方法の点で各出先機関の従前のそれと格別異なるところはない。」と、時季変更権が行使された事例はほとん どなく、事後申請も事実上容認されてきた職場慣行のもとでは時季変更権の行使は認められないとした。 (2)使用者の時季変更権 1)時季変更権の意義 年次有給休暇は、労働者が請求する時季に与えなければならない。ただし、請求された時季に 有給休暇を与えることが事業の正常な運営を妨げる場合は、他の時季(注)に与えることができる。 注.「時季」の意義 = 時季指定権によって指定される年休の「時季」とは①始期と終期を特定した具体的 時期、②季節又はこれに相当する3か月程度の期間、の双方を意味する概念といえる。 時季変更権の行使は、事由消滅後速やかに休暇を与えることを前提にしているから、たとえば、 1月1日を基準として暦年を単位として 20 日の年次有給休暇を与えられている者を1月 20 日付で 解雇する場合に、解雇予定日を超えて時季変更権の行使は行い得ないから、解雇日までの休暇を請 求してきた場合は、客観的に時季変更権を行使できる事由が存在する場合であっても、行使し得な い(昭 49.1.11 基収 5554 号)。 季節の指定は、具体的季節の指定に加えて、当該季節に取得する休暇の日数及び継続・分割の別 を明らかにして行う必要がある。この場合、指定された季節の中で具体的休暇日を特定する必要が 生じるが、この休暇日の特定は、労働者の希望を十分に尊重し、調整・協議した上で、使用者が決 定することができると考えられる。 この点でいえば、年度末や入試時期等の繁忙期において長期連続休暇をしようとするときは、労 働者の希望を十分尊重するも、事前に調整・協議した上で労働者が時季指定することを奨励するこ とによって、ある程度の対応は可能であると考えられる。ただし、あくまでも時季指定をする前に 調整・協議を行うべきであって、時季指定がなされた後、時季変更権を使用者が行使するかどうか を判断するための調整・協議ではない点に留意しなければならない。 702 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 2)事業の正常な運営を妨げる場合 使用者が時季変更権を行使することができる「事業の正常な運営を妨げる場合」とは、たとえば、 年末等のとくに業務繁忙な時期であるとか同一期間に多数の労働者が休暇を請求してきた場合な どが考えられる。判例では、 「『事業の正常な運営を妨げる』か否かは当該労働者の所属する事業場 を基準として、事業の規模、内容、当該労働者の担当する作業の内容、性質、作業の繁閑、代行者 の配置の難易、労働慣行等諸般の事情を考慮して客観的に判断すべきである」とするもの(「此花 電報電話局事件」大阪高裁判決昭 53.1.31)、 「事業の正常な運営を妨げる場合」とは、労働者が年 休を取得しようとする日の仕事が、その労働者の担当している業務や所属する部・課・係など一定 範囲の業務運営に不可欠であり、代わりの労働者を確保することが困難な状態を指す、とするもの (「新潟鉄道郵便局事件」最高裁二小判決昭 60.3.11)などがある。 日常的に業務が忙しいことや慢性的に人手が足りないことだけでは、この要件はみたされないと 考えるべきである。そう考えないと、人手不足の事業場ではおよそ年休がとれなくなるからである。 3)時季変更権の行使の時期 労働者が休暇の時季を指定する場合は、その指定を受けた使用者が休暇開始前に時季変更権を行 使するか否か判断することができるだけの時間的余裕をもって行わなければならない。休暇が開始 された後であっても時季指定を受けた使用者が休暇開始前に時季変更権を行使するか否か判断す ることができるだけの時間的余裕がない場合には、時季変更権の行使が適法であるとする判例があ る(「此花電報電話局事件」最高裁一小判決昭和 57.3.18-注)。時間的余裕を使用者に与えない時 季指定権の行使は、年休の円滑な実現という制度の目的を逸脱するものとして権利の濫用にあたる ものとも考えられ、無効となると解される。 注.「此花電報電話局事件」(最高裁一小判決昭和 57.3.18) 同上告人は、当日出社せず、午前八時四〇分ごろ、電話により宿直職員を通じて、理由を述べず、年次休暇 を請求し、同日午前九時から予定されていた勤務に就かなかった。これに対して、所属長であるB課長は、事 務に支障が生ずるおそれがあると判断したが、休暇を必要とする事情のいかんによっては業務に支障が生ずる おそれがある場合でも年次休暇を認めるのを妥当とする場合があると考え、同上告人から休暇を必要とする事 情を聴取するため、直ちに連絡するよう電報を打つたが、午後三時ごろ出社した同上告人が理由を明らかにす ることを拒んだため、直ちに年次休暇の請求を不承認とする意思表示をした。この場合に客観的に右時季変更 権を行使しうる事由が存し、かつ、その行使が遅滞なくされたものである場合には、適法な時季変更権の行使 があつたものとしてその効力を認めるのが相当であるとし、時季変更権の行使は適法であるとした。 4)年休取得理由の告知 一般的に年休取得理由の告知は、すでにみてきたように使用者の時季変更権行使の判断基準では なく、年休の利用は自由利用の原則であるところから、労働者の時季指定の際に取得理由の告知を 義務づけることはできないと考えられる。前述の此花電報電話局事件においても、時季変更権の行 使を取得理由の告知が可能となる時期(午後3時頃)まで待ったのは、客観的に時季変更権行使事 由が存在するも労働者の取得理由によってはその行使を差し控える場合もありうるからであり、年 休取得理由の告知を拒否したから時季変更権を行使したのではないとしている。 しかし、次のような判断をする際に、労働者が任意に告知した取得理由を考慮することは差し支 えないと考えられる。 ① 客観的に時季変更権行使自由が存在するが、休暇理由によってはその行使を差し控えるかど 703 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 うか。 ② 同時に休暇取得者が多数いる場合に、誰に対して時季変更権を行使するか。 したがって、年休取得理由が使用者の時季変更権行使の判断基準になり得ることは考えられ、と くに、長期休暇の場合においては、労働者が時季指定に当たって事前調整・協議をしないときにあ る程度の裁量的判断によって時季変更権を行使することができるとする判例がある(「時事通信社 事件」最高裁三小平成 4 年 6 月 23 日-注)から、休暇理由の告知を求めることはそれなりの理由 があり、違法というわけではない。ただし、ここで注意しなければならないことは、上記①及び② の場合であっても休暇理由の告知を労働者に義務づけることはできないということで、任意の告知 によらなければならないということである。 注.時事通信社事件(最高裁三判決小平成 4.6.23) 控訴人は、口頭で、8 月 20 日ころから約 1 箇月間の年休を取つて欧州の原子力発電問題を取材したい旨の申 入れをした上、同年 6 月 30 日、同部長に対し、休暇及び欠勤届(同年 8 月 20 日から 9 月 20 日まで。ただし、 うち所定の休日等を除いた年休日数は 24 日である。 )を提出し、年休の時季指定をした。 C社会部長は、科学技術記者クラブの常駐記者は控訴人一人だけであつて一箇月も専門記者が不在では取材 報道に支障を来すおそれがあり、代替記者を配置する人員の余裕もないとの理由を挙げ、控訴人に対し、二週 間ずつ二回に分けて右休暇を取つてほしいと回答した上、同年 7 月 16 日付けで 8 月 20 日から 9 月 3 日までの 休暇は認めるが、9 月 4 日から同月 20 日までの期間(ただし、控訴人が休暇の始期を遅らせたときは、9 月 4 日からその遅らせた日数だけ後の日から同月 20 日までの期間)中の勤務を要する日に係る時季指定について は業務の正常な運営を妨げるものとして時季変更権を行使したため、これを不服として争った事件。最高裁は 会社側の時季変更権の行使は適法であると判示した。 ⇒ 時季変更権を行使するか否かは使用者の自由であって、「事業の正常な運営を妨げる」客観的な事実 があっても行使しないことがあり得る。 5)年休の時間単位取得と時季変更権 時間単位年休についても、使用者の時季変更権の対象となるものであるが、労働者が時間単位に よる取得を請求した場合に日単位に変更することや、日単位による取得を請求した場合に時間単位 に変更することは、時季変更に当たらず、認められないものである。 また、事業の正常な運営を妨げるか否かは、労働者からの具体的な請求について個別的、具体的 に客観的に判断されるべきものであり、あらかじめ労使協定において時間単位年休を取得すること ができない時間帯を定めておくこと、所定労働時間の中途に時間単位年休を取得することを制限す ること、1日において取得することができる時間単位年休の時間数を制限すること等は認められな い。 (3)労使協定による計画的付与 労使協定により有給休暇を与える時季に関して定めをした場合は、有給休暇の日数のうち5日を 超える部分について、使用者はその定めに従って与えることができる(労基法 39 条 5 項)。 この場合、協定で定めた時季について、使用者は上記(2)の時季変更権を行使することはで きない。 704 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 1)計画年休制の意義 わが国では一般に年休の消化率が低い現象がみられるが、これは、年休の取得が個人の判断に委 ねられる結果、職場への気がねなどから権利行使を自制しがちになることに一因があると考えられ ている。そこで、昭和 62 年の労基法改正の際に、年休の取得を促進する手段として、この計画年 休の制度が設けられた。5 日間の年休日(自由年休)が計画年休の対象とならないのは、個人の意 向による年休利用の余地を残す必要があるからである。 2)計画年休の要件 計画年休を実施するためには、①各労働者の年休のうち 5 日を超える部分を対象に、②労使協定 により年休の実施時期に関する定めをすることが必要である。年休の実施時期は、労使協定で定め ることが原則で、たとえば、事業場全体で一斉に休暇を付与する方法や、班別に交替で付与する方 法などが典型とされる。しかし、計画表を用いて個人ごとに年休日を決定することもでき、その場 合には、計画表の作成時期や手続について定めれば足りる(昭 63.1.1 基発 1 号)。計画年休の対象 となる労働者の範囲について明文の規定はないが、特別の事情により年休日をあらかじめ定めるこ とが適当でない者については、労使協定により対象から除外するなどの配慮が望ましいとされてい る(基昭 63.1.1 基発 1 号)。また、退職者については、退職後に年休付与が計画されていても取得 は不可能であるから、その年休は、個人の時季指定に従って実現される(昭 63.3.14 基発 150 号)。 3)計画年休の効果 以上のような労使協定が締結されると、年休日は協定の定めるところにより特定され、労働者の 時季指定権や使用者の時季変更権は特段の事情がないかぎり排除され、上記で述べた計画年休の対 象に含めるのが適当でない者を除けば、労働者個人の同意を得なくとも年休時季を特定することが できるし、その一方で、使用者も協定で定めた年休を特段の事情がない限り変更できなくなると考 えられる。 4)年休の時間単位取得と計画的付与との関係 時間単位年休は、労働者が時間単位による取得を請求した場合において、労働者が請求した時季 に時間単位により年次有給休暇を与えることができるものであり、計画的付与として時間単位年休 を与えることは認められない。 5)その他 イ 育児休業と年休 労使協定で計画的付与を定めた後に育児休業の申し出があった場合、当該休暇指定日は育児休 業ではなく年次有給休暇取得日とされる。 ロ 年休日数のない者 計画付与により事業場全体を休業とした場合に、年次有給休暇の権利がない者を休業させれば、 休業手当(26 条)を支払わなければならない(昭 63.3.14 基発 150 号)、計画的に付与する場合 に、年休日数が足りない又はない者に対し付与日数を増やす等の措置が必要(昭 63.1.1 基発 1 号)としている。実務においては、特別休暇(有給)を付与することが妥当であろう。 705 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 5.年次有給休暇をめぐる諸問題 (1)半日年休・時間年休 年次有給休暇は一労働日(つまり 1 日) を単位とするものであるから、労働者が半日の年休を 請求しても、使用者は半日の年休を付与する義務はない(昭 24.7.7 基収 1428 号、昭 63.3.14 基発 150 号)。時間単位の年休請求も同じである。しかし、就業規則等で半日の年休を請求するこ とができる規定があれば、使用者はこれに応じる義務が生まれ、半日単位で与えることも可能であ ると解されている(注 1、注 2)。また、下級審の判例であるが、1時間の年休が認められた例も ある(東京国際郵便局事件 東京地判平 5.12.8 ただし、現業国家公務員の場合であるから、純 粋の民間にそのまま適用されるものであるか不明)。 なお、平成 20 年 12 月 12 日に公布された改正労基法では、労使協定により定めた場合に5日以 下の日数に限って時間単位の取得が可能となる(平成 22 年 4 月 1 日施行)。労使協定で定めるべ き事項は、次のとおりである(改正労基法 39 条 4 項)。 ① 時間を単位として年次有給休暇を与えることができることとされる労働者の範囲 ② 時間を単位として与えることができることとされる年次有給休暇の日数(5日以内に限る。) ③ その他厚生労働省令で定める事項 それから、日によって所定労働時間が異なる場合に、たとえば、土曜日は4時間、月~金曜日は 7時間というような所定労働時間の事業所において、土曜日に年休を取得しても1労働日の年休と して取扱うことになる(「労基法コメ」上巻 P576)。この考え方に沿っていえば、変形労働時間 制においては各日の所定労働時間が異なることがあり得るが、年休取得の計算においては労働日を 単位とするので、その日の所定労働時間の長さに関係なく計算される。 注 1.年次有給休暇付与の分割単位の変遷 ①昭和 63 年前 昭和 63 年の解釈の変更が行われる前は、 「法第 39 条に規定する年次有給休暇は、一労働日を単位とするも のであるから、それ以下に分割して与えることはできない。」とされていた(昭 24.7.7 基収 1428 号) ②昭和 63 年の解釈変更 「労働者が半日の年休を請求しても、使用者は半日の年休を付与する義務はない」 (昭 63.3.14 基発 150 号) 。 その意味するところは、労働者から年休を半日単位で取得したいと請求があっても、使用者は必ずしも半日 単位で付与する義務はないという趣旨であって、その取得を認めて半日単位で付与しても差し支えないと解さ れるものである(安西「労働時間」P812)。 ③平成 20 年労基法改正(22 年 4 月 1 日施行) 労使協定により定めた場合に5日以下の日数に限って時間単位で与えることができる(改正労基法 39 条 4 項)。 注 2.国家公務員の年次休暇 国家公務員の場合は「年次休暇の単位は、1日又は半日とする。ただし、特に必要があると認められるとき は、1時間を単位とすることができる。」と、時間単位の分割付与が認められている(人事院規則 15-14 第 20 条 1 項)。 年次休暇日数を次年度へ繰り越すときに、残日数に1日未満の端数があるときはこれを切り捨てる(同規則 15-14 第 19 条)。 706 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 (2)年休の買上げ等 1)基本原則 労基法 39 条 1 項・2 項は「・・・有給休暇を与えなければならない」と規定しているので、休 暇に替えて金銭を付与しても休暇を与えたことにならない。行政解釈では「年次有給休暇の買上げ の予約をし、これに基づいて法第 39 条の規定により請求し得る年次有給休暇日数を減じないし請 求された日数を与えないことは、法第 39 条違反である。」としている(昭 30.11.30 基収 4718 号)。 労働者が年次有給休暇権を行使せず、その後時効等の理由で権利が消滅するような場合に残日 数に応じて金銭給付することは、事前の買上と異なるのであって、必ずしも法違反となるものでな いが、このような取扱いによって年休取得を抑制する効果をもつようになることは好ましいことで はない。休暇を買い上げることよりも、休暇を取得しやすい環境を整備することが重要である(「労 基法コメ」上巻 P566)。 退職の場合に残日数を買い取ることは、もはや年休権行使のチャンスがないのであるから問題 ないと思うが、時効によって消滅する残日数を買い取ることは、労働者に「休暇か金銭か」とい う選択を与えるものであるから、使用者としては自粛すべきであろう。 なお、法定を上回る年次有給休暇については、買上げをしても法違反としない(昭 23.3.31 基発 513 号)。 ⇒ 年休を買上げることが必ずしも違法とされるわけでなく、買上げることによって年休取得を抑制する効果が生 じることが好ましくないとされる。 2)法定日数を上回る年次有給休暇 労基法を上回る年休付与した場合、上回った部分については、労基法と相違する取扱いをするこ とが可能であるので、前述通達のとおり法違反とならない。しかし、法定を上回る部分がどの部分 であるか複雑であるので、法定を上回る部分すべてを特別扱いすることは、実務において神経を使 い現実的でない。 ただし、次のような規定は有効であるように思われる。 採用時に年休を一律 20 日付与する場合において、採用日の翌日から年休を連続取得してそのまま 辞めてしまうということが想定される場合に、採用後6か月間は、年次有給休暇の付与は申請に対す る使用者の承認があって初めて取得できるようにすること。 (3)不利益取扱いの禁止 使用者は、労働者が年次有給休暇を取得したことを理由として、賃金の減額その他不利益な取扱 いをしないようにしなければならない(労基法 136 条)。 精勤手当や賞与の算定に際して、年次有給休暇を取得した日を欠勤として取扱う等は、不利益取 扱いとして禁止される。裁判例として、賃金引き上げの条件として前年の稼働率 80%以下の者を 除く労働協約に基づいて「欠勤」 「遅刻」 「早退」 「年次有給休暇」 「生理休暇」 「慶弔休暇」 「産前・ 産後休業」「育児時間」「業務上災害による休業」「ストライキなど組合活動」を不就労として取り 扱った事件がある。その判決では、「従業員の出勤率の低下防止等の観点から、稼働率の低い者に つきある種の経済的利益を得られないこととする制度は、一応の経済的合理性を有しており、当該 制度が、労基法又は労組法上の権利に基づくもの以外の不就労を基礎として稼働率を算定するもの であれば、それを違法であるとすべきものではない」と、制度そのものは否定せず、労基法・労組 707 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 法等法律で定められた権利の行使によって就労しなかったことを稼働率の算定において不就労と して取扱う部分を違法、としている(下記「日本シェーリング(稼働率 80%条項)事件」参照)。 「日本シェーリング(稼働率 80%条項)事件」最高裁一小判決平 1.12.14 (1)事件のあらまし 医薬品の輸入および製造販売業を営む第一審被告の会社Yは、経営状況が良好でないことの一因が 従業員の稼動状況にあると考え、稼働率を向上させるための方策を労働協約に定めることを考えた。 Yは、従業員で構成される二つの組合に対して、賃金引き上げの条件として、前年の稼働率80%以下 の者を除くこと(以下「80%条項」)を含む協定を取り結ぶことを求め、二つの組合とその条件を含 む協定を取り結んだ。 稼働率算定の基礎となる不就労に当たる事項は、「欠勤」「遅刻」「早退」「年次有給休暇」「生 理休暇」「慶弔休暇」「産前・産後休業」「育児時間」「労働災害による休業ないし通院」「ストラ イキなど組合活動によるもの」が含まれる。 第一審原告の労働者Xらは、数年間にわたる各年の賃上げに際し、それぞれ前年の稼働率が80%以下 であるとして賃上げ対象者から除外され、各年の賃金引き上げ相当額およびそれに対応する夏季冬季 一時金、退職金が支払われなかった。 そこで、Xらは、Yに対して、賃金引き上げ相当額等と損害賠償の支払いを求めて裁判を起こした。 二審の高等裁判所判決(大阪高判昭58.8.31 労判417‐35) は、80%条項を全体として無効と判 断した。これに対してYが上告したのが本件である。 (2)判決の内容 労働者側勝訴 第二審判決のうち、Y敗訴部分を破棄して、事件を高等裁判所に差戻した。 従業員の出勤率の低下防止等の観点から、稼働率の低い者につきある種の経済的利益を得られない こととする制度は、一応の経済的合理性を有しており、当該制度が、労基法又は労組法上の権利に基 づくもの以外の不就労を基礎として稼働率を算定するものであれば、それを違法であるとすべきもの ではない。したがって、80%条項は、労働基準法または労働組合法の権利に基づくもの以外の不就労 を基礎として算定する限りでは法的効力を認められるが、反面、労基法または労組法上の権利に基づ く不就労を稼働率算定の基礎としていることは問題である。なぜなら、労基法または労組法の権利を 行使したことによって、労働者が(賃金など)経済的利益を得られないとすることは、それぞれの法 律に定められた権利の行使を抑制してしまうからである。さらに、それぞれの法律が労働者に保障し たそれぞれの権利の趣旨を実質的に失わせてしまうからである。 したがって、80%条項にある、法律で定められた権利の行使によって就労しなかったことを稼働率 算定の基礎とする定めは、違法である。 708 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 6.改正労基法による時間単位の年休付与 (1)概 要 ○年次有給休暇は、労働者の心身の疲労を回復させ、労働力の維持培養を図るとともに、ゆとりあ る生活の実現にも資するという趣旨から、毎年一定日数の有給休暇を与えることを規定している。 ○この年次有給休暇の取得状況については、取得率が5割を下回る水準で推移しており、その取得 の促進が課題となっている一方、現行の日単位による取得のほかに、時間単位による取得の希望も みられるところである。 ○このため、まとまった日数の休暇を取得するという年次有給休暇制度本来の趣旨を踏まえつつ、 仕事と生活の調和を図る観点から、年次有給休暇を有効に活用できるようにすることを目的として、 労使協定を締結することにより、年間5日の範囲内で時間を単位として与えることができることと した。 ○改正労基法は平成 22 年 4 月 1 日から施行される。 (2)時間単位年休に係る労使協定の締結 「時間単位年休」を実施する場合には、事業場において労使協定を締結する必要がある。この労 使協定は、当該事業場において、労働者が時間単位による取得を請求した場合において、労働者が 請求した時季に時間単位により年次有給休暇を与えることができることとするものであり、個々の 労働者に対して時間単位による取得を義務付けるものではない。労使協定が締結されている事業場 において、個々の労働者が時間単位により取得するか日単位により取得するかは、労働者の意思に よるものである。 なお、労使協定の締結によって時間単位年休を実施する場合には、労基法 89 条 1 号の「休暇」 として時間単位年休に関する事項を就業規則に記載する必要がある。 時間単位年休に関する労使協定の例として、東京大学の例を掲げる(資料39 712 ページ参照)。 (3)労使協定で定める事項 時間単位年休に係る労使協定においては、①時間単位年休の対象労働者の範囲、②時間単位年休 の日数(年間5日が限度)、③時間単位年休の日数、④1時間以外の時間を単位とする場合の時間 数、について定めなければならない(労基法 39 条 4 項、労規則 24 条の 4)。 1)時間単位年休の対象労働者の範囲(労基法 39 条 4 項 1 号関係) 年次有給休暇の権利は、法定要件を充たした場合法律上当然に労働者に生じる権利であるが、そ の取得に際しては、事業の正常な運営との調整が考慮されるものである。この点において、時間単 位による取得は、たとえば一斉に作業を行うことが必要とされる業務に従事する労働者等にはなじ まないことが考えられる。このため、事業の正常な運営との調整を図る観点から、労使協定では時 間単位年休の対象労働者の範囲を定めることとされている。 なお、年次有給休暇を労働者がどのように利用するかは労働者の自由であることから、利用目的 によって時間単位年休の対象労働者の範囲を定めることはできない。 2)時間単位年休の日数(労基法 39 条 4 項 2 号関係) 709 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 時間を単位として与えることができる年次有給休暇の日数については、まとまった日数の休暇を 取得するという年次有給休暇制度本来の趣旨にかんがみ、年間5日以内とされており、労使協定で は、この範囲内で定める必要がある。 労基法 39 条 3 項の比例付与の規定により付与される休暇日数が年間五5日に満たない労働者に ついては、労使協定で当該比例付与される日数の範囲内で定めることとなる。 時間単位年休の日数は、前年度からの繰越分も含めて年間5日以内である。 3)時間単位年休1日の時間数(労基則 24 条の 4 第 1 号関係) 1日分の年次有給休暇が何時間分の時間単位年休に相当するかについては、当該労働者の所定労 働時間数を基に定めることとなるが、所定労働時間数に1時間に満たない時間数がある労働者にと って不利益とならないようにする観点から、1日の所定労働時間数を下回らないものとされており (労基則 24 条の 4 第1号)、具体的には、1時間に満たない時間数については時間単位に切り上 げる必要があり、労使協定ではこれに沿って定めなければならない。 ※1日の所定労働時間が7時間 45 分の場合 1日の所定労働時間が7時間 45 分の事業所の場合、1日分の年次有給休暇は少なくとも8時間分 の時間単位年休に相当する、というように定めなければならない。 「1日の所定労働時間数」については、日によって所定労働時間数が異なる場合には1年間にお ける1日平均所定労働時間数となり、1年間における総所定労働時間数が決まっていない場合には 所定労働時間数が決まっている期間における1日平均所定労働時間数となる。 労使協定では、当該労働者の時間単位年休1日の時間数が特定されるように定める必要があるが、 これが特定される限りにおいて、労働者の所定労働時間数ごとにグループ化して定めること(たと えば、所定労働時間6時間以下の者は6時間、同6時間超7時間以下の者は7時間、同7時間超の 者は8時間等)も差支えない。 4)1時間以外の時間を単位とする場合の時間数(労基則 24 条の 4 第 2 号関係) 2時間や3時間といったように1時間以外の時間を単位として時間単位年休を与えることは、労 使協定でその時間数を定めることによって可能である(労基則 24 条の 4 第 2 号)。 (4)時季変更権との関係 時間単位年休についても、使用者の時季変更権の対象となるものであるが、労働者が時間単位に よる取得を請求した場合に日単位に変更することや、日単位による取得を請求した場合に時間単位 に変更することは、時季変更に当たらず、認められないものである。 また、事業の正常な運営を妨げるか否かは、労働者からの具体的な請求について個別的、具体的 に客観的に判断されるべきものであり、あらかじめ労使協定において時間単位年休を取得すること ができない時間帯を定めておくこと、所定労働時間の中途に時間単位年休を取得することを制限す ること、1日において取得することができる時間単位年休の時間数を制限すること等は認められな い。 (5)計画的付与との関係 時間単位年休は、労働者が時間単位による取得を請求した場合において、労働者が請求した時季 に時間単位により年次有給休暇を与えることができるものであり、計画的付与として時間単位年休 を与えることは認められない。 (6)時間単位年休に対して支払われる賃金(労基則 25 条 2 項及び 3 項) 710 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 使用者は、時間単位年休として与えた時間については、①平均賃金若しくは②所定労働時間労働 した場合に支払われる通常の賃金の額をその日の所定労働時間数で除して得た額の賃金又は③標 準報酬日額をその日の所定労働時間数で除して得た金額を、当該時間に応じ支払わなければならな いこととされている(労基則 25 条 2 項・3 項)。 「その日の所定労働時間数」とは、時間単位年休を取得した日の所定労働時間数をいう。 「平均賃金」 「通常の賃金」 「標準報酬日額」のいずれを基準とするかについては、日単位による 取得の場合と同様としなければならない。 (7)その他の取扱い 1)1日の年次有給休暇を取得する場合の取扱い 時間単位年休は、年次有給休暇を有効に活用できるようにすることを目的として、原則となる取 得方法である日単位による取得の例外として認められるものであり、1日の年次有給休暇を取得す る場合には、原則として時間単位ではなく日単位により取得するものである。 2)半日単位年休の取扱い 年次有給休暇の半日単位による付与については、年次有給休暇の取得促進の観点から、労働者が その取得を希望して時季を指定し、これに使用者が同意した場合であって、本来の取得方法による 休暇取得の阻害とならない範囲で適切に運用される限りにおいて、問題がないものとして取り扱う こととしているところであるが、この取扱いに変更はない。 711 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2 個別的労働関係 第4章 年次有給休暇 資料39 (P709 関係) 時間単位年休の労使協定締結例 東京大学 時間単位の年次有給休暇に関する協定 国立大学法人東京大学と国立大学法人東京大学本郷地区教職員過半数代表者とは、労働基準法(昭和 22 年法律第 49 号)第 39 条第 4 項の規定に基づき、時間単位の年次有給休暇に関し、次のとおり協定する。 (適用対象者) 第 1 条 この協定の適用対象者は、次の各号のいずれかに該当する教職員以外の教職員とする。 (1)東京大学教職員給与規則(以下「教職員給与規則」という。)第 11 条第 1 項第 4 号に規定する指定 職俸給表の適用を受ける教職員 (2)教職員給与規則第 21 条に親定する管理職手当の支給を受ける教職員 (3)労働基準法第 38 条の 3 の規定に基づく裁量労働制によるみなし労働時間制が適用される教職員 (時間単位で取得することができる日数) 第 2 条 年次有給休暇を時間単位で取得することができる日数は、原則として、東京大学教職員勤務時間、 休暇等規則の適用を受ける教職員(以下「常勤教職員」という。)にあっては一の年において 5 日以内、 東京大学短時間勤務有期雇用教職員就業規則の適用を受ける教職員(以下「短時間勤務有期雇用教職員」 という。)にあっては一の会計年度(4 月 1 日から翌年の 3 月 31 日まで)において 5 日以内とする。 (1 日の年次有給休暇に相当する時間数) 第 3 条 年次有給休暇を時間単位で取得する場合における 1 日の年次有給休暇に相当する時間数は、常勤 教職凛にあっては 8 時間、短時間勤務有期雇用教職鰯にあっては週の所定勤務時間数を週の勤務日数で除 して得た平均の所定勤務時間敷(週以外の期間により勤務日が定められている場合は、1 年間における 1 日の平均の所定勤務時間数)(ただし、当該時間数に 1 時間未満の端数があるときは 1 時間に切り上げる ものとする。 )とする。 (取得単位) 第 4 条 年次有給休職を時間単位で取得する場合は、1 時間単位で取得するものとする。 (有効期間) 第 5 条 この協定は、平成 22 年 4 月 1 日から有効とする。 2 この協定は、いずれかの当事者が 90 日前に文番による破棄の通告をしない限り効力を有するものとす る。 平成 22 年 3 月 18 日 国立大学法人 東京大学 理事 久保 公人 印 国立大学法人 東京大学 本郷地区 教職員過半数代表者 712 浦辺 徹郎 印 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 第5章 労働時間管理 この章では、使用者の労働時間の把握義務、安全配慮義務、長時間・過重労働が健康に及ぼす影響 等及びその防止措置等について、行政通達、裁判例などを交えて記述する。 1.労働時間の適正な把握義務 (1)使用者は労働者の労働時間を把握する義務があるのか? 使用者は労働者の労働時間を把握する法的な義務があるのだろうか? これについて、通達は「労働基準法においては、労働時間、休日、深夜業等について規定を設け ていることから、使用者は、労働時間を適正に把握するなど労働時間を適切に管理する責務を有し ていることは明らかである。」と述べ、法的な義務があるとしている(平 13.4.6 基発 339 号) 。 一般的には、使用者は労働時間を適正に把握するなど労働時間を適切に管理する責務を負ってい ると解すべきである。具体的には、時間外・休日・深夜労働の割増賃金を支払うなど労基法の規定 に違反しないようにするため、始業・終業時刻の確認及び記録し、長時間労働が労働者心身の健康 を損ねることがないように配慮することであり、これが労働時間を管理する基本となる。 しかし、実態は、一部の事業場において、自己申告制(労働者が自己の労働時間を自主的に申告 することにより労働時間を把握するもの。)の不適正な運用により、労働時間の把握が曖昧となり、 その結果、割増賃金の未払いや過重な長時間労働に伴うの健康問題が生じている。このため、厚生 労働省は、これらの問題の解消を図る目的で、労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき具 体的措置等に関して次のとおり基準を明らかにしている(平 13.4.6 基発 339 号)。 (2)対象となる労働者 労働時間の適正な把握(注 1)を行うべき対象労働者は、原則としてすべての労働者であるが 次 の者は除かれる。ただし、健康確保を図る必要があることから、そのような者についても適正な労働 時間管理(注 2)を行う責務がある。 ① 事業場外労働のみなし労働時間制が適用される者(労基法 38 条の 2) ② 専門業務型裁量労働制が適用される者(労基法 38 条の 3) ③ 企画業務型裁量労働制が適用される者(労基法 38 条の 4) ④ 管理監督者等(労基法 41 条) 注1.労働時間の適正な把握=始業・終業時刻の確認を含む労働時間の把握が必要 注2.適正な労働時間管理=労務を提供し得る状態を明らかにすることができる入退室時刻の把握(休憩時間を 含む拘束時間の把握)が必要 ⇒ 労働時間の適正な把握を行うべき対象労働者は原則としてすべての労働者であるが みなし時間が適用さ れる者及び管理監督者等は除かれる。 ⇒ 労働時間の適正な把握を行うべき対象労働者から除かれるみなし時間が適用される者及び管理監督者等 に対しても、適正な労働時間管理を行う責務がある。 ※フレックス・タイム制適用者の場合 713 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 フレックス・タイム制においては、始業・終業の時刻を労働者の決定にゆだねており、使用者は労 働時間を把握しなくてよいのかというと、そうではなく、「フレックス・タイム制の場合にも、使用 者に労働時間の把握義務がある。したがってフレックス・タイム制を採用する事業場においても、各 労働者の各日の労働時間の把握をきちんと行うべきものである。 」 (昭 63.3.14 基発 150 号)と通達さ れているように、労働時間の把握・算定義務が免除されているわけでない(安西「労働時間」P275)。 (3)労働時間の適正な把握の方法 労働時間の適正な把握のために使用者がなすべき措置は、次のようなものである(平 13.4.6 基 発 339 号-資料 40 743 ページ参照)。 1)始業・終業時刻の確認及び記録 使用者は、労働時間を適正に管理するため、労働者の労働日ごとの始業・ 終業時刻を確認し、 これを記録すること。 ⇒ 労働時間の適正な把握とは、労働者の労働日ごとの始業・ 終業時刻を確認しこれを記録することである。 2)始業・終業時刻の確認及び記録の原則的な方法 使用者が始業・終業時刻を確認し、記録する方法としては、原則として次のいずれかの方法によ ること。 ① 使用者が、自ら現認することにより確認し、記録すること。 ② タイムカード、ICカード等の客観的な記録を基礎として確認し、記録すること。 3)自己申告制により始業・終業時刻の確認及び記録を行う場合 上記2)の方法によることなく、自己申告制によりこれを行わざるを得ない場合(注)、使用者 は次の措置を講ずること。 ① 自己申告制を導入する前に、その対象となる労働者に対して、労働時間の実態を正しく記録 し、適正に自己申告を行うことなどについて十分な説明を行うこと。 ② 自己申告により把握した労働時間が実際の労働時間と合致しているか否かについて、必要に 応じて実態調査を実施すること。 ③ 労働者の労働時間の適正な申告を阻害する目的で、時間外労働時間数の上限を設定するなど の措置を講じないこと。また、時間外労働時間の削減のための社内通達や時間外労働手当の定額 払等労働時間に係る事業場の措置が、労働者の労働時間の適正な申告を阻害する要因となってい ないかについて確認するとともに、当該要因となっている場合においては、改善のための措置を 講ずること。 注.「自己申告制によりこれを行わざるを得ない場合」 労政時報Q&Aは、「自己申告制による労働時間管理が認められるのは、どういう場合か」とい う問に対して、次のように答えている。 「労働時間適正把握基準」は,労働時間把握の方法として,①使用者自らの現認、②タイムカー ド,ICカード等の客観的な記録を基礎とした把握、の二つを原則とし,例外的に「上記の方法に よることなく.自己申告制によりこれを行わざるを得ない場合」として,一定の措置を講じること を条件に自己申告制による労働時間の把握を認めている。 714 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 同基準が「自己申告制によりこれを行わざるを得ない場合」といっていることから,基本的には, 自己申告制によることなく,使用者の現認,タイムカード等による把握を行うべきであるというこ とであろう。 もっとも, 「行わざるを得ない場合」とは,どういう場合かについては,特に説明されていない。 一般論としては,工場部門や定型的な業務を処理する一般事務部門等については,労働時間把握 について自己申告によらざるを得ない場合には該当しないと思われる。 これに対し,フレックスタイム制を採用している部門,裁量労働制の協定はしていないが営業, 企画,研究,開発部門等は,一般的には定型的な業務を画一的に処理する部門ではなく,業務の進 め方,労働時間配分について一律的な管理が困難な面もあると考えられ,自己申告制によらざるを 得ない面もあるということはできよう。 いずれにせよ,「労働時間適正把握基準」が,「自己申告制によりこれを行わざるを得ない場合」 といっているのであるから,「自己申告制でやっています」ではなく,自己申告制により労働時間 把握を行わざるを得ない理由を説明できることが必要である(労政時報 3643 号 2004.12.10 P73)。 ⇒ 労働時間の把握を「自己申告制によりこれを行わざるを得ない場合」とは、一般的には、フレックスタイム制を 採用している部門、営業、企画、研究、開発部門などがいう。 4)労働時間の記録に関する書類の保存 労働時間の記録に関する書類について、労働基準法第 109 条に基づき、3年間保存すること。 5)労働時間を管理する者の職務 事業場において労務管理を行う部署の責任者は、当該事業場内における労働時間の適正な把握等 労働時間管理の適正化に関する事項を管理し、労働時間管理上の問題点の把握及びその解消を図る こと。 6)労働時間短縮推進委員会等の活用 事業場の労働時間管理の状況を踏まえ、必要に応じ労働時間短縮推進委員会等の労使協議組織を 活用し、労働時間管理の現状を把握の上、労働時間管理上の問題点及びその解消策等の検討を行う こと。 ⇒ 労働時間の適正な把握のために、使用者は労働者の労働日ごとの始業・終業時刻を確認し記録する必要が ある。 ⇒ 自己申告制により労働時間の適正な把握を行わざるを得ない場合は、①事前説明、②必要に応じて実態調 査を実施、③時間外労働の時間数の上限を設定しないなどの制約のもとに、自己申告制も認められる。 7)公務員の場合 国の機関においては、現在タイムカードは導入されていない。これに対し、国会における平成 16 年 3 月 2 日衆議院議員長妻 昭議員の「厚生労働省は企業等に対して、タイムカード導入等、労 働時間の適正な把握を求めている。しかし、自らはタイムカードを導入していない。これでは示し がつかないのではないか。どう考えるか。」という質問に対し、厚生労働省は次のように答弁書で 答えている。 715 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 「厚生労働省における職員の勤務時間管理については、国の機関として国家公務員法(昭和二十二 年法律第百二十号)、人事院規則等に基づき勤務時間報告書等を適切に管理することにより特段の支 障なく行っているところであり、また、タイムカードのみでは職員の正確な勤務時間が把握できない ことから、勤務時間管理の手法としてタイムカードの導入は必要でないと考える。」 つまり、国家公務員の勤務時間管理については、①勤務時間報告書等の書類の管理を適切に行って いること、②タイムカードのみでは正確な勤務時間が把握できないことから、タイムカードの導入は必 要でないと厚生労働省は考えているのである。 なお、この答弁書の中でタイムカードの効能について「その導入により職員の登庁及び退庁の時 刻を把握することが可能になると考えられるが、一方、機械的に登庁及び退庁の時刻を記録するタ イムカードのみでは職員の正確な勤務時間が把握できないと考えられ」るとしており、タイムカー ドは機械的に登庁及び退庁の時刻を記録するものであって職員の正確な勤務時間を把握するシス テムではないとの見解を示している。 平成十五年十一月二十六日提出(平 16.3.2 受領) 質問第一五号(答弁第 15 号) 国のタイムカード導入及び賃金不払い残業に関する質問主意書 提出者 長妻 昭 先のタイムカード導入状況を質した質問の答弁書(第百五十六回国会答弁第一二二号)で国の機関にお いて、タイムカードによる勤務時間管理が行われている部署はない、導入予定もないとされた。そこでお 尋ねする。 一 厚生労働省は企業等に対して、タイムカード導入等、労働時間の適正な把握を求めている。しかし、 自らはタイムカードを導入していない。これでは示しがつかないのではないか。どう考えるか。 二 厚生労働省は、一室に一台タイムレコーダ機はあるものの、部屋の入出管理のみに使われ、職員の勤 務管理に使われていないと聞いている。せっかく機械があるにもかかわらず、なぜタイムカード管理にし ないのか、その理由をお示し願いたい。 タイムカード管理導入の際のメリットとデメリットを詳細にお教え願いたい。 回答 一及び二について 厚生労働省における職員の勤務時間管理については、国の機関として国家公務員法(昭和二十二年 法律第百二十号)、人事院規則等に基づき勤務時間報告書等を適切に管理することにより特段の支障 なく行っているところであり、また、タイムカードのみでは職員の正確な勤務時間が把握できないこ とから、勤務時間管理の手法としてタイムカードの導入は必要でないと考える。 このため、同省においては、庁舎管理の観点から、中央合同庁舎第五号館の地下一階に各室ごとの かぎの受渡しの際にタイムカードに時刻を打刻するタイムレコーダ機を二台設置しているが、職員の 716 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 勤務時間管理のために用いてはいない。 なお、同省では、企業における労働時間の適正な把握について、「労働時間の適正な把握のために 使用者が講ずべき措置に関する基準について」(平成十三年四月六日付け基発第三百三十九号厚生労 働省労働基準局長通知)により、使用者が始業・終業時刻を確認し記録する原則的な方法として、タ イムカード等を基礎として行う方法のほか、使用者自らが現認する方法を示しているところである。 また、お尋ねの「タイムカード管理」が何を指すのか必ずしも明らかではないが、タイムカード導 入のメリット及びデメリットについては、その導入により職員の登庁及び退庁の時刻を把握すること が可能になると考えられるが、一方、機械的に登庁及び退庁の時刻を記録するタイムカードのみでは 職員の正確な勤務時間が把握できないと考えられ、また、導入のための費用も必要になると考えられ る。 三 国の機関全てにおいて、タイムレコーダ機は何台導入され購入金額は総額いくらか。それらは、どの ような使われ方をしているか。 回答 三について 平成十六年一月五日現在、国の機関においては、タイムカードに時刻を打刻するタイムレコーダ機 を二台使用しており、それらの購入金額に係る総額は二十二万六千円であった。また、それらは、庁 舎管理の観点から、各室ごとのかぎの受渡しの時刻を把握するために使用している。 四 タイムカード管理に移行した場合、給与計算などの人件費をはじめ大幅なコスト減が見込まれる。国 の一機関全てにタイムカード管理が導入された場合、年間いくらぐらいの経費減が見込まれるか試算を してお答え頂きたい。 回答 四について お尋ねの「タイムカード管理」が何を指すのか必ずしも明らかではないが、職員の給与の支給に当 たっては、正規の勤務時間を超えて勤務することを命ぜられて行った超過勤務の時間の把握や正規の 勤務時間において勤務しなかった場合における休暇の使用の有無、諸手当の支給の基礎となる事実の 変更に伴う支給額の変更の有無の把握等の事務がいずれにせよ必要である。タイムカードを導入した 場合に、それらの事務がどのように軽減されるのか現段階では必ずしも明らかではないため、タイム カードを導入した場合に経費がどのように変動するかについて試算することは困難である。 五 厚生労働省では、ある部署は、出勤時に前日の出勤時間、退庁時間を記入するが、ある部署では、朝、 出勤簿に印を押すだけで退庁時間の記入はしていない。後者の部署ではどのように残業時間を正確に掌 握しているのか。 また、出退勤管理が同じ省でもまちまちなのは問題があると考えるが、是正されるか。 厚生労働省は、企業に対して賃金不払い残業を無くすことを指導している。これと矛盾していないか。 回答 五について 厚生労働省における職員の勤務時間管理については、国の機関として国家公務員法、人事院規則等 717 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 に基づき統一的に行っているところである。具体的には、職員に対し出勤時に出勤簿に押印させ、ま た、職員に正規の勤務時間を超えて勤務させる場合にあっては、職員に対し超過勤務を命じ、その内 容を勤務時間報告書等に記入することにより、特段の支障なく行っているところである。 六 国の機関で残業時間を把握していない部署があるとすれば、その部署全てを理由とともにお示し願い たい。またその部署はどのように残業代金を支払っているのか。 また、残業代金を全額支払っていない部署があるとすれば、その部署全てを理由とともにお示し願い たい。 七 過去、残業代金が全額支給されていなかった職員が存在するとすれば、その職員の所属部署名と理由 をお示し願いたい。今後の改善策をお示し願いたい。 回答 六及び七について 国の機関が超過勤務手当を一部でも支給していなかった事例として平成十一年から平成十五年ま での五年間に把握したものの部署、職員数、理由及び改善策は、別表のとおりである。 右質問する。 (別表 略) (4)自己申告制による場合の実態調査 本来労働時間の把握は、① 使用者が自ら確認・記録する、② タイムカード・ICカード等の客 観的な記録によるべきであるが、自己申告制による方法も是認されている。 この場合は「自己申告により把握した労働時間が実際の労働時間と合致しているか否かについて、 必要に応じて実態調査を実施すること。」とされており、実態調査を行わなければならない場合が ある。 1)自己申告と実際の労働時間とのかい離に関する調査方法 大学当局として保有している客観データは、①パソコンがログオフされた時刻、②最終退所者が 鍵を返却した時刻、などではないか。したがって、これと突き合わせることがまず考えられる。 ちなみに、労働基準監督署が実態調査をする場合は、①勤務報告書(自主申告)で「定時終業」 となっている者のうち社内端末の終了時刻が午後8時以降となっているもの、同じく②勤務報告書 (自主申告)で「定時終業」となっている者のうち最終退出者記録簿の時刻が午後9時以降の者等 を個人別に抜き出してその齟齬を突いてくるようだ(平成 14 年 4 月に行われた東京中央労働基準 監督署の「説明会」で示された「指導票」の例文)。 2)実態調査の方法 「実態調査」を恒常的に行わなければならない見通しであれば、システム上そのようなチェック ができないか検討していくとよい。しかし、そのための費用はそれなりにかかるものと思われる。 また、パソコン端末のログ記録と人事情報記録とを取りだして並列に並べることが可能なものか、 人事記録自体が日別のデータで入力されているものなのか(月の合計値で入力されているのであれ 718 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 ば比較できない。)等の技術的問題もある。 手作業で調査を行う場合は、現場の勤怠関係データの集計インプットを担当している庶務係に作 業をお願いすることが一般的であろう。外部に委託することもできようが、渡すデータがしっかり したものであればよいが、そうでなければ作業がはかどらないであろう。 また、実態調査は、対象者の数が多いから、一定の工夫が許されるのではないか。 たとえば、上記例のように、たとえば、申告と客観データとの間に2時間以上のかい離がある者 に対し聞き取り調査を実施し(又は報告書の提出を求める)、その結果、違算があれば修正すると か(差異の 100%について修正するかどうかは別として。) 、申告と客観データとの間に2時間未満 のかい離がある者についての取扱いは、上記2時間以上のかい離があった者の違算状況をみて決め るとか、状況に即した調査方法を検討する。 3)パソコンのログオフ時刻と「労働時間」 主として事務職や病院現業職などの場合は、パソコンのログオフ時刻と労働の終了時刻とに大き な差異がないと思われ、さほど問題ではないが、研究職の教員の場合には、労働時間の概念に労使 間の食い違いがあり得ることに注意が必要である。 労働の本質は「使用従属関係下」における「労務の提供」であって、この二要素が成立しなけ れば労働とはいえない。しかもこの二要素は、どうも相補的な関係があって、一方が他方を補うよ うなところがあると考えられる(P186 相補的二要件説を参照)。この辺の考え方を整理して労組と 議論しないと、在学時間=労働時間ということになりかねない。このような議論を避けるためにも 研究職の教員については専門業務型裁量労働制の採用が望ましいといえる(この場合においても、 労組との協議において平均在学時間とみなし時間とのかい離が依然として問題となることが考え られる。)。 ⇒ パソコンのログオン・ログオフの時刻と始業・終業の時刻とは必ずしも一致しない職種もある。 (5)裁量労働制適用者の労働時間管理 1)拘束時間の把握 専門業務型裁量労働制及び企画業務型裁量労働制の対象となる労働者については、業務の遂行の 方法を大幅に労働者の裁量にゆだね、使用者が具体的な指示をしないこととなるが、使用者は、こ のために当該対象労働者について、労働者の生命、身体及び健康を危険から保護すべき義務(いわ ゆる安全配慮義務)を免れるものではないことに留意することが必要である。 また、「指針」(注)によれば、裁量労働制の対象となる労働者に対して、使用者は「労働時間 の状況に応じた当該労働者の健康及び福祉を確保するための措置」を講じる必要があるが、始業・ 終業の時刻まで把握することを要するものでなく、対象労働者の「労働時間の状況等の勤務状況」 を把握すべきものとしている。具体的にはいかなる時間帯にどの程度の時間在社し、労務を提供し 得る状態にあったか等を明らかにし得る出退勤時刻又は入退室時刻の記録等による勤務状況の把 握である(拘束時間の把握)(平 11.12.27 労告 149 号、平 15.10.22 厚労告 353 号)。 注.労働基準法第38条の4第1項の規定により同項第1号の業務に従事する労働者の適正な労働条件の確保を 図るための指針(平 11.12.27 労働省告示 149 号) 2)健康及び福祉の確保措置 裁量労働制適用者であっても、使用者は労働者の生命、身体及び健康を危険から保護すべき義務 719 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 (安全配慮義務)を免れるものではない。そのため、 ① 労働者の勤務状況及びその健康状態に応じて代償休日等を与えること ② 労働者の勤務状況及びその健康状態に応じて健康診断を実施すること ③ 相談窓口を設置すること ④ 必要な場合は配置転換をするなど適切な措置をとること ⑤ 必要に応じて産業医等による保健指導を受けさせること 等の健康及び福祉の確保措置をとることが求められる。 ⇒ 裁量労働制適用者に対する労働時間管理は「いかなる時間帯にどの程度の時間在社し、労務を提供し得る 状態にあったか等を明らかにし得る出退勤時刻又は入退室時刻の記録等による勤務状況の把握」である(拘 束時間の把握)。 (6)完全自由契約(労働時間の自由)と労働時間把握義務 労働者に対して、勤務時間について特別な規制をせず、全くの任意自由にまかせてもよいかとい う問題がある。たとえば、業務上の成果のみを重視し、一定のノルマさえ実行していれば、いつ出 勤しようといつ退勤しようと問わないというような完全自由勤務制が許されるであろうか。国大の 国大の教授・准教授などの教員は、授業や教授会出席義務などの校務を除けば、これに近い働き方 をしているのではないだろうか? しかし、それがフレックスタイム制や裁量労働制の要件に合致するものとして労使協定の上で実 施されている場合であればよいが、当事者間の完全自由勤務契約なのだから時間外・休日労働も一 切自由であり、それは労働者本人の自由行動に委ねているのだから使用者としては時間外・休日労 働の割増賃金は支払わないし労働時間の把握もしないという場合には問題である。また、労基法 89 条 1 号は「始業及び終業の時刻、休憩時間……」等を就業規則の絶対的必要記載事項として定 めなければならず、労働契約締結の際に明示しなければならない労働条件の一つとしている(労基 則 5 条 1 項 2 号)。 したがって、一般労働者については、始業および終業時刻、休憩時間、休日などを定めない労働 契約を締結することは、原則として労基法違反となる。しかしながら、フレックスタイム制が認め られ、さらに研究開発等の業務について裁量労働時間制が認められるようになり、在宅勤務、フリ ー勤務という形態も出現してきた現代の企業社会において、かかる多様な就業形態は生活時間と業 務との調和を図りつつ勤務ができることから時間拘束のない自主的な勤務制として労使とも歓迎 するような状況となり、従来の社会通念が変化してきた。 完全フリー勤務が労働者にとって時間的拘束から解放され、自己の自由に業務活動時間を定めう るものであるならば労働者には不利益がなく、使用者側が労働者の労働力の利用処分権限の一部を 放棄するものとして理解することができ、このような意味における労働時間の自由勤務制も適法と 解されよう(安西「労働時間」P274 以下)。 しかしながら、使用者が、労働者に対して出勤義務についても拘束せず、フリーにするという完 全自由勤務制と使用者の労基法上の労働時間把握・算定義務との関係はどうなるか。 労基法の趣旨からすれば、労使間で自由勤務制にしても、使用者は、労働者の自主申告制等その 方法は自由であっても、次のような使用者の義務は依然として残る。 ① 労働者がその日出勤したか否か 720 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 ② 何時間労働したか ③ 時間外労働はあったか、あったとしたら何時聞か ④ 休日労働や深夜労働はあったか ⑤ その時間数は何時聞かを調査把握し、記録し ⑥ その時閣外や休日労働に該当する時間については所定の割増賃金を計算して支払わなければ ならない義務がある しかし、労働時間の拘束も課さない自由勤務とすることは、法改正による第三次産業の労働時間 対策、ゆとりのある時間への転換、生活と業務との調和、文化的生活への自由時間の確保という目 的からすれば、このような労働時間の拘束はもとより、労働日の拘束もないというフリー勤務はむ しろのぞましい勤務制度といえよう。 そこで、使用者がこのような、出勤義務を課せず、本人の完全な自由にゆだねるという制度は、 違法ではないが、法定のみなし勤務等に該当しない限り、使用者の労働時間把握・算定義務は公法 上のものだから免れない。 すなわち、各労働者の労働時間を把握する義務は、労使間の権利義務といったものではなく、使 用者の国家に対する公法上の義務であるから、労使間の労働時間の自由勤務といった任意の契約に よってこれを免除することはできず、使用者としては労働者から免除されたとしても公法上の義務 としてこれを怠ることはできないのである。出勤簿やタイムレコーダーという方法による必要はな いが、何らかの方法で適正に労働時間を把握し、算定する義務が使用者に課せられているのである (平 13.4.6 基発 339 号) 。 そこで、労働時間の完全自由勤務制にしたからといってサービス残業問題を免れることにはなら ない。 721 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 2.残業代不払い問題 国立大学が法人化されて以降、平成 17 年から 18 年頃にかけて各地の国立大学法人が所轄労働基 準監督署の立入調査(臨検)を受けて、残業代未払い是正の指導を受けた。 このようなことが起こった理由はいくつか考えられるが、国家公務員時代の“勤務時間”と労基 法上の「労働時間」との意義の違い、②労働時間の適正な把握義務の認識欠如など、民間法制に対 する不慣れな面があったことを指摘できる。 (1)事例:残業代不払いに対する行政指導 労基法は、事業場において労基法に違反する事実がある場合に、労働者はその事実を労働基準監 督官へ申告することができる旨を規定し、そのような申告をしたことを理由として解雇等の報復的 不利益な取扱いを禁止している(労基法 104 条)。 法人化後、各地の国立大学法人では、労働者側が残業代未払いがあるとして大学当局に改善を申 し入れたが、大学側が応じなかったため労働基準監督署へ申告するに至った経緯がある。 当時、新聞報道された事案は十数件あるが、その中の一例を紹介する。 ○○医科大が労使交渉で定めた残業時間を守らず、教職員に「サービス残業」させたとして、 □□労働基準監督署から労働基準法に基づく是正勧告を受けたことが 23 日、分かった。同大は国 立大学法人となった昨年4月以降の未払い分を調査する。未払い総額は1億円を超えるとみられ る。 同労基署は教職員団体から調査の申し入れを受け、昨年 12 月から検査を2度実施。上限を超え た労働実態が分かり、同労基署は 16 日、一人当たりの残業の上限を月 45 時間などとする労使協 定の順守を勧告し、昨年4月までさかのぼって勤務実態を調べ、未払い分を支払うよう求めた。 大学側と教職員団体は昨年7月以降、協議の場を設け、教職員側が残業代支払いと環境改善を 要求。大学側が「超過勤務命令簿に記載されていないので時間外労働はない」と主張したため、 教職員側が調査を依頼した。 同大庶務課の△△課長は「是正勧告を真摯に受け止め、職場環境の改善に向けて努力したい」 と話している。 労働政策研究・研修機構 18.4.20 (2)厚労省「賃金不払残業解消を図るための指針」 厚労省は、賃金不払残業は労働基準法に違反するあってはならないものであるという観点から 「賃金不払残業の解消を図るために講ずべき措置等に関する指針」平 15.5.23 基発 0523004 号を発 している。 「指針」は、賃金不払残業が行われることのない企業にしていくためには、単に使用者が労働時 間の適正な把握に努めるに止まらず、職場風土の改革、適正な労働時間の管理を行うためのシステ ムの整備、責任体制の明確化とチェック体制の整備等を通じて、労働時間の管理の適正化を図る必 要があり、このような点に関する労使の主体的な取組を通じて初めて実現できるものと考えられる、 としている。 そ の た め 、 労 使 が 取 組 む べ き 事 項 と し て 、 ① 労働時間適正把握基準の遵守、②職場風土の 改革、③適正に労働時間の管理を行うためのシステムの整備、④労働時間を適正に把握するため の責任体制の明確化とチェック体制の整備、を掲げている。 722 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 賃金不払残業の解消を図るために講ずべき措置等に関する指針 平 成 15.5.23 基 発 0523004 号 1.趣 旨 賃金不払残業(所定労働時間外に労働時間の一部又は全部に対して所定の賃金又は割増賃金を支払 うことなく労働を行わせること(注)。以下同じ。)は、労働基準法に違反する、あってはならないも のである。 このような賃金不払残業の解消を図るためには、事業場において適正に労働時間が把握される必要 があり、こうした観点から、「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき基準」(平成 13 年 4 月 6 日付け基発第 339 号。以下「労働時間適正把握基準」という。)を策定し、使用者に労働時間を 管理する責務があることを改めて明らかにするとともに、労働時間の適正な把握のために使用者が講 ずべき措置等を具体的に明らかにしたところである。 しかしながら、賃金不払残業が行われることのない企業にしていくためには、単に使用者が労働時 間の適正な把握に努めるに止まらず、職場風土の改革、適正な労働時間の管理を行うためのシステム の整備、責任体制の明確化とチェック体制の整備等を通じて、労働時間の管理の適正化を図る必要が あり、このような点に関する労使の主体的な取組を通じて、初めて賃金不払残業の解消が図られるも のと考えられる。 このため、本指針においては、労働時間適正把握基準において示された労働時間の適正な把握のた めに使用者が講ずべき措置等に加え、各企業において労使が各事業場における労働時間の管理の適正 化と賃金不払残業の解消のために講ずべき事項を示し、企業の本社と労働組合等が一体となっての企 業全体としての主体的取組に資することとするものである。 2.労使に求められる役割 (1) 労使の主体的取組 労使は、事業場内において賃金不払残業の実態を最もよく知るべき立場にあり、各々が果たすべき 役割を十分に認識するとともに、労働時間の管理の適正化と賃金不払残業の解消のために主体的に取 り組むことが求められるものである。 また、グループ企業などにおいても、このような取組を行うことにより、賃金不払残業の解消の効 果が期待できる。 (2) 使用者に求められる役割 労働基準法は、労働時間、休日、深夜業等について使用者の遵守すべき基準を規定しており、これ を遵守するためには、使用者は、労働時間を適正に把握する必要があることなどから、労働時間を適 正に管理する責務を有していることは明らかである。したがって、使用者にあっては、賃金不払残業 を起こすことのないよう適正に労働時間を管理しなければならない。 (3) 労働組合に求められる役割 一方、労働組合は、時間外・休日労働協定(36 協定)の締結当事者の立場に立つものである。したが って、賃金不払残業が行われることのないよう、本社レベル、事業場レベルを問わず企業全体として チェック機能を発揮して主体的に賃金不払残業を解消するために努力するとともに、使用者が講ずる 723 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 措置に積極的に協力することが求められる。 (4) 労使の協力 賃金不払残業の解消を図るための検討については、労使双方がよく話し合い、十分な理解と協力の 下に、行われることが重要であり、こうした観点から、労使からなる委員会(企業内労使協議組織)を 設置して、賃金不払残業の実態の把握、具体策の検討及び実施、具体策の改善へのフィードバックを 行うなど、労使が協力して取り組む体制を整備することが望まれる。 3.労使が取り組むべき事項 (1) 労働時間適正把握基準の遵守 労働時間適正把握基準は、労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき具体的措置等を明らか にしたものであり、使用者は賃金不払残業を起こすことのないようにするために、労働時間適正把握 基準を遵守する必要がある。 また、労働組合にあっても、使用者が適正に労働時間を把握するために労働者に対して労働時間適 正把握基準の周知を行うことが重要である。 (2) 職場風土の改革 賃金不払残業の責任が使用者にあることは論を待たないが、賃金不払残業の背景には、職場の中に 賃金不払残業が存在することはやむを得ないとの労使双方の意識(職場風土)が反映されている場合 が多いという点に問題があると考えられることから、こうした土壌をなくしていくため、労使は、例 えば、次に掲げるような取組を行うことが望ましい。 ① 経営トップ自らによる決意表明や社内巡視等による実態の把握 ② 労使合意による賃金不払残業撲滅の宣言 ③ 企業内又は労働組合内での教育 (3) 適正に労働時間の管理を行うためのシステムの整備 ① 適正に労働時間の管理を行うためのシステムの確立 賃金不払残業が行われることのない職場を創るためには、職場において適正に労働時間を管理 するシステムを確立し、定着させる必要がある。 このため、まず、例えば、出退勤時刻や入退室時刻の記録、事業場内のコンピュータシステム への入力記録等、あるいは賃金不払残業の有無も含めた労働者の勤務状況に係る社内アンケート の実施等により賃金不払残業の実態を把握した上で、関係者が行うべき事項や手順等を具体的に 示したマニュアルの作成等により、 「労働時間適正把握基準」に従って労働時間を適正に把握する システムを確立することが重要である。 その際に、特に、始業及び終業時刻の確認及び記録は使用者自らの現認又はタイムカード、IC カード等の客観的な記録によることが原則であって、自己申告制によるのはやむを得ない場合に 限られるものであることに留意する必要がある。 ② 労働時間の管理のための制度等の見直しの検討 必要に応じて、現行の労働時間の管理のための制度やその運用、さらには仕事の進め方も含め て見直すことについても検討することが望まれる。特に、賃金不払残業の存在を前提とする業務 遂行が行われているような場合には、賃金不払残業の温床となっている業務体制や業務指示の在 り方にまで踏み込んだ見直しを行うことも重要である。 724 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 その際には、例えば、労使委員会において、労働者及び管理者からヒアリングを行うなどによ り、業務指示と所定外労働のための予算額との関係を含めた勤務実態や問題点を具体的に把握す ることが有効と考えられる。 ③ 賃金不払残業の是正という観点を考慮した人事考課の実施 賃金不払残業の是正という観点を考慮した人事考課の実施(賃金不払残業を行った労働者も、こ れを許した現場責任者も評価しない。)等により、適正な労働時間の管理を意識した人事労務管理 を行うとともに、こうした人事労務管理を現場レベルでも徹底することも重要である。 (4) 労働時間を適正に把握するための責任体制の明確化とチェック体制の整備 ① 労働時間を適正に把握し、賃金不払残業の解消を図るためには、各事業場ごとに労働時間の管 理の責任者を明確にしておくことが必要である。特に、賃金不払残業が現に行われ、又は過去に 行われていた事業場については、例えば、同じ指揮命令系統にない複数の者を労働時間の管理の 責任者とすることにより牽制体制を確立して労働時間のダブルチェックを行うなど厳正に労働時 間を把握できるような体制を確立することが望ましい。 また、企業全体として、適正な労働時間の管理を遵守徹底させる責任者を選任することも重要 である。 ② 労働時間の管理とは別に、相談窓口を設置する等により賃金不払残業の実態を積極的に把握す る体制を確立することが重要である。その際には、上司や人事労務管理担当者以外の者を相談窓 口とする、あるいは企業トップが直接情報を把握できるような投書箱(目安箱)や専用電子メール アドレスを設けることなどが考えられる。 ③ 労働組合においても、相談窓口の設置等を行うとともに、賃金不払残業の実態を把握した場合 には、労働組合としての必要な対応を行うことが望まれる。 注.安西 愈弁護士は、 「賃金不払残業」は「所定労働時間外に労働時間の一部又は全部に対して所定の賃金又は 割増賃金を支払うことなく労働を行わせること。」と規定する定義を批判し、いわゆるサービス残業とは「所 定労働時間外」の労働時間についての不払いではなく、「法定労働時間外」の労働についての割増賃金の不払 い残業のことをいうと考えられる、と述べておられる(安西「労働時間」P266)。もっともな指摘である。 <ゴムノイナキ事件・大阪高判平 17.12.1 労判 933-69> (3)残業申請制度や残業禁止命令の運用上の問題 1)残業指示命令について 労働時間とは「労働者が使用者の指揮監督のもとにある時間」 (「三菱重工業長崎造船所(更衣時 間)事件」最高裁一小判決平 12.3.9)と定義されているから、使用者が知らないままに労働者が 勝手に業務に従事した時間まで労働時間と解することはできない。このような考え方から、業務従 事は使用者の明示または黙示の指示によりなされたことを要し、残業指示命令がなく、指揮監督の 下になければ残業時間としてカウントしないということになる。しかし、使用者の指示には「明示」 もあれば「黙示」の場合もあるから、残業指示命令が本当に有ったのか無かったのか、との点につ いては、しばしば争いが起こる。とくに、「黙示」の場合に問題となる。 「黙示」の指示とは、指示のなされた時のあらゆる状況から、指示ありと認められるものであり 「明示」の指示とは、ことばや文字などで明確に示される指示のことをいう。 2)残業指示命令の有無が争われた裁判例 それでは、実際に、残業指示命令の有無が争われた最近の裁判例をみてみよう。 725 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 残業削減の一つの方法として、残業の事前許可制がある。これは、従業員が残業する際に、事前 に「残業許可申請書」などを用いて会社に申請し会社の許可を得て残業するというものである。従 業員の勝手な残業を防止することができる。 イ 残業の存在を知りつつ放置した場合 しかし、残業許可申請が出ていなければ、全て残業と認めなくてもよいというわけにいかない面 もある。「ゴムノイナキ(割増賃金未払い)事件」大阪高裁判決平 17.12.1(注)では、次の実態 から、残業許可申請がなかった部分についても、残業があったとして、残業手当の支払いを命じて いる。 ① 会社は、事前に残業許可願で許可を得る制度をとり、許可願を提出していない場合は、残業 手当を支払っていなかった。 ② しかし、会社は、残業許可願を提出せず残業している従業員が存在することを把握しながら、 これを放置していた。 ③ 労働者の超過勤務は、明示の職務命令に基づくものではなく、その日に行わなければならな い業務が終業時刻まで終了しないため、やむなく残業せざるを得ないという性質のものであっ た。 ④ よって、労働者の供述、上司である営業所長の記録などにより、平均して9時まで就労して いたことを認め、残業手当の支払いを命じた。 この事件では、職務の実態と、会社が残業の存在を知りつつ放置したことが、黙示の残業指示命 令と解釈される余地を残したといえる。なお、この会社にはタイムカードは設置されていなかった。 ロ 残業禁止命令に反して残業した場合 一方で、使用者が積極的に時間外労働をしないように指示した場合、あるいは時間外労働を禁止 した場合はどうなるのか? 「リゾートトラスト事件」大阪地裁判決平 17.3.25 では、次のように述べ、休日労働を否定して いる。 ① 上司が早く帰るように何度も注意していたことからすると、会社が労働者に対して、担当業 務の処理に必要なもの以外残業を命じていたとも認められない。 ② 労働者の担当する業務をこなすために休日労働が必要であるとは認められず、会社が休日出 勤を黙示的にも命じていたとは認められない。 また、「神代学園ミューズ音楽院事件」東京高裁判決平 17.3.30 でも、使用者の明示の残業禁止 の業務命令に反して、労働者が時間外又は深夜にわたり業務を行ったとしても、これを賃金算定 の対象となる労働時間と解することはできない、と判断している。 ただし、残業禁止命令を出していれば、すべて残業に当たらず、とまではいえない。たとえば、 明らかに所定時間内に終わるような業務量でないのに、残業禁止したような場合には、形式的には 残業禁止であっても実質的には黙示の残業命令があったと解され得る。 注.「ゴムノイナキ(割増賃金未払い)事件」大阪高裁判決平 17.12.1 争 点 時間外・休日勤務の未払賃金請求における超過勤務の有無及び付加金支払義務の有無等が争われた 726 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 事案において、ある程度概括的に時間外労働時間を推認するとして、平日は午後9時までの超過勤務 を認定し、付加金についても支払いを命じた(労働者一部勝訴) 事案概要 Y社大阪営業所従業員Xが、1年4か月にわたり、午後10時ないし翌朝午前4時ころまでの平日 の所定労働時間外勤務や休日勤務(超過勤務)に対する賃金が未払いであるとして、超過勤務手当及 びこれと同額の付加金の支払いを求めた事案の控訴審である。 第一審大阪地裁は、平日について概ね午後7時30分までの超過勤務を認定、付加金も認容したが、 休日勤務及びY主張の消滅時効は認めなかった。これに対し、Xが控訴した大阪高裁は、Xが午後5 時30分以降も相当長時間営業所に残ることが恒常化していたとはいえるが、X主張の業務終了時刻 は客観的に裏付けられず、帰宅時間を記した妻の記録によっても退社時刻は確定できず、他方、Yが タイムカードによる出退勤管理をしていなかったことでXを不利益に扱うべきではなく、総合的に判 断してある程度概括的に時間外労働時間を推認するとして、平日は午後9時までの超過勤務を認定し た。付加金については、Yが出退勤管理を怠り、相当数の超過勤務手当が未払いのまま放置されて労 基署の是正勧告を受けたことなどを考慮すると支払いを命ずるのが相当とし、それ以外は一審を維持 した。 判決理由 控訴人は、午後5時30分の終業時刻以降も相当長時間、大阪営業所に残っていることが恒常化して いたというべきである。 イ しかし、控訴人が具体的に主張している業務終了時刻については、平成13年5月から同年8月 及び平成14年4月から同年6月までの期間については、控訴人の供述を裏付ける客観性のある証 拠は皆無である。 また、平成13年9月から平成14年3月までの期間についても、控訴人の供述を裏付ける証拠 は、前記の日直当番戸締まり確認リストの記載のほかは控訴人の妻花子が記載したノート(〈証拠 略〉)しか存在していない。そして花子記載のノートも、帰宅時間しか記載されていないため、控 訴人が途中で寄り道をした場合にはそれだけでは退社時刻の把握が困難であるし〔控訴人は、他の 従業員を送っている日以外は寄り道をしたことがなく、他の従業員を送ったのは職務命令に基づく ものであると供述しているが、俄かに信用できない。)、控訴人が帰宅した際に花子が就寝してい た場合には、控訴人が翌朝花子に帰宅時間を告げていたというのであるが、その時間は必ずしも正 確なものではないというのであるから、上記ノートの記載により控訴人の退社時刻を確定すること もできない。〔中略 エ しかし、他方、タイムカード等による出退勤管理をしていなかったのは、専ら被控訴人の責任に よるものであって、これをもって控訴人に不利益に扱うべきではないし、被控訴人自身、休日出勤・ 残業許可願を提出せずに残業している従業員が存在することを把握しながら、これを放置していた ことがうかがわれることなどからすると、具体的な終業時刻や従事した勤務の内容が明らかではな いことをもって、時間外労働の立証が全くされていないとして扱うのは相当ではないというべきで ある (4)残業手当の請求での立証責任と実際の運用 1)残業した事実の立証 裁判等で残業手当を請求する場合、厳密にいえば請求する側に①残業したこと、②それが労働時 間であること、の立証責任がある。しかし、実際の裁判所での残業手当請求事件の処理では、まず、 727 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 ①については、使用者の時間把握義務を踏まえて、使用者側で積極的に認識・把握している残業時 間数はいかほどかが問われることが多い。この場合に、使用者側で残業時間数の把握ができていな い場合と、パソコンのログイン・ログアウト情報や入室・退室記録、業務日報、成果物、本人の記 録.同僚の報告等から、残業時間が算定されることは少なくない。 たとえば、営業所従業員が1年4か月にわたり、午後10時ないし翌朝午前4時ころまでの平日 の所定労働時間外勤務や休日勤務(超過勤務)をしていたとして未払い賃金を請求した「ゴムノイ ナキ事件」大阪高裁判決平 17.12.1 では、自主申告制で時間計算が厳格になされていない状態で の残業請求について、次のような判断をしている。 ① 本件労働者の超過勤務は、明示の職務命令に基づくものではなく、その日に行わなければな らない業務が終業時刻までに終了しないため、やむなく残業せざるを得ないという性質のもの である。同人の作業のやり方から残業の有無や時間が大きく左右されることからすれば、退社 時刻から直ちに超過勤務時間が算出できるものでもないが、他方、タイムカード等による出退 勤管理をしていなかったのは、専ら会社の責任によるもので、これをもって同人に不利益に扱 うべきでない。会社自身、休日出勤、残業許可願を提出せずに残業している従業員の存在を把 握しながら、これを放置していたことなどからすると、員体的な終業時刻や従事していた勤務 の内容が明らかでないことをもって、時間外労働の立証がまったくなざれていないとして扱う のは相当でない(使用者の時間把握義務から、労働者の立証責任を軽減)。 ② 同人が主張する午後 7 時 30 分以降の業務は、毎日発生するものではないこと、同人自身、繁 忙期以外の時期には、やろうと思えば牛後 10 時には退社できたと自認していること、上司であ る営業所所長作成の文書では、同人は、午後 9~12 時ごろには退社していた旨の記載があるこ と等から、同人は、平成 13 年 5 月以降平成 14 年 6 月までの間、平均して午後 9 時までは就労 していたと認められ、同就労は、超過勤務手当の対象となる。 ⇒ 自主申告制で時間計算が厳格になされていない状態での労働時間の算定は、使用者に把握義務があるとこ ろから、労働者にとって不利益に取扱うべきでないとされる。 2)それが労働時間であることの立証 次に居残り残業が労働時間であるか否かも吟味されなければならない。なぜなら、労働基準法上 の労働時間とは、労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいい、労働時間に該当するか 否かは労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価することができるか否かにより 客観的に定まるものであるからである(「三菱重工業長崎造船所事件」最高裁一小判決平 12.3.9- 本テキスト 483 ページ参照)。 一般に次のような場合には、たとえ残業が行われたとしても、労基法上の労働時間と解されない から残業代支払い義務はないこととなる。 ① 残業の事前承認制や許可制の下で厳格な運用がなされているにもかかわらず、同手続きを怠 った場合 ② 残業禁止命令に違反し業務を行っていた場合(「神代学園ミューズ音楽院事件」東京高裁判決 平 17.3.30 労政時報 08.1.11 P129〔岩出 誠〕) ③ 退社命令が出されているにもかかわらず.勝手に会社に戻り業務を行っていた場合 ④ 当該労働者の担当業務でもないことを勝手に行っていた場合(「ニッコクトラスト事件」東京 728 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 地裁判決平 18.11.17) しかし、前掲ゴムノイナキ事件が指摘するように、残業許可願を提出せずに残業している職員の 存在を把握しながらこれを放置していたような場合や所定労働時間内に到底処理し切れない業務 量を課している場合などは、黙示の残業命令または残業承認とされる可能性が大である。 「ニッコクトラスト事件」東京地裁判決平 18.11.17 「寮住み込み管理人の時間外割増賃金請求等が認められなかった例」 【事件の概要】 独身寮の住み込み調理員および管理業務を請け負った会社に夫婦で雇用され、独身寮において住み込 んで調理および管理業務を行っていたA(夫)が、所定労働日には、所定時間(8時間)を超える 20. 5時間の労働を行い、所定休日も1日 18 時間の休日労働をしたとして、また、B(妻)も所定労働日 に所定時間(4時間)を超える1日 18 時間労働をしたとして、時間外割増賃金等の支払いを会社に対 し請求したものである。 主な争点は、A、Bの主張する時間外割増賃金等の請求が認められるか、である。 【判決の要旨】 裁判所は次のように判断した。 争点①のAの主張する時間外割増賃金等の請求が認められるかについては、所定労働日にAは5時 30 分から翌朝2時ころまで、手待ち時間を含め約 20.5時間、所定休日には8時から翌朝2時頃まで の約 18 時間労働を継続していたと認めた。 しかし、雇用契約上のAの実労働時間は8時間とされており、独身寮の業務については、実働8時 間以内に日々の業務をこなすことができると認められること、また、会社のAに対する指示は、実働 8時間の範囲で処理しきれる範囲で管理業務を行うべきことであって、それ以上のものは要求されて いないこと、さらに、その指示は決して不可能を強いるようなものではなく、このことはA自身も認 識していたと認められること等から、Aが所定労働時間外に行った調理業務等の活動は、会社の指示 をはるかに超えるものであり、自らの判断によってしていたにすぎないとして、これをもって時間外 勤務と認めることはできないとした。 争点②のBの主張する時間外割増賃金等の請求が認められるかについては、Bの職務は、Aの場合 とは異なり、もともと調理補助、管理補助など補助的職務が主であることから、実働4時間の範囲内 でできる職務とされたものを確定すること自体が困難であるといわざるを得ず、つまり、もともと4 時間の範囲内で補助すればよいというのが基本にあるから、それを超えた職務というものを観念する こと自体が困難であるとして、Bの請求も理由がないとした。 以上により、裁判所は、Aらの請求はいずれも理由がないとして請求を棄却した。 3)労働に従事していた時間数の算出 厳密にいえば、裁判等で残業手当を請求する場合,請求する側に①残業したこと,②それが労働 時間であることの立証責任がある。 しかし、岩出 誠弁護士は、実際の裁判所での残業手当請求事件の処理では、使用者側で積極的 に認識・把握している残業時間数の有無・内容が問われることが多いという。使用者には、もとも と労働者の労働時間を適切に把握する義務があることが前提とされているからであろう。使用者側 729 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 で,積極的な時間数の把握ができていない場合に,労働者側の請求時間数について,パソコンのロ グイン・ログアウト情報や入室・退室記録,業務日報,成果物,本人の記録.同僚の報告等から, 残業時間が算定されることになる。 。 同弁護士は「残業の事前承認・許可制が厳格に守られている場合や、残業禁止命令が出ている場 合には,支払い義務なしとされる余地がある」としており、日常的に居残り残業を放置することな く、厳格な手続きのもとに残業を承認する仕組みづくりが重要である(労政時報 08.1.11 出 P129〔岩 誠〕)。 730 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 3.使用者の安全配慮義務 (1)安全配慮義務とは 安全配慮義務という概念は、法令に明文化されているわけではなかった(注 1)が、契約に付随 して使用者に課せられる当然の責務である、と比較的早い時期から考えられていた。 最高裁は、宿直勤務中の従業員が盗賊に殺害された事故に関し「雇傭契約は、労働者の労務提供 と使用者の報酬支払をその基本内容とする双務有償契約であるが、通常の場合、労働者は、使用者 の指定した場所に配置され、使用者の供給する設備、器具等を用いて労務の提供を行うものである から、使用者は、右の報酬支払義務にとどまらず、労働者が労務提供のため設置する場所、設備も しくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び 身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負っているも のと解するのが相当である。」と判示している(「川義事件」最高裁判決昭 59.4.10-注 2)。その 根拠は民法の不法行為、債務不履行、労働安全衛生法の安全・健康確保義務などの条項に由来する。 注 1.平成 20 年 3 月から施行された労働契約法では、安全配慮に関して次のような明文規定が定めら れた。 (労働者の安全への配慮) 第5条 使用者は、労働契約により、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働すること ができるよう、必要な配慮をするものとする。 注 2.「川義事件」最高裁判決昭 59.4.10 貴金属販売店の宿直勤務中の従業員が盗賊に殺害された事例で、会社に安全配慮義務の違背に基 づく損害賠償責任があるとされた。 ポイント 1.会社には、昼夜高価な商品が多数かつ開放的に陳列、保管されていて、休日又は夜間には盗賊 が侵入するおそれがあつた。 2.当時、現に商品の紛失事故や盗難が発生したり、不審な電話がしばしばかかってきていた。 3.会社は、社員一人に対し昭和53年8月13日午前9時から24時間の宿直勤務を命じ、宿直 勤務の場所を本件社屋内、就寝場所を同社屋一階商品陳列場と指示した。 3.侵入した盗賊が宿直員に発見されたような場合には宿直員に危害を加えることも十分予見でき たにもかかわらず、盗賊侵入防止のためののぞき窓、インターホン、防犯チェーン等の物的設備 や侵入した盗賊から危害を免れるために役立つ防犯ベル等の物的設備を施していなかった。 4.盗難等の危険を考慮して休日又は夜間の宿直員を新入社員一人としないで適宜増員するとか宿 直員に対し十分な安全教育を施すなどの措置を講じていなかつた。 判 決 「使用者は、報酬支払義務にとどまらず、労働者が労務提供のため設置する場所、設備もしくは 器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等 を危険から保護するよう配慮すべき義務(=「安全配慮義務」)を負つている。 」 「宿直勤務中に盗賊等が容易に侵入できないような物的設備を施し、かつ、万一盗賊が侵入した 場合は盗賊から加えられるかも知れない危害を免れることができるような物的施設を設けるととも に、これら物的施設等を十分に整備することが困難であるときは、宿直員を増員するとか宿直員に 731 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 対する安全教育を十分に行うなどし、もつて物的施設等と相まつて労働者たる宿直員の生命、身体 等に危険が及ばないように配慮する義務があつた。」 安全配慮義務というのは、伝統的には主に工業(製造業)など薬品や重機などの危険物を取り扱 う職場で比較的早くから問題とされてきた。これまでに安全配慮義務が問題となった事案をみると、 その多くは「裁断機」 「クレーン」 「有機薬品」などを取り扱った事案である。最近では、後述する「電 通損害賠償事件」のようなサービス業等で安全配慮義務が問題となる事案が増大してきており、その 内容も長時間労働による過労死やうつ病による自殺などが目立ってきている。 最近の裁判例などをもとに安全配慮義務を事故の種類別に分類すると、次のようになる。 第 2-5-1 図 安全配慮義務の概念 転落・爆発等の事故 安全配慮義務 脳・心臓疾患によ 過重負荷・長時間労働 る突然死 うつ病による自殺 1)安全配慮すべき対象となる者 ①自己が直接雇用する労働者 事業主が安全配慮義務を果たさなければならない対象者は、それが労働契約上の付随義務である と解されるところから、当該事業主が雇用する労働者が含まれることは当然である。また、契約上 の責任であるから、正規従業員、パートやアルバイトといった臨時雇用従業員などの雇用契約の内 容にかかわらず安全配慮義務を負うものであり、たとえ不法就労の外国人であっても、雇用する限 り安全配慮義務を負うものである(注)(「改進社事件」最高裁三小判決平 9.1.28)。 注.ただし、損害賠償の算定において「一時的に我が国に滞在し将来出国が予定される外国人の逸失利益を算定 するに当たっては、当該外国人がいつまで我が国に居住して就労するか、その後はどこの国に出国してどこに 生活の本拠を置いて就労することになるか、などの点を証拠資料に基づき相当程度の蓋然性が認められる程度 に予測し、将来のあり得べき収入状況を推定すべきことになる。」と、日本での就労可能期間については日本 での収入を基礎とし、その後は出国先での収入を基礎に算定すべきものとしている。 ②派遣労働者 安全配慮義務は、直接雇用する労働者以外にも実質的な指揮命令権を有する関係にある者に他対 しても負っているとみなされ、直接雇用関係にない派遣労働者についても派遣先事業主が第一次的 に安全配慮義務を負うことになる(派遣契約に基づき、派遣先事業主に生じる当然の義務であると 考えられる。 )。 ③下請け会社の従業員 下請け会社の従業員については、原則的には下請け会社の事業主が責任を負うべきものであるが、 元請負会社と下請負の従業員との関係が「実質的な指揮命令関係にあるような特別な社会的接触関 係」(偽装請負のようなケースを想定しているのか?)にあるような場合には、下請け会社の従業 732 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 員に対しても安全配慮義務があることが認められている(「三菱重工神戸造船所(難聴)事件」最 高裁判決平 3.4.11)(注 1)。 最近の裁判例で「特別な社会的接触関係」の判断について、①元請け会社の供給する設備・器具 等を用いているか、②元請け会社の指示の下に労務を提供しているか、の観点から判断し、元請け 会社に安全配慮義務が欠けていたとするものがある(「テクノアシスト相模事件」東京地裁判決平 20.2.13」)。 注 1.「三菱重工業神戸造船所(難聴)事件」最高裁一小判決平 3.4.11 下請企業の労働者として約 20 年間ハンマー打ち作業等に従事していた者が、作業に伴う騒音により聴力障 害に罹患した事件で「実質的な指揮命令関係にあるような特別な社会的接触関係」(注 2)にあるような場合に は、下請け会社の従業員に対しても信義則上、安全配慮義務があるとした。 注 2.特別な社会的接触関係 請負関係において、本来であれば発注者が下請負会社の従業員を指揮命令することはあり得ないのであるが、 現実に実質的な指揮命令関係にあったようなときは、という意味である。 ④出向労働者 出向労働者については、出向元と出向先の両方と雇用関係が認められるところから、一般的には 両事業主に安全配慮義務があるものとされる。 大学卒後、オタフクソースに入社し、ほどなく製造を担当する関連会社へ移籍出向した20歳台の 男性Aが過激かつ長時間労働によりうつ病に罹り自殺した事件につき、裁判所は、「被告イシモト (移籍出向先)は雇用主として、被告オタフクソース(移籍出向元)はAに対して実質的な指揮命 令権を有する者として、Aに対して一般的に安全配慮義務を負っていると解される」と判示し、出 向元・出向先双方の事業主に安全配慮義務があるとしている(「オタフクソース事件」広島地裁判 決平12.5.18)。 国立大学や独立行政法人においても、期限付きで「移籍出向」をさせることがあるが、実質的な 指揮命令権を有すると判断される場合は、大学・独法側にも安全配慮義務があると考えられる。 733 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 第 2-5-2 図 安全配慮義務が及ぶ範囲 自己の雇用する労働者 事業主 派遣労働者 出向者 出向元・出向先双方の事業主に 出向元事業主 安全配慮義務がある。 下請け会社の労働者 実質的な指揮命令関係にあるような特別な社 下請け会社の事業主 会的接触関係にあるような場合には、元請け会 社の事業主にも安全配慮義務が及ぶ。 2)安全配慮すべき程度 安全配慮義務は災害発生を未然に防止するための物的・人的管理を尽くす義務であり、結果責任 とは異なる。したがって、社会通念上相当とされる防止手段を尽くしていれば賠償責任を免れるこ とになるが、裁判所の判断は事業主側にとって相当厳しい結果となっている。 クロム酸化合物を扱う作業で健康障害を起こし死亡した裁判では、「第一に求められるのは、作 業環境の保持について、労働者の健康、人命の尊重の観点から、その時代にできうる最高度の環境 を改善するよう努力することであり、この点について企業は営利を目的にしているのであるから、 労働者の健康を保持する義務も、企業利益との調和の範囲内で、作業環境の改善を投じれば履行さ れるという考え方は到底採用できない」と判示している(「日本化学工業六価クロム事件」東京地 裁判決昭 56.9.26)。 つまり、安全配慮義務を果たすためには、その時代にでき得る最高度の設備の導入その他環境改 善措置をとることが求められ、営利企業であるからという理由で相応の設備を整えればよいとの考 え方は認められない、ということである。 大学や独法においても同様で、予算がないから怠ったということでは、安全配慮義務が果たされ たと言えない。 (2)不法行為と債務不履行 1)不法行為 雇用契約に限らず、一般に、故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害 した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負うこととされる(民法 709 条)。しかし、 この場合は労働者が使用者の故意又は過失を立証する責任を負うことになり 労働者に負担がか かり救済される機会が多いとはいえなかった。 2)債務不履行 734 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 そこで、雇用契約上の義務違反(債務不履行)として使用者の安全配慮義務違反という考え方が 生まれてきた。すなわち、使用者は、労働者が労務提供のため設置する場所、設備もしくは器具等 を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する課程において、労働者の生命及び身体等を危険 から保護するよう配慮する雇用契約上の義務(=「安全配慮義務」)を負っている、と考えるので ある。この考え方は、現在では労働契約法において明文化され、「使用者は、労働契約に伴い、労 働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものと する。」と規定されている(契約法 5 条)。 事業主が安全配慮義務を怠ったために労働者が損害を被ったときは、事業主は民法 415 条に規定 する債務不履行により損害を賠償する義務を負うことになる。 3)不法行為と債務不履行の違い 債務不履行というのは、使用者が雇用契約上負っている安全配慮義務という債務を履行しなかっ た責任を追及するものであり、不法行為は、前述のごとく他人の権利・利益を侵害した場合の責任 追及であり、それぞれ根拠が異なる。 その特徴をまとめると、次のようになる。 第 2-5-3 図 根 不法行為 債務不履行 民法709条 民法415条 労働者:加害事実と加害者の故意・ 過 労働者:使用者の安全配慮義務違反の 事 失かあったことの立証責任を求 めら 実の立証が求められる。 れる。 使用者:これに対し故意・過失がなかった 拠 立証の内容 債務不履行(安全配慮義務)と不法行為 ことを立証しなければ賠償責任 を免れな い。 請求権の時効 3年 10年 遅延損害金 損害の発生と同時に発生 履行の請求により発生 慰 謝 料 ・労働者自身について認める。 ・同左 ・遺族についても、労働者の請求権を ・同左 相続したものとして認める。 ・上記プラス労働者の家族又は遺族の ・労働者の家族又は遺族の受けた精神 受けた精神的損害についての請求も 的損害についての請求は認められない。 認められる。 民法 (債務不履行による損害賠償) 第415条 債務者がその債務の本旨に従った履行をしないときは、債権者は、これによっ て生じた損害の賠償を請求することができる。債務者の責めに帰すべき事由によって履行をするこ とができなくなったときも、同様とする。 (不法行為による損害賠償) 第709条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによっ て生じた損害を賠償する責任を負う。 735 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 (使用者等の責任) 第715条 ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた 損害を賠償する責任を負う。ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注 意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。 2 使用者に代わって事業を監督する者も、前項の責任を負う。 3 前二項の規定は、使用者又は監督者から被用者に対する求償権の行使を妨げない。 (3)労働安全衛生法上の義務 安衛法は、労働災害防止のための①危害防止基準の確立、②責任体制の明確化、③自主的活動の 促進、を目的の1つに掲げている(安衛法 1 条)。 そのため、事業者の責務として、①職場における労働者の安全と健康を確保するようにしなけれ ばならないこと、②労働者の健康に配慮して、労働者の従事する作業を適切に管理するように努め なければならないこと等を定めており、その面からも安全配慮義務を果たす責務があるといえる (安衛法 3 条 1 項、65 条の 3)。 安衛法 (目的) 第1条 この法律は、労働基準法 (昭和二十二年法律第四十九号)と相まって、労働災害の防止のた めの危害防止基準の確立、責任体制の明確化及び自主的活動の促進の措置を講ずる等その防止に関 する総合的計画的な対策を推進することにより職場における労働者の安全と健康を確保するとと もに、快適な職場環境の形成を促進することを目的とする。 (事業者等の責務) 第3条 事業者は、単にこの法律で定める労働災害の防止のための最低基準を守るだけでなく、快適 な職場環境の実現と労働条件の改善を通じて職場における労働者の安全と健康を確保するように しなければならない。また、事業者は、国が実施する労働災害の防止に関する施策に協力するよう にしなければならない。 (作業の管理) 第65条の3 事業者は、労働者の健康に配慮して、労働者の従事する作業を適切に管理するように努 めなければならない(注) 。 注.労働者の特性に合わせた個別の管理が求められる。 (4)災害の防止 1)危険の予見と危険の回避 災害を防止する基本は、 「危険を予見し」その「危険を回避する措置を講じる」ことである。人 の生命・身体・健康は何よりも大切であり、管理監督者は、“安全第一”とはお題目を唱えていれ ば達成できるものではないことを肝に命じておくべきである。具体的には、管理監督者は日頃から 作業場内を見回って、たとえば、次のような措置をとるべきである。 ① 高所作業で墜落・転落が予想される場合は、手すりや防護ネットを取り付けること ② 軟弱な地盤の上で脚立やはしごを使用する場合には、補助板などを用いて接地場所安定を 確保すること 736 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 ③ 農機具や機械等に手や指を巻き込まれる危険がある場合は、安全装置をとり付けること ④ 立ち入ると危険が予想される場所を発見した場合には、囲いや危険を知らせる標識を設置 すること 2)法令との関係 災害を防止するためには、労働安全衛生法をはじめ関係法令を遵守することが必要である。しか し、法令を守っているだけで事故を防ぐことはできない。 労働安全衛生法などの関係法令は、これを守らなければ刑事罰に処するという強制力により最低 限度の事業者の責務を課したものである。また、事業者は、安全配慮義務という民事上の義務をも 負っていることを忘れてはならない。 したがって、現場の管理監督者には、法令遵守のみならず、「危険を予見し」その「危険を回避 する措置を講じる」責務があると考えなければならない。それでも、なお災害の発生を防ぐことが できないため、労基法及び労災保険法は事業主の無過失責任制(注)を採用して労働者を保護して いるのである。 注.無過失責任制 使用者に過失がなくても補償しなければならないとする考え方。労働基準法は災害補償に関し無過失責任制 を採用しているため、使用者はあらゆる災害防止に努めても一旦事故が発生した場合には補償義務を免れない。 そのような経済的危険負担を保険方式によってカバーするため労働者災害補償保険法への加入が義務づけら れている。 第 2-5-4 図 労働災害と使用者責任の範囲 無過失責任 災害補償責任 安全配慮義務違反 民事責任 労働安全衛生法違反 刑事責任 737 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 (5)うつ病による自殺 ~「電通損害賠償事件」最高二小判決平 12.3.24~ 心理的負荷や長時間労働が精神の病の発病に大きな影響を与えることがある例として、「電通損 害賠償事件」を紹介する。 「電通損害賠償事件」最高二小判決平12.3.24 1.事件の概要 この事件は、新卒入社間もない20歳台の男性が平成2年から3年にかけての14か月間に残業(申告時 間月48~87時間) 、徹夜(深夜2時以降の退勤月2~12回) 、休出(最大月12日)を繰り返しうつ病に罷 患した上自宅で自殺した事件について、1億6、800万円余りの損害賠償を認めたものである。なお、 会社側は男性の両親が男性と同居し、勤務状況や生活状況をほぼ把握していたのであるから、男性が うつ病に罹患し自殺に至ることを予見することができ、また、男性の右状況等を改善する措置を採り 得たことは明らかであるのに具体的措置を採らなかったとして両親の過失を主張した。 二審では、両親の過失が肯定され損害額から3割の過失相殺が認められたが、上告審では死亡した 男性は独立の社会人として自らの意思と判断に基づき業務に従事していたのだから、両親が男性と同 居していたといえ、男性の「勤務状況を改善する措置を採り得る立場にあったとは、容易にいうこと はできない」と、両親の過失は否定された。 2.判決の要旨 判決の内容はほぼ男性の両親の主張を認めるもので、その概要は、次のとおりである。 ① うつ病罷患と長時間労働との関係について「労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状 況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると労働者の心身の健康を損なう危険の あることは周知のところである」と肯定した。 ② 使用者の責務として「使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理する に際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことが ないよう注意する義務を負うと解するのが相当であ」ると、安全配慮義務を肯定している。 ③ 会社側の対応については、男性が「恒常的に著しく長時間にわたり業務に従事していること及び その健康状態が悪化していることを認識しながら、その負担を軽減させるための措置を採らなかった ことにつき過失があるとして、一審被告の民法715条に基づく損害賠償責任を肯定した」高裁の判断 は正当として是認することができるとした。 738 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 4.職場環境配慮義務 安全配慮義務が労働者の生命、身体、健康を守るため使用者に課されている義務であるのに対し、 最近「職場環境配慮義務」という概念が生まれつつある。その代表的なものがセクシャル・ハラス メントの防止である。 その他パワーハラスメントと呼ばれる上司と部下など職場における人間関係や仕事の与え方な ど人間の社会的関係に対しても、事業主は一定の配慮をする注意義務があるとされている。 男女雇用機会均等法は、職場におけるセクシュアル・ハラスメントを防止するため、事業主は、 雇用管理上次の事項について配慮をしなければならないことを定めている(均等法 21 条)。 事業主が雇用管理上配慮すべき事項(平10.6.11女発168号) ① 事業主の方針の明確化及びその周知・啓発 事業主は、職場におけるセクシュアル・ハラスメントに関する方針を明確化し、労働者に対して その方針の周知・啓発をすること ⇒ セクシャル・ハラスメントに関する規定を制定し周知・啓発する。 ② 相談・苦情への対応 事業主は、相談・苦情への対応のための窓口を明確にすることについて配慮をしなければならな い。また、事業主は、相談・苦情に対し、その内容や状況に応じ適切かつ柔軟に対応することにつ いて配慮をしなければならない。 ⇒ あらかじめ担当者や相談窓口を定めておく、相談を受けた場合のマニュアルを作成 し担当者や相談窓口に配布することなど。 ⇒ 現実に生じている場合だけでなく、発生のおそれがある場合やセクハラに該当する か否か微妙な場合であっても相談に応じる。 ③ 事後の迅速かつ適切な対応 事業主は、職場におけるセクシュアル・ハラスメントが生じた場合において、その事案に係る事 実関係を迅速かつ正確に確認することについて配慮をしなければならない。また、事業主は、その 事案に適正に対処することについて配慮をしなければならない。 ⇒ 直ちに事実関係の確認をすること(事案の内容により、担当者、人事部門、委員会等が行う。 )。 ⇒ 必要に応じて配置転換を行うこと。 ⇒ 就業規則に基づき懲戒措置をとること。 判例では、下級審の例であるが、上司による異性関係非難などにより退職を余儀なくされた部下 である女性の訴えに対して、「使用者は、被用者との関係において社会通念上伴う義務として、被 用者が労務に服する過程で生命及び健康を害しないよう職場環境等につき配慮すべき注意義務を 負うが、そのほかにも労務遂行に関連して被用者の人格的尊厳を侵しその労務提供に重大な支障を 来す事由が発生することを防ぎ、又はこれに適切に対処して、職場が被用者にとって働きやすい環 境を保つよう配慮する注意義務もあると解される」と、使用者には、安全配慮義務のほかに「職場 が被用者にとって働きやすい環境を保つよう配慮する注意義務」(職場環境配慮義務)もあると判 示している(「福岡セクハラ事件」福岡地裁判決平 4.4.18) 。 なお、セクシャル・ハラスメントの防止に関しては、第 11 章男女雇用機会均等(第8回)で詳 述する。 739 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 5.長時間労働が健康に及ぼす影響 前述電通損害賠償事件の判決において述べているように、長時間労働が労働者の心身の健康を損 なう危険があることが肯定されている。 厚生労働省は長時間労働と脳血管疾患及び虚血性心疾患等との関係について、労災認定基準を見 直し、 「新認定基準」を設けている(平 13.12.12 基発 1063 号「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負 傷に起因するものを除く。)の認定基準について」)。 (1)労災保険法の「新認定基準」 この通達によると、長時間労働と脳・心臓疾患との関係は、次のとおりであると認められる。 第 2-5-5 図 評価期間 1 脳・心臓疾患の発症と長時間労働との関係 時間外労働(注) 発症前1~6か月 業務と発症との関連性 1か月当たり 業務と発症との関連性は弱いと判断される。 おおむね45時間以下 2 発症前1~6か月 1か月当たり 時間外労働時間が長くなるほど業務と発症との おおむね45時間を超え 関連性が徐々に強まるものと判断される。 る 3 発症前1か月間 おおむね100時間を超え る 4 発症前2~6か月 業務と発症との関連性が強いと判断される。 1か月当たり おおむね80時間を超え る 注.時間外労働 = 1 週間当たり 40 時間を超える労働をいう。したがって、週休 2 日制の事業場にお ける土曜・日曜のいわゆる休日労働も含めたカウントをする(三六協定の場合の時間外労働と少し異 なる。 )。 (2)時間外労働における限度時間 労基法は、時間外労働行う場合又は休日労働を行う場合は、労使協定を締結し所轄労働基準準監 督署長へ届け出なければならない旨を定めている(労基法 36 条)。その場合に、厚生労働大臣は、 時間外労働を行うことができる時間について、労働者の福祉、時間外労働の動向その他の事情を考 慮して基準を定めることができることとされており、下記の限度時間を設けている(平 10.12.28 労告 154 号、平 15.10.22 厚労告 355 号)。 第 2-5-6 図 期 時間外労働の限度(再掲) 間 限度時間 1 年単位の変形制 1週間 15時間 14時間 2週間 27時間 25時間 4週間 43時間 40時間 1か月 45時間 42時間 2か月 81時間 75時間 3か月 120時間 110時間 1年間 360時間 320時間 740 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 ただし、労使協定において、上記の限度時間を超えて時間外労働を行わなければならない特別の 事情(臨時的なものに限る)が生じたときに限り、労使当事者間において定める手続きを経て限度 時間を超えて一定の時間まで労働時間を延長することができる旨を定めたときは、その定めにより 労働させることができる。 この特別条項付き協定は臨時的なものに限ることとされ、一時的又は突発的に時間外労働を行わ せる必要があるものであり、全体として 1 年の半分を超えない見込みのものでなければならない。 なお、特別条項付き協定には上限が定められていないので、労使協定により任意に定めることが可 能であるが 上記(1)の労災認定基準等事情を十分考慮する必要があることは当然である。 (3)医師による面接指導 上記(1)の判断に基づいて安衛法の改正が行われ、事業者は、その労働時間の状況その他の事 項が労働者の健康の保持を考慮して、1 週間当たり 40 時間を超えて労働させた場合において、そ の超えた時間が 1 か月当たり 100 時間を超え、かつ、疲労の蓄積が認められる労働者に対し、医師 による面接指導(注)を行わなければならないことになった(平成 18 年 4 月より)。 注.面接指導=問診その他の方法により心身の状況を把握し、これに応じて面接により必要な指導を行うことを いう。 (4)過重労働による健康障害防止のための措置 以上の点から、過重労働による労働者の健康障害を防止するために事業主が講じるべき措置とし て、次のようなものがある(平 14.2.12 基発 0212001 号)。 ① 時間外労働の削減 三六協定において特別条項をもつ場合においても、使用者は、実際の時間外労を月 45 時間 以下となるように努める。 ② 年次有給休暇の取得促進 使用者は、年次有給休暇の取得しやすい職場環境づくり及び具体的な年次有給休暇の取得促 進を図るものとする。 ③ 健康診断の実施等 事業主が行う法定健康診断のほかに、a.深夜労働に従事する方が自己の健康に不安を感じ、 次回の定期の健康診断を待てない場合に、自ら健康診断を受診し、その結果を事業者に提出す る自発的健康診断制度(費用の一部が助成金として支給され る。) 、b.定期健康診断等において異常の所見があった労働者に対して行う二次健康などがあ る。 ④ 長時間労働に対する事業主の対応 a.月 45 時間を超える時間外労働に対して 当該労働者の作業環境、労働時間、深夜労働の回数及び時間数、過去の健康診断の結果 等に関する情報を産業医等に提供し、健康管理に関する助言指導を事業者が受ける。 b.月 100 時間を超える時間外労働等に対して 事業主が上記 a.の健康管理に関する助言指導を受けるほか、該当する労働者に産業医 等の面接指を受けさせる。 ⑤ 業務上の疾病を発生させた場合 741 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 事業主は、産業医等の助言指導を受け、必要に応じて労働衛生コンサルタントの活用を図り、 原因究明と再発防止対策を樹立する。 742 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 資料 40 P714 関係 労働時間の適正把握基準 労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準について 平 13.4.6 基発 339 号 労働基準法においては、労働時間、休日、深夜業等について規定を設けていることから、使用者 は、労働時間を適正に把握するなど労働時間を適切に管理する責務を有していることは明らかであ る。 しかしながら、現状をみると、労働時間の把握に係る自己申告制(労働者が自己の労働時間を自 主的に申告することにより労働時間を把握するもの。以下同じ。)の不適正な運用に伴い、割増賃 金の未払いや過重な長時間労働といった問題が生じているなど、使用者が労働時間を適切に管理し ていない状況もみられるところである。 こうした中で、中央労働基準審議会においても平成12年11月30日に「時間外・休日・深夜 労働の割増賃金を含めた賃金を全額支払うなど労働基準法の規定に違反しないようにするため、使 用者が始業、終業時刻を把握し、労働時間を管理することを同法が当然の前提としていることから、 この前提を改めて明確にし、始業、終業時刻の把握に関して、事業主が講ずべき措置を明らかにし た上で適切な指導を行うなど、現行法の履行を確保する観点から所要の措置を講ずることが適当で ある。」との建議がなされたところである。 このため、本基準において、労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置を具体的に明 らかにすることにより、労働時間の適切な管理の促進を図り、もって労働基準法の遵守に資するも のとする。 1 適用の範囲 本基準の対象事業場は、労働基準法のうち労働時間に係る規定が適用される全ての事業場とする こと。 また、本基準に基づき使用者(使用者から労働時間を管理する権限の委譲を受けた者を含む。以 下同じ。)が労働時間の適正な把握を行うべき対象労働者は、いわゆる管理監督者及びみなし労働時 間制が適用される労働者(事業場外労働を行う者にあっては、みなし労働時間制が適用される時間 に限る。)を除くすべての者とすること。 なお、本基準の適用から除外する労働者についても、健康確保を図る必要があることから、使用 者において適正な労働時間管理を行う責務があること。 2 労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置 (1)始業・終業時刻の確認及び記録 使用者は、労働時間を適正に管理するため、労働者の労働日ごとの始業・ 終業時刻を確認し、こ れを記録すること。 ⇒ 使用者に労働時間を適正に把握する責務があることを改めて明らかにしたものであること。また、労働時間の把 握の現状をみると、労働日ごとの労働時間数の把握のみをもって足りるとしているものがみられるが、労働時間の適 正な把握を行うためには、労働日ごとに始業・終業時刻を使用者が確認し、これを記録する必要があることを示した 743 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 ものであること。 (2)始業・終業時刻の確認及び記録の原則的な方法 使用者が始業・終業時刻を確認し、記録する方法としては、原則として次のいずれかの方法によ ること。 ア 使用者が、自ら現認することにより確認し、記録すること。 イ タイムカード、ICカード等の客観的な記録を基礎として確認し、記録すること。 ⇒(1)始業・終業時刻を確認するための具体的な方法としては、ア又はイによるべきであることを明らかにしたも のであること。また、始業・終業時刻を確認する方法としては、使用者自らがすべての労働時間を現認する場合を除 き、タイムカード、ICカード等の客観的な記録をその根拠とすること、又は根拠の一部とすべきであることを示し たものであること。 ⇒(2)基準の2の(2)のアにおいて、「自ら現認する」とは、使用者が、使用者の責任において始業・終業時刻 を直接的に確認することであるが、もとより適切な運用が図られるべきであることから、該当労働者からも併せて確 認することがより望ましいものであること。 ⇒(3)基準の2の(2)のイについては、タイムカード、ICカード等の客観的な記録を基本情報とし、必要に応 じ、これら以外の使用者の残業命令書及びこれに対する報告書など、使用者が労働者の労働時間を算出するために有 している記録とを突合することにより確認し、記録するものであること。 また、タイムカード、ICカード等には、IDカード、パソコン入力等が含まれるものであること。 (3)自己申告制により始業・終業時刻の確認及び記録を行う場合の措置 上記(2)の方法によることなく、自己申告制によりこれを行わざるを得ない場合、使用者は次 の措置を講ずること。 ア 自己申告制を導入する前に、その対象となる労働者に対して、労働時間の実態を正しく記録し、 適正に自己申告を行うことなどについて十分な説明を行うこと。 イ 自己申告により把握した労働時間が実際の労働時間と合致しているか否かについて、必要に応 じて実態調査を実施すること。 ウ 労働者の労働時間の適正な申告を阻害する目的で時間外労働時間数の上限を設定するなどの措 置を講じないこと。また、時間外労働時間の削減のための社内通達や時間外労働手当の定額払等労 働時間に係る事業場の措置が、労働者の労働時間の適正な申告を阻害する要因となっていないかに ついて確認するとともに、当該要因となっている場合においては、改善のための措置を講ずること。 ⇒4 基準の2の(3)のアについて 労働者に対して説明すべき事項としては、自己申告制の具体的内容、適正な自己申告を行ったことにより不利益な 取扱いが行われることがないことなどがあること。 ⇒5 基準の2の(3)のイについて 自己申告による労働時間の把握については、曖昧な労働時間管理となりがちであることから、使用者は、労働時間 が適正に把握されているか否かについて定期的に実態調査を行うことが望ましいものであるが、自己申告制が適用さ 744 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第5章 労働時間管理 れている労働者や労働組合等から労働時間の把握が適正に行われていない旨の指摘がなされた場合などには、当該実 態調査を行う必要があることを示したものであること。 6 基準の2の(3)のウについて 労働時間の適正な把握を阻害する措置としては、基準で示したもののほか、例えば、職場単位毎の割増賃金に係る 予算枠や時間外労働の目安時間が設定されている場合において、当該時間を超える時間外労働を行った際に賞与を減 額するなど不利益な取扱いをしているものがあること。 (4)労働時間の記録に関する書類の保存 労働時間の記録に関する書類について、労働基準法第109条に基づき、3年間保存すること。 ⇒7 基準の2の(4)について (1)労働基準法第109条において、「その他労働関係に関する重要な書類」について保存義務を課しており、始 業・終業時刻など労働時間の記録に関する書類も同条にいう「その他労働関係に関する重要な書類」に該当するもの であること。これに該当する労働時間に関係する書類としては、使用者が自ら始業・終業時刻を記録したもの、タイ ムカード等の記録、残業命令書及びその報告書並びに労働者が自ら労働時間を記録した報告書などがあること。 なお、保存期間である3年の起算点は、それらの書類毎に最後の記載がなされた日であること。 (5)労働時間を管理する者の職務 事業場において労務管理を行う部署の責任者は、当該事業場内における労働時間の適正な把握等 労働時間管理の適正化に関する事項を管理し、労働時間管理上の問題点の把握及びその解消を図る こと。 (6)労働時間短縮推進委員会等の活用 事業場の労働時間管理の状況を踏まえ、必要に応じ労働時間短縮推進委員会等の労使協議組織を 活用し、労働時間管理の現状を把握の上、労働時間管理上の問題点及びその解消策等の検討を行う こと。 ⇒ 8 基準の2の(6)について 基準の2の(6)に基づく措置を講ずる必要がある場合としては、次のような状況が認められる場合があること。 (1)自己申告制により労働時間の管理が行われている場合。 (2)一の事業場において複数の労働時間制度を採用しており、これに対応した労働時間の把握方法がそれぞれ定め られている場合。 また、労働時間短縮推進委員会、安全・衛生委員会等の労使協議組織がない場合には、新たに労使協議組織を設置 することも検討すべきであること。 745 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第6章 妊産婦等 第6章 妊産婦等 この章は、従来労基法では「女性」という題名であったが、平成 18 年改正(施行は 19 年 4 月 1 日)により女性の坑内労働の原則禁止措置が解除され、就業制限は妊産婦に係る母性保護が主体とな ったため、「妊産婦等」という題名に変更されたため(労基法第6章の2)、同名の題名とする。 内容は、妊産婦に関する就業制限、産前産後休業、育児時間、生理休暇などである。 1.従来の女性保護規定の撤廃 (1)女性保護規定の変遷 従来の労基法は、女性労働者は男性労働者に比し生理的・体力的に弱い面があると認識して、時 間外労働の制限、休日・深夜労働の禁止、危険有害業務の就業制限、産前産後の休業保障、育児時 間、整理休暇、帰郷旅費など幅広い保護規定を設けていた。 しかし、女子差別撤廃条約批准のための国内法整備の一環として、女性労働者の妊娠・出産・哺 育という母性保護と機会均等を推進するとともに、母性保護以外の労働条件の取扱いを男女同一の 基盤に立たせるという基本的な考え方に基づき、数次の改正が行われてきた。 (2)従来の女性労働者の労働時間保護規定 平成9年の労基法改正前の女性労働者の労働時間保護規定には、次のものがあった。 ① 時間外労働について、工業的業種は1週6時間、1年150時間の上限、非工業的業種は保 健衛生、接客娯楽業2週12時間、その他の業種4週36時間。ただし、指揮命令者・専門業 務従事者はこの適用を除外(旧労基法 64 条の 2) ② 深夜労働について、原則禁止。ただし、保健衛生、接客娯楽業、映画・放送番組制作の業務、 品質が急速に変化しやすい食料品の製造・加工従事者(1日の労働時間が6時間以内に限る。) タクシー運転手(本人の申出による。)は適用除外(旧労基法 64 条の 3、旧女子則 6 条) 2.妊産婦の就業制限 (1)坑内業務 妊娠中の女性を坑内で行われるすべての業務に就かせてはならない。坑内で行われる業務に従事 しない旨を申し出た産後1年を経過しない女性についても同様である。 妊産婦以外の女性の場合は、坑内業務は原則的には禁止されるものでないが、厚生労働省令で定 める次の業務に就かせることはできない(女性則1条)。 ① 人力により行われる土石、岩石若しくは鉱物(以下「鉱物等」という。)の掘削又は掘採の 業務 ② 動力により行われる鉱物等の掘削又は掘採の業務(遠隔操作により行うものを除く。) ③ 発破による鉱物等の掘削又は掘採の業務 ④ ずり、資材等の運搬若しくは覆工のコンクリートの打設等鉱物等の掘削又は掘採の業務に付 随して行われる業務(鉱物等の掘削又は掘採に係る計画の作成、工程管理、品質管理、安全管 理、保安管理その他の技術上の管理の業務並びに鉱物等の掘削又は掘採の業務に従事する者及 746 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第6章 妊産婦等 び鉱物等の掘削又は掘採の業務に付随して行われる業務に従事する者の技術上の指導監督の 業務を除く。 ) この規定は平成 19 年 4 月 1 日より適用されているものであり、女性の坑内労働は、 「原則自由例 外禁止」となったが、改正前の規定では「原則禁止例外解除」であった。 (2)危険有害業務 妊娠中の女性及び産後1年を経過しない女性(「妊産婦」という。)には、女性労働基準規則で定 める危険有害業務に対する就業制限がある。また、重量物を取り扱う業務や有毒物のガスや粉塵を 発散する場所での業務は、女性の妊娠・出産機能に有害であるとして、妊産婦のみにかかわらず女 性労働者一般に関して就業が禁止されている。 (危険有害業務の就業制限の範囲等) 号 業 務 の 種 類 妊 産 その 婦 婦 他 1 年齢の区分に応じ、一定重量以上の重量物を取り扱う業務(注) 2 ボイラーの取扱いの業務 × △ ○ 3 ボイラーの溶接の業務 × △ ○ 4 つり上げ荷重が五トン以上のクレーン若しくはデリック又は制限荷重が五ト × △ ○ 運転中の原動機又は原動機から中間軸までの動力伝導装置の掃除、給油、検査、 × △ ○ × △ ○ × △ ○ × △ ○ 操車場の構内における軌道車両の入換え、連結又は解放の業務 × △ ○ 蒸気又は圧縮空気により駆動されるプレス機械又は鍛造機械を用いて行う金 × △ ○ × △ ○ × ン以上の揚貨装置の運転の業務 5 修理又はベルトの掛換えの業務 6 クレーン、デリック又は揚貨装置の玉掛けの業務(二人以上の者によつて行う 玉掛けの業務における補助作業の業務を除く。 ) 7 動力により駆動される土木建築用機械又は船舶荷扱用機械の運転の業務 8 直径が二十五センチメートル以上の丸のこ盤(横切用丸のこ盤及び自動送り装 置を有する丸のこ盤を除く。)又はのこ車の直径が七十五センチメートル以上 の帯のこ盤(自動送り装置を有する帯のこ盤を除く。 )に木材を送給する業務 9 10 属加工の業務 11 動力により駆動されるプレス機械、シヤー等を用いて行う厚さが八ミリメート ル以上の鋼板加工の業務 12 岩石又は鉱物の破砕機又は粉砕機に材料を送給する業務 × △ ○ 13 土砂が崩壊するおそれのある場所又は深さが五メートル以上の地穴における × ○ ○ × ○ ○ × △ ○ 業務 14 高さが五メートル以上の場所で、墜落により労働者が危害を受けるおそれのあ るところにおける業務 15 足場の組立て、解体又は変更の業務(地上又は床上における補助作業の業務を 除く。 ) 747 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第6章 妊産婦等 16 胸高直径が三十五センチメートル以上の立木の伐採の業務 × △ ○ 17 機械集材装置、運材索道等を用いて行う木材の搬出の業務 × △ ○ 18 鉛、水銀、クロム、砒素、黄りん、弗素、塩素、シアン化水素、アニリンその × 他これらに準ずる有害物のガス、蒸気又は粉じんを発散する場所における業務 19 多量の高熱物体を取り扱う業務 × △ ○ 20 著しく暑熱な場所における業務 × △ ○ 21 多量の低温物体を取り扱う業務 × △ ○ 22 著しく寒冷な場所における業務 × △ ○ 23 異常気圧下における業務 × △ ○ 24 さく岩機、鋲打機等身体に著しい振動を与える機械器具を用いて行う業務 × × ○ 「妊婦」=妊娠中の女性 「産婦」=産後1年を経過しない女性 「その他の女性」=妊婦及び産婦以外の女性 ×=就業禁止業務 △=産婦のうち当該業務に従事しない旨を使用者に申し出た産婦が就業禁止 ○=就業可能業務 注.年齢の区分に応じ、一定重量以上の重量物を取り扱う業務は、次のとおりである。 第 2-6-1 図 女性の重量物取扱い制限 年 齢 重量(単位 Kg) 断続作業の場合 継続作業の場合 満 16 歳未満 12 8 満 16 歳以上満 18 歳未満 25 15 満 18 歳以上 30 20 ⇒ 現行法制下では、妊産婦に該当しない一般の女性は、①重量物を取扱う業務、②鉛、水銀など生殖機能に 害を及ぼすおそれのある物質を取扱う業務について就業が禁止されるが、それ以外の業務は禁止されていな い。 (3)妊産婦に対する労働時間規制 1)変形労働時間制の適用 使用者は、妊産婦(注)が請求した場合には、変形労働時間制を採る場合であっても、1日8時 間を超え、又は1週間 40 時間を超えて労働させてはならない(労基法 66 条 1 項)。 注.妊産婦 妊娠中の女性及び産後1年を経過しない女性をいう。 2)時間外労働の制限 使用者は、妊産婦が請求した場合には、時間外労働をさせてはならず、又は休日に労働させては 748 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第6章 妊産婦等 ならない(労基法 66 条 2)。 時間外・休日労働は法 33 条の非常災害による場合及び三六協定による場合があるが、いずれの 場合も本人の請求があれば就業させることはできない。 3)深夜労働 使用者は、妊産婦が請求した場合には、深夜労働をさせてはならない。 妊産婦が管理監督者又は機密の事務を取扱う者その他法 41 条に該当する場合は、その者につい て労働時間に関する規定が適用されないため上記1)変形労働時間制及び2)時間外労働の制限の 各規定は適用されない(妊産婦であっても変形労働時間制の適用があり、また時間外労働をさせる ことができる。)が、深夜労働については請求があった場合にはその範囲で深夜労働が制限される (昭 61.3.20 基発 151 号)。 4)育児・介護休業法による子を養育する場合の措置(男女に認められる措置) 育児・介護休業法では1歳(一定の場合は1歳 6 か月)に満たない子を養育する労働者が育児休 業をしない場合において、当該労働者から申し出があった場合は、勤務時間を短縮する措置等を講 じなければならない。 1 歳から 3 歳に達するまでの子を養育する労働者の場合は、上記の措置又は育児休業に準ずる措 置を講じなければならない(育介法 23 条)し、3 歳から小学校就学の始期に達するまでの子を養 育する労働者の場合は、育児休業の制度又は勤務時間の短縮等の措置に準じて必要な措置を講ずる よう努めなければならない(育介法 24 条)。 ⇒ 変形労働時間制の適用、時間外労働の制限及び深夜労働は、本人が請求した場合に制限される。 3.産前産後休業 (1)就業禁止 使用者は6週間(多胎妊娠にあっては 14 週間)以内に出産(注)する予定の女性が休業を請求 した場合は、その者を就業させてはならない(労基法 65 条)。 産前の期間は、本人が就業を望まないのであれば使用者は就業させることができず、就業を希望 するのであれば、就業させることが可能である。 また、産後8週間を経過しない女性を就業させてはならない。ただし、産後6週間を経過した女 性が請求した場合において、医師が支障がないと認めた業務に就かせることは差し支えない。 注.出産=妊娠4か月以上(1か月は 28 日として計算する。 )の分娩とし、生産のみならず死産を含む(昭 23.12.23 基発 1885 号)。 産前の休業期間の算定は自然の分娩予定日を基準とするから、現実の出産が予定より早ければそ れだけ産前休業は短縮され、予定日より遅ければその遅れた期間も産前休業として取扱われる。 これに対し産後の休業期間の算定は現実の出産日を基準に行われる。また、産後8週間のうち6 週間については本人の意思にかかわらず就業が禁止されるので、絶対就業禁止期間といわれる。 出産当日は産前の期間に含まれる(昭 25.3.31 基収 4057 号)。 749 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第6章 妊産婦等 ※産前産後休業中の賃金 労基法は産前産後の一定期間について休業を強制しているのであって、有給を義務付けているいる わけでないから、就業規則等に定めるところによる。もちろん、無給であってもかまわない。 無給の場合は、健康保険法では、産前42日(多胎妊娠の場合は 98 日) 、産後56日を限度として 休業期間1日につき標準報酬日額の60%が支給される(健保法 102 条、138 条)。 (2)軽易な業務への転換 妊娠中の女性が請求した場合には、使用者は他の軽易な業務に転換させなければならない。ただ し、新たに軽易な業務を創設してまで与える義務を課したものでない(昭 61.3.20 基発 151 号)。 また、業務内容の転換だけでなく、たとえば早番を遅番に変更するなど労働時間帯の変更も服務と 解されている(菅野「労働法」P338)。 この場合の「妊娠中の女性」とは、1)の場合と異なり6週間以内に出産する予定であるかに関 係なく、妊娠中の女性はすべて対象となる。 (3)産前産後休業と不利益取扱い 女性労働者が産前産後休業を行ったことを理由に昇給や昇格査定において不利益な取扱いをす ることは許されるだろうか? これについて、産前産後の休業をしたことそれ自体を昇給・昇格・賞与の査定上不利な資料とす ること(典型的な例は、昇給・昇格の要件としての出勤率の算定において欠勤扱いとすること。) は私法上違法となると考えられる。 しかし、産前産後の休業をしたことによって生じた技能や経験の実質的遅れのために、具体的要 件を欠くことによる昇給・昇格が遅れることまでも違法とはいえない(菅野「労働法」P338) ※「日本シェーリング(稼働率 80%)事件」最高裁一小判決平 1.12.14 毎年の賃金引上げに際し前年の稼働率が 80%以下の者を除外するという趣旨の条項の有効性が争 われた事案である。稼働率算定の基礎となる不就労には、欠勤、遅刻、早退によるもののほか、年次 有給休暇、生理休暇、慶弔休暇、産前産後の休業、育児時間、労働災害による休業ないし通院、同盟 罷業等組合活動によるものを含めることとされていた。 「本件八〇パーセント条項は、労基法又は労組法上の権利に基づくもの以外の不就労を基礎として 稼働率を算定する限りにおいては、その効力を否定すべきいわれはないが、反面、同条項において、 労基法又は労組法上の権利に基づく不就労を稼働率算定の基礎としている点は、労基法又は労組法 上の権利を行使したことにより経済的利益を得られないこととすることによって権利の行使を抑制 し、ひいては、右各法が労働者に各権利を保障した趣旨を実質的に失わせるものというべきであるか ら、公序に反し無効であるといわなければならない。 」 ※東朋学園(育児休業賞与不支給)事件最高裁一小判決平 15.12.4 女性職員Xが、8週間の産後休業を取得し、引き続きYの育児休職規定に基づき勤務時間の短縮を 請求し、約9ヵ月間、1日1時間15分の育児時間を取得していたところ、Yの給与規定では、賞与 の支給要件として出勤率が90%以上となっており、Xの賞与算定に際し、Yは右産後休業期間およ び育児時間を欠勤日数に算入する取扱いをした結果、Xは給与規定の支給要件を充足しないとして2 回分の賞与が支給されなかったことから提訴された事案である。 750 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第6章 妊産婦等 判決は「本件90%条項は、賞与算定に当たり、単に労務が提供されなかった産前産後休業期間及 び勤務時間短縮措置による短縮時間分に対応する賞与の減額を行うというにとどまるものではなく、 産前産後休業を取得するなどした従業員に対し、産前産後休業期間等を欠勤日数に含めて算定した出 勤率が90%未満の場合には、一切賞与が支給されないという不利益を被らせるものであり、・・・ 本件90%条項の制度の下では、勤務を継続しながら出産し、又は育児のための勤務時間短縮措置を 請求することを差し控えようとする機運を生じさせるものと考えられ、上記権利等の行使に対する事 実上の抑止力は相当強いものとみるのが相当である。そうすると、本件90%条項のうち、出勤すべ き日数に産前産後休業の日数を算入し、出勤した日数に産前産後休業の日数及び勤務時間短縮措置に よる短縮時間分を含めないものとしている部分は、上記権利等の行使を抑制し、労働基準法等が上記 権利等を保障した趣旨を実質的に失わせるものというべきであるから、公序に反し無効であるという べきである。」と、労基法上の権利を行使することを事実上抑止する措置は無効とした。 4.その他の母性保護 (1)育児時間 ⇒ 女性にのみ認められたもの(母乳を与えることを前提) 生後満1年に達しない生児を育てる女性は、法定休憩時間のほか1日2回各々少なくとも 30 分、 その生児を育てる時間を請求することができる(労基法 67 条)。 1日2回、少なくとも 30 分という基準は8時間労働制を想定したものであるから、1日の労働 時間が4時間以内のパート職員の場合は、1日1回少なくとも 30 分でよいとされている(昭 36.1.9 基収 8996 号)。また、1日1回 60 分という形の付与も2回に分けて請求することが保証されてい る限り、差し支えないと考えられる(菅野「労働法」P339)。 休憩時間(34 条)は労働時間の途中で与えなければならないが、育児時間は始業時刻又は終業 時刻に隣接して請求することも可能であるため、始業時刻の繰下げ及び終業時刻の繰上げを各 30 分ずつ行うこともできる。 労基法は女性にのみ育児時間を認めており、男性については規定がない。このことからも、労基 法の育児時間は母親が子に母乳を与えるための時間を確保する趣旨であることが推定できる。 (2)生理休暇 生理日の就業が著しく困難な女性が休暇を請求したときは、使用者はその者を生理日に使用し てはならない(労基法 68 条)。 生理休暇の由来は、第二次世界大戦時女子挺身隊の作業が過酷な肉体労働が主であったところか ら、その受入側措置要綱において生理中の女性を就業させる場合は特別の考慮をはらうべきである とされたことによる。そのせいか、国際的に見て生理休暇の保護規定をもつ国は、日本のほか、第 二次大戦時に我が国の影響が強かったインドネシアと韓国ぐらいのものだそうである。 「生理日の就業が著しく困難」であるか否かの判断は相当難しく、通達では「生理日の就業が著 しく困難かどうかについては、生理休暇の実質的確保のため、医師の診断書のような厳格な証明を 求めることなく、一応事実を推断せしめるに足れば充分であるから、例えば同僚の証言程度の簡単 な証明によらしめること」とされている(昭 23.5.5 基発 682 号)。 しかし、取得した以上は何の目的にこれを使用しようと干渉し得ないものとすれば、事実上休暇 の不正取得に対する抑制が困難となり、ひいては女性労働に対する社会の信頼ないし評価が損なわ 751 Corporate Evolution Institute Co., Ltd. 第2編 個別的労働関係 第6章 妊産婦等 れるおそれがあるから、生理休暇の不正取得は許されない解される。 裁判例としては、年次有給休暇が繁忙期のために取得できないため生理休暇を取得して遠隔地で 行われたのど自慢大会に参加したバスガイドに対してなした停職処分は有効、とするものがある (ただし6か月の停職処分は重すぎるとして3か月の限度で有効とした) (「岩手県交通事件」盛岡 地裁一関支部判決平 8.4.17 )。 ⇒ 年次有給休暇の請求に対し、使用者は時季変更権を行使することができるが、生理休暇に対して時季変更 することはできない。 752 Corporate Evolution Institute Co., Ltd.
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